音楽雑記2008年(3)                           

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 音楽雑記2008年の4月まではこちらを、5〜8月はこちらをごらん下さい。

 

12月31日(水)       *今年の音楽会――私のベスト10

  年末なので、今年の音楽会ベスト10を挙げておこう。 私の場合、今年は合計50の演奏会を聴いた。 以下、順位なしで日付順でベストテンを挙げる。 なお、ベルリンで聴いたものは除外し、国内の演奏会だけに限定する。

・3/15 仙台フィルハーモニー管弦楽団第227回定期演奏会 (仙台市、仙台青年文化センター)  オール・シベリウス・プロが印象的。
・4/6 茂木大輔のオーケストラコンサート第4回 (りゅーとぴあ)  いつもながら勉強になりました。
・4/27 東京交響楽団第47回新潟定期演奏会 (りゅーとぴあ) イダ・ヘンデルのアンコールが忘れられない!
・5/13 小沢征爾指揮新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会 (りゅーとぴあ)  悲愴交響曲がすさまじまった。
・9/20 リッカルド・ムーティ指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団演奏会 (りゅーとぴあ) シューベルトのグレイト、良かったですね。
・10/5 山本真希オルガンリサイタル・シリーズ第5回 「メシアンとフランス音楽」 (りゅーとぴあ) よく分からないメシアンだけど、分からないなりに良かった! 不思議な感銘が残った。
・11/2 東京交響楽団川崎定期演奏会第18回 (ミューザ川崎) スダーン指揮のシューベルトの交響曲第2・3番がすばらしかった。
・11/3 新日本フィルハーモニー交響楽団第439回定期演奏会 (すみだトリフォニーホール) アルミングの指揮、イザベル・ファウストのヴァイオリンで、ベルクのVn協とマーラー10をメインにした一貫性のあるプログラムに重い充実性を感じた。
・11/22 南紫音ヴァイオリンリサイタル (フィリアホール) 美少女のすごい集中力に感動しました。
・12/13 東京交響楽団第51回新潟定期演奏会 (りゅーとぴあ) 飯森範親指揮、中村紘子のピアノで、ベートーヴェンのP協1とブラームス2の組み合わせが充実していた。
(次点)
11/9 佐々木和子室内楽シリーズ (だいしホール) ヴァイオリンのニキティン氏とチェロのボーマン氏を迎えて、迫力の演奏会でした。

 次に、地元演奏家の方々の活躍について、思いつくままにいくつか挙げてみる。 言うまでもなく、私の聴いた地元演奏家の演奏会は数が限られているので、網羅的に聴いた上での評価というようなものではない。 誤解なきよう。

・2/23 第3回ヴァルムジカ・コンサート (新潟大学管弦楽団弦楽器奏者によるアンサンブル、音楽文化会館)  技倆は必ずしも高くないかも知れないが、気迫でそれを補って、十二分に聴かせる演奏会になっていました。
・4/15 井上静香+成嶋志保 「耳で聴く風景」 (だいしホール) 非常に充実したリサイタル。東響をやめて独自の活動を始めるという枝並千花さんも地元でこういうリサイタルを開いて欲しい。
・6/28 アンサンブル・オビリー2008室内楽演奏会 (りゅーとぴあ・スタジオA) 毎年素晴らしい室内楽を聴かせてくれる貴重な演奏会。今年もそれぞれの曲の核心に迫る演奏でした。
・9/6 第4回にいがた古楽フェスティバル (りゅーとぴあ・スタジオA) 盛り沢山のプログラムで、勉強にもなりました。
・10/13 ネーベル室内合奏協会第60回定期演奏会 (りゅーとぴあ) 第60回記念にふさわしい演奏会でした。会場もこれからはりゅーとぴあに決めたらいいんじゃないかと思うんですが。
・12/12 斉藤秀志フルートリサイタル (だいしホール) 還暦を記念して新潟交響楽団のアマチュア・フルーティストの開いた演奏会。立派で楽しい音楽会でした。
・新潟オルガン研究会の例会 2/3と7/20に聴かせていただきました。12月のは残念ながら聴けなかったのですが、いつも勉強しながら素晴らしい音楽が聴けて、感謝しております。

12月29日(月)       *ワーナーマイカルの迷走――サービスがくるくる変わる

 12月10日に、私の独断と偏見で新潟市内シネコン4館のランク付けをこの欄に書き込んだ。 ワーナーマイカル2館は最下位という評価だった。

 ところが、その後、ワーナーマイカルへの私の評価をさらに下落させる発表があった。 Tポイントとシックスワンダフリー・ポイントのサービスを来年6月27日限りでうち切るというのである。 くわしくは以下を参照。

 http://www.warnermycal.com/tcard/pc/index.html  

 うーん・・・・・。 Tポイントとシックスワンダフリー・ポイントのサービスが開始されたのは昨秋のことである。 それが、わずか1年半で打ち切りになるというのは、いくら何でも猫の目すぎるのではないかしらん。 新ポイント・サービスが始まるとは書いてあるが、それまでのポイントは来年6月末で使えなくなるわけだし、不親切と言われても仕方がないんじゃないかなあ。

 そもそも、ワーナーマイカルは新潟に進出して以来、何度もこの手の変更を行ってきた。 

 できた当初は紙カード方式のポイントカードを配布し、4回見ると1回無料ということだった。 まあこれは開店当初のサービスで、その後は6回見ると1回無料に変更になったけど、いずれにせよポイントカードはあった。 また、当時は1枚1200円の回数券があり、それが大学生協ではバラ売りされていたので、事実上1本1200円で見ることができた。

 しかるに、ある時、突然この2つのサービスがなくなった。 ポイントカードが廃止され、バラ売り回数券もなくなった。 といって他のサービスができたわけでもなく、レディスデーはあるがメンズデーはないので、私のような中年男にとっては毎月1日の映画サービスデー以外には料金面でのサービスはいっさいなくなった。

 それがやっと昨秋、Tポイントとシックスワンダフリー・ポイント、そして毎月20日と30日はTカード呈示で1000円というサービスができたのである。 これでもユナイテッドと比較してサービスがいいとは言いかねた。 ユナイテッドには毎週メンズデーがあるし、またできた当初から一定回数を見ると1回無料という制度があった――厳密に言うと当初は鑑賞料金の1割ずつを加算して1000ポイントになると1回無料という制度だった。

 ところが、ここに来てまたも制度を変更するという。 どうもワーナーマイカルというのは客のことではなく、自分の都合しか考えていないのではないかという印象を拭えない。 サービスの猫の目変更は、イメージを悪くする効果しかないと思うんだけど。

12月27日(土)      *第19回にいがた国際映画祭のパンフが例年より早くできていた!

 毎年2月に行われる 「にいがた国際映画祭」。 来年2月の映画祭はその第19回目となるわけだが、本日、娘が通っているヴァイオリン教室の発表会があったのでりゅーとぴあに行ったところ、映画祭のパンフレットが並んでいた。

 毎年2月の半ば頃に行われる映画祭だが、内容の発表やパンフの出来上がりは例年だと1カ月前、つまり1月半ばくらいで、私はかねてからこれでは遅すぎると考えていたので、旧弊が改まったことを歓迎したい。 映画祭の内容が一般の人たちに浸透するのには1カ月では時間不足で、せめて半月程度は繰り上げるべきだというのが私の持論だったのである。

 さて、今回の内容はというと、ロシアの文豪トルストイの2大傑作 『戦争と平和』 と 『アンナ・カレーニナ』 の映画化作品 (いずれもソ連映画) が上映されるのを始め、「映画の中の結婚」 というテーマで小津安二郎の名作 『秋日和』 と中国やマレーシアの映画が上映されたり、東京では評判になりながら新潟の商業館には来なかった 『おいしいコーヒーの真実』 や 『ボルベール〈帰郷〉』 などが取り上げられたり、ヒマラヤ国際映画祭特集としてブータンやチベットを舞台にした短篇映画が2本立てで合計6本上映されたり、非常に盛り沢山な内容だ。

 詳しくは、にいがた国際映画祭のHPをごらんください。

12月26日(金)      *高齢運転者のクルマにはマークを強制的に付けさせるべし!

 高齢者の車にそれと分かるマークを強制的に付けさせるとする警察庁の方針にクレームがついたというお話である。 数日前にも報道されていたし、本日の新聞にも載り、あまつさえ毎日新聞は社説でクレームをつけた老人側を擁護したりしているので、私はここであえて反対の論陣を張る! 警察庁はクレームに屈するな!

 念のため、毎日新聞から引用します。

 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081203k0000m040132000c.html 

 もみじマーク:表示義務化を猶予へ 批判受け警察庁が検討

 今年6月の改正道路交通法で高齢運転者標識(もみじマーク)の表示が75歳以上に義務化されたことに伴い来年6月から違反者に科せられる罰則について「高齢者いじめ」との批判が高まったことを受け、警察庁は運転手の能力に応じて表示を猶予する制度の検討を始めた。実質的な罰則緩和といえ、同庁は有識者の検討委員会を設置して高齢運転者を規制するだけでなく支援する視点で制度の見直しを検討しており、12月中旬にも報告書をまとめる。

 改正道交法では表示に違反した場合、反則金4000円と違反点数1点を科した。しかし、衆議院内閣委員会で民主党の委員から高齢者いじめと指摘され、自民党役員連絡会や総務会でも「後期高齢者医療制度と同じように高齢者に批判を浴びかねない」などと不満が出ていた。

 こうしたことから9月に設置した有識者委員会は、適性診断などで認められればもみじマークの表示を猶予▽高齢者の路上優先駐車区画の設置▽高齢者に対する運転妨害の罰則強化▽一般運転者に高齢運転者の特性を教育−−など再度の道交法改正も視野に入れた検討を進めている。適性診断の具体的な方法なども検討している。

 75歳以上が加害者の死亡事故は07年は422件で10年前の1.5倍。免許保有は97年に約100万人(全体比12.8%)だったが、07年は約283万人(同22.1%)に急増し、10年後には約28%に増えると推計される。一方、2月の調査で約4割しかなかったマークの表示率は9月の調査で70.2%に増えていた。【長野宏美】

 冗談じゃないですよ。 75歳以上のお年寄りが運転するときは、強制的にもみじ――別名では落ち葉――マークを付けさせなさいって! いや、落ち葉はイメージが悪いというなら、その点は妥協します。 ほかの識別マークが考えられるならそれでも結構。 とにかくマークは付けさせなさい!

 なぜか。 日頃クルマを運転をする人なら分かると思う。 道路の流れを無視したノロノロ運転――これは老人とオバサンに圧倒的に多いのである。 こういう運転に出会うといらいらする。 (だからオバサン・マークも義務化すべきだと私は思う。)

 多分、運転しない人には分からないだろうな。 都会では電車通勤・通学が大多数だから。 そういう方が実感したかったら、試みにこういうことをやってみてほしい。 つまり、道路や駅でゆっくり歩いている老人を見つけたら、その老人を絶対に追い越さないように歩いてみてごらん。 仮にそのために学校に遅刻しようが、会社の上司に怒られようが、大切な入学試験に間に合わなかろうが、お得意先に見限られて収入がガタ減りしようが、大切な初デートに遅れて彼女 (彼) に振られようが、絶対に追い越してはいけません。

 マークを付けたってノロノロ運転が良くなるわけじゃないだろうって? それはその通り。 しかし、こちらが 「ちっ、仕方ねえなあ」 と多少でも寛大な気分になるためには、マークが必要なのだ。

 私に分からないのは、何でこれが 「高齢者いじめ」 なのか、というところである。 自分が75歳以上であることが知られてそんなに恥ずかしいのだろうか? じゃあ訊くが、そういう人は医療を受けるときにも年齢を隠して私のような中年と同じ負担率で医者にかかっているのか? 映画館では60歳以上はシニア割引でいつでも1000円だが、そういう人は絶対にシニア割引は使わずに通常料金の1800円で見ているのか? そういう人は、高齢者であることが得になる場面でも絶対に得をせずにひたすら年齢を隠しているのか? 自分の得になるときだけ高齢者であることを利用し、そうじゃないときは弱者ぶる――これを堕落と言わずして何というのか。 こういう高齢者は、それこそ耄碌しているのだよ。

 75歳以上でも運転の上手な者もいるって? そりゃ、そうだろう。 しかし、だからマークを付けないという結論がどうして出てくるのか。 7歳の子供は知能にかなりばらつきがあるが、みんなそろって小学校1年生になるのではないか? 20歳でも人によって判断力のあるなしは多様だが、みんなそろって成人式、選挙権ゲットなのではないか? だったら、75歳以上でみんなそろってマーク付きクルマで何が悪いのか?

 「オレは75歳以上だからクルマにマークを付けてるが、若い奴らに運転テクニックじゃ負けねえぜ。 おっ、彼女同伴でスポーツカーに乗ってるキザなヒヨッコ野郎がいるな。 ちょっとからかってやるか」 てなちょいワル老人になるくらいの気概がどうして持てないのか?

 弱者ぶることが大手を振ってまかりとおる社会は、健全とは到底言えない。

   *       *       *

      *「分かる」、「分からない」 って、禁句なんだけど・・・・・

 ついでに。 本日の毎日新聞を読んでいたら、今年の映画のベスト3 (邦画・洋画それぞれ3作品ずつ) を評論家数名が挙げていたのだが、邦画で 『歩いても歩いても』 を挙げている評論家が何人もいるのに、『ぐるりのこと。』 を挙げている者が一人もいないのに、唖然。

 こいつら、映画が分かってないな・・・・と思わずつぶやいてしまいました。 でもまあ、文学でも映画でも 「分かっている」 「分かってない」 ってのは主観がかなり入っているから、禁句なんだけどね。 でも、ついそう言ってしまいたくなるのがブンガクだったり映画だったりするわけですね。 自戒をこめて、しかし、つい、「やっぱり、分かってないんじゃないの?」

12月24日(水)       *寄付

 クリスマスイブだからというわけでもないが、本日、ユニセフと国境なき医師団とにわずかながら寄付をしました。 (なぜわざわざ自分の寄付行為について書くかは、2005年7月29日の記述をごらんください。)

12月23日(火)       *最近聴いたCD

 *須賀田磯太郎: 交響的序曲・双龍交友之舞ほか (NAXOS、8.570319J、2006年録音、2007年発売)

 以前BOOKOFFで500円にて購入したNAXOSの 「日本人作曲家シリーズ」 の1枚。 収録作品は表題になっている 「交響的序曲」(1939年) と 「双龍交友之舞」(1940年) のほか、バレエ音楽 「生命の律動」(1950年) と東洋組曲 「砂漠の情景」 より ”東洋の舞姫”(1941年)。 演奏は小松一彦指揮の神奈川フィルハーモニー管弦楽団。 須賀田は1907年 (明治40年) 生まれ。 祖父は裕福な事業家で、父はそのため職業につかず自由人として高等遊民的な生き方をしていたという。 須賀田自身もそうした環境で育ち、小さいときから各種芸術に親しみ、やがて音楽に傾倒していった。 しかし当時は不治の病だった結核にかかり、療養生活を余儀なくされる。 病気で中学を中退したが、裕福だった彼にとってそれはむしろ好きな音楽に専心する道を開いたらしい。 療養生活を続けながら、山田耕筰や信時潔といった一流の音楽教師に私的に教わりながら作曲をするようになっていった。 やがて第二次大戦時に栃木県の田舎町に疎開。 そこで1952年に死去し、作品もその地の土蔵に埋もれたままになった。 しかし20世紀末に発見されて、再評価がなされたという。 ・・・・・・・ということなのだが、実際にこのCDを聴いてみて、今月11日にここに書いた安部幸明と比べると、率直なところ、面白みを感じなかった。 何度か聴いたのだけれど、心にひっかかるところがないのである。 うーん。 それと、録音の音量的レベルが少し低いのではないか。 もう少し大きな音で入れて下さいな。

 *ア・パガニーニ〔パガニーニ風に〕 クレーメル無伴奏リサイタル (Deutsche Grammophon、F35G50304、1984年録音、1987年発売)

 この10月末から11月初めにかけて上京したとき高田馬場の中古CD屋で購入した1枚。 ヴァイオリニストのギドン・クレーメルが、かの有名なパガニーニの作ったメロディを用いたり、パガニーニに刺激を受ける形で作曲されたヴァイオリン独奏曲を集めてディスクとしたものである。 最初がナタン・ミルシテインの 『パガニニアーナ』、次がシュニトケの 『ア・パガニーニ』、3曲目がハインリヒ・ヴィルヘルム・エルンストの 『練習曲第6番 《夏の名残りのバラ》』、そして最後がジョージ・ロックバーグの 『カプリース変奏曲』 から24曲。 いずれもクレーメルのキレの良い演奏で楽しめる。 録音も良好。 

12月21日(日)     *戸谷由麻はひどい――毎日新聞の 「新しい世代の東京裁判論」 を読んで

 一昨日のことになるが、毎日新聞の 「論点」 欄に、「若い世代の東京裁判論」 として、三人の若手学者の文章が掲載された。 ――といっても生年はそれぞれ1972年 (戸谷由麻・ハワイ大助教授)、62年 (日暮吉延・鹿児島大教授)、59年 (牛村圭・国際日本文化センター教授) だから、掛け値なしに若いと言えるのは72年生まれの戸谷由麻くらいだろうが、言い換えればこの分野ではそれだけ年寄りが幅をきかせてきたということなのであろう。

 さて、それぞれの主張を読んでみての感想だが、率直なところ感心しなかった。 それでも日暮はほどほどだけど、牛村は問題が多く、戸谷はどうしようもないといったところではないか。

 東京裁判に対する最大の批判は、それが勝者の裁きであって、通常の意味での公正な裁判などではなかったというところだろうが、日暮も牛村もこの本質的な問題にはまともに答えず、判事団の内幕はけっして一枚岩ではなかったなどと指摘するだけなのである。 一枚岩ではなかったから勝者のでっち上げ裁判でないと、どうして言えるのだろうか? そもそも判事が戦勝国からしか出ていないところですでにアウトなのだ。 そういう常識がこの人たちにはないらしい。 

 また面識がないのに共同謀議とは変ではないかという批判に、牛村は 「顔を知らない連中を一網打尽にする法概念が共同謀議だったと知れば、〔変だという批判は〕 的はずれと分かる」 と書いているのだが、私には全然理解できない。 この文章を読む限り、そういう法概念がでっちあげだったという結論にしかならないだろう――学者でなくても日本語を読める人ならそう考えるしかあるまい。 「的はずれ」 どころか 「的を射ていた」 という文章で締めくくらないと、意味がまともに通らない。

 そのあとの牛村の議論も理解できない。 A級戦犯は事後法による勝者の法廷を肯定はしなかったが、自国民への敗戦責任は罪万死に値するから、だから判決を受けてノブレスオブリージュを果たした、というのである。 私にはこれまた分からない。 自国民への敗戦責任があるなら、それは自国民による裁きを受けて決めるべきことだろう。 なんで自国民への罪を、勝者の裁きによって決めなくてはならないのか? 牛村と言う人は、まともな論理的思考ができないらしい。

 もっとも最後あたりで、東京裁判のような過誤を再現しないために日本が積極的な国際発言をしていくべきだ、と牛村が言っているところはまあ頷ける。

 他方、戸谷由麻は牛村にもましてひどい。 東京裁判は国際人道法史の道標として今日的な意味合いを持つのだという。 その意味は、冷戦終焉後、旧ユーゴやルワンダを皮切りに民族虐殺事件が起こったので、責任者処罰を求める世論が高まり、国連も特別法廷を設立しており、カンボジアのポル・ポト政権による大量虐殺事件についても法廷が遅ればせながら設置された、だから東京裁判は孤立した一事例ではなくなったという。 もっとも、戸谷は東京裁判の片務性にはその後いちおう触れている。 しかし、そのあと戸谷が持ち出すのは 「昭和天皇の戦犯処理」――と彼女は書いているが、昭和天皇が戦犯を処理するという意味ではなく、昭和天皇を戦犯として処理する、という意味である。 その際、戸谷は旧ユーゴ、リベリア、スーダン大統領と昭和天皇を並べて論じているのである。 

 昭和天皇にも戦争責任はあったとする議論は十分可能だと私は思う。 しかし、国際法違反である大量虐殺に積極的に昭和天皇が関与した、とするのには無理があるのではないか。 まして、ミロシェビッチあたりと並べるのであれば、むしろ東京大空襲や広島・長崎への原爆投下に直接的に関与した第二次大戦時のアメリカ大統領――すなわちF・D・ルーズヴェルトとトルーマンのほうが類似していると言えるだろう。 ところが、戸谷の文章にはそうしたことへの暗示は露ほどもないのである。 

 そもそも、国連とは連合国のことであり、今でも形式上は旧敵国条項を残している。 そして、大量虐殺を言うなら、スターリンや毛沢東も 「裁き」 の場におかれなければいけないはずだが、まあそういうことは起こり得ないだろう。 なぜか。 ソ連も中国も第二次大戦で勝った側であり、アメリカの戦争犯罪がそうであるように、こうした国の大量虐殺は決して 「国際的な裁判」 で裁くことは不可能だからだ。 誰が勝者に裁きを下せるだろうか? 可能だとすれば、武力を持たない学者がペンの力でするしかあるまいが、戸谷のやっていることは軍事上の勝者を追認することでしかないのである。 そして戸谷の文章にはその程度の洞察もない。 

 こういう日本人がアメリカの大学で博士号を取り、アメリカの大学で教鞭を執っている現状を、私は憂う。

12月20日(土)       *新潟大学管弦楽団第45回定期演奏会

 本日は午後6時30分から、りゅーとぴあで標記の演奏会を聴く。 多分、今年最後の演奏会になるだろう。 全席自由席で、私はBブロック2列目中ほどで聴いた。 客の入りはまあまあ。 ふだんの東響新潟定期より少し劣っている程度かな。

 おなじみの河地良智指揮で、プログラムは、ワーグナーの 「さまよえるオランダ人」 序曲、グラズノフのヴァイオリン協奏曲、ラフマニノフの交響曲第2番。 ヴァイオリン独奏は、1991年ウィーン生まれというルカ・クストリッヒ。

 協奏曲をも含む意欲的なプログラムだが、悪くない演奏だったと思う。 17歳の高校生ルカ・クストリッヒくんのヴァイオリン独奏もなかなか堂にいっていた。 ネットで調べたら、彼は長崎大学のオケとも共演するようだ。 こういう人がどういう経路で選ばれて来日するものか私には分からないが、一定のレベルの演奏者であれば未知の人材に触れる面白さがあって、歓迎すべきことであろう。

 後半の交響曲も、長い曲なので大変だと思ったが、破綻を見せることなく演奏し切った。 この曲、私は昨年ゲルギエフ指揮のマリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏をサントリーホールで聴き、あんまり感心しなかったのであるが、不思議なことにこの日、同じ曲を新大オケで聴いて、何となく曲の魅力が分かったような気がしたのである。 技巧でいったら問題にならないはずなのに、曲に感銘するのは必ずしも演奏者のうまい下手だけではないという事情を示す良い例だと思う。 学生の気迫がこちらに伝わってきたのだろう。

 コンマス (コンミス) の小戸田紋郁 (何んて読むの?) さんを応援する幕が2階正面のCブロック前に出るあたりが、学生オケならでは。 よろしいんじゃないでしょうか。

12月19日(金)       *オルガン・クリスマス・コンサート  

 本日は午後7時から標記の演奏会に行く。 りゅーとぴあ・コンサートホール。 実は予定していなかったのであるが、さきの日曜日に花園カトリック教会で行われた新潟オルガン研究会の演奏会に行くはずが、多忙で行けなかったので、その代わりにという気持ちになったもの。 さいわい本日の演奏会は週末の夜で時間的な余裕もあったので。

 出演は、オルガンが山本真希、そして新潟市ジュニア合唱団(指揮=海野美栄)。

 プログラムは前半が、バッハの幻想曲とチョウチョBWV572、コラール 「目覚めよと呼ぶ声あり」 (合唱、それからオルガン) 「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」 (合唱、それからオルガン)、「喜びの声上げ」 (合唱、それからオルガン)、ムファットの 「シャコンヌ」 (ポジティブオルガン)、フォーレの 「小ミサ曲」 より ”キリエ” と ”サンクトゥス” (合唱とポジティブオルガン)、 A・L・ウェッバーの 「ビエ・イエズ」 (同前)、パレストリーナのモテット 「おお、いつくしみ深きイエス」 (合唱)、フォーレの 「ラシーヌ讃歌」 (合唱とオルガン)、フランクの 「英雄的小品」 (オルガン)。
  後半は、バッハの 「トッカータとフーガニ短調」BWV5656、小フーガト短調BWV578、L・ハーラインの 「星に願いを」 (以上オルガン)、讃美歌メドレー 「もろびとこぞりて」 「エサイの根より」 「朝日はのぼりて」 「神の御子はこよいしも」 「広野のはてに」 「いざ歌え」 (合唱とオルガン)、J・ラター 「ろうそくのキャロル」 「羊飼いの笛のキャロル」 「ろばのキャロル」 (合唱とオルガン)、世界のクリスマス・ソング 「赤鼻のトナカイ」 「モミの木」 「ジングルベル」 (合唱とオルガン)。
 アンコールとして 「きよしこの夜」 (合唱とオルガン)。

 A席の当日券でNパックメイト価格1800円。 座席は3階ほぼ正面の後ろから2列目。
 いちおうS・A・Bと3ランクあるわけだけれど、実際にはS席が大部分で、AとBは少ししかない。 AとBは満席に近かったのだが、Sはわりに空いていた。 まあSといっても3千円だし、Bの千円は出血価格ということなのかもしれないが、私の希望としてはもう少しAとBの範囲を広く取ってほしかった。 また、3階では正面しか使われていなかったのだが、できればHブロックとJブロックも解放して、そこを全部Aランク席にするくらいにしてくれれば、という気がした。

 プログラムは、前半がクラシック派向け、後半がポピュラー派向け、といったところ。 舞台にはクリスマスツリーも飾られていたが、全体にやや硬い雰囲気のなかでコンサートが進行した。 コンサートとしては悪くないけれど、クリスマスコンサートとしてはどうかな、子供も結構来ているし、という印象もあった。 光による演出も、特に後半はもっとあって良かった気がするし、合唱団員の女の子の語りも真面目すぎるのでは。 大人によるくだけたおしゃべりをもう少し入れて、くつろいだ雰囲気を生み出す工夫が必要だろう。 最後の 「きよしこの夜」 では、客に一緒に歌ってくれという要請がなされたが、それまで舞台と客席との融和があまりなされていなくて最後にいきなりそういうことを言われても客は戸惑ってしまう。 工夫が必要というのは、その辺のところをふまえてのことである。

12月17日(水)      *最近の学生は新興宗教の勧誘に悩まされている

 本日夜、教養科目(Gコード科目) の 「文学読解演習」 の忘年会だかクリスマスパーティだかを学内でやった。 出席者は私を入れて7名。 学生は法学部生と教育学部生。 男子5名に女子1名。 みな酒が強い。 ちなみに文学作品を精読する授業なので、ブンガクだから女子学生が活躍するだろうと思っていたら、案に相違して、この演習では男子学生が活発に発言して主導しているのである。

