当サイトへのおたより

 2008年3月07日更新                                                    トップページへ

 以下は、当サイトにメール寄せられたおたよりやご意見です。 ご本人の了承を得た上でここに掲載しています。

 なお、文面は一部省略することがあります。 実名・匿名の別は、投稿者と相談の上で決定しております。

 


 以下の文章は、以前から私宛てのメールで時々ご意見をお寄せ下さっている名古屋市近郊在住の会社員・高橋康思氏の論考である。 内容についてのお問い合わせは、直接ご本人にしていただきたい。 (2008年3月07日: 当サイト制作者)

 sesaminlove@yahoo.co.jp 

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 実は今年、いろいろ偶然の事情が重なり、トルコ旅行に出かけることになりました。それでトルコ関係の本を集中的に読み漁っております。「オスマンVSヨーロッパ」(講談社選書メチエ)をめくりながら、「世界の都市の物語 イスタンブール」陳舜臣(文春文庫)を読んでいます。

 わたしは大学入試で世界史を選択し、その後も世界史の読み物を集めて読み漁ってきました。しかしわたしがこれまで学んできたのは、西洋中心史観だったことがよくわかりました。日本人は西洋人学者の書いた文献を通して西洋史を学んできましたが、後世になって西欧キリスト教国が世界を支配するようになると、かつてイスラム教徒のトルコ人を恐れていたことなど、あまり触れたくない歴史になったのではないかと思います。でも最近は、直接トルコ語の史料を読み解こうとする日本人研究者が出てきて、状況が変わってきました。

 西ヨーロッパの人々にとってビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルは、ローマ帝国の遺産を受け継ぐ精神的支えでした。それが1453年トルコによって陥落します。イスラム教徒の手に落ちただけでもショックなのに、その後もトルコはヨーロッパ侵攻を続けます。ハンガリーもブリガリアもユーゴもトルコの支配下に入ります。

 コンスタンティノープル陥落からウイーン包囲が失敗に終わるまでの間、西ヨーロッパのトルコに対する恐怖心は並大抵ではありませんでした。法王のいるイタリアは、ある意味トルコとの最前線に置かれ、海と陸から両面攻撃を受けた時期もあり、必死になってトルコの情報を集めようとしました。またカトリックの領主がトルコに対抗するために、プロテスタントの領民に妥協するような状況も生まれました。(その逆もあった)

 なぜトルコはそんなに強いのか。西欧の人々は、その原因を信仰の純粋性に求めます。偶像崇拝を一切認めず、妥協しない厳しいイスラムの信仰。当時のカトリックは、偶像崇拝を商品化して売っていたのです。キリスト教でも信仰の純粋化を図って強化すべきだ、と考える人が出ても不思議はありません。

 こうしてコンスタンティノープル陥落から60年後、ルターの宗教改革が始まります。もちろん宗教改革の原因は複雑ですが、その遠因のひとつにトルコの存在があったことに疑いの余地はありません。この時期のトルコ皇帝はスレイマン大帝で、彼の治世にオスマントルコは最盛期を迎えるほど強力でした。

 「エリザベス ゴールデンエイジ」という映画を見ました。反宗教改革のリーダーを自任していたスペインのフェリペ2世が、カトリックに逆らって自立しようとするイギリスのエリザベスを叩こうとするお話です。フェリペの野望は打ち砕かれるのですが、彼はこの17年ほど前、トルコ艦隊を壊滅させることに成功しています。まず東方でキリスト教圏を脅かすトルコを叩き、次いでカトリックに逆らうエリザベスをつぶして、カトリック復権を目論む一連の流れの中で起こったことです。ですからスペインVSイギリスの争いだけ抜き出すと、歴史の大きな流れを見逃すのではないかと思いました。ただし映画自体は傑作で素晴らしいものです。


以下の文章は、名古屋市近郊在住の会社員・高橋康思氏が私宛てに送って下さった論考である。 昨年6月に続いて、最近の経済状況についてご意見を寄せられたのである。 内容についてのお問い合わせは、直接ご本人にしていただきたい。 (2006年3月27日: 当サイト制作者)

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zelvis@jg8.so-net.ne.jp

◆資本は自己増殖の本能で動く

 最近、社会のアメリカ化を批判する本がよく売れているようです。 まず火をつけたのは、関岡英之著 「拒否できない日本」 あたりからでしょうか。 その他、元外交官の原田武夫著「騙すアメリカ騙される日本」が出て、本質的に同じ趣旨のことを述べています。 ウオール街の国際金融資本の意思に従って、アメリカ政府は日本に構造改革を要求していて、それが在日アメリカ大使館の年次要望書として公開されている、というものです。

 わたしはこの種の陰謀論の是非は判断できないので避けますが、もっと面白いと思ったのは、国際ジャーナリスト田中宇氏の 「アメリカを空洞化させた国際資本」 と題する報告です。 田中氏の論説は、上記2人の意見を補強する形で、もっと大きな視点から説いていますので、こちらを主に紹介します。 この3人に共通する考え方として、欧米と一口に言っても、英語圏とそれ以外の地域をはっきり区別しています。 アメリカ留学組の人たちは、英語=欧米と考えがちですが、これは間違いであると主張する所から出発します。

 アングロサクソン圏では、「企業は投資家の利益を最大化するために存在する」   と考えてきました。 投資家は高い投資利回りを要求し、企業はそれに答えなければなりません。 高い投資利回りを実現する方法は昔から決まっていて、それは発展途上国の中で最も優秀な国に投資することです。 優秀な人材を安い賃金で雇い、効率よく生産できる国 (例えば中国) に投資することです。 成熟した国に投資しても投資利回りは上がりません。 また、自国内にある工場はつぶして閉鎖しなければなりません。 自国内にある工場にこだわっていると、投資利回りが上がらないからです。

 資本は細菌・ウイルスと同じように自己増殖の本能で動きます。 仲間を増やすのに一番都合のいい場所に移ろうとするのです。 英米は伝統的に、この資本の本能に従って動いており、そのため英国内の資本は19世紀にアメリカに根こそぎ移っていきました。 現在のアメリカ資本は、アメリカ本国を脱出して他の国に生産設備を移そうとしています。 これは、「投資利回りの最大化」   という価値観からは正しい行動です。

 しかしその行き着く先は、中流階級の人々がつける安定した仕事がどんどん減っていき、安い時給のパートタイム仕事しか見つからなくなります。(それでも統計上は失業者には入りません。)   一部の高級取りのIT・金融エリートと、その他大勢の安い時給で働く貧困層に二極化することになります。 そして地域社会は崩壊し、荒廃していくことになります。 これがアングロサクソン的思考のもたらす必然的な結果だというのです。

 アングロサクソン的価値観は世界規模で広がっていますが、この価値観が広がった地域はどこでも同じような結果が生じることになります。

 わたしが田中宇氏の考えに感心したのは、以前に同趣旨のエーモン・フィングルトン著   「製造業が国を救う」(早川書房) を読んでいたからです。フィングルトン氏の主張はわたしには衝撃的でした。

 「ドイツ・スイスに代表される大陸国家は製造業を捨ててなどいない。 それは英国がやり始め、それを受け継いだアメリカがさらに大規模に推進していることだ。」
 「金融・IT産業に就職できるのは、学業成績が上位10%に入る者に限られると言ってよいであろう。 英米のシステムは、その上位10%の利益を限りなく最大化するために作られている。」

 フィングルトン氏が指摘する脱製造業社会の最大の問題点は、雇用が特定の層に偏ってしまうことです。 日本企業は高校卒の若者を大量に雇い、世界標準から見ると決して低くない給料を支払ってきました。 これが中流階層の厚みを形成し、社会の安定化にもつながります。 日本・ドイツ・スイスはまだ何とか製造業を維持していますが、アメリカはすでにフィングルトン氏が懸念する領域に踏み込んで、さらにその動きを加速させています。

