音楽雑記2006年(2)

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  音楽雑記2006年の5月まではこちらを、11月以降はこちらをごらん下さい。

 

10月31日(火) 午前中渋谷で映画を見た後、久しぶりに元祖くじら屋に寄って昼食を取る。 日本の捕鯨を支援するためにも、上京した時にはなるべく立ち寄るようにしているのだが、ここ数回の上京では昼食をとる時間帯に渋谷に来ることがなくて、寄れないでいた。

 店内に入ってみると、以前とは違って内部がいくつかの小部屋に区切られている。 時流に合わせて改装したらしい。 いつものように唐揚げ定食を頼んだけれど、以前は千円弱で食べられたものが、若干値上げして千円強になったのが残念。 その代わりみそ汁も鯨汁になったりして内容的には少しグレードアップしているようだが、安価で鯨が食べられるってのは大事なことだと思うんですがね。

 でも若い女性の一人客が私の後から来て、刺身定食 (私の唐揚げ定食より無論高い!) を頼んだりしていたから、これはビンボー症の中年男の発想に過ぎないのかも知れません。

 夜7時から、神尾真由子無伴奏ヴァイオリンリサイタルを聴く。 藤沢市のレストラン 「ラーラ・ビアンケ」 にて。 会場は定員60人ほどの狭い、ホールと言うよりはレストランの大きめの一室、という感じ。 新潟で言えばスタジオ・スガマタを少し広くした程度。 主催は鵠沼 (くげぬま) 室内楽愛好会。この団体については後述。

 プログラムは、前半がバッハの無伴奏ソナタ第一番とバルトークの無伴奏ソナタ。 後半が、イザイの無伴奏ソナタ第3番、池辺晋一郎の 「映画 『カタルシス』 より『島に吹く風』『ようかいよう』『光る海』」、H・W・エルンストの 「練習曲第6番 『夏の名残の薔薇 (庭の千草)』。 アンコールとして、バッハの無伴奏ソナタ第2番の第3楽章。

 神尾さんは以前に東響新潟定期のソリストとして登場したことがあり、その時はどこか線の細い印象が残った。 しかし今回は会場が狭いこともあって、力感あふれる演奏を披露してくれた。 ちなみに、東響定期に登場したときのプログラム掲載写真はまだ少女っぽさを多分にとどめたものだったと記憶するが、今回間近に拝見すると、二十歳の神尾さんはすっかり大人の女性らしい貫禄がついており、演奏している時の顔つきはかの大ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフに似ているような・・・(と言ったら女性に失礼かな。 なお私はオイストラフを生で聴いたことはない)。

 プログラムもすごい。 前半は重量級が2曲だし、後半はそれに比べると軽いかな、と思っていたら、最後のエルンストの練習曲が、「庭の千草」 の有名なメロディを元にしているのとは裏腹に、重音の練習用に作られたものだそうで、それ以外にも超絶技巧を色々駆使したとんでもない難物で、聴いている方も疲れてしまうほど。 最後に、プログラムにサインもしてくれる大サービスぶり。 CD販売とからめて、じゃないところがうれしい。

 さて、主催の鵠沼室内楽愛好会だが、藤沢市の鵠沼という地域を中心として息ながい活動をつづけているようで、この神尾さんのリサイタルで243回目の演奏会になるそうである。

 神尾さんの演奏会は、少し前にシリーズ演奏会としてこの団体が 「実力主義! 10人の女性ヴァイオリニスト」 という企画をたてたとき、その一人として呼ぶ予定でいたのが、神尾さんが忙しすぎて日程が合わず、結局その時はシリーズからははずしたものが、今回、たまたま日程が空いているというので急遽演奏会が決まったものだそうである。

 ちなみに、その 「10人の女性ヴァイオリニスト」 に登場したのは、出演順に、渡辺玲子、竹沢恭子、戸田弥生、漆原朝子、小林美恵、堀米ゆず子、加藤知子、横山奈加子、石川静、前橋汀子、だとのこと。 うーん、涎がたれそうな顔ぶれではないか。 そして今回の神尾さんの演奏会が10人+1として開催されたわけだ。

 藤沢市の団体と言っても無論市外の人もいるのだろうが――私は今回、「わざわざ新潟からお越し下さったのですか」 と感激されました――調べてみると藤沢市の人口は約40万人。 合併してできた大・新潟市の半分。 それでもこういう団体があり、毎月演奏会を開いていて、しかもこれほど充実した企画を実現しているのだ。 藤沢市教育委員会が後援しているから、税金も多少は使われているのであろう。

 私は、正直、ため息が出た。 政令指定都市になろうという大・新潟市がさっぱりヴァイオリニストを呼ばないのと比較して、何という違いであろうか。 無論、この団体はヴァイオリニストばかり呼んでいるわけではない。 チラシには来年1月から7月までの予定が記されていたが、ヴァイオリンのリサイタルが2回、チェロ、SQ、ピアノカルテット、ピアノデュオが各1回、未定1回、となっていた。

 なお、この団体はサイトも持っているので、興味のある方は閲覧を。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurobe56/ksc/ksc.htm 

 無論、首都圏という地の利もあろうが、それだけで新潟とこんなに差が出るとは思われない。 別の差があるのである。 私としては、何とかその差を埋めていきたいと考えているのだが。

10月30日(月) 午後2時から、新宿の新国立劇場にて、モーツァルトのオペラ 「イドメネオ」 を鑑賞。 3階正面やや右よりのB席で10500円なり。

 私は、隣接するオペラシティホールには何度か来ているのだが、オペラをやる劇場の方に来たのは初めてである。 3階でも音は十分聞こえるし、上から見下ろすと舞台の奥行きもよく分かり、悪くないと思った。 

 キャストは、イドメネオ=ジョン・トレレーヴェン、イダマンテ=藤村実穂子、イーリア=中村恵理、エレットラ=エミリー・マギー、アルバーチェ=経種廉彦、大司祭=水口聡。 指揮=ダン・エッティンガー、演奏=東京フィルハーモニー交響楽団、演出=グリシャ・アサガロフ。

 私はこのオペラを生で鑑賞するのは初めて。 主役4人はいずれも立派で、強いて言えばエレットラ役は舞台の奥に立つと声がやや通りにくくなるようだったが、それ以外はまったく問題なし。 東フィルの演奏も素晴らしく、オペラというと最近は新潟市にも年に2つくらい外来の劇団が来るのだけれど、まあ地方都市に来るのは二流どころだからかもしれないが、特にオケの演奏が薄手な感じになりやすい印象があり、そこへ行くと本日の演奏は音に厚みとつややかさがあって、申し分なかった。

 しかし休憩2回をはさんで4時間近くかかるから、最後は尻が痛くなる。 オペラって、体力勝負ですよね。

10月29日(日) ギンレイホールで2本立て映画を見てから、高田馬場で友人と会い、数時間飲みながら話をする。 小学校から高校まで同級だった男だが、お互いトシを取ったという話に流れやすいのは、仕方がないんでしょうか。

10月28日(土) 新幹線にて上京。 映画を一本見た後、午後3時から桜美林大学新宿キャンパスで、日本言語政策学会の月例研究会に臨む。 今回は、新宿日本語学校校長の江副隆秀氏による 「これからの日本語教育」 という発表である。

 長らく実践的な作業に関わった方らしく、研究者とはひと味違った視点から、日本における留学生の受け入れ態勢の問題点、多数の中国人が外国に向かっている実態、外国人に日本語を教えるコツ、などなどについて語られ、なかなか面白く拝聴することができた。

