音楽雑記2007年(3)                           

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 音楽雑記2007年の4月まではこちらを、5月から8月まではこちらをごらん下さい。

 

12月31日(月)    *学者が信頼されるには、事実認識を正確に行うことが第一

 すでに新聞等でも報道されているからくだくだしく書かないが、第二次大戦中の沖縄戦での教科書記述に決着がつき、集団自殺について 「軍の強制」 とは書かないものの、「軍の関与」 というような表現で妥協をはかったようである。 

 歴史記述や認識が政治的な道具として使われるようになったのは、昨今のことではない。 私は学問としての歴史と教科書の記述は別物と見なしており、それが政争の具に使われることを好ましくないと考えるが、それにしても教科書記述が歴史的事実と相違していいはずはなく、今回の事件はその意味では学者や識者の見識が問われた場面であったと言えるだろう。

 ところが事実に即して冷静中立的な議論を展開するべき歴史学者などが、必ずしもそうした態度をとらないし、また事実の認識という基本的な事柄においてすら怪しいという現実もあるわけで、私が12月11日のこの欄で記したとおり新潟大学もその例外ではない。

 長い目で見れば、こうした態度は学者に対する世間の信頼感を失墜させ、自分で自分の首を締めるものでしかあるまい (かつてのマルクス主義経済学者のことを考えてみればいい)。 いや、歴史学者に限らない。 イデオロギー (マルクス主義のような大げさなものでなくとも、細かいイデオロギーはいまだに健在である) に目を曇らされて現実を見ることができない学者は少なくない。 過去と現在における現実を正確に捉える――この基本に立ち返ることが、現在の文系学者に何より求められているのだと思う。 自戒も込めて、本欄の今年最後の言葉としたい。

12月29日(土)     *今年の音楽会を振り返って 

 新潟市の今年の音楽会もすべて終わり、2007年を回顧する時期になった。 例年のごとく、音楽会の年間ベスト10を選んでみた。 もちろんすべて私が自分で聴いたコンサートの中から選んだもの。 順位なしで日付順に並べよう。

 加えて今年は、地元演奏家による音楽会から三賞も選んでみたが、どんなものだろうか。 無論、私の聴いていないコンサートだって結構あるわけで、選ばれなくても気にしないでいただきたい。 要するにお遊びですからね。

 ・3/7 ワーグナー: オペラ 「さまよえるオランダ人」 (東京、新国立劇場)
 ・4/22 茂木大輔のオーケストラコンサート第3回: 「英雄」徹底解説 (りゅーとぴあ)
 ・6/17 東京交響楽団第546回定期演奏会 (ミューザ川崎)
 ・7/15 東京交響楽団第42回新潟定期演奏会 (りゅーとぴあ)・・・・スダーンの指揮によるベートーヴェンの第4交響曲がすごい演奏だった!
 ・9/7 プラジャーク弦楽四重奏団演奏会 (音楽文化会館)
 ・9/15 小山裕幾フルートリサイタル (りゅーとぴあ)
 ・9/26 ポツダム室内合奏団 Kammerakademie Potsdam演奏会 (ハンブルク、ライスハレ音楽ホール)・・・・ユリア・フィッシャー、ダニエル・ミュラー=ショット、マルティン・ヘルムヒェンを独奏に迎えてのベートーヴェン三重協奏曲がすごかった!
 ・11/3 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会 (東京、サントリーホール)
 ・11/20 アレクサンダー・ガヴリリュク ピアノリサイタル (長岡市中之島文化センター)
 ・12/5 エリザヴェータ・スーシェンコ・チェロリサイタル (だいしホール)

殊勲賞
 ・4/4 成嶋志保&日馬美帆子・ヨーロッパからの二重奏 (だいしホール)
技能賞
 ・6/23 アンサンブル・オビリー室内楽演奏会2007 (新潟市黒埼市民会館)
敢闘賞
 ・9/8 第3回新潟古楽フェスティバル (りゅーとぴあスタジオA)

12月28日(金)     *新潟市のTジョイは生まれ変われるか

 本日、久しぶりにTジョイ新潟万代に映画を見に行った。 1ヶ月以上行っていなかったのである。

 すでにここにも何度か書いているが、現在、新潟市にはシネコンが4軒ある。 ユナイテッドシネマ、ワーナーマイカル新潟、ワーナーマイカル新潟南、そしてTジョイである。

 以前の私は、シネコンではユナイテッドに次いでTジョイをよく利用していた。 理由は簡単で、ユナイテッドは (1) 駐車場無料、(2) 毎週メンズデーあり (3) ポイントカード (6回見ると1回無料) あり、と三拍子揃っており、Tジョイは都心部にあるため (1) のサービスはないが、(2) と (3) はあったからだ。 これに対して、以前は市内に1軒だけだったワーナーマイカルのサービスは悪く、(1) だけであり、(2) も (3) もなかったから利用頻度は一番低かった。

 ところがこの秋、新潟市内に2軒目のワーナーマイカルができるに及んで事情に少し変化が生じた。 Tジョイが (3) のサービスをやめてしまったのに対し、ワーナーマイカルは逆に (3) のサービスを開始し、さらに (2) のメンズデーは相変わらずないものの、各月の20日と30日はTカード持参者に限り1000円のサービスを開始した。 これによって、従来はサービスの良さはユナイテッド――Tジョイ――ワーナーマイカルの順であったのが、ユナイテッド――ワーナーマイカル――Tジョイとなった。 したがって、Tジョイに行く頻度は低くなったというわけである。

 本日は新潟市ではTジョイでしかやっていない映画を見るために久しぶりに行ったのだが、チラシを見て、来月Tジョイが改修を行うのを知った。 1月21日から25日までリニューアルのため休館とするのだそうである。 「生まれ変わるTジョイ新潟万代にどうぞご期待下さい」 とチラシに書かれてあった。

 ワーナーマイカルが2軒目を新潟市内に作ったため、シネコン同士の競争が激化していることも、すでにここで何度か書いている。 ユナイテッドは先月リニューアルで館内の椅子を入れ替え、グリーン車並みの広い快適な椅子を用意した。 現時点では、椅子の快適さで言えばユナイテッドは新潟市内では他館を断然凌いで第一位であろう。

 Tジョイのリニューアルはそれを追うものなのだろうか? まあ、椅子がよければそれに越したことはないが、よく映画館を利用する人間の立場からすれば、ポイントカードを復活してくれ、と言いたい。

 また、作品選択も大事である。 シネコンが4軒あっても、どこも同じようなハリウッド大作や大手邦画の配給作をやっているのでは、意味がない。 ワーナーマイカルが市内に2軒になりながら、その点であまり新味を出していないことはすでにここにも書いた (12月1日参照)。

 もっとも、この点ではここにきてTジョイの方向転換が感じられないでもない。 Tジョイはもともと東映の子会社的なシネコンであるせいか、ハリウッド大作を除いては洋画の上映に消極的な印象があった。 しかし来年初めには 『4分間のピアニスト』 や 『ベティ・ペイジ』 を予定しているそうで、期待が持てる。 この方向性を大事にしてほしい。 また、未確認情報だが、6回で1回無料のポイントカードを再導入という話もある。

 いずれにせよ、新潟市のシネコン4館の競争は来年が正念場であろう。 

12月25日(火) 年末ということもあり、本日、ユニセフと国境なき医師団とにわずかばかり寄付をしました。 (なぜわざわざ自分の寄付行為について書くかは、2005年7月29日の記述をごらんください。)

12月24日(月)    *『街の記憶 劇場のあかり 新潟県映画館と観客の歴史』 が出版された

 やや遅れたけれど、ここで標記の本を紹介しておきたい。 「遅れた」 という意味は、12日前、つまり12月12日にシネ・ウインドに映画を見に行ったときに本書をいただいたのであるが――何しろ私はこの映画館の株主である (10月28日参照) ので――色々あって紹介が延び延びになっていた、という意味である。

 映画という文化は映画館とともにある。 今でこそテレビやDVDなどで気軽に見られるようになっているが、昔は映画館に行かなければ映画は見られず、その映画館がどういう建物であったかはもちろん、街のどのあたりにあったかとか、どういう映画を主として上映していたかなど、さまざまな要素が映画館の記憶には含まれている。 つまり、映画はそれを見た人間にとってはそうした場所の記憶とともに存在するのであり、その意味で地域性と切り離すことはできないのだ。

 しかし一方で映画館というのは栄枯盛衰の激しいものであり、ついこないだまであったはずの映画館が気づいたら消えている、というケースも少なくない。 また昨今は規模の小さな地方都市にはそもそも映画館というものが存在しない場合が多い。 新潟県で言うなら、県都・新潟市に次ぐ第二の都市・長岡市ですら、80年代には一時映画館が存在しない時代があったのだし、現在の新潟県なら、新発田市や柏崎市など人口が10万人前後の都市が映画館のない町となっている。

 本書は新潟県内にかつて存在した映画館をあたう限り記録に残しておこうという努力の産物である。 シネ・ウインドが出している月刊誌 『ウインド』 が昨年250号を迎えたのを記念して企画がスタートし、1年あまりの歳月をかけて完成した本だ。

 私 (三浦) は福島県の出身で、新潟県にとってはいわば余所者である。 新潟市に住むようになったのは1980年だから、それ以前の映画館のことはまったく知らない。 いわんや新潟市以外の映画館についてはまるで知識がない。 しかし本書をざっと見ただけでも、昔は映画館がどれほど多くの地域に存在していたかが分かって驚いてしまう。 

 例えば月潟村である。 現在は合併して新潟市に含まれるようになっているが、「村」 である月潟にもちゃんと (?) 映画館があったのである。 同じく 「村」 である入広瀬村――現在は合併して魚沼市――にも映画館は存在した。 入広瀬村の名は、鉄道ファンならご存じかも知れない。 辺地を走る鉄道として有名な只見線沿線にあるからだ。

 いわば日本の隅々まで存在していた映画館という文化施設を、きちんと書物の形で記録に残しておこうとする本書は、きわめて大きな意義を持つものだと思う。 もちろん、内容は完璧ではないだろう。 昔あった映画館が公式記録として文書になって図書館に収録されているわけではないから、多くのつてをたどって編集・記事作成が行われたものの、多くの方による協力があったものの、遺漏も多いと思われる。 しかし何にしても本書を手に取らなければ遺漏があるかどうかも分からないのだから、興味のある方は是非、本書を手に取っていただきたい。

 定価は1800円(税込)。 B5判、208ページ。 申し込みはシネ・ウインドへ。 電話 025-243-5530、メルアド: cinewind@mail.wingz.co.jp   

12月23日(日)    *石山地区卓球大会に参加

 本日は朝から、東新潟スポーツセンターで開催される石山地区卓球大会に出場。 石山地区というのは、新潟市の中心部から見て南東のほうにあり、信越線で言うなら新潟駅から上り列車に乗るとすぐ次が越後石山という駅になっているのだが、そのあたりである。 私はこの大会には昨年に続き2度目の参加。 H卓球クラブのMM氏に出ないかと言われ、近所に住むN卓球クラブのMS氏を誘って参加したもの。

 新潟市の地区卓球大会は、必ずしもその地区の住民だけでやるわけではない。 市内全域から卓球愛好家が集まるのが通例で、本日の大会もそうである。 ただし試合形式は地区ごとに異なっており、本日の大会は団体戦形式で、10チームに分かれて総当たり戦を行う。 1チームは原則男女各6名で構成されており、試合は各チームから男女ペアを5組ずつ出して対戦させる。 つまりダブルス5ゲームということで、、3組以上が勝てば勝利となる。 ということは1試合で男女各5名が必要となり、チームは男女6名で構成されているから、男女1人ずつ余るわけで、そこは持ち回りで休むこととなる。 男女のペアも試合ごとに組み合わせを変えることになる。

 午前中5試合、午後4試合という日程。 10チームはアルファベットA〜Jで名付けられ、私は最後のJチームであった。 わがJチームは5勝4敗の成績だったが、10チーム中の順位は第7位。 勝ち越したのだから悪くても5位くらいかと思ったのだが、7勝2敗が2チーム、6勝3敗が3チームあり、また同じ5勝4敗のチームがもう一つあって、勝ちゲーム数の差 (例えば、1試合につき同じ勝つにしても3−2で勝つより4−1で勝つ方が上、ということ) でこちらが7位となってしまった。 言い換えれば、これより下の順位のチームは1勝8敗などボロ負けだった、ということである。

 私個人は6勝2敗 (1回は休み) でした。 というと強そうに見えるかも知れないが、相手が弱かったのです (笑)。 いや、真面目な話、ものすごく強い人――高校時代はインターハイで県代表だったというような人――はこういう地区大会には出てきませんのでね。 せいぜい中学時代はクラブに入っていた、程度の人である。 本日も、私と一度ペアを組んだ中年女性は、中学時代はクラブでやっていたものの、その後30年間ごぶさたで、最近中学生の息子が卓球クラブに入ったので、自分もまたラケットを握ることにしたのだそうである。 社会人の卓球大会はいろいろな年齢や経歴の人がいるわけで、そこがまた楽しいものなのである。

12月21日(金)     *森永卓郎は分かっていない

  本日の新聞で、文科省の平成18年度 「子供の学習費調査」 の結果が報道された。 私立小学校に子供を通わせる親の年収は1000万円以上が6割であるとか、公立中学生の塾への年間平均支出は24万6千円で、しかも子供にカネをかける親とかけない親との二極分解が進んでいるとか、年収1200万円以上で私立小学校に子供を通わせる世帯の塾などへの支出が年間37万3千円であるのに対し年収400万円未満で子供を公立小学校に通わせている世帯の塾費用は6万1千円であるなど、親の経済格差がそのまま子供の進学などにも影響している実態が明らかになっている。

 こういう調査自体はたいへん意義のあることだと思う。 ところが、産経新聞ではこの記事の最後に、経済アナリスト森永卓郎のコメントを載せている。 親の所得が高くないと子供もいい大学に進めない傾向がある、とするところなどはまあ良いが――別に 「経済アナリスト」 でなくともこの程度のことは言えると思うけど――その後がよろしくないのである。 「最もお金がかかるのは高校生のころ。 少子化対策に取り組むなら、中高生の親を支援すべきだ」 とのたもうているからだ。

 冗談ではない。 子供に最もお金がかかるのは、高校生のころであるはずもない。 大学生時代に決まっているではないか。

 理由は簡単である。 たしかに大学生になると塾通いの費用はかからないが、自宅を離れてアパート住まいを始める場合が多いからだ。 森永の「分析」 は、「自宅通学なら」 という前提が入らないと成り立たない。 今どきアパート暮らしをする大学生に親がどの程度仕送りをしているのか、森永は知らないのだろうか。 上に述べた私立小学校に子供を通わせる年収1200万円以上の親が出している37万3千円どころではない。 かりに月10万円の仕送りとしても年間で120万円もかかるのである。 加えて大学は学費が高い。 国立大学ですら年間50万円以上。 私立なら安い文系でも80万〜100万円がふつうであり、理系や芸術系なら無論もっと高額である。 医学部や歯学部については言うまでもあるまい。

 調べてみたら、森永は都立戸山高校から東大を出ているので、多分都内で育ち、高校・大学と自宅通学をしたのだろう。 道理で視野が狭い――つまり分かっていない――わけだ。 こういう分かっていない 「経済アナリスト」 をコメンテーターに使うのは、やめてくださいね、産経新聞さん。

12月18日(火)      *中高年の自殺

 夜6時から、新潟大学生協の理事会に出席。 理事会には、月ごとの保険事業の報告が出る。 今はむかしとちがって、学生は入学時に生協連合が用意している保険に加入するのが通例で、自分が病気や怪我をしたり、親に不幸があったりした場合は保険金を受け取れるわけだ。

 理事会では1ヶ月ごとに、どういうケースにどれだけ支払ったか、という報告が出される。 無論学生個人の名は出ないが、例えば何月何日に体育の授業中にかくかくの怪我をしたので医院に○日間通ったから×万円支払った、というような報告である。

 今月の報告で目を惹いたのは、親が死んだので10万円支払ったケースが3件あったことである。 親の死というケース自体は珍しくないのだが、問題はその理由である。 3件中2件は 「自殺」 となっていた。

 生協理事会の報告書にはそれ以上の説明は出ないから、無論正確なところは分からないけど、子供を大学に行かせている年代の親の自殺というと、どうしても不況だとかリストラなど仕事がらみの悩みからではないか、と考えざるを得ないのである。

 私はかねがね思っているのだが、日本における自殺、それも中高年の自殺の多さについてはマスコミでもっと問題にされてもいいのに、なぜかあまり記事にならない。 不思議なことだ。 タブーでもあるのだろうか。 それとも中高年の男は社会的な強者だという思いこみがあるからだろうか。 マスコミの偏向というのは、なにも左右の政治的なブレだけではないのである。

12月16日(日) 午後3時から藤原真理クリスマスコンサートを新発田市の新発田市民文化会館で聴く。 中一の娘を連れていく。 一応無料のコンサートであるが、中越沖地震復興支援コンサートでもあるので義捐金を、私はウン千円、娘はウン百円払っての入場。 ピアノ伴奏は倉戸テル氏。

 私はリサイタルでは藤原さんの演奏を聴くのは初めてである。 だいぶ前に、ヴァイオリン (カントロフ) とピアノ (すみません、お名前を失念しました) との三重奏での演奏は聴いたことがあるが。

 プログラムは、前半がバッハの無伴奏チェロ組曲第3番、ベートーヴェンのピアノとチェロのためのソナタ第3番、後半がドヴォルザークの 「我が母の教えたまいし歌」 「インディアン・ラメント」 「ユモレスク」、シューマンの 「トロイメライ」、R・シュトラウスの 「トロイメライ」、ウェーベルンの 「3つの小さな篇 op.11」。 アンコールにサン=サーンスの 「白鳥」 とエルガーの 「愛の挨拶」、そして 「鳥の歌」 が演奏された。

 藤原さんのチェロは大らかでよく広がる、ヒューマンな音色である。 私としてはやはりバッハが良かったかな。 後半の小品集もなかなかだった。 R・シュトラウスにも 「トロイメライ」 という曲があるとは知らなかった。 アンコールの 「愛の挨拶」 は、わりに情熱的な挨拶だな、藤原さんってそういう人なのかなあ、なんて妄想半分で聴いていた。 欲を言えば、ベートーヴェンでは伴奏の倉戸氏にいまひとつの自己主張があれば。 藤原さんを立てるべく遠慮したのかもしれないが、この曲では伴奏に徹してはいけないと思う。

 演奏会に連れていくと小娘特有の生意気な発言をすることが多い娘も、この日の演奏にはすっかり感心していたよう。 是非また聴く機会を作っていただきたい。

 演奏会が終わって駐車場に出ると、愛車は雪をかぶっていた。

12月15日(土)   *日本言語政策学会の関東月例研究会――手話に関する興味深い話      

 本日は午後3時から早大で開かれた日本言語政策学会の関東月例研究会に出席する。 野呂一(のろ・はじめ) 氏 (中野区役所職員・ろう歴史研究家) によるお話で、日本における聾教育の歴史についてである。 野呂氏はご自分も耳が聞こえず、発表は手話で、2人の通訳者を介して行われた。

 聾教育というと、手話と口話があり、私はこの方面の知識はまるでないものの、むかしアミーチスの 『クオレ』 を読み、そこで聾の少女が当時としては最新式の口話法の教育を受けるという話が出てきたので、「手話は古いやり方、口話法こそ最新式」 というそこでの説明を何となくそういうものだと思い込んでいた。 ただ、教育テレビなどで時々手話の番組が流されているので、手話はすたれていないのかな、程度に思っていたわけである。

 しかし話はそれほど簡単ではないらしい。 そもそも口話は自分で声を出せるということが前提になっているが、生まれつき耳が聞こえない人からすると声というものを聴いたことがないわけで、ということは 「発声する」 ということ自体がどういうことなのか分からないのだから、口話法といっても必ずしも誰でも可能な方法ではないということになる。

 口話法と手話法の闘争、みたいなものから、聾の人々の教育法という問題が出てくるわけで、またそこに、各国語の教育――日本人なら日本語教育――の問題も入ってきて、結構ややこしいし、また時代ごとの言語教育イデオロギーも絡んできて、多面的な難しさを抱えているもののようである。

 啓発されるところの多い2時間であった。

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 さて、研究会が終わったのが午後5時。 急ぎ地下鉄で早稲田→九段下→青山一丁目→溜池山王と乗り換えて、午後6時から読売日本交響楽団第466回定期演奏会をサントリーホールで聴く。 このオケはずいぶん久しぶり。 遠い昔、30年ほど前にたしか渡辺暁雄の指揮でシベリウスの2番をやったのを聴いて以来。 当日券でCランク席5000円。 2階の舞台右脇で、ちょうど正面にピアノコンチェルトのソリストの顔が真正面から見えるあたり。 客の入りは6割ないし6割5分くらいの感じ。

 指揮は尾高忠明、ピアノが先年東響新潟定期でブラームスの協奏曲を弾いたゲルハルト・オピッツで、プログラムはマルトゥッチのピアノ協奏曲第2番変ロ短調とエルガーの交響曲第2番。

 マルトゥッチ (1856-1909) という作曲家、私は名前も知らなかったが、パンフレットによるとナポリ生まれ、当時イタリアではヴェルディやプッチーニなどのオペラ作曲家全盛時代だったのに、ブラームスばりに交響曲やピアノ曲、室内楽などを中心に作曲活動をした人だそうである。 このピアノ協奏曲第2番は1899年にミラノ・スカラ座でマルトゥッチ自身の独奏、トスカニーニの指揮で初演されているとか。

 で、演奏であるが、最初のマルトゥッチの協奏曲、面白くなかったなあ。 演奏自体は悪くないと思うのだが、ブラームスやシューマンの影響を受けたとパンフに書いてあったけど、華が全然感じられず平凡な曲想に終始し、40分近い、協奏曲としては大曲の部類に入る曲ではあるものの、感動や感興のようなものは一向に湧いてこない。 無機的、という言葉すら思い出された。 こんなにつまらない曲なんだから知名度がないのも当然だよな、というのが私の結論。

 後半のエルガー。 マルトゥッチと違ってCDも持っている曲だけど、同じ作曲家のチェロ協奏曲やヴァイオリン協奏曲と比べるとどうももう一つなじみにくいという印象がある。 その辺で、新しい光みたいなものが見えてくるといいなと期待したのであるが、うーん、光は見えなかったかな。 協奏曲に比べると何かがうまくいっていない気がする。 演奏が悪いわけではないけど、曲に魅力がそれほど備わっているとは感じられなかった。

 というわけで、演奏自体は悪くないけど、イマイチの演奏会だった。 アンコールはなし。 夜8時52分東京発の事実上最終新幹線――なぜ事実上かというと、この後の本当の最終だと新潟駅から自宅まで (約15キロもある) の交通手段がタクシーしかなくなってしまうから――に乗るべく、帰路に就いた。 銀座線で、向かい側に35〜40歳くらいかと思われる中年男性と、その息子らしい10歳くらいの男の子が並んで座り、いずれも本日の演奏会で配布されたパンフを読んでいた。 うーむ、10歳の男の子がこのプログラムのコンサート・・・・将来は尾高忠明氏のような指揮者になるかも(^^)。

         *

 ところで、読響演奏会で配布されたパンフ、正確には 『月刊オーケストラ』 という84ページある冊子なのであるが、これ、ずいぶん中身が充実しているのだ。 12月に行われる読響演奏会のプログラム (曲目紹介、演奏家紹介を含む) だけじゃなく、色々な記事が載っていて楽しめる。

 「欧米音楽界情報」 という欄があって、ベルリン、ウィーン、パリ、モスクワでの音楽界最新情報が紹介されている。 「奥田佳道の今どきのクラシック探訪」 というページでは、田村響がロン・ティボー国際コンクールで優勝した話題をまず取り上げ、それからこのコンクールの性格を説明し、ついで最近注目されるピアニストの紹介と話を広げていき、情報としても読み物としても面白い。   かと思うと、来年1月に読響が演奏会でとりあげる曲目について、お薦めCDを紹介するコーナーもある。

