読書月録2004年

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西暦2004年に読んだ本をすべて公開するコーナー。5段階評価と短評付き。

   評価は、★★★★★=名著です。 ★★★★=上出来。 ★★★=悪くない。 ★★=感心しない。 ★=駄本。  なお、☆は★の2分の1。

 

・岡野宏文 + 豊崎由美 『百年の誤読』(ぴあ) 評価★★★★ 20世紀の百年間の日本におけるベストセラーを俎上に載せて、現代的な視点から論じた対談集。 タイトルはマルケス『百年の孤独』のもじりだそうな。 あくまで現代人の読み方での紹介なので、やや粗雑な感じがするところもあるが、全体として分かりやすく面白く、昔のベストセラーにアプローチできる案内本として評価できる。 漱石、芥川、谷崎、三島などの文豪の作品はだいたい素直に褒めていますが、鴎外や志賀直哉みたいな例外もあります。

・中野晴行 『マンガ産業論』(筑摩書房) 評価★★★★☆ 戦後日本のマンガ史を、マンガ産業という視点から綴った本であるが、非常に面白い。 手塚治虫が大阪では赤本を通じて確固とした地位を築いていたのに東京では一度は受け入れを拒絶された、というところから始まって、マンガ産業が一つの中心しか持たなくなっている現状を危機的にとらえている。 つまり貸本文化、劇画などの周縁部分をもっていたからこそ日本のマンガ産業はここまで興隆してきたのであるが、雑誌が先細りになり――単行本では新人デビューが難しい――、コミケが周縁としての役割を果たすかどうか分からない現在、日本のマンガ産業界は実は危機に瀕しているのだという。 このほか、日本でマンガが世界に類を見ないほど普及したのは要するに子供時代にマンガで育った団塊の世代が大人になってもマンガを手放さなかったからで、青年マンガやレディースコミックというジャンルもこの世代に合わせて作られていったが、彼らが老人になろうとしている現在、はたして老人マンガが成り立つかどうか疑問があり、それはそのまま巨大なマンガ消費者の消失につながる恐れもある、という指摘など、多方面に目配りが効いた書物で、マンガに興味を持つ人には必読書であろう。

・ボート・シュトラウス 『マルレーネの姉』(同学社) 評価★★☆ 現代ドイツの作家ボート・シュトラウスの、70年代に書かれた小説2編をおさめた本。 表題作はヌーヴォー・ロマン風の内容と書き方で、そもそもヒロインが「マルレーネの姉」となっていて名前すら分からないという風に、かなり曖昧模糊とした作品である。 まあ、ヌーヴォー・ロマンとはそういうものだろうが。 もう一つの 『脅威の理論』 は、これに比べると起承転結がはっきりしていて分かりやすい。 訳は読みやすいが、訳者解説があまり親切とは言いかねる。 作者については何も書かれていないのだが、日本では馴染みのない名前なのだから、ひととおり説明を入れるべきだろう。

・盛田昭夫 『学歴無用論』(朝日文庫) 評価★★☆ 有名な本だが、「学歴と立身出世主義」 をテーマとした授業で取り上げて読んでみたもの。 今は文庫本になっているけれど、もともとは昭和41年 (1966年)、つまり東京オリンピックの2年後に出版されている。 タイトルだけ見ると学歴問題を中心に扱っているような感じがするが、実はその部分はわずかで、内容の大半はソニーの経営論である。 日本が高度成長期に突入して、日本式経営はダメだ、アメリカ式の合理主義を取り入れるべきだ、という論調が受け入れられやすかった時期にこの本が出ていることを考えると、すでに歴史的に扱うべき本の中に入ってしまっている、と言えよう。 日本はその後バブルを迎えて、その頃になるとジャパン・アズ・ナンバーワンだとか、日本式経営は素晴らしい、といった逆の論調が隆盛期を迎えることになる。 1979年には竹内宏の 『路地裏の経済学』 が出て、日本式経営が理論的にも擁護されるようになっていくわけだ。 バブルが崩壊して、竹内の勤務していた長銀もつぶれ、日本式経営がふたたび叩かれるようになり、その後になってやっと日本にもアメリカ式の業績主義やレイオフ制度が入り込むようになるのだが、最近また成果主義への批判書が出ているようであり (私は未読) 、世の中、なかなか一筋縄ではいかないと実感させられる。

・酒井順子 『負け犬の遠吠え』(講談社) 評価★★★ 評判のエッセイ。 三十代・未婚・子無しの女は、たとえどれほど収入が多かろうと立派な職業に就いていようと 「負け犬」 である、とした 「定義」(?) が有名になった。 ワタシはふだんこの種の本は読まない人間だが、たまたまBOOKOFFに半額で出ていたので買ってみた。 思い起こすと、むかし、『クロワッサン症候群』 という本が評判になったことがある。 雑誌 『クロワッサン』 に扇動されて 「自立する女」 をめざし、未婚のままに終わった女性が、やはり女の幸せは結婚にあるとしてルサンチマンに満ちたジャーナリズム批判を行った本だが、つづめれば内容的には似ていると言えなくもないけれど、ルサンチマンがなくて淡々として 「負け犬」 の生活と意見を語っているところが、まあ、すがすがしいかもしれない。 ワタシとしては、負け犬と勝ち犬の定義うんぬんよりも、三十代女性の感性や暮らしぶりを垣間見るという点で興味深かった。 ただ、女同士の微細な相互評価システムのようなものはくどすぎるほどに書き込まれているけれど、男に対する見方がものすごく通り一遍なのには驚愕。 日本の女って、男を見る眼が徹底的に欠けているのですね。 同性にしか目を向けないレズビアン的な素質を持つ女性だからこそ 「負け犬」 になるのでは、と思ってしまいます。

・赤川学 『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書) 評価★★★★ タイトルだけで内容を判断してはいけない種類の本である。 私も生協書籍部の店頭でタイトルを見たときには、「子供の数が減ろうと日本人がこの世にいなくなろうと、個人の自由な生き方を尊重すべきだ」 てな主張をした本かと思いかけたのだが、手にとって中を見ると、少しく違っている。 いや、結論部分は私がタイトルだけ見て考えたとおりなのだが、そこに至までの9割の内容が異なっているのだ。 少子化の日本で、男女共同参画を実現すれば出生率は上がるという見解があるが、これが嘘八百であることを様々な資料を駆使して論証している本なのである。 フェミニズムは、男女平等を推進することと出生率を維持することが矛盾しないと言い張ってきたわけだが、これがまったく無根拠であることを明快に示している。 この点に関するフェミニストたちの欺瞞が完膚無きまでに叩きのめされているさまは壮観と言っていい。 ただ、最後の結論部分で、個人の自由な生き方を、たとえ少子化で生活水準が下がっても尊重すべきだ、というあたりは、やはり甘いと言うしかない。 なぜなら、個人の自由な生き方という観念は、日本が戦後人口増と経済成長とによって生活水準を飛躍的に向上させ高度な消費社会を実現したが故に広がったものに過ぎないからで、生活水準ががた落ちすれば雲散霧消してしまうだろうものであるからだ。 

・内田樹 『期間限定の思想――「おじさん」 的思考 2』(晶文社) 評価★★★ 『おじさん的思考』が面白かったので、その続編をインターネット上の古本屋から買って読んでみた。 内容的にはやはり賛否両方あるけれど、特に前半が上質だと思う。 上野千鶴子の対談集を斬っているあたりは大賛成です。 ああいうバカ丸出しの対談集が許容されているのは、それだけ世間が女に甘いということなのでしょう。 でも、大学生が教室で私語をしてはいけない理由まで本で解説しないとイケナイというのは、世も末ですねえ。 ちなみに著者は一般向けの本を書くのはこれでやめると 「あとがき」 で宣言していますが、その後の経過を見るとどうやら決意を翻したようですね。

・海老沢敏 『瀧廉太郎――夭折の響き――』(岩波新書) 評価★★★ 将来を嘱望されてドイツに留学しながら、病気のためわずか21歳で世を去った瀧廉太郎の生涯とその業績をたどった本である。 彼が教育を受けた環境や時代背景、ドイツ時代 (短いが) などがそれなりに分かる点で悪くない本だが、何しろ生涯が短すぎるせいか、モーツァルトの生涯などとの比較が最初に置かれているのが余計な感じがする。 それと明治時代をやたら 「軍国主義」 呼ばわりするのは、いかがなものかという気が。 

・山下力 (つとむ) 『被差別部落のわが半生』(平凡社新書) 評価★★★☆ 著者は1941年生まれ、関西の被差別部落に生を受け、いったん東京工大に進むが中退し、生家に帰って仕事 (皮革製品づくり) を手伝っているうちに部落問題に目ざめて活動を始め、やがて奈良県会議員となり、現在も6期目を勤めている。 この本はその山下氏が自分の半生を振り返った本である。 部落問題の基礎知識や部落の歴史も書かれていて、なかなか読み応えがある。 一時期従事していた差別者に対する 「糾弾」 も、企業へのそれは意義があったが、個人向けは反省の余地があったとするなど、柔軟な視点が光っている。 また、被差別部落が江戸時代は必ずしも貧乏ではなかったのが、明治時代に入って四民平等が言われてからかえってそれまで持っていた仕事上の特権を失ったこと、さらに1970年頃になって部落のふところを潤していた皮革製品作りが人件費の安いアジア諸国との競争に負け、それ故に部落出身者も一般企業などに進出していかざるを得ず、それがこの頃の激しい 「差別糾弾」 につながっていることも分かり、勉強になった。 というわけで内容的には悪くないのだが、女性差別問題や在日朝鮮人問題など、部落を離れた記述も紛れ込んでおり、そこがかなり単純なのが玉に瑕で、一考を望みたい。 自分の問題である部落差別についての記述にはそうした単純さや一面性がなく、部落側の反省をも含むが故に説得力が出ているのと比較してもらいたいのだ。

・西尾幹二 『日本人は何に躓いていたのか――勝つ国家に変わる7つの提言』(青春出版社) 評価★★★ 西尾氏の最新評論集。 書き下ろしだが、内容的には氏が今まで折に触れて主張してきたことの繰り返しが多く、氏の愛読者にはやや物足りない感じもある。 ただ、後半、ラディカル・フェミニズムが教育に侵入してきたことへの見解や、自民党政治家を論じたところは、結構迫力がある。 日米構造協議に際して日本の政治家の国家意思を持たなかった点を批判するところも鋭い。 ただ、日本の地方都市の繁華街がさびれて郊外型スーパーがのさばっているのは、政治家のダラシナサやアメリカの猿まねをしたせいではなく、日本人が豊かになって郊外に一戸建てを持てるようになり、なおかつクルマの便利さを十二分に味わえるようになったからではないのだろうか。

・平林直哉 『クラシック100バカ』(青弓社) 評価★★★ クラシックの評論家が、クラシック・ファンの駄目なところを叩いた本。 「音楽学者こそ有能な評論家だと思いこむバカ」 「絶対音感をありがたがるバカ」 「生演奏を聴こうとしないバカ」 「モーツァルトだけが癒しの音楽だと思っているバカ」・・・・・などなど、当たるを幸いとばかり斬りまくっております。 あ、「子供に楽器を教えたがるバカ親」 なんてのもありました。 娘にヴァイオリンをやらせている私もバカなのです、スミマセン。

12月  ↑

・大塚ひかり 『太古、ブスは女神だった』(マガジンハウス) 評価★★★ 小谷野敦氏ご推奨の本。 日本の古典を読み解いてブスがどのような現れ方をしているか、歴史の変遷と共にブス観がどのように変わってきているのかを解き明かそうとした書物である。 日本古典をよく読んでいるのには脱帽するし、ブスに関するウンチクも相当なものだとは思うのだが、フェミニスト特有の匂いというか、最後は 「男性社会だからどうたらこうたら・・・・」 という物言いに行き着いてしまう窮屈さに、どうしてもも馴染めませんでした。

・青木やよひ 『ゲーテとベートーヴェン 巨匠たちの知られざる友情』(平凡社新書) 評価★★★☆ ゲーテとベートーヴェン・・・・・・何とも懐かしくなるテーマではある。 もっとも、著者によるとこのテーマは、ロマン・ロランの研究以降、進展がなかったところを、著者が現地を調査したりして新たな一項を付け加えたということになるようだ。 ゲーテがベートーヴェンを理解しなかった、という俗論は、日本でも小林秀雄の『モオツアルト』あたりが広めた観があるが、著者は綿密な調査によって、実は晩年の二人がお互いをよく理解し合っていたという事実を突き止めている。 前作 『ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の謎を解く』(講談社現代新書) に続いて、研究家としての著者の面目躍如といったところ。

・呉智英 『言葉の常備薬』(双葉社) 評価★★★☆ 同じ著者による 『言葉につける薬』 の続編である。 多方面から日本語の誤用や意外な来歴に迫っており、教養が付くこと請け合いである。 例えば 「森」 と 「林」 はどう違うのか? 「森」 の方が木の数が多いのか? ことはそれほど単純ではない。 違いを知りたい方は、本書を買って読みましょう。 (呉氏に印税が入り、さらなる続編を出せるように。)

・鹿島茂 『オール・アバウト・セックス』(文芸春秋) 評価★★★☆ 2年半前に出た本だが、インターネット上の古書店で買って読んでみた。 タイトル通り、セックスに関する書物だけれど、雑誌に連載した記事をまとめており、セックスを扱った本をテーマ別に何冊か紹介しているところがミソ。 類人猿のボノボも快楽としてのセックスをするとか、日本の戦争未亡人がやむを得ず娼婦業を営みながらも 「米兵とはやるが、日本人とはやらない。 夫に悪いから」 と言ったという話があったり、実に興味深い。

・小谷野敦 『評論家入門』(平凡社新書) 評価★★★ タイトル通りの本、と言いたいところだが、むしろ小谷野氏のエッセイとして読んだ方がいいだろう。 この本を読んでも評論家になるのは難しい。 もっともこの種の本は、だいたいがそういうもので、『億万長者入門』 なんて本を読んでもカネが儲かるのはその本の著者だけ (印税が入るので) だったりするから、ユメユメ本気で評論家を目差そうなどとしてはいけない。 何しろ東大の比較文学という、マスコミに少なからずつながっている回路を通って世に出た小谷野氏ですら、副題にあるように清貧の生活を強いられており、アパート暮らしをやめて実家に帰ることも考えているそうだから。

・司馬遼太郎 + ドナルド・キーン 『世界のなかの日本 十六世紀まで遡って見る』(中公文庫) 評価★★★ 十年あまり前に出た物知り同士の対談集。 今回、わけあって読んでみたのだが、色々な知識が出てきてそれなりに面白いものの、体系性とか、ある事柄に関するまとまった知識を求める向きには薦められない。

・中島義道 『続・ウィーン愛憎』(中公新書) 評価★★★ 14年前、『ウィーン愛憎』 で一躍名を知られるようになった哲学者・中島氏がついに (?) 続編を書いた。 その間に著者は父親となり、妻とは喧嘩の連続ながらなんとか家族関係を維持している。 色々な経緯から一家でウィーンに移住する(ただし著者は大学から一時的な休暇をもらっての滞在)お話が今回のメインである。 相変わらず様々なトラブルが頻発するのだが、やはり定職と家族を得た著者の筆致は、前作と比べると穏やかで、その分、面白さは減じているのはやむを得ないか。 しかしウィーンという街の変化、ウィーン人の変化には、時代の流れ――日本 (人) のステイタス向上とアメリカニズムの浸透と――が感じられる。 その意味で後半部分が特に面白い。