10月26日(木) 前にも同じようなことを書いたけれど (6月1日)、事態が改善されていないので、しつこく書く。

 新潟市は、ヨーロッパ系の映画 (ハリウッド製作でヨーロッパ素材のものを含む) があまり上映されない。 シネコン3館とミニシアター1館で合計26スクリーンあるというのに、である。

 近々日本で公開される下記のヨーロッパ系映画も、新潟に来るかどうか、きわめて心許ない。 以前と同じく、東北6県、長野県、北陸3県 (富山・石川・福井) と比較してみよう。 いずれも作品の公式サイトでの情報によるもので、新潟での上映館は現時点では掲載されていない作品である。

 「クリムト」  東北6県すべて、長野県、北陸3県すべてで上映

 「トリスタンとイゾルデ」 秋田以外の東北5県、長野県、富山県で上映

 「上海の伯爵夫人」 東北6県すべてで上映

 「敬愛なるベートーヴェン」 東北6県すべて、長野県、富山県、福井県で上映

 以上、比べてみると、ヨーロッパ映画上映に関しては新潟は恐るべき後進県であることが分かる。

 「敬愛なるベートーヴェン」 (どうでもいいけど、「敬愛なる」 って、日本語としておかしいんじゃないか!) はまだだが、他の3作品について新潟市内のユナイテッドシネマ新潟 (シネコン) とシネ・ウインド (ミニシアター) に尋ねてみたが、ユナイテッドは3作とも予定なし、ウインドは 「クリムト」 には脈がありそうだが他は・・・・・という回答だった。 

 (追記: その後 「敬愛なるベートーヴェン」 についてもユナイテッドに問い合わせたが、やはり上映予定なし、という回答だった。 とほほほ・・・・)

 (追記の追記: その後、WMC新潟で1月から 「敬愛なるベートーヴェン」 を上映と決定。 他の3作はまだ未定――11/15) 

  いや、この2館はまだ質問できるだけ良心的なのである。 他のシネコン2館は尋ねようにも質問用フォームがサイトにないし掲示板も設置していないので、尋ねようがないのである。

 来春には政令指定都市になるという新潟市。 東北6県と北陸4県と長野県の計11県中では、仙台に続く政令指定都市だというのに、ヨーロッパ系映画のこの冷遇ぶりはどういうわけだ。 映画館の系列とか色々難しい問題もあろうが、何とかしてほしいものだ!

10月22日(日) 本日の新潟日報朝刊の書評欄に、法政大教授・酒井健先生の 『生と死の遊び』(魁星出版) を紹介する私の文章が掲載された。 ごらん下さい。 同紙を取っていない方は、こちらから。

10月19日(木) 1週間前のことになるが、多忙で記す時間がなかったので、本日報告しておきたい。 元・東京大学医学部付属病院教授の柴田洋一先生から電話をいただいた。 官僚相手の裁判で勝利されたとのこと。

 日本の官僚のデタラメぶり、自分に都合の悪いことを平気でごまかす根性、自分で推進した政策の失敗に責任をとらないで済むという驚くべき制度的不備などについては、私も当サイトで何度か書いてきたが、敢然と彼らに戦いを挑み、勝利を得られた先生の勇気と正義感に心から拍手を送りたい。

 詳しくはこちらで。 官僚の言いなりになってるくせに自分で何かやっていると錯覚している国立大教員 (の大多数) は、見習うべきだと思いますがね。

  *     *     *     *

 午後7時から、りゅーとぴあスタジオAで岩淵恵美子チェンバロ・フォルテピアノ・リサイタルを聴く。

 プログラムはオール・ハイドンで、前半が 「十字架上の7つの言葉」 より (フォルテピアノ)、ディヴェルティメント・ホ短調Hob.I-771 (チェンバロ)、ソナタ・ニ長調Hob.XVI-37 (チェンバロ)、カプリチョ 『「8人のだらしない仕立屋」 による』 Hob.XVII-1 (チェンバロ)、後半がピアノトリオハ長調 (ピアノ独奏用に編曲、フォルテピアノ) Hob.XV-27、アンダンテと変奏ヘ短調Hob.XVII-6 (フォルテピアノ)。

 一口で言うと、たいへん充実した素晴らしい演奏会だった。 今年の演奏会としては、1月のアレクサンダー・ガブリリュク・リサイタル以来の 「当たり」 コンサートかな、といったところ。

 フォルテピアノは、実演で聴いたのは多分初めてだが、会場が小さめのせいか、それなりに迫力がある。 大きな会場でグランドピアノを聴くより、むしろ音に生々しさと感情がこもっており、ハイドンの曲の面白さや内実がよく表現されていた。 オール・ハイドンでも全然飽きない。 ハイドンという作曲家にはこんな側面があったのかと、蒙を開かれる思いであった。 一応ハイドンのピアノソナタは全曲盤CDを持っているのであるが、あまり聴いていない。 これから真面目に勉強しよう。

 外見的にも愛くるしくてチャーミングな岩淵さん、また是非演奏会を開いていただきたい。 聴衆は50人ほど。 もっと沢山の人に聴いて欲しい演奏会だったが。

10月18日(水) 理系の学問世界ではデータの捏造が問題になっているが、文系の学問世界も例外ではあり得ない。 本日の毎日新聞に、考古学者へのインタビュー記事が載った。

 考古学の世界では周知のように、F某による旧石器捏造が行われ、毎日新聞がスクープして事件を明るみに出し、それを契機に捏造を見抜けなかった考古学者たちの甘さとなあなあ体質が批判にさらされた。 この記事では、発言力の強い学者の発言が検証を経ずに通説として一人歩きする傾向が指摘されている。

 この記事とは別の話になるけど、2002年に羽入辰郎が 『マックス・ウェーバーの犯罪』(ミネルヴァ書房) を出して、マックス・ウェーバーの学問が学者にあるまじき資料操作をもとにでっちあげられたものだと主張した (この書物には山本七平賞が授与されている) のに対して、その後、ウェーバー学者の折原浩が正面切って批判を加えた。

 実は私は、羽入の書物が出たことは早くから知っていたが、折原の羽入批判を知ったのはうかつにも本日になってからである。 生協書籍部に折原の大学院大衆化に対する批判書 『大衆化する大学院』(未来社) がおかれており、それが実は――表題から推測されるのとは違って――羽入の博論を審査した東大大学院人文科学研究科に対する論難の書物なのである。 つまり、折原は羽入の本を批判する本を出すにとどまらず(『ウェーバー学のすすめ』〔未来社、2003年〕)、彼の博士論文を審査して博士号を授与した東大大学院をも批判しているのだ。 うーん、そこまでやるか・・・・・という感じではあるが。

 以上はほんの二例に過ぎないが、「学問」 の真正さに対する検証作業は、おそらくは今後文系全般でも進められるのではないか、と思う。 かつての考古学界のような、内部の人間だけに通用するなあなあ主義は破綻するだろう。

 文系の学者は私の目には、きちんとデータを取って検証せずに言説だけでことが片付くと思っている人間が多いように思える。 いや、偏見かも知れないが、どうも学者としての基本的な操作に欠けていると思われる場合が少なくない。 そのあたりからまず何とかしないと。

10月16日(月) 昼、水曜1限に出している教養科目・西洋文学LUの再抽選。 先々週受付をして、先週は実質第1回の授業をやったのだが、その時は取り消しが一人もなく、どうしても取りたいとやってきた学生を断らざるを得なかった。 それで、その後取り消しが出たら本日の昼間に再抽選を行うと掲示を出した。