 うーむ、相当に手間暇とお金をかけた雑誌だ。 やっぱりお金持ちの読売新聞がバックについているオケだからだろうか。 この日の読響演奏会で一番感心したのは、音楽よりこの雑誌だった (笑)。

 雑誌と言えば、N響もむかしは演奏会に行くと 『フィルハーモニー』 という雑誌兼プログラムをくれたものだが、最近はくれなくなってしまった。 プログラムだけはくれるが、『フィルハーモニー』 は300円で別売になっている。 ところが定期会員だけには無料でくれるのだ。 私は、これはケシカランと思う。

 NHKは公共放送であり、N響はそのオケである。 本来、日本全国を平等にカバーすべき放送でありオケであるはず。 だけどN響定期は東京でしか行われない。 だから定期会員になれるのは基本的に首都圏に住んでいる人であり、地方在住者でN響定期会員になれるってのはよほどヒマとカネのある人だけということになる。

 であるから、たまに出張などで東京に出て演奏会を聴くときくらい、定期会員と同じ扱いをして欲しいわけだが、こういう形で差別している。 それでも公共放送のオケかっ!と怒りを表明しておきたいと思う。 定期会員へのサービス、ということなら料金が割安になっているのだから、それで十分なはずだろう。

12月14日(金) 日中は国立国会図書館で調べものをしたあと、午後7時から、新宿の東京オペラシティホールで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第214回定期演奏会を聴く。

 この日、実は都響定演が第一志望だった。 インバル指揮でマーラーの第7だというので。 しかしこの指揮者のこの曲目で当日券があるだろうと思っていたのは見通しが甘すぎた。 『ぴあ』 最新号で見たら 「売り切れ、当日券なし」 とのこと。 念のためこの日昼頃に都響の事務局に電話してみたが、当日券は今のところないし、仮に直前に招待者が来ないなどの事情で出るにしても数枚程度だと思うので、来るなら入場できないことを覚悟の上で、と言われてしまい、断念。 やむを得ず、第二志望のこの演奏会にしたもの。

 私は東京シティフィルを聴くのは初めてである。 パンフによると75年の創立だそうで、掲載されているオケ団員名簿を見ると、第1・第2ヴァイオリンが各8名しかいない。 新潟でも定期演奏会をやっている東京交響楽団なら各13〜14人いるのに、懐具合が大変なんだろうな、と思ってしまう。 足りない分はエキストラで補っているのであろう。 実際の演奏会では、第1ヴァイオリン15名、第2ヴァイオリン14名が舞台に乗っていた。

 チケットはSからCまでの4段階で、Sなら6千円、Cなら3千円と、他の在京プロオケに比べると安くなっている。 一番安いC席にした。 2階の右脇の席だが、1階席の前から5列目がちょうど真下になるくらいの位置。 決して悪い席ではない。 実はオペラシティホールは今まで1階席でしか聴いたことがなかったので、一度2階か3階で聴いてみたいと思っていたためもある。

 その2階から見下ろしたら、入りが悪いこと! 1階の入場者は3分の1くらいだろう。 2階の舞台後ろや3階脇席にはほとんど客が入っていなかったから、全体で見ると3分の1以下だったと思う。 東京交響楽団の新潟定期ならどんなに悪くても7割は入りるから、気の毒だなあと思ってしまった。 ふだんからこの程度なのか、プログラムのせいなのか、インバル+都響などの同日公演に人を取られたからなのかは判然としないが。

 前置きが長くなったが、本日のプログラムは、ブゾーニの喜劇序曲op.38、ヒンデミットの「ウェーバーの主題による交響的変容」、コルンゴルトの交響曲嬰ヘ長調op.40という、なかなかマニアックなもの。 ヒンデミットは以前どこかで聴いた記憶があるが、ブゾーニとコルンゴルトは初めて。

 指揮はヴェルナー・アンドレアス・アルベルト。 私は名前も知らなかったが、パンフによると1935年にドイツに生まれ、カラヤンに師事し、ドイツ各地の放送交響楽団の首席客演指揮者や、オーストラリア・クイーンズランド交響楽団の音楽監督などを歴任している人だそうだ。

 最初の序曲は何となく聴いていたのだが、次のヒンデミットになって、これは悪くないな、と感心した。 気合いの入った演奏で、曲が面白く感じられる。 これは演奏会がうまく行っている証拠。 ヒンデミットは好きではないしディスクもろくに持っていないが、これからは考えを改めようか、と思う。

 メインのコルンゴルトの交響曲もよかった。 コルンゴルトという作曲家の持っていたいくつもの側面が出ている曲で、演奏も前半に引き続いて入魂の、と形容したくなるほど気迫がこもっていた。 私はディスクも持ち合わせていない曲だが、探してみようかなあ、という気になった。

 というわけで、第二志望ではあったのであるが、初めて聴いた東京シティフィルに好感を持った。 プログラムの最後に記載された來シーズンの定演予定を見ても、いわゆる名曲路線ではなく、ずいぶん意欲的なプログラムを組んでいる。 機会があったらまた是非聴いてみたいと思った。

12月13日(木)    *日本の音楽遺産である唱歌と童謡の音源は・・・・・ 

 上京する。 銀座などで映画を見る合間に、山野楽器で童謡のCDを探す。

 実は今期は大学で明治から大正時代にかけての唱歌と童謡についての講義をしており、曲もCDで聴かせている。 唱歌は数年前に唱歌についての授業をやった際に 「文部省唱歌集成」 というCD20枚セットのものを研究費で買っておいたのでそれでだいたい間に合ったのだが、今年はその時と違って学期後半に童謡についても講義をしているので、音源が足りなくて困っていたのである。 念のため、唱歌とは文部省が小中学校の教科書に載せるために作ったものであり、童謡は民間の児童向け雑誌などのために作られたものを言う。

 一応、私有物として島田祐子の歌による唱歌・童謡集CD5枚組と、安田祥子・由紀さおり姉妹による唱歌・童謡集CD10枚組を持っていたので、それで間に合うだろうと踏んでいたのだが、実際にやってみると穴だらけなのである。 新潟のCD屋ではとてもその穴を埋められない。

 というわけで銀座の山野楽器なら、と期待していたのだが、残念ながら穴は大半が埋められなかった。 それでも4枚ほど購入し、これで穴の1割程度は埋められそうだが、9割は開いたままである。 夕刻、渋谷のタワーレコードとHMVでも探してみたが、山野楽器のほうがまだマシであった。 

 日本の音楽遺産としての唱歌や童謡がCDであまり出ていない、という現状は何ともいただけない。 大御所・山田耕筰なども、山野楽器には子供向けに作った曲の全集の一部分だけおいてあったが、恒常的に全部が手に入るようにしてほしいものだ。 ちなみに、童謡については授業では金田一春彦の著書をテクストに使っている。 そこには私も聴いたことのない曲がたくさん出てくるのであり、その大部分が今は聴こうにも聴けなくなっているのだ。 安田・由紀姉妹や鮫島有美子などがそれなりに頑張っているけれど、まだ不足だと思う。 どなたか、志ある歌手の大奮闘を期待したい。

   *     *     *

 さて、午後7時からサントリーホールでNHK交響楽団第1609回定期演奏会を聴く。 チケットは買っていなかったが、開演40分前に行ったら 「当日券はないが業務用のチケットが出るかも知れない」 と言われたので、以前にも同じ様な状況で当日券が手に入った記憶があったこともあり番号札をもらって待つこと20分。 13番という縁起でもない番号札だったが、S席を入手 (SかCしかなかった)。 1階中ほど右よりの席。

  指揮は下野竜也、独奏がライナー・キュッヒルで、プログラムは前半がフンパーディンクの歌劇 「ヘンゼルとグレーテル」 前奏曲、プフィッツナーのヴァイオリン協奏曲ロ短調、後半がR・シュトラウスの交響詩 「死と変容」、フンパーディンクの歌劇 「ヘンゼルとグレーテル」 から 「夕べの祈り」 と 「夢のパントマイム」。 フンパーティンクでサンドウィッチにしたちょっと珍しいプログラム。

 下野竜也はN響初登場だそうだが、私も実演で聴くのは初めて。 ずんぐりした体格と童顔がきわめて印象的。 ウィーンフィルのコンマスであるライナー・キュッヒルついてはここで説明するまでもないだろう。 新潟にも以前ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の第1ヴァイオリンとして来演し、きわめつきの名演を披露してくれた。

 言うまでもなく、本日のメインはプフィッツナーの協奏曲。 私も生で聴くのはまったくの初めてだが、キュッヒルはさすがと言うべきか、この作曲家の独特な感触を美しい音色で表現しきっていたように思われた。 聴衆の圧倒的な拍手に応えてアンコール。 私の知らない無伴奏曲で、ちょっと行進曲風の作り。

 後半の 「死と変容」 は、11月にミュンヘンフィルで聴いたばかりなので、比較してどうかと思ったが、やはりミュンヘンフィルに一日の長があるような。 特に木管の音は、あちらが良すぎたせいもあるが、差があるなという気がした。 しかし曲後半の盛り上がりはなかなかだったと言えよう。

 フンパーディンクでサンドウィッチにするというプログラムは、私の聴いた印象では、この演奏会に古典的な枠組みを与えるもののように思われたが、果たしてうまくいったかどうか・・・・。 いずれにせよ意欲的なプログラムで評判だという下野が東響新潟定期に登場してくれるのを待ちたい。

12月11日(火)    *新潟大学19世紀学研究所主催の講演会――残念ながら問題多し 

 午後5時から、新潟大学の19世紀研究所主催の講演会 「フランス植民地主義の過去――消去と復活の間で」 を学内で聞く。 フランス人権同盟の副会長であるジル・マンスロン Gilles Manceron 氏による講演。

 講演会を開催するにあたっての関係者のご苦労を無にするつもりはないが、正直、色々問題の多い講演会であったと思う。 以下、率直な意見を書かせていただく。

 まず、最初に19世紀研究所長の鈴木佳秀先生から、「活発な議論を期待する」 というあいさつがあったが、議論は全然行われなかった。 時間がなく、あらかじめ決められたコメンテーター2人が質問や感想を述べるところで会は終わってしまったからである。 実はこういう顛末はこれが初めてではない。 今年5月26日にやはりこの研究所主催で開かれた国際シンポでも同じで、あらかじめ決められたコメンテーターが発言しておしまいとなった。

 これでは、新潟大学19世紀研究所主催のシンポや講演会は、議論をしないという原則なのだ、と思われても仕方があるまい。 1度なら慣れてないからで済むかも知れないが、同じ誤りが――誤りと同研究所が認識しているならの話だが――何度も繰り返されるのは、議論をしないのが好ましいと同研究所幹部が考えているのでなければ、この研究所幹部には失敗から学ばない人間が揃っている、という結論になってしまうのではないか。

 また、マンスロン氏の講演内容も、はっきり言って植民地主義研究のきわめて大ざっぱなアウトラインを示したものに過ぎず、とても大学教員相手の講演会というような内容ではなかった。 氏の基本姿勢――これについては後で触れる――は正しいと私は思う。 しかし、具体的な事例を豊富に挙げて論じてくれるのでないと、単に基本姿勢が正しいだけでは聞くに値しない。 ポストコロニアリズムという学問的潮流が始まって久しいのである。 植民地主義なんて初めて聞いた言葉ですというようなレベルの人だけ集めて講演会をやるのならともかく、或る程度の予備知識を持つ人間――私に言わせれば今どきの文系大学教師なら当然持っているべき予備知識――を相手にする講演会がどの程度の内容でなければならないか、これを講演会をセットする人間がきちんと考えて同氏に伝えておかなかったところに問題がありはしないか。 言い換えれば、講演会をセットした人間がお粗末だった、ということである。

 また、コメンテーターにも問題があった。 2人とも史学を専攻する新潟大学教授だが、いずれも西洋史専攻ではない。 それでもお一人はそれなりによく考えたコメントと質問をしていたが、もう一人は自分の狭い専攻から一歩も出ずに大ざっぱな質問をするだけで、おまけに話にしまりがなくてだらだらとしゃべり続け、一般聴衆が質問する時間がなくなったのはこの人にも少なからぬ責任があった。

 また、このだらだらコメンテーターと、最初にマンスロン氏の紹介をした人――講演会をセットした新潟大学教授――は 「新しい歴史教科書をつくる会」 に言及したが、はたしてこれは適切な言及だったのだろうか? マンスロン氏の主張とは、歴史的な事実を隠すことなく研究・公開するが、その政治的な利用は戒める、ということである。 日本の歴史教科書が 「自虐的」 であるのは、別段 「つくる会」 だけが指摘していることではない。 国際的な歴史教科書を比較した研究者からもそうした指摘が出ている (これについては鄭大均 『日本(イルボン)のイメージ』(中公新書)47頁以下を見られたい)。 要するに、わざわざ 「つくる会」 に言及した二人は、逆に自分の古いイデオロギー的な体質を見せてしまった、と言えるのではないか。

 マンスロン氏は講演のなかで、奴隷売買に触れ、しかし奴隷売買をしていたのは欧米人だけではなくアフリカ人自身もそれにたずさわっていた、と述べているし、またコメンテーターへの答えの中で、奴隷貿易のなかからジャズという素晴らしい芸術が出てきた、とも述べている。 無論、だから欧米人による奴隷貿易が正当化されると言いたいのではなく、歴史というものはそうした正と邪とが複雑に絡み合っているものなのであり、その絡み合いを冷静に検証するのが学問なのだ、と言っているのである。 私は氏のそうした姿勢に全面的に賛成である。 しかしだらだらコメンテーターや講演会セット者が氏と同じ認識を持っているのかどうかは疑問だし、またそうした姿勢の違いが火花を散らすような議論のなかから鮮明に浮かび上がるというのでもなく、何となくお互い勝手に話をし、聴衆からの意見も聞かぬ間におしまいになりました、という講演会でしかなかった、と私は思う。

 コメンテーター選びに問題があると感じたのは、これが初めてではない。 上で触れた5月の国際シンポでも同じであった。 要するに新潟大学学内の人間関係だけに頼って人選を行っており、その人が本当にコメンテーターとして適切なのかは二の次になっているような印象がある。 こういうことをやっていたのでは、そして今回のようなぬるい講演会をやっていたのでは、せっかく新潟大学から優先的にお金を出してもらっている19世紀学研究所の存在意義も揺らいできかねない。 

 最後に、その場で質問しようと思ったけれど上記のようにその機会が与えられない講演会だったので、疑問を一つ書いておく。 フランスのサルコジ大統領が最近かつての植民地だったアルジェリアを訪問した。 植民地主義について謝罪はしないというのがサルコジ大統領のかねてからの見解であったが、この講演会でのマンスロン氏およびその発言を日本語で紹介した講演会セット者によれば、サルコジ大統領は今回のアルジェリア訪問で以前の見解をくつがえした、ということだそうである。 

 本当にそうだろうか? 12月8日付の産経新聞の報道――山口昌子記者による 「『謝罪せず』 のフランス論理」 ――によれば、フランス大統領は謝罪などしていないのである。 たしかに、「植民地制度は不正だ」 と2度の演説で述べはした。 しかし、これは 「謝罪」 とは違う。 アルジェリア人の 「過去の苦痛、歴史の悲劇が魂に刻んだ傷」 には触れながらも、「過去は否定しないが未来がより重要だ」 と語ったのであって、要するに自分の原則を貫き通したということになるのではないか。

 産経新聞は右寄りだから信用できない、とお考えの向きには、まったく逆イデオロギーの新聞である赤旗も同じ内容の報道をしているということを指摘しておこう (下記URL参照)。 基本的な事実関係の確認すらいい加減な講演会では、ますます説得力がなくなってしまうのである。

 http://sankei.jp.msn.com/world/mideast/071205/mds0712052244003-n1.htm 

 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-12-08/2007120807_01_0.html  

 

12月6日(木)   *芹沢一也の古くささ

 本日の毎日新聞コラムに、芹沢一也が 「弁護とはそもそも……」 という一文を書いている。 先日(10月18日)、「知識人の影響力」 を読んだときも感じたのだけれど、この人、物事の理解がすごく古くさいと思う。 (3日前の小菅信子といい、毎日新聞はもう少し原稿を頼む相手を考えたらどうかなあ。)

 このコラムによると、山口県光市の母子殺害事件の弁護団について、意図的に裁判を遅らせているという理由の懲戒処分請求が東京弁護士会に全国から多数寄せられたのだそうである。 芹沢氏はその例に加え、ボクシングの亀田問題でのメディアによる亀田バッシングをも取り上げて、日本国内が変に道徳的になっている、と述べている。 そして、光市の殺害事件の弁護団の態度は正当な弁護活動だという東京弁護士会の言い分を肯定しつつ、「不当な国家権力の行使から被告を守ることこそが弁護活動の要諦。 その根幹が人権という概念だ。 それまでが、ポピュリズムで押しつぶされつつあるように感じる。 許されない事態だと思う」 と結論付けている。

 うーん、なのですね。 不当な国家権力の行使から被告を守るのが人権――たしかに、その通りである。 しかし、人権は被害者側にもある。 例えば少年による犯罪の場合、被害者側が犯罪者の裁判や処罰に関して十分な情報を与えてもらえない、ということがしばらく前から問題視されており、それがマスコミでも取り上げられて、少しではあるが改善されてきているようである。 

 なぜそういうことが起こるのかといえば、被告は国家権力によって守られているから、である。 少年犯罪だけではない。 大人の犯罪だって同じである。 自分の家族を殺された人間の大部分は、当然ながら犯罪者を殺したいほど憎んでいる。 国家権力がなければ、実行に及ぶ被害者家族もいるだろう。 それを防いでいるのは国家権力なのである。 国家権力あればこそ、殺人をおかした人間は被害者家族から私刑を受けることなく、安全な場所にかくまわれ、裁判を受けることができるのである。 

 しかし犯罪者の人権と被害者家族の人権とは、しばしば相互矛盾を来す。 上で述べた少年犯罪の情報公開などはその分かりやすい例である。 そうしたところまで踏み込んで論じるならともかく、犯罪者=国家権力からの抑圧=それを防ぐ弁護士、というきわめて古典的で単純な図式でしか物事を見られない芹沢一也。 きょうび、こういうコラムに感心する人間がどの程度いるのだろう。

12月5日(水) 午後7時からだいしホールでエリザヴェータ・スーシェンコ・チェロリサイタルを聴く。 だいしホールの入りは7割程度だったろうか。

 プログラムは、前半がバッハの無伴奏チェロ組曲第2番からプレリュード、シューベルトのアルペジョーネ・ソナタ、後半がロカテッリのチェロソナタニ長調、ブレヴァルのチェロソナタト長調より第1楽章、フォーレのエレジー、サン=サーンスの 「白鳥」 とアレグロ・アパッショナートop.43。

 スーシェンコは85年生まれのロシアのチェリスト。 容姿もすぐれていて、特にチェロを演奏しながらかすかに微笑んでいるところは、「かっ、可愛い!」 と叫びたくなってしまうほど。 チェロ界のスカーレット・ヨハンソン、と勝手に命名してしまった(笑)。

 てなことを書くと、「あの男は女流演奏家を容姿で判断する」 という悪評が定着してしまいそうなので (すでに定着しているかもしれないけど)、肝心の演奏に行くと――

 まず、最初のバッハで出だしの音を聴いて、「ガーン!」 と撃たれてしまった。 この音色をどう表現してよいか分からないのだが、深みがあって魂が籠もっていると言おうか、木製の楽器から出てくるというよりは身体の髄から発しているかのような音。 最初にこの音を聴いて、「これは当たりの演奏会だ!」 と確信した。 音だけでなく演奏そのものも素晴らしかった。 惜しむらくはプレリュードだけであること。 全曲聴きたかったなあ。

 次のシューベルトは比較的高い音域で曲が展開されるので、バッハのような深みのある音色があまり聴けなかったのが残念だったが、それでも中音域に独特の滋味が感じられる。 そしてテンポはゆっくり、というか、彼女の場合は 「急がない」 という表現が適切。 いつくしむように一つ一つのフレーズを丁寧に演奏し、それによってこの曲の持っているあらゆる可能性を余すところなく表現しようとしているかのよう。 聴いていると本当に幸福な気分になってくるのである。 音楽って、こういうものですよね。

 後半最初のロカテッリでも、特に緩徐楽章である第2楽章がすばらしく、聴いていて恍惚感を覚えた。 フォーレやサン=サーンスの小品も彼女の手にかかると曲に対して持っていたイメージが一新されるかのよう。

 アンコールにサラサーテのサパテアードとマックス・ブルッフの 「コル・ニドライ」 が演奏された。 ブルッフがまた情感のこもった大変な名演!

