音楽雑記2011年(2)                           

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8月31日(水)    *東日本大震災被災者のために寄付

 本日は月末でもあるので (・・・全然理由付けになってませんが)、東日本大震災被災者のためにまた日本赤十字社にわずかながら寄付をしました。 被災者の方々が本当の意味で社会に復帰するためにはまだまだ時間とお金がかかります。 皆様もよろしくご協力をお願いします。

8月28日(日)    *最近聴いたCD

 *アウグスト・フレイエル: オルガン曲集1 (Acte Préalable、AP0053、2003年録音、2004年発売、CD製作国不明)

 アウグスト・フレイエル(1803〜1883)はポーランド人で、当時ポーランド第一級のオルガン奏者であった。 他の作曲家の作品と並んで自身の作品も演奏した。 彼の作曲活動は大部分がオルガン曲であった。 このCDは世界初レコーディングとなるようである。 この第1巻に収録されているのは、作品番号の1から5までで、1が 「ホ短調のコンチェルト・ファンタジー」、2が 「A・Lvovによるロシアの歌によるコンチェルト・ヴァリエーション」、3が 「Bortnyuanskyによる聖歌にもとづくコンチェルト・ヴァリエーション」、4が 「12のやさしい小品」、5が 「8つの作品」 である。 生年を見れば分かるように、シューベルトと、シューマンやメンデルスゾーン、ショパンらの間くらいの世代である。 だから作曲技法は基本的にはホモフォニー的なのだが、特に作品2などはロシアの聖歌のような、つつましくも素朴で美しい旋律性があって、聴いていると静粛で神聖ながら庶民的で親しみやすい雰囲気の大聖堂の中に入ったかのような気持ちになる。 後半の小品集など短い作品にもそれぞれに滋味のようなものが感じられ、優れた作曲家なのではないかと思う。 演奏は、Wiktor Lyjak (Lの縦棒には斜めに線が入っている)。 Wloclawek大聖堂のオルガンにて録音(途中の2つのlにはやはり斜めに線が入っている)。 曲の詳しい成立過程は解説書にポーランド語、英語、仏語、独語で書かれている。 日本語の解説はない。 今月、新潟市内のCDショップ・コンチェルトさんにて購入。

August Freyer: Organ Works Vol

8月25日(木)    *やっとUSBを使い始める――しかしネット上の説明は(そして解説書も)使えない

 パソコンのメモリとしては、私はずっと3,5インチのフロッピーディスクを使ってきた。 しばらく前に購入した40枚パックが残り少なくなり、生協にも最近ではフロッピーは売っていないので、さすがの私もそろそろUSBに変えようかと思い、実は数ヶ月前に購入はしたのだが、ずっと使わないままできた。

 夏休みになり、前期の成績評価が終わり、そしてしばらく続けていたシュトルムの翻訳の仕事も一段落したので、ちょうどいい時期だと思いUSBを使おうとしたのだが、これが思うに任せない。

 ネット上には 「USBの使い方」 なんてサイトは複数ある。 だからそれを読めば分かるかと思っていたのだけれど、読んでも分からない。

 なぜ分からないかと言うと、ネット上の説明のとおりにやっても、違った結果になるからである。

 例えば、ネット上にはこういうふうに書いてある。 「(USBメモリを接続口に差し込んでから) パソコンのスタートメニューであるマイコンピューターからリムーバブルディスクをクリックします。 するとUSBメモリのアイコンが新たに表示され、リムーバブル部分が表示されます。」

 私はUSBメモリを差し込んで、パソコンのマイコンピューターを開き、リムーバブルディスクをクリックするところまではやった。 しかし、その結果はというと、何も起こらないのである。 何も起こらない場合どうすればいいかは、ネット上には書いていない。 だからお手上げなのである。

 仕方がないので、生協に頼んでパソコンに詳しい職員に研究室まで来てもらい、なんとか使えるようにしてもらった。

 こういう例はこれだけではない。 例えば少し前、エクセルで文書を作成しなければならなくなり、そこで 「03」 という数字を打ち込もうとしたのだが、いくら打ち込んでも、エクセル側で勝手に 「3」 に変えてしまう。 (エクセル製作者よ、こういうおせっかいな機能を付けるなって!) これを直すにはどうすればいいかと、まず手元にあった 『超図解 Word & Excel 基本編』(エクスメディア) という本を見てみたのだが、該当する説明がない。 或いはあるのかもしれないが、見つからない。 索引で数字とかゼロとかを探したけれど、該当する項目が存在しないからだ。

 また、エクセル自体の 「ヘルプ」 もあたったが、やはり無駄である。 こちらは、検索して役立ちそうな説明文があったのだけれど、結局ダメだった。 なぜかというと、そこの指示通りに上端の指示部分をクリックしたのだが、次にクリックせよと指示があった部分は半透明になっていて、クリックできないからである。 なぜそうなるのかは分からない。 したがってその先の動作ができないから、役立たないのである。

 仕方がないので、文書提出先の職員に添付ファイルで送ったついでに、かくかくしかじかだからそちらで直しておいて、とメールで頼んだ。

 万事はこういう具合である。 パソコン関係の難点は、詳しい人に聞かないと分からないようにできているのだ。 これ、何とかしてほしい!

8月23日(火)    *大木充・西山教行(編)『マルチ言語宣言』(京都大学学術出版会、¥2000+税)

 標記の本が発売された。 副題が 「なぜ英語以外の外国語を学ぶのか」 であり、帯には 「英語だけではダメですか?」 と書かれている。 英語偏重のきらいがあるわが国の外国語教育に一石を投じようということである。 全体は2部に分かれており、第T部は 「なぜ英語以外の外国語を学ぶのか?」 と題され、まず 「ヨーロッパ言語共通参照枠」 の紹介があったあと、朝鮮語・アラビア語・フランス語・スペイン語・ドイツ語・ロシア語というぐあいに、各国語の紹介がある。 第U部は、「多言語主義による多極的世界観の構築」 と題され、ドミニク・ドヴィルパン、佐伯啓思、ジャン=フランソワ・グラヅィアニ、西山教行、三浦信孝の各氏が様々な視点から多言語主義を論じている。 なおこの書物についての詳細な書評は別途掲載の予定である。 

 なぜ英語以外の外国語を学ぶのかマルチ言語宣言

 

8月21日(日)    *TOKI弦楽四重奏団+2 演奏会 

 本日は午後3時から久しぶりの演奏会を音楽文化会館で聴く。 さいわい暑さも一段落して過ごしやすい一日、音楽会には絶好。

 毎年この時期に新潟で演奏会を開いているTOKI弦楽四重奏団。 第二ヴァイオリンの平山さん、ヴィオラの鈴木さん、チェロの上森さんは古株であるが、第一ヴァイオリンはしばしば交代している。 今回も新顔で、岩谷祐之さん。 私は初めてだったが、すでに色々と実績を積まれている方のようだ。 母方のおじいさんが新潟在住とのことで、新潟にも何度も来ているとのこと。

音楽文化会館は8〜9割の入り。いつもながら盛況。 ただし、楽章間拍手も或る程度あり、ふだん演奏会に行きつけていない方も一定数おられたよう。 私は13列目の右寄りで聴いた。

 ヴァイオリン=岩谷祐之、平山真紀子、ヴィオラ=鈴木康浩、佐々木友子、チェロ=上森祥平、アコシュ・ケルテツ

 モーツァルト: ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 (弦楽六重奏版)
 ヴェルディ: 弦楽四重奏曲
  (休憩)
 シェーンベルク: 浄夜 (弦楽六重奏版)
  (アンコール)
 ふるさと(文部省唱歌、弦楽六重奏版)

 今回はプログラムがいつにもまして魅力的。 新潟にいたのでは次にいつ聴けるか分からない、という曲ばかりである。 特にヴェルディの弦楽四重奏曲は、私は名曲だと思うのだが、今まで生で聴いた経験がなく、楽しみにしていた。

 さて、まずモーツァルト。 こないだ東響新潟定期でやったのに用事があって聞き逃した私としては、ひでりに水を得たような気持ちで聴けた。 この編曲版、だれの手になるかは分からないそうだが、原曲ではヴァイオリンとヴィオラが受け持つ旋律部分を、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに分けてある。 それだけ舞台に出ている奏者たちの掛け合いが楽しめるようになっているわけで、なかなかよくできた編曲ではないかと思った。

 次が今回一番お目当てだったヴェルディ。 やはり生で聴くと、ここはこの奏者とこの奏者でやっているのだということがよく分かり、奏者同士の音の関係みたいなものもつかみやすく、興味深く聴けました。ヴェルディというとオペラ作曲家のイメージが強いが、この曲を聴くと、どうして、楽器同士のちょっと対位法をも思わせる巧みな音の組み合わせに長けた人だったということが分かるのだ。

 後半はシェーンベルク。 それに先立って各奏者の紹介と、岩谷氏による曲の解説があった。もともとこの曲はドイツ詩人デーメルによる詩がインスピレーションを与えているわけであるが、和解のモチーフが奏者によってあらかじめ演奏されて、なるほどと納得することができた。

 それと、チェロの上森氏は10日ほど前にパパになられたそうで、張り切って演奏するとの言葉が。 でも、この詩って、パパになった男性が素直に喜べるようなものじゃなく、場合によっては疑心暗鬼になりかねないシロモノなのだ(笑)。 でも上森氏は人間ができているせいか、見事な演奏ぶりであった。 岩谷氏の解説もユーモラスでよかった。 全体の演奏も、むろん立派であった。

 岩谷氏の第一ヴァイオリンだが、音がよく出ていて、すばらしかったと思う。 新潟に縁のある方ということだから、来年もぜひ来ていただきたいもの。 ちなみに来年も8月8日に同じく音文で演奏会を開くことは決まっているそうである。 いまさら言うまでもないが、カルテットは第一ヴァイオリンが大切で、 TOKI弦楽四重奏団も、去年の方はよかったけれど、その前の方はイマイチだった。 岩谷氏のような実力のある方に第一ヴァイオリンを続けていただければそれに越したことはない。

 終演後は、いつものように前知事がロビーに挨拶に立たれていた。 律儀ですね。

8月20日(土)    *最近聴いたCD

 *プラツィドゥス・メッチュ: オルガン作品集 (Cornetto、COR10013、録音・発売年記載なし、ドイツ盤)

 プラツィドゥス・メッチュ (1700〜1778) は、南ドイツ・バイエルンの、ベネディクト修道院のある小ヴェッソブルンに生まれた。 彼の生涯についてはほとんど分かっていない。 1723年にバイエルンのロットという町のオルガニストになっている。 このCDには前奏曲、アレグロ、アンダンテ、トリオ、メヌエットなど全19曲が収められている。 こうした曲名からも推測できるが、解説によるとイタリアのロココ様式の影響が強いという。 メッチュは大バッハの15年後に生まれているわけだが、音楽が大バッハの真摯さを失い、効果を重視する方向へと向かっていった時代の刻印を帯びているということのようだ。 実際、聴いてみると、バッハやそれ以前の対位法的なオルガン音楽とは明らかに趣きを異にし、ホモフォニー的な旋律重視のオルガン音楽となっている。 演奏者はラウラ・チェルッティで、ビッシンゲン (南ドイツ、バーデン-ヴュルテンベルク州) にあるマリア教会の1823年製オルガン (ジャケットには1824年と書いてあるが、解説では1823年製造となっている。ここでは解説に従う) による演奏。 解説書は独英伊の三ヶ国語で、日本語解説はついていない。 今月、新潟市内のCDショップ・コンチェルトさんにて購入。

Placidus Metsch: Orgelwerke

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        *愛車の走行距離が15万キロに

 本日、愛車の走行距離が15万キロに達した。 トヨタのコロナ・プレミオ1800ccで、新車で買って13年と5ヵ月。 uma3さんのVWゴルフの33万キロには遠く及ばないが、この6月にタイヤを新しくしたことでもあるし、とりあえず次の車検 (再来年3月) まではこのまま乗り、調子が持てばまた車検を通そうと思っている。 そうなれば18万キロは行くだろうが、20万キロの大台まで乗り続けられるかどうか。

8月19日(金)    *増税やむなし、財政の健全化で震災からの復興をめざせ――読売新聞社説を支持

 大震災で復興の財源が問題になっているというのに、相変わらず増税に踏み切れない日本の政治家たち。 またマスコミでも、産経新聞なんかは消費を高めることで税収を増やせなんて新自由主義的な見解に固執しているみたいだけど、ようやく読売新聞がまともな社説を掲げた。

 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110818-OYT1T01156.htm 

 こういう当然過ぎるほどの見解をなかなか打ち出せなかった日本の大手マスコミもほめられたものではないが、とにかく見解を打ち出したのをよしとしよう。

 考えてみても当たり前なのである。 日本の財政が大赤字であるということはずいぶん昔から言われている。 なのに政治家は増税という手段を回避してきた。 その代わりに何をやったというと、国立大学を独法化したりといった、的外れな方向の 「改革」 でお茶を濁してきた。 マスコミも公務員バッシングなどの、ポピュリズム的なその場しのぎの言説で大衆に迎合してきた。 (日本の公務員数や給与が国際的に見て多くも高くもないことは、以前この欄で書いたので、繰り返さない。)

 この間、日本の財政は赤字がふくらむばかりであった。 そこに来て大震災である。 復興の資金として赤字国債をさらに増発するのは狂気の沙汰なのに、そういうまともな判断ができない政治家やマスコミは猛省すべきだろう。 

 産経新聞のような新自由主義的な主張もナンセンスである。 そもそも、バブル崩壊以降、日本は財政出動によってバブル時代の消費を回復させようとこころみ、失敗してきた。 失われた10年のあと、景気が緩やかに回復しているなどと言われた時期が続いたが、あくまで政府の赤字国債をもとにした財政出動でかろうじてそう見えていただけで、国民には景気回復の実感はなかっただろう。 経済学者の松原隆一郎がどこかで言っていたが、バブル以降、財政出動で消費マインドを回復させようとする政策は無効になったと見るべきだ。 日本だけではない。 アメリカにしても、リーマン・ショックによって新自由主義のインチキが露呈したのである。

 そもそも人口が減少期にさしかかっている日本で、消費向上で税収を上げろという主張はあまりに説得力がない。 支持する者がいるとすれば、ひたすら増税が嫌なサル (朝三暮四!) か、「増税=社会主義=旧ソ連」 というような硬直した図式しか頭に浮かばない人間だけであろう。

 増税を消費税だけに限る必要もなかろう。 新自由主義の影響で高額所得者の税率は昔より低くなっているが、日産のゴーン社長などに見られるように、収入の異常に高い人間もそれなりに出てきている。 ノブレス・オブリージュということで、高額所得者については税率を上げることも含めて増収をはかるべきだろう。 なお、税金をたくさん納めた人には勲章を出すとか、場合によっては爵位を与える (ただし一代限りで特権なし) も考慮したらどうか。 つまり、ノブレス・オブリージュのノブレス部分を明確にして、「爵位をもらえるなら正直にたくさん税金を納めようかな」 という気持ちになっていただくことも大事だと考えるからだ。

8月16日(火)    *涼を求めて図書館へ・・・・省エネを無視するラーメン屋

 大震災のせいで、省エネに協力するとやけに張り切っている新潟大学。 おかげで今夏は8月12日から16日まで強制的に夏休みをとらされ、その期間は大学構内に入ることまかりならぬ、というお達しが出た。

 もっとも、そうでなくとも省エネで研究室内では冷房を使うなと言われているので、学内はあんまり勉強をやる雰囲気ではない。 それで強制的な夏休みの間は映画を見たり、新潟県立図書館や新潟市立中央図書館で過ごすことにした。 ついでに書いておくと、自宅書斎は数年前からクーラーがイカれており、扇風機しかない。

 日曜日は県立図書館で夕刻まで本を読み、そのあと映画を見てから帰宅。 昨日の月曜も、昼頃に映画を見て、そのあと新潟市立中央図書館で本を読んだり、校正刷りを直す作業をしたり。 

 県立図書館と市立中央図書館の使い分けだが、それぞれ一長一短あり、県立図書館は駐車場無料なのがいいけど、平日は午後7時まで、土日は5時まで、月曜は休館日となる。 市立中央図書館は平日と土が午後8時まで(日曜日は午後5時まで)で、休館日も比較的少ないのが長所だが、新潟駅に近いため駐車場が無料ではないのが難点。 まあ、曜日やその他を勘案して使い分けている。

 そして本日も、昼頃にシネ・ウインドで映画を見たあと、新潟駅近くのラーメン屋で昼食をとり、それから中央図書館へ。 クルマは・・・あらかじめ某所 (マル秘) にとめてあり、そこから万代シティまではバス使用。

 それにしても、このラーメン屋、通りに面した扉が開けっ放しなので、てっきり省エネに協力して冷房を入れていないのかと思ったら、とんでもない。 中に入ったら冷房をがんがん作動させている。 おそらく、扉を開けておいたほうが客が雰囲気的に入りやすいから、ということなのだろうが、それにしても、である。 東北電力はこの猛暑で毎日綱渡り的な営業を続けているというのに、これでいいのだろうか。 こういうとき、つくづく民間業者と新潟大みたいな半役所の違いを感じる。 民間のほうがはるかに勝手なことをやっているのである。 と言うと、新潟大学は当分はつぶれそうもないがくだんのラーメン屋は厳しい競争にさらされているのだという反論が来そうだけど。 

 冷し中華を食ってから歩いて10分ほどの中央図書館へ。 受験生で勉強室は混んでいる。 社会人専用と書かれた椅子にも平気ですわっている。 かろうじて空いている席を見つけて、しばらく本を読み、最後の1時間半ほど校正刷りの修正をやる。 冷房が効いていて快適。 研究室よりちゃんと仕事ができる。 ただしパソコンがない――私は研究室備え付け以外のパソコンは持たない、自宅書斎のは外部に接続しておらずワープロとしてしか使っていない――ので、できる作業は限られてくる。

 閉館時刻の8時までいて、それから退出。 やれやれ、早く涼しくならないかなあ。

8月14日(日)    *最近聴いたCD

 *ゴットリープ・ムファット: オルガンのための作品集 (PANCLASSICS、PC10224、2009年録音、スイス盤)

 ゴットリープ・ムファット(1690〜1770)は、17世紀後半にドイツ語圏で著名だった作曲家・楽長ゲオルク・ムファットの息子として生まれた。 父と同様音楽への道を歩み、ウィーン宮廷聖歌隊員となったあと、その聖歌隊の事実上の最高権力者であったJ・J・フォックスの教えを受け、対位法を初めとする作曲技法を身につけた。 やがて宮廷のオルガン奏者となり、のちにはマリア・テレジアの宮廷で首席オルガン奏者として君臨することになる。 生没年からも分かるように、大バッハやヘンデルの同時代人であるが、ヘンデルの合奏協奏曲にはムファットの曲からテーマをとったものがあり、またムファットもヘンデルの楽譜を所有していたという。 彼はトッカータ、カプリッチョ、カンツォーナ、リチェルカーレ、といった古風な作曲形式のオルガン曲を残した。 それは17世紀初頭のローマの巨匠フレスコバルディや、17世紀にオーストリーで活躍したフローベルガー、ケルル、ボリエッティ、そして父ゲオルク・ムファットの系譜を引き継ぐものであり、また師であるフォックスの対位法などで活かした曲でもあった。 また、彼の曲は奔放さよりは、予定調和や安定感を重んじているとされる。 ここに収められた曲は、彼のそうした作風をうかがうことができる貴重な一枚と言えよう。  オルガン演奏は、イェルク=アンドレアス・ベッティヒャー、楽器は、スイス・、ムーリ修道院のバロックオルガン。 解説は独仏英の三ヶ国語であるが、輸入元により日本語解説もつけられている。 先月、新潟市内のCDショップ・コンチェルトさんにて購入。

8月10日(水)    *論文査読のむずかしさ

 ことがことなのであんまり具体的に書けないんだけど、論文査読ってのはむずかしい。 

 世間的には、査読制度がある専門雑誌に投稿された論文が本格的で、そうじゃない学内紀要に載る論文は本格的じゃないというような見方があるけれど、理系はいざしらず、文系の場合そういう単純な見方ではことは収まらない。

 というようなことをここに書くのも、某所において査読のことで問題が起こっているからなんだが。 要するに、某雑誌に投稿された某論文に査読者二人が意見を述べたわけだけど、そのうち一人の査読意見について、論文執筆者の側から、査読者はこの論文を理解できていない、付いた意見も誤読に基づいている、という異議申し立てが来たのである。

 こういう場合、雑誌の編集者はどうするか。 あくまで査読者が正しいと言い張るのか、逆に、査読は参考意見ですから気にしないで下さいと言うのか。

 というのは、査読の位置づけは実は厳密に規定されているわけではないからだ。 査読者が修正意見を付けたら絶対に直さなければ載せてもらえないのか、或いはあくまで修正するしないの最終的な判断は論文執筆者なのか、その辺は決まっていないのである。

 と書くと、いい加減だと思われるかもしれない。 しかし、或る分野について書かれた専門的な論文の査読が、その分野について論文執筆者以上に知っている人間にしかできないとすると、事実上査読できる人間がいなくなってしまう場合は少なくないのである。

 ことは論文査読だけではない。 書評だってそうである。 全国紙にはよく大学教授が書評を書いているけれど、大学教授だってその本のテーマについて著者以上の知識を持っているとは限らない、というか、そういう場合は少ない。 知識がないのに、いい本だとか、ダメだとか書いているのだから、相当に問題含みなのである。

 評価とは、評価される側よりも評価する側の力量をしばしば明らかにしてしまうものだが、論文査読や書評こそそのいい例なのである。 そういう事情をふまえずに、査読制度を導入すればいいというような世間的な風潮に追随するのは、きわめて危険である。

8月6日(土)    *新潟の映画館よ、桐谷美玲主演の2本立てをやれっ!