・武田徹 『戦争報道』(ちくま新書) 評価★★★★ 昨年初めに出た新書。 BOOKOFFで買ったままツンドクになっていたのだが、訳あって読んでみた。 最初、日本の戦時中の報道規制や、ヴェトナム戦争で米国に批判的な報道をしたハーバースタムの話が出てくるので、一昔前の進歩的知識人の見方で書かれた本かと思いかけたが、読み進んでいくうちに次々と新しい見方が打ち出されていき、報道というものの持つ困難さ、そしてコマーシャリズムや技術の進歩のなかで今後報道がどうなっていくのかを考えさせられた。 映画『地獄の黙示録』の分析もあり、単にジャーナリズムによる戦争報道だけでなく、文筆家や芸術家、映像作家などの戦争体験・戦争観にも触れた厚みのある内容の良書である。

・蓮実重彦 『饗宴 U』(日本文芸社) 評価★★★ 十数年前に出た蓮実重彦の対談集。 ただし全部を通読したのではなく、中村光夫 (2回)、大岡昇平 (2回)、吉本隆明との対談のみを読んだもの。 もっとも、収録されている柄谷行人との対談 (2回) などは他の本で読んでしまっているけれども。 今回は中村光夫に対する蓮実の評価、およびその点で吉本隆明と意見が完全に分かれているところを味読した。 中村光夫というのは不思議な人で、小林秀雄ほど 「論」 の対象になっていないが、その批評家としての本質をどう見るべきなのか、考えるヒントを与えられた、というところか。 大岡昇平の好奇心の強さにも脱帽。

・石原千秋 『漱石と三人の読者』(講談社現代新書) 評価★★★ 漱石の小説が誰を読者に想定して書かれているか、という視点から、新聞連載時に読む読者と、単行本を読む読者の質を区別し、それぞれのレベルで楽しめるように漱石が工夫していたという説を提唱している本である。 特に『虞美人草』 の失敗を指摘した部分や、『三四郎』 の読解が面白い。 ただ、『こころ』 や 『道草』 などにまで手を広げているけど、一作あたりの分量が少なくなり物足りない感じがするので、そのあたりは作品を絞った方が――例えば前期三部作に限るとか――良かったのではないか。 いずれにせよ漱石ファンなら一読の価値あり。 なお著者は長らく母校・成城大の教授をしていたが、早稲田に栄転したようである。

11月  ↑

・杉山幸丸 『崖っぷち弱小大学物語』(中公新書ラクレ) 評価★★☆ 京大を定年退官して弱小私大に再就職した著者が、その学生気質や、大学としての特質を紹介すると同時に、弱小大学の大学教員は教育者としてどうあるべきか語った本。 京大から弱小私大へという、いわばガリバー旅行記的な体験談かと思ったのだが、そういう側面は少なく、むしろ弱小大学の運営のあり方とか、教員の心の持ち方だとかに多くのページが割かれている。 といって、最近ありがちな、大学教員は教育に徹すべしというような論調ではなく、教育者であると同時に研究者でもなければ大学教育は成り立たないとするなど、一定の見識に裏打ちされているところが好ましいが、内容はやや重複が目立ち、あまり濃くないという印象である。

・パオロ・マッツァリーノ 『反社会学講座』(イースト・プレス) 評価★★★ 社会学はデタラメな学問で、資料をいい加減に扱ったり、概念規定が都合次第で揺れ動いたりと信用ならないぞ、と主張した本らしい。 らしい、というのは読んでいて、いわゆる社会学が標的になっているのかどうか、よく分からなかったからだ。 最初のあたりで、年少者の犯罪が増えているという説を、デタラメだとやっつけているところはなるほどと思うわけだが、果たして 「社会学者」 がそういう主張をしているのか、具体的に名前が挙げられていないのでよく分からない。 次にパラサイト・シングルが社会をダメにするという見解をやっつけていて、これは山田昌弘あたりを意識していると分かるけど、反 「パラサイトシングル=ダメ」 論の根拠が、シングルが独立して生活するとアパートが沢山必要になり、アパートを経営できるお金持ちがトクをするから、というのは、根拠としてはいささか 「笑」 なのではなかろうか。 まあこれなんかは反社会学ぶりが明快に出た方だけれど、全体としてそこそこ面白くはあるが、俗論を撃つ、という印象が強くて、反社会学にはいま一歩という感じなのだ。

・呉智英・佐藤幹夫(共編著) 『刑法三九条は削除せよ! 是か非か』(洋泉社新書y) ★★★ 刑法三九条、つまり、心神喪失者の行為は罰しない、心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する、という法律を論じた本である。 つまり、吉外は人を殺しても罰せられない、精神衰弱者は人を殺してもフツーの犯罪者より刑が軽くて済む、という規程が適切なものかどうか、ということだ。 これには色々な要素が絡んでいて、特に裁判で弁護側が被告の刑を軽くしようとして精神医学者の診断にかけさせようとする戦術がよく報道されており、また果たして精神医学者の判定が正しいのかどうか、シロウトからみても怪しげな印象があるので、いっそこの規程はなくしてしまえ、という声があり、その是非について編者を含む9人の論客が考察している。 私の印象を言うと、事の正否は簡単には決しきれない複雑さがあり、その点で、現場で精神医療に当たっている人たちの声を集めた第三章が面白かった。 一番ダメなのは、例のごとく橋爪大三郎。 この人に原稿頼むの、もうやめた方がいいんじゃない? 大ざっぱで乱暴な議論の進め方にワタシは耐えられません。

・加藤秀一 『〈恋愛結婚〉は何をもたらしたか――性道徳と優生思想の百年間』(ちくま新書) 評価★★ 帯には 「恋愛と結婚をめぐる言説空間」 とあって、フェミニストがよってたかってやっている領域に屋上階を重ねたものかと思いたくなるが、実は副題の 「優生思想」 がこの本のウリである。 明治以降の日本で、優生思想が恋愛や結婚と絡んでどのように表れていたかをたどっている部分は、まあ悪くない。 ところが著者の視点が狭隘で、少しでも 「国家」 が関連していると目くじらたててやっつけようとしてかかるので、全体の説得力がかえって弱くなっている。 何か、二昔前の進歩的知識人と全然変わらないレベルなんですよね、この人のオツム。 私より11歳年下だっていうのに、これでいいのだろうか?

・平山洋 『福沢諭吉の真実』(文春新書) 評価★★★★☆  新書だが、内容は相当に高度である。 一般に福沢諭吉は 「脱亜入欧」 の思想の持ち主だったとされているが、現行の『福沢諭吉全集』には福沢の手にならない文章が多数収録されており、それは福沢が第一線から退いたあと 『時事新報』 紙を牛耳っていた石河幹明の書いたものであったというのだ。 この石河は福沢と違って尊皇思想やナショナリズムに染まっており、彼の文章が福沢のものとされたために、戦前、福沢は時局的な文筆家と見られるようになった。 また、戦後はその反動で、福沢はアジア蔑視の思想家だという批判が起こったのだが、実際はその対象とされたのは石河の文章だったのである。 また、『脱亜論』 は福沢の真筆だが、この文章は大正期までに出た 『福沢全集』 には収録されておらず、昭和に入って出た続編全集に初めて収録されたのであり、一部で言われているような 「有名な」 文章ではなく、むしろ戦後になってから 「有名」 になったのであり、またその中での朝鮮蔑視とされた表現なども当時の朝鮮半島での事件に即したもので、必ずしも朝鮮人を差別したものではない、ということが明らかにされている。 文系学問の基盤である書誌学・文献学をきちんとふまえた記述は非常に説得的であり、既存の福沢諭吉論は根底的に見直されなくてはならないだろう。

・金原瑞人 『大人になれないまま成熟するために』(洋泉社新書y) 評価★★☆ 法政大教授で翻訳家である (最近では金原ひとみのお父さんと言った方が通りがいいかも) 著者が、ヤングアダルト文化の浸透について歴史的に考察し、今現在大人としてどう生きて行くべきか、ヤングアダルト擁護的な方向で語った本。 著者は昭和29年生まれでワタシより2歳下だが、団塊の世代のすぐあと、という点では共通項がある。 だから一方で団塊世代=全共闘世代の無責任さを批判するスタンスは分かるのだが、ヤングアダルトを擁護する主張には必ずしも納得できなかった。 ワタシの見解では、ヤングアダルト向け文化産業は十分に栄えているし、むしろ産業界は若者をコンシューマーとして意識しすぎるほど意識しているし、また既存の文壇にしても金原ひとみや綿矢りさのはるか以前から女高生の小説などに新人賞を与えることによって周縁部分を取り込もうとしている。 著者には、むしろヤングアダルト文化の内実にもっと踏み込み、その紹介に重点をおいて欲しかったのだが、どちらかというと大人への批判 (それも通りいっぺんな) が中心になってしまっている。 それでも、アメリカ若者文化の歴史を紹介している部分はそれなりに面白かったけれども。 しかし、最後のあたりで 「日本=経済大国、他のアジア=弱者」 という図式に安易にのっかってモノを言ってしまっているあたり、率直に言ってがっかりした。 むかし 『ちびくろサンボ』 絶版問題が起こったころ、筋の通った発言をしていて、結構モノが分かっている人だと思っていたのだが、裏切られた気分。

・中村うさぎ+石井政之 『自分の顔が許せない!』(平凡社新書) 評価★★☆ 自分の顔を整形してそのことを公表しているエッセイスト中村と、生まれつき右顔面が赤く染まっているジャーナリストの石井が対談してできた本。 人間の容貌についてマジメに考えようという最近の傾向は悪くないと思うのだが、この本に関して言えば、非常に面白いというところまで行っていない。 二人が自分の体験談を語り合っているだけで、イマイチ深い洞察に到達していないような印象である。

・潮木守一 『世界の大学危機 新しい大学像を求めて』(中公新書) 評価★★★★ 「大学改革」 が流行っているのは日本だけではない。 この本は、英国、ドイツ、フランス、米国の4カ国の大学を、その歴史や特色、そして最近の動向を含めて記述したもの。 先進4カ国の高等教育の特性がよく分かるし、またそれぞれが抱えている問題点も明瞭に記述されている。 フランスが日本の大学入試制度を真似ようとして失敗した (フランスでは高校卒業資格を取ると誰でも大学に入れる) とか、授業料タダの州立大オンリーだったドイツに高額な授業料を取るビジネス系私大が誕生したとか、アメリカのハーヴァード大学の資産運用実績は日本の私大で運用実績ナンバーワンである慶応の100倍もあるとか、興味深い指摘が多く、大学問題について考えようとする人には必読書と言えるだろう。

・渡辺和彦 『私の好きな演奏家』(河出書房新社) 評価★★★ 音楽評論家が雑誌などに書いた文章を集成した本。 ヴァイオリニストとチェリスト、ピアニスト、交響曲などのCD別聴き比べ、指揮者論、から成っている。 好き嫌いや良し悪しをわりにはっきり、明晰に書く人で、それなりに教えられるところがあるが、最初の弦楽器奏者を論じたところに、著者の一番の本領があるように思う。

・マルセル・ライヒ=ラニツキ 『とばりを降ろせ、愛の夜よ』(岩波書店) 評価★★★ ドイツの文芸評論家ライヒ=ラニツキの評論集の邦訳 (ただし抄訳) である。 ライヒ=ラニツキはドイツでは 「文学の教皇」 といわれるほどの実力者でテレビにもよく登場するが、日本では自伝が邦訳されているだけだった。 この辺はドイツ文学者の怠慢であろう (私を含めて)。 トーマス・マン、カフカ、ムージル、シュニッツラー、トゥホルスキーなど7人の20世紀ドイツ語圏作家を論じている。 彼一流の身も蓋もない言い方を楽しむことができるが、やはり邦訳だと文章の味がすこし落ちるような。

・きたやまおさむ 『ビートルズ』(講談社現代新書) 評価★★★★ 87年初版、93年第12刷の新書を、インターネット上の古書店から入手。 フォーク歌手で精神科医でもあるきたやまおさむによるビートルズ論である。 ビートルズというグループの意義や年代による変化を、かなり冷静にたどりながら、彼らの本質を追究している。 変に政治主義的にならず、彼らの冗談精神のようなものをうまく捉えているし、また精神分析の方法も用いているが、これもある種の俗流心理学に堕さないバランスの良さと洞察性を備えていて、結構説得的な書物になりおおせている。

10月 ↑

・中井浩一 『徹底検証 大学法人化』(中公新書ラクレ) 評価★★★☆ 国立大学の行政法人化を論じた本である。 その経緯や、文科省と国立大との関係、国立大学協会の無能ぶり、同じ国立大でもいわゆる旧帝と地方大との落差など、350ページに渡りさまざまな角度からこの問題に光を当てている。 私は大学内部の人間だから、基礎的な間違い (官立11大と旧6を別のものと思っているなど) が目についたり、著者が文科省官僚に甘すぎるという印象もあったが、ともかく新書でこの問題に総花的にアプローチしているこの本しかないから、なるべく多くの人に読んでもらいたいと思う。

・『カーペンターズ (『分藝』別冊 ・ KAWADE夢ムック)』(河出書房新社) 評価★★★ 昨年春に出た本だが、その存在を知ったのは最近で、あわてて注文を出した。 ビートルズはともかく、カーペンターズを論じた本は珍しいからだ。 内容的には広く浅い感じで、ディスコグラフィーや時代ごとの変遷を追った紹介文は貴重だが、カーペンターズ論としては切り込みが足りないような。 冒頭にリチャード・カーペンターへのインタヴューが載っているけど、短くて形ばかり、という印象。 まあ、しかし、カーペンターズの基礎を知るには悪くなかろう。

・島田裕巳 『女はすべからく結婚すべし』(中公新書ラクレ) 評価★★★ タイトルがすべて、という本。 女は結婚すべきだ――それだけの内容である。 結婚すべき理由は色々挙げてあるのだけれど、半分は説得的だが、半分は・・・・・である。 しかし、結婚は理由がなければできないものではない。 理由がなくたって人は結婚するのであり、その意味でこの本のタイトルは偉大な真理を語っていると言うしかあるまい。 つべこべ言うことなく、女はすべからく結婚すべし (笑)! 

