音楽雑記2005年(1)
音楽雑記2005年の8月以降はこちらをごらん下さい。
7月31日(日) 市立図書館に借用を頼んでいた本が届いたと電話があったので、午後、とりにいく。 新潟市立図書館は、市内に分館がいくつもあり、もよりの分館にない時も他の分館にあれば借りられる。 ただし届くまでに1〜3日かかる。
実は昨日は新潟県立図書館に行って本を借りてきた。 新潟大学にも新潟市立図書館にもない本が必要になったので。
以前は、新潟大学にない図書は、研究費か自費で買うのが普通だった。 しかし独法化で研究費が激減しており、校費で買っていた本も自分のカネで買う場合が多くなり、その余波で、今までなら自分で買っていた本でもほかの図書館を探すことが多くなった。
これから、日本語の本に関しては、ますます市立図書館や県立図書館に頼る度合いが高まりそうだ。
つまり、新潟大学は逆にますます知的センターとしての地位を低下させていく、ということになる。 情けない話だが。
7月30日(土) 今年の新潟市は、昨日までは比較的涼しかったが、本日は猛暑となった。 おまけに、空に薄い雲がかかっていて、風が余りなく、空気がむっとするような最悪の暑さ。 やれやれだ。そのタチの悪い暑さにもマケズ、
根津要氏 (チェロ) と石井朋子さん (ピアノ) の室内楽コンサートに行く。 午後4時から、スタジオすがまたにて。さて――
夜、卓球の練習にNクラブに行く。 しかし、暑いせいか、私とY氏の二人だけ。 基礎練習をして、早めに切り上げる。 お隣りのバドミントンも4人だけで、いつになく少ない。
二人だけだったせいか、Y氏から技術的なことでアドヴァイスをいただく。 Y氏はもう60代後半 (くらいだと思う) で最近は身体の動きも少し鈍くなっているが、それでも十代の頃にクラブ活動で鍛えた腕前で、今でも私などより強い。
社会人卓球は、基本的には楽しんでやるのが第一で、無理をしたり、やたら勝負にこだわるのは良くないが、とはいえスポーツである以上、やはり上達を目指す姿勢は持っていないといけない。
もう亡くなってしまったが、新潟大工学部の教授をされていたM氏は、約10年前に大学を停年退職したとき、「これからは趣味の卓球と将棋で人生を過ごすので、この年齢 (停年は65歳) ではあるが上達を目指したい」 と言っておられた。
見習うべき態度であると思う。 実はそういうことが分かっていない人が結構いるのである。
そのことは7月4日にも書いたが、つい数日前にも同じような出来事があった。 今日とは別のHクラブでダブルスをやっていて、私がサーブを出すときにパートナーが下がりすぎるので、もう少し前で構えたら、とアドヴァイスしたら、とたんに機嫌を損ねてしまった。
ダブルスでは、シングルスと違い、サーブを出せる場所がコートの半分しかない。 いきおい、相手に待たれて打たれる可能性が高い。 しがたって、相手にもよるが、基本的には台上で2バウンドするような小さなサーブを出すことが多い。
そういうときは、パートナーも余り下がってはいけない。 でないと、相手にちょこんと小さく返されると返球が難しくなるからである。
実際、私のパートナー氏はやたら下がって待つので、相手はそれを見すかした上で短い返球をしてくる。 パートナー氏はあわてて台に駆け寄るが、間に合わなかったり、間に合っても姿勢が泳いでいるから返球が甘くなり、相手に狙い打たれてしまう。
自分で考えて前の方で構えればいいのだが、どうもそういうことを考えつかないらしいので、アドヴァイスした途端、これである。
アドヴァイスと言っても、例えば 「スマッシュミスをするな」 というのはアドヴァイスになっていない。 ミスをしたいと思ってスマッシュする人はいないからだ。 日頃の練習でミスが少なくなるように努力をしていくしかないのであり、即席で効くアドヴァイスなどない。 まあ、肘をもっと引き締めて、とか、台上に叩きつけるような気持ちで、というような言い方はできるが、それですぐ上達するものでもないことは、私自身スマッシュミスをしょっちゅうするからよく分かっている。
しかし、プレイが始まる前にどの位置に構えるか、というのは、運動神経や上手下手の問題ではなく、ちょっと頭を働かせれば分かることなのである。 分からない人は、しかし、言って聞かせても、やはり分からない、ということが、この一件から分かる(笑)。
人間は、つくづく難しいものだ。
7月29日(金) 月末である。 今月は3箇所から寄付の依頼状が舞い込んでいた。 余り出費のなかった月でもあるので、うち2箇所に若干ながら寄付をすることに決める。ちなみに、落選した1箇所とは母校の高校である。 私は幼稚園から大学 (大学院を含む) まで都合6つの学校に通ったが (小学校は2箇所)、その中で一番思い入れのないのが高校である。 無論、付き合いのあった友人や同級生にはそれなりに懐かしさを感じるが、学校自体は印象が薄いし、そのために何かをしようという気にもならない。 同窓会の類にも出たことがないし、今後も出ないだろうと思う。
というわけで、創立何周年だかで何たらかんたら、という文書が舞い込んでいたのだが、ゴミ箱行きとなった。
当選した2箇所とは、母校の大学、および 「国境なき医師団」 である。 当選、おめでとうございます・・・・・・なんて言っている場合か・・・・場合だろうな (笑)。
大学はきょうび大変な状態だと分かっているし、友人や先輩で母校で教鞭をとっている人は半強制的に多額の寄付をさせられているのを知っているので、私としてもささやかながら (本当にささやかなんですけれど〔笑〕) 寄付をしておこうという気になったわけ。
国境なき医師団は、映画の広告でも見たことがあり、詳しくは知らないがまあ頑張っているようなので、一度寄付をしてもいいかな、という気になったもの。
ただし、ここから来た依頼状には問題がある。 一応寄付の額はいくらでもいいわけだが、例が挙げてあって、「6000円で・・・・・ができ、1万3000円で・・・・・・が可能となり、2万円で・・・・・・・が実現します」 となっている。 あくまで例ではあるが、最低提示額が6000円というのは高過ぎはしませんか?
たしかにヴォランティアとして奮闘しておられる医師の方々からすると、途上国でろくな医療も受けられない子供たちを救うために飽食日本人はこのくらいの寄付をしろ、と言いたくなるんでしょうが、6000円といえば、学生や教師からすると昼食を十数回とれる金額なのですよ。
以前何かで読んだことだが、アメリカの大学は、卒業生に寄付を求める際、決して高額の提示はせず、少額でいいから、と言って要請するのだそうである。 それで、例えば5ドル寄付があったら、次にその人に要請するときには、10ドルいかがですか、というふうに少しずつ増やしていくのだという。
国境なき医師団も、いきなり6000円じゃなく、せめて3000円くらいの例を挙げておくべきではなかろうか。 寄付というのは、私見では、あくまで無理なく、楽な気持ちで出せる額を要請すべきものなのである。
という私の主張を有言実行すべく、今回は3000円だけ寄付しておきました(笑)。
・・・・・・ところで、こういう風に自分の寄付行為をわざわざ書くのはいやったらしい、黙ってひそかにやるべきだ、と考える方もおられるでしょう。
私も1年くらい前までそう思っていました。 でも、考えが変わったのですね。
国立大が独法化されて、研究費が激減し、学問に必要な文献もろくに買えなくなり、寄付を当サイトでも求めているわけです。 しかし、今のところ、寄付してくれた人は一人だけなんですよね (6月15日を参照)。
で、私は考えたわけです。 日本はアメリカと違って寄付文化がない。 そういう文化を形成するためには、寄付をしたことを威張って口に出せるようでないといけない、と。
というわけで、自分から率先して威張ることにしたわけなのです (笑)。
奥ゆかしく黙って寄付をするのはたしかにいいことでしょうが、奥ゆかしく黙っていてなおかつ寄付を全然しない人の方が大多数だとしたら、日本人の奥ゆかしさはこの際放棄した方がいいと思いませんか?
お前の寄付行為などたいしたことない、俺はもっと多額の寄付を色々なところにしているのだ、という方がおられましたら、お知らせ下さい。 このサイトに掲載させていただきます (マジ)。
7月28日(木) 2限、大学院の授業。 本日で最後となるためか、はたまたこないだ飲み会でおごったためか (今月20日の記事を参照)、学生からプレゼントをもらってしまう。 この授業はサイード 『文化と帝国主義』 を読むという主旨だったのだが、プレゼントも帝国主義の本場 (?) である英国製品でした。 ううむ・・・・・かたじけない、と言っておこう。 昨年度末にも似たような体験をしたが、最近、こういうことをするのが学生に流行っているのだろうか・・・・?午後、研究室にいたら、ドイツ語のことで相談がある、という学生がいきなり訪ねてくる。 某ドイツ人の先生の授業で独作文を課せられたのだが、分からない部分を教えて欲しい、という。
私は今年はドイツ語を受け持っていないし、またその学生は昨年度前期に1年生向け演習で受け持っただけで、ドイツ語を教えたことはないのである。
要するに、助けてくれそうな教師なら (教わっている当のドイツ人教師を別にして) 誰でもいい、というちゃっかり精神に基づくものであろう。 とはいえ、昨年1年生向け演習で教えたときには18人いるなかで一番活発に発言していた学生でもあるので、相談に乗ることに。
でも、かなり分かっていないのである。 或る箇所で使うべき動詞がgeratenであると判明して――
学生 「この場合の変化はどうなりますか?」
私 「三人称単数変化だから、どうなるの?」
学生 「・・・・・・」
私 「ゲレート、でしょ」
学生 「えっと、綴りは?」
私 「(自分で調べろ、と言いたくなるのを押さえつつ) ゲー、エー、エル、アーウムラウト・・・・・」
学生 「エーって・・・・?」
私 「英語のイー」
学生 「ええっと、アーウムラウト・・・・最後は te ですか?」
私 「違うの。 t だけ」
学生 「(書き終えた綴りをつくづく眺めて) geratenがどうしてこういう形になるんですか?」
私 「あのね、(以下、説明が続くが、略)」
・・・・・・というような調子で、実に (私にとっては) 疲れる会話なのだ。
新潟大学人文学部学生は全員、ドイツ語 (或いは、フランス語や中国語や朝鮮語などを) を1年次に週4回の集中コースで習っており、それなりに力が付いている、ということになっているのであるが、それでいてこの調子なのだ。
第二外国語は (例えばドイツ語なら、ドイツ文学や西洋史や西洋哲学を専攻する学生を除いて) あくまで教養だ、というのが私の持論であるが、本日のこの事件 (?) を見ても、私の主張はお分かりいただけるものと思う。
7月24日(日) 昨日の産経新聞 「チャイム」 欄に、こんな記事が載っていた。 ( 「チャイム」 欄は、最後から2ページ目、つまり連載4コママンガが載っているページの左下隅に位置するコラムである。 と書けば、産経新聞を取っていない人にも、だいたいどういうコラムか見当が付くだろう。)日本天文学会は、地球が太陽の周りを回る地動説を、現状の中学3年ではなく、小学校で教えるよう求める要望書を中教審に提出した。 昨秋、国立天文台の学者が、天動説を信じている小学生が4割に上る、という調査結果を発表したことがきっかけであるとか。
私はこの記事を読んでびっくり仰天した。 今どきの小学校では地動説も教えていないのか!? それじゃ、いったい理科の時間に何を教えているのだろう?
こりゃ、学力低下はとどまるわけがありませんね。
というような話を女房にしたところ、知り合いの中学の先生の話として、最近の小学校は何も教えていない、というぼやきが聞こえるという。
同じようなぼやきは大学教師もしているのだが ( 「高校では何も教えていない」 )、こうなると、学力低下はみな前段階の学校が悪いっ、という責任のなすりあいになりそうだ (笑)。
いや、笑っている場合じゃありません。
7月23日(土) 首都圏で比較的大きな地震があった。 死者は出なかったようだが、被害にあわれた方にはお見舞い申し上げます。私も1978年当時、仙台にいて、宮城県沖地震にあったことがある。 大学の研究室にいたのだが、研究室内の書架がことごとく倒れたのを記憶している。
まあ、それでも本は腐らないし、多少破損しても読めればいいのだから、火事さえ起こらなければ問題は少ない。
あの頃と比べると大学にはパソコンなどの精密機械類が増えている。 その方面での被害が出ていなければ幸いなのだが。 特にその方面の仕事をされている大学人には無事を祈りたい。
7月22日(金) 夜、H卓球クラブの暑気払いの飲み会。 新潟駅前の某店にて。 14人参加。
この店、私は初めてだが、他の人たちも初めてだとか。 最近できた店らしい。 というわけで、当たりかハズレか、クジを引くような心境だったが、結果はハズレでした。
まず、周囲がかなりやかましく、またテーブルと椅子の席も狭く、あまり居心地がよろしくない。 こういう場合は、やはり部屋が独立していて、畳にゆったりとあぐらをかけるのが理想的であろう。
で、2時間飲み放題なので、最初に生ビールを人数分頼んだら、アルバイトらしい女の子が、瓶でいいですか、と言う。 今どき、こういう店で生と言ったら、瓶ということはないはずだ。 瓶じゃなく、ジョッキの生だと、我々は答えた。
ところがその子の言うところでは、ジョッキだと注ぐのに時間がかかって遅くなってしまうという。 とりあえずすぐに喉をうるおしたい我々は、仕方なく、まずは瓶、だけど後でジョッキの生も持ってきてくれ、と頼んだ。
しかし――持ってこられたのは、瓶であっても生では全然ない。 キリンのラガーである。 どうなっておるのだ。
それはともかく、である。 やがて本当の生ビールが持ってこられたが――これがジョッキではないのである。 何人分も入るような大きなピッチャーなのだ。 ピッチャーから普通のコップに自分で注いで飲む方式なのである。
つまり、アルバイトの女の子は 「ジョッキ」 と 「ピッチャー」 を間違えたのだ。 いやはや、である。 店員教育、なってないですなあ。
それと、この店は 「創作料理」 を売り物にしているのだが、その割りには、である。 2品ほどちょっと目新しいものもあったが、あとは刺身とかスペアリブとか蕎麦とか、まあマズくはないけれど珍しくもない料理である。 量的にももの足りない。
というわけで、大半の人は2時間後、憂さを晴らすべくカラオケの店に向かったが、私は1次会だけで失礼して越後線で帰宅しました。
ま、何にしても、一度も行ったことのない店に初めて行くのは、リスクが伴いますよね。
7月20日(水) 夜、大学院の学生3人と大学近くの店で飲む。 本来は金曜日か土曜日にやるのが理想だし、おまけに明日はこの学生たちとの授業があるのだが、皆それぞれ忙しくて、本日でないと夕方に全員が揃わないので、やむを得ずこの日となった。
談論風発、色々な話題が出て、それなりに楽しい一夜でした。
7月18日(月) 東北大名誉教授・扇畑忠雄先生の訃報が届いた。 享年94歳。 先生は国文学がご専門で、なおかつご自身が歌詠みでもあられた。 私も教養課程2年生の時に、国語講読の授業で万葉集を教わったことがある。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
7月17日(日) 朝、大形地区卓球大会に出るため東新潟体育館へ。 年2回行われている親善ダブルスのみの大会。 100人以上の参加者があり、原則男女のペアで何グループかに分かれ、各グループ6ペア程度でリーグ戦形式で試合を行う。 午前と午後、それぞれ組み合わせが変わる。
いつもながら、大形クラブの方はこの催しのためにたいへんな尽力をされている。 ご苦労様、と申し上げたい。
ここ数年、うまい人(A)と発展途上の人(B)に分けて、AとBでのペアでの試合が午前中、AはAと、BはBとペアを作っての試合が午後、という風だったと思う。 しかし今回はやり方が変わって、午前も午後もAはAとペアを組み、BはBとペアを組む、という方式であった。 まあ、どちらでも一長一短だと思いますけれど。 私は言うまでもなくBである。
私は午前中は3勝2敗でグループ2位、午後は時間の関係で1試合を残して3勝1敗であった。 午前中は、優勝したペアに2―3で惜敗したのが残念無念。 ここで勝っていればグループ優勝だったのだが。
ちなみに午前中のペアのお相手はオバサンだったが、午後は若い女性であった。
と書くと、午後の方が楽しかったでしょうと言われそうだが、物事はそう単純ではない。
たしかにオバサンはおしゃべりが多くて、一つミスをするごとにその原因 (?) についてああでもないこうでもないと言うので、多少は閉口した。 しかし、午後のお相手だった若い女性は、おしゃべりでないのはいいが、一試合終わるごとになぜか姿を消してしまうので、かなり閉口したのである。
自分の試合が終わったら、次の試合までは何をしようが勝手、なのではない。 他の試合の審判の仕事があるのである。 ところがくだんの若い女性は自分の試合が終わるといなくなってしまうので、その分、他の人間に負担がかかってくる。 もっとも全然ではなく、一度だけ審判をやったが、平均して二度はやるのがノルマのはずなので、明らかにサボタージュである。
その点、オバサンは審判の仕事も献身的にやってくれた。 このあたり、物事は多面的ですよね――というほど大げさでもないか(笑)。
ちなみにこの若い女性、ゼッケンから判断するに、市役所勤務らしい。 ふだん新潟市民のためにちゃんと仕事をしてるのかなあ・・・・・などと余計なことまで考えてしまったのでした。
7月16日(土) クールベ展を新潟市美術館に観に行く。 しかしあまり面白いとは思わなかった。私はクールベについてはろくに知らないのだが、美術史的に言うと古典様式からリアリズムへの移行期に活躍した画家で、社会主義を信奉し、そのことが画業にも影響を及ぼしたようだ。 もっとも写実的な風景画とはいえ、ピクチャレスクな風景画からすると美的ではなく、かといって印象派やゴッホなどに慣れた目で見ると、リアリズムの枠内からはみ出していない感じである。
同時代の仲間たちの絵画も展示されていたが、そちらのほうがむしろ、いわゆる風景画的なのである。 ということは、クールベの中には現在の風景画という概念に収まらない部分があったということになろう。
ただ、その部分が何なのか、よく分からないし、名付け得ないから魅力的、というところまで行ってはいないように思えるのである。
まあ、それはさておき、新潟市美術館は、東京などの美術館と違って人が少ないので、ゆったり鑑賞できるところが長所ではあろう。
7月14日(木) 4月に庭に植えたピーマン2株のうち、1株からようやく収穫があった。 とりあえず1個だけだけれど、あと数日で一人前になりそうな実がいくつかついているから、これからはピーマンを買う必要はしばらくなくなるであろう。
ピーマンってのは、かんかん照りのときに水を欠かさないようにすることにさえ注意すれば、放っておいても実がなるので、ワタシ (及び女房) のようなナマケモノに向いた野菜だと、つくづく思うのである (笑)。 ナスやトマトだとこうはいかないので、最近は作っていない。
7月13日(水) 1限、教養の西洋文学の講義を終えたら、学生がやってきて、この授業の6月半ばまで扱っていたトーマス・マン 『トニオ・クレーゲル』 の或る箇所についてドイツ語の原文を知りたいという。 教養科目としてドイツ文学を扱うこの講義は約10年前からやっているが、こういうことを言ってきた学生は初めてである。
研究室に原書をおいてあったので、学生を連れて研究室に戻り、該当個所を提示したら、鉛筆で1段落分を書き写そうとするので、いくら何でも大変だからと、コピー室に連れていってコピーを取ってやった。
なかなか熱心な学生だが、訊くと、工学部生だという。 うん、理系でもこういう学生がいるわけなのだ。 教養の講義をやっていて良かったと思えるのは、こういう瞬間である。
閑話休題。
先月当サイトに新設したクラシック音楽掲示板、音楽会のマナーは女性客が概して悪い、という某氏の書き込みをめぐり、女性蔑視だとの書き込みが複数の女性 (らしい。ネットだから本当のところは分からないけれど) からあった。
私の方針として、基本的にこういう書き込みは規制しない。 女性批判もそれへの反論もご自由にどうぞ、ということである。
自由に書き込めるネット上の掲示板は、一方で差別発言や誹謗の温床にもなりやすいわけだが、他方で 「こういうことを書くと差別と言われるのでは」 「こういう書き込みは非礼なのでは」 という自己規制意識が働きすぎると、何のための掲示板か分からなくなる。
よく、ネット上の掲示板への書き込みの作法として、「その言葉、面と向かって言えますか?」 というような言い方がなされるけれども、私に言わせればナンセンスである。 面と向かって言えないことを書けるのがネット上の掲示板のいいところなのであって、面と向かって言えることしか書かないのでは存在理由があるまい。
と言って無論、何でも書いていいわけではない。 その辺は書き手ごとの、そしてサイト主宰者ごとの価値観次第である。 私としては、規制が多くて思っていることも書けない掲示板よりは、規制が少なく多少の逸脱はあっても書きすぎることが可能な掲示板のほうがベターだと思っている。
今回、女性側 (らしい書き込み) からの反論は、「女性蔑視」 というところにとどまって、残念ながら有効打が出なかった。 いささか女性に厳しい言い方になるが、フェミニズムに甘やかされて、「女性蔑視」 と言えば相手が恐れ入る、と思っていてはいけないのである。 それは知的態度とは正反対のものである。
あくまで自分の体験や種々のデータを挙げて相手を論駁していく力を身につけなくてはいけない。 それができないでいる間は、「女性蔑視」 の見解が消滅することはないだろう。
ついでに書けば、女性陣には、「女性蔑視」 の発言がなされた時だけ登場してもらっては困る。 演奏会や、多忙等の理由で行けないならテレビやFMでのクラシック番組の感想など、掲示板への貢献をお願いしたい。 掲示板へのポジティブな貢献も力量のうちであり、そうした力量を示すことで 「女性蔑視」 はなくなっていくのではないか。
7月10日(日) ネット上の音楽サイトで知り合った (と言ってもお目にかかったことはないが) yk氏が、CD−Rを送って下さった。 毎年、この時期になるとご自分の所有になる膨大な音源から選曲し、一定のテーマの下にCD−Rを作って送って下さるのである。 今年も昨日届いたので、本日の午前中、聴いてみた。
今回のテーマは 「ユダヤとイスラム」 ということで、クラシック音楽のなかに現れたユダヤ系・イスラム系の音楽が、小曲や、長い曲なら一部分を選んで、多数収録してある。 私などの知らない曲が大半を占めており、楽しいばかりでなく、「なるほど、こんな作曲家もいたのか」 と教えられるところも多いCD−Rであった。
音楽だけでなく、ジャケットもご自分でデザインされた洒落たもので、その多芸ぶりは、私のように無芸で酒ばかりくらっている人間にとっては羨ましい限りである。
さて、午後5時から、東京交響楽団第32回新潟定期演奏会をりゅーとぴあにて聴く。 指揮は飯森範親、ピアノ独奏は小山実稚恵で、バッハのピアノ(チェンバロ)協奏曲第3番BWV1054と、マーラーの交響曲第9番という、ボリュームたっぷりのプログラム。
まず、入場時に配布されるパンフレットだが、前回と比べると改善された。 昨年までは新潟定期用に独自のパンフを作っていたのが、予算難のためであろう、今年から東京での演奏会と共通のパンフレットとなった。 しかし前回の第31回新潟定期では、表紙にサントリーホールでの定期 (新潟定期と同内容) と東京芸術劇場シリーズの文字はあっても新潟定期の文字がなく、かつ中での表記も、サントリー定期に比して新潟定期の文字は活字が小さく、いかにも 「新潟定期はついでにやってます」 というような印象を与えていたのであった。
今回のパンフは、表紙に新潟定期と書かれているし、中でのサントリー定期と新潟定期の文字も同じ大きさとなり、なおかつ巻末の 「次回演奏会」 にもちゃんと新潟定期が載っているなど、完全に平等な扱いとなった。 大変よろしい。
さて、肝腎の演奏会であるが――
最初の小山さんによるバッハの協奏曲、演奏はともかく、曲としてどうだろう。 演奏会前に指揮者の飯森氏から予定外のトークがあり、同じニ長調であるこの2曲のマッチングが力説されていたのだが、私がもともとこの曲をあまり好まないせいかもしれないが、マーラーの第9とどうもマッチングが良くないような気がする。 私の好みとしては、バッハのチェンバロ協奏曲をマーラー第9の前に置くならば、むしろ第5番BVW1056あたりが良かったのではないかと感じたのだが。
さて、メインのマーラー第9である。 マーラー畢生の大作・傑作であるが、私がこの曲を生で聴くのはこれでようやく2回目である。 首都圏に住んでいると今どきマーラーの交響曲はいくらでも聴けるだろうが、地方都市ではなかなか機会がない。 私が前回に聴いたのも、東京での新日フィルの演奏会でであった。
飯森氏のマーラーは昨年も東響新潟定期で第5を聴き、技術的には素晴らしいもののややテンポを落としすぎるのが難点かな、と思った。 今回の第9は、難曲であるから技術的に完全無欠とはいかなかったものの、全体として満足できる出来であり、テンポも、私の好みから言うともう少し速くてもいいような気はしたが、昨年のように遅すぎるというほどではなく、まずは合格点 (エラソーな言い方ですみませぬ) の出来であった。
ただ、知っている人は知っているように、第4楽章が静かに終わるのであるから、拍手は遅めにしたほうがいいのだけれど、1人か2人、音が消えてからではあるが指揮者が完全に体勢を崩していないうちに拍手を始めた輩がいたのは、残念である。 まあしかし、千人以上の聴衆で1人か2人というのだから、クサすほどでもなかろう。
7月6日(水) 最近の 「大学改革」 でヘンなことがしばしば行われるという事実は――なぜかマスコミはさっぱり報道しないので――当サイトでもしばしばお伝えしているとおりであるが、新潟大学ではまたまたヘンな 「改革」 がなされてしまった。
従来、教養教育経費として支給されていた経費が、なぜか全学教育推進経費という名前に変わり、なおかつこれまでは原則として科目の大枠ごと (例えば外国語系フランス語だとか、人文系文学だとか)に担当者が話し合って使い道を決めていたのに、縛りが入ってきた。
そもそも教養科目を担当する各教員に分配してはならない、というのであるが、その理由が全然分からないのである。
使い道が不当になるから、ということらしいが、たしかに教育経費であるものが研究経費として使われがち、という傾向はあった。 しかし、そもそも研究費自体が昨年度から激減しているのだし、 研究は廻り廻って教育にも好影響を与えるのだから、そう悪い使い方とは言えない。
学外の方のために付け足しますけれど、「不当」 と言っても私腹を肥やすためには絶対に使えないようにできているので、誤解なきよう願います。 購入に際しては原則として会計を通すから、学生とコンパをやるために酒類を買うとか、数年前の大蔵省を見習ってノーパンしゃぶしゃぶの店に行くために使うだとか、等々は絶対に不可能なのである。
要するに、学生が読める本ではなく、ごく一部の専門家しか分からない本を買ってしまうのに使う、程度のことを 「不当」 と言っているのである。 しかし、繰り返すが、研究は廻り廻って学生の教育にも好影響を及ぼすのであるから、あまり目くじら立てるのは建設的ではない。
それに、各教員に分配する方がフレキシブルで授業の実態に即しているのである。
なぜかと言えば、この経費、授業経費なのに、配分されるのが例年7月になってからなのである。 言うまでもなく授業は4月から始まっており、7月と言えば前期授業が修了間近な頃である。 とすると、前期の授業をするためには、この経費は事実上使えないことになる。
しかし昨年までは縛りを入れずに各教員に分配していたから、来年度の授業のことも考えて使うことができたのである。
ところが、今年は、縛りを入れて、いちいち委員会に品目を挙げて買う申請を出せ、ということになった。 とすると前期の授業をするにはどうすればいいのだろうか?