 酒類は私が用意したのだが、あらかじめリクエストを募ったら 「シャンパン!」 と言った学生がいた。 「遠慮しないように」 と前置きをしてリクエストを募ったタテマエもあったので、希望通りにシャンパンを用意した。 念のため、単なるスパークリング・ワインじゃなく、ちゃんとしたシャンパンである。 当然ながら値段もそれ相応だし、普通のその辺のスーパーには売っていないので、少し離れたところにあるワイン専門店に出向いて買ってきたものだ。 実を言うと私もシャンパンなんて飲むのは久しぶり。 自分もしくは友人の結婚式に出たときくらいしか飲んだ記憶がないし、そもそも友人の結婚式に最後に出たのはもう・・・・・・・20年近くも前のことなのである。 (長らく教養部の教師だった私は、教え子の結婚式なんかには一度も出たことがない。)

 閑話休題。 色々な話題が出たが、中で私の興味を惹いたのは、新興宗教の勧誘に悩まされている学生が少なくないということであった。 ビラを渡されるとか、学内で話しかけられるといったレベルではない。 アパートに押しかけてきて、断っても帰ろうとしないのだそうである。 中にはそのために警察に電話した学生もいた。

 大学の上層部からも、新興宗教にハマる学生がいるので注意して下さいというようなお達しは時々来ていたけれど、これほどだとは思わなかった。 

 私が学生の頃だと学生の政治活動が活発だったから、政治的なセクトによるオルグ――こんな言葉、若い人は知らないだろうなあ――はよくあった。 ただしその頃でも新興宗教の勧誘はあって、私も休日に繁華街を歩いていたら同じ大学の工学部生だという男から誘いをかけられたことがある。 理系学生のほうがかえって新興宗教に弱いという、のちにオウム真理教によるサリン事件で露わになった事実のまえぶれみたいな私的体験だった、と今にしてみると思う。 

 しかし、私の学生時代だと何と言っても政治運動に身を投じる学生の方が圧倒的に多かった。 考えてみると、今は学生による政治運動は完全に下火になっているが、その代わりに新興宗教が蔓延しているのではないか。 政治運動であれ、新興宗教であれ、分かりやすい世界観によって心の安定を得て、なおかつ同じ安定を他人にもたらしたいという使命感を抱かせる点では同じだからである。 そしてそういう使命感がしばしば暴力的な形を取ることも。

 そういう捉え方をすると、政治的なオルグであれ、宗教による勧誘であれ、若い世代の中の一定数の人間が身を投じる運動体の一種と見ることができるのかもしれない。 別の言い方をすると、仮に政治団体のオルグや宗教団体による勧誘がなくなったとしても、その代わりの何かが生まれるのではないか、ということだ。 世の中はそうしたものなのだろうか。

12月13日(土)       *東京交響楽団第51回新潟定期演奏会

 本日は午後6時から標記の演奏会に出かける。 指揮は飯森範親、ピアノが中村紘子で、ウェーベルン編曲によるバッハ 「音楽の捧げもの」 から ”6声のリチェルカーレ”、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、ブラームスの交響曲第2番。

 本日、正式に来年度の東響新潟定期公演の内容が発表されたが、りゅーとぴあは来年度から日本のオケを毎年1団体ずつ呼んで公演を行うようで、東響新潟定期会員は無料。 今から楽しみである。 トップバッターは、本日の指揮者である飯森さんが常任をしている山形交響楽団だそうな。

 さて、本日の演奏会、私はとても満足だった。 最近の東響新潟定期のなかでも上位に入るのではないか、と思う。

 最初のバッハでは、月並みだけど、やっぱりバッハってすごいなと痛感したのである。 無論ウェーベルンの編曲も見事なんだろうけど、原曲のよさがことのほかよく出ていて、また実演だと各奏者がどういう具合に弾いているかが一目瞭然なので、音楽の素晴らしさが増幅されて伝わってくるような気がした。

 次のベートーヴェンでは、中村紘子さんのピアノの音がきわめてくっきりと大きく聞こえるのにまず強い印象を受けた。 中村さんは以前にも東響新潟定期に登場していて私も聴いているはずだが、こんなに大きな音量の人だっけ、と驚いたほど。 管弦楽がいつもより小ぶりだったためか普通のピアノ協奏曲の時より少し奥の方にピアノが置かれていて、そのためなのかどうなのか、とにかくいつものGブロックで聴いていると、ピアノの音が小ぶりのオケを押さえて音楽が進んでいるという感じがした。 でも面白かった。 若いベートーヴェンの音楽の突拍子もない感覚が聞き取れるような気がして。

 後半のブラームスも良かった。 思うのだが、東響はスダーン指揮の時は指揮者の表現意欲の強さをそのまま音に出しているけど、飯森さんの時はどちらかというと合奏を精確に行うことにまず意を用いているような印象がある。 今回はいつものメイン曲より少人数――第1ヴァイオリン12人、コントラバス6人――だったこともあり、音の強さより美しさを志向する度合いがふだんにもまして大きかったのではないか、そんなことを漠然と考えた。 つまりビューティフル・ブラームスで、こういう行き方も一興、満足。

 惜しむらくはアンコールがなかったこと。 オケがやらなくても、中村さんが何かやってくれればよかったと思うのだが。 休憩時間にはぶりちょふさん、Tomoさんとも久しぶりにお話ができた。

12月12日(金)        *斉藤秀志フルートリサイタル

 午後7時からは標記の音楽会に行く。 会場はだいしホール。 実は予定していなかったのであるが、この日の夕方、万代シティのTジョイで映画を見て、それが6時半に終わるので、そこからだいしホールまで歩くと7時開演のこの演奏会にちょうどいいかな、無料だし、ということで急遽行くことに決めたもの。 翌土曜日のネマニャ・ラドゥロヴィッチの演奏会はチケットが入手できずに行き損ねることが決定的だったので、その代償のような心理も働いたかも知れない。

 斉藤秀志さんは新潟交響楽団のフルーティスト。 だからアマチュアなのだが、今年還暦なので一念発起して初めてのリサイタルを開くことに決められたとか。 演奏会途中の自己紹介では、会場のだいしホールに申込みをするときにもためらってしまい、しばらくその前を行きつ戻りつしていたと告白されて、聴衆の笑いを誘っていた。 パンフレットにも謙虚なお言葉が並んでいるが、聴いてみるとなかなかどうして、それなりの演奏なのである。 ダークスーツに身を包み、胸のポケットから少しだけ赤いハンカチ (?) がのぞいている姿もサマになっている。

 プログラムは、前半は斉藤美和子さんのピアノ伴奏で、フィリップ・ゴーベールの 「マドリガル」、シャミナードの 「コンチェルティーノ」、ドップラーの 「ハンガリー田園幻想曲」、ビゼー/フランソワ・ポルンの 「カルメン幻想曲」。 シャミナードのコンチェルティーノは好きな曲なので、楽しみにしていた。

 後半はまず林園実さんのエレクトーン伴奏で (したがってここからフルートもマイクを用いていた) サンサーンスの 「サムソンとデリラ」 より ”あなたの声に心は開く” とアービング・ゴードンの 「Unforgettable」、そして斉藤さんが校長をされている国際音楽エンタテインメント専門学校の学生4人がキーボード・ギター・ベース・ドラムで加わり、最初はこの4人だけの演奏で、キーボード担当の岩方悠さん作曲の 「メリー」、それから再度斉藤さんが登場してエレクトーンとギターの伴奏でフレミング・モーガンの 「Dreams」 とジョン・デンバーの 「緑の風のアニー」、最後はキーボードとベースとドラムも加わってフランチェスコ・サルトリの 「Time to say goodby」。
 アンコールに、まず斉藤さんの独奏でドビュッシーの 「シランクス」、そして学生4人とエレクトーンが加わって 「美女と野獣」。

 前半は硬めのクラシック、後半はくだけてポピュラー中心と色分けされた、楽しめる演奏会であった。 伴奏が前半と後半で異なっているのも面白い。 斉藤さんのフルートも――私はフルートの演奏会には日頃ほとんど行かないのでシロウトの評言として聞き流してほしいが――万全とまではいかないもののアマチュアの演奏としては90点はつけられる出来だったのではないだろうか。

 客は、第1曲の後、そして第2曲の後、第3曲の後と少しずつ増えて、最終的には9割は入っていただろう。 惜しむらくは、カメラマンのシャッター音がうるさかったのと、第2曲で幼児 (を連れ込んだ客がいた) の奇声が出ていたこと。

 還暦でこれだけ充実したリサイタルを開いた斉藤秀志さんに、「おめでとうございます、素晴らしい演奏会でしたね」 と申し上げたいと思う。

12月11日(木)      *最近聴いたCD

 *安部幸明: 交響曲第1番、シンフォニエッタ、他 (NAXOS、8.557987J、2005年録音、2007年発売)

 片山杜秀の本を読んで、日本人作曲家によるクラシック――と言っていいのかどうか――も聴かなきゃ、という気分になっている今日この頃、ふと思い出してCD棚を見てみたら、しばらく前にBOOKOFFでNAXOSの 「日本人作曲家シリーズ」 から2枚を各500円で買ったまま聴かないでおいたのがあったのである。 というわけでこの2枚をまず聴いてみよう、ということに。 で、この安部幸明 (あべ・こうめい: 1911-2006) は日露戦争に軍功があった将校を父とする家庭に育ち、しかし小さい頃から音楽が好きでヴァイオリンをひそかに買って練習していると、音楽に理解がない父に壊されてしまったりしたが、中学時代についに音楽志望を父に認めさせ、しかし今からヴァイオリンを本格的にやるには遅すぎるということで急遽チェロを習って、チェロで東京音楽学校 (現・東京芸大) に入学した人だそうである。 音楽学校では有名なクラウス・プリングスハイムに学び、最初はチェリストになるつもりだったが、次第に作曲に力を傾けるようになった。 プリングスハイムの弟子たちには「日本のマーラー」と呼ばれていたそうである。 横顔がマーラーに似ているということもあったらしい。 ま、NAXOSの解説書には正面から撮った写真しか載っていないが、私の見るところでは吉田秀和と藤山一郎を足して2で割ったような顔に思えるけど。 それはさておき、このCDには交響曲第1番 (1957年)、アルトサキソフォーンとオーケストラのための嬉遊曲 (1951年)、シンフォニエッタ (1964年) の3曲が収められている。 私には細かい作曲技法などは分からない。 ただ、走る汽車の音を模したと思える箇所が目立った(交響曲第1番の第3楽章やシンフォニエッタの第3楽章)。 曲としては嬉遊曲が面白かったな。 演奏は、指揮がドミトリ・ヤブロンスキー、アルトサックスがアレクセイ・ヴォルコフ、オケがロシア・フィルハーモニー管弦楽団。

 *シューベルト: シラー歌曲集第1集 (NAXOS、8.554740、2000年録音、2001年発売

 数カ月前、東響新潟定期の日、新潟市内のCDショップであるコンチェルトさんで東響定期記念1割引で買ったもの。 シューベルトがシラーの曲に付けた歌曲がNAXOSで4枚のCDに収められているので、それをまとめ買いしたが、そのうち1枚目がこれ。 「海に潜る若者」、「ポンス酒の歌」、「アルプスの狩人」、「小川のほとりの若者(第3作)」、「楽園」、「亡命者」、「クラヴィアを弾くラウラ」、「戦い」、「ラウラへの恍惚(第1作)」、「バッコス讃歌」 の計10曲が収められている。 ワタシ的には、4曲目の 「小川のほとりの若者」 が気に入りました。 歌はマルティン・ブルーンス (バリトン)、ピアノはウルリッヒ・アイゼンロール。 ドイツ語歌詞、英語対訳付き。 残念ながら日本語訳は付いていない。

12月10日(水)      *2008年新潟市内シネコン・ランキング――ユナイテッドシネマが不動の1位

 新潟市内のシネマ・コンプレックス形式の映画館が4館体制になって1年余り。 私もこの欄で各シネコンについての批評的な分析を何度かしているが、年末も近づいているので、ここで改めて新潟市内のシネコン・ランキングを、私の独断と偏見によって決めてしまおうと思う。

 第1位は文句なしにユナイテッドシネマである。 幅が広くゆったりとした座席は他館の追随を許さない。 料金面でのサービスもいい。 新潟市内では唯一メンズデーがある (レディスデーもある) ほか、11月から12月中旬にかけてはカード会員にはいつでも1300円という設定がなされたし、カード会員は6回見ると1回無料という制度も健在だ。 加えて、利用回数の多い会員には1000円で見られるクーポンを特別に出している。 カード会員の利用回数はコンピュータで自動的に分かるので設けられたサービスらしい。 私自身が、チケットを買うときに 「利用回数でランキングに入ってますから」 と言われてクーポンをもらったのでこのサービスの存在を知ったのである。 こういうふうに、利用回数が多くなるほどサービスが良くなるというシステムはたいへん結構なことだと思う。 加えて作品選択も、従来新潟にあまり来なかった単館系を比較的よく拾っている。 欲を言えば、もっとその種の作品を拾ってくれれば言うことなしである。

 第2位はTジョイ。 座席のランクはWMC新潟南に次いでビリから2番目。 理由は、背もたれがやや前傾すぎるから。 もう少し寝かせ気味にしてほしい。 改装してからメンズデーとレディスデーがなくなり、代わりにシネマチネ制度――平日の午前11時から午後2時までに上映が開始される映画は1200円――が導入された。 私に言わせるとサービス低下なのだが、もしあくまでそれで行くならシネマチネの時間帯をもう少し広げて欲しいものだ。 以前あった6回見ると平日無料鑑賞券1枚をもらえる制度もなくなった。 もっとも、この11月になってから映画1本で午後5時以降使える1時間無料駐車券を出すようになり、その券を5枚集めると平日無料鑑賞券と交換できるというサービスができた。 ただし12月末までということで、どうもケチくさい。 そうでなくともTジョイは街なかにあって他館のような駐車料金無料という前提がない分、割高なのだから、何回か見たら無料鑑賞券という制度は季節を問わずに設けて欲しいものだ。 回数を多く見た人に得になるようなサービスをする、という姿勢が薄いのがこの映画館の欠点。 ただし、改装以降、作品選定ではなかなか意欲的である。 単館系をよく拾うことではユナイテッドに劣らない。 加えて、舞台を映画化したものだとか、オペラ映画だとか、狭い意味の映画にとどまらない作品を上映している姿勢は高く評価したい。 ただ料金面でそうした作品は高く設定されているのが困ったところ。 一考して欲しい。

 最下位は、ワーナイーマイカルだ。 新潟市内に2館あるけど、まとめて最下位。 座席は、WMC新潟はまあまあ (ユナイテッドに次いで新潟2位) だけど、WMC新潟南は新潟市内シネコン4館で最悪。 尻を載せるところが狭くて落ち着かないのである。 料金面で言うと、レディスデーはあるのにメンズデーがない。 カード会員には毎月20日と30日が1000円デー。 そのほか2人デーがあるけど、私のように基本的に一人で見に行く人間には役に立たない。 ただしカード会員は6回見ると1回無料なので、料金だけに限ってみればTジョイよりはまし。 しかし、ここを強調したいのだが、作品選定では両館ともダントツの新潟最下位なのである。 単館系の映画を拾うことがきわめて少ない。 最大公約数的な映画、つまりハリウッドの大作、大手邦画、お子様向けアニメばっかりやっているという印象。 映画館としての見識だとか先見性だとかいうものが全然感じられない。 悪い意味で大衆的なのだ。 2館もあるんだから、なんとかしなさいって!!

12月7日(日)        *国立大独法化の時代に、新潟大学はどこへ行くのか?

 数日前、私の母校である東北大学から封書が送られてきた。 というか、数年前から定期的に送られてくるようになっている。 東北大の近況を卒業生などに知らせる定期刊行のパンフである。 教授の誰それ・卒業生の誰それが○○賞をとったとか、東北大の某分野での論文発表数は日本一だとか、構内に新しい会館が落成したとか、そういった報告である。 で、今回はいつものそうしたパンフレットに加えて、「感謝状」 が入っていた。 

 東北大は昨年創立100周年だったのであるが、その数年前から創立100周年記念事業のためと称して寄付金を集めていた。 「感謝状」は、その寄付金に対するものだった。

 と書くと、いかにも多額の寄付をしていると思われるかも知れないが、そんなことはない。 だいたい私は愛校心といったものがきわめて薄い人間だし、若いころ籍をおいた学校のなかでワーストは高校だけれど、東北大に対しても高校よりはマシという程度の感情しか持っていないので、寄付をしろと言われてもそうそうはしない。 ただ、何度か寄付の要請があったうち一度は博士号を取った直後だったので寛大な気分になっており、1万円を寄付した。 その後、いつだったか5千円を一度だけ寄付した。 つまり合計1万5千円である。

 ところで、今回東北大から送られてきたのは感謝状だけではない。 その寄付金についての 「報告書」 も同封されていたのである。 で、それを見ると、誰がいくら寄付したか全部分かるようになっているのだ。 私の寄付、つまり合計1万5千円も私の名前とともにしっかり記載されている。

 東北大の教員は半強制的に寄付をさせられると聞いていたので、大変だなと同情していたのだけれど、この 「報告書」 を見る限り、人によりけりである。 私が東北大の独文研究室助手を勤めていたころ隣の英文研究室助手であり、その後新潟大の教養部でも一時期同僚であり、現在は東北大教授である石幡直樹氏などは30万円も寄付をしている。 氏の責任感、もしくは義理堅さがよく分かる。

 一方、私と前後して東北大の独文を出て現在は東北大のドイツ語教師をしている人たちはというと、せいぜい1万円、もしくはゼロ、なのである。 英文をやる人と独文をやる人の気質の違いが鮮明に出ていますね (笑)。 いや冗談です。 英文でも寄付していない人は全然していないので。

 他方、私が在学中籍をおいていた卓球同好会の仲間はというと、名前を覚えている同期生や1年違いの人たちを探してみたけど、ほとんどない。 医者になったり大手銀行に勤めた人たちは私なんかよりはるかに高給取りであるはずだが、そういう人が寄付をしている様子は全然うかがえない。 ただひとり、外山武志くんだけが10万円も寄付していた。 外山くんは卓球同好会で私と同期生で、理学部物理学科であり、たしかぺんてるに就職したはずである。 卒業後はまったく会う機会もないし音信も不通だが、これだけ寄付をしているのだから不遇の人生ではなかったことは確かであろう。 (外山くん、もしこれを読む機会があったら連絡を下さい。 もしくは外山武志氏とお付き合いのある方は連絡を下さい。)

 話を戻して、東北大の定期刊行のパンフを見ると、ディスティングィッシュト・プロフェッサーも掲載されている。 各学部から特に業績の大きな教授を選んで、特別の給与を与える制度だそうだ。 文学部ではKという社会学の先生が選ばれていたけど、私の知らない名前だ。 まあ、シロウトが知らなくても専門的な分野では光っているということはよくある。 ただ、仄聞するところでは、学内の締め付けが厳しくなっているので、他大学に逃げ出す教員も出ているらしい。 物事には光と影の両面が必ずある。

 ひるがえって、新潟大学である。 この種の寄付をしろという企画や圧力は今のところない。 ディスティングィッシュト・プロフェッサーみたいな、或る意味差別的な制度も今のところない。 その意味では平和である。 だけど、研究費の傾斜配分を盲目的に――つまり文科省の指導どおりに――やっているので経常的な研究費は減る一方である。 申請しないとお金が出ない仕組みが浸透している。 そして申請というのは、仲間が多い人間にだけ格段に有利なシステムである。 仲間が多い、というのと、学者として有能かどうかは、無論別のことだ。 別のことだが、仲間が多いことがカネに直結するような仕組みをダラダラと新潟大は作り続けている。 学内での昇進 (准教授→教授など) の条件も厳しくなっている。 これで全体の志気が高まるはずもない。 全体としてのコンセプトが見えず、じり貧になっている印象がある。 新潟大学はどこへ行くのか。

12月5日(金)      *最近聴いたCD

 *南紫音デビュー・リサイタル (初回限定盤特典DVD付き、ユニバーサル・ミュージック、UCCY-9001、2008)

 11月22日の項で書いたように、その日私はフィリアホールで南紫音のリサイタルを聴いて、CDを買い、サインしてもらった。 そのCDである。 ピアノ伴奏はリサイタルと同じく江口玲氏。 収録されているのは、モーツァルトのソナタ イ長調 K.526、プロコフィエフのソナタ第1番、シューマンのロマンス op.94-2、イザイの無伴奏ソナタ第4番、ブラームスのF.A.E.ソナタ・スケルツォ。 この曲目を見ても分かるように、デビュー・アルバムとしてはかなり渋いというか、通好みの曲が揃っている。 最初のモーツァルトにしても、彼のヴァイオリン・ソナタにありがちな、旋律美をケレン味なく展開するような曲ではなく、眉にしわ寄せて考えながら作曲しているような印象の、ちょっとベートーヴェン的な曲なのである。 プロコフィエフやイザイについては言うまでもなかろう。 南さんがデビュー・アルバムにこういう曲目を選んだということ、それは今後の彼女の歩む道を見守っていく中でも忘れてはならない原点になるのではないか。 ヴァイオリンの音は、生で聴いたときもそう思ったが、高音の美しさにはやや欠けるところがあるものの、音楽の質に食い入るような充実した何かを持っている。   なお初回限定特典のDVDには、昨年12月の紀尾井ホールでのリサイタルの模様が、その前後の南さんの表情を含めて、断片的にではあるが収録されている。

 *シューマン: 序曲集 (NAXOS, 8.550608, 1992年録音)

 いま、大学の講義で吉田秀和が若い頃に書いた 「ローベルト・シューマン」 を取り上げている。 その楽曲分析もなかなかてごわいのだが、出てくる音楽をなるべく学生に聞かせようとすると、当方がCDを所有していない曲もあって、これまた厄介である。 ピアノ曲もそうだけど、オーケストラ曲で 「マンフレッド序曲」 が出てくるのだが、私はディスクを持っていなかった。 新潟市では現在、クラシックCDを販売している店がきわめて少数になってしまっており――石丸電気もHMVも最近撤退してしまった――、このCDは戸田書店の新潟南店で購入した。 書店なのだが、なぜかNAXOSだけはCDが置いてある。 しかも量がものすごい。 新潟市内唯一のクラシックCD専門店となったコンチェルトより圧倒的に多いばかりか、東京の山野楽器だとかHMVとかタワーレコードよりも多いのである。 さて、「マンフレッド序曲」 めあてで買ったものだが、聞いてみると極めて充実した内容である。 「序曲、スケルツォとフィナーレ op.52」、「オペラ 『ゲノヴェーヴァ』 序曲」、「序曲・メッシーナの花嫁op.100」、「序曲・ジュリアス=シーザーop.128」、「序曲・ヘルマンとドロテアop.136」、「ゲーテの 『ファウスト』 からの場面・序曲」、そして 「マンフレッド序曲op115」の、計7曲が収められている。 これを聴くと、シューマンのオーケストラ曲の豊かさに改めて打たれる。 シューマンのオーケストラ曲というと、協奏曲やミサ曲は別にして交響曲くらいしか知らなかった私には、新しい世界が開けたような感があった。 演奏は、ヨハネス・ヴィルトナー指揮のポーランド国立放送交響楽団。 演奏と録音も悪くない。   

12月4日(木)      *文系学者の研究費は理系学者の鼻紙程度――でも新潟大はその程度も出さない

 本日の毎日新聞にイスラム学者の池内恵がコラムを書いている。 池内氏は東大の先端研というところに籍をおいているのであるが、そこは理系の学者が圧倒的に多いので、文系学者は研究費がものすごく少なくて済むということで驚嘆されている、というような趣旨である。

 うーん、まあ、言いたいことは分かるんだけど、人文系の研究には 「ほとんどお金はかからない」 なんてモロに書かれると、誤解されるんじゃないかと心配してしまうのである。

 たしかに理系の研究に比べれば文系の研究にはお金があまりかからない。 でも、全然かからないわけじゃないのだ。 1年間に一人何百万円だとか何千万円だとかはかからないが、まともにやっていれば何十万か程度はかかるのである。

 しかし、新潟大学のような地方国立大では、今はその程度のお金も出ないのである。 人文系学問では文献をこつこつ収集することも仕事のうちだが、そういう収集が事実上できなくなっている。 文献収集にも、個々の専攻別で見れば、理系に比べてお金はかからない。 かからないけど、何十万円かはかかる。 そのお金を、新潟大学は教養部解体以来出さなくなっている。 そういう現実があるということを、池内氏は多分知らないんだろうな。

 もっとも、池内氏はいいことも言っている。 最近の文系では理系に習って集団主義的な研究が奨励されているが、文系の学問の基本は一人一人がじっくりとものを考え、それを自分の責任で文章にして世に問うことだ、と。 まったくそのとおりである。 しかし、じっくりものを考えるための材料としての文献というものは欠かせないのであって、その収集をやめたら大学は大学ではなく、単なる専門学校になってしまうのである。

 文献収集といっても、必ずしも専門的なものだけではない。 この程度の本は学生が読むように置いておいたらいいんじゃないか、というような一般書だってそうなのである。

 先日も私は 『子どもの最貧国・日本』 という新書本を新潟大学図書館に寄付した。 間違えて同じ本を2冊買ってしまったからである。 老化現象なのであるが、この程度の本が調べてみると新潟大学図書館に入っていないのである。 だから寄付した。 この場合は私の私費で寄付したことになるが、以前だったらこの手の、このくらいは図書館にあってもいいじゃないかと思える本は自分の研究費で買って図書館においてもらうようにしていた。 しかし独法化以降、個人研究費が激減したため、それもできなくなった。

 文系だって、或る程度カネは要るのである。 池内氏のような有名人には、その点で誤解が生じないように発言をお願いしたいものだ。

        *         *

     *大学文系で共通テーマの研究をやるなら、「少子化対策」 で行きなさい!

 さて、池内氏の言っているように、最近の大学では文系でも何人もの研究者がまとまったテーマで研究しろという圧力が強くなっている。 基本的には私はナンセンスと思うわけだが、もしそれでやるなら、格好のテーマがあるはずだ。 つまり、少子化対策である。

 これは一石二鳥の研究テーマである。 少子化が是正されれば、まず社会の人口構造の歪みがなくなり、年金などで少数の若い人が多数の年寄りを支えるというような無理が解消されるのである。 次に、これは大学自身にとっても役立つ研究である。 つまり、少子化が食い止められれば受験生の減少による大学の倒産がなくなり、受験料収入の落ち込みなどもなくなり、学生の質も保たれるからである。 自分の助けになる研究なのだから、どうしてやらないのか、不思議なくらいじゃないですか?

 新聞にもときどき少子化関連の記事が載る。 最近なら、不況対策で国民に金券をばらまくくらいなら、そのお金で、赤ちゃんを安心して産めるような産婦人科病院の拡充をすべきだとか、そういった類の記事である。

 これほど少子化が問題になっているのだから、特に社会学などをやっている研究者は少子化対策に特化して研究を進めればいいんじゃないか。 もっとも、これはきわめて実践的な研究だから、もしそれで効果がなかったとすると叩かれる覚悟を決めておかないといけませんけどね。 いや、大学の学問というものが果たして現実の社会をちゃんと捉えていると言えるのかの試金石となる研究であって、効果があるかどうかは、社会学などの学問が生き残れるかどうか自体にも影響してくるかも知れない。 と言うようなことを書くと、怖くて、誰も手を出さないかな (笑)?