 アングロサクソンの伝統的思考を最も忠実に反映している指標が、ROE (株主資本利益率) です。 これは企業が株主から委託された資金でどれだけ利益を上げたかを見る指標です。 余計な設備・人員を抱え込むことになる製造業を捨てて、身軽なサービス業に転進するアメリカ企業が相次いでいます。 アメリカの優良製造業だったGE (ゼネラルエレクトリック社) は製造業を捨てて、金融サービス会社に転進してしまいました。 これは 「ROEを最大化する」という価値観からは正しい方向だからです。アメリカ最高の株式投資家であるバフェットは、製造業を投資対象としてあまり好まず、優良サービス業を好むそうです。 これは、「ROEを最大化することが企業の使命である」 という価値観に照らし合わせるとよく理解できます。

 アメリカ政府・企業の意思決定は、国際資本の投資利回りの向上、つまりROE最大化という価値観から動いている、というのが田中宇氏の指摘です。 彼らは外国人どころか自国民のことなどどうでもよく、投資利回り最大化という命題に従って動き、外国の構造改革にまで圧力をかけて干渉しています。 そして選挙のときには国際資本から資金提供を受ける構造になっている、という田中氏の指摘には目からうろこが落ちました。

 関岡英之著 「拒否できない日本」 で、建築基準法の改正にまでアメリカの意向が反映されていることを知り愕然としました。 容積率の緩和にまで踏み込んだ要求をアメリカがしていることも驚きでした。 こういう本が売れていることが日本の将来にどういう影響を及ぼすのか、見つめていきたいと思います。


 以下の文章は、名古屋市近郊在住の会社員・高橋康思氏が私宛てに送って下さった論考である。 高橋氏は以下のように書かれている。

 <わたしは大学を卒業してかなり年月が経ちますが、先生のホームページを拝見していると、大学が並々ならぬ状況に立ち至っていることがわかり暗然とさせられます。 先生は制度改革の批判をおやりになっていますが、わたしが思いますには、より根本的な解決策は、民間に蓄積される富を増やし、それを税制等を変えることで大学に寄付しやすくすることしかないと思われます。 「いったいどうしたら民間に富を蓄積できるのか」 ということをテーマにして長年考え続けてきました。 ようやく少しまとまってきたので、失礼をも省みず、拙文を送付させていただきます。>

 せっかくの論考なので、高橋氏の了解を得た上で、このサイトで公開させていただくことにした。 なお、この論考へのご意見は、高橋氏へ直接お願いする。 zegit@jg8.so-net.ne.jp 

   2005年6月18日 当サイト制作者

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1.日本の経済というより文化の根源にある問題は住宅です。 これだけは江戸時代の昔から全く変わっておりません。 わたしは住宅だと断言します。


2.日本は法隆寺とか薬師寺とか古い木造建造物を造ってきた伝統ある国です。 だから民間の木造住宅についても、築100年を越える住宅が日本中に満ちあふれるように大量に残っていてもいいはずではありませんか。 しかし実際には、ほとんど残っておりません。 これは空襲のせいでしょうか。 しかし空襲に遭わなかった地域でも、古い木造住宅はほとんど残っておりません。たまに見つかると重要文化財に指定されていたりします。


3.日本の民間木造住宅の平均耐用年数は30年程度です。 (旧建設省の建設白書では26年となっておりました。) 先進国の中では、極端に短いのが特徴です。 30年くらいの周期で、住宅を取り壊しては立て直し、取り壊しては立て直し、を延々と繰り返してきたのが、これまで日本人がやってきたことです。 30年程度しか持たないということは、重い住宅ローンを払い終わったと思ったら、もうすぐ耐用年数も尽きてしまいます。 建て替えのためには、またローンを組み直さなければなりません。 このことが、いつまでたっても経済的な余裕が生まれてこない元凶です。


4.日本の住宅は木造だから耐用年数が短いのは仕方がない、というのは言い訳にはなりません。 日本と同じく木造が多いスイスの民間住宅の耐用年数は、日本の倍はあるからです。 木でいかにして長持ちする住宅を造るか、を探求する方向で伝統が進んできたからです。 日本の場合、こういう事態になったのは江戸時代の大都市の影響が強いと考えます。


5.江戸時代の江戸や大阪の街は、木造住宅が密集している巨大人口の都市でした。 そして江戸の街は数年に一度の割合で大火に遭っていて、何度も何度も焼けています。 そんなに何度も焼けるとなると、建てるほうでも取り壊すことを考えて建てるようになります。 一般庶民の住む長屋から大名屋敷に至るまで、取り壊すことを考えて建てたそうです。 じっくり時間をかけて長持ちする頑丈な住宅を造ろう、という考え方は生まれてきませんでした。 そんなことを考えても無駄でしょう。 どうせ焼けるわけですから。江戸や大阪で発達したのは、狭い空間スペースをうまく有効利用する、大工の手仕事の巧みさを競う、という方向の伝統でした。木で頑丈な長持ちする住宅を造る、という方向ではありません。 伝統が進む方向が違う、とでも言ったらいいのでしょうか。


6.日本でも地方に行けば、新潟・信州の合掌造りのように木で頑丈な住宅を造ろうとした跡が残っています。 スイスの古い農家を集めた野外博物館に行ったことがあるのですが、そこで日本の合掌造りそっくりの農家があって、木造3,4階建ての古い農家があって驚きました。 よく考えてみると、スイスと信州上信越地方は風土がよく似ています。 山国で冬は雪に閉ざされて、人口密度が低くて木材が豊富にある。こういう場所では、木で頑丈な長持ちする住宅を造ろうと考えるようになるのでしょう。 しかし、江戸や大阪の街でそんなことを考えても無駄でしょう。 木造住宅が密集していて、どうせ火事で焼けるわけですから。


7.「土地値」 という言葉があります。 本当に価値のある不動産は土地だけで、上物 (建物) は消耗品にすぎない、という考え方ですが、これが日本の建築・不動産業界の伝統です。 江戸時代からずっとそういう考え方で生きてきたので、なかなかすぐには変わりません。 建物があてにならないから、土地にばかり過剰に頼るような価値観が生まれてきて、これがバブル崩壊まで続いた土地神話のようないびつな形になって発達したのでしょう。 建物さえ、住宅さえもっとしっかりしてくれていたら、国民の生活にもっと余裕が生まれるはずです。 これは世界中どこの国にでも共通してあてはまる価値観ですが、住宅の耐用年数の長さと生活のゆとり、余裕は比例します。 両者は正比例の関係にありますから、耐用年数が30年程度で尽きてしまうような国では、経済的余裕は生まれにくいでしょう。


8.住宅がいかに国民の生活に影響を及ぼしているか、理解してもらうのにいい事例があります。 アメリカは新しい国でたいした伝統などないじゃないか、と言う人は多くいます。 しかしアメリカで築50年の住宅は売れます。メンテナンスを常に怠らず良好な状態さえ保っていれば、買い手は必ず見つかります。 古い伝統があるはずの日本で、築50年の住宅が売れるかどうか、不動産屋に聞いてみて下さい。 相手にされませんよ。 取り壊しに費用がかかるから、マイナス100万円とか、マイナス200万円とか言われてしまう。 日本で古い家屋に住むということは負債を抱え込んでいるのと同じことで、当人は払わなくてもいいかもしれないが、相続した子供は必ず払うことになります。 土地の値段から建物の取り壊し費用を差っ引かれます。 これが現実に起こっていることです。 欧米で親から古い住宅を譲り受けるということは、資産を譲り受けているわけです。 なぜならそれは売れるからです。 日本で親から古い住宅を譲り受けるのは、負債を譲り受けているわけです。 なぜならそれは売れないばかりか、固定資産税がかかってきて、その上、取り壊し費用もかかり、金が出ていくからです。 だから負債です。 この違いには大きいものがあります。


