音楽雑記2014年(1)                           

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4月12日(土)   *トリオ・ベルガルモ演奏会 名曲の扉

  本日は午後2時開演の標記の音楽会に出かけた。

 本日の新潟市は快晴ながらやや風が強い。 某所に車をおいて25分ほどやすらぎ堤を会場まで歩いたが、桜は満開寸前といったところで、花見を楽しむ人々の姿も目立つ。

 開演15分前に会場のりゅーとぴあ・スタジオAに入ったら、すでに客はかなりの入り。まもなく80席ほどの椅子はすべて埋まり、追加で椅子を出していたから、100人くらい入っていただろう。 これが昼の部で、夜の部もあるのだから、このトリオの人気のほどが改めてうかがえる。

  ベートーヴェン: ピアノ三重奏曲第4番op.11「街の歌」
  D・ハーゲン: ピアノ三重奏曲第3番「Wayfaring Stranger」
  (休憩)
  メンデルスゾーン: ピアノ三重奏曲第1番ニ短調op.49
  (アンコール)
  パッヘルベル: カノン

 庄司愛さんは緑、渋谷陽子さんは青、石井朋子さんは藍色のドレスで登場。
 本日のプログラムでは、第2曲目のハーゲンの曲が珍しい。 1961年生まれのアメリカの作曲家だそうだが、いわゆる現代曲ではなく、聞きやすい、ちょっとポピュラー的なところもある曲。 第3楽章だけはちょっと独特だけど、解説によると古いスペインの舞曲だそうで、調性の枠をはみ出るようなものではない。

 ベートーヴェンとメンデルスゾーンの曲も、珍しくはないがそれぞれ曲の特質が感じられた。ベートーヴェンでは初期の彼の活気のようなものがよく出ていたし、メンデルスゾーンはやはりこのジャンルでの名曲だなと改めて思ったことであった。

 このトリオ、結成10周年になるそうで、うーん、もうそんなになるのかと今更ながらに驚いてしまう。7月26日(土)に記念の演奏会をだいしホールでやるそうである。 今から楽しみ。

 

4月9日(水)   *アメリカの大学教授は低レベル

 本日の毎日新聞 「発言 海外から」 の欄に、キャロル・グラックというコロンビア大学教授(日本近現代史)の意見が載った。例のごとく従軍慰安婦の問題なんだけど、おおよそ以下のようなことを書いている。

 いわゆる従軍慰安婦問題で日本が謝罪を求められるのは、ドイツがホロコーストで謝罪を求められるのと同じであり、これは謝罪の政治が現在一般的になっているからだ。東欧諸国がロシアを批判するのも、それが欧州で受け入れられると知っているからで、中国や韓国が日本を批判するのと同じだ。したがって河野談話の検証は、「謝罪の時代」 においては国際的にまったく通用しない。

 これを読んで、私はアメリカの大学教授、それも日本の近現代史を専攻しているというのだからまさに専門的な分野について語っているわけだが、レベルが恐ろしく低いんだな、という印象を持った。

 この人の言うことをそのまま受けとるなら、事実でないことにも国家は謝罪しなければならないことになる。 ドイツは、たしかにホロコーストでは謝罪を続けているが、カティンの森事件 (知らない人は自分で調べること) についてはソ連の犯行だとして決して謝罪はしなかった。 そしてソ連も長らく、この事件はナチスドイツの犯行だと言い張っていたわけだが、ゴルバチョフ時代にソ連内部の資料が公表されて、この事件がソ連のしわざだということがはっきりしたのだ。 その後、アンジェイ・ワイダ監督によってこの事件は映画化されている。

 河野談話については、周知のように事実をふまえて出されたものなのかどうか怪しいという批判が当初からあり、そういう疑問は最近さらに強まっている。だからこそ検証が必要なのだが、このキャロル・グラックという教授に従うなら、事実でなくとも謝罪しなければならないことになる。 トンデモ大学教授もいたものだ。

 毎日新聞はどういう意向でこんな大学教授の見解を掲載したのか。 アメリカの大学教授はこんなに非知性的なんですよ、相手にしちゃいけません、と分からせるために載せたのだろうか。 どうにも首をかしげてしまうのである。

 なお上記の大学教授の見解はネット上の毎日新聞には載っていないようですので、紙媒体の毎日新聞をごらん下さい。

 

4月6日(日)   *佐渡が中国に狙われているかも知れない

 本日の産経新聞の報道より。 対馬に韓国の手が伸びていることは知っている人は知っているけど、佐渡にも外国人の手が伸びているのだ。 

 新潟市民はどうも国際政治にうとくて、市内の土地が中国人に買われている問題 (2012年7月21日の本欄参照) もあるのに、知らない人間が結構いたりした。 日本に住んでいるから国際政治に無関心でもいい、って時代ではなくなっているのだ。 

 新潟県民だけの力ではなんともならないところもあろうし、この点での日本の法整備が急がれるが、新潟県民、特に県庁勤務の方々はちゃんと押さえておいていただきたい。 (以下の引用は本日の産経新聞報道の最初のあたりです。 全文を読みたい方は、下記URLからどどうぞ。 なおこの記事は本日のみではなく明日に続きます。)

 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140406/plc14040611310008-n1.htm 

 【島が危ない 第2部 佐渡に迫る影(1)】 ガメラレーダー 日本海の要、接近 中国重鎮の思惑

  新潟県・佐渡島に中国の影がちらつく異変が起きている。航空自衛隊が誇る高性能警戒管制レーダー、通称「ガメラレーダー」があるこの島を中国要人が訪れ、中国と関係が深い男性が経営する学校法人が地元観光施設を1円で手に入れた。連載第1部で明らかにした長崎県・対馬の韓国経済への依存と同様、国境離島の深刻な“不安材料”がここにもあった。第2部は佐渡島の現状を報告する。(宮本雅史)

            ◇

 沖縄・尖閣諸島沖で中国漁船による衝突事件が起きた直後の平成22年10月30日朝。背広姿の男たちが佐渡・妙見山(標高1042メートル)中腹の峠の茶屋「白雲台」で休息を取っていた。山頂にそびえ立つ航空自衛隊佐渡分屯基地のガメラレーダーとの距離はわずか3キロ。佐渡の市街地や両津湾も一望できる。

 一行の中心は中国の唐家●元国務委員。そのほか、中国在新潟総領事館の王華総領事(当時)、新潟で絵画教室を運営する学校法人新潟国際芸術学院(新潟市中央区)の東富有理事長兼学院長、そして佐渡市の甲斐元也副市長(現市長)の姿もあった。 〔●はへんが王、作りが旋〕

 前日に佐渡に入り1泊した唐氏はこの日、佐渡金山を見学した後、観光道路として有名な「大佐渡スカイライン」で紅葉を楽しみながら白雲台に立ち寄った。スカイラインはここで、妙見山頂と麓を結ぶ自衛隊管理の「防衛道路」につながる。防衛道路沿いの標高450メートル地点にはレーダーをつかさどる重要施設「キャンプサイト」もあるが、4月下旬から11月中旬までは観光道路として一般にも開放されている。

 休息を終えた唐氏一行は防衛道路を使って山を下り、次の目的地のトキの森公園に向かった。

              ×    ×

 今年2月中旬、雪の佐渡分屯基地を訪ねた。

 分屯基地は、第46警戒隊と中部航空施設隊で構成。第46警戒隊はキャンプサイトからガメラレーダーを通して24時間、日本海上空を監視している。最大の敵は冬の暴風雪だ。「基地全体がすっぽり雪に埋もれてしまう。吹雪で視界が10メートル、ひどいときは1メートルを切るときもある」。源田進1等空尉はこう話す。

 キャンプサイトから雪上車で山頂に向かう途中、白雲台にも立ち寄った。ここからはガメラレーダーがはっきりと大きく見えた。

 そのレーダーの重要性は、拡大路線を続ける中国との関係悪化でさらに高まっている。

 中国吉林省の延辺朝鮮族自治州の日刊紙、延辺日報などによると、中国は日本海に面する北朝鮮の羅津港を租借して50年間の使用権を獲得、平成24年には羅津港から100キロ離れた清津港を30年間使用する権利も確保したという。

 当時と違い、北朝鮮は張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長の処刑以降、中国との関係が悪化しているとみられている。ただ、羅津港と清津港はいずれも針路を東に取れば津軽海峡に、南下すれば佐渡島に行き着く。防衛省幹部によると、中国の空母・遼寧の動向が大きな懸念材料だという。「60機、70機の戦闘機を搭載できるので、1つの航空団並みの大きさになる。それがそのまま、日本海を動いているのと同じようになり、脅威になる。中国は今、太平洋進出を狙っているので気が抜けない」

 

4月2日(水)   *専業主婦がアメリカで増えているのだそうだ

 本日の毎日新聞に載った山田昌弘・中央大教授のコラム。

 http://mainichi.jp/shimen/news/20140402ddm004070117000c.html 

 親同居未婚者と専業主婦志向 中央大教授・山田昌弘

 日本社会でよくみられる現象が米国でも起きている――という内容の本が最近、相次いで2冊翻訳され、話題になっている。

 1冊は「親元暮らしという戦略」(キャサリン・S・ニューマン著)。自立を重んじる米国では、成人すれば親から離れ、独立して生活するのが一般的だった。少し前までは、一度自立した後に失業や離婚などで親元に戻る若者を「ブーメラン族」とやゆしたりもしていた。

 だが著者は、アコーディオンが蛇腹を広げるように自らの懐を広げて子供を受け入れる親と、そんな親に依存して生活する若者が、米国でも増えていると報告する。そんな家族を、著書では「アコーディオン・ファミリー」と呼んでいる。

 もう1冊は「ハウスワイフ2・0」(エミリー・マッチャー著)。米国社会といえば、女性も仕事での成功を目指すのが当然とみられているが、この本ではハーバード大卒など高学歴の女性が、キャリアを捨てて専業主婦となり、生活を楽しみながら趣味やボランティア、主婦であることを生かした起業をするようになった姿を描いている。

 日本では、かつて私が「パラサイト・シングル」と呼んだように、成人後も親と同居するのが一般的で、学歴が高い女性でも結婚後は専業主婦になる女性が多いが、この2冊をみると、米国でも日本と同じことが起き始めているようにもみえる。

 しかし、2冊を注意深く読むと、その背景にある問題が透けて見えてくる。

 米国で親との同居が増えているのは、経済のグローバル化の影響を受けて雇用が不安定になり、自立して生活できない若者が増えているからだ。高学歴の専業主婦が出現したのは、キャリア女性も「ガラスの天井」と呼ばれる女性差別に苦しみ、さらにキャリアの仕事量が増え、仕事と子育てを両立しにくい状況が出てきているからである。

 自立を重視する米国でも、経済的に不利な若者や、仕事と子育ての両立に困難を感じる女性が増え始めたから、親や夫などの家族に頼らざるを得なくなっているのだと言える。

 日米両国に共通するのは、不安定就労をしている若者や子育て中の女性をサポートする社会保障制度が整っていないことだ。これらが整っている北欧などでは、親と同居する未婚者や高学歴の専業主婦が増えているという話は、まだ聞かない。

 「米国でも日本と同じことが起きている」と単純に受け止めるだけではいけない。親と同居する未婚者や高学歴専業主婦が増えた背景にどんな問題があり、それをどう解決すべきなのか。この2冊は、それを考えるきっかけにすべき著作なのだ。

                      *

 まあ、たしかにこういう現象には色々な側面があるわけだし、一時的なものなのか、或いは今後こういう傾向が強まっていくのかはよく分からないだろうと思うけど、私なんかは、男と女がまったく同じことをするのでなければ男女平等は実現しないとは全然考えていないので、世の中、こんなものじゃないか、という感想を抱いた。

 そもそも、アメリカで男女の共働きが趨勢となったのは、単に男女平等の理念が浸透したからだけではなく、そうしないと食っていけない現実があったからだ。 物事は何でもそうだけど、理念だけでは進まない。 それを裏打ちする、場合によっては理念とは全然かけはなれたところにある現実が変化の要因だったりする。

 また、子育てをするのには両親の双方が働いているよりは、一方がいつも家庭にいたほうがずっと都合がいいことは言うまでもない。 だいたい、三世代家族などの大家族が解体して夫婦と子供だけという小さな世帯が増えたのは、親や地域社会に縛られたくない、個人の自由を享受したいという近代的な人間の欲望に添ったものに他ならなかったのだし、そういう世帯なら少なくとも子供が小さいうちは専業主婦がいるという形はきわめて合理的なものだったのだ。

 だからそこに男女平等は男女ともフルタイムの仕事を持たないと実現しないという理念を持ち込むと、社会制度として小さな子供の面倒を見る施設を整備するといった政府や地方公共団体の仕事が増えてしまうという逆説が生じる。 なぜ逆説かと言うと、最近は流行らないけど、女性も定職を持って一人前という理念が日本にも浸透し始めた頃、「女の自立」という言い方がよくなされたからだ。 自分は 「自立」 しているのかもしれないが、子育ては実は外注しないと不可能なのだから、別段自分で立ってはいないだろう、という意味合いで、である。

 また、山田氏の筆致からも分かるけど、社会学者ってのは、現実の社会をよく観察して現状はこうなっていると言うだけに終わらず、必ずあるべき社会の姿を前提として、現実はそこに到達していないからこの点を何とかしろというような言い方になりやすい。 でも、学者の客観性と、そういういわば理念性って、両立するものなんだろうか。 理念性は本来は政治家の仕事でしょう。 私が社会学という学問に疑問を持つのは、そういうところにもよっている。

 

3月29日(土)   *4月から新潟市の映画料金は?

 周知のように4月1日から消費税率が5%から8%に上がる。 映画館の料金はどうなるのか? 新潟市内の各映画館の対応が決まってきたようだ。

 シネ・ウインド  入場料金は現状維持 (一般1800円、大学生高校生1500円、中学生以下1000円、シニア1000円、会員1000円)、各種割引制度 (夫婦50割引、高校生友情プライス、毎月1日サービス、その他) も現状維持。 ただし会員の入会手数料、年会費、会員向けの回数券は若干 (増税分程度) の値上げ。 『月刊ウインド』 も若干の値上げ。

 ユナイテッドシネマ新潟  通常料金は現状維持 (一般1800円、大学生・高校生1500円、中学生以下1000円)。 各種サービス料金は、現状維持は会員デー(金曜日)1000円、障害者割引1000円、高校生友情プライス1000円。 値上げは、メンズデー1100円、レディスデー1100円、シニア(60歳以上)1100円、レイトショー1300円、夫婦50割引2200円、毎月1日および14日は1100円。 

 イオンシネマ新潟西および新潟南  通常料金は現状維持 (一般1800円、大学生・高校生1500円、中学生以下1000円)。 毎月1日サービスは1100円、午後8時以降料金は1300円に。 これ以外に新設サービスとして、毎週月曜は1100円、55歳以上は1100円、平日朝1回目上映は1300円。 従来のシニア(60歳以上)料金、レディスデー、夫婦50割引などは廃止。  

 Tジョイ新潟万代  通常料金は現状維持 (一般1800円、大学生・高校生1500円、中学生以下1000円)。 サービスで現状維持は、障害者割引1000円、高校生友情プライス1000円。 サービスで値上げは、シニア1100円、毎月1日1100円(ただし12月1日のみ1000円)、夫婦50割引2200円、レイトショー1300円、シネマチネ(平日11〜14時上映開始作品)1300円。

 こうしてみると、どの映画館も基本料金はそのままである。 

 シネ・ウインドは加えてシニア割引や高校生友情プライスもそのまま。 当面は会員の入会手数料や年会費、会員回数券のわずかな値上げで済ませるようだ。

 ユナイテッドは、サービス料金は100円程度値上げしている場合が多いが、会員デー(金曜)料金と障害者割引、そして高校生友情プライスはそのままにしている。

 Tジョイも類似していて、障害者割引と高校生友情プライスはそのままで、他のサービス料金は100円値上げとなっている。

 他方、イオンシネマはサービス体系を思い切って見直している。 シニア料金を1100円とする代わりに適用を55歳以上と下げており、くわえてレディスデーを廃止する代わりに月曜は年齢性別に関係なく1100円とした。 また平日朝1回目上映はレイトショーと同じく1300円とした。

 というわけで、消費税アップに対する映画館の対応は分かれたが、はたして入場者数に影響があるかどうか。

 

3月28日(金)   *袴田死刑囚の釈放をよろこぶ

 各種メディアで報道されているように、昨日の静岡地方裁判所の判決で、袴田事件で死刑が確定していた袴田さんの再審請求が認められ、同時に袴田さんの即時釈放が命じられた。 (下記URLを参照)

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140327/k10013291821000.html 

 この事件は以前から冤罪の可能性が高いとされていたにも関わらず、再審請求が長らく認められないままであった。 メンツにこだわる裁判所や検察の態度が、冤罪の疑いが濃い死刑囚を半世紀近くの長期にわたって刑務所に閉じ込めてきたことを思えば、再審を認めるだけではなく即時釈放という措置が取られたことは当然とも言える。

 日本の裁判にさまざまな問題があることは、近年、よく指摘されている。 今村核 『冤罪と裁判』(講談社現代新書) などの分かりやすい優れた書物が出ている。 さらに、私も目下読んでいるのだが、先月出版された 瀬木比呂志 『絶望の裁判所』(講談社現代新書) があって、これは裁判官を長らく務めた明大法科大学院教授が、部分的には裁判官の実名を入れて裁判所の実態を告発している書物である。 こういう本を読むと、日本の裁判所は公正中立的な立場から判決を下す場所では全然ないと分かってしまって、鳥肌が立ってくるのである。

 また、今回の袴田事件もそうだし、やはり冤罪の疑いが濃い名張毒ぶどう酒事件もそうだが、映画が作られていて、これらの事件が冤罪だという主張を容易に理解できるように最近ではなっている。

 袴田事件は今回の死刑囚釈放でとりあえず問題が解決に向かったが、名張毒ぶどう酒事件はまだ再審請求が認められていない。 一度は高裁で再審請求が認められながら、その後最高裁が再審請求を取り消す判決を出しているからだ。 名張毒ぶどう酒事件を扱った映画 『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』 によれば、再審請求を認めた高裁の判事はその直後に職を辞する予定があったという。 つまり、最高裁からにらまれる覚悟がないと再審請求を認める判決を出すことが容易ではない、という構造が日本の裁判所にはあるのだ。

 そういう構造は、上に挙げた『絶望の裁判所』において詳しい説明がなされているから、興味のある方はお読みいただきたい。

 私は死刑制度には反対ではないが、しかし死刑を宣告する場合は判決には特に厳密を期さなくてはならないことはシロウトが考えても当然のことであろう。 「疑わしきは被告の利益に」 という原則を忘れては、司法が国民の信頼を失うことは明らかだ。 日本の最高裁には、過ちを認めるにためらうことなかれという諺を座右の銘にしてもらいたい。

 

3月25日(火)   *最近聴いたCD

 ユリア・フィッシャー・プレイズ・サラサーテ (DECCA、UCCD-1392、2013年ミュンヘン録音、日本盤)

