読書月録2007年

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西暦2007年に読んだ本をすべて公開するコーナー。 5段階評価と短評付き。

  評価は、★★★★★=名著です。 ★★★★=上出来。 ★★★=悪くない。 ★★=感心しない。 ★=駄本。  なお、☆は★の2分の1。

 

・伊藤剛 『マンガは変わる―“マンガ語り”から“マンガ論”へ』(青土社) 評価★★★ さきに 『テヅカ・イズ・デッド』 で斯界で話題を呼んだマンガ評論家が、ここしばらく雑誌などに書いた文章を集めたもの。 したがって内容的には雑多で、ポルノマンガの傾向だとか、やおいの基礎知識だとかの啓蒙的な (?) 文章から、マンガのコマ割りをめぐっていしかわじゅんを批判した、結構高度な内容のものまで、色々である。 『テヅカ・イズ・デッド』 と内容的に重複するところもあるようだが、まあ、今どきのマンガ界・マンガ評論界の様相を知るには悪くない本だと思う。 

・小林哲夫 『ニッポンの大学』(講談社現代新書)  評価★★★☆ 日本の大学を色々なランキングで比較した本。 実にさまざまな――各学問分野での比較から、女子アナ数や 『JJ』 表紙登場数まで――比較の仕方があるのには、感心してしまいます。 と同時に、世間で漠然と思われているような大学のランクというものがきわめて大ざっぱなもので、実際には物差しが非常にたくさんあるということも分かる。 わが新潟大学も登場しているが、国立大学の教員自校出身率の高さ――トップは言うまでもなく東大――でいうと16位、約45パーセントとなっていて、いわゆる旧六のなかでは最高であり、へえ、新潟大ってそんなに自校出身教員が多かったかなと首をかしげたが、これは多分、医学部や工学部・農学部あたりが元凶 (?) だろう。 それから新聞で逮捕されて名前が出た学生数の順位では17位で――ちなみに一位は東大、二位は京大だから偏差値と同じか(笑)――喜ぶべきか悲しむべきか微妙なところ。 なお、多少の疑問を書いておくと、授業の満足度で東大京大などの有力大学が軒並み低いというのは、学生の批判能力の高低という要素を導入して考えないと説明がつかないと思うな。

・斉藤貴男 『夕やけを見ていた男 評伝 梶原一騎』(新潮社) 評価★★★★ 13年近く前に出た本で――すでに文庫化されている――出た当時すぐ買ったもののツンドクとなっていた。 ちょっと必要があって読んでみたのだが、たいへん面白い本であった。 梶原一騎はいうまでもなく『巨人の星』や『あしたのジョー』『愛と誠』などのマンガ原作者として有名で、しかし晩年は暴力事件で逮捕されたりして、また作品自体が同時代の左翼系知識人からしばしば右翼的だと批判されたりしていたこともあって、当時は名声のわりには出版界でまともに扱われることが少なかったと思う。 斉藤貴男は、そうした出版界の雰囲気に棹さすことなく、あくまで梶原への共感をベースに、彼の生い立ち、仕事のしかた、文学コンプレックス、そして暴力的な体質と純情な心情が同居していた彼の複雑な性格を解き明かしている。 好著というべきであろう。

・村上春樹 『1973年のピンボール』(講談社文庫) 評価★★★ 同じく学生の卒論の関係で再読したもの。 最初に読んだのは多分15年以上前で、1983年9月第1刷・10月第2刷の文庫本の最後のページには鉛筆で100と書いてあるから、古本屋で100円で買ったわけだ。 村上春樹の小説としては最初に読んだ作品である。 その時は結構面白いと思ったのだが、だから村上春樹の他の作品もすぐに読んでみたかというとそういうことは全然なくて、『ノルウェイの森』 だとか 『羊をめぐる冒険』 だとかに手を伸ばしたのはここ数年のことである。 閑話休題。 『風の歌を聴け』 に比べると、文章表現や描写が上手になっているのがはっきり分かる。 だけど、くっきり印象に残るのはやはり後半のピンボールの下りですよね。 ここが実にいいわけだが、逆に言うと他のところはあまり印象に残らない。 これに限らず、村上春樹の小説って、読んでもあんまり残らないのだ。 すらすら読めて残らない、っていうと何かのキャッチフレーズみたいだけど、それがいいことなのか悪いことなのか、よく分からないところが、村上春樹の作家的特質なんだろうか。 

・村上春樹 『風の歌を聴け』(講談社文庫) 評価★★ 村上春樹の処女作だが、読むのは初めて。 指導学生が卒論で村上春樹を取り上げるというので読んでみたもの。 買ったのはしばらく前で、BOOKOFFで250円 (定価は税別381円) だったが、奥付によると2004年9月第1刷となっている。 しかし文庫化がそんなに遅かったはずはない。 私の持っている 『1973年のピンボール』 文庫本 (1983年発行。 上↑を参照) のカバー裏には、ちゃんと 「村上春樹作品」 としてこの小説のタイトルが載っているのだから。 要するに版を全面的な改めたからということなのだろうが、その場合はちゃんと 「改版第1刷」 と記すのが普通だろう。 ささいなことのようなけど、こういうところに出版社の姿勢が現れるのじゃないかと思うので、敢えて書いておく。 さて、肝心の作品だけど、なんかビールばっかり飲んでいる小説だなあ、というのが感想です。 時代設定が1970年なんだけど、あの時代に飲み屋でこんなにばかすかビールを飲める学生って、かなり裕福な家庭の出だと思うよ。 でも文中では、「鼠」 は金持ちの家の子息だけど、「僕」 はとりたててそうでもない、って設定なんですよね。 うーん・・・・・・。 まあそれはともかく、ビールばっかり飲んでいて、あんまり中身が濃くないような読後感でした。

・みつとみ俊郎 『オーケストラの秘密』(NHK生活人新書) 評価★★★ クラシックのオーケストラおよびその音楽の入門書である。 オーケストラの構成や指揮者・コンマスなどの役割、各楽器の特性、有名で親しみやすいオーケストラ曲などが紹介されている。 初心者でこれからクラシックのオーケストラ曲を聴いてみたいと思っている方にはお薦めである。 初心者だけでなく、私にしても、オーケストラ所属のライブラリアンやインスペクターがどういう仕事をするものなのかをこの本で初めて知り、なるほどなあと感心したりしたので、或る程度クラシック音楽を知っている人でも読んでみて損はないと思います。

・荒井一博 『学歴社会の法則 教育を経済学から見直す』(光文社新書) 評価★★★ 経済学者が経済学的な観点から教育を論じたもの。 タイトルから予想されるのとは違って学歴だけを論じているのではない。 英語教育だとか、最近日本でも大学に導入されている学生の授業評価だとか――これについては著者はきわめて否定的な見解。 私もだいたい同感――多方面に記述が及んでいる。 経済学から、ということになっているが、わりに常識的な線でものを言っており、例外は国立大の学費を私大並みに上げろと言っているところくらい。 でもこういう常識的な物言いってのが、最近の浮かれきっている日本の大学では貴重じゃないか、という気もする。

・G・E・レッシング(田邊玲子訳)『エミーリア・ガロッティ、ミス・サラ・サンプソン』(岩波文庫) 評価★★ ドイツの近代文学の始祖とも言うべきレッシングの代表的な戯曲2作を収めた本。 レッシングの作品はこのところ新本では入手困難になっていたし、廉価な文庫本で出たのはたいへん良いことだと思って、今期の新潟大の教養科目・西洋文学の講義で取り上げてみた。 実はこれらの作品自体は数年前にも取り上げたことがあり、その時は白水社から出ていた 『レッシング名作集』 からプリントして授業をやったのである。 今回は文庫だからということもあり学生に教科書として各1冊購入させたのであるが――うーん、田邊さん、ちょっと訳に問題があるんじゃないですか。 特に 『サンプソン』 のほう、分かりにくい箇所が目立ちますよ。 日本語に訳すときは、もっとくっきり、意味がよく取れるようにしないといけないし、原文の一文をそのまま訳文でも一文にするのではなく、長すぎる文章や副文なんかは適宜 「。」 を入れておかないといけないと思うのですが、若干その辺の配慮に欠けていると言わざるを得ないですね。

・手塚富雄 『一青年の思想の歩み』(講談社) 評価★★☆ 著者はすでに故人であるが、東大独文科教授を務めた人。 ドイツ文学の名訳者としても知られていた。 本書は、もともとは昭和26年に出版され、その後版元を変えながら出版され続けた。 私の持っているこの本は昭和41年に出たものである。 古本屋で手に入れたのは数年前――もしかしたら10年くらい前かもしれない――であるが、その後読もうとしたら書棚に見あたらず、最近やっと出てきたので読んでみた。 しかし期待とは少しく違った内容だった。 私の期待したのは明治36年に生まれ大正期に高等教育を受けドイツ文学者になった著者の若かりしころのさまざまな体験だとか、ドイツ文学を志した動機、独文科学生時代の思い出などなどであったのだが、一高生時代については悲恋の思い出や交友関係などが書かれていてそれなりに面白かったものの、それ以外は――タイトル通りというべきか――当時著者が抱いていた思想や時事問題に関する政治的な見解などが延々と展開されており、共産党シンパにも日本主義者にも距離を置いた著者の立場は伝わってくるが、あんまり面白いとは思えなかった。 まあ、当時はこういう観念性というか、真面目に政治的な見解を述べることが知識人の責務とされたわけではあり、そういう時代性は感じられるとは言えるけどねえ。

・山下史路(ふみじ) 『フィレンツェ貴族からの招待状』(文藝春秋) 評価★★★☆ 9年前に出た本で、買ったままツンドクになっていたが、今期の新潟大学人文学部の3・4年生向け演習で取り上げてみた。 ちなみに授業のテーマは 「貴族」 である。 著者は長らくフィレンツェに住んでいる日本女性。 たまたま社会人の合唱団体で知り合ったフィレンツェ貴族――第二次大戦後はイタリアでは貴族制度は廃止されているので、正確には貴族の末裔だが――と知り合い、そこから芋蔓式に貴族たちを紹介してもらってインタヴューをして一冊の本にまとめたもの。 フィレンツェ貴族には歴史に詳しい人物が多いこと、職業で言うとワイン作り、農業関係、銀行家などが目立つことが特に目を惹いた。 結局近代的な産業よりも、土地と結びついた性格を根強く保持しているということなんだろうか。 

・小島英煕 『ルーブル・美と権力の物語』(丸善ライブラリー) 評価★★★ 14年近く前に出た新書。 著者は日経記者。 いつだったか古本屋で買っておいたものを、ちょっと必要があって書棚から引っぱり出して読んでみた。 フランスのルーブル美術館の歴史をたどった本である。 もともとルーブルは王の宮殿だったので、いきおい、フランス王や貴族に関する記述が多く、厳密に美術館史を予想したこちらの期待をやや裏切るところもあるが、まあまあルーブルの歴史をたどることはできる本である。

・吉田秀和 『音楽の旅・絵の旅』(中央公論社) 評価★★★☆ 1979年刊の本だから、30年近く前ということになる。 すでに60代半ばに達した吉田秀和氏が奥様とともにヨーロッパを旅した記録である。 ただし時間順ではなく、どういうわけかカードをシャッフルするがごとくにあちこちに飛ぶ。 最大の目的はバイロイトでワーグナーの 『ニーベルングの指環』 を聴くことであるが、それ以外にも色々な音楽会に行ったり、美術館めぐりをしたり、好きなものを追いながらドイツ、ベルギー、英国などを旅する吉田氏の様子が興味深く伝わってくる。 またこの頃は英国ポンドが下落して日本人やヨーロッパの他国からの買物客がロンドンに殺到した時代でもあり、吉田夫人もロンドンで服を買ったところ、ホテルに帰ってよく見たらメイド・イン・ジャパンだった、という笑い話も入っている。 こういうゆったりした旅ができるのは羨ましいなとも思うが、他方、バイロイトでは何年も連続してワーグナーを聴きに来ているという日本人客に話しかけられた体験も記していて、お金とヒマを持つ日本人もそれなりにいるんだなあ、と感慨にふけってしまいまいた。

12月  ↑

・小山昌宏 『戦後 「日本マンガ」 論争史』(現代書館) 評価★★☆ タイトル通りの本である。 戦後あまりたたない時期の、石子順造と石子順によるマンガ家戦争責任論争に始まって、最近の 『テヅカ・イズ・デッド』 をめぐる論争まで、8つの論争を取り上げている。 文学論争に比べると文献が少ないマンガをめぐる論争を取り上げているので、資料的な価値はそれなりにあると思う。 私も教えられるところがあった。 ただ、著者の視点は時として自民党保守政治に対する教条的な批判に陥ったり (第3章)、マルクスやヘーゲルの芸術理論に長々と触れたりして(第6章)――そのくせ、日本のプロレタリア芸術論やソ連の芸術政策にはさっぱり触れていない――必ずしも読者から見て公正で説得力ある論述を展開しているとは思われない箇所もある。 特に第6章で権藤晋の左翼性が見えていないあたりには、ちょっと驚くしかない。 文章もところどころシンタクスがおかしい。

・神野志隆光(こうのし・たかみつ) 『複数の「古代」』(講談社現代新書) 評価★★★ 著者は日本古代文学専攻の東大教授。 ここでは主として、さまざまな出来事についての 『日本書紀』 と 『古事記』 の年代記述にズレがあることを取り上げつつも、歴史学者のようにいずれの記述が正しいかを論じようとするのではなく、古代にあっては年代の観念が一様ではなく、複数系統存在したのであり、それが結果として記紀の差となって現れているのだ、と論じている。 なかなか微妙で分かりにくい問題を扱っているが、問題意識としてはたしかにこういう視点はあり得るな、と思った。

・大東和重(おおひがし・かずしげ) 『文学の誕生 藤村から漱石へ』(講談社) 評価★★★★ 現在われわれが多少なりとも頭に入れている日本近代文学史。 しかしそれは当然ながら沢山の作家の中から 「これは文学 (者) として優れている」 という価値判断をした上で選択し作られたものだ。 しかし明治の頃からそうした判断が一様に働いていたのか、というと、そうではない。 文学の批評は時としてその軸をずらすこともあるからだ。 本書は明治期の文芸批評をていねいにたどることで、今日常識として受け取られている評価軸が最初からあったわけではなく、時間をかけて形成されていったものであること、そのなかで特権的に扱われる作家と振り落とされる文学者とが出てくる事情を、事細かに追っている。 昔、柄谷行人の 『日本近代文学の起源』 を読んだときのようなスリリングな面白さを感じた、と言っておこう。 ただし漱石の評価軸の変遷については、副題に漱石の名がある以上、もう少し丁寧な説明が欲しかった。  

・渡部潤一 『新しい太陽系』(新潮新書) 評価★★★ 冥王星が惑星からはずされるなど、最近の天文学は以前とかなり様変わりしている。 この本は国立天文台に勤務する学者が、最新の天文学的知識に基づいて、太陽系の惑星・衛星などについて解説したもの。 私も小学生の頃に天文学の図鑑を愛読した人間だが、あの頃は冥王星は地球と同じくらいの大きさ、とされていた。 それが今では月より小さいことが判明しているのだから、天文学の 「常識」 もずいぶん変転を遂げたものだと思う。 多少なりとも宇宙や星に興味のある人なら、楽しんで読める本である。

・鈴木淳史 『萌えるクラシック なぜわたしは彼らにハマるのか』(洋泉社新書y) 評価★★☆ 昨年7月に出た新書を船橋のBOOKOFFにて半額購入。 脱力系クラシック評論家 (?) である著者が、「萌える」 演奏家について語った本。 アーノンクールやチェリビダッケという有名どころから、こちらが名前も知らなかった演奏家まで、各種を取りそろえている。 書き方はいつもの調子だけど、この人の本、何冊も読んでいるとやはり多少飽きがきますね。 

・飯塚信雄 『ロココの女王 ポンパドゥール侯爵夫人』(文化出版局) 評価★★★★ 1980年に出た本だが、今回演習で取り上げて学生と一緒に読んでみた。 ルイ15世の愛妾でロココを代表すると言われるこの女性について詳しく、しかも分かりやすく書かれた本である。 もっとも書かれて25年以上たっているからこの分野の学問的最前線から見てどうかは分からないけれど、当時の消費第一の貴族文化のなかで、美貌と才覚を武器に王の信頼を勝ち得た女性が、様々な文化人に庇護を与えていた様が生き生きと記述されている。 曲線を旨としたロココ文化が、彼女の晩年(と言っても彼女は43歳で亡くなっている)には直線を活かした家具が登場して、時代の変わり目を迎えたことや、彼女に重用された画家ブーシェがルノワールに与えた影響はここ最近になってようやく美術史学者から指摘されるようになったことなど、多数の興味深い指摘もあり、勉強になりました。 