大学の授業は高校までと違い、決められた教科書を教えていれば済むわけではない。 教員が自分で教科書を決め、またやっている最中に新しい問題が見つかったり、関連書物が新しく発行されたりすることもあるから、現在進行形で資料を入手する必要に迫られることもしばしばなのである。
今までのフレキシブルな制度は、そうした実態に即していた。 今度の 「改革」 は全然即していない。
要するに、今回の 「改革」 をした人間は、大学の授業が分かっていないわけだ。 官僚なら分かっていないのも致し方ないが、この 「改革」、一応教員がやっているはずなのである。
ということは、新潟大の教員は、少なくとも改革を押し進めるエライさんになるような人は、大学の授業が全然分かっていない、ということになるのである。 何と恥ずかしいことであろう!!
7月5日(火) 昼、調べものがあって大学図書館に行く。 イェイツについて書かれた本を求めて開架の英文学のあたりを見回していたら、以前私が図書館に寄贈したコラピント 『ブレンダと呼ばれた少年』(無名舎) があるのに気づいた。 英文学の棚に、である。 おいおい、冗談もほどほどにしてくれえ。
この本は、事故で生殖器に傷を負った幼い男の子が、医者の判断で性転換手術をされてしまう、という実話のルポルタージュである。
その少年は女の性器 (無論外見のみ) を与えられて、少女として育てられた。 それがうまくいっているという報告が一時期なされて、これは一部のフェミニストから、男性特有・女性特有とされる性格や特質は後天的なものである、という説の証拠として扱われた。
しかし、その報告は虚偽だったのである。 実は少年は自分の本来の性 (男) と後天的に与えられた性 (女) とのギャップに悩み、結局自殺してしまったのだった。 つまり、男性性や女性性は後天的なもの、という説は成り立たないのである。
この本は2000年に邦訳が出たが、すぐに品切れとなり、再版されないできた。 私はそういう事情を知っていて、なおかつ新大の図書館に入っていなかったので、たまたまBOOKOFFに安価で出ているのを見かけて、自分で購入して図書館に寄贈したのである。 (自分でもすでに持っていたのだが。)
なお、この本、最近になって扶桑社から再版されて出ましたので、気になる方は自分で購入することもできるようになっております。
それはさておき、そういう内容の本がなんで 「英文学」 の棚におかれているのだ!? 困るなあ。 図書館職員も定削で大変だとは思うけど、しっかりしてくださいね。 私は受付にこの本を持参して、文句を言っておきました。
7月4日(月) 夜、H卓球クラブに練習に行く。 先週は都合で一度も卓球ができなかったので、久しぶりの感じ。 本日は練習参加者も多く、合計14名。
ここはいつも最初にちょっと基礎練習をしただけでダブルスになるのだが、私が後半ダブルスを組んだ相手がKさんというオバサンであった。 (と言っても、ここのクラブはオバサンとオジサンしかいませんけれど。)
この人、卓球を始めてまだ2、3年くらいだが、その割りには強い。 といって冷静に考えてプレイするタイプではなく、体当たり式でしゃにむに打っていくのである。 それが不思議に決まったりする。
ただ、体当たり式の人だから、明らかな欠陥もある。 ショートカットをやるといつもボールが浮いてしまうのである。 力をセーブしろとか色々教えているのだが、駄目なのだ。 ショートカットでボールが浮くと、そこを相手に狙い打たれてしまう。 これでは勝てない。
どうしてボールが浮くのか不思議に思って、Kさんのラケットを借りてボールを打ってみて、理由が分かった。 はずみすぎるラケットなのである。
卓球のラケットにも色々あって、反発力が強くてボールがよくはずむものと、逆に反発力を押さえてあるものとがある。 はずむラケットだと球威は出るが、その代わりコントロールが難しくなり、狙った位置にボールを送りづらくなる。 はずまないラケットの方が、ボールのコントロールがしやすいのである。
一般的に言って、初心者は余りはずまないラケットを使った方がよい。 はずむラケットは或る程度技倆がある人のためのものである。
ところが初心者はその辺がよく分からないから、自分に合わないラケットを買ってしまいがちなのだ。 これは卓球用具店にも責任があると思う。 相手が明らかに初心者だったら、あまりはずまないラケットやラバーを薦めるべきなのである。
と言って、ラケットは高いから、そうそう買い換えられない。 ただ、ラバーで調整することはできる。 Kさんのラケットは、本体がはずむだけでなく、ラバーまではずむタイプを使っているのだ。
それで、Kさんに、次にラバーを張り替えるときには (ラバーは、数ヶ月か、最低半年に1度は張り替える)、用具店の人に言ってはずまないタイプのものにしてもらうといいよとアドヴァイスした。 こちらも教師だから、教師根性が出たわけである。
ところがKさんはふくれっつらをするばかりである。 何事かぶうぶう言っている。 要するに私ごときにアドヴァイスされたのが気に入らないのであろう。 素直じゃないんですね。 トシをとっているからでしょう。
こういう態度、Kさんばかりではない。 このクラブにはSさんという、やはり初心者のオジサン、というかもうオジイサンかな、まあとにかくそういう人がいるのだが、この人がまた素直ではないのである。
Sさんはもともと趣味でバドミントンをやっていて、卓球は数年前から始めたという人である。 そのせいか、ボールの打ち方がどことなくバドミントン風なのである。 つまり、卓球からすると無理打ちなのである。 無理打ちでも時々は入るのだが、入らないことのほうが多い。 卓球はバドミントンと違ってボールの回転を見極めないと適切な返球ができない球技なのだが、それを無視しているのである。
だから私や、私などより腕の立つ他のクラブ員が色々教えてあげているのだが、Sさんは全然耳を貸そうとしない。 相変わらず無理打ちの連続なのである。 だから彼とダブルスを組むと、まず負けてしまう。 シングルスなら自分が下手で負けるのは自業自得だが、ダブルスにはパートナーというものがいるのだから多少勉強してもらわないと困るのだが、そういう気配がない。 それでいて毎週練習には来るのである。 不思議な人もいたものだ。
人間、年を取るとこういう偏屈さを身につけていくわけであろう。 年を取ったから賢くなる、なんてのは大ウソですよね。 無論、ワタシも含めてですが(笑)。 これから中高年の数が増えると、偏屈社会にまずますなっていくことであろう。
7月2日(土) 今夜は2日連続のだいしホール。 チェコフィルハーモニー六重奏団演奏会を午後6時から聴く。プログラム、前半はメロディアスな小曲集ということらしく、バッハの 「G線上のアリア」、モーツァルトの 『魔笛』 から 「私は鳥刺し」、ボロディンの弦楽四重奏曲第2番から 「ノクターン」、J・シュトラウスのピチカートポルカ、チャイコフスキーの弦楽六重奏曲 「フィレンツェの思い出」 から第2楽章、ドヴォルザークのスラヴ舞曲から作品46の2、72の2、46の1。 後半はブラームスの弦楽六重奏曲第1番。 アンコールは、スラヴ舞曲作品46の3とサン=サーンス 「白鳥」。
昨日に続き満員に近い盛況。 演奏者は6人とも渋い紅色の上着に黒いズボンといういでたち。 ちょっと面白い (下記サイト参照)。そう言えば一昨日の新イタリア合奏団では黒っぽいシャツとズボンで統一していた。 室内楽では、必ずしも正装でなくても、統一がとれていればそれなりのものなんですね。
http://www.musikleben.co.jp/artist/details/czech.2005.html#si演奏は、一口に言って土俗的なエネルギーと野太さに満ちたもの。 洗練というのとは対極的。 といって下手なわけではなく、ピチカートポルカではぴったり音が合っていた。 にもかかわらず、音が根強く、樹木の幹のようにかすかにささくれだっているような気配がある。 先日新潟で演奏会をやったスロヴァキア・フィルの弦の音と一脈通じるところがあるように思えた。
私としては、「フィレンツェの思い出」 を全曲やってくれたらなお良かった。 アンコール2曲を入れて、昨日の鍵冨くんより30分あまり長い演奏時間。 鍵冨くん、見習ってくださいね (笑)。
7月1日(金) 鍵冨弦太郎くんのヴァイオリンリサイタルをだいしホールで、午後7時から聴く。 この日は田部京子さんのピアノリサイタルもあったが、田部さんはすでに何度も聴いているけれど鍵冨くんはまだ2回だけ、リサイタルは1度だけであったこと、私はピアノよりヴァイオリンの方が好きであること、価格も安いこと、などなどの理由から、こちらを選んだもの。鍵冨くんは、新潟県出身で18歳。 現在、桐朋学園大学1年生。 一昨年、日本音楽コンクールのヴァイオリン部門で第一位に輝いた逸材である。
だいしホールは満席に近い状態。 プログラムは、前半が、パガニーニの 「24の奇想曲」 より第13番、シューマンの幻想曲op131、ベートーヴェンのソナタ第4番。 後半がイザイの無伴奏ソナタ第6番とラヴェルのソナタ遺作。 アンコールは 「愛の悲しみ」。 ピアノは河地恵理子さん。
後半が素晴らしかった。 調子に乗って、迫力があり、音も良く出ており、演奏としては申し分なし。
前半も悪くはなかったけれど、シューマンなんかは曲と演奏者があんまり合っていないような気がした。 言い換えれば表現の濃淡やニュアンスをもっと身につけて欲しい、ということですね。 アンコールについても同じようなことが言えて、ショート・ピースについては表現を勉強して欲しい。
とはいえ、後半はプログラムとして短すぎる。 ラヴェルの遺作ソナタは (配布されたプログラムには有名な方が掲載されており、当日、舞台で鍵冨くん自身から訂正がなされた)、有名なほうと違って時間的に短い。 イザイのと合わせて20分くらいだから、後半のプログラムとしては物足りない。 もう1曲何か入れておかないと、何となく、いや明らかに腹がくちくならない。 腹八分目に病なし、は音楽会では通用しないのだよ(笑)。 聴衆を腹一杯にさせないとね。
1000円だから仕方ないかと思うけれど、一考してほしい。 これは、昨年11月に音文でやったリサイタルでも同じであった。
6月30日(木) 2限、大学院の演習だが、担当者の学生が来ない。 この授業としては4月以来これで3度目。 同じ学生としては2度目。 6月2日にも書いたが、学部学生用の演習では、少なくとも今年度はこういう現象は起こっていない。
困るんですよね。 大学院生と言うより入院患者と言ったほうがいい学生もいるということでしょう。 てなことを書くと 「教師がそういう言葉遣いをしていいのか」 とお叱りを受けそうだが、このくらいの表現はもうネットでも常識になっているから、今回は書いてしまいます、はい。
でも、急いで付け加えておくけれど、大学院生の名に恥じない学生もいます。 念のため。
閑話休題。 午後7時からりゅーとぴあコンサートホールにて、新イタリア合奏団&高木綾子の演奏会を聴く。
実は予定していなかったのであるが、招待していただけることになったので。 つまり、タダで聴いたわけで、日頃
「何でもタダはいけない、100円でもいいからカネをとるべきだ」
と言っている私自身の主義に反してしまった。 ごめんなさい、懺悔します。 ちなみに女房・娘・義母同伴であった。
でもパンフレットはちゃんと買った。¥300という価格が良心的。 コンサートのパンフレットは、有料であってもこの程度ならいつも買うんですけれど。
プログラムは、前半は古楽器を使ってヴィヴァルディの 「四季」、後半は、高木綾子のフルーをを加え、ブリテンのロッシーニの 「ウィリアム・テル」 の主題による幻想曲、モリコーネの 「ララバイ」 (映画「荒野の用心棒」より)と「ガブリエルのオーボエ」(映画「ミッション」より)、そして高木に代わってヨランダ・ヴィオランテのピアノを加えてロータの 「アマルコルド」 組曲 (映画「アマルコルド」より)。
ちなみに 「イタリア合奏団」
というのはモダン楽器の時の名称で、古楽器の時は
「ラルテ・デルラッコ」
(直訳すると、弦の芸術、というイタリア語)
というのだそうである。
さて、演奏だが、前半の「四季」はイ・ムジチなどに慣れた人からすると違和感があるだろう演奏。 といっても私も色々な演奏を知っているわけではないのだが、ピリオド楽器を使い、当時の奏法を研究した結果、というような印象であった。
しかし、この演奏会のハイライトは、やはりアンコールであろう。
前半、「四季」 が終わってからヘンデルの
「オン・ブラ・マイフ」
が演奏されたが、最初器楽曲としての演奏なのかと思っていたら、途中から高音の歌声が。
Bブロックの私は最初歌手の姿(舞台右端にいた)
が見えず、「え? 女性歌手は今日のプログラムじゃ登場しないはず。録音か何か?」
と思ったら、徐々に舞台中央に歩み寄ってきた歌手の姿がようやく目に入った。 なんと、さっきの
「四季」
ではコントラバスを弾いていた男性ではないか! びっくり仰天。 まさか今どきカストラートということはないだろうから、カウンターテナーかファルセットだろうが、この思わぬ
「余技」 に聴衆は大喜び。 盛大な拍手が送られた。
そして後半、高木綾子さん (ピンクのドレス、素敵だった)
がアンコールとしてバッハの無伴奏フルートソナタのアルマンドを演奏。 よかったなあ。 私の好みで言うと、映画音楽のアレンジを並べた本プロより、アンコールのほうが素晴らしい。 今度新潟に来たら、ぜひこういうプログラムでやってほしいものだ。
さらに、後半最後のニーノ・ロータ 「アマルコルド」
組曲が終わると、3曲がアンコールとして演奏された。 まず、ピアソラの
「ブエノスアイレスの四季」 から 「春」。
これは東京での演奏会では本プロとして全曲とりげたものの一部だったようだ。
次にJ・シュトラウスのピチカート・ポルカ。
そして最後に日本の
「浜辺の歌」。 最初は高木綾子さんが主旋律を吹いた後、ふたたびコントラバスの男性奏者が高音で日本語の歌詞を歌い、大喝采。 楽しい気分でお開きとなった。
プログラミングのことが、前半が 「四季」
(ピリオド楽器)、後半がポピュラー系 (現代楽器)
といった構成は、私の好みから言うとイマイチ。
後半もバロックもので通してほしかった。
高木さんもバロック期のフルート協奏曲などで実力を発揮していただきたい。
アンコールが印象的だったのも、逆に言えば本プロがあまり目立たなかったから。
買ったプログラムで確認したところでは、こういう構成は新潟だけ。他の地域も前半は同じだが、後半はチャイコフスキーの 「フィレンツェの思い出」 かピアソラの 「ブエノスアイレスの四季」 となっている。 どうして新潟だけこういうプロになったのか、色々都合があったのかもしれないが、呼び屋の変な思惑がなかったかどうか。 呼び屋にとって新潟の位置づけはどうなっているのか、気になる。
6月28日(火) 本日も大雨が続く。 新潟県内では被害が出ているようだ。 一昨日まで全然降らなかったのに、今年の天気は極端から極端へ、である。
大雨だからいくぶん涼しいけれど、4限の授業をやっていたら大汗をかいて、持っていったハンカチが絞れそうな状態になってしまう。 もともと私は汗かきなのだが、授業をやると特に汗をかく。 力演型だから(笑)だろうか。
いずれにせよ、そろそろハンカチではなくタオルを教室に持参すべき季節なのだ。
6月27日(月) なかなか雨が降らなかった新潟だが、それを補うかのごとく、本日は沛然たる雨となった。 ようやく梅雨入りで、ネットニュースによると1951年に統計を取り始めて以来3番目に遅い記録だとか。
夜7時から某所で、私を含む男性3名女性3名で会合を持つ。 何についてかは、いずれまた。 私のジンクスとして、実現していない事柄を計画段階で誰かに明かすと挫折する、ということがありますので。
といって別段大したことではなく、地球征服を狙っているとか(笑)、世界から戦争と貧困を一気になくす画期的な方法を発見しつつあるとか(笑)、そういうことではありませんので、期待しないで待っていて下さい(笑)。
6月25日(土) 午後、万代シティで映画を見てから、りゅーとぴあまで歩いて、午後6時半からの新潟大学管弦楽団第26回サマーコンサートを聴く。 なかなかの盛況だった。 最終的には9割を越える入り。 まずはおめでとうございます。といっても、慶賀だけで済ませるわけにはいかない。 遅刻者が非常に多かった。 せめて後半、新世界交響曲が始まるまでには会場に到着して欲しいものだが、第1楽章が終わり第2楽章が終わってもまだ入ってくる奴がいる。 困ったものだ。
プログラムは先日のスロヴァキアフィルと 「モルダウ」 「新世界交響曲」 の2曲が同じ、と思ったら、アンコールのスラブ舞曲第1番まで同じだった。 ううむ・・・・(笑)。 あとは、コープランドの 「アパラチアの春」 組曲。 これは私は (多分) 初めて聴いた曲。 指揮はいつもの河地良智氏。
新大オケは、新潟市で演奏会を開くばかりではない。 佐渡で長年にわたり演奏会を行って、地元の人たちから楽しみにされているという話が、アンコール前に指揮者から披露された。 こういう息の長い活動はたいへん貴重だと思う。 今後も頑張って欲しい。 加えてここ数年は首都圏でも演奏会を行っている。 たいへん意欲的なことである。
学生オーケストラであるから毎年団員は変わる。 そのつど基礎からの訓練が行われる。 一方で聴衆はだんだん耳が肥えてくる。 その分、演奏する側はたいへんだろうけれど、精進を重ねていって欲しいものである。
今回に始まったことではないが、女子団員が多いのが目立つ。 そういう時代なのだろうが、それにしても今回、管パートに女子が圧倒的多数なのにはちょっと引いた。 ホルン (4人) とトランペット (2人) は全員女子、トロンボーンも3人中2人までが女子だった。 管パート全体で、男女比は5対1くらい。
女性差別だと叱られそうだが (ゴメンナサイ)、肺活量の男女差はあるわけで、また新潟で定演をやっている東京交響楽団がホルンとトランペットに体格のいいヨーロッパ人男性奏者を採用してそれなりの演奏水準を維持していることを考えると、学生オケでも男子の奮起を期待したくなるのである。 今回、管パートがやや頼りなかったのもその辺に原因があるかも知れないのだ。
他方、弦パートは女子が微差で多い、という程度なのである。 私からすると非常に不思議な現象ではある。
今どきの男の子は管楽器なんかやらないのだろうか。 私の中学生の頃はブラスバンドに入る男子は結構多かったように記憶している (遠い昔の話でスミマセン)。 楽器をやる男の子はモテル、という話もないではなかった。 今は楽器をやってもモテナイのだろうか、それとも、楽器をやればモテルのだが、新大に入ってくる男子はモテナイ奴ばかりなのだろうか(笑)?
