音楽雑記2010年(3)                           

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  音楽雑記2010年の5月1日まではこちらを、5月2日から8月末日まではこちらをごらん下さい。

 

12月30日(木)     *最近聴いたCD

 *セザール・フランク: オルガン作品全集第2巻 (audite、91.519、2004-2005年録音、ドイツ盤)

 長らく教会のオルガニストを勤めながらオルガン作品を書いていたフランクの、ハンス=エバーハルト・ロス演奏によるオルガン作品全集全3巻のうちの第2巻、2枚組のSACD。 録音はメミンゲン (南ドイツ) の聖マルティン教会のオルガンにて。 ここには、彼の死後発表されたハルモニウムまたはオルガンのための作品集全43曲が1枚目全部と2枚目の初めのあたりを用いて収録されている。 全43曲がレコーディングされたのは初めてだそうである。 2枚目の残りには、大オルガンのための3つの作品 (この曲は比較的録音が多いはず) を始め、短めの曲がいくつか収録されており、その中には (ハルモニウムでなく) オルガンとしては初録音の作品も含まれている。 フランク晩年の、自由自在の境地にたっしたオルガン作品を聴いていると、芸術の自由がここにあるという気持ちが強くしてくるのである。 こういう曲たちが今まで一部でも録音されずに来たというのが、不思議。 おまけにジャケットにも "Unrecognised Greatness" って書いてあるじゃないですか。 世の中、埋もれている作品はまだまだありそう。 そしてこういう作品の真価を、若い頃の吉田秀和がすでに 『セザール・フランクの勝利』 の中で指摘していたことに、私は改めて驚嘆するのである。 最近HMVからネットを通じて購入。

 

*スタンフォード: 交響曲第4番&7番 (NAXOS、8.570285、2006年録音、EU盤)

 前回 (12月10日を参照) に引き続き、ナクソスのスタンフォード交響曲全集を取り上げる。 今回は第4番と第7番。 しかし感想は前回とあまり変わらない。 部分的にはいいなと思える箇所もあるのだが――例えば第4番の第3楽章の一部分――全体としては平凡な楽想に終始しており、まとまりもあまり良いとは思われない。 第4番の第3楽章にしてもいいと思えるところが長続きしないで、凡庸な流れに変わってしまう。 演奏は前回と同じくディヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮のボーンマス交響楽団。

Stanford: Symphonies, Vol. 1 (Nos. 4 And 7)

12月29日(水)    *今年度のコンサートベスト10

 今年は合計50の演奏会に行った。 アマチュアを含めてではあるが。 その中からベスト10を選んでみた。  順位なし・日時順で下記の通り。 なお、国内での演奏会に限定している。

 ・1月6日 ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤー・コンサート2010(りゅーとぴあ)  楽しめるコンサートだった。
 ・2月6日 東京交響楽団第57回新潟定期演奏会(りゅーとぴあ)   河村尚子さんのモーツァルトのジュノム協奏曲と飯森さんの指揮によるカルミナ・ブラーナ。積雪がひどいなか苦労して聴きにいった甲斐があった。
 ・3月20日 南紫音ヴァイオリンリサイタル(市川市文化会館)  江口玲氏とのコンビによるリサイタル、最高!
 ・4月30日+5月1日 ピーター・ウィスペルウェイ: バッハ無伴奏チェロ組曲連続演奏会(りゅーとぴあ能楽堂)   ラ・フォル・ジュルネ新潟における白眉の演奏会。
 ・5月29日 R・シュトラウス『影のない女』(新国立劇場)  今年いくつか聴いたオペラの中で最も良かった。
 ・6月4日 ケマル・ゲキチ ピアノコンサート(りゅーとぴあ)   絵になり花のあるピアニストである。
 ・6月19日 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団第22回ティアラこうとう定期演奏会    三ツ橋敬子さんの指揮(イタリア交響曲)と小野明子さんの独奏ヴァイオリン(スペイン交響曲)がいずれも印象的。
 ・7月10日 東京交響楽団第60回新潟定期演奏会(りゅーとぴあ)   スダーンによるブルックナー第9+テ・デウムは言うことなし。
 ・12月9日 西本智実+ミッシャ・マイスキー+ラトビア国立交響楽団(りゅーとぴあ)  新潟の外来オケ演奏会として非常に充実していた。
 ・12月22日 ゲルハルト・オピッツ ピアノリサイタル(りゅーとぴあ)  ベートーヴェンの有名なピアノソナタ4曲という充実したプログラムは今どき珍しい。演奏の良さは言うまでもなし。 

 (この他、ベスト10に入れたかった演奏会)
 3月19日 読売日本交響楽団第524回名曲シリーズ(スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、サントリーホール)
 4月17日 井上静香+成嶋志保:「耳で聴く風景」第3回(だいしホール)
 6月18日 新日本フィルハーモニー交響楽団・新クラシックへの扉・第7回(ペク・ジュヤン独奏、梅田俊明指揮、すみだトリフォニーホール)
 6月18日 東京交響楽団第579回定期演奏会(マーク・ウィグルスワース指揮、庄司紗矢香独奏、サントリーホール)
 6月27日 読売日本交響楽団第173回東京芸術劇場名曲シリーズ(ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮、東京芸術劇場)
 8月26日 TOKI弦楽四重奏団 with ハープ(音楽文化会館)

 それから、9月下旬にウィーンで聴いた演奏会の中では、ブダペスト祝祭管弦楽団の演奏会が最も心に残るコンサートだった。

12月24日(金)     *新潟大学クラシックギター部第47回定期演奏会

 本日はクリスマスイブだが、夜6時半からの標記の演奏会に出かけた。 音楽文化会館。 学生からチケットを買った、いや、買わされたので。 といっても前売りで400円だけど。 新大のこのクラブの演奏会は初めてである。 客の入りは半分くらいだったろうか。

 第1部(合奏―ポピュラー)
  恋人たちのクリスマス(マライア・キャリー)
  銀河鉄道999(ゴダイゴ)
  天体観測(Bump of Chicken)
  白い恋人たち(桑田圭祐)
  アジアン・ドリーム・ソング(久石譲)
 第2部
  『四大元素』より「大地」「水」(四重奏)(Francis Kleynjans)
  ザ・エンターテイナー(一年生合奏)(スコット・ジョップリン)
  デイドリーム・ビリーバー(一年生合奏)(ザ・モンキーズ)
  東風―Tong Poo―(四年生合奏)(坂本龍一)
  そのあくる日(独奏・門田和幸)(Rey Guerra)
  ハンガリー幻想曲(独奏・門田和幸)(Johann Kaspar Mertz)
 第3部(合奏―クラシック)
  ラデツキー行進曲(ヨハン・シュトラウス1世)
  『ペール・ギュント第1組曲』より「朝」(グリーグ)
  ハンガリー舞曲第5番(ブラームス)
  天国と地獄(オッフェンバック)
  (アンコール)
  2曲 

 ギターの演奏会にほとんど行かない私。 こないだ行ったのは、私の記憶違いでなければ、たしか新潟に来てあまりたっていない1980年代、この音楽文化会館で荘村清志が演奏会を開いたときに行ったのが最後。

 ギターの合奏というのもですから初めてだが、もともと音量があまりないギターは数十人の合奏で音量が増えるのかと思いきや、案外そうでもないのである。 ギターにもプライムギター、アルトギター、バスギターと種類があるのも初めて知った。 これにコントラバス (普通に弓でこすって演奏する) が2〜3台加わる。

 曲としては、4年生合奏でやった 「東風」 が面白かったかな。 原曲を知っている曲の場合はどうしても原曲の記憶があるので、必ずしも十分には楽しめなかった。

 途中で祝電披露や部長挨拶があるのは吹奏楽部の演奏会と同じ。 この辺、かなりパターン化がなされているのかも。 新大でも管弦楽団ならふつうのクラシックコンサートのように黙って部員が登場し黙って演奏をするわけだが、これは学生の音楽クラブとしては異例なのかもしれない。

 クリスマス・イヴの演奏会ということで、最後には指揮者がサンタの服装でアンコールをやるサービス。 午後6時開演で途中2回休憩があり、終演は9時。 演奏する側も大変だったろうと思う。 ご苦労様でした。

12月23日(木)    *「お客様は神様です」は教育界には不適切と、理の当然のことを言う鹿島茂は貴重

 昨日の毎日新聞の 「引用語辞典」 に鹿島茂が至極当然のことを書いている。 (この記事、ネット上の毎日新聞には載っていないようなので、紙媒体をごらんください。 新潟版では12月22日付けですが、首都圏などでは異なっているかも知れません。)

 少子化で日本の大学は学生のご機嫌取りに走っている。 その結果どうなるかというと、お客様は神様ですという原理により、学生に人気のない科目は削減され、お子様向けの科目だけがはびこるようになる。 そうやって教育された学生が企業に就職すると、お客様意識で働くから、お客様のために働かなければならない企業側の論理とは合わず、結局まともな仕事に就けなくなる、というのである。

 ・・・・と要約すると簡単そうだが、実際にはデュルケムを引用してもう少し説得的に書いているから、興味のある方は毎日新聞をごらん下さい。

 今さらこういう発言をここで引かなければならないのは、言うまでもなく現在の日本の大学、特に文系が逆の方向に走っているからだ。

 こういう時代にあっては、当たり前のことをはっきり言える大学教師すら貴重になっているのである。 鹿島茂はさすが一流だけあって、当たり前のことを当たり前に言っている。 古典だって昔はサブカルだったのだ、なんて学生に受けそうな発言をしている大学教師とは格が違うと言うべきであろう。

12月22日(水)     *ゲルハルト・オピッツ ピアノリサイタル

 本日は午後7時から標記の演奏会を聴きにりゅーとぴあに出かけた。

 会場に入ると、先日のラトビア響と似たような客の入り。 つまり、3階脇席 (FGHJKLブロック) と1階の入りが良く、3階正面は前の2列以外はがらがら。 2階正面も後ろの方はがらがら。 2階脇席は、鍵盤の手の動きが見えるからということか、左側のDEブロックはまあまあだったが、右側は入りが悪い。 特にAはさっぱり。 後ろのPブロックは結構入っていた。

 私は 「なるべく清貧」 中なので一番安い3000円のBランク席で、Hブロックの最後尾。

 オール・ベートーヴェン・プログラム

 ピアノソナタ第8番 「悲愴」
 ピアノソナタ第14番 「月光」
 (休憩)
 ピアノソナタ第17番 「テンペスト」
 ピアノソナタ第23番 「熱情」
 (アンコール)
 ピアノソナタ第18番から第4楽章

 今どき珍しい正統的なプログラム。 こういうプログラムを組めるのもオピッツならではか。 彼の演奏は以前東響新潟定期でブラームスのピアノ協奏曲を2曲聴いたが、リサイタルは初めてで、期待が大であった。 また、その期待を裏切らない演奏会だった。

 しっかりした打鍵とよく通る音。 オーソドックスで奇をてらわない解釈。 こういう演奏を聴いていると、昔、大学に入って間もなくクラシック音楽に凝り始めた頃のことを思い出す。 ベートーヴェンのいわゆる3大ピアノソナタのディスクを初めて買ったのは、神戸の通信販売業者から。 こちらは学生でカネがないのに何枚かまとめてでないと注文できなかったので、複数の友人と一緒に申込み、私はバックハウスのステレオ録音の方のベートーヴェン3大ソナタ集を買った。 デッカ盤のLP (70年代ですから当然) で、これはまた私が初めて買った外盤でもあった。 デッカ盤の音質のよさは、私の安いステレオでも十分分かったものである。

 ・・・というような昔のことを思い出しながら聴いた。 私的には 「テンペスト」 が良かったかな。 テクニック的には第1楽章で 「あれ?」 と思う箇所もあったのではあるが、この曲の幻想的でロマンティックなところを前面に出していて、他の3曲がどちらかというと古典的な解釈だったのに比べると能動性を感じた。

 演奏会終了後サイン会があったので、「テンペスト」 が含まれているCDと、最後の3つのソナタが入っているCDとを買い、演奏会の記念にということなので前者にサインしてもらい、握手もしてもらった。 大満足である。

12月18日(土)     *新潟大学付近から第四銀行が消えていく

 新潟県には地元の地方銀行が3つある。 第四銀行、北越銀行、大光銀行である。 このうち最も規模が大きいのが新潟市に本店がある第四銀行で、名前からしても歴史の古さを感じさせるし、預金額・総資産額では全国の地銀中18位に位置しており、地銀を上中下に三等分するなら上位行に属している。

 その第四銀行が新潟大学付近から消えて行っている。 新潟大学の五十嵐キャンパス前には、以前は第四銀行の支店があった。 何人かの行員が常駐している支店である。 それが10年ほど前に、無人の営業所に切り替えられた。 ATMはあるが人がいないので、カネを下ろす分には不便はないが、少し手間のかかる業務になるとできない。 そうなると、最も近い内野支店か寺尾支店まで行くしかない。 内野支店だと徒歩15分はかかる (バスはない)。 寺尾支店だとバスになる。

 しかし、この冬、ついに営業所までもが消えてしまった。 廃止になったということである。 学内にはATMが2箇所 (生協書籍部の前と、ローソンの中) に1台ずつあるが、それだけである。 郵便局はそれに対して、数人の局員が常駐している新潟大学前郵便局がちゃんとあるし、ATMも5台設置されている。

 新潟県随一の高等教育機関である新潟大学の、教員・職員を含めれば約1万人が活動している五十嵐キャンパスに、第四銀行はずいぶん冷淡な態度をとっていると言わざるを得ない。 新潟県のトップバンクとしてはいささかお粗末ではあるまいか。

 もっとも、他の銀行のことに触れないのは不公平ではあろう。 以前は北越銀行も大光銀行も生協書籍部前にATMを設置していたのだが、今は両行とも撤退し、第四銀行のATMが引き出しに関しては他行のカードでも可ということになっている。

 だからまあ、或る程度の責任は果たしていると言えなくもないが、郵便局に比べた場合の差ははっきりしている。

 第四銀行にも言い分はあろうが、古町付近のように人通りが減っている地域から支店をなくしたりATMを減らしたりするのは分かるけど、新潟大学五十嵐キャンパスは人口が減ってはいないのである。 

 民営化=万事を解決する万能薬、みたいな言われ方がしたのは小泉首相+竹中経済相のころだからもう昔のことだけど、新潟市の銀行事情を見る限り、民営化バンザイ理論はとうに破綻していると言うしかないだろうな。

12月16日(木)     *寄付

 ボーナスも出たので、本日、ユニセフと国境なき医師団とにわずかながら寄付をしました。 (なぜわざわざ自分の寄付行為について書くかは、2005年7月29日の記述をごらんください。)

12月15日(水)     *三浦信孝+西山教行(編著)『現代フランス社会を知るための62章』(明石書店)

 タイトルの本が出版された。 編著者のお一人である西山先生が送って下さったものである。

 外国文化研究も、かつてに比べると多様になっている。 私の学生時代、つまり1970年代には圧倒的に文学研究であり、近代作家やその作品を論じる形態が多数を占めていた。 それに比べると、現代の文化研究は複雑で多様になっており、また社会の急激な変遷を視野に収めた上で、自分(日本に住んでおり研究対象からすれば外国人である自分)との関わりを慎重に見定めながらものを言っていかねばならないという点で、かつてよりはるかに 「教養」 が要求されるようになっているのだ。

 この書物は、文学や音楽はもちろん、モード、マンガ、スポーツなどの文化現象全般、そして旧植民地や文化的多様性、外交、アメリカとの関係、移民、人種差別、郊外、社会保障、農業、租税、などなど、実に幅の広い領域について簡潔で本質的な説明がなされているので、現代のフランスを知るためにはたいへんに便利な一冊と言えるだろう。

 

12月12日(日)     *故・原研二氏宅訪問

 学生時代ドイツ文学研究室で私の1年先輩だった原研二・東北大教授が一昨年の秋に病没されたことはこの欄にも書いたことがある。 その葬儀に出て以来、線香をあげにいく機会がなかったが、今回は昨日の記念パーティで仙台に来ているので、本日は午前中に原さんのお宅を訪問する。 無論、奥様にはあらかじめ電話でその旨を連絡してある。

 もっとも原さんのお宅に行くのは初めてである。 仙台北部の新興住宅地なのだが、仙台の郊外の道路ってのは札幌だとか名古屋みたいに整然としておらず、分かりにくい。 あらかじめGoogleの地図をプリントアウトしたものを持参したのだけれど、行ってみたら地図と道路が明らかに不整合で、あとで聞いたら最近できたばかりの道路だそうなのだが、こういうのも困ったものだ。 途中で分からなくなって通行人に道を尋ね、どうにか約束の10時半少し前に目的地に着く。

 猫が2匹いる。 そのうち1匹がなぜか私に人なつこく寄ってくる。 奥様の話だと、アメリカ原産の血統書つきだそうで、日本の普通の猫よりやや大きい。

 原さんのご長男も挨拶に来てくださった。 大学卒業後、仙台で就職して3年になるという。 このほか、地元の私大生であるお嬢さんもいるが、この時は在宅していなかった。

 奥様は、意外なことに原さんと一緒に外国に行ったことはなかったそうだ。 原さんは若い頃に2年間留学し、その後も学会などで海外渡航する機会が多かった人だから、奥様もご一緒したのかとばかり思っていたが、新婚旅行で西日本に行った以外には、一度小樽に旅行したことがあるだけだそうである。 これからだと思っていましたのに、とおっしゃる奥様の言葉に私もうなずいた。

 原さんは酒もタバコもやらない人だったが (酒は体質的に飲めなかった)、それで60前に逝ってしまうのである。 人間、健康にいいことばっかりやっても長生きできるとは限らない。 好きなことをやって生きた方がいいのである。

 近所に住んでいる島途健一さんも来て下さった。 島途さんはやはりドイツ文学研究室の先輩で、東北大教授。 臨川書店から出ている新しいヘッセ全集の仕事をされ、引き続き今度はヘッセ・エッセイ全集の仕事を担当されている。 しかし、大学内部の話となると景気のいい話題は出ない。 いずこも同じなのだ。

 12時頃においとました。 また機会があれば線香をあげにいくつもりだが、その機会がいつ来るかは不明である。 

12月11日(土)    *東北大学川内卓球同好会創立50周年記念パーティ

 午前10時少し前にクルマで仙台に向かって出発。 新発田までは新新バイパス、そこから日本海東北自動車道に乗る。 この高速道路、今年度中は無料なのだ。 これまでだと仙台にクルマで行く場合は新発田から内陸部を走る国道で関川に出ていたのだが、今回は高速道を荒川で降りて関川を通って南陽に抜ける。 南陽付近も、これまでだと山形に行く国道に接続する少し前から渋滞が出ていたのだが、その部分に新しい道路ができていて、時間があまりかからないようになっていた。

 途中、「道の駅いいで」 で掻き揚げそばを食ったら、この掻き揚げが注文してから揚げ始めるスタイルで、ボリュームもわりにあって、結構いける。 卵 (生とゆで、両方あって選べる) がついて、ネギも好きなだけ自分でかけることができて500円だから、安くはないが高くもないかなと思う。

 仙台に入って西道路から川内のトンネルを通って広瀬通に抜けるあたりはひどく渋滞していて、うんざりする。 墓参してからホテルに行く。 

 いつもは仙台ではホテルKKRを使うのだが、今回は満員で予約がとれなかった。 KKRでないときは昔はグリーンホテルを使っていたが、このホテルは少し前に廃業してしまい、今回は初めてのホテル・グリーンシティというのを予約したのだけれど、まず場所が分かりにくいのに閉口。 次に、部屋に入ったらタバコ臭い。 フロントに電話したが、禁煙ルームは空いてないと言われて、何というホテルだろうと思う。 もう二度と泊まるまい。

 (あとでたびゲーターのアンケートでその点に文句を書いたら、禁煙プランではないという返事が来た。 しかし喫煙プランでもないはずだ。 今どき客を勝手に喫煙ルームに入れるホテルの気が知れない。)

 というわけで、相変わらずの仙台の田舎っぽさに出鼻をくじかれた感じだが、今回の一番の目的は東北大学川内卓球同好会の創立50周年記念パーティに出ることである (川内というのは東北大の旧教養部と文系学部のキャンパスがある場所の地名)。 場所は広瀬通のパレス平安で、午後6時からと聞いていたのだが、5時半過ぎに行ったら、受付が6時からで開宴は6時半からだと言われたので、名掛丁や一番町をぶらぶら歩く。 繁華街がさびれている新潟と違って人通りが多い。 しかし店舗は私が学生だった頃と比べるとずいぶん様変わりしており、歩いていて本屋が一軒もなかったのにはちょっとびっくり。 昔あった高山書店だとかアイエ書店はいまいずこ? だが、一番町を歩いていたら、昔ながらの 「♪心優しい人だから、心ゆかしい贈り物」 なんてコマーシャルソングが流れていた。 40年間変わらずにきたんだねえ。 

  6時30分少し前に会場に入ったら、すでに司会の話が始まっていた。 司会は15期生の蔵本俊秀さんである。 私が11期生だから、4年後輩になる。 蔵本さんは富士通勤務のサラリーマンで、現在は東京で仕事をされているが、にもかかわらず今回のパーティの企画や連絡、出席者の確認などの作業に熱心に取り組んでこられた。 5年前の45周年パーティの時もそうであった。 こういう仕事を熱心にやっても別に得をするわけではない。 無私の精神がないとできないことである。 頭が下がる。

 私と同期の11期生は、私以外誰も来ていない。 しかし1年先輩の10期生は7人来ていた。 年齢は59歳になるが、話してみるとすでに第二の人生を歩き始めた人が多かった。 主将だった松渕さんは故郷の秋田銀行に勤めてそれなりの地位まで行った後、現在は秋田経済研究所の専務理事兼所長、副主将だった太田さんは長らくNEC勤務だったが現在は慶應大の特任教授、マネージャーだった笹木さんは富士通勤務を経て、現在は某特許事務所の次長で弁理士でもある。 理学部で勉学肌だった小山さんは、この種の行事には多分初めてで、私とはお互い大学院を出てから実に30年以上会っていなかったが今回は顔を見せ、財団法人である某研究所所長であると同時に某企業の研究所理事をも務めているという。

 そのほか、私の1年後輩の12期生は4人、2年後輩の13期生は5人来ていた。 その分11期生のふがいなさが目立つわけだが、なぜ11期生はふがいないのかについては、私なりの考えはあるが、差し障りもあるのでここには書かない。

 パーティは司会の蔵本さんの巧みさもあって順調に進み、途中記念写真の撮影もあり、2時間ほどでお開きになった。

 そのあと、12期生と13期生に誘われて2次会へ。 その飲み屋では隣室で17期生がやはり2次会を開いており、さすがに6年後輩となると私も顔や名前を知らないが、酒が入っていたのでお互い適当に出入りして、なかなか楽しい酒席となった。

12月10日(金)      *最近聴いたCD

 *サン=サーンス: 『アルジェリア組曲』&『黄色い王女』 (Chandos、CHAN9837、2000年発売、EU盤)

 授業で吉田秀和氏の 『セザール・フランクの勝利』 を扱っていて、そこにサン=サーンスの 『アリジェリア組曲』 が出てきたので学生に聴かせるべく、そして自分でも勉強すべく、HMVからネット購入したCD。 といっても、名うてのサン=サーンス嫌いである吉田氏のことだからクサしているのだが、それでもまあ聴いてみて損はない。 『アルジェリア組曲』は4曲から成るオーケストラ曲で、この作曲家らしい楽天的で分かりやすい作りの曲が並んでいる。 『黄色い王女』は、Louis Gallet' 原作による1幕のコミックオペラで、これまた分かりやすい音楽。 ジャポニズムが見られる作品だが、浮世絵の日本女性に西洋人が恋する話で、日本女性の実物は出てこない。 演奏はFrancis Travis指揮のSwiss Italien Orchestra、『黄色いプリンセス』の歌唱はソプラノがMaria Costanza Nocentini、テノールがCarlo Allemano。

Saint-Säens - Suite algérienne · La Princesse jaune / Nocentini · Allemano · Travis

 *スタンフォード: 交響曲第2&5番 (Naxos、8.570289、2006年録音、2007年発売、EU盤)

 今年度の東京交響楽団新潟定期演奏会に、アイルランド出身の作曲家であるチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード (1852〜1924) の交響曲第3番が取り上げられる予定である (演奏会は来年の2月)。 私はこれまでスタンフォードの交響曲を聴いたことがなかったが、これを機に聴いてみようと思い、数カ月前に新潟市内のCDショップ・コンチェルトさんから2回に分けて、NAXOSから出ているスタンフォード交響曲集を全部購入した。 その1枚がこれである。 演奏はディヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮のボーンマス交響楽団。 曲の作りは、オーソドックスというのか、古典派だとかブラームスのやり方をそのまま踏襲しましたという印象かな。 あんまり楽想の豊かさが感じられないが、私としては第5番の第4楽章が、わりに親しみやすいし良くできているのではないかと思った。

Stanford: Symphonies, Vol. 2 (Nos. 2 And 5)

12月9日(木)     *西本智実+マイスキー+ラトビア国立交響楽団     

 午後7時からの標記の演奏会を聴きにりゅーとぴあコンサートホールに出かけた。 一昨日の樫本大進ではりゅーとぴあ付近の駐車場が満車で民間駐車場にとめ、そのせいで800円かかったこともあり、また本日はこれ以外にも県民会館で催しがあるらしいので、早めに出かけ開演45分前に白山公園付近に着いたのであるが、りゅーとぴあと県民会館の駐車場はすでに満車で、陸上競技場にとめた。 まあ民間駐車場にとめるよりははるかにマシだが。

 西本さんは昨年も聴き、それ以前にも聴いたことがあるが、マイスキーとラトビア国立響は初めてなので、楽しみにしていた。 座席は3階Jブロック1列目、Bランク席で8000円。

 客の入りは、1階席はそれなりだが、2階席が悪い。 正面のCブロックですら半分弱。 その隣りのBブロックにいたってはプログラム前半3人、後半はゼロ。こういうのも珍しい。 Aブロックは後ろの方だけ客が入っていたが、多分値段の関係だろう。 舞台背後のPブロックも多少入っているという程度。 これに対して、3階席は結構入っていた。 特に脇のF・G・H・J・K・Lブロックは盛況。 3階脇はランクで言うとBとC (8000円と6000円) だろうから、やはり不況で安い席に人気が出ているのであろう。 私も 「なるべく清貧」 中なのでBランク、共感が持てる(笑)。