 案の定、その後4人取り消しが出た。 そして本日昼間にやってきた学生も4人。 ちょうど良かったですね。 めでたしめでたし。 どうやら水曜1限の教養科目は収まったと見ていいだろう。

10月12日(木) 昼、月曜2限に出している教養科目 「鯨とイルカの文化政治学」 の2度目の抽選をする。 1度目が競争率4,5倍という熾烈さだったので (10月2日の記述を参照)、当選者をあとで決めて掲示板に張り出したが、その際、聴講確認のために私の研究室に来るよう義務づけた。 来ない者は当選取り消しである。

 その結果、100人の当選者中17人が確認に来なかったので、本日その分を再抽選したのである。 しかし本日も数十人が聴講を希望し、競争率は4倍である。 うーん、月曜2限の人文系教養科目、足りていないんじゃないかなあ。

 さて、本日は夜7時からラン・ランのピアノリサイタルを聴きにりゅーとぴあへ。 席はCブロックに近いBブロックの最前列。 簡単に言うと聴衆から見て舞台の斜め右前。 ラン・ランなんていうとパンダの名前みたいだが、中国出身の男性ピアニストで26歳である。

 プログラムは、前半がモーツァルトのソナタハ長調K.330、ショパンのソナタ第3番、後半がシューマンの「子供の情景」、ラフマニノフの前奏曲Op.23-2と23-5、リストの 「巡礼の年第2年」 より ”ペトラルカのソネット第104番” と 「ハンガリー狂詩曲第2番(ホロヴィッツ編)」。

 最初と最後がよかったかな。 モーツァルトはケレン味のない素直な弾き方が曲の特質をよく表現していた。 ラフマニノフとリストは、まあ、拍手喝采を浴びるための曲のようなものだから、あれで結構。

 ショパンとシューマンはやや問題ありの感。 私はショパンのソナタは好きじゃないのだが (ショパンの本領は短い曲にあると思う)、もう少しメリハリをつけて派手に弾いてもいいのでは。 特に低音があまり出ていないようで、やや物足りなさが残る。

 シューマンは、出だしは弾き方が素直で、素直すぎるくらいだったが、途中からちょっとニュアンスを付けはじめ、しかしそれが必ずしもうまくいっていないというか、シューマンの特質を自分なりに捉えることができていないような、思いつきで弾いているような、そんな印象が。 シューマンって難しいですからね。

 アンコールに、呂文成の 「平湖秋月」、「おぼろ月夜」、リムスキー=コルサコフの 「くまんばちは飛ぶ」 が演奏された。

10月11日(水)  文科省から押しつけられたものを、独法化した現在も可能な限り存続させようという大学人の根性は、どうも私にはついに理解できないもののようだ。 私は大学人の基準からすれば思想的には保守反動の部類だろうけれど、私から見れば左翼ほど文科省に従順なのである。 この不思議な現象は、一考に値すると言わざるを得ない。

 と言っても何のことか分からないでしょうが、分かるように書くと差し障りがあるので、ご勘弁を。

 ただ、文科省が教養部解体を画策していた頃、なぜか職組も同じようなことを唱えていた、という、これまた摩訶不思議な現象を書きとどめておきたい。 両者は案外仲がよいのではなかろうか。 

 閑話休題。

 夜、加茂市の加茂文化会館にベルリンフィルハーモニー木管五重奏団演奏会を聴きに行く。 席はやや前よりの右手。 ただこれだと、私の目線が演奏者の尻のあたりになるので、もう少し後ろでもよかったかな、と思った。

 プログラムは、前半がモーツァルトのディヴェルティメント第14番K.270(ハーゼル編曲)、ダンツィの木管五重奏曲op.56-3、ヒンデミットの5つの管楽器のための小室内音楽op.24-2、後半がモーツァルトの「コシファントゥッテ」によるハルモニームジークK.588(ウルフ=グイド・シェーファー編曲)、モーツァルトのセレナード第12番K.388「ナハトムジーク」。

 木管五重奏の演奏会というのはなかなか聴く機会がないが、ベルリンフィルのメンバーによる五重奏団だけあってさすがにうまい。 決して派手ではなく、ハーモニーを重視してよく制御された確実な音楽、という印象。 曲になじみがあるということで、やはり最後のモーツァルトのセレナードに感銘を受け、いまさらながら、いい曲だなあとしみじみ思ったのであった。

 会場の入りは、半分くらいか。 吹奏楽部所属かと思われる女子高校生 (中学生?) がたくさん来ていた。 終演後、CDを買ってサインをしてもらう。 できればモーツァルトのセレナードが入っているCDが欲しかったが、ないようだったので、ニールセンやペルトの木管五重奏曲が入ったCDを買った。 むろん、今まで一度も聴いたことのない曲である。

10月8日(日) 午後2時から、ネーベル室内合奏協会の第58回定期演奏会に行く。 音楽文化会館。 

 前半はヴィヴァルディ・プロで、クリスマス協奏曲(op.6-8) をやってから、松川知樹くんをソリストに迎えて 「四季」 から 「秋」、そして飯山徳子さん、森沢紗弓さん、枝並友希さん、山口萌さんをソリストに迎えて4つのヴァイオリンのための協奏曲(op.3-10)。 後半はシャルパンティエのミサ曲などを組み合わせた弦楽合奏と、リュリのバレ音楽 「アルシディアーヌ」 より。

 やはり前半が面白い。 今回ソリストとして登場した合計5人はいずれも奥村和雄氏の門下生で、中学生から大学生までの年齢層の人たちだそうである。 (奥村氏とその弟子の庄司愛さんも合奏に参加。) といっても、3曲目で私は腹痛を起こしてトイレに駆け込んでおりましたので、トイレでも放送で演奏は聞こえるのだが、生では聞き損ねてしまった (汗)。

 後半は、正直、眠かった。 シャルパンティエの宗教曲は、やはり合唱を入れてやるべきではないか。 前半からずっと弦楽合奏だけだと、演奏会として単調になる。 管の協奏曲を入れるとか、一工夫必要では。

 ネーベルも地道に活動を続けているけれど、広報がイマイチ。 今回は一昨日にりゅーとぴあでチケットを買ったのだけれど、普通ならチケットを買うとチラシを同封してくれるものなのに、それがない。 そもそも、りゅーとぴあでチラシを見た記憶が私にはないのだが、作らなかったのか、作っても少部数だったのですぐになくなってしまったのか。 また、新潟交響楽団や新潟室内合奏団はサイトを持っているけれど、ネーベルにはそれもない。 一工夫欲しいところ。

10月7日(土) 9月の後半、東京に行ったりイタリア旅行に出かけたりしていたので見るのが遅れたが、ドイツの週刊誌"Der Spiegel"の8月21日号にギュンター・グラスのナチ関与問題が取り上げられていたので、一部を報告しておこう。

 まず、グラスを批判する者と擁護する者との陣営がすばやく築かれた、と指摘されている。 ロルフ・ホーホフート(作家・批評家: 日本では一般にローマ教皇のナチス容認を批判した 『神の代理人』 〔邦訳あり〕 の著者として知られる) が批判に、ヴァルター・イェンス (文芸学者: 著書はいくつか邦訳されている) が擁護に回ったほか、内外の著名人が批判 (ワレサなど) と擁護 (ラルフ・ジョルダーノ、ジョン・アーヴィングなど) で色分けされて掲載されている。