9.ここまでくると、これは経済というよりは文化の問題であるということがよくわかります。 伊勢神宮にある何とかいう建物は、何十年に一度の割合で取り壊して建て直しているそうです。 そういうことを千年以上に渡って繰り返してきたのだそうで、気が遠くなるような深遠な伝統文化だと言えるでしょう。 伊勢神宮のような特殊な建築物でそれをやるのは一向にかまわないのですが、日本中にあるすべての民間家屋でそれと似たようなことをやられると・・・実際にはそれに近いことをやっていると思うのですが、それは資源の大量消費・大量廃棄です。 いつまでたっても経済的な余裕が生まれてこない元凶です。 江戸の住民は火事に遭うたびに住宅を建て直し、焼ければまた立て直し、ということを延々と繰り返していたわけです。 こういう生活を100年続けても、200年続けても経済的余裕は永遠に生まれてきません。 住宅を建てるためにエネルギーを空費してしまっているわけで、蓄積されて残っていくものがないからです。


10.茶室というのは、狭い空間スペースを有効利用する、大工の手仕事の巧みさを競う、という観点から見ると見事なものです。 しかし耐用年数という観点から見ると、話にもならない。吹けば飛ぶようなものです。 あれが日本建築の象徴です。 長所はわかっているのですが、欠点の影響があまりにも大きく、日本人の生き方を縛って狭くしていると言いますか、日本文化そのものを縛って狭くしていると言いますか、そういう風に影響しているように思います。

11.最後にまとめとして、住宅の耐用年数が短いということは、経済的余裕をなくす方向で絶えず力が働いているということです。 製造業がそれを上回って稼いでいる間はいいのですが、稼げなくなったときには、元の貧しい国に戻ってしまう危険があります。 だから国民の英知を結集して何とかすべきなのは、自動車でもなければ半導体でもない、住宅です。 逆に言えば、住宅さえよくなれば、日本は劇的に変わる可能性があります。

 


 

三浦淳先生

 はじめまして、小さな塾を開いている倉井優臣と申します。
 次のページにありました 「〈座談会〉英語帝国主義、或いは英語をめぐる諸問題」 たいへん面白く読ませていただきました。

 http://miura.k-server.org/newpage115.htm 

 現在の中学の教科書は奇妙キテレツなものになってしまっていまして、指導しにくいことはこの上もないものです。 このままでは中学生とその親の世代の学力差は大きく広がるばかりです。

 私のホームページにも英語教科書問題について載せていますが、古い教科書から現在の教科書までの資料をもとに、考えていく予定です。

 http://www.mb.ccnw.ne.jp/koubun/kyomondai_1.html

 http://www.mb.ccnw.ne.jp/koubun/kyomondai_2.html

 http://www.mb.ccnw.ne.jp/koubun/kyomondai_3.html

 http://www.mb.ccnw.ne.jp/koubun/jackandbetty_1.html

 http://www.mb.ccnw.ne.jp/koubun/jackandbetty_2.html

 ご子息は現在高校生になっておられますが、高校の授業は 「文法」 抜きで行われ、多くの生徒が丸暗記を強いられている状況です。 高校英語につきましては、下のページで取り上げていますので、高校での現在の指導内容につきましても、その様子を把握できるものと思います。

 http://www.mb.ccnw.ne.jp/koubun/highEnglish.html 

 これからも三浦様のホームページを拝見させていただきます。 主に読書月録を読まさせていただいており、更新を楽しみにしております。

 倉井
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(有)紘文塾
 http://www.mb.ccnw.ne.jp/koubun/ 

(2004年6月26日掲載)

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 倉井様。 お知らせありがとうございます。 英語教育の問題はかなり深刻なようですね。 ゆとり教育や、最近の盲目的な 「大学改革」 と合わせ、時流にながされずに物事をきちんと考えていかないと日本はどうしようもない状態になると思います。 (当サイト制作者)


拝啓 三浦 淳 先生

 突然メールを送る無礼をお許しください。
 私の名は****といいます。 職業は某政令指定都市の行政職員です。 おととしの3月まではある大学院のドイツ文学研究室に博士課程に在籍していました。
 先生のサイトを知ったのは2ヶ月前のことですが、それ以来先生の映画評や読書月録等を興味深く拝読させていただいております。 私も映画や音楽が好きなのですが、先生の批評には脱帽することもしばしばです。
 ただ一番関心をもって拝読しておりますのは、先生のドイツ文学や第二外国語教育に関する提言であります。 自分も2年前まではドイツ文学に在籍しておりましたので、日本のドイツ文学研究、ドイツ語教育をとりまく環境のひどさを熟知していたつもりでしたが、実はドイツ語教官の多くがその
環境の悪化に手を貸しこそはすれ、抵抗したのが先生を含めて少数派であったという事実には、多数派のドイツ語教官ならびにそれを知らなかった自分にあきれ果てました。 同時に、日本の知的面、文化面の将来を考えると暗澹たる気分にならずにいられませんでした。
 これからも先生のご活躍をお祈りします。 今回はここで失礼させていただきます。

(2004年5月29日受け取り、6月8日掲載)

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 おたより、ありがとうございます。 現在はドイツ文学を大学院で専攻しても、ドイツ語教師になるのが難しい時代ですから、方向転換もやむを得なかったものと拝察いたします。 むかし、1960年から70年代前半にかけての頃、ドイツ語教師になるのがかなり楽だった時代に大学に奉職した連中が、今現在、大学の第二外国語を守ろうとするどころか、サブカルチュアにうつつを抜かし、非常勤講師のクビを平気で切っている退廃ぶりには寒気がします。 今後のご発展を心から祈っております。 (当サイト制作者より)

 


『谷沢永一 「国立大学民営化論」 のデタラメ』 を拝見して

拝啓 わたしは名古屋近郊在住の本好きの会社員です。 40代でサービス業に従事しております。 「西欧の植民地喪失と日本」 で検索していてたどり着いたのですが、先生の熱気あふれる議論を拝見しました。 先生のおっしゃりたいことはよくわかりました。 でも、わたしの考えは、先生とも谷沢先生とも違います。 そのことを述べたくて、メールを差し上げる次第です。

先生のおっしゃる通り、アメリカの私学は民間からの少なからぬ寄付によって成り立っています。税制が寄付にかなり有利にできているのです。 しかるに日本では寄付したいと思っても、税金でかなりの金額を吸い上げられてしまいますから、そもそも寄付したいという意欲が起こりません。 贈与税率の高さは信じられないほどなのです。 どうかお調べになってください。

そんなことよりも、もっと根幹の事情があります。 ヨーロッパはだいたい16世紀くらいから世界中に乗り出していき、世界中で貿易・植民地経営を行いながら、世界中から富をかき集めるということを、100年、200年、300年にわたって延々とやり続けてきました。 わたしは中央アフリカ共和国の役人と話をしたことがあるのですが、彼の話は、フランスがあの広大なアフリカの大地から富を収奪して本国に送るということを、100年以上に渡って延々とやり続けたという話でした。 あまりにスケールの大きな話なので仰天した覚えがあります。

ヨーロッパはこういうことをやりながら、社会資本を整備し、個人資産を蓄積してきました。 そうして蓄えた富を、あらゆる手段を用いて運用してきました。 ヨーロッパには資産を運用してきたという長い長い伝統と蓄積があります。 そういうことが基盤になっている社会です。 そしてその基盤の上に立って、美術館を建てたり、オーケストラに助成金を出したり、学問研究に補助金を出したり、奨学金を払ったり、年金を払ったり、街づくりをやったり、社会福祉をやったりしています。 そして欧米のインテリはそういう事情を熟知していると思うのです。 だから何か不祥事が起こっても、「金を
動かすような世界から手を引け」 などという声にはならず、「もっと仕組みをわかりやすく充実させろ」 とか 「透明なものにせよ」 とかいう声になるようです。