 ワーグナー: 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』前奏曲
 ドヴォルザーク: チェロ協奏曲
 (アンコール)
 チャイコフスキー: 『エフゲニー・オネーギン』から「レンスキーのアリア」(チェロ独奏+オケへの編曲版)
 (休憩)
 ショスタコーヴィチ: 交響曲第5番
 (アンコール)
 チャイコフスキー: 『くるみ割り人形』から「花のワルツ」

 オケの配置は、第1ヴァイオリン(14)、第2(11)、チェロ(8)、ヴィオラ(9)、ヴィオラの後ろにコントラバス(6)という具合。 ただし協奏曲では各1〜2名減。

 最初のワーグナーを聴いて、金管のよく通る音に 「おっ、これは行けそうだ」 という気がした。 特にトランペットは、位置が舞台右奥でちょうど私のJブロックには楽器がこちらをまっすぐ向くようになるせいもあってか、突き抜けるような音で、この印象は終演まで変わらず、トランペットが鳴るたびに 「快感〜!」 と叫びたくなった。

 弦も、東響に比べると繊細さでは劣っているかも知れないが、それなりに押しがあって、悪くない。

 さて、2曲目の協奏曲。白髪をぼさぼさにしたマイスキー登場。 演奏は一口で言って非常にオーソドックスで、曲の魅力を過不足なく表現していた。 音量も、チェロとヴァイオリンを比較するのも変だけど、一昨日の樫本に比べるとちゃんと出ていた。 オケとも、第3楽章の最初がちょっとズレた感じがしたが、おおむね合っていたようである。

 アンコールに独奏とオケとでチャイコフスキーをやってくれたのに感激。 チェロだけのアンコールならともかく、オケと一緒になってのアンコール曲を用意していたのは、それだけサービス精神があるからであろう。 樫本も見習ってほしいものだ (笑)。

 後半のショスタコーヴィチも悪くなかった。 このオケのパワーがよく出ていたと思う。 木管の音が、ドヴォルザークではもう少しノーブルであってくれればという気がしたのだが、ショスタコみたいにエグい曲だとこれでいいのかなという気持ちになり、やはり楽器の音と曲の相性というものもあるのかなと思う。

 そして交響曲の後にまたアンコール。 いやあ、サービス精神旺盛だなあ! 7時開演で終演が9時25分。質量ともに満足できる演奏会であった。

 なお、陸上競技場の駐車場はこの日は出口が2つとも開いていた。 いつもこうであってほしいものである。 

12月7日(火)      *樫本大進+コンスタンチン・リフシッツ デュオ・リサイタル    

 午後7時からの標記の演奏会を聴きにりゅーとぴあコンサートホールに出かけた。 開演20分前にりゅーとぴあ付近にクルマで行ったら、公的な駐車場は満車。 仕方なく少し先 (東側) に行って民間駐車場にとめる。

 リサイタルとしては客がずいぶん入っていた。 1階と2階正面のCブロックは満席に近い。 そもそもどのブロックも入場者を入れていたし、3階のG・H・J・Kブロックにも結構客がいた。 入場料の設定の関係? 私は3階正面Iブロックの1列目で女房と一緒に聴く。 AランクでNパックメイト価格 4500円。

 オール・ベートーヴェン・プログラム

 ヴァイオリンソナタ第1番
 ヴァイオリンソナタ第5番「春」
 (休憩)
 ヴァイオリンソナタ第10番
 (アンコール)
 ヴァイオリンソナタ第10番第4楽章の後半 

 演奏だけど、実は樫本のリサイタルは8年前の4月5日にもりゅーとぴあで聴いている ( http://miura.k- server.org/newpage161.htm )。 その時、私は次のように感想を書いた。 「樫本大進は独奏ヴァイオリニストとしては音量と音の艶が不足しているという気がする。」 当時はたしか2階BブロックのCブロックに近いところで聴いたと記憶する。

 今回は3階正面最前列で聴いたわけだが、基本的にこの感想は変わらなかった。 たしかに曲の解釈、表情付け、テクニックはそれなりなのだ。 だけど音そのものに魅力と力がないため、何か物足りないのだ。 高音はそれでもまだいいのだが、中低音だと音の力の無さがモロに出てくる気がする。 そのため、例えばスプリングソナタの第2楽章のように中低音でゆっくり弾く楽章だと聴いていて気持ちが散漫になってしまう。

 どうも、独奏者としては音量に問題があるというのは日本人ヴァイオリニストに多く見られるケースのような気がする。 五嶋ミドリもそうだったし。 もっとも、りゅーとぴあに来たときのチョン・キョンファもそうであった。 ただしりゅーとぴあに来た韓国系ヴァイオリンストでもサラ・チャンなんかは音量が相当あった。 アジア系だから音量がないというのではないと思うが。

 あと、アンコールとしてプログラムの一部を再演するというのは、そういうケースもあることは知っているが、どうなんだろう。 せめて1曲くらい別の曲を用意してこれなかったのかな。 何年か前、東京でチェリストのアネル・ビルスマのリサイタルを聴いたとき、最初はプログラムとは別の曲をアンコールとしてやったのであるが、それでも客の拍手がやまず、やむを得ずという感じでプログラムの一部を再演していた。 ああいうケースならまあ分かるのだが。

12月4日(土)     *第46回新潟大学吹奏楽部定期演奏会

  本日は午後4時から、表記の演奏会を聴きにりゅーとぴあコンサートホールに出かけた。 当初は予定していなかったんだが、数日前に学生がチケットを持って訪ねてきたので、土曜日は予定も入ってないし値段も500円だしということで買ってしまい、買ったからには行かないとということで。

 指揮=岡田友弘(常任)、笹川悠馬(学生正指揮者)、川森未貴(学生副指揮者)

 第1部
 R・ソーシード: ソング・アンド・ダンス
 P・スパーク: 「ハイランド讃歌」組曲より4つの楽章
 (休憩)
 第2部
 V・ウィリアムス: 交響曲第2番「ロンドン交響曲」より第1楽章(新田啓輔)
 C・T・スミス: 華麗なる舞曲
 (休憩)
 第3部
 J・チャナウェー: スパニッシュ・フィーヴァー
 A・メンケン: ホール・ニュー・ワールド(星出尚志編曲)
 P・プラド: マンボのビート(杉本幸一編曲)
 A・C・ジョビン+V・D・ラモス: イパネマの娘(岩井直博編曲)
 H・アーレン+E・Y・ハーブルグ: オズの魔法使い(J・バーネス編曲)
 (アンコール)
 スーザの休日〜星条旗よ永遠なれ

 新大吹奏楽部の演奏会は昨年の今ごろも聴いたのだけれど、そしてその時も思ったのだけれど、女子部員が3分の2以上なんだよなあ。 最近の男子はブラスなんかやらないのかなあ。

 個人的にはヴォーン・ウィリアムスのロンドン交響曲の第1楽章なんか面白そうと思ったのであるが、やはり弦を主体にしたクラシック曲の編曲は、ブラスにするとあんまり効果的ではない。 後半はまあ悪くなかったんだけど。 その点、「ハイランド讃歌」 や 「華麗なる舞曲」 などは、ブラスの音楽として聴いていて楽しめた。

 第3部は団員の服装も虹の七色を模しての凝った演出があり、見ても楽しめる演奏会になっていたかな。

 客は、1階、2階BCDブロック、3階Iブロックにそれぞれまあまあ入っており、盛況だったのではないだろうか。

12月2日(木)     *プライムクラシック1500 第8回 コルネリア・ヘルマン     

 午後7時からりゅーとぴあコンサートホールで標記のコンサートを聴く。 1500円で (Nパックメイトは1割引なので1350円) クラシックの演奏会が楽しめるプライムクラシック1500シリーズの第8回。 「シューマン、そしてショパン 生誕200周年記念プログラム」 というタイトルが付いている。

 コルネリア・ヘルマンはオーストリー・ザルツブルクの音楽一家に生まれたとのこと。 お母さんは日本人だそうで、そう言われると顔立ちがハーフっぽいし、体型もすらりとして細身なところが東洋的か。 ネットで調べたところ、Akikoという日本名も持っているようだが、今回のプログラムには書いてない。 1977年という生年も書いていなかった(笑)。 1996年の国際バッハコンクールで最高位、と書いてあるんだけど、これまた調べてみたら1位なしの2位ということのよう。

 シューマン: ウィーンの謝肉祭の道化op.26
 ショパン: バラード第2番
 ショパン: スケルツォ第1番
 (休憩)
 シューマン: クライスレリアーナop.16
 (アンコール)
 バッハ: フランス組曲第2番からサラバンド

 聴衆は1階と2階正面にほどほどの入り。あと2階のB・Dブロックは1列目だけしっかり入っていたかな。 合わせると400〜500名くらいになるだろうか。

 演奏だが、まあ良く弾けているのだけれど、何か決定的な個性、或いは魅力、といったものが感じられない。 まず、音自体の魅力に乏しいし、ダイナミズムも細身の体のせいかイマイチ。 私が一番注意して聴いたのはクライスレリアーナだったけれど、短い曲の集積でできているこの曲の、曲ごとの個性がちゃんと弾き分けられていたかというと微妙。 どの曲も同じ色合いなんだなあ。 そして全体として 「押し」 が足りない気がした。 「1位なしの2位」 ってのに納得、というと酷かな。

 だから、むしろアンコールのバッハがいいなと思われたのである。 つまりダイナミズムとか、色合いの変化を表にして勝負する必要がないから、曲のいい面がそのまま出てくるみたいなので。バッハをメインにしたプログラムなら感想も異なってきたかも。

 プログラムに日本の印象が書いてあるんだけど、「ゴミゴミした街並みはあまり好きではない。 自然への配慮も欠けているような気がします」 と述べている。 たしかにヨーロッパの街並みは美しいから日本やアジアの都市がゴミゴミと感じられるのは仕方がないけど、自然への配慮が欠けているってのは何を根拠にして言ってるのかなあ、公園があんまり多くないってことなのかな、それとも?とちょっと首をひねった。 ピアニストの社会的な意見なんてどうでもいいじゃないかとも思うんだが、お母さんが日本人のわりには日本語がうまくないし、まあ自分はヨーロピアンだと思うとも書いているので、別にいいんだけど。

11月28日(日)     *茂木大輔のオーケストラ・コンサートNo.6 「モーツァルトの歌姫たち」

 例年行われている茂木大輔によるレクチャー・コンサートが今年も行われた。 以前はオケは人間的楽器学管弦楽団と称していたが、茂木オケ室内管弦楽団と名称を変えたようである。 今年はオケに加えてソプラノの渡邉恵津子さんと半田美和子さんが参加。

 オール・モーツァルト・プログラム

 歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』序曲
 レチタティーヴォとアリア「テッサーリアの民よ」「私は求めません、不滅の神々よ」K.316
 ミサ曲ハ短調より「聖霊によって処女マリアより御体を受け」
 歌劇『フィガロの結婚』より序曲
 同 第19曲 レチタティーヴォとアリア「あの美しい思い出はいずこに」
 同 第20曲 二重唱「夕べに優しい風が吹くとき」
 同 第22曲 フィナーレ「フィガロの結婚行進曲」
 (休憩)
 歌劇『魔笛』より アリア「わが心は地獄の復讐に燃え」
 交響曲第40番
 (アンコール)
 「私の感謝をお受け下さい」K.383
 バッハ: 「主よ、人の望みの喜びよ」

 コンサートタイトルの副題は 「ウェーバー家の三姉妹を中心に」 だったが、実は四姉妹だったのだ。 つまり、モーツァルトが恋して振られたアロイジア(次女)、結婚したコンスタンツェ(三女)に加え、長女と四女もいて、それぞれモーツァルトの音楽、もしくは人生に絡んでくる。 その辺が分かりやすく説明され、関連する歌が披露され、またこのウェーバーという家庭はあの作曲家ウェーバー (『魔弾の射手』の) の親類なのだそうで、なかなか勉強になった。

 演奏もよかったが、特にソプラノの存在が大きく、渡邉さんも半田さんも素敵な声で聴衆を魅了してくれた。 特に渡邉さんが歌ったK.316の曲はめったに演奏されないのだそうで、貴重な体験であった。

 茂木氏のユーモラスな説明とアンコールを含めて2時間半に及ぶコンサート、お腹がいっぱい、という感じで会場を後にした。

 前日、新発田市民文化会館でOEKの演奏会を聴いたわけだが、言うならばその直後にりゅーとぴあコンサートホールでこの演奏会を聴くと、りゅーとぴあの音の良さが改めて強く感じられた。 本当に全然違うのだ、音の響きや艶が。 やっぱりコンサートでは会場も楽器のうちで、場所を選ぶのも大事なのだということが痛感された次第である。

 しかし、クルマをとめた陸上競技場が、こないだの東響新潟定期と同じで出口を1箇所しか開いておらず、出るのに時間がかかった。 これ、何とかならないのかなあ。

11月27日(土)      *「喫茶・紫音」!・・・・オーケストラ・アンサンブル金沢の新発田公演

 新発田市民文化会館で午後6時から行われた標記のコンサート、天候の心配をしながらクルマにて娘同伴で新発田に向かったが、なんとか雨降りにはならずにすんだ。

 座席は3階(最上階)の後ろから2列目だったが、全部で千人程度の小ぶりのホールなので、この座席でも舞台への距離はりゅーとぴあなら2階Cブロックの中ほどくらいかな、といったところ。 完売と聞いていたが、ところどころ空席もあり、勿論都合で来られなくなった方もいるのだろうが、それにしてはやや空席が多めかな、という感じ。 チケットの販売方法は知らないが、割り当てで来たけどオレは行かない、なんてケースはなかったのかな。

 指揮=井上道義、ヴァイオリン=南紫音

 メンデルスゾーン: 序曲 「フィンガルの洞窟」
 メンデルスゾーン: ヴァイオリン協奏曲ホ短調
 (アンコール)
  バッハ: 無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番からアンダンテ
 (休憩)
 ベートーヴェン: 交響曲第3番 「英雄」
 (アンコール)
 シューベルト: ロザムンデの音楽

 オケは、向かって左から第1ヴァイオリン8名、ヴィオラ4名、チェロ4名、第2ヴァイオリン6名、チェロの後ろにコントラバス3名(協奏曲では2名)。

 さて、演奏だが、小編成のオケながら会場の広さのせいもあり、音量不足は全然感じない。 ただ、クラシック専用ホールではないので、音の響きはややドライだったかもしれない。 しかし最初の 「フィンガルの洞窟」 は普通に、フルオケのような気分で聴けた。

 次にいよいよ南紫音さん登場。 薄いピンク色のドレス姿。 メンデルスゾーンの協奏曲は有名だけど、ベートーヴェンやブラームスの協奏曲と違って序奏が短く、すぐにヴァイオリンが独奏で入ってくるので、こちらも心の準備ができておらず、というと変だが、いつの間にか始まってしまったといった感覚があって、最初は集中できなかったのであるが、いつもながら演奏中は厳しい表情の南さんを見ているうちにこちらの気持ちも引き締まってきて曲に入っていけた。 第1楽章のカデンツァになると完全に南さんの世界。 そのまま第2・3楽章まで一気に進んでいく。 第1楽章では、南さんの特徴である中低音の充実ぶりも遺憾なく発揮されていた。

 文句なしの演奏だが、敢えて注文を付けるなら、リサイタルでは曲の独自な表現が十二分に感じられる南さんだけど、さすがに協奏曲だとなかなか難しい。 特にこういう有名な曲で、オケの演奏もそれなりに入っていると勝手な真似はできないし。でもそこを乗り越えて、協奏曲でも 「南紫音印」 がついているとなれば、鬼に金棒、いや、花にチョコレート(?)であろう。 そういう演奏をこれから期待したい。

 協奏曲の演奏が終わってから、指揮者の井上さんが 「喫茶 紫音」 という文字が大きく書かれたランタン (って言うのかな、バーや喫茶店の店先に出ていて店名が浮かび上がるようになっているあれ) を舞台に持ってきて、みんな爆笑。 実は、会場の新発田市民文化会館には喫茶店が入っているのだが、その名が 「紫音」 なのである。 それを借りてきたわけ。 それにしても南紫音さんが演奏をする会場の喫茶店が 「紫音」 とは、できすぎているなあ。

 その後アンコールも弾いてくれ、休憩時間にはサイン会もあった。 CDを買わずともパンフレットにサインをしてくれたようだが、私は以前2回CDにサインをもらっているし、サード・アルバムはまだ出ていないらしいので、今回は遠慮した。 なお演奏会終了後は井上さんのサイン会があったらしいのだが、南さんは前半終了でお帰りになったのだろう。

 後半の英雄交響曲であるが、前半の2楽章は室内オケならではの特性があまり感じられず、つまり少人数故の機動性みたいなものがなく、普通のフルオケがやる英雄みたいな感じで、そうなると弦が少ないからどうしても堂々とした感じがあまり出てこず、物足りない気がしたのだけれど、後半の2楽章になって、楽想のせいかもしれないが、オケのサイズに合った演奏になった気がして、それなりかなと思った。

 なお、後半の直前に指揮者の井上さんのレクチャーがあり、また英雄の後のアンコールの直前にも 「来年は金沢でラ・フォル・ジュルネがあり、テーマがシューベルトなので、アンコールもシューベルトで静かに締めくくります」 という説明が。 喫茶 「紫音」 のパフォーマンスといい、レクチャーといい、最近の指揮者は昔と違って色々な役目を果たさなければならなくなっているんだな、と痛感した。 しかつめらしい顔で黙って出てきて指揮をして黙って去って行くだけではいけないのである。 オケも、最初と終演時に全員が揃って聴衆に向けてお辞儀をしていた。 オケも指揮者も、営業を意識しないといけない世の中になっているのだろう。

11月25日(木)     *死刑廃止を 「文明化の過程」 とするフランス人の傲慢さ

 毎日新聞で連載されていた 「人権と外交 死刑は悪なのか」 が本日で終了した。 紹介されている議論や事例には参考になることも多かったが、一つ、きわめて大きな違和感を覚えたのは、担当の伊藤智永記者が 「死刑廃止=善=文明化」 と捉えて記事を書いていることであった。

 死刑廃止は是か否か、日本では議論が進んでいないなどという書き方もしていたが、議論とは結論が議論に寄って左右されることが前提でないと、議論があるからいい悪いは言えないはず。 いくら人を殺しても死刑にならないのは野蛮だ、という議論もあり得るはずだが、そういう議論には目もくれない。

 特に本日の最終回では、パリの公立中学校の生徒の意見を紹介していて、はっきり書くが、阿呆かと思った。 中学生程度の子供に何が分かるのだろう。 おフランス人なら中学生でも立派という変な思い込みが伊藤記者にはあるのではないか。 仮に、北朝鮮の中学生が北朝鮮の様々な政策や金王朝と言われるような特定家系による政治支配を賛美したら、伊藤記者はそのまま新聞で紹介するのだろうか。

 北朝鮮とフランスは違う、などと考える人は、大間違いをやらかしている。 この死刑論議では、フランスの中学生は 「死刑廃止=善=文明化」 という刷り込みをされているのだ。 北朝鮮の中学生が金親子支配の正統性を刷り込まれているのと原理的に全然違わない。

 一国の文明化の度合いは何で測られるのだろうか。 死刑廃止という制度でだろうか。 むしろ、その国で殺人事件が発生する率でこそ測られるべきではないか、と私は思う。 では、日本とフランスの殺人事件発生率はどうなっているか。

 ウィキペディア日本語版で 「殺人」 を引くと、以下のようになっている。

 【 ICPO調査による2002年の統計では、日本では年1,871件の殺人が発生しており、人口10万人あたりの発生率は1.10件で先進国の中ではアイルランドと並んで最も低い。なお、日本の統計において「殺人」は、殺人既遂のみならず殺人未遂・予備や自殺教唆・幇助を含むと定義されている[1]。

 他国の発生率はアメリカ合衆国5.61件、イギリス18.51件、ドイツ3.08件、イタリア3.75件、フランス3.64件、スウェーデン1.87件、オーストラリア3.62件、スイス18.45件、ロシア22.21件[2]。なお、日本の殺人認知件数は毎年減少傾向にあり、1958年(昭和33年)には2,683件だったが、2009年には戦後最低の1,097件を記録した。

 ただし、他の先進国に比べて低いとされる日本の殺人発生率は、警察が殺人発生率の増加を恐れるなどの理由により不審な死(変死)の可能性があっても解剖に回さず、自殺や事故、心不全にしたがるため殺人が見逃された結果であるという説もある[3]。特に司法解剖の医師不足は深刻で、現状、犯罪被害死体のほとんどが司法解剖されていない状況にある。】

 つまり、数値を出す前提に多少の問題はあるかもしれないが、人口10万人あたりの殺人発生率で、日本はフランスの3分の1以下なのである。

 この点からすると、日本はフランスより3倍以上文明が進んでいるのだ。 伊藤記者よ、どう考えるのか?

11月24日(水)    *ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団演奏会

 この日は、浦和で映画を見てから新宿で本屋と古CD屋に行き、そのあと午後7時から上野の東京文化会館で標記の音楽会を聴く。

 指揮=パーヴォ・ヤルヴィ、ヴァイオリン独奏=ジャニーヌ・ヤンセン

 ベートーヴェン: 「プロメテウスの創造物」序曲
 ブラームス: ヴァイオリン協奏曲
 (休憩)
 ベートーヴェン: 交響曲第5番

 座席はS席14000円。1階中ほど右寄りの座席。
 実は、プログラムはブラームスの協奏曲とベートーヴェンの5番だけだと思っていたので、上野発午後8時58分の新幹線に間に合うと判断してチケットを買ったのであるが、会場に行ってプログラムを受け取ってみたらベートーヴェンの序曲も含まれていて、「あれ?」 と思う。 これで最後まで聴けるかどうか。

 室内合奏団なので弦楽器奏者は少な目だが、管楽器は普通に2管編成。 弦は左から第1ヴァイオリン8名、チェロ6名、ヴィオラ6名、第2ヴァイオリン6名、チェロの後ろにコントラバス3名。

 最初の序曲は弦がやや粗く感じられた。 最初なのでこんなものなのか、或いはもともとこんなものなのかと思ったけれど、次のブラームスでは一転してなめらかに。 最後のベト5ではまた荒々しくなり、曲によりだいぶ異なるよう。

 ブラームスで登場したジャニーヌ・ヤンセンは黒のドレスで背が高く (ヤルヴィと同じくらいの背丈)、肩幅もそれなり。 女性としてはかなり大柄と言えるだろう。 これならブラームスの協奏曲でも大丈夫かなという気が、弾く前からした。

 で、演奏だが、時として激しく、時として優しく、細かいところまで神経が行き届いていて、なかなかの名演だったと思う。 音量も第2楽章までは文句なし。 ただ第3楽章ではさすがにもう少し音に厚みが欲しい気がしたが、曲自体が難曲だから、致し方ないところか。 楽器はストラディヴァリだそうで、グァルネリならもう少し違ってきたのだろうが、そうなると第2楽章までの彼女の美質も変わってしまうかもしれず、あたかも 「グラマラスで細身の美女」 を求めているかのような具合になってしまいそう。 いずれにせよ十分に満足できる演奏で、聴衆からは惜しみない拍手が。

 さて、後半のベートーヴェン5番である。 最初の有名な動機がすごく短い。 あっけないくらい。 室内オケならではの機動性を活かしてということか、演奏は速いテンポで進む。 もう少しコクというか、重々しさが欲しい気もしたが、フルオーケストラではないし、新時代のベートーヴェンということでならこれでもいいのかなあ、という感じ。

 最初に書いたように時間が心配で、場合によっては第2楽章が終わったら席を立とうかと思っていたのだが、こういう演奏だったので、30分をわずかに切るくらいの所要時間で曲が終わった。 私は拍手もせずに荷物をかかえて会場を早足で立ち去った。 というわけなので、このあとアンコールがあったかどうかは不明。
 
 それにしても、最終の1つ前の新潟行き新幹線はもう少し遅い時間にして欲しい。 だいたい、これで新潟駅に着いても乗り換えは、越後線、白新線、信越線、いずれも待ち時間が15分以上ある。 あと15分遅ければ単に上野の文化会館で余裕をもってコンサートが聴けるだけでなく、場合によってはサントリーホールの演奏会でも何とかなるだろう。 JRは一考して欲しいものである。

11月23日(火)     *ドガ展、神奈川近代文学館

 本日はまず横浜のみなとみらいに出かけ、横浜美術館でドガ展を見る。 入ってみたら入口付近に長蛇の列。 15分くらいかかってようなく中に入れた。

 ドガというと踊り子が有名で、巷で知られたパステル画の踊り子も来ていたが、総じての印象は、あまり面白くなかった。 下準備のためのデッサンなどが多かったせいもあるが、ドガの絵と私の相性が良くないのであろう。 いいなと思える絵は、1枚しかなかった。 踊り子が群れをなして準備室にいる絵で、これは絵葉書を買おうかと思ったのだが、あいにくこの絵の絵葉書はないようだった。 といってそのために高いカタログを買う気にもならず、早々に美術館をあとにした。 外に出たらすでに行列はなくなっている。 早く来ない方がいいのかな。 でも今日は日程が詰まっているので、ゆっくり来るわけにもいかなかったのである。

 それから地下鉄に乗ってみなとみらい線の終点で降り、神奈川近代文学観に行く。 ここは初めてだが、たまたま展示品のなかの三島由紀夫のところに興味があったので訪れてみたもの。 ほかの作家の展示もあるのだが、時間がないので、三島のところだけ見て済ませた。 入場料は安いから損をしたという気にもならない。

      *      *

     *バッハ・コレギウム・ジャパン第91回定期演奏会

 神奈川近代文学館を出てみなといらい線で横浜駅まで戻り、湘南新宿ラインに乗って新宿へ。 午後3時から標記の演奏会を聴く。 BCJ結成20周年記念公演だそう。 座席は3階右脇のR1-54で、Bランク、5000円。 会場は1階は満席、2階脇席と3階席は空きがあった。

 指揮=鈴木雅明、ソプラノ=ジョアン・ラン、カウンターテナー=ロビン・ブレイズ、テノール=ゲルトテュルク、バス=ドミニク・ヴェルナー

 バッハ: カンタータ「とどろけ太鼓、高鳴れラッパ」BWV.214
 (休憩)
 バッハ: カンタータ「破れ、砕け、うち壊〔こぼ〕て」(鎮まりしアイオロス)BWV.205
 (アンコール)
 バッハ: カンタータ「鳴り交わす相和せる弦の競いよ」BWV.207より第9曲

