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  新潟大学における語学教育「改革」の実態 ――ドイツ語教師の転向を中心に――

 (サイトにこの文章を載せるにあたっての序言)

 私が新潟大学に採用されたのは、1980年の5月16日である。 教養部ドイツ語科の専任講師としてであった。 そして1994年3月限りで教養部が廃止されるまで、1回だけ人文学部ドイツ文学専攻向けの専門の授業を半年間持ったのを除けば、ひたすらドイツ語を教えていた。

 1994年4月から教養部廃止にともない人文学部に配置換えとなった。 そこで、文部省から押し付けられた新課程 (この点についても私の文章は説明してある)、つまり情報文化課程に所属することになり、そこでの専門科目も受け持たねばならなくなった。 しかしドイツ語の授業も引き続き担当していた。 (なお、人文学部の組織替えにともない、情報文化課程は現在はなくなっている。 ただしそこで作られた新しい講座――という名ではないが分かりやすくするために便宜的にそう書いておく――は今も存在している。)

 しかし、或る時点で私はドイツ語の授業を受け持たなくなった。 自分でやめたいと言ったわけではない。 新潟大学のドイツ語教師たちがそのように決めたからである。 それがなぜなのか、以下の文章を読めばお分かりいただけると思う。

   以下の文章は、三浦淳 (編)『ドイツ語・第二外国語教育の危機とドイツ語教師の姿勢 (日本独文学会研究叢書32) 』 (Die Krise des Deutschunterrichts und die Einstellung der DeutschlehrerInnen dazu、日本独文学会発行、2005年4月) に収録された三浦淳 「新潟大学における語学教育「改革」の実態――ドイツ語教師の転向を中心に――」 の全文である。 2004年6月に日大文理学部で開催された日本独文学会春季研究発表会におけるシンポジウム 「ドイツ語・第二外国語教育の危機とドイツ語教師の姿勢」 での口頭発表をベースにしている。

 なお、私のこの文章を読んだ当時の日本独文学会の理事たちは、「こういうことを書くとはけしからん」 と憤然としていたそうである。 解せない態度だ。 なぜなら私の文章には嘘は書かれていないからである。 実際に新潟大学で起こった事態をありのままに書いたに過ぎない。 なのになぜ 「けしからん」 のか。 日本独文学会の理事とは、事実をありのままに記した文章を読むと怒る人たちなのであろう。 なお、唯一、池田信雄・東大教授 (当時) だけはそういう態度はとらなかったそうである。 氏の名誉のために付け足しておく。

 さらに後日譚がある。 独文学会の理事会は、ここで私が書いた事柄について、何者か (新潟大学ドイツ語教師の誰かであることは確かだが、名が挙げられていない) の申し出によって、「研究叢書に関する理事会見解」 なるものを、私の文章が 「日本独文学会研究叢書」 として公表された半年後に、学会の雑誌である 「ドイツ文学 別冊 2005年秋号」 に掲載した。

 そこには以下のように書かれている。

 「この度、研究叢書第32巻(2005年4月発行)に掲載された新潟大学初修外国語教育改革をめぐる論説に関して、それが同叢書の一部として刊行されたことにより、そこに見られる言説が日本独文学会の支持するところであるという印象を与えるので、その点に関する学会として立場を内外に明確にすべきであるとの意見が、会員から寄せられました。 / 研究叢書は本来、研究発表会で開催されるシンポジウムの記録を残すために刊行しており、刊行規定に従って、シンポジウム発表グループの申請にもとづき、その代表者を編者として、論文等はすべて発表者および参加メンバーが自ら編集・刊行する態勢を採っております。 そこで提出される言説は、みな、発表者それぞれが自らの責任で行なう自由な言論として提出されたものであり、それが叢書の一巻として刊行されるか否かは、なんら、言説内容の当否に関する、学会としての態度表明という意味を持つものではありません。」

 ここで言われていること自体はまったくそのとおりである。 つまり、日本独文学会研究叢書で 「提出される言説は、みな、発表者それぞれが自らの責任で行なう自由な言論として提出されたものであり、それが叢書の一巻として刊行されるか否かは、なんら、言説内容の当否に関する、学会としての態度表明という意味を持つものでは」 ないのだ。

 しかし問題は、そのことをわざわざ理事会見解として、特定の叢書に載った特定の論文を名指しにして学会の雑誌に発表したという事実である。 ここで理事会は明らかに、名を明らかにしていない人物の要請を受け入れて、その意に沿うような見解を出したのである。 それがどういう意味を持つかは、今となってはきわめてはっきりとしている。 つまり、大学におけるドイツ語・第二外国語教育の大幅な削減を、ここで独文学会の理事たちは推進する側に回ったということである。

 実際、新潟大学の語学教育 「改革」 は、徹底的に第二外国語を削減する方向で行われたし、私以外のドイツ語教師たちはそれに諸手を挙げて賛成したのだった。 よってその後の新潟大学におけるドイツ語・第二外国語教育は衰退の一途をたどっており、1994年の教養部廃止以前には、人文学部独文科に4名、教養部に11名いたドイツ語専任教員 (ドイツ人教師を除く) は、2013年4月現在、独文学会に所属する独文学者ということでいえば2名、それ以外を含めても4名しかいない (私はドイツ語を教えていないので含まない)。 かといって他の第二外国語教員が増えているわけでもないのだ。

 こうした惨状に手を貸したのが、本来は第二外国語を守るべき日本独文学会の理事たちだったという事実を、私はここで指摘しておく。 なお、上記の 「見解」 を出したときの理事長は、松浦純・東大教授である。 松浦氏一人で決めたわけではないだろうが、最高責任者を明らかにするという意味でお名前を出しておくことにする。

 (2013年11月3日)

 

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新潟大学における語学教育「改革」の実態 ――ドイツ語教師の転向を中心に――

    三 浦 淳 (新潟大学)

目次 

0.はじめに

1.ことの始まり――「ルーネン」の言論弾圧事件

2.将来構想になかった新課程を文科省から押しつけられた人文学部

3.教養教育経費の流用

4.手続き無視の第二外国語教育「改革」――新潟大学ドイツ語教師の前近代性

5.学報に嘘の説明を掲載する

6.ドイツ語集中コースは本当に効果があるか

  A)ドイツ語担当における不平等――仲間内での手打ち

  B)理工系ドイツ語集中コースの実態

  C)なぜ選択制は駄目か

  D)「やる気」イデオロギーを批判する――地方大学のために

  E)「改革」を進めるB氏の資質的欠陥

  F)学生の語学力低下の真の理由

7.人文学部だけは必修をはずさない不思議――独文教員のエゴ丸出し「改革」

8.第二外国語を誰が担当するべきなのか

9.恵まれない教養教育からさらに収奪する「改革」

10.ドイツ語教師とは何だったのか――または三島由紀夫の指摘

11.「国際化時代なのになぜ外国語の授業が減るのですか?」という非常勤講師の問い

補論 1)転向ドイツ語教師問題は「コップの中の嵐」か

補論 2)シンポジウムの後、新潟大学で何が起こったか――私がドイツ語教師を辞めさせられた事情

補論 3)転向を擁護するドイツ語教師の倒錯

補論 4)非常勤講師削減は文科省の指示か

 

0.はじめに

 2004年度から始まった新しい教養外国語教育体制において、新潟大学の第二外国語履修者は激減した(ここでは英語以外の外国語を第二外国語と呼んでおく)。10年前の教養部解体時、新潟大学の学生1学年約2200名は全員が第二外国語を必修としており、最低でも4単位を履修していた。それが、2004年度では、第1期の第二外国語履修者は約1000名に過ぎない。(1)

 理学部と工学部の第二外国語履修者は激減し、理学部が定員190に対し28名、工学部が定員480に対し30名となった。第2期からとることもできるが、第2期の第二外国語定員は全体で325名に過ぎないから、仮に第2期の授業が定員いっぱいになっても、800名余、新潟大学の3分の1以上の学生が事実上第二外国語を履修せずに終わることになる。(2)

 また、この「改革」に際しては非常勤講師の首切りも行われた。

 教養部解体後10年でここまで第二外国語教育を衰退させた「改革」がどのように行われたのか、それを主としてドイツ語教師の転向という視点から明らかにしたいと思う。

 

1.ことの始まり――「ルーネン」の言論弾圧事件

 話を約10年前のある出来事から始めよう。新潟大学には「ルーネン」と称するドイツ語教師の集まりがある。研究発表をやったり同名の雑誌を出したりしている団体であるが、厳密な意味でのゲルマニスティク研究の場ではなく、ドイツ語やドイツ語圏文化とは無関係な話題の発表もあるし、雑誌には論文以外にエッセイも掲載されることがある。言うならばドイツ語教師の集まりであるとしか規定しようがない団体だ。教養部が解体される1994年3月まで、私もそこに所属していた。

 教養部解体を機に私はルーネンを辞めたのだが、そのいきさつを明らかにしたい。なぜならこの事件こそが、今現在に至るまでの第二外国語教育における「改革」のやり口を先取りしたものだったからである。

 新潟大学で教養部が解体され、教養部所属の教員が既成学部に配置換えになるについては様々な軋轢や争いがあった。そもそも教養部教員が既成学部に配置換えになること自体が最初から了解されていたわけではなく、新学部や新学科の構想もあったし、また既成学部の側でも教養部教員は一人も受け入れないと表明していたところもあった。

 私は教養部解体に伴うそうした経緯を記録して残しておきたいと思った。特に、教養部解体にあたっては語学教員の処遇は大問題だったわけであるから、既成学部と教養部との交渉の場で何が話し合われたか、お互いがどういう態度をとったかを記録にとどめておくことは大きな意味があると考えたのである。そして「新潟大学教養部解体に関する覚書――教養部語学教師の立場から――」という文章を綴って雑誌『ルーネン』に掲載しようとした。繰り返すが、ルーネンは厳密な意味でのゲルマニスティク研究の場ではなく、雑誌『ルーネン』も論文のみを載せる学術誌ではなかったのである。

 ところが、たまたまそのとき『ルーネン』の編集を担当していた教養部ドイツ語教員E氏が原稿を読んで、これは載せられないと言い出した。そのため、掲載するかどうかで会議が開かれることになった。会議は2回にわたって行われたが、参加者を別表で見ていただこう。

 一番左側に参加者を私以外は匿名で記してある。並べ方は、最初に人文学部教員を年齢順に、次に教養部教員を年齢順に、となっている。なお、会議の参加者はこの7名であるが、当時の新潟大には日本人ドイツ語教員は人文学部教養部合わせて15名いた。つまり、8名はすでにルーネンの活動から遠ざかっていたわけであり、この団体は新潟大学ドイツ語教員全体の活動を反映する存在ではなくなりつつあったと言える。

 別表

  氏名  所属   生年度 出身県    趣味     会議での原稿掲載の賛否

                                                               1回目   2回目

  A氏  人文学部  1931  新潟   囲碁       ○      ×

  B氏  人文学部  1944  新潟            △      △

  C氏  人文学部  1946  北海道           ×      ×

  D氏  教養部   1931   新潟   囲碁       ○     △

  E氏  教養部   1946   新潟   囲碁       ×      ×

  三浦  教養部   1952     福島            ○      ○

 F氏  教養部   1954   長崎           保留    保留

  ○=賛成、△=原稿を全員に見せて決定、×=反対

 さて、1回目の会議では、表の右側を見ていただきたいのだが、私の原稿掲載に賛成が私を入れて3名、反対が言い出しっぺのE氏を含めて2名、あらかじめ原稿を会員に見せて決めるが1名、保留が1名だった。賛成多数ではないが、反対が2名だから、反対よりは賛成の方が多かったことになる。ところが2回目の会議になるとこれが逆転する。賛成は私1人であり、反対とあらかじめ会員に原稿を見せるが1名ずつ増えている。

 この2回目の会議の時の驚きを私は今もはっきり覚えている。表をご覧いただくと分かるように、1回目では賛成だったA氏とD氏が意見を変えていた。裏工作が行われたことは明らかだった。1回目と2回目の会議の間にE氏がA氏とD氏に働きかけ、翻意に導いたのである。

 そこで表を改めて見ていただきたいが、言い出しっぺのE氏と意見を変えたA氏およびD氏はいずれも新潟県出身である。そもそも7人中4人が新潟県出身なわけで、これは新潟大学のドイツ語関係人事がある時期までどういうふうに行われていたかを示している。私自身とF氏は公募で採用されたが、それ以外の人たちはそうではなかった。

 さらに言うならば、意見を変えた2人と言い出しっぺのE氏は趣味が囲碁だという点でも一致している。まったく気恥ずかしくなるくらい明瞭な構図であることはお分かりいただけるだろう。出身と趣味を同じくする人間が裏でこそこそ話をやって、一方の当事者である私のいない場所で物事を決定してしまった、ということだ。

 念のため付け加えるが、私はあらかじめ原稿を見せるという案に反対はしなかった。ただし、私の原稿についてだけやるのはおかしいから、それなら『ルーネン』はあらゆる原稿を会員に見せて採否を決定するという方式にしてもらいたいと言ったのである。が、彼らはそれさえも拒絶したのだ。まことにもって奇妙な人々と言うしかない。

 ともかくこういうおかしな人たちとはとても一緒にやっていられないと考えた私はその場でルーネンを脱会した。そして自分で『nemo』という雑誌を創刊し、そこに教養部解体についての原稿を掲載した。『nemo』は全国の独語独文科のある大学には寄贈しておいたから、保管がちゃんとしていれば今でも読むことができるはずである。

 ちなみに語学教師の立場からだけ教養部解体をとらえるのは不十分であるから、私は『nemo』の第3,4,5号で、教養部自然科学教員、人文科学教員、社会科学教員と座談会を開くという形で新潟大学教養部解体がどう行われたかを記録として残した。人文科学教員との座談会の際には、旧教養部だけではなく、教養部解体前から人文学部に在職していた教員2名も座談会に加わってくれ、教養部解体の際の人文学部側の対応について事情を話してくれた。この事実は、教養部解体の事情を記録にとどめようという私の行動が、ルーネンの会員には拒絶されたものの、他の教員には少なくとも一定程度支持されたことの証拠であろう。旧人文学部側から参加してくれた人は、日本文学とロシア文学の教員で、いずれも新潟県出身ではない。新潟県出身ドイツ語教師との資質の差は歴然としている。

 孔子に「郷原は徳の賊なり」という言葉がある。解釈は複数あるようだが、田舎にこもってその中でごそごそやっている奴にろくなのはいない、というような意味とも取れるようで、まさに新潟大学ドイツ語教員を表現するのに的確な格言と言えよう。

 

2.将来構想になかった新課程を文科省から押しつけられた人文学部

 話を進めよう。新潟大学の教養部解体に際して、教養部の外国語系列は新学部もしくは新学科の設置を要求したが結局認められず、語学教員は既存の文系学部三学部(人文・法・経済)に分割分属することで決着した。ドイツ語も、教養部の11人が人文4、法4、経済3という分かれ方をした。この間の経緯については長くなるので省くが、先の別表の中ではE氏とF氏と私が人文学部へ行くことになった。もう一人はG氏(1939年度生まれ、愛知県出身)としておくが、後で登場することになる。

 さて、人文学部は教養部から語学教員の半数弱と、人文系列の教員の大部分、社会科学系列の一部、合計二十数名を受け入れることになった。従来の講座ごとの教員定員を増やすだけでは足りないので、新講座が構想された。それによると比較文化講座が新設され、従来の人文学部教員の一部と教養部人文系列教員、および外国語教員を入れる予定であった。実際、新設講座担当予定者が集まってあいさつをし、一緒にビールを飲むところまでいったのである。

 ところがその数日後、文科省(当時はまだ文部省だが、本論では文科省に統一)に持っていったら駄目だと言われた、という知らせが入った。文科省は「情報」と「コミュニケーション」をキーワードに新講座と新課程を作れと言っているというのである。言葉の説明をしておくと、講座は教員組織、課程は人文学部内の学生の組織である。従来、人文学部には行動科学課程と文化課程の2つの課程があった。行動科学課程は心理学、社会学、哲学、言語学などを含み、文化課程は文学や歴史を含んでいた。

 さて、文科省からそういうご託宣を受けた人文学部では、実に「でっちあげ」というしかないわけだが、急遽「情報文化課程」なる新課程を作り、その中に「情報メディア論」と「文化コミュニケーション」という2つの学生用コースを設けた。文科省の示唆した用語「情報」と「コミュニケーション」が2つとも使われていることに注意していただきたい。そして教養部ドイツ語教員のうち、F氏は昔の独文に当たるヨーロッパ文化講座に入り、E氏、G氏および私が新設の文化コミュニケーション論講座に所属することになった。(加えて、ヨーロッパ文化講座にもともといたA氏が新講座に移籍。)以上の経緯から分かるように、新潟大学人文学部はまったく将来構想になかったものを文科省から押しつけられたわけである。学部教授会の自治権が強いから改革が進まないというような言いぐさは文科省がマスコミを誘導するためによく用いるものであるが、この例からも分かるとおり、国立大学には自治権などないと言っていい。

