『ワーグナー タンホイザー』(音楽之友社 「名作オペラブックス」シリーズ)

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【付記: 2004年4月28日、或る方からの指摘に基づき、訳を一部修正いたしました。 詳細は、『プッチーニ ボエーム』の欠陥翻訳についての箇所をごらん下さい。】

 

 「名作オペラブックスシリーズ」 を槍玉に挙げるのはこれで3冊目になります。 欠陥翻訳の宝庫ですね(笑)。

 最初にお断りしておきたいのは、この 『タンホイザー』 を欠陥翻訳として論じるに際しては多少のためらいがあったということです。 訳に問題があることは疑い得ませんが、その度合いは 『ボエーム』 『さまよえるオランダ人』 より少なく、取り上げるのは気の毒かなという気持ちもありました。

 また、訳者である音楽学者O氏にはすぐれた著書があり、私も教えられるところが大だったこともためらう理由の一つでした。

 しかしお金をとって販売するにはどうか、という訳業であることは否定できませんので、この場で検討することにした次第です。

 

 私が見たのは、『ワーグナー タンホイザー』(1989年、第2刷)、原書は、Attila Csampai und Dietmar Holland(hg.): "Richard Wagner Tannhaeuser. Texte/Materialien/Kommentare" rororo Opernbuecher 1986

■で元の訳(誤訳)、□でドイツ語原文、(試訳)で私の考える訳を示します。

 

 最初のハンス=クラウス・ユングハインリヒの 「騎士、市民、芸術家」 という文章から見ていきましょう。 まずこの執筆者の姓ですが、訳では「ユンクハインリヒ」となっているけど、「ユングハインリヒ」 が正しい。 Jungheinrichngは 「ング」 という発音ですね。

 ちょっと語学教師的いやらしさで注釈をつけときます。 ドイツ語のgは音節の最後に来ると濁らず 「ク」 の音になると教わりますが、ngはgじゃありませんから、音節の最後であろうがなかろうが 「ング」 という発音になるんです。 有名な心理学者をいまだに 「ユンク」 と表記している日本人心理学教授は恥ずかしいですね。

 さて、最初にエピグラムとして20世紀前半に活動した某作家の 「すべては女にかかっている」 という意味の文章が引用されていますが、その最後――

 ■国民や、人類の発展とその将来はつとに女性に懸かっている。(9ページ)

  こういう思想は、今ならフェミニストから「女は世界を救えない」とかなんとか言われそうですが、それはさておき、原文は、

 Auf ihr[Frau] beruht so recht eigentlich die Entwicklung des Volkes, der Menschheit und ihre Zukunft.(S.9)

  問題にしたいのは 「つとに」 という表現です。 recht eigentlich の訳らしいんだけど、このドイツ語は 「要するに」 「結局は」 といった意味です。 「つとに」 とは一致しませんね。

 余計なことだけど、「つとに」 という日本語の意味を間違えて理解している人、意外に多いんですよ。 呉智英は 「すべからく」 の誤用を摘発して名を売った(?)けど、私は 「つとに」 の誤用摘発で名を売ろうかともくろんでいるくらいです。 注意しましょうね。

 

 さて、ワーグナーは死の直前まで女性に関する論考をものしていたと述べて、

 ■非存在という、疑いもなく女性的な胎が巨匠を受け入れたのである。ヴェーヌスとマリアのいずれの人間としての像も幻となって世の洞窟の無限の彼方へ消えていったわけだが、その世の洞窟に、彼は溺れて、沈んでいったのである。(10ページ)

  よく分からないでしょう? 実はこの訳文、明白な誤訳はどこにもないんです。 でも分からない、或いは非常に分かりにくい。 分かりやすくするためには、多少言葉を補ったりしないと。

 Der zweifellos weibliche Schoss des Nichtsseins nahm den Meister auf. Er ertrank, versank in einer Welthoehle, in deren Unendlichkeit die menschlichen Bilder von Venus und Maria gleichermassen als Phantasmagorien ausgeloescht sind. (S.9)