・朝日新聞社(編) 『ビートルズの社会学』(朝日文庫) 評価★★★ 8年前の文庫本をBOOKOFFにて105円で購入。10人ほどの識者がビートルズおよびビートルズ現象について書いているアンソロジー。 大佛次郎や三島由紀夫といった、著名な作家ではあってもこの現象に距離を置かざるを得ない世代と、矢崎泰久、橋爪大三郎などビートルズ世代が入り交じっている。 しかしビートルズ世代の書くものが必ずしも説得的というわけではない。 矢崎は日本公演のチケット販売のカラクリについて述べているところはいいが、変に政治的な論調は感心しないし、橋爪はいつものように大ざっぱで、ビートルズはカヴァーできなかったなどと書いているけど、日本でもスリーファンキーズ (知っている人は40代半ば以降でしょうな) がカヴァーしていたはずだし、世界的に見ればカーペンターズが 「涙の乗車券」 や 「ヘルプ」 をカヴァーしたのは誰でも知っているとおりだ。 むしろ韓国でのビートルズ受容を扱った姜信子や、東南アジアでのビートルズ受容を論じた篠崎弘の文章が私には面白かった。 日本人はビートルズ現象は世界同時進行だったと思いがちだが、アジアでは日本は例外なのであって、それぞれの国情に応じたビートルズの受け入れ方がなされたのだと分かる。

・ヴァレリー・アファナシエフ 『音楽と文学の間――ドッペルゲンガーの鏡像』(論創社) 評価★★★ 青森の古本屋からカタログ注文した本。 出たのは3年前だが、すでに品切れ中なので。 ピアニストで作家でもあるアファナシエフが音楽について綴った文章に、来日したときに浅田彰・小沼純一・川村二郎とそれぞれ対談したものを併録した書物である。 現役のピアニストがクラシック音楽について語った本として、それなりに教えられるところがある。 小沼との対談では、無理にコンサートに行かなくても昔の演奏家のCDを聴いていればいい、なんて書いている。 1960年頃を境に、クラシック音楽演奏とワインの質は変わってしまったのだそうな。

・水田恭平 『タブローの解体――ゲーテ 『親和力』 を読む』(未来社) 評価★★☆ 独文学者がゲーテの長篇 『親和力』 を論じた本。 出たのは13年前だが、私は今回必要があって読んだもの。 タイトルはフーコーから借りてきているけれど、このキーワードに関してはあまり説得的な議論が展開されているとは思われない。 議論が空虚で、言葉だけ、という感じである。 その他の点では多少教えられるところはあったが、こういう本ばっかりでは、独文学の威信 (?) 低下は止まらないだろうなあ、と思っちゃいました。

・勢古浩爾 『思想なんかいらない生活』(ちくま新書) 評価★★ 思想なんかなくても生きていける、というアタリマエのことをぐだぐだと綴った本。 柄谷行人、蓮実重彦から、副島隆彦、香山リカまで、文系知識人を俎上に載せて文句を言っている。 うーん・・・・・・香山リカだとか副島隆彦だとか池田晶子だとか姜尚中への批判はまあ妥当かと思うけど、柄谷や蓮実など抽象度が高い知識人への批判は、著者の頭脳の限界を示しているだけではないか、と思う。 奇妙なのは、クサしているくせに著者がこういう、フツーの人は読まない本をせっせと読んでいることで、なんかヘンな人だな、という印象。 自分に向いてないことをやっては文句を言っているのは、あんまり見栄えのいいものではない。 もっと身の丈に合った好きなことをやれば?

・茂木弘道 『文科省が英語を壊す』(中公新書ラクレ) 評価★★★☆ 最近の会話重視の中学高校英語教育を徹底的に批判した本。 数年前、TOEFLで日本人の成績はアジア最下位となった。 中国・韓国との比較では、聞き取り力はまあまあだったが、文法・読解力でかなり差を付けられていた。 ここから著者は会話中心主義を批判し、まず文法をしっかり身につけなければ高度な会話力も修得できないのだということを、いくつもの実例を挙げながら主張していく。 その他、英語教育をめぐる近年の迷信やゆとり教育を厳しく指弾しており、英語教育、或いは外国語教育を考える人には必読書と言えるだろう。

・小谷野敦 『すばらしき愚民社会』(新潮社) 評価★★★☆ 大衆批判論が展開されているが、その 「大衆」 とは主として大学に巣くう知識人のことである。 カルスタ派やフェミニズムのご都合主義と無知を斬りまくっている。 内容的にはおおむね賛成で、最後で 「禁煙ファシズム」 を斬っているのも悪くないが、あとがきでパン屋を営んでいる庶民に愛情を吐露したりしているのは、ちょっと月並みな印象。 サヨクが転向するときもだいたいこういうパターンなので、大衆的知識人批判と庶民批判をパラレルに行うべく努力してもらいたい、というのは過大な課題 (オヤジ・ギャグで済みません) だろうか・・・・。

・西尾幹二 『日本がアメリカから見捨てられる日』(徳間書店) 評価★★★☆ 著者の最新時事評論集。 北朝鮮の拉致問題、北朝鮮・韓国・中国そしてアメリカの意向を含む東アジア情勢、韓国社会の本質、竹島・尖閣諸島の領土問題、公立図書館の司書が西尾氏を初め数人の著作家の書籍を勝手に廃棄処分にしていた問題、大学入試センターの偏向出題問題などが扱われている。 私には特に公立図書館の問題と、韓国新世代の歴史認識を示した金完燮のものの見方の斬新さに触れた箇所が興味深かった。  いずれにせよ、これらは焦眉の問題でありながら、マスコミが避けがちな話題であるから、一読しておく価値は十二分にある本である。

・と学会 『と学会年鑑2001』(太田出版) 評価★★ 8月によんだ 『トンデモ本の世界』 で、南京虐殺問題について東中野修道の言っていることはトンデモだ、それについては 『と学会年鑑2001』 で論じてあると山本弘が書いていたので、インターネット上の古書店で買って読んでみたが、なんと、『南京大虐殺13のウソ』 を読みなさい、としか書いていないのである。 丸投げ、という奴だね。 東中野がどうトンデモなのか、具体的に自分で説明するのじゃなきゃ、論証していることにはならないと思いますが。 それに他の内容も8月に読んだものと重複が多々あり、これ、二度売りって奴じゃないですか? あと、あとがきで山本は自分の学歴について、2ちゃんねるに 「山本は一応東北大に入っているはず」 と書かれているのをとらえて、「ぼくの最終学歴が洛陽工業高校卒だというのはどの本にも書いてあること。 だいたい、京都出身の僕がなぜ東北大に入らにゃならんの?」 と書いているのだが――「どの本にも書いてある」 とあるけど、この 『と学会年鑑2001』 には書いてないぞ、この 「あとがき」 以外には(笑)――ワタシの母校のことなので言いにくいんですが事実として言わせていただきますと、ワタシが東北大教養部の学生だったとき、同じクラスには大阪と神戸の出身者が各1名いましたし、さらに西の広島・山口・熊本出身者もおりました。 さらに書くならば、新潟大でも、これまでのワタシの教え子の出身地は、北は北海道から南は沖縄まで全国各地に及んでおります。 京都美人もおりましたぞ(笑)。 山本弘も新潟大に入って少し視野を広げてはいかがでしょう。 あ、入試はちゃんと受けてね(笑)。

・西谷祥子 『学生たちの道』(白泉社文庫) 評価★★★ 昭和42年から43年にかけて 『週刊マーガレット』 に掲載された少女マンガ。 最近復刊され、私は某インターネット書店の書評を読んで面白そうだと思い注文してみた。 その書評によれば、いわゆる24年組の竹宮恵子や萩尾望都がギムナジウムを舞台とする少年たちのドラマを少女マンガに持ち込む (これは昭和50年前後のこと) 以前に、少年たちを主人公にした少女マンガが存在していて、それがこの作品だというのである。 で、一読してみるとたしかにそれはその通りだが、竹宮や萩尾と違うのは、少年もさることながら少女たちもたくさん登場すること、少女たちそれぞれの個性が描き分けられていること、お約束の 「金持ちで意地悪な令嬢」 もちゃんと出てくること、などである。 全体の筋書きは波瀾万丈で、その波瀾万丈さは多分竹宮や萩尾の世代よりは、それ以前のわたなべまさことか水野英子の世代 (ここら辺は私もあまり読んでいないが) に近いのではないか、と感じた。 ただこれは通史的に少女マンガを考えてみての感想なので、無論西谷の独自性を買う人も当然いるであろう。 あと、私は最近老眼が進行しているので、文庫版でマンガを読むのはつらい。 400頁弱のマンガを読むのに2日かかってしまいました。

9月  ↑

・と学会 『愛のトンデモ本』(扶桑社) 評価★★☆ 下記の事情で購入した本。 2003年8月刊。 なぜかこれだけ太田出版ではなく扶桑社から出ている。 女性向けの恋愛指南本だとか、官能用語辞典だとか、老人のセックスを扱った本だとか、郷ひろみと二谷友里恵の本だとかを取り上げております。 暇つぶしにはいいけれど、ワタシ的には教えられるところは少なかったような気が。

・と学会 『トンデモ本の世界R』(太田出版) 評価★★★ 下記の事情で購入した本。 2001年10月刊。 小林よしのり 『戦争論』 や週刊金曜日(編) 『買ってはいけない』 など、左右を問わずに斬りまくっております。 しかし斎藤貴男 『カルト資本主義』 と高木正幸 『差別用語の基礎知識』 がその後に続くから、どちらかというと左翼畑の方がトンデモが多い、ということでしょうか。 もっとも、『戦争論』 批判についてはかなりネットでも反批判が出ており、こうした領域に踏み込むのが 「トンデモ本」 本来の趣旨に添うのかどうか、異論は多々あるでしょう。 まあ、宇宙人がどうたら超古代帝国がこうたらいうのにはもうウンザリだけどね。 なお、トンデモ本ばかりではなく、ナチス関連トンデモ本を批判的に考察した佐藤卓也 (編) 『ヒトラーの呪縛』(飛鳥新社) も紹介されているのは貴重と言えます。 なぜ人はこんなにナチスが好きなのか、これはマジメに考えてみるに値する問題なのですから。 

・と学会 『トンデモ本の世界S』(太田出版) 評価★★★ トンデモ本を扱った 「と学会」 の書物も、出始めの頃は面白がって読んでいたが、そのうちに飽きてしまって、新しいのが出ても食欲が湧かないでいた。 宇宙人と話をしたとか、予言者がウン年後に日本のどこそこを大地震が襲うと予言したとかいう話はもう沢山という感じであった。 しかし夏休みに子供を連れて船橋の老母宅に滞在していた折り、当地のBOOKOFFを訪れたら3冊ほど並んでいて、中を見たら部分的に面白そうなところもあるので、半額でもあることだしと思い、買ってみた。 これは今年6月に出たばかりの最新刊である (さすが首都圏のBOOKOFFは新刊が出るのが早い!)。 で、どこが面白いかというと、東浩紀 『動物化するポストモダン』 を唐沢俊一が批判しているのである。 最近のアカデミズムはサブカルチュアを取り込もうとしているが、サブカルは基本的に量の問題であり、細々としたところまで視野に入れるオタク的気質が要求されるわけなのけれど、唐沢によれば東のサブカル知識はきわめていい加減であり、要は自分の理論が先行していてそこに間違いだらけのサブカル知識を強引に押し込めている、ということらしい。 唐沢はこれについて 「この人にはものを実証した上で語るという、学問における基礎の基礎とでも言える姿勢が根本的に欠落しているのではないか」 とまで述べている。 ううむ、東大大学院出の秀才が、オタク文化収集家からこうまで言われちゃ、おしまいかな (笑)。 そしてこの種の批判は唐沢だけでなく、オタク的にサブカルを楽しんでいるマニアックな連中によってもなされていて、そのためのサイトもできているようなのである。 この本には書かれていないけど、最近ディズニーアニメおよび同時代の米国アニメを扱った某教授の本が、内容に間違いが多いとしてマニアックなオタクからネット上で批判されるという事件も起こっており、改めてサブカルを扱う学者の力量が問題にされつつあると痛感したことであった。 ほかに唐沢はフェミ系の本をもやっつけていて、注目。 ・・・・でも、東やフェミニズムを批判するのはいいけれど、25年も前に出た某中学校長の 「マンガは青少年に悪影響を及ぼす」 という趣旨の本まで取り上げて批判しているのは、どうかな。 何もそんな古い本を槍玉に挙げなくても、と思うんですが。

・大崎滋生 『音楽史の形成とメディア』(平凡社) 評価★★★★☆ クラシック音楽史をメディア論的に論じた書物だが、きわめて刺激的で重みのある内容を持っている。 ここでメディアと言われているのは、印刷楽譜と録音・録画のこと。 過去の音楽は、メディアとして残されているものでなければ、現代に生きる我々は聴くことも研究することもできない。 これは当たり前のようであるが、では或る音楽が今に楽譜として残されたのは、それが重要だからなのか? たまたま印刷される機会に恵まれたからではないのか? また、楽譜として印刷されたのは広く伝えるためだったのか? 単なる (富裕な) 個人のコレクションとしてではなかったのか? とすれば、そうして残された楽譜などから、過去の音楽を再構築するのは、恐ろしく恣意的な作業ではないのか? ・・・・・といった、音楽学の根源に迫る指摘が次から次へとなされており、難解な哲学書ではないにもかかわらず飛ばし読みは到底できない本である。 なお、あとがきで著者は、この本は非常勤講師として東大で行った講義をもとにしており、専任をしている音大ではとてもこうした講義はできないと述べている。 私はこれを読んで、改めて日本の音大の教育内容の問題点が明らかになったような気がした。 日本の音大出身者は、私のわずかな観察によるとどうも教養に欠けているのだが――もっとも、教養に欠けているのは音大出身者とは限らないけど――その理由はこうした記述からも垣間見えるのではなかろうか。 ちなみにこの本、出て2年近くたっているが、新潟大には入っていない。 新潟大には教育学部に音楽科があって音楽の専門家が何人もいるはずだが、何をやっているのだろうか? これを読んだ教育学部関係者がいたら、買うように言って下さいな。 この種の本、私は以前は自分の研究費や人文学部用の学生図書枠で購入して図書館に入れていたのだが――『西洋の音楽と社会』 シリーズだとか 『ハイドン復活』 だとか 『オペラハウスは狂気の館』 だとかはそれで新潟大図書館にあるのだぞ、分かったか?――今年は独立法人化で研究費が従来の半分以下に激減しているからとてもその余裕はない。 本来は、音楽の専門家がこういう方面にきちんと目配りするのが筋だと思う。 いいですか? ちゃんとやって下さいね。

・北岡伸一(ほか)『エリート教育は必要か――戦後教育のタブーに迫る (読売ぶっくれっとNo.23) 』(読売新聞社) 評価★★ 4年前に出た本。 エリートという言葉は、戦後日本では長らく悪い意味で用いられてきたが、グローバル化時代を迎えて、改めてエリート教育の必要性を見直そうということである。 北岡伸一を含めて6名の識者が意見を開陳している。 本の趣旨自体は悪くないのだが、何分60ページあまりしかないブックレットであることも手伝って、イマイチの感。 中では、竹内洋 (京大教育学部教授) の意見が面白い。 一方、遠山敦子(その後文部大臣となったが、この時は文部省の局長などをへて国立西洋美術館長) とグレゴリー・クラーク (多摩大学学長) などは、さっぱりである。 遠山は現場を知らない文部官僚の限界を丸出しにしているし、クラークも、英国では大蔵省に権限を集中しているのが特色だなどと言っているけど、それは日本だって同じでしょう。 テーマ自体は悪くないのだから、もう少しまともな人材を集めてちゃんとした本を作って下さいな。

・森毅 『ま、しゃあないか』(青土社) 評価★★ 9年前に出たエッセイ集。 私は少し前にワケあってネット上の古本屋から購入し必要部分だけ読んでツンドクとなっていたのだが、夏休みに入ったということもあり、何となく全部読んでみた。 しかし全体として9年間という時間の経過を感じさせる。 つまり鮮度が落ちているのだ。 エッセイも新鮮さが大事、なんでしょうか。 色々なところに書き散らした文章を集めた本であるため、内容的な重複も目立つ。 ちなみに私がワケあって読んだというそのワケは、ここで展開されている3割理論である。 蟻の中で本当に働いているのは3割であり、残り7割は怠けている。 で、たとえ働いている蟻だけ集めて集団を作っても、やはり働くのはその中の3割、怠けている蟻だけ集めて集団を作っても、うちの3割は働き出すのだそうだ。 それで、これは人間集団にも言えることで、どんな組織でも一所懸命に働いている奴は3割、たとえ東大や京大をトップクラスで出た奴を集めた集団でも、働く奴は3割だというのである。 この理論、なかなか示唆的だと思う。 あ、あとこの本で説得的だったのは、イジメに関する次のような指摘です。 「他人のことを考えないからイジメが生まれる、というのは嘘だ。 考えなくても良い。 他人のことまで考えすぎるから、仲間と錯覚していじめたりする。 仲間意識の解体のほうが、ぼくの処方箋。」(211頁) 

・高崎真規子 『少女たちはなぜHを急ぐのか』(NHK生活人新書) 評価★★ タイトル通りの本である。 生協書籍部の店頭では売り切れていた (そもそも、この新書は生協に少部数しか入荷しない) ので注文したら、品切れ再版未定とのこと。 で、紀伊國屋書店新潟店に行ったら、たくさん置いてありました。 こういう現象、何とかなりませんかね〜? それはさておき、Hを急いでいる十代の少女たち多数にインタビューしてできた本であるが、読後感がイマイチなのは、インタビューした後の整理がきちんとなされていないからじゃないか。 例えばHを急ぐ少女は、都会と地方都市、進学校と底辺校、裕福な家とビンボーな家、親がエリート官僚や大企業幹部の父に専業主婦の母である場合と片親の場合、などなどで比率や傾向に違いがあるのかないのか、といった分析が欠けている。 また、大学などの女性学のフェミ的なタテマエと、現実の少女たちの行動や思考との大きな落差も、つっこんで考えるべき問題だろう。 少女たちが避妊や性病については意外に無知だという指摘は貴重で、その辺は即物的に学校で教えるべきだとは思うが、本書は、一方で性に関する大人の硬直した考えを押しつけても無意味 (190ページ) と言いながら、他方で 「大人は、なぜ自分がセックスをし、あなたという子供がいるのかを語るべきなんです」 という処方箋を紹介しちゃっている (200ページ) のは、笑えるほどに大矛盾だなあ。 そんなキミの悪いこと、できますかね〜?