 この「情報」という言葉が当時の文科省にとって猫にマタタビのごときものであったことは、名古屋大学にも教養部廃止後に情報文化学部が新設された事実からも明らかだが、おそらくはバブル崩壊後の日本にあって景気回復の新しい源となる産業が情報産業であるという予想と、情報化社会論という実態のはっきりしない流行語こそが文科省の押しつけの背後にあったものと推測される。(3)

 なお、文科省から押しつけられた「情報文化課程」を含めて、人文学部の3課程の学生について1999年4月に人文学部の社会学専攻教員によってアンケート調査がなされた。その結果、情報文化課程には以前からあった2課程の学生とはやや異なる、もっとはっきり言えば芳しくない傾向が看取できると指摘されている。(4)

 そしてこの、文科省から押しつけられた新講座で、E氏はマンガを初めとする大衆文化論を、G氏は映像論をやっている。ドイツ語教師ふたりが揃って学生受けしやすいサブカルチュアの「専門家」に変身したことは、ドイツ語教師とは何だったのか、という問いを喚起するのに十分な現象であろう。(私自身は思想や教育問題を扱い、サブカルチュアはやらないことを鉄則としている。)

 

3.教養教育経費の流用

 さて、教養部廃止に伴って、それまで教養部の建物の中におかれていたドイツ語図書室が廃止されることになった。教養部の外国語系列には図書室が2つあって、広い方に英語・フランス語・ロシア語・中国語が、狭い方にドイツ語が入っていたが、教養部廃止後は教養部の建物に人文学部の一部が移転することになり、ドイツ語図書室はある講座の図書室に転用されることになったのである。それでドイツ語図書室に入っていた図書のうち、雑誌類は教養部建物の別の部屋へ、残りは英語などが入っている広い方の図書室に移すことになった。

 その移転の時のことである。E氏は教養部ドイツ語共通費で継続購読していたDeutsche Klassikerの棚を前にして、「こんなもの、誰も読まねえ!」と叫んだ。誰も読まないと言うのはずいぶん乱暴な言い方だが、E氏は読まない人間だった、ということはこの発言から分かる。

 また、移転に際してE氏は、原書は図書館の閉架に送り日本語の本だけ残せと主張した。日本語の本は、文科省から押しつけられた新講座の学生が使いそうだから、というのである。私がそれに反対して何とか原書も残すことにしたのであるが、E氏は和書を移すに際しても、分類も何も無視して適当に書棚に押し込めばいいと考えていた。もともと、教養部ドイツ語科で買っていた本は分類番号を付してきちんと整理されていた。カードボックスもあり、著者名と内容分類双方から検索できるようになっていた。本を探す時にこれが威力を発揮することは言うまでもない。要するにE氏はそういう基礎的な事柄が分からない人間だった、ということである。先の「誰も読まない」発言と合わせて、独文学者、あるいはそもそも大学教師として、E氏がどの程度の見識の持ち主であるかは一目瞭然であろう。

 教養部時代は研究費は個人として使うだけでなく、長期に渡って継続的に発行される全集や辞書事典類などを、ドイツ語教室全体で買っていたわけだが、教養部がなくなってしまったため、教養部ドイツ語という予算区分が消滅してしまった。これについては、ドイツ語教師が文系3学部に分属しても各人の研究費を出し合って維持していこうという方針があったのであるが、いったん教養部が廃止されてしまうと裏切り者が続出した。ドイツ語教室で買っていた継続図書のためには自分の研究費は一銭も出さないと言い出すドイツ語教師が少なからず出てきたのである。

 たしかに、分属した学部によってはそこの共通経費にかなりの額を取られるので、個人研究費の額が十数万しかない、という人もいた。しかし研究費だけでなく教養教育経費(後述)も配分されていることを考えれば、一銭も出さないという言いぐさがきわめてエゴイスティックなものであることは明瞭である。そもそも、彼らは自分の責任をどう考えているのであろうか。継続図書を注文したのは新潟大学教養部のドイツ語教室であり、彼らはその構成員だったはずだ。つまり注文した責任は彼らにある。にもかかわらず、いったん教養部がなくなってしまうと責任も消えたかのごとくに振る舞うドイツ語教師たちを見るなら、彼らが人間としての最低限のモラルも持ち合わせているのかどうか、疑問と言わざるを得ない。

 さて、教養部時代は学生等積算校費という、学生数に応じた校費の配分があったが、教養部解体後は廃止され、代わりに教養教育経費という名目で教養科目担当者にコマ数や学生数に応じた校費が支給されることになった。新潟大学は教養部廃止後、外国語教員が人文・法・経済の3学部に分割分属し、この3学部が教養外国語の責任部局となったので、外国語の教養教育経費はこの3学部に支給されることになったのである。そのうち第二外国語の人文学部支給分は当初は、ドイツ語・フランス語などと個別的に使用するのではなく、まとめて用途を決めることとし、使用請求者は用途と金額を申請する方式がとられた。(なお途中からこの方式は崩壊し、ドイツ語やフランス語などの個別の用途を重視し、共通費は或る程度残す、という方式に変わっている。)

 私は、教養部時代にドイツ語科で継続購入していた全集類や辞書事典類が先に述べたようなドイツ語教師の身勝手さのために存続が怪しくなってきたので、この経費から必要な費用の一部を捻出しようと考えた。そこで第二外国語の教養教育経費使用を決める会議でそういう提案をしたところ、E氏は「馬鹿馬鹿しい」と怒鳴った。

 ちなみにE氏は教養部解体後の最初の1年は継続図書の分担金を出したが、2年目以降は離脱して一銭も出さなかった。(5)

 以上のようなE氏の言動を見るなら、『ルーネン』に教養部解体の事情についての文章が掲載されるのを阻止して以来、いわば一貫した氏の行動原理が読みとれるだろう。すなわち、「教養部がなくなったのだから、自分はもうドイツ語教師でも独文学者でもない。文科省に押しつけられた新講座のために粉骨砕身する人間なのであり、旧教養部ドイツ語教師の立場から何事かを発言することは組織内に波風を立てるもとだから一切せず、ひたすら文科省と人文学部に恭順な姿勢で仕事をしよう」、という身の処し方である。

 こういう姿勢の人間を、「転向ドイツ語教師」と名付けることにしたい。

 実は先に、人文学部の第二外国語に配分された教養教育経費はまとめて用途を決定することにした、と書いたが、ここに転向ドイツ語教師の狙い目があった。つまり、新講座に必要な書籍や機材類などをこの教養教育経費を利用して購入しようというのである。そのために彼らが駆使したレトリックは、今までは学生等積算校費も教員が研究書を買うのに用いていたが、これからは学生のために使うようにしよう、というものだった。これは教養部解体以降の文科省の方針をそのまま模倣したものに過ぎない。

 たしかに教養部時代、校費があまりに教員本位に使われていたことは事実であろう。それを修正しようという考え方にはそれなりに首肯し得るところもある。ただし、もともと研究費的に使っていた部分が多かったわけだから、教養部がなくなった途端にそれを100パーセント変えることは不可能である。漸進的に変えて行くしかない。もしそうではなくいきなり100パーセント変えようとすれば、継続図書なんか知らないよという無責任な態度になるしかない。ドイツということで例えるなら、ナチ政権時代と戦後とでは自分は別人格であり、ナチ時代にやったことは戦後になれば自分の責任ではないというのと同然だろう。

 加えて、彼らの駆使したレトリック、つまり「学生のために使う」という言い方にもごまかしが含まれている。今問題になっているのは教養教育経費である。つまり教養科目のための経費ということだ。ところが彼らが「学生のために」と言うとき、その「学生」とは文科省から押しつけられた新講座の学生、つまり専門課程の学生のことなのだ。教養の授業のための経費を専門の学生のために使う理由がどこにあるのだろうか?

 とするなら、実は彼らの姿勢は一貫しているとも言える。教養部でドイツ語教師をやっていた時は自分はドイツ文学者だからドイツ語の書籍を買うのに賛成する。そして教養部が廃止され人文学部の新講座に貼りつけられた後は、もうドイツ語教師でも独文学者でもないから、自分の講座に必要なカネを教養教育経費から捻出するという態度である。つまり、「学生のため」と言いながら、要は最初から最後まで自分自身のためなのである。

 さて、転向ドイツ語教師はE氏だけではない。同じ講座に配属されたG氏も同じである。第二外国語向け教養教育経費をまとめて使用する際、G氏は映像資料として多額に上る映画ビデオを毎年申請していた。なぜそれが必要なのか? 新講座でG氏は映像文化論を担当しているからだ。そのために映画のビデオや最近ならDVDを大量に購入するのに教養教育経費を用いているのである。

 私はこういう流用が全面的に悪いとは思わない。映像資料は従来、文字資料に比して収集が遅れていたという事情はたしかにある。だから、新講座で映像資料が必要なら或る程度は教養教育経費を転用してもいいだろうと考える。例えばドイツ語圏の映画ならドイツ語の教養教育経費で買ってもいい。たとえ教養ドイツ語の授業よりは新講座の映像論の授業で使われることの方が圧倒的に多くても、映像資料が多く出るようになったのが近年になってからであることを考慮するなら、許容範囲のうちだと思う。しかし困ったことに、そういうけじめがG氏にはまったくないのである。

 例えば、G氏は当初、第二外国語の教養教育経費を用いてハリウッド映画も購入していた。言うまでもなくこれは英語圏の映画である。英語には英語の教養教育経費が多額に支給されている。もし英語圏の映画を買いたいのであれば英語の教養教育経費で買えばいいわけで、そのために英語教師を説得するのがG氏の仕事であるべきだろう。ところがG氏ははなからそういう努力はしない。必要なカネはドイツ語を始めとする第二外国語の教養教育経費から出しておけばいいと考えているからだ。私はこれに異議を唱えて、何とか英語圏の映像資料を第二外国語の教養教育経費で買うのはやめさせた。

 第二外国語のための教養教育経費を講座の学生のために使おうとする姿勢はE氏にも見られる。E氏は2002年度に講座で使う映像機器類をドイツ語の教養教育経費で買いたいと言い出した。私が教養教育経費の係なのだが、調停案を出した。映像機器類はドイツ映画を映すためだけにあるわけではない。英語圏の映画やフランス映画用にも使われるのだ。したがって英語やフランス語の教養教育経費からもカネを出してもらってドイツ語の分と合わせて購入してはどうか、という案だ。しかしE氏はこれを拒絶した。他学科の人間を説得する意志はまったくなく、必要なカネはドイツ語教養教育経費から出せばいいという自虐的な姿勢であることにおいてG氏と共通している。

 ちなみに第二外国語向け教養教育経費は、その後共同使用から中国語が離脱し、ついでフランス語も2002年度から隔年参加にするという方針を打ち出した。残るのはドイツ語、ロシア語、朝鮮語だけである(他に新設のスペイン語とイタリア語があるが、弱小で、額はわずかである)。つまり、共同使用は必ずしも第二外国語全体から歓迎されているわけではない。その理由は、一つには自分の研究用になるべく多くを使用したいという、教員のエゴイスティックな気持ちからであろうが、それだけとは言えない部分もある。すなわち前述のようにこの共通費を利用して新講座では映像資料を少なからず買ってきたが、その置き場所はG氏の研究室になっているのだ。無論これは、他に適切な設置場所がないからでもあるが――盗難等を防ぐため学生が自由に出入りできる部屋ではまずい――、結局は新講座で映像論を専攻する学生のために主として使おうという意図があるからだと言わざるを得ない。たしかに映像資料のリストはきちんと作られ、他講座の学生であっても貸し出しはするという前提で購入されているが、中国語やフランス語が共同購入から離脱したり参加の度合いを弱めたりしているのは、共通費と言いながら結局は新講座のために使われているのではという不信感が背後にあったからだろう。

 そして中国語が離脱し、フランス語も隔年参加であるために不参加である2003年度、共通費は事実上死に体になっていたわけだが、ドイツ語の教養教育経費に対してG氏はまたしても多額の、経費総枠の半分以上に及ぶ金額の映像資料購入を申請した。中にはフランス映画も少なからず含まれていた。私は、「フランス映画はフランス語の教養教育経費で買えばいいのであり、ドイツ語の教養教育経費で買うのはおかしい。第一、映像資料の継続購入は、中国語とフランス語が抜けて事実上共通費が消滅した今はやめるのが筋だろう」と言ったが、G氏はまるで耳を貸そうとしない。

 あまつさえ、G氏は自分の申請した映像資料購入が全部は通りそうもないと分かると、「今回、ドイツ語の教養教育経費からスペイン語とイタリア語への援助があるのはどういうわけか」と言い出す始末であった。実は前2002年度に中国語とフランス語が抜けて第二外国語の共通費は死に体になっていたのであるが、残ったドイツ語とロシア語と朝鮮語で善後策を話し合った結果、スペイン語とイタリア語を支援する費用を共通で出したらどうかという提案がなされたのである。スペイン語は開設されて間もないため、またイタリア語は2004年度に初めて開設されるため、図書館に辞書参考書の類があまり置かれていなかった。またイタリア語は、教養教育経費でそれを揃えようにも、教養教育経費の支給は年度が始まって少したってからだから、4月や5月に図書館でイタリア語を勉強しようという学生のためには間に合わない。そのために既設の第二外国語の教養教育経費を出し合ってスペイン語とイタリア語を支援しようということになったわけで、このアイデアを共通費から離脱した中国語とフランス語に提示したところ、そういう使用目的ならば負担を分担しようと言ってくれた。

 つまり、G氏の継続購入していた映像資料に関しては「要は新講座のために使っているのでは」という不信感がフランス語と中国語にはあったわけだが、イタリア語とスペイン語の支援にはそうした疑惑の生じる余地がなかったということになる。こうして、第二外国語全体が揃ってイタリア語とスペイン語を支援することになったのだった。

 ところがG氏はそれに「どういうわけか」という不満を表明したのだ。恐らくあらかじめ私がドイツ語教員全員にメールで出しておいた通知――そこには「この件について意見があるなら申し出てほしい」と書いてあった――を読まなかったか、読んでも忘れてしまったのだろう。言い換えれば、G氏にとっては、「第二外国語の教養教育経費・イコール・映像資料を買うための資金」であり、他のことはまったく目に入っていなかったのである。第二外国語のための教養教育経費を、新参者であるイタリア語とスペイン語のために使おうという、外国語教員ならば誰もが賛同する使い方に違和感を表明するしかなかったG氏は、文科省に押しつけられた新講座のためにひたすら働く人間となり果てていたのであり、すでに語学教員たることから降りていた、という実態が浮かび上がってこよう。こうしたG氏の態度こそ、共通費から降りた中国語やフランス語の抱いていた不信感にはそれなりに根拠があったことを裏付けている。(6)

 ことはそれだけにはとどまらない。ドイツ語の教養教育経費の使途を決める会議の席上、こうしたG氏の態度をB氏は援護した。ここから何が分かるだろうか。転向ドイツ語教師G氏と独文教師B氏(この人は、後述するが、自分の属する独文科や人文学部のことしか考えない人間である。こういう人を「視野狭ドイツ語教師」と名付けたい)は利害関係において一致しているということだ。いわば互助会組織ができあがっている。独文教師B氏は、旧教養部ドイツ語図書に対する配慮より、転向してドイツ語や独文のために何の貢献もしない教員による教養教育経費の流用に対して援護射撃をし、G氏の転向を容易にしようと努力しているのである。彼らにとっては、独文学の文献より、互いの人間関係の方が大事なのだ。私が互助会というのはそういう意味である。私はそのときB氏に対して、「それなら同じヨーロッパ文化にいて共通費から降りた仏文教員をあなたが説得してからそう言って欲しい」と言ったところ、氏は沈黙した。外に向かって働きかけない、という点でG氏とB氏は姿勢を同じくしている。

 以上のような転向ドイツ語教師と、それに配慮する独文教師の奇妙な野合こそ、最初にルーネンで検閲まがいの言論弾圧をやってのけた時以来、一貫して新潟大のドイツ語教師に看取できる体質だと言えよう。

 

4.手続き無視の第二外国語教育「改革」――新潟大学ドイツ語教師の前近代性

 さて、次に教養部解体以降の新潟大学における語学教育「改革」を検討しよう。ここでも、今まで見てきたような新潟大学ドイツ語教師の体質、すなわち、基本的な手続きを無視する、自分の保身しか考えない、中で何が起こっているかをいっさい明らかにしない、自虐的で他学科に働きかけないといった、きわめて前近代な体質が浮かび上がってくる。

 なお、解体直前、教養部の第二外国語教師数は、ドイツ語11、ロシア語と中国語各2、フランス語2,5であった。フランス語の0,5は、一人の教員をフランス語科と文学科で半分ずつ使うという学内政治の妥協から来たものである。いずれにせよドイツ語教員の数が圧倒的に多く、それだけ教養部解体後の語学教育のあり方を決めるに際してドイツ語教師の責任は大きかったはずだが、その責任はまるで果たされなかった。

 まず、教養部解体以降、教養語学の制度を変更する際に人文学部のドイツ語内では話し合いの場がまったく設けられていないという事実がある。

 教養部がなくなる直前、教養部の語学系列では会議を開いて語学教育改革をどうするかを話し合った。その結果、それまで一部の学部を除いては英語と第二外国語がそれぞれ2年間で8単位必修だったのを、1年間で各4単位必修と半分に改めたのである。これは、従来語学の授業といっても1クラスあたりの人数が60名から70名、語学によっては100名を越えるクラスもあるという状態だったため、単位数は減らす代わりに1クラスあたりの人数は大幅に減らして効率的な授業を目指す、という理由からだった。無論、それだけではなく、教養課程が廃止され教養部も解体される以上、教養科目削減が流れとしてある、という雰囲気を察知してのことでもあった。

