音楽雑記2011年(3)                           

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12月31日(土)    *年末の所感

 今年も終わりだから、少しマジメなことを書いておこうかな。

 政府もようやく増税案をまとめて実現できそうな具合になってきた。 財政再建への一里塚に過ぎず、先は長いとはいえ、今回一歩を踏み出したことについては野田総理をほめるべきだと私は思う。 私は別段民主党びいきではないが、増税はそもそも自民党政権時代の懸案で、それがさっぱり実現できなかったのだから、自民党には何も言う資格はあるまい。

 消費税だけでなく、高額所得者への増税も合わせて盛り込まれたのも良いと思う。 かつて日本の高額所得者の税率は75%だった。 現在はそれが40%にまで低下している。 つまり、格差が開いているのに高額所得者は優遇されるようになっているわけだ。 ノブレス・オブリージュで、高額所得者にはそれなりの税金を納めていただくべきであろう。 代わりに勲章を出すとか、長年にわたる高額納税者には爵位を出すとか、名誉で報いればいいのではないか。

 どうも日本の保守論壇がおかしくなっているという印象を私は持っている。 そもそも、保守主義はアメリカの新自由主義とは相容れない部分を持っているはず。 ところが最近の日本の保守論壇はアメリカ新自由主義者の 「政府規制をゆるめて市場を放置すれば消費が向上して最終的には社会全体が富む」 という哲学をそのまま受け入れている。 新自由主義の結果がリーマン・ショックであり世界経済の混迷である、という事実を見ていない。 いったいいつから日本の保守論壇はこんなに劣化したのか。

 また、安部元総理が評論家的にモノを言っているのは、率直に言って感心しない。 自分が総理だったときに何もできなかった人間が後になって色々言うのはみっともないということが分からないのだろうか。 もっとも、スポーツ界でも同じような珍現象はあって、増田明美みたいにオリンピックという桧舞台で惨敗を喫したのに評論家として一人前に発言しているヤカラがいるから、日本は人物評価という点で大甘の国だと思うのだ。

 他方、私の勤務先である大学も混迷の度合いを深めている。 学生の遊び心にだけ媚びることが 「学生中心主義」 の名でまかり通っている。 学生はとにかく勉強させるのが大学の第一の役目という基本が忘れられている。 

 教員の雑用を増やすような思い付きが大手を振るい、基本的な研究費は減り、若手への処遇は悪くなり、教員数も減るばかりである。 はっきり言うけど、現在の新潟大学には何もいいことがない。 上層部の無能は、新潟大学で今年変な事件が起こったことからも明白だろう (http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110427/crm11042714330015-n1.htm)。 この件については裁判中だからという理由で詳細は一般教員にも知らされていない。 文科省官僚は (昔からそうだけれど) 大学のことを知らないままにロクでもない政策を押し付けてくる。

 七難八苦という感じだが、この中で若手処遇の問題に触れておく。 今の日本で国立大学教員の給与が大手私大教員に比べて悪いというのは常識に属する。 それにもかかわらず教員の昇任 (准教授→教授) を遅らせることで、さらに待遇を悪くしているのが、現在の新潟大学なのだ。 今は大学教員は買い手市場だからそれでも何とかなっているようだが、これは最終的には新潟大学教員の質の問題に関わることだろう。

 今でも文系では地方国立大より首都圏や関西圏の私大を選ぶ優秀な研究者は多い。 新潟大学のように教員が40代はおろか50代になってもずっと准教授のままに留め置くような政策を続けるなら、この傾向は加速するだろう。 それでも研究費が多いなどの利点があれば別だが、実際は逆で、新潟大学の個人研究費は法人化以降激減しているのだ。 つまり、総合的に見て新潟大学は優秀な教員が集まらないような政策をとり続けているわけなのだが、無能な上層部はそのことに気づいていない。 多分、国大協も気づいていないのだろう。 

 私がこういうことを書くのは別に国立大だけのためではない。 日本全体にとって不幸なことだと思うからなのである。 

12月29日(木)    *ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番ト長調の第1楽章

 最近、森本恭正の 『西洋音楽論 クラシック音楽に狂気を聴け』(光文社新書) を読んだ。 その中に、ヨーロッパの著名なヴァイオリニストがある日、著者を前にしてブラームスの第1ソナタの冒頭部分を弾いてみせ、「これがVIVACE(速く生き生きと)に聞えましたか?」 と問うた、というエピソードが登場する。 訊かれた著者は、演奏がゆったりとした老成したものだったので、「いいえ、全然」 と答えたところ、くだんのヴァイオリニストはこの曲の楽譜の第1楽章に記された指示に注意を喚起した。 そこには 「VIVACE ma non troppo 速く生き生きと、しかしはなはだしくなく」 と記されていた。 そしてそのヴァイオリニストは、30年以上この曲を弾きながら、この指示に最近まで気づかなかったというのである。

 このエピソードを読んだ私は、あっと思った。 今年の9月に上京したとき、逗子で松田理奈さんの演奏会を聴き、ブラームスの第1ソナタを演奏している松田さんを見ながら、この曲の性格をどう捉えるかは結構難しいんだよな、と考えたことを思い出したからだ。 それであわてて自宅書斎にあるこの曲のディスクを調べてみた。 LPレコードのスターンと堀米ゆず子、CDのコーガン、グリュミオー、パールマン、ズーカーマン、そしてムター。 無論この曲のディスクは腐るほどたくさんあるだろうけど、私の持っているのはこの7種類のみ。

 以上の7種類を片っ端から聴いてみたところ、第1ソナタの第1楽章をもっとも速く弾いているのは、時間でいえばレオニード・コーガンであった。 10分を少し切る演奏だ。 ほかのヴァイオリニストは皆10分台、一番遅いズーカーマンは11分台である。

 しかし、演奏が 「速く生き生きと」 しているかどうかは、演奏時間の長短だけでは決まらない。 コーガンの演奏にしても、出だしはゆっくりで、途中からかなり速くなる。 といって一律なのではなく、緩急をかなりつけており、速い部分とゆっくりの部分の対比が明確なのだ。 

 コーガンに次いで時間的に短いのはグリュミオーである。 10分を数秒だけ出る演奏時間だ。 しかしこの演奏は速い遅いを云々する以前に演奏そのものがあまり良くない。 表現が平板で、ふくらみがない。 録音の問題もあるのかもしれないが、音楽の魅力という点では一番劣っていると感じられた。

 他の5種類の演奏は、それぞれに音楽的な表情があってそれなりだが、私が一番 「速く生き生きとして」 いると感じられたのは、意外にも堀米ゆず子の演奏であった。 意外にもというのも失礼だが、LP時代にこの曲のディスクで持っていたのは彼女とスターンの2種類だけであり、スターンは周知のように強い音の持ち主だから、堀米ゆず子の演奏はヤマトナデシコ的に感じられ、そこからあまり表情の濃淡がなかったような記憶が残っていたのであった。 もっとも、このLPもずいぶん長いこと聴いていなかったのであるが。

 今回、7種類のディスクを聴き比べてみると、7人のうちで堀米ゆず子が最も良くメロディーを歌っているのである。 だから楽章全体が起伏に富み、言葉の深い意味において楽しげで、平板さの対極にあり、したがって長さや遅さを感じさせないのである。 機械的な演奏時間で言えば10分台半ばであり、パールマンやムターとほぼ同じなのだが、物理的な時間と心理的な時間は違うということがこれほど痛感されたことも稀であった。 

 もっとも、上記の森本恭正の本では、日本人演奏家はテクニックには優れていても歌うことができない、というショパン・コンクール審査員アダム・ハラシェヴィッチの言葉が紹介されている。 現にこないだのショパン・コンクールでは日本人の参加者は第3次予選までで皆落ちてしまった、と。

 しかしそれは日本人というより、人の問題なのではないか。 堀米さんは周知のようにエリーザベト王妃国際コンクールで優勝している。 歌うことができるヴァイオリニストである堀米さんを、改めて見直したことであった。

12月27日(火)     *最近聴いたCD

 *ピアノとオルガンのためのフランス音楽の世紀 (カメラータトウキョウ、CMCD-28015、2002年録音、2003年発売、日本盤)

 ピアノとオルガン、という珍しい組み合わせの曲を集めたディスクである。 収録作品は、サン=サーンスの 「ハルモニウムとピアノのための6つの二重奏曲op.8」 と、マルセル・デュプレ(1886‐1971) の 「ピアノとオルガンのための2つの主題による変奏曲op.35」、そしてジャン・ギユー(1930−) の 「ピアノとオルガンのためのコロック(討論)第2番」 である。 演奏はピアノがブルーノ・カニーノ、オルガンがクラウディオ・ブリツィ。 イタリアのドン・ボスコ教会での録音。 ジャケットはごらんのようにモネの絵画である。 で、肝心の収録曲の印象なのだが、最初のサン=サーンスの曲がそこそこ面白いかな。 ただしサン=サーンスだから (?)、オルガン音楽の崇高さ、みたいなものは求めるべくもなく、クラシックの曲と言うより流行歌みたいに聞こえるけどねえ。 彼の若いころの作品だそうだ。 もっとも、解説によると彼は若い頃は教会のオルガニストを勤めていたようだ。 デュプレの曲もどことなく商業ソング的だし、ギユーの曲はいわゆる一つの現代音楽。 もっともピアノとオルガンという組み合わせはバロックや古典期には考えられなかったろうから――そうでないという場合はどなたかご教示をお願いします――19世紀も後半に入ってから、或いは20世紀になってからの曲だとこうなるしかないのかなあ、という気がする。 9月に上京したとき御茶の水のディスクユニオンにて購入。

 

12月24日(土)     *今年の音楽会ベスト10  

 今年は音楽会に計48回通った。 ベスト10は以下のとおり。 例年のごとく順位は無しで、聴いた順である。

 7月の東響新潟定期を事情があって聴き逃したのが残念無念。 +αの仙台フィルの演奏会も同じく事情があって聴き逃してしまった。 また、首都圏や海外でも音楽会を聴いたけれど、結局ベスト10は新潟の演奏会だけになった。

 ・シャーリー・ブリル: クラリネット・リサイタル 1/23、だいしホール  クラリネット・リサイタルは珍しいし、演奏も充実していた。

 ・クリストフ・マントゥー: オルガンリサイタル 〜バッハからモーツァルトへ〜 2/23、りゅーとぴあ・コンサートホール  オルガン・リサイタルの醍醐味を満喫した。

 ・東京交響楽団第64回新潟定期演奏会 4/10、りゅーとぴあ・コンサートホール  大震災で延期になったコンサートだったが、鈴木愛理さんの代役の渡辺玲子さんによるモーツァルト第5協奏曲が白眉! また新潟に来て欲しい。

 ・八百板正己: チェンバロ・レクチャー・コンサート 「平均律クラヴィーア曲集第1巻」 第1回 4/24、見附市チェンバロスタジオ  大変勉強になったレクチャー・コンサートであった (と言いながら、残り2回はパスしてしまった。 済みません 〔汗〕)。

 ・澤クワルテット演奏会 (だいしライフアップ・チャリティ・コンサート) 5/20、だいしホール   年初めにクァルテット・エクセルシオのモーツァルト連続演奏会全3回を聴いた後だったためか、エクセルシオの若々しい直線的な演奏とは対極的な、中年男性4人による滋味あふれる演奏に感じ入った。

 ・山本真希: オルガンリサイタル スペインのオルガン音楽2 7/15、りゅーとぴあ・コンサートホール   りゅーとぴあ専属オルガニスト山本さんのスペイン・プログラム、最高!

 ・クァルテット・エクセルシオ: ベートーヴェン・シリーズ第2回 10/21、りゅ−とぴあ・スタジオA   年初めにモーツァルトの連続演奏会を3回聴き、秋から冬にかけてベートーヴェン連続演奏会を3回聴き、1年で合計6回聴いているわけで、どれもすばらしいけれど、これで代表させていただく。 また来てね〜

 ・東京交響楽団第68回新潟定期演奏会 11/6、りゅーとぴあ・コンサートホール  選曲はともかく、大友直人さんの指揮が冴えて見事な演奏を聴かせてくれた。 ホーヴァル・ギムセによるグリーグのピアノ協奏曲もなかなかだった。

 ・ジャン=マルク・ルイサダ: ピアノリサイタル 11/21、りゅーとぴあ・コンサートホール   あのシューベルトはすごい! 空前絶後!

 ・イリーナ・メジューエワ: ベートーヴェン:ピアノソナタ選集2 12/20、りゅーとぴあ・コンサートホール  楽譜を見ながらしっかりとゆるぎない音楽を構成していた。 ベートーヴェンの最後の3つのソナタがいちどきに聴けたのも貴重。

 このほか、以下の演奏会もそれぞれに記憶に残った。

 ・TOKI弦楽四重奏団+2 演奏会 8/21、音楽文化会館
 ・ロレンツォ・ギエルミ オルガンリサイタル 9/3、りゅーとぴあ・コンサートホール
 ・アフタヌーンコンサート 松田理奈+川田健太郎 9/23、逗子なぎさホール

12月20日(火)     *イリーナ・メジューエワ: ベートーヴェン・ピアノソナタ選集 2      

 昨夜は標記の演奏会に出かけた。

 それに先立ってCDショップのコンチェルトさんに立ち寄る。 前回は今月9日に行き、そのときは全品5割引だったが、この日は全品7割引で、NAXOSは1枚250円という大サービス。 でもさすがに棚は空きがかなりできていました。 頑張ってNAXOAS9枚を含めて5千円強のCDを購入。 普通に買ったら2万円くらいになってしまう。 うむ、これから一所懸命に聴かねば。

 それはさておき、前回と同様、BブロックのCブロック寄りの席で聴いた。 BランクでNパック会員価格1800円。

 客の入りは、うーん、前回にも増して悪い。 Dブロックに3人客が入っているところだけは前回よりマシだけれど (前回はDブロックはゼロだった)、1階席も入りはイマイチだし、2階正面Cブロックも前のほうに少しいるだけだし・・・私のBブロックだけはまあまあかな。 全体で2百名いたかどうか。

  オール・ベートーヴェン・プログラム

  ピアノソナタ第27番
  ピアノソナタ第30番
  (休憩)
  ピアノソナタ第31番
  ピアノソナタ第32番
  (アンコール)
  バガテルop.126-5

 前回はやや厳しい評価をした私だけれど、今回はなかなか良かったと思う。 一番良かったのは30番だろう。 曲のメロディアスな部分がよく表現されていた。

 後半の2曲もいい演奏だった。 それを前提にした上で無いものねだりをすると、いずれも最後のあたりでメロディの表現が控えめになり、つまりテンポを落としているからなのだが、それによって曲の静観的な性格は出ていたのかもしれないけれど、私からするとちょっと物足りないと感じられたところがあった。

 別の言い方をすると、メジューエワはあくまで楽譜を見ながらきっちりと弾いているのだけれど、時にはそこを逸脱してもいいじゃないかと言いたくなる。 芸術にはそういう、興に乗っての表現というのが許される部分があるはずだから。 でも彼女はあくまで理性的に、逸脱を排して演奏する人なんだな。 煎じ詰めて言えば、そういう部分がわずかに引っかかるということ。 若く美しい女性にこういう表現はナンだけど、もう少し羽目をはずして燃えて欲しい、といったところか。

 27番は、よくシューベルトとの親近性が言われる曲だけど、ベートーヴェン的な演奏だったね。

 色々書いたが、とにもかくにも満足できる演奏会だった。
 それにしても客の入りが悪いのは、うーん、なんだよなあ。 ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタを入れたディスクは割りにあるが、実際の演奏会でこういうプログラムが聴ける機会は少ない。 私は実演では初めてである。 なのに客数の少なさ。 ピアノ教師やピアノ学習者は数多いだろうに。 クァルテット・エクセルシオのベートーヴェン連続演奏会の客数と合わせて、新潟のクラシック・ファンの層の薄さが浮き彫りになった演奏会でもあったと、言わざるを得ない。

12月19日(月)     *寄付

 本日、ユニセフと国境なき医師団、そして東日本大震災に関して日本赤十字社と福島県に対して、それぞれわずかながら寄付をしました。 震災被害者のためにも、また世界のためにも、よろしくご配慮をお願い申し上げます。

12月17日(土)     *新潟大学管弦楽団第48回定期演奏会

 本日は午後6時30分から標記の演奏会に出かけた。 りゅーとぴあ・コンサートホール。

 客の入りはまあまあ。後ろのPブロックには客を入れていなかったが、東響新潟定期と同じくらいには入っていたと思う。 私は2階Bブロックに席をとった。 最近、ルイサダといいメジューエワといい、Bブロックを愛用している私である。

  指揮=河地良智、チェロ独奏=江口心一、コンミス=伊野晴香

  ヴァーグナー: 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 前奏曲
  ドヴォルザーク: チェロ協奏曲
  (アンコール)
  稲本響: 「船長」(チェロ独奏)
  (休憩)
  シベリウス: 交響曲第1番
  (アンコール)
  シベリウス: 「カレリア組曲」 から第3曲 ”行進曲風に”

 演奏であるが、全体としてまず無難な演奏だったのではないだろうか。 むろんアマチュアの学生オケだから、プロと比較するともう少し細かいテンポの揺れとか切り込みがあればと思うところもあったが、フルオケの魅力をそれなりに発揮していたと言えるだろう。 メインのシベリウスでは、曲の若々しい豊穣さをまずまず表現しえていたように思った。 こないだ東響新潟定期でシベリウス5番をやったわけだけど、やはり曲としては1番のほうがはるかに良くできている。 最後のアンコールをまたシベリウスで締めたのも巧みな選曲だった。

 ドヴォルザークの独奏者の江口さんは都響のチェリストで室内楽でも活躍しておられるとのこと。 今回の演奏では、ゆっくりと旋律を中音域で奏でるところで真価を発揮していたようだ。 アンコールもなかなかいい曲であった。 室内楽で新潟に来ていただければ、と思った。

 ところでコンサートミストレスの伊野晴香さんは、現在新潟大学教育学部の3年生、牧田由起さんに師事されているとのこと (う、うらやましい!)。 舞台への登場の仕方がしずしずとしていてヤマトナデシコ風なのがいい。

12月16日(金)     *最近聴いたCD

 シューベルト: 4手のためのピアノ曲集 (Brilliant、92858、1978/79録音)

 元はEMIから出ていたCDがブリリアントにより廉価盤化されたもの。 4枚組。 演奏は、クリストフ・エッシェンバッハとユストゥス・フランツ。 4手のためのピアノ曲は実演ではなかなか聴く機会がなく、私もシューベルトのこの曲種は実演はおろか、CDでも購入したのはこれが初めてというテイタラクである。 しかし、内容的には天才シューベルトだけあって非常に充実しており、有名な軍隊行進曲 (D.733-1) や、よくムード音楽などに転用される幻想曲ニ短調 (D.940) を初め、4手のためのディヴェルティスマンホ短調(D.823、「ア・ラ・フランセーズ」) や 「6つの大行進曲とトリオ」 の第5番 (D.819-5) など、彼のピアノソナタの秀作にも負けない傑作が目白押しである。 まさに宝石がつまったと言いたくなる曲集。 録音も、ピアノの打鍵音がクリアに捉えられていて、悪くない。 ただし、1枚目のジャケット裏の曲名記載に不備があり、上記の 「4手のためのディヴェルティスマン」 が9〜11トラックに入っているのだが、それが抜け落ちている。 ネットでAMAZONのサイトを見てこのディスクを調べると正確な収録曲が分かる。 先月下旬、新宿のディスクユニオンにて購入。 

Schubert: Music for piano duet [Box Set]

 

12月10日(土)    *バッハ オルガン小曲集の世界 1 クリスマスに向けて      

 昨夜は午後7時から標記の演奏会に足を運ぶ。 会場の日本キリスト教団新潟教会 (新潟市中央区営所通2) が初めて行くところで、夜暗くなってから行ったこともあり、場所が分からず行き過ぎてしまい、近所のお店で尋ねてようやくたどりつく始末。

 りゅーとぴあ専属オルガニスト山本真希さんの演奏、この教会の信徒で元新潟大教授・真壁伍郎氏の解説により、以下の曲が演奏された。 楽器はアンプで音を増幅するタイプ。

 ヴァーグナー: 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
 バッハ: オルガン小曲集より「いざ来ませ、異邦人の救い主」BWV599
 バッハ: 同「神の御子は来ませり」BWV600
 A・コレッリ: クリスマス協奏曲より「パストラーレ」
 バッハ: オルガン小曲集より「みどり子ベツレヘムに生まれたり」BWV603
 バッハ: 同「イエス・キリストよ賛美をうけたまえ」BWV604
 G・ベーム: 「高きみ空より我は来たれり」
 バッハ: オルガン小曲集より「高きみ空より我は来たれり」BWV606
 バッハ: 同「われらキリストを讃えまつらん」BWV611
 L・ヴィエルヌ: ウェストミンスターの鐘

 解説で面白いと思ったのは、バッハの 「オルガン小曲集」 の原語はOrgelbuechlein (ueはu-Umlautの代用) で、Orgelがオルガンの意味であるが、buechleinは小さな本という意味だから、つまり 「小さな本に書かれたオルガン曲集」 というのが正確な訳ではないかということ。 実際、バッハ直筆の楽譜が残っているが、小さな本 (ノート) に書かれているということで、聴衆に配布された紙にその原寸大コピーが示されていた。 15,5×19センチという小さいサイズなのだな。 演奏が終わってから、山本真希さんにこの曲集のバッハ直筆楽譜を全部コピーして収録した本が贈られた。

 1時間15分ほどの演奏会だったが、バッハの曲集と賛美歌との対応などについても解説があり、なかなか勉強になった。 無料演奏会ではあるものの、大震災被災者の方への寄付をという要請があり、わずかながら寄付をして会場を後にした。

12月9日(金)   *最近聴いたCD

 *クァルテット・エクセルシオ (JEYS MUSIC、JMCC20206、2007年録音・発売)

 今月6日に演奏会を聴いたクァルテット・エクセルシオのアルバム。 ディスクのタイトル自体も団体名に同じ。 ¥2500で収録曲は下記のとおり。 このうちシャリーノは1947年生まれの現代作曲家であり、収録曲は1999年の作。 いわゆる一つの現代曲と言うべきか、まあそう言う以外にない曲である。 ディーリアスの曲は、なかなか聴いていて心地よい曲だ。 全体の選曲は、この団体がめざす方向性、つまり古典と現代、そしてヨーロッパと日本を問わず幅広い作品を演奏していこうという方針を示しているのだろうか。 録音は、私がスタジオAのような狭い会場で生演奏を聴いた直後のせいか、ややおとなしめのような気がする。 もう少しマイクが近くても良かったのでは、と思ったことであった。 

 なお、解説にはこの団体の歩みが書かれており、日本における室内楽団体の育成や演奏環境を考える上でも参考になる。 この団体が現在固定的なSQ団体として活動できているのは、1990年代にスタートしたことも大きいとのこと。 つまり、日本各地に室内楽用のホールが少なからずできていたこと、東京カルテットの創設メンバー原田幸一郎をはじめ、内外の優秀な室内楽スタッフが日本に来て指導していたこと、芸術家への金銭的後援というシステムが日本企業にも取り入れられてきていたこと、などによっているそうである。

  ベートーヴェン : 弦楽四重奏曲 第10番 変ホ長調 作品74「ハープ」
  シャリーノ : 弦楽四重奏曲 第7番
  ディーリアス : 弦楽四重奏曲 「去りゆくツバメ」
  幸松肇 : 4つの日本民謡 第1集より 「さんさ時雨」「ソーラン節」

QUARTET EXCELSIOR
クァルテット・エクセルシオ

              *       *

      *ボーナス日に思うこと

 本日はボーナスが出た。

 大震災のあと、公務員は給与を3年間7,8%減らすという政府の方針が出たが、結局国会を通らず、国立大学法人の給与も公務員準拠だから、減額はないままに支給された。 

 この件についての私の意見を書く。

 まず、公務員給与の減額はあってもやむを得ないが、7,8%というのは大きすぎる。 その半分程度にすべきだ。 7,8%というのは平均的な減額の額で、人によっては1割程度減になる場合もあるはず。 これでは生活設計が狂ってしまう。 また、同じ公務員と言っても人により給与の額はかなり異なる。 給与の低い若手や、中高年でも扶養家族が複数いる場合は、減額は少額にとどめるべきだ。 要するに公務員の中の高額所得者や扶養家族の (少) ない人間を中心に減額すればよろしい。

 また、大震災からの復興財源は、消費税の増税、そして高額所得者の増税でまかなうのが本筋であろう。 と書くと、高額所得者に増税すると国内消費が悪化して景気が悪くなるという声が聞こえてきそうだが、バブル崩壊以降すでに20年たっていて、ケインズ流の経済回復策がダメなのは歴然としている。 この事実を素直に認め、なおかつ日本の国家財政赤字が巨額になっていることを踏まえるなら、増税以外に道がないことは明らかだ。

 高額所得者って、いるところにはいるのだよ。 国立大学法人は公務員準拠だから、むろん民間の中小企業よりはマシだろうが、民間の同業者、つまり私立大学に比べればかなり給与水準は劣っている。 今回のボーナスにしても、ネット情報だからどの程度当てになるか分からないけど、「仮に研究する人生」 というサイトの記述によると、例えば 「関関同立」 の40代半ばの教授は額面 (税引き前) 230万円、やはり関西の私大准教授33歳は額面149万円だそうである。 いずれも59歳・新潟大教授の私より高額なのだ。

 私だけではない。 中央省庁の局長クラスのボーナスは229万円、政令指定都市である新潟市・市長のボーナスは216万円である。 いずれも 「関関同立」 の40代教授より低い。 ここから見ても、全部ではないが少なからぬ私大の教員給与が常軌を逸していることは明白だろう。 こういうところから税金をしっかり取るべきなのである。

 そして、国会議員は党利党略に走るのをやめ、すみやかに震災からの復興のために有効な手を次々と打つべし。 今のような国会の状態では、まず国会議員の給与を半額以下にしろと叫びたくなるぞ! 