 また近年のグラスの言説も批判の槍玉に挙げられている。 グラスは過去のナチ時代のドイツを批判し続けただけではない。 1991年のドイツのイラクへの出兵に関して、これでドイツの若い世代も1942年のヴァーンゼー会議 (ナチがユダヤ人絶滅を決定したとされる会議) と同じ責任を持つことになった、なんて発言をしているからだ。

 また、ドイツ統一の時も、グラスはそれに反対する理由として、アウシュヴィッツへの贖罪としてドイツは分裂し続けなければならない、なんてことを言っているのである。

 自分にやましいところがあるからこそ、こうした極端なナチ・ドイツ人一般への批判をし続ける必要があったのだ、という心理学的な分析がなされている。

 また、グラスは長年社民党 (SPD) のシンパとして活動してきたから、当然ながら保守陣営からの激しい批判や、逆に左翼陣営からの擁護などもあるようだ。

 問題は、武装SSでグラスが実際に何をやったのか、ということだが、これは外部からの検証はまず不可能だ。 武装SSが戦争末期にポーランド人やロシア人の捕虜を殺戮したこと、自国民をも多数殺したらしいことは1頁の別枠記事として要領よくまとめられている。 と同時に、武装SSだけが戦時中に残酷な殺戮行為を行ったわけではないことも本文で指摘されている。 しかし武装SSのこの点での責任が大きいことは否定できない。

 この問題の発端はグラスが自伝でかつて武装SSに所属したことを告白したところにあるわけだが、自伝での問題箇所の記述が曖昧であることが歴史家によって指摘されているという。 彼が所属していた武装SSのおかれていた状況や、彼の当時の経歴については細かい穿鑿もなされているが、ここでは省く。

 ある機関の調査によれば、「告白後のギュンター・グラスは、あなたにとってその発言が政治的かつ道徳的になお重みを持つ人物でしょうか?」 との問いに対して、「イエス」 という回答が65パーセント、「ノー」 は24パーセントだったという。 また、「グラスはノーベル文学賞を返上すべきだと一部の政治家が発言していますが、どう思いますか?」 との問いには、「適切だ」 は10パーセント、「厳しすぎる」 が86パーセントだったという。

 なお、最後にジャーナリストであるウルリヒ・ヴィッケルトとグラスとのテレビでの対談が一部掲載されているが、すでに本サイトで毎日新聞の記事から引用したように、グラスのナチ所属は今度の自伝で初めて告白されたわけではなく、1967年にイスラエルで行った演説ですでに告白がなされていたと述べられている。

  以上、15頁ほどにおよぶ記事からのごく一部分の大ざっぱな抽出である。 私の感想は以前と変わらない。 ハイティーンの少年がかつてナチに所属していたことの責任を問うことが生産的だとは思われない。 無論、事実関係をきちんと調査して確定すること自体には賛成だが、問題はむしろ、(小説家としてはともかく) 80年代にはすでにその政治的発言の無効性がはっきりしてきたグラスのような人物の発言をなお信頼するという一般ドイツ人が少なくない、ということの方なのではないだろうか。

10月4日(水) 1限、教養科目の西洋文学LUの聴講受付。 定員150名に対し、220名余が押しかけ、競争率は1,5倍。 昨年度の同じ時間帯は240名が押しかけてきたから、今年はちょっとマシになったとは言えるが、例のごとく 「ここを取れないと留年なので・・・」 と言ってくる学生がいる。 本質的には本人が悪いわけだが、教養科目全体の数と定員が足りているのかどうか、適切な曜限に出されているのかどうか、やはり気になる。

10月2日(月) 本日から後期の授業開始。 最初の1週間は聴講票受付だが、初日からポカをやってしまう。 今年度から新しく2限に教養科目 (正式には現在はGコード科目という) の 「鯨とイルカの文化政治学」 を出しているのだが、どういうわけか間違って3限と思いこんでいて、なかなか私が教室に現れないのに業を煮やした女子学生が迎えに来る、という不始末をしでかしてしまった。 うーん・・・・・イタリアぼけがまだ続いているらしい。

 で、あわてて教室に行ってみたら、学生が廊下にあふれ出ている。 定員は100名なのだが、とてもそんなものでは収まらない。 数倍はいそう。 その場で抽選するのは無理なようなので、持参した紙に学生の学籍番号と氏名を書かせて、あとで抽選をし、掲示板で当選者を発表することに。

 研究室に戻ってから数えてみたら、約450名もいた。 競争率4,5倍である。 難関ですなあ。

 もっとも、授業のテーマに本当に興味のある学生がそんなに沢山いる、と思うのはナイーブすぎる。 色々な事情が絡んで高倍率となったのであろう。

 まず、本日が後期の授業開始日だということ。 本命の教養科目は週の後半にあるけれど、本命が取れるかどうか分からないから、とりあえず一つ確保しておこう、と考える学生もいるだろう。

 次に、教養科目の時間割を見ると、後期はこの時間帯、つまり月曜2限に教養科目があまり出ていないのだ。 専門科目の合間を縫って教養科目を取ろうとするとここしか空いていない、という学生も少なくないだろう。 事実、私のところにやってきてそういう意味のことを言って優先的な扱いを希望した学生が何人もいた。 むろん、これだけの倍率だとそんな個人的事情は聞いていられないけれど。

 何にしても、教養科目履修にまつわる問題は、解決と言うにはほど遠い状態にあるということは、お分かりいただけるだろう。

 *    *    *

 夕方からクルマで糸魚川市に急行し、きららホールでジャン=ジャック・カントロフと上田晴子のデュオリサイタルを聴く。

 きららホールは新潟県の西の端に位置する旧・青海町 (現在は合併して糸魚川市) にある定員500名の小ぶりなホール。 私は今回が初めてだが、わりに知られたホールでもある。

 そこにカントロフが来るというのだから、行かない手はない。 ただし、同じ新潟県内とは言っても新潟市からだと150キロ以上ある。 無論、高速道路を飛ばさないと間に合わない。

 プログラムは、エネスコのヴァイオリンソナタ第1番とベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5、7番。

 カントロフを生で聴いたのは多分20年ぶりくらい。 昔は伸びやかで繊細な音楽という印象が強かったのに対し、今回はメリハリをかなりはっきりつけた演奏になっていた。 例えばベートーヴェンの「春」の第一楽章など、春ののどかさというよりは、演奏者二人の競奏、とでも言いたくなるような趣き。 逆に第3楽章はテンポを落としてやや重々しい表現。

 したがって、3曲の中では最後のベートーヴェンの7番が一番曲に合った演奏となっていた。 アンコールに、当初はメインの最初に演奏するはずが連絡ミスで変更になったという、エネスコの 「トルソ&協奏的即興曲」 が演奏された。

 終了後、サイン会があったので、エルンスト・ドホナーニのソナタとエネスコのソナタ第2・3番を入れたCDを買ってサインをしてもらった。 ドホナーニのソナタってのは私としては未聴作品である。

 会場の入りは、70〜80人くらい。 小さめのホールとはいえ、ちょっと淋しい。 今回は私も直前に演奏会の存在を知るなど、宣伝が不徹底なのが気になる。 早くから新潟市や長岡市や上越市で宣伝をしておけばもっと入ったのではないか。

 それと、この種のヴァイオリンリサイタルがなかなか新潟市で行われないという奇妙な状態を何とかしたいものである。

9月29日(金) 2週間ぶりに大学に出る。 授業開始は来週月曜だが、本日はガイダンスと、学生アドヴァイジとの面会がある。 しかし面会では来ない学生もいる。 1・2年生合計11人と会うはずが、4人が来ない。