・内田樹 『 「おじさん」 的思考』(晶文社) 評価★★★ 下で読んだ 『街場の現代思想』 がわりに面白かったので、2年ほど前に出た同じ著者によるこの本をネット上の古本屋から送料込み半額で取り寄せて読んでみた。 「保守反動」 か 「進歩的知識人」 かを問わず、今の日本でマスコミや若者から批判されたりバカにされたりしている 「おじさん」 こそが、しかし毅然として声を上げるべきだ、という信念に基づいて自分の意見をエッセイとして綴った本。 内容的には賛成のところも反対のところもあるが、おじさんが堂々と意見を公にすべきだという姿勢には大賛成である。 なにしろ最近の大学人は、18歳人口の減少という状況の中で若者に媚びばっかり売ってますからね。 なお著者は1950年生まれで、都立日比谷高校中退後、大検経由で東大に入ったが、当時の東大は大学紛争の真っ最中で、著者もその中で反体制派の学生として活動していた。 で、その当時の自分を振り返った文章も本書に収録されているのだが、その歯切れの悪さが感動的である(笑)。

・酒井健 『バタイユ入門』(ちくま新書) 評価★★★★☆ フランスの思想家・文学者バタイユを解説した本である。 タイトルには 「入門」 とあるが、内容は 「バカでも分かるなんとか」 といったレベルではなく、特にニーチェやハイデガーの思想との絡みでバタイユを論じた第3章はこの本の核心部分であり、きわめて密度の濃い高度な記述がなされているから、「ながら」 族では読み進むことは到底不可能だ。 しかし正しい姿勢で机に向かってきっちり読むならば、西欧形而上学と根幹から対立するバタイユ思想の独自性が理解できるだけでなく、生きることの意味、芸術に接することの意味をあらたに問わずにはいられなくなるだろう。 著者の 『ゴシックとは何か』(講談社現代新書)、『絵画と現代思想』(新書館) と共通した問題意識が見られることも興味深い。

・日比野達郎 『ぼくの仕事はセックスです』(双葉社) 評価★★★ AV男優として4000人の女優を相手にポルノビデオを作ってきた著者の業務日記。 たいへん羨ましい職業ではあるが、しかし仕事としてセックスをするのはそれなりに大変なところもあり、特に40代になってからも1日2回射精を数日続けたために立たなくなった、なんて記述を読むと同情の念も湧いてこないではない (でも羨ましさの方が勝るか〔笑〕)。 30代で年収1千万だそうだから、国立大教員より実入りはいいなあ。 また、実録もので、シロウトの人妻、女教師、看護婦なんかが次々出演しちゃうというところでは、時代を感じてしまいますね・・・・。

・高木裕 ・ 大山真人 『スタインウェイ戦争――誰が日本のピアノ音楽界をだめにしたのか』(洋泉社新書y) 評価★★★★ ピアノ調律師と音楽に詳しいライターとによる衝撃的な書物である。 クラシック音楽愛好家やピアノ学習者でスタインウェイの名を知らない人はいないだろう。 そのスタインウェイは実は2種類あった。 ニューヨーク・スタインウェイとハンブルク・スタインウェイである。、様々な事情からそのうちハンブルクだけが日本では輸入されており、しかも輸入業者は一社独占状態で、その会社は調律師をも支配していた。 しかし音色からいってニューヨークのほうが良質であり、高木裕はあるきっかけからその楽器を日本に輸入して調律しようとする。 すると独占会社から有形無形の圧力が――。 会社は実名で登場し、人名は実名と仮名が使い分けられている――ピアニストの江口玲が江田礼となっているなど、分かる人には分かるものもある――が、楽器に絡む現場からの生々しいレポートは一読の価値がある。 草野厚 『癒しの楽器パイプオルガンと政治』(文春新書) とともに、クラシック音楽の暗部を知るための好著と言える。

・磯田光一 『左翼がサヨクになるとき――ある時代の精神史』(集英社) 評価★★★ 1986年出版の本。 私はいつだったか古本屋にて500円で買い (定価は1400円)、ツンドクになっていたが、わけあって書棚から取り出して読んでみた。 大西巨人、中野重治、平野謙といった戦後間もない頃の日本の左翼系文学を支えた人たちが、実は時代的な刻印、つまり勤勉主義と倫理性によって保守的な日本主義者と共通項を持っていたこと、しかし高度成長によって彼らが思い描いていたのとは別種の大衆が誕生し、左翼文学者が時代から取り残されてしまう様子を論じている。 磯田はもともと三島由紀夫などを評価するところから出発しており、左翼系の文学者とは違った基盤に立つという自覚をもっていたが、80年代になって高度成長の恩恵を丸ごと受けた世代 (島田雅彦など) が登場するに及んで、実は自分と左翼系文学者が共通する部分を多く抱えていたことに気づいたわけである。 15年以上たった今から振り返れば磯田の論じていることはすでに 「常識」 のうちかもしれないが、当時として自分の立つ場所をこれだけ明晰に分析できたのは、やはり磯田光一だからこそできたことであったろう。 戦後間もない頃の左翼が 「愛国」 概念をポジティブにとらえていたという、最近小熊英二あたりが再発見(?)した事実なんかも、磯田がこの本でとっくに指摘していたのだ。 彼はこの本を出して1年後に56歳で亡くなってしまうのだが、あと10年生きていたらどんな仕事をしただろうかと惜しまれる。

・小田光雄 『ヨーロッパ 本と書店の物語』(平凡社新書) 評価★★ ヨーロッパ近代の出版と書店の歴史をたどった本である。 しかし出来はイマイチ。 ヨーロッパといっても広いわけだが、話はスペイン・ドイツ・フランス・英国ととびとびで、なおかつ章によって記述に濃淡の差がありすぎる。 つまり材料が豊富なところは不必要に詳しく、そうでないところは論述がスカスカで分からないことだらけ。 話の性質上、ある程度は仕方がないと思うが、これで本を書くのはちょっとどうか、と言いたくなるほどなのだ。 著者は出版社経営に携わっている人で学者ではなく、使っている文献も邦訳や日本人学者の書いたものばかり。 それはそれでうまく使えばそれなりのものになりそうなのだが、なっていない。 表記がおかしかったり (例: フローベル 〔正しくは、フロベール、またはフローベール〕、シュトルム・ウント・ドランク 〔正しくは、シュトルム・ウント・ドラング〕)、某邦訳書について 「ポルションのいう 『大衆次第』 はこれまで 『読者次第』 と訳されているが、原文は大衆publicであって読者lecteurではない。 このことは書物市場が 『読者』 から 『大衆』 へ向かっていたことを意味しよう」 (76ページ)なんてトンデモ的な語学知識を披露なさったり、困るんですよね。 なおこの人の本、以前に同じ平凡社新書から出した 『書店の近代』(これは日本を扱っている) も材料不足でイマイチであった。 本を書くのに向いてない人なんじゃないでしょうか。

・モーリス・ルブラン 『ルパンの告白』(旺文社文庫) 評価★★★ 25年ほど前の文庫をBOOKOFFにて100円で入手。 ルパンものの短篇集である。 私はむかし南洋一郎が子供向けにリライトした本で読んだが、原書に忠実な訳は初めてである。 合計9編を収めており、これは南洋一郎による子供向け本『7つの秘密』より2つ多い。 なぜ2編は子供向けに入れられていなかったのかが分かるという意味でも、大人向け訳本をちゃんと読んでおくのは貴重かな。 訳は分かりやすいし解説が丁寧なのもいい (探偵小説の歴史を年表付きで説明しており、ドイルとルブランの時代の重なりとズレがよく分かる) が、旺文社文庫そのものがなくなってしまっているのは残念である。

・内田樹 『街場の現代思想』(NTT出版) 評価★★★☆ 関西の大学に勤務するフランス文学者 (1950年生まれ) のエッセイ集。 私はこの人の本は初めて読んだが、柔軟な思考能力と確固たる基礎知識に基づいて、しかも分かりやすい文章で、文化資本だとか、資本主義における 「経営者」 の捉え方だとか、最近流行の 「負け犬」 論だとか、大学でのシラバスは紙でないといけない理由だとかが論じられている。 この人の他の本も読んでみようか、という気になった。

8月  ↑

・小谷野敦 『俺も女を泣かせてみたい』(筑摩書房) 評価★★★ 著者の最新エッセイ集。 タイトルは、『もてない男』 でブレイクしたからこうなった、という感じで、笑えますけれども、もう少し何か考えられなかったのかな。 女学者幻想を撃つ文章などが、特に著者らしい。 また、イオンド大学が名誉博士号をくれるというのに申し込んだら、ウン十万円の寄付をよこせと言われて激高した話には笑ってしまいました。 実を言うと私もイオンド大学からは同じ申し出を受けたのですが、相手にしなかったのです。 相手にしてしまったところに著者らしさがある、と言ったら怒られるかなあ。

・鹿島茂 『暇がないから読書ができる』(文芸春秋) 評価★★★☆ 6年前に出たハードカバーを、インターネット上の古本屋から送料込み半額で入手。 大活躍中のフランス文学者による書評集である。 教えられるところが多々ありました。 また須賀敦子 『遠い朝の本たち』 や李青若 『在日韓国人三世の胸のうち』 への高評価など、同感しきりでした。

・三好範英 『戦後の 「タブー」 を清算するドイツ』(亜紀書房) 評価★★★★ 戦後、敗戦国であるが故に、またナチズムの過去を持つが故にさまざまなタブーを抱え込んできたドイツ。 しかし最近そこから脱却して新しい方向に進み出そうとしている。 そんなドイツの姿をいくつかの観点から検証した書物である。 ドイツが戦後になって何度も 「補償」 を行ってきたのは日本と違って戦後処理条約を結ばなかったからだとか、移民政策は転換期を迎えているとか、コソボへの 「人道的な」 軍事介入にはドイツでは大部分の政治家(左派も含め)のみならず、グラスやハーバーマスのような知識人も賛成しているなど、興味深い指摘が多々ある。 お薦めできる本だ。

・浅羽通明 『アナーキズム――名著でたどる日本思想入門』(ちくま新書) 評価★★★★☆ 先月出た同じ著者による 『ナショナリズム』 の同時刊行・姉妹編。 途中読まなくてはならない他の本があって、こちらは読了が若干遅れたが、どちらかというとこちらの方が興味深かった。 というのは、アナーキズムがどの程度思想として現代に有効なのか、私はほとんど考えていなかったもので、意外な現代思想との関連性が随所で指摘される展開に、蒙を開かれることしばしばだったからである。 アナーキズムと保守主義者との不思議な親和性や、アナルコ・キャピタリズムの分析などは特に面白い。 大いにお薦めである。

・池内紀 『カフカの生涯』(新書館) 評価★★★★ カフカの翻訳や著作で知られる独文学者によるカフカ伝。 最新の資料を駆使して、生身のカフカに迫ろうという試みである。 とかく神秘主義的、或いは先端的な思想との絡みで理解されがちだったこの作家の実像が明らかにされている。 詳しくは別途 (8月8日の北海道新聞読書欄に書評として掲載。 こちらからどうぞ)。

・西尾幹二+中西輝政 『日本文明の主張』(PHP) 評価★★★ 3年半前に出た対談本。 出た当初は買わなかったのだが、思うところあってネット上の古本屋から取り寄せてみた。 西尾幹二の 『国民の歴史』 をきっかけとして、日本という国の精神的な基盤がどこにあるのか、これからの日本がどうなっていくのかを縦横無尽に論じた書物。 なにしろ碩学の対談なので、内容を追っていくだけでも大変。 特に鎌倉から江戸にかけての精神史は、私のよく知らない分野で、判断は留保するが、宗教の役割を重視して、日本における神道や仏教のありかたを論ずる二人の口吻にはなかなか迫力がある。

・鷲田小弥太 『学者の値打ち』(ちくま新書) 評価★★★ 文系学者の世界や、最近の大学改革によるその変動について語った本。 途中まで何となく読んでいたのだが、最後近くになって教養について論じている章に入ってから、共感するところが大であった。 教養教育は難しい、専門知より教養知のほうが身につけるのは困難だ、しかしだからこそ教養教育をやらねばならないのだというその主張は、きわめて正しい (ただし従来の教養教育をそのまま肯定しているのではない)。 この箇所を読むためだけにでも、この本を買うべし。

・猪瀬直樹 『こころの王国――菊池寛と文芸春秋の誕生』(文芸春秋) 評価★★★★ 最近、菊池寛が復権してきているようだ。 文芸春秋の創立者としては有名だが、文学者としては芥川龍之介などの 「純文学」 と比較して通俗的と評されてきた菊池。 しかし少し前に 『真珠夫人』 がテレビドラマ化されるなど、作品の見直しが行われている。 無論それは、現代社会の大衆化と無縁な現象ではない。 その意味で本書は、時宜にかなった好著と言える。 しかも、菊池寛の秘書で一時期は愛人でもあった女性に取材して、その女性の視点から菊池寛を語るという、小説のような仕掛けがほどこされている。 菊池が夏目漱石をどう見ていたか、大衆小説を書くに当たってどんな工夫を凝らしていたか、日本全体がまだ貧しかった中で周囲にどのように慈善を施していたか、また日本に併合された韓国と日本ジャーナリズムとの関連など、様々な興味深い側面が浮き彫りにされている。 お薦めできる一冊だ。