 そして、私は 「隗より始めよ」 をモットーとする人間だから、少子化対策をテーマにするからには、大学の研究者自身がどの程度子供を作っているかを最初に調べるべきだと思う。 大学研究者ははたして日本人の平均に比して子供を多く作っているのか、そうではないのか、或いは平均的なのか。 もし平均よりかなり少ないというような結果が出ると、フリーライダーだというのでますます研究者バッシングがひどくなる恐れがあるけど、でも、これって一度調べてみるに値するテーマだと思いませんか? 

12月3日(水)       *名作文学もマンガで読む時代

 実は以前から考えていた。 ドイツ文学を日本人に親しい存在にするには、マンガにしてしまったらいいのではないか、と。 オペラだってマンガ化されているのだから (ご存じない方はこちらをどうぞ)、ブンガクをマンガにしていけないという法はなかろう、と。

 ところが、私が考える程度のことはすでに行われているのである。 コンチェルト2号さんのブログで初めて知ったのだが、名作文学をマンガ化しているシリーズがあるのだ。 イーストプレスという出版社から出ている。

 『カラマーゾフの兄弟』 だとか 『戦争と平和』 だとかの名だたる世界文学、『明暗』 や 『人間失格』 などのすぐれた日本文学、そして一般には文学には分類されないが名著として知られるマルクスの 『資本論』 だとかヒトラーの 『わが闘争』(名著というには問題ありだけど、ま、有名な本ではありますよね) なども収められている。

 ではドイツ文学はと言うと、残念ながら今のところカフカの 『変身』 しか入っていないようだ。 まあ、まだ始まって間もないシリーズのようだし、これからに期待しよう。 もっとも、イーストプレス社の宣伝サイトを見ると、『変身』について、「100年以上経た現在でも色あせない。不条理文学の傑作を漫画化」 なんて書いてあって、はなはだ心許ない。 カフカが 『変身』 を書いたのは1912年ですぜ。 まだ100年たってないんだってば。

11月30日(日)      *石山地区卓球大会 + トリオ・ベルガルモ演奏会

 本日は朝から新潟市北地区体育館で石山地区卓球大会が行われた。 私は確か3回目の参加となる。 団体戦で、各チームは原則男女5人ずつで構成され、1試合では男女ペア5組が相手チームの5組のペアと対戦する。 3組以上のペアが勝ったチームの勝利となる。 そうやって10チームがリーグ戦を行うのである。

 私の所属したチームは、健闘空しく3勝6敗で7位であり、賞をゲットすることができなかった。 賞と言っても、上位4位までに加えてブービー賞もあるので、10チーム中5チームは賞をもらえるわけで、そのもらえる半分に入り損ねた、ということなのである。 残念無念。 むむむむ・・・・・

 個人的には、4勝5敗でした。 最初の地区体育委員あいさつで、「親睦第一でお願いします」 と言われていたので、それを忠実に守った結果であった・・・・・・ということにしておきましょう (笑)。

  試合は予定より早く、午後2時過ぎに終了。 いったん自宅に戻って風呂で体を清め解きほぐしてから、夕方になってトリオ・ベルガルモの演奏会に出かける。 スタジオ・スガマタ・シリーズの第11回目。 1日2回公演のうち、午後6時からの方。

 ヴァイオリンの庄司愛、チェロの渋谷陽子、ピアノの石井朋子の3美人によるトリオ・ベルガルモは新潟の音楽ファンにはすっかりおなじみであるが、今年6月の公演は東京出張と重なって聴けなかったので、ずいぶん久しぶりのような気がする。 今回はクラリネットの広瀬寿美さんをゲストに迎えての演奏会。 ほぼ満席だが、いつもながら会場が狭いなと思う。 せめてりゅーとぴあのスタジオAくらいでやってほしいもの。 直接音ばっかりだと音響効果の点でもどうかという気もするので。

 さて、今回のプログラムは、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲作品44 (創作主題による14の変奏曲)、バルトークのコントラスト、ブラームスのクラリネット三重奏曲。

 最初の2曲は初めて聴く曲である。 ベートーヴェンは、変奏曲が次々と演奏されるなかで最後近くに美しい旋律が出てくるところが、ディアベルリ変奏曲みたいで面白く感じられた。 次のバルトークは、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノの三重奏という、ちょっと珍しい編成。 ヴァイオリンとクラリネットがそれぞれ調性の異なる2つの楽器を必要とするという、独特な演奏法と味わいの曲。 私はバルトークはショスタコーヴィチに輪をかけて不得手なので、うーん、という気持ちで聴いていたけど、最終第3楽章はそれなりに面白かったかな。

 最後のブラームスがお目当てだったのだが、なかなかの熱演であった。 第3楽章は私の好みで言うともう少し活気ある弾き方でもいいのではと感じたけど、協調のなかにも自己主張が籠められており、悪くなかったと思う。

アンコールに4人によるベートーヴェンの 「喜びの歌」 が演奏された。 そういえば、明日から12月、第九の季節なんだな、と思いながら会場を後にした。

11月24日(月)      *田母神・前航空幕僚長論文問題についてのすぐれた論考

 田母神・前航空幕僚長が懸賞に応募して当選した論文の歴史観が問題になっているが、本日の毎日新聞文化欄に川副令 (かわぞえ・れい) 日大助教の 「曖昧政治の副産物では」 という論考が載った。 この問題について本質的なところを衝いていると感心した。

 この35歳の若手研究者は、政府見解が歴史的な裏付けを不明確にしたまま放置されていることこそ問題の核心だと指摘する。

 すなわち川副氏によれば、政府の公式見解として知られるいわゆる村山談話(95年)は、核兵器の究極の廃絶などを含む未来への抱負を語ったものであり、歴史認識を語った部分はごくわずかでしかない。 村山談話でよく引用されるのは、日本が国策を誤って戦争の道を歩み、植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大の苦痛と損害とを与えた、という箇所である。 ところがこの箇所は、具体的に日本の何政権にどういう誤りがあったのかといった記述にはなっていない。 また、第二次大戦終結後、日本の 「罪」 を裁いた国々が東南アジア一帯を再度植民地化した事実をどう評価すべきかについても何も語っていない。

 こうした点をふまえて川副氏は、今の日本では歴史認識を公に語る場合の最低限の議論の水準すら確立されていない、と喝破する。 そうした曖昧な態度こそが、田母神氏の論文やネット右翼の言説などを生んでいるのだ、という。

 ことは過去の歴史だけではない。 英国ではブレア政権の大量破壊兵器の脅威を理由とするイラク攻撃参加について、ブレア政権の責任の所在を明らかにするために、独立委員会により200ページにおよぶ文書が作成されたという。 

 こうした学術的な議論や調査をおいたままにして、いくら歴史認識を語っても、問題は解決しないのである。 ことは日本の政治家や学者の知的能力の問題なのだ。 川副氏の上記の論考でも示唆されているように、日本の植民地主義は、欧米の植民地主義を考えなければその真の歴史的位置は見えてこないはずである。 日本の歴史学者は、そういう、今では当然のこととされる認識をふまえた仕事をすべきだし、そうした仕事をした上で政治家に対して提言をしていくべきだろう。 政治と学問の懸隔をこそ、埋めていかねばなるまい。

11月23日(日)        *最近聴いたCD

 *バッジーニ: ヴァイオリンとピアノのための作品集 (NAXOS、8.570800, recorded   2007, UK, 発売 2008)

  NAXOSから出たばかりの1枚。 新潟のCDショップ・コンチェルトにお勤めのコンチェルト2号さんのお薦めに素直に従って買ってみた。 イタリアの作曲家アントニオ・バッジーニ (1818−97) のヴァイオリン小曲集。 演奏はクロエ・ハンスリップで、英国の20歳の女流。 ピアノ伴奏は28歳のドイツ人カスパル・フランツ。 キャラプレーゼop.34-6、3つの抒情小品集oop.41、アラスの鐘op.36、2つのサロン風小品集op.12、2つの大練習曲集op.49、3つのソナタ形式の小品集op.44、悪魔のロンドop.25が収録されている。 全体としてあまり激越な感じの曲はなく、サロン風、家庭音楽風に終始している。 ただし最後の 「悪魔のロンド」 は、悪魔と付いているだけあって、技巧的で難しそう。 クロエ・ハンスリップのヴァイオリンはわずかに金属的な響きがする。 

 *Jolivet: Concerto pour Violin, Chausson: Poéme (harmonia mundi, HMC 901925, 2006, made in Austia)

 今月初め、錦糸町のトリフォニーホールで新日フィルの定期を聴いたとき、ソリストとして登場したイザベル・ファウストが演奏会終了後サイン会を行ったので、その時購入してサインしてもらったディスク。 アンドレ・ジョリヴェ (1905-74) のヴァイオリン協奏曲と、ショーソンの詩曲を収めている。 ジョリヴェの協奏曲は、いかにも現代音楽という感じで、ヴァイオリン高音の美しさはそれなりに活かされてはいるが、あまりなじめない。 有名な 「詩曲」 のほうは、しっかり弾いているけど、蠱惑的というような演奏ではない。 現代風の 「詩曲」 と言うべきかな。 バックは、マルコ・レトーニャ指揮のベルリン・ドイツ交響楽団。

11月22日(土)      *天は二物を与う! 南紫音ヴァイオリン・リサイタル     

 午前中、入院中の母の見舞いに船橋医療センターまで出かける。 女房同伴。

 その後、都内で用事がある女房とは昼食を東急デパートの中華料理屋でとったあとに別れ、新宿で映画を1本見てから、午後6時開演の標記の演奏会に向かう。 実は他にも 「どちらにしようかな」 と思っていたコンサートがあったのであるが、この演奏会に当日券があるかどうか、昼過ぎに会場に電話して尋ねたら、「ありますけど、残りがわずかですから、いらっしゃるなら今予約されておいたほうが・・・」 と言われて、ええい、それなら決めてしまえ、ということでこれに決定。

 会場のフィリアホールは私としては初めて。 場所は渋谷から東急田園都市線に乗り、急行利用で25分 (鈍行だと35分) の青葉台という駅 (渋谷から片道260円) で、駅前の建物の5階に入っている。 住所で言うと、横浜市青葉区、ということになるようだ。 定員五百人の室内楽専用ホール。 平土間と、左右両脇に1列、正面後方に2列の2階席があり、私の座席はその2階正面1列目の右端近く。 右端といっても2階で舞台を見下ろす位置であるせいか、さほど 「端っこ」 という感じはしない。 これでSランク、4000円。

 ピアノ伴奏が江口玲で、前半はベートーヴェンのソナタ第1番とブラームスのソナタ第3番、後半がラヴェルのソナタ遺作とサン=サーンスのソナタ第1番。 つまり前半がドイツ、後半がフランスという配置。 しかもソナタばかり4曲という本格的なプログラム。

 正直に書くと、私はヴァイオリンが好きだし、もちろん美少女も好きなので (笑)、南紫音を聴いてみたい気持ちはもともとあった。 しかしこの日、他の演奏会と比べて 「どちらにしようか」 と迷っていたのは、ネットで 「美少女ということで売っているだけ」 というような書き込みを見たことがあったからである。

 しかし、実際に聴いてみると、飛んでもない!!! そういうことを書いた奴は、きっと耳が足の裏にでもついているのだろう。 ロン=ティボー・コンクール2位の入賞歴は、伊達じゃないのだ。

 この人、とにかく集中力がすごい! また、曲をよく研究していると思う。 細部までよく考え抜かれた、それでいて渾身の力をこめた演奏は、聴いているだけでこちらの体が熱くなってくる。

 この日の4曲はどれもよかったけれど、白眉はなんと言ってもブラームスであろう。 曲が演奏家の資質とぴったり合っていて、曲に籠められた激情がほとばしり出るよう! 私はこの曲、今までに何度か実演で聴いているけど、そのベスト1だと言える。 こんな演奏を聴いてしまうと、なまなかなブラームスでは満足できなくなってしまいそう。 プログラムの前半だったけれど、ブラボーの声が上がったのも当然。

 最後のサン=サーンスも別の意味でびっくりした。 この曲、どちらかというと軽めの、洒脱さを売りにした曲だと思っていたのだが、この日の演奏会で聴くと、「この曲、こんなすごい曲だったのかな」 とうちのめされた気分。 サン=サーンスというよりはベートーヴェンの運命交響曲か何かを聴いているような感じなのだ。 まあ、もっと軽く弾いておいてもいいじゃないかという考え方もあるだろうけど、曲の一面を引き出しているという意味では貴重な演奏だったと思う。

 アンコールに、プロコフィエフの 「3つのオレンジへの恋」 からマーチ、そしてシューマンの 「3つのロマンス」 から第2曲が演奏された。

 弾いているときの南紫音さんは、整ったお顔が鬼のようになり、というと言い過ぎだけど、とにかく他人を寄せ付けない厳しい表情になる。 そして、弾き終えると、一転して美しく人なつっこい笑顔になる。 何とも言えずチャーミングなのである。 ドレスは赤だが、昨日のヴェロニカ・エーベルレのドレスよりわずかにピンクっぽい赤であった。

 この日の演奏会では江口玲氏の好サポートにも触れないわけにはいかない。 私は江口氏も生で聴いたのは初めてであるが、以前チー・ユンの伴奏をしているCDを聴いて以来、注目してきた。 美しく響きの良い音がヴァイオリンの伴奏という域を超えて魅力的だったからだ。 もっともCDだとそれが実力なのかどうかよく分からないわけだが、今回生で聴いて、実力なのだと分かったのである。 また南さんのヴァイオリン演奏を注意深く見守り寄り添い合わせていく、そして自分をも出していく力量はたいしたものと言わねばならない。

 南さんのヴァイオリンでちょっとだけ気になるのは、高音の美しさがもう一つであること。 逆に中音域では音に豊かさと魅力がありました。 もっともこれは会場のせいかもしれないし、私の座席位置のせいかもしれないのだが。 ブラームスで第2楽章の中音域で勝負するところなど、そうした彼女の音の特徴がよく出ていて、すばらしかった。 案外、ヴィオラを弾いても実力を発揮するタイプなのかも知れない。

 CDを販売していてサイン会もあるというので、財布の中身が軽くなっているのも構わず購入して南さんと江口氏のサインをもらってきた。 サイン会は長蛇の列。 人気と実力を兼備したお二人だからこそ、と言うべきであろう。 実にいい演奏会であった。

 最後にこぼれ話を。 ホール2階席の会場係員 (若い女性) は、開演前、2階座席の前にあるワクの上にパンフを置いている客だとかコートを座席の背もたれにかけている客に注意をしたりして、仕事熱心だけどちょっとうるさ型かなと思っていたのだが、途中休憩後、後半の演奏が始まる直前に私が座席下に置いておいたカバンから咳止めのノド飴を取り出して口に入れようとしたら、寄ってきて 「お客様、会場内でのご飲食は・・・」 と言うので、おいおい、と内心苦笑いして、クラシックコンサートでは咳止めのノド飴をなめるのはよくあることでしょと説明したら、「他のお客様の迷惑になりますから」 と言うので、咳が出ると他のお客様の迷惑になるから、そうならないようになめるんでしょとさらに説明して、やっと納得してもらった。 このホール、会場係員の教育に問題があるかも・・・・。

 サインをもらった私は、青葉台駅に急ぎ、渋谷行きの急行に乗った。 午後9時からユーロスペースでレイトショーの映画 『帝国オーケストラ』 を見るためであった。

11月21日(金)       *NHK交響楽団第1633回定期公演     

 2限の授業を済ませたあと上京する。 午後7時から標記の演奏会に行く。 実はほかにも良さそうなオケ・コンサートがあり、武蔵野市でのアルメニア・フィルとオペラシティホールでの東フィルにも心惹かれたのであるが、その前に新宿か渋谷で午後4時台から始まる映画 (数本候補あり) を1本見てからという条件をつけると、時間的に間に合うのは 「渋谷で映画 → NHKホールでN響」 という選択肢のみだと分かったので、結果、これにしたというわけ。

 指揮はイルジー・コウト、ヴァイオリン独奏はヴェロニカ・エーベルレ、コンマスが郷正文で、ドヴォルザークの交響詩 「真昼の魔女」、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲、ショスタコーヴィチの交響曲第9番というプログラム。 座席は1階Lの12列目。 Aランク席で6930円。

 最初の交響詩は初めて聴く曲で、解説によると民話をもとに作曲されたものだとのこと。 民話自体はどことなく 「魔王」 に類似した筋書きである。 ただし付けられた音楽の方は、まあ何となく描写的なのは分かったが、あまり面白いとは思えなかった。

 さて、次は注目のヴァイオリニスト登場。 来月に満20歳になるというドイツの若い女流だが、10歳でミュンヘン交響楽団と、17歳でラトル指揮ベルリンフィルと共演したという経歴の持ち主。 真っ赤なドレスに身を包んでの登場。 会場がだだっ広いのでさすがに朗々と響くというところまではいかないが、しっかりとした音はバックに埋もれることなく、そして技巧的にも安定を保って協奏曲を弾ききり、大喝采を受けた。 3曲のなかでは一番の拍手だったと思う。 アンコールとして、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の第1楽章が演奏された。

 最後は私が不得手とするショスタコーヴィチ。 彼の第9は短めで諧謔的なところが 「第9だから」 という期待をハズした例として有名だが、この日の演奏もそういう軽さをよく出した演奏。 コウトの指揮も、その軽さを自ら体現するかのごとくで、ちょっとおどけた身振りを見せながらの独特の動きを見せていた。

 7時開演で終わったのが8時50分くらい。 協奏曲は良かったものの、後半が短めのおどけた交響曲ということで、何となく満足感が足りないような、そんな気分でホールを後にした。

 あと、NHKホールも久しぶりに入ったので以前はどうだったか覚えていないのだけれど、途中休憩のときトイレに行こうとしたら男性用は長蛇の列。 女性用は1階に2箇所あるのに、男性用は1箇所しかない。 女性は男性に比べてトイレに要する時間が長いので、女性用が多くあること自体は構わないが、あの大きさのホールの1階分の男性用としては明らかにスペースが足りない。 翌日行ったフィリアホールが室内楽用で500人定員なのに男性トイレはNHKホール1階男性用に比して倍のスペースがあった。 公共放送のホールとして、一考してほしいものである。

11月19日(水)        *充実した一夜! 佐々木和子室内楽シリーズIX

 午後6時半からだいしホールに標記の演奏会を聴きに行く。 中2の娘同伴。 ピアニストの佐々木和子さんが毎年開いている室内楽の演奏会。 今年のゲストは豪華! 東響のコンサートマスターであるグレブ・ニキティン氏と、同じく東響のチェロ首席であるベアンテ・ボーマン氏のお二人である。

 お二人とも新潟でも東響新潟定期でおなじみであるが、今回はお話を聞くこともできまた。 日本での活動歴が長いので、日本語がお上手。 特にボーマン氏の日本語は見事。 また、ふだん私は東響新潟定期では3階席で聴いているのであまり意識しなかったのだが、お二人の背丈はかなり違う。 ボーマン氏はニキティン氏のあごのあたりまでしかない。 佐々木和子さんよりこころもち大きいかな、という程度。 ご出身がスウェーデンということで、北欧の人というと背が高い印象があるけれど、人間、色々なのだ。

 さて、プログラムは、前半が、ヘンデル+J・ハルヴォルセン (1864-1935) のヴァイオリンとチェロのための二重奏パッサカリア、シューベルトのアルペジョーネ・ソナタ、プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ第2番。 後半が、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番。アンコールとして、「ロンドンデリーの歌」、そしてチャイコフスキーの 「白鳥の湖」 から 「情景」 (組曲版で第4曲目) が、いずれもピアノ三重奏で演奏された。

 最初の曲は、ヘンデルのハープシコード組曲第7番ト短調のなかのパッサカリアをもとに、ノルウェーの作曲家が作った二重奏曲。初めて聴きましたが、結構楽しめた。

 次がアルペジョーネ・ソナタ。 ボーマン氏の演奏は、陰影や強弱をつけてメリハリを出したもの。 時々左手の押さえがやや甘くなるのが瑕瑾だが、表現意欲に満ちたシューベルトという印象だった。

 さて、次が聴き物であった。 ニキティン氏は上述のように東響のコンマスとして新潟でもおなじみであるが、同じくコンミスである大谷康子さんの人気が絶大なので、ややその陰になっているようなところがある。 しかしこの日、改めて 「この人はすごい実力の持ち主だな」 と痛感した。 美しい音、そして左手の技巧、いずれも完璧と言いたくなってしまう演奏なのである。 こんなに安定していて破綻の影もないヴァイオリニストはそんなに沢山いないんじゃないか。 ご本人の話ではかの有名なオイストラフの弟子だそうだが、伊達にオイストラフの弟子をやってなかったということであろう。 とにかくこのプロコフィエフはすごかった。 うーむ、と唸りたくなってしまうくらい。 ピアノも、アルペジョーネ・ソナタのときは上蓋を少ししか開いていなかったが、ここでは普通に大きく開いて、二重奏としての妙味をしっかり聴かせてくれた。

 後半のメンデルスゾーンも見事だった。 会場の広さのせいか、メンデルスゾーンの品の良さというよりは迫力の勝った演奏だったと思う。

 午後6時半に始まった演奏会は、アンコール2曲をやって終演となると8時50分近くになっていた。 途中休憩が15分で、出演者によるおしゃべりもあるとはいえ、量的にも満足できる夕べだったと言えるだろう。 客の入りは7割くらいだったが、満席に値する演奏会だったのではないだろうか。

11月16日(日)       *親睦卓球大会、ただし問題多し

 朝から、有明台小学校体育館を借りて、浜浦クラブ、有明台クラブ、西内野クラブと、社会人卓球の3クラブが合同で親睦卓球大会を開く。 昨年度も同じ頃に開催したもの。

 ただし、今回は問題が多かった。 昨年度と比べて参加者が少なく15名。 これは、他のクラブの方に応援を頼んでこの程度なのである。 加えて、試合後の懇親会では出席者わずか5名という惨状であった。

 理由は色々考えられる。 今回は衆議院選挙がこの時期に行われる可能性があり、そうなると小学校の体育館は投票所として使われるので卓球大会のために借りることができない。 それで、最初は10月にと言っていたのが何度も変更されて、ようやく本日に決まったといういきさつがある。

 あらかじめ別の用事がこの日に入っていた人は欠席もやむを得ないだろう。 また、今日になってから同居している老父が倒れて救急車で運ばれたという人もいて、これまたやむを得ない。 病気で2、3日前に欠席を通知してきた人もいた。 これまたやむを得ない。 また、試合には出ないという原則の人もいて、そういう人も原則を守ったわけだからやむを得ない。

 困るのは、理由がはっきりしないまま前日に突然出ないと言い出す人だとか、○○さんが出ないから私も出ない、なんて女子中学生並みのことを言う人がいるということだ。 社会人の名に恥じると思うんだけど、現実はそういうものなのである。

 試合と懇親会の段取りはMS氏が決めたのだが、ちょっと気の毒であった。 こういう調子だと、昨年始めたばかりの大会なのに、わずか2回で消滅という可能性もある。 特にどうってことない卓球大会でも、運営する人とそれ以外の人との間にこれだけ意識の差がある。 世の中はむずかしい。  

11月14日(金)         *オバマ氏と小浜市をめぐって――呉智英、佐々木譲に圧勝

 アメリカ大統領選でオバマ氏が圧倒的な勝利を収めて何かと話題になっているが、その中で日本の小浜市がオバマ氏と同じ発音であることから同氏を勝手連的に応援している、というトピックもかなり知れ渡ってきている。 このことについて、産経新聞のコラム 「断」 に対照的な意見が掲載された。 

 まず、評論家の呉智英氏が11月9日に書いたもの。 題して、「すばらしきオバマ勝手連」。

 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081109/acd0811090309000-n1.htm 

 米大統領選挙で民主党のオバマが勝利した。初の黒人大統領が誕生する。これをどう評価していいか、私には分からない。民主党はリベラル政党だが、米国のリベラルは日本のリベラルとはしばしば正反対の政策をとる。従ってリベラルだから良いとも逆に悪いとも単純に言えない。黒人大統領誕生が慶事だとしても、黒人であるが故に善政をするかどうかは、なんとも言えない。つまりどう評価していいか判断に迷うのだ。

 ところが、オバマと名前が同じだという理由で、この二月からオバマ支持の運動をしてきた人たちがいる。福井県小浜市の市民有志が作る勝手連だ。今回のオバマ勝利には大歓声が沸き起こった。取材の外国人記者からは名前が同じだというだけで熱狂的に支持する市民たちに驚きの声が上がった。

 私、こういう運動、すごく好きです。私が小浜市民だったら率先してやりたかった。運動の秘めた本旨はもちろん民主主義批判である。オバマが勝とうが負ケインだろうが、そんなことはどうでもよい。世界中がマインドコントロールされている良識という迷信の打破が目的なのだ。私は関わることはできなかったが、今回の勝手連は見事な運動だった。民主主義は本質的に衆愚主義でしかありえず、市民とは愚民の別名に過ぎないことを、世界中に発信したからだ。

 終戦直後にカストリ焼酎を愛飲したのでカストロを支持するとか、サル年生まれだからサルコジを応援するとか、そんな素敵(すてき)な運動がもっと起きるといいな。 (評論家)

 次に、本日、作家の佐々木譲氏が次のようなコラムを載せた。 題して、「悪意の注目」。

 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081114/acd0811140345001-n1.htm 

 その注目が、嘲(あざけ)りと言うか、からかいというか、要するに対象に対してまったく共感も好意もない動機に発する報道がある。

 たとえば一世を風靡(ふうび)した音楽プロデューサーが詐欺事件で逮捕されたとなれば、マスメディア、とくにテレビは、その転落ぶりの落差をじつに視覚的にわかりやすく、視聴者に提供する。

 容疑者の栄華の日々を証明する古いストック映像は、たぶんその日があることも見越して撮影されていたものだ。ただ、得意の絶頂にいるあいだ、ご当人たちは群がるメディアのその悪意には気がつかない。

 リポーターたちの歯の浮くようなくすぐり文句も、おのれの輝きの証明と感じ取る。取材陣の「もっとやって」とあおる言葉にホイホイ乗って、愚行をいっそうエスカレートさせる。報道された中身を観ても、そこにこめられた皮肉や揶揄(やゆ)の調子は、取材されたご当人たちにはわからない。

 対象は芸能人にかぎらない。とくに一般庶民がメディアに注目されたなら、そこにはメディアの悪意があると思っておいたほうがよいのではないか。

 ところで、話題は全然変わる。アメリカ大統領選挙の報道がらみで、福井県小浜市にはメディアが大挙押しかけた。市は新大統領を名誉市民とするとか。ホワイトハウス前でフラダンスを披露するとも聞いた。いまあの町から発信される微笑(ほほえ)ましいニュースは、まるで清涼剤だ。あの町の行政関係者や市民の素朴さと無邪気さの報道に、私はすっかりなごんでいる。 (作家)

 呉智英と佐々木譲は小浜市のオバマ氏支持に正反対の態度を示した。 どちらが正しいかといえば、言うまでもなく呉智英のほうである。

 なぜか。 名前が同じだというだけで、オバマ氏の政治姿勢などまるで問うことなく支持してしまう小浜市の愚かさを、ユーモラスに、しかし皮肉たっぷりに明らかにしているからだ。

 と書くと、オバマ氏は黒人初のアメリカ大統領だし、支持率も高いし、何となくいい人みたいだし、そんな堅苦しい見方をしなくたっていいじゃないか、という声も上がりそうだ。

 しかし、政治家はあくまで政治家としての力量と成果によって計られるものである。 支持するに際しては無論、その政治家の未知数の部分に過剰な期待を抱く場合は多いが、発音がたまたま同じだったからというだけの理由で支持するなら、それは自分にいかに政治を見る目がないかを示すことでしかないのだ。

 私は想像するのだが、例えばオバマ氏が共和党の候補で、しかもブッシュと同じようなタカ派だったとしたら、小浜市はオバマ氏にこれほど肩入れしただろうか。 どうも、黒人候補だとか、民主党でリベラルっぽいだとか、そういうところに暗黙の前提条件があったような気がする。 (それは政治的な理由というようなものではなく、漠然とした雰囲気に媚びる態度に過ぎない、と私は思うが。)

 そして私はもっと意地の悪い想像をする。 仮にだが、オバマ氏が大統領在任中に、ニクソンのようなスキャンダルにまみれて途中退陣を余儀なくされるような事態になったら、小浜市はどうするのだろう。 その時になってあわててオバマ氏支持を取り消すのだろうか。 それとも、あくまで同じ発音のよしみで孤立無援のオバマ氏を支持して、自分も孤立無援の地方自治体に転落する覚悟なのだろうか?