6月24日(金) 午後6時30分より、新潟県民会館にモスクワ室内歌劇場の『魔笛』公演を観に行く。 女房同伴。
この団体は一昨年3月にも新潟県民会館で公演を行い、その時はモーツァルトの
『ドン・ジョヴァンニ』 を披露してくれた。
たいへん楽しい公演だったので、今回も期待していた。
ボリス・ポクロフスキーの演出はなかなか斬新。 開演前からフルーティスト
(開演後も舞台に登場)
が舞台でモーツァルトの有名曲のメロディを奏でている。 序曲が始まると、出演者全員が舞台に現れて思い思いの姿勢をとる。 こういうポリシーはその後も貫かれ、あらすじに従って人物が現れるのではなく、いうならば全員が遊戯としてこのオペラをやっているんだよということを聴衆に見せつけようとしているかのようだ。
もっとも、休憩時間にお会いしたS・Y先生は演出に批判的な口吻をもらされていた。 演劇に
(そしてクラシック音楽にも)
お詳しい先生のこと、もしかしたらいずれ自作サイトでお考えを表明されるかも知れない。
メインの役を演じる歌手はみなそれなりの力量で、明らかにヒドイ、という歌手はいなかった。 最初はセリフの受け渡しがややぎこちない箇所もあったものの、徐々に調子が上がっていったようだ。 特に良かったのは、パミーナのオレーシャ・スタルーヒナとザラストロのセルゲイ・ワシリエンコだろうか
(配役は当日ロビーに掲示されていたものに依っている)。 スタルーヒナはその貴族的な容姿でも目を惹いた。
他の主要配役は、夜の女王がタチヤーナ・フェドートワ、タミーノがイーゴリ・ヴャールイフ、パパゲーノがウラディーミル・シマロフ、モノスタトスがセルゲイ・オストロウーモフ、パパゲーナがリュドミーラ・ゲニカ。
前から5列目で聴いたので後ろの座席の埋まり具合はよく分からなかったが、空席もわりにあったようだ。 終演は9時半だが、りゅーとぴあの駐車場
(白山公園駐車場Dブロック)
に出たら、がらがらなのにびっくり。 同時刻に行われていたりゅーとぴあのオペラ・レクチャーコンサートと『近代能楽集』公演の方が先に終わったのでだろうけれど、ふつう、県民会館やりゅーとぴあでオペラやフルオーケストラコンサートが行われるときは公演1つだけで満車になりがちだから、これは入りが悪かった証拠なのかも知れない。
一番安価な席でも¥6000だから、仕方がないのだろうか。高校生の姿も見えたが、自分のお小遣いで来たならエライし、親のスネをかじったのなら親御さんに同情する。 学生席を¥3000くらいで設けることはできないものかと思う。 お勉強のためというよりも、聴いて楽しく見て楽しいオペラなのであるから。
(後日、売れ行きが悪いので学生相手にダンピングが行われたという情報を得た。 それ自体は悪くはないが、どうせなら最初から格安の学生料金を設定しておくべきであろう。)
6月23日(木) 夜、H卓球クラブに練習に行く。 本日はどういうわけか人数が少なく、私を入れて6人しかいない。 前半、40分ほどS氏と一緒に基礎練習をみっちりやったら、バテてしまった。
このクラブはわりに軟弱で、基礎練習を少しやるやるとすぐダブルスの試合をしたりするのだが、本日は人数の関係でそうならなかった。
4人でダブルスをやるのと、2人で基礎練習をやるのとでは、体力の消耗度が全然違う。 後者の方が圧倒的に疲れるのである。
それに蒸し暑かったし、加えて私もS氏も50代でトシであるから、バテるのも無理はなかったわけである。 後半はダブルスの試合となったが、バテているので軽く流してやってしまった。
というわけでバテて練習を終え、クルマで帰宅して風呂場で体を洗ってから、一気に発泡酒 (350ml) を2缶開けてしまいました。 こういう具合に、卓球で汗を流してもすぐ水分が補給されてしまうので、一向に痩せない道理である(笑)。
話は変わるが、最近、 「第三のビール」 が登場している。、発泡酒よりさらに安いのでかなり売れているようだ。 私も一通り試してみたが、発泡酒に比べると泡立ちが悪いし、苦みが足りないし、メーカーによってはヘンに甘みがあって、どうもいただけない。
発泡酒が登場したときは安さもあってすぐにビールから転向した私だが、今回はしばらく発泡酒にとどまっていようと思っている。 まあ、第三のビールもそのうち改良されて今の発泡酒並みの味になるかもしれないのだが。
6月21日(火) 午後7時から、スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴きにりゅーとぴあへ。 指揮はレオシュ・スワロフスキー、チェロ独奏がウドヴィート・カンタ。 プログラムは、スメタナの 「モルダウ」、ドヴォルザークのチェロ協奏曲と交響曲第9番 「新世界から」。
野趣に富んだ演奏かな、という印象。
ふだん東響定期の定席としているところの近くで聴いたのだが、東京交響楽団と比較して草や木の香りがするような、とでも言えばいいのか。 弦で言うと、繊細さや一体感は東響が上だけれど、線の太さが混じり合うおおらかさみたいなものが感じられる。
一番集中して聴いたのは協奏曲。
ただ、座席がGブロックのせいかもしれないが、独奏チェロの音がオケに食われ勝ちだった。 オケが沈黙している時の音はなかなか悪くないと思ったが。
アンコールも予想通りで、ドヴォルザークのスラブ舞曲第1番と9番。 まあ、「お国物イメージ」
で通した演奏会だったということでしょう。
客の入りは8割くらいでまあまあか。 最近の外来オケ (ゲヴァントハウス管弦楽団やロンドン交響楽団) は7割程度だったと思うから、少し改善された。 チケットが安いせいか、プログラムが親しみやすい曲ばかりだからか。
しかし、見ていると、B席以下は満席で、売れ残っているのはSとAの条件の悪い場所 (1階前方脇、2階脇でSになっている席、3階脇でSやAになっている席) である。 私自身もB席である。 やっぱりお金の問題って、大きいですよね。 もっとも一昨年のウィーンフィルや、昨年の小沢征爾率いる水戸室内管弦楽団のように、知名度が抜群だと高価でも売れるわけですが・・・・。
その辺の、新潟市民のお金の使い方は、研究の余地がありそうだ。
6月18日(土) 先週、生協書籍部に注文した本が、今週、「版元品切れ、再版未定」 で返ってきた。 昨日、ゼミの飲み会の前に郊外の某大型スーパーに行く用事があったので、そこの書店で探してみたが、ない。
それで、今日は昼飯を食べに大学から1,5キロほど離れたうどん屋に行ったついでに、近くの戸田書店に寄ってみた。 郊外型の書店としてはわりに面積も広いし、品揃えもまあまあ充実している店である。 しかしここでも見あたらなかった。
こうなると古町の萬松堂か万代シティの紀伊國屋書店で探すしかあるまい。 どうにも厄介だ。
そもそも、問題の本は出版されたばかりであり、それが 「版元品切れ」 というのは明らかにおかしい。 この本ばかりではない。 有力出版社から出ている新書類などでもそういうことが珍しくないのだ。
世の中には注文で本を買う人間がいる、ということを日本の出版社は知らないのだとしか思えない。 何とも困ってしまう現象なのである。
6月17日(金) 夕刻、ゼミの飲み会をやる。 学生5名と私。 最初、大学近くのYという店に行ったら、閉まっている。 無論、金曜定休の店ではない。 貼り紙等は何もない。 ここ数ヶ月来ていなかったものの、家族に何かあったのかも知れない。
仕方なく、少し道を下って、越後線踏切脇のIという店に入る。 ここは十年ぶりくらいだ。 教養部解体後、人文学部に移って、1年生向けの人文教養演習の1クラスを、前期がS先生、後期が私で担当したとき、忘年会をここでやって以来である (我ながら良く覚えていますなあ)。
本日は午後にも予定外の出来事があった。 詳細は略すが、どうも予定外のことが起きやすい日だったのに違いない。
ところで、この飲み会で、学生5名のうち3名は親が教員であることが判明した。 出身は新潟県、富山県、長野県と分かれているが、地方都市で知識階級 (?) というとやっぱり学校の先生なんですかね。 或いは、教師を親に持たない若者は人文学部なんかにはあまり来ないのかも知れない。
6月15日(水) こないだ私が他大学の独文学者などと一緒に出した 『ドイツ語・第二外国語教育の危機とドイツ語教師の姿勢』(日本独文学会、2005年4月)を、先日求めに応じて昔の同級生に送付した。
30年あまり前に私と一緒に大学でドイツ文学を学んだが、いまは主婦になっている人である。 一時期非常勤でドイツ語を教えていたこともあったけれど、最近の情勢下で仕事はなくなっているらしい。
その人がお礼に3000円寄付したいというので、有効に活かす手段はないかと調べた結果、ネット上の古本屋に出ていた 『ヘルダー旅日記』(九州大学出版会) を買って新潟大学図書館に寄贈することにした。
新本で買うと6000円くらいするものが、ネット上の古本屋だと送料込みで約3000円である。 新潟大には入っていないし、ドイツ文学に関わりのある本であるから、寄付してくれる人の意思を十分尊重したことになるだろう。
で、本日図書館に行って寄贈してきたのだけれど、せっかくなので寄贈者として寄付してくれた人の名を本に残しておいてくれませんかと頼んだら、教授が退職して寄贈した本にはそうした措置をとるが、それ以外の場合はとらないのだそうである。 しかし、せっかくなので、特別措置で名前を書いておきましょう、とのこと。
国立大も独法化され、予算難に悩んでいる昨今、図書費用の調達もままならないなかで、民間に寄付を募って図書を充実させるには、寄付した下さった方のお名前は図書に残します、というふうに宣伝するのも一法だと思うのだが、そういう発想がないらしい。
私は独法化以来の新潟大学の上層部の振る舞い方には多々文句があるけれど、下の方の人たちももう少し柔軟な発想をしてほしいものだ。
いや、こういったことは独法化されなくとも考えておくべきことで、実は20年以上前、教養部時代に私は教養部の図書委員をしていた英語の先生にそういう提案をしたことがある。 しかしその方は、私の提案を完全に無視。 大学の先生って、こういうところがダメなんですよね。
6月14日(火) 2限と4限の授業を終えて研究室で一息ついていたら、「6月15日の1時限目の西洋文学を欠席いたします」 というメールが来た。
私は明日の1限に教養の 「西洋文学」 の講義があるのだが、その欠席通知である。 この授業、出欠はとっていないから、休みたければ勝手に休めばいいわけで、それをわざわざ欠席届をよこすとは、律儀な学生である。 しかも、内容がそれなりのものなのだ。
氏名などは**印におきかえて、以下に掲げることにする。
この講義は、前回までトーマス・マンの 『トニオ・クレーゲル』 を扱っており、明日からは同じトーマス・マンの 『ヴェニスに死す』 に入る予定になっていることを念頭において読んで欲しい。
6月15日の1時限目の西洋文学を欠席させていただきます。
勤務しているテニススクールの社員研修会を15日と16日に
行います。マネージメント責任者として欠席するわけには
いきませんので残念ながら欠席いたします。
トニオ・クレーゲルを読み進めていくなかで多くの発見
がありました。今日本でコミュニケーションスキルを浸透
させようとしている**さんという方がドイツから帰国さ
れた人ですが、観察する力や表現する力を小さな時からト
レーニングするドイツと日本の違いを思う時、このトーマ
ス・マンの描写力を考えずにはいられません。
「ヴェニスに死す」の第1回目を欠席するのが残念でなり
ません。
6月12日(日) 午後、例年やっている卓球NクラブとHクラブの親善試合。 西コミュニティセンターにて。 今回は人数が少なく、19名参加。
夕方から、内野駅前の寿司屋で懇親会となる。 12名参加。
主婦で卓球をやっている人は、姑さんの目がなかなか厳しいらしい。 家事や子育てをおろそかにして、というような文句を言われるらしい。 そういう文句に正面から言い返すことなく、しかし自分のやりたいことは黙ってしっかりやる、というのが卓球などの趣味を続けるコツだとか。
そういう方々は、家事に子育てをし、またパートなどで働き、なおかつ卓球もやっている。 それに加えて夫の親との関係もある。 なかなかに大変なのであるが、越後中年美人たちは、自分なりの知恵とたくましさでしっかり生きているわけである。
こういう知恵とたくましさ、最近の若い女性にはかえって失われているような気がするんですが、どうでしょう。 一見立派に自立して仕事をしているように見える女性が、男嫌いでもないのに、結婚恐怖症めいた状態にあったりする。 『負け犬の遠吠え』 なんか、そういう実態をうかがわせる本として私は読んだんですが。
私がフェミニズムを信用していないのは、こういう現実をわりに見る機会があるからなのである。
6月10日(金) 最近の学生は幼児化しているから、1・2年次には教員がアドヴァイザーとして付いて、取った授業を一覧にした表に目を通して、判を押し、事務に提出させることになっている。 私も今年度、1・2年生それぞれ数名ずつを持たされている。
2年生くらいになると脱落気味になる奴がいて、私の受け持ち2年生にも一人、一向に表を見せに来ない者がいる。 そういう学生は学務係の先生に通告することになっており、私も先月通告した。 しかし電話が通じず、行方が分からないらしい。 まあ、1学年220人いれば、中にはこういうのも含まれていますよね。 ただ、昔はこういう奴には学校側からはいちいち電話で連絡したりはしなかっただけのこと。
1年生は入学したてだから大丈夫かと思うと、大丈夫ではないのである。 一昨日、教授会に出た資料を見た私は、「あれ?」 と思った。 一人、私の担当する学生が表を事務に提出していないのである。
「ヘンだな?」 と私は首をひねった。 というのは、その学生は表を私のところに見せに来て、私も判を押したはずだからだ。
教授会当日は会議が続いて時間的余裕がなく、昨日も授業その他で余裕がなかったので、本日午前、事務に電話番号を訊いて当該学生に電話してみたら、案の定、判をもらったあとで事務に出すのを怠っていたとのこと。 ただし、先週末に出したというので、教授会資料の作成には間に合わなかったのであろう。
まったく、世の中には色々な奴がいるものである。
6月8日(水) 午後1時半から教授会。 比較的早く――と言っても4時少し前頃だけれど――終わったと思ったら、それに続く別の会議が延々と続き、終わったのが7時半。 6時間も会議の場ですわり続けるなんてのは、実に非人間的だ。
前にも書いたけれど、蓮実重彦は東大学長時代、あらゆる会議は1時間半以内で終わる、という原則をたてていたという。 見習うべきであろう。
さて、T氏が主宰している新潟市のクラシック音楽サイト掲示板が最近荒れている。 ワタシにもその責任の一端があるのだが、T氏もあまり新潟市の文化行政を批判するような書き込みを好まない資質の主であり――まあ性格は人それぞれだから仕方がないことだけれど――サイトでの議論内容がかなり限定されてしまうという傾向が見られる。
こうしたサイトでの議論はなるべく広範に渡るべきだというのがワタシの考えなので、これを機に、ワタシのサイトに誰でも書き込めるクラシック音楽専用掲示板を設けました。 みなさんの積極的な書き込みをお待ちしております!
6月5日(日) 午後2時から、りゅーとぴあ・コンサートホールにて、オルガン・レクチャーコンサート。 今年度のこのコンサートは、「バッハ最前線」 と題し、成城大学教授・小林義武氏を招いて2回にわたり行われる。 本日はその第1回目。 オルガン演奏は和田純子さん。
曲目は、オール・バッハで、トッカータとフーガニ短調BWV565、トッカータニ短調BWV913、前奏曲とフーガホ短調BWV548、前奏曲とフーガト短調BWV535、パッサカリアとフーガハ短調BWV582。
りゅーとぴあ及びその周辺の公的な駐車場が満車で、民間の駐車場に入れていたら数分遅刻してしまい、第1曲 (トッカータとフーガ ニ短調) はロビーで聴く羽目に。
前半は、その有名な 「トッカータとフーガニ短調」 がバッハの真作か贋作かをめぐる議論が紹介された。 興味深い内容ではあるが、かなり専門的な話で、また時間的にも長いので――前半はオルガン曲2曲を前後にして講義が行われたが、合計で80分かかった――、シロウトや子供も含む聴衆にはやや高度すぎる感じもした。
後半は逆に、講義が短く、また前半と違って視覚的な補助装置も使わないので、分かりにくい。 この辺は工夫が必要だろう。
しかし、昨年のスペイン・オルガン音楽に関するレクチャーコンサートでは、評論家の、あまり中身のない話がメインだったので、あれに比べれば話に中身がある分だけ良くなっていると思った。 次回は11月だが、期待して待ちたい。
和田純子さんのオルガンは、特に後半が乗っていて、なかなか良かった。 和田さんはもともと、きちんと優等生的に弾くタイプではなく、感性的な演奏をする人だから、乗ると強い。
私の席の後方に敬和学園大学のK先生が、そのまた後方に新潟大学人文学部のY先生が来ておられた。 また、全体として客の入りは悪くない。 レクチャーコンサートはそれなりに定着しているのではないか。
6月2日(木) 2限、大学院向けの演習だが、担当学生が来ない。 この授業では初めての現象ではない。 学部向け演習では、少なくとも今年度は今のところこういう現象は見られないのと対照的。 私なりに考えていることはあるが、コメントは控えて、事実のみ記す。
午後、銀行に用事があって久しぶりに古町に行ったついでに、萬松堂書店に寄る。 新潟市随一の書店である。 新潟市の書店というと、あとは紀伊國屋書店新潟支店だが、最近内容の凋落が著しい。
その分、萬松堂の頑張りが目立つのだが、残念なことに私は古町に来る機会が余りなくなっている。 万代シティには映画館が2つあるから (シネ・ウインドとTジョイ) 結構行くので、ついでに紀伊國屋には寄るのだが、古町近辺の映画館は全滅だし、銀行だってそうそう用事があるわけではない。 なので、どうしても萬松堂とは疎遠になってしまう。 しかし本日は萬松堂で、「なるほど、こういう本が出ていたか」 という発見が多少あり、まあ後日大学生協で注文しよう (1割引だし) とは思ったが、情報を得られたお礼のつもりで1冊だけその場で買いました。
夕方になって、万代シティのシネ・ウインドで映画を見たついでに、支配人のHさんと話をする。 今年は 「日本におけるドイツ年」 なので、東京で開催されたドイツ映画祭を、部分的にでもいいから新潟に持ってこれないか、という話を以前にもちかけたのだけれど、色々障壁があるという。 うーん、地方都市での文化活動は、難しい。
5月30日(日) 午後5時から、りゅーとぴあにて、東京交響楽団第31回新潟定期演奏会。 秋山和慶指揮、シュロモ・ミンツのヴァイオリンとヴィオラで、ヴァイオリン協奏曲第2番、ヴィオラ協奏曲、オーケストラのための協奏曲という、オール・バルトーク・プログラム。
シュロモ・ミンツ、がっしりした体つきで、彼が持つとヴィオラもヴァイオリンに見えてしまうほど。 その外見にそむかない安定した技巧と音作りの演奏だった。 もっとも私はバルトークのヴァイオリン協奏曲やヴィオラ協奏曲はどうも良さが分からない。 今回、あらかじめプログラムと同じ曲を入れたズーカーマンによるCDで予習していったのだが、それでも
「うーん??」 であった。
ミンツのヴァイオリンの音は、特に中低音が特徴的。 ウォーム・トーンというのか、息吹のようなものが音をふくらませていて、魅力的なのだ。 ヴァイオリンの音というと、高音は魅力的でも中低音は詰まったような感じになってしまう演奏者がいるものであるが、ミンツはそういうことがない。
3曲目の通称オケコンは、バルトークの曲としては一般に流通しているし、私も多少は楽しめた。 土臭さとか土俗的エネルギーとかいう方向性ではなく、洗練された都会的な演奏。 いわゆる爆演ではない。 もっともこれは東響の全般的な傾向とも言えるかな? 管楽器の響きの鮮やかさ、弦の堅実さが印象的であった。
いずれにせよ、今期の東響定期も順調な滑り出しで、これからも期待できそうである。
ただ気になったのは、パンフレットである。、従来は新潟定期独自のものだったのが、東響サントリー定期などと一緒になった。 経費節減のためか? しかし、サントリー定期の文字に比べて新潟定期の文字が小さいのは、ケシカランと思う。 同じ大きさにすべきではないか。 また、表紙には新潟定期の文字すらない。 いかにも軽視されてます、という印象。
5月27日(金) 夜7時から、りゅーとぴあ・コンサートホールで、アルバン・ベルク四重奏団演奏会。 曲目は、シューベルト: 弦楽四重奏曲第12番「四重奏断章」、 G.カンチェリ: Night Prayes from Life without Christmas、シューベルト: 弦楽四重奏曲第14番 「死と乙女」、アンコールがモーツァルト: K.465の第2楽章。
1階後方右寄りの席で、女房・次男と聴く。 ヴィオラ奏者トマス・カクシュカ病気のため、代役にイザベル・カリシウス。 曲目も、予定のベルク 「抒情組曲」 がカンチェリに変更になったもの。 カンチェリは初めて聴いたが、音楽事典によると1935年生まれのグルジアの作曲家だそうな。
この弦楽四重奏団は、15年以上前にも新潟に来て、音楽文化会館で演奏会を開いた。 その時も私は聴きに行ったが、同じ頃にボロディン四重奏団も新潟に来たので、いきおい、両団体を聴き比べる形となった。
私はボロディンのほうに圧倒的な好感を抱いた。 演奏が洗練されていて、実に素晴らしい。 それに比べるとアルバン・ベルクは肩に力が入っているというか、力で押しまくる印象があって、イマイチだと思った。
今回、久しぶりで聴いてみて、力で押しまくる印象は相変わらずであるものの、ちょっと考えさせられた。 このSQは四重奏団というより、独奏者の集まりなのではないか。 アンサンブルがまずいという意味ではない。 アンサンブルは整っているのだが、音の出方が、寄り添うのではなくアンサンブルを逸脱しない範囲内で自己主張しており、なおかつ強いので、四重奏を聴いたというよりは4人の独奏者の演奏を聴いたような印象が残ってしまうのだ。
第一ヴァイオリンの音は、ちょっとアイザック・スターンを想起させるところがある。 アンサンブルの中の輝きというより、独奏楽器としての輝きのような気がする。
今回はそれに加えて、「死と乙女」 では、おそらく長年何度も弾いた曲だからだろう、第一ヴァイオリンは自由にというか、やや自己流の解釈を入れる形で弾いていたように思えた。 それはそれで、面白かったのだけれども。
なお、カンチェリの曲は、女声がスピーカで入る、という変わった趣向。
5月26日(木) 本日の毎日新聞の 「記者の目」 欄に、伊藤信司記者の 「ドイツの戦後60年――数多くの戦争史跡に敬意――達成されたマンの悲願」 という文章が載った。
この文章、「ドイツは日本と比べてエライ」 という、一時期の日本に跋扈した類の駄文なのだ。 こうした風潮は保守派に認識の浅さをさんざん指摘されて最近は消失しかかったかと思いきや、時々こういう形で出てくる。 不勉強もはなはだしいのである。
私はつい先日、5月13日にも同じようなことをここに記したので繰り返したくないのだが、余りに日本の新聞記者は不勉強だから、またぞろ指摘せざるを得ない。
例えば伊藤記者は、ドイツにユダヤ人虐殺の碑があるのを見て、「日本に例えれば、南京大虐殺反省の碑があるようなもの」 とするのだが、トンデモナイ論理である。
まず、ドイツのユダヤ人虐殺は敵国の人間を無差別に殺戮したから犯罪なのではなく、ドイツの国内などに住んでいたユダヤ人をユダヤ人であるという理由だけで全滅させようとしたから犯罪なのである。 つまり、戦争犯罪ではなく、それとは別個の、民族殲滅を図った犯罪なのだ。
この手の犯罪は、第二次大戦中、ドイツ以外のどの国も犯してはいない。 日本の南京虐殺は――その犠牲者数には諸説あることをおくとしても――米国の原爆投下や東京大空襲、連合軍によるドイツ・ドレスデン等への集中爆撃と同列の犯罪なのであって、決してドイツのホロコーストと並べられるものではない。
次に、伊藤記者はトーマス・マンが 『ドイツとドイツ人』 で語ったところを引きながらマンの悲願は達成されたと言うのだが、そもそもが非政治的だった作家マンの言葉でこの手のことを説明してしまう、いうならば中学生の感想文くらいのレベルの低さはさておくとしても、伊藤記者が途中で述べている、60〜70年代の学生運動と左翼政権によってホロコースト記念碑などができた、という文章との整合性はどうだろう。
なぜなら、70年前後は、ドイツの左翼によるトーマス・マン・バッシングが横行した時代でもあったからである。 トーマス・マンはブルジョワ文士だとして叩くジャーナリズムやマスコミの偏頗ぶりが露呈した時代だったのだ。
そしてそういう風潮の中で西ドイツのテロリストが飛行機を乗っ取る、という事件が起こった。 その時、西ドイツ首相シュミット (社民党) は特殊部隊を派遣してテロリストを殲滅した。 それに対し、同じような事件が日本人テロリストによって起こされた時、当時の福田赳夫首相は 「人命は地球より重い」 という名言 (?) を吐いて、テロリストの要求を呑み、政治犯を超法規的な措置で釈放した。
西ドイツの左翼政権の首相と、日本の自民党政権の首相とには、そのくらい人間性 (?) に差があったのである。
話がそれた。 要するに、ドイツは別段トーマス・マンの論理や願望に従って動いてきたのではないのである。 だいたい、伊藤記者は脇圭平の 『知識人と政治』(岩波新書) を読んだのだろうか? マンは決して政治的に簡単に割り切れるような作家ではない。
また、そもそも日本が囲まれている中国や韓国は、ドイツの身近なところにあるフランスや英国とは国家の質が異なっている。 韓国も中国も先進国なら基本的な権利であるはずの言論の自由がない。 中国については説明を要しまいが、韓国にしても自国批判をやると国内にいられなくなったりするくらいだから、とても言論の自由が保障された国とは言えない。
要するに、様々な意味で、日本とドイツを比較するのは間違いなのだ。 伊藤記者の駄文は、いかに新聞記者が不勉強であるかを露呈するものでしかない。
ついでに書くなら――毎日新聞の 「記者の目」 欄は、記者が署名記事という形で社説とは別に独自な見解を打ち出すという趣旨なのであろうから、意図としては面白いけれども、しかし実際には、このように内容のない記事も多い。
本来なら、誰も目を向けないような事柄について、自分独自の取材や考察を行って記事にするべきなのに、そうなっていないのである。 ろくに取材もせずに、また勉強もせずに、ぬるま湯的な見解を並べるだけに終わっている場合も多い。 これでは、オピニオンを提示するという新聞の役割を損なうばかりである。
むしろ、社外の幅広い人材の意見を載せる欄を充実させるべきではないか。 今のレベルなら、「記者の目」 欄は3日に1度程度で沢山であり、その代わりに社外の識者による論考を掲載すればよい。 また、海外の識者の見解を載せる 「世界の目」 欄も分量が少なすぎるから、今の2倍程度に拡充するべきだろう。 そのスペースは、「記者の目」 を3日に1度にすることで十分まかなえるはずだ。
5月24日(火) 授業などでの必要性から、CDを急いで買う必要ができて、夕方、東堀通2の 「コンチェルト」 に行く。 白山神社の方から東堀通に入ると、徒歩2、3分ほどで通りの左側に店がある。
この店、本日初めて行ってみたのだが、できたのは昨年らしい。 クラシックCD専門店である。 従来、新潟市内には 「クラシックのモーツァルト」 というクラシックCD専門店が古町通にあったのだが、今年の初めに閉店してしまった。
ちょうどその頃、T氏の主宰している新潟のクラシック音楽サイトで 「コンチェルト」 のことが紹介されていたので、本日ようやく行ってみたわけである。
なかなかマニアックな店である。 ほとんど外盤。 ナクソスもあるが、バロック音楽やオペラに強い店らしい。 値段も安い。 クラシック音楽ファンは一度行ってみては?