 いつもいつも書いているけど、新潟市は映画館の数 (正確にはスクリーン数) は多いが、そのわりには来る映画の種類に乏しい。

 本日、桐谷美玲主演の二本立て『乱反射』『スノーフレーク』が封切だけど、例によって新潟市には今のところ来る予定がないようだ。 (作品サイトによる。)

 http://www.ranhansha-snowflake.jp/ 

 首都圏は東京都が3館上映のほか、千葉県で2館上映、神奈川県で1館上映である。 他の地域はどうかというと、東北地方は秋田県以外の5県で上映が決まっており、関東甲信越でも、群馬と栃木と長野と山梨が上映決定、北陸だって、富山、石川、福井で上映が決まっている。

 これまたいつも言っているけど、首都圏を別にすれば、上記の地域の中で新潟市は仙台市に次ぐ大都市なのだ。 なのに、北陸3県のいずれも上映が決まっている映画がいまだに来るか来ないか分からないのである。 ったく、新潟県は映画後進県以外の何物でもない。

 何だって、人気急上昇中のアイドル主演の2本立てを持ってくることができないのかね? 新潟市の映画関係者は何をやっているのか!?

 えっ? いい年をして、アイドル映画のことなんか持ち出すなって?

 ならば真面目な映画の話もしよう。

 この3月、私は映画を見るために一泊で上京した。 そこで見た映画のうち、『アレクサンドリア』 だけはその後にTジョイ新潟万代で上映されたけど、最も感銘を受けた 『アメイジング・グレイス』 を初め、『神々と男たち』 も 『シリアスマン』 も新潟市には来ていない。 欧米の力作映画がさっぱり上映されないというこの落とし前をどうつけてくれるのだ・・・・なんていうとヤクザまがいになりますけど、実際、新潟市の映画状況はそのくらいひどいのである。 ヤクザにもなりたくなろうというものだ。

 3月どころか、この夏だって、『水曜日のエミリア』(アカデミー賞主演女優賞をとったばかりのナタリー・ポートマン主演!) だとか、『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』 だとか 『プッチーニの愛人』 だとか、洋画ファンなら楽しめそうな映画が、今のところ新潟市に来る予定がないのである。

 新潟市内のスクリーン数はもう十分。 ハードよりソフトの時代ですぞ!

  【追記】 ・・・というような記事をここに載せたから、かどうかは知らないが、桐谷美玲の2本立てはその後新潟市でもシネ・ウインドでの上映が決まった。 ただし10月下旬で (2ヶ月以上遅れ!) しかも1週間のみという、いささかしょぼい上映であるが、やらないよりははるかにいい。 (8/17記)

8月5日(金)    *『シュトルム名作集 第4巻』 が発売に!

 三元社から刊行されている 『シュトルム名作集』 の第4巻が発売になった。

 本巻には、『レナーテ』、『森水喜遊館』、『ビール醸造業者の家で』、『顧問官』、『沈黙』、『ヨーン・リーヴ』、『ハーデルスレフフース砦の婚礼』、『桶屋のバッシュ』 の合計8編が収められている。 このうち、『ヨーン・リーヴ』 が私の訳である。

 価格は5200円+税とやや高いが、二段組で約450ページあり、最後には訳者のひとりである深見茂・大阪市大名誉教授の解説もついているので、コストパフォーマンスは決して悪くはない。

 大きめの書店でないと店頭で見ることは困難だろうが、可能な方はぜひ手にとってごらんいただきたい。

 

8月4日(木)     *東大教授の質

 昨日の毎日新聞に、「大震災のあとで」 というタイトルの、伊勢崎賢治と苅部直の対談が載った。 (下↓のリンクから読めます。)

 http://mainichi.jp/enta/art/news/20110803ddm014040180000c.html 

 伊勢崎は1957年生まれで、早大院修了後国際的な活動に従事し、その方面の著作がある人で、現在は東外大教授。 私もその著書は若干読んでいる。  苅部は1965年生まれで東大院修了の東大教授 (日本政治思想史)。

 苅部という人の本は、私は読んだことがないのだけれど、新聞での発言などを読んであまり感心したことはない。 今回の対談でも同様だった。

 例えばの話、某書を引用して、震災の直後に店にある食料を分け合うのは略奪ではなく助け合いだというところはまあいいとして、その直後に、むしろ権力がそれを禁止して混乱を招く、としているのにはクビをひねった。 

 今回の震災では、震災地だけでなく東京でも買占めが起こったが、これは権力のせいだろうか? それとも買占めは助け合いなのだろうか? 買占めを防ごうとして権力が動くのはいけないのだろうか?

 或いは、震災地では銀行のATMからカネが奪われたわけだが、これは助け合いなのだろうか? これを防ごうとする警察の動きは権力だからダメなのかな?

 つまり、ちょっと考えてみれば変と思われるような発言が多く、しかもその根底にあるのは、権力はダメ、民衆 (という言葉は使っていないが) は善、というきわめて古めかしくて単純な図式なのだ。 私より12歳も下の世代がこうであることには、驚いてしまうのだ。

 もっとも伊勢崎も、苅部よりはかなりマシだとは思うけど、問題が多い。 伊勢崎は、脱原発の話から、天然ガスを利用するためにも近隣諸国とは仲良くすべきだという話にもっていき、それを受けた苅部が、尖閣諸島問題にからめてナショナリズムをあおる国内の動きを批判している。

 二人とも常識がなさすぎるのではないか? そもそも、日中間での合意を無視して尖閣諸島付近の資源開発を強行しているのは、中国である。 仲良くするために注文をつけるなら、まず中国に対してすべきだろう。 これは日中間だけの問題ではない。 対ヴェトナムをはじめ、中国が周辺諸国と領土問題をめぐって対立を強めているのは周知のことである。 この程度の知識もふまえないでどうして国際問題が論じられるのだろう?

 苅部はさらに、憲法9条の趣旨が定着しているから自衛隊がクーデターを起こす心配がないと言っているのだが、冗談ではない。 9条の趣旨を徹底させるなら、自衛隊は廃止にならなければおかしい。 つまり、9条を守るなら、今回の震災で自衛隊が出る幕はない、という結論になるはずなのである。

 こういうダメな東大教授を紙面に出すのは、そろそろやめにしませんか、毎日新聞さん? 東大教授を出せばなんとなく権威づけになるなんて時代では、とうになくなっているんですよ。

8月3日(水)    *研究室に網戸が付いたけど

 大震災のせいで研究室は冷房禁止になっている新潟大学。 その代わり、研究室に網戸を設けるということで、本日、業者が取り付けにきた。

 私の研究室は6階にある。 今まで網戸はなかったが、さして不自由はしなかった。 少し窓を開けておけば風も通るし、何とかなったからである。 それで虫などが入り込むこともない。 新潟は、太平洋岸に比べると蚊などは少ない地域だと思う。 自宅でも、庭に裸で出るとさすがに蚊に刺されるけれど、網戸を閉めておくとまず屋内には入ってこない。 太平洋岸だとこうはいくまい。 ちょっと油断をするとすぐ蚊が屋内に入り込むからだ。

 それはともかく、とにかく取り付けるというので、パソコン台などを少し動かした。 私の研究室は書架などがかなり入っているので、業者の方も作業がしにくかったようである。 でも後でよく見てみると、網戸が載るレールの部分の端で窓枠と網戸のフレームの間に隙間ができている。 その部分で窓枠のフレームが台形の形でくびれているからだ。 要するに網戸を付けることを想定していない窓枠だからだろう。 

 「想定外」は今年の流行語だけど、ここにもまた想定外がありました(笑)。

7月31日(日)    *最近聴いたCD

 *ニコラ・ド・グリニ: オルガン曲集第1巻 讃歌集 (ERATO、WPCS-10498、1998年録音、フランス盤)

 フランスの著名なオルガニストであるマリー=クレール・アランが弾いたグリニ (1672〜1703) の 「オルガン曲集」(1699年) のうち、「讃歌集」 である。 フランス盤ではあるが日本語の解説も付いている。 それによると、グリニは、父も祖父もオルガニストという家系で、北フランスの町ランスに生まれた。 当時のフランス人には珍しい多声的書法は、そうした家系のためとも考えられるという。 やがてパリに上りオルガニストとなったが、その時代にドイツのフローベルガーやゲオルク・ムッファトの作品を知った。 グリニの作品には彼らの影響が見られるという。 パリには数年滞在しただけでやがてランスに戻ってそこの大聖堂つきオルガニストとなったが、31歳の若さで世を去ったため、残されたのはこの 「オルガン曲集」 だけである。 しかしその充実した作品群は高く評価されており、バッハもリューネブルク時代にこの曲集を筆写しているという。 さて、このディスクで使われているのはポワティエの聖ピエール大聖堂の18世紀末に製作されたオルガンである。 また、この曲集は讃歌集なので、合唱も入っていて、ジョセプ・キャブレ指揮のコンパニエ・ムジカーレ・カタラーネが歌を担当している。 私の聴いた限りでは、曲想的にはルネッサンスとバロックの間くらいの感じがするけれど、ともかく、壮大な曲あり、清澄な曲ありで、多様な音楽が楽しめる。 収録されているのは、「来たれ、創造主たる聖霊よ」、「語れ、舌よ(パンジェ・リングァ)」、「天上の言葉」、「海の星に祝福あれ」、「太陽の昇る場所から」 の5曲。 それぞれ3〜5つの楽章から成る。 今月、新潟市内のCDショップ・コンチェルトさんにて購入。

 

Grigny;Hymnes

 

7月28日(水)    *真夏でも冷し中華がない新潟大学生協食堂

 以前にも書いたが、新潟大学生協は経営が悪化している。 理由の一つは不況やデフレで学生の貧困化が進んでいるからであるが、もう一つの理由としてライバルが増えて、購買部にしても書籍部にしても食堂にしても 「新潟大生なら新潟大生協を使うのが当たり前」 という常識が通用しなくなってきていることであろう。

 食堂についても、以前よりはメニューに工夫が見られて改善されてきてはいるのだが、相変わらず旧態依然と言わざるを得ないところもある。 その一つが、夏の暑い盛りになっても麺類のメニューに冷麺料理が乏しいことだ。

 現在のところ、冷麺メニューは2種類だけ。 冷し坦坦麺と、サラダうどんだけである。 どういうわけか、オーソドックスな冷し中華がないのだ。 また、日本そばを用いた冷麺メニューもない。 暑くなって食欲が減退する季節、冷麺メニューはもっと豊富であっていいはずだし、特に今夏のように大震災で冷房もそうそうは使えない状況となればなおさらなのだが、実に工夫がない。 それに、私的な話で恐縮だが、私は坦坦麺が好きではないのである。

 私は生協の理事 (無給) であり、また生協の教職員委員もやっているので、以前からこの点については意見を述べていた。 しかし、さっぱり改善されないのである。 

 原因の一つに、メニューを東京事業連合に頼っていることがある。 新潟大生協といっても単独で事業をやっているわけではない。 関東甲信越地方の大学生協の事業連合があって、その本部は東京で、新潟大生協もそこに仕入れなどを頼っている。 食堂メニューも、独自のものもあるが、東京事業連合の作ったメニューに頼っている部分が大きい。 この東京事業連合の作るメニューに、冷麺があまりないようなのである。 

 大学生協というと、政府やお役所や大企業に敵対的な体質と思われがちだが、実は自身、お役所的なのである。 だから真夏になってもさっぱり冷麺メニューに工夫がないし、私のようなへそ曲がりな人間が以前からその点を批判しているのに、馬耳東風なのである。

 こういう具合では、生協の運営は苦しくなる一方だろう。

7月24日(日)    *最近聴いたCD

 *テューリンゲンのオルガン 第1巻 (QUERSTAND、VKJK0517、2005年録音、2006年発売、ドイツ盤)

 グレーフェンローダ (ドイツ・テューリンゲン州の小邑) にある聖ラウテンティウス教会のオルガンを用いて、エーヴァルト・コーイマンが録音したオルガン曲集。 収録されているのは、ヨハン・ペーター・ケルナー (1705‐72) から前奏曲ニ短調、トリオニ長調、二重フーガニ短調など12曲、アドリアン・ユングハウス (1742‐1810) から 「おお、悲しみよ、おお、心の痛みよ」、レオンハルト・フィッシュムート (1721‐64) からパストラーレハ長調、ヨハン・クリストフ・ケルナー (1736‐1803) から後奏曲ホ長調とフーガニ短調の2曲。 合計16曲である。 時代的にはバッハより少しあとから、ハイドン前後の時代になる。  収録曲数から言っても、このディスクの中心はヨハン・ペーター・ケルナーであるが、ディスクの解説によると、彼はこの聖ラウレンティウス教会で35年以上にわたりオルガニストとして活動していた。 単に作曲家やオルガン弾きであるばかりでなく、バッハの作品の収集保存にも努めたことで知られ、もし彼がいなければバッハの作品の少なからぬ部分が失われていただろうとのことである。 しかしケルナーの作曲家としての側面が注目されるようになったのは比較的最近のことだという。 ケルナーはグレーフェンローダの生まれで、父は音楽関係者ではなかったが、彼自身は音楽へ強い興味を持ち、結局その方面の仕事に就くことになった。 彼は自伝を残しているので生涯は比較的よく分かっているが、バッハやヘンデルとも出会ったなどと書き残している点については、年代的な矛盾もあり、本当かどうかは不明らしい。 なお、この盤に収録されているヨハン・クリストフ・ケルナーは彼の息子に当たる。 全体として、バッハの影響を感じさせる古風で高雅な曲が多い。 実際、これらの曲の中には、以前はバッハの作品とされていたものが少なからずあるという。 10曲目に収録されているヨハン・ペーター・ケルナーの 「イエスよ、わが喜び」 など、しみじみとした味わいで、オルガン音楽のよさが体に沁みてくる感じである。 先月、新潟市内のCDショップ・コンチェルトさんにて購入。

Orgeln in Thüringen Vol. 1: Weise-Orgel Graefenroda

 

7月23日(土)    *個人情報保護法を何とかしろ!

 本日の毎日新聞のメディア欄に、個人情報保護法の見直しについて、3人の識者が意見を述べていた。 わが新潟大学からも、法科大学院教授の鈴木正朝先生が見解を述べておられる。 記事は下記のリンクから読めます。

 http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2011/07/23/20110723ddm012010172000c.html 

 ったく、この個人情報保護法というのは困った法律である。 あれができてから格段に不便になっている。 何とかしろ!

 教授会で資料が出て、その中に学生の名前が入っていると、持ち帰り禁止である。 持ち帰らなくても構わない資料ならいいが、そうでないものもあり、そういう場合は自分で紙に書き写せということになっているのである。 

 例えば、先月の教授会で私が発言したのであるが、アドバイジー (アドバイスを受ける学生) についての資料である。 今どきは過保護だから、全学生にアドバイザーの教員が貼り付いている。 その学生をアドバイジーという。 何かあったらアドバイザーの教員に相談に行け、というわけだ。 まあ、実際に悩み事相談に来る学生はそんなに多くない。 たいていは、学期初めの顔合わせ――というのがある――と、やはり学期の最初の頃に授業が確定したらそれを表に記してアドバイザー教員に判子を押してもらうときに来るくらいである。 つまり、半年に2回顔を合わせるだけ、というケースが大半である。

 教員は全員、各学年に4〜5名くらいのアドバイジー学生を抱えている。 このうち、3・4年生は演習担当教員がアドバイザーを兼ねるということになっているので、まだいい。 つまり毎週演習で顔を合わせるわけだから、顔や名前を覚えておけるのである。 しかし、1・2年生についてはそうはいかない。 テキトーに学生を教員に割り振っているので、授業でも顔を合わせないし、上記のように半年に2回しか顔を合わせない場合も多い。 記憶力のいい先生はそれでも覚えているのだろうが、私は興味のないことは覚えないタチだから、授業に出るわけでもない1・2年生のアドバイジーの名前なんか覚えていない。

 ところが、教授会資料で、そのアドバイジーの名がリストアップされていることがある。 上記のように、各学期初め頃に、授業が確定したら表に記してアドバイザー教員の判子をもらうことになっている。 判子をもらったら、その表を事務に提出する、はずなのだ。 ところが、学生によってはその表を提出しない場合がある。 

 アドバイジー学生が判子をもらいにこないのにアドバイザー教員が放置しているとすれば、それはたしかに教員の怠慢である。 だけど問題は、判子を押したのに、そのあと学生が事務にもっていかないというケースもあることなのである。 

 教授会に出た資料は、「かくかくの学生がまだ事務に表を持ってきていません」 というものであった。 ところが、そこにアドバイザー教員の名前は書かれていない。 私は、研究室には自分の担当するアドバイジーの名は控えてあり、今期は全員判子を押したはずなのであるが、もしかして判子を押したあと事務にもっていかない学生もいないとは限らない。 ところが、上記のように学生の名前だけでアドバイザー教員の名は記していないので、自分のアドバイジーが配布資料に載っているかどうか分からない。 といって、その資料を持ち帰ることは禁止なのである。 それでいて、「この学生の中に担当のアドバイジーがおられましたら、至急当該学生に連絡を」 などと言われるのである。

 だから、私はその場で、アドバイザー教員の名も資料に書いてくれ、と要求した。 でないと、分からないからだ。 しかし、これも個人情報保護法のせいなのだ。 その資料を研究室に持ち帰ることができれば、そういう手間も省けるのである。

 これはほんの一例に過ぎない。 最初の言葉を繰り返す。 個人情報保護法を何とかしろ! あれがあるおかげで、余計な手間暇を食って困っているのだ。

7月22日(金)    *言っても分からない

 教養科目・西洋文学の第1回レポート採点をしているところだが、ネット上の情報に頼りきってレポートを書く学生が多く、点数は全体として低迷気味である。

 第1回レポートは原則としてトーマス・マンの 『トニオ・クレーゲル』 について書くことになっているのだが、ネット上にある素人の感想文をもとにレポートをまとめる学生が多数派なのである。 

 私としても手をこまねいているわけではない。 ちゃんと学期初めに注意を与えている。 「今の日本語のサイトでドイツ文学について調べても碌な情報はないし、また素人のサイトは読解自体を間違えていることも多いから、そういうのに頼ってはいけません。 調べるなら図書館で専門家が書いた文献にあたりなさい。」

 しかし、こういう注意を与えても無駄なのである。 図書館に行って専門家の書いた本を読むという手間暇をかける学生は少数で、大多数はネット上の素人サイトの感想文をもとにしてレポートをまとめてしまうのである。 まあ、そういうのには60点程度しか与えないのであるが。

 素人は読解を間違える。 『トニオ・クレーゲル』 について言うならば、作品の後半で長じて作家になった主人公トニオがデンマークに旅行する場面があるけれど、そこでトニオはハンスとインゲに再会した、なんて書いてある。 誤読である。 そうでないことは、ネット上でも例えばウィキペディアで 『トニオ・クレーゲル』 を調べれば分かるのだが、碌でもないレポートを書く学生はその程度の手間すらかけないのである。 むろん、授業にも出ていないわけだが。

 もっとも、ウィキペディアだって必ずしも当てにならない。 今回、念のため見直してみたら、トーマス・マンの項に、「なお二人の妹ユーリア(1877年 - 1927年)、カルラ(1881年 - 1910年)は結婚後ともに自殺している」 なんて書いてあったけど、下の妹カルラは結婚はしてないんだよ。 むしろ、カルラは結婚しようとしてそれが怪しくなり、そのせいで自殺したのだ。 誰か、直しておいてくれませんかね。

 えっ? 何で自分で直さないのかって? それはね、新潟大学からウィキペディアを編集することができないからなのだよ。 新潟大学の学生がウィキペディアで荒らしをやるからというので、閲覧だけはできるが、書き換えようとしてもアクセスできなくなっているのだ。 困ったことだ。 もっと困ったことは、そういうアクセス制限を新潟大学の幹部が認めているということだ。 これも学生中心主義なのかなあ(笑)。 

7月20日(水)    *会議は短く

 会議は短いほうがいい。 無論、大切な議題は時間をかけて論議すべきだが、そうでない事柄も多いのだから、決めるべきことをてきぱきと決めて、さっさと終わるほうがいい。 しかし、実際は、大切な議題はさっさと決め (文科省のお達しだから、など)、そうでもない議題に時間をかける場合が珍しくない。

 中には、会議を長引かせるのが好きな人、というのもいる。 私から見ればどうでもいいようなことを持ち出す人である。

 これにもいくつかパターンがあるが、

 (1) その日の議題になっていない事柄を持ち出す。 議題になっていなくても大切な事柄でしかもその時点で決定しないと間に合わないというなら別だが、時間的に余裕があって今すぐ決める必要もない事柄を持ち出してくる。

 (2) すごく細かい字句や定義などにこだわる。 そしてそれを検討してみると、大概は元の字句などにそれなりの合理性があるという結論で終わるのである。

 (3) 文字通り、どうでもいいことを持ち出す。 この辺は判断力の問題としか言いようがない。 その人にとっては大事かもしれないが、他の人にはどうでもいいことなのである。 問題にしたければ、自分一人で問題にすればいいのに、他の出席者を巻き込まないと気が済まない。

 あと、文系人間にはおしゃべりで、脱線するのが好きで、話の要点を簡潔にまとめる能力に欠けている人が多い、気がする。 (そのくせ、字句を厳密に解釈しなければならない場合になると、とたんにいい加減になる。) 私もドイツ文学なんかやってるけど、父も弟も理系だし、父方の親戚も大多数が理系だから、どっちかというと理系的な資質なのだと思う。 その私からすると、文系には話が不必要に長い人間が多くてうんざりしてしまう。 話を長くしたければ、内輪だけでやってもらいたいのである。 そうじゃなくても最近の大学は雑用が多くて時間的余裕がないんだからね!