 そういう可能性はゼロとは言えない。 むかし、日本で田中角栄が自民党の幹事長になって飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃、生まれたばかりの息子に角栄という名を付けた日本人がいた。 やがて田中角栄は首相となり、学歴がないのにトップ権力の座に上りつめた今太閤ともてはやされたが、間もなくロッキード事件で失脚し、犯罪人扱いされるようになった。 そうなると、角栄という名を付けられた子供はその名前故に学校でイジメを受けるようになり、ついに改名せざるを得なくなった。 これは実際にあった話である。

 仮にオバマ大統領が途中で失脚したら、小浜市も市名変更したり・・・・・・・するのかなあ? こういうことを考えてしまうのは、佐々木譲氏の言う 「悪意の注目」 ですかね?

11月13日(木)       *第4回プライム・クラシック1500 ピアノデュオ

 夜7時から標記のコンサートを聴きにりゅーとぴあに行く。 1500円でちゃんとしたクラシックコンサートが聴ける 「プライムクラシック1500」 シリーズの第4回で、デュオ・グレイス(Duo Grace)こと、高橋多佳子さんと宮谷理香さんによる2台のピアノのリサイタル。 ピアノデュオの演奏会は、少なくとも新潟では珍しい。

 プログラムは、前半がモーツァルトの2台のピアノのためのソナタK.448、ショパンのスケルツォ第3番 (宮谷)、同じくバラード第3番 (高橋)、ルトスワフスキのパガニーニの主題による変奏曲。 後半が、アレンスキーの組曲第1番作品15よりワルツ、チャイコフスキーの花のワルツ、ラフマニノフの組曲第2番作品17。

 私はお二人とも生で聴くのは初めて。 席はCブロック前の方の右寄りだったが、オペラにもめったに持っていかないオペラグラスを持参。 理由は言うまでもなく二大美女ピアニストをよく見るため。 でもチラシの写真と生は、やはりちょっと違うのだなあ。 詳しくは略 (笑)。 お二人とも前半と後半とで衣裳を変えて登場され、ヴィジュアルにも気を遣っておられるのがよく分かった。

 さて、最初は一番のお目当てのモーツァルト。 私はこの曲が大好きなのだが、生で聴いたのは今回が初めてである。 名曲なのに生で接する機会が少ない作品の一つだろう。 2人のピアニストが競い合うようにして弾くところに醍醐味があるのですが、その点でまずまずの演奏だったと思った。 私の好みで言うと、第3楽章はもう少し 「疾走するモールァルト」 でも良かったような気もしたが。

 後半最後のラフマニノフ (ここで初めて宮谷さんが第1ピアノ、高橋さんが第2となって、それ以前と逆に) も充実した演奏で、お二人の本領を出しているように感じられたが、私はこの夜、塾に行っている娘をクルマで迎えに行かねばならず、ラフマニノフの2曲目が終わったところで退出。 後でサイン会もあったようで、美女ピアニストを間近で見られるチャンスだったのに、残念無念!!ぜひまた新潟に来てください、私のために (笑)。

客の入りは、1階が7〜8割くらい、私のいた2階Cブロックは6〜7割程度か。 あと両脇のB・Dブロックに10人くらいずつだったか。 モーツァルトの第1楽章が終わったところでかなり拍手があったので、普通のクラシック演奏会とは違う客層だったのかもしない。

11月11日(火)       *かつて小学校教員だった老婦人の死

 大平照朝 (おおひら・てるさ) 先生ご逝去の知らせを本日ご親族の方からいただいた。 私がいわき市 (厳密には、当時はまだ合併前でいわき市はできていなかったが) の小名浜第二小学校3年生のときに担任をしていただいた先生である。 亡くなられたのは5月だったようで、享年94歳と長生きされた。

 私が9歳のとき、つまり今から47年前の担任だから、当時の先生は47歳である。 私からすると母と祖母の中間くらいの年齢になる。 私は小学校1年次は違う学校で若い女の先生に習い、2年次は転校して30代初めの男性教師K先生 (後述) に習った。 いずれも優しい先生だった。 ところが大平先生はなかなか厳しい方で、私は 「さすが3年生になると担任も厳しい先生になるんだなあ」 などと思ったものである。 ただし厳しいと言っても理不尽な怒り方はされなかったし、ヒステリックになることもなかったので、私なりに敬愛の情は持っていた。 まあ、当時の私は優等生だったので、先生にも目をかけられており、それを自覚していたから、ということもある。

 しかしその後担任をしていただくこともなく、中学に入るとお目にかかる機会もまったくなくなった。

 今から14年前、中学校の学年全体の同窓会が卒業後初めて行われ、中学時代の担任の先生お二人と久しぶりに再会する機会を得たのだが、そのとき、私はこう考えた。 小学校については、同窓会というものが行われたことがないし、この先も多分ないであろう。 中学時代の先生はこれでいいとして、小学校時代の先生はどうだろうか。 このまま手をこまねいていたら、再会する機会もあいさつする機会もないままに終わるだろう、と。

 ただし、小学校時代の2・4年次に担任をしていただいたK先生は、その奥様に書道を教わっていたこともあり、公私ともに非常にお世話になったという自覚があるので、同窓会より数年前に故郷に立ち寄った際にあいさつにうかがい、その後毎年12月に年末のあいさつをお送りする習慣ができていた。 だからK先生についてはいいとして、それ以外で気にかかっていた小学校時代の担任の先生というと大平先生なのである。

 そこで私は少しあとになってから或る機会に故郷に立ち寄り、いわき市役所を訪れて、むかし市内の小学校の先生をしていた方の住所が分からないだろうかと訊いてみた。 実は私は簡単に考えていて、市内の小中学校の教職員には年度ごとの名簿のようなものがあるのではないか、昔のそうした名簿を見ればすぐに分かるのではないか、と思っていたのである。 ところが、そんなものはないという。 しかし市役所の職員は親切で、私が通った小学校に古い書類が残っているはずだからそれを調べさせると言って、電話をかけてくれた。 その結果、先生は私が大学に入学した年に退職されていることが分かった。 退職時の住所も判明したが、電話番号簿で見ても今現在はそこに大平という姓の人は住んでいないという。 そこに行って近辺の住人に尋ねてみれば何か分かるのではないか、と市役所職員は教えてくれた。

 そこでそのとおりにしてみたところ、近所の方から情報が得られた。 先生はご主人、その妹、そしてその息子 (つまり先生の甥) と4人で暮らしていたという (ご主人の妹さんは未亡人だった)。 甥御さんが学校を終えて就職することになり、それが茨城県の友部なので、一家全員で友部に引っ越していったとのこと。 そして甥御さんの姓も教えてもらった。 近所の方は、甥御さんの下の名前は完全には思い出せなかったが、愛称は覚えていたので、或る程度類推可能である。

 そのときはすぐに友部にかけつけるだけの時間的な余裕がなかった私は、数カ月後の夏休み、長男と次男を連れて船橋の老母宅を訪れていたとき、クルマに二人を乗せて友部まで常磐高速道をドライブし、現地で電話番号簿を調べてみた。 友部はさして大きな町ではない。 甥御さんの姓、そして愛称から類推可能な下の名前、その両方を満たす氏名はそう多くない。 甥御さんを探し当てるのに手間はかからなかった。 しかし電話で聞いてみると、大平先生はすでに同居しておらず、船橋におられるという。 私はちょっとびっくりした。 老母の住所からそう遠くないところに住んでおられたのである。

 私は常磐高速道をとってかえし、船橋で該当する住所を探した。 探し当てるのに時間はかからなかった。 こうして担任をしていただいてから33年後に再会を果たしたのである。 さいわいにして先生は私を覚えていて下さった。

 その後は再会する機会はなかったが、年賀状は欠かさず出していた。 数年前の年賀状に 「私も90歳になりました」 と書かれていたので、長生きされているなあと感慨を覚えたが、今年は年賀状が来なかったので、ご病気かもしれないと思っていた矢先の通知であった。

 無名の元小学校教師の死にはニュース・ヴァリューなどないかも知れない。 しかし、仮に先生の教員としての勤務年数を(少な目に見積もって) 20年としても、約1000人の生徒が先生の教えを受けたはずである。 そうした人たちは主としていわき市や首都圏に住んでいるであろう。 そういう人たちのためにも、ここに私は大平先生が亡くなった事実を書き記しておく。 つつしんで先生のご冥福をお祈り申し上げる。

11月9日(日)      *最近聴いたCD――ダヴィド・オイストラフの3枚

 *David Oistrakh plays sonatas (Testament, England, SBT1113, 1997, 原録音1955-56, MONO)

 今月初め、東京に行った際に高田馬場の中古CD屋で購入した1枚。 ダヴィド・オイストラフがモノラル録音時代に吹き込んだ3曲のヴァイオリン・ソナタを収録している。 プロコフィエフの第2番、ハチャトリアン(作品1)、シマノフスキ(作品9)である。 いずれもオイストラフらしく安定した演奏だが、プロコフィエフあたりはやや円満すぎて、もう少しエグさを出した方がプロコフィエフらしくなるんじゃないかという気もする。 あとの2曲は初めて聴いたけど、シマノフスキのソナタはなかなか魅力的。 実演では聴いた記憶がないが、もっと取り上げられてもいいんじゃないかと思った。 ピアノ伴奏はウラディーミル・ヤムポルスキー。

 *Critics' Choice: Mozart、Bruch、Hindemith (Decca, 476 7288, 2005, 原録音1962-63)

 これもダヴィド・オイストラフの入れたCD。 9月に石丸電気新潟店が閉店する直前に閉店セール7割引で買った2枚組。 1枚目にはモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲K.364、そして同じくモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲K.423が、2枚目にはブルッフのスコットランド幻想曲とヒンデミットのヴァイオリン協奏曲(1939年作曲) が収められている。 オイストラフはモーツァルトではヴィオラを弾き、息子のイーゴリ・オイストラフがヴァイオリンを弾いている。 2枚目はダヴィド・オイストラフの独奏である。 伴奏は、モーツァルトではキリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィル、2枚目はオケは2曲ともロンドン交響楽団、指揮はブルッフではヤッシャ・ホーレンシュタイン、ヒンデミットではヒンデミット自身である。 安定した演奏であることは上記CDと同じ。 モーツァルトではイーゴリの美しい高音とダヴィドのふくよかなヴィオラの音が何とも言えず魅力的。 ヒンデミットの協奏曲は初めて聴いたが、全体的に高い音でヴァイオリンを歌わせていて、まあ独特の抒情があるのかもしれないけど、どうも私にはピンとこなかった。

11月6日(木)      *新潟大学Gコード科目をめぐる斉藤陽一先生と私の議論――結論として   

 当サイトの愛読者で記憶力のよい方 (そんな人いるのかな?) は覚えておいでであろう。 今年の7月に斉藤陽一先生と私 (三浦) の間で、Gコード科目 (教養科目) の配置をめぐって議論があり、それがこの欄に掲載されていたことを。 その後、議論は水面下に潜って、メールでのやりとりとなり、その結果については後日お知らせすると書いておいた (7月14日を参照) のだが、なかなか掲載されないといらだっていた読者の方もおられた・・・・かもしれない。

 斉藤先生はきわめて多忙な方なので、議論をつめることができず、そのままになっていたのであるが、そろそろ結論を出さねばということで、メールでのやりとりの結果、以下のようにまとめてみた。 斉藤先生の了解を得た上で、以下に掲載する。

 (1) まず、Gコード科目の数と配置について、学生数や学生一人当たり必要な教養科目の単位数、専門必修科目が置かれている曜限などとの兼ね合いについて、新潟大学はちゃんと調べた上でやっているのか、ということだが、全然調べていないわけではないが、事実上調べていないと言われても仕方がないような有様であることが判明した。 斉藤先生のご説明は以下の通りである。

 「授業科目数と聴講可能人数について、ここ何年かは数を出していないこと、最初のころにやったであろうあと、前年との比較で進めてきた」 〔注1〕
 「ただ、数を出すことは、一定程度有効であるが、完全な解決ではないだろう」
 「現在の体制が完全ではないことは、三浦先生のご指摘を裏付ける事態 (動き) がありましたので、さらにうまく進めるよう改革したい」

 以上 「 」 内はあくまで斉藤先生のご説明である。 私 (三浦) は必ずしも納得していない。 以下は私の意見である。

 専門科目は、学部ごと学科ごとの縛りがあり、学科単位で 「必修単位はこれこれであり、学生数がこれこれだから、コマ数はこれだけ必要」   「必修科目Aが火曜3限にあるから、必修科目Bはそこに置いてはいけない」 といった配慮がきちんとなされる。 しかしGコード科目にはそういう学科ごとの縛りがない。 その分、統括的な仕事をしている人――つまり斉藤先生――の責任は重いはずだが、学科単位なら専門科目についてやっていることを事実上やっていないわけだ。 無論、Gコード科目はコマ数だけでも膨大な数に上るし、9つの学部の、さらにその中で学科ごとに異なる専門科目をかかえた学生たちが受講するのだから、仕事は大変だし、学科の専門科目のような完璧を期すことは難しいことは分かる。 しかし難しい仕事だからこそそれにふさわしい体制を作っておかねばならないのに、新潟大学は逆にGコード科目を管理する仕事をなおざりにしてきたわけだ。 ただし、そのなおざり体制自体は斉藤先生の責任ではなく、学長や理事の無能さに求めなくてはならない。 〔注2〕 また、斉藤先生はこの仕事に就かれてから1年半であるから、先任者たちが無能だったということにもなるだろう。 いずれにせよ、これからの斉藤先生のご努力に期待するしかあるまい。

 注1 斉藤先生から、「ガイドラインなどいくつかの配慮はなされている」 とのご説明が再度あった。

 注2 この部分について斉藤先生から次のようなコメントがあった。 「理事の無能さの指摘については、三浦先生が理事に就任されて改革をなさってから、とまでは言わないまでも、改善策の提案をされて、それが受け入れられてからでも遅くないのではないですか?」

  (2) 大事なのは斉藤先生と私が議論することではなく、Gコード科目についての状況が改善される ことである。 10月ともなれば来年度の授業予定はほぼ確定しているが、では来年度の新潟大学のGコード科目には具体的にどのような改善が見られるのか。 また、斉藤先生はどのように改善されようとしたのか (改善しようとして果たさなかった場合も含む)。

 斉藤先生のご説明によれば、「色々改善点もあったが、人文系は、私から担当者にメールを出しましたが、残念ながら全く動いてくれませんでした。 これは三浦先生の指摘の通りです」
 
 以下、私の見解だが、上記の斉藤先生のご説明から、現在の新潟大学のGコード科目担当体制がきわめていい加減であることが分かるだろう。 斉藤先生はGコード科目に関する責任者 (全学教育機構授業科目開設部門長) であるが、教員に強制する権限は持っておられない。 したがって依頼のメールを出されたわけだが、教員のほうで動かなければ、それ以上どうしようもないということになる。

 となると、最初 (7月) に私がこの欄で主張したように、1限の授業を持たない専任教員は給与を1割減にするというような強制的な方策しかない、という結論になるのではないか。 これに加えて、一定数 (コマ数、定員) のGコード科目を持たない専任教員も給与を1割減にするということにすれば、Gコード科目を確保する上で効果的ではないだろうか。

11月3日(月)      *新日本フィルハーモニー交響楽団トリフォニー・シリーズ第439回定期演奏会

 午前中、船橋医療センターに息子2人を連れていく。 言うまでもなく老母の見舞いである。 長男はこの春東京に就職したばかりで西船に住んでいるのですぐだが、次男はやはりこの春調布の大学に入学したばかりで、調布から船橋まではかなりかかるので大変だっただろう。

 見舞いのあと3人で墓参もして、それから船橋駅ビルの東武デパートに入っている精養軒でステーキ定食を食わしてやって、解散とする。

 そのあと、午後3時から標記の演奏会を錦糸町で聴く。 指揮はクリスティアン・アルミング、ヴァイオリン独奏がイザベル・ファウストで、前半がクルタークの 「石碑」op.22(1994)、ベルクのヴァイオリン協奏曲 「或る天使の思い出のために」。 後半が武満徹の弦楽オーケストラのための 「死と再生」 〜 映画 『黒い雨』 より、そしてマーラーの交響曲第10番アダージョ。

 当日券B席、5500円で聴く (東響川崎定期より1500円も高い!)。 会場は9割くらいは入っており、前日川崎で東響を聴いた身からすると、「入りがいいなあ」 とびっくり。 席は3階正面の5列目、やや右寄り。

 聴く前は、ベルクとマーラーのウィーンつながり (そしてアルマつながり) はともかくとして、あまりまとまりのないプログラムなのかなという先入観を持っていたが、聴いてみると、一貫性のある良く考えられた選曲なのだと分かってきた。 パンフには書かれていないけど、後日サイトで調べたら、「死の神秘」 という総題が付いている演奏会だったようである。

 最初のクルタークは初めて聴く曲で、初めのあたりはいかにも現代曲かなと思っていたのであるが、後半になると現代風ながらもそれなりの情感が伝わってきて、ベルクやマーラーとの共通性が感じられた。 パンフによると、クルタークは1926年ルーマニア生まれで現在はフランス在住、作曲家としては寡作で、しかも普通の編成のオケでは難しい楽器編成が多い中にあって、この曲は 「演奏旅行でも無理なく演奏可能な伝統的な管弦楽配置を採用」 とのことだけど、しかしフルート4本に加えてアルト・フルートとバス・フルートも必要なので、横笛奏者が6人ずらりと並んだところはなかなか壮観である。

 さて、次のベルクではイザベル・ファウスト登場。 生で聴くのは初めて。 出てきた姿を見て、ちょっとびっくり。 普通のドレス姿ではない。 暗色の上下服 (下半身はズボン) の上に、真っ赤な長い上着 (ガウンと言えばいいのかな) を羽おり、それが上端の首に近いところだけボタンでとめて、その下は前あきですらりとくるぶし近くまで伸びている。 加えてこのガウンは長袖。 こんな格好で協奏曲を弾く女性ヴァイオリニストって、初めて見た。 演奏は、私の席が舞台から遠いので、さすがにオケが大音量で鳴らすと音は埋もれてしまうが、それ以外はしっかりとした音と技巧で、この曲の現代風の抒情を十分に表現しきっていた。 リサイタルで聴いてみたいな、と思わせられた。 圧倒的な拍手に応えてアンコール。 バッハの無伴奏曲で・・・・無伴奏ソナタ第3番の第1楽章かなと思ったけど、自信なし (すみません)。

 後半、武満の曲も、単に原爆テーマの映画のための曲だからというのではなく、前半の2曲や次のマーラーとどこか曲調に類似したものが感じられた。 拙い言い方かも知れないが、前半の2曲は20世紀無調音楽の線をわずかに無調側に越えたところにあり、後半の2曲は無調音楽から調性音楽のほうにわずかながら寄っている、という印象。 そのマーラーであるが、第10番は私は長らくクーベリックの演奏で親しんでいたが、アルミングの演奏はそれに比べるとマーラーの20世紀現代音楽としての性格を強調したものと聞こえた。

 4曲通して聴いて、昨日の東響とはまた違った重い感銘が残った。

 演奏会後にイザベル・ファウストのサイン会があったので、CDを買ってサインしてもらい、"Thank you very much" "You are welcome"という会話 (?) も交わしてきた。 至近距離で見る彼女は、写真よりずっと魅力的! 新潟でリサイタルに呼ぶ根性のある人、いないもんかなあ。

11月2日(日)     *東京交響楽団川崎定期演奏会第18回

 午後2時から、ミューザ川崎で標記の演奏会を聴く。 私は東京交響楽団新潟定期会員であり、その特権として、東京での東響演奏会に無料招待 (1公演5名まで)、もしくは2割引というのがあるのだが、いずれも公演の10日前までに申し込まねばならず、今度の東京行きは1週間前に決まったので、本日は定価で入場しました。 といってもB席4000円。 東響新潟定期で私が定席にしているGブロックと似た位置の席。 つまり、3階の右脇、舞台の少し前あたり、という位置。

 指揮はユベール・スダーン、ピアノ独奏は、本来はカシオーリのはずだったが、諸般の事情でアンドレア・ルケシーニに変更。 曲目は、シューベルトの交響曲第3番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、シューベルトの交響曲第2番。

 シューベルトの2曲の交響曲の演奏は、一口で言ってたいへん充実していた。 「未完成」 や 「グレイト」 ならともかく、シューベルトの初期交響曲ってのはそうそう聴く機会がないが、こういう演奏を聴くと、シューベルトのすべての交響曲がクラシック演奏会のスタンダードナンバーになってもおかしくない、という気がしてくる。 

 また、スダーンの指揮はまさに音の出方が動きにそのまま現れているようで、見ていても心地よいし、オケとのコンビネーションも、シロウト目ながら抜群に良いように見える。 プログラムにもシューベルトの初期交響曲の見直しという文章が載っていたけど、今回のような演奏によってこそ、そうした見直しが進んでいくのだろうと思われた。

 次の協奏曲だが、悪くはないが、ピアノの中低音があまり響かなかった。 ホールの音響特性のせいかな、と思う。 ミューザは、3階の舞台よりやや手前右脇にすわると、ハイ上がりの音に聞こえる。 弦も高音がちょっと金属的な感じがするし、フルートも高音が擦れた音に聞こえた。 逆に低音はやや不足気味。 音のことはともかく、ニュアンスに富んだ弾き方自体には好感が持てた。 ただ、第1楽章ではそのせいで必ずしもオケとのタイミングが合っていなかったみたい。

 協奏曲のあと、アンコールに、D・スカルラッティのソナタが演奏された。

 客の入りは7割くらいか。 舞台に近い席はわりに埋まっていたが、正面でも後方は空席が目立った。

         *       *

 夕方、東京駅で友人3人と待ち合わせをし、近くの店で飲む。 1年前にも会って飲んだ同郷同年齢の友人である。 その時から今回までの間に、1人は御尊父を亡くしている。 私も母が3日後に大手術を受けるし、要するにそういう年齢なのである。 下手をすると自分の体だって怪しい。

 親の話のあとは子供の話である。 1人は大学4年の第2子が就職が決まったので言うことなしだが、1人は第2子が大学で留年を続けていてかなり怪しく (第1子は20歳で突然死)、さらに別の1人は2人の子供が来春ダブル受験 (高校と大学) をするので大変だという。 それに、私は勤務先が65歳定年だが (新潟大学が少子化でつぶれなければ、だが)、他の3人はいずれも民間会社勤務で60歳定年なので、定年後どうするか、そして年金は、という話となる。 いかにも人生が終わりに近づいている、しかしまだリタイアはできない年齢の人間がしそうな話ばかりなのである。

 1人が突然、近くにうまい寿司屋があると言い出したので、じゃあ来年会ったら寿司を食おうと言って別れたが、鬼が聞いたら笑うかもしれないな。 

11月1日(土)       *ヴェルナー・ヒンク + 佐々木秋子 デュオリサイタル

 午前中、近く心臓の手術を老母が受けるので、その説明を聞きに弟と一緒に船橋医療センターに行く。 最近は外科手術に際してこの種の丁寧な説明を聞き、そのあと各種同意書に署名捺印させられるようになっている。 それにしても、80歳の人間に心臓手術をするのが現代日本なのである。 これじゃ寿命が延びるわけだな、と変なところで感心。

 午後、東京に出て飯田橋のトッパンホールで標記の演奏会を聴く。 ヒンクは1943年生まれ、ウィーン・フィルのコンサートマスターを長年勤めた人である (今年の8月まで)。

 プログラムは、前半がモーツァルトのソナタ変ロ長調K.454とベートーヴェンのソナタ第2番。 後半がモーツァルトのソナタヘ長調K.377とベートーヴェンのソナタ第5番「春」。 つまりモーツァルトとベートーヴェンが2曲ずつというわけ。

 トッパンホールは定員400人ほどの室内楽に向いたホールで、私はM列19番で聴いた。 全自由席で4500円。 客の入りは8割くらいか。

 ヒンクのヴァイオリンの音は品が良く、それなりに美しい。 しかし客の耳に鋭く迫ってくるような芯のある音というのではない。 力強さに欠けている。 したがって、どちらかというとモールァルト向きのヴァイオリニストかな、という気がした。 ただ、前半はそれなりに良く音が出ていたが、後半はちょっと息切れしたのか、或いは曲の性格のためか、音の出がイマイチだったみたい。 それでも 「春」 の最終楽章ではそれなりに力演を見せたが、はたしてその力演ぶりが曲に合っていたかどうかは、微妙。 ピアノの佐々木秋子はしっかりした演奏。 音のバランスからいうともう少し遠慮気味に弾いたほうがと思わないでもなかったが、やたらがんがん鳴らしていたわけではなく、やはりヒンク側の音量の問題であろう。

 だから、というわけかどうかはともかく、客の拍手もほどほど。 アンコールにモーツァルトのソナタ変ホ長調K.302第2楽章が演奏された。 ロビーではCD販売もなされていたが、買う気にはならなかった。

10月31日(金)        *フェルメール展

 2限の授業をやったあと上京する。 上野の都立美術館で話題のフェルメール展を見る。 フェルメールと同郷・同時代の画家の作品も来ていたが、オランダの小さな都市を舞台として短い期間に咲いた芸術の様相がそれなりに分かる展覧会であった。

 改めて思ったのは、フェルメールの絵画には絵画が描かれているケースが圧倒的に多いということ。 絵画という都市市民文化のなかで絵を描いていたフェルメールが、自分の置かれた環境について作品で物語っているようであるのと同時に、芸術の自己言及性――つまり文学は文学から出発するといったようなこと――が表れたものなのかなあ、と何となく考えた。

 このあと、新宿・初台でオペラを見ようとしたら、当日券がなかった。 うーん。 こないだベルリンに行ったせいで、オペラは当日券があるものという感覚が消えていない。 東京とベルリンは違うのだ、と自分に言い聞かせるよい機会でした、はい。 (違う、の意味は色々。 ベルリンでは毎日オペラを複数の劇場でやっているのに東京は数日に1回程度だとか、東京圏の人口はベルリンの数倍だとか・・・・・)