                     *          *

      *新潟市最後のCDショップ・コンチェルトに行く

 この日は夕刻から、新潟市中央区東掘通にあるクラシックCDショップの 「コンチェルト」 に久しぶりで行く。 何しろ今月下旬かぎりで店をたたんでしまうというので、閉店セール5割引実施中なのである。 オルガン音楽のCDばかり5枚買ったら、オマケにCDとDVDを5枚もらってしまい、恐縮した。

 この店がなくなると、新潟市にはまともなクラシックCDショップがなくなってしまう。 インターネットによる通信販売に頼るしかなくなる。 時代の流れとはいえ、寂しい限りである。

12月6日(火)    *クァルテット・エクセルシオ ベートーヴェン連続演奏会 第3回     

 本日は午後7時から、標記の演奏会に出かけた。 会場はりゅーとぴあのスタジオA。

 ベートーヴェン・シリーズの第3回目。 冒頭、いつものようにチェロの大友さんによるトークがあったが、さすがに大友さんも話すことがなくなってきたよう。 いや、この種の連続演奏会では話題を探すのも大変だと思うけどね。 この3年間、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンと3回連続演奏会を3回ずつやったわけだが、大友さんが9回全部を聴かれた方はと問うと、手を挙げた方がおられた。 すごいなあ。 私はハイドンは1回だけだった。 モーツァルトとベートーヴェンは3回ずつ聴いたけど。

  弦楽四重奏曲第7番 「ラズモフスキー第1」
  (休憩)
  弦楽四重奏曲第15番
  (アンコール)
  ハイドン: 弦楽四重奏曲 「皇帝」 より第3楽章

 冒頭、西野ゆかさんの第一ヴァイオリンが珍しくちょっと調子が出ていないような気がしたが、曲が進むに連れて調子が戻ってきたよう。 ラズモフスキー第一では、第3楽章の美しさが絶妙だと思った。

 後半は第15番、長い曲である。 この曲、私は第1楽章がいちばん好きなのだが、私の好みからするともう少し節度ある弾き方が望ましいとは思った。 エクセルシオらしいというべきか、元気いっぱいの演奏だったような。 最終楽章はとても良かった。

 アンコールは、2月に行われる総集編演奏会 (ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン) の予告ということで、ハイドンの 「皇帝」 から第3楽章が演奏された。

 それにしても、2月の総集編でおしまい、ということにはして欲しくないものである。 ぜひ来年は、ロマン派 (シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス) の3回連続演奏会、そして再来年は民族派 (スメタナ、ドヴォルザーク、ボロディン、チャイコフスキー、シベリウス、グリーグ) の3回連続演奏会と、続けていって欲しいものだ。 りゅーとぴあの幹部の方、空気を読んでください(笑)。

 終演後、感謝の気持ちをこめて、CDを買い4人のサインをもらった。

12月4日(日)    *ベートーヴェン・ピアノソナタ選集1 (イリーナ・メジューエワ ピアノ・リサイタル)     

 午後4時から標記の演奏会に出かけた。 会場はりゅーとぴあ・コンサートホール。

 開演ぎりぎりに会場に入ったが、うーん、入りが悪い! 1階はほどほど、2階正面のCブロックは前のほうにだけ (それもぱらぱらと)、それから隣りのBブロックにもそこそこ、客が入っている。 同じくCの隣りでも逆側のDブロックには誰もいない。 なぜかというと、BブロックはBランクだけど、DはSランク (だったすね、たしか) だから。 たぶん、Dブロックはメジューエワの手の動きが見えるからというのでSにしたんだろうけど、その思惑はあっさりハズレ。 Sが3500円、Aが2500円、Bが 2000円という料金設定で、無謀と言うしかない。 しかしたしかこういう設定は先日のルイサダのリサイタルでも行われていたと記憶する。 それはさておき、客数はどのくらいいたかな。 300人くらいか。 ちょっと寂しい演奏会だ。 やはり500人くらいはいてあげないと。

えっ、私? そりゃ、BランクであるBブロックに決まってるよ (笑)。 その中でもCブロックに一番近いところを買った。 Nパックメイト価格で1800円。 コストパフォーマンス抜群!

 オール・ベートーヴェン・プログラム

  ピアノソナタ第9番
  ピアノソナタ第18番
  ピアノソナタ第20番
  (休憩)
  ピアノソナタ第14番 「月光」
  ピアノソナタ第21番 「ワルトシュタイン」
  (アンコール)
  バガテルop.126-3

 前半のプログラムは、当初は9番、20番、18番と発表されていたのだが、変更になったもの。 そのせいか、2曲目の第18番の第2楽章が終わったところでBブロックから一人だけ拍手をした人がいた。 2楽章しかない20番と間違えたのだろう。 実は私も開演ぎりぎりに駆け込んだので、ホワイエにあるプログラム変更の掲示板を見なかった。 ただ、私はどちらの曲も知っているので、2曲目が始まって 「あれ、プログラムが変わってる!」 と思っただけだったが、やはり開演直前にアナウンスで知らせたほうが親切ではないか。 アナウンスはあったのかも知れないが、私のように開演ぎりぎりに駆け込む人間もいるのだから、直前にも再度お願いしたいもの。

 で、演奏だけど・・・・まず音だが、先日ルイサダの演奏会を聴いたばかりなのでどうしても比較してしまう。 ルイサダ、やはりあの音は彼ならではのものだ。 メジューエワも決して打鍵は弱くないのだが、強打してもルイサダみたいなクリアな音は出ない。 ヴァイオリンもそうだけど、ピアノも弾く人間の資質で音が明瞭に違う楽器なのだと改めて思い知らされた。

 技巧的には全然問題がなく、奇をてらったところもなくきっちり弾いていて、好感が持てた。 ただ、それ以上に何かがあるかというと、どうも疑問である。 最後のワルトシュタインも、まったく問題なく弾いているのではあるが、そこにあふれるような音楽があるかというと、少なくとも私にはそうは感じられなかった。 ヴァイオリンで言うとムローヴァに似ているかな。 音色はとても美しいし技巧的にも全然危なげないんだけど、聴いていて感動がない。 音楽をやっているのではなく、楽器を弾いているだけ、という感じ。

 以上のような感想はいささか厳しすぎるかもしれない。 私はメジューエワを生で聴くのは2回目なのだが、前回どうだったか、ネット上に公開している私の日記を調べてみたら2002年の7月にりゅーとぴあで聴いていた。 そして、あまり感心しなかったと書いている。 うーん、どうも彼女と私の相性は悪いようだ。 これはあくまで音楽上のことで、個人的にはどうか分からないが (笑)。

 まあ、次回の、晩年のベートーヴェンのソナタに期待することにしよう。

11月29日(火)    *新潟市のクラシックCDショップ・コンチェルトが閉店へ

 東京から帰ってきたら、芳しからざるニュースが2つ入っていた。 

 まず、新潟市の東掘通にあるクラシックCDショップのコンチェルトが来月限りで閉店するという。

 http://concerto2.exblog.jp/ 

 音楽のネット配信などでCDを購入する人が減少しているし、また購入するにしてもネットショップ経由という場合が増えている。 東京のHMVも少し前に店を閉じてネット販売だけに特化してしまったし、新潟のような地方都市ならなおさら経営環境が厳しいことは、シロウトにも何となく想像がつく。

 これで、新潟市ではクラシックのCDを買える店は事実上消滅したと言ってよい。 市内の亀田にあるイオンにタワーレコードが入っていてクラシックも扱っているけれど、量的にはたいしたことがないし、そのほかNAXOSだけなら戸田書店新潟南店(新潟駅から亀田のイオンに行く途中左側にある)も扱っているけれど、ブランドを限定せず或る程度以上のCDを置いている店は、もう存在しない。

 やれやれ、因果な時代になった。 

             *        *

    *楠田格さん(前・東北大学大学院国際文化研究科教授)を悼む

 芳しからざるニュースの2番目がこれ。 楠田格さんが今月20日に亡くなったというメールが入っていた。

 楠田さんは、私が東北大学独文科学生時代の2年先輩に当たる。 今年の5月末日に亡くなった島途健一さんと同学年である。

 もっとも、楠田さんはそこに至るまで少し回り道をしていたので、島途さんより3歳ほど年長であった。

 楠田さんは横浜の出身で、慶応志木高校から慶応大学工学部 (当時は理工学部ではない) に進学。 そのまま行けば慶応ボーイから理系サラリーマンへの道を歩むはずだったのだが、独文をやりたいという気持ちが強くなって大学は中退。 東北大に来たのは、島途さんと同様、1969年が東大入試中止の年だったことも影響しているようである。

 大学入学後、文学から語学専攻に鞍替えし、大学院博士課程在籍時に東北大教養部ドイツ語科に採用され、内部での組織変更はあったものの、基本的に同じ場所で定年までを過ごした。 語学専攻だからやむを得ないが、人目につくような業績はなく、また時間がたつにつれ仙台に籠もるようになっていった感がある。 日本独文学会も早々退会して、東北大系の学会のみに所属していたようだ。

 とは言っても、楠田さんが特に人間嫌いというわけではなく、後輩にはそれなりに親切な人であった。 ただ相性というものもあって、私は島途さんとほど親しい付き合いにはならなかった。 しかし後輩として教えていただいたことはあった。

 楠田さんと最後に会ったのは、3年前に原研二さんが亡くなったときのお通夜の席でである(2008年9月)。 本当に久しぶりの再会だった。 25年ぶりくらいだったと思う。 楠田さんは日本独文学会をやめているし、私は逆に事情があって東北大系の学会をやめているので、会う機会もなかったわけだが。

 今年7月に仙台で行われた島途健一さんを偲ぶ会には、楠田さんはすでに体調が思わしくないということで欠席し、追悼文集に短い文章を寄せるにとどまった。 

 死因は肺ガンだそうだけど、楠田さんはタバコは吸わなかったはず。 人間、いつ何で死ぬか分からないものだ。 それに、原研二さん、島途健一さん、楠田格さんと、独文科学生時代にすぐ上にいた人たちがこうバタバタ亡くなると、そろそろオレの番かとも思えてくる。 遺言状でも作っておこうという気持ちにならないでもないけど、でも作るほどの財産もないんだよなあ。

 謹んで楠田さんのご冥福をお祈り申し上げる。 

11月27日(日)    *NHK交響楽団第1714回定期公演

 NHKホールでの標記の演奏会に出かけた。午後3時開演。 席は2階右翼席の4列目、中央寄りのあたり。 これでもSランクで8150円。

 指揮=準・メルクル、ソプラノ=ダニエレ・ハルプヴァクス、ゲスト・コンマス=ヴェスコ・エシュケナージ

 オール・マーラー・プログラム

 リュッケルトによる5つの歌
 (休憩)
 交響曲第4番

 ゲスト・コンサートマスターのエシュケナージは1970年ブルガリアの生まれで、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンマスだとのこと。
 ソプラノのハルプヴァクスはインド洋上のモーリシャス共和国の生まれで、南アフリカのケープタウンの音大に学んだあと、ドイツ・ハノーファー音大に入ったという経歴の主。 大柄で、赤いワンピースに灰色のカーディガンのようなものを羽織って登場。
 指揮者の準・メルクルは、片親が日本人のせいか比較的小柄。 ハルプヴァクスのほうが背丈も横幅もある。

 最初はリュッケルトによる5つの歌。 ハルプヴァクスはケレン味のない素直な歌い方で好感が持てる。 会場が広すぎるので、音量的には必ずしも十分満足とはいかなかったが、悪くない歌唱だったと思う。

 パンフレットには歌詞がドイツ語と邦訳で載っているのだが、訳には部分的に問題があるように思った。 最近、シューベルトの歌曲のCDに付いている解説に載っている歌詞の日本語訳にやはり問題が結構あることに気づいたのだが、どうも日本で音楽学をやっている方のドイツ語力には 「?」 が付く場合が多そうだ。 本日のパンフの訳者は東京の某私大の音楽学部教授のようだけれど。

 後半は交響曲第4番。 私の好きな曲である。 弦楽器奏者の数も増えてフル装備といったところ。 第一楽章は比較的強度のある、ちょっと肩に力が入った演奏のように思えたのだが、次の二つの楽章は逆に力が抜けていて、自然であると同時に、下手をするとちょっと眠くなりそうな感じもあった。

 第4楽章でソプラノが加わりるけど、前半、歌詞が長くて速めに歌わなくてはならないところではやや苦しい印象があった。 後半、ゆっくりした歌詞になると本領が発揮されていた。 N響は、弦楽器は本領発揮で、管も、特にホルンが安定して見事な音を出していたが、トランペットはやや安定性を欠いていたよう。 ゲスト・コンマスのエシュケナージは、コンマスの独奏が多いこの曲で美しい音を聴かせてくれた。 最後でソプラノが歌い終えて、小音量で音楽が終息していく箇所が不思議にメロディアスで、準・メルクルの腕前が冴えたところだったかもしれない。 静かに音楽が終わって、フライング拍手もなく、少しの沈黙のあとで圧倒的な拍手が送られた。

 このあと、首都圏在住の友人3人と会って、タイ料理の店で酒を飲んだ。

11月26日(土)    *三代義勝の孫が朝日新聞記者・・・・!

 朝日新聞には愛想が尽きて購読をとうにやめている私だが、東京に来ているのでたまたま朝日新聞を見ていたら、「原発国家 浜通りはいま」 という2回連載の記事が目に付いた (この記事は朝日新聞のネット版には掲載されていないようなので、紙の朝日新聞をごらんください)。 浜通りとは、福島県の海に面した部分、常磐線沿線のことである。

 この署名記事を書いているのは村松真次という記者だが、記者の紹介に 「76年生まれで磐城高校卒、高校卒業までいわき市在住」 とある。 つまり、私の24年後輩である (二まわり後ですな)。 ところが記事を読んでいたら、最後に、自分は三代義勝の孫であると書かれていた。 えっ、そうなの、という感じであった。

 三代義勝 (みよ・よしかつ) とは、旧・磐城市の市長を勤めた人物である。 現在のいわき市は1966年に14市町村が大合併してできたものであるが、それ以前にはあのあたりに市と名がつく地方自治体は5つあった。 いずれも人口10万に満たない小ぶりな都市ではあったが、その中の一つが磐城市である。 港と工場のある小名浜を中心として、漁港のある江名、国鉄(JR)の駅のある泉が一緒になってできていた都市である。 

 三代義勝は、この記事にも書かれているが、魚売りの仕事から一代で大きな網元に成り上がった人物である。 そしてそういう人物にはありがちなことだが、磐城市の市長に担ぎ出されて3期勤めた。

 記事によれば三代義勝は合併には反対していたという。 それにはそれなりの理由があった。 いわき市は上にも書いたように14市町村が合併してできたのだが、その内部に南北対立を抱えていた。 今のヨーロッパ経済危機の南北対立にも似ている。 ただし、いわき市の場合は裕福なのが南で、そうでないのが北である。 

 磐城市 (合併直前の人口は7万弱) は、港と工場を抱えていて裕福であった。 その隣りの、やはり海に面している勿来市 (同5万程度) も、この地域随一の大企業である呉羽化学を抱えていて裕福であった。 この2市が南である。

 他方、この地域の中心都市と目される平市 (同7万強) は、旧城下町であり商業の中心地で、またこの地域で名門とされる高校 (磐城高校もその一つ) が集中していたが、これといった産業は持たなかった。 それに隣接する内郷市 (同4万弱) と常磐市 (同4万強) は、常磐炭田の本拠地で、石炭がエネルギー源として大きな位置を占めていた時代には賑わっていたが、石炭から石油へのエネルギー切り替えが進行して炭田が次々閉鎖されている状況下では、経済的に苦しかった。 以上が北である。 

 こうした状況下で、新産業都市指定だとかの利権を提示されて、その条件として合併が国策として促進されたと村松記者は書いている。 当時の福島県知事・木村守江 (この人も磐城高校出身だった。 のちに汚職で検挙されて有罪になり、汚名のうちに生涯を終えた) もそれに乗った。

 そういう包囲網下で、三代義勝も合併に賛成せざるを得なくなる。 合併後、三代義勝はいわき市長選に打って出て、平市の市長だった大和田弥一と死闘を繰り広げるが、少しの差で敗れた。 そしてその直後に急逝した。 村松記者は祖父の顔を知らないと書いているが、それはこういう事情による。

 記事には書かれていないが、合併後、小名浜ではいわき市からの離脱運動もあった。 それほど、小名浜では大合併してできたいわき市に留まっても何もいいことはないという意識、或いは市長選で三代義勝が敗れた怨念のようなものにつきまとわれていた。

 他の地域に住んでいる方々からすれば、以上のような話はせせこましい地域エゴのぶつかりあいにしか見えないかもしれない。 しかし、最近でも東京都下で自前のゴミ処理施設を持たない市が、近隣の市にゴミ処理を有料で依頼していたところ、市長選でその手数料が高すぎると訴えた候補者が当選したケースがあった。 そしてその後、近隣の市はその市のゴミ処理を引き受けなくなり、当選したばかりの市長は責任を取ってあっさり退職した。 いつでもどこでもこの手の話はころがっている。

 そして、本来、関東地方をカバーする電力会社である東京電力が、その範囲外である福島県の浜通り地方に原発をいくつもこしらえていたのも、要するにせせこましい地域エゴの延長線上にある話なのである。

 今回の原発事故は、だから東電だけを責めて、或いは原発推進派の学者や文化人を責めて済む話ではない。 究極的には、危険な施設 (と思わなければ関東地方に作っていたはずだ) を他地域に押し付けていた関東地方在住者すべての問題なのである。

 村松真次記者も、そして今回の原発事故でブレイクしている開沼博――『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)の著者。磐城高校から東大に進み、現在大学院博士課程在学中――も、そうした構図をこそ問題にしてほしい。

11月24日(木)    *ヴェネツィア展

 東京は両国の江戸東京博物館で開催されている標記の展覧会に行く。 

 http://www.go-venezia.com/ 

 ヴェネツィアという都市の成り立ちや、政治システム、市民たちの暮らしぶりなどはそれなりに分かって勉強になる展覧会だが、美術展として見るとあまり面白いとは言いかねる。 私はヴェネツィアには数年前、パックのイタリア旅行で半日ほど滞在しただけだけれど。

 まあ、ヴェネツィアという都市はヨーロッパ史やヨーロッパ文化の中ではかなり重要な位置を占めているから、その方面に興味のある方は一度見ておいて損はないと思う。 私は絵葉書を1種類買うにとどまった。

11月23日(水)     *ドヴォルザークのオペラ 『ルサルカ』    

 上京し、午後2時から新国立劇場で標記のオペラを鑑賞。

 全然知らない作品で、CDもDVDも持っていない。 座席は2階3列目正面左寄り。 Aランクで18900円。本当はBランクにしたかったのだが、4週間前にチケットを購入した段階ですでにAとSしか残っていなかったので。 あまり馴染みのない作品ながら、会場はほぼ満席だったよう。 ただ、当日券も出ていた。

 ルサルカ (水の精): オルガ・ゴリャコヴァ(ソプラノ)
 イェジババ (魔法使い): ビルギット・レンメルト(メゾ・ソプラノ)
 王子: ペーター・ベルガー(テノール)
 ヴォドニク (水の精):ミ ッシャ・シェロミアンスキー(バス)
 外国の公女: ブリギッテ・ビンダー(ソプラノ)
 (上記以外の端役は日本人歌手)
 演出: ポール・カラン
 舞台監督: 村田健輔
 指揮: ケヴィン・ナイト
 合唱指揮: 富平恭平
 合唱: 新国立劇場合唱団
 管弦楽: 東京フィルハーモニー交響楽団

 あらすじは、次の通り。
 水の精であるルサルカが、人間の王子に恋をして、父親代わりの水の精ヴォドニクに諌められるが、聴く耳をもたず、魔法使いのイェジババに頼んで人間に姿を変えてもらう。 王子は水のほとりに来て、人間になったルサルカの美しさに惹かれてお城に連れ帰り、結婚しようとする。 しかし人間になったルサルカは口がきけない。 そのせいもあって王子の心はルサルカから離れ、外国の公女に向かう。 捨てられたルサルカは水のほとりに帰るが、元の水の精に戻ることはできない。 また王子も外国の公女に捨てられ、呪いで病気になってしまう。 王子は後悔してルサルカのもとにやってきて、呪いを解いてくれと頼む。 しかし呪いを解くと王子は死んでしまので、ルサルカはためらうが、最後には王子の願いを受け入れて彼を抱いて接吻し、死を与える。

 ドヴォルザークにはオペラが10作あるそうで、この 『ルサルカ』 は最後から2番目に当たるとのこと。 彼の交響曲は9曲あるわけだが、オペラの数のほうが多いとは知らなかった。 ちょうど1900年、ドヴォルザーク51歳の作品である。

 音楽は、良くも悪くも普通と言うか、ほどなくオペラを数多く発表するR・シュトラウスみたいに前衛的なところはない。 いちおうライトモチーフ技法が使われているものの、ワーグナーのように鼻に付くほどではない。 途中、ヒロインが月に向かって歌うアリアがいちばんの聴きどころだろうか。

 舞台は、最初、水の精の住処を普通の住宅内部で示し、それが引っ込むと水色の光で川を暗示し、王子の居城のシーンでは宴会用の長いテーブルと椅子がたくみに場面にあわせて回転したり分かれたりするようになっている。 総じて、奇をてらわないオーソドックスな演出ではないかと思った。 最後に、最初の住宅内部が再び現れて、ヒロインが王子を失って元の場所に戻ったことが暗示されておしまいとなる。

 途中休憩2回(計45分)を入れて3時間と、長さもほどよく、妖精の登場する童話的な分かりやすい筋書きであり、悪くないとは思ったが、インパクトを感じたというほどでもなかった。

 歌手は、メインになる数人はそれなりであった、これも特にインパクトを感じたというほどではなかった。 オケは無難に演奏していたように思う。

11月21日(月)    *体験する音楽! ジャン=マルク・ルイサダ ピアノ・リサイタル

 本日は午後7時から標記の演奏会に出かけた。

 りゅーとぴあのコンサートホールは全部のブロックに客を入れていたが、わりに入っていたのは1階だけ。 2階中央のCブロックは前の半分だけ、隣りのDブロックは前の2列だけ、というふうに、各ブロックに少しずつ客が入っているのは、あんまりみっともよくない。 結果論かもしれないが、3階脇席や背後のPブロックは客を入れないようにしてもよかったのではないか。 全体で、うーん、800人くらいいたかどうか。

 私は2階Bブロックで聴いた。 Aランク席で5千円。

 ルイサダは黒いスーツに黒いシャツという黒ずくめの格好で登場。 楽譜を持参し、譜めくりの人も伴っている。 楽器の前に腰を降ろしてから、1階最前列中央にすわっていた客たち (子供が多かったからか) に何事かにこやかに話しかけていた。 というわけで、何となくリラックスした雰囲気で演奏会は始まった。

  ベートーヴェン: 6つのバガテルop.126
  シューベルト: ピアノソナタD.840「レリーク」
  (休憩)
  モーツァルト: ピアノソナタK.331「トルコ行進曲つき」
  ベートーヴェン: ピアノソナタ第14番「月光」
  (アンコール)
  ショパン: ノクターン第17番
  ベートーヴェン: 「エリーゼのために」
  バッハ: 「主よ、人の望みの喜びよ」
  日本唱歌 「赤とんぼ」

 リラックスして始まった演奏会だが、内容はものすごく濃かった。 特に前半はそう。 最初にベートーヴェンのバガテルが始まると、まずその音の見事さに打たれた。 均質な音の連なりは、今なら世界的なピアニストとしては当たり前かもしれないが、強く打鍵するときの音のクリアな響きを聴くと、ピアノってこういう音で弾かなきゃいけないんだなと納得。 穏やかな楽章と速くて激しい楽章とでの音の使い分けがすばらしい。 これはイける演奏会になりそうだと思われた。

 そして次のシューベルトが、本演奏会での事実上のメインだっただろう。 私はこの曲、生で聴くのは初めてで、ディスクはイモージェン・クーパーのとアンドラーシュ・シフのを持っているけど、この日の演奏はそれらとはまるっきり違っていた。 テンポが遅く、ごつごつしている。 シューベルトというと優しさと憂いに満ちた旋律をなめらかに美しく歌うように弾くものだと思っていたのであるが、そういう先入観をぶっとばすような演奏。 天才シューベルトと言えども作曲の過程では推敲に頭を悩ましたことがあったろうが、言うならば推敲の過程をそのまま演奏でたどっているかのような演奏。 悩み、苦しみ、考え直し、じりじりと音楽は進んでいく。 弾いているほうも大変だったろうけれど、聴いている側も大変。 いったいこの先どうなるのだという、息づまるような思いで聴いていた。 第一楽章が終わると、ルイサダはハンカチを取り出してメガネをはずし顔中の汗をぬぐっていたが、聴衆も聴いていた緊張と疲れをぬぐいたい気持ちに。 そして第二楽章も再びゆっくりと、考えながら音楽が進んでいく。 うーん、こんな演奏、いや音楽ってめったに聴けるものじゃない。 2楽章だけの曲だが、時計を見る余裕はなかったものの、かなり時間がかかったはず。 聴き終えると、4楽章で50分かかる曲を聴いたみたいな気持ちになった。 音楽を聴いたのではなく体験したのだ、と言いたくなった。

 チラシでは、このほかシューベルトの即興曲D.935‐1が予定されていたのであるが、この日ホールに入ると、「演奏家の芸術的意向により」 即興曲はプログラムから削除しますとの掲示が。 芸術的意向って何のことかなとその時は思ったのだけど、前半を聴いて納得した。 シューベルトのソナタをこんなふうに弾く前後に、同じシューベルトの短い曲を軽く弾くのはそぐわないからだ。 なお、同じくチラシによると、ルイサダはシューベルトのこのソナタと30年前から取り組んでおり、ようやく披露するもので、ベートーヴェンの最後のソナタ第32番に匹敵すると語っているそう。 なるほど、そういう考え方で弾かれたのかと、後で納得した。

 後半はモーツァルトとベートーヴェンのいずれも有名なソナタ。 モーツァルトは最初はシューベルトの余韻かちょっとごつごつした感じだったが、最後の楽章は強弱はつけながらもわりに素直な弾き方だった。 ベートーヴェンは、けれん味のない演奏。 第一楽章のややぼやかした音、第二楽章のクリアな音と、あいかわらず音の使い分けは見事。

 アンコールを4曲弾いて、終演は9時20分。 たいへんに満足できた演奏会。 ピアノの演奏会としては、りゅーとぴあでガヴリリュクを聴いて以来の充足感を覚えた。

 前半でぶっ飛ばされるような衝撃を受けたので、休憩時間にCDを買って終演後のサイン会に臨む。 できればシューベルトの作品のディスクが欲しかったのだが、なかったので、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番に加えてソナタ第8番 「悲愴」 とソナタ第30番を入れたCDを買う。 終演後、10分ほどしてルイサダが現れたが、寒いのか途中から襟巻きを首に巻いていた。 「ボンソワール、ムッシュー」 と声をかけてくれ握手もしてくれた。 サインをもらって 「サンキュー」 と言ったけど、「メルシー」にすべきだったと、後の祭りながら思いつつ会場を後にした。

11月20日(日)    *最近聴いたCD

 *ハイドン:Salve Regina オルガン協奏曲とオルガン小品集 (Opus Production 〔Paris〕、OPS30-85、1992年録音、1993年発売、ドイツ盤)

 ヨゼフ・ハイドンのオルガン曲を集めたCDである。 最初に、ト短調のSalve Regina(「幸いなるかな、女王」、キリスト教で聖母を讃える聖歌〔アンティフォナ〕)が入っている。 オルガンと弦楽合奏、そして独唱者4人による聖歌だけど、実に感動的な音楽だ。 そのあとには、ニ長調のオルガンソナタ (活気ある1・3楽章とメランコリックな第2楽章の対照性が見事)、ヘ長調のオルガン協奏曲 (やはりメランコリックな第2楽章に惹かれる)、オルガン時計のための小品集 (りゅーとぴあのオルガンリサイタルでも取り上げられた、ハイドンらしいユーモラスな小品集)、ハ長調のオルガン協奏曲 (活気ある第3楽章が花かな) という順序で収録されている。 オルガン独奏と指揮はMartin Gester、独唱者4人と弦楽器奏者はLe Parlement de Musique。 解説書は仏英独の三カ国語で、オルガン独奏と指揮のMartin Gesterによって書かれたもの。 この9月に上京したとき新宿のディスク・ユニオンにて購入。

Cover (Joseph Haydn: Salve Regina; concertos & pieces for organ:Martin Gester)

11月16日(水)    *学生中心主義って何だ? 新潟大学は新潟小学校か?