明治時代に福沢諭吉が慶応義塾を建てたとき、理財学科というのを作りました。これは資産運用の専門家を育てようとしたものですが、新しい時代 (明治) にはこういう人材が必要だと考えたのです。 何という先見の明でしょうか。 しかし残念ながら福沢のような人は少数派で、大多数の人たちは森鴎外や夏目漱石のように、江戸時代の武士道・儒教の倫理観を引きずっていて、金を動かすような世界はいやしい世界だと考えて、低く見て軽蔑していました。

そのくせ欧米の制度は真似しようとしたのです。 美術館を建てたり、学問研究に補助金を出したり、奨学金を払ったり、年金を払ったり、といった制度はおろかにも真似しようとしました。 欧米社会の基盤 (資産運用) を無視しながら、制度だけ真似したらいったいどうなるのでしょうか。 遅かれ早かれ行き詰る、破綻するじゃありませんか。 やっていることがむちゃくちゃです。

日本の年金を誰が運用しているかご存知でしょうか。 年金福祉事業団の職員が通信教育を受けながらやっているそうです。(←坂口厚生大臣の国会答弁より) そうして何兆円もの運用評価損を出しているわけで、こういう分野をないがしろにしてきたツケが回ってきていると考えるべきでしょう。
 わたしは経済学の先生に聞いてみたことがあるのです。 なぜこういう分野は研究されてこなかったのでしょうか、と。 返ってきた答えは、「そん
なもの学問じゃない」 という一言でした。 そんなものは学問研究の対象だとは考えられてこなかったというのです。

明治以来の知識人は偉大で功績は大きかったと思うのですが、落ち度も大きかったと思うのです。 わたしなりの結論としては、遅きに失したとはいえ資産運用を学問として本気で研究して取り組むこと。 そして寄付しやすい環境を整えることです。(税制等) ここまでやって初めて、先生が嘆いておられる文部官僚の影響力を排除する準備が整います。

ここまで拙文を読んでいただいて、どうもありがとうございました。先生のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。

 2004年3月17日  高橋康思   zexis@jg8.so-net.ne.jp

(2004年4月5日掲載)

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 高橋さん、メールありがとうございました。 理路整然たるご意見開陳に感心いたしました。 またご意見をお寄せ下さい。   (当サイト制作者より)


第四銀行はうそつきだ

第四銀行が官僚的であるという主張は、ずばり的を得ている。 実際問題、訴訟になった場合には信じがたい話ではあるが言った、言わない、の水掛け論になった場合には半公共的な企業の性格を持つ?第四銀行の言い分を裁判所も信じる傾向にあるそうだ。 これは、弁護士先生から聞いた話であるから間違いない・・・

何ゆえ私が第四銀行をうそつきと批判するのか?
貸し渋りをされたとか、貸しはがしをされたということではありません。 お金を返しに言ったら私の口座が凍結されていたからだ。
詳しい内容は、「財界にいがた」 という雑誌の 〔2003年〕 9月号110ページに出ています。
記事の内容はすべて事実であり、第四銀行からも謝罪はありましたよ・・・

しかしながら、その謝罪は的がはずれているんですよ。
交通事故にたとえるなら・・・黄色の点滅信号なのに、さあ青ですよ渡っていいよと商工会がいい、信じて横断歩道を渡ったら巨大なダンプカー (第四銀行) が走ってきてぶつかった・・・もちろん私は倒れましたよ、怪我もしましたよ。
倒れた私にダンプカーは言いました。
私どもはぶつけていない。 風圧で倒れたのかな? でも、倒れているのは事実なのでごめんなさい。
ぶつけた運転手 (行員) は、ひっこめていきなり上司とか事故処理係がごめんなさい、ごめんなさいの大合唱?

天下の第四銀行が、ATMコーナーの大衆の面前でお客様に、金返さないから通帳を止めました・・なんて口が裂けても認めたくない気持ちはわからないでもないけど、組織ぐるみでうそはいけないでしょう。

本店のお客様相談室の室長さんまで出てきて、苦しい弁解をしたときにはまさしく国会答弁を聞いているよだった・・・
このホームページで第四銀行は官僚的という文句をみつけたときは、まさしくそのとうり・・・一人で拍手しちゃいました。

新潟県で第四銀行ともめたら大変なんですから、あらゆるところから天下り役員を迎えていたり、株主になっているから表立って批判出来ない人がたくさんいるんですよ。
弁護士先生も、僕忙しいからと二の足踏むくらい、本当に第四銀行はたいしたもんだ。 あなたは偉い、新潟県ナンバーワンですよ。

私以外にも、もっといやな思いをしている方々はたくさんいるんだろうなー。
みなさんどうしているのかな? 泣き寝入りしなきゃいけないなんて世の中間違ってる・・・。

新潟県水原町 佐藤敦子 (会社員)

2004年3月23日掲載

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 この投稿は、昨2003年10月に私宛てのメールで送られてきたものです。 当サイトの 「論争のページ」 に掲載されている 「第四銀行は官僚的である。 郵便局は民間企業的である」 を読んで、ご自分の体験を語る気になられたようです。 私から、そちらの同意があれば当サイトに転載するが、というメールを折り返し送っておいたのですが、しばらくお返事がありませんでした。 5カ月ほどたった2004年3月になって、掲載していただいて結構だというお返事をいただきました。

 この方は、現在、第四銀行とは裁判で争っている最中だそうです。 第四銀行が相手だというと、新潟県の弁護士は引き受けてくれないので、東京の弁護士に依頼したそうです。 世の中の仕組みが分かる話ではありませんか。 それで、「論争のページ」 だけでなく、こちらにも併せて転載することにいたしました。

(当サイト制作者)


三浦先生

はじめまして。 貴サイトを読ませていただきました。 検索の網にかかった文字列から、この著者は誰?とぐぐっと興味を惹かれることはそれほど多くはないと思うのですが、先生のサイトは私にとってとてもとても知 (自分にあればと仮定して) 的に興奮させられるものばかりのようです (まだ全部読み通したと言える自信はありませんのでそう正しく表現させていただきます)。

さて、その感激に比べれば大した問題ではないのですが、捕鯨問題の中で、昨年11月分の、
捕鯨用の仕切り網切る 環境保護団体の外国人2人逮捕
http://www.sankei.co.jp/news/031119/1119sha004.htm

この記事を私はとても興味深く読みました。 実は、こうであろう、という予測をたてて当時ざっと新聞を見たのですが探せませんでした。 というのは、まどろっこしい書き方で申し訳ありませんが、私は現在カナダに在住しており、おそらくこれと関係があるであろう話のカナダ版を新聞で見たのです。

昨秋、ざっと新聞を見た時に、とてもきれいな赤い色が目に付き、あれはなんだったっけ?と数ページ行った先から引き返して読んでみると血だとあります。 なんの?と思うと、そこには、Dolphin slaughter in Japan, 'most shocking thing I've seen' なるタイトルがついていました。

タイチでのイルカを虐殺している、とどっからどう読んでもそうとしか思えない記事でした。

事件の日取りが日本11月?カナダでの記事では10月と違っていますので、同じ事件ではないわけですが、おそらく同じグループ、意図の話と考えていいのだろうと思われます。