5月21日(土) 5月18日に、私は新潟市役所に下記のメールを送った。
* * * * * * * *
これは苦情です。しかるべき部署に回して下さるようお願いいたします。
新潟市の音楽文化会館のサイトに関する苦情です。
音楽文化会館のサイトは更新が遅く、情報源としてあまり役立っていません。
特に問題なのが、「催し物」です。
すでに5月18日になっているのに、サイトには4月分がいまだに載っており、6月分は載っていません。
http://www.ryutopia.or.jp/onbun/index.html
問題なのは、これがたまたまのことではなく、常態になっているということです。いつも音楽文化会館のサイトの「催し物」は更新が遅く、利用者の便を無視した状態が続いているのです。
音楽文化会館のサイトに関する意見は、りゅーとぴあのサイトの「投書箱」に投書せよ、という建前になっています。
しかし、この件についてりゅーとぴあのサイトの「投書箱」に投書しても、意見がそもそも掲載されないのです。
掲載されなくても音楽文化会館のサイトの「催し物」更新が早くなるのなら許せますが、全然改善されていません。つまり、この件については、りゅーとぴあの職員は、意見を意図的に掲載せず、また苦情をもとにサイト更新の怠慢さを改善もしないという、きわめて悪質なサボタージュをやっているというしかありません。
以上の点について責任ある回答をお願いします。
なお、りゅーとぴあのサイトの「投書箱」については、他の方からも、運営に批判的な意見を投書すると載らない、という苦情を聞いております。その点についても責任ある回答を求めます。
* * * * * * * * *
内容は読めば分かるから、解説はしない。 上記のメールに対して、昨夜下記のような回答が届いた。 担当部署と担当者名は省いて紹介する。
* * * * * * * * *
「音楽文化会館ならびにりゅーとぴあのサイトに関する苦情」についてお答えします。
音楽文化会館の催し物案内の件については,以前にもご指摘をいただき,その後また今回,更新作業が滞り利用者の皆様に大変ご不便をおかけし,お詫び申し上げます。
催し物案内のサイトについては,5月19日現在で,5月・6月の催し物案内を更新いたしました。又,6月からは月の初めに2ヶ月先(8月)までの催し物の予定を掲載し,変更・追加のある都度随時更新することにより,情報源として活用できるよう努めてまいります。
「投書箱に意見が掲載されない」件については,会館独自で直ぐに対応したものや直ぐに対応できるものなどについては掲載しないこととしております。そのため,以前ご指摘いただいたものについては,直ぐに対応できるものとして掲載しなかったところです。
今後,更新作業が滞ることのないよう指導監督に努めてまいりますので,今後とも「音楽文化会館ならびにりゅーとぴあ」をよろしくお願いいたします。
* * * * * * * * *
この回答、結構いい加減である。 なぜなら、
「投書箱に意見が掲載されない」件については,会館独自で直ぐに対応したものや直ぐに対応できるものなどについては掲載しないこととしております。そのため,以前ご指摘いただいたものについては,直ぐに対応できるものとして掲載しなかったところです。
とあるけれど、音楽文化会館のサイトの 「催し物」 は、「直ぐに対応できるもの」 であるはずなのに、私が以前にりゅーとぴあのサイトに投書しても、全然 「直ぐに対応」 しなかったからである。
まあ、しかし今回は深く追及はせず、はたして今後 「催し物」 がまともに更新されるのかどうか、見守ることにしよう。
5月16日(月) 山形浩生のサイトをのぞいていたら、その 「朝日新聞書評」 というところにこんな文章が載っていた。 山形は朝日新聞の書評委員を勤めていたが――
「1 年の期間延長の後、ついに書評委員の任期完了。 快哉を叫ぶ人もいる一方で、惜しむ声もあるだろう。 個人的にも、うーん、残念だな。 書評委員やってることで、原稿料 (800 字だと 6 万円) に加えてお車代だの委員会謝礼だのが出て、年間 260 万円くらいもらえてるんだ。 それがなくなるのかー。」
こういうふうに内実を率直に書いてくれる人、好きだなあ。 ついでに、朝日新聞社内から出ている書評委員にはたいした人材がいない、なんてことも書いている。 面白いから読んでごらん。
それにしても、朝日新聞は800字で6万円もくれるのか、と嘆息。 ワタシは残念ながら朝日には書いたことがないが (投書が載ったことはあり)、こないだ新潟日報に書いた文章が、900字で8千円だったもので (笑)。 何と、10倍近い開きがありますね。
ついでに、昨年北海道新聞の書評を書いたときは、たしか900字で2万5千円だった。
全国紙 (朝日新聞) とブロック紙 (北海道新聞) と地方紙 (新潟日報) には、そのくらいの原稿料の差がある、というお話でした。
5月13日(金) 本日の産経新聞の 「正論」 欄に、佐瀬昌盛氏の 「『戦後ドイツ神話』に惑わされるな」 が掲載された。
ここで佐瀬氏は、5月3日の憲法記念日に朝日新聞に載った社説を厳しく批判している。
朝日の社説は、「旧西ドイツは戦後10年ほどの間に憲法を改め、再軍備に踏み切った。 東西冷戦の最前線に位置し、西側陣営の圧力があってのことだが、それには徹底したナチスの断罪と隣国との和解が大前提だった。 米国と仲良くやってさえいればよかった日本とは根本的に異なっていた」 というものである。
佐瀬氏は、「西側陣営の圧力」 で西ドイツが再軍備をしたのではないという事実を冷静に指摘している。 氏によれば、それ以前に当時のアデナウアー首相がソ連による東独の事実上の再軍備に危機感を抱き、自国の再軍備に向けて観測気球を上げた。 米国は西独の意向に好意的だったが、フランスが猛反対。 その後色々あった末に、1955年5月に西独はNATOに参加して再軍備へ向かった。
つまり、西独の再軍備はフランスなどの西欧に異論を呼んだのであって、「徹底したナチスの断罪と隣国との和解が大前提」 という朝日の社説は大嘘だと佐瀬氏は批判するのである。
また、戦後20年間、西独には 「徹底した非ナチ化」 などはなかったし、戦後21年目には 「非ナチ化」 した元ナチ党員が連邦首相になっている事実、そして独仏の 「和解」 は、西独の再軍備後7年をへた1962年になってからであることをも、佐瀬氏は指摘している。
以下、当サイト制作者の感想だが、変なドイツ神話を持ち出す日本のマスコミの体質はどうにも困ったものである。
朝日新聞だけではない。 先の憲法記念日には毎日新聞がドイツのヴァイツゼッカー元大統領の寄稿を載せた。
ヴァイツゼッカーは大統領時代に 「荒れ野の40年」 という演説をして良心的と言われ、ためにその後、日本ではヴァイツゼッカーを称揚して日本の政治家をクサす言説が蔓延したが、あの演説もよく読むならば決してドイツの 「戦争犯罪」 を素直に謝罪したものなどではないことが分かる。 詳しくは、西尾幹二 『日本とドイツ 異なる悲劇』(文春文庫) と木佐芳男 『〈戦争責任〉とはなにか』(中公新書) を一読されたい。
もっとも、毎日新聞は野田宣雄の 「ドイツと日本を比較するのは誤りだ」 という寄稿をも掲載してバランスをとっていたのが救いである。 せめてこのくらいのバランス感覚が常識になってもらわないと、日本のマスコミは先行き暗いと思う。
5月11日(水) 先に発行した 『ドイツ語・第二外国語教育の危機とドイツ語教師の姿勢』 について、新潟大学でフランス語などを教えておられる西山教行先生がご自分のブログで紹介して下さった。 http://blog.livedoor.jp/fle_didactique_japon/
西山先生はこの秋に京都大学に移られる。 新潟大学としては有能な人材を失うのは残念なことだが、新しい舞台での先生のご活躍を祈りたい。
ただ、問題なのは、その後に新しいフランス語の人材が来るのかどうか、はなはだ心許ないという事実なのである。 今のところ、西山先生で空いた穴を埋める人事がなされるかどうか、未定らしい。
そればかりではない。 この3月、新潟大学人文学部から、中国文学の教員と中国語学の教員が去っていった。 いずれも有能な方であり、新たな職場での活躍を祈るばかりであるが、その後釜の人事もいまだになされていない始末なのである。
・・・・・という具合に、なぜか最近の新潟大学では穴の空いたポストが埋まらないケースが目立つのである。 新潟大学はこの先どうなることやら、なのだ。
5月10日(火) 試写会に当たったので夜7時からの映画を見に行ったら、消防士を描いた映画であるためか、上映前に新潟県の消防士とレスキュー隊員を招いてのインタビューが行われた。
試写会のスポンサーの一つが地元のテレビ局なので――ただし私は上映する映画館が募集していた枠で試写会に当たったのだが――ニュース・ネタになるイベントを、ということらしい。 消防士を養成する専門学校生も少なからず来ていたのは、他方のスポンサーがこの専門学校だから、ということなのだろう。
まあ、タダで見られるので多少のことは我慢しますし、新潟県は昨年水害や地震に見舞われて、レスキュー隊などに勤務されている方々の重要性は再認識しておりますけれど、でもこの種のイベントって何となくわざとらしくてシラけるところがあるなあ。
5月6日(金) 午前中、横浜・みなとみらいにある横浜美術館にルーヴル美術館展〔19世紀フランス絵画――新古典派からロマン派へ〕を見に行く。 行列ができていたが、一昨日のゴッホ展ほどではない。 15分ほど待って入場できた。
有名なアングルの 「泉」 を始め、日本の美術教科書にも載るような作品がいくつか来ている。 と同時に、日本ではさほど有名ではないが正統派のすごい絵もあった。
例えばカルル・ヴェルネの 「聖フルベルトゥスの祝日の鹿狩り、1818年、ムードンの森」 である。 巨大なカンバスに、乗馬している人々や背景の森が実に丹念に描かれている。 大きな眺望の持つ雄大さと細密さの併存は、写真ではちょっと出せない域に達している。 表現は伝統的・写実的で、印象派や象徴派のような、ある種のケレン味はいささかも感じられない。
こういう正統派が確固としてあってこそ、それに反発して新しい 「芸術」 を作ろうとする人々も出てくるわけだ。 正統派は大事だとは、こないだ読んだ斎藤孝 『座右のゲーテ』 も強調していたけれど、本当にそう思う。 好き嫌いは別にして、正統派の持つ力量は認識しておかなければならない。
また、「文学」 が結構題材になっているのも面白い。 ドラクロワが 『ハムレット』 や 『アイヴァンホー』 を題材にした絵を描いているとは、知らなかった。
展覧会のあとは東京に戻り、途中品川駅で昼食をとり、高田馬場で古CDと古本を少々買ってから、二番館で映画を2本見る。 午後8時12分東京発の新幹線で新潟に戻る。
新潟では越後線の内野西が丘駅で降りてみた。 今までだと、内野駅で降りて、そこからバス、という手段が普通だったが、最近我が家に近いところに新駅ができたので、どんなものかと考えたのである。
しかし新駅から我が家までは歩いて15分強かかる。 気候が良く天気が良いときならいいが、本日は小雨が振っている。 ううむ、やや遠いだろうか。
5月5日(木) 東京に来ると新潟にいるときよりもよく歩く。 東京にいる間に色々やっておこうと精力的に行動するからではあるが、やはり新潟だといつもクルマで出歩くからだろう。 東京に来て4日目ともなると、足にマメができてくる。 いかに日頃運動不足かが分かる。
さて、本日は午前中、渋谷の東急文化村のザ・ミュージアムに行き、ベルギー象徴派展を見る。
昨日のゴッホ展とは逆で、全然並ぶ必要はなく、また館内も空いていてじっくり見ることができた。 結構なことではあるが、何でこんなに差があるのだろう?? 日本ではベルギー象徴派の知名度がゴッホに比べると格段に落ちるということもあろうが、それにしても差がひどすぎる。
クノップフやフェリシアン・ロプスは19世紀のヨーロッパ文化を語る際には欠かせない存在だし、また有名なローデンバックの 『死都ブルージュ』 の挿し絵となっている絵だってだってクノップフなのである。
ほかにジャン・デルヴィルの 「死せるオルフェウス」 なんて絵がある。 象徴派の好んだという青が実に美しい神秘的な佳品である。
印象派と同時代に活動した象徴派の意義と実態は、もう少し日本の美術ファンにも知られていいと思うのだが。 カタログを買いました。 でも2800円って、ちょっと高いなあ。 (翌日行った横浜のルーヴル美術館展のは2000円だったぞ――こちらは買わなかったけれど。)
展覧会を見終えてから、同じ文化村で映画を見、渋谷の古本屋を少々探索してから、飯田橋の名画座で2本立て映画を見る。 美術展ひとつに映画3本、充実した一日だったかな。
5月4日(水) 学会2日目。 本日は午前中で終わりだが、われわれの冊子 (昨日の項を参照) は結局残りがわずか数冊となった。 約250部が配布されたことになる。 まずは満足のいく結果と言えよう。
今回の独文学会は、内容的にも面白かった。 いつもこういう具合に面白いといいのだが、時によりかなり差があるのです。
昨日の午後は、「18世紀に見る《秩序》」 というシンポを聴いた。 私は最近18世紀に興味が湧いてきているのだが、このシンポは大学院生や非常勤講師クラスの若手研究者が主体で、顔相学、秘密結社、自然観など、18世紀特有の物の見方に光を当てる意欲的な内容であった。
若手主体のせいか、パネリストは4人ともパワーポイントを使用。 私自身は使えないので、うーむ、と内心唸っていた。 実は昨年、日本海セトロジー研究会で発表をしたとき、ほぼ全員がパワーポイントを使っているのに私だけそうではなく、しかしその研究会は理系の学者がほとんどで文系での発表は私だけだったので、理系と文系の差だろうと思っていたのであるが、どうやらそうとばかりは言えなくなっているようだ (汗)。
さて、本日の午前中は、「ドイツ語辞書の歴史と現在」 というシンポを聴いた。 こちらはパネリスト5人であるが、パワーポイントは最初と最後の2人のみ使用。 それに、最後の発表者では発音記号が文字化けして読めなくなるなど、トラブルがあった。 何となくほっとする (笑)。
ドイツ語の辞書は、私などは日頃何となく使っているのであるが、その歴史と各辞書の (版ごとの違いをも含めた) 特徴が丁寧に説明され、なるほどと感心することしきり。 また、少し前からドイツでは新正書法が施行されているが、いまだに反対も根強く、マスコミでも旧正書法で通しているところがあるということで、変革期においては言葉の使い方は人による感じ方の相違が露骨に現れる場所なのだということがあらためて痛感された。
* * * * *
学会も終わり、高田馬場駅で東京在住の友人と1時半過ぎに会い近くの中華料理店で食事をする。 そのあと2人で竹橋の東京国立近代美術館にゴッホ展を見に行く。
ところがである。 行ってみたら長蛇の列。 入場するまでに1時間30分もかかりました。 いやはや、連休中とはいえ、たいへんな集客力ですなあ。 ちなみに、展示作品がそれほど多くなかったこともあり、館内も混雑していたけれど見るのには1時間ほどしかかからなかった。
この展覧会を見ると、あらためてゴッホが印象派から大きな影響を受けている、ということが分かった。 ふだん、我々はゴッホが印象派と同時代人だということをあまり意識しないけれど、同じ時間と空間に彼らは生きていたのであって、ゴッホもかなり印象派的な絵を描いていたのだ。
展覧会を見てから、また2人で日比谷へ行き、映画を見てから、近くの焼鳥屋で一杯やった。 昼と夜の2度も外で飲むとは、いささか贅沢な一日でした。
5月3日(火) 本日から独文学会が早大で開催される。 例年より早めに、午前11時頃会場に出向く。
というのは、昨年私などが開いたシンポジウムを冊子化して配布することになっていたからである (『ドイツ語・第二外国語教育の危機とドイツ語教師の姿勢』) 。 いつもだと、学会1日目午前中は総会などがあるだけで研究発表は行われないので、大抵は昼頃から出かけるのであるが、今回ばかりは例外である。
しかも、冊子は規程より100部多く配布する予定にしており、悲観的な見方をすると大幅に余るのではないかとも思われ、そうなると私と九州から来られているK先生とで持ち帰らねばならず、最悪の場合はそれぞれ100部近い冊子を持ち帰ることになり、そうなったら相当のカサと重さになると考えられるので、どうしようかと心配していたのである。
というわけで午前中から、知っている人にも知らない人にも 「いかがでしょう?」 などと勧めたりしていたのだが、やがて心配はいらないことが分かった。 売れ行き――といっても無料配布なんだけれど――が予想外にいいのである。 結局この日は残部がわずか30程度となった。 200部以上が配布されたわけだ。 あとは実際に読まれてそれなりの反響を呼ぶことを祈りたい。
学会場にもうけられた書籍売場では、大学の教養の講義に必要なドイツ書が見つかった。 5千円近くしたけれど、見つかって良かったなあ。 これも日頃の心がけがいいからだろうか???
学会第1日目が終わってから恵比寿に行って映画を見る。 映画の直前に映画館近くのサッポロビールのビアホールで軽く一杯やったが、さすがにビールの味が抜群にいい。 でも、こういうビールを飲んでしまうと、ふだん缶ビールや発泡酒を飲むのが嫌になってしまうんですよね。
5月2日(月) 午前中の新幹線で東京へ。 昨年10月の新潟県中越地震以降、東京へは2度行っているが、2度ともクルマだったので、新幹線利用は初めてということになる。 長岡を過ぎてトンネルに入るとスピードが目に見えて落ちた。 まだまだ後遺症が残っているんですね。
映画を2本見たりした後、老母と弟が住むマンションへ。 といっても、実は昨日引っ越したばかりなのであるが。 今まで住んでいた一戸建てが古くなり、また道路が混雑して最寄りの鉄道駅までのバス所要時間が長くなってきたので、交通の便のいいところに移ったのである。
たしかにJRの駅から徒歩1分だから便利ではあるが、狭いこと狭いこと。 2LDK+Sという間取りで、私は窓のないS (サービスルーム) で寝た。 老母と弟は引っ越すに当たって小型トラック1台分の荷物を捨てたそうな。
5月1日(日) 明日から学会で東京出張なので、あらかじめ内野駅で東京周遊切符を買っておく。 が、これがまた時間がかかるのである。
窓口の係員がトロいのか、切符販売用のコンピュータ操作が複雑なのか、5分経っても操作が終わらず、あげくの果てに係員が首をかしげて他の係員に助力を求める始末。 結局10分以上かかりました。
昔なら、東京周遊切符なんてのは出来合いのがあって、1分とたたずに購入ができたものである。 今は長距離切符はみなコンピュータで出てくる仕組みなのだが、どうも問題含みである。 多分、コンピュータ側の問題だろうと推測する。
私に言わせれば、東京周遊切符なんてのは需要が多いはずだから、ボタン一つで出てくるようにしておくべきなのである。 新潟から鹿児島本線の出水まで、山陰本線経由で、なんてんじゃないんだからね。
* * * * *
さて、福知山線の列車事故、時間がたつにつれ、JR西日本の管理体制や苛酷な勤務実態などが明らかになってきている。 当初は運転士の未熟さに光が当てられ気味であったが、どうやら根本的な原因は他にありそうだ。
問題はそういう、事故を呼びかねない無理な管理体制や運営を糺すことがあらかじめできなかった、ということだろう。 糺すとすれば、一に労働組合、二に報道機関の責任だと思うのだが。
このあたり、労働組合のあり方が問われるところだろう。 労働組合は何のためにあるのか? 労働者の基本的権利や労働条件を守るためにこそあるのである。
ところが日本の労働組合にはそれ以外の古い余計物が船底のフジツボのごとくに付着している。 経営側=権力、労働者=弱者=だからみんなで力を合わせませう、という図式は今でも有効だと思うのだが、アメリカや中国や韓国がらみのヘンなイデオロギー闘争みたいなものが混入しているところがあり、それが組合離れを促進する原因になっている。
反アメリカ・反ブッシュがどうとか、靖国神社がどうとか、韓国の慰安婦がどうとか――こういう物言いは、今では普通の労働者の共感をまったく呼ばないシロモノであるのに、そのことに気づかない人間が労働組合には多すぎる、ということだ。
労働組合は、あくまで自分の勤務先の労働条件や基本的権利の保持におのれの使命を限定すべきである。 それ以外の政治的主張は、全部個人の責任でやるべし。
世の中、むかしは社会主義や共産主義にすればすべては良くなるみたいな発言が多かったが、最近は逆に、民営化すれば万事うまくいく、みたいな主張が目立つ。 しかし、世の中は複雑なのであって、共産主義にすれば万事うまくいくなんてことは全然ないが、かといって万事民営化すればうまくいく、なんてこともないのである。 神は細部に宿るのであって、その細部を一番よく知っているのは、現場の人間であるはずなのだ。
今回の事故も、そうした細部への認識があれば防げたはずではないのか。 労働組合の役目も、そうした細部を認識し、外部に伝えていくことにあるだろう。 伝えるのには、無論マスコミの責任も大きい。
これはJRだけのことではない。 国立大学だってそうなのである。
4月30日(土) 4月28日までに新潟大学のワタシのところに届いてくれないと困る荷物があったのだが、届かなかった。 4月29日から5月1日までは祝日・土曜・日曜で三連休だし、その後の連休は私は学会出張で不在だから、こうなると連休の次の週に受け取ることになるのかしらん、と思っていたら、何と、本日届いた。
無論、土曜日だから大学は休みである。 午後3時頃大学の研究室に行ったら、ヤマト運輸から留守電が入っており、本日昼頃配達という指定でワタシ宛ての荷物を届けようとしたが、大学が閉まっているのでどうしたらいいでしょう、という内容だった。
仕方なく、時間を指定して、大学のドアを内側から開けて何とか受け取ったけれど、それにしても、大学が閉まっているとフツーの人間なら分かる土曜日の昼間指定で荷物を送ってくるヤカラの非常識にはあきればてた。 バーロー!、と叫びたい気分。
4月29日(金) 福知山線で死者100人を越える脱線事故があったと思ったら、今度は磐越高速道で大阪発仙台行きの長距離バスが転覆し、3人が死亡するという事故があった。
実は大阪と仙台を結ぶ高速バスがあるということもワタシは知らなかったのであるが、関西から東北地方にクルマで来るには、東海道経由よりも、北陸経由で磐越道から入った方が距離的にも近いし、無論時間的にも首都圏を通らずに済むから早いのである。
事故の原因は運転手のミスらしい。 たまたま福知山線の鉄道事故が大々的に報じられているからこの事故は新聞でもあまりスペースを割かれなかったけれど、そうでなかったらもう少し大きな扱いを受けただろう。
それで今さらながらに思うのだが、最近高速道の長距離バスに使われているスーパー・ハイデッカーとかいう形のバス、危なっかしく見えませんか? ワタシは無論クルマの形態にはシロウトだけれど、あの形式のバスはやたら背が高くて、バランスが悪そうな感じだな、と以前から危惧していたのです。
今回も、運転手のミスで中央の分離帯に乗り上げて転覆したということだけれど、別の言い方をすれば、その程度で転覆するくらい重心が高く不安定な構造なんじゃないですか?
福知山線の鉄道事故も、当初のJRの発表では、「時速133キロ以上でないと脱線しない計算で、問題の電車は最高速度120キロだから安全なはずだった」 となっていたけれど、本日のネット・ニュースによれば、これは机上の空論で、乗客が誰もいない場合の数字であり、乗客が多ければ多いほど車両の重心は高くなって脱線しやすくなるから、実際には100キロを少し超えたあたりで脱線する恐れが十分にあったらしい。
電車と言い、バスと言い、シロウト目にも危なっかしい車両を作るのはやめて欲しい。 まさかこれも学力低下のせい?