・東ゆみこ 『猫はなぜ絞首台に登ったか』(光文社新書) 評価★★★★ 18世紀のヨーロッパでは、都市化が進むなか、動物への残虐行為が頻繁に行われた。 それは何を意味していたのだろうか? 著者はホガースの版画の解読から始まって、動物と人間の関わりにさまざまな方面から光を当て、最後に古代神話の豊饒神をめぐる祭に行き着く。 物事が多面的な解釈を許すということが納得できるだけでなく、語り口がたいへん分かりやすく面白い。 分析に用いられている個々の方法は、既存の学問から借りてきたもので、必ずしも著者の独自性はうかがえないが、これから学問に親しもうとする人で、一つの狭い専門領域にこだわらず柔軟に物事を捉えるすべを学びたいと考える向きにとっては、格好の入門書として推薦できる本である。

・奥武則 『むかし〈都立高校〉があった』(平凡社) 評価★★★ 1960年代までの都立高校は、成績優秀な生徒を多く抱え、また学校秀才のたまり場であるだけではなく独自の学校文化をも有する場所であった。 しかしそれが67年の学校群制度の導入によって無惨にも破壊され、優秀な生徒は私立高校に集まるようになった。 本書は、都立高校が学校群制度によってその独自性を失う以前に都立新宿高校に在籍した経験をもとに、昔の都立高校のエートスをあらためて振り返りつつ、なぜ学校群制度が導入されるに至ったのかを検証する書物である。 平等主義がかえって学校文化を破壊し、あまつさえ学費の高い私立高校に行かないと大学受験に不利になるという逆の結果を招いた好例として、学校群制度を批判的に捉え直そうとする試みはなかなかに面白い。 ただし、当時の都立高校の学校文化については、より広く取材して材料をたくさん並べて欲しかった。

・ハリエット・リトヴォ 『階級としての動物――ヴィクトリア時代の英国人と動物たち』(国文社) 評価★★★☆ タイトル通り、英国人の動物観を、ヴィクトリア時代(1830年代以降の19世紀)を中心にたどった本である。 現在は英国は動物を大切にする国というイメージがあるけれど、過去をふりかえると必ずしもそうではなく、むしろ動物虐待が目立つ国、とされたこともあった。 動物愛護協会によってそれが改められていくのだが、この協会が階級国家イギリスにふさわしくかなり差別的であり、下層民に苛酷で上流市民や貴族には甘かったことが指摘されている。 また、帝国主義によってアジアやアフリカに進出した英国人が、当地の野生動物を狩猟によって絶滅寸前まで追い込んだこと、そして当時は、野生動物の減少は文明化のバロメーターだとして、英国人が自画自賛していたこと、など、今から振り返ると驚くような事実が記されている。 記述がやや煩瑣だが、一読の価値がある。

7月  ↑

・西尾幹二 『男子一生の問題』(三笠書房) 評価★★★ 西尾氏の最新刊。 今現在の日本を見据えて、もっとも言いたい事柄を書いたという本。 「毒にも薬にもならぬ人間には魅力はない」 だとか、「孤独と孤立は違う」 だとか、西尾節がつまっていて、まあ面白くないことはないのだけれど、どこか説教臭というのか、従来の西尾氏ならば既成の価値観だとか先入見に挑んでそれを覆してみせる切れ味があったのだが、それとは別の何かが入り込んでしまっているような印象がある。 西尾さん、今あなたがやるべき仕事は、まず 『わたしの昭和史』 の完成であり、『ニーチェ』 第3部の執筆ではないのでしょうか?

・村山司 『イルカが知りたい――どう考えどう伝えているのか』(講談社) 評価★★★ イルカ研究の現状を伝える本。 イルカがどの程度の知性の持ち主か、さまざまな実験により究明している。 1960年代にはイルカは人間と話ができるといったイルカ幻想があったが、そうした表層的な流行とは一線を画した冷静な研究の所産である。 それなりに面白い。

・三宅眞 『世界の魚食文化考――美味を求める資源研究』(中公新書) 評価★★★★ 13年前の新書を東京の古本屋にて200円で購入。 世界中の魚食文化について、主として著者の体験に基づいて書かれた本である。 著者は農林水産省勤務で、世界中の魚食文化を実地に知る機会に恵まれた人であり、水産学による学識と、グルメ的な美味を求める心とを兼ね備えているようだ。 世界各地の魚の種類や魚料理が次から次へと紹介されるのが楽しいし、その一方で水産資源問題や、それをめぐる国際交渉の話題などもあって、多方面から水産と魚食文化について知識を得ることができる好著である。

・北杜夫 『怪盗ジバコの復活』(新潮文庫) 評価★★ 東京の古本屋で100円にて購入。 暇つぶしに (実はヒマがなかったんだけど) 読んでみた。 むかし著者が書いた 『怪盗ジバコ』 の続編だが、ジバコにおちょくられる探偵役として刑事コロンボだのシャーロック・ホームズだのを登場させているけれど、面白さはイマイチか。 ジバコが心を寄せる美女が登場しているが、この辺、怪盗ルパンものの 『八点鐘』 を下敷きにしているらしい。 ならばいっそ 『八点鐘』 を全面的にマネて、ヒロインも事件に巻き込まれるようにしたらどうかなあ。 なお、最後に収録の 「北京原人の謎」 はかなりヒドく、これだけなら★1つである。  

・宮下志朗 『読書の首都パリ』(みすず書房) 評価★★★ 5年ほど前に出た本だが、授業で取り上げて読んでみた。 フランスの18〜19世紀における読書のあり方を論じたフランス文学者による本。 フロベール、ゾラ、バルザックなどを例に、出版市場と読書空間の変容を描いている。 近代的な読書のあり方と、それを基盤にした文学の成立のさまが見えてくる。

・森瑤子 『美女たちの神話』(講談社文庫) 評価★★★ 単行本1986年刊、文庫89年刊。 その文庫のほうを東京の古本屋にて100円で購入。 イングリット・バーグマン、グレース・ケリー、オードリー・ヘップバーンなどの女優、エディト・ピアフやマリア・カラスなどの歌手、サガンなどの作家、ケネディ大統領夫人でのちに大富豪オナシスの妻となったジャクリーンなど、有名な女性15人の一生を綴っている。 もっとも女性雑誌掲載の文章を集成したもので、一人あたりの記述はあまり長くないから、本格的な評伝としてではなく、暇つぶしのエッセイとして楽しむべき本である。

・四方田犬彦 『ハイスクール1968』(新潮社) 評価★★★☆ 学者兼評論家として多方面に渡って活躍している著者が高校生時代を振り返った自伝。 タイトルの1968とは、著者が高校に入学した西暦年である。 下記・中野孝次の本と比較すると、時代の差、階級の差が嫌でも目に付いてしまう。 加えて、四方田氏は実はワタシと同年齢であるため、ワタシ自身との比較も否応なくせざるを得ない。 無論、四方田氏は東教大農学部付属 (現在は筑波大付属) 駒場高校という東京の超エリート校であるのに対し、ワタシは一応進学校だが地方都市の県立校に過ぎないから比べるのも野暮な話ではあるが、著者はあとがきで 「1968年という時代をきちんと書き残しておきたい」 と言っているので、それはあくまで著者のおかれた地理的・階級的条件においてのことだという当たり前の事柄を指摘しておきたいわけなのだ。
  まず目を惹くのは、言うまでもなく恵まれた知的環境である。 同級生や教師からの、或いは東京という都市からの様々な刺激がふんだんにあるということ。 特に音楽と映画においてそれが際だっている。 また、経済的な裏付けもそれなりにある。 著者自身は中産階級として自分を位置づけ、出雲に住んでいる伯父が医者でありその娘である従姉が小遣いをふんだんにもらってレコードを買いあさっている事実に言及して自分と対照的だとしているが、ワタシに言わせればそれでも四方田氏のおかれた経済的環境は少なくとも 「中の上」 であったろうと思う。 ワタシなどは高校生時代はレコードを買ったり映画館に入れるような小遣いはもらっていなかった。 外国文学を文庫本で買い集める暗い(?)日々だったのである。
  とはいえ、例えば数学への情熱と物理への無関心などはワタシと共通しているし、新谷のり子の 「フランシーヌの場合」 の影響で仏文に行った奴が多かったのでは、という記述を読むと、案外ナイーブだったんだなという印象もある。 この本の頂点は、当時の大学紛争の余波で著者の高校もバリケード封鎖され、著者もそこに加わっていたが、著者が食料を調達しに出かけたほんの数時間のあいだにバリケードが自主的に解かれてしまうという、いささか喜劇的な、しかし著者にとっては衝撃的な事件である。 それやこれやで著者は東大受験に失敗して浪人するのだが、その体験にこだわり続けてこの本をものしたところに、四方田氏のいい意味でのナイーブさが持続していることを読みとるべきであろうか。 (ちなみにワタシの高校では、ワタシの卒業後に似たような事件が起こった。)

・中野孝次 『麦熟るる日に』(河出書房新社) 評価★★★☆ 1978年に出た単行本をインターネットの古本屋で送料込み815円にて入手(当時の定価が980円)。 独文学者兼作家である著者の自伝的小説である。 戦前、大工の子として生まれ、義務教育を終えたあと中学 (今の高校) への進学を親から認められず鬱屈した毎日を送っていた 「ぼく」 が、専検という制度によって旧制第五高校 (今の熊本大学) に合格するも、第二次大戦末期だったため兵隊にとられるまでを三部作として描いている。 戦前の下層階級の暮らしや風物が興味深い。 また、第五高校に入ってから、当時学生の必読書であった 『三太郎の日記』 の著者である阿部次郎に会うために同級生と3人でわざわざ仙台まで赴くが失望した顛末なども面白い。

・鹿島茂 『成功する読書日記』(文芸春秋) 評価★★★ フランス文学者が読書のコツと読書日記の作りかたを伝授すると共に、自分の読書日記を公開した本。 私としては後者のほう、つまり鹿島氏がどんな本を読んでいるのかに興味があって一読してみたもの。 フィンランドが第二次大戦当初枢軸国側についていた (ソ連に虐められていた国ですからね) という事実を初めて知ることができました。

・ササキバラ・ゴウ 『〈美少女〉の現代史』(講談社現代新書) 評価★★★ 70年代末から現れてきた美少女アニメというジャンルと、「萌え」 という現象を明らかにしようとした本。 それなりに面白いが、なぜ日本の男の子が 「美少女萌え」 に転落(?)してしまったのか、という説明は必ずしも説得的とは思われない。 70年代で全共闘的な政治の季節が終わった、だけで片づくのだろうか? (それなら欧米先進国でも同じ現象が生じていなければならないはずだと思うのだが。)

・ジャレド・ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄――1万3000年にわたる人類史の謎 (下巻)』(草思社) 評価★★★ 先月読んだ上巻に引き続き下巻も読んでみた。 内容的には上巻の繰り返しが見られるが、なぜヨーロッパ民族がアメリカ原住民を支配しアフリカ大陸を植民地にできたのか、なぜその逆ではなかったのか、オーストリアの原住民アボリジニが採集民族であり続けたのはなぜか、中国はなぜヨーロッパに遅れをとったのかなど、壮大なテーマを扱いつつ、地理的要因や、原生植物を栽培植物化できたか否か、野生動物を家畜化できたか否か、文化伝播の速度など、様々な因子に目配りしながらこの問いに答えようとしている意欲的な本である。

・ボリア・サックス 『ナチスと動物 ―― ペット・スケープゴート・ホロコースト』(青土社) 評価★★★★ ナチスというと非人道的だという印象が強い。 したがって動物も虐待しただろうと思うと大間違い。 ユダヤ人に対するよりもペットや野生動物にはるかに優しかったのがナチスなのだ。 それどころか、ナチスの制定した動物保護法は、戦後の西ドイツで70年代までそのまま通用していたのである。 その一方でノーベル賞の動物学者ローレンツはナチスにかなり深くコミットした過去があり (ただしその事実は90年代まで知られていなかった)、その動物論にはナチスの人種理論の影があるという。 このように、ナチスと動物との関係は、ある意味、近代の縮図であり、現代に生きる我々とも無関係ではないのだ。 そうした興味深い側面を探った書物としてお薦めできる。 ただ、記述はやや散漫なところもなしとしない。

6月  ↑

・シラー 『オルレアンの処女』(筑摩・世界文学大系第18巻 『シラー』 所収: 野島正城訳) 評価★★☆ 教養科目でやっているドイツ文学の講義に必要なので読んでみた。 シラーの作品はむかし或る程度読んだはずが、どういうわけかこの作品は未読だったので。 言うまでもなく百年戦争でフランス軍の救世主となったオルレアンの乙女ジャンヌ・ダルクを描いている。 ただし史実に忠実ではなく、ヒロインは一時期魔女として弾劾されるが、最後にはフランス王からその貢献を認められつつ死ぬ、というところが、やや甘い感じもする。 それと、ヒロインが恋をして奇跡的な力を失う、という側面も弱い。 それは舞台の祝祭性から見れば正しいのかも知れないのだが、近代性という視点からすると今一歩の感があるのは否めない。

・前田愛 『近代読者の成立』(岩波書店) 評価★★★★ 読者論として割りに知られた本だが、未読だったので、大学院の授業で取り上げて読んでみた。 江戸時代に関する記述はやや専門的で国文学者でないと分かりにくく、もう少し一般読者への配慮が欲しい気がするが、ともかく読書するという行為が江戸から昭和にかけてどう変わってきたのか、貸本屋や書店のあり方はどう変遷してきたのか、大衆文化論とプロレタリア文化論との接点など、様々な視点から問題の本質に迫っていて、お薦めできる本だ。

・浅羽通明 『ナショナリズム――名著でたどる日本思想入門』(ちくま新書) 評価★★★★ 明治期から現代に至るまでのナショナリズムの様相を、石光真清、志賀重昂から始まって、司馬遼太郎、金田一春彦、本宮ひろ志、小熊英二、小沢一郎といった人々の主張を材料に、様々な角度から検証し考察した本である。 小林よしのりのナショナリズム論を枕として、最終的には小林への返歌というような終わり方をしているところが、現代の若者をジャーナリスティックに意識した著者の身ぶりを明瞭に浮かび上がらせているが、多方面に目配りがきき、たいへん面白く刺激に満ちた内容で、親切な文献案内も付いており、お薦めできる本である。

・藤原英司 『海からの使者イルカ』(朝日文庫) 評価★★☆ 1980年に出た単行本を93年に文庫化したもの。 イルカがヨーロッパやミクロネシアで神話的な形象となっていることや、イルカと人との交流記録、およびイルカが 「海よりの使者」 だといういささかロマンティックな主張から成り立っている本。 私はワケあって読んだのだが、「ワケ」 のない人にはあまり薦められない。 ただし一時期流行した 「イルカとの交流で癒される」 系統の本に比べると、様々な方面についてよく調べており、単純に貶すのも一面的であろう。