 ピアノ伴奏のエカテリーナ・ダニエリャンはお母さんだそうで、母娘だけあって息はぴったり合っていた。 お母さんはピアノのふたをぎりぎりまで閉め、音量は控え目にして文字通りの伴奏に徹していたようだが、今日の演奏会ではそれがかえって効果的であったと思う。

 ううむ、本当に来てよかった。 来なかった方はお気の毒、と言うしかない。 私はめったにアンケート用紙に答えない人間だが、この日ばかりは   「是非また新潟に来て欲しい」 と書いて出しておいた。

12月3日(月)    *小菅信子の古くささ

 本日の毎日新聞文化欄に、山梨学院大教授の小菅信子が 『ドイツ和解への道 「忘却」 脱した 「記憶の文化」』 なる一文を載せている。 一読、古くさい学者言説がまた現れたか、とあきれはててしまった。

 3年前、中東で開催された歴史会議に出席した英国の友人が、とんでもないことがあったと小菅にメールを送ってきたのだそうである。 何がとんでもないか、というと、会議の席上、日本人研究者がドイツ人はもう過去にこだわる必要はないと発言して物議をかもしたというのだそうで、小菅は英国人の友人からどういうわけでそんな発言をしたのだと思うか、と尋ねられたそうである。 小菅は発言者の真意は自分にも分からないと述べた上で、いまや和解の問題に関する限り日本はドイツの引き立て役であるかのようだ、と書いてドイツを賞賛する。

 こういう論法――「日本はドイツを見習いなさい」 式の――はとっくに化けの皮がはがれているのだが、それに気づかない小菅の学者バカぶりには心底うんざりしてしまう。

 ドイツの過去というとき、日本と比較するのはおかしい。 ドイツがやったこと――いわゆるホロコースト――は一民族を全滅させようという行為であって、それはいわゆる戦争犯罪や植民地主義に伴う犯罪行為とは別である。 日本が第二次世界大戦でおかした罪とは、帝国主義戦争のそれであって、英国やフランスのやったことと変わりはない。

 だから、小菅は、過去を忘れないのだ大事だと考えるなら、英国の友人にメールするときにはいつも 「英国は過去において大きな誤りを犯しましたね。 なにしろ地球上で日が沈むことのないと言われる大帝国を築いたくらいですから、植民地主義の罪は英国が一番重いのですよ。 それをゆめゆめ忘れてはなりません。 あなたは英国の過去にこだわって懺悔しながら生きるのが正しい生き方です」 と説教してあなくてはならない。

 そういう認識がない小菅は、所詮はヨーロッパ中心主義史観の奴隷と言うしかあるまい。

12月2日(日)   *産経新聞に私の 『ウンラート教授』(松籟社)書評が掲載されました。

 先日 (10月15日)、ハインリヒ・マン著・今井敦訳 『ウンラート教授』 が出たことを紹介しましたが、本日、産経新聞に私の書評が掲載されました。 こちらからご覧下さい。

 *     *     *

 さて、この日は午後5時から東京交響楽団第45回新潟定期演奏会をりゅーとぴあで聴く。 今回の東響定期は、シュテファン・アントン・レックの指揮、小菅優のピアノで、ハイドンの交響曲第104番 「ロンドン」、ラフマニノフの 「パガニーニの主題による狂詩曲」、ストラヴィンスキーの「春の祭典」。

 レックは、私は初めてだが、ヨーロッパの歌劇場などで活躍している指揮者だそうで、東響とは3年前に共演しているとのこと。

 本日のプログラムであるが、ロンドン交響曲は私の大好きな曲で、ハイドンの交響曲の中でも100番の 「軍隊」 と並んでふだんから一番好んで聴いているが、あとの2曲はちょっと不得手。 私の蒙を開いてくれるような演奏であることを願いながら演奏会に臨んだ。

 最初のハイドンは、第一楽章ではやや起伏が足りないような気がしたのであるが、最終楽章に入ると溌剌とした表情を出して盛り上げて終わった。 たとえて言えば、第一楽章はすり足で歩いていたのが、最終楽章では膝を高く上げてスキップしているような感じかな。 古典的というよりはドラマ性を目指した演奏なのかな、と思う。

 さて、第2曲。 上記のように私はこの曲を不得手としている。 協奏曲に準じる作品なのだろうが、ふつうの協奏曲みたいに独奏の効果が上がらない印象がある。 小菅優の演奏はどうか、と思ったのだが、残念ながら曲に対する私の見解を覆してくれるものではない。 あんまり音量もないような気もした。 しかし会場の拍手は暖かく、アンコールでショパンのエチュード作品24−12が演奏された。

 休憩後は 「春の祭典」。 これまた私の苦手な曲なのだが、編成が大きくて舞台一杯に演奏家が並んだ様はなかなか壮観。 これだけ大人数なのだから迫力が相当あるかな、と思ったのだけれど、案外そうでもなかった。 出だしのあたりはどことなく頼りがなかったし、原始的な曲なのだから多少はずしてでも勢いだとか野蛮さが出ればいいのだろうけれど、どうもそういうインパクトが感じられなかった。 うーん。

 客の入りは良く、9割は入っていた。 パンフレットにはさんだ紙に、来期の東響定期のプログラムと、9月にムーティ指揮のウィーンフィルが来る予定であることが記載されていた。 ウィーンフィルは新潟では2003年にティーレマンと共に来演して以来。 世界のトップオケが来るのは無論大歓迎だが、またあの時みたいにチケット争奪戦が繰り広げられるのかな、と思うとちょっと憂鬱にならないでもない。

12月1日(土)   *また新潟映画館事情の話――ワーナーの凡庸さ、ユナイテッドの積極性、Tジョイの消極性

 少し前に新潟市2軒目のワーナーマイカルができたことは、ここでも触れた。 これで新潟市のシネコンは4軒。 ワーナーマイカルが2軒に、ユナイテッドシネマとTジョイである。 過当競争は誰の目にも明らか。

 ユナイテッドとTジョイはこれに対して正反対の対応策をとった。

 ユナイテッドは積極策である。 現在、ユナイテッドは座席を新しいものに切り替える作業をしている。 休館を避けるため、全部いちどきにではなく、8つあるスクリーンを少しずつ順次切り替えるというやり方である。 今までで見ても、ユナイテッドは座席の良さでは新潟の映画館で随一だったと思うが、それをさらに良くすることで客を呼び込もうということのようだ。 メンズデーやレディスデー、ポイントカードなどの既存サービスは維持し、さらにカード会員には年内は日を問わず1300円にしたり、これは今月8日から1月3日までだが、1回の鑑賞で2ポイントを贈呈するなど、とにかく安くすることで客を増やそうとしている。

 実は本日、私もユナイテッドに映画を見に行き、新しくなった座席にすわってみた。 幅が広くなり、肘掛けが各椅子ごとにあって――従来だと、隣り合った座席間には肘を乗せるところが1つしかなかったのが、2つになっているので、隣席の人に気兼ねなく肘が乗せられる――座り心地もよく、これで奥行きがもう少しあれば申し分ないところだが、奥行きを深くするためには各ホールの傾斜そのものを変えねばならず、そうなると大工事になるので、さすがにそこまではできなかったのであろう。 しかし、これでユナイテッドの座席は文句なく、しかも他館に大きく差をつけて、新潟随一と言えそうである。

 一方、Tジョイは逆に消極策である。 6回見ると1回無料というポイントカードを廃止してしまった。 その他のサービスは従来通りだが、2軒に増えたワーナーに対抗して客を呼び込もうという積極的な姿勢が感じられない。 そうでなくともクルマ社会の現代に、繁華街にあるため、駐車料金無料という他のシネコンでは当たり前の条件が欠けているのに、これで大丈夫なのかな、と思ってしまう。

 しかし、2軒になったワーナーマイカルも、2軒になったが故の利点や工夫が感じられないのである。 料金のサービスのことは前にも書いたから省く。 ここで言いたいのは、作品選定のことである。 新しくできたワーナーマイカル新潟南は、オープン当初こそ目新しい、他の新潟のシネコンではやっていない 『長江哀歌』 だとか 『プロヴァンスの贈りもの』 だとかを取り上げて期待を抱かせたのだが、12月1日からの上映作品を見ると、ものの見事に最大公約数的であり、兄貴分のワーナーマイカル新潟とほとんど変わらないのである。

 「新潟」 と 「新潟南」 の12月1日からの上映作品を具体的に比較してみよう。 実に11作品が共通している。 つまりどちらでもやっているのだ。 それらは、 邦画大手の映画――『続・三丁目の夕日』 だとか 『恋空』 だとか 『椿三十郎』――であるか、ハリウッドの大作――『ボーン・アルティメイタム』 だとか 『ベオウルフ』 だおとか 『バイオハザードV』――であるか、いずれかである。

 「新潟」 でやって 「新潟南」 でやっていないのは、『ライセンス・トゥ・ウェディング』 と 『めがね』 だけだが、このうち 『めがね』 は 「新潟南」 オープンの目玉(?)として上映されたから、実際には 『ライセンス・トゥ・ウェディング』 だけということになる。

 逆に 「新潟南」 でやって 「新潟」 でやらないのは、『エクスクロス 魔境伝説』だけである。

 つまり12月1日に上映される12〜13作品のうち、同じ新潟市内の他のワーナーマイカルで取り上げない映画は、1つだけ、なのである。 これでは新潟市内にワーナーマイカルが2軒ある意味がない。 ワーナーマイカルの映画産業としての見識が問われる、と言えるのではないか。

11月27日(火) 本日は午後7時から音楽文化会館でイェルク・デームス・ピアノリサイタルを聴く。 入りは良かった。 9割程度入っていたかな。

 プログラムは、前半が、ハイドンのアンダンテと変奏曲ヘ短調Hob.XVII-6、モーツァルトのソナタ「トルコ行進曲付き」、ベートーヴェンのソナタ第21番「ワルトシュタイン」、後半が、シューベルトの4つの即興曲op.90から第2番と第3番、ブルックナーの「思い出」、ベルクのソナタロ短調、デームス自身の「ひまわりの主題による変奏曲」、ブラームスの2つの狂詩曲op.79より第2番。 

 つまり、ウィーンとゆかりのある作曲家を並べているわけで、デームスならではのプログラムと言えるだろう。 アンコールに、シューベルトの 「楽興の時」 第3番、シューマンの幻想小曲集op.12-2 「飛躍」、3曲目は分かりませんでした。 (余計なことながら、アンコールのシューマンの曲は日本では普通「飛翔」と訳されているけど、これは誤訳。 原文 Aufschwungを独和辞典で見れば一目瞭然。)

 さて、デームスはグルダ、スコダと並んでウィーン三羽烏などと言われて名を売ったけれど、すでに79歳。 したがってそのつもりで、失礼ながらいわば骨董品をいつくしむような心づもりで聴きに行ったわけである。 しかし予想していたよりはだいぶ良かったなあ。

 前半では、ベートーヴェンが一番まともだった。 たしかに怪しげなところもあるのだけれど、全体の枠ががっちりできているので、内部が多少虫食いでも外枠がゆらがないかぎり曲のイメージはそれなりに表現できている、という印象。 その点でモーツァルトは違う。 細部がうまくないと全体の印象が芳しくないことが明瞭。

 後半は前半より元気が出たような印象。 といっても、最初のシューベルトの即興曲2曲のうち最初のは 「随分乱暴だな、シューベルトの陰影も吹っ飛んでしまう」 と思ったけれど、2曲目になったら俄然よくなった。 どうも曲の種類によっても持ち味の出せる出せないがはっきり分かれるよう。 その意味で、最後のブラームスもなかなか良かった。 多分、持ち味に合う曲なのであろう。

 先日のガヴリリュクのような実力ある若手ピアニストもいいけれど、今日のような老いた名ピアニストを聴くのも一興、といったところか。 ただ、私としてはガヴリリュクを聴きに行く人がもう少し沢山いてほしい。 昔日の名声でしか演奏会を選ばない人が新潟市には多いのだとすると、随分さびしいことだと言わねばなるまい。

11月22日(木)   *生協理事会に出席すると饅頭が食べられるというお話 (笑)。

 夜、新潟大学生協の理事会。 生協はこのほど新潟大学饅頭を販売することになったそうで、その試食をさせられた。 2種類が並んでおり、一方は皮をコシヒカリ100%で、他方は50%で作ったものだそうである。

 最近、ことに国立大の独法化以降、この手の商売に大学が手を染める例が増えている。 ○○大学ワインだとか、××大学純米酒だとかであるが、そういう流れに逆らうことなく新潟大学生協も新手の商売に乗り出したというわけであろう。

 もっとも新潟大学絵はがきなんかは昔から生協で売っているし、これは生協ではないが、新潟大学カードなんてクレジットカードも最近できたようだ。

 閑話休題。 私は甘い物が不得手で、ふだん饅頭なんか自分から進んでは食べない人間だから、試食をさせられてもあまり気の利いたコメントはできない。 2種類の皮の違いも、まあ強いて言えばコシヒカリ100%のほうがパサパサしており、50%のほうが湿り気というか粘りのようなものを感じないでもない、という程度。 いずれにせよ新潟大学饅頭はまもなく販売が開始されるそうですから、こちらにお越しの際はお土産に是非どうぞ(笑)。

 ところで、来年度から生協に関する法律が変わるそうで、詳しいことは私には分からないが、理事会も今のように 「書面参加」 なんてことはできなくなるらしい。 結構なことだと思う。 新潟大学生協も、教員と職員と学生の理事が一定数いるわけだが、教員の理事のなかには理事会に全然出てこない人も珍しくない。 今日だって、10人ほどいる教員理事のなかで出席したのは私を入れてたった3名である。 教員は忙しいから毎回出席とはいかないのはやむを得ないが、毎回欠席というのは要するに名前だけ貸しているという意識の人であろう。 こういうのは無責任だと思う。 理事を引き受けるからには、可能な限り理事会に出ることが前提となるはずだ。

11月21日(水)    *歴史問題の政治利用はとどまるところを知らない――或いは歴史家の沈黙 

 本日の産経新聞の報道によれば、例の慰安婦問題でオランダの下院が非難決議を可決する見通しであり、EUでも同様の動きがあるという。 この問題についてはこのサイトでも以前書いたことがあるから繰り返さないが、歴史問題が政治に利用される度合いが強まっている。 日本政府が今までのような事なかれ主義に終始し、事実関係の究明をおろそかにし、河野洋平の愚かしい談話を維持する限り、ますます窮地に立つことは明らかだろう。 今や歴史問題は政治の道具なのであり、政治家はそのことを肝に銘じておくべきなのである。

 それと気になるのは、最近の沖縄での第二次大戦期の集団自殺をめぐる教科書記述改定をめぐっても、歴史学者がまともに発言をしているようには見えないことだ。 事実をきちんと追求して発言するのはこういう場合の歴史家の義務だと私は思うのだが、そして集団自殺については軍部強制説に否定的な本が出ていることは多少とも歴史に興味のある人間なら誰でも知っているはずだが、歴史家がだんまりをきめこんでいるのはどういうわけか。

 いや、歴史的事実というのはなかなか微妙なもので、白黒をはっきり言うのは簡単ではない、ということなのかもしれない。 それならそれでもいい。 ただしその場合は、間違っても憲法9条を守れなんて脳天気な声明は出さないことだ。 憲法の条文次第で将来がどうなるかは、それこそ神ならぬ身、誰にも分かるわけがないからである。 専門領域について断言すらできない人間が、未来を語る資格などあるはずもない。

  *     *     *

 さて、夜7時から、りゅーとぴあスタジオAで、磯絵里子ヴァイオリンリサイタルを聴く。 限定100名。 会場がスタジオAというと、りゅーとぴあの係員はいない演奏会がほとんどだけど、今回は何人も出ていてコンサートホール並み。 右端の方には招待席があったようだけど、どういう経緯なのかは、シロウトの私には分からず。

 磯さんのデビュー10周年を記念して東京と新潟でだけ開かれた今回のリサイタルは、「ベルギー・コレクション」 と銘打たれ、磯さんが何年も留学していたベルギーの作曲家だけ集めている。 ピアノ伴奏は岡田将氏。

 前半: ヴュータン:失望op.7-2、イザイ:遠い過去op.11-3、イザイ:悲劇的な詩op.12、ヴュータン:ラメントop.48-18、ヴュータン:ロンディーノop.32-2、ヴュータン:アメリカの思い出op.17
 後半: ルクー:ヴァイオリンソナタ ト長調
 アンコール: クライスラー:「美しいロスマリン」、ヴュータン:子供の夢

 ヴュータンというとヴァイオリン協奏曲は多少有名だが、今回のような小品となると (多分) 初めて聴く曲ばかり。 それでも今回選ばれたヴァイオリンの小品 (「悲劇的な詩」 だけは多少長い) は親しみのもてる曲が揃っており、くつろいだ気分で聴くことができた。 後半のルクーは一転して真剣勝負の世界という印象。 夭折したルクーはパリでフランクらから学んだそうだが、フランク譲りの循環技法が使われているものの、曲想で言うとどちらかというとドイツっぽい作り方のフランクよりはむしろフランスを志向しているような気がした。

 磯さんは以前ワンコインコンサートで一度聴いたことがあるだけだったが、今回スタジオAで聴いてみて、音の魅力がもう少し欲しいなと思った。 艶でも張りでも強さでもいいけれど、「これだけは他に負けない」 という特徴があれば、ということ。

 魅力的なお顔は横向き加減だと特にいいみたい。 といっても完全に横顔(90°)ではなくややこちらむき(75°)程度が一番美人に見えるような(笑)。

 なおピアノの岡田氏は、細い磯さんと対照的に、日本人としてはわりに骨太の感じの青年で、今回は伴奏ながら味のある演奏だった。 新潟はこれが初めてだそうだが、次回は是非ピアノリサイタルで来て欲しいもの。

 CDが売られていたが、残念ながら今回のプログラムは入っておらず、サイン会ではパンフレットにお二人のサインをいただいて帰途についた。 ベルギー・コレクション、是非CDにしていただきたい。

11月20日(火) 夕方、現在は長岡市になっている旧・中之島町の中之島文化センターで行われたアレクサンダー・ガヴリリュクのピアノリサイタルに行く。 ガヴリリュクは昨年1月の新潟市での演奏会で聴いて感動したので、平日の新潟市以外での公演だが迷うことなくチケットを購入。 それもたった2000円! 申し訳ないような価格である。

 しかしドジを踏んでしまった。 途中の道を間違えて遅刻してしまったのである。 クルマで116号線を西に走り分水町から中之島に抜ける道に入るところ、誤って三条に行く道に入ってしまう。 何度か通っている道なのだが、暗くて見通しが悪かったため。 当日のプログラムは――

 前半: バッハ/ブゾーニ編のトッカータとフーガニ短調BWV565、モーツァルトのピアノソナタ第17番ニ長調K.576、シューベルトのピアノソナタ第13番イ長調D.664
 後半: ラフマニノフ絵画的練習曲Op.39、モシュコフスキの15の熟達の練習曲より変イ長調O.72-11、バラキレフのイスメライ(東洋風幻想曲)

だったのであるが、最初のバッハの終盤頃にやっとホールにたどりつき、ロビーで少し待って、モーツァルトから座席で聴くことができた。 遅れて入ったので左側後ろの方の座席 (全席自由)。

 で、モーツァルトだが、音の粒が揃っていてテンポも安定しており、安心して聴いていられた。 モーツァルトってこういうふうに弾くべきなんだよな、と納得。 恐らく、ガヴリリュクとしては最初でバッハを弾いた後、バッハの影響を受けたこのモーツァルトを弾くことでプログラムに一貫性を持たせようとしたのだろう。

 音の感触だが、新潟市で聴いたときは少し曇っているような印象があったのだけれど、今回は大変明晰な音。 楽器はベーゼンドルファーで、先日だいしホールで栄長敬子さんのリサイタルで使われたのもベーゼンだったけれど、音の印象がまるで異なっている。 だいしでは響きが過剰で音の明晰さがやや損なわれている感じだったが、本日はそういうことがまったくなく、響きと音の明晰さが実にうまい具合に調和している。 もちろん同じメーカーでも楽器ごとに音は違うはずだし、弾き手のせいもあったろうが、一番の原因はやはりホールの違いだろう。 中之島文化センターのホールには初めて入ったが、ピアノの演奏会にはとてもいいホールだと思う。 定員500人くらいなので新潟市の音楽文化会館と同程度だが、音文より幅が広く、その代わり奥行きはやや短くなっている。 でもせっかくのガヴリリュクなのに三分の一程度しか入っていなかった。 もったいない!

 さて、次のシューベルトになってちょっとびっくり。 モーツァルトとは弾き方をがらりと変えたからだ。 モーツァルトでは安定したタッチとテンポだったものが、シューベルトではテンポや音のタッチを微妙に変えながら弾いている。 最初はちょっとショパンを思わせるほど。 そして決してピアノキーを強打しない。 Fは出してもFFにはならないように抑制しているよう。 シューベルトの繊細で優しい世界をそれによって編み出そうとしているかのよう。 うん、満足。

 で、後半だが、いずれも私には馴染みのない曲で、しかしそのせいでかえって純粋にガヴリリュクの音楽そのものを楽しめたような気がした。 特に最後の方では超絶技巧を惜しみなく駆使してくれた。 ガヴリリュクは音楽性ということでまず高い評価を得ているが、その基盤には盤石の技巧があるわけで、技巧で破綻がまったくないことを前提にしているからこそその音楽性が強い力を持つのだということが改めて理解できた気がする。

 アンコールを3曲。ラフマニノフのヴォカリーズ、リムスキー=コルサコフの 「くまん蜂は飛ぶ」、3曲目は知らない曲。 ここでも、最後の2曲でものすごい技巧を披露して締めくくってくれた。

 新潟市での公演のときもCDを買ったけれど、ここでもまたCDを買ってサインをしてもらう。 でも3種類しか出ておらず、1枚は昨年の公演時に買ったもの、1枚は外盤でしたが、収録作品が一部昨年買ったのとダブっており、残り一枚は収録作品が必ずしも好みではなかったのだが消去法でこれにする。 でもガヴリリュクの演奏なのだから何か教えてもらうところがあるはずだと楽しみに聴いてみよう。

 そういうわけで帰りはきわめて充実した気分で、そして道を間違えることもなく、雨の中、暗い道を走り続けることができた。

11月18日(日) 午後2時から、だいしホールで行われた栄長敬子ピアノリサイタルに行く。 あいにくの天気だが、入りはよく座席の9割くらいは埋まっていた。 おめでとうございます。

 プログラムは、前半がハイドンのソナタ変ホ長調Hob.XVI-52とベートーヴェンのソナタ第32番、後半がブラームスのソナタ第3番。 アンコールにモーツァルトのトルコ行進曲。

 栄長さんのリサイタルを聴くのはこれが2度目。 前回はりゅーとぴあのスタジオAでのオール・ベートーヴェン・プログラムだったので、やや会場が狭い感じだったが、今回はだいしホールだからその点は大丈夫だろうと思っていたら、やはり会場が狭い感じであった。 客の入りが良かったからではない。 ピアノという楽器を十分鳴らすには300人に満たないホールはやはり小さいということだが、栄長さんの音にも理由がありそう。 といって、栄長さんが特に大音量の持ち主というわけではなく、音楽の作りや響きが、会場を良くも悪くも狭く感じさせているような気がするのだ。 つまり、栄長さんの演奏は正攻法で、音が外に向かって伸び広がっていくような印象があるので (これは音の大小とは別のこと)、それで会場が狭く感じられるのだと思う。 次回は音楽文化会館あたりでリサイタルをやってみてはいかがかな。

 演奏の水準自体は立派なものだと思うが、それを前提にして敢えて注文を付けるとすれば、もう少し栄長さんらしさを追求しては、ということだろうか。 例えばの話だが、音の大小のコントラストとか、速いところと遅いところの対照とか、そういうところをもう少し強調してもいいような気がするのである。 別の言い方をすると、3曲を通して聴いてみて、3曲とも同じような流れで行っているような気がするということ。 ベートーヴェン最後のソナタなら演奏に相当な集中性が要求されるし、ブラームスだと逆にソナタというより半分組曲みたいな作りなので一つの曲の中に多様性がこめられていないといけないわけだが、そういうところをもっとはっきり出そうとしてもいいのでは、ということなのだ。

 あと、第1曲の後でマイクを使ってのお話があったけれど、内容的にはもう少し工夫が必要なのでは。 解説はパンフに譲るというのなら、なぜこういうプログラムを組んだのかとか、話すべき事柄は別にあるはず。 これは栄長さんに限らないのだが、演奏家が舞台上で話をしても、それが必ずしも充実感につながっていない場合が多いように思う。 先日の桐山建志ヴァイオリンリサイタルでもそんな印象を受けた。 敢えて聴衆に語りかけるなら、それだけの内容を用意してからにして欲しい、と言いたい。

 注文ばかり付けてしまったが、正統的なプログラムで堂々たる演奏会を続けている栄長さんの今後に期待したい。

11月17日(土)   独文学会北陸支部学会・総会に出るために富山市へ――或いは新潟大学ドイツ語の壊れ方。

 本日は日本独文学会の北陸支部の学会兼総会が富山市で行われる日である。 新潟駅前を朝8時少し前に出る高速バスに乗って富山市に向かう。 富山に行くにはJRの特急に乗る手もあり、所要時間はそちらの方が短いのだが、料金が高速バスなら片道4000円なのに対してJR特急は6600円余りと高いので、行きはバスにしたもの。 帰りは、バスだと時刻が早すぎて懇親会に出られないので、JR特急。 バスはさほど混んでおらず、隣席には誰もいなかったので楽々だった。

 北陸支部といっても、新潟県・富山県・石川県・福井県の4県だけで、おまけにこの地域には百万都市がないことからも分かるように大学もそんなに多くはないから、したがってドイツ語教師やドイツ文学者もそう沢山はいない。 ドイツ文学会はいくつかの地方支部に分かれているけど、北陸支部が一番小さいのではないかと思う。

 4時間弱で富山駅前に着く。 私は実は富山市にちゃんとした目的で来たのは初めてである。 ちゃんとした、というのは、以前金沢市にクルマで行った帰りに少し立ち寄ったことはあるのだが、という意味である。 北陸支部の学会は持ち回りでやっているのだが、どういうわけか私は金沢市での支部学会には何度か出ているのに、富山市での支部学会には今回が初めてなのである。 ま、毎回真面目に出ているわけではないということですね。 今回は新潟の事務代表なので、出ないわけにはいかないのである。

 昼食に富山駅構内の店で立ち食いの掻き揚げ天そばを食べたら、これが結構うまい。 掻き揚げ天が、ゆるゆるの作りで、めんつゆに入れているとばらばらになるところが何とも言えない。 つゆも塩からすぎなくてちょうどいい。 これで350円は安い。

 会場は富山駅北口から徒歩5分ほどのビルの中である。 富山駅の北口からはライトレールの市電が出ている。 2両編成の真新しい車両を見ると乗ってみたくなるが、徒歩5分のビルが目的地では乗るわけにもいかない。 残念。

 午後1時から計6人の発表があった。 大学院生あり、ヴェテランあり、内容的にもゲーテを扱った古典的なものから、高等数学を使って計量的に文学を分析したものまで、種々様々である。 面白いものもあれば、退屈なものもある。

 1人の発表が終わるごとに質疑応答があるのだけれど、途中、ある人の発表の後、年寄りが長々としゃべり始めたので皆閉口する。 発表に対する質問や意見というより、埒もないことを勝手にしゃべりまくっているのであり、こういうのは公害みたいなものだ。 お年を召して物事の判断がつかなくなっているのであろう。 老醜という言葉がぴったり。 こういう老人になるくらいなら、さっさとくたばったほうが世の中のためである。

