読書月録2003年

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西暦2003年に読んだ本をすべて公開するコーナー。 5段階評価と短評付き。

   評価は、★★★★★=名著です。 ★★★★=標準以上。 ★★★=平均的。 ★★=余り感心しない。 ★=駄本。  なお、☆は★の2分の1。

 

・A・カーナン(編)/木村武史(訳)『人文科学に何が起きたか――アメリカの体験』(玉川大学出版部) 評価★★★ 2年前に出た翻訳書を新潟の古本屋にて3割引で購入。 最近、日本でも 「大学改革」 で人文系の学問のあり方が問われているが、これはアメリカでも同様であり、一方で大学の産業化に伴う人文系学部の割合の低下、他方でポストモダンによる価値観の崩壊、そしてフェミニズムやポストコロニアリズムといった社会学的な方向性に学問が傾いていることから来るテクスト読解の単純化など、いくつかの理由によって人文系の学問は揺さぶられている。 そうしたアメリカの大学の人文系分野が抱える問題点について、何人もの学者が分担執筆してできた本である。 そうした本であることの当然の帰結として、執筆者や担当項目により、面白い文章とそうでない文章、或いはよく分からない文章の差が大きい。 よく分からないというのは、アメリカの細かい事情について論じている部分ではアメリカ人の高等教育を受けた読者を想定して書いているので、日本人であるワタシにはその前提となる知識が欠けているという場合と、学問の最先端の用語や概念を用いているので、それが私にはよく理解できない場合とがあるようだ。 後者の場合は、訳があんまり良くないという理由もありそう。 訳者は人文系の学者で、「高等教育の門外漢が訳出したので、誤解しているところもあるかも」 と訳者あとがきに書いているが、むしろ人文系の知識に問題がある人なんじゃないか、という気がしないでもない。 例: 「ジャン・フランソワ・リオタード」(84ページ) → ジャン・フランソワ・リオタール、「ポール・デ・マン」(89ページ) → ポール・ド・マン、「ピエール・ブルドゥー」(140ページ) → ピエール・ブルデュー、「ジュリアン・ベンダの『書生の反逆』」(181ページ) → ジュリアン・バンダの『知識人の裏切り』、「リヒテンバーグ」(199ページ) → リヒテンベルク、「セオドア・アドルノ」(226ページ) → テーオドーア・アドルノ、など。

・読売新聞社大阪本社(編)『大学大競争――「トップ30」から「COE」へ』(中公新書ラクレ) 評価★★★ COEの選考結果を踏まえ、選考の過程や、応募した大学の内部事情、選ばれなかった大学の言い分、などなどを取材により明らかにした本である。 多方面にめくばりが効いていて、COEについてまとまった知識が得られる便利な本である。 ひとつだけ、取材の対象となっている立命館大学(COEに3つを当選させ、私大としては早慶につぐ健闘ぶりを示した)の学長の発言に関する疑問を述べておく。 国立大は法人化するだけでなく、ハーヴァード大のような高学費政策に踏み切るべきだ、などと述べているのだが(217ページ)、心底から高学費がいいと信じているなら、まず自学、つまり立命館でそれをすべきであろう。 ハーヴァードのように高学費で、しかしそれに応じた高度の設備とサーヴィスを用意するというやり方で日本人学生が集まるものかどうか、やってごらんなさい! アメリカでも名門私大のような高学費大学だけが一流大学なのではなく、学費の安い州立大学も相応の地位を占めていることを無視し、日本の国立大の高学費を主張するのはムセキニンである。 日本の私大関係者が信用できないのは、こういういい加減さがあるからなのだ。

・秦郁彦 『旧制高校物語』(文春新書) 評価★★★ タイトル通りの本である。 明治から敗戦直後まで存続した旧制高校について語っているが、新書という制約もあってか、あまり体系的ではなく、エッセイ集のような感じ (体系的に知りたい人は、竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』〔中央公論社〕がお薦め)。 また、若い読者に対する記述の配慮もやや不足している――例えば旧学制の高専がいかなるものか、若者には説明なしでは分かるまい。 私が一番興味深く読んだのは、最後の、旧制高校が廃止されたいきさつである。 占領軍の政策によるものとばかり思っていたが、実は日本人主導で、その主犯(?)は南原繁だったらしい。 またその頃は6・3・3・4制はアメリカでも主流ではなかった (アメリカは州により教育制度が異なる) というのも、ちょっと意表をつかれる指摘で、エリート学校を嫌う日本人の体質について改めて考えてみる必要があると痛感した。

・鈴木淳史 『不思議な国のクラシック 日本人のためのクラシック音楽入門』(青弓社) 評価★★☆ 表題にもかかわらず、これからクラシック音楽を聴いていきたいという入門者には勧められない。 むしろ多少クラシックを聴きかじった人が楽しむための本である。 日本人がいかに自分の風土に合わせて西欧のクラシックを理解・演奏してきたかが語られている。 ただしワタシはこの著者の書いたものを何冊か読んでいるので、またか、と思わないでもなかった。 ある種の日本人論なんだけど、何冊か読んでいると飽きちゃうんですよね。 

・土岐健治 『はじめての死海写本』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 講談社現代新書には 「はじめての」 と付くシリーズがある。 『はじめてのクラシック』 だとか 『はじめてのオペラ』 だとか 『はじめての構造主義』 だとかであるが、それが 「死海写本」 にまで適用されてしまうところが、何と言うか、シリーズの恐ろしさというかおかしさというか、なのである。 というのも、クラシック音楽だとかオペラならば 「興味あるけどぉ、どおすればいいのか分からないからぁ、手取り足取りしてくれる本が入用なのよぉ」 って線でいいのだけれど、「死海写本」 ってそういうものですかね?? まあ、それはさておき、死海写本を分かりやすく解説してくれている本ではある。 専門的であると同時に、シロウトにも分かりやすい説明がうれしい。 20世紀最大の発見などと称され、一時期はキリスト教を根底から覆す内容だとか、なかなか公刊されないのは自らの権威失墜を恐れるバチカンが圧力をかけているからだ、とか言われた写本ではあるのだが、解読されてみればかなり人畜無害であり、イエス・キリストや原始キリスト教に関する衝撃的な新事実が明らかになった、なんてことは全然なかったのだ、と分かります。 まあ、それが分かるだけでも読む価値があるかもしれないけど、キリスト教学にそれなりに興味のある人でないと、面白みを感じないという側面もあると思う。 私自身はまあまあ面白く読めましたけど。

・蓮実重彦 『私が大学について知っている二、三の事柄』(東大出版会) 評価★★★ 2年前に出た本。 蓮実重彦が東大学長を務めていた時代に書いた公的な文章を集成したもの。 東大の入学式や卒業式、海外の大学や学術会議で東大学長として行った演説などが収録されている。 東大学長という、公的な役割にかなり拘束されながらも、蓮実節が随所に聞けるので、まあまあかな、という印象。 独立行政法人問題に関して政府や文科省をかなり批判しているところや、ドイツの大学での演説でいわゆる「グローバリゼーション」概念について、人文系の学問とはそりが合わないとしている箇所が、私としては面白かった。

・山内昌之 『歴史の作法 人間・社会・国家』(文春新書) 評価★★★ イスラームの研究で知られる東大教授が歴史の記述の仕方について思うところを述べた本。 私は今年度後期に 「歴史の見方を原理的に考える」 という授業をやっており、役立つところがないかと期待して読んでみたもの。 この種の本としては、西村貞二 『歴史観とは何か』(第三文明社・レグルス文庫)があり結構重宝しているが、西村は西洋史学者なので当然ながらそこで取り上げられている歴史学者たちの見解はヨーロッパに片寄っている。 新世代の歴史家である山内はイスラームや中国、日本など広く目配りしており、材料も豊富なのはいい。 ただ、体系だった歴史観の本ではなく、エッセイ風なので、すぐ役立つ知識をまとめて得ようとする人には薦められない。 私としては、一般の読者にも分かるような記述から歴史学者が遠ざかっていることを憂慮しつつ、塩野七生に対する歴史学者の批判をとらえて 「自前の叙述に挑戦もせずに彼女の仕事をあげつらうのは、史料に恵まれた学者のとるべき態度とは思えません」 と述べた箇所(106ページ)や、フランスの史家に愛国心が強いことを紹介しつつ、「研究や教育の上では他国のナショナリズムを賞讃するのに自らの国家や愛国心については懐疑的もしくは否定的になりがちな日本のウェットな一部歴史家とははっきり違う」 と述べている箇所(246ページ)に、うなずくところ大であった。

・鹿島茂 『それでも古書を買いました』(白水社) 評価★★★ 古書収集で知られるフランス文学者のエッセイ集。 今年初めに出て、ワタシは秋口に注文したのだが我が大学の生協は怠慢で最近ようやく届いた。 古書をめぐる蘊蓄とエピソードが満載されている。 最後に英文学者などとの座談会があり、読書階級というものが英仏で異なっていることや、図書収集やコレクションのあり方についての話が聞けるのも貴重。

・唐沢俊一 『カルト王』(幻冬舎文庫) 評価★★★ 単行本は6年あまり前に出て、文庫化されたのが1年前。 それを最近長岡のBOOKOFFで半額にて購入。 最近はやりの言葉で言うならトリビアな事柄の研究に没頭してきた著者の、役立たない知識を満載した本。 「オカルトの章」「クスリとカラダの章」「セクシュアリティーの章」「サブカルチャーの章」に分かれている。 私は「セクシュアリティーの章」のレディースコミックに関する記述が面白かった。 特に読者の自己体験に関する投書の内容が、抱腹絶倒。 でも文章がヒドイという指摘について言うと、新潟大生協で出している書評誌に投稿してくる学生の原稿にもかなりヒドイのがあるもので、その点からするとレディースコミックでも大学でもレベルは変わらないのかも・・・・・・(嘆息)。

・古沢由紀子 『大学サバイバル――再生への選択』(集英社新書) 評価★★★ 2年前に出た新書を長岡の古本屋で200円にて購入。 著者は読売新聞記者で、大学改革全般を扱っている。 国立大独法化問題など要領よくまとめてあるが、私のように大学内部にいる人間からするとツッコミ不足という印象もある。 一つ気になるのは、著者が新聞社内部にいて、独法化問題について記事を書いてもそれがなかなか載らないと述べていることだ(114ページ)。 それは国民の、国立大問題に対する冷ややかな視線に原因があり、だから大学人も反省しなくては、という結論になるらしいのだが、はたして問題はそれほど単純だろうか? ヨーロッパでは大学は基本的に国立・州立、アメリカはハーヴァードなどの名門私大があるとはいえ学生定員で言うと学費の安い州立大の占める割合が高いのに、日本では学生定員の多くを私大に依存してきた。 つまり高等教育にカネをかけないできた。 特に首都圏でそのアンバランスが著しい。 ところが私大教授などには国立大へのルサンチマンが見られることが珍しくない。 その影響が私大卒業生に及んでいることは十分考えられる。 そして首都圏の (ということは日本の) マスコミには私大出身者が多いと思う。 このあたりのヒズミをもっと率直に見ておいた方がいいと私は思うのだが。

12月  ↑

・高橋英郎 『世紀末の音楽』(小沢書店) 評価★★★☆ 20年前に出た本を東京の古本屋で1200円にて購入。 著者が雑誌やコンサートのパンフなどに書き散らした文章の集成だが、ドビュッシーを初めとするフランス世紀末音楽と文学や美術との関係などにはそれなりに教えられるところが多い。 それにしても、こういう売れそうもない本を律儀に出していたから小沢書店はつぶれちゃったのかなあ、なんて気持ちにさせられる本でもありました。

・E・H・カー 『歴史とは何か』(岩波新書) 評価★★★☆ ずいぶん昔に岩波新書から出た本だが、授業で取り上げて精読してみた。 第二次大戦後、不確定性原理やマルクス主義の行き詰まりなどで歴史の法則性が疑われた時代に、歴史研究のあり方を前向きに検討した本である。 時代精神との葛藤や、自然科学や社会科学の方法論から来る一種の圧力に対する反駁が、今から見るとなかなか興味深い。

・橋爪大三郎 『永遠の吉本隆明』(洋泉社新書y) 評価★★★ 思想家・吉本隆明の思想を概観した本。 この著者の本らしく、分かりやすくはあるが、どこか物足りない部分があるけれど、最後に長年読んできた吉本に批判的に対峙するあたりは、結構面白い。

・酒井健 『絵画と現代思想』(新書館) 評価★★★★ 先頃集中講義で新潟大に来られた酒井健先生の新刊である。 絵画をイコノロジーなどの固定した意味論で捉えるのではなく、個々の画家の固有性に着目し、それに見合う現代思想家の思想と結びつけつつ、視覚芸術の持つ意味と現代思想の微妙な主張の対応関係を描き出そうとする、きわめて意欲的な試み。 そこで主張されている事柄はなかなか精妙であり、単純な二元論からは遠く隔たっているので、理解するにはじっくりゆっくり読み進んでいく必要がある。 そういう風に読むならば、心のどこかで意識しながらはっきりと言語化されていなかった世界が開示されてくるという、貴重な体験をすることができるであろう。 

・安田寛 『「唱歌」 という奇跡 十二の物語――讃美歌と近代化の間で』(文春新書) 評価★★☆ 最近、唱歌に関する本がよく出る。 これもその一冊で、明治時代、日本が欧米の音楽をメロディーだけ取り入れて歌詞は日本的な感性を固守したことでアイデンティティを保ったと主張するものであるが、一読、あまり面白みを感じなかった。 雑誌連載記事をまとめたので内容的に重複が見られることもあるが、より本質的には、今の人間から見て明治時代の唱歌づくりのどこに興味を覚えるかという根本的な部分において、著者と読者との間に齟齬があるからだろう。 どうでもいいような側面が詳しく論じられ、こちらが知りたいことが素通りされている――ここに、この本の重大な弱点がありそうだ。

・小谷野敦 『反=文芸評論 文壇を遠く離れて』(新曜社) 評価★★★★ 「もてない男」 で一躍有名になった著者の文芸評論集。 村上春樹論などは、どうも 「もてない男」 的な視点を過剰に意識しすぎているし、中野孝次を階級論的視点から擁護したりするのは 「いくら何でも」 の感もあるが、フェミニズムがらみでの藤堂志津子論や、日本特有の装置である文芸誌での 「座談会」 が、文壇内部の政治として働くという指摘や、「いじめ」 をどう捉えるかは子供を無垢と見るイデオロギーと絡んでいるとしてアリエスの 「〈子供〉 は近代になって発見された」 とする見解を批判する箇所などは、なかなか鋭く面白い。 私は最近の小説をほとんど読まなくなっているが、そういう人間にもそれなりに楽しめる本である。 

・宇都宮浄人(きよひと) 『路面電車ルネッサンス』(新潮新書) 評価★★★★ 日本では高度成長期以降、都市の路面電車は廃止・縮小される一方だった。 しかしヨーロッパやアメリカでは近年、交通機関としての路面電車が見直され、都市中心部の再開発にも一役買っているという。 この本は、欧米の 「路面電車ルネッサンス」 を詳しく調査し、都市交通のあるべき姿を考え、日本において路面電車を再度活かすにはどうすればいいのかを提言したものである。 路面電車に都市再開発・環境問題・交通問題など様々な側面から光が当てられており、たいへん面白く、いわば都市論としての魅力もある書物で、お薦めできる。