・紀田順一郎 『二十世紀を騒がせた本』(新潮社) 評価★★★☆ 14年前に出た本。 いつだったか古本屋で購入したものを最近やっと読んでみたが、内容は古びていない。 タイトル通り、オーウェル『一九八四年』、ヒトラー『わが闘争』 など二十世紀のベストセラーを解説・分析した本である。 私に特に面白かったのは、ルイセンコ 『農業生物学』 を論じたところである。 ルイセンコ学説というとソ連に都合のいいように生物学をねじ曲げたトンデモ説くらいの知識しかなかったが、ソ連内部のすさまじい権力闘争に利用されたこと、ルイセンコ自身も相当な権力欲の持ち主だったこと、日本でも民主主義科学者協会に属する科学者がこれを支持したこと、などなど色々考えさせられる内容だった。 民主主義科学者協会は今もあるみたいだけど、過去のこういう過ちをちゃんと総括していないようだし、そういう連中が改憲反対などと叫び続けているのを見ると、いわゆる 「戦争犯罪人」 も左翼系科学者も、実は同じ穴のムジナだと分かってくる。 このほか、ミッチェル 『風と共に去りぬ』、ソルジェニーツィン『イワン・デニーソヴィチの一日』、ラシュディ 『悪魔の詩』 などに関する記述も面白かった。 

・中西輝政 『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP新書) 評価★★★ 国際化時代の現代、戦後左翼系知識人によってばらまかれてきた価値観ではなく、あくまで日本独自の視点によって物事を認識していくべきことを説いた本。 というと右翼かと短絡する人もいるだろうが、最新の学問的成果によっていままで常識と捉えられてきた見方が揺らいでいることを多方面に渡って指摘していて、それなりに面白い。 例えば本当の歴史が見えてくるのには60年くらいかかる、なぜなら重要史料がそのくらいたたないと公開されないから、と述べて、ここ10年ほどで第二次大戦戦勝国側の重要な史料が公開され始めていること、またソ連崩壊によってソ連の史料が公開されてきており、ただし最近のプーチン政権になってまた制限されてきているが、エリツィン時代には英米の研究者はこういう史料をお金とエネルギーを投じて収集していたのに、日本の学者はさっぱりだった、とするところなど、いかに日本人学者がダメであるかをうかがわせて興味深いし、その公開史料をもとに、アメリカCIAの前身だったOSSが実は左翼のフランクフルト学派の巣窟だった実態を明らかにしたところなど、いくつも 「なるほど」 と思わされる箇所がある。 タイトルだけ見ると一般人向けの啓蒙書のように思えるが、高度な内容を分かりやすく説いているところがいい。

・浅見雅男 『闘う皇族 ある宮家の三代』(角川書店) 評価★★★☆ 2年前に出た本だが、東京の書店で見つけて、面白そうなのでその場で購入し帰りの新幹線の中で読みふけってしまった。 話は大正時代、宮中某重大事件から始まる。 某重大事件とは、皇太子時代の昭和天皇と、のちに皇后となる女性との間に婚約が成立したにもかかわらず、婚約者の家系には色盲の遺伝があるという理由から婚約を破棄させようという意見が出て、それを支持する側とあくまで婚約は有効だとする側の対立が先鋭化した事件を指す。 著者はこの事件について膨大な資料をもとに事細かに跡づける。 そしてさらに、その直後に類似した別の事件が宮家に起こったことをも詳述し、そこから、明治以降の皇族のあり方に迫っていく。 江戸時代にあっては皇族は必ずしも重みを持った存在ではなかったのが、明治以降になって数が増え、場合によっては政治的な発言権をも持とうとする人も出てくるというところを証明しようとしたわけで、よくここまで調べましたね、と言いたくなること請け合いの書物。 

・山内昌之 『歴史学の名著30』(ちくま新書) 評価★★★★☆ タイトル通り歴史学の名著30冊を紹介した本だが、内容はきわめて豊富で示唆に富んでいる。 まず、時代的にヘロドトスや史記などの古代から始まってチャーチル、トインビー、そしてアナール学派のブローデルにまで至る幅の広さ。 なおかつ地域的にも、日本の新井白石や内藤湖南があるかと思えば、ブルクハルトやホイジンガといった西洋の史家、さらには中国、朝鮮、そして著者の専門であるイスラムなど、ありとあらゆる地域をカバーしている。 内容の紹介も要点を押さえており分かりやすくて参考になるし、何より 「へえ、こんな本があったの?」 と啓発されるところが多々ある。 歴史家とはいえ、こんなに幅広い歴史書を読んでいる著者には脱帽あるのみである。

・斉藤信哉 『ピアノはなぜ黒いのか』(幻冬舎新書) 評価★★★☆ なかなかうまいタイトルだし、また内容に密接な関連を持っている。 著者はピアノの調律師で、ピアノ販売もしており、その経験をもとに、ピアノの製造法において日本とヨーロッパがどう違うかを分かりやすく説明するとともに、ピアノの歴史や調律の勘どころ、ピアノの特質などについての色々な話を興味深く展開している。 日本人にもなじみ深い楽器となったはずのピアノだが、実は案外その本質や内実は知られていないし、ピアノの先生も分かってない人が多いそうだ。 面白くて為になる、と評したい本である。

11月  ↑

・E・T・A・ホフマン(秋山六郎兵衛訳) 『牡猫ムルの人生観(下)』(岩波文庫) 評価★★ 上巻に比べると面白さに劣っている。 つまり、ムルの書いた部分はかなり材料に乏しくなって盗作に終始しているし (作中の編集者自身が盗作を指摘している)、クライスラーに関する部分は、ホフマン特有の謎をちりばめた筋書きだが、文章がまどろっこしくて分量の割りには内容が乏しく、なおかつ中途半端な形で終わっており、読者を満足させる力に薄い。 やっぱり、技法倒れの作品なんじゃないか、と思う。

・小谷野敦 『日本売春史 遊行女婦からソープランドまで』(新潮社) 評価★★★   かねてから 「遊女=聖なる存在」 論を批判している小谷野氏が、ついに (?) 売春史を書き下ろした (正確には雑誌連載に大幅な加筆訂正をほどこしたもの)。 しかしご本人も断っているが、歴史学者ではない小谷野氏のことで、史料を自分で読み込んでの売春史ではなく、先行研究を多数読んで、その内容を批判的に吟味しつつ、日本の売春史をたどったものである。 先行研究の不十分なところへの言及はそれなりに面白い。 ただ、「売春史」 として読むと、著者自身断っているように一口で売春婦といっても地域や相手の身分などによって境遇は大きく違っているのであり、ひとまとめにできないし、必ずしも史料が残っておらずしたがって歴史学の研究でも取り上げられていない部分もあるわけで、それを意識しながらの記述は学問的ではあるが、あまり読みやすい、或いは面白い、とは言いかねるところもある。 ただし、こういう対象を扱うのは大変なのだ、ということを知るには悪くない本だと思う。

・水月昭道 (みづき・しょうどう) 『高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」 としての大学院』(光文社新書) 評価★★ 最近の大学院拡充政策のせいで、大学院博士課程を単位取得満期退学、もしくは修了(博士号取得) しても、専門職につけない人が激増している。 著者もそういう人の一人で、無責任な大学院拡充政策や、就職の見込みもないのに大学院に進学するよう勧めるいい加減な大学教授を批判し、高学歴ワーキングプアの悲惨な生活ぶりを訴えている。 まず、大前提となっている大学院拡充政策が失敗であり、また進学を勧める教授も無責任だ、という著者の主張自体には私は同意する。 ただ、書かれていることを読むと必ずしも頷けない部分も多いのである。 大学院生の増加は必然的に質の低下をもたらすわけだが、著者はなぜかそれを頑強に否定する。 また、三流大学を出て外国の大学に留学し博士号をとって帰ってきた教え子に対してその大学の教授――彼ら自身はその大学出身ではない――が冷たいと非難しているが、自学に帰ることを前提にして話を進めるのはいかがなものだろうか。 本当に博士号や自分の実力に自信があるなら、出身大学に帰らずに他流試合に出て行くべきだろう。 最近は、過去に自学出身者ばかり採用していたことを反省している大学も多いのだし、自学出身者を取ればコネと批判される危険性だってある。 加えて、学生が卒論を書くとき合宿みたいにみんなが集まり、教授が朝から晩まで学生の卒論指導に打ち込んでいる大学をほめているのだが、私から言わせれば、それは甘やかしである。 教授に相談したり指導を受けるのはよいが、卒論なんてのは基本的に自分で書くものである。 仲間がいないと、また先生がそばにいないと書けません、なんてのは4流大学の証拠である。 そんな大学をほめてはいけません。 

・米沢嘉博 『戦後少女マンガ史』(ちくま文庫) 評価★★★★☆ 1980年に出た本の文庫化だそうであるが、私は今回の文庫化で初めてこの本の存在を知った。 最近はサブカルも大学での研究対象・卒論対象となっていて、私のいるところでも卒論に少女マンガを取り上げる学生が時々いるが、無理もないこととはいえ今どきの22歳くらいの学生に戦後間もない頃から始まった少女マンガの歴史が見えるはずもなく、また文献にいいものがないせいもあってか、昭和30年代に子供時代を過ごして当時を多少は知っている私からするととんでもない短絡的な理解をしていたりする。 また、いわゆる24年組のマンガ家が現れてから本格的に少女マンガが知識人に論じられるようになったためか、それ以前の作品やマンガ家については目配りがきわめて不十分になりがちだ。 本書が文庫という入手しやすい形で出版されたのはその意味でたいへん有意義なことだと思う。 何より、少女マンガというジャンルが立ち上がって24年組登場にいたるまでの過程を詳細にたどっているのがいい。 萩尾望都や竹宮惠子に言及がなされるのは、巻末年表を除くと約330ページあるこの本の200ページ目を過ぎてからなのである。 つまりそれほど少女マンガや少女マンガ家は豊饒であり多数に及んでいたのであって、橋本治や吉本隆明が注目するような芸術的なマンガが生まれたのも、「少女マンガなんて」 とバカにされながらもおびただしい少女によって読みつがれ多数のマンガ家によって書きつがれてきた 「低俗な」 マンガの沃野があればこそなのである。 著者は無論そういう事情を自覚しつつ、実に多種多様な作品や作家に言及し、手際よくまとめている。 労作という言葉がしらじらしく感じられるくらいの大労作である。 これで索引が付いていれば言うことなしだったと思う。 著者は1953年3月生まれで年度で数えると私と同年齢だが、昨秋惜しくも亡くなられたそうである。 合掌。 同じ著者の 『戦後SFマンガ史』『戦後ギャグマンガ史』 も早急な文庫化が望まれる。

・佐伯啓思+筒井清忠+中西輝政+吉田和男 『優雅なる衰退の世紀』(文芸春秋) 評価★★☆ 2000年に出た新・京都学派(?)による座談会集。 いつだったかBOOKOFFで半額で購入して、ツンドクになっていたのを何となく読んでみた。 日本の構造改革の行方、グローバル化、大学における教養の衰退などなどを語り合ったもの。 こういう形式の本だからかなり雑駁としていて、ああも言えればこうも言えるといった感じで、あまり勉強にはならなかった。 ユーロは2,3年で衰退するとか、大学が独法化されればカネが自由に使えるようになるからいいんじゃないかとか、今からすると噴飯もののことも言っており、まあ学者の予言力なんてこんなものだよな、と改めて思ってしまう。

・村松英子 『三島由紀夫 追想のうた』(阪急コミュニケーションズ) 評価★★★ フランス文学者・評論家で三島由紀夫と親交があった故・村松剛の妹で女優の村松英子が、三島由紀夫を回想した本。 三島は彼女を女優として育ててみたいと言っていたそうで、三島が芝居に情熱をかたむけたことは三島ファンなら誰でも知っているが、こういう形で育てられた女優の回想記が出るのは貴重だと思う。 小説はカネをかせげるが芝居は楽しみのためだけにやる (儲からない) という三島の述懐が興味深いし、女優として大成するために村松がやらされた様々な修練、家族との付き合い、やはり演劇界で活動した福田恆存との因縁など、多方面にわたって面白い本である。 三島ファンには見逃せない一冊だろう。

・諏訪哲二『学校のモンスター』(中公新書ラクレ) 評価★★☆ 私は諏訪哲二の教育論は基本的に支持しているのだが、すこし濫作ぎみなのではないか。 内容的に最近他の新書で出したものと重複が目立つ。 また 「シニフィエ」 と 「シニファン」 という用語を恣意的に使ったりしているところも、あまり感心しない。 金八先生批判も昔やったことの繰り返しである。 最近の速水敏彦や水谷修の言説を批判しているところはいいが、他の 「プロ教師の会」 のメンバーの実地での情報を入れるなどして、もう少し新しい内容を盛り込んで欲しいものだ。

・藤田達生 『秀吉神話をくつがえす』(講談社現代新書) 評価★★☆ タイトルから、『太閤記』 やそれに依拠したテレビドラマなどで一般にイメージされている秀吉像の虚構を学者の立場から批判した本なのかと思い購入したのだが、いささか予想とは異なる内容だった。 かなり専門的な本であり、秀吉の細かい行動を問題にして、他の学者の説をとりあげて史料を引用しながら批判したりしている。 この辺はシロウトからするとどちらが正しいのか判断できるわけがないので、新書ではなくせめて講談社選書メチエで出して欲しかったと言いたくなる。 著者によると秀吉を平和の創造者だとする歴史観が80年頃から専門家の間でも強くなっていて教科書でもそういう記述がなされているのだそうで、著者は秀吉の朝鮮出兵や国内政治のやり方をむしろ過酷な帝国主義者のそれとして批判しているのだが、私の漠然とした印象ではどちらもどちらなので、天下統一を果たす人間がおだやかな平和主義者であるわけはないし、かといって現在の視点で帝国主義的だと文句を言っても仕方がないだろうという気がする。 特に最後で明治以降の日本の軍国主義と秀吉を結びつけているあたりは、いくらなんでもちょっと昔の左翼風すぎて、日本史の学者ってやっぱりおかしいんじゃないか、と思えてくる。 著者は1958年生まれだが、団塊の世代と変わらないみたい。

・小谷野敦 『日本の有名一族 近代エスタブリッシュメントの系図集』(幻冬舎新書) 評価★★★ 小谷野氏が変わった本を出した。 政財界、文学界、学界、古典芸能界の血族・姻戚関係を明らかにして図入りで説明したものだ。 でも、本居宣長とか古典芸能界を別にすると、日本近代はやはり歴史が浅く、系図と言ってもそれほど 「連綿と続く」 という感じにはならないみたい。 はあ、あの人とこの人はこういうつながり方をしていたのか、という面白さはそれなりにあるけれど。

・エッカーマン (山下肇訳) 『ゲーテとの対話(上)』(岩波文庫) 評価★★★ ゲーテ晩年の生活と意見を、彼の忠実な記録者たるエッカーマンが書き残したとして有名な本。 怠慢な私は未読だったが、今回飛行機のなかで読んでみました。 それなりに面白いけど、巻をおく能わずというほどではなく、少し読むと眠くなってきて時差ボケを解消するのに好都合(笑)。 そういうわけで飛行機の中では読み終わらず、新潟に戻ってから読みついでやっと上巻を読了。 シラーとバイロンへの言及が目立つ。 私はゲーテの 『ファウスト』 は高く買うし、『若きウェルテルの悩み』 や 『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』 や 『親和力』 もそれなりのものだと思うけど、こういう箴言めいた本はあまり好きではない、というか、あまり読む気がしないのである。 でも年をとってから目を通す分には悪くない本だ。 若いうちにこういう本を読んで感心している奴がいるとしたら、大天才であるか、バカであるか、どちらかじゃないかと思うけど。  

