ふだん大学でエラソーに外国語を教えている私ですが、実のところ「どうも俺の語学はさっぱり上達しないな」と忸怩たる思いに捕われることが少なくありません。十年二十年と外国語を勉強しながらなぜネイティヴスピーカーのようになれないのか、そもそもカッコいい(?)バイリンガルには誰でもなれるものなのか――外国語を学ぶ人間が誰でも一度は抱く疑問に平易に答えたのが、この『バイリンガルの科学』です。
人間は十歳位までに母語の基本能力が形成され、それを過ぎると十分な語学力を得るのは難しいこと、母語能力の高さが外国語力をつける前提条件であること、小さいうちから無理に二カ国語を使わせると母語も外国語も不十分なセミリンガルになってしまう場合があること、語学力の習得は生活している社会に規定されるので(例えば親の一方が外国人であるなどの理由から)家庭内での外国語使用だけでは十分な力は得られないことなど、様々の興味深い知見が語られています。
無論だからといって外国語を学ぶことは恐ろしく難しいと言っているのではありません。自分に何が必要かを見定めた上で熱意をもって学習すればそれなりの語学力は達成できると教えてくれる本でもあるのです。留学やホームスティ、或いは将来就職して家族連れで外国に駐留する場合のアドヴァイスなど、理論面だけではなく実用面にも配慮しています。
(新潟大学生協発行・書評誌『ほんのこべや』第7号〔94年秋〕掲載)
ガールフレンドや嫁サンを選ぶなら貞淑な美女がいいに決まっているけど、もしも不実な美女と貞淑な醜女の二種類の女性しかいないとしたら君はどちらを選ぶか、という深刻?な問題に取り組んだ本……ではありません。
題名は翻訳の特質を比喩的に表現したもので、とかく翻訳は流麗ならば原文からはずれ、原文通りなら訳語としてこなれていないきらいがあると言っているのです。で、この本ですが、ロシア語の通訳や翻訳で活躍中の女性が、主に通訳をテーマに、その苦労話を披露しつつ言語の本質を考察したもの。
渡米して部下に通訳をさせて日本語でスピーチしながら、最後に英語を使ってみたくなって「ワン・プリーズ」と言った会社社長がいたそうです。部下が「社長、今の英語はどういう意味で?」と訊いたら、「『ひとつ、よろしく』だよ、君」と真顔で答えた実話など(日本経済の強さはこの辺りに原因があるのかも)、抱腹絶倒の話題の中に外国語を学ぶコツなどがさりげなく示されています。
(新潟大学生協発行・書評誌『ほんのこべや』第8号〔95年春〕掲載)