 イタリア旅行の印象が強く残っていて、新潟で日常生活がまた始まるのかと思うと、大げさでなく吐き気がする。 大学も最近は窮屈になるばかりだしねえ。 どうしてもしなければならないことはやったけれど、それ以外はぼおっとして過ごす。

 面会に来なかった学生4人も案外同様な症状だったりして・・・・・。

9月20日(水)〜9月28日(木) この間、イタリアに出かけていました。 といってもパッケージツアーですけど。

 駆け足でしたが、ローマ、ポンペイ、フィレンツェ、ピサ、ヴェネツィア、ミラノ、コモ湖などを見て回り、レオナルド・ダヴィンチやミケランジェロやボッティチェリを初めとする有名画家の作品を多数実物で鑑賞し、カトリックの大聖堂をいくつも訪問し、ミサも何度か実地で間近から見学するなど、たいへん中身の濃い正味7日間を過ごすことができました。

 色々感じたり考えたりすることがありましたが、それは機会があればまた、ということにします。

 添乗員が三浦さんという、私と同姓でたいへん有能な方で、少なからずお世話になりました。 外見的にも若い頃の三浦友和をソフトにしたようないい男で、女性客にモテモテだったようです。 私を含めて21人の同行客のみなさんにも、限られた期間ながらお付き合いいただき、お礼を申し上げます。

9月19日(火) 午前中、六本木で映画を見る。 六本木に来たのは久しぶり。 以前はシネ・ヴィヴァンがあったし、俳優座でも映画をやることがあったので時々来ていたのだが、最近はとんとご無沙汰だった。 今回はシネアート六本木という新しい映画館が目的地である。 1階にチケット販売所やパンフなどの売店があり、複数のホールは上の階にあるのでエレベータで上がる方式。

 見終えてから恵比寿で昨日見損ねた溝口健二特集を予約する。 少し時間があったので渋谷に急ぎ、古本屋を少し見てから、恵比寿に引き返す。 平日だから今日は混まないのでは、と思っていたが、本日も立ち見がでる人気。 溝口ってこんなに人気があったのか・・・。

9月18日(月) 午前中から昼過ぎにかけて渋谷で映画を2本見、夕方から恵比寿でやっている溝口健二映画祭で2本を続けて見るつもりでいたが、午後4時頃に恵比寿に行ったら、15分後に始まる回はすでに予約満了で入れず、午後7時からの回をかろうじてキープ。 それも残り少なくて入場が最後近くになるからいい席がとれない可能性がありますよと断りを入れられてのことだった。

 溝口人気がこんなにすごいとは、予想していなかった。 しかし、チケット屋で2回分の前売り券を購入してしまっていたので、明日もう1度来なくてはならない。 とすると、明日の予定が狂って、見る予定だった別の映画1本を削らなくてはならないわけだ。 とほほ。

9月17日(日) 午後2時から、紀尾井ホールで弘前バッハ・アンサンブルの演奏会を聴く。 島口和子の指揮でバッハのカンタータ3曲 (103, 79, 80) を取り上げるプログラムで、ふだん新潟ではなかなかバッハのカンタータを聴く機会がないだけに貴重。

 演奏は、弦がヴァイオリン2、その他は1で、管 (各1) の音量に対してやや小さく感じられる (特にヴァイオリンとヴィオラの中高音楽器が) のがバランスに欠けるように思われた。 ヴァイオリンとヴィオラは倍増でもいいのではないか。

 しかし独唱陣はたいへんよい声で、粋人は十分に保たれた演奏会だった。 が客の入りはイマイチ。 もっと沢山の人に注目されるようになるといいと思うのだが。

9月16日(土) 新幹線で上京する。 午後2時から、桜美林大学新宿キャンパス (新宿駅近くのビルのワンフロアを大学が借りている) で、日本言語政策学会の月例研究会を聴く。 今回は、吉島茂・聖徳大学教授による 「Common European Framework of Reference of Languages: Learning, teaching, assessment (CEF)に表れたCouncil of Europe の言語教育政策」 である。

 外国語というと英語しか浮かばない困ったちゃんが増えている日本と違って、ヨーロッパでは多言語政策がとられているが、具体的に個々人の外国語学習進度をどう評価してどう表示するのか、というような問題が論じられていた。

 これをそのまま日本に当てはめることは無論できないが、第二外国語学習機会を削減する一方の最近の日本の大学には、爪の垢でも煎じて飲ませたい、と言いたくなるのであった。

 夕方から、新潟大学の以前の同僚で、現在は東大駒場に勤務しているU氏と久しぶりに会って酒を飲む。

9月14日(木) 日本独文学会から 『ドイツ文学別冊2006年秋号』 が送られてくる。 「あとがき」 を読むと、例によってズレているなと思うのであるが、私がこの欄の5月12日に記したことを多少意識しているらしいふしもあるので、以下に再度批判的な見解を述べておく。

 まず、大綱化以降、第二外国語のコマ数が削減されるなかでも、われわれはドイツ語の存在意義を疑っていなかった、とあるのだけれど、その 「存在意義」 なるものをどう考えているのかというと、実用的価値、つまりドイツ語圏からの情報収集、ドイツ系企業への就職、といったことばかり挙がっている。

 これ、変ではないですかね? 昔だって――といっても戦後のことだけれど――ドイツ語の実用的価値なんて微々たるものだったわけでしょう。 確かに医学ではドイツ語でカルテを書く習慣があったとか、化学ではドイツ語が、数学ではフランス語がいいとかいうことは私の学生時代 (70年代前半) にも言われていたけれど、それはあくまで英語が第一外国語たることを疑わない中でのことに過ぎなかった。

 大学の教養課程でドイツ語を習う学生だって、はたして実用になると思うからやっていたのだろうかというと、違うとしか言いようがない。 たしかに昔の大学では原書講読の授業が今よりも多く、文献を英語だけじゃなくドイツ語やフランス語で読む場合がまあまあ存在した。 でもそれはあくまで大学内での必要性に過ぎなかった。

 いささか自虐的に言うなら、ガクモンをちょっとかじりました、という体裁を整えるために学生はドイツ語やフランス語をやったのであって、学者になるわけでもない圧倒的多数の学生にとっての第二外国語の 「実用性」 はその程度のものに過ぎなかったのである。

 つまり学生時代はいざ知らず、社会に出たらドイツ語やフランス語なんて使わない、という人間が圧倒的多数だった、というのが実際だったわけ。 だから、昔はドイツ語に実用性があったなんて、嘘とは言わないけれど、「過ぎてしまえば皆美しい」 ってなもんでしょ (笑)。

 したがって、大学のドイツ語の意義が実用的に低下してきているから、というのは認識として間違っているわけ。 実際には、昔 (繰り返すが、戦後です) から日本の第二外国語は実用のためではなく、おおかたは教養のためだったのだ。

 そもそも、実用性を言うのは戦略としてまずい、って認識がないのが困るのである。 実用でいったら英語にかないっこないんだから、別の論理を構築しないととてもじゃないけどやっていけないんだよ。 私は、「実用」 じゃなく 「教養」 でいくしかない、という意見ですけれどね。 「教養」 概念をどう定義するかはともかくとしてだ。 (詳しくはこちらで論じてあるので、参考にして欲しい。)

 ついでに言っておくと、ドイツ語教師はドイツ語の存在意義を疑わない、ってのも大嘘ですね。 大綱化以降、ドイツ語教師たちがどう振る舞ってきたかは2年前のシンポジウムを本にした日本独文学会研究叢書32 の(三浦淳編) 『ドイツ語・第二外国語教育の危機とドイツ語教師の姿勢』 にちゃんと私が書いておいたんだよ。 ドイツ語教師がいかに日和見でいかに平気で第二外国語を裏切りその削減に乗り出すかが書かれているのだから、きちんと読んでおきなさい。 現実から目を背けて砂に頭をつっこむのは、、ダチョウのやることですぜ。