7月17日(日)    *島途健一先生を偲ぶ会

 本日は仙台市で午後1時30分より、この5月末日に亡くなった島途健一さん (東北大学大学院国際文化研究科教授) を偲ぶ会が行われた。

 私は朝7時20分頃にクルマで自宅を出発。 新発田市・小国町・山形市経由で仙台に向かい、途中仙台市南部のラーメン屋で昼食をとって、目的地の近くの東北大学川内キャンパスに着いたのがちょうど12時頃であった。 時間が少しある。 昔、私が在学していた1970年代なら、川内キャンパスの青葉城址に近いところには、休憩中のタクシーがとまったりしていたものだが、今はクルマをとめておけるスペースなんかない。

 といって、会場は東北大学工学部なのだが、そこへいきなり行くのはまだ早い。 

 仕方がないのでクルマを動かしていったん街なかに出てみたのが運の尽き。 私は知らなかったのだが、この日、仙台はお祭りが行われていたのである。 県外から来ている客が街なかにごったがえしている。 そのせいで、往復4車線の晩翠通り (私には、70年代の呼び方で細横丁と言ったほうが分かりやすいけど) を走っていたら、南半分が歩行者天国になっていて、細い路地に追いやられ、そこはクルマが渋滞していてさっぱり進まない。

 かろうじてそこを抜け出して、東2番町通りから北4番町通りに出て、川内方向に戻ろうとして、北4番町通りから西公園前通りに左折したのがまた運の尽き。 西公園前通りも猛烈に混んでいてさっぱりクルマが進まないのだ。

 仕方なく、またもや細い路地に左折して、晩翠通りの歩行者天国じゃない北半分に出て北上し、また北4番町通りに戻り、今度は西公園前通りに入らずに尚絅女学院 (これも今は学校名が変わっているみたい) に入る細い通りから川内に戻って、何とか定刻前に東北大学工学部の青葉記念館へ。 ふう。

 この建物、先日の大震災で1階は使用できなくなっているが、会場は3階で、そこは大丈夫なのだそうだ。

 会場には80名あまりが集まった。 最初に、島途さんの職場である東北大学大学院国際文化研究科の科長であり、島途さんとは学生時代の同級生でもあった小林文生教授 (フランス文学専攻) が、つぎに島途さんの師である (そして私の師でもある) 小栗浩先生が島途さんの思い出を語った。 小栗先生はすでに90歳を越えておられるが、言葉は実に明晰そのものだ。

 ついで、島途さんと高校時代の同級生だった方、ヘルマン・ヘッセ友の会の会長、島途さんの鹿児島大学時代の教え子、そして東北大学大学院での教え子が思い出を語った。

 ここで注目すべきは、鹿児島大学時代の教え子がわざわざ偲ぶ会を訪れてきているということだろう。 島途さんは鹿児島大学時代は教養部ドイツ語教師であった。 学部の教員ならいざ知らず、ふつうは教養部語学教師の葬儀に教え子が来るということはあまりない。 それも鹿児島市内ならともかく、鹿児島と仙台の距離を考えるなら、特筆に値することだと思う。 島途さんの人徳が偲ばれる。 (下で言及している 『惜別』 にも鹿児島大学時代の教え子が複数寄稿している。)

 会場では 『惜別 島途健一先生追悼集』 という文集も配布された。 60人あまりが島途さんの思い出を綴っている。 私も、「島途さんとの旅」 という一文を寄稿している。 また、島途さんの略歴と著作目録、鹿児島大学時代に現地紙や雑誌に寄稿した短文、そして東北大学時代にヘルマン・ヘッセ友の会のHPに連載していたヘッセの詩の訳とその解説文も収録されている。

 島途さんは東北大学の教員として長らく混声合唱団の顧問を務めていたそうで、この会でも混声合唱団が最初にモーツァルトのレクイエムからラクリモーサを、そして最後にやはりモーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスを歌った。 島途さんはクラシック音楽に造詣が深かったが、モーツァルトを最も好んだ。

 会の後半は、飲食を含めた懇親会となった。 この席では、久しぶりにお会いした石幡直樹さん (東北大学国際文化研究科教授。 以前は新潟大学教養部で私の同僚であり、それ以前にも、私が東北大学文学部の独文研究室助手だったとき隣りの英文研究室の助手をされていた) とお話しできたのが貴重だった。 石幡さんには、会終了後、クルマで仙台駅近くのホテルまで送っていただいた。 感謝します。 (私は、アルコールが入ったので、自分のクルマはこの会場の駐車場に残しておき、明日朝に取りに来る予定。)

 本日の宿は、ホテル・ユニサイト仙台というところ。 初めて泊まったけど、建物が新しく、部屋もビジネスホテルのわりには広くて、書き物机とその椅子以外に、丸い小テーブルと小さなソファがある。 ベッドもセミダブルに近い幅があるし、バスルームも比較的ゆったりしている。

 これで煙草のにおいがなければ文句なしなのだが、残念ながら多少臭う。 今どきだから、喫煙ルームと禁煙ルームははっきり分けるべきだ。

 この日は島途さんを偲ぶ日なので、ホテルから外には出ず、ホテル1階のレストランで晩酌セットを頼み、ビールを1杯だけ追加して夕食代わりとし、その後少し読書しただけで、おとなしく寝てしまいました。

7月16日(土)    *最高裁判事の判断力を疑う――賃貸住宅更新料について

 ちょっと最高裁判事の常識を疑うような判決が出た。 以下、産経新聞の記事だが――

 賃貸住宅更新料「高すぎなければ有効」最高裁が初判断 2011.7.15 22:53

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110715/trl11071522570011-n1.htm 

 賃貸住宅の「更新料」支払いを義務づけた契約条項が有効かどうかが争われた訴訟3件の上告審判決で、最高裁第2小法廷(古田佑紀裁判長)は15日、「更新料が高額過ぎなければ有効」とする初判断を示した。借り主側の敗訴が確定した。4人の裁判官全員一致の結論。

 更新料の設定は首都圏や関西圏などに商慣行化しており、該当物件は100万件に上るとされる。3件の2審大阪高裁判決は2件で無効、1件で有効と判断が分かれており、最高裁判決が注目されていた。同種訴訟にも影響を与えそうだ。

 消費者契約法10条は「消費者の利益を一方的に害する契約は無効」と定めており、更新料が該当するかどうかが争点となった。

 同小法廷は判決理由で、更新料について「貸主側の収益となる一方、借り主にとっては円満に物件を使用し続けられることからすれば、賃料の補充や前払い、契約継続の対価など複合的な性質がある」と位置づけ、経済的合理性があるとした。

 また、一部地域で更新料が慣習となっていることは広く知られており、貸主と借り主の情報量などに大きな差はないなどと指摘。その上で、「更新料の条項が契約書に明記されていれば、賃料、更新期間などに照らして高額過ぎるなどの特段の事情がない限り、消費者契約法には違反しない」との判断基準を提示し、今回の3件は「不当に高額という事情もない」と結論付けた。

 3件は、京都府、滋賀県内のマンションの借り主が平成19〜20年、貸主を相手に更新料の返還などを求めて提訴。無効とした2件の2審判決は「入居者の大きな負担に見合うだけの合理的根拠はない」などと判断し、有効とした1件は「適正額なら一方的な不利益ではない」とした。

マンションなど賃貸住宅の契約を更新する際、借り主が貸主に支払う一時金。1〜2年ごとに家賃の約1カ月分を支払うのが相場とされ、敷金と違って返還が前提とされていない。首都圏や京都、滋賀など関西の一部地域で古くから慣習化されている。国土交通省の平成19年の調査によると、更新料を徴収する業者は神奈川で90・1%、東京で65%、京都で55・1%など。

         *

 産経新聞は上の記事に加えて、「趣旨あいまい、明確なルール必要」 という解説もあわせて載せている。 ここには引用しないないが、下のリンクから読める。

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110715/trl11071523070013-n1.htm 

 そして、ネット上には載っていないが、紙媒体の産経新聞には、地域ごとの更新料設定のパーセンテージ比較のグラフも載っているのである。 それによると、首都圏が90%以上、京都が80%以上、首都圏以外の関東圏が70%と、非常に高い。 これに対して、京都以外の近畿地方は20%弱、愛知以外の中部地方が30%、愛知が20%強、九州が20%で、それ以外の地域は10%かそれ以下である。

 以上の数字から分かるように、この更新料なるものは、人口が多くて土地の値段が高いところ、つまり家主の側の力が強いところで行われている習慣なのである。

 私がこの更新料なるものの存在を知ったのは、つい1年半前のことである。 首都圏の大学に行っている次男が、入学時から2年間を過ごしたアパートに引き続き住みたいと考えたところ、更新料として1か月分の家賃を取られるというのであった。 むろん、その負担は親である私のところに来たわけである。

 私はびっくりした。 更新料なるものの存在を知らなかったからだ。 私が仙台で学生生活を送った70年代、新潟に職を得て借家暮らしをした80年代、そして長男が仙台の私大で学生生活を送った2000年代、いずれも更新料などというものの存在に出くわしたことがなかった。 首都圏のアパート業者はセコイな、私はそう思った。

 しかし、次男の場合は2年間で1か月分の更新料だから、まだしも、なのである。

 今回の最高裁で合法とされた更新料だが、紙媒体の産経新聞の報道では、(1)月4万5千円の家賃に対し毎年10万円の更新料、(2)月5万2千円の家賃に対し2年ごとに2か月分の更新料、(3)月3万8千円の家賃に対し毎年2か月分の更新料――このいずれもが合法とされているのである。 (1)と(3)では、毎年2か月分かそれ以上の更新料を払わなければならず、それに最高裁はOKを出しているのである。

 冗談ではない。 どうしてこれが 「不当に高額という事情もない」 となるのか。 私には不当に高額としか見えない。

 はっきり言おう。 こういう判決を出す最高裁判事は、クビにしてしまえ、と。 俗っぽい言い方になるが、厚遇されているから家賃を払う大変さを知らないんだろう。 そういう人間には、裁判官になる資格がないのです。

7月15日(金)     *山本真希オルガンリサイタル スペインのオルガン音楽2

  本日は午後7時から表記の演奏会に出かけた。 りゅーとぴあでの本格的なオルガンリサイタルはいつもそうだけど、今回も入りはイマイチ、いや、イマサンくらいか。 200人いたかなあ。 私は3階正面Iブロックの左寄りに席をとる。

  セバスチャン・アギュイレーラ・デ・エレディア(1561〜1627):
   エンサラータ
   第1旋法による下声部のためのメディオ・レヒストロ
  フランシスコ・コレア・デ・アラウホ(1584?〜1654):
   ”無原罪の御懐胎”の単旋聖歌による3つのグローサ(第69番)
   第2旋法によるティエントとディスクルソ(第2番)
   第4旋法によるティエント第4番(第18番)
  作曲者不詳:
   有名なバッターリァ
   (休憩)
  フアン・カバニーリェス(1644〜1712):
   第7旋法によるティエント”ア・ラ・ミ・レ”
   イタリア風コレンテ
   第1旋法によるパッサカーリェ
  パブロ・ブルーナ(1611〜79):
   2声の上声部によるティエント
   第2旋法の過ったティエント
   第6旋法によるティエント”ウト、レ・ミ・ファ・ソル・ラ”
   (アンコール)
   曲名不詳
 
 スペインの古い時代のオルガン音楽を集めた今回のリサイタル、内容も充実していた。 最初の2曲はややひなびた音色を使って、しかし最初の曲はファンファーレを集めたような曲で、結構腹(?)に来た。

 前半の中核をなす・アラウホの3曲が、私には今回のリサイタル全体の中心かと思われた。 最初は 「無原罪の御懐胎」 の聖歌を基にした音楽ということで、この題材は絵画で有名だが、なるほど、聖歌にもなっているわけで、ここでは高音の、チャルメラみたいな音色で展開される音楽はなかなか味があった。 次の 「第2旋法によるティエントとディスクルソ」 は中庸というかバランスのとれた音色で、作曲者の実力を遺憾なく発揮した曲の内実を見事に表現していた。 次の 「第4旋法によるティエント第4番」 は、内面に沁み入るような曲で、音色もそれにあわせるように地味なものが選ばれていた。

 前半の最後は、戦争を表した曲だそうで、なるほど、下手をすると銃弾が飛んでくるかとおもわれるような激しさを持っていた。

 休憩をはさんで、後半の2人の作曲家も悪くなかったけれど、前半のデ・アラウホに比べると、技法は巧みで派手だが、音楽の内実がやや乏しい気がした。 特にカバニーリェスは、技法が表に出ていて表面的な感じを免れないような。 ブルーナは、これに比べると内実がそれなりにあったけど、アラウホには及ばないかなと。 2曲目の 「第2旋法の過ったティエント」 は悲痛で内面的な曲だが (タイトルの 「過った」 というのは不協和音のことだそうだ)、それもやや定型的な表現にとどまっているような気がした。

 もっとも、3人とも3曲ずつだから、これで作曲家の全体を決め付けてはいけないよね。

 アンコールの曲、曲名が分からないが、訥々と語りかけるような、とても良い曲であった。 プログラム前半のアラウホの3曲と並んで印象に残った。

 山本真希さんのオルガンリサイタル、ここのところ量的にやや不足気味 (途中休憩20分を入れて1時間半、アンコールなし) の感があったけど、今回は途中休憩15分をはさみ、アンコールを入れて8時45分終了。 まずまずだったのではないだろうか。 次回への期待が高まる。 だけど、プログラムには次回の予告がない。 決まったら早めに告知していただきたいものである。

7月8日(金)    *寄付

 昨年同期より減ったとはいえボーナスも出たので、本日、ユニセフ、国境なき医師団、そして福島県災害対策本部にわずかながら寄付をしました。 (なぜわざわざ自分の寄付行為について書くかは、2005年7月29日の記述をごらんください。)

7月7日(木)    *ケータイに受信制限をかけるなっ!

 最近は学生が教員との連絡にケータイ・メールを使うことは珍しくなくなっている。 というか、それが主流である。 ところがケータイの機能として受信制限があって、それをかけている学生がいるので、困ってしまうのである。

 一番イタイのは、「先生、先日***の件でメールを差し上げたのに返事をいただけません。 どうしてでしょう?」 などと何度もメールをよこす学生である。 こちらはちゃんと返事を出しているのだが、あちらが自分のケータイに受信制限をかけているので、届かないのである。 自分で受信制限をかけておきながら、「どうして返事をいただけないのでしょう?」 もないものだが、困ったことにそういう自己矛盾?に気づかない学生がいるのである。

 次に困るのは、受信制限をかけていることは自覚しているのだが、学生である自分が教員にメールを出したら返事が来る可能性があることに思い至らない学生である。 つまり、学生から教員にメールが来て、学生はそのメールで用件は済んだと思っているのだが、教員から見ると内容に不備がある場合が珍しくない。 それで、教員から返信を出して不備を是正したメールを再度出すように要請するのだが、学生のケータイに受信制限がかかっていて届かない。

 そして、そういう学生に限って、学務情報システムのメールも見ていない。 つまり、今どきは学務情報システムに学生全員がメルアドを持っているので、教員は原則としては学生に用件があればそこに出すことになっている。 学生も頻繁にそれを確認しなくてはいけないのである。 ところが上記のような学生に限って、自分のケータイに受信制限をかけておきながら、学務情報システムの自分宛てのメールも確認していないのである。 つまり、教員から連絡しようとしても不可能という状態に自分を置いているのである。

 はっきり言おう。 ケータイの受信制限は百害あって一利程度しかないシロモノである。 迷惑メールが来たら、その都度そのアドレスに対してだけ受信制限をかけなさい。 さもないと大事な情報や連絡を逃す恐れが大きい。 分かりましたか、新大生諸君!?

7月6日(水)    *暑い教授会

 本日は教授会だったが、冷房をかけないので、汗だくの会議となった。 なぜ冷房を入れないかというと、言うまでもなく大震災で省エネが叫ばれているからだけど、新潟大学の方針として、教室は冷房可 (ただし設定は28度) だが、会議室と研究室は不可、となっているのである。 もっとも私の研究室には以前から扇風機があるからそれで何とかなるのだけれど、会議室には扇風機もないから、不快指数が上がるわけなのだ。

 省エネには私も大賛成で、冷房設定28度にも異議はないけれど、教室は冷房可で会議室と研究室は不可ってのが、分からない。 要するに、新潟大学は教育は重視しているけど、研究と必要な雑務はどうでもいいと考えています、ということじゃないの?

 どうせやるなら、教室も冷房不可にしたらどうかな。 つまり、学生にもつらい思いをさせろ、ってことなんですけどね。 最近の新潟大学はそうでなくとも学生に媚を売り、教員を冷遇している印象が強いので。

7月3日(日)    *プロジェクト・リュリ第4回演奏会 「フランソワ・クープランを巡って vol.2」

 本日は昨日に引き続き、午後2時からだいしホールの演奏会に出かけた。 昨日に引き続き客の入りはイマイチ。 三分の一に満たなかったかも。ただし子連れの客などはいなかった。

 プロジェクト・リュリのメンバーは下記のとおり。 これにゲストのお二人が加わる。

 第1ヴァイオリン=佐野正俊、ヴィオラ・ダ・ガンバ=中山徹、チェンバロ=師岡雪子
 ゲスト: リコーダー=柴田雄策、第2ヴァイオリン=庄司愛

  F・クープラン: 王宮のコンセール第3番 (佐野、中山、師岡)
  アントワーヌ・フォルクレ: ヴィオール組曲第1番より (中山、師岡)
  ラモー: クラブサンコンセール第3番 (佐野、中山、柴田、師岡)
  (休憩)
  F・クープラン: 組曲「神聖ローマ帝国の人々」 (全員)
  (アンコール)
  リュリ: (曲名不明、全員)

 愛好者がそう多いとは思えないフランス・バロックの演奏会。 今回で4回目を迎えたのは慶賀すべきことであろう。 私もフランス・バロックには全然詳しくないのだけれど、今回メインのプログラムで聴いた限りで言うと、フォルクレとラモーの曲に親愛感というか、感じるところがあった。 F・クープランの曲はこれに比べると、もう一つ迫ってくるものがない。 下手をすると眠くなってきそうで。

 だからというわけでもないが、後半は庄司愛さんが登場したので視覚的に楽しんでいた (笑)。 以前、庄司さんは女優の堀北真希に似ていると書いたことがあるけど、今回は堀北真希と松たか子を足して2で割ったような美人ではないかと思った。 トリオ・ベルガルモは震災以降さっぱり新潟市内で活動していないし、石井朋子さんもベルガルモとは別に活動をされているようだし、庄司さんも単独でリサイタルを開いてはいかがであろうか。 期待しています。 あ、もちろんプロジェクト・リュリの次の演奏会にも期待しています。

 下でも同じことを書いたが、省エネが叫ばれている折り、男性奏者は上着を脱いで演奏しては?  