 研究発表会の後は総会があった。 北陸支部は2年ごとに総会があり、主担当地区が交代となる。 富山担当は今年度までで、来年度からは新潟になる。 そうなると、新潟地区から支部長と支部選出理事と常任幹事 (雑役の総元締め) を選ぶ必要があり、それが今回承認される段取りになっている。 無論、人事はあらかじめ決めて持参するのであり、私が来たのもそのためだったのである。

 それにしても、会場で配布された会員名簿を見ると、新潟地区の凋落が著しいのが一目瞭然である。 北陸4県のうち福井県だけは、福井大学の規模が小さく人文系の学部もないために会員数がダントツに少ないのであるが、今回の名簿を見るとそれに次いで少ないのが新潟県になっている。 以前はそうではなかった。 新潟県は、新潟大学が北陸では金沢大学と並び最大規模の大学であり、新潟市以外にも長岡市や上越市に高等教育機関があることもあって、石川県と並んで北陸では最も会員数の多い県だったのである。

 つまり、1994年の教養部解体に始まる 「大学改革」により、北陸4県のなかでドイツ語が最もひどく壊れてしまったのが新潟大学だ、ということがここからも分かるのである。 

 1994年の教養部解体時、新潟大学には教養部に11人のドイツ語教師と、人文学部に4人の独文教師がいた (外国人教師を除く)。 その後2007年の今に至るまで、新しく採用されたドイツ語教師・独文教師は皆無であり、停年退職と病没によって6人が消え、さらに停年前ながら2人は独文学会そのものを辞めている。 加えて今年度限りで1人が停年を迎えるが、補充の見通しはたっていない。 つまり、1994年から2008年の14年間で一人の補充もなく、6/15に減る見通しだということだ。

 同じ北陸でも金沢大学や富山大学はこんな無茶苦茶な減り方はしていないし、新潟大学のように30代はおろか40代のドイツ語・独文教師すらいないというような事態にはなっていない。 両大学とも、教養部解体前のようにはいかずとも、30代の若手ドイツ語教師がちゃんと赴任しているのである。 いかに新潟大学が異常か、ここからも分かるだろう。

 なぜ新潟大学はこんなにダメダメなのか。 幹部も悪いし、ドイツ語教師も悪いのだと言うしかない。 幹部は文科省の顔色をうかがうだけで独自の気概がないし、全体の教育の質を維持するのに人的資源が必要だという当たり前の認識がない。 人文学部独文教師は 「自分さえよければ」 という視野の狭い態度に終始しているし、教養部から他学部に移ったドイツ語教師はあっさり転向してその学部の色に染まっているに過ぎないからである。

 さらに、今回の北陸支部学会では、新潟と金沢の差が露骨に見える場面があった。 日本独文学会の会長をはじめとする全国学会の幹部3名が参加し、総会の最初にあいさつをしたのである。 来年8月末に日中韓の持ち回りでやっているアジア・ゲルマニスト会議が日本で行われるのだが、その会場が金沢市と決定したので、北陸支部の会員諸氏にはよろしくお願いする、ということであった。

 で、なぜ金沢市に決まったかというと、もともとアジア・ゲルマニスト会議には財政的な基盤が全然なく、金沢市と石川県は国際学会に手厚い補助金を出すので、そのために金沢市にしたのだという。

 この辺、新潟大学だとか、或いは新潟市の財界のお歴々には、よくよく読んでおいてもらいたいところなんですけどね。 いや、新潟市でも経済界が学会誘致のためにどうだこうだという書状を定期的に出ていて、私のところにも来るのだけれど、かけ声ばっかりかけてもカネを出さなきゃどうにもならない、ということが、ここからも分かるじゃないですか。 新潟市はこないだ政令指定都市に昇格し、本州日本海沿岸で最大の都市だといばっているけど、どう見ても金沢に負けている。

 カネのことだけではない。 今回の研究発表会だってそうである。 金沢からは若い大学院生2名が発表しているし、富山からは富山大の専任教員を含めて3名が発表をしているのだけれど、新潟は非常勤の先生に私からお願いしてどうにか発表者ゼロ――昨年度の新潟はゼロだった――という状態を免れたのである。 内容はその非常勤の先生が実力のある方だったので立派なものあったが、専任も大学院生も誰も発表しないあたりに、新潟大学の内実が出てしまっている、と言えよう。

 さて、話を戻すと、富山の北陸支部学会は午後6時少し前から懇親会となった。 同じビル内の別の部屋。 隣席の富山大の先生に、文系の総合博士課程大学院を作る話があるんだけど、と言われたので、「やめたほうがいいですよ」 と忠告したら、金沢大の先生にもそう言われているとのことであった。 文系は下手に大学院を増設するのではなく、学部教育 (教養教育を含め) を充実させた方がはるかにいい。 院に進学したいという学生がいたら、旧帝大などの大学院 (こちらも定員増で入りやすくなっているとか) に行かせれば済むことである。

11月16日(金)   *シネ・ウインドが改装して新規オープン! 

 夕刻、シネ・ウインドに映画を見に行く。 新潟市唯一のミニシアター系映画館であるシネ・ウインドは、今月上旬に改装工事を行ってイメージを一新した。 改装してから行くのは今日が初めてである。

 映画のポスターが、今まではロビーや入口のすぐ外側などに貼られていたのが、今度は通りに面した場所にまとめて貼られるようになった。 ロビーは一方の壁に一面書棚が設けられた。しかし印象としては今までより広くなった感じ。白い色調のせいもあろうし、書棚の反対側に今までは机などが置かれていたのが撤去されたこともあろう。

 肝腎の映画ホールだが、壁はロビーの白とは対蹠的にマホガニー色である。 重厚な大人のムードをねらったものか。 そして座席は、最前の3列を撤去して相撲見物のような桟敷席が設けられ、その代わり今まで最後尾には立ち見のためのスペースが若干あったのを座席で埋めた。 桟敷席だけど、後ろに多少背もたれを付けた方がよくはなかったですかね。

 座席自体は今までと同じで、ただ表面の布を張り替えて尻の部分には多少クッションを入れただけ。 ウインドはカネがないから仕方がないが、一番改善すべきはここだったはずだと思う。 昨今のシネコンと比較してシネ・ウインドは座席がお粗末で、長く見ていると尻が痛くなったりしやすい。 シネコンと競争するためにはこういう部分を整備していくべきなのだが。

 まあ、いずれにせよ新たな出発をしたシネ・ウインドを応援していこうと思う。 いや、私は先日 (10月28日を参照) も書いたように株主だから、当事者なのでしたね。 でも配当はないから、観客が増えてもお金は入らないのです(笑)。 

  *      *      *

 さて、夜7時からはりゅーとぴあでヘルムート・ドイチュのオルガンリサイタルを聴く。 座席はHブロック。Aランクで、Nパックメイト価格1800円 (安い!)。 最初に、先頃亡くなった友人を偲んで演奏するとのメッセージが披露された。

 プログラムは、前半がバッハのコラール・パルティータ 「恵み深きイエスよ、よくぞ来ませり」 BWV768 と同じくトッカータとフーガ・ヘ長調 BWV540、後半がリストのコラール 「《アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム》による幻想曲とフーガ」 。

 計3曲のうち、私が一番楽しめたのは第2曲だった。 バッハのダイナミズムと畳みかけるような迫力が十二分に堪能できた。 後半のリストも、色々な音が組み込まれていることがよく分かったところは興味深かったのだけれど、曲想自体はリストのことでどうもイマイチ親しみがもてず――というかよく分からず、オルガンの音を享受はしたけれど、音楽を享受したか、ということになると微妙なところだ。

 アンコールに 「砂山」 のテーマによる即興演奏が披露されたが、これがすばらしかった! 鍵盤楽器の楽しみの一つはこういう即興演奏にあると思われるが、オルガンのようにダイナミックレンジが広く、多様な音色が出せる楽器での即興演奏は音楽の精髄と言いたくなる楽しさに溢れている。 聴衆も大喜び。 来て良かったなと思えた一夜だった。

 堅いプログラムの割りには入りはまあまあといったところ。 200人くらいはいたかな。

11月14日(水)    *何を決めるのにも文科省の指示・・・・独法化したってその点は変化なし。 

 昼過ぎに会議。 そろそろ書いてもいいだろうと思うので書いてしまうが、主専攻プログラムなるものを確定するための会議である。 何だそりゃ、とおっしゃる方もおいででしょうが、大学内の各学部の専攻を分かりやすくするために作れ、という文科省のご託宣で作ることになり、少し前からそのせいで忙しい教員はいっそう忙しくなっているのである。 (私はあまり忙しくなっていない。)

 新潟大学人文学部で言えば、これをいくつかの主専攻に分けるのだそうだけれど、果たしてそれで分かりやすくなるのか? 早い話が、今、新潟大学人文学部には 「歴史」 や 「史学」 と名の付く専攻がない。 それでは西洋史や東洋史や日本史は学べないのかというと、そうではなく、例えば西洋史なら 「ヨーロッパ文化論」 の 「社会文化系」 というところでやることになっているのである。 しかし高校生がこれを見て、西洋史をやるのだと分かるだろうか? 無論、分かるわけがないのである。 実際、今はなくなっているが、以前人文学部のサイトに掲示板が設けられており、そこに受験生から 「新潟大学人文学部では西洋史は学べないのですか?」 と質問が出ていた。 出るべくして出た問いであろう。

 こういう風にわけが分からない名称がついているのも、だいたいは文科省の差し金なのだが、今回の主専攻なるものを導入しても、このわけの分からなさは解消しそうもない。 要するにやるだけ無駄だと思うのだが、文科省様がお望みなので、しぶしぶやっているわけだ。 実にあほらしい。

 ちなみに、私のいる専攻は 「文化コミュニケーション」 というのだが、これまたわけが分からない。 「異文化コミュニケーション」 なら分かるが、「文化コミュニケーション」 では意味不明に決まっているのである。 これまた文科省の押しつけでできたものだ。 私はできた当初から 「わけが分からない名称だ」 とぶうたれていたが、他の教員は立派な大人なので、文科省様に逆らうような発言は慎んでいた。 しかし、今回の主専攻なるものの導入で、ようやくこのわけのわからない名称も消えるかも知れない。 風向きが変わると、とたんにみんな 「わけが分からない名称だ」 と言い始めるのである。 慶賀すべきことではあろう・・・・・と一応、言っておこうかな。

11月13日(火)   *民営化した郵便局、いや、ゆうちょ銀行は2つのサービスを切り捨てた!

 郵便局が民営化して明らかにサービスが悪くなったところが、私の利用範囲で2つある。

 (1) 郵便振替口座の重大な機能が打ちきられた! 口座間の送金機能がなくなった!

 うかつなことに本日ようやく気づいたのだが、郵便振替の重大な機能が一方的に廃止されたことが分かった。 郵便振替口座を持っている者同士は、1件15円で送金内容の説明文を含めて送ることができていたが、これが廃止された。 したがって相手の振替口座に振り込むときは、口座を持たない人間と同じ手続きをしなければならず、口座を持たない人間と同じ料金をふんだくられることになった。 ふざけた話である。 銀行口座だって、当該銀行に口座を持つ者同士の送金はそうでない者より安価なのが普通なのに、そういう常識すらゆうちょ銀行にはないらしい。 しかも、そういう重大な変更をする以上、口座をやめて口座に入れているカネ (郵便貯金口座と違って郵便振替口座のカネには一切利子はつかない) を返金しましょうか、と問うてくるべきだと思うのだが、それすらしていないのである。 ふざけるな!

 (2) 外国で口座からカネを降ろす機能を廃止した――詐欺同然である!

 2,3年前、私はセゾンのカードに郵便局の貯金カードを組み合わせたカードを作った。 郵便局からカネを降ろすためのカードならそれ以前から持っていたのであるが、郵便局内で 「これに切り替えれば外国でもカードでお金が降ろせます」 と言われたからである。 ところが、今回民営化をした途端、その機能が廃止となった。 はっきり言うけど、これって詐欺みたいなものじゃないですか? 民営化を見据えてそういうサービスを導入するという含みだったと思うのだけれど、いざ民営化をしたら、謳い文句だった外国でのキャッシュサービスをあっさり廃止してしまうのだからね。 えげつないんだよ、やることが。

 こういうこと、新聞はちゃんと報道してもらいたいんだけどなあ。

11月11日(日) 本日は昼過ぎから、有明台小学校の体育館で、卓球の社会人クラブ3チームの合同で親善卓球大会が行われた。 2年前までNクラブとHクラブは親善試合を年に2回やっていたのだが、Nクラブの会員数が減ってきたために中止となっていた。 

 しかし、今回M氏のご尽力で、氏の通っているAクラブも組み込むことでなんとか人数を揃えて親善試合の再開にこぎつけたもの。 20人強が集まってくじ引きで4チームに分かれ、リーグ戦形式で試合を行った。

 しかし4チームのリーグ戦だけだと時間が余ってしまうので、その後親善ダブルスを行う。 この辺、M氏はよく言えばおおらか、悪く言えばあまり物事を考えていないので、私が途中で 「時間が余るけど、どうするの? 以前だと親善ダブルスをやってたけど」 と話を向けたら、「そうだね。 親善ダブルスのクジ、作って」 と私に仕事を回してきた。 うーむ、こうなると話を向けるのも考え物ですよね。 物を考えてしまうと仕事が増える、という事例でしょうか。

 4時過ぎに試合を終え、5時から近くの寿司屋で懇親会。 少し時間的に早いような気がしたのだが、そこはM氏のことで、早く飲みたかったのであろう。 社会人卓球クラブも老齢化が悩みの種だが――みな50代以上で、40代以下の人がいないのである――何とかこういう具合に集まって親善試合を続けていきたいものである。 

11月9日(金)   *戦後日本の独文学研究はナチ批判から始まったはずだったが、独文学者の本質は不変?

 一昨日の夜、東京から帰ってきたら、私が入っている日本シュトルム協会から会報が送られてきていた。 そこに北大教授のI氏がきわめて異色の文章を発表していた。

 何が異色かというと、シュトルム協会の会報だからふつうはシュトルムについての論考やあちらの研究情報などが載っているのだが、I氏の文章はそうではなく、ここ数年でいかに大学の組織が変わりそのために自分が苦労しているかを綴っていたからである。

 I氏はもともと独文学者で、北大ではドイツ語教師として言語文化部に所属していた。 それが大学の組織改革で、メディア関係の大学院ができ、I氏はそこに貼り付けられた。 しかもそこでメディア関係の法律を教えることになり、本来人文系の氏にまともな授業ができるわけもなく、辞職も考えたという。

 また、本来の自分の専攻とまったく無関係の授業をやるためには多大の時間を食うことになる。 したがって独文学の研究はできず、日本独文学会も辞めたという。 一度貼り付けられると5年間は変えられないので、苦悩の5年間を過ごしたわけだが、その後、文学とは直接関係はないものの、多少自分の興味の範囲内に入る授業に変えてもらえたので、ほっと一息、ということのようだ。

 まあ、程度の差はあれ、私も同じような体験はしているから、I氏の苦悩には共感も持てなくはない。 特にI氏は、以前、ドイツ語振興会奨励賞という、若手ドイツ文学者が書いたすぐれた論文に贈られる賞も受賞されており、いうならば芥川賞を受賞した作家みたいなもので、将来を嘱望される学者だったのである。 その氏が日本独文学会をも辞めてしまったというのは、ちょっとショックであった。

 しかし、である。 私が気になったのは、I氏の筆致であった。 私からすれば、なんでそんな大学院を作って専門家でもない独文学者を貼り付けるような真似をするのか、分からないのである。 そんな大学院、作らなきゃいいではないか。

 ところが、その辺について、氏は何も語っていないのである。 新大学院を作ること自体についての懐疑心や批判は、氏の文章からはまったく読みとれない。 流れの中で立ちすくんでいる自分を見つめる目はあるが、流れ自体は所与のものとして受け入れているのである。

 これはI氏だけではない。 以前、別のドイツ語教師向け雑誌にやはり北大のドイツ語教師だった別の人の文章が載ったことがある。 I氏と同じく本来の自分の専攻とは別の大学院に貼り付けられたという体験談だが、自分に与えられた新しい専攻を 「わくわくする気持ちでやっている」 ときわめて肯定的だったのである。 もっともその人の場合は言語政策的な専攻に移っており、I氏と違って人文系の範囲内だからまだよかったのかもしれない。 しかし本来その人の専攻はドイツ語学で、それも今はすたれた言語の語根などを調べたりするかなり浮世離れしたものだったのであり、それが実用的な社会政策と直接切り結ぶ言語政策的な専攻に移って違和感はないのだろうかと私などはいぶかしく思うのだが、そういう疑問は最初からその人の頭には浮かばないようにできているらしかった。

 与えられたものをいささかの疑いもなく受け入れる、周囲にそのまま順応する――ドイツ文学者は戦後、そういう学者のあり方を批判するところから始めたはずではなかったのか。 いうまでもなくナチズムと、その日本への影響ということである。 最近も、関楠生氏の 『ドイツ文学者の蹉跌 ナチスの波にさらわれた教養人』 (中央公論社)が出た。 言うまでもないが、ヒトラーやナチスだから順応したのはイケマセン、日本の文科省ならカマイマセン、というような話ではないはずである。 ナチズムが現存しない今、ナチスにいかれた独文学者を問題にするなら、それはナチズム以外のものに相変わらずいかれている独文学者の自省のためでしかないはずだ。

 そういうことを考えているドイツ文学者は、日本独文学会にまだ残っている二千人以上の会員の中に、どの程度存在しているのだろう?

11月8日(木) 夜7時から、だいしホールで桐山建志バロックヴァイオリン・無伴奏リサイタルを聴く。 プログラムはオール・バッハで、前半が無伴奏ソナタ第1番と無伴奏パルティータ第2番、後半が無伴奏パルティータ第1番と無伴奏ソナタ第3番というたいへん意欲的なもの。

 まず、音が豊かでよく響くのが特徴。光りすぎず鋭すぎず、どこかヒューマンな感覚が籠もっており、古楽という言葉を裏切るような若さが音に感じられた。

 第1曲はやや締まりがゆるい演奏のような気がしたのだが、第2曲はぐっと締まってなかなか聞かせてくれた。 後半を含めて、第2曲が一番良かった気が。 まあ、シャコンヌを含む有名曲だということもあるだろう。 弾く側も聴く側も気合いが入っていたのかも。

 第1曲と第2曲の間に簡単な解説があったが、どうせなら後半も多少解説を入れた方が良かったのでは。 弾く人にしか分からない難しい箇所だとか勘どころを教えてもらえるとありがたかった。

 アンコールに無伴奏ソナタ第2番の第3楽章が演奏されました。

 それにしても、入りの悪かったのには愕然とした。 2割程度だった。 せっかくの意欲的なプログラムなのに、いったい新潟市のクラシックファンは何をやっているんだと言いたい。 先日の 「リュリ氏を偲んで」 も2割程度の入りで、アマチュアの演奏会だからかなあなんて思ったりしたのであるが、本日の客の入りを見るとどうも分からない。

 新潟の某音楽ブログによると、2日前に新潟で行われたチェコ国立ブルノ・フィルの演奏会は客がよく入っていたとか。 某々ぶろぐによると、だけど演奏の質と客の質はイマイチだったとか (東響定期のほうがよほどいいとの話)。 外来演奏家に群がるばかりで邦人演奏家をバカにしているようじゃ、新潟市のクラシック・ファンも底が見えている、と言いたくなってしまう。

11月7日(水) 午後2時から新宿の紀伊國屋ホールで三島由紀夫の 『薔薇と海賊』 を観劇する。 最近、女優・村松英子の 『三島由紀夫 追想のうた』 を読み、彼女を女優として育てた三島の演劇人としての側面にあらためて興味を抱き、またその本にかつて三島自身の演出・村松の主演でやったこのドラマを、37年ぶりに同じ演出のまま村松の主演で再演すると書かれていたので、ちょうど私の上京時期と重なった公演でもあり、見ておこうと考えたのである。

 私は演劇はたまにしか見ない人間だから、紀伊國屋ホールに入ったのも初めてである。 近くにすわっていたばあさんは幕が開いても隣席の婦人と何事かおしゃべりをしているし、ポリエチレンの袋をがさがさ鳴らす客もいたりして、通の演劇ファンもいたのだろうが、あまり質の高くない客も混じっていたようだった。 平日午後2時から芝居を見る人間なんてそんなものなのかもしれないが。

 劇そのものは、いかにも三島らしく、空想の世界の住人と、その住人が現実に危うい触れ方をするさまを描いていて、コミカルであると同時に残酷でもあり、芸術的であると同時に通俗的でもあり、リアリズムと突拍子もない想像力がドッキングしていて、それなりに面白かったが、最後は三島のイデ・フィクセとも言うべき 「夢を見た経験のない人間」 ――これは 『豊饒の海』 の第4巻でも繰り返される――で締めくくっているのは、のちの作品を知る人間としてはやや物足りない感じもした。

 村松英子は、動作はともかく表情にはさすがに老いを隠せないが――当たり前である。もう70歳近いのだから――彼女の娘の村松えりが出ていて親子共演なのが、まあほほえましいか。 

 2時間くらいで終わるだろうと思っていたのだが、2時間35分ほどかかった。 このため、このあと銀座で映画を1本見てから新潟に帰ろうと思っていたのが、予定が狂って見られなくなってしまった。 

11月5日(月) 午後7時からサントリーホールで、ヴァレリ・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏会を聴く。 本日はS席で、1階中央よりやや右寄り。 このオケは以前はキーロフ歌劇場管弦楽団と言っていた団体で、5年前にゲルギエフと新潟に来たときはたしかその名称であった。 そのときはリムスキー=コルサコフのシェエラザードをメインにしていたが、今回はチャイコフスキーの交響曲第1番 「冬の日の幻想」 とラフマニノフ交響曲第2番というロシア交響曲プロ。 一昨日同様の満席。

 弦の配置は、左から1Vn、2Vn、Vc、Vlaだが、コントラバスは2Vnの後ろに。 したがってホルンは右後方になっている。

 演奏だが、前半は何かもう一つ乗れていない印象があった。 これは曲のせいもあったかもしれず、散漫な曲の作りがそのままオケの演奏に反映されているかのようであった。 後半のラフマニノフも前半は似た感じだったのであるが、後半になってラフマニノフ特有のうねうねした旋律美が展開されるあたりからようやく本領を発揮してきた感があり、濃い情感がたっぷりとした響きで流れてきてしばしうっとりと響きの世界に引き込まれた。 しかし全体のレベルは一昨日のミュンヘン・フィルに及ばなかったと思う。 ロシアのオケというと馬力がありそうな印象があるが、それほどでもないような。

 もっとも一昨日は2階席で本日は1階席だから、軽々しい比較は慎むべきかも。 なぜミュンヘンフィルはAランク席で本日はSランクかというと、ミュンヘンフィルの方が高価だから。 ミュンヘンフィルのA席より、本日のS席のほうが安いのである。

 アンコールはリャードフの 「バーバ・ヤガー」 とチャイコフスキー 「くるみ割り人形」 から 「トレパーグ」。 最後は盛り上げて終わる、というのはやはりアンコールの定石なのであろう。

11月4日(日) 夕方、東京駅で待ち合わせて友人3人と会い、有楽町で飲む。 いずれも私と同年齢で小学校から高校にかけての同級生だが、みな年齢が年齢なので、勤務先は同じだけど最近部署が変わったからと名刺をもらう。 そこへいくと私なんぞは教養部が解体した13年前から同じ場所にいるのだから、まあ気楽なものかも知れない。

 1〜2年に一度くらいのペースで会っているが、会っても別段変わった話題が出るわけでもない。 老いた・亡くなった親の話、子供の話、健康の話などなどである。 今回は珍しく書物の話になり、三浦展 『下流社会』 について意見を交換したが、一人は 「下流社会」 という流行語 (?) 自体を知らなかった。 もっとも私以外はみな理工系だから、そんなものなのだろう。 映画をよく見ている奴もいるが、要するに娯楽としての映画館通いで、こちらのように文学的な (?) 見方はしていないから、話は合わない。 この辺、知識人の悲哀 (笑)? 