 ドイツの若手ヴァイオリニストとして日本でも人気が高いユリア・フィッシャーが、サラサーテの小曲を集めたディスクを出した。 サラサーテといえばツィゴイネルワイゼンで、このディスクにも最後に収められているけど、そのほか、スペイン舞曲集全8曲や、アンダルシアのセレナード、ナイチンゲールの歌、バスク奇想曲など、サラサーテの作曲したヴァイオリン曲をまとめて楽しむことができる。 どれも親しみやすい曲想の作品だが、特にスペイン舞曲第3集のプラジェーラ (悲しみ) など、名曲と言えるのではないだろうか。 ピアノ伴奏はミラナ・チェルニャフスカ。 私はフィッシャーの生演奏は10年近く前にハンブルクに行った際に、ベートーヴェンの三重協奏曲のソリストとして聴いている。 彼女を含め、ソリストは若手が揃っていて、自己主張のきわめて強い演奏をしていたことをはっきりと覚えている。 その後、来日公演のリサイタルも数年前に聴くはずでチケットも入手していたのだが、来日がキャンセルになってしまい、聴き逃した。 妊娠のためだという話を後日聞いた。 何とか来日を果たしてほしいものである。 最近、新潟市内のCDショップ・コンチェルトさんにて購入。

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3月21日(金)   *シネマヴェーラ渋谷讃――または都会の若者よ、名画座に行きなさい

 本日、夕方4時池袋駅前発の高速バスで新潟に帰る前に、渋谷のシネマヴェーラで山村聰特集2本立てを見る。 昨日もやはりこの名画座で同じ特集の2本立てを見た。 特集と言っても毎日プログラムが変わるので、私のように短期間しか東京に滞在しない人間は助かる。 おかげで山村聰の俳優としての多面的な活動を知ることができた。

 山村聰というと、私の世代にはテレビの人気ホームドラマ 『ただいま11人』 の父親役としてのイメージが強い。 私はあのテレビドラマは実際にはあまり見てはいなかったのだが、ともかく9人の子供がいる大家族にあって威厳もあれば理解力も包容力もある立派な父親、というイメージにぴったりなのが山村聰であった。 もっとも彼はこのテレビドラマ出演の話があったとき、最初は渋ったらしい。 家庭のよき父親、なんてのは自分の柄じゃないと言ったという話だ。 しかし実際にはこのドラマは大ヒットしたし、理想的な父親像という山村のイメージもこのドラマによって作り上げられたと言える。

 しかし山村は監督業もやったし、映画では様々な人物を演じている。 それはだけど戦後間もない頃の話だから、私やその直前の団塊の世代には時期が早すぎたのだ。 昭和一桁か、せめて10年代生まれの人でないと、山村の俳優としての本領は分かりにくかったろう。

 その意味で、こういう特集を組んだシネマヴェーラには感謝したい。 「日本のオジサマ」 というタイトルも振るっている。 実際、日本で 「おじさま」 と作中で呼びかけられて違和感がない男優はそんなに多くない。

 東京でも名画座は減っている。 浅草の3館が一気になくなり、銀座のシネパトスも姿を消した。 現在、東京で純粋な名画座と言えるのは、このシネマヴェーラと神保町シアター、それにラピュタ阿佐ヶ谷の3館だけだろう。 池袋の新文芸坐は名画座ではあるが二番館的なところもあるし、高田馬場の早稲田松竹もそうだ。 飯田橋のギンレイホールや目黒の目黒シネマは名画座ではなく二番館である。

 ところで、知っている人は知っているけど、このシネマヴェーラの館主である内藤篤氏は、東大法学部卒の弁護士である。 そういう、いわばお堅い職業でありながら映画が大好きで、奥さん (シネマヴェーラの支配人) ともども名画座を運営しているのである。 (詳しくは下記URL参照。)

 http://www.eibunsin.com/manager/017.html 

 http://www.shibuyabunka.com/keyperson.php?id=16 

 この名画座がもう一つすぐれているのは、その料金設定である。 一般1400円、会員・シニア1000円、大学生・高校生800円、中学生500円。

 どうです、大学生以下に配慮した料金システムになっているところがすばらしいでしょう。 一般の映画館はこの逆で、シニア料金が1000円なのに、高校生や大学生は1500円という場合が多い。 ふつうに考えれば、若い人に映画館で映画を見る習慣を付けさせようというなら、大学生以下はシニアより安い料金にするのが当たり前なのに、そうなっていないのだ。 しかし、このシネマヴェーラではその辺をちゃんと考えているのである。 他の映画館も見習うべし。

 とはいえ、名画座の観客は、中高年の男性が圧倒的に多い。 今回の特集でも、「日本のオジサマ」 というテーマ設定だから若い女性も来るかと思いきや、ほとんどが男性なのである。 この辺、日本の若い女性はリサーチ不足じゃないですか。

 私は今回の上京では池袋の新文芸坐にも一度足を運んだのだが、そこでも男性客が圧倒的に多く、前の回が終わるまでロビーで待っている客に対しては、「前の回が終わりますと男性トイレは込み合いますから、今のうちにご利用ください」 という案内がなされていた。 もっともこちらは有馬稲子特集だったから中高年の男性が多いのも仕方がないが、シネマヴェーラの山村聰特集でもそうだとすると、どうも女性は名画座にはあまり縁がないという結論になりそうだ。 昔の名画座は汚くて、禁煙なのにタバコを吸っている客がいたりして、たしかに女性客に嫌われる要素が揃っていたが、今どきは決してそんなことはないのにも関わらず、である。

 なんにしても、名画座なんて今どきは東京でないと成り立たないし、それもいつまで持つか分からない。 首都圏の人間は恵まれた環境にいるのだ。 しかもこういう、若者向けの料金設定もなされている。 首都圏の若者よ、シネマヴェーラを初めとする名画座に足を運びなさいと、言っておこう。

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    *都会の皆さん、3月下旬でも山間部にクルマでお出かけの際はチェーンをお忘れなく! 

 午後4時に池袋駅前発の高速バスで新潟に向かったが、3連休の初日の夕方のせいか都内の道路が混んでおり、関越自動車道に入った時点ですでに40分の遅れ。 しかしこれはまだ良かった。

 日本の背骨を通り抜ける関越トンネルのあたりでは雪模様だったのだが、そのせいで交通事故が発生、関越トンネル前後の数区間が通行止めになってしまい、高速バスは水上インターで高速を降りて一般道を走る羽目に。

 しかし一般道も雪道なわけで、途中でノーマルタイヤのせいで動けなくなっているクルマがあり、後続車は通れないから、仕方なく後続車の運転手などが押してやっていた。 わがバスの運転手もそれに加わっていた。 困るんだね。 自分が不用意で走れなくなるだけなら自業自得だが、他のクルマにも迷惑がかかってしまうのだから。

 というわけで、高速バスは結局2時間半近い遅れとなった。 私も、三国峠を一般道を通って山越えするのは初めての体験だった。 もう少しマシな状況下でならそれも快適なドライブということになったかも知れないが、こういうケースではね・・・・。

 結局、ふたたび高速道路に乗れたのは塩沢石打から。 バスの中で7時間余を過ごすのは、いくら3列座席とはいえ、きつい。 疲労が翌日に残りそう。 とほほ・・・都会の皆さん、3月下旬でも山間部にお出かけの際はチェーンをお忘れなく。 

 なお、今回の事故については下記URL参照。

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140321/dst14032120100009-n1.htm 

 

3月20日(木)   *神奈川フィルハーモニー管弦楽団第297回定期演奏会

 神奈川フィルはこれまで聴いたことがなかった。 で、たまたま今回の上京時に神奈川フィルの定期演奏会があったので、横浜のみなとみらいホールまで行って聴いてみた。 曲目もマーラーの6番で悪くないし。

 それにしても、JRの東京ミニ周遊券がなくなって、いかにして横浜まで安く行くかが問題。 当日の日中は渋谷で映画を見ていたこともあり、東横線から横浜の地下鉄に直通のコースを選ぶ。 片道440円、時間的には急行で40分かからない。 (ちなみにJR+地下鉄だと、東京−みなとみらいが630円、品川−みなとみらいでも460円)

 当日券は開演1時間前から売り出しとのことで、私が窓口に並んだのは50分前くらいだったが、長蛇の列。 今までみなとみらいホールで脇席にすわったことがなかったので、2階左脇席1列目を選んでみた。 Aランクで4500円。 ちなみにユース券は25歳以下で1000円とのこと。 りゅーとぴあの東響新潟定期もこのくらいにしてほしいもの。

 しかし、座席に実際にすわってみて分かったのだが、ちょっと失敗だった。 みなとみらいホールの脇席はいくつかのブロックに分かれていて、ブロック内では一番舞台に近いところを選んだのであるが、そこは隣のブロックの端が邪魔になって舞台が見えにくいのである。 むしろブロック内では舞台に遠い席のほうが舞台が見えやすい。 こういうことは経験を積まないと分からないのだな。 下の平土間でいうと前から10席目くらいの位置。 
客の入りは8割くらいか。

  指揮=金聖響、コンマス=石田泰尚

  藤倉大: アトム
  (休憩)
  マーラー: 交響曲第6番

 舞台の左端がよく見えない位置だったが、弦の配置は左から第一ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第二ヴァイオリン、チェロの後ろにコントラバスで、数は左側は推測も含むけど、16、10、12、14、8のフル編成だったと思う。

 団員が入場し始めると会場から拍手が。 ただし東響新潟定期ほどには大きくなく、やはり最後にコンマスの入場があってようやくフル(?)での拍手となる。

 今回の演奏会は、5年間このオケの常任指揮者を務めた金聖響の退任記念演奏会でもあるそうで、来期はいよいよ神奈川フィルも公益法人となり、新常任指揮者に川瀬賢太郎氏を迎えるとのこと。 もっとも私は川瀬氏は名前も知らなかったが。

 前半の 「アトム」 は現代作曲家の曲で、手塚治虫の 「鉄腕アトム」 のテーマソングを変奏曲に仕立て上げたもの・・・というのは冗談です、すみません。 実際は文字どおり原子をイメージして作った曲なのだそうだけど、言われてみれば原子の流れ(?)だとか集合だとか離散が音楽で表現されているのかなあ、という気がしないでもない。 しかし現代曲なので、そう言われないとよく分からないというのが正直なところ。 15分程度の曲。

 さて、いよいよ後半のマーラーである。 先にサントリーホールで聴いたときとは無論オケも違うけれど、ホールも違えば座席の位置も全然異なるので比較にもならないが、聴いてみた印象は、非常にきっちりと演奏しているということ。 編成も大きいし色々な楽器も使われている曲なのでなかなか演奏も大変だろうと思うのだが、そこはやはりプロオケだけあって、しっかり乱れなく弾いている。

 ただ、都響のあとで聴いてみたせいか、やや整いすぎているのではないか、もう少し自己表現というか、単にちゃんと弾いてますというのにとどまらない部分が欲しいなという気がした。 特に管楽器が、抑制が効いているのは悪くないものの、もっと 「オレが」 というところもあっていいのでは、と思ったのである。 もっともこの辺は指揮者の指示やホールの特性にもよっていたかも知れない。 この曲は最終楽章でハンマーをぶったたくところがあるけど、そこも 「あれ、本当にやったの?」 と思うくらい目立たない音になっていた。

 ともあれ、大曲をしっかりと演奏しきっていることには間違いなく、聴衆からは大きな拍手が。 常任指揮者としては今月が最後ということで、指揮者にはコンマスから花束贈呈があり、なおかつマイクでの挨拶も行われた。

 なお、パンフを見ると定期会員の名が全員記載されているほか、公益法人への移行(上述のように来期から移行が決定)のための基金づくりに寄付した企業と個人の氏名、さらにはそれとは別に「神奈川フィルを応援する会」への寄付者も印刷されている。 とかく東京の隣のベッドタウンと見られがちな横浜だが、そこに立派なプロオケを作ろうという地元住民の熱い気持ちが伝わってくるようだ。

 

3月18日(火)   *新潟大学法科大学院の廃止に思う・・・・または新潟大学法学部の体質に関する個人的見解

 タイトルにも書いてありますが、以下に記すことはあくまで私の個人的な見解です。

 新潟大学の法科大学院の廃止が発表された。 以下は読売新聞の報道。

    http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20140318-OYT8T00289.htm 

 新潟大は17日、法科大学院「大学院実務法学研究科」の学生募集を2015年度から停止すると発表した。

 志願者や入学者の減少が原因で、在学生46人と4月の入学者1人が修了した時点で廃止となる。法科大学院の募集停止は全国で13例目。国公立大では島根大、信州大に続き3例目となる。

 同日、高橋姿学長や丹羽正夫・実務法学研究科長らが新潟市内で記者会見を開き、丹羽科長は「全国的に法曹志願者が減った結果、学費免除などを実施する首都圏の大規模な有力上位校に志願者が集中する現象が起こり、確保が厳しい状況にあった」と募集停止の理由を説明した。

 同科は04年度に開設。06年度に57人と定員割れとなり、09年度は29人と定員の半分以下に減少した。10年度には定員を35人に見直したが、12年度は入学者5人に減った。さらに定員を20人に減らした13年度も入学者は5人にとどまった。

 同大は定員の見直しとともに、司法試験の合格率向上によって志願者を増やそうと、12年度にカリキュラムを改正し、基礎科目に重点を置くなどした。その結果、11年に10・4%だった合格率は12年に19%、13年も18・9%と改善したが、志願者数の増加にはつながらなかった。

 こうした状況から、同大は13年4月に有識者会議を設置。同会議は8月、「まずは単独維持に努めるべきだ」とした上で、それが困難な場合は「他大学との連携を検討すべきだ」との報告書をまとめた。だが、「連携も検討したが、実現が難しく、実現しても入学者減の状況は改善できないと判断した」(丹羽科長)。

 進学を希望していたという同大法学部3年の男性(21)は「これまでと同じ環境で勉強できると思っていたので、突然のことで驚いている。進学先を考えないといけない」と戸惑っていた。

 同科はこれまで75人の司法試験合格者を輩出し、そのうち34人が県内で弁護士活動をしている。高橋学長は、「地域貢献としても非常に意味があったが、今後も入学者が増加に転じる状況になく、存続は厳しい」と述べ、苦渋の判断だったことを明かした。

 弁護士の偏在解消などに取り組んできた県弁護士会の味岡申宰会長(66)は、「県内の法曹界にとって大きな痛手だ。志願者の首都圏への集中が加速するとも考えられ、国は地方の法科大学院を残すように制度設計を見直すべきだ」と話した。

                    *

 うーん、やっぱりそうかな、というのが私の感想。 いや、政令指定都市である人口80万人の新潟市、或いは人口が230万人に及ぶ新潟県に、法科大学院のひとつくらいあってもいいとは思う。 首都圏や関西圏にだけこの種の学校が集中するのは良くないとも思う。 だけど、新潟大学法学部の体質からして、やっぱり無理だったんじゃないだろうか、ということなんだね。

 どういうことかというと、そもそも新潟大学法学部は、新しい司法試験制度と法科大学院制度ができる以前には、司法試験合格者をあんまり出していなかったんだな。 つまり、学生をしっかりと鍛えて学力を身に付けさせる、ということをやっていなかった疑いが濃厚なのだ。 

 そもそも、新潟大学法学部は一時期、カリキュラムという概念を放棄していた。 つまり、法学部学生たるもの、どういう単位をどの程度取らなければならないかという決まりをなくしてしまい、総単位数が足りていれば何でも構わない、たとえ習得単位に法学部の専門科目がなくて教養科目だけであっても、という制度に一時期はしていたのだ。

 ちょっと信じられない話だけど、実際にそうだったのだ、過去の一時期においては。 私はこれを知ったとき、はっきり書きますけど、新潟大学法学部の教員って何も考えてない奴ばっかりじゃないの、と思いましたね。 教育ということの放棄に等しい行為をやってるんだから。 そういう体制下で法学部生活を送ったら、そりゃ司法試験(旧制度の)にだってろくに合格者が出ないに決まってるよ。 学生の学力向上を放棄した体制下で、学生が育つわけがない。

 或る意味、そういう体質は今だってそんなに変わっていないんじゃないか。 新潟大学法学部は、現在、外国語の単位は1科目6単位でいいということになっている。 英語だけで済んじゃうんだね。 でも今どき、第三世界 (という言い方はもう古いけど) での産業活動も盛んで、中国語はもとより、スペイン語やポルトガル(ブラジル)語への需要だって高まっているんじゃない? また、外国語を通じて国際的な知識をしっかりと学生に叩き込むのは、法学部という学部の特性からして欠かせないと私は思うんだけど、法学部の教員にはそういう考え方はないらしい。

 (念のために付け足しておけば、人文学部は2外国語必修制度を堅持しているのだが、これにも問題がある。 教養部解体のとき、自分さえ良ければという精神で、他学部には事実上の1外国語制を薦めたくせに、自学部だけは例外にしているからで、要するに他学部への外国語授業の負担から抜け出したいというエゴ丸出しの態度を取ったのだ。 また、新潟大学では教養部解体から現在に至るまで、外国語担当教員は一貫して数が減らされてきており、国際化どころか田舎化の一途をたどっているのだが、この点については学長を初めとする首脳部の責任が大である。 だから、私は別に新潟大学では法学部だけが突出して問題だらけと言いたいわけではない。 人文学部だって学長や副学長や理事だって、似たようなものなのである。 なお新潟大学の外国語教育の体制が問題だらけであることについては、このサイトのこちらを参照。)

 つまり、そういう体制で授業をやっていて旧司法試験合格の実績もろくにない中で、たまたま新司法試験と法科大学院の制度ができたからというだけの理由で乗ってしまう・・・・これが新潟大学法学部だったのだ。 そりゃ、うまくいかないだろう、とはたから見ていて思いますよ。

 それだけじゃない。 法学部というのはエゴイスティックで学内でもあんまり好かれていないというのが実態なのだ。

 どうエゴイスティックなのか。 新潟大学では教養部解体以降、教養科目は 「全学出動」 ということになっている。 つまり、全学部の教員でちゃんと教養の授業を出しましょうね、ということだ。 また、種々の制度改革を経て、現在ではいわゆる教養科目以外にも、他学部の専門の授業を取っても教養科目の単位として認められる、ということになっている。

 しかし、大学教師というのは、人にもよるけれど、なるべく授業の負担は減らしたい、自分の学部や学科の学生は可愛いが、他学部生なんかの面倒はなるべく見たくない、という考えを持つ人間だっている。 (言うまでもないが、それとは逆の人だっているんだけど。)

 そこで、新潟大学の上層部は、ちゃんと各学部が他学部生への授業を出しているのか、他学部生をきちんと教えているのかを数値化している。 つまり、1年間に各学部が他学部生を延べ何人教えたかの数値を出しているのだ。 やや古いデータだけど、平成21年度における新潟大学文系4学部の数値は、以下のようになっている。

          総受講者数  うち他学部生  他学部生率

 人文学部    17,341      7,029       40,53%

 教育学部    26,165      5,938       22,69%      

 法学部      9,098       708        7,78%

 経済学部    15,887      2,214       13,94%

 つまり、こういうことだ。 平成21年度に人文学部の教員が出した授業を受講した学生は、延べで合計17341名。 その中で人文学部以外の学生は延べで合計7029名いた。 したがって他学部生率は40,53%となる。 すなわち、人文学部教員の出した授業を受けた学生のうち約4割は人文学部以外の学生だったわけだ。

 上の表を見れば分かるように、人文学部の教員の出している授業がもっとも他学部生率が高い。 ダントツと言っていい。 これに対して、逆にダントツで他学部生率が低いのが法学部であり、数で言うと人文学部の10分の1、率で言っても人文学部の5分の1以下しかない。 念のため付け足せば、法学部の教員数 (法科大学院も含む) は人文学部より少ないが、2分の1はいる。

 新潟大学において、人文学部と法学部の、他学部生への貢献の度合いの差は、この表からも分かるように歴然としている。 エゴイスティックと法学部が言われている状況の一端が、ここからお分かりいただけるだろう。