 (試訳)無という、疑いもなく女性的な母胎が巨匠を受け入れたのである。 彼はいわば世の最後にあいた洞窟の中に溺れ落ち込んでいったのであるが、彼の抱いたヴェーヌスとマリアという対極的な人間のイメージも一緒に洞窟の限りない深みの中へ幻像として消えていったのであった。

  かなり言葉を補ったけど、まだ分かりにくいかも知れませんね。 西洋の観念では、女の母胎は子供を産むと同時に、死んだ人間が帰っていく場所でもあり、それが洞窟のイメージで捉えられがちなんです。 「無という、女性的な母胎」 っていう表現はその辺をふまえているわけですね。 言葉は背景にある予備知識 (これも、同じ国内でもどういう階層の人間が読むかにより違ってきますけど) がないと分からないものなんですね。

  続けて、

 ■死というものについてここであれこれ議論する暇はないが、それはワーグナーにとってはロマン的オペラの贖いの場所である。 彼だけが解消しがたい対立を、自分の中に呑み込み、壊滅させることによって、無効のものとさせることができる。(10ページ)

  勘のいい人は、原文を見なくても「あそこがおかしい」と思うんじゃないかな。

 Der Tod, ueber den weiterzuspekulieren hier Platz und Vorwitz fehlen, ist fuer den Wagner der romantischen Oper Hort der Versoehnung. Er allein kann die unvereinbaren Gegensaetze gegenstandslos werden lassen, indem er sie in sich aufnimmt und zernichtet. (S.9)

  二番目の文章のErTodを指すのは明瞭でしょう。

 (試訳)死というものについてここであれこれ考えるだけの紙数も余裕もないが、それはロマン的なオペラ作家としてのワーグナーにとっては和解の場所である。 死だけが、解消しがたい対立を自分の中に呑み込み破壊することによって、消滅させることができるのである。

  次に、ロマン主義は死をしか和解の道と考えられなくなったと述べて、しかし昔はそうではなかった、『魔笛』 のように学習過程の結果として和解を得る場合もあるし、喜劇やコミックオペラのように

 ■目下混乱に陥っている社会秩序に眼をつぶるものとして〔和解を認める〕(…)(10ページ)

 これですと、和解は現実に存在する混乱を無視して出てくるもの、つまり「臭い物にフタ」的な行為ということになりますが……

 □……als gelaeuterte Bestaetigung einer voruebergehend aus dem Lot geratenen gesellschaftlichen Ordnung…… (S.9)

 (試訳)一時的に混乱に陥った社会秩序をいっそう純化し正当なものと承認する行為として

 私はオペラにはうとい人間ですが、例えば恋人との結婚が不可能になりそうになっても最後はメデタシメデタシになる『フィガロの結婚』の筋書きを思い出せばいいのじゃないですか。

 で、ワーグナーの時代になるともう現実での和解は可能ではなく、

 ■自己崩壊は〈理性〉ではどうにもできないのであって(…)(10ページ)

 Die Zerrissenheit ist nicht vernuenftig zu aendern; (S.10)

  訳語がやたら哲学的なんですが、原文はそんなに大げさじゃないでしょ。

 (試訳)混乱状態は「理性的」に変えることはできないのであり

  そしてワーグナーにおける 「救済」 の現れ方は作品によって異なっているとして、オペラごとの 「救済」 パターンを要約し、『ニーベルングの指輪』 にあっては元の状態を再現すること、自分自身を越えないことが救済になってしまっていると述べて、

 ■《指輪》 がことさら渦巻き状に展開していくというわけではないが。(11ページ)

 der Ringist eben keine Spirale. (S.10)

  これも、文字面だけ見れば誤訳とは言えないでしょう。 でも文意を伝えてませんね。 《指輪》 が渦巻きではない、って著者は何を言いたかったのでしょう? 