・吉田秀和 『響きと鏡』(文芸春秋) 評価★★★★ 1980年に出た吉田秀和氏のエッセイ集を、東京の古本屋にて当時の定価と同じ1100円にて購入。 260頁ほどのハードカヴァーだから、今なら新刊で出せば2000円はするだろう。 閑話休題。 一読、いささかも内容に古くささを感じさせないのは、さすがと言うべきか。 音楽だけでなく、絵画や相撲、映画などさまざまな文化領域への言及があるが、読んでいると芸術を享受し芸術について考えることに一生をかけた氏の人生が素晴らしいものに感じられ、こちらまで幸せな気分になってくるところが、力量というものなのであろう。 日本の国立劇場の窮屈さに触れて、演劇は物を飲んだり食べたりしながら観るべきものではないかと暗にほのめかすところなど、我が意を得たりの気分であった。 最近では何しろ映画館までその手の窮屈さが入り込んできているご時世ですからねえ。

・荒井魏(たかし) 『映画少年・淀川長治』(岩波ジュニア新書) 評価★★★ 3年前に出た新書を東京の古本屋にて200円で購入。 映画評論家・淀川長治の生涯を紹介した本である。 話の運びがやや教訓話めいていてクサいのは、ジュニア新書のせいか、著者のせいか。 しかし淀川氏の一生と映画観が分かりやすく描かれいている。 淀川氏には自伝もあるようだが、かなり長いので、手っ取り早く物事を知りたい人には悪くない。

・島本慈子(やすこ) 『ルポ 解雇――この国でいま起きていること――』(岩波新書) 評価★★★★ 中高年の自殺が多くなっている日本。 不況が長引き会社から不当な扱いを受けていることが大きな理由ではないか、という想像は誰にでもつくだろう。 この本はその意味で極めて時宜にかなった、興味深い内容である。 いかに企業がデタラメな理由で社員を解雇するか、裁判においても平気で嘘の証言をする人間がいかに多いか、世間知らずの裁判官がいかに容易に嘘にだまされるか、などが多くの実例を挙げながら説得的に記述されている。 また、解雇をめぐる裁判に労使の専門家を同席させないために適切な処理がなされない日本の実状、ILOの 「正当な理由がない限り解雇してはならない」 という条約が日本で批准されていないという事実など、この国の労働条件をめぐるお寒い実態は、多くの人が知っておくべきことだろう。 お薦めできる本である。

・小浜逸郎 『やっぱりバカが増えている』(洋泉社新書y) 評価★★☆ タイトルに 「バカ」 を付けるのがはやっているが、これは最初からバカ叩きのために書かれた本ではなく、著者が雑誌などに掲載した文章を集めたものから、便乗的な感じがしないでもない。 内容的にも、上野千鶴子批判はこの人が昔からやってきたことで新鮮味がないし、寺脇研批判はこの人でなくてはというような独自性がない。 むしろ斉藤学批判 (2年前に、卒論でこのどうしようもない評論家の本を引用している学生がいたので) だとか立花隆批判をしっかりやって欲しいものだ。

11月  ↑

・岡崎勝世 『世界史とヨーロッパ――ヘロドトスからウォーラーステインまで』(講談社現代新書) 評価★★★★ 世界史とは初めから自明のものとしてあるわけではない。 それをどう綴るかは、著者や時代相によって大幅に異なってくる。 この本は、副題にあるように、古代ギリシアのヘロドトスから現代のウォーラーステインに至るまで、世界史の捉え方がどう変わってきたかを概観した本である。 この著者には同じ講談社現代新書で 『聖書 vs. 世界史』 という本があり、これも世界史の捉え方が中世から近世にかけてのヨーロッパ世界でいかにキリスト教や聖書に拘束されていたかを明らかにした好著でありお薦めできるが、この 『世界史とヨーロッパ』 はそれよりスパンを広げており、内容には多少重複があるものの、ランケやマルクスやM・ウェーバーをも含めて歴史を見る目が時代や地域によってどう変わってきたかが簡単に分かる。 たいへん便利で中身がぎっしりつまった本だと言えよう。

・堀江あき子(編) 『乙女のロマンス手帖』(河出書房新社) 評価★★★ 昭和20年〜30年代に女の子たちを魅了した少女向け雑誌の読み物やマンガ、グラビアを飾った少女タレントなどを再録した本。 日本が今より貧しかった時代、少女たちは清く正しく美しく生きる夢を雑誌で満たしながら、その一方で松島とも子などの少女タレントへの憧れを強く抱いていた。 そういう時代の雰囲気が懐かしく――ワタシのように実際にあの頃を知る世代にはだが――甦ってくる。 例えば筋書きが詳しく紹介されている 『ここに幸あり』 という絵物語――当時の雑誌は、少年誌もそうだが、マンガ一辺倒ではなく、挿し絵付きの物語が主流だった――では母と生き別れた少女が貧乏や周囲の意地悪に耐えながらケナゲに生きていく様が描かれるのだが、ヒロインをイジメるのが金持ちの意地悪な令嬢というのはまあ分かるのだけれど、なぜかいい年した青年まで彼女をいたぶっているのが、不思議。 青年がなぜヒロインをイジメなくてはならないのか、説得的な理由はどこにも書かれていない。 実はワタシも、小学生時代にとってもらっていた雑誌 (男女共用) に女の子向けのマンガが載っていて、そこになぜかヒロインの少女をイジメる中年男が登場し、しかもなぜイジメなくてはならないのか説明がなされていないのに不審の念を抱いたことがある。 どうしてこの手の話には、理由もなくヒロインをイジメる悪い男が登場するのか??? もしかして、少女の側に、成年男子に虐待されたいという密やかな願望があるからだろうか??? 或いは、大人の男は危険だから近づかないように、というメッセージに過ぎないのだろうか???

・由紀草一 『団塊の世代とは何だったのか』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ タイトル通りの本。 著者は1954年生まれ だから、狭義の 「団塊の世代」(昭和20年代前半生まれ、つまり1946年から50年までに生まれた世代) の直後ということになり、1952年生まれのワタシ同様に 「目の上のたんこぶ」 的にこの世代を捉えてきたらしい。 しかし昭和30年代生まれの人からすると、昭和20年代生まれはすべて広義の 「団塊の世代」 なのだそうで、そうなると著者もワタシも含まれることになってしまうが、ここでは狭義における 「団塊の世代」 に限定して、世代論の無理や強引さは承知の上で、時代相や様々な事件などに目配りしつつ、論を張っている。 おおむね納得できる内容だと思うし、最後で、しかしこの世代は実は自前で成し遂げたことが何もない、とするところは痛快。 といって、やはり最後に書いてあるが、著者自身にしても広い意味では団塊の世代と同世代であり、一種の自画像を描いたのだとしているのは冷静さをうかがわせるところであろう。 以下、蛇足。 この人の名前 (ペンネームだとすぐ分かる)、「ゆき・そういち」と読むのだと思っていたが、この本の奥付には 「ゆうき・そういち」 と書いてある。 あれ、と思って、この人がむかし (1989年) もう一人の高校教師と共著で出した 『学校の現在』 を見てみたら、ちゃんと 「ゆき・そういち」 となっている。 (本名は鈴木敏男、とも書いてある。) いつから読み方を変えたのだろうか? いかにも由紀という女の子が好きだから付けた、みたいなペンネームが恥ずかしくなったのかしらん、などと勘ぐってしまいました。 まあ、柄谷行人だって、むかしは 「ゆきと」 と読ませていたのを途中で 「こうじん」 に変えた、という前歴があるわけですけど。

・鈴木佳秀 『アブラハム――約束を背負わされた父と子』(新潟日報事業社) 評価★★★★ ワタシもこの8月に 『〈女〉で読むドイツ文学』 を出した 「ブックレット新潟大学」 シリーズから、最新刊として上梓された本。 著者は、学士院賞受賞など数々の栄誉に輝く新潟大学人文学部の看板教授・鈴木佳秀先生である。 ここでは旧約聖書創世記に記されたアブラハムと神との約束という物語を取り上げて、シロウトにも分かりやすく、しかし専門的な学識と最新の研究成果を盛り込みながら、神との約束という概念がアブラハムにとって、ひいては人間にとってどういう意味を持つのか、旅の人間たらざるを得なかったアブラハムなどの族長 (そしてこれも、そもそも人間一般) にとって神とは何であるのかを、真摯に問うている。 小冊子ではあるが、中身は濃い。

・保柳健 『音楽と都市の出会い――大英帝国とロンドン』(音楽之友社) 評価★★★ 22年前の本を仙台の古本屋にて購入。 イギリスの音楽事情を歴史に即して分かりやすくエッセイ風に綴った本。 体系的な記述はなされておらず、クラシックから民謡まで、ざっくばらんに雑談を楽しむようにして読むべき書物。 しかしヘンデルやメンデルスゾーンやドヴォルザークがこの国に大歓迎されながら、ショパンやリストはそうではなかったなど、音楽の輸入大国もいかなる音楽家も無条件で優遇したわけではないと分かるし、またこの島国の複雑な民族事情と音楽との関係などにも言及がなされており、一読に値する。

・堀米庸三 『歴史と人間』(NHKブックス) 評価★★★★ 38年前に出た本。 いつだったか東京の古本屋で購入し、ずっとツンドクになっていた。 しかし今年度後期に 「歴史をどう捉えるかを原理的に考える」 という授業を開講したので、泥縄式に読んでみたところ、相当重要な内容を含んでおり、今現在でも十分通用する本であることに気づいた。 著者は東大西洋史学の教授を務めた人で、私は中公版 『世界の名著・ホイジンガ』 の巻の解説の名文に感銘を受け、歴史の門外漢でありながらもその書物を収集しておいたが、必ずしも熱心に読んだとは言えない。 だがこの本は、昭和史をめぐる遠山茂樹・亀井勝一郎・和歌森太郎の論争を詳細に検討しつつ、歴史記述における社会性と個人の関係や、マルクスとM・ウェーバーの方法の違いなどに言及しており、専門家から一般の歴史好きの読書家まで、一度はきっちり考えてみなければならない問題に真正面から取り組んだ貴重な書物と言える。 

・高木重朗 『大魔術の歴史』(講談社現代新書) 評価★★★ 15年前の新書をBOOKOFFにて250円で購入。 タイトル通り、魔術・手品の歴史をたどった本である。 古代エジプトから始まって、ヨーロッパ中世をへて近代になってから演じられてきた様々な魔術・手品と著名な魔術師を紹介している。 魔術はすべてタネを明かしているが、著者も言うようにこの本の眼目はそこにあるのではなく、人を楽しませるために考案されてきたトリックの数々と偉大な魔術師の姿をたどることにある。 コンパクトながらよくまとまった本である。

・前田和男 『足元の革命』(新潮新書) 評価★★★☆ 運動靴メーカーとして知られたアシックスが、普通の靴づくりに挑戦して、従来は足を靴に合わせろ式の意識しかなかったこの分野で、真に日本人の足にフィットした歩きやすい靴を作り普及させるまでの経過を物語風にたどった本。 若い人には分からないだろうが、私の年代の人間だと、昔の男性用靴は重く、底も革で作られているので、歩くとキュッキュッという音がして (実はそこに郷愁を覚える気持ちも多少はあるのだが)、雨に濡れた場合の手入れに手間がかかり、なおかつ氷結した道路では滑りやすかったことを覚えているはずである。 底をゴムにして軽く滑りにくくしたのが、普通の靴づくりに伝統を持たない運動靴メーカーだったというところが、「コロンブスの卵」 的で面白い。 また、既存のメーカーは、ヨーロッパから靴づくり技術を直輸入するだけだったので、ヨーロッパ人と日本人とでは足のサイズのみならず形状も異なっていることを無視していたのだという。 ヨーロッパ人は足の親指より二の指が長い場合が多いが、日本人は親指から小指まで順繰りに短くなっていく形状の人間が多数だという (でも、ワタシは日本人なんですが、足だけはヨーロッパ型なんですけど・・・).。 なお、この本の後半では、人間の健康にいかに足が大事かということ、足の丈夫な人ほど長生きするという事実、人間は歩きながら考えると良いアイデアが浮かびやすいこと、などなど、足の重要性を訴えており、一読の価値がある。

・田中宇(さかい)+大門小百合 『ハーバードで語られる世界戦略』(光文社新書) 評価★★★(田中執筆部分) ★☆(大門執筆部分) 2年前の新書をBOOKOFFにて半額で購入。 ハーバード大学へ夫婦で留学した二人が書いた本だが、もともとは妻がこの大学のジャーナリスト・プログラムの特別研究員に応募して当選し、夫は妻について一緒に行ったのだという。 というわけで本来は妻がメインということになるはずだが、一読、レベル的にはまったく逆だな、と思った。 田中執筆部分は、ハーバード大学がアメリカの外交と密接に関わっており、また他国からの留学生もそれを承知の上で自国の宣伝をしようという意図も含めてやってくるといった側面をきちんと捉えている。 首をかしげる部分もあるが (例えば、アメリカの何とか系アメリカ人という言い方と、日本の在日朝鮮人を同じ俎上に載せて比較しているのだが、在日は国籍が日本にないわけで、単純な比較はできないのでは? また、フランスの宗教と国家はそれほど癒着してはいないはず――106〜107ページ)、 アメリカの外交と世界の関係について一定の認識に基づいており、まあまあの出来だ。 これに対して大門執筆部分には愕然とした。 30歳を越えてジャパンタイムズ記者をしている人間としてはお粗末というしかない。 例えば、黒人の解放運動の指導者が聖書から引用するのには疑問も抱かず、森元首相が 「日本は神の国」 と言うのは問題だとのたまうのだが(155〜156ページ)、そこには何の説得的な理由付けもなされていない。 聖書を理由として沢山の異教徒や異端者が殺された歴史くらい知らないのだろうか? これ以外の箇所を見ても、分析的な能力がなく、漠然とアメリカに感心しているだけの、高校生レベルの人間の姿しか浮かび上がってこない。 幼い、という言葉が浮かんでしまう。 英語能力と思考力が背反する良き見本と言うべきだろう。

・フロリアン・クルマス 『まだまだまともな日本』(文芸春秋) 評価★★★☆ 長らく日本の大学で教鞭をとったドイツ人が、家族を連れてドイツに帰国し、故郷に幻滅を感じてしまい、日本社会と日本人の暮らし方・考え方の方がはるかにまともだと論じた本。 著者によれば、1968年以降の若者の叛乱によってドイツの社会は規律を失い、無責任がはびこっており、暮らしにくい國になってしまった、という。 日本と欧米を比較して日本をクサす、という古いタイプの文化比較論に代わって1980年代頃から逆に日本を賞讃する書物が増えてきたが――もっとも、マークスなんとか夫人のように相変わらずヨーロッパ幻想にしがみついている人もいるけれど――、これも遅ればせながらの類書と言えないこともない。 とはいえ、現代ドイツを知るための書物としてそれなりに面白い。 でもこれを読むと、ドイツ語やドイツ文化を学びたいと思う日本人は、さらに減るでしょうねえ。 なお訳は、悪くはないがもう少しかみ砕いた方がいいのでは、と思われる箇所もあった。 訳注ももっと親切に付けてほしい (ミヒャエル・コールハースが何者であるか、日本ではドイツ文学を専攻した数少ない人間以外は知るわけがないと思う)。

10月  ↑

・保阪正康『昭和史七つの謎』(講談社文庫) 評価★★★ 昭和初期から戦争直後に至るまでの日本の歴史について、「真珠湾奇襲攻撃でなぜ上陸作戦を行わなかったのか」 「戦前・戦時下の日本でのスパイ合戦はどんなものだったか?」 「〈東日本人民共和国〉は誕生し得たか?」 など7つの設問をたてて答えようとしたもの。 著者は日本史の実証的研究を長らく行ってきたという。 内容的には興味深く、視点もおおむね妥当だとは思うが、東京裁判に関するところだけはやや欧米に甘いという気がした。 連合軍が犯した戦争犯罪にはまったく触れていないし、植民地主義がケシカランなら連合国も同罪のはずだが、戦後も植民地を維持しようとした仏蘭のみを非難するにとどまっているのは、どうみても不公平でせう。

