音楽雑記2003年(その1)

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10月31日(金) 敬和の3限の非常勤を済ませた後、西大畑の法務局に行って、ようやく抵当権抹消の確認をする (10月17日の記述を参照)。 それにしても、書類をもらうのに2千円もかかるとは、ちと高いんじゃありませんか、法務局どの。

10月29日(水) 午後、医学生のD氏が研究室に来る。 ボロディンのピアノ五重奏曲などを入れたCD−ROMを持ってきてくれたのはありがたいが、相変わらず臭い。 口臭か体臭か知らないが、何とかしないと将来患者が寄りつかなくなるんじゃないかいな。

10月25日(土) 午後6時半から、加茂市の加茂文化会館にて、東京フィルハーモニー交響楽団演奏会を聴く。 指揮は小泉和裕、ヴァイオリン独奏は相川麻里子で、ロッシーニ 「アルジェのイタリア女」 序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、ベートーヴェンの交響曲第6番 「田園」。 アンコールはシューベルトの 「ロザムンデ」。

 相川さんの演奏は、2000年の2月に東京はカザルスホールでのリサイタルを聴いたことがある。 協奏曲は初めてで、どんな演奏を聴かせてくれるか楽しみであった。 第3楽章の初めのあたりで楽譜を忘れて音も乱れるというミスがあったが、あとは無難に弾いていた。 ただ、3年前にも感じたのだが、この人の音は艶やかだけれど、芯が欠けていて空虚に聞こえることがある。 この日もそういう音で、しかし四六時中そうなのではなく、第一楽章のカデンツァの後などはいい音を出していた。 いつもああいう音が出ると文句なしに第一級のヴァイオリニストだと言えるのだが。

 田園交響曲は、小泉和裕の意図がよく出ていて、第2楽章がとてもリズミカルで面白く、第5楽章も盛り上がってうまく締めくくっていた。 小泉は、むかし学生オケに客演したのを聴いて以来、しばらくぶりだが、スリムな体型は変わらず(羨ましい?)。 シャープな指揮ぶりもそのままだと思った。

 観客は、クラシックの演奏会にふだんは足を運ばないような人が多かったようで、それはまあいいのだが、演奏中におしゃべりをしたり、子供が館内を走りまわったりというような露骨なマナー違反はよろしくないから、あらかじめアナウンスなどで注意しておいた方がベターかも。 こういう小都市に東京のプロ・オケが来るのは啓蒙的な目的もあるだろうから、或る程度の乱れ(?)は覚悟の上だとは思うけれども。 

 座席はS席で、15列27番。

10月24日(金) 午後7時から、りゅーとぴあコンサートホールにてジュゼッペ・サッバティーニ・テノールリサイタルを聴く。 ピアノはマルコ・ボエーミ。 

 プログラムは、ヘンデル: オペラ 『クセルクセス』 から 「懐かしい木陰 (オンブラマイフ)」、グルック: オペラ 『オルフェオとエウリディーチェ』 から 「エウリディーチェを失って」、ドニゼッティ: 『愛の妙薬』 から 「人知れぬ涙」、プッチーニ: 歌曲 「太陽と愛」 「あの偽りの約束」、R・シュトラウス: 歌曲 「あすの朝」 「子守唄」、プッチーニ: 『トスカ』 から 「星は光りぬ」、トスティ: 歌曲 「最後の歌」 「もう君を愛さない」 「マレ・キアーレ」、ファウヴォ: 「君に告げてよ」、カルティッロ: 「カタリ・カタリ」、デ・クルティス: 「帰れソレントへ」。 アンコールは、レハール: 喜歌劇 『微笑の国』 から 「君こそわが心」、トスティ: 「可愛い口もと」、R・シュトラウス: 「献呈」、カプア: 「オーソレミヨ」。

 押し出しのいいサッバティーニだけあって、女性ファンが多く、花束を舞台に届ける人の姿も目立った。 出来は、まあまあという印象。 「人知れぬ涙」 などはさすがと思わせたが、R・シュトラウスの歌曲などドイツ語の歌になると、何となくイタリア人が歌っているという感覚が先立って、あまり味が出ない。 歌手は適材適所なのだと改めて痛感した。 観客はノって、最後は総立ちとなった。 座席はA席で、Dブロック2列24番。

10月19日(日) ホテルを9時過ぎに出る。 NHK近くの大沼花屋で花を買って北山霊園に行く。

 本日も午前中は学会があるのだが、さほど面白そうな発表もなく、また新潟には午後5時までに着かなくてはならないので、早々と仙台を後にする。 来たときは高速を使い郡山経由だったが、これはI氏と会う約束をしていたからで、私は新潟―仙台間では山形を経由するのが普通である。 途中の景色も高速を使うよりはるかに良好だし、高速料金がかからないから――途中の笹谷トンネル部分だけは高速を使わざるを得ないが――節約にもなる。

 というわけで、帰路は山形経由とした。 ところが、途中山形市を過ぎかけたあたりでどういうわけか道を間違え、本来は国道13号線を南下して、南陽市のあたりで日本海に抜ける国道113号線に入るはずだったのだが、山形市で別の国道348号線に入ってしまった。

 しかし道路地図を見ると、348号線を行っても途中で113号線と合流するので、ままよとばかりそのまま走行した。 豪雨の際は通行止めになります、という掲示が出ているローカルな国道だが、それなりに走っていて面白い。 といっても、現代日本は地方でも道路は整備されデラックスな施設ができたりしているので、驚くような町並みにお目にかかることは、まずない。

 また、道を間違えたせいで山形市内で 「古本」 とでっかく看板の出た店を発見、寄ってみた。 ところが内部は広いものの、古本と言ってもマンガと写真集しかない。 あとはCDやゲームソフト、「お宝」 とか称する細々した雑貨だけである。 CDにはクラシックも少しだけあったので、グールドの弾いたモーツァルト・ピアノソナタ集を買う。 私はグールドは必ずしも好きではないが、彼がモーツァルトをどう弾いているか、ちょっと興味をそそられたので。

 というわけで、途中道を間違えはしたものの、無事5時前に新潟に着く。

 5時から新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ) で東京交響楽団第23回新潟定期演奏会があるのである。 井上道義指揮でマーラーの交響曲第2番「復活」。 ソプラノが佐藤しのぶ、メゾ・ソプラノがエルザ・モールス、合唱はにいがた東響コーラス。 合唱指揮は郡司博と宇野徹哉。

 井上のマーラーは面白い。 意図するところが非常に明確で分かりやすい。 しかし、それが実現されるためには、2倍の数の演奏者、それも全員卓越した技倆を持つ人たちでなければ無理ではないか、という気がする。

 第一楽章のゆっくりしたテンポも、それによってとてつもないスケールの大きさに昇華したはずだったろう、と目覚めた後に夢を思い出そうとするかのごとき感想を抱いた。

10月18日(土) 昨夜は酔っぱらってホテルに戻りすぐに寝てしまったので、朝湯を使ってから朝食をとる。 ここのホテルはバイキングだが、結構充実している。 スモークサーモンがうまい。 やっぱり、この朝食が付いて一泊5600円は安いと思う。

 10時頃ホテルを出たが、学会は午前中は面白そうな発表がないので、街をぶらぶらする。 最初、私が学部学生時代に住んでいた宮町5丁目付近を散歩する。 それからバスに乗って学会会場の東北大に向かうつもりだったが――なんと、バス路線が以前と変わってしまっていて、大学に直通するバスがないのである。

 むかしは、東仙台始発で北六番町を通り、東北大のすぐそばを走ってまた東仙台に戻る澱循環線という路線があった。 東北大生だけでなく、東北大のすぐそばの仙台二高や宮城一女高、仙台商高に通う生徒がたくさん利用していたものだ。 その貴重なバスが、バス停の時刻表を見ると、平日は朝と夕方に2、3本だけ、土日は全然ないのである。 どうなっておるのだ、おい?

 仕方がないので、仙台駅前行きに乗り (これしかないんだもん、仕方ないですね)、街なかで降り、仙台市の繁華街・一番町をぶらぶらする。 ところが、この繁華街にむかしあったT書店とA書店がなくなっているのである。 世の中、書物ばなれが進んでいるのだろうか。 そういえば新潟の繁華街・古町だって、私が赴任した頃と比べると充実した本屋が少なくなっている。

 一番町から、東北大の昔のキャンパスのあった片平丁(現在は本部と各種研究所だけ)の方に下って、東北大片平キャンパス北門前の古本屋をのぞく。 むかしは4軒並んでいたのだが、今は3軒である。

 その、最も一番町寄りの店に入って、棚から3冊抜き出してカウンターに持っていったら、見覚えのあるおばあさんが出てきた。 たしか、私が学生時代にも店番をしていた人である。 あの頃すでにおばあさんだった。 私が仙台を離れてから23年たつ。 おばあさんがさらにおばあさん化するのには十分な年月だ。 髪は真っ白、腰は曲がって、いかにもやっとという感じでカウンターに出てきた姿は、おそらく90歳を越えているのではないかと思われた。

 おばあさんは、3冊分の金額の合計が暗算でできず、そろばんを取り出して駒をはじき、 「1150円」 と言った。 まさか、である。 私の差し出した本に付いている値段は、300円、650円、700円だから、合計は1650円のはず。

 私はいい加減な人間だから、普通ならこういう場合そしらぬ顔で1150円を払って店を出るのだが、この時はさすがに良心がそれを許さなかった。 それで、正確な合計金額を教えてあげたのである。

 このおばあさんには多少の恩義もある。 学部学生時代、だからもう30年も前だが、この店でBaedekerのドイツ地図を見つけたことがあるのだ。 それも20世紀初頭、第一次大戦が始まる少し前に出版された貴重なやつだ。 ところが手にとってみると値段がどこにも書いていない。

 こちらは学生の身分だから、言うまでもなく財布の中にはさほどお金は入っていない。 オイルショックで物価がいちどきに上がった頃だったが、それでも物価水準は低く、多分貨幣価値は今の倍くらいだったと思う。 つまり学生の一月の生活費はアパート代を入れて5〜6万円程度。

 私は内心で懐具合と相談して方針を決めた。 500円以内なら買う。 それを越えていたらあきらめる。 なるべくさりげない顔つきをしようと努力しながら、本をおばあさんに差し出して 「値段が書いてないんだけど、いくらですか?」 と訊いた。

 おばあさんは本のページをちょっとめくって、表紙を改めて見つめた。 古びた地図がはさんであり、さっぱり分からない外国語で書かれた、全然役立ちそうもないちっぽけでお粗末な本、としかおばあさんには見えなかったのだろう。 「50円」 と答えてくれた。 私が即買ったのは言うまでもない。

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 青葉通り一番町からバスに乗って、今度こそ本当に東北大に向かう。 なぜかバス料金が180円である。 午前中、宮町5丁目から街なかまで乗った時は170円だった。 距離的には青葉通り一番町から東北大の方が近いと思うのだが、どうなっておるのだ? 仙台のバスは昔から悪評さくさくたるものがあったが、今も、混む・ノロいに加えて料金が不明朗と、さっぱり良くなっていない。

 大学生協食堂で昼飯にする。 東北大の生協食堂はふだんから土曜も営業しているようだ。 学生がたくさんいる。 土曜も大学に来る人間が多いということだろう。 新潟大では現在、土曜は生協は休みである。 昨年学会を開いた時は特別に営業してもらったのだが、この点は、一昨年の学会開催校である信州大学も同じだったらしい。 このあたり、大学で学生がどのくらい勉強しているかの差がでている、というのは臆断だろうか?

 食事を終えたら、近くに恩師のO先生がおられたので挨拶する。 すでに80歳を越えているはずだが、お元気な様子だった。

 午後の学会発表はまじめに聴いた。 「18世紀ヨーロッパの中のドイツ文学」 というシンポジウムで、5人のパネリストの発表はそれぞれ興味深かったが、中でも佐藤研一先生の 「ロシアのJ.M.R.レンツ」 が目を惹いた。

 これは、ゲーテと同時代の作家であり、後年精神病にかかり暗黒の中で一生を終えたと従来言われていたレンツが、実は後半生はロシアに滞在して作品を書いたりロシア作家と交流を持ったりしたことが、ソ連崩壊後のロシアで新資料が発掘されて分かってきた、という、いささか推理小説めいたスリリングな内容である。

 そればかりではない。 佐藤先生の発表は、言葉の発音が明瞭で抑揚に富み、またドイツ語からの訳もよくこなれて立派な日本語になっており、周到な用意がうかがわれたのである。

 というと、学会発表はいわば晴れ舞台なんだから当たり前、と思う人もいるかも知れないが、案外にそうではないのである。 実際、このシンポでも原稿の読み間違いを頻発するパネリストがいた。 抑揚のない平板な口調が眠気を誘うパネリストもいた。 日本語は、欧米語と比べると発音の抑揚やメリハリに重きを置かないきらいがあるが、しかしこういう大人数を相手にした発表では、そうした側面はバカにできない。

 ドイツ語教師は日頃から学生に、ドイツ語は大きく口を開けて明瞭に発音するよう指導しているはずだが、自分の日本語の発音がおろそかになっていては、シメシがつくまい。 

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 学会の後の懇親会は、普段は出ないのだが、今回は会場が生協食堂で会費3000円と安かったこと、学生時代の先輩が開催校の人間として苦労・奮闘しているので多少応援しようと気持ちが湧いたこともあり、出席した。

 S氏と久しぶりの再会を果たす。 学生時代に私の2年先輩で、今は東北大で教鞭をとっている人である。 私としては懇親会は途中で抜けても良かったのだが、S氏とは8年前の札幌学会の時に会って以来だから、後でゆっくり飲もうという話になり、S氏は学会開催校の人間として懇親会の裏方を務めている手前途中で抜け出すわけにはいかないので、懇親会終了後、ということになった。

 というわけで懇親会が終わるまで待っていたのだが、思わぬ展開となってしまった。 たまたまこの学会で発表をした、大学院生らしい若い女性を、S氏が発表前の打ち合わせで世話をする機会があって顔見知りになっていたので、一緒に飲みましょう、と誘ったまではまあ良かったのだけれど、3人で会場からバス停に向かおうとしたらS氏の別の知り合いに呼び止められて、一緒に飲もうぜという話になってしまった。 相手は4人である。 こちらと合わせて7人。

 バスが来ないのでタクシー2台に分乗して一番町のドイツ料理屋に行ったのだが、どうもあちらの4人はこちらと合わない。 非常に外向的な人間ばっかりなのだ。

 外向的と社交的は違う。 外向的というのは、相手構わず自分のしゃべりたいことを一方的にしゃべりまくる人で、社交的とは相手と話を合わせることを常に心がける人のことである。 どういうわけだか、この4人、そろって外向型だった。 酒が入っていたせいもあろう。

 語学教師と言っても必ずしも外向型とは限らない (私もS氏も外向型ではない) し、私はだいたい外向型の人間は嫌いで、嫌いなタイプの人間とはしゃべる努力はしないというのが私の性格だから、したがって黙ってドイツビールを飲むだけとなってしまった。

 結局外向型の4人を残して3人は早々にその場を切り上げた。 S氏が4人の誘いに乗ったのは、明らかに判断ミスであった。

 というわけで、シメがよろしくない一夜となってしまった。

10月17日(金) 午前中、敬和学園大の非常勤に行く前に内野駅裏手の法務局分室に立ち寄ろうとしたら、何と、建物がなくなっていて、愕然とする。

 12年前、私は家を建てるに際してローンを組んだ。 そして自宅と土地が担保となり、抵当権が設定された。 

 この8月、ようやっと借金の支払いが終わり、先日、某司法書士に頼んで抵当権を抹消してもらったのだが、一応登記を自分でも確認しておこうというわけで法務局に寄ったら、この有様である。

 もっとも、以前に寄ったのは自宅の土地を買った頃だから、15年近くも前のことだ。 私の記憶ではかなり古ぼけた建物だった。 恐らく公務員の削減と建物の老朽化により、分室は廃止されたのであろう。 15年ひとむかし、年々歳々建物は同じからず。

 大学に行って調べてみたら、法務局は今は新潟市内では西大畑にしかないようだ。 来週行ってみよう。

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 さて、敬和の非常勤を終えて、聖籠新発田ICから車で高速に乗り、仙台に向かう。 明日から独文学会が開催されるので。

 7時に友人と会って酒を飲む約束をしているので、遅れてはいけないと飛ばしたが、こういう時に限って邪魔が入る。 新潟中央ICを過ぎたあたりでセコムのワゴン車がノロノロと80キロくらいで前を走っているのに出会う。 新潟中央から会津若松までは原則1車線だから追い越せない。 くそっ、セコムとはこの先絶対契約しないぞ!

 途中2車線になる箇所で追い越したと思ったら、今度はパトカーに出くわす。 パトカーはまさか追い越せないから、しおらしく走り続ける。

 そのパトカーがパーキングエリアに入ってくれたので、しめたとばかり飛ばしたら、またまたパトカーに出会ってしまった。 なんでこんなにパトカーがいるのだ!?

 しかし2台目のパトカーもしばらくして出口で降りてくれたので、あとは遅れ(?)を取り戻すべく飛ばしに飛ばした。 お陰で仙台宮城ICまで、途中休憩1回を入れてもかっきり3時間で到着した。 ちなみにハイウェイナビゲータ( http://search.jhnet.go.jp/route/index.html )によると、聖籠新発田―仙台宮城間は278キロで3時間30分かかることになっている。 途中1車線の区間が長く、セコムとパトカー2台に悩まされた割りには上出来と言えよう。

 と言っても、仙台宮城ICから宿泊先である錦町のホテルまで、時間がそれなりにかかる。 何しろ仙台の夕方の交通事情は最悪である。 仙台宮城ICからトンネルを抜けて、広瀬通りに出たまではよかったが、猛烈に渋滞しており、細横丁で左折し損ねてしまう。

 ところが国分町で何となく左折してみたら、すいすい走れて、あっという間に定禅寺通りに出ることができた。 国分町は飲屋街として有名だが、車で走るにもいいとは知らなかった。 あとは定禅寺通りを直進して、花京院の少し手前で左折して錦町に入り、一方通行の狭い路地を何とかくぐり抜けてホテルに着く。

 このホテル、以前にも泊まったが、部屋は狭いけど安いのがとりえである。 今回も、2泊朝食付き駐車料金込みで11200円である。 一泊5600円。 朝食・駐車料込みでこれだから、ひとむかし前の言葉で言うなら檄安である。 グリーン・ホテルと言います。 よろしかったらどうぞ。

 おまけに、部屋が狭いのが玉に瑕と思っていたが、ツインの部屋を割り当てられて、シングルルームの閉塞感からも免れた。 ラッキー。

 少し部屋で休んでから、一番町の藤崎デパート前でI氏と落ち合って酒を飲む。 氏はむかし新潟大に勤務していたことがあり、今は東北大で教鞭をとっているのである。

 しかし、このところ少子化と 「大学改革」 でロクなことがないから、話は何となく暗くなってしまうが、それでも楽しい一夜たり得たのは氏の人柄のためであろう。

10月13日(月) 体育の日で休日。 UCI新潟で映画を2本見たあと、だいしホールに奥村和雄ファミリーコンサートを聴きに行く。 開演20分以上前に行ったのだが、中央の座席は満員。 左側の座席で、新潟のクラシック音楽サイトを主宰しているT氏の隣りにすわる。 

 かつてアムステルダム・コンセルトヘボウでヴァイオリンを弾いていた奥村和雄氏 (ここではヴィオラ) とその娘さんの奥村愛さん (ヴァイオリン)、息子さんの奥村景くん (チェロ)、奥村氏の弟子の庄司愛さん (ヴァイオリン) によるチャリティコンサートである。

 最終的には座席は全部埋まり、後ろに補助椅子を出す盛況となった。 奥村愛さんはCDでのデビューも果たし、アイドル路線的ではあるが全国的に名を知られるようになっているので、人気があるのであろう。

 曲目は、モーツァルトのディヴェルティメントK.137、ヴァイオリンとチェロのためのソナタK.292、ハイドンのヴァイオリンとヴィオラのためのソナタNo.10−1、ベリオのヴァイオリン二重奏曲op.57−1、ブラームスの弦楽四重奏曲op.51−1。

 ハイドンで惜しみなく披露された庄司愛さんの芯のある音色が、私には好ましかった。 協奏曲で聴いてみたい。 また、愛さんコンビのベリオも、ヴァイオリン2丁による曲はあまり聴く機会もないし、息がぴったり合って、楽しむことができた。

 演奏会終了後、石丸電気に急行し、バッハのカンタータ 「おお、優しい日」 のクリスティーネ・シェーファーによるCDを買う。 実は明後日の授業で使うためである。 そこでジョルジュ・デュアメル 『慰めの音楽』 に出てくる曲を聴かせなくてはならないのだ。、

 バッハの教会カンタータ全集のCDは所有しているので、自宅にあると思っていたが、昨日授業の下調べをしている途中でCD棚を探したら、見あたらないのである。 それもそのはず、「おお、優しい日」 は教会カンタータではなく世俗カンタータで、世俗の方は全集では揃えていなかったから、穴があったわけだ。 実にうかつであった。 

 しかし石丸電気で首尾よく購入して一安心。 私はこういうにわか勉強が多い。 実に汗顔のいたり、なのである。 なはははは。

10月8日(水) 教授会。 4時間近くかかり、その後の講座会議が1時間20分ほどかかる。 実に効率が悪い。

 それにしても、である。 文科省の差し金で非常勤講師の削減が進行している。 大学改革などと称しているが、要するに授業の条件が悪くなっているということで、実際は改悪を志向する役人の姿勢が見えるではないか。 義務教育で1クラスあたりの生徒数が少なくなりつつあるのとは正反対。 いったい、この国の役人どもは何を考えているのだろう!? 

 無論、役人だけを責めるわけにはいかない。 学部エゴに縛られて全学の教育を広い見地から考えられない新潟大学の少なからぬ教師たちも同罪である。

 ドイツ文学者・圓子修平氏の訃報が入った。 長らく都立大学教授を勤め、ドイツ文学の翻訳で知られた方である。 私は面識はなかったが、トーマス・マン 『ファウストゥス博士』 の名訳は忘れがたい。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

10月7日(火) 研究室で使っていたCDラジカセの調子が半月ほど前からおかしくなった。 CDをかけると時どき音飛びする。 最初はCDが欠陥品なのかと思っていたが、自家用車のプレイヤーや自宅のステレオだと普通にかかるので、CDラジカセの方に欠陥があるのだと判断した。

 それで、数日前、生協で新しいCDラジカセを注文し、本日届いた。 パナソニック製で、1万4千円ほどの品。 今年は研究費が諸般の事情で15万円しかないので、これでも大きな買物と言える。

 後期からは音楽を扱う講義を開講するので、授業では事務に用意してある講義用プレイヤーを使うにしても、下調べは研究室か自宅でするわけだから、研究室にCDプレイヤーがないと支障が出るのである。

 研究室のCDラジカセとしては、3代目である。 最初に買ったSONY製は、CDに加えてダブル・カセットで、ダビング機能も付いており、この種の製品としては値段もそれ相応で、重量も結構あった。 ところが買ってあまりたたないうちにカセットの一方が壊れてしまい、再生専用のカセットしか使えなくなった。 修理に出すのも面倒くさいのでそのまま使っていたが、やがてCDもかからなくなり、修理に出そうかと業者に相談したが、新しいのを買った方が安いと言われ、2代目を購入した。

 2代目もSONYだったが、初代が値段のわりには長持ちしなかったのに懲りて、一番安いのにした。 カセットも1つしか付いておらず、他機能もシンプルで、軽量なので授業に持っていくのも楽だった。 値段もたしか1万円弱だったと思う。

 それがまたイカれて、3代目となった。 SONYが2代続いて、いずれもすごく長持ちしたという感じがしなかったので、今度はパナソニックにしてみたわけである。 果たしてどのくらい持つだろうか?

9月30日(火) 8月末、『〈女〉で読むドイツ文学』 という本を出したことは、ここにも書いた。 中学時代の恩師にも送っておいたのだが、直後に礼状の葉書を下さったのに加え、本日、ウニのビン詰めなどの食品を送って下さった。

 添えられた手紙には、同窓生で故郷 (福島県いわき市) に残っている連中の消息なども書かれていた。 私は大学に入って故郷を離れ、おまけに大学2年次で父の転勤により家族も首都圏に移ってしまったので、今はたまの同窓会以外では故郷に行く機会もなく、ごくわずかな例外を除いては付き合いもないから、貴重な情報というべきなのかも知れない。

 また、故郷に残っている連中が多少は先生と行き来があると分かり、何となく、遠くに住む老親の面倒を見てくれる人が確認できた、といような気分になった。

 この先生には中学1・2年と2年間お世話になっており、また国語の先生だったからその方面で色々と薫陶も受けた。 また、先生には一人息子があり、この人が我々と同年齢で、多分、先生としては息子に準じた存在として我々クラスの生徒を見ていたのではないか――と私は後になって考えるようになった。

 先にいただいた葉書には、「私も年をとったので句集をまとめてみようかと思います」 とあり、これも在学中は気づかなかったけれど、現在は70代後半か80歳くらいになられる先生も昔は文学少女であったのだろうと、改めて思いを馳せたことであった。

9月27日(土) 実は昨日の出来事なのだが、日を改めて書く。 昨日、敬和学園大に後期初めての非常勤に行ったら、来年度はクビだ、という宣告をされた。

 この大学、最近の少子化で学生が定員を割り込んでおり、学校自体が生き残れるかどうかの瀬戸際という状況だから、専任の首切りはそうそうできないものの、まず非常勤から切り捨てるというのは、言ってみれば誰でも考えつく対策である。

 私も、少子化に歯止めがかからない中、クビを切られるのは時間の問題だろうとは思っていたが、予想より少し早かったな、とは思った。

 私の家庭の事情もある。 来年は出来の悪い長男が大学に進学するので、カネがかかるのだ。 せめて長男在学中くらいは持たないかな、と希望的観測を抱いていたのだが、現実はさすがに厳しい。 

 人生で最もカネがかかるのは、持ち家を持つときと、子供を大学にやるときである。 特に地方都市では、首都圏や関西圏と違い大学数が少ないので、自宅から大学に通わせるという選択肢があまりない。 

 新潟で言えば、新潟大に合格でき、なおかつ新潟大よりレベルの高い大学じゃないとイヤだとは言わない程度の頭脳を持つ子供であれば、最もカネがかからない。 でなければ、地元の底辺私大で満足する程度の頭脳、これが次善である。

 ウチの出来の悪い長男はその点、中途半端な頭脳しか持っておらず、新潟大は無理だが、地元底辺私大ではプライドが許さないと抜かす。 こういうのが一番タチが悪い。

 もっとも、私にしても実家を離れて大学に行かせてもらったわけだが、あの頃は国立大の学費が安くてタダ同然だったからまだ良かったのである。 学生がアパート代を含めて月3万円で暮らせた時代に、国立大の学費は月千円だったのだ。 今は国立大でも結構な学費を取る。 それにアパート代などを加えると、負担額はかなりのものになる。

 昨年から私の身辺に関してはロクでもないことが続いているのだが、これでまたダメージが加わった。 金欠病はひどくなる一方。 そろそろ終わりにして欲しいものだが・・・・。 

9月26日(金) チェコ・プルゼーニュ歌劇場公演: プッチーニ 「蝶々夫人」 を午後6時半より県民会館で聴く。 蝶々夫人がヴァレンチナ・ハヴダロヴァー、ピンカートンがヤン・アダメッツ、スズキがヤナ・テトウロヴァー、アメリカ領事がダリボル・トラシ。 指揮はイジー・シュトルンツ、演出はヤン・シュティフ。 座席は8列32番。 パンフが2千円は高い (一昨日は千円だったのに・・・・・)。

 火曜日に 「アイーダ」 を聴いたばかりで、中二日でオペラに接するのは初体験。 そもそも最近は新潟でも外来オペラ公演が増えており、中二日で外来オペラ公演が続くのは、恐らく初めてではないだろうか。 

 今年は3月にモスクワ室内歌劇場の 「ドン・ジョヴァンニ」 があり、12月にもレニングラード国立歌劇場の 「カルメン」 があるから、年間外来オペラ公演が4つということになるわけで、調べたわけではないけれど、新潟としては最高記録(?)ではないかと思う。

 ミラノスカラ座やウィーン国立歌劇場といった超一流どころではないけれど、こうした外来オペラに接する機会が地方都市でも増えてきたことはありがたい。 それに、チケットも最高ランクで1万3千円であり、外来オペラとしては安い。 外来オペラでも一流どころが東京でやるとS席が4〜5万円もするから、とてもじゃないが私には手が出ない。

 さて、私はオペラにうといので、この有名なオペラも実演は初めて。 ある意味、国辱的なオペラという先入見があったけれど、実演に接してみると、蝶々さんがアメリカ民主主義の本質を体現し、ピンカートンが実は後進国的な人間だった、という感じがしてきた。

 歌手は、主役二人はいずれも図抜けてすごいというほどではないけれど、まあまあかな、という印象。 このオペラは、領事とスズキの二人の脇役に味が出る作りになっていることを実感。

 それにしても日本を舞台にしたオペラをヨーロッパ人が演じ、それを日本人が見るという倒錯的な文化状況は、なかなかよろしい。 文化とは、倒錯的なものであるから・・・・・(?)