7月2日(土)    *伊奈るり子 & アンサンブル・オビリー     

 本日は午後7時から標記の演奏会に出かけた。

 最近は長岡方面を中心に活動しているオビリー、久しぶりに本格的プログラムを携えての新潟市内での演奏会というわけで期待して出かたが、客の入りはイマイチ。 遅れて来た客を入れて三分の一くらいだろうか。 しかも小さな子供連れも一組ならずいたりして、どういうルートでチケットを売っているのか気になった。 以前も思ったことだが、広報面で問題があるのではという気がする。 早めにプログラムを決めてチラシを印刷し、りゅーとぴあや県民会館を初めとする市内各所に一ヶ月以上前から切らさないように置いておく、といった配慮が必要だろう。

 オビリーは演奏会の都度、奏者も少しずつ変わっているが、今回はクラリネットの伊奈るり子さんをゲストに迎えて、それ以外は次のようなメンバー。

 ヴァイオリン=佐々木将公、村田泰子、ヴィオラ=加野晶子、チェロ=片野大輔

  G線上のアリア(全員)
  モーツァルト:弦楽四重奏曲「狩り」K.458
  (休憩)
  ブラームス:クラリネット五重奏曲op.115
  (アンコール)
  アメイジング・グレイス(全員)

 今回のメインは言うまでもなくモーツァルトとブラームス。 それぞれ悪くない演奏だったのではないか。 常設のカルテットではないので、音の揃い方とか音色の統一感では常設プロ団体ほどではないかも知れないが、むしろ揃いすぎないところにアンサンブルの微妙な持ち味というか、楽しさみたいなものが感じられたし、またブラームスでは急がないテンポ設定から曲のなんとも言えないうら寂しい情感がひしひしと伝わってきて、なかなか感銘深い演奏だったと思う。

 広報面については上に書いたが、それにしても新潟の室内楽ファンはこんなに少ないのかな、という気もする。 もっとも、常設プロであるクァルテット・エクセルシオがりゅーとぴあのスタジオA、つまり定員100人にならないような場所でモーツァルトの連続演奏会をやってもチケットが売り切れて苦情が続出、という話は聞かないから、新潟市の室内楽ファンはバス一台で間に合う程度しかいないのかもしれないね。

 その意味ではオビリーの活動も大変だろうとは思うが、田中弦楽アンサンブルを除いては地元で地道に活動を続けている室内楽団体が見当たらない (*注) 現在、がんばっていただきたいものである。

 *注 (ポッチャリーノ四重奏団は1度定演を開いたきり雲散霧消?してしまったようだし、トリオ・ベルガルモは大震災で演奏会をやめた後、音沙汰がないという具合で、新潟市の地元室内楽は古楽団体の活動の活発さに比してどうもお寒いという印象を免れない。)

 なお、省エネが言われていることですし、男性奏者も上着を脱いで演奏しては? いかにも暑そうでした。

7月1日(金)    *恩師の無事を確認

 東日本大震災で恩師が行方不明になっているということをこの欄に書いたが、本日、ようやく残るお一人の無事が確認できた。 詳しくはこの欄の本年4月5日の追記を参照していただきたい。

6月29日(水)    *ヨーゼフ・ツォーデラー (今井敦訳) 『手を洗うときの幸福 他一編』(同学社、\2000+税)

 ドイツ文学、というのはつまりドイツ語で書かれた文学ということだが、その新しい翻訳が出た。 作者ツォーデラーの名は日本人にはまったくと言っていいほど馴染みがなかろう。 いや、かく言う私も知らなかったのである。 ツォーデラーは1935年に北イタリアの南チロル地方に生まれている。 この地方は第一次大戦以前はオーストリー帝国の領土であったが、大戦後にイタリア領となり、現在にいたるまでイタリアの一部であり続けている。 しかし言語的には、ドイツ語を使う人々とイタリア語を使う人々が並存し、現在でも70%はドイツ語系の住民が占めているという。 ドイツ語系住民はファシズム期には移住を強制されたが、その後は故郷に戻ることも可能になった。 著者ツォーデラーもそうした住民の一人であり、この自伝的な小説には言語の複雑な様相のなかで生きてきたヨーロッパ人の体験が描かれているという。 言うまでもなく本邦初訳であり、ツォーデラーの作品そのものも初めて日本に紹介されたわけで、この出版の意義は大きい。 作品を邦訳して出版したドイツ文学者・今井敦さん (龍谷大学准教授) の労を多としたい。 

 

6月27日(月)    *クルマがパンク、タイヤを全部交換

 朝、出勤しようとしてクルマに乗り、エンジンをかけてアクセルを軽く踏んだがクルマが出ない。 日ごろはこれで動くのに変だなと思ってアクセルをさらに踏むとどうにか動いたけれど、のろのろとしていて、しかも車体が傾いているような気が。

 悪い予感がしてクルマから降りてみたら、案の定、前左の車輪がパンクしていた。 ぐわーっ。 仕方なく自宅に戻して、緊急用のタイヤをトランクから出し、自分で交換作業をやる。 腰に悪いが、この際だからやむをえない。

 今のクルマに買い換えて13年と3ヵ月あまりたつが、ノーマルタイヤを冬になるとスノーに換える作業はいつもガソリンスタンドに頼んできた。 無論タダではなく、以前なら1本500円、数年前から値上げして700円かかる (消費税別)。 自分でやると腰に来る恐れがあるので、カネがかかっても自分ではやらないようにしているわけ。 30代の頃は自分でやってたんですけどね。 年齢には勝てないということかな。 また、以前乗っていたクルマは1300ないし1500CCだったのでタイヤも比較的軽かったからという理由もある。 今のクルマは1800でタイヤも大きく重いので、自分でやると体にきついのである。

 というわけでパンクした1本だけ換えて、急ぎもよりのオートバックスへ。 といっても我が家からは7〜8キロくらい離れている寺尾店である。 以前は大学の近くにイエローハットがあったので、こういう場合はそこに駆け込んでいたのだが、少し前になくなってしまい、代わりにドラッグストアができた。 最近、郊外の各種店舗も入れ替わりが激しい。

 オートバックスに着いたのが10時少し前。 店は10時開店なので、駐車場で待つ。 本日の授業は午後からなのが不幸中の幸い。 見てもらったところ、他の3本もかなり古くなっているというので、来月中旬にクルマで仙台まで行く予定もあることだし、この際だから4本全部を新品に交換する。 しめて4万円弱。

 今のクルマは14万8千キロほど走っているが、ノーマルタイヤはこれで3代目となる。 冬用のスノータイヤはすでに3代目になっている。

6月26日(日)    *新潟オルガン研究会第53回例会 グレゴリオ聖歌にもとづくオルガン曲

 本日は午後2時から標記の演奏会を聴く。 会場は東新潟教会。 前売り価格\1000。

 東新潟教会での演奏会はこれで数回目だが、当日は天候が悪く、いつものように市立図書館に車をとめて行ったものの、傘が必要。 天候のせいか客の入りはこれまでと比べてやや悪かったようである。

  「めでたし海の星」 (歌:大作綾)
  F・ペータース(1903−86):「めでたし海の星」によるトッカータ、フーガと賛歌op.28より (オルガン:大作綾)
  N・de・グリニー(1672−1703):賛歌「めでたし海の星」(オルガン:海津淳)
   1.めでたし海の星(ブラン・ジュ)
   2.4声のフーガ
   3.デュオ
   4.グラン・ジュによるディアローグ
  M・デュプレ(1886−1971):『15の唱句』より「めでたし海の星」T,U,V,W(オルガン:市川純子)
  (休憩)
  「洗礼者聖ヨハネの賛歌」(歌:皆川要)
  F・ペータース:『グレゴリオ聖歌による30のコラール前奏曲』op.75より (歌・オルガン:大作綾)
   「光の創り主」
   「王の御旗、前進す」
   「来たれ、創造主なる精霊よ」
  J・ラングレー(1907−1991):『中世の組曲』 (オルガン:渡辺まゆみ)
   1.前奏曲(入祭)   私に注ぎたまえ
   2.ティエント(奉納) いくつしみの泉たる主よ
   3.即興曲(聖体奉挙) 神よあなたを礼拝します
   4.瞑想曲(聖体拝領) 愛とまことのあるところ
   5.歓呼        キリストは勝てり 

 演奏会のタイトルがタイトルだったので、てっきり中世や近代初期の古い曲を集めての演奏会なのかと思っていたのだが、作曲家の生年と没年を見れば分かるように、元の聖歌とグリニーを除くと現代の作曲家による曲ばかり。 私の好みで言うなら、やはりグリニーの曲が、時代の素朴さを備えているように感じられて、良かった。 それ以外の曲も悪くなかったのではあるが、どこか現代の感覚が付きまとっていて、つまり信仰の迷い、ということは芸術の迷いを想起させるような気がしたのは、私の先入観からだろうか。

 歌の皆川氏からは、洗礼者聖ヨハネの賛歌が 「ドレミファソラシ」 という音階の名称の起源だという興味深いお話もあり、勉強になった。

 地道に活動を続けながら多様な曲にチャレンジしている新潟オルガン研究会の皆様には、改めて感謝申し上げたい。 次回も楽しみにしています。

6月25日(土)     *東京バレエ団公演 チャイコフスキー: 「白鳥の湖」 

 本日は午後3時から、私には珍しく、と言うより生まれて初めて、バレエの実演を見に出かけた。 場所は新潟県民会館。 座席は1階19列やや右寄りでAランク6000円。

 客の入りも悪くなかったよう。 クラシックの演奏会と違って、若い女性と小学生くらいの女の子が目立つ。 後者は、バレエを習っている子供たちなのであろう。

 オデット/オディール  小出領子
 ジークフリート王子   後藤晴雄
 王妃           松浦真理絵
 悪魔ロットバルト    柄本武尊
 道化           小笠原亮

 芸術監督=飯田宗孝
 美術・衣裳=ニコラ・ベノワ
 指揮=井田勝大
 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

 県民会館のオーケストラ・ピットは狭いので、コントラバス、ハープ、打楽器が舞台の袖のところに上がっていた。

 さて、バレエに縁がない私が今頃になって 「白鳥の湖」 を実演で見る気になったのは、少し前にナタリー・ポートマンがアカデミー賞主演女優賞を受賞したので話題の映画 「ブラック・スワン」 を見たことも一因。 ヒロインが「白鳥の湖」での主役を射止めたけれど・・・というお話で、バレエ・シーンが多く出てくるので、やっぱりこういう有名なバレエは一度でも実演で見ておくべきだな、と考えたのである。 それに言うまでもなくこの作品はチャイコフスキーの音楽でも有名なわけだし。

 今回初めて見て、技術的なことは分からないが、バレエは筋書きや主役ももちろん大事だけど、脇役がかなり活躍するものなのだなと痛感した。 オペラや映画でも群集劇というものはあるけれど、「白鳥の湖」 を見ると、主役の2人以外に30人あまりの踊り子が縦横無尽に踊りまくっていて、そうした群れによる踊りの中に、主役2人の踊りが随時繰り広げられるという印象なのである。 このバレエの筋書きは有名なので説明する必要もないだろうが (なお、結末は悲劇ヴァージョンとハッピーエンド・ヴァージョンとがあるが、今回は後者)、大事なのは筋書きでも、王子様と白鳥に姿を変えられたお姫様の恋でもなく、場面場面に応じて多様な踊りを見せることにあると思われた。 また、第3幕では衣裳の豪華さ・多様性も目を惹いた。 加えて道化役の動きも、舞台をかなり活性化していたようだった。

 映画 「ブラック・スワン」 では、ヒロインのナタリー・ポートマンが白鳥と黒鳥の演じわけに苦労するという筋書きだけどが、どうだろう、今回初めて見て、白鳥と黒鳥の踊りがそんなに異なっているようには見えなかった。 シロウトの限界かな。

 東京シティ・フィルは悪くない演奏だったと思う。 ただ、実演なので、オケだけでやる音楽会とはやはり勝手が違う。 踊り手のテンポに合わせなくてはならないので、「ここはもっと速くしたほうが演奏効果が上がりそう」 という場面でも、踊り手のテンポには肉体的な限界もあるわけだから、必ずしも音楽としての論理を優先というわけにはいかないのである。 そういう意味では、音楽家の立場もなかなか難しいと言えるのかも知れない。

パンフ (1500円もする) を見たら、クラシック・オケと同様、巻末に支援者の氏名が載っていた。 ただし公益財団法人・日本舞台芸術振興会に対するものであるが。 個人は1口1万円からだけど、氏名が掲載されるのは年5万円 (以上) および25万円 (以上) の寄付者だけ (私なんぞは年5千円で東響のプログラムに氏名を載せてもらっているのだから汗顔の至りである)。 25万円コースには山東昭子だとか神田うのなどの名があった。 また、これ以外に、東京バレエ団への「ポワント基金」というのも募集していた。 ポワントとはトウシューズのことだが、バレエダンサーは一ヶ月に何足も履きつぶすので経済的負担が大変なのだそうである。 こちらは1口5千円から。 なるほど、職業によってカネのかかる部分は色々なのだな、と今更のように思ったことであった。 

          *          *

    *かばんを買う

 本日はバレエを見た後、かばんを青山ジャスコで購入した。 ふだん大学に持って行くかばんである。

 今までは、私には珍しく舶来製品で、イタリアの革製かばんを使っていた。 もう15年以上、多分20年近く使ったと思う。 肩に掛けるベルトと本体の間をつなぐ金具は何度も壊れて、その都度、修理屋に行って金具を交換してもらってきた。

 今回買い替えを決意したのは、開閉する部分のチャックがイカれてきたからである。 長年使ってきたので、布の部分が擦り切れて穴が開き、またチャック自体も磨耗したせいかうまく閉まらないようになってきていた。 先日、修理屋に持ち込んで見てもらったところ、部品 (つまり新しいチャック) の代金と付け替え手数料で6500円かかると言われ、愕然とした。 これなら新しい製品を買うほうが安い。 というわけで、買い替えを決意したのである。

 青山ジャスコ以外にも、亀田ジャスコ、サティ、アピタなどを見て回った。 一番ダメなのはアピタだった。 そもそも、男用のビジネスバッグが置いてないのである。 若者が使いそうなスポーツバッグの類はあるけど。

 亀田ジャスコではテナントの専門店も見てみた。 しかし、1店は女ものばっかりだし――なぜかそういうことがショッピングセンター入口の案内板に書いてないのである。不親切ではないか!――、もう1店は高級品ばっかり、といっても2〜3万円くらいの品物だけれど、私向きではない。

 亀田ジャスコとサティにも多少気に入った製品はあったが、サティのは一度見た数日後にもう一回見に行ったらなくなっていたので、結局青山ジャスコで5800円のかばんを購入した――男物ビジネスバッグはここが一番品ぞろえが豊富だったのである。 本体はズック布だけど隅の部分は革でできている。 ズック布は黒、革はこげ茶で、落ち着いた感じなのが気に入った。 最終的には、値段はもちろんだけど、外見で決めたようなものである。

 私は、自分自身の外見はさておき(笑)、クルマでもかばんでも女でも外見を重視する人間だな、と、最近つくづく思うのである。

6月24日(金)    *戸田書店が新潟大学のそばから撤退

 うっかりして今日まで気づかずにいたのだが、新潟大学入口から近いところにあった戸田書店 (昔は日軽戸田書店といった)が撤退してしまっていた。 

 本日、新潟大学生協書籍部から先日注文していた新書本が品切れとの通知を受けたので、新潟市内の本屋の店頭に残っていないかと思い、とりあえず戸田書店に行ってみたら、なんと、雑貨屋に変わってしまっていた。

 うーん。 新潟大学の近くにある書店としては最も充実していたので、きわめて残念である。 これも日本人や大学生の読書離れの表れかなあ。 戸田書店の近くにもう一軒、某食品スーパーの建物にテナントとして入っている書店があるけど、面積も限られているしイマイチなのだ。

 戸田書店に最後に入ったのは、今年の3月末くらいだったかな。 『週刊新潮』に、反捕鯨で悪名高いシー・シェパードが東日本大震災の際に地元漁民に救われながら恩知らずの態度をとったという記事が載っているというので、買いに行ったのである。

 ちなみに、探していた新書本は、青山ジャスコに入っている本屋まで行ったら見つかりました。 それにしても、戸田書店なら新潟大学から2キロ弱くらいだからまだ歩いても行けるけど、青山ジャスコの書店となると10キロくらい離れているのでそうもいかない。 新潟大生協書籍部があるとはいえ、何しろスペースが狭いから、今回のような事態も珍しくなく起こっているのだ。 私はクルマがあるからまだいいが、新潟大生にとってはますます不便になりそうである。 

6月22日(水)    *いわき市小名浜の酢屋商店

 今朝の毎日新聞を読んでいたら、こんな記事が目に付いた。

 http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110622k0000m040040000c.html 

 福島第1原発: 小名浜港カツオ初水揚げ中止 風評被害懸念

 福島県いわき市の小名浜港で21日、今季初のカツオの水揚げが中止された。 同市の酢屋商店の巻き網船が茨城県沖で取った17トンを水揚げ予定だったが、「福島産の表示があると売れない」 と東京電力福島第1原発事故の風評被害を懸念する声が上がったため断念した。 やむなく千葉県の銚子港に水揚げした同社の野崎哲社長は 「予想はしていたが、全く売れないというのはショックだ」 と話した。

 野崎社長によると、茨城県沖約300キロの海域で19日に漁獲、21日朝に小名浜港へ水揚げする予定だった。 これに先立ち20日、同港の仲買人らが連絡を取ると、各地の市場担当者から 「小名浜港だと福島産と表示されリスクが大きい」 「漁獲位置が北側の漁自粛区域に近い」 などと言われ、仲買人らは買い手がつかないと判断した。

 県漁連会長でもある野崎社長は 「水産庁の指定区域で漁獲しており、小名浜の水も空気も異常値でないことを確かめたのだが、残念だ」 と話した。

 原発事故に伴い県内の漁協は沿岸漁を自粛。沖合漁は6月1日に始まり小名浜港も16日に再開したため、初の水揚げを目指していた。 【和泉清充】

      *   

 うーん・・・・小名浜のカツオだと売れない、という話はまことに残念である。 小名浜で育った人間である私としては、なんとか風評被害に打ち勝って欲しいと祈るばかりである。 ちなみに、カツオ、余ったら私のところに回して下さい (笑)。 私はカツオの刺身が世の食物の中で一番好きで、これさえあれば他はなくてもいい、というくらいの人間なので。

 ところで、上の記事に出てきた酢屋商店である。 記事からも分かるように小名浜の網元なのであるが、おや、懐かしいと思った。 といっても直接付き合いがあったわけではない。

 小名浜は港町であるが、住民は大別して2種類に分けられる。 もともと住んでいる人、言うならば 「先住民」 と、新しく住み着いた人、言うならば 「移民」 とである。 「先住民」 は、地元で漁業だとか農業だとか商売だとかをしている人たちである。 「移民」 は、小名浜の化学系企業に勤務するサラリーマンとその家族である。 私は 「移民」 に属する。

 私は高校時代 (福島県立磐城高校)、文学系のクラブに所属していた。 文学系のクラブであるから、クラブ員がものを書いて雑誌を出すことがメインの活動になる。 秋の文化祭に合わせて雑誌を出すのであるが、学校から支給されるクラブ活動費だけでは足りないので、商店街から広告を取って補うのが通例となっていた。 

 高校は、いわき市の平地区にある。 いわきは合併してできた市で、平は旧城下町で行政と商業の中心、小名浜は港と工場があるので産業の中心という関係にある。 そして平と小名浜のそれぞれの中心部は直線距離で10キロ以上離れている。 従来は高校の所在地区である平の商店街から広告をもらって雑誌を出していた。

 しかし、私が1年生だったときの部長、3年生のOさん (男。 当時の磐城高校は男子校) は、部長としての責任感からか、小名浜の酢屋商店に行って、雑誌に広告を出してくれないかと頼んだ。 ちなみにOさんは小名浜の某商店の息子で、つまり小名浜の 「先住民」 である。 卒業後は学習院大文学部に進み、大学を出た後は地元に戻って店を継いだ。

 酢屋商店のあるじは、高校生の雑誌に広告を出してくれと頼みにきたご近所の坊っちゃんに、これでいいかなと5千円札を出した。 実は当時、その雑誌の広告代は、最高の1ページ大で2千円であった。 しかし5千円札を出されたOさんはそれを受け取って、結果として1ページ大で5千円の例外的な広告となった。 

 昭和43年の5千円である。 今なら3万円くらいになるだろう。 網元というものの太っ腹さを見せつけられるエピソードで、いまだに忘れられない。

6月21日(火)     *シネ・ウインドの音楽映画特集――新潟日報紙に拙文掲載

 今度の土曜日から来月にかけて、新潟市唯一のミニシアター系映画館シネ・ウインドで音楽映画特集をやる。 『マーラー 君に捧げるアダージョ』、『ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路』、そして『ショパン 愛と哀しみの旋律』の3本が順次上映される。

 本日、新潟日報紙にその紹介として拙文が掲載されたので、興味のある方はこちらからお読みください。

6月20日(月)     *禁煙推進の元凶は文科省だった、そしてそれに追随するだけの新潟大

 今月の1日にも新潟大学の禁煙措置について書いたけれど、本日、以下のようなメールが来た。

         *

      人文社会・教育科学系教職員 各位


                              人文社会・教育科学系長 
                                        ** **

   
       新潟大学における受動喫煙防止対策の推進について(通知)

    本学では、平成15年5月に施行された健康増進法などを踏まえ、キャンパス内にお
   ける受動喫煙防止の措置を講じてきました。また、平成22年3月には、学校等におけ
   る受動喫煙防止対策の推進について、文部科学省より通知があり、多数の者が利用す
   る公共的な空間については、原則として全面禁煙であるべきであることなどが示され
   ました。
    喫煙は、喫煙者の多くの疾病の原因となるばかりではなく、受動喫煙により非喫煙
   者の健康障害の原因ともなります。
    本学は、未成年の学生を含め多くの人々が集まる公共性の高い場であることを踏ま
   え、喫煙対策基本方針を定め、学生・教職員の健康増進を図り、キャンパス内全面禁
   煙の健全な環境を目指して活動することとし、平成25年4月1日から、キャンパス内全
   面禁煙とします。
    つきましては、本喫煙対策基本方針について、ご理解いただくとともに、学生、教
   職員など、本学のキャンパスを利用する皆様へ広くお知らせいただくようお願いいた
   します。
    なお、喫煙対策基本方針及び喫煙所見直し一覧表を事務部ホームページに掲載いた
   しましたのでご参照願います。 〔一覧表はこの引用では省略〕
    また、学系独自で喫煙所の見直しも考えております。

          *

 まあ、新潟大学は文科省に逆らうような勇気や覇気は全然ない場所だし、内部の管理職も同様だから、こういうメールが来ることになるんだろうな。 公共空間と喫煙について新潟大学が主催してシンポジウムを開催し、場合によってはその結果を受けて文科省を批判する、なんてことになると面白いんだけれどねえ。 自前でものを考えるというのはそういうことだと思うんだが、そんなことは思いつきすらしないんだろうねえ。 そういう意味で、新潟大学はやはり 「場所」 であって、「大学」 ではないのだろう。