・松村劭(つとむ)『戦争学』(文春新書) 評価★★★☆ 5年前の新書をBOOKOFFにて100円で購入。 日本の大学にはなぜか戦争について研究する講座がないが、平和を望むことと戦争について研究することは矛盾しないという基本的な認識をもとに、古代ギリシアから湾岸戦争に至るまでの戦争のやり方、戦術の変遷をたどった本である。 この種の本は日本ではあまり出ていないから、一読の価値があると思う。

・原武史『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 鉄道マニアでもある政治思想史学者が、鉄道をネタに講談社の雑誌 『本』 に連載したコラムを集成したもの。 ワタシも、今はやめてしまったが、以前は 『本』 を講読していて、毎月楽しみにしていたコラムなので、早速購入して読んでみた。 著者も述べているように、単に鉄道オタクの 「どういう形式の車両がどの線でいつ頃使われていた」 といった話ではなく、鉄道が歴史や地域社会とどのようにつながっているかを考察しているコラムなので、鉄道にあまり興味のない人でも楽しんで読むことができる。 もっとも、鉄道とジェンダーの話題――なぜ鉄道マニアは男ばかりなのか――については、著者の言うように歴史的な理由からではなく、性差があるのだとワタシは思いますけれど。 なお、あとがきで著者は、期限付き助手を解任されて収入がなくなったときにこのコラムを連載する話が持ち込まれてありがたかったが、年輩の先生には 「ああいう連載はやめた方がいい」 と忠告されたという挿話を披露している。 専門外のことに手を出すのはよくないという学者世界の風潮をうかがわせる話だが、いまや文系では 「余技の時代」 に入っているとワタシは思うので、是非続編を出して欲しい。

・関川夏央『白樺たちの大正』(文芸春秋) 評価★★★★ 武者小路実篤の 「新しき村」 の成立と展開を中心に、志賀直哉や有島武郎といった白樺派、また同時代の中国大陸での日本軍の行状 (石光真清)や日本に来た中国人留学生(周恩来)、検閲と朝日新聞など、さまざまな分野への目配りをちりばめながら、大正時代の日本の精神史を描こうとした本である。 著者の視点は、あとがきにもあるが、後世の後智恵を排してなるべく同時代人の心持ちに近づこうとするもので、400頁を超える長さと相俟って、秋の夜長にじっくり読むのにふさわしい書物となっている。 現代日本の出発点としての大正時代を考えるために、また大正時代の再評価のためにも、お奨めできる。 

・淀川長治『続・私の映画の部屋』(文春文庫) 評価★★★☆ 映画評論家として名高い故人が、ざっくばらんに映画について語った本。 単行本は1976年に出て、その10年後に文庫化されたものを、いつだったか古本屋で買ってツンドクになっていたが、何となく読んでみた。 (これは続編だが、正編の方は読んでいない。) 映画に関する博識は言うまでもないが、それをあくまで分かりやすく、マニアックな臭みの出ないように語る著者の力量は、やはりそれなりのものであると思う。

・佐藤幹夫『ハンディキャップ論』(洋泉社新書y) 評価★★★ 若くして亡くなった障害者の弟を持ち、養護学校の教諭を長らく勤めた著者が、障害者をめぐる様々な問題を論じたり、自分の教諭としての体験を語った本。 個々の点ではうなずける指摘や体験談、或いは問題提起が少なくないのだが、全体としてのまとまり感が希薄な点が、惜しまれる書物だ。 問題の所在が微妙だということもある。 例えば最後近くで言われている、2003年から厚生労働省により導入された 「障害者支援費制度」 の問題点などは、一般に知られているとは言えないから――私もこの本で読むまで知らなかった――もっと具体的な数字を挙げて詳細に論じるべきだし、著者の弟の死に暗示されている障害者施設の暗部――これも恐らくは予算や人員の不足が絡んでいるのであろうが――なども、最低1章を充てるべきであった。

・前田愛『近代文学の女たち――『にごりえ』から『武蔵野夫人』まで』(岩波現代文庫) 評価★★★ 15年前に56歳で亡くなった国文学者がカルチャーセンターで行った講義を書籍化したもの。 合計6冊が取り上げられている。 表題以外では、鴎外 『雁』、尾崎紅葉 『金色夜叉』、有島武郎 『或る女』、谷崎潤一郎 『痴人の愛』であるが、私としては 『雁』 と 『或る女』 の分析が面白かった。 前者では鴎外の実生活と小説との隠微な関係、後者では女の感覚に入り込むような有島の描写について、それぞれ納得のいく解析がなされている。 私がむかし読んだ印象で言うと、有島はかなり女になりきれる人だったのではないかという気がするので、できればその辺をもっとつっこんで論じて欲しかった。

・上田浩二+荒井訓『戦時下日本のドイツ人たち』(集英社新書) 評価★★☆ 戦前から戦時下にかけて、日本に暮らしたドイツ人たちから聞き書きをしてまとめた本。 今よりはるかに欧米と日本の生活に隔たりがあった時代、ドイツ人たちの語る異文化体験譚はそれなりに面白いが、何分系統だった体験記ではなく、また、聞き書きという方法の限界か一人あたりに充てられる分量が少ないので、充足感はあまり高くない。 それと、これはドイツ文学者がまとめた本だけれど、歴史認識に多少問題があると思う。 ナチ成立後のドイツと、日中戦争期の日本を同列におくような記述が見られるが(137ページ)、人種理論に基づいたナチスドイツの政策と、ナショナリズムという、近代先進国が一様に (程度の差こそあれ、英米仏も含めて) 抱えていたイデオロギーを一緒くたにするのでは、ドイツ語教師の知的レベルを疑われても仕方があるまい。 

・山田俊治『大衆新聞がつくる明治の〈日本〉』(NHKブックス) 評価★★ 主として読売新聞を材料に、明治時代に大衆的なメディアとして新聞がどのように発達し、いかなる役割を果たしたかを探ろうとした本。 しかし、読んでいて面白みを感じなかった。 著者の視線がかなり鈍いというか、何を基準にものを言っているのか判然としないからだ。 どうも最近流行の 「近代国家=イデオロギー」 論を薄めたような論調で、日本人が活字メディアを通して教育を受けることで 「日本」 という近代国家に取り込まれていくと言いたいらしいのだが、この論法に欠陥があるのは、近代主義や国家主義を批判するのが可能になるのも実は教育を通してであるというパラドックスが必然的に絡んでくるからだ。 例えば、著者は最後近くで徴兵制度や学制が民衆の反対運動にあったと述べているが (254ページ)、では義務教育制度はない方がよかったのだろうか? また徴兵制にしても、軍隊は近代化を目指す国家にあっては科学技術に接することができる最先端の場所だったという側面があるはず。 軍隊は学校と並んで近代的個人を育てる機関だったのだ。 物事にはこのように必ず国家の要請と個人の自覚の両面がつきまとうはずだが、その辺の複雑な事情に対して記述の仕方が鈍重であり、したがってこの本自体も単純で切れ味が感じられないものとなっている。 もう一つ例を挙げるなら、新時代になっても娘に教育を授けず文盲のままにとどめておく親の態度を揶揄するような記事の書き方を取り上げて 「差別」 としているが(87ページ)、では文盲のままの方がよかったのだろうか? 文盲は国家の要請に応える教育を受けておらず天然自然のままだからすばらしい、と断言するならそれはそれで一つの態度だが、著者はそこまで言う勇気はなく、したがって、ここでの 「差別」 批判も思いつきの域を出ないという印象しか残さない。 全体がこのような具合で、率直なところ著者はあんまり頭が良くないんじゃないか、という読後感を覚えました。  

・三代史研究会『明治・大正・昭和 30の「真実」』(文春新書) 評価★★★ 明治から第二次大戦終結までの日本史のなかで、一般にそう思われている史実について、最新の研究成果などをふまえつつその誤謬をただした本。 日本軍は捕虜になることを禁じていなかったとか、太平洋戦争は真珠湾攻撃で始まったのではない、など、意外な真実が列挙されている。 一つの項目は短めなので、読んで肩がこることもない。 逆に言うと、資料の事細かな分析を求める人にはやや物足りないかも。

9月  ↑

・西原大輔『谷崎潤一郎とオリエンタリズム――大正日本の中国幻想』(中央公論社) 評価★★★☆ 近年、ヨーロッパのオリエンタリズム (東洋趣味) 分析がポストコロニアリズム (植民地主義時代の価値観を分析する学術的な流れ) の立場から進められているが、この本は日本の大作家・谷崎潤一郎のシナ趣味と、それによる作品とを、彼の中国旅行との絡みで分析したものである。 明治維新以降の日本が、ヨーロッパの制度や文化を輸入する中で、自らもオリエンタリズムを持つようになり、それがシナをエキゾチックに見る谷崎の嗜好に影響しているという。 また、谷崎の二度のシナ旅行のうち、第一回はシナ趣味を強化するのに与ったが、第二回はむしろ現実の中国を客観的に捉える態度を生み、それが谷崎のシナへの異国趣味を終焉に導く代わりに、関西への一種の異国趣味(谷崎は東京生まれの東京育ち)につながっていったのだという。 多くの資料を駆使した労作だが、谷崎という作家の想像力の働き方への一つの見方を提供しているとは思うが、その魅力の解析には必ずしもつながっていないようにも感じた。 ただし、著者の見方は、ポストコロニアリズムに間々見られるような一方的な政治性からは免れているので、一読に値すると思う。

・竹内洋『教養主義の没落――変わりゆくエリート文化』(中公新書) 評価★★★★ 旧制高校時代から、新制大学の1970年頃まで、エリート文化の基盤を成した教養主義の歴史と変遷を解明した本である。 旧制にあっては、文学部に農村出身者が多く、理学部に都会出身者が多い、というところから、欧化への憧れがストレートに受け入れられる農村が日本の文系学問の基盤となったと述べ、フランスの高等師範学校・文系ではむしろ地方出身者よりパリ出身者が目立っており、これはブルジョワの家庭で文化的蓄積をバックに教育を受けた人間の方が文化学をやるのに有利だから、という事情があることと対比させて、(また英国やドイツのそれぞれの文化エリートの特性とも比べつつ) 日本的な教養の特殊性を活写している。 著者の視線はこれにとどまらず多様な側面に及んでおり、教えられるところが多いが、一つだけ、異議と言うより私なりの補足を述べておくと、日本で農村出身者が文学部に行きやすかったというのは、農村部では高等教育を受けた職業人といえば教師しかなく、他の「高等」 な職業人を見る機会は極少で、したがって自分の将来の職業を考える際の選択肢が限られていたからではないだろうか。

・堀田あけみ『1980アイコ十六歳』(河出文庫) 評価★★ 1981年に、高校2年生の著者が書いた小説で、文芸誌で賞を取ったというので話題になり、映画化もされた。 私は当時、富田靖子主演の映画は観たと思うのだが (ただし中身は全然覚えていない)、原作は読んでおらず、文庫化されてから古本屋で買ってツンドクになっていたものを、なぜか今になって読んでみた。 うーむ、面白くない。 多分、文芸雑誌に巣食うオジサンたちは、女子高校生の感性にイカれて賞を上げちゃったんだろうが、20年たってみると内容の凡庸さと、自分を客観化するべき描写力のなさは歴然としている。 

・石井宏『クラシック音楽意外史』(東京書籍) 評価★★★☆ 1990年に出た本。 古本屋で買って読み始めたら、以前読んだことがあると気づいたが、ままよとばかり最後まで読んでしまった。 これも老化現象でしょうか。 明治維新以降の日本が、ドイツ中心の音楽史観を吹き込まれてきた欠陥を指摘して、ヨーロッパ音楽の中心地はむしろイタリアだったのだというようなこと、或いは、モーツァルトの交響曲の数え方の問題や、ピアノ協奏曲第22番から24番までがなぜ例外的な作品なのかを説明したりした本である。 そういう記述は、まあ、面白いし説得性があるのだけれど、その一方、ベートーヴェンの第5交響曲を 「運命」 というのは日本だけだとか、彼の 「不滅の恋人」 は妄想の産物である可能性が高いなどと、結構デタラメも並べているので、要注意。 モーツァルトに比べてベートーヴェンについてはロクに知らないまま書いているようだ。

・橋本治『「わからない」という方法』(集英社新書) 評価★★★ 2年前の新書をBOOKOFFにて半額で購入。 橋本治の自伝みたいな本で、自分が作家としてどうやってものを書き、どのように仕事をしてきたかを、例のごとく回りくどい文章で説明している。 結局、何かが一定の便利な方法で簡単にできるということはなく、東大国文科卒の彼であっても 『枕草子』 を現代女高生の言葉に翻訳するにさいして、かなり勉強して文法的解釈も辞書を引き引きやったというから、数学に王道なし、というような結論になるのかも。 と書くと、なんだつまらない、と言われそうだが、そこは橋本治、もっと芸のある書き方をしているから、読んで損はないと思う。

・中野翠『映画の友人』(ちくま文庫) 評価★★★ 単行本は92年に出ており、その3年後に文庫化された本を、最近BOOKOFFにて半額で購入。 コラムニストで映画評論もやっている著者が、映画とのつきあいを自伝風に綴った本。 映画に関する網羅的な知識が自分には欠けているから映画評論家とは名乗らない、という著者は、映画は自分にとって家族や恋人ではなく、友人くらいの位置にあるのだ、と言っている。

・竹田篤司『物語「京都学派」』(中央公論社) 評価★★★☆ 西田幾太郎と田辺元を頂点とする、京都大学哲学科によるいわゆる 「京都学派」 の成立から消滅に至るまでを、「物語」 風に綴った本。 ただし著者は東京教育大で京都学派の一翼を担う下村寅太郎の薫陶を受け、現在は明治大に勤める哲学科教授なだけに、対象に対する距離の取り方が必ずしもうまくいっていない。 西田や田辺といった 「大御所」 の威光は、哲学をやった人間からすると常識なのだろうが、哲学に縁のない衆生からすればその辺から多少丁寧に説明してくれないと分かりにくいし、また著者自身も幾度か文中で断っているように、この本で触れられなかった人物も数多い。 しかしそうした欠点を考慮しても、なおかつ読むに足る内容を含んだ本である。 特に、謹厳居士のごとく見られていた田辺が人妻から受け取った書簡や、晩年、妻に先立たれたあとの作家・野上弥生子との交流などは、この本の白眉と言える箇所だ。 また、三木清が女性問題で京大に残り損ねたという話も、従来は林達夫の回想などから単に或る人妻との関係だけが問題とされたかのように見られていたが、三木が本質的に 「女好き」 だったという指摘があり、思わずニヤリとした。

・唐沢孝一『カラスはどれほど賢いか――都市鳥の適応戦略』(中公文庫) 評価★★★★ 以前中公新書で出ていた本を、文庫に移して改訂増補版としたもの。 近年都市部で増えているカラスの生態や知的能力を活写するとともに、それを調べるに際しての苦労をも語っている。 自然と都市が相反するものではなく、「野生」の鳥も都市化に適応して生態系を形づくること、そのなかでカラスが増えるのには相応の理由があること、カラスの害に対して人間も手をこまねいているわけではないがカラスも賢いのでなかなか増殖を食い止められないこと、などが分かりやすく説明されていて、非常に面白い。