 ・・・・ネガティブなことばっかり書くのも何なので、他学部教員の目で、今後新潟大学法学部がどうあるべきか、希望を述べておこう。

 まず、学生をちゃんと教育すること。 専門の授業でも教養の授業でも、総合的に学生の学力を高めるべき努力すること。 自前の法科大学院がなくなっても、学部の授業でしっかり学生を鍛えれば、他大学の法科大学院にそれなりの数の学生を送り出せるはずだし、他大学の法科大学院からは 「新潟大学法学部の卒業生は質が高いね」 と感謝されるようになるはずである。 そういう法学部を目指してほしいものだ。  

 

3月17日(月)   *東京都交響楽団第766回定期演奏会Bシリーズ

 昨日に引き続いて、夜7時からはサントリーホールの演奏会に臨む。 インバルと都響によるマーラー9番の演奏会。 正規チケットは売り切れていたのでヤフオクでBランク席をAランク並みの価格で落札。 座席は舞台の右横、RBブロック2列目。 この席だと正面には舞台の後ろ半分、つまり管楽器奏者が来る。

  指揮=エリアフ・インバル、コンマス=山本友重

  マーラー:交響曲第9番

 コンマスはソロ・コンサートマスターの矢部達哉氏のはずだったが、急病のためソロのつかないコンサートマスターの山本友重氏が務めた。

 インバルのマーラー実演は、西暦2000年秋にフランクフルト放送交響楽団を率いて新潟に来た際に、新潟テルサでマーラーの5番を聴いて以来である。 その後の2009年にもインバルは都響を率いて新潟に来演しているが、そのときはベートーヴェン・プログラムだった。 いずれも良い演奏会だった。

 マーラーの9番はマーラーの作品中でも最も好きな曲だが、新潟にいるとそうそう生で聴く機会はない。 都響のプリンシパル・コンダクターを6年間務め、来月からは桂冠指揮者に就任するというインバルと都響のコンビによる新マーラー・ツィクルスの最後を飾る演奏会なので、楽しみにしていた。

 弦は左から第一ヴァイオリン、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィオラとチェロの後ろにコントラバスの配置。 数も、それぞれ16、14、12、10、8と最大限の人数を揃えていた。

 座席の位置のせいで、音の全体像はつかみ難かったのであるが、楽器の生々しい音、特に管楽器奏者たちの力量が非常によく分かった。 単に全体の一部を構成しているというのではなく、自分なりの主張をこめて演奏している。

 この曲は周知のように最初と最後の楽章に力点がおかれている。 第一楽章は混沌と秩序の相克のようなものがよく表現され、最終楽章は過度に遅くならずに独特の情感を濃厚に出していた。 最終楽章をバーンスタインみたいにやたらゆっくりと演奏するのは私の好みではないので、我が意を得たりという気持ちになる。

 代役のコンマスである山本氏も、第4楽章などで美しいソロを聴かせ、立派に役目を果たしていた。 インバルは、途中第2楽章が終わって奏者たちが調弦を改めて行っている間、舞台から退出した。 お年なので疲れが出たのだろうか。

 曲が終わってタクトが下ろされると、一瞬の間をおいて壮絶な拍手とブラヴォーの歓声が。 プリンシパル・コンダクターとしては最後の舞台であるためか、インバルに大きな花束が贈呈されたが、インバルはその中から赤いバラを1本ずつ抜き取って各パートの女性奏者にプレゼントし、さらに大きな拍手を浴びていた。

 期待に違わぬ満足感を抱いて会場を後にすることができた演奏会だった。

 

3月16日(日)   *アンドラーシュ・シフ ピアノリサイタル 「東北に捧げるコンサート」

 本日、上京する。 新潟発午前9時頃の高速バス。 本来は7時か8時のバスにしたかったのだが、チケットが売り切れていてやや遅めの便になったもの。 しかし予定より少し早く午後2時ちょっと過ぎに池袋駅前に到着。

 その本日の夕刻に聴いたのがこの音楽会。 「東北にささげるコンサート」と題されていて、出演料は全額東北復興のために寄付されるとのこと。 サントリーホールで午後7時から。

 シフのリサイタルは、たしか二十数年前、富山県の入善コスモホールに来たときに聴きに行って以来である。 本来は、数年前ウィーンに行ったときにブダペスト祝祭管弦楽団とブラームスの協奏曲第1番をやるのも聴いていたはずだったのであるが、シフの急病で代役が演奏し、聴き逃した。

 会場はほぼ満席。 私は2階正面右寄り2列目で聴いた。 Sランクでもなかなかいい位置である。 ヤフオクにて定価より安く入手。 パンフが500円。 これも収益は寄付されるそう。

 オール・ベートーヴェン・プログラム
  6つのバガテルop.126
  ソナタ第32番op.111
  (休憩)
  ディアベッリの主題による33の変奏曲op.120
  (アンコール)
  バッハ: ゴルトベルク変奏曲より
  東日本大震災の犠牲者への哀悼の言葉(シフ自身の英語による挨拶)
  ソナタ第30番op.109

 舞台に現れたシフを見て、入善コスモホールの時からお互い年をとったよね、と思った。 ちなみにシフは私より1歳年少。
 使用楽器がベーゼンドルファー。
 そのせいかどうかは分からないが、高音が特に美しく柔らか。 ただしダイナミックレンジはやや狭いかな、という印象である。

 最初の6つのバガテルでは、楽器の音に加えてシフの弾き方もあって、ベートーヴェンと言うよりはシューベルトを聴いているような気持ちになった。

 次のソナタ第32番だが、ちょっと独特。 ふつうこの曲は2楽章編成で第2楽章がアリエッタ(アダージョ)なので1楽章は対照性をきわだたせるためにもかなり速く演奏する場合が多いと思うのだが、シフの弾き方はあんまり速くない。 一音一音を確実に弾くことを心がけているような印象だ。 第2楽章では、途中盛り上がったあとの音楽が、非常に説得的。 私は、この第2楽章は途中盛り上がったあとの部分はよく分からないのだけど、シフの演奏で聴くと 「ああ、そうだったのか」 という納得感が得られた。 パンフによると、シフはベートーヴェンのソナタを録音するにあたってもなるべくベートーヴェンの書いた楽譜をまず丁寧に読むことから始めたとのことだが、そのせいかも知れないね。

 休憩後のディアベッリ変奏曲は、たぶん生演奏を聴いたのは初めて。 ディスクで聴いても後半がいいなと思うが、これは今回も変わりがない。 心に染みいってくる感じ。

 この曲を弾き終えたのが9時10分くらい。
 それからアンコールにバッハのゴルトベルク変奏曲の最初のあたりを弾いてから、マイクでトークがあった。 東日本大震災の犠牲者への哀悼の言葉を述べてから、バッハのこの曲がなければベートーヴェンのディアベッリ変奏曲もなかっただろうという趣旨の説明があり、最後にベートーヴェンのソナタをもう一曲やりますと言って、ソナタ第30番を弾き始めた。 第一楽章だけかなと思っていたら、第一楽章から続けてすぐ第二楽章に入り、第三楽章の終わりまで弾いてしまう。 会場が大いにわいたことは言うまでもない。

 メインのプログラムとアンコールを合わせて、晩年のベートーヴェンのピアノ曲をとおして大震災の犠牲者への哀悼の気持ちがよく伝わってくる演奏会だったと思う。 聴衆もその気持ちをしっかりと共有していたことであろう。 終演が9時40分頃。

 パンフかCDを買った客にはサイン会があるというので、私もパンフを持って並ぶ。 サイン会の始まったのがちょうど10時くらいで、何しろ長蛇の列だし、私の番が来たのは10時30分頃。
 オペラや受難曲などは別にして、クラシックの演奏会で午後7時開演で10時半にようやく退出という、私的にはちょっと記録的な演奏会ともなった。

 

3月15日(土)   *ヴォルフガング・ツェラー・オルガンリサイタル

 本日は午後3時から標記の演奏会に出かけた。 曇っていて時々小雨も降る本日の新潟市。 客の入りは、いつもの本格的なオルガンリサイタルの時と同様、200人くらいか。

 最初、3階の脇のJブロックに入ろうとしたら、本日は3階は正面のIブロックのみだと係員に言われて、仕方なく、Iブロックの5列目右端近くに席をとる。 ところが、どういうわけか後半にJブロックに女性客が2人はいっていて、係員は何も言わない様子。 なんか、首尾一貫していないな、と思う。

 A・G・リッター: ソナタ第3番イ短調op.23
 C・P・E・バッハ: ソナタイ短調op.23Wq70,4
 バッハ: 前奏曲とフーガ ニ長調BWV532
 (休憩)
 G・ムッファト: トッカータ第1番 〜《オルガン音楽の練習》より
 J・ケルル: カッコウの奇想曲
 メシアン: 聖体拝領唱「鳥と泉」 〜聖霊降臨祭のミサより
 フランク: 交響的大作品op.17
 (アンコール)
 バッハ:6つのシュプラー・コラール集より
    「ああ、われらとともにとどまりたまえ、主イエス・キリストよ」BWV649
    「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV645


 オルガンの演奏のうまい下手ってよく分からないけど、でも演奏が始まってすぐ、うーん、やっぱり違うなあ、という気持ちがした。 すごく安定していて、揺るぎがなくて、安心して聴いていられる感じなのだ。

 最初のリッターというのは19世紀にあってメンデルスゾーンと共にオルガン・ソナタの形式確立に尽力した人だそうである。 今回取り上げたソナタも聴き応えのある作品だった。 ディスクで作品集を探してみようか、と思う。

 次のC・P・E・バッハは、私も知っている曲だったが、私の持っているディスクの演奏とはかなり異なっていた。 私のディスクではなめらかで、古典派のピアノソナタを弾いているみたいな演奏なのだが、ツェラーはオルガンの特性を活かしているというのか、音の区切りを比較的長めに入れ、また一つ一つのフレーズを急がずに音をたっぷり出しながら演奏していた。 なるほど、こういう演奏もあるのだ、と感心。

 前半最後のバッハは、完全に自分のものにして弾いているなと感じた。 特に後半のフーガなんかそう。

 後半は最初の3曲がいずれも短めの曲。 2曲目がカッコウの鳴き声を模した分かりやすい曲だったのに、次のメシアンはやはり現代曲、うーむ、と唸りながら聴いた。 そして最後がフランクの大曲。 これはやはり聴き応えがあったね。

 アンコールを2曲やって、終演が午後5時7分くらい。 うん、満足のいく演奏会であった。 望むらくはもう少し聴衆が多ければ・・・。

 

3月14日(金)   *安倍晋三はやっぱりダメだった・・・・安倍ヨイショの保守系雑誌はなおさらダメだけど

 やっぱり安倍首相はダメですよね。 問題が多いとされる河野談話を見直す意志はないと、今さらながらに表明してくれた。 韓国系住民がアメリカのみならずオーストラリアでも慰安婦像を作る計画を立てているなど、河野談話の問題点を、むろん改めてきちんと調査した上でのことだが、見直すことが焦眉の課題であるのに、それが出来ないなら、なんでお前は首相をやってんだよ、と言いたくなる。

 そもそも、安倍は以前一度首相になりながら、長持ちせずに政権を放り出した過去がある。 なのに、第二次安倍政権が発足したときの保守系雑誌の、一色に染まった安倍に対するヨイショは、尋常ならざる様相を呈していた。 私はこの欄で、首相失格の実績がある男を一様にヨイショしている保守系雑誌は、かつての左翼系雑誌と同じで、単に党派根性でしか物事を論ぜず、自分の頭で考えることを放棄しているから、終わっているのでは、という意味のことを書いたけど、それごらん、二度目の今回もやっぱりダメだったじゃん。 保守系雑誌で第二次安倍政権発足時にヨイショした論客は、筆を折って懺悔しなさい!!

 思うんだけど、安倍や河野のような二世三世の政治家って、基本的に育ちがいいお坊ちゃんなんだろうな。 だから、ケンカができない。 無論やたら攻撃的なのは困るが、政治家はケンカすべきところでできなかったら終わりだぜ。 アメリカだろうが韓国だろうが、これだけは言わなきゃということは言う勇気がない奴は政治家になるなよ。 そしてこういうダメな政治家をヨイショするしか能のない奴は、金をとって売っている雑誌に書くな。

 

3月12日(水)   *ニューヨーク・タイムズ紙だってアテにならない現実を知ること

 この欄の3月7日では朝日新聞のどうしようもないテイタラクを指摘したけれど、新聞の質が低いの日本に限ったことではない。

 米国のニューヨーク・タイムズ紙と言えば、ワシントン・ポスト紙と並んで米国の代表的なクオリティ・ペーパーのごとくに思われているけれど、実は案外アテにならない。

 本日の毎日新聞に、ニューヨーク・タイムズ紙が安倍首相が言ってもいないことを言ったとして報道しており、それに日本政府が訂正を求めていることについて、専門編集委員の布施広が論評を加えている。 毎日新聞記者の中でもまともな意見の主だと思う。

 http://mainichi.jp/opinion/news/20140312k0000m070160000c.html 

 発信箱: Gゼロと日米=布施広(専門編集委員)   毎日新聞 2014年03月12日 02時18分


 ウクライナ情勢を見ていると、新冷戦というより、領土の奪い合いを含む激動の始まりを思わせる。 米国の一極支配は過ぎ去り、主導的な国が存在しない 「Gゼロ」 の世界で、ロシアと中国が虎視眈々(たんたん) と勢力拡大を狙う。 クリミア制圧の次は尖閣占領かもしれない??。

 というのは少々心配し過ぎ (だといいが) としても、この大事な時期に日米関係がうまくないのは困ったことだ。 安倍晋三政権側が米国の神経を逆なでしている面もあるし、米側の対応も冷たい。 特に米系メディアは安倍政権に厳しいのだ。

 3日のインターナショナル・ニューヨーク・タイムズ紙を開くと、「安倍氏の危険な修正主義」 の社説と風刺漫画が載っていて、社説には 「彼(安倍首相)と他の国家主義者は日本軍の南京大虐殺はなかったと主張している」 などとある。 日本政府が事実誤認として訂正を求めたのも無理はなかろう。 私も、この社説は勉強不足だと思う。

 風刺漫画の方はもっと強烈だ。 舞台は理髪店だろうか、椅子に座った骸骨の後ろにABEという人物が立ち、近くに髪を七三に分けた男性の頭 (仮面?) が置かれている。 私の誤解でなければ、理髪店の安倍さんが、醜い骸骨(日本の戦時の歴史)をイケメンに仕立てようとしているのだ。

 ビミョーである。安倍政権の歴史認識には私も首をかしげるが、漫画の設定が強引に思えて漠然たる悪意を感じてしまう。 冷静な批判に悪意はいるまい。 ヘイトスピーチも含めて現代は何かと言い過ぎる 「不寛容の時代」 なのかと考え、しかし日米はこんなことをしている場合じゃないと思い直す。 ウクライナは日米の団結が試される問題だ。 露中は十分、団結している。

                           *

 なぜニューヨーク・タイムズ紙はこんなトンデモ報道をしてしまうのか。 今回の件については理由は不明だが、日本の左派系新聞が悪影響を及ぼしているという可能性はありそうだ。 というのも、アメリカのマスコミの日本に関する報道は、アメリカ人が独自に日本についてリサーチしてやっているとは限らない。 日本のマスコミが報道していることを、検証せずにそのまま英語に直して報道する場合だってある。 3月7日に書いた、朝日新聞の従軍慰安婦に関する報道なんかもその一つだろう。

 これは、別にアメリカの新聞に限らない。 日本の新聞だって、海外に特派員と称する記者を派遣しているけれど、別にその記者が海外の全部の事件を自分の足で歩いて調べて報道しているわけではない。 そんなことをしていたら相当多人数の記者を海外に派遣しなければならなくなるし、そんな余裕が新聞社にあるわけがないからだ。 

 ではどうするかというと、海外に派遣されている記者は当地での新聞報道やテレビニュースに依拠して、その中から日本に関わりそうな事柄をニュースとして東京に送るのである。 そして東京の編集局がさらにその中から選んで紙面に載せるのだ。 無論、場合によっては記者が自分の足で色々調べて報道する場合もあるが、そういう記事は決して多くない。

 さらに、アメリカの新聞で問題なのは、米国が世界一の覇権国家であるために米国の新聞も権威あるものとされてしまうこと。 間違った報道をすると、あっという間に誤りが世界中に広まってしまう。

 実は米国の新聞は斜陽産業である。 ネットの浸透により、紙の新聞をとる人が激減しているからだ。 日本でもそういう傾向はあるが、米国はその傾向が圧倒的に強く、そのせいで倒産した新聞社も出ており、地域によっては新聞がなくなってしまっている。 日本と異なり、米国の新聞は基本的に地域紙であって、それはニューヨーク・タイムズだとかワシントン・ポストという名称を見ても分かるだろう。

 ワシントン・ポスト紙は少し前に経営が危なくなって身売りしている。 ニューヨーク・タイムズだってどうなるか分からない。 となると、会社は記者の数を削減したり、給与を減らしたりする。 今、米国では新聞記者というのはあまり将来性のない職業だと見なされている。 待遇が悪化し、記者数削減で忙しくなれば、ますます報道、特に事情がよく分からない海外についての報道が杜撰になる可能性は高い。

 ちなみに、日本では朝日新聞に関して批判的な本や雑誌記事が出ているわけだが、ニューヨーク・タイムズ紙についても同様の本は出ている (下記)。 

 ハワード・フリール+リチャード・フォーク (立木勝訳) 『 「ニューヨークタイムズ」 神話 アメリカをミスリードした〈記録の新聞〉の50年』 (三交社)

 

3月11日(火)   *最近聴いたCD

 *リスト: 「巡礼の年」 全曲、ラザール・ベルマン演奏 (Deutsche Grammophon、471 447-2、1977年ミュンヘン・ヘラクレスホールでの録音、2002年発売、EU盤)

 読書月録のページでも紹介したけれど、浦久俊彦 『フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか』(新潮新書)という本を昨年末に読んだ。 リストという人物が19世紀のヨーロッパ・クラシック音楽界にとってどれほど大きな意義を持っていたかを分かりやすく説明した、たいへん優れた本であり、クラシック・ファンには必読書と言っていい。 私はリストの曲のディスクはごく少数しか持っておらず、それで別に不便を感じないできたのだが、これはいかんと考え直して、購入してみたのがこのCD3枚組。 「巡礼の年」 の全曲録音である。 第一年のスイス、第二年のイタリア、第二年補遺のヴェネツィアとナポリ、そして第三年。 この中には有名な 「ペトラルカのソネット」(3曲、第二年) や 「ダンテを読んで」(第二年)、「エステ荘の噴水」(第三年) が含まれているが、私が全部を何度か聴いてみての印象では、第一年に聞きやすく親しみやすい曲が多いように思う。 逆に第三年は晦渋な曲が多いような気がするのだが、見方を変えれば近代的ということになるのかも知れず、その辺は各自通して聴いてみて自分の好みの曲を見つけていけばいいのではないか。 第二年までは若いリストが伯爵夫人だったマリー・ダグーと不倫愛に陥りスイスなどを旅した際に原曲が作られているのに対し、第三年は晩年になって作られた曲が多いから、ということもあるようだ。 ベルマンの演奏はいささかも危なげないし、録音もクリア。 解説は英独仏語でついているけれど、なぜかそれぞれ執筆者が異なっている。 つまり、内容も異なるということ。 英語解説は、伯爵夫人マリーが家族を捨てて若いリストのもとに走り一緒にスイス旅行をするという話から始まっているが、ドイツ語解説は 「巡礼の年」 というタイトルが文豪ゲーテの 『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』 を想起させるという指摘から始まっている。 他方フランス語解説は、1832年にリストが最初の生徒であるP・ヴォルフに宛てて書いた手紙で、自分の好みの作家や作曲家を列挙している箇所を引用するところから始めている。 今年初めにamazonから購入。 