6月17日(金)     *「島途健一さんを偲ぶ会」 のお知らせ

 5月30日になくなられた島途健一さん (東北大学大学院国際文化研究科教授) を偲ぶ会が、下記の要領で行われます。

   日時: 2011年7月17日(日) 午後1時30分より

           第1部 偲ぶ会 午後1時30分から3時まで

           第2部 懇親会 午後3時20分から5時まで

   場所: 青葉記念館3階 レストラン 「四季彩」 (仙台市青葉区荒巻青葉無番地 )

                  http://www.eng.tohoku.ac.jp/map/?menu=campus&area=c&build=03

   会費: 一般 1万円、 学生 2千円

   出席者には、『島途先生追悼集』 への寄稿が期待されています。

 

   参加を希望される方は、今月末 (厳守) までに当サイト製作者にご連絡をいただければ、発起人への連絡方法をお知らせいたします。

   また、参加できない方でも 『島途先生追悼集』 への寄稿は可能です。 寄稿を希望される方は、今月24日 (厳守) までに当サイト製作者へ連絡をお願いいたします。

6月13日(月)     *新潟大学を軽視する新潟県のメインバンク第四銀行

 新潟県には地元を根城にする銀行が3行ある。 第四銀行、北越銀行、大光銀行である。 以前はこれらに加えて新潟中央銀行もあったが、破綻して消失した。

 これらの中でも最大手が新潟市に本店をおく第四銀行である。 名前からして歴史のある銀行であることは歴然としているし、いわゆる地銀 (相互銀行から昇格した銀行を含まない) の預金高ランキングでも日本全国計64銀行中18位に入っており、地方銀行としては格の高い銀行であることは明らかであろう。

 しかるに、この第四銀行が新潟大学を軽視すること、実にはなはだしいのを、私はかねてから苦々しく思っている。

 私が新潟大学に赴任したのは1980年だが、当時はキャンパスに隣接した金融機関というと、新潟大学前郵便局しかなかった。

 しかしその後、新潟大学前のバス通りに第四銀行新潟大学前支店が開店した。 何人かの銀行員も配置されているちゃんとした支店であった。

 だがしかし、支店はまもなく営業所に格下げされた。 つまり、銀行員をおかない、ATMだけの店舗になってしまったのである。

 第四銀行新潟大学前支店は、利用されていなかったのだろうか? いや、逆である。 店はいつも客で混みあっていた。 おそらく、利用客が脛かじりの学生や安月給の新潟大学教職員ばっかりなので、つまりお金に縁のない人間ばっかりなので、もうからないと判断されたのであろう。

 だがしかし、ATMでもまだあるうちは良かったのである。 少し前、このATMだけの営業所も廃止されてしまった。 残るは、新潟大学の厚生施設 (生協売店と書籍部) 内にあるATM1台と、やはり新潟大学内の某コンビニにある全国銀行共用のATM1台だけになってしまった。 これも、言っておくけれど、営業所は決して利用客が少ないのではなかった。 利用客が結構いたのに廃止されたのである。

 だがしかし――おんなじ単語ばっかり続いて済みません――それにはとどまらなかった。 3月11日の東日本大震災以降、節電が言われ、第四銀行は支店や営業所以外のところにあるATMを営業停止にしてしまった。 それにともない、新潟大学の厚生施設内にあった第四銀行のATMも動かなくなった。 それ以外というと、1980年に私が新潟大に赴任した当初からあった新潟大学前郵便局 (今は正確には「ゆうちょ銀行」だけど) しかなくなった。 (ただし6月になってから稼動を開始しているけど。)

 と書くと、他のATMだってそうなんだから仕方がない、と言われるかもしれない。しかし、新潟大学前の支店や営業所がなくなった結果、大学のもよりの支店はというと、内野支店か寺尾支店しかないのである。 いずれも新潟大学から数キロ離れている。 これに対して、新潟市中心部のATMが休止になっても、支店や営業所までは近い。 例えば伊勢丹デパートからは歩いて3分とかからないところに営業所があって、何台ものATMが稼動しているのである。 

 こうした立地条件の差を考えずに、支店を廃止し、営業所も廃止し、あまつさえ学内に1台しかないATMも休止してしまう第四銀行。 大学のことなんか知らないよ、という姿勢がはっきりと表れている。 

 新潟県のメインバンクとしての第四銀行のこうした方針が、学生にいい印象を与えないことは明らかだ。 学生時代から銀行ではなく郵便局 (ゆうちょ銀行) を使い、社会人になってもそれは続くだろう。 長い目で見て、決して優れた方針ではないことに、気づいてほしいものだが。  

6月11日(土)    *パソコンはめんどくさいし非能率的だし、メーカーは非良心的である

 昨日の話である。 

 「大学改革」 以来やったら書類作りが増えて、大学教員を消耗させているのは周知の通り。 というか、周知しているのは大学関係者だけかもしれないけど、そうなんですよ。

 そういう書類作りのお願いが事務から先月末にまた来た。 だけどこっちも色々忙しいわけで、うっかり忘れていたら、事務から催促が。 仕方がないのでメールで送られてきたファイルを開いて、あちらの指定どおりに書類を作・・・・・ろうとしたのだが、ファイルが開けない。 送られてきたのが最新のWordファイルで、私のパソコンにはちょっと前のWordしか入っていないからだ。 ちなみに私は自分用の原稿作成には昔から一太郎を使っていて、Wordは他人から送られてきた原稿を読むためにしか使わない。

 実は昨年度末あたりから、学生から提出されるレポートも新しいWordを用いているのが増えて、困っているのだ。 もっとも、Gメールで持っているアドレスに転送すると、読解だけはできるので、何とか間に合わせていた。 ただしGメールでは読解だけで、プリントアウトはできない。

 そういうこともあって、今年度になって予算がついたら新しいWordファイルを入れようかと思っていたこともあり、ちょうどいい機会だと考えて、生協購買部に行って新しいWordを購入してきた。 約1万円。

 さて、これで問題解決・・・・・と思ったのが甘かった。 私の研究室のパソコンが、新しいWordファイルを受け付けないのである。 インストールしようとすると、変な表示が出て、何々が入っていないからインストール不可能と書いてある。 その何々というのが、パソコンに弱い私には分からない。

 私のパソコンのOSはウィンドウズXPである。 ウィンドウズに相談しようと思って調べたら、なんと、XPはサポート期間を過ぎていると表示が出るではないか。

 冗談ではない。 このパソコン、購入してまだ数年しかたっていないのだぞ。 何で販売して10年もたたないのに一方的にサポートを止めるんだ!? 世界的に自社製品を売りまくっているメーカーがこんなことでいいのか。 100年とは言わないが、せめて20年くらいサポートするくらいの良心もないのか。 ざけんな、コラ!

 というわけで、パソコンがあると余計な手間が増えて、きわめて非能率的なのだ。 昨日の午前中はこの件でつぶしてしまった。 時間はこういうふうに無駄に使われているのです。

6月10日(金)    *基礎的な文献を買い揃えておいてよかったと思うとき

 シュトルムの小説を訳していると、時々見慣れない単語や言い回しに出会って難渋する。 ドイツで出ているシュトルム全集を底本にしているが、この全集には注がついており、その注に助けられる場合はいいけれど、中には注に説明がないけれどこちらが首をひねる箇所も往々にしてある。

 数日前にそういう単語にまたも出くわし、二種類の独和大辞典はもちろん、いくつかの独和辞典、そしてドイツで出ている新旧の辞典類をいくつか調べたけどどうにも埒が明かない。 aushauenという動詞なのだが、辞書には見出し語としてはあるけれど意味がぴったりと合わない。

 ドイツ語のいちばんの大辞典というと、童話で名高いグリム兄弟が編纂を開始したので有名なグリム・ドイツ語辞典である。 ただし、アルファベットのAから始めて100年ほどかかってZまで行ったという辞典だから、Aなどアルファベットの最初のあたりは記述が簡略だし古い例しか載っていない。

 それで、アルファベットの最初のあたりについては補巻が出ているのだが、まだ刊行途中で、これまたいつ完結するのか分からない。 十数冊があつまって1巻を構成する薄い分冊が、年に1冊か2冊出る。 この調子でいくと、もしかしたら完結までまた100年くらいかからないとも限らない。 ドイツ人てのは、そういう連中なのである。

 ちなみにこの補巻、新潟大学でも購入している。 以前、教養部があった時代は教養部ドイツ語科で買っていたが、教養部解体後しばらくは元教養部ドイツ語教師の有志が自分の研究費から出すお金で買われていた。 有志であるから、全員ではない。 教養部がなくなったとたん、「俺、やーめた」 と言い出す輩が一人ならずいたからである。 日本の、と言って失礼なら、新潟大学のドイツ語教師がどういう連中かが分かる話である。 研究者としての基本的なマインドが全然備わっておらず、さもしさだけが見え隠れしている奴らなのだ。

 その後、新潟大では元ドイツ語教師が減少の一途をたどり、購入していた辞書事典類や全集類の一部は途中でやめざるをえなくなった。 残りについては、個人の名義に変更することで購入を続けている。 で、グリムのドイツ語辞典補巻はというと、ほかでもない、私の名義になっているのである。 つまり、私の個人研究費で買っているということだ。

 私も、定年まで無事に勤めたとしても、今年を入れてあと7年しかない。 それまでにはこの辞典は完結しないだろう。 その後どうなるのか、分からない。 新潟大学とはそういう場所なのである。 場所、である。 大学なのかどうかは、不明なのである。

 さて、そこで問題の単語が今まで発行されたグリム・ドイツ語辞典補巻分冊に含まれているかどうか、資料室に行って調べてみたら、幸い、含まれていた。 それでその箇所を見てみたら、おお、あるある、こちらが難渋しているシュトルムの問題の箇所が例文として挙げられ、意味が説明されているではないか!!

 よかった、よかった。 まあ、こういう場合は多くはない。 いくら調べても辞書にぴったりと合う用例や説明がなくて、仕方なく 「うーむ、まあ、このくらいかな」 で済ませてしまうことだって少なくないからだ。 でも、こういうふうに報いられる場合もそれなりにあるわけである。 基礎的な文献は買っておかないといけません。 少なくとも、大学を名乗るからには。

6月5日(日)     *最近の新潟市映画館事情

 この件については定期的に書いているけど、また書いておこう。

 現在、新潟市にはシネコンが4館、ミニシアター系映画館1館がある。 スクリーン数は総計で37になる。

 最近の変化で目立つのは、ユナイテッドシネマであろう。 この春、2スクリーンを増設して10スクリーン体制になった。 市内に4館あるシネコンのトップである。 増設したのはいずれも定員が少ない小さなホールだが、これを機に従来なら新潟に来なかった映画も来るようになれば、というのが新潟市の映画ファンの気持ちであろう。

 ユナイテッドは、このほか、4月からサービスデーの変更を行った。 従来から週1回メンズデーとレディスデーがあったのだが、これに加えて会員カード提示で千円になる日を新しく週1回導入したのである。 したがって、会員になっていれば週2日は千円で見られるわけで、このほか、毎月1日が千円デーなのに加え、ユナイテッド新潟独自に毎月14日も千円デーになっているので、千円デーが月10回はあることになる。 料金面でのサービスでは、他館の追随を許さないと言える。

 したがって、ユナイテッドへの要望としては、やはりスクリーンが増えた分だけ多様な作品を上映して欲しい、ということに尽きる。 この点では率直に言って、もう少しがんばって欲しいというところである。 ユナイテッドではないが、こないだの夜、「八日目の蝉」 を某シネコンに見に行ったら、私を入れて2名しか客がいなかった。 千円デーなのに、そして人気作品なのに、この有様だ。 それは、市内の4つのシネコンのうち3つでこの作品を上映していることと無関係ではあるまい。 いくら人口80万の政令指定都市になっても、1つの映画を3館でってのは、ちょっとね。

 さて、ほかの3つのシネコンはというと、たいして変化がない。 もう少しユナイテッドを見習って料金サービスに努めてほしいのだが、どこも物足りない。 ワーナーマイカルは、毎月1日と20日と30日が千円デー (20日と30日はポイントカードを見せれば千円)。 これ以外にも時々千円デーを設けているようだが、いかんせん、宣伝が足りない。 私に言わせると、20日と30日が千円デーなら、10日もそうしてほしいのだが、なぜできないのだろうか。 加えて、レディスデーはあるのにメイズデーはないという男性差別的な体質も気に入らない。

 また、ワーナーマイカルは新潟市に2つあるので、相互の差別化が難しいようだ。 どうしても上映作品が同じようになってしまうからだ。 時々、新潟市単独上映の映画を持ってきているようではあるが、この点で差別化をいっそう図ってほしいものだ。

 Tジョイは、シネマチネ制度があるとはいえ、料金面でのサービスは最低である。 昨年まで毎月1日しか千円デーがなかったので、今年になってから毎月10日も千円デーにし、当初は3月限りとなっていたのが、3ヶ月延長して6月までとしたのが、なんともいじましい。 なんで恒久的に10日を千円デーにできないのか。

 作品面では、Tジョイは午前10時の映画祭だとか、ゲキシネだとか、またコンサートやオペラの映像作品を上映するなど、かなり努力しており、その点では評価できると思う。 地味目な洋画も、案外に持ってきている。 だから、このシネコンの最大の問題は料金なのである。 

 新潟市唯一のミニシアターであるシネ・ウインドは、最近会員制度の変更を行った。 これがどう出るかは分からない。 いずれにせよ、ミニシアターの長所は、大衆向け大作に飽き足らない映画ファンの要望をいかにすくい上げるかだから、その点の努力はなお必要だろう。 月によって、かなりいい映画が来ている場合と、どちらかというと穴埋めかなと思われるかなりマイナーな作品が目立つ場合と、両方ある。 マイナーな作品も存在理由はあるとは思うけど、ほかの県庁所在都市に来ているのに新潟市には来ない作品がなおも少なくない現在、いっそうのがんばりが望まれる。

6月1日(水)    *無理な禁煙、ストレスの元

 本日教授会があったけど、新潟大学幹部が数年後をめどに新潟大を全面禁煙する方針でいるという報告があった。 ちなみに、現在でも喫煙者にはかなり不便で、建物の外にある喫煙所で吸うことになっているし、喫煙所の数も限られている。

 教授会では、非喫煙者の方2名から、禁煙を拙速で進めるのはあまり好ましくないのでは、という意見が出た。 喫煙者じゃなく非喫煙者からこういう意見が出るのが面白いし、私もこのお二人に賛成なのである。

 今の学長は医学部の出で、この件も医学部あたりが熱心らしいのだが、医者ってのは専門バカが多いせいか、視野があまり広くない――いや、医学部に限らず大学関係者は広くないんですけどね。 要するに健康がすべてに優先すると考えるからこういう発案が出てくるのだろう。 健康は大事ではあるけれど、健康のためなら他のことは何でも犠牲にしますという気持ちで生きている人間は多くないってことが、医学部教授には分からないのだと思う。 つまり、健康第一主義者は、生きる意味を考えていない。 

 教養教育が軽視されているからだ、なんて野暮なことは言わないが、医学部学生、いや、医学部教授にこそ、人生哲学は必修にすべきなのである。

 ちなみに一昨日亡くなった島途健一さんは、酒は飲んだが煙草は吸わなかった。 2年前に亡くなった原研二さんは、酒も煙草もやらなかった。 それでいてお二人とも60前後で亡くなった。 

 私の父方の祖父は昭和39年に83で死んだ。 昭和39年で男性の83歳というのは、かなり長生きのほうである。 医者のくせに酒も煙草も好きな人間だった。

5月30日(月)    *島途健一さんを悼む

 本日朝、ドイツ文学者の島途健一さん (東北大学大学院国際文化研究科教授) が亡くなられた。 満61歳であった。

 島途さんは、私の東北大学独文科学生時代の先輩にあたる。 そして、私が仙台で過ごした学生時代に最もお世話になった人でもある。

 私が2年間の教養部時代を終えて専門課程の3年生になったとき、同じ独文学研究室の修士課程1年生である島途さんと出会った。 学年で言うと私より2年上、年齢では3歳上になる。 それは島途さんが大学に入るとき一浪しているからであるが、現役のときは東大を受けたようである。 惜しくも涙を呑んで一浪して再挑戦しようとした1969年は、学園紛争によって東大の入試が中止になった年であった。 それで東北大に来ることになったらしいと、人から聞いた。

 島途さんはもともと年少者に対して面倒見のいい人であった。 独文研究室での島途さんの1年後輩は、2008年9月に亡くなった原研二さん (亡くなった当時東北大学文学部教授) であったが、原さんは語学の才に恵まれた人であまり面倒を見なくても大丈夫だったのに対し、私は語学の才に乏しくて面倒を見ないとどうしようもない学生だったので、必然的に賢兄と愚弟のような関係になってしまった。 また、原さんは仙台の人で自宅通学だったのに対して、島途さんは茨城県高萩市出身、私は福島県いわき市出身であり、ともに常磐線沿線の出で、二人とも親元を離れて学生生活を送っていたということも、交際を容易にした原因だったかと思う。 

 同じ研究室の先輩に優秀な人がいるというのは、大事なことだ。 教授や助教授は年齢が離れていることもあって、自分と学識に差があっても別に気にならないが、年齢的に近い先輩が自分より何歩も先を行っているのを自覚すると、何とか追いつこうと努力するからだ。 私が3年生になったときには、島途さんの2学年上、博士課程1年にも佐藤拓夫さんという優秀な大学院生がいた。 のちに北大教授になったが、ドイツ語が無茶苦茶にできる人であった。 佐藤拓夫、島途健一、原研二と続く秀才の先輩たちに刺激されて、凡才の私も何とか独文科の学生としてやっていけるようになったというのが正直なところである。

 大学の授業での勉強以外に、島途さんは教養部の中村啓教授の協力を得て勉強会を開いていた。 私もそこに参加してずいぶん勉強をさせてもらった。 

 島途さんに教わったのはドイツ語やドイツ文学のことばかりではない。 クラシック音楽もそうで、私は大学生になってからクラシック音楽に凝りはじめたのだが、その先導者となった人の一人は島途さんであった。 今でもよく覚えているが、ブラームスの交響曲第4番を初めて聴いたのは、島途さんの下宿で、ワルター指揮コロンビア交響楽団のLPによってであった。

 ラテン語を教わったのも島途さんからである。 島途さんは大学の授業でラテン語を習得していたが、当時独文研究室の助手だった平間孝雄さん (のち東北学院大教授) と私のためにラテン語の勉強会を開いてくれた。 私がひととおりラテン語をやったのも、島途さんの辛抱強い努力があったからこそであった。

 しかし、好事魔多しというけれど、島途さんのような善人にも魔が多いようである。 上記の入試のこともそうだけれど、島途さんは修士課程2年生の晩秋、修士論文執筆に取り組んでいるとき、若者の運転するオートバイにはねられて入院する羽目に陥ってしまった。 その結果修士論文の提出〆切に間に合わず、留年を余儀なくされた。

 そうしたこともあって、経済的になるべく親御さんに負担をかけまいとしたのだろう、島途さんは古い3畳の下宿に移った。 私も引越しの手伝いをしたが、当時としても3畳は学生には最も狭い範疇に入る部屋であった。 あの頃は標準で4畳半、少しぜいたくをすると6畳という感じであった。

 1年遅れで修士論文を完成させて博士課程に進学した島途さんは、やがて公募で就職を決めた。 しかしそれは、東北大学からははるか遠い九州の最南端、鹿児島大学であった。 そのときも私は引越しの手伝いに行ったが、お母様も手伝いに来ておられ、持参した田舎料理をふるまってくださった。 そして、「就職が決まったのはいいけれど、もう少し近いところだったらよかったのに」 と言われた。 島途さんはそれに対して、「今は就職するのが大変なんだよ」 と答えていた。

 たしかに、当時、というのは1970年代後半 (昭和50年代前半)、ドイツ文学科の大学院生の就職先、つまり大学のドイツ語教師の口は減少傾向にあった。 東大あたりはいざ知らず、東北大のドイツ文学科の院生の就職が最も楽だったのは昭和30年代と昭和40年代前半であろう。 つまり西暦で言うと1955年頃から1970年あたりまでであった。 当時は修士課程を終えただけでドイツ語教師になる人が大部分で、博士課程への進学者はほとんどいなかった。 それが、70年代前半から博士課程への進学者が見られるようになったのは、ドイツ語教師になるのが次第に困難になりつつあった証拠である。

 島途さんが仙台を離れる日、仙台駅まで見送りに行った。 鹿児島に向かう途中いちど実家に寄るというので、夕刻に仙台駅を発車し、常磐線経由で上野に向かう 「そうま」 というディーゼルカーの急行列車である。 ホームには独文科の学生など何人もの人が見送りに来ていた。 そうした人たちの間にいた私は、なぜか群れの後ろのほうに立っていて、島途さんのすぐ近くに行くことができなかった。 その位置から手を振って島途さんの門出を祝った。

 鹿児島大学に赴任した島途さんは、何しろ年少者への面倒見のいい人であるから、学生に大人気、なかんずく女子学生にもてていたようである。 ほどなく、教え子とゴールインしたというニュースが入ってきたのも、ある意味、うなずけることではあった。

 島途さんは学生時代はヘッセを専門にしていたが、博士課程に進むころからジャン・パウルの研究にも手を広げるようになった。 そして、そのジャン・パウルに関する論文で、日本独文学会の外郭団体が若手研究者に贈っている賞を受賞した。 島途さんの実力が目に見える形で評価されたわけである。