・西尾幹二『私は毎日こんな事を考えている』(徳間書店) 評価★★★☆ 評論家の西尾幹二氏がインターネットに 「西尾幹二のインターネット日録」 を開設したことは、知る人ぞしるところだが、この本はそこに書きつづられた氏の日誌を、単行本化したものである。 私もインターネットで或る程度は読んでいたのだが、改めて紙媒体の活字で読むと、落ち着いてじっくりと著者の日常を追うことができ、やはりネットが書物に完全にとって代わることはないだろうという意を強くした。 内容的には、北欧紀行あり、極私的な思い出あり、歴史認識や北朝鮮をめぐる時事的な話題ありと、きわめて豊富である。

・「音楽を読む本」編集委員会(編)『ヴァイオリンを読む本』(ヤマハ) 評価★★★ BOOKOFFにて半額で購入。 どうも、ヤマハがヴァイオリンを習っている人向けに作った本らしいが、ヴァイオリンの奏法や歴史、エピソードなどを綴った書物で、これ一冊でヴァイオリンについて十分な知識が得られることは受け合いである。

・伏見憲明『変態(クィア)入門』(ちくま文庫) 評価★★★★☆ 最近出た文庫だが、原本は96年に出ている。 自身がゲイである著者が、普通の男・女という性の枠組みからはずれた性的嗜好を持つ人たちと連続対談をしてできた本。 内容は大変面白い。 対談の相手は、同性愛者、性転換者、女装家、半陰陽、ゲイ文学翻訳家など、さまざまである。 また、性転換者と言っても一律ではなく、男から女に性転換したあと、男とセックスするのではなく、レズビアンとして女とセックスする人もいたりして、実に多種多様なのである。 語られている内容も細かなところに目配りがきき、興味をかき立てる部分が多く、性というものがそもそも規範からはずれることで快感をもたらすものである以上、学問的枠組みによっては永遠に捉えられないのではないか――と対談の中でも言われているが――という感慨にとらわれてしまうのである。 大いにお薦めできる本だ。 

8月   ↑

・門田隆将『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社) 評価★★★★ 読んでいると腹が立ってくる本である。 内容がヒドイからではない。 日本の裁判官の質はこんなにもヒドイのかと、義憤にかられてくるからだ。 新庄の中学生マット死事件やエイズ薬害禍報道事件での裁判官の非常識きわまりない判決を始めとして、法律の条文を機械的に解釈するだけで人間も世間も知らず、そればかりか大企業や銀行などの権力におもねっている恐るべき裁判官たちの実態があばかれている。 そして最後に、そういう裁判官を養成してしまう現行のシステムにもメスが入れられている。 お薦めできる一冊である。

・林道義『家族の復権』(中公新書) 評価★★★ 授業で取り上げた本である。 教条的なフェミニズムや男女平等主義を批判し、家族こそが人間の生活と教育に欠かせない基本だと論じている。 家族の歴史や、外国の例などを挙げて、日本の家族像がどうあるべきかを提言している。 一読、まあまあという印象だが、外国の例はもう少し多様に挙げる必要があるだろうし、また著者がほめるオランダにしても少子化を克服できていないわけで、この問題は実は男女平等を基盤にしている限り解決しないのでは、という (恐らく常識的な論者からは非難されそうな) 見解を私は持っているのであるが・・・・・・。

・高澤秀次『戦後日本の論点――山本七平の見た日本』(ちくま新書) 評価★★☆ 山本七平の論考を吟味しながら、近代日本、特にその天皇制と軍隊の特質を解明しようとした本である。 山本の思想を祖述するとか解説するというのではなく、かなり批判的に山本と対決しつつも、その独特の視点を活かしながら近代日本のアポリアをえぐりだそうとしているようだ。 が、書き方がやや独断的、と言って悪ければ自分のレベルに引きつけすぎており、読書領域や関心領域を異にする他人である読者には少なからず分かりにくい本になっている。 私としては最後の2章でようやく著者の言いたいことが或る程度納得できました。 「はじめに言葉なし」 の国である日本、という主張は、大学の中にいると恐ろしくよく分かるのです、はい。

・原克『悪魔の発明と大衆操作――メディア全体主義の誕生』(集英社新書) 評価★★★☆ ラジオ、テレビ、パンチカードなどの近代的メディアや機器類が、ナチスドイツにいかに利用されていったかを述べた本。 最近流行のメディア論をドイツ方面からやってみた、という感じではあるが、それなりに面白く教えられるところの多い書物である。 ただ、メディアを利用したのは何もナチスドイツなどの 「悪者」 だけではなかったはずで、そのあたりの認識にはやや単調さを感じざるを得なかった。

・小沢牧子『「心の専門家」はいらない』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ 最近流行の 「心のケア」 などの臨床心理学の胡散臭さを批判した本である。 私はふだんは心理学関係にはあまり興味が行かないのだが、昨年春に出て版を重ねている新書であり、評判がいいようなので、買って読んでみたもの。 なるほど、悪くない本だ。 基本的に他者で、本人のおかれている外的内的状況を十全に知っているわけではない心理学療法士に問題解決を求める無理、「暴力的」 な父親と 「子供に愛情を抱いている」 父親とは、一人の人物において両立しうるのに、「暴力」 だけを取り上げて親失格を言い立てる心理学の杓子定規な狭量ぶり、などなど、心理学の欠陥を鋭く突いている。 しかし一方で常識の勧めのような感じもするし、また心理学が社会の欠陥を見逃して問題を個人の心の領域に押し込めるという批判は、或る程度は同意できるが、しかし著者の書き方は下手をすると 「社会を改善すれば世の中の悪や悩みは一掃される」 という単純な社会改良主義に見えかねない。 一考を求めたいところだ。

・山折哲雄『教えること、裏切られること――師弟関係の本質』(講談社現代新書) 評価★★★ 師弟関係が裏切り行為を含まざるを得ないものではないか、という観点から、様々な師弟関係を取り上げて論じた本である。 内村鑑三と斎藤宗次郎、夏目漱石と和辻哲郎、柳田国男と折口信夫、など文学・思想系から始まって、法然と親鸞、道元と弟子たち、イエスとペテロとユダ、など宗教者が後半部分を占めている。 なにしろ論じる範囲が広いので個々の内容については判断が難しいが、対象を絞ってつっこんで論じてもらった方が説得性が増したのでは、という気がしないでもない。

・斉藤孝『読書力』(岩波新書) 評価★★★★ 昨秋出た新書だが、すでに7刷を重ねているから、売れているようだ。 若い世代の活字離れがいわれて久しいが、活字離れが日本の知的レベル低下の現れではないかという危機感から出発して、本を読むことの意義を解説するとともに、ではどのように活字本と付き合ったらいいかを分かりやすく丁寧に説明した本である。 若い世代の啓蒙書として有意義であるばかりでなく、活字に普段から親しんでいる人にも改めて読書の意義や方法を考え直すきっかけを与えてくれる良書で、お薦めできる。

・ヘッベル『わが幼年時代』(岩波文庫) 評価★★☆ 19世紀ドイツを代表する劇作家ヘッベルの自伝で、昭和17年に出た文庫本をネット上の古書店にて購入。 しかし内容はタイトル通り幼年時代だけで、ものごごろがつき初めて、私塾で文字などを習い、その後正規の学校に通い初めて初恋を体験するあたりで終わっているのが残念である。 せめて文学活動を始める時代まで筆を延ばしてほしかった。 バルテルスという研究家の 「ヘッベルと彼の故郷」 という短文が併録されている。

鷲巣力(わしず・つとむ)『自動販売機の文化史』(集英社新書) 評価★★★ 自動販売機の歴史をたどり、加えて各国ごとの自動販売機の使用率や利用の仕方の違いを叙述した本である。 ふだんよく使っていながら案外その背景を知らない自動販売機について多方面からアプローチした本であり、この分野はあまり先行研究もないと思われので、著者にはご苦労様と言いたい。 ただ、ものすごく面白い、という域には達していないというのが、ワタシの正直な感想である。

・池田清彦+小浜逸郎+小谷野敦+橋爪大三郎+井崎正敏+八木秀次+吉田司『天皇の戦争責任・再考』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ タイトル通り、昭和天皇の戦争責任について表記の7人が論じた本である。 いずれもマスコミで活躍している人たちで、左翼系の論客や歴史学者は含まれていないが、編集部の付けた前書きによれば、そういう人たちにも原稿を頼んだのに、ことごとく断られてしまったのだそうだ。 このあたり、今どきの歴史学者や左翼系論客の自信のなさが表れている、と見るのは偏見だろうか? もともと左翼系の人は自分と同意見の仲間内で議論する傾向が強く、他者を排除し勝ちだが、それが自分の首を絞める結果にしかなっていない、ということをどれだけ自覚しているのだろう? マル経のように、ある日気づくと誰からも相手にされなくなっている、ということにならないように、もっとこういう場には出てくるべきだと思いますがね。 なお本の内容は読めばわかりますので、省略。

・関川夏央/谷口ジロー『『坊っちゃん』の時代』(双葉社) 評価★★★ 著名なマンガであるが、長らく私の研究室ではツンドクになっていたのを、下の 『書店の近代』 で言及されていたので、読む気が起きて書棚から取り出した。 初版は1987年だが、私の持っているのは92年発行の第10刷である。 夏目漱石を主人公に、明治人の群像が描かれている。 虚構も含め、当時の様々な人物とその交際ぶりは新鮮な感銘を与える。 ひとつだけ疑問を。 東海道線の一等車に山県有朋らが座っているシーンがあるけれど、当時の一等車ってあんなにお粗末だったのだろうか? 二等車ならともかくも。

・小田光雄『書店の近代』(平凡社新書) 評価★★☆ 江戸時代にも若干触れているが、主として明治以降の日本における書店のあり方、書店に対する文人たちの関わりや思い入れなどを編年的に綴った本である。 面白いテーマだとは思うのだが、若干材料不足の感は否めない。 もう少し下準備が必要だったのではないか。

・ピーター・サックス『恐るべきお子さま大学生たち』(草思社) 評価★★★★ 著者はアメリカ人で、ジャーナリストから大学教授に転身した人。 といってもハーヴァードやイェールなどの名門大ではなく、地域のコミュニティ・カレッジであるが、そこでいかに教授が学生を甘やかして良い点を与え、また学生の授業評価におもねり教育者ではなくエンターテイナーとして振る舞っているかを告発調で記した本である。 最近日本でも少子化で底辺大学で似たような現象が起こっており、私自身も非常勤でそういう大学で教えているので、なるほど、アメリカでも日本でも変わりがないなあ、と思いながら読んだ。 実は私もこないだ、その底辺大の専任の先生から、「面白い授業をお願いします」 「学生に注意を与えるときは優しく」 などと要請されたので、3年前に買ってツンドクになっていたこの本を読もうという気になったのである。 著者は言うまでもなくカレッジの教師や経営者のそうした傾向には批判的であるが、テニュアを得るためにわざと学生に望まれるような甘い点数付けをしたら (著者はこれを 「お砂場遊び」 と呼んでいる) たちまち学生の評価が上がったということで、なるほど日米の大学は同様の傾向を持っているのだと嘆息した次第。 底辺大だけではない。 新潟大でも多少そういう傾向が見られるから、要注意である。 なお、ポストモダニズムによる価値観の崩壊との関連も指摘されているのが興味深いが、その部分が抄訳なのは残念。

・別冊宝島Real編集部(編)『まれに見るバカ女との闘い』(宝島社) 評価★★★ 以前出た『まれに見るバカ女』(このコーナーの1月を参照)が大ヒットしたそうで、第2弾が出ました。 フェミニズムの影響でバカ女の発言にイチャモンが付けにくくなっていることへの反動でしょうか。 今回は、土井たか子、田嶋陽子、堂本暁子、樋口恵子といったマドンナ政治家からはじまって、山田詠美や瀬戸内寂聴といった女流作家、オノ・ヨーコなどの文化人(?)、上野千鶴子や猪口邦子などの学者までを斬って斬って斬りまくっています。 執筆者は大月隆寛、呉智英、小浜逸郎といった古株に加えて、栗原裕一郎という新鋭が結構な実力を発揮しております。 一読して、第一弾よりいいんじゃないかと思いました。 バカな芸能人を取り上げる文章が減って(なくなったんじゃないですよ、飯島愛や宇多田ヒカルが入っているし)、学者や政治家などを真正面から批判した文章が増えたからでしょう。 また、サヨク系の女性議員だけでなく、高市早苗や野田聖子といった保守系マドンナも差別されずに(?)槍玉に挙げられていることも付け加えておきましょう。 加えて、第一弾への抗議状とそれに対する宝島社の回答が巻末に収録されているのも、見ものです。

・森暢平(ようへい)『天皇家の財布』(新潮新書) 評価★★★ タイトル通り、天皇家および皇族の財政事情、および国家予算から支出される部分と天皇・皇族の私的財産から支出される部分との線引きなどについて説明した本である。 (現在の皇室規範では)皇位につく可能性がない女性皇族が学習院で学ぶ場合と、将来天皇になる男子直系皇族が学ぶ場合では扱いが異なるなど、外部からは理解困難な支出区分の違いが分かりやすく解説されている。 また、天皇ご夫妻と皇太子ご夫妻および紀宮のいわゆる天皇家と、それ以外の宮家とでは、かなり扱いが違うようだ。 先頃高円宮が40代の若さで急逝されたが、天皇家以外の健康管理体制が意外にお粗末だということも一因らしい。

7月  ↑

・鹿島茂『悪女入門――ファム・ファタル恋愛論』(講談社現代新書) 評価★★★★ フランス文学の諸作品を材料にして、作中に表れた 「宿命の女=ファム・ファタル」 を分析し、男女の関係のあり方を縦横無尽に論じた本である。 と言っても必ずしもタイトルにあるような悪女タイプ、危険な女タイプだけではなく、女というものの様々なタイプに触れており、またフランス文学にも多くページを割いているので、男女関係について知りたい人――ブンガクやっていても男女関係にうとい、という困ったちゃんが時々いるが、そういう人は必読っ!――やフランス文学のことが知りたい人にはお勧め本である。 私としては、フロベール 『サランボー』 のヒロインについて書かれた 「鈍い処女」 論が特に興味深かった。 女の鈍さ、って意外に分析されてませんからね。 あと、個人的なことになりますが、実は私も 「ブックレット新潟大学」 シリーズでこの8月に 『〈女〉で読むドイツ文学』 (新潟日報事業社) を刊行予定にしているので、何か先を越された、という感じがしてしまいました。 まあ、宣伝めきますが、ドイツ文学について同趣向の本を読みたい方は是非、と言っておきます、どうも。

・養老猛司『バカの壁』(新潮新書) 評価★★☆ 先月創刊された新潮新書の中でも評判がいいという話なので、買って読んでみた。 人間の認識能力には人により差があり、種類によって分かることと分からないことがあるので、分からないことはいくら説得しても納得してもらえない、というような話から始まっている、漠然たるエッセイ集、みたいな感じかな。 まあ、言っていることには同感できるのではあるが、何となく密度が低いというか、聞き書きのエッセイ集にありがちな散漫さがある。 反面教師になってもいい、嫌われてもいい、という信念が教師にないのはいかがなものか、なんて箇所 (160ページ) も、まあ、常識ですよね。 ――といっても、その常識もない教師がワタシのまわりにうじゃうじゃいるのも事実なんだけれども・・・・・。 それと一元論批判 (193ページ) がちょいと面白いかな。 この論理の行き着くところ、フェミニズム批判や禁煙主義批判になるはずだが、著者はお利口さんなためか、そこまで書いていないのがいけません。