 本日は会議の連続であった。

 (1) まず、昼休みに生協の会議があった。 私は新潟大学生協の理事および教職員委員をやっているが、本日の会議は後者のほう、つまり教職員委員会の会議である。

 ここで重要な事実が報告された。 つまり、最近新潟大学生協食堂は経営不振に悩んでいて、具体的には、以前に比べて学生の利用度がかなり落ち込んでいるのだが、アンケート調査の結果、今どきの新潟大学生は昼食時には生協食堂を利用せず、いったんアパートに帰ってそこで食事を済ませている者が多いというのである。

 おそらく不況のせいであろう。 アパート自室で炊いた米飯にちょっとおかずを加えて食べれば、生協食堂で昼食をとるより安上がりなので、大学近辺のアパートに住んでいる新潟大生は生協に来なくなっているというわけだ。 うーん、生協にとってはなかなかシビアな時代になりましたね。

 こういう事情で赤字経営なので、新潟大学生協の職員のボーナスは最近激減している。 今年度は夏冬合わせて2,5カ月分しかない。 かつては夏と冬のボーナス1回ごとにそのくらいあったものが、今はボーナス2回合わせてそれしかないのである。 学生もやりくりで大変だろうが生協職員も大変なのである。 (念のため。 生協職員の給与と、新潟大学の教員・職員の給与とは、別である。)

 (2) 次に教授会。 ここで私はかねてから疑問の多いアドバイザー・システムについて質問した。

 この件は以前もこの欄に書いたことがあるが、腹を据えかねているので再度書く。

 今どきは過保護だから、学生一人ひとりにアドバイザーの教員が貼りついている。 学生は各学期の初めに、その学期に登録した授業を指定の用紙に全部記入してアドバイザーの教員に見せに行き、印を押してもらうことになっている。

 ところが持ってこない学生がいるのである。 仕方がないので、今は各学生がメールアドレスを学務情報システムに持っているから、そこに宛てて 「来なさい」 というメールを出す。 しかし、それでも来ないのである。

 仕方がないので、同じ講座 (今は正確には主専攻プログラムというのだが、部外者には分からないと思うので、講座と言っておく) の先生方にメールを出して、「***という学生が先生の授業を取っているようでしたら、かくかくしかじかと伝えて下さい」 とお願いする。

 しかし、どなたからも返事がない。 となると、こちらとしてはお手上げなのである。 学生の住所や電話番号は当方は把握していない。 事務に行けば分かるが、そこまでして連絡を取らなければならないものなのか。 というふうに教授会で質問した。 来ないのは学生が悪いと私は思うのだが、授業登録用紙を事務に持ってこない学生の氏名が教授会資料に出て、「連絡をお願いします」 と言われるのだ。 つまり、学生が来ないのは教員が悪い、という倒錯した思考法によって新潟大学人文学部は運営されているのである。

 すると、学務委員長の先生から、あとはこちらでやるから学生の氏名を会議終了後に教えてくれと言われた。

 ところが、教授会終了後、同じ講座の某先生が私のところに来た。 くだんの学生が某先生の演習に出ているので、私からのメールを受け取った直後にその学生に伝えておいたと言う。 だけど、その学生はそれでも私のところに来なかったわけなのだ。

 私は思うんだが、こういう学生は放置しておけばいいんじゃないか。 これだけやって来ないんだから、あとは自己責任でしょう。 自分が悪いんだから、これで不利益をこうむっても自分で反省しなさい、ってことで。 7歳や8歳の子供じゃないんだよ。 大学2年生だからもう19歳か20歳になっているのだ。 

 ところが、今の新潟大学はこの程度の学生を放置しておくことすらできないのである。 思うに、新潟大学は大学生を養成していない。 小学生を養成しているのである。 新潟小学校と改名したらどうかな。

 (3) 教授会の後、さらにFDがあった。 本部から監事が来て講演を行った。 講演の内容はさておき、この監事も 「学生中心主義ですから」 とのたもうていた。 

 小学生中心主義、と新潟大学の受験生用パンフレットに書いておいたらどうかな。

 学生中心主義とは、私に言わせれば、サミュエル・ピープスの日記がちゃんと図書館に入っている大学のことである。

 (追記) 翌週月曜 (21日) になって、ようやくくだんの学生が私の部屋まで来た。 メールを出してから実に丸一カ月たっている。 マニキュアの濃い女子学生で、まあこういうタイプの学生は私の演習にはまず来ないなと思っちゃったのである。 と書くと、演習で連絡をとってくれた某先生には失礼か。

11月15日(火)    *12日に私が新潟大学人文学部教員全員に出したメール、またはサミュエル・ピープスの日記も入っていない新潟大学図書館

 今月12日に、人文学部の教育推進経費が余っているというので、私は以下のようなメールを人文学部教員のメーリングリストに投稿した。 なお、教育推進経費というのは例年夏ごろに募集がある経費で、自分の担当する授業に必要なものを購入する目的で申請して認められる方式の経費である。 私は例年、この経費を利用して新潟大学図書館の蔵書充実をはかっていた。

 なお、人文学部の幹部からはこれに対して本日、丁寧はお返事をいただいた。 ただし、諸般の事情を考慮すると応じかねるという内容だったけれど、まあ、これは人文学部だけの問題ではなく、新潟大学全体の問題だから致し方なかろう。

 それにしても、新潟大学の図書館はかなり蔵書に問題がある。 これを何とかするのは、新潟大学幹部 (学長、副学長、理事) の仕事だと思いますがね。 

 たまたまだけど、本日の演習の下調べをしていたら、サミュエル・ピープスの日記 (邦訳、既刊9冊) が新潟大学に入っていないことに気づいた。 opacで調べてみると、全国二百近い大学に入っているのである。 言い換えれば、これが入っていない大学はかなり問題ありということで、つまり新潟大学は問題あり、ということになる。 教育推進経費の募集も直前で終わってしまったし、誰か研究費を使ってない人が入れてくれませんかね? それにしても、英語の教員や英国のことを研究している教員は新潟大学にも少なからずいるはず。 そういう人たちはなんでこういう基本文献を入れておいてくれないのかなあ。

               *          *

 人文学部各位

 三浦淳です。

 この場をお借りして私見を述べることをお許しいただきたいと思います。

 教育推進経費が余っているということですが、その一部を図書館用の図書購入費に充てることはできないでしょうか。

 私の見るところ、新潟大学図書館の蔵書は必ずしも充実しているとは言えません。
 例えば、先日今年度のサントリー学芸賞が発表されましたが(下記リンク参照)、受賞図書7冊のうち、新大図書館(新大全体)に入っているのは2冊だけで、それも1冊(古川隆久『昭和天皇』)は中公新書なので自動的に購入されたもの、もう1冊(大和田俊之『アメリカ音楽史』)は私が先日教育推進経費で購入を申請して認められたものです(したがってOPACで調べてもまだ登録状態にはなっていません)。
 なお、サントリー学芸賞受賞図書は一例として挙げたもので、要するに世間で注目されているのに新大で所蔵していない図書がかなりある、と言いたいのです。
 http://www.suntory.co.jp/news/2011/11244.html 

 以前は個人研究費がある程度あったので、図書館に備えて当然だと思う図書が出たときには自分の研究費で買って図書館備え付けにすることも可能でしたが、ご存知のように独法化以降個人研究費が激減しており、そのような方法は不可能となりました。

 それで、例年、現社研の学生図書募集や人文学部の教育推進経費の募集があったときに、これはという図書を買ってくれるよう申請していますが、申請が通らない場合もありますし(例えば昨年度の現社研学生図書への申請は通りませんでした)、またこれらの募集は時期がほぼ決まっており、ということは書物は一年を通して出ているのに新大では一年の決まった一時期にしか図書館に本を入れることができず、その時期を逃すと一年間待たなくてはならない、ということになります。これは制度的欠陥と言うべきではないでしょうか。

 こういう惨状(とあえて言いますが)を改善するために、教育推進経費の余った一部分は、年間を通して図書館に入れるべき本の申し込みを随時受け付けるのに使う、ということはできないだろうかと考えます。

 ご検討をお願いいたします。

11月12日(土)    *新潟室内合奏団第62回演奏会 

 本日は午後6時45分開演の標記の演奏会に出かけた。 会場はりゅーとぴあ。

 りゅーとぴあのコンサートホールは、1階と2階のB・C・Dブロックにだけ客を入れていたが、それで半分くらいの入りだったろうか。

  指揮=本田優之、ピアノ独奏=石井朋子

  ベートーヴェン: 序曲 「レオノーレ」 第3番
  モーツァルト: ピアノ協奏曲第24番
  (休憩)
  モーツァルト: 交響曲第40番
  (アンコール)
  シューベルト: 交響曲第5番より第3楽章

 りゅーとぴあの響きのよさもあったかもしれないが、充実した演奏会だったと言えるだろう。 特にヴァイオリンなど弦の響きがよかった。 コンマスが小島健弘氏、それに賛助として奥村和雄氏や奈良秀樹氏が加わっている。 左から、ヴァイオリン11名、チェロ4名、ヴィオラ5名、コントラバス3名という布陣。

 最初のベートーヴェンからして密度の濃い演奏で、これは行けるかもと思わせてくれた。
 次のモーツァルトの協奏曲は、これ目当てで (或いは石井朋子さん目当てで) 来た方も多かっただろう。 石井さんのピアノはやや線が細いが (特にこないだの東響定期でホーヴァル・ギムセの強いタッチの演奏を聴いた直後なので)、技巧的には申し分なく、第一楽章はそれでもちょっとピアノの音がオケに隠れたり、微妙ながらテンポが合わないかな (石井さんの指が回りすぎてわずかに早いような) と思える箇所もないではなかったけれど、第2楽章がとてもすばらしくて聞き惚れてしまい、第3楽章もその調子が持続してか文句のない演奏だったと思う。 ぜひまた、今度は20番か23番あたりで登場していただきたいものである。

 後半のモーツァルト40番は、速めのテンポで無駄な感傷が入る余地のない、これまた見事な演奏であった。 パンフの解説にもあったが、作曲者の指定した繰り返しをすべてそのまま再現していたようである。 強いて難点を挙げれば、ホルンは難しい楽器なので仕方がないけど、よりいっそうの安定が欲しいところ。

 アンコールが、指揮者による解説があってから (シューベルトの第5交響曲第3楽章は、モーツァルトの40番の第3楽章に影響されている) 演奏された。 アンコールまできちんとプログラムの構成が考えられているのに感心。

 というわけで、充実した演奏会で満足して帰途につくことができた。 来春の第63回演奏会は、モーツァルトのセレナータ・ノットゥルナとドヴォルザークの第7交響曲だそうである。 これまた興味深いプログラムで、期待が持てそうだ。

11月9日(水)    *「余計なお世話」 ばかり推進する新潟大学

 具体的には書けないけど、今、新潟大学では教育に関わる某プロジェクトを始めようとしている。 私の見るところ、人畜無害、或いは使いようによっては有害無益なプロジェクトである。 

 一部の人間が勝手に推進して、勝手に時間を使い、勝手にその結果に責任を負うならいいんだけど、一般教員にも色々負担がかかってくるから困るのである。

 実際、この件で先週に人文学部教員全員の会議が行われた。 とりあえずの説明会なのだが、ここで1時間半ほど時間を浪費。

 そして本日またこの件で会議である。 今度は所属講座 (現在は正確には 「主専攻プログラム」 というのだが、そう言っても部外者には分からないだろうから、講座と言っておく) ごとの会議。 ここでも1時間あまりの時間が費やされた。

 いや、私は黙って聞いているだけだからいいのである。 今回の会議のために講座のとりあえずの案をたたき台として作った若手の先生はそれ以上の時間を使っているのである。

 新潟大学上層部のやることは、万事、こういう具合なのである。 時間の浪費を教員に強い、研究費は削減し、教員数も減る一方。 どこにもいいことなんかない。 大学の体力を奪うようなことばっかりやっている新潟大学上層部には、猛省してもらいたいと思いますがね。

 また、職組や中間管理職は、上層部のダメさ加減をもっとはっきり指摘するべきじゃないのだろうか。 私なんぞは上層部とは顔を合わす機会もないから、せいぜいこういう場所で言いたいことを言うしかないんですけど。 

11月8日(火)    *日本独文学会会員数二千人割れ

 報告が遅れたが、この9月に独文学会が発行した冊子の報告では、会員数は1983名。 昨年同期より59名の減である。 ついに二千人の大台を割り込んだ。 2003年と比較して456名の減。 8年間で18,7%の減となる。 

 詳しくは昨年の9月13日の記述を参照。

11月7日(月)    *IDをパスワードと言うバカ――科研費申請の理不尽

 少し前の話である。

 科研費に申請しろと学部長が五月蝿いので、仕方なく申請することにしたが、ネット上から入力しようとしたところ、この入力システムを作った人間のどうしようもないバカさ加減が判明した。

 このシステム、最初にIDとパスワードを入れないと入力作業ができないのだが、最終段階まで来て、それまで入力した原稿をPDFファイルに自動変換されたものを確認するとき、「パスワードを入力せよ」 という指示が出る。 パスワードと言うからには最初に入力したパスワードだろうと、普通思うものだ。 だから私もパスワードを入れたが、「違う」 という表示が出てくる。

 おかしいなと思って、入力について説明してある別のページを開いて読んだら、この最終段階で入力すべきパスワードとは、IDのことだと書いてあった。

 私は口に出して叫んだね。

 「バッキャロー! IDを何でパスワードと言うんだよ! 勝手に名詞の意味を変えるな! 大バカ野郎!」

 本当に、このシステムを作った奴は大バカである。 本名を公開した上で即刻クビにしてもらいたい。

11月6日(日)    *近所のクリーニング屋さんが閉店して

 先月の話だけど。 上着を近所のクリーニング屋さん (A店としよう) に持っていったら、閉店していた。 ガラス戸に 「9月末日で閉店いたしました。長らくのご愛顧に感謝申し上げます」 という紙切れが貼ってあった。

 このA店は私の自宅と同じ町内の住宅街の一角にあり、歩いて三分程度である。 この他にも近所にクリーニング屋が2軒あるのだが、どちらも大きな業者の代理店であり、自分でクリーニングをやるのではなく、服の受け渡しをするだけなのに対して、このA店は自前でクリーニングをやってくれる。 だから仕上げも丁寧である。 私は、ズボンなどは他の店に頼んでいたが、上着やコートは必ずA店でクリーニングをやってもらっていた。

 ところが閉店してしまったわけである。 仕方がないから近所の、大きな業者の代理店に持っていった。 割引セール中ということで420円だからとりあえずは安いと思ったが、「襟や袖口が汚れているから染み抜きしますか?」 と言われて、そうですねと答えたら、染み抜き代はあとで別途いただきますから、ということであった。

 で、一週間後に取りに行ったら、染み抜き代として700円を追加で取られた。 最初に払った420円と合わせて1120円である。 高い!

 A店はそういうことはなかった。 上着は一律800円で、どんなに汚れていようときれいにクリーニングしてくれて、追加料金などは一切取らなかった。

 世の中だんだん悪くなっている、なんて思ってしまうのは、こういうときである。

            *            *

       *東京交響楽団第68回新潟定期演奏会

 本日は午後5時から標記の演奏会に出かけた。

 最初から苦情で恐縮だけど、りゅーとぴあの駐車場事情についてはかねてから疑問を感じていたが――係員の誘導、少し離れた電光掲示板で「空きあり」になっていたのに実際に来てみたら満車だったなど――この日ははっきり 「ざけんな!」 と言いたくなる不手際があった。 開演35分前に行ったら、駐車場BCDに入る入口のところに 「満車」 という立て看が立っている。 仕方なく陸上競技場の駐車場にとめたが、こちらはがらがら。 ところがそこから歩いて改めて駐車場BCDの入口付近を通ったら、相変わらず 「満車」 の立て看が出ていたが、電光掲示板を見るとBCDとも満車ではなく、実際にクルマが入っているのである。 係員に文句を言ったら、「調べます」 とのこと。

 この日は特に事情があって、少しでも会場に近い駐車場に入れたかったので、頭に来たのである。 何でこうもデタラメなんでだろうか。 責任者は厳重注意処分くらいにはしてほしい。

 それはさておき。 今回に演奏会には実はあまり期待しないで行ったのだった。 まずプログラムに魅力がない。 ホルストの曲は聴いたことがなかったのでいいとして、グリーグのピアノ協奏曲というと名曲路線そのものだし、シベリウスの交響曲第5番は、きわめてワタクシ的な評価だが、7曲あるこの作曲家の交響曲中最低の出来。 シベリウスの交響曲やるなら、一番ポピュラーな第2番ははずすとして、第1番なんかならまだしもだけどなあ、なんて思いながら会場に向かった。

 会場は、入りが悪い。 先日のベルリン・ドイツ交響楽団の満員御礼(?)は措くとしても、東響新潟定期としても入りが悪いのである。 Gブロックの定席から見ると、Eブロックはいつになく閑散としているし、3階正面のIブロックも左右両端はかなり空いている。 でも、無理もないなーと思ったのだな。 私は定期会員だから来たけど、もしチケットをそのつど買っていたら今回はパスしていたと思う。 繰り返すけど、プログラムに魅力がなさ過ぎるから。 東響側も少し考えてほしい。

  指揮=大友直人、ピアノ独奏=ホーヴァル・ギムセ、コンマス=グレブ・ニキティン

  ホルスト:セント・ポール組曲op.29-2
  グリーグ:ピアノ協奏曲
  (アンコール)
  ダーヴィド・モンダード・ヨハンセン:スウェーデンの山々に伝わる俗謡
  (休憩)
  シベリウス:交響曲第5番

 というわけで期待せずに聴いた演奏会だったが、意外や意外、印象は◎印であった。

 最初のホルストの曲は初めて聴いたが、弦楽合奏の魅力をそれなりに伝えてくれて、最終楽章はグリーンスリーブスのメロディーが使われており、親しみやすい曲になっている。 東響の弦の響きも、先日聴いたベルリン・ドイツ響よりきれい。 やっぱり東響の弦はいい。

 次のグリーグが、独奏者ギムセの実力を如何なく発揮した演奏であった。 きわめて力強く明晰なタッチを持つピアニスト。 この曲はこういう打鍵の強さを持つピアニストでないと味が出ないよなあ、と痛感させてくれた。 アンコールで弾いた曲も、幻想味ゆたかで、とてもよかった。

 後半のシベリウスも、曲自体はあまり評価していないが、演奏としては悪くないと思った。 大友直人さんの指揮は、失礼ながら最近ややヴォルテージが落ちていたような気がしていたが、この日はとても見事だった。 残念なのは聴衆の側の雑音が多かったこと。 風邪を引いていた人がかなりいたようである。 それは仕方がないかもしれないが、曲の始まる直前にCブロックかIブロックあたりからチャイムみたいな音がしてきたのは、どうにも赦しがたい。 私はそもそもケータイを持たない人間なのでよく分からないが、あの音は何だったんだろう。 ケータイの着信音だったのかな。

 というわけで、演奏は見事。聴衆は数も少ないけど、質も良くはなかったようだ。 この日、私は7時半から学生と飲み会の予定だったので、シベリウスの後にアンコールもあったらしいが、残念ながら最初に大友さんが引っ込むところまで拍手をしてから会場を後にした。

11月5日(土)    *土曜日は内科医が混む日?

 先日の職場の健康診断で、高血圧だから医者にかかれという通知が来た。 この手の通知にはあんまり素直に従わない私だけれど、ここのところ独文科学生時代の先輩が相次いで亡くなっていることもあり、珍しくその気になって病院に出かけた。 

 といっても、本日は土曜日ながら仕事で午前11時までに大学に行かなくてはならないので、通勤途中、数年前に一度かかったことのある内科医院に、診察開始時刻である午前9時ちょうどに行ってみた。

 前回かかったときは空いていてすぐに診てもらえた記憶があり、本日もそのつもりだったが、医院の駐車場が満車に近い。 かろうじて1台分だけ空いていたのでとめることができたけど、医院の中に入ったら待合室は患者でいっぱい。 ほとんどが中高年である。

 すでに足腰が弱っていて家族同伴でないと来れないような年寄りも数人いる。 ああ、なるほど、と思った。 家族も仕事もちだから、土曜日でないと患者である年寄りに同伴できないのだろう。 つまり、土曜日はそういうわけで混んでいるのだ。

 40分ほど待って診てもらえたから、まあ良かった。 ここは、美人と言うほどではないが(すみません)感じの良い30代くらいの女医さんで、人気はそのせいもあるかも知れない。 また、最近は医薬分業が進んでいて、薬をもらうときは医院とは別の建物に行かなくてはならない場合が多く面倒くさいわけだが、ここは昔ながらに医院内で薬を出してくれるので、手間がかからなくていい。

 とりあえず一日一回服用の薬を3週間分出してもらい、3週間後にまた、ということになった。 私の高血圧は若い頃からで、母も高血圧だから体質的なものである。

          *            *

     *珍しくも、喫煙派の記事が

 本日の毎日新聞に、最近では珍しく喫煙派による記事が載った。

 でも、岩見隆夫の 「分煙主義で折り合った」 というのは、ちょっと認識が甘いんじゃないかな。 新潟大学でキャンパス内の禁煙化が決まったことはこの欄でも取り上げているけど、基本的には文科省の方針があって、そこに国立大が全然逆らえないという事情があるわけで、日本全体としてもそういういう方向に行っているような気がする。 私は、あまりいいことではないと思っているけれど、今の日本で支配的なのは、分煙主義ではなく、禁煙主義なのである。 以下、毎日新聞の記事。

 http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20111105ddm002070089000c.html  

 近聞遠見: 「たばこ発言」 のその後 = 岩見隆夫

 たばこと政治家の話である。

 最近の統計によると、喫煙人口は下降線をたどっているが、それでも、成人男子の3人に1人、男女合わせると4人に1人が吸っている。ざっと2200万人、小さい数字ではない。

 一方、たばこ論争は、ほぼ言い尽くされた。分煙主義で折り合ったとみていい。喫煙人口はさらに減るかもしれないが、強制力でどうなるものでもない。

 そんな時、新任の小宮山洋子厚生労働相によるたばこ値上げ発言が飛び出し、世間を驚かせた。独特の笑みを浮かべながら、

 「1箱700円台まで上げても税収は減らない」

 2200万人がカチンときたのは間違いない。去年、値上げしたばかりじゃないか、と。

 私もそうだが、喫煙者は頭(ず)を低くしている。極力ご迷惑をかけまいと、分煙による<控えめ喫煙>が定着した。戦後社会で、これほどの集団的自己抑制は例がない。

 唐突な小宮山発言は尾を引いている。女優の淡路恵子(78)は60年間1日3箱のヘビースモーカーだが、「愛煙家通信No.3」(ワック・11月刊)のインタビューで、

 「あの(小宮山発言の)テレビを見てものすごく腹が立ったんです。あんな嬉(うれ)しそうにニコニコして、1箱700円が当然みたいに言われるとね、ムカムカムカムカ、この怒りをどこへぶつけようかしらと思いましたね」