9月23日(火) ドイツ・マグデブルク歌劇場公演: ヴェルディ 「アイーダ」 を、午後5時から県民会館で聴く。 アイーダはアディーナ・ヴァレティン=ヴァイゼンベルク、アムネリスはウンディーネ・ドライシッヒ、ラムネスはローレンス・バクスト。 指揮は天沼裕子、演出はマックス・ホフマン。 座席は15列9番。 

 オペラが不得手な私のことで、初めて聴いたのであるが、有名な (私でも知っている) 凱旋の場面は悪くなかった。

 ダンスが加わるのが洒落ている。 もっとも、物の本によると、フランスでは長らくオペラにバレエを入れるのが常道で、それは金持ちが美人バレリーナを見つけて囲おうという魂胆があったからだとか。 「芸術」 は、なかなか純粋に独り立ちするのが難しい、という例だろうか。

 今どきからすると不謹慎かも知れないけれど、今回の 「アイーダ」 でもダンサーは歌手に比べると美形だから、そういう伝統(?)をふまえているのかなあ、なんて考えながら観ていた。

 歌手は、外見はともかく (笑)、歌は一応ちゃんとしていたと思う。 でもヒロインのアイーダがあんなに太っているんじゃ、感じがでないなあ。

 アイーダの恋敵アムネリスはその点、すらりとした肢体でよかったけれど、声の通りはイマイチ。 ラメダスは、悪くないテノールだけれど、戦いに凱旋する将軍としては、やや小柄すぎる。 「美丈夫」 といったイメージの歌手が望ましい。

 パンフによると、新潟公演のキャストは2番手だったみたいで、金沢や東京公演の1番手キャストで聴いてみたかったという気がする。 しかし、今回の公演を招聘したのは金沢だということだから、やむを得ないのだろうか。 逆に言うと、新潟も他のところが招聘した公演を借りてくるだけでなく、主催者として大どころを招聘して欲しい。

9月21日(日) 午前中、近所の西コミュニティーセンターでN卓球クラブの卓球大会。 これは、春から当クラブに来ていたバングラディシュ人留学生が、医学部のある旭町地区に引っ越すため、これからは余り来られなくなるということで、一種の歓送会を兼ねた大会。 

 ワタシは対男性は4戦全勝だったが、対女性は3戦全敗でした・・・・・・・・。 ワタシが女性に優しい=弱いためか、或いは当クラブはもともと女性上位であるからか・・・・・・・。

 そのあと、この大会の提唱者であるKさんのお宅におじゃまして、昼時ながら宴会となった。 Kさんは留学生の世話をするヴォランティアの仕事をしているのである。 

 バングラディシュ人3人と日本人8人で、バングラディシュ・カレーを食べ、ビールや酒を飲んでの楽しいひとときでした。 なお、留学生とは言っても、3人とも年齢は30歳前後で、家族持ちの人もいるし、あちらでは大学の助手か講師クラスの方々である。

 その後、女房の車に拾ってもらって、東京交響楽団第22回新潟定期演奏会を5時からりゅーとぴあで聴く。 指揮はヘンリク・シェーファー、ピアノ独奏は梯剛之、ソプラノは天羽明恵で、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番、マーラーの交響曲第4番。 アンコールに梯がモーツァルトの幻想曲ニ短調を弾いた。

 梯のモーツァルトは、音がきれいだ。 特に個性的という感じではないが、オーソドックスな演奏でそれなりに良かった。

 一方、マーラーはイマイチ。 マーラーの猥雑さを出すか、或いはこの曲ならではの歌をたっぷり聴かせるか、と期待したけれど、そのいずれでもない。 指揮者の意図が不明瞭。 或いは、意図を示すだけの力量がなかった? ソプラノは、私の席(Gブロック)の位置のせいかも知れないが、あまり声が通らない感じだった。 

9月20日(土) 酒井健先生の集中講義が昨日で終了した。 本日は12時少し前の新幹線でお帰りになるというので、時間も余りないが、観光も多少はしていただこうと、新潟市街を一緒に見て回った。 りゅーとぴあの駐車場に車をとめて、県政記念館、古町、北方文化博物館分館、新津記念館という順。

 このうち、北方文化博物館分館と新津記念館は私も初めてで、実は酒井先生に新潟市内観光案内のパンフ――昨秋、ドイツ文学会が新潟で開催された際に、新潟市観光協会からもらってきた配布したやつの余り――をお見せしたところ、「こういうのがあるんですね」 と言われて、そうだったのかと思い知った次第である。 地元に住んでいる人間は、案外、観光資源を知らないものですからね。

 で、北方文化博物館分館だが、はっきり言って失望した。 見るところがほとんどない。 新潟市郊外にある本館とは大違い。 これで350円は高い! 県政記念館はタダなのにねえ。 まあ、国の文化財扱いされている県政記念館と、私的な建造物である北方博物館分館とでは違いもあろうが、それにしても、である。 未だ見ていない方には、行く必要なしと申し上げておきます。

 【これから新潟市に来る方へ。 北方文化博物館は、新潟市郊外にあるのが本館で、そちらは十分見る価値がありますので、お間違いのないよう。 今クサしているのは、分館の方です。】

 これに対して、新津記念館は悪くない。 入場料800円はいささか高いが――500円になりませんか?――、お金をかけて作った室内外の装飾は一見の価値あり。 ビデオでの解説もある。 係員も親切。 まだ行っていない方は是非! 私も気づかなかったのだが、旭町の医学部付属病院入口の脇にあります。 酒井先生も感心され、カメラを持ってくるんだったなあと慨嘆されていた。

 酒井先生を新潟駅までお送りした後、実は本日はワタシの○○回目の誕生日でもあるので、「クラシックのモーツァルト」 でCDを2枚買い、営所通の古本屋で古本を2千円買う。 最近は古町近辺に映画館がなくなっているせいもあり、営所通の古本屋にもめったに寄らなくなってしまっている。

 それから某所で昼食をとったあと、浪漫的オルガントークコンサート第2回 「フランスの浪漫―巴里のノスタルジー」 を、午後3時からりゅーとぴあで聴く。

 入りは相変わらず悪い。100人かそこいら。 プログラムは、フランクのコラール第一番、ヴィドールのオルガン交響曲第5番より第4&1楽章、ヴィエルヌの幻想曲集第2巻より 「月の光」、同じく24の自由な形式の作品集op.31より第14番 「スケルツェット」、J・アランの 「リタニー」、デュリュフレの 「アランの名による前奏曲とフーガ」。

 今回のオルガニスト中野ひかりさんは、アクトシティ浜松・副オルガニストだそうだが、演奏は穏やかで、どちらかというと形式感を重視するタイプかと思われ、りゅーとぴあ専属オルガニストの和田純子さんとはある意味で正反対のタイプかも。

 解説が、特に最初のあたりはオルガンのストップリストに触れるなど、かなり専門的であり、よく分からないところもあったが、とにかくオルガンという楽器が一つ一つ違うものであり、作曲家の意図した音を再現するのもなかなか大変なのだと思い知ったのが収穫か。

 オルガン音楽というととかく重厚・荘重といったイメージがあるけれど、ポピュラー音楽めいた側面も多々あるということも分かった。

9月18日(木) 午後7時から、りゅーとぴあのスタジオAで、3日後の東響新潟定期の曲目を新大の教育学部音楽科教授お2人が解説する講習会に出席。

 協奏曲と交響曲の歴史、また演奏曲目の楽曲分析がなされたが、私としては歴史のところはいささか退屈で、楽曲分析の方が面白かった。 とはいえ、この種の催しには、ド素人からかなり専門的な知識のある人まで、かなり幅の広い層が参加するから、やる側もレベル設定が難しかろう。 

 実際、「パレストリーナという作曲家のCDを買うべきでしょうか?」 なんて突拍子もない質問をしたオバサンがいたりして、なかなか冷や汗ものなのであった。

9月17日(水) 教授会。 長い。 始まって4時間半を経過しても終わらない。 途中で抜け出す。 なぜかというと・・・・・

 午後6時過ぎから、集中講義で新潟大学に来ておられる酒井健・法政大教授を囲んで、大学近所の店で酒宴を開くことになっているので。 先生と、私を含む新潟大の人文学部教員5名が参加して、談論風発の楽しい会となった。

9月15日(月) 休日だが、法政大教授・酒井健氏が新潟に来られるので、駅まで迎えに行く。 酒井先生は3年前、名著 『ゴシックとは何か』(講談社現代新書) でサントリー学芸賞を受賞された気鋭の学者である。 ご専門はフランス文学でバタイユについての著書や訳書があるが、建築や美術など幅広い知識をお持ちの方で、今回新潟大学人文学部の集中講義を担当されることになったのである。

 先生を新幹線の到着ホームでお迎えしたところ、新潟中央郵便局に行きたいのだが、とおっしゃった。 今月末、学会でフランスに行かれるそうで、そのための原稿を車中で書いておられたらしい。 また、それとは別に明日までに仕上げなければならない原稿を抱えておられるとか。 さすが、一流の学者だけあって暇なしなのだなあと納得したことであった。

9月10日(水) 過日、拙著をお送りした田中宏幸氏 (金沢大名誉教授) が、『シュトルム文学新論集』(鳥影社)を送って下さった。 日本シュトルム協会設立20周年記念、と副題にある。

 日本シュトルム協会は、この19世紀ドイツ作家を愛好する人たち約40名で結成された地味な団体だが、シュトルムを論じた本を定期的に出している。 これでたしか3冊目になるはず。 私もこの会の末席を汚しているが、怠惰な会員なので、さっぱり活動に寄与していない。 忸怩たる思いである。

 目次をざっと見ると、シュトルム一代の傑作小説 『水に沈む』 を新しい視点から扱った論考や、作中に表れた庭園についての論考などが含まれており、たいへん興味深い。

 話は変わるが、今年になってからロクでもない事態が続いて金欠病になっていたが、この日は久しぶりにわずかながら改善を告げる通知が来た。 事態が大幅に変わるわけではないが、一条の光、といったところか。

 (17日追記)・・・・・金欠病が改善されるという見込みは、半分ぬか喜びに終わった。 詳細は省くが、共済で給与から天引きされる金額が分不相応に上がったためである。 会計係に訊いたら、今年度から制度が変わったのだそうで、つづめて言うならば大学教師のように年度末に入試監督や採点などの余分な仕事があり、その手当が4月に支給される人間には不利になるような制度変更なのだ。 やれやれ、世の中、だんだんセコクなってきているなあ。 ・・・・・なんて書いているワタシもセコイか・・・・・・。

9月9日(火) 昨日、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲全集を聴き終えたが、注文していたR・シュトラウス管弦楽作品全集が届いたので、今度はそれを聴き始めた。 Arte Novaから出ている7枚組で、送料込みでも3千円しない格安品。 演奏はデイヴィッド・ジンマン指揮のチューリヒ・トーンハレ管弦楽団。 

 もともと私はR・シュトラウスはあまり好きではなく、CDもさほど持っていなかったのだが、11月に新潟に来るウィーンフィルの演奏曲目にこの作曲家の 「英雄の生涯」 が含まれていることもあり、この際本格的に聴いてみようと思ったわけである。

 最初は、この作曲家では私としては珍しく聴き馴染んだオーボエ協奏曲が入っているCDから聴く。 サイモン・フクスのオーボエ独奏は、私が持っていたゴードン・ハント独奏によるCDに比べるとテンポなどに揺れが多く、それだけ感情移入が大きくなっているようだった。 

 話は変わる。 実は先週金曜日のことなのだが、すっかり忘れていて本日思い出したので。 (最近、こういうことが多い。 老化現象か?)

 市内某所のマンション建設現場に、こんな標語が貼られていた。 「ゼロ災害 みんなでつみとる 危険予知」

 書き添えられた説明文から判断するに、現場作業員から募集して選ばれた標語らしいのだが、応募したほうも、選考したほうも、国語力に問題があるんじゃないか。

 「危険予知」 を 「つみと」 ってしまったら、大災害になると思うんですがねえ。 「ゼロ災害 みんなでつみとる 危険の芽」 ならよかっただろうに・・・・。

9月8日(月) ドヴォルザークの弦楽四重奏曲全集 (シュターミッツ四重奏団)、やっと全部聴き終えた。 1枚につき2度ずつ聴いたわけだが、改めて言おう。 ドヴォルザークの弦楽四重奏曲は宝の山だ、と。

9月6日(土) 夜、いつものようにN卓球クラブに練習に行く。 どういうわけか、この日は非常に調子が良かった。 自分のイメージしているとおりの卓球ができたのである。 ふだん勝ったり負けたりしている相手には3−0で完勝、ふだん分が悪い相手にも3−1で勝利。 おかげで帰宅してからのビールがことのほかうまかった。

 グリップをペンからシェークに変えて2年。 やっと少しバックハンドの感覚がつかめてきた。 もともと、バックで攻撃したいからシェークに変えたわけだが、慣れるのには相当に時間がかかる。 人に訊くと、短い人で1年、長い人で3年という答が返ってくる。 私は運動神経が最低ランクの人間だから、3年かかって不思議はないわけだ。

8月29日(金) 先日出版した拙著 『〈女〉で読むドイツ文学』(新潟日報事業社)、知人などに送付したが、ぼちぼち礼状が届いている。

 同僚の先生はメール利用が多いが、直接研究室に来られる人や、わざわざ葉書でという方もおられる。

 新潟以外では、葉書が多く、メールは少ない。

 本日、関西在住の平田達治氏 (阪大名誉教授) より、大きめの封書が届いた。 私は平田氏には全然面識もないのだけれど、事情があって、この春にいきなり電話をした。(5月11日参照) この本を執筆していて、そこに文献案内を入れるためであった。 この本の第4章でJ・ロートの 『酔いどれ聖者の伝説』 を論じたのだが、氏は日本におけるJ・ロート研究の第一人者なのである。

 見知らぬ人間の電話での問い合わせに懇切に答えて下さった平田氏に感謝の意を込めて、本書をお送りしておいたのだが、本日届いた封書には 「図書新聞」 が同封されており、これは氏が以前ご専門のJ・ロートについて書かれた記事が掲載されているもので、わざわざ返礼にお送り下さったのである。

 ほかに、氏がヨーロッパを訪れた際に撮った写真も同封して下さった。 J・ロートが 『酔いどれ聖者の伝説』 を執筆していた頃に定宿にしていたホテルの写真である。 平田氏のご親切には恐縮あるのみである。

 ちなみに平田氏には 『ウィーンのカフェ』(大修館書店) などの著書があり、近くJ・ロートの代表的長篇 『ラデツキー行進曲』 の新訳を鳥影社から出版される予定になっている。

 研究者には色々なタイプの人がいるけれど、親切な人・不親切な人という区分は (研究者じゃない人間の場合同様) 厳然として存在する。

 同じ関西人でも色々である。 むかし、京大のYTという独文学者にある事柄で問い合わせの手紙を出したことがあったが、梨のつぶてであった。 研究情報を知りたいというようなことではなく、京大で出ている独文系の研究誌を入手するにはどうすればいいのかというような内容だったのだけれど。 返事をよこさないので、面識のない人間は相手にしないという主義の人なのかな、と思い、その雑誌を入手するのはあきらめた。

 ところが、である。 先年、私が翻訳 『ハインリヒ・マン短篇集』 を出したところ、某読書新聞で書評を担当したのがこのYT氏であった。 おいおい、面識のない人間でも、原稿料が出る場合には依頼に応じるのかよ、と思った。 こういう場合、書評を担当した人には礼状を出すのが礼儀だという話もあるが (こういう方面のことは、絶対、という規則はないと思うが)、私は礼状を書く気にはならなかったね。

 と言って、京都と大阪の違い、と単純に言うわけにはいかない。 同じ京大に、YT氏と同じ姓のYYという独文学者がおられた (現在は定年退職して広島におられる。 ついでながらYT氏も定年になっている)。 この方がハインリヒ・マン研究書を上梓したとき、日本独文学会の研究誌で私が書評を担当した。 そのとき、YY氏は面識がない私に礼状を下さり、その後、学会誌に私がハインリヒ・マンを扱った論文を掲載したときには感想を送って下さるなど、気さくに意見の交換をして下さった。

 というわけで、同じ関西人・京都人でも色々なのである。 が、この場合に敢えて分類をするなら、平田氏とYY氏は教養部のドイツ語教授であったのに対し、YT氏は文学部独文科の教授であったという違いはある。 だから権高だったのかも・・・・・・。

8月28日(木) 昨日午後、同学社の近藤久寿治社長の訃報が入った。 92歳の大往生。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 今朝起きてから、弔電を打つ手配をとった。

 同学社は、ドイツ語の教科書や辞書、ドイツ関係の書籍を出している出版社である。 私も、以前、翻訳 (ヴィクトル・マン 『マン家の肖像』) を出してもらったことがあり、足を向けては寝られないのである。

8月27日(水) CD10枚組のドヴォルザーク弦楽四重奏曲全集、少しずつ聴いているが (7月18日と8月2日の記述を参照)、思わぬ宝の山という感じである。 美しい楽章が随所に見られる。

 東京の郁文堂 (ドイツ語原書の取扱店) から、定期購読している"Heinrich Mann Jahrbuch 19/2001"(ハインリヒ・マン年報、第19号、2001年) が送られてくる。 ハインリヒ・マン研究はトーマス・マン研究に比べると遅れているし、研究者の数も少ないので、貴重な情報源である。 2001年と聞くと、2年前に出たものが今頃送られて来たのかと思うかも知れないが、そうではなく、発行が遅延気味になっているのである。 (奥付にはちゃんと、2003年リューベック発行と記されている。) おそらく、この雑誌を出すための人的・財政的基盤があまりしっかりしていないからだろう。

 ざっと目次に目を通していたら、2000年に出ていたStefan Ringel のハインリヒ・マン伝の書評が載っているので、読んでみると、酷評されているではないか。 いやはやである。 実は私も3年前にハインリヒ・マンに関する論文を書く際に利用した文献なのだ。 幸いにして、私が利用した部分については触れられていないが、これ以前に出たハインリヒ・マン伝のほうがはるかに良質だと結論づけられている。

 といっても、実は総合的なハインリヒ・マン伝は、このRingelの本以外には出ていないのだ。 時期を限っての伝記や、ページ数の少ないおおまかなものはあるが。 

 最近はトーマス・マン夫人のカチアに関する伝記も2冊立て続けに出ているというのに、これじゃあ、ハインリヒ・マン研究はますます遅れ気味になってしまうではないか。 困っちゃうなあ・・・・。

8月23日(土) 新潟も今日は本格的に暑い。 数日休んだので大学に出かけるが、土曜日は冷房が入らないので、研究室の室温はかなり上昇した。

 大学に行く前に、クルマを買った某メーカー営業所に持っていって、調子の悪い左ドアミラーを見てもらったが、とりあえず直ったものの、根治ではなく、根治するには部品を交換するから2万4千円かかると言われ、愕然とする。

 だいたい、ドアミラーを電動式にしたりするから、余計なカネがかかるのだ。 手動式にしておけば故障もなく余計なカネもかからないのに。 ワタシは今年度は色々な事情が重なって金欠病であり、出費に神経質になっているのだが、こういう時に限ってロクでもない事態が生じる。

 大学に戻る途中、家電屋に寄って、壊れた電気カミソリの外刃と、ついでに内刃も交換する。 しめて2千円。 これじゃ、電気カミソリの新品を買うのとあまり変わらない。 ううう。

 おまけに、大学に戻ったら、とりあえず直ったはずのドアミラーがまた元の状態に戻ってしまった。 笑うべきか、泣くべきか。

8月22日(金) 冷夏が続いていたが、昨日からかなり暑くなってきた。 本日は次男と長女を車に乗せて船橋から新潟に戻るが、高速に乗るまでの道路が混んでいたのに加え、予定外のことがあって時間を食う。

 つまり―― 船橋のGSでガソリンを入れたら、左後ろのタイヤが少しふくらんでますよ、と言われ、調べてもらったら、元々かなりすり減っている上にヒビが入って、パンク寸前の状態だったらしいと判明。 最近だいぶすり減ってきてるなあ、とは思っていたので、この際とばかり、4本とも新品に替えてもらう。 また、バッテリーが駄目になりかけているとも言われ、これも以前、新潟のGSで同じような指摘を受けた経験があり、これから高速で長時間走ることでもあり、新品に替えてもらう。

 この車は新車で買って5年半、7万キロ近く走っている。 5年半で7万キロ走るとタイヤもバッテリーも替えどきということなんでしょう。 しめて5万6千円。 うう、思わぬ出費だ。 私はふだんはカードは余り使わず、買物は現金でという主義だが、こういう場合はカードを持っていると便利ですね。 なにせ財布の中には諭吉が3枚しかなかったもので・・・・(汗)

 実はこれにとどまらず、こちらに来てから車の左ドアミラーの調子がおかしくなっている。 電動式だが、スイッチを入れても開閉せず、始終モーターが空回りするような音が出ている。

 さらに、である。 こちらに来てから持ってきた電気カミソリの外刃が壊れて穴が空いてしまった。 ひげを剃っていて、アゴから血が出ているので、変だなと思い、よく見たら、外刃に穴が、という次第。 これも買って数年経っている品物だ。

 結論。 機械が壊れるときは、いちどきに壊れるものである・・・・・。

 *      *      *      *      *

 さて、昨日船橋のBOOKOFFで中古CDを3枚買ったので、新潟に着いてからさっそく1枚を聴いてみる。 ヴェンゲーロフの独奏、バレンボイム指揮のシカゴ交響楽団で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、そしてバレンボイムのピアノで、ブラームスのヴァイオリンソナタ第3番。

 ヴェンゲーロフのヴァイオリンはいつもながら安定していてスケールが大きい。 しかも、協奏曲では自作の長大なカデンツァを弾いているのが素晴らしい。 本来、協奏曲のカデンツァはそうあるべきで、自作の能力がなくても、せめてどこかからか珍しいカデンツァを探し出してきて弾く、くらいのことはしてほしいのだが、そういう演奏家はあまりいないのが現状だ。 この点からしても、ヴェンゲーロフの卓越性は裏付けられていると言えよう。 

8月20日(水) 昨日から休暇を取って、船橋の老母のところに次男と長女を連れて来ている。 本日は中2の次男が川崎の電子部品屋に行きたいというので、一緒に出かける。 雑誌の広告に載っていた店らしいが、行ってみると思いのほか小さく、見ると聞くとは大違いという奴だろう。 帰りは品川で昼食を一緒にとってから、秋葉原に行きたいという次男とは別れて、私は渋谷に行き、古本屋で本を買ってから映画を1本見る。

8月19日(火) 私がブックレット新潟大学シリーズのために書いた『〈女〉で読むドイツ文学』(新潟日報事業社)ができあがってきて、担当の人が午前中に届けてくれた。

 午後から、中2の次男と賞3の長女を車に乗せて、船橋の老母のところに向かう。 関越自動車道の出口と、国道16号の柏インターと国道6号の交差点との間が混んでいて、途中短い休憩を2度取っただけだったが、6時間弱を要した。

8月17日(日) 亀田町体育館にて朝から白年愛球会。 30歳以上の年齢別卓球大会である。 30代、40代、50代という風に10歳刻みで、最初数人で予選リーグを行い、その後、リーグ2位までの人は決勝Aトーナメント、それ以下の人は決勝Bトーナメントに出る。

 年2回開催で、いつもは参加者が多いのだが、今回は期日がお盆の直後ということもあり、いつもより閑散としていた。 例年だと7月か8月初めだったと思うのだが、なぜ今年はこんな日取りにしたのかというと、主催者の挨拶から判断するに、今月上旬に全国教職員卓球大会が新潟市であったので、その準備のため、ということらしい。

 まあ、この大会は上手な人が多いので、私としては勉強のつもりで出ているわけであり、今回も予選全敗となった。

 予選は4人でのリーグ戦であるが、ワタシ、N氏、K氏、Iさんの4人のなかで、N氏とIさんはワタシとは全然レベルが違う人である。 そのN氏とIさんの試合は見応えがあった。 2―2でフルセットとなり、最終セットは、最初ペン表ソフト攻撃型のIさんがリードしていたのだが、終盤でシェークのカットマンながら攻撃力もあるN氏が逆転した。 ワタシは審判をやりながら二人の壮絶な闘いを見ていたが、技術の確かさと運動神経の鋭敏さはワタシの比ではない。

 Iさんは女性だが、新潟市の卓球大会ではいつも女性の部の優勝候補に挙げられる人で、ワタシは彼女との試合では軽く一蹴されてしまった。 N氏には言うまでもない。

 もう一人のK氏は、ワタシよりは上手だけど、まあ一応試合にはなるかな、という感じであった。

 午後、決勝Bトーナメントに出たら、くじ引きの悪戯で初戦で同じクラブのMS氏と当たってしまい、2―3で負けてしまった。 一昨日に氏と練習したときには、最後に試合をやって2―0で勝ったのだが、どうもワタシは本番に弱いようである。 ううむ・・・・・。

8月16日(土) 午後6時半から、りゅーとぴあの能楽堂にて、新潟オペラスタジオによるモンテヴェルティ 「ポッペアの戴冠」 公演を見に行く。

 このオペラは新潟初演だそうで、私もディスクを持たないから、初めて見るオペラということになる。 新潟オペラスタジオはアマチュアの団体だが、地道な活動を続けている。

 古代ローマの皇帝ネロが、ポッペアという人妻と恋をして彼女と結婚するために皇妃オッターヴィアを追い出し、またポッペアの方も夫と縁ぎり宣言をするというお話で、勧善懲悪の反対を行く筋書きである。

 女声陣はなかなかつぶが揃っていて、ヒロインポッペアに石井優さん、愛の神アモールに笠原和美さん、オッターヴィアに横田聡子さん、ポッペアの夫オットーネ(を女性がやるのです)に加藤晶子さん。 それぞれ美声と美貌を披露してくれた。 外見で言うと、加藤さんが私好みである。

 一方男声のほうは、ネロ皇帝が神田忠恒氏、皇帝を諫めるが逆に死を命じられる哲人セネカに関谷隆行氏。

 総監督・指揮は、元新潟大教育学部教授の箕輪久夫氏、訳詞と演出は桂木農氏。

 アマチュアによるオペラではあるが、あまり馴染みのない作品を十分楽しめるような形で上演してくれたことに感謝したい。

8月15日(金) ドイツ語の試験採点と成績評価をやる。 やれやれ、これで前期授業の成績評価がやっと全部終わったわけだ。

 人文学部と工学部と理学部、合計20名のクラスだが、今回の試験で最高点をとったのは97点の工学部生、次点が96点でやはり工学部生、3位が95点で人文学部生、以下、94点の工学部生、93点の人文学部生、92点の工学部生の順。

 逆に悪い方からいくと、最低は33点の工学部生、以下、36点の人文学部生、47点の工学部生、の順。

 1回目の試験をやった直後の6月19日の記述と比較してほしいのだが、このクラス、どう見ても工学部生の方が人文学部生より優秀なのだ。

 成績は2回の試験に平常点、それと週2回の私の授業以外にドイツ人の先生の授業が週1度あるから、その成績も加味して算出されるので、必ずしも今回の試験成績とは比例しないのだけれど、上と下の差が大きいクラスだとは言えるだろう。 

 ドイツ語は、この4月に学生全員が同じスタートラインで始めたわけだが、わずか4カ月でこれだけ差がついてしまう。 英語と違ってあらかじめの得手不得手の差はなかったはずなのに、である。 世の中、こうしたものでしょうか。

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 さて、夕方から西総合スポーツセンター、通称コスポに卓球の練習に行く。

 明後日に卓球の試合があるのだが、ふだん通っているN卓球クラブはお盆のため今週は練習がなく、試合を控えて練習不足ではいけないと、同じクラブで試合に参加するMS氏、SS氏と私の3人で相談して決めたのである。

 コスポは、卓球やバドミントン、テニスが2時間単位でできるようになっている。 料金は、大人200円。 新潟市は、こういう市営の大型スポーツセンターが市内数カ所にできている。 

 2時間あると、たっぷり基礎練習ができる。 MS氏とバックハンドの基礎練習を十分やれたのは貴重。 私はペンホルダーからシェークハンドに転向して2年だが、いまだにバックハンドの感触がよくつかめていない。 シェークハンドでバックが使えないのでは転向した意味がないわけで、今日は少し光が見えてきたような気がした。 まあ、逆に言えば、いかにふだんは基礎練習をおろそかにしているか、ということなわけだが。 

 SS氏は息子さんを連れてきた。 卓球だから、練習は偶数人数でないとやりにくいわけで、その辺を配慮してのことである。

 息子さんは中3で卓球部に所属しているそうだが、最後に試合をしてみると、どうも戦法が杓子定規というか、柔軟性がない。 実は私の中学生の次男も学校で卓球クラブに入っているのだけれど、同様の傾向がある。 学校で習うフォームで、習う戦法でしか球を打てない。 だから弱い。

 昔だと、自由に卓球台で球を打ち合って、ボールの動きに慣れたものだけれどなあ。 そういう下地があってから卓球クラブに入ってそれなりの訓練を積む、という順序だったのが、最近は下地が消えつつあるみたい。 これ、卓球だけの問題ではないと思うのだが。

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 ところで、卓球練習場には、最初はわれわれ以外、女子高校生と思われるペアが一組だけだった。 温泉卓球をあまり出ないレベル。

 しかし開始時間を30分以上過ぎてから、男子高校生と思われるペアがやってきた。 男の子らしくマニアックで、まず専門薬剤でラバーを念入りにクリーニング。 その後打ち始めたが、悪くないレベルだ。

 ところが、始めて1時間とたたないうちに打ち合いをやめ、フロアの隅でペットボトルを片手に――フロアでの飲食は禁止なんだけどなあ――雑談を始めた。

 と言って、私は別にここでケシカランとかなんとかお説教を垂れたいわけではない。 親密そうに話し合っている二人を見て、突然、懐かしさと羨ましさを感じてしまったのである。

 男の子同士の親密さというのには、何か独特のものがあると思う。 女の子同士のトイレにまで一緒に行くというようなベタツキとは違う、しかし年をとった男からは失われてしまうような、プラトニックなエロスとでも言いたくなるような何かが。

 50歳を数えるようになってしまった私としては、そういう雰囲気を感じ取って、感傷に駆られた、というわけなのでした。 中村光夫じゃないが、年はとりたくないものです。

8月14日(木) 月曜4限の情報文化実習Iの成績評価作業を終える。 この授業は、小論文を書く訓練をするものだから、提出された小論文を全部読まねばならず、だいぶ時間を食った。 もっとも学生28名中、5人は未提出。 挫折した、ということなのであろう。

 提出された小論文も、レベルは様々である。 あまり普通の人間が気づかない分野に光を当てて、それなりに調べたものもある一方で、文献の未消化が露呈しているものもある。

 例えば、「反動的日本政府は・・・・・」 なんて書き方をしちゃっている小論文があって、困るなあと思ったものだ。 「反動的」 などという形容詞は、世の中が決まった方向に進歩していくと信じられていた頃の、つまりマルクス主義が知識階級の聖典だった時代の用語で、今どきは使わないからだ。 それに、書いた学生も別段サヨクをやろうと決心しているわけでもなさそうなのだ。

 要するに、学生が使用した文献にこういう用語が使われていて、それも60年代あたりの文献ならいざ知らず、90年代に出たものでもこういう言葉遣いをしている文献があり、学生は漠然とその文章を引き写しにしてしまった、ということなのである。 まあ、戦後日本の思想状況の流れを把握して書け、というのは20歳の学生には酷であろうけれども。 また、90年代にもなって 「反動的」 なんて文章の学術書出している学者もどうしようもないわけだけれども。

 かと思えば、あらかじめ提出したテーマと全然違う内容の論文を提出した学生もいる。 どうやら、最初に設定したテーマでは文献が乏しくて書けそうもないと見切りを付けたらしい。 それはいいのだけれど、では何について書いているかといえば、自分が趣味で没頭しているらしい事柄についてなのだ。 

 読んだ私にはちんぷんかんぷんである。 私はその学生と同じ趣味を有していないし、年齢も30年も違う。 ところが読む人間もその分野について自分と同じ知識を持つという前提で書いているから、理解のしようがないのである。 自分の好きな事柄について書くときは、全然その分野に通じていない人間にも理解できるように書け、と授業中に注意したのだが、分かっていないらしい。

 例えば――あくまで例えばである――好きなテレビドラマについて小論文を書くとしよう。 その場合、論文を読む人間がそのテレビドラマを見ているという前提で書いてはいけないのだ。 私のようにテレビをほとんど見ない人間もいるのだから。

 ところが悪いことに、こういう身近なサブカルで論文を書こうとする学生に限って、そういう感覚がなく、論文の読者を自分と同じ趣味と興味を有する人間としか想像できず、したがって対象を距離を置いて分析する能力がない、という傾向がある。

 そして最初に指導教員 (つまりワタシ) と面談して打ち合わせをするときも、「ほら、月曜9時のテレビドラマがあるじゃないですか」 などと言って、それ以上の説明ができなかったりする。 「私は見ていないんですけれどね、どういうテレビドラマなの?」 とこちらが訊いても、なかなかまともな答が返ってこない。

 こういう場合は、対象をいったん突き放して説明できないといけないのだ。 「月曜の9時から1時間枠の連続ドラマで、今のところ始まって2カ月です。 脚本は○○○○で、主演は××××と△△△△、それと脇役の□□□□が重要です。 筋書きはかくかくしかじかで、従来の同様のテレビドラマに比べてこういう点が新しいというので人気が出ているようです。 私としては特に*****のあたりに焦点をしぼって論じてみたいんですが・・・・」 くらいの話はあらかじめできていないと、まずまともな論文はできないのである。 分かったかな?