 舞台には小編成のオケが太鼓とチェンバロを中央にして配置され、その背後に独唱者を含めた合唱団が15名ほど半円形に並ぶ。 独唱者は自分の独唱の時だけ前に出てくる。 20周年ということで指揮者の鈴木雅明氏が挨拶をされた。 記念の演奏会だということで、世俗カンタータからお祭り的な作品を2曲選んだとのこと。

 演奏については私はとやかく言う資格もないが、やはり特筆すべきはカウンターテナーのロビン・ブレイズであろう。 彼の歌は以前にも聴いたことがあるが、男の声とは思えないほどの高音がごく自然に出てくる素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。 こういうカウンターテナーを聞いてしまうと、他の同類の歌手は聴けなくなってしまう。 その他、ソプラノも悪くなかった。 逆に、バスは声にあまり魅力がなかったような。

 一つ、声を大にして文句を言っておきたいのはプログラムである。 プログラムが無料配布ではなく、1500円という値段を付けて売られていた。 プログラムがなくても曲目だけ印刷した紙が配られたのでいいじゃないかと思うかも知れないが、声楽曲である以上歌詞の意味が分からないと十分な鑑賞ができないわけで、それはプログラムを見ないと分からないようになっているのである。 しかし1500円という法外な値段に立腹した私は買わなかった。 どうしても値段を付けて売るというなら、500円程度の価格にすべきであろう。 そもそも、プログラムに 「BCJ20年の歩み記念メッセージ集」 などという余計なものをつけて (何が載っているかは無料配布の紙に書いてある) 高い値段で売るのは非常識だ。 そういうものは、無料にできないならプログラムとは別にして販売すべきではないか。

 私は安いB席で聴いたわけだが、隣りに学生らしい若い女性が3人並んですわっており、彼女たちも誰もプログラムを買っていなかった。 学生からすればB席のチケット代5000円だって安くない。 それが、何とか来てみればプログラムに別に1500円出さないと歌詞の意味が分からないようになっているというのは、半分詐欺みたいなものであろう。 だいたい、鈴木雅明氏はこの3月まで東京芸大で教えておられたはず。 学生のそうした経済的な側面を考えたことがないのだろうか。 それとも芸大には裕福な家庭の子女しか来ていないのかな (その可能性も大だけど)。

今回の上京では、他の4つの演奏会はいずれもプログラム無料配布だっただけに、高価なプログラムは突出して悪い印象を残した。

11月21日(日)    *東京フィルハーモニー交響楽団第794回オーチャード定期演奏会

 午前中から昼過ぎにかけて池袋で映画を見た後、午後3時から標記の演奏会を聴く。座席はBランクで7000円。

  指揮=チョン・ミュンフン、コンマス=荒井英治

  ブルックナー: 交響曲第8番

 実はオーチャードホールは初体験である。 これまで上京するたびに東京のホールでいろんな演奏会を聴いてきたが、どういうわけかこのホールだけは縁がなかった。 同じ東急文化村でも映画館のル・シネマや美術館のミュージアムには何度も行っているのだが。

 巷ではあまり評判のよくないホールだが、今回はBランクで、1階の最後尾から2列目の右端から2番目という席。 2階席がモロ上にかぶっている。 こういう席なのでまあ音が悪くても仕方がないか (でも在京オケでBランクが7000円ってのは少し高いような気が) と思いながら行ってみた。 しかしそう覚悟していったためか、音がそんなに悪いとは思わなかった。 りゅーとぴあではいつも東響定期を3階で聴いており、少し低音不足気味なので、この日は低音がよく出ているということで満足。

 演奏は、悪くないというか、力演と言えるであろう。 ただ、昨年の秋、ぶりちょふさんとサントリーホールでブロムシュテット指揮チェコフィルでこの曲を聴いた記憶がまだ残っており、あれと比べると何だな、と思ってしまった。 いや、本当に悪くない演奏だったんだけれど。

 会場は、1階席は8割くらいの入りだったかな。 拍手をすると、上に2階がかぶっているせいかどうか、周辺の客の拍手しか聞こえず、満場の拍手の音が来ない。 ちょっと不思議。

      *      *

 演奏会の後、東京駅で友人3人と会い、近くの店で酒を飲む。 しかし休日の夕刻のことで、東京駅(八重洲口)付近の飲食街も閑散としていた。

 3人とも私とは高校まで一緒で、首都圏の理系サラリーマンである。 ここのところ毎年この時期に会っている。 皆今年度中に満58歳になり、定年後のことを考える時期だ。 私は新潟大の定年が65なので羨ましがられた。 昨今の不景気で、以前なら会社を60歳で定年になっても嘱託などの形で残ることができたが、今はなかなか厳しいらしい。 3人のうち1人だけは大丈夫そうとのことだが、残り2人はどうなるか今のところ分からないという。 3人のうち2人はまだ子供が学校を卒業していない。 私もそうだ。 世のお父さんたちも大変なのです。 皆さん、お父さんを大事にしましょう(笑)。  

11月20日(土)     *内田光子&ヴィヴィアン・ハーグナー デュオ・コンサート

  上京する。 日比谷で映画を1本見てから、新宿のオペラシティ・コンサートホールで午後3時から表記のコンサートを聴く。

 日本オーケストラ連盟青少年育成チャリティコンサートという副題がついており、チャリティコンサートのせいかプログラムは通常よりやや短めで、途中休憩なしだった。 座席は1階の9列5番、7000円。

 モーツァルト: ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ホ短調K.304
 バルトーク: 無伴奏ヴァイオリンソナタSz117から「シャコンヌのテンポで」
 バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番からシャコンヌ
 ブラームス: ヴァイオリンソナタ第1番
 (アンコール)
 ベートーヴェン: ヴァイオリンソナタ第5番「春」から第3楽章 

 最初、ハーグナーの音が遠くから聞こえるような、或いはややうつろな音のように感じられた。 私の席がわりに前方で、高さからいうと2人の奏者の楽器より低い位置にあるのでそのせいかなと思ったのであるが、どうもハーグナーが中音域を軽く弾くとこういう音になるようで、第2楽章で高音を奏でるとそれなりに中身の詰まったような音になった。

 全体として見ると、ハーグナーはややゆっくりしたテンポで歌を重視した弾き方をしていた。 だから、バルトークとバッハの無伴奏曲などは、普通だといわゆる 「精神的」 な、つまりヴァイオリンの美音を前面に出すのではなく音の構成を感覚として聴衆に伝えるような演奏になりがちなのだが、彼女はむしろどんな曲にも歌を見つけだしてそれを表現することを心がけているように思われた。 まあ普通に見るとモーツァルトやブラームスの方が合っているという見方もできるだろうが、私は 「こういうバッハもありだろうな」 と納得。 でも一番良かったのは最後のブラームスかな。

 内田光子のピアノは音の粒が揃っていてとても魅力的。 テクニック的に文句なしなのは言うまでもない。 私が前回彼女の演奏に生で接したのは、新潟に来たばかりの時に県民会館でのリサイタルに行って以来だから、実に30年ぶりになる。

 アンコールのベートーヴェンも、快適なテンポでよかった。 第3楽章だけでやめずに次の楽章もやってくれたらもっと良かったのだが。 なお、ハーグナーは赤のドレス、内田光子は黒のツーピースで下はズボン、上はチョッキのような袖なし上着からヴェールのような網状の袖が肘のあたりまで伸びているという、ちょっと変わった服装であった。

       *            *

    *ヴァレリー・アファナシエフ ピアノリサイタル2010

 内田とハーグナーの演奏会に続いて、四谷の紀尾井ホールで午後6時から標記の演奏会を聴く。 座席は18列3番だから1階後ろの左寄りの方。 7000円。

 シューベルト: 楽興の時 全6曲
 (休憩)
 シューベルト: ピアノソナタ ト長調op.78「幻想」
 (アンコール)
 ブラームス: ラプソディ第2番op.78-2
 ブラームス: 「7つの幻想曲」から間奏曲ホ長調 op.116-6 

 アファナシエフを生で聴いたことがなかったのと、プログラムに幻想ソナタが含まれているので行く気になった演奏会である。 で、その幻想ソナタの感想を書くが、第1楽章の演奏に特徴がかなり強く出ていた。 私はこの曲、ルプーのディスクで覚え、ほかにシフのディスクも持っているけど、この2人とは全然違う弾き方だ。 一口に言って、ドタ靴で足音高く歩き回っているみたいな演奏。 ルプーやシフの、そっと優しく撫でるような繊細さ (それが逆に鍵を強打するときのダイナミズムを際だたせるわけだが) はない。 捉え方が根本的に異なっているのだ。 うーん。

 ただし第2楽章以降はルプーやシフとそれほど解釈に差はなかった。 この曲、第1楽章と並んで最後の第4楽章が大事だと思うのだが、この楽章の持つ凍てつく冬に一人で舞いを舞っているような絶望感がよく出ていたように感じた。

 シューベルトの夕べだからアンコールもシューベルトかと思っていたら、ブラームス。 まあ、曲想から言ってそれほど違和感はなかったのだけれども。

 アファナシエフは舞台に出てきても観客にろくに会釈もせず――ちょっと首を斜めにかしげる程度――椅子にすわるとぶっきらぼうに弾き始める。 演奏が終わって立ち上がってもあまり丁寧にお辞儀をすることもない。 ある種のテレなのか、或いは聴衆などどうでもいいと思っているのか。 まあ、聴衆に愛嬌を振りまいても演奏が良くなければどうしようもないわけで、こういうタイプの演奏家は嫌いではない。 もしかすると、「こだわりの味」 で有名だけど客にはぶっきらぼうなラーメン屋のオヤジみたい (笑) に人気の種になるかも。 ただ、この演奏会ですごく満足したかというと、うーん、どうかな、といったところであった。

 なお、午後3時からの内田光子+ヴィヴィアン・ハーグナーでは私の左隣りの席のオバサンがカシャカシャという紙音を始終出しているのと、途中で膝の上のプログラムを床に落とし、それを拾ったと思ったら、その10秒後に今度は入口で配布されるパンフレットの束をどさっと床に落としてくれ、どうしようもない山の手マダム (?) だなあと内心慨嘆したのであるが、アファナシエフの演奏会では左隣りの若い日本女性も右隣りの若い西洋人女性も音をまったく立てないのでいいかと思いきや、近くの左脇桟敷席にいるオジサンが開始後すぐにいびきをかき始め、前半ずっとそれで通した。 中年男女のマナーにはかなり問題がありそう。 私も中年男だけど(笑)。

11月14日(日)     *ヴェルサイユの楽しみ Vol.3 ―フランス・バロックの世界― 

 本日は午後2時から標記の演奏会に行ってきた。 場所はだいしホール。

 ソプラノ=鈴木美紀子、ヴァイオリン=迫間野百合、ヴィオラ・ダ・ガンバ=福沢宏、チェンバロ=水澤詩子

 M・マレ: 聖ジュヌヴィエーヴ教会の鐘 〔ヴィオラ・ダ・ガンバ+ヴァイオリン+チェンバロ〕
 ラモー: クラヴサン合奏曲第2番 〔同上〕
 F・クープラン: プレリュード第2番ニ短調(「クラヴサン奏法」より) 〔チェンバロ〕
          ルソン・ド・テネブル 第2ルソン 〔ソプラノ+ヴィオラ・ダ・ガンバ+チェンバロ〕
 (休憩)
 L・クープラン: 組曲ハ長調 〔チェンバロ〕
 F・クープラン: プレリュード第5番イ長調(「クラヴサン奏法」より)〔チェンバロ〕
          「迷宮」 《風変わりな趣味による組曲》より 〔ヴィオラ・ダ・ガンバ+チェンバロ〕
 M・P・モンテクレール: カンタータ「高貴な憤り」〔ソプラノ+ヴィオラ・ダ・ガンバ+ヴァイオリン+チェンバロ〕
 (アンコール)
 曲目不明 〔同上〕

 ヴェルサイユの楽しみは第3回だそうだが、私が聴くのはたしかこれで2回目。 前回の演奏会では、福沢氏と水澤さんの印象が強く残っている。 数年ぶりにお二人の姿を拝見すると、福沢氏は口ひげがなくなり、水澤さんは太・・・・いや、ふくよかになられたような。

 しかし、いずれにせよ演奏者の4人ともに、実力はもちろん、外見的な魅力も十分。 福沢氏は端正な中年紳士だし、水澤さんは熟女の魅力、迫間さんは清純な少女のようだし、鈴木さんはイメージ的に女優の樋口可南子さんに似ているような。

 昼食後の時間帯なので、特にヴィオラ・ダ・ガンバの音に眠気を誘われてしまい、ちょっとうとうとしたりしたが、前半は最後の鈴木さんのソプラノで目が覚めた。 実にしっかりとした堅実な歌唱。 後半でもやはり最後に鈴木さんのソプラノが入って俄然面白みが増したように思った。 もちろん他のお三方も立派な演奏だったのであるが、ワタシ的にはこの演奏会は鈴木さんの歌で満足したという側面が強い。 曲もいいのだろうが、歌に抑制のきいた感情がこめられていて、何とも言えない魅力があった。

 客の入りは3分の2くらいか。 フランス・バロックの演奏会は新潟ではあまり多くないので、次回にも期待したいと思います。

11月9日(火)     *新潟市の仕分け

 民主党が政権政党になってから 「仕分け」 が流行語となっているが、派手な国政だけではなく、地方都市にあっても財政難で仕分けは進行している。

 地味な話だが、林達夫が言うように、世の中の状況は目立たない分野に目をやることによってこそ分かるということもあるので、ちょっとだけそういう話をする。

 私が趣味で卓球をやっていることはこのコーナーでも時々触れているが、通っているのは市内の社会人卓球クラブのNクラブとHクラブで、いずれも夜に近所の小学校体育館を借りて練習している。 借り賃は無料。

 以前は、練習が夜の9時に終わると、体育館の戸締まりは宿直の人がやっていた。 宿直は、昔のように教員が持ち回りで宿直をやるのではなく、宿直専門の人を雇っておくのである。 専門といっても正規の市職員ではなくパートみたいなものだが、大抵は会社などを定年で退職した人が採用されていた。

 それが数年前に廃止され、練習終了後の体育館戸締まりは借りているクラブの人間が責任をもってやること、となった。

 ただし、その代わり、社会スポーツを促進援助するというような名目でお金が降りる仕組みができた。

 最初は年間20万円だか、結構な金額が出ていたらしいが、年とともに削減され、ついに来年度からゼロになることになったとか。

 まあ、これは仕方がないことである。 体育館をタダで使わせてもらっているだけでもありがたいわけだから、戸締まりくらいは自分で責任をもってやるのが当たり前だし、その報酬はないのも当然と言えるからだ。

 ただし、社会人の体育クラブに対しては、市が何か大きなイベントをするときに依頼が来るという一面もある。 例えば市のマラソン大会をやるときに、途中に一定間隔で人員を配置しておくわけだが、あれは実は社会人体育クラブに割り当てが来るのである。 それもヴォランティアでという建前だから、ただ働きである。

 そうなると、社会人体育クラブの中でも現役社会人として働いている人はどうしても時間に制約があるので、いきおい、そういう制約があまりないお年寄りが、ということになる。 そしてそういう場合に使われる人が固定化するという傾向もないとは言えない。

 新潟市は、これに限らず、色々な場面――例えばにいがた国際映画祭など――でヴォランティアを使っているわけだが、そういうヴォランティアのあり方は、ただ働きでいいのかということをも含めて、ちゃんと検討したほうがいいように思う。 何が有料で何がタダであるべきなのかは、これからの社会ではいっそう大きな問題になっていくだろうから。

11月7日(日)     *東京交響楽団第62回新潟定期演奏会

 本日は今年最後の東響新潟定期の日。 CDショップのコンチェルトさんに寄ってから会場に行ったが、りゅーとぴあや県民会館の駐車場はすでに満車で、陸上競技場のほうに留めた。

 指揮=ミハエル・タタルニコフ、ピアノ=デジュー・ラーンキ、コンマス=大谷康子

  オール・ベートーヴェン・プログラム
  「プロメテウスの創造物」序曲
  ピアノ協奏曲第4番
  (休憩)
  交響曲第4番

 客の入りは、東響新潟定期としてはまあ普通だろうか。
 本日の注目は何と言っても、久しぶりに見るピアニスト、デジュー・ラーンキだろう。 若かりしころはハンサムなピアニストということで日本女性に絶大な人気を誇り、私が新潟に来てあまりたたない頃だからたしか1980年代初めだったかと思うが、新潟の音楽文化会館で演奏会をやったときには、花束を抱えた女の子が長蛇の列。 うーん、私もこのくらいモテてみたいものだと嫉妬を感じた (笑)。 ちなみに、今回調べてみたらラーンキは私より1歳年上である。

 で、舞台に現れたラーンキは、髪が白くなっていた。 チラシの写真でも多少白くなったかなとは思っていたのであるが、真っ白というに近い。 まあ私みたいに髪がなくなるよりはいいけれど、お互いトシをとったなあ、なんて1歳差のよしみ(?)で思ってしまう。

 協奏曲の演奏は、まあ、オーソドックスというか、あまりテンポを落とさずに堅実に弾いていたように感じた。 第3楽章で開放感を思い切り出していたかな。 もともとこの曲は、森の中を歩いていて神秘的な、或いは哲学的な瞑想にふけっているような趣きがあって、第3楽章に入ると空き地に出て空の太陽をおがめたような開放感が出てくるが、そこを十二分に表現していたような。 というか、彼の本領はこういう開放的な感じの曲にあるのではとも。 残念だったのはアンコールをやってくれなかったこと。 何かやってくれると、近況報告みたいでよかっただろうに。

 後半の第4交響曲では、どういうわけか眠気に襲われてしまい、意識を必死に覚醒させようとがんばりながら聴いたのであるが・・・・うーん、この曲、何と言っても3年前の7月、やはり東響新潟定期でスダーンの指揮によるすごい演奏を聴いているので、あれとどうしても比較してしまい、ほどほどかな、としか思えなかった。 途中、ホルン (だったかな?) の音がハズれたこともあるし。

 全体的に短めのプログラムだし、アンコールもなかったので、やや物足りないような印象が残った。

 なお、終演後陸上競技場の駐車場から出るのにかなり時間がかかったが、原因は出口が2つあるのに1つしか機能していなかったこと。 東響定期の日なのに、なんで? 7月の第60回定期のときも、りゅーとぴあの駐車場には出口が3箇所あるのに終演後2箇所しか機能していなくてクルマを出すのに時間を食ったのであるが、いったい新潟市は何を考えているのか!? どなたか、市役所関係者から事情を説明していただきたいものである。

11月5日(金)    *最近聴いたCD

 *鈴木理恵子 Winter Garden 〔ヴァイオリン小品集〕 (ワンダーシティ、WRCT1009、2006年発売)

 10月9日に鈴木理恵子さんのリサイタルを聴きに行ったことはこの欄にも記したが、演奏会直後にサイン会で買ったCDがこれ。 ヴァイオリン小品集だが、普通によくある類の小品集とは少し選曲が異なっているのは、久石譲がプロデュースしているせいだろうか。 ヴァイオリンの音が、演奏会場で聴いたのとはかなり印象が違い、乾いた感じ。 ただし妙な生々しさもある。 デッドな会場で、マイクもかなり近づけて録音したのだろうか。 ピアノ伴奏は曲により浦壁信二と小柳美奈子が担当しており、最後の曲ではフルートの荒川洋が加わっている。

 ウィンター・ガーデン第1楽章/久石譲
 ウィンター・ガーデン第2楽章 /久石譲
 即興曲第15番 エディット・ピアフを讃えて/F.プーランク
 即興曲第7番/F.プーランク
 即興曲第13番 /F.プーランク
 フォー・ユー/久石譲
 アンダルーサ(嘆き)/E.グラナドス
 我が母の教え給いし歌/A.ドヴォルザーク
 古い仏教の祈り/L.ブーランジェ
 シチリアーナ/M.T. von パラディス
 太陽への讃歌/N.A.リムスキー=コルサコフ
 深い河/黒人霊歌
 メディア/久石譲

Winter Garden

 *シューマン: 「楽園とペリ」 ほか (Brillant 94065、1995年録音、EU盤)

  シューマンのオラトリオ 『楽園とペリ』op.50 と、「序曲、スケルツォとフィナーレ」op.22 を収めた2枚組。 いずれも私は今までディスクとして持っていなかった曲なので、少し前にHMVからネット上で購入。 演奏はジュゼッペ・シノーポリ指揮のシュターツカペレ・ドレスデン、ドルスデン・シュターツオパー合唱団。 『楽園とペリ』とは、アイルランドの詩人トマス・モーア (1779〜1852、『ユートピア』 の作者トマス・モアとは別人) がペルシア神話をもとに書いた物語詩のドイツ語訳をもとにして創られたオラトリオで、全26曲からなる。 楽園から追放された妖精ペリが試練を経て楽園に戻るまでの物語である。 シューマンの劇音楽やオペラは最近になってようやく注目されているようだが、この作品もシューマンらしい旋律でダイナミックに、そして美しく物語の世界が音楽で綴られている。 併録されている 「序曲、スケルツォとフィナーレ」 も、交響曲に準じる充実した管弦楽曲だ。

Das Paradies und die Peri : Sinopoli  /  Staatskapelle Dresden,  Faulkner,  H.G.Murphy,  etc (2CD)

 

10月30日(土)     *シネ・ウインドの株主総会

 新潟市のミニシアター系映画館シネ・ウインドの株主総会があった。 シネ・ウインドができて25周年の年だけれど、色々と状況の変化もあり、制度も時代に合わせていかなければということになっているらしい。

 この映画館は普通に入場してもいいが、会員制度があって、たくさん映画を見たいと思っている人は会員になったほうが得である。 会員は年に6000〜3000円程度の会費を納め、その代わり1本800〜1000円で映画を見ることができる。

 その会員が最近減少気味らしい。 映画を映画館で見る世代が高齢化しており、また看護などで映画を見に行く余裕がない場合が増えているらしい。 それで、若い人が会員になりやすい制度に改める方向で検討中とのことだ。

 この映画館の運営もなかなか大変ではあるが、新潟市唯一のミニシアターであり、ここでないと見られない映画が数多く上映されていることを思えば、なんとか存続させていかなくてはならない。 私はわずか25株の株主であり、しがないサラリーマンだからできることは限られているが、若い会員が増えるよう協力していかねばならないだろう。

 総会の後はそのまま会食に移り、隣り合った株主の方と会話をして、色々と教えられるところがあった。 政令指定都市になった新潟市の、各区ごとの特徴の出し方など。 また、必ずしも映画ファンではないが、シネ・ウインドには映画ファン以外にも色々な活動をしている人が出入りしているので、そのために株主になっている方もおられるのだと分かった。

10月29日(金)     *スロヴァキア放送交響楽団演奏会

  本日は夜7時から標記の演奏会を聴きにりゅーとぴあへ出かけた。 毎年この時期に新潟日報社主催でやる外国オケ (大抵東欧の) 演奏会で、プログラムがいつも似通っているのであまり食指も動かないのであるが、今回はドヴォルザークでも 「新世界」 ではなく第8交響曲なので、「まあいいか」 と行く気になったもの。 座席はHブロック1列目の一番舞台に近い場所。Bランクで5000円。

 指揮=マリオ・コシック、ピアノ=スタニスラフ・ジェヴィツキ

 グリンカ: 「ルスランとリュドミラ」序曲
 チャイコフスキー: ピアノ協奏曲第1番
 (休憩)
 ドヴォルザーク: 交響曲第8番

 まず、入りが良くないのに驚く。 1階はそれでもまあ東響新潟定期に近いくらいに埋まっているが、2階正面は前半分はまあまあだけど後ろはほとんど客なし。 3階正面も前の2列と最後の2列以外はがらがら。 2・3階とも脇のブロックはぱらぱらといったところ。 後ろのPブロックと3階端のF・Lブロックは誰もいない。 うーん・・・・。

 次に、オケの弦楽器奏者が、フルオケにしては少ない。 左から、第1ヴァイオリン12人、第2ヴァイオリン10人、チェロ6人、その後ろのコントラバス5人、右端のヴィオラ8人。 やっぱり交通費やホテル代を節約してるのかなあ。 でも、りゅーとぴあの音響特性と、数は少なくとも奏者の力量はあるためか薄い響きとは感じなかった。

 演奏は3曲とも共通の味があり、いずれも速いテンポできびきびと進み、テンポをいじって緩急をつけたり、思わせぶりな表情を見せたりといったことがなく、良く言えばさっぱりした、悪く言えばちょっと事務的な感じもなくはないといった印象。 しかし音のまとまりはいいし、弦楽器にも数の少なさを感じさせない力量があって、Hブロック (ここは東響新潟定期ならAランク) がBランクで5000円という値段を加味するなら、お得な演奏会ではないかと思った。

 なお、ピアノのジェヴィツキも、指揮者の味に似て、チャイコフスキーのピアノ協奏曲を過大な色づけや大げさな動作を見せることなく淡々と弾ききっていた。 面白いのは、協奏曲の後アンコールでショパンのマズルカop.7-1をやったのであるが、これは逆にルバートをきかせたロマンティックな解釈になっていたこと。 曲により解釈が異なるということなのかもしれないけど、案外ホンネはアンコールのほうだったりして。 アンコールはドヴォルザーク第8の後にもあり、渡辺俊幸の 「利家とまつ」 メインテーマが演奏された。

  聴衆は、チャイコフスキーの第1楽章のあと楽章間拍手がかなりあって、東響新潟定期の客層とは違っていたよう。 私が思うに、主催の新潟日報社ももう少しクラシック・ファンに受けそうなプログラムを考えてくれれば、東響新潟定期の客たちも来るのではないかと。 率直に言って 「また似たようなプログラムで東欧のオケか」 と思われていそうだから。 でも実際に聴いてみればそれなりなのだから、聴衆の少ないのは勿体ないという気がするのである。

10月24日(日)     *卓球大会も場所を確保するのが大変

 本日は、新潟市内の社会人の卓球クラブ3つ――浜浦クラブ、有明台クラブ、西内野クラブ――の合同の卓球大会が新潟市西総合スポーツセンターの中体育室で行われた。 約25人が集まって団体戦とダブルスで午後1時から約3時間半にわたって卓球を楽しんだ。

 場所を確保してくれたのは浜浦クラブのM氏とN氏であるが、最近は老人人口の増加とともにその老人がいろいろなスポーツを楽しむ機会も増えているので、会場を確保するのが大変らしい。

 本日の会場も、たまたまキャンセルがあったから取れたので、そうでなかったら無理だったらしい。

 新潟市にはいくつかこのような大型の総合スポーツセンターが設けられているし、それ以外にも地域のコミュニティセンターなどに小規模な体育室が併設されている場合もある。 また、夜間には小学校の体育館などが社会人向けに貸し出されている。 それでも、この手の大会で会場を確保するのは難しくなりつつある。