私としては、しかし、日本の中で育ち、何をどう考えてもどんな意味でも無意味に殺生をする太地の人々などというのが考えられず、これは話を大幅にはしょっているか改竄しているのだろうと思い、該当記事を日本版で探し、今はできずとも将来の抗議に対応しよう、など考えておりました。 が、その後忙しさに紛れて忘れていたところ本日先生のサイトに巡り会い、これはやっぱり見過ごさず着実に、「そっち」(日本) と 「こっち」(カナダもしくはアメリカ) での 「出方=メディア露出」 を揃えておくべきじゃないないのか、など改めて考えた次第です。

はじめてのメールでの長話、大変申し訳ありませんが、そういうわけで出会いに感謝しつつ、今後とも読ませていただこうとブックマークにおさめましたことをご報告させていただきたいと思います。

私自身は、カナダ発で、なにやかやと駄文を連ねたサイトを持つものです。お時間のある時にでもご訪問いただけましたら幸いです。
http://www.kawakami.netfirms.com

川上直子

(2004年2月23日掲載)

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川上さん、メールありがとうございます。 以前、海外在住の日本人であちらの捕鯨問題報道を真に受けている方から、日本の捕鯨問題報道はおかしいのでは、というメールをいただいたことがありますが、川上さんはお考えがしっかりしていて、欧米の報道を批判的に読むことがおできになっていらっしゃるようで、安心しました。 私は古いヴァージョンのネットスケープを使っているせいか、川上さんのサイトにアクセスできないのが残念ですが、このコーナーを読んだ方々 (で最新のパソコンを所有しておられる方) がきっと訪ねていくことでしょう。

(当サイト制作者)


はじめまして。
同志社大学文学部2回生のChi-Pyonghakと申します。専攻は哲学、第二外国語は独語です。
授業でトーマス・マンの『ファウスト博士』を読むことになり、何か役に立ちそうなサイトはないものかと探していたところ、三浦淳先生のサイトに出会いました。

時間があまりないので、ささっとドイツ文学に関する文章だけ読もうと思っていたのですが、すっかり魅了されてしまい、時がたつのも忘れて色々な論評を読みふけってしまいました。

こんなに読み応えのあるサイトは久しぶりです。
兄が一昨年まで新潟大学にいましたが、いったいどんな大学なのか、今日まで明確なイメージを持つことができていませんでした。

ですが、これからの僕の新潟大学のイメージは 「ああ、三浦淳先生のいらっしゃるところね!」 で決まりです。
もちろん新潟大学と先生御自身の思想が、幾つかの事柄に関してはあまり一致していないことは承知の上ですが・・・。(そんなこともないですか?) 学報に対する歯に衣着せぬ痛烈な批判は、非常に知的好奇心を刺激されました。

またしばしば拝見させていただきます。
寒い日が続きますが、お体に気をつけてがんばってください。
失礼します。

(2003年12月10日受信、同年12月30日掲載)

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Chi-Pyonghakさん、メールありがとうございます。 文は人なりと言いますが、あなたの文章からはご本人の息づかいのようなものが感じられて、鮮烈な印象を受けました。 今後のご発展を心からお祈り申し上げます。

(当サイト制作者)


三浦淳先生: はじめまして。
私、某大学大学院研究生の長谷川貴弘と申します。

先生のお名前は、以下の捕鯨問題に関するサイト(http://www1.pos.to/~luna/whale/jpn.html)で初めて存じ上げましたが、先生の「反捕鯨の病理学」を中心とする各種論考における精緻かつ説得力のある論理展開には、大変感銘を受けました。また、反捕鯨論者の本質を鋭く抉りだす先生の論考は真に痛快であり、何度も読み返させていただきました。私も研究を仕事とするものの端くれですが、自分はこのような説得力がある論文を書いてきたのであろうか、と甚だ恥ずかしく感じた次第です。

さて、このたびお便り差し上げましたのは、先日のIWC(国際捕鯨委員会)総会において鯨保存強化委員会設立など反捕鯨を前面に押し出した決定がなされたことについてであります。報道によれば、残念ながら、日本の科学的根拠に基づく主張は一切採り上げられなかったとのことです。

今回の決定は、IWCがなんら科学的根拠に基づいて決定を下す機関ではなく、「鯨は神聖な生き物で一切捕ってはならない」という信念に凝り固まった「宗教団体」である、ということを明白に示したものではなかろうかと思われます。

某テレビ番組で、「鯨は見るもので食べるものではない」というドイツ代表のインタビューを目にし、このような思いをさらに強くしました。

事ここに至っては、私の個人的な意見ではありますが、日本はIWCを脱退すべきと考えております。日本は、もはやこのような「宗教団体」に、巨額の拠出金を提供したり、真面目に代表を派遣して議論を展開したりする、何ら根拠も意義も見出すことは出来ないと思います。

長々と大変失礼いたしました。先生の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。もし私の今回の報道に関する理解に誤りなどありましたら、ご指摘いただけましたら幸いです。

(03年6月20日)

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長谷川さん、メールありがとうございました。

欧米諸国は長らく(今も)キリスト教という侵略的な性格を持つ宗教によって支配されてきましたが、鯨を聖獣扱いするIWCのあり方は、彼らがこの種の侵略的観念性から一歩も出ていないという事実を示していると思います。

日本人はこうした認識をしっかりもっていわゆる国際問題に臨むべきであり、お人好しの善意が外界に満ちているなどと思ってはならないわけで、捕鯨問題はそのよい見本と言えるでしょう。

(当サイト制作者)


 

拝啓 三浦 淳先生

はじめまして。私、新潟大学***学部***学科四年の*****と申します。

四年生という時期もあり、就職活動なぞしておりますが・・・・。

先日、第四銀行の試験を受けました。
面接官の態度や支店の悪評・風評と言ったものに疑問を抱きました。

新潟信金の会社説明会では、『君たちが当金庫に内定するまでは、お客様として扱っております。』
そう言われ、感動したものです。
が第四銀行の試験では、圧迫面接ということもありましょうが、慇懃無礼というかそんな態度で扱われました。

『正しい質問には、正しい答えが含まれる』とは言いますが『正しくない質問には、正しくない答えでしか応えれない』
そんなレトリックな問答だったような気がします。

そんな元本命企業第四銀行の試験・・・結果、落ちました。

WEBで自分の求める『働きたい企業で働く』ということを検索しているうちに、先生のHPにたどり着きました。
同業他社との比較で、第四銀行の悪い点を求めるという、私の醜い心の発露なのかもしれませんが。

先生のHPを拝見しているうちに、非常に勇気が湧いてきました。
常識とは何か?この社会を覆う、エゴの塊みたいなものに勇気を持ち、進んでいくこと。
伝統は引き継ぎ、悪癖は破壊するもの・・・・。そう感じました。自分はそう信じ、就職活動をしていこうと思います。


急なメールお許しください。
取り留めの無い内容でしたでしょうが、先生のHPに感動した、新潟大学も捨てたもんじゃない!
そういった気持ちは小生意気ですが真実ですので・・・。

失礼なメールにお付き合い頂き、ありがとう御座いました。
                                                敬具

(03年4月17日、新潟大生より: ここに転載するに際して匿名といたしました)

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*****さん、メールありがとうございます。 就職活動すると、その企業の体質みたいなものが図らずも見えることってありますよね。 また、就職はその時代の好不況に左右されますが、それが一生を決めるわけでもないでしょう。 バブルの頃は新大生も都銀にばんばん就職していましたが、今、同じ職場に残っている人間がどの程度いるでしょうか。 自分の特質や好き嫌いに本当に合った職場を見つけられるよう祈っております。 (当サイト制作者より)


はじめまして。
岩月謙司 『女は男のどこを見ているか』 の批評に賛成。 話にならん。 買ってしまい、猛烈に後悔している。 金返せ。

(03年4月17日、aikenさんより)

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aikenさん、メールありがとうございます。 評判になっていても中身のない本、結構ありますよね。 今回は私の「読書月録2002年」を読んで下さったようですが、今後も参考にして下さるとうれしく思います。    (当サイト制作者より)         


