本屋や出版社の体質というのは、割りに簡単に見分けられると思っている。利用者からの問い合わせや苦情にどれだけきちんと対応するか、という一点である。
その点で見ると、紀伊國屋書店は間違いなくワーストの部類に属すると言わねばならない。
なにしろ、落丁本を取り替えてくれないのだ。
ずいぶん前のことだが、新宿の紀伊國屋本店でOxfordのGreek-English Lexiconを買った。
買いはしたものの、ほとんど使うこともなく書棚に放置していた。
それから数年後、必要があってギリシア語を独習し始めて(まもなく挫折してしまったが)この辞書を使うようになり、落丁があるのに気づいた。
本店に問い合わせてもよかったのだが、身近なところということで、紀伊國屋の新潟支店に電話して、取り替えてくれないかと頼んでみた。
答はノーであった。店員の説明は、買って数年たっているので円とポンドのレートが変わっているから、というものであった。
はあ、そんなものですか。
仕方がないので、この辞書を持っている同僚に頼んで落丁箇所をコピーさせてもらい、該当箇所に挟み込んで使うことにした。
紀伊國屋書店の体質にうんざりしたのはこれが初めてではない。
20年ほど前のことになるが、東北大で助手をしていた頃、当時刊行途中で、完結すれば6巻になるDudenのドイツ語大辞典を独文研究室で購入していた。紀伊國屋書店を通しての購入である。ところが、刊行されているのに届いていない巻があった。
2度ほど催促したのだが、一向に届けてくれない。そうこうするうちに私は新潟大に就職が決まり、仙台を離れることになった。この件を次代の助手に引き継いではいけない、俺の代で片づけなくては、と思った。
それで私は直接紀伊國屋の仙台営業所に赴いて、すぐに届けてくれないなら今後独文研究室としてはおたくの店から本を買いませんよと脅したのである。
効果はてきめんだった。すぐ航空便で取り寄せますからという返事がきたのである。最初に苦情を言ったときからそうして欲しいものだ。
しつこいようだが、もう一つ書いておこう。これは洋書販売店としてではなく、出版社としての紀伊國屋書店についてである。
数年前、私は同社が出版している或る翻訳物のシリーズの刊行予定について、往復葉書で問い合わせた。全10巻予定のはずが、最初の2巻が出ただけで後続がないので、どうなっているのか、という内容である。
しかし、返事は今にいたるまでない。往復葉書の返信用を返せ、と言いたくなる。(私の経験では、類似の問い合わせに、文芸春秋や新潮社や筑摩書房はきちんと答えてくれた。)
洋書取扱いといい、出版といい、以上のエピソードは紀伊國屋書店という会社の体質を十二分に示しているのではなかろうか。
最初の落丁本の話に戻ろう。私が紀伊國屋書店の対応に立腹するのは、これと正反対の対応をした店を知っているからである。
それは東京・有楽町のイエナである。
もう25年近く前、私が修士課程の学生だった時分の話である。当時父の転勤により両親が東京の池上に住んでおり、私は休暇で帰省してトーマス・マンの『魔の山』を原書で読んでいた。ところが、Fischer書店の文庫版の下巻に落丁があるのに気づいた。
私は困惑した。買ったのが2年ほど前であるのに加えて、かなり書き込みをしてしまっていたからだ。こういう本を取り替えてくれるものだろうか。
駄目でもともと、という気持ちで私は本を購入したイエナに行ってみた。
しかし、この店の対応は紀伊國屋書店とは雲泥の差があった。即座に書棚から新しい本を出して渡してくれた上、落丁のあった本も書き込みが必要でしょうからそのままお持ち下さいと言ってくれたのである。
もう一つ、正反対の例を挙げよう。ドイツのFischer書店である。
この出版社が刊行した『トーマス・マン日記』の中の一巻に落丁があった。私はそれをドイツの、通信販売専門の本屋から購入したのだが、こういう場合、どこに苦情を持ち込むべきか。
考えたあげく、とりあえず版元のFischer書店に手紙を書いてみた。
返事は、新しい本とともに送られてきた。今お持ちの本はドイツに送り返すには及びません、送料の方が本の代金より高くなってしまうでしょうから、と書き添えられていた。
私がすぐ感謝の手紙を書いたのは言うまでもない。
爪の垢でも煎じて飲ませたい、ということわざは、こういう時のためにあるのであろう。紀伊國屋書店の辞書には載っていないかもしれませんがね。
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