 といって老人人口のためにいたずらにこの種の施設を増やせば税金を食うだけだし、といって卓球みたいな地味なスポーツの社会人大会が成り立つような民間の施設はあまり存在しない。 余暇を楽しむ人が増えるのは結構だが、それに伴って場所の問題が出てくる。 世の中、そういうものなのだろうけれど。

10月23日(土)     *鳥取県議会のバカな選択

 今年8月29日のこの欄で触れた問題 ( http://miura.k-server.org/newpage1113.htm  ) に悪しき結論が出てしまった。

   思うに、議員の知的な資質をマスコミはもっと問題にすべきではないだろうか。 この場合のような県会もそうだし、国会は言うまでもない。 

 「レモンの原理」 といわれるものがある。 「市場原理」 がうまく働かず、消費者中心主義でいくと悪貨が良貨を駆逐することになってしまう分野があるということで、その典型が医療と教育なのであるが。 (北岡孝義 『スウェーデンはなぜ強いのか』(PHP新書)を参照。)

 なお、下の引用は毎日新聞大阪版の今月9日付からだが、私がこのニュースを知ったのは新潟で売られている毎日新聞の教育欄の短いコラムからで、そのコラムは本日の教育欄に掲載されたものであり、また大阪版以外の毎日新聞には以下の記事は載らなかったようなので、そのためにここでの言及が遅れたのである。 なお、コラムには、県議から専攻科に、マスコミの取材に応じるなという圧力がかかったという言及もあって、いったい鳥取県議会の議員はどういう人間がなっているのかと、心底疑問を感じてしまった。

     *        *

 高校専攻科: 鳥取 「公立予備校」 廃止 全国唯一の浪人生指導、陳情むなし県議会可決

 http://mainichi.jp/kansai/news/20101009ddn012010068000c.html 

 ◇「高校3年間で学力を」

 鳥取県議会は8日、浪人生への大学受験指導を続けてきた米子東高校と倉吉東高校の専攻科の募集を12年度を最後に停止するとした決議案を賛成多数で可決した。全国で唯一、公立高校で浪人生を指導する専攻科の廃止が事実上決まった。【遠藤浩二】

 決議案は総務教育委員会がこの日、追加提出。廃止の理由について「ニーズは高いが専攻科に頼らず高校3年間で学力を養うべきだ」としている。

 専攻科廃止の権限は県教委にあるが、横浜純一教育長は「議決を尊重する」と廃止の意向を示している。

 専攻科は、浪人生の増加と県内に予備校が十分にないことから、1959〜61年にかけて鳥取東高、米子東高、倉吉東高に開設された。しかし、私立学校協会などから「役割は終わった」と廃止を求める声が上がり、鳥取東は09年度に募集停止して廃止された。

 授業料は年26万1600円。県立高校の年11万8800円より高いが、県内予備校の33万〜36万円に比べると負担は軽く、経済的に厳しい家庭には半額に減免する制度もある。同県内には大手予備校がなく、大阪などの予備校に行くと、下宿代を含め年250万円必要との試算もある。

 県教委が4月に実施したアンケートでは、存続を求める回答は、米子東専攻科生は96%▽倉吉東専攻科生は94%▽県中部の高校生は83%▽県西部の高校生は72%だった。存続を求める陳情が2万人を超える署名を添えて提出されたが、この日、不採択となった。

 米子東高校専攻科の女子生徒(18)は「専攻科が立ち直るチャンスを与えてくれた。残したかった伝統なので、本当に残念」と肩を落としていた。

  毎日新聞 2010109日 大阪朝刊

10月18日(月)     *強まる同調圧力――科研費に申請しないと理由を書かされる新潟大学

 近年、科研費に応募しろという声が学内でやかましい。 私は科研費という制度にあまり信用を置いていない人間なのだが、とにかく応募しろ応募しろとうるさい。

 それでも知らぬ顔の半兵衛を決め込んで応募しないでいたら、しない理由を届け出ろというメールが新潟大学人文学部長から来た。 急いで付け足すと、学部長独自にそう考えているわけではなく、学部長には学長などの大学上層部からそういう圧力がかかっているわけだし、大学上層部はまた別のどこかから圧力をかけられているからそうなるわけで、学内の個々の人間を批判したから済むということではないのだが、こういう悪の――と敢えて言っておく――連鎖はどこかで断ち切らないといけないのではないか。 だれか、「今の体制はおかしい」 と大声で叫ぶ人間はいないのだろうか。 私は以前から叫んでいるけど、ヒラの悲しさで、全然迫力がないのである。

 科研費だけではない。 何かにつけて書類作りを強いられ、またFDやらSDやらに出ろと言われ、加えて学外の学者やらなにやらを呼んでの講演会だとか研究会だとかがやたらに数多くあり (独法化以降むやみに増えた)、それにも出てくれと言われ、冗談じゃない、そんなのにいちいち出ていたら、自分の研究は言うまでもなく、授業の下調べすらできなくなってしまう。

 そういうわけで、申請しない理由を届け出ろと言われたので、先週末、以下のような文章を学部長と研究担当の副学部長とに送っておいた。 こういう文章を書くのにだってそれなりに時間を取られているのであり、科研費は申請しようがすまいがとにかく時間を奪う仕組みだと言わざるを得ない。

 なお、以下の文中の匿名は副学部長の名であるが、この文章をここに公表するのは大学の現状や科研費の問題点を知ってもらいたいからであり、学内の特定人物を攻撃するためではないので、匿名とした。

       *

  科研費に応募しないのには大小2つの理由からです。

 まず、大きい方の理由ですが、科研費という制度に私が信頼を置いていないということがあります。
 かつて私は科研費を2度得ました。しかしそれで研究が特段進んだということはなかったし、また科研費が付かなければ研究ができなかったということもありませんでした。

 具体的に述べましょう。私が獲得した科研費の一つは、「バッハオーフェン『母権論』の研究」です。これは**先生も加わっておられたので、以下で私が述べることには納得していただけると思います。

 この研究は、科研費がなければ始まらなかったでしょうか? そうではないですね。研究は科研費を得るよりはるか以前から始まっていました。バッハオーフェン全集など必要な資料が揃ったのは恒常的な研究費があったからであり、科研費がついたからではありません。要するにここでの科研費獲得は研究の大本を形成することもなかったし、研究を著しく促進させることもなかったし、ただ「付いたよ」という外見を整えるものでしかなかった、ということです。またこの研究では科研費は申請4度目にしてようやく付きました。これは、後述する事例と比較した場合、科研費採択を行う人間の判断能力を疑わせる理由として十分だと思います。 

 もう一つ、私が科研費を獲得したのは「マン家の家族史と物語芸術」というテーマです。他大学の研究者から誘われて加わったのですが、内容のオリジナリティは上記のバッハオーフェン研究に比較するとあまりなかったと私は思います。にもかかわらず、この研究は申請1度で科研費に通りました。実に不思議です。書類の書き方がうまかったのかも知れません。しかし、おそらくはメンバーの中に独文学界の有力者が入っていたことが大きかったのではないか、と私は推測しています。また、この研究(3年間)では最初は私を誘ってくれた人が責任者でしたが、途中でその人が長期海外研修に出かけてしまったので、私が責任者役を押しつけられ、おかげで煩雑な事務処理だとか研究報告を印刷するための雑用だとかをほとんど私一人でやらねばならず、ひどい目にあいました。ここで私が得た教訓は、「科研費なんて取ってもロクなことはないな」というに尽きます。

 このほか、今現在はどうか知りませんが、10年くらい前ですといつも東大文学部独文科の教員が手を変え品を変えして色々なテーマで申請してそれがほとんど毎回通っている、というような現象も見られました。(10年前、と私が書いたのは、当時は独文学会誌に科研費取得者の名が掲載されたのでそういうことが分かったけれど、今現在は掲載されていないので分からない、という意味です。)これも独文学界の科研費採択がどのように行われていたかを示す一例だと言えましょう。もっとも、東大は研究ということでは他大学に比較して責任を負う場面が多いし文献整備などにも広く目配りしなくてはならないので、つまりそれだけお金が必要なので、こういう現象を必ずしも悪いとは私は思っておりません。要するに東大は東大の都合で独文学界のなあなあ主義の体質をも利用しつつ自分の責任を果たそうとしているということです。しかしそれ以外の大学の人間は東大の真似をする必要もないわけです。

 以上、まとめると以下のようになります。
 1)科研費を取っても研究が特に進むということはない。研究を保証するのはむしろ恒常的な研究費である。
 2)少なくとも独文の分野では採択者の判断能力には信頼が置けない。
 3)科研費制度は事前事後の書類作りなど余計な手間が多すぎて研究する時間を奪う。

 ノーベル化学賞受賞者である白川英樹氏は、その著書『私の歩んだ道』(朝日新聞社、2001年)の中で、大学予算配分のアメリカ方式に否定的な見解を述べています。あらかじめ目的を明確化した研究にしか予算を配分しないアメリカ方式よりも、必ずしも目的を明確化しないまま大学研究者に予算を配分する日本方式を評価しており、自分の研究者としての素地はそうした日本方式によって作られたと明言しているのです。アメリカ方式はむしろ、自分の本当にやりたい研究をやるために俗受けするテーマを別に掲げて研究費を獲得しそれを流用するというような欺瞞を生みやすいということも指摘されています。日本における独法化以降の国立大学の「傾斜配分=善」という迷妄はノーベル賞受賞者によってとうに否定されているわけであり、アメリカ式の新自由主義経済がリーマンショックにより化けの皮をはがされたのと同じく、何でもアメリカ式にすればいいという単細胞的な考え方は研究の敵であることを知らねばなりません。

 ここで大事なのは、国際的な競争ということが言われやすい自然科学系の研究者である白川氏が上記のような意見の持ち主であるという事実です。まして研究が金儲けや起業につながることがほとんどない人文系の学問においては、恒常的な研究費が科研費などよりはるかに重要であることは常識であると私は思います。したがって、学長がどうこう言っているから人文学部もその通りにするというのではなく、人文系の学問のことをあまりご存じない学長に対しては人文系の学問およびその経費のあり方について諫言されるのが、人文学部長のお仕事ではないかと僭越ながら考えるものです。

 次に小さい方の理由です。上記のような大きな理由のために、私は科研費に応募する気がまったくありませんでした。なおかつ9月下旬には休暇をとって旅行に出かけており、説明会にも参加できず、また旅行の準備のためそれ以前からバタバタしており、したがって科研費に関してはまったく用意ができておりませんでした。加えて現在は来年1月末と4月末〆切の翻訳の仕事をかかえており、それなりに多忙です。したがいまして、今年度は科研費への応募はまったく考えておりません。

 ただし、何が何でも絶対科研費に応募しないと決めてかかっているわけでもありませんので、人文学部全体の要請ということであれば、来年度は考えたいと思います。もっとも、私の科研費への見解は最初に記したとおりであり、言うだけなら易しいと言われるかも知れませんが、応募制ではない研究費の確保が人文学部としてなすべきことであると考えます。科研費だけではなく、学内のお金も傾斜配分をすれば善というような考え方が横行しておりますが、これはまったくの迷妄だと思います。学内のお金の配分のやり方についても、人文学部として学長などにはっきり意見を言っていくのが筋であろうと考えます。 

10月16日(土)    *石井玲子&斉藤美和子 ピアノデュオリサイタル 第2回: 20世紀の響き     

 本日は、予定していなかったのだが、思い立って標記の演奏会に出かけた。 音楽文化会館で午後2時30分開演。 ちょっと気がくさくさしていたので気分転換にと言ったところ。 無料コンサートであったこともあるかな。

 石井さんと斉藤さんはいずれも新潟県立大学の専任教員。 後半で登場したパーカッションのお二人も、新潟県出身で新潟を中心に活動しておられる方である。

 S・バーバー: スーヴェニール「バレエ組曲」op.28より  3.パ・ド・ドゥ、6.ギャロップ
 H・デュティユー: 「響きの形」より   No.1、2、4
 C・グアスタヴィーノ: 3つのアルゼンチンのロマンスより  第1番「サンタ・フェの娘たち」
 ラヴェル: ラ・ヴァルス
 (休憩)
 バルトーク: 2台のピアノと打楽器のためのソナタ

 10分ほど遅刻してしまい、最初のバーバーは聞き損ねた。 デュティユーから聴いたのであるが、これは現代曲という以外にこれといった感想はない。 次のグアスタヴィーノは、まあポピュラー的で聴きやすい。

 前半はやはり最後のラ・ヴァルスが核心だっただろう。 もっとも私は管弦楽版でしか知らず、ピアノ連弾用は初めて聴いたのだが、客席から見て左側の斉藤さんは打鍵が強くてすっきりした音、右側の石井さんは響きを重視した音作りかな、という印象で、お互いの個性を活かして一つの音楽を練り上げていく様子が興味深く思われた。

 後半は、パーカッションの本間美恵子さんと大越玲子さんが加わってのバルトーク。 私はバルトークというのはどうもよく分からないんで、この曲もよく分からないのだけれど、メロディではなく打つ音の連鎖による4人の共演が見ていてそれなりに面白かった、ような。
 
 その後4人によるアンコールもあり、何の曲かは知らないが、本間さんが客席後ろから皮なしタンバリン (だと思うけど違ったらごめん) を鳴らしながら登場し、お客にも鳴らさせたりして、客席と舞台との融和を図っていたのがよかった。

 途中休憩15分を入れて1時間半のコンサート。 客席もまあまあ埋まっており、それなりに楽しめた気がする。

10月15日(金)     *学問三流国ニッポン――ならば、学問で 「町おこし」 はいかがかな〜♪

 本日の産経新聞記事より。

 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101015/acd1010150146000-n1.htm 

 考古学蔵書英国に流出へ 「登呂」 関連など協会の5万6千冊

 考古学で国内最大の学会、日本考古学協会 (東京、菊池徹夫会長) が所蔵している遺跡発掘報告書など約5万6千冊の蔵書について、保管コスト高などを理由に英国の研究所に一括寄贈することを決めたことが14日、分かった。 弥生時代の生活ぶりの解明につながった登呂遺跡 (静岡市) の報告書など戦後60年以上にわたって蓄積された貴重な蔵書がそろい、会員からは 「海外流出は文化資産の損失」 と反発する声がある。 協会は急遽(きゅうきょ)、16日に兵庫県で臨時総会を開き会員の意見を聞くが、紛糾が予想される。

 考古学協会は昭和23年に設立され、大学教授や自治体の教育委員会の発掘担当者ら約4200人が会員。

 蔵書は当初、都内の協会事務所で保管していたが、手狭になり、30年ほど前から千葉県市川市の市川考古博物館や都内の倉庫で保管。 現在は一括して埼玉県所沢市内の倉庫に置かれている。

 蔵書の利用は、市川考古博物館に保管していた当時は年間数人程度で、倉庫の蔵書は段ボール箱に入れられたまま。 一方、倉庫の賃貸料などに年間約100万円かかるうえ、資料を整理して常時閲覧ができるように整備すると多額の費用がかかる。

 協会は 「保管は限界」 として、平成19年度に蔵書の一括寄贈の方針を決定。 昨年、寄贈先を公募したが、国内の研究機関などからはゼロで、唯一応募した英国のセインズベリー日本芸術研究所に決まった。

 同研究所は、大英博物館で土偶展を開くなど日本文化の研究に実績もあるため、考古学協会の理事会は寄贈先に選定。今年3月に寄贈の覚書を交わした。今後、数年かけて蔵書の目録づくりが行われた後、英国に運ばれる予定になっている。

 ただ、この経緯について 「理事会だけで進められ、十分な説明がない」 と一部の会員が反発。会員の1割以上約500人の反対署名が集まった。

 寄贈に反対する橋口定志・東京都豊島区教委学芸員は 「蔵書は戦後の日本考古学の発展過程を示す文化的財産。 海外放出は学問的危機」 とし、「コストや保管場所の確保で難しい面もあるが、蔵書の有効活用を考えるべきだ」 と訴える。

 考古学協会理事の石川日出志・明治大教授は「蔵書の活用について何十年も議論したが、具体化する目途が立たない以上、現実的な方法を探るしかなかった。国内で保管したかったが苦渋の選択」と話す。

     *      *

 以下、当サイト製作者のコメント。

 何にも言いたくなくなる記事だけど、国立大学の行政法人化による大学貧困化の進行とか、国家予算内で高等教育に向けるオカネの比率が先進国中最低であることとかとあわせて、日本ってつくずく学術にカネを使わない国なのだなあ、ということが身に沁みて分かります、はい。 あまつさえ、日本に引き取り手がない蔵書類を英国が引き取るとあっては、まさに国辱ものではないか。

 ・・・・てなことを書いて慨嘆してばかりいても仕方がないので、一つ提案をしよう。 日本のどこかの地方自治体で、考古学会の蔵書を引き取るところはないだろうか。 つまり、最近になっても地方自治体はハコモノ行政が横行していて、例えば私の住む新潟市でも、同じようなホールを何カ所も作っているんだけど、どう見ても無駄なのだね。

 もうホールはたくさん! むしろ、こういう学会の蔵書を受け入れられる図書館を作ったらどうだろうか。 単に図書館作りをするだけではない。 それによって 「考古学のメッカ」 たる都市を目指すのである。 考古学の学会とタイアップして考古学関係の博物館を作ったりと、色々考えられることはあるはず。 考古学という学問によって、最近はやりの言葉で言うところの 「町おこし」 を目指すのである。

  また、蔵書を受け入れる図書館を作る交換条件として、考古学の学会を3年に1度その都市で開くということにしてもよかろう。そうすれば、学会のあるたびに多数の学者がその都市を訪れるから、ホテルやレストランにはオカネが落ちて、その都市自体もうるおうことになるはずである。 だから蔵書を受け入れる図書館作りはいわば先行投資になるわけだ。

 どっかの地方都市で、こういうアイデアを受け入れるところはないですかね。 無論、考古学でなくても、他の分野の学問でもいいのですが。 私のアイデア料は無料で結構ですから (笑)。

10月13日(水)    *教養科目・西洋文学LUをめぐる数値

 いつもやっているけど、今回もやります。 水曜1限に出している西洋文学LUの聴講についての数値。

 今回は、定員150名に対して、318名が聴講を申し込んだ。 競争率2,12倍。

 まず抽選をして仮当選者を150名出した。 学部ごとの申込者数と全体の倍率を勘案して、学部間の不公平が生じないように調整した上での抽選である。 そのほか、工学部のように人数の多い学部は、さらに学科ごとの不公平が生じないように調整した。

 そして150名の仮当選者のうち、 「聴講意志確認」 を行った者だけが本当選となる。 結果、30名が聴講意志確認を行わなかった。 この数値には、最初の授業で当方が説明した聴講意志確認の方法をとらなかった者も含まれる。 第1回の授業に出席してこちらの説明を聞いて、その通りの方法で聴講意志確認を行わないと無効なのである。

 そして本日、空きができた30名分について第2次抽選を行った。 これには第1次抽選で落ちた者だけが参加資格を得る。 52名が参加した。 競争率1,73倍だが、 1次抽選に加わらなかった者はあらかじめ排除されたので、排除された者を入れれば倍率は2倍程度になったと思われる。

 以下で学部ごとの数値を挙げておこう。

        A=第1次抽選仮当選者数、 B=Aで聴講意志確認を行わなかった者の数、 C=第2次抽選当選者数 

        A    B   C

 人文    19   2   2

 教育    23   9   4

 法      10   3   3

 経済    12   5   1

 理      16   7   4

 医      5    0   0

 工      59   3   15

 農      6    1    1

 以上から明らかなように、2次抽選では圧倒的に工学部生が多くなっている。 30名中半分が工学部生である。 第1次抽選でも工学部生は多いが、150名中の59名で比率としては約39パーセントだから、つまり一度抽選に漏れても再挑戦する場合が多いことが分かる。

 一方、1次抽選で当選しながら聴講意志確認を行わなかった者の比率が高いのは、理学部約44パーセントでワースト1位であり、経済学部が約42パーセントでワースト2位、教育学部が39パーセントでワースト3位となっている。 これらの学部の学生は、良く言えば安全志向が強いわけであり――つまり色々な科目を取る可能性を確保しておくという意味で――、悪く言えばどうしてもこの科目を取らなければという学生を押しのけてでも取ってしまう無責任な性格が強いと言える。 ま、私の本音は後者ですけどね。

10月9日(土)     *鈴木理恵子と若林顕のデュオ      

 本日は午後2時から標記の演奏会に出かけた。 場所は北区、というか豊栄と言ったほうが分かりやすいと思うけど、そこに新築された北区文化会館ホールである。 もちろん行くのは初めて。 チケットは3000円。

 ホールはできたばかりのことだけあり、入るとペンキ塗りたてみたいな匂いがぷんぷん。 収容人員は500人強と言うことだから新潟市音楽文化会館を同じくらいだが、客席の傾斜もわりにあって、スペース的には少し広く感じられる。 私の座席は11列25番。 中央ブロックの右端の席。

 プログラムは下記の通り。

  ベートーヴェン: ヴァオリンソナタ第7番ハ短調
  ブラームス: ヴァイオリンソナタ第2番イ長調
  (休憩)
  シューベルト: 楽興の時op.94-3(ピアノソロ)
  ショパン: 舟歌嬰へ長調op.60(ピアノソロ)
  サン=サーンス: ヴァイオリンソナタ第1番ニ短調

 鈴木さんは青緑色のドレス――ただし下の方は色が濃くなっている――で登場。

 演奏であるが、できたばかりのホールで響きはどうなのかなと期待と不安が混じり合っていたのだけれど、ちょっと響きすぎじゃないかなと思った。  特にピアノの音はタッチが曖昧に聞こえるくらい響いている。 ただ、ヴァイオリンの早いパッセージの音はあんまりこちらに来ない嫌いがある。 だからベートーヴェンの最初の楽章はヴァイオリンがピアノに負けている感じで、ピアノのフタ、もう少し閉めたほうが良かったんじゃないか、と思った。 だけど次の緩徐楽章になったら、ヴァイオリンの音がわりにこちらに来るのである。 ホールのせいか、最初はご本人が固くなっていたためか、或いは鈴木さんの持ち味のせいかは分からないけど、少なくともこの日に限って言えばゆっくりした楽章で実力が発揮されたようだ。

 2曲目のブラームスはその意味からもとても良かった。 うーん、いい曲だな、音楽が身に沁みるなと感激。 最後のサン=サーンスも良かった。 音が、ベートーヴェンの時に比べてよく出ていた。

 その後のアンコール、すごかった。 何しろ6曲! 途中でやるはずの曲の楽譜が出てこなくて予定を変更したり、途中の経過も楽しかった。 正規プロの中でのお話は正直言って面白くなくて、演奏家もスピーチやるからにはもう少ししゃべり方だとか話題の選び方を勉強したらどうかなと首をひねったくらいだが、アンコールに入って地が出た (笑) のか、むしろ客席とのコミュニケーションが良かったような気が。

 マスネ: タイスの瞑想曲
 ドヴォルザーク: 我が母の教えたまいし歌
 ファリャ: 「スペイン民謡組曲」 から 「ポロ」
 ガーシュイン: 「ボギーとベス」 から 「そんなことはどうでもいいさ」
 モンティ: チャールダッシュ
 パラディス: シチリアーノ

 というわけで、正規プロもそれなりだし、アンコールも楽しかったし、いい演奏会であった。 ただ、客の入りはイマイチだし、楽章間拍手もあったりしたので、今後このホールをどう活かしていくか、演奏家はもとより運営側の努力も必要であろう。

 演奏会終了後、CDを買ってサインをもらった。 握手もしてもらう。 至近距離で見る鈴木さん、なかなかきれいでしたよ。

 でも、自宅に帰ってからCDを聴いたら、本日ホールで聴いた音と全然違うのにびっくり。 え? お前の装置が安物だからだろうって? いや、最初ズーカーマンのディスクを聴いて、その後に鈴木さんのをかけたのだけれど、音が歴然と違うのである。 この日買った鈴木さんのディスクについては後日改めてということにするけど、ホールは楽器である、という言葉の意味が痛感された一日であった。

10月5日(火)    *天下の暴論――大和やWithの跡地は公園にせよ!