8月11日(月) 実は、一昨々日(金曜日)、下の日記を書いたあと、このサイトの更新をしようとしたところ、FTPの調子が悪く、更新ができなかった。 パソコン本体の調子がこのところ良くなくて、途中で動かなくなり、強制終了したりしたせいか、FTPに入力されていた各種数字が変わってしまい、ためにサーバーに送れなくなってしまっていた。 

 こりゃ、ヤバイ、パソコン音痴の私の手には負えないから、またSY先生に見てもらおうか・・・・・・などと思いながら帰宅した。

 土曜日は、台風10号が来襲しそうだということで学校には来なかったのだが、結果としてみると、まるっきり大したことがなかった。 テレビの台風情報で見ると、新潟の上空近くを通過したはずなのに、雨はぱらぱら、風はがさがさという程度。 新聞やテレビの情報がなければ、台風が来たなんて実感は全然湧かなかっただろう。 うーむ、情報の弊害だろうか。

 さて、本日学校に来て、再度パソコンを始動したところ、FTPは正常な状態に戻っていて、更新もできました。 よかった、よかった。

8月8日(金) 今年は冷夏と言われていたが、いよいよ本格的に暑くなってきた。 

 この3月に研究室が引っ越しをして、新しいところ (といっても、もう何度も書いているが、築後30年以上たった建物を改修しただけ) 冷房完備という話だったので、快適に夏を過ごせるかなと期待していたのだが、現実は厳しかった。

 というのは、ガスを燃焼させてタービンを回して冷房する方式なのだが、これがカネを食い、人文学部全体として従来の研究費の約3分の1がそのために消えてしまうというのである。

 そこで、平日は午後6時で冷房はおしまい、土日はなし、と決定されてしまった。

 平日午後6時までというのはまあいいとして、土曜が冷房なしというのはキツイ。 私は土曜も学校に来る習慣だし、私と同様な教官も少なくないのである。

 おまけに、私の部屋は建物の最上階にあり、太陽の輻射熱が天井から伝わってくるし、また部屋が南向きだから、条件から言って最悪なのだ。

 世の中、悪くなる一方・・・・・という結論は、やや性急だろうか。

 で、明日は土曜なんだが、学校に来ようかどうしよう・・・・・・台風が近づいてきているしなあ・・・・・

8月6日(水) 1年生向け人文教養演習のレポート採点を終える。 ただし、2人、未提出の学生がいたので、事務で電話番号を教えてもらって、直接本人に電話をかけ、催促しておく。 ったく、最近はこの種のダメ学生が増えている。 この演習は必修で、単位を落とすと後が大変なのに、このテイタラクなのだ。

 この演習、1900年代初頭の日本及び世界の小説を読む、というテーマで、漱石 『三四郎』、鴎外 『青年』、田山花袋 『田舎教師』、ヘッセ 『車輪の下』、フィッツジェラルド 『グレート・ギャツビー』 の5冊を読んだ。

 レポートの末尾に書かれた感想や、7月25日の飲み会で学生に聞いた話から判断すると、漱石、ヘッセ、フィッツジェッルドが学生には面白かったらしい。 逆に、鴎外は言葉遣いが難しく不評だったようだ。

 最終レポートは、この5人の作家の作品を、授業で取り上げたもの以外から任意に選んで論じなさい、というテーマだったが、田山花袋のみは取り上げた学生がゼロだった。 人気薄ですなあ。

 もっとも鴎外は、中学の教科書に採録されていたから、という安易な理由で 『高瀬舟』 を選んだ学生が3人もおり、必ずしもその作家の人気度と取り上げる作品の多さが比例しているわけでもなさそうである。

 取り上げられた作家としては漱石が一番多かったものの、『坊っちゃん』 を選んだ学生が過半数で、ほかには 『こころ』 と 『それから』 と 『猫』 と『草枕』 が各一人いた程度。 もっとも、漱石の中期以降の作品を本当に理解できるようになるには、もう少し時間がかかるのは仕方がなかろう。 私にしても、『それから』 や 『門』 は中学のときに読んでいたけれど、本当に面白いと思えるようになったのは、大学3年のころ改めて漱石をまとめ読みしてからのことなのである。

 そういう中で、ヘッセが 『デミアン』 『シッダールタ』 『幸福論』 各1人、というのは、健闘したと言っていいだろう。

8月5日(火) たまたま本日気づいたので、記しておく。 新潟の 「潟」 の字を正しく書けない人が結構いる。 右下の部分、点が4つなのに、湯の字の右下みたいに棒2本を書いてしまう人が目立つのである。

 以前、私が私的に出している雑誌を全国の主要大学に送っていた頃、関西の某旧帝大からの礼状でもそのように誤って書かれていたので、おやおや、レベルの高い大学の助手でも間違えるのかと驚いた。

 ところがである。 本日気づいたのだが、筑波大学の某教授からのハガキも、同じように間違えているのである。 この方は、お父様が (もう亡くなっているが) 高名な作家で、ご本人は東大卒で、以前は日本独文学会理事長を務め、現在もドイツ語関係の財団法人の理事長をされている。 くだんのハガキは、私がこの法人に寄付をしたので、その礼状として今年春に届いたものである。

 ドイツ語関係者の冴えなさとダメぶりは、こんなところにも表れている、と考えるのは、うがちすぎというものであろうか・・・・・。

8月2日(土) 7月18日にまとめ買いしたCDのうち、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ全集は一昨日聴き終えた。 初期がピーター・ダン=ベルダーのヴァイオリン、中期以降はサルヴァトーレ・アッカルドのヴァイオリンによる8枚組である。

 もともと、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタは割りに好きだったのだが、全曲を揃える余裕がなかなかできなかった。 LP時代はボスコフスキー、CD時代はグリュミオーとズーカーマンの演奏で有名どころは聴いていたのだけれど、今回全曲を通して聴いてみて、この曲種はモーツァルトらしさが、というか私の好みの形でのモーツァルトらしさがよく出ているなあ、と改めて痛感したことであった。

 で、今日はドヴォルザークの弦楽四重奏曲全集にとりかかる。10枚組で、シュターミッツ四重奏団の演奏。 一番最初の曲は、解説書によると、ドヴォルザークが20代でオーケストラのヴァイオリニストをやっていた頃に書かれたものだそうである。 作品番号なしで、演奏時間が72分もある!  解説にも、19世紀の室内楽の枠を越えた長さだ、と書いてあるが・・・・・・・。

7月30日(水) 学内のドイツ語教師の会議。 今秋に新潟で開かれる北陸支部学会の打ち合わせと、新潟大学のドイツ語教育 「改革」 の話。

 「改革」 といっても実は 「改悪」 なので、理工系の学生はますます第二外国語から締め出されるのである。 それで、非常勤講師のなかには首を切られたり持ちコマを減らされたりする人が出てくる。 

 本来、こういう改悪に断固として反対するのがドイツ語教師であるべきなのだが、現実には、なぜかこういう傾向に迎合してしまうのがドイツ語教師たちなのだ。 それもいわゆる団塊の世代の。 むかしサヨクをやっていて今どきは自分から第二外国語削りに奔走する彼らの悲惨さ・・・・・。 

 世間の傾向に迎合するなら、非常勤のクビを切らずに自分が辞職すれば良さそうなものだが、そういう良心はむろんカケラほども持ち合わせていない。

 詳しくは別に改めて論じたいが、ドイツ語教師のダメさは、ここにきて決定的に明らかになりつつある、とだけ言っておこう。

7月26日(土) 『月刊ウインド』8月号が届く。 新潟市民映画館シネ・ウインドが出している雑誌で、会員には毎月郵送されてくるのである。

 野上純嗣が連載していた 「映画をもっとよく知るために」 が最終回。 最終回のせいか、わりにまともな内容だ。 シネコンだらけになってしまった映画鑑賞の場を嘆き、ハリウッドのステレオタイプ的な映画作りを批判し、映画にも風土というものがある、風土が人と映画を生み育てるのだ、と述べている。 かなり二分法的な割り切り方ではあるが、わかりやすさがこの場合はうまく効いている。

 ポップコーンとコーラの臭い、とシネコンを評しているのもいい。 私も、おにぎりやお茶を持ち込めないシネコンを不愉快に思っている人間だからだ。

 だいたい、この野上という人の認識は万事単純で、前回は、戦時下の日本とナチとレーニン掌握下のソビエトを挙げながら 「映画は権力ではなく庶民の味方にならなくては」 「映画を悪魔の手に渡してはいけない」 「映画は人類の貢献として誕生した」 とのたまうし――じゃあ、戦時下のアメリカ映画はどうだったのかねと茶々を入れたくなる――、昨年の或る号では、田中真紀子を絶賛し鈴木宗男をこき下ろすというマネをやってくれた。 今も田中真紀子信者なのかどうか、訊いてみたいところである。

7月25日(金) 夜、1年生向け人文教養演習(木曜4限)の学生と打ち上げコンパ。 といっても、授業の受講生は18名だが、コンパへの参加学生はわずか5名。 昨年度も同じ授業のコンパは、6名しか参加しなかったから、偶然ではなく、一つの傾向と見た方がいい。

 この授業、5〜7年前にも何度か受け持ったのだが、その時はコンパには3分の2以上の学生が出席していた。 昨年、数年ぶりで受け持ってコンパをやったら6名しか参加しなかったので愕然としたのだが、今年も同様だとすると、どうもこの間に学生気質に変化があったのだとしか考えられない。 

 それがどういう変化なのか、実はよくつかめていないのだが。

7月24日(木) 午後1時から、大学院現代社会文化研究科の研究科委員会 (研究科委員会とは、大学院の教授会のこと)。 議題は少なくなかったが、1時間少々で終わる。 このスピーディさがいい。

 もっとも、スピーディでないと困るのである。 昼休みと4限の間をぬうように時間が設定されており、私は4限には授業があるからだ。

 昨日、講座会議があったが、議題は少ないのに2時間半以上かかった。 お陰で、学生に小論文草稿の添削を渡すはずが、渡しそびれてしまった。

 どうも私の所属する講座の講座会議は長びく傾向があり、とりとめもないおしゃべりの場と化している印象がある。 あらかじめメールで意見を出し合って担当者がたたき台を作っておけばかなり時間短縮になるはずだが、そういった知恵が働かない。 或いは、そういう結論が出るまでに長々と無駄な議論が費やされる。

 だいたい私は会議が嫌いで、とはいえ会議に出るのも給料のうちだから仕方なく出ているけれど、大学内の会議のうちでダントツに無駄が多いのが講座会議という印象を持っている。

 私は以前、講座会議に時間制限を設けたらと提案したが、容れられなかった。 とりとめもないおしゃべりが好きな人間が多数を占めているということであろう。 おしゃべりは私的にやってもらいたいんですがね。

 ちなみに、蓮実重彦は東大学長時代、あらゆる会議は1時間半以内で終わるという鉄則を設けていたそうである。 見習うべきことであろう。

7月21日(月) 祝日だが、午前11時から自宅斜め向かいのお宅にて、告別式に出席する。 そこのおじいさんが一昨日に亡くなったので。 享年85歳だそうである。 合掌。

 12年前、私は現在の家を建てて移り住んだが、建築途中に時々検分に行くと、このおじいさんがよく暇そうに立っていて、土台のコンクリート枠しか出来ていない段階で、「あそこが食堂かね?」 などと話しかけてきたものである。 当時すでに隠居身分で、やることがなかったらしい。

 その後、転んで骨折するなど色々あって、途中から入院のしっぱなしで、姿を見かけることもなくなった。 一方、その連れ合い、つまりおばあさんのほうは働き者で、元気そうな姿を始終見せていたのだが、数年前、突然亡くなった。 まさかおばあさんが先に逝くとは、誰も予想していなかったので、世の中分からないものだと実感したのである。

7月18日(金) 午後、法学部のM先生のところに行って話をする。 教養部解体以降の新潟大学の教育体制についてだが、どうもうまくいっていないのである。 詳しいことはここには書けないが、学部エゴや個人エゴが噴出してきてにっちもさっちも行かなくなっているのが、現在の新潟大学なのだ、と言わざるを得ない。

 ボーナスが出たことでもあり、先日金沢の 「クラシック山蓄」 にCDをまとめて注文しておいたのだが、本日届いた。 モーツァルトのヴァイオリンソナタ全集、メンデルスゾーンの室内楽全集、ドヴォルザークの弦楽四重奏曲全集。 合計28枚ながら、どれもブリリアントだから、金額はぜんぶで13000円程度である。 少しずつ聴いていこう。

7月15日(火) 夜7時から、りゅーとぴあスタジオAにて、メンデルスゾーン室内楽の夕べを聴く。 ヴァイオリンが星理恵子、チェロが渋谷陽子、ピアノが成嶋志保。 プログラムは、ヴァイオリンとピアノのためのソナタ作品4、『無言歌』 より 「慰め」 「羊飼いの歌」 「狩りの歌」、協奏的変奏曲作品17 (チェロ+ピアノ)、ピアノトリオニ短調作品49。

 で、演奏だが、ピアノとチェロはいいのだけれど、ヴァイオリンがイマイチ。 音がきちんと出ていないし、音程も不安定。

 こういう室内楽の夕べは良い企画だと思うし、地元の実力ある音楽家はどんどんやってほしいけれども、演奏レベルが低くては話にならない。

 内輪だけの会ならともかく、チラシを作りチケットを売り出し入場料2千円をとってやるからには、それなりのレベルでないと。

 パンフレットを見ると、ヴァイオリンの人が企画をやったらしいが、失礼ながら必ずしも自分が出演せずとも企画に徹するのも一つの行き方ではないかと思ったことであった。

7月13日(日) 朝から、新潟東地区卓球大会。 新潟東地区スポーツセンターにて。 これは前回までは大形地区卓球大会といっていたものだが、規模を拡大して名称も改めたらしい。 ダブルスだけの大会で、前半はA級男子とB級女子、B級男子とA級女子の組み合わせ、午後はA級同士の男女、B級同士の男女でペアを組む。

 規模の拡大ということだが、従来は新潟市以外では、せいぜい近隣の町から参加者がある程度だったが、今回ははるばる六日町から参加した人もいた。 

 そのことは結構だけれども、参加者が多すぎて、試合形式を1セット11本で2セット先取形式にしたにもかかわらず、午前中は全部の試合が行えなかった。 1グループ8ペアでリーグ戦を行ったのだが、ペアごとにそれぞれ7試合やるはずが、5試合で時間切れとなってしまったのである。

 規模の拡大も一考の余地あり、ということではないか。

 私は午前中は4勝1敗。 これは組んだ女性が強い人だったからですね。 午後は、最初3連敗してどうなることかと思ったが、その後4連勝して、勝ち越すことができました。

 試合終了後、急ぎりゅーとぴあ (新潟市民芸術文化会館) へ。 東京交響楽団第21回新潟定期演奏会。 指揮はユベール・スダーン、独奏ゲルハルト・オピッツで、ブラームスのピアノ協奏曲第2番とベートーヴェンの交響曲第7番というプログラム。

 昨日の産経新聞に、東京交響楽団の音楽監督交代のニュースが掲載されていた。 秋山和慶氏が監督を辞任して桂冠指揮者となり、従来は首席客演指揮者だったユベール・スダーンが音楽監督に就任。 あわせて大友直人が正指揮者から常任指揮者に、飯森範親が指揮者から正指揮者になるということで、世代交代をはかる意図が鮮明。

 秋山和慶氏が東響の指揮者になられたころ、いちど楽団が倒産してしまったそうで、ずいぶん苦労されたようだ。 長年のご尽力をねぎらうと共に、今後も新潟で指揮活動をご披露下さるよう祈りたい。

 さて、肝腎の演奏だが、ブラームスの協奏曲、オピッツのピアノは力むこともなく自然に豊かな音が出ているようで、感心。 第4楽章のテンポも私ごのみ。 満足できる演奏である。

 ベートーヴェンは、両端の楽章を早めのテンポで、中の2楽章を遅めのテンポで、という設計だったようだ。 私としてはこの曲は一気呵成に持っていくべきだと思うのだが、これはこれで一興であろう。 

 アンコールにシューベルトの 「ロザムンデ」 間奏曲が演奏された。

7月11日(金) 4歳の子供を殺した犯人が12歳の中学1年生だというのがニュースになっている。

 遺族の方にはお気の毒と言うしかないが、私自身を振り返っても、中学1〜2年の頃というのはかなり心理的に不安定で、犯罪に近いところにいたような気がする。

 小学校の頃と比べると体が目立って大きくなっていくので大人に近づいているように見えるのだが、実際は急激な成長故に体調が崩れやすく、それが心理的な不安定さにも結びつきやすい。 知識や認識力も一気に増大し始めるが、これも世界の混沌を漠然と予感させたり、過激な観念にとりつかれたりする可能性を増やすのだ。

 つまり中学時代は、子供という状態で或る程度安定している小学校期と、成長が止まって体調は安定する高校期との迫間にあり、難しい時期なのである。 幼児を殺すかどうかはともかく、アナーキーな犯罪すれすれの心理状態に陥ることは、多くの中学生が経験しているはずだ。

  そういう衝動を別の方向のエネルギーに変換するような何かがあればいいのだろうと思う。 スポーツに打ち込める人間はこの点、まだ楽だが、運動神経の鈍い(私もそうだったが) 人間はそうした選択肢を持たない。

 といって、そこに社会学だとか心理学の説明原理を導入しても、救いは来ないと思う。 まして、人命を尊重しましょうというような教育スローガンは無力である。

 もやもやした状態を説明原理以外の何かで自分自身に納得させることが必要なのだ。 ・・・・・という視点から見ると、文学は昔から犯罪を描くことに長けてきたことが今更ながらに思い起こされる。 だから文学をやりなさい、っていうのでは、オチがつきすぎるかな。 

7月8日(火) むかし岩波文庫で出ていたヘッベルの 『わが幼年時代』、インターネットで探してみたら、絶望書店というネット古書店に在庫していたので、注文を出す。 最近、ヘッベルにちょっと興味を持っているのだ。 こういう捜し物は、ネット時代になってずいぶん便利になった。 

 絶望書店からはさっそく在庫確認の返事が来たが、「3年ぶりのご注文いただきありがとうございます」 「以前と同じく当店では一切の書類を出しておりませんのであらかじめご諒承ください」 とあって、思わずニヤリとした。

 3年前、私は絶望書店に注文を出した。 D・H・ロレンス著 (福田恆存訳) 『現代人は愛しうるか』(筑摩書房) で、その際、「校費購入できるでしょうか? 可能なら、納入書等の書類添付をお願いしたいのですが」 と書き添えたら、そういう書類の類はいっさい出しておりませんという返事が来た。

 この本、じつは自分で読もうと思って注文したのではない。 だいいち、私はこの本は20年以上前に自分で買って読んでいる。

 そのとき絶望書店にあたらめて注文を出したのは、新潟大の図書館にこの本がおいていないことに気づいたからだ。 私は授業中、この本を参考文献に挙げることがあるので、学生に読ませるためにも図書館にないのはマズイと思い、調べたら品切れで新本では手に入らない。

 それで古本を探してみたら、絶望書店の在庫に行き当たった、というわけである。 しかし校費購入は受け付けません、というのでは仕方がない。 値段も千円に満たない額だったから、自分のカネで買って図書館に寄付する、という方法をとった。

 もっとも、絶望書店のように、書類は出しませんとはっきり言ってくる態度は、私は好きである。 インターネット上の古書店に、同じような理由で校費購入できないかと問い合わせたことが何度かあるのだが、全然返事をよこさないところが結構あるのである。

 人間であれ団体であれ、こちらの問い合わせや意見表明に返事をよこさない存在を、私は軽蔑する。 大学内にも、軽蔑されるべき輩が多いのである。

7月7日(月) 七夕だが、あいにくの天気である。 しかし織姫からメールが届いたので、満足する私でした(詳細は略)。

 夜、H卓球クラブに練習に行ったら、MS氏が大きなスイカをかかえてやってきた。

 MS氏は本職が八百屋さんである。 途中休憩時間に新聞紙を取り出して床に重ねて敷き、その上にスイカを載せて、大きな包丁で一気に切り分けた。 この包丁、刃渡りが50センチ近くあるシロモノで、下手をすると指くらいは簡単に切り落とせそう。 訊いたら、スイカ切り専用の包丁なのだそうである。 さすが八百屋さんだけあって、専門的な道具を持っているわけである。

 おかげさまで、全員おいしいスイカにありつけました。 ありがとうございます。

 H卓球クラブは新潟市の旧市街に近いところにあるので、会員の職業もサラリーマンだけでなく、このように自営業など各種揃っていて、面白い。

 これに比べると、もう一つ私が加入しているN卓球クラブは、私の住まいのすぐそばで、ということはつまり郊外の住宅地にあって、会員は皆、サラリーマンや公務員、兼業主婦ばかりで、あまりバラエティに富んでいない。

 それで思い出すのが、私の幼年時代である。 私は小学校2年になるとき転校しているのだが、それ以前は某地方都市の商店街の裏手に住んでいた。 幼稚園や小学校1年次の同級生には、だからサラリーマン以外の子女が結構いて、そういう子供の家に遊びに行くのが非常に面白かった。 魚屋や歯科医の子のところに行った記憶はいまだに鮮明に残っている。

 それが、小学校2年で父の会社の社宅に移り、学校も転校して、周囲はサラリーマンの子弟ばっかりになってしまった。 何となくモノトーンで、面白みがなくなった印象があった。

 もっとも、面白みがなくなったのには別の理由もある。 小学校1年次の私は、クラスでも抜群の秀才 (笑) であった。 ところが2年で転校した学校には秀才がごろごろしていて、自分が相対的に目立たなくなってしまったのである。

 つまり、商店街近辺に住んでいるのは昔から地元に定住している人間で、子供に学校の勉強なんぞを真面目にやらせようとはしないのに対し、社宅に住んでいるのは首都圏や他地方出身の高学歴の人間であって、ふだんから子供を勉強させるべく熱心なので、そういう差が学校全体の学力や雰囲気にも反映していた、ということなのであった。

 こういう体験も勉強のうち、だと分かったのは、無論しばらく後になってからだったけれど。

7月6日(日) 和田純子さんのオルガンによる、浪漫的オルガン・トークコンサート第1回に行く。 本日午後3時からだったんだけれど、直前に会場のりゅーとぴあ付近に車で着いたら、駐車場が満車。 しかたなくほかの駐車場に回って、若干遅刻してしまった。

 第1曲が終わったところで入場したけど、客の少なさにびっくり。 百人程度じゃないですか。

 値段も安いのに、どうしてみんな来ないのかなあ。 1500円。 2回通し券が2500円。 Nパックメイトだとさらに1割引。 ということは1回あたり1125円。 激安のコンサートだと思うんだが。

 内容的にも、ブラームスのオルガン曲をまとめて聴けて良かった。 CD探してみようかな、という気になりました。

7月4日(金) 夕方、BOOKOFF紫竹店に寄ったら、ベートーヴェンのピアノソナタ全曲を作曲当時の楽器で演奏したCD (claves) が、10枚組1500円で出ていたので、買うことにした。 あと、スクリャービンの交響曲第2番 (ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団) も。

7月3日(木) 本日入った情報によると、今年度の新潟大学人文学部教員の研究費は、一人あたま20万円だそうである・・・・・!!!! ワタシの講座では共通費で5万円さらに引かれるから、ということは15万円しかないことになる。

 例年40万円くらいなはずなのに、なぜ突然少なくなったのかと言えば、(1) 3月に引っ越しをしたので、その引っ越し費用と、(2) 引っ越した校舎に空調がついているので、その費用――を差し引いたので、それだけ少なくなってしまったのだそうである。

 冗談ではない。 文系は理系よりカネがかからないとはいえ、研究費にはコピー代や電話代、定期的に購入している外国図書なども含まれているのだ。 これでは事実上、今年度は何も買うなというに等しい。

 だいたい、引っ越し費用が独自に計上されず、フツーの予算から引かれるのもおかしい。 引っ越し先の建物の改修費は当然ながら特別会計なのだから、引っ越し費用だって特別会計にすべきなのにそうなっていないわけで、国立大学のお粗末さとバカバカしさはここに極まれり、と言うべきであろう。

 といって、だから独立法人にすれば万事解決、なんて思っちゃいけない。 文科省の官僚がカンでいる限り、事態が良くなるはずはないからだ。 今回の事態だって、煎じ詰めれば文科省官僚の無能から来ているわけですからね。

 独法化は、文科省役人の天下り先を増やすだけだ。 これでは何も変わらないぜ。

7月2日(水) 8月に 「ブックレット新潟大学」 シリーズで刊行予定の 『〈女〉で読むドイツ文学』 (新潟日報事業社) の初校が届けられた。

 あらかじめ言われていたのではあるが、文章を勝手に直されていて、愕然とする箇所が少なくない。 いわゆる差別語――例えば 「文盲率」 を 「非識字率」 に直すとか――については、まあいいとしよう。

 また、漢字熟語の一部を平仮名に直してしまうという例もかなり見られるが、これは漢字に戻して、その代わり丁寧に振り仮名を付けることで解決したいと思う。

 ところがである。 文章の意味やリズムを改変、というか改悪してしまうような変更を平気で加えているのだから、唖然とするしかないのである。

 例えば、ゲーテの 『若きウェルテルの悩み』 を扱った文章で、

 《 ウェルテルにしても純情無垢ではなく、男女間の微妙な心理を察しているわけです。》 と私が書いたのを、

 《 ウェルテルにしても純真であるといえど、男女間の微妙な心理を察することはできるわけです。》 としてしまっている。 おいおい、勝手に文意を変えるような真似をするなよ!

 また、《 私はこの章の題を 「ロッテは聖女か悪女か」 としました。 私はロッテが稀代の悪女だと言いたいのでしょうか。 そうではありません。》 と

書いたところは、

 《 私はこの章の題を 「ロッテは聖女か悪女か」 としましたが、ロッテが希代の悪女だと言いたいのではありません。》 となっている。 おいおい、文章の起伏を壊して平板な表現に直すような真似はするなよ!!

 また、ゲーテについて説明した箇所で、《 ドイツ中部のフランクフルト市に裕福な市民階級の息子として生まれました。 母は市長の娘という名門の家庭でした。 》 と私が書いたのを、

 《 ドイツ中部のフランクフルト市に裕福な市民階級の息子として生まれ、母は市長の娘という名門の家庭で育ちました。 》 と直しているんだが、この文章、どことなくヘンなのは、分かる人には分かると思う。 まるで生まれと育ちが別みたいじゃん。

 どうやら文章センスがあまり、いや、かなりない人間が校正をやっているようで、困ったものである。 昔、英国作家サマーセット・モームが女性秘書をやとって原稿をタイプで清書させたら、勝手に文章を直してしまうので困ったという話があったけど、それに似た感じかな。

6月30日(月) 今月初めに出張で上京した際に、東京駅前の八重洲書房で気づいたのだけれど、その後忘れていて、本日突然思い出したので、ここに書いておきます。

 以前、中公新書から出ていた小島亮『ハンガリー事件と日本』が、現代思潮新社から再刊されている。 定価は2200円で、新書版に比較するととやや高価になったのは残念だが、戦後日本の思想的転回点のきっかけとなったハンガリー事件とそれに対する日本の知識人たちの発言をまとめたもので、戦後日本の思想史を見ていく上できわめてベイシックな良書なのだが、なぜか中公新書版が数年来品切れとなっていて、再刊が望まれていた。

 思想関係のみならず、戦後の歴史に興味のある人にも必読書と言えよう。

 それにしても、不審なのは、こういうクオリティの高い本が品切れになったまま他の版元に移されてしまうということだ。 中央公論社は、周知のように経営が左前になって読売の傘下に入ったわけだが、読売がこの種の本の維持に熱心でないのだろうか?