 元の状態を再現することが 《指輪》 においては 「救済」 となったと上で述べているのですから、タイトルどおり輪のように同じところをぐるぐる回るのが 《指輪》 の思想である、さすが 「指輪」 だけあって 「渦巻き」 ではないね、「渦巻き」 ならぐるぐる回りはしても一箇所にとどまることなく少しずつ場所を変えていく=発展していくのにね、と言いたいわけなんです。 とすると、この訳書のように訳してしまっては、文意を全然伝えていないという意味でやはり誤訳なんですね。

 (試訳)さすが 《指輪》 というだけあって輪に過ぎず、渦巻きのように発展するところがないわけだ。

くらいに訳さないと分からないでしょう。

 

 さて、本の最初におかれたユングハインリヒの論文はこの程度にして、後半のドキュメンテーションで目に付いたところを拾っていきましょう。

 キルヒマイヤーの「タンホイザーの成立史とドレスデン初演について」という文章ですが、その冒頭。

 ■タンホイザーという企画によってワーグナーは初の本格的な哲学に関する個人的研究を始めたわけである。(152ページ)

 Mit dem Tannhaeuser-Projekt begannen Wagners erste tiefergehende philologische Privatstudien. (S.91)

  philologisch philosophischと取り違えてますね。

 (試訳)ワーグナーが初めて自分で本格的な文献研究に取り組むようになったのは、タンホイザーを企画したときであった。

  その後ワーグナーが自分の創作方法を手紙で述べたものが引用されています。 彼は、適当な材料を選びそれを詩に直してから曲を付けるという方法はとらない、と述べて、

 ■こうしたやり方ではおそらく私は、何が不可能であるかということに2回もぶち当たる、という悪しき事態に立ち至ることでしょう。(156ページ)

 何となく不自然な訳文であることは一読してすぐ分かりますね。

 bei dieser Art des Verfahrens wuerde ich allerdings dem Uebelstande ausgesetzt, mich zweimal begeistern zu sollen, was unmoeglich ist. (S.94)

  wasは英語のwhatと同じ関係代名詞としての用法がありますが、ここでは前文の内容を受ける、という特殊な (しかし初級文法でもやることがある) 使い方です。

 (試訳)こうしたやり方では、〔素材を選び詩に直すときと音楽をつけるときの〕 二度感激しなくてはならないという悪しき事態にさらされるでしょうが、二度感激するなんてことは不可能ですから。

 

 少し先に行って、同じ友人に宛てた別の手紙の中でワーグナーは、自分に関する報道は驚くほどデタラメが多いと述べて、

 ■〔私は〕私に関するこうした虚飾に満ちたすべてのものに対して怖じ気づいているのです。(160ページ)

 dass ich eine empfindliche Scheu gegen Alles trage, was mit diesem Anstriche mir zu meinen Gunsten aufstoesst.(S.98)

 (試訳)お前のためになるんだよと称して言い寄ってくるものすべてに対して、極度に臆病になっているのです。

 

 ワーグナー自身が 『自伝』 においてドレスデンでのゲネプロと初演について述べている箇所で、

 ■この作品の上演に立ちはだかっているいろいろな難しい問題について最初にあることを考えついたのはシュレーダー=ドゥヴリアン夫人であった。 しかも彼女は、私が、何に不満や恥かしさを感じているかを言いあてることができるほど、気持ちも考えもはっきりしていた。(163ページ)

Von den besonderen Schwierigkeiten, welche der Darstellung gerade dieses Werkes entgegenstanden, gewann zuerst Frau Schroeder-Devrient einen Begriff, und zwar wurden sie ihrem Gefuehle und ihrer Einsicht so deutlich, dass sie hierueber sich zu meinem Unbehagen und meiner Beschaemung mir mitzuteilen wusste. (S.99)

