読書月録2006年

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西暦2006年に読んだ本をすべて公開するコーナー。 5段階評価と短評付き。

  評価は、★★★★★=名著です。 ★★★★=上出来。 ★★★=悪くない。 ★★=感心しない。 ★=駄本。  なお、☆は★の2分の1。

 

・山内昌之 『嫉妬の世界史』(新潮新書) 評価★★★ 2年前に出た新書をBOOKOFFにて半額購入。 タイトル通りの本で、歴史上の人物関係を嫉妬という視点から切り取って論じている。 対象は幅広く、日本、中国、イスラム、ヨーロッパに及び、職種も政治家、軍人、学者などさまざまである。 最後に、嫉妬を招かない理想的な人物像として保科正之を挙げている。 まあ、ワタシは嫉妬を招くほどの仕事もしていないしその点は安寧だと思うが、有能な人にとっては一読に値する本であろう。 なお、記述はやや簡略でもう少し丁寧に説明してほしいと思える箇所もあった。 著者は博識だが、執筆の仕方がやや自分を基準にし過ぎの感もある。

・安達功 『知っていそうで知らないフランス――愛すべきトンデモ民主主義国』(平凡社新書) 評価★★★★ 5年前に出た新書をBOOKOFFにて半額購入。 著者は時事通信社の記者で3年半におよびフランスに滞在した人である。 要するにフランスを紹介した本なのだが、意外な拾いものであった。 というのは、この種の本をフランス文学者などが書くと、どうもフランス讃美一色に偏しがちで、それは要するにフランスの自国中心主義に日本人として距離をおけない極東の学者たちの悲しい自意識の裏返しに過ぎないわけだが、私はそうした本にはうんざりしているのだ。 ところが、この本は違うのである。 学者ではなくジャーナリストが書いた、ということがかなりプラスに作用している例であろう。 フランスのいいところだけでなくダメなところも遠慮会釈なく紹介しており、しかも視野が広い。 グランゼコールのエリート主義などは他の本でも分かるけれど、環境意識のお粗末さ、大統領と首相のそれぞれの権限の守備範囲、女性の選挙権獲得が遅かったこと、第二次大戦中のユダヤ人狩りへの協力と 「抵抗運動」 の神話性、汚職の多さ、地方公共団体がめちゃくちゃに多い理由、移民への差別と海外領土、などなど、実に幅広くフランスの現実を描き出している。 外国紹介の本はこういうふうに書くべし、というお手本を示しているかのようだ。

・三浦展 (編著)『下流同盟――格差社会とファスト風土』(朝日新書) 評価★★★ 1年生の演習でレポートを課したら、この本を読んで書いた学生がいたので読む気になったもの。 「下流社会」 でブレイクした三浦展が、他の学者と共同で、巨大スーパーの席巻によりいかにアメリカの地域社会が荒廃し格差が開いたか、また日本もそうなりかけているか、いかにフランスがそれに抵抗しているか、を紹介した本である。 アメリカでのウォルマートの経営やそれがもたらしたものについては、なるほどと思う反面、著者の主張する格差社会とファスト風土による人間の荒廃がはたして巨大スーパーだけの責任なのか、昔の小売業を少し理想化しすぎてはいないか――これは三浦が別の著書で中央線沿線の昔ながらの駅商店街を理想化しているのを読んで以来私の頭を離れないことだ――などの疑問点もあるが、読んでおいて損はない本だと言える。

・中島敏+平林慶史+出雲充 『 「東大に入る」 ということ 「東大を出る」 ということ』(プレジデント社) 評価★★★ 3年前に出た本をBOOKOFFにて半額で購入。 タイトル通り、東大に入って出た、けれども、その後は普通でない人生を歩みかけている3人の青年が、東大に入るまでの過程と、東大に入ってから、そして出たあとの波乱――二人は一流会社に入ったもののすぐ退職、一人は大学院に入ったけれどこれまた中退――を回想している。 東大生ということで世間から良くも悪くも特別視される窮屈さはよく分かるが、自分が現状に満足していないことをあまり説得的に書けていないような印象がある。 感情や思想だけが先走っていて、例えば一流会社の具体的にどこが気に入らなかったのか、といったことが十分に伝わってこない。 また大学院中退の平林についていえば、上野千鶴子だとか苅谷剛彦といったマスコミ受けする人気学者ばっかりほめるなど、どうも資質に問題があるのではないか――つまり、ガクモンは20歳前後の若者に受けることばかりやっているわけにはいかないという当たり前の事柄が分かっていない困ったちゃんの東大大学院生なのではないか、という疑問が湧いてくるのを禁じ得ない。

・ジェームズ・M・バーダマン + 村田薫 『ロックを生んだアメリカ南部 ルーツ・ミュージックの文化的背景』(NHK出版) 評価★★★★ 著者の村田薫くん (早大教授) は私の年来の友人である。 その彼が近著を送ってくれた。 私はロック音楽には趣味がないのだが、意外に (と言うのも失礼だが) 面白く読むことができた。 これは単なる音楽史の本ではない。 黒人、そしてそれに影響を受けた白人たちがアメリカ独自の音楽を生み出していく文化的な背景を多方面から描写した本であり、いわば音楽を軸とした総合的なアメリカ南部文化史なのである。 音楽と教会と聞けばわれわれはバッハを想起するが、アメリカの音楽も実はキリスト教会との結びつきが非常に強いこと、苦しい労働と音楽との密接な関係、いわゆるカントリーソングが田舎の音楽では必ずしもないこと、レコードやラジオの発達と音楽との関係などなど、アメリカ南部の持つ混沌とした歴史と文化と独自性が音楽という枠を越えて幅広く捉えられ分かりやすく説明されている。 ロック音楽が好きな人だけでなく、広くアメリカに興味を持つ人にお薦めできる本だ。

・竹内一郎 『人は見た目が9割』(新潮新書) 評価★★☆ 「本はタイトルが9割」 と茶化したくなるような本だが、BOOKOFFに半額で出ていたので買ってみた。 200ページ弱あるが、1時間で読めちゃう本である。 ノンヴァーバル・コミュニケーション、つまり言葉によらないコミュニケーションについて書かれている。 話はかなり多岐に及ぶというか、かなりばらばらな印象があるが――例えば著者はマンガの原作も書いているのでマンガの表現技法の話になったりするのだが、こういうのは別の本でやってくれと言いたい――まあまあ面白い。 ちょっと首をひねる箇所もある――例えばビートルズの末期にポール・マッカートニーがヒゲを生やしていたのは童顔の彼が他のメンバーを威圧したいと思っていたからだ、と書かれているけれど、ビートルズの末期には他のメンバーだってヒゲをはやしていたはずで、要するにみんなモードが一緒だった、と考えればいいことじゃないの? 

・仲正昌樹 『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』(NHK出版) 評価★★★★ 戦後日本の思想を教科書的にたどった本である。 たいへん要領よくまとめられており、難解な思想も分かりやすく説明がなされていて、仲正氏の力量を感じさせる。 戦後間もない頃のマルクス主義隆盛時代、丸山真男、吉本隆明、広松渉などから始まって、消費中心時代の到来によりポストモダニズムがもてはやされるようになり、フランスの思想状況もサルトルからレヴィ=ストロースをへてフーオーに知の覇権が変化し、日本も多少遅れながらもこうした動きを輸入して行くことになる。 そしてニューアカデミズム時代がやってくるが、バブルの崩壊とともに左翼的言説が多少復活の兆しをみせる。 著者の言う 「ポストモダンの左転回」 だが、新しいサヨクは昔と違いマルクス主義という、社会全体を説明できるバックボーンを持ち合わせていないので、社会的弱者を無原則的にもちあげることによってしか自己正当化ができないわけで、著者はポストモダンはいまだに終わっていないと述べている。 同感できる箇所の多い、そして教えられるところの多い本である。

・浅羽通明 『右翼と左翼』(幻冬舎新書) 評価★★★★ 創刊されたばかりの幻冬舎新書。 第一弾として一挙に17冊も出たが、その中で最初の番号 (001) を振られたこの本だけを私は買い、すぐに読んだ。 第1章は右翼と左翼の定義付けで、この辺はややたるい感じがしたのだが、第2章でフランス革命の迷走ぶりを描くあたりから面白くなり、ヘーゲル、マルクス、帝国主義と世界史的な右翼と左翼の変遷をたどり、次に日本に移って戦前と戦後の右翼左翼の移り変わりを説明し、最後に現代は理念の大空位時代だと結論付けるまで、知的刺激に満ち満ちた内容が続く。 コンパクトな思想史として、現代社会の政治のあり方を考えるための参考書として、お薦めできる本である。

・諸富祥彦 『子どもより親が怖い』(青春出版社) 評価★★★ 新書サイズの本。 著者は教育学者。 小中学校を中心に、昨今の学校をとりまく状勢や諸問題を具体的に論じている。 タイトルにあるようにダメ親を解説した部分もあるが、それだけではなく、ダメ教師や問題児についても言及しているし、現在の学校を改善するための処方箋も提言している。 教師評価の問題に触れて、現在東京都などで行われている制度の欠陥を指摘して、教師の評価は 「特に素晴らしい教師」 と 「特に問題の多い教師」 に限って行われるべきで、大多数の中間教師は変に評価しないほうが学校運営はうまくいく、というあたりは、現場を知る人ならではの説得性に満ちた提言だと思う。

・シュトルム 『たるの中から生まれた話』(福武文庫) 評価★★★☆ 10年以上前に出た文庫である。 今回、日本シュトルム協会でシュトルムの童話をテーマとしてミニシンポをやる予定だったので (結局は諸事情から延期になった) 急遽読み返してみた。 19世紀のドイツ作家シュトルムは、一般には 『みずうみ』 『白馬の騎手』 などで有名だが、少数ながら童話も書いており、この 『樽の中から生まれた話』 はその3編を集めたもの。 ひでり続きの中で雨を降らせる雨姫を探しに行く物語である 「雨姫」 など、3編それぞれに内容も味わいも異なるがとても面白い。 私は今回読み直して、シュトルムの童話ってこんなに素晴らしかったのかと目からうろこが落ちる思いであった。 「雨姫」 はジブリのアニメ映画にも向いていると思うんですがね。

12月  ↑

・橋本治 『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』(集英社新書) 評価★★★ 1年前に出た新書を直後に古本屋で半額購入しておいたが、ツンドクになっていた。 今回思い出して読んでみた。 橋本治の日本・世界経済論である。 物書きってのは大変だな、橋本治が経済論までやるようになったのか、と思ってしまう。 いつものように橋本節で、分かったような分からないような書き方がなされているけど、文化論ではないせいか、いつもよりは分かりやすいような・・・・。

・藤倉良 『環境問題の杞憂』(新潮新書) 評価★★★★ 環境問題に関して世間で流通している思いこみを一つ一つうち砕いていく本。 例えば、「ドイツは環境先進国」 なんて言い方がなされることがあるが、著者は様々な点で両国を比較して、日本は決してドイツに劣っていないと証明してみせる。 ほかに、環境ホルモン不安は正しいのか、ダイオキシンはそんなに危険なのか、市販されている水は水道水より健康的と言えるのか、なぜ日本では酸性雨の影響が少ないのか、などなど、多方面に渡る環境問題を検討しつつ、たいへん分かりやすく明晰に説明してくれる著者の力量には脱帽せざるを得ない。

・宮脇俊三(編)『日本の名随筆 駅』(作品社) 評価★★★ 15年ほど前に出た本。 古本屋で買ったのはいつだっただろう。 何となく書棚から出して読んでみた。 時代的には戦前から最近まで、地域的には日本だけでなく満州やヨーロッパ、北米大陸にいたるまでの鉄道、そしてそれにまつわる人間模様が、30以上の随筆で描き出されている。 執筆者も、芥川龍之介や水上勉といった文豪から、初めて名前を聞く人までさまざまである。 編者自身の 「東赤谷駅」 が印象的。 私が新潟に赴任してきてまもなく廃線となった赤谷線の終着駅である。 私は残念ながら乗る機会がなかった路線だが。 読んでいて、この本には収録されていないけど、萩原朔太郎の 「郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思わすところの、魂の永遠ののすたるじゃだ」 という、昔高校で習った詩を思い出しました。 

・海野弘 『魅惑の世紀末』(美術公論社) 評価★★★ 20年前に出た本を東京の古書店で千円にて購入。 アールヌーヴォーを初めとする19世紀末ヨーロッパの芸術動向を紹介している。 海野氏の本はいつでもそうだが、浅く広くという感じで (雑誌に書いた文章を集成したものだから仕方がないとも言えるけれど)、例えば眠り姫が世紀末に流行ったという指摘などはもう少しつっこんでくれないと前菜だけ出て終わってしまったディナーみたいな物足りなさが残る。 とはいえ、日本に対するアールヌーヴォーの影響(これについては独立した書物を海野氏は出しているようだが)を指摘しているなど、それなりに有益な本である。

・高橋安子 『茄子の花 高橋安子歌集』(柊書房) 高橋安子先生は私の中学時代 (福島県いわき市) の恩師である。 2年間担任をしていただき、国語を教えていただいた。 私は特にお世話になった生徒で、卒業後も時々自宅にお邪魔したりしていたのだが、大学に進学して2年目に父の転勤により家族が東京に引っ越したため、その後ずっとご無沙汰になっていた。 まさに不肖にして忘恩の弟子と言うべきであるが、今から12年前に中学の学年全体の同窓会が卒業後初めて開かれた際に久しぶりにお目にかかることができた。 この歌集は先生が長年に渡って作ってこられた短歌の中から選んで本としたものである。 大正14年生まれの先生としては自分が生きてきた軌跡を投入した歌集と言えるであろう。 先生が歌を始められたのは私たちを受け持たれた数年後からであるが、それでも30年に及ぶ年月と出来事とがこの歌集に歌われている。 学校でのことや家庭での日常ばかりでなく、ご事情があってカナダに暮らされた歳月や、ユーラシア大陸の風景なども詠まれており、人が「中学教師」という言葉からイメージするであろうよりはるかに広範な対象が歌となってこの本に結晶している。 といってもタイトルが示すように、先生の感性はあくまで日常的な身近な存在を基盤としているので、奇をてらうことなく誠実に生きてきた日本の中学教師の肖像を読者は否応なく感得させられるのである。

・由紀草一『軟弱者の戦争論 憲法九条をとことん考えなおしてみました。』(PHP新書) 評価★★★★ 改憲は是か非かで議論がかまびすしい昨今だが、どうも日本の知識人・文化人・憲法学者などには 「改憲絶対反対」 という人が目立ち、そういう主張は、今どきだから北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうするんだ、という素朴な疑問には全然答えてくれないのである。 つまり、日本の知識人や文化人は普通の人間の思考様式を完全に失っているとしか思われず、そういう非常識ぶりは、戦時中の 「いざとなれば神風が吹いて日本は勝利する」 という非常識さとどこか通底しているような印象がある。 この本は、ごく普通の日本人として、戦争放棄をうたった憲法九条をさまざまな視点から考えてみたものである。 基本的には改憲の立場だけれど、だからと言って別段、「タカ派」 でも 「右翼」 でも 「軍国主義者」 でもなんでもなく、暴力はイヤだよねという臆病で平凡な日本市民に過ぎない。 憲法問題で大事なのは、このように常識に富んだ姿勢なのである。 福田恆存が言ったように、「常識に還れ」 なのだ。 こういう本がもっと出て欲しい。

・桜井誠 『実践ハンドブック 嫌韓流 反日妄言撃退マニュアル』(晋遊舎) 評価★★★ 東京のBOOKOFFで定価の半額購入。 『嫌韓流』 という漫画が一時期流行ったけれど (私は未読)、同じ版元から出ていて、韓国側の反日的なデタラメ言説をとりあげて逐一反論した本である。 例えば 「日本海」 という呼称はケシカランと韓国が言い張って 「東海」 を主張している一件では、基本的な歴史的文献調査においてすらデタラメなデータを掲げて恥じない困った韓国人の姿勢が資料をもとに浮き彫りにされているなど、それ相応に役立つ本である。 ただし分かりやすい分、落とし穴もある。 映画の韓流ブームを単なる在日の演出に矮小化するのは無理だろうし、そこのところで、ヨン様ことペ・ヨンジュンも竹島は韓国の領土だと主張していると書かれているが、それは彼が領土問題で日韓が必要以上に対立しないで欲しいという意見を表明した際に付け足した部分で、おそらくはそう言っておかないと韓国内で総スカンを食らうから、という配慮から来ているのだろうと思う。 彼の発言全体を見ないで部分的に切り取るのはアンフェアであろう。 というわけで、多少用心して読むべき本ではある。