 出版界の事情にうとい私としてはどうにも理解に苦しむ。 中公新書は一時期は岩波や講談社を断然押さえて新書の雄と目される時期が続き、内容的に優れたものが多かっただけに、再版はとどこおりなくやってほしいものだ。

6月29日(日) 午前11時、秋に新潟に来演するジュゼッペ・サッバティーニ (テノール) のチケットが、Nパックメイトに限り本日から先行発売となるので、電話予約をしようとしたが、なかなかつながらない。 40分後、ようやくつながった。

 一昨日記したように、やはり秋に来演するウィーンフィルはなんとか2度目のチャンスでチケットを入手できたが、仮にそれがダメだった場合、7月20日に一般向けの電話予約があるので、それに賭けるつもりだった。 といっても、ウィーンフィルは第1回の東響定期会員枠と、第2回のNパックメイト枠で3分の2程度が使われているから、残り座席は少なく、おまけにウィーンフィルというブランドにはふだんクラシックコンサートになんか行かない人も群がりそうだから、電話競争の熾烈さはサッバティーニの比ではあるまい。 つくずく、一昨日で当たってよかったと思う。

 閑話休題。 サッバティーニの電話予約の話の続き。 電話口に出た係員は、どうも初心者らしい。 こちらの言うことを2度聞き違えたので、当方は同じことを3回繰り返す羽目となった。 その他の点でも、どうも手際が悪い。 

 まあ、だれだって初心者から始めるわけで、電話口の人間もその例外ではないが、サッバティーニの予約が始まる日、つまり電話予約で混みそうな日に初心者を配置しなくとも良さそうなものだ。

 それはさておき、午後2時から、県民会館大ホールで、新潟交響楽団第72回定期演奏会。 指揮は河原哲也。

 最初のブラームス「悲劇的序曲」のあと、岩谷祐之の独奏によるブラームスのヴァイオリン協奏曲だったが、これが期待に違わぬすばらしさ。

 私はこの曲、実演は一昨年のチョン・キョンファ以来だけど、あれよりよほどいいと思った。 音がしっかり出ているし、この曲の特徴である激情と叙情がともに過不足なく表現されていた。 今度はリサイタルで聴いてみたいヴァイオリニストですね。

 潟響は、昨日の新大オケと比較すると、やはり一日の長があり、安心して聴いていられる。 後半はプロコフィエフの「ロミオとジュリエット」より抜粋。 私はプロコフィエフはあまり好きじゃなく、この曲も有名な第1曲以外はロクに聴いたことがないが、まあ実演で聴くとそれなりに面白いですね。

 同僚のSY先生がヴィオラの副首席奏者として活躍されていたのが目を惹いた。

 それと、後半のフルートを吹いた女性奏者がよかった。 音がしっくり出ていて実にうまい。 前半のフルートを担当した別の女性奏者は音の抑制が利いていなくて、イマイチだったので、余計目立ちました。 あとでSY先生にうかがったところ、山本弥生さんとおっしゃる方だそうです。 

6月28日(土) 午後6時半から、新潟大学管弦楽団第24回サマーコンサート。 りゅーとぴあコンサートホール。 指揮は河地良智。

 フンパーディングの「ヘンゼルとグレーテル」序曲の後、迫昭嘉を迎えてのグリーグのピアノ協奏曲。 全体としてよくまとまった演奏ではあった。 衝撃を受けるとか、鬼面人を驚かすといった感じはないけれど。 第2楽章の最初のあたりの音が特にきれいで印象に残った。 それと、第1楽章でオケが沈黙するピアノの聴かせどころで、聴衆の咳が突然多くなったのが不可解。 ちょっと首をひねりました。

 後半はドヴォルザークの第8交響曲。 これはいい演奏だった。 新大オケとしては近年にない名演、というのはホメ過ぎかな。 最後、アンコール2曲、シベリウス 「カレリア組曲」 から第3曲 ”行進曲風に” とJ・シュトラウス 「雷鳴と電光のポルカ」 をやって盛り上げて終わるところも、よかった。

 気のせいか、会場は学生と老人 (咳のもと?) が多かったような。 潟響を明日に控えていたせいかもしれないけど、社会の中堅を担う人たちにもっと聴きにきてほしいものだ。

 それと。 途中休憩は 「15分」 とのことだったが、実際は25分近くあったぞ。 聴衆がちょっと退屈していた。 こないだの演奏会もそうだったが、どうも新大オケは時間がルーズだ。 管理をしっかりしようね。

6月27日(金) 11月に新潟に来るウィーン・フィルのチケット、先に東響新潟定期会員枠でハズれてしまったのだが (6月4日の記述を参照)、その後Nパックメイト (新潟市民芸術文化会館会員) 枠で出していたところ、本日、当選の通知が来た。 よかった、よかった。

 このところ、ロクでもないことばかりで (必ずしもこのコーナーに記してはおりませんが、どうも昨秋、50歳になった頃からワタシの運勢は下降気味のようで、不愉快なことが続出しているのであります)、意気消沈していたのだけれど、最悪というところまでは落ちていないらしい。

6月24日(火) 夜、帰宅したら母校から封書が来ていた。 寄付の依頼である。 独法化を控えて、大学のさまざまな事業を担当する財団法人のなんたらかんたらのために寄付をしろというである。

 ところが、である。 そこに書かれた 「目安」 を見て仰天。 ひと口1万円で、卒業後20年以上の人 (ワタシです、ワタシ) は10口以上、とある。 おいおい、いくら何でも、じゃないか。 医者や銀行員ならいざ知らず、文学部出で安月給の大学教師に要請するにはちと過ぎる額じゃないか、と思った。

 ところが、である (語彙の貧弱!)。 同封された別の文書には、シメシをつけるためであろう、母校教員の寄付金額の目安、も書かれていた。 学長が300口・・・・・てえことは300万円である! 学部長が50ないし100口、教授が30口、助教授20口・・・・・・。

 学生時代、同じ研究室でワタシの一年先輩だった人が母校の教授になっているのだが、これを見てワタシは先輩の顔を思い浮かべ、気の毒になった。 安月給なのに30万円むしりとられるんですか。 大変だよなあ・・・・・。

 で、肝腎のワタシはどうするかって? 無論、目安に従って10万円以上寄付する――なんてことはしません。 ひと口程度でお茶を濁すでしょう、はい。 だいたい、ワタシはそんなに母校愛に燃えるタイプの人間じゃありませんから。

 この日はユニセフからも封書が届いていた。 無論、これまた寄付の要請である。

 この機関からは数年前に初めて封書が届いた。 年末だったこともあり、ほんの少々だが (漱石数枚程度です) 寄付をしておいた。

 で、それから年末に封書が届くようになり、ワタシも年に一回くらいは善根を積もうと思い、少々の寄付は続けてきた。 ところがである。 昨年までは年末にしか封書が来なかったのに、今年になって、なぜか3月にも封書が届き、そして本日また届いたのである。 ちょっとしつこすぎはしませんか、ユニセフさん? 

 ワタシは高給取りじゃないんだし、そんなに何度も寄付をしているわけにはいかないんです。 ガキも3人かかえておりますし。 こういう寄付の要請は、医者や銀行員、もしくは独身貴族かDINKS (死語か?) にして下さい。

 先日、公的資金の導入が決まった 「りそな銀行」 で、行員の給与が激減したので、同行が行員向けにローンを特別に組む、という記事が新聞に載っていた。 どの程度激減したかというと、35歳の行員が従来年収900万円だったのが、600万円になったので、ということだそうだ。

 この記事を読んで、ワタシは、日本の銀行ってのは浮世離れしているな、と思った。 比較するに、国立大教師の給与はどのくらいか? 1990年、大学時代のサークルの同窓会があり、私も出席したが、当時38歳の助教授であったワタシの年収は600万円なかったのである。 (その後ベースアップも多少はしているから、現在の国立大学助教授38歳は、年収600万円あるだろうと思うが。)

 なぜそれを覚えているかというと、その同窓会で銀行勤めの先輩2人と会ったので、そんな話をしたら、先輩2人は驚愕の表情を浮かべていたからだ。 恐らく先輩の給与はワタシの2〜3倍はあっただろうと思う。 先輩ではあるが、2人とも留年したので卒業年はワタシと同じであった。

 世の中、どうも狂っていますね。  

6月23日(月) 8月に 「ブックレット新潟大学」 シリーズで刊行予定の本、ある人に献呈を予定しているのだが、その旨を 「あとがき」 に明記していいかどうか、先週金曜日にメールで打診しておいた。 担当の人からも 「ちゃんと断っておいて下さい」 と言われていたので。 

 本日、返信のメールが来て、快諾してくれた。 予想以上に喜んでくれたようで、ほっとした。 後は本が無事に出ることを祈るばかりだ。 先週の担当者との打ち合わせでは、案外言葉遣いなどに規制が多いようなので・・・・・。

  さて、昨日の 「新潟日報」 紙の読書欄に私の文章が写真入りで載ったのだが、本日夜、H卓球クラブに練習に行ったら、数人から 「読みましたよ」 と言われたばかりか、お一人はわざわざ掲載紙を持参してきた。 これにはちょっとびっくり。 いくら何でもという感じだが、新潟で地元紙の影響が結構大きいことの証明なのだろうか。

 実は、 「新潟日報」 には私は昨年も一度、映画紹介記事を書いている。 しかしその時は全然反響がなかった。 写真入りであるか否かの違いかもしれない。 やはり視覚的要素はバカにならないということか。

 或る御婦人(新潟卓球界中高年三大美人のひとり!) は、「難しい言葉を使ったりしてよく分からない文章をお書きになるのかと思ったら、意外にすっきりして分かりやすかったわ」 とおっしゃるので、「性格が素直なので」 とお答えしたら、首をかしげておられました。 なはははは・・・・・・・

6月19日(木) 私が受け持っている1年生向けドイツ語クラスで今週月曜日に第1回目の試験をやったが、本日、答案を返却する (月木の週2回を私が持ち、他にドイツ人教師による授業が週1回あるクラスなのだ)。 以前にも書いたが、本来は理工系向けのクラスなのだが、今年は人文学部でドイツ語履修希望者が多かったらしく、人文学部の6人がこちらに回されてきて、理学部1人、工学部13人の、合計20名のクラスとなった。

 で、試験の結果だが、最高の99点を取ったのは工学部学生。 2位の93点、3位の90点も工学部の学生である。 4位にようやく人文学部生が89点で入っている。

 一方最低点だが、43点で工学部生、次が44点で人文学部生、45点の工学部生、49点の人文学部生と工学部生、という順番である。

 以上、明らかに人文学部生は工学部生より出来が悪い。 人文学部生が語学で工学部生に負けてどうするのだろう。 まあ、私は自分の教え子はどの学部でも差別なく扱うことにしているから、成績最優秀だった工学部生はほめておいたけど、こりゃ新潟大の人文学部に未来はあるか、ってなものだろうか・・・・・・・・・。

6月18日(水) 先日東京に出張した際に中古CD屋で買ってきたCDを少しずつ聴いている。 メンデルスゾーンの交響曲全集もその一つ。

 といっても、「イタリア」「スコットランド」などの名称のついた管弦楽用の有名な5曲だけでなく、弦楽合奏用の交響曲12曲も収録されているところがミソ。 私はメンデルスゾーンの弦楽合奏用の交響曲はディスクを持っていなかったので、興味津々といったところだが、第7番や第9番など、短調の曲は非常にメロディアスで美しく聴きやすい。 マズア指揮、ライプツィヒ・ゲンヴァントハウス管弦楽団による演奏である。

6月16日(月) 昨日の毎日新聞文化欄に大塚英志が文章を載せている。 その中で、マンガの 「課長・島耕作」 の最近のシリーズで、主人公が若い時分、70年代初頭に、北朝鮮を批判する言辞を弄するのは、いくら何でもおかしい、という意味のことを書いている。

 つまり、その頃は北朝鮮があやしげな国家だという意識は日本人にはなかっただろうと言いたいらしいのだが、おいおい、冗談も程々にしてくれえ。

 日本から北朝鮮への 「帰国事業」 が始まったのが、1959年である。 当時は在日朝鮮人は貧しく、差別にも悩まされ、逆に社会主義国家を理想郷と見なすマスコミや進歩的知識人の無責任な扇動もあって、日本から北朝鮮に渡る在日が続出した。 

 しかし、渡った朝鮮人が北朝鮮の内実を知り、それが日本に残った仲間たちに伝わるのには、さほど時間はかからなかった。 1960年の5万人、61年の2万人が 「帰国」 のピークであり、以後は60年代は年に千人から2千人程度、73年以降は毎年3桁で推移したのである (李英和『朝鮮総連と収容所共和国』(小学館文庫)92〜118ページ参照)。

 つまり、少なくとも60年代半ば以降は、北朝鮮の内実はかなりヤバいのではないかという認識は、日本国内では或る程度流通していたのである。 「進歩的」 な大手マスコミは触れなくとも、こういう洞察は分かる人には分かるものだ。

 私自身の体験を語っておこう。 1975年、私が大学院修士課程1年生の時、ハイネ研究で知られた都立大の老教授がドイツ文学の集中講義に来たことがある。 典型的な進歩的知識人で、オールド・マルクス・ボーイであり、講義の合間にお得意の政治談義を始めるのであった。

 当時は、韓国の朴政権による軍政を叩くのが日本のマスコミのスタンダード・レパートリーだった。 T・K生と名乗る人物の 「韓国からの通信」 が岩波の 『世界』 に載っていた頃のことである。

 その教授も、「いやあ、韓国ってのはひどい国ですよ」 とうれしそうにまくしたてるのだった。 

 念のため。 当時の私にしても老教授と認識水準において異なっていたわけではない。 私だって、韓国は軍政のひどい国だと思っていたのである。 ただし、老教授とひとつだけ違う点があった。 韓国だけ批判して北朝鮮についてだんまりを決め込むのは、均衡を欠いているのでは、と考える程度のバランス感覚は当時の私にもあったということである。

 以上、事実として記しておく。 大塚英志よ、物事はもっとよく調べてから書こうね。

6月11日(水) 午前、上野の東京都美術館に 「ロマノフ王朝展――栄光の宮廷文化とロシア正教」 を見に行く。 ロシア宮廷文化の精髄とも言うべき華麗な装飾品や調度品、ロシア正教のイコンなどが展示されていて、またまた勉強になる展覧会である。 今回の出張では、展覧会が3つともアタリだったのが収穫と言えそう。

 このあと、渋谷と有楽町で映画を見てから、8時台の新幹線で新潟に帰る。 最近のダイヤ改正で、新潟行きの新幹線ではこの8時台の 「とき」 が最速となったが (1時間50分)、新潟駅での越後線への連絡が悪い (20分以上待たされる) のが玉に瑕だ。 JR東日本さん、一考を願います。

6月10日(火) 午前、上野の東京芸術大学美術館に 「ヴィクトリアン・ヌード――19世紀英国のモラルと芸術」 展を見に行く。 ヌード絵画という分野が、19世紀の英国でどのように展開していったかが分かり、また初期映画との関連性も示されていて、昨日の展覧会に引き続き教えられるところの多い美術展であった。

6月9日(月) 午前、渋谷の東急文化村ミュージアムで開催されている 「ミレー3大名画展――ヨーロッパ自然主義の画家たち」 を見る。 ミレーの著名な 「晩鐘」 や 「落ち穂拾い」 が展示されているだけでなく、彼と自然主義絵画とのつながりや、当時の社会情勢と画壇のイデオロギーとの関連などが分かって、たいへん面白い展覧会である。

6月8日(日) 午前中は、昨日に引き続き学会に出席する。 夕方、高田馬場で友人と会って飲む。 高田馬場駅前で古本市をやっていたので、いつもの癖で何冊か買ってしまった。

6月7日(土) 朝8時台の新幹線で上京。 渋谷で映画を1本見てから、成城大学での学会に臨む。 日本言語政策学会。 私は 「第二外国語を壊滅から救い、新たなイデオロギーと制度を生み出すために――日本独文学会の無為無策を批判しつつ」 という演題で発表したのだが、自分で言うのもナンですけど、わりに好評でした。

 夜、東京交響楽団の第504回定期演奏会をサントリーホールに聴きに行く。 東響新潟定期の会員は同楽団の東京での演奏会のチケットをもらえる、という制度を利用したもの。

 座席は、1階1列右端から2番目というすごい席。 タダ券だからそんなにいい席であるはずもないが、指揮者やコンサートミストレスの大谷さんを見るのに首を左に曲げていなくてはならず、首筋がおかしくなりそう。

 ところが、捨てる神あれば拾う神あり。 開演前に舞台を見ると、コントラバスをチューニングしている若いショートカットのチャーミングな女性奏者がすぐ目の前に。 私は新潟のりゅーとぴあでの定期では定席がGブロックで、コントラバス奏者は死角になって顔が見えないので今まで気づかなかったわけだけれど、こんな魅力的な人がコントラバスにいたとは知らなかった。 来年度は席を変えようかな・・・・(笑)。

 閑話休題。 プログラムは、プロコフィエフのチェロ協奏曲第2番とショスタコーヴィチの交響曲第5番。指揮は昨年 「千人の交響曲」 で新潟にも来たジャナンドレア・ノセダ。 チェロ独奏はエンリコ・ディンド。

 席が席なのであんまりまともな感想は言えそうもないが、プロコフィエフの曲は私は初めて聴いたのだけれど、ディンドの独奏は朗々と美しく響き渡り、退屈しなかった。 アンコールにバッハの無伴奏チェロ組曲第1番のサラバンドを演奏し、熱狂的な拍手を受けていた。 後半のショスタコーヴィチは、柔らかな情感のこもったよい演奏だったと思う。

ところで、サントリーホールに向かう途中の地下鉄の中で、ショッキングな出来事に遭遇した。 席を譲られてしまったのだ。 乗車したら、空席はなかったが、たまたま優先席の前あたりは立ち客がいなかったので意識せずにそちらに歩いていったら、若い女の子が立ち上がって 「どうぞ」 と言うので、一瞬びっくりしたが、こういう場合は素直に好意を受けるべきだと私は思っているので (席を譲られているのに変に意地を張って断るのは見苦しいし、せっかく譲ってくれた人も困ってしまうものだというのが、かねてからの私の持論である)、「ありがとう」 と言って腰掛けました。

 うーむ、50歳にして席を譲られるか・・・・・・。 昔、学生時代、教授が 「昨日バスに載っていたら席を譲られてね」 と複雑な表情で言っていたことを思い出した。 たしかあの教授は50代前半だったと記憶するが、私は50歳で譲られてしまいました。 最近髪の衰えが激しいからなあ・・・・とほほほ。

6月6日(金) 明日から学会で東京に行くので、本日あらかじめ切符を買っておく。 東京周遊切符。 ところが、以前より500円ほど値上がりしていた。

 以前は、東京ゾーン内は新幹線 (東海道新幹線を除く) も含めて乗り放題だったので、新潟からの乗車券と特急券は東京ゾーンの始まりである大宮までとなっていた。 ところが、最近制度が変わって、ゾーン内は新幹線は乗れなくなったので、特急券は無論のこと、乗車券も東京まで買わないといけなくなったのだそうな。 

 私としてはゾーン内で新幹線を利用することはまずないから、新幹線に乗れないことは構わないのだが、サービスを低下させているのに値上げしているところが納得できない。

 東京周遊切符は以前と比べると使いにくくなっているのが実状だ。 以前は使用期間が1週間だったのに、数年前から5日間となったし、その際に若干値上がりもしたのである。 ただし、その時は、従来はゾーン内の特急は乗れなかったのが、東海道新幹線以外の特急には乗れるようにしました、というのが売り物だった。

 であるから、私も八王子方面の大学で学会があるときなど、新宿―松本間の特急を使ったりして、モトをとっていた。 

 だが今回もまたサービスが低下し、おまけに値上げが伴っている。 JR東日本のセコさが目に付くのである。

6月5日(木) 前期の木曜日4限に、1年生向けの人文教養演習を受け持っている。 私のクラスでは、日本や外国で1900年代初頭に書かれた小説を5つ読むという設定をたてた。 でもって、漱石の 『三四郎』 と鴎外の 『青年』 を終えて、現在は田山花袋の 『田舎教師』 に入っているのだが、先日最初のあたりを授業で学生と一緒に読んでいたら、主人公が雑誌 「明星」 を開くシーンで、与謝野晶子のこんな歌が引用されていた。

 「椿それも梅もさなりき白かりき我が罪の色桃に見る」

 分かるようでよく分からない歌である。 だいたい、私は散文の人間で、文学でも詩歌にはあまり通じていない。

 でもって、この歌の解釈がどこかに出ていないかと探したのだが、新潮文庫版の 『みだれ髪』 に収録はされているものの、後に付いている主要歌解説ではこの歌は省かれている。 新潟大学の図書館にも、その手の本はおいていない。

 なお調べてみたら、『みだれ髪全釈』 という本が出ているのが分かり、インターネットで検索すると、多少汚れのある古本が定価の半額ほどで出ていたので、注文してみた。 で、昨日届いたのだが、この歌は椿と梅が白色だという前提が分かっていないと理解できないらしい。

 「椿も梅も白く、純潔を象徴しているようで、恋愛をしている自分を咎めているかのようだ。 しかし桃色の桃の花を見ると、自分の恋愛を讃美しているようで、親近感を覚える」 というような意味なのだそうである。

 私がつまづいたのは、梅や椿は赤い、と信じ切っていたからだ。 それでも梅に白梅があるのは知っていたけれど、椿にも白椿があるとは知らなかった。

 念のため 『広辞苑(初版)』 で 「椿」 を引いてみたが、「赤色大輪の五弁花を開く」 とある。 もっとも、「栽培品種すこぶる多く(…)花色も種々」 ともある。

 うーん、歌は難しいですね。 それと、この 『全釈』 を読んでもなお分からないのは、冒頭 「椿それも」 の 「それも」 なのである。 なぜ 「それも」 なのか? 「それに」 なら意味的には分かるが、「それも」 だとよく分からないのである。 もっとも、分からないところがいいような感じもしないではないが。

 うーん、歌は難しい・・・・・・・。

6月4日(水) 11月にウィーンフィルが新潟に来演するのだが、そのチケット争奪戦が早くも始まっている。

 東京交響楽団新潟定期の会員には他に先駆けてチケットの予約ができるという特権が与えられた。 ただし、申し込みが多い場合は抽選となる。

 ワタシも申し込んでおいたのだが、昨日返事が来て、残念ながらハズレでした、とのこと。 よほど競争率が高かったのかなあ、と思った。

 ところがである。 本日、T氏の主宰する新潟のクラシック音楽サイトをのぞいたら、T氏を含む常連3人が、チケットをゲットした、とうれしそうに報告しているのである。 ハズレだった、と書き込んでいる人はいない、というか、ワタシだけである。 何でオレだけハズレなのだ????

 くそおおおおおっっっ・・・・・・・・ オレはくじ運が悪い!!!!!!!!!!!!!  とほほほほほほほほほ・・・・・・・・・・・・

 おまけに、夕方、新潟交響楽団のヴィオリストでもあるSY先生から、川久保賜紀のリサイタルが中止になった、とのニュースを聞いてびっくり。 昨年のチャイコフスキー・コンクールで1位なしの2位になったヴァイオリニストで、この12日に新潟で演奏会を開くはずだったのである。

 どうも、私の運勢は低下しているようである。 ううううううううぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・

6月2日(月) 新潮社の宣伝雑誌 『波』 の最新号が送られてきたのでざっと目を通す。 昔はこの手の雑誌が好きで、これ以外に岩波の 『図書』、講談社の 『本』、東大出版会の 『UP』 と、合計4種類もとっていたのだが、40代も後半になった頃からだったろうか、あまりマメに目を通さなくなって、現在は 『波』 と 『UP』 だけにしている。 もっとも 『図書』 はときどき生協書籍部においてあるから、全然読まなくなったわけでもない。

 ところで 『波』 の最新号に坪内祐三が 「私は谷沢永一の影響を受けた」 という一文を寄せている。 谷沢が 『文豪たちの大喧嘩』 という新著を出したことを受けて、谷沢永一自身が昭和52年ころに国文学界の 「俊英気鋭のお歴々を相手に孤軍奮闘というか獅子奮迅の活躍をした 『方法論論争』」 を行った、として、のちに谷沢が単行本に自分の評論をまとめたものを読んで影響を受けた、というのである。

 実はその昭和52年頃、私も生意気盛りの大学院生で、この論争の発端はよく知っているのだが、坪内は事の次第をどの程度把握しているのだろうか?

 事の起こりは、東大国文学科教授の三好行雄が、某大学大学院生がいい加減な論文を書いているとした批判文だった。 三好はそこで大学院生の実名は挙げずに、新しい方法論の呈示なくして無原則的な資料批判をやってもダメであるというようなことを書いていた。 それに対し、谷沢が岩波書店の雑誌に反批判の文章を載せ、批判の対象になったと思われる大学院生の実名と論文名を挙げつつ、これを擁護したところから論争が始まったのである。

 三好は谷沢の批判に対して、今度は谷沢の挙げた論文が先に自分が批判したものであることを認めつつ、さらにこの論文について詳細な批判を加えた。 これに谷沢が再度反論しているのだが、私の見るところ、谷沢のこの再度の反論は内容的に相当あやしい。

 つまり、発端となった大学院生の論文に関する限り、この論争は三好行雄の完勝だというのが私の評価である。 谷沢はそれを糊塗するためにやたらに議論を拡大しているのだが、そうした粉飾に惑わされずに読むなら、三好行雄が谷沢の批判に最初に答えた時点で論争は終了していると言うしかない。

 ところが、巷には、権威の象徴とも見られる東大国文科教授に、私大の教授が大々的な批判を加えたというので、この論争の中身を知らずに面白がる輩が結構いたようだ。 結果としてこの論争で谷沢は世に出る形となった。 栗本慎一郎なども、論争の内実に触れずに、谷沢が権威をけちらした、みたいなことをどこかに書いていたが、上っ面をなでるだけのムセキニンな評論家はこうしたものである。

 もっとも谷沢という人が全然ダメだとは私は思わない。 『紙つぶて』 などはなかなか細かい内容ながら氏の長所がよく出た本で、面白く読める。 しかしその一方でかなり無茶苦茶で無知蒙昧な一刀両断もやらかす人だから (当サイトの 「谷沢永一『国立大学民営化論』のデタラメ」 を参照)、用心して読むべきタイプの文筆家だというのが、私の評価である。

6月1日(日) 朝方、夢を見る。

 古都の静かな住宅地を歩いている。 生け垣の連なる落ち着いた通りには市電が走っている。 ただし単線で、道路の片側に寄るように線路が続いている。 やがて通りが右に折れ、急に道幅が広くなる。 通りと言うよりは広場だ。 市電の線路はその広場で反対側の通りから来た線路と直角に交わるようにして終点となる。 双方の線路が連続せずに、乗り換えとなっているところが面白い。

 市電乗り場の左後方には古刹がそびえている。 文字どおり絵のような風景である。   

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 昼過ぎから、NクラブとHクラブの親善卓球大会。 私はこの日は(も?)調子が悪く、シングルスは3戦全敗。 特に最初の試合は勝てそうな相手に負けてしまったので、腐りました。

 ダブルスは、団体戦では1勝、団体戦終了後の個人戦ダブルスでは2回戦敗退となった。 私は某男性と組んだのだが、美人ペアに1―3でやられた。 男は美人には優しいので、ということにしておこう。 

5月27日(火) 夜7時から、りゅーとぴあコンサートホールにて、ジョス・ファン・インマゼールのフォルテ・ピアノ演奏会。 プログラムはすべてモーツァルトで、ソナタヘ長調K.280、幻想曲ハ短調K.396、ソナタ変ロ長調K.333、ソナタ変ホ長調K.282、「メッカの巡礼」 による10の変奏曲K.455、ソナタイ長調 「トルコ行進曲付き」 K.331。 アンコールはソナタK.545の第2楽章。

 フォルテ・ピアノはモーツァルトの時代のピアノで、現代のピアノよりはるかに小さく、音量も控えめなら、音域も狭い。 私は目で見たのは初めてだが、大きさはむしろチェンバロを想起させる。

 りゅーとぴあコンサートホールは音響的には2階正面席が最上というのが常識になっていて、私も今回そこの最前列をとったのだが、音量からするともう少し前でもよかったかなと思った。 1階後方くらいが最上だったかもしれない。 この楽器だと、2000人入るりゅーとぴあホールは大きすぎるのでは。 むしろ500人の音楽文化会館が適切だったのではないか。

 普通のピアノと違うということで、どうしてもお勉強で聴いているという意識から抜け出られず、純粋に音楽を堪能できたのは最後の 「トルコ行進曲付き」 とアンコールであった。

 モーツァルトは技巧的にはやさしくても実は弾くのは至難なのだとか、子供のような純粋な気持ちでないと弾けないといった小林秀雄的モーツァルト神話は卒業したつもりだったが、やはり現代からすると特殊な楽器でこの作曲家を聴くのは雑念が混じるような気がする。

 それと、なぜか本日は空腹感が強く、前半、腹がグウグウ鳴るのに閉口。 楽器の音量が小さく、パウゼが強調される演奏会だったから、なおさら。 両隣が御婦人だったこともあり、体から出る音には気を遣ってしまう。 もっとも右の御婦人は船をこいでましたけどね。 音の出るのを防ぐべく、休憩時間にサンドウィッチで腹を満たした。

 入りの悪い演奏会だった。 3階全部と2階の舞台脇、及び後部は最初から客を入れていなかったから、定員は1200人くらいかと思うが、半分も入っていなかった。 ピアノ教師やピアノ学習者の数を考えると、信じられない話である。 ピアノ教師や学習者がどれほど不勉強かが分かってしまうではないか!!

 新潟でクラシック音楽サイトを主宰しているT氏をはじめ、大学の若手同僚(といっても30代半ばから40歳くらいのオジサンですけど)3人――TY氏、MK氏、HY氏――とも会った。 結構知り合いが来ている演奏会ではあったのだ。

5月26日(月) 2限、1年生向け初級ドイツ語の授業。 動詞の現在変化がなかなか身に付かないようなので、前回の授業でプリントを配り、簡単な作文30題を宿題としておいたのだが、本日やらせてみてびっくり。

 「彼は来ますか?」という問題で、"Ist er kommt?" と解答した学生がいた。 英語なら"Is he comes?" と答えたのと同じである。 間違えるにしても間違え方というものがあるわけだが、これはかなり重症である。

 しかも、他にも同様の誤りをした者がおり、それがいずれも人文学部の学生なのだ。 私はドイツ語に関してはここ何年もほとんど理工系の学生しか受け持たせてもらえない状態なのだが、理工系でもこういう間違いをする者はたまにしかいないのである。 「学力低下」 が顕在化してきたのか?

 それとも、実際は人文学部生もとうに語学力が落ちていたのを、私は受け持たなかったために気づかなかっただけなのか? 今年は人文学部でドイツ語を選択した学生が多かったので数人が私の理工系向けクラスに回されてきた。 それでこういう事態に出くわす羽目になったわけだが。

 実は昨年度も、法学部2年生で、前年に法学部向けドイツ語クラスで落第して、2年目は時間割の関係で私の理工系向けクラスを受講していた学生がいた。 あるとき、英語の 「too+形容詞」 に該当するドイツ語の言い回しが出てきたのに分からないようなので、「英語ならtoo+形容詞だよ。 形容詞の前にtooが付いたらどういう意味だ?」 と尋ねたら、「非常に」 と答えてくれた。 ・・・・・ったく!