・長山靖生『謎解き 少年少女世界の名作』(新潮新書) 評価★★★ かつてよく読まれた 「少年少女世界の名作」 がじつはどういう背景を持った作品だったのかを解き明かした本。 『フランダースの犬』 『小公子』 から 『若草物語』 『少女パレアナ』 まで15編を収録。 論の出来不出来も当然ながらあり、ワタシとしては 『家なき子』 と 『十五少年漂流記』 が面白いと思いました。

・奥本大三郎『書斎のナチュラリスト』(岩波新書) 評価★★☆ 5年ほど前に出た新書をBOOKOFFにて購入。 著者はフランス文学者で、同時に日本昆虫協会会長でもある。 『図書』 誌に連載したエッセイをまとめた本。 ワタシはだいたい動植物には興味のない人間だから前半は何となく読み飛ばしていたのだが、後半になって文学関係の話が出てきて、それなりに面白くなった。 漱石と硯の話は、漱石ファンには必読であろう。 それにしてもこの本、最後のページに東京目黒の 「弘南堂書店350円」 のレッテルが貼ってあり、裏表紙に 「BOOKOFF300円」 のラベルが貼られているなど、遍歴がしのばれますね。 

・西尾幹二+金完燮『日韓大討論』(扶桑社) 評価★★★ 『親日派の弁明』 で韓国の新しい世代の歴史観を示した金完燮と、論客・西尾幹二との対談集。 私は西尾氏の著作は以前から読んでいるので特別に目新しいところはなかったが、金氏は 『親日派の・・・』 しか知らなかったので、一読、ちょっと驚くところがあった。 一方で過去の日韓の歴史を冷静に見つめているが、韓国ではやっているという (私の見るところトンデモに近い) 韓国古代史を素朴に信じていたり、金正日は無害だとか韓国の米軍は撤退すべきだとか、かなり面白いというか、おかしいというか、意外な見解に面食らいました。 まあ、異質な者との出会いというのはだいたいがこうしたものだから、それを味わうべき一冊ということになるかも知れないが。 なお、いわゆる韓国の日帝時代の体験譚を集めておくべきだという指摘や、台湾の歴史教科書と韓国のそれとの比較など、参考になる箇所も少なくない。 また、『親日派・・・・』 を書いたために金氏が受けた攻撃は、韓国がいまだに未成熟な民主主義国家であることを示していると言えよう。

・小谷野敦『性と愛の日本語講座』(ちくま新書) 評価★★☆ 性や愛に関わる日本語がいつ頃からどのように使われていたのかを研究した本である。 著者の 『〈男の恋〉の文学史』 の副産物としてできたもののようだ。 徹底的に言葉にこだわっている点で、これまでの小谷野氏の著書とはいくぶん趣きを異にするが、面白いかというと、さほど面白みを感じなかったというのが正直な読後感である。

・赤川次郎ほか『学園ミステリー傑作選』(河出文庫) 評価★★☆ 学会で発表してから気が抜けて、肩の凝らない本を手に取ってみた。15年前の文庫本を、いつだったか古本屋で買ったものである。 タイトル通り、学校を舞台とした短篇ミステリーのアンソロジー。 7編を収録。 内容は玉石混淆だが、一つ気づいたのは、文体。 やさしすぎる文体が多く、読んでも歯ごたえがない。 その点、小峰元 「旅は道づれ世は騙しあい」 は、漱石の 『坊っちゃん』 風ではあるが一定のスタイルが感じられて好ましかった。

・苅谷剛彦『なぜ教育論争は不毛なのか――学力論争を超えて』(中公新書ラクレ) 評価★★★ 文科省の 「ゆとり教育」 批判で一躍名を知られた教育学者の本。 ここではまず過去を振り返って、ゆとり教育批判を始めた頃にまったく理解されなかったことを初めとして、教育学界内部の事情やマスコミとの関係などが回顧的に語られている。 後半は雑誌などに書いた文章などの採録が主だが、随所に鋭い視点が光っている。 例えば、「自己実現」 なるものが、もともとは芸術家や知識人など一部の人間にだけ当てはまるものだったのに、教育に取り入れられるとたちまちにして大衆化され、誰でもそれが可能であるかのようなイデオロギーに取って代わる、という指摘は鋭い。 ただ、「新しい歴史教科書をつくる会」 の教科書を批判している箇所があるんだけど、ここだけは全体から浮いているし、佐藤学などとの関係でいうと、いかに意見が相違しているように見えても、所詮教育学者は内部ではお互い仲良しなんだな、という印象を与えてしまうことは、自覚しておいた方がいいんじゃないでしょうか、苅谷先生!? それと、東大関係者は、何のかんの言っても、マスコミへの通路を広く持っているんだ、ということもです。

・伊東光晴+大岡信+丸谷才一+森毅+山崎正和『近代日本の百冊を選ぶ』(講談社) 評価★★★★  9年前の本を古本屋にて購入。 タイトル通り、明治以降の日本で書かれた書物から百冊を選ぼうという試みである。 文学だけでなく、社会科学や自然科学の本も対象となっている。 芥川龍之介、川端康成、三島由紀夫が落選する一方で、村上春樹が入るなど、選択には人により異論もあろうが、最初に掲載されている編者5人の座談会が、専門分野を超えた博識と独自性を披露していて実に面白い。 こういう本が品切れになっているのは惜しい。 文庫化が望まれる。

・原田武夫『劇場政治を超えて――ドイツと日本』(ちくま新書) 評価★☆ 著者はドイツを専門とする外交官。 本書は、ナチ時代に活動したドイツの政治学者カール・シュミットを軸に、当時のドイツの政治とシュミット理論の関わりを探るとともに、現代日本政治の本質をもシュミット理論から読み解こうとしたものである。 しかし試みがうまくいっているとは思われない。 まず、シュミット理論と当時のナチ政治の関わりで言えば、実際のナチ政権成立や政権内部の具体的な政策との精緻な照合が求められるはずだが、どうも大ざっぱで、シュミット理論がナチ理論と必ずしも重なっていないという主張を繰り返すだけなのだ。 また、現代日本政治との関連に至るとさらにひどく、書き方に具体性がなく、どういう政策がシュミット理論やナチ政治とどういう点で関連するのかが曖昧なままに、漠然たる懸念だけが表明されている。 確かな学識に裏打ちされた学者の本でもなければ、現場を知る政策者の現実的な提言でもない、実にボンクラな書物である、と評せざるを得ない。

・鹿島茂『関係者以外立ち読み禁止』(文芸春秋) 評価★★★ 引き続き鹿島茂の本を読む。 タイトルがタイトルなので、買って読みました。 鹿島さん、ありがたく思って下さいな(笑)。 Hについての話だとか、女性の胸が大きい方がいいか小さい方がいいかは時代によって変わるとか、女性の高学歴化は少子化につながり経済の低迷にもつながるとか・・・・・・女に関わるテーマが多いが、他にも、サザエさんのテーマソング 「お魚くわえたドラ猫」 でくわえられているのはサンマだが、果たして猫はサンマが好きなのか、といった難解な(?)テーマもあって、なかなか楽しめる。 しかし鹿島氏もだいぶ日本語文献に頼って書くようになりましたね。 悲しむべきか、安心するべきか・・・・・・・。

・鹿島茂+井上章一『ぼくたち、Hを勉強しています』(朝日新聞社) 評価★★☆ 仏文学者の鹿島と、本来の専攻である建築史を越えて活躍している井上の対談集。 おしまいのほうでは政治思想史学者ながら鉄道史の本を出している原武史も加わって鼎談となっている。 タイトルどおり、主題は男女関係なのだが、話の内容はあまり体系的ではなく、結論は、中性化が進む日本男性に対して服装の露出度やフェロモンなどで女性性を強調するようになっている日本女性とのすれ違い、というようなことになっているみたい。 ううむ、そうなのだろうか・・・・・。

6月  ↑

・安永徹『音楽って何だろう――安永徹対談集』(新潮社) 評価★★★☆ 13年前に出た本をBOOKOFFにて100円で購入。 ベルリンフィルのコンサートマスターを勤めている安永が、作曲家の三善晃やN響コンサートマスターの徳永二男、そして自身の父君などと対談した本。 コンサートマスターとしての仕事や指揮者との関係など、音楽に関する興味深い話が満載されている。 また、狭義の音楽だけでなく、三善との対談では音楽教育と教養教育のありかたが議論されたり、また父君との対談では必ずしも音楽一辺倒ではなかった小中学生時代のことなどが披露され、対談参加者の思考力の幅の広さや知性が感じられる好ましい書物となっている。 これで100円は拾い物であった!

・三浦信孝(編著)『多言語主義とは何か』(藤原書店) 評価★★★★ 6年前に出た本。 私は一度読んだのだけれど、必要があって読み返してみた。 英語が地球上を席巻するような印象がある中、ヨーロッパの多言語主義やアメリカの多言語状態など、様々な側面から多言語主義に光が当てられており、この分野の基礎文献として重要である。 それを認めた上であえて文句を付けるなら、第3部の 「多言語主義は国民国家を越えるか」 はこの本の中で最もイデオロギー臭が強く説得性に弱い箇所だろう。 酒井直樹や西川長夫が、国民国家やナショナリズムを英語帝国主義=普遍主義と同一線上に捉えて批判しているが、これは現に英語帝国主義が拡大しつつあるという情勢に目をつぶった屁理屈であり、結果として英語至上主義に手を貸す悪質な詭弁となっている。 彼らが綱渡りのような議論を進めつつも、なんら有効な英語帝国主義抑制策を打ち出せていないのが、その証左である。 特に、酒井がアメリカの大学に勤務していることを考えると、私には彼の議論がむしろ米国保守派に都合のいいものであり、共和党をはるか左に見たウルトラ反動だとしか思われないのである。  

・中村敬『外国語教育とイデオロギー ―反=英語教育論―』(近代文芸社) 評価★★ 10年前に出た本を必要があって読んでみた。 著者は大学で教鞭をとっていた英文学者。 英語教育が欧米中心主義の産物であることを、日本の英語教育や英語教科書などをもとに主張している。 しかしやや古い政治的イデオロギーに基づいた見識は、今から見ると説得力に乏しい。 単純な英語万能主義が論外なのは当然としても、現在はもっと広範な視点に裏打ちされた語学教育論が望まれているのだ。

・観山正見『太陽系外惑星に生命を探せ』(光文社新書) 評価★★★ 1年前に出た新書であるが、最近本屋で発見して購入。 著者は文部科学省国立天文台教授。 太陽系外の惑星の存在と、そこに生命が存在するかどうかという問題を扱っている。 私が小学生の頃愛読した天文学の本には、太陽系の外の恒星が惑星を持っているかどうかは遠い将来の研究課題のように書かれていたものだが、現在はすでに種々の調査により数十例が見つかっているのだそうである。 最初 (1995年) に発見されたペガサス51番星 (ううん、こういう命名法、なつかしいなあ。 子供の頃読んだSF 『はくちょう座61番星』 を思い出してしまう) の惑星は公転周期がわずか4日(! 太陽系では、一番短い水星でも3ヶ月) だとか、木星の半分の大きさがあるなど、太陽系を標準モデルにして惑星というものを考えていた人にとっては驚くべき話が出てくる。 大宇宙は広大で、地球だけを見ていたのでは思いもよらないことが多々あるのだよ、ホレイショー君・・・・・

・市川伸一『学力低下論争』(ちくま新書) 評価★★★ 授業で取り上げ読んだ本。 「ゆとり教育」 に端を発した学力低下論争の展開と実態をまとめている。 学力低下論が出てきた背景や論者による視点の違い、文科省の対応、今後の政策のあり方などが取り上げられている。 この問題についてはたくさんの文献が出ているが、要点を明快に示した本としての価値があろう。 また、第4章の 「4.論争の評価と活かし方」 では、教育学者が時代ごとの学界内部でのイデオロギーに添った発言をしていることも書かれていて、思わずニヤリとした。

・津田幸男(編著)『英語支配への異論』(第三書館) 評価★★★★ 10年前に出た本。 以前一度読んだのだが、必要があって再読した。 国際語などと言われて英語が大手を振るっている状況への批判などが、6人の論者によってなされている。 「英語を学ぶ=国際化」 なんて素朴に信じている人にはショッキングな必読書と言える。 今回読み直して、特に中島義道の 「英語コンプレックスを探る」 と楠瀬佳子 「アフリカにおける英語の位置」 が優れていると感じた。 後者について言うと、アフリカは細かな部族語が多く、そのために英仏などから植民地が独立を果たしても、「共通語」 として英語やフランス語が大いばりで使われてしまう状況があるわけだが、ここにくさびを打ち込もうとするアフリカ作家たちの試みと苦悩は、おそらく地球全体の言語状況を考える際にも大きなヒントになるはずだ。

・平泉渉+渡部昇一『英語教育大論争』(文春文庫) 評価★★★☆ 1975年に単行本として出、20年後の95年に文庫化された書物。 私はそのとき買ってすぐ読んだのだが、今回、必要があり再読してみた。 英語教育は実用か教養か、英語は中高生全員に教える必要があるかといった、いわば古典的な語学教育問題をめぐって、政治家と英語学者が論争した本であり、現在は惜しくも品切れ中のようだが、今なお読まれるに価すると思う。 読み直してみると、平泉の直截的な議論の進め方に比して、渡部のそれは迂遠であり、どこか韜晦しているような印象がある。 私は語学教師として渡部の主張そのものには賛成なのだが、もう少しうまく議論ができないものかという気がした。 なお、平泉の主張も、一部のやる気のある人間だけが英語をやればいいという考え方には私は反対だが、語学を効率的に修める方法や日本が置かれている国際的条件などについては十分に耳を傾けるべきだし、なによりこの問題に関する真摯な関心と広い知識は相当なものであり、一般の(?)無学な政治家と同一視できるものではないことは、強調しておかねばならない。

・谷川渥『廃墟の美学』(集英社新書) 評価★★★ 廃墟が絵画や造園、文学や写真などにどのように表れたかを、歴史をたどりつつ概観した書物。 私も廃墟趣味には興味があるので、期待を持って読んだのだが、今ひとつ面白みを感じなかった。 筆者の学識は十分豊富で教えられることが多々あったのだが、記述の仕方が無味乾燥というか、概論的というか、こちらの関心を刺激するようにできていない。 最後に付けられた文献案内が一番面白かったというのは、皮肉になるかな。 あと、図版がモノクロなのは仕方がないとして、あまりに小さいので、著者の指摘がよく分からなかった。 ページ数の関係もあろうが、もう少し大きな図版でお願いします。

・田辺保『なぜ外国語を学ぶか』(講談社現代新書) 評価★★ 24年前、1979年に出た新書。 古本屋で買ってツンドクになっていたのだが、学会発表に使えるところがあるかなと思って書架から取り出した。 著者は1930年生まれのフランス文学者。 今読んでみると、まだヨーロッパ文化が高級と思われて日本人の憧れの的だった時代の感覚が多分に残っていて、古さは免れない。 また、ドーデの 「最後の授業」 を賞讃しているのは、やはり仏文系である蓮実重彦が 『反=日本語論』 で 「最後の授業」 のイデオロギー性を批判したのが1977年であることを考慮すると不勉強だし、フランス庭園の整然たる人工性をヨーロッパ言語の人工性に結びつけているけど、ヨーロッパには混沌を旨とする英国式庭園だってあるわけで、この辺も学識を疑われてしまいそう。 外国語に対する著者の真摯な姿勢はそれなりに読者を打つところはあるが、今の時代にそのままこれが通用するかどうかとなると、ウーン・・・・なのである。