 インタビューには<たばこは私の6本目の指>という題がついていた。

 淡路の怒りは喫煙者のいわば民意である。それをどこまで察し、くみ取って発言するか、という政治家のセンスが問われているのだ。

 ところで、政治家とたばこ、いろいろ逸話が残っている。葉巻は吉田茂元首相のトレードマークだった。

 終戦間際、吉田は戦争終結のため活動したとして憲兵隊に連行されたことがある。その場にいたお手伝いに、

 「葉巻に気をつけろ」

 と言い残した。それを聞きとがめ、翌日、また憲兵隊がやってきて、葉巻を箱ごと押収、バラバラにほぐして調べたあと、燃やしてしまったという。

 葉巻の中に機密書類でも隠してあると思ったらしいが、吉田が言ったのは、

 「大事に保管しろ」

 という意味だった。

 橋本龍太郎元首相も愛煙家で知られた。村山政権発足まもない94年7月のナポリ・サミット。不慣れな村山富市首相を補佐して、橋本通産相が走り回る。

 米通商代表部(USTR)のカンター代表とも会談、別れぎわにカンターが、

 「次はワシントンで会いたい」

 と言うと、橋本はこう切り返した。

 「ワシントンは好きじゃない」

 「……?」

 「ワシントンでは、たばこが吸えないじゃないか」

 「君が来るなら灰皿を用意しておくよ」

 「それなら行こう」

 ワシントンでの再会は同年9月。しかし、自動車交渉が難航し、険悪な空気になる。橋本は、

 「だって、カンターさん、あなた私との約束を守っていないじゃないか」

 と灰皿の約束を持ち出し、一転、日米双方大爆笑になった。しかし、灰皿は届かない。

 「USTR中探し回ったが、灰皿はない。すまないけど」

 と出されたのはコーラの空き缶だった。

 長い歴史が、たばこにはある。小宮山はたばこ嫌いで通っているが、だからといってたばこ好きを切り捨ててすむなら、政治は簡単だ。

10月29日(土)    *欧米の報道は日本より信頼できる、わけではない

 大震災による原発事故をめぐって、日本の報道は信頼できないのではないか、欧米の報道のほうが真実を伝えているのでは、という疑問を述べる人たちがいる。 まあ、外国の報道にも注意しておくこと自体は必要だが、欧米の報道を盲信するのはそれとは別のことである。

 本日の毎日新聞メディア欄のコラム 「時流 底流」 に、欧米の原発事故報道は必ずしも信頼できないという記事が載った。 日下部聡記者によるものだが、ネット上の毎日新聞には転載されていないようなので、図書館かどこかで紙の毎日新聞をごらんいただきたい。

 もっとも、それも英字紙である 『ジャパンタイムズ』 のエリック・ジョンストン報道次長の見方を紹介したものだ。 「Wall of shame (恥の壁)」 というサイトがあり、そこに原発について欧米メディアが誤報を行っているという例が掲載されており、取り上げた記事ごとに   1点 (軽微) から 11点 (最悪) までの点数が付けられているという。

 4月7日付けの 『ニューヨーク・タイムズ』 紙の記事が事実確認を怠ったとして8点、イタリア紙 『レプブリカ』 3月20日付けの記事が 「400万人が東京を脱出し、銀座の路上ではヨウ素剤が法外な値段で売られている」 と報じて 「完全なインチキ」 とされて最悪の11点となった。

 大震災直後の海外報道については、私も以前この欄でドイツの週刊誌”Der Spiegel”の記事を紹介したことがあって、そこでも在日ドイツ人が案外冷静に振舞っているとされていたが、海外報道を盲信することなく、冷静に色々な報道を比較するようにしたいものだ。

           *             *

      *ジュリアード弦楽四重奏団演奏会     

 本日は午後2時からの標記の演奏会に出かけた。 会場は新潟市郊外の黒埼市民会館。 この企画には新潟市西区と新潟大学教育学部がからんでおり、税金からの支出もあるようで、入場料はたった2000円。 世界的に有名なカルテットが、アマチュア演奏家並みの料金で聴けるわけである。 

 私はジュリアード四重奏団は何年も前に音楽文化会館で聴いたことがあるが、あの時は長年第一ヴァイオリンを務めた人 (ロバート・マン) が引退し、第二ヴァイオリンだった人が第一に移ってやっていた。 そのせいかどうか、スケール感があまりなく、小ぢんまりとまとまっているという感じであった。

 今回はまた人が入れ替わっているだろうから、どうなっているかという興味があった。現在の第一ヴァイオリンであるジョセフ・リンは外見的にすぐアジア系だと分かる。 他の三人がいかにも西洋人らしい風貌で、髪も白かったり薄かったりするのに比べて、坊主頭で若く見える。 Wikipedia日本語版でジュリアード四重奏団を引くと、今年から第一ヴァイオリンに就任したとある。 さらにそこからリンクしているこの団体の英語のサイトを見ると、彼は2006年にロンドン弦楽四重奏団コンクールで優勝したFormosaカルテットの創設メンバーだとのこと。 この四重奏団は、台湾にルーツを持つ人たちによって作られたようだ。 さらに Wikipedia英語版で調べると、リンは1978年NY生まれ、親は台湾出身とのこと。

 会場の黒埼市民会館は、何年か前にアンサンブル・オビリーの演奏会で行って以来今回で2度目。 30分前に行ったらかろうじて駐車場が空いており、ロビーは長蛇の列。 300人収容のホールだが、私は 13列目の右側に席をとった。 新潟市のコンサートでよくお目にかかるmozart nobuさんも近くに席をとられた。 そういえば昨日はりゅーとぴあでやはりコンサート仲間の Tomoさんにお会いしたし、やはり芸術の秋は知っている人にも会うものである。 会場はほぼ満席。 やっぱり有名な団体だからかなあ。 クァルテット・エクセルシオとの差を感じる。

  バッハ: フーガの技法より、コントラプンクトゥスT〜W
  ハイドン: 弦楽四重奏曲ト長調op.54-1 第一トスト四重奏曲第1番
  (休憩)
  ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第13番変ロ長調(最終楽章は大フーガ)
  (アンコール)
  ハイドン: 弦楽四重奏曲op.20-1より第3楽章
  ストラヴィンスキー: 弦楽四重奏のための3つの小品より第2曲(道化師の動き)

 演奏である、こないだクァルテット・エクセルシオで同じベートーヴェンの第13番を聴いているので、比較してみよう。 クァルテット・エクセルシオが若々しくて直線的な演奏だったとするなら、ジュリアードは老獪で曲線的な演奏だ。 強弱やテンポによって微妙なニュアンスを作りながら曲を弾いていく。 面白さということではジュリアードのほうが面白い。 ただ、最後の大フーガ (クァルテット・エクセルシオは改訂後の最終楽章を弾いたあとに弾いたが、ジュリアードは改訂後の最終楽章は省いて大フーガのみを最終楽章として演奏) では、クァルテット・エクセルシオの若い音の強さが独特の生々しさや躍動感を生み出していたのに比べて、ジュリアードはやや弱く、最終楽章にふさわしいスケール感をイマイチ出せていなかったように思った。

 これは、第一ヴァイオリンのジョセフ・リンの音が、第一ヴァイオリンとしてはわずかに音量や音の輝きに不足があるためもあっただろう。 もっとも弦楽四重奏団の第一ヴァイオリンの好みにも色々あり、バランスを重視する人ならこれでいいと思うだろうが、弦楽四重奏団の第一ヴァイオリンは独奏者としてもやっていけるくらいの音量や音の魅力が必要だというのが私の持論なので、やや不足かな、と感じたわけだ。

 もっとも、エクセルシオはスタジオAで定員100人、こちらは定員300人のホールの13列目だから、正確な比較とは言えない。 あくまで私の耳に聞こえた音だけでの比較である。

 アンコールを2曲やってくれたが、これも興味深い演奏。 ヴィオラ奏者が日本語でアンコール曲を説明してくれたのが親切。 なかなか達者な日本語であった。        

10月28日(金)     *ベルリン・ドイツ交響楽団 日本ツアー2011 新潟公演     

 本日は午後7時から、標記のコンサートに出かけた。 開演30分ちょっと前にクルマで来てみたら、りゅーとぴあや県民会館の駐車場は満車。 陸上競技場の駐車場にとめる。 りゅーとぴあのロビーに入ったら、人間の多いこと! すでに開場していたが、入場客は長蛇の列。ホールは満席。 1階の最前列の端っこも、3階脇席の最後列も、舞台後ろのP席も、ぜーーーーんぶ埋まっている。 ひぇー、さすがベルリン・ドイツ交響楽団って人気があるんだねえ。 それとも佐渡裕人気なのかな。 私は3階Hブロックの最前列で聴いた。 これでSランク、14400円 (最高はSSランク)。

 公式プログラムは千円だったけど、買わなかった。 それにしても、日本でこういう公演のプログラムを非常識な高値で売る習慣、そろそろやめないかい? 必要最小限のことだけ記して5百円程度なら買う気にもなるけど。ベルリンでもウィーンでも、オペラを含めてプログラムなんてせいぜい2ユーロ (今のレートなら2百円ちょっと) くらいなんだから。

  指揮=佐渡裕、ピアノ独奏=エフゲニ・ポジャノフ

  ベートーヴェン: 序曲「レオノーレ」第3番
  モーツァルト: ピアノ協奏曲第23番
  (アンコール)
  リスト: ソネット
  (休憩)
  チャイコフスキー: 交響曲第5番
  (アンコール)
  チャイコフスキー: 弦楽セレナーデより第3楽章

 弦の配置は、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、ヴィオラの後ろにコントラバスというものだったが、数は曲ごとに異なっていた。 最初の 「レオノーレ」 第3番では14‐12−8−10−7、モーツァルトでは10−10−6−8−4、チャイコフスキーでは16−14−10−12−8。 細かく調整している感じ。 また、チャイコフスキーではおそらくベルリンでフルでやっているのと同じ数での演奏だったのだろう。 引越し公演でこれだけの弦楽器奏者が揃うのは珍しい気がした。

 団員が舞台に入り始めると、盛大な拍手。 東響新潟定期のときよりかなり盛大である。 聴衆の期待値が高いということだろう。
 
 で、演奏。 弦の音は渋めというか、東京交響楽団の弦だと高音が伸びて美しいのだが、ベルリン・ドイツ交響楽団の弦はその辺が抑え目だった。 これは管楽器にも言えることで、木管の音にほれぼれするとか、金管が突き抜けたような音を出してびっくりさせてくれるとかいうことはない。 堅実でまったく危なげないのだけれど、あくまで全体の演奏に奉仕するために吹いているのだ、という印象である。

 そういうわけなので、チャイコフスキーでも最終楽章など、ともすれば爆演的になりがちであるが、高揚しながらもあくまで一定の節度を守っての演奏のように聞こえた。 別の言い方をすると秩序維持が好きなドイツ人らしい、ということだろうか。

 ボジャノフのモーツァルトだが、最初のあたりで、序奏が終わってから弾き始めるのではなく、序奏部分から軽くではあるが弾いているのにびっくり。 指慣らしかなとも思ったが、最初だけでなくある程度曲が進んでからも同じようにしていた。 ヴァイオリン協奏曲ではこういう例を見たことがあるけど、ピアノ協奏曲では初めてである。 曲全体の演奏にできるだけ加わっていくことでオケとの一体感を出そうとしているのだろうか。 また第2楽章では、これは最近はわりにある、装飾的な音を自分で加えながら弾いていた。

 ボジャノフの音は、美しいけれど美しすぎず、根底に力感があって、したがってロココ的なモーツァルトというより、過ぎない程度に現代的なモーツァルトになっていたようである。 アンコールでリストを演奏したのも、自分の別の面を聴衆にアピールしたいという気持ちがあったからではないかと思われた。

 ピアニストがアンコールをやり、オケも最後にアンコールをやり、終演が9時25分頃。サービス満点で満足できる演奏会だったと思う。

 なお、協賛の石本酒造から越乃寒梅を抽選で50名にプレゼントという企画があって、それはいいのだが、終演後に当選者の発表があり、発表掲示板が一箇所しかないので、2千名の聴衆が掲示板のところに押しかけて大変だった。 もう一箇所くらい掲示板を設けてくれると人の流れもスムースになっただろう。 えっ、私? もちろんハズレだった、残念無念(笑)。

10月27日(木)    *旧ユーゴの粛清と思想弾圧

 産経新聞の連載記事 「ソ連崩壊20年 解けない呪縛」 で、本日、旧ユーゴの粛清と思想弾圧についての記事が載った。

 ユーゴと言えばチトーの指導によりソ連とは距離をおいた独自路線を貫いた社会主義国家として知られていた。 そういうチトーは偉大な指導者と賞賛されることも多かったわけだが、社会主義国家の例にもれず、実はスターリンのような粛清を行うと同時に厳しい思想統制を敷いていたことが分かる。

 最近の学生のなかには、社会主義国家には言論思想の自由がないということすら知らない者もいるので、なかなか貴重な記事だと思う。 またスターリンに抗したチトーを支援するために、西側がチトーのそうした負の側面に沈黙したのではないかという疑問も提起されている。

 以下、産経の記事の一部。 全部を読みたい方は、下のリンクからどうぞ。

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/111027/erp11102715470003-n1.htm 

 ソ連崩壊20年 解けない呪縛 第5部 共産主義は今 (1) ユーゴ負の遺産 「裸の島」

 (最初のあたりは省略)

 「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」 という多様性に富むユーゴをまとめたのはチトーである。

 しかしスターリンは、チトーの自立的対外政策に激怒。1948年、ユーゴをソ連圏から追放した。

 スターリンの影におびえるチトーはソ連寄りとみなした人物を次々に粛清していく。その数は3万2千人とも6万人ともいわれる。

 粛清の舞台となったのが、チトーが極秘につくった思想矯正施設だった。セルビアのタンユグ通信元東京特派員のドラガン・ミレンコビッチ氏(63)の亡父、スウエトミル・ミレンコビッチ氏はチトー時代、リエカからバスとフェリー、ボートを乗り継いで3時間半かかった「ゴリ・オトク(裸の島の意)」の思想矯正施設に送られた。

 夏は灼熱(しゃくねつ)地獄と化し、冬は酷寒の地に。草木一つ育たなかったという島は「裸の島」と呼ぶにふさわしい。周囲の海流は速く、88年に閉鎖されるまで脱走できた者は一人もいないという。ドラガン・ミレンコビッチ氏と裸の島に向かった。

 1948年から58年にかけて、クロアチア沖に浮かぶ「ゴリ・オトク(裸の島)」の思想矯正施設には、ソ連寄りとみなされた人々が続々と送られた。その後、一般犯罪者も収容され、88年に閉鎖。公式記録はすべて破棄された。「スターリンに抗したチトーを支援した西側は“裸の島”に目をつぶったのだ」と元収容者は憤る。裸の島で何が起きたのかを知るには、人々の記憶をたどるしかなかった。

 (中略)

 元収容者に会うためセルビアの首都ベオグラードを訪れた。ミヨドラグ・ガイチ氏(87)の“暗い記憶”は想像を絶していた。

 裸の島では、特にソ連寄りとされた者は深さ8メートルの竪穴「ピーターの穴」に収容された。汚物混じりの水で食事が作られ、チフスで2カ月間に約230人が死んだ。食事に女性ホルモンが注入された結果、胸部が乳房のように膨らむ男もいた。ある収容者は、自分の頭にねじくぎを金づちで打ち込んで自殺した。死者は証拠を残さないようミンチにして処理されたという。

 1953年、思想矯正施設の待遇が突然改善された。チトーが恐れていたスターリンの死亡時期と重なる。

 チトーがいかに裸の島を秘密にしようとしていたかを物語る逸話もある。

 元収容者の証言集「ゴリ・オトク」をまとめた作家のドラゴスラヴ・ミハイロビッチ氏(80)は、自らも収容された経験をもつ。ベオグラードで会った同氏は、自著「南瓜の花が咲いたとき」が劇場で上演された69年の出来事を明かした。

 公演6日目、妻と劇場を訪れると真っ暗で、俳優が泣き崩れている。助監督が「チトーの演説を聞かなかったのか」と叫んだ。チトーは「芸術は共産主義と相反するものであってはならない」とミハイロビッチ氏を批判したという。

 主人公の家族が裸の島に収容されたことを思わせるくだりがあり、チトーの逆鱗に触れたのだ。ミハイロビッチ氏は「そんなつもりはなかったが、裸の島が体に染み込んでいたのだろう」と語る。本は9年間発禁、劇は14年間上演禁止となった。同氏は78年、元収容者からの聞き取りを始めた。裸の島の事実を後世に残せるのは自分しかいない−と覚悟したからだという。

 (後略)

10月24日(月)    *ヨーロッパではキリスト教は半強制的な制度としてある

 「信仰の自由」 は先進国の常識みたいに思われているけど、実際は欧米ではキリスト教は半強制的な制度として社会に存在し、そこから逃れるだけでまずメンドクサイのだ。 信仰の自由、なんて実際はあるかないか分からないものなのである。

 別の言い方をすると、日本ならキリスト教徒になるのはそれなりの意志と手続きが必要だが、欧米ではキリスト教徒にならないためにはそれなりの意志と手続きが必要なのである。

 こんなことを考えたのも、本日の毎日新聞に以下のような記事が載ったから。 知らなかった人は参考にしてくださいね。

 http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2011/10/24/20111024ddm012030052000c.html 

 trend: オーストリア 「脱カトリック」 急増

【ウィーン樋口直樹】 キリスト教の守護者を任じたハプスブルク帝国の末裔(まつえい)の国オーストリアで、カトリック教会からの脱退者が激増している。昨年は全教徒の約1・5%に当たる8万7000人余を記録した。ナチス・ドイツ時代に導入された世界的にも特異な「教会税」制度への不満がくすぶる中、聖職者による性的虐待が次々と明らかになり、教会への不信感が一気に表面化している。

 「きっかけは教会税の請求でした」。ウィーンでソフト会社に勤める男性(30)は、故郷の教会から昨年脱退した事情をこう語る。男性は生後間もなく洗礼を受けたが、物心がついてから教会に共感することはなかった。にもかかわらず、就職すると四半期分として170ユーロ(約1万8000円)の支払いを求められた。信仰のためにお金を払わなければならないことが許せなかったという。

 オーストリアのカトリック教徒は就職後、収入の約1%を教会へ納めなければならない。正式な手続きを経て教会からの脱退を宣言しない限り、免れない。無視すれば教会から訴えられる。1938年にオーストリアを併合したヒトラーが、教会への国家援助をやめる代わりに、教会による信徒への半強制的な集金システムを導入した。「徴税」のための名簿があるからこそ、教会脱退者数が明確になる。

 80年代に年間3万人台だった脱退者は90年代に4万人台、00年代には5万人台に増加。ウィーン大学のヨハン・ポック教授(カトリック神学)は「ますます多くの人が、自ら共感できない団体(教会)にこれ以上お金を払いたくないと考えている」と指摘する。

 そうした中、聖職者による未成年者への大規模な性的虐待が明るみに出た昨年は、9万人近くに跳ね上がった。

 ただ、改革派聖職者らが参加する民間団体「We are Church」を主宰するハンス・フルカ氏は「性的虐待は表面的な理由に過ぎない」と語る。生命や人生の疑問に教会が満足な答えを示せないことが根本的な問題だと分析するのだ。

 教会の古いしきたりを改め、決定過程に信徒を加え、聖職者レベルでの男女同権の実現や人道的な性的道徳の再構築、離婚や同性愛の容認などを進めるべきだ−−。

 脱退者の激増を受け、こうした改革を求める声は教会内部からも強まっているが、依然として少数派に過ぎないのが実情だ。

10月23日(日)    *シネ・ウインド総会

 午前11時から、万代シティの中華料理店で新潟市民映画館シネ・ウインドの株主総会が開かれる。 私も出席。

 昨年度も今の時期に開催されたのだが、昨年度に比べると出席者が少し減っているようだ。 株主の自己紹介もあったが、病気の話が多く、全体として老齢化が進んでいる印象は免れない。 これは映画館で映画を見る客の老齢化とも関連して厄介な問題ではある。

 ウインドではもともと会員制度をとっているのだが、今年度から制度を改めた。 要するに年会費を安くし、その代わり以前は会員になると数枚もらえた無料入場券は1枚だけになり、その後は割安な会員価格で見るということである。 また、通常会員とは別に、維持会員制度を設けた。 年10万円で、特権はないが、ウインドが出している月刊誌 『月刊ウインド』 に1年間氏名が掲載される。

 この維持会員制度は、クラシックのプロ・オーケストラもよく採用しているやり方なので、この制度のあり方や対象について他の株主の方と意見を交換した。 年10万円 (で特権なし) というと、個人ではなかなかなり手がいないだろうから、法人をメインに対象にしては、というのが私の見解。 ただしウインド運営側は、必ずしもそういう意見ではない、らしい。

 なおこの席で、東京のBOX東中野を運営していた代島治彦氏が全国のミニシアターを巡礼してものした著書 『ミニシアター巡礼』(大月書店) が紹介され、希望者には販売もなされた。 私も1冊その場で購入。 興味のある方には一読をお薦めする。 価格は2500円+税。 シネ・ウインドも紹介されていますよ。 

 このあと会食となり、おいしい中華料理とビールで満足した。

ミニシアター巡礼

            *               *

       *山崎陽子門下オルガンコンサート Vol.5 オルガンの旅   

 シネ・ウインドの株主総会が終わってから、花園カトリック教会まで十分ほど歩いて、午後2時から標記の演奏会を聴く。 昼食にビールを飲んだので、ほろ酔い気分であった。 当日料金1200円。

 客の入りは、雨模様の天候のせいもあってか、よくない。 二十人くらいだったろうか。

 オルガン演奏は渡辺まゆみさんと大作綾さん。いずれも新潟でオルガン演奏会をよく聴く人にはおなじみの名前である。

 音楽会の副題が 「バロックから現代まで」 となっており、きわめて時代的に幅の広い作曲家が取り上げられている。

  バッハ: 前奏曲とフーガヘ短調BWV534 (渡辺)
  モーツァルト: 「レクイエム」よりフーガ (連弾)
  メンデルスゾーン: オルガンソナタニ短調op.65-6 (渡辺)
  ラインベルガー: 「オルガンのための12の性格的小品集」 op.156より1.前奏曲、3.小唄、7.追憶 (大作)
  (休憩)
  F・ペータース: 「グレゴリオ聖歌による30のコラール前奏曲」 op.75より 「光の創り主」 「王の御旗、前進す」 「来たれ、創造主たる聖霊よ」 (大作)
  A・ヒナステラ: 「トッカータ、ビシャンシーコとフーガ」 op.19より 「トッカータ」 (大作)
  J・ラングレ: 「中世の組曲」(前奏曲、ティエント、即興、瞑想、歓呼) (渡辺)

 作曲家は時代順に並べたそうだが、後半の三人は20世紀の作曲家。 最後のラングレは、演奏者お二人が教わった山崎陽子さんのフランス留学中の先生だそうである。

 どれもそれぞれに面白かったけれど、前半と後半のそれぞれ最後の曲に特に惹かれた。 大作綾さんがラインベルガーの伝道師(?)であることは新潟では有名だが、今回は最近新しく見つけた楽譜からだそうで、曲想が面白く感じられた。 また、最後のラングレの曲は、曲ごとの性格が色々で、聴いていて飽きない。

 来年度も演奏会を続ける予定だそうである。 お二人の健闘を祈ると同時に、もう少したくさんの聴衆が多様なオルガン音楽の世界を楽しんでくれることを期待したい。 この内容で1200円(前売りなら1000円)は安いと思うけどなあ。

10月21日(金)    *筒井康隆の問題提起は間違っていなかった――今更ながら筒井康隆断筆問題を再考する

 本日の毎日新聞の 「記者の目」 欄に、てんかん発作による交通事故に関する意見 (吉村周平記者) が載った。 実はこれは新しい問題ではない。 1993年に筒井康隆断筆事件が起こったとき、筒井康隆は、てんかん持ちの患者がそれを隠して運転免許証を得ている場合があるのではないか、自分はてんかん患者の人格を否定するつもりはないが、てんかん患者の運転する車には乗りたくない、と指摘した。

 これに対して、当時てんかん協会側は、筒井の認識が遅れていると答えていた。 現在はてんかんは薬で押さえられるようになっており、欧州ではてんかん患者でも運転免許が取れるのだから、と。 実際、その後日本でも、条件付きでてんかん患者も運転免許がとれるようになった。

 しかるに、今回このような事件が起こっている。 つまり、当時のてんかん協会の答は正しくなかった、少なくとも100%は、ということがはっきりしたのではないか。 (くわしくは、創出版 『筒井康隆 「断筆」 めぐる大論争』 1995年、を参照)

 吉村記者の見解は、こういう歴史的な背景に言及していない。 この問題はすでに筒井康隆断筆事件が起こった1993年に提起されていたのであり、てんかん協会のその際の回答がはたして誠実で科学的であったのかを検証する必要があるのではないか。

 そうした検証を行っていないのは、いささか不勉強で記事としては不十分なのではあるまいか。

 (以下、毎日新聞掲載 「記者の目」 の引用)

 http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20111021ddm004070132000c.html 

 記者の目: 鹿沼のてんかん発作死亡事故=吉村周平(宇都宮支局)

◇病気申告できぬ状況も理解を

 被告はてんかん発作による事故を過去5回起こし、医師の再三の忠告にもかかわらず運転を続けていた−−。傍聴席で私はあぜんとした。栃木県鹿沼市で小学生6人が死亡したクレーン車事故で自動車運転過失致死罪に問われた柴田将人被告(26)に対する先月の宇都宮地裁の初公判で、検察側が冒頭陳述で明らかにした内容だ。閉廷後、「悲劇を繰り返さないため」と記者会見を開いた遺族は声を詰まらせ、最高で懲役7年という現行法の厳罰化や、危険運転致死罪の適用拡大を訴えた。

 事故を受け、運転に関して、てんかん患者であることの申告の厳格化(不申告に罰則を設けるなど)を求める声が高まっている。もちろん、再発防止のための議論は必要だが、そもそも、てんかんという病気や患者についての理解は十分だろうか。

 あるてんかん患者を紹介したい。事故直後「患者の置かれた立場を分かってほしい」と連絡してきた滋賀県の男性Aさん(50)だ。発作を起こすと意識を失い卒倒する。幼いころは泡を吹いて倒れる様子から「カニ」とからかわれた。今も毎朝晩、8錠ずつ薬を飲み発作を抑えている。

 18歳で免許を取った。てんかん患者の免許取得は当時認められておらず、持病を隠しての取得だった。公共交通が発達していない地方では自然な成り行きだったという。だが、20歳の時、発作が原因で祖父母を乗せた車で単独事故を起こしてしまう。祖父は頭を負傷。退院前日に脳血栓で亡くなった。親類から「お前が殺した」と責められ、免許は取り上げられた。