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3月7日(金)   *言論の自由を守るべき朝日新聞が広告には伏字を強制

 朝日新聞にはとっくに愛想が尽きてやめてしまった私だが、本日の産経新聞には、朝日新聞が伏字をやっているという指摘が載っている。

 「阿比留瑠比の極言御免」 である。 (以下の引用は全体の半分強ほど。 全部読みたい方は下記URLから。)

     http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140307/plc14030714250014-n1.htm 

 【阿比留瑠比の極言御免】

  どうやら朝日新聞にとっては、慰安婦問題の真相は読者に知らせるべきでない 「特定秘密」 に当たるらしい。 6日付の同紙の週刊新潮、週刊文春の広告は、それぞれ次のような伏せ字が施されていた。

 ◆週刊誌広告に伏せ字

 「●●記事を書いた 『朝日新聞』 記者の韓国人義母 『詐欺裁判』」 (新潮)

 「『慰安婦問題』 A級戦犯●●新聞を断罪する」 (文春)

 もちろん、他紙の広告をみるとこの伏せ字部分は 「捏造(ねつぞう)」 「朝日」 とはっきり記されている。 朝日は、こんな子供だましの隠蔽(いんぺい)で一体何をごまかそうとしているのだろうか。

 朝日は昨年10月30日付の社説では特定秘密保護法によって秘密が増えるとの懸念を表明し、「秘密保護法案 首相動静も■■■か?」 と伏せ字を用いたタイトルでこう説いていた。

 「政治家や官僚は、だれのために働いているのか。原点から考え直してもらいたい」

 ◆誰のための記事か

 政府には秘密はいけないと説教する一方、自身に都合の悪いことは堂々と隠すというわけだ。 そんな朝日にこそ、誰のために記事を書いているのか、報道機関があるのか原点から考え直してもらいたい。

 新潮が 「捏造」 と指摘しているのは、慰安婦問題に火が付くきっかけとなった平成3年8月11日付の朝日の記事 「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」 のことである。 記事はこう書いている。

 「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた 『朝鮮人従軍慰安婦』 のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり…」

 記事では実名は記されていなかったが、この女性は同年12月に日本政府を相手取り、慰安婦賠償請求訴訟を起こした金学順氏だ。

 だが、25歳未満の女性を勤労挺身隊として動員し、工場などで働かせた 「女子挺身勤労令」 と慰安婦はそもそも何の関係もない。

                    *

  ここで言われている朝日新聞の捏造記事は、この件について多少調べたり本を読んだりした人間にはとうに周知のことだから言うまでもないと言いたいところだが、知らない人もいるだろうから、簡単に説明しておく。 

 この欄でも何度も取り上げている朝鮮人の従軍慰安婦問題は、もともとは朝日新聞の誤報によって始まったとされており、その記事を書いたのは、上では名を挙げられていないが、同紙の植村隆記者である。 このことは、例えば西岡力 『よくわかる慰安婦問題』(草思社) にも書かれているし、最近、同記者が朝日新聞を退職して某大学の教員になるという記事がどこかの週刊誌にも載ったから、覚えている方もいるだろうと思う。

 新聞として事実の究明に全力を挙げるところか、誤った記事を掲載しても訂正すら出さず、あまつさえそれを報道した週刊誌記事の広告には伏字を強制する。 朝日新聞はクォリティペーパーの名に値しない。

 ・・・・なんだけど、大学教師って不勉強な人が多いから、いまだに朝日新聞は絶対的な権威だと思い込んでいる人が結構いて、私が朝日新聞はとっていないと言うと怪訝な顔をされたりする。

 新聞というのは、実は新規参入がきわめて難しい業種なのだ。 現に、全国五紙 (読売、朝日、毎日、産経、日経) はずっと昔から顔ぶれが変わらない。 地方新聞も、新潟なら新潟日報と決まっていて、新しい地方紙が創刊されるという話は聞かない。 

 銀行ですら、セブン銀行みたいな新しい勢力が台頭して来ているのに、新聞は旧態依然なのだ。 そしていくつかの新聞の記事を比較することもせずに特定の新聞の記事は正しいと信じ込んでいる知識人(?)の不勉強が、お粗末な新聞を生きながらえさせている。

 少なくとも、複数の新聞を読んで、どの新聞の記事が的を射ているか、どの新聞記者なら信頼できるのかを判別できるくらいの知性は身につけよう、学生諸君! 最低一紙は自分でとり、図書館に行って他の新聞と読み比べてみれば、そういう力は自然についてくるよ。

 

3月4日(火)   *イオンシネマに苦情を言ったら返事が来た、しかし新潟の映画上映状況改善への道は・・・・

 日ごろからこの欄に書いているとおり、新潟市内には映画館はたくさんある。 シネコン4軒、ミニシアター1軒があり、スクリーンの総数は35を越えている。 にもかかわらず、新潟市で上映される映画は決して多くない。 メジャーで全国どこでもやっているような作品、或いは逆にマイナーで東京の限られた映画館でしかかからないような作品は上映されるものの、中堅的で少しマニアックな人が見たいと思う、しかしそれなりに質の高い作品、つまりヨーロッパ映画だとか、アメリカでもインディー系の映画はあんまりかからない。

 ふだんこの欄でそのことに苦情を言い続けている私だが、一向に事態が改善されないので、ついに業を煮やし、先月上旬、イオンシネマ新潟西に意見を投稿してみた。 利用者が意見を述べて投稿できるように小卓に投稿用紙が置かれているからだ。 内容は要するに、新潟市内にはシネコンが4軒もあるのにどこでも同じような作品ばっかりやっているのは困る、特にヨーロッパ系映画が新潟には来ない、現在東京でヒットしている『鑑定士と顔のない依頼人』すら、新潟ではどこも上映予定が入っていない、どうなっておるのだ、・・・・・というようなことである。

 そうしたら、昨日、一カ月近くたって直接自宅に手紙で返事が来た。 (投稿用紙には住所氏名を書く欄もあるので、ちゃんと書いておいたのである。) 要するに、これからはヨーロッパ映画も上映するように努力します、また、『鑑定士と顔のない依頼人』は、イオンシネマ新潟西ではないが、イオンシネマの新潟南と県央では上映することが決まったから、ぜひご来館いただきたい・・・・・というような内容である。 無料入場券が1枚添えてあったのは、よろしい。

 それにしても、『鑑定士と顔のない依頼人』のように首都圏でヒットしている作品すら、上映が決まるのにこんなに時間がかかる現状を何とかしてほしいものだ。 ちなみに、新潟南と県央のいずれも4月5日から。 ・・・・・遅いんだよね。 東北6県を見ると、宮城県と秋田県は2月、それ以外の4県は3月に上映。 北陸では、富山県は2月、石川県が3月。 他の近隣県は、群馬県が3月、長野県は松本市が2月、長野市が3月。 ・・・・これを見ても、いかに新潟県が映画後進県か分かろうというものだ。

 おまけに、イオンシネマ新潟南のサイトの上映予定欄にはまだこの作品が載っていない。 ほんと、やる気を疑ってしまう。

 さらに。 昨日報道されたように、アメリカ・アカデミー賞の受賞作品などが決定した。 まあ、映画賞にあんまりこだわるのもよくないわけで、アメリカ・アカデミー賞は 『ザ・コーヴ』 みたいなトンデモ映画にドキュメンタリー賞を出したりした前科もあるから、「ふうん、賞もとってるんだ」 くらいの気持ちで受け止めておくのがいいとは思うけど、だけど、それにしてもなんですよね。 

 今回の作品賞を受賞したのが、『それでも夜は明ける』。 この映画、首都圏では3月7日から上映が始まるし、それ以外の都市でも、東北なら仙台、秋田、青森の三都市では上映予定がすでに入っており、北陸では富山市は上映予定が入っているのである。 だがしかし、新潟市は・・・・・・(言うまでもないよね)

 何とかしてくれえ・・・・・

【追記: 3月8日】 その後、ユナイテッドシネマ新潟で 『それでも夜は明ける』 が上映されることが決まった。 ただし5月10日からである。 首都圏に丸2ヶ月遅れ。 うーむ、来ないよりはいいけれど、何とかならんのか・・・・

 

3月3日(月)   *ロンメル将軍に関する毎日新聞記事は歴史の複雑さを垣間見させてくれる

 このところ毎日新聞の記事や記者をくさしてばかりいて少し気が引けているので、たまにはほめておこう。 学生でも新聞記者でも叱るばかりではなく、時にはほめないと育たないからね。

 昨日、第一面の一部と第四面の全面を使った 「「キツネ」 の宝を追う ロンメル伝説の戦後史」 という特集記事が載った。

 第二次世界大戦で、主として北アフリカの戦線で活躍し、「砂漠のキツネ」 と呼ばれて連合軍から恐れられたドイツの名将ロンメルの戦利品が今も隠されて残っていて、それを財宝ハンターが捜し求めているというお話だ。

 ドイツにはニ系統の軍隊があった。 普通の軍隊である国防軍と、ナチスに直属する親衛隊(SS)だ。 ロンメルは前者に属していたが、北アフリカで略奪を欲しいままにしたのは後者らしい。 ワルター・ラウフというSS大佐がその中心人物だという。 

 そしてこの記事の最後は次のようにしめくくられている。 (下記URLには登録しないとアクセスできません。)

   http://mainichi.jp/shimen/news/20140302ddm010030160000c.html 

  シュツットガルト大のキュッパース博士も 「ロンメルはユダヤ人の強制労働については知っていましたが、自身が反ユダヤ的命令を出したことはありませんでした」 と指摘する。 略奪はあくまでラウフたちの蛮行との見方だ。 近年は 「ロンメルの財宝はむしろ、ラウフの財宝」(独誌シュピーゲル) とも言われる。

 こうした英雄像の一方で、ロンメル部隊や英軍が北アフリカに埋めた地雷によって、今なお命を落とす人がいるのも事実だ。 エジプトからリビアにかけて2000万もの地雷が今も埋まっていると推測され、過去20年で約3200人が死亡、約4700人が負傷した。 カイロに本部を置き、地雷撤去運動を進める非政府組織(NGO) 「プロテクション」 のアイマン・ソルール事務局長(43) は話す。 「英国の圧政を嫌った当時のエジプト人の間には、むしろロンメルを慕い、ドイツの統治を望む人も多かったのです。 しかしドイツも英国も、私たちに残したのは地雷でした。 ここではまだ第二次大戦は終わっていないのです」

 ロンメルは晩年、ヒトラーと決裂した。 戦争に勝ち目はないと判断し早期の講和を訴えたが、ヒトラーに却下される。 44年7月20日、ヒトラー暗殺未遂事件が起きると、この計画者の一人がロンメルだと疑われた。 真相は不明だが、同年10月14日、ヒトラーの部下から服毒自殺を強制された。 52歳だった。

 悲劇的な最期を遂げた将軍とは対照的に、連合国による戦犯追及の手から巧みに逃れたのが略奪を指揮したラウフだった。 ヒトラーの忠実な部下だったラウフは終戦後、南米に逃亡しエクアドルなどに潜伏した。 だが東西冷戦の時代を迎えると、その運命も変わる。 当時の西ドイツ政府はラウフを殺人容疑などで追跡するふりをしながら、ひそかにスパイとして雇い、中南米で共産圏の拠点だったキューバの情報を探らせていたことが2011年に発覚した。 ガス室の原型を作り、ユダヤ人の大量殺害に関与した男は、戦後も悠々と生き延び、1984年にチリで死亡した。 77歳だった。 

 歴史の複雑さをよく分からせてくれる文章ではないだろうか。 ロンメルは反ユダヤ主義とは無縁の高潔な人物だった。 しかし、彼が残した地雷は今も現地人を苦しめている。 他方、英国の植民地支配に長らく苦しんだ現地人は、大戦中にロンメルが英国を打ち破って植民地支配から解放してくれるのではないかとの期待を持ったのだ。 連合国たる英国は決して正義の味方などではなかったのである。

 そして、高潔なロンメルが悲劇的な最期を遂げたのとは対照的に、悪辣なSS将校だったラウフは戦後も南米に逃亡して生き延びた。 それどころか、ナチスを犯罪者として (時効を廃止してまで) 追跡するふりをしていた西ドイツ政府は、実はラウフを利用していた。

 しかし、こういうことをやったのは西ドイツだけではない。 ここには書いていないが、アメリカも実は、ナチス戦犯を戦後わざと生かしてスパイとして利用していたのだ。 この点については、『敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生』 という映画があるから、ごらんいただきたい。

 西ドイツは日本と違ってしっかりと戦犯を裁き自らの戦争犯罪を反省した、なんていい加減な言説が一時期日本には流通していた。 嘘八百である。 歴史はそんなに単純なものではない。 この記事はそうした複雑さをしっかりと捉えていて、最近の毎日新聞の歴史関係記事でも出色のものと言えるだろう。 韓国関係にもこのくらいのレベルの記者を動員してほしいものだ。

 ちなみにこの記事を書いたのは、篠田航一記者である。 今後の活躍が期待される。

 

3月2日(日)   *東京交響楽団第82回新潟定期演奏会

 本日は東響新潟定期の日。 何だか久しぶりだな、と思う。 前回は昨年の11月17日だったから、3ヵ月半も間が空いていたことになる。 年6回の定期とはいえ、きっちり2ヵ月間隔でとはいかないだろうから、まあそういうこともあるかと思うけど、ちょっと空きすぎじゃないかな。

 客の入りは、いつもより少し良かったような気が。 3階のFブロックなんか、結構入っていた。 ユース券利用者だろうか。 何にしても客が多いのはいいことである。 でも、Tomoさんのお姿が定席に見えなかった。 何か御用があったのかな。

 指揮=大植英次、コンマス=大谷康子

 バーンスタイン (ハーモン編): 「キャンディード」 組曲
 チャイコフスキー: 幻想序曲 「ロミオとジュリエット」
 (休憩)
 チャイコフスキー: 交響曲第5番

 大植さんは以前、北ドイツのオケを率いてりゅーとぴあに来たと記憶する。 だから、生で聴くのは今回が2回目かな。 コンマスの大谷さんと姓の頭韻が合っているから、大大コンビ(笑)。

 最初のバーンスタインの曲は聞き慣れないけど、結構面白く聴けた。 バーンスタインは作曲家としても知られているが、有名なウェストサイド・ストーリー以外はあんまり聴く機会がないような気がする。 でも今回の演奏を聴いて、もっと演奏されてもいいのではなんて思ったのであった。

 次の 「ロミオとジュリエット」 は、意外におとなしめな演奏に聞こえた。 抑制が効いたというか、制御されているというか、もう一つ燃えていない印象なのだ。

 後半の交響曲。 これも、制御された演奏のように思われた。 音量は出すべきところではかなり出てはいるのだが、テンポなどに指揮者の意図というか、設計思想みたいなものが非常にはっきりと感じられて、で、それが曲の特性を活かすことにつながっていれば別に構わないんだけど、どうなのかなあ、チャイコフスキーの、感傷的で土着的でしかし人間が誰でも持っているそういう部分に触れてくるようなところが、あんまり素直には出ていなかったような気がするんだけどね。 もう少し自然な演奏ができないのかな、制御しすぎじゃないの、と思えた。 爆演がいいというわけじゃないだけどねえ。

 もっとも、聴衆の反応はかなり良かった。 大植さんの意図と感性が合っていた人が多かったのかも知れないな。

 

3月1日(土)   *2013年度りゅーとぴあオルガン講座修了演奏会 

 昨日は午後2時からの標記の演奏会に出かけた。 毎年行われるオルガン講座生の修了演奏会。 過去の修了生による賛助出演もあるし、全体としてレベルが高くて演奏会として楽しめるので、私は毎年聴きに行っている。

 午前中は映画を見て、それからりゅーとぴあ近くの 「とんかつ とん喜」 で昼食をとり、満腹になってから演奏会へ。

 今年の聴衆は80人くらいだったかな。 何とか、百人以上来て欲しいなと思うんだけどね。 私は3階Jブロックで聴いた。 このブロックは私一人だった。

 ◎賛助出演
   山際規子  バッハ: パッサカリア ハ短調BWV582
   番場純子  バッハ: ライプツィヒ・コラール集より
            ”来ませ、聖霊、主なる神” BWV6651
            ”いざ来ませ、異教徒の救い主” BWV659
   古川由紀子 M・デュプレ: アヴェ・マリス・ステラ
   加藤由香  バッハ: 最愛なるイエスよ、我らここに集いて BWV731
           ヴィエルヌ: ウェストミンスターの鐘
 (休憩)
 ◎オルガン講座生
 ・ジュニアコース
   松原桜子  バッハ: 8つの小前奏曲とフーガより 第1番ハ長調 BWV553
   西脇彩   バッハ: 8つの小前奏曲とフーガより 第8番変ロ長調 BWV560
 ・一般コース
   長谷川葉子 バッハ: 前奏曲とフーガ ホ短調BWV533
   渡辺美樹  バッハ: パストラーレ ヘ長調BWV590より第2楽章
           G・ベーム: コラール・パルティータ”ただ愛する神の摂理にのみまかすもの”
   眞山有希  N・ブルーンス: 前奏曲 ホ短調
 ・応用コース
   山田千尋  ブクステフーデ: 前奏曲とフーガ、シャコンヌ ハ長調BuxWV137


 前半の賛助出演では、比較的親しみやすい曲が選ばれていた。 中でもトップの山際さんによるパッサカリア、曲としてよくできているなあと今更に感心。 デュプレやヴィエルヌなど比較的新しい作曲家による曲が入っているのもいい。

 後半の修了生による演奏は、古典一色。 まあ、やはりバッハやその近辺の作曲家の曲を弾きたいと思って始めるのが普通だろうから、やむを得ないところか。
 この中では、ブルーンスの曲を弾いた眞山さんの演奏にかなりの気迫を感じた。 それ以外の方々もいい演奏だった。 ジュニアコースのお二人には、今後の成長を引き続き見せてほしいもの。

 途中休憩15分を入れて1時間50分ほどの演奏会。 来年はぜひもっとたくさんの方々に聴きにきていただきたいと思う。

 

2月28日(金)   *国会よ、河野談話を検証せよ

 韓国のいわゆる従軍慰安婦問題は、私が今さら指摘するまでもないが、河野談話が諸悪の根源とも言うべき発端になっている。 これについてはすでにその怪しげな内実についてマスコミの報道がなされているが、本日の産経新聞でも改めて阿比留瑠比による明快な批判が載っている。 

 まあ、こういうふうに物事をはっきりと言ってくれるのは日本の全国紙の中では産経くらいだから、なかなか普通の日本人にも真実が伝わらないのだろう。 昨日の毎日新聞に署名記事を書いていた二人なんか、かなり旧左翼の性格が濃い記事で、相当ひどかったからね。

 自民党も、河野洋平の国会喚問に応じないなど、いったい日本が無実の罪を着せられても平気なのかと、神経を疑いたくなる。 こういう政治家たちが政権をとっているから日本はダメなんだよ。

 ちなみに数日前の産経の報道で分かるように、米国の慰安婦像については、ついに日系人により訴訟が起こされた。 (下記URLを参照。)

 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140221/waf14022110490012-n1.htm 

 本日の阿比瑠氏の記事は以下で。 なお、この引用は全体の半分ほど。 全部を読みたい方は、下記URLから。 ここに引用しなかった後半部分には、朝日新聞のあやしい動きについての言及もある。

    http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140228/plc14022812370015-n1.htm 

