設問は正しくたてよう!――欧米人はなぜ宗教性が強いのか?

 阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)六八〇円
 橋本治『宗教なんかこわくない!』(マドラ出版)一五〇〇円

  オウム真理教事件以来、日本では宗教への関心が高まっている――いや、オウムも雨後のタケノコみたいに乱立している新興宗教の一つなのだから、宗教への関心が高まってああいう事件が起きたと言うべきなのかも知れない。欧米でキリスト教の勢力が強いことは今さら言いたてる必要もなかろうが、正月は神社に拝みに行き、死ぬ時は(まだ死んでないが)お寺のお世話になるといういい加減な(?)日本人の一人である私としては、宗教とはそもそも何なのかという問題は昔から小さからぬ関心事であった。

  例えば、あの痛快な『インテレクチュアルズ』(時事通信社)で左翼系知識人をこき下ろしたポール・ジョンソンにしてからが、自分は心から神を信じている、超越的なものを信じないでどうして生きていけようかとどこかで書いているのを読んだ時、正直言って私はがっかりした。何だ、その程度だったの、という感じであった。タブーをものともせず知識人をぶったぎるなら、同様に欧米に根を張ったキリスト教をも遠慮なくぶったぎらなけりゃ片手落ちじゃないか、知的誠実さというのはそういうものじゃないか、これが凡庸な日本人たる私の感想だったのである。

 新興宗教は怪しげだが、キリスト教などの大宗教は伝統ある立派な宗教でお勧め品だ――なんてことは、無論大嘘である。ここでは紙数の都合で、あの有名な林達夫の『邪宗問答 ―― 一女性の問いに答えて』をお読みなさいとだけ言っておく。またヘレン・エラーブ『キリスト教 封印の歴史』(徳間書店)を読むなら、キリスト教が過去にどれほどの人間を殺戮してきたか、どれほどの罪を犯してきたかは明瞭であって、これを「それは本当のキリスト教ではなかった、彼らは神を誤解していたのだ」といった遁辞で片づけることは、スターリン主義は本当の社会主義ではない、ソ連は本当の社会主義社会ではなかったと言うのと同然であろう。

   それと、新聞によく出てくる「政教分離」という奴。宗教と政治を完全に分離することが可能なのかどうか、可能だとしてもいいことなのかどうか、私にはよく分からない。ただ少なくともこれだけは言える。いわゆる欧米先進国の中で政教分離が徹底しているのはフランスだけであり、英米独はそうではないということ。森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』(講談社)をひもとくなら、大統領の職務に牧師がかなり関与していること、大統領就任の儀式も宗教色(勿論、ユダヤ教とキリスト教の)がかなり強いことが分かるだろう。これと同じことを仏教や神道におきかえて日本でやったら、マスコミから袋叩きにされるだろうことは確実である。しかも、アメリカ大統領就任式に際してのそうした宗教性を、日本の新聞がさっぱり報道していないという指摘も森の著書ではなされていて、マスコミの偏頗ぶりを改めて考えさせられてしまうのである。ちなみにフランスでなぜ政教分離が徹底しているのかは、藤村信『美し国フランス』(岩波書店)に書かれている。

  閑話休題、平均的な日本人である私の、以上のような素朴にして小さからぬ疑問に答えてくれそうな書物が最近出た。阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書)である。第一刷は九六年一〇月だが、古本屋で私が買ったのは九七年になってからで、それが九七年三月発行の第六刷というのだから、売れていると言っていいだろう。帯にも「TV、新聞、雑誌で話題沸騰!」と書かれている。宗教そのものへの全般的な関心の高まりにマッチした出版であったわけで、売れゆきのよさは著者のために慶賀したい。阿満はNHK勤務を経て大学で教鞭をとっている日本思想史専攻の学者で、他にも宗教に関する著作がある。

  そこでこの本である。読んで、なるほどと思うところも多かった。宗教を自然宗教と創唱宗教(キリスト教やイスラム教はここに入る)とに分類し、無信仰だと思っている日本人は実は自然宗教を奉じているのだとする説明は、なかなか説得的であった。また江戸期の儒学者の仏教排斥論が現代日本人の宗教観にまでつながっているとするところなど、日本思想にうとい私には新鮮に感じられた。本来自然宗教的であった神道が明治維新以来天皇制と結びついて創唱宗教的になり、それが結果的に日本人の宗教観を貧困にしたという指摘も基本的にうなずける。宗教を狭い意味に限定する必要はない、様々な形の宗教心があり得るのだからとする著者の結論には、私も賛成である。

 にもかかわらず、である。何かが足りない。つまりこの本は、日本人が海外に出て「無宗教です」と言うと気違い扱いされるというところから始まっているのだが、なぜそうなのか、という設問が欠けている。いや、正確にいうと、「なぜ」という設問を著者はたてているが、それを「日本人はなぜ自分を無宗教だと思っているのか」という形に置き換えているのだ。