10月  ↑

・亀山郁夫 『『カラマーゾフの兄弟』 続編を空想する』(光文社新書) 評価★★★☆ ドストエフスキー最後の長篇で畢生の大作であり、またそもそも小説というジャンルの中でも最高傑作との呼び声が高い 『カラマーゾフの兄弟』。 しかし実は残されたこの作品はドストエフスキーが構想した2部作の第1部で、彼が 『カラマーゾフの兄弟』 完成直後に急逝したため、第2部は書かれずに終わったということは、文学好きの人なら誰でも知っている。 そこで第2部はどういう作品になるはずだったのかを、最近この小説の新訳を出したロシア文学者の亀山氏が、諸家の研究やドストエフスキーの身近にいた人たちの発言をもとに、また自身の新訳作業中の読み込みなどをふまえて、そしてむろんタイトルにもあるように手がかりを越えた 「空想」 をも交えながら、考えてみた本である。 話の鍵は、アリョーシャが第2部でどう変貌するのか、そして 『カラマーゾフの兄弟』 に出てきた少年たちが第2部ではどういう役割を果たすのかということで、なるほど、ここまで (空想を含めてだけど) 予測ができるのかと感心もしたけれど、やはりドストエフスキーの小説を読むときのあの一種独特の興奮と、人物たちの異様なぶつかり合いから出てくる多元的な感触の世界は、こういう 「研究」 とは別物のような気がするなあ。

・E・T・A・ホフマン(秋山六郎兵衛訳)『牡猫ムルの人生観 (上)』(岩波文庫) 評価★★★ 漱石の 『吾輩は猫である』 にヒントを与えた作品として、また独文学の鬼才ホフマンの小説としてわりに有名な本だが、怠慢な私は今まで読んだことがなかった。 今回、東京行きの新幹線のなかで読んでみたら、最初の30ページくらいはまどろっこしくてかなり辛抱が要ったが、それを越えると、文章の饒舌さには少し違和感は残るけれど、自然に物語の中に入っていけた。 楽長クライスラーの執筆部分と、飼い猫ムルの自伝とが交互にあらわれてシュールな形式になっているところは文学史的に有名だが、率直なところムルの書いているところは、最初はともかく、だんだん面白みがなくなり、やはり人間界の異様な人物たちを追う物語の方が断然ホフマンらしい輝きを放っていると思う。

・大崎滋生 『文化としてのシンフォニー 〈1〉 18世紀から19世紀中頃まで』(平凡社) 評価★★★★ 2年半前に出た本を少し前に古本屋で定価の6割にて購入。 クラシックのオーケストラ演奏会ではメインに交響曲が演奏されることが多い。 つまりオーケストラ演奏の粋は交響曲だという常識が定着しているのだが、その交響曲が成立したのはいつどこでなのか、そしてどういう過程をへてオーケストラのメインは交響曲ということになっていったのか、それを学術的に解明・記述した本である。 従来の大ざっぱな音楽史だとハイドンが交響曲様式を作り上げベートーヴェンで楽曲の王としての地位が確立された、みたいな話になり、また一方で最近のドイツ中心音楽史批判派からすると、イタリアやフランスに比べると田舎だったドイツにはオペラよりも器楽曲が発達していたのでナショナリズムから交響曲中心主義史観をでっちあげたのだ、てな話になるわけであるが、もちろんどちらも物事を単純化しすぎているわけで、本書は地域ごとの音楽事情や流行の移り変わりなどに細かい目配りをしながら、なおかつ私なんぞは名前も知らないような作曲家に多数言及しながら、交響曲が生成していき、やがて大きな地位を占めるにいたるまでを明らかにしている。 また現在の学術水準では解明できていない部分や、大火災などで資料が消滅してしまっている部分にも触れながら、この難しい問題に光を当てている。 学術的だが、クラシックに興味のある人なら面白く読める本である。

・永田守弘 『官能小説の奥義』(集英社新書) 評価★★☆ 最近の新書戦争にはすさまじいものがあるけど、さすがにテーマは薄かったり複数の新書で似通っていたりする場合が目立つようだ。 そんな中で、なるほどこういうテーマもあったかと思わせるものにも時々出会うわけだが、これなんかはその一つではないか。 官能小説における性器の描写法や作中の男女関係などを分類していて、まあまあ面白いのだけれど、時代的な描写の変化はもう少し丁寧にたどってみてほしかった。 描写のどういう部分にエロスを感じるかは、人それぞれではあるが、時代性の束縛も相当にあるはずだから。 有名な 『チャタレイ夫人の恋人』 のその部分を引用したりしてある程度昔の作品にも目配りしているが、途中すっ飛ばしている部分が結構あるようだ。 活字の組み方もゆるゆるで、200ページ近いけど1時間かからずに読めちゃいました。

・さそうあきら 『神童 (全4巻)』(双葉社) 評価★★★ 映画の 『神童』 があまりにひどくてあきれ果てていたが、その原作のコミック4巻本をたまたま女房がピアノの教え子から借りたので、それを私がまた借りして読んでみた。 ちなみに女房のピアノの教え子は父親が読んだのを借りたのだそうで、その父親というのは私の同僚のM先生 (社会学) である。 閑話休題。 読んでみて、なんで映画がダメなのかが分かりました。 要するにマンガの筋書きの中からテキトーにシーンを抜き出してでっちあげた代物で、映画として完結した脚本を作ろうという意志を全然持ってなかったからなのだね。 原作マンガは4巻本あるから、その辺はきちんとしている。 ただし絵柄は私の好みではない。 しかしクラシック音楽を材料にしたコミックとしては 『のだめ』 よりは面白いと思う。 

・永畑道子 『華の乱』(新評論) 評価★★★ 映画の 『華の乱』 が面白かったので有島武郎や与謝野晶子関係の本を何冊か読んでいるが、これもその一冊。 20年前に出ているが、Amazonにて古本を格安購入。 ただし、タイトルは映画と同じだけど、これは映画のようなフィクションではなく、与謝野晶子が巻き込まれた大正期の女権論争をたどったノンフィクションである。 これを読むと、現代のフェミニズムで扱われている問題が大正期にすでに出尽くしていて、最近の論争はその蒸し返しに過ぎないことがよく分かる。 教えられるところも多かったが、著者の視点は時々片寄りを感じさせる。 例えば、「女性の完全な解放は共産制でなければあり得ない」 とする福田英子の主張に 「しごく当たり前の主張」 なんてコメントをつけちゃったりしている (132ページ)。 まあしかし、そういうところを割り引いても一読に値する本だと思う。

・ジョン・C・リリィ/フランシス・ジェフリー (中田周作訳) 『ジョン・C・リリィ 生涯を語る』(ちくま文庫) 評価★★★ イルカ高知能説を唱えて一時期世界中で有名になったマッド・サイエンティスト: ジョン・C・リリィの自伝。 リリィの説がトンデモであることについては、私は9年ほど前に論じる機会があった (こちらを参照) が、ちょっと必要があって4年前に邦訳が出たこの本を読んでみた。 こういう訳が出るのはありがたいことだが、すでに版元品切れになってしまっていて、やむを得ずAmazonから定価の2割り増しの価格で古本を買わねばならなかったのが業腹ではある。 文庫本とはいえ500ページ近い分厚さ。 しかし、なかなか面白かった。 リリィという人のトンデモぶりが改めてよく理解できたからだ。 宇宙には、宇宙を守ろうとするECCO (地球偶然制御局) と、鯨を初めとする地球の水生生物の絶滅を狙うSSI (固形状態知性体) があって争っている、なんてSFまがいのことを堂々と書き連ねているのだから、面白くないわけがないよね。 また、訳者・中田氏のあとがきが絶妙。 リリィのとりまき連中を見事に皮肉っている。 ふつう、訳者ってのは原著者の思想を持ち上げないといけないと思い込んでいるヤカラが多いものだが、中田氏はそういう奴隷的な思考とは無縁の人のようだ。

・米窪明美 『明治天皇の一日 皇室システムの伝統と現在』(新潮新書) 評価★★★☆ タイトル通り、明治天皇がふだんどのように一日を過ごしていたのかを分かりやすく説明した本である。 江戸からの伝統を受け継ぎ、他方では明治維新による欧米化の波をも受け入れつつ、公務と私生活を明治天皇がどんなふうにこなしていたのかが具体的に分かって面白い。 今の思考法とは根底的に異なる原理が働いていたわけだが、それにもそれなりの理由があったのだと納得できる。 そして大正天皇、昭和天皇と移るにしたがって、宮中も近代化され、中で働く人の数も激減していく。 特に昭和天皇時代にそれが著しく、必ずしも敗戦が近代化の契機ではなかったという指摘が興味深い。

・永畑道子 『夢のかけ橋 晶子と武郎有情』(新評論) 評価★★★☆ 22年前に出た本だが、下(↓)のような事情から興味を持ち、Amazonから格安で購入してみた。 与謝野晶子と有島武郎は同年生まれであるが、両者の間には一時期恋愛感情が生じていたということを、書簡や和歌から論証しようとしている。 私は有島の生涯については或る程度知っていたので、その部分は読み飛ばしたが、晶子についてはよく知らなかったので、その部分は面白く読んだ。 結局二人の恋情はあくまでプラトニックにとどまって終わったようだが、二人を知る親戚や友人知人を訪ねたりして資料の発掘にあたった著者の労を多としたい。 ちなみに晶子が有島のモテぶりを、「武郎さんは光源氏みたい」 と言った、という話が記憶に残る。

・安川定男 『悲劇の知識人 有島武郎』(新典社) 評価★★★ 最近、映画 『華の乱』 を見て、改めて有島武郎に興味を持ち、だいぶ前に古本屋で買っておいたこの本を通読してみた。 83年に出た本で、著者は国文学者で中央大教授。 私はもともと有島には興味があって、筑摩書房から出た全集も出始めた時から予約購入しており、しかし私の仙台時代に出始めたこの全集は途中から極端に出る間隔が開き始め、新潟に来てから数年かかってやっと完結する有様だった。 83年1月に出た本書では、「全集も今年中に完結予定」 となっている。 まあそれはともかく、有島武郎についてひととおりのことが分かる本である。有島への評価は戦前はあまり高くなく、戦後になってようやくそれなりのものになったというあたりは、へえそんなものかな、と思った。 あと、『生まれ出る悩み』 のモデルで有名な木田金次郎との付き合いで、有島が金銭的援助を申し出たのに木田が受け付けなかったので、有島は木田の素描の個展を東京で開いてやり、有島自身2点を30円で買い、売れた代金計200余円を木田に送ってやり、それで木田は油絵セット一式が買えた、というお話はいかにも有島らしいと感心した。 油絵を本格的にやれる人ってのは、お金持ちだったわけですよね。

9月  ↑

・佐藤健志 『本格保守宣言』(新潮新書) 評価★★★ 左翼がすっかり退潮し、保守ばやりの昨今だが、保守を思想史的に考えて、現代の日本の保守思想はどうあるべきかを論じた本。 前半、第5章までは思想史的な考察で、左翼急進主義に対する批判として保守主義が出てくること、しかし近代化が避けられない宿命である以上、保守主義といえども現状維持ばかり主張してはいられず、むしろ自由主義と結託したり、中進国以下では改革主義 (急進主義につながりかねない) と結んだりしながら存在するものであることを解説していて、悪くない。 そのあと、第6章で身体論になるあたりから急に面白さが減退し、第7章以下は現代政治への具体的な処方箋となるが、この辺はまあ常識の線を出ていない。 前半を読んでおけば足りるだろう。

・関楠生 『ドイツ文学者の蹉跌 ナチスの波にさらわれた教養人』(中央公論社) 評価★★★ 著者は1924年生まれのドイツ文学者。 この本は、ナチス時代に日本で仕事をしていた日本人ドイツ文学者が、その著書の中でドイツの作家をどのように評価しどのように叙述していたかを、ナチスが政権を取る前の時代に書かれたものと比較しつつ跡づけて、いかにドイツ文学者がナチス的な価値観に染め上げられていったかを明らかにしたものである。 取り上げられている主たる独文学者は、高橋健二、秋山六郎兵衛、石中象治、鼓常良などである。 外国文学者の他愛のなさみたいなものが浮かび上がってくる。 その意味では貴重な仕事だが、ただ、当時のナチス的な価値観を今の目で断罪しても必ずしも生産的ではないわけで、池田浩士の主張するように、いったんナチス的な価値観を追体験してみるといった幅の広さも必要ではないだろうか。 ナチス時代の作家には、たしかに浅薄で時代に迎合しただけの人間も多かったろうが、それだけでは済まない作家も存在したはずで、外国文学者としては、そうした時代と作家との理不尽な関係をも見つめる視点が求められよう。 ここでヘッセと共に反ナチスの代表作家として取り上げられるトーマス・マンにしても、単に反ナチスだけで論じられる時代はもうとうに終わっているのである。 著者の関氏は、1946年、つまり敗戦直後に東大独文を卒業しており、その意味では戦後的価値観を一身に背負って生きてきたのだろうが、そうした時代に規定された著者自身の視点の窮屈さみたいなものも多少感じられる書物ではある。  

・原武史 『滝山コミューン 一九七四』(講談社) 評価★★★☆ 著者は1962年生まれで、大正天皇や鉄道に関する本で知られる学者である。 この本は、その著者が現在の東京都東久留米市にあった滝山団地で送った小学生時代、そしてその団地の子供ちが通った小学校で、70年代に、一種の集団教育が左翼系教師によってなされた様を自分の記憶と様々な資料をもとにして描き出している。 吉本隆明や小熊英二や三浦展が説く 「政治の時代は72年頃で終わり、私生活の時代に入った」 というテーゼを著者は断固として否定する。 すなわち、まさにその頃から民青や全共闘の政治的な世代の青年が教師として学校に入り込み始めたからであり、著者はそうした教師の組織しようとする小学校教育に馴染めずに、ついにはそこから逃げ出して慶応中学に進学するからである。 しかし著者は結局慶応の自由な、しかしブルジョワ的な雰囲気にも馴染めず、大学はまた別のところを選んで進学することになる。 著者の記述は慎重かつ入念であり、一つの時代、一つの地域 (東京の西武新宿線沿線の団地) が見事に浮かび上がってくるが、同時に著者は同時代の首都圏に育った人間に訊いても自分とは異なった体験をしているとして、普遍化を戒めているのも良い。 ただし、論の進め方の中で国旗や国歌をやたら軍国主義日本やナチスと結びつけているのは単純すぎる。 英米などの 「民主主義国家」 に国旗や国歌はないとでもいうのだろうか?

・米原万里 『米原万里の「愛の法則」』(集英社新書) 評価★★★ 昨年なくなったロシア語通訳兼エッセイストの残した講演を本にしたもの。 講演なので肩が凝らないエッセイ集だと思って読めばよい。 内容的には首をかしげるところもある――例えばユダヤ人とアラブ人はどちらも 『旧約聖書』 を聖典にしている (85ページ) なんて書いてある!――が、英語さえ学んでいればよいとする風潮をいましめて、国際会議では同時通訳がつくが、欧米語は各国語同士ですぐ通訳がなされるのに、日本語だけはいったん英語に通訳したものが他の外国語に訳されるという理不尽さを指摘するところなど、なかなか有益な箇所もそれなりにある本である。  

・星野純子 『ゲーテ時代のジェンダーと文学』(鳥影社) 評価★★★★ 2年半前に出た専門書。 著者はドイツ文学者で大阪府立大教授。 タイトル通り、ゲーテ時代 (18世紀後半から19世紀初め頃) のドイツ語圏文学において女性がどのように扱われていたか、また女性が文学にどのように関わっていたかを様々な観点から説き明かしている。 全体は3部から成り、第1部ではゲーテの 『シュテラ』 や 『ウェルテル』 などの女性像を当時の思潮とのからみで分析。 第2部はゲーテの妹コルネリアの実像や、当時よく読まれた 『シュテルンハイム嬢物語』 とその作者であるゾフィー・フォン・ラロッシュ、および同時代のもう一人の女性作家ヘレーネ・ウンガーを扱う。 第3部では、やはりゲーテ時代の女性作家であり、また文豪シラーの妻の姉でもあったカロリーネ・フォン・ヴォルツォーゲン (実はシラーは独身時代この姉妹と知り合ってどちらと結婚するか迷ったという話があり、姉妹のほうでもどちらもシラーに惹かれていた) の作家活動と実人生を分析している。 今ではほとんど読まれない作品が多数出てきて興味深く、また分析も、ところどころややフェミニズム特有の一種パターン化された見方になってしまっている箇所もあるけれど、おおむね妥当でバランスの取れたものだと思う。 特に 『シュテルンハイム嬢物語』 にヴィーラントがつけた注とそれに対する著者の反応、および第3部全体が私には面白く読めた。 女性として文学に関わることが今よりはるかに困難で制限も多かった時代が、見事に浮かび上がってくる。 労作と評すべきであろう。 ただし第3部では、虚構に対して自己表現を掲げて時代や作家的資質の限界を言うだけでは少し足りないのではないか。 虚構を書かずにはいられない、というのは、女性の作家活動が自由になった現代においても見られることで、そこに人間の生理を看取すべきだと私は考えるからだ。 人間は 「自己表現」 によってのみ生きるにあらず。   