 鹿児島大学時代の島途さんとは、ある年の秋に札幌での学会で会って、一緒に北海道旅行をしたこともある。 稚内、知床岬、釧路と旅をした。 札幌駅から稚内ゆきの急行列車に乗るときには、昼間の列車なのに、客車が寝台車の寝台部分をたたんだのを用いていたので驚いたことをよく覚えている。 その急行列車は、今では廃止されてしまった天北線経由で稚内まで走ったが、途中の天北線の停車駅が小さくて、その短いホームに若い女性が一人だけ降りていったのも、なぜか記憶している。

 論文で賞をとった島途さんは、やがて母校の東北大に移り、そこでドイツ語を教えるようになった。 しかしその頃から日本の大学では 「改革」 が叫ばれるようになり、内部では雑用が増え、また組織変更に伴うごたごたも多く、それは私のいる新潟大学でもそうだが、東北大学は輪をかけてひどかったようである。 鹿児島大学時代がなつかしい、ある年の年賀状にそう書かれてあった。

 けれどもそうした困難な時代にあって、島途さんはそれなりに仕事をしていた。 ヘルマン・ヘッセ友の会の幹事として、臨川書店から刊行された新しい 『ヘルマン・ヘッセ全集』 の編集委員をつとめ、詩の巻の訳を一人で担当した。 そして引き続き同書店から刊行されている 『ヘルマン・ヘッセ・エッセイ全集』 の編集委員と訳者をもつとめた。

 上にも書いたように2008年9月に原研二さんが亡くなったけれど、その少し前の夏休みに原さんが入院していて回復の見込みがないと知らせてくれたのは島途さんであった。 夏休みだったこともあり、私は仙台に行って一緒に原さんを見舞った。 9月の葬儀のときには、ほかの二人の方と共同の名義で式場に献花をした。

 島途さんと最後に会ったのは、昨年の12月である。 学生時代に属していた卓球同好会の創立50周年記念行事に参加するため仙台に行った私は、ついでに原さんのお宅に線香を上げにうかがった。 むろん事前に電話して日時を決めておいたのであるが、原さんの奥様が島途さんにそのことを連絡すると、会いたいと言って私の訪問時間に合わせて訪ねてきてくれた。 原さんのお宅と島途さんのお宅は同じ町内で近いので、原さんが亡くなってからは島途さんはしばしば線香を上げに行っていたようであり、またお子さん二人と残された奥様を支えるため、島途さんの奥様も色々努力されるなど、一家ぐるみでの交際をしていたようである。

 そのときの島途さんには、特に変わったところは感じなかった。 まあ、観察眼のにぶい私のことだから、明日死ぬ人を見ても分からないかもしれないが。 島途さんはしばらく前から体調が思わしくなかったが、病院に行くのが嫌で、行ったときにはすでにガンが進行していて治療ができない状態だったようである。 しかし、3月11日の東日本大震災のときも、数日後に私はメールで様子を問い合わせたのだが、大丈夫という返事がまもなく返ってきて、病気や体調のことにはまったく触れられていなかった。 4月に震災見舞いの意味で新潟の名産品を送ったけれど、お礼のメールにも病気のことは何も書かれていなかった。

 島途さんには息子さんが二人いて、そのうち一人は介護関係の仕事に就かれたという。 ある年の年賀状にそのことが書いてあって、「これで僕の老後は万全です」 と、いかにも島途さんらしいユーモラスな文章が添えられてあった。 でも、本当にそうだな、と私は思ったのである。

 本当に、島途さんは長生きするだろうと私は思っていた。 飄々として、仙人のような風貌になる年まで生き続けるだろう、そう私は思っていた。 まさか、原さんの後を追うようにして逝ってしまうとは、まったく予想していなかった。

 ただ、合掌。    

5月26日(木)     *生協総代会で分かること

 本日は午後6時から、新潟大学生協の総代会である。 つまり生協がこの1年間の会計報告・活動報告などを行い、教員や職員や学生の代表から承認を受ける日である。 私も理事(無給)をやっているので出席。 来年度も理事をやることになるので、その承認を受ける必要もあるからだ。

 このところの日本の不況やデフレ傾向で、新潟大生協の売り上げも右肩下がりが続いている。 赤字も解消しない。

 総代会では生協の売り上げなど以外にも若干のデータが紹介されたが、それによると、新潟大生のうち下宿生が親から受けている仕送りは、1999年がピークで平均月10万円であったが、2010年には平均6万円を少し出る程度まで落ち込んでいる。 不況の直撃、という感じだ。 アルバイト収入はずっと変化がなく、ほぼ月平均2万円。 奨学金収入は、1999年には月平均2万円に満たなかったが、現在は3万円程度になっている。

 このため、学生の中には1日の食費が500円という者もいるそうである。 1日500円でどうやって3食をまかなうのか。 カップ麺ばっかりじゃないだろうなあ。 生協も、以前より安いメニューを出すようになっており、以前は400円で出していた丼物に300円の新メニューを開発したりしているが、1日500円の食費じゃ昼飯に300円の丼でも手が出まい。

 学生が本を買うのに使うおカネも右肩下がりである。 1991年には新潟大生は月平均4000円の書籍費を使っていたが、今はわずか2500円である。 ここで興味深いのは、下宿生と自宅生の比較である。 どちらが書籍にカネを使っているかというと、下宿生のほうなのだ。 ふつうに考えると、自宅生のほうが金銭的には楽だから、その分書籍にお金を使いそうだが、実際は逆なのである。 さて、この現象をどう説明すべきか。 下宿生は一人で暮らしているので本を読む時間も多い・・・・・からだろうか?

5月22日(日)     *東京交響楽団第65回新潟定期演奏会

 本日は午後5時から、今年度初めての東響新潟定期。 以前も来たことのあるシュテファン・アントン・レックを客演に迎えてのプログラム。 ヴァイオリン独奏はシュロモ・ミンツで、私は最近記憶力が減退していて初めてかと思っていたら、Kondo先生のサイトに以前も東響新潟定期に来ていたとの指摘があった。 そういえばそうだった! そのときは、ヴァイオリンとヴィオラの双方で、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番とヴィオラ協奏曲をやったのであった。 なのに覚えていなかったのは、私はバルトークが不得手で、曲そのものに感銘が薄かったからだろう。

 さて、今回の演奏会、客の入りはあまりよくないが、前回よりは少し入っていたかな、という感じ。 コンマスはグレブ・ニキティン。

  モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番
  (アンコール)
  バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番よりガヴォット
  (休憩)
  マーラー:交響曲第5番

 まずモーツァルト。 伴奏の東響、最初ちょっと危なっかしい感じで、あれ、あんまり練習していないのかな、と思う。 その後、上向きになっていったようであるが。 で、ミンツの独奏だけど、非常に安定していて音もしっかりきれいに出ていた。 上体をほとんど動かさずに弾いていたが、演奏自体も 「静かなモーツァルトだな」 と思ったのだね。 この第3番のヴァイオリン協奏曲、喜びの感情を前面に出して弾くこともできるはずだが、そして前回代演で第5番の協奏曲を弾いた渡辺玲子さんは、爆演ではないけれど感情がこもった演奏を聞かせてくれたが、ミンツはむしろ抑制のきいた、ピアノ協奏曲なら最後の第27番をやっているみたいな、淡々とした諦念に満ちた、言うならば晩年のモーツァルトに近いような、そんな印象を受けて、はあ、こういう弾き方もあるんだなあと感じ入ってしまった。

 アンコールのバッハも、実にしっかりした演奏。 協奏曲の独奏者はみなこういうふうにアンコールをやって欲しいもの。

 さて、後半のマーラーであるが、かなり拡散的というか、すこし気取って言うと、対位法的な作風を際立つようにした演奏ではなかったろうか。 主旋律を表面に出すのではなく、さまざまな楽器の旋律をなるべく対等に扱い、全体の統一性を無理に求めることはせずに各楽器間の対話や対立、矛盾などをそのままさらけだすようにして演奏していたように思った。 実演ならではというと変だけど、視覚で舞台の演奏者全体が見渡せるからこそ、こういう演奏もそれなりにいいと感じられるんじゃないか。 ディスクだと、何これ?だったかもしない。

 今さらだけど、ホルンのハミルさんはやっぱりうまいというか、すごい。 ああいう奏者が東響にいることは貴重だと痛感した。

5月20日(金)     *だいしライフアップ・チャリティ・コンサート 澤クワルテット演奏会

 本日は午後7時開演の表記の演奏会に出かけた。 第四銀行提供による演奏会だが、今回のチケット代金は東日本大震災の被災者のために全額寄付されるそうである。

 開演5分前に会場のだいしホールに入ったら、結構客は多く、4分の3以上埋まっている感じ。 右手後ろのほうの空いていた席にすわる。

 モーツァルト: 弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387
 ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第11番ヘ短調「セリオーソ」
 (休憩)
 ラヴェル: 弦楽四重奏曲ヘ長調
 (アンコール)
 「ハッピー・バースディ・トゥ・ユーの主題による変奏曲」 

 弦楽四重奏団の演奏会というと、クァルテット・エクセルシオのモーツァルト連続演奏会を聴いてあんまりたっていないわけだが、同じ日本人の四重奏団といってもずいぶん違いがあるものだな、と思わされた演奏会であった。

 違いをいちばん感じたのは、言うまでもなく最初の曲。 クァルテット・エクセルシオもやったので、比較が容易。 エクセルシオの演奏が現代的で、言うならばスリムな身体にびしっと新しいスーツを着てキメているみたいだったとすると、この日の澤クワルテットの演奏はゆるやかで人間的で滋味にあふれたものであった。 音楽がじわりと少しずつ体に沁みこんでくるような感じ。 別の言い方をすると、エクセルシオの演奏がやはり若い演奏者のそれだったとするなら、この日は人生の辛苦をなめた中年男性ならではの演奏という印象なのである。

 この印象はそのあとのプログラムでも共通して感じられ、ベートーヴェンの 「セリオーソ」 はちょっととっつきにくい曲だけれど、澤クワルテットの演奏だと作曲家の抱いていた人間的な感情が譜面を越えて伝わってくるような気がしたし、ラヴェルでは、曲の技巧面や作曲家の才気といった側面は後ろに退いて、曲の内実がよく表現されていたように思われた。

 アンコールに先立って第1ヴァイオリンの澤和樹さんからお話があった。 澤クワルテットは最初の演奏会を開いてからちょうど20年。結成して間もない頃、一度新潟市で演奏会を開いたものの、その後は今回まで来る機会がなく、長岡市では第2ヴァイオリンの大関博明氏の出身地という縁もあってしばしば演奏会を行っていることもあり、新潟市でもまた是非演奏会を行いたいということであった。 今回の充実した演奏振りからしても、ぜひまた来ていただきたいものである。

 アンコールは 「ハッピー・バースディ・トゥ・ユーの主題による変奏曲」。 あの主題を、ウィーン風、パリ風、NY風、アルゼンチン風、そして最後にハンガリーのジプシー音楽風に弾いていくもので、なかなか楽しい曲だった。

5月17日(火)    *給料日に・・・・

 本日は給料が出る日である。 天引きの形で、東日本大震災のためにわずかながら寄付をしました。 これは新潟大学が職員に対して寄付を呼びかけたのに応じたもので、いずれ新潟大学としてまとめられた寄付金が日本赤十字に送られるはずです。

 みなさまの引き続きのご協力をお願いいたします。

 閑話休題。

 夜、ある人から電話。 悪い知らせである。 今は詳しくは書けないけど・・・・私はあと1年と4ヵ月で還暦を迎えるが、もう老年の悲哀をかこつ段階に入ったのかもしれない。

5月14日(土)    *寄付の意志に陰りが出る記事

 今朝の新聞を読んでいたら、震災の復興資金を調達するため、国家公務員の給与を1割減という案が政府から出ていると報じられていた。 ということは、新潟大学も国家公務員準拠だから、実現すれば同じく1割減ですね。

 今まで震災被害のためにそれなりに寄付を続けてきて、これからも頑張ってしようと思っていたのだけれど、この記事を読んで気持ちにやや陰りが・・・・

 こういう時期だから多少の削減 (まあ、5%くらいかな) は仕方がない気がしてはいたけど、1割減って、かなり大きい額ですよ。 特に当方には扶養している子供が二人残っているし、うち一人は自宅外から大学に行かせているんだから。

 とりあえず、コンサート通いや映画館通いを少し自粛しようと思い始めた。 寄付については、給与やボーナスが出るたびに改めて考えることにして。 

5月10日(火)    *車税が例年より・・・・

 5月といえば、車税を払う月である。 本日例年のように車税の請求書が来たのだが、なぜかいつもより高い。 私の車は1800CCだから39500円なはずなのに、今年は43400円。 1割高くなっている。

 説明書が同封されて色々書いてあったが、要するにクリーンな社会を作るためにエコカーへの移行を推進しようと、ふつうのガソリン車の税金を上げたということのようだ。

 趣旨は分からないでもないけど、エコカーへの移行を無理に進めて、まだ使えるガソリン車を廃棄させ、新しい車を買わせるのが本当にエコなんだろうか。

 私の車は購入して13年と2ヵ月。 14万6千キロ走っているが、燃費は新車時代に比べてもさほど落ちていない。 月平均で800〜900キロくらい走るが、真冬を除けば燃費は15キロ/L程度である。 少し遠出をすると16キロ/Lを超えることもある。

 電気自動車はまだ一般向けに実用化がなされているとは言えないし、一般向けのエコカーというとハイブリッド車で、プリウスなんかがその代表格とされているが、実際に使っている人に訊いたら、燃費は公称と実際とにかなり差があり、実際は20キロ/Lに満たないそうである (ただしその人は私より日ごろの走行距離が少ないが)。 つまり、私の購入後13年経つガソリン車とそんなに大きな差はないのだ。

 その程度の差で、使える普通ガソリン車を無理に廃棄させ、作るのにそれなりにエネルギーを食っているハイブリッド車を買わせようと税制をいじるのは、どうなのかなあ。

5月6日(金)    *アムステルダムから成田へ

 本日は日本に帰る日。 ホテルからバスに乗ってアムステルダム空港へ。 空港で受付にスーツケースを預けるとき、添乗員のS氏が手伝ってくれたが、「軽いですね」 と言われた。 それはまあ、他の客たちは旅の正味5日間に色々な店で買物をしまくって荷物が重くなっているのに、私はゼミの学生などへのお土産にチョコレート類を多少買った程度だから、軽いのである。

 衣類をあまり持ってこないことも軽さの一因かもしれない。 ワイシャツと下着は毎日換えていたが、上着とズボンはずっと同じもので通した。 ズボンは予備を1本持ってきたけど、上着はそもそも1着しか持って来ていない。 チョッキも1枚だけ。 念のためスーツケースに入れてきたコートは、好天が続いたこともあり、ついに着る機会がなかった。

 そう、今回の旅行でいちばん良かったのは、晴れの日が続いたことだろう。 快晴の日と少し雲が出ている日とがあったが、ついに雨は降らなかった。 日ごろの行いがいいからだろうか(笑)? もっとも、途中で添乗員のS氏が披露してくれた話では、あるツアーのとき晴れの日が続いたので、「皆さんの行いがいいからです」 と客たちに言ったら、次の日がどしゃぶりの雨で困惑したそうである。

 来たときと同じくフィンランド航空の飛行機でまずヘルシンキ空港に飛び、次に成田行きに乗り換えである。 アムステルダム・ヘルシンキ間の飛行では途中一度軽食が出る。 時間的には昼食ということになるけど、飲物は水やジュースならタダだが、ビール (350ml) を頼むと4ユーロとられる。  この飛行ではどういうわけか私は家内と離れ離れの席で、隣りの二人は西洋人男性だったが、事情を知っているようでカネを出してビールを頼んでいたので、私も見習って (?) ビールにした。 それにしても、ヨーロッパと成田を結ぶ飛行機ならビールでもワインでもタダなのに、航空会社もかなり経費節減に努めているのだな、と思う。

 それと不思議なのは、来たときのヘルシンキ・ブリュッセル間の飛行機もそうだったが、ビジネスクラスがあるはずなのに (空港の受付にビジネスクラス専用の場所がある)、座席を見ると全部同じでエコノミー・クラスなのである。 ところが、前方の数列とそれより後の座席のあいだにカーテンがあって、飛行の間そのカーテンが閉じられている。 おそらく、食事サービスの内容が違うのだろう。 座席自体はエコノミーで、食事サービスだけ違うビジネスクラスってのがあるのだろうか。

 ヘルシンキ空港では身体検査がなかった。 3年前ベルリンに行き帰りともパリ空港経由で行ったときは、パリ空港でも身体検査があったのに、どうしてこういう違いがあるのか分からない。 それとも制度が変わったのだろうか。

 多少時間があったので、ヘルシンキ空港ビル内の売店を見て回る。 私のお目当てというと酒類と酒の肴になりそうな珍しい食物だが、酒類でいうとスコッチは日本の量販店に比べて値段が高めだし、北欧の店でチリ・ワインや南ア・ワインを買うのもどうかという気がしたので、結局フィンランドで作られているらしいリキュール(焼酎のようなもの)を1本だけ買う。 それから、熊肉やトナカイ肉の缶詰を売っていたので、これも北欧ということでトナカイ肉の缶詰を1つだけ。

 空港ビル内では、ヘルシンキ発パリ行きの飛行機に、日本語で最終搭乗案内をしていた。 日本からヘルシンキ経由でフランス、或いはヨーロッパ全般に向かう人が多いのであろう。 フィンランド自体は人口が500万人程度の国だから、自国と日本を結ぶ、或いは自国とヨーロッパを結ぶ便を維持するためには、日本からヘルシンキ経由でヨーロッパ各地に向かう客を確保しておく必要もあるのかもしれない。

 来たときも思ったけど、フィンランド航空機内で出る赤ワインが結構おいしい。 イタリア・ワインだけれど。

 成田空港に着くと、もう7日になっているが、スーツケースを受け取って解散となる。 団体客たちはこの1週間運命共同体のように一緒に行動してきたけれど、特にまとめて挨拶するわけでもなく、三々五々別れていく。 よほどの偶然がない限り、二度と会う機会もないであろう。 添乗員のS氏には、特にわれわれは途中2晩コンサートにタクシーで出かけたので、タクシーの手配でお世話になってしまいました。 ありがとうございました。

5月5日(木)    *アムステルダムの国立博物館、ゴッホ美術館、風車見物

 昨夜から泊まっているアムステルダムのホテルだが (PARKPLAZA AMSTERDAM AIRPORT)、今回の旅行では最初に泊まったブリュッセルのホテルに次ぐワースト2である。 

 まず、朝食に野菜も紅茶ポットもない。 それにパンも、食パンしかない。 (といって無論ライスがあるわけでもない。) こういうのはヨーロッパのホテルとしては珍しい。 食パンなら焼いて食べるものだと思うが、トースターが1台しか置いてないから、事実上焼かずに食べるしかない。 他には甘いカステラ・パンしかなく、家内はこれを食べて満足していたけど、私は朝食に甘いパンを食べる趣味はない。 ただし朝食室は広い。

 野菜がないのは出せないわけではないだろう。 前日の夕食は朝食と同じスペースでバイキングだったわけだが、そのときは野菜もあった。 要するに朝食に野菜は要らないと考えているらしい。 困ったことだ。 

 部屋も、今回宿泊した4つのホテルの中ではいちばん狭い。 ベッドはダブルでもセミダブルでもないが、幅が100センチあるから合格圏内。 窓がはめ殺しで開けられない。 もっともこれは、空港近くにあるので飛行機離着陸の騒音を防ぐためかもしれない。 荷台はいちおう木製のテーブル状のものがある。 ただしふだんは書き物机の下に収められていて、これを出すと狭い部屋がいっそう狭くなる。 冷蔵庫や湯沸しポットも置いていない。

 さらに問題なのはバスルームで、バスがなくてシャワーしかないのはヨーロッパにはよくあることだから許すとして、バスルームのドアがきっちり閉まらないようにできている。 全面曇りガラス製で、押しても引いても開けられるのだが、ドアとドア枠の間に隙間があるから、ベッドルームに洗面や用便の音が漏れてくる。 シングルルームならともかく、ツインではちょっと問題だろう。 さらに、バスルーム内のシャワールームにはドアがない。 カーテンもない。 その代わり洗面台との間に部分的なついたてがあるけれど、いくら注意してもシャワーを使えば水しぶきが洗面室に漏れるものだ。 加えて、バスルームの明かりが二つあり、そのうち一つはバスルームの外のスイッチを操作しても消えないのである。 ほかにスイッチがあるのかと探したが、見当たらない。 要するに、常時ついている明かりなのである。 バスルームのドアは上記のように全面曇りガラスだから、夜寝ようとしてもバスルームの明かりがベッドルームに漏れてきて完全に暗くならない。 バスルームの明かりを消す手段は一つだけあって、今どきはよくあるように部屋のドアはカードで開ける仕組みで、そのカードを入口近くのカードケースに差し込むことで電気系統が作動するようになっているから、カードを抜いておけばいいわけだが、そうすると夜中に起きても枕元の明かりをつけることができなくなってしまう。 どうも、「考えていない」 と言うしかない。

 加えて、ここには二連泊したわけだが、本日夕刻帰ってきて部屋のドアを開けようとしたら開かない。 カードの暗証が変わっているのだ。 これまた最初のホテルと同じ。 ただし、最初のホテルでは団体客全員が同じ目にあったけど、このホテルでは私たち夫婦だけだった。

 さて、本日は午前中、アムステルダム市内の国立博物館とゴッホ美術館を続けて見学。 そこに着くまで、日本人中年女性のガイドが街の様子を分かりやすく説明してくれたが、娼館があそこだというような――実際にはもっと間接的な言い方だったが――話もあって、それなりに面白かった。 