    【阿比留瑠比の極言御免】  裏切られた韓国への信頼

「河野談話」 の根拠となった韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査について、当時の事務方トップである石原信雄元官房副長官が20日の衆院予算委員会で 「事実関係の裏付け調査は行っていない」 と証言するのを聞き、内心忸怩(じくじ)たるものがあるのだろうと推察した。

 石原氏は聞き取り調査について、こう強調した。

 「韓国側に対して 『客観的に過去の事実を話せる人を選んでください』 といい、『(韓国側は)責任を持って選びます』 ということで、聞き取り結果を踏まえて河野談話になった」

 「韓国側の善意を信頼して全体の作業を行った」

 石原氏は24日に東京都内で行った講演では 「(政府内で)元慰安婦の話を聞くかどうかが大きな論争になった。正しく公正に話してくれるかが問題になった」 と明かし、こう続けた。

 「韓国側は 『反日運動をやっていた人や、バイアスのかかった人は排除して、真実を語る人を選ぶ』 ということだった。その前提で韓国を信頼する形で聞き取り調査を行った」

 「その前提条件に問題ありとなれば、何をか言わんやだ」

 ならば、韓国側が責任を持つと約束したはずの元慰安婦の人選と、聞き取り調査の実態はどうだったか。

 おさらいすると、産経新聞が入手した聞き取り調査報告書によると16人中、氏名すら明確でない者が3人いて、生年月日が記載されているのは半数の8人にとどまった。その生年月日すら、別の調査やインタビューには全く違うことを述べている者もいる。

 朝鮮半島で重視される出身地についても大半の13人が不明・不詳で、大阪、熊本、台湾など慰安所がなかった地域で働いたという証言もある。その上、日本で慰安婦賠償訴訟を起こした原告が5人も含まれる。

 

2月25日(火)   *首都圏が大雪だと新潟市のコンビニでおにぎりが品薄になる理由

 本日、午前中は入学試験の監督をする。 新潟大学人文学部の前期入試。 本日と明日の2日間だが、私は今回は1日目だけ監督をすればよく、1日目は午前中の1科目だけなので、比較的楽である。 ただし、採点があるので明後日からは忙しくなる。

 夜は、新潟大学生協の理事会。

 理事会には色々な話題が出てくるので私も勉強になる。 今回は、先日の関東地方の大雪で、新潟市内のコンビニや全国展開の大手スーパーが品不足になったという話題が出た。

 私も先日のこの欄で産経新聞が関東地方の大雪で届かなかったことに触れた。 全国紙は首都圏で印刷されて、トラックで新潟に運ばれてくる。  大雪で運送体制に支障が出ると、新聞によっては届かないこともあるわけだ。

 それだけではない。 運送がスムースに行っているときでも、新潟で配られる全国紙の内容は首都圏で配布されるものとは異なっている。 東京ならば深夜0時過ぎ頃まで待って印刷しても朝の配達に間に合うが、首都圏で印刷された新聞が新潟市に届くまでには3時間はかかる。 したがって新潟で配布される全国紙は記事の締め切りが前日の夜10時くらいに設定されている。 ここも新聞によって異なり、産経新聞の締め切り時間は毎日新聞より早い。 だから、スポーツ欄でプロ野球のナイターの記事を比較すると、毎日新聞ではゲームセットまで載っているのに、産経では8回くらいまでしか載っていなかったりする。 こういうことは、地方在住の人間はよく知っているけれど、東京に住んでいる人は案外知らないものである。

 話を戻すと、首都圏の大雪で、新潟市のコンビニや全国展開のスーパーの食品類が品薄になった。 つまり、コンビニや全国展開のスーパーにおいてある食品も、首都圏で作られて送られてきているものが多いのだ。 おにぎりなんかもそうで、だから首都圏が大雪で混乱した日には新潟市内のコンビにではおにぎりが棚から消えていたそうである。

 新聞雑誌類ならいざしらず、或いはカップ麺だとかの加工食品ならいざ知らず、おにぎりである。 米どころの新潟なのに、何でおにぎりが市内や県内の製品だけではなく首都圏から運んで売っているものが多いのかと疑問を抱くのが普通だろう。 要するに、こういう店では品物の規格が一律で、製造する場所もだいたい決まっているので (だから安く売れる)、米どころの新潟市でもコンビニや全国展開のスーパーのおにぎりは新潟県内だけではなく、首都圏で製造されわざわざ300キロも離れた新潟市まで運ばれているものが多いのだ。 したがって、首都圏が大雪で混乱すると、新潟市のコンビニからはおにぎりが消えてしまうのである。 ただし、全国展開の店でも店により首都圏製造品の占める割合は異なるようである。

 うーん、日本の脆弱さって、こういうところにあるんじゃないか。 東日本大震災以来、交通や通信のラインを複数確保しておくことの大切さが言われているけれど、一考を要することだと思う。 ちなみに、スーパーでも、イ○ンなどの全国展開大手スーパーではなく、県内でやっているスーパーは独自の入手ルート、つまり県内で製造されている食品の占める割合が高いので、さほど品薄にはならなかったそうである。 やっぱり、地場産業とか地元企業は大事ですよね。

 

2月24日(月)   *最近聴いたCD

 *ポリーニ: ベートーヴェンの4つのピアノソナタ (ドイツ・グラモフォン、427 642-2、1988年ミュンヘン・ヘラクレスホールにて録音、1989年発売、西ドイツ盤)

 最近、新潟市内のBOOKOFFに500円で出ていたので買ってみたCD。 近頃は、すでにディスクを持っている曲の異演ディスクをあまり買わなくなっているが、やはりこの値段とポリーニだし、ということで。 25年あまり昔に、ポリーニがベートーヴェンのピアノソナタを4曲――第17番「テンペスト」、第21番「ワルトシュタイン」、第25番、第26番「告別」――入れたディスクである。 ミュンヘンのヘラクレス・ホールで録音しただけあって、音がクリア。 ポリーニは、デビューしたての頃は、ばりばり弾きまくるだけで音楽的な内容に乏しいというような批判もあったけれど、実質的に演奏活動を開始したのが1970年頃だったことを考えると、このディスクは演奏家としてのキャリアをかなり積んでから出されたと言えるだろう。 ポリーニなりに考えながら弾いていることがよく分かる、と思う。  ・・・・私がクラシック音楽に凝り始めたのは大学生になってからだが、ベートーヴェンのピアノソナタ全集を揃えたのはバックハウスの演奏でであった。 ただし、ステレオ録音ではなく、比較的若い時期のモノラル録音である。 理由は単純で、大学生でお金がなかったので、当時1枚2千円もしたステレオ録音のLPを揃えるのは無理で、その半額で出ていたモノラル録音の廉価盤を買うしかなかったのである。 ただ、若い頃のバックハウスはかなり即物主義的な演奏で、つまりあんまり情緒や余韻といったものが感じられない乾いた表現を特徴としていたので、ベートーヴェンのピアノソナタの全体像はこの全集でつかんだものの、重要とされる曲はFM放送のエアチェックなどで適宜補っていった。 そんななか、例外的にバックハウスがステレオで入れた3大ピアノソナタ「悲愴」「月光」「熱情」のLPは、学生時代とそれ以降を問わず私としては珍しくデッカの外盤を買った。 これは、当時関西にあった通信販売の外盤輸入業者に、友人たちと一緒に注文して手に入れたもの。 最低数枚頼まないと送ってくれないが、学生の身でお金がないので、何人か集まって頼んだのである。 このデッカのディスクで、デッカのLPの質の良さを知った。 ただし、それで外盤マニアになったかと言うとそうではなく、やはり品質より安さで買う場合がほとんどであった。 根っからの貧乏性なんですね、すみません。  ・・・・職を得て新潟に来てから、まあ安月給ではあるけれど学生時代よりはお金があるから、体系的にではないがぽつりぽつりと何人かの演奏家のディスクを買うようにはなった。 名前を挙げるほどでもなかろうが、誰でも知っているケンプ、ホロヴィッツ、アラウ、リヒテル、ギレリス、グルダ、ルドルフ・ゼルキン、ポゴレリッチ、グールド、といったところである。 メジューエワのディスクも比較的最近にコンチェルトさんで買った。 ただし2枚だけ。 所有している全集は、上記のハックハウスのモノラルLP以外は、ピリオド楽器で入れたCLAVESのCDだけだが、これは一人のピアニストが録音したものではない。 マルコム・ビルソンなど数人のピアニストが演奏したものである。 ギレリスのCDは惜しくも全集になりそこねている。 彼がもっと長生きすれば全集になっていただろう。 もっとも、全集にこだわるのは無意味だろう。 偶然の出会いによって、或るピアニストが弾いたディスクを手に入れ、そのつど聴いていけば、それでいいのではないか――そのように今の私は考えている。

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2月23日(日)   *新潟オルガン研究会第58回例会 ”自由な音楽”

 本日は午後2時から標記の演奏会に出かける。 会場はカトリック花園教会。 雪がちらつく新潟だったが、積もるほどではない。 中央図書館に車をおいて、そこから歩くのは、この会場ではいつものこと。 客は30人ほど。 今回はうっかり予約しておくのを忘れたので、当日料金1200円。

 フレスコバルディ: 聖体奉拳のためのトッカータ (トッカータ集第2巻、第4番)
  八百板正己
 A・ストラデッラ: 教会のアリア
 ヘンデル: オペラ 「リナルド」 より ”私を泣かせてください”
  洞口圭 (テノール)、市川純子
 パレストリーナ: 野や山は春の装い
 F・ロニョーニ: 「野や山は春の装い」 によるディミニューション
  皆川要 (リコーダ)、飯田万里子
 (休憩)
 パーセル: 2段オルガンのためのヴォランタリー ニ短調Z719
  八百板正己
 ブクステフーデ: 前奏曲とフーガ ト短調BuxWv149
 バッハ: トッカータとフーガ ニ短調BWV565
  渡辺まゆみ
 バッハ: 甘き喜びに包まれ BWV729
 バッハ: われら悩みの極にありて BWV641
  八百板正己
 ブラームス: 前奏曲とフーガ イ短調WoO9
  市川純子

 曲名の下が演奏者名。 特に断りがない場合はオルガン演奏。
 今回のテーマは「自由」。 各奏者が自由を感じる曲を持ち寄って弾くということなのだが、テーマが広いせいか、あまり統一感のようなものは感じられない。

 それでも、前半最後のリコーダとオルガンの演奏は、最初はパレストリーナのオルガン曲を弾き、次にその上に載せて作曲されたリコーダとオルガンによる曲が披露されて、なかなか興味深く聴くことができた。 グノーがバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第1曲を伴奏にした 「アヴェ・マリア」 を作曲したのは有名だが、こういう例が17世紀の初頭ころにすでにあったのだと教えられた。

 後半はいずれも聴き応えのある曲で、この演奏会の充実が感じられた。 バッハが多くなるのは仕方がないかも知れないが、今回のようにパーセル、ブクステフーデ、ブラームスなど、多様な作曲家の作品が今後も数多く取り上げられることを期待したい。

 次回演奏会は今年の初夏になるとのこと。 今から楽しみである。

 

2月22日(土)   *大形卓球大会

 年2回開催されている大形地区親善卓球大会に出場。 半年前の前回は出なかったので、1年ぶり。 場所は東新潟総合スポーツセンター。

 いつものようにAB2ランクに分かれて男女がくじ引きでペアを作り、何ペアかでリーグ戦をやる。 私はむろんB。 午前中は5ペアでのリーグ戦で1勝3敗だった。 負け越しだが、しかし1勝3敗のチームが3つあり、結局セット率の差でわれわれは堂々(?)第3位となった。

 午後はペアを変えて、改めてリーグ戦。 しかし午後は6チームだし、午前中は3セットマッチ(2セット先取で勝ち)だったのに、午後は5セットマッチだったため、時間がかかり、半分程度しかできなかった。 われわれのペアも2勝して、3番目の試合をやっている最中に終了。 この試合も優勢で、セットカウント2−1で、第4セットもリードしているところだったのだが。 午後の試合は、昼食弁当の数が不足していて改めて手配し、一部の人が昼食を取るのが遅れたため、予定より20分遅れて始まり、時間が短かったのも響いた。

 参加者が増えたためだろうか、以前は1グループごとに台が2台割り当てられていたと思うのだが、今回は1台のみ。 午前中は、上述のように私のグループは5ペアしかおらず、しかも3セットマッチだったわけだが、それでも時間ぎりぎりに最終ゲームが終わった。 まして、午後の部では6ペアがいて5セットマッチだから、まともに試合が最後まで行くわけがない。 この辺は、主催者の大形卓球クラブの方々にご一考を願うしかなさそうだ。

 今回出てみて、以前より若い参加者が増えたような気がする。 午前の部では私の相棒はオバサンだったが、午後の部では結婚指輪はしていたけれど30歳になるかならないかといった女性。 やはり若い女性と組むと、調子がいいような気がする(笑)。 だから午後のほうが成績が良かったのかも。

 参加者にはいつも楽しみにされている大会なので、大形卓球クラブの方々には今後ともよろしくお願いいたします。

 

2月21日(金)   *文部科学省なんかいらない

 本日は新潟大学人文学部の会議。 最近行われた、外部評価と、文部科学省によるミッションの再定義について。

 詳しく書くことはしないが、外部評価は同じ人文科学系のステイタスの高い国立大学教授3人によるもの。 いわば同業者なので、色々な事情がよく分かっており、注文もついたとはいえ、基本的には共感をこめた評価であったようだ。

 これに対して、文部科学省の役人によるミッションの再定義については、いささかこちらから不満を隠せない交渉だったらしい。 要するに文部科学省の役人は最初から地方国立大学の意義を決めてかかっており、こちらがいくら説明しても理解する頭を持たないということのようだ。 頭が悪いんだね。 何のための独法化なのだろう。 駅弁はいつも旧帝大の下に位置しなければならないという決まりがどこにあるのか。 自助努力がいつまでたっても認められないなら、そもそも評価をすること自体が無駄であろう。

 寺脇研をはじめ、文部科学省の役人の質は低い。 あらためて、文部科学省なんかいらないな、と思ったこの日の会議であった。

 

2月18日(火)   *黒木華さんのベルリン国際映画祭最優秀女優賞受賞を祝うとともに、新潟市の映画状況について嘆き、しかし『エレニの帰郷』上映を歓迎する・・・・長いタイトルだね(汗)

 ベルリン国際映画祭で、山田洋次監督による映画 『小さいおうち』 に女中の役で出ている黒木華さんが最優秀女優賞を獲得したことは、すでに各種メディアで報道されているからご存知の方が大半であろう。 おめでとう、と私も申し上げる。 でも、華って名は 「はる」 と読むんですね。 私はてっきり 「はな」 かと思っていた(汗)。

 ベルリン国際映画祭では、数年前にも 『キャタピラー』 で寺島しのぶが同じく最優秀女優賞を取っている。 でも、寺島さんには申し訳ないが、私としては今回の受賞のほうが納得、というか、欧米の映画関係者も少しは見る目があるんだな、という、ちょっとゴーマンな感想が脳裏に浮かんだのである。

 というのは、『キャタピラー』 は戦争で手足を失って帰郷してきた夫を妻が性的にいたぶるというお話なのだが、原作は江戸川乱歩の小説で、原作が出た当時から一種の反戦小説というふうに政治的に捉える向きもあったけれど、乱歩自身はそれを否定しているし、また実際に原作を読んでみれば政治的に受け取るのは浅い見方だと分かる作品なのだ。 

 にも関わらず、若松孝二監督はこれを戦争批判色で染めた政治的な映画にしてしまった。 まあ、欧米人がこういう映画に反応するのは分かりやすいから、申し訳ないけど寺島さんの受賞もそういう文脈でのことと私は受け取ったのだった。

 しかし、今回の 『小さいおうち』 は、まず作品として 『キャタピラー』 とは全然違う。 大上段に振りかぶった戦争というテーマで注目を集めるような作品ではない。 戦前の東京の中産階級の暮らしを丹念に再現していて、その中での女中の役割もきっちり描いているのだ。 こういう映画作品での女中役を黒木さんがしっかりとこなし、そしてそれがヨーロッパの映画祭で評価されたことを、私は素直に喜びたいのである。

 『小さいおうち』 は新潟市でも4館のシネコンすべてで上映されているから、未見の方はぜひごらんいただきたい。

 ・・・・しかし、である。 黒木さんの今回の受賞がめでたいことだけに、それだけいっそう新潟市の映画館業界のふがいなさが痛感されるのである。 というのは、昨年に黒木さん主演で公開された『シャニダールの花』は、ついに新潟市に来なかったからである。 今からでも遅くない。 どこかの映画館が、ベルリン国際映画祭最優秀女優賞受賞記念とかなんとか言い訳をつけて、持って来ませんかね。 ったく、新潟市の映画館って、どうしようもないからね。 特に4館もあるシネコンは、他館とおんなじ作品ばかり揃えていることを少しは恥ずかしいと思ってくれないと。

 ・・・・ここで突然話は変わる。 上で述べたように、そしていつもこの欄で私がぼやいているように、新潟市の映画館業界はダメダメなのだが、その新潟市には珍しい朗報がある。 ギリシアの映画監督として名高かったアンゲロプロスの遺作である 『エレニの帰郷』 が、この22日からTジョイ新潟万代で2週間限定で上映予定なのである。 おお、Tジョイもたまには (失礼!) いいことやるじゃないか、と私はびっくりした。 

 何しろ、東京では1月下旬に封切したばかりだし、全国的に見ても1桁の都市でしかやっていない映画なのである。 それを、東京に遅れることわずか4週間で持ってきたTジョイは賞賛に値する。 しかしTジョイは宣伝が下手だから、私がここで宣伝しておきましょう。 『エレニの帰郷』 が首都圏からわずか4週間遅れで見られるのは、すごいことなんですよ。 新潟市およびその近辺の映画ファンの皆さん、見に行きましょう!