 ところが、教養部解体後わずか4年でこの取り決めに変更が加えられたのだが、その際に人文学部ドイツ語では内部での話し合いの場が設けられなかった。基本的な手続きを無視して「改革」を主導したのがB氏とE氏である。またも、独文教師と転向ドイツ語教師の組み合わせであることに注意してほしい。そしてこのコンビによる手続き無視は、実に現在に至るまで基本的に変わらずに続いているのである。

 私は、「改革」案は人文学部ドイツ語内であらかじめ話し合いが行われなかったから不当なものであることを、ヨーロッパ文化講座で仏文学を担当するH氏に訴えた。H氏は「まさか、話し合いをしないで決めた、なんてことはないでしょう、フランス語ではあらかじめ話し合いをしましたよ」と答えた。フランス語の先生は、人権宣言を世界に先駆けて発した国の文化を研究してるせいか、さすがにドイツ語教師よりはまともな感覚を持っているなと思った。しかしH氏の言う「まさか」がドイツ語では起こるのである。繰り返すが、こうした基本的な手続き無視は、この時だけではなく、現在に至るまで続いている。語学制度をいじる際に人文学部のドイツ語ではあらかじめ一切話し合いの場は設けられておらず、それを主導するのがB氏とE氏という状態が続いているのである。

 ちなみにこの時の手続き無視について、G氏に訴えてドイツ語内でそのことについて会議を開くべきだと申し入れたが、G氏は拒絶した。転向ドイツ語教師G氏にとっては、はや教養ドイツ語などどうでもよく、したがって基本的な手続きがどうのこうのという問題は煩わしいだけだった、という証左だろう。(7)

 さて、この手続き無視の「改革」により新潟大学の第二外国語4単位必修制度は崩壊し、「言語文化基礎」なる講義が導入された。大人数で半年だけ行われる講義で、ドイツ語・フランス語・ロシア語の特徴について独仏露の教師合計3名がそれぞれ5コマ程度を受け持つ授業である。これを受けた後、後期だけ週2回のドイツ語やフランス語の授業をとることもできるが、この講義だけで第二外国語を履修済みにしてもいいわけで、事実上、外国語一カ国語=英語のみという制度に道を拓いたものであった。また、仮に後期にドイツ語などをとっても、半年週2回の授業を受けるだけなのだから、単位は半減しているわけであり、従来よりも達成度において不十分なものになることは言うまでもない。ちなみに、新潟大学理学部と工学部の第1学年定員は、理学部190名、工学部480名の、計670名である。これに対して言語文化基礎講義の定員は300名であり、理工系学生の半分近くがこれによって従来より少ない単位数で第二外国語を済ませることができるようになったわけだ。

 ここには重要な問題がいくつもひそんでいる。

 第一に、教養部解体によって教養教育がないがしろにされがちな時勢の中で、この手続き無視の「改革」は、時流に露骨な媚びを売ったものだったということだ。それまで新潟大学の学生は単位数の差こそあれ、全員が第二外国語必修であった。それがこの時点で変わってしまったのである。言うならば、ここでB氏とE氏は新潟大学全体に対して、「第二外国語は必修でなくていいんですよ。いくらでも減らして下さい」というメッセージを送ったのである。

 第二の問題は、この制度がこの時点で理学部と工学部に対してだけ導入されたというところである。教養部解体で教養部語学教員は人文・法・経済の3学部に分かれたわけだが、その結果、英語とドイツ語については担当部局3ブロック制がとられた(その後2003年度を最後に解消)。すなわち、人文学部の語学教員は自学部以外に理学部と工学部を、法学部は医学部・歯学部・農学部を、経済学部は教育学部を受け持つという制度である。ここで人文学部が自学部の必修単位にはいささかも変更を加えず、理学部と工学部に対してだけこうした制度を導入したということは、露骨な自学部エゴによる「改革」の始まりを告げたものだったと言えよう。

 さらに問題なのは、学内に向けてはこの点が曖昧になるようなごまかしの説明がなされた、という事実である。これまた重要なことなので、項を改めて次で説明しよう。

 ちなみにドイツ語教師たちの手続き無視は語学教育「改革」に限らない。2002年秋に新潟大学で日本独文学会が開かれたとき、当初の会議では外部からの原稿等をパソコンで受け取る係は私と決定された。ところがこれがいつの間にかC氏に変更されていた。私には何の断りもなくである。(8)

 また、私は長らくドイツ語の教養教育経費係を担当してきた。これは、「改革」の実務をB氏とE氏が手放そうとしないので、「権力分散のため」としてこの係をやることを引き受けていたのだ。ところが、2004年度においては、B氏らの「改革」によってこの係がいつの間にかC氏に変更されていた。これまた私には一言も断りなくである。

 このように、新潟大学のドイツ語教師には近代的な手続き感覚がまったく欠如している。すべて恣意的に、自分たちの仲間内で勝手に決めていいと考えているのである。ムラ社会の住人でしかないのだ。

 

5.学報に嘘の説明を掲載する

 C氏は新潟大学学報第617号(199711月1日付け)に語学教育改革に関する文章を掲載した。ここでC氏は、従来の新潟大学の語学教育が教員数の不足から1クラスあたりの学生数が大人数になりがちだったことをまず述べた後、《習いたい外国語を習いたいだけ習える(重点学習)。選択したいときは各国語の情報を得たうえで自分の関心に合いそうな言語が選べる(言語文化基礎講義)。学習効果のわかる質の高い教育が受けられる (集中コース)》と新システムを紹介しているのだが、肝心要の部分、すなわち「言語文化基礎講義」は理工系学生にのみ開講されているのであって、人文学部の学生は第二外国語8単位必修のままだから言語文化基礎講義を聴講して必修単位に代えることはできないのだ、という基本的な点にはまったく触れていないのである。

 これがいかに卑怯な隠蔽であるかは明らかだろう。C氏はこの文章で新システムの素晴らしさを力説しているのだが、自分の学部である人文学部の学生にはその(言語文化基礎講義を必修とした)素晴らしい新システムが適用されないことは黙秘している。つまり、実は新システムは理工系の学生を第二外国語履修から追い出すために作られたということを隠蔽するためにこそ、C氏は嘘だらけの文章を新潟大学学報に載せたわけだ。

 私はただちに新潟大学広報委員会に書簡を送り、C氏の文章は間違いだらけだからそれを指摘した私の文章を次の学報に掲載するよう要請した。しかし広報委員長である工学部教授は、この文章はこちらから頼んで書いてもらったので反論をそのまま載せるわけには行かない、ただ、投稿欄を設ける考えなので、そちらに載せて欲しい、というものであった。

 私はこれに対して、新潟大学の広報委員会は誤った記事を載せても訂正しないのか、と第二の書簡を送ったが、結局広報委員会は投稿という形でなければ私の文章は載せないという態度を変えなかった。これは、新潟大学の教員が、ドイツ語教師に限らず、知的誠実さというものを根本的に欠いた存在であることを示している。こうした惨状を目の当たりにすると、いったい新潟大学とは大学の名に価する場所なのであろうかという疑問が湧いてくるのを押さえきれない。(9)

 

6.ドイツ語集中コースは本当に効果があるか

 さて、しかしこの「改革」については、マイナス面だけではないという説明がなされた。「言語文化基礎講義」だけで済ませてしまう学生が(理・工学部では)出る反面、集中コースを設けるのでやる気のある者は高い達成度が実現できる、というのである。(10)

 この集中コースについてその実態を明らかにしよう。以下、私が理・工学部向けの集中コースを担当した経験に基づいて述べる。 

A)ドイツ語担当における不平等――仲間内での手打ち

 なおその前に付言しておくと、人文学部向け集中ドイツ語を受け持つ教員と理工系向けを受け持つ教員ははっきり分かれている。2003年度までドイツ語は前述のようにブロック制で担当がなされており、人文学部のドイツ語教員は自学部と理・工学部を受け持つことになっていたが、学部内でのドイツ語教員の所属は独文専攻のあるヨーロッパ文化講座と教養部解体で文科省から押しつけられた文化コミュニケーション論講座の二つであり、B氏・C氏・F氏が前者、E氏・G氏・私が後者にいる。そして、前者が人文学部学生を、後者が理・工学部学生を持つという形でずっと続いてきたのである。つまり、独文に来る可能性のある人文学部学生は独文の教員が、そうでない理・工学部学生は(第二外国語を用いた専門授業が事実上存在しない)新設講座の教員が受け持つ、ということだ。これもB氏とE氏の勝手な合意でそうなったものである。これにより、独文教員が人文学部一年生を受け持ってなるべく独文に「客を呼ぶ」ことが可能になっているわけで、独文や自学部のことしか考えない視野狭ドイツ語教師であるB氏のために転向ドイツ語教師であるE氏が便宜を図っているという構図が見えるだろう。(教養部があった時代は、特定のドイツ語教員が特定の学部だけを受け持つということはあり得なかった。)

 ただし付け足すなら、一度だけ、ドイツ語科の会議があったとき(制度改革を話し合うものではない)、F氏からこういう担当の仕方でいいかという問いが出された。私は意見を述べなかったが、E氏とG氏の転向ドイツ語教師二人はこのままでいいと率先して発言した。独文には客引きを認め、その代わり新設講座のために教養教育経費を流用する際には賛成をしてもらおうという一種の取引であり、ここにも視野狭ドイツ語教師と転向ドイツ語教師の手打ちが明瞭に看取できる。

B)理工系ドイツ語集中コースの実態

 さて、本論に入ろう。(以下は、2003年度までの制度について述べている。)まず、集中コースといっても週3回だということである。人文学部向けの集中コースは週4回であり、同じネーミングでも文系に比べて4分の3の時間でしかない。羊頭狗肉とはこのことである。理工系学部の学生はどうでもいい、という人文学部教員の自学部エゴが丸出しになっている。しかしさらに問題なのは、集中コースに本当に「やる気のある」学生が集まるのか、というところだろう。普通コースより時間数が多い授業に出るのだから、当然ながらその外国語を本気で履修したい学生が集まる――単純な人ならそう考えるかも知れない。しかし、世の中、そう単純ではない。

 私が2002年度と2003年度に理工系のドイツ語集中コースを受け持った体験を以下で述べる。私が週2回、ドイツ人教師が週1回の担当である。

 まず2003年度である。定員30名に対して15名が受講した。他に人文学部の集中コースから定員オーバーであふれた学生が5名回されてきて、合計20名でスタートした。

 まず注意すべきはこの数である。ドイツ語では理工系向けに定員30名の集中コースが2クラス設けられていたわけだが、実際には定員の半分しか来ていない。つまり2クラス合計で30名程度であった。新潟大学理学部と工学部の第1学年定員は計670名だから、集中ドイツ語を受けた学生は5パーセントにも満たない計算だ(しかも、後述するが、前年はさらに少なかったのである)。フランス語とロシア語と朝鮮語の集中コースを入れても、(11)恐らく第二外国語全体で集中コースをとった理工系学生は最大限で1割程度と推測される。その一方で前述のように、半分近い学生は事実上ゼロか2単位だけで第二外国語を済ませてしまっているのだ。

 次に行こう。集中コースに来た学生は実際に「やる気」があったのか? 理工系の15名の学生のうち、いかにもやる気があると分かる学生は8名、つまり半分だった。その一方で、新学期開始後2週間程度で脱落する学生がいたし、またいったんとった後、専門学部の先生に忠告され週2回の普通コースに切り替える学生もいた。その忠告とは、「理系では英語が大事だから、週3回をドイツ語に費やすよりは、普通コースの週2回にして、その分を英語学習に充てたほうがいい」というものだそうである。

 さて、以上が2003年度の理工系ドイツ語集中コースの実態である。定員の半分しか学生が来ないし、やる気のある学生はさらにその半分程度だったということだ。しかし、このクラスはまだ良い方だったのだ。というより、このクラスを受け持って、ここ数年ではかなりまともなクラスだな、と私は思った。やる気のある学生が8名もいたからである。

 それと対照的な前年、つまり2002年度のドイツ語集中コースの実態を次に明らかにしよう。まず、学生数は7名であった。2003年度の半分。そしてやる気のある学生は、もしも2003年度の8名を基準とするなら、ゼロだった、と言えよう。もっとも「やる気」といってもその判断は簡単ではない。いかにも外見に「やる気」をみなぎらせている学生だけが「やる気」を持っているとは限らない。静かな闘志を内に秘めるというタイプもいるからだ。しかし、宿題をきちんとやってあるか、当てられると隣りの学生とひそひそ相談の上で答えたりしないか、といった点で見ると、「やる気がある」と評価するにはためらう学生がほとんどだったのも事実なのだ。敬称の2人称Sieをいつまでたっても三人称単数のsieや複数のsieから見分けられない、といった現象も目立った。ちなみにこのクラスでは秋の独検の時、応募要項を全員に渡して4級を受けてごらんと指導したが、実際に受けたのは2名だけだった。2003年度では同じ条件でやる気のある8名は全員受けている(人文学部情報文化課程から回されてきた5人は1人も受けなかった。これまた文科省から押しつけられた課程の学生の質をうかがわせる事実である)。

C)なぜ選択制は駄目か

 さて、以上で理工系集中コースの実態は明らかになったと思う。そこで改めて考えてみよう。集中コースを設けて「やる気のある」学生が必ずしも集まらない理由は何か。学生に集中コースをとった理由を直接訊いたわけではないので、以下は私の推測になる。

 恐らく彼らは英語をやるのが嫌だったのではないか。中学高校時代英語が大嫌いで、大学に入ってまた英語をやるのはやりきれない、むしろ、まったく新しい外国語を始めた方がいい、そう考えたのではないだろうか。

 私は、英語嫌いが英語から逃れるためにドイツ語をとるのを一概に悪いとは思わない。どういう動機からにせよ、ドイツ語をやろうという覚悟をもって来てくれるなら歓迎する。問題は、そのようにしてドイツ語をとった学生が大半であるクラスにおいて、ドイツ語学習の達成レベルが保たれるのか、というところなのだ。彼らは、普通の、つまり週2回のコースをとっている学生がどの程度ドイツ語ができるのかを知らない。集中コースとは閉じられた空間であり、その中にいる学生はクラスの仲間たちの達成度を見やりながら自分の達成度を測るしかないからだ。教師がいくら「達成度が低い」とはっぱをかけても思うようにはならない。そもそも学習行為にあっては、学生同士の横の目配りが少なからぬ役割を果たすものだ。これは私自身の学生時代を振り返っても言えることである。教養部でドイツ語を習っている段階では、教授が学生よりできるのは当たり前なので、達成度を測るには同級生の出来具合を見るのが有効な確認手段となる。また、専門課程に進んでも、自分の語学力を測るのに最も役立つのは同級生や上級生のドイツ語力であり、教授のそれではない。

 かつて、教養部があり第二外国語が8単位必修だった時代、1年生向けドイツ語の最終試験の答案に、「私は英語は不得手でしたが、ドイツ語はこの1年間一所懸命に勉強して、得意だと言えるようになりました」と書いてくれた学生がいた。教養部語学教師としては冥利に尽きる瞬間である。しかし、あの時代は第二外国語は全員必修だった。その学生にしても、1クラス60人もいる中でドイツ語を学んだのである。当然ながら、中には色々な学生がいる。やる気のある者もない者もいる。しかしやる気のありそうな学生ができるとは限らない。熱心にやっていても試験になるとぱっとしない者もいる。逆に、授業中はまったく音無の構えながら試験は毎回90点以上という者もいる。宿題で練習問題を当てて、ちゃんとできる学生、そうでない学生と様々である。そうした中で、「ドイツ語が得意だと言えるようになりました」と書いた学生は、60名ほどもいる同級生たちの中での自分の位置をはっきり自覚していたのだ。

 肝腎なのは、それが第二外国語必修制の中でのことであったという事実である。大学生は第二外国語をやるのは当たり前――そうした体制の中で、その学生は自分は並みの同級生よりドイツ語ができるのだ、と自覚していたのである。

 私は、この「第二外国語をやるのは当たり前」という感覚こそが大事だと考える。そうした中では誰もが第二外国語をとる。やる気がそれほどなくとも天性語学の才に恵まれている学生が、1クラス60人の中には必ず含まれている。そうした学生は練習問題や試験の成績を通して、クラスの中での一種の指標となるのだ。ところが選択制にすると、「第二外国語をやるのは当たり前」という観念は消失してしまう。いきおい、第二外国語をとっていること自体が「やる気」のあかしであり、それはその外国語に堪能であることのあかしだと短絡されてしまう。やる気があってもできない人間もいれば、それほどやる気はなくてもできる人間もいるのだ、という健全な判断が欠落してしまうのである。