 要するに新潟大では文系学生の英語力も相当に怪しいのである。 国際化時代と称されるのに、学生の外国語力は低下の一方、という深刻な事態は、放置しておいてはいけないのだが、まともな対策は立てられていないのが現状。 どうする、新潟大学・・・・・・?? 

5月25日(日) 朝7時から、町内会のドブ掃除。 私の住んでいる住宅地では、5月と6月にドブ掃除、7月に公園の雑草取りの作業がある。 私は以前は2度のドブ掃除を担当し、女房が公園の雑草取りという分担だったが、一昨年からドブ掃除のうち1回は高校生になった長男にやらせることにしたので、やや楽になった。

 午後、庭に咲きはじめた薔薇を切り花する。 12年前、この家を建てたとき、私は庭に薔薇を2本植えた。 白い薔薇と深紅の薔薇である。

 しかし私は怠惰な人間で、ろくに手入れをしないので、最初のうちはどちらもそれなりに咲いていたのだが、現在は白い薔薇はすっかり元気がなくなってしまった。 この春は一つしかつぼみをつけていない。

 それに対して、深紅の薔薇は元気である。 枝振りも大きくなり、大輪のつぼみをいくつもつけている。 どうも、白より深紅の薔薇のほうが強い体質なのに違いない。

 もっとも、私は色としては紅より白や黄色の薔薇のほうが好きなのである。

 そして家を建てて2年後、私はさらに3本の薔薇を新たに植えた。 そのうち、白い薔薇と黄色い薔薇はまあまあ花をつけているが、最初に植えた深紅ほど元気ではない。 

 そして1本は、今に至るまで1度も花をつけたことがない。 うろ覚えなのだが、花屋で買ったときはたしか2色の色が出る珍しい品種だったと思う。 こういう品種は弱くて、私のような怠惰で園芸に向いていない人間には花をつけてくれないのであろう。

5月23日(金) 岩波文庫からシラー 『ヴァイレンシュタイン』 の新訳が出た。 シラーはゲーテと並び称されるドイツの文豪であるが、日本ではあまり親しまれていない。 一番有名な作品は、多分、ベートーヴェンの第九交響曲に採用されている 「歓喜に寄す」 であろう。

 それと、シラーの文学作品は戯曲が主だから、小説帝国主義者 (?) の日本人にはとっつきにくいということもある。 しかし最近は日本でも演劇に興味を持つ人が増えているのだから、シラーも (それなりに現代風に演出しつつ) 日本で取り上げられてもいいと思うのだが。

 ドイツ文学者にも問題がある。 戦後、シラーの作品はあまり邦訳されてこなかった。 この 『ヴァイレンシュタイン』 はシラー最長の劇作であるが、戦前は3種類の邦訳があったものの、戦後の新訳としてはなんとこれが初めてだという。 第二次大戦が終わってから58年もたつのにである。 また、邦訳全集となると戦前戦後を通じて一つもないのである。 かろうじて戦前は選集が1種類あっただけ。

 ゲーテが明治以降、10種類の邦訳全集に恵まれてきたことと比較すると、差がありすぎる。 ドイツ本国の文献学作業の進捗状況などのせいもあろうが、根本的には日本の独文学者が怠慢だからじゃないのかしらん?

 シラーより18歳若い (しかし自殺により早世した) 劇作家クライストの邦訳全集も出たことだし、独文学者の奮起を期待したいものだ。

 閑話休題。 本日は敬和学園大の非常勤に行く日で、新新バイパス (新潟市と新発田市を結ぶバイパス) をクルマで走っていたら、自転車で走っている人がいてびっくり。 この道路はクルマが高速で疾走するので、歩行者や自転車は立入禁止なのである。 いや、それどころか、バイクでも50ccの原付は立入禁止なのだ。

 それでも、原付で走っている根性のある輩は以前見たことがあるが、自転車というのは初めてである。 ううむ。

 敬和学園大に着いて非常勤控え室に入ったら、フランス語のM先生が、新潟大学野球部が北信越大会で優勝したという話をされた。 先生は野球部の顧問をされており、この大会のために福井まで遠征され、自学野球部が勝ち進んだので4日間も滞在されたという。 ご苦労様である。 この後、全国大会があるが、全国大会となると東京の私大のセミプロ級の野球部と当たる可能性があるから、惨めな負け方をしないように頑張らねばならないとのこと。 地区大会に優勝すると、かえって大変なのである。 

5月22日(木) こないだ仕事を依頼してきた (5月8日参照) N社のI氏が昼に研究室に来られたので、すこしお話をする。 新潟市の書店も衰退傾向だというような芳しからざる話題が出た。

 まもなくカメラマンも来て、写真を撮られてしまった。 仕事の依頼を受けたとき、掲載原稿に写真を添えるからあとでカメラマンが行きますとは聞いていたのだが、まさか今日だとは思わなかったので、上着も着ておらずネクタイもしていない姿での写真となった。 もっとも、ワタシは普段からこういう格好だから、構わないと言えば構わないようなものだけど。

 3限の人文教養演習、いつもより学生の発言が不活発。 読んでいる鴎外の 『青年』 が難しいということもあろうし、いつも一番よく発言する学生が本日は欠席ということもありそう。

 この小説は言うまでもなく明治時代の作だが、時代的な変遷で現在とは風俗の差が相当にあり、学生がとっつきにくい理由になっている。 鉄道に乗るシーンで出てくる 「赤帽」 という言葉の意味が分からないと或る学生が言うので (本当は、そう思ったなら辞書を引いてこないといけないんですがね)、「誰か分かる人?」 と訊いたが、誰も知らない。

 また、主人公が大宮まで行くとき乗る 「鉄道」 と、東京で乗る 「電車」 とは同じものなのか違うのか、という質問が出たが、これも学生から正解が出なかった。 念のため正解を書いておくと、違うものですね。 前者は現在のJR東北線だし、後者は東京の路上を走っていた市電 (当時は東京市だから、都電ではない) のことである。

 もっとも、分からないところをそれと自覚できる限りにおいては、まともなのである。 分からないのに分からないと自覚していないのは最悪。

 フランス装の洋書をペーパーナイフで切って読む、という意味の表現が出てくるのだが、学生に訊いてみると、案の定どういうことなのか分かっていなかった。

 ただし、これは注があまり親切についていないせいもある。 使っているのは新潮文庫版で、私としては注も一応あるしと思って採用したのだが、読んでみると私でも分からない漢語などにも注が付いていなかったりする。 鴎外の『青年』には、ちくま文庫で出ている 『鴎外全集』 に収録されているものもあって、こちらだと注が親切なのだが、なにせ全集だから他の作品も一緒に入っていて約千円と値が張るので、教科書に使うにはためらってしまう。 この授業では、全部で5冊の文庫本を買わせましたのでね。

5月21日(水) 来月上旬に予定している学会発表の件でO大学のTS先生より架電。 この学会、正規の学会として発足してから2年しかたっていないから、まだ事務系統がちゃんとしていないらしい。 発表予定者への連絡に穴があったとのこと。

 私は日本における第二外国語教育の問題を取り上げる予定だが、あらかじめ送っておいた発表要旨を、言語学者として著名なTK先生(前・一橋大教授)がごらんになって注目しておられたそうで、冷や汗が出た。

5月19日(月) 2限のドイツ語の授業を終えたら、男子学生が恥ずかしそうに寄ってきて、「先生、ズボンの後ろに何か付いていますよ」 と言った。 

 手で探ってみると、ドライクリーニングを頼んだときに業者が付ける紙製の識別票だった。 本日はクリーニングおろし立てのズボンをはいてきたのだが、このテイタラクである。 まあ、ワタシらしいと言えばそれまでなのだが。 とほほほ・・・・。

5月17日(土) 午後7時から、りゅーとぴあホールで、ウィーン弦楽ゾリステン演奏会。 ウィーン・フィルの弦楽メンバー11人による団体で、ウィーン・フィルのコンサートマスターであるライナー・ホーネックが率いている。  曲目は、モーツァルトのディヴェルティメントK.137、グリーグの組曲「ホルベアの時代より」、ショスタコーヴィチの室内交響曲作品110a、ドヴォルザークの弦楽セレナーデ作品22。 アンコールが4曲と大盤振る舞いで、チャイコフスキーの 「眠れる森の美女」よりワルツ、J・シュトラウスの 「シュネル・ポルカ」 「騎士パスマン」、マスカーニ 「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲。

 楽しい演奏会だった。 ウィーンフィル・メンバーによる柔らかな音色を存分に楽しめた。 一方、ショスタコーヴィチではなかなかエグい表現も。 この曲、どこかで聴いたなと思ってパンフの解説をよく読んだら、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番の編曲だった。 こないだハーゲン弦楽四重奏団でこの曲を聴いたばかりだったっけ。

 アンコールを4曲もやってくれたのも嬉しい。 客へのサービス精神を感じてしまう。 これほど素晴らしい演奏会だったけれど、満席ではなく、95パーセントくらいの入りか。 座席は2階正面だったが、新潟のクラシック音楽サイトを主宰しているT氏と偶然隣席だった。

 ところで、ご本尊のウィーン・フィルも今秋、新潟に来演する。 並みの外来オケではないから、チケット争奪戦もかなり厳しいものが予想される。 まず東京交響楽団新潟定期の会員の予約を抽選で受け付け、次にNパックメイトの予約をやはり抽選で、そして一般からの購入申し込みが電話で、となる。 私も東響定期会員なので、こないだ申し込みのハガキを出したところ。 上述のT氏とこの晩同席したので、当たればいいですねえ、という話が必然的に出た。 競争率はどのくらいになるのかなあ。

5月16日(金) このところ研究室が暑い。 むろん、外の気温も上昇しているからだが、3月に新しい (といっても、くどいようだが、30年以上前の建物を改修したところ) 研究室に移って、暑くなる条件が整ってしまったためでもある。

 私の以前の研究室は北向きで、4階建ての3階であった。 今度の研究室は南向きで、6階建ての6階である。 南向きということと、最上階で太陽の照射熱が直接天井から伝わってくるという2点で暑くなる条件が揃っている。

 一応空調があり、冷房も入るようなのだが、真夏でもないのに冷房を使うのは私の趣味に合わないから、旧研究室から捨てずに持ってきた扇風機で今のところは間に合わせている。 といってもそれだけだと暑いので、ドアを開けっ放しにして天井の換気装置 (空調とは別に付いている) を作動させている。

 新しい研究室は窓が開けづらく、ブラインドも1枚で窓全面を覆うタイプなので小回りがきかない。 どうも不便である。 ううむ。

5月14日(水) 先週木曜に頼まれた仕事 (5月8日を参照)、本日ファックスで改めて依頼があったので、1限の授業終了後、ただちに書いてしまう。 原稿用紙2枚強の分量だと、あっという間ですね。 色々書きたいことがあるのに、つづめなくてはならず、欲求不満となる。

5月13日(火) 夜、映画を見に行ったついでに、行きつけの立ち食い蕎麦スタンドに寄ってかけ蕎麦を頼んだら、野菜かき揚げをオマケにつけてくれた。 閉店間際だからということのようであったが、こういうちょっとした好意を示されるのはうれしいことですね。 

 もしかして、「一杯のかけ蕎麦」 の新潟版か?? ある日薄給の大学教師が立ち食い蕎麦スタンドに寄ると・・・・・・てな話じゃあ、世間の感動を呼ぶのは無理かな。 この話、私は著作権を主張しませんので、テレビドラマや映画に使いたい人は遠慮なくどうぞ (・・・・・そんな人、いるわけないか)。

5月11日(日) 先週日曜に書き始めた学会発表原稿の続きを執筆。 しかし発表時間は20分だから、そんなに長くは書けない。 結論から書いたら、あっという間に制限枚数に迫ってしまった。 先週は出だしのあたりを書いたのだが、これじゃ中間部分がなくなってしまう。

 昼前、関西の独文学者H氏に電話する。 H氏とは全然面識もないのでいきなり電話は失礼なのだが、現在私が執筆中のブックレット新潟大学に文献案内を載せる予定で、その中にH氏の訳業を入れるかも知れないので、確認したかったのである。

 H氏はヨーゼフ・ロートという作家をご専門にされているが、ロートの代表作 『ラデツキー行進曲』 の新訳を鳥○社から刊行予定と、或る本に書かれていた。 私は確認しようと思って鳥○社に問い合わせのメールを出したのだが、いっかな返事が来ない。 しかたなくご本人に尋ねるに至ったわけである。

 H氏は、今年末か、遅くとも来年初めには刊行予定だと教えて下さった。 感謝。 それにしても鳥○社はけしからん。

 この種の問い合わせにちゃんと答えるか否かで、その出版社の体質が分かるものだと思う。 大手だから横暴ということもないし、小さいところだから親切ということもない。 大小に関わらず色々なのである。 私が今までこうした問い合わせを出した経験では、文芸○秋はマトモ、紀○國○書店はダメ。 今回の鳥○社は零細出版社のうちだが、かくのごとく無神経と判明したわけである。

5月10日(土) 午後6時半より、第45回新潟室内合奏団演奏会。 音楽文化会館。 プログラムは、モーツァルト 「皇帝ティートの慈悲」 序曲、モーツァルトの交響曲第29番、メンデルスゾーンの交響曲第4番 「イタリア」、アンコールがモーツァルトの 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 第2楽章。

 「イタリア」交響曲が圧倒的な快演であった。 緊迫感に満ち、テンポがよくて、思わず身体が動きだしそう。 ちょっとしたミスは気にならず。

 これに対して前半は、弦が揃わず、寝ぼけたみたいな音で、イマイチであった。

 指揮者の新井久雄氏は、何となく動作が女性的。 むかし 「シスターボーイ」 って言葉があったけれど、思い出してしまいました。

5月9日(金) 午後、敬和に非常勤に行った帰り、新潟市美術館に寄ってモンゴル現代絵画展を見る。

 モンゴル美術といっても、ピンとこない人が多かろう。 私もそうだったが、むかしむかしは仏教画が主流で、やがて西洋の油絵の技法が導入され、最初はあちらの模倣の域を出なかったものが、やがて独自性を持った画家が生まれてくる、という流れのようだ。

 近代化はソ連の援助で行われたので(何てったって国名も、モンゴル人民共和国、だったわけですから。 今は単に、モンゴル国、だそうです。)、イデオロギー的な締め付けもあり、抽象画が「ブルジョワ的」と批判されて展示中止になった事件もあるとのこと。

 このあたり、ソ連や東独と事情は変わらないということだろう。

 5月8日(木) 現在、新潟市美術館で 「モンゴル現代絵画展」 が開かれている。 期間はあと3日しかなく、5月11日の日曜日まで。 たまたま先日招待チケットを入手し、1枚余分にあったので、本日、「誰か行きたい人がいるなら上げますよ」 と、2限のドイツ語クラスと4限の人文教養演習で言ってみたが、誰も名乗りを上げない。

 新潟大生のこの消極性、何とかなりませんかねー。 

 仕方がないので、夜、卓球の練習に行った際に訊いてみたら、Hさんが行くと言ってくれたので差し上げました。 それにしても、大学生より中高年の御婦人のほうが文化への貪欲さを持っているのだから、情けない話ではないか。

 本日は研究室にまともな電話が2件かかってきた。 1件は、元・東大医学部教授のS先生から。 4月17日にも電話を下さった (当日の記述を参照) ので、先日礼状を出しておいたのだが、本日ご覧になったとか。

 先生が気になさっている国立大学付属病院の官僚支配について、官僚が国会答弁でウソを重ねていることの証拠が出てきたので、追及に光が見えてきたとのことであった。 朗報と言うべきであろう。

 新潟大学の教室不足問題も、いつかこのように光が見えてくるのだろうか? とにかく、官僚は嘘をつく人たちだということは、何度繰り返しても繰り返しすぎということはない。 

 もう1件は、仕事の依頼であった。 私のこのサイトを見て依頼する気になったのだという。 以前にも同じような例があったから、やはりこの時代、自分のサイトを持つことは大事だと分かりますよね。

 夕方、卒論指導で某4年生と面会。 この学生とは2度目の面会になるが、会うほどに全くのダメ学生だなと痛感せざるを得ない。 マンガで卒論を書く気でいるのだが、マンガのことをろくに知らないのである。 

 マンガを専門的に扱おうというなら、並みの人が読む程度の分量しか読んでいないのでは話にならない。 マンガのような大衆文化は量の文化なのだから、普通の読者の10倍は見ておかないといけないのだ。 マンガだから楽に卒論が書けるだろうなんて思ったら大間違いである。 戦後マンガ史の流れをつかむために、有名どころのマンガ家の代表作には残らず目を通しておく必要がある。

 この学生はそういうことが全然分かっていない。 論じるつもりの幼児向けマンガ以外にはほとんど何も知らない。 お前は幼児なのか、大学生だろう!! と怒鳴りたくなるのを何度も押さえなければならなかった。

 大衆文化を学生に扱わせるのは、一見すると大学の新機軸のように見えるが、実はこういう無能学生のたまり場になるばかり、という危険性が高い。 したがって、大衆文化を扱う学科は、むしろ他学科より学生を厳しく鍛えなくてはならないのだが、そういう合意は全然ない。

 これでまともな学科ができるわけがないのである。 

5月6日(火) 朝起床して、ダイニングに入ったら、女房が 「双子だった」 といきなり言った。

 一瞬何のことかと思った。 無論、妊娠して産婦人科医に診てもらったら双子と診断された、という意味ではない。 女房もトシだし、第一、すでにウチには子供が三人いるので、この上双子まで生まれたのでは薄給の大学教師は破産してしまう。

 双子とは、女房が差し出した朝食の目玉焼きのことであった。 一つの卵の中に黄身が二つ入っていたのだった。

 そういえば、昔の卵はこういう 「双子」 が時々あったけど、最近はめったに見ない。 ブロイラー化が進んでいてニワトリもおちおち双子卵を生んでいられないのだろうか。 

 ・・・・・・・・・・てなことを書き連ねていくと、私小説かほのぼのエッセイになりそうだが、この辺でやめておきます。 

 学校に行ったら、文芸評論家のY氏より、私のサイトの 「『ドイツ・ナチズム文学集成』刊行開始」 をリンクさせてもらいたい旨のメールが届いていた。

 Y氏は政治的には保守派と見られているが、一般には左翼扱いされるドイツ文学者の池田浩士 (上記 『ドイツ・ナチズム文学集成』 の訳者) を評価しているという。 この点、私と似通ったところがある。 人を評価する軸は多様で、右左だけでは片づかないのだとつくづく思う。

 夜、卓球の練習から帰ったら、東京の悪友Sより電話。 

 彼とは小学校から高校まで同じ学校だったが、仲良くなったのは中3の頃からである。 東京の大学を出てぶらぶらしていたが(今風に言えばフリーター)、その後色々あって歯科技工士となり、その筋の小企業に勤めているうちに数年前なぜかそこの社長になってしまい、この不景気な時代にかろうじてつぶさずに運営しているらしい。

 電話は、ドイツの歯科保険のことで何か知らないかというのだが、そんなことをワタシが知っているわけがないのである。 何でも日本の厚生省はドイツの保険制度を後追いする形で制度改革をやっており、歯科保険についても動きがありそうなので、情報を早くつかみたいのだとか。

 しかし、調べるに事欠いてワタシに電話してくるようじゃ、先行き暗いんじゃないかな・・・・・・。

5月5日(月) 連休3日目。 6月上旬に日本言語政策学会で発表予定の原稿をようやく書き始める。 が、1ページちょっと書いて挫折。

 そのあと翻訳の仕事を2ページほど進める。 といっても依頼されたものではなく、出版のアテもないのに以前から時々思い出したようにやっているに過ぎないのだが、散発的にしか仕事をしないので、まだ70ページくらいしか訳していない。 600ページ近い本だというのに、である。 これじゃ、終わるのはいつのことか。

 1日1ページやれば2年かからず終わる計算だけど、私はそんなにマメな人間じゃないからなあ・・・・・・・・。

5月2日(金) 夜7時、りゅーとぴあ劇場に、シェイクスピア 『ペリクリーズ』 を見に行く。 蜷川幸雄演出で評判の舞台。

 この作品はシェイクスピアの劇作の中ではあまり有名とは言えず、実は私もタイトルすら知らなかったくらいだが、話の筋はさして面白くもなく、台詞に深みがあるわけでもない。 そこを演出で面白く見せるというのが、この出し物が評判になった理由であろう。

 見ると、舞台には水道と水受け場が10個おかれ、時により水が出たりとまったりする。 なんだかよく分からないけど面白い、というのが第一印象だが、これをどう解釈するかは、人次第だろう。 台詞は、役者により聞き易い人とそうでない人にはっきり分かれる。 白石加世子がいちばん聞き易い。

 演出は、能の要素も取り入れるなどして飽かせないようにできているけれど、日本の伝統芸能を利用するのはヨーロッパの観衆にはそれなりに効用があろうが、日本ではどうだろう。 いっそ、例えば黒沢の映画のように、全部日本化してしまったほうが、と思わないでもない。

 会場はほぼ満席。 同僚のK原先生夫妻も来ておられた。

5月1日(木) 4限、1年次向け人文教養演習。 相変わらず学生の発言が活発なのがいい。 月曜4限の2年生向け実習も討論の時間を設けているが、こちらは発言が少ない。 1年生のほうが2年生より活発にディスカッションをするというのが、何とも皮肉だ。

 夜、H卓球クラブに練習に行く。 本日は7人と少ない。 今週月曜 (4月28日を参照) とは正反対。

 会長のN氏が来ていたので、先週木曜日に依頼した件を尋ねてみた。 Hクラブと、私の通っているもう一つの卓球クラブであるNクラブで親善試合をやるので、その日程を決める件である。 あらかじめ両クラブの会員に予定を尋ねて、なるべく多くの人が参加できる日を選ぶのである。

 ところが、N氏は、まだやっていないと言う。 練習日は週2回、月・木であり、先週木曜にこの件を依頼したわけだが、その日は練習に来た人が少なく、翌週(つまり今週)の月曜は多かったのにN氏自身が練習に来なかった、そして本日はまた練習参加者が少ないので、分からないと言う。

 どうも、こういう人と話をしていると、何かの仕事を進める場合の基本的な考え方は人によって相当な開きがあるものだと痛感してしまうのである。

 N氏はサラリーマンだから、本職の都合で月曜日に練習に来れなかったのは仕方があるまい。 しかし、ならば他の会員に電話して、練習の際に都合を訊いておくよう依頼すれば済むだけの話である。 会員名簿がちゃんとあって、各会員の電話番号も記載されているのだから。

 或いは、日曜日などに自分で各会員に電話しまくって、都合を訊くこともできよう。  要するに、会長でありながら自分が練習に来れない時は卓球クラブの仕事はできない、という神経が、私には分からないのだ。

 Nクラブとしても、日程が決まらないと会場の予約だってできないし、そもそも試合の日が間近になってからだと、他の団体も使う施設だから、会場予約がとれないことだってあるのだ。  

 実は、これと似たようなケースで、以前私は別の卓球仲間とトラブルを起こしたことがある。 そのときも、私が常識だと考えている仕事の進行と、その人が普通と考えている仕事進行が、大幅にズレていたのである。

 その人は社会的には高級と見なされている職業に就いており、しかもその職業は時間予約なしでは成立しない性質のものである。 したがって、仮に趣味の領域であっても時間の観念はそれなりにある人だろうと私は思っていたのだが、これがまったくの期待はずれだったのだ。

 新潟人は時間の観念がルーズなのか・・・・・と言いたいところだが、その人は新潟出身ではない。 日本人は・・・・・と言わないといけないのかな、今どきですけど。

4月28日(月) 昼、某社からワンルーム・マンションを購入して家賃を稼がないか、という電話が来る。 この種の電話はしょっちゅうかかってきて迷惑なので、「その手の話は全部お断りしていますから」 と言って切ることにしている。

 ところが今日の奴はしつこくて、再ダイヤルで何度もかけてくる。 (たまにこういうバカがいる。) こちらは受話器をとってはすぐに切っていたが、途中から面倒くさくなって、電話の元線をはずしておいた。

 こういう電話はほぼ犯罪行為と言っていいと思うが、処罰する方法はないのだろうか。 最近、ストーカーには罰が下せるようになっているのだから、しつこい勧誘電話にも同様の罰則が適用されてもいいはずだ。

 私の研究室の電話は最新型ではないので、相手の番号を記録してかかってこないようにすることはできない。 今どきは、ケータイではスイッチを切ることができるようになっているのだから、普通の電話もそういう機能を全部に装備すべきではないか。 

 夜、H卓球クラブに練習に行く。 本日は14人と多い。 後半、ダブルスをやるので組み合わせのクジを引いたら、Kさんとペアとなった。 彼女は知る人ぞ知る新潟美人。 ラッキー。 13分の1の確率を突破してだから、今日はツイている。

 Kさんは、以前のこの欄にも書いたけど、新潟卓球界中高年三大美人 (と私が勝手に名付けている) の一人である。 お子さんはもうとっくに成人しているくらいだから、お年は推して知るべしだが、にもかかわらずこちらがグラッとくるくらいの美貌を誇っている。

 その秘密はどこにあるのだろうか? もともと骨格が整っていて美人だからということは言うまでもないのだが、骨格美人でもお年と共に美貌が衰えてしまう方はいるのである。

 私の見るところ、お年を召して美貌が衰える方は、顔が痩せてきて、シワが目立つケースが多いようだ。 Kさんは、お年のせいだろうか、失礼ながら身体にはやや肉が多めについているが、お顔はそれが幸いしてふくよかで、しわが全然なく、美貌が保たれているのである。

 実はこのクラブには新潟卓球界中高年三大美人のうちもう一人の方も在籍している。 その方は身体に余分な肉はないが、もともと丸顔で、お年を召しても顔が痩せてこず、美貌が保たれている。

 顔が痩せるかどうかは体質にも寄ると思うが、とにかく美貌を保つ秘訣はこのあたりにあると思う。

 卓球をやりながらこういう余計なことばっかり観察・考察しているから、ワタシの卓球はいつまでたっても上達しないのであろう・・・・・・・(笑)。

4月26日(土) 万代シティに出て、映画を見、紀伊國屋書店に寄る。 紀伊國屋は棚の配置がだいぶ変わった。 もっとも私の興味のある領域の本が増えたかというと、そういうこともない。 ビデオ・DVD専用売場ができたのは、時代の流れか。

 ヤマハ新潟店で2週間後にある新潟室内合奏団演奏会のチケットを買ったが、包んでもくれない。 いくらアマチュア演奏団体の、千円のチケットだからって、包むくらいのことはしてくれたっていいじゃないかと言いたくなる。

 市議会議員選挙が明日だから、繁華街は候補者の連呼でうるさい。 こういう選挙のやり方、何とかならないものですかね。

4月24日(木) 4限、1年生向け教養演習。 とりあえずの教材は漱石の 『三四郎』 である。 最初のレポーターに指名しておいた学生が怠慢でずっこけたが、他の学生の発言は総じて活発で、まあまあ悪くないスタートとなった。 半年間この調子で行ければいいのだが。 

 途中、「漱石の 『坊っちゃん』 を読んだことのある人は?」 と訊いたら、数人が手を挙げたのも、良い印象。 なにしろ、教養部が解体して私が人文学部に移った最初の年、だから1994年だと思うが、そのとき担当した同じ演習で同じ質問をしたら、誰も手を挙げなかったので、愕然としたことをよく覚えているのである。

 こうしてみると、「学力低下」 は言われているほどではないということか?

4月23日(水) 月曜4限の2年生向け実習――実習といっても小論文執筆の指導の授業だが――で、テーマを決めさせるため一昨日4人の学生に面会日と時間を指定した。 うち3人は本日午後を指定していたのに、約束どおりの時間に来たのは1人だけ。 あと2人は一向に現れないので、こちらから電話してやっと現れる始末。 1人は電話口で寝ぼけ声で 「寝てました」 というので、カッとなって怒鳴りつけた。

 ったく、これだからオレは若い奴が大嫌いなんだヨ! 教師だから若者が好きだなんてことは全然ないんだからな、ぬるま湯に浸ったみたいに育ったバカ学生よ、これからのことは覚悟しておけよ! もっとも、オレはこの手のバカな若者に媚びる中年や老人はそれに倍して大大大嫌いだけどネ。

 こないだ、立花隆の秘書をしていた佐々木千賀子さんの 『立花隆秘書日記』 を読んだけど、佐々木さんも立花氏が東大の客員教授をしていた関係で東大生を相手にする機会が多かったが、やはり若者は嫌いだと書いていた。 救いがたくダラシがないらしい。 新大生だろうが東大生だろうが、たいして変わりないんだなあ、と痛感した。 

 中年のみなさん、こういう若者に媚びるのはやめ、断固として我が道を行きませう!

4月22日(火) 4月も下旬だが、このところ肌寒い。 しかし引っ越してきた新しい(といっても、しつこいようだが、30年以上前の建物を改修したところ) 研究室はなぜか時々暖房が入らなくなる。 空調のスイッチを入れても、作動しないことがある。 ガスがなくなっちまったんだから、ちゃんと入れてくれないと困るんだよー。

 ちなみに、今度の研究室は前のところより少し広くなり、お陰で書架 (引っ越しで要らなくなった中古のをもらってきたのです) を新たに3つ入れることができた。 また、無理すればあと1つ2つは入れられそう。 これで、本置き場の悩みから数年は解放される。 よかった、よかった(^^)。

 しかし、その代わりというべきか、ガスと水道がなくなってしまった。 特に水道がないのは不便だ。 先週から風邪気味で痰が出るのだが、以前なら自室の水道でうがいをしたり、痰を流したりしていたのが、今度はちり紙に吐き出して捨てるか(紙資源の無駄!)、廊下の隅のトイレまで行かなくてはならないのである。

 ガスもなくなり、お湯をわかすために電気ポットを購入しなくてはならなくなった。 まだ買ってないが・・・・・・・。

 本日、敬和の事務から、例の3人しか学生がいない授業を取りやめる旨の電話が来る(4月18日を参照)。 それにしても、「すみません」 の一言もないのである。 世の中、かなり・・・・・・・になりつつあるな、と思いました。 将来は暗いなあ。 だいたい、3人の学生は教科書も買ってしまっているのだよ。 いくら安い文庫本だからって、カネを使わして授業はなくします、はないだろう。 それとも学校は教科書代を補償するのだろうか?