・樋口裕一 『笑えるクラシック――不真面目な名曲案内』 (幻冬舎新書)  評価★★★ クラシック音楽はマジメに聴くものだろうか? むしろ笑える曲が結構あるのでは、という趣旨の本。 例えばベートーヴェンの第九やラヴェルのボレロがそうだと著者は言う。 その辺の分析やリヒャルト・シュトラウスに対する見方はまあまあ面白いと思うけど、中程のオペラの部分は要するに喜劇の紹介で、まあそれでもオペラ案内として読む分にはそれなりのものだろうが、タイトルから期待されるほど意外な 「笑い」 が出てくるかというと、さほどでもない感じであった。

・梅森直之 (編著) 『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』(光文社新書) 評価★★★☆ 『想像の共同体』で著名な学者ベネディクト・アンダーソンが早大に招かれて、そこで行った講演の記録、それに招いた側の梅森教授が解説を付け、さらに講演会場での質疑応答を再録したもの。 マルクス主義の立場にたっていたアンダーソンが、しかし東南アジアで本来ありえないはずのマルクス主義国同士の戦争に際会してナショナリズムに興味を持ち研究を始めたという経緯や、ナショナリズム研究をフランスなどのヨーロッパに限定しがちな先進国の研究事情を述べた部分がなかなかに面白い一冊。 また質疑応答で、日本に歴史的な経緯の謝罪を求める中国を批判している箇所は、日本の左翼系知識人も参考にすべきだろう。 日本ではこういう発言をすると保守反動とか右翼呼ばわりされるが、そうではなく、一種の常識なのである。 というわけで悪くない本だが、梅森教授の解説部分は、いささか余計な感じがした。

・デービッド・カラハン(小林由香利訳) 『 「うそつき病」 がはびこるアメリカ』(NHK出版) 評価★★★★ 原著は2003年に、この邦訳は2004年に出ている。 私はたまたまBOOKOFFで見つけて買っておいたのを、3・4年向き演習で読んでみた。 ただし7月に入ってから読み始めたので全体の3分の2ほどしか読めず、残りは自分で読んでみたもの。 ネオリベラリズムが浸透し貧富の差が激しくなっているアメリカだが、その中で倫理意識の下落が目立っていると指摘した本である。 特に倫理の師表となるべき高額所得者に、自分さえ良ければという振る舞いが目立つという。 そういう人々の脱税などの犯罪を摘発しようにも、彼らは有能な弁護士や会計士などを雇って不正がばれないように複雑な操作をしているので、捜査側もなかなか核心に迫ることができず、また裁判でも摘発側が勝つのが難しくなっている。 これには、公務員抑制などにより警察検察税務署などの人員を増やさない政府の政策も与っているようだ。 結果どうなるかというと、捜査しやすい中低額所得者層の脱税のほうが摘発されやすくなり、二重に不公平になってしまう。 本書ではこうした例が多数挙げられており、それがアメリカ全体の倫理感の失墜を招いていると厳しく批判している。 教育における生徒や学生の不正にも一章がもうけられており、日本の大学関係者も一読すべきであろう。 なお、最後に解決策の提言もなされていて、決してペシミズムだけに終わっていないところが良い。

・武田良夫 『 「タバコは百害あって一利なし」 のウソ』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ タバコに対する風当たりが強くなるばかりの現代社会だが、タバコには本当に長所はないのか、タバコが寿命を縮めるというのは本当なのかを問題にした本。 一読、なかなか説得力を感じた。 まず、寿命を延ばす要素は何なのかという話。 ただひたすら健康に悪い要素を排除して医者に始終診てもらいながら窮屈に生きている場合と、医者のお世話にならずに健康にもあまり留意しないで大らかな気持ちで生きている場合――実はこれについては実際にそういう条件で実験・調査をしたところ、後者の方が長生き、という結果が出ているのである。 著者はここに、医学における還元主義の弊害を見る。 つまり、「これは健康に良くない」という風に色々なものを槍玉に挙げていって、その総和で人の健康をつかさどることができる、という思想は間違っているということだ。 多少健康に悪いことをやっていても、オレはやりたいことをやりながら自由に生きているんだ、という気持ちで生きた方が健康によい、ということ。 また、タバコをニコチン摂取という観点だけから見るのは誤りで、煙を出したり口に何かをくわえるという快感の視点から考えるべきだ、という指摘は目からウロコの印象であった。

・西尾幹二 『国家と謝罪』(徳間書店) 評価★★★★ 西尾氏の最新評論集。 歴史の見方、「つくる会」の内紛、そして最近の国際情勢について語っている。 この中で最も重要なのは国際情勢である。 左翼の衰退の中で、保守派は中国や北朝鮮を叩けば反応があるという状態が続いていた。 しかしそれもそろそろ終焉を迎えつつあると西尾氏は言う。 むしろアメリカと中国の接近が問題であって、最近の慰安婦問題での下院決議にしても歴史問題を利用した米中の接近を読みとるべきであり、そうした中でアメリカへの配慮ばかりを優先させている安倍総理や岡崎久彦などを厳しく批判している。 最後に、西洋史家・林健太郎への追悼の文章も収められている。

・内田洋子 『破産しない国イタリア』(平凡社新書) 評価★★★☆ 8年近く前に出た新書。 先月 『イタリア病の教訓』 を読んで、そういえばあんな新書が出てたっけと思い出し、ネット上の古本屋から取り寄せて読んでみた。 うーむ。 この本、『本当は恐いイタリア』 とかなんとか名付けたほうがよさそう。 各章ごとにイタリアの暗部をえぐりだすニュース記事風の物語がまずあって、そのあと具体的なデータを挙げるという構成をとっている。 学校教育のいい加減さだとか、お金がないとろくな病院にも入れないとか、南イタリアでは身代金目当ての誘拐が今でも多いとか、就職はコネがないと難しいとか、密入国はヨーロッパ一多いとか・・・・・・こういう話を読んでいると、イタリアに旅行に行くのまで恐くなってくる。 ワタシは1年前にイタリアに旅したけど、この本を読んでいたらやめていたかも・・・・・ 

8月  ↑

・ジャック・マイヨール 『海の人々からの遺産』(翔泳社) 評価★★ 8年前に出た本。 大きさはA5判だが、活字は少なく半分写真集みたいなもの。 写真は海中だとかイルカだとかに加え、南太平洋の島々やそこに住む人々をとらえている。 文章はマイヨールの海中文明幻想や、画家ゴーギャンに似た南洋文化への素朴な傾倒を語っている。

・大沼保昭 『「慰安婦問題」とは何だったのか メディア・NGO・政府の功罪』(中公新書) 評価★☆ 下(↓)の西岡氏の本とはまるで逆で、事実をきちんと検証することなく、慰安婦の強制連行はあったと決めつけて書かれたどうしようもない本である。 まあ、あると主張したいこと自体は結構だが、それなら 「なかった」 派の言い分を吟味して反論・反証なくてはならないはずだけど、そういう労は全然とっていないのだから、あきれ果ててしまう。 東大教授がこういう、学問的な検証をないがしろにしたまま本を出してしまうという事実が、今の日本では知性ではなく、ある種の党派性で学問世界が動いているということを証明している。 われわれはアメリカ人を笑うことはできない。 まず東大教授陣を、ちゃんとした学問的な検証能力のある人で埋める作業から始めないとどうしようもない――というとお笑い寄席みたいな感じだけど、そういう現実が日本にあることは知っておくべきでしょう。 

・西岡力 『よくわかる慰安婦問題』(草思社) 評価★★★☆ タイトル通りの本である。 先日アメリカの下院が不愉快な決議を行ったが、事実に基づかないこうした決議をやってしまうアメリカ人の傲慢さと無知は、何十年も前の歴史問題がいまなお政治的に利用されていることの証左であろう。 こうした状況の中では、何より事実をきちんと把握しておくことが大事である。 わけも分からず日本軍は何でも悪いと決めてかかるバカの仲間入りをしないためにも、こうした本を読んでおく必要があるのだ。

・小澤俊夫 『昔ばなしとは何か』(福武文庫) 評価★★★ 2年生向け演習で読んでみた本。 著者はグリム童話研究家として知られているが、日本の民話研究にも手を染めており、これは両者の比較などから民話の本質に迫ろうとした書物である。 ヨーロッパの民話研究の権威であるリューティの理論を紹介しながら、リューティの知らない日本の民話をも視野に入れて、独自の理論を構築しようとしている。 すごく面白いと言うほどではないが、教えられるところはそれなりにある。

・ピエール・マイヨール+パトリック・ムートン(岡田好恵訳) 『ジャック・マイヨール、イルカと海へ還る』(講談社) 評価★★★ 原題は"Jaques Mayol l'homme dauphin"(ジャック・マイヨール、イルカ人間) で、2001年12月にマイヨールが自殺した直後に、兄のピエール・マイヨールが海洋作家ムートンの助力を得て出したジャック・マイヨールの伝記である。 訳書は2003年12月に出ている。 身近にいた兄の立場から詳細に、しかし適度に距離を保って客観的に、マイヨールの生涯をたどっており、考えさせられるところがそれなりにある。 映画 『グラン・ブルー』 とマイヨールとの関係について述べている部分も興味深い。 必要があってマイヨール関係の本を読んでいるけど、これは中でもまともな内容と言えるでしょう。

・小野俊太郎 『モスラの精神史』(講談社現代新書) 評価★★☆ サブカルを材料にして学問するのがはやっているけど、そういう一冊。 ゴジラについての本は比較的あると思うけど、モスラは案外少ないのではないか。 穴場を狙った? 私も、実は生まれて初めて見た怪獣映画が 「モスラ」 だったので、懐かしさからつい買ってしまった。 1961年製作で、安保の次の年に作られている。 原作は中村真一郎、福永武彦、堀田善衛という3人の純文学作家で、ゴジラが香山滋原作だったのとやや違う。 というようなところから始まっていて、まあ面白いかなとは思うけど、周縁部分のどうでもよさそうなところにやたらこだわって延々と続ける癖が著者にはあって、そこが減点。 宮崎駿 『風の谷のナウシカ』 にモスラが与えた影響なんてあたりは悪くないんだけどねえ。

・ジャック・マイヨール+ピエール・マイヨール(北澤真木訳) 『海の記憶を求めて』(翔泳社) 評価★★ 映画 『グラン・ブルー』 で有名なマイヨールが兄ピエールとの共著として出した本だが、妙な構成になっている。 つまり、最初は与那国島やバハマ諸島の沖合の海底遺跡と見られるものについての報告なのだが、つまりノンフィクションなのだが、そのあと 『海の十神』 という小説が入っている。 というか、ページ数で言うと全体の4分の3以上を占めいているのである。 で、この小説が実はマイヨールの世界観を表しているのだ。 つまり、人類はもとは両棲類で海の中でも暮らしていけた――という世界観で、最初の海底遺跡のノンフィクションも実はそれと絡んでいるので、彼としては一貫した内容のつもりみたいだけど、信者じゃない私からするとうーむなのであった。 なお、小説の方は、SFとして見てもあんまり面白いとは思えない。 

・ジャック・マイヨール(関邦博編訳)『イルカと、海に還る日』(講談社) 評価★★ 14年前に出た本。 映画 『グラン・ブルー』 で有名なマイヨールが書いた本だが、私は必要があって読んでみた。 写真がふんだんに使われていて、また訳者による解説も多く盛り込まれて、分かりやすい本になってはいるが、海中深くにもぐるマイヨールの姿ははたして 「自然に還る」 ものと言えるのだろうか? 訳者解説もやや矛盾を含んでいる。

・金成陽一 『誰が白雪姫を誘惑したか』(大和書房) 評価★★ 15年前に出た、日本人ゲルマニストがグリム童話 「白雪姫」 を一般の読書人のために論じた本。 2年生向け演習で取り上げて読んでみたが、記述のレベルが一定ではなく――例えば象徴レベルで物語を読むのか、リアリズム的受け取り方に限定するのかなど――、話もあちこち飛ぶし、あまり感心できなかった。 首をひねる箇所もある。 「ボルテとポリーフカ」 なんて説明抜きで書いたって (212ページ) ゲルマニストでもない日本人には分かるわけないし、『リヒルデ』 の翻訳で最初はザクロ (Granatapfel) だったものが途中からリンゴ (Apfel) に変わっていると書いてるけど(221ページ)、単に長たらしい綴りが面倒くさくて最初のGranatを省略しただけの話じゃないのですかね?

・井上正蔵 『私のシュトゥルム・ウント・ドラング――「詩と真実」 から――』(新日本出版社) 評価★★★★ 今は故人となったドイツ文学者 (1913年生まれ、89年死去) が青春時代を回想した自伝である。 17年前に出た本で、いつだったか古本屋で購入しておいたもの。 著者は長らく都立大学教授を勤め、ハイネや東ドイツ文学の研究・翻訳紹介で知られた方である。 私が大学院の学生だったとき東北大にも出張講義に来られ (1975年だった)、授業を受けたことがある。 古き良きマルクスボーイというか、洒脱で明朗なお人柄ではあったが、講義中にいかにも進歩的知識人風の政治談義を始めるところが何ともはやであった。 私がハイネや東ドイツの文学にあまり興味を持たないこともあって、その後ご無沙汰していたが、今回なんとなくこの本を読んでみて、「井上先生、お見それしました!」 という心境になった。 すごく面白いのである。 東京の下町に生まれた著者が新設されたばかりの府立高校 (旧制) に進み、やがて東大独文に入るが、独文の授業が面白くなくて国文や仏文の授業に顔を出していたことや、様々な友人との付き合い、硫黄島や樺太まで旅に出たこと、昭和10年に独文を卒業しても同級生は誰も就職できず (この点、10年近く前に東大独文を出た手塚富雄の世代とはえらい違いである)、著者も仕方なく知識階級失業救済事業 (というのが当時はあったらしい) で翻訳の仕事をさせてもらってわずかばかりのカネを稼いだり、やむを得ず大学院に席をおいたりしていた様が、実に生き生きとした筆致で描かれていて、読み始めるとやめられない。 こういう面白い本を書けるということは、やっぱりゲルマニストの枠に収まらない人だったのだなあ、と認識を新たにした。 現在品切れになっているのが惜しい。

・福田和也 『バカでもわかる戦争論』(新潮社) 評価★★★☆ 国内外の14の戦争をとりあげて分かりやすく解説した本である。 語りにも工夫が凝らされていて、3人漫才の形式で、タイトルにもあるようにバカにでも分かるように、なおかつ各戦争の教訓を3つずつ挙げて、受験参考書なみの親切さ (笑) である。 戦争アレルギーが強い日本だが、戦争を知ることは好戦家の所行ではない。 むしろ平和を維持するためにこそ、戦争をよく知っておかねばならないのである。 そういう理屈が分からず、平和平和と唱えていれば平和になると思っているんじゃ、バカにすらなれませんけどね。

・魚住昭 『官僚とメディア』(角川oneテーマ21) 評価★★★ 共同通信社の記者として長らく勤務した著者が、報道の自由を押しつぶそうとする政府や官僚などの圧力を、自分の経験をも交えながらいくつもの例を挙げて論じた本。 マンション設計の耐震計算偽造問題では、耐震計算が非常に複雑なもので、マスコミによる報道は明らかに過剰なものであり、実際には十分な耐震性があるのに建て替えを勧められた例もあると述べている。 またホリエモン逮捕の一件では検察が功を焦ったと批判し、あの程度で逮捕するのはやりすぎだと述べている。 その他、興味深い記述があるが、NHK報道に政府の圧力があったかなかったかに関する朝日新聞の報道についての章に見られるように、報道の自由を超えた部分での著者自身の価値観にはかなり古いところがあって――この事件で問題なのはそもそもNHKの企画した番組が公共放送として妥当だったかどうかであるはず――そこが惜しいと思った。

・松本千城 『イタリア病の教訓』(洋泉社新書y) 評価★★★ 著者は1975年生まれ、大蔵省官僚をへて現在はイタリア大使館に勤務。 イタリアの経済的な不振を分かりやすく分析し、日本も他人事ではないと警告している本である。 イタリアというとヨーロッパの中では経済的に振るわないと決まっているようなイメージがあるが、意外なことにそうではなく、1950年代以降の経済成長は順調で、その意味では日本やドイツの仲間と言っていいほどだったという。 ところが90年代に入ってから経済的な下降がはっきりしてくる。 その理由は端的に言って構造改革への乗り遅れで、IT化が遅れ (イタリア人はケータイが大好きなのにケータイを作ることができないのだそうだ)、高等教育を受けた人間が少なく、零細企業が多く、それに加えて税金逃れが当たり前というイタリア人気質もあって、経済進出著しい中国などに負けてしまったという。 しかし、少子化や財政赤字などに関する限り日本も威張れたものではなく、イタリアを他山の石とすべきだと著者は締めくくっている。 