 集中クラスを作ればやる気のある者が来る、という考え方が誤っているのは、人間の行動の仕方に関して、以上のような根本的な認識に欠けているからである。

D)「やる気」イデオロギーを批判する――地方大学のために

 次に、「やる気のある者を集める」というイデオロギーのそもそもの欠陥を指摘しよう。最近、文科省によって押し進められてきた「ゆとり教育」の見直しが進んでいるが、教えられる側の主体性を重要視するかのごときこの「やる気」イデオロギーも見直しの時期に来ているのだ。それは別名「子供中心主義教育」であり、一時期教育界をこうしたイデオロギーが席巻したわけであるが、苅谷剛彦氏などの指摘によりこの子供中心主義が学力低下を誘発するだけの、悪い意味でのロマンティックなイデオロギーに過ぎないことは明らかにされており、ドイツ語教師が学生の「やる気」を前提にした議論をしているのは、いかに彼らが不勉強であるかの証明でしかない。

 加えるに、新潟大学のような地方大学で学生の「やる気」を前提にすることがいかに危険か、指摘しておこう。苅谷剛彦『教育改革の幻想』(ちくま新書)175ページが述べているように、子供の「やる気」は実は親の階層と連動しており、都会に比べて刺激に乏しく、またいわゆるハイブラウな職業人に接する機会に乏しい地方都市にあって学生の「やる気」を前提にしてかかるのは、学生の興味範囲をあらかじめ狭める結果にしかならない。そうした認識を欠いた地方大学教師は教師失格である。新潟大学の学生も地方都市出身者がほとんどである。彼らは出身地においてすでに都会出身者に比して文化的なハンディを背負っている。それを解消してやるのが大学というものの役目であろうに、新潟大学の「改革」はその逆を行っている。地方大学における「やる気のある者だけが」イデオロギーは、「田舎者は大学でも田舎者のままでいい」という意味でしかない。それは無論、最終的には新潟大学自体のステイタス低下を誘発するだろう。

 そもそも「やる気がない者に教えても無駄である」というイデオロギーは二つの点で根本的に間違っている。第一に、物事の把握の仕方において「やる気がある」「やる気がない」と二分するのは不可能だろうということである。自分の学校時代を振り返ってみてほしい。好きな科目もあれば嫌いな科目もあっただろう。けれど実際のところは、好きか嫌いかの二分法で事足りただろうか。やればそれなりに面白いところはあるが、しかし胸がわくわくするほど興味をそそられるわけでもない、そういう「どちらでもない」科目が大半を占めていたはずだ。そもそも、人間というものはそういうものだと私は思う。食物であれ、衣服であれ、対人関係であれ、ものすごく好きかものすごく嫌いかに二分されるはずがない。別に好きでも嫌いでもないという中間的な領域が過半を占めているのであり、少数、非常に好き、または大嫌い、という対象があるというのが普通なのである。

 第二に、仮に嫌いだとして、ではやらなくていいという論理が成り立つかということである。これもすでにゆとり教育の見直しで答は出ている。近年、国立大学の特に理系では、入試科目を過去に削減し過ぎたことに対する反省が生じており、大学で必要な科目はセンター試験で必須とするという方向に動いている。理系では大学での教育を行うのに必要な基礎知識が或る程度確定しており、したがって学力低下が数値で表示されやすいという特質はあるが、さらに中国など外国との比較によって日本の大学生の理数系での学力が劣っていることが明らかになってきたという事情も加わっている。「ゆとり教育」による学力低下を指摘したのが主として理系の学者だったのには以上のような背景があるが、文系でも学力低下が起こっていないはずはなく、例えば高校で世界史を2単位しか必修にしていないため、ほとんど世界史の知識を持たずに大学に入ってくる学生がいるのである。別段歴史や外国文化を専攻するのでなくとも、例えば政治学や経済や社会学の分野で国際問題や国際摩擦を考える際に世界史の知識が欠かせないことは常識であろう。ところがセンター試験においては、現在、社会科は「地歴」と「公民」に分かれているため、仮に受験に際して社会科を2科目とらせるにしても、「地理」「日本史」「世界史」のうちから1科目選択すればよく、センター試験以前のように世界史と日本史、世界史と地理といった組み合わせでの受験ができなくなっている。理系が医学部や工学部での専攻に応じて、物理、化学、生物の3科目のうちから2科目をとらせることができるようになったことと比較すると、実に不合理と言うしかない。文系の学者は理系に比べて学生の学力低下について無頓着であるということの証拠であろうが、この点が第二外国語に関する議論においても通用するのではないか。やる気があろうがなかろうが、必要な知識、或いは教養として身につけておくべき知識は必修にしなくてはならないという常識をドイツ語教師は持つべきであろう。

E)「改革」を進めるB氏の資質的欠陥

 さて、以上のように「やる気」イデオロギーの欠陥は明らかであるが、それに絡んで、新潟大学の第二外国語教育「改革」を押し進めているB氏の、ドイツ語教育法上の欠陥を一つ指摘しておこう。

 すなわち、B氏は、「ドイツ語初級教育においては文法の最後まで(接続法まで)教える必要はなく、途中までしっかり反復練習をして完全に習得させれば、残りは自分で学習して修得する」という考えの持ち主であり、その理論、というより根拠のない信念に基づいてドイツ語を1年生に教えているということだ。しかし実際にB氏に教えられた学生が、教室で教わらなかった接続法を自分で学習して理解しているかというと、全然そういうことはないのである。実例を二つ挙げよう。

 まず、独文専攻の大学院生からして接続法を理解していない、という事実がある。2000年度に私が受け持った独文専攻の修士課程1年生は、接続法を理解していなかった。学部1年生時にB氏の受けもつ集中ドイツ語を受講した学生である。仕方がないのでその場で私が教えようとしたのだが、それ以前の文法も実は分かっていないことが明らかになった。接続法過去時称を作るには直説法で完了形が作れなくてはならないが、Er hat kein Geld. という簡単なドイツ文を与えて現在完了にしてみるよう言ったところ、答えられなかったのである。ここから、新潟大学の独文専攻大学院生の学力レベルの一端がうかがえる。(12)この大学院生の場合、B氏の責任は三重に重いと言わざるを得ない。すなわち、1年次に接続法を教えなかった責任が第一だが、この学生は独文専攻なのだからB氏が引き続き指導する立場にあったわけで、2年次から4年次まで3年間自分の専攻内で教えていたにもかかわらず彼が接続法を理解していないという欠陥を知らず是正もしなかった指導上の責任が第二、そしてそういう低学力の学生を大学院に合格させた責任が第三である。

 次の例だが、2001年度に私の所属する講座で、2・3年次学生向けにドイツ語を読む授業を出したときの経験である。やはり1年次にB氏に教えられた3人は、3人とも接続法を理解していなかった。一方、別の教員に教えられた学生は理解していた。仕方がないので課外授業を行ってその3人に接続法を教えた。B氏の杜撰さのせいで余計な手間を強いられた私こそ、いい迷惑である。

 以上、B氏のドイツ語教育法上の理論的誤りを指摘した。ここから何が分かるだろうか。そもそも理論とは実践との兼ね合いにおいて意味を持つものであり、実践で欠陥が見つかればすみやかに理論を修正する必要があるにもかかわらず、B氏にはそのよう知的誠実さが欠けているいう事実である。そしてB氏が教養部解体以来、一貫して新潟大学の第二外国語教育「改革」の事実上の責任者の地位についているというもう一方の事実を合わせ見るなら、これは単にB氏個人の教育理論上の欠陥であるにとどまらず、語学教育改革全体に関わってくる欠陥であることが推測できるだろう。

 これまた、ゆとり教育が文科省によって、理論的な裏付けがないまま推進されたという事実とパラレルな現象である。苅谷剛彦によれば、ゆとり教育を推進していたときの文科省の審議会では、ゆとり教育で実際にどのような効果があったか、逆になかったかが、まともに検討されなかった。実際にはアメリカのカリフォルニア州でゆとり教育の先例があって、そこで子供の自主性に任せた教育が行われた結果、同州は全米で最も学力の低い州となってしまい、結局新しい試みは中止されたわけだが、そうした先例をまともに調べもせずに日本はゆとり教育を推進した。つまり知的誠実さに欠けていたということなのだ。(13)

F)学生の語学力低下の真の理由

 B氏は教養部解体以降、一貫して第二外国語教育の「改革」に当たってきた、より正確に言うなら、第二外国語の単位を削減し第二外国語を履修する学生を減らそうと必死になってきたが、そこには理論的裏付けが欠如していた。少人数クラスが語学教育にいいという考え方は一応もっともらしく聞こえるが、それがデータ上で裏付けられていたわけではなかった。

 それどころか、実際には、教養部解体直後、つまりそれまで原則として第二外国語は8単位必修だった(教育学部は除く)のを、人文学部以外は4単位必修にし、その代わり1クラスあたりの学生数を減らす、という改革をやったとき、その成果はどうだったか。データがあるわけではないが、私自身の体験と実感で言うなら、従来より少人数になったにもかかわらず、1年次修了段階でのドイツ語力は低下していたと思う。なぜか。私の考えでは、2年次の必修をはずしたからである。

 つまり、それまでの学生は2年間第二外国語が必修だったので、1年次にいい加減にやっていると2年次にひどい目に合うと分かっていたのである。2年次になると専門課程の授業も入ってくるし、2年次の第二外国語の単位を落とすと3年次に持ち越しとなり、専門の授業で詰まっている中に語学の授業を入れなくてはならなくなり、時間割を組むのが難しくなる。下手をすると留年につながってしまう。学生はそういう事情をよく心得ていた。だから1年次に真面目に第二外国語をやり、2年次の単位を取るのに支障がないようにしていたわけだ。

 例えば、先に登場した転向ドイツ語教師のG氏は、教養部時代、学生の裏ガイダンスでしばしば「単位は楽に取れる。しかし2年次に苦労する」という評価を下されていた。つまりG氏の1年生向けドイツ語の授業は、学生に求めるドイツ語力のレベルが低かった、ということだ。だから単位は楽に取れる。しかし、その学力で2年生になり、他のドイツ語教師に習うと、前提とされるドイツ語力がG氏の授業で得られたものより高く設定されているので苦労する。先憂後楽ならぬ、先楽後憂というわけだ。学生はそういう事情を知っていたからこそ、授業が低レベルであるが故に楽なドイツ語教師に1年次で教わることは必ずしも得策でないと判断していたのだった。きわめて健全な判断力である、と言わねばならない。

 ところが教養部解体後、必修単位が半減して1年次だけになったので、こうした圧力がなくなってしまい、要するにぎりぎりの学力でも単位さえ取れればいい、という風潮が広まったのである。そのせいで1クラスあたりの学生数は大幅に減ったにもかかわらず、学生のドイツ語力は低下してしまった――私はそのように推測している。

 したがってそれ以降、改革を行おうとするなら、こうした学生の動き方、教育心理を考慮に入れてやらなくてはならないはずだ。しかしそういう考慮が払われた形跡はない。

 というと、そのような、単位を取りやすいとか2年次になって苦労するといった、学生の自主的な勉学意欲とは無関係な側面から学力を論じるのは邪道だ、と言う方がおられるかも知れない。ならばその方にうかがいたい。大学で専攻ごとに必修単位を決めているのはなぜなのだろうか? もし学生の自主的な勉学意欲を信じるなら、専門課程でこそ必修単位を決める必要はないはずだ。学生が自分で選んだ専攻なのだから、それこそ学生の自主性に任せればいいのであって、この科目を何単位必ず取れと強制するのは邪道だということになる。

 そう、実際には人は学生の自主的な勉学意欲など信じてはいないのである。だからこそ必修単位や選択単位を細かく決めているのであって、教育というものを考えるときはそうした大前提をまず押さえておかねばならないのだ。(14)ところが教養部解体以降、教養外国語科目に関しては、やる気のない者に教えても仕方がないといった摩訶不思議な論理が持ち出される。これは持ち出す人間の見識が問われる場面だと言わねばならない。

 

7.人文学部だけは必修をはずさない不思議――独文教員のエゴ丸出し「改革」

 しかし――実際のところは、B氏も学生の自主性などは信じていないのである。なぜなら、もし少人数になればなるほど語学の授業はうまくいく、「やる気」のない学生が第二外国語をとっても仕方がないとB氏が本当に信じているのであれば、まず自分の所属している人文学部の第二外国語必修をはずしているだろうからだ。

 ここに、「改革」の最大の欺瞞がある。つまり、他学部に対しては第二外国語必修をはずして少人数教育をと称しているくせに、自分の学部である人文学部については全然そういう理論(?)を適用していない。教養部解体以降、人文学部だけは第二外国語8単位必修制を頑固に守っているからだ。B氏は自学部についてだけ、持論と完全に背馳した振る舞い方をしている。これを欺瞞と言わずして何と言おう。

 B氏は、要するに怖いのだ。もし人文学部の第二外国語必修をはずしたら、独文に来る学生が激減するのではないかと恐れている。だから必修がはずせない。もし本当に自分の理論が正しいか確かめたいなら、人文学部の第二外国語必修をはずし、それでも「やる気」のある学生が独文に来ることを確信して待たねばならないはずだが、とても勇気がなくてできない。人文学部であっても、日本文学や日本史、民俗学や考古学、心理学、文科省から押しつけられた情報文化課程などでは第二外国語は必要なくなっている。だから必要がない学生には必修をはずすべきだという理論で行くなら人文学部でも第二外国語必修を撤廃しなくてならないのに、自分の専攻に来る学生が激減するのを恐れるB氏は全学の第二外国語教育「改革」の責任者に事実上10年あまりも居座り続け、自分の理論に反する行動をとっている、いや、似非理論を振りかざして自分の権益のみを守ろうとしているというのが実態なのである。(15)

 新潟大学第二外国語「改革」の基本的な構図は以上のとおりである。ただ、それを招来した事情はもう少し詳述する必要があるだろう。

 まず、新潟大学人文学部全体の体質で言えば、決して前近代的ではない。学部全体に関わる懸案などは、教授会では勿論、それ以外にも学部集会などを開いてなるべく教員全員に情報が行き渡るよう、そして全員の意見を聞くような配慮がなされている。

 第二外国語教育については、しかしB氏が教養部解体後10年以上にわたって事実上の責任者であり続けた。これはおかしいのであって、学長でも任期は6年、学部長なら4年であるし、例えば情報処理委員会といった、文系学部では適任者が限られている委員会ならいざ知らず、第二外国語担当者が10人以上もいる学部において特定の人物が責任者であり続けるのは筋が通らない。 

 では、なぜこうなるのだろうか? それは、人文学部においてすら第二外国語を必要とする学科が多数派ではなくなっているからだろう。もし多数派であったら、全学部的な懸案事項のように、情報もオープンにされるし、人事にも配慮がなされるはずである。ところが実際には第二外国語を必要とする学科は少数派なので、全学部的な公正さを保つ配慮がなされないまま来たのだと思う。言うまでもなくこれは不健全である。

 私は一度、教授会の場でこの点について「おかしい」と発言したところ、某氏から止めが入った。この方はルーネンを辞めた私の座談会に協力して下さった方で、ムラ社会に生きている人間は完全な近代的思考をなかなか身につけられないという残念な事情を示しているのかも知れない。

 なお、形式的にはB氏は語学改革関連の全学委員会で常時責任者の立場にあったわけではなく、教養部解体時に法学部に行ったドイツ語教員I氏がなっていたこともあるが、事実上はB氏がことを切り回していたと、I氏自身が私に証言している。

 こうしてB氏は第二外国語教育「改革」を、「自分の講座さえよければ、自分の学部さえよければ」というエゴ丸出しの精神に基づいて敢行した。教養教育に責任を持つ人は、自学部ではなく、全学のことをまず最初に考えなければならない。そういう資質を持たない人は教養教育改革の責任ある部署に就いてはならないわけだが、新潟大学にあっては残念ながらそうした基本がまったく守られていない。自学部のことしか考えない狭量な人間が、10年間も第二外国語「改革」の最大責任者になり続けている――新潟大学の不幸の根源はそこにある。これでまともな「改革」がなされるはずがない。また、そうしたB氏の行動を支えているのが、転向ドイツ語教師である。彼らは教養部解体の時点でドイツ語教師であることから心理的に降りているから、自学部エゴ丸出しに振る舞うB氏を掣肘することもない。むしろ、教養教育経費の使い方などで、きわめて倒錯した互助組織的なものが彼らの間にできていることは、先に指摘したとおりである。

 

8.第二外国語を誰が担当するべきなのか

 次に、新潟大学の第二外国語教育を衰退に導いた他の要因を指摘しよう。

 新潟大学は教養部解体に当たって、教養科目の責任部局を決めた。それまではあらゆる教養科目について教養部が責任を負っていたわけだが、教養部がなくなるので分野ごとに専門学部が責任部局として指定されたわけである。人文科学系科目については人文学部が責任部局となり、外国語科目についても人文学部が、という声が大きかったのであるが、当の人文学部はこれを拒絶した。人文学部は、外国語教育について責任部局になれば第二の教養部になるという恐れを抱いていたようである。そのせいもあり、人文学部は当初、教養部がなくなっても、外国語教員だけでなく人文系教員も含め教養部教員は一人も受け入れないと言明していた。また法学部が法政コミュニケーションという新しい学科を作るために語学教師を欲しがっていたという事情もあり、教養部の外国語教員は結局、人文・法・経済の文系3学部に分割分属するということで決着した。

 そして先にも述べたとおり、外国語教育の責任部局は英語とドイツ語については3分割され、人文学部が自学部以外に理学部と工学部を、法学部が医学部・歯学部・農学部を、経済学部が教育学部を持つということになった(2003年度まで)。

 さて、人文学部は最終的には教養部から人文系や外国語系教員を受け入れ、受け入れた以上は平等に扱う、という方針で臨んだ。これは一面では大変誠実な態度だと言える。実際、法学部に分属した英語教員の中には差別的な扱いに苦しみ、そのため数年後ポストに空きができた教育学部に移ってしまった人もいる。それに比べれば人文学部の態度は模範的と言えた。また、私自身教養部解体から今に至るまで約10年間を人文学部で過ごしてきたが、元教養部という理由で差別的な扱いを受けた経験は一切ないし、たいへん紳士的で親切な教員がほとんどであることは実感している。

 しかし、である。その模範的な態度が、こと教養教育をどうするかという問題に関して言えば逆に致命的になったとすればどうだっただろうか?つまり、一人一人が善意の人であることは、集団となって社会を形成した場合に外部の或る方面に対して抑圧的であることといささかも矛盾しない、という初歩的な認識を私は述べているのである。

 教養部解体に際しては、「全学出動、二重構造の解消」という美しいスローガンが掲げられた。教養教育には全学で当たろう、専門学部と教養部という二重構造はなくして平等を実現しようという意味である。しかしそれは本当に実現可能なスローガンだったのだろうか?