4月28日(木) 今日はひどく暖かい。 さすがに桜もほぼ葉桜となった。
演習系の授業で、こちらが学生に要求するレベルがどの程度であるかを浸透させるのに、若干の時間がかかるのは、以前から経験してきたことだ。
昔、教養2年次まで第二外国語が必修だった時代なら、2年次向けドイツ語などがその典型だった。 いい加減にやってくると教師に叱られるから、最低この程度にはやってこないと駄目なのだ、と分からせるまでに最低2回くらいは授業をやる必要があった。
今なら学部学生や大学院生向けの演習で同じことを繰り返している。 今どきの学生はすっかり軟弱になっているから、原書講読なんて大学院の授業でもやらない。 翻訳文献を読むということで済ませている。 しかし、それでも、かつて教養部2年生にドイツ語購読を課したときと変わりはないのである。
翻訳文献は、一般に日本人が書いた本より読みにくい。 本を読み慣れている人間なら、そうした事情は心得ていて、予習に時間がかかると予想してかかるわけだが、大学院生を含めてその辺の感覚が鈍っているようだ。 もっとひどい学生になると、翻訳文献に歯が立たなくて授業そのものをやめてしまう。 繰り返すが、大学院生を含めて、そうなのである。
外国語を読むという体験は、知的な (この場合は、高等教育を受ける層の、くらいの意味) 日本人にとって、おのれの抽象的な思考力を鍛えるための場所だった。 また、外国人の思考法が、日本人の論理とは異なった構造や背景を持っていて、容易には理解できない場合があり、韜晦や迷路をくぐりぬけて読解しなければならないということを実地に学ぶ場所であった。
そういう事情が、大学生には、或いは大学院生でも分からなくなっている。 分かりやすいもの、身近な対象を扱ったものしか読まないからだ。 無論それは最終的には、学生に媚びてばかりいる教師の問題であるわけだが。
閑話休題、というか、話としてはつながっているのだが、授業を終えてから生協書籍部で 『ユリイカ』 誌と 『現代思想』 誌をちょっと立ち読みする。 私も最近はこれらの雑誌にあまり目を通さなくなっているが、本日気づいたのは、広告が少なくなっているな、ということであった。
昔は、これらの雑誌を開くと、本文が載っているページも左端は広告欄になっている場合が珍しくなかった。 ところが今回、そういうケースがはなはだ少ないのにびっくりした。 広告は表紙裏や目次の裏、一番最後の2ページくらいしかない。
広告媒体としての価値が落ちているのだろう。 たしかに、昔に比べると 『ユリイカ』 も 『現代思想』 も読まれなくなっている。 これらは、学会誌ではないが、しかしマンガ雑誌や大衆向け雑誌とは一線を画し、知的にスノッブな学生などが読む雑誌だったが、そうしたスノビズムがなくなりかけているわけだ。
また、執筆陣も、あまり見ない名前が多い。 以前も別の機会にここに書いたことがあるが、コネで執筆者を選んでいて、そのコネがやせ細っているのではないか。 もっとはっきり言えば、左翼系の学界人にしか書かせないからだろう。 スノッブな学生層を惹きつける魅力、というより、スノビズムを創造するようなエネルギーがなくなってきているのだ。
私は、スノビズムは全然ないよりは多少はあった方がいいという考えなので、こうした傾向には危機感を持つ。 無論、どんな雑誌にも栄枯盛衰はあるわけで、今どきは 『ユリイカ』 や 『現代思想』 より 『サピオ』 の方が知的だ、という立場もあろう。 ただ、かつて 『宝島30』 がそれなりに売れながら版元の方針であっさり廃刊になってしまったのを、私は今でも惜しんでいるのだが。
活字の雑誌だけではない。 最近はマンガ誌も売れなくなっているという。 マンガも単行本は売れているらしいが、新人や実験的な作品を載せる場としての雑誌が売れないと、マンガ市場全体の活気が失われてしまうという危機感を、関係者は持っているらしい。 危機は至るところにあるわけだ。
* * * * * *
さて、夜7時から、新潟室内合奏団第49回演奏会を、音文にて聴く。 アリアーガの交響曲、ハイドンのチェロ協奏曲第1番ハ長調、ベートーヴェンの交響曲第7番というプログラム。 指揮は本多優之氏、チェロ独奏は奥村景くん。
まず、弦
(といってもワタシによく分かるのは第1ヴァイオリンだけだが)
の音が整っていて美しいのに感心。 昨秋の演奏会は地震と風邪のため行けなかったたが、この団体としては最近まれに見る充実した弦の響きを聴かせたと思う。 左から、第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという配置。コントラバスはチェロの後ろ。 配置のせいかどうか、結構低音が効いていたような気がする。 あとはホルンなど、管楽器の一部が頑張れば、相当なレベルの団体になりそう。
プログラミングも良かった。 アリアーガの曲はCDも持っておらず初めて聴いたが
(プログラム解説によると、新潟初演ではないかとのこと)、古典的な美しさを持ちながらもドイツ語圏ともイタリア語圏とも違った語法が感じられ、堪能した。
ハイドンの曲は実演ではあまり聴く機会がないし、また大学在学中の奥村景くんの研鑽ぶりもよく分かり、なかなか聴かせる演奏であった。
ベートーヴェンはゆったりとしたテンポに貫かれて、管がもう少し頑張ればという気もしたが、全体として気迫のこもった感動的な演奏になっていた。 アマチュアの音楽団体でもこれだけ感動できる、という見本のような演奏会だったと思う。
ただ、途中休憩が15分ということだったけれど、11分くらいしかなく、せかされる感じだった。 終演時間
(9時ぎりぎり) のせいか?
4月25日(月) 夜7時から、だいしホールで開かれた成嶋志保+リジェ弦楽四重奏団の演奏会を聴く。 成嶋さんは新潟出身のピアニスト、パリのエコールノルマル音楽院などで研鑽を積んだ。リジェ弦楽四重奏団は、パリ国立高等音楽院やブカレスト国立高等音楽院で最優秀賞を受賞し、現在はペオ・ド・ラ・ロワール国立管弦楽団のソリスト、またはナント地区国立音楽院教授として活躍している演奏家により結成された。
プログラムは、ラドミロー: ピアノトリオ
「河」、ラヴェル: 弦楽四重奏曲、シューマン:
ピアノ五重奏曲。 アンコールは、瀧廉太郎の
「花」と、タイトル不明ながらタンゴのような曲。
ラヴェルの弦楽四重奏曲が良かったかな。 リジェ四重奏団というのは、第一ヴァイオリンが引っ張っていくタイプじゃない。 そういう演奏スタイルがラヴェルの曲には合っていたみたい。
逆にシューマンのピアノ五重奏曲は物足りなかった。 第一ヴァイオリンが迫力不足だし、最終楽章ももっとピアノを含む全員が一体になって盛り上がらないといけないのに、燃焼度がイマイチでした。
4月23日(土) 晴れ。 今年の桜は長持ちしたが、さすがに少し散り始めた。
午後、万代シティに映画を観に行って、帰りにバスに乗ったら、2月19日にも遭遇した気違いとまた会った。 あの日と同じで、行列を無視してバスに乗り、乗るとわけのわからないことを大声でしゃべり (でも本日は比較的控えめだった)、1区間だけで下車してしまう。 ううむ、こうしばしば出くわすのも何かの縁なのだろうか?
4月22日(金) 午前中、W眼科医院に行く。 しばらく前から右目が結膜炎か何かで真っ赤になっていて、一向に良くならないばかりか、目尻にかさぶたまでできてきたので、やむを得ず、といったところ。
混んでいて、40分余り待たされる。 人気があるということだろう。 私も3年ほど前に診てもらって、また眼科にかかる機会があったらここに来ようと思ったのだった。 理由は簡単で、こちらが頼んだこと以外はやらないからだ。
それ以前に一度別の眼科にかかったことがあるのだが、頼んでもいないのに視力検査だとか何だとか色々やるので、嫌気がさして、二度と行かなかった。 その眼科は空いていたけれど、さもありなんである。
そこへ行くとW眼科は頼んだことだけをきっちりやり、料金も安いなと思ったので、また来る気になったわけである。 もっとも今回は余り安くはなかった。 診察料と薬代で2千円近くかかった。 しかしこれは医療費が3割負担となっているからで、W眼科の責任ではあるまい。 要するに、3割というのが過重負担なのである。
今月4日にK総合病院に行ったけれど、その時は2千5百円以上かかった。 医療費もバカにならないんですよね。 この年齢になると体のあちこちにガタが来ているし。
少子化によって将来医療費負担がまた上がるとすると、真面目な話、金持ちは長生き、貧乏人は医者にかかれず早死に、という構図がはっきりしてくるだろう。
* * * * * *
閑話休題。 本来は金曜の2限は授業があるので眼科になど行っている場合ではないのだけれど、誰も学生が来ず開店休業となったので、目の治療にも行けたわけです、はい。
2年生向けの基礎演習で、ナショナリズムについて浅羽通明の 『ナショナリズム』(ちくま新書) を教科書に勉強するはずだったのだが、私のいる場所の学生ってのは問題が多く、この種の、論壇などで焦眉のテーマになっている事柄に興味を示さない。
そのため、サブカルで客引きをやっている始末 (私はやらないけれど) で、どうしようもないのである。 もっとも、サブカルなら例外なくいいというわけでもない。 別の先生は映画論で演習を出しているのだが、やはり誰も来なかったらしい。 その先生の映画論の講義には多数の学生が来ているのに、である。
要するに、講義は聴いているだけでいいから楽であり、したがって取るけれど、演習で専門的に映画をやるのは大変そうだからやめておく、というような根性のない学生が大半だということなのであろう。
私も、大学でサブカルをやって悪いとは思わないが、サブカルをやるからには普通の人間程度の知識では恥になるわけだから、並みの人間の10倍20倍100倍と、どんどん読んだり観たりしていかないといけないと考える。 しかし、現実にはそうなっていない。 並みの人間程度の量のマンガやアニメを読んだり観たりして卒論を書いてしまう (昨年度の場合。 過去にはそうでない学生もいたが)。 それがきわめて恥ずかしいことだ、という意識すらない。
私の授業でも、「クラシック音楽と評論」 という講義には60人ほどの学生が詰めかけている。 学生ゼロの基礎演習と好対照である。
こういう大衆的な学生に大衆であることをやめさせるのが大学の責務だと私は思うのだが、現実には 「君は大衆のままでいいんだよ」 という教育をする方向に大学は向かっている。 まったくもってどうしようもないのである。
4月21日(木) 今年は最近としては桜の開花が遅れていて、先週土曜日あたりから咲き始めたのだけれど (場所にもよるが、7分咲きくらいだったか)、比較的寒い日が続いているせいか、花が長持ちしている。 本日は満開で、まだ散る様子もない。
4月18日(月) 夜7時から、にいがた音楽協会総会コンサートに行く。 庄司愛(Vn)、渋谷陽子(Vc)、石井朋子(Pf)による美人トリオ、じゃなかった、トリオ・ベルガルモが正式名称だそうだが、その演奏会。
このトリオは昨年からスタジオ・スガマタで定期的に演奏会を開いているが、そこでの演奏曲目から、フォーレの三重奏曲とショスタコーヴィチの三重奏曲第2番、その他が披露された。
スタジオ・スガマタには一度しか行っていないが、何しろ狭くて音が広がらない印象があり、本日は新潟グランドホテルのホールが会場だったので、広さとしてはちょうどいいかな、と思う。 音も伸びるし。 ただしホール外の騒音が結構入ってくるのが難点。 ピアノも小型だし。
最後は、ラフマニノフの三連弾曲
(2人で弾くと連弾だが、3人だと・・・三連弾でいいんですかね)
を三人並んで弾いて、なごやかな雰囲気のうちにお開きとなった。
TeNYの社員が来ていて、高木綾子と新イタリア合奏団のチケットを千円引きで販売しますと最後にスピーチしていた。 売れていないんだろうな。 でもその頃
(6月30日)
は演奏会がたてこんでいるから、私も千円引き程度じゃ行く気がしない。 千円で販売、なら行きますけれども(笑)。
にいがた音楽協会ってのは、昨年のコンサートでも思ったけれど、中身がよく分からない。 この日のコンサートも、無料だから全然関係ない人が多かったのかも知れないけれど、聴衆のマナーはあんまり良くなかった。
私の持論なんだが、何でも無料というのはよろしくない。 100円でもいいからお金をとるべきだと思う。 聴衆に聴衆としての責任感を植え付けるためにも。
4月17日(日) 夜7時間から、音楽文化会館にて、楽路歴程第10回演奏会を聴く。
第11練習室だったが、隣の練習室をロックバンドが使っていて音が漏れてくるという、いささか悲惨な環境。 しかし充実した演奏会だった。 聴衆は30人弱くらいか。 500円という格安の入場料はいつものとおり。
リコーダ (大作綾)、フラウト・トラヴェルソ
(松井美和)、ヴァイオリン (ガット弦:
奈良秀樹)、チェンバロ (笠原恒則)
の共演で、クヴァンツとテレマンの作品が合計4曲取り上げられた。 フラウト・トラヴェルソは、私は実演で聴いたのは多分初めてだが、本当に素朴な横笛といった印象で、音もリコーダより控えめで穏和であり、例えて言えばリコーダがややおきゃんな女であるとすると、フラウト・トラヴェルソは深窓の令嬢といったところだろうか。
こういう演奏会を聴くと、専門的な音楽家だけでなく、フリードリヒ大王などの宮廷人が楽器を演奏し作曲もした時代の雰囲気が何となく分かるような気がしてくる。
2カ月に一度のペースで開かれてきた楽路歴程も、第10回を境目として来春まで充電のため休止となるそうである。 残念だが、充電後の一層の発展を祈りたい。
4月15日(金) 本日は給料日なので大学前の銀行営業所で色々と作業をして、通帳の一通に入金しようとしたら、「この通帳は使えません」 の表示が出た。 機械を変えてやってみても同じ。 念のため、まだ記入していないページが3ページも残っている通帳です。
機械備え付けの電話で1キロ以上離れたところにある銀行支店と話をしたら、原因はよく分からないがとにかく通帳を支店まで持ってきてほしいという。 大学前の銀行営業所は機械が4台あるだけで無人なので、人間の手を必要とするときは支店まで足を運ばねばならない。
このサイトの別の箇所にも書いたが、大学前の営業所はもともとは支店で、人間がいた。 ところが数年前に支店から営業所に格下げになり、無人になってしまった。 不便この上ない。
利用客がいないから格下げ、というなら分かるのだが、大学前支店は大学に通う学生や教師、事務員などで大盛況だった。 なのになぜ格下げしたのか? 恐らくは利用客が多いわりにはもうからないからだ。 貧乏学生と安月給の教師ばかりが相手じゃあ、大口の預金だとかのウマイ商売はできない。 採算が悪い。 というわけで支店から営業所に格下げになったのであろう。
言い換えれば、銀行の 「公共性の自覚」 とはこの程度だし (これじゃ、郵便局に負けて当然!)、また1万人を越える学生・教職員を擁する新潟大学は銀行からこの程度にしか見られていないのである。
まことに、どうしようもない銀行と大学との関係なのでありました。 最近、この銀行と独法化した新潟大学は提携したようだが、学長はまず、新潟大学前の営業所を支店に格上げするよう、要求すべきであろう。
4月13日(水) 本日の 「新潟日報」 朝刊文化欄(18面)に、私の書いた《 「異質」 の集合から生まれるものは? ――注目したい 「日本におけるドイツ年」 》 が掲載されました (こちらにアップ)。
今月、 「日本におけるドイツ年」 が始まりますが、これを機に新潟市の映画館シネ・ウインドが今週土曜日からカフカ原作の 『変身』 を上映するのを始め、ドイツ語圏の映画を積極的に取り上げていく予定であることを紹介しつつ、ドイツ語圏の文化の特質を述べた文章です。 機会があったらご一読を。
「ドイツ年」 では、首都圏には美術展だのベルリンフィルだのが来るけれど、新潟のような地方都市はその恩恵に浴さない。 せめて複製文化である映画でドイツ語圏文化へのアプローチを試みなくては、「ドイツ年」 もかけ声だけに終わってしまう。
その辺の配慮を、もう少し 「ドイツ年」 の主催者が積極的にしてほしいところなんですがね。 まあ、主催者がやらなけりゃ、当地の人間が走りながら考える方式でやるしかないですよね。
4月12日(火) 新学期だから教科書を買う季節でもある。 例年、新潟大学生協書籍部は4月には教科書販売のためにプレハブを作っていたのだけれど、「大学改革」 が進んで教科書販売冊数が減っているためか――なぜ 「大学改革」 が進むと教科書販売冊数が減るのでしょう? よおく考えてみよう――今年は校舎のなかで販売しているようだ。
ところが、そのための張り紙が、こんなふうなのである。 「教科書販売所は、B棟○階で販売しております」。
うーん、大学としては恥ずかしい張り紙ですなあ。 学力低下は生協から??
4月11日(月) 本日から授業開始である。 今年はまだ桜が咲かない。
鹿児島で、中学生の男の子4人が防空壕で一酸化炭素中毒死した事件が報じられている。
まことに痛ましい事件で、ご家族の方のお気持ちは察してあまりあるものではあるが、昔の私を振り返ると、男の子というのはこういう場所で遊びたがるものだし、またそれは必要なことではないか、という気もする。
遊ぶ、という行為は、遊ぶための場所で行われるとは限らない。 また遊ぶための場所であっても、大人が想定した形で遊ぶとは限らない。
遊ぶべきでない場所で遊び、予想されなかった形で遊ぶことによって、男の子は生きがいのようなもの、生きていく活力と知恵と敏捷性のようなものを身につけるのではなかろうか。
小学校時代、私は海辺の社宅に住んでいたが、当時はもともとあった砂浜が埋め立てられ、工場建設地が造成されている最中であった。 埋め立て地と海の境界線を、テトラポットが数キロに渡って続いている。 そこを端から端まで踏破するのが、男の子たちの好む 「冒険」 だったのである。 無論、私のような運動神経の鈍い人間も例外ではなかった。
危険はあった。 実際、私ではないが、友人があわや大怪我をしそうな状況に陥ったこともある。 しかしそういう危険性があるからこそ遊びが面白くなるのであり、またやり遂げたあとの爽快感がこの上ないものとなるのである。
遊びは遊びであっても危険性とまったく無縁であることはできない。 また、危険性を完全に払拭したとき、遊びは気の抜けた、いわば目黒ならざるサンマのごときものになり果ててしまう。
生きていくことは、遊びを含めて、危険性と隣り合わせなのだ、と思う。
4月10日(日) 午後5時から、りゅーとぴあで国立パリ管弦楽団演奏会。 女房と行く。 指揮はミシェル・プラッソン。
オール・フランス・プログラムで、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、ショーソンの交響曲、ドビュッシー「海」、ラヴェル「ボレロ」。 アンコールは、ビゼーを3曲で、「カルメン」 から間奏曲、前奏曲、「アルルの女」 からアダージエット。
パリ管弦楽団だからオール・フランス・プロというのも当然至極のようではあるが、これらの曲は生で聴く機会は地方都市に住んでいるとそう多くはない。 私もメインプロ4曲は、多分だが、生では初めて。 少なくともショーソンの交響曲は生初体験は確実。 だいたい、この曲、CDでも10回とは聴いていないはず。
後半が調子が乗ってきて楽しんで聴くことができた。 フランスのオケだけあって、一糸乱れぬ統制のとれた演奏と言うよりは、音が多方面から集まって華やいだ感じがある曲の方が似合っている。 後半のプロはそういう意味で面白かった。
2月のゲヴァントハウス管弦楽団より少し入りはよく、8割くらいだろうか。
4月8日(金) 先日ローマ教皇ヨハネパウロ2世が死去したけれど、世界中からVIPが集まって葬儀が営まれるというニュース。
素朴な疑問だが、政教分離を定めた日本国憲法からすれば、こういう宗教代表者の葬儀に国費で代表者を送るのは、憲法違反にならないのだろうか?