 初めてお便りします。 わたしは栃木県の某高校の国語の教師(30代前半)ですが、このページを拝見して、楽しかったです。
 最近は、だらしない、元気のなくなるような雰囲気のなかで生活している自分が、すこし、元気になりました。 「ドイツ文学紹介」のいくつかの記事を熟読してしまいました。
 論争のほうは、もう少し時間があって、もうすこしぼくの問題意識とぶつかるようなトピックがあったときに、あらためて参加させていただきたいです。 こういう場所がもっとたくさんあるといいと思います。(じつは結構あるのかな?)
 わたしも、三流教師をつづけながら、ドイツ語や明治時代の文学・哲学などを勉強してゆきたいです。
 三浦先生、どうかこれからも、このような活動を続けてください。 (学外にいる私のようなもののためにも)。 また、お便り申し上げます。

(01年9月12日: 黒磯市 河合一岳〔かわい・いちがく〕 さんより)

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 河合さん、メールありがとうございました。 興味を持っていただけてうれしく存じます。 またいらしてくださいね。     (当サイト制作者より)


 

神戸の紙礫筆誅堂でございます。長らく御無沙汰しておりました
ので、既にお忘れかも知れませんが。
最近、自宅のマシンをネットワーク接続しまして、ようやく
先生のサイトを職場以外で読めるようになりました。

閑話休題、八月分書評の「靖国」、大変参考になりました。
同書、1999/03/21 付の毎日新聞書評欄で取り上げられて
おり、文庫に落ちるのを待っていたのですが、どうも情報を
取りこぼしていたようで、先生の書評を見るまで気付きま
せんでした。ありがとうございます。
先生の書評、読書傾向が当方のそれと重なる処があります
ので、いつも拝見させて戴いております。今後も益々の御
活躍を。

それと、2001 年分の映画評 #74(千と千尋の神隠し)に
誤植が一件。「やおよろず」が「やおろず」となっており
ます。

<追伸>
ずいぶん遅れてしまいましたが、サイト開設二周年、
おめでとうございます。

それでは

(01年9月12日)

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 紙礫筆誅堂さん、久しぶりのメール、ありがとうございました。 昨年の5月17日以来ですね。 お名前は忘れてはおりませんでした。 誤植は次回更新時に直しておきます。      (当サイト制作者より)


 こんばんは 僕は愛知に住む三浦 淳です。でも、じゅんといいます。
 ただ、同じ漢字のお方がいたので、うれしくて、メールしているだけです.
 僕も、映画が好きなので,映画のコメントはとても参考になりました。
 これからもがんばってください。
 それでは失礼します.
 \(^o^)/!!

(01年5月29日: 28歳、消防士)

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 メール、ありがとうございます。 三浦淳を検索エンジンにかけると、サッカー選手ばっかり出てきて困りますよね(笑)。 消防士のお仕事、しっかりやって下さい。    (当サイト制作者より)


 初めてお便りいたします。かねてより捕鯨ライブラリーを通じて捕鯨問題の論説は拝見しておりましたが、かようなWebが出来ているとはつゆ知らず。 早速拝見しました。今後とも、更新を楽しみにしております。

 鬼頭秀一『自然保護を問いなおす』ちくま新書、は、三浦様の論説で知って読んでみたのですが、いい本との出会いでした(捕鯨の部分はともかく)。
ひとこと感謝の気持ちを申し上げたく、メールいたしました。

(01年1月22日: 匿名希望さんより)

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 メール、ありがとうございます。 自然保護という観念自体を検討していく作業は大事なことだと思います。    (当サイト制作者より)


 はじめまして。

 私は去年大阪のとある私立大学を卒業し、今は求職中なんですが、最近になって本を読み始めました。今は電車の中でも読める文庫本を読んでるんですが、大学在学中にドイツ語と出会い、ただただドイツ語だけを勉強するのはと思い、 ドイツ文学の作品を読んでみようと思い、YAHOO!で探していたら三浦先生の(勝手に先生と呼んですみません・・・)HPが目にとまり、ほんとはドイツ語かなり苦手だったんですが、文学ならきっと読みきれるだろうと思い、思い切ってアクセスさせていただきました。

 三浦先生の情報は学生さん向きに作られていたので、学生じゃないのにすみません・・・

 よろしければ、これからも多くのドイツ文学を紹介していただければと思っています。

  簡潔ではありますが、失礼します。

(00年12月26日: ながさんより)

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ながさん

 メールありがとうございました。
 ドイツ文学の項はまだ内容量が多くないのですが、ご声援(?)に勇気を得て、順次充実させて行きたいと思います。
 またお寄り下さい。  (当サイト制作者より)


はじめまして。
 
 わたしのみてきた、ふたつの< 悪・官 >の例・・・

■ 趣味でモータースポーツを<観たり・やったり>しています・・・・・・

  観る側から、やる側になって暫くすると、みんなが抱く思いがあります。
  それは、<天下り官僚の垣根>であります。

  日本国内のレースの殆どを仕切っている組織は『JAF = 日本自動車連盟』です。
  ここの仕切りを外れて選手権レースを開催しようとすると参加ドライバーは、< A級ライセンス>を剥奪されます。
 
  死亡事故などの重大事故が発生すると、主催や運営している人には、責任が及ばず、「こいつが、事故原因 ! 」とドライバーを特定して、選手生命を絶つような重い処分が課されます。
 
  また、健全なスポーツとして、育成していく気持ちがなく、<主催者の上前をはねる>事のみに終始しています。

  この原因は、JAFモータースポーツ部門の責任者ポストに<警察天下り官僚>が順次就任するからです。彼らは、かつて取り締まって来た<暴走族>の延長にしかモータースポーツを考えていません。その発想からは、どうも健全に若者を育成するためのプランや創造はできないようです。

  だから、やっている人間が何を言っても、響きませんし、<キョトン>として理解できないことが、表情だけでもわかります。

■  障害者共同作業所の支援で・・・・・・

  わたしが後援会事務局長をしていた、ある障害者共同作業所でのことです。
  民間施設でしたが行政から委託料を支給されながら、職員の給与は最低賃金ギリギリで運営していました。

  行政は作業所運営委員会の席上、「ここは、効率が悪い。3年をメドに民間企業へ就職させるようにする方針を中心に据えて運営するように・・・その為に重い障害のある人は入所を断ってください。また、出戻り者もおなじ・・・」 といつも発言されるのです。

  あずかっている側は、そうはいきません。行政が委託料を支払うぐらい行政の<福祉サービス>が行き届いていないわけですから、この作業所を頼ってこられる方々は、あとを絶たない状況です。
  また、さまざまな理由で就職先から退職を余儀なくされて、途方にくれて行き場のない元入所者も、沢山いるわけです。
  
  すると、ある時突然に『委託料減額のお知らせ』が、作業所宛に届くではありませんか ?

  説明もなしに、運営委員会の場で言うでもなく、担当者は前日に顔を出していたにもかかわらず・・・

  作業所の者がいくら問い合わせても返事なし、市民である後援会の人間が行ってやっと説明がされました。

  「いくらお願いしても、行政の指導を受け入れないから、今回の措置となりました。」ですと・・・ ! ?