・ジャレド・ダイアモンド 『銃・病原菌・鉄――1万3000年にわたる人類史の謎 (上巻)』(草思社) 評価★★★☆ アメリカでピューリッツァー賞を受賞した本の翻訳。 出たのは2000年だが、私は買ったままツンドクになっていた。 今回、必要があって読んでみたが、なかなかに面白い。 採集狩猟民族と農耕民族はどこで分かれたのか、穀物はどのように生まれてどう伝播したのか、家畜はどう作られどう伝播したのか、穀物にならなかった植物、家畜にならなかった動物はどこが違っていたのか、などなど、ふだん我々を養っている穀物と家畜の起源と伝播や、さらに農耕が権力や伝染病を生み広めていったという側面にも触れており、多方面の興味をそそる内容である。

・石崎宏平 『イエナの悲劇』(丸善) 評価★★★☆ 著者は哲学研究者で学習院大名誉教授。 この本は、哲学者フィヒテの生い立ちから始まって、彼の哲学の成立過程をたどり、イエナ大学教授に迎えられながらも或る事件でこの地を去るまでを丹念に記述すると共に、イエナに集ったゲーテやシラー、ドイツロマン派の文学者たち、ロマン派をとりまく女性たちなどの群像を描いた書物である。 私は哲学の徒ではないので、フィヒテの哲学体系を論じた部分には余り興味を惹かれなかったが、イエナという小さな町の様子や、シラーやドイツロマン派との交友などの人間模様の活写はなかなかに楽しむことができた。 フィヒテはまだ批判版全集が完結していないそうで、そのためもあって叙述をイエナ時代までに限定せざるを得なかったと著者はあとがきで断っている。 こうした息長い文献学的な作業が、最近の日本では性急で時流に乗った大学改革でなおざりにされがちなのは、まことに残念なことである。

・浜本隆志 『魔女とカルトのドイツ史』(講談社現代新書) 評価★★☆ ドイツにおける中世以降の魔女狩りやカルトをたどり、そうしたドイツ的な文化特性がヒトラーのナチズムにつながるものだと主張した書物。 個々の歴史的事件の記述はそれなりに興味深いが、それがナチズムと結びつくという肝腎かなめのところは、どうもうまく行っているとは思われない。 論証になっていないのだ。 カルトや魔女狩りはドイツだけに見られた現象ではないし――そのくらいは著者も心得ているけれど――、そもそも南欧やカトリック世界にしてもアルビジョア十字軍のような大量虐殺を経験している。 ドイツの文化的特性がナチズムの主要因だという主張には、どこか無理があるように感じるのである。

・三島由紀夫 『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー』(新潮文庫) 評価★★★★☆ 言うまでもなく三島由紀夫の代表的な劇作である。 私はいずれも実演で先に見てしまったためか、本のほうを読むのを長い間ためらってきた。 私はもともと芝居を見る趣味はなく、おおかたの日本人がそうであるように西洋文学の演劇もレーゼドラマとして読んだ人間であるから、この2作品だけが逆になっているのは考えてみれば奇妙だが、私としては稀な体験を文字を読むことで壊したくないという意識が働いていたのかも知れない。 が、ともかく今回、非常にゆっくりと、1カ月程度かけて読んでみた。 三島ならではのコテコテの装飾に満ちた台詞の味はいまさら指摘するまでもないが、『サド』 が女だけ、『ヒットラー』 が男だけのドラマであり、双方で一対をなしていることが、1冊にまとめられてみると改めて明瞭になり、三島がこの頃劇作を通して表現しようとした体系が見えてくるのが貴重であろう。 なお両作品について三島自身が書いた文章も収録されており、日本の新劇と西洋演劇の根本的な相違などへの言及がことに示唆的である。

・宮部みゆき 『淋しい狩人』(新潮文庫) 評価★★★ 宮部みゆきの作品を読んだことがなかった。それでしばらく前にBOOKOFFでこの文庫本を半額で買ったのだが、すぐには手をつけずにツンドクになっていた。 今回、連休中東京に出かけることになり、新幹線の中で読むのによさそうだというので書棚から取り出した。 これは1991年から93年にかけて断続的に雑誌に発表され、93年に単行本化、97年に文庫化された連作短篇集である。 東京下町の古本屋のおやじイワさんとその唯一の孫である高校生の稔を中心として、町の住人や古本屋愛好者などが次々と登場するオムニバス構成になっており、登場人物たちをとおして世の中の様々な側面が浮かび上がってくるようになっているところがそれなりに面白い。 しかし、推理物としてはさほどではなく、犯人が途中で分かってしまうし、後半の作品は推理小説にすらなっていなくて、阿刀田高風の、オチの付いた短篇という色彩が濃くなってくる。 まあ、それはそれで悪くはないのだけれども。 ちなみに解説は翻訳家の大森望だが、彼は解説を書くにあたってもともと持っている宮部の全単行本以外に文庫本を買い集めたそうである。 他の解説者がどんなことを書いているのか調べるためだという。 私は文庫本の解説なんてのは、古典的な作品以外は要らないと思っている人間だが、なるほど解説を書くのも案外たいへんなのだ、と勉強になりました。

・菅原和孝 『ブッシュマンとして生きる――原野で考えることばと身体』(中公新書) 評価★★★☆ 著者は京大教授で文化人類学者。 長らくアフリカでいわゆるブッシュマンの社会を調査する作業に従事していた人である。 この本は、ブッシュマンの社会を活写するとともに、そもそも人間の言語や論理とはどういうものなのかを哲学的に考察したもの。 文化人類学という学問は、人類とは何かという根源的な問いに人を誘うところがあるのだということが、読み進むうちに納得できてくる。 メルロ=ポンティの身体論を引用しつつ、文化人類学という学問そのものが植民地主義の産物であるという事情などを指摘しながらも、そうした状況を意識した生き方が単純な言説となることを戒める著者の姿勢は、物事の複雑性への洞察力に富み、なかなかに説得力が強い。

5月  ↑

・日高敏隆 『動物と人間の世界認識』(筑摩書房) 評価★★★☆ 人間は目や他の感覚によって世界を認識している。 しかしそれは 「客観的な」 認識だろうか。 例えば赤外線は人間には見えない。 われわれが赤外線の存在を知っているのは、感覚ではなく知識によってである。 同様に、動物には種ごとの感覚の差異があって、それぞれの世界の捉え方は相互に異なっている。 著者の表現を使えば、イリュージョンなしには 「世界」 は見えないのであり、そうした差異を認識していることこそ、人間を他の動物から分かつ唯一の特徴なのである。 安易な動物の擬人化が横行する現代社会にあって、動物と人間の差異をあらためて考えさせてくれる一冊である。

・小宮正安 『ハプスブルク家の宮殿』(講談社現代新書) 評価★★★★ ハプスブルク家の当主たちが造った数々の宮殿、とりわけシェーンブルン宮殿について、その歴史や建物の特徴、皇族たちとの関わりなどを綴った本である。 記述はたいへん分かりやすく、ハプスブルク家の歴史と宮殿との関係のみならず、時代ごとの皇族の生き方の違いに至るまでが手に取るように理解できる。 著者も書いているように、この種の本はありそうで案外見あたらないものであるから、貴重な労作と言っていいだろう。 お薦めできる本だ。

・上西俊雄 『英語は日本人教師だから教えられる――アルファベットから始める英語教育改革試案』(洋泉社新書y) 評価★☆ タイトルを見たとき、なかなか良さそうな本だと感じた。 最近の外国語教育では会話が重視されているが、その結果として構文の把握力や、真の知的能力を構成する読解力=抽象的な議論を理解する力がかなり落ちているのが現状で、心ある人からはそうした現状への批判がなされているからだ。 外国人を教師にして楽しく会話を勉強すればそれでいい――という軽薄な語学教育へのアンチテーゼを断固として打ち出した本に違いない、そう思って買って読んでみた。 たしかに、最初はそういう主張が繰り広げられていて、うなずきながら読んでいたのだが、ところが40ページを過ぎたあたりからおかしくなってきた。 アルファベットに基づいて英単語の発音を修得すべく、アルファベットがいかに音と結びついているかの細々とした説明が延々と繰り広げられていくのだ。 フランス語やドイツ語を援用しての説明まである。 おいおい、独仏語どころか英語も習い始めの中学生が、こんな長たらしい説明をされても分かりっこないぜ。 著者はながらく三省堂で辞書の作成に当たってきた人で、教師ではない。 どうもその弱点がモロに出てしまったようだ。 アルファベットと音の結びつきの説明自体には間違いはないのだろうが、これで中学生に英語が教えられると思いこんでいるとなると、トンデモ本の一種と言わざるを得ないのである。

・遠藤寛子 『 『少女の友』 とその時代――編集者の勇気 内山基――』(本の泉社) 評価★★★ 戦前、大きな人気を博していた少女向け雑誌 『少女の友』 を回顧し、その復刻を訴えた本である。 著者は昭和6年生まれで、一時期教職に就いた後、評論活動をしている方。 最近、戦前の少女文化を扱った本が何冊か出ているが、これもその一つ。 『少女の友』 が内山基という編集長と読者との強い絆によって維持されていたところに、ライバル誌にはない特徴を見ている。 無論、記事や挿し絵、投稿の常連などについても書かれており、一時代の少女文化を垣間見ることができる。 なお40ページで、川端康成がこの雑誌に掲載した (実は中里恒子が書いた) 『乙女の港』 について、そこで描かれている上級生と下級生の心情的な絆を、「疑似姉妹的な清純な友情」 と片づけているけど、やや物足りない感じ。 軍国主義的な風潮に雑誌がひそかに抵抗していた部分への読み込みと比べると、ちょいとカマトト的じゃありませんか?

・中野晴行(編) 『マンガ家誕生。』(ちくま文庫) 評価★★★ なぜ自分はマンガ家になったのか、を自伝的に、多少のフィクションもこめて書かれたマンガのアンソロジー。 手塚治虫、ちばてつや、石森章太郎、赤塚不二夫、さいとうたかを、水野英子、水木しげる等々の作品が収められている。 長井勝一の 『「ガロ」編集長』 からの一部収録もなされていて、社会全体がまだ貧しいなかでマンガを書こうという意欲だけはものすごく強かった時代の、どこかいかがわしさも含んだ日本出版界の姿が浮かび上がってくる。

・遠藤周作 『白い人・黄色い人』(新潮文庫) 評価★★☆ 遠藤周作の初期中編2編を、何となく読んでみた。 元々は昭和30年に刊行されているから、半世紀前の作品ということになる。 カトリックである作者の観念が日本の文学作品としては独特な感覚を与えているようだが、掘り下げがイマイチだし、貧しかったり容姿が醜かったりする登場人物たちの劣等感や曲がりくねった心境が、戦後間もない頃の日本における純文学の公定相場から余り出ていないような印象である。

・櫻田淳 『国家の役割とは何か』(ちくま新書) 評価★★☆ 国家というものが一定の秩序に支えられた枠組みであるという認識から出発し、秩序を保つ手段としての権力、その権力と政治との結びつき、政治が用いる三つの手段――恫喝、誘導、説得――に触れ、国家とは何であるかを原理的に語った本である。 全般的に分かりやすくバランスのとれた記述がなされているけれども、逆に言うとそれ故に教科書的で、あんまり面白みが感じられない。 思っても見ないような国家の一側面に光が当てられる、ということは全然なく、良くも悪くもオーソドックスな本である。

・レッシング 『ミス・サーラ・サンプソン』(白水社 『レッシング名作集』 所収・有川貫太郎訳) 評価★★★ ドイツ近代文学の祖・レッシングの戯曲であるが、授業での必要性から今回初めて読んでみた。 優柔不断な色男をはさんだ、タイトル・ロールのサーラと、恋人を彼女に奪われたマーウッドとの対立を描いている。 一応、サーラがヒロインでマーウッドが悪役ということなのだが、一読、そう簡単には割り切れない複雑さがある作品であることに気づく。 まあ、そうでなきゃ、大作家の作品とは言えないわけだが・・・・。

・宮田鞠栄 『追憶の作家たち』(文春新書) 評価★★★ 長らく中央公論社の文芸雑誌で編集者を勤めた著者が、生前に交際のあった作家について綴った本である。 松本清張、西條八十、埴谷雄高、島尾敏雄、石川淳、大岡昇平、日野啓三の7人が取り上げられている。 著者自身断っているようにこれは各作家の一面に過ぎないが、これらの作家に興味のある人には一読の価値があろう。 私にとって面白かったのは、むしろ文中に断片的に出てくる著者自身の経歴のほうである。 詩人の父を持ち、早稲田の仏文で学び、中央公論社に採用になるのだが、その際に保証人というのが必要だったそうで (もしかして今もそう?)、東京の出版社というのが案外狭い人間関係の中で成り立っているらしい事情が浮かび上がってくる。 また高名な編集者・安原顕への批判が出てくる (匿名でYとなっているけど) のも悪くない。 私は実は著者とは10年ほど前、或る事情から2、3度手紙のやりとりをしたことがあるのだが、こういう人だったんだなあ、と今更ながらに感慨を覚えました。

・山口昌男 『学校という舞台――いじめ・挫折からの脱出』(講談社現代新書) 評価★★☆ 16年前の新書。 別の本を読んでいたら言及されていて、ちょっと面白そうなのでインターネットで調べて奈良の古本屋から取り寄せて読んでみた。 著者の自伝で、そこにイジメに関する考察が入っているのが特徴。 自分もイジメられたことがあるという体験、それと或る読者から寄せられたイジメ体験記を収録していて、イジメが話題になりかけていた当時としては新鮮な内容だったのだろうけれど、今読むと、やや時期はずれという感じもある。 

・福原直樹 『黒いスイス』(新潮新書) 評価★★★ 永世中立国として、アルプス山脈のふもとにある風光明媚な小国として、とかく理想化されがちなスイス。 しかしその実態は、人種差別が横行し、ネオナチがはびこり、ブラックマネーを呼び込む銀行が多数存立し・・・・・というような、スイスのマイナス面を指摘した本である。 まあ、どの国にだってそれなりに後ろ暗いところはあるわけで、一読の価値はあるけれど、新聞記者である著者の視点には限界もある。 地元の若者にしてみれば外国人労働者がやたら入り込んでくれば自分たちの職場が奪われるのだから文字どおり死活問題であって、人道主義一本で流入外国人を扱うわけにはいかないのは当然だと思うし、核開発にしてもフランスなどもやっているのであり、スイスだけがやっていけない理由はないんじゃないかと思う。 というわけで、多少批判的な目で読むべき内容の本である。

・ゲーテ 『親和力』(講談社世界文学全集・柴田翔訳) 評価★★★ ゲーテ晩年の長篇小説を、授業での必要性などから久しぶりに再読してみた。 男女4人による潜在的なスワッピングのお話で、無論19世紀初頭ドイツの作品だから露骨な描写はないけれど、ある意味過激な設定であり、また登場人物の名前による謎かけなど、色々と含みの多い作品でもある。 背景となっている庭園造りも含めて、静かだが奇妙な面白さに満ちている。

4月  ↑

・藤野美奈子+西研 『不美人論』(径書房) 評価★★★ 今月初め、新潟大生協書籍部の本棚に並んでいて、ちょっと内容を見て迷ったあげく買わなかったのだが、船橋のBOOKOFFに入ったら、さすが首都圏、出たばかりのこの本が半額で入荷?しているではないか。 で、買ってしまった。 漫画家・藤野と哲学者・西との対談 (というか、編集者がかなり発言しているから、鼎談かも) で、タイトル通り、不美人が生きていく上での心理的葛藤や処世術、美人と不美人では生き方がどう異なるか、などを語り合った本である。 というより、藤野が不美人に生まれた女性の立場から事細かにこの問題を様々な局面から論じ、西はテキトーにコメントしているだけなので、印税の8割は藤野がもらっていいんじゃないか。 美人が得だという現象を単に男性中心主義の結果としか見ない単純なフェミニズムに対する痛烈な批判もあり、美人と不美人の対立 (?) はまず女性同士から始まるという指摘がなされているのが貴重で、大学のジェンダー論だとかフェミニズム論もこういう視点を考えにいれないと空理空論の紙屑に終わるだろうな、と納得すること請け合いである。