 ◇正直に告げ解雇された

 仕事を探したが、免許が無ければ就職が困難な地方では厳しかった。免許再交付を受け、やっと見つけた会社では持病を隠したが、発作は突然起きた。発覚しては解雇され、正直に申告しても解雇され、職を転々とした。今は市営住宅でパートの妻と高1の長男と3人で暮らし、日雇い派遣の仕事をしている。十数年間発作はない。病気を申告せず免許を持ち続け、仕事以外では運転している。

 てんかん患者の免許取得は、患者会の働きかけもあり、02年の道交法改正で可能になった。過去2年以内に発作がなく、今後一定期間は起こす恐れがないという医師の診断などの条件付きだ。

 だが、病気を公にしたてんかん患者は、免許拒否や就職差別に遭う恐れがある。また、てんかん患者は卒倒など重度の発作が年1、2回起きる人でも、「精神障害者保健福祉手帳」で最も軽い3〜2級しか取得できない。その直接の恩恵は年50万円程度の所得税などの減免だけだ。

 「正直に言うたら誰か面倒みてくれるんですか? 薬で抑えてはいますが、発作が起きないとは断言できない。そう言うと多くの会社は雇ってくれへんのです」。Aさんは絞り出すように訴えた。てんかん患者は発作時以外は健常者同様に暮らせるので、福祉の網の目からこぼれ落ちているのではないか。

 だから、少なからず持病を隠して免許を所持することになる。てんかん患者は手指のしびれなど軽微な症状の人も含めると国内で60万〜130万人とされる。これに対し、病気を申告して免許を取得した人は約1万人だ(07年末、日本てんかん学会推計)。

 警察庁の統計では、てんかんを申告した人の中で、取得を拒否されたり、更新時などに取り消しになる人は1割程度。鹿沼の事故後、各都道府県警は「運転適性相談窓口」でのプライバシー配慮に努めるなど相談しやすい環境作りに着手した。こうした動きは歓迎だが、もう一歩進めて「正直に病気を申告しても不利益を被らない社会を作る必要がある」と、日本てんかん協会栃木県支部の鈴木勇二事務局長(69)は指摘する。

 ◇周囲の理解で働き続けられた

 同協会が指摘するように、持病を申告し、健常者と同様に働いている患者はいる。兵庫県の40代女性は3級の手帳を持ち、障害者雇用制度で事務職として民間企業に勤務する。他企業に一般就職した経験もあり、過労などから勤務中に発作を起こし、会社に持病を知られることになったが、結婚退職まで勤め続けた。「病気をオープンにできるかは、家族や友人の接し方にもよる。幸い、私は嫌な思いをすることはなかった」と言う。彼女は会社側の理解や家族らの支えがあったが、そうした例はまだ限られるのだろう。

 Aさんは鹿沼の事故で犠牲になった児童や遺族を思い、迷った末、批判を覚悟で患者としての身の上話をしてくれた。今回のような悲惨な事故の再発防止につながる道は私たちの足元から始まる。患者が追い詰められている状況にも目を向けていきたい。

          *                  *

      *クァルテット・エクセルシオ ベートーヴェン・シリーズ第2回      

 本日は午後7時から、クァルテット・エクセルシオによるベートーヴェン連続演奏会の第2回を聴きに出かけた。 会場は前回と同じくりゅーとぴあのスタジオAで、後半が階段状になっている。 前回と同じく、その階段の1段目右側のほうに席をとる。 客の入りも前回と同じくらいで、60人程度か。

  弦楽四重奏曲第10番「ハープ」
  (休憩)
  弦楽四重奏曲第13番
  大フーガ
  (アンコール)
  弦楽四重奏曲第7番 「ラズモフスキー第一」 より第2楽章 (短縮版)

 最初にいつもと同じくチェロの大友さんのお話があったが、今回は内容的に当方の知っていることばかりであった。 いや、こういうトークも、特に3回連続で同じ作曲家のものを取り上げるとなるとなかなか大変だと思うけど。 このトークでは、あらかじめ予告されていたのとは異なり大フーガは最後に演奏するというお知らせも。

 今回の演奏では、まず前半の 「ハープ」 に啓発される。 というのは変な言い方かもしれないが、私はベートーヴェンのカルテットは初期の6曲は別にしてディスクで何度も聴いているのでだいたい知っているつもりだったのであるが、今回聴いてみたらちょっと知らない曲みたいに聞こえたので。 ああ、この曲にはこういう面があったんだな、と。 やはり実演で聴くと教えられるのである。

 最後の大フーガがとてもよかった。 これまた変な表現だが、純粋に音楽としてこの曲を聴くことができた。 ディスクだとなかなかこうはいかないし、この曲は生でも聴いた経験があるけれど、そのときは今回ほど純粋な気持ちで聴けなかったような気がする。 そして、同時にとても生々しいというのか、生き物のような曲だなあ、と。 実はこの日、この演奏会の直前にユナイテッドで映画を見ていて、映画は生々しいけどクラシック音楽演奏会はさほどでもないかな、なんて気持ちがしていたのだが、どうして、大フーガは映画以上に生々しかった。

 第13番は、以上の2曲に比べると、ディスクで聴くのとそんなに大きな違いを感じなかった。 曲としては大好きなんだけど。

 アンコールに、いつものように次回の予告としてラズモフスキー第一の第2楽章が演奏されたが、西野ゆかさんの説明にあったように短縮版。 途中15分の休憩をはさんで正規プロが終わったのが午後9時5分を過ぎていたから、これは仕方がないところ。

 そして、西野さんからもう一つうれしいお知らせが。 クァルテット・エクセルシオはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンと3年連続で同一作曲家の連続演奏会をやってきたわけだが、その総集編的な、つまりハイドンとモーツァルトとベートーヴェンの作品を並べた演奏会を来年2月上旬にりゅーとぴあのコンサートホール (スタジオAではなく) で開くとのこと。 この企画はまだ公けになっておらず、この日に初めて一般人に告知されたよう。 詳細はいずれ明らかになるそうだが、今から期待が高い。

 それにしても、西野ゆかさんはお顔といいスレンダーな体つきといい申し分のない佳人なのだが、こういう告知の場になると言い間違いが多いんだなあ。 ヴァイオリンの演奏に専念されているので、他のことは頭に入らないのかなあ、なんて思ってしまう。 でもそういう人も私は好きなんだけどね (← 要するに佳人なら誰でも好きなのだということ 〔笑〕)。

10月20日(木)     *プラハ国立歌劇場公演 「トスカ」     

 本日は午後6時30分から、新潟県民会館で標記のオペラを観劇。 終演は午後9時。

 客の入りはイマイチ。 2階席のことは分からないが、1階席は半分くらいだったのでは。 中央ブロックはいいけれど、その左右ブロックや左右両端のブロックは中間あたりから後ろのほうががらがら。 私は1階13列18番。Sランクで14000円、プログラムは1500円。 こないだのバイエルン国立歌劇場で感覚が麻痺してしまったためか、「まあ、オペラとしては安いんだろうな」 と思ってしまった。 困ったことである。

  歌手トスカ: アンダ=ルイゼ・ボグザ
  画家カラヴァドッシ: エマニュエル・ディ・ヴィッラローザ
  スカルピア男爵: フランティシェク・デュラチ
  政治犯アンジェロッティ: ルカーシ・ヒネック=クレーマー
  教会の番人: ミラン・ビュルガー
  スポレッタ(スカルピアの部下): マルティン・シュレイマ
  憲兵シャッローネ: オレグ・コロトコフ
  牧童: ソーニャ・コツズィアーノヴァー
  看守: フランティシェク・リシャヴィー

  プラハ国立歌劇場合唱団
  プラハ国立歌劇場管弦楽団
  指揮: ジョルジョ・クローチ
  演出: マルティン・オタヴァ
  合唱指揮: トゥヴルトコ・カルロヴィッツ

 一言で言うと、主役トスカのアンダ=ルイゼ・ボグザがすばらしかった、というのに尽きる。 声量があって管弦楽に負けず、朗々と声を響かせていた。

 次が、カラヴァドッシのエマニュエル・ディ・ヴィッラローザだろうか。 すばらしいというほどではないけれど、まあ悪くはなく、大事なところではかなり声を出してくれる。 すごい美声ではないが、及第点かな。

 3人の主要な役柄のなかで、スカルピア男爵役はいちばん落ちた。 この人、プログラムの中に氏名が印刷されておらず、予定されていた歌手がダメになって急遽来日が決まったらしいのであるが、プログラムに挟みこんであった紙切れに経歴が載っていた。 それによると芸術大学卒業後1986年に国際声楽コンクールで賞をとったと書かれているから、多分50歳くらいだろう。 もう盛りを過ぎているのだ。 多分、10年前くらいならもっとよく通る声を聞かせてくれたのだろうが、今現在は声が衰えている。

 スカルピア役がこのくらいだから、ほかは推して知るべし。

 舞台装置は、変に現代的なところや奇をてらったところがなく、きわめてオーソドックス。 オケも堅実で重厚な響きを聞かせてくれた。

 

10月18日(火)    *東京交響楽団新潟定期演奏会に問題あり

 東京交響楽団のサイトに、来シーズンのプログラムが掲載された。 東京、川崎での公演に加えて、新潟定期についても (併記的にではあるが) 書かれている。

 http://www.adjustbook.com/lib/?us=1508&bk=1943#/p1/ 

 もっとも、新潟定期については第74回が書かれていない。 多分、川崎の名曲全集の10月分あたりを持ってくるのじゃないかという気はするが (後日、そのとおりだと確認された)。

 東京交響楽団には、サントリーホールでの定期公演と、東京オペラシティホールで行われるオペラシティ・シリーズの2種類の年間演奏会がある。 このほか、川崎で行われる名曲シリーズもある。

 このうち、プロのオーケストラとして最も力を入れているのは、サントリーホールでの定期公演だ。 オペラシティ・シリーズはこれに比べると、名曲コンサート的な色彩が濃い。

 むかしは、新潟定期演奏会も、サントリーホールの定期公演をだいたいそのまま持ってきていた。 ただし回数は、サントリーホールの定期は年間10回、新潟定期は以前は年間5回、今は6回だから、東京での全公演がそのまま新潟で聴けたわけではないが。

 ところが、そのプログラムが様変わりしている。 今シーズンもそうだけど、新潟定期は基本的にオペラシティ・シリーズ、そして川崎市で行われる川崎定期がサントリー定期、という形になってしまっているのである。 サントリー定期が新潟に来るのは1回だけで、これも今シーズンと同じ。

 要するに、東京交響楽団にとってメインは川崎市であり、新潟市は副次的な存在になってきていることが、ここから読み取れるのだ。 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番なんて、この4月 (第64回) にもやったのに、再来年の3月にまたやるようだ (第76回)。 どうなのかなあ。

 これは一つ大きな問題だと思う。

 加えての問題は、こういう状況に対して新潟の音楽系ブロガーたちが、まともに異議を唱えていないことだ。 新潟は江戸時代は幕府の直轄地だったから、お上から与えられるものはそのまま受け取る根性が抜けないのだろうか。 金沢が自前のオーケストラであるオーケストラ・アンサンブル・金沢を持ったのに、新潟はそうせず、東京のオーケストラに年間何度か来てもらうことで済ませた。 そのツケが今回ってきているわけであって、問題の根は深いと、私は思う。

 いずれにせよ、ブログを持ちながら、状況追認的な発言しかできないのでは、ネットにアクセスする意味があるまい。 追従しか出来ない人間は、ネット空間から去るべきであろう。

 

10月16日(日)    *学会2日目、そして金沢の交通事情の悪さ

 本日は学会2日目である。 午後の列車で新潟に帰るのでホテルをチェックアウト、荷物は学会に必要なものだけ手提げバックに入れて、あとは駅のコインロッカーに預ける。 

 バス乗り場に行ったら、金沢大行きが9時13分に出たばかりで、次が9時55分になるという。 仕方なく駅に戻って土産物屋を見て回り、今は荷物になるから買わないけれど学会から戻ってきたらこれを買おうとめぼしをつけておく。

 それにしてもバスの便の不便なこと。 学会があるので一応増便はされているのだが、9時前後の便で、学会は10時からでバスで駅から金沢大まで30分くらいだし、2日目は受付での手続きも不要だから、もう少し遅い便を増発して欲しいものだ。 実際、9時13分に乗り遅れたのは私だけではなく他にも何人もいて、仲間と一緒に来ている人たちはバスを待てなくてタクシー乗り場に向かっていた。 バスなら金沢大まで350円だけどタクシーだとその10倍くらいかかると、あらかじめ独文学会員に来た通知に書かれていた。 4人で分乗するならともかく、私みたいに仲間を持たず単独行動を旨とする人間には高すぎるから、我慢してバス停で待つ。

 本日は午前中だけであるが、シンポジウム 「動物とドイツ文学」 を聴く。 バスに乗り遅れたので少し遅刻してしまったが。 近年高まっている動物の扱いや動物観をめぐって、ドイツ文学とのかかわりを4人のゲルマニストが論じていた。 京大独文科の准教授である松村朋彦氏を中心とする京大系ゲルマニストによるシンポである。 これがなかなか面白くて、会場の入りもよかった。 発表後の質疑応答も活発だった。 ただし4人目のトーマス・マンを扱った方は、もしかしたら無理に駆り出されたのかなという気がしないでもなかったが。 文学研究も最近は一人の作家だとか一つの作品だとかを論じるのではなく、文化史的なアプローチになってきていて、よく言えば視点の幅が広がっているけれど、その傾向が端的に表れたシンポだったと思う。

 終了後、午後1時15分からの独文学会北陸支部の集まりに出て、終わってから急ぎバスに乗る。 1時間に1本程度しかないので乗り遅れたら悲惨だからだ。 バスは混んでいた。 午前中のシンポ 「動物とドイツ文学」 の発表者の方々も乗り合わせていた。

 しかし、このバスがひどく遅いのである。 途中まではまあまあだったけど、街なかに入ったらとたんにスピードダウン。 特に、香林坊と武蔵が辻の中間の南町というバス停の少し前からまったく動かなくなった。 バスが数珠つなぎになっていて進まないのである。 武蔵が辻を金沢駅方向に左折するところがネックになっている。

 金沢は昨日書いたように都市改造がようやく行われて道路の幅が広くなっているのだが、それでいてこのテイタラクなのである。 武蔵が辻の左折のところで渋滞するのは、一つには左折してから駅方向に向かう車線が一つしかない (途中で再度左折する分に2車線とっている) からだし、また歩行者の横断で車が止まるからである。 ここ、何とかして欲しいですな。 駅方向に2車線とるとか、歩行者用には横断歩道ではなく地下道をエスカレーター付きで設けるとか。

 おかげで、金沢大学から金沢駅まで1時間もかかった。 金沢市当局よ、何とかしなさいっ!! 

 まあ、地方の県庁所在地クラスの都市は、たいていは同じような悩みをかかえている。 道路を一般車と共用するバスは、公共交通機関としては不向きなのだ。 どうしても独立した軌道交通が要る。 仙台は私が学生生活を送っていた1970年代から今の金沢みたいにひどい状態で、市電を廃止し、私がいなくなってだいぶだってからようやく地下鉄が1路線だけできた。 もう少し早く対応すべきであろう。 国も、不要な地方空港なんか作っているカネがあったら、地方中核都市に軌道交通を設けるのにカネを投じてほしいものだ。

 というわけで金沢駅には予定よりかなり遅れて到着。 いそぎ土産物を買い、コインロッカーから旅行用バッグを取り出して、改札口を通る。 

 帰りは、新潟までの直通の特急ではなく、越後湯沢行きの特急 「はくたか」 で直江津まで行き、そこで快速列車 「くびきの」 に乗り換える。 金沢・新潟間の直通特急は 「北越」 だが、帰りはちょうどいい時間帯に便がないので、こういう手段をとったのである。

 もっとも、私は新潟・金沢往復用の割引切符で来たのだが、新潟大生協のサービスセンターで購入するときに念のため 「帰りはかくかくのようにしますが、大丈夫でしょうね?」 と訊いたら、生協の職員は分からないと言って、JRに電話した。 ところが、電話口のJRの社員も分からず、改めて社内の別の人に尋ねて、ようやくOKが出るという始末であった。 何と言うのか、こういうところが日本のダメなところなんじゃないだろうか。 この切符の規定は、「新潟・金沢間を信越線・北陸線経由で往復し、行き帰りとも特急列車を一度ずつ利用できる」 ということでしかない。 新潟・金沢間を通しで1本の特急列車に乗るべしとは書かれていない。 「くびきの」 は快速列車であるから、普通の乗車券だけで乗れるわけで、別に帰りに2本の特急列車を利用するわけではない。 したがって完全に合法(?)であるはずなのだが、作る側が今回のような利用法を想定していないのであろう。 頭が悪いんだね。 もっとも、こういうところがダメなのはJRだけではなく、新潟大学教員だって似たようなものですけどね。 

 「北越」 は古い型の特急車両を使っているが、「はくたか」 は新しい車両である。 JRとしても、「はくたか」 は越後湯沢で新幹線に乗り換えで北陸方面から首都圏へと結ぶ路線で、飛行機との競争もあるだろうから、力を入れているのであろう。 新しいだけでなくスピードも速い。 来たときに利用した 「北越6号」 は直江津・金沢間に1時間54分かかったが、この 「はくたか19号」 は同じ区間を1時間47分で走る。 停車駅は同じで、である。 金沢・直江津間は177,2キロであるから、「はくたか」 の表定速度はこの区間で時速99,4キロ。 「北越」 は93,3キロ。 (なお、ここを書くとき、パソコンが 「表定速度」 を変換してくれないので――「ひょうてい」 は 「評定」 としか変換しない――念のため 『大辞林第2版』 を引いたら、「表定」 も 「表定速度」 も載っていなかった。 これってそんなに専門的な言葉なんですかね?)

 金沢駅で気づいたのだが、金沢から特急で越後湯沢に行き新幹線に乗り換えて東京まで行く経路で往復し、首都圏のJRに7日間乗り放題という切符が22000円台で売られていた。 同じ条件の富山発が21000円台。 これを見て私は複雑な気持ちになった。 というのは、新潟から新幹線で東京往復し首都圏でJR5日間 (7日間じゃないですよ) 乗り放題の切符を買うと21000円台だからだ。

 金沢・東京間は460キロである。 富山・東京間は401キロである。 新潟・東京間は334キロである。 それで何で値段的に東京往復切符の値段がほとんど同じで、しかも首都圏乗り放題の期間が金沢と富山は7日間なのに新潟は5日間しかないのだ!?

 これはやはり、金沢と富山はJRと飛行機との競争があるけど、新潟は飛行機の東京便は上越新幹線開業と同時になくなってしまったからであろう、と、私はそのときは考えた。

 だけどね。 「はくたか」 が糸魚川駅に停車したとき、ホームに広告が出ていた。 糸魚川から東京往復で首都圏7日間JR乗り放題の切符が19000円台で売られているのである。 糸魚川・東京間は322キロ。 新潟よりちょっと短いが、まあ同じと見ていいだろう。 それでこういう好条件の切符が出ているのである。 糸魚川には空港はないわけだから、飛行機と競争しているから安い、という理由付けは不可能だ。

 とすると、この差はどこから来るのか? 考えられるのは、金沢、富山、糸魚川はJR西日本だけど、新潟はJR東日本だから、ということくらいしかない。 これで正解なのかどうか、分からない。 分かる方は、ご教示をお願いします。

 直江津で乗り換えだったが、ホームに降りたら、「高田まで行くんですけど、乗り換えは何番線でしょう?」 と老婦人から質問された。 近くに駅員がいないのである。 幸い、ホームに直江津駅全体の発着時刻表が掲げられており、それを見たら長野行き普通列車が6番線から出ることが分かったので、そう教えてあげたら、感謝されたのはいいが、老婦人は 「それじゃ、ここかしら」 と一人合点。 ここは2番線なのである。 それで、再度そのように教えてあげた。

 老婦人が勘違いしたのも無理はない。 最近のJRホームには、列車の位置を示すための番号が掲げられている。 例えば、「グリーン車は番号4番の付近に停車いたします」 という具合に。 ところがこの番号が、番線の表示と取り違えられやすいのである。 どうせなら列車位置はABCか何かで示せば紛らわしくないと思いますがね。

 私の乗る快速列車は4番線で、来るまでに30分ほどあるので、4番線でぼおっとして待つ。 首都圏や新潟駅以外でこうやって列車乗り換えのためにホームのベンチに腰を降ろしてぼおっとしているのも、ずいぶん久しくなかったような気がする。 反対側の3番線には金沢行きの特急 「はくたか」 がまもなく入るというので、団体旅行客が大挙してやってくる。 そのなかの爺さんがケータイで、「かくかくしかじかで予定が変更になって、今直江津駅だよ」 と老妻かだれかに報告している。 

 やがて快速 「くびきの」 が来たので乗り込む。 車両は特急型なので、楽である。 停車駅はだいたい特急と同じだが、長岡の一つ手前の宮内にも停車するのが違いと言えば違いか。 車掌が切符を改めに来たのも、普通の普通列車 (と言うのも変だが) と違うところか。 

10月15日(土)    *学会、そしてその前後の色々

 昨夜は金沢の夜を演奏会を聴くことで過ごしたわけだが、夕食はそれに先立って済ませていた。 宿泊したホテル 「東横イン」 は、平日に限って夕食が無料で出る。 ただしカレーライス限定メニュー。 最初は食べるつもりもなかったのだが、夕方5時ごろホテルに着いてしばらく部屋で休んでいたらだんだんおなかが空いてきて、空腹のまま演奏会に臨むのもどうかという気持ちになり、しかも夕食はタダということもあって、例のごとく貧乏性の体質が出てきてしまい、結局カレーライスを食べてから演奏会に出かけた。 カレーは、並と大盛りがあって、並と言ったのだけれど、おばさんがよそってくれるご飯はかなり量があった。 ふつうの店だと大盛りに近い。 おかげで腹いっぱいになった。

 朝食も簡略ながら無料で出る。 ふれこみではお握りだけということであったが、行ってみたらそれ以外に、普通のご飯もあるしパンもある。 味噌汁もある。 ただし惣菜はきわめて限定的で、ウィンナソーセージ、キャベツの千切り、ひじきの煮つけ、福神漬け、だけである。 そのほか、デザート用に蜜マメもあった。 あとはコーヒーとお茶。 紅茶は残念ながらない。 実用的にはしかしこれで十分である。 だいたい、朝からそんなにご馳走を食べる習慣はほとんどの人にはないわけで、バイキングだとつい豪華な朝食にしてしまうのだが、少ない惣菜でご飯を一膳半も食べれば、午前中の活動には足りるのである。

 東横インは、だいぶ前に首都圏で泊まったことがあるが、ビジネスホテルとしてはベッドの幅が広いのがいい。 ダブルに近いくらいの幅がある。 冷蔵庫があるのも便利。 ただし日本のホテルの弊で、荷物台がないのが残念。 バスルームも広くない。 しかし上記のようなサービスつきで1泊5千円弱だから、高いとは言えないだろう。 また、自動販売機の飲物類が良心的な価格であるのもいい。 例えば缶ビール350MLが210円だし、お茶の500ML入りペットボトルは120円。 いずれも近くにあるコンビニより安いのである。

 ちなみに昨夜は演奏会終了後、近くのコンビニでチリ産の赤ワイン (600円台) と軽いつまみを購入し、さらにホテルの自販機でビールを買って (ビールだけホテルで買ったのはコンビニより安いからですね)、部屋で寝酒に飲んだのであるが、コンビニの赤ワインが意外な拾い物で、うまかった。 おかげで720MLのビンを5分の4くらい空けてしまった。 それ以外にビールも飲んでいるので、やや二日酔い気味で起床した。

 というテイタラクながら、9時前にホテルを出る。 金沢大学行きのバス乗り場はすぐ分かったが、学会があるので長蛇の列。 おかげですわれない。 30分あまり立ち通しで金沢大に着く。 バス内の会話から判断して、関西から来ているゲルマニストが多いようである。 金沢は関西圏だからね。

 数年前に別の学会で金沢に来たときは会場が大学ではなかったので、金沢大の新しい角間キャンパスに来たのは初めてである。 周知のように、金沢大は以前は市の中心部の城跡にあった。

 会場は文学部などの入っている建物ではなく、自然科学系の学部の入っている建物である。 そのせいか、非常に規模が大きく、やや日本ばなれしたイメージがある作りだった。 入口を入ると天井がものすごく高く、左側にこれまたものすごく幅の広い階段があって、これを上がって学会受付に向かう。

 独文学会は、例年春 (東京) と秋 (東京以外) の2回だが、今年は大震災のせいで春の学会が中止になったので、今回の学会では分科会の数が多い。 ブース発表を別にして発表会場が6つ設けられている。 それ以外にドイツ語の教科書や独文学関係の書籍を多く出している出版社や洋書輸入店の展示・即売のスペースもある。 私は、アメリカ亡命時代のトーマス・マンに関する最近出たドイツ語の研究書を購入。

 午前中の分科会は、シンポジウム 「ハプスブルク神話とその規範をめぐって」 を聴く。 これは、マグリスという学者の 『オーストリア文学とハプスブルク神話』(邦訳あり) の問題提起を受ける形で、ハプスブルク帝国にまつわる神話的な言説と文学との関係を、金沢在住ゲルマニストを中心とする5人が論じるシンポである。 文学だけでなく建築などへの言及もあり、なかなか興味深いものではあったが、問題が掘り下げられるというよりはむしろ拡散しているような印象があった。

 午後は一般研究発表を聴く。 スイス出身で英国で画家として活躍したフュスリに言及した発表があって、私は最近あることがきっかけでこの画家に興味を持っているので聴いたのだが、発表者の方 (今村武・東京理大准教授) は時間の制限もあってあまりフュスリに触れてくれなかった。 しかしあとで私が質問したらきちんとフュスリについて説明してくださったのはありがたかった。