・二階堂黎人 『怪盗ルパン カーの殺人』(講談社) 評価★★★ 講談社から創刊された少年向け探偵小説シリーズ 「ミステリーランド」 の一冊として出た本。 このシリーズは先に綾辻行人の作品を読んで物足りなさを覚えたのだが (10月の項を参照)、今回、また同じ渋谷の古本屋に出ていた本書を懲りずに買ってみた。 まず、まえがきがいい。 南洋一郎の書き方を模して、「パリの古書店で手に入れた本をもとに、日本の少年少女のために訳したのです」 てな締めくくりをしていて、これだけでもう読みたくなってしまうのである。 内容は本格的な密室殺人で、秘密の地下道が出てきたりするのも私好み。 肝心のトリックはやや物足りない感じがするし、全体の構図がヴァン・ダインの有名な長篇を想起させるのが難点だが、まずは値段分楽しめるミステリーと言える。

・大森望+豊崎由美 『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版) 評価★★★★ 2年半前に出て評判になった本だが、私は今回、東京のBOOKOFFで半額購入し、帰りの新幹線の車中で読みました。 日本の文学賞を、純文学からミステリーやSFに至るまでとりあげ、その審査システムや審査員、受賞作品の出来などを遠慮会釈なく俎上に上げた本。 ただし詩や短歌・俳句の賞は取り上げていないが、その代わり外国の文学賞にも多少触れていて、勉強になる。 私のことを言うと、最近の小説をほとんど読んでいないので、現代文学論としても読めて、教えられるところが大でした。 これ一冊で現代文学事情が概観できるスグレモノ (こういう言い方はすでに古いか) である。

・青柳武彦 『個人情報「過」保護が日本を破壊する』(ソフトバンク新書) 評価★★★ 個人情報保護法が制定されてから、日本の社会では各方面でヘンな現象が生じている。 それは個人情報保護法そのものに欠陥があるためだとして、早急に改善が必要だと主張した書物。 この法律ができてから日本各地で起こっている珍事が紹介され、ヨーロッパとの比較において日本の個人情報保護法のどこがマズイかにも言及している。 個人情報は、隠すだけではダメで、社会にそれを流してやることにより世の中は動いていくのだ、という指摘には説得力がある。 最近の日本は個人情報保護という点でどうもおかしい、と日頃から感じている方にはぜひお薦めしたい本である。

11月  ↑

・溝上憲文 『超・学歴社会』(光文社) 評価★★★ 一年半前に出た本を東京のBOOKOFFにて半額で購入。 ソニーは新規採用にあたって学歴を書かせないなどの 「実力主義」 の看板を掲げているが、実は調べてみるとソニーほど高学歴者ばかり集めている会社も珍しい、といった裏事情など、建前としての学歴批判と、実態としての学歴重視社会 (というか、会社かな) を様々な側面から描いている。 外国大学出が重視されない日本企業なりの事情など面白い箇所もそれなりにあるけれど、扱うテーマがテーマだから仕方がないが、どことなく現状肯定的なムードが強いのと、資料が東京に片寄りすぎている印象があるのが難点か。

・小沢牧子+中島浩籌 『心を商品化する社会』(洋泉社新書y) 評価★☆(小沢執筆部分)★★(中島執筆部分)   一年あまり前に出た新書。 これ以前に、小沢牧子は洋泉社新書から 『心の専門家はいらない』 を出している。 それは、社会的な問題をも心理学の問題に矮小化して捉えがちな、制度としての心理学や心理学療法士を撃つ内容で、悪くないと思った。 それでこの本をBOOKOFFで見かけて買ってみたわけだが、今回は出来が悪い。 小沢は基本的に前著で言いたいことは出し切っている。 だからこの本では、自分に都合のいい他人の主張を当たり構わず集めている、といった印象。 ところがそれが、古い左翼のどうしようもない主張だったりするわけで、小沢の心理学批判自体にはうなずけても、代案として出てくる社会認識がお粗末すぎ、「あんたって、この程度だったんだね」 と言いたくなってしまう。 中島は小沢よりは多少はマシだが、高校教師をやっていて途中で勤めるのがイヤになって辞めた過去を持っている人で、配偶者に職があったから喰って行けたと簡単にのたまうだけで、じゃあそういう配偶者がいなかったらどうなっていたのかを詰めて考えてないのが致命的。 あんまりこういう言い方はしたくないが、基本的にものすごく甘ったれているという印象である。 働かなきゃ明日の食べ物もない、という暮らしをしたことがない人が心理学にこだわっちゃうんじゃないか、と思えてきますね。

・石田あゆう 『ミッチー・ブーム』(文春新書) 評価★★★★ 昭和34年、皇太子殿下 (現・天皇) と正田美智子さん (現・皇后) との結婚式が行われた。 これを機に起こった美智子さんブームを材料に、戦後日本の天皇制やマスコミのあり方を考察した本である。 戦後日本の皇室報道が週刊誌を中心に展開された事情や、ファッションと皇室報道の関係、松下圭一や福田恆存といった知識人の皇室論、などなど盛りだくさんの内容である。 また、マスコミによる皇室のアイドル化が美智子さんを嚆矢とするとするものではなく、戦前、昭和天皇とその妃が若かった頃には類似した現象が見られたという指摘なども、なるほど、と思える。 『宝島30』 誌の美智子皇后批判で宝島社に銃弾が撃ち込まれた一件など、触れていない重大事件もあるようだが、まずは労作と言っていい書物であろう。

・岩瀬彰 『「月給百円」 サラリーマン』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 戦前の日本のサラリーマンの生活を、主として収入の多寡を調べることで明らかにしようとした本。 タイトルは、月給百円に達すれば一応中流の暮らしができるとされたことから来ている。 学歴により、また地位や職種により給与格差が大きかった戦前のサラリーマンの暮らしぶりが浮かび上がってくる。 これだけ丹念に調べてくれてご苦労さん、と言いたくなる。 私としては、軍人の給与が意外に低いというのに驚いた。 士官は一応エリートだと思っていたが、尉官は安月給で世帯維持もなかなか大変だったらしい。 明治29年生まれ男子の昭和10年段階 (40歳目前) での年収比較で、東大卒官僚が4300円、東大教授が3250円、陸大卒の少佐が2320円というのだから、軍人の不満はむべなるかな、という感じだ。 これじゃ2・26事件 (昭和11年) が起こるのも無理ないかな。

・海保真夫 『イギリスの大貴族』(平凡社新書) 評価★★☆ 授業で取り上げて読んでみた本。 英国の大貴族を取り上げてその系図をたどり、めぼしい人物の来歴や閨閥などを紹介しているが、日本人にはなじみの薄い人物名が次から次へと出てくるので、あんまり面白い感じがしない。 もっと取り上げる人物をしぼって詳しく紹介した方が読みがいのある書物になったと思う。 あと、エーカーの坪換算が間違っていたり、案外杜撰な箇所もあったし、普通の日本人が知らないことを知っていて当然のように書く神経がやや癇に障る。 英国貴族の血にまみれた歴史はよく分かるけれども。

・杉浦由美子 『腐女子化する世界 東池袋のオタク女子たち』(中公新書ラクレ) 評価★★☆ 最近ときどき 「腐女子」 という言葉を目にするが、意味がよく分からなかった。 それで新書で出たばかりのこの本を買って読んでみた。 要するに女オタクのことらしい。 「やおい」 に熱中する女性などがその典型のようだが、オタクという言葉から連想されるようなマニアックで少しおかしい人間なのではなく、ごく普通の女性たちが腐女子なのだという。 その彼女たちが東池袋を中心にいかにオタク的な生活を送っているかが描写されていて、前半はまあまあ面白かった。 ただ、後半になると、『AERA』 編集部に出入りしているという著者の真面目さがアダになってか、割りに凡庸な女性論に収まってしまっているところが残念である。 例えば、少子化は現代の女性が生きにくくなっていることを訴えるSOSだ、なんていう、某ボンクラ学者のありきたりな発言で締めくくっているのが、大減点。 それと、「負け犬」 論や「下流社会」 論を社会のどういう層が好んで読み受け入れているか、という、一種の読者受容論的な視点を前面に出しているところはいいと思うけど、なぜか上野千鶴子や小倉千加子の本についてはそういう視点が欠如していてマジメに受け入れてしまっているのも、 『AERA』 的限界でしょうかね。

・山田吉彦 『海賊の掟』(新潮新書) 評価★★★ 海賊について書かれた本である。 現代のマラッカ海峡に出没する海賊や、その背景についての説明から始まって、スティーブンソン 『宝島』 に登場するような西洋の古典的な海賊、さらには日本の中世から近世にかけての海賊など、目配りは多方面に及んでおり、ひととおり海賊についての知識が身に付く本である。 西洋の場合、海賊と言っても政府公認で、他国の船は襲っても自国の船は襲わないなどのきまりがあった、というあたりから、昔の西洋諸国のエゴ丸出し・弱肉強食的な側面がうかがえる。

・ピエール・ブルデュー (石井洋二郎訳) 『ディスタンクシオン U』(藤原書店) 評価★★★★ 文化資本について論じたブルデューの大著の後半。 大学院生のいない大学院の授業で読んでみた。 例を挙げて論じているところはまあ分かりやすいんだけれど、純理論的な記述は分かりやすくない。 それと、プチブルや知識人に対する熾烈な批判意識が垣間見えるところが、既成のフランス知識界に対する著者の姿勢をそれとなく示しているようで、面白いと思いました。 何しろ、ワタシを含め、日本の知識階級 (?) なんて9割方はプチブルですからね。 糸圭秀美の 『小ブル急進主義批評宣言』 のことを何となく思い出してしまう。

・鄭大均 『在日の耐えられない軽さ』(中公新書) 評価★★★ 『韓国のイメージ』『日本(イルボン)のイメージ』(いずれも中公新書)、『在日韓国人の終焉』『在日・強制連行の神話』(いずれも文春新書)などの注目すべき本を出している在日韓国人(正確には、日本に帰化しているのでコリア系日本人だが) の著者が、自分と父との経歴を語った本。 タイトルから内容が分かりにくいのがちょっと難点だが、戦前、韓国で日本語を学び作家として活動し、1920年代に日本に渡ってきた父や、戦後、岩手県にその父と日本人妻との間に生まれて貧しい暮らしを強いられた著者の人生がなかなか興味深い。 ただ、著者と父に関する叙述が交錯し、父についてはよく分からないところもあるから仕方がないが、著者自身の経歴が必ずしも年代にそって詳細に語られているとは言えないところが惜しい。 最後に、韓国籍であることから東京都職員の管理職試験を受けられなかったのが憲法違反だとして裁判に訴え、最高裁で敗訴した実妹に、なぜ日本国籍を取らないのかと諫言しているところが、説得的。 在日韓国人と言っても、日本で生まれ育ち日本語しか話せず事実上日本人なのに、あえて日本国籍を取らない・取らせない運動をしている左翼への批判には、もっと多くの人が耳を傾けるべきだろう。 

・綾辻行人 『びっくり館の殺人』(講談社) 評価★★ 年少者向けの推理小説シリーズが講談社から刊行され始めた。 その第一弾として法水倫太郎の作品とともに出たのが本書。 たまたま先月半ばに東京に行ったら、渋谷の古本屋に定価の半額強で出ていたので買ってみた。 大人が読んでも満足できるような内容とのことだったが、出来はよろしくない。 大人は言うまでもなく、子供を満足させることも難しそう。 というのは、一応 「館」 シリーズということになっているけれど、むしろ綾辻のもう一つのシリーズである 「囁き」 シリーズに属すると見た方がいいような筋書きなのだ。 密室殺人の妙、ではなく、語りの騙りによってのみ成り立っているような作品。 こういうのって、私は評価しないんですよね。

・山田登世子 『ブランドの条件』(岩波新書) 評価★★★ ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルなどのブランド商品がなぜブランドたり得ているかを考察した本。 王室や貴族の御用達という権威付けを利用して、しかし王侯貴族がもはや存在しない大衆化社会の中でこそその権威が形成されるブランドの逆説的な事情や、王侯貴族に頼らずにブランド性を獲得したココ・シャネルの戦略などについて、なかなか説得的な議論が展開されている。

・佐藤八寿子 『ミッション・スクール あこがれの園』(中公新書) 評価★★☆ タイトル通り、日本のミッション・スクールについて歴史をたどり、そのブランド性の秘密を考察した本である。 一読して、ちょっと物足りない印象が残った。 まず、材料があまり豊富ではないこと。 この種の本は或る程度材料の数量にものを言わせないと説得性が出ないが、あちこちで同じような小説からの引用が続いたりしていて、ちょっと調査不足ではないかと思われた。 また、フィクションでのイメージと実態とは別なわけだけれど、記述でその辺があまり峻別されていなかったりする。 それと、ミッションスクールの女生徒が 「ファム・ファタール」 だと言われているのだけれど、最近流行の概念に安易に依拠している気配が濃厚で、つまり認識の枠組みが先行しており、実態の調査がなおざりにされているんじゃないか、という気がする。 それと、男を悩殺する 「ファム・ファタール」 の対概念として、『ハムレット』 のオフィーリア的なはかなくももろい女のタイプを表現するのに 「ファム・フラジール」 という概念があるのだが、その辺をご存じないようで、男殺しも男に殺されるのも全部一緒くたにして 「ファム・ファタール」 にしちゃってるあたりが、困るのですね。 

10月  ↑

・岩淵達治 『シュニッツラー』(清水書院) 評価★★★☆ 12年近く前に出た本であるが、オーストリアの作家シュニッツラーの生涯と作品についてコンパクトながら網羅的に記述した本として貴重である。 シュニッツラーは最近再評価のきざしがあり、小説については新しい邦訳も若干出ている。 以前は愛欲を描いた劇作家、程度の認識しかなされていなかったが、それなりに社会性もあり、多様な作品を残した作家だったということがよく分かる。 日本の劇団も彼の作品を積極的に取り上げてほしいものだ。 こういう優れた著書を出された岩淵達治氏に敬意を表したい。

・イアン・ブルマ/アヴィシャイ・マルグリート(横田江理訳) 『反西洋思想』(新潮新書) 評価★★★☆ イスラム原理主義などを筆頭として反西洋思想が跋扈する最近だが、その内実を明らかにしようとした本である。 必ずしも「西洋」以外の地域の思想だけに限定してはおらず、そもそも西洋で近代思想が芽生えたときに、一歩遅れて反近代思想がドイツやロシアで発生していること、また戦前戦中の日本におけるナショナリストや、9・11のイスラム・テロリストたちが決して無学の徒ではなく、むしろ西洋思想を勉強したエリートであったことにも言及がなされている。 この手の本はともすると西洋植民地主義にほおかむりした西洋の自己正当化になりやすいが、最初にその点をきちんと断った上で論述が進められており、それなりに勉強になる。

・田沢竜次『東京名画座グラフィティ』(平凡社新書) 評価★★★ タイトル通り、東京の名画座について語った本である。 著者は一九五三年東京生まれだから、あまり古い時代についての記述を求める向きには物足りないかも知れないが、昭和30年代以降の東京の名画座について、他の資料も参照しながら、網羅的に回顧している。 あくまで利用者としての視点から風俗としての映画館をなつかしむ向きには悪くない本だと思う。