11月3日(土) 上京する。 午後4時からサントリーホールでクリスティアン・ティーレマン指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴く。 サントリーホールが改修されてから入るのは初めてだけど、どこが変わったのかよく分からない(汗)。 座席はAランクで、LCブロックの最後尾付近。

 プログラムは、前半がR・シュトラウスの交響詩2曲で、「ドン・ファン」 と 「死と変容」、後半がブラームスの交響曲第1番。 弦の配置は、左から1Vn、Vc、Vla、2Vn。

 ミュンヘンフィルの演奏は活気と躍動感に溢れており、いわゆるドイツ的な重厚さはあまり感じられない (といって軽いというのでは無論ない)。 したがって前半のR・シュトラウス2曲はいずれも聴き応えがあった。 クラリネットを初めとする木管の音が、ほれぼれするほど美しい。

 これに比べると後半のブラームスはやや物足りない。 ちゃんと演奏してはいるのだが、前半の躍動感が耳に残っているせいか、音楽そのものが新鮮味をちょっと欠いている感じがする。 それでも第4楽章では、例の旋律が出てくる手前でやや長めの休止を入れて、その後で例の旋律をゆっくりと弾き始め、徐々にスピードを上げていくところに一種の設計が見て取れた。

 ティーレマンを生で聴くのは、数年前ウィーンフィルと新潟に来たとき以来で2度目だが、今回の方がはるかに楽しそうに指揮をしていた。 ブラームスを終えて拍手で舞台に呼び出されるときも踊るような足取りであり、指揮台に飛び乗る様子で、乗っているなと分かる。

 アンコールにワーグナーの 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 前奏曲が演奏されたが、これがまた躍動感に満ちた名演であった。 前半のR・シュトラウスと合わせて、ミュンヘンフィルの精髄を聞いたような気がした。 

10月30日(火)   *「白馬の騎士」 じゃなくて、「白馬の騎手」――誤植のお話 

 19世紀のドイツ作家テオドール・シュトルムの最後の小説として有名な 『白馬の騎手』。 過去に邦訳は岩波文庫など複数出ていたが、現在はいずれも手に入らない。 村松書館で刊行中の 『シュトルム全集』 はこのところ新しい巻が出ていないし――訳者のS・H先生、しっかりして下さいよ。

 と思っていたら、新訳が出ました。 本日の毎日新聞第1面の広告によると、論創社からシュトルムの 『白馬の騎士』 が出るとのこと。

 この広告を見て、私は思った。 新訳が出るのは良いことだが、『白馬の騎士』 じゃなくて、『白馬の騎手』 なんだけどなあ。 原題は "Der Schimmelreiter" で、"Schimmel" は 「白馬」 の意。 "reiter" は英語の rider と同じで、馬や車に乗る人のことだ。 別段 「騎士」 (英語のknight、ドイツ語のRitter) ではないし、実際、小説を読むと分かるが、「騎士」 など登場しないのである。

 ところが、である。 Amazonで調べたら、新訳のタイトルは 『白馬の騎士』 じゃなく、ちゃんと 『白馬の騎手』 になっているのである。 毎日新聞の広告のほうが間違っていたわけだ。 困りますね。 こちらをご覧下さい。

 まあ、それはさておき、興味のある方はぜひご一読を。 繰り返しますが、「騎士」 は出てまいりませんので、くれぐれもそのつもりで。 

   *      *      *

 さて、本日は夕方から、数日前に新潟市内にオープンしたばかりのシネマコンプレックス 「ワーナーマイカル・シネマズ新潟南」 に行ってみた。 これは、新潟市の南部に新しくオープンしたイオン――日本海沿岸で最大のショッピングセンターだそうである――の中に作られたものだ。 新潟市内4軒目のシネコンである。

 しかし、映画評2007年のコーナーにも書いたけど、ワーナーマイカルはすでに新潟市内に一つあるので、映画ファンは新潟市内2軒目のワーナーマイカルをあまり歓迎していないというのが実情だろう。 どうしてかというと、ワーナーマイカルは他のシネコンに比べてサービスが悪いし――新潟市内の競争相手のシネコンであるユナイテッドとTジョイにはメンズデーがあるのに、ワーナーマイカルだけないのである――、同じシネコンだと作品のラインナップも似ているだろうから、どうせならMOVIXなどの新潟市にこれまでなかったシネコンに来て欲しかった、という意見が大勢なのだ。 私はそういう意見だし、ネット上で同様の意見を複数見たこともある。

 サービスが悪い、という批判をそれなりに受け入れたのかどうか、ワーナーマイカルは新しいサービスを導入した。 Tカード提示限定だが、毎月20日と30日は千円、ということにしたのである。 うーむ、中途半端だなあ、どうせなら10日もサービスデーにすりゃあいいのに、どうもやることがセコいのである。 他館のメンズデーは毎週あるわけで、ということは月に最低4回はある。 月2回をカード提示限定で千円にしてもその半分にしかならない。

 ほかに期間限定ながらカップル (男男カップルでも) なら計2千円になる 「ふたりデー」 なんてのも週1回導入したようだが、私のように原則一人で見に行く50代の男 (つまりシニアサービスも使えない) には役立たない。 ワーナーマイカルよ、メンズデーを採用せよ!!

 料金の話はさておき、新しくできたワーナーマイカル新潟南だが、ロビーは兄貴分のワーナーマイカル新潟より狭く、全体につつましやかな感じである。 トイレも小さめ。 ただし、ロビー以外に、チケットをもぎって入った廊下にもトイレがあるのはいい。 それと座席だが、座席自体の幅――つまり左右の肘掛け間の幅――が狭いわけではないが、肝心のお尻を乗せる部分がなぜかやや幅が狭いのである。 したがって何となく落ち着きが悪い。 この辺、人間工学的にちゃんと考えてやったのかなあ。 もっとも、専門家ってのは得てしてつまらないところで物を考えずに失敗するものですけどね。  

 それから、場所的に言って、このシネコンは私の勤務先や自宅から一番遠い。 最近はガソリン代が高騰していることでもあり、その意味でも行きにくい。 もっともTジョイは市街地にあって駐車料金300円を別にとられるので、それを考えれば損得は微妙か。 Tジョイは毎週メンズデーがあるが、その代わり最近ポイントカード (6回見ると1回無料というやつ) を廃止してしまった。 ワーナーマイカルは6回見ると1回無料というTカードを導入したので、全体としての損得はやはり微妙である。 ちなみにユナイテッドは駐車無料だしポイントカードもメンズデーもあるので、新潟市内でサービス・ナンバー1シネコンの座はゆるがないと言えよう。

10月28日(日)    *シネ・ウインドの新たな出発――映画ネタが続くけど

 本日は午前中、新潟市唯一のミニシアター系映画館であるシネ・ウインドの株主総会に出席。 強調してしまうが、株主総会である。 つまり、このたび私はめでたくこの映画館の株主様になったというわけなのだ。

 この映画館、22年前に出来たときは有限会社としてスタートした。 私はよく知らないけど、最近日本の会社法が変わったのだそうで、有限会社は原則廃止、しかし従来から有限会社でやってきたところに限って存続してよろしい、だけど出来れば増資すべし、ということになったのだそうだ。

 従来の有限会社は株主が50人に限られていたが、その限定がなくなった。 というわけで、シネ・ウインドも、館内改装などで資金が必要だったこともあり、株主を増やして増資する方針を打ち出して、あらたな株主を数カ月前から募っていた。 で、私もその一人になったわけである。

 といっても私のことで、そんなに大金を出したわけではない。 私の月給の手取額の半分弱くらいである。 それで株主になれてしまうのだ。 それに、株主といっても配当金は皆無。 毎月この映画館の入場券を4枚もらえるだけなのである。 まあ、半分寄付みたいなものですね。

 株主は総計99名となった。 今回はそのうち30名弱が本人出席。 ほかに委任状を出した人もいたので、総会は成立である。 代表の斉藤正行氏から改装やその他の問題について手際よく説明があった。 株主には新潟市内のほかの文化運動にたずさわっている方もおられ、そういう方からは催し物の紹介などがあった。

 1時間少々で株主総会は終わり、近くのホテルの中華料理屋で昼食会となった。 私の隣席はお年を召した御婦人だったが、昔の映画や新潟の映画館、そして東京の映画館にもお詳しいのにはびっくり。 カルチャー・マダムの知識はバカにできないと改めて実感させられた。

 というわけで、私は無配当ながら株主としてのスタートを切ったわけであるが、ついでながら言っておくと、私は新潟大学生協の理事もやっている。 これまた無給である。 株主とか理事とかいうと偉そうに感じてしまうが、私に限って言えば、お金に縁がないと決まっているみたい (笑)。 

   *     *     *

 というわけで株主のみなさんと昼食会をすませてから、歩いて10分ほどのだいしホールで、音楽会 「リュリ氏を偲んで」 を聴く。

 ジャン・バティスト・リュリはフィレンツェ生まれでフランスのルイ14世治下で活躍した音楽家である。 1632年生まれ、1687年死去だから、生誕375年、没後320年ということで、まあ欧米だとクォーターも切りのいい単位ということになっているから、生誕375周年もアリなのだろうか。 もらったパンフには演奏会を開いた理由は書かれていなかったけど、まあ理由はどうでもいいかも。

 出演は新潟市内のアマチュア演奏家がメインで、ヴァイオリンは佐野正俊と原崇敬、ヴィオラ・ダ・ガンバは中山徹、チェンバロは師岡雪子、リコーダが柴田雄康。 このうち柴田氏のみは賛助出演で、チェンバロ製作者でもある。 ちなみに佐野氏は内科医で新潟市で長年バロック・アンサンブルとしての活動を続けているネーベル室内合奏団のコンサートマスターであり、また中山氏は眼科医である。 どうもお医者さんにはクラシックの楽器を弾く人が多いようだ。

 プログラムは、F・クープランの 「フランス人」、アラン・マレの 「リュリ氏へのトンボー」、F・クープランの 「コンセール第2番」、ジャン・フェリ・ルベルの 「リュリ氏へのトンボー」。

 いずれもしっとりとした好演だったと思う。 しかし客の入りは悪く、定員280人のホールは2割程度しか埋まっていなかった。 入場料は千円と安価だし、もっと入ってもいいと思うんだけど、この辺が新潟市の課題かなあ。

10月27日(土)   *本日は映画ネタで・・・・ 

 毎日新聞と産経新聞はいずれも金曜日に映画欄をもうけている。 そこに、ここ1週間の動員ベスト10が載るのであるが、当然ながら二紙とも同じベスト10ではあるものの、付けられたコメントが異なっているのが面白い。

 産経は通り一遍で、何がずっとベスト10入りしているとか、洋画と邦画の割合がどうとかいった程度なのに対して、毎日は多少業界内部に通じているらしい人のコメントになっている。

 昨日の毎日に載ったコメントも、現在公開中のハリウッド映画 『グッド・シェパード』 が案外伸び悩んでいることに触れ、ハリウッドの正統的な力作が以前に比べると客を集めにくくなっているとした上で、そこから、コアな映画ファンの層が薄くなっているのでは、という推測を導き出している。 そしてコアな映画ファンの減少は、ひいては多様な外国映画が日本に輸入されにくくなることにつながるのでは、と結論付け憂慮している。

 結論はともかく、ハリウッドの正統派映画が以前より注目されにくくなっているのは事実だろう。 私みたいにヨーロッパ文学をやっている人間からすると、それは正統的な欧米文学に日本人があまり注目しなくなっている現象とパラレルだと言いたくなる。 

 しかし一方、むしろ逆の方向に光を見ている人もいる。 新潟のミニシアター系映画館であるシネ・ウインドが月刊雑誌 『ウインド』 (といっても50ページに満たない厚さであるが) を出していることは、新潟に住む人以外には余り知られていないだろう。 この雑誌に、以前新潟日報紙の記者をしていた福島市男氏が連載コラムを書いている。

 その 『ウインド』 誌の最新11月号に、福島氏はおおむねこんなことを書いている。 ハリウッド映画はCGを大規模に使った無内容な作品や安易なシリーズ物などにより往年の面白さを失い地盤沈下している。 それに対して最近の邦画は、『しゃべれどもしゃべれども』 『キサラギ』 『天然コケコッコー』 など工夫を凝らした秀作が目立つ、というのである。 つまり、ハリウッド映画に興味が持たれなくなっているのは、水準が低下しているからで、映画ファンが減ったからではない、というわけだ。

 私自身は、『グッドシェパード』 はまだ見ておらず(来週見る予定)、『天然コケコッコー』 がそんなに秀作だとも思わないけど、『キサラギ』 など脚本に工夫を凝らした秀作が最近の邦画に出てきていることは確かだろう。

 ただ、映画というジャンルは、他のジャンルにも増して、ハイカルチャーとして見る人と大衆芸能として見る人とが混合している領域であることを忘れてはなるまい。 動員ベスト10でいえば、ここ数週間ずっとキムタク主演の 『HERO』 がトップなのだが、これをこの映画の質のためだと思う人はあまりいないだろう。 他方、ダイアナ妃死去に際してのエリザベス女王と英国王室を扱ったヨーロッパ映画 『クィーン』 など、私に言わせれば大変な傑作だが、新潟ではさっぱり動員力がなかったようだ。 動員力と作品の質は、つながっている部分もあるし、切れている部分もあるのだ。

 それを暗示するコラムが、本日の産経に載った。 「青春の映画との再会」 という長戸雅子記者の一文である。 ここで長戸氏は、77年公開の 『サタデー・ナイト・フィーバー』 を中学生時代に見て感激したが、今回見直してみて、当時は何も理解していなかったことがよく分かった、と述べている。 つまり、中学生時代はダンスシーンとディスコ音楽で米国文化に感激しただけに終わっていたが、今回は、トラボルタ演じるイタリア系移民青年がマンハッタンへ抱く微妙な劣等感だとか、マンハッタンとブルックリンの格差、移民社会の人種間対立などがよく見えてきた、というのである。

 こういったことは、まあ、良くある話である。 ただ、ここで問題なのは、では日本の中学生が米国文化に単純に感激して見るような見方を間違いと言って切り捨てられるか、ということだ。 映画がヒットするのは、そうした「誤解」 による部分も大きいからである。

 いや、映画だけに限らない。 海外文化が大衆に受け入れられるのは、幻想や誤解をともなっている場合が多く、それを一律に悪いと言ってしまうと、そもそも外国文化の輸入など不可能になってしまう。 といって、誤解でも何でも、売れればいい、というような露骨な商業主義も困るのである。

 誤解と正解の両方を見据えた映画論や観客論が望まれるところだ。 

     *       *      *

 ・・・と、映画の話をしたので、ついでにやはり映画がらみで、昨日の毎日新聞に載った中島岳志と寺脇研の対談を批判しておく。

 寺脇研と言えばゆとり教育で悪名高いが、中島はどういうわけかこの点で、ゆとり教育をうけた世代は議論に躊躇しない、などとゴマをすっている。 冗談じゃないよ。 ゆとり教育を2006年問題として、つまり学力低下とリンクさせて大学側が対策を考えてきたことくらい知らないのか? その程度のことも文科省官僚に言えないくらい、あんたは官僚に従順なのか? 国立大学が文科省官僚の言いなりになっている現状を寺脇に詰問するくらいの根性がないなら、こんな対談なんかやるなよ! 

 閑話休題。 で、寺脇研は映画評論家でもあるそうなのだが、映画に対する見方を比較すると、寺脇も中島も救いがたく駄目なのである。

 中島は、インド映画をつまらないから見なかった、と言っている。 勧善懲悪でアクションとダンスと恋愛の大団円ばっかりだから、だという。 ふうん。 でもそれがインド映画の現実だし、インドの大衆はそういうものを求めているわけでしょ。 だったら、そういう映画を見ないでどうしてインド人の本質に迫れるのかなあ。

 そのインドでもハッピーエンドじゃない映画が出てきたので中島はようやく見る気になってきたそうなのだけれど、こういう偏狭な映画観を 「映画評論家」 の寺脇が叱るのかと思いきや、それで日本人のインド観も変わるし日印関係も変わる、なんて脳天気なことをのたもうている。

 あのですね、韓国映画はずいぶん日本でも流行ったけれど、それで日韓関係は良くなったのだろうか? むしろ嫌韓の動きが露骨になったりした側面もあるわけでしょう。 遠い昔にさかのぼれば、まだ共産主義幻想が崩れていなかった時代には、ソ連の文化がずいぶん日本にも紹介されたけれど、それで日ソ関係が根本的に改善された、なんて話はなかったでしょ。

 いや、社会的なインド映画を見るのは悪くないし、韓国映画が好きで評論を書くのも結構だけど、あんまり安易な文化幻想を抱くのはやめてもらいたい、という話なんですけど。 それと、いままで知識人向けのインド映画がなかったというなら、なぜなかったのか、その辺の分析くらいは入れておいてほしいものだ。

 エリートの元・文科省官僚と、むかしは帝大と呼ばれた北大の准教授のこういうお粗末な対談を読むと、私はどうしようもなく憂鬱になってくるのである。

   *       *       *

 本日は午後6時30分から、田中幸治playsシューマン第2回をだいしホールで聴く。 新潟大学准教授でピアニストの田中幸治先生はシューマンに特定してシリーズ・リサイタルを行っており、その第2回目。 前回はソプラノ歌手をゲストに迎えたが、今回はヴァイオリニストの緒方恵さんを迎えている。

 プログラムは、前半が子供のためのアルバムop.68から12曲、3つのロマンスop.94 (クラリネットとピアノ用の曲をヴァイオリンとピアノ用に編曲したもの)、3つの幻想小曲集op.111。 後半が子供のための3つのピアノソナタop.118から第2番ニ長調、ヴァイオリンソナタ第1番。 アンコールに 「子供の情景」 から第1曲 (ピアノ独奏) と 「トロイメライ」 (ヴァイオリン+ピアノ)。

 1回目と同じく田中先生の解説つきでの演奏で、おかげで次々と展開されるピアノの小品もそれなりの理解をもって聴くことができた。 こうして聴くと、シューマンってベートーヴェンと違って構築的な作曲家と言うよりは断片的な作曲家だったのだな、という印象が強くしてくる。

 また、緒方恵さんからも興味深い解説があった。 シューマンのヴァイオリン曲は一般にあまりヴァイオリニストに歓迎されていない。 なぜかというと中低音を多く用いているので、高音で勝負するヴァイオリンにとっては音量が出しにくいし効果も上がりにくいからだ、とのこと。 もっとも緒方さんはシューマンを好んで弾くとのことで、それは旋律が一息で歌われるように曲が作られていて好ましいからだという。 こういう解説をまず聞いてから曲を聴くと、なるほどなあ、と思えてくる。 勉強になりました。 無論、演奏そのものもとても充実していた。

 客の入りは8割くらいか。 田中先生もおっしゃっていましたが、是非年1回のペースでこのシリーズを続けていっていただきたいものである。

10月21日(日) 本日は午後2時から、りゅーとぴあで新潟室内合奏団第54回演奏会を聴く。 指揮が本多優之、ヴァイオリン独奏が奥村愛で、モーツァルトのハフナー交響曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調、コープランドの 「静かな街」、ハイドンの交響曲第103番 「太鼓連打」 というプログラム。

 なかなかいい演奏会。 最初のモーツァルト、モーツァルトらしさがみなぎっていた。 もっともモーツァルト特有のちゃきちゃきした速いパッセージでは弦の合奏がやや乱れ気味だったが。

 次のメンデルスゾーン、奥村愛さんの独奏は比較的早めのテンポでスマートな演奏。 ちょっと線は細いけれど美しい音でテクニック的にも申し分なく、満足。 1000円でこれが聴けるのだから、安いなと思う。

 休憩後の最初のコープランドの曲は初めて聴いたのであるが、現代曲っぽすぎず――当たり前かな。1941年作曲だからもう60年以上前の曲なのだ――独特の感性に満ちていて、プログラムに変化を付ける意味でも面白い。

 さて、最後のハイドンだが――
 最初でびっくり。いや、びっくり交響曲じゃないんだけど(笑)、びっくりした。 太鼓の思い切った連打で始まったから。 「太鼓連打」 だから当たり前じゃないかと言われそうだけど、「えっ、この曲って、こんな始まり方だったっけ???」 と思う。 私の持っているディスクでは、こんなに思い切った、しかもリズミカルな連打で始まっていないんだけど。 抑えた叩き方で始まっている。 「えええーーーーーーーーっ????」 という感じ。

 これって、指揮者の本多さんの仕掛け? それとも最近の楽譜ではこう演奏すべきだということになっているんだろうか? (後日調べたところ、ハイドンの当該部分の楽譜には強さの指定がなく、演奏家によっては強く演奏していることが判明。 お騒がせしました。) それは別にすると、演奏自体には満足できたけれど。

 アンコールにベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」からパストラーレが演奏されました。

 客の入りも悪くなく、2階正面は満席、1階も8割は入っており、2階のBブロックとDブロックにも、AやEにはみ出した分を入れると6〜7割は入っていただろう。 ご盛況、おめでとうございます。 ただ、遅刻してくる客が多かったけれど、これは白山駐車場が満車で陸上競技場駐車場が使用不可だったので、致し方ないところ。 私も仕方なくクルマを民間駐車場に入れたので、あやうく遅刻するところだった。 ただ、メンデルスゾーンの第2楽章から第3楽章に移るところでケータイを鳴らした人は懺悔して下さい!

10月20日(土)  *新潟大学人文社会・教育学系の学系長裁量経費は公正に配分されているか? 