  

2月17日(月)  *関東の大雪で産経新聞が来ないので、『アルト・ハイデルベルク』 に関する港千尋の誤解が発覚

 新潟市は今冬は雪が少なくて助かっているが、山梨県をはじめ関東地方は大雪らしい。

 そのせいで、昨日も本日も産経新聞が届かない。 我が家は毎日と産経の二紙を購読しているけれど、毎日のほうは普通に届いているのに産経が届かないのは、運送体制に不備があるからじゃないだろうか。

 ただし、我が家に新聞を届けてくれる販売店は読売新聞の取扱店で、要するに産経新聞はあんまり部数が出ていないので (少なくとも私の住む近辺では) 独立した販売店は持たずに、読売の販売所に委託して宅配をしているのである。 もっとも、毎日新聞だってこの点では同じで、こちらは地元の新潟日報の販売店に委託して配達している。

 そして読売新聞の販売店はなかなか親切で、この二日間、産経新聞が届かないので代わりに読売新聞を入れてくれた。 部数で日本一の読売はそれだけ余裕があるということなのかも知れないけどね。 

 というわけで、この二日間は毎日新聞以外に読売新聞を読んで過ごしたのだけれど、そのせいで 「あれ?」 に出会ってしまった。

 本日の読売新聞文化欄に写真家の港千尋が 「考景2014」 という記事を載せている。 多分、景色について考察するという意味なんだろう。 連載記事らしく、今回は 「ハイデルベルク(独)」 となっている。 で、港千尋は次のように書き始めているのだが・・・・

 「丘の古城から見下ろすネッカー川の流れ。ドイツロマン派が活躍し、小説 『アルト・ハイデルベルク』 であまりに有名な大学都市は、今も往時の姿をとどめている。」

 うーん・・・・。 この文章、どこが変か分かる方は、年輩の方か、かなりの文学通でしょう。 まあ、ドイツ文学者はすぐ分かるんだけど。

 『アルト・ハイデルベルク』 って、小説じゃないですよ。 戯曲です。 ただし、作者のマイヤー=フェルスターは自身の小説をもとにしてこの戯曲を書いたといういきさつがあって、日本では小説のほうも――多分営業上の理由から――「アルト・ハイデルベルク」 のタイトルでいちど出ているのだが、あくまでこのタイトルを冠した作品は本来的には戯曲なのである。

 私が新潟大学で教養の西洋文学の講義をやっていて、例えばシラーの 『オルレアンの乙女』 なんて戯曲をとりあげると、「私は会話文だけでできている小説を読んだのは初めてです」 なんてレポートに書いてくる奴が最近いるので、近頃は講義で 「小説と戯曲は違います」 という説明をちゃんと入れておくようにしているのだが、いやしくも多摩美大教授をやっている方が小説と戯曲の別を知らないということは・・・・ないと思うんだが。 

 或いは、知らないのかもしれない。 或いは、知っているのにうっかり勘違いをしたのかもしれない。 或いは、たまたま上記の翻訳小説を読んで、これが真正の 『アルト・ハイデルベルク』 だと思い込んでしまったのかも知れない。

 いや、たいしたことじゃないんですけど、ドイツ文学者って、こういう細かいところが気になってしまうサガなんで。 すみません (汗)。 

 

2月14日(金)   *毎日新聞記者の低レベルぶりを叱る――韓国人の日本海表記改変運動に関して

 最近毎日新聞の批判ばっかりしているようで私としても不本意なのだが、どうしようもなくレベルが低いと言いたくなる報道や記者が目に付くので仕方がないのである。 

 社会的弱者に関する特集ルポなんかでは毎日新聞は健闘しているし、国際報道でもアフリカに関するすぐれた本を出している白戸圭一記者のような立派な人材もいることは承知しているのだけれど、なぜか最近の紙面には低レベルな記者の発言が目立っているのは、残念と言うしかない。

 本日のネタ提供は福本容子論説委員である。 「コラム発信箱」で次のようにのたもうている。 (下記URLは登録しないとアクセスできません。)

   http://mainichi.jp/shimen/news/20140214ddm005070011000c.html 

  イギリスとフランスの間にあるのは「イングリッシュ・チャネル」だ。訳すとイギリス海峡。でも、フランス人はそう呼ばない。フランス名は「ラ・マンシュ」。海峡の形が袖(マンシュ)に見えるかららしい。

 中でも一番狭い所が「ドーバー海峡」だ。これもフランスでは「カレー海峡」。海峡のイギリス側の地名がドーバーで対岸がカレーだから。

 戦争を繰り返した歴史を持つイギリスとフランスである。20世紀後半には、大陸棚の境界線で争ったりもした。だけど、もめごとを抱えながらも、両国を海底トンネルで結ぶ壮大なプロジェクトに取り組み、今から20年前に開通させている。

 その中を走る高速鉄道は「ユーロスター」だ。幸い名前は一つ。それでも、車内アナウンスはイギリス国内なら英語→フランス語の順、フランスではその逆、とこだわる。折り合いのつけ方を工夫しながら、お互い得になることをやっている。両方の顔を立ててか、細長い海峡の日本語名は「英仏海峡」だ。これでいい気がする。

 さて、韓国が日本との間にある海の名前で一生懸命だ。「シー・オブ・ジャパン(日本海)」だけでなく「イーストシー(東海)」もアメリカの公立学校の教科書に書いて、と訴えている。

 だけど、外国を巻き込んだり、コンサルタント会社を雇って反論をしたり、それで勝った負けたと言っても、お互いがもっと嫌いになれば、勝者って誰? コンサルタント会社が得するだけだ。

 ところで、「ドーバー・ソール」と呼ばれる舌平目は、フランスだと単に「ソル」。ドーバーが付いても付かなくてもフランス料理のムニエルにすると最高においしいお魚だ。(論説委員)

 最近、韓国がアメリカなんかで日本海のことを自国で呼んでいる東海に呼称変更せよと運動していることについての論説である。 要するに、ドーバー海峡のことをフランスでは自国流にカレー海峡と呼んでいるという事実を提示して、それと同じことだと述べた上で、「だけど、外国を巻き込んだり、コンサルタント会社を雇って反論をしたり、それで勝った負けたと言っても、お互いがもっと嫌いになれば、勝者って誰? コンサルタント会社が得するだけだ」 とケンカ両成敗的なまとめ方をしている。

 これ、もっともなようでいて、変ですね。 どこが変なのか分かるかな?

 フランスがドーバー海峡のことをカレー海峡と呼ぶのはフランスの勝手である。 誰もそれに異議を唱えはしない。 しかし、国際的な呼称としてドーバー海峡をカレー海峡に変更するかどうかとなれば話は別である。 当然それなりの議論になるところだろう。

 日本海か東海かという問題も、それと同じである。 韓国が日本海を自国で東海と呼ぶ限りにおいては、誰も文句は言わない。 韓国の勝手だからだ。 現在これが問題化しているのは、アメリカなど外国でも日本海を東海に呼称変更しろという運動をしているからだ。

 福本記者はその程度のことも分からないのだろうか。 お前、中学生か、と言いたくなるではないか。

 それから、福本記者は韓国側の運動について、「「シー・オブ・ジャパン(日本海)」だけでなく「イーストシー(東海)」もアメリカの公立学校の教科書に書いて、と訴えている」 と述べているが、認識が甘い!

 本日の産経新聞には以下のような記事が載っている。 韓国の運動は 「日本海も東海も」 ではない。 「東海一本でいけ」 なのだ。

    http://sankei.jp.msn.com/world/news/140213/amr14021310150005-n1.htm 

 【ニューヨーク=黒沢潤、ロサンゼルス=中村将】 米東部ニュージャージー州政府が公的な業務で日本海に言及する際、韓国の主張する呼称「東海」を単独表記するよう求める法案が10日、州下院に提出された。日本海の呼称をめぐっては、バージニア州の教科書に日本海と東海の併記を求める法案が州議会で可決。ニューヨーク州でも同様の法案が7日、上下両院に提出された。

 法案を提出したのは、州下院議員4人(いずれも民主党)。「実行可能な範囲内で」という留保条件を付けながらも、州政府や政治関連部局に対して、朝鮮半島と日本の間の海域を「東海」と表記するよう求めている。国際的に使用されている日本海という名称には触れていない。

 ニュージャージー州は一部の市で韓国系の住民が大半を占めており、パリセイズパーク、ハッケンサック両市には「慰安婦の碑」が建てられている。今回の「東海」単独表記法案の提出も、韓国系による反日行動の一環とみられる。

 併記法案が可決したバージニア州は韓国系住民が日系住民の8倍。今回、単独表記法案が提出されたニュージャージー州は5・5倍だ。しかも韓国系は米国での市民権を有する住民が多く、「票にならない」という日系とは大きく違う。

 韓国側は教科書併記を進めるにあたり「州議員全員の性向を完全に分析して個人別のファイルを作り、趣味や友人関係まで把握した」(韓国紙・中央日報電子版)。その上で議員へのロビー活動を展開し、圧倒的多数を味方につけた。

 議員が11月の中間選挙を意識していることも韓国側に有利に作用している。カリフォルニア州グレンデールの慰安婦像設置を推進した「韓国系米国人フォーラム」幹部は、慰安婦問題で日本への謝罪決議を主導したマイク・ホンダ下院議員を支援する韓国系住民の集いをロサンゼルスで主催。ロイス下院外交委員長の慰安婦像訪問も実現させた。

 関係者によれば、この幹部は今月9日、韓国の彫刻家に新たな慰安婦像・碑を発注。像設置のめどがたっているという。

 このほか、私は未確認だが、北欧の航空機会社の機内地図ではすでに日本海ではなく東海単独表記になっている、という指摘が、産経新聞の読者投稿欄でなされている。

 福本容子記者みたいな能天気で不勉強な人間には、国際関係の報道はまかせられない。 もっとしっかりした人材を起用してもらいたい。

 

2月13日(木)   *新聞への寄稿

 本日、新潟日報文化面(第10面)に拙稿 「映画 『ハンナ・アーレント』 上映に寄せて ユダヤ人の多様な思想」 が掲載されました。 興味のある方はご一読ください。

 なお、映画『ハンナ・アーレント』は新潟市ではシネ・ウインドで2月15日(土)から3週間にわたって上映されます。

 

2月12日(水)   *なぜ日本人記者は欧米人に「それは違う」と言えないのか? 毎日新聞記者の卑屈を叱る

 韓国が日本軍による従軍慰安婦の強制連行という、事実と証明されていない主張を海外で繰り広げていること、そしてそれがいかに日本にとって危険な宣伝であるかは、この欄でも何度か取り上げてきた。

 特に、先日フランスで開催されていた 「アングレーム国際漫画祭」 で、韓国人側の従軍慰安婦強制連行を描いた漫画は展示されたのに、そういう事実はないとした日本側の漫画は展示を拒否されたという事件は、私の危惧が当たっていたということを印象づけた。 この件について、日本の政治家やマスコミは本気で取り組まないと、将来に禍根を残すことになると私は確信する。

 ところが、日本のマスコミはこの点はなはだ心もとない。 この事件について毎日新聞は、「「正しさ」とは何か 韓国社会の法意識」という連載記事の最終回に当たる本日の記事で取り上げているが、そこには次のようにこの間の事情が説明されている。 (下記URLには登録しないとアクセスできません。)

   http://mainichi.jp/shimen/news/20140212ddm007030103000c.html 

日本政府は、韓国が政治宣伝をしていると見て「漫画祭の趣旨にそぐわない」(菅義偉(すがよしひで)官房長官)と批判した。韓国の企画に反論するため、慰安婦の強制連行はなかったという展示をしようとした日本の団体もあったが、政治宣伝をしないなどという規則に反するとして、組織委に拒否された。

 組織委のアジア担当、ニコラ・フィネ氏は毎日新聞に「漫画祭を政治宣伝の道具とすることは受け入れがたい。韓国側は、最終的には『芸術的な目的でなければならない』という考えを受け入れた。私たちは、日韓両国に同じ対応を取った」と話す。

 韓国政府は、元慰安婦を会場に呼ぶことや、パリでの記者会見も計画したが、直前に取りやめた。韓国側の動きに気付いた組織委が「漫画以外のことは控えてほしい」と注文を付けた結果で、組織委はこれを評価したようだ。

 一方、日本側展示が拒否された背景には、過去にあった「非人道的行為」の否定を禁じる仏国内法の存在がある。

 フランスでは1970年代以降、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を疑問視する主張が台頭したことを契機に、歴史認識に関する法律が相次いで制定された。フィネ氏は、日本の展示に用意された横断幕のメッセージが歴史的事実に対する 「否定主義」 の性格を持っていたと指摘し 「フランスでは否定主義は刑事訴追の対象だ」 と語った。

 問題は最後の部分である。 慰安婦強制連行は事実と証明されていない。 なのに、これが 「ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を疑問視する主張」 と同列視されている。 明らかにフランス人は分かっていないのだ。 問題は、フランス人が分かっていないのは仕方がないとして、なぜ日本の記者はその場で 「慰安婦強制連行は事実と証明されていない。 なのに 「歴史的事実」 とするのは、あなたが不勉強で事情を知らないからではないか?」 と質問しないのだろうか?

 相手が誤解しているのに、誤解を正すことすらできない。 こんな新聞記者は存在価値がゼロであろう。 いったい日本人の新聞記者はどういう教育を受けているのか。 欧米人に盲従するなんて卑屈さは過去のものかと思っていたが、新聞記者に限ってはそうではないらしい。 困ったことである。

              *

 これに関連するが、先日、NHKの籾井勝人・新会長の発言が問題視された。 しかし、これが実は日本の一部の新聞記者の誘導的な質問による発言であったことを、秦郁彦氏が本日の産経新聞で明らかにしている。 以下、一部分だけ引用するが、日本の新聞記者は、海外での日本の評判を下落させるべく必死になっているとしか思われない。 歪んだ人間の集団なのかなあ。

    http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/140212/ent14021203460001-n2.htm  

 なぜかNHKも動画サイトも記者会見の全容を報じていないが、私の手許(てもと)には、臨場感あふれる逐語の質疑記録がある。それを見ると、会長はまず不偏不党、視点の多角化を軸とする放送法の趣旨を順守したいと繰り返し強調し、NHKという伝統ある組織への敬意と信頼を語っている。

 《記者会見取材の方法に疑義》

 次いで首都災害による放送機能の麻痺(まひ)を避けるため、耐震性が足りぬ放送センターの建て替え構想を前倒ししてでも実施したいと述べた。ところが、質疑に移ると、記者団はNHK会長の守備範囲とは言いにくい政治的イシューばかりを選び、集中砲火を浴びせる。

  繰り出した論点は、憲法改正、特定秘密保護法、尖閣・竹島の領土問題、靖国参拝と合祀(ごうし)、慰安婦問題と多岐にわたった。会長はしつこく迫られても、「個人的意見は差し控えたい」「ノーコメント」とかわすが、慰安婦問題でついに引っかけられてしまう。

 「会長自身はどう考えているか」という毎日の質問に「コメントを控えてはだめですか…今のモラルでは悪いことだが、戦時慰安婦はどこの国にもあった。違います?」と応じるが、「重ねて尋ねたい」と迫られ、「無言」でいると、傍らの広報局長が「ノーコメントということ。じゃ次の質問を」といったんは押さえ込む。

 しかし、10分後に同じ記者が「揚げ足を取るようだが」と断りながら蒸し返した。そして、「どこの国にもとは、すべての国か」と追及し、「ドイツ、フランス…」と国名を列挙させた後は、「どこの国にもあった証拠を出せ」「ではなかった証拠はあるのか」と、売られたケンカをうっかり買う形になってしまった。

 危ないと気づいてか、会長が個人の見解だと付け加えても、「ここは会長会見の場なので」(読売)と言われ、「それなら全部取り消します」と宣言したが、手遅れだった。「言ったことは取り消せませんよ」と凄(すご)まれ、「乗せられてしまった。今後はノーコメントと言い続ければよいのか」と反問したが、誰も答えない。

 最後に朝日の「靖国と慰安婦はどちらも肯定的に見える発言だったが、それを番組に反映させたいのか」「襟を正して政権との距離を取るつもり?」と意地悪な質問で会見は終わった。友人の元記者に聞くと、「失言狙いの若い記者に挑発され、老練な経営者がワナにはまるとは」と辛口評だが、NHKに届いた視聴者の反応は、「批判的意見が7500件、よく言ったという声が3500件」(NHK発表)だという。質疑の全部を読ませたら、この比率は逆転するかもしれない。

 海外の反響も批判調は一部の新聞にとどまり、「(韓国)政府としては公式見解は出しておらず」(1月28日付朝日)と当て外れに終わる。そこで、3紙と野党は、標的を安倍政権が任命した2人の経営委員(作家の百田尚樹氏と哲学者の長谷川三千子氏)に切り替えた。

 都知事選の応援演説や追悼文集の一部をあげつらったが、「言論の自由封殺だ」と反論され、「ガッテンいかないNHK」(2月7日付毎日夕刊)とお茶を濁して幕引きとなりそうだ。

 

2月9日(日)   *山本真希オルガンリサイタル 南ドイツのオルガン音楽

  本日は午後5時からの標記の演奏会に出かけた。 会場はりゅーとぴあ・コンサートホール。 午前中は雪が心配だったが、午後からゆるんだようで、道路も除雪がなされていて車で走るのに不都合はなかった。

 会場は、本格的なオルガンリサイタルの通例で、200人程度の入りか。 私は3階正面Iブロックの4列目左側に席をとる。

  J・J・フローベルガー: トッカータ ト長調FbWV103
  同            : ド・レ・ミ・ファ・ソル・ラに基づくファンタジアFbWV201
  G・フレスコバルディ: 「音楽の花束」 聖母のミサより
                  トッカータ、カンツォーナ、リチェルカーレ、トッカータ第5番
  J・C・ケルル: パッサカリアニ短調
  G・ムッファト: 「音楽とオルガンの資料」 よりトッカータ第7番
    (休憩)
  J・パッヘルベル: シャコンヌ ヘ短調
  バッハ: パストラーレ ヘ長調BWV590
  同  : カンツォーナ ニ短調BWV588
  同  : トッカータとフーガ ヘ長調BWV540
   (アンコール)
  フレスコバルディ: 「音楽の花束」 より トッカータ エルヴァツィオーネ

 いつもながら充実した作品群が壮大なオルガンの音で演奏されるのを聴くのはいいものである。

 前半は特に最後のケルルとムッファトの曲が素晴らしかった。 ケルルの音楽にはバッハのような思索性・内面性が感じられたし、ムッファトの曲はいくつかの部分から成り、壮大であると同時に技巧的で、オルガンの様々な側面が楽しめるように構成されていた。

 後半はパッヘルベルとバッハの合計4曲だが、どれも劣ない名曲。 パッヘルベルは、オルガン音楽の秀作を結構書いているので、もっと音楽会で取り上げられていい作曲家だと思う。 バッハについては私が今更言う必要もない。

 途中休憩20分を入れて、アンコール修了まで1時間55分に及ぶ充実したリサイタルであった。

 

2月6日(木)   *毎日新聞の長谷川三千子批判は妥当か? 

 昨日の毎日新聞はトップに、NHK経営委員の長谷川三千子・埼玉大名誉教授が 「メディアへの暴力による圧力を評価し」 ているとして、NHK経営委員には不適当とする記事を載せた。

 大事な部分だけ引用すると以下のとおりである。(下記URLにアクセスするには登録が必要)

    http://mainichi.jp/shimen/news/20140205ddm001040205000c.html 

1993年に抗議先の朝日新聞社で拳銃自殺した右翼団体元幹部について、NHK経営委員の長谷川三千子埼玉大学名誉教授(67)が昨年10月、この自殺を礼賛する追悼文を発表していたことが分かった。メディアへの暴力による圧力には全く触れず、刑事事件の当事者を擁護したと読める内容で、NHK経営委員の資質を問う声が出ている。

 自殺した元幹部は新右翼「大悲会」の野村秋介・元会長(当時58歳)。警視庁公安部などが銃刀法違反容疑で同氏の自宅などを家宅捜索した。長谷川氏は元幹部の没後20年を機に発行された追悼文集に「人間が自らの命をもつて神と対話することができるなどといふことを露ほども信じてゐない連中の目の前で、野村秋介は神にその死をささげたのである」と礼賛。野村氏の行為によって「わが国の今上陛下は(『人間宣言』が何と言はうと、日本国憲法が何と言はうと)ふたたび現御神(あきつみかみ)となられたのである」と憲法が定める象徴天皇制を否定するような記載をしていた。

 (中略)

 放送法では個別番組の編集などに関与することはできないとされている。ただし経営委員会事務局によると、個人の思想・信条に基づいた行動は妨げられないとしている。

 服部孝章・立教大教授(メディア法)は「長谷川氏は言論機関に拳銃を持ち込み、発射したというテロ行為とみなされる刑事事件を何ら批判せず、むしろ礼賛している。このような人物をNHK経営委員に任命した責任を政府は問われなければならないし、国会は同意した責任を問われなければならない」と指摘した。

 ここで、服部孝章・立教大教授の 「言論機関に拳銃を持ち込み、発射したというテロ行為とみなされる刑事事件」 という表現が妥当かどうか考えてみたい。 

 もし、その拳銃が朝日新聞の社員に対して向けられたなら、たしかにそれはテロ行為であろう。 実際、朝日新聞については1987年に阪神支局襲撃事件が起こり、記者が射殺されている。 これは暴力による言論弾圧そのものであり、このような行為は決して許されないし、またそれを賛美する人がいたとするなら、公的な職務にはふさわしくないことは誰が見ても明らかだ。 この事件に関しては、日ごろは朝日新聞と正反対の主張をすることが多い産経新聞も、許されない行為として糾弾している。

 しかし、上記の野村秋介の行為はどうだろうか。 彼は朝日新聞に抗議に赴き、そこで自分自身を拳銃で撃ったのである。 朝日新聞の社員を撃ったたわけではない。 自分は満身の意をもって朝日新聞に抗議するのだということを表現するために自殺したのだ。 これを、朝日新聞阪神支局襲撃事件と同一視することはできないだろう。

 そもそも、このような行為は別段 「右翼」 の専売特許ではない。 左翼にだって類似の行為は見られるのだ。 例えばハンガーストライキはどうだろうか。 何かに抗議するためにハンガーストライキをやるというのは、しばしば見られることだ。 ハンガーストライキとは、食事を断つことで自分の生命を危険にさらし、それほどに自分は何事かに抗議の意思を強く表明しているのだ、と相手に知らしめる行為である。 場合によっては、食事を断って実際に死ぬこともある。 拳銃は使っていないが、自分自身の肉体に対する 「テロ行為」 である点で、野村秀介の行為と変わりない。

 日本のマスコミは、何事かに抗議してハンガーストライキを行う人間を、「暴力」 を行ったとして批判してきたであろうか?