 新潟市では相変わらず、大和デパートの撤退後の建物をどうするかとか、カニ道楽が入っていたWithビルからテナントがすべて撤退してビルが壊されるのを待つばかり、というような不景気なニュースが跋扈している。

 私はウィーンから戻ってきて、何となく時差ボケがそのまま頭脳ボケとなって残っているようなところがあって――もともとボケていたという噂もあるが――何なのであるが、この際だから、思い切って暴論を吐いてしまおう。

 大和デパートの跡地 (まだ建物は建っているけど) だとか、Withの跡地は、新潟市が購入して公園にしたらどうだろう。 私はウィーンに一週間いて痛感したのだが、日本の都市はどうしてこんなに道路やなんかがせせこましいのか。 もっと道路を広く取って、公園などの公共空間もふんだんに作って、ゆったりした街作りを目指すべきではないか。

 といっても道路を広げるのはそうそう簡単にできることではない。 だけど今、古町近辺では事実上、使い道のない空間が増えてきているのだ。 だったらこれがいい機会じゃないだろうか。 昔みたいなびっしり店舗が並ぶ繁華街の夢よもう一度などと考えるのではなく、この際だから使い道のない空間は公園にしてしまって、市民がゆったりと過ごせるエリアを作ろうという発想に切り替えたらどうだろうか。

 大和デパートの建物を壊して更地にすると、西堀通と征谷小路の角にある三菱東京UFJ銀行が離れ小島になって取り残されるが、三菱東京UFJ銀行には古町と征谷小路の角に移ってもらい、残りの更地はまとめて市立公園とする。 Withビルの場合はもともとまとまった角形の敷地だから、全然問題はなかろう。

 大和やWithビルだけではない。 古町通にしても、例えばある区画の一方の側は公園にしてしまって、その代わり逆の側に店舗を集めるというような大改造をやってみてはどうだろう。 昔より店舗の数が減っているわけだから、その気になれば可能なはず。

 公園の緑や噴水があって、市民がくつろげるベンチがふんだんにあって、同時に新潟の伝統的な店舗もある、というような風景を新時代の繁華街のあり方として模索する――こういうアイデアを実行に移す人はいませんかね。 私のアイデア料は無料で結構ですが (笑)。

10月2日(土)    *ブリューゲル版画の世界

 新潟市美術館に標記の美術展を見に行く。 新潟市美術館に来たのも久しぶりだ。 何しろ館内にクモが出るという不祥事のためしばらくお休みになっていたし、見る気になるような展覧会は本当にしばらくぶりだからだ。

 ブリューゲルというと、いろんな人物だとか魚だとか怪物だとかが入り乱れて画面に登場する色彩画がすぐに思い浮かぶけど、版画も結構たくさん残しているらしい。 彼やその近辺の画家たちの版画を集めたのがこの展覧会。 色彩がないのはちょっと物足りないが、庶民の日常的な暮らしぶりなんかを捉えた版画が豊富で、それなりに見応えがある。

 また当時一般的に流通していた美徳や悪徳を視覚化した版画も少なくない。 美徳や悪徳をイメージでどう表していたかを知るのも、当時のヨーロッパを考察するためには欠かせない知識だ。

 入場料は当日券の大人で千円ぽっきり。 一見の価値はあると思う。 興味のある方は10月17日までですので、お見逃しなく。 下 (↓) に案内サイトあり。

 http://www.ncam.jp/ 

 常設展示場にも久しぶりに入ってみたけど、作品がだいぶ入れ替わっていました。 購入しても展示されていない作品が多いという批判が、たしかクモが湧いた問題を検討する委員会から出ていたはずで、そのせいかな。 でも、現代美術ばっかりで、私の趣味にはあんまり合わないんだなあ。 新潟市美術館はこういう作品しか買っていないんだろうか。 もう少し傾向の違うものも見せて欲しいけど。

9月29日(水)     *ウィーン出発

 本日はウィーンを発つ日。 飛行機の出発は昼過ぎなので、特に早起きすることもなく、普通の時間に朝食をとり、フロントで勘定を済ませ、お世話になりましたと言ってホテルを後にして、徒歩でウィーン西駅に向かう。

 このホテル(Boutiquehotel Stadthalle)、3つ星ホテルで、1泊朝食付きで約1万円 (89ユーロ) と手頃な値段であり、朝食のバイキングは十分満足できるし、部屋の設備もデラックスではないがトイレ・シャワー・書き物机など必要最低限のものは揃っていて悪くないのだが、一つ、ベッドに難点があった。

 たまたま私の部屋がそうだっただけなのかもしれないが、ベッドの一方が壁にぴったりくっついており、逆の側からしかベッドに乗れないようになっている。 そしてベッドのクッションが、壁側で堅く、逆の側で柔らかいのである。 つまり、普通に寝ていると壁と逆の側のクッションの方が体の重みで大きく沈むので、下手をすると床に落ちそうになる。 おそらく、長年使っているうちに、どうしても壁と逆の側は椅子代わりに使ったりもされるのでクッションが柔らかくなり、壁側と硬さに差ができてしまったのであろう。 ベッドはセミダブルではなく幅は85センチ程度しかないから、どうにも寝にくかった。

 閑話休題。 ウィーン西駅前から空港行きのリムジンバスに乗る。 改めて気づいたが、この場所には大きな看板が立てられていて、そこに各国語で 「ウィーンにようこそ!」 という言葉が書かれているのである。 ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語を初めとするヨーロッパ語がほとんど、というか、ほぼ全部で、例外は日本語だけである。 しかし、1週間ウィーンに滞在して、中国人や韓国人の姿をずいぶん見かけた。 おそらく、ここに中国語と韓国語が加わる日は遠くあるまい。

 ウィーン空港では発券システムがほぼ機械化されていて、ちょっと戸惑った。 私にはやり方が分からないのだ。 たまたまその時は近くにサポートしてくれる係員もいなかったのであるが、或る発券機に近づいていったら日本人の若い女性とかちあって、あちらが 「お先にどうぞ」 と譲ってくれ、「やり方が分からないんですが」 と言ったら、親切に教えてくれた。 ありがとうございます。 日本女性はやはり素晴らしい (と言っておこう・・・・汗)。

 飛行機の座席は、来たときと近い、後ろの方の右寄り通路側。 今回の旅行では、自分でネットを通じて座席を指定して予約したので、好みの位置が確保できた。 

 飛行機に乗るとき入口に各種新聞が置かれている。 私は朝日新聞の国際版とドイツのZeit紙をとった。 座席に落ち着いてからまずZeit紙を見たら、ドイツが第一次 (第二次ではない!) 世界大戦時の賠償金をようやく払い終えた、という記事が第1面の中ほどに載っていて目を惹いた。 ふうん、第一次大戦次の賠償金は、第二次大戦という大惨事があったのに踏み倒していなかったのか、と感心もし、呆れもしたのであった。 (この記事は後日、読売新聞などに転載されたようである。)

9月28日(火)     *日中はシュテファン大聖堂、ベートーヴェン・ハウス、アルベルティーナ美術館、そして夜はブダペスト祝祭管弦楽団

 ウィーンで観光に使える最後の日。 朝は晴れていたのでコート無しで出かけたが (ただしチョッキは持参)、途中から雲って強風が吹き荒れて雨も混じり、昨日とは逆になった。

 まず、シュテファン大聖堂に行く。 オーディオガイドを借りて内陣を見学する。 オルガンだけで3台あるのが目を惹いた。 内陣ではないが入口近く、入って左側の壁に、幼きイエスの聖テレジアの写真があって祈祷所が設けられていた。 フランスの聖女がなぜウィーンのこの場所に祈祷所を持っているのだろうか?

 その後、案内人に連れられて地下の納骨堂を見学。 骸骨の山などがありました。 そのあと、エレベータで塔に上がろうとしたが、ちょうど12時になり、12時からはミサがあり入れないと言われたので、やむを得ず午後に繰り越す。 少しミサの様子を見てから、ショップでこの大聖堂についての日本語ガイドブックを購入して、いったん外に出る。 

 ただ、シュテファン大聖堂は総じて観光地といったイメージで、あまり聖なる場所という感じはしなかった。 ヴァイオリニストで東京交響楽団コンサートミストレスの大谷康子さんは、ウィーンでこの建物に入るたびに気持ちが改まるという意味のことを書いておられたが、私はちょっと違った印象を持った。

 地下鉄でツィーグラーガッセ近くのスーパーに行き、土産物を買い足す。 いわゆる土産物屋さんで買うより3割以上安い。 土産物はスーパーで買うべし。

 それから大聖堂に戻ってエレベータで塔に上がったのは良かったが、実は事情をよく知らず、塔に上がるといっても建物内部だと思い込んでいたのだが、そうではなく、何と屋根の上に出るのである。 歩けるように台場は築かれてはいるけれど、これは私のように高所恐怖症の気がある人間には・・・・・なので、足がすくんでしまい、歩くのも容易ではない。 とほほほ。 かろうじて高いところからウィーン市内の写真を何枚か撮って、早々に下に降りる。

 それから地下鉄でオペラ座前に出て、そこの市電停留所前にあるスタンドでホットドッグと缶ビールを買って昼食。 6ユーロ弱。 このホットドッグがものすごくでかくて、日本では見かけないシロモノである。 1回では食べきれないので、半分残してあとはおやつにしようと紙に包んでバッグにしまう。

 それから市電に乗ってベートーヴェン記念館を見に行く。 パスクァラティハウスといい、ウィーンの中心街の一角、ウィーン大学のそばにある。 ベートーヴェンがいわゆる 「傑作の森」 を書いていた頃に住んでいた住宅。 といっても集合住宅の5階であり、現在でも他の階には一般人が住んでいるせいか、表示は比較的小さく目立たない。 最初5階まで上がる階段が真っ暗で、一瞬灯りもないのかと愕然としたけど、いくら何でも21世紀にそれはないだろうと思って探したらスイッチがあった。 しかしベートーヴェンの記念館に通じる階段としては、どうなんだろう。

 中には係員が2人いるけど、オーディオガイドもないし、数部屋に展示された楽譜だとか関係者の肖像画を見て回るだけで、すぐに終わってしまう。 入場料はたった2ユーロだけど、まあその程度の展示かなと思う。 要するに 「ここに実際にベートーヴェンが住んでいた、そこにオレは今いるのだ」 というだけの話。 ただ、ハイリゲンシュタットの遺書を書いた家と比べると部屋数も多く、この時期は結構売れていたんだろうな、と思ったのである。

 それから、予定では改めてハイドン・ハウスに行ってみようと思っていたのだが、風が強くなってきているのにノー・コートであること、トイレに行きたくなってきたこともあり――ベートーヴェン・ハウスにはトイレがなく、近くの市電の停留所 (売店もある結構大きな停留所なのに) 付近にもない――予定を変更してアルベルティーナの美術館に行く。 美術館ならトイレもあるし、すわる場所もあるし、ゆっくり絵画を鑑賞していけば夜のコンサートまで時間をつぶせるだろうと考えたのだ。

 しかしこのもくろみは、トイレ以外ははずれてしまった。 この美術館は常設の展示が少ない。 常設以外にピカソ展をやっていたが、当方はピカソにはあまり興味がないのである。 カスパル・ダーフィト・フリードリヒやエゴン・シーレのスケッチもあったが、裸体画でさほど感銘は受けなかった。

 このほか、昔の貴族生活の紹介もあったけれど、美術館としてはベルヴェデーレや美術史館に遠く及ばない。 というわけで、時間をつぶすことができず、いったんホテルに帰って休むことにした。 このとき、市電でホテルまで帰るはずが、またしても事故で、地下鉄を使うことになった。

       *

 ウィーンで過ごす最後の夜は、コンツェルトハウスで行われるブダペスト祝祭管弦楽団の演奏会に出かけた。

 座席はあらかじめインターネットで予約しておいたもので、値段は61ユーロ(約7000円)、場所は2階の脇、ロジェ(Loge)と呼ばれる桟敷席である。 このホールの2階脇は壁で仕切られた桟敷席になっているのであるが、国立歌劇場のように完全な個室が並んでいるのではなく、隣りとの間にはすわった客の頭の高さくらいの側壁があるだけ。 仕切られたスペースは、基本的に2人分3列、つまり6人用 (ただし場所によってスペースに多少の違いがあり収容人数にも多寡がでてくる)。 椅子はムジークフェラインと同じで、作りつけではなくごく普通の椅子。 そうした仕切られたスペースがいくつも並んでおり、スペースごとに番号が振られているのだが、左右脇席とも中央付近に2スペース分の桟敷が設けられており、そこには番号がなく、「ディレクターのLoge」 と書かれており、それぞれ145人くらい入れるようになっている。 恐らく招待客などのために作られたスペースなのではないか。 私のLoge番号は左の4番、つまり左脇の舞台にやや近い方で、その中の2列目。 Logeの中は上記のように3列だが、階段状の床に椅子が置かれているので前の客の頭が邪魔になることはない。

 この日の演奏者とプログラムは下記のとおり、のはずだったのだが――

 指揮=イヴァン・フィッシャー、ピアノ独奏=アンドラーシュ・シフ

 ブラームス: ピアノ協奏曲第1番
 (休憩)
 バルトーク: ルーマニア舞曲Sz47a
 バルトーク: オーケストラのための協奏曲

 開演の三十数分前に会場に着いて、2階桟敷席のある建物3階のロビーに上がりパンフを2,6ユーロで買ったが、なかなか開場にならない。 開演前30分を切っても入れないのである。 ロビーにはホールを映し出すテレビが備え付けられているが、舞台で調律師が延々とピアノの調律をしている。

 どうしてこんなに遅いのかな、と思いながらパンフレットを拾い読みしていたら、途中に紙切れが挟まっていた。 ガーン! アンドラーシュ・シフ急病のため、代役としてデヤン・ラツィク (Dejan Lazic、最後のcの上にアクサン記号あり) が出演とのこと。 ああ、そうか、と思った。 おそらく急遽代演が決まったので、ピアニストとオーケストラの合わせが開演直前までかかり、そのあと調律となったため、開場が遅れているのであろう。

 結局、開演8分前になってようやくホールに入ることができた。 開演は定刻より5分余り遅れたが、演奏前に支配人が舞台に登場し、ピアニストがやむを得ない事情で変更になった、お赦しいただきたいと釈明した。

 なお、デヤン・ラツィクについて後で調べたら、彼のサイトもあり、それによるとクロアチアのザグレブの音楽一家に生まれ、その後ザルツブルクに移り、そこのモーツァルテウムで学んだようである(↓)。 他のネット情報では来日もしているようだ。

 http://www.dejanlazic.com/biography.html 

 さて、その代演によるブラームスのピアノ協奏曲第1番である。 登場したラツィクは黒のワイシャツ、黒のズボン、黒の靴という黒ずくめの服装。 大きな身振りで聴衆にお辞儀をしてピアノの前にすわる。 オケは、左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという編成。 コントラバスは最後尾中央に並んでいる。 ピアノ独奏であるが、よく言えば若い世代の伸びやかで自分なりの情感や主張をこめた演奏ということになるだろうか。 以前、りゅーとぴあでゲルハルト・オピッツがこの曲を東響定期でやった。その時たしか指揮のスダーンは、ブラームスの協奏曲をやるにはオピッツのようなピアニストでなければ、と言っていたと記憶する。つまり打鍵が強靱で正統的な解釈をするピアニスト、ということだろう。

 今回はオピッツのような規矩を第一に考えた演奏ではなく、特に叙情的な箇所では独特の感性、喩えて言えば柳みたいな、つまりしなやかだけど所在感があまりないような、そんな感じがうかがえた。 無論、強く弾くべきところでは強い打鍵を見せるのだが、全体の印象で言うと、形があまり決まっておらず、不定形というのか、受け取り方次第でどうにでもなるような曲の捉え方をしているように思えた。 客の拍手は盛大だったが、テクニック面では問題ないけど解釈としては評価が難しい演奏だな、というのが私の感想である。 そのあとアンコールがあり、ラツィク自身が曲名を言ってから弾いたのであるが、私には聞き取れず、曲の感じはD・スカルラッティの鍵盤曲を現代風に弾いているみたいに聞こえた。

 さて、後半のバルトークである。この日の白眉は何と言ってもオーケストラのための協奏曲であろう。 ウィーンに滞在して聴いたいくつかのコンサートの中でも秀逸な演奏だったと思う。 舞台に比較的近い2階脇席なのでイヴァン・フィッシャーの指揮ぶりがよく見えたのだが、彼の腕や手の動きによく合うように楽団員たちが弾いているのが実にはっきりと分かるのだ。 管楽器が特にすばらしい。 トランペットなどの金管が、単に安定しているというだけでなく、「金管ってのは、こういう音なんだな」 と、言うならば模範演奏を聴いたように感心のしっぱなし。 木管も負けず劣らずで、特にフルートとピッコロがよく通るいい音色を出していた。

  私はこの曲は実演では何度か聴いているけれど、さほど好きではないと言うか、あんまりよく分からない曲だったのだが、イヴァン・フィッシャーの指揮と楽団員のぴったり息のあった演奏を聴いていたら、何だか分かってきたような気がしてきた。

 圧倒的な拍手に応えてアンコール。 私の聞き違えでなければ、ヨハン・シュトラウスの 「山賊ギャロップ」 が演奏された。 ウィーンで過ごした夜の締めくくりとして、十二分に満足できる演奏会であった。

 ところで、私の前にはウィーン子と思われる若い男女のカップルがすわったのであるが、演奏が始まってからもしじゅうお互いに何か耳うちしあったりしていて 「目障りだな」 と思っていたところ、ブラームスの第1楽章が終わったところで女の子の方が席を立ちどこかに行ってしまった。 トイレか何かかと思ったが、第2楽章の途中で男の方も席を立っていなくなり、結局その後終演まで戻ってこなかった。 目障りなのがいなくなって良かったのには違いないけど、あいつら何だったんだいう気持ちも。

 また、私の隣席は大柄なアジア人で、あごひげをはやし頭髪は少し薄くなっていて30歳くらいの感じであったが、服装や雰囲気からすると日本人ではなく中国人ではないかと。 演奏中に手を動かして第二独奏者になったり第二指揮者になったりしていたけど、シロウトの音楽ファンではなく専門にやっている人間のように思えた。 といっても、ズック靴に、大きな荷物をクロークに預けもせずに椅子の下に入れておくという様子からするとウィーンに暮らす留学生とは思えず、音楽専攻だけど旅人だったのかも知れない。

 演奏会が終わってから改めてチケットを見てみたら、右上に 「ウィーンの乗車券として使えます」 と書いてあるのである。 「へ?」 と思い裏を見てみたら、「催しの2時間前から6時間後まで公的な交通機関で乗車券として通用」 と書かれている。 公的な交通機関とは、地下鉄と市電とバスである。 ウィーンではこれらの交通機関は共通の乗車券で乗れるのだが、そのチケットとしても使えるというのだ。 スポンサーか何かの関係だろうか。 あとで調べたが、ムジークフェラインや国立歌劇場のチケットにはそういう記述はない。 だけど2夜目にこのコンツェルトハウスでウィーンフィルを聴いたそのチケットには同じことが書かれていた。 どうやらコンツェルトハウスでの演奏会だけの措置のようだ。

 このあと地下鉄でホテルに帰ったが、ここで初めて検札に出会った。 ウィーンの地下鉄には日本と違って改札口がない。 だからチケット無しでも乗れてしまうのだが、その代わり時々検札が回ってきて、その時チケットがないと多額の罰金を取られる。 これは市電やバスでも同じことで、乗客は乗り降りするときにいちいちチケットを買ったり示したりしない。 チケットは停留所もしくは車内の自動販売機で買う。 原理は地下鉄と同じことである。

 ウィーンに1週間滞在して、1度しか検札に合わなかった。 検札に出会う確率はこの程度なのだ。

9月27日(月)     *日中はベルヴェデーレ宮殿、市電の事故の多さ、そして夜は オペラ 『運命の力』

 本日は、市電を利用して、ベルヴェデーレ宮殿の見物に行く。 ウィーンをトルコ軍から救ったオイゲン公の夏の離宮で、現在は美術館になっており、ウィーンの中心より南よりに位置する。 市電は途中で乗り換えたのだが、そこに韓国人の団体旅行客が乗っていた。 ウィーンには韓国人も結構来ているなと改めて実感する。

 Belvedere はベルヴェデーレと発音するはずだが、市電の案内はベルヴェデーアと発音していた。 最近のドイツ語は発音が英語化してきているような気がするのだが、これもその一つの徴候か。

 宮殿は上宮と下宮に分かれており、上宮には日本語のオーディオガイドもある。 韓国語や中国語は今はないようだが、この調子だと遠からずできるだろう。

 昨日はゼセッシオンの展示に失望したが、本日のベルヴェデーレはその分を取り返したような充実ぶり。 クリムトの作品も多いし、エゴン・シーレや、ウィーンのビーダーマイヤー期、古典期、中世期の絵画もあって、ウィーン近辺の絵画史をたどろうとする人にはこたえられないだろう。

 ただし、オーディオガイドの説明が詳しすぎて長いので、全部をまともに見ようとすると丸一日を要する。 私は途中でオーディオガイドを全部聴くのは止めたのだが、それでも上宮を見終えたのは午後2時半過ぎであった。

 付属のカフェ&レストランで昼食をとる。 鶏肉のカツ(4切れもある)とサラダ、それにレモネード入りのビール。 ビールは普通のにしたかったのだが、なぜか普通のビールは0,31L入りのビンしかなく、0,5L入りのビールはレモネード入りのと白ビールしかない。 この日は晴れで、朝方は冷え込んだが、途中からかなり暑くなっていたので、のどの渇きをとめるには白ビールよりはレモネード入りのほうがまだマシかという判断でこちらにした。 味は、まさにレモネードとビールを混ぜたような味でした (笑)。 以上で14,2ユーロ。 チップも入れて15ユーロ渡す。

 そのあと下宮を見物に。 上宮との間には広い庭園があるが、シェーンブルンのような森はない。 下宮は規模が小さく、1階のみが美術館になっている。 日本語のオーディアガイドもないし、目で見るだけで済ませる。 ただし、「Schlafende Schoenheit 眠れる美女」 というテーマでの展示があって興味深く、それにはカタログもあったので、購入。 もっともドイツ語版ではなく、英語版のカタログ 「Sleeping Beauty」 の方にした。 なぜかというと、学生が卒論などを書くときに貸してやる場合がありそうだと思ったからで、そうなるとドイツ語より英語の方が学生には分かりやすいから、という理由による。 教師家業も楽ではない(?)。 

     *

 いったんホテルに戻り、ビールを飲みながら休憩をとり、夜は、昨夜に引き続きシュターツオパーに出かける。

 地下鉄の駅はホテルからやや離れているので、午前中ベルヴェデーレに行ったのと同じく市電を使うつもりで出かけた。 ところが運行途中で無線連絡があり、途中事故で先に行けないというので、ウィーン西駅のところで下ろされてしまった。 車両は西駅から待避線と思われる別の線路に入っていった。 客たちは降りた後、街の中心部に向けて歩いていく。 私もそれに倣ったが、しばらく行くと市電車両が何両も団子状になって止まっている。 この辺が市電の弱みで、バスなら別の道路を利用するといったことができるが、線路を走る電車はそうはいかないのだ。

 途中で、このままの道路を歩いていても地下鉄駅を利用できないと気づいた私は右に折れて、しばらく歩いて地下鉄駅を見いだし、地下鉄でオペラ劇場に向かった。 なお、ウィーン市電はこの日以外にも、事故で下ろされたり、駅の電光掲示板に「事故で遅延」の文字が出たりして、1週間ウィーンに滞在して3回も運行に支障が出ているのを見たわけで、結構事故が多いんだな、と思った。 この辺は、新潟市の路面電車待望論者には参考になるのではないか。

 閑話休題。 本日の出し物はヴェルディの 『運命の力』。 昨夜と同じく当日券窓口で予約証明を出してチケットに換えてもらったが、当日券の有無の掲示を見たら、本日は高価な席が1ブロックだけ空席ありになっていた。

 本日の席は、右側のボックス席。 業者にはランクだけ指定して (上から2番目のランクの席ということで) 申し込んだのだが、2番連続ということで業者のほうで気を利かせて第1夜は平土間、第2夜はボックス席にしてくれたもの。 私のボックスは、ボックスが3階分あるうちの2階で右側10番、その1列目。 右側10番というのは比較的中央に近く、その1列目なので舞台を見るには絶好である。

 ボックスは、各入口から入るとまず控え室があり、そこにバッグやコートを掛けておけるようになっており、そこから座席のある部屋に入るようになっている。 座席は1列目が3人分、2列目と3列目は2人分ずつ。 いずれも普通の椅子だが、2列目と3列目の椅子は1列目の客の頭が邪魔にならないように足が長くなっている。 1列目はすぐ前のパネルの上に歌詞が出る画面が1人分ずつ設置されていて見やすい。 2列目と3列目はこれに対して、右側の壁に歌詞画面が4人分並び、各人角度を調整して見るようになっているが、距離的にやや遠いので見づらそうだ。 やはり多少高価でも1列目を買うにしくはない。 各ボックスを仕切る壁は、1列目の観客の背のあたり。 つまり1列目の客は、他のボックスの1列目の客の顔をおがめるようになっているのである。

 ただし私の席は1列目だけれど3人分の真ん中なのがやや窮屈。 右隣りは小柄で品の良い白髪の老婦人、左隣りは小太りのオバサン。 本来なら、これは2人分の幅なんだろうなあ。 昔だったら、ボックスは貴族などが自分用に持っていたわけで、ゆったりした肘掛け椅子を2人分だけ並べてそこで鑑賞できたら、しばし貴族気分を満喫できただろうに、残念(笑)。 

 そういうわけで、左右の隣客とも一人客で、ヨーロッパはカップル文化が強いからこういう場所には男女のペアで来る場合が圧倒的に多いのであるが、絶対カップルというわけでもないのかな、と思った。 ちなみに2列目と3列目はいずれも若い男女のカップルで、そのうち1組は英語で話していた。 観光客だろうか。

 本日のパンフは昨日と違って3,5ユーロ(約400円)。ずいぶん違うなと思ったが、それもそのはず、本日はこのオペラについての詳細な解説が載った小冊子で90ページもある。 昨日のような本日の配役と主要歌手説明を載せた4ページの紙切れはこの小冊子の中に挟んである。 そして小冊子の最後のあたりにはこのオペラの筋書きが書いてあるが、そこだけ、ドイツ語と英語とイタリア語とフランス語と日本語で書かれている。 つまりそれだけ日本人客が多いということなのだろう。 或いは、この歌劇場の公式スポンサーにはレクサスが入っているので――だからこの小冊子の表紙のすぐ裏にはレクサス車の広告が載っているし、劇場内のロビーにもレクサスのマークが掲げてある――そのせいかもしれない。 レクサスには、こういう外国の有名な歌劇場を支援するのもいいけど、新潟大学のような日本の高等教育機関の支援も忘れないでもらいたいものだ、なんて考えちゃうのは私が貧乏性だからだろうか(笑)。

 それはさておき、パンフ (に挟まれた4ページの紙切れ) によるとこの演出でのこのオペラ上演は今晩で30回目だそうだ。

 この夜は上の方から鑑賞しているので、舞台はもとより、オーケストラのピットもよく見えた。 正面、指揮者のすぐ前にチェロが、その後ろの正面最後尾にコントラバスが並び、つまり低音の弦が中央を占め、その左右にヴァイオリンとヴィオラが分かれて席を占めている。 右端が金管、左端が木管で、その木管よりさらに左にハープが。 しかしもうスペースがなく、ピットから舞台下に通じている出口の敷居のあたりにかかっている。 出口はかなり広いので、ハープを置いても大丈夫なのである。

 指揮=フィリップ・オーグィン
 演出=ディヴィッド・ポントニィ
 レオノーラ=エヴァ- マリア・ヴェストブレック
 ドン・カルロ=ツェルジェコ・ルチー
 アルヴァーロ=ファビオ・アルミリアート
 カラトラーヴァ侯爵=ダン・ポール・デュミトレスキュ
 グァルディアーノ神父=フェルッチオ・フルラネット
 プレツィオネッラ=ナディア・クラステヴァ

 舞台にはL字型の、幅2mかそこらの板が置かれている。 といっても横の部分が圧倒的に長く、そこで主として演技や歌唱が行われるのである (ただし人物がこの板の外に出ることもある)。 縦の部分には中央に縦長の穴が開けられており、そこがドアや出入り口に擬せられる。 このL字型が回転したり上下したりして、場面場面に変化を付ける。 また映像により、戦場シーンなどが背景として浮かび上がるようになっている。

 この日の歌手は、主要な数人はどれも素晴らしく、文字どおり甲乙付けがたいという印象であった。 だから人物間の対抗意識や闘争心などはよく表現されていたと思う。

 ただ、私はこのオペラは実演で聴くのはようやく2回目だけれど、どうもあんまり好きになれない作品なのだ。 序曲は有名で、コンサートでもしばしば単独で演奏されるしよくできていると思うのだが、意地の悪い言い方をすると全体では序曲が一番上出来なのではないか。 オペラ全体の統一的な性格付けが音楽でできているかというと、そうではないような気がする。 まあ、私にこのオペラがよく分かっていないだけなのかも知れないが、この夜このオペラを見てみても、必ずしもこの作品に対する共感が増したわけではなかった。 私はオペラには(も)うとい人間だから、オペラ通の方ならもう少し違った感想があるのだろうとは思うのではあるが。

 休憩時間には客たちは飲食に赴くわけだが、本日ようやく分かったことだけれど、2階の後ろ正面と左右の合計3室で飲食が供され、しかもこのスペースが相当に広いのである。 またこれらの部屋は天井も高く、そこに装飾も施されていて王侯貴族の館のよう。 こうした装飾は1階から2階の正面に上る階段の上の天井にもあり、非常に豪華。 なお、飲食スペースは1階の後ろ正面 (多分2階に上る正面階段の下あたり) と、1階脇の方にもある (これは昨夜確認)。 合わせるとこの歌劇場の飲食スペースは相当に広く、事実、客たちはゆったりと過ごしていた。 オーケストラコンサートの会場とは段違いだな、と思った。 この歌劇場の格式はこういったところにも依っているのであろう。

9月26日(日)    *日中はハズレ続きだがモーツァルト・ハウスはまとも、夜は オペラ 『スペードの女王』

 この日は曇天で強風が吹く天気であり、また疲労がたまり少し風邪気味でもあったので、午前中はホテルの部屋でじっとして過ごす。 昨夜食べ残したパンを昼にかじり、午後1時頃に出かける。

 最初、「ハイドンの家」 に行ってみる。 私はウィーン西駅近くのホテルに宿泊したのだが、その西駅からあまり離れていないところにある。 ただし駅からは私のホテルと正反対の方角になり、歩くしかないがホテルからは15分以上かかる。 ところが行ってみたらちょうど昼食休憩で入れず、結局外観をカメラに収めるだけに終わってしまった (『地球の歩き方 ウィーン』 には昼食休憩時間があるとは書いていないので、要注意!)。 ハイドンはエステルハージー侯に仕えたのでアイゼンシュタットに住んでいた時期が長いが、このウィーンの家には最晩年の12年間を過ごし、オラトリオの 『天地創造』 や 『四季』 を作曲したそうである。

 次に行ったのがゼセッシオン (分離派展示館)。 ウィーン分離派が拠り所とした建物。 クリムトの有名な絵 「ベートーヴェン・フリース」 の現物があることで知られている。   場所は地下鉄のカールスプラッツ駅のそばで、駅からの表示も丁寧に出ているので迷わず行ける。

 しかし率直なところ、今回のウィーン旅行で一番失望したのはここだった。 美術がふんだんに展示されているのかと思いきや、1階正面の大きな展示室に様々な色の砂山が8〜9くらい作られており、これで現代美術なのだそうだが、「ベートーヴェン・フリース」 以外にはこれしかないのである。

 で、お目当ての絵は地下室にあるが、観客に手を触れさせないためか、かなり高い場所に展示されていて、あんまり細かいところまで見ることができない。 これなら図版を見た方がいい。 古典的な油絵と違って図版では色の具合や筆致がよく分からないという性質の絵ではないから、絶対この作品を生で見たいという人以外にはお薦めできない。 しかもこれだけで入場料が8,5ユーロ (約千円)。 バカにするな、と思ってしまう。 あまりにコスト・パフォーマンスが低い!