 再度のついでながら、そういう日和見や裏切りは、新潟大学のような 「駅弁」 だけじゃなく、北大のような 「旧帝大」 でも起こっている、ということも私は書いておいたわけだが、いまだに反論が来ないところを見ると図星だったんだろうねえ。 (ドイツ語教師も学者の端くれなら、内容的に間違っていると思われる指摘には、ちゃんと事実を掲げて反論するのが筋でしょう。 それができないで、沈黙したり、ヘンな威嚇をするしか能がないんじゃ、学者の風上にも置けないよ。)

 で、先に行くと、「日本独文学会はあくまでの学術団体である以上、あまり商業的、政策的なことを活動の前面に押し出すことはできないと思います」 って言ってしまうのが、本当に困ったところなんだよね。 いや、私も学術の価値を否定はしませんが、文化や教養は商業や政策抜きにして論じられるわけがないじゃないですか?

 例えば私はなぜ大学で独文をやろうと思ったのか? 中学高校時代に文庫本などで外国文学をそれなりに読んでいたからですね。 では出版社が外国文学を文庫などで出していたのは、何のためだろうか? そりゃ、文化的な使命感もあっただろうけれど、商業ベースに載るからでしょ。

 というと、例えば文芸雑誌なんてペイしない大赤字の代物だ、という反論が来るかも知れないが、しかしああいうものもやってます、というのは出版社にとってステイタスになる、というか、少なくとも昔はなっており、それが自社のイメージを高め、最終的には何らかの形で商業的にペイしていた、というのが実情だったわけでしょう。 そういえば、河出書房がいったんつぶれたのは、世界文学全集を出しすぎたから、じゃなかったか。 文化のためにがんばりすぎると、ああいう目に会ってしまうのだな。

 いや、だから何を言いたいかというと、外国の純文学を文庫本で出すのは昔にもましてペイしなくなっているのだから、学会の方で手を貸さないと若者のドイツ文化への接触はますます機会が少なくなってしまうよ、ってことなのだ。

 しかも、既存のドイツ文学の文庫本の訳が必ずしもよろしくない、ってのがまた問題。 これも私はこの欄で何度か書いているけれど、一例を挙げれば、ヘッベルの 『ユーディット』 である。 この戯曲を私は去年教養の西洋文学の講義で取り上げたけれど、岩波文庫版は訳がよろしくないので、といっても誤訳のあるなしを言う以前の段階で日本語の格調が低くてよろしくないので、戦前の古い世界文学全集に入っていた訳を使わざるを得なかった。 旧仮名遣いで印字もややぼけており読みにくかったけれど、学生諸君に汚い日本語の訳を読ませるよりはましだろうと考えたのだ。

 未だに多く読みつがれているヘッセだって、出回っている古い訳本に結構問題があることは、これまた私がここで指摘してあるんですがね。 ヘッセについては新しい邦訳全集が刊行中で、ドイツ文学者もがんばっているなと思うけれど、やはり若い人が買いやすいのは文庫本ですから、その訳が芳しくないってのはマズイんですよ。

 (悪い例だけ挙げるのも何なので、グリルパルツァー 『サッフォー』 の岩波文庫版のようにいい訳もあるよ、と付け加えておこう。) 

 こういう状態を情けないと思いませんか? ドイツ文学者は何をやってきたんだ、と義憤の念が湧いてきませんか? 湧いてこない人は、そもそもドイツ文学なんかには縁がない人だったんだよ、きっと。 さっさと辞職して、困っている非常勤教師の人たちに席を譲りなさい!

 話を戻して続けると、ヘッベルのような、ドイツ語圏を代表する劇作家の一人といわれる人のちゃんとした訳が文庫本で入手できないばかりか、実演機会もさっぱりないのを、ドイツ文学者はどう思うのだろうか? 

 私は演劇にはうとい人間なので、もし間違っていたら指摘していただきたいが、レッシング、シラー、クライスト、グリルパルツァー、ヘッベルと言った劇作家の作品を、日本の劇団が戦後上演した例がどのくらいあるのだろか? ものすごく少ないのではないか。

 最近は日本でもわりに演劇が身近なものになっている。 私の住む新潟市のような地方都市でも、東京から高名な劇団がよく来ているし、地元の演劇好きのアマチュアも活発な活動を行っている。 そして、プロやアマによる上演の際に、シェイクスピアやギリシャ悲劇が取り上げられることも珍しくないのだ。

 つまり、古典劇は必ずしも避けられているわけではない。 ならばドイツ語圏の古典的な演劇も、と思うのであるが、なぜか新潟で取り上げられているのを見たことがない。 古典劇とは言えないが、新潟大の学生がドイツ人の先生の指導でM・フリッシュの 『ビーダーマンと放火魔』 をやったことはあった。 しかしドイツ語による上演というハイブラウな企画だったので、一般性には欠けていた。

 昔なら戯曲でももっぱらレーゼドラマとして楽しむのが普通だったのは仕方がないが、今はそういう時代ではない。 独文学者で演劇や劇作家を専門とする方々は、積極的に演劇団体などとコンタクトを持ち、何とかドイツの演劇が日本人の手で上演されるように努力していただきたいのである。 仮にそれが 「商業」 演劇だったとしても、オレは 「学術」 の人間なんだから、と引いてはいけないのである(笑)。

 そういう 「商業」 や 「実演」 への積極的な働きかけを、日本独文学会理事会は率先してやるべきなのだ。 が、今まで率先していたとは到底言えない。

 例えば数年前、文豪ゲーテと長らく内縁の妻だったクリスティアーネとの関係を描いた映画がドイツで作られた。 『Spiegel』 誌でそれを知った私は、なんとかこの映画が日本で上映されるように運動できないかと、或る理事の方を介して理事会に提案した。 しかし理事会の対応はすげなかった。 色々言っていたが、要するに面倒くさいことはやりたくないのだろう。 理事会のやる気のなさよ! 『こんな幹部は辞表を書け』 って本があったのを、思い出してしまいました。

 次に 「政策」 に行く。 はっきり言って、現在日本の大学から第二外国語が消滅しつつあるのは、根本的には政策的な問題である! つまり、日本の学術や教育制度を牛耳っているのは文科省であるから、そこの政策を変えさせないことにはどうしようもないのだ。

 分かりやすいのは、「ゆとり教育」 である。 これが文科省の政策として打ち出され、実施され、世論の集中的な批判にあって文科省も態度を変えざるを得なかったことは、誰にも異論があるまい。 第二外国語だって基本的には同じである。 違うのは、「ゆとり教育」 には世論の批判があったが、第二外国語削減にはない、というところである。

 つまり、「ゆとり教育」 は世の中の普通の人にとって我が子が不利になるのではないかという、実感に関わる 「改革」 であった。 だから世論は猛反発をした。 しかし第二外国語は世間の人にとっては全然次元の違う問題なのだ。

 だからこそ、学会が何かやらないといけないのである。 ここははっきり言って、「大衆蔑視」 で行かないとどうしようもないだろう。 つまり、高度な学術研究のように、その意義が世論に理解されるなんてことはまずないのだから、学会としての専門的な見識で文科省を動かす努力をしないと現在の趨勢は何も変わらないということだ。 そのためにヨーロッパの多言語政策を研究するのも悪くないとは思う。 ただ大事なのは、それを研究レベルで終わらせず、あくまで日本における教育政策とリンクさせて役人に働きかけるルートを何とかして開拓することなのである。

 ついでに、そのためにフランス文学の学会を組むのも手だと思う。 ドイツ語だけじゃ力が弱いですからね。 昨年秋、フランス文学会が新潟大学で開かれたとき、私は会場でそういう発言をしておいた。 この提案に対して仏文学会の会長は 「独文学会会長は研究室が隣ですから」 なんて言っていたけれど、果たしてやる気があったのかどうか。 言っちゃ何だけれど、東大の先生は安全すぎる場所にいますからねえ。 (この記述が不当だと思うなら、ちゃんと実際にやってみて下さいね〜。)

 書くのに疲れたので、まだ言い足りないような気もするが、本日はここで筆を擱く。 ご意見のある方は、こそこそしないで、堂々とメールでどうぞ!