 夜、N卓球クラブに練習に行く。 先週は風邪で全然練習をしなかったから、10日ぶり。 やっぱり体を動かすとすっきりする。

4月18日(金) 昨夜から熱まで出てきたので、とうとう本日、医者に行く。 私は40歳以降、風邪にかかると必ず喉をやられるので、耳鼻咽喉科のお医者さんにかかることに決めている。 今回もかかりつけのS耳鼻科。

 でもって処方してもらった薬を飲んで、敬和の非常勤に行く。 しかし4限の講義は相変わらず3人しかいない。 うーん、マズイ。 (4月11日の記述を参照。)

 授業終了後、事務に学生数を届けたら、「授業を存続するかどうか検討して連絡します」 とのこと。 やれやれ、まな板の鯉、というやつだ。

 私だけではない。 私と同時限に非常勤に来ておられるフランス語のM先生も4人しか学生がいないクラスがあり、存続があやぶまれているとのこと。 もうこの大学の非常勤なんか願い下げだ、と脅迫してみますか、なんて話も出たけど、今の情勢だと非常勤も完全に買い手市場だからあまり効果がなさそう。 要するに、大学教師という商売が黄昏にさしかかったということなのであろう。 少子化だからねえ。

 少子化を克服しないと、大学に未来はない!! ということで身近なところを見渡せば、やはり同じ時間帯に非常勤に来ておられるアメリカ文学のH先生は、30代半ばで独身である。 だれか、アメリカ文学専攻の助教授 (長身でハンサムですよ〜) のお嫁さんになりたい人いませんか・・・・・(笑)。 

4月17日(木) 身体のだるさがまたひどくなってきた。 風邪のぶり返しか。 体調を押して、2限のドイツ語の授業をする。

 本日は研究棟のエレベータが終日故障していた。 だるいなか、私の部屋がある6階まで歩いて上るのは、キツイのである。

 4限、人文教養演習の受付をする。 18人定員のところ、当初は11人だった。 昨年は定員の2倍以上の学生が押し寄せたものだったが、今年は人気がイマイチだなあ。 少し待って、定員の18名に達した。 「本を読むことに慣れている学生を求む」 とシラバスに書いたからかしらん。

 今日は3人の方から研究室にアクセスがあった。 一人は元・東大医学部教授のS先生で、電話を下さったのだが、私が部屋にいない時間で、留守電で失礼してしまった。 この先生については 「国立大学を支配する文部官僚」 をご覧いただきたいが、先週から 「週刊新潮」 にジャーナリスト・櫻井よしこさんが文科省の大学支配を批判する記事を載せていることをお知らせ下さったものである。

 残り2人はメールをよこしたものであるが、うちの一人は匿名だが、私が 「読書月録2002年」 の10月に載せた岩月謙司 『女は男のどこを見ているか』 への書評について、まったくその通りだと言ってよこした。

 もう一人は、新潟大学の学生で、私は面識のない学生であるが、就職活動をしていて第四銀行の企業姿勢に疑問を持ち、インターネットの検索で調べて、私のサイトの 「第四銀行批判」 に行き着いて共感しました、とのことであった。 

 官僚といい、銀行といい、かつては権力と安定の代名詞みたいなものだったが、奢れるものは久しからず、現在は官僚批判の声は高まり、銀行だってつぶれる時代になっているのである。

 メールはいずれも 「当サイトへのおたより」 へ収録しておきました。 それはさておき、この種の批判精神は最近の「大学改革」を官僚が敷いた路線だから仕方がないとする怠惰で怯懦な姿勢の大学教師たち、いや、官僚が敷いた路線を自分で選んだ路線だと強弁する最近の大学教師たちは、すべからく見習うべきであろう。

4月16日(水) 体調は比較的よい。 桜が満開。 1限の教養科目・西洋文学の聴講受付。 40人ほど。

 一昨日、私のドイツ語をとった工学部生が、取り消したいと研究室に来た。 なんでも、工学部の先生などに相談したところ、将来大学院に行くなら英語を重視すべきだと言われたので、英語の授業を多くとるために、私の集中ドイツ語 (っていっても、週3回) をやめて普通のドイツ語 (といっても週2回) に変更したいという。

 ごもっとも、と了承した。 理系の英語重視の傾向は変わるまい。 だから、私は新潟大学の第二外国語政策には大反対なんですよ。 ここを読んでね〜。

4月15日(火) 昨日ほどではないが、相変わらず身体がだるい。 本日は大学院の授業が二つあるはずだったが、いずれも受講生が現れませんでした。 どちらも原書講読の授業ですからね。 文科省の大学院重点化政策は、実は外国語での授業がなりたたない院生を増やすだけ、という逆説的な事態を生み出しているのである。 こういう事態、文科省はもとより、マスコミ関係者も分かってないんだろうなあ。

 午後、SY先生に再度見ていただいて、ようやくこのサイトも復旧しました。 愛読者の方々にはご心配をおかけしました。

4月14日(月) 昨日から風邪気味で、身体がだるい。 しかし本日は授業の受付が二つあるので休めない。 だるい身体にむち打って聴講受付をする。 

 2限のドイツ語、昨年度は7人しか受講者がいなかった(あと再履修者が2人) ので、ドイツ語もじり貧かなあ、と思っていたのだが、今年度はどういうわけか15人ほどいる。 指定学部のクラスに収まらなくてこちらに回されてきた学生も数人いて、受講者は20人を越えた。

4月13日(日) 朝から喉の調子が悪く、夕方から身体がだるくなってくる。 

 夜、だるいのをものともせず(?)、「ブックレット新潟大学」 の原稿を書く (2月9日の書き込み参照)。 第5章を完成。

 実は、第4章で完了の予定だったのだが、気が変わってもう1章付け足すことにしたのである。 私は気が変わりやすい(笑)。

 といってもブックレットはページ数が決まっているから、5章分載せることはできない。 いままで書いた4章の中の1章を削るしかない。 残念。

 夜、私としては珍しくテレビを見る。 「ひょっこりひょうたん島」のリメイク版の再放送で、体がだるかったので子供と一緒にぼおっとして見ていたら、おなじみの人物が揃っていくのが懐かしかったが、ドン・ガバチョだけはやっぱり声が故・藤村有弘じゃないと感じが出ないよなあ。

4月11日(金) 敬和学園大の非常勤に、今年度初めて行く。 ところが、3限のドイツ語は20人ほど受講者がいたのだが、4限のドイツ文学講義は3人しかいない。 

 この大学では、昨年度から、非常勤の授業で受講者が5人未満だとその授業はなかったことにする、という決まりができている。 経費節減のためだそうです。 ということは、この授業もこのままだと打ち切りになるわけだ。

 こりゃヤバイ。 ワタシの本代・映画代・コンサート代が激減しちゃう・・・・・・・。

 それにしてもである。 普通に考えれば、真面目にやらないと内容が身に付かず単位を認められない語学の授業より、黙って聞いていればいい文学講義の方が受講生が集まりそうなものである。

 あとで専任の先生に電話してうかがったところでは、どうもシラバスに 「私語2回で単位不認定とする」 と書いたためではないかという。

 この大学はフェミニズム研究で著名な某女性研究家を客員教授に招いているのだが、この先生、ゼミの最中におしゃべりする学生を叱る (当たり前のことですけどね) ので、次年度のゼミは学生ゼロになったとか。

 新潟大でも多少こういう傾向はあると思うので、他人事ではないのである。 「大学教師=チョーク芸者」 の時代は確実に近づいている。 こりゃ、日本の未来は真っ暗ですなあ。

4月9日(水) 本日やっと研究室の電話が使えるようになりました。 3日に聞いたところでは十何日かになるという話だったから、予定より早いですね・・・・・・ってホメている場合だろうか。

 ところで私のサイトだが、その後SY先生に二日間に渡って見ていただいたのだが、相変わらず立ち上がらず、どうも重症のよう。 このHPソフトは、「なるべく簡単なソフトを下さい」 と言って店で買ったものなのに、何でこうなるの??????

4月4日(金) 荷解きもまあまあ進捗している。 本日は、いよいよ元の研究室のパソコンを新しい研究室に運ぶ。 これは業者はやってくれないので、自分でやらなくてはならない。 とはいえ、私のパソコンは小さな車輪付きのラックに収まっているから、廊下とエレベータを用いて移動させるのは楽である。

 しかし、メールのIPアドレスが変更になったので、設定を変えなくてはならない。 自分でやろうとしたが、パソコン音痴の私には無謀な試みだったようで、結局パソコンに詳しいSY先生のお世話になりました。

 ところが、である。 このサイトを更新しようとしたら、なぜか立ち上がらない。 「IPが違います」 といって拒絶されるのである。 何でメールのIPアドレスが変わるとサイトまで立ち上がらなくなるのだ??????????????

 パソコン音痴の私は 「?」 マークを頭に充満させたが、為すすべもないのであった・・・・・・・・。 

4月3日(木) 数日ぶりに大学に行く。 研究室の前は段ボール箱の山。 先月29日にも多少やったのだけれど、荷解きはこれからが本番である。

 さて、元の研究室においたままだった電話をはずして、新しい研究室に運び、線をつないだが、受話器を取っても全然それらしい音がしない。 電話って、線をはずしてつなぐだけじゃダメなんだったかな、と思ったが、あとで某先生にうかがったところ、なんと、まだ元線がつながっておらず、4月も十何日かにならないと使えないそうな。

 何やってるんだろうねえ。 ったく、新潟大学ってのは・・・・・・!

4月1日(火) 一昨日から船橋の老母宅に一家5人で来ているが、本日は私の外出日とし、日比谷と恵比寿で映画を見、高田馬場で書店と中古CD屋をのぞく。

 中古CD屋で4枚買ったら、店主らしいおじいさんから 「いつもありがとうございます」 と言われた。 ここは東京に来るたびに寄っているから、そろそろ顔をおぼえられたのかも知れない。

 しかし、4枚で4200円ということで五千円札を出したら、「一万円おあずかりします」 と言うので、「五千円ですよ」 と注意したら、「あっ、そうですね」 と言いながら、その後も手はレジの引き出しから千円札5枚を取り出して私に渡そうという動作をする。 ややあって、「いかん」 とつぶやいて手を引っ込めた。 失礼ながらお年のせいで、脳味噌の指令が手に届くまでに時間がかかるようになっているのだろうか?

3月29日(土) 研究室の引っ越し、私に関して言うと本日が本番である。 解体した書架だけは25日に搬出されたが、その他の什器類と箱詰めした書籍類は本日運び出す予定。 実はその作業を待ちながらこの文章を書いている。 午前10時30分。 予定表では私のところは作業が午後になるはずだが。

 明日から都合で新潟を離れ、学校に来るのは4月3日となる。 新しい (といっても、しつこいようだが、30年以上たった建物を改修したところ) 研究室の整理やパソコン類の接続などに手間取る可能性もある。

 したがって、このサイトの更新はここのところ週1回ペースだったが、次回は少し遅れるかも知れない。 あらかじめお断りしておきます。

3月25日(火) ここ数ヶ月、市内の道路はいたるところで工事をしている。 一方通行が多くていらいらする。 なんでこういちどきに道路工事が始まるのだろうか? もしかして景気浮揚策? それにしては、我が大学の改修工事には予算が付かなかったしなあ・・・・・・。

 それと、最近痛感するのは、トロい運転をする奴が多くなっているということだ。 市内の一般道路はだいたい制限速度が40キロないし50キロだが、制限速度を律儀に守る奴はいないというのが常識。 朝夕の混雑時はともかく、空いている時間帯には20キロオーバーは当たり前、だと思う。 以前関西の人に聞いた話では、郊外の60キロ制限の空いている国道を100キロ以下で走っていると 「殺されますな」 とのことだった。 新潟はこれに比べるとずっと穏やかだ。

 ところがである。 その穏やかな新潟に住む私でもあきれ果てるくらいトロい奴が多いのである。 本日も、夜、50キロ制限の空いている道路を70キロくらいで走っていたら、脇道からノロノロ入り込んできた軽自動車がいた。 軽だから加速に時間がかかるのは仕方がないと思っていたが、一向にスピードアップせず55キロくらいでトロトロ走っている。 頭に来て、速く行け、と言うつもりで軽くクラクションを鳴らしたら、いきなりブレーキを掛けるので、危うく追突するところだった。 とまるならウィンカーを出してからにしろ!

 クルマで走るときの第一の心がけは、流れに乗って走ること、である。 「流れ」 をどう判断するかと言えば、自分と先行車の間隔が大きく空いており、逆に後続車が自分の後にすぐ続いていたら、自分は流れに乗っていないのだ、ということになる。 ただちにスピードを上げるべし。 もっとも、トロい奴は後続車なんか見ていないんだろうなあ。

 というわけで、難儀をしてたどりついた音楽文化会館。 本日は長男の高校の合唱部吹奏楽部合同演奏会。 長男は吹奏楽部のほうで、これは合唱部のコーラスが終わった7時過ぎくらいに始まるので、私もその時間に到着した。

 私は正直のところ、こういう場にいることにかすかな抵抗を感じる人間だ。 アメリカ映画では、父親が息子や娘の学校活動に関心を示すシーンがよく出てくる。 スポーツの試合を応援に行ったり、劇や演奏会に出場するのを見に行って、あとで 「良かったよ」 と言ってあげたりするシーンである。

 私は昔からこういうシーンには違和感があった。 ああいう父親にはなりたくないな、と思っていた。 が、自分の息子に 「見に来て」 と言われると断れないのだから、ダラシがないのです、すみません。

 よく分からないのは、高校生が自分のクラブ活動を親に見てもらいたいと思う、その気持ちだ。  ハリウッド映画などの影響で、日本の高校生はアメリカ化してきているんだろうか?

 私が高校生のときは、スポーツ部でも、また音楽関係のようにハデに観客を呼ぶタイプのクラブでもなかったが、ともかく自分がクラブ活動でやっていることを親に見てもらいたいとは全然思わなかった。 むしろ、見られたらイヤだったろう。 同世代の人間や、年齢が違ってもその方面の専門家であればいい。 しかし自分の活動の内実が親に理解できるはずがない、と自負していたからだ。

 だいたい、小学校の運動会じゃあるまいし、高校生になったら親から精神的に離れて活動するのが当たり前じゃないだろうか。 観客に親を当て込むとは、その点からしてなっていないのである・・・・・・・と私は考えるのだが、どうでしょう?

 マンガ家の竹宮恵子は、十代の頃は一見すると優等生タイプで地元の徳島大学に進んだが、自分の部屋で勉強しているのだろうという親の思いこみとは裏腹に、実は高校時代からマンガを書きまくっており、やがて大学を中退して上京し、マンガ家となるのである。 高校生と親の関係はこうあるべきだ、というのが私の信条であります。 

3月24日(月) 夜、H卓球クラブに練習に行ったら、宿直のおじさん、と言うかおじいさんが、今月限りで定年なのでお別れです、とのこと。 クラブ員全員でご苦労さまでしたと声をかけて労をねぎらった。

 卓球クラブは、学校開放というシステムを利用し、公立小学校の体育館を夜7時から9時まで貸してもらって練習しているが、最初に体育館の鍵を借りるときと最後に掃除をして鍵を掛けるときには宿直の方に立ち会ってもらうことになっている。

 宿直は、会社などを定年退職した年輩の方がやっている。 たいだい、一学校2人で、交代で担当しているようだ。 このおじいさんは75歳だそうで、髪は白くなっているとはいえ、背筋はぴんとしているし足取りも全然危なっかしくなく、まだまだお元気そうなのだが、10年勤めたのでそろそろ辞めてくれと言われたのだそうな。

 つまり、厳密には定年は年齢では決まっていないらしい。 だが最近は不況で、宿直の仕事も希望者が多く、年寄りが余り長く勤めるのはよろしくない、ということのようだ。 不況の影響は、こんなところにも出てきているのである。

 しかし、希望者が多いという宿直の仕事も今後は減っていくであろう。 というのは、新潟市は宿直を段階的に廃止していく方針だからだ。 実際、私が通っているもう一つの卓球クラブ、N卓球クラブが利用している小学校では、来年度から宿直が廃止されるので、学校開放システムを利用するクラブは、自己責任で体育館の戸締まりをする、ということが決まっている。

 市としても財政難なので、宿直の段階的廃止により支出を抑えたいということらしい。 年輩の方の就職難はますますひどくなる一方なのだ。

3月21日(金) 春分の日。 相変わらず身体から疲労感が抜けない。 午前中、自宅で本を読もうとしたが、はかどらない。 ぼおっとして過ごす。

 午後、りゅーとぴあに第5回ドルチェコンサートを聴きに行く。 市内でヴァイオリンを教えている方とその教え子のコンサートで、私がこのコンサートを聴くのは昨年に続いて2度目。

 演奏会は2部に分かれており、第1部は、モーツァルトのヴァイオリンソナタK.301から始まったが、私は10分ほど遅れて会場に着いたので、聴きそびれた。 次のベートーヴェンのクロイツェルソナタ (独奏は鈴木花恵、ピアノ伴奏は杉江千恵子) から聴いた。 鈴木さんのヴァイオリンは力感の必要な箇所や激しい表現ではなかなか悪くないと思った。 ただ、第2楽章の叙情や軽妙な表現は、物足りない。 

 このあと、脇山陽子さんのオルガン独奏で、バッハの 「トッカータとフーガ」 が演奏された。

 第2部は、アンサンブル・フィーデル(弦楽合奏)を小林英昭が指揮して、まず、佐藤徳光独奏による、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲第2楽章 (ただしオケ伴奏は弦楽合奏用に編曲)。 はっきり言ってお世辞にも上手とは言えない独奏であったが、この人、新潟大の医学部の教授で、ヴァイオリンを習っており、この春で定年退官するので、その記念にということのようであった。 まあ、アマチュアの演奏会だから、そういう企画もあっていい。

 次いで、ヴィヴァルディの4つのヴァイオリンのための協奏曲。 これは独奏ヴァイオリンもそれなりに上手で、後半では一番聴き応えがあった。

 3曲目はチャイコフスキーの弦楽セレナーデだが、アマチュアの弦楽合奏だな、と思いながら聴いていた。 東京交響楽団の新潟定期と比較すると、当たり前だけどかなりの差がある。

 4曲目は、小学生の奏者も数名加わって、パッヘルベルのカノン。 そしてアンコールにバッハの 「主よ、人の望みの喜びよ」 が演奏されて、幕となった。

3月20日(木) 朝、起きたが、身体に疲労がたまっていて、だるい。 連日連夜に及ぶ引っ越し作業の影響が出てきているようだ。

 早めに、と言っても9時20分くらいだが、学校に着いたら、書架解体業者の方々がもう研究室に来て仕事を始めていた。 研究室のドアは昨晩は施錠せずにおいたので。

 10時くらいに書架解体作業が終わったので、箱詰め作業の続きをやろうとしたが、引っ越し先の部屋番号を書いて箱に貼ることになっているラベルがなくなってしまった。 ラベルのストックはすこし離れた建物に行かないともらえないので、午前中は本を読んで過ごす。

 午後は教授会。 そのあと、SD (スタッフ・デヴェロップメント) があった。 ふつう、私はこの種の任意参加の会議には極力出ないようにしているのだが――いちいち出ていたら自分の時間がなくなってしまう――、本日は教授会にすぐ続けて行われたので、何となく退出しそびれて、前半だけ出席。

 この催しのテーマは 「現場から見る2006年問題と大学スタッフに求められる対応」。 2006年問題というのは、ゆとり教育で大幅に教科目内容を削減されたカリキュラムで学んだ生徒が大学に入ってくるのが2006年なので、大学としてそれにどう対応すべきか、ということ。

 前半は、学外から4人の方々をお招きして、この問題についてお話をうかがおうというもの。 4人とは、県立高校教諭のAさん、九州の某大学教授のB氏、教科書出版社勤務のC氏、地元新聞社勤務のD氏。

 B氏とC氏の話はそれなりに面白かった。 特にC氏の話は業界ならではの独自の視点が光っている。 Aさんの話は、どうもまとまりがない。 もっとテーマに添って筋道を立ててきちんと話をして欲しい。 社会科の先生だそうだが、この人、高校でもこういう授業をしているんだろうか。 もっとも、こういうしゃべり方のほうが高校生には人気が出るのかも。

 一番ひどいのがD氏。 最初、全然関係ないことをトロトロとしゃべり、後半はかろうじて関連がある話となったが、まるで新鮮味がなく、誰でも知っている常識の範囲を出ない。 マスコミの大学問題報道については私も日頃から疑問を感じることが多いが、はっきり言ってこの人を見ているとマスコミの知的レベルはどうしようもなく低い、と考えざるを得ない。 よく、大学人は世間知らずだと言われるけど、マスコミ人はそれに輪を掛けてひどいんじゃないの?? こういう手合いをわざわざ呼んできた人の見識が問われそうだ。

3月19日(水) 引っ越し作業が続く。 ゴミが大量に出る。 書架解体業者が本日からやってくる。 引っ越しの順番で言うと、私のいる建物は最初ではないので (言葉で説明するのもやっかいだが、今回は人文学部がほぼ全部引っ越すもので、今は3つの建物に分かれているのが、引っ越し後は2つになる)、私の部屋には明日あたりかと思っていたら、予想より早く私と同じフロアの先生のところに来て作業を開始したので、大いにあせった。 

 というのも、書架を解体するには、書架の本や書類を全部出しておかねばならないわけだが、私の部屋の書架にはまだ多少書物や書類が残っていたからだ。 また、書架の前のスペースを或る程度空けておかないといけないが、この点でもまだまだモノが沢山おいてあったのである。

 だが、幸いにと言うべきか、私のフロアの作業は、隣室の先生のところで時間切れ終了となった。  よかった・・・・・・・!

 引っ越しの合間を縫うように、文系大学院改組の説明会が行われる。 一応出席はしたが、遠い世界のことのような感じである。 以前もここに書いたが、新潟大の文系大学院、特に博士課程は、留学生が多く日本人学生は少ない。 日本では文系で大学院に行っても社会が受け入れてくれないから、進学者が増えないのである。 昔なら大学教員を目指すという手があったわけだが、最近の少子化で大学にポストを求めるのは難しくなっている。

 私は文系の大学はむしろ基礎教育を充実させるべきだと考えるのだが、文科省の方針はこれと逆になっている。 また、大学側も、最近は研究費が恒常的には降りなくなって、科研費だとかCOEだとか、とにかく企画をたてないとダメということになっているから、大学院の規模をふくらませて少しでも研究費獲得に有利になるように、という発想しかしなくなっているのだ。

 これは長い目で見ると良くないことだ、と私は思う。 大学には、時代の流行に左右されない研究が絶対に必要なのだ。 文系はもともと理系に比べて研究費はさほどかからない。 大事なのはむしろ、すぐ役立つかどうか分からない研究をやっている学者が一定数いる、ということの方なのだ。 ヘンに時流に迎合したプロジェクトにカネをかけるより、こうした研究者を一定数雇っておくこと (つまり人件費ですね) にカネを支出するべきなのである。 文系大学の最大の財産は多様な研究者の存在であることを、文科省は改めて認識すべきであろう。 むろん、学長もね。

3月18日(火) 研究室の引っ越し作業を続行。 やれどもやれども終わらない。 啄木の 「はたらけど、はたらけど・・・・・」 という有名な歌を思い出した。 本はほぼ整理を終えたが、書類がわんさか残っている。 段ボール箱は80になろうとしている。 おまけに、事務から配給された段ボールのストックが尽きかけている。 隣の研究室の先生にうかがった話では、事務が必要な段ボール数の予想を誤ったようで、追加注文しているところだとか。

3月17日(月) 本日午後、新潟大学で、語学教育に関するFD (ファカルティ・デヴェロップメント) が開かれた。 私は後半だけ出席。 しかし、この種の企画は最近の大学改革のなかで増えているけれど、どの程度の成果を上げているのだろうか。 

 語学教育に関する議論は、私の見るところ、大昔からさっぱり内容的に変わっていない。 変わっているところがあるとすれば、第二外国語の退潮が目立っていること、そしてそれに第二外国語教師が有効な対策を立てられないでいるばかりか、むしろ自ら墓穴を掘るような真似ばかりしているということであろう。

 この日も、改めてそれを痛感したので、私が自分の雑誌『nemo』に書いた「壊滅に向かう新潟大学の第二外国語教育」をこのサイトにアップすることにした。 興味のある方はお読み下さい。

3月15日(土) 昼、11時30分より、りゅーとぴあにて、梅津美葉のヴァイオリンによるワンコイン・コンサートを聴く。 ピアノ伴奏は坂元陽子。

 曲目は、エルガー: 「愛の挨拶」、ベートーヴェン: ロマンス第2番、クライスラー・メドレー: (「ダンス・エスパニョール」、〔メンデルスゾーン原曲〕「無言歌」より、「中国の太鼓」、「愛の喜び」)、マスネ: 「タイスの瞑想曲」、ガーシュイン: 「ボギーとベス」より、バッツィーニ: 「妖精の踊り」。 アンコールは、ドビュッシー: 「亜麻色の髪の乙女」。

 ワンコイン・コンサートは、文字どおり500円硬貨1枚で聴けるコンサートである。 (だから千円札だと入場を断られる・・・・・・というのはウソ。 ちゃんとお釣りをくれます。) ただし、演奏時間は奏者のおしゃべりを含めて正味1時間くらいだから、短めである。 プログラムも、ソナタは一曲もなく、ポピュラーな小品で構成されている。

 梅津さんは1974年生まれ、桐朋音大卒で、現在は日本とフランスを拠点に演奏活動を行っているとのこと。1991年の日本音楽コンクール第一位。

 演奏は、高音がつややかでよく響いて美しい。 技巧を見せつけるような曲より、メロディアスな曲の方が向いていそう。 ただ、ソナタが全然ないコンサートでもあり、新潟でその実力を発揮する機会は別に設けて欲しいものだ。 それと、おしゃべりを含むコンサートだけれど、この点ではもっと芸を磨く必要があろう。

 500円という価格設定のためか客の入りがよく、開演間際に会場に入ったら、正面席は1・2階ともほぼ満員 (全席自由席である)。 仕方なく、2階正面右隣のBブロック5列5番にて聴く。 安価な演奏会だと、クラシックコンサート慣れしていない客がどうしても多くなる。 この日もポリエチレン袋を膝上に抱えてがさがさ音を立てている人が一人ならずいた。 この辺はあらかじめアナウンスで指示をしてもいいかもしれない、と思ったことであった。

  *           *           *

 夜、N卓球クラブに練習に行く。 1月に入会した御婦人が2人いたが (2月1日の記述を参照)、 ここのところ顔を見せない。 挫折したのかも知れない。

 入会しても長続きしない、というのはよくあることである。 理由は色々考えられるが、まず、卓球を軽く考えている人が多いことが挙げられる。

 卓球を甘く見てはいけない。 初心者同士で温泉卓球感覚で打ち合っている間はいいが、多少とも修練を積んだ人とやってみると、技倆の差がはっきりと分かってしまう。 要するに、どんなスポーツでも初心者と熟練者の腕前の開きは大きいのであり、それなりに努力を積まないと上達はしないのである。 遊び半分な気持ちで入会すると、会員との技倆の落差を痛感させられて、あっという間に挫折してしまう。

 それと、今回の場合のように、2人一緒に連れだって入会、というのは、概して挫折しやすい。 一人が練習を休むともう一方も義理立てして休み、あげくの果てに何となく来づらくなって・・・・・というふうになりやすい。 だいたい、何でもそうだが、仲間と一緒でないと物事を始められないというのは、意志が弱い人である。 一人で練習に来れること、これが長続きする人の基礎的な条件である。

 また、入会したら、練習だけでなく試合や飲み会に積極的に参加し、会員との親睦に努めることも大事である。 少なくとも試合か飲み会のどちらかには出るようにしたい。 試合は負けるからイヤです、飲み会も別に出たくありません、身体を動かすことが目的ですから練習日だけ来れればいいんです、という人で長続きしたケースを、私は知らない。 

3月13日(木) 昨日から本格的に引っ越しのための箱詰め作業に入ったが、なかなか終わらない。 箱は60個を越えたが、まだ残っている本がある。 雑誌は (1)捨てる (2)自宅物置に移送 (3)研究室に保持、の3種類に分けたけど、(3)の分の処理が手つかずだ。 そして腰の調子が・・・・・。

 午後、事務に用事を足しに行った帰り、同僚のM先生とばったり出くわした。 少し立ち話をする。 M先生は教養部時代、私と同じくドイツ語科に所属し、教養部解体後は法学部に移った人である。 最近の学内情勢や教師ごとの処世術など、四方山話が出た。 

 M先生と私は同じドイツ文学専攻ながら色々な点で異なっているが――例えば、M先生は下戸だが私は毎晩酒を飲む、M先生は髪が黒々ふさふさしているが私はかなり薄くなっている、M先生には子供がいないが私には3人いる、M先生はフランス製の3ナンバー車に乗っているが私は5ナンバーの国産車である、などなど――マージナルなところから人間の動きを見る、という点では共通しているところがある。 

 独文というのは本来マイナーなものだから、教養部時代のドイツ語教師たちはマージナルな存在であることに納得していたはずだが、教養部解体後の生き方は各人各様で、マイナーであることに耐えられない気質をあらわにしている人間も一人ならず出ている。 この辺は、人間喜劇の材料になりそう。 なお、こういったからと言って、私が聖人君子で特等席にいるというようなことを主張したいのではないから、念のため。 何にしたって、生きるのは楽ではないのである。

3月8日(土) 午後6時から、りゅーとぴあにて、東京交響楽団第20回新潟定期演奏会。 指揮は秋山和慶、大友直人、飯森範親の3人。 曲目は、池辺晋一郎: 東京交響楽団のためのファンファーレ(秋山指揮)、ラヴェル: 「ダフニスとクロエ」 第2組曲(秋山指揮)、レスピーギ: 「ローマの松」(大友指揮)、ストラヴィンスキー: 「春の祭典」(飯森指揮)。 アンコールは芥川也寸志 「弦楽のための3楽章」 より第1楽章(秋山指揮)。

 新潟定期20回と東京での本定期500回を記念して、このオケの指揮者が3人フル出場という豪華な演奏会となった。 そのためもあってか、最近は3階脇の席はガラガラだった新潟定期、今回はチケット売り切れの満席となった。 私も、3階Gブロックを指定席としているので、いつもなら左隣は誰もおらず気楽でいいのだけれど(列の右端の席なので、右隣はもともと人がすわれない)、今回は客が来ていて、こころなしか窮屈な感じであった。 でも満席のホールで演奏するのは、演奏家側からすると気持ちがいいんでしょうね。 なお、二人いるコンサートマスターも、曲によって交換して、双方とも姿を見せた。

 私は大友直人の指揮するレスピーギが面白かった。 あ、こういう広がりと色彩感を持った曲だったのか、これはディスクでは分からないな、と教えられた気分であった。 指揮棒を持たない大友さんだが、シャープな腕と指の振りで鮮やかな音響を引き出すさまは絵になっている。

 演奏会終了後、新潟のクラシック音楽サイトを主宰しているT氏と会ったので、市内の喫茶店でお茶を飲む。

3月7日(金) 午後6時半から、新潟県民会館にて、モスクワ室内歌劇場公演・モーツァルトの 「ドン・ジョヴァンニ」 を見る。 外来オペラは新潟市では年に1回か2回と言ったところで貴重だから、見知った顔に何人か出会った。 すでに定年退官されたが新潟大で長年ドイツ語を教えておられたI先生 (現在は非常勤で来ておられるが) や、人文学部で心理学を講じておられるM先生などである。

 上で、新潟市では外来オペラは年に1、2回と書いたが、この日にもらったチラシによると、9月にチェコの歌劇場がやってきて 「蝶々夫人」 をやるようである。 その数日前にも、ドイツの歌劇場の公演で 「アイーダ」 があるから、本日の分と合わせて今年は外来オペラが年3回ということで、当たり年なのだろう。 或いは、最近の日本のオペラ・ブームのせいで、今後は新潟市でも外来オペラが数多く来るようになるのかもしれず、今年はその始まり、ということなのかも知れない。

 さて、今日の舞台は、ボリス・ポクロフスキー演出によるもので、配役は、ドン・ジョヴァンニがアレクセイ・モチャーロフ、騎士長がゲルマン・ユカーフスキー、ドンナ・アンナがオクサーナ・レシチャヤ、ドン・オッターヴィオがレオニード・カザチコフ、ドンナ・エルヴィーラがタチヤーナ・ヤツェンコ、レポレッロがアレクセイ・ヤツェンコ、ツェリーナがナデージタ・ニヴィンスカヤ、マゼットがセルゲイ・ワシリチェンコ。 指揮はウラジーミル・アグロンスキー。

 モーツァルトのオペラということで、どうしても5日前の 「コシ・ファン・トゥッテ」 と比較してしまうが、ことオペラに関してはやはりまだまだヨーロッパの歌劇団は日本に比べて1日、いや、3、4日の長がある、と言わざるを得ない。

 まず、歌手の力量だが、「コシ」 のテノールのごとく、シロウトが聴いても明らかにずっこけている、というようなのがいない。 この日もテノール (ドン・オッターヴィオ役) はそれほどの歌手ではなかったが、明瞭な破綻は見せなかった。 一番よかったのは、エルヴィーラ役。 やや硬質だが、よく通る説得力のある声であった。

 そして何より、お芝居として楽しめるようにできている、ということだ。 最初にツェリーナ役のソプラノが日本語で観客に挨拶をするところから始まり、オペラが単に歌の集成なのではなく、演劇であり、歌手の演技力も問われるのだ、というところが、見ていて納得できるような舞台になっている。 歌手の芝居が巧みで自然であり、「コシ」 のように日本人歌手のどこかぎこちない (オーバーすぎて不自然、という場合だってある) 演技とははっきりレベルが異なっている。

 外見的にも、配役のイメージにぴったりの陣容である。 主役は、すらりとした長身の美男子で、いかにも女たらしらしいし、逆にレポレッロ役は短躯で喜劇的な容姿であり、いかにも召使いといった風情なのである。 女性陣もこれに劣らずで、ドンナ・アンナは金髪碧眼で上流の令嬢らしいし、ドンナ・エルヴェイーラはブルネットで気品ある容姿 (ワタシ好みでした、はい) であるし、ツェルーナ役はいかにも庶民の娘といった感じなのだ。 このほか、舞台上で歌わない脇役にも素敵な美人がいた。 「ドン・ジョヴァンニ」 なんだから、こうでなきゃあ。

 先日の「コシ」には、その他大勢役で新潟の一般市民の方が何人も出ていた。 そのこと自体は結構なのだが、遺憾ながらお年を召した方がほとんどで、あまり見栄えがしなかった。 若い美男美女よ、オペラに出ませう!