 また、そもそも 「諌死」 という言葉があるように、何かに抗議するために自分の命を犠牲にする行為は、海外にも見られることなのである。 この点については、ウィキペディアで 「焼身自殺」 をごらんいただきたい。

 以上のように見てくるなら、毎日新聞のこの記事および服部孝章・立教大教授の見解は底が浅いと言わざるを得ないだろう。 

 もう一つ指摘したいのは、長谷川三千子氏の文章が追悼文として書かれたものであることだ。 追悼文とは、亡くなった人物に寄り添い、その生前の功績や思想を最大限に評価することを旨とする。 長谷川三千子がNHKの運営そのものについて述べた見解が妥当性を欠くというならいざ知らず、無関係な人物への追悼文をわざわざ持ってきて批判するのは、いささか不見識ではないか。 揚げ足取りと言われても仕方があるまい。

 選挙の際など、対立する候補者を攻撃するために、若い頃のちょっとした違法行為などを針小棒大に言い立てる場合があるけれど、今回はそんな連想を私はしてしまった。

 毎日新聞は誰かを批判するにしても、もう少し建設的なやり方を取ってもらいたい。 こういうことをやっているから、日本のマスコミはレベルが低いと言いたくなってしまうのである。 

 【追記: 2.17】 その後、森口朗 『日教組』(新潮新書) を読んでいたら、教員に対する勤務評定導入に反対する日教組の運動に触れた箇所で、自殺を図るという過激な手段で反対を表明した教員がいて、それを朝日新聞が報道した、という事実が記されていた。 1958年4月、東京都大田区の小学校教諭・尾崎正教は、「人間のなしうる最大の抗議をする」 という東京都教育委員長あての遺書をポケットに入れて、都教育庁の前で睡眠薬を飲み自殺を図った。  朝日新聞はこの事件を、「勤務評定に教師が 『死の抗議』」 という見出しで報じたという。 私はその記事を確認していないが、森口朗の書くところでは、「好意的かつ大々的」 な取り上げ方だったそうである。 (同書、140ページ)

 

2月5日(水)   *イオン・シネマは抜本的な改善を

 昨日、映画 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』 を見に、夜、イオン・シネマ新潟西に出かけた。 マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演で、ウォール街で詐欺的な手法で巨万の富を築きながら転落していく主人公を描いた話題作。

 この映画、実は先週土曜日 (2月1日) の昼過ぎに一度ユナイテッドで見ようとしたのだが、行ってみたらスクリーンすぐ前の最前2列くらいしか空いていないと言われて、その日は午前中にもシネ・ウインドで映画を見ていたこともあり、無理することもないか、後日にしようと思ったのである。 考えてみると、2月1日はこの映画の封切日の翌日であるだけでなく、土曜日で休日であり、なおかつ映画の日で誰でも千円だから混むのも無理はない。 これが東京だったら、最前列だろうがなんだろうがその時に見ておかないと (新潟に来ない作品を選んで見ているということもあり) 見逃してしまうことになるから、絶対に入場するのだが、新潟での映画鑑賞だと、別に無理しなくても後日でも、と思ってしまう。 私は現在61歳だから、シニア料金でいつでも千円だし、ということもある。

 まあ、そういうわけで、昨日の火曜日の夜の回にイオン・シネマ新潟西 (以下、イオン西と略す) に足を運んだら、なんと、客は私一人だけ。 うーん、たしかに2月1日は休日で封切日の翌日で映画の日という好条件が揃っていたから、平日の夜の回とは単純に比較できないけど、でもこれ、イオン・シネマに人気がないってことの端的な表れじゃないですかね。 ユナイテッドだったら、いくら平日でも数人程度は入るんじゃないかな。 この映画だけじゃなく、ロビーを見ても客はほとんどいなかったし。 また、最近私はイオン西をよく利用しているのだが、平日夜の回だと客が私一人というケースが実は少なくないのである。

 以前の私はシネコンならユナイテッドをよく利用していた。 千円デーが週2回あるし (メンバーズカード・デーとメンズ・デー)、座席も広くて快適だからである。 それが最近はイオン西の利用が増えているのは、上述のように私がいつでもシニア料金で入れるようになったからだ。 座席はたしかにユナイテッドのほうがいいが、シニアからすると料金には差がなく、6回見ると1回無料というサービスも同じで、また私の職場からも住居からもイオン西のほうが距離的に近いので、時間とガソリン代の節約になるからである。 最近はガソリンも高騰しているからなあ。

 しかしそうなってから、改めてイオン・シネマ (昨年途中まではワーナーマイカル・シネマズ) の人気のなさが痛感されてしまうのである。最大の理由は、やはり料金でしょう。 ユナイテッドは男女とも週2回ずつ千円デーがあるのに、イオンは、女性には週1回レディス・デーがあるけど、男性にはメンズ・デーがない。 男からすると、毎月1日、20日、30日と月3回しか千円デーがないのである。 これじゃ、客は来ないよ。 まず、メンズ・デーを設けることから始めなきゃ。 千円でも客がそれなりに入るほうが、客が一人しか入らないよりはるかにいいと思うけどね。

 それから、作品の選択だね。 私はいつもここで言っているけど、新潟市はヨーロッパ映画に極端に弱い。 他館でやってない作品を積極的に取り上げて、またそのことをしっかり宣伝すること。 HPで、新潟単独上映作は早い時期からそれとして売り込んでおくなどの宣伝活動が望まれる。

 実は昨日そんなことを考えたわけだが、本日はやはり夜、イオン南のほうに映画 『ブリンブリング』 を見に行った。 これは、新潟のシネコン4館中3館でやっている 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』 とは違い、イオン南でしか見られない。 つまり新潟では単独上映である。 2週間限定で、すでに2週目であり、夜の回1回しかない。

 行ってみたら、客は私を入れて6人。 私以外は女子高校生だけ (3人組と2人組) だった。 アメリカの女子高校生が映画俳優などのセレブの邸宅に忍び込んでドロボーをするという実話がもとになった映画だから、日本の女子高校生にも受けやすいのかもしれないけど、一般の映画ファンの姿が見当たらないのは、こういう映画を見る客層が新潟では薄いということだけでなく、宣伝も不足しているからじゃないだろうか。

 ともあれ、メンズ・デーの設置と、作品選択の差異化をはかること、この2点をイオン・シネマには要望したい。

 

1月30日(木)   *宮内俊至先生訳の 『主人公になった動物たち』(北樹出版、\2200+税)

 いただいたので、紹介します。 新潟大学名誉教授・宮内俊至先生が訳された標記の書物がこのたび出版されました。 宮内先生は長らく新潟大学でドイツ語を教えてこられたドイツ文学者で、一昨年3月限りで定年退職されました。 ご専門は現代ドイツ文学で、その方面の訳書を何冊も出されています。

 この本の著者ディートマー・グリーザーは1934年ハノーファー生まれで現在はウィーン在住の作家・文芸評論家。 本書は、世界の文学作品や一部はマンガに登場する動物について書かれたエッセイ集。 有名なところでは子鹿のバンビや蜜蜂マーヤ、白鯨モービィ・ディックやドリトル先生ものに登場する動物などが扱われています。 動物文学に興味のある方にはお薦め。

 宮内先生は以前にも同じグリーザーの 『ウィーンの恋人たち』(新書館) を翻訳・紹介されています。 日本では知名度が高いとは言えない文筆家ですが、そういう人の書物を敢えて日本に紹介しようとするところに宮内先生の本領が表れていると言えるでしょう。 

 

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1月29日(水)   *拙著 『夢のようにはかない女の肖像』 の書評が 『月刊ウインド』 誌2月号に

 昨年10月、拙著 『夢のようにはかない女の肖像 ドイツ文学の中の女たち』 (同学社、¥1500+税) を上梓しましたが、このほど、新潟市のミニシアターであるシネ・ウインドが出している月刊誌 『月刊ウインド 2月号』 に書評が掲載されました (22ページ)。

 書いてくださったのは青柳正俊氏で、新潟日独協会に所属しておられる方。 「ドイツ文学への格好のいざない」 というタイトルで、たいへん行き届いた理解を示し、内容紹介を書いてくださっている。 興味のある方はご一読ください。

 なお、『月刊ウインド』 誌が身近な書店にないという方は、以下 (↓) の方法で入手可能です。

 http://www.cinewind.com/monthlywind/2853/ 

 

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1月28日(火)   *ベルリン・フィル八重奏団演奏会

 本日は午後7時から標記の演奏会に出かけた。 会場はりゅーとぴあ・コンサートホール。 女房同伴。

 会場は、3階と2階の舞台後ろには客を入れていなかったが、それ以外はほぼ満席。 ふだん東響新潟定期では空席が目立つ1階前方端のあたりも客がいっぱい。 やっぱりベルリンフィルと名前が付くと集客力が違うんだろうな。

 Cブロック4列目やや左寄り。 SランクでNパックメイト価格6750円 (1人あたり)。

 ヴァイオリン=樫本大進、ロマーノ・トマシーニ、ヴィオラ=アミハイ・グロス、チェロ=クリストフ・イゲルブリンク、コントラバス=エスコ・ライネ、クラリネット=ヴェンツェル・フックス、ホルン=シュテファン・ドール、ファゴット=モル・ビロン

 R・シュトラウス/ハーゼンエール(編): もう一人のティル・オイレンシュピーゲル
 モーツァルト: クラリネット五重奏曲
 (休憩)
 シューベルト: 八重奏曲

 最初の曲は、ヴァイオリン、コントラバス、ホルン、ファゴット、クラリネットという変わった編成の曲。 しかし原曲のユーモラスなところを巧みに活かした編曲だと言えそうだ。

 次のモーツァルトと、後半のシューベルトはまとめて感想を書いておこう。
 よく言えば品の良い、抑制の効いた演奏であった。 ホルンの音などきわめてよく制御されている。 ウィスキーに喩えるなら、安物だと水で割っても舌先にぴりっと来たり喉ごしが雑味を感じさせたりするのに対し、高級品だとストレートで飲んでも舌に優しくで喉ごしもきわめてソフト、といった感じかな。

 ではあるけれども、もう少し表現意欲というのか、音楽をする楽しさがストレートに伝わってくるような演奏ができないものか、という気がした。 量の問題ではないけれど、上品な料理屋の料理が、たしかにおいしいけれどさっぱり腹いっぱいにならないのに似ている。

 その意味で、シューベルトの最後の楽章は、それまでと違って各奏者が表現意欲を強く出していて、聴き応えがあった。 他の楽章でもこういう演奏ができなかったものか。

 上等な料理屋で食事したけれど満腹にならなかったような気分で会場を後にした。

 

1月25日(土)   *最近聴いたCD

 *ラインベルガー: ヴァイオリンとオルガンのための作品集 (NAXOS、8.557383、2000年デンマーク録音、EU盤)

 昨年末に新潟市内のCDショップコンチェルトさんに立ち寄ったら、コンチェルト2号さんから薦められたのがこのディスク。 ヴァイオリンとオルガンのための作品とは、組み合わせが珍しい。 ヴァイオリンとオルガンのための6つの小品集op.150と、ヴァイオリンとオルガンのための組曲op.166 (全4曲) とが収録されている。 どんなものかと恐る恐る聴いてみたが、これがイケるのである。 美しい旋律がヴァイオリンによって奏でられ、オルガンは、やや音量は控えめにしているようだけど、バックをがっちり固めている。 実に素直な音楽である。 余計なことを考えずに音楽に浸るのが正解だろう。 作曲者のヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガー (1839−1901) はオルガン関連曲がナクソスにかなり入っているし、また最近は新潟でこの作曲家の作品を重点的に演奏している方がいるので、知名度は結構上がっていると思う。 しかし、解説によると、生まれはリヒテンシュタインで音楽教育は最終的にはミュンヘンで受けたものの、死後は急速に忘れられた人だと書いてある。 まあ、ヴィヴァルディみたいに一度忘れられても復活可能なのが音楽の世界だから、別に気にする必要もないだろう。 ヴァイオリンはリネ・モスト、オルガンはマリ・シナー。 コペンハーゲンの聖ダヴィデ教会のオルガンによる演奏。 演奏者はいずれもデンマークの人らしい。 解説は英語とドイツ語で付いている。

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1月20日(月)   *昨年7月22日の音楽雑記に追記

 昨年7月22日の音楽雑記に藤原帰一の映画レビューに対する批判の文章を載せましたが、さらに追記を掲載しましたので、ごらん下さい。

 

1月18日(土)   *毎日新聞よ、中学生並みの記者に記事を書かせるな! 産経新聞と比べて歴然たる差が・・・

 本日の毎日新聞を読んでいたら、「街角から」 というコラムに、大貫智子記者が 「日韓 感情の壁」 という一文を書いていた。 が、これがどうしようもないシロモノなのである。

    http://mainichi.jp/shimen/news/20140118ddm007070063000c.html 

 日本人が多く住むソウル市中部・東部二村洞(トンブイチョンドン)には、日本人の子どもも通う韓国の幼稚園が主に3カ所ある。5歳の息子もそのうちの一つに通い、園での運動会や授業参観などのたび、英語教育の熱心さや親子の距離感などさまざまな違いに触れて興味深い。

 昨年12月のクリスマスコンサートは「愛」にあふれていた。息子たちのクラスが合唱した曲のタイトルは「あなたは愛を受けるために生まれた人」。コンサートの最後は、全園児が合唱した後、「オンマ、アッパ、サランヘヨー(お母さん、お父さん、愛してる)」と両手で頭上にハートマークを作った。

 東京で通っていた保育園では考えられない光景が印象的で、その話を韓国語の女性講師(34)にすると「息子に普段から愛していると言わないの?」と逆に驚かれた。日本で韓国の代名詞のように知られているストレートな感情表現は、本当なのだと実感する毎日だ。

 実は、この感情表現の違いが政治的な問題でもカギを握っているのではないかと思うことがあった。昨秋、従軍慰安婦問題の解決策について、「日本ではいつまで謝罪すればいいのかと言うが、韓国ではただ『すみません』と言っても謝罪とは受け取らない」と韓国の記者が言ったのを聞き、なるほどと膝を打った。例えば韓国では政治家らが公衆の面前で土下座する写真をしばしば目にするが、日本の政治の世界では選挙でよほど切羽詰まった時以外、まず土下座はしない。

 合点がいき、一瞬すっきりした。ただ、文化の違いが最大の壁だとすると、解決に向けたハードルは相当に高いということだ。 この仮説が近いうちに誤りだったと実証される日が来るといいのだが。

 この人は従軍慰安婦問題が事実をふまえない韓国人によって妄想的に喧伝されているという事実を知らない。 仮にそれを措くとしても、外交関係では土下座をしないと謝罪と見なさない、なんてことをのたもう国は世界中に韓国を除けばどこにもない、つまり、そういうことを言う奴は単に非常識だけなのである、ということをまったく理解していない。

 その程度の常識もなければ、韓国の最近の妄想的な動きについて全然知らないらしい――少なくともそうとしか思えない文章だ―ー新聞記者が、どうしてソウルに派遣されるのか!? 毎日新聞はシロウトが遊びでやっている新聞ではないはずだ。 少なくとも人口一億二千万人を擁する日本の五大紙の一つであるはず。 それにこんな知的レベルの低いコラムを載せてどうする!?

 毎日新聞よ、私はカネを払って購読しているのだ。 無知な中学生の作文並みのコラムにはカネは払いたくない。 外国にはもっと知的レベルの高い記者を派遣しなさい。 こういう記者はせいぜい国内支社のお茶汲み程度に使っておけばたくさんである。

 ちなみに、この日の産経新聞には、日韓関係についてはるかに高レベルな――というか、大貫記者の文章と比べればどんな記事も高レベルになりそうだが――記事が載っている。 (以下の引用はこの日の産経新聞に載った記事 「ニッポンの分岐点」 の最初の三分の一程度。 全部読みたい方は、下のURLから産経新聞サイトにアクセスしてください。)

    http://sankei.jp.msn.com/world/news/140118/kor14011809080002-n1.htm 

 日韓関係(2)「反日」「親日」論争 「言論の自由」封殺する現実

  日韓双方で1990年代初頭、韓国観や日本観に関する本が相次ぎベストセラーになった。88年のソウル五輪とそれに続く韓国人の海外旅行自由化で日本人と韓国人が接する機会が格段に増加したことが背景にある。だが、著者らは韓国で最も敏感な「反日」「親日」をめぐる論争に巻き込まれ、翻弄されていく。

 ■日本を目指す女性たち

 韓国語に女性の強さを指す「チマ・パラン(スカートの風)」という言葉がある。韓国出身で、現拓殖大教授の呉善花(オ・ソンファ)(57)が「スカートの風」をタイトルにした本を90年に出版しベストセラーとなった。

 韓国に居場所を見いだせず、日本を目指して歓楽街のホステスなどに就く多数の韓国人女性の姿と、それを生む韓国社会のゆがみを女性の目線から描いた。韓国人のように大きな夢を語らなくとも「黙々と働く日本人の朗らかな笑顔」に共感を記した。

 「話ができる韓国人がいると知った。頑張ってください」…。呉のもとには激励する読者の手紙が殺到した。多くが韓国とのビジネスを経験した日本の中高年男性からだった。

 呉は韓国南部の済州島(チェジュド)出身。終戦まで鹿児島で暮らした母親から、子供たちの防空頭巾を縫ってくれたり、野菜や果物をくれたりした日本人の親切さを聞かされながら育った。

  だが、学校教育が母親の思いを打ち砕く。韓国人に非道を尽くした日本人像がたたき込まれ、いつしか日本をほめていた親を「恥ずかしい」と感じるようになった。

 親日的なことを公に話せない空気が流れていたが、そんな中でも島には日本や日本製品のよさを平然と口にする女性たちがいた。相反する2つの日本観を抱きながら83年に日本に留学。アルバイトで韓国人ホステスらに日本語を教える中で彼女らの境遇を知る。

 日本人ビジネスマンには韓国語を教えた。韓国の経済発展や89年からの旅行自由化で両国間の交流が増加。その分、摩擦も生まれたが、韓国人に本音を言うことを恐れる日本人を歯がゆく感じた。日本での出版を考えたのは「日韓友好というきれい事では何も進まない。考え方の違いを知ることから始めなければ」との思いからだったという。


1月17日(金)   *再度申します、バカの一つ覚え 「学長のリーダーシップ論」 はやめなさい!