  前半はまあまあ悪くありませんが、後半がおかしい。

 (試訳)他ならぬこの作品の上演に立ちはだかっている特に難しい問題について、最初に気づいたのはシュレーダー=ドゥヴリアン夫人であった。 しかも彼女は、感覚的にも知的にも問題点を明確に捉えていたので、それについて話を聞いた私は不愉快になると同時に恥じ入りもしたのであった。

 ついで夫人の具体的な指摘ですが、彼女はワーグナーの前で最終幕の重要な場面を朗読して、あなたの採用しようとしている歌手はどこにアクセントをおくべきか分からないのではないか、と問うたのに対し、ワーグナーは弁明して次のように言います。

 ■……仮に彼が歌い手として大したことがないとしても、きっと音楽がこの演技者を助けてくれるはずだ…… (163ページ)

 □……die Musik spraeche fuer den Dasteller, selbst wenn dieser eben nur ein musikalischer Saenger sei.(S.101)

  素直に読めばこうなるはずですが……。

 (試訳)仮に彼が歌がうまいだけの歌手だとしても、音楽が演技者としての彼を後押ししてくれるはずだ

 ワーグナーは、シュレーダー=ドゥヴリアン夫人の指摘で多少自信が揺らいだものの、

 ■しかし全体として私は、オーケストラと一緒の練習でも非常に活気のあるところを見せたソリストたちの活躍になお全幅の信頼を置いていた。(165ページ)

 Im ganzen vertraute ich fuer alles jedoch immer noch auf die Wirkung des reinen musikalischen Ensembles, welches sich auch in den Orchesterproben sehr ermutigend herausstellte. (S.102)

 「ソリストたち」 って、原文にないんですよね。意訳したのでしょうが、普通に読めば、

 (試訳)それでも全体として私は、オーケストラと一緒のリハーサルでもこちらを得心させてくれた高質のアンサンブルがもたらす効果になお期待を寄せていた。

 そして指揮者ヒラーはスコアを見て、

 ■楽器編成がしっかりしていないとまず難しいですね、と賛辞を送ってくれた。(166ページ)

  なんか変だと思いません? しっかりした楽器編成を要求するほど難しく書いてある、というのが賛辞なんでしょうか?

 Schon hatte Hiller……den Lobspruch erteilt, dass maessiger zu instrumentieren gewiss nicht moeglich sei. (S.102)

 (試訳)これ以上控えめに器楽伴奏をつけることは不可能でしょうね、と賛辞を呈してくれていた。

  実際、後の方を読むと楽器伴奏を控えめにする必然性が語られています。

 

  また少し飛ばして、《タンホイザー》をめぐる初期の論争を紹介した文章に行きましょう。 当時ワーグナーを批判した雑誌記事です。

 ■世界に冠たる《リエンツィ》と《タンホイザー》の作曲者をオペラの新しい救世主などと褒めそやすお世辞(…)(184ページ)

  これだけ読むとなるほどと思うんですが、

 Lospreisungen……, mit denen man den Componisten des Rienziund Tannhaeuserder Welt als den neuen Messias der Oper proclamirt. (S.118)

  der Weltはどう考えても2格じゃなくて3格ですね。

 (試訳)《リエンツィ》と《タンホイザー》の作曲者を世間に向かってオペラの新しい救世主などと言いふらすお世辞

  続けて、

 ■ジャーナリズムの活動やある種の個人的接触というものをいささかでも知っている人には、これほどたくさんの雑誌が口を揃えて称賛のラッパを吹くということがどうして起こるのか、不可解ではないだろう。 過剰な称賛はつねにより厳しい非難を挑発し、鈍重な友はしばしば平静な敵よりも害になる、ということがよく知られているだけに、そうした駆け引きの愚かしさには驚かざるを得ない。(184ページ)