 この一般発表では最後に京大大学院生の宇和川雄という方がベンヤミンとクラーゲスについて研究発表をした。 宇和川というのは珍しい姓で、もしかしたら私の知っているゲルマニストの息子さんかもしれないと思った。 そのゲルマニストとは宇和川耕一さんで、私の大学院生時代の一年先輩でドイツ語能力に秀でた方であり、大学院修了後は母校の愛媛大学に戻って教鞭をとっている。 そして、このときはその疑問は解消されなかったが、翌日、午後1時で学会が終了して、私はその直後に独文学会北陸支部の集まりに出なくてはならず、その会場に急いでいる途中で宇和川耕一氏と宇和川雄氏が一緒にいるのを見かけたのである。 耕一氏のほうに声をかけてみたら、案の定、雄氏は息子さんだとのことであった。 今どきだから京大大学院生といえども定職を得るのは楽ではあるまいが、自分の職業を継いでくれる息子さんを持つとは、幸福な人だなと思ったことであった。 

 話を本日に戻す。 午後の発表が終わってから、懇親会もあるけれど私は出ないのが通例だから、バスに乗ってさっさと街なかに戻る。 金沢の繁華街である香林坊でバスを降り、しばらく街なかをぶらぶらしてから、金沢唯一のミニシアター系映画館シネモンドで映画を見る。 シネモンドはその筋では有名な映画館で、一度行ってみたいと思っていたのである。 ビルの4階に入っており、中の広さは新潟市のシネ・ウインドと同じくらいだが、ロビーがほとんどないので、外で待っていなくてはならない。 ただし外といってもビル内であり、小さい広場のようになっていてベンチもいくつか設置されているので、そこにすわって本を読んでいればいいのである。 座席は、シネ・ウインドより立派ですわり心地が良かった。 肝心の映画のほうだが、あまり期待しないで見たのだけれど、存外面白かった。 詳しくはいずれこちらで報告します。

 映画が終わってから、小雨の降るなか、歩いて駅前のホテルに向かう。 途中、武蔵が辻の、地下に食堂が集まっているビルに入り、そこの寿司屋に行ってみたが、直前で最終注文は終わったとのこと。 まだ午後9時半になっていないというのに、金沢は土曜日でも店が閉まるのが早いなと思う。

 武蔵が辻を左折して金沢駅に向かって歩いていったら、駅までもう少しというところで、斜め右後ろに向かって入る小路に寿司屋があるのを発見。 「大衆 寿司」 と銘打っている店だった。 入ってみたら、客が数人いるのはいいとして、一人客ということでカウンターに座らせられる。 私は寿司屋に限らずカウンター席が嫌いな人間なのだが、仕方がない。

 最初にビール(大瓶)とハタハタ空揚げを頼む。 ビールとお通しはすぐに来たが、ハタハタがなかなか出来てこない。 催促したらまもなく出てきた。 出るのが遅いけれど、量が比較的あって、味も悪くなかった。 ふだんならビールのあとは日本酒を2合くらい飲むのだが、昨夜赤ワインを飲みすぎていたので、自重して1合とする。 そして寿司を8貫。 しめて3300円だった。 まあ、高くはないですね。

10月14日(金)    *オーケストラ・アンサンブル金沢 第309回定期演奏会 マイスターシリーズ

  本日は2限の授業を終了後、すぐに金沢出張に出かける。 明日から独文学会が金沢であるので。 新潟駅午後1時頃発の金沢行き特急列車 「北越」。 在来線の特急列車に乗るのも久しぶりだ。 金沢までは3時間40分ほどかかる。 年に何度か行っている東京だと新幹線で2時間程度だから、長く感じるけれど、まあ急がない旅もたまにはいいんじゃないか。 時々景色を楽しみながら、新書本一冊を読了するのに十分な時間であった。

 特急列車は6両編成だが、かなり空いている。 中途半端な時間帯のせいもあるかもしれない。 途中、長岡でかなり乗ってきたが、それでも満員にはならない。 そして富山や金沢まで乗っていく客は少なく、途中の柏崎や直江津や糸魚川で降りてしまう客が多い。 少なくともこの時間帯についていえば、特急列車は新潟県内の主要都市を結ぶ役割を多く果たしているようだ。

 金沢は、昔は道路が狭くて、よく言えば旧城下町的な雰囲気を残しているが、悪く言えば都市の再開発が遅れているという印象があった。 数年前に、別の学会で金沢に行ったが――そのときは高速バスであった。料金から言えばバスのほうが安い。ただし朝と夜の2本しかないのが難点――新しい広い道路が作られている途中であったと記憶する。 今回は、道路拡張も終わったようで、駅前の様子は昔と大きく変わり、近代都市的になっている。

 駅に近いホテルにチェックインしてから、コンサートに行く。 駅前の石川県立音楽堂である。 せっかくの金沢出張だから何か音楽会を、と思ったらちょうどあったのがこれなのである。 地元のオーケストラであるオーケストラ・アンサンブル金沢の定期演奏会。 

 座席は2階脇席やや奥のほうでAランク3500円。 ただし事前にチケットを代引郵便で送ってもらったので別に500円かかった。 結果的には、当日券で間に合ったかなと。

 石川県立音楽堂は、私は初めて。 金沢駅東口を出てすぐ右手。 駅からだと雨でも濡れずに行けるようになっている。 コンサートホールはシューボックス・タイプだが、最初2階に入ったら、案外小さいかな、という印象。 それは1階席が比較的に狭いからなのだが、その代わり2階正面席が9列あり、さらに3階正面席もそれに近いくらいある。 休憩時間に3階正面席の最後尾に行ってみたら、舞台がかなり小さく見えた。 奥行きは相当にある。

 舞台正面にパイプオルガンがあるのは新潟市のりゅーとぴあと同じだが、そのオルガンの上半分は反射板で隠れている。 反射板といっても舞台横いっぱいの幅のある大きなもので、舞台前方、中ほど、奥と、長方形のが3枚並んでいる。 オルガン演奏会のときは反射板は引き上げるんだろうな。

 2階の脇席の2列目だったが (脇席は2階3階とも2列しかない)、座席は人がすわらないと少し前のめりになっていて、すわると下に足のせ板が出てくる仕組み。 りゅーとぴあの座席よりすわりごこちは良好だった。

 ロビーにはソファーや椅子がおいてあって、この点でもりゅーとぴあ (にも椅子はあるが数が少ないし3階にはない) より親切だなと思う。 それと、ロビーにひざ掛け毛布がまとめておいてあり、自由に借りられるようになっているのも親切。 それから、トイレが1・2・3階とも両脇ロビーに、つまり各階2箇所ずつあるので、これもいい。 周知のようにりゅーとぴあのホールは、3階にトイレがない。 そのために2階に降りなくてはならないし、その2階に2箇所あるトイレの入口に近いほうは混雑が激しい。 これは構造的な欠陥だと私は思っているので、うらやましいと思ったことであった。

 客の入りは7割くらいかな。 3階正面席はあんまり入っていなかったよう。 開演30分前くらいから金聖響さんのレクチャーが行われていた。

 オケの配置は、左から第1ヴァイオリン(8)、チェロ(4)、ヴィオラ(4)、第2ヴァイオリン(6)。 コントラバス(2)は第1ヴァイオリンの斜めうしろ。 ホルンを含む木管が後ろ正面。その右に打楽器。金管は第2ヴァイオリンの後ろとなっている。

 指揮=金聖響、ピアノ独奏=山本貴志、コンマス=マイケル・ダウス

 シューマン・プログラム

  「マンフレッド」序曲
  ピアノ協奏曲
  (アンコール)
  トロイメライ
  (休憩)
  交響曲第1番「春」
  (アンコール)
  ベートーヴェン:劇付随音楽「アテネの廃墟」序曲

 全体的な印象を言うと、弦の響きがあまり豊かではないな、ということ。 OEKはフルオーケストラに比べて弦楽器奏者の数が少ないのでそのせいもあるかと思うが、ホールの響きがあまりリッチではないことも関係しているかも知れない。 或いは座席の位置のせいかも知れないが、とにかく弦の音が貧弱に感じた。 別の言い方をすると、東響新潟定期はやっぱりそれなりだな、ということだろう。 もっとも大音響の箇所はまだいいのである。 問題はゆっくりとした静かな楽章で弦の貧弱さが露呈してしまうことなのである。 金聖響の音楽は、わりにダイナミズムを重視していて、ゆっくりと速い、小音量と大音量の対比を明確にしていくようなやり方なので、ゆっくり・小音量の物足りなさが目立っていたこともあろうかと思う。

 ピアノ協奏曲だが、山本貴志の音楽はロマンティック志向なのか、最初に木管が主題を提示してそれを受けてピアノが主題を弾くところではテンポがゆっくり。 そのあとでも、テンポの揺れは場所によりあるが、全体に急がない演奏となっていた。 ただ、音のダイナミックレンジがあまりなくて、顔の表情や体の動きが芝居がかっているのに比べると音での表現力はもう一つかな、という気がした。 第15回ショパン国際コンクール第4位という実績の人だが、1位や2位でなかったのは仕方がないのかな、というのが素人の酷な (すみません) 感想。

 OEKは、記憶違いでなければこれまで3回聴いている。 東京の浜離宮ホール、新潟県民会館、そして昨年の新発田市民文化会館。 それらに比べて、今回の演奏が一番物足りないという気がしたのは、本拠地であっただけに、ちょっと残念だった。

10月12日(水)    *教養科目・西洋文学の聴講について

 毎回やってますが、今回も、新潟大学の教養科目 (正式にはGコード科目) の実態をお知らせするために、私が今年度第2学期の水曜1限に開講している西洋文学LUの聴講にまつわる数値を公表します。

  定員150名、 聴講希望者303名、 競争率2,02倍

 303名の中から抽選で仮当選者150名を選び、仮当選者であらためて聴講意志確認を行った者を本当選者と認定。 聴講意志確認の手続きをとらなかったものは当選取り消し (以下の表では脱落者)。

   仮当選者の学部別残留率

       仮当選者 本当選者 脱落者  残留率(%)   
 人文    28     23     5     82,1
 教育    12     8      4     66,7
 法      6      3      3     50
 経済    22     18     4     81,8
 理     20     20      0    100
 医      4      4      0    100
 歯      2      0      2      0
 農      9      6      3     66,7
 工     47     45      2     95,7

 計    150     127    23     84,7  

 以上の数値から分かるように、歯学部生が最も態度が悪い。 もっとも母数が2と少ないので、これだけで断言するのは気の毒かもしれない。

 歯学部生を別にすれば、法学部生、教育学部生および農学部生がワースト3である。

 逆に態度がいいのが、理学部生と医学部生で、いずれも仮当選者は全員手続きを行って本当選者となっている。 第3位は工学部生。

 こうしてみると、やはり理系の学生のほうが、教養科目を取るのに余裕が少ないらしい事情が分かりますね。

 次に、第2回目の授業のときに、最初の抽選で落ちてあらためて教室に来ていた者に限定して、脱落者23名分を再抽選で選んだ。 競争率は2倍ほど。 ただし、最初の抽選で落ちたのではない学生も数名いて、これは今回の抽選の資格なしとしたので、これも入れれば競争率は2倍を越える。

 ちなみに第2回抽選で入った学生の学部別の人数は以下のとおり。

  人文 4
  教育 1
  法  2
  経済 2
  理  7
  医  1
  工  6

10月9日(日)   *最近聴いたCD

 *ヨーロッパ・オルガン曲 (女子パウロ会、TECLA FPD-021、1990年録音、ドイツ盤)

 先月上京したときに新宿のディスク・ユニオンで購入した1枚。 女子パウロ会とあって面妖な感じがするけど、まあ、普通のオムニバスなオルガン曲集ではある。 解説は日本語オンリー。 各作曲家の略歴も記載されていて便利。 演奏はドイツ人オルガニストのハンス・アンドレ・シュタム、録音はバストーニュ (ベルギー) のサン・ピエール教会のオルガンを用いている。 このオルガンは1989年建造で新しいが、平均律ではなく、キンベルガー第三調律という、オルガンに適した調律を用いている。 キンベルガーはバッハの弟子で、バッハの用いた多くの調律を記録しており、このキンベルガー第三調律は1779年に記録された最後の調律指示になり、19世紀半ばまで鍵盤楽器では最も好まれた調律なのだそうである。 収録曲は下記のとおりだが、時代の幅がかなりあって、曲風もさまざまだけど、オルガン曲としての魅力はどの曲にも備わっている。 私には6曲目のスルチンスキーのカプリッチオが特に面白かった。 解説によるとポーランドで最も重要なオルガン作曲家の一人だという。

 1.ヨハン・ルートヴィヒ・クレプス(1713-80): プレリュードとフーガ嬰ヘ長調
 2.ヤン・クリティーテル・クハー(1751-1829): 幻想曲ト短調
 3.バルダッサーレ・ガルッピ(1706-85): ソナタニ長調
 4.ヨハン・シュナイダー(1702-87): 変奏曲イ長調
 5.マルコ・エンリコ・ボッシ(1861-1925): 変奏曲嬰ハ短調
 6.ミエチスラウ・スルチンスキー(1866-1924): カプリッチオ嬰ヘ短調
 7.フロール・ペータース(1903-86): パルティータ 「わが心よ、喜びをもって奮い立て」
 8.フロール・ペータース: 典礼用ボランタリー

ヨーロッパオルガン曲

 *ゲオルク・ベーム: オルガン作品集第1巻 (ARS MUSICI、232342、2000年録音、2010年発売、EU盤)

  9月29日にゲオルク・ベームのオルガン曲集を紹介したが、東京・渋谷のタワレコで買ったもう1枚のベーム・オルガン作品集がこれ。 輸入盤で解説は独仏英蘭の4ヶ国語だが、やはり輸入元が日本語解説を付けてくれている。 この解説には、先のCDよりベームの生涯がわずかながら詳しく述べられている。
  それによると、ベームは1661年9月2日、チューリンゲン州のオーアドルフに近いホーエンキルヒェン生まれ。 父はこの町の教会でオルガニストを勤めながら教師をして暮らしていた。 1675年にその父が亡くなると、ゲオルクはチューリンゲン州の町ゴールトバッハのラテン語学校に通い、その後、そこから遠くない都会のゴータで寄宿学校に入学、さらに1684年からは名門イェーナ大学に入る。その後ハンブルクでラインケンの教えを受け、93年にはハンブルクで結婚し子供もできたが、98年にリューネブルクの教会にオルガン奏者の地位を得て、終生そこに勤務する。
  その後に曲の分析も訳されているが、ここでは省略する。
  演奏はヨゼフ・スライス、1936年生まれのベルギーのオルガニストである。 使用楽器は、ドイツ・チューリンゲン州のヴァルタースハウゼン市立教会のオルガンで、18世紀前半にハインリヒ・ゴットフリート・トローストにより建造されたものである。 音は、先のCDに比べるとあまり深みが感じられないが、もしかすると小ぶりな楽器なのだろうか。ジャケットの写真からはそうは見えないが。 或いは建物の構造のせいか、録音のせいか。
  収録曲は以下のとおり。 9月29日に紹介したディスクと同じ曲もあるが、全体的に長めの曲が多い。
 1. コラール変奏曲「主イエス・キリスト、我らを顧みたまえ」
 2. コラール変奏曲「わが愛しき神に」
 3. コラール・パルティータ「ああ、何と儚く、何と空しきかな」
 4. コラール「天にまします我らが父よ」
 5. コラール・パルティータ「讃美を受けよ、汝イエス・キリスト」
 6. コラール「今ぞ我ら祈らん、聖なる霊に」
 7. コラール・パルティータ「大いに喜べ、おお我が魂」
 8. コラール「いと高き天にはただ神にのみぞ栄光あれ」

Orgelwerke Vol.1

 

10月2日(日)    *ネーベル室内合奏協会 第63回定期演奏会

 本日は午後2時から表記の演奏会に出かけた。 新潟市ではおなじみのネーベル室内合奏協会である。 会場は音楽文化会館。

 客は8割くらいは入っていたろうか。 遅れてきた客が多かったのは、駐車場のせいかもしれない。 陸上競技場の駐車場が使えず、りゅーとぴあや県民会館の駐車場は満車。 私もやむを得ず市役所庁舎の駐車場にとめた。

  パーセル:劇音楽「妖精の女王」より
  ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンのための協奏曲イ短調F.I-61(RV523、op.58-2)
  (休憩)
  ヘンデル:合奏協奏曲ニ長調op.6-5
  バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043
  (アンコール)
  ヴィヴァルディの協奏曲から

 今回は、庄司愛さんと佐々木友子さんの二人をソリストに迎えた2曲の 「2つのヴァイオリンのための協奏曲」 が、華やいだ雰囲気があって、お二人の実力も文句なしだし、とても楽しめる演奏であった。

 最初のパーセルも悪くないけど、申し訳ないけど私は聴いていて少し眠くなってしまった。 演奏のせいではなく、曲の作りのせい。 どうも私はああいう、ゆったりとした弦楽合奏の曲を聴いていると眠くなるタチなので。 子守唄みたいに聞えるからかな(笑)。

 庄司さんと佐々木さんは、独奏者として表に立つ2曲以外でもメンバーとして合奏に加わっていた。 合奏には、奥村和雄氏と渋谷陽子さんも入っており、新潟弦楽界の重鎮が集まっているという印象。

 アンコールは、ヴィヴァルディの協奏曲 (何だったっけね、あれは) から1つの楽章が、やはり庄司さんと佐々木さんをソリストに立てて演奏された。 大満足である。

 残念だったのは、小さい子供を連れた客がいたこと。 途中で子供の声がするなとは思っていたのだが、それだけならまだしも、バッハの第二楽章では子供が客席を走り回っていた。 入場料千円の演奏会だし、そんなにシビアにしなくてもという考え方もあるかもしれないが、いくら何でもちょっと、じゃないだろうか。 未就学児童お断り、とチケットに記しておくとか、対策が望まれる。

9月29日(木)    *最近聴いたCD

 *ゲオルク・ベーム: オルガン曲集 (RICERCAR、RIC319、2011年録音、ドイツ盤)

 オルガン音楽を聴いてきて、ゲオルク・ベームという名前にぶつかった。 オルガン音楽の分野では重要な人らしく、例えば今月はじめに新潟でオルガン・リサイタルを開いたロレンツォ・ギエルミも取り上げていたが、ディスクがあまりない。 ナクソスのドイツ・オルガン音楽集には少し入っているし、探せばオムニバスもので収録しているCDが他にもあるかもしれないが、まとめて聴いてみたいという気持ちを満たすものではない。 そこで今回、東京に行ったおりに渋谷のタワーレコードで探してみたら、さすが東京、ありました。 それも2種類。 早速2枚とも購入したうちの1枚がこれ。 今年録音して発売されたものだから、出来立てほやほやである。 外盤で、解説は仏英独の3カ国語だが、輸入元が日本語解説を付けてくれているので、以下、それに拠って若干の説明を行おう。
  演奏はベルギー生まれのオルガニストであるベルナール・フォルクルール、楽器はアルクマール聖ラウレンス大教会(オランダ)のシュニットガー・オルガン。 この楽器はもともとは1646年に製作されたが、1720年代に名工F・C・シュニットガー(その父も有名なオルガン製作者)の手で抜本的な改築がなされたという。この楽器が、G・ベームが生前活動していた頃に使っていた楽器に近いと考えられているという。
  さて、肝心のゲオルク・ベーム(1661〜1733)であるが、17世紀北ドイツを代表するオルガン作曲家 (同時に演奏家) であるラインケンおよびブクステフーデと、大バッハとをつなぐ位置にあるのだという。 ちなみにベームと同じ位置にあるのが、同時代のパッヘルベル、リューベック、ハンフ、ブルーンスなどであるそうだ。
  もっとも、ベームの若い頃の経歴はよく分かっていない。 生まれは中部ドイツやや南よりのテューリンゲン地方のホーエンキルヒェン。 ここは大バッハが父を亡くしたあと一時身を寄せた兄ヨハン・クリストフ・バッハの住んでいたオールドルフからも比較的近く、ベームもバッハ一族と交流があったかもしれないという。 ベームはやはり幼くして父を亡くし、ゴータ (やはりバッハ一族が多く住んでいた)、そしてイェナと居を移す。 その後の経緯はよく分からないものの、32歳でハンブルクに現れたときには立派な教養人になっていた。 ここでのベームの活動も実は不明なのだが、このドイツ語圏きっての大都会でそれなりの修練をつんだであろう。 オルガン音楽に限ってもこの頃のハンブルクにはスヴェーリングをはじめ名匠がそろっていた。 現存しているベームのチェンバロ曲はハンブルク時代に書かれたものと推測されている。
  1697年、ハンブルクから遠くない小都市リューネブルクで聖ヨハネ教会のオルガニストが募集された。 ベームはこれに応募し、選出された。 そして1733年に72歳で没するまでこのポストにとどまったのである。 記録が多くないので、彼がここでどのような活動をしていたかは必ずしもはっきりしていない。 おそらく教会のオルガニストとしての勤めを果たすとともに作曲活動や弟子の指導にもあたっていたであろう。 残念ながら作曲された楽譜は多くは残っていない。 弟子としては、J・マッテゾンと大バッハが有名である。
  大バッハがベームの弟子であった可能性は昔から指摘されていたが、直接的な証拠がないままになっていた。 ところが西暦2004年にアンナ・アマリア公爵夫人記念図書館にあった古文書群から、重要な証拠が見つかったのである。 若いバッハの手書きでブクステフーデとラインケンのタブラチュア楽譜が筆写されており、バッハはその下にラテン語で 「ゲオルク・ベーム氏に捧ぐ、西暦1700年、リューネブルクにて」 と記していた。 15歳のバッハはベームとつながりを持っていたことがはっきりしたと言える。 また1731年、バッハが初めて自作楽譜を出版したとき、その予約者にベームが名を連ねていた。 ベームが大バッハにとって最初のオルガン音楽の師匠だった可能性は高い。
  ベームの曲は、上にも書いたように残っているものは少ない。 教会カンタータ6曲とモテット4曲が現在に伝わっている。 ほかにルカ受難曲も作曲したとされているが、残っていない。 それから、ヘンデルのものとされていたヨハネ受難曲も、実はベームの曲ではないかという説が近年有力になっているという。 これ以外にはチェンバロ独奏のための組曲が10曲、そして 「前奏曲」 「カプリッチョ」 と名づけられた単独曲が各1曲。 これ以外はオルガン曲だけである。 そのオルガン曲は、パルティータ (変奏曲) が11曲、コラール前奏曲が9曲、カプリッチョ1曲、コラールによらない前奏曲4曲、「前奏曲、フーガと後奏曲」 1曲 ―― これがすべてである。
  で、このCDだが、以下の曲を収録している。
  1.プレルディウム(とフーガ)ハ長調、2.コラール「高き天より我はきたれり」、3.コラール「我ら汝に希う、聖なる霊よ」、4〜6.コラール「汝、昼日にして光なる救世主よ」、7.プレルディウム(とフーガ)イ短調、8.コラール「最愛の神にのみ統べられし者みな」によるパルティータ、9.コラール「キリストは死の縄に繋がれぬ」T、10.コラール「キリストは死の縄に繋がれぬ」U、11〜14.コラール「わが愛する神に」、15〜16.コラール「天にまします我らが父よ」、17.コラール「天にまします我らが父よ」、18.プレルディウム(とフーガ)ニ短調 

Orgelwerke

9月27日(火)    *北陸大学不当解雇事件、教員側の事実上の全面勝訴が確定

 東京に行っていた間に、よいニュースが入っていた。 北陸大学(石川県)で不当に解雇された2教員の裁判が、事実上の原告側全面勝訴に終わったというニュースである。 以下、メールをごく一部省略するだけで掲載して、報告に代えたい。

           *

「田村・ライヒェルトを支援する会」会員各位             

皆さま方にはこれまで物心両面で大変ご支援いただき感謝しております。本日は解雇撤回裁判について嬉しい報告を致します。昨年の1審金沢地裁における勝利判決に引き続き、921日に2審名古屋高裁金沢支部において全面勝利の和解が成立しました。

田村さん、ライヒェルトさんの解雇撤回裁判は高裁に移ってから、裁判官の強い意向があって、今年の2月以降審理の傍ら和解協議が続けられていました。6月に結審となり、それ以後は復職の方向で和解協議が進められていました。しかし、これまでの審理過程から2審でも勝利の判決は確信していましたが、921日は、来春定年を迎える田村さんが最後に教壇に立つことを可能とするためにぎりぎりのタイムリミットでした。和解の骨子は以下の通りです。 

・「原告が雇用契約上の権利を有する地位にあることを認める」

  (これは、解雇無効という意味です)

 ・「被告は、本件解雇を理由とする一切の不利益な取扱をしないことを確約する」

   (これは、あらゆる待遇について一般教員と同じ取扱をすることの確約です)

 ・「被告は、原告の授業担当につき、教学側の意思を尊重する」

   (これは、授業復帰を意味します。そもそも解雇理由はドイツ語科目を廃止したので「担当する科目がない」ということでしたが、これまでの和解協議で被告理事会側は、原告が要求していた代替科目の担当について、大学教学の事項なので理事会では決められない、としていたところ、大学教学側は原告との話し合いで原告両者についてドイツ語以外の担当実績、能力に配慮し、他の科目担当を認める意向を示しました)

  ・被告は、和解金として原告2名に対し遺失収入の全額と慰謝料の支払い義務があることを認める

   (これは、論理的には解雇に関して被告理事会が自らの非を認めたことを意味します。既に1審判決で全面的に敗訴しており、心理的にも2審においてさらなる敗訴を回避するために自らの非を認めざるを得なかったと言えるでしょう)

 長い間本当にありがとうございました。予想を遙かに超える多額の支援金、多数の署名等、有形無形のご支援により原告二人はどれだけ勇気づけられたかはかりしれません。原告ともども心からお礼申し上げるとともに、喜びを分かち合いたいと思います。

9月26日(月)    *さすがタワレコ

 午前中、渋谷に行って映画を見る。 私の好きな南果歩主演だが、つまらない作品でがっかり。 そのあと東急デパートに入っているジュンク堂書店で少し本を見てから、デパート前のラーメン屋で昼食。 ラーメンと生ビールで1000円だった。

 それからタワーレコードに行ってゲオルク・ベームのオルガン作品を入れたCDがないか探してみたら、さすが東京、2枚もあったので、即買う。

 そのあと、三軒茶屋に行って映画を見て、東京での日程を終了。 三軒茶屋駅って、渋谷からだと130円だけど、新宿からだと150円なのだ。 行きは渋谷から井の頭線で明大前まで行きそこで乗り換えたのだが、帰りは新宿に直行してそこからJRに乗るつもりが、帰りに三軒茶屋駅で切符を買おうとしたら渋谷のほうが安いので、新幹線の発車時刻までには余裕があったこともあり、また明大前で乗り換えて渋谷経由で東京駅に向かったのであった。