 仕方がないので、高田馬場の名画座に行ってヴィム・ヴェンダースの映画を見た。 2本立ての最終1本ということで800円。 オペラより圧倒的に安いのがいい、かな。

10月29日(水)     *『月刊ウインド』 誌に福島氏の 『靖国』 批判が載る――地方都市の文化レベルのために

 新潟市唯一のミニシアター系映画館シネ・ウインドのことは、ここでも時々話題にしている。 この映画館が月刊誌『月刊ウインド』を発行して会員に送付していることも書いたことがある。 その雑誌が今月も届いた。 (私はこの映画館の会員であり、株主でもある。)

 かつて地元紙である新潟日報の記者だった福島市男氏がコラムを連載している。 福島氏は現役記者だった時代は映画評などを担当し、現在も新潟市内の映画ファン・クラブを主宰している方だ。 当然ながら映画には詳しいし、見る目も肥えている。

 その福島氏の今回のコラムは、映画 『靖国』 批判である。 題して 「『靖国』に疑義あり」。

 ここで福島氏は、最初に、各地で『靖国』上映が中止されていた中でシネ・ウインドが上映をした勇気をまず賞賛している。

 しかし、次に、作品の評価はまた別だとして、『月刊ウインド』 9月号の読者の声欄ではこの作品をどう受け止めていいか迷う声が多かったので、敢えてここに書くことにしたと断った上で、次のように述べている。

 「結論を先に書くなら、反日という狙いが前面に出て、十分な調査もせず、裏付けも不十分なまま撮った雑な作品である。」 

 このあと、具体的な指摘が続くが、その辺はすでに各種雑誌やネット上の言論で明らかになったことだから、ここでは省く。 私も基本的に福島氏の見解に同感である。

 私がここで映画 『靖国』 の話を取り上げると、とっくに話題性がなくなった事件じゃないか、と言う方もいるかも知れない。

 しかし、私がここでこの問題に言及するのは、新潟という地方都市の文化レベルの話をしたいからだ。 つまり、福島氏のようなまっとうな批判や、映画の分析が、新潟という地方都市でなかなか成り立たない、という事情について書きたいのである。

 映画 『靖国』 の質がどうあれ、それが右翼などによって上映妨害されるのは言語道断であり、私も上映予定を貫いたウインドの勇気を評価するものである。 しかし、上映前にこの映画について新潟市内でどんな情報が流されていたか、覚えている方は多くないのではないか。

 すなわち、あらかじめこの映画を見ていたウインドの某スタッフから、決して政治的な作品ではない、といった情報が流され、それが新潟市内の某ブログで紹介されたりしていた。 私も、実際に映画を見る前は、ウインドのスタッフがそう言うとすれば、つまりかなり映画を見ている人間がそう言うのであれば、そうなのかな、くらいに思っていた。 

 しかし、実際に 『靖国』 という映画を見てみると、そうした予断はうち砕かれた。 いや、靖国神社についての知識がなくても、例えばこの映画の中で李監督が刀匠刈谷氏にしきりに誘導尋問めいた質問をしていることはすぐに分かるはずだ。 李監督の頭には 「靖国神社=戦争犯罪への加担」 といった図式しかなく、刈谷氏の受け答えと完全にズレていることは一見すれば明瞭であって、李監督の姿勢がきわめて政治的であることはすぐに理解できるはずなのである。

 上記のウインド・スタッフは、この映画を見てその程度のことが読みとれなかったのだろうか? だとすると、映画の数を見ていても実は映画の内実を読みとる能力に欠けている、という結論になってしまう。

 しかし、ここで急いで付け加えなくてはならないが、ウインドのスタッフは純粋な批評家であることはできない、という重い事実である。 つまり、ウインド・スタッフは映画作品を上映する側の人間であり、したがってこれから自館で上映する作品の悪口をそうそう言うわけにはいかないのである。 加えて、なるべくたくさんのお客に来てもらって、つまりたくさんの収入を上げることによって、自館の経営を良くしたい、と考えるのも無理からぬことであろう。

 私は要するに何が言いたいのか。 ウインド・スタッフは様々な理由から、自館上映作品について率直な意見を述べることができない。 したがって、映画を見る側が鑑賞眼をやしない、個々の映画作品の質について活発な議論を交わしていかなければならない、ということである。

 そして、ミニシアター系の映画が今もなかなか来ない中で、そうした作品を拾ってくれるウインド・スタッフを支援しつつも、上記のような理由でスタッフの映画評は必ずしもアテにならないことを意識して、自力で映画を読みとく力量をつけていくことであろう。 

10月25日(土)       *新潟大学、自衛隊に完勝・・・・・・・ただし卓球のお話

 本日は、国家公務員新潟地区連盟による卓球大会が、新潟市西総合スポーツセンターで行われ、私も参加した。

 要するに、国家公務員で新潟地区に勤務している者が卓球をやる行事である。 毎年やっているらしいが、私は初めて参加した。 午前中団体戦があるのだが、団体戦には4人が必要で、その4人が集まらないというので、ツテで私のところまで話が舞い込んできたのである。

 午前9時ころに会場に行ってみたら、集まったのは20人弱。 はなはだ盛り上がらない。 一緒に参加した方から聞いた話では、以前は100人以上が参加して夜の9時頃までかかったこともあったそうだが、最近は公務員削減とそれに伴って個々の公務員も忙しくなっているので、参加者が激減しているらしい。 無論、それ以外にも、年齢的に卓球をよくやったのは団塊の世代で――団塊の世代が十代だったころには日本の卓球は強かった――それ以降は減少傾向にあるということもあろう。 この日は、午後2時半くらいで全試合が終わってしまった。

 さて、団体戦は4チームだけ参加。 リーグ戦方式で、各試合は2複3単形式。 新潟大学以外には、運輸局、気象庁、そして自衛隊である。 新潟大学は運輸局に惜敗したが、他の2チームには勝利した。 結果、運輸局が団体戦第1位、新潟大学は2位となった。

 私個人は、ダブルスには3回とも出て全勝。 ただし、これは私が強いからではなく、ペアを組んだ人文学部のFK先生が強いからです。 シングルスは、自衛隊との試合の時だけ出たが、勝ちました。 自衛隊というとイメージ的には強そうだが、少なくとも卓球はたいしたことないみたい。 私にも負けるんじゃね (笑)。

 午後は個人戦。 本来は3人のリーグ戦の予選があって、そのあと決勝トーナメントなのだが、私のグループは1人が欠席したので、結局2人だけで予選を戦い、私が勝った。 しかし私は決勝トーナメントではあえなく一回戦で敗退。 まあ、実力相応でしょう。

 団体戦2位の景品として洗剤をもらって会場を後にしたけど、もう少し参加人数が多くないと面白くならないよねえ。

10月19日(日)         *東京交響楽団第50回新潟定期演奏会

 本日は、午後5時からりゅーとぴあでの標記演奏会に出かける。 東京交響楽団が新潟市で定期演奏会を行うようになって50回目という、切りのいい演奏会である。

 指揮はドミトリ・キタエンコ、ヴァイオリン独奏は鍵冨弦太郎で、オール・チャイコフスキー・プログラム。 歌劇 「エフゲニ・オネーギン」 より “ポロネーズ”、ヴァイオリン協奏曲、交響曲第5番。 

 最初の"ポロネーズ"で、颯爽たるオケの音に触れて、今日も充実した演奏会になるかな、という予感に包まれる。

 次の協奏曲。 鍵冨くんは新潟出身で桐朋音大在学中。 全日本音楽コンクールで優勝という実績がある。 第一楽章はゆっくりとしたテンポで、叙情性を前面に押し出したものと感じられ、これはこれで一つの行き方だなと思った。 全体としてみて、技巧の完成度をもう少し高める努力は必要だと感じられたが、出来はまあまあといったところだろう。 ただし、「まあまあ」 で終わってはいけないので、今後のいっそうの精進が望まれる。

 後半のチャイコフスキー第5だが、私には何か納得できないものが残った。 いや、技術的にはまったく問題がないし素晴らしかったと思う。 でも、何が言いたいのかよく分からない。 たしかにこの第5はチャイコフスキーの後期3大交響曲の中では性格が中途半端な部分がある。 しかしそこに自分なりに色づけして一つの音楽的な主張に高めるのが指揮者の役割ではないか。 だけど聴いていて、変にさめていて、音楽的な感銘が生まれてこないのである。 聴いた後、まとまりのある感興のようなものが心の中に残らなくて、いかに技術的にすばらしくても接着剤を欠いたまま材料が放り出されているかのような、そんな印象になってしまった。 むしろ、アンコールとして演奏された弦楽セレナーデのほうが良かったと思った。

 鍵富くんが出ているせいか、会場はほぼ満員。 ふだんなら空き気味の3階脇席もぎっしり人がつまっていた。 50回記念にふさわしい入りと言えるのかも知れないが、しかしヴァイオリン協奏曲の第1楽章終了後に拍手が出るなど、質を伴った客だったかどうかは分からない。

10月18日(土)         *最近聴いたCD

 *The Great Violinists Recording from 1900 - 1913 (Testament, UK、SBT2 1323)

 石丸電気新潟店が先月閉店してしまったが、その少し前、ベルリン旅行に出かける時、新潟駅から東京行きの新幹線に乗る直前に私は石丸に立ち寄って最後の買物をした。 CD全品7割引き。 その時買ったもののうち、一つがこの2枚組。 実は、ベルリンから帰ってきてから自宅のステレオにかけたのだが、かからない。 いくら繰り返して試みても音が出ない。 欠陥CDをつかまされたかな、と思いつつ、念のため愛車のカーステレオにかけてみたら、1枚目はダメだったが、2枚目はちゃんとかかった。 そして大学の研究室でCDラジカセにかけてみたら、1枚目もかかったのである。 うーん、値段的には自宅のステレオ装置のCDプレイヤーが1番高いんですけど、なぜ高価な (てったって4万円もしないんですが) プレイヤーにかからないのでしょうか?? それはさておき、1枚目にはヨゼフ・ヨアヒム、イザイ、サラサーテ、といった名だたるヴァイオリニストの録音が収録されており、サラサーテは自作のツィゴイナーワイゼンをも弾いている。 もっとも当時の録音時間の限界からか、途中端折っている箇所もあるが。 2枚目にはクライスラー、ジャック・ティボー、シゲティなど、やや現代に近い時代の演奏家が12人収められている。

 *ショスタコーヴィチ: ヴァイオリン協奏曲第1・2番 (Naiveclassique, EU, V 5025)

 同じく、石丸電気新潟店で閉店少し前に7割引で買った1枚。 私はショスタコーヴィチは好きではないが、独奏がセルゲイ・ハチャトリアンだというので買う気になったもの。 私は数年前、東京の浜離宮ホールでこのヴァイオリニストを聴き、音のすばらしい美しさとケレン味のない素直な解釈とにぞっこん惚れ込んでしまった。 ここでの伴奏はフランス国立管弦楽団をクルト・マズアが指揮している。 私は上述のようにショスタコは不得手としているので、演奏についてとやかく言う資格はないが、ハチャトリアンの美しい音色が堪能できる演奏であることは確か。 もっともそういうハチャトリアンの特質がこの作曲家と合致するかどうかは、また別の話だろうけれど。 でも、第1番の第3楽章なんか聴いていると、ちょっとショスタコが好きになれそうな気がしてくる。 

10月17日(金)       *Wikipedia日本語版における 「海獺」 氏の横暴

 Wikipediaの日本語版には色々問題が多いが、最近、或る記事の間違った記載を直そうとしたら、ブロックされていて直せなかった。 新潟大学全体がブロックされているらしい。 こういう勝手なブロックをやっているようでは、Wikipediaの信頼度はさらに低下するだろう。 ブロックしているのは 「海獺」 という名前の管理人だ。 ブロックに抗議している人とのやりとりを見ると、かなり一方的な人じゃないかという気がする。 Wikipediaの管理人といえども、一種の権力者。 その権力を規制する仕組みがWikipedia日本語版にはないらしい。 困ったことである。

 なお、間違った記事とは、独文学者の浅井健二郎氏に関するものである。 そこでは、浅井氏が東大から九大に移ったのは2007年とされているけれども、実際には2005年に移っている。 どなたかブロックされていない方が直して下さることを期待したい。

10月16日(木)        *聴講受付の話 (10月6日) のさらなる続き

 月曜に出している教養科目 (Gコード科目) の 「鯨とイルカの文化政治学」、定員100名のところ、444名が聴講申込みをして104名の仮合格者を出したことは10月6日に書いた。 その後、聴講意志確認をした学生は82名だったので、残る22名は仮当選取り消しとなり、その分空きができた。

 そこで、再抽選を行うことにしたが、第1回目の抽選で落ちた者に限るという条件を付けた。 つまり、最初は登録しようとしていなかったのにその後の都合で新しく来た学生はお断り、また仮当選しながら聴講意志確認に来なかった学生もお断り、ということである。 さらにもう一つ、「当選したら、当選辞退と聴講取り消しは絶対にしない」 という誓約書を添えさせることにした。

 と書くと、事情を知らない方は疑問を持つかも知れない。 聴講意志確認に来なかった学生は要するに取る意志がないのだから、再抽選に申し込むはずがない、と。 しかし、聴講意志確認に来なければ仮合格は取り消される、という情報は最初の授業の時に口頭で伝えてあるだけなのである。 つまり、学務情報システムで当該授業に登録していてもその授業の第1回目に来ない、という学生もいるわけで、そういう学生は本当に取る気があるとは思われないと判断されるので、そういう者を排除するために 「仮合格しても聴講意志確認に来ること」 という条件を設定してなおかつそれを第1回目の授業時に口頭で伝えることにしてあるわけだが、中にはその後の色々な授業の 「取れた取れない」 によって、「どちらかというと取る気がなかったけど――だから第1回目の授業に来なかったわけだ――やっぱり取ろう」 と思い直す学生もいるのである。 しかし、時すでに遅しで、聴講意志確認の締切は過ぎている。 「聴講意志確認」 はそういう半端な学生を排除するために設けてある。 酷なようだが、最初の授業に来て私の話を聞いていれば問題はないわけで、最初の授業にすら来なかった学生の怠慢さが悪いのである。 そして、「仮合格したけど聴講意志確認に来なかったんですが、ダメですか?」 と後から言ってくる学生は2名いたし、また 「仮登録後に聴講意志確認をしなかった者は第2回目の抽選を受ける資格がないということですが、なんとかお願いします」 と言ってきた学生も1人いた。 繰り返すが、こういう学生は第1回目の授業に出て授業や抽選に関する基本的な情報を教師の口から聴くということすらしていなかったわけで、本当に取る意志があったとは考えられない。

 そしてもう一つの疑問を抱く方もおられるだろう。 「なぜ 『当選辞退や聴講取り消しはしない』 という誓約書なんか出させるのか? 第2学期が始まって2週間もたっているのだから、その時期に抽選に申し込む学生はどうしても単位が必要という学生で、当選したら辞退するはずがないだろう」 と。 たしかに理論上はそうなりそうなのだが、私の経験上、2週間経って当選させた学生は、最初の抽選で当選させた学生より、当選辞退や聴講取り消しの割合が高いのである。 理由はよく分からないが、多分、遅れてやってくる学生は本当にはやる気がないので、仮に当選となっても、後でさらに色々考えたり他の授業にも当たってみたりして、それで辞める率が高くなるのではないかと推測している。

 まあそういうわけで、厳しい条件を付けた結果、本来なら444名が最初に登録して第1次抽選で104名を仮当選させたわけだから、落ちた340名が第2次抽選に申し込む資格を持っているわけだが、上の条件に合致した申込者は34名であった。 ちょうど10分の1ですね。 それ以外に条件に合致しない申込者が3名いた。 その3名とは、第1次抽選で仮合格しながら聴講意志確認をしなかった者、第1次抽選に加わっていなかった者、「当選辞退や聴講取り消しは絶対しない」 という誓約書を添えなかった者 (要するに第2次抽選についての説明をろくに読んでいない者) であった。

 空き定員は22名しかないわけだが、条件に合致した申込者34名のうち約3分の1を改めて落とすのも気の毒な気がして、また教室はもともと収容人員に余裕があるので、34名は全員当選として、本日発表した。 結果、第1次抽選でも定員を4名オーバーして当選者を出しているので、合計で16名の定員オーバーということになる。

10月13日(日)        *ネーベル室内合奏協会第60回定期演奏会 

 昨日は午後2時から標記の演奏会にでかける。

 ネーベルの演奏会は例年は音楽文化会館で開かれるのであるが、今回は60回記念ということでりゅーとぴあのコンサートホール。 なかなかの盛況で、私は2階正面のCブロック右手で聴いたのだけれど、そのCブロックはほぼ満席。 1階も、前半分の左右両端を除くとほぼ満席。 2階のB・Dブロックにも3分の1くらいは入っていたかな。 したがって客数は7〜800人くらいにはなっただろう。

 プログラムは、前半がヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲ト短調op.12-1、アルビノーニのオーボエ協奏曲ニ短調op.9-2、ヴィヴァルディのフルート協奏曲ト短調op.10-2 「夜」。 後半がバッハのブランデンブルク協奏曲第5番とバッハのヴァイオリン協奏曲ホ長調BWV.1042。 さらにアンコールが2曲 (バッハとヴィヴァルディだったかな?)。
 独奏者は、前半が原崇教(Vn)、鈴木かおり(Ob)、中林恭子(Fl)、後半が中林恭子、奥村和雄(Vn)、師岡雪子(Cem)、そして枝並千花(Vn)。

 演奏は、どれも水準に達した立派なものだったと思うが、私が特に惹かれたのは最初と最後におかれたヴァイオリン協奏曲だった。 最初のヴィヴァルディでは原氏の輝かしい音色が光っていたし、最後のバッハでは枝並さんの、文字どおり 「間然するところがない」 と言うしかない見事な演奏にため息が出た。 この2曲、特筆ものである。

 ブランデンブルク協奏曲と2曲の管楽器協奏曲もなかなかだったが、管について敢えて無い物ねだりをすると、もう少し音が通っていればなお良かったという気がした。 チェンバロの音がよく通っていたのに比較して、やや負けていた感じがあった。 特にオーボエは背後の弦楽器にも音が食われ勝ちだったように思う。 しかし演奏会全体として弦の美しい響きが堪能できて満足。

 パンフレット記載によると来年秋の演奏会ではまた音文に会場を戻すよう。 でも、今回りゅーとぴあで聴いてみて、ネーベルの方々には是非毎回ここで演奏会をやってほしいとお願いしたい。 音の響きや輝きが全然違うのだから。 音文はどうもデッドで、少人数の弦楽器演奏会には必ずしも向いていない気がする。 今回の演奏会は60回記念ということでメンバーの方々も力が入っただろうし、枝並さんなど独奏者の顔ぶれもそれなりでしたが、毎回このくらいのレベルでコンサートをやれれば聴衆もさらに増えるのではないか。 ネーベルさんは以前は年に2回演奏会を開いていたこともあったけれど、最近は、色々事情があるのであろうが、1回になっている。 その分、毎年の演奏会を、会場を含めて充実したものにしていただきたいと念じるものである。

10月10日(金)        *和波孝禧ヴァイオリン・チャリティーコンサート   

 本日は午後6時45分から標記の演奏会に行く。 音楽文化会館。 妻と娘同伴。

 和波さんは言うまでもなく高名なヴァイオリニストだが、どういうわけか生で聴くのは初めてである。 女房はどこかからか 「チケット、あまり売れてないんだって」 などという情報を仕入れてきたが、こういうのはアテにならないことしばしばで、実際には会場は8割くらいの入り、まずまずと言えるのではないか。

 ただし、後半最初のフランクではおしゃべりしている高齢女性と思しき人がいて、和波さんが演奏に入れない、というハプニングもあった。 この演奏会は国際ソロプチミスト主催だが、そういう演奏会なのでふだんクラシック演奏会とは縁遠い方もいたのかも知れない。

 また、演奏会終了後に主催団体の会長からあいさつがあったが、ご本人もおっしゃっているとおり、音楽の余韻に浸りたいときにあいさつをするのは野暮。 やるなら演奏会の前か、せめて途中休憩時間にしてもらいたいもの。

 プログラムは、前半が、タルティーニのソナタ 「悪魔のトリル」、ブラームスのソナタ第2番、同じくスケルツォハ短調 (FAEソナタより)。 後半が、フランクのソナタ、クライスラーの 「プロヴァンスの朝の歌」、「ルイ13世の歌とパヴァーヌ」、「テンポ・ディ・メヌエット」、「愛の悲しみ」、「愛の喜び」。 アンコールにエルガーの 「愛のあいさつ」 とクライスラーの 「美しきロスマリン」。

 ピアノ伴奏は奥様である土屋美寧子さん。

 さて、演奏だが、最初のタルティーニは技巧的な曲で、最初でもあるせいかちょっと波に乗れなかったようなところもあったものの、2曲目のブラームスに入ると落ち着いていい音楽が流れてきた。 FAEソナタからのブラームスも良かった。 しかし特筆すべきは後半であろう。 フランクが相当な出来だった。 この曲、ヴァイオリニストのリサイタルとなるとよく取り上げられるのでちょっと聴き飽きた感もあったが、和波氏の演奏は実に豊かなニュアンスに満ちており、聴いていて新鮮な気持ちでいられた。 惜しむらくは第4楽章の前半がイマイチ音がよく出ていなかったこと。それがなければ稀代の名演といっていい演奏だったと思うし、しかしそれを入れても実に見事な演奏だった。

 土屋さんの伴奏は、伴奏であることに徹した感じで、それはそれでいいのだが、部分的にやや頼りなげなところもないではなかったような。

 途中休憩が10分しかなく、また普通なら前半のメニューはタルティーニとブラームスをやったらそれでおしまいだと思うのにさらにFAEソナタもやってしまうなど、量的にも満足のいくプログラムで、和波氏はヴァイオリンを弾くのが心底好きなんだなあ、と感じさせられる。 こういう演奏家の演奏会が充実したものにならないはずはない。 音文での演奏会は10年ぶりだそうだが、是非また来ていただきたいものである。

10月9日(木)       *演習形式の教養科目が好スタートを切る

 本日は、先週も書いたが、教養科目 (Gコード科目) の演習として今年初めて出してみた 「文学読解演習」 のある日で、その実質的な最初の授業を行う。 先週は6名しか来なかったが、その後3名が加わって9名でスタート (定員は15名)。 とはいえ、講義科目だと定員をオーバーして学生が聴講申込みに来ることを考えれば、問題は多いわけだが。

 本日はカフカの 『判決』 と 『変身』 の第1章を読んだ。 ほぼ全員が活発に発言をして好スタートを切ったといったところ。 この調子が持続するといいのだが。

 ちなみに、聴講条件は 「人文学部以外」 ということにしてあるが、内訳は法学部と教育学部が4人ずつ、そして理学部が1人である。 もっとも学部学科によっては必修科目と重なっていて取れないところもあるが、文系では経済学部がゼロであること、理系では人数の多い工学部がゼロであることは、何となく暗示的ではないだろうか。

 (好スタートと思ったら、数日後、法学部の1人が都合により聴講を取り消したい、と言ってきた。 とほほほ・・・・・。)

10月8日(水)       *聴講受付の続き

 本日は1限がまたGコード科目(教養科目)の 「西洋文学」 である。 先週、定員150人分の仮当選を発表し、しかし私の研究室に 「聴講意志の確認」 に来ないと本当選にならない、という方式にしておいたわけだが、その結果26名が確認に来なかった。 いわゆる 「保険」 でとった学生だということだろう。

  で、本日は、1回目の抽選を受けて落選したがどうしても、ということで再度やってきた学生のみに限定して2回目の抽選 (というか、じゃんけんをさせて決めたのだが) をやった。 60名来て、半分の30名に絞り、本当は26人しか空いていないわけだが、これ以上絞るのも可哀想、ということで定員を4名オーバーして30名とも受け入れることにした。

 1回目の抽選を受けない学生も十数名来ていたが、彼らには抽選の機会は与えられなかった。 すみません。 しかし、悪いのはワタシじゃなく、新潟大学のGコード科目の配置ですから。

10月7日(火)      *少子化の真の原因は、日本人がバカになっていることじゃないのか?

 毎日新聞が少子化について特集しているのだが、そこにこんなことが書かれている――。

 http://mainichi.jp/life/housing/news/20081007ddm013100143000c2.html 

 家計簿からみる日本:転機の構図/1 かさむ教育費「産めない」(2/4ページ)

 「うちは一人っ子になりそう」と語る首都圏の女性(39)は、大手メーカーに勤める夫(41)、小学3年生の長女(9)との3人暮らし。年収は自分のパートを含めて計約940万円、住宅ローン控除を受けても税と社会保険料などの天引きは年約170万円で、手取りは約770万円だ。

 結婚した時、夫とは「子どもは3人ほしいね」と話していた。長女が生まれた後も、海外旅行を楽しむなど余裕はあった。

 長女が3歳になり、私立幼稚園受験の準備を始めた。受験対策の教室は月10万円。入園後の学費は月4万円。ソルフェージュ教室で音楽の基礎を養い、水泳、バイオリンも習わせた。本も月5〜6冊を買う。入園後の学費と習い事、本代は月10万円を超えた。

 多額だったが、ここまでの支出は織り込み済みだった。問題は、予想していなかった出費がかさんだことだ。

 たとえば、自分の洋服代。長女の同級生の父親は、会社社長や医師などが多い。母親は、ブランドのスーツを着こなし、高級バッグを持って娘を迎えにくる。当たり前なのか、自慢話すら出ない。合わせるため、百貨店で買った洋服代に月5万円以上。ランチやお茶の付き合いに月3万〜4万円かかった。小学校の制服代も高く、夏用で6万円、冬用で10万円。ジャケットやコート、革靴もいる。子どもはすぐ大きくなり、2年しかもたない。

 「よく教育費の試算が発表される。でも、反映されていない支出が多い」と女性は言う。教育関連の費用は、幅広くとらえると年約250万円、想像の2倍以上かかったと感じる。ボーナスも含めて年間の収支はカツカツだ。

 女性は「子どもにはできるだけのことをしてやりたい。私立は教育熱心でしつけもしっかりしてくれる。子どもの友人関係も将来きっと役に立つ。だから母親同士の付き合いも必要」と話す。

 ここに出てくる家庭は、夫が41歳で大手メーカー勤務、妻のパートによる収入を含めても年収は税込み940万円。 典型的な中流家庭だろう。  なのに娘を小さいうちから私学に通わせ、そのせいで支出がかさむから、だから1人しか生めない、という理屈をこねている。

 冗談じゃない。 それで少子化対策を何とかしろと国に言うのは筋違いでしょ。 中流のくせに、幼稚園から金のかかる私学に子供を行かせるのがそもそもの間違いなんだよ。 記事でも言われているように、そういうところに子供を行かせるのは社長だとか医師、つまり上流に限られているんだってば。 中流家庭は分をわきまえて、そんなことをするものじゃないの。 こういうカンチガイ女が少子化を促進しているんじゃないかな?