・一瀬隆重(いちせ・たかしげ) 『ハリウッドで勝て!』(新潮新書) 評価★★★☆ 映画のプロデューサーとして日本のみ鳴らずハリウッドでも活躍している著者が、映画作りに熱中し始めた子供時代から、プロのプロデューサーになり、やがて米国に進出するに至る過程を分かりやすく語ったものである。 日本の映画は国内向け過ぎて海外ではまだまだ通用しないこと、米国に学ぶべき点、しかし米国の映画作りにも限界が見えること、プロデューサーと監督の関係など、映画に興味を持つ人にはたいへん面白い記述がなされている。

・谷口茂 (編・訳・解説) 『内なる声の軌跡――劇作家ヘッベルの青春と成熟――』(冨山房) 評価★★★☆ 14年前に出た本だが、最近その存在を知り古本で入手して読んでみたら、これがなかなかのものであった。 ドイツを代表する劇作家ヘッベルの日記を抄訳しながら、彼の人生と作品生成の秘密に肉薄しようとする本である。 ヘッベルの日記は、アミエル、ゴンクールと並んで世界文学の三大日記の一つなのだそうであるが――恥ずかしながら私はこの本を読むまで知らなかったけれど――貧乏に悩まされ、理解のない疑似パトロンなどに悪態をつき、献身的につくしてくれる女性エリーゼを想いながらも彼女とはついに結婚せず、女優と一緒になってしまうエゴイスティックなヘッベルの心理の動きが、実に面白い。 交友関係や、ゲーテなど他作家への見解なども興味深い。 本来カフカ研究者でありながら、カフカの言葉に触発されてヘッベルの日記を読み、その虜になってこの本を出してくれた谷口茂氏の功績にも敬意を払いたい。 内輪でしか読まれない論文を製造するのも悪くないが、こういう本の一冊も出せない外国文学者はその存在意義を疑われても仕方があるまい――と苦情を言っておこう。 なおこの本、新潟大学に入ってない。 急いで入れなきゃあ・・・。

・川端有子 『少女小説から世界が見える』(河出書房新社) 評価★★★ 『小公女』『若草物語』『家なき娘』『赤毛のアン』『足長おじさん』 などの少女小説の研究書である。 研究書と言っても対象が対象だけに、一般人が読んでも面白いと思う。 ただ、基本的な認識の枠組みとして、19世紀になってヨーロッパ市民社会では男は外、女は内という価値観が形成されたという、わりに大ざっぱな見方を無批判的に受け入れているので、部分的に光る考察もあるのだけれど、結論は案外平凡、といった印象がある。 あと、日本では以前世界名作アニメのシリーズがあって、そこでこれらの物語を知ったという人も多く (私自身はもっと古くて子供時代に活字の少年少女世界名作全集で読んだ世代だが)、日本アニメ版と原作との異同についてはわりに丁寧に書いてあるが、例えば 『若草物語』 の映画版 (複数あり) と原作との比較はきわめて簡略で物足りなかったりするところが、惜しまれる。

・ブレンターノ 『ハンガリー奇譚/カスペルとアンネル』(国書刊行会 『ドイツロマン派全集第14巻ブレンターノ/アルニムU』 所収) 評価★★☆ ドイツ・ロマン派の作家クレーメンス・ブレンターノの童話的な小説2編。 前者はドッペルゲンガー・モチーフが用いられ、後者は語りの奇妙さが独特だが、いずれも現在の読者の目からは決定的な面白さには今一歩届かないもどかしさというか、よく言えばおおらかさみたいなものが感じられる。 意余りて言葉足らず、といったところでしょうか。 川村二郎の評を借りれば、眼高手低かな。 池田香代子さんの訳はよくできているし、解説も面白い。 

・『男女平等バカ (別冊宝島Real069)』(宝島社) 評価★★★ なんでもかんでも男女平等論をふりかざせば正義と思いこんでいる一部のおかしな社会学者や政治家や行政担当者により、いかなる悲喜劇が起こっているかを、何人ものライターが明らかにしているムック本である。 学校で教わったから、なんて理由で男女平等を単純に信奉している人にはよさそう。 私としては、国連主導で進められている (かに見える) 男女平等政策についてメスを入れた今井和男の文章と、「性の自由」で70年代には先進国扱いされていたスウェーデンが実際にはきわめて少年犯罪率が高く、問題になっている実態を浮き彫りにした辰本雅哉の文章が面白かった。 あと、すでにこのコーナーでも触れているが、男女平等を押し進めれば少子化は解決するというフェミニストの主張がデータを意図的に改竄したデタラメであることも指摘されている。

・酒井健 『死と生の遊び――縄文からクレーまで美術の歴史を体感する』(魁星出版) 評価★★★★☆ 3年前に新潟大学に手中講義に来られた酒井健先生の新著である。 副題にあるように、縄文土器やアルタミラの洞窟壁画から、20世紀の画家に至るまでの幅広い美術を取り上げ、単に美術史的に解説するのではなく、歴史的背景や画家の事情などに関する十分な知識はふまえた上で、あくまで芸術作品としてそれが見る者にどのようなインパクトを与えるのかを考え抜いている。 国内はもとより、ヨーロッパまで足を運んで目的の美術や建築を観察するなど、手間暇を十分にかけた一冊。 旅の途中での出来事にも触れるなどエッセイ的な楽しみもあり、また既成の学問的枠組みに辛辣な批判を向ける箇所もあり、色々に楽しめる。

・小阪修平 『思想としての全共闘世代』(ちくま新書) 評価★★★ 1947年に生まれ、東大に入って全共闘として学生活動をした挙げ句に中退し、その後予備校講師や評論家として生きてきた著者が、自分の半生を振り返った本である。 今の若い人には分かりにくくなっている当時の若者たちの感性や思考法を振り返るようにして書きつづり、自分の行動がどのような要因によって規定されていたのかをあらためて考えている。 全共闘と三派系全学連の違いなどにも触れられている。 まあ悪くない本だとは思うけれど、逆に言うとすごい新鮮味みたいなものは感じない。 著者が誠実であることは疑われないが、それだけではどこか物足りないのである。 もっともこれは著者に5年遅れて生まれ、全共闘によって大学が荒れていた時代を直接知っている私の感想であって、若い人には別の感じ方があるかも。

9月  ↑

・瀬戸龍哉+山本敦司 『漫画博士読本』(宝島社) 評価★★★ 昨年度、私のいる講座で某漫画家をテーマとした卒論を書いた学生がいたが、故人となった漫画家についてあんまり分かってないな、という印象を受けた。 しかし昔の漫画家の全貌を知るのは、若い人には結構大変なことかもしれない。 そういう研究に役立つ本がまだ少ないのか、と思っていたら、偶然ネット上の古本屋でこの本を発見し、きわめて安いので買ってみた。 7年前に出た本だが、手塚治虫だとか横山光輝だとか桑田次郎だとかのSFマンガ全盛時代に、大抵の作品内に登場していた 「博士」 を取り上げて研究した (?) ものである。 『鉄腕アトム』 のお茶の水博士と天馬博士から始まって、『エイトマン』 の谷博士、『鉄人28号』 の敷島博士、『マジンガーZ』 の兜博士、などなど多数の博士が取り上げられている。 ただ、かつてのSFマンガを網羅的に読むのは今では難しいから、遺漏も多い。 私の印象では、手塚治虫と桑田次郎の作品からは比較的よく拾っているようだが、横山光輝はそのステイタスの割りに漏れが多いような気がする。 なお著者二人は法大の漫画研究会に所属していた人だそうな。

・岡田暁生 (編著) 『ピアノを弾く身体』(春秋社) 評価★★★★ ピアノ音楽についての論攷を集めた本。 内容的にはさまざまで、かなり専門的な楽曲分析も含まれていて私のように聴くだけ人間にはよく分からない部分もあるが、ピアノの歴史をたどって、シューマンが自分の楽譜に書き込んだ指示が、現在のピアノではナンセンスとしか思われなくても当時のピアノではそれなりに合理性を持っていたのだとか、音楽を聴くことと弾くことは別の事柄なのだとか、作曲家の楽譜を正確に再現するという、20世紀前半に我々に受け入れられていた考え方は実は音楽史の半分を占めるものに過ぎないとか、様々な刺激的な指摘が含まれている。

・山村修 『〈狐〉が選んだ入門書』(ちくま新書) 評価★★★ ながらく 「狐」 のペンネームで書評を執筆し、先頃ガンのために亡くなった山村氏が、ペンネームを捨て、入門書に限定した書評を集めた本。 日本語、詩歌、歴史、思想史、美術など広い分野に目配りがきいており、著者の関心の幅広さがあらためてしのばれる。 無論そうした書評も悪くないのだが、私としては、あとがきでサラリーマンの読書生活に触れた文章がことのほか琴線に触れた。 誰だってそのつもりさえあれば知的生活ができるのだよ、と山村氏は我々に教えつつ、この世を去ったのだと思う。

・仲正昌樹 『日本とドイツ 二つの全体主義――「戦前思想」 を書く』(光文社新書) 評価★★☆ 仲正氏が同じ光文社新書から出した 『日本とドイツ 二つの戦後思想』 の続編で、今度は戦前のドイツと日本の思想を比較しよう、という試み。 うーむ・・・・・、前著はなかなか良かったが、今回はイマイチである。 理由は、著者自身分かっていてまえがきとあとがきでも書いているけれど、設定そのものに無理がある、ということ。 戦争に仲良く負けたあとの日本とドイツを比較するというならまだしも、近代化を始めてから第二次大戦に至りつくまでのドイツと日本の思想っていったって、比較しようがないのだ。 仲正氏だけあって取り上げている思想家はコンパクトに――悪く言えば教科書的にではあるが――分かりやすくまとめてはいて、それはそれで氏の力量を示しているとは思うけれど、苦労に見合うだけの本になっているかというと、首をひねってしまうのである。

・文春新書編集部(編)『論争 格差社会』(文春新書) 評価★★ 格差社会という言葉が流行語のようになってから久しい。 この新書は、雑誌などに載った文章を集めて、格差が本当に大きくなっているのか、仮にそうだとしたらそれにどう対処すべきか、などを考えさせようとしたもの。 岩波や朝日じゃなく文芸春秋の本だから、基本的には格差社会を否定する論者が多い。 いちおう 『世界』 の座談会なんかも収められてはいるけれど、「ニート」 概念を批判する論者を載せるなら、この概念の提唱者である玄田有史なんかも入れておかないとまずいんじゃないか。 たしかに 『世界』 の座談会なんかを読むとサヨクの現実離れした議論にはうんざりだとは思うけれど、逆に渡部昇一あたりの、昔の上流はちゃんと下流にお金が環流するようにしてました、的な言い方にも肩をすくめたくなるのである。 問題は、我々が文化資本の差を格差としてはっきり意識するようになってきている、ということなのであって、それを無視して昔の上流と下流の 「良い関係」 を持ち出したって始まらないのである。

・山田真理 (ブルース・オズボーン写真) 『反バンビ症候群』(ヒヨコ舎) 評価★★☆ 5年ほど前に出た本。 私は訳あってネット上の古本屋から取り寄せて読んでみたのだが、考えていたのとはちょっと内容が違っていた。 軽いエッセイ集である。 学識よりは感覚と常識で勝負している。 うなづける部分もそれなりにあるが、個々の問題を掘り下げてはいない。 あくまでエッセイという枠の中にとどまっているところが、まあ、いいんでしょう。

・小谷野敦 『なぜ悪人を殺してはいけないのか』(新曜社) 評価★★★☆ 小谷野氏が今年3月に出した本。 私はネット上の古本屋から送料込み定価の3分の2で購入。 表題にもなっている冒頭の論文は、人殺しをした人間は原則として死刑にすべきだ、という主張。 私も死刑廃止には反対なので、なるほどと思いながら読んだ。 ほかに反天皇制論、オリエンタリズムの功過、『葉隠』 論など面白い文章が多いが、田中克彦の 『チョムスキー』 を読んだ当初は信じていたというのは、ちょっと迂闊では、と思った。 この本、出た当時からかなり批判が多かったはずだからね。 まあ、そういう迂闊さが小谷野氏の持ち味の一つである、と言ってしまえばそれまでだけれど。

・夏木智 『誰が教育を殺したか?』(日本評論社) 評価★★★☆ 著者は高校の数学教諭で、以前から教育問題に関する本を出していた。 この本も、現場で教える教師の立場から、最近の教育改革を批判的に捉えたものである。 「改革は少なければ少ないほどいい」 という言葉が実にいい。 この言葉は、最近の 「大学改革」 にも当てはまりそうだ。 といって現状維持がいいと主張しているわけではなく、改革をするなら慎重に、結果を十二分に吟味して、カネと人材を費やしてやるべきだ、と言っているのである。 プラスだけでマイナスのない改革などない、とも。 学校外から寄せられる無責任な言説を批判もしているが、ここはもう少し例を挙げた方が説得的だった。

・堀江珠喜 『おんなの浮気』(ちくま新書) 評価★☆ 1年半前に同じちくま新書で出した 『「人妻」 の研究』 の続編みたいな本だが、週刊誌的な書き方は前よりひどくなっている。 というか週刊誌そのものですよね、これじゃ。 前著はまだしも 「○○夫人」(「芦屋夫人」だとか) を歴史的に見ていく視線というか面白みがあったけれど、今回のは多少世界名作の不倫文学に触れている程度で、それも有名でよく知られた作品を普通に解釈しているに過ぎず、あとは週刊誌みたいな知人ネタで済ませている。 まあ、こういう本を読んでしまうワタシも週刊誌的じゃないかと言われれば、その通りなんですが (笑)。

・キース・シンクレア 『ニュージーランド史 南海の英国から太平洋国家へ』(評論社) 評価★★★ タイトル通り、ニュージーランドの通史である。 1982年出版。 私は必要があって新潟大の図書館から借りて読んでみた。 大きな出来事の記述にやや曖昧さがあり、また著者が英国系のニュージーランド人であるせいか、現地人 (マオリ族) の扱いが、昨今のポストコロニアリズムに慣れた目からはやや小さい感じもするが、副題にあるような時代的な変遷も含めてひととおりニュージーランドの歴史が頭に入る本である。

・羽山伸一 『野生動物問題』(地人書館) 評価★★★ 2001年に出た本を必要性があって (新潟大学図書館にはおいてなかったので) 新潟市立図書館から借りて読んでみた。 都会にサルが紛れ込んだ事件から始まって、農業などへの野生動物による被害問題、鹿の生育数調整問題、野生動物の商業利用問題、野生動物の餌づけ問題などなどを扱っている。 一方的に野生動物を守れと主張するのではなく、人間の生活との関わりの中で、野生動物の絶滅を防いで種の多様性を守って行くにはどうするか、未解決なところも多々あることを認めつつ、この問題の広がりに目を開かせてくれる。 野生動物の種の純血を言うあたりはちょっと首をひねったけれど、基本的な問題の所在を知るのには悪くない本だ。

・福井聡 『アフリカの底流を読む』(ちくま新書) 評価★★★★ 96年に出た新書を少し前にBOOKOFFで105円だからというので何となく買ったところ、実はすぐに役立つ本だと分かって読む羽目に。 著者は毎日新聞記者で、長らくアフリカに駐在しかの地に関する報道を続けた人。 1960年前後にヨーロッパのくびきから逃れて次々と独立したアフリカ諸国だが、その後は経済的には低迷し、政治的にも暴動や殺戮が相次ぐなど、ぱっとしない状態が続いている。 とはいえ、どの国も同じような事情からというのではなく、国ごとに混乱の原因は異なっている。 著者は多くの国に取材してそれぞれが抱える問題点を丁寧に指摘している。 やや細かすぎると思える箇所もあるが、アフリカの事情が新書一冊で分かる貴重な本と言える。 