 国立大学の独法化以降、各教員の研究費が激減していることについては、本サイトでも繰り返し触れてきた。

 私で言えば、独法化以前は、研究費が年に約40万円、出張旅費が6万円あった。 出張旅費は足りなかったが、研究費は足りていた。 また、これ以外に教養教育経費といって、教養科目を受け持つ教員には担当コマに応じて研究費として使えるお金が多少 (1コマ2〜3万円程度だが) 出ていた。

 独法化にあたっての事務官の説明はこうであった。 「今度から研究費と出張旅費がいっしょになりますので、出張がしやすくなります」。

 新潟大学のような地方大学にいると、学会や研究会に出るときは基本的に新幹線などで出張しなくてはならない。 学会や研究会は大半が首都圏か関西圏で行われるからである。 だから、これまで年6万円しかなくて、東京往復1泊なら2回分しかなかった出張費が事実上増えるのは朗報だと思えた。

 しかし、事務官の説明はデタラメ――というのが悪ければ、ウソに近かった。 たしかに研究費と出張旅費の区別はなくなったが、全体の額が激減して、独法化以前よりむしろ不便になったからである。 つまり、新潟大学のような地方国立大学に勤めていると、学会に出ることすらままならず、最新情報にも接することができず、事実上学問をやることができなくなってしまったわけである。 要するに、新潟大学は学問の場ではなくなった、ということだ。

 具体的に書くと、独法化以降、研究費は出張旅費込みで20万円となった。 つまり従来の半分以下である。 ここには研究室の電話代やコピー代も含まれている。 また教養教育経費に当たるものは一応あるが、色々事情があって個人では使えなくなった。 お陰で、それまで定期的に購入していた独文系の辞書・事典・全集類が大幅に削減を余儀なくされた。 また、そうしたときに知らん顔を決め込んだドイツ語教師がいたことも、書いてきた。

 しかし――である。 実はそれまでなかった研究費が新たに設けられた。 学系長裁量経費である。

 学系というのは、文系の人文学部・法学部・経済学部に教育人間科学部を合わせた組織だと思ってもらえれば、ほぼ間違いない。 独法化後は、各学部教授会の持っていた権限は多くが学系に移された。 なおかつ学系は、各学部教授会と違って代議員制である。 つまり構成員が物事を直接的に決めたり情報に接したりすることが出来ない。

 学系長裁量経費は、申告して認められれば研究費が下りるというものだが、決めているのは一部の人間であり、はたして公正な審査がなされているかどうか分からない。 また、この経費は複数の教員が集まって 「プロジェクト」 という形にしないと申請できない決まりなので、仲間の多い人間が得をし、一匹狼的な人間が損をする可能性が多分に考えられる。

 この学系長裁量経費なるものがどう使われているのか――具体的には誰にどの程度支給されているのか――教員一人あたりの研究費が激減している現状下では、公正さを確保するためには当然明らかにすべきであろう。

 ところがこの当然のことが行われていない。 申請代表者名と、研究プロジェクト名は明らかにされているが、代表者の下にどういう教員が貼り付いているのかは、明らかにされていないのである。 

 それで、8月27日のこのコーナーですでに報告しているとおり、私は学系長裁量経費を受け取っている教員名を公表せよと学系長あて申し入れたわけだが、拒否された。 まったく不思議なことである。 国立大学であり、税金から研究費を支出しているのに、それを使っている人間の名前を出せないというのだ。 新潟大学教員の意識のレベルが分かる話であろう。 

 仕方がないので、別の手段で情報を手に入れることにした。 すなわち 「独立行政法人等の保有する情報の公開に関する法律」、俗に言う情報公開法である。 これに基づいて、人文社会・教育学系の学系長裁量経費を受け取っている教員名を過去にさかのぼって明らかにするよう求めたのである。 ちょっと時間がかかったが、今週半ばに情報を入手できた。 バカとハサミと法律は使いよう、である。 

 それに基づいて、以下、過去3年間の人文社会・教育学系・学長裁量経費の配分の内実を明らかにしたい。

 といっても、入手した資料には実名が書いてあるが、私の意図は個人攻撃ではなく、この経費がいかに特定の人間によって独占的に使われているかを明らかにするところにあるので、人名は匿名とする。

 すなわち、人名はその教員の所属学部と番号によって示す。 番号は資料に現れた順番に基づいて付けているに過ぎない。 人文=人文学部、法=法学部、経済=経済学部、教育=教育人間科学部である。 また、学部ではなく 「○○機構」 などというところに貼り付いている教員もいるので、そうした教員は 「学部外」 と表記した。 なお、現在は大学院が主担当で、学部にはそこから出講という形の方もいるが、ここでは分かりにくさを避けるため、所属はすべて学部名で示した。

 新潟大学文系以外の方 (新潟大理系教員、他大学の教員など) が入っている場合は、簡潔に所属だけ示した。 「氏」 という表記は単なる敬称であり、男性であることを示すものではない。

 実は途中で所属が変更になった方もいる。 しかし一人の人間は一つの記号で示さないと混乱するので、その場合は最初の所属で用いた学部名と番号で通すことにした。

    *          *

平成17年度 総計金額996万7千円

*プロジェクトA 180万円 代表者=人文01氏

 構成員 人文02氏、法01氏、法02氏、法03氏、法04氏、学部外01氏、東大教員、中大教員、東京経大非常勤、外国人5名 (計15名)

*プロジェクトB 180万円 代表者=経済01氏

 構成員 経済02氏、経済03氏、経済04氏、経済05氏、経済06氏、経済07氏、経済08氏、経済09氏、教育01氏、教育02氏、教育03氏、経済10氏 (計12名)

*プロジェクトC 178万5千円 代表者=人文03氏

 構成員 人文04氏、人文05氏、人文06氏、人文07氏、人文08氏、人文09氏、学部外02氏 (計8名)

*プロジェクトD 178万2千円 代表者=人文10氏

 構成員 人文11氏、人文12氏 (計3名)

*プロジェクトE 140万円 代表者=人文13氏

 構成員 人文14氏、法05氏、法06氏、人文07氏、教育04氏 (計6名)

*プロジェクトF 140万円 代表者=経済11氏

 構成員 経済12氏、法07氏、法08氏、経済13氏、経済14氏、経済15氏、経済16氏、経済17氏、経済18氏 (計10名)

 

平成18年度 総計金額1248万円

*プロジェクトC 100万円 代表者=人文03氏

 構成員 人文04氏、人文05氏、人文06氏、人文07氏、人文08氏、人文09氏、人文10氏、人文11氏、人文12氏、学部外02氏 (計11名)

*プロジェクトB 200万円 代表者=経済01氏 

構成員 経済02氏、経済03氏、経済04氏、経済05氏、経済06氏、経済07氏、経済08氏、経済09氏 (計9名)

*プロジェクトG 198万円 代表者=経済13氏

 構成員 経済11氏、経済12氏、経済14氏、経済15氏、経済19氏、経済20氏、法07氏、法08氏、法09氏 (計10名)

*プロジェクトH 150万円 代表者=人文02氏

 構成員 人文01氏、人文15氏、人文16氏、人文17氏、人文18氏、人文19氏、人文20氏、人文21氏、法03氏、法04氏、経済01氏、経済05氏、教育05氏、学部外01氏 (計15名)

*プロジェクトI 150万円 代表者=人文15氏

 構成員 人文01氏、人文02氏、人文18氏、人文21氏、人文20氏、人文22氏、人文23氏、人文24氏、人文25氏、人文26氏、人文27氏、人文28氏、教育06氏、教育07氏 (計15名)

*プロジェクトJ 150万円 代表者=教育08氏

 構成員 教育09氏、教育10氏、教育11氏、教育12氏 (計5名)

*プロジェクトK 150万円 代表者=教育13氏

 構成員 教育14氏、教育15氏、経済21氏、学部外03氏 (計5名)

*プロジェクトL 150万円 代表者=経済22氏

 構成員 経済17氏、経済23氏、経済24氏、経済25氏 (計5名) 

 

平成19年度 総計金額720万円

*プロジェクトC 90万円 代表者=人文03氏

 構成員 人文04氏、人文05氏、人文06氏、人文07氏、人文08氏、人文09氏、人文10氏、人文11氏、人文12氏、学部外02氏 (計11名)

*プロジェクトM 130万円 代表者=人文13氏

 構成員 人文14氏、人文29氏、法05氏、法06氏、教育04氏 (計6名)

*プロジェクトN 130万円 代表者=人文30氏

 構成員 人文18氏、人文31氏、人文32氏、人文33氏 (計5名)

*プロジェクトO 130万円 代表者=経済04氏

 構成員 経済01氏、経済03氏、経済05氏、経済06氏、経済07氏、経済08氏、経済09氏 (計8名)

*プロジェクトP 50万円 代表者=人文15氏

 構成員 人文18氏、人文19氏、人文20氏、人文21氏、人文22氏、人文23氏、人文25氏、人文27氏、人文28氏、教育07氏、工学部教員 (計12名)

*プロジェクトQ 40万円 代表者=人文34氏

 構成員 人文35氏、人文36氏、人文37氏、経済26氏、教育16氏 (計6名)

*プロジェクトR 50万円 代表者=教育08氏

 構成員 教育09氏、教育10氏、教育11氏、教育12氏 (計5名)

*プロジェクトS 50万円 代表者=教育17氏

 構成員 教育09氏、教育18氏、教育19氏、附属中学教諭 (計5名)

*プロジェクトT 50万円 代表者=人文02氏

 構成員 人文16氏、人文17氏、人文19氏、人文20氏、人文38氏、人文39氏、法03氏、法04氏、法10氏、学部外01氏、学部外04氏、学部外05氏 (計13名)

     *          *

 さて、といっても、匿名を用いたこういう表をいきなり見せられてもピンと来ないであろうから、私の方から多少の分析を示してみよう。

(1) いつも決まった代表者によって同じプロジェクト名でお金をもらっている人たちがいる。

 典型的なのがプロジェクトCである。 3年間同じ代表者・同じプロジェクト名で出てきており、構成員もだいたい変わらず続いている。 プロジェクトBは平成17年度と18年度に出ており、同じプロジェクト名・同じ代表者、そして構成員もだいたい同じである。 また、プロジェクトJとプロジェクトRも、プロジェクト名に多少違いがあるので一応別扱いしたが、実は類似した名であり、代表者と構成員はまったく同じであるから、事実上同じプロジェクトと見てよい。

2) 同一年度に複数のプロジェクトに加わってお金をもらっている人たちがいる。

 例えば、平成17年なら人文07氏がそうである。 プロジェクトCとプロジェクトEの双方に加わっている。

 平成18年度なら、人文02氏はプロジェクトHの代表者であると同時にプロジェクトIの構成員である。 逆に人文15氏は、プロジェクトHでは構成員、プロジェクトIでは代表者である。  そしてプロジェクトHとプロジェクトIの双方に構成員として名前が出ているのが、人文01氏、人文18氏、人文20氏、人文21氏である。 このことは、学系長裁量経費が特定の仲間たちに支給されている、という実態を示すものと言えよう。

(3) プロジェクト名が変わっても、構成員はおおむね一定の人たちで占められている。

 例えば、学部外01氏は、平成17年度はプロジェクトAに、平成18年度はないが、平成19年度はプロジェクトTに登場する。 人文10氏は、平成17年度はプロジェクトDの代表者として、平成18年度はプロジェクトCの構成員として、平成19年度もプロジェクトCの構成員として登場する。 経済01氏のプロジェクトBが17年度と18年度と同じ名前で続いていることは(1)で書いたが、実は平成19年度も実質的には続いているのであり、ただ代表者を経済04氏に変えてプロジェクトOとして出しており、経済01氏は構成員として入っているし、他の構成員もプロジェクトB時代とあまり変わっていないのである。 このように、3年連続で登場する人、3年のうち2年は登場する人が目立っている。

(4) もらっている人とそうでない人の格差がかなりある。

 平成19年度現在、人文学部教員は72名である (助手を除く)。 平成17年度はもう少し多かったし、出入りも多少はある。 しかし一応72名として考えると、人文学部教員でもらっている人の数は、上の表から分かるように番号のラストがプロジェクトTに出てくる人文39氏であるから、39名である。 このうち、人文02氏と人文07氏は3年間で延べ4回もらっており、3年間で延べ3回の人となると人文学部だけで10名あまりに及ぶ。 一方で、3年間で一度ももらっていない人文学部教員が、私を含めて33名いるのである。 まさに格差社会と言わねばなるまい。

(5) 他でお金をもらってもこの経費からまたもらっている人たちがいる。

 これはプロジェクト内容に関わることであるが、疑問に思うので書いておく。 最後のプロジェクトTであるが、内容的に、新潟大学から重点的研究と認められて研究所を設置してもらっているものとまったく同じなのである。 無論、大学からお金をもらってもまだ足りないという事態は考えられる。 しかし研究費が足りなくて困っているのは皆同じなのである。 大学から重点研究として認められてお金をもらっているのに、学系長裁量経費からまたもらうというのは、いささか節操に欠けているのではないか。 また、それを認めている学系長を初めとする人たちに判断力が欠けているのではないか、とも思う。  

   *          *

 さて、以上のように、新潟大学の人文社会・教育学系の学系長裁量経費は、かなり片寄った配分がなされているということが分かった。

 急いで付け加えると、独法化後に研究費が激減したのは、このせいだけではない。 今年度で言えば、学系長裁量経費の総額が720万円であり、ということは仮に教員全員に平等に分配したとしても、人文・法・経済・教育の4学部を合わせた教員数は300名近くに及ぶので、一人あたり約2,5万円にしかならない。 だから学系長裁量経費は個人研究費減額の主要因ではない。

 つまり、上から降りてくるお金の総額自体が激減しているのである。 上、というのは、国ではなく、学長のことである。

 独法化後、国立大学は毎年1パーセントずつ予算額を削られることになっている。 独法化して今年で4年目。 だから研究費が4パーセント減った、というなら話は分かる。 しかし現実はそうではない。 仮に学系長裁量経費を廃止して均等配分にしても、個人研究費の額は独法化以前の半分なのである。 4パーセント減どころではない。

 だから、そもそもは学長らの決めている配分に問題があることは明瞭だ。 いったい、どこにカネを使っているのか。 そこら辺にメスを入れないと事態は解決しない。 このあたり、やる気のあるマスコミが存在すれば、と思うんですけどねえ・・・・・。

 

10月18日(木) 毎日新聞のコラム「ダブルクリック」に思想史学者・芹沢一也の 「知識人の影響力」 という文章が載った。

 まあ、要するに、いまほど知識人の影響力がなくなっている時代はない、ということだ。 それはその通りなのである。 その次に言われている、「かつてのようなラディカルな社会変革を目指すヴィジョンが失われたために、現状に対する原理的な批判が難しくなったことから来ているのだろう」 というところも、その通りだと思う。

 しかし、その後の分析はどうも説得性を欠く。 データをもとにした冷静な議論がなされていないとして、教育改革でのニート問題の解決策として徴兵ならぬ徴農がいわれたり、昔は良かったといったノスタルジーが妙に幅をきかせて、なし崩し的に様々な改革が進んでいる、と述べているのだ。

 それを芹沢氏は、影響力を失った知識人がラディカリズムに陥っている証拠としているのだが、ほんじゃ、かつての左翼のラディカリズムはどうだったのだろうか。 当時の左翼知識人は少なくとも現在の知識人よりははるかに学生や知識階層に影響力があった。 それで物事がうまくいっていたら、知識人の権威失墜も起こらなかったはずなのである。 それとも、かつての左翼知識人も影響力がなかったからラディカルな主張をしていたのだろうか。

 日本の人文系学者や知識人がデータを取って議論をするという習慣を欠いていることは、私も大学にいて痛感している。 彼らは往々にして、言説だけで物事が決まるような錯覚を抱いている。 その意味で日本の文系学者のレベルの低さを一度きちんと問題にした方がいいとは思う。 だが、学問的なデータが現実を変える作業のたしかな前提になるという信頼感自体が、日本にないことのほうが問題なのではないか。 そしてそれは、かつて 「科学」 を標榜したマルクス主義が残した、大きなマイナス遺産なのではないか。

10月17日(水) ドイツの週刊誌 ”Der Spiegel”(10月1日号) によると、ヨシュカ・フィッシャーが自伝を出版して話題になっているらしい。

 フィッシャーは、環境保護を標榜する政党・緑の党での活動で有名になった人物で、85年にヘッセン州で州環境相になり (ドイツでは州単位でも大臣がいる。 ドイツ全体の連邦政府の大臣とは別)、98年にドイツ連邦議会で社民党と緑の党による連合政権、いわゆる赤緑連合が成立すると、連邦外相兼副首相となった。 しかしこの頃から現実主義的になり、2000年のNATOによるコソヴォ空爆では、緑の党内部の平和主義者からは批判が多かったが、彼は空爆を支持し、党内から非難を浴びた。 ”Der Spiegel”誌には、会議の席で赤いペンキを投げつけられて頭を抱えているフィッシャーの写真も載っていて、大臣になると色々大変だなと私なんぞは同情してしまう。

 フィッシャーの経歴については、日本語では井関正久 『ドイツを変えた68年運動』(白水社) で知ることができる。  

10月15日(月) ドイツ作家ハインリヒ・マンの小説 『ウンラート教授』 の新訳が、松籟社から刊行された。 訳者は九州工業大学准教授の今井敦氏である。

 この小説は一般にはマレーネ・ディートリヒ主演の映画 『嘆きの天使』 原作として知られている。 邦訳は戦前には新潮社の世界文学全集の一巻として出ていたが、ところどころを省略した抄訳であったこともあり、戦後は新訳が待望されていたのになかなか出す人がいなかった。 このたび、ようやく若手の独文学者によってこの空隙が埋められたのは喜ばしいことである。 最新の学問的成果を取り入れた詳細な解説も付いている。 興味のある方は是非。 

10月13日(土) *産経新聞は自説を貫くために本社を地方都市に移転すべし! 

 産経新聞の 「土日曜日に書く」 欄に論説副委員長・岩崎慶市の 「おかしな地方再生論議」 という文章が載った。

 要するに 「地方は弱者」 というような格差論議はおかしいとして、地方の自助努力をうながし、また 「企業誘致にしてもやみくもに行うのではなく、まず東京に移転した地元出身大企業の本社回帰をうながすことから始めたらどうか。 大企業の本社が一極集中している国など欧米にはない」 と述べている。

 うーん。 日本の大企業が東京に本社を置きたがるのは、多分それなりに理由があるというか、利益があるからではないのですかね。 それは明治維新以降、公私の権力を東京に集中させてきた日本という国家がみずから招いた結果だと思うのだが。

 いや、私は岩崎氏の主張するように、大企業や権力が分散している方が健全だと思う。 また、そうでなくては地方再生など出来るわけがない。

 そこで、である。 岩崎氏はそう主張したのだから、自分でそれを実行に移していただきたい。 隗より始めよ、という諺もありますからね。 すなわち、産経新聞社は本社を地方都市に移転してください! 無論、産経新聞はこれを拒まないはずである。 自社の論説副委員長である岩崎氏がそういう主張をしているのだからね。 有言実行である。

 移転先としては、新潟市なんかどうでしょう。 新潟県にはサヨク的な人間も結構いるけど、産業振興のためだから、さほど反対は出ないと思うよ。 まして私はサヨクじゃないから、大歓迎します。 私は本気である。

10月12日(金) 映画評のコーナーでも書いたが、ユナイテッドシネマで、モーツァルトのオペラ 『魔笛』 をケネス・ブラナーが映画化したものを見た。 1日1回の上映で昨日が最終日。 そのせいかどうかは知らないが、客は結構入っていた。

 舞台を第一次世界大戦に設定しているのであるが、そのせいで歌詞やセリフもある程度変更していた (加えてドイツ語ではなく英語)。 ただし、それで全体が説得的になったかどうかは疑問。

 ザラストロが登場する前にタミーノが行者風の男に事情を説明される場面では、その男が実はザラストロだったというふうになっており、パパゲーノも鳥刺しではなく鳥の保護者となってしまっていて、それなりに工夫はあるが、モーツァルトの曲自体は変えずにセリフや歌詞だけある程度変えるというのも不便なもので、おそらく原作オペラを知らない客にとってはかなり分かりにくい映画になってしまっていたのではないか。 ザラストロを平和主義者・平和工作者、夜の女王を好戦主義者としているのだが、セリフや歌詞が原作の設定を引きずっているので、かならずしも映画として説得力十分とは言えないのである。

 というわけで、原作をよく知っている人なら 「はあ、ここでこう来るとはね」 といった見方ができるが、それ以外の人にはお薦めしかねるというのが私の評価である。

10月8日(月・祝)  午後5時から、りゅーとぴあコンサートホールで東京交響楽団第44回新潟定期演奏会を聴く。     

 指揮=秋山和慶、ソプラノ=野田ひろ子、メゾソプラノ=小川明子、テノール=錦織健、バリトン=三原剛、にいがた東響コーラス、コンマス=大谷康子という顔ぶれで、シューベルトの未完成交響曲とモーツァルトのレクイエム。

 東響定期としては久しぶりに満員だったようだ。 ただし、ふだん来つけない方がいたためか、鈴の音とか、6時ジャストの腕時計のオルゴール音だとかの雑音が目立ち、マナーで言うとイマイチの感があったのは残念。

 レクイエムを聴いて今更のように思ったのは、合唱曲の迫力はやはり生で聴かないと根本的には分からない、ということ。 ホール全体を満たす迫力ある響きは音響機器ではどうやっても出ない。 独唱陣の歌も、前回定期のゲルネよりはよく聞こえた。 席は同じなんだけど、指揮者の前で歌った分、ゲルネより少し後ろだったからかなあ。 それとも歌唱法かなにかのせいだろうか。 また、この曲では合唱の占める割合が比較的大きいので、歌で参加された方々は大変だっただろうけれど、それだけやりがいもあったのでは。 いずれにせよ立派な演奏で、満足。

 アンコールにモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスが演奏され、よい締めくくりとなった。

10月7日(日) 午後2時から音楽文化会館でネーベル室内合奏協会第59回定期演奏会を聴いた。 中1の娘とふたりで行ったが、8割程度の入りだったろうか。

 プログラムは、前半がヴィヴァルディの「四季」から”冬”、バッハのチェンバロ協奏曲BWV1054(ヴァイオリン協奏曲第2番の編曲)、後半がヴィヴァルディのチェロ協奏曲ロ短調F.III No.9、同じくヴァイオリンとチェロのための協奏曲ヘ長調F.IV no.5、バッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲。
独奏は、前半1曲目のヴァイオリンが原崇敬、2曲目のチェンバロが井山靖子。後半はチェロが奥村景、ヴァイオリンはヴィヴァルディが奥村和雄、バッハが庄司愛と奥村和雄。

 何と言っても最後のバッハが素晴らしい。 曲の良さが分かる演奏というのか、演奏の力量と曲の出来具合がぴったりで、聞いていて良い意味でスリリング。 アンコールでも、奥村氏と庄司さんの独奏で、ヴィヴァルディの 「調和の霊感」 のなかの二つのヴァイオリンのための協奏曲から第一楽章が演奏された。

 ふと思ったのだが、庄司愛さんは女優の堀北真希にちょっと似ているような。 トリオ・ベルガルモでの庄司さんの活躍ぶりは新潟市のクラシックファンなら周知のとおりだが、単独でリサイタルを開くなどの意欲もあっていいのでは? 彼女の今後に期待したい。

10月6日(土) 朝日新聞インターネットニュースより。 

 http://www.asahi.com/life/update/1006/TKY200710060182.html 

 国立87大学の業績、最低評価はゼロ 文科省が公表

 2007年10月06日16時10分

 文部科学省は5日、国立大学87校の業務実績に関する評価結果を公表した。 運営や財務など4項目を5段階で評価するもので、いずれの項目でも、最低ランクの 「重大な改善事項がある」 と評価された大学はなかった。 下から2番目の 「やや遅れている」 とされたのは、運営面で弘前、信州、和歌山の3校、財務面で静岡、愛知教育、兵庫教育の3校だった。

 一方、運営面で最高ランクの 「特筆すべき進捗(しんちょく)状況」 とされたのは、東京外国語、お茶の水女子、大阪の3校だった。 いずれも教職員の人事評価を導入し、その結果を給与などの処遇に反映している点が高く評価された。

 国立大は04年春の法人化で、自ら作った中期計画の進捗状況を各事業年度ごとに、国立大学法人評価委員会から評価されることになった。

 結局、文科省の 「評価」 とはこの程度のものである。

 「教職員の人事評価を導入してその結果を給与などの処遇に反映して」 いれば高評価となる。 ステレオタイプ、なのだ。 人事評価を処遇に反映させれば研究成果が上がるのかどうか、それ自体はまったく不問なのである。

 かつて、日本が三流国家と言われていた時代には、日本式経営はダメだとさんざんいわれたが、日本が経済大国と言われるようになると、簡単に首を切らず同期入社は給与差があまりない日本式経営はすばらしい、と言われるようになった。 「評価」 はかくも難しいものだが、そういう認識は文科省にはまったくないらしい。

 こういう文科省をきちんと 「評価」 するところから始めないと、どうしようもないだろう。 ゆとり教育の寺脇研を厳しく評価して、仮に退職していようと、その現在の 「待遇」 に反映させないと、文科省の言うことには説得力は出てきませんね。

10月2日(火) 昨日の教養科目の抽選をなんとか済ませて、その結果をプリントアウトした紙を事務に持っていき掲示を頼んだら、なんと、抽選で当選した学生の氏名が書いてあるからダメだと言われた。 どうも情報規制の例の法律ができて以来、学内はかなり変になっているのだが、それがここまで来たか、という感じである。 しかしこういう規制に素直に従わないのが、私のいいところ(?)である。

 いや、実のところフザケルナ!と叫びたいところだったのだが、それを我慢して、それじゃあ、あなたがた事務員は胸に名札をぶら下げているが、それもいけないのではないか、私は実名で講義を担当しているが、これも匿名でやらないといけないのではないか、と言ったら、相手は渋々、じゃあこれでけっこうですと答えた。 ったく、常識で判断しろよ。

 大学は確実に変になっている。 変を変と思わない大学人が多数だということなのでしょう。

10月1日(月) まだ時差ボケが直らないが、本日から後期の授業である。 2限の教養科目 (正式にはGコード科目という) の講義の受付に行ったら、超満員で廊下におびただしい学生があふれている。 今はパソコンによる登録があるから予想はしていたが、すさまじい。 100人の定員に対して500人以上が登録しているので、競争率は5倍超である。 