 しかし、記事によると首都圏の 「小さいうちから私学志向」 は強いらしい。 とすると、あえてここで国が何かをするとしたら、私学への助成を、大学は別にして、即刻やめることだろう。 つまり、本当の金持ちしか義務教育の私学には行けません、というくらい学費が高くなれば、ことは丸く収まるのだ。 なまじ 「ウチの子供でも小学校から私学に行けそう」 と思うからカンチガイ家庭が生まれてしまう。 小学校から高校までの私学助成は全部うちきりにして、その分を公教育の強化に使えば、少子化が食い止められることと合わせて一石二鳥じゃないかなあ。 そうじゃなくても、私学教育に税金から助成をするのは、憲法違反の疑いが濃厚なんだから (これについてはこちらを参照)。

10月6日(月)       *聴講受付の続き――講義科目だと4倍を超える!

 本日2限は、Gコード科目 「鯨とイルカの文化政治学」 の聴講受付である。 水曜日の 「西洋文学」 と同じように、午後1時までに学務情報システムで登録した学生を対象に抽選を行ったが、定員100名に対して444名が登録。 名目競争率はなんと4・44倍となった。

 実際には、この授業は定員に対して教室のキャパシティに余裕があることと、抽選は不公平にならないよう学部・学科ごとに比率計算して当選者数を決めているのだが、計算の結果、全体の定員を厳密に守ると比率計算で0・5を繰り上げて1人にすることができず、0・6以上でないと1人にならないことが分かり、それも気の毒だと思って、0・5以上は1人に繰り上げることにした。 その結果定員を4人オーバーして104名が当選。 したがって実質競争率は4・27倍となった。 

 講義科目だと、こうなんだよね。 木曜日 (10月2日) とは雲泥の差だ。 「大学改革」 とは、こういう学生たちを何とかすることを第一に考えてなすべきなのである。

10月5日(日)         *山本真希オルガンリサイタル・シリーズ No.5 「メシアンとフランス音楽」

 本日は午後5時から標記の演奏会に行く。 場所は言わずと知れたりゅーとぴあのコンサートホール、座席はHブロックの1列目。 山本真希さんは、新潟市のクラシックファンにはとうにおなじみだが、りゅーとぴあ (新潟市民芸術文化会館) の専属オルガニストである。

 タイトルにあるように、オリヴィエ・メシアン中心のプログラムである。 「メシアン生誕100年を記念して」 と副題が付いている。

 前半は、メシアンの 『主の降誕』 より、「1.聖母と幼子」 「2.羊飼いたち」 「3.永遠の摂理」 「5.神の子たち」 「6.天使たち」 「7.イエスは苦難を引き受け給う」、M・デュプレの 『前奏曲とフーガト短調op.73』。 後半は、G・リテーズの 『序曲とフーガ風舞曲』、メシアンの 『天上の宴』、『栄光の御体――甦りし者たちの命に関する7つの短い幻影――』 より 「5.栄光の御体の力と敏捷さ」 「6.栄光の御体の喜びと輝き」、『永遠の教会の出現』、『聖霊降臨祭のミサ』 より 「5.閉祭唱――聖霊の風――」。 アンコールにメシアンの 『モノディ』。

 メシアンといえば誰でもよく知っている作曲家で、本日もおなじみの曲ばかりが演奏された・・・・というのは冗談で、日本ではまだまだ、いや、私にはまだまだなじみの薄い作曲家であり、本日の曲はディスクも全然持っていないし、多分初めて聴く曲ばかりだったのではないかと思う。 ただオルガン・リサイタルでは時々メシアンの曲も取り上げられるので、もしかしたらどこかで聴いている曲も入っていたかも知れないが、覚えていないのだから、初めて聴くのと同じことなのだ。

 前半のメインである 『主の降誕』 だが、いくつもの曲から構成されているので一口には言えないのだけれど、最初のあたりは気まぐれな印象が強く、メシアンというとキリスト教的な色彩が強い作曲家で、そのせいでどことなく神秘主義的なイメージを私は持っていたわけだが、その神秘主義と気まぐれとが反りが合うような印象だった。 といってもよく分からないかも知れないが、不合理故にわれ信ずというのが神秘主義の認識だとすれば、音の形に予測が付かないことこそ人知を超えた神のあり方への啓示なのではなかろうか、などと考えたのである。 いや、私はメシアンについてろくに知らないので、まるっきりハズしているかもしれないけどね。

 でも、この曲は先に進むに連れて気まぐれな印象がしりぞき、それなりに合理的にできているのかもしれない、と思われてきた。 そういう構成なのか、或いは単に私がメシアンの個性に慣れてきたからなのか、どちらかは分からないけど。

 前半最後のM・デュプレの曲は、メシアンの後で聴くと、たまった鬱憤を一気にはらしているように聞こえた。 何となく、弾き手がこの曲をメシアンのあとに置いたのが分かるような気が。

 で、後半最初のリテーズの曲は、ずいぶん乱雑な、クラシック音楽という感じのしない曲で、そのあとにメシアンを聴くと逆にすごく精神的でクラシックだなあ、と思えてくるのが面白かった。 アンコールもメシアンで、メシアンづくしの夕べとなった。 なお演奏に際しては光による演出もなされていた。

 メシアンは好きでもないし、これだけまとめて聴いても分かったとも思わないけれど、終わってみて、すごく良かったな、と充実感が胸にこみあげてきた。 本当によかったのである。 これこそオルガン演奏会というものではないか、心底そう思えたのだ。 山本さんがこういうプログラムを組んだことに敬意を表したい。 私もこれからメシアンのオルガン曲を勉強しようという気になった。 客の入りは150人と200人の間くらいでちょっと寂しかったけれど、これにめげずにまたやってほしい。 来年2月22日には 「スペインのオルガン音楽」 と題して6回目のリサイタルを開くとのこと。 またきっと聴きに行きますよ。 ここを読んでいるみなさんも聴きにいきましょう!

10月2日(木)       *聴講受付の続き――Gコード科目に少人数の演習を出してみたけど

 昨日に続けて聴講受付。 本日2限は、今年度から新しく出してみたGコード科目の 「文学読解演習」 である。

 新潟大学では、人文学部は自学部向けに1年次から少人数――といっても1クラス20人に近いが――の演習を設けている。 しかし他学部はそうなっていない。 ただし人文学部の1年向け演習は他学部学生も受け入れるというタテマエだが、無制限に受け入れるわけではなく、せいぜい全体で20〜30人程度である。 1学年2200人ほどいる新潟大生全員が1年生向け演習を受けられれば理想的なのだけれど、現実はそうなっていない。 

 私はここ数年毎年人文学部の1年次向け演習を受け持っていたのだけれど、今年度は担当をはずれたので、それならと、代わりに人文学部以外の学生を対象に15人定員の演習として 「文学読解演習」 を開講してみたわけである。 シェイクスピアやカフカや漱石や三島など、内外の有名文学作品を一緒に読もう、という趣旨の授業である。

 あらかじめ学務情報システムに登録した学生は10人いたが、実際に教室に来たのは6人であった。 定員15名でこのくらい。 昨日の1限の講義と比べて相当の差がある。

 これは、1限と2限の差と言うより、やはり講義科目と演習科目の差であろう。 黙って聞いていれば済む講義のほうが、毎回必ず予習しなければならない演習より楽、という意識がこういう差になって表れているのだろう。

 学生の意識のあり方が濃厚に見て取れる。 いや、別段Gコード科目に限らない。 例えば、法学部生はなぜか人文学部の授業にもよく来るのであるが、私の授業に限って言えば、そのほとんどは講義科目 (人文学部向け) であって、私の人文学部向け演習 (2年生向け以上) に出てきた法学部生は、私が人文学部に移った1994年から今に至るまでの間で、たった1人だけである。 (講義科目では延べ200名以上はいるだろう。)

 法学部生だけの問題ではない。 人文学部の学生にも、詳細は略すが、類似した意識ははびこっている。

 学生の意向をよく聞けば大学の授業はよくなる、なんてのは大ウソなのである。 いや、バカでなければこんな例を挙げずとも分かることですけどね。 

10月1日(水)        *本日から第U期の授業開始。 そして新潟大学上層部の無能ぶり・・・・

 夏休みも昨日で終わり、本日から第U期の授業が始まる。 最初の週は聴講受付だが、私は水曜日の1限は例によってGコード科目 (教養科目) の 「西洋文学」 である。 そして例のごとく定員をオーバーして学生が押し寄せてくる。

 本日の正午までに学務情報システムで登録した学生を対象に抽選を行ったが、定員150名に対して登録した学生は344名。 競争率は2・29倍であった。

      *       *       *

 午後、教授会があった。 そこで明らかになったことだが、最近の 「大学改革」 で、新潟大学上層部は、各学部へのインセンティブ経費 (よくやっている学部にはたくさん出し、そうでない学部にはあまり出さない、という方式のオカネ) を、各学部が規定の年限 (医学部・歯学部なら6年、それ以外の学部なら4年) で学生を卒業させているパーセンテージでも決めているということが分かって、で人文学部長も 「これはおかしい」 と言っておられたのだが、まったく同感である。

 なぜおかしいのだろうか。 学部長も指摘されたことだが、途中で留学するために新潟大学を休学するという学生のことを全然考えていないからだ。 昨今は、新潟大学を1年程度休んで、海外の大学に留学するという学生が増えているのだ。 これは決して悪いことではない。 むしろ見識を広めるためには大変よいことなのである。

 ところが、新潟大学上層部の頭には、「規定の年限で卒業しない学生が多い = 学業を怠けている学生が多い = その学部が学生をちゃんと指導していない」 というきわめて単純な図式しかなく、学生が途中で留学する、なんてことはまるで視野に入っていないのである。 

 こんな上層部しかいないのでは、「大学の国際化」 なんて無理だよ。 どうして新潟大学の上層部はこんなに物事を分かっていないのだろうか? インセンティブ経費的な発想から言えば、こういう上層部への給与は一般教員より低く抑えるべきだと思いますがね。 

9月30日(火)        *「大学改革」 で国立大学の文科省従属は強まるばかり

 原研二氏の告別式が午後1時から行われた。 

 式が済んでから、恩師である小栗浩先生ご夫妻、私が教養部時代にドイツ語を教わった畠中美菜子先生、小栗先生の教え子4名 (私を含む) の計7名で、近くのホテル1階に入っている喫茶店でお茶を飲む。 といっても、私は昼食を済ませていなかったのでナポリタン・セットを頼み、神戸大勤務の先輩MR氏はアル中の気があるので――実際、告別式の前に仙台駅の店で酒を飲んでいたとか――ビールを頼む。

 小栗先生の教え子4名中、私を含む3名が国立大勤務だが、上述の酒乱で神戸大勤務のMR氏、東北大勤務の後輩KS氏、そして私の3人が一致して語ったのは、最近の大学改革は無駄であり、教員の時間をつぶし、大学はまるで良くなっておらず、なおかつ文科省の言いなりになる度合いが高まっているということであった。

 こういう実態をちゃんと書くジャーナリスト、いないのかね? 或いは、正直に実態を大声で叫ぶ学長、どっかにいないのかね?

 日本の学者って、臆病だよねえ。 ジャーナリストも無能だよねえ。

9月29日(月)        *原研二・東北大学文学部教授のお通夜

 訃報が続く。 東北大学文学部教授の原研二氏が昨日亡くなられ、本日午後6時から仙台市で通夜が営まれた。 享年58歳。 私も急遽仙台に駆けつけて出席した。 (先月末に一度お見舞いに行ったことは、この欄にも書いた。)

 原さん (「氏」 と言うとよそよそしいので、「さん」 づけで書く) は東北大で私がドイツ文学を学んでいたときに学部・大学院時代を通して1年先輩だった人である。 天性の語学の才能に恵まれており、その方面の才に欠けている私からすると、1年先に出発したウサギが居眠りもせずに駈けていくのを亀が見送っているという感じであった。 若くしてDAAD (ドイツ学術交流会) の奨学生として2年間ドイツに留学し、一時期筑波大学で教えたのち、師である小栗浩先生が停年を迎えられた後を襲って東北大学文学部独文科で教鞭をとるようになった。

 原さんは地元仙台に実家があり、父上が建設会社をやっているという環境もあって、学生時代は他の後輩と誘い合ってご自宅に遊びにいったこともある。 また原さんが筑波大学に勤めていた当時は筑波万博の際に見物がてら泊めてもらったこともあるし、またやはり筑波大学時代に結婚されることになって水戸市で披露宴が行われたときは招いてもいただいた。 新郎より10歳年下で大学を出たばかりという新婦の若さと美しさに嫉妬を感じたりもした。

 通夜の席では、喪主である夫人に代わって兄君である英一氏があいさつをされた。 翌日の告別式でもそうであった (原英一氏も東北大文学部教授で、英文学者。 ディケンズ研究家として英国でも知られる方である)。 その二つのあいさつを合わせて考えると、原さんが学者としての自覚と方向性を確立したのはやはり2年間のドイツ留学中であったということになるようだ。  原さんはもともと病弱で、高校時代はそのために1年間休学しているのだが、留学から帰った時には肉体的にも見違えるようにたくましくなっていた、というのが兄君の述懐である。

 そんな原さんの命を縮めた一つの要因は、最近の大学改革であったろう。 本来はドイツ文学の研究に専念したい気持ちが人一倍強かったはずだが、他の方面での活動や書類作りなどに時間や力を割かなければならなくなる。 そしてそういう方面でも何人かの学者と一緒になって本を出されはしたのだが、私の見るところ、やはりこれは原さんが行うべき仕事ではなかったと思う。 (なお、他の方面からの情報では、命を縮めたもう一つの要因は初期の誤診であったらしい。 皆さん、かかるときは名医を選びましょう。)

 兄上があいさつの席で明らかにされたところでは、原さんは今回の病状が明らかになってからご自分の仕事をまとめたり完成させたりする作業に力を注ぐようになり、結果、3冊の著書が――出版の見通しも立ちつつあるとのこと――残された。 1冊はドイツ語の論文集、1冊は日本語の研究書であるのはともかくとして、もう1冊はドイツ語の自作小説だというので私はあっと驚いた。 研究の人ではあっても、小説を書く人だとは思っていなかったからである。 ドイツに2年間留学していた当時からひそかに書き続けていたらしい。 いや、外国文学者でも小説を書くことはあるだろうけど、ドイツ語で書いてしまうというところが、原さんらしいと思うのだ。 私には逆立ちしてもこういう真似はできない。 

 さて、原さんとの一番の思い出は、1978年6月12日夕刻に仙台を襲った宮城県沖地震である。 それまで東北大のドイツ文学研究室助手を務めていた原さんが6月16日付けで筑波大学に移ることが決まり、後任助手に私がなることになって、引き継ぎ作業を12日の午後にやっていたのである。 ひととおり作業が終わって、ドイツ文学研究室の奥の方の椅子にすわって二人でよもやま話をしていたところに揺れが来た。 

 最初の数秒は小さな揺れだったので二人で顔を見合わせていたのだが、次に激しい縦揺れが来て、あわてて立ち上がって研究室から廊下に逃げ出した。 数カ月前にも震度4の地震があり、研究室の本棚が倒れたので、研究室内にいるのが危険だということは承知していたからである。 私の方がドアに近い位置にいたのでドアに手をかけたのは私だったが、その直前、天井の蛍光灯がふっと消えた。 やばい、と私は思った。 震度4の地震の時も停電はしなかったので、今回はそれより規模が大きいことが分かったからだ。

 廊下に出ると、ドイツ文学研究室の斜め右前の個人研究室から小栗浩先生が、斜め左前の研究室から英文学の鈴木善三先生が出てきておられた。 外国文学系は建物の地上8階にあるので廊下から外に逃げ出すわけにもいかないのだが、4人は本能的に非常階段のある建物端の方によろめきながら走っていった。 非常階段に通じるドアは開いていたが、そこにたどり着く頃には揺れはすでに大きな横揺れになっており、外の風景が激しく左右に振れていた。 建物が根元から折れてしまうのではないかと思った。

 それでも何とか揺れが収まって、ドイツ文学研究室に戻ると、書棚が倒れて書物が散乱しており、また当時は今のようなコピー機が出始めたばかりの時期で、小規模の通知などにはまだ古いガリ版刷りの印刷が通用しており、そのインク壺が棚の上から落ちて蓋が取れ、インクが床に流れ出していた。

 原さんと私は、そういう状態になった研究室を多少整理してから大学を後にしたのだが、これは後で考えると失敗で、こういう場合には公的な場所の回復より自分のことを優先して考えるべきなのであった。 具体的には、自分用の食料と灯りなどの確保である。 私は研究室の片づけをしたばかりに出遅れて、アパートに帰ってからその種の買物を近所の店でしようとしたところ、食料はともかく、電気屋ではまともな懐中電灯類は売り切れており、かろうじてペン型の小型のものが残っていたのでそれを購入した。 私はアパートの自室を斜めに横断している洗濯物をつるす縄にその小さな懐中電灯をぶら下げて、パンや缶詰で食事をとり――当時は今と違っておにぎりはスーパーなどではあまり売っていなかった――、もともと持っていた乾電池式のトランジスタ・ラジオを聞きながら一夜を過ごした。 ラジオでは、「AさんはBさんのお宅にうかがっていて、帰宅できなくなったので、今夜はBさん宅に泊めてもらうということです」 といった情報をひっきりなしに流していた。 私はその頃自室に電話がなく――無論ケータイなんてものは影も形もない時代である――、アパートのそばにある公衆電話から船橋にいる両親に無事を知らせようとしたが、電話はまったく通じなかった。 そもそも受話器をとってコインを入れてもすぐ落ちてきてしまうのである。 公衆電話が使えるようになったのは翌日になってからである。

 話がややずれてしまったが、二人で助手の引き継ぎ作業をしているときにこういう大地震に遭遇したということが、一種の縁のように思われたりする。 大きな危機を一緒に迎えるという体験の共通性はしばしば人を結びつけるからだ。

 原さんの思い出は他にもあるが、今日はこの程度にしておきたい。 心からご冥福をお祈り申し上げる。  

9月28日(日)       *新潟メモリアルオーケストラ第18回定期演奏会 (りゅーとぴあコンサートホール)    

 本日は午後2時から標記の演奏会に行く。 このオケを聴くのは初めてであるが、新潟大学管弦楽団OB・OGによるオケである。 弦楽器はチェロ16名、コントラバス9名と低音が充実している。

 プログラムは、マスカーニの歌劇 『カヴァレリア・ルスティカーナ』 より 「復活祭の浅の合唱」、そしてマーラーの交響曲第3番。 指揮は山岡重信、メゾソプラノは与田朝子、合唱は新潟メモリアル合唱団と新潟ジュニア合唱団。

 コンチェルト2号さんのブログによると、マーラーのこの交響曲は新潟初演だとのこと。 たしかにマーラーでも第3番というと、少なくとも地方都市ではそうそう聴く機会がない。 私もこの曲を実演で聴くのはやっと2回目である。

 何しろ長大で編成も大きな難曲なので、演奏者も大変。 不揃いな箇所だとかチョイ傷はそれなりにあったが、ともかくアマオケながらそれなりの演奏をやり遂げたということで満足。

 アンコールに、第4楽章の歌が入るところが再現された。 ずいぶんサービスがいいなと感心。

 このオケは大曲主義なんだろうか、パンフの最後に書かれた来年度の予定によると、9月13日にホルストの 「惑星」 とハイドンのオラトリオ 「四季」 となっている。 念のため、「惑星」 から、とか、「四季」 より、という書き方ではない。 この2曲、全部いちどきにやるんだろうか? だとすると、相当ハードでは (聴く方もだが)?

 客の入りはまあまあ。 2階正面は満席。 1階と3階正面もほぼ満席。 2階のBブロックとDブロックも半分くらいは埋まっていたかな。 私は3階のHブロック最前列で聴いた。

 実は火曜日に同僚が亡くなり昨日土曜日の告別式に出席したが、本日午前、別方面から訃報が入り、明日午後から仙台に行かねばならない。 そういう精神状態で聴いたせいか、何となくお弔いの音楽に聞こえた。

9月27日(土)         *大石強・新潟大学人文学部教授の告別式

 新潟大学人文学部教授・大石強 (おおいし・つよし) 先生が23日(火)に亡くなられ、本日、新潟市内で告別式が行われた。 享年59歳。 式には私も出席した。 

 大石先生は英語学がご専門で、その方面の学会での受賞歴もある。 会場には安井稔氏からの花輪と弔電も寄せられていた。 安井氏は日本英語学界の大御所で大石先生はその弟子にあたるのであるが、高弟が先に逝ってしまったことを嘆く弔電には悲哀がこもっていた。

 残念ながら私は大石先生と親しく会話を交わした経験がない。 私の新潟大学教養部赴任は1980年で、大石先生が最初の勤務先である弘前大学から新潟大学人文学部に移って来られたのはその数年後であるが、教養部と人文学部という所属先の違いがあり、また94年に教養部解体により私が人文学部に移ってからも所属講座が違うので、お付き合いいただく機会がなかった。 同じ外国語関係とは言っても、ブンガクと言語学という、小さいようで大きな差異のせいもあったであろう。

 大石先生はここ3年ほど闘病生活を続けてこられ、時おり廊下等でお見かけすることはあったが、眼帯に毛糸帽という痛々しいお姿であった。 しかしお元気な頃の先生は長身で若々しく、笑顔が魅力的で、こういう言い方は不謹慎かもしれないが、女性にモテそうだな、と私などは思っていた。 お二人のご子息も優秀と聞いている。

 新潟大学人文学部はこの6月にも本田先生という現職教員を失ったのであるが、わずか3カ月で悲報が続くこととなった。 謹んで大石先生のご冥福をお祈り申し上げる。

9月22日(月)       *アクセル・ブラウンズ 『ノック人とツルの森』 書評、産経新聞に掲載

 本日、産経新聞の読書欄に私の書いた書評が掲載されました。 対象作品は、アクセル・ブラウンズ著・浅井晶子訳 『ノック人とツルの森』(河出書房新社、2100円)です。 興味のある方はごらんください。 (今のところ、産経新聞のWebサイトには載っていないようである。)

9月20日(土)     *ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会 (新潟市りゅーとぴあコンサートホール)

 本日は午後5時から、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会に出かける。 女房同伴。

 指揮はリッカルド・ムーティで、プログラムは、ハイドンの交響曲第67番とシューベルトの交響曲第8番 「グレート」。 ウィーン・フィルの今回の日本公演では、シューベルトのこの曲は新潟でしかやらないとあって、遠方からはるばる新潟市にやってきた音楽ファンもいたとか。

 舞台に現れた団員をみると、コンサートマスターは日本でもおなじみのライナー・キュッヒル氏である。 期待がますます高まる。 

 ウィーン・フィルは数年前にも新潟に来たが、その時と比べて今回はとてもよかった。 ウィーン・フィルらしさがよく出ていて、満足。

 ハイドンでは、弱音の美しさ、独奏ヴァイオリンの掛け合いなど、面白いところが多々あった。 ハイドンの67番というとあまりなじみがなくて、正直、私も今回の演奏会情報が入ってからハイドンの交響曲全集 (アダム・フィッシャー指揮による) から引っぱり出して2、3度聴いてみたのであるが、やはり実際にホールで演奏をしているのを聴くのは違う。 ハイドンの新しい魅力に触れたような気がした。

 後半のシューベルトは、音の流れに身を任せ、という感じだったかな。 もともとこの曲はいつまでも終わりそうにないといったところが素晴らしいわけだけど、そういう曲の本質をよく出した演奏だったと思う。

 アンコールにシューベルトのロザムンデ間奏曲が演奏された。 立ち見の客も含め、大きな拍手が続き、団員が引っ込んでからもやまないので、ムーティが一人舞台に出て歓声に応えていた。

9月19日(金)      *日本独文学会会員数の減少

 留守中、郵便物が自宅にも大学にもたまっていたので、まとめて読んだり片づけたりする。

 日本独文学会の会誌 『別冊 2008年秋の号』 が届いていたが、それによると、独文学会の会員数は今年の5月末日現在で2150名。 昨年の同期より73名減っている。 

 実は昨年も同じ時期に同じようなことを書いた。 昨年は1年間で86名減っていたのである。 ちなみに5年前の2003年は会員数は2439名だったから、5年間で289名減ったことになる。 5年間で12%近い減少。 私は昨年同期のこの欄に以下のように書いた。 考えに変わりはないので、そのまま引用しておこう。

  ―― 〔日本独文学会員数は〕 2003年度から毎年、19名、64名、47名、86名という減り方をしている。 予想するに、この減少傾向は拡大こそすれ、収まることは当分ないだろう。 団塊の世代のドイツ語教師が停年を迎えるのは、これからなのだから。 国立大の停年は63〜65歳のところが大部分だから、団塊の世代は早くとも2年後にならないと停年を迎えないのである。 私大は70歳停年のところが多いから、さらに遅れる。

 そこでごっそり抜けたあと、どの程度補充がなされるかである。 私が見るところ、ドイツ語教師は第二外国語を守るべく戦うどころか、第二外国語削減に迎合し、場合によっては積極的に自ら削減しているわけだから (少なくとも新潟大学ではそうである)、補充もあまりなされないだろう。

 日本の第二外国語教育は、こうして壊滅に近づいていくのである。 それでどうなるか、誰も知らない。 ――

 こういうことをわざわざ書くのは、独文学者の端くれとして悪趣味だと思うかも知れない。 しかし、私は日本全国の国立大学教養部が解体していた頃、つまり1990年代半ば、学生時代の恩師である小栗浩先生にお会いしたときに予言したのである。 「このまま事態を放置すれば、日本独文学会の会員数は遠からず半減するでしょう」 と。

 小栗先生は独文学界では有名人であるから、それを聞いて独文学者の多数集まる席で弟子 (つまり私) の予言を話題に載せた。 すると、「そんなことはあり得ない」 という反応だったという。 私はそれを後日、小栗先生から聞いた。

 私はその時、「独文学者ってのは、先がまるっきり読めない無能な人間ばっかりだな」 と思った。 今もその考えに変わりはない。 私が上記のようなことを書き続けるのは、私の予言が成就するであろうことを示すためなのである。

9月16日(火)        *ベルリン出発

 本日でベルリンともお別れである。 朝6時半頃ホテルのレストランで朝食。 むろんいつもより早い時間で、8〜9時頃朝食をとると混んでいるのだが、さすがにこの時間帯は空いていて落ち着いた気分で食べられた。

 フロントで勘定を済ませたが、ミネラルウォーターとリンゴジュース代と称して約6、5ユーロ請求される。 ホテルの部屋には各種飲物がおいてあり、そのうちミネラルウォーターはたしかに飲んだが、リンゴジュースは飲んだ覚えがない。 しかしここで文句を言うと時間がかかるし、空港には時間的余裕をもって到着したいと思っていたので、2,5ユーロ程度多いだけだと考えて、黙って払う。 こういうのが日本人の悪いところだと思いながら。 それにしてもドイツのホテルは4つ星といえどもアテにならない。 昨年のハンブルクの3つ星ホテルではこういうことはなかった。 もっともトラブルの種になりそうな飲物は室内にそもそも置かれていなかったからでもあるが。