 立腹しながら、次は 「シューベルト最期の家」 に向かう。 シューベルトといえばウィーンに生まれてウィーンに死んだ作曲家だから大規模な記念館があってもよさそうなのに、なぜかなく、生家と最期の家の2軒が記念館として残っているだけ。 生家は交通が不便なところにあるので、最期の家だけでもと思い行ってみた。

 地下鉄4号線のケッテンブリュッケンガッセ (吊り橋小路、とでも訳すか) 駅で降りて少し歩いたところにある。 駅名になっている通りに入るあたりには中国人用のスーパーなど中国語の看板の店舗が数軒あり、現在ここら辺には中国人が多いのかも知れない。 『地球の歩き方 ウィーン』 には金土日だけやっていると書かれていて、私が行ったのは日曜日だったわけだが、閉まっており、ドア脇の表示には 「水木のみ開館」 と書かれていた。 仕方なくこれも外側を写真だけ撮るに終わった。 先のハイドンの家と合わせ、『地球の歩き方』 の情報は必ずしもアテにならないので、用心しましょう!

 というわけで、この日は、ハイドンの家、ゼセッシオン、シューベルト最期の家とハズレ続き。 体調と合わせて最悪の日かと思われたが、次に出かけたモーツァルト・ハウスはまあまあだった。 ウィーンの音楽関係記念館では一番まともで、時間がない人はこれだけ見ておくという手もあろう。 モーツァルトがウィーンで住んだいくつもの住宅の中で唯一残っているものだそうである。

 ウィーンの中心、有名なシュテファン大聖堂のすぐそばにある。 部屋数も9つだったか、かなり多く、使用人も雇っていたそうで、モーツァルトというと昔は 「大天才なのに当時の人に認められなかったから貧乏だった、かわいそう」 だとか、「奥さんが悪妻だから家計管理能力がなかった」 だとか色々言われていたけれど、実際には結構売れていたのにモーツァルト自身が浪費家で賭博にも手を出したから金に困っていたというのが真相らしい――というようなことも分かる記念館である。

 入場料は9ユーロ(約千円)で、ゼセッシオンと違ってそれだけのことはあるなと思える。 日本語のオーディオガイドもあるのが便利。 実際、日本人の観光客も多く、たまたまその一人であるオバサンがまだ少年っぽい館員 (アルバイト?) に英語で 「フンメルの肖像画はどこにあるの?」 と訊いたのはいいけど、館員にはフンメルが分からず、たまたま私は2部屋前でその肖像を見ていたので、オバサンを案内してあげた。 また土産物売場もあるし、小さいながらカフェもついていて、私はこのカフェでオープンサンドとビールで遅い昼食をとった。 7ユーロ。 とにかくウィーンで音楽家記念館とためらいなく言える記念館は、私が見た限りではこれだけである。

       *

  この日の夜は、ウィーン・シュターツオパー (ウィーン国立歌劇場) にチャイコフスキーのオペラ 『スペードの女王』 を聴きに出かけた。

 ウィーンでのチケットは、ムジークフェラインでのウィーンフィルは別にして、基本的にネット経由で自分で購入したのであるが、このシュターツオパーに限ってはそれができなかった。 公演の1カ月以上前に歌劇場のサイトにアクセスし、この夜と翌夜の分を購入しようとしてもうまくいかないのであるい。 つまり、購入ページで所定の書き込みをして、最後に購入ボタンを押すと、普通ならあちらから即メールが来て 「あなたは何月何日のこの出し物のこの席を購入しました」 と知らせてくるはずなのだが、そのメールが来ない。 変だなだなと思って数日後に歌劇場に直接メールを入れて訊いてみると、私の注文は確認されていないという返事。 もう一回同じことをやってみたが、やはり同じ結果。 原因は不明。 コンツェルトハウス (第2・7夜) やムジークフェライン (第2夜) のチケットもネット購入したわけだけれど、こういう問題はいっさい起こらなかった。 私のパソコンとシュターツオパーのシステムとの相性が何らかの原因で悪いのではないかと思われた。 仕方がないので、第3夜のムジークフェラインでのウィーンフィル公演チケットを依頼した業者にこれも頼むことにした。 割高になるが仕方がない。 

 (上の予約不可能の件について、その後ぶりちょふさんから、ウィーン国立歌劇場のネット予約は1カ月前からだからだろうというご指摘をいただいた。 どうやらその可能性が高い。 しかし、私がメールで歌劇場に問い合わせた時は、そういう返事は来なかった。 原因不明だがネットを介した詐欺に用心せよというような返事が、2回とも来た。 どうもウィーン国立歌劇場の事務方の能力には疑問符が付きそうである。)

 購入したのはこの夜も次の夜も上から2番目のランクの席で、正価は137ユーロ、約16000円。 業者経由なので25パーセント増しとなってしまったが。 業者からはメールで購入証明が送られてきたので、それをプリントアウトした物を当日窓口で見せてチケットと引き換えてもらう。

 窓口には当日券の有無が座席ランク別に表示されているのだが、ざっと見た限りではこの日は満席。 一昨年、ベルリンでシュターツオパーに2晩行ったけど、あの時は2晩とも入りは7〜8割程度で当日券で間に合うなと思ったことであった。 ではウィーン市民はベルリン市民に比較してオペラ好きなのかというと、そうではなく、観光客の多寡の違いではないだろうか。 実際、中に入るとアジア系でも西洋人でもカメラで撮影している客が非常に多いのである (むろん上演中は撮影禁止だが)。 またチケットは窓口で買えなくても、窓口近くの出口の外にダフ屋がいて買わないかと声を掛けてくる。 信用できるのか、またできるとしてもいくら取られるのかは定かではないが、どうしてもという場合はこういうところから買う手もあるのだろう。

 ウィーン国立歌劇場はムジークフェラインと並んでテレビや音楽雑誌などで報道される機会も多くご存じの方も少なくないだろうが、まず係員が全員制服姿で、それも軍服みたいな独特の制服であるのが格式を感じさせる。 私もここだけはネクタイをして行った。 もっともアジア系の若い客の中にはTシャツにGパンという格好で来ていたのもいたが。

 例の如く座席はすべて左右に分かれており、入口でチケットを見せるとき右なら右の入口から入らないといけない。 また、バッグを持っているとクロークに預けろと言われる。 私も、持っていたバッグはたいした大きさではなかったのだが、やはり預けろと言われた。 もっとも、ボックス席の場合はボックスの手前に控え室があってバッグを置いておけるのでそう言われないようである。 クロークの預かりは無料。 ただ、客によっては係員にチップをやっていた。 私はやらなかったけれど (笑)。

 パンフは0,9ユーロ (約100円)。 やはり制服姿の係員から購入。 安いのも道理で、たった4ページしかなく、要するに本日の配役と主要歌手の紹介だけなのだ。 さすがの私もこの時は1ユーロ渡しておつりはもらわなかった(笑)。 この演出での上演は19回目だと書かれている。

 ホールの1階に入ると、周りを囲んでいるボックス席が否応なく目に付く。 正面だけがボックスではなく、残りはボックス席が3階分ずらっとならんでおり、その上にいわゆる天井桟敷席が2階分ついている。 1階席は18列までだから、そんなに広いわけではない。 私のこの夜の席は、1階の右7列7番。 要するに7列目の右寄りの方。 座席の前に箱状の器具があり、そこに歌詞がドイツ語もしくは英語で出るようになっている。

 すわって開演を待っていたら、東洋人とすぐ分かる黒髪のすらりとした若い女性が一人で来て左隣りにすわった。 日本人かなとも思ったのだが、パソコンからダウンロードしたらしい紙切れ (本日のオペラの筋書きだろう) を熱心に読んでいるのをちらりと横目で見たら、一番上に大きな文字でハングルが。 韓国人もがんばってるなあと思う。 この夜 (および次の夜) の日本人率或いはアジア人率は、2夜目のコンツェルトハウスと並んで高かった。 ウィーンのコンサートホールやオペラハウスが観光客抜きでは考えられなくなっている証拠であろう。

  指揮=トゥーガン・ソクィエフ
  演出=ヴェラ・ネミロヴァ
  ヘルマン=ニール・シコフ
  リーザ=アンジェラ・デノケ
  伯爵夫人=アーニャ・シリュヤ
  トムスキー/プルート=アルベルト・ボーメン
  エレツキー=ボアス・ダニエル
  ポリーナ/ダフニス=ツォリュアナ・クシュプラー
  マーシャ/クロエ=エリザベータ・マリン

 書き割りは、舞台左手に古い建物の外壁が二つ並び、二つの間が狭い道路になっているらしい (建物は斜め右向きになっているので、通路は観客からは見えない)。 舞台右手には階段がありその階段を上ると張り出した2階の建物に入れるようになっている。 いずれも建物としては外壁が汚れていて古そう。 左右の建物の間は、常識的に考えれば戸外のはずだが、この空間が時として室内扱いされながらオペラは進む。 そのあたり、多分意図的にでだ¥ろうが、空間的な混乱が感じられる。

 演出はかなり現代的(?)で、途中水着の集団が現れたり、挿入されている牧歌劇でも牧人の服装ではなく水着っぽい服装で演じられたり、エロティックな要素が強調されていたようだ。 何より、本来ヘルマンはトランプ賭博での必勝法を老伯爵夫人から聞き出そうとして迫り、伯爵夫人は恐怖感で死んでしまうわけだが、ここでは伯爵夫人が寝床で昔のパリでの色事を思い出したあとであることから、ヘルマンは夫人の下半身を脱がせて強姦しちゃって死なせる、というふうになっているのである。 うーん、いくら何でも、という気がしてしまう。 相手が若い女性ならまだしもだが、なんてことを書くとセクハラになるか(笑)。 でもこの演出、女性の手になるのだよね。 私はこのオペラの実演は昨年ボリショイ劇場の東京での引っ越し公演で見ただけだけど、あれは今回に比べると古典的な演出だったな、やはりロシアだからかしら、などと思ったことであった。

 ちなみに演出のVera Nemirovaについてはこちらに(↓)情報があるけど、1972年生まれのブルガリア人。 10歳からドイツに住んでおり、両親の職業からしてオペラに進みやすい境遇だったようだ。
 http://www.salzburgerfestspiele.at/kuenstlerdetail/artistid/12144/ 

 歌手ではヘルマン役が群を抜いていた。 単に声がよく通るというだけでなく、この役につきまとうおどろおどろしさをうまく表現していたと思う。 演出はともかくとして、このオペラ、音楽的には美しくできており、その点では十分に楽しむことができた。

9月25日(土)     *日中は楽聖たちの墓碑や記念館めぐり、夜は ミュージカル 『ハロー、ドーリー!』

 午前中、中央墓地に行く。 モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、J・シュトラウスなど著名作曲家の墓碑が集まっているので知られている墓地。 ただし中央墓地という名前だけれどウィーンの中央にはなくて西のはずれにある。 地下鉄3号線の終点ジンメリングで降りて市電に乗り換え、ツェントラールフリートホーフ(中央墓地)・ツヴァイテス・トーア(第2門)で下車。

 その第2門から入って真っ直ぐ歩いていくとやがて左側に楽聖たちの墓碑がある。 見るのに時間はさほどかからない。 墓地自体は非常に広く、時間が余っていれば散歩してもよい。 私も少しだけ散歩したが、大戦期のソ連兵が眠っている区画があったり、日本人のお墓 (洗礼名もあったのでクリスチャン) も見受けられるなど、時間をかけると面白い発見もありそう。

 ただ、ウィーン空港に近いので飛行機が始終低空で飛んでおり、その音がかなりやかましく、これでは楽聖たちも落ち着いて永眠できないのでは、と思ってしまった。

 このあと、ハイリゲンシュタットのベートーヴェン・ハウスに向かう。 ベートーヴェンが有名なハイリゲンシュタットの遺書を書いた家である。 ウィーンの中心から見ると中央墓地とは正反対の方角にある。 地下鉄4号線の終点ハイリゲンシュタットで降りて、そこからバス38Aに乗る。 本来は 「フェルンシュプレヒアムト・ハイリゲンシュタット」 か 「ノイゲバウアーヴェーク」 で降りる。 私は 『地球の歩き方』 を読み違えて、少し乗り過ごしてしまい、歩いて戻ったけど。

 ノイゲバウアーヴェーク・バス停のあたりにベートーヴェンの名を付けたレストランがある。 たまたま午後2時少し前で、午後1〜2時は記念館は昼食休みなので、私も昼食をとってから行こうと思い、入ってみた。 ウィーン名物のシュニッツェル (でっかいトンカツで直径20センチの円くらいの面積)とサラダ (ゆでたジャガイモと青菜を甘酢につけたもの) とビールで腹一杯。 これで 12,9ユーロ(約1500円)。 満足したのでチップを入れて13,5ユーロ渡した。

 ウィーン滞在中の食事は、昼は美術館や宮殿に付設されたレストランで食べ (こういうところはあまり凝ったメニューがないから値段も安い)、夜はいつも音楽会に行っていて終わりが9時半から11時頃になるので、あらかじめスーパーで出来合の軽食 (パンに野菜や肉をはさんだものなど) を買っておいて (あちらのスーパーは日本と違い夜7〜8時頃に閉店してしまうので事前に買っておかなくてはならない)、ホテルに戻ってからホテル内の自動販売機でビールを買って夜食として済ませるパターン。 夜の音楽会にカネを使ったので、食費は極力きりつめた。

 閑話休題。 満腹になったので目的の建物へ。 十字路に教会があるので、そこから入っていきすぐ右に曲がると目的地。 入場料は2ユーロだけど、受付の人がいる部屋をいれて3部屋しかなく、当時のウィーンからするとド田舎という立地条件からしてもすごく家賃は安かったろうなと想像できる。 でも室内にはたいしたものはなく、「ベートーヴェンはここでハイリゲンシュタットの遺書を書いたのだ」 と感慨にふけるだけ。

 そこから庭が見下ろせて、あとで行ってみたらリンゴの木があり、リンゴを採る人もいないようで実がいくつも下に落ちて腐りかけていた。 もったいない。 この家のすぐ隣がベートーヴェンの資料館になっているけど、別料金で1,5ユーロ取られるわりにはやはりたいしたものはない。 ただ、ここには日本語で書かれた紙の資料があるのがまだしもか。

 先の遺書の家にもここにもノートが置かれていて、入場者は自由に書き込んでいいので、私も自分の名前を日本語で書いて、訪れた年月日はアラビア数字で記し、あとはNiigata, Japanとしておいた。 でも日本人でここを訪れる人は結構多いようで、私の少し前にも日本人女子学生らしい名前と記述 (ベートーヴェンが大好きだというような) があって、他にも中国人の名前などもあり、ウィーンの中心から遠いわりには訪れる人もいるのだからもう少し整備したらどうかな、と思う。

 この近くにエロイカ・ハウスというのもあるらしいのだけれど場所がよく分からず、結局近くを歩きながらベートーヴェンが住んでいたという掲示板だけがある家を2軒、外側だけ見て周り、そのあと 「ベートーヴェンの散歩道」 へ。 実際にベートーヴェンがよく散歩をしたという、脇に小川のある坂道。 当時はおそらく道の両側とも森だったのだろうけど、今は一方は住宅地になっている。 だけど建物はゆったりと建ててあるので、あまり気にならない。 もう一方は今も森。 たしかに散歩をするのにはいいなと思う。 上りきると小さな空き地があって、そこに現在はベートーヴェンのモニュメントが建てられていて、ベートーヴェン・ルーエ (ベートーヴェンの休憩地) と呼ばれている。

 このあと、少し歩いて市電の終点のあるところまで行き、そこから市電に乗ってまた地下鉄4号線のハイリゲンシュタット駅に戻った。 ホテルに帰り、ビールを飲んで一休みし、夜の音楽会に備える。

         * 

 ウィーンで過ごした1週間のうち、夜どうするかで一番迷ったのがこの土曜日であった。 クラシックのコンサートやオペラに出し物がないのである。 シュターツオパー (国立歌劇場) はバレエで、私はバレエを見る趣味がないし、演劇も考えたのであるが、演劇だと私のドイツ語聴取能力の問題があって読んだことのある作品でないと楽しめないことが分かっており、この日ウィーンのいくつもある劇場を事前に調べた限りではそういう芝居はかかっていなかった。

 それで結局、フォルクスオパー (民衆歌劇場) のミュージカル 『ハロー、ドーリー!』 を見に行くことに決めた。 といってもチケットは買っていなかったので、当日昼頃、ハイリゲンシュタットのベートーヴェン・ハウスを見学に行く途中で地下鉄を降りて確認したところ、開演が夜7時からで当日券売場はその1時間前に開くと書いてあったので、とにかく行ってみることに (当日券がなければ演劇にしようと思っていた)。

 で、夜6時に行ってみたら間もなく窓口が開き、私の前には十人ほどがすでに並んでいたが、なぜか行列がなかなか進まないのである。 何でこんなに時間がかかるのかと疑問に思う。 途中でダフ屋から 「チケットを売りたいが」 と声を掛けられたが、ドイツ語圏でダフ屋から買った経験がないし信用できるかどうか分からないので断る。

 20分あまりたってようやく私の番。 窓口で訊いたら当日券はあるとのことで55ユーロ (約6500円)、後で調べたら上から3番目のランクの席である。 それで55ユーロを窓口のオバサンに渡したが、オバサンはそれを受け取ってからしばらく隣の明日以降の予約窓口の女性 (こちらは若くて美人) とおしゃべりしていて何もしない。 何やってるんだ、と思ったが、しばらくしてからオバサンは左下の機械からチケットを取り出して私に渡した。 つまり、その機械は発券ボタンを押してから実際に発券されるまでかなり時間がかかる、ということなのである。 今どきずいぶんな機械だと思ったが、とりあえずチケットは手に入ったのでまあいいかと。

 民衆歌劇場は国立歌劇場に比べるとチケットも安いし気軽に入れる歌劇場ということになっているけれど、いつもミュージカルをやっているわけではなく、この前日は 『トスカ』 がかかっていたはず。 前日は、先に書いたようにウィーンフィルをムジークフェラインで聴けたのだが、チケットが入手できるかどうかぎりぎりまで分からなかったので、もし入手できなかったらフォルクスオパーの 『トスカ』 に行こうと思っていたのだった。

 フォルクスオパーは、1階席は縦に通路が2本あり3ブロックに分かれていて、私の当日券はその中央ブロックの左端、後ろ寄り。 ただし最後尾とかその直前というほど後ろではない。 全体では3階席まであり、舞台に近い側の左右にはボックス席が各4列4階分設けられている。 つまり左右それぞれボックス席が16あるわけである。 当日券があったとはいえ、ほぼ満席。 なおこの日の日本人率、或いはアジア人率はきわめて低かったよう。 ウィーンに来てアメリカ原産のミュージカルを見る東洋人もあんまりいないということなのだろう。

 オペラは正装、つまり男性はネクタイ着用がいいと聞いていたのだが、シュターツオパーならともかくフォルクスオパーだし出し物もミュージカルだしいいだろうとノーネクタイで行ったものの、男性はやはりネクタイ着用者が多い。 しかしノーネクタイの男性も少数ながらいたようだ。 またミュージカルなので子供同伴客も多少見られた。 もっとも、この 『ハロー・ドーリー!』 というミュージカルは、音楽は有名だが、筋書きは中年男女の結婚を扱っていて、あまり子供向けとは言い難いところがある。 私は映画版は見ているが、ミュージカルの実演を見るのは初めてである。

 パンフは2,8ユーロ。 ムジークフェラインやコンツェルトハウスのパンフとほぼ同じ値段だが、日本の新書本くらいのサイズとはいえ、表紙はカラーだし、中も60ページほどあり、カラー写真も何枚も使われていて、これでこの値段なら安いと思った。 (ったく、日本のパンフときたら・・・)

 パンフによるとこのミュージカルがウィーン・フォルクスオパーで初めて上演されたのは1984年の3月 12日、NYのブロードウェイでの初演が1964年の1月16日だそうだから、ちょうど20年後にウィーンでのレパートリーに加わったということだろう。 今まで何度か上演されたことがあるようだけど、やる場合は或る程度まとまった期間内にやり、その後しばらくは休むというやり方らしく、本日の上演はその新たな期間開始の初日、つまりプレミエということのようであった。

  指揮=ジョン・オーウェン・エドワーズ
  演出=ヨーゼフ・エルンスト・ケップリンガー
  未亡人ミセス・ドーリー=ジークリト・ハウザー
  工場主ホラス・ヴァンダーゲルダー=ローベルト・マイヤー
  工場の労働者コーネリアス・ハックル=ダニエル・プロハスカ
  同上バーナビー・タッカー=ペーター・レジアク
  帽子屋を営む婦人アイリーン・モリー:カチア・ライヒェルト
  帽子屋の女店員ミニー・ファイ:ナディーネ・ツェントル
  画家アンブローズ・ケンパー=ジェフリー・トレガンツァ
  工場主の姪アーメンガード=ジョアンナ・アロウズ

 上述のように私はこのミュージカルは映画版でのみ見たことがあり、その時はあんまり面白いとは思わなかったのであるが――私が一般にミュージカル映画を好まないということもあるが――今回実演で見て、やっぱりミュージカルは実演だなと痛感した。 映画だと書き割りがリアリズムで、つまり街やホールなどは本物と思われるような背景で筋書きが進行するわけだけど、舞台はお芝居であり、本物そっくりの書き割りなどできるわけがないので――演劇やオペラも同じことだが――その辺は割り切って、つまりフィクションであるという前提が最初から観客と演じる側に共有されているわけで、その分、歌や踊りを純粋に楽しむことができるのである。 特に大人数での踊りは迫力があり、舞台でないとこの迫力は味わえないなと思った。 歌も、主演の二人は文句なしの技巧と声量。 映画と違ってケレン味なく楽しめたな、というのが実感。

 なお歌やセリフはすべてドイツ語。 この辺も、原語主義のクラシック・オペラとはひと味違う民衆歌劇場ならでは、であろうか。

 途中の休憩時間にはロビーで飲食を楽しむ客たちの姿が見られたが、この劇場、あまりロビーが広くなくて、あいにくこの日は雨であり、もし雨でなければ (ベルリンの歌劇場もそうだったが) ロビーから外に出て飲食する人もいたのではないかと思った。 正面のドアはあいたままだったし。

9月23日(木)/24日(金)     *日中は宮殿や美術館めぐり、夜は ウィーンフィル聴き比べ

 23日。

 午前中、シェーンブルン宮殿を見物に出かける。 日本人、もしくはアジア人観光客が目立つ。 日本語オーディオガイドがあるのはありがたいが、吹き込んでいるのはシロウトらしく、それでも男性の方は声も大人だし読み方も比較的しっかりしているが、女の方はいかにも幼い声で、しかも時々漢字を読み違えていて――例えば官吏を 「かんし」、大公夫人を 「だいこうふじん」 など――ウィーンに留学中の音大生か何かなんだろうけど、音楽だけじゃなく日本語もちゃんと勉強しようね。    