  沢山の市民から「それは酷いんじゃないの ! ! 」という声があがり、後援会は瞬く間に10倍の組織になりました。

  その後は、行政とも和解できました。

  このように、「現場の状況も把握せず<指導>とは、なんやねん。どっちが横柄な態度なんじゃ ! 」と思わされることが<官僚・行政>には、よくありますよね。

  
  『あんこや 大塚』でした。

(00年9月5日)

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 当サイト「論争のページ」に掲載の「国立大学を支配する文部官僚」をお読みになって、ご自分の体験から、官僚の理不尽な態度の実例を書き送って下さったものです。 現場を知らない官僚の横柄さに悩まされている方、多いですね。   (当サイト制作者より)

 


『nemo』寄贈有り難うございました。

捕鯨のお話は、私の不満を全部言ってくださったような文章で、胸がすっとしました。

私は、環境問題が日本でまだ余りとりあげられないころから、環境に関心を持ってきましたが、鯨の問題だけは、欧米人に不信の念を抱いてきました。

休刊とは残念です。とりあえずお礼まで。

(00年7月12日: 匿名希望さんより)

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 環境問題に興味があっても、反捕鯨運動には納得できないという方は多いですね。 『nemo』は休刊になりますが、これからはこのサイトをごらん下さい。 (当サイト制作者より)

 



はじめまして 三浦淳様

捕鯨問題でこのサイトを発見しました。私は、以前からあの問題が、胡散臭くてしかたがないのです。理由は、実に素朴なものです。それは「なぜ鯨にばかり大騒ぎするのか?」というものです。絶滅しかかっている生物なら、何千種類もいるのに皆殆ど無関心です。また、人間の都合によって虫ケラのように(この言い方は、虫ケラから苦情が来そうですね)殺されている生き物がごまんといるのにこれまた知らん顔です。まさか鯨さえぶじなら他の生物はどうなっても良いというわけではありますまい。

今世界中で絶滅しかかっている動物の保護のために働いている人々がいますが、彼らは皆資金不足に悩んでいるのです。奇麗事ではなく、環境保護、動物保護には、金が必要ですが、金というものは空から降ってはこないのです。ところがどうしたわけか、反捕鯨を唱える人々は資金を提供したりするような動きをまったく見せません。これはいったいどうしたことなのでしょうか。

そもそもあの反捕鯨運動なるものが、鯨保護を目的としたものかかなり疑わしいのではないのでしょうか? 例えば、日本は現在シロナガスクジラ回復調査なるものを行っております。周知の通りシロナガスクジラは、鯨の中で最も深刻な状況にある種です。捕獲禁止になって30年以上経つのにもかかわらず、一向に回復の兆しを、見せません.治らない病人がいたら、医者はなぜ患者が治らないかを調べだし、治療方法を開発し、積極的に回復を促進させようとします。いま日本はシロナガスクジラという重症患者に対して、そうしようとしているのです。実際外国の科学者も賛同して協力していくれています。この計画が成功すれば、素晴らしいことになるに違いありません。

ところが、口を開ければ、絶滅絶滅と騒ぐ反捕鯨運動家、反捕鯨国が、協力するどころか無視を決め込んでいます。これは、反捕鯨運動の正体を間接的に表しているとは言えないでしょうか。口先だけなら、いくらで正義の味方を気取れます。しかし、口先だけで環境保護が出来るものでありません。行動を伴わない議論など偽善ではないのでしょうか。

更に、腹立たしいのは嘘を言う組織が存在することです。外国の人々は日本が、世界中の鯨を皆殺しにしているとか(そんなにたくさんの船はない)、生きたまま鯨を解剖しているとか(危なくてできない)、5時間もかけて鯨を殺しているとか(そんな非効率的なことはできない)、直接見たわけではないのですが日本がスポ−ツで鯨を殺しているとか(捕鯨船の燃料費、維持費、運行費を合計すれば莫大な金額になる)などと言うインチキビデオも存在していらしいのです。捕鯨の是非は別にしても、このようなデマゴギ−(事実を歪曲して大衆を扇動すること)は、環境保護全体の信用を損ねてしまいかねません。環境保護のためにも日本は捕鯨問題に、こだわり続けるべきだと思います。


僭越ながら、捕鯨問題を考える上で次の著作を読んでみていかがでしょうか。直接捕鯨問題について触れているわけではありませんが、参考になると思います。


『情報操作のトリック −その歴史と方法−』 講談社現代新書
ナポレオンや、ナチスを例に挙げ、情報操作によって大衆を操るテクニックについて開設しております。これは、反捕鯨運動にも使われた手口です。

『最後のサファリ』 申し訳ありません。出版社わかりません。
これは、現場の実状を見ず、狩猟イコ−ル悪という近視眼的な観点からしか見ない動物保護、環境保護に警鐘を鳴らしています。特に本書でケニアのハンタ−が言っていることは、実に示唆に富んでいます。「安楽椅子に座っている安易な自然保護論者の無知が野生動物の将来を間違った方向に導こうとしているのだ」。反捕鯨運動家にも読んでもらいたい本です。

(00年7月10日: 匿名希望さんより)

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 お知らせありがとうございました。 『情報操作のトリック』はさっそく買い求めます。 『最後のサファリ』は田島健二著の草思社の本ですね。 買ってはあったのですが、未読でした。9月末まで忙しいので、今年中には読みたいと思います。(当サイト制作者より)


 

こんにちは三浦様。初めてメールを送ります。

『捕鯨ライブラリー』で『捕鯨問題をめぐる往復書簡 三浦 淳』を読み、感想を書こうと思い立ちました。(サイトには連絡先が無かったのですが、名前で検索して三浦さんのHPにたどり着きました。)私は現在ドイツで環境技術を勉強しています。ドイツは“反捕鯨”の盛んな国でもあり、それについて議論することが時たまあります。

あるドイツ人と捕鯨の是非について議論したことがあります。(そのときは“割り箸”もテーマでした) “クジラは絶滅の危機にある、野生動物を利用するのはずるい、クジラは知能が高い、etc.”といった事が議論の中心。

最後に彼の口から出た言葉が印象的です。『日本人はうそつきだ!』初めて会った人に対してそういう言い方をするのにはかなり驚きましたが、“ドイツ人はさすが率直にものを言う!”と感心したものです。 でも、後で考えたら彼は“ただの無礼な奴”(笑)。彼はそのパーティーのホストでもあり、ゲストである私にそんな事を言うことは普通許されません。 一緒に行った私の友人(ドイツ人)は怒っていました。 “率直である”ことと“思ったことをなんでも口にする”事は違うと学んだ日でした。

クジラの話からそれてしまいましたが、こちらで感じるのは『反捕鯨(環境問題も)は一部の人達にとって一種の新興宗教である』ことです。 “モスリムがブタを食べない”、“ヒンドゥーが牛を食べない”のと同様に、議論の余地の無いこと。そういう人達と議論をしようと思っても無意味だし、話がかみ合うはずがありません。他宗教の習慣に対して大きな声で文句を言うのは問題がありますが、捕鯨に関しては懸念なく非難できるようです。

しかし、そういう風に議論を受け付けない人ばかりでないのが救いです。 今回の国際捕鯨委員会の動きを見ていても、理詰めで攻めていけば突破口が開けそうだと感じましたが、三浦さんはどう思いますか? 捕鯨賛成派が少数だと嘆いていてもしかたありません。 IWCという土俵の上で始めてしまった試合ですから、“科学と事実”で争っていくしかないと思います。

とりとめも無く書いてしまいました。
捕鯨問題についてはまだまだ書きたいことがあるのですが、それはまたの機会に。

最後に一つだけ書簡を読んで感じたことを付け加えます。 『その意味で、暗殺されたスウェーデンの故パルメ首相の責任は重大だというのが私の考えです。 「鯨が救えないなら人間も救えない」式の安易なスローガンの元凶は彼だからです。 これは私の想像ですが、この時彼は自分が何をしているかよく分かっていなかったのでしょう。自分の提案が文化差別主義・民族差別主義に道を開き、ヒトラーの反ユダヤ主義にも似た反捕鯨主義を台頭させるとは予想していなかったのではないでしょうか。 国民の支持を受けなければ成り立たない政治家という商売人は、しばしばこうした「敵」を想定することによって受け狙いをします。 ヒトラーの反ユダヤ主義と似ていると私が思う所以です。』