 第二外国語を教えることができる教員が、教養部語学教師以外にいったいどれほどいるだろう? 例えばドイツ語を教えることができる専任教員は、新潟大学の場合、教養部ドイツ語教師と人文学部独文科教師を除外すると、人文学部で西洋哲学や西洋史を、法学部や経済学部でドイツの法律や経済を専攻している人くらいなものである。そうした人は合計で10人いるかどうか。また彼らは皆専門科目や大学院科目を受け持っているから、教養科目を受け持つ余裕がそれほどあるわけではない。さらに、彼らはそもそも自分が教養外国語を受け持つことを想定していないので、仮に授業担当に余裕があっても教養ドイツ語を進んで受け持とうとはしない。

 もし本当に「全学出動、二重構造の解消」を実現しようとするなら、そうした人たちの専門科目や大学院の科目を減らして、その代わりに教養ドイツ語を強制的に教えさせなくてはならない。つまり、既存学部の専門科目や大学院科目に踏み入って「改革」を行わなければ、本当の意味で新しい体制ができるはずはない。しかし、そうしたことは一切行われなかった。人文学部が教養部から移ってきた教員を平等に扱うと宣言したその意味は、従来人文学部教員がやってきたのと同じようにやってもらう、ということだった。つまり、専門科目を中心に受け持ち、教養科目は片手間に受け持つという体制に元教養部教員を組み込むことだったのである。

 したがって、人文学部に移ってから、私は教養ドイツ語は週2コマしか担当していない。他に専門や大学院の授業が週に3ないし4コマ程度ある。加えて、教養科目としてドイツ文学の講義を毎年受け持っている。

 私自身はこういう受け持ち方に納得していない。元ドイツ語教師が週2コマしかドイツ語を受け持たないのでは、教養ドイツ語の授業が維持できるはずがないからだ。また、他学科や他学部でドイツ語がおできになる方、例えば西洋哲学や西洋史、或いは法学部や経済学部の一部の教員が教養部解体後に「全学出動」の精神に則って教養ドイツ語を受け持っているかというと、全然受け持っていないのである。

 これでまともな第二外国語教育ができるはずがない。もとより、全員平等に教養外国語を受け持つというのは無理だと私は思う。だから西洋哲学やドイツ政治を専攻している教員に私と同じコマ数の教養ドイツ語を受け持てと言うつもりはない。そういう方々は週1コマか2コマでいいだろう。私は週4コマの教養ドイツ語を受け持つということで結構である――その代わり私の専門科目の負担は減らしていただくという前提で。要するに、教養部解体前の人文学部のような、専任教員は専門科目を中心に受け持ち、教養科目は片手間で教えるという制度を抜本的に見直し、専門学部と教養部という二重構造は解消しても、教員によっては教養科目を中心に受け持つ体制を作り出すということである。実際、私は2002年度の末に人文学部の学務委員長宛てにそのような提言を行っている。(16)

 本来、教養部解体後の教養外国語「改革」を考えるということは、そうした受け持ち体制を問題をも含めて考えることを意味したはずだ。ところがこと第二外国語に関する限り、そうした考慮が払われた形跡はない。B氏とE氏のコンビによる、基本的な手続きを無視した「改革」は、専門教育は従来通り温存し、教養外国語を削減し続ける方向で進められたのである。それは、B氏が自分の部局である人文学部や自分の講座である独文のことしか念頭にない狭量な人物であり、本来幅広い視野に立たなければならない教養教育を考えるのには不適切な人物だったことの、またE氏はこれまで見てきたように、教養部がなくなった途端に転向して、ドイツ語のことなんか知らないよという態度を取り始めたことの証左に他ならない。視野狭ドイツ語教師と転向ドイツ語教師のコンビが、新潟大学の第二外国語教育を大幅な衰退に追いやったと言えよう。

 2004年度から始まった新体制の第二外国語教育では、それまで言語文化基礎と言っていた講義科目が大幅に増加している。1998年の「改革」では300名だった定員が、今回は1200名に拡大された。これは新潟大学全体の1学年定員の半分強に当たる。第2期から取ることも可能だが、その定員は325名に過ぎない。つまり、実際に第二外国語をやらずに終わる学生が大幅増、ということになる。その数は、最初に述べたように新潟大学学生全体の3分の1以上になる。

 ここまで全学の学生を第二外国語教育から追い出しているのに、人文学部は今も第二外国語8単位必修を堅持しているのである。しかも全員が少人数の集中コース必修だから、人文学部学生と他学部生、特に教育・理・工学部学生との格差は大幅に開いている。人文学部だけが得をし、理工系を中心とする他学部が損をする構図は明瞭であろう。まさに人文学部のエゴ丸出し「改革」であると言わねばならない。

 

9.恵まれない教養教育からさらに収奪する「改革」

 一つ付け足しておこう。もともと教養部は専門学部に比べて恵まれない立場におかれていた。つまり、学生数あたりの教員がきわめて少なかったのである。解体直前の新潟大学教養部には、100人の専任教員がいた。新潟大学の1学年の定員は約2200名である。教養部があった時代、1年次はほぼ教養科目のみ、2年次になると専門と教養とが併存するというのが履修のシステムだった。仮に2年次の教養科目と専門科目の割合が半々だとすると、教養部教員は延べ3300名の学生を持っていることになるから、教員一人あたりの学生数は33名という計算になる。

 これに対して、人文学部はどうだったか。教養部解体直前1993年の人文学部専任教員数は56名だった(ほかに外国人教師が2名)。学生数は1学年200名。第2学年が半分教養科目だと仮定すると、学生数は延べ500名となる。ほかに大学院生も多少はいるが、それを入れても教員一人あたりの学生数は10名弱なのである。つまり、専任教員一人あたりの学生数で、教養部は人文学部の3倍以上だった、ということだ。

 したがって、教養部解体以降、「全学出動、二重構造の解消」をまともにやろうとするなら、金持ちの所得を削って貧乏人に回す、つまり専任教員の教養科目への出講数を増やし、専門科目は削減して共用性を高める努力をしなければならないはずだった。

 しかし実際は逆のことが行われた。教養科目の必修単位数を削減し、専門科目は事実上手つかずの状態だったのである。

 つまり、新潟大学の教養部解体以降、教養教育からの収奪が専門教育によって行われた、ということになる。金持ちが貧乏人から収奪を行ったのだ。実際、私が人文学部に来て驚いたのは、一授業あたりの学生数が少ないことだった。演習が少人数のは分かる。しかし講義科目ですらたいして学生がいないのである。教養部の語学の授業よりはるかに少人数の講義科目が珍しくない。本来なら、教養外国語の「改革」に当たる人間はこうした不均衡に目を向け、それを是正するべく働くのが筋であろう。しかし彼らはそうした努力はしなかった。専門科目は安全な場所におき、あまつさえ教養教育経費から専門教育に必要な費用を捻出し、ひたすら第二外国語を削減するのに奔走したのである。

 また、最近の財政難や国立大学の行政法人化で、非常勤講師用の予算が削減されつつある。しかし、同じ非常勤講師と言っても、教養科目と専門科目では意味が違う。教養科目の非常勤講師とは、それなくしては学生数に応じた授業数を開講することが不可能なもの、例えて言えば一日三回の食事のようなものだ。一方、専門科目の非常勤講師はそうではない。専任教員の授業だけでも学生は必要単位は満たせるのであり、ふだん教わっている先生とは異質な外部の人材に触れる機会ができるというのが、専門科目で非常勤講師が採用される理由なのだ。おやつかデザートのようなものと言える。

 したがって、もしやむを得ない事情で非常勤講師を削減するのであれば、まず専門科目の非常勤講師を削減すべきなのだが、2004度を見る限り必ずしもそうなっていない。無論大学上層部も教養科目における非常勤講師の意味合いは或る程度分かっているはずだが、専門科目の非常勤講師も削減されたとはいえ或る程度残っているうちに教養語学の非常勤講師削減が行われているのである。

 あまつさえ、転向ドイツ語教師G氏は、新しい教養外国語教育システムを説明する会において「ドイツ語の有効性はなくなっている」などと発言している。たしかに第二外国語の中でのドイツ語のステイタスは低下していよう。しかしその一方で、最近の韓国テレビドラマや映画のブームに見られるように、外国文化への若者の関心はそれなりに維持されているのである。ドイツ語の有効性が減少しても、代わりに他の第二外国語を導入し、第二外国語全体の教養科目としての地位を守るのが語学教師の勤めだと私は思うが、転向ドイツ語教師は文科省から押しつけられた講座の学生にサブカルチュアを教えるのに汲々としており、(17)第二外国語の教養教育経費から自講座のために多額の費用を捻出していることは先に述べたとおりである。ドイツ語非常勤講師が首になっているという現実の中、自分は安全な場所にいてドイツ語を見限り、サブカルチュア教師たることに満足する――これが転向ドイツ語教師の行動様式なのだ。

 

10.ドイツ語教師とは何だったのか――または三島由紀夫の指摘

 以上のような状況を見るにつけ、私は一つの問いを発せずにはいられない。ドイツ語教師とは何だったのか、という問いである。ロシア語の、場合によってはフランス語の先生からも、ドイツ語は就職が楽ですよね、と言われる経験を私は何度かしている。「楽だった」と過去形にすべきところだろうが、ある時期、ドイツ語教師がかなりなりやすい職業だったことは確かであろう。

 新潟大学の転向ドイツ語教師たちは、なぜドイツ語教師という職業を選んだのだろうか。私は、ドイツ文学などはもともとマイナーな領域でよほど変わった人間しかやらないのだから、それを職業にする以上は世間や大衆の動向に左右されない人間がなっているのだと昔は思っていた。しかし、それは完全な間違いだったことがこの10年間でよく分かった。彼らがドイツ語教師になったのは、単にそれがなりやすい職業だったからに過ぎないのであり、文科省の方針次第でほいほいと他の領域に鞍替えするのに何のためらいもない、ということが明らかになったのである。

 彼らの転向を分析するには、以上のような簡単なまとめ方では足りないだろう。しかし詳細に語るなら、それだけで別に一つの論文をものしなくてはなるまい。したがって、ここでは三島由紀夫の指摘を紹介しておくにとどめたい。日本の権力が政治家にはなく、無論学者や知識人にもなく、官僚にあることはウォルフレンなども指摘しているが、(18)三島はその20年前に知識人と官僚の関係を的確に捉えていた。

 昭和45年1月22日付け日本経済新聞に掲載した「新知識人論」で、三島はまず大略次のように述べている。後進国でこそ知識人はその有用性に自信を持っており、日本では鴎外がその典型であるが、しかしロンドンでノイローゼになった漱石で早くもその有用性に耐えきれないタイプの知識人が登場し、また二葉亭四迷によってロシア・インテリゲンチュアの根無し草の心情と余計者意識が輸入され、国家のための有用性は官僚に割り当てられたから、知識人の仕事とは「国家無用の知識の輸入・開発・利用」となった。それが大正の教養主義とコスモポリタニズムに培われて、やがては反国家・反政府・反権力の知識・思想の輸入・開発・利用に知識人の任務があるとされた。

 そして三島は次のように言う。《知識人の自立は一転して、ふたたび社会主義への忠誠に、有用性への郷愁を見いだすようにさえなったのである。》《日本近代知識人は(…)根底的にデラシネであり、大学アカデミズムや出版資本に寄生し、一方ではその無用性に自立の根拠を置きながら、一方では失われた有用性に心ひそかに憧憬を寄せている。》《知識人の自立を尊重するふりをしながら、その大衆操作の有用性をうまく利用し、かたがた彼らの有用性へのひそかな憧れを充たしてやった点では、政府よりも左翼のほうが何十倍も巧みであった。》

 そして三島はこう結論づける。《〔大学紛争後にあっては〕知識人はもはや国家有用の材ではありえないし、いわんや反国家有用の材でもありえない、という悲惨な現状を直視して、そこから出発しないことには何もはじまらない。あらゆる有用性有効性の幻想をきっぱり捨て、「いや、君だって役に立つんだよ」という甘言に一切耳を貸さず、有用性へのノスタルジアも己惚れも捨てなければならない。と同時に、無用性の永遠の嘆き節からも訣別せねばならない。》(19)

 「彼らの有用性へのひそかな憧れを充たしてやった」のは、かつては左翼であったろうが、今ではそれがサブカルチュアになっているわけだ。そして官僚の権力に対する問いは、放置されたままである。ドイツ語教師が「知識人」の名に値する人間であるかどうかはさておくとしても。

 

11.「国際化時代なのになぜ外国語の授業が減るのですか?」という非常勤講師の問い

 こうした大学「改革」によっていったい新潟大学はどこへ行くのだろうか。最も関心をもって見守っているのは、大学首脳でも、専任教員でも、学生でも、メディアなどの外野でもない。非常勤講師の人たちであろう。

 先にも書いたように、2004年度の新カリキュラムが実施されるに当たっては非常勤講師の首切りが行われた。首を切られなかった人も当然ながら将来に不安を抱いているだろう。専任教員よりはるかに待遇的に恵まれないとはいえ、非常勤を続けられるかどうかはまさに死活問題だからだ。そういう方の一人が、ある日私に次のような問いを発した。「国際化時代なのに、どうして外国語の授業が減るのですか?」

 自らの地位への不安に根ざした問いではあるが、同時にきわめてまっとうな問いである。実際、大学の外から見るなら、国際化時代に外国語の授業をどんどん削減している新潟大学の「改革」は、わけが分かるまい。

 この問いに答えられる新潟大学専任教員がいるだろうか? 新潟大学の学長や副学長は答えられるだろうか? 私も答えに窮して、「教養部がなくなりましたからね」と適当な逃げを打っておいたが、いったいどうして本当のことが答えられるだろう。ドイツ語の専任教員が教養部解体と同時に第二外国語に背を向け、サブカルチュアの専門家に変身して学生に媚びを売っているなどとどうして言えるだろうか。専任という安定した身分にあぐらをかいて第二外国語を裏切り、外国語担当の非常勤講師の首を切ることには躊躇しない――かつて左翼を気取っていた昭和10年代から20年前半生まれの世代がこの10年間でやったことはこの程度だったのである。

 そして、2004年4月の人文学部教授会に或る資料が提出された。大学上層部が教養教育の新しい区分を提言したものである。従来は「外国語教育」という項目には英語と初修外国語(第二外国語)とが並べられていたものが、ここでは外国語は英語だけが独立した項目となり、初修外国語は人文系科目群の中の一つとして位置づけられていた。従来よりも下位区分におかれたわけで、事実上の格下げということになる。

 私はただちに、エゴ丸出しの語学教育「改革」がこういう結果を生んだのだと発言しておいた。その後、裏で折衝があったようで、5月の教授会に出た資料ではかろうじて初修外国語は英語と並ぶ位置に復活していたが、先の格下げが大学上層部の構想であることは明らかであり、なおかつその際に教養教育委員から「最近は初修外国語は必ずしも履修しなくてもいいことになっておりますし」という発言があった。つまり、B氏とE氏の推進する「改革」は、こうした上層部の思惑に添った形で行われているということになる。彼らが表向きに何を言おうと、その行動が何に向けて行われているかは明らかだろう。

 無論、そうした大学上層部も見識がないという点では同罪である。新潟大学はこうした「改革」によって、大学とは名ばかりの、「田舎者は大学でも田舎者のままでいい」という方針を掲げた、単なる地方都市の専門学校に転落しつつあるのだから。

 

補 論

 シンポジウムの後に起こった事態や、シンポジウムで一般席から表明されたご意見について補足的に説明し、私の見解を述べておく。

1)転向ドイツ語教師問題は「コップの中の嵐」か

 シンポジウムの席上、私の発表について三瓶慎一氏から「コップの中の嵐」という評言をいただいた。私の発表内容は新潟大学だけの特殊例であり、日本全国レベルでは普遍性を持たない、という意味であろう。