  シェーンブルン宮殿の壮大さはベルリン・ポツダムの新宮殿などとも共通しているが、部屋の装飾は金の模様にほぼ統一されていて (つまりその分質素)、天井にも装飾画がない場合が多い――天井装飾画のある部屋も一部にあるけど。 大きな暖房機が各部屋に1つずつあるが、天井の高い部屋ばかりだからどの程度効果があったものか。

 ベルリンとの違いは、庭園内の目立たぬところに公衆トイレがあることと、食事のできる施設が複数あること。 ウィーンの方が観光客をしっかり意識していることが歴然。

 庭園は中央部分が下段や噴水、脇の方が森になっており、そこに散歩道が設けられている。 また森の一角には動物園や迷路もある。

 庭園中央部をのぼっていったところにあるグロリエッテという建物 (眺望台) の中にレストランが設けられていたのでそこで昼食をとったが、昨日の警察官同様、どうも対応が悪い。 こちらが合図してもなかなかボーイが来ないし、勘定をするときも同じ。 日本だったら客から苦情が出ること必至なくらいひどい。 大きめのクロワッサンにハムと野菜をはさんだものとビールとで9,2ユーロ。

 宮殿見物と庭園を歩き回って疲れたので、宮殿前の並木道にあるベンチにすわってぼおっとしていたら、並木が栗の木で、風が吹くたびに栗の実が落ちてくる。 さいわい当方の頭を直撃することはなかったけど、直撃されたら痛そうだ。 日本ならこんなふうに栗の実が落ちてきたら拾って焼き栗にしようと思う人が多いだろうけど、こちらでは誰も拾わない。 勿体ない。

 それから地下鉄の駅まで歩いていったんホテルに戻ることにしたが (夜は音楽会があるからその前に休息)、地下鉄シェーンブルン駅の前には車椅子に乗った乞食がいた。

 24日。

 昨日までは交通機関として地下鉄しか使わなかったけれど、本日はホテルに近い市電乗り場から市電を利用して街の中心に出てみる。 ホテルはウィーン西駅の近くだが、地下鉄のウィーン西駅には徒歩で8分はかかる。 市電の乗り場は3分程度で行けるのである。

 こちらの市電の車両は、ドアが進行方向右側にしか付いていない。 運転台も一方にしか付いていない。 終点についたら折り返すのではなく、終点では線路が円形にぐるりと一回りするように作られていて、電車はUターンして方向転換するようになっている。 チケットは地下鉄と共通で、昨日3日フリー券を買っておいたので、それで乗れる。

 本日は街の中心部にある王宮を見物する。 むかし王侯貴族が宴会などに用いた食器類のコレクションがあるのだが、これがかなりすごい。 ただし、装飾や形にこりすぎて、実用ではなく飾っておくだけという食器類もあった。 実用にはモロすぎるらしい。

 また、もともと食器類には貴金属が多く使われていたのだが、ナポレオン戦争の時代にそれらが金貨などに鋳造されてしまい、その後のウィーン会議でたくさんの王侯貴族が集まったときに食器類が足りず、急いで金メッキの食器を作らせたというエピソードが興味深かった。 これらの食器コレクションの一部は、最近までオーストリー国賓を迎えての晩餐会にも使われていたそうである。

 王宮には5000人の召使いがいたそうだ。 うーん、王様や皇帝の贅沢は、雇用対策でもあったのだ。

 食器類に続いて、フランツ・ヨーゼフ皇帝と皇妃エリーザベト(愛称シシー)が日常生活を送っていたという部屋を見物。 シシーは今でこそミュージカルなどで有名だが、生前は公務をサボってばかりいたので評判が悪かったらしい。 暗殺されて、しかる後に神話化が始まったということのようだ。

 ここにも日本語のオーディオガイドがあるけど、昨日と同じくどうも女性がいけない。 昨日と異なり大人っぽい声ではあるが、濃厚を 「のうあつ」 と読んだり、また 「エリーザベト」 という名は本来第2音節にアクセントを持ちそこを延ばすのが正しい発音で、男性はそのように発音しているのに、女性は日本で流布した誤った発音 「エリザベート」 と発音するなど、なってない。

 どうしてだろうか。 女性はウィーン音楽大学に留学中の音大生などであんまり学力が高くないのに対して、男性はウィーン大学に文学や歴史や哲学を勉強しに来た留学生で日本でも一流大学を出ている人たちだからだろうか――なんて考えてみたけど、どうかな。

 全部を見終えてから、宮殿内に設けられたカフェ兼レストランで遅い昼食(午後2時半頃)。 ここのボーイは前日のと違って合図するとすぐに来るのがいい。 パンとトマトサラダとビールで8,8ユーロだった。

 この後、少しく疲れていたが、近くにある美術史美術館に行ってみる。 ここはベルリンの美術館と同じくフラッシュをたかなければ絵を写真にとってよい。 (ただし、こういう美術館は、私がウィーン滞在中に見た美術館のなかではここだけ。) 時間があまりなくて駆け足の鑑賞になってしまったが、ティツィアーノの 「ルクレツィア」 などが印象に残った。 時間切れでショップにも寄れなかった。 あとで時間ができたらまた来ようと思ったけれど、結局この滞在中は訪れることができなかった。

      *

 さて、夜の音楽会である。 23日と24日はいずれもウィーンフィルの同じプログラムによる演奏会を聴いた。 ただし会場は別。 

 会場:  9/23 コンツェルトハウス大ホール
      9/24 ムジークフェライン大ホール 

 演奏=ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 指揮=ギュスターヴォ・デュダメル

  ロッシーニ: 「泥棒カササギ」序曲
  フリアン・オルボーン(Julian Orbon, 1925-91): 3つの部分から成るシンフォニカ(Tres Versiones Sinfonicas,1953、オーストリア初演)
  (休憩)
  レナード・バーンスタイン: オーケストラのためのディヴェルティメント(1980/83)
  ラヴェル: 亡き王女のためのパヴァーヌ(オーケストラ版)
  ラヴェル: ボレロ

 実は最初から 「ウィーンフィルの同じプロによる演奏会を違うホールで聴き比べてやろう」 と思っていたわけではない。 結果としてそうなったのである。

 ウィーンに行くからには現地でウィーンフィルを聴きたい、それもできれば本拠地のムジークフェラインで、とは音楽ファンなら誰しも考えるところだろう。 私も例外ではなかった。 しかし、ムジークフェラインでのウィーンフィル演奏会のチケットは一般発売される枚数が少なく、入手が難しいのである。 今回私が聴いた24日のムジークフェラインでの演奏会も、一般発売は演奏会の1週間前から電話でのみ受け付けるということで、これは自分で入手するのは困難と判断して業者に頼むことにした。 (うぃ〜ん日本語♪ちけっとサービス、http://wien.main.jp/ticket/wr- phil.html )

 しかし、業者に頼んだとは言っても絶対に入手できるという保証はない。 しかも発売は演奏会の1週間前からなのだから、ぎりぎりにならないと結果は分からない。 もし入手できなかったら、せっかくウィーンに行ったのにウィーンフィルを聴かずに終わるということになる。

 それで、ムジークフェラインでの演奏会の前日に同一プログラムによる演奏会がコンツェルトハウスで行われることから、そちらをまず買っておくことにした。 こちらは演奏会の直前とかでなければ普通に自分でインターネットを通じて購入できるからだ。 これなら、もし業者に頼んだ分が入手できなくても少なくとも現地でウィーンフィルは聴ける、業者から入手できたら聴き比べになる――こういう経緯だったのである。

 結果として業者からの分も入手できたのだが、時間的には本当にぎりぎりで、私がウィーンに行ってからホテルに届けてもらうというきわどさであった。 1階最後尾から2列目という席なのであまりランクは高くなく原価は86ユーロだが、業者はどこかから転売してもらったそうで業者段階での入手価格が5割増し、それに業者の入手手数料4割とホテルへの届け賃2000円とが加算されて24000円弱というのが私の支払った金額。 一方、コンツェルトハウスでの演奏会はインターネットによる正規購入で、最高ランク席だったけど118ユーロ、つまり14000円弱。 この価格の差が資本主義を表現していると言える (笑)。

 以下では23日のコンツェルトハウスでの演奏会をメインとして記述する。

 コンツェルトハウスには、昨日で懲りていたので地下鉄で出かけた。 また、コンツェルトハウス自体、地下鉄の Stadtpark (市立公園) 駅を電車の (市街地から郊外に向かう場合) 進行方向とは逆の出口から出て大通りをまっすぐ行くとすぐ建物が見えてくるという分かりやすい位置にあり、迷うことはなかった。

 建物に入ると大きなロビーがあり、クロークや飲み物売場が設けられている。 ベートーヴェンの大きな胸像も置かれている (この近くの市立公園にもベートーヴェンの彫像があった――レコードのジャケットなどによく使われる奴)。 日本人と思しき客も多く、私も日本人の女の子2人組から記念撮影を頼まれてカメラのシャッターを押した。 いい機会なので私も持参したカメラのシャッターを押してもらう (笑)。 

 ロビーから2階に上がるとホールの1階になるという構造はムジークフェラインと同じ。 この日は持参したバックに物があまり入ってなかったので預けなかったが、ウィーン滞在の最終日に再度来たときはコート着用だったので、コートをバッグに入れて預けたら1,1ユーロ (約130円) 取られた。 ムジークフェラインより高い。 プログラムは2,6ユーロだから昨日とほぼ同じ。

 コンツェルトハウスの大ホールは、シューボックスではあるもののムジークフェラインより横幅があり、それだけ広く感じられる。 ムジークフェラインの1階席が通路2本を挟んで6−10−6、つまり横が16座席であるのに対して (端の通路はない。 端の席のすぐ横は桟敷席のパネル)、こちらは中央と左右両端、つまり3本通路があって座席は12−12、つまり横に24列。 2座席と通路1本分多いのに加えて、桟敷席もコンツェルトハウスでは左右に各4列分あり、やはりムジークフェラインより各1列ずつ広い。

 舞台は、ムジークフェラインが段状だったのに対して平面。 舞台背後は緩やかな曲線になっており、そこにギリシャ神殿のような柱が6本立っている。 この柱はホール1階部分の横側にも一定間隔で並んでいて、神殿めいた雰囲気を作っている。 内部装飾は、1・2階部分はどちらかというと控え目だが、天井部分はきらびやか。 ここでも装飾模様に金色が多く使われているのだが、地が白なので、ムジークフェラインが黄金のホールだとするとこちらは白金のホールと呼びたい気がした。 天井のシャンデリアは中央に縦に大きなのが2つぶら下がっており、それを補足するように左右縦列に小さなシャンデリアがいくつも、しかしぶら下がるのではなく天井に直接くっついているので、上述の白金の地に宝石が埋め込まれているかのような豪華な印象を与える。 座席は左右両側に桟敷席が1・2階ともあり、正面だけは3階席まである。

 私の座席は1階の左9列11番。 一昨年のベルリンでもそうだったけど、こちらは座席番号を左右で分けて付けるもののようだ。 桟敷席ならもともと左右に分かれているから番号に先立って左とか右とか付けるのは分かるが、1階の平土間までそうなっている。 まあコンツェルトハウスはそれでも1階座席は中央に通路があってそこで左右が分かれるからまだしもだが、ムジークフェラインの場合は上述のように1階席で中央に通路がなく、中央の10座席を左右に分けて番号を振るというのは余り意味がないし逆に混乱の元じゃないかと思うのであるが、それでもやはり分けてある。 つまり、ムジークフェライン1階の中央の10座席はその左側と右側が通しではなく左の5つと右の5つで別々の番号になっている。 この左右に分けて番号を振る方式は、ウィーン滞在後半で出かけたフォルクスオパー (民衆歌劇場) でもシュターツオパー (国立歌劇場) でも同じだった。 でも、やはり間違える人はいるのだ。 この日のコンツェルトハウスでも、翌日のムジークフェラインでも間違えている客がいた。 私には日本方式のほうが合理的に思える。

 会場に日本人が多いことは先にも書いたが、座席についてみると前に日本人の女の子2人組 (さっきロビーでカメラのシャッターを頼まれたのとは別人) がいるし、後ろの座席でも日本人の中年カップルがしゃべっているし、3列前には夫婦と子供2人と思しき4人組がいたが、これは服装のセンスだとか雰囲気が微妙に日本人とズレているように思えたので韓国人か中国人かも知れない。 他の観光名所でも感じたことだけど、日本人だけでなく中国人や韓国人も結構ウィーンに来ているのである。

 前置きが長くなったが、肝心の音楽会の中身である。
 コンマスを先頭に楽団員が登場、観客は拍手。 楽団員が全員揃うまで他の団員は立っており、揃ってから着席。 ただし日本のようにコンマスが観客に礼をすることはない。

 指揮者のデュダメルはパンフによると1981年ベネズエラ生まれ、現地でヴァイオリンと指揮を勉強、2004年にグスタフ・マーラー指揮者コンクールで優勝し一躍注目を浴びることに。 ウィーン・コンツェルトハウスには2002年にベネズエラ・ユース・オーケストラを指揮して初登場、その後2007年にウィーン交響楽団を指揮。 ただしウィーンフィルは初めて指揮するようだ。 舞台に登場したデュダメルを見ると縮れ毛の黒髪を長めに伸ばしており、背は低い。 コンマスは男性で独墺系だろうと思うが、その肩の辺までしかない。 推測するにコンマスは185センチ (独墺系男性では珍しくない背丈)、デュダメルは165センチくらいじゃないか。 そのせいかどうか、かなり高い指揮台に乗って指揮をした。 乗るとほとんど間をおかずに指揮を始めるのが特徴。

 音楽的には、2晩連続して聴いてみての感想だけど、後半の曲目が断然面白かった。 前半は、ロッシーニはまあ音出しみたいなものだからともかくとして、2曲目のオルボーンの曲、あんまり面白く感じられない。 3楽章あって、最初の2楽章はどことなく形式的な作り。 3楽章目で盛り上がるのだが、それも音を盛大に出しているというだけのような。 オーストリア初演ということだけど (無論私も初めて聴いたのだが)、言っちゃ何だが、あまりたいした曲じゃないからじゃないの、と思ってしまった。

 これに対して、後半1曲目のバーンスタインの曲、これも私は初めて聴いたのだが、すごく面白かった。 全部で8楽章あって、楽章により性格がはっきり異なっていて、古典的で叙情的な楽章もあれば、ジャズめいた要素を取り入れた楽章あり、ユーモラスな楽章ありといったところで、とにかく聴いていて退屈しない。

 この曲では特にコンツェルトハウスでの聴衆の反応が良くて、ユーモラスな楽章では笑い声が大きく響いた。 他方ムジークフェラインでは、ユーモラスな楽章で管楽器奏者が立ち上がるといった演出があったけれど、そして管楽器の演奏はムジークフェラインでの方が意識的に崩しているような感じだったけど、聴衆の反応はそれほどでもなかった。 思うに、ムジークフェラインは一般客が少ないからじゃないだろうか。 先に書いたようにムジークフェラインでのウィーンフィルのチケットは入手困難なので、観光客として聴きに来る西洋人・アジア人はコンツェルトハウスのほうが多いわけで、そういった客の方が素直に音楽に反応しているのではないか。 またムジークフェラインでも、1階最後尾席のその後ろに網で座席とは仕切られて立ち見席があり、そこはアジア系の客がはっきり多かったが、そちらからの反応は結構良かったように思う。 私はムジークフェラインでは最後尾から2列目という席だったので、立ち見席からの反応はよく分かった。

 最後のラヴェル2曲では、やはりボレロで盛大な拍手喝采となる。 おなじみの曲だけど、リズムを一定に保ちながらじりじりと盛り上がっていき最後に爆発する過程が実に見事に表現されており、聴衆も大満足。

 ホールによる音の違いだけど、何しろ座席の位置が違いすぎるので (コンツェルトハウスは1階9列目やや左寄り、ムジークフェラインは1階最後尾から2列目やや右寄り) あんまりまともな判断はできないが、コンツェルトハウスの方が音はクリアに聞こえた。 楽器ごとの音の分離みたいなものが良かったと思う。 これに対してムジークフェラインでは、後ろの方の席だったからかも知れないが、いろんな楽器の音がミキサー経由みたいに混じり合っている印象であった。

9月22日(水)    *ウィーンに出発、そして到着した日の晩は カメラータ・ザルツブルク演奏会

 成田空港10時55分発のウィーン行き飛行機で発つ。 飛行は順調で11時間あまりで現地時間午後3時頃 (日本より7時間遅れ) にウィーンに着く。

 空港前から市内行きのリムジンバスに乗り込んだら、運転手のすぐ後ろ、つまり一番前の座席に私と同じくらいの年齢かと思われる日本人らしい男がすわっていた。 きちんとしたスーツ姿。

 その男は私が乗り込んだときは無言だったが、私がバスの真ん中付近の席に荷物を下ろして座り込んだ時に、日本人女子学生と思しきちょっと可愛い女の子が一人で乗り込んできたらたちまち話しかけ、その女の子は男のすぐ後ろの座席にすわって、終点のウィーン西駅の一つ前の停留所で男が降りるまで話し通しだった。 うーん・・・・・こういう男って何なんだろうと思ってしまう。 いや、こういう芸当ができる人間が素直に羨ましかったりして(笑)。

 ウィーン滞在中は日本人、韓国人、中国人などアジア人の姿をよく見かけたけど、観光客として一時的に来ている場合はさておき、そうでないならどういう生態に彼らはあるのかと考えたのは、バスに乗っていた日本人の男がきっかけだった、ような気がする。

       *

 この日の晩、さっそく演奏会に出かける。 場所はウィーンフィルの本拠地として有名なムジークフェライン(楽友協会)の大ホール。

 チケットはあらかじめネットで購入したが、ランクは低い方の席で50ユーロ (6000円弱)。 もっといい席も取れたのだが、何しろ着いた日の夜なので時差ボケでぼーっとしているだろうし、おまけに時間的な余裕があまりなく (ウィーン空港到着が順調にいって午後3時頃、それから入国手続きを済ませてバスに乗りウィーン市街地に入って予約しておいたホテルを探してチェックインし、それから出かけるので)、もし飛行機が遅れるとか空港から市街地に向かうバスが渋滞に巻き込まれるとかしたら間に合わない可能性もあるので、安い席にしたのである。

 ホールはホテルから2キロ程度なので、市街地に慣れていないこともあり歩いて行ったのであるが (地下鉄で行くのが普通だけど、地下鉄だと地上に出たときに方向が分からなくなると思ったから)、これが失敗の元。 途中で道が分からなくなり、駐車違反を調べている警官がいたので 「ムジークフェラインはどこか?」 と訊いたら、「知らない」 とそっけなく答えてくれた。 私のドイツ語の発音が悪かったからかも知れないが、観光都市の癖に外国人に不親切だなと思う。 それでもどうにか目的地に到着。

 ムジークフェラインの大ホールは、テレビや音楽関係の雑誌や書籍で紹介される機会も多々あり、ご存じの方も少なくないと思うけど、黄金のホールというあだ名の通り、内部装飾は金色が多く使われており、まさにきらびやか。 典型的なシューボックスタイプのホールだが、ロジェ (Loge) と呼ばれる脇の桟敷席が2階だけでなく1階にもあるのが特徴。 私の席はその1階左側の桟敷席のかなり前の方。 行ってみたら、1階前方の桟敷席は舞台の最前列と平面的につながっている。 舞台は (作りつけでそうなっているのかどうかは分からないが) 段々になっており、その最前列が一番低いわけだが、そこと1階桟敷席は地続きになっており、両者を隔てているのは金属棒に張られた1本の綱だけ。 その気になればお互いにすぐ移動が可能なのである。 で、桟敷席には椅子が3列に置かれている。 文字通りで、「置かれて」 いるのであって、作りつけの椅子ではない。 その辺にあるような普通の椅子なのだ。 私の席はその2列目。 ただし平土間、つまり桟敷ではない普通の1階席は並のホールと同じく作りつけの椅子である。

 天井には豪華なシャンデリアが縦に2列、5つずつ並んでいる。 最初の3つは大きさが同じでそれぞれの距離も同じだが、4つ目はそれらから少し離れており、やや小さく、高さも少し高くなっており、5つ目はさらに小さく高くなっている。 多分、2階正面席の客の邪魔にならないようにということだろう。

 開演10分くらい前は入りがあまり良くないのかなと思ったが、開演時刻直前になってどっと客が入ってきて、結局満席だったようだ。 開演直前にどっと入ってくるというのは、その後の演奏会やオペラでも同じだった。

 舞台は上でも書いたように段々になっており、舞台背後は中央が張り出していて脇の方が奥行きがある。 この日は小編成のオケで両奥のスペースが空いていたのだが、そこに椅子を持ち込んで一般客を入れており、左右両脇それぞれ十数人ずつ入っていました。一昨年にベルリンのフィルハーモニーでベルリンフィルの演奏会を聴いたとき、やはり舞台の後ろの方に長い椅子を並べて一般客を入れていたのを覚えているけど、こういうやり方はヨーロッパでは珍しくないのかも知れない。

 パンフが2,7ユーロ(300円強)なのがいい。 だいたい、日本のクラシック音楽会のパンフレットは高価すぎなんだよ。 こういう理性的な値段なら買おうという気になる。

 ただし、クロークに荷物などを預けるのに一点あたり0,85ユーロ (約100円) とられる。 タダではないのだ。

 ホールでは記念写真を撮る日本人やアジア人、そして西洋人の姿が目立った。 むろん、演奏している間にはそういうことはないが。 やっぱりここは観光名所なんだな、と痛感したことであった。

休憩時はホール後ろ正面とその左右の、合計3つのロビーで飲食物が提供される。 ただしそれぞれ2名ずつしか係員がいないので、私もビールを飲んだが、ちょっと時間を食う感じ。

 さて、演奏者とプログラムは下記の通り。 ちなみにカメラータ・ザルツブルクは第1ヴァイオリンが最初のバッハで6人、ベートーヴェンで7人、コントラバスが最初は1人、その後は3人という大きさ。

 指揮とヴァイオリン: レオニダス・カヴァコス

  バッハ: ヴァイオリン協奏曲第2番
  ベートーヴェン: 交響曲第1番
  (休憩)
  ベートーヴェン: 交響曲第7番

 最初のバッハは、指揮も兼ねる独奏のカヴァコス――坊っちゃん刈りみたいな分けない黒髪にヒゲをぼうぼうに伸ばした風貌が独特――のヴァイオリンが、特に音が特徴的というのでもなく音量があるというのでもなく (私の座席の位置のせいでそう聞こえたのかもしれないが)、完璧な技巧というほどでもなく、何となく聴いているうちに終わってしまった。

 こんなもんかいな、と思ったのであるが、その後のベートーヴェン1番がすごかった。 気迫のこもった、小編成ならではの能動性というか、攻撃性というか、それを活かした演奏。 若いベートーヴェンの元気の良さがそのまま音になったかのような感じ。 この曲、一般にはハイドンやモーツァルトの影響を言われがちだけれど、ベートーヴェンは最初からベートーヴェンだったのだと納得できる演奏。

 後半のベートーヴェン第7も、最初はゆっくりめの荘重な運びだったが、第1楽章の中盤からノリがよくなり、あとは 「もう止まらない」 といった感じで、まあ 「爆演」 かもしれないけど、この曲はこうでないといけないよなとうなずける演奏。 客の反応も非常によかった。

 なお、カヴァコスは普通と逆で観客から見て右側から舞台に登場したが、これは2日後にウィーンフィルをこの会場で聴いた時と同じ。 このホールってそういう決まりなのかな、と思う。 音の響きだが、私の席の位置が位置なので判断が難しいところであるが、それほど特徴的な音という印象はなかった。 ただ、以前ベルリンやハンブルクでシューボックス・タイプのホールで演奏会を聴いたときは、フルトヴェングラーのディスクみたいな低音がだぶつくような音がしたのだけれど、そういう真空管アンプ的な響きではなく、と言って勿論ドライな音でもなく、その中間くらいかな、と思った。

 演奏者が舞台に登場するときに聴衆が拍手で迎えるのはベルリンや新潟と同じ。 新潟の聴衆は世界標準なのです。 自信を持ちましょう。

9月21日(火)         「フランダースの光」 展

 昼少し前から神保町の岩波ホールで映画を見て、その後同じビルの地下のレストランで食事。 ビールを飲む。 ふだんの私は昼間からビールを飲むことはしないが、というより新潟だとクルマで通っているので日中のアルコール摂取は不可能だが、東京に出てくると足を使うので、つい昼間からビールを飲みたくなる。 東京は暑いしね、と自分に言い訳しながら飲むビールはうまい(笑)。

 このあと、渋谷の文化村ミュージアムで 「フランダースの光」 展 を見る。 ベルギーの象徴派――私は割と好きなのだ――が良かったし、印象派でもフランスと違いベルギーのこの流派はかなり筆遣いが細かいと分かる。 全体的に良かったのでカタログを買いました。

9月20日(月)     *ナポリ宮廷と美――カポディモンテ美術館展

 新幹線で上京する。 上野で下車して標記の美術展を西洋美術館で見る。

 ティツィアーノの 「マグダラのマリア」 などがあったが、風紀が厳しくなってから着衣で描いたもので、ここには来ていないが裸体で描いたものもあるはずで――私は岡田温司氏の 『マグダラのマリア』(中公新書) の口絵で見ただけだけど――、あれに比べるとあんまりインパクトを感じない。

 アルテミジアの 「ユーディトとホロフェルネス」 は、この女流画家自身が男に乱暴された体験を持つそうで、そのせいか女傑が男の首を切り落とすまさにその瞬間を正視して描いているところが面白いかなと思った。

 しかし総じて作品の充実度はイマイチの感。 カタログを買う気にもならない。

 このあと浅草へ。 名画座で映画を見る前に寿司屋通りのアーケードが終わったところを左折してすぐの場所にあるラーメン屋 「スタミナ中華」 で食べたチャーシューメンがうまかった。 小さくて見栄えのしない店だけど、汁の具合がちょうど良くメンも適度なコシがあり、チャーシューも厚みがあって、非常に充実している。

 3本立ての映画を見終えるとすでに夜8時半。 某所の 「魚民」 で一杯やる。 最初に生ビールの大を頼んだら、「中なら半額になります」 という。 同じ生ビールでも、大と小は通常価格で、中に限って半額なのだそうだ。 仕方がないから中にして、立て続けに2杯飲んだ。 新潟はようやく少し涼しくなってきたところだが、東京はまだまだ暑いから、中ジョッキ1杯じゃ飲んだ気がしないからだ。 それに本日は私の生まれた日。 やれやれ、58歳になってしまいました。

9月17日(金)     *何かを 「好きだ」 と言うためには覚悟が要るのだぞ、若者諸君

 本日の毎日新聞に映画監督の東陽一氏がコラムを書いている。(ネット上の毎日新聞には載っていないようなので、紙の毎日新聞をごらんください。)