この部分に関してですが、ヒトラーを引き合いに出すのは不適切だと感じます。
もちろん三浦さん自身の議論のスタイルについて、私がとやかく言う筋合いはありません。
しかし、こういうかたちの挑発的な比喩は冷静で事実に基づいた議論をしていこうとする時の障害になると思います。

三浦さんの経歴を見せていただき、私と“ドイツの意外な結びつき”があるので驚きました。
余計なこととは思いましたがそういう親近感からでた“率直な意見”だと思ってお許し下さい。

それではまた
松田

(00年7月6日)

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 松田さん、ドイツからの貴重な情報とご意見、ありがとうございました。 ドイツ人の反捕鯨論者を論破すべくがんばって下さい。(当サイト制作者より)


 

初めてお便りします。やっとインターネットとやらを始めた先生と同年の者です。小生は10月なので1ヶ月ほど先生の方が先輩という事になります。操作上のミスがあればお許し下さい。

職業は小売業を営んでいます。

捕鯨問題を読ませて頂きました。小生も同感です。捕鯨問題は単に反捕鯨を叫んでいるに在らず、過激な言い方をすれば、白人種以外の有色人種の文化的抹殺を図ろうとしている、と小生は思っています。

オーストラリアが今開会中の IWC総会で「南太平洋禁猟区案」とやらを出しているとニュースで聞きました。 同国は貴ページにもあるようにカンガルーを食べ、子羊の肉が最高の美味とか言って悦に入っている国です。先住民のアボリジニに対し、白人のオーストラリア人は200年の間、人間扱いをして来なかった。1970年代になり、ようやく市民権とやらが彼らに与えられたとの事です。

またタスマニア島のアボリジニはホロコーストされました。ユダヤ人のホロコーストはいつまでも語り継がれ世界中が知っているのに、タスマニアのホロコーストはもはや忘却の彼方です。その上、1876年に亡くなった最後の女性の方の御遺骨は、50年前までは博物館で動物の剥製といっしょに展示されていたとの事で、さすがにこれには異論が出て倉庫(それでも倉庫です!)に安置されたのですが、つい最近、1970年代に入り、やっと火葬されたと聞いています。

当たり前の事をするのに100年もかかっているのです。その上、倉庫に安置する時、火葬する時、その度に反対意見が根強かったとも聞きました。全く、何をか言わんや、です。 だから捕鯨問題は捕鯨問題にして捕鯨問題にあらず、現在の黄禍論なのです。その点の理解が今の若い人には出来ているのでしょうか。我々は白人の文化奴隷ではない。

(00年7月5日: 吉村さんより)                                                       

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吉村さん、メールありがとうございます。 若い人たちに捕鯨問題や、その背後にある欧米中心主義の実態をよく知ってもらいたいですね。(当サイト制作者より)


 

あの、細かいようですが、'99/10/22 付第四銀行再批判文中の「利用者の鏡」は「利用者の鑑」の方が宜しいのではありますまいか。
「豚児」等と奥床しい言葉をお使いになる先生には、相応しくないと存じ上げます。

                               ★

「呉智英」で検索をかけた際、
“人畜無害なことを並べただけのガラクタ・サイト〜”
とのお言葉に惹かれて一通り拝見させて戴きました。
悪くありません。納税している甲斐もあったと云うものです。

                               ★

谷沢永一批判も極めて正当であると存じます。当方の僅かな経験からしても、国立大サイトに問い合わせをかけると僅か数時間で返答が
来た(高知大教育学部社会科)のに対し、民営、それもダイエー絡みの流通科学大は一週間経っても返事一つ寄越さない。
質問内容はいづれもただ一つ、

“教員の E-Mail address をお教え願いたい”

ただこれだけの質問に対してダンマリを決め込むのが情報学部経営情報学科だったりするのだから、嗤ってしまう。

“あの、教授がコンピュータ使えませんのでとても格好悪くて返答できません”

等と真相を吐露する必要などないが(笑)、

“非公開にございます”

位の返答を寄越すのは最低限の礼儀、商いのいろはの“い”であろう。
「中内学園」が聞いて呆れる。
学生の数はこの先減る一方なのだから、私学は増やすのではなく、逆にガンガン減らすべきであろうと存じます。取り敢えずは関西大学なぞ
俎上に載せるのがいいですな(哄笑)。

捕鯨問題に関しても全く同感。
波打ち際でバタバタもがいているような間抜けな鯨を何でまたわざわざ税金使ってお救い申し上げる必要があるか。徒に苦しみを長引かせる
だけである。とっとと楽にしてやった上で解剖し、かかる愚行の原因を探って再発防止を図るのが真の慈悲と云うものでありましょう。
そもそも、鯨が滅びて一番困るのは他ならぬ捕鯨国であると云う根本的な視点が、捕鯨論議からは欠け落ちているような気が致します。

                               ★
 
ついでながら、「ヒトデ」と云う生き物には、「海星」と云う字を宛てるようです(「大辞林」、「世界大百科事典」)。英米語だと“Starfish”で
ございますし。
「欧米人はなぜ〜」中で触れられている「いわき海星高校」の「海星」も、これならそれなりに筋も通っているように存じます。
最も、「いわきひとでこうこう」と発音させるとは思いませんが(笑)。
因みにこの“newpage122.htm”、サーチエンジン(ODiN)は引っかけるのにサイト内のリンクでは辿れないように思えるのですが。

当方は民主主義なぞ天から信じておりませんが、それ以前にイデオロギー如きの問題ではないと考えます(イデオロギーどころか、人類を全然信じて
いなかったりする(爆笑))。
理想社会とは単に理想人間のみによって構成される社会の事で、宗教だのイデオロギーだのが導くものではありますまい。


以上、一服の清涼剤とはなりました。
末長くお続け下さいますよう、陰ながら応援申し上げます。

(00年5月17日)

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 メールありがとうございます。 「鏡」は大急ぎで「鑑」に直しました。

 なお、サーチエンジンでひっかかったページ"newpage122.htm"(書評: 阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』&橋本治『宗教なんかこわくない』)は、【読書コーナー】の「本格書評――この本を読め! (3)文化・社会・人文科学一般」にリンクしてあります。

(以上は当サイト制作者よりの返事でした) 

 


どうも、始めまして。
fujirinと申します。
知的ではないのですが入ってしまいました。
申し訳ありません。

シネウィンドで検索をかけたところ、先生のHPに行ってしまいました。
単館系が新潟のような場所でコンスタントに見れるのは良いですね。

今神奈川に住んでいるのですが、帰省したときに良く行きます。
学生時代のように。

そう。
実は私は新潟大に6年もいたのです。
私は理系なのですが、文系の先生でこんな面白い方がおられたとは。
後の祭です。
第二外国語でドイチェを取ったのですが、もうすっかり忘れてしまいました。
ご指導頂いた野村先生や、最後の惑星の先生はまだご健在なのでしょうか?

では。
そのうち、また、学生を騙しに新潟大に伺う事にします。
工学部は頑張っています。
(99年10月10日)

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fujirinさん、メールありがとう。
当ホームページへのメールはあなたが第一号です。おめでとうございます。残念ながら賞品は用意しておりませんでした。

「知的……」は一種の脅しのつもりなのですが、新大生は臆病なせいか意見・感想等をさっぱり送ってきせんね。困ったものです。

野村先生は94年の教養部解体後法学部に移られましたが、1年間勤めただけで、停年の2年前に退職されました。「最後の惑星」の先生とは、酒寄先生のことでしょうか。先生は数年前に和光大学に移られました。教養部解体前のことです。

またお暇な折りにお越し下さい。

(以上は、当サイト制作者よりの返事でした)


                                                                                       

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