・小林信彦 『うらなり』(文芸春秋) 評価★★★ 漱石の 『坊っちゃん』 のパロディ小説。 『坊っちゃん』 の登場人物の1人であるうらなりを主人公として、彼が老いてから或るきっかけで山嵐と東京で再会し、昔のことを想起するという体裁をとっている。 うらなりから坊っちゃんがどう見えていたか、またうらなりは赤シャツの陰謀で故郷を追い出された後どう生きたか、マドンナがその後どうなったか、などなどが展開されている。 まあまあかなとは思うが、率直なところ、期待したほどは面白くなかった。 新聞書評がほめていたほどは面白くない、と言うべきかな。 それと、うらなりがなぜ英語教師になったかが書かれていないのが物足りない。 松山で先祖代々生きてきた一族の末裔が、明治維新のあとで中学の英語教師になろうとしたきっかけは何だったのだろうか。 また赤シャツは帝大出で、坊ちゃんは物理学校 (現・東京理大) 出だったわけだが、うらなりの学歴はどうだったのか。 その辺が分からないと、本書の主役うらなりの本当の姿が映し出された作品とは言えないのではないか。 なお、著者・小林の創作ノートがオマケについている。

8月  ↑

・青木人志 『動物の比較法文化』(有斐閣) 評価★★★★ 一橋大学法学部教授・青木人志先生による専門書である (某所でお目にかかって色々教えていただいたので先生と呼ぶ)。 2002年出版。 タイトル通り、動物保護法の成立と実態を主として英仏独について調べ、日本のその方面の法律および立法過程を述べ、彼我のこの面での違いを文化やその他の側面から解明しようとした書物である。 個々の法律への言及などはかなり専門的であるが、記述はたいへん分かりやすく、私のようなシロウトにもとっつきやすく読みやすいのがうれしい。 動物保護法成立にあたっての各国内での賛否や、地域による文化の相違などによる例外的措置も興味深い。 日本では動物法を専門的にやっている法学者があまりいないらしいので、貴重な本である。 私は必要があって読んだのだが、新潟大学では所蔵しておらず、しかも品切れ中で新本が手に入らない。 だが新潟県立図書館にあったので助かった。 ったく、新潟大学法学部は何をやってるんだろうねぇ。

・高槻成規 『野生動物と共存できるか 保全生態学入門』(岩波ジュニア新書) 評価★★★☆ 著者は生態学者。 タイトル通り、野生動物を保護し、人間と共存して行くにはどうすればいいかを分かりやすく語った本である。 記述は客観的かつ説得的で、また日本やモンゴルで現地調査を行った体験談なども面白く、私は必要があって読んだのだが、ジュニア新書ではあるけれど大人が読んでも十分満足できる本である。

・ジャック・デュボア (鈴木智之訳) 『探偵小説あるいはモデルニテ』(法政大学出版局) 評価★★ 大学院の授業で取り上げて読んでみた本。 探偵小説を学問的に分析した本は最近少しずつ増えているようだが、これもその一つである (原書は1992年出版)。 表題にあるように、モダニティとの関連において探偵小説を分析しているが、記述は実証的というより思弁的で、なるほどと思う箇所もあるが、どちらかというと無理矢理つないでいけばまあそうも言えるかな、というところも多い。 それと、著者がフランス語系 (ベルギー人) なので、ルルーやガボリオやシムノンなどのフランス探偵小説に重きを置きすぎており、英米系が手薄なのも難点。 日本人の常識的感覚からすると、ドイルやそのライバル、ヴァン・ダインやE・クイーンがあまりに無視されすぎている。

・内田樹 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書) 評価★★★☆ 「私家版」 とあるように、ユダヤ人について客観的な知識を与えるのではなく、あくまで著者の興味に限定してユダヤ人を語った本である。 ユダヤ人の定義、日本人とユダヤ人は同祖だという説の源流、フランスにおける反ユダヤ主義の系譜、そしてなぜユダヤ人には頭脳優秀な人間が多いのか、などについて書かれている。 特に、サルトルと違って、ユダヤ人は非ユダヤ人が自らのアイデンティティ保持のためにでっちあげられた存在だという説を否定し、レヴィナスに依りつつ、ユダヤ人が頭脳明晰と言われる理由を実体的(?)に解き明かそうとしているところがユニーク――というか、著者はここに力点を置いて本書を書いたようだが、私はあまり説得性を感じなかった。 また、著者の私淑しているレヴィナスの思想が難解なためか、途中よく分からない箇所もあった。 が、勉強になるところもそれなりにあり、一読に値する本であろう。 

・金成陽一 『誰が赤ずきんを解放したか』(大和書房) 評価★★☆ 17年前に出た本。 2年生向けの基礎演習で読んでみた。 童話 『赤ずきん』 の様々なヴァージョンや異同、パロディなどについて書いている。 まあまあの出来かとも思うけれど、記述があまり緻密ではなく、無関係じゃないかと思える話だとか、新聞記事についてのありきたりな感想などがまぎれこんでいるのが残念。 それと使用文献を挙げていないのが、学者失格ではあるまいか。 なおこの本はその後、『「赤ずきん」 はなぜ愛くるしいか』 と改題して早川書房により文庫化された。 これも品切れ中だが、古本は入手可能。

・重松清 『見張り塔からずっと』(新潮文庫) 評価★★★ 重松清が11年前に出した作品集を文庫化したもの。 学生が卒論で重松清論をやるというので (テーマは何でもアリの講座に私はいる)、BOOKOFFで買って読んでみた。 3編の中編小説が収められている。 いずれも首都圏で暮らすサラリーマンの若夫婦を主人公にしているが、この3編に共通したテーマは 「住宅」 である。 バブルの頂点でマンションを買ってしまった入居者たちが、バブル崩壊後不動産の価格が下がったため同じマンションに自分たちよりはるかに安い価格で入ってきた新参者に対するイジメを行う話だとか、賃貸マンションの最上階の端の住居に住んでいたために遭遇する事件だとか、住む場所が住人の精神に微妙な影響を及ぼす様が丹念な文章で綴られていて、それなりに面白い。

・小笠原泰 『なんとなく日本人――世界に通用する強さの秘密』(PHP新書) 評価★★ 著者は1957年生まれ、東大卒業後アメリカの大学院を出て、長らく外国企業に勤務し、96年になってから帰国して日本企業に勤務した。 そうした、海外生活の長いエリートとして、日本人にとってはやはり住みやすく暮らしやすい日本および日本人の特質を明らかにしようとした本。 うーん・・・・・・むかし、日本人論というのが一定の売れ行きを示した時期がそれなりにあった。 日本がビンボーな頃は、日本は欧米に比べて論理的でないからダメなんだ、というような論調。 日本が経済大国と言われるようになってからバブルの頃までは、日本は欧米と違うからこそ素晴らしい、という論調。 結局どちらも同じ穴のムジナなわけだが、これもそうした本の一冊に過ぎないような気がする。 まあ、小泉改革を批判して、日本的経営を守った企業の方がむしろ業績面で好調、と言っているあたりは、私は経済のことはよく分からないが、読んでおいていいかも知れない。

・のびしょうじ 『食肉の部落史』(明石書店) 評価★★★ 8年近く前に出た本を、必要があってネット上の古本屋から入手して読んでみた。 日本の近世から明治にかけての食肉の習慣と広がり、そしてその部落差別との関わりについて叙述した本である。 一般には日本人の食肉習慣は明治の文明開化からと思われているが、実際には江戸後期にはかなり食肉習慣が広まっており、その下地があったからこそ明治以降の食肉習慣がすみやかに広まっていったことを実証的に述べている。 柳田国男のイデオロギーがそうした習慣をおおいかくし、日本を米食イデオロギーに包み込む役割をも果たしたとも。 書き下ろしではなく数年間の間に雑誌などに発表した文章をまとめたもので、前半はやや単純左翼的な言い回しが散見されて首をかしげたりするが、後半は記述が客観的学問的で説得力が増している。 そうした変化も面白い一冊。

・三島由紀夫 『仮面の告白』(新潮文庫) 評価★★★☆ 遠い昔に読んだ小説だが、1年生向けの演習で久しぶりに読んでみた。 同性愛者の心情を華麗な文体で描いた、という印象は変わらなかったが、気になったのは後半登場して語り手=主人公と恋仲になる園子である。 昔読んだときは普通に育ちのよい若い女性としか思わなかったけれど、今回読んでみるとかなり考えさせられるところがあるのである。 まあ、私が戦争前後の山の手育ちの令嬢を知らないから、ということなのかもしれないが、同性愛者と恋仲になるだけあって、結構変というか、少しはみ出したところがあるのでは、と思えた。 それと主人公の彼女への、肉欲を伴わない愛情が、ひどく悲しかった。 

・上杉忍 『二次大戦下の 「アメリカ民主主義」』(講談社) 評価★★★★ 5年半前に出た当時すぐ買っておいたのだが、ツンドクになっていた本を、今回3・4年次向け演習で取り上げて読んでみた。 アメリカは第二次大戦中、自国の戦いを民主主義を擁護するためと称していたわけだが、実際には国内には黒人差別問題をかかえ、加えて日系人を強制収容所に入れるなどの政策をもとっていた。 本書は日系人強制収容という政策が決定されるまでの複雑な過程や収容の実態、、差別されていた黒人が戦争による地位向上を目指して 「ダブルV」 (戦争に勝ち、自らの地位向上をも勝ち取る) を唱え、戦争による景気回復も手伝って或る程度の成果は上げたものの、本格的な平等が実現されるのは60年代の公民権運動を待たねばならなかった事情などを詳細に明らかにしている。 「民主主義」 を基準にし過ぎる感じはするが、戦時中にアメリカが抱えていた矛盾を、豊富な資料をもとに描いている点で評価できよう。 ただし選書メチエという一般向けの教養書としては、部分的に細かい点に触れすぎるかなと思えたり、この語句や概念はもう少し親切に説明したほうがいいのではと思える箇所もあった。 ・・・ところで、今調べてみたらこの本、新潟大には一冊も架蔵されていない。 困るなあ。

・『実録! 平成日本タブー大全 T』(宝島社文庫) 評価★★★ マスコミが報道しないタブーを集めた本。 創価学会、田原総一朗、パチンコの換金、えせ同和、在日と朝銀、家畜への抗生物質大量投与、マスコミのサラ金広告、新聞の拡販競争、などなど、多様な問題が取り上げられている。 世の中の裏を知るためには悪くない本である。

・山下悦子 『女を幸せにしない 「男女共同参画社会」』(洋泉社新書y) 評価★★★ 著者は一時期盛んに言論活動をしていたが、その後結婚して二児の母となり、加えて義父母の介護に奮闘する毎日を送った。 本書は、そうした普通の主婦としての立場を基盤として、上野千鶴子や大澤真理といったエリートの大学教授の唱えるフェミニズムに真っ向から異議を投げかけたものである。 自分では結婚せず子供も作らず、老いてからは自分がバカにしている専業主婦が生み育てた若い世代の人間に世話になるのは 「フリーライダー」(ただ乗り) だとして、手厳しく批判している。 また、日本がヨーロッパ諸国に対して育児におそろしくわずかな公的資金しか投じていないこと、自分の体験から、老人の介護がどれほど過酷なものであり、日本では公的な介護施設は充実していないしこの先充実しそうな見込みもない実態をも指摘。 要するに、専業主婦を大事にして育児に公的資金も惜しまず投入しなければ超少子化が進んで悲惨な社会が到来しますよ、というお話である。 話の筋道としてはおおむね同意できる。 が、韓流ブームだとか、雅子様のキャリアは本物かというような話題も挿入されていて、やや雑駁たる印象の本になっているのが惜しい。

・下村寅太郎 『精神史の中の芸術家』(筑摩書房) 評価★★★☆ 25年前に出た本を東京の古本屋で買ったもの。 レオナルドについての考察がメインで、ほかにルーベンスやブルクハルトについての論攷が入っている。 「芸術家」という概念のルネッサンス期の意味や、レオナルドという存在の独自性が説得的な筆で描かれている。 方々に発表した文章をまとめた本なので重複も少なくないし、また文章も繰り返しやくどいところがあってもう少し簡明に書けないのかなという気はするが、教えられたり、考えさせられたりする部分も多い書物である。

・石原千秋 『学生と読む『三四郎』』(新潮社) 評価★★★☆ 現在は早大教育学部教授になっている著者 (国文学者) が、成城大学文芸学部教授時代に演習で 『三四郎』 を学生と一緒に読んでいく過程を紹介した本である。 つまり、『三四郎』 の分析もあるが、それはあくまで学生の発表や指導という形の中で出てくるのであり、現代の大学文学部 (文芸学部) でどういう演習をやっているかの描写がこの本のメインなのである。 学生のタイプ別による指導だとか、大学教師の色々だとか、教務部長をやらされたときの苦労話だとか、大学にまつわるよもやま話を聞くような独特の面白さがある。

・ピエール・ブルデュー 『ディスタンクシオン 第1巻』(藤原書店) 評価★★★★ いわゆる文化資本について社会学者ブルデューが論じた主著の第1巻で、大学院の授業で取り上げて読んでみたのだが、と言ってもこの授業を取りに来た根性のある大学院生は新潟大学人文学部にはおらず、卒論の関係から取りに来た学部4年生1人を相手に3カ月ほどかけて読み上げたものである。 文化資本について、様々な局面から考察を加えていて、まあフランスの話だからこれがそのまま日本に当てはまるわけではないが、基本的な考え方の枠組みは理解できる。 ただし、学者らしく言い方がかなり複雑なので、邦訳で読むとよく分からないところもある。 文化資本は固定的な構造を持っているわけではなく、たえず流動し、新しい価値を取り入れるかどうかでの抗争もある。 学歴資本に、高等教育の大衆化で、新規参入組は期待したほどの価値を見いだせない、というあたりは、先進国共通の問題であろう。

・蔀(しとみ)勇造 『シェバの女王――伝説の変容と歴史との交錯』(山川出版社) 評価★★★ 日本では一般的に 「シバの女王」 として知られている、旧約聖書列王記中の人物。 彼女の伝承をさまざまな側面から検討した本である。 著者は歴史学専攻の東大教授。 まず聖書での記述をもとに、この女王が実在したとすればどこにその国があったのか――アラビアだったのか、エチオピアだったのか――が検討される。 また、この伝承がさまざまな変形を加えられていくつかの地域に、つまりユダヤ教世界、イスラム教世界、キリスト教世界に伝えられ影響を及ぼしていく様子が描かれている。 悪くはないが、思ったほど面白くはなかった、というのが正直な感想。 学者の書いた本で、くだくだしい伝承研究などはやや退屈。 こういう話は伝承についた尾鰭のほうが面白いわけだから、遠慮なく――あとがきを見ると学者である自分にこだわって遠慮したらしい――そちらの方面に話を持っていってほしかった。 

7月  ↑

・カミュ 『異邦人』(新潮文庫) 評価★★★ 遠い昔、高校1年か2年で読んだ記憶があるが、1年生向けの演習で久しぶりに読んでみた、言わずと知れた20世紀文学の古典。 改めて痛感したのは、主人公の感性的な生き方が一人称体によって自己肯定的に描かれていることと、背景に登場する人間たちのキリスト教道徳に染まったありさまがかなり露骨であること、であった。 まあ、当時のフランス領アルジェリアが本当にこういうふうだったのかどうかは知らないけれど、これが日本だったらいくらなんでもこうはいかないだろうな、と思いました。

・半藤一利・保阪正康・中西輝政・戸高一成・福田和也・加藤陽子 『あの戦争になぜ負けたのか』(文春新書) 評価★★★ 6人の学者・文筆家による座談会形式で、中国に深入りしてついに対米戦争に突入していった日本の問題点、戦争に敗北した真の原因などが追求されている。 昭和天皇の孤独、海軍は陸軍と比べてまともだったか、などなど、様々な視点からこの問題が論じられていて、それなりに面白い。

・黒野耐 『参謀本部と陸軍大学校』(講談社現代新書) 評価★★★ 2年ほど前に出た新書だが、ツンドクになっていたものを、思うところあって読んでみた。 明治から昭和にかけての近代日本の戦争を担った組織と高等教育機関の歴史をたどり、その内実を批判的に分析することで、泥沼の日中戦争と無謀な対米戦争にどうして日本がはまりこんでいったのかを明らかにしようとしている。 要するに軍事作戦をたてることは教えても大局的な国際関係を見通すことを教えなかった陸軍大学校の教育と、戦争に当たって政治家と軍人が判断と意志を統一できない参謀本部のあり方に問題があったのだ、ということをかなり事細かに実証しようとしている。 細かすぎて必ずしもよく飲み込めないところがあるし、また陸軍大学校でどんな教育が行われていたのかについてもっと親切に書いて欲しいし、そもそも陸軍士官学校での教育にさかのぼらなくていいのか、という気もするが、まあ読んでおいて損はないレベルの書物だとは思う。