・井沢元彦『「拉致」事件と日本人』(祥伝社) 評価★★★ 拉致事件に至るまでの日本のマスコミの偏向ぶりや、拉致事件そのものに関しての片寄った報道を、朝日新聞などを中心として槍玉に挙げた本。 言っていることにはおおむね賛成だが、過去の北朝鮮に関する朝日や左翼知識人の言説は、もう少し材料を豊富に出した方が説得的では、と思いました。

・李英和『朝鮮総連と収容所共和国』(小学館文庫) 評価★★★★ 原本は1995年に出、その後加筆修正をへて99年に文庫化されている。 私は例の拉致事件が浮上した昨年、読もうとして注文したのだが、版元品切れということであった。 今回、ようやくBOOKOFFで見つけて購入し読んでみた。 在日の青年が当初は北朝鮮系の朝鮮総連に加入し北朝鮮に留学しながら、この共和国の内実に幻滅し、日本に帰ってから北朝鮮の実態を明らかにする運動を起こしたところ、朝鮮総連から暴力をもって迫害された体験が生々しく綴られている。 日本の役所の事なかれ主義、マスコミの怠惰や偏向、知識人のバカさ加減なども槍玉に挙げられている。 北朝鮮の日本マスコミ対策で 「接待攻勢」 の対象になっているのは、読売と毎日だという。 読売は発行部数が多く北朝鮮に批判的だから、毎日はかつて北朝鮮に批判的な記事を載せたので圧力をかけたが部数が減らなかったから、だそうな。 一方、「接待の必要なし」 は、朝日と共同通信と産経。 もっともその理由は別々で、朝日と共同は北朝鮮シンパだから接待は不要、産経は北朝鮮に批判的だが部数が少ないから不要、なのだそうだ。 笑ってしまいますね。 (ワタシは今、毎日と産経をとっているんだが、正解だったかな・・・) いずれにせよ、北朝鮮の内実、在日の心情、日本のマスコミや知識人の体質を知りたい人には必読書である。

5月  ↑

・唐沢俊一『B級学【マンガ編】』(海拓社) 評価★★★★ 4年前に出た本をBOOKOFFにて半額で購入。マンガの持つB級性を忘れてはマンガを論じることはできないという主張を展開している。 大量に消費されて残らないことこそが、マンガ文化の特質なのだ、という議論はかなり説得的。 個々の作家論も収録されているが、私の読んだことのないマンガ家が多いのは残念。 ただし横山光輝論があるのがいい。 手塚治虫に比べると横山光輝は――雑誌 『少年』 では横山の 『鉄人28号』 のほうが手塚の 『鉄腕アトム』 よりはるかに人気が高かったのに――あまりマンガ評論の対象となっていないが、大人から見た芸術性だの政治性 (白土三平のマンガのごとく) だけでマンガを論じると偏頗なものになってしまうのは明らかで、ここでの唐沢の横山光輝論がどの程度的を射ているかは別にして、今後のマンガの論じ方はこの唐沢の視点を抜きにしては成り立たないだろう。 このほか、余りに早く老人化してしまった石森章太郎を惜しむ文章や、少女マンガは大多数がお涙頂戴物でなければならず萩尾望都のように芸術的な少女マンガばっかりで雑誌が埋められるとこのジャンルは衰退する、といった指摘も同感である。

・日野いつみ『不倫のリーガル・レッスン』(新潮新書) 評価★★★ 不倫をした場合、法律的に見てどのようなリスクがあり裁判になるとどうなるか、ということを即物的に解説した本。 著者は弁護士であるが、匿名だそうな。 この本を読んでおけば、イザというときあわてずに済む。 でも、あわてる体験もしてみたかったりして・・・・???

・笠井潔+東浩紀『動物化する世界の中で』(集英社新書) 評価★★ 笠井は評論やSFやミステリの書き手として知られる団塊の世代。 東は、『存在論的、郵便的』で一躍有名になった30代の若手文筆家。 この二人がメールで往復書簡(?)のやりとりをしてできあがったのが本書である。 が、話がすれ違いに終わっているのは残念。 笠井は戦後思想の流れを自分なりに把握して提示しつつも現代の状況について語ることにはかなり慎重な姿勢を見せているが、東は自分の直接知らない時代の思想には興味がなく、それでいて現在の(9.11以降の)政治的状況については意見の交換をしたいと言う。
 私なりの感想をはっきり書かせてもらおう。 東浩紀は怠慢きわまりないと思う。 同世代のオピニオンリーダー (というのは大袈裟かも知れないが) たる人間が、戦後の思想の流れを知りませんでどうして済ませられるのだろうか? サブカルに現代思想の最先端が詰まっていると考え、それを読み解くことで現代の社会状況も説明できると見なしているようだが、東の持ち上げている大塚英志の戦後民主主義擁護論などは、戦後思想のなかでいわゆる知識人の発言が重みを失い信用されなくなってきた過程を見てきた人間からすると、笑劇に過ぎないのである。
 或いは、柄谷行人の捉え方にしてもそうだ。 彼がポストモダン思想で日本の言論界に登場したときに少なからぬ新鮮味を持ち得たのは、それ以前の55年体制的な日本思想界の旧弊ぶりが明らかになりつつある時代だったからだ。 しかしその頃はまだ古い世代の評論家もそれなりに重みを持つと信じられていたから、柄谷は江藤淳派だとか何とかイチャモンをつけられて吉本隆明(派)や埴谷雄高(派)からしつこく叩かれた――これは少し後の時代、柄谷が十分な名声を得てからしか論壇を知らない人間には想像もつかないだろう。
 そのような、価値評価がはっきり決まらない時代から柄谷を読んできた私のような人間からすると、湾岸戦争で反戦を表明した時点で柄谷は終わっていたと言うしかないのである。 なぜなら、柄谷自身がどう言おうと、彼の価値は55年体制にしがみついていた古い世代の文筆家にノンを突きつけるところにしかなかったからであり、それは根本的なところで非政治的な姿勢でものを書くということのはずなのであって、彼自身が湾岸戦争を機に政治的発言でファルスを演じ始めた時、彼は古い世代の思想家と同じ位置に転落してしまったと言うしかないからだ。 笠井潔がこの本で現代の状況への発言にきわめて慎重なのは、柄谷のこの転落が見えているからだと私には感じられる。
 日本の(論壇的な)戦後思想はパックス・アメリカーナという現実や自民党の実務政治や保守思想家の議論に真正面からぶつかることをせず、内輪でコソコソと執筆や発言の場を回し合うことで成り立っていた。 そうした集団が信用されなくなるのは当たり前のことであろう。 目の前にある現実から目をそむけること、これが戦後日本の論壇の体質であり続けてきたのだ。 東浩紀が本当に現代の状況を真正面から論じたいなら、戦後思想の流れを一度ちゃんと勉強した方がいい。 その上で、大塚英志などではなく例えば西尾幹二だとか福田恆存だとかの議論に真正面からぶつかった方がいい。 でないと、東のような人間の存在感は限りなくゼロに収斂していくばかりだろう。

・谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ――教養のない東大生からの挑戦状』(宝島社文庫) 評価★★★☆ ジャーナリスト立花隆が東大の客員教授を務めた際に、東大生は教養がないとぶちあげたのを受けて、断固として反論する東大卒業生の本。 立花隆の特に理系方面での知識の不備を衝くばかりでなく、その世界認識が一昔前に流行ったニューサイエンス風の神秘主義にかなり近いということを指摘しているところが、なかなか面白い。 インターネットの出だしの頃は 「IT革命」 なんて標語でかなり怪しげな主張がまかり通っていたが、立花隆もその一人だったというわけ。 世の中、本当に信頼できる人間はなかなかいないものだと痛感させられる。

・伊田広行『シングル化する日本』(洋泉社新書y) 評価★ 著者は社会学者だそうで、関西の大学の教員。 社会をシングル単位にすべきだと主張し、あわせて出生率低下問題にも解答を与えている・・・・・つもりらしいが、はっきり言ってトンデモ書に近い。 まず、北欧を理想化して日本より出生率が高いとしているが、北欧の出生率が人口維持に必要な2,1を下回っているのはかなり知られているのに、数字を上げず、ただただ日本より出生率が高いと言い募る無責任さ。 これで学者が務まるなら、世の中楽なものだ。 アメリカの新自由主義をひたすら攻撃し、北欧の社会民主主義をひたすら擁護しているが、各国の現状を十分に知っているとはとうてい思えず、幼稚なイデオロギー丸出しで、救いがたい。 要するに、バカなのである。 それだけ。

・別冊宝島編集部編『インターネット事件簿』(宝島社文庫) 評価★★☆ 2000年2月に別冊宝島の一冊としてで、その5ヶ月後に(!)文庫化された本を、船橋のBOOKOFFにて100円で購入。 週刊誌的に読める、というか、そういうふうに読むしかない本ですけど。

・三浦信孝『現代フランスを読む』(大修館書店) 評価★★★☆ フランス文学者による現代フランス論。 多言語主義や多文化主義とフランスとの関わりについての論考が興味深い。 ポストコロニアリズムの立場からするとフランスの 「良心的な」 文化人といえども十分に 「反省的」 でないという指摘は面白いが、蓮実重彦に 「ポストコロニアリズムは退屈だ」 と言われないためには、アジア・アフリカが欧米の植民地主義に文化的劣等感をもって対していたという事実と、植民地においてこそ革新的理念はむしろ純粋に実現されてしまうという逆説は忘れないようにした方がいいんじゃないか、と思いました。 フランス文学者が明治以降果たした役割を見ても、そうした両義性はついてまわるはずだし。

・ルイ=ジャン・カルヴェ『言語政策とは何か』(文庫クセジュ=白水社) 評価★★★ 日本に住んでいる我々は日本語を使うのは当たり前だと思っているが、実は或る国が1種類の言語しか使わないと決まっているわけではないし、また歴史の中の或る時点で或る言語が選択的に導入されることもあるのだ。 この本はそうした言語政策について要領よく知ることができる本である。 著者はフランス人なので、ややフランスがらみの話題が多いが、このテーマに手軽にアプローチできる書物であることは確か。 なお訳者は、新潟大学でフランス語を教えておられる西山教行先生である。

・櫻井よしこ『迷走日本の原点』(新潮文庫) 評価★★★ 2年前に出た本の文庫化。 現代日本が抱える様々な問題――外交、拉致問題、歴史教科書、防衛、経済などなどについて、要領よくまとめて列挙した本。 ひとつひとつの問題についての言及はやや概論的でより深いつっこみがもう一つ足りない感じもするが、現代日本がどれだけの難題を抱えているかをまとめて知るには有用だろう。

・皇室担当記者OB(編)『皇室報道の舞台裏』(角川oneテーマ21) 評価★★★ 船橋のBOOKOFFにて半額で購入。 皇室報道のきまりや問題点、また皇室の内幕などを、皇室報道に当たった記者たちが書きつづった本。 雅子妃妊娠報道とその後の流産などを初め、いくつかの重要な事件に触れながら報道の規制や記者側の体制などが分かりやすく語られており、皇族の素顔も多少伝わってきて、悪くない本だと思いました。

・別冊宝島編集部(編)『怪しいインターネット』(宝島社文庫) 評価★★☆ 98年に 「別冊宝島」 シリーズで出、その2年後に文庫化された本を船橋のBOOKOFFにて100円で購入。 インターネットの怪しいサイトや、ネットを介しての犯罪、ヘンな売り物などを取材してできた本。 まあ、週刊誌を暇つぶしに読むような感覚で読むのがいいでせう。

・中島義道『ぐれる!』(新潮新書) 評価★★ 同じく創刊された新潮新書の第一陣。以前出した 『人生を半分降りる』 と同工異曲の感。 ただ、男女論みたいなところがあり、そこが完全に生物学的決定主義なのが、今どきとしては新鮮かも。 ただし私は男女論は三島由紀夫に尽きる (『第一の性』など) と思っているので、興味のある方は読んでみて下さい。 最近の軟弱なフェミ系社会学者の男女平等論は論外としても。

・坪内祐三『新書百冊』(新潮新書) 評価★★★ このたび創刊された新潮新書の第一陣10冊のうちの1冊。44歳の評論家が、自らの新書読書体験を綴った本。 最近は新書ブームで、これまで文庫本で済ませてきた新潮社もついに参入。 内容的にそれにふさわしい本と言えよう。 多分、読む人ごとにそれぞれ共感したり教えられたりというところがあるだろうと思う。 私は、エリック・ボブズボームの 『反抗の原初形態』 がかつて中公新書から出ていたのにいまだに入手できていない、と書かれている(72ページ)のに、ひそかに凱歌を上げました。 無論、私は持っているからですね(笑)。

・松沢哲郎『進化の隣人 ヒトとチンパンジー』(岩波新書) 評価★★★ チンパンジーの生態や知能について、京大の霊長類研究所教授が分かりやすく説いた本である。 日本猿とチンパンジーの差より、チンパンジーとヒトとの差のほうがはるかに小さいという事実を強調している。 進化の過程で「ヒト」と「サル」が分岐してその後 「サル」 が日本猿とチンパンジーに分かれた、のではなく、まず 「サル」 と 「チンパンジー+ヒト」 が枝分かれし、それから後者がチンパンジーとヒトとに分かれたのだそうである。 そのくらいヒトとチンパンジーは近しい関係だということですね。

・沼野充義『W文学の世紀へ』(五柳書院) 評価★★ 評論家の小谷野敦氏が 「才能と財産と配偶者に恵まれた幸せな人」 と垂涎した(?)東大助教授(ロシア文学専攻) のエッセイ集。 タイトルのWはダブルではなく、ワールドとのことだが、なんかイマイチのタイトルだな、と思いつつも、小谷野氏が絶賛する秀才の本というので船橋のBOOKOFFで見かけた時ためらうことなくカゴの中に入れました。 しかし一読、あんまり芳しい印象を受けなかった。最初は大江健三郎と安部公房を論じているんだけど、この選択からして団塊の世代っぽい。 この人、私より2歳年下で1954年生まれだけど、趣味的に古いんじゃないか、と思った。 また、エッセイストとしては面白味に欠ける。 先に行くと、専門のロシア文学などについての雑文が多くなり、教えられるところもあったが、むかし由良君美の本を読んだ時のように博学に圧倒されるというような感じでもない。 うーん・・・・・。

・菊地多嘉子『リジュのテレーズ』(清水書院) 評価★★★ 19世紀末、フランスのカルメル会修道院の修道女として24年の生涯を送り、死後列聖されたテレーズ・マルタンの生涯と思想を綴った書物。 私は必要があって読んだのだが、たいへん分かりやすく、まとまりよく書かれており、私のようにキリスト教信者でない人間でも違和感なく読むことができた。

・西尾幹二『日本の根本問題』(新潮社) 評価★★★★☆ 著者の最新評論集。切れ味は相変わらず鋭い。 北朝鮮の拉致問題では、この時期に北朝鮮が拉致を認め謝罪したのは、アメリカの (対イラクなどの) 世界戦略に恐怖を感じたからで決して日本の力によったものではないと喝破し、アジア情勢を冷徹に分析している。 また、サッカーのワールドカップで一部知識人が日本の若者の 「ぷちナショナリズム」 を批判したり、或いは逆に日本チームを応援する素朴な感情をナショナリズムとは無縁と強弁したりしているのを批判して、日本人は万事に淡泊であり、もともとナショナリズムとの結びつきの強いサッカーというスポーツが韓国やヨーロッパでどのような現象を引き起こしてるかを見るなら、サッカーに対する日本人の態度はきわめて穏やかなものだと指摘しているところも説得的である。 

