レイ・コールマン(著)『カレン・カーペンター 栄光と悲劇の物語』(ベネッセ) 2400円

 

 最近カーペンターズがリバイバルではやっているらしい。学生諸君の年代からすると新発見ということだろうが、私にとってはなつかしい名前だ。

 日本でこのグループが広く愛好されるようになったのは71年に「スーパースター」が大ヒットしてからで、ちょうどその頃私は大学に入ったばかりだったからである。以後の数々のヒット曲を私はリアルタイムで聴いた。70年代、カーペンターズは日本で最も愛される音楽グループの一つだったと言っていいだろう。

 そして、80年代に入ってカレン・カーペンターの結婚と離婚、拒食症による死が報じられた時、私(たち)は大きな衝撃を受けた。あのさわやかで健康そうなイメージの裏で彼女はどんな生き方をしていたのか。

 そのカーペンターズの伝記が95年に出た。詳しくは現物を読んでもらえば分かるので内容は省略するが、音楽的なイメージとしてのカーぺンター兄妹とその実像との相克を(懸隔を、ではない)私は巻をおくあたわざる思いで読んだ。

 結局、兄妹はいたましい犠牲者だったのだと思う。彼らの音楽的イメージが虚像だったというのではない。ごく普通の音楽好きの人間が市場に足を踏み入れスターとなった瞬間、普通の健全さを保つのにどれほどの犠牲が払われねばならないかの例がここにあるのだ。

 振り返ってみると、二人が世に出たのはビートルズに代表される「世界へのいらだち」の音楽が一段落した後であった。当時からカーペンターズに対してあった「いい子ちゃん」という批判は、60年代の音楽シーンの残滓だったのである。学生時代の私はそういう批判に何となく反発を感じながらも、それを言葉に直すことができないでいた。

 今なら簡単に言うことができる。本来「普通の音楽好きの不良」だったはずのビートルズの一員が、三流魔女にたぶらかされて「愛と平和の使徒」に成り下がってしまった時、60年代の音楽シーンが「反体制ぶりっ子」だったことが明白になったのであり、そうした中で大仰な言葉遣いや身ぶりを廃して普通の歌を歌おうとするカーペンターズの音楽は自然に世に受け入れられたのだ、と。

 もとより「普通であること」も一つのイデオロギーではあるが、マスコミが発達した現代では実は最も維持困難なのがこのイデオロギーなのである。

 「スーパースター」はいわゆる「おっかけ」を歌った歌だが、カレンが「もう一度あなたと寝たくてたまらない」という原詞を歌えないと言って「もう一度あなたと会いたくてたまらない」と直させたのは有名な話だ。彼女はそうやって普通の自分を頑固に守り、そして死んでしまったのだと思う。

 末期ジョン・レノンの悪しき影響か、環境問題などへのアピールによって自分のイメージを高めようとするお粗末なアーチストが後をたたない現在、カーペンターズのあり方は改めて一考に値するものを含んでいる。

                                            (新潟大学生協発行・書評誌『ほんのこべや』第11号〔1996年秋〕掲載)

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