【教育】

 

安岡高志/滝本喬/三田誠広/香取草之助/生駒俊明『授業を変えれば大学は変わる』(プレジデント社)1800円

       →PHPの書評サイト「BOOK chase」に掲載。読みたい方はここをクリック。(99年11月)

 

喜入克『高校が崩壊する』(草思社)1500円

       →PHPの書評サイト「BOOK chase」に掲載。読みたい方はここをクリック。(2000年1月)

 

C.J.サイクス『大学教授調書』(化学同人)2800円
  

  外国事情というのは、何によらず全体像をつかむのが難しい。

 アメリカの大学というと、日本の大学と違って入ったら猛烈に勉強させられるとか、教授が研究教育に熱心に取り組んでいるとか言われるが、その実態はどうか? これはアメリカの大学教授の実態を告発した本である。

 ある大学で86年に調べてみたら、全教授のうち実際に授業を担当している者は三分の二以下だった。この中にはいわゆるサバティカル(有給休暇)をとっている者もいるが、それ以外に管理職や研究プロジェクトに参加しているという理由による者も多数入っているという。こうしたアメリカの大学のあり方は日本の学者から見習うべきとされることがある(例えば、天野郁夫『大学に教育革命を』)が、実はアメリカの一般社会からはかなり批判的に見られていることが分かる。

 また、いわゆるティーチング・アシスタント(TA)制度が相当問題をはらんでいることも指摘されている。この制度は最近日本でも(新潟大でも)一部導入されているが、大学院生がTAとしてわずかなアルバイト料で酷使されたり、教養教育を押しつけられたり、また一般学生がTAばかりに受け持たれて教授に接触できないという事態が起こったりしているという。そもそも大学院生も自分の勉強や論文書きに忙しいわけで、研究・教育の専門家として給料をもらっている教授がきちんと学生を受け持たないのでは怠慢と言われても仕方がないのである。

 また、アメリカの大学生の学力のなさも唖然とするほどだ。あの有名なハーバード大学の某4年生は、歴史学の授業で第一次世界大戦についての知識を得て、「なぜ第二次世界大戦と言われるのか今までずっと不思議に思っていた」と述懐したと言う。つまりそれまでは第一次があったことを知らなかったというわけ。他の有名大学の調査でも、マニラがフィリピンの都市だと知っている学生が27%だとか、地理学の授業を受けた学生の4分の1はソ連の位置を知らなかったとか、信じられないような話が出てくる。

 加えて、この本を読むと、アメリカの大学の終身在職権(テニュア)が、それを持つ教授が持たない助教授・講師等を支配しこきつかうための道具になっている現状がよく分かるのだ。

 とにもかくにも、日本の大学に劣らずアメリカの大学も問題だらけだと認識させられる貴重な文献だ。

                                           (『ほんのこべや』用に執筆するも掲載にいたらず。2000年1月ここに初出)

 

エンリック・ハンク・ロペス『ハーバードの神話』(TBSブリタニカ)

 問題: 次の( )内に適切な言葉を入れなさい。

 「(A)大学の中で、疑いもなく最も名声が高く、しかも悪名も高い(B)学部は、この(C)という国の法律・政治・経済にはかりしれないほどの影響を与えてきた。」

  答は、(A)ハーバード、(B)法、(C)アメリカ、である。きみは全問正解したかな。えっ、日本のことかと思って解答した? うーん、そう言われてみると、どこの国でも事情は似通っているということになるか……。

 実はこの文章、『ハーバードの神話』という本の中の一節なのだ。もっとも、「法学部」は、正しくはロー・スクールだけれど。

 これは、アメリカに幾つもある名門大学の中でもとりわけ名高いハーバード大学について、様々な角度から光を当てた本なんだ。旧ソ連から亡命した有名作家ソルジェニーツィンは最初どこから講演の招待を受けても断っていたが、ハーバード大から要請があった時だけは受け入れた。その理由を訊かれた彼は、「ハーバードはハーバードだから」と答えたそうな。

 ニューディールで著名なフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領もここの出身だが、父も祖父も曾祖父もそうだった。こういう人を「原ハーバード人」といって、貧しい生まれから努力して入学した秀才の「新ハーバード人」とは区別するとか。また学部・大学院ともこの大学に学んだ人間は、大学院だけここで学んだ人間より自信のありそうな様子をしているとか、……なんだかこれも日本にありそうな話だね。

 ま、要するに人間性なんてのはどこでも変わらないということを確認するだけに終わるかも知れないけど、ハーバードという名前に妙な幻想を抱かないためにも一読をお勧めする。出て15年以上たっているけど、さほど古さを感じさせない内容だ。新本は残念ながら品切れで入手できないが、新潟大の図書館にあるから借りて読めばいい。私はたまたま古本屋で買って読んだのだけれど。

                                          (『ほんのこべや』用に執筆するも掲載にいたらず。2000年1月ここに初出) 

 

(A)中野三敏『読切講談・大学改革』(岩波書店)
(B)岡本浩一『大学改革私論』(新曜社)

  大学改革論で目についた本を二冊紹介しよう。

 (A)は岩波ブックレットの一冊として刊行された小冊子で、副題は「文系基礎学の運命や如何に」。著者は、九州大学文学部国文科教授の立場から、最近の「大学改革」で人文科学系の基礎学問がますますないがしろにされつつあることを危機感をもって訴えている。