・手塚和彰 『怠け者の日本人とドイツ人――停滞を生んだ国民性』(中公新書ラクレ) 評価★★ かつては敗戦国ながら驚異的な経済成長で世界中の人々の目を見はらせた日本とドイツ。 しかし今はいずれも経済不振や失業率増加、出生率低下などに悩んでいる。 両国の抱える問題の本質はどこにあるのか、どこが共通でどこが違うのかを明らかにしようとした本。 ・・・・だが、率直に言って出来がよろしくない。 記述が体系的ではなく、話があちらこちらに飛ぶし、通読してもドイツと日本が他の先進国とどこが違っているのかよく分からない。 出生率低下にしても、アメリカ以外の先進国に共通して見られる現象で、高いとされているフランスや北欧にしても2,0を大きく割っているのに、著者はその辺は無視している。 教えられるところの少ない書物だ。

・永田諒一 『宗教改革の真実――カトリックとプロテスタントの社会史』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 著者は岡山大教授で西洋史学者。 日常的な生活史を重視するアナール学派の立場から宗教改革頃のヨーロッパ社会を描いた本である。 以前私が世界史で習った 「ルターが95箇条のカトリック批判文を教会の扉に貼りつけたところから宗教改革が始まった」 という話は現在では否定されていて、ルターは95箇条を手紙でマインツ大司教に送りつけただけだったらしい、というところから始まり、村の司祭はラテン語力も怪しかったとか、カトリックのお坊さんは結婚しないというのが建前だが実際は女中という名目で妻に相当する女性がそばにいるケースが多かった、など、なるほどと思える風俗史が繰り広げられている。 しかし史料の限界もあり、分からないことは分からないわけで、その辺の学問の限界にも誠実な言及がなされている。 最後に参考文献も挙げられていて参考になるが、この分野の社会史的な邦語文献は現在のところほとんど存在しない状況なのだそうである。 その意味で貴重な本と言えよう。

・鷲尾賢也 『編集とはどのような仕事なのか』(トランスビュー) 評価★★★☆ 著者は長らく講談社に勤めた編集者。 タイトル通り、編集者というのがどういう仕事なのかを語った本である。 もともと著者は大学を出てから出版社ではない別系統の会社に就職し、その後講談社に転職した人で、出版社というものを幾分外側から冷静に見る目をもっているようだ。 記述はたいへん分かりやすく、面白い。 また本というものが単なる情報には還元されない性格を有することや、電子メディアの普及した現代において書物が今後どうなっていくかの予想にも言及しており、あとがきには編集の教科書が欲しいとかねて思っていたと書かれているけれど、この方面に関心のある人には 「退屈しない教科書」 としてお薦めできる一冊となっている。

・山鳥重 『 「わかる」 とはどういうことか――認識の脳科学』(ちくま新書) 評価★★☆ 2年前の新書をBOOKOFFにて半額で購入。 著者は医学部教授で、「わかる」 には様々な前提が必要なこと、「わかる」 にも色々な種類があること、を解説している。 が、副題から想像していたのとは内容が少し違う。 脳科学の最先端と 「わかる」 という現象との直接的なつながりを説明した本というよりは、心理学的な側面から、人間の認識の布置結構を語った本なのである。 その意味で 「わかり」 やすくはあるし、面白くなくはないのだが、どこかエッセイ風で、専門家が書いた本ならではの切り込みを期待する向きには物足りない。

・田中優子 『張形と江戸をんな』(洋泉社新書y) 評価★★★ 性具である張形が江戸時代にどう使われていたかを、当時の浮世絵春画の図版を多数引用しながら考察した本。 単に男が女を責める場合の性具としてではなく、女の自慰道具としての張形を考えることで、女の性的欲望に迫ろうという試み。 単純なフェミニズムは、ポルノや春画を 「男性の欲望によって捉えられた女性像」 「ポルノに描かれているのは男の願望としての女に過ぎない」 とする。 これに対して著者は女としてそうした浅薄な理論を批判し、女性自身の視点で女の性を語ろうとしている、らしい。 この意図は、私の見るところ、まだ序説的な段階にとどまっているようだが、今後が大いに期待される。

・海野弘 『酒場の文化史――ドリンカーたちの華麗な足跡――』(TBSブリタニカ) 評価★★ 21年前の本を古本屋にて超安値で発掘。 サントリーの企画による本で、タイトル通り、英国とフランスを中心に酒場の歴史をたどった本である。 しかし記述がどことなく散漫で希薄であり、なおかつ変に細かいところにこだわったりするので、読んでもあまり充足感がない。 ちなみにこの著者の書いた本は、どれも同様の傾向があるように思う。

・綿矢りさ 『蹴りたい背中』(文芸春秋3月号) 評価★★☆ 同じく芥川賞受賞の小説。 テーマはある意味、伝統的で、「トニオ・クレーガー」 みたいなところもあるが、女の子の視点で奇妙な男子高校生の生態を描いているところが多少は新しいかも。 二人の奇妙な人間関係 (?) が、ヒロインの中学時代の友人との疎隔感と対比的に (かな?) 出来てくるところが、面白いと言えなくもない。

・金原ひとみ 『蛇にピアス』(文芸春秋3月号) 評価★★ 今回の芥川賞が若い女の子二人の同時受賞となったため、掲載誌の 『文芸春秋』 は空前の売れ行きだったそうである。 何を隠そう、私もその売り上げに貢献した一人である。 20年くらい前は芥川賞の出る 『文芸春秋』 は必ず買っていたものだけど、最近はそうでもなくなった。 で、今回は久々に買ってみたわけだが、金原のこの小説、どこがいいのかなあ。 風俗小説、という言葉が、改めて定義しなおすことなくそのまま当てはまる作品ではないかしらん。 別段風俗で悪いことはなく、むしろ小説ってのはどうしたって風俗小説たらざるを得ないわけだが、それが芥川賞を取るには何かもっと別のものが入りようなんじゃないのか、と首を傾げる私なのでした。

・三島由紀夫 『午後の曳航』(講談社) 評価★★★☆ 映画化されるなどして著名な三島の小説だが、私は今まで未読で、今回、何となく読んでみた。 母の再婚相手である船乗りに、彼が船乗りを辞めたという理由で殺意を抱く少年の物語である。 一読して強く感じたのは、三島の小説の根本的なモチーフやイメージは変わりがないということである。 海のイメージ、覗き、そして興信所の登場など、『豊饒の海』 と道具立てがそっくりなのには驚いてしまう。 一方、しかし、描写力のすごさには舌を巻く。 港の描写など、相当に入念であり、最近の若い作家でここまで描写力のある人がいるかしら、と心許なく思えてしまうくらいである。 少年の過激な観念を説得力あるものにするのは、実はこうした日常や風景の丹念な描出なのであって、同時代・同世代の 「常識」 に寄りかかった小説が三島に遠く及ばないのは無理からぬことだと納得した次第であった。 ちなみに私の読んだのは、昭和45年9月初版・同年10月第3刷発行の普及版で、この年の11月に三島が自決したことを想起すると、感無量である。 

・赤木昭夫 『ハリウッドはなぜ強いか』(ちくま新書) 評価★★★☆ 昨秋出た新書を、BOOKOFFにて半額で購入。 映画製作のメッカであるハリウッドについて分かりやすく解説した本である。 制作システムやアカデミー賞について要を得た説明がなされている。 が、私に一番面白かったのは、いわゆるグローバル化と映画との関わりを述べた部分であった。 現在、シネコンなどを通してハリウッドの映画が世界中に流通しているが、では他国の映画がアメリカで上映される機会が多いかというと、そうではないのだ。 アメリカ国内の配給などの関係から、他国の映画はなかなかアメリカに入り込めない仕組みになっており、そこにハリウッド独特の 「リメイク」 というシステムが作動する理由がある。 その意味で、アメリカは実は映画においてこそダブル・スタンダードの国なのであって、映画のグローバル化と称して一方的にアメリカ映画が他国に輸出されるのもそのためだ、という指摘は、非常に貴重だと思う。 ハリウッド映画とアメリカ以外の国の映画との流通力の差は、単に資本力や人材力だけの差によるのではないのである。

・瀧井敬子 『漱石が聴いたベートーヴェン 音楽に魅せられた文豪たち』(中公新書) 評価★★★ 明治時代の文豪が、クラシック音楽とどういう関わりを持ったかを扱った本である。 漱石を初め、鴎外、露伴、藤村、荷風などが取り上げられている。 よく調べたなとは思うが、正直言ってあまり面白みを感じなかった。 どことなく訓古学的というか、昔のことを細々調べてみました、という印象で、文学者が音楽に接したときの感激のようなものが、やや希薄なように思う。 とはいえ、これだけ調べるのにはかなり手間暇がかかったと思うので、値段分の価値はある。 中では藤村と荷風が、彼ら自身の音楽的造詣もあって、比較的に面白い。

3月  ↑

・田辺寿夫+根本敬 『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』(角川oneテーマ21) 評価★★★ ニュースでビルマの軍事政権がアウンサンスーチーを自宅に軟禁して・・・・というような報道が一時よくなされていた。 今も「軍事政権」とアウンサンスーチーの名は、ビルマを問題にする場合は必須と思われている。 しかし、ビルマがどういう歴史をたどって軍事政権になったのか、現在ビルマ人はどういう暮らしをしているのか、アウンサンスーチーとはどういう人でどういう思想の持ち主なのか、となると、私を含む普通の日本人にはよく分からないというのが実態だ。 こういう疑問に1冊で答えてくれるのがこの本である。 出たのは昨年5月だが、私はこの正月に船橋のBOOKOFFにて100円で購入した。 ビルマの歴史と現状、アウンサンスーチーの経歴と思想を扱った根本敬氏 (東京外大助教授) 執筆部分が特に優れている。 ジャーナリストの田辺氏は日本におけるビルマ人の生活と活動を取り上げているが、やや散漫な感じがした。

・渡辺淳 『二十世紀のフランス知識人』(集英社新書) 評価★★★ 1930年代以降のフランス知識人の様相を紹介した本。 20世紀フランス思想や文芸などの入門書としてそれなりに有用であろう。 ただ、著者は1922年生まれであり、戦後間もない頃、日本でサルトルなどがもてはやされた時代にフランス思想や文化を研究していた学者で、叙述は多方面への目配りがきいてはいるのだが、この年代の人なりの限界が感じられるし、多少きつい言い方をすると、所詮は紹介屋さんに過ぎないという印象が残る。 捕鯨問題についての言及にしても欧米の差別意識にはさっぱり目がいかず、ル・クレジオの作品にべったりだったりして、頼りない。 またレイモン・アロンに一言も言及がないのにはちょっと驚いた。 そういう限界は承知の上で、あくまでコンパクトな見取り図として利用すべき書物である。

・澤井繁男 『誰がこの国の英語をダメにしたか』(NHK生活人新書) 評価★★★ 著者は予備校と大学で教鞭をとる作家・翻訳家・イタリア研究家。 ここでは予備校での教育経験をもとに、日本の若者の英語力が目立って低下していること、高校の英語教師の英語力も怪しくなっていることなどを体験的に実証し、その原因は会話力を重視する最近の学校英語教育の傾向にあると述べている。 会話より読解力を重視せよという主張や、抽象的な文章を理解する力が弱くなっているという指摘、子供のうちから英語を教えなくてはとする最近の世論への批判は、おおむね同調できる。 ただ、文中の大学教師批判にはデータを挙げずに漠然とした印象批評を行っているところが目立つし、予備校を変に過大評価しているところも、ちょっと待ってよ、と言いたくなる。 話を英語力と英語教育にしぼって、もっとデータを沢山挙げてくれたら、名著の域に達していたと思うのだが。

・大澤武男 『ローマ教皇とナチス』(文春新書) 評価★★★★ ナチスがユダヤ人を虐殺していた時代、時のローマ教皇ピウス12世は沈黙を守っていた。 カトリックの頂点に立ち、キリスト教世界の良心であるべき教皇はなぜホロコーストを黙認したのか? その謎の解明に挑んだのが本書である。 著者は最初に当時のバチカン文書がまだ全面公開されていないので資料に制約があると断った上で、様々な視点からこの問題に取り組んでいる。 カトリック教会がそもそも反ユダヤ的体質を持っていたこと、ナチスドイツがソ連への反共的な防波堤になるのではないかと期待されていたこと、そして若い頃から秀才で通っていたピウス12世が他人の意見を好まない体質を持っていたこと、など。 ナチスの政権ができたとき、真っ先に承認したのが実はバチカン市国だった、という指摘もある。 何より、現場の下級・中級聖職者がナチスの暴行を目の当たりにして必死にそれを批判していたのに、最高位にある聖職者である教皇が現場の意見を無視し続けたという指摘には、現場とエリートの関係を典型的に示した事件だったのだ、と感慨を催させられる。 刺激的な本でお薦めである。

・小田中直樹 『歴史学ってなんだ?』(PHP新書) 評価★☆ タイトル通りの本だが、出来は芳しくない。 途中、従軍慰安婦問題に触れたところがあって、吉見義明と坂本多加雄と上野千鶴子の主張を比較して、伝統的な文献批判を基盤とした吉見の研究を擁護しているのだけれど、ここでの著者の態度は相当におかしい。 なぜならここで言及されている坂本の本は 『歴史教育を考える』 で、つまり歴史教育や教科書の記述がどうあるべきかを論じたものであって、専門的な歴史研究がどうあるべきかを論じた本ではないからだ。 教科書記述と専門研究の話がどういうわけかごっちゃにされているのだ。 また慰安婦問題については秦郁彦の研究が新潮社から出ているが無視しているし、またその秦に指摘されて吉見が、「従軍慰安婦の強制連行を昔やりました」 と告白した男が虚言症の主であることを認めざるを得なかったことは割りに有名な話なのに、その点にも全然ノータッチ。 要するに、今はその程度のいきさつは常識になっているのに、それに言及しないでこの話題がこなせるとカン違いしているイタイ人なのだね、著者――東大卒の東北大助教授で歴史経済学者だそうな――は。 その他の点でも、かなり内容的に薄く、教えられるところはほとんどなかった。

・金谷武洋 『英語にも主語はなかった――日本語文法から言語千年史へ』(講談社選書メチエ) 評価★★★☆ 著者はカナダの大学で教鞭をとる言語学者。 日本語は必ずしも主語を必要としない、というのは誰でも知っていることだが、英語にも昔は主語がなかったのだ、といわれると、「えっ、そうなの?」 と思うし、日本語には実は主語はそもそも存在しないのだ、と言われると、「だって、例えば 『オレはお前が好きだ』 って言ったら、『オレ』 が主語でしょ?」 と言いたくなる。 本書は、「主語」という、一見自明の文法概念が実は自明ではなく、日本語で一般に主語と思われているものが主語ではないこと、またヨーロッパ語も必ずしも主語を必要としないことを主張するとともに、近代ヨーロッパ語で主語が生成されてきた過程を分析した、きわめてラディカルで斬新な内容の本である。 最後にヨーロッパ古語の中動相 (形は受動相なのに意味は能動である動詞) の正体に切り込むあたりはかなり専門的な内容だが、一読に値する本だと思う。 ただ、難点もいくつかある。 途中にありきたりな反米論が入っていること、著者が以前に書いた類似本への言及が多すぎること、日本文法学界内の内輪話的な記述がかなり含まれていること、など。 