 本日の毎日新聞一面トップに以下のような記事が載っていた。

 http://mainichi.jp/life/edu/news/20140117ddn008100030000c.html 

 大学改革:教授会の権限制限 学長に集中 文科省、法改正検討  毎日新聞 2014年01月17日

 文部科学省は、曖昧さがあるとされる大学の教授会の審議事項を明確化して、役割を事実上制限するため、学校教育法改正に向けた検討を始めた。教授会については、大学の経営に関する部分まで審議したり改革に異論を唱えたりするケースがあるなど「学長のリーダーシップを阻害している」との指摘があり、中央教育審議会なども見直しの必要性を指摘している。文科省は今月24日に召集される通常国会の期間中に、改正案を提出したい考えだが、大学関係者からは「学問の自由が失われかねない」と懸念する声が上がっている。

 学校教育法は「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない」とし、国公私立大に教授会の設置を義務付けている。具体的には学生の入学や退学、留学などのほか、卒業について審議し、最終的には学長が決定する。文科省などによると「重要な事項」の範囲が曖昧なため、教授会が教育関連のみならず、大学の経営に関する部分まで審議しているケースがあるという。また、入試制度の見直しなど、大学全体で取り組みたい施策に対し、学部ごとに設置された教授会の足並みがそろわない場合、結果的に学長がリーダーシップを発揮できない事態になる。

 教授会の役割については現在、中教審大学分科会組織運営部会で協議中。昨年12月に公表された「審議まとめ案」では、教授会が審議すべき事項として、教育課程の編成▽学生の身分に関する審査▽学位授与▽教員の教育研究業績等の審査??など内容を具体的に挙げており、改正案もこれに沿った内容になる見通し。解釈の余地をなくし、教授会の役割を事実上制限する。

 文科省は当初、大学関係者の反発に配慮し、教授会の再定義については省令で対応する方針だった。しかし、国際競争力の向上や留学促進、社会への貢献度アップなど、改革のスピードを速めるためには、学長により強い権限を集める必要があり、抜本的な「教授会改革」は避けられないとし、省令よりも拘束力の強い法改正が必要と判断した。

 文科省は通常国会に十数本の法案を提出する予定で、学校教育法の改正案もその中に含まれる方向。16日に開かれた自民党の文部科学部会でも説明された。 【福田隆】

 まあ、教授会の権限なんて、すでにかなり縮小されているのだが、それで大学はよくなったのかと言えば、少なくとも新潟大学に関して言えば逆である。 学長がリーダーシップを発揮するほどに悪くなっている。 なぜか。 学長なんていっても、所詮出身学部のことしか知らないからだ。 つまり、現場を知らないということだね。

 すでに何度もこの欄で書いたから繰り返すのもなんだが、教養部解体後のこの20年間、新潟大学の外国語教育は縮小される一方であり、国際化どころか、逆に地方都市の専門学校化しているというのが実態なのだ。 学長に権限を集中させるとこうなるということの見本なのである。

 不思議なことに、こういう実態がどこの新聞にも掲載されない。 今回の毎日新聞のこの記事にしても、上記引用の記事の後、反対意見として名大教授の見解が、賛成意見として追手門学院大学長の見解が載っているだけ。

 そういう風に個人の意見を聞いたって物事は分からないんだよ。 なぜ実際の大学内に乗り込んで、この20年間で大学がどうなっているのかを検証しないのだろうか。 毎日新聞でなくてもいいから、どこかのマスコミがちゃんと新潟大学内を徹底調査しないものかね。 外国語教育がガタガタになっている惨状を見れば、「学長のリーダーシップ」 なんて俗論は吹っ飛ぶと思うんだけどなあ。 ま、そういうことをやらないから日本のマスコミはダメなんだけどね。

 

1月14日(火)   *高橋秀樹先生ほかの 『越境者の世界史 奴隷・移住者・混血者』(春風社、\2500+税)

 新潟大学人文学部教授である高橋秀樹先生から共著をいただいたので、紹介します。 13人の外国史学者 (1人だけ日本史学者も含む) が集まって作られた本。 編者は弘末雅士・立教大教授。 副題にあるような、或る程度共通したテーマで書かれた論文が収められている。

 高橋先生は古代ギリシャ史がご専門で、この本では 「古代地中海世界における奴隷制」 というタイトルの一文を掲載されている。 私も、ヨーロッパ世界で古代から近代まで奴隷制が絶えずに採用されていたのはなぜかを考えているところなので、参考になりそうである。 興味のある方はご一読を。  

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1月12日(日)   *映画を見るのも楽じゃない・・・・JR京葉線・舞浜駅まで行きました

 上京中だが、本日と明日は映画を見る日と決めていた。 本日、午前中有楽町で1本見てから、地下鉄有楽町線に乗って南下し、終点の新木場でJR京葉線に乗り換え、舞浜駅へ。 なぜ東京駅まで行って京葉線に乗らないのかといえば、東京駅の京葉線ホームはJR他路線のホームからかなり離れていて乗り換えに手間取るということもあるが、本日は東京メトロの一日乗車券で動いているので、なるべく東京メトロに乗ったほうが得だからなのである。

 もっとも、私は東京メトロの有楽町線にはめったに乗らない。 もしかすると本日が初めてかも。 私が東京で地下鉄に乗る路線というのはだいたい決まっていて、東西線、銀座線、丸の内線、日比谷線といったところである。 これ以外の路線にはほとんど乗らない。 ただしJRの東京周遊券が廃止されてしまったので、都区内をめぐるときは東京メトロの一日乗車券を使うことが増えており、これに伴って新宿から池袋へなどという西側縦の動きでも副都心線など地下鉄を使う場合が出てきているのではあるが。

 舞浜駅に来たのは初めてだった。 全然知らないところだが、駅を降りるとすぐに大きなショッピングセンターみたいなものがあり、その通路を通り抜けて向こう側にある別のショッピングセンターの中にめざす映画館、といってもシネマ・コンプレックスであるが、がある。 途中昼食をとる時間がなく、ショッピングセンター内にすぐ食べられるような店があればそこで済ませようと思っていたのだが、初めて来たところなので内部がよく分からず、また途中で意外に時間を食ってしまいあまり余裕がなさそうだったので、仕方なく映画館内部の売店で売っているホットドッグと飲み物のセットで昼食とする。 こういう場所で売っているセット物って内容の割には高価だからふだんの私なら絶対と言っていいくらい利用しないのだが、上京中で時間がとれないのだからやむを得ないよね。

 それにしても、お目当ての映画が都内では上映終了となってしまっているので、千葉県に入る舞浜まで見にこなければならないのが、いささか業腹ではある。 しかし新潟には来るかどうか分からない映画なので、これまたやむを得ないのである。 新潟の映画館がもっとしっかりしていれば、こういう苦労をせずに済むのだが。 詳しくは昨年12月30日のこの欄に書きましたので、そちらを読んでください。

 この日2本目の映画を見終えて、今度は舞浜駅から逆に都心部へ向かう。 新木場で地下鉄有楽町線に乗り換え、さらに有楽町駅で日比谷線に乗り換え、六本木駅へ。 六本木駅で降りてまた映画館へ急ぐ。 本日3本目の映画を見るためである。 これまた新潟に来るかどうか分からないので、仕方がないのである。 ここもシネマ・コンプレックスだが、私はやはり初めて来るところ。 チケット販売が完全に機械化されていて、最初ちょっと戸惑った。 しかし、ぎりぎり上映には間に合う。 ただし、前から3列目の端っこという、あまり良くない位置。 まあ、それだけ混んでいたということですね。 

 この映画を見終えてから、急ぎ六本木駅から地下鉄で恵比寿駅へ向かい、恵比寿から山手線で高田馬場へ。 友人と午後6時半に会う約束をしていたので。 本来は東京メトロの一日乗車券を持っているのだから日比谷線で茅場町まで戻り、そこで東西線に乗り換えれば安上がりなのだが、それだと約束の時間に間に合わない。 仕方なくJRを利用。 待ち合わせ場所は高田馬場駅すぐ横のビルであったが、ちょうど約束の時間に着いた。

 そのビルの上のほうの階に入っている飲み屋で友人と飲みながら話をする。 しかし、赤ん坊がぐずり声を上げていたりして、やかましかった。 こういう飲み屋に赤ん坊を連れてくる人もいるんですね。 でも、少子化の昨今、仕方がないのかな。

 

1月10日(金)   *クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル

 ちょっと上京する機会ができ、何かあるかなと調べてみたら、標記の演奏会があったので出かけた。 今年初めての音楽会となる。 本日午後3時頃に新潟駅を出る新幹線に乗って、東京駅で中央線快速に乗り換え、三鷹駅で降りる。

 会場の武蔵野市民文化会館は、JR三鷹駅から徒歩十数分。 私は初めてのホールだったが、収容人員は1300名ほど。 横幅は普通の二千人級の大ホール並みだけど、奥行きはあまりない。 チケットは演奏会の数日前に購入手続きをとったので、2階の後ろから3列目。 しかしもともと2階席(正面のみ)も奥行きがあまりなく、2階席の中では中間くらい。 また、ピアノはちょうど正面に見える位置で、まあ悪くはない。 S席で7000円。
 なお、この演奏会は本来は昨秋行われるはずが、ツィメルマンの腰痛のために延期されたのだそうである。 私には幸いであった。

 オール・ベートーヴェン・プログラム

 ピアノソナタ第30番
 ピアノソナタ第31番
 (休憩)
 ピアノソナタ第32番

 ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタを弾くプログラム。 ディスクではこの組み合わせは割りに出ているが、実際の演奏会でこのプログラムを聴く機会はあまりない。 私も、若かった頃に仙台で園田高弘がこのプログラムで演奏会をやったのを聴いて以来、つまり約35年ぶりということになる。

 会場はほぼ満席。 開演に先だって、録音録画行為は慎んでくれるようにとのツィメルマンからのメッセージが代読された。 以前新潟で演奏会をやったときと同じ。

 舞台から遠い2階席なので音はどうかと案じていたが、下手に至近距離で聴くよりむしろクリアでしっかりとしたピアノの音を楽しむことができた。 実はヤフオクにチケットが出ていて、正規料金より少し安かったので心が動いたのであるが、舞台から4列目という位置だったので、近すぎると音が頭上を越えていってしまうのではと危惧し、結局は正規のチケットにしたわけだけど、正解だったと思う。

 演奏であるが、最初の30番ではツィメルマンの音の美しさが遺憾なく発揮され、3曲の中ではいちばん良かったというか、曲の特性に演奏者の特性が合っているなと思う。 変な表現かも知れないが、ジューシーなベートーヴェンという気がして、それがこの曲の場合は決して変ではないのだ。

 次の31番も悪くなかった。 この曲は最終楽章に重みが置かれるけれど、そこの演奏も美しくあると同時にベートーヴェンならではの思索性がこもっていて、それなりであった。

 後半は32番だけ。 で、この曲はやや問題ありかな、という気が。 無論技巧的にはまったく破綻がないのだが、第一楽章はひたすら速くて、もう少しタメのようなものも必要なのでは、と思われた。 第二楽章は、これは聴き手がどういう演奏を期待するかによって相当印象が異なる楽章であろうが、出だしはゆったりと格調が高く、第一楽章のタメのなさが挽回されたかという気がしたものの、徐々に速くなっていき頂点に達するあたりの高揚感がもうひとつ出ていない。 頂点を過ぎてまたゆっくりと奏でられるところでは音の美しさが音楽を支えていて、それなりだったのだが。

 3曲で完結しているということであろう、アンコールはなし。 7時開演で終演は8時35分頃。

 三鷹駅に向かう途中に日高屋があったので、そこで餃子を肴に日本酒を一合飲み、それからラーメンを食べて夕食とする。 コンサートのあとの食事としてはあまり格好良くないけれど(笑)、チケット代金だけでなく上京にお金がかかっているので、食費は極力節約ということで。

 

1月6日(月)  *血圧の薬のもらい初め(?)と、卓球の打ち初め

 午前中から大学で雑用を片付けていたが、午後4時少し前、クルマで某内科に。 血圧の薬をもらうためである。 測ってもらったら、130−80だった。 来るのは明日でもよかったのだが、大学の冬休みは本日までで明日からは授業が始まるし、卒論をかかえた4年生が明日相談に来るかも知れず (実はちゃんとした学生はすでに来ているのだが)、明日に時間の余裕を残すために本日にしたもの。

 3年ほど前に職場の健康診断で、血圧が異常に高いから医者に診てもらうようにという指示が出た。 こっちも年だし、子供はまだ学校通いだしということで、私としては珍しく素直に指示にしたがって某内科にかかったら、血圧は高いほうが180ほどあった。 爾来、ここに4週間に一度来て、薬をもらうようになった。 ちなみに私の血圧が高いのは母親譲りで、遺伝だから仕方がないのである。

 この内科は、しばらく通ってみて分かったのだが、午前中は混んでいる。 年寄りの常連はだいたい午前中来るものなのだ。 だから、最近は混雑を避けてなるべく午後の時間帯に来るようにしている。 本日も午後4時前後の時間帯には待合室には老夫婦2人がいるだけ。

 それからこの内科のいいところは、医院内部ですぐ薬を出してくれること。 つまり昔風なのだ。 周知のように、最近は医薬分業とかいう変な制度になってきていて、患者は医院で処方箋をもらい、すぐ近く (に大抵あるが) の薬局で薬をもらうという、手間のかかる方式のところが大半なのである。 何でこんな手間のかかるシステムに改悪 (だとワタシは思うけど) したのか、厚生労働省の責任を問いたいところだ。 

 薬をもらって、クルマに乗って大学に向かっていたら、途中、内野駅のすぐ近くの交差点で、数年前に定年退職されたY先生のお姿をお見かけした。 Y先生のお宅はこの近く。 別の大学に勤務されていたときの教え子だったという13歳年下の奥さんと二人暮しをされているはずである。 Y先生とは新潟市内のコンサートホールで時々顔を合わせている。

 夜、H卓球クラブに今年の初練習に行く。 しかし集まったのは8名。 日ごろよりやや少ない。 もっとも会員も漸減している。 老齢で卓球もできなくなってしまう人が少しずつ出てきているのだ。 と同時に、若手の会員が入ってこない。 夫婦共稼ぎが浸透して皆忙しくなっていることもあるが、今の60歳前後以上の年齢層の人たちは、子供時代には日本が卓球王国だったので卓球に向かう動機があったのに対して、その後の世代の子供時代にはすでに日本の卓球は凋落してしまっていたので、卓球をやる動機が希薄だったことにもよるだろう。

 いずれにしても、このクラブがいつまで持つか、予断を許さない。 数年前には16名集まることも珍しくなかったのに、現在は12名集まればいいほうなのだから。 私も4年後には定年退職だけど、それまでこのクラブが持つかなあ。 何しろ、私は今61歳だけど、このクラブの中では若いほうなのである。 市内の卓球クラブには活動をやめたところもぼちぼち出ているのだ。 日本の高年齢化は、どこより社会人卓球クラブを見ると分かるのかも。

 

1月4日(土)   *最近聴いたCD

  *ヴィルトゥオーゾ・ヴィオラ (NAXOS、8.572293、2007年英国録音、ドイツ盤)

 ヴィオラのロジャー・チェイスとピアノの大滝美知子によるヴィオラ小曲集である。 このCDを知ったのは、昨年2月に平野真敏 『幻の楽器 ヴィオラ・アルタ物語』(集英社新書) という本を読んだからである。 そこではヴィオラの名曲が紹介されており、その中にヴュータンのエレジーという曲が含まれていた。 で、その曲が入っているCDがこれなのである。  ところが、その本を読んだ直後に入手しようとしたら、品薄になっていて手に入らない。 しばらく待ってから、と思っているうちに忘れてしまったのだが、最近ふと思い出して、amazonで調べてみたら、かなり安い価格で出ていたので、即注文した。 ベンジャミン 「ラヴェルの墓」、エネスコ 「演奏会用小品」、バッハ/コダーイ編 「ファンタジア・クロマティカ」(BWV903)、ジョンゲン 「序奏と踊り」、ヴュータン 「無伴奏ヴィオラのためのカプリッチョ」、ヴュータン 「エレジー」 op.30、パガニーニ 「大ヴィオラのためのソナタ」、クライスラー 「プニュアーニの様式による前奏曲とアレグロ」、ショア 「スケルツォ」の計9曲が収められている。 バッハからベンジャミン(1893-1960)やショア(1896-1985)のような現代作曲家の曲まで、幅広い選曲がなされているが、しかしやはりヴィオラの音色を楽しめるのは、ヴュータンやクライスラーのメロディアスな曲だろう。 解説は英語のみだが、伴奏なしの曲についてはロジャー・チェイスが、それ以外の曲は大滝美知子が、つまり演奏家自身が解説を書いている。

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1月1日(水)   *元旦のディナー

 明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。

 新潟の元日の天気は最悪。 朝から雷雨で、すぐ近くに落雷して自宅が振動したり。 (太平洋岸に住んでいると想像できないかもしれないが、日本海沿岸では冬にも雷がしばしば落ちるのです。) そのせいか夢見も悪くて、ろくでもない元旦となった。

 さて、夕刻までは自宅で本を読んで過ごし、夕刻から初詣。 夜はホテル・イタリア軒でディナーの予定なので、外出が一回で済むようにということで夕刻の初詣となったもの。 ここ数年初詣に出向いているのは寺尾の某神社。 時間帯のせいか空いていて、すぐにお参りを済ませることができた。 まあ、有名神社じゃないから、ということもある。 実際、初詣を済ませてから市中心部に向かったが、白山神社周辺ではクルマが渋滞しており、人ごみもかなりのものであった。 ワタシは混んでいるところは嫌いだから、とにかく名無しの神社でもすぐに済むところがいいのである。

 ホテル・イタリア軒の地階駐車場に女房のクルマをとめ、最上階レストランでディナー。 私たち夫婦と、次男 (首都圏のサラリーマン) と長女 (大学一年生)。 長男 (やはり首都圏のサラリーマン) はなんだか知らないが帰省してこないので、この4人。

 我が家は、結婚記念日5年ごとにホテル・イタリア軒でディナーをとる習慣になっている。 このホテルは私たちが結婚式を挙げたホテルでもある。 今回は結婚して30年目。 結婚記念日は今月半ばで、昔はその日に一家でディナーをとっていたのだが、子供が大学進学・就職で新潟を離れてしまうと、1月半ばでは一家全員が揃わない。 それで早めに、子供が帰省している間にとるようになってきているのだけれど、さすがに元旦にディナーというのは今回が初めて。 次男が明日から旅行に出て新潟を離れてしまうためである。

 最上階レストランは他にも家族連れが数組、ディナーを楽しんでいた。 祖母と若夫婦と小学校一年くらいの女の子の4人家族や、祖父母と若夫婦と小学校低学年くらいの子供2人の6人家族など、三世代の家族も目立つ。

 雷は収まったというものの、相変わらず外は天気が悪い。 しかしここの空間は静かで、じっくり食事を楽しめる。 もっとも、後半、どこかで新年会をやって二次会にということで流れてきたらしい10人くらいのグループがやってきて、やや騒がしくなったのが残念。

 ディナーは2時間近くかかった。 まあ、5年に一度の贅沢ですからね。 荒天でスタートした元旦であったが、おかげでまずまずの気分で締めくくることができた。

 

 

 

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