9月11日(月) 5日前の分で申し訳ないが、毎日新聞に面白い記事が載っており、下らないなと思いつつも忘れられないので(笑)、今頃取り上げる。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/myanmar/archive/news/2006/09/20060906ddm012040076000c.html

太陽系惑星: 冥王星除外 「冥王星は伝統的に惑星」 ミャンマー占星術師協会が反発

 【バンコク藤田悟】 ミャンマー占星術師協会は、国際天文学連合 (IAU) が冥王星を惑星から除外したことに関し、「冥王星は占星術において伝統的に惑星と定義されており、その地位に変わりはない」 との見解を発表した。 4日発行の週刊ニュース紙 「ミャンマー・タイムズ」 が伝えた。

 ミャンマーは占星術が盛んな国として知られ、軍事政権がヤンゴンから中部ピンマナへの首都機能移転を決めたのも占星術師の占いが大きく作用したといわれている。

 同協会は 「軌道が大きな冥王星は国の将来を占ううえで重要な役割を果たしてきた。 科学者がどのような決定をしようと、伝統を消し去ることはできない」 としている。
   毎日新聞 2006年9月6日 東京朝刊

 どうです、面白いでしょう?

 解説するのも野暮だが、占星術協会が冥王星は占星術において 「伝統的に惑星と定義されていた」 と主張しているところが愉快なんですよね。

 「伝統的に」 と言うけれど、冥王星が発見されたのは1930年。 だから、この 「伝統」 は数十年しか続いていない、ってことが逆に分かってしまうわけ。 普通、占星術といったら古代から連綿と千年以上、或いは最低でも数百年続いている伝統 (笑) だと思うでしょ。 ところがそうじゃなく、実は近代の産物だってことなんだよね。 

 近代科学に依拠して形成されながら、変なところで 「伝統」 を持ち出してそれに反発するところが、何とも言えなく人間的なんだなあ。

9月10日(日) 本日は午後5時から東京交響楽団第38回新潟定期演奏会。 指揮はユベール・スダーン、クラリネット独奏が赤坂達三で、オールも・モーツァルト・プログラム。 「フリーメイソンのための葬送音楽K.477」、クラリネット協奏曲、交響曲第41番「ジュピター」。 アンコールに、マーチ K.62。

 いつもより楽団員数が少なく、3分の2くらいの感じ。 モーツァルトのみのプロだからだろうか。

 クラリネット協奏曲、赤坂氏の独奏は、日本人的な笛の美しさや繊細さはあるけれど、クラリネットという楽器の底力みたいなものはあまり感じられなかった。 あと、楽譜をかなり見ながら吹いていたのも何となく伸びやかさというか、独奏者のよい意味での独裁者的身勝手さを感じさせない原因だったかも。

 ジュピター交響曲は、弦の響きが美しく、悪くなかったと思う。 いつもの東響より楽団員数がかなり少なかったせいか、まとまりがある中にも官能的な音が聴けたような気がする。 この日はいつにもまして、音の美しさが目立った定期演奏会だった。 客の入りも、曲目のせいか最近としてはまあいい方だったようだ。

9月9日(土) 呉智英が産経新聞のコラム 「断」 に 「『政治と芸術』 って古いかね」 というタイトルで書いている。 前半は、先日高齢で亡くなった高木東六が戦時中に作曲した作品は傑作なのに、高木の死に際してマスコミが流さないのはなぜか、という内容で、その曲自体を私が知らなかったので、なるほどと思ったのだが、次にショスタコーヴィチの生誕100年を取り上げているのがいささか問題含みなのだ。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/18466/ 

 今年はショスタコービッチの生誕百年にもあたる。 ロシヤの、というよりもソ連の、そして二十世紀を代表する作曲家だ。 特に交響曲第五番は名曲として名高く、今年は各地で演奏されている。 

 しかし、この第五番はショスタコービッチがスターリンの粛清を恐れて一種のアリバイとして作曲したものだ。 彼の天才は既に交響曲第一番の時から知られていたが、第四番に至って、あれは資本主義的な堕落音楽に過ぎないと評されるようになり、このままでは粛清の危険が出てきた。 あわてたショスタコービッチはわずか一カ月で第五番を書き上げた。 この曲は、通俗的といえば通俗的、あまりにも分かりやすい社会主義賛美 (題名も 「革命」 だ) なのだが、これまたその勇壮甘美が聞く者を感動させる。 ソ連社会主義が崩壊した今もなおそうである。 このこともまた誰も論じない。

 私はかねてから呉智英のクラシック音楽の素養は怪しいと思っているのだけれど、これを読んでもやはり首をかしげてしまう。 私はショスタコーヴィチの音楽は好きではないし、詳しくもないのだが、それでも首をかしげてしまうのである。

 まず、「交響曲第4番にいたって資本主義的な堕落音楽と評されるようになり」 というのは間違い。 批判された作品は歌劇 『ムツェンスク郡のマクベス夫人』 とバレエ 『明るい小川』 である。 ショスタコーヴィチはこの批判に接して交響曲第4番の初演をとりやめた、というのが正確な経過である。

 それから、交響曲第5番について、「題名も 『革命』 だ」 としているが、ショスタコーヴィチ自身はこの交響曲にいかなるタイトルも付けてはいない。

 また、「誰も論じない」 と言っているけれど、ヴォルコフの 『ショスタコーヴィチの証言』 が出て以来、交響曲第5番を社会主義讃美と単純に捉えていいかどうかはかなり論じられている。 ヴォルコフの本については偽書説が根強くあり、少なくとも丸ごと信じていい本ではなさそうだが、交響曲第5番の喚起する感情が社会主義讃美という通俗的な感情なのかどうかについては、呉智英の言うような単純な決めつけはできないというのは、クラシックファンの間ではすでに常識だろう。 「誰も論じない」 どころの話ではないのである。 

  *    *    *    *

 第2回新潟古楽フェスティバルが本日午後1時から、りゅーとぴあスタジオAで開催されたので、聴きに行く。 (第1部のみで、午後4時半からの第2部はパス。)

 地元の古楽演奏家が集結しての音楽会。 昨年度の第1回は私は行かなかったが、今回は100人以上の聴衆があつまり、人気は上々のよう。

 全体は3部構成で、最初が 「G線上のアリア」「オンブラマイフ」 などのポピュラーな名曲を集めての演奏。

 次がリコーダ・アンサンブルとパイプオルガンの比較というちょっと面白いコーナー。 ブクステフーデやフレスコバルディの曲が演奏された。 りゅーとぴあの小型オルガンが様々な音を出す仕組みが解説された。