・市川力 『英語を子どもに教えるな』(中公新書ラクレ) 評価★★★☆ 国際化時代だから子供の頃から英語を教えておかないと・・・・・・というような言説がまかり通る現代日本。 はたして英語は子供の頃から教えないと身に付かないのか、子供の頃から英語を教えて逆に害がないのかどうか――本書はこの問いに正面切って答えたものである。 理想的なバイリンガルになるためにはそれ相応の環境 (親も含めて) とオカネが必要なのであり、中途半端に幼児期から英語を教えると日本語も英語も幼児語のまま終わってしまうセミリンガルになる恐れがある、というような側面も含めて、多方面からこの問題にアプローチしており、私個人としてはこの種の本を以前にも読んだことがあるので必ずしも目新しい知見ばかりではなかったが、そういう本を全然読んだことのない人や、子供に英語を教えないと時代に遅れてしまうのではとあせっている人にはお薦めできる本である。 最後に 「親が留意すべき10のポイント」 が箇条書きにされているのが実用的だし、文献案内があるのもいい。 また猪口邦子がアメリカの学校で受けた歴史教育での体験譚を批判的に扱っているのも、猪口とは比較にならない著者の見識の深さを示していて、悪くない。

・河原和枝 『子ども観の近代――『赤い鳥』 と 「童心」 の理想』(中公新書) 評価★★★☆ 6年前に出た新書であるが、買ったままツンドクになっていたものを、最近、授業での必要性からちょっと目を通した後、あらためて通読してみた。 大正時代に鈴木三重吉によって創刊された 『赤い鳥』 の提示した子供像が、いわばそれと対極にある講談社の 『少年倶楽部』 の提示する少年像とともに明らかにされている。 最初の明治時代については、柄谷行人が 『日本近代文学の起源』 で提唱した 「子供は発見された」 というテーゼに縛られてすぎていて見方がやや窮屈な感じもあるが、大正時代に入ると材料の豊富さもあって見方にゆとりと多様性が加わり、なかなか説得力のある議論が展開されている。 

・苅谷剛彦 『アメリカの大学・ニッポンの大学』(玉川大学出版部) 評価★★★★ ゆとり教育批判で有名になった苅谷氏が、まだ東大の専任講師になったばかりの頃、1992年に出版された本。 新潟大図書館から借りて読んだ。 アメリカの大学のTA(ティーチング・アシスタント)制度や、アメリカの大学で教えた体験が語られている。 TA制度は最近日本の大学にも導入されつつあるが、基盤の違う日米で同じ制度を導入しても効果があるかどうか分からないし、またアメリカのTA制度にもそれなりに弱点や批判はあるわけで、詳細な紹介は参考になるはず。 またアメリカの大学で日本の教育制度について教えた体験は、時期がまだバブルの余韻が残る頃だったから、日本経済が強いのは教育制度が優れているからだというアメリカ側の思い込みの強さが、今から見ると今昔の感がある。 その他、アメリカの大学での学生の学力格差や、シラバスと授業評価との関係などが、たいへん分かりやすい文章で述べられている。

・松崎キミ代 『世界を舞台に――卓球やらせて!第二部』(卓球レポート) 評価★★★ 下↓で読んだ第1部がそれなりに面白かったので、第2部は新本で購入して読んでみた。 著者が2度に渡る世界選手権で優勝する過程が語られている。 最初は大学在学中で練習量も豊富だったからよかったが、2回目は証券会社勤務の社会人となっており、練習量が激減したなかでの世界選手権参加なのでかなり大変だったようだ。 中国での世界選手権で周恩来総理と話をした体験も出てくるが、これを読むと卓球を手段として新生中国を国際社会に売り出すとともに、スポーツを外交の一手段として用いようという周恩来の意図が読みとれて (著者はあんまりそういう側面に気づいていないみたいだが) 面白い。 なお、世界選手権に参加するに当たっては、当時の日本は貧しくそれなりの個人的な負担もあったはずだけれど、その方面に筆が及んでいないのは残念。 また、著者は定期的に高熱を出す体質で、世界選手権時もそれでかなり苦労したようだが、引退後結婚してからやはり高熱に襲われて寝込んだため、夫が医者を呼んで診てもらったところ、病名が判明して、やがて根治したのだそうな。 言い換えればそれ以前に診てもらった医者はヤブだった、ということになる。 名医にかかることがいかに大切かが分かりますね。 なお、この本は卓球メーカーが出しているので、普通の書店では (注文しても) 入手できない。 読みたい方は、近くの卓球専門店に依頼するか (新潟市内のかたはここへ)、メーカーに直接注文して (→こちらへ) いただきたい。

2月  ↑

・松崎キミ代 『卓球やらせて!』(卓球レポート) 評価★★★ 1950年代から60年代にかけて、日本の卓球は世界に冠たる位置にあった。 その時代、2度に渡って女子の世界チャンピオンになった松崎キミ代さんの自伝第一部である。 出たのは19年も前で、ワタシは最近青森の古本屋にカタログで見て注文し、400円で入手したのだが、送られてきた本を見ると、表紙見返しに 「この一球 松崎キミ代」 と、著者のサインが入っているではないか。 こりゃいい買物だったわいと、思わずニンマリしてしまった。 さて、ここでは著者の幼少時代の思い出から始まって、中学に入って卓球部に入部し、高校時代はインターハイで上位入賞し、渋る父を説得して専修大に進み、大学2年で日本チャンピオンになるまでの体験が語られている。 インターハイで四国 (著者は香川県出身) から札幌に行く時には米持参だったというあたりは時代 (1950年代半ば) を感じさせる。 その他、色々面白いところがあるが、ワタシとしては一つだけ異議を唱えたい箇所がある。 高校時代、一緒に卓球部に属していた男の子から卒業間際にラブレターをもらったという事件があって、著者はそこで 「この手紙を見た瞬間、なんだ、今までのこと 〔一緒に練習に励んだこと〕 は純粋に仲間としての友情からではなかったのか、そういう下心があったのか、とがっかりしたのである」 と書いているのですが、松崎さん、そりゃ違うでしょう! その少年は友情から一緒に練習に励んでいるうちにあなたのことを好きになったので、その気持ちをあなたに知ってもらいたかったんですよ! あなたが彼に友情以上の気持ちを覚えなかったのは仕方がないけど、相手の気持ちを 「下心」 で片づけたのではいくら何でもその少年が可哀想です。 高校3年になってそのくらいのことが分からなかったすると、やはりあなたは卓球以外のことはまるで何も知らない鈍感少女でしかなかった、ということになるのですね。 ま、そのくらいじゃないと日本チャンピオンにはなれないのかも知れませんが・・・・・。 

・中堂清志 『モーツァルト余白』(六興出版) 評価★★★☆ 1990年に出た本を船橋の古本屋で定価の6分の1以下の300円にて購入。 底に印はなかったが、もしかするとゾッキ本かも。 著者は、私は知らなかったが、1929年生まれで、雑誌などに記事を書いていた人らしい。 この本は言うならば小林秀雄を嚆矢とする日本的モーツァルティアンによる音楽論である。 中心をなすのは無論モーツァルトであるが、私としては近年発見されたモーツァルトの肖像画の真贋をめぐる議論や、映画・演劇の 「アマデウス」 以来広まったスカトロ趣味のモーツァルトというイメージに抗して、そうした側面は広く同時代人や同地域人に見られるとする指摘が興味深かった。 そのほか、ハイドン論や河上徹太郎論も面白いが、日本的なモーツァルティアンの限界でベートーヴェンを論じたところはまるで精彩を欠いているのが玉に瑕か。

・魚住絹代 『女子少年院』(角川oneテーマ21) 評価★★★☆ 女子用の少年院に勤務していた著者による本。 非行少女がいかなる経緯から犯罪を犯すのか、どのように更生への道を歩むのか、また現代日本の少年院制度がどうなっておりどういう問題をかかえているのかが分かりやすく語られている。 女子の場合、男子に比べると非行に走る未成年者の数は少ないが、女子独自の非行背景などもあり、今の日本の未成年者たちがおかれている環境について改めて考えさせられる。

・岩木秀夫 『ゆとり教育から個性浪費社会へ』(ちくま新書) 評価★★★★☆ いわゆる 「ゆとり教育」 が世論により厳しい批判を浴び、文科省も路線変更を余儀なくされたことは周知のとおりだが、この本は 「ゆとり教育」 や学力低下論争の経過や構図を要領よくまとめるとともに、「ゆとり教育」 なるものが提唱されるに至った背景を教育学以外の視点から指摘・分析した注目すべき試みである。 すなわち、レーガン、サッチャー、中曽根康弘らのいわゆる新保守主義政権が登場した80年代の政治的方向性と教育改革との関連が重要だという。 新保守主義は結果の平等を批判し、機会の平等を打ち出すことで一方では小さな政府を目指したが、英米では貿易戦争に対する競争力を高めるために学力向上路線が並行してとられていた。 ところが日本では貿易不均衡を海外から批判されたために、国際競争力を弱めるために学力低下誘導策が画策され、それが文科省の 「ゆとり教育」 となって表れたという。 また、米国で新保守主義派のイデオローグとして活躍したライシュの主張の分析や、日本におけるポストモダニズム=サブカルチュアと学力低下誘導策との関連についても記述がなされており、この方面に興味のある人には必読書と言えよう。

・呉智英 『現代人の論語』(文芸春秋) 評価★★★☆ 有名ではあるが、国語の教科書に採用されたもの以外は知らないという人が大半であろう――私もそうである――『論語』 を解説した本。 孔子やその弟子たちの意外な側面が分かりやすく説明されており、知られざる古典へのアプローチを容易にしてくれる。 特に最後のあたりは、世界の不条理とこの世界最古の思想家との相克が浮かび上がってきて、読み応えがある。

・斉藤哲也(編) 『使える新書――教養インストール編』(WAVE出版) 評価★★☆ 現代は新書の時代である。 やたらめったら新書が出るので、何をどう選んでいいのか迷ってしまう。 というわけでこのような道案内のブックガイドが作られた。 もっとも、類書は以前にも出ているけど。 5人の選者がテーマ別に推薦新書を挙げて簡単に紹介している。 私としては、350ページ、1000円という分量と値段の割りには教えられるところが少なかったというのが率直な感想である。 もっとも理系のテーマを取り上げた部分は、ふだんあまり読まない分野のせいか比較的面白かった。 文系はそれに比べるとどうしても批判的に読んでしまい、選者の眼識に 「?」 マークを付けるところも間々ありました。  

・P・ウッドリング/米盛裕二ほか訳 『アメリカの大学――巨大化の苦悩』(東大出版会) 評価★★★ 30年前に出た本を昨秋仙台の古本屋で600円にて購入。 たまたま今やっている演習のテーマと合致していたので、授業で取り上げて読んでみた。 大衆化の著しいアメリカの大学について問題点をまとめて論じた本。 昨年末に読んだ 『人文科学に何が起きたか』 と同じくアメリカの高等教育を扱った翻訳物だが、ウッドリングのこの本の方がはるかに読みやすいのは著者のせいか、翻訳者のせいか。 30年前の本だから数字的には古びているところもあるが、教養教育と専門教育の相克など、本質的な問題点に関しては意外に変わっていないと思った。

・小林章夫 『パブ――大英帝国の社交場』(講談社現代新書) 評価★★★ 11年前の新書を船橋の古本屋にて100円で購入。 英国にはパブという、酒場とも食堂ともつかない形態の店があるが、その歴史と実態を描いた本。 パブの中には新規開店して数十年間一度も清掃をしたことがないところがあるなど、日英の根本的な相違も分かって面白い。 合わせて、インとホテルの違いをはじめとして、英国の飲食物店・宿屋の歴史にも触れている。 そうした方面のことを手軽に知るには悪くない本だ。 巻末には文献案内もある。 

・鮎川潤 『少年犯罪――ほんとうに多発化・凶悪化しているのか』(平凡社新書) 評価★★☆ 2年半前に出た新書を船橋の古本屋にて100円で購入。 少年犯罪の凶悪化ということが言われるが、本当にそうなのか、かりに本当だとしても昔の少年犯罪と今のそれとはどこがどう異なってきているのか、という素朴な疑問に答えてくれる本なのかと思ったが、その点ではやや期待はずれである。 私は、小浜逸郎などの言説から、少年犯罪は戦後間もない頃より減っていると思っていたのだが、実際はそうでもなく、少年の人口比で言うとやや増えてきているという。 ただし、検挙率だとか、どこからどこまでを犯罪と見なすかの幅に時代ごとの差があるので、実際に少年犯罪が増えているかどうかは微妙なところらしい。 また、中流家庭の少年犯罪が増えているというような説にしても、そもそも日本で中流家庭の数自体が増えているわけで、また学者の「中流家庭少年の犯罪が増加する」という予測的な見解から、警察の取り締まりがそちらに向けられるなどの、予測が現実を作り出すといった側面もあるようだ。 というわけで、少年犯罪の実態と統計の取り方との関係には色々問題があることは分かるのだが、それを越えてもう少し時代による少年犯罪の相貌をはっきり浮かび上がらせてほしかったのである。

・許光俊+鈴木淳史 『クラシックCD名盤バトル』(洋泉社新書y) 評価★★☆ 1年半前の新書を船橋のBOOKOFFにて半額で購入。 二人の若い音楽評論家(なのかな?)がクラシックの名曲について名盤を選ぶという趣向だが、著者の名前からも或る程度推測が付くように、ムカシ流のフルヴェンだとかトスカニーニだとか、或いはカラヤンだとかベームだとかバーンスタインなどはあまり(全然ではない)選ばれていない。 チャルビダッケとヴァントを神と仰ぐ新世代(なのかな?)の感性に基づく選択だし、また文章もマジメなのか不真面目なのかよく分からないところがミソか。 だけどハイドンとシューマンから1曲も選ばず、ブルックナーとマーラーから5曲ずつ、というあたりに時代的な限界がはっきり出ちゃっているんじゃないか、とも思いますけど。

・鈴木雅明+加藤浩子 『バッハからの贈りもの』(春秋社) 評価★★★ 1年半前に出た本を昨秋に東京の古本屋で3,5割引にて購入。 バッハ・コレギウム・ジャパンの指揮者として、またバッハ研究者として世界的にも評価されている東京芸大助教授・鈴木雅明氏に、音楽評論家で文筆家の加藤浩子さんがインタビューしてできた本である。 しかし内容は結構専門性が高いので、特に楽曲分析のところなどワタシなどにはよく分からない箇所が多々あった。 しかし一方、バッハの書いた楽譜が現代の記譜法で再現されることの限界や、当時使われた楽器がいまだによく分かっていないこと、またバッハやシュッツの頃のドイツ音楽は非常に特殊で、同時代やその前後のイタリアやフランスの歌う音楽に比して演奏しにくいこと、など、なるほどと思え、勉強になるところも多かった。

1月  ↑

 

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