 昨年度も同じようなことを書いたけど、これは必ずしもこの科目の人気のためだけではなく、同時限におかれた教養科目の定員が少な目だからであろう。 新潟大学のお偉方は文科省の言いなりの 「改革」 を進めるのではなく、こういうところを 「改善」 すべきなのだよ。

 

9月29日(土) ハンブルクからウィーン経由で成田空港に向かう。 ウィーンからの飛行機に乗り込んだら、何と、隣席が新潟大学経済学部教授のK先生であった。 偶然とは恐ろしいものだ。 これじゃ海外とはいえ、愛人同伴での旅行などできませんね (笑)。

 K先生とは一時期教養部で同僚であったが、K先生は教養部解体以前に経済学部に移られ、以来今日に至るまで同学部の中心的スタッフとしてご活躍である。 今回もご専門の東欧経済研究に科研費がついたので、今月初めからこちらの現地で調査にあたっておられたという。 おかげで安倍総理の辞任もこちらで知ってびっくりされたとか。

9月28日(金) ハンブルクに来て、昨日までの3日間は朝方どんより曇っていて、場合によっては早朝は雨だが、時間がたつにつれて晴れてくる、という天候で共通していた。 しかし本日は残念ながらずっと雨。 雨量は大したことがないが、風が伴っている。

 午前中から昼過ぎにかけて、中央駅の脇にあるハンブルク美術館に行ってみる。 入場料は6ユーロ。

 さまざまな時代のさまざまな絵画がある。 内部は広大で部屋数が多いから、急いで見ても全部回るのに2時間以上はかかる。

 ここに限らないけれど、こういう美術館に行くと、全然有名じゃない絵画で 「いいな」 と思えるものに出会う。 有名じゃないから日本で出ている画集などではまずお目にかかれない。 で、せめて当該美術館の売店で絵葉書でも売っていないかな、と思うのだが、そういうのに限って売っていないのだ。

 この日も、画家不詳の古い(17〜18世紀頃) 聖母子像で、聖母の淋しそうな表情に心が動いたり、同じ頃の風景画で嵐によって森の木が折れたところを描いた絵画を見てそのダイナミックさに驚いたり、ナウシカ (もちろん宮崎駿のキャラじゃなく、『オデュッセイア』 に出てくる王女様のほうですぞ) の愛らしい姿に惹かれたりしたのだが、こういう絵画のどれも売店の絵葉書になっていないのである。 残念だなあ。

 ハンブルクの歴史をたどる絵画のコーナーも設けられており、ヨーロッパ全体と地域性とのバランスを取っているのが分かる。

 地下がレストランになっているが、この日はなぜか昼食どきになっても腹が空かなかったので、ビールだけ飲んだ。

   *      *      *

 さて、夜は8時から昨日買っておいたチケットでドイツ劇場 (Deutsches Schauspielhaus in Hamburg) の出し物を見る。 クライスト (Heinrich von Kleist) 原作の 『ヘルマンの戦い Die Hermannsschlacht』 である。 演出はドゥサン・ダーフィト・パリツェク(Dusan David Parizek )。この日がプレミーレ (初演)で、プレミーレは2日目以降より価格が高いのだが、私の席は2階中央近くながら柱が若干じゃまになるせいか安くて11ユーロであった。 約1800円で、ハンブルクでの4夜で一番安上がりだったことになる。

 クライストはドイツ文学の中でもそれなりの地歩を占める劇作家である。 しかし不勉強な私はこの作品を読んでおらず、「えっと、文学史の中ではどう記述されていたっけ・・・」 と内心あせって思い出そうとしたりしていたのであるが、パンフが売られていたので (1,5ユーロ)、そこに記されている梗概を読んで筋書きを頭の中に入れた。

 舞台の作り方が独特である。 もともと舞台は作りつけであるわけだが、今回はそれを使わず、一枚の大きな板を前方に向けて傾けたような形の舞台を、作りつけの舞台から客席前方のあたりまで新たに作ってある。 多分、前方の座席何列分かは今回のためにはずしたのではないか。 また、2階3階席は本来は舞台に対してコの字型になっているが、脇席には今回は客を入れていなかった。

 さて、肝心の舞台であるが、本来この劇は遠い時代、ローマのゲルマン侵攻をゲルマン軍が撃退した頃のお話なのだけれど、登場人物は完全に現代人の服装で、まあそれだけセリフでの勝負ということなのだろうけれど、当方のようにふだんドイツの演劇を見慣れていないしセリフも必ずしもよくは聞き取れない人間からすると、面白みが感じられない。 原作から離れたセリフも多少入っていたようだが、こちらの聴取能力のなさからよく分からず、人物の動きもあまりないので、正直、途中から眠くなってきた。 また、最後にヒロインが敵軍人を籠絡するところでは、本当に男女の役者が裸になって抱き合ってしまう。 こういうところも、まあ、「芸術」 ならではのラジカルさなんでしょうね。 でも、それで面白かというと、私は面白いとは思わなかったのですね。

 そういうわけで、ハンブルクでの4夜のなかでは一番充実感に乏しい夜となりました。 この夜は、昨夜までの3夜と違って、必ずしもカップルでなく来ている客もそれなりにいた。 私の左隣りも初老の男が一人で観劇しており、「芸術」 的な演劇の観客はオペラやクラシックコンサートやお笑い劇の客層とは少し違っているらしいと思われた。 プレミーレのためか、終演後にロビーに出たら作劇関係者がインタヴューされている姿も見られた。

 でも、うーん、これで面白いのだろうか、「芸術」的な演劇に未来はあるのだろうか、という感慨が湧いてきた一夜でありました。

9月27日(木) 本日は朝から、ハンブルクの北方、列車で2時間ほどかかるフーズムという町まで日帰りで出かけたのであるが、その帰りの出来事。

 行きは列車があまり混んでおらず、バッグは隣の座席に置いていたのだが、帰りの列車には小学校低学年らしい子供たちとその引率の先生が乗り込んできて満員となった。だからバッグは網棚に乗せ、脇は空けておいた。すると先生にうながされて、女の子が一人、私の隣りにすわった。 最初は通路を隔てて同級生たちと大声でしゃべっていたけれど、そのうちそれが途切れて、やむを得ずということか、見慣れぬ異邦人 (つまり私です) に話しかけてきた。

 女の子 「スウェーデンから来たのか?」
 私 「日本から来た」
 「日本???」
 「日本を知ってる?」
 「知らない」
 「フランスは知ってる?」
 「知ってる」
 「英国は?」
 「知ってる」
 「中国は?」
 「知ってる」
 「日本は中国の隣りにあるんだよ」

 うーむ、小学校低学年のドイツ人は日本を知らないのだ。いくら世界第2位の経済大国などと威張っても、これじゃね。それでふと思ったのであるが、近隣諸国はともかくとして、それ以外では子供はやはり中国のように面積が広大な国のほうが覚えやすいのではないか。 いくら経済大国でも面積が狭いと覚えてもらえないのだ。

 うーむ。こうなると、朝鮮半島を併合し満洲に帝国を作るなど、拡張政策をとった日本の先人たちの気持ちも、ほんの少しだけ分かるような気がしてきませんかね? いや、あまり真面目に受け取られると困るんですけど、人間には原初的な気分というものがふと浮上してくる時がある、というお話なのでした。 誤解なきよう。

  *     *     *

 実は本日も一昨日に続いて夜はハンブルク州立歌劇場でオペラを見て過ごす予定だった。 ところがドジを踏んでしまった。 つまり、オペラの開演時間を一昨日と同じ夜7時半だと思っていたのだが、夕方ホテルで手帳を再確認したところ、30分早い7時なのだった。 もう少し早く手帳を見ておけば間に合ったのだが、開演まで20分という時刻になってから気づいたので、いくら中央駅に近いホテルで、州立歌劇場は中央駅から地下鉄で2駅目といっても間に合いそうもない。 チケットも買ってなくて当日券で済ませる予定だったし。

 最近トシのせいか、こういう思い違いが多いのだ。 中村光夫じゃないが、トシは取りたくないものです。

 しかしせっかくドイツに来ているので、夜をホテルにしけこんで過ごすなんて真似はしたくない。 というわけでオペラはあきらめたが、ともかくホテルから外に出た。

 ホテルのすぐ近くにドイツ劇場 (Deutsches Schauspielhaus in Hamburg) がある。 どのみち明日はクラシックコンサートもないしオペラは一昨日と同じ演目なので、ここで演劇でも見物しようかと考えていたこともあり、とりあえずこの劇場に行ってみた。 が、本日の演目は”Sweet Hamlet”とかいって何となく面白そうなのだけれど、すでに当日券は売り切れだという。 仕方なく、明日の別の演目のチケットだけ買って、また外に出る。

 繁華街に行けば何かあるだろう、ということで、地下鉄に乗ってハンブルク随一の繁華街であるレーパーバーンに出てみる。 ガイドブックを頼りに繁華街の劇場――といっても上記のドイツ劇場みたいな 「芸術」 をやるのではなく娯楽としての出し物をやるのであるが――をいくつかあたってみたが、結局、8時から聖パウリ劇場 (St. Pauli Theater) で 「大いなる自由 Grosse Freiheit」 というお笑い劇を見ることにした。 座席は一階の真ん中近く、つまり最上等の席で、価格は33,45ユーロ (約5500円) である。 うううぅ、一昨日のオペラより高いお金をお笑い劇に使ってしまった!

 劇場はそれほど大きくなく、一応2・3階もあるが、舞台からの距離がそう遠くなくて、舞台と客との一体感が楽しめそうであった。

 ヨーロッパはカップル文化が強いから、一昨日のオペラも昨日のクラシックコンサートもほとんどは男女カップルの客で、本日もその点では同じだったが、年齢層は明らかに本日の方が若い。 しかし特に階層的に下、という印象は受けなかった。

 出演はロルフ・クラウセン (Rolf Claussen) とシュテファン・グヴィルディス (Stefan Gwildis) の二人。 筋書きは、修理工が仕事を頼まれて或る住まいを訪ねたところ、そこに住む男が変わり者で、有名な歌手になる夢想を抱いており、彼にそそのかされて修理工もそのつもりになってしまい、二人で一流アーティストになった気分で一緒に歌ったり踊ったりする、というものである。 その二人の会話が日本なら漫才にあたる笑劇になっており、歌や踊りが随時織り込まれるという趣向。

 芝居は臨機応変で、前半途中退出する客を見ると、「あれ、もう休憩時間になったっけ?」 とアドリブを入れたり、1階最前列で見ていた女性客を引っ張り上げて舞台に乗せてすわらせ、その前でドタバタを演じてみたりと、お客との融合を心がけているように見えた。

 恥ずかしながら、言葉による洒落は、私には大部分分からなかった。 洒落で笑い転げているドイツ人との差をつくづく感じさせられた。

 しかし動作によるドタバタも結構あり、言葉が分からなくてもそれなりに楽しむことができた。 また工夫もあった。 例えば、舞台の奥で登場人物の一人がハシゴをかついで横切るシーンがある。 ところが、このハシゴが長くて、かついでいる男は左から出て右に消えたのだけれど、ハシゴは左から右に送られつづけているのになかなかもう一方の端が出てこないのである。 無論、そこで客は笑う。 そしてようやく端の部分が出てきたかと思うと、何と、その端のところをかついでいるのは、最初に出てきた男と同じであった。 爆笑である。

 このモチーフは3回繰り返されたが、といって同じことはやらず、2回目ではやはり男がハシゴをかついで舞台奥を横切りハシゴがなかなか終わらないのであるが、最初と同じかと思っているとさにあらず、今度はハシゴのもう一方の端が出てきたと思ったら、誰もかついでいないのであった。

 こういう具合に、知的な計算もそれなりになされているところが印象的であった。 

 舞台が終わると圧倒的な拍手でアンコール。 観客の拍子に合わせて二人で歌を歌い、最後は観客総立ちで 「Mein Hamburg (私のハンブルク)」 というハンブルク讃歌を歌っておしまい。 この出し物は、劇場パンフ (無料) によると9月15日から10月20日まで続けられるとのことで、私の見たのは中盤にさしかかるあたり、ということになるのだろうか。

分からないところも多かったが、まあ楽しむことができたので、オペラは見損ねたがそれなりの一夜だったかな、と思えた。 途中の道ばたでソーセージを売っていたので、買って歩きながら食べて帰途に就いた。 

9月26日(水) 午後8時からポツダム室内合奏団 (Kammerakademie Potsdam) 演奏会を聴く。

 場所はハンブルクのコンサート専門ホールであるライスハレ音楽ホールで、20世紀初頭に完成したというこの建物は形といい煉瓦造りの外壁といいきわめて古典的なイメージの強いもの。 ホールは典型的なシューボックスで、内壁に独特の装飾があり、これまた19世紀を彷彿とさせる。 音は、私の座席の位置のせいかもしれないが、残響が多く高音や低音が強調され、ディスクでしか知らないフルトヴェングラーの演奏会を思わせた。 フルトヴェングラーのディスクについては当時の録音技術のせいで響きが多く聞こえるといった言い方をする人がいるが、この日このホールで演奏会を聴いた限りでは、そうとばかりも言い切れないなと思ったことであった。

 その私の座席の位置だが、1階10列目の左端。 日本で言うとS席のランクで39ユーロ、つまり6千円ほど (ちなみに料金は5段階で、一番安い席は10ユーロ、つまり約1600円)。 この位置だと2階脇席が上にかぶるので、聞こえる音にも影響があったかも知れない。 日本と違って1階座席は左端から右端まで横に切れ目なく続いている。 中央の通路というものがない。 だから端のほうの客は中央付近の客が入ってくるたびに通してやるために立たねばならず不便。 面倒くさいので後半が始まるときは開演ぎりぎりまで脇に立っていた。 脇の方は座席から壁までが割りに空いているので、通り過ぎる客とぶつかる心配はない。

 パンフは1ユーロ (約160円)。 日本と違って机に載せて販売しているのではなく、ホールで係員が手に持って販売している。 冊子状ではなく、長い紙を幾重にか折り畳んだもので、曲目と演奏者の解説が書かれているだけで、余計な記述や広告はない。

 ポツダム室内合奏団は第一・第二ヴァイオリンが各6人で、左から、第一ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、第二ヴァイオリンという配置。 第一ヴァイオリンに2人、ヴィオラに1人、日本人かと思われる女性がいた。 或いは中国か韓国などのアジア人かも知れないが、いずれにせよ弦楽器へのアジア人女性の進出ぶりがうかがわれた。 (あとでネットで調べたら、ヴァイオリンの二人はユキ・カサイさんとミチコ・プリュジアツニクさんと分かったので、日本人である。 ヴィオラはサイトを見ても日本人もしくはアジア人らしい名前が見あたらなかった。)

 指揮はミヒャエル・ザンデルリング。 名前から分かるように有名なクルト・ザンデルリングの息子で、チェリストとしてもキャリアを積んでいる。 ソリストは、ヴァイオリンがユリア・フィッシャー、チェロがダニエル・ミュラー=ショット、ピアノがマルティン・ヘルムヒェン。

 曲目は、メンデルスゾーンの 「麗しのメルジーネのメルヒェン」 序曲op.32、ベートーヴェンの三重協奏曲、ショスタコーヴィチの室内交響曲op.73a (弦楽四重奏曲第3番をルドルフ・バルシャイが編曲したもの)。

 ホールの響きが豊潤でたっぷりしているので、室内合奏団ではあるものの最初の序曲からリッチな音の世界に巻き込まれていった。 演奏も素晴らしく、拍手がやまず指揮者が再度出てくるまで続く。

 さて、2曲目の三重協奏曲が本日の白眉とも言うべき演奏だった。 この曲、ベートーヴェンの協奏曲の中でもあまり高く評価されておらず、ソリストを揃えるのが大変なこともあってか演奏会ではさほど取り上げられていないわけで、私も実演で聴いたのは初めてだったが (というか、本日の演奏会の曲目は実演では初めて聴く曲ばかり)、ソリストたちの表現意欲が爆発、といった演奏となった。 3人の中でヴァイオリンのユリア・フィッシャーは1995年のユーディ・メニューイン国際コンクールで優勝というキャリアがあり日本でも知られているが、あとの二人は日本では知名度が高いとは言えず、ただし後日ネットで調べたらいずれも来日しているようだが、私の知らない存在だった。

 しかしこの日の演奏会では3人とも若さと実力を聴衆に見せつけてやると言わんばかりの熱演。 曲の枠ぎりぎりというか、ほとんど枠を爆砕せんばかりの個と個とのぶつかり合いを演じていた。 このため、第1楽章が終わったところでかなりの拍手が。 そして第3楽章が終わると猛烈な拍手で、立ち上がる客も少なからず出るほど。 「自分を出す」 ことに対するソリストたちの欲求がいかんなく発揮されたという点で、私も圧倒された。 アンコールとしてハイドンの曲 (フィッシャーが何事か説明したけど聞き取れなかった) が3人のソリストにより演奏された。

 というわけで協奏曲では聴衆が湧きに湧いたわけだが、後半は一転してショスタコーヴィチの暗くて現代風な音楽。 私はショスタコーヴィチは不得手で、この曲も原曲の弦楽四重奏曲をディスクで持っているだけだが、聴いていて、バルシャイはなぜあえてこれを室内合奏団用に編曲したのだろうか、弦楽四重奏曲ならではの前衛性を多少なりとも伝統と融合させようとしてだろうか、その際にフルオーケストラではなく室内交響曲にしたのは、この曲の現代風を損なわずに表現できるのはフルオケより室内合奏団だと判断したからだろうか、などととりとめもないことをぼおっと考えながら聴いているうちに、曲が終わった。 こういう曲なので、アンコールはなし。 というか、前半のアンコールで十分だと聴衆も感じていただろう。

 建物の前面ロビーでCDを販売していたので、ユリア・フィッシャーがブラームスのヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲を入れた、そして後者のチェロは本日のダニエル・ミュラー=ショットが弾いているディスクを買って帰途に就いた。

9月25日(火) 午後7時半からハンブルクの州立歌劇場 (Staatsoper) でヴェルディのオペラ 『シモン・ボッカネグラ』 を観た。 ただし私はこのオペラ、CDも持っておらずまったく初めてなので、そういう人間の書いたものとして読んで欲しい。 滞独中にこの演目があることはネットで調べて分かっていたので、出かける前に日本語のオペラ教本をコピーして持参し、上演前に熟読して筋書きだけ頭に入れた。 イタリア語上演だが、ドイツ語訳が舞台の真上にあるスクリーンに出る。

 ハンブルクの州立歌劇場は長い歴史を誇るようであるが、現在の建物は2005年に完成した新しいもの。 チケットセンターが少し離れた別の建物になっているのがやや不便。 日本の新国立劇場と似た作りながら、5階まであり、私は4階席で聴いた。 座席が3列ある中で3列目でほぼ中央。 1列目はほぼ満席だが、3列目は空き席も目立ち、私も右隣りは空いていたので窮屈に感じずに済んだ。 料金は23ユーロだから4千円弱。 舞台への距離などから言って新国の3階B席と比べて遜色なく、新国のB席は1万円かそれ以上するから、安いと言えよう。

 ちなみに最安の席は10ユーロせず、最高の席でも77ユーロ (1万2千円程度) だから、州がそれだけお金を投じているということなのだろう。 パンフが3,5ユーロ (600円弱)。 各階の入口にいる係員が販売している。 ちなみにチケットも建物入口ではなく各階のホール入口の係員がもぎる。 といっても日本のように半券をもぎり取るのではなく、チケットの一部分をちょっと破るだけ。

 パンフは冊子状でそれなりにページ数があり、場面ごとの写真も入っている。 とはいえ、B5版くらいの小さな地味な作りで、写真もモノクロであり、日本みたいに厚表紙にしたりカラー印刷にしたりして値段も張るものとは全然違う。

 演出はクラウス・グート (Claus Guth)、指揮はジェルジ・G・ラート (Gyo"rgy G. Ra'th)、演奏はハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団 (Philharmoniker Hamburg)、合唱はハンブルク州立歌劇場合唱団 (Chor der Staatsoper Hamburg)。 この演出での初演は2006年2月5日で、私の観たのは15回目の公演だとのこと。

 さて、肝心の 『シモン・ボッカネグラ』 だが、最近の 「オペラ=演出中心主義」 を改めて感じさせる舞台だった。 第3幕以外は舞台背後に鏡のような枠があり、この枠の中でも舞台と並行して演技が行われるのであるが、それが舞台の進行を鏡のように写し出したり、逆に舞台とは違う演技をして登場人物の行動と内面の分裂を暗示したり、舞台とは別の場所の情景を写し出したり、時にはこの部分が絵画と額縁に変わってしまったりと、実にさまざまな役割を果たしている。 だから、主役のシモン・ボッカネグラには歌手以外にパントマイムの演技だけする影武者が2人おり、他の登場人物でも影武者がいる場合があった。

 また影武者がいなくとも、歌手自身が歌う役目がないところでも必要に応じて登場して演技だけするのだ。 例えば第2幕ではヒロインが死んだ母親を回想するのであるが、ここで母親役の歌手が登場して沈黙したまま舞台を横切っていく。 私はここで詩人リルケの小説 『マルテの手記』 を思い出した。

  とにかく過去と現在、個人の分裂した内面、同じ時刻の異なった場所などをあらゆる手段を使って舞台上で表現しようとしている。 第3幕では舞台の上部に大きな岩が浮かんでおり、登場人物が大きな圧力を内心感じながらふるまっていることが暗示される。 そして第4幕になるとこの大きな岩が舞台上に落下してしまっており、いわば登場人物たちがカタストローフェを迎えて大団円に突き進んでいく様が表現されている。

 このオペラは序幕+4幕から成り、予定では第2幕の後に20分ほどの休憩がおかれ、3時間で終わるはずだった。 ところが第3幕の後、幕が下りて舞台の作り替えに時間がかかるなと思っていたら、突然誰か (演出家?) が現れて、「手間取っているのでクライネ・パウゼ (小休憩) にします」 と宣告して、観客からはちょっと笑い声が起こったが、この臨機応変 (?) さはちょっと愉快だった。 というわけで客はまたトイレなどに出かけていき、終演時刻は予定より20分ほど遅くなった。

 歌手では、主役シモンを演じるフランツ・グルントヘーバーと敵役パオロを演じるヤン・ブーフバルトが素晴らしかった。 ヒロインのアメリアを演じたラトニア・モーアは黒人だった。 日本の新国立劇場でも色々な人種の歌手が登場するのを観ているので驚かないが、オペラ通でない私にはやはり違和感が残る――てなことを書くと差別主義者と言われかねないし、そんなことを言ってしまうと日本人歌手は 『蝶々夫人』 にしか出られないということになってしまうので、オペラはあくまで歌を中心に考えるべきなのだろうが、特に本日のような演出性の強い、つまり演劇として側面を強調した舞台を観ると、国際化時代にオペラがどういう意味と魅力を持ち得るのか――まあ相撲や柔道でも似たような問題を抱えているのかも知れないが――少し考えてみてもいいのではないかと思ったものだ。

 と、ここまで書いて思い出した。 私はハンブルク州立歌劇場の日本公演を84年に見ているが、『魔笛』 で夜の女王に予定されていた歌手が不調のため釜洞祐子さんが急遽代役で出て、それが釜洞さんが国際的に注目されるきっかけとなったのだった。 あの時代から国際化はすでに始まっていたわけだ。

9月24日(月) 本日から短期間、ハンブルクに出かける。

 ハンブルクは日本からの直通便がないので、ウィーン経由で行ったのだが、途中ウィーン空港でトイレに札入れを忘れそうになったり、ハンブルク空港からハンブルク中央駅行きのバスに乗るとき料金を確認しようとして 「5 Euro?」 と訊くべきところをうっかり 「5 Mark?」 と言ってしまって運転手に笑われるなどのドジを踏みながらも、何とかハンブルク中央駅に近いホテルにたどり着いたところまでは良かったが、部屋にはバスがなく、シャワーしか付いていない。 ヨーロッパではよくあるタイプの部屋だけど、日本で予約したときはシャワーしかないとは聞いていなかったので、愕然。 出だしから不調、というところだろうか。