3月6日(木) 今月中に研究室の引っ越しがある。 新しい建物に移る、ならいいのだが、そうではなく、築後30年あまりという古い建物を改修したところに移るのである。 大学側は新築を要求したのだが、文科省から予算がつかなかったので。 実に、日本の文教予算はお粗末ですからねえ。

 そいでもって、14日までに研究室内の本や何かの段ボール詰めを終えてくれ、と事務から言われているので、昨日から作業にかかった。 これが結構大変なのだ。 腰にもよくないし。 ま、少しずつ片づけましょう。

 ところがである。 本日は教授会があったのだが、そこで、「まさか、本当に14日までに箱詰めを終えるんじゃないでしょうね?」 という爆弾発言が某先生から飛び出した。 また、別の先生からは、研究室内の本を全部段ボールに詰めて廊下に出すと、人が通るスペースがなくなるから、いちどきに引っ越すのはとても無理だ、順序をあらかじめ立案して示せ、という発言もあった。 

 そもそも、改修工事も遅れ気味で、予定では3月20日に引き渡しなのだが、それまでにできるかどうか分からない、という話も出た。

 つくずく、日本人って計画性がない、その場主義の民族だなあ、と痛感したことであった。 知の場所であるはずの大学でこうなんだから、どうしようもないよね。

 杜撰な改修計画のせいで語学用の教室が圧倒的に不足している話はこのサイトでも随時報告してきたが、一事が万事、なのである。 もう一回戦争に負けないとダメかなあ・・・・・・・。

3月3日(月) 新潟大学人文学部教授 (東洋史)である古厩忠夫先生の訃報が入った。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 古厩先生は人文学部長も勤められた方で、『裏日本』(岩波新書) などの著書がある。

 それにしても、私が教養部解体により人文学部に移ってから9年だけど、この9年間に人文学部の現役教授が3人亡くなっている。 私はそれ以前は教養部に14年間いたわけだが、記憶が正しければ現役教官が亡くなったことはなかったと思う。 精神の病による退職は一人いましたけど。 人文学部の教官は蒲柳の質であられる方が多数なのだろうか? もっとも、9年前、教養部から経済学部に移籍したあと、数年たってから停年前に亡くなった先生はおられる。 とすると統計上は誤差の範囲かなあ。

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 さて、1週間ほど前に、このサイトのサーバを保有しておられる人文学部のK先生から連絡が入った。 サーバを廃止したいという。

 このサーバはK先生が私的に保持されていたもので、HPをおきたい人は最初に3500円を払うことになっていた。 しかし、まもなく人文学部は改修された建物に引っ越すことになり、そこではサーバをおく場所が確保できるかどうか分からないこと、機械自体が老朽化していること、公式サーバは別にできていることなどから、この際こちらのサーバは廃止したいとのことであった。

 やむを得ないであろう。 しかし私としてはこのサイトを新潟大の公式サーバに移すことはしたくない。 ここをよくお読みの方はお分かりのとおり、私は大学に批判的なことも書き連ねているので、発言の自由を確保するためにも、圧力がかかる恐れがある公式サーバは避けた方が無難だと考えた。 

 しかし、ではどうすればよいか、パソコンに弱い私にはよく分からない。 それでK先生やその他の知人に教えてもらって、無料でサイトを作らせてくれるところをインターネットで探し、登録した。 

 ここまでは良かった。 しかし、送られてきたユーザー名、パスワード、FTPサーバ名を、FTPに入力して送ってみたが、出てこない。 こうなると私としてはお手上げである。

 そもそも、このサイトを作ったときも、生協で 「なるべく簡単なHPソフトをくれ」 と言って購入し、インストゥールと制作は自力でやったものの、サーバに送ることがどうしてもできず、パソコンに詳しい同僚のN先生にお願いしてやっていただいたのである。 だが、いつもいつもご多忙のN先生にお願いするのは気が引ける。

 というわけで、私としてはパソコンに詳しい学生をバイトで雇うことにして、本日午後、事務のアルバイトセンターに行って登録した。 「春休みだから、学生が余りいないんで」 と事務官は言っていたが、どっこい、登録して2時間とたたないうちにバイト志望の学生がやってきた。 高専から理学部に編入したという学生で、パソコン操作には自信があるという。

 さすが、自分でそう言うだけのことはあり、あっという間に問題の所在を突き止め、適切な処置をしてくれた。 この間約30分。 時給千円ということだったが、千円払うことにして領収書を書いてもらった。 ・・・・・が、「千円を受領いたしました」 と書いてくれ、と指示したら、「千円を受料いたしました」 と書いてくれた。 むむむ・・・・・・。

 だけど、今の世の中、受領という漢字を正しく書ける人材より、パソコンに詳しい人材の方が求められているのだろうなあ、と複雑な心境になりました。

 なお、新しいURLは下記のとおりです。 登録・リンクをされている方は、変更をお願いいたします。

 http://miura.k-server.org/Default.htm

3月2日(日) 午後4時から、りゅーとぴあ劇場にて、モーツァルトのオペラ 「コシ・ファン・トゥッテ」 を観る。 配役は、フィオルディリージ(ソプラノ): 北原留美、ドラベッラ(ソプラノ): 羽山弘子、デスピーナ(ソプラノ): 高橋薫子、フェランド(テノール): 小林彰英、グリエルモ(バリトン): 宇野徹哉、ドン・アルフォンソ(バス): 小鉄和広、宮松重紀指揮の東京交響楽団、コーラス: にいがた東響コーラス、チェンバロ: 山口佳代。

 1年あまり前、小鉄氏のアレンジでオペラ 「奥様女中」 が上演され、演出がなかなか面白かったので、今回も期待して行ったのだが、期待はずれだった。 私はこのオペラを生で観るのは初めてだが、演出の工夫があるとは思えず、退屈な感じがした。 

 歌手はまあまあだったと思うが、テノールは例外で相当にひどい。 高音が全然出ていない。 こんなの出演させるな、と言いたくなった。 オケの伴奏も歌と合っていないところが間々見られたが、指揮者が鈍いのだろうか。

 それと、りゅーとぴあ劇場の椅子は硬くて、正味3時間の公演を観ると尻が痛くなってくる。 コンサートホールの椅子はひどくないのに、なぜ劇場の方はこんなにお粗末なのだ?? 改善してもらいたい。 字幕の位置も高すぎる。 工夫が欲しい。

 というわけで、イマイチの演奏会でした。 2列目左よりの席で鑑賞。

2月28日(金) 最近、大学入試問題のミスの報道が多い。 これは大学入試問題を作る人間がいい加減になってきているということなのだろうか?

 そうではなかろう。 ミスは以前もあったのだ。 ただ、それが報道されなかっただけの話である。 もっとも、最近は報道されすぎ、という気も私はしているのですけれど。

 実は、私自身が受験生だったとき、この問題はヘンなんじゃないか、と思った経験がある。 30年あまりも前だからもう時効になっているだろうけど、昭和46年度東北大学入試における文系向け数学の第4題目である。 座標軸と曲線によってできる図形の面積を積分を用いて求める問題だったが、指定された図形が二カ所にできるように思われた。 と言って、問題はその双方を求めよ、というのではない。 どうも、図形が二カ所にできてしまうことが作題者には分かっていないのではないか、と私は考えたのである。 仕方がないので、図を書いて、ここの図形の面積を求めましたよということを明示しておいた。

 この種の体験をしている人、わりに多いんじゃないでしょうか?

2月27日(木) 昨日まで前期入試。 私は試験監督は当たらなかったが (後期入試に当たっている)、入試が済んだ後のお仕事が本日あった。 朝から夕方まで根をつめて仕事をしたので、肩が凝り、目がしょぼしょぼとなった。

 疲労をおして、午後7時から、音楽文化会館でハーゲン弦楽四重奏団演奏会を聴く。 プログラムは、ハイドン: 弦楽四重奏曲作品74−3 「騎士」、ショスタコーヴィチ: 弦楽四重奏曲第8番ハ短調、ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第8番 「ラズモフスキー第2番」。 アンコールにバッハの 「フーガの技法」 第1曲が演奏された。

 この四重奏団の演奏は数年前に一度、新潟で聴いたが、あまりいい印象が残らなかった。 そのときは中程の席で聴いたのだが、今回は思い切って前の方の5列目に席を取った。

 しかし印象はあまり変わらない。 第一ヴァイオリンが弱く、全体に音が地味で、音楽の高揚感が希薄。 なかではショスタコーヴィチが、この団体の性格にあった曲だからまあまあかと思えたが、私はこの曲は好きではない。

 帰宅後、昨日BOOKOFFで買ったCDの中から、オーギュスタン・デュメイとジャン・フィリップ・コラールの演奏で、フランクとマニャールのヴァイオリンソナタを聴く。

 フランクの曲は有名で私もディスクを何種類か持っているが、マニャールのヴァイオリンソナタを聴くのは初めてである。 (この曲のディスクを持っていなかったので買ったわけである。)

 そもそもマニャールという作曲家自体があまりポピュラーとは言えない。 第一次大戦で戦死したフランスの作曲家だが、私は交響曲全集を持っているだけ。 それもたしか2回しか聴いていないので、まだこの作曲家の癖というか、特質が把握できていない。

 ヴァイオリンソナタも、一度聴いただけではよく分からない。 ううむ、以後、努力します。 デュメイの演奏、フランクの方は、第4楽章がじつに美しい。 

2月26日(水) 夕方、用事ついでにBOOKOFF関屋店に寄る。 こないだここで面白そうな新書本を見かけて、しかし持っているかどうか記憶が曖昧だったのでその時は買わなかった。 あとで研究室を調べたところ (私は、新書は全部研究室においてある) 持っていなかったので、買おうと思って今日行ってみたわけだが、残念でした、すでに売れてしまっていました。

 ところが、捨てる神あれば拾う神あり。 CDコーナーを見ていたら、クラシックCDがかなり沢山入っていた。 おそらくまとめて売り払った人がいたのであろう。 クラシックを4枚とタンゴ名曲集を買う。

 帰宅後、タンゴ名曲集を聴く。 101ストリングスによるディスクで、あまり癖のないオーソドックスな演奏だ。 私はタンゴは嫌いではないが、なぜかこれまでタンゴのディスクは買ったことがなかった。

2月23日(日) 昨日買ってきた田部京子のCD 「グリーグ作品集」 を聴く。 ピアノソナタ作品7など5曲が収録されているのだが、この中の、「7つのフーガ」 が面白い。 バッハの平均律クラヴィーア曲集を思わせる曲想で、知らない人に聴かせたら絶対バッハの作品だと思うだろう。 グリーグにこんな曲があったとは知らなかった。

2月22日(土) 今日から第13回にいがた国際映画祭である。 それで午後から新潟市民プラザに韓国映画 「春の日は過ぎゆく」 を見に行き (感想については→「映画評2003年」) それから急ぎ、音楽文化会館の田部京子ピアノリサイタルを聴きに行く。 映画の終了が5時55分、リサイタルの開始が6時だが、新潟市民プラザから音楽文化会館まではいくら急ぎ足で行っても10分以上かかるから、プログラム最初の吉松隆は聴きそびれた。

 なにしろ、「春の日は過ぎゆく」 はこの映画祭でも3回しか上映しないし、今日以外の2回はいずれも音楽会と時間が重なっているので、どうしてもこの日に見なくてはならなかったのである。 世の中、なかなかうまくいかないものです。

 さて、田部さんのリサイタルは次のようなプログラムだった。 吉松隆: 4つの小さな夢の歌、モーツァルト: ピアノソナタ変ロ長調K.333、グリーグ: 「ペールギュント第1組曲」(朝・オーゼの死・アニトラの踊り・山の魔王の宮殿にて)、ドビュッシー: 2つのアラベスク、シューベルト: さすらい人幻想曲。 アンコールは、シューベルト: 「楽興の時」 第3番、リスト: ウィーンの夜会。

 この中では、最近CDに入れたというシューベルトの 「さすらい人幻想曲」 が最も素晴らしかった。 ピアノもよく鳴っていた。 これに比べると、モーツァルトはピアノの音がイマイチだし、音に贅肉がついているように聞こえ、ピアノと曲との相性ということを考えさせられた。

 田部さんの新潟市でのリサイタルは3年連続だが、いずれも音楽文化会館を会場としている。 このホールのピアノの質はどうなのだろうか。 この3回では、昨年の2回目が一番いい音だったような気がするが。 次回はりゅーとぴあを会場にして、あそこの上質のピアノで弾いてみてはどうかしら、と思ったことであった。

 聴衆の質にも問題あり。 何か、いい加減に拍手している奴が多い。 ちゃんと拍手しろ、コラ! 途中でケータイを鳴らした奴もいたし。

 演奏会終了後、昨年に引き続き、CDを買ってサインしてもらってから帰りました。

2月21日(金) ゴタゴタの多い日であった。 学生が飛んでもないミスをし、それに私自身のミスも加わって、関係者にはご迷惑をおかけしました。 具体的なことは書けませんが、お詫び申し上げます。(こんなところで詫びたって仕方がないけど。)

 しかし、2月7日に書いた件がまた持ち出されたのにはうんざりした。 「学生がみな卒論に必死でとりくんでいる」 「我々も頑張ってきた」 式の、ニッポン運動部的メンタリティは、私は昔から大嫌いである。 その意味で、私は宮本政於いうところの 「在日日本人」 だなとつくずく思う。

 西洋文学をやった人間がこの種のメンタリティに深く染まっているのは、それ自体としてはなかなか興味深い現象と言えよう。 日本人論の材料になりそうだ。

2月19日(水) 昼、生協の教職員委員会に出席。 新潟大生協が出している書評誌 『ほんのこべや』 春号について、原稿の集まり具合を確認。

 『ほんのこべや』 は春と秋の年2回出ている。 活字離れが言われる学生に、教職員が本を紹介して読書の世界に誘(いざな)おうというもの。

 しかし原稿集めには苦労している。 いつも新潟大学の全教職員に依頼状を出すのだが、書いてくれるのは20人行くかどうか。 新潟大学の教職員は、助手を入れると1000人近くになるから、書いてくれる人は2パーセント程度にすぎないわけである。

 それも、執筆者は固定化する傾向にある。 つまり書いてくれる人は常時書いてくれ、書かない人は全然書かない。

 学者の実力には色々な側面があるが、こういう場で原稿を書くことができる、というのも、能力の一つだと私は考えている。 つまり、その方面の能力のある学者は、新潟大の場合、2パーセント、ということになる。

 学部によっても違う。 今のところ、工学部の教官からの投稿はゼロ。 生協では色々な行事を催しているが、先日 「日本酒を飲む会」 というのをやった。 日本各地の銘酒を飲み比べるという、酒好きにはこたえられない企画であるが、ここには工学部の教官が多数参加した。 ところが 『ほんのこべや』 への投稿が今のところゼロということで、この日の会議では 「工学部はみんな、酒は飲んでも、本は読まないんだねえ」 と工学部の委員から発言があり、爆笑となったが、笑ってる場合でしょうかね??

 学生からの投稿もある。 そのこと自体はたいへん慶賀すべきなのであるが、今回の投稿を見ると、一人、かなり内容的にあやしげなことを書いている人がいた。 と言って、政治的に問題があるというようなレベルではない。 自分の生きている狭いサブカル世界の感覚で書評 (なのかな? 本の内容には全然触れていないんだけど) をやっているのだ。 学生だけのミニコミ誌ならこれでもいいだろうが、書評誌にこれじゃあ・・・・・・。 結局、編集担当の某先生が大幅に赤ペンを入れるということで合意。

2月18日(火) 教養科目 「西洋文学L」 のレポートを採点する。 ところが、某留学生のレポートを見て愕然とした。 シェイクスピアの 『ハムレット』 について論じていたからだ。

 「西洋文学」 という講義名ではあるが、内容的にはドイツ文学の啓蒙主義から初期ロマン派のあたりまでを扱ったもので、レポートの対象となるのは当然ながらその時代のドイツ文学作品、または作家に限られる。 くだんの留学生は、その辺が全然分かっていなかったのだ。

 この留学生、授業にはわりに良く出ていて、ノートもとっているようだったのだが、実はシラバスに載っている講義科目名の英文タイトル 「Western Literature」 しか分かっていなかったのではないか? レポート自体も、英語で書いてある。 かなりブロークンな英語だけれど。

 留学生にはあまり辛い点をつけない、というのが不文律なのではあるが、これではいくら何でも合格点は上げられない。 ううむ・・・・・国際化時代ならではのハプニングでしょうか。 

 しかし、気の毒だと思うのは、今年度の新潟大学教養科目のシラバスを見ると、英文学を扱った授業がない、ということだ。 英語教師・英文学教師は沢山いるのに、怠慢ではないだろうか。 もっとも、ドイツやフランスだって威張れない。 ドイツ文学を教養科目で講じているのは私一人。 フランス文学もお一人だけ。 ドイツ語教師は現在新潟大学に12人、フランス語教師も6人ほどいるというのに・・・・。

 ちなみに、この 「西洋文学L」 で一番良い点を付けたのは、工学部生2人。 1人はゲーテの大作 『ファウスト』 を扱っていたので 「ご苦労さん」 ということで。 もう1人は、何となく漫談調だけれど面白い文章を書いてくれたので。

 教養科目だから、新潟大学の全学部の学生が聴講可能で、この科目も医学部と歯学部以外の7学部の学生が登録していたのだけれど、文系ではなく理工系の学生が意外に面白いレポートを書いてくる、というのが、教養科目ならではの醍醐味ということになろうか。 その意味では、授業をやった甲斐があったわけである。

2月16日(日) 朝から、N卓球クラブの仲間2人と一緒に、亀田町体育館で開催される 「白年愛球会」、別名 「ヴェテラン会」 の卓球大会に出場。 30歳以上の卓球プレイヤーのための大会である。 30代、40代、50代という風に、10歳ごとに区切ってその中で試合を行う形式で、年2回行われている。

 この大会は新潟市内、及び県内から腕に覚えのあるプレイヤーが集まるので、レベルが高い。 ワタシは50代に出て、1勝4敗でした。

 勝敗はさておき、昼休みに観客席で昼食をとっていたら、たまたますぐそばにバッグをおいていたのがUさんだった。 彼女は以前はN卓球クラブによく来ていたのだが、最近は家庭の事情で足が遠のいている。 もっとも、主婦だけをメンバーとする別のクラブにも入っているので、卓球はずっと続けているのである。

 しかし近くまた家庭の事情が変わりそうなので、Nクラブにも来るようにしたいとのことだった。 「三浦さんの隣りで御飯を食べられてうれしいわ」 と言ってくれた。 男は単純だから、お世辞と分かっていてもこんな風に言われるといい気分になってしまう。 「女は愛嬌」 という古来の諺はやっぱり真実だな、と痛感するのであります。 

2月14日(金) 後期担当の講義 「テクスト批評論」 の学生レポートを採点する。 この授業は人文学部3年次以上向けだが、差別語問題を取り上げたせいか、法学部生3名と経済学部生2名も聴講していた。

 ところが、経済学部の2名は結局最終レポートを出さず、ドロップアウト。 法学部の3名は出したが、いずれもレベルが低い。 この授業では中間レポートも課しているので、それを返却するときにレポートの書き方については注意を与えたのだが、どうもよく分かっていないようだ。

 差別語や差別に関わる問題というのはデリケートなところがあり、たんに 「差別はいけません」 「差別用語を使うのはやめましょう」 と連呼していただけでは済まない部分がある。 その微妙さをこそ授業では教えたつもりだったが、某法学部生のレポートにはそうした授業内容はまったく反映されていなかった。 障害者差別はイケマセン、バリアフリーは絶対の善――これだけなのである。

 無論、私の授業内容と異なる主張を学生がしてもいいのであるが、それは授業内容をふまえた上で、それを越えるレベルから批判を敢行した上で、ということが前提になる。 ところがくだんのレポートはそんなレベルではとてもない。 差別はイケマセンという単純で初歩的な主張レベルを全然クリアしていないのだ。 これじゃ、私の授業をとった意味が皆無じゃありませんか。

 わざわざ他学部の授業をとりにくるのだから、根性のある優秀な学生かと思いたくなるのだが、この授業に限って言うなら、まったくダメ学生ばかりであった。

 数年前、1年次向け人文教養演習に法学部・経済学部・理学部から各1名ずつ学生が参加したことがあった。 そのときは個性的で意見をはっきり言う学生ばかりで、他学部生が来てくれてよかったと思ったのだが、今年は不作ということなのだろうか。

 夕方6時から、後期専門演習の学生4人と飲み会。 工学部脇の寿司屋にて。 ここは昨年も利用したが、安いのがいい。 ただし子供の遊び回る声が聞こえるとか、注文してから来るまでに結構時間がかかるなどの難点もあるが、まあ、ほのぼのムードを買うということで。 計5人で飲み食いして (寄せ鍋5人前、握り上5人前、鉄火巻きとカッパ巻き各1人前、焼き魚4人前、茶碗蒸し5人前、ビール2本、熱燗2本、酎ハイ5、烏龍茶2人前、など) 1万9千円だから、私のフトコロにも暖かな店と言えますね。  

2月13日(木) 午後1時から、大学院・現代社会文化研究科の研究科委員会に出る。 研究科委員会とは、大学院の教授会のこと。 この現代社会文化研究科は、新潟大学の文系三学部 (人文・法・経済) が合同で作っている博士課程の大学院である (教育人間科学部のスタッフも若干参加)。

 私がこの大学院の担当となったのは2001年10月からだが、それから1年半、この研究科委員会に出たのはこれでようやく3回目である。 ほぼ毎月開かれる教授会と違い、この研究科委員会は隔月程度にしか開かれないが、それにしても大半をサボっているわけではある。 これは私だけではない。 この委員会は欠席者が非常に多い。 

 本日も、新しい研究科委員長 (要するにこの大学院の代表者) を決めるという重要議題があって、3分の2以上の出席がないと困りますという訴えがあらかじめあったので、それで私も出たのだが、当初は出席者が3分の2に達しなかった。

 この日は大学院・経済学研究科(修士課程)の入試があって、経済学部の先生の多くが欠席せざるを得ないという事情もあったようだが、それにしても、である。 まあ、大学の会議ってのは、こんなものなんですよね (下の2月7日との関連で読んで下さいな)。

 ちなみに私がこの会議をサボりがちなのは、実質的にこの大学院で働いていないからでもある。 指導学生はいないし (つまり独文専攻の博士課程院生がいないわけです)、授業も学生が来ないから不成立。 したがって大学院担当手当ももらっていない。 こういう次第だから、会議に出る気にもならないのである。 

 もっとも、今年度の授業については、某留学生から出席を検討したいがとの打診があった。 しかし、ドイツ語の原書講読ですよと説明したら、あっさり退散してくれました。 なははは。

       *          *          *          *          *

 話は変わる。 夕方、シネ・ウインドに映画を見に行ったら、支配人のHさんに呼び止められ、少し話をした。 最近の新潟市の映画事情についてである。 実は前日、シネ・ウインドのサイト掲示板に私は以下のような投稿をしたのだった。

  正念場か?
 
  投稿者:三浦 さん   男性 会員 50代 新潟県

 ウインドは正念場を迎えているのでは、という気がします。

 新潟市規模の都市にシネコンが3つ。 明らかに乱立模様ですが、ウインドは大手系列の配給からはずれた作品をやっているから大丈夫という見方が強かった。

 ところが、最近シネコンが単館系の作品を積極的に上映するようになってきました。 ユナイテッドはもともとそういう傾向があり、サイトでも宣伝していますが、ワーナーマイカルも 「小さな中国のお針子」 をやるようで、明らかに他館との差異化によって客を呼ぼうとしています。 そもそも、50万都市なのに3箇所で同じ映画をやっていれば集客力が落ちるのは当たり前なので、これはある意味で予想された展開でしょう。

 こうした中、ウインドがいかに独自性を出して客を集めるか、真価が問われるところです。 「市民映画館」の名に恥じないよう、会員の声を大事にする姿勢が今まで以上に要求されると思いますし、説明責任もおろそかにしないで欲しい。

 例えば会員からリクエストがあっても応えられない場合、どうして応えられないのかをきちんと説明して納得してもらうことです。 リクエストが通らなくても、その理由に得心がいけばウインドを応援しようという会員の気持ちは変わらないはず。 逆にその辺が曖昧だと、運営が恣意的なのではとか、作品選択が一部の人間の好みで決められているのでは、といった疑いを呼び起こし、しまいには不信感すら招きかねません。

 それでも他館でやるならそちらへ行けばいいわけですが、他館でもウインドでもやらないというとき、上映しようと思えばやれたけれど新潟の映画人にその気がなかったからなのか、或いはやる気はあったのに色々な事情からやれなかったのか、一般の映画ファンには分かりにくいわけです。 説明というのはその編の事情について分かりやすく、ということです。

 また、上映が決まった作品はすぐにサイトや「ウインド」誌で知らせること。 この点、ユナイテッドはしっかりしています。 (逆に駄目なシネコンもありますね。)

 話は変わるけど、ウインドで上映中の 「まぼろし」 はいい映画ですね。 私は昨年東京で見てしまいましたけど、未見の方には是非にとお薦めしたい。

 そう、それと、ウインドのスタッフには学生もいるだろうと思うんですが、もっと大学構内で宣伝して (ポスターを貼ったり、チラシをおいたり)、若い人を呼び込むような努力が必要なのではないでしょうか?  

 要するに、以前はミニシアター系の映画は、新潟市にあってはシネ・ウインドがほぼ独占的に上映していた。 ところが最近、乱立しているシネコンがこの方面の作品に手を伸ばして積極的に上映するようになってきており、シネ・ウインドの独自性が打ち出しにくくなっているのである。

 加えて、Hさんのお話では、新潟では東京と違ってメジャーでない映画に対する情報が一般の人に欠けているという。

 つまり、東京の場合は 『ぴあ』 を読むと、「ハリー・ポッター」 などのメジャーな映画だけではなく、単館系の作品も掲載・紹介されている。 それを読んで、面白そうだから見に行こうと考える人がわりに多い。 ところが新潟市の場合、独自の情報誌はあるものの、メジャーでない映画は新潟で上映されない限りは紹介されず、したがってウインドが上映候補に挙げても、「何、それ?」 という感じになりやすいのだそうである。

 情報化時代がうたわれ、単館系の映画についてもインターネットで簡単に情報が集められるようになっている・・・・・なのに、都会と地方都市の情報格差はむしろ開いているらしい。 これは由々しき事態と言わねばならない。 対策を考えないと。 これは映画だけの問題ではないのである・・・・・!

