酒井健 『死と生の遊び』(魁星出版)書評 (新潟日報 2006年10月22日、書評欄〔第10面〕掲載)

 

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 楽しくもあり恐ろしくもある本である。

 楽しいのは、旅行記だからである。 東京在住の著者は広義の美術品、つまり絵画や建築や土器を見るために日本や外国を旅して回る。 そして各地の印象や思わぬ出来事を書き記し、土地ごとの多様な価値観の核心にまで踏みこみながら、どんな場所にも人間の生活が芸術的感性をともないながら存在すると教えてくれるのだ。

 本書にはまたカラー図版が多数挿入されているから、著者ならではの美術への洞察がたいへんわかりやすくなっている。 装幀を含めて、この本自体が一種の美術品になりおおせているようだ。

 しかしこれは恐ろしい本でもある。 なぜならここに取り上げられている美術品は、お手軽な 「芸術鑑賞」 の道具ではないからである。 著者は人間の根源、すなわち死と生を表現するところにこそ美術の本質があると考える。 芸術家とはいわば遊びである芸術によって死と生の境界線に迫る人間なのであって、著者も鑑賞者として同じ境地を体感しようとしている。 その真剣さが怖い。

 旅の最初の目的地は新潟県十日町市。 その市立博物館に所蔵されている縄文時代の火炎土器が著者のお目当てである。 同館は越後で発掘された縄文土器を多数所蔵しており、この分野のメッカだという。

 縄文土器が初めて発見された頃、美術品扱いされることはなく、あったとしても弥生土器に比べて野蛮で未成熟な代物とされるのが常だった。 それをひっくり返したのが画家・岡本太郎である。 彼は縄文土器を見て衝撃を受け、その荒々しさと不調和に恐るべき芸術を見て取った。

 著者は十日町で火炎土器を間近に観察して、岡本太郎の業績を評価しながらも別の見解に行き着く。 不合理な荒々しさだけをここに見るのは誤りではないか。 その形状にはある種の規則性があり、自然の規則を知悉して暮らしていた縄文人の意識が表れているのではないか。 しかし著者の洞察はまだ終わらない。 この規則性の中にまた規則性に安住できない生の息吹が感じられ、そこにこそ火炎土器の魅力がひそむというのである。

 著者の筆は豊かな感受性を含むと同時に広範な学識に裏打ちされている。 美的感覚を欠いた学者の浅薄な議論を批判する箇所も多いが、単なる思いつきを並べているのではない。 芸術の根源とは、博識をあくまで従者とする鋭い美的感受性によってのみとらえられるのだと、著者は身をもって読者に示そうとしている。 貴重な書物と言えよう。

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