 果たしてそうであろうか? 実は「ドイツ語教師の転向」こそ現在の日本全国で普遍的に見られる現象であることを示す文章が、シンポジウムの4カ月後、『ひろの 第44号』(財団法人ドイツ語学文学振興会、200410月、89ページ)に掲載された。橋本聡氏(北海道大学)の「両方とも本音です」と題された一文である。

 ここで橋本氏は、5年前に北大に設立された独立大学院「国際広報メディア研究科」の紹介をして、北大のドイツ語教員14名もそこに加わっているが、ドイツ関連の授業をしている人はごく少数で、ほとんどがドイツともドイツ語とも無関係の授業をしている、と報告している。氏自身も「公共文化政策論」を担当し、そこで扱う文献はすべて英語であり、指導担当の博士課程院生3名もすべてドイツとは無関係なテーマをやっているという。そして橋本氏は次のように言う。

 《これは何も私たちの大学院に限ったことではない。旧教養部の改組で誕生した大学院ではどこでも似たような状況で、ドイツ語を使って授業のできるような果報者はほんの一握りのはずだ。つまり私たちドイツ語教員は、こうするしか生き残るすべがなかったのである。私たちの大学院は後発組で、よその大学のゲルマニストたちはとうの昔に路線変更を済ませている。》《とは言え、新大学院はあくまでも私たち自身の主体的選択の結果である。(…)私にとっても北大の同僚にとっても、新大学院はワクワクするような新たな挑戦の場になっている。》

 要するに、ゲルマニスティクは捨てました、全然別の分野を「ワクワクするような」気持ちでやっています、という、何ともあっけらかんとした転向宣言なのだ。おまけに、「よその大学のゲルマニストたちはとうに路線変更〔=転向〕を済ませている」とまで書いているではないか。つまり、日本全国のドイツ語教師たちだって転向しているんですよ、と証言して下さった文章なのである。三瓶氏の現状認識への強力な反証ではなかろうか。

 それはともかくとして、この文章、実は読めば読むほどわけが分からなくなる書き方をしているのだ。橋本氏はもともとゲルマニスティクが専門のはずなのに(実際、最初のあたりで、「北大に就職した17年前には初期新高ドイツ語とチェコ・ドイツ関係の研究に邁進するはずだった」と書いている)、なぜそれを捨てたのか? 「こうするしか生き残るすべがなかった」とあるが、とすればどこかからそうするようにと圧力がかかったのだろうか? だが、「新大学院はあくまで私たち自身の主体的選択の結果」と書いてある。とすれば、北大のドイツ語教師14名はなぜかそろって自分の専門を「主体的」に捨てるという真似をやってのけたことになる。何とも奇怪な話ではないか。おまけに橋本氏は、それが日本全国規模で起こっている現象なのだ、と証言してさえいる。奇々怪々と言わねばなるまい。

 もっとも、最後のあたりで、新しい専門を追いかけながらも「常に頭にあるのは、実は日本のドイツ語教育への応用である」とも書いていて、氏が一応ドイツ語教師は続けているのだとは分かる。しかし私が案じるのは、いったい北大ではこうしたねじれ現象、つまり元はゲルマニスティクやドイツ関連が専門であるドイツ語教師に、ドイツとは全然無関係な専門授業を持たせ、なおかつ無関係な大学院生を指導させる、という体制を続けるのかどうか、ということなのだ。もしそうであるならそれはそれでいい。

 しかしもし「公共文化政策論」を担当しているドイツ語教師・橋本氏(たち)が停年に達したとき、「ドイツ語教師」という名目ではなく「公共文化政策論」という専門指定で人を採用したらどうなるのか? 氏は専門の授業や院生指導では英語しか使わないと書いている。したがって最初から「公共文化政策論」を専攻している人間がドイツ語や他の第二外国語を教えられるとは考えにくい。そうなったとき、いったい北大の第二外国語教育体制はどうなるのだろうか? 他人事ながら気になるのだが、橋本氏の文章にはその点についての言及は何もない。

 たしかに、新しく取り組んだテーマのおかげで欧州評議会本部の言語政策部会議に招待され「日本の言語教育の現状」について発表した、とあるから、一般論としての言語政策に氏が関わっていることは分かる。だが、肝腎の自分の勤務先での「言語政策」に関してはまったく書かれていないのだ。言い変えれば、この文章には転向したドイツ語教師である自分は楽しい生活を送っています、という「コップの中の嵐」的な報告はあっても、自学内の、そして日本全国の大学における第二外国語担当体制はどうなるのか、というマクロ的な視点は完全に欠如しているのである。「公共文化政策論」を専門にするとこうなってしまう、ということなのであろうか?

2)シンポジウムの後、新潟大学で何が起こったか――私がドイツ語教師を辞めさせられた事情

シンポジウムに際して、或る方にパネリストになっていただけないかと打診した。結局実現はしなかったけれど、その方は定年前ながらドイツ語教師を辞めたと公言されていたので、どういう事情でそうなったのかを報告していただけないかと考えたのである。

 ところが、図らずも私自身がシンポジウムの後、2005年度からドイツ語教師を辞めることになった。その事情をここに記しておきたい。

本稿の最初に記したように、新潟大学では2004年度から再度の第二外国語教育「改革」が行われ、事実上第二外国語を履修しないで済ませる学生が激増した。

 そして20041015日、E氏から下記のようなメールが私宛てに送られてきた。 

 《さきのメールでお話ししたとおり、来年度から医学部医学科向けの「初級ドイツ語」4単位が「スタンダード・ドイツ語」6単位となります。これによりすべての科目が新カリキュラムに移行することになります。

 それでおたずねしますが、三浦さんはこの新カリキュラムにご協力願えるのでしょうか。

 あらためて申すまでもありませんが、新カリキュラムは「外国語ベーシック」(講義系)+「ベーシックU」、「スタンダードT、U」、「インテンシブT、U」の3本のバランスでできあがっております。とくに「外国語ベーシック」は3外国語で構成されているイニシエーションコースで、非常勤の人にはお願いせず、専任で担当していこうと思っております。現在はB、C、Gのお三方が担当しており、来年度からはそのうちの一こまは法学部の先生方でのローテーションでやりくりしてもらい、残りの二コマを人文の先生方でのローテーションで担当することにしております。

 新カリキュラムの正否のひとつはこの「外国語ベーシック」にかかっており、みんなでこれを支えていかなければと考えています。

 この「外国語ベーシック」の担当を含めてのご協力をねがえるのかどうか、お知らせ願います。》〔すべて原文ママ〕

 多少の注を付けておくと、最初の医学部云々のくだりは以下のようなことである。すなわち、新潟大学教養部解体の1年前(1993年)に行われた改革で新潟大学の第二外国語必修単位は人文学部を除いて4単位となった(ほぼ半減)。医学部もその際に4単位となった。その数年後に「言語文化基礎講義」の導入により理・工学部では事実上第二外国語必修をはずしたことは前述のとおりである。また法学部では独自の「改革」で一外国語6単位のみ必修と中途で変更している。こうした中、医学部医学科は1993年に決めた第二外国語4単位必修を堅持してきた(医学部でも保健学科などは別)。ところが2004年度の「改革」で通年4単位の授業は廃止され、@通年8単位(インテンシブ)、A通年6単位(スタンダード)、B第1期が言語文化基礎講義で希望者は第2期に3単位を履修(ベーシック)、の3コースとなった。しかし2004年度は医学部の希望で特に医学科向けのみに通年4単位のドイツ語が開講された。その後、医学科では2004年度の新カリキュラムに合わせて2005年度からはAのスタンダードを選択することに決定したのである。付け加えるなら、人文学部は@、法は選択でA、経済は必修でA、理・工・教・歯はB、農はBだが後期も必修となっている。

 さて、E氏の「おたずね」は、2004年度実施の新カリキュラムに三浦も協力するか、と問うている。具体的には、言語文化基礎講義(E氏のメールにあるように新カリキュラムでは「外国語ベーシック講義系」と称している)を三浦も担当する気があるか、と問うものであった。

 これには説明が必要だろう。言語文化基礎講義は、これまで本稿で縷々述べてきたように、B氏とE氏が正式のドイツ語教員会議を開かずに勝手に導入を決めたものである。彼らがその違法性を自覚していた何よりの証拠は、それまでこの講義を受け持ってほしいという打診が私には一度もなかったことだ。ただし従来はこの講義は理・工学部のみ対象で全部で前期のみ3コマだったから、彼らだけでやりくりできたのである。

 ところが2004年度の新カリキュラムで言語文化基礎講義は対象学部を大幅に拡大したため一気に12コマに増えた(他に古代エジプト語などの基礎講義が1コマ)。従来は独仏露の3カ国語だけだったものが、中国・朝鮮・インドネシア・エスペラント語も導入したとはいうものの、講義に要する教員数が増え、ドイツ語でも彼らだけでは苦しくなってきたというわけだ。だからE氏は、協力するかどうかと打診してきたのである。

 これは、言い換えれば、2004年度新カリキュラムの決定がドイツ語内ではまたもや正規の会議を開かず、一部の人間だけで勝手に決められていることを証拠立てている。もしもドイツ語の正式の会議で新カリキュラムを承認しているならば、E氏は上のようなメールで私に打診する必要などなく、黙って言語文化基礎講義の担当を私に割り当てたはずだからである。

 私はこの打診に対して、1018日、次のようなメールを他の人文学部ドイツ語教員も読める形で送った。

《回答

(1)新潟大学教養部解体後のこの10年間、初修外国語の学習体制を大幅に変更する際、人文学部ドイツ語ではドイツ語教員全員を集めての会議を一切開かず、一部の人間が勝手に制度変更を決定してきた。したがって新制度はドイツ語に関する限り、非合法である。

(2)現在ベーシックと言われている講義科目も、そのように非合法的に作られた。その意図は、人文学部以外の学生を第二外国語から追い出そうとするものに過ぎない。(そうでないというなら、人文学部の学生にもこの講義をとらせているはずだからである。)非合法的な手段で人文学部のエゴ丸出し「改革」を行うために作った講義は、それを考案しそれに賛成した人間のみが担当するのが当然と考える。

(3)講義以外のドイツ語授業については、やむを得ない場合は持ちゴマ数の増加を受け入れる。ただし、以下の「今後なすべきこと」をなるべく早く実行に移すよう要求する。(実行に移さなければ持ちゴマ増に応じないということではない。)

 *今後なすべきこと

 1) この10年間、非合法的に「改革」を推進してきた責任者、具体的にはB氏とE氏には、その職務から降りていただく。

 2) 今後予想されるドイツ語担当可能教員の減少に対応するべく、学務委員長の地位にあるF氏には――過日の人文学部メーリングリストでの議論で私が主張したように――人文学部の課程廃止、履修コースの見直し、講義系科目大幅削減の3つの改革に早急に着手していただく。要するに、初修外国語を担当している教員は授業負担が重いのだから、人文学部の講義系科目を(余り)持たなくて済むような方向で改革をせよ、ということである。(20)

 3) 2)には時間がかかるかもしれないので、その場合は、とりあえずの措置として、文コミとヨーロッパ文化の講義系科目を大幅に見直し、なるべく他コースの講義系科目で必修単位が満たせるような手直しを、できれば来年度から始められるように行う。》

 以上の私の回答を受けて、2度に渡ってドイツ語教員会議が開催された。そして2回目の11月1日の会議で、言語文化基礎講義を受け持たない限り普通のドイツ語の授業も持たせない、という決定がなされた。反対は私のみ。賛成はB氏、C氏、E氏、F氏、J氏の5人である。J氏(1940年度生まれ、北海道出身)は本稿には初登場だが、教養部解体後は経済学部に行った人で、E氏とは碁打ち仲間であった。どうも地方大学にあっては、囲碁はムラ社会を築くための道具と化しているようである。(21)

 ついでに言っておくと、第1回目の会議にはG氏も姿を見せ(H氏は欠席)、E氏と二人で私に罵詈雑言を浴びせかけた。転向ドイツ語教師たちは、春の学会シンポジウムで自分たちの所行が明らかにされたことに立腹したのだろう。立腹するくらいなら転向しないか、或いは完全に転向して独文学会を辞めればよさそうなものだが、なぜか彼らは内心でゲルマニスティクやドイツ語に見切りをつけていながら学会を辞めようとはしない。辞めると所属する学会がなくなって格好が付かないからかも知れない。

 ともかく、以上のような事情で私は2005年度からドイツ語教師ではなくなったのである。

3)転向を擁護するドイツ語教師の倒錯

 私のシンポジウムでの発表について、後日、メールで「やむを得ない学内事情でドイツ語教師を辞める人を批判するのはいかがなものか」というご意見をいただいた。私は、ドイツ語教師を辞めるということだけを捉えて「転向ドイツ語教師」と言っているのではなく、ドイツ語教師を辞めた途端、ドイツ語やゲルマニスティクを悪し様に言い始めるオポチュニストをそう呼んでいるのだということ、ただし学内改組などの際にそのドイツ語教師がドイツ語・第二外国語を維持するためにどの程度努力したかも問題にされるべきだろう、とお答えしておいた。

 しかし、上記のような批判的ご意見はそれとして尊重はするが、ドイツ語教師はどうしてこう物事の捉え方が倒錯しているのか、と私は嘆息せざるを得なかった。はっきり言って、何も分かってはいないのである。

 例えば、ナチ時代、ドイツにいて心ならずもナチに同調した人がいたとしよう。戦後になってからその人を擁護するなら分かる。ナチに同調しなければ食っていくことはおろか生命さえも危うかったのだ、という理由でその人を免罪しようとするのはそれなりに理解できるし、またナチが断罪された時点でそうした主張をするのは勇気ある行為でもあるからだ。

 だが、ナチがまだ大手を振るっている時代に、ナチ同調者を擁護するとしたらどうか? それは要するに体制に同調して身の安全を確保した人間を擁護することでしかない。おまけにそうした擁護論を、ナチを批判して国外に亡命し食っていくことも難しくなった人間の前でぶつとしたら? これはまともな判断能力を持つ人間のやることではなかろう。

 私は別段自分をナチの殉教者に喩えるつもりはないが、はっきり言っておくけれど、第二外国語を守れと主張しても自分に得になることは何一つないのである。さいわい今のところ勤務先をクビにはなっていないが、ドイツ語教師を辞めることになった事情は先の補論2に書いたとおりだし、学内のゲルマニストたち(視野狭ドイツ語教師+転向ドイツ語教師+彼らの同調者)からは仲間はずれにされているし、学部内では変人扱いされているし、教養部時代からの図書を継続しようと努力しているお陰で自由に使える研究費は少額だし、まあそれも自分で選んだ道だから後悔はしていないけれど、とにかくこういった状況下におかれているということくらいは知っておいていただきたいのである。

 それに対して、転向すればどうなるか? 学部内では人間関係がうまくいき、大学上層部からの覚えもめでたくなり、学内のゲルマニストたちともなあなあ主義の付き合いを続けられて孤独に陥る心配もなく、教養部時代からの継続図書には全然またはわずかしかカネを出さないから研究費も比較的自由に使えるのである。要するに、いいことずくめなのだ。

 なぜ、いいことずくめの安全パイを選んだ人間を擁護するのだろう? ドイツ語教師のこうした判断力のなさは私を嘆息させるに十分である。

 それとも、私が仮に新潟大をクビになったとしたら、日本独文学会は代わりに給与を支給してくれるとでもいうのだろうか? そんなことは無論あり得ない。だからこそ転向ドイツ語教師は転向したのである。或いは、仮に私の「転向ドイツ語教師」論が独文学会で大々的に認められたら、彼らを学会から除名する運動でも起こるのだろうか? それはあるまい。第一、そんなことをしたら除名者が続出し(補論1を参照)学会員が激減して独文学会はつぶれてしまうだろう。また、百歩譲って除名がなされたとしても、転向ドイツ語教師には何の痛痒も与えないだろう。転向ドイツ語教師は給料を独文学会からもらっているのではなく、大学からもらっているからだ。給料を支給してくれる勤務先の事情を最優先にするのが身の安全を確保する方法である――上記の批判的メールでよこした人は、その程度のことも分かっていなかったのだ。どうしてドイツ語教師はこうなのであろう?