 空港でエールフランスのパリ行きに乗るときも、昨年のハンブルク空港でより分かりにくくて、手間取った。 そもそも入口にどの航空会社はどこというような表示が見あたらないので、インフォメーションで訊かなくてはならないのが不便。 そのエールフランスのところに並んでいたら、いかにもフランス人らしい風貌の男性係員が、私に書類とパスポートの提示を求め、自動発券機で券を出す操作をやってくれたので助かった。 私は自動発券機を使ったことがなく、そもそも日本でそういう説明 (あらかじめ自動発券機で券を出しておけというような) を受けていないので、分かるはずもないのである。

 私の前に並んでいたドイツ人らしい若夫婦が、窓口で荷物を3つ預けようとして、荷物は一人1個しか預けられませんと注意され、だいぶ時間を食った。 預ける荷物は一人1個だということは窓口の上にある電光掲示板でも説明してあるのだが、分からない人には分からないのだろう。 その若夫婦は、預けるつもりでいたバッグの一つを手荷物にすることにして、預けるスーツケースの中から色々取り出したりして入れ替えるなどして、そのせいで時間がかかったのである。 まったく、迷惑な人々ではある。 それでもなんとか私の番になり、荷物を成田行きで預けて、その後手荷物の関門をくぐってパリ行きの飛行機に乗ると、ほっとする。 

 飛行機では窓側の席。 隣りはフランス人らしい30代か40代初めくらいの夫婦。 夫は私が荷物を上に乗せるときに手伝ってくれたりして親切だったが、私のすぐ隣りの席になる妻は、ほどなく新聞を読み始め、その新聞が私のテリトリーに大きく入り込んできているのも意に介さない。 誰もがというわけではないが、西洋人女性のこうした無神経には時々閉口する。

 パリ・ドゴール空港では、行きでも乗り継ぎをやったので問題はないと思っていたら、あった。 ここでまた手荷物を再検査されるのだが、10ゲート分に一つしか関門がないので、長蛇の列になっているのである。 行きは、パリ発ベルリン行きで一つの関門だったのに、どうしてこうも差があるのか分からない。 並び始めたのは成田行きが飛び立つ1時間10分くらい前だったが、関門を通り抜けたときには残りは30分となっていた。 途中の空港ビル内で買物なんかしなくてよかった、と思った。

 しかも、通り抜けてゲートに着いても、肝心の成田行き飛行機はそこにはなく、そこからバスに乗ってかなり離れた場所まで行き、タラップから飛行機に乗らなくてはならない。 乗った時点で予定出発時刻の15分前。 そして例の関門には日本人らしい人たちが私のかなり後にも結構いたから、これじゃ間に合わないのではないかと思った。 案の定、出発は予定より15分ほど遅れた。

 席は、窓側女性と通路側男性 (いずれも西洋人) の間の席。 ちょっと窮屈な感じだが仕方がないかと思っていたら、乗務員から、席を交換してくれないかと言われた。 窓側女性にとって隣りが男性なのは気の毒だから、というのだ。 窓側の席だというのでOKして移ったら、最後尾の席であった。 ここは飛行機の幅が狭くなっているので、左右両サイドは通路側と窓側の2座席しかないのである。 その窓側の席。 左右両側に人間がいるよりはるかに楽である。 私の代わりに移ったのは黒人女性であったが、多分、エールフランスの乗務員だったのではないかと思う。 最後尾で私の隣りにすわっている男性は、途中食事サービスなどをする乗務員に話しかけたり、特別に飲物をもらったりしていた。 おそらく、折り返し日本からパリまで飛ぶときには仕事を担当す乗務員が、行きの便では最後尾に乗っているということなのだろう。 でないと、普通の乗客なら、窓側の席から左右両側に人にいる席に移るような要求はされないだろう。

 というわけで、成田からパリに行くときは通路側の席で楽だったが、帰りも幸い窓側に変えてもらえて、楽でした。

 成田に着いて、税関などを通り抜け、空港ビルの1階に降りたら、眼鏡が曇った。 あらためて、日本は暑いし湿気が多いな、と痛感した。 (着いたときは17日の水曜日になっていたが。)

9月15日(月)         *サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィル演奏会

 ベルリン滞在の最後の日。 朝、ホテルを出てアレクサンダープラッツ駅から電車で2つ離れたオスト駅に行く。 そのすぐそばの 「ベルリンの壁」 の残余を見るため。 「ベルリンの壁」 は大半が撤去されているが、このあたりだけ記念に残っているのである。 見ると落書きだらけであるが、中国人の落書きも目立つ。 なぜか日本人のは、かろうじて女の子の名前一人分しか見あたらなかった。 全部見たわけではないが、日本人って何のかんの言ってもやはり礼儀正しいし大人しいんじゃないだろうか、と思う。

 このあと、市中心部にあるボーデ博物館と旧博物館を訪れる。 本当は旧ナショナルギャレリー (美術館) を見たかったのだが、月曜休館だから致し方ない。

 それからブランデンブルク門を見物に行ったら、近くに戦時中にソ連がナチスを破ったことを記念したモニュメントがあり、そこに戦車や大砲も飾られているのが目を惹いた。 こういうモニュメントに戦車や大砲を添えておくってのは、平和主義ニッポンじゃあまず通らないでしょうな。 もっともこの種のモニュメント自体も――憲法などを除くと――存在しないわけだけれど。

 このあと、夜のコンサートには時間があったので、アレクサンダープラッツ駅にもどり、その前から出ている市電に乗ってみる。 私は市電が好きで、こちらに来てからもポツダム市内で1度、ベルリン市内で2度乗っているが、まだ乗り足りない気がしていたので、余った時間は市電に乗ることですごそうと考えたのだ。 

 アレクサンダープラッツ駅は、その東と西の出入り口前の両方に市電の停車場があって、市電が出ている。 ただ、どこに行くのかは判然としない。 『地球の歩き方・ドイツ』に載っているベルリン市街図でも、またホテルの部屋に置いてあった市内図でも、市電の経路は書かれていない。 また市電車両に掲示されている行き先がどこになるのかは、ベルリンに精通していない私には分からない。 市電は基本的に旧東ベルリン (社会主義政権だった部分) にしかないので、なおさらである。 ただ、市電車両には行き先の掲示があるだけでなく系統を番号で示してあるので、降りた駅で逆方向に向けて同じ番号を打ってある市電に乗れば戻ってこられるだろうと当たりをつけて、適当に乗ってみる。

 すると乗った市電は、アレクサンダープラッツから東方向に伸びた大通りをひたすらまっすぐ走っていく。 市電の軌道はクルマが走る部分とははっきり区別されているので、渋滞することもない。 しばらく乗って、Ostseeという停車場で降りてみた。 すぐ戻るのでは面白くないので、その辺をぶらぶら歩いてみる。 この辺は旧東ベルリンに属する地域だが、中古車がまとめて置かれている広場があったり、なんとなく雑然として風情が感じられない。 少し歩いていくと、5階建てのアパートが建ち並んでいるところに出た。 どれも同じような形で、むかしの日本の公営住宅によくあったようなタイプのもの。 つまり、同じ階が共通の廊下で結ばれるのではなく、1階から5階まで階段が続いていてその左右両側に各世帯のドアがあるタイプのもの。 だから5階建てなら1つの階段で10世帯共用なわけだ。 エレベータはない。 ただ、日本と違うのは、1階の階段入口にもドアがあって鍵がかかるようになっていること。 出かけるときは、自宅の鍵と1階共通扉の鍵2種類をお忘れなく、というわけ。

 見ると、1世帯分は、片側に大きめの窓1つと、小さな窓1つだけしかない。 逆の側から見ても同じだ。 この大きさだと、日本流に言うと2DKくらいではないか。 どう見ても大家族だとか或る程度裕福な人たちが住むところには見えない。 アパートの周囲はそれなりに落ち着いた雰囲気で特にすさんだ印象はなかったが、どんな人たちが住んでいるのかなあ。

    *    *

 夜、フィルハーモニー・ホールにベルリン・フィルを聴きに行く。 開演は夜8時、指揮はサイモン・ラトル。

 チケットは、下にも書いたが、あらかじめインターネットで購入しておいたもので、舞台斜め右後方の席、38ユーロ (約6000円)。 もっといい席で聴きたかったのだが、7週間前に予約した段階ですでに後部座席しか残っていなかったのである。 皆さん、ベルリンにお出かけになるときは、ベルリン・フィルのチケットだけは早めにご予約を!

 フィルハーモニーのホールは、玄関から入るとすぐロビーになっており、その開放性と広さに驚かされる。 クローク、そして飲物を出すカウンターも複数設けられている。 飲物を置くテーブルの数も多い。 そして1階ロビーの端にはCDやクラシック音楽関連書を販売する店が設けられている。 そう書くと、りゅーとぴあのロビーだってコンサート時にはCDを売ってるじゃないかと思われるかもしれないが、ああいう出張販売ではなく、新潟で言えばコンチェルトさんの店を売場の半分は書籍に置き換えてりゅ−とぴあの一角に設けているようなものなのである。 せっかく来たのだから記念に何かと思い、CDではなく ”Thomas Mann und die Musik”(トーマス・マンと音楽) という本を買ってしまう。 約23ユーロ (約3600円)。 うーむ、いつ読めるかなあ。

 「ベルリン・フィルのホールって、演奏中に咳をしちゃいけないんだって」 とあらかじめ耳情報を女房から吹き込まれていたが、人間だもの、咳をするなって言ったって出るときには出るだろう、と思っていた。 そして実際、演奏中でも咳をする聴衆はいた。 ただ、パンフレット (無料) を開くと、最初のあたりに 「なるべく咳はご遠慮いただきたい」 と書いてある。 そして、パンフレット置き場の脇に、のど飴が置かれているのである。 これまた無料。 つまり、客に対してなるべく咳をするなと言うだけでなく、そのために無料でのど飴を配るという配慮もしているわけなのだ。 筋が通っているなと感心。 私もせっかくだからとのど飴をもらう。

 座席番号は、コンツェルトハウスと同じ原理で、右と左でそれぞれに番号が打たれているし、ブロックは――新潟のりゅーとぴあ同様に――アルファベットで示しているが、それも左右ごとに対称になっている。 つまり、私は舞台右後方でHブロックだったわけだが、これは 「右のHブロック」 ということになるのであり、左側にも私のブロックと対称となる位置に 「左のHブロック」 があるのだ。 新潟のりゅーとぴあだと、ホール全体でHブロックは一つしかないけど、ベルリンのフィルハーモニーではそうじゃないのである。 だから左右を間違えると、指定されたのとは別のブロックに行ってしまう。

 その右Hブロックに廊下から入る木製の階段は、踏みしめると、ギシギシとまでは行かないが、キュッキュッと音がする。 フィルハーモニー・ホールも作られてだいぶたっているので、若干傷みが来ているのかも知れない。 私の座席は、(私から見て) 左側が舞台の (正面から見て) 右横ブロックの壁に邪魔されて、舞台上の (正面から見て) 右端が見えない。 だからコントラバス奏者は大部分が視覚外だったし、ヴィオラも後ろの方にいる奏者は見えなかった。 うーむ。

 驚いたのは、舞台の後部に段々になった長い椅子が置かれていて――ベートーヴェンの第九をやるときに合唱団が乗るものを想像されたい――そこに客が入っているのである。 私のブロックから舞台後部へ階段が通じていて、客はその階段の前にいる係員にチケットらしきものを見せて降りていき、その長い椅子に順々にすわっていくのだ。 「え、これって何? もしかして立ち見席?」 と思う。 詳細は不明だが、とにかく舞台後方にも客を入れていることは確か。 うーむ。 演奏が始まると、私の左隣の座席 (そのまた左は壁) は前半は空席だったのだが、後半になると前半は私の3つ右にすわっていた綺麗な女の子がそこに移り、その女の子がすわっていたところには別の若者がすわった。 これ、立ち見席券で入って空いている指定席があったら適当にすわっているということなのかな、と思う。

 ホールの内装を見て思ったのは、このホールはコンツェルトハウスのような19世紀様式へのアンチテーゼとしてできているのだ、ということであった。 コンツェルトハウスの装飾たっぷりのホールについては下に書いたが、フィルハーモニーのホールは壁にそうした装飾は一切なく、これは日本人からすると当たり前の感じがするけれど、コンツェルトハウスのような19世紀的な、そして王侯貴族文化の装飾性を受け継いでいるホールに慣れた人からすると、「お前たちは反逆の徒であるぞよ」 ってなことになるのではないだろうか。 そう考えると、アリーナ型のホールというのも、長方形にできているシューボックス・ホールへの反逆だし、ホールの形や壁の装飾だけでなく、舞台の上にぶらさがっている反射板やそっけない円筒形のライトだって、一種の現代美術のような気がしてくる。 いや、この実用主義的な形のライトは明らかにコンツェルトハウスに見られるような伝統的なシャンデリア型灯りへの反逆であろう。

 そうしたカタチの現代性は、このホールの音にもつながってくる。 このホールの響きは決してデッドではないが、しかしコンツェルトハウスの低音がかぶってくるような、フルトヴェングラーのディスクを聴いたときのような意味での豊饒さはない。 むしろ音は、日本人からすると非常に当たり前な、 (少なくともコンツェルトハウスに比べれば) クリアな音がする。 現代的、とも言えるであろう。 別の比喩を使えば、真空管アンプの時代がコンツェルトハウスだったとすれば、フィルハーモニー・ホールはトランジスタ・アンプの時代だということになる。

 さて、この日のプログラムは、フランツ・シュレッカー (Franz Schrecker, 1878-1934) の室内交響曲 (Kammersymphonie) とブルックナーの第九交響曲。

 舞台に現れたサイモン・ラトル (生で見たのは初めて) を見ると、年をとったかな、という気が。 ラトルというと何となく若いイメージを持っていたのだが、お腹も出ているし、後で調べたら1955年生まれで50歳を過ぎているのだから当たり前なのだ。

 最初の曲。 シュレッカーは名前も知らなかったが、1916年に完成し、翌17年にウィーンの楽友協会ホールで初演された曲だとのこと。 ベルリン・フィルも1919年にこの曲を初めて取り上げているが、今回は1989年の演奏会で取り上げて以来だそう。 (こういうことも律儀にちゃんとパンフレットに書かれているのだ。)

 曲は1楽章で25分ほど、弦楽器奏者11人、管楽器奏者7人、ハープ、チェレスタ、ハルモニウム、ピアノ、ティンパニ、太鼓 (?)によるもの。 チェレスタとハルモニウムとピアノというふうに鍵盤楽器3つが並んでいるのは、ちょっと面白い。 初めて聴く作曲家であり曲なので何とも言えないが、全体に非常に静かな印象が強い。 現代曲的な訳のわからなさみたいなものはない。 何度か聴くと良さが分かってくるかも知れないな、と思った。

 さて、後半はお目当てのブルックナー第九。 第1楽章では前半は音を押さえ気味にし、しだいに盛り上がっていくという設計がはっきりうかがえる演奏。 第二楽章に入ると音を全開にして迫力満点。 といっても、いわゆる爆演系ではなく、管楽器にしても乱暴に吠えるのではなく、一定の規矩はちゃんとある。 これは以前に加茂文化会館にベルリンフィルの木管五重奏団が来て演奏したときにも感じたことだが、あくまで均整のとれた音の出し方を心がけていると思われた。 第三楽章に入ると、最初の当たりのブルックナーのつたなさみたいなものも含めてかなり忠実な再現をこころがけているように聞こえた。

 ヴァイオリンは、私の数え間違いでなければ第一16人第二12人の計28人。 そしてその音の出方は、単に線が揃っているということでいえば東京交響楽団のほうがむしろ揃っているのだけれど、一人一人の奏者が力を籠めて弾いており、個々の奏者の総体としてのヴァイオリンの音がこちらに迫ってくる、という印象がある。 私がベルリン・フィルを聴いたのは、30年近く前、カラヤンの指揮で来日し東京文化会館でブラームスの交響曲を2曲やったのを聴いて以来であるが、あの時の弦もたしかこんな音だった。

 こういう曲なので、アンコールはなし。楽団員が舞台から退場しても拍手が止まなかったので、ラトルが一人で舞台に出て聴衆に応えていた。

 ベルリン・フィル演奏会のパンフのおしまいの方には9月後半の演奏予定も載っていたが、それによるとこんな風なのである。

 9/16、午後1時 フィルハーモニー・ロビーで無料のランチ・コンサート
 9/20、午後6時半 空港のホールで無料コンサート
 9/20-21、午後8時 空港のホールでコンサート (有料、メシアンとシュトックハウゼンの作品)
 9/23、午後1時 フィルハーモニー・ロビーで無料のランチ・コンサート
 9/25-27、午後8時 フィルハーモニー・ホールでコンサート (有料、ラヴェルの 「マ・メール・ロワ」)

 こうしてみると、天下のベルリン・フィルといえども結構忙しいのだということがよく分かる。 無料のランチ・コンサートを開いたりして、市民に親しまれるための努力もしているのである。 そういう意味でも印象の強い、そして考えさせられた演奏会であった。 

9月14日(日)      *ベルリン国立歌劇場の 『トリスタンとイゾルデ』

 午前中、絵画館 (Gemaeldegalerie) を訪れる。 ベルリン・フィルの本拠地として有名なフィルハーモニーと道路を隔てて向かい側にあり、要するに美術館である。 詳細は略すが、この美術館の面白いのは、展示されている絵を写真で撮ってもいいということ。 歩きながら絵を見ていたら、写真を撮っている人がいて、係員は全然注意しない。 そういう例をいくつか見たので、それならと思って美人画を写真で撮ったら、フラッシュは焚かないでくれと注意されてしまった。

 そのほか、暑かったので上着を脱いで手に持っていたら、上着を脱ぐなら腰にまきつけておいてくれと注意されたり、ちょっと床の線をはみだして見ていたら線内で見てくれと注意されたり、絵を写真で撮って構わないのは寛大だが、係員は結構うるさいなと思った。 展示されている絵画は非常に多いので、全部をざっと見るだけでも3時間くらいかかる。

      *     * 

 午後4時から、一昨日に続きベルリン国立歌劇場でオペラを見る。 今日はヴァーグナーの 『トリスタンとイゾルデ』。

 パンフが0,5ユーロ。 一昨日の 『フィデリオ』 は5ユーロで、それより長い 『トリスタンとイゾルデ』 だからもっと高いのでは、と思っていたので拍子抜け。 『フィデリオ』 のパンフはあらすじや配役だけでなく、評論家による長めの文章も収録されており冊子状になっているので高かったわけだけど、本日はあらすじを書いた2つ折りの紙と配役などを記した2折りの紙だけで、都合8ページしかない。 安いわけである。

 本日の私の席は、3階正面よりわずかに右寄りの3列目。 ランクは一昨日と同じで価格も同じ57ユーロ。 客の入りも一昨日と同じような感じで、7〜8割くらい。
 
 開演前に支配人とおぼしき人物が舞台に現れた。 実はイゾルデ役を予定されていた歌手が一昨日急病となり出演できなくなった、皆さんご存じのとおりこのオペラのイゾルデ役は大変難しい役であり代役を探すのも困難であったが、さいわいにして見つかった、どうか皆さんにはその点をご承知の上でごらんいただきたい――というような前口上を述べた。 パンフを見ると、その代役だというデボラ・ポラスキー(Deborah Polaski)がちゃんと印刷されている。 あとで休憩時間にロビーをよく見たら、「予定されていた誰それが急病のため、イゾルデ役はデボラ・ポラスキーが演じます」 という掲示板が置かれていた。

 本日の演奏は、指揮がダニエル・バレンボイム、演出はハリー・クプファー (Harry Kupfer)。 上記のイゾルデ役以外の歌手は、トリスタンがロバート・ギャンビル (Robert Gambill)、ブランゲーネがミッチェル・ド・ヤング (Michelle De Young)、マルケ王がクリストフ・フィシェサー (Christof Fischesser)。 この演出での初演は2000年4月16日で、本日は27回目の公演にあたるそう。

 舞台には、巨大な天使像が置かれている。 ひざまずいていて、下半身は地面に埋もれている姿。 背中の翼は一方は斜め上に伸び、他方は地上に垂れている。この天使像が場面とともに回転して、登場人物はある時は天使像の背中の上に立ち、ある時は垂れた翼の影に隠れたりしながら、歌を歌い演技をするのである。 男性歌手の服装は総じて地味。明るいところではともかく、暗い場面では皆同じような服に見える。

 さて、イゾルデが代役ということでどうかなという懸念があったのだが、始まってみるとデボラ・ポラスキーのすばらしさに聴衆は感じ入ったよう。 すでに第一幕が終わったところで猛烈な拍手で、主演の二人は何度も幕の前に呼び出された。 実際、彼女の声の美しさと歌のうまさ、そしてよく通る声には感心しどおしであった。 オーケストラがかなりの大音量を出しているときでも、それに負けずに彼女の声はきちんと聞こえてくる。 必ずしも声量がすごいというわけではないのだが、要するに通りのいい声なのあろう。 トリスタン役の声がオケの大音量に負けがちだったのと対照的。

 あとで調べたらデボラ・ポラスキーはそれなりに有名な歌手で、ヴァーグナーでも実績を残しているようだ。 いずれにせよ最後の幕が下りると大変な拍手と喝采で、また指揮のバレンボイムも大喝采を浴び、指揮者だけでなく楽団員たちも舞台に上がって、延々と続く拍手のなか、たいへんな盛り上がりとなった公演であった。

9月13日(土)     *ベルリン・コンツェルトハウスのオルガンコンサート、及びベルリン室内管弦楽団演奏会

 本日は、午前中はペルガモン博物館にでかける。 古代メソポタミアなどの遺跡を収納している博物館。 詳細は略すが、一つだけ情報を。

 『地球の歩き方・ドイツ』 を見ると、ベルリン市内の博物館・美術館を3日間見たいだけ見られる3日券があると書かれている。 それに間違いはないが、ペルガモン博物館の入場券売場には、各種チケットとその価格が書いてあるけど、なぜか3日券は書いてないのである。 しかし窓口の係員に尋ねたら、3日券はあった。 書かれていないのは不親切だと思うけど、ちゃんと3日券はあるので、皆さん、ベルリンで複数日にわたって3つ以上の博物館・美術館を訪れる際には3日券を買いましょう。

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 さて、午後はコンツェルトハウスで、午後3時30分開演のヨアヒム・ダーリッツ (Joachim Dalitz) によるオルガンコンサートを聴く。 入場料は10ユーロ (約1600円)。

 コンツェルトハウスは19世紀初頭に建てられ、第二次大戦で破壊されたあと1984年に再建されたものだそうだが、クラシックな外観もさることながら、大ホールに入るとその豪華な装飾に驚かされる。 典型的なシューボックス・ホールだけれど、まず目を惹くのは天井からかかった大きなシャンデリア。 これが横2列縦7列に渡って続いているのは壮観と言うしかない。 そのシャンデリアにはろうそくが燃えている。 と言っても勿論、現代なので火を使ったろうそくではなく、電気を使ったろうそく型の灯りなのだが、この型の灯りはシャンデリアだけではなく、ホール左右の側壁でも、そしてホールの外のロビーにも使われており、古典的な様式を灯りの形で貫こうとする意志が感じられる。

 ホール左右の側壁にはこのほか、ギリシア彫刻を模した胸像が並び、さらに風景画もその合間を縫うように飾られている。 天井も斜め四角に区切られてそれぞれに絵模様が描かれている。 正面のパイプオルガンには白い枠がはまっており、その両側に古代ギリシア神殿のような太い柱が立っている。 また、このコンサートではなく夜のコンサートで分かったことだが、パイプオルガンの演奏台は使わないときには扉で覆われるようになっていて、その扉に祭壇画のような絵が描かれているのである。

 ベルリン滞在中には市内のシャルロッテンブルク宮殿や近郊のポツダムにあるサンスーシー宮殿などを見物し、そこで王侯貴族文化の 「装飾への意志」 を痛感させられたのであるが、コンツェルトハウスも基本的にそうした装飾文化の延長線上にあり、「大衆の時代」 である20世紀後半になってホールを再建するときにもそれを継承してしまうあたりに、良くも悪くも頑固な伝統的意識を感じさせられた。

 というわけで重々しい伝統を感じさせられるホールなのだが、椅子は白枠で囲まれた軽快な印象のもの。 ただし座席番号が日本のように背もたれの上、またはその近くにはなく、すわる部分を跳ね上げた下に支えの横棒があるのだが、その横棒の上に書かれているので、最初分からなくて戸惑った。

 私の座席は2階正面2列目のやや右寄り。 客の入りはそれほどよくなく、2階正面と1階中央付近に合計で200人くらいだったか。 新潟市のりゅーとぴあコンサートホールでもオルガンコンサートとなると2〜300人しか入らないことが多いので、勿体ないなと思うのだが、こうしてベルリンで聴くオルガンコンサートでもそうだとすると、まあ新潟もそんなに悪くないのかもしれないなと安心してしまう (笑)。

 パンフは簡素なもので0,5ユーロ (約80円)。 プログラムは、バッハの 「プレリュードとフーガ」 ハ長調BWV.547、メンデルスゾーンのオルガンソナタ第2番ハ短調、ニールス・ヴィルヘルム・ガーデ (Niels Wilhelm Gade, 1817-90) の 「三つの作品」(Drei Tonstuecke, op.22)、ジークリト・カルク=エレール (Sigrid Karg-Elert, 1877-1933) の 「三つの印象」(Trois Impressions, op.72)、そしてメンデルスゾーンのオルガンソナタ第4番変ロ長調。

 プログラム構成から分かるように、メンデルスゾーンのオルガンソナタが主軸となったコンサートで、実際、この2曲が一番面白く聴けた。 第2番には感傷的な旋律美があり、第4番には壮大さへの意志が感じらた。 バッハの曲は、オルガンの演奏会だから露払い的に、といったところか。 ガーデの曲は平々凡々といった印象。 カルク=エレールの曲はオルガンでも印象派的な作りができるんだな、と思わせられた。 ちなみにこの 「三つの印象」 にはそれぞれタイトルがついており、「ハーモニー Harmonies、夕べ du Soir、月の光 Claire de Lune」 となっている。

 途中休憩無しだったので、以上の5曲を1時間10分かかって弾き続けるのは大変だろうなと思った。 アンコールはなし。

 オルガンの音の印象だが、りゅーとぴあのに比べるとやや音のキレが悪いような気がしたけれども、夜のコンサートと合わせて考えると、楽器そのものではなくホールの音響特質によるのかも知れない。

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 この日、コンツェルトハウスでは午後8時からベルリン室内管弦楽団 (Kammerorchester Berlin) の演奏会があり、これにも出かけた。 指揮及び独奏ヴァイオリンがカトリン・ショルツで、プログラムはC・P・E・バッハのシンフォニア変ホ長調Wqq179、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第1番、モーツァルトのリンツ交響曲。 パンフは1,5ユーロ (約240円)。

 このオケは室内オーケストラなので、ヴァイオリンは第一第二各4人、ヴィオラ3人、チェロ2人、コントラバス1人という構成。 第2ヴァイオリンには日本人 (あるいはアジア人) かと思われる女性もいる。

 今回の座席は1階の後方やや左寄り。ランクで言うと上から3番目で27ユーロ (約4300円)。

 座席の番号の振り方が日本と違っている。 1階は中央に通路があって左右に二分されるのであるが、何列何番と番号を振るとき、左側と右側でそれぞれにやるのだ。 日本だと、中央などに通路があっても同じ列なら左側から1,2、3と番号を振って途中の通路を飛び越えて右端まで通し番号をつけるわけだが、ここでは左だけで1から十いくつまで番号を振り、中央通路を隔てて右側に行くと、そこで改めて1から番号を振り直すのである。 だからチケットには右か左かが書いてあるし、それを取り違えると他人の席にすわることになってしまう。 客席は、昼間のオルガンコンサートと違ってほぼ満席。

 シューボックス・タイプのホールであることはすでに書いたが、音が、昨年同タイプのハンブルクのコンサートホールで演奏会を聴いたときと類似していた。 つまりフルトヴェングラーのディスクを聴くときのような感じで、低音がたっぷりして音の輪郭が必ずしも鮮明ではない。 だから室内オケでも音量が十分で聞き応えがある反面、現代的なクリアな音を求める向きにはちょっと不満も残る、そんな響きのホールなのである。

 演奏は悪くなかったが、突き抜けるような素晴らしさがあるというほどでもなく、ホールの豊饒な響きに包まれて満足はしたものの、何かもう一つ工夫のようなものも欲しいなという気がした。 強いて言えば、リンツ交響曲がアクセントの強い演奏で印象に残った。 改めて気づいたのだが、この交響曲、ティンパニが大活躍する曲なのだよね。 アンコールにモーツァルトかその近辺の作曲家と思われる曲が演奏された (ショルツが曲名らしきものを言ったけど聞き取れなかった)。

 演奏会が終わって、脇の方のドアから外に出た。 実は、このコンツェルトハウスは外見から言うと正面に堂々たる階段があって2階正面に通じているのであるが、入るときはその堂々たる階段からではなく、階段の両脇の下から入り階段の裏になる正面1階から入場するようになっている。 入るとすぐ右側にチケット売場が、正面にクロークなどがある。 大ホールは1階席でも建物の2階になり、ロビーで見ると建物2階正面にもちゃんとドアは付いているので、終演時は堂々たる正面の階段を降りられるかなと期待したのだけれど、2階正面ドアは閉じたまま。 これって、飾りなんだろうか。 それともエライさんが来たときだけ開くようになっているのかな?