・佐々木千賀子『立花隆秘書日記』(ポプラ社) 評価★★★☆ 約5年間、ジャーナリスト立花隆の秘書を勤めた人の体験記である。 この人が採用されるに当たっての事情は立花氏の 『僕はこんな本を読んできた』 に書かれていて興味深いが、採用された当の本人の体験記のほうも劣らず面白い。立花氏の仕事ぶりだけでなく、佐々木さん自身の生き方になるほどと納得させられる。 この人が採用された頃は立花氏の仕事のバブル期で、それが崩壊して解雇されてしまうところが、日本の出版界の脆弱さであろうか。 著者自身は最後でかなり立花氏に批判的なことを書いているが、基本的に物書きにはオカネがあまり行かない仕組みに、日本はなっているような気がする。 なお著者の宮崎駿 『カリオストロの城』 やバッハ 「マタイ受難曲」 への偏愛も、同好の士としてうれしく思いました (でも、「ジャン・セバスティアン・バッハ」 はやめて下さいね〜)。

4月   ↑

・平野拓也『官僚は失敗に気づかない』(ちくま新書) 評価★★☆ 長い不況が続いている日本。 その根本原因は財務省を初めとする官僚支配の政治にあるとして、民間活力を活かした日本にすれば経済は立ち直ると主張した本。 著者は1935年生まれで、非キャリアの官僚として大蔵省に勤めた経験を持つ。 私は経済のことはよく分からない人間だが、それを承知の上で言わせてもらうと、どうも話が分かりやすすぎるという気がする。 日本の銀行がかくもダメになったのは大蔵省だけの責任だろうか。 民間活力なんてことはだいぶ前から言われているが、それでも日本経済が浮上しないのは、官僚だけの責任なのか。 欧米各国の経済危機とそこからの立ち直り方が各国ごとに触れられているが、どうも結果論的な印象およびあちらを理想化している色合いが濃厚な気がするのは、ひが目だろうか。 一方で金持ちへの課税率が高いことと低所得者への所得税がゼロであることを社会主義経済と非難しているが、他方で消費が伸びないのは医療や社会保障が不十分で将来への不安があるからだと言っているのは矛盾しないか。 例えばアメリカは医療保障や社会保障はきわめて薄い国だが、その経済が日本より順調なのはなぜなのか、といった個別的な疑問が湧いてくるのを押さえきれないのである。 たしかに、国債濫発の政策がどうしようもなくダメであるのは同感だが、それは (松原隆一郎『失われた景観』――このコーナーの2月の項を参照――も言うように) 消費至上主義が転換期を迎えたからで、国債に頼ろうが頼るまいが、消費を向上させるという発想そのものを考え直さなければ事態は解決しないのではなかろうか。 

・上田武司『魚河岸マグロ経済学』(集英社新書) 評価★★★ 長年築地の魚市場でマグロを商ってきた著者が、マグロの生態やマグロをめぐる世界経済学、国内消費の実態などを会話調で分かりやすく解いた本。 これ一冊でマグロ通になれる。 私もこれを読んでマグロが食べたくなり、近所の寿司屋に昼食をとりに出かけたが、と言ってもそこは回転寿司、2カン220円の 「中トロ」 というのを食べてみたけれど、とてもトロとは思えない味だった。 ま、この本によると、本格的なトロの寿司は1カン5000円くらいでないと引き合わないそうだから、仕方ないか。 住んでる世界が違うんだなあ、と痛感・・・・・。

・川西政明『文士と姦通』(集英社新書) 評価★★★ 北原白秋、谷崎潤一郎、芥川龍之介、宇野千代、岡本かの子など11人の作家を取り上げ、彼らの姦通が生活や作品にどのように影響を及ぼしたかを論じた本。 ブンガク的に読んでも興味本位で読んでもそれなりに面白い。 それにしても、「姦通」 という言葉も最近は 「不倫」 に押されて影が薄くなっているような気が・・・・・。 かといって 「文士と浮気」 じゃ本のタイトルにはならないよなあ。

・小谷野敦『中学校のシャルパンティエ』(青土社) 評価★★☆ 音楽に関するエッセイ集だが、著者の従来のエッセイに比べるとさほど面白くなく、教えられるところも少なかったというのが率直な感想です。

・ビートたけし『そのバカがとまらない――たけしの中級賢者学講座』(新潮文庫) 評価★★★ 研究室の引っ越し作業で疲労困憊し、硬い本は読む気がしなくて、久しぶりにたけしの毒舌本を買ってみた。 最初の日本国憲法に対する揶揄はさほど感心しなかったが――といっても、内容が間違っているというのではなく、もうこのくらいのことは常識になっていて、分かってないのは化石的な大学人と一部マスコミくらいだということです――、映画やお笑い芸について書かれたところは結構面白かった。 映画監督は映画を沢山見ている必要はない、とか、子供の頃から周りを笑わせるのがうまかった奴はお笑い芸人には向かない、という指摘は鋭いと思いました。

・紀田順一郎『名前の日本史』(文春新書) 評価★★★ タイトルどおり、日本人の姓と名の歴史をたどった本である。 単に歴史的な変遷に言及するだけではなく、過去にあっては名を他人に教えることが回避されたという事実を初めとして、名というものが日本人にとって持つ意味自体が変わってきていることにも光が当てられていて、興味深い。 女の子に 「子」 という名を付けるのがもともとは貴族の習慣で、それが庶民に降りてきたのだという記述も面白い。 一つだけ内容に疑問を。 昭和40年代の日本で女の子の名に 「陽子」 が流行したのを、著者は人気歌謡グループ 「ピンキーとキラーズ」 の今陽子のためとしているが(138ページ)、私はむしろ三浦綾子の小説 『氷点』 のヒロイン陽子の影響が大きいのではないかと思う。 この小説が朝日新聞に連載されたのは昭和39年から40年にかけてだが、昭和41年に内藤洋子主演で、46年には島田陽子主演でテレビドラマ化されており、安田道代主演で映画化もされている。

・浅野和生『イスタンブールの大聖堂――モザイク画が語るビザンティン帝国』(中公新書) 評価★★ イスタンブールのソフィア大聖堂に光を当て、その建設にまつわる事情や、内部のモザイク画が描かれた経緯などを軸に、ビザンティン帝国の歴史を物語る、という内容。 正直言って、あまり面白みを感じなかった。 著者の専門は美術らしいが、モザイク画に関する記述がヘンに詳しく、一方でビザンティン帝国というものの全体像のようなものはよく見えてこない。 専門書と啓蒙書が不器用にドッキングした、という印象。

・呉智英『犬儒派だもの』(双葉社) 評価★★★☆ 著者の最新評論集。 マンガ家の水木しげるについての文章から始まって、タバコに関するエッセイや、「美人税を創設せよ」という主張(?)など、相変わらずの芸達者ぶりを見せてくれている。 小浜の本に続けて読んでみると、やはり呉のほうが文筆家として一枚上だという気がする。 書き方が非常に分かりやすく、まとまりがあり、それでいて必ずどこかで 「あ、そうなの」 と感心するような知識を披露しているからだ。

・小浜逸郎『頭はよくならない』(洋泉社新書y) 評価★★★ 頭の良し悪しはほぼ生まれつき決まっているので、人間は自分の頭の程度をわきまえつつ生きるべきだ、というようなことを述べた本。 著者自身が小中学校時代は頭がかなり良かったかものの、エリート高校に入って上には上がいると悟り、東大受験に失敗するまでの体験を率直に語っているところが、悪くない。 また後半で知識人批判を展開し、「頭のいい知識人」 として橋爪大三郎、中島義道、宮台真司を、「頭が悪い知識人」 として芹沢俊介、柄谷行人、大江健三郎、瀬戸内寂聴を挙げているところは、読みどころかも。 ただ、私はこの著者の本をかなり読んでいるので、あまり新鮮味がなかったというのが正直な感想です。

・諏訪哲二『学校はなぜ壊れたか』(ちくま新書) 評価★★★★ 3年前の新書をBOOKOFFにて半額で購入。 この人の本は1月にも読んだが (下を参照)、出来はこちらの方がはるかに良い。 著者が1960年代半ばに高校教師となって以来の体験をもとに、日本の学童たちが 「農業社会的な子供」 「産業社会的な子供」 「消費社会的な子供」 と変化を遂げてきたこと (ただし、比率は変わってもこの3種類の子供はいつの時代にもいるものだ、とも著者は言っている)、そして 「消費社会的な子供」 が主流となった現代では戦前や戦後間もないころのような教師と生徒の関係は不可能であることを、理路整然と説得的に説明している。 一読に値する本。 ただ、著者が、子供の可能性を全肯定する 「進歩派」 論者と戦前の社会秩序を前提としてものを言う 「保守派」 論者のどちらも現代の子供を見通せていない、というのはどうだろうか。 保守派にはたしかに昔の感覚だけでものを言っている人間もいるだろうが、社会の変化を前提にしつつ、しかし一定の秩序の必要性を重視する立場があるだろうし、また逆に、進歩派にしても、宮台のように子供たちの能力差を見抜きつつ(誰にでも無限の可能性が、なんてウソ臭いことは言わない)、変化を変化のまま肯定しようとする立場があるだろう。 したがって、学校をどうすべきかという構想の書としてではなく、この国の子供たち (及びその親) が戦後どのように変質してきたかを知るために読むべき本である。 なお、この種のことはすでに 「別冊宝島」 の 「プロ教師シリーズ」 でも論じられている。

・中嶋繁雄『閨閥の日本史』(文春新書) 評価★★☆ 結婚によってつながりを作り出世やいくさに役立てる、ということを日本人は昔からやってきた。 その閨閥について、織豊政権時代から松下幸之助にいたるまでの時代スパンで取り上げ、さまざまな人間のつながりを記述した本。 だが、どうも面白みを感じなかった。 女を媒介とした人間関係を物語チックに書いているのかと思ったが、記述がかなり淡々としており、ここがこうつながっているという細かい指摘ばかりが目立ち、人間味を感じさせるドラマが不足している。 ま、こういうのが好きな人もいるんでしょうけど。

・吉田一彦『騙し合いの戦争史――スパイから暗号解読まで』(PHP新書) 評価★★★ 戦争は、何も正々堂々とやり合うことで勝つものだとは限らない。 いかに相手を欺くかが勝負どころである。 本書は第二次大戦を中心に、ヴェトナム戦争や湾岸戦争にいたるまで、いかに敵を欺くための戦略やスパイ行為がなされてきたかをたどった本である。 ややオタクっぽい感じもあるが、いわば影の戦争史としてそれなりに興味深い内容と言える。

・リルケ『マルテの手記』(中央公論『世界の文学』所収) 評価★★★☆ 必要があって30年ぶりに再読した、20世紀ドイツ文学を代表する詩人リルケの、名高い散文作品。 私は高校から大学にかけて3回ほど通読した本だが、今回はところどころ原書と照らし合わせつつ読んだ。 内容はかなり忘れてしまっていたが、今振り返ると、プルーストやジョイスなど、20世紀文学の流れの中に明瞭に位置づけられる作品であることが分かる。 細部の面白さによって成り立っているところが特色だ。

3月  ↑

・林信吾『イギリス・シンドローム』(KKベストセラーズ) 評価★★★★ 5年前に出た本で、実は一度読んだのだが、最近この著者が新書を出し、内容的に本書と重複していなければ買おうかなあ、なんて考えつつこの本のページをめくっていたら面白くて、再度通読してしまったのである。 林望やマークス寿子といった英国讃美の本をたくさん出している人たちが、いかに英国を知らず、一部の階級や地域についてしか該当しない事柄を英国全体に通用するかのように錯覚し、デタラメを書き連ねているかを痛罵している。 と同時に、なぜ日本の知識階級は英国に弱いか、というところにまで踏み込んで、日本と英国の知識人比較論になり得ている点で、凡百の外国讃美本やその批判本とは根本的にレベルが異なる書物だと言える。 (追記: 新書の方は、その後立ち読みしてみて、内容的に大したことがないと判断したので買いませんでした。 この 『イギリス・シンドローム』 だけでたくさんです。)

・鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書) 評価★★☆ 3年半前の新書をBOOKOFFにて100円で購入。 タイトルどおり、日本人が英語が不得手な理由を述べ、これからの外国語教育をどのようにすべきかについて持論を展開した本である。 日本人が英語ができないのは要するにふだんから使う状況にないからだ、というのはそのとおりで、他の論述にもうなずける点が多いのだが、この人の外国語教育に関する構想にはどうも納得しかねるところがある。 外国語を学ぶということは外国文化のコードにさらされるという (場合によっては不愉快な) 体験をすることだ、という根本的なところが鈴木氏には分かっていない。 いかに日本が大国になろうと、その点をなおざりにしては国際理解はできようもないし、また日本が大国になり得たのはそうした 「理解」 のためだと私は思っているので (外国語が堪能な人に外国への卑屈さがしばしば見られるというのは、まあ同感ですけど)、一番肝腎のところで首肯し得ない書物になってしまっているのである。

・イヴ・エンスラー『ヴァギナ・モノローグ』(白水社) 評価★☆ アメリカで話題になった書物の邦訳。 日本では昨年12月に出版されて、3ヶ月足らずで3刷というから、ヒットしているのだ。 さまざまな女性が自分の性器について語っている本である。 男であるワタシは当然ながら女が自分の性器をどう見、どう感じているのか、よく分からないわけで、その点が理解できるようになるのかと思って読んでみたのだが、芳しくない。 まず、分量的に物足りない。 実質100ページ程度。 それも多数の女性にインタヴューしたという著者のおしゃべりが多いから、実際に語っている女性の声はさらに少ない。 内容的にも、同性愛の体験は複数語られているのに、なぜかまともな異性愛の体験は語られていないなど、偏向がいちじるしい。 著者のあとがきを読むと、フェミニズムにかなり冒されているようで、また、キリスト教会は男権主義だが教会建物の内部は子宮をかたどっているといった単純なフロイト主義も垣間見え、材料の選択が片寄っているのもむべなるかなと痛感したことであった。 売れてる本が上質だとは限らないというのは、日米共通だな、と思いました。

・秦郁彦『現代史の対決』(文芸春秋) 評価★★★★ 歴史教科書問題を初めてとして、最近の歴史に関わる雑誌論考をまとめた書物。 日本の史学者のサヨク的体質を撃ったり、朝日新聞の従軍慰安婦報道のでたらめぶりを批判したり、なかなか興味深い文章が並んでいる。 朝日の従軍慰安婦報道で記事を書いた若い女性記者に電話をかけて名乗ったら、「広報に聞いて下さい」 というヒステリックな反応が返ってくるだけだったという下りなど、私も朝日の若い女性記者の質の悪さに愕然とした体験を昨年しているので、なるほどと思ったことであった。 また、佐瀬昌盛・常石敬一との鼎談による 「戦争犯罪ワースト20を選ぶ」 には、20世紀にこれほどの大量殺戮が世界中で行われてきたのかと嘆息せざるを得なかった。

・中条省平『フランス映画史の誘惑』(集英社新書) 評価★★★☆ タイトルどおり、フランス映画の歴史をたどった本である。 著者もあとがきで書いているとおり、コンパクトな新書本にすべてを盛り込むのは無理があり、論じられなかった作品も多いのだろうが、何はともあれフランスでつくられたおびただしい映画の魅力がぎっしりつまった本であり、これからフランス映画の森に踏みいろうという人にはよき道案内になるに違いない。

・松原隆一郎『失われた景観――戦後日本が築いたもの』(PHP新書) 評価★★★☆ 戦後、物質的な窮乏状態を克服し、経済至上主義で進んできた日本。 バブルの頃のマンションブームは今も記憶に新しい。 しかし、景観という視点を抜きにした開発は伝統的な風景を破壊してしまった。 この本は、バブル以降、長く不況に苦しむ日本にあっては開発至上主義はすでに過去のものであり、量から質への転換、すなわち景観を重視した街づくりをすべきだとして、実際にそうした構想が出会う困難にも細かく触れながら、新しい価値観を提唱したものである。 神戸や真鶴など地方自治体の試みの具体例を挙げつつ、また英国や米国の場合にも言及しつつ、多方面からこの問題にアプローチしており、注目すべき試みと言える。

・堀江珠喜『男はなぜ悪女にひかれるのか――悪女学入門』(平凡社新書) 評価★☆ 悪女、というのは男にとって言うに言われぬ魅力があるもので、「悪女学入門」 と題されている本書もしたがって魅力的に思え、買って一読したが、期待はずれだった。 女が悪女になるのは男社会のせい、何でもかんでも男が悪いのよ――これだけである。 バカ・フェミの典型。 書き方も、女性週刊誌記事みたいで知性が感じられない。 これで大学教授だそうで、困っちゃうなあ。 広辞苑によると 「悪女」 の定義は、(1)性質のよくない女、(2)顔かたちの醜い女、となっているそうだが、私としては(3)頭の悪い女、を付け加えたいですね。 なお、207ページで 「本家帰り」 という言葉をお使いですが、「本卦還り」 じゃありませんか、堀江先生?