少なくとも、首相の靖国神社参拝はケシカランとかなんとか日頃から言っている人たちならば、今回も断固として批判するべきだと思うんだが、そういう声はとんと聞かない。 或いは、私に聞こえないだけなのだろうか。
4月6日(水) 先日船橋の老母宅に行った際に船橋のBOOKOFFで買ったきたCDを聴く。 ヴィーチェスラフ・ノヴァークのピアノ五重奏曲と同じく弦楽四重奏曲のカップリング。 演奏は、スーク四重奏団とパヴェル・シュチェバーンのピアノ。
ノヴァークは、ドヴォルザークの高弟だった作曲家で、1870年生まれ、1949年没。 長年プラハ音楽院で教鞭をとった人だそうな。
聴いてみると、まあスメタナみたいで、ロマン派と民族派の折衷みたいな感じだろうか。 ちなみに750円でした。
4月4日(月) わけあって、市内のK総合病院に行く。 受付を済ませたのが12時少し前だったが、診察が終わったのが12時25分頃なのはいいとして、会計が12時45分頃、薬が出来てきたのが13時25分頃と、かなり時間を食った。
おまけに、待合室にタバコの臭いがたちこめている。 一応禁煙で、喫煙室は別にあるのだが、それが待合室に隣接していて、おまけに換気が不十分なので、煙がこちらに漏れてくるのである。 私は喫煙はしないけれどタバコにはそう神経質な方ではないつもりだが、病院の待合室という環境を考えると、文句を言いたくなってしまう (言わなかったけれど)。
そんな総合病院に行くからだ、と言われそうだが、症状が曖昧で何科にかかっていいか迷ったためである。 しかしだいたいのところは分かったので、ここには来ないことにしようと思いました。
4月3日(日) 老母宅から新潟に戻る。
老母宅が近く引っ越すので、若干の荷物を持ち帰った。 その中に、私の卒業証書や義務教育時代にもらった賞状の類が含まれていた。 ところがこれを改めて見てみたら、変な発見をしたのである。
というのは、「○年×組の第1学期学級委員長を任命する」 というような任命状が含まれていたのだ。 昔の小学校はこんなに律儀に、いちいち学級委員をやる生徒に任命状を発行していたのだったか。 まるっきり忘れていました。 ちなみに、「委員長に任命する」 ではなく 「委員長を任命する」 なのです。 ちょっと変かな。
それと、1枚だけだが、小学校2年生の時のもので、「算数において優秀な成績を収めたので表彰します」 という賞状があった。 これもまるっきり忘れていた。
写生大会でよく描けたから賞状、書道大会でよく書けたから賞状、というのはまあ分かるが、教科目でこんなのがあったとはね。 しかし、考えてみれば、絵がウマイから賞状、というならば、学科目が優秀だから賞状、でもおかしくはない。 むしろ、あって当然ではないだろうか、という気がする。
こういうのは、最近の平等主義の風潮下でははやらないのかも知れないが、スポーツ大会や美術や音楽などの芸術系クラブ活動では表彰がはっきりした形で行われているわけだから、生徒を鼓舞するために学科目でやってみるのも悪くないのではないだろうか。
4月2日(土) 昨日に続いて外出。 銀座で映画を見たあと、山野楽器に寄ったら、かねてから探していたヘンデルのオラトリオ 『アレクサンダーの饗宴』 のCDを発見。 即、買う。 シックスティーン合唱団の演奏で、2枚組2100円というお買い得価格。
ヘンデルのオラトリオは数が多いが、CDとなると 『メサイア』 ばかりがやたら種類が多く、その他の作品はお寒い状態にある。 この 『アレクサンダーの饗宴』 も、以前FMでやったのをカセットテープに録音して何度か聴き、なかなか傑作ではないかと思い、しっかりした音源をということでCDを探したのだけれど、全然見あたらなかったのである。
というわけで、ここ数年ずっと探し続けていたのが報われた日になりました。 めでたし、めでたし。
それにしてもCD化される作品はやたらされるのに、されない作品はさっぱり、という状況はなんとかならないものだろうか。 バッハとヘンデルと並び称されるけれど、ヘンデルのオラトリオやオペラのCDは相当に少ないのである。 演奏家とCDメーカーには一考を望みたいところだ。
それから新宿に行って映画を見たが、これがまた傑作であった (「運命を分けたザイル」 → 「映画評2005年」 を参照)。
うん、本日は充実した日だった。
4月1日(金) 恵比寿に出て映画を2本見る。 映画サービスデーなので1本千円で済むのは助かる。 ついで新宿で本を見たり、焼鳥屋で一杯やったりしてから帰宅。
3月30日(水) 昼過ぎ、次男と長女を車に乗せて、老母の住む船橋に向かう。 関越自動車道終点の練馬料金所から外環道大泉までがひどく渋滞していたが (ちょうど分岐のところで事故があり、本来2車線なのが1車線になっていたので)、その他はまあ順調で、6時間ほどで着く。
3月28日(月)
【ここに記載していた記事を削除いたしました。
理由は、この記事について取材をしたい旨、或る報道機関から電話で申し入れがあったからです。 当サイトの読者で報道機関に通報した方がおられたものと推測します。
記事の内容自体は事実であり、またその事実に関する当サイト制作者の率直な感想でもありましたが、この件が公的な報道機関によって大々的に取り上げられますと、関係する個人に累が及ぶ恐れがあります。 それは当サイト制作者の望むところではありません。
よって、報道機関の方には事件の説明をした上で、報道されることは望まないと回答しました。 加えて、この箇所の記事を削除することにしたものです。 当サイト制作者の意図をお汲み取りいただきたく、お願い申し上げます。
しかし、それによって記事が提起していた問題が解決したわけではいささかもありません。 ましてそれがうやむやにされてはならないと考えます。
うやむやにしてはならないという意味は、そこから出てくる幅の広い問題――例えば、昨今の 「大学改革」 と少子化の中での大学人の行動様式――は、いずれきちんと論じて行かなくてはならない、ということです。
その点については、後日、改めて取り組んでいきたいと考えております。】
3月26日(土) 午後1時からりゅーとぴあで東京交響楽団のメンバーによるロビーコンサート (無料) を聴く。 曲目はモーツァルトの弦楽五重奏曲ト短調。
このロビーコンサートは、以前は東京交響楽団新潟定期演奏会の日に、演奏会直前に行われていた。 つまり、定期公演を聴きに来た客に、さらに1曲サービスします、というものであった。
ところが、昨年あたりからだったか、同じく定期演奏会の日にではあるが、時間を繰り上げて昼頃に行われるようになった。 つまり、定期公演の客に聴かせるのではなく、一般の、定演なんぞに姿を見せない市民にサービスしましょう、というふうにポリシーが変更になったわけである。
無論、定演を聴く客が昼間のロビーコンサートをあわせて聴いてもいいわけだが、定演は夕方5時か6時からである。 昼間の12時半か1時頃に行われるロビーコンサートを聴くためには、早々街に出てきて、なおかつロビーコンサートの後でどこかで時間をつぶさなければならない。
コンサート会場のすぐ近くに住んでいる人ならいったん家に帰るという手もあるけれど、私のように10キロ以上離れたところに住んでいる人間には、時間のロスが大きい。 それでロビーコンサートからは遠ざかってしまった。
しかし今回はモーツァルトの弦楽五重奏曲ということで、名曲ではあるものの実演ではなかなか聴く機会がない曲なので、敢えて早めに街に出てきたのである。
最初にメンバーの紹介があった。 チェロの川井真由美さんは昨秋東響に試験採用となり、このたびめでたく本採用となったばかりで、新潟は初めてとか。 今後の活躍が楽しみである。 第一ヴァイオリンは田尻順さん
(東響アシスタント・コンサートマスター)。
美しい音色で魅了してくれたが、第4楽章にちょっとミスが目立った。 練習不足か、お疲れなのか。
東響も川崎に本拠地を持ち、サントリー定期もやるは、新潟にも来るはで多忙なのだと推察するが、大丈夫なのかなとちょっと心配にならないでもない。
そしてこの日の夕方6時から、同じくりゅーとぴあで東京交響楽団第30回定期演奏会。 指揮はユベール・スダーン、曲目は、モーツァルトの協奏交響曲 K.297b (ロバート・レヴィン再構成版) と、ブラームスの交響曲第1番。 アンコールはハンガリー舞曲第5番。
モーツァルトの協奏交響曲、この再構成版というのを聴くのは (CDなどを含めて) 初めてである。 どことなく、モーツァルト風に近づけました、という感じだが、かえってバナールな印象が残るようにも思えた。
ブラームスでは、ヴァイオリンにやや粗さが見られた。 いつものような整った美しいアンサンブルではなく、サンドペーパーをかけたような感じがかすかにする。 しかし第4楽章の盛り上がりは悪くなかった。
客は、いつもの定演より少し多かったようだ。 満席ではないが、3階にもわりに入っていた。 私の定席も、ふだんだと隣りが空いていることが多いのだが、本日は客が来ていました。
3月25日(金) 今週の火曜日に、学長に面会を求めるメールを出しておいたのだが、本日側近から電話がかかってきた。 どういうご用件でしょう、という。
用件はメールにも書いておいたはずだけれど、今一度説明する。 要するに、以前から新潟大学ドイツ語科で共同購入してきたドイツ語ドイツ文学の全集類と辞書事典類が買えなくなりかかっているのである。
教養部があった時代は、教養部ドイツ語科をしてまとめて購入していた書籍類である。 教養部がなくなって、ドイツ語教官有志が研究費を出し合って存続させてきたのであるが、今年度、独立行政法人化により研究費が激減して、支えていけなくなりかかっているのである。
教養部時代は二次文献も含めて買っていたが、教養部がなくなってドイツ語教師でもカネを出さないと言う人間が出てきたので、スリム化をはかり、作家の全集類と辞書事典類だけに限定して購入を続けてきた。
こういった文献は、10年20年、場合によっては30年や半世紀という長いスパンで刊行が完結するものであるから、1年限り、或いは数年単位の 「プロジェクト」 方式には馴染まない。
そして持続することが大事なので、いったんやめればそれでおしまいである。 あとでカネができたから再開します、というわけにはいかない。 途中の欠損を埋める手段はないからだ。 人間と同じで、一度死んだら最後、なのである。
その辺を直接学長に訴えようと思ったのだけれど、側近はこちらの話を聞いて 「伝えておきます」 というだけであった。 要するに門前払いである。 やれやれ、だ。
断っておくが、私は学長に直接訴えたから事情がすぐ好転すると思っていたわけではない。 学長だってオールマイティではない。 むしろ、やれることは多寡が知れている。
しかし、独法化で研究費が激減して大学が大学でなくなりかかっていることを、どの程度認識しているのか程度は、はっきり語っていただきたいのである。
私 (だけではない) が不審に思うのは、インセンティブ経費などというものがやたらに増えていることだ。 それも、学部ごとの入試倍率を比較して高いところにカネを出すとか、就職率を比較して高いところに出すとか、学部の性質の差を全然考えずにやっているとしか思われない政策を新潟大学はとっているのである。
こうした政策のばかばかしさは、新潟大学教員の多くが痛感している。 教授会ではそうした政策への批判も出る。 なのに、それが政策にまったく影響を与えないのである。 それどころか、来年度はインセンティブ経費が2倍になるという話なのだ。
研究費が潤沢にあって、その上でインセンティブ経費を増やすというならいざしらず、研究費が激減して本もまともに買えなくなっている現状で、なぜそんなことをするのか、まったく分からない。 (ちなみに、インセンティブ経費は、獲得しても研究費には回せない。 学生用に使うべし、という限定がついている。)
これが、職組が推した学長なのである。 先の学長は独断専行が目立つとして、2期目を狙った学長選挙の時、職組が現学長を推して前学長の再選を阻んだ、といういきさつがある。
しかしそれで事情が好転したのかというと、全然なのである。 むしろひどくなっている。 世の中、こうしたものである。
文献のことは、別段ドイツ語だけのことではない。 全学的な問題である。 理学部数学科の先生にうかがったところでは、数学科では取っていた雑誌を全部やめたそうである。
新潟大学がこうして転落の一途をたどっているというのに、いったい学長を初めとする幹部は何をやっているのか? まったく幹部の 「指導力」 が見えてこない新潟大学の今日この頃ではある。
3月24日(木) 2年間ゼミで教えていて、このたびめでたく卒業したMさんからメールがくる。 昨日が卒業祝賀会だったのだが、私は悪い教師で例年欠席している。 それで、お会いできなかったので挨拶を、とわざわざメールをくれたものである。
Mさんは大変勤勉な学生で、2年間ゼミに精勤し、また卒論も立派に仕上げた。 そのテーマもありがちな、時流に流されたものではなく、自分なりの興味から出発して時代の傾向を見据えるような内容であった。
と書くと何となく常識的な人物像のように思えるかも知れないが、実は私のいる場所ではこういう学生は少数派なのである。 4月からは新潟で社会人として活躍するはずである。 Mさんのこれからの仕事が順調に行くよう祈りたい。
同じくゼミに属していたIくんも、この日私の研究室を訪れた。 1月に新年会をやったときに写真を撮っていて、しかしそれをIくんに渡す機会がなく、上述の通り私は卒業祝賀会にも欠席してしまったので、本日電話をして、暇なときに研究室に寄ってくれと頼んだら、この日の午後にさっそくやって来てくれた。
Iくんは長身で浅黒く、頼りになりそうな印象なのだが、性格は穏やかである。 ゼミでも3年次は発言が少なく、内容的にもイマイチで、いささか頼りない感じがしていた。 しかし4年生になってから目立って発言が鋭くなってきた。 2月に提出した最終レポートは、私も唸る出来映えであった。 成長の様子がはっきり見えるタイプの学生だった、と言えよう。
Iくんは卒業後は新潟の新聞社に就職することが決まっている。 今後の活躍が期待される。
・・・・・とまあ、この日は卒業した学生に眼を細める私であったが、いいことばかりがあったわけではない。 昨日来、逆のタイプの学生に絡むゴタゴタに悩まされているのである・・・・・。
3月20日(日) 日曜日だが教授会である。 2週間前もそうだったが。 その前後にも会議があって、都合5時間近く会議が続いた。 うんざりである。
この教授会でトンデモナイことが明らかになった。 個人情報保護法のせいで、学生の提出したレポートは3年間保管しておかなければならなくなった、のだそうだ。 万一採点にクレームがついた時のことを考えて、だそうである。
ということはどういうことか。 レポートにコメントしても、それを学生に返せなくなる。 せっかくいいところや改善すべきところを赤ペンで書き入れても、3年後にしか返せないのでは意味がないですね。
返すなら、コピーを取ってそれを返しなさい、というのだが、冗談ではない。 学生が数人のゼミならともかく、教養文学の講義などは150人も学生がいるのである。 いちいちコピーをとってられますかいな。
コピーは手間がかかるというだけではない。 カネもかかる。 独立行政法人化で研究費が激減しており、コピーも考えながら取るべき時代に、150人分のレポートをコピーなんかしていたらすぐに研究費が尽きてしまう。
これに限らないが、どうも最近、変な法律が多い。 多分、或る側面だけを考えて、それに伴ってどういうことが起こるかには頭が行かないまま成立させているからだと思う。 人権擁護法については、新聞などのメディアが報道の自由を冒す危険性があるとしているだけでなく、最近西尾幹二氏もこの法律の別の危険性を訴える言論活動を行っているが (こちらを参照)、この個人情報保護法もトンデモ法なのではないか!?
無論、国立大学を独立行政法人にする、なんてのもトンデモ法の最たるものである。 郵政法案がさっぱり国会を通らないのに、大学に関するトンデモ法はあっさり通るあたりが、日本の政治の知性の程度を示しているわけであろう。
3月19日(土) 午後1時半から、シンポジウム 「地域に生きる大学の果たす役割」 が開催された。 新潟大学人文学部付属の 「地域文化連携センター」 が作られたのを記念するシンポである。パネリストとして、新潟市長の篠田昭氏、(株)キタック社長の中山輝也氏、BSN(新潟放送)業務部部長代理の須栗豊氏、新潟日報社学芸部編集委員の森澤真理氏、そして新潟大学人文学部長の芳井研一教授が登場した。
大学の独立行政法人化に伴って、あまり金儲けに縁のない人文学部も外部との提携を迫られており、それを狙ってのセンター設立、そしてこのシンポということであろう。
設立に努力した方々の苦労は多としたいが、このシンポ、色々問題があった。 まず、会場が暖房が効かず寒くて仕方がない。 これはセンターの責任ではなく新潟大学そのものの責任だが、土曜日になると暖房が入らないのである。 外部と提携するなら、まずこの辺のインフラを何とかしないと駄目じゃあないですか――これは学長に言っているんですが。
仕方なく、各教官が自分の研究室においてある電熱ストーブなどを持ち寄ったが、何となく、戦争末期、落下傘で米軍兵士が降りてきたら竹槍で殺そう、と言っていた日本人を思い起こしてしまう。
次に、配られたシンポ趣意書では、招かれたパネリストに 「様」 がついていた。 例えば、「新潟市長 篠田昭 様」といった具合である。 また、司会のY教授も、パネリストを呼ぶときに 「様」 づけで呼んでいたが、私からすると非常に違和感がある。 「さん」 でいいでしょう。 「様」 じゃあ、いかにも卑屈。 国のカネをアテにできなくなった人文学部が必死に乞食根性を丸出しにしているみたいなサモシサを感じてしまう。
パネリストの話のなかでは、BSNの須栗氏が面白かった。 アメリカで視聴者の声をそのまま放送するチャンネルの設置が義務づけられており、また日本でも米子中海放送ではそうした試みをしているのだそうだ。 そして地上波のデジタル化が数年後になされると、従来通りの画質でよければチャンネルが3倍にできるので、ソフト不足が生じ、新潟でも類似の試みが可能になるかもしれないという。
こういう、具体的な話でないと面白みがないのである。 いくら抽象的に、大学と社会の関わりがどうだとか、地域社会の時代がどうだとか言っても、全然こちらは感心しない。
例えば、篠田市長は、これからは国に頼るのではなく地方が自分の頭でものを考え出していかねばということを力説された。 私もそれには大賛成だが、そういう篠田市長自身は東京の大学を出ているし、パネリストの森澤氏も、勤め始めてから東京の大学院で修士号をとっている。 つまり、新潟大学そのものが地元でその程度にしか見られていないわけだ。
また、篠田市長は、新潟大学との提携を打ち出しながらも、東京の某私大 (名指さず) とも別に提携する予定だ、と述べた。 大学も数は多いわけで、別に地元大学だけを優先する必要もないというのは分かりやすいけれども、では新潟以外の地域で新潟大学を相手にするところがあるか、疑問なのである。 つまり、東京の権力を否定している篠田市長は、実は行動がそれに伴っていない、と言うしかない。
無論、新潟大学自身にも色々と課題は多い。 だが、例えばクラシック音楽で言うなら、金沢市は (石川県と一緒になって) 自前のオーケストラである 「オーケストラ・アンサンブル金沢」 を作ったけれど、新潟市は東京から東京交響楽団を年6回新潟市に招くだけで済ませている。
このあたりの、地方自治体の意識の差も、かなり大きな問題だと私は思うのだが。
3月16日(水) ドイツ語の教科書を出しているD社から小冊子が送られてくる。 D社が年に2回出しているもので、ドイツ語教師数名ががエッセイを載せている。見ると、西日本の某国立大学に勤めるU氏の書いた一文が掲載されているのだが、これが相当ヒドイ内容なのである。
実はU氏は大学院時代同じ研究室の先輩だった人であり、飾らない人柄とすぐれたドイツ語能力をお持ちの方であることは重々承知しているのだが、それはそれ、これはこれである。 最近のドイツ語教師の堕落ぶりが露呈しているような文章なので、失礼してここで批判させてもらうしかなかろう。
要するに最近の大学 「改革」 で専門でもない科目を持たされるようになって、ドイツ語は 「趣味だ」 と称するようになったというような内容なのだが、定職に就けずにドイツ語の非常勤でかろうじて食っている人が読んだら不愉快になること請け合いだろう。 定職に就いていて非常勤講師よりはるかに恵まれた給与をもらっている人間がこういうタワケタことをのたもうているのだから、実にいい気なものなのだ。
それでいて、そうした自分の姿勢は自虐的というには当たるまい、などと述べたついでに、最近は当たり前のことを自虐的という向きもあるようだが、などと書いてサヨク根性をちらりと見せてしまうところが輪を掛けてみっともない。
文科省の意向に素直に従ってドイツ語教師を降りてしまう人が、サヨクの振りをしてはいけませんね。 サヨクとは、まず自分の身近なところで権力 (国立大なら文科省) に毅然と逆らってこそ、振りをする資格ができるものなのですよ。 それができなかった人は、まずサヨク廃業宣言をすべきなのです。
3月15日(火) この春休みに取り組んでいた仕事の一つが一段落したので、ほっとする。一息ついたところでインターネットのニュースを見ていたら、「横浜、松家、東大留年」 という報道が目に入った。 史上5人目の東大出身のプロ野球選手となった松家卓弘選手が、本来は横浜球団にこの春入団するはずが、1科目4単位が足りずに留年が決定したという。
落としたのは 「日本経営史」。 東大史上5人目のプロという話題性にも、担当教授は 「個人の事情は一切考慮しない」 と言ったとか。 松家は半年後の卒業を目指すそうである。
なかなかいいニュースではないか、と感動したが、考え方によっては当たり前なのである。 当該科目の成績が良くなければ、たとえ就職が決まっていても落とす――何でこんなことがいちいちニュースになるのか。 つまり、実際は逆のことが日常的に行われているのが日本の大学だからである。 残念ながら新潟大学も例外ではない。
3月12日(土) 昨日ほどではないが、まだ少々だるさが残る。 卓球の練習は休む。
この1週間ほど、チャイコフスキーの悲愴交響曲のCDを聴いている。 この有名な交響曲は、大学に入ってクラシック音楽に凝り始めた頃はよく聴いていたのだが、その後は時々聴く程度になっていた。
学生時代に聴いていたのは、1970年頃にカラヤンがベルリンフィルと入れた録音 (これはFM放送をテープに録音したもの)、それから60年代にムラヴィンスキーがレニングラードフィルと入れた録音 (これはLP) であった。
現在私が所持しているのは、ムラヴィンスキー (LPがいつの間にか音飛びするようになったのでCDで買い直した) 以外は、カラヤンが70年代後半にベルリンフィルと録音したCD、30年代にフルトヴェングラーがベルリンフィルと入れたCD、トスカニーニがNBC交響楽団と1947年に入れたCDの4種類である。
聴き比べると、トスカニーニとムラヴィンスキーは明らかに同系統の演奏である。 全体が引き締まっていて緊迫感に満ちている。 ただ、トスカニーニは最初から最後まで同じ調子で続き、何となく単調で金太郎飴みたいな印象が残る。
70年代後半のカラヤンも基本的には同系統だが、この曲にひそむ激情みたいなものを率直に出していて、どちらかというと流麗な表現を特色とするこの指揮者が、老いて自分をさらけ出すようになったのかな、という推測ができてしまう。
フルトヴェングラーは、以上の3者とは明らかに系統を異にする演奏だ。 緊迫感ではなく、といって激情でもなく、割りに間の多い演奏といったらいいのだろうか。 言葉で言い表すのが難しいが、この曲に別の何かを見ていたようだ。 ただ、それがうまく表現されているかどうかとなると、よく分からない。 単に曲との相性の問題だったのかも知れないのである。
3月11日(金) 体がまただるい。 今冬の風邪は、こういう具合に完治することなく時々顕在化するもののようだ。県立高校の合格発表日。 次男は悪運強く合格。 もし落ちたら高い私立高の授業料を3年間払わねばならないかと恐れていたので、ほっとする。
最近、国家公務員で地方勤務者の給与を引き下げる動きが出ている。 となると公務員準拠の国立大学法人の給与も引き下げられるだろうから、他人事ではない。
私に言わせると、地方の物価水準が明らかに低いというのは、不動産だけではないだろうか。 家賃や土地の値段は、確かに首都圏より圧倒的に安い。
それ以外の日常品はどうだろう。 生鮮食料品には多少の差はあるかもしれないが、それこそ多少といった程度ではないか。 まして生鮮食料品以外の日用品に差があるとは考えられない。
他方、私のような職業だと、学会は首都圏で開かれることが多いから、出張費は地方にいる方がはるかにかかる。 ところが、国立大が法人化される前も出張費はロクに出ていなかったし、今年度、法人化されてから、出張費は研究費と一元化され、しかもその一元化された研究費が大幅に減額されているから、学会になぞ行きたくても行けない、という悲惨な状態なのである。 この辺、人事院はどう考えているのか??
加えて、子供を大学に行かせる時のことを考えれば、地方の有利さなんてのは完全に相殺されてしまう。 首都圏なら大学は、ピンは東大からキリは誰も名も知らぬ大学まで各種揃っているから、自宅から通わせておけば授業料以外のカネはそれほどかからない。 まあ、授業料でも私立の医大などの場合は並みの人間には払えませんけれど。
一方、地方に住んでいると自宅から子供を通わせられる大学の数は限られており、それが自分の子供の学力と志望に見合う確率ははなはだ低い。 結果として首都圏や他都市に子供をやらねばならず、カネが相当にかかることになるのである。
人事院は、その辺までちゃんと考えているのだろうか?? 最近の日本の役人は質が低下しているから、考えてないんじゃないか、と私は危ぶむのであるが。
3月10日(木) 女房が、以前小学校から高校まで数年に渡ってピアノを教えていた男の子――すでに20代半ばだから青年と言うべきかも知れないが――の葬式に行って来た。 事故死という触れ込みだが、実際は違うらしい。話によると、小学生の頃は嫌々習いに来ていたものの、中学の途中から急にやる気が出てきて上達、音大を目指してもおかしくないレベルだったのだけれど、音大はカネがかかるということで受験しなかったとか。 しかし学業成績も良好で、新潟市随一の進学校から仙台の大学に進み、順調に見えたのだが、大学で留年したことを気に病んでいたふしがあるらしい。 親思いの子だったから、とは女房の弁。
まあ、その辺の真因は本人でないと分からないから、何とも言えないだろう。 しかし、だいたい、世の中はバカほど生きやすいものだから、はたから見ると順調に見えてもある日突然、ということはどんな時代にも起こり得る。
私の大学生の頃も、若くして命を絶った女子学生の残したノート類が 『二十歳の原点』 というタイトルで出版されて、ベストセラーになっていた。 私はへそ曲がりだからついに読むことはなかったが、それとは別の、二十歳で命を絶ったという一橋大生の遺稿集を読んだ覚えがある。 それは 『二十歳の原点』 とは違って正規に出版されたものではなく、著者の身近な友人がタイプ印刷 (*下記注参照) で本の形にまとめ、通常の書籍流通ルートには乗らない形で、全国の大学にもちこまれていたものだったと記憶する。 当時はインターネットもないしケータイもなく、また普通の電話も設置料が高額だからほとんどの大学生は自室に備えていなかった時代だが、大学生同士の横のつながりみたいなものは、結構あったのである。
もっとも、その一橋大生の遺稿集を読んで私が感心したかというと、全然であった。 小説みたいなものが掲載されていたが、文学少年の私は、あまりの下手くそさに愕然として首を横に振った覚えがある。 自ら命を絶つ若者が感動的な小説を残すというものではない、ということがよく分かった、と書くと、シニカルに過ぎるだろうか。
それはさておき、若いから生命力にあふれているということはなく、若い人は若いなりに死に近い場所にいるのである。 それは私が大学生だった30年前も、現代も、変わらない。 ただ、それを変に美化するのを私は好まない。 といって、立派に生きろなどと偉そうなことは言えた義理ではなし、また、某社会学者みたいに、まったり生きろなどと毒にも薬にもならないタワゴトを唱える気にもならない。 格好悪くてもいいから何とか生き延びてみろ――くらいのことしか言えないのである。
(*注) 当時は普通の出版物は、一字一字活字を拾って並べる活版印刷によってなされていた。 しかしこれはカネがかかるので、カネがない学生などが同人誌を作るときは、自分で油紙に字を書きつづるガリ版印刷が用いられた。 当時は学校の試験問題もガリ版印刷が普通だった。 活版とガリ版印刷の中間にあるのが、タイプ印刷だった。 これは、活字を拾うのではなく、仮名と主要漢字を網羅した大型のタイプライターで文字を紙に打っていき、それをオフセット印刷するやりかたであった。 活版印刷に比べるとやや美感に欠けたが、値段は活版より安かった。
3月4日(金) 午後1時過ぎに生協食堂で昼食をとり、その後図書館でちょっと調べ物をしてから研究室に戻ったら、電話がかかってきた。 受話器を取ったら、「あ、いた」 という、はなはだ品位を欠く声が漏れてきた。大学院現代社会文化研究科(博士後期課程) の研究科委員会 (=教授会) が開かれているのだが、定足数に達していないので始めることができない、来て欲しい、という。
仕方なく、行く。 と書くと、いかにもムセキニン男みたいだが、行かないのにはそれなりに理由がある。
私は数年前、この博士後期課程のスタッフに任命されたのだけれど、昨年の改組で外されたはずだからだ。 何でそうなったかというと、昨年の改組のときに法科大学院も同時に作ったので、そこに教員定員を沢山出さねばならず、既存の現代社会文化研究科の定員を削ったのだった。 で、私は削減要員となったので、出る義理はないはずなのである。
ところが、物事はややこしくできている。 外れたはずなのに、現在の現代社会文化研究科後期課程2年生以上は旧組織の時に入っているから、そこについては私はスタッフのままだ、というのだ。 しかし、公的な現代社会文化研究科後期課程のスタッフ名簿には私の名は書いてない。 また、指導学生もいない。 だから、私は外れて以来、研究科委員会には出ていなかったのである。
しかし今回は博士後期課程修了者、つまり博士号取得者に博士号を認めるかどうかを決めるので、定足数、つまりスタッフの半分以上が出席していないと無効なのだという。 言い換えれば、サボっていたのは私だけでなく、同様の人がスタッフの半数以上を占めていた、ということなのですね(笑)。
ちなみに会議は私が行ってもまだ始まらず、私の後にもうお一方が来て、ようやく始まった。 全スタッフは71名だから定足数は36名なのだそうだ。 言い換えれば35名はサボったままだった、ということになる。 春休みなのに研究室に来ていたばっかりに電話でつかまってしまったワタシなどは真面目な方なのである。
2月28日(月) 朝、郵便局で仙台の私大に行っている長男に送金した後、ついでにスマトラ島沖地震津波災害のためにわずかながら寄付をしようとしたが、郵便局ではそのための振替用紙を用意しておらず、局員がわざわざ書き込みをしなければならなかった。 新潟県中越地震のための振替用紙はちゃんと用意してあるのに、である。たしかに身近な災害に寄付を、というのは理解できるのだが、海外のこととはいえ十万人以上の犠牲者が出た超弩級の災害であるから、それなりの対応をして欲しいものだ。
ちなみに、この点では新潟大学も似たり寄ったりである。 昨年、新潟県を襲った水害と中越地震のためにはそれぞれ学内で募金が行われたが、スマトラ島沖地震津波災害のためには公式的には何もしていない。
地域社会を大切にすると同時に、国際問題にも眼を、というのが大学のあるべき姿だと思うのであるが、どうも新潟大学の幹部はそういう感覚に乏しいようだ。 もっとも、この種の募金では幹部は率先して多額の寄付をしなければならず、昨年の県内の2度の災害で学長を初めとするエライ人たちはかなりオカネを出しているから、もう余裕がなくなっているのかも知れないのだが。
災害は立て続けに起こる。 寄付は無理をせず、自分のできる範囲内でやれば良く、今回のように3連続という事態にも対処できるのではなかろうか。
2月27日(日) 朝から、大形クラブ主催の卓球大会に参加。 会場は北地区体育館で、NクラブのT氏のクルマにM氏と共に同乗させてもらった。 あいにくの雪模様であったが、さいわいバイパスには雪がなく、早めに出発したということもあって定刻よりかなり前に到着。年2回のダブルスだけの大会。 男女ともABの2ランクに分け、午前中はAとBで男女ペアを、午後はAはA同士、BはB同士で男女ペアを組み、それぞれ6ペア程度ずつグループを作ってグループ内でリーグ戦をやる。 私はむろんBランクである。
私の成績だが、午前中は3勝2敗、午後は、5戦全勝で堂々のグループ優勝であった。 こういうことは余りないから、太字で書いておきますね(笑)。 もっとも、グループ優勝しても賞品は出ないんですが(笑)。
例年盛況なのけれど、今回は午前中は11本3セットでやったら時間が余り気味で、午後は11本5セットマッチとなった。 3セットより5セットのほうが面白いには違いないが、時間が余ったということは参加者がやや少な目だったということなのだろうか。
いったん自宅に戻ったあと、夜7時半から
楽路歴程・第9回演奏会を、音楽文化会館の第13練習室で聴く。 地元演奏家による少人数向けの室内楽バロック・コンサート・シリーズである。 出演は、横田聡子 (sp)、 高橋美也子 (vn)、 鷹巣桂 (vc)、 笠原恒則 (cem)。 やはりソプラノの横田さんが主役であろう。曲目はオール・ヘンデルで、イタリア語のカンタータ 「ルクレツィア」 と 「捨てられたアルミーダ」 をメインに、ヴァイオリン・ソナタ作品1の3ともう一曲、カンタータ 「死に向かうアグリッピーナ」 から ”この世で不幸せだとしたら” が加わったもの。
会場に行って、全席自由ながらすでにかなり客席が埋まっており、空いているところに腰を降ろしたら、隣席が敬和学園大のK先生であった。 K先生はドイツ文学専攻の女性教授で、ダンナさんは新潟大の教授である。 東京交響楽団新潟定期にはいつもご夫婦で姿を見せる。 しかし今回はダンナさんの姿が見あたらないので、「お一人ですか?」
と訊いたら、そうだとのこと。 ついでに、こちらも同じ質問を返されました(笑)。
やはりメインの2曲がよかった。 ヘンデルのカンタータはあまり聴く機会もなく、CDも1枚しか持っていないので、なるほど、こういう側面があったのだなあ、と教えられました。 勉強になったというだけでなく、音楽そのものもよかった。
アルミーダの題材は、昨秋のネーベル合奏協会演奏会でもリュリの作品が取り上げられてた。 当時好んで使われたものだったのだろうか。
正味1時間でとても内容の濃い演奏会だった。 聴衆は40人弱くらいか。 これで500円は安い! 次回は4月だそうだが、用事がない限りまた行ってみたい。
昨日、膝の上で白いものをいじくっている受験生がいて、もしかしてカンニング・ペーパーかと思いかけたが、よく見ると、ワイシャツの裾をいじっているのだった。 今どきの若者はだらしな系でYシャツの裾をスラックスやスカートから外に出しているから、こういう現象が起こるのである。
それで、本日の空き時間に、同室で監督をやっている先生方にその話をしたら、N先生から、中国の科挙では服に答を書き込んでおく不正行為が行われたという話をうかがうことができた。 N先生は中国哲学専攻の女性教授である。 なるほど、試験に不正行為はつきものなんだなあと納得(?)。
夜、にいがた国際映画祭の映画を観に古町に赴く。 むかし商業映画館ピカデリーだったところが会場である。 なつかしい!