 何年も前、映画の専門学校で週1回教えていたけれど、クラスの20人いる受講生が誰も黒澤明の映画を見ていなかった、というのである。 それで 『七人の侍』 をレンタルDVDで見ておくようにと指示したら、1週間後に1人の男子学生が、今日で学校を辞めると言いに来た。 なぜなら、自分にはとてもああいう映画は作れない、だから別の道に進もうと思った、というのである。

 ここにはいくつか考える材料が含まれている。 まず、映画の専門学校、つまり将来は映画業界に進みたいと考えている学生たちであるのに、黒澤明の映画を誰も1本も見ていなかった、という事実である。

 もっとも、映画の専門学校にどの程度の質の人間が集まるのか、私は知らない。 映画業界のなかで映画専門学校卒の監督がどの程度いるのかも知らない。 しかし、仮にも将来は映画を作りたいと考える人間が20人集まって、その中に黒澤映画を見た人間が誰もいなかったというのは、かなり驚くべきことではないか。

 これは、映画をよく知っている人間だから映画をうまく作れるとは限らない、といった正論では到底説明できないことだろう。 映画をたくさん見て、自分もああいう作品を、いやそれ以上の作品を作りたいなと夢を抱いた人たちが映画専門学校に来るのだろうと普通なら考えるからである。

 ところがそうではない。 なおかつ、『七人の侍』 を見た若者は、自分には到底ああいう作品は作れないとあっさりあきらめている。 ここにも私は疑問を抱く。 

 いったい、近頃の若者は 『七人の侍』 を見て、そんなにスゴイ作品だと思うのだろうか。 私自身、この作品は三十代になってから映画館で見た人間だが、悪い作品ではないけどそんなに大絶賛されるような映画だろうかと首をひねったものである。 私が黒澤作品から選ぶなら――見ていない作品もあるが――1に 『デルスウザーラ』、2に 『生きる』 となるだろう。 いや、私のことはどうでもいいので、どんなに評価が高い作品でも時代による、或いは世代による評価の変遷を免れることはできないだろうと私は言いたいのだ。 「近頃の若い者」 が黒澤映画にショックを受けたとするなら、いったい今まではどういう映画にイカれてきたのだ、と問いただしたくなる。

 さらに言えば、東陽一氏のコラムを読むと、実はその若者は黒澤映画を見たことがなかっただけではなく、そもそも映画という物をあまり見たことがなく、自分なりの映画観のようなものも持ち合わせていない人物だったのではないか、という推測をしたくなるのである。 映画を徹底的に見て、映画が大好きで、だから映画専門学校に来たのではなく、映画を仕事にするのは何となく格好いいし自分でもできそう――くらいの軽い気持ちで来ていたのではないか、ということだ。

 というのは、最近の学生を見ていると、「好きだ」 ということの意味が非常に軽くなっているからだ。 或るマンガ家が好きだというから、そのマンガ家の作品はほぼ全部読んでいるのかと思うと、実は1つか2つしか読んでいないという。 在日朝鮮人問題に興味があるというから、その方面の本を何冊も読んでいるのかと思うと、授業で或る先生がその問題に言及したので興味を持ったというだけで、そこから出発して自分なりに本を読んでいるかというと全然読んでいないのだ。

 或いは、だいぶ前のことだから書いてもいいだろうが、東京の私大から新潟大の3年次編入試験を受けた学生が、面接で 「歌舞伎に興味がある」 と言うので、歌舞伎の実演を何回くらい見たのかと訊いたら、1度も見ていないのだという。 これも、授業で或る先生が歌舞伎に言及したので面白そうだと思ったに過ぎないのだ。  地方都市の大学生ならいざしらず、東京の大学に在籍している以上、歌舞伎座に行ってみるのは容易なことであるはずだが、その程度のこともしていないのである。

 何かに興味がある、ということの意味がすごく軽くなっている。 その興味が本物かどうかを確かめるために、自分で色々読んだり見たり調べたりといった作業が必要だということが分からない。 それどころか、その興味を維持するためにさらに読んだり見たり調べたりしなければならないと分かると、あっさりその興味を捨てて、別の興味に移る。 そしてそこでもまた同じことが繰り返される。

 そんな傾向が、最近強まっているような気がするのだけれど、50代も後半の人間の繰り言ですかねえ。

 

9月16日(木)    *相変わらず気になる大学ランキング――「国立大独法化=ダメ」 に英国からもお墨付き

 中国新聞の記事から。 なお、中国新聞とは、中華人民共和国の新聞ではなく、日本の中国地方の新聞である。

 http://www.chugoku-np.co.jp/NewsPack/CN2010091601000263_Lifestyle.html 

  アジア1位は香港大、東大抜く 世界大学ランキング

 【ロンドン共同】 英教育専門誌、タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は16日、今年の「世界大学ランキング」を発表、上位200校に入った日本の大学は昨年に比べ、11校から5校に減り、6校がランクインした中国(香港を除く)に国・地域別順位でアジア1位の座を奪われた。

 日本として最高の26位に入った東京大(昨年22位)も、昨年まで維持したアジアトップの座を21位の香港大(同24位)に譲った。日本の地位低下の理由の一つとして「高等教育における最近の財政削減」を挙げた。

 東京大以外では、京都大が57位(同25位)、東京工業大が112位(同55位)、大阪大が130位(同43位)、東北大が132位(同97位)だった。

 1位は7年連続でハーバード大で5位までを米国が占めた。2位以下はカリフォルニア工科大、マサチューセッツ工科大、スタンフォード大、プリンストン大。英国のケンブリッジ大とオックスフォード大はともに6位だった。中国の最高は北京大の37位。49位に中国科学技術大、58位に清華大が入った。

     *     *

 もっとも、大学のランキングは 「誰が100m走で世界一速いか」 などとは違って難しいわけで、別のランキングもある。

 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201009/2010091000258 

 英ケンブリッジが首位=クァックァレッリ世界大学ランク〔BW〕

 【ビジネスワイヤ】 教育情報サービス・イベント主催会社の英クァックァレッリ・シモンズ(QS)は、「QS世界大学ランキング」(第7版)を発表した。英ケンブリッジ大学が米ハーバード大学から首位を奪取し、米国以外の大学として初めて首位に立った。米マサチューセッツ工科大学(MIT)が9位から5位に上昇するなど、雇用担当者調査での技術系大学の上向き傾向を反映する動きも見られた。東京大学は24位と昨年の22位から後退したものの、25位の京都大学を抑えて日本の大学では最上位となった。同ランキングは、学術関係者1万5050人や世界94カ国の雇用担当者5007人を対象とするアンケートなど、さまざまなカテゴリーの調査に基づいて決定される。
 【注】この記事はビジネスワイヤ提供。英語原文はwww.businesswire.comへ。(2010/09/10-10:05)

 (当サイト製作者の補足だが、このランキングでは、東大と京大が以上のような順位であるほか、阪大が49位、東工大が60位、名大が91位となっている。)

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 以下、当サイト製作者の見解だけど、何回も何回も言っているんだが、国立大の独法化・交付金削減は、百害あって一利なし、さっさとやめれ! 今回は英国の世界大学ランキング製作者からもそう言われちゃったわけだしね。

 

9月13日(月)    *日本独文学会員の減少

 毎年同じような話題を書いているんですが。 昨年は書かなかったけど、一昨年、次のような記事をこの欄に載せた。

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 9月19日(金)      *日本独文学会会員数の減少

 留守中、郵便物が自宅にも大学にもたまっていたので、まとめて読んだり片づけたりする。

 日本独文学会の会誌 『別冊 2008年秋の号』 が届いていたが、それによると、独文学会の会員数は今年の5月末日現在で2150名。 昨年の同期より73名減っている。 

 実は昨年も同じ時期に同じようなことを書いた。 昨年は1年間で86名減っていたのである。 ちなみに5年前の2003年は会員数は2439名だったから、5年間で289名減ったことになる。 5年間で12%近い減少。 私は昨年同期のこの欄に以下のように書いた。 考えに変わりはないので、そのまま引用しておこう。

  ―― 〔日本独文学会員数は〕 2003年度から毎年、19名、64名、47名、86名という減り方をしている。 予想するに、この減少傾向は拡大こそすれ、収まることは当分ないだろう。 団塊の世代のドイツ語教師が停年を迎えるのは、これからなのだから。 国立大の停年は63〜65歳のところが大部分だから、団塊の世代は早くとも2年後にならないと停年を迎えないのである。 私大は70歳停年のところが多いから、さらに遅れる。

 そこでごっそり抜けたあと、どの程度補充がなされるかである。 私が見るところ、ドイツ語教師は第二外国語を守るべく戦うどころか、第二外国語削減に迎合し、場合によっては積極的に自ら削減しているわけだから (少なくとも新潟大学ではそうである)、補充もあまりなされないだろう。

 日本の第二外国語教育は、こうして壊滅に近づいていくのである。 それでどうなるか、誰も知らない。 ――

 こういうことをわざわざ書くのは、独文学者の端くれとして悪趣味だと思うかも知れない。 しかし、私は日本全国の国立大学教養部が解体していた頃、つまり1990年代半ば、学生時代の恩師である小栗浩先生にお会いしたときに予言したのである。 「このまま事態を放置すれば、日本独文学会の会員数は遠からず半減するでしょう」 と。

 小栗先生は独文学界では有名人であるから、それを聞いて独文学者の多数集まる席で弟子 (つまり私) の予言を話題に載せた。 すると、「そんなことはあり得ない」 という反応だったという。 私はそれを後日、小栗先生から聞いた。

 私はその時、「独文学者ってのは、先がまるっきり読めない無能な人間ばっかりだな」 と思った。 今もその考えに変わりはない。 私が上記のようなことを書き続けるのは、私の予言が成就するであろうことを示すためなのである。

     *         *

 はい。 で、このたびまた独文学会から冊子が送られてきて、2010年5月24日現在の会員数は2042名と報告されていた。 一昨年の同期より92名の減である。 2003年から見ると400名近い減。 7年間で約16%の減ということになる。 

 今回は数値を報告するだけにとどめておきます。 

9月11日(土)    *またしても迷走・・・・・永谷敬三氏のトホホ記事――または若者に執筆機会を

 7月にこの欄で一度取り上げたので、また書くのは気が引けるが、あまりにトホホなので再度書く。 産経新聞に本日掲載された、ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授・永谷敬三氏のエッセイだが――

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100911/crm1009110741003-n1.htm 

 【新聞に喝!】 ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授 永谷敬三  2010.9.11 07:40

 ■有料でも一般庶民の死亡記事掲載を

 怪談は夏の暑気を払う知恵として日本人が発明したものであるが、猛暑の今年ほど新聞紙上をにぎわせたことはない。

 「全国で長寿2番目に認定されていた東京都足立区の男性(111)が、実は約30年前に死亡していた」(産経7月29日付)という、一斉に各紙が報じたニュースは何千万の国民の背筋を冷やしてくれたはずだ。

 政治が盆休みをしている間の空白もあって、久方ぶりに幽霊が主役となった。しかも、存否さえ定かでないあまたの100歳以上の庶民が主役だというのだから、怪談効果も抜群である。年齢を90歳以上に下げたら幽霊人口はどれほどに膨れ上がるだろう。命令マニアの長妻昭厚労相が早速幽霊退治の厳命を発したが、相手が幽霊だけに部下のお役人も大変だ。そしてこれは本来住民登録を担当する市町村の責務であるが、1700を超える市町村のすべてが効率的に幽霊退治の任務を継続遂行するとは信じ難い。

 ところで私には、前記の引用文自体が怪談めいて聞こえる。「30年前、81歳で亡くなった男性が平成22年にミイラ状態で見つかった」という意味なのか、「30年前、111歳で生存していた男性が22年にミイラ状態で見つかった」という意味なのか。

 関連記事を少々調べて、前者が正しい解釈だろうと推測しているが、それならば81歳で亡くなった平凡な老人を「111歳の男性」に仕立て、読者の好奇心をそそった筆者の罪は重い。こんなあいまいな文章を書いてもらっては困る。

 また読売は社説で、超高齢化社会対策として「安否確認の仕組み作りを急げ」(8月16日付)と呼びかけて「社会保障と税の共通番号」制導入を提唱しているが、これは誰が責任をもつのかわからないので首肯しがたい。

 私はむしろ、一度でいいから新聞に載ってみたいという多くの庶民の願いを実現させる方法の一つとして、現在日本では有名人に限定されている死亡記事を、一般庶民に開放する運動を新聞業界に望みたい。できれば写真入りがいい。もちろん有料で構わない。

 これが実現すれば、多くのお年寄りがさっそく自らの死亡広告の創作と添付写真の選別にとりかかるに違いない。マニュアル本も人気を呼ぶ。読む側も、いろいろな人生を垣間見てほのぼのとした気分になる。こうすれば死がもっと親しみやすいものになり、身近な人が死んでも放置する人は減り、幽霊も自然に減るはずだ。

                   ◇

 【プロフィル】 永谷敬三 

 ながたに・けいぞう 昭和12年生まれ。ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授(経済学)。カナダ・バンクーバー在住。

     *      *

 以下、当サイト製作者の感想。 まず、

 ところで私には、前記の引用文自体が怪談めいて聞こえる。「30年前、81歳で亡くなった男性が平成22年にミイラ状態で見つかった」という意味なのか、「30年前、111歳で生存していた男性が22年にミイラ状態で見つかった」という意味なのか。

 (中略)

 関連記事を少々調べて、前者が正しい解釈だろうと推測しているが、それならば81歳で亡くなった平凡な老人を「111歳の男性」に仕立て、読者の好奇心をそそった筆者の罪は重い。こんなあいまいな文章を書いてもらっては困る。

 そうかなあ、 別に怪談めいていないと思う。 普通に読めば前者の意味だとすぐ分かるでしょ。 分からないとすれば、書いた人間より読んだ人間に問題があるからじゃないかな。

 そのあとだが――

 また読売は社説で、超高齢化社会対策として「安否確認の仕組み作りを急げ」(8月16日付)と呼びかけて「社会保障と税の共通番号」制導入を提唱しているが、これは誰が責任をもつのかわからないので首肯しがたい。

 読売の社説は要するに国民背番号制を導入すればこの種の問題は解決するってことでしょ。 どこのお役所がやるかは問題かも知れないけど、それが決まらないから反対ってのはあまりに幼稚というか、理由になっていない。

 それから、最後の一般人の死亡記事の件だけど、日本では昨年、約108万人の死者が出ている。 一日平均で3000人に近い。 仮にこの人たちの死亡広告が全部新聞に載ったとしたら、それだけで新聞の大半が埋まってしまうだろう。 え、載せない人もいるだろうって?  そう、そういう人こそが、家族親戚から見放されて行方不明のままいつ死んだのかが分からなくなる人なんですよ。 その辺の洞察が、完全に欠けているというか、そうでなくともトホホなんですけどね。

 産経新聞は、いい加減、こういうトンデモ・エッセイは排除しないと、質を疑われることになると思うけどなあ。

 ついでに、老人のトホホ・エッセイを載せるくらいなら、多少幼くても若い人の書いたものを載せるべきじゃないの? 8月12日の本欄で東大生が毎日新聞に載せた記事を批判的に紹介したけど、少なくも耄碌名誉教授の記事よりはマシじゃないかと。 老齢化社会だが、そして雑誌が次々と廃刊されるなど紙媒体のメディアには厳しい時代だが、若い人に執筆する場所をもっと、そして意識的に提供すべきだろう。 

9月9日(木)     *最近聴いたCD

 *ユーリ・バシュメット&モスクワ・ソロイスツ: ストラヴィンスキー&プロコフィエフ (NOVATEK、ONYX4017、2007年、EU盤)

 こないだの日曜日に東京交響楽団第61回新潟定期演奏会があったが、そこで演奏されたストラヴィンスキーの 「弦楽のための協奏曲 ニ調」 が、私としてはディスクも持っていないし聴いたこともなかったので、あらかじめ新潟市内のCDショップ 「コンチェルト」 でCDを購入して予習していった。 そのディスクがこれ。 3曲収録されており、ストラヴィンスキーのバレエ音楽 「アポロ」(1947年版) と、お目当ての 「弦楽のための協奏曲 ニ長調」 (東響定期のプログラムでは 「ニ調」 となっているが、このディスクではフランス語とドイツ語で 「ニ長調」 と記されている)。 それからプロコフィエフの 「ピアノのための20の束の間の幻影 作品22」 弦楽合奏編曲版。 なお、弦楽合奏版への編曲は第1−6曲と第8−16曲がルドルフ・バルシャイ、それ以外がロマン・バラショフによるもので、ロマン・バラショフによる編曲部分はこれが世界初録音だそうである。 いずれにせよどれも私にとっては初めて聴く曲ばかり。 バレエ音楽「アポロ」は、最初は1928年に作曲され、その時は「ミューズを率いるアポロ」というタイトルであった。 全10曲から成り、曲想は一つ一つ異なっており、叙情的な部分も現代的な部分もある。 それは 「弦楽のための協奏曲」 にも言える。 これは合奏協奏曲というから、形式から言えばバロック時代にさかのぼることになりそうだが、成立は1946年というから、まあ現代曲なのだ。 しかし現代的なのか古典的なのか、よく分からないところが・・・・まあ、ストラヴィンスキー的なのかな。   プロコフィエフの曲は、現代的であると同時に神秘的でもあり、元はピアノ曲だそうだが、そちらも聴いてみたくなった。

Stravinsky: Apollo, Concerto for Strings - Prokofiev: 20 Visions Fugitives, Moscow Soloists

 

 *メディチ家のハープシコード写本 (Deux-Elles、DXL 1083、2005年録音、英国盤)

 先日、八百板正己氏のチェンバロ教室の発表会を聴きに行き、何となく今まで知らなかったチェンバロ曲を聴いてみたいという気持ちになっていたので、その直後に新潟市のCDショップ・コンチェルトで1割引セールがあったときに買ってみたディスク。 全部で29曲のチェンバロ小品が収められている。 演奏はアアポ・ヘッキネン。 取り上げられている作曲家は、ルイジ・ロッシ(1597-1655)、ジョヴァンニ・デ・マック(1545頃-1614)、フランチェスコ・ランバルディ(1587-1642)、フェルディナンド・デ・メディチ(1673-1713)、ジョヴァンニ・バチスタ・マルティーニ(1706-84)、マヌエル・ブラスコ・デ・ネブラ(1750-84)、アントニオ・ソレル・ラモス(1729-83)の7人であり、イタリアはフィレンツェの音楽院に保存されていた楽譜だそうである。 作曲家の一人、フェルディナンド・デ・メディチはトスカナの大公であり、楽譜の写本表紙にはこの大公の紋章が刻み込まれているという。 この人は自分でチェンバロを弾いたり作曲をしたばかりか、ドメニコ・スカルラッティやヘンデルが音楽家として駆け出しの頃に援助するといった、パトロン的な行動もとっている。 17世紀から18世紀にかけてのイタリア・チェンバロ音楽は、ある時は折り目正しく、ある時は激情的で、やはりそれなりに多様であったのだと教えてくれるディスクだ。

The Medici Harpsichord Book

 

9月5日(日)     *東京交響楽団第61回新潟定期演奏会

 東京交響楽団の新潟定期で、秋の音楽シーズンも本格的に始まった、と言いたいところであるが、相変わらず暑い。 私は出張で金曜日から上京しており、この日は東京を午後2時少し前発の新幹線で新潟に戻ってきた。 りゅーとぴあでの演奏会はいつもならクルマなのだが、そういうわけでこの日は新潟駅からバスでりゅーとぴあへ。 なので、暑いことでもあるし、演奏前にホワイエでビールを一杯。 新幹線のなかでも昼の弁当と一緒に飲んだので連続ということになるけど、まあたまにはいいかなと。 こうしてみるとクルマでなく自分の足で歩くのも悪くないものだなと思う(笑)。

 さて、本日は下記のような演奏者とプログラムだが、曲目のせいか、或いは酷暑のせいか、客の入りはイマイチだったようだ。 私の定席Gブロックから見ると、向かい側の3階脇席 (J・K・Lブロック) は合計で20人くらいしか入っていなかった。 こちら側も同じくらいだったのか。

  指揮=キリル・カラビッツ、ピアノ独奏=シモーネ・ディナースタイン、コンマス=大谷康子

  ストラヴィンスキー: 弦楽のための協奏曲ニ調「バーゼル協奏曲」
  バッハ: ピアノ(チェンバロ)協奏曲第1番ニ短調
  (アンコール)
  シューマン: 「子供の情景」第1曲
  (休憩)
  ショスタコーヴィチ: 交響曲第1番

 指揮者のカラビッツは、キリルというファーストネームから何となく連想できるように、ロシア系のようで、ウクライナの出身だそうだ。 まだ34歳という若さだが、多方面で活動しているとのこと。

 で、第1曲だが、知らない曲だったのであらかじめコンチェルトさんでCDを購入して予習していったにも関わらず、どうもつかめない曲なんだなあ。 弦楽のみでやる曲だけど (今回は第1ヴァイオリン8、第2ヴァイオリン7、ヴィオラとチェロ各6、コントラバス4)、「春の祭典」 みたいな原始主義を思わせるところもあり、かと思うと中間楽章では抒情的。といっても古典派やロマン派ではないからその抒情も一筋縄ではいかない。 あまり演奏されない曲のせいか、あるいは技術的に難しいところがあるのか、東響の合奏も普段に比べてやや粗かったような気がした。

 第2曲でシモーネ・ディナースタイン登場。 堂々たる体格 (太っているということではない) の女性で、この人、歌を歌っても朗々たる声が出るんじゃないか、なんて気がした。 音は、どちらかというとタッチのクリアさより、響きの豊かさが目立ち、ロマン派の音楽に向いているのかなと。 でもこのバッハの曲でも実力の一端を見せてくれた。 もともとこの曲、チェンバロ用ではあるけどわりにダイナミックな表現を許容するところがあるので、第2楽章の抒情的な表現や第3楽章のダイナミックな弾き方なんか、良かったんじゃないか。 アンコールでのシューマンのゆっくりした表現もなかなかで、リサイタルを聴いてみたいという気にさせてくれた。

 後半はショスタコーヴィチの第1交響曲。10代で作曲されたそうで、早熟な作曲家の才気がほとばしっている曲。 といっても私もこの曲はだいぶ前にショスタコーヴィチの交響曲全集のCDを買ったとき1回聴いているきりで、無論実演では初めてで、事実上初めて聴くのと変わりない。 これは私がショスタコーヴィチを不得手としていることもある。 聴いてみて、協奏曲の集積みたいな曲だなと思った。 各管楽器はもとより、打楽器、コンマスによるヴァイオリン独奏、チェロ首席による独奏、それにピアノ奏者も加わって、色々な楽器の持ち味が協奏曲的に展開されていく。 第4楽章では曲が終わらないのに早とちりの客が拍手をするハプニングもあったが、総じて曲の特性がよく出ていた演奏なのではないか。

 短めの曲3曲によるプログラムなので、終演は午後6時50分頃。 うーん、悪くないんだけど、満腹感を味わうというと言うには少し足りないようにも思われた演奏会だったかな。

9月4日(土)      *坦々塾

 評論家の西尾幹二先生が主宰している坦々塾という勉強会があるのだが、誘ってくれる方があり、上京して参加してみた (初めての参加)。 午後2時からで、場所は水道橋駅近く。 今回は3人の方が講演を行った。

  和田正美 (明星大学名誉教授)       福田恆存に見る世界と人間

  西尾幹二 (評論家・電通大学名誉教授)  自由と平等のパラドックス

  古田博司 (筑波大学教授)          東アジアと日本

 このうち西尾先生と古田先生の講演が特に興味深かった。 西尾先生は、アリストテレスが人間の不平等を説いて奴隷制を擁護している事実に触れ、西洋には古代から奴隷制度があるが、それが西洋近代において平等原理が賞揚されるようになったことと関連しているのではないかという興味深い仮説を提出された。 また古田先生は、日本と韓国の歴史学者が共同で歴史研究を行う作業に携わった体験から、いかに韓国の歴史学者が不勉強であるかを指摘された。 加えて、理系をも含めて最近の学問が置かれている状況全般にも触れ、その博識ぶりで聴衆をびっくりさせた。

 この講演会では、昨年末に拙著 『鯨とイルカの文化政治学』 を出版した際にお世話になった洋泉社編集者 (現在は退職) の小川哲生氏とも初めて会うことができた。 出版の話を仲介して下さったのは西尾先生であるが、先生が講演会の場で引き合わせて下さったものである。  小川氏は 「編集者」 というイメージに非常に合致した外見の方だが、話し方はすごく軽くて、高校生のような感じ。 夜の懇親会の後も、氏は西船橋に住んでおられ、私は両国のホテルに宿泊していたので、水道橋からだと同じ方向で、電車内で少し話をすることができて有益であった。

9月2日(木)     *若乃花関を悼む

 このところ訃報が続いているけど、大物の訃報が届いた。 大相撲の第45代横綱、若乃花幹士関が昨日亡くなった。

 横綱の若乃花は3代目までいるわけだが、私にとっては若乃花といったら初代しかいない。 若乃花は私の子供時代、いや、幼年期と言った方がいいだろうか、ともかくその頃のヒーローであった。

 若乃花の全盛期と言えば、今も相撲史上に残る栃錦との千秋楽での全勝対決だが、これは1960年の3月場所で、私がまだ満で7歳、つまり小学校1年生の時のことだった。 その頃は私の家にはテレビも入っていなかった。 

 今と比べて娯楽の少ない時代で、スポーツもプロといったら相撲か野球しかなかった。 少年雑誌の表紙などにもよく力士が登場した。 若乃花は、そうした時代にあって男の子を惹きつける魅力を存分に持っていた。 強いことはむろん第一の魅力だが、軽量にも関わらず腕力が強いという個性、渋い表情、あまりしゃべらずどちらかというとぶっきらぼうな態度―― 「男は黙って・・・・」 というのが美徳の時代だった――などがそれにあたる。

 性格的にはなかなか強引な人だったようだが、そのくらいでないと格闘技の世界でトップに上りつめることは難しいだろう。 また、昔は相撲の世界に限らず強引な性格の男というのはいたもので、例えば外国のとの政治的交渉といった場面ではそうした性格がそれなりに必要だったはずだ。 今のようにニコニコマンばっかりが政治家というのも、どうかと思う。 話がやや脇道にそれたけど、そういう一切合切を含めて私は若乃花が好きだった。

 謹んで若乃花関のご冥福をお祈り申し上げる。

 

 

 

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