2月9日(日) 「ブックレット新潟大学」 というシリーズ本が、新潟市の新潟日報事業社から出ている。 70ページ均一だから、本というよりパンフレットのようなものだが、地元新聞社と新潟大学がタイアップして企画・出版しているシリーズである。 新潟大の教官が自分の専攻しているテーマを取り上げ、しかし一般読者向けに分かりやすく啓蒙的な筆致で書き下ろすというものだ。 例えば、下記のような本がこのシリーズで出ています。

 http://www.nnj-net.co.jp/cgi-bin/nnj-net/press.exe/7&5

 実はその1冊をワタシが書くことになり、昨年末から折を見て筆を進めているのだが、本日午後、ようやく第3章を書き上げた。 残りはあと1章なんだけれど、実は全然準備ができていなくて、これから調べにかかるのである。 ワタシの泥縄主義も相当なもの・・・・・・(冷汗)。 

 え、どんな本かって? それは出てのお楽しみということで。 8月に出るはずです。 無事に執筆が完了すればですけど・・・・・。

 このあと、昇任予定の若手教官の論文を深夜までかけて査読したが、何しろあのドイツの大哲学者カントを扱っているので、きわめて高度な内容であり、ワタシの頭は☆¥◇★△$○%▼×□◎#■・・・・・・・・・・となった・・・・・・・・・。

2月7日(金) 昼から非常勤で行っている敬和学園大の期末試験。 それを終えて新潟大に戻り、4時半からの語学関係の会議に出たら、同僚2名が、私が敬和学園大の期末試験のせいで新潟大の昼過ぎからの会議に欠席したことに文句を垂れた。 昼過ぎからの会議というのは、講座の卒論の点数決定会議だが、私は自分の閲読した卒論については全部あらかじめ担当者に評点を知らせており、何ら問題はないはずである。 だいたい、期末試験を休講にするわけにはいかないではないか。

 要するに、一種の嫌がらせであろう。 大学は、わりに個人の自由が尊重されるところだ。 例えば人事会議 (新しい教員を採用したり、助教授を教授に昇任させるなどの会議) の委員になった場合でも、都合がつかない時はあらかじめ委員長に自分の意見を文書などで提出しておけばそれで事足りる。 それで文句が出た、という話は、寡聞にして知らない。

 それでも、例えば文句を言った二人が非常勤などいっさいやらずに新潟大の仕事に専心してきたというなら話は別だが、二人とも外部の非常勤講師の仕事はしているのである。 或いは、どんな会議にも絶対欠席しない主義だというならともかく、そんなこともないのである。

 ちなみに、文句を言った二人はいずれも以前は教養部のドイツ語教師だった人たちだが、うち一人は、教養部時代、長期に渡って教授会にも学科会議にもいっさい出なかったという前歴がある。 その期間は15年ほどにも及ぶ。 

 念のため。 私はそのこと自体を非難したいのではない。 大学というのは変人奇人が比較的多いから、そういう人間がいてもいいと考えている。 ただし、そういう人間は、仮に考えが変わって会議にいそいそと出るようになっても、出ない人間を批判したりする権利はないだろうと考えるのである。 まして私は会議をことごとくサボっているわけではない。 たまたまこの時は学外非常勤の期末試験と重なっていたから欠席したまでである。

 まあ、その程度の思慮にも欠けるという点で、たしかに大学には変人奇人が多いのかも知れない。 しかしそうなると 「変人奇人」 という、多少は世間のナアナア主義から隔絶した生き方をしているような語感のある言葉を当てはめるのは不適当と言わざるを得ないだろう。 変人奇人でなければ何かって? それは言わぬが花というものである。

2月6日(木) 本日は朝9時から卒論口頭試問がある。ところが、目覚めたのが8時40分だった。 大慌てで着替えをして、朝飯抜きで大学に急行。 滑り込みセーフ。 でもこれで間に合っちゃうところが、地方都市のいいところ。 首都圏の大学ならこうはいかないだろうな、とヘンなところでいい気分になる。

 なぜ寝坊したかというと、学生の卒論を読んでいて遅くなり、寝床に入ったのが午前3時半だったからである。 今年は8人分の卒論を読んだのだけれど、2人、きわめて難解な卒論を書いた学生がいた。 卒論は数日前から1日2編ずつ読んできたのだが、難解なのを最後に残しておいたのが誤算だった。 2編とも日本語で書かれているが、意味をとるのに苦労し、ドイツ語並みに1ページ読むのに5分くらいかかってしまい、寝るのが遅れてしまったのである。

2月5日(水) 教授会。 私は会議が大嫌いだから、例のごとくうんざりしながら出席していたが、就職活動がらみで自衛官が新潟大の構内に制服で立ち入ったのがケシカランという話が出て、いささか驚いた。

 何でも職組が文句を付けたらしいのだが、事務方は特定の職業の制服だけ立ち入りを禁じるのは職業差別につながるので、と回答したそうである。 まことに正論と言うべきであろう。

 ところが教授会ではこの程度の常識もない発言が相次いで、あきれてしまった。 制服で構内に入るのは諜報活動をしている可能性がある、という噴飯ものの意見も出た。 

 おいおい、目立つ制服を着て諜報活動をする奴があるかいな。 ワタシが大学構内で諜報活動をしようと思ったら、普通の教官や学生と区別が付かないような目立たない服装をするね。 それが常識ってもんでしょう?

 オウム真理教と自衛隊を同列におくような発言をした教官もいた。 まったく、大学教師の阿呆さ加減は救いようがないですね。

 ワタシはたまりかねて、そういう発言は職業差別でしょうと意見を述べた。 議長である学部長の議論打ち切り宣言もあってこのテーマはそこでお仕舞いになったが、特定のイデオロギーにからめ取られた人たちの偏向ぶりは目を覆うばかりである。

 思うに、職組はこんな時ばかり張り切っているから組織率が低下する一方なのだ。 イデオロギー闘争ではなく、学内の労働条件等の改善や、改組の際に一部の教職員にしわ寄せが行っていないかなどのチェックに力を注ぐべきであるのに、例えば教養部解体の際はほぼだんまりを決め込むなど、肝心の時に全然アテにならないのである。 こういう労組が信頼されるはずもない。 

 また、半世紀以上も前の軍隊の横暴を理由にして自衛隊の危険性を説くより、今現在の文部官僚の横暴に毅然たる態度をとるのが、知識人としての正しい態度ではないのか。 その程度のこともできないんじゃ、内弁慶呼ばわりされても仕方がないですね。

2月4日(火) 夜、帰宅したら、新潟NGOなる団体から郵便が届いていた。 キリスト教会の神父さんが中心になって、北朝鮮の飢えた子供たちに食糧を送ろうという運動をしているとか。

 例の拉致問題以来、北朝鮮がらみのこの種の運動には賛同者があまり集まらず、苦慮しているのだそうである。

 私は拉致問題に関して北朝鮮を擁護するような輩にはいささかも共感を持たないが、それはそれとして、北朝鮮の飢えた子供を救おうという人がいることは理解する。 「汝の敵を愛せよ」 と言いますからね。 別段クリスチャンでなくとも、こういう言い回しにはそれなりに普遍性があると思う。

 しかし、問題は、送った食糧が本当に飢えた子供たち (だけ) に渡るのか、ということなのである。 曾野綾子は次のように言っている。 たとえ政治的に問題のある国でも、人道的理由から食料品などを援助をするのはいい。 ただし援助の品が受け取るべき人にきちんと届いているかどうか、最後まで見届けるのが義務である、と。 でないと、必ず途中で援助品が権力者に横取りされてしまうからなのだ。

 今回、新潟NGOから送られてきた手紙を見ると、その辺がやはり曖昧である。 北朝鮮の信頼のおける人物に渡しているとして、食事をしている子供の写真も添えてあるのだけれど、これだけでは人を説得するのは難しかろう。 写真で嘘を付くのは簡単ですからね。

 ではどうすればよいか。 日本人ボランティアが数名、手弁当で北朝鮮に渡り、日本から援助された食料品が100パーセント子供たちの食事用に使われているか監視することだろうと思う。 そのくらいのことをやらないと信用されない、ということが分からない人は、この種の運動をする資格がないんじゃないかな。

 もっといいのは、北朝鮮を後進国として国際的に認知してもらうことだ。 だいたい、たまに飢饉が起こるというのならともかく、慢性的に食糧が不足しているというのは、北朝鮮の内部体制に問題があるからである。 そうした側面を無視して善意で食料品を援助しても、穴の空いたポケットにコインを放り込むようなものである。 

 「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」 というのが、後進国援助の基本である。 フォスター・プランなどの後進国援助ボランティア団体の人たちは、こういう方針で仕事をしており、単に後進国向けに金銭的援助をしているのではない。 彼らはその後進地域において援助に頼らない自立した社会が形成されるよう手助けをしているのであり、この目標が達成されれば援助をうち切るのである。

 北朝鮮の子供たちに手助けを、と考える人々は、こうした長期的視点を持つべきであろう。

2月2日(日) 朝から、クルマで大形卓球大会に出かける。 新潟市の大形地区の卓球クラブが主催して年2回行っているダブルスだけの大会である。 どんなパートナーと組むかはその場でのくじ引きで決める。

 途中、同じクラブの仲間3人を拾っていく。 そのうちの一人は新潟大学の中国人留学生であるが、彼がスペースシャトル事故のニュースを教えてくれた。 他の3人はテレビを見ていなかったので、それで初めてこのニュースを知った次第。

 念のため付け加えると、このニュースは新潟ではこの日の全国紙朝刊では報道されていない。 新潟では全国紙は首都圏からトラックで運ばれるから、輸送時間の分だけニュースの〆切が首都圏版より早いのである。 新聞によって多少の違いはあるが、だいたい夜の10時頃で、それ以降の事件は翌日の朝刊には出ない。 また全国紙は新潟では全部統合版、つまり夕刊がない形式だから、夜中のニュースは首都圏版より丸一日遅れて報道されるのである。

 閑話休題。 卓球の試合だが、午前中は3勝2敗、午後は1勝4敗であった。 午前と午後とはパートナーが変わる。 基本的に男女のペアとなるはずが、男女の参加者数は若干違うため、少しだけ男男ペアができる。 ワタシは運悪く、午前中はその男男ペアとなった。 何となく面白くないですよね。  

2月1日(土) 午後2時から、牧田由起ヴァイオリン・リサイタルに行く。 だいしホール。 ピアノ伴奏は新垣隆で、プログラムは、モーツァルトのソナタK.303、 ラヴェルのソナタ、ヴィターリのシャコンヌ、ブラームスのソナタ第3番。 アンコールに、モンティのチャールダッシュと、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」。

 今年の初音楽会ということで期待して行きました。 が、きちんと弾けているなとは思ったけれど、自分の音楽にはまだなっていないような。 教科書通りの表現ではなく、細部に渡る牧田さんなりの練り上げといったものが欲しいし、情感を出すべきところはもっと思い切り出していかないと物足りない。

 でもチラシの写真よりずっと美人! 特に日本人には珍しく横顔が様になっているのがいい。 写真家は心して撮影してあげないといけませんね。ルックスだって演奏家には大事な要素ですから。

 ちなみに牧田さんは、第46回全日本学生音楽コンクール東京大会ヴァイオリン部門第2位、2001年国際モーツァルトコンクール派遣者演奏会優勝などの経歴をお持ちの演奏家である。

 演奏会終了後、新潟市のクラシック音楽サイトを主宰しているT氏と会ったので、近くでお茶を飲む。 氏はスポーツ観戦も趣味としているので、その蘊蓄を傾けた話をうかがった。

 夜、Nクラブに卓球の練習に行ったら、見慣れない御婦人が二人。 私は用事があって2週連続でNクラブの練習を休んでいたが、その間に入会された方だとか。 そのせいもあり、本日は合計13人。 近来にない盛況だ。 この状態が長続きするといいのだが。

1月31日(金) 読書コーナーにも記したが、草野厚 『癒しの楽器パイプオルガンと政治』(文春新書)を読みました。 評判どおり、なかなか興味深い本ですね。

 1980年以降、地方公共団体に高価なパイプオルガンが続々と設置され、それが有効に使われているケースが少ないという事実が、具体例を挙げつつ指摘されています。 また、機種の選定にあたって、一部の専門家が自分の好みを優先させて特定のメーカーを推しているという批判も重要です。

 池袋の東京芸術劇場にガルニエ社の超高価なパイプオルガンが入ったものの、故障続きでまともに使われていない。 ところがその同じメーカーのパイプオルガンが、盛岡にホールが造られるとき、BCJの鈴木雅明氏の強引な主張により入れられるという事態になった。

 このメーカーは、メインテナンスという点で他社より格段にカネがかかるようになっている。 つまり、そのメーカーにとっては公共団体に製品を納入することで利権を得られる。 税金で購入されるパイプオルガンについてこのような構造があるのは問題だが、オルガンの専門家の数は少なく、しかも同業者的な学会によって結束しているため、外の声が入りにくいらしい。

 ガルニエ社製のオルガンは新潟市民芸術文化会館、通称りゅーとぴあにも入っていますから、人ごとではありません。 ただし、幸いにして (?) あの巨大なパイプオルガンではなく、小型のポジティブ・オルガンですけど。

 たしかに、芸術は税金の有効利用というだけでは片づかない部分があり (それは草野氏も認めている)、オルガンについて高度な知識や技倆を持つ人の数は限られている以上、公平とかみんなに分かりやすくというだけではことは運びませんが、クラシック愛好者の数を増やすためにも、せっかく購入したものを有効利用するという視点は必要でしょう。

 その意味で重要な問題提起の書として、クラシック・ファンの方々に一読をお薦めしたいと思います。

1月30日(木) まだ1月だが、大学の予算は2月中に使わないといけないので、その意味ではすでに年度末である。 私の研究費も余っていたので、日本コロムビアから出ている 「文部省唱歌集成」 を購入する。 CD20枚組で、100頁を越える解説書つき。 

 最近日本の唱歌が見直されており、その筋の本も出ていることは24日にも書いたとおり。 このCDはそれに加え、来年度の授業で使うという理由もあって買ったのではあるけれど、新潟大の学生で興味を持つ人がいれば貸し出しますよ〜。

1月25日(土) 新潟市立美術館に 「小林秀雄生誕100年記念――美を求める心」 展を見に行く。 前売り券はだいぶ前に買ってあったのだが、なかなか行く暇がなく、とうとう展覧会が明日終了というところまで来てしまったので、どうしても今日は見ておかないと。

 小林の文章と、彼が取り上げている絵画や骨董品が並んでいる。 まあ、実物を前にして彼の文章を読むと味わいもひとしおということなんでしょうが、西洋絵画はもう少し沢山あってもよかったんじゃないかな。 それはともかく、小林の文章、やはりうまいですね。 視覚芸術を扱うにしても、結局、いかに文章を書くかなんだなあ、と改めて痛感する。

 夜、6時半からH卓球クラブの新年会。 小針の店にて。 冒頭、会長のN氏が挨拶に立ち、会員の皆さんもお年の方が多く、とロクでもない話を始めたのでいささか白けてしまう。 

 たしかに、この日も一番若い参加者が40代後半ということだから、高齢化しているには違いないが、そう露骨に言わなくてもいいでしょう、という感じ。

 外見からすると、若々しい方も多い。 例えばワタシの隣りにすわったS氏は、ワタシより4歳年上の54歳だが、髪は黒々ふさふさ、顔の肌もつやつやで、30代と言っても十分通りそうなくらいである。 いささか嫉妬してしまう。 しかしそのS氏も膝を痛めており、外見にもかかわらず老化現象は確実にしのびよっているのである。

 というわけで何となく冴えない新年会でした。

1月24日(金) 敬和の非常勤最終日。 あとは2週間後に期末試験があるだけ。 

 帰り、こないだ改装・新規オープンしたばかりの石丸電気・新潟店に寄ったら、3日間だけのバーゲンをやっていた。 バーゲン会場のCDが3割引。 といっても品数はあまりないが、見ていたら鮫島有美子の 「愛唱歌集3」 が定価1万円のところ、7千円で出ていたので、買う。

 最近、日本唱歌を見直す動きが盛んで、本が何冊も出ているが、来年度の授業でその方面を扱う予定なので、ということもある。 といっても、この5枚組CDでは日本の唱歌は2枚だけで、あとはクラシックの歌曲や日本と外国のポピュラー・スタンダードナンバーである。

 中で、さだまさしの作品で山口百恵が歌ってヒットした 「秋桜」 も取り上げているが、これが下手なのである。 他の曲に比べて恐ろしく歌が下手。 なんでこんな出来の悪い歌唱を収録したのかな、と思うくらい。 私はこの曲が好きなもので、気分を害しました。

1月20日(月) 2限の授業のあと研究室に戻ったら、16日に続いて九州のK先生から電話がかかってきた。 用件はこないだと同じだが、第二外国語が最近おかれている状況について、日本独文学会は何もしていない、という点で意見の一致を見た。 こんなことで意見が一致しても仕方がないのだが・・・・・・。

 K先生によると、独文学会幹部はせいぜい2年先のことしか考えていないと言う。 日本人が長期的な構想力に乏しい民族であることはしばしば言われるが、ドイツ人の文化を学んでいるはずの独文学者もその点において変わらないのだとすれば、何のための学問、という声が出てくることは必至であろう。 ということは・・・・・。

1月19日(日) 昨日に引き続きセンター試験の監督。 朝、クルマを駐車場にとめて校舎に向かって歩いていたら、I先生に呼び止められた。 I先生が今読書中の小説にネモという人物が出てくるのだが、これが私 (三浦) の出していた雑誌名と一致するのは、雑誌名をこの人物からとったものであるからか、というご質問であった。 

 いや、違う。 だいいち、私は先生が挙げられた作品を読んでいない。 それではネモとはどういう意味かと再度のご質問だったので、ラテン語でnobodyの意味であるとお教えしておいた。 それにしてもI先生のように学識の豊かな方 (これはお世辞ではなく、先生は新潟大学人文学部教員の中でも屈指の優秀な方であると私は思っている) に物事をお教えするのは、悪くない気分だ。

 昨日と同じで9時集合、午後5時40分頃解散である。 やれやれ、だ。 本日は、国語、理科1、理科2、公民である。

 理科は、理科1が物理と生物、理科2が化学と地学だから、物理と化学、化学と生物、といった取り方ができる。 

 ところが、社会は現在、地歴と公民という分け方で、地歴は世界史・日本史・地理から1つを選ぶことになっているから、世界史をとらなくても構わないわけで、実際、世界史をとらない学生が多い。 これは非常によろしくないのである。 

 というのは、世界史は一応高校では必修になっているのだが、受験科目でないと2単位分やるだけで終えてしまう高校が最近は多いのだ。 これだと古代をやっておしまい、ということになる。 世界史の知識がなくて文系学部に入ってくると悲惨である。 別段歴史を専門にやる学生だけのことではない。 国際関係だって歴史に規定されているのだから、世界史を知らないということは現代の諸問題を捉える力がない、ということと同義なのである。

 したがって、センター試験では社会は理科に倣って、社会1(日本史と地理)と社会2(世界史と公民)という分け方にし、世界史と日本史、世界史と地理、といった取り方ができるようにすべきであろう。

 しかし理科に比べると社会科方面の動きは鈍い。 日本の文系学者は、どうにも無能なのが多いということだろう。

 1月18日(土) 大学入試センター試験の監督。 朝9時集合で、午後5時40分頃まで拘束される。 数年に一度回ってくる義務である。

 ふだんは自宅から大学までクルマで10分ほどである。 今日は道路が混むかも知れないと思い、8時25分頃自宅を出たが、案の定、大学近くで渋滞している。 それでも、ふだんの倍の時間で済んだ。 ケシカランのは、途中、大学の脇を走る道路で電柱の工事をしていて、片側交互通行になっていたこと。 こんな日に工事なんかやるな、っていうの! 

 本日は、外国語、地理歴史、数学1、数学2の4科目。 外国語だけが80分、他は60分だが、答案・解答用紙の配布・回収や、数の確認、受験生の誘導、その他色々あって大変なのだ。 各大学がそれぞれ行う本試験に比べて、センター試験の監督ははるかに疲れる。 4限の数学2になると、早く終わらないかなあという気持ちが強くなる。

 私の試験場は大講義室で、階段教室であり、なおかつ左右の側は講義する教師の姿が見えるようにと机が斜めに配置されており、1列ごとに少しずつズレている。 つまり、その気がなくても前席や前々席の受験生の答案が見えてしまうようにできているのだ。

 どう見ても受験には不向きな教室なのだが、そんなことは言っていられないということなのであろう。 大学の講義室はそもそもがセンター試験のことを考えて作られたものじゃないから仕方がないんだけど。 ううむ。

 今日は卓球の練習日なのだが、疲労しているし明日も監督があるので、休みにする。  

1月16日(木) センター試験会場設営のため、今日と明日は休講である。 10時頃大学の研究室に行ったら、九州の某大学にお勤めのK先生から電話がかかってきた。

 先生は私と同じようなゲルマニストで、以前私の出していた雑誌を購入して下さったほか、昨秋に新潟大学で開催された日本独文学会の際には研究発表をされた。 そして懇親会の席で私とおしゃべりをする機会があったのである。

 先生の電話は、今年の5月31日から6月1日にかけて東京で開かれる学会で発表しないかというものであった。 何でも、発表者の人数が足りないので、理事から個人的に要請があって、それで昨秋ちょっと話をしたことのある私に打診してこられたらしい。

 しかし発表内容に関する先生の思惑と私にできることとが微妙にズレていたため、せっかくのお話ではあったがお断りした。 大学で第二外国語がおかれている状況について、というところまではいいのだが、そのあとがいけない。

 私としては、最近第二外国語がおかれている状況についてドイツ語教師のあいだで認識の一致がなく、具体的な活動もさっぱりなされていない、そこが一番の問題だと思うのだが、K先生は、大学に対する第三者評価とからめてこの問題を論じられたいようであった。 

 同じドイツ語教師でも、問題の所在に関する認識はなかなか一致しないものである。 ううむ。

1月11日(土) 夜、N卓球クラブの今年初めての練習。 昨日新年会をやったばかりのせいか、ふだんよりやや多めの10人が集まった。

 ところが、卓球台を出そうとしたら、1台が壊れているのが判明。 卓球台は収納するときは台が垂直になるように工夫されているのだが、それを支える金具が一カ所破損しているのだ。 そこが破損していると、練習のために台を水平にすることもできない。

 12月の最後の練習時にはそういうことはなかったから、どうも学校の行事の都合で動かしたときに、卓球台の収納にうとい人が無理な動作をさせて壊したのではないかと推測される。

 N卓球クラブの練習場は、N小学校の体育館である。 学校開放という制度があり、小学校などの体育館が夜は一般市民の活動に提供されているのである。

 これは有り難い制度で、お陰で卓球クラブの練習も無料でできている。 これが専用の施設を使うとなったら、たとえば新潟西総合スポーツセンターのような公立施設でも、1回2時間でひとり2百円程度かかるのである。 週2回練習だから、年間2万円かかることになる。 それがタダなのだから、本当に感謝感激なのである。

 ただ、今回のような問題もあるわけで、学校の体育館は本来は児童生徒のためのものだから、学校開放用の用具を専用にしまっておくスペースがないのである。 だから学校の行事のときに都合で用具を移動する場合、その用具のことに通じていない人に動かされると壊れる可能性もあるわけだ。

 今回のケースはそういう例である。 しかしこちらとしてもいわば間借りさせてもらっているので、あまり強いことを言えないという事情がある。 ううむ、世の中は難しいものですね。

1月10日(金) 午後6時からN卓球クラブの新年会なので、敬和の非常勤からいったんクルマで自宅に戻った後、バスで5キロほど離れた会場に向かう。 途中でやはり新年会に出席するMさんがバスに乗り込んできた。 

 Mさんが入会したのは1年半前で、現在のところ2番目に新しい会員である。 40代ながら若く見え、30代と間違えられることしばしばだというチャーミングな女性なのだ。 一方、細身に似合わず肩の力が強いようで、打球には威力がある。 これで細かい技術が身に付けば、かなり強くなりそう。 卓球は中学時代クラブで多少やっていたので、どシロウトではない。

 Mさんは昨秋まで某医院の事務の仕事をしていた。 ところが医院が廃業してしまい、失業者となりはてたのである。 不況で新しい職がなかなか見つからない。 しかし最近、この春から新潟市郊外に開店する大型スーパーのパートの仕事が見つかったという。 パートながら1カ月研修期間があるそうで、来月から通う予定だという。

 パートの応募者は20代の若い女性が多かったので、年齢で刎ねられるかと心配したけど、とMさんは述懐していた。 しかし人間、実力ですよ。 新年会が始まってからMさんはその実力を見せてくれた。 出席予定なのになかなか現れない会員がいたのだが、Mさんはケータイ電話を取り出し、その会員宅に電話したのである。

 私などはケータイそのものを持っていないし、他の出席者でも、ケータイを持っていても卓球クラブの会員まで登録している人はいなかった。 なのに、入会1年半のMさんはちゃんと卓球クラブ全員の番号を自分のケータイに登録しておいたのである。 ううむ、これは仕事のできる人だ、と皆で感心することしきりであった。

 Mさんは旦那さん、小6の息子さん、そして姑さんと一緒に暮らしているのだが、旦那さんが県内の他都市に出向中で週末しか帰ってこないので、いろいろ大変なようである。 こういう会に出るときも姑さんから嫌みを言われるとか。 私などは大学勤務で、まわりの同僚は――インテリが大抵そうであるように――恐妻家が多いので、Mさんのような家庭もまだあるんだなあ、と感慨をもよおしました。

1月8日(水) 今日から授業開始。 水曜日は1限の授業があるので早起きしなくてはならない。 といっても7時過ぎだが。 授業終了後は来年度の授業がらみで事務的な雑用を片づけ、昼飯を食った後は教授会。 教授会終了後はまた会議、と仕事漬けの一日でした。 本をまともに読むヒマもない。 

 昼間、ヘンな学生が研究室に訪ねてきた。 今日の1限の授業をとっているけど、どうすれば単位をとれるのかと訊く。

 「最初の授業で説明したでしょ」 「最近、事情があってずっと休んでいたので」 「最初の授業と言っているの。 最初の授業も出なかったの?」 「いえ、そういうわけでは」 「じゃ、分かるでしょ」 「それが分からないんで」

 じゃあシラバスを見ろ、と言ったが、シラバスを持っていないと言う。 ならば教務係に行って見てこい、と命じた。 法学部の2年生で、1年次はちゃんと授業に出ていたという話だが、それにしては物事を知らなさすぎる。

 最近、この手の、生きていく基本すら分かっていない学生が増えている。 親や教育者が親切になりすぎているからだろう。 

 私は基本的に、大学生になったら自分のことは自分でやるべきだという主義だから、学生に対しては過度に親切にしないようにしているが、こういう主義の人間は少数派である。 二十歳前後の人間に手取り足取りするのがあるべき大学教師だ、と考えている人が圧倒的多数なのである。

 日本は大丈夫か? ってのはオジサン的思考だろうか?

1月3日(金) 一家5人で車に乗って新潟に戻る。 それに先だって刺されてパンクした左後輪のタイヤを買い換えなくてはならない。 新聞に派手なチラシを入れていた 「○イヤ館」 という店にまず行ってみたが、サイズの合うスタッドレスは在庫切れだという。 ううむ、チラシの割りには大したことないんだなあ。 だいたい、ワタシの車はコロナで、つまり国産のスタンダードなサイズの車であるから、そのタイヤが在庫切れなんて、「○イヤ館」 という店名を返上した方がいいんじゃないかね?

 仕方なく、「○エローハット」 に行ってみたら、今度は上首尾。 ただし混んでいて30分ほど待たされたが、とにかく同じタイヤがあってよかった。 ちなみに代金は交換手数料などを入れて1万2千円。 年末に新潟で4本全部を買い換えた時は合計5万1千円だったから、新潟より船橋の方が安いですね。 店は新潟も 「○エローハット」 だったんですけど。

 新品のタイヤをやられて買い換えたのはワタシのふところにとっては痛いが、その1万2千円分、今年の日本の景気は浮上するであろう(笑)。

 このあと家族を乗せて常磐道と磐越道を経由して新潟へ。 来るときは関越道経由だったのだが、正月三が日は常磐道から首都圏の外環道に入るあたりが混雑して渋滞するので、こちらのルートを選んだもの。 友部のサービスエリアで昼食にしたが、改造車を駆るあんちゃんが多数集まっていて、異様な雰囲気であった。 正月だからか、常磐道だからか??

 自宅に着いてから、おおみそかに銀座の山野楽器で買ったオトテール作品集のCDを聴く。

1月1日(水) 船橋の老母宅で目覚める。 お雑煮を食べてから一家で近くの寺に初詣に出かけようと車に乗ったら、左後輪がパンクしている。 昨年末に新しく買い換えたばかりのスタッドレスタイヤなのに。

 老母宅には駐車場がないので、近くの、駐車禁止でない路上にとめておいたのである。 近所のガソリンスタンドで見てもらったら、案の定、何者かに刃物のようなもので刺されたものと判明。 しかも横からやられているので修理不可能で、新品を買うしかないと言う。 「最近、この辺では多いんですよ」 とガソリンスタンドのおじさんが言う。 

 ううむ、首都圏は治安が悪化しているのだ。 日本の将来が案じられるなあ。

 金持ちへの嫌がらせというならまあ分からないでもないが、ワタシの乗っているのは国産5ナンバー車で、庶民の車なんですよね。 どうせやるなら外車か、国産なら3ナンバー車にしてくれないかなあ (半分冗談です)。

 というわけで、2003年は出だしからつまずいてしまったのでした。

 ところで、新しい年を記念してひとこと。 「互いに睦む新潟」。

 え、それが何だって? よく読んで下さいな。 はあ、どこが面白いのか分からない? しょうがないなあ、ひらがなで書こう。 「たがいにむつむにいがた」。 今度は分かった? 右から読んでも左から読んでも同じ、いわゆる回文って奴なんですが・・・・・・やっぱり面白くないか(笑)。

 

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