25年前 (1980年)、私が新潟大学に赴任した当時、映画館は新潟市を代表する繁華街である古町通とその近辺に集中していた。 そのなかに、SY松竹という古ぼけた大きな映画館があった。 昭和30年代、映画が娯楽の王様でまだテレビに押されていなかった時代の建物ではなかったろうか。
やがてSY松竹は建て直しとなり、近代的なコンクリート造りのビルに変身して、ピカデリーと松竹の2館が入ることとなった。 私の記憶では、建て替え後、最初にここに観に行った映画が 「ミシシッピー・バーニング」 であった。 これは1988年の映画だから、建て替えはその頃である。
しばらくそれでやっていたのだが、映画と映画館を取り巻く状況が変わってきた。 郊外に大型スーパーが林立し、買い物はマイカーで郊外のスーパーへという時代になって、古町通も凋落の一途をたどった。 加えて郊外にシネコンが進出してきた。
新潟市のシネコン第1号であるユナイテッド・シネマができたのは、1999年秋だった。 このサイトの記述によると、私がユナイテッドで初めて映画を観たのは2000年初めである。 しかし、そのころはまだ、古町通とその周辺にはピカデリーと松竹だけでなく、カミーノ古町にシネマ1〜3があり、東堀通に東映と東映パラスが健在だった。
だが、次にシネコン第2号のワーナーマイカルが進出 (2000年秋)。 これに伴ってシネマ1〜3は閉館となった。 シネマは、東映やピカデリー・松竹に比べるとはるかに企業努力をしており、5枚綴り5000円の回数券を出していたし、加えてマイカー時代に対応して駐車場料金が2時間無料になる措置もとっていた。 にもかかわらず、郊外型シネコンに勝てなかったのである。 古町の集客力低下はそれほど歴然としていた。
東映と東映パラスも2001年春に閉館となった。 ただしこれは、万代シティに新しくシネコン (新潟市シネコン第3号のTジョイ) として復活する前提での撤退であったが、ともかくこうして古町通の映画館はあっという間にピカデリーと松竹だけとなってしまったのである。
そして2002年5月、ついにピカデリーと松竹も閉館となった。 古町通の集客力はもうどうにもならないほど低下していたし、また洋画はシネコンと同一作品であることが多くなり、独自性が出せなくなっていた。 私も、当サイトの記述によると、最後にピカデリーに映画を観に行ったのは、1999年末の 「御法度」 になっている。 閉館するまで実に2年半も行かないでいたわけで、つまりピカデリー・松竹に行かなければ観られない映画 (むろん、私が観たいと思う種類の映画) がなくなっていた証拠だろう。
したがって、本日は5年ぶりにピカデリーに入ったことになる。 ちなみにここは閉館後、映画専門学校の施設として使われている。 トイレに入るとき、2Fまで上がらなければならないところなど、ああ、そうだったっけと思い出して、感慨にふけりました。
2月25日(金) 昼過ぎから大学入試の監督をする。 人文学部の入試は社会科の選択によって教室が分けられているが、幸いにして私が割り当てられたのは最も人数の少ない地理のクラス。 わずか26人しか受験生がいない。 これを3人で監督するのだから、まあ楽だ。 日本史なんかだと100人以上いるのである。夕刻、りゅーとぴあに
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会を聴きに女房と行く。 指揮はヘルベルト・ブロムシュテット。 プログラムは、メンデルスゾーンのイタリア交響曲、ベートーヴェンの英雄交響曲。 アンコールに、エグモント序曲。このコンビは3年前に上越市でも聴いている。 あの時と印象はそれほど大きく違わない。 ものすごくうまいとか洗練されているというのではないが、クラシックの精髄がこめられている演奏という感じがする。 管楽器の響きはあくまで全体のなかにとけ込んでいて渋い。 特に速い楽章や大音量の楽章でぐっとくるような表現が聴ける。
客の入りは7割くらいか。 高価な席と安価な席に入りが良く、中間の席はがらがらであった。 この季節は新潟ではクラシックコンサートが少ないが、演奏が良かったので満足である。 ただし体調は相変わらず良くない。
2月23日(水) 昨夜から胃腸の調子が悪い。 膝もだるい。 多分、風邪のせいだろう。 最近の風邪は昔と違って腹に来る。 我が家では小4の娘が一昨日学校で吐き、昨日は高校受験を控えた次男が熱を出した。 一家揃って、というところだろうか。動くのが嫌なのだが、昨日クルマを車検に出しており、本日夕方取りに行くことになっていたので、夕刻6時前に仕方なくバスに乗る。 体調が良ければ何ともないのだが、寒い中を大学からバス停まで――といっても5分程度だが――歩くのはおっくうだ。
今年からクルマにリサイクル料金がかかり、それが車検時に納入することになっているそうで、1万円強をそのためにとられ、点検料と合わせて12万円弱かかる。 クルマはカネがかかる。 しかし今どきの地方都市では無いと不便きわまりないのも事実。
本日は車検を終えたクルマでにいがた国際映画祭に出かけようと思っていたのだが、体調が悪いのでやめにする。
2月22日(火) 今年度ドイツ語を教えていたY君が期末試験の答案を取りに来る。 授業は終わってしまっているのだが、希望者には答案を返すことにしている。 無論、わざわざ取りに来るのはドイツ語を一所懸命にやっていた学生である。Y君は熱心で、授業中もよく質問に来ていた。 成績もいい方で、医学部のクラスで優秀な学生が多かったからトップとはいかなかったものの、後期も90点を超える成績を修めている。
普通、前期は入学したての緊張感があり意欲にもあふれているから頑張るものの、後期は気がゆるんだり、内容的に難しくなってきたりで成績が露骨に下がる学生も多いのだが、Y君はそうではなかった。 むしろ、配布した独作文のプリントで時間の都合上省いた箇所まで自分でやってきて、見て欲しいと授業後にやってくるなど、やる気が最後まで持続していた。
本日も、テストの答案を受け取るだけでなく、休み中にドイツ文学やヨーロッパ文学を読みたいので、何か推薦して欲しい、という。 うん、こういう学生ばっかりだと、教師も長生きするんですけどねえ。
2月21日(月) 友人のU氏が出版した新書を送ってくれた。 『榎本武揚から世界史が見える』(PHP新書) である。 U氏は以前新潟大学の同僚だった人で、その後東大に栄転したのだが、これで新書は3冊目の出版である。 むむっ、差を付けられる一方ではないか(汗)。 しかも専門がドイツ文学である氏からすると本来の専攻とは違った分野の本であり、また290頁あるから、新書としては厚手である。 頑張っていますなあ。実はここ1カ月ほど、友人知人からの献本が続いている。 本日のは3冊目となる。
え? いったいお前は何をやっているのかって? そう言われると困るが、まあ、もう少々待って下さいませ (笑・汗)。
2月19日(土) 本日から第15回にいがた国際映画祭である。 それで昼に新潟市民プラザに出かけてオープニングの作品 「愛してよ」 を観る。 詳しくは 「映画評2005年」 の15を見て下さい。映画のあと、昼食を取ろうと、閉鎖されたカミーノ古町の脇にあった 「バルカローラ」 という南欧魚料理の店に行ってみたら、なんと、店がなくなっていた。 最近古町にはあまり来ないし、この店を訪れたのも久しぶりなので、いつ頃なくなったのか分からないが、風情のある店だったので、残念である。 南欧魚料理の店といっても、私はたいがいパスタを食べていたのだが、普通の店にはないようなパスタがあって、ちょっと贅沢な気分を千円札1枚で味わうには最適な店だったのだ (*)。
仕方がないので、古町通りで喜多方ラーメンを食べようと思ったら、この店もまたなくなっている。 やれやれだ。 しかし近くに別のラーメン屋ができていたので、そこで済ませる。 最近の古町通りの店の入れ替わりにはすさまじいものがあるようだ。
食事の後、バスに乗ろうとバス停の前に並んでいたら、20歳前後かと思われる若い男が列を無視して車道ぎりぎりのところに歩み出た。 タクシーを拾うのかなと思ったが、その様子はなく、友だちの車に拾ってもらうのかとも思ったが、そのようでもない。
バスが来ると列を無視して乗り込み、乗り込んだ途端に独り言を言い始めた。 まったく意味不明の言葉をしゃべりまくっている。 差別用語を使うけれど、気違いなのである。
この気違い、実は前にもバスの中で見かけたことがある。 おそらくこの路線沿いのどこかに住んでいるのだと思う。 バスの中でわけの分からないことを一人でしゃべり散らしているので、すぐに分かってしまう。 はた迷惑だが、うるさい・気味が悪いだけであり、人に実害を及ぼすわけではないから、放っておくしかない。 幸いにして、今日は一区間乗っただけですぐに降りてくれた。
私は精神病にはうといのだが、あれはどういう病気なのだろうか。 もっとも私も独り言をいう癖はあるので、10パーセントくらいは気違いなのかもしれないけれど(笑)。
*追記 或る方のサイトに下記のような記述があるのを発見。 バルカローラは2年近く前に閉店していたらしい。 それを惜しむ人が少なくなかったことも分かる。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/eg-thu/step97.html
*〔2003年〕4月23日(水)
8時45分から2時まで仕事。
新潟日報夕刊に「名物喫茶店 相次ぎ幕」という記事があった。「ケルン」が閉店するという。
もう10年以上前だけど、そういえば何回か行ったことがあるなぁと懐かしく思い出した。
この間前を通ったらシャッターが降りていたので、おや?と思った「オーク」も、やはり閉店したのだという。
友達とよく行った店だ。大きなパフェがあったっけ。
もう1店、「ラ・バルカローラ」も閉店。大人の雰囲気の店だった。そうか、なくなっちゃったのか…。
街は変わってゆくものだから、それも仕方がないことなのだけれど、
やっぱり昔行った店がなくなるのは寂しいな。
私も昔だいぶお世話になったので、本来なら葬式に駆けつけるべきところなのだ。 ところが伯父の遺志で、遺体を大学医学部に献体しているので、明日の昼過ぎにお別れ会をやって、普通のお通夜・告別式は行わず、大学から遺骨が戻ってくるのは1年後にもなるという。
それで、1年後に遺骨が戻ってきたときに納骨式を首都圏でやるというので――墓は息子が住む首都圏にあらかじめ作っておいたようだ。 伯父は札幌近郊で娘夫妻と同居していた――その式に参列させてもらうことにする。
さて、私はこの日、夕方に 『ヴィタール』 という映画を見に行ったのだが、これが奇しくも献体を扱った映画であった。 詳しくは 「映画評2005年」 の14を見てほしいが、医学生の主人公が、自動車事故で死んだ恋人の遺体と解剖実習で再会して・・・・・という筋書きなのである。
解剖実習の様子が描かれていて、なるほど、伯父の遺体もこういうふうになるのだな、と思いながら映画を見た。 伯父の献体を知った日にこういう映画を見るとは、何となく不思議な感じがする。
2月13日(日) 一日中自宅にこもり、教養科目・西洋文学のレポートを読む。 約130人分。 定員は150名で、学期始めには定員ぎりぎり取ったので、約20名は脱落ということだ。いつものことながら、珍レポートが散見されて、気晴らし(?)になる。
例えばレポートの論題の一つに挙げられた 『幻滅』 (ハインリヒ・マン) という小説。 これは恋人同士のお話で、女が男に幻滅するという筋書きなのだが、完全に読み違えて、男が女に幻滅するのだと受け取って書いてあるレポートがあった。 念のため付け足せば、書いたのは女子学生です。
さらに、「論じなさい」 と指示したのに、小説の筋書き紹介だけに終始して他に何もないレポートもある。
枠小説の語り手を、作者自身と思い込んで論を進めているレポートもある。
しかしまあ、これは小説を読み慣れていない人間には仕方のないことかも知れない。 だが中には常識を疑うような記述もあるのだ。
例えば、「第二次大戦中の1894年には」 なんて書いてある珍レポートあり。 うーむ、学力低下が実感できますなあ。 付け足すなら、扱っている作品内には1894年なんて時代指定はどこにもないのだ。 じゃあ、なんでこの年号が出てきたかというと、恐らくは巻末解説に 「この作品は1894年に成立した」 と記されていたからなのである。 うううぅぅ。
さらに、こんなのもある。 「この小説の舞台となっているのは、1870年の普仏戦争後で、18世紀を指して前世紀と言っていることから19世紀前半の話であると思われます」。 おいおい、何で1870年より後なのに 「19世紀前半」 なのだ?
念のため、これは工学部生である。 算数ができなくてよく入れましたね、と言いたくなっちゃう。 ただし、この学生、これ以外の記述は結構面白かった。 人間の能力は簡単には計れません、はい。ところで、ふと思い立って、学部別の成績を数字でまとめてみた。 教養科目だから、歯学部を除く全学部生が受講しているのだが、以下のような結果となった。
S=90点台、A=80点台、B=70点台、C=60点台、である。
人文学部 (総数13人/S1、A1、B3、C8)
教育人間科学部(総数33人/A3、B10、C20)
法学部(総数8人/A2、B5、C1)
経済学部(総数9人/A2、B3、C4)
理学部(総数15人/B8、C7)
工学部(総数40人/A4、B18、C18)
農学部(総数9人/A1、B2、C6)
医学部(総数2人/B2)
これを見ると分かるように、文系だからいい成績をとっているとは言えない。 むしろ、最低点であるC (60点台) を取っている学生数の割合で比較するなら、ワーストは農学部だが、第2位は人文学部で、第3位が教育人間科学部、の順となる。むろん、これだけではサンプル数として不十分であろうが、ブンガクが分かる人間が文系にいるとは限らない、ということは言えそうだ。
2月11日(金) 祝日だが、家に籠もって学生のレポート延べ約140人分を読む。 延べというのは、学生数で言うと約70人なのだけれど、2種類のレポートを出さないと単位をやらないことにしているので、数でいうと倍になるということです。
うちの1種類はクラシックコンサートに出かけてその感想を書くというレポート。 この授業はクラシック音楽を論じた本を読み、そこで扱われている音楽をCDで聴いていく、というものなので、学生には実演を聴く義務を負わせているのである。 でないと、一生クラシックコンサートとは無縁に人生を終える人間が出てきてしまう。
まあ、そういう人間が出ても別に日本が滅びるわけではないが、文化を扱う学部の人間がそれでは困るというのが私の持論であるから、コンサート訪問を義務づけているのだ。
この授業、内容は多少変えながらも毎年前期か後期のいずれかに出している。 例年は20ないし40人程度の聴講者数なのに、今年は初日で70人を突破して受講許可をうち切ったほどの盛況であった。 速断はできないが、クラシック音楽に興味を持つ学生が増えてきているのかもしれない。
と言っても、読んでみると学生の選んだコンサートは2種類に集中している。 一つは12月に行われた新潟大学管弦楽団の定期演奏会、もう一つは1月に開かれた新潟交響楽団室内楽演奏会。 前者は入場料が700円、後者はタダ、ということが大きいらしい。 前者は同じ大学の学生オーケストラだから友だちから売り込まれたということもあろう。
それはそれで悪くはないが、読んでみると、タダのコンサートを聴きにいって、直前に繁華街のお好み焼き屋に入り、1050円の食べ放題コースを選んで腹一杯食べてしまい、コンサートでは眠っていました、なんてフザケタのもある。
ううむ、こちらとしては、一食抜いても有名演奏家の出るコンサートの高額チケットを買って、それだけのオカネをかけたのだからと必死で音楽を聴く、というふうにしてほしいんですが、こういう芸術至上主義 (?) は今どきの学生には無理かなあ。
他にも、内容的にかなり変なのがある。 ベートーヴェンの第九交響曲を聴きに行って、第3楽章の前で合唱団が入場するのを見て、第3楽章にも歌が入っているとは知りませんでした、と書いてあるレポートがあった。
もちろん、初めて第九を生で聴きに行くとこういう勘違いはありがちなことなので、そこまでなら結構なのだが、どういうわけだかこのレポートには、第3楽章に入っているという歌の感想まで書いてあるのである。 摩訶不思議なこともあればあったものである。 第3楽章にも歌が入っている第九とは、もしかして世界初演ではないか??
しかし、まともなレポートだってある。 或る学生はなかなか味のある文章で面白いレポートを書いてくれたのだが、実は昨年度、私がドイツ語で教えて単位不認定としていた学生であった。
その時は、あまりにドイツ語ができないので、どうしようもない奴だと思っていたのだが、今回この授業でのレポートを読んで、なるほど、外国語はできなくとも日本語が達者で文章力のある人間はいるものだ、と改めて実感した。
こういう事情は、むろん理屈の上では分かっているのだが、或る科目で教えて出来ないと、どうしても万事に渡って同様なのではないかと教師としては思いたくなってしまうものだ。
人間の能力には色々な側面がある、ということは肝に銘じておかなくてはならない。
また、中には、東京交響楽団新潟定期、小沢征爾指揮水戸室内楽管弦楽団、そして新潟大学管弦楽団と3つの演奏会を聴きまくってレポートを書いた根性のある学生もいました。 お好み焼きにカネをかけた学生には見習って欲しいものである。
2月8日(火) 一昨日から本日にかけて、学生の卒論を読む作業。 12人分の卒論を読まねばならず、四苦八苦である。
内容的には、勲章を上げたくなってしまう力作から、新潟大合格を4年前にさかのぼって取り消したくなる手抜き作まで、実に千差万別でした。
2月7日(月) 夜、Hクラブに卓球の練習に行ったら、やはり練習に来ていたMS氏が焼き芋を差し入れてくれた。 MS氏は八百屋さんで、「売れ残りですが」 とのことであったが、この季節にはぴったりの差し入れは大好評。
私も、実に数年ぶりで焼き芋を口にした。 うん、うまかった。 サラリーマンじゃない会員がいるクラブは、こういう具合にいいことがある。 非サラリーマンに感謝しましょう!
2月3日(木) 夜、久しぶりに卓球の練習に行く。 風邪と多忙とで半月ほど休んでいた。
やればそれなりに爽快だが、どうもトシのせいか敏捷性が落ちている気がする。 もともとワタシは運動神経が鈍いから敏捷性があまりないのだけれど、それがさらに下降している感じ。 冬で寒いせいもあろう。 冬に熊が冬眠するごとく、気温が上がらないと人間の運動能力も眠ってしまうのではなかろうか。 ううむ。
帰宅したら、新潟大学から 「カネを銀行口座に振り込みました」 という通知が来ていた。 給料日でもないのに、はて、思い当たるふしがないぞ、と思ってよく見たら、昨年11月にやった公開講座の謝金だという。
なるほど、と心躍らせて金額を見たらば、なんと、4169円だった。 公開講座で90分しゃべった謝金がこれ。 ううむ・・・・・・。
1時間半で4千円強ならいいじゃないか、という方もおられましょうが、しかし、90分しゃべるためにはその数倍の時間をかけて準備をする必要があるのですがね。
でも、まあ、公開講座なんて半分ヴォランティアみたいなものだから、いいようなものだけれどねえ。
(後記: その1カ月後、来年度から公開講座の謝金は廃止する、と本当に決まってしまった。 なんでも、公開講座も新潟大学教員の仕事の一つだから、というのであるが、その理屈で行くと、いくら非人間的にこき使われても 「仕事」 で済んでしまいそうだ。 新潟大学って怖いですね。)
2月1日(火) 3限、3・4年生向けの演習、最終授業。 終わったら、学生たちからプレゼントをもらってしまった。 こういう体験は初めてなので、ちょっと狼狽しました。 まあ、でも、ありがとう。
暖冬が言われて久しいが、本日はかなりの大雪。 といっても、新潟市内はたいしたことはなく、1階が埋まってしまうようなことは全然ないけれど。 それでも23年ぶりの大雪だそうだ。
1月28日(金) 本日は体調がまあまあだ。 金曜日は授業がないからか?
1週間前と同様、街へ出たついでに 「クラシックのモーツァルト」 に寄って、またCDを6枚買う。 この1週間で、ずいぶん棚に空きができた。 半額セールっていうと買う人も多いんだろうねえ。 この日は、高校生らしい男の子と女の子が各一人ずついた (カップルではない)。
夜6時から、工学部脇の寿司屋で、ゼミの新年会・兼・4年生の卒論完成祝賀会。 ここの店はいつもながら安いのがいい。 私と学生の合計6人で、鴨鍋と握りの上、その他何品かを食べビールと熱燗とチューハイを飲んで、3時間以上を過ごして一人あたり4千円かからない。 もっとも隣の部屋でこの家の子供たちが騒いでいたりするけれど、まあ、ご愛敬ということで。
血液型の話が出た。 3年生の一人は、いまだに自分の血液型が分からないという。 今どき貴重な (?) 存在と言えるかな。 ふつう、小中学校時代の血液検査などで分かるものだと思うんですがね。
血液型人間学は、100パーセントとは言わないが、いまだに或る程度は信じられているらしい。 そこで学生5人に私の血液型を当ててごらんと言ってみたが、5人ともハズレ、つまり一人も正解を出せませんでした。 結論として、人間をはたから見ていて血液型を当てるというのは、それほど難しく、血液型人間学はアテにならない、ということなんですね。
このサイトを読んでおられる方々は、私の血液型が分かるでしょうか?