・山村修 『書評家〈狐〉の読書遺産』(文春新書) 評価★★★☆ 今年1月に出た新書を先月船橋のBOOKOFFにて半額購入。 長らく匿名の書評家〈狐〉として活躍し、昨年亡くなった山村修氏が雑誌 『文学界』 に連載した文庫評を死後にまとめた本。 毎回2冊ずつ取り上げて書評するという体裁であるが、なかなかに著者の多方面に及ぶ造詣の深さや、意外な洞察などがあって、楽しめる本になっている。 翻訳書でもなるべく新しいものに目を通して新鮮な訳語に注目するなど、細かい目配りもきいている。 ドイツ文学でもシュティフターの 『晩夏』 やブロッホの 『夢遊の人々』(恥ずかしながら私も未読です) やマゾッホの 『魂を漁る女』 が取り上げられている。 なお、解説を中野翠が書いているが、彼女の曾祖母と山村氏の曾祖母とは姉妹関係にあり、つまり中野氏と山村氏は遠縁にあたるのだそうで、彼女はそれをあるとき山村氏からの突然の手紙で知ったということである。

・ディビッド・ブルックス (セビル楓訳) 『アメリカ新上流階級 ボボズ ニューリッチたちの優雅な生き方』(光文社) 評価★★★★ 授業で取り上げて学生と一緒に読んだ本。 原書は2000年に、訳書は2002年に出ている。 60年代の公民権運動や70年代のニューエイジ的な反体制運動を経たアメリカの知的エリートたちが今現在どんな暮らし方をしているかを、いささかの皮肉もこめて描き出している。 ボボズBOBOSとは、ブルジョワBourgeoisとボヘミアンBohemianの最初の2文字を合わせたもので、すなわち一方ではエリートとして高給を食みながら (だからブルジョワ)、他方では反体制運動をくぐりぬけた世代として、昔のブルジョワのように肩肘張った礼儀作法や服装やいかにも金満家といった行動には一定の距離を置き (だからボヘミアン)、自然や健康食品を愛する風を生活の中にファッションとして取り入れて、良心が痛まないように生きているわけである。 家具類にはわざと傷があったりするものを買い求め、あたかも昔の開拓時代から連綿と使い続けているかのような、或いは農村風の暮らしを体で知っているかのような外見を装うのが、新世代エリートの虚栄心ということのようだ。 19世紀市民(ブルジョワ)階級をアイロニーを籠めて描いた小説のような面白さを備えた本と言える。

7月  ↑

・田中淳夫 『森林からのニッポン再生』(平凡社新書) 評価★★★★ 日本の森林や林業について分かりやすく書かれた本である。 一般人の思いこみを次々と是正してくれる。 例えば自然林よりも人工林のほうが多様な生物が住んでいるとか、人の手を適切に加えることによって森の樹木は健全に育つとか、日本の国土の森林率は江戸時代より現在の方がはるかに高いとか、外材は日本の木材より必ずしも安価ではないとか、色々と教えられるところがある。 さらに著者は山の中の野生動物のあり方、特にその数の数え方に誤りがあったことが明らかになってきたことを指摘し、人間と自然と敵対物と考える思考法にまったをかけ、自然とは変わるものであり、人間が存在することによって自然が変わることは決して悪いことではなくむしろ自然で健全なことなのだと説いている。 たいへん面白い。

・武井彩佳 『戦後ドイツのユダヤ人 (シリーズ・ドイツ現代史 V)』(白水社) 評価★★★★☆ 一昨年の秋に出た本。 ナチスドイツのホロコーストにより多数のユダヤ人が殺された。 かろうじて生き残っていたユダヤ人も、戦後作られたイスラエルに次々と移住していき、戦後のドイツにはユダヤ人はいなくなった――かというと、そうではなく、戦後のドイツにもユダヤ人は居住していたし、その数はむしろ増えていった。 なぜか? という問題を様々な角度から詳細に、しかも分かりやすく説明したのが本書である。  近代的な国民国家では民族という単位は本来は存在せず、国民として平等というのがあるべき基本的見方で、それを崩したのはナチスには違いないが、言い換えれば戦後もユダヤ人だけ特別扱いするのはこの原則に反する、というあたりから始まって、西ドイツの建前としての反・反ユダヤ主義と一般人の本音の乖離、時代による変化、ユダヤ人内部の多様性、などなど、けっして 「ユダヤ人=犠牲者」 という図式に還元できない複雑な経緯を冷静中立的に叙述する著者の力量はたいしたものである。 戦後ドイツやユダヤ人問題に興味のある人には必読書と言えよう。

・田中淳夫 『割り箸はもったいない? ――食卓からみた森林問題』(ちくま新書) 評価★★★★ 10年以上前、割り箸は森林資源を減らすから使うのはやめましょう、という運動があった。 新潟大学生協なんかもその一翼を担っていて、当時私は生協理事になったばかりであったが、会議なんかに出ると、「割り箸を使うのをやめなくては」 と力説する理事がいたりした。 私はへそまがりだからそういう運動には懐疑的であったけれど、結局生協はそのせいで食堂の箸を合成樹脂製に変更した。 その後、割り箸は別段森林資源を減らさないということがはっきりしてきたのに、生協はあいかわらず合成樹脂の箸を使っている――ただし麺類は合成樹脂の箸では食べにくいので、使いたい人は割り箸が使えるように置いてはある。 そして最近になってまた日本は割り箸のせいで途上国の熱帯雨林を減らしているから自分で塗り箸を持ち歩くべきだと主張する人が出てきているらしい。 本書は、割り箸の製造元などを調べて、割り箸が日本や外国の森林資源を減らすという説に根拠がないことを明らかにするとともに、割り箸というものの奥深さにも蘊蓄を傾けている。 根拠のない環境保護運動に左右されやすい人には一読をお薦めする。 麺類にはやっぱり割り箸が一番だよ!

・佐々木信夫 『地方は変われるか――ポスト市町村合併』(ちくま新書) 評価★★ 3年前に出た新書を船橋のBOOKOFFにて半額購入。 平成の大合併で日本の市町村数は激減したが、さらに今後の人口減、財政難などに備え、また東京集中が進む中で地方がどう生きていくべきかを説いた本。 著者は行政学が専門の大学教授だが、一読、あまり説得されなかった。 なぜかというと、著者の関心は行政制度だとか議員の数を減らすことだとか、あくまで制度面の健全化にあって、経済構造の変化のなかで地方が苦況に立たされているというあたりへの目配りが、全然とは言わないがあまりないからだ。 著者の言うようにやったとしても、それで地方が活性化するとは信じられません。

・呉智英 『健全なる精神』(双葉社) 評価★★★  呉智英氏の最新エッセイ集。 まあ、相変わらずだなと思うけど、それなりに面白い。 特に岩中祥史が、内村鑑三の 「中国人と名古屋人は似ている」 という発言をもとに、『中国人と名古屋人』 という本を書いてしまった、という指摘が笑える。 内村鑑三の言う 「中国人」 とは山口県人と広島県人のことなのに、岩中は支那人のことと思い込んで、その勘違いをもとに本を1冊でっちあげてしまったのである。 なお産経新聞のコラム 「断」 に載せた文章も収録されているが、私がこのサイトで指摘したこと (ショスタコーヴィチは第5交響曲を 「革命」 と名付けたりはしなかった) や、あまから氏が今はないブログで指摘したこと (部落解放同盟が 「部落」 という言葉を差別用語として攻撃したなんて事実はない、ということはない) が取り入れられていないのは、はなはだ残念である。

・河野博子 『アメリカの原理主義』(集英社新書) 評価★★★☆ 11カ月前に出た新書を船橋のBOOKOFFにて半額購入。 著者は読売新聞記者で長らくアメリカからの報道に従事していた。 アメリカの共和党支持者に宗教的な右派が増えているのだが、これを詳細にリサーチした本である。 アメリカのキリスト教原理主義については他にも本が出ているが、私が本書で興味深かったのは中絶をめぐる論争と経過である。 フェミニストは 「中絶は女の権利」 と言っているけど、私は 「中絶は人殺しと同じであり、何人も人殺しをする権利などあるはずがない」 と考えている。 それで右翼だと呼ばれるなら右翼で結構。 フェミニストは人殺しである、と言い返そう。 本書の第4章を読むと、ヒラリー・クリントンが 「なるべく中絶しないで済むよう、共通の土俵を見つけるべきだ」 と述べるなど、進歩派の中にも必ずしも従来のフェミニスト路線ではない考え方 (といっても宗教的右翼が主張するように中絶絶対反対でもないけれど) が出てきているという。 他に同性結婚、純潔教育などなど、アメリカ内の左右が激突する論点について興味深い報告がなされている。

・内田義雄 『戦争指揮官リンカーン アメリカ大統領の戦争』(文春新書) 評価★★★☆ アメリカの南北戦争がどのように行われたか、そして大統領リンカーンがどのように戦争に関わったかを詳細に明らかにした本。 まず、アメリカ建国以来最大の犠牲者を出した戦争が南北戦争だったという事実に驚く。 ふつうに考えれば第二次大戦のような気がするが、南北戦争の死者は第二次大戦のそれより5割も多いのだ。 また電信技術が登場したころのことで、リンカーンはこの技術を活かして将軍たちに戦術面でも口出しをしている。 積極的な戦争指揮官だったわけだ。 敗走する敵軍を追撃した壊滅させるよう指示するなど、結構情け容赦のない人だった、と分かる。 民主主義の理念は、敵に情け容赦なく当たることを命じるのだろうか? 

・平田剛士 『なぜイノシシは増え、コウノトリは減ったのか』(平凡社新書) 評価★★★ 著者は環境問題を中心に活動を続けるジャーナリスト。 この本は日本の野生動物にさまざまな角度から光を当てている。 ある章ではコウノトリ増殖のように一度失われた生存環境を復活させようとする試みを紹介し、別の章ではアライグマのように外国から侵入してきた野生動物を駆逐する努力を紹介するなど、日本の野生動物が決して一様ではなく、その数やさまざまな状況のもとで増やそうとされたり減らそうとされたりしていることが分かる本である。 風力発電が渡り鳥の移動を妨げている可能性があるという指摘など、「地球に優しい」 のもなかなか利害調整が内変なのだということも分かって、それなりに有益な本である。

・武居俊樹 『赤塚不二夫のことを書いたのだ!』(文春文庫) 評価★★★☆ 2年前に出た単行本の文庫化。 小学館勤務でマンガ家・赤塚不二夫の担当を長らく務めた編集者の回想録である。 赤塚が独自ではうまいアイデアを出せず、弟子や編集者とおしゃべりをする中でアイデアを生み出すタイプのマンガ家であったこと、その女性関係、金銭感覚、さらにはライヴァルである講談社の雑誌に連載中の赤塚マンガを奪ってくる仁義なき編集者ぶりなど、インテリヤクザとも言うべきマンガ編集者とマンガ家の内実がなかなかに興味深い。 

・コリン・タッジ『農業は人類の原罪である』(新潮社) 評価★★☆ 農業を始めることによって人類は人口が爆発的に増加し、そのため野生動物は絶滅し、また旧約聖書にあるような苦役としての労働が始まり、体のサイズも縮まったというような主張がなされている。 私は他の本から得た知識が多少あったのでそれほど目新しい感じはしなかったが、人によっては斬新だと思うかも知れない。 新書サイズで95ページしかないからすぐ読める。 定価も新書並みの850円。

・バーバラ・エーレンライク 『ニッケル・アンド・ダイムド アメリカ下流社会の現実』(東洋経済新報社) 評価★★★★ 大学の演習で取り上げて読んでみた本。 原本は2001年に出ている。 アメリカ下層階級の労働者がどんな仕事をしてどんな暮らしぶりをしているかを、コラムニストとして著名で本来は中流階級に属する筆者が体験して書いた本。 そもそも最低賃金が低いのに、その最低賃金ぎりぎりの給与では暮らしていけず、仕事の掛け持ちをして、体も頭脳も麻痺していく過酷な労働実態が明らかにされている。 各種の統計や数値も挙げられていて説得力が増している。 賃金の低さと並んで、住居費の高騰が目立つ。 この辺に暮らしの悲惨さの根があるようだ。

6月  ↑

・三浦展 『格差が遺伝する! 子どもの下流化を防ぐには』(宝島社新書) 評価★★☆ 親が高学歴だったり収入が多かったりすると子供も 「お受験」 をしたりして高学歴になる、という日本の現状を、データを元にして明らかにした本。 まあこういうことはデータを取らずとも何となくそうじゃないかとは思うが、数字の力というのはバカにならないですから、さほど目新しいことを言っている感じはしないけど一読の価値はあるかも。 最後に母親のタイプを 「のび太ママ」 「スネ夫ママ」 「ジャイアンママ」 「しずかちゃんママ」 に分けているところが笑える。 それと、ちょっと面白いと思ったのは、高学歴ママより低学歴ママのほうが 「英語とパソコン」 といった実用主義教育を子供に求めがちである、という指摘。 現在、日本の大学は独法化などにより実用主義に向かっているわけだが、実は低学歴ママの望む方向に変わっていることになる。 これじゃあ、大学に魅力がなくなるわけだ、学長など大学上層部はジャイアンママに育てられたのかな、と納得してしまいました (笑)。

・西尾幹二 『個人主義とは何か』(PHP新書) 評価★★★★ 西尾氏が1969年に講談社現代新書から出した 『ヨーロッパの個人主義』 を復刊し、あわせて第4部を書き足したもの。 69年といえばまだ日本人の欧米崇拝が根強かったころだが、今回再読してみると、著者はいたずらに西欧を理想化したり日本人を叱咤したりしてはおらず、ただ日本人の自我の弱さについてははっきりとそれを指摘し、ヨーロッパ人の愚鈍とも言える 「個」 の形成のされ方を繰り返し語っている。 40年近い時が流れていても、古びた感じがしなかった。 つまり名著だということであろう。

・鈴木晶 『フロイト以後』(講談社現代新書) 評価★★★ 15年前に出た新書。 精神分析について簡単に分かる本として授業で学生に紹介したのはいいが、よく考えたらだいぶ前に購入したきりツンドクになっており、自分自身読んでいなかったことを思い出し、こりゃいかんということで読んでみた。 タイトルから予想されるのとは違い、フロイトについて一番ページを割いて説明している。 またフロイト以前についての記述もある。 肝心のフロイト以後については、もう少し詳しい記述が欲しいところだが、何しろこの分野はラカンだとか難解なメンツが揃っているので、さすがの著者もきわめて大ざっぱな記述に終わらざるを得なかったというところだろう。 しかし精神分析を概観するには悪くない本である。 なおフロイト以後ではクリステヴァについての記述が不要に長い気がするのだが、これは彼女の思想が分かりやすいからだけでなく、「東洋風の美人」 であるからだろう。 いや、著者もミーハー的な自分のそういう嗜好を正直に書いているし、橋爪大三郎も同じだそうな。 やっぱり男性学者は、難解な思想を好むだけじゃなく、美人も好きなんですよねえ (笑)。

・中野雅至 『格差社会の結末 富裕層の傲慢・貧困層の怠慢』(ソフトバンク新書) 評価★★★☆ 格差社会が言われる最近の日本を分析し、今後われわれはどのような政策を選択して行くべきかを提言した本。 著者は奈良県某市役所職員→労働省官僚→大学教員という経歴の持ち主。 小泉内閣の政策が規制緩和・格差拡大を生んだかのように言われるが、実際はそうした傾向と政策はそれ以前の自民党政権からとられていたことを指摘し、規制緩和の方向性は変えられないとしたうえで、政府の役割・課税のあり方・税金の使い方等々について取るべき方向性をまとめて提案している。 網羅的な本なので個々の論点を掘り下げて知りたい人には向かないが、総合的に日本の進路を考えたい人にはよさそう。 なお、日本が教育に使っている税金がきわめて少ないことは、この本でも指摘されている。 日本の首脳部の方々はよく考えて下さいね〜。

・苅谷剛彦+増田ユリヤ 『欲ばり過ぎるニッポンの教育』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 東大教育学部の看板学者である苅谷氏と、教育ジャーナリストの増田さんの対談に、両氏の論考を追加してできた本。 英語早期教育は是か非か、フィンランドがPISAで世界一の学力と認定されたが、かの国を模倣することがいいことなのか、また可能なのか、などなど、現代的な教育問題がさまざまな観点から検討されている。 単純な断定や、教育をノウハウに還元する思考法を戒めつつ、人間の持つ複雑さを絶えず振り返りながら議論を進める苅谷氏の姿勢が印象的。 最後に、日本が教育に予算を投じていない現状を批判しているのにも大賛成である。 (日本が対GDP比の教育予算で先進国中最低なのは、知っておいて欲しい!)