 文系基礎学が蓄積・古典の継承の学問であることを忘れ、文部省や大蔵省の姿勢におもねって、人間・国際・環境・文化・情報といった名前を冠したわけの分からない学科や講座を次々と量産する「文部省通」の大学人を痛烈に批判している。こういう筋の通ったことを言う人間を最近人文系の大学人に余り見かけないせいか、久しぶりにまともな議論を聞いたという気がした。昔やたらと勇ましかった全共闘世代(現在の大学内に多数いる)が現在文部省路線に迎合しているという見方も、私と共通である。

 また予算不足も、今に始まったことではないが、改めて指摘されてみるとまったくそのとおりだと言いたくなる。九州大学文学部の国語学国文学二講座の年間研究費は266万円。これに対して、アメリカの州立カリフォルニア大バークレー校の英語英文学(日本なら国語学国文学に相当するわけですね)関係年間図書購入費は、5287万円だという。ざっと20倍もの開きがある。大学内部での予算の割り振り方などが不明なので単純な比較はできないが、日米の文化的意識の差は明瞭であろう。日本てやっぱり「経済」(だけの)大国なのですね。

 ちなみに上の数字を調べたのは元九州大教官のアメリカ人であるが、彼は専門である日本文学関係の図書を自前で年間200万円ほど買うそうである。年間の自前図書購入費が100万円に満たない私は、深く恥じいらざるを得ない。

 ただ一つだけ異論を唱えておくと、国が基礎的な学問にちゃんとカネを出すべきだというのは正論だけれど、日本の大学もそろそろアメリカのように学長などが民間からカネを集めて回ることを考えた方がいいと私は思う。資金源を国だけに頼らないという行き方が、文部省や大蔵省のいいなりにならずにすむ方策でもあるのではないか。

 なお巻末の文献リストには、『文芸春秋』や『正論』といった、岩波とは反対の陣営にあると目されている雑誌の論考も挙げられており、この問題がイデオロギーの相違を越えた(もっとも、旧来の学問の枠を唾棄するような言説こそが最近のイデオロギーだと私は思っているが)広がりを持つものであることを暗に示している。

 (B)は日本の大学の問題点をおカネを中心に論じたもの。アメリカのように研究助成金に定率加算金システムを導入せよという主張がメインになっている。聞き慣れない名前だが、詳細は本を読んでいただくとして、これこそが(任期制や学生の授業評価ではなく)日本の大学を活性化させる鍵だという。

  また日本の大学生や大学教師に耳の痛い発言もある。アメリカの大学では、学生の授業評価で「もっと宿題を出して欲しかった」という声が出ることが珍しくないが、日本の大学でそういうことがあり得るか? 日本の文科系大学では、そもそも学生は自分がものを知らないということを実感していないし、そうした日本の大学の土壌が一部の研究者の土壌ともなっている、という。最近、大学は研究だけでなく教育を重視すべきだとの声が一部にあるが、アメリカと比較して日本の大学は従来から教育重視型であったし今もそうだ(別の言い方をすれば、研究がお粗末)という指摘も貴重であろう。

 巷の大学改革論に俗論がはびこっている中で、英米の大学の実状に詳しい著者のまっとうな大学論は非常に有益と言えよう。

                               (新潟大学生協発行・書評誌『ほんのこべや』第15号〔98年秋〕掲載。ここには99年11月転載)

樋口裕一『予備校はなぜおもしろい』(日本エディタースクール出版部)

 著者は、某有名予備校で小論文を担当する人気講師。また大学でフランス語を教える非常勤講師でもある。本書は、予備校という場所の内実を体験に基づいて紹介したもの。小論文を教えているだけあって文章が要を得ていて読みやすく、一気呵成に読了できる。

 予備校というと、ひと昔前はいわゆる全共闘世代が教師になっていて、エステブリッシュメントとしての大学の学問に妙な対抗意識を抱き、予備校にこそ真の知があると唱えたりしていた。私など幸か不幸か予備校体験はないものの、雑誌等でそういう言説に出会うとよく言うよと思ったものだが、この著者はそんな肩肘はった姿勢がなく叙述にすんなり入っていける。

 予備校の面白さや優れているところを宣伝すると同時に、その欠陥や限界に触れることも忘れない。予備校と大学双方で教えている著者ならではであろう。

 例えば、予備校では常時生徒にアンケートを実施し、人気講師には高給(年収が億に達する人もいるとか)を出す一方で不人気講師はクビにするという厳しい実力主義の営業をしているが、生徒のアンケートは必ずしもアテにならないとして、「特に、成績の悪い生徒は、科目の教え方の善し悪しや学識よりも、表面的な面白さを重視してしまう。しっかり地味に教える講師より、はったりをかませて、いかにも実績のありそうなことを言う講師の方が評判がいい」という箇所など、私もうなずきながら読んだ。

 そして、予備校と大学は別物だとして、予備校のような「面白い」授業を大学に求める学生を批判し、予備校で教わる知は学問のほんの入り口に過ぎないと指摘する箇所や、現在問題になっている大学教員の任期制が予備校をモデルにしたものであり(「大学が予備校化し、日本文化全体が予備校化している」と著者は言う)、学問の場たる大学と一種のエンターテインメント企業である予備校の違いをわきまえないものだとするところは、学生ばかりでなく、一部の浮ついた教師にも参考になりそうだ。

                              (新潟大学生協発行・書評誌『ほんのこべや』第13号〔97年秋〕掲載。ここには99年11月転載)                   

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