 以下、ドイツでは冷や汗を少なからずかいたけれど、原則、出し物などの感想だけ記します。

9月20日(木) 本日をもって私は55歳。 昔の民間会社なら本日限りで定年退職ということで、女子社員から花束かなにかをもらって住み慣れた職場をあとにする、といったところだろうが・・・・・。

 新潟は5日ほど前から猛烈に暑い。 連日33度を超えている。 さすがに夜になると風は涼しくなるが、日中の日差しの強烈さにはすさまじいものがある。 私はふだんはクルマで大学に通っているから問題がなかったのであるが、本日は飲み会があるのでバスで来たところ、バス停で陽光の攻撃(?)をまともに受けて日射病になりそうだった。 途中から、いつも持ち歩いている折り畳み傘をカバンから取り出した。 私はこれまで55年生きてきたけど、物心ついて以来日傘なんてものを使った記憶がない。 つまり、そのくらい太陽がきつかった、ということである。 或いはトシのせいもあるかも。 おかげで今ごろになって夏バテの気配が出てきた・・・・。

 さて、飲み会とは、今週集中講義に来ていただいている岡田暁生先生の歓迎会のことである。 岡田先生は京大人文科学研究所勤務で、クラシック音楽について優れた本を何冊も出しておられる気鋭の学者である。 サントリー学芸賞も受賞されている。 大学の近くの飲み屋には先生を含めて8人が集まった。

 その後、西洋史のM教授のお宅におじゃまして二次会を楽しんだ。 M先生のご自宅は研究者として理想的な広さと設備があり、中心の大広間にはグランドピアノとチェンバロとクラヴィコードがおいてある。 書斎机も大きいし、本棚もたっぷり。 ううむ、こういう家に住みたいものだ。 先生のお話だと 「女房をだまして」 建てたとのことであるが、だましがいのある配偶者を得ることも学者の力量のうちなのかもしれない。 ううむ、それに気づくのが遅かったか・・・・・(笑)。

9月19日(水) 新潟大学学長選挙で長谷川彰前学長が投票で1位を取れなかったにもかかわらず学長に居座り、裁判になっているが、その控訴審の判決が出た。 

 私は法律には素人だけど、裁判官の思考法というのは全然理解できない。 結局これって、国立大学には自治なんてまったくないのであって文科省の言いなりになりなさい、と言っているに等しいんだよね。 思うに、日本はまだ近代に至っておらず、封建主義国家なのではないだろうか。 

 http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=2596 

 新大学長選訴訟、控訴を棄却

 新潟大の学長選考会議が、教職員による第2次意向投票の結果と異なる候補者を学長に選んだのは違法として、4人の教授が大学を相手取り選考の無効確認を求めた訴訟の控訴審判決が19日、東京高裁(石川善則裁判長)で開かれた。石川裁判長は原告の訴えを退けた一審新潟地裁判決を支持し、控訴を棄却した。原告は上告する方針。

 石川裁判長は「無効確認を求めても法律上の利益がない」などと、教授たちに原告適格がないと判断。今年3月の新潟地裁判決を支持した。

 訴状などによると、学長選考会議は2005年11月の第2次意向投票で2番目の得票数だった長谷川彰氏を同年12月、次期学長候補者に決めた。

 原告代理人の鯰越溢弘弁護士は「原告適格がないとの判断は、教授は大学運営に関係ないと言うに等しく不当な判決だ。直ちに上告する」と話した。一方、新潟大は「主張が適切に理解された」とコメントした。


新潟日報2007年9月19日

9月17日(月) わけあってヴェルディのオペラ 『シモン・ボッカネグラ』 のCDを急いで聴いておきたいと思い、今まで所有していなかったので、石丸電気とコンチェルトに行ってみたが、いずれもおいてなかった。 といって注文しているだけの時間的余裕がないのである。 仕方なく、あきらめた。 この辺は新潟市の限界だろうなあ。 

 (追記: 2日後、街に行く用事があったのでHMV新潟支店にも寄ってみた。 この店に来たのは久しぶりだが、以前からクラシック・コーナーは衰退が目立っていたけれど、今回はびっくり。 新しいクラシックCDを補充していないのか、前回に比べると3分の1くらいに減っている。 作曲家別になっているのはまあいいとしても、ヴェルディのところを見たら、何と、『椿姫』 1セットがあるだけなのである。 いくら何でもひどすぎる! もうこの店には金輪際来ないと決めた。)   

9月16日(日) 午後5時からりゅーとぴあにて東京交響楽団第43回新潟定期演奏会を聴く。

 大友直人指揮、バリトンがマティアス・ゲルネで、前半がマーラーの歌曲集 『少年の魔法の角笛』 から7曲、後半はブルックナーの交響曲第7番。コンマスは大谷康子さん。 休憩を入れると2時間半に及ぶプログラム。

 前半だが、私の定席がGブロックで、ここは他の楽器はいいのだけれど声楽家を聴くには不向きな席なのである。 歌手は前を向いて歌い、声も主としてそちらに行くので、斜め上にすわっている私のところにはあまり来ない。 時々体をねじるようにするので、その時だけは私のほうにまともな声が来るのだが。 というわけで、前半は楽器に対して歌手の声が音量不足に聞こえ、あまり興が乗らなかった。 本日は東響定期としては客の入りが良くなかったので隣のHブロックに移ることも考えないではなかったが、日頃の真面目な (?) 性格が災いしていつもの席から動かなかった。 ゲルネは西洋人声楽家らしく非常に恰幅のいい人だ。 もう少し小さな会場で歌曲だけの演奏会を聴いたら感動したかも知れない。

 さて、後半はブルックナー。 何というのか、あらかじめ予想された演奏であった。 東響の美しい玄の響きを核とした、どちらかというと叙情性の濃いブルックナー。 7番はそういう演奏を許す曲でもあるし、東響の性格を考えるとそうなるのではと予想してもいたので、これはこれで悪くないと思った。 ただ、ブルックナーの持っているエグさ、みたいなものがもう少しあってもいいような気もした。 ホルンでおなじみのハミル氏が本日はワグナーテューバを吹いていて見ものであった。

 休憩時間に10月2日に予定されているチャリティコンサートの宣伝があった。 東響団員の方々が中越沖地震の災害援助にこうした形でご協力下さることにあらためて感謝したい。 私は前日の小山君のフルートリサイタルの際にチケットを買ってしまったのでこの日は買わなかったけれど、新潟市民の皆さん、チャリティコンサートのチケットを買いましょう!

9月15日(土) 午後6時半からりゅーとぴあで小山裕幾フルートリサイタルを聴く。 知らない人のために書いておくと、小山くんは86年新潟県長岡市の生まれ、現在は慶応大学理工学部の学生。 99年に全日本学生音楽コンクール全国大会中学生の部で第1位、02年に同大会高校生の部で第1位、04年に日本音楽コンクールフルート部門で第1位、05年に第6回神戸国際フルートコンクールで日本人として初めて第1位――というような輝かしい実績をうち立てている、まさに希望の星なのである。

 直前に用事があって、開演7分前にやっとホールに入ったら、「ううぅ、結構入っているじゃん」 と思う。 1階と2階の正面はすでにほぼ満席。 2階BブロックのCに近いところに席を取ったが、最終的にはBとDも半分以上埋まったので、千人近く入っていたであろう。 ガヴリリュクやシュタットフェルトのピアノリサイタルと比べると格段の差。 長岡からバスを連ねて客が来ていたりして、やはり郷土の演奏家は強いということか。 ちなみに、この演奏会、新潟日報社の提供で 「シリーズ 新潟の音楽」 の一環なのだそう。 ふむ、そうなると牧田由起さんの出番もあるかもしれない。 期待しています――私情が入りすぎているか(笑)。

 さて、プログラムは、前半がピアノ伴奏でバッハのフルートソナタBWV1030、メシアンの 「黒つぐみ」、ベームのグランド・ポロネーズop.16。 後半は伴奏が弦楽器に変わって、モーツァルトのフルート四重奏曲第1番、ドビュッシーのフルート,ヴィオラとハープのためのソナタ、アンドレの 「ナルテックス」(ハープ伴奏)、ジョリベの 「リノスの歌」 (ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ハープ)。 アンコールにハープ伴奏でフォーレのシシリエンヌとビゼーの 「アルルの女」 よりメヌエット。

 ピアノは與口理恵、ハープが篠崎和子、ヴァイオリンが瀧村依里、ヴィオラが原裕子、チェロが木下通子。

 まず、プログラムの組み方がいい。 アンコールを別にすると私が知っていた曲はバッハとモーツァルトだけだが、「はあ、こんな曲もあるのか」 と変化に富んだ構成で退屈しなかった。 アンドレの曲では、ハープってこんな音も出せるのかと感心しどおし。 たしかに、木枠を叩いて音を出したって構わないわけだよね。 とにかくこういう工夫を凝らしたプログラミングからして演奏者の力量を感じさせると言いたい。

 フルートの演奏は、技巧はささかも不安がなく、音もかすれたりせずに美しくきちんと出る。 文句なしと言いたいところだが、敢えて注文を付けるなら、西洋人や西洋音楽の持っている無骨さや野蛮さも時として出せるようになると、世界に敵なしではないか。 例えばアンコール最後のビゼーにしても、メロディを吹いているときは本当に間然とするところがないほど美しいわけだけど、あの曲には中間部に力で押し出すようなところがある。 そこでは野蛮さももう少し必要だと思ったりするわけ。 

 伴奏では、前半の與口さんの繊細で美しいピアノの音、後半の篠崎さんの多彩で見事なハープ演奏に拍手を送りたいですね。

9月13日(木) 国立大学の昨年度決算が判明したというニュース。

 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007091201000953.html 

 国立大の利益は773億円 一部に集中の傾向  2007年9月12日 20時53分

 文部科学省は12日、法人化した国立大87校と4つの大学共同利用機関の2006年度決算を発表した。 利益の総額は05年度より57億円多い773億円。 このうち外部資金の調達や経費節減など経営努力による利益は471億円で6割を占めた。

 総利益は北海道大(55億円)がトップ。 京都大(51億円)、大阪大(45億円)、東大(36億円)も多かった。 総利益の約4割を上位1割の9校が占めており、利益が一部の大学に集中する傾向が目立っている。

 一方、付属病院の再開発などの事情で岐阜大、金沢大、旭川医大の3大学と自然科学研究機構が5億5000万−2000万円の赤字になった。

(共同)

 私などは、そんなに 「利益」 を出してどうするのかな、と思うんだが。  だいたいこういう話になったら、もともと色々な面で優遇されていて、なおかつ卒業生の数も多く有力企業への就職率も高い旧帝大などが有利になるに決まっているのだよ。 出来レースみたいで、ザケンナと叫びたくなりますね。

9月12日(水) 午前中、大学の健康診断。 毎年この時期にやっている。 几帳面な人は自分で人間ドックに入ったりするので、そういう人はその結果を事務に報告すれば健康診断を受けなくてもいいことになっているが、私はそんなに常日頃から健康を気に病む人間じゃないから、学校でやってくれる診断で間に合わせている。

 とはいえ、この健康診断も年々検査項目が増えている。 聴力検査なんてのが入ったのはたしか昨年か一昨年からだったと思う。 そして今年また新たな検査項目が加わった。 体脂肪検査である。 といっても簡単で、まず腹囲を測定してから体重計みたいな台に乗るだけである。 それで分かってしまうようだ。

 幸いにして、私は標準範囲内ですと言われた。 卓球やったり、最近はなるべく歩くようにしていますからね。 私の直前の人は、さほど肥満体にも見えなかったけれど、オーバーしていますね、もっと運動を、と言われていた。

 しかし、私も体重が70キロを超えてしまい、やばいなと思っている。 ちなみに身長は167センチ。 20代半ばの頃は45キロもない超痩せ型だったのだから、隔世の感がある。 

  *    *    *    *

 午後、新潟駅南口のジュンク堂書店に用があって新潟駅前を歩いていたら、地元新潟日報紙の号外を手渡された。 号外なんてものをもらうのも随分久しぶりのような気がする。 安倍首相が辞意をもらした、というニュースであった。 ふうん、あっけない人だなあ、と思う。

 この人、保守論客からは小泉首相の後継者に最適みたいな言われ方をしていたけれど、いざ総理になってみると対外的には言いたいことも言えず靖国神社に参拝もせず、内では大臣の不用意発言だとか金銭面での不祥事などが相次いで、まるでぱっとしなかった。 もっとも、そこをこらえにこらえて花を咲かせるところまで行けばそれなりのものだと思うのだが、ここで投げ出してしまうとなると、もう二度と浮上できないだろうなあ――と外野席の無責任さで言っておきましょう。 まあ、トップに立つ政治家ってのは大学教師なんぞよりよほど大変な職業ですけどねえ。

9月10日(月) 日本独文学会の機関誌 『ドイツ文学 別冊 2007年秋号』 が送られてくる。 別冊というのは、論文じゃなくて、研究発表会の報告とか会計報告とかを載せる号のことであるが、そこに2007年5月末日現在の会員数が記載されている。 2223名。 昨年同期は2309名だったので、1年間で86名も減っている。 ちなみに一昨年同期は2356名、一昨昨年同期は2420名、4年前(2003年)同期は2439名。

 減少しつつあることは誰にもすぐ分かるが、減少幅はどうだろう。 2003年度から毎年、19名、64名、47名、86名という減り方をしている。 予想するに、この減少傾向は拡大こそすれ、収まることは当分ないだろう。 団塊の世代のドイツ語教師が停年を迎えるのは、これからなのだから。 国立大の停年は63〜65歳のところが大部分だから、団塊の世代は早くとも2年後にならないと停年を迎えないのである。 私大は70歳停年のところが多いから、さらに遅れる。

 そこでごっそり抜けたあと、どの程度補充がなされるかである。 私が見るところ、ドイツ語教師は第二外国語を守るべく戦うどころか、第二外国語削減に迎合し、場合によっては積極的に自ら削減しているわけだから (少なくとも新潟大学ではそうである)、補充もあまりなされないだろう。

 日本の第二外国語教育は、こうして壊滅に近づいていくのである。 それでどうなるか、誰も知らない。

9月8日(土) 午後3時から、りゅーとぴあのスタジオAで第3回新潟古楽フェスティバルを聴く。 新潟の古楽演奏家が集結して行われるこの催し。 今回は前回にもまして充実していた。 第1部が 「古楽名曲アラカルト」 で馴染みのバロック名曲が次々と演奏され、ここでまず聴衆は演奏会に引き込まれていく。

 第2部はレクチャーコンサートで、今回のテーマは 「チェンバロの秘密を探る フレンチVSイタリアン」。 チェンバロというとどの時代でもどの地域でも同じようなものかと思っていたら、イタリアとフランスではだいぶ差があるというお話。 たいへん勉強になった。 イタリアとフランス両方のチェンバロが聴けるだけでなく、クラヴィコードやヴァージナルまで聴けて、大満足。

 第3部はテーマステージで、「多声音楽への招待 ルネサンスからバロックへ」。 バロック音楽の歴史を超特急でたどりながら代表的な多声音楽を聴き、多声音楽の変遷を耳で体験していく。

 途中30分の休憩を2回入れて4時間かかるオペラ並みのコンサート。 休憩時間にはロビーでCDや雑誌の販売もあり、古楽コンサートのチラシもふんだんに置かれているし、ジュースやビールも飲めて (といっても有料だけど)、至れり尽くせり。

 何と言っても、この演奏会は企画の勝利であろう。 企画の充実度は100点満点をつけたいくらい。 お名前を全部挙げることはできないのでまとめた言い方で失礼するが、歌と楽器の演奏家の方々を初めとして、解説を担当した松本彰先生と高橋靖志さん、巧みな話術がすばらしい司会の林豊彦先生、最後で見事なナレーションを見せた五十嵐正子さんを讃えたいと思う。

 と言っておいて、私の勝手な注文を。

 4時間で途中休憩2回だと、やはり最後は疲れてくる。 私なんぞは最近トシのせいで疲れやすくなっているせいか、第2部のおしまいあたりでちょっと眠気が。 レクチャーは、話す方も大変だろうが、聴く方も疲れるのである。 第3部になると聴衆が少し減ったのも、それなりに理由があったのではないかと考えられる。

 それで、演奏会はやはり途中休憩1回にして合計2時間半にしてはいかが? その代わり、年1回ではなく2回やることにしては? たぶん、演奏家の方々も色々な企画があり、日頃の精進と勉強の成果を多く披露したいという気持ちはお持ちのはず。 だから、演奏会は2時間半にすれば聴衆も集中度が増し、なおかつ年2回なら提供される曲の数や知識の量は年間にして3割増えるわけだから、一石二鳥だと思うのだけれども。

 よろしく、ご検討をお願いします。

9月7日(金) 午後7時から音楽文化会館にてプラジャーク弦楽四重奏団演奏会を聴く。

 このカルテットはちょうど3年前の9月にも来ており、新潟市では2度目の公演。 3年前は、ヤナーチェクの 「クロイツェルソナタ」、スメタナの 「我が生活」、ドヴォルザークの 「アメリカ」 というどっぷりチェコスロヴァキア・プロだったけれど、今回は、モーツァルトの 「狩り」、ヤナーチェクの 「ないしょの手紙」、ドヴォルザークの第11番作品61。 アンコールにモーツァルトのニ短調K.421第3楽章とドヴォルザークの「アメリカ」最終楽章が演奏された。

 さて、3年前はたいへん充実した演奏を聴かせてくれたけれど、今回も前回に劣らず素晴らしい演奏会となった。 最初の 「狩り」 は、モーツァルトの曲としては非常に生真面目というか、掘り下げて思索だとか深刻さの味を出した、ちょっとベートーヴェンっぽいモーツァルト。

 次の 「ないしょの手紙」 は、このカルテットの表現力――個々の技倆、ダイナミックレンジ、アンサンブル――が遺憾なく発揮された、名演と呼びたいような卓越した演奏だった。 もっとも私はヤナーチェクのこの曲、分かっているかどうかあんまり自信がなくて、前日にCDを久しぶりに聴いて予習していったのであるが、それでももう一つつかめなくて、しかし何だかよく分からないけどスゴイ演奏だった、ということ (汗)。

 後半のドヴォルザークも間然とするところのない演奏だった。 ただ、前半の二曲だと演奏の素晴らしさに曲が拮抗していて、つまり演奏に工夫を凝らしたり技巧が素晴らしかったりするとそれに応じて曲も魅力を増していく、という印象があるのだが、ドヴォルザークのこの曲はどうだろう。 この曲もふだんあまり聴いているわけではないのでやはり予習してから出かけたのだが、部分的に魅力的なところは少なからずあるが、全体として名曲と言えるのかどうか、演奏が素晴らしいので曲のボロが見えるという場合もあるんじゃないか――そんな変なことを考えてしまった。

 客の入りは7割くらいか。 変な音をたてたりする人もおらず、質の高い客層であったようだ。 アンコール2曲を含め、弦楽四重奏曲の魅力を満喫できた一夜となった。 新潟市の今秋のクラシック・シーンは好スタートを切った、と言えるだろう。

9月5日(水) 本日の毎日新聞新潟地方版の報道から要約すると――

 中越沖地震への義捐金の第一次配分が決まったのであるが、3年前の中越地震に比べて寄せられた総額が少ないため、被害者への配分額にも影響が出ている。 現在、総額で44億円集まっているが、これは3年前の同時期の2割にしかならないという。 そのため、3年前の第1次配分では、住宅全壊なら200万円、大規模半壊で100万円、半壊で25万円、一部損壊5万円となっていたが、今回は第1次配分は全壊が150万円、大規模半壊が75万円、半壊が37万5千円、となり、被害の大きいところに限って集中的に配分することになった――という。

 地震も色々なところでしょっちゅう起こっておりますので、援助をする側にも義捐金疲れがあるかもしれませんが、以上のような状況ですので、新潟県外の方々もどうか一層のご支援を賜りますよう、このサイト製作者としても心からお願い申し上げます。

  *    *    *    *

 さて、本日の産経新聞には 「日本の最低賃金はなぜ低い?」 という記事が載った。

 日本の最低賃金アップは、最近の報道でも取り上げられているから知っている方も多いだろうが、今回の改定で東京が時給739円、新潟657円、長崎619円などとなった。 一部の地域では最低賃金で働いても生活保護費にも達しない、という不条理が生じていることも大きい。

 しかし、先進国の中では日本は最低賃金の低さで突出しているのである。 英国とフランスは時給1200円の水準にあり、従来先進国中最低だった米国でも今年なって2年間かけて7ドル25セント (約850円) に引き上げることを決めたため、日本が最低になることが確実となったという。

 では、なぜ日本の最低賃金は低いのだろうか? 最低賃金法が制定された昭和34年には18歳の単身者を基準にしていて、年功序列で将来賃金が上がると考えられたこと、18歳は親と同居しているから低くても構わないとされたこと、また最低賃金法は雇用者の支払い能力を考慮して決められたため、などなどの理由があるという。 ヨーロッパでは雇用者の支払い能力ではなく、尊厳ある最低限の生活ができる額、ということで決定されているという。

 日本でも最低賃金は都道府県ごとに決めるわけだが、もともと低い地方ほど改定が遅れているという。 つまり、中小企業の体力を考慮すると、ということらしい。 民主党は中小企業支援とセットで1000円まで引き上げる構想をたてているという。

 以下、当サイト製作者のコメント。 中小企業の事情はともかくとして、生活保護費にも劣る最低賃金というのはどう考えてもおかしい。 地方の医師不足だとか、法人化で国立大学の内部ががたがたになりかけていることだとか、どうも最近になって日本が先進国なんて名乗るのもおこがましい状況が目立ってきているのではないか。 保守派・左翼を問わず、まずこういう基本的なところをちゃんとするのが政治家というものだと思いますがね。 ジャーナリストもしかり。 

9月4日(火) 先日 (8月10日参照) 申し込んでおいた大学院用の学生図書、本日返事が来て、最初に申し込んだ分は受け入れてもらえたが、2回目に申し込んだ分は、参考図書1冊 (参考図書というのは辞書事典類のことで、一般図書と区別される) 以外は却下された。 残念無念。 しかしまあ、1回目の分は通ったので良しとしよう。 以下に、通った分と2回目のうち唯一通った参考図書1冊を挙げておこう。

 ・藤永茂 『『闇の奥』の奥―コンラッド/植民地主義/アフリカの重荷』三交社、2006年、ISBN: 9784879191670 2100円〔コンゴにおける大虐殺〕
 ・フィンケルスタイン 『イスラエル擁護論批判―反ユダヤ主義の悪用と歴史の冒涜』三交社、2007年、ISBN: 9784879191687 2625円
 ・フィンケルスタイン 『ホロコースト産業』三交社、2004年、ISBN: 4879191582 2100円
 ・ヴォルフガン・ベンツ 『ホロコーストを学びたい人のために』柏書房、2004年、ISBN: 4760124799 2310円
 ・ワンボイ・ワイヤキ・オティエノ 『マウマウの娘 あるケニア人女性の回想』未来社、2007年、ISBN: 9784624100445 2730円
 ・鈴木良ほか(編) 『現代に甦る知識人たち』世界思想社、2005年、ISBN: 4790711501 2100円
 ・『ルー・ザロメ回想録』ミネルヴァ書房、2006年、ISBN: 4623046060 3990円
 ・マックス・ガロ 『イタリアか、死か―英雄ガリバルディの生涯』中央公論社、2001年、 ISBN: 4120031411 3990円
 ・ランディ・ソーンヒルほか 『人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす』青灯社、2006年、ISBN: 4862280064 3360円
 ・サイデンステッカー 『流れゆく日々』時事通信社、2004年、ISBN: 4788704722 2940円 〔サイデンステッカー自伝〕
 ・イザベラ・バード 『朝鮮紀行』講談社、1998年、 ISBN: 4061593404 1733 円

 ・参考図書 鈴木隆雄(編) 『オーストリア文学小百科』(水声社)10500円 ISBN: 4891764961

 

 

 

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