・村上春樹 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(新潮文庫) 評価★★☆ 下で取り上げた 『村上朝日堂の逆襲』 の続編エッセイ (BOOKOFFで同時に購入したもの)。 といっても両者の間には10年くらいの時間が流れている。 途中長らく休載していて、それから 『週刊朝日』 で連載を再開したのだそうな。 したがって著者の姿勢にもいくぶん変化がある。 前作ではクルマは運転しない主義だとか言っていたのが、ここでは外車で熱海に出かけたりしていて、流行作家らしくなっている。 途中外国暮らしをしたのでクルマがないと不便だったのだろうけれど、案外根性がないのだな、という見方もできてしまう。 アシスタントを使うようになっているし、リッチになっていますね。 最後のエッセイで、関西出身なのに高校生になっても被差別部落というものの存在を全然知らなかったと書かれてあって、そんなものなのかなあ、と感心してしまいました (皮肉ではありません)。 

・高橋義人 『グリム童話の世界』(岩波新書) 評価★★☆ 2年生向けの演習で取り上げて読んでみた本。 昨秋出たばかりの新書。 グリム童話を、古代神話や伝説と比較しつつ、いかにグリム兄弟が童話をこれらの影響下に編纂したかを明らかにしようとしている。 日本や他の地域の民話との比較もある。 悪くはないんだけれど記述はちょっと味が薄く、つっこみどころもあったりして、いま一歩の努力を、と言いたくなる本でありました。

・北村崇郎 『僕の見た中流のアメリカ人』(草思社) 評価★★★ 1985年に出た本。 3・4年向け演習で読んでみた。 若い頃からアメリカに留学し、その後もしばしば渡米している大学教授でクリスチャンの著者が、60年頃の古き良きアメリカの中産階級と、70年代以降のカウンターカルチャー浸透の中で変化をこうむった部分とを、丹念に描写している。 60年頃のアメリカ中産階級というと、やはり日本とは圧倒的に差があって、中どころか上流に見えるくらいである。 80年代に入ると差が縮まってはいるが、あちらは食費と不動産が安いから、どうしても差は残る。 著者の視点は、クリスチャンとして育ち若い頃から米国留学した人の臭みがないではないが、おおむねバランスが取れていて信頼できると思う。

・村上春樹 『村上朝日堂の逆襲』(新潮文庫) 評価★★☆ ワタシは村上春樹は嫌いではないが好きでもない。 こないだ学生と話していて、うっかり、「ボクは 『ノルウェイの森』 は読んでなくて」 と言っちゃったんだけど、後でよく考えたら読んでいたのでした。 つまり、読んだこと自体忘れているくらい印象に残らない作家でなのだけれど、読むことを回避するほど嫌いであるわけでもない、ということなんですね。 さて、これは、『週刊朝日』 連載のエッセイを86年に単行本にし、89年に文庫化したもの。 ワタシは少し前にBOOKOFFにて半額購入。 これ以前に 『村上朝日堂』 が出ていてこれはその続編らしいけど、正編は読んでません。 なぜかっていうと、BOOKOFFになかったからです (笑)。 で、日本におけるエッセイというのは有名人の日常茶飯を書いたものである、というけれど、これもまあそういう本なのです。 冠婚葬祭用の礼服以外はスーツを持たないとか、高所恐怖症であるとか、ワタシと共通点も多いけれど、中学に入ってからレコードを買って音楽に凝りはじめた、ってのが、ふうんなのでした。 ワタシは村上春樹の小説を読んでいて、登場人物が物質的に豊かだなあと思うことが多い。 村上はワタシより4歳年上の団塊の世代だけれど、それにしてはリッチだなと感じられるのである。 小説の中だからかなあ、と思っていたけれど、村上は関西出身で、関西と首都圏はやっぱり裕福な、といって悪ければ、物質的文化的に高度な生活を送っていた人が多かった、ということなのかもしれないと考え始めました。 ワタシのように東北最南端の地方都市出身とは違うのである、ということで。 (ワタシがレコードを自分で買える身分になったのは大学生になってからである。)

・潮木守一 『大学再生への具体像』(東信堂) 評価★★★☆ 著者は教育学者で、欧米の大学の実態を紹介した本などで知られる。 長らく名大教授を勤めていたが、その時代には新しい実務的な大学院を立ち上げる作業に追われ、定年退職後は某私大で短大を4大に切り替える仕事に従事し、さらにその後は別の私大で特任教授を勤めるなど、かなり多忙な毎日を送っているようだ。 本書はその経験を披瀝すると同時に、これからの大学像を模索する試みである。 著者の多様な経験には教わるところが多い。 最後に提言が付いている。 大学はカネがかかるところであると心得よ、というのはまったく同感。 口を出すならカネも出せ、というのが産業界のお偉方にワタシが言いたいことなので。

・椎根和 『平凡パンチの三島由紀夫』(新潮社) 評価★★☆ かつて週刊誌 『平凡パンチ』 の編集者をしていた著者が、この雑誌を通しての三島由紀夫との付き合いを回想し、あわせて60年代ポップ文化と三島の関わりを論じようとした本である。 回想部分はまあ面白いが、三島論はどうかなああ。 かなり生硬、というかよく分からないままに書いてるんじゃないか、という疑いを払拭できないのでありました。 明らかな間違いも散見された。

・門倉貴史 『ワーキングプア』(宝島社新書) 評価★★★☆ 日本のワーキングプアについて書かれた本である。 一般にはバブル崩壊後の景気が悪い時期に学校を卒業した年齢層の人たちはフリーターになりやすく、したがってワーキングプアにもなりやすいと思われがちだ。 しかし中高年にも倒産やリストラで結構ワーキングプアがおり、しかも30代ならパラサイトも可能だが、中高年は逆に子供の教育費がかさむ時期でもあるのでいっそう大変であるらしい。 さまざまなデータを駆使し、またワーキングプアの人たちへのインタビューによって実例も挙げながら、この問題の深刻さを訴えている。 悪くない本だと思う。

・阿部菜穂子 『イギリス 「教育改革」 の教訓――「教育の市場化」 は子どものためにならない』(岩波ブックレット) 評価★★★  英国でサッチャーによる教育改革が行われ、その一部は日本でも東京都などにより模倣されている (義務教育の公立校でも生徒側が学校を選べるなど) が、その結果を批判的に紹介した本である。 政府側は学力向上という成果があがったと主張するがそれに対する批判がかなりあること、学校選択制度が貧しい家庭の子供に不利であること、サッチャーの教育政策が実は提言した教育学者の案をかなり恣意的にねじまげたものであること、教育の早い段階で点数により子供をランク付けするのは百害あって一利なしとする教育関係者が多いこと、しかしこれからの改革もサッチャー以前の教育制度に後戻りすることは不可能であることなど、なかなか日本人にとっても参考になりそうな内容である。 ただ、ブックレットという薄い本の制約上、もう少し突っ込んで論じてもらいたいと思われるところ――例えば私立校と公立校との関係など――があった。

5月  ↑

・浅川晃広 『 「在日」 論の嘘』(PHP)   評価★★★☆ 1年前に出た本。 タイトル通りで、在日朝鮮韓国人に関するデタラメな情報や論者を批判している。 最初のあたりのカン・サンジュンや朴一や辛淑玉への批判はほどほどの感じだが、後半は結構面白い。 井筒和幸の映画 『パッチギ!』 の批判的分析、朝日新聞が北朝鮮帰国事業への賞賛を、1960年前後のみならず北朝鮮の内実が或る程度明らかになってきた70年頃になっても懲りずにやっていたという指摘、大沼保昭・東大教授の、「戦後の在日が日本国籍を剥奪されたのは日本政府の勝手な処置だ」 という言説がデタラメで、実は日本が韓国と協議の上で行っていた事実、また在日への生活保護が戦後間もない時期から今日まで相当数にのぼっていることなど、なかなかに興味深い。

・村上春樹 『回転木馬のデッド・ヒート』(講談社文庫) 評価★★★ 単行本が85年に出、その数年後に文庫化された本。 いつだったか古本屋で100円で買ったままツンドクになっていたが、何となく読んでみた。 短篇集の体裁だが、実は村上春樹が友人や知人、たまたま出会った人から聞いた実話を集めたものである。 事実は小説より奇なり、という言葉を思い出す。 といってもすごい奇譚を集めているわけではなく、人間の存在や行動はそれぞれに独特で悲しいということを痛感させられる本だ、と言ったらいいだろうか。

・原武史 『鉄道ひとつばなし2』(講談社現代新書) 評価★★★ 政治思想史学者であり鉄道好きである著者が、鉄道と歴史の関わりを講談社のPR誌にコラムとて連載したものを集成した本。 「2」 とあることから分かるように、数年前に第1巻が出ており、その続刊である。 まあほどほど面白いけれど、「1」 に比べるとちょっとパワーが落ちているような気がする。 やや種切れの気配はありませんかね? へえと思ったのは、最近首都圏などの電車に女性専用車が導入されて賛否両論を呼んでいるが、実は女性専用車の導入はこれが初めてではなく、明治45年に一度行われているのだそうである。 また、鉄道マニアには女装趣味者がわりにいて、双方の趣味には関連性があるのでは、という指摘には意表をつかれた。

・磯村健太郎 『〈スピリチュアル〉はなぜ流行るのか』(PHP新書) 評価★★★ タイトル通りの本である。 書店に行くと「スピリチュアル」と銘打たれたコーナーができるほどのブーム(?)だが、80年頃のニューエイジブームに始まるこうした傾向が日本でどのような形をとっているか、その歴史も含めて要領よくまとめられている。 一方でスピリチュアルにはまる人の気持ちに寄り添ってこの現象を見つめつつも、同時にその危うい側面への視線をも忘れない、きわめてバランスの取れた記述になっているところが良い。 海外の例に触れてくれていたらなお良かったのだが。

・渡邊洋子 『ドイツ 「書簡文化」 と女性――ゾフィー・フォン・ラロッシュからベッティーナへ――』(同学社) 評価★★★ 大阪学院大学に勤務するゲルマニストが出した本である。 ゲーテ時代に活躍した女性作家ラロッシュとベッティーナを 「書簡文化」 という概念を用いて紹介・分析している。 「書簡文化」 という概念はあまり馴染みがないが、近代になって識字率が上がり文章による自己表現が可能になっていったときにまず用いられたのが書簡であった。 英国の書簡体小説 『パミラ』 が近代文学の先駆であることはよく言われるが、今とは異なり三人称の客観描写に慣れていない当時の市民にとっては特定の誰かが家族や友人知人に宛てて書く手紙の形式はきわめて馴染みやすく、またいかに書簡を上手に書くかがその人の文化度を示すバロメーターにもなった。 本書は標記の2人の女性作家をメインに、書簡文化と創作との微妙な関係を詳細に論じている。 取り上げられているラロッシュとベッティーナは、ドイツ文学の専門家以外にはあまり知られていないが、小説という形式自体が自明なものではなく近代初期にあっては書簡との区別も時として曖昧であったことや、女性と文章表現との関わりを知るためには貴重な書物だと思う。
  さて、以下は独文学者としてのやや細かい注文である。 本書は紀要などに掲載された論文を集めて成立した本なので、章ごとに内容の重複や前後があるのが惜しい。 単行本にするにあたってもう少し整理できなかったものか。 また著者もあとがきで断っているようにこの2人の女性作家の全体像を提示するところまではいっていないのが残念である。 しかし今後のお仕事に期待すべきところであろう。 著者の視点はフェミニストにありがちな性急さがほとんどなくおおむね公正と感じられるが (あとがきでドイツ本国のフェミニスト研究の片寄った評価を批判しているのがいい。 ドイツの文学研究は、私も多少知っているが、かなりイデオロギー的な部分があって用心が必要である)、それでもベッティーナの 『ゲーテ書簡』 の性格づけと評価には、やや説得性が欠けるように思われた。 ドキュメントでも創作でもない (あとがきの表現を使うなら)「中間領域」 は、ベッティーナ本人にとっては大事だったかもしれないが、それを読まされる他人にとってはいささかはた迷惑な代物で、問題はそこにあるのではないか。 また鶏を絞める話にしても、私はむしろカンペの言い分に軍配を揚げたい。 下層民への理解とは、その汚れ仕事を含んでの理解であり、そこに至らないのでは単なるお嬢さんの気まぐれに終わってしまうだろう。 その辺で著者がややベッティーナに寄り添いすぎて客観性を欠いているような印象を受けた。 それと、注や文献表に原則として邦語文献を載せていないのは不親切ではなかろうか。 日本において日本語で出した本であり、独文学者だけが読むとは限るまい。 英文学者や仏文学者、或いは学者でない普通の文学愛好家が読むかも知れない。 そのためにも、邦訳があるものは原書と並べて提示し (例えばボーラー 『ロマン派の手紙』 は法政大学出版局から邦訳が出ている)、同一作家や類似テーマを扱った日本人ゲルマニストの仕事も挙げておくべきではないか。 しかも、著者は自分が訳した場合 (本または紀要掲載) に限って邦訳を原書にあわせて挙げており、こうした態度は決して著者自身の名誉にはならないと思う。 一考をお願いしたい。

・中井浩一『大学入試の戦後史』(中公新書ラクレ) 評価★★★ タイトルは誤解を生む余地がある。 戦後史というと昭和20年代から現代までの大学入試を包括的にたどったものかと思うが、この本が主として扱っているのはここ15年ほど、慶応大学SFCの成立あたりから始まった推薦入試やAO入試の移り変わりや、最近の京大の後期入試廃止などの新しい情報である。 その辺の細かい動きや大学側の思惑を見るには悪くない。 たしかに第7章になって一応戦後の入試が概括的にたどられはするけれど、きわめて大ざっぱ。 あと、アメリカの大学入試が紹介されているので、参考になる。

・プロ教師の会(編著) 『教育大混乱』(洋泉社新書y) 評価★★★ プロ教師の会の面々による現代教育論である。 まえがきとあとがき双方を諏訪哲二が書いていることから分かるように、全体の編集は彼が担当しているらしく、内容的にも彼の書いた部分が中身が濃い。 とはいえ、諏訪執筆部分は彼が最近出した 『なぜ勉強させるのか』(光文社新書) とダブるところも多いが、ゆとり教育で悪名高い寺脇研を批判した箇所は出色である。 これを読むと、文部官僚が現場の教師を自分の政策通りに動くロボットみたいに考えていることが分かる。 まあ大学教師にも文科省の言うとおりにしか動かない奴が結構多いから無理もないかもしれないけどね。 その他の執筆陣では、イジメについて説明した喜入克が読ませる内容で、もう少し詳しく論じたものを読みたいという気にさせられた。 喜入も諏訪も、そして河上亮もそれなりの文章を書いていて、やはり単著を複数出している人は力量があるのだと思わされた。

・石原千秋 『百年前の私たち 雑書から見る男と女』(講談社現代新書) 評価★★ 漱石の時代の通俗本を多数取り上げて、当時の男女観に焦点を当てて紹介した本。 面白そうだと思ったのだが、著者の視点があまりに現代フェミニズム寄りと言うか、フェミに媚びている印象があり、学者失格と言わざるを得ない。 イデオロギー的な裁断ばっかりが目に付き、昔の人の物の見方をエラソーに断罪するだけ。 お前ってそんなにエライのかよ、と皮肉りたくなる。 要するにこの本自体が 「雑書」 なのである。 石原千秋、衰えたり (あとがきにそう書いているから自分でも分かっているのかな)。

・池内紀 『異国を楽しむ』(中公新書) 評価★★ ドイツ文学者である著者が主としてヨーロッパを旅行して回った体験をもとに、異国を旅する楽しさや注意すべきポイントをエッセイ風に書きつづった本。 まあエッセイとしては悪くないと思うが、中公新書としてはどうかなあ。 やや中身が希薄な気がした。 それと、トーマス・マンについて、「マン家自体が (…) 祖父の代で家運が傾き父の代で破産して一家離散。 トーマス少年は高校を中退して母親ともどもミュンヘンに移り、書店の見習いになった」 と書いているが (67ページ)、元東大教授がこういうデタラメを書いては困ります。 トーマス・マンの父の代で先祖代々の商会がなくなったのは 「破産」 したからではなく、父が商会を解散するよう遺言したからである。 またトーマス少年は母がミュンヘンに移った後もリューベックに残ってギムナジウムに通っており、中退したのは父の 「破産」 のせいではなく学業が嫌いだったからだ。 ついでに、書店見習いになったのは事実だが無給であり、別段書店員やって暮らしていこうと考えていたのではなく、多少実業界のことを知っておこう程度の認識だった。 (兄のハインリヒ・マンも、父が存命中、つまり商会が存続していた頃にやはりドレスデンで書店見習いをやっている。)   じゃあ若いトーマス・マンはどうやって暮らしていたのかというと、父の遺産から一定の仕送りをもらっていたのだ。 ここからも 「破産」 なんてしていないことは明白。