 アムステルダムのイメージというと、一般的な日本人はどうなのだろう。 私は、ブルージュのイメージがローデンバックの小説によっていたのと同じく、またもや文学的で、アムステルダムといえばアルベール・カミュの小説 『転落』 を思い出す。 パリでの羽振りのよい弁護士業から 「転落」 してアムステルダムに流れてきた男が、夜ジンを飲みながら身の上話をするあの小説である。 夜、酒場、ジン、娼館・・・・・これがアムステルダムのイメージなのだ。

 閑話休題。 アムステルダムの国立博物館は現在改修工事中で、一部の建物だけを用いて有名な絵画などが展示されている。 目玉はレンブラントの 「夜警」 で、くだんの日本人中年女性ガイドが私たち団体客に分かりやすく説明してくれた。 ここではほかに、羊飼い姿の美しい女性の肖像画に心惹かれたけど、あとで売店で探してもこの絵の絵葉書はなかった。 

 ついでゴッホ美術館。 ここは万一の犯罪行為に備えて入場者への持ち物チェックが厳しいそうだが、日本人団体客は信用されているらしく、事実上フリーパスであった。 国立博物館と同じガイドさんがまた分かりやすく説明。 ただし私はゴッホの絵はあまり好きではない。 節度がなく恐ろしいからで、芸術には品や節度がある程度必要だと、中年になってから思うようになっている。 単にトシのせいかも知れませんがね。 

 ゴッホ美術館にはゴッホだけではなく、象徴主義など、他の絵画も展示されている。 見て回って、Charles-Marie Dulaeの連作"Suite des passages" の1枚(風景画)や、Edmond Aman-Jeanの描いた婦人のポートレートが気に入ったけど、例のごとくで、これらの絵葉書は売店にはなかった。 どうも、私の好みは絵葉書になるような大衆受けする作品とはズレているようである。 売店には各種画集がおいてある一角もあったので、象徴派の画集がないかと探したが、印象派ならあるのに、どういうわけか象徴派はない。 私には美術研究のことは分からないけど、ヨーロッパでも日本同様に印象派のほうが圧倒的に象徴派より人気があり研究対象にもされやすいのだろうか。

 いずれにせよ、国立博物館もゴッホ美術館も、団体旅行の弊害で時間が十分にとられていない。 このあと、アムステルダムの運河クルーズとダイヤモンド研磨工場兼販売店見学もあって、それから2時近くの遅い昼食となったのだが、博物館と美術館の時間を各30分くらい延長して、それから昼食、そのあと運河クルーズのほうが良かったと思う。

 その運河クルーズだが、さすが大都市アムステルダムの運河だけあって、ブルージュの運河とは規模が違う。 しかし大規模で幅も広い分、水は汚れているし、捨てられたペットボトルなどが目だっていて、あんまり美的ではない。 ただし運河から眺める街並みはそれなりに面白い。 アムステルダムの街は海沿い、というか海を埋め立てたところにあるわけで、したがって地盤が悪く、建物を建ててしばらくすると傾いてきたりするのだそうである。 実際、隣りの建物との間隙が一階と上の階とで違っていたり、隣りの建物に寄りかかるような形で建っている建物があったりと、人間のやることは隙間だらけだなと、原発事故が起こってしまった国から来た人間としては痛感させられた。 ただしこちらでは地震がないから、傾いた建物でもなんとか持っているのだろう。 また、建物を見ると間口に対して奥行きがかなりある。 日本には 「ウナギの寝床のような」 という表現があるけれど、限られた土地に家を建てると世界中どこでも同じようになるわけであろう。

 昼食はダイヤモンド研磨工場から程近いレストランで、カレースープとでっかいソーセージ。 ソーセージには芋とにんじんを煮たような付けあわせがついていたけど、これが結構うまかった。 アイスクリームとブルーベリーのデザートもいい。 この日の夕食を含めて思ったことだが、一般にはカトリック国であるベルギーのほうがプロテスタント国であるオランダより美食の国ということになっているようだけど、この旅行で昼食や夕食をとったレストランに限って言えば、オランダの料理のほうがうまかったというのが私の見解である。

 そのあと、アムステルダム市郊外に風車見学にいく。 風車も、昔は小麦を挽くためなどに沢山あったけれど、今はごく限られた数しか残っていないのだそうである。 その数台が残っているあたりが、公園みたいになっている。 これは団体旅行の予定にはなかったが、添乗員のS氏が話をつけてくれ、2ユーロ払って風車の建物内に実際に入って見物することができた。 小麦だけではなく、染料用の植物をひく作業も行われていたのだとわかった。 

 しかし、あまり見るところが多くはなく、時間をとりすぎである。 美術館滞在時間を延長して、風車見物の時間を短縮したほうがよい。 周辺には土産物屋やトイレもあるけれど、トイレが1回50セントなのが高いと思う。 

 そのあと夕食のレストランに向かうが、まだ6時になっていない。 昼食が遅くて2時頃だったので、全然腹が減っていないねと、団体客同士で話し合った。 この辺の時間設定にも課題が残りそう。 夕食のレストランは市内中心部の、運河クルーズで見た 「ウナギの寝床」 のような典型的 (?)   アムステルダム風の建物だった。 奥の、窓のない部屋での食事である。 今は電気があるからいいが、火を使う明かりしかなかった昔、こういう窓のない部屋は空気が悪くて大変だったのではないかと想像する。

 昼食でも夕食でも、団体の中で一緒にすわる人はそのたび変わるけれど、このときは単独で参加している中年男性二人が私たち夫婦と一緒だった。 私も以前イタリアへのパックツアーに単独で参加したから分かるけど、パックツアーでは単独参加者はお互い仲良くなりやすい。 夫婦だとか友達ペアはもともと二人で行動しがちなわけで、そのため単独者は単独者同士でまとまるようになるのである。 今回のこのツアーでも、この中年男性二人はわりに一緒に行動していたようである。

 こういう場合の会話は、どうしても旅行の経験談になる。 プライヴェートなことは本人の口から出ない限り話題にはしないものだ。 お二人はいずれも旅行慣れしていて、もう十回以上海外に来ているという。 特に一方の方はすごくて、学生時代から通算するとすでに40カ国以上を旅したそうである。 うーむと驚嘆してしまう。

 しかし、そのように海外旅行に慣れているお二人がなぜ一人旅ではなく団体のパックツアーを選ぶかというと、やはり食事の問題がいちばん大きいようだ。 当地のレストランに入ってちゃんとメニューが読めるか、きちんと注文が出せるか・・・・そこが一番のネックらしい。 国内旅行と海外旅行の違いは色々あるけれど、ガイドブックが各種あり、またインターネットでホテルや飛行機の搭乗券も簡単に予約できる時代になっても、やはり食事の問題、そして言葉の問題は完全にはなくならないのだろう。

 さて、ここでも一昨日の夕食と同じくポットに入った水のサーヴィスがあった。 日本人団体客がいつも利用しているのだろう。 硬い円柱形コロッケと白身魚。 それに自由にとれるフライドポテトと豆料理と酢づけの野菜も出て盛りだくさんだったが、上述のように昼食からあまり時間がたっていないので、残念ながらあまり食べられない。 デザートはアイスクリームと、薄いパンケーキを丸めて軽く焼いたものだったが、これがうまかった。 

5月4日(水)    *フェルメールの絵がある美術館、キューケンホフ公園

 昨夜から今朝にかけてはアントワープのホテルに宿泊したが、このホテル (SCANDIC) も前日のホテルに劣らずなかなか良かった。 ベッドがやはりダブルベッド二つで寝やすいし、ポットと冷蔵庫もあるし、何より美しい家具調の荷物置きがあるのがいい。 木製で引き出しがついていて、いかにもヨーロッパ的な荷物置きなのだ。 こういった部分のすばらしさでは今回随一。 朝食も野菜が豊富で悪くない。 紅茶ポットはなかったが、コーヒー・紅茶兼用のカップが大きめなので、1度紅茶を作ればだいたい間に合う。 惜しむらくは朝食室が広くないこと。 このため相席になってしまう。 同じ団体旅行客同士ならまだしもなのだが、私たち夫婦は一人旅らしい大柄な白人中年男性が同じテーブルで、"Good Morning" と言っただけであとはお互い黙って食べるだけだったので、何となく気まずかった。

 さて、本日はまたバスに乗り、まずオランダはハーグ市に向かう。 国際司法裁判所の建物を外から見物。 これはアメリカの大富豪カーネギーが寄付した建物なのだそうである。 カーネギーというとアメリカのカーネギー・ホールが有名だが、こうやって外国にも寄付していたわけだ。 アメリカ人の寄付文化を思い知らされた感じ。

 それからマウリッツハイス美術館へ。 ハーグ市内の、非常に古い建物が並ぶ一角にある。 ヨーロッパの美術館としては建物は小ぶりだけれど、近年評価が高まっているフェルメールの絵を所蔵しているというので人気がある。 実は、銀婚式旅行でベネルクス三国周遊を選んだのも、大のフェルメール・ファンである家内の希望に沿ったからである。 いかに私が愛妻家かが分かるでしょう(笑)。

 有名な 「青いターバンの少女」 をまず見る。 この絵、私は以前東京に来たときに一度見ているのだが、そのときは何しろ人だかりがすごくて――東京の美術展はたいていそうだが――ゆっくり見られなかった。 ここでは特に人だかりもなくて、落ち着いて鑑賞できる。 それから、館内のほかの絵も見て回る。 前述のようにあまり大きくない美術館だが、それでも団体旅行の気ぜわしさで、時間が足りない。 私は、知らない画家の描いた2枚組の森の絵 (Gerald David: Forest Scene, 1510-15) が気に入ったのだけれど、残念ながらあとで売店で探してもこの絵の絵葉書はなかった。

 昼食は美術館の近くの、いかにも建物が古い感じのレストラン。 肉ボール入りのスープと小ぶりなコロッケとハムの料理。 ソースがかなり胡椒味が利いているけど、私にはこのくらいの辛さでちょうどいい。 納得の料理であった。

 それからまたバスに乗り、アムステルダムのキューケンホフ公園へ。 チューリップの花で有名な公園。 たしかに驚くほど色々な種類のチューリップや他の花もあって、またちょうど今は花盛りの季節なので、美しいし広い園内を散策するのはそれなりに楽しいが、ツアーはここでの時間をややとりすぎた感じだった。 むしろ美術館の時間を少し長めにとって、こちらは短縮してくれたほうがよかった。

 ここの土産物屋でロゼ・ワインを買う。 250mlの小瓶だが、実はこちらに来てからずっと寝酒に使うワインを買おうとして果たしていなかった。 土産物屋にはアルコール類がなかったり、あっても甘い果実酒だけだったり、街を歩くときは酒屋を探しても見当たらなかったり、あっても閉まっていたりした。 ここでも、赤ワインを探したが白とロゼしかなく、しかも小瓶だったが、ないよりマシということで購入。 ちなみに味は、夜試してみたら、甘ったるくなくて、思っていたよりよかった。 

 夕食は、この日から2連泊するアムステルダムのホテルの食堂で、バイキング方式。 私たち夫婦はこのあとコンサートに出かける予定だったので、早々に食事を切り上げた。

       *「マーラー 交響曲第4番より」――アムステルダム・コンセルトヘボウでの演奏会

 アムステルダムのコンセルトヘボウといえば、ウィーンの楽友協会ホールなどと並んで歴史の古い音楽ホール。 クラシック・ファンなら一度は行ってみたいホールであろう。 今回のパックツアーではアムステルダムに2泊する予定だったので、そのいずれかの夜にコンサートがないかとあらかじめネットで調べてみたら、あった。

 ただしちょっと問題が。 コンセルトヘボウのHPはオランダ語オンリーなのである。 チケット注文のページには英語版もあるが、コンサートの説明そのものはオランダ語でしか書かれていない。 この点、英語やドイツ語で全容がわかるルクセンブルク・フィルハーモニーのHPとはかなり差があった。 しかし、マーラーの第4交響曲と (だけ) 書かれているのは分かったし、開演は夜9時15分 (ずいぶん遅いけど、パックツアーの客としてはその日の日程終了後でも十分間に合う時間帯)、演奏がアムステルダム・アンサンブルという室内楽オケらしき団体なので、日本人からするとやや変わった演奏会に見えるが、要するに夜9時15分からマーラーの第4交響曲1曲を室内オケで全曲やるというプログラムなのだろう、と思ってネットで予約をとった。 料金は1人12ユーロ (約1500円)という安さ。 コンセルトヘボウのチケットはスポンサーが付いているので安価なのだそうだが (日本語版ウィキペディアにそう書いてある)、それにしても安すぎるようにも思えたのではあるけれど、しかしコンセルトヘボウの公式HPを通じて購入できるチケットであるからには、そんな変な催しであるはずがない、と考えたのあった。

 当日宿泊ホテルは空港の近くにあり、つまりコンセルトヘボウなどのある市街地からは離れていて、地理に通じない日本人には公共交通機関を使うことにためらいもあったので、行き帰りともタクシーを使った。 往復でチップも入れて55ユーロ (7千円弱) と、チケット代金よりはるかに高額 (とほほ)。

 コンセルトヘボウは2面で広い街路に面しているが、チケット売場のある側はもともとの建物外壁の3〜4メートルほど前に透明なアクリル製らしい壁が外壁を守るような形で立っている。 ここから入って建物本体の外側についている窓口でパソコンからプリントアウトしたチケット予約証明を見せてチケットを受け取り、入口から入っていく。 大ホールに入ると、19世紀末の建物にふさわしく平土間は木製の床で段差はなく、いちおう赤い絨毯が通路に敷かれているものの歩くとぎしぎし音をたてて、歴史を感じさせてくれる。 2階席のバルコニー壁には、ワーグナー、リスト、チャイコフスキーといった著名作曲家の名が入っている。 これらはこのホールで実際に演奏を行った人たちなのかと思ったのだが、後で調べたらコンセルトヘボウは1888年創立で、ワーグナーやリストはその数年前に亡くなっているのである。 とするとなぜその名があったのか、謎である。(モーツァルトやベートーヴェン、シューベルトといった名はなかった。)

 購入したのは1階20列27〜28番。中央よりやや後ろ、左手の座席。 すわって、入り口で配布していた無料のパンフを見てみたら、ちょっと予想と違う感じが。 相変わらずオランダ語オンリーなのでよくは分からないものの・・・・

 まず、演奏団体であるアムステルダム・アンサンブルの陣容であるが、次のように書いてある。

 Eildert Beeftink Piano
 Michael Hesselink Klarinet
 Julia Tom cello

 Rosanne Philippens Viool
 Hanneke de Wit Sopraan
 Ramsey Nasr Dichter
 Jorinde Keesmaat Regie (「演出」 の意味らしいことは何となく分かるよね。)
 Floriaan Ganzevoort Lichtontwerp (照明デザインの意。 帰国後調べて判明。)

 ピアノが入っている。 それからDichterというのはドイツ語で 「詩人」 の意味だが、オランダ語でもおそらく同じ意味だろうと。
 
 それから、Gustav Mahler (1860−1911) とあって、その下に交響曲第4番と書いてあるのはいいけれど、オランダ語でよくはわからないものの、どうやら第2楽章と第4楽章と書いてあるように見える。
 その下に、DichterであるRamsey Nasrの名があって、よく分からないオランダ語のあとに1と3と書いてある。

 あとで実演を聴いて分かった部分もあるのであるが、要するにこの演奏会は、マーラーの第4交響曲のうち第2楽章と第4楽章だけを少人数 (ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノ各1名、第4楽章はソプラノも加わる) でやり、第1楽章と第3楽章にあたる部分は詩人がマーラーやこの曲にささげる言葉 (自作) を朗読で語る (多分、ということ。 オランダ語なのでぜんぜん分からなかった)、という形式のものであった。 うーん、道理でチケットが安いと思った(笑)。 でも会場は、少なくとも1階は満席だったのだ。

 パンフに大書されているオランダ語は、"Delen uit Mahlers Vierde symfonie"。 マーラーの第4交響曲と書かれているのは、ドイツ語を多少かじった人なら分かるだろうが、前の2単語を帰国後調べたら、「のうちの一部」 という意味。 つまり、「マーラーの交響曲第4番より」 というタイトルの演奏会だったのだね。

 良く言えば、マーラーの没後100周年を記念して、現代に生きる芸術家が自分なりにマーラーを利用しつつ創造活動を行った、ということなんだろうな。 日本ではクラシック音楽というととかく原典に忠実に再現することだけが求められるが、昔の作品を自分流に加工するのだって創造活動なのだから (バッハだってそれをやっているわけだし)、こういう行きかたもアリ、ということで。

 演奏自体はほどほど。 下手ではないけど、感心するほどうまくもない。 ソプラノは、何しろ2日前にクリスティーネ・シェーファーで同じ曲を聴いていたので、あんまりという感じだった。

 言葉が分からないとこういう目にあうという教訓だろうか。 でも、コンセルトヘボウのように有名な会場のサイトがオランダ語オンリーってのもどうかと思うんだけどねえ。 まあ、人間、時としてこういう体験をすることもあると思い知った一夜ではあった。 

5月3日(火)    *ルクセンブルクの言語事情、突然出現する街アントワープ、アントワープの地下鉄市電

 昨夜はコンサートが終わった後、ホテルを探した。 コンサート会場から歩いて10分とかからない場所にあるはずだったのだが、探し当てるのにちょっと手間取った。 あらかじめパックツアー業者からもらっていた日程表では、この日のホテルは”NOVOTEL KIRCHBERG”とのことであった。 ところが、”NOVOTEL”という看板があるホテルはコンサート会場沿いの大通りにすぐに見つけたが、”KIRCHBERG”とは書いておらず、別の文字が併記されている。 あらかじめネットで調べた限りではホテルは大通りからすこし入った場所にあるらしかったので、その建物の裏手に回ったら、今度は単に”NOVOTEL”とだけ書かれたホテルがあった。 どうもよく分からないので、フロントで訊いてみようと思い、中に入る。

 ルクセンブルクの公用語は、フランス語とドイツ語とルクセンブルク語である。 私に対応したフロントマンは、直前の客とはフランス語で話していたが、ドイツ語だって公用語だし、私は英会話もドイツ語会話もあまり得意ではない人間だが、会話でどちらかを選べと言われればドイツ語をとる人間だから、ドイツ語で話しかけたら、目的のホテルはここだと分かったものの、自分たちが団体客の一員で事情があって遅れてここに到着したということを説明していたら、「英語で話していいか」 と問われた。 ホテルマンもルクセンブルクの公用語を全部話せるわけではないらしい。

 朝、朝食をとる食事室の前にルクセンブルクの新聞が重ねてあった。 無料なので1部もらう。 日本の一般紙の半分の大きさのタブロイド版。 これを見ると、ドイツ語の記事が多いが、中に一部フランス語の記事もある。 ひとつの新聞で言語が統一されていないのだ。 ここら辺にも、ルクセンブルクの言語事情が反映されているようだ。 

 閑話休題。 このホテル (NOVOTEL KIRCHBERG) は昨日まで連泊したホテルよりはるかに良かった。 まず、ベッドが二つともダブルベッド。 朝食には野菜も紅茶ポットもあり――今回のパックツアーで泊まった4つのホテルのうち朝食に紅茶ポットがあったのはここだけ――、朝食室も広いし、上述のように新聞サービスもあって、部屋には湯沸しポットも冷蔵庫もあるし、好感が持てた。 一つだけ難点を挙げると、洗面所の水道が使いにくい。 やはり鏡のあるところから前方に突き出しているのだが、水量を調整する部分が先端にあり、水の出る蛇口はというとそれより後ろ、鏡よりにあるのである。 しかも蛇口の管が突き出ていない。 つまり水量を調整するコックを操作しても、どの辺から水が出てくるか、出るまで分からない。 何で最近の水道管設計者はこういう変な水道管を作ってしまうのかなあ。 伝統的な水道蛇口がいちばんなのに。

 さて、本日はルクセンブルクのこのホテルを出てブリュッセルに戻り、ブリュッセル見物。 ブリュッセルには路面電車が走っているが、途中、一両が事故か何かで立ち往生しているのを目撃 (通りの真ん中で止まっており、客はいない)。 昨秋のウィーンでも思ったことだが、路面電車は事故が多いのだろう。

 ヨーロッパの都市には必ずといっていいほど中央広場 (市の立つ広場) があるが、中でもこのブリュッセルの中央広場はそこに面した建物の古さと伝統美によって作家ヴィクトル・ユゴーも感心したほどだという。 たしかに見事な広場である。 広場近くの元祖小便小僧も見学。 かなり小さい代物だった。 広場のすぐ近くのレストランで昼食。 豚肉のソテーと、小さなコロッケ。 昼食後、近くの繁華街を少し散歩。 アーケード街や、下町風情を残した通りがあった。 アーケード街には映画館もあり、村上春樹原作の 『ノルウェイの森』 をやっていた。

 それからバスに乗りアントワープへ。 アントワープの街は、突然出現する、という印象だった。 つまり、それまでバスで森や畑の中を走ってきて、あるところに来ると、急に4〜5階建ての建物群が現れるのだ。 日本みたいに、郊外にぽつりぽつりと建物が見えてきて、それからだんだん建物の密度が高まり、やがてビルなんかが立ち並ぶ中心街になる、という段取りを踏んでいない。