・リチャード・ホーフスタッター 『アメリカの反知性主義』(みすず書房) 評価★★★★★ 3・4年生向けの演習で読んでみた本。 タイトル通り、アメリカの歴史をたどって、かの大国には根強く反知性主義的な伝統が脈打っていると、様々な視点から検証しようとしている。 邦訳は2年半前に出ているが、原著は1963年の出版である。 だからヴェトナム反戦や公民権運動については直接的には書かれていないが (ヒッピーについては書かれている)、内容が古びているかというと全然そんなことはない。 時代ごとの微妙な変化や、地域ごとの (東海岸と中西部の違いなど) 相違にも留意しながら、政治、教育、ビジネスなどにおける知性否認の傾向に光を当てていて、たいへん面白い。 アメリカ知識人のおかれた状況なども興味深い。 何より、これはアメリカだけの話ではない。 「何でも民営化すればうまくいく」 「教育は学生に気に入られることが一番」 といった最近の日本に顕著に見られる傾向が、この本の中に先取りして書かれているのである。 アメリカで何十年も前に、いや、百何十年も前に起こった現象は、今の日本やアメリカ以外の海外の事情を考えるとき、鏡のような役割を果たすだろう。 大いにお薦めである。

・『別冊宝島 嫌韓流の真実! ザ・在日特権』(宝島社) 評価★★★ 『嫌韓流』 というマンガが売れているけれど (私は未読)、在日朝鮮 (韓国) 人が日本で持っている特権や利権について書かれたムックである。 必ずしも在日バッシング一方ではないが、朝鮮銀行への公的資金投入や、カン・サンジュンやシン・スゴやパク・イルなどの在日言論人の無茶苦茶な発言、「進歩的な」 マスコミの偏向報道などなどが取り上げられている。 最後に、呉智英の 「常識的在日論のすすめ」 と5人の在日 (30代から40代) による座談会が載っているのが、まとめとして程良い感じ。 在日というと今でも変に力んで生真面目な発言をしてしまう知識人が少なくないが、在日の日常はそれほど異常でも悲惨でもないし、肩の力を抜いて在日問題を論じるべき時になっているのだ。 

・谷口幸男・小沢俊夫、ほか 『現代に生きるグリム』(岩波書店) 評価★★★ 20年ほど前に出た本だが、グリム童話を扱っている2年生向けの基礎演習で読んでみた。 タイトルは素人でも分かりそうな内容を予想させるが、実際はかなり高度で、ドイツ文学を専門的にやっている人でないと理解できない、あるいは興味が持てないと思う。 18世紀のゲルマン文献学の生成から始まって、民衆 (Volk) という概念が当時有していた意義、グリムの言語観と言語学発展との関係、ユング心理学から見たグリム童話 (ここは素人受けしそうな部分だ――河合隼雄が書いているし)、グリム童話は本当に耳で聞いて面白いのか、グリム童話が 「ドイツ農家の素朴なおばあさん」 によって伝えられたものではなく、実はフランスから移住してきたユグノーの子孫である教養豊かな若い女性によって伝えられたものだ、という、最近は比較的知られているけれど20年前は衝撃的な発見と言われた事実、など。 

・東谷暁 『民営化という虚妄 「国営=悪」 の感情論が国を滅ぼす』(祥伝社) 評価★★★ 一年余り前に出た本を東京のBOOKOFFにて半額で購入。 総選挙を前に、郵政民営化論を批判し、何でも民営化すればうまくいくという小泉首相の路線が国際的に見てもハズれたものであることを主張している。 私は経済のことはよく分からないので、この本の前半部分の財投と郵政との関連などを論じた部分は、正直、必ずしも理解できたとは言えない。 しかし、後半、「民営化」 が世界的な流れだという小泉首相=竹中平蔵の主張が間違いだと具体的に検証した箇所はかなり説得性があると思う。ニュージーランドなど、郵政民営化が大失敗に終わった国もあるのであり、分野ごとの国営・民営の棲み分けは国ごとにさまざまであって、国がになうべき部分と民間にまかせるべき部分についてきちんとした細かい議論が必要だという主張には、まったく同感である。

・ヘッセ (高橋健二訳) 『デミアン』(新潮文庫) 評価★★★☆ 一年生向けの演習でとりあげて久しぶりで読んでみた本。 私は15歳か16歳で読んだと記憶するが、それ以後手に取ったことがなかった。 といってもつまらなかったからではなく、逆で、ヘッセの作品としてはこれが一番面白かったのであるが、その面白いという印象を壊したくなかったから再読しなかったのかも知れない。 さて、今回数十年ぶりで通読してみて、時代の刻印が明瞭に押された作品だということが印象的だったし――ニーチェ、ラファエル前派、ユング心理学経由のアブラクサスなど――ヘッセの精神的遍歴が濃厚に表現されていることも改めてよく分かった。 なお高橋健二訳は、相変わらずstudierenを 「研究する」 などとしていて (大学生活を送る、が正訳) 問題があるが、私がむかし読んだ常木実訳を見てみたら、「ラファエル前派」 に注がついているのはいいけれど、「ラファエル」 しか説明していなかったりして、まあ60年代後半だと情報も少なかったのだろうけれど、独文学者の不勉強ぶりが今更ながらに目に付いてしまったのでした。

・宮脇淳子 『世界史のなかの満洲帝国』(PHP新書) 評価★★ かつて満洲帝国が作られた土地の歴史を古代にさかのぼって叙述し、満洲が歴史的に見てどういう位置を占めているのかを解き明かそうとした本である。 ・・・・が、残念ながら意図は半ばも達成されていない。 まず、前半で言うと叙述が細かく、くどく、専門書じゃなく新書なのに前史をこんなに詳しくたどる必要があるのか、と思ってしまう。 また、肝心の満洲の内実や歴史については、他に本が出ているから、という理由で実にあっさりと簡略に触れられるだけなのだ。 既存の歴史家がこの問題を日本側からしか見ていない、と批判するのはいいけれど、この本を読んで別の視点が得られるか、というと、きわめて疑問であると言わざるを得ない。

・芦辺拓 『明智小五郎対金田一耕助 名探偵博覧会U』(原書房) 評価★★★ 3年半前に出た本を吉祥寺の古本屋にて半額弱で購入し、新潟行きの新幹線の車中で読みました。 既存のミステリーに登場する著名な名探偵を用いたパスティーシュ第2弾。 第1弾ではルパンとホームズを登場させた作品に読みごたえがあったが、本書では日本を代表する名探偵二人、つまり明智小五郎と金田一耕助を登場させた冒頭作品がいい。 ほかにブラウン神父、フレンチ警部、フェル博士等が出てくるし、『オリエント急行殺人事件』 の続編 (?) もある。 総じて、ポストコロニアリズムの影響が目立ちますね。

・加藤徹 『漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?』(光文社新書) 評価★★★★★ 漢字が古代日本に輸入されて、最初は装飾的な使い方しかされず、それがやがて実用に供されていくまでの過程から始まって、中世・近世・近代と漢字が日本の文化は言うに及ばず、社会全体や政治にまで広い影響を与えてきた歴史を描ききった好著。 呉音と漢音の違い、各時代の政治家や文人はどの程度漢文の知識があったか、漢文が日本において中間層の厚みを生み出すのに預かって力があり、それが明治時代の急速な近代化を可能にした事実など、実に様々な側面から漢文と日本との関わりを明らかにしている。 著者は中国文学専攻の広島大助教授で、その著作を私は初めて読んだが、博覧強記と分かりやすさを両立させている力量は相当なものである。 脱帽にして感服。

・レナード・サックス(谷川漣訳)『男の子の脳、女の子の脳』(草思社) 評価★★★★ 男女の脳機能の差は、成人よりもむしろ子供時代の方が大きい、という最新の科学的事実をもとに、また著者の医師としてのさまざまな経験をもとに、70年代以降に米国を初めとする先進国に猛威を振るうようになった男女同一視による教育を批判、むしろ男女の違いを十分考慮した教育をしたほうが男女双方に幸せをもたらす、と主張した興味深い本。 日本でもこのところジェンダーフリー教育への批判が出ているが、アメリカでは最近、中等教育を男女に分けて行う方式が出てきており、その方がむしろ学力向上などに有益なばかりか、十代の妊娠も大幅に減少することが分かったという。 日本の教育界もこうした本を参考にして、阿呆らしいジェンダーフリー教育を見直すべきだろう。 ジョン・マネーのいい加減な研究 (事故でペニスを欠損した男の子を手術して女の子として育てたら何ら支障がなかったという――のちにこれがデタラメであることが判明) が米国において果たしたイデオロギー的役割にも触れられている。

・的場昭弘 『ネオ共産主義論』(光文社新書) 評価★★★☆ 共産主義というものを、千年王国やユートピア、プラトンの構想した理想国家などにまでさかのぼり、その系譜をたどるとともに、共産主義と社会主義の違い、マルクスの思想とマルクス=レーニン主義は違うなど、理論的に分かりやすく共産主義を説明した本である。 特に 「空想的社会主義」 とされた思想家たちの紹介が面白い。 逆に言うと、ソ連がなぜうまくいかなかったのかについての分析はきわめて不十分ではある。 だからあくまで共産主義の思想的歴史をたどる本として読むべきであろう。 

・『現代思想 4月号 特集: 教育改革の現場』(青土社) この雑誌を購入したのは久しぶり。 言うまでもなく特集が特集だから買ってみたもの。 とはいえ、ツンドクになっていて実際に読んだのは2カ月経ってから。 評価は以下で個別的に。 なお言及していない論攷は読んでいないから (読む気がしなかった、というほうが正確かな)。 ■対談: 大内裕和+三宅晶子 「教育と新自由主義」 ★ はっきり言って30年前の左翼の対談レベル。 対談やるのにこんな人材しかいないのでは、『現代思想』 もそろそろ終わりかなあ、なんて思いました。 なお三宅晶子はドイツ文学者のはずで、そのせいかドイツでは学校で 「抵抗」 について教えているなんてのたもうているけれど、文末の専攻表示が 「イメージ文化論」 になっている。 こういうのはそれこそ文科省の指示でドイツ語教師業が解体されて出てきたものだと思うけれど、文科省にも抵抗できない人間がどうして 「抵抗」 を語れるのだろう? ■赤田圭亮 「教育改革が漂着したところ」 ★★★ 現場・教師に対する締め付けがかなりきつくなっている実態が報告されている。 ■岡崎勝 「教育改革を偽装するにも疲れた学校は倒壊しはじめた」 ★★★ ダメ親の実態、教師に成果主義を適用することのナンセンス、ベテラン教員から新人への技術継承がなされなくなっている実態など。 ■大能清子 (聞き手: 大内裕和) 「教育現場の魂」 ★★☆ 定時制高校の実態などが語られている。 面白いんだけれど、日教組的な視点の限界がある。 ■佐々木賢 「教育「民営化」の意味」 ★★★★ 教育の 「民営化」 について、英国やその他外国の興味深い例を引きながら論じていて教えられるところが多い。 ■森田伸子 「学力論争とリテラリシー 教育学的二項図式に訣別するために」 ★★★☆ 国際学力比較(PISA)でフィンランドが最高得点だったことの内実を批判的に分析するとともに、日本の教育学者・佐藤学 (東大教授) を批判していて、なかなか読ませる文章だ。 ■藤本一勇 「ネオリベ治安維持下のキャンパス」 ★★★ 早大キャンパスで起こったビラまき逮捕事件について報告している。 ■白石嘉治 「「不純」なる教養 高等教育無償化をめぐる覚え書き」 ★★☆ 国際人権規約が求めている高等教育の斬新的な無償化を拒んでいるのは日本とルワンダとマダガスカルだけだ、という衝撃的な(?)事実を指摘し、あらゆる時代や地域とつながってしまう 「不純な」 教養の意義を説いている。  

6月  ↑

・小林章夫 『教育とは――イギリスの学校から学ぶ』(NTT出版) 評価★★★ 英文学者による英国教育紹介の本。 ベースになっているのはあちらに家族ぐるみで留学して、次男がノリッジ・スクールという私立中等学校に通うことになった体験で、英国の伝統的な中等教育のありさまが詳細に述べられている。 また、最近の英国における中等・高等教育の変化にもかなりページがさかれているのが貴重。 英国パブリックスクールについて書いた本はほかにも出ているが、最近の教育改革 (いずこも同じ!) や、大衆化する英国大学についても紹介している本はそれほど多くないと思うので、参考になる。 というのも、日本では今年になって英国のパブリックスクールを真似た全寮制の6年間一貫教育の学校が愛知県にできたけれど、私はどことなく時代錯誤的な、あるいは明治以降建前としてあった四民平等、そしてその基盤になっている教育の機会均等に逆行する動きのように思っているので――英国のパブリックスクールは階級社会の産物であり今でも裕福な親を持つ人間しか行けない――その意味でも時宜に適った出版と言えよう。

・シュニッツラー(池田香代子訳) 『夢奇譚』(文春文庫) 評価★★★ 20世紀初め頃に活躍したオーストリー作家シュニッツラーの小説。 トム・クルーズとニコール・キッドマンがまだ別れていなかった頃一緒に出演した映画 『アイズ・ワイド・シャット』 の原作。 私はうかつなことに、映画は公開時に見たのだが、原作がシュニッツラーだとは知らず、最近たまたま知って、あわてて読んでみた。 この作品は1925年頃の作だが、時代を考えるとかなりラジカルな内容だ。 今ならこのくらいの設定のポルノはいくらでもあるけれど、逆に言うとそれだけ想像力の翼を広げる余地が少なくなっているわけで、性的にはかなり放縦だったとされるウィーン市民社会の、(今からすると) 抑制の利いた描写がかえって猥褻な印象を強めている。 同じドイツ語圏でもドイツとは違ってオーストリー文学にはやはり小説的な楽しみが豊かにみなぎっている。 最近のシュニッツラー復権にも納得が行くような気が。

・松尾理也 『ルート66をゆく アメリカの 「保守」 を訪ねて』(新潮新書) 評価★★★☆ アメリカの西部開拓の象徴であるルート66をたどって、アメリカの草の根保証の実態を見極めようとしたルポルタージュ。 産経新聞に連載された記事に加筆訂正を加えてできた本。 ひとことでアメリカの保守といっても、必ずしもブッシュ大統領を支持しているわけではなく、アメリカ人の理念上の原型が自立型農場主にあって、しかしグローバル化や都市化の波の中で、そうした理念が変形をこうむらざるを得ない状況が、さまざまな形でアメリカ人の思考の中に入り込んでいる様子が見て取れる。 アメリカ人は誰もがグローバル化をいいと思っているわけではなく、むしろ中西部の「保守的な」アメリカ人が嫌う北東部のエリート・アメリカ人のほうがその点では利益の追求にためらいがない、というあたりに、世の中の複雑さを見て取るべきだろう。 「保守派」 と 「進歩派」 を日本の基準で単純に割り切っている人には是非読んで欲しい。

・坪内祐三 『同時代も歴史である 一九七九年問題』(文春新書) 評価★★★ 『諸君!』 に不定期連載した文章をまとめた本である。 必ずしも首尾一貫したテーマで書かれてはおらず、著者の関心のあるテーマをその都度とりあげ、それが1958年生まれの著者の時代感覚を示す、という趣向になっている。 この人は、私が読んだ他の2、3の書物からも分かるが、一つのテーマについて蘊蓄を傾けるとか、鋭い切り込みを見せるとかいうタイプではない。 雑学的なところからアプローチして何となくの雰囲気を出したり対象の意外な側面を暗示したりするのを持ち味とする人である。 本書では平野謙の 「転向」 を扱った文章や、アイザイア・バーリンとマイケル・イグナティエフを取り上げた文章などに、坪内氏らしさが出ていると感じた。

