以下の文章は、2003年6月22日付け 「新潟日報」 紙の読書欄コラム 「思い出のあの本この本」 のために書かれたものである。

 

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私の仕事

 

伊藤整『若い詩人の肖像』        三浦 淳

 面白くて再読三読する本を愛読書と呼ぶなら、私にとって第一の愛読書は高校時代に読んだ伊藤整の 『若い詩人の肖像』 である。 文筆家として名をなした著者の自伝的小説で、小樽高商 (現・小樽商大) に入学した頃から始まって、卒業後地元の中学教師になるが、職を辞して東京商大 (現・一橋大) で学ぶため上京するまでを描いている。

 青年を描いた小説は数多い。 しかし外国の作品は日本の若者を惹きつける魅力には満ちていても、どこか隔靴掻痒、完全には理解できないところがある。 一方日本の小説は全体として腑には落ちるのだが、同国人の常識にもたれかかった描写が味噌臭い印象を与え、生意気盛りの高校生には退屈に感じられる。

 『若い詩人の肖像』 は書き方がどこかモダンで西洋小説風であり、また知性的な客観化への意志とでもいうべきものが全体を貫き通していて私を魅了した。 例えば著者の通う高商について、全国の学校の中でのランク付けや教師の来歴が書かれている。 これが漱石の 『三四郎』 となると全然違う。 今の読者からすると、そこで描かれている東大は注釈なしでは理解できなくなっている。

 このことが案外大事だと思うのは、伊藤は地方の学校を出、いったん地元で就職もした後で上京した人間だからである。 日本の近代文学は東京を中心に形成されたが、彼は長期間、遠い場所から首都を眺めていた。 また上京後も、東大や早慶といった高等文化形成の中心地ではなく、実務系の商大という、いわば保守本流から離れた場所に身をおいた。 伊藤は文名を上げてからも文壇に距離感を持っていたが、それはこうした経歴のなせるわざであり、外側からの視点で物事を描写するこの作品の特質にもつながっている。

 この小説には新潟も出てくる。 小樽の中学教師になった伊藤は、夏休みに研修旅行で生まれて初めて北海道を離れ、新潟を訪れる。 そしてその暑さに驚き、「北海道で私の経験したことのないような」 と形容している。 ここを読んだ高校生の私はなるほどと思ったが、よもや自分が将来新潟に就職することになろうとは、予感すらしていなかった。

 

 伊藤整 『若い詩人の肖像』 講談社文芸文庫、千五百円

(2004年5月19日サイト掲載)

 

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