 ここも路面電車が走っているが、面白いのは、路面電車の地下鉄――というのは言葉の矛盾かな――があること。 これ、新潟市でも見習ったらどうだろうか。

 新潟市は今将来の公共交通機関をどうするかでもめているのだが、地下鉄やモノレールだとカネがかかるから基幹パスかLRTでどうかなんて言っている。 しかしヨーロッパの都市に比較して道路の狭い新潟市で路面電車を走らせたってうまくいくはずがないと私は思う。 路面電車はとにかくクルマの乗り入れを禁止しないと機能しない。 仙台や金沢の市電が廃止されたという事実がありながら、その辺を考えていない奴が、どういうわけか市から委嘱された専門家にもいるらしい――こういう専門家にカネを出して委嘱するのは税金の無駄だよ。 市電なら車両も小さいし、地下の浅いところを走らせる原則で行くなら、費用も比較的に少なくて済むんじゃないか。 ちなみにアントワープは人口約45万人、面積約200平方キロと、広域合併前の新潟市とだいたい同じくらいである。 このアントワープに地下鉄の市電が走っているのだから、新潟市にあって悪いということはなかろう。 真面目に考えてみたらどうか。

  アントワープではノートルダム大聖堂でルーベンスの絵画を見学。 『フランダースの犬』 でネロ少年が見られなかったあの絵である。 今でも入場は有料なんだけれど。 また大聖堂の前にはフランダースの犬の記念碑が設けられているが、これはトヨタが寄付したものだそうである。 なにしろ 『フランダースの犬』 は英国作家の作品だから、地元の人にはあまりぴんと来ないらしい。 トヨタもいろんなところに善意の(?)寄付をしていて大変だなと思う。

 アントワープではこのあと、自由時間を利用してルーベンスの家を訪ねたりしたが、残念ながら開館限度時刻の午後5時を過ぎていて、中には入れなかった。 夕食は市内のレストランで、鮭料理。 珍しく、ポット入りの水がタダで出た。 たぶん、日本人団体旅行客向けの特別サーヴィスだろう。 

5月2日(月)     *アンヌボア城のフランス式庭園、ルクセンブルク国会議事堂の衛兵

 本日はまずバスに乗ってアンヌボア城のフランス式庭園を見物に行く。 アンヌボアはベルギー南部の、フランスとの国境に程近い古城で、むかしは伯爵が住んでいたそうであるが、今は住人はいないらしい。 そこにいくまでムーズ河畔をしばらく走るけれど、この川沿いの風景が実にすばらしい。 伯爵様のお城は無理としても、こんなところに住んでみたいと思ってしまう。

 目的地の庭園がまたすばらしかった。 フランス式の幾何学的な庭園だが、実に見事で魅力的である。 庭の中には美しい花々や白鳥などの鳥も多い。 日本では白鳥というと渡り鳥で、新潟県でも瓢湖の白鳥が有名だが、ヨーロッパの白鳥は渡り鳥ではないのだろうか。 観光客におびえるどころか、「ここはオレのテリトリーだから出て行け」 と言わんばかりのふてぶてしい態度である。

 こういう庭がほしいけど、でも作るのには数十億単位のカネが必要だろうなあ。 維持費だってかなりかかりそうだし。

 ・・・・なんてことを思いながら次の目的地デュルビュイに。 ここは昔の街並みが残っていることを売り物にしている小村である。 たしかに石造りの古めかしい家が狭い路地に並んでいるのは珍しいけれど、全体にこぢんまりした観光地という印象で、建物はほとんど店舗やホテルばっかりで、しかも訪れたのが午前中のせいもあり閉まっている店が多くて、印象は芳しくなかった。 ここには昼食を含めて午後1時までしか滞在しないのであるが、或る食品店のウインドウ越しにワインやちょっと魅力的な食べ物を見つけて、入ろうとしたらドアが開かない。 店内の灯りはついているのにと首をかしげていたら、近くにいた住民らしい人がドアの脇の紙切れを指さしてくれた。 フランス語で、月曜は午後1時30分から8時までの営業と書いてあるようだ。 商売気がないなと、ちょっとあきれた。

 その後この村のレストランで食事。 私が頼んだ修道院のビールが結構うまかった。 修道士の作るビールだから禁欲的な味がするかというと、そんなことはなく、味の濃いおいしいビール。 修道士は普段からこういううまいものを飲んで天国にいけるのだから、結構楽な商売かもしれないな、と思う。

 午後はまたバスに乗りルクセンブルク市見物に行く。 ルクセンブルクは国としては小さいし、ルクセンブルク市も街としてさほど大きくはないが、深い谷間沿いに屹立するように街があるのが印象的。 また、大聖堂の規模は司教座があるだけあって相当なものだ。

 しかしその近くにある外務省などの中央省庁や首相官邸が、非常に無防備で観光客がすぐ庭先を通っていいようになっているのが、牧歌的。 国会議事堂前には一人だけ若い衛兵がいて、小銃を持って行ったりきたりしている。 われわれの団体がそばを通るとき、中で若い女の子のペアが衛兵に近づいていって一緒に写真をとったら、うれしそうに微笑んでいた。 それにしても銃を持つ衛兵に平気で近づいていく日本の若い女の子は、世界一無鉄砲な存在かもしれない。

 ちなみに、われわれの団体は添乗員を除くと23名だが、日本はカップル文化国でないのを反映してか、夫婦参加は私たちを入れて2組しかない。 あとはオバサン同士や若い女の子同士の友達ペア、姉妹ペア、単独で参加の老婦人や中年男性や若い女性、中年婦人とその息子と娘という3人組、それに老婦人と中年の息子というペアも2組。 男性は、夫婦で参加した2人、単独参加の中年男性2人、中年婦人の息子 (大学生だそうである)、老母と参加した中年男性2人の合計7人。 圧倒的に女性が多い。 多くは首都圏在住だが、単独参加の若い女性は北海道在住で一番遠く、多分その次が新潟から参加のわれわれ。 ほかに栃木や静岡の方もおられた。 年齢は大学生から80代の老婦人までで、子供はいない。 と言うと連休とはいえ学期中だから当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、最初に泊まったホテルのインド人団体客の中にはどう見ても学童期と思われる子供が何人かいたのである。 インドの学校は5月は休みなのかなあ、それともサボって来たのか。

  本日の夕食は、ルクセンブルク市内の中華料理店。 ふだんの私はさほど中華料理好きではないが、ヨーロッパにいて洋食が続いた後中華料理だと何となくほっとする。 だいいち、お茶が無料で出てお代わり自由というのがいい。 お茶や水が無料というのは、日本料理や中華料理のきわめて優れたところだと思う。 水すらカネを出して頼み、料理が終わる前に飲みきってしまわないかと気遣わねばならないヨーロッパの料理屋は、少し東洋文明を見習ってはどうか。 なお、大きな魚を焼いたのが出たけど、味はニジマスに似ていて、川魚かとも思ったがコイではなく、客の間でも何という魚なのか分かった人はいなかった。

 夕食後、タクシーを頼んでコンサートに向かう。 コンサート会場は本日のホテルの近くなので、最初はホテルに向かうバスから途中下車するつもりでいたが、夕食の時間が予定より遅くなったので、せっかくのヨーロッパでのコンサートが無駄にならないようにとタクシーを頼んだもの。 中華料理屋から会場までは10ユーロ (約1200円) だった。

        *クリスティーネ・シェーファー・リサイタル     

  パックツアーには組み込まれていなかったが、あらかじめ自分でネット経由でチケットを調達し、夜8時からルクセンブルク市のフィルハーモニー・室内楽ホールで表記のリサイタルを聴く。 チケットは1人40ユーロ (約5千円)。 前から4列目の左端の座席。

 ルクセンブルク市のフィルハーモニーは、街の中心からはやや離れた、しかしEU関連の施設などが立ち並ぶ一角にある。 外見は近代的なギリシャ神殿といったところで、荘厳な感じ。 大ホールなど複数のホールが入っている音楽施設だが、この日入場した室内楽ホールは定員300人弱ほどの、新潟市で言えばだいしホール相当のホール。 しかしもともと音楽専用に作られているので、舞台は奥行きが深く、客席も傾斜が急。 私は4列目で聴いたわけだが、立って歌うシェ―ファーのウェストのあたりがこちらの目とほぼ同じ高さ。 ホールの構造が面白く、巻貝を立てたような形状になっている。 ロビーからは左回り (時計の針と逆回り) で階段を降りていき、やがてホールに着くのであるが、ホールの天井も巻貝の形状そのままで、舞台天井も右上から左下に向けて斜めに傾斜がかかっている。

 ソプラノ=クリスティーネ・シェーファー
 ピアノ=エリック・シュナイダー

 プログラム
  マーラー:「少年の魔法の角笛」より”ラインの伝説”
  同   :「若き日の歌第2集」より”私は緑の野辺を楽しく歩いた”
  同   :「少年の魔法の角笛」より”死んだ鼓手(起床ラッパ)”
  バッハ(G・C・シェメリ編):「主イエスよ、汝はかくも長くいずこに?」BWV484より、第1連
  マーラー:「少年の魔法の角笛」より”この世の営み”
  バッハ(G・C・シェメリ編):「主イエスよ、汝はかくも長くいずこに?」BWV484より、第2連
  マーラー:「少年の魔法の角笛」より”トランペットが美しく鳴り響くところ”
  バッハ(G・H・シュテルツェル編):「汝、われと共にあらば」BWV508
  マーラー:「少年の魔法の角笛」より”原光”(現在は第2交響曲の一部とされ、「少年の魔法の角笛」に含めない場合が多い)
  (休憩)
  フーゴー・ヴォルフ:「メーリケ歌曲集」より
   25番”眠れる幼児キリスト”
   6番”今こそ春が”
   18番”四月の山黄蝶”
   8番”出会い”
   13番”春に”
  アントン・ウェーベルン:「シュテファン・ゲオルゲ『第七の輪』による5つの歌曲」op.3
   ”これは君一人のための歌”
   ”風の織りなす中で”
   ”小川のへりで”
   ”朝露の中に”
   ”裸で木は伸び” 
  フーゴー・ヴォルフ:「メーリケ歌曲集」より
   26番”聖週間”
   15番”さすらいて”
   24番”明け方に”
  マーラー:交響曲第4番より第4楽章
  (アンコール)
  マーラー:「少年の魔法の角笛」より”高き知性への賛歌”
  ウェーベルン:”両目を閉じて”

 シェーファーは2002年に新潟市のりゅーとぴあでリサイタルを開いている。 私はそのとき、チケットをあらかじめ購入しながら当日度忘れしていて行かないでしまう、という前代未聞の失態をやらかして、聴きそびれていた。 今回のリサイタルでようやく生の彼女に会うことができた。

 もっとも、このリサイタルは本来は昨年11月に予定されていたのが、彼女の病気のためこの日に延期になったとのこと。 とはいえ、そのせいで私もルクセンブルクの音楽会を体験できたので、こちらとしてはありがたい延期ではあった。

 シェーファーというと若い頃の、男の子みたいな短髪に顔つきもやせている写真が出回っており、ボーイッシュな感じの人という印象が強かった。 今回のパンフにもその写真が使われていたのだが、登場した彼女を見るとくだんの写真とはかなり異なっており、髪は長く伸ばしてはいないがそれなりに豊かに頭部をおおっており、ほおもふっくらして、熟女の色気が満開といったところ。 もっともウェストもふっくらしていたが(笑)。 後で調べたら、彼女は1965年生まれで46歳、すでに夫に先立たれているものの二児がいるそうである (ドイツ語版ウィキペディアによる)。

 さて、この日のプログラムはマーラーを中心とした構成になっている。 マーラーは今年が没後100年なので記念の意味があるのであろう。 そのマーラーを核に、バッハとヴォルフとウェーベルンを含めた、さしずめ 「古典と現代」 といった選曲だろうか。 彼女なりに考え抜いたプログラムなのであろう。 パンフレットには、「前半での途中の拍手はご遠慮いただきたい」 と記されていたが、これもプログラムの一貫性を保つためだろう。

 シェーファーの歌は、最初はやや神経質な感じだったが、だんだん調子に乗ってきて、それぞれの作曲家の特質をよく表現していたと思う。 過度に繊細になりすぎず、かといってドラマティックにもなりすぎず、良い意味で中庸を得た歌唱であった。 曲の長さからしても、最後のマーラー第4交響曲第4楽章が圧巻。 ピアノのシュナイダーは、生年は未詳ながらたぶん三十代半ばから四十歳くらい。 ニュアンスに富む、しかしピアノのふたは少ししか開けず、鍵をがんがん叩くような真似もせず、あくまで歌手の引き立て役に徹した演奏だった。

 アンコールの2曲目で、曲名の紹介がシュナイダーからあり、「私たちも両目を閉じます」 と言ったので、聴衆からはどっと笑い声が。 なかなかしゃれた締めくくりだなと感心しながら、会場を後にした。

5月1日(日)     *ダメなホテル、死都ブルージュ

 朝起きて、7時15分頃にホテルの朝食室に朝食を取りに行ったら、追い出された。 バイキング方式だが、席をとろうとするとどこに行っても係員に 「ここは予約席だ」 と言われる。 前夜、添乗員のS氏から聞いた説明では 「朝食はいちおう7時半だが、それ以前でも構わない」 とのことだったはずだが、どうなっておるのか。 結局、7時半まで待ってわれわれ団体用の狭苦しい座席に押し込められる。

 そのときはS氏の説明がいい加減なのではと立腹したが、後で考えるとホテル・フロントと食堂現場担当者の意思疎通がうまく行っていないのではないかと思い至った。 現場が変に自己主張しがちなのはヨーロッパではよく見られること。 また、このホテルは客室数に比べて食堂のスペースが明らかに狭すぎる。 だから 「この団体は何時から何時30分まで、ここの席で」 と決めてかからないと機能しないようになっているのだろう。 要するにインフラからして不備なのである。

 ちなみに、朝食バイキングもあまり感心しなかった。 まず野菜が全然ないのに驚く。 仕方がないからフルーツで代用。 ハムや焼きベーコンはやたら塩辛い。 紅茶はあるが、紅茶用ポットの用意がない。 4つ星ホテルのくせに、これでいいのか。 昨年9月にウィーンで7連泊した3つ星ホテルには野菜も紅茶ポットもちゃんとあったぞ。

 これに限らずこのホテル (RAMADA BRUSSELS という) は首をかしげるところが多かった。 できてあまり経っていないらしく新しいのと部屋が広くて天井も高いのはいいのだが、それ以外はほめるところがない。 ベッドは80センチしか幅がなくて寝にくいし、部屋にはソファーも荷物置きもない。 書き物机と椅子ひとつ以外には、かろうじて立法体の椅子らしきものがあるだけ。 或いはこれが荷物置きなのか。 冷蔵庫や湯沸しポットなども置いていない。

 バスルームは広くて洗面台が2つあるのはいいが、この洗面台がきわめて使いにくいのだ。 すり鉢状で、前方から伸びている水道管がちょうど中央の排水溝の真上で直角に曲がって下に隆りている。 つまり、顔を洗おうと思ってもこの水道管が邪魔になって顔を洗面台の真上に置くことができないという代物。 「考えてない」 のである。

  また、部屋は1階だったが、すぐ前の庭に終夜煌々と光を放つライトがおかれている。 おかげでカーテンをしめても部屋に光が入ってきて、寝るのに差し支える。 これまた 「考えてない」 わけである。

  さらに、このホテルには2連泊したのだが、本日の日程を終えて帰ってきて、あらかじめ渡されていたカードで部屋のドアを開けようとしたら開かない。 どうやらカードの暗証を変えたらしいのだが、なぜ同じ客が同じ部屋に連泊するのにカードの暗証を変えなければならなのか分からない。 しかもそのことをあらかじめ通知されていないのに。 どうもフロントもあんまり有能ではないようだ。

 団体客が多いらしく、インド人の団体も来ていたが、彼らのうるさいこと! 廊下で精力的にしゃべりまくっている。

 というわけで、このホテル、お薦めできません。

 ・・・・と、出だしから躓いたようなかっこうになってしまったが、本日最初にバスで出かけたブルージュはよかった。 ブルージュというと、私なんぞはすぐローデンバックの 『死都ブルージュ』 を思い出すのだが、いや、死んでませんでした。 落ち着いた美しい街です。 何より、街なかに張り巡らされた水路を通る運河クルーズが最高。 古く美しい街並みが堪能できる。 (団体旅行でなく単独でこの街を訪れる人にも絶対お薦め!) 惜しむらくは団体旅行の弊害で滞在時間が短かったこと。 このあと午後はゲント市観光に出かけたのだが、こちらはあまり印象に残らず、むしろブリュージュに丸1日かけたほうがよかったと思った。 市内の美術館も素通りだったのが惜しい。 ちなみに中国人団体客は今は珍しくもないが、タイ人の団体も見かけた。 タイも順調に経済発展を遂げてるんだろうなあ。

 夕食は、あらかじめのふれこみでは、「ムール貝の白ワイン蒸し」 とのことであった。 これだけだといかにも洗練されたフランス料理か何かと思われそうだけど・・・・・・ムール貝とは、要するにカラス貝のことである。 カラス貝は、日本ではいちおうは食べられるけど店で売るような食材とは考えられていない。 出てきたのは直径20センチ、高さ25センチくらいあるかと思える黒い円柱形の容器。 ふたをとると、中に蒸されたカラス貝が殻をつけたままどっさり詰まっている。 これをいちいち殻から取りながら食べるのである。 

 最初は一つ一つ食べていたのだが、少し食べてから底を見ると、セロリ入りのスープが入っている。 ははあ、と思った。 本来は殻を取って中身をこのスープにつけて食べるのではないか。 それで途中から殻を取ったら中身は底に沈めるようにした。 こうして食べると、スープのセロリの癖の強さが、カラス貝の洗練されない臭みを打ち消して、まあまあおいしくいただけますね。 でも、これはいわゆるひとつの郷土料理、じゃないだろうか。 日本なら外国の客に納豆をいきなりだすのとあまり変わらないような。

 実際、一緒に来た団体客の中にはこの料理に音を上げた人もいて、最初少し食べてやめてしまったり、カラス貝の臭みを消そうとして 「ケチャップください」 なんて注文したりしていた。

 ヨーロッパではレストランで料理を注文しても水は自動的には出てこない。 水でもビールでもカネを出して注文しないと出てこない。 家内は、昼間の食事で私が頼んだ白ビールを少しだけ味見したところ飲みやすかったので、この夕食では最初から白ビールを注文した。 ところが、である。 昼間の白ビールはおそらく自家製で、最初からグラスに入って出てきたし、アルコール度数も低めだったので飲みやすかったのだが、この店では瓶入りのものが出てきた。 これはアルコール度数も普通のビールよりやや高く、飲みにくいというので、家内は私に半分回してくれてラッキーだった(笑)。 この白ビールは4ユーロ (約500円) だったのであるが、団体で一緒に来て隣にすわっていた品のいい老婦人が、「この白ビールは東京のホテル・ニューオータニのレストランだと千円するんですよ」 と教えてくださった。 うーん、なるほど、この方はふだんからホテル・ニューオータニのレストランで食事をなさっているのであろう。 私なんぞはホテル・ニューオータニには足を踏み入れたことすらない人間だから、勉強になりました。

4月30日(土)     *2年遅れの銀婚式記念旅行

 本日、成田空港から某社のパックツアーでベネルクス3国旅行に家内と出発。 銀婚式記念ではあるが、銀婚式自体は2年前であった。 諸般の事情で旅行のほうが遅れたもの。

 成田空港集合が午前9時なので当日新潟を出ていては間に合わず、前夜は成田のホテルに宿泊。 アパホテル京成成田駅前である。 朝食付きでツインが8400円と安い。 部屋は、ベッドが大きめなのはいいが、ここに宿泊する客は成田空港経由で海外旅行をする人が多いだろうことを考えると、もう少しスペースが欲しいところ。 家内と二人でスーツケースを広げると余裕が残らない。 朝食はバイキングだけど、和食のみでパンがない。 これも私のように朝はパンと決めている人間からすると、ちょっと、である。 しかしホテルから成田空港までの無料送迎バスがあるのがいい。 ホテルから15分で成田空港第2ビルに到着。 バスに乗る前に客のスーツケースを積み込む作業を中年男性と若い女性がやっていたので、てっきり中年男性が運転手で若い女性はアシスタントかと思ったら、実際はその逆であった。

 成田空港に集まったツアー客は23人。これに添乗員S氏を加えた24名がフィンランド航空の飛行機でまずヘルシンキに向かい、そこで乗り換えて同じくフィンランド航空機でブリュッセルへ。 ヘルシンキで入国手続きがあるが、今までの私の体験ではこういう時にはパスポートとチケットを見せれば何も言われないものだったと思うのだが、ここの係官はうるさくて、英語で質問をしてくる。 私は何日ヨーロッパにいるのかと問われただけだったが、家内は他にもいくつか質問をされた。 一行のうちかなり年の行った婦人が係官につかまったのか一向に出てこず、添乗員のS氏が心配して駆けつける一幕もあった。 こういうことがあると、フィンランドの人間は陰湿なのではないか、と思ってしまう。

 成田空港から飛行機が出たのが午前11時。 10時間でヘルシンキ空港へ。 乗り換え時間が約1時間半。 それからまた2時間半ほど空の旅をしてブリュッセルに着くと、現地時間は午後6時頃。 空港で荷物を受け取って外に出ると午後7時くらいだが、こちらの午後7時はまだ明るい。 ホテルに着いたのが午後8時くらいだが、それでも明るい。 しかし日本時間では一夜を過ぎた早朝の時刻なので、早々に寝てしまう。

 

 

 

 

 

 

 

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