・鈴木晶 『グリム童話』(講談社現代新書) 評価★★★ 15年前に出た新書。 私は従来部分的にしか読んでいなかったのだが、今年度の2年生向けの演習でとりあげて精読してみた。 まとまっているしそれなりに色々な方面への目配りもきいていて、まあまあ悪くない本だと思う。 著者はロシア文学が専門だと思うが、ドイツ文学者がこういう本を出せないところに、独文学界の人材難が表れているなと痛感した。 また、文中、高橋健二や小沢俊夫や野村■〔さんずいに玄〕 といった独文学者を批判しているのもよろしい。 こういう相互批判はどんどんやったほうがいい。 ただ、フェミニズムに大甘なのと、ブルジョワジー的価値観を一時代のものと決めつけるなど、旧左翼的な観念が強いのが難点かな。 著者は1952年生まれ、ということは私と同年齢だが、イデオロギー的に団塊の世代と変わらない印象を受けた。

・ゴールズワージー 『林檎の樹』(新潮文庫) 評価★★★ 英国作家による有名な小説である。 ずいぶん昔に読んだきりになっていたが、今年度の1年生向けの演習で取り上げて久しぶりに再読してみた。 やはり悪くない作品だと思う。 それと、今回痛感したのは、教師にとっては教材として非常に扱いやすい小説だということなのである。 田舎と都会、野生の教育のない貧しい少女と都会育ちの高学歴で裕福な青年といった対比、その青年の 「進歩的な」 宗教観や結婚観、彼が偶然出会う昔の友がラグビー校の同級生であることの意味など、色々と説明ができて教師としては大助かりでした (笑)。

・利倉隆 『ユダ イエスを裏切った男』(平凡社新書) 評価★★★☆ タイトル通りの本である。 イエス・キリストを裏切ったユダについて、聖書や関連文献を精読して、その謎に迫っている。 また後世の美術や文学への影響についても詳しく紹介がなされている。 太宰治の 『駆け込み訴え』 も取り上げられている。 文字通り蘊蓄を傾けた、という感がある書物。 惜しむらくは、最近話題になっている 『ユダの福音書を追え』 へは言及がないことと、音楽におけるユダが取り上げられていないこと。

・仲正昌樹 『 「分かりやすさ」 の罠――アイロニカルな批評宣言』(ちくま新書) 評価★★ 最近本をたくさん出している金沢大教授である著者が、たまたま 『諸君!』 で小谷野敦氏・八木秀次氏との鼎談に出たら左翼の社会学者などから叩かれた、という事件 (?) があり、それを契機に書かれた本――ではないと著者はあとがきで書いているけれど、私にはそうとしか読めない。 もっとも、かなり大がかりな反論法を著者はとっており、第1章ではまだその辺のニュース解説者や何かを批判しながら二項対立的な思考法の弊害を説いているが (ここはもう少し短く書いて欲しいと思った)、第2章と3章になると急に話が難しく学問的になり、ヘーゲルやベンヤミンやドイツ・ロマン派を持ち出して、弁証法を説きつつ最終的にはイロニーという身の処し方に議論を持っていく。 そしてそこから北田暁大氏の左翼的な決めつけを批判する、という手法である。 うーん、途中の学術的な部分と、最初と最後の私怨的な部分の落差が大きくて疲れる本、という印象。 私怨で本を書くこと自体は悪いとは思わないが、もう少し簡単にできませんか? 私の見るところ、北田の思考法は昔の左翼そのままで、狭い知識人世界以外では相手にされないのでは、という気がするのだけれど。

・吉田司雄(編)『探偵小説と日本近代』(青弓社) 評価★★ 大学院の授業で読んでみた本。 最近の文化研究は拡散していて、大衆文化を積極的にやるのが新しい、ということになっており、これもその一つだと思う。 内容は編者を含めて8人の著者の論文を集めたもの。 前半は明治時代、黎明期の日本探偵小説をとりあげていて教えられるところがあり、翻訳や純文学との関わりにもそれなりに説得的に言及がなされていて★3つくらいの感じだが、後半の論文のレベルにはかなり問題がある。 テーマの設定の仕方、論述の仕方、材料の集め方、等々、指導教授が目を通していない三流大学の大学院生の論文かな、というくらいのものなのだ。 年齢的には、1956年から76年生まれの、一応大学や短大の専任もしくは非常勤をしている人たちのようだが、旧来の分け方でいうと国文学専攻ということになるんだろうけれど、国文学者の質ってこの程度なのだろうか?

・西尾幹二 『地図のない時代 反時流的考察』(読売新聞社) 評価★★★★ 西尾幹二氏がちょうど30年前に出した評論である。 私は氏の著書はほとんど持っているのだが、たまたまこれはなかったので、ちょっとしたきっかけもあってネット上の古本屋から取り寄せて読んでみた。 30年という時間を経過しても結構面白いのである。 材料に使われている事件は当時世間を騒がせた、したがって今の時代からすれば 「そんなこともあったっけな」 というようなものなのだけれど、にもかかわらすそれを用いて展開される論述は今読んでも説得的であり考えさせられるのである。 ソルジェニーツィンの追放だとか佐藤栄作のノーベル賞受賞を材料に書かれた文章など、うなるほどリアルであり、あらためて西尾氏が得難い思想家であることが痛感されるのだ。

・佐藤夏生 『スタール夫人』(清水書院) 評価★★★☆ 「人と思想」 シリーズの一冊で、昨年11月に刊行されているが、私はこの4月に新宿紀伊国屋書店で見つけて購入。 スタール夫人といえば、フランスとドイツの文化を研究している人間には名を知られた存在だが、その割りには彼女の活動や実像に通じている者はあまりいない。 というのも日本語で読める彼女に関する文献が乏しかったからで、彼女の生涯と業績を紹介する本は、日本ではこれが初めてだとはしがきに書かれている。 裕福な家庭に育ち、北欧出身の貴族と結婚しながら、何人もの美男子 (彼女は、自分は美人ではないが、美男好みだったとか) と不倫・恋愛して複数の男による子を生み、当時の女性としては類を見ないほどヨーロッパ全体を旅し、さらに小説や論説をいくつも発表したエネルギッシュな姿が浮かび上がってくる。

・柄谷行人 『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』(岩波新書) 評価★★★★ 装丁を改めた岩波新書の第一弾として出た柄谷の新著。 2001年以降の彼の仕事を分かりやすくまとめたものだという。 2000年の 『可能なるコミュニズム』 の頃と違って、生活協同組合への幻想を捨て、また 「国家」 の廃絶も容易ではないという認識に到達している (したがってタイトルが内容を裏切っている。要注意!)。 そんなこと当たり前じゃないか、と言ってしまえばそれまでだが、普通の人が当たり前と考えることを難しく考えるのが思想家の仕事だから――これは皮肉でも何でもない――これはこれでいいと思う。 いや、読んでみると色々面白い箇所があるから――例えば、アダム・スミスというと経済学者と我々は思いがちだが実は倫理学者でもあったのだとか――是非読んでごらんと薦めたい本である。 大塚英志あたりと柄谷とでは、左翼といってもレベルが違いますからね。

・大塚英志 『物語消滅論』(角川oneテーマ21) 評価★☆ 1年半前に出た本をBOOKOFFで半額にて購入。 近代主義を擁護する本らしい。 サブカルで売っていた人間が何で今頃そんなことをするかというと、大塚の認識によれば、社会主義がダメになってサブカル的な物語風の世界認識が世界中に蔓延している――アメリカのイラク侵攻もその一つだとか――ので、そうした良くない風潮を改めるためには近代文学の批評をとりもどさなくてはならないのだ・・・・・そうである。 なんか、これ自体サブカル物語風な世界認識だな、と思う。 だいたい、アメリカの物語風自己正当化は社会主義崩壊から始まったわけじゃなく、日本と戦争をやった頃から同じでしょう? それにマルクス主義だって物語には違いなかったんだぜ。 この男のお粗末な現状認識は、たぶん、サブカルに甘やかされてここまで来てしまったところから生じたのだと思う。 もっと近代文学を勉強しておけば良かったのにね (笑)。

・小林至 『不幸に気づかないアメリカ人、幸せに気づかない日本人』(ドリームクエスト) 評価★★☆ 4年前に出た本。 本年度前期は3・4年次向け演習でアメリカ論を読むことにしたのだが、肩慣らしに読みやすい本を、という趣旨で選んでみました。 著者は東大卒でプロ野球に入ったというので一時話題になり、その後退団して渡米しあちらの大学院でMBAをとって米企業に就職したが、あるトラブルから首になり、アメリカを横断する旅をしてから日本に戻ってきた。 この本はそうした体験をベースに、いかにアメリカ人が身勝手であるか、いかにアメリカが暮らしにくい国であるか、を文化論風に綴ったもの。 まあ気軽にすらすら読めてしまう本ではあるが、著者が東京で生まれ育ったせいか少しずれているところもあり――例えばアメリカ人はクルマにばかり乗って歩かない、と書いているが、これは今の日本の地方都市暮らしの人間だって同じことである――軽く読み飛ばせば済む、といったところである。

5月  ↑

・グリルパルツァー(福田宏年訳) 『ウィーンの辻音楽師 他一編』(岩波文庫) 評価★★★ 19世紀オーストリアを代表する劇作家による中編小説(表題作)と、実話伝承に基づくとされる 『ゼンドミールの修道院』 を収めた本。 表題作はわりに有名な作品だが、怠慢な私は今まで読んだことがなかった。 今回読んでみて、人間の悲惨さや醜悪さを強調したあらすじにちょっとうんざりした。 グリルパルツァーは人間嫌いだったというけれど、そういう側面が十二分に出ている。 でも小説としての面白みはもう一つ。   ★★☆くらい。 それに比べると、『ゼントミールの修道院』 は伝説的な語りが成功していて、悲惨な話ではあるけれど楽しんで読める。 こちらは★★★でしょう。

・佐伯啓思 『学問の力』(NTT出版) 評価★★ 保守主義の立場から、昨今の世界情勢や文系学問のあり方を批判した書物。 講演を本にしたものだそうで、そのせいか、分かりやすいけれどすごく薄味である。 佐伯の他の本を読んでいる人間からすると全然新味がない。 講演が著作を薄めたような内容になるのは仕方がないだろうが、その講演を敢えて本の形にまとめる必然性が感じられない。 映画と原作の違いを知らずに映画だけ見て原作を論じていたりして、杜撰でもある。 売れっ子学者の末路、というと言い過ぎかな。 ともかく、本を出すからにはもう少し濃い内容でやってほしいものだ。

・ツルゲーネフ(神西清訳) 『はつ恋』(新潮文庫) 評価★★★ 言わずと知れたロシア文学の名作小説であるが、今まで何となく読みそびれていて、今回1年生向けの演習で読んでみたところ、結構面白かった。 語り方に工夫がこらされていて、16歳の少年の初恋がそれなりに距離を置いて、やや滑稽に描かれているところに作者の真骨頂がありそう。恋の相手の女性をとりかこむ青年たちの描写にも、当時のロシアならではの、いや、そもそも知的階級に属する青年たちの普遍的な姿が見えるようだ。

・樽見博 『古本通――市場・探索・蔵書の魅力』(平凡社新書) 評価★★ 古本について蘊蓄を傾けた本なのかと思って買って読んでみたけれど、たいした内容ではない。 業界内部の話としては目新しさがないし、非常に珍しい古本に関する顛末記に徹しているというわけでもないし、逆に古本にこれから入門しようという人には親切さが足りない。 どの辺に焦点を当てて本を書いているのか、よく分からないのである。

・筆坂秀世 『日本共産党』(新潮新書) 評価★★★★ 日本共産党のナンバー4で参議院議員でもあった著者は、セクハラで議員を辞職し、その後離党もした。 かつてを振り返りながら日本共産党の内実と問題点を分かりやすく書いたのがこの本である。 民主集中制が事実上独裁制に近いこと、委員の選挙が上から振ってきた候補者リストに○×をつけるだけの形式であること、『赤旗』 拡販だけが叫ばれ、真面目な党員ほど自腹を切らざるを得ないシステム、自画自賛ばっかりの 『赤旗』 記事などなど、日本共産党の仕組みと悲惨さがよく分かる。 かつて共産党内部にいた人だけれど、記述に日共的な臭みはなく、安心して読める。 批判だけでなく、最後に建設的な提言を行っているところも良い。

・青柳いづみ子 『ピアニストが見たピアニスト――名演奏家の秘密とは』(白水社) 評価★★★★ ピアニストである著者が6人の外国人ピアニストを取り上げ、その演奏の特質や芸術家としての独自性などについて論じた本である。 細かい技巧的な分析はピアニストならではであり、また、暗譜で弾くことの善し悪し、暗譜の仕方、曲を仕上げる場合のピアニストごとの違い、アルゲリッチがなぜリサイタルをしなくなったか、など興味深い記述が次々と出てくる。 アルゲリッチのほか、リヒテル、フランソワ、ミケランジェリ、ハイドシェック、バルビゼが取り上げられている。

・関楠生 『「白バラ」――反ナチ抵抗運動の学生たち』(清水書院) 評価★★★ 第二次大戦中、ナチを批判した白バラ・グループの活動について書かれた本である。 最近、映画 「白バラの祈り」 が公開され (新潟公開は5月)、日本でもこのグループに関する関心が高まっている。 私もちょっとした必要から読んだのであるが、若いリベラルな学生たちの真摯な正義感、関わった大学教授が思想的に学生たちと必ずしも一致していなかったという事実、ゲシュタポの取調官の人間味など、入り組んで複雑な状況が看取されると同時に、どんなに非人間的な社会や局面においてもそれなりに人間ドラマがあることが分かり、教えられるところが多かった。

・メーリケ (石川錬次訳) 『旅の日のモーツァルト』(岩波文庫) 評価★★ ドイツ作家メーリケのわりに有名な小説である。 若い頃一度読んだのだが、今年がモーツァルト生誕250周年ということで、授業に使えないかなあ、と思って久しぶりに再読してみた。 だけど、昔もそう思ったけれど、あんまり面白くないんですよね。 芸術家小説として、傑作とは言えず、要するにモーツァルトが扱われているから残っている作品なんじゃないかという気がします。 ところでこの訳は、初版が昭和10年に出て、私の持っているのは昭和26年の第8刷なんだが、「はしがき」 で訳者はこう書いている。 「獨逸文学の名に於て猶太系作品が無差別に紹介され、その國際的浮動性の故に最も多くの喝采を博してゐる我國の文壇に、かくいみじくも美はしい純粋獨逸詩人の神品を紹介し得ることは私の喜びとするところである。」 (若い人のために注を付けておくと、猶太系=ユダヤ系、また 「國際的」 という単語は、昔は悪い意味だったのです。) 当時のドイツ文学者が (そして岩波書店も) 時流迎合的だった、ということが分かりますよね。 そして、昭和26年の第8刷でもこの 「はしがき」 を削る必要があるとは思われていなかった、ということも、分かるわけです。 このあたりの事情のほうが、小説そのものより面白く思えますね。 (時流やお上に弱いドイツ文学者の体質自体は現在も変わっていない、と私は考えますが。) なお、この作品は現在の岩波文庫では別の独文学者による訳に替えられております。

・長山靖生 『千里眼事件――科学とオカルトの明治日本』(平凡社新書) 評価★★★ 明治時代、千里眼=超能力の持ち主とされた女性がいた。 帝国大学の学者が実験を行って、彼女らの超能力を認めたが、他方でその実験にはごまかしではないかという嫌疑を唱える者もいた。 この本は当時の文献をもとに、超能力が真であったか詐欺であったかについてはあくまで中立の立場から、超能力者やそれを囲む人々、マスコミなどの有様を描いたものである。 科学者の行動や、超能力者の発現が時代の動向とそれなりにリンクしていた様子が分かる書物であり、一読の価値がある。 