9月25日(日)    *バイエルン国立歌劇場来日公演 ワーグナー 「ローエングリン」

 本日は午前中から昼過ぎにかけて渋谷のシネマヴェーラで中平康特集2本立てを見た後、NHKホールでオペラを聴く。

 放射能を恐れて来日を拒否した団員が少なからず出たなどと日本でも報道されたバイエルン国立歌劇場 (正確にはバイエルン州立歌劇場だろううが、公演パンフレットでの表記に従う) だが、どうにか来演にこぎつけたよう。

 海外歌劇場の公演も、東欧あたりの歌劇場だと安くて心理的な抵抗も少ないのだけれど、英独仏伊といった国の一流どころだとバカ高くて困ってしまう。 今回、私はBランク席だったが、43000円。 くわえてパンフが3000円。 とほほほ、泣けてくる。 一昨年ボリショイ・オペラを東京で聴いたときはS席が40000円だったのに、やっぱり中欧と西欧は物価が高い。 また、パンフが3000円というのは、私的には最高記録かな。 これまでは1980年代初めに上野の文化会館にカラヤン+ベルリン・フィルが来たときの2000円が最高。

 それにしてもこのパンフ、今回来日でやる3演目が一緒なのは仕方がないとして、19人のドイツ人や日本人の挨拶文が当人の写真入りで冒頭に並んでいるのが壮観、というより本音では 「やめとけ!」 と言いたいところ。 バイエルン州首相やバイエルン国立歌劇場の総裁、日本の外務大臣や文化庁長官ばかりか、協賛企業 (キャノン、大和ハウス、王子製紙、清水建設・・・・) のエライさんがみな文章を寄せているのだ。 なんだ、こりゃあ、って感じ。 まあ、それでも協賛企業のおかげでお金のかかるオペラ公演も安い入場料で楽しめるというなら我慢もしようけれど、B席43000円でパンフが3000円で、そりゃないだろう、と悲憤慷慨。 いったい協賛企業っていくら出しているんだろうか。

 会場のNHKホールに行ったら、席は2階の中央より左寄り最後尾。 舞台の遠いこと! これで聞えるのかいなと不安になったが、さすが一流の歌手がそろっていたせいか、ちゃんと聞えた。 また、幸いなことに私の直前3列分は座席が空席だったので、前客の頭が邪魔になることもなかった。

 指揮=ケント・ナガノ
 演出=リチャード・ジョーンズ
 合唱指揮=ゼーレン・エックホフ

 ハインリヒ王=クリスティン・ジークムントソン
 ローエングリン=ヨハン・ボータ
 エルザ=アミリー・マギー
 テルラムント伯爵=エフゲニー・ニキーチン
 オルトルート=ワルトラウト・マイヤー
 王の伝令=マーティン・ガントナー
 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
 バイエルン国立歌劇場合唱団

 開演前に家の図面のようなものが舞台上に提示されている。 オペラが始まると、この図面をもとにした家作りが始まり、第1幕では土台、第2幕では1階の壁が積み上げられ最終的には2階の屋根までできあがるようになっている。 そして第3幕ではその家の中でローエングリンとエルザの会話が進行するのである。

 エルザは当初からこの家作りに従事している。 だから作業着姿で、公国のお姫様みたいには見えない。 ローエングリンも、青色の床屋さんみたいな上っ張りを着ていて、「白鳥の騎士」 のイメージからは程遠い。また、もともとローエングリン役に予定されていたヨナス・カウフマンが来れなくなり、ヨハン・ポータが代わりにこの役を務めたわけだが、声はともかくとして、すごく太った人なので (むかし大相撲にいた小錦を連想)、やはり 「白鳥の騎士」 というスマートなイメージには合わない。 ちなみにパンフにはカウフマンでの上演写真が掲載されており、こちらはなかなかイケメンで体つきもすらりとしていてかっこいいんだけどね。

 まあ、外見的なことはともかく、主要な役柄の歌手はみな声量もあり、私の席でも十分に楽しむことができた。 また、トランペットによるファンファーレの場面では、NHKホール右側の壁上にあるパイプオルガンのところに奏者が並んで音を響かせるので、なかなか迫力があった。 オケも、問題は特になく、充実した響きを聞かせてくれた。

 舞台上には家以外に高い歩道橋のような部分が設けられており、合唱はしばしばそこに上って歌っていた。 また舞台は前方が途中の仕切り (上から降りてくる) で区切られることも多く、その背後になる家作りがその間に一気に進行するようにできていた。

 そういうわけで、ほどほど満足して帰途についたのではあるけれど (正確には、このあと銀座の映画館で昨日に続いてレイトショーを見た)、それにしてもこの値段は何とかならないかなあ。 満席にならなかったのもむべなるかな、という気持ちである。 もっとも、出演者の表と一緒に渡されたチラシには、来年の一流外国オペラ来日公演8演目分を今から全部まとめて予約する客を募集する旨のものがあった。 むろん金額的には (8演目だから) ウン十万円になるわけで、お金持ちじゃないと無理だろうと思うのだが、チラシに書かれた説明によると、そうやってあらかじめお金を集めないと海外一流オペラを呼ぶのが難しいのだそうである。 まあそうなのかな、とも思うけど、こんなに高いものを無理に呼ばなくたって、と考えちゃうのは金持ちならざる者の僻みか。 オペラって、そういう意味ではしんどい芸術だよね。 そういえばワーグナーだってバイエルンの若い国王からかなりカネを援助してもらい、それが国家的な問題にもなったわけだし。 うーん・・・・

9月24日(土)    *カレー屋さんでデート?

 本日は午前中は墓参に行き、そのあと新宿のディスクユニオンでまたオルガン関係のCDを買い、午後は浅草の名画座で昔の邦画3本立てを見る。 それに先立って浅草の映画館に行く途中にある 「スタミナ中華」 という店でラーメンを食ったが、以前にも書いたことがあるけれど、この店は結構うまい。 値段も500円で安い。 昨日逗子駅の近くで食べたラーメンは600円だった。

 映画館を出ると6時を過ぎている。 それから有楽町に行って駅脇のカレー・チェーン店で夕食としてカレーを食べる。 ついでにビールも。 このチェーン店は、缶ビール350mlが250円という良心価格なのがいい。 サラリーマンの利用が大半かと思いきや、若い男女のカップルがいて、空いている時間帯のせいもあろうが、食べた後も座席でいちゃついていた。 デートの場所にもなっているとは知らなかった。

 それから銀座の映画館でレイトショーを見て、本日の日程終了。

9月23日(金)    *アフタヌーンコンサート 松田理奈+川田健太郎      

 逗子に来たのは初めてだった。 東京からJR横須賀線で1時間少々、鎌倉駅の次。 今回宿泊した老母宅のある船橋からは総武線が横須賀線に直通しているので電車1本で来れるのであるが、1時間半ほどかかる。 演奏会の時間と合わせると、往復で1日近くつぶしてしまう。

 目的は、逗子文化プラザのなぎさホールで午後2時から行われる松田理奈さんのリサイタルを聴くこと。

 横須賀線は久里浜が終点だけど、東京方面からだと逗子で終点になる電車が多く、久里浜まで行く場合でも東京からの編成が一部切り離されて短くなるので、ホーム数の多い大きな駅かと思っていたら、3番線までしかない。 駅前広場もさほど広くはなく、銀行などもあるが、首都圏とはいえ人口数万人の地方都市の感じ。 広場正面に魚屋さんがあるのが、海の近くらしい。 スーパーみたいにパックされた切り身じゃなくて潮のにおいのする魚が並んでいるのが何となくなつかしい。

 少し早めに着いたので、駅前広場からすぐの中華料理屋で昼食としてラーメンを食べた。 老夫婦でやっている店のせいか、昭和三十年代を思わせる古いタイプのラーメンで、以前ぶりちょふさんのクルマに同乗させてもらって米沢に行ったとき途中の喜多方で食べたラーメンを想起させる。

 目的地・なぎさホールのある逗子文化プラザはそこから歩いてすぐ。 開演30分前より早い時刻に着いたので1階ロビーでベンチにすわって本を読んでいたら、隣りにすわっているご婦人らが 「カトリック新聞で云々」 という話に興じていた。 湘南マダムだけあって瀟洒な(?)カトリック信者が多いのだろうか。 もっとも、この人たちは私とは目的が別で、1階のホールであった他の催しに向かいました。私の目的であるなぎさホールは、2階なのである。

 なぎさホールは定員が570名ほど。新潟で言えば音楽文化会館よりわずかに多いくらいだが、ホールは横幅があり、また座席の傾斜も音文より急で、おまけに舞台がフルオーケストラでも大丈夫なくらい縦横ともたっぷりとってあるので、音文よりかなり広い印象がある。 私はM列 (つまり13列目) の20番。 だいたいホール中ほどやや右寄りといったところ。 ネットで予約したのだが、座席が選べるので、音のよさそうな中ほどを選んだもの。 3500円。 ちなみに、このホールではロビーでビールを含めて飲物も提供している。 ビールを飲みたくなったものの、演奏会途中で眠くなるといけないと思い、自粛。

 意外なことに、客の入りはさほど良くなく、半分程度。 逗子の人はクラシック音楽に興味がないのか、連休初日だから皆遠くに出かけてしまったのか、或いは松田理奈さんの演奏会は数が多いので今回を逃しても大丈夫だからなのか。
 それはさておき、松田さんは黒のドレスで登場。

 ヴァイオリン=松田理奈、ピアノ=川田健太郎

 ヘンデル: ヴァイオリンソナタ第4番ニ長調op.1-13
 ブラームス:ヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」
 (休憩)
 コレッリ:ヴァイオリンソナタ「ラ・フォリア」op.5-12
 クライスラー:ロンドンデリーの歌
 クライスラー:フニャーニの主題による前奏曲とアレグロ
 コルンゴルト:バレエ音楽「雪だるま」よりセレナーデ
 サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
 (アンコール)
 2曲 (曲名不明)

 まず、松田さんのヴァイオリンの音。 パンフによると楽器はNPO法人から貸与されているグァダニーニだそうだが、深みのある実に美しい音を聞かせてくれる。 中低音から高音に至るまでたおやかな印象のある美音。 音量も十分。 ホールや座席の位置も良かったのかも知れないが、音については文句なし! 技巧もしっかりしている。

 で、弾き方だが、どちらかというとあまり急がずに、じっくりと曲を聞かせる演奏と言えるだろう。 最初のヘンデルではそうした松田さんの特質がよく出ていた。

 問題は次のブラームス第1番。 本日のメインでもあるが、この曲、難しいと私は思っている。 つまり、曲の性格をどうつかみどう表現するかが難しいのである。 ブラームスでも3番だと激情の表現ということで迷う余地がないのだが、この第1番では叙情か、主観性の表現か、部分部分によっても異なるし、全体としてどうまとめるかも厄介。 その点、どうだったろうか。 上手に弾けてはいたけれど、自分なりに 「この曲はこうなのよ」 というのが出せていたかどうか。 聴いていて途中ちょっと気分が散漫になってしまったのだが、その点が不十分だったからではないか。 松田さんの音楽は南紫音さんみたいな気迫を前面に出した演奏ではなく、ややおっとりしているところがあるので、それが裏目に出たかな、という気もした。 いや、ちゃんと弾けているんだけどね。 それだけじゃ足りないという話なので。

 というわけで、前半は少し物足りないかという気が。 ロビーでCDを売っており、終演後サイン会があるということだったが、休憩時間は買わずじまい。

 しかし、後半の小曲集になったら俄然よくなった。 短めの曲のほうがコンセプトがつかみやすいということもあるのか、音の魅力を遺憾なく発揮しつつ、ヴァイオリン音楽の真髄を存分に伝えてくれる。 最後のツィゴイネルワイゼンでも、細かくテンポを揺らしながら曲を完全に自分のものにして表現していた。 文句なし!
 
 アンコールのとき、逗子の鈴木メソッドに通い始めたのがヴァイオリン音楽に入ったきっかけだったというお話があった。 アンコールが二曲。 曲名は分からなかったが、2曲目はちょっとジャズっぽいリズムに乗せて、髪を振り乱しながら感情をこめた演奏。 そう、こういうところが前半から出ていたら、もっとすばらしい演奏会になっていただろう。

 ピアノの川田健太郎さんは松田さんとあまり年齢の違わない若さで、芸大付属高校からモスクワ音楽院卒業という経歴。 今回の伴奏も見事であったが、ブラームスではやはりもう少し自己主張があっても良かったかなという気もした。

 あと、プログラムへの注文であるが、後半はもう1曲か2曲ほしかったところ。 最初のプログラムでは 「ロンドンデリーの歌」 が入っておらず、さすがに短いということでか追加されたのであるが、これを入れて後半が30分だから、量的にはやや物足りない感じもあった。

 それはさておき、演奏会後半で気分が変わってサイン会に。 CDは何種類かあったが、ラヴェルの曲を集めたものを買う。 松田さんは、容姿のせいもあってちょっとアイドルっぽいイメージで捉えられがちなのだけれど、イザイの曲集のCDも出しており、自分なりの特性をしっかりアピールしているのである。 南紫音さんを初め、若くて美人でおまけに実力も抜群というヴァイオリニストが増えているのは、大変いいことだと思う。 終演後のロビーはサイン会に並ぶ客で長蛇の列。 松田さんにCDパンフと演奏会パンフと双方にサインしてもらい、ピアノの川田さんにも演奏会パンフにサインしてもらって会場をあとにした。

 昨夜のアンスネスの演奏会ではメランコリックな気分で会場を後にしたのであるが、本日は、若い美人ヴァイオリニストがたくさん (松田さん、南紫音さん、Qエクセルシオの西野ゆかさん、その他) いる日本はきっと大丈夫、と訳の分からない楽観的な気分に包まれて駅に向かった。 その気分のまま、帰りは (始発だから普通車でもすわれるけれど) グリーン車を奮発し (といっても750円だけど)、売店でビールも買って、船橋までの1時間半、2階建てグリーン車の2階から下界(?)を見下ろしてビールを飲みながら、貴族になったような気分で過ごした。

9月22日(木)    *レイフ・オヴェ・アンスネス ピアノリサイタル

 上京する。 御茶の水のディスクユニオンに行ってオルガンのCDを5枚ほど買ってから日比谷で映画を見、そのあと表記の音楽会に。

 会場の東京オペラシティ・ホールは満席に近い入り。 私の座席は一階13列目の右端から3つ目。 Sランクで8000円。 パンフは無料配布なのが良心的。

 左隣りが一人客の老婦人。 たぶんもう80歳にはなっているであろう。 座席に腰を降ろすときもゆっくりで、体がなかなか思うように動かない様子。 知り合いらしい中年婦人が近くにいて開演前に話をしていたが、ご主人に先立たれ子供も独立して現在一人暮らしのよう。 やっぱり老齢化社会かなあ、なんて思う。 ちなみにこの方は演奏中に変な音をたてたりすることは一切なく、マナーは良好であった。

 やはり近くの座席に新潟市のCDショップ・コンチェルト勤務のSさんそっくりの方がすわっていた。 実は最初てっきりSさんかと思い、お顔をじっと見つめていたのであるが、反応がないので、他人の空似かと。 しかし空似と言うには似すぎている。 もしかしてSさんは実は双子で、その片割れが東京に住んでいたりして・・・

閑話休題。アンスネスはダークのスーツにネクタイという、ビジネスマンみたいな格好で登場。 私はアンスネスのCDは若い頃に弾いたシューベルトのソナタ集2枚組を持っているだけ。 今は41歳だけあって中年の風貌に。

 ベートーヴェン:ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」
 ブラームス:4つのバラードop.10
 (休憩)
 ショパン:バラード第3番
      ワルツ第13番変ニ長調op.70-3
      ワルツ第7番嬰ハ短調op.64-2
      ワルツ第11番変ト長調op.70-1
      ワルツ第5番変イ長調op.42
      夜想曲第17番ロ長調op.62-1
      バラード第1番ト短調op.23
  (アンコール)
 ショパン:プレリュードop.28-17
 グリーグ:叙情小曲集より、ノルウェーの農民行進曲
 グリーグ:叙情小曲集より、春に寄す

 まず音であるが、それがアンスネスの特徴なのか、会場のせいか、座席の位置のせいかは分からないけど、響きがありすぎて、音の芯があまり感じられない。

 最初のワルトシュタイン・ソナタは、まあオーソドックスな演奏で、結論から言うとこれが一番よかったと思う。 テクニック的にもまったく問題なし。
 次のブラームスだが、若書きの、部分的には面白いんだけど退屈なところもある曲。 今回聴いた印象では、どちらかというと退屈さが勝っていたかな。 アンスネスは変な小細工はしない人なので、曲の素地がそのまま出ているような気がした。

 後半はショパン・プロ。 私はショパンはあんまり好きじゃないんで、オール・ショパン・プロなんていうとまず行かないんですけど、半分ならまあいいか、ということで。でもここに来て音の問題が顕在化したような。 ベートーヴェンの場合はまだ打鍵が強かったから音の芯がある程度感じられたのだが、ショパンではそうではなく、響きはあるけれど芯がない音。 それと、誤解を生みやすい言い方かもしれないが、私見ではショパンは興行師的な弾き方をしないと魅力が出てこないんじゃないかと思うのであるが、アンスネスは興行師――私が今まで聴いたピアニストの中では、ケマル・ゲキチなんかそういうタイプじゃないだろうか――からは遠い人なので、どうも面白みがないのだな。

 そういう意味では、シューベルトとか、ブラームスなら晩年の小品集とかを弾いてくれたほうが、という印象だった。 アンコールのグリーグはなかなかよかった。

 しかし、演奏会終了後なんとなく憂鬱になり、CDを買ってサイン会の行列 (長かった!) に並ぶ気にもなれず、そそくさと会場を後にした。

9月21日(水)     *クァルテット・エクセルシオ・ベートーヴェン連続演奏会(1) 

  一昨年のハイドン、昨年のモーツァルトに続いての、クァルテット・エクセルシオの3回連続演奏会シリーズ。 今年はベートーヴェン。 スタジオAは、前回とは異なり後ろ半分は階段状の座席となっていた。 その階段状の部分の右寄り1段目に座席をとる。 台風の日だったけど、聴衆は60名くらいいたろうか。

 オール・ベートーヴェン・プログラム (1)「新たなる時代」

  弦楽四重奏曲第3番ニ長調op.18-3
  弦楽四重奏曲第4番ハ短調op.18-4
  (休憩)
  弦楽四重奏曲第6番変ロ長調op.18-6
  (アンコール)
  弦楽四重奏曲第13番変ロ長調op.130より第4楽章

 いつものように開演に先立ってチェロの大友肇さんのお話があった。 ベートーヴェンのカルテットというとやはり中期や後期が注目されがちであるが、近年の若い四重奏団はベートーヴェンの初期カルテットに興味を持つ傾向があるとのこと。 また、有名なラサール弦楽四重奏団が解散したとき、その理由として挙げられたのが 「ベートーヴェンの初期の作品がうまく弾けなくなったから」 だったそうである。 つまり、若い頃の作品だから簡単だとか解釈が容易だとは言えないということであろう。

 今回の演奏会を聴いてみて、それが一番実感として感じられたのは最初の第3番だった。 弦楽四重奏曲の作りで一番分かりやすいのは、第一ヴァイオリンがメロディを弾いて他の三人が伴奏役、というのだろう。 だけどこの第3番はどれが主旋律でどれが伴奏なのか、よく分からない作りになっている。 四人の奏者の扱いが非常に複雑で多元的、場面により変幻自在、つかむのが難しいのだ。 ディスクで聴いているだけだとそういうことがよく分からなかったのであるが、実演を聴くと 「どういう発想で作られたのかな」 と謎が深まる感じ。 もっとも初期の6曲では次の第4番と第6番は比較的よく演奏されるが、第3番はそうでもないので、聴き慣れていないからということもあるかもしれないが。 そういうわけで、この最初の第3番が、一番謎めいていて面白く聴けた。

 演奏はいつものとおり、まったく危なげがなくて充実。 最初の大友さんの解説でもそうだったが、最後のアンコール直前の、第一ヴァイオリンの西野ゆかさんの挨拶でも、台風にもかかわらずこんなにたくさんのお客様が来てくれて、というフレーズがあった。 だけど、私に言わせると、新潟市民80万人のうちたった60人しか来ていないことに慙愧の念を覚えたのである。 せめて100人くらい来て、「スタジオAでは狭いね」 と言われるくらいになってほしいもの。

アンコールは、次回の予告ということで、作品130の一部が演奏された。 終演後サイン会もあり、パンフレットにサインをもらって満足して帰宅した。

               *              *

          *自業自得

 読売新聞ニュースより。 思うんだけど、こういう市長を選んじゃった小金井市民の自業自得、ってことじゃないの。 呉智英氏言うところの、民主主義のダメさなんでしょうね。

 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110921-OYT1T00352.htm?from=main6 

 市長の発言が危機招く…小金井のごみ行き場なし

 自前のごみ焼却場を持たず、周辺自治体に可燃ごみの処理を頼っている東京都小金井市が、今年度分をまかなう量の引受先がいまだ決まらず、危機的な状況に陥っている。

 背景には、今年春に初当選した佐藤和雄市長が、「ムダ使い」「ごみ処理4年間で20億円」などと選挙戦で主張し、周辺自治体に委託費を払い始めた2007年度以降の可燃ごみ処理費増を批判したことなどに端を発した周辺市との摩擦がある。佐藤市長はおわびに奔走しているが、最悪の場合は「収集ストップ」もあり得るとして、市は10月上旬、緊急のタウンミーティングを開いて市民に現状を報告する。

(これ以降の記事内容は、上記URLからごらん下さい。)

9月20日(火)     *こないだ遠山茂樹が死去したので――図書館の蔵書について

 こないだ歴史学者の遠山茂樹が死去したので、昭和史論争の本を読んでみようかとふと思い、調べてみたら大門正克 『昭和史論争を問う』(日本経済評論社) という本があった。 だけど、新潟大学では所蔵していない。 新潟市立図書館にも、新潟県立図書館にもない。

 仕方がないので自分の研究費で注文しておいたのだが、本日、版元品切れで入荷しませんという通知が図書館から来た。

 それでネット上の古本屋で探してみて、在庫のある某店に注文を出した。 自分の金で買ってもいいのだけれど、いちおう大学である新潟大が所蔵していないというのもマズイんじゃないかと思ったので、校費注文とした。

 OPACで調べると、日本の大学でこの本を所蔵しているところは184に及ぶ。 日本の大学はもっとはるかに数が多いだろうと言う人もいるだろうが、OPACのネット網に入っていない大学も少なくないから、184というのは所蔵館数で言うとかなり多いほうである。 厳密に調べたわけではないが、100を越えたら多いほうに入るのではないかと思う。

 まともな大学はほとんどこの本を所蔵している。 具体的に言うならば、旧帝大といわれる7大学には全部あるし、国立ではほかに一橋大、筑波大、神戸大、広島大などの有力大学はどこも所蔵している。

 公立大の東西の雄である首都大と大阪市大にもある。

 私学でもMARCHといわれる五大学はどこも所蔵しているし、上智や学習院もそうだし、関西の関関同立も同じである。 (なお、私学の雄である早慶はOPAC網に入っていない。)

 国立は、しかし、旧六クラス (新潟大もそこに入るわけだが) になるとガタっと (音がするわけじゃないけど) 落ちて、金沢大と熊本大にしかない。 この辺が、日本の国立大の課題なんじゃないだろうか。

 なぜ入れておくべき本が図書館に入っていないか、これも厳密にはきちんと調べないと結論は出ないだろうが、人の問題とシステムの問題と両方あるのではないかと思う。  『昭和史論争を問う』 ならば、歴史系の教員が図書館に入れておくように配慮すべきじゃないかと考えますけどね。

 こういうことは新潟大にはわりにあって、以前ここに書いたことがあるけど、西洋音楽社会史のシリーズ本が全然入っていないので、私が要求して入れてもらった。 新潟大は教育学部に音楽の専門家が何人もいるはずなのに、である。

 ちなみに、私の漠然とした印象だけれど、旧帝大のなかでは大阪大と九州大が図書をよく揃えているという感じがしている。 西高東低か? ただし西でも京大はさほどでもないように思う。 あくまで私が興味を持てる本に限っての印象ですけどね。

9月18日(日)     *最近聴いたCD

 *ブクスハイム・オルガン曲集 第1集 (NAXOS、8.553466、1995年録音、製作国不明)

  ナクソスから3巻で出ているオルガン曲集の第1巻。 下にジャケット画像を載せたが、そこからも分かるように、英語のタイトルは 「オルガン・エンサイクロペディア」 となっている。 演奏はジョセフ・ペイン。 先月、戸田書店南新潟店にて購入。 この第1巻は短い曲を37曲収録。 「ベネディクトゥス」などの宗教曲と、恋を歌った世俗曲と、双方が含まれている。 中世・ルネッサンス的な曲が多く、現代人には必ずしも親しみやすくはないが、ヨーロッパ・オルガン音楽の伝統を考えるときには、無視できない曲集と言える。

 さて、ブクスハイム・オルガン曲集とは何か? この点については、以下で英語とドイツ語の解説を訳すことで説明に代えたいと思う。

 このCDには英仏独三ヶ国語で解説がついている。 まず、英語の解説を訳す。 演奏者のジョセフ・ペインによるものである。 (フランス語の解説は英語版を簡略にしたもののようである。) 