 しかし置き換え方はもう一つあるのではないか。なぜ欧米人やアラブ人は宗教感情が強いのか、なぜ創唱宗教にこれほどハマっているのか、そういう設問である。日本人の本来的な疑問はそういうものではないか。著者の専攻が日本思想史で西欧思想史ではないから、と答えるとすれば、逃げ口上としてはかなり苦しい。海外の宗教事情を知らないで日本の宗教事情が客観的に捉えられるはずもないからである。それは、政教分離に関する日本の最高裁の判決を批判しながら、外国で政教分離がどうなっているか(初めに私が書いたとおり、欧米先進国で政教分離が徹底しているのはフランスだけ)にさっぱり触れようとしない著者の偏頗な姿勢にもつながるだろう。

 さて、次に橋本治の『宗教なんかこわくない!』(マドラ出版)である。これも、九五年七月一五日初版で、私がこれまた古本屋で買ったのは同年八月三〇日発行の第三刷だから、売れているのだ。序文に、これはオウム真理教事件に関する本だとはっきりうたっている。時宜にかなった出版であるという点では阿満の本と同じである。

 私は橋本の本は何冊も読んでいるが、実のところよくは分からない。部分的には「そのとおり!」と言いたい箇所が多いけど、全体の意図となると判然としないのである。そのくせ彼の本をよく読むのは、面白いところがあると漠然と思っているからだろう。そうした中でこの『宗教なんかこわくない!』は珍しく(?)分かりやすい本である。

  「宗教などというものは、もう遠い昔にその存在理由を失っている」とする彼は、いい意味で日本人の常識を代表している。宗教にある種の遠慮をしている日本の知識人(宗教が分からないと現代は理解できない、なんてしたり顔に言う奴が多い!)を平然と侮蔑する姿勢はその現れと言えよう。そして宗教とは昔のイデオロギーであるとして、英語はキリスト教をChristianityというのに、仏教やイスラム教をBuddhismやIslamismと「イズム」扱いしているところを、キリスト教の自己優位主義の現れだと喝破する。

 さらに国家神道については、「『唯一の神の下の平等』を言うキリスト教と、『唯一絶対の天皇の下の国民の平等』を言う国家神道とは、その構造においておんなじ」と明快に断じ、続いて、「だからこそ、キリスト教は国家神道に立ち向かおうとした。(…)キリスト教にとっては(…)国家神道との戦いは、ネロのローマ帝国以来おなじみの、《宗教戦争》だったのである。(…)『日本の国家神道がキリスト教国の連合軍に負けて《信教の自由》が訪れた』というのは、あきらかなる《宗教戦争の勝利》なのである」と指摘する。阿満が十分に見ようとしなかった「創唱宗教」の帝国主義との同伴ぶりや狂気性への視点、それが橋本には欠けることがない。ここから目をそむけないことが、宗教を論じる際の最低条件ではなかろうか。

 といっても、橋本はこの本をキリスト教の罪や西欧諸国の政教癒着(?)を暴くために書いたのではない。彼の言い分はその点では実に明快である。「日本人に一番必要なものは《宗教》ではなく、《自分の頭でものを考える》という習性である。」

 

   さて、ここから話は突然ローカルになる。

 私は高校卒業まで福島県いわき市に住んでいたのだが、現在そこに「いわき海星高校」なる学校があるようだ。ようだというのは、私の住んでいた二十数年前にはまだなかったからである。あるホームページに「福島県立いわき海星高校」と書かれているのを見た私は、これは私立の誤りだろうと即座に思った。そしてお節介にもEメールで「名前からして私立でしょう」と言ってやったのである。

 ところが返事は、学校に電話して訊いたが県立だという答でしたというものであった。私の負け、だったわけだが、この返信を読んだ私は仰天したのである。

 何で公立校に海星という名をつけるのか? 三重県と長崎県に海星高校というのがある。ときどき高校野球で甲子園に顔を出すから名前をご存知の方も多いと思う。いずれも私立校で、ミッション系のはずである。なぜか? 海星とは聖母マリアのことだからである。キリスト教を奉じる学校が海星を名乗るのは、だから理解できる。しかしキリスト教国でもない日本の公立校がなぜ海星を名乗らなければならないのか?

 私は念のためいわき海星高校に電話して名前の由来を訊いてみた。何でも一般公募して、海に関係する学科のある高校なのでこれがよさそうだということになったのだという。うーむ……! 呉智英流に言うと、民主主義のすごさですね。私は常日頃故郷に対しては「あふれるような愛情と少しばかりの軽蔑」(トーマス・マン)を感じているのであるが、この時ばかりは愛情と軽蔑の比率を逆転させたい衝動に駆られてしまったのであった。 
    

                                                                      『nemo』第5号(1998年)掲載

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