・木原善彦 『UFOとポストモダン』(平凡社新書) 評価★★☆ アメリカでのUFO (昔は 「空飛ぶ円盤」 と言った) 現象をたどりながら、それがいかに時代の動向や科学の発展と関連しているかを論じた本。 面白いテーマだと思うのだが、論じ方がポストモダン風というのか、実体的な並行関係をベタに仮定するのを避けるようなところがあって、それがかえってテーマの魅力を減じているような印象がある。 惜しい。

・小田部勇次 『華族 近代日本貴族の虚像と実像』(中公新書) 評価★★★★☆ 明治維新によって生まれ、第二次大戦の敗戦で消失した華族制度について書かれた本である。 その誕生の経緯や、貴族制度反対論、5つの爵位の由来、叙爵の基準、武家華族と公家華族の違い、軍人の叙爵、華族の経済状態、韓国併合による韓国王族の扱い・・・・・などなど、さまざまな局面にわたって分かりやすく、なおかつ必要な程度には詳細に、時代を追いながら、華族について説明しており、きわめて充実した本と評することができる。 普通の新書の倍近い365ページもあるのは、伊達ではない。 この厚さと内容で本体価格940円は、格安と言わねばなるまい。 お薦めできる本だ。

4月 ↑

・山下範久 (編) 『帝国論』(講談社) 評価★★☆ ハートとネグリの 『帝国論』 をはじめ、最近帝国論ブームになっているが、それに便乗したかのように出たのが本書である。 三十歳少し前から四十代半ばくらいまでの7人の著者による共著。 というか、はっきり言って論文の寄せ集めである。 したがって内容にはまとまりがなく、また著者によって出来不出来に差がある。 内容的にも、EU論やモンゴル論などの地域研究的なニュアンスの濃いものから、ロシアに関する研究史のような細かいお話、またハートとネグリの 『帝国論』 やウォーラースティンの議論に見られる世界観・歴史観を批判するかなり抽象的なものまで、様々である。 まあ、面白くなくはないが、もう少し論じる対象に一貫性を持たせてくれないと、業績稼ぎみたいな印象が残ってしまいますね。

・中村隆文 『男女交際進化論 「情交」 か 「肉交」 か』(集英社新書) 評価★★★ ちょっとどっきりする副題が付いているが、「肉交」とは男女の肉体的な交わりのこと。 じゃあ、「情交」 はというと、これが精神的な交わりのことなのである。 「情事」という言葉から現代人が連想するのとは少し意味がずれていたわけである。 いずれも明治時代の用語なのであるが、この本は明治維新以降、男女の付き合い方がどのように「進化」してきたかをたどったものである。 福沢諭吉の、男女は精神的と肉体的と双方で交わってこそ真の結びつきとなる、という議論と、それを批判して精神優位を説いた巌本善治、そして肉体優位を説いたために世間から総すかんを食らった某作家など、色々な意見が出てくる。 また、男尊女卑的な考え方が次第に修正されてくる経緯にも触れている。 読みやすいし悪くない本だが、著者の価値観が現代を無条件に正しいとし、それと合わない過去を簡単に断罪しているところがやや難か。

・井関正久 『ドイツを変えた68年運動』(白水社) 評価★★★ シリーズで白水社から出ている 「ドイツ現代史」 の第2巻である。 日本を含む先進国に共通して見られた現象だが、60年代から(西)ドイツも反体制運動が盛んになり、この頃に青春期を送った人間を 「68年世代」 と呼んでいる。 フランスについてはいわゆるパリ五月革命で有名だが、ドイツの運動については日本ではイマイチよく知られていなかった。 それをまとまりよく紹介したのが本書である。 つとめて客観的な論述をこころがけながら、ルディ・ドゥチュケやヨシュカ・フィッシャーなどのキーパーソンを中心として、新しい世代の政治・思想運動がどのように展開されたのかを語っている。 概論的な書物だから、一つ一つの事件や思想上の問題点については食い足りない感じがするが、いわゆる68年世代を概観するにはもってこいの本だと言える。

・榊原史保美 『やおい幻論――「やおい」 から見えたもの』(夏目書房) 評価★★☆ 8年近く前に出た本をネット上の古本屋から送料込みで定価の約3分の1にて購入。 「やおい」、つまり男性同士の愛を扱った女性向け小説がなぜ女性に読まれるのかを、自分もやおい小説を書いている著者が論じたもの。 結論から言えば、トランスジェンダー、つまり肉体は女に生まれたけれど心は男という女性で、しかも同性愛 (つまり自分の心は男で、性愛の対象としては女ではなく男を嗜好する) 的な傾向を持つ人が、現実には満たされない自分の性的理想を満たす手段としてやおい小説を読むのだ、というのである。 うーん、どうなんでしょうか。 やおい小説がかなりたくさんの女性に読まれていることを思うと、いったいトランスジェンダーでなおかつ同性愛嗜好という人間がそんなに多いのか、という疑問が湧いてくる。 無論、それをハードな嗜好ととる必要はなくて、例えば男の同性愛者でも普通に女性と結婚して子供も作りながら同時に同性愛方面で活躍 (?) するという場合もあるわけだから、普通に男と関係を結んだり結婚したりしながら、他方でやおい小説で別方面の欲求も満たすソフトなトランスジェンダー的傾向の主が多い、と考えればいいのかもしれないが。 「やおい」 は果たしてそれだけで説明ができるのか、ちょっと、いや、かなり首を傾げざるを得ない。 あと、この本の内容は以上に尽きるわけだが、この程度のことを言うのにかなり無駄な説明をしているのが残念。 やおい小説への世間の偏見だとか、フェミニズムからのいちゃもんだとかが、著者にはかなり気になっているらしいが、そういうワカッテナイ人たちは無視して、本質だけを論じて欲しい。 そうすれば、5分の1のページ数で同じ内容の本ができると思いますけれどね。

・長山靖生 『「日本の私」 をやり直す』(中公新書ラクレ) 評価★★★ この人の本のタイトルはいつも中身が分かりにくい。 これもそうで、内容は日本の現状に関するエッセイ風の診断である。 最初は、日本の現代の若者を擁護するところから始まっている。 オタクとかニートとか言われて非難されがちな彼らを、実は日本の伝統に連なる存在なのだとしてきちんと意味づけているところは面白い。 次の第二部が日本の大人への論難。 イラクに勝手に出かけて人質になった無責任な連中や、「日本のぷちナショナリズム」 には過敏に反応するくせになぜか他国のナショナリズムにはノータッチの香山リカを斬って捨てている。 まあ、ここも同感できる。 で、最後の第三部になって、ちょっと趣きが変わってくる。 「公」 に依存してきた日本人、およびその 「公」 を体現すべき役人や政治家をかなりキツク叱っているのだ。 そして最後では日本の将来をかなり悲観視していると結んでいる。 この辺は、読者によって賛否が分かれるでしょうが、最近の少子化を見ると、何となくそうかもしれないなと思えてくるのです、はい。 

・西尾幹二 『「狂気の首相」 で日本は大丈夫か』(PHP) 評価★★★ 昨年12月に出た西尾氏の評論集。 小泉首相の選挙でのやり口を批判し、郵政民営化は日本がアメリカの経済的な奴隷になる手段に過ぎず、それを無理に押し進めているのは小泉=竹中がアメリカと密約を交わしているからではないか、と論じている。 私は経済のことは分からない人間だが、竹中経済担当相の政策が妥当かどうか、また彼の経済学的信念がはたして「密約」に由来するのか、或いは本当に心からそう信じているのか(松原隆一郎はこちらの説)、どうなのだろう。 ただ、郵政民営化が他国でも必ずしも成功していないというのはその通りであり (私は読んでいないが、これについては本も出ているはず)、「何でも民営化」 という小泉内閣のムードに流された結果がどうなるかは今後を見守るしかない。 まずい結果になったとしても、困るのは小泉に票を入れた貧乏人たちだろうけれども。

・ザッヘル=マゾッホ 『毛皮を着たヴィーナス』(河出文庫) 評価★★★ 「マゾヒズム」 という言葉の語源になった作家による小説である。 作者はオーストリー・ハンガリー帝国のドイツ語圏で19世紀後半に活動している。 訳者・種村季弘氏の解説によると、作者本人の生涯もまさに小説のごとくであったらしい。 内容はまあ 「マゾヒズム」 という言葉を知っている人には見当がつくから今更紹介することはしないが、マゾヒズムの男が自分に都合のいいような女を育てるところがミソ、なんですね。 万事の根元には教育あり。

・竹下節子 『アメリカに「No」と言える国』(文春新書) 評価★★ アメリカ一辺倒の戦後日本を叱り、フランスにこそ見習うべき民主主義がある、と主張した本である。 アメリカと英国、つまりアングロサクソンの民主主義はコミュニタリアリズム、フランスのそれはユニヴァーサリズムで、違っているという。 ・・・・・うーむ、一読してみたけれど、著者には政治ってものがよく分かっていないのじゃないか、と思いました。 文化と政治の混同。 或いは、日本女性って昔からフランスに弱いですからね。 それに、日本がフランスなんかとは根本的に異なった地理的社会的状況におかれていることを認識せずに、フランスを見習いなさい、って言ったって、説得力がないんですよ。 その辺が分かってないダメ本じゃないかと。 

・半藤一利 『恋の手紙 愛の手紙』(文春新書) 評価★★☆ 平安朝時代から秀吉・芭蕉・一茶・坂本竜馬などを経て、鴎外・漱石・谷崎・芥川などの文豪、はては軍人の山本五十六に至るまでの、多種多様な日本人の書いた恋文を集めた本である。 私も、明治以降の文学者はともかく、それ以外の人たちの恋文には 「へえ」 と思うところが多かった。 ただ、恋文というのはせんじつめればどれも同じようなもので、人間の生き方のほうに最近の私の興味は向けられている、というところからすると、ちょっと物足りなさも残るかな。 でも、無い物ねだりかもしれません。

・秦郁彦 『歪められる日本現代史』(PHP) 評価★★★★ 近年新聞雑誌等で取り上げられることが多い歴史問題について、歴史家が明快に論じた本。 雑誌等に載せた文章を集めてできた本なので多少の内容的重複はあるが、大江健三郎の反日的言説に見る 「自己の体験」 が捏造ではないかとの指摘に始まって、従軍慰安婦問題に関する顛末、朝日新聞のどうしようもない偏向ぶり、昭和天皇の 「戦争責任」 問題、ピューリッツァー賞を受賞したビックス 『昭和天皇』 が実はトンデモ本であるとの指摘、小森陽一のデタラメな歴史解釈などなど、興味深い内容が盛り込まれている。

・小町文雄 『サンクト・ペテルブルグ よみがえった幻想都市』(中公新書) 評価★★★ ピョートル大帝によって18世紀初頭に作られた都市サンクト・ペテルブルグ (ソ連時代はレニングラード)。 ロシアではモスクワと並ぶ大都会であり、またドストエフスキーなどのロシア文学とのつながりも深い。 歴史の新しい町でありながら、さまざまな伝説にいろどられたペテルブルグの魅力を語ったのがこの本である。 写真や図版なども少なからず使われており、著者の筆致も分かりやすいが、やはり行ったことのない都市に関する説明を文章で読むという限界からか、非常に面白い、と感じるまでは行かなかった。 ドストエフスキーの小説との関わりなどには言及がなされているが、私の趣味で言うともっとロシア文学の紹介とからめて記述がなされるとよかったのではないかと思わないでもない。

・鈴村金弥 『フロイト』(清水書院) 評価★★★ 清水書院から出ている 「人と思想」 シリーズの一冊。 最近東京のBOOKOFFに安く出ていたので、買って読んでみた。 第1部と2部に分かれていて、第1部はフロイトの生涯、第2部はフロイトの思想である。 新書サイズの本であり、あまり詳細に渡った記述は望めないが、一応フロイトの全容が分かるようになっている。 ただ、彼に対する批判、弟子の離反などについては不十分にしか書かれていないので、あくまでフロイトを知る第一段階とすべき本、というにとどまる。 また1966年初版だから、内容的にやや古くなっている可能性もある。

3月  ↑

・二ノ宮知子 『のだめカンタービレ』(講談社) 評価★★☆ 最近クラシック音楽が若者の間で脚光を浴びているのは、このマンガのせいだそうな。 たまたま小5の娘が読んでいたので、借りて読んでみた。 といっても現在刊行されている十数巻中の3分の2ほどしか読んでいないのだけれど、感想を記す。 はっきり言って、かの名作 『ガラスの仮面』 の足元にも及ばない作品だと思う。 まず、ヒロインがどうってことのないフツーの女の子で、相手役が王子様タイプの何でもできちゃう才人、という少女マンガの黄金パターン。 まあ、それはいいのだけれど、ヒロインがあまりにグータラで、勝手に王子様の妻を名乗っているだけなのに食傷する。 一応ピアノの才能があるという設定にはなっているのだが、『ガラかめ』 と違ってなかなか光る部分が見えてこない。 ライバル役 (金持ちで美人で才能があって意地悪、というのが通常パターンですね) も最初の頃は登場したけれど、そのあと出てこなくなり、かといって新たな本格的ライバルがなぜか王子様の前に登場しないのは、ちょっと困るんではないかい。 ミルヒ・ホルシュタインのような副次的な登場人物も、最初の頃は面白かったけれど、その面白さが続かない。 指揮者コンクールの場面などは、私も 「へえ、指揮者コンクールって、こういうことをやらされるのか」 と感心しましたが、そういう部分が少なすぎる。 また、そういう場面で話の迫力があまりないし、絵も最近の漫画家としては下手な方じゃないの。 結果として、私の評価は低くならざるを得ませんね。 まだ3分の2しか読んでいないのも、先を読みたいっ!と思わせるほどの面白さがないからなんだよね。

・池田清彦 『環境問題のウソ』(ちくまプリマー新書) 評価★★★ 刺激的な本である。 地球温暖化はCO2排気のせいではない、ダイオキシンは健康に有毒ではない、ブラックバスなどの外来種を日本に入れない政策は愚かだ・・・・・などなど、最近のマスコミで 「常識」 化しているのと正反対の主張をしているからだ。 お役所の政策も、結構マスコミ受けする部分でできていてちゃんと検証していない、なんて指摘も怖い。 クジラを捕るなというのはナンセンス、というのは言うまでもなく正当ですけれど、他の点については著者の主張が正しいかどうかはよく分からない。 ただ、自然環境といった大規模な対象については、「科学者」 だってそうそう確定的なことは言えないし、色々な説が世の中にはあるのだ、ということを知るためには、読んでおいた方がいいと思う。

・中野雅至 『高学歴ノーリターン』(光文社) 評価★★★ 前作 『はめられた公務員』で、世論やマスコミの動向とは逆に、日本の公務員比率は先進国中でも少なく、税率も低いと喝破した著者が、今度は、日本は努力して高学歴を得てもそれが報われない国だから、報われるようにしよう、と訴えている。 つまり、日本のお金持ちとは起業家か医者であり、それ以外の職業では東大を出て一流企業社員や中央省庁エリート官僚になろうが収入はたかがしれているのであり、また以前はそれでも収入とは別に社会的なステイタスというものがあり、エリート官僚はとにかく偉いという観念が存在したが、最近の日本ではそれが壊れてきており、収入の多い少ないが人を計る唯一の物差しになりつつあり、起業は学歴ではなく運不運に左右されるため、努力して学歴を獲得しようという気風が薄れてきている、これは一種ギャンブル社会の到来であり、社会全体を不安定にする原因となる、といいうようなことを書き連ねている。 論の運びにご都合主義的なところがあるが――例えば、ある箇所では米国は学歴ではなくお金一辺倒の国だと言っておきながら、別の箇所では大学院を出てMBAをとれば高収入と言ってみたり、ある箇所では東大を出て高級官僚になった人間はやはり能力が高いと書いていながら、後になると、スポーツと違って高学歴を得るのは努力だけで足りると言っていたり――、ギャンブル社会に異議を唱えるところに関しては、それなりに共感はできる。