・永嶺重敏 『怪盗ジゴマと活動写真の時代』(新潮新書) 評価★★★ 1年近く前に出た新書をBOOKOFFにて半額購入。 明治末期から大正初期にかけてフランスから輸入され一世を風靡した映画『怪盗ジゴマ』について、その上映状況や日本人への影響を調べた本である。 この映画は江戸川乱歩や今東光にも多大なインパクトを与えたとされるが、その実態については意外に分かっていなかったらしい。 著者は丹念に資料を漁って、無声映画時代の弁士のあり方や、映画という大衆的な娯楽が子供中心に受容されていった様子、そしてこの映画を機に映画に対する規制が導入された事情や、この映画のノベライズ (というものが当時からあった) は取り締まられなかった――やはり映画より本の方が高級とされたらしい――矛盾などにも触れている。

4月  ↑

・山本雅男 『ダービー卿のイギリス 競馬の国のジェントルマン精神』(PHP新書) 評価★★★ 10年前に出た新書をいつだったか古本屋で200円にて購入してツンドクになっていたが、今回、英国旅行からの帰途に飛行機の中で読んでみた (行きの飛行機で読んだのが↓の 『団塊格差』)。 タイトル通り競馬の歴史をたどっているが、それだけではなく、英国史の概略のおさらいもできるし、サラブレッドという概念の由来やその政治性を知ることもできる。 ただ、徹頭徹尾馬や競馬のことだけを一から十まで知りたいという向きには物足りないだろう。 むしろ馬を中心としたゆるやかな英国文化史として、それこそ英国紅茶でも飲みながら楽しむには申し分ない本である。

・三浦展 『団塊格差』(文春新書) 評価★★★ いわゆる団塊の世代にとったアンケートをもとに、その経済力や世界観をさまざまな側面から考察した本である。 えっ、と思うような意外性はないが、まあそういうことなのかな、と思える本ではある。 でも、年収1000万円以上が 「上」 って区分けは上流バブルじゃないですかね。 独身ならさておき、妻と子供複数をかかえて1000万円を少々越える程度の年収では中流じゃないかと私は考えるんですが。 思うに、「上」 だと言うからには召使いを最低1人は雇っていなくてはならず、買物はその辺のスーパーでは絶対にしないで必ずデパートに行かなくてはならず、億ション (もしくはそれに相当する一戸建て) に住んでいなくてはならず、別荘を持っていなくてはならないのである。 あと、ビートルズ世代と言われていても実際にリアルタイムでレコードを買っていた団塊は少数だ (だからビートルズ受容は実はあとから仮想されたもの、と結論付ける) と書いているが、それはあの時代にはレコードや蓄音機は高級品であって、たいていの人はラジオ (或いはテレビなら日本人歌手による無断借用=パクリ) で済ませていたわけであり、今の感覚で 「ディスク買わなきゃファンじゃない」 と断じるのはどうかという気がするけどなあ。

・福田直子 『ドイツの犬はなぜ吠えない?』(平凡社新書) 評価★★★★ 今年1月に出た新書であるが、買いはしたものの何となく読まずに放っておいた。 しかし春休みに東京に出かけた際に新幹線車中などで読んでみたら、アタリの新書と判明した。 タイトルがあんまり良くないんじゃないかな。 せめて内容がよく分かるような副題をそえておくべきだった。 タイトル通り、ドイツの犬が余り吠えないのはなぜかという話から始まるのだが、犬のしつけ方に関する話題では終わらず、ドイツ、ひいてはヨーロッパ全体の動物との付き合い方やその問題点などにも広く言及しており、色々と教えられることが多い本である。 特に動物保護団体の活動と、それが一般市民からどう受け取られているかというあたりの記述は、自然保護運動と市民との関係について考えようとする人にとっては必読部分と言えるだろう。

・河内孝 『新聞社 破綻したビジネスモデル』(新潮新書) 評価★★★ 著者は元毎日新聞記者。 ネットの浸透などによって新聞というビジネスが危うくなってきているという認識をもとに、日本の新聞業界がどうすればこの危機を乗り越えられるかを具体的に提言している。 簡単にまとめてしまうと、読売と朝日以外のもう一つの確固たる極を形成することがこの業界には必要で、そのためには毎日・産経・中日 (東京) は印刷所と販売所を統合・共有せよ、というのである。 話はあくまでビジネスとしての、つまり印刷され販売されるものとしての新聞に限定しており、新聞社ごとのイデオロギーなどには一切触れていない。

・太田直子 『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書) 評価★★★ 映画字幕翻訳者である著者が、仕事の苦労やエピソードを語った本。 最初のあたりはなかなか本題に入らないので 「はずれだったかな」 と思ったが、中頃から俄然面白くなった。 吹き替えに比して字幕の方が情報量が少ないので苦労するという指摘も貴重だが、特に、売れようとする余り原作にないセリフを字幕で入れろとか、観客を泣かせるようにセリフを (原作とは別様に) 変えてしまえと営業サイドから圧力がかかったりする、という話にはびっくりした。 最近、「泣ける映画」 がいい映画、という変な常識 (?) ができつつあるので私も困ったことだと思っていたけど、字幕翻訳者の方々はこういう大衆的な暴力によって直接被害を受けていたわけですね。 むろん、泣けなくてもいい映画はあるという 「常識」 で映画を見ている人間も被害者なわけですけど。

・土井健司 『キリスト教を問いなおす』(ちくま新書) 評価★★ 3年半前に出た新書をBOOKOFFにて半額購入。 著者はクリスチャンであり、キリスト教学を専攻する大学助教授でもあって、裏表紙の写真から判断するにいかにも温厚そうで人格者らしい印象。 さて、本書は大学でキリスト教学の授業をやって、学生から信仰やキリスト教に懐疑的な意見が多く出るので、自分でもそれに悩んだり信仰のあり方を考え直したりしながら書いたものである、 キリスト教が過去に十字軍や帝国主義の片棒をかついだのをどう考えるか、神の存在をどのように捉えたらしいのか、神が存在すると仮定するとなぜ地上には悪があるのか、などなど、素朴な疑問に一所懸命答えようとするところに誠実さが感じられ好感は持てるのだけれど、残念ながら内容に説得性が備わっているとは言い難い。 結局、「不合理故に我信ず」 からさらに一歩進み、「神はあってもなくてもいいが、我信ず」 になってしまっているような気がするし、色々考えれば考えるほど、宗教の持つ超越性から離れて、要は心の持ちようです、といった話になっていくみたいなんだね。 

・山田詠美 『指の戯れ』 (河出文庫) 評価★★★ 先月山田詠美を取り上げた卒論を副査として読んだせいか、先日東京に行った際、古本屋の店頭で2冊100円の文庫本のなかからこれを買って読んでみた。 ヒロインのルイ子の目を通して、ピアニスト、リロイ・ジョーンズとの二度の交際を描いている。 最初は相手を奴隷として扱っていたヒロインが、次に出会ったときには立場が逆転してしまい、それで・・・・・という話なのだが、著者独特の皮膚感覚的な男性描写がそれなりに面白い。 だけど、こういう作品は何作も読むと飽きるような気がする。

・中川右介 『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎新書) 評価★★★★ クラシックファンなら、帝王と言われたカラヤンのナチス入党問題は誰でも知っているだろう。 またフルトヴェングラーが戦時中ナチスに協力したとして戦後しばらく指揮台から遠ざかっていたことも。 しかしこの二人の関係は一筋縄ではいかないものであったようだ。 本書を読むと、指揮者という人種がいかに嫉妬深く、強欲で、自分が権力を手に入れるためなら何でもやらかすかということが分かってくる。 またタイトルにはないが、もう一人の主役チェリビダッケについても詳しく語られている。 戦後、フルトヴェングラーが上述の理由で指揮台から遠ざかっていた時、ベルリンフェルを救ったのはチェリビダッケであった。 なのに、フルトヴェングラーの後継者は、彼ではなく、ろくにベルリンフィルを指揮した経験もなかったカラヤンになってしまうのである。 その辺の微妙な経緯も分かって、人間世界の人事の機微というか、微妙さが浮かび上がってくる。

・諏訪哲二 『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』(光文社新書) 評価★★★★ 副題通り、教育再生について考えぬいた本である。 といっても、教育危機にあまり実感のない人も入るかも知れない。 そういう人は、本書の最後近く、各国高校生と日本の高校生とのアンケート比較をごらんいただきたい。 勉強時間の少なさも際だっているが、何より垂直的な価値観のなさが目立っているのだ。 垂直的な価値観というのは、自分の身近なもの以外にもそれなりに存在理由や意義があるのだと認める態度であり、少し古い言葉を使うなら精神性とでも言うべきものだ。 日本の高校生は、中国や韓国などの中進国はもとより、米国やフランスなどのいわゆる欧米先進国と比較してもこの点でダントツに劣っている。 消費社会の中で、子供をターゲットとして繰り出される分かりやすく噛みやすいサブカルなどにまみれ、それ以外の外界への視線も、また自分が知らない世界に乗り出していこうとする意欲をも、失っている様子が見えてくる。 その上で本書を最初から読めば、日本の教育危機の深刻さに納得がいくだろう。 大学教師がサブカルで教え子の気を引こうとしている現状の堕落ぶりも、見えてくると思うのだが。 

・稲垣恭子 『女学校と女学生 教養・たしなみ・モダン文化』(中公新書) 評価★★★ タイトル通りの本である。 戦前の女学校と女学生が担っていた文化や役割などについて分析している。 まあまあ悪くないとは思うけれど、どこか物足りない感じが残るとすれば、階層と女学校の関係が掘り下げられていないからだろう。 時代ごとにどういう階層の娘が女学校に行ったかとか、女学校卒とそうでない女子とではその後人生においてどんな違いを生じたかとか、終章なら女子大学に行った人たちのその後の人生はどうだったかとか、そういうことを私は知りたいのである。 叙述も、「エス」 については例を沢山挙げてあるけど、それ以外のところではどちらかというと著者自身の論述でまとめてしまうなど、ややムラがあるようだ。

・工藤庸子 『宗教 vs. 国家 フランス〈政教分離〉と市民の誕生』(講談社現代新書) 評価★★★★ 政教分離ということがよく言われるけれども、先進国が一様に政教分離なのかというとそうではない。 この本は政教分離がフランスに独特な制度であることをまず指摘して――英米独がそうでないことは最初のあたりに書かれている――フランスの政教分離がどのように成立していったのかを、ユゴーらの小説からも材料を引きながら説明したものである。 カトリック教会と政府との複雑なやりとりや、キリスト教の神は信じなくとも神自体の存在は疑わなかったユゴーの信念、フランスで女性の選挙権獲得が遅かった理由、修道会が教育に占めていた位置、修道会が公教育から締め出されて海外に向かったこと (=帝国主義との同伴!)、植民地主義はむしろ左翼の思想であること、などなど、なかなかに興味深い本である。 著者はフランス文学者だが、叙述もいたずらにフランスびいきにならず、冷静かつ客観的である。

3月  ↑

・掛谷英紀 『学者のウソ』(ソフトバンク新書) 評価★★★★ 学者批判の書である。 世間的な「学者先生は世の中を知らない」式の批判/ねたみにおもねるのではなく、真正面から学者の誤りや学界のゆがみを指摘し批判している。 田中康夫が長野県知事だったころ、ダム建設を否定し森林を 「緑のダム」 と呼んで称揚する学者やマスコミが存在したが、これを根底的に論難しているのを始め、ゆとり教育、格差希望社会論、薬害エイズ論などについて学者のデタラメを斬っている。 中でも目を惹くのがフェミニズム批判であろう。 上野千鶴子の恣意的な議論や、女性学学会が自分の主張に都合のいいデータだけ集めようと公言している事実を指摘して学問・学者失格であると宣告しているところが痛快。

・パオロ・マッツァリーノ 『つっこみ力』(ちくま新書) 評価★★★ 前著 『反社会学講座』 で名を売った贋イタリア人 (?) による本。 わかりやすく庶民に受け入れられ良く売れる本がすばらしく、学者の難解な本は無価値であると断じて、お笑いで愉しく面白い社会を目指すべきだとしつつ経済学者を批判する前半部分は、まあ、ほどほどの出来である。 最後の、データの読み方に関する部分で、日本になぜ自殺者が多いのか、不況と自殺率との関係は本当にあるのか、真の自殺理由を探ると――に触れた部分は悪くない、ような気がする。 正しい学問ではなく、面白い本を目指すのが著者の哲学らしいので、あいまいな評価でおしまいにしますねー。

・重松清 『なぎさの媚薬』(小学館) 評価★★★ 以前週刊誌に連載されていたとき断片的に読んで、何となく気になっていたポルノグラフィー。 単行本をネット上の古本屋で買ってみた。 最近トシをとったせいか、ポルノグラフィーでも肝心要の部分だけでなく、いかなる男女がいかなる出会い方をするかをちゃんと描くことが大事ではないか、などと考えるようになった。 その意味で、時空を超えて男と忘れられない女とを邂逅させる娼婦という設定はなかなか面白いと思う。 つまり、セックスは技術だけの問題ではなく、心の問題でもある、という当たり前の前提を忘れず、それを小説的な意匠に巧みにくるんでいるところに、著者の見事な芸があると言いたくなる本なのだ。

・柴田翔 『記憶の街角 遇った人々』(筑摩書房) 評価★★☆ 3年前に出た本。 ツンドクになっていたのをやっと読んでみた。 独文学者で作家でもある著者の回想記。 実はもう少しまとまった記述がなされているのかと思っていたのだが、かなり断片的な内容だ。 東武鉄道社員の次男として生まれ育った幼年時代については比較的詳しいが、その後は経年的な書き方になっておらず、例えば東大工学部 (理1) に入った著者がなぜ独文に鞍替えしたのかとか、その頃、また教師になってからの同輩や同僚の姿などは、多分まだ存命中の人が多いから書くのがはばかられるということなのだろうが、ほとんど出てこない。 主としてドイツ留学中に出会った人々 (外国人) の姿、また手塚富雄や中村真一郎など物故者への短い回想が収められている。 やや期待はずれ。

・桜井哲夫 『占領下パリの思想家たち 収容所と亡命の時代』(平凡社新書) 評価★★★ 労作であるが、しかし、読みにくい本だ。 私としてはサルトルやレイモン・アロンやメルロ=ポンティやカミュといった知識人 (予備軍) たちがドイツ軍占領下のフランスでどのように生き何を考えていたかをまとめて知ることができる書物かと思ったのだが、記述は経年体であり、その時々の事件に焦点をあてながら、同時に多様な人物の行動を短く書き連ねていく手法だ。 だから、個々の人物が戦時中に何をしていたかはまとまっては分からない、と言うか、つかみにくい。 加えて、登場する人物にはこちらがよく知らない人間も多く、当時のフランス思想や文化を専門的にやっている人ならいいのかもしれないが、そうでない私のような人間にはもう少し記述を親切にしてもらわないと書いてあることの重要性が伝わってこない。 ただ、最後の締めくくりからも、この本の主役がサルトルであることは分かるし、彼の戦後のオピニオンリーダーへの志向が、戦時中実はまともな反戦行動をとれなかったことへの代償行為であったらしいことは、伝わってくる。 人間のタイプとしてのサルトルを見据える視点は貴重だろう。

・長友健二+長田美穂 『アグネス・ラムの時代』(中公新書ラクレ) 評価★★★ 表紙の写真を見て、ずいぶんなつかしい本が出たなと思い、買ってしまう。 1970年代、雑誌のグラビアを水着のアイドルが飾り初め、日活のロマンポルノが評判を呼び、テレビでもアイドル歌手が人気を呼び、同時にフォークシンガーが幅を利かせた1970年代を、カメラマンとして多少業界内部をのぞいた人間がふりかえった本である。 もっとも私は70年代はビンボー学生だったから下宿にはテレビもなかったし (そのせいで今もテレビはほとんど見ない)、ロマンポルノを見ようにも映画館に入るカネもなかったわけだが、それでも雑誌グラビアを飾っていたシロウトっぽい女の子たちの姿がまぶしかったことは覚えている。 アグネス・ラムは見事な肢体をしているから写真で見ると大柄に感じられるが、実際は身長が156センチだったのだそうだ。 となると167センチのワタシとも釣り合ったわけか、惜しかったな (何が?) などと思いながら読みました。