9月12日(金)      *ベルリン国立歌劇場の 『フィデリオ』

 午前中、昨日にひきつづきポツダムに出かけ、そこの映画博物館を見物。 ただしあまり面白くなかった。 収穫は、売店にあったドイツ文学作品の映画化DVDを買えたこと。 レッシング 『エミーリア・ガロッティ』、ハインリヒ・マン 『臣下』、トーマス・マン 『ヴァイマルのロッテ』 の3作品を買う。 各10ユーロ弱。 これらDVDはヨーロッパのパル方式なので、普通の日本製DVDプレイヤーにはかからないが、パソコンだとパル方式でも読みとってしまうので、見ることができるのである。

  願わくは、これらの作品に邦訳がつけられて日本で一般公開されんことを。 私は数年前、ゲーテとその妻クリスティアーネの関係を描いた映画がドイツで作られたとき、日本公開されるようドイツ文学者が運動してはどうかと提案したことがあるが、独文学会は何もしなかった。 独文学会理事たちは万事がこういう調子で、実効性のあることはやらない主義の連中がそろっている。

 それからベルリン市内に戻って、シャルロッテンブルク宮殿を見物。 詳細は略すが、やはり装飾への意志を痛感。 そして庭園が、フランス式と英国式が両方見られる興味深い形式なのだが、残念ながら時間がなくて正面のフランス式部分をちょっと見ただけに終わる。

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 午後7時30分から、ベルリン国立歌劇場 (Staatsoper unter den Linden) でベートーヴェンのオペラ 『フィデリオ』 を観る。 座席は7ランクあるうちの上から3番目で57ユーロ (9000円弱)。 3階の正面よりわずかに左寄りの2列目。 (3階は4列まである。 全体は4階まで。) ちなみに最上席は84ユーロ、最低は8ユーロ。 あらかじめインターネットで予約購入したもの。

 ベルリン国立歌劇場は有名だから事情通の方々には改めて説明する必要もないかもしれないが、入ってみた印象は 「意外に小ぶりだな」 ということ。 正面玄関から入るとすぐチケット売場があり、そのすぐ先があまり広くない正面ロビーで、ここの左右両脇から地下に通じており、地下にクロークと飲物売場がある。 正面ロビーを進むとすぐにホールをぐるりと囲む廊下があり、その正面左右に2階以上に通じる階段もある。 2階以上のホールを囲む廊下は椅子も多少あってロビー兼用ではあるが、やはりそう広くはない。 ホールに入って3階の指定された席にすわると、舞台が結構近いのである。 日本の新国立劇場の3階席などよりずっと近い。 だから3番目のランクの席ではあるけれど日本の感覚だとS席相当に思えてくる。 人間の歌う声がちゃんと届く範囲の劇場ということで造ると、このくらいが適切なのかも知れない。

 廊下やロビーがあまり広くないので、休憩時間になると客は飲物やパンを手に持って建物の外に出てしまう。 この劇場は Staatsoper unter den Linden という名前のとおりにベルリンの中心街 unter den Linden通り (東京なら銀座に相当) にあるわけだが、そこに出てビールやワインを飲んだりパンをかじったりしているのである。 休憩時間になるとチケットのチェックもないから、その気になれば第2幕以降をタダで観ることも可能そう。 また好位置に空いている座席があると第2幕以降はちゃっかりそこに移る客もいる。 一番上の4階は、私の席から見える端の方はがらがらだったし、他の階にも結構空いている席があり、多分7〜8割程度の入りだったのではないかと思う。

 私の席の少し左に、日本なら高校生くらいかと思われる男の子が何人も並んですわっていた。 休憩時間になると、そこに同年齢の女の子数人がやってきてだべっている。 多分、学校を通じてか、或いは他の手段を通して若者をオペラに親しませようという企画のようなものがあるのではないだろうか。 その際に男女は別席、というのが愉快。

 オペラ専用劇場だからオーケストラ・ピットが広くて深い。 ピットから舞台の正面下や左右下に通じるドアがあって出入りできるようになっている。 舞台は左右に袖があって、その袖の脇には二階建てで建物の窓のような部分がついており、必要に応じてそこからも歌手が顔を出して歌うようになっている。

 舞台上方に電光掲示板があり、そこに歌詞が文字で出るようになっている。 昨年、ハンブルクでヴェルディの 『シモン・ボッカネグラ』 を聴いたときは、ドイツの歌劇場でイタリア語オペラをやるのだから字幕としてドイツ語訳が出るのは当然だと思ったのだが、今回はドイツ語のオペラなのにやはり歌詞がドイツ語字幕で出てくるのである。 ドイツ人にもオペラの歌詞は聞き取りにくい、ということなのであろう。 まして私のような日本人には歌詞が文字で読めるのは大助かり。 お陰で物語の進行も細部までよく分かった。 ただし、歌のつかない純然たるセリフの場合は文字は出ない。

 さて、本日の 『フィデリオ』 は、指揮がカール=ハインツ・シュテッフェンス (Karl - Heinz Steffens)、演出がステファーヌ・ブラウンシュヴァイク (Ste'phane Braunschweig)、レオノーレはアンゲラ・デノケ (Angera Denoke)、フロレスタンはヨーハン・ボータ (Johan Botha)。 1995年1月29日がこの演出での初演で、本日はその66回目の公演にあたるそう。

 最初は幕が下りたままで始まり、幕の前の狭いスペースでマルチェリーナやその父やフィデリオ (レオノーレ) の会話 (歌) が続いていく。 それから、牢獄のことが話題にのぼるとようやく幕が上がる。 舞台上には長方形の広い台があり、そこに長方形の穴が空いている。 横に4つ、縦 (手前から奥にかけて) に6つ並んでいる。 この穴が牢獄の比喩的表現になっており、そこから赤い服を着た囚人が顔を覗かせるのである。 ただしこの長方形の台と穴は、遠近法を強調して作られている。 つまり手前側に比べて奥の方が短くなるようにできているので、一見するとすごく奥行きが広いような錯覚を観客に与えるのだが、しかし実際には舞台分の奥行きしかないわけだ、 だから長方形の穴には、一番手前だと二人並んで入れるが、4列目になると一人がやっとで、5列目と6列目は人が入っていない。

 第二幕になると、この台の左右両脇と上にも類似したパネルが付けられる。 そこで、第一幕ではたんに台上に長方形の穴が空いたものとしか見えなかったのが、格子に囲まれたスペースに変貌して、牢獄であることがはっきり視覚的に分かるようになっているのである。

 序曲が 「フィデリオ序曲」 ではない。 といって 「レオノーレ第3番」 でもなく、多分 「レオノーレ第1番」 だろうと思った。 また、第2幕第2場の前に 「レオノーレ第3番」 を演奏するということもなかった。 おそらく初演の形で、ということなのであろう。
 
 歌手は総じてレベルが高かったが、最後に出てくる司法大臣役がやや声量に難ありの感じ。 最も素晴らしかったのはヒロインのフィデリオを演じたアンゲラ・デノケで、いささかも危なげのない美声で客を熱狂させた。 このオペラの理念である 「正義の実現」 を体現するかのような規矩正しい歌は見事だった。 それからフロレスタン役のヨーハン・ボータも、お腹がかなり出た体形で視覚的にはどうかと思ったが (牢獄では食物もろく与えられていない、という設定なのだから)、体にふさわしい声量があって存在感を示していた。

 ふだんはディスクでしか聴く機会のないこのオペラも、こうして生で聴いて最後の合唱に至ると、感動が襲ってくる。 やっぱり生で聴くとそれなりだと実感したことであった。
 
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 なお、この 『フィデリオ』 ともう一つのベルリン国立歌劇場公演、それとベルリン・フィルの公演を約7週間前にインターネットで予約し、チケットは――当日受け取りと送付とがあるが――送付を指定した。 ベルリン・フィルはすぐに送ってきたが、国立歌劇場の方はさっぱり送ってこないので、メールで問い合わせたところ、「指定住所が間違っているので送れない。 当日窓口で受け取ってくれ」 という返事が来た。 しかし 「住所が間違っている」 などというのはデタラメもいいところで、これで大丈夫なのかなと疑心暗鬼におちいった。 実際にはこの日、開演1時間前にでかけ、インターネット予約した際にあちらから来た 「予約を受けた」 というメールをプリントアウトしたものを見せたら、すぐに本日と明後日の両方のチケットを出してくれたので問題はなかったのであるが、ベルリン・フィルは人気があって予約したときすでに残券僅少だったのに比べると、国立歌劇場の方はさほどでもなく、プレミエとか特に人気演目だとかでなければ当日券でも十分ではないかと思われた。

9月11日(木)     *ベルリン1週間乗物乗り放題チケット、サンスーシ宮殿、演劇 『マリア・マグダレーナ』

 朝、ホテルのすぐ前のアレクサンダープラッツ駅に行って、昨日買い損ねたベルリン市内および近郊の交通機関で1週間通用するチケットを買おうとしたが、座席指定券などを売っている窓口近くに置かれたチケット自動販売機は昨夜空港のバス発着場にあったのと同タイプで、やはりいくら操作してもそれらしきものが出てこない。 といって窓口は長蛇の列。 質問するためだけに並ぶのはバカバカしい。 

 ホームに上がってみたら (ドイツの駅には改札口がない。 だから切符なしで電車に乗ることもできるが、車内検札でひっかかると高額の罰金を取られる仕組み。 ただし私がベルリン滞在中乗った電車では一度も検札が来なかった)、そこに別の形のチケット自動販売機が置かれていて、それを操作してみたら、ありました、1週間ベルリン市内および近郊の乗物乗り放題チケットが。 やれやれ、やっと買えた。 32,3ユーロ (約5000円) だが、これでベルリン滞在中の交通は全部まかなえるわけである。

 チケットが手に入ったので、そのままホームからポツダム行きの電車に乗ってサンスーシ宮殿見物にでかける。 ポツダムは第二次世界大戦でのポツダム宣言で有名だが、ベルリンから各駅停車の電車で40分くらいのところにある小都市なのである (上記チケットはここまでの電車にはもちろん、ポツダム市内のバスや市電にも使える)。 ここでフリードリヒ大王の造営で有名なサンスーシ宮殿、および新宮殿を見物する。 詳細は略すが、かつての王侯貴族文化の装飾への意志を痛感させられたと言っておこう。 建物だけでなく、その周辺の庭園が広大で、その造成はもちろん、維持にもかなりカネがかかりそう。 国王が財政上の権力を握ってこんな豪勢なものを作っていたら、そりゃ一般人としたら革命も起こしなくなるわな、なんて考えました。 

 それにしても、現代では観光名所なのに、飲み食いするところが中にないのは不便。 トイレの数が少なくおまけに有料 (0,3ユーロ=約50円だけど) なのも不便。 日本なら広い庭園の、景観を損なわないような場所に飲食施設や無料トイレを作っておくと思うんだがなあ。 結局、昼食にありつけたのはポツダム駅に戻った午後3時半すぎであった。

 日頃になくたくさん歩いて疲れたので、いったんベルリンのホテルに戻って少し休んでから、夜7時半からマキシム・ゴーリキー劇場にかかっているフリードリヒ・ヘッベルの芝居 『マリア・マグダレーナ』 を見にでかける。 この劇場はベルリンの中心街ウンター・デン・リンデン通りから少し入ったところにあるが、場所を探し当てるのに少し時間がかかってしまった。 チケットは当日券で、5ランクあるうちの真ん中のランクで20ユーロ (約3200円)。 パンフは1,5ユーロ (約240円)。 劇場は総定員300人程度のこぶりなもの。 ただしこの程度の劇場でも、ロビーでビールやパンを売っているのがドイツ的か。 客の入りは半分程度。

 ヘッベルの 『マリア・マグダレーナ』 はたまたま少し前に岩波文庫の邦訳を読んでいたので、筋書きを追うのに苦労はなかった。 舞台は客席に向けて少し傾斜している。 演出は現代風でセリフのアドリブもあり――だたし当方の能力不足で必ずしもよく分からない――、登場人物の服装も今風である。 演出と服飾担当と脚色 (原語はドラマトゥルギー。演出とどう違うのか?) を担う3人がいずれも女性で、そのせいか原作では途中で死んでしまうしそれほど重要とは思われないヒロインの母親も、死んだ後たびたび登場したりして、私の印象では原作ではヒロインの父親の存在感が強い作品のような気がするのだが、女の意味、みたいなものを強調した演出になっていたようだ。

 原作もさほど長くないので、途中休憩なしで1時間20分ほどで終わる。 パンフによるとこの演出での初演は2007年9月7日だそうである。 日中かなり歩いて疲れが残っていたので眠くならないか心配だったが、短い作品のせいもあり普通に観劇できた。 ただし、それほど面白いとは思えなかった。

9月10日(水)       *ベルリン旅行に出発

 本日正午、成田発パリ行きの飛行機でベルリンに向かう。 ベルリンといえばドイツの首都だが、その首都に日本からの直行便がないので、パリで乗り換えなくてはならない。 不便。 パリのドゴール空港では到着したのと同じ建物から乗り換えになるので簡単かと思っていたら、10分以上歩かなくてはならなかった。 これまた不便。

 『地球の歩き方・ドイツ』 によると、ベルリンには各種乗物 (電車、地下鉄、市電、バス) 1週間乗り放題のチケットがあるというので、空港から都心に向かうバス発着場に置いてある自動販売機で求めようとしたけど、いろんなボタンを押してみてもそれらしきチケットが見あたらない。 結局現金で支払って都心行きのバスに乗る。 アレクサンダープラッツの近くにあるホテルに何とかたどりつく。 しかし部屋は――去年ハンブルクでもそうだったけど――バスがなくシャワーしかない。 ヨーロッパのホテルにはありがちなことではあるけれど、日本の旅行代理店で予約するとなぜか 「バス付き」 と表示されるのである。 日本のホテルでは 「バスなしシャワーあり」 というカテゴリーがないから、外国ホテルのシャワーだけという部屋もバスに含めてしまうのだろうか。

 私は特段風呂が好きなわけではない。 いや、平均的な日本人より風呂嫌いなほうだと思う。 だけど旅行中はどうしてもふだんより体を動かして疲れるので、疲れを癒すために体を湯船に沈めてぼおっとしていたいと思うものだ。 単に体を洗うだけならシャワーのみでもいいわけだが、その辺の機微が旅行業者には分かっていないのである。 それに、去年のハンブルクは3つ星だったけど、今年のホテルは4つ星である。 まあ、4つ星ホテルでもシャワーだけってのが珍しくないことも知ってはいますがね。

 ちなみに今年のホテルは、高層ビルの中にあって眺めはいいし (私の部屋は12階) 新しいけど、ベッドはダブルベッドでその半分を使うようになっていたり――ダブルベッドの半分ってのはどうしても幅が狭い、つまり寝にくい――、洗面所の洗面台が普通の形ではなく、平台の上にすり鉢みたいな形のものが載っていて、現代美術的には面白いのかもしれないが使いにくいし、おまけになぜかタオルがその洗面台の前に掛かるようにできている――水で濡れるじゃないですか――など、モダンだけど実は使いにくいという点で、どうも4つ星には足りないんじゃないか、というホテルであった。

 以下、ベルリン滞在記は、通った音楽会を中心に記述します。

9月6日(土)       *第4回新潟古楽フェスティバル

 午後1時から、標記の演奏会を聴きにりゅーとぴあ・スタジオへ。 演奏会も久しぶり。 ようやく秋の音楽シーズン開幕、といったところか。

 毎回楽しみにしている演奏会であるが、当日は開演の昼頃は晴れて真夏のような暑さ。 お隣の県民会館では高校生の西関東吹奏楽大会が開かれていたようで、駐車場も満車。 それを見越して某所にクルマをおいてバスででかける。

 さて、プログラムは下記の通り。

第1部
・オープニング演奏:「主よ ひとの望みの喜びよ」(J.S.バッハ)
・「フォリアの饗宴」(13:10-14:00)
 ラ・フォリア(A.ファルコニエリ、M.マレ、C.Ph.E.バッハ)、ドミノ(F.クープラン)、「農民カンタータ」よりアリア(J.S.バッハ)、ヴァイオリンソナタOp.5-12(A.コレッリ)
(休憩30分)
・レクチャー・コンサート「クラヴィコード徹底解剖」(14:30-15:10)
 チェンバロ製作家・高橋靖志氏によるレクチャーコンサート。
 組曲ヘ長調よりアルマンド(G.ベーム)ほか
・ブランデンブルク協奏曲第6番(J.S.バッハ)(15:10-15:30)
 2台のチェンバロのための編曲版(K.ギルバート)による演奏。
  (休憩50分)
第2部
・「現代に生まれかわったバロック音楽」(16:20-17:10)
 「ブラジル風バッハ第5番」(ヴィラ・ロボス)、「リュートのための古代舞曲とアリア」より(O.レスピーギ)、「目覚めよ、と呼ぶ声あり」(J.S. バッハ)、「青い影」(プロコル・ハルム)、メヌエット(J.S.バッハ)、ラヴァースコンチェルト(D.ランデル、S.リンザー)、「アヴェ・マリア」(カッチーニ)
  (休憩30分)
・「ルネサンスの宝石箱」(17:40-18:40)
 「教皇マルチェルスのミサ」よりキリエ(G.P.daパレストリーナ:合唱)、「天にまします我らの父よ」(J.vanエイク:リコーダー独奏)、無伴奏レセルカーダ第3番(D. オルティス:ヴィオラ・ダ・ガンバ独奏)、「どうぞもう私をいじめないで」(R.スマート:ヴィオラ・ダ・ガンバ独奏)、「流れよ、わが涙」(J. ダウランド:歌とリュート)、「ひどい悲しみが」(R. エドワーズ:歌とヴァージナル)、「ウォルシンガム」(バード:歌とヴァージナル)、「愛しのロビン」(シンプソン:リコーダー合奏)、「ああロビン」(W.コーニッシュ:リコーダー合奏と合唱)、「白く優しい白鳥は」(J.アルカデルト:合唱)、「ドレミファソラ」(J.ブル:チェンバロとオルガン)、連弾のためのファンシー(J.トムキンズ:オルガン連弾)、「インスブルックよ、さようなら」(H.イザーク:全員)

出演者:
ソプラノ:風間左智/合唱:ヴォーカルアンサンブル・ルミネ(梅浦森子、山村英子、渡辺里子、樋口由佳里、稲井明子、八百板芳子、松崎泰治、池野英一、佐藤秀一、佐藤匠)/チェンバロ:丸山洋子、井山靖子、飯田万里子、八百板正己/クラヴィコード:筒井一貴/ポジティフ・オルガン:渡邊直子、飯田万里子/ヴァイオリン・ヴィオラ:太田玲奈/フラウト・トラヴェルソ:丸山友裕、松井美和、福田聡子/リコーダー:丸山友裕、皆川要、斉藤吉信、アンサンブル・フローレ(阿部れい子、長谷川雪、神田成一、林 豊彦)/ヴィオラ・ダ・ガンバ:白澤 亨、中山 徹/リュート:白澤亨/テオルボ:中山 徹/バグパイプ:神田成一/指揮:八百板正己/ナレーション:五十嵐正子/解説:高橋靖志/司会:林 豊彦

 私的には、第1部の 「フォリアの饗宴」 と第2部の 「ルネサンスの宝石箱」 がよかったなあ。 ラ・フォリアはコレッリのヴァイオリンソナタとしておなじみだが、最初のA.ファルコニエリの 「フォリアス」 はにぎやかな民俗音楽そのもので、それがやがて洗練された楽曲に変貌していくところが音楽の歴史の一面をうかがわせてたいへん面白かった。

 「ルネサンスの宝石箱」 は、いちいち解説をつけずに音楽を次々披露していくところが、純粋に音楽にひたれてすばらしかった。

 昨年は満席だったこの音楽会だけど、今回はちょっとだけ空席もあり、当日券でも大丈夫だったよう。 CDや飲み物の販売があるのも昨年同様。 ただ、こちらはクルマで動いているので、ワインやビールと言われても手を出せないのが残念。 あと、CD販売では、例えば 「フォリアの饗宴」 に合わせた内容のCDを並べるとか、演奏会の内容にマッチした品揃えだと購入意欲も湧くんだがなあ、と思う。

 演奏会開時始はぎらぎらに晴れていたのが、終わる頃には空は雲に覆われ、雨つぶも落ちていた。 あらためて 「女心と新潟の空」 ということわざ (?) を思い出したことであった。

9月3日(水)       *カネを出し渋るだけの大学幹部なんて、存在理由なし!

  教授会。 今年度の新潟大学は入試の競争倍率が大幅に落ち込んだので――長岡の地震による風評被害との説あり――、このところ入試の競争倍率の高い学部に出しているインセンティブ経費合計1000万円をどこにも出さずに留保することになったとか。

 こういう報告を聞くと、独法化によって学長などのリーダーシップを高めれば大学はよくなる、なんて説が大ウソだと分かるだろう。 だいたい、入試の倍率次第でカネを出す、という発想そのものが貧しいわけだが、その貧しさ自体に気づいていないんだから、新潟大学幹部ってどうしようもないよね。

 こうやってカネを出し渋っているうちに、大学の基礎部分がどんどんダメになっていくわけだ。

 個人研究費も激減しているから本も買えない。 私は今年度、色々事情もあって、自分の研究費では1冊も買っていない。 しかたがないので、授業経費として学部に申請する形式の経費に数十冊申し込んで、これは幸いにして全部認めてもらえた。

 しかし、これはあくまで授業経費だから、授業のテーマに直接関係ない本は申請することが困難だ。 本というのは、特定の目的があるから買うのではなく、とにかく注目すべき内容らしいので大学として1冊備えておく、というのが望ましいやり方なのだ。 知的センターってのは、そういう基本ができていることを意味する。

 で、大学院学生図書費というのがあって、これで、上記の授業経費に入らない本をたったの4冊もうしこんだところ、最初の3冊――希望順に並べるように言われているのだ――は認められたが、4番目に入れておいた本は、認められなかった。 何でも、申込み多数だったので、全申請者の第3希望までを受け入れることにしたのだそうだ。

  ちなみに、私が4番目に入れておいたために蹴られた1冊とは、ハンス・ペーター・デュル『挑発する肉体 文明化の過程の神話4』(法政大学出版局)なのだが。 この程度の本も入れてない大学図書館なんて・・・・・・コーヒー豆を使ってないコーヒーみたいなものかな (笑)。

9月1日(月)         *ゲーテの新恋人発覚!?

 ドイツ文学と言えばゲーテ、ゲーテといえば女好きの文豪として知られているわけだが、死後170年以上たつのに新しい女の影が浮上するのだから、本物に違いない。 私もこうありたいものだが・・・・・・残念ながら遠く及びません(笑)。

 ドイツの週刊誌 『Der Spiegel』 7月21日号が伝えるところによれば――

 ゲーテがヴァイマル宮廷に仕えるようになってからイタリア旅行に出発するまでの時代 (ゲーテが26〜37歳) の恋人といったら、従来はシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人がゆるぎない座を占めるものとされていた。 ゲーテとこの8歳年長の女性との関係がどの程度まで進捗したのかについては諸説あるものの、少なくとも精神的にはゲーテの真摯な愛情を受ける存在であったとされていた。

 ところが、である。 この定説に異議を唱える学者が現れたのである。 イタリア人ゲルマニストのエットーレ・ギベリーノである。

 もともと、シャルロッテ・フォン・シュタイン夫人へのゲーテの愛情を証拠だてるものとしては、彼が夫人に宛てたおびただしい書簡類があった。 それらは、ゲーテが死去して15年以上たつ1850年前後になってから親族の手によって慎重に公開され、やがて出版された。 これによって、この時代のゲーテの恋人といったらフォン・シュタイン夫人という定説ができあがったのである。 

 しかし、この定説を批判するギベリーノによれば、手紙の宛先がフォン・シュタイン夫人であるのはカムフラージュにすぎず、真の宛先はアンナ・アマーリアであったという。 アンナ・アマーリアとは、なんとゲーテが仕える若きヴァイマル公の母親である。 フォン・シュタイン夫人は媒介役であって、場合によっては彼女がゲーテを自宅に招待するという形でアンナ・アマーリアとの密会を助けていたのだという。

 アンナ・アマーリアはわずか18歳にして夫たる公爵に先立たれており、息子のカール・アウグストが18歳に達するまでは代理で公国を治めていた。 カール・アウグストがすでに文学者として名高かったゲーテを公国に招くにあたって、母の助言があった可能性もあるという。 事実、彼女は芸術にも見識ある女性で、ゲーテが公国にやってきて半年で、ゲーテの脚本とアンナ・アマーリアの音楽による一幕物のオペラが初演にこぎつけるところまでいった。

 無論、この新説は発表された当初は無視されたし、今でも多数意見とは言えない状態だ。 新説にも色々難点があるらしい。 しかし最近では、この新説に批判的な専門家でも無視はできない程度に注目されるようになってきているようだ。 男女関係は、やはり時代を経てもそれなりに学者や一般人の興味を惹くということでしょう。

 (なお、最近の 『Der Spiegel』 誌でこのほかちょっと面白そうな記事としては、8月4日号に、なぜ音楽の長調と短調は正反対の感情を聞き手に惹起するのか、という実は今でもよく分かっていない問題について、アメリカの音楽研究者ノーマン・クック(Norman Cook)が脳の内部構造から説明する新説を出した、との紹介が載っていました。)

 

 

 

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