4)非常勤講師削減は文科省の指示か

 シンポジウムの席で、文科省の方針で非常勤が削減されていると述べたところ、志田慎氏から以下のような発言があった。すなわち、首都圏非常勤講師組合が文科省に質問状を送ったところ、文科省の方針として非常勤削減を進めているという事実はない、もしそのように言っている国立大学が存在するなら教えて欲しい、という回答があったというのである。

 この点について、私は後で調べて報告すると約束し、後日新潟大学事務本部に電話で問い合わせた。回答は要約次のとおり。

 2004年度の新潟大の非常勤講師は3割削減となった。これは大学内の委員会で決定したものである。文科省からの予算については、当初新潟大では前年のうちに非常勤用に然るべき額を要求していたが、文科省から最初に示された額は3割減ということであった。ところが、年も押し詰まった12月になっての内示は、ゼロであった。しかしここには実はカラクリがある。従来は国立大学に来る人件費(専任用)には欠員分は含まれていなかった。しかし2004年度分は、人件費(専任用)は欠員分も支給するかわりに、非常勤講師用の費用は出さない、ということにしたのである。新潟大学全体で二十数人欠員がいればその額は1億や2億にはなる。これは新潟大学全体の非常勤講師のための費用に相当するのだから、別に非常勤講師費用は出さなくてもいいだろう、というのが文科省側の論理であった。しかし新潟大学としては、途中での内示(3割減)に合わせて非常勤講師を削減するべく授業計画その他をたててしまっていた(内示が前年12月だから、当然である)ので、それをそのまま実行に移した。

 新潟大学事務本部の説明は以上である。

 以上の説明を信じる限り、「文科省が非常勤の削減を指示した事実はない」という文科省の回答は一種の二枚舌である。最初の内示で3割減を提示しているのだから、いったんは指示しているのだ。しかし結果として見れば、たしかに非常勤講師を雇うだけの予算を専任欠員分の人件費も出すという形で付けたわけだから、「非常勤講師を削減しなければならないような予算措置はとっていない」という言い訳は成り立つ。

 肝腎なことは、学会レベルでこうした文科省の政策や二枚舌をチェックして、弱い立場にある非常勤講師に「改革」のツケが回されることのないように発言をしていく姿勢をとることだと思う。

 また、首都圏はそれでも非常勤講師組合があるからいいが、地方都市の非常勤講師はそれすらなくてきわめて不安定な場所におかれている。専任ドイツ語教師が転向してアテにならない現実がある以上、首都圏の非常勤講師組合は地方都市の非常勤講師にも苦情や相談の手をさしのべていただきたい。無論、そもそも非常勤講師が弱い立場に立つ人たちである以上、この点で仕事をするべく迫られているのは、定職に就いているドイツ語教師であるはずなのだが。

 最後になったが、シンポジウムの席で貴重かつ率直なご意見を寄せられた三瓶慎一氏、志田慎氏、そして(本稿では触れる機会がなかったが)神谷善弘氏には心から感謝申し上げたい。

 

 

 注

(1) 2004年度第1期第二外国語履修者数は以下のとおり。(再履修専用コースと夜間主コースを除く。ただし新コースに再履修者が含まれている可能性はある。〔 〕は学部の入学定員)

 教育194380〕、法93180〕、経済305265〕、理28190〕、工30480〕、農8155〕、医10095―医学科のみ〕、歯350

 新潟大学平成16年度1年次定員は2180名(夜間主を除く)。

(2) シンポジウムの時点では明らかでなかった第2期の学生数は次のとおり。第2期だけのコースは、独・仏・露・中・朝・西・伊の合計で382名であった(1年生のみ)。第2期定員を57名上回る受講者数ではあるが、新潟大学の3分の1以上の学生が事実上第二外国語を履修せずに終わる事態に変わりはない。学部別では、事務の資料では2年生以上も含む数字しか分からないが、工学部は124名であり、仮に全員1年生だとしても第二外国語履修者は第1期と合わせて32%にとどまる。同じく理学部は46名で第1期と合わせて39%、教育は24名で第1期と合わせて57%である。

(3) この情報化社会論なる言い回しは、いわゆるITが行き渡る以前から唱えられていたが、しかしその内容はとなると実に曖昧模糊としており、しばしば空虚なユートピア思想めいた代物になりがちであることは、佐藤俊樹『ノイマンの夢・近代の欲望』(講談社、1996年)によって指摘されている。佐藤氏によれば、ノイマン型コンピュータ、つまり現在一般に流通しているタイプのコンピュータの基本的な機能からして、人間社会が根本的に変革されることなどあり得ないという。また、バブル崩壊後、米国の景気がいいのはIT革命が起こったからだという言説が一時期流通し、小泉内閣の経済担当大臣となった竹中平蔵氏も就任当初は「IT革命を起こせば日本の景気は回復する」と称していたが、当時からIT革命なる言い方には批判があったし(柳沢賢一郎+東谷暁『IT革命? そんなものはない』(洋泉社新書y、2000年)、その後ITバブルも崩壊し、IT不況などという言い方すらできてきて、魔法の言葉のように用いられた「情報」も昔日の面影を失っている。

 私が言いたいのは、新潟大学に対して文科省から押しつけられた新課程こそ、実に近視眼的で流行語に弱く短いスパンでしか物事を考えられないこのお役所の体質を如実に示している、ということなのである。

(4) 例えば、「授業にどの程度出席してますか」という設問に対し、他の2課程の学生は「ほとんど出席」が60%以上だが、情報文化課程学生は46%にとどまっているし、「卒業後の希望進路は?」という設問では、教員志望が行動課程で3,4%、地域文化課程で8,4%であるのに、情報文化課程は1,7%、大学院進学は他の2課程がいずれも13ないし14%であるのに、情報文化課程は4,5%と目立って少なくなっている。

 また、「授業の予習復習のために1日どのくらい時間をかけますか」という設問には、「まったくしない」と答えた者が他の2課程では14ないし15%だったのに対し、情報文化課程は18,9%、「1時間未満」という答が他の2課程では27ないし28%だったのに対し情報文化課程では35%となり、逆に「1時間以上」「2時間以上」「3時間以上」と数値が大きくなるにつれて情報文化課程学生の比率は他の2課程に対して低くなっていく。

 さらに、「新潟大学人文学部に入学した主たる理由は何ですか?」という設問では、「学びたいことを教えているから」という答が他の2課程で68ないし74%だったのに対し、情報文化課程では44,4%、一方、「将来の進路にとって有利」という答は、他の2課程が3ないし6%だったのに対し、情報文化課程は11,8%、「受験したら合格したから」が他の2課程で5ないし8%であるのに対し、情報文化課程は16,9%となっている。

 こうした結果について調査に当たった教員のコメントは、「情報文化課程の学生は他の2課程とやや異なる傾向を持っている。(…)学部選択の時点で課程の研究・教育内容が必ずしも重視されない傾向にある」となっており、さらに教授会報告の際には、口頭でではあるが「むしろ経済学部の学生に近いのでは」と評されていた。

(5) ただし最近になってまた多少出すようになったようだ。しかし教養部解体直後の、共通書籍が年間総額で100万円以上におよび最も資金繰りが苦しかった時期に知らん顔を決め込んでいた事実がそれで消えるわけではない。

 また、独法化された2004年度は研究費が激減したため、ドイツ語の教養教育経費は一部を非常勤講師文房具代とする(これは従来から)ほかは専任教員で均等割りと決まった。この時、均等割りする前に継続図書用に或る程度プールして欲しいと私が要請したが、賛成はF氏だけであり、B、C、E、G、I(本論7に登場)、J(補論2に登場)氏はこぞって反対した。ドイツ語教師の資質がうかがえる。

(6) 転向ドイツ語教師がなぜ転向したのか、の理由には色々考えられる。本論10で触れたように、もともとドイツ語教師という商売が昭和10年代から(団塊の世代と言われる)昭和20年代前半生まれの世代にとってはなりやすい職業だったことがあろう。要はドイツ語教師になる必然性のない人間が多数なってしまっていた、ということだ。また、そもそも日本人は自我が弱く、お上の言いなりになりやすい性格だから、とも言えよう。

 ただ、個別的な要因もある。G氏の場合、昭和40年代に新潟大教養部に赴任した直後、当時の政治情勢に乗って造反教師となっていたという経緯がある。私の直接知らない時代のことでもあり詳述は控えるが、長らくG氏は教養部教授会に出ていなかったし、出るようになってからも一度助教授昇任を否決されている。教養部解体で人文学部に配置換えになったとき、恐らく氏は「やり直せる」という心理状態に陥ったのではないか。教養部時代に造反教師として生きた反動が、人文学部の(文科省から押しつけられた)新講座のために粉骨砕身するという姿勢につながったのだと思われる。例えば、1年生向けの人文教養演習という授業で、氏は自分の所属する情報文化課程の学生をまず優先してとる、ということをやっていた。この授業は本来、課程に関係なく学生と一緒に本を読むという趣旨なので、これはルール違反である。つまり、氏はそれほど「自分の課程の学生」を教育したいという情熱に駆られていたわけである。もともと左翼アジテーター的な体質だから、学生に影響を与えたい、という欲求が強い。そうした体質は「転向」しても変化しないのだと思う。

 一方、E氏について言えば、その現実主義的な体質が挙げられる。文科省から押しつけられた課程のためにゲルマニストを辞めドイツ語に敵対したという点では同じでも、その姿勢はかなり異なっている。G氏がとにかく新課程を信じ切って(或いは信じたいと思って)いたのに対し、E氏は急造の新課程が長持ちするとは考えていなかったふしがある。E氏が新課程のために邁進したのは、信じたからではなく、目の前にある現実に対応するという資質のためだろう。言い換えれば、E氏は仮にヒトラーが復活すれば忠誠を誓うだろうし、誰であれ目の前にいる権力者には(信ぜずとも)逆らわない、という体質を持つ。私の記憶の範囲では、氏は教養部・人文学部時代を通じて教授会で自分の意見を開陳したことがない。表向きの理念によってではなく、「ルーネン」言論弾圧事件でのように、徹底して裏で動く人なのである。これは氏が内務係としては比類ない資質の持ち主であることと矛盾しない。例えば教養部解体後、文科省から押しつけられた新講座の講座主任として氏は長らく務めているが、これは氏が利益調整型の体質を持つからだ。日本では、体制が安定している限り、自分なりの信念を持たない人間が政治システムの長になる。特定の価値観に肩入れせず多数の人間の利害調整をするのに長けた人物が待望されるのだ。自民党政治がその典型だろう。竹下登のような押し出しが弱く風采の上がらない人や鈴木善幸のような行司役と言われた人が首相になるのも、そのためである。ただし、内務係は外務には無能である。金丸信のようなタイプがいつの間にか自民党の重鎮となり、党内の利害調整と同じ感覚で北朝鮮に赴いて国交回復を図ろうとして失敗したことなどは、日本的な政治(大学改革も政治のうち!)の特質と欠陥を示したものとして興味深い。実際、E氏は教養部解体末期に、会議を開くことなく教養部語学科として大学幹部への要望をまとめて提出した。これが受け入れられていればともかく、実際には受け入れられず、E氏の独走は失敗に終わった。本来ならこの時点でE氏は責任を問われて主要ポストから降りるべきだったが、内務係としての有能性のために生き延び、B氏とのコンビで語学教育「改革」の場に居座り続けている。そして第二外国語教育は後退の一途をたどっているが、私以外の誰もその責任を問おうとしない。内務係が外務係として無能であることに目を向けない日本人全般の体質によって、E氏のような転向ドイツ語教師が第二外国語教育「改革」の場に居座るという摩訶不思議な事態が生じたのである。

(7) ちなみに、ここでの手続き無視について、後日の会議の際、F氏から「ドイツ語の会議は開かれたはずだ」という発言があったが、これはF氏の完全な記憶違いである。必修を外すという決定は1996年の末頃に(ドイツ語内での会議は開かずB氏とE氏の独断で)なされているが、この時F氏はドイツ留学中で不在であった。ついで、これを受ける形で「言語文化基礎講義」導入を議論する会議が97年6月に開かれている。これは人文学部第二外国語担当者全員を集めての会議であり、個別外国語ごと(ドイツ語だけ、フランス語だけ)の会議ではない。F氏はその時は帰国していたが、この会議には欠席した。私は、これ以前に「言語文化講義」について意見を表明する場がなかったから、ここに出席して徹底的な反対をした。中国語も反対であった。F氏がこの時欠席したのは、推測だが、別に議論する場があったのだろうと思う。「ルーネン」か、或いは私を意図的にはずした私的な会議か、いずれかであろう。ともかく、公式の会議ではない以上、いくら「議論」をしても無効であることは明らかだ。

(8) 2002年秋の独文学会については、さらに2点付け足しておこう。

 まず、彼らがこの時開いたシンポである。これは新潟大学の語学教育「改革」に関するもので、パネリストにはB氏、C氏、E氏、F氏、I氏が名を連ねていた。このシンポでは、私も一般会員の形で出席して内部の人間の立場から批判的な意見を述べるつもりであった。実際、私はこの学会の時はシンポ・一般発表の司会者の仕事はまったく割り当てられておらず(当時のプログラムをお持ちの方は確認できると思うが、プログラムには私の名はいかなるところにも記載されていない)、当該シンポの時間帯にも特に予定はなかった。ところがである。その前日に、B氏から、予定した一般発表司会者が他の用事で出られなくなったので代わりにやってほしいと頼まれた。そう言われれば開催担当地区の人間として断るわけにはいかない。そしてこの司会の仕事は、問題のシンポと同一時間帯だったのである。これは偶然だろうか? そうかも知れないが、作為かも知れない。とにかくそういうことが起こった、という事実を記しておく。

 もう一つは、この学会後しばらくたってからの出来事である。別件で用事があって、県内在住だが新潟大勤務ではない独文学会員に電話した。その方は用件が済んだ後、学会の運営について不満を漏らした。この学会は新潟地区で引き受けたのであって、新潟大学で引き受けたのではない、なのに自分にあらかじめ何の相談もなく新潟大学の人間だけで勝手に司会などを決めたのは独断ではないか、というのである。言われてみれば確かにその通りである。私も最初の会議には参加していたから、責任の一端はあろう。だが本文に書いたように、この学会は最初の会議の後はB氏を初めとする仲間内で、会議で決めたことも勝手に変更するような形で運営していたのが実態なのである。彼らの手続き感覚の欠如が、語学教育「改革」だけにとどまらない一例である。

(9) この点については以下を参照。『nemo』第7号(2000年4月、新潟大学三浦淳研究室発行)所収 「新潟大学広報委員会委員は日本語が読めない――新潟大学学報と 『大学改革』 のデタラメぶりについて――」 

 Webサイト「新潟大学三浦淳研究室」の「ドイツとドイツ語に関するページ」の中の「新潟大学広報委員会委員は日本語が読めない――または「語学教育改革」のデタラメ」を参照。 http://miura.k-server.org/newpage169.htm

 C氏が学報に載せた文章は下記の通り。 

 《―言語に関する教育研究を主とする学部は人文学部である。人文学部が考案した新しい設計思想に基づく外国語教育がいよいよ来春から始まろうとしている。それは全国に類を見ないものだ。―〔前振り部分の太字は原文ママ――引用者注〕

 世をあげて規制緩和が叫ばれている。大学の太平の眠りを覚ます規制緩和は「設置基準の大綱化」という形で始まり、これを承けて全国でさまざまな改革の提案がなされ、また実行にうつされた。新潟大学も激震を免れず、多大の痛みをともないつつも、制度疲労にメスを入れ、実効の上がらなくなった従来の教育制度の見直しを図っている。

 外国語教育の見直しもそのひとつである。読めない、書けない、話せない外国語教育にたいする批判は、大学批判の有力な材料になっている。本学の場合、初修外国語ではかつて平均80人を超えるクラス規模であった。専任教官でいえば高々数十人、それが毎年入学してくる2000人を超える学生を相手にしていたのである。批判にさらされた教官達は学生の学習意欲を維持しようと、教材や教授法の工夫改善に努めた。外国語修得は、目に見える成果が期待されるという意味で、「お稽古ごと」と似たところがある。しかし80人相手の「お稽古ごと」はそもそも成り立つであろうか。必修の枠があったため、そう問うことは許されなかった。教官も学生も八方ふさがりだったのである。

 全学一律の必修を見直そう、外国語教育にも規制緩和を、という認識はこうして生まれた。改革は、平成五年度に実現した「少人数クラス制」以来、段階的に少しずつ形を整え、来春にはついに全国初の試み、外国語の「複層教育」が始まろうとしている。習いたい外国語を習いたいだけ習える(重点学習)。選択したいときは各国語の情報を得たうえで自分の関心に合いそうな言語が選べる(言語文化基礎講義)。学習効果のわかる質の高い教育が受けられる (集中コース)。このような当たり前のことが今実現しつつある。役に立たない外国語という批判の前に今なお立ち往生している大学もあると聞く。幸い新潟大学は外国語教育に関しても先陣をきることができた。単位を強要する従来の悪平等の「一律強制教育」から、自由な「複層的教育」へ外国語教育は大きな転機をむかえている。》

 これに対して、私が広報委員会に送った書簡は下記の通りである。

 《***先生

    1998年1月28日  人文学部 三浦 淳

 新潟大学広報委員会の第二部会長をされている先生に、以下の件で申し入れを行いたく、筆をとりました。

 広報委員会第二部会は学報の発行に携わっていますが、新潟大学学報617号に人文学部・C氏の「外国語教育の新しい設計思想」が掲載されております。

 この文章は、外国語教育に関する諸問題をいっさい顧慮せず、独断と偏見に満ち、新潟大学の語学教育の実態を歪んで伝えるものと言わざるを得ません。

 したがって、この木村氏の文章に対する同封の反論を学報に掲載していただきたく、お願いするものです。これは新潟大学の教養教育に関わる重大な事項であり、個人的な意見の相違といったレベルの事柄ではありません。

 以上、はなはだ勝手ながらよろしくお願いいたします。

 (同封した反論文)

 学報617号のC氏の文章を批判する

 学報617号の「教育研究情報」に、人文学部・C氏の「外国語教育の新しい設計思想」が掲載された。その内容には到底承伏しかねるので、ここに批判の一文を草するものである。