・四方田犬彦 「先生とわたし」 (『新潮 3月号』 所収) 評価★★★☆ タイトルがタイトルなので由良君美について書かれたものとは気づかず、小谷野敦氏がブログで取り上げていなければ見逃すところだった (小谷野氏に感謝)。 英文学者・由良君美の名は今では知る人ぞ知るという程度になっているかもしれない。 しかし外国文学に携わる人間とっては、一世を風靡したという言い方が許される人物だろう。 もっとも私はずっと地方の大学にいたから、教わったことは無論、ご当人を拝見したこともない。 東北大にも集中講義に来たことがあるらしいが、石幡直樹氏 (私が東北大の独文研究室助手をやっていたとき隣の英文研究室の助手で、その後新潟大教養部でも一時期同僚であり、現在は東北大教授) の話では 「ちょっと変わった人だった」 とのことであるが、浅羽通明の 『ニセ学生マニュアル』 も東大で停年間近となった由良を 「キレているらしい」 と記述するなど、一筋縄ではいかない人物であったことは確かなようである。 私が由良の名に出会ったのは仙台にいた1970年代の後半、牧神社から出た 『ノヴァーリス全集』 の編者としてであり、また同じ出版社から出ていた雑誌 『牧神』 でノヴァーリス特集が組まれたときに主役として座談会を切り回す姿からであった。 英文学者なのに独文学に属するはずのノヴァーリスの邦訳全集を出してしまうというのが不思議だったし、第3巻資料編のあとがきで出版社が時間的制約を課してくることに不満をもらす書きぶりにも、異様な印象を受けた。 その後、1980年に新潟大に就職して以降、『みみずく偏書記』 など何冊かの著書を読むこととなった。 四方田の書くところを信じるなら、80年代の由良はすでに学者としての盛りを過ぎていたということのようだが、まとまったモノグラフィーをついに書けなかったのがむしろ由良の学者的特質なのであること、自著ではクサしている父親の影が意外に大きかったこと、弟子への嫉妬など、なかなかに興味深い内容だった。 なお下↓も参照。

四方田犬彦 「先生とわたし」 の疑問箇所 (小谷野敦氏がご自分のブログで指摘している部分以外)
(1) 151ページ 「1970年代前半の教養学部や文学部では、由良君美を別にすれば、西洋古典学の久保正彰くらいしか、非東大出身者は正式な教員として採用されていなかったはずである」  → そんなことはない。 私の知る限りでも、文学部英文科には大橋健三郎 (東北大出身)、教養学部ドイツ語科には内垣啓一 (京大出身) がいたはずである。 念のため 『全国大学職員録 昭和46年版』 で確認したが、この2人以外に教養学部ロシア語科には東京外語出身の教員が複数いたようである。(以上は文学部と教養学部人文系・外国語系に限定しての話。)
(2) 159ページ 「ドイツ語教師のローベルト・シンチンガー」  Robert Schinzingerの日本語表記は現代ドイツ語の発音としてはこれで問題ないが (やかましく言うなら、シンツィンガーだろうが)、ご当人が昔風の表記で 「ロベルト・シンチンゲル」 とすることを好んでいたというのはドイツ語業界では有名な話なので、なるべくそれに添ってほしい。
(3) 184ページ 「曾祖父である吉田賢輔(1838〜93)は (…) 明治維新の後も一橋藩儒者兼洋学教授として、徳川慶喜公に仕えた」  細かい話で申し訳ないが、徳川慶喜が公爵を授かったのは1902年だから、吉田賢輔が仕えていた当時はまだ 「公」 ではなかった。
  ほかに、東大教養学部語学教員が学生数に比して少ないと嘆いている箇所などがあって、地方国立大学に奉職している身からすれば、東大はそれでも一番恵まれているんだよと言いたくなるが、省略する。 

・桐野夏生 『グロテスク 下』(文春文庫) 評価★★★★ ↓の続き。 OL殺人罪で捕らわれた不法入国の中国人の手記から始まっている。 これがまたすごい。 中国奥地の田舎で生まれ育ち、貧しい暮らしに耐えられずに不法に得たカネを交通費として広州に出ていくのであるが、その途中の列車の描写がすさまじく、まあ私も中国の人口過剰による出国圧力が強いということは新潟大の留学生を見ていても、また昨年末に日本言語政策学会の研究会で聞いた話からも分かっているつもりでいたけれど、こういう小説で生々しい描写を読むと、隣国の出国圧力が怖くなってくるなあ。 その後の、殺されたOLの手記も読んでいて唸るばかり。 また、オウム真理教のサリン散布事件もたくみに取り入れられている。 最後はちょっと通俗小説にありがちな感じで惜しいと思ったが、上下合わせて800ページ余りを飽かせずに読ませる力量には脱帽です。 

・桐野夏生 『グロテスク 上』(文春文庫) 評価★★★★ 先日副査として目を通した学生の卒論の中で触れられていたので読んでみた本。 BOOKOFFにて半額購入。 東電OL殺人事件をモデルにしつつも、東京の名門Q女子高 (慶応女子高がモデルだとか) を舞台にした、内部進学生による外部生(高校から新たに入った生徒)イジメや、そこに通う生徒たちのランク付け (オーナー社長の娘か、或いは抜群の美貌の主がトップ) など、階層社会・日本の内部で生きる女性たちのグロテスクな様相を描いている。 たまたま途中からQ女子高に入ってしまった生徒たちのサバイバルの様子がすさまじい。 読んでいてたいへん面白いだけでなく、登場人物たちがみな一癖ありなおかつ歪んでいる有様は異様であり、作品に一種のダイナミズムを感じさせる。 私は桐野の本を読んだのは初めてだけれど、著者の持ち味が十二分に活かされた作品なのではないかと思う。 うーむ、と唸ってしまう。

・西尾幹二 『江戸のダイナミズム 古代と近代の架橋』(文藝春秋) 評価★★★★☆ 西尾幹二氏の最新刊で、600ページに及ぶ大著である。 日本、中国、西洋の古代から近代にかけての古典伝承を俎上に載せ、その不確かさ、そして不確かな古典をもとに古代を想定する近代人の所行のありかを問うている。 扱われている材料はきわめて豊富で、文字通り洋の東西からの様々な例が引かれている。 その上で、近代的な学問と古代への想像力という、西尾氏の博士論文 『ニーチェ』 でも扱われていた問題に様々な角度から光が当てられている。 決して難解な本ではなく、むしろ内容の豊富さに比して分かりやすい叙述だが、言及されている材料がきわめて広範なので、こちらの脳味噌のキャパシティがいささか心許なくなってくる、そんな本である。

・内田樹 『下流志向』(講談社) 評価★★★☆ 最近の子供たちの文化資本による「格差」が言われて久しいが、学校がなぜ荒れるのかなどを追究した本である。 その際に、諏訪哲二『オレ様化する子供たち』、および山田昌弘、佐藤学、苅谷剛彦の議論を借りている。 要するに消費者マインドが子供に浸透したために、「消費者の権利」 として教室を (頑張って) 荒らしてしまうのだ、というようなことが書かれている。 まあ、うなずけるところの多い本だけれど、解決策としては、昨今の教育再生会議でも言われているように、生徒を立たせたり居残りさせたりすることすら 「体罰」 として禁じてきた非常識な教育政策を見直すこともちゃんと考えるべきじゃないですかね。 

2月 ↑

・仲正昌樹 『「不自由」 論――何でも 「自己決定」 の限界』(ちくま新書) 評価★★★☆ 3年余り前に出た新書をBOOKOFFにて半額購入。 3年前と言えば小泉政権下でリバタリアン的な思考法が猛威を振るい、「自己責任」 という言葉が流行っていたころである。 仲正氏のこの本もそうした時代の雰囲気 (および 「ゆとり教育」 ) を念頭において書かれたらしいふしがあるが、内容は本格的な西洋哲学史で、といっても網羅的にたどっているのではなく、「人間は自由だ」 という西洋近代的思考の根幹をなす前提を、ハンナ・アーレントの思想をもとに検討している。 アーレントとハーバマスの思想の違い、そしてアーレントの方がむしろ人間の深部に迫り得ているのではないか、というあたりが特に面白い。 難解な思想家を手際よくまとめてみせる氏の力量は相変わらずである。 また、最後で、「自己決定」 とは要するに 「気短か」 のことであると喝破し、最近の大学改革の中で 「学生のニーズに合わせた授業を」 という上層部の方針に反発して 「学生のニーズに合わせて授業をやらない」 と宣言したら当局から 「ダメ教員」 のレッテルを貼られた、というあたりは、まさに哲学と現代病の接点を示していて共感が持てた。 いやはや、百万石の伝統を誇るはずの金沢大学も新潟大学と変わりないんですねえ。

・榊原喜佐子 『徳川慶喜家の子ども部屋』(草思社) 評価★★★ 10年前に出た本を授業で学生と一緒に読んでみた。 著者は旧姓・徳川で、最後の将軍となった徳川慶喜の孫に当たる。 少女時代 (著者は大正10年生まれ) をすごした徳川公爵家の様子を、当時の日記をもとに語っている。 女子学習院の雰囲気を語っている箇所が特に面白いし、アメリカとの戦争が始まる直前に結婚し、夫を戦地に送り出し、戦後はもはや特権階級ではなく普通の主婦として暮らすことを余儀なくされるまでの時代の変遷も興味深い。

・日高敏隆 『動物の言い分 人間の言い分』(角川oneテーマ21) 評価★★★ 5年ほど前に出た本だが、何となく読んでみた。 著者は京大名誉教授の動物学者。 さまざまな動物の形態や行動について説明し、考察を加えている。 種の多様性、動物行動の多様性がよく分かる。 そしてそれを観察して考えている人間は哲学者に近いのではないか、などという感想がわいてくる本である。 

・佐貫利雄 『急成長する町 淘汰される町』(だいわ文庫〔大和書房〕) 評価★★★ 人口減が始まった日本。 その中でなお成長を続ける町、停滞する町、衰退に向かう町を県ごとに取り上げて論じた本である。 東京と名古屋 (業績絶好調のトヨタをかかえているので) が成長を続け、その他福岡など若干の都市も人口増加を続けるけれど、他は停滞か衰退なのだそうである。 まあ、そんなものですかと思うけれど、著者の物差しは人口とそれを支える産業にしかなく、もう少し別の視点がないのかいな、と言いたくなる。 ちなみに我が新潟県では、新潟市が 「停滞」、ほかの大部分の都市は 「衰退」 か 「自然淘汰」(!) である。 ううむ。 なお、大阪府の堺市に福知山線が通っているってのは (255ページ)、どう見ても間違いでしょうね。 

・高橋哲雄 『ミステリーの社会学 近代的 「気晴らし」 の条件』(中公新書)  評価★★★ 17年ほど前に出た新書をいつだったか古本屋で300円で購入。 今年度前期の大学院の授業で探偵小説論を読む授業をやったのだが、来年度も引き続きやろうかと考えているので、材料探しに読んでみた。 著者が経済学者であるためか、トリックの分類とかよりも、探偵小説が成立するための社会的な条件だとか、ペーパーバックの発明と探偵小説の普及の関係だとか、図書館の成立とそこに大衆小説が導入された時期だとか、外延的な事柄に多くのページが割かれている。 それはそれで面白いし、幅広い知識が得られる本ではあるのだが、ミステリー好きという基本点から見て満足できる本になっているかどうかは、やや疑問。

・鈴木直 『輸入学問の功罪――この翻訳わかりますか?』(ちくま新書) 評価★★★☆ 著者は西洋哲学専攻の大学教授。 とかく分かりにくい哲学の翻訳 (ドイツ語からの) を批判し、併せてなぜ分かりにくい翻訳がまかり通るようになってしまったのかにまで考察を深めた本である。 明治以降の近代化は、実際には下からの、つまり庶民の側の熱意から達成された側面が少なくないのに、それを過小評価して、上からの改革だけを成功の原因としてきた偏向が、輸入学問をことさらにありがたがる知識人の歪みを生んだとしている。 途中の議論の進め方がなかなか説得的だし、カント哲学の初歩についても教えられるところがあって悪くない本だと思うけれど、肝心の哲学翻訳批判がやや薄手になってしまってはいませんかね?

・小原田泰久 『イルカが教えてくれたこと』(KKベストセラーズ) 評価★☆ 10年前に出た本をいつだったかBOOKOFFにて半額で購入しておいたもので、授業での必要性から読む羽目に。 イルカが 「宇宙の意識」 と通じていて人間に生き方を教授してくれる、とか、イルカからは 「気」 が発していて人間の病を癒してくれるとか、まあそういうことを書いた本です。 基本的にオカルトとある種の通俗哲学なのであるが、興味深かったのは著者の経歴。 名古屋工業大学を出て大企業に勤めたものの間もなく退社、その後中小企業に入るものの、これも数年で退社。 もともと人間との付き合いが嫌いだったらしいが、中国に旅行に行ったら 「気」 の大家である日本人と遭遇して意気投合、そこから 「気」 を通してイルカへの道へ・・・・・というあたりが、何というか迷える現代人の一つの生き方を示しているようだし、理工系の人間は案外オカルトに弱い、というのが私の持論なので、その意味ではまあ面白かったのですがね。

・雲村俊慥 『大奥の美女は踊る 徳川十五代のお家事情』(PHP新書) 評価★★★☆ TVドラマや映画で 「大奥」 ブームになっているが、徳川十五代将軍の正室と側室に焦点を当てた本である。 歴代の将軍が迎えた正室と愛でた側室が挙げられているだけではなく、その出身や、産んだ子供などに至るまでこと細かく説明がなされており、また大奥の作法や習慣にも言及があるので、知識が得られるだけではなく、読んでいてそれなりに楽しい (ただし文章のつながり具合に難点がある箇所が若干見られる)。 それにしても、15人の将軍のうち、正室から生まれたのは三代家光と最後の将軍慶喜だけというのは驚きだし、またいくら医療水準が低かったころとはいえ、生まれてすぐ、或いは生後数年で死ぬ子が圧倒的に多いのには唸らされるのである。

・名取春彦+上杉正幸 『タバコ有害論に異議あり!』(洋泉社新書y) 評価: 名取執筆部分★☆ 上杉執筆部分★★★ ここのところ喫煙に対する社会的な風当たりが異常に強い。 私自身はタバコは吸わない人間だが、こういう風潮はあんまり好ましくないと思っている。 分煙やマナーを守れば、あとは趣味の問題だと考えるからだ。 で、この本だが、前半の名取春彦のところは、どうにも出来が悪い。 喫煙有害論の統計へのいちゃもんなんだけれど、文字通りいちゃもんの域を出ていない。 後半の上杉正幸のところが一読に値する。 伝染病がほぼ根治され、複合的な原因で発病する病が残った時代に到来する過度の 「健康」 重視社会を考え直す契機が含まれている。

・東野圭吾 『手紙』(文春文庫) 評価★★ 昨年末にこの作品の映画化されたものを観たが、釈然としない印象が残った。 しかし映画はヒットしていたようだし、原作もよく読まれているのだという。 それでBOOKOFFに半額で出ていた原作小説を買って読んでみた。 兄が強盗殺人を犯して無期懲役刑となり、そのため就職や人付き合いにおいて差別を受けて苦労する弟の話である。 話自体は面白くてあっという間に読めるけれど、問題は、自分自身はなんら罪を犯していない人間が社会で差別を受けることに対して作者がどういうスタンスをとっているかである。 私には、これは差別を容認する小説としか思われない。 といって純文学のように人間の中の悪をじっくり見つめているというような作品でもない。 通俗文学の範疇なのだが、それがこういう自堕落な道徳観で書かれてしまう日本にイジメがはびこるのも当然なのかなあ、というのが私の感想です。

・安田敏朗 『「国語」の近代史』(中公新書) 評価★☆ 明治以降の日本で国語を近代化しなおかつ国家形成の土台とするために何がなされてきたかをたどった本だが、出来はきわめてよろしくない。 まず、著者のものの見方、考え方がすごく一面的かつ幼稚である。 集めた材料は多いし朝鮮や台湾といった植民地での国語教育にも触れているのは貴重だが、その扱い方がまずいので、説得力がない。 東大および東大大学院出で一橋大の助教授をやっている人がこんな本を出すようでは、日本の知的レベルはまだまだである、と言いたくなってしまう、そのくらい???な本です。

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