  ここ、取り上げるかどうか迷いました。 誤訳というほどの箇所じゃないんです。 でもどうも下手だなあ、と思ってしまう(いちいち指摘しませんでしたが、これまでにもそういう箇所は多かったんです)。 まず「個人的接触Privatverbindungen」。 これ、分かります? そうそう、要するに「コネ」のことなんですよ。 そう訳さないと分かりづらい。

 次に二番目の文章なんですが、訳自体は悪くない(「平静な敵ein besonnener Feind」は「思慮深い敵」がベターだと思いますが)けど、前文から続けて読むとつながりが理解しにくい。 それもそのはず、原文は最初にaberが入っているんですから。 「しかし」という逆接の接続詞をなんで落としてしまったんでしょうか。 ここは省いちゃいけないところでしょう。

  続けて、ワーグナーはモーツァルトより独創的なオペラ作曲家だという主張があるとしてこれをやっつけるのですが、

 ■世間には(……〔ワーグナーはモーツァルトより素晴らしい〕……)という断固たる主張があるけれども。(184ページ)

 trotz dem, dass man sich nicht entbloedet zu behaupten, …… (S.118)

  素直に訳せばこうなるはずなんですが。 原文のニュアンスが活かされてないですね。

 (試訳)世間には……と臆面もなく主張する輩がいるが。

 続けて、ワーグナーの作品にあっては他のオペラなら確固とした実体であるものが時間的に表現されたりするのでバラバラになりそうだと揶揄して、

 ■いかなる書き手もまずは民謡を勉強し、モーツァルト、ウェーバーその他の作曲家のオペラを勉強し、われわれの時代にまで移植され、われわれの子孫をも熱狂させるであろう過去の大家たちの作品を研究し、そして初めて判断するのだ! (185ページ)

  原文はこうなっています。面倒なので中抜きで示しますが、

 Jener Berichterstatter studire erst das Volkslied, studire Mozarts, Webers und anderer Componisten Opern……und dann urtheile er!(S.119)

  jenerjederの取り違え。 そして接続法がもう一つうまく訳されていないですね。

 (試訳)かの〔ワーグナーを褒め称えた〕ルポライターは、まずは……を勉強するがいい! しかるのちに初めて判断を下すがいい!

  続けて、

 ■今、4回目の上演の後で努力しなければならないのは、オペラの無限の美しさをすべて把握するためには何度も聴かなければならないと主張することである。 もうすでに、そうすることによって、”民の声”(これは往々にして”神の声”であるのだが)はあのようなお世辞とは真っ向から対立するものとなっている。 どうしたらいいのだろう? 「頬におしろいを塗れば、死体は甦るのだろうか?」(185ページ)

  論理が支離滅裂なのは分かりますね。 最初はワーグナーのオペラを何度も聴くよう主張すべきだ、と言っておいて、後半ではそれを否定してるんですから。

 Man bemueht sich jetzt, nach der vierten Vorstellung zu behaupten, man muesse die Oper oefter hoeren, um ihre unendlichen Schoehnheiten alle zu begreifen, jetzt, nach dem bereits die Vox populi, welche meist die Vox deiist, die entscheidende Opposition zu ihren Lospreisungen bildete. Was soll das helfen? Wird eine Leiche wieder lebendig, wenn man ihr die Wangen schminkt?》 (S.119)

 (試訳)4回目の上演が済んだ今、このオペラの限りない美しさを完全に把握するためにはもっと幾度も聴かねばならないと必死になって言い張る輩がいる。 すでに「民の声」(これは往々にして「神の声」であるわけだが)がそのようなお世辞とは真っ向から対立するものとなっているこの期に及んで、である。 そんな主張をして何になるというのだ? 「頬におしろいを塗れば、死体は甦るとでもいうのか?」

 

 きりがないのでこの辺でおしまいにします。 この訳者も、学者としては有能ですが、ドイツ語の語学力という点では、翻訳をやるならドイツ語に堪能な人の助力を得ないといけないレベルと言えましょう。

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