 まず最初の太字で印刷されている文章に、「言語に関する教育研究を主とする学部は人文学部である」とある。しかし数年前の教養部解体にともなう改組の際の旧・人文学部の態度を記憶する者なら、「それは嘘でしょう」と言うであろう。人文学部は教養部語学系の提案した言語課程を拒み、言語課程は人文学部にふさわしくないと言い続けたからだ。 そして改組後も単独で教養外国語の責任学部となることを回避したのである。

 過去のことはその程度にして実質的な批判に移ろう。C氏は文の締めくくりで、選択制の新システムを紹介した後、「単位を強要する従来の悪平等の『一律強制教育』から、自由な『複層的教育』へ外国語教育は大きな転機を迎えている」と述べている。なるほど、新システムがそれほど素晴らしいなら、人文学部自身がまっさきに採用するのだな、と氏の文章を読んだ人は誰もが思うであろう。ところが実際はどうか。このシステムを、「言語に関する教育研究を主とする学部」であるはずの人文学部は採用しないのである。採用するのは理系学部だけだ。そして、これが悪質なところだが、そのことにC氏はいっさい言及していないのだ。

 なぜ人文学部は新システムを採用しないのか。理由は簡単である。それが学生の語学力養成に役立たないことが明瞭だからだ。特に「言語文化基礎講義」なるものは、実際に語学をやらずに単位だけはとれるという安易な代物で、教師の側としても大人数で講義ができるからコマ数負担減になるという狙いで作られたに過ぎない。

 要するに語学教育からの撤退である。そしてこれを理系学生にとらせ、しかし自学部の学生には「一律」の必修制を課す、というのが人文学部の二枚舌的な身ぶりなのである。 他学部の教養語学教育はどうでもいい、しかし自学部学生の語学力は確保しなければ、というのだ。 肝腎な部分を抜かした木村氏の文章は、そうした人文学部語学系教員の意図を覆い隠すためにこそ書かれたのだと言っていい。

 「少人数クラス制」や集中コースについても、その効果を過大に見るべきではない。 これはすでに5年前に導入されているから、その成果はすでに問われる時期になっているが、ドイツ語に限って言えば大きな効果があったとは思われない。その指標となるのがドイツ語検定2級受験者の数である。3・4級は基礎的な語学力で合格するので従来の教養語学でも受験可能だが、2級はハイレベルなので「目に見える成果」を測るには格好の物差しである。ところが新潟の2級受験者数は、ここ3年間を見ると、札幌・仙台・広島・福岡といった地方制令指定都市はもとより、金沢・岡山・熊本といった同規模のどの都市と比較しても少ないのである。「学習効果のわかる質の高い教育」の「先陣をきった」結果がどの程度のものかは一目瞭然である。ただし私は集中制の意義を全否定するものではない。ある程度の効果は認めるが過大な評価は不当だと言いたいだけである。

 そして何より、集中コースの陰で一般コースがないがしろにされたり、集中コースから人文学部以外の文系学生が追い出されたりといったマイナスの現象が少なからず起こっているのだ。紙数もないのでつづめて言うが、語学のようにつらい授業を「自由」の名のもとに選択制にするのは百害あるのみである。何より人文学部自身がそうしているように、「悪平等」の必修制こそが学生の学力を維持することを教育者は肝に銘じるべきであろう。》

(10) したがって、この時点では理工系の学生は第2外国語習得が4コースとなった。

1)言語文化基礎講義だけで済ませる。

2)言語文化基礎講義を聴いた後、半年週2回の授業を受ける。

3)言語文化基礎はとらず、週2回1年間のコースをとる。(従来と同じ)

4)言語文化基礎はとらず、週3回1年間の集中コースをとる。(従来より週1コマ、2単位分多い)

(11) 中国語はこの時点では集中コースを人文学部でしか開講していない。スペイン語は全学部普通コースのみ。なお集中の形態は外国語ごとに異なり、ロシア語と朝鮮語は週4回1年間、フランス語理工系向け集中は週4回半年間であった。

(12) Webサイト「新潟大学・三浦淳研究室」の「ドイツとドイツ語に関するページ」掲載の「壊滅に向かう新潟大学の第二外国語教育」所収「〔3〕『やる気があればできるようになる』イデオロギーを批判するために――または、新潟大学独文の大学院生はいかにドイツ語ができないか――または、教養教育と同様に学部教育も『形骸化』している」を参照のこと。 http://miura.k-server.org/newpage15.htm

(13) 苅谷剛彦『教育改革の幻想』(ちくま新書、2002年)75ページ以下,および163ページ以下。

(14) 新潟大学法学部は、教養部解体以降の一時期、学生の自主的な勉学意欲を信じて全面的に必修制度を撤廃した。総単位数だけ決めておいて、単位数を満たせば何をとっても良い、何なら全部教養科目でも他学部の単位でも構わない、という制度にした。その結果は言うまでもなく、数年後に手直しが行われた。私からすると新潟大学法学部教員の知性を疑わせるに足る暴挙であるが、ただ、自分の理論に忠実に振る舞ったのだから誠実である、と評することもできるかも知れない。

(15) 転向ドイツ語教師と視野狭ドイツ語教師が2002年秋の独文学会で行ったシンポが、独文叢書022としてまとめられている。『量から質へ――「新潟大方式」による外国語教育』であるが、そこにC氏が書いている「専門教育への貢献」こそ、この「改革」が人文学部独文教師のエゴの産物であることを物語っている。C氏は実に正直に次のように書いている。

 《週4回集中・定員30名少人数クラスの設置は、解体に瀕した専門課程のために進学予定者を担保する母集団の役割を果たしたのである。いわゆる’青田刈り’効果だが、コース存亡の危機に制度がこれほどの効果をあげようとは設置当初誰にも予想できないことだった。》

 つまり、昔は独文に来る学生がいなくて独文廃止も噂されるほどでしたが、ドイツ語集中コースを作ったら独文に来る学生が増えました、もうやめられません、ということなのである。彼らの行動原理は、これに尽きている。

 なお同叢書に載ったF氏の「集中ドイツ語とドイツ語教育の可能性」も、人文学部学生のみを相手にして満足しきった教師の顔が目に浮かぶ文章である。

(16) 私が2002年度末に人文学部学務委員会に出した提言は以下のとおり。

 《****学務委員長殿

 三浦淳@文コミです。

 以下のような私的提案をいたします。あくまで私的なもので、誰かと相談して作ったわけではありません。

 しかし現在の新潟大学はこの程度の認識も欠いたまま「改革」を盲目的に押し進めているわけであり、行き着く先は無学無教養の学生の量産にしかならないのではと危惧されます。

 ともかく、ご一読をお願いします。

 新潟大学における第二外国語教育に関する私的提言

                     2003年2月  三浦 淳

 1994年3月の教養部廃止以降、新潟大学の第二外国語(英語以外の外国語をこのように呼ぶこととする)教育は迷走を続けている。

 その解決のために以下のような私的提言を行う。

 1.大学は基礎教育が大事だということ

 最近とみに感じるのは、高校卒業まで学校で教わった学科目以外の知識を持たない学生が増えているということである。例えば私の学生時代(1970年代)には、大学で文学をやろうと思えば、中学高校時代に文学作品を自分である程度読んでおくのは当たり前のことであった。しかし最近ではこの種の「常識」は通用しない。

 その分、大学での基礎教育は必要性が増している。

 現在の文科省のようにやたらと大学院を増やすのは、こうした現実を見ない愚かな政策である。

 2.「やりたい者だけがやればよい」は学力低下への道である

  現在の新潟大学では、第二外国語教育に関してこういうイデオロギーが有力になりつつあるが、これは学力低下を誘発するだけである。

 選択科目が多くなると学力が低下することは、高校までの実態を見ても明瞭である。新大でも、「世界史」を古代しかやらずに入学してくる学生が多く、大学での授業が成立しない。世界史はたんに外国の歴史なのではなく、現代の国際社会を理解する上で不可欠の知識である。世界史を知らないということは、現代の国際社会も理解できない、ということなのだ。

 第二外国語についても同様の認識を持つことが肝要である。国際化が言われるなか、多文化主義を身をもって知るためには、英語以外の外国語も知っておかなくてはならない。

 また、大学で1、2年やっても達成度が低い、という声もあるが、語学は実用や達成度だけで評価されるべきものではない。例えば数学は大学の数学者並みのレベルまでやらないとやっても仕方がない、という理屈を言う人間がいようか?

 中学レベルであれ、高校レベルであれ、やればやっただけのことはあるのである。外国語も同様に考えるのが妥当であろう。

 ちなみに、達成度という点では、「専門教育」を最も多く受けているはずの新潟大学人文学部独文科大学院生のドイツ語力もかなり低いというのが実態である。私(三浦)が受け持ったなかには、初級文法も理解していない大学院生がいた。したがって、仮に達成度が低いからやらなくていい、というなら、新大の独文科も廃止しなくてはならないことになろう。

 学力低下には少子化を初め色々な原因が考えられるが、私の見るところ、2つの原因が大きいのではないか。

  (1) 国際化が言われながら、逆に日本語や日本現代文化(サブカルチャー)で年少期を過ごしてしまう傾向が高まっていること。これは日本が経済大国と言われるようになり、外国文化への希求度が低下しているから、つまり一種の大国病にかかっているからだろうと思う。

  (2) 公立中学の英語の時間数が減ったり、また内容的に会話重視の傾向が強まり、体系的に文法理解や読解力を鍛える傾向が薄れていること。

 アメリカのように、経済力だけでなく世界を制覇する政治力や軍事力を持ち、なおかつその使用言語が全世界的に通用する英語であるという国ならいざしらず、日本が大国病にかかるのは「身分不相応」なのであり、こうした傾向は国力低下に直結するしかない。

 また、現在の日本の教育体系のなかでは、英語以外の外国語を学習できる場は、事実上大学にしかない。

 こうした状況を考えるなら、教育者として第二外国語の維持に努めるのは当然のことと言えよう。 

 3.基礎教育の組織的保証を新潟大学が持たないということ

 教養部廃止に当たっては、「全学出動」なるスローガンが唱えられた。教養教育は全教員で負担しましょう、という、それ自体は美しい理念であった。

 しかしこれは、「誰にも責任がある」という言い方がしばしば「誰にも責任はない」に転化するのと同様、危険な理念でもあった。

 例えば、第二外国語でいえば、「全学出動」は実現したであろうか? 私(三浦)は教養部時代は週5ないし6コマのドイツ語授業を担当していたが、人文学部に移った現在、これが2コマに減じている。その分を誰か他の教員が担当しているのだろうか? 否である。

 そもそも第二外国語を教える能力をもつ専任教員が、旧教養部外国語科教員以外に新潟大学にどの程度いるのか疑問であり、また首都圏と違って、非常勤講師を雇おうにも人材がいないという新潟の特殊事情がある。

 その結果、「言語文化基礎」なる、名目上は語学教育だが実質的にはとてもそうは言えない講義科目を語学科目の代用に当てる、という奇妙なやり方でごまかしているわけである。しかも現在、この科目は理工系の学生だけを対象としている。つまり、しわ寄せを一手に引き受けている(?)のは理工系学生である。

 4.ではどうするか

 要するに、あらゆる教養科目を全教員が平等に負担する、という理念は非現実的である。と言って、昔のように語学だけ担当する教員を作れというのではない。

 第二外国語に関しては、その性質上、その授業を多めに担当する教員が必要であるとまず認識することである。

 次に、そのための組織的保証を行うこと。すなわち、ヨーロッパ文化講座と東洋文化講座(必要なら、他の講座を追加してもいいが)を第二外国語の責任部局とし、そこに他講座に比して多めの教員を配属すること。

 この講座の教員は、基本的に週4〜5コマの第二外国語授業を担当することとし、学部生や大学院生用の専門科目は合計2コマ程度とする。(ちなみに、こうした制度は、東大の駒場や、都立大が採用している。)

 このように、基礎教育科目(教養科目)と専門科目の担当コマ数を総合的に数え、そこから各講座の必要教員数を算出するという発想を身につけることである。

 付け加えるなら、現在の人文学部の専門講義科目(2種と3種)はその数が異常に多い。共用性を高めて、大幅に削減する必要がある。これによっても、教員が多くの基礎教育科目(教養科目)を担当できる道が開かれよう。

 5.さらに具体的には

 現在の人文学部情報文化課程は、そもそも独自の構想から生まれたのではなく、教養部廃止に当たって文科省から押しつけられたものである。また、私の見るところ、指向性の乏しい学生が多く、その実態は芳しいものではない。現在のように教員定員が減少するなかでは、講座の削減・再編成が避けられない以上、情報文化課程は廃止すべきであろう。

 文化コミュニケーション論講座はヨーロッパ文化講座と合併し(学生向けのコースで言うなら、文化コミュニケーション・コースは廃止)、情報メディア論は教員組織で言うと今も社会学と一緒であるが、学生用のコースも、社会情報論コースに一本化するのが妥当である。

 (以上は、文化コミュニケーション論講座の現行教員を全員機械的にヨーロッパ文化講座に移せということではない。人文学部全体の教員数配分にあたっての基本的な考え方を述べたものである。東洋文化講座への定員増の配慮も必要であろう。念のため。) 》

(17) 転向ドイツ語教師が文科省から押しつけられた講座にあって学生の「人気」に気を配ることには、すさまじいものがある。そもそも学問の体系が20歳前後の学生の好みと整合性を持つはずがないことは少し考えれば明らかであるのに、彼らは「人気=実力」という単純な図式をもって新講座の運営に当たっているようだ。サブカルチュアの「専門家」に転身することもそうだが、G氏は新講座に移ってまもなく或る会話の席で「学生が多く来る学科ほど有効性が高い」という意味の発言をしている。氏は学生時代に独文を選んだわけだが、恐らくその頃(昭和30年代後半)は独文は超人気学科だったのであろう。

 またE氏については、以下のような逸話を紹介しておこう。私が2003年度末にゼミの学生と酒席を設けたところ、学生同士で会話を始めた。「文コミ(文科省から押しつけられた文化コミュニケーション論講座のこと)でどの先生のゼミが一番楽だと思う?」「やっぱりE先生だよね。サブカルチュアについて適当におしゃべりしていれば良くて、最終レポートもない。すごく楽だわ」。私は黙って聞いていたが、この「最終レポートもない」というのにはちょっと驚いた。「人気の秘密」が分かるような気がした。

 なお、レーガン、サッチャーら新保守主義政治家の主導する「教育改革」下では階層分化が進み、その中にあってサブカルチュアが社会的に「中の下」の位置を割り当てられた人間の「個性」形成に使われる、という重要な指摘があるので、以下の書をご一読いただきたい。

 岩木秀夫『ゆとり教育から個性浪費社会へ』(ちくま新書、2004年)

(18) カレル・ヴァン・ウォルフレンの『日本/権力構造の謎』(早川書房、1990年)や『日本の知識人へ』(窓社、1995年)を参照のこと。

(19) 三島由紀夫「新知識人論」〔原文は旧字旧仮名〕、『三島由紀夫全集〔旧版〕』第34巻(新潮社、1976年)、343ページ以下。

(20) F氏は2002年度から人文学部学務委員長という要職に就いている。全学的な授業科目見直しの中で、人文学部では自学部生にのみ「あれもやらせたい、これもやらせたい」と新設科目をあてがい、他方で外国語科目を中心に他学部向け教養科目をないがしろにする動きが顕在化している。またこうした新設科目のために人文学部教員の授業負担は重くなる一方なのだ。ならば、講義系科目は大幅に削減して共用性を高め、他方で少人数の演習科目は堅持する、というのが人文学部にとって合理的な改革であるはずであり、それがまた第二外国語科目をなるべく他学部生に向けて多く開講するための手段ともなるはずだが、F氏は(難しい立場にあるので同情の余地は多々あるが)人文学部の「自学部生さえ良ければ」主義に染まるばかりで、元教養部教員の立場からの政策をいっかな打ち出そうとはしない。これもドイツ語教師の自我の弱さ、情けなさの一例ではあろう。

(21) J氏はかつて語学教員のための新紀要創刊に反対したことがある。新潟大学では教養部解体後、教養語学担当教員のための紀要『新潟大学言語文化研究』を創刊した。その仕事には私が当たったのだが、教養部語学教員が人文・法・経済に分かれたため、法・経に行った一部の語学教員から、人文学部に所属した教員には執筆権を与えるべきではない(語学教師の書く論文と整合性の高い紀要が人文学部にはもともとあるから)という意見が出た。しかし雑誌発行のための予算は法・経から出ているのではなく、あくまで全学の教養科目のための予算から出ているのだから、法・経の語学教員にだけ執筆権を与えるわけにはいかない。ただ、法・経の紀要は語学教師との整合性が薄いことには配慮して、法・経の語学教員を優先するという内規を設け、多少の反対は押し切る形で私は雑誌を創刊した。この時の反対者にJ氏も含まれていたのである。しかし私は自分の手柄話をしたいわけではない。この雑誌は、語学担当の非常勤講師にも開かれているということを言っておきたいのだ。専任教員はいずれにせよ所属学部が論文を印刷する配慮はしてくれる。しかし非常勤講師は違う。もしこの雑誌が創刊されなかったら、非常勤講師の人たちは貴重な発表の場を失っていただろう。J氏はそういうことが見えない人だったのである。転向ドイツ語教師が非常勤講師の立場に配慮しないのと共通している。

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