・H・E・ホルトゥーゼン『リルケ』(理想社) 評価★★★ 20年も前に出た訳書だが、必要があって改めて通読した。 20世紀ドイツ語圏を代表する詩人リルケを解説した本である。 今から見ると、当時の芸術家意識や言語表現に対するものすごい集中ぶり、貴族社会の芸術家に対する支援などは、隔世の感があるということになるのかもしれないが、私としてはそうしたところがない(大衆)社会は救いようがないと思っているので、多少のうらやましさを感じた次第です。 

・山口昌子『大国フランスの不思議』(角川書店) 評価★★★ 在仏歴の長い新聞記者が、フランスについて書いた本である。 フランスと言っても色々な側面があるが、主として政治的な側面から、アメリカとひと味違う独自路線をとるこの国の風土やエリート養成法、その共和国精神などに光を当てている。 ややその 「共和国」 ぶりを理想化している趣きもないではないが、フランス入門書の一冊としてお薦めできる。

・アンヌ・レエ『エリック・サティ』(白水社) 評価★★ 17年前に出た訳本を古本屋で買ってツンドクになっていたのだが、必要があって読んでみた。 しかしサティについて整然とした知識を与えてくれる本ではない。 或る程度この作曲家について知っている人が、エッセイを楽しむようにして読むための本であろう。

・岩下久美子『人はなぜストーカーになるのか』(文春文庫プラス) 評価★★★☆ 最近問題になっているストーカー犯罪について書かれた本である。 いくつか挙げられている実例を読むと、そのすさまじさに誰でも驚くであろう。 単に好きな人を追いかける程度のことではなく、これがれっきとした犯罪行為であり、法的に罰せられるのが当然だと納得できる。 また、ストーカー対策や、被害にあった場合の対処法、相談に乗ってくれるセンターの紹介もあって、有用である。 ただし人がストーカーになってしまう心理的要因や育ち方原因説については、今後いっそうの検証が必要であろう。

↑ 2月

・草野厚『癒しの楽器パイプオルガンと政治』(文春新書) 評価★★★☆ 1980年以降、地方公共団体に高価なパイプオルガンが続々と設置された。 だが、それが有効に使われているケースは少ないという。 このことを具体例を挙げつつ指摘したのが本書である。 また、機種の選定にあたって、一部の専門家が自分の好みを優先させて特定のメーカーを推しているという批判も重要。 池袋の東京芸術劇場にガルニエ社の超高価なパイプオルガンが入ったものの、故障続きでまともに使われていない。 ところがその同じメーカーのパイプオルガンが、盛岡にホールが造られるとき、BCJの鈴木雅明氏の強引な主張により入れられるという事態になった。 このメーカーは、メインテナンスという点で他社より格段にカネがかかるようになっている。 つまり、そのメーカーにとっては公共団体に製品を納入することで利権を得られる。 税金で購入されるパイプオルガンについてこのような構造があるのは問題だが、オルガンの専門家の数は少なく、しかも同業者的な学会によって結束しているため、外の声が入りにくいらしい。 たしかに、芸術は税金の有効利用というだけでは片づかない部分があり (それは草野氏も認めている)、オルガンについて高度な知識や技倆を持つ人の数は限られている以上、公平とかみんなに分かりやすくというだけではことは運ばないが、クラシック愛好者の数を増やすためにも、せっかく購入したものを有効利用するという視点は必要であろう。 重要な問題提起の書として、クラシック・ファンの方々に一読をお薦めしたい。

・諏訪哲二『プロ教師の見た教育改革』(ちくま新書) 評価★★ 長らく 「プロ教師の会」 で活動してきた著者が最近の 「教育改革」 を本格的に論じた本かと思って買ってみたのだが、期待はずれだった。 私は 「プロ教師の会」 自体は評価しているのだが、この本は急いで書いたのだろうか、論じ方が散漫だし、途中でアメリカへの態度をめぐって小林よしのりや西尾幹二についてまで言及をしているけど、このあたりははっきり言って勉強不足で、タイトルに即したテーマを追った方がはるかに良かった。 最後にやっと(?)寺脇研批判が出てくる。 ここら辺をふくらませた方が充実した本になったろうと思う。

・ルートヴィヒ・ティーク『金髪のエックベルト』『友だち』『ルーネンベルク』(国書刊行会『ドイツロマン派全集第1巻』) 評価★★☆ 教養の授業で扱うからと、いささか泥縄式に読んでみた。 ドイツ・ロマン派の巨匠のメルヒェンである。 メルヒェンと言っても、グリム兄弟の予定調和風のそれではなく、いささかの不気味さを含む芸術作品としての文学なのである。 とはいえ、現代人から見た場合に十分な充足感が得られる作品かどうかは、簡単に断言はできないだろう・・・・・ 

・トルストイ『クロイツェル・ソナタ、悪魔』(新潮文庫) 評価★★☆ トルストイの中編小説2編を収めた文庫本を、何となく読んでみた。 1880年代から90年代にかけて書かれた作品である。 いずれも性欲の問題を真正面から扱って、性欲は悪であるとしているのだが、キリスト教倫理と無縁な日本人であるワタシからすると、基本的に考え方が間違っているんじゃないか、という気がする。 まあ、トルストイがマジメに悩んでいることは分かるが、彼はその分、貴族の特権と裕福さを利用して放蕩もかなりやらかしていたはずだから、裕福ならざる平民であるワタシとしてはあまり同情する気にもならないのである。 それはさておき、作品の知名度からすると 『クロイツェル・ソナタ』 が上だけど、ワタシはむしろ 『悪魔』 が面白かった。 当時の貴族の暮らしぶりや領地経営などに関する記述に興味を惹かれたので。 こういう読み方は若い頃ならしなかっただろうなあ。

・加藤尚武『戦争倫理学』(ちくま新書) 評価★★☆ 戦争に関して哲学者が考えてできあがった本。 ・・・・のはずだが、実は著者が多忙なので過去に書き散らした戦争や殺人に関する文章を集めてできあがっている。 その意味で安易な作りの書物ではある。 民主主義はいささかも平和的ではないという指摘など、説得的なところもあるが、東京裁判に関して、泥棒が泥棒が裁いたから無罪だとは言えないとして、日本無罪論は「手続き法的な無罪を、実体法的な無罪にすり替えている」というあたりは、かなり疑問。 そもそも罪があるかないかということ自体が裁判だとか法律的な概念であり、裁判自体が無効だったら罪はないというのが法的な論理である以上、そこに 「実体法」 という 「法」 を伴った概念を持ち出すこと自体、論理的誤謬ではないかしらん。 ここに限らず全体として、最後の核心で非論理的な断言が目立つ印象。

・ジュリアン・バンダ『知識人の裏切り』(未来社) 評価★★★ 授業で読んだ本。 両大戦間にフランス人により書かれた、その筋では有名な書物。 世俗化し、階級闘争または国家主義に精力を注いでいる20世紀初頭の知識人を痛烈に批判し、知識人はあくまで実利から離れた普遍的な真理を追求すべきだと主張している。 今読むと、古代ローマの伝統を汲む(と自認する)フランス・カトリックの普遍主義が、ドイツの北方ヨーロッパ的自己主張を基盤とした民族主義に脅かされ、またマルクス主義的な世界観にも足元をすくわれかけている時代のゆらぎみたいなものが窺われて興味深い。 なお、訳注がほとんどないのは不親切である。 学生はもとより、私でも調べてもよく分からない固有名詞があった。 訳者・宇京頼三氏には猛省を求めたい。

・犀川博正『警察官の現場――ノンキャリ警察官という生き方』(角川oneテーマ21) 評価★★☆ 以前ノンキャリの警察官だった著者による体験記。 最近の警察がハイテク化で暴走族に遅れをとっているとか、正月三が日は警察も休みなので暴走族が出回るとか、現場ならではの話が次々と出てくるが、意外な話は期待したほどは多くない、というのが感想です。 ま、あんまり内情暴露をやるとヤバイということもあるのかも。

・小牧治/村上隆夫『ハーバーマス』(清水書院) 評価★★★ ドイツの社会学者・哲学者ハーバーマスの思想について分かりやすく説明した入門書。 ・・・・のはずだが、実のところ、特に後期の思想は読んでいてよく分からなかった。 普遍性と文化的特殊性がコミュニケーション行為によってそんなに簡単に乗り越えられるかなあというのが、私の抱いた素朴な疑問です。

・遠藤周作『対談集・日本人はキリスト教を信じられるか』(講談社) 評価★★☆ 25年前の本を古本屋にて購入。 キリスト教を扱った小説で知られる遠藤周作が、主としてキリスト教をテーマとして様々な人と対談・鼎談をした本。 時代の差はいかんともしがたく、どうも読んでいて切実な印象が希薄なのだが、中ではやはりキリスト教徒の作家・小川国夫とカトリックの神父とを迎えての座談会が、ユダの裏切りと無力なイエスの愛という問題と真摯に斬り結ぶ遠藤の姿勢をうかがわせて、結構面白かった。

・上田信道『謎とき 名作童謡の誕生』( 平凡社新書) 評価★★★ タイトルの 「謎とき」 というのはやや大げさな感じがするが、とにかく 「カナリヤ」 「赤とんぼ」 「すなやま」 といった名作童話を取り上げて、歌詞の意味と、作曲者と作詞家の経歴、その童謡が作られたいきさつなどをたどった本である。 最近、日本の唱歌や童謡を見直す気運が高まっているが、これもその一冊で、著名な童謡の意外な奥行きや時代背景を知ることができ、それなりに面白い。 新潟市や新潟県への言及も結構ある。

・内池久貴+宮島理(編)『まれに見るバカ女――社民党系議員から人権侵害作家、芸なし芸能人まで』(宝島社: 別冊宝島Real) 評価★★☆ 去年、『まれに見るバカ』 という新書が出てヒットした (ただし私は評価しなかったけど)。 バカをけなす本、っていうのはそれなりに受けるのだろう。 2匹目のどぜうを狙ってということか、バカ女を網羅的に取り上げてケナしたMOOK本が出た。 執筆者は何人もいるんだけど、やはり人により切れ味が違う。 こういう本は切れ味勝負ですから、私としては香山リカや竹内久美子といったエセ学者を叩く山形浩生や、「女学者幻想」 を撃つ小谷野敦の文章が面白いと思いました。 一方、芸能人のバカ女をクサす文章は一様に面白くない。 ライターの質のせいもあるけど、バカが受ける社会を構成しているのはバカな大衆だから、大衆を批判しないでバカ芸能人をやっつけても仕方がないんじゃないか。 それはともかく、女ってのは日本においては、芸能人や局アナはもちろん、議員でも学者 (フェミ系を含む) でも徹底的に性的な商品として流通しているんだな、というのが私の読後感でした。

・渡辺一民『フランスの誘惑――近代日本精神史試論』(岩波書店) 評価★★★☆ 7年前の本を船橋のBOOKOFFにて半額で購入。 明治以降の近代日本で、フランスやフランス文化がどのように見られてきたか、留学生を初めとする渡仏者たちがどのような体験をし何を考えてきたのかを精神史的にたどった本である。 素朴なフランスへの憧れから始まって、戦後の高度成長期以降、外国滞在がごく普通のことになってしまった頃までを扱っているが、中村光夫や遠藤周作や森有正の留学体験を検討したり、横光利一の 『旅愁』 を解読するあたり、つまり大戦前後の時期に関する叙述が最も精彩を放っている箇所であると思う。 著者の視点はわずかに浅い感じもしないではないが、変に素材をこねくり回さずに渡仏者の体験に寄り添うような趣きもあって、これはこれで良いのだという読後感を持った。

・モーリス・ブランショ『問われる知識人――ある省察の覚書』(月曜社) 評価★★ リオタールが 「知識人の終焉」 を宣告して以来、1970年あたりまでのような威勢の良い知識人論は不可能になっている。  この本は、長らくフランスで文筆家として活動してきた著者が、それでも知識人の存在意義は消えていないと主張したものである。 もっとも本来は私的覚書として書かれ、発表を予定した書物ではなかったという。 大言壮語をいましめつつ、知識人が否応なく登場せざるを得ない状況があると説いているところはまあまあという感じだけれど、他人を説得するだけの内容が盛り込まれているかどうか疑問。 ブランショ自身、30代だった戦前には右翼的な反ユダヤ的言説を弄していたはずだが、そのことをきちんと自己省察した形跡がどうも見あたらない。 私は反省しろと言っているのではない。 考え方が変わることは誰にでもあるわけで、反ユダヤ的言説からいわゆるレジスタンスへと流れていった彼自身の思想遍歴を明らかにすることこそが、知識人論を説得的に展開するための出発点であるはずではないかと言いたいのだ。 例えばの話、反ユダヤ主義もナチスドイツへのレジスタンスも、異物を排除しようとする思考において同じだという考え方もできると私は思うのだが、この書物においては反ユダヤ主義は悪、レジスタンスは善と、あっさり割り切られている。 上の渡辺一民の本では遠藤周作がレジスタンスの残酷な内実をあばいているという指摘がなされていることと比較するならば、ブランショのこの本の物足りなさは一目瞭然だろう。 なお、訳者・安原伸一朗氏の訳文は分かりやすく、注や解説も親切だが、上記のようなブランショの思想的展開の解明という点では物足りないし、ハイデガーについての言及に比してブランショに甘過ぎるという気がする。 フランス文学者の身びいきと言われないように頑張って欲しい。 また、こういう本より、文中出てくる浩瀚なドレフュス事件に関する研究書 (ジャン=ドニ・ブルダンの 『ドレフュス事件』) を訳してもらいたいものだ。 フランス文学系はこの程度の本でも訳されるんだなあ、というのが、ドイツ文学者たる私の率直な感想である。 独文系では訳されるべきなのに放置されている本が割りにあるもので。 ゲルマニストよ、頑張ろうぜ!

・小坂裕子『ショパン 知られざる歌曲』(集英社新書) 評価★★★ ショパンというとピアノ曲ばかりが知られているが、歌曲も残しており、しかもその時どきの彼の恋愛感情などが濃厚に反映されていることを指摘した本。 もっとも全体はショパンの生涯を女性との関係を中心として綴ったもので、その要所要所に歌曲が取り上げられるという趣向。 ショパンの一面を知りながら、同時に彼の生涯をたどることができるところが悪くない。

1月  ↑

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