  15世紀はオルガン音楽史上きわめて豊穣な時代であった。 特にドイツにあってはそうで、オルガン音楽の楽譜も前世紀に比べると格段に増えた。 しかし断片的なものや教育目的のものも多く、二つだけが真正のオルガン音楽専用曲集となっている。 おそらく最も重要で、確実に最大の曲集は、ミュンヘンのバイエルン王国のライブラリー250点以上を含むコレクションである。 この曲集は、その時代に至るまで鍵盤楽器用として知られたあらゆる範疇の音楽を掲載している。 単旋律のグレゴリオ聖歌による礼拝用小品、フランダース地方・ドイツ・英国起源の歌やモテットの写譜、前奏曲と教育目的の小品などである。 おそらく教会のオルガニストの教本として使われていたのであろう。
  1883年までこれらの楽譜は、バイエルン地方イラー河畔にある小さな町のカルトゥジオ会修道院に保存されていた。 その町の名を冠した『ブクスハイム・オルガン曲集』は、少なくとも八人の異なる人物によって1450年から1470年の間に、多分ミュンヘンにおいて筆写された――ただし最初の124フォリオ〔4ページ〕は一人の人物により写譜がなされている。 〔そのあと3行分省略〕
  コンラート・パウマンConrad Paumann (1410頃〜1473年) は、当時国際的に最も重きをなした音楽家であるが、この曲集の中には一度しか出てこない。 しかし、彼が収録作品の多くを自身で作曲しているのではないにせよ、この曲集において重要な位置を占めていることを推測させる多くの間接的な証拠がある。 彼は盲目だったので、自分で楽譜を筆写することはできなかった。 したがって彼の弟子たちが写譜などにおいて大きな役割を担ったと想像しても誤りではあるまい。 この曲集はまた、よく知られていたポリフォニーのアンサンブル小品、すなわちDunstable、Binchois、Ciconia、Dufaye、Morton、そしてFryeの作品を、アレンジしてタブラチュア式楽譜として採録している。 これら有名作曲家の名は、記されていることもあるが、そうでない場合が多い。 それから今日ではその素性が分からない人名もある。 そして、例えばPutenheimやGoetzやBoumgartnerらが、鍵盤楽器に改作された元曲の作曲家なのか、それとも最初から鍵盤楽器用の曲として作曲した人物なのかは、現在では確認するのが難しい。
   『ブクスハイム・オルガン曲集』は、鍵盤楽器曲が最初に興隆を迎えた時期に持っていたスタイル上の多様性を示しており、次の新しい時代を先取りするような面は少ない。 ゴシックの響きを想起させる。 特にカントゥス・フィルムス〔キリスト教会の古い単旋律歌〕による曲は、ノートルダム・オルガヌムに由来する部分を含んでいるように見える。 〔このあと、曲の細かい技法分析や、使用楽器についての話が続くが、省略。〕

 次にドイツ語解説。 テレーザ・ピーシャコン・ラファエルによるもので、英語の解説とは少し内容を異にする。

  1451年、ミュンヘンのアルブレヒト三世公爵は、何度かの要請ののち、ニュルンベルクのオルガンの巨匠コンラート・パウマン(1410〜1473年)を自らの宮廷に招くことに成功した。 公爵妃アンナも、夫の音楽好きに同調して、音楽家の妻をもミュンヘンに来させるべく自らの影響力を駆使した。 なぜなら妻は、かつてニュルンベルクの市役所で夫との盛大な婚約式をした際に、市長と市役所の同意なしではニュルンベルクを離れないという約束を結んでいたからである。 1451年の夏、ようやく音楽家夫妻は帝国直属自由都市ニュルンベルクに対する義務から完全に解放されたのであった。
  コンラート・パウマンは、バイエルンの首都が迎えた最初の世界的名声を持つ音楽家であった。 この音楽家は1410年にニュルンベルクに生まれたから、このときおよそ40歳であったと思われる。 人々は彼の正確な暗譜を賞賛したが、それはおそらく彼が視力を持たないことと密接に関係していたのであろう。 彼は生まれつき盲目だったからだ。 人々はまた彼の卓越した演奏技巧を賞賛した。 彼がどれほど高い名声を誇っていたかは、ニュルンベルクのマイスタージンガーであったハンス・ローゼンピュートの次の言葉が証明している。 「彼には神がかくのごとき恩寵を与えたり/彼こそあらゆるマイスター中のマイスターになるという/彼の五感のうちには/音楽の甘き調べが住みついている」。 別の人たちは彼をこう呼んだ。 「奇跡的な盲人」と。
  レーゲンスブルクの帝国議会(1471年)において、アルブレヒト三世の後継者であるアルブレヒト四世は、このオルガニストを議会に参集したお歴々にに紹介した。 マントゥアの公爵は彼に金糸を織り込んだ服を贈りすらした。 彼に騎士の位が授けられた際には、握りの部分に金メッキを施した剣が与えられた。 年代記作家の伝えるところでは、彼の演奏会にはあらゆるところから人々が押しかけ、皇帝フリードリヒ三世ですら、多くの諸侯や貴族を伴って盲目の音楽家に来臨の栄誉を与えた。 それにもかかわらず、パウマンは多くの盲人と同じく猜疑心が強く、同業者から嫉妬のあまり毒殺されるのではないかと恐れていた。 1473年1月24日、彼はミュンヘンで亡くなった――自然死である。 彼の墓は、今日でもミュンヘン聖母教会(彼の最後の仕事の場)のオルガンのパイプのところに見ることができる。
   彼の名、或いはイニシャルで残されている作品はわずかしかない。 彼の即興的な作品と教育に用いた文献『オルガンの基礎』の一部は、『ローハムの歌の本』の付録に、また別の一部は『ブクスハイム・オルガン曲集』の中に残っている。 後者は15世紀における最も浩瀚で内容的にも重要なオルガン音楽写本である。 この本では彼の名は一度しか、イニシャル (MCP = マイスター・コンラート・パウマン) も二度しか出てこないが、音楽の基本線にさまざまな装飾音をつける方法を教えるこの本に基礎的な枠組みを与えているのは彼である。 この本はイラー河畔のブクスハイムにあるカルトゥジオ会修道院に保存されていた(そして1883年に競売にかけられた)。 筆写されたのは1460年と1470年の間と推測されている。 写本はパウマンの至近で行われたのであろうし、ミュンヘンである可能性が高い。
   写本は9分冊から成り、全部で258の曲を含んでいる。 歌謡もあれば元からのオルガン曲もあり、宗教曲も世俗曲もあり、たいていは三声から成り、二声も比較的多いが、四声は稀である。 最後の分冊は別にして、大体は一人の筆写者の手になる。 〔以下、楽譜の書き方についての説明があるが、省略。〕
   『ブクスハイム・オルガン曲集』の最も大きな意義は、それがドイツの歌を数多く含んでいることである。 数で言うと102になる。 そこに、同様にドイツの産物であるが、27の自由な形式のオルガン曲が加わる。 両者を合わせるとこの曲集の半分以上を占める。 それ以外では、フラマン、フランス、或いは英国起源の曲である。 〔以下、上の英語解説の第三段落でも挙げられていた作曲者名が挙げられているが、省略。〕

 

Das Buxheimer Orgelbuch, Vol. 1

 

9月15日(木)    *9月中旬は夏なのです、今は

 昨年の猛暑は記憶に新しいところだが、今年も、新潟で言うと、8月下旬は少し涼しかったが9月になると盛り返してきて、昨年ほどではないとはいえ、連日最高気温が30度を超える日が続いている。 

 何でそんなことを今さら書くかというと、本日万代シティに映画を見に行って、その直前に昼食を取ろうとバスセンターの立ち食い蕎麦屋に行ったら、冷麺がなくなっていたからである。 夏には冷そばと冷うどんもあるはずなのに、店の人に聞いたら 「終わりました」 とのこと。 要するに、もうメニューに含まれていません、来年の夏までは、という意味であろう。

 ええっ、という感じだった。 本日も30度を越している。 こんな日には熱いそばやうどんは食べたくないのである。 しかし、冷麺がないとなると仕方がない。 イカ天ぷらうどんにした。 これは私の好物なのではあるが、こういう暑い日に食べると汗が吹き出てきてやりきれない。

 私が考えるに、この店の店主は、9月中旬は秋だと今でも思っているのではないか。 たしかに、新聞の気温欄をみると、ここのところの平均気温、つまり9月中旬の新潟市の過去から現在に至るまでの平均気温は、最高気温が26度、最低気温が19度程度となっている。 この平均気温で判断するなら、9月中旬は初秋と言ってもいいだろう。

 しかし、近年、この平均気温は全然あてはまらなくなっている。 上にも書いたように、新潟市は9月に入ってずっと最高は30度を越えているし、最低気温もここ数日24度程度である。 つまりかろうじて熱帯夜にならない程度の最低気温なのだ。 これは、立派に夏なんですよ。

 もう一度繰り返すけど、昔の9月中旬は秋だったけど、今の9月中旬は夏なのである。 たかが立ち食い蕎麦屋であっても、この辺の変化を読んでメニューを用意してくれないと困るのである。 よろしくお願いします。

9月14日(水)     *大学を大衆の手から守るべし

 独法化以降、日本の大学は環境が悪くなる一方だが、そういう問題はあくまで大学人の問題であり、一般には共有されていない。 もう少し分かりやすい言い方をするなら、一般ピープルは大学のことなどに興味がないし、コンピュータの性能は世界二位でどこが悪いといった元キャスターの女性大臣並みの無知蒙昧の中にいるということである。

 こういう大衆に媚びるのはやめようじゃないか。 どうせ大衆には大学や学問のことなど分からないのだ。 分からない、という前提で選良が物事を考えて決めていくしかない。 国会議員や大臣が選良たりえるかは、日本にあってははなはだ心もとないところだが、選良に値するような人材に大学人のほうからアプローチしていくしかないんじゃないだろうか。

 こんなことを考えたのも、一つには毎日新聞の記事 (下記引用) のせいだけれど、これは大学だけじゃなく小学校から大学院までを含めての話だからまだ一般ピープルには話が通じやすいだろうけれど、私が上のようなことを書いたのにはもう一つ理由がある。

 それは、先々月に出た吉見俊哉 『大学とは何か』(岩波新書) である。 この本、なかなか中身が濃いと思うし、新書だから安いし、売れていても不思議はないと思うんだけど、Amazonのレビュー欄を見ると、出て2ヵ月たつのにたった1人しかレビューを書いていないのである。

 時を同じくして、つまり今年7月に出た他の岩波新書を見てみると、石橋克彦 『原発を終わらせる』 がレビュー7つなのは、まあ時宜に叶った本だから仕方ないとしても、坂本義和 『人間と国家』 の上巻は4つ (ただし下巻は1つ)、渡辺純夫 『肝臓病』 は4つである。 もっとも大島秀利 『アスベスト』 と島田昌和 『渋沢栄一』 はレビューが0だけれども、しかし大学と名がつく職場に勤めている日本人は10万人以上いるはずだし、学生を入れれば数はもっと増えるはずなのだ。 そもそも社会人だって大学をへている人間は多いはずだし。

 ここから、要するに大学の問題に興味があるのは大学人だけ、という実態が浮かび上がってくるのじゃないか、というのが私の考えで、だから大学のことは、民主主義ではなく (ただし学内は民主主義でないと困るけど)、選良による一方的な判断で進めるべし、という結論が導き出されるのである。 現実にはその逆をやっているわけだけど (つまり、学外的には大衆に媚び、学内的には有能とは言いがたい上層部の独断でことを進めている)、ひっくり返せ、ってことですね。

 なお、上述の毎日新聞記事は以下のとおり。

 http://mainichi.jp/life/edu/news/20110914ddm012100034000c.html 

 教育支出: 日本最下位 公財政、OECD調査

 日本の08年の教育への公財政支出は、国内総生産(GDP)比3・3%で、経済協力開発機構(OECD)の比較可能な加盟31カ国中最下位だったことが、OECDが13日発表した調査結果で分かった。OECD平均の5%を下回り、前年(3・3%)に続く最下位。

 OECDは「どんなに教育にコストがかかっても、補って余りあるリターンが出る」と積極的な教育投資を促している。

 今回の結果には、高校授業料無償化や今年度から始まった小学1年生での35人以下学級は反映していない。教育への対GDP比の公財政支出は、ノルウェーが7・3%で最高だったのをはじめ北欧諸国が高水準だった。

 日本は公財政支出全体に占める教育分野の割合も9・4%で、OECD平均の12・9%を下回り、イタリアと並ぶ最下位だった。

 小学校の09年の平均学級規模も日本は28人で、OECD平均の21・4人を上回った。大半のOECD加盟国が教員の給与などの待遇改善を進めているが、日本の小中高校の教員給与は05年を100とした場合、09年は95に低下した。

 また、OECDは日本についての報告書で東日本大震災に言及し、「教育政策が日本の長期的な経済的・社会的発展に対して重大な役割を果たす。OECDとしても支援を続けていく」と表明した。【木村健二】

 

9月8日(木)    *最近聴いたCD

 *アウグスト・フレイエル: オルガン曲集3 (Acte Préalable、AP0056、2003年録音、2005年発売、CD製作国不明)

 8月28日に紹介したアウグスト・フレイエル・オルガン曲集の第3巻。 同じく、先月に新潟市内のCDショップ・コンチェルトさんにて購入。 なんで第1巻の次が3巻になるのかといえば、第2巻がCDショップ店頭になかったからなんですけどね(笑)。 それはさておき、ここには短い曲がたくさん収められている。 最初が 「26の短く平易な前奏曲 op.14」、次が同じタイトルだけど作品番号が違う 「16の短く平易な前奏曲 op.15」、それから 「12の前奏曲 op.17」、最後が 「10の前奏曲 op.18」。 ここから分かるように、全部が前奏曲 (プレリュード) というタイトルなのだ。 曲の性格は第1巻で書いたのと変わりなく、ホモフォニーではあるが賛美歌ベースのような、素朴で非常に心に沁みる旋律にあふれている。 演奏者と場所は第1巻に同じ。

 

9月4日(日)     *東京交響楽団第67回新潟定期演奏会

 本日は午後5時から東京交響楽団新潟定期。 開演30分前に行って陸上競技場の駐車場にとめる。 最初、りゅーとぴあか県民会館にの駐車場にとめるつもりで行ったら、入口表示では県民会館駐車場のみ空きがあるということになっていたが、すでにクルマが数珠繋ぎで進み方もノロいので、これは途中で満車になる可能性が高いと判断して陸上競技場へ。 こちらはまだかなり空きがあった。 それにしても、途中の (がんセンターのあたりにある) 駐車場の空きを知らせる表示ではりゅーとぴあや県民会館も空きありとなっていたのだが、どうも今までの経験からしてアテにならないのである。 あの表示板から駐車場入口まではせいぜい3分しかかからないのに、行ってみると満車の場合が珍しくない。 もう少し早めに満車表示ができないものなのか。

 この日は、東響新潟定期には珍しく、ほぼ満席。 ふだんはがらがらの3階脇席も、舞台背後のPブロックも客がよく入っている。 1階も、最前列の端っこまで客が入っている。 ふだんからこのくらいなら、と思う。 やっぱり第九だからかなあ。 或いは、コバケンや大谷さん独奏ということの相乗効果もあったのか。

 指揮=小林研一郎、ヴァイオリン独奏=大谷康子、コンマス=高木和弘
 ソプラノ=森麻季、メゾソプラノ=坂本朱、テノール=高橋淳、バリトン=青戸知、合唱=にいがた東響コーラス 

 ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
 (休憩)
 ベートーヴェン:交響曲第9番

 最初のブルッフは、曲としてはあまり好きではない。 ヴァイオリン協奏曲は他にもいい曲があるのに、と思ってしまう。 パンフの解説を読むと、ブルッフの作品は現代ではあまり演奏されなくなっている、独創性に欠けていたためか、とあったが、わが意を得たりの気持ち。 このヴァイオリン協奏曲も、平凡な曲想に終始していて、独創的とは思われないんだけどなあ。

 それはさておき、大谷さんは白地に赤い花模様のドレスで登場。 演奏は、最初の2つの楽章は文句なし。 美しい音で旋律をたっぷり歌わせて本領発揮。 第3楽章では、音の迫力が必要な部分はもう少し何とか、という気もしたが、全体として満足できる演奏であった。 バックもしっかりやっていたし。

 休憩時間にはホワイエで大谷さんのCD販売兼サイン会もあったよう。 私は休憩時間も席にへばりついていたので分からないが、盛況だったのだろうか。

 後半は第九。 第九を生で聴くのは久しぶりである。 日本では年末に第九をやる習慣があるけれど、私はああいう演奏会には敢えて行きたいとは思わない。 この曲、バッハの受難曲だとかのように、時々聴くのがいいんじゃないかと考えているのである。

 それはさておき。編成は協奏曲のときよりは増えが、弦は14‐12‐10‐8‐7だから、最大編成よりは少し少なめ (配置は、右端がヴィオラ、その隣りがチェロ)。 でも音量的な不足は感じなかった。

 コバケンの指揮は途中のタメをよく利かせていて、東響の弦の美しさはいつもながらだし、管もがんばっていたし、なかなか良かったのではないだろうか。 独唱陣も、特に男性の二人が朗々とした声を聞かせてくれた。 にいがた東響コーラスも健闘していたし。

 曲が終わってからのコバケンの盛り上げ方が、堂に入っている。 指揮者はやはりこういう、ショウマン的な才覚も必要だな、と改めて思わされた一夜であった。

9月3日(土)     *ロレンツォ・ギエルミ オルガンリサイタル

 本日は午後3時から表記の演奏会に出かけた。 りゅーとぴあでの本格的なオルガンリサイタルはいつも入りが悪いのだが、この日はCブロックが比較的埋まっていて、ふだんよりはこころもち程度ながら客が多いような気がした。 といっても250人くらいだろうか。 私は3階Jブロックにて聴く。

 本日の独奏者ロレンツォ・ギエルミはイタリアのオルガン兼チェンバロ奏者。 私も1枚だけディスクを持っている。

 ゲオルク・ベーム 前奏曲、フーガと後奏曲ト短調
 同        天にいますわれらの父よ
 D・スカルラッティ ソナタ イ短調K61、ソナタ ニ短調K92
 バッハ 前奏曲、ラルゴとフーガハ長調BWV545,529/2
 同   イタリア風のアリアと変奏BWV989
 (休憩)
 バッハ 主イエス・キリストよ、われらを顧みたまえBWV655
 同   おお愛する魂よ、汝を飾れBWV654
 同   前奏曲とフーガ イ短調BWV543
 同   目覚めよ、と呼ぶ声ありBWV645
 同   トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調BWV564
 (アンコール)
 バッハ わが心の切なる願いBWV727
 同   シュプラーコラールより、われらとともに留まりたまえ、主イエス・キリストよBWV649

 まず、ベームの2曲がよかった。 最初の曲はきわめて充実しており、オルガン音楽の醍醐味が味わえる。 2曲目はコラールのメロディーによる美しい曲。

 前半ではバッハの前奏曲、ラルゴとフーガもよかった。 このラルゴ部分は、解説にも書かれているように、バッハのトリオソナタ第5番にも採用されている楽章なのだが、バッハのオルガン音楽の中でも特に美しい曲だと思う。

 15分の休憩後は、バッハ・プロ。 ここではまず3曲目の前奏曲とフーガイ短調が見事。 特にフーガ部分のたたみかけるような迫力がすばらしく、それまでは1曲ごとの拍手はなかったのだけれど、ここで拍手が起こったのも無理からぬことだと思われた。

 それから正規プロ最後のトッカータ、アダージョとフーガハ長調も聴き応えのある充実した作品。

 アンコールでバッハ作品をさらに2曲。 最初の曲は、有名なコラール (マタイ受難曲で5回出てくる) を変形したもののよう。 最後は明るく軽快な曲で締めくくった。

 終演は4時45分。 全体として満足度の高い演奏会。 しいて注文をつけるなら、ベームの曲、或いはバッハ以外の作曲家の曲をもう少し入れてくれればなお良かったように思う。

 ホワイエではCD販売とサイン会も行われていたが、ベームの曲などがたくさん入ったディスクがあれば購入しようかと思ったのだけれど、残念ながらなかったので、見送りとした。

9月1日(木)    *科学研究費の矛盾――実績を積まないと出ないんなら、存在理由がないだろう!

 本日は、教授会に先立って科学研究費 (以下、科研費) の説明会があった。 最近、学内では科研費に申請しろと五月蝿い。 昨年のこの欄に書いたように、申請しないと学部長から 「その理由を述べよ」 というメールが来る。

 だいたい、私は書類を書くのが大嫌いで、科研費は申請するときにメンドクサイ書類を書かねばならず、なおかつもし通れば、科研費を使い終えたときにも書類を書かねばならず、過去の経験から益より害のほうが大きいと思っている。 それに、科研費を出すか出さないか審査する学者の判断能力にも疑問を持っていることもある。 この点については、去年学部長から 「申請しない理由を述べよ」 とメールが来たときの私の回答を昨年10月18日のこの欄に掲載しておいたので、そこをお読みいただきたい。

 しかし、とにかく申請しろと五月蝿いので、今年は説明会に出てみた。 科研費を取得した先生、書類を頑張って書いたのに惜しくも落選した先生から、それぞれ 「傾向と対策」 のご説明があった。

 でも、やっぱり科研費って、ダメなんだよ。 それはこの説明会から分かる。 つまり、新しいテーマを掲げて申請しても通らない、学内紀要にそのテーマについての論文を何度か載せて実績を積むと通る、というのだ。 おかしいと思わない? だって、新しいテーマを研究するのにお金が必要だから申請するんでしょ? すでにそのテーマについて何本か論文を書いていないと通らないんだったら、科研費の存在理由がないじゃん。 その何本かの論文は科研費以外のお金をつかって書かれたわけだからね。 つまり、科研費は新しいテーマを研究するのには使えない、という結論になるのだ。

 もう少し分析すると、要するに審査する側の判断能力の問題なんだね。 新しいテーマに未来性があるか、それとも単なる思い付きか、判断できない。 判断できないから、実際にそのテーマについて何本か論文が書かれていれば、大丈夫だと思ってお金を出すわけだ。 そこから、既成事実にしないとお金をつけることができず、新しいテーマの未来性の判断は放棄している、という審査の実態が浮かび上がってくる。 これだから、日本の学者はダメなんだよ。

 未来性の判断はたしかに難しいだろう。 だから失敗があってもいいのだ。 科研費の49%は無駄になってもいい。 その代わり、51%から未来の研究が生まれるなら。 そういう気概もない学者が科研費の審査をやっている。 これじゃ、日本に未来があるわけないよね。

 私はかねがね言っているのだが、最近の日本の大学の傾斜配分方式は、百害あって一利なしである。 科研費だけじゃない。 学内の傾斜配分だって同じである。 仲間の多い人間がカネを得る結果にしかならないからだ (この点については、この欄の2007年10月20日をごらんいただきたい)。 不平等が増す、ということである。 悪平等という言葉があるけれど、悪平等は悪不平等よりはるかにマシなのである。

 日本では昔の、研究者ごとに平等に研究費をつける制度のほうがはるかに機能する。 もしそれで研究費が有効に使用されない恐れがあると考えるなら、例えば5年間全然研究業績を上げていない (論文、著書、学会発表、翻訳などがゼロ) 教員には研究費を半額に減らし、さらに2年間何もしなかったらゼロにする、というように結果を見ての成果主義にすればよろしい。 科研費制度は申請書類で多大の時間と労力を費やすばかりか、判断能力のない学者が審査をして悪不平等を拡大する結果にしかならない。 悪平等に研究費を配分したほうが、いい意味で自由放任での競争となるのである。

                  *             *

         *新潟大学の人事制度への疑問

 ・・・・というようなことを考えさせられた科研費説明会のあと、教授会。 ここでも、疑問の多い新潟大学上層部の方策が浮かび上がった。

 つまり、学内の昇任人事の条件を厳しくするということである。 昇任人事というのは、要するに、助教 (むかしの助手) → 専任講師 → 准教授 (むかしの助教授) → 教授、というアレである。 

 どうも新潟大学上層部の考えていることは理解に苦しむのであるが、すでに、この点については昔、つまり独法化以前よりは厳しくなっているのだ。 例えば教授になるには博士号を取得していること、などの条件が付されている。 今回、さらにそれを厳しくする、というのである。 これだと、学内で教授になるのは無理で、外部から連れてこないといけなくなってしまう。 実際、上層部の説明には、内部昇格で教授になるのは例外的なケースだという意味の発言も含まれていたらしい。 

 その結果どういう事態が予想されるだろうか? これだと、新潟大学には大量の万年准教授 (むかしの万年助教授) が発生するであろう。 新潟大学上層部はそういう結果を予想して今回の政策を打ち出したのだろうか?

 もしそういう事態になればどうなるかと言うと――

 まず、新潟大学の教員にはならないほうがいいという外部からの風評(?)が広がるであろう。 つまり人材確保に支障をきたす、ということだ。

 次に、有能な学内人材は、いつまでも教授になれないということで、他大学に逃げ出すであろう。

 また、逃げ出せずに万年准教授どまりの人がたくさん出れば、学内の士気も低下するだろう。

 そういう政策を新潟大学上層部は打ち出したのだ。

 そもそも、新潟大学上層部は、学内昇任を経て今の地位についた者が圧倒的多数なはずである。 もし上記のような制度を打ち出すなら、隗より始めよ、まず自分の現在の資格から審査してみてはどうか。 学内で昇任して副学長にまでなっている人が多数いるはずだ。 そもそも学長からして、新潟大学出身で、新潟大学教授をへて、新潟大学学長になっている。 外部の人材では全然ないのだ。 これって、矛盾してません?

 それに、教授なんて言っても、待遇からしてたいしたポストじゃないのだよ。 ワタシを見ても分かるとおりで (笑)。 教授になれば年収1500万円、三十畳くらいの広い研究室 (文系の場合) に美人秘書つき、なんていうなら条件を厳しくしても構いませんがね。 実際には学部長クラスでも秘書なんかつかないのだ (学部長というポストは結構忙しいから、私は秘書つきでもいいと考えているのだけど)。 高齢になっても万年准教授だと、たしか中高の教諭より給与は低いのじゃなかったかと思う。

 こういう変な方策が打ち出されたときこそが、職組の出番だと思うんだけどね。 まあ、私は職組に入っていない人間だからこういう文句を言う資格もないようなものだが、足が地に着かない政治活動なんかしていないで、学内の理不尽な政策をきちんと批判し是正していくことが、職組の本質的な役割なんじゃないの? 何年も前だが、或る人 (職組活動に熱心な人) にそういう意味のことを言ってみたけど、受け付けられないようだった。 ダメだよね、これじゃ。 新潟大は、上層部も職組もダメ。

 

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