1月27日(木) 風邪を引いて5日余り。 症状は一進一退で、日によって体調が異なる。 今朝は目が覚めたらかなり身体がだるくて、いっそ学校を休もうかと思ったが、何となく起床して大学へ。 習慣で体が動く、という感じ。 不思議なもので、授業をやっているとだるさが少しくやわらぐ。
1月22日(土) 昨日夕方から何となく喉の調子が悪かったのだが、本日は少々関節がだるい。 風邪を引いたよう。 それでも体調を押して映画を観には行ったが、夜の卓球の練習は休む。
1月21日(金) 新潟市でT氏の主宰しているクラシック音楽サイトに、ある方が情報を書き込んでいた。 それによると、12年余り古町で営業してきたクラシックCDショップ 「クラシックのモーツァルト」 が今月限りで閉店する、それで全品半額セールをやっている、というのである。
この日はたまたま街へ出る用事があったので、「クラシックのモーツァルト」
にも寄ってみた。 実はNAXOSでそのうち買おうと思っていたものが結構あったので、半額なら、と考えたのだが、棚にないものがほとんど。 やっぱりいいものは売れてしまうのであろう。 それでも、他のレーベルと合わせて6枚ほど買う。
それにしても、カミーノ古町閉鎖でタワーレコードが撤退したのに次ぐクラシックCDショップの閉店。 新潟市に残るクラシックCD屋というと、あとは石丸電気とHMVくらいかな。 私はクラシックの新譜はめったに買わない人間だが、事情があって
「この曲のCDをどうしても今週中に」
という場合がある。 そういうときNAXOSを一通り揃えている
「クラシックのモーツァルト」
は重宝だっただけに、残念なことである。
夕方、某研究会の席で、シンガポール国立大学にお勤めの坂元伝(さかもと・つとう)先生が建築についてお話し下さるのを聴く機会があった。 私は建築にはうとい人間だが、なかなか興味深い内容であった。
1月20日(木) 夕方、大学院の研究会があった。 今年度限りで停年退職される教育学部の清田文武先生が、斉藤茂吉と森鴎外の関わりについてお話下さった。 私は短歌にはうとい人間だから、教えられるところ大であった。
お話の後、近所の店で飲み会。 ちょっとヤバイ話も出ましたが、省略します。
1月18日(火) 2・3限の授業を終えてから、空いた時間を見計らって歯医者に行く。 歯石をとってもらうためだが、新潟市は歯医者が多いから、今まで行ったことのないところを選んでみた。
歯石取り程度にも3回もかける歯医者がいるけれど、ここは1回で終えてくれたので悪くはない。 しかし2500円あまりとられた。 今は医療費が3割負担だから仕方がないけど、安くないよねえ。 精算したら、医院名入りのボールペンをくれた。 そんなものくれるくらいなら料金を安くしろ、と言いたい。
1月17日(月) 少4の娘が 『ああ無情』 (『レ・ミゼラブル』 の子供向けリライト版) を読んでいたので、登場人物の名を尋ねてみたが、全然出てこない。 かなりいい加減な読み方をしていると分かる。 コゼットは 「コ」 しか出てこないし、ジャン・バルジャンは 「ジャン」 しか出てこない。 「悪役は?」 と訊いたら、答えなし。 まあ、テナルディエってのは、たしかに覚えづらいけどねえ。
といっても娘は自主的に読んだわけではない。 私が読むよう指示しているのだ。 私自身が小学生のときに読んだ 『少年少女世界名作全集』 全50巻は、ウチの子供たちには全部読むことを義務づけている。 アナクロといわれるかも知れないが、アニメやマンガに囲まれて活字本から遠ざかりがちな今どきの子供たちに活字を読ませるのは、親としての義務だと考えている。
出来の悪い長男と次男は、中学までかかってやっと全50巻を読了したが、末の娘はどうかな。 読むのは速いんだけど、大事なのは読み方。 登場人物の名前が出てこないのは、問題ありだなあ。
といっても、西洋人の名前は、確かに日本人からすると違和感があって覚えにくいし、時として滑稽に感じられるものだ。
私自身のことを振り返ってみても、例えば 『三銃士』 を読んだとき、主人公のダルタニャンという名前を見て、おかしな名前だなと思った。 まるでコンニャクみたいな感じがしたのだ。
また、三銃士のアトス、ポルトス、アラミスのうち、ポルトスというのはどことなく滑稽な音感があって、じじつポルトスは三銃士の中ではちょっとコミカルな役割を演じる人物なのだが、名前と人物の一致、みたいなものを漠然と読みとった記憶もある。
ダルタニャンの敵方であるリシュリュー枢機卿 (にして首相) も覚えづらいし発音しにくい名前だ。 今でも口を動かして声に出そうとすると、言い損ないそうな感じがする。
しかし、この小説での極めつけは、バッキンガム公爵であろう。 バッキンガム! ・・・・罰金ガム。 なんて変な名前の公爵なんだ、小学生の私はそう思った。
やがて十代も後半になると、英国にバッキンガム宮殿というのがあって由緒ある名前だと分かるのであるが、小学生のうちは 「変な名前」 で覚えた方がむしろ記憶に残る。
そういえばこの作品の悪女役ミレディにしても、これが固有名詞ではなく一般名詞であること、フランス人が英国人女性をていねいに My Lady と呼ぶ際のフランス式の発音であり、男性なら ミロールMy Lord に相当することを知ったのも、ずっと後になってからである。
ちなみに、ミロールという言葉も、この作品に出てきている。 バッキンガム公爵が人目を忍んでアンヌ王妃に逢いにいくところをダルタニャンに見つかってあわや剣を交えそうになったとき、道案内をしていたボナシュー夫人が公爵に自制を呼びかける際に用いている。
分からないままに覚えたことが、後になって分かってきたり有用だと認識されたりする。 教育ってのは、そういうものだと私は思う。 子供に分かる範囲のことだけを教えていては、教育になりません。
1月16日(日) 全日本卓球選手権・個人戦決勝の模様を、教育テレビが午後3時から放送したので観戦する。 卓球はなかなか普通のテレビ放送ではやらないから、貴重だ。
女子シングルスは平野早矢香と大益亜紗美の対決となり、平野が4−0で勝った。 平野は女子シングルス2連勝である。
私は平野の名は知っていたが、姿を見るのは初めて。 見ると、結構カワイイではないか。 きりりとした眉と目、そしてやや肉感的な唇がチャーミングだ。 女子卓球というと福原愛ばかりが取りざたされるが、私の好みから言うと平野のほうが美形である。 まだ19歳、初々しさも十分残る顔立ちだ。
そういうわけで、決勝戦は最初から平野を応援して見ていました。 大益さん、ごめんなさい。 でも、容姿は別にしても、あなたのような異質ラバーを使った戦型は好きじゃないんですヨ。 平野のような正攻法で攻めるタイプが、私は好きです。 みなさん、卓球の平野早矢香選手を応援しましょう(笑)!
男子シングルスでは、連覇を狙う42歳の偉関晴光を、新進23歳の吉田海偉が4−0で圧倒して初優勝した。 まあ、偉関もがんぱりはしたが、40歳を越えた中年を決勝進出させてしまう男子も情けない。 その意味で、圧倒的なパワードライブやバックハンドの威力を見せつけて勝った吉田には、素直に祝福を送りたい。 女子の試合から続けてみると、球の速さが全然違うのが分かる。
とはいえ、偉関も吉田も中国からの帰化選手である。 別段ナショナリストになるつもりもないけれど、日本に生まれ育った選手にはハッパをかけたい気分だ。 若い日本人には、中国から帰化した選手のパワーとエネルギーを見習って欲しいものである。
1月14日(金) 5日前、つまり1月9日付けの産経新聞に載った記事だが、ここで紹介しておきたい。 社会学者・加藤秀俊の 「改めたい 『英語だけが外国語』 の風潮」 という一文である ( 「正論」 欄)。
ここで加藤氏は、最近の日本人の 「外国語=英語」 という風潮を批判して、いくつか例を挙げている。
モンゴルからやったきた家族が日本のある町に長期滞在することになったので、地元の人々がその家族の一人から英語を教えてもらうことになった、という。 その人がモンゴルで英語教師をしていたから、ということなのだそうだが、新の国際交流というなら、むしろモンゴル語を教えてもらうべきではないか、モンゴル人の英語の先生から英語を習うのは、日本人の英語教師から英語を習うのと大差がなかろう、と加藤氏は指摘する。
また、別のある地方自治体は、「英語特区」を申請したが、その理由は、その自治体にはたくさんの外国人が定住しているから、ということであった。 ところが、その外国人とは、ことごとくブラジル人の労働者だという。 ならば、なぜブラジルの国語であるポルトガル語を使う 「特区」 になろうとしないのか、と加藤氏は批判する。
まことに加藤氏の言うとおりで、こうした風潮にはもっと批判の声が上がってもよい。
ところで、ついでだから、しばらく前の別の産経新聞の記事を紹介しておこう。 第二外国語を勉強すると頭が良くなる、という耳寄りな (?) 記事なのだ。
2004年10月18日付け産経新聞によれば、英国ロンドン大学ロンドン校 (UCL) の調査によると、若いときに第二外国語を学ぶほど脳が発達するという結論が得られたという。 第二外国語を話す80人とそうでない25人の脳をスキャニング映像で分析。 その結果、第二外国語を話す人は情報処理に重要な役割を果たしていると言われる部分 (左下頭頂葉) の密度が高いことが明らかになった。 第二外国語を話す80人のうち、5歳から英語以外のヨーロッパ語を学んだ25人と、10歳から15歳の間に第二外国語を学んだ33人は特に密度が高かった。 英国では2010年から子供を対象に、言語教育をより徹底させる方針だという。
つまり、外国語を複数やることは知的能力を形成する上で大事だということなんだね。
ところが、最近の日本の 「大学改革」 では外国語の授業がどんどん削減されている。 これは外国語教育の 「実用性」 ばかりが強調されて、それ以外の効用が無視されているからだが、とんでもない 「改革」 なのだと分かる。 バカを増やすべく努力しているのが最近の日本の 「大学改革」 なのだ。
しかも、どういうわけか、そういう 「改革」 は外国語教員が率先して行っている。 外国語教員は本来なら外国語教育の多様な意義を知っておかなければならないはずなのに、逆だというわけだ。 つまり外国語教員がバカだからバカを量産する 「大学改革」 が行われる、ということになるわけだ。
もっとも、そうなると実は、上のロンドン大学の研究結果に対する重大な反証となってしまう。 つまり、外国語を一生懸命勉強して外国語教員になった人はバカであり、知的能力が低いのだから、外国語教育は知的能力形成の役に立たない、という結論になる・・・・・ううむ、これは困った(笑)。
1月13日(木) 五嶋みどりヴァイオリンリサイタルが、午後7時からりゅーとぴあで行われた。 女房同伴で聴きに行く。 ピアノ伴奏はロナルド・マクドナルド。 ベートーヴェンの 「春」、ヤナーチェクのソナタ、ドビュッシーのソナタ、ブラームスの第3ソナタと、ソナタ4曲を並べた本格的なプログラム。 座席はCブロック、中央よりやや左。
ヴァイオリンのリサイタルだが、舞台後ろのブロックや3Fまで客を入れて、結構埋まっていた。 最近の東響新潟定期より入りはいい。 五嶋みどりの知名度がそれほど高いということなのだろう。 (りゅーとぴあでは、ヴァイオリンのリサイタルでは普通は3階には客は入れない。)
で、演奏だが・・・・
2年半前に伴奏者も同じコンビをサントリーホールで聴いて失望したが、同じことであった。
まず、音量がない。 音の美しさもない。 ヴァイオリンの独奏者としては、これだけでもかなり致命的というに近い。
加えて解釈もどうもすっきりしない。 もっと素直に弾けばそれなりに感銘もあろうのに、変に伸ばしたりしていじりまわしている印象がある。
最初のベートーヴェンの 「春」
など、全然春の美しさやかぐわしさが伝わってこない。 まあ、「春」
というのは後世の人間がつけたニックネームだから、春を感じさせないように弾くのも勝手ではあるが、じゃあ何があの演奏にあるのかというと、何もないんじゃないかと思う。 「春」
の演奏としては、昨年東京で聴いたセルゲイ・ハチャトリアンはもとより、3年前に新潟に来た千住真理子と比べても感銘が薄い。
ブラームスの3番の緩徐楽章にしても、中音域を素直に弾いていけば悪くないと思うんだけど、そうならない。 一方、速い楽章は解釈の不自然さがない代わりに、音量がないから迫力が出てこない。
ヤナーチェクとドビュッシーは通常の意味での旋律美で勝負する作品ではないから、まあまあかなとも思ったが、ベートーヴェンとブラームスに比べればということで、それほど圧倒的な印象を受けたわけではない。
生演奏を2回聴いて2回とも失望したので、少なくとも当分のあいだ彼女の演奏は聴くことはないでしょう。
1月12日(水) 昨日の続きでまたまた不愉快なことがあった。 親が親なら子も子、ではなく、子が子なら親も親、らしい。 「親の顔が見たい」 という俗諺があったけれど、見たくもないのに見なきゃならない親の顔もあるわけであります。
1月11日(火) 冬休みは昨日で終わって、本日からまた授業だが、新年早々不愉快なことがあった。 詳細は略すが、憮然とする。 どうも今年は1月からロクでもないことが多い。
1月10日(月) 成人の日だが、新潟市は極寒で、粉雪の舞うあいにくの天気。 りゅーとぴあで12時30分からニューイヤー・オルガン・コンサートを聴く。 和田純子さんのオルガンで行われた入場無料のコンサート。
「はたちを祝う」という但し書き付きで、ちょうど成人式に合わせて設定されており、会場には晴れ着姿の初々しい女性の姿も目立った。
バッハの前奏曲とフーガBWV535、F・クープランの
『教区のミサ』 より、フランクの 「英雄的作品」
というプログラム。 和田さんの解説付き。
解説を入れても40分ほどの短いコンサート。 無料だから文句も言えないが、どことなく物足りない。
それと、新成人たちを祝うコンサートならば、必ずしもクラシックやオルガン音楽に慣れていない聴衆が多いことは予想がつくはずで、もう少し有名な曲を入れておくなどの配慮も必要だったのではないか。 最後まで聴かず席を立つ新成人の姿も目立ったが、コンサートに来たというより、ついでの催し物に顔を出してみた、という意識だったのであろう。
さて、これは昼のことだったが、この日は同じりゅーとぴあのスタジオAで、夜7時から、根津要氏(チェロ)
と笠原恒則氏(チェンバロ) による 「バッハを弾く」を聴く。
この演奏会は昼の部と夜の部の2回あったが、その夜のほう。
バッハの無伴奏チェロ組曲第5番とガンバ・ソナタ全3曲という意欲的なプログラム。 スタジオAがよく響くこともあり、何だかパブロ・カザルスがバッハの無伴奏チェロ組曲を弾いたLPレコードを聴いているかのような気分になった。 入魂のバッハ、といったところか。
聴衆は30人弱程度だったが、惜しみない拍手が送られていました。 これで入場料1000円とは、安い! こういう演奏会には、もっと人が集まってもいいと感じる。 地元演奏家の頑張りを支援しよう!
1月7日(金) 左手の腫れが引かないし、押さえると痛みもあるので、整形外科に行って診てもらう。 幸いにして骨に異常はなく、打撲だとのこと。
それにしても、診察・処置・投薬で合計2500円以上かかる。 医者にかかるのも楽ではない。
正月の新聞は毎日も産経も少子化を特集していたけど、日本の未来図として医療費の本人負担が5割になっているという想定がなされていた。 今だって安くはないのに、そうなると医者にかかりたくともかかれなくなる場合が出てこよう。 あらかじめ見積もりをとってから診てもらう、とか。 とほほ、なのである。
みなさん、子供をちゃんと作りませう。 わたしゃ、3人作ったので義務は果たしました(笑)。
1月6日(木) 夜、H卓球クラブに練習に行く。 本年の初打ちである。
ところがやっている最中、左手の甲を台の角に強くぶつけてしまった。 親指と人差し指の間のあたりである。 その部分が腫れ上がって、左手に力が入らない。 やれやれ、初打ちがロクでもない結果となった。 先が思いやられる。
閑話休題。
本日の産経新聞に興味深い記事が載っていたので紹介しよう。 《 独で映画 『滅亡』 公開 「人間ヒトラー」 に波紋 》 という見出しである。
さきごろドイツでヒトラーを描いた映画が公開され、タイトルは”Der Untergang (滅亡)”であるが、ヒトラーを血の通った人間として描いており、公開の是非と含めて激論が国内外で起こったが、世論調査ではこの映画は7割近くの人に肯定的に受け取られているという。
映画は、第二次大戦末期、首都ベルリンをソ連軍に包囲され、地下壕で愛人エヴァ・ブラウンや腹心の部下らと最後の2日間を過ごすヒトラーを描いている。
抗しがたい現実に絶望しながらも、女性秘書や犬に優しい心遣いを見せ、料理人に感謝の言葉を述べるなど、人間的なヒトラーの姿がとらえられている。 ヒトラーの女性秘書の回想録や、歴史家ヨアヒム・フェストの著書を元に、ベルント・アイヒンガーが脚本を書いたもので、内容はほぼ史実に基づいているという。 監督はオリバー・ヒルシュビーゲル、ヒトラーを演じたのはブルーノ・ガンツ。
昨2004年9月に最大規模の約400館で公開され、制作費は1350万ユーロ(約19億円)と、ドイツ映画としては最大規模。 約450万人が映画館に足を運んだという。
ドイツの左派系高級紙 『ツァイト』 では映画評論家イェッセンが 「ヒトラーはとらえどころのないモンスターだ。 このような映画が出現するとは驚きだ。 タブーは破られた」 と論じた。
また保守系の高級紙 『フランクフルター・アルゲマイネ』は、「この映画は、ヒトラーに共感を持つことが許されるかどうかの問題を提起している」 と述べているという。
フランスの『リベラシオン』紙は、ドイツ人はヒトラーを人間として描くほど成熟しているのか、と露骨に不快感を示したという。
このニュース、一部の日本のマスコミではすでに昨秋紹介されていたので、産経の記事はやや遅れた感もあるが、あらためて戦後の歴史が見直しの段階に入っていることを印象づけたものと言えそうだ。
1月4日(火) 今年度は独法化で新潟大の予算が縮小しているという話は別のところにも書いたけれど、12月になってから大学院の教育費という枠で新規募集があったので、私は合計17万円分ほどの図書を応募しておいた。 いずれも新潟大には入っていないという条件をクリアする図書ばかりである。 しかしその締め切りが12月21日、選考結果が分かるのは年が明けてから、という話であった。
これまでも一般学生向けの図書は、色々な予算枠を利用したり、自分の研究費で買って図書館に寄付ということにしたりしながら揃えてきたのだが、今年のように研究費が激減してしまうと自分の研究費から買うこともできないし、各種の枠もなくなったり金額が減ったりで、とにかく利用できる機会は全部利用しないと、学生がレポートを書くのに必要な図書すら図書館に入らないことになってしまうのである。 大学貧乏物語、ですなあ。
さて、私は12月26日から30日まで船橋に行っていたので、応募結果がどうなったか知らなかったのだが、昨日研究室でメールを確認したら私の応募が採用になった、という通知が12月末に来ていた。 至急図書館に書類を出してくれ、と書いてある。 それで昨日は研究室で図書校費購入用の書類書きを必死に行った。 17万円分というと、結構大変なんですヨ。
といっても、大学が始まるのは本日なので、書類は本日、直接図書館の事務に持っていて頼んできた。 何しろ、図書館への図書納入期限は1月20日なのだ。 はたして間に合うかどうか、危うい。 だいたい、12月になってから新しく使える予算枠をよこす、というのが遅すぎるのだ。 最低、11月中にしてもらわないと。
ところで私はどういう図書を発注したのか? 独文関係、ドイツ関係、美術・音楽関係、ポストコロニアリズム関係、などなどである。 参考までに、以下に掲げてみよう。
瀬川裕司: 映画都市ウィーンの光芒(青土社)2520円
ソロモン(編): ベートーヴェンの日記(岩波書店)2940円
ラルフ・フリードマン: 評伝ヘルマン・ヘッセ(草思社)上下計5145円
エステバン・ブッフ: ベートーヴェンの「第九交響曲」(鳥影社)4935円
P・ゲイ: シュニッツラーの世紀――中産階級文化の形成1815―1914(岩波書店)4200円
トーマス・マン: トーマス・マン日記1949―1950(紀伊國屋書店)14700円
越宏一: ヨーロッパ美術史講義 風景画の出現(岩波書店)2940円
ブレイニー・ブラウン: ロマン主義(岩波書店)5040円 〔美術史上のロマン主義〕
『ブラームス回想録集1 ヨハネス・ブラームスの思い出』(音楽之友社)1680
円
『ブラームス回想録集2 ブラームスは語る』(音楽之友社)1785円
『ブラームス回想録集3 ブラームスと私』(音楽之友社)1785円
ゲーテ: ゲーテ美術論集成(青土社)2200円
フォーシュワー: 印象派絵画と文豪たち(作品社)3600円
アメリカ教育省(編): アメリカの教育改革(京都大学学術出版会)3675円
バレンボイム/サイード: 音楽と社会(みすず書房)2940円
飯倉章: イエロー・ぺリルの神話(彩流社)2625円 〔黄禍論にたいするアジア側の反応など〕
小磯仁: ヘルダリーン――愛の肖像(岩波書店)3990円
平野嘉彦: マゾッホという思想(青土社)2520円
ノイズ: マゾヒズムの発明(青土社)2800円
ヴィッパーマン: 議論された過去――ナチズムに関する事実と論争(未来社)3800円
池田浩士: 虚構のナチズム――第三帝国と表現文化(人文書院)4095円
小野清美: 保守革命とナチズム(名大出版会)6090円
山田由美子: 第三帝国のR・シュトラウス(世界思想社)2310円
佐藤恵三: ドイツ・オカルト事典(同学社)4300円
九頭見和夫: 太宰治と外国文学(和泉書院)2940円
エッカート: 日本帝国の申し子(草思社)2520円 〔韓国資本主義の日本支配下での発達〕
大井浩一: メディアは知識人をどう使ったか(勁草書房)2520円 〔敗戦直後の日本におけるメディアと知識人〕
トーマス・ベルンハルト(池田信雄訳): 消去(みすず書房)上巻2800円、下巻
3000円
岡野安洋: シュニッツラーの家庭崩壊劇(鳥影社)1900円
宮下誠: 迷走する音楽(法律文化社)3675円 〔クラシック音楽批評に対する批判論〕
バーグリーヴズ: 人はなぜ音楽を聴くのか――音楽の社会心理学(東海大出版会)5000円
ロザリンド・H・ウィリアムス: 夢の消費革命――パリ万博と大衆消費の興隆(工作舎)5040円
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さて、本日は夜7時から新潟テルサで
ハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場ガラ・コンサートを聴く。 妻と娘が同伴。実は当初は行く予定ではなかったのだが、某所からの斡旋で格安料金だったので・・・。 昨年のフィルハーモニア・カルテット・ベルリンで同じことが行われたときは、正規料金で入った私はむっとしたものだけれど、自分がトクをすると何とも思わないのだから、人間、いい加減なものである(笑)。
でも、後ろの方の席はがらあき。 それならケチらないで最初から格安チケットをばらまけばいいのに。 主催はBSNでだけれど、宣伝が下手ですね。
私はオペレッタにうといので、知らない曲が多かったが、歌だけでなく、ダンスや時としてアクロバティックな身のこなしをまじえた2時間半で、十二分に楽しめた。 歌では特にソプラノのカルチャイ・ジュジャがすばらしかった。 開演前にロビーでハンガリーの民族楽器を用いた演奏もあり、とにかく出演者たちのサービス精神には頭が下がりました。
今年もこの調子で、楽しく充実した演奏会が続くといいと思えたコンサートであった。
新年を期して、というわけでもないが、私はジャケットを1着買う。 女房は娘に半額セールの子供服を買いたかったらしいが、いいものがなく、後日ということになった。 昼食は建物内にある九州ラーメンの店に入ったが、行列が出来ていて30分ほど待たされました。
1月1日(土) 元旦である。 あけましておめでとうございます。 本年もよろしく。元旦ではあるが、特にやることもない。 老母の住む船橋で過ごすときは近くの瀧不動というお寺に初詣に行くのだが、新潟では行きつけの場所がない。
それに昨年末に船橋に行った際に瀧不動にはお参りしておいたし、新潟への帰りにちょっとだけ故郷いわき市に寄ったときにも、小名浜の諏訪神社にお参りしておいた。 ここは、私が幼稚園時代に時々行っていた場所だ。 神主さんが幼稚園長だったからである。 年末でもお参りに来る人が結構いたが、多分新年はどこかに旅行にでも行くのだろう。
というわけで、何も書くことがない正月でした。
そこを敢えて書くなら、昨年は地震や水害など新潟には災害が目立ち、年末にはスマトラ沖地震津波という超弩級の世界的な災害があったけれど、今年は平穏無事でありますように、ということでしょうか。 平凡ですが、平凡さが貴重に感じられる今日この頃ですので。