・遠藤周作 『フランスの大学生』(新風舎文庫) 評価★★★☆ 作家・遠藤周作は戦後間もない1950年にフランスに留学して、そこで留学滞在記を書くことで作家としてのスタートをきった。 この本は、1977年に角川文庫として出て以来長らく入手困難であった若い遠藤の手記を再刊したものである。 フランスが大戦の痛手から十分に立ち直っておらず、対独協力派とレジスタンス派の確執も尾を曳いていた時代、コミュニズムへの態度を明確にするようしばしば迫られた時代、その一方で古いブルジョワ的な生活や感性が根強く残っていた時代のフランスをうかがい知るための資料として、たいへん面白く読める。 若い遠藤が、フランス文学者にありがちなのとは違って、フランス人学生の思想動向に興味を抱きながらも安易にそれに同調せず、自分なりに悩みながら思考を深めていこうとしているところも、今の時点から振り返ってみて共感できるところだ。

・林信吾 『しのびよるネオ階級社会』(平凡社新書) 評価★★★ 10ヶ月前に出た新書である。 最近議論がかまびすしい問題、つまり日本では所得格差が開きつつあり、階級社会になろうとしているのではないか、という問題を取り上げている。 といっても、日本の社会そのものについての議論は薄手で、著者が長年過ごした英国の階級社会の実相を述べて、階級社会が待望すべきものとは思われない、と主張しているのである。 著者は以前、林望などの英国崇拝論者を、一部の階級だけと付き合って英国全体を知ったつもりになっている阿呆とクサす本 『イギリス・シンドローム』 を出しているが、まあそれと内容的に大同小異であろう。 しかしそれなりに面白いところはあるし、親の所得に関わらず学歴で上昇が可能な社会の方が階級社会よりマシ、という見解には私も大賛成である。

・佐藤忠男 『映画から見えてくるアジア』(洋泉社新書y) 評価★★★★ 1年近く前に出た新書。 タイトル通り、アジア映画を紹介した本である。 韓国映画はブ−ムになっているから今更と思う向きもあろうが、アジアは広く、東南アジアや中近東をも含めて幅広い多様な作品が作られているのである。 それを知る足がかりとして、本書はすぐれた案内書であると同時に、映画の見方一般についても教えられるところが多い良書である。 例えば、ヴェトナム映画は、戦争で米国を撃退した国であるのに、けっしてヒロイックな人間像を描かず、むしろ涙にくれる弱々しい住民を描いた映画が多いというあたりは、お国ごとの映画製作のエートスといったものを考えさせられる。 また、映画はたしかに虚構ではあるが、各国の住民が自分たちをどのように見て欲しいかをうかがわせる材料として優れている、という指摘も貴重だ。

・コンスタン 『アドルフ』(新潮文庫) 評価★★★ 1年生向けの演習で取り上げて読んでみた本。 若い頃に読まずにいたので、ということもある。 で、なかなか面白かったのである。 若者が虚栄心から貴族の囲われ物である女性に近づき、相手を夢中にさせて、その結果相手は貴族のもとを出奔してしまう。 そうなると引っ込みがつかなくなり、恋愛遊戯は遊びでは終わらず、2人とも破滅へと向かってしまう・・・・・。 これ、恋愛の本質をうがつ筋書きですね。 虚栄と真心の境目は、そうそう明瞭ではないのだ。 フランス小説ならでは、だろうか。 ドイツではこういう小説はなかなか出ないだろうなと思う。

・オルテガ・イ・ガセット 『大学の使命』(玉川大学出版部) 評価★★★ 授業で取り上げて半分ほど読んでみた本。 大衆論の先駆であるオルテガが1930年に出版したもので、訳書は60年代に一度出て、その後96年に復刊された。 19世紀から20世紀初頭にかけてのヨーロッパ大学事情を背景として、専門的な研究の場としての大学よりも教育を重んじた教養大学をめざすべきだ、という主張が掲げられている。 一方では当時のドイツの大学への批判、他方では自国スペインの怠惰な精神への批判を語りながら、学ぶ人間の能力的限界を前提として、教養学部の設置を訴えるその趣旨は、一面で今日の日本にも通じるところがあるが、ヨーロッパの知的人文主義の伝統をバックとした教養概念は日本の現代人には必ずしもわかりやすくはないのではないか。 その意味で、表層的な時代性をもとに現代日本にそのまま利用しようとするのは危険な本でもあろう。 後半は訳者による丁寧な解説がついており、当時のヨーロッパの大学論、そしてオルテガの大衆論が分かりやすく説明されている。

・八幡和郎 『アメリカもアジアも欧州に敵わない――「脱米入欧」のススメ』(祥伝社新書) 評価★★☆ タイトル通り、アメリカやアジアより、EUによって統合と多様性を両立させているヨーロッパに日本は学ぶべきだ、と主張した本。 著者はヨーロッパ滞在が長い元官僚。 政治経済から文化まで多様な記述がなされているが、ヨーロッパ各地やその歴史の説明は日本人にはなじみの薄い人名や地名がずらずら並べられ、あまり面白いとは言いかねる。 時々 「なるほど」 とうならされる指摘もあるのだが、この書物全体の魅力ということになると、高い点はつけられない。 地図や図表の活用を考えて欲しかった。 

・内田樹 『映画の構造分析』(晶文社) 評価★★☆ 2003年6月に出た本。 ネット上の古本屋で買ってツンドクになっていたが、事情があって読んでみた。 ヒッチコックなどの著名作品を取り上げて映画の分析をした本である。 フロイトやラカンの心理学を援用して映画の中に表面的な筋書きやテーマと別のものを読み込んでいる。 心理学を面白いと思う人には、まあ面白い本かも知れない。 私は心理学をあまり信じていないので、そうも言えるしそうでないとも言える、くらいの印象しかありませんでしたが。 フェミニズム流の映画分析も入っているが、同様の印象。

・長山靖生 『不勉強が身にしみる――学力・思考力・社会力とは何か』(光文社新書) 評価★★★ ニートやフリーターの増加で階層分裂が言われる昨今の日本。 「自分の好きなことや個性に合ったことを仕事にしたい」 と言いながらろくに勉強もしない若者とその親をターゲットに、勉強しなきゃあまともな職業に就けるはずもないし、個性を仕事をできる人間なんてほんの一握りである、というお説教をそ、勉強するための心構えを説き、文献紹介をしている本。 といっても堅苦しい内容ではなく、説得的でそれなりに考えさせられる内容ではある。 国語・歴史・自然科学などの科目ごとに章をたてているが、歴史に関する章が白眉。 ただし、こう言っては何だが、頭の悪い人には向かない本でもあると思う。 つまり、ニート・フリーター予備軍でこれを読める人は、少ないんじゃないか・・・・。

2月 ↑

・石井宏 『誰がヴァイオリンを殺したか』(新潮社) 評価★★★☆ 4年前に出た本。 当時版元品切れで買い損ねたが、最近ネット上の古本屋で購入。 現在流通しているヴァイオリンは18世紀のヴァイオリンからすると別物だ、それはホールが広くなって補強されているからだ、という説明を始め、有名なストラディヴァリやグァルネリは本当に音がいいのか、という問題を取り上げている。 また、伝説的なヴァイオリニストであるパガニーニの生涯がかなり詳しく説明されているのが貴重。 ただ、全体の叙述があまりに懐古的で、モーツァルトを崇拝しベートーヴェン以降の近代的な音楽家を目の敵にする著者の姿勢はちょっといくらなんでもね、と思えるところも多々あり。

・角岡伸彦 『はじめての部落問題』(文春新書) 評価★★★☆ 部落問題入門、という感じのするタイトルだが、そうではなく、かつてのようなひどい差別は後退しているが完全に差別意識が消えたわけではない現代にあって、人はいかに部落差別を考え行動して行くべきかを語った本である。 著者は1963年生まれであり、非差別部落出身者だが直接的な差別体験はないという。 つまり、そういう時代にあってはかつて解放同盟が行っていたような激しい糾弾行動は意味をなさないわけで、しかし部落民としての自覚を持つことは必要だとする著者の柔軟でユーモラスな筆致はたいへんに説得的だ。 ただ、部落問題について詳しく知りたいという人には物足りないだろう。 文献案内があればよかった。

・中条省平(編) 『続・三島由紀夫が死んだ日』(実業之日本社) 評価★★★ 「続」 のつかないほうはあまり出来が良くなかったが、この続編は悪くない。 といっても無論アンソロジーだから筆者によって善し悪しはあり、高橋睦郎と島田雅彦がなかなか鋭い洞察を披露してくれている。 映画『春の雪』の監督をした行定勲が映画作りの苦労を書いた文章も結構読ませる。 これに比べると辻井喬などはつまらない。 単に三島と親交のあった人、というだけで採用するのはやめた方がいいね。

・村上春樹 『ノルウェイの森 下巻』(講談社) 評価★★★ 1988年1月の第9刷 (初版は87年9月)。 直子と緑の間で揺れる主人公の心情を描いている・・・・のだろうなあ。 でも、形はどうあれ、女の子二人にはさまれているのだから悪くないじゃん、なんて考えてしまってはいけないのでしょうか。 あと、やはり生活レベルが高いな、と思う。 缶ビールを飲むシーンが何カ所もあるんだけれど、あのころ (1960年代末) の缶ビールってまだ贅沢品じゃなかったっけ? いや、他方で、学食のランチはA120円、B100円、C80円で、「僕」 がたまにAを食べると周囲から嫌な目で見られる、なんてところは共感できましたが――ちなみにワタシは村上春樹より数年あとに大学に入ったが、学食のランチは150円・120円・90円・75円の4種類で、ワタシはふだんは90円を食べていました――全体として大学紛争があまり描かれていないところや、すらすら読める文体も考えると、村上春樹は感性からすると団塊の世代というよりはむしろ昭和30年代生まれなんじゃないか、って印象が残ったのでした。 時代的には三島由紀夫が自決する直前で終わっているんだけれど、そういう緊迫感みたいなものは、出てないですね。

・大庭健 『「責任」ってなに?』(講談社現代新書) 評価★ 著者は1946年生まれの大学教授である。 人を生年から判断するのは良くない場合もあるが、この本に関していうと、大いにお薦め (笑) である。 つまり、団塊の世代、全共闘世代、古〜いサヨク的思考しかできない不自由な世代、というような形容が100%あてはまってしまう本なのである。 大学教授という割には学識も怪しいし、ドイツと日本の戦争責任を論じた箇所は20年前のレベルである。 講談社現代新書、一時期内容的にかなりいい線行ってたんだけれど、装丁を変えてから何となく冴えないような気がする。 装丁にふさわしい単純にして愚かしい内容の本が増えているような印象があるのだけれど、この本はまさにそういう本なのである。 「買ってはいけない」、でせう。

・村上春樹 『ノルウェイの森 上巻』(講談社) 評価★★★ 『羊をめぐる冒険』 に引き続いて、昔古本屋で買っておいたこの本も読み始めてみた。 89年1月発行の第29刷 (初版は87年9月)。 主人公が70年前後に大学生活を送るところが描かれているのだけれど、はあ、当時の大学生でもこんなにグルメして女にもモテていた奴がいたのかなあ、なんて思いながら読みました。 作中、ちっぽけな書店経営者の娘ながら名門私立中高校に入ってしまったために、同級生と話も行動パターンも合わなくて苦労した女の子が主人公と同じ大学の同級生として出てくるのだが、私に言わせると主人公だってあの時代の平均的な大学生とは話も行動パターンも合わないんじゃないだろうか、という気がする。 でもこれで (少なくとも経済的には) 平均的な大学生という設定なんですよね。 ううむ・・・・・。

・福田利子 『吉原はこんな所でございました――郭の女たちの昭和史』(現代教養文庫) 評価★★★★ 原本は1986年出版、今はなくなってしまった現代教養文庫 (社会思想社刊) に収録されたのが93年であった。 私は文庫で出てすぐに新潟大生協で購入したものの、ずっとツンドクになっていた。 しかし思うところあって読んでみたところ、たいへん優れた本であった。 戦前から戦後にかけて吉原で遊郭を経営し、昭和33年に法律で赤線が廃止されてからは料亭経営に転じた女将が、吉原という街の歴史と、そこで働く女たちの実相を描いた興味深い書物なのである。 戦前、冷害で食べ物にも事欠く有様となった農家から身売りして遊郭にやってきた若い娘たちが、しかしここでは食べ物がふんだんにあると言って喜んでいたという話や、健康診断などが厳しく行われていたので衛生面では高水準であったこと、出征して死ぬことを予期してやってくる若い男たちに娼婦たちが優しく接していたことなど、現代の価値基準から軽々に断罪できない男女関係が綴られている。 また、料亭に転じてから出し物としての花魁ショーに人気があって、たまたま浅草とヴェネチアが姉妹都市である縁から、乞われてあちらで花魁ショーをやるために遠征しようとしたところ、クリスチャンである日本人女性運動家から恥さらしだという異議が出たが、あちらでは娼婦がヒロインの 「椿姫」 というオペラも立派に文化として通っているという反論をしてくれた人がいて助かった、という話などは、今の日本にも少なからずいるオツムの固い運動家タイプが昔から存在していたのだと分かって、ニヤリとすること請け合いである。 文化と娼婦との関係は、一筋縄ではいかないことは知っておくべきだろう。 というわけでお薦めの一書だが、惜しいことに現代教養文庫は廃刊になっているのでこの本も新本では手に入らない。 ネット上の古本屋にはわりに出ているようだが、復刊を望みたいものだ。

・柄谷行人 『近代文学の終り』(インスクリプト) 評価★★★ 柄谷行人の最新刊であるが、柄谷も老いたか、と思われる書物である。 岩波書店から彼の著作集が出ると聞いたときには、いやはや、時代は変わったなと感慨深いものがあった。 ここでの柄谷は、その岩波著作集に改訂収録した自著『日本近代文学の起源』の自己解釈にかなりページを割くなど、どうも姿勢が後ろ向きなのである。 一方でアカデミズムへの敵愾心を燃やしながら、しかし他方で書き方が昔は感性的だったが最近はアカデミックになってきたと称する――しかし、私が見るところ、やはり感性的 (悪い意味ではない) だと思うのだが――など、また自分の書物が英語に訳されていることにこだわるなど、変に権威主義に色目を使っているところがよろしくないような気がする。 まあ、柄谷の本だからそれなりの面白さはあるが、いささか食い足りない印象が残るのは避けられない。

・吉田秀和 『たとえ世界が不条理だったとしても 新音楽展望2000-2004』(朝日新聞社) 評価★★★☆ 評論家吉田秀和氏の最新刊。 というか、これが最後の本になりそうな感じである。 氏は1913年生まれだからすでに90歳を過ぎ、加えて一昨年晩秋に奥さんを亡くされ、それ以来執筆意欲がわかないとか。 2000年以降の新聞等に連載した文章の集積がこの本。 相変わらず音楽や美術に、時として文学にも鋭い見識を示している。 田中真紀子に言及したところでは相変わらずの政治音痴ぶりもうかがえるけれど、まあ、ご愛嬌ということで。

・村上春樹 『羊をめぐる冒険』(講談社) 評価★★☆ 村上春樹は、今まで『1973年のピンボール』しか読んだことがなかった。 この本は以前古本屋で格安で入手した86年1月発行の第12刷 (初版は82年10月) である。 新年で、最近あんまり小説を読んでないなと思い、何となく書棚から抜き出して読んでみた。 すいすい読めるのはいいが、コクがない。 村上春樹は食事と服装にこだわる人だな、というのはよく分かりましたが。

・綾辻行人 『どんどん橋、落ちた』(講談社) 評価★★★ 正月に映画を観に行って、上映開始までに時間があったので近くの本屋で買ってみた本。 綾辻は昔は結構読んでいたけど (館シリーズは最新の 『暗黒館』 以外は全部読んでいる)、ここのところご無沙汰だった。 これは短篇集で、多少連作的な部分もある。 タイトルからも分かるように、パロディ的な意識で貫かれていて、サザエさん一家のパロディ作品も含まれている。 ミステリーとしての面白さで言うと、まあ、語りの騙りでミステリーは成り立っているということがよく分かる本だ、と言っておきましょう。

1月  ↑

 

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