 最後がメインで、「サンスーシ宮殿の大王とバッハ」 というタイトル。 新大の松本彰教授によるサンスーシ宮殿の説明、丸山友裕氏によるバッハの 「逆行カノン」 の分析があり、フリードリヒ大王、その音楽教師だったクヴァンツとC・P・E・バッハの曲、そしてバッハの 「音楽のささげ物」 の一部が演奏された。

 途中休憩を挟んで2時間半に及ぶ音楽会で、解説を含め充実していた。 色々な演奏家が入れ替わり立ち替わり演奏するのでやや散漫な印象もないではないが、私も初めて聴く方が何人かいて、新潟にも古楽演奏家がこんなにいるのだと認識を新たにさせられたことであった。

9月8日(金) 午後から用事があって街に出、某都銀でカネを降ろそうとしたら、「お取り扱いできません」 の表示が出る。

 私はふだんは郵便局と地元の地銀を利用しているのだが、以前住宅ローンを組んでいたときに金利の安い某都銀のお世話になっていた関係で、そこにも口座を持っている。 ローンは払い終えたが、何かの時に役立つこともあろうと思い、口座は維持している。 と言っても新潟市では街の中心部に1つしか支店がないので、たまにしか利用しない。

 前回利用したのは1年あまりも前である。 その時、某都銀は別の某々都銀と合併した直後で、しかしコンピュータの統合が遅れており、本来なら合併した段階で新しい通帳を発行すべきだが、それも遅れていた。 その時、私が尋ねたら、「通帳切り替えが遅れていて申し訳ないが、切り替え時にはこちらから連絡します」 という答だった。

 ところが本日、通帳をATMに入れたら 「お取り扱いできません」 の表示が出たわけである。 行員に見せたら、新しい通帳に切り替わっているので、古いのを入れるとそういう表示が出るのだという。

 人をバカにした話である。 一年前は、通帳を切り替えるときは連絡すると言っていたくせに、そういう連絡は全然なかったのである。 日本を代表する都銀がこれでいいのか? 銀行の殿様商売ぶりって、直りませんね。

 ちなみに、合併によるコンピュータの統合は、店の貼り紙を見る限り、まだ完了していないらしい。 技術立国ニッポンは大丈夫なのか? かなり疑問を感じた一日であった。

9月7日(木) 徳山高専の女子学生殺害事件は、容疑者の同級生男子学生が自殺と見られる遺体で発見されたことで悲劇的な結末を迎えた。

 高専という学校に、一般人はどの程度なじみがあるだろうか。

 私自身は多少の縁を感じている。 理由は三つほどある。

 第一に、私の育った町が工業都市で、県に一つしかない高専の所在地でもあったことである。 実際、中学時代の同級生や顔見知りの後輩で高専に進学した者が数人いる。

 第二に、私の教師デビューが高専であったという事情がある。 博士後期課程1年生の時、ドイツ語の非常勤講師として、仙台の南に隣接する名取市におかれた高専に週1回通っていた。

 そこで教えたのは1年間だけだったが、最初の教師体験であったせいか、記憶も鮮明だ。 機械、建築、金属、電気の4学科があり、高校と同じ50分授業で、金属の3年生とそれ以外の3学科の4年生にドイツ語を教えるのだったが、それぞれのクラスの雰囲気もよく覚えている。

 機械はいちばん嫌なクラスだった。 男子だけでどこか荒れたムードがあり、ドイツ語なんか真面目にやってられるかという顔つきの学生が多く、工業高校と余り変わらないレベルではないかと思われた。

 逆に一番教えやすいのが建築だった。 学力レベルが高く、数人いる女子学生は熱心で可愛くもあり、男子学生にも面白い奴がいて、教えていて楽しかった。

 金属は学力レベルで言うと一番低いということになっていたが、女子も数人いるせいか機械のように荒れた雰囲気がなく、まあまあ教えやすかった。

 電気は、学力レベルでは建築と並ぶということになっているのだが、学生は妙におとなしくてシラーッとした雰囲気があり、反応に乏しく、そうなると教師の方もどこか醒めてきてしまうのだった。

 そして第三に、私が新潟大学に赴任してから10年あまり長岡高専で非常勤講師としてドイツ語を教えたことがある。 

 というわけで、徳山高専で起こった事件もどことなく気になっていた。 結局真相は不明ということのようだ。 もちろん殺害された女子学生やそのご家族にはお気の毒と言うしかないのだが、私としてはどことなく無理心中的な、つまり小説か映画になりそうな事件なのではないか、という想像をしてしまいたい誘惑を感じるのである。 殺人事件なのに、すみません。

9月5日(火) 新潟日報の報道。 国立大学が黒字だ赤字だと騒ぐのも、みっともないような気がする、ってのは時代遅れでしょうか。 いずれにせよ、赤字の元凶はオカネのかかる部門なわけであって、赤字理由に文系のちまちました予算をこれ以上削らないで欲しいものだ。

 http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=39635

 新大が昨年度決算赤字

 文部科学省は5日までに、県内3大学を含む国立87大学と4つの大学共同利用機関の2005年度決算を発表した。04年度に15億3000万円の総利益があった新潟大は、一転して2億6900万円の損失を計上した。損失が発生したのは新大と旭川医大(3億4000万円)、岐阜大(2億4000万円)の3大学で、新大は全国の大学でワースト2位だった。
 大幅減の要因は、法人化初年度の04年度決算では、旧国立大時代から引き継いだ未収授業料の債権などを臨時収益(約6億円)として計上したため。05年12月に医歯学総合病院の病棟東館が完成し、減価償却費が約3億円膨らんだことも響いた。
    新潟日報2006年9月5日

9月1日(金) ギュンター・グラスのナチ所属問題についての続報。 朝日新聞インターネットニュース。 まだ色々ありそうだから、コメントは控えます。

 http://www.asahi.com/international/update/0901/005.html 

 国際賞を辞退、ナチ時代の「過去」告白のグラス氏  2006年09月01日11時01分

 第2次大戦末期にナチスの武装親衛隊に所属していたことを自伝で告白したドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラス氏(78)が31日、国家や民族間の融和に貢献した人に贈られる国際賞の受賞を辞退した。 中部ドイツテレビなどが伝えた。

 同賞は、国境で隣接する独ゲルリッツ市とポーランド・ズゴジェレツ市関係者らが93年に始めた「国際かけ橋賞」。 これまで各国の融和などを説く政治家やジャーナリストらに贈られてきた。

 ナチスの侵略行為を批判してドイツの和解のあり方を提唱したグラス氏に対しては、同氏が8月に独紙に過去を明らかにする前に授与が決まり、12月に式典が予定されていた。

 報道によると、グラス氏は両国間にいまも横たわる摩擦を考慮して辞退したという。 地元議員らの反対が影響したとの見方もある。 独国内では同氏にノーベル賞返還を求める声も上がっている。

8月31日(木) 午後から女房と娘を連れて、長岡にある新潟県立美術館にウィーン美術アカデミー名品展を見に行く。 クルマで片道1時間半近くかかるから、結構たいへんである。 高速を使えばもう少し早いが、昨今のガソリン高騰と、ハイウェイカード廃止による高速料金実質値上げに対抗して、一般国道などを行きました。

 展覧会は、一応ルーベンスやレンブラントなど著名画家の絵が並んでいるが、どこか決定打に欠けるという印象。 あんまり惹かれる絵がなかった。 シンドラーという、後で 『新潮世界美術辞典』 を見たけど載ってなかった画家の、「森の娘の誕生」 という絵がちょっと面白く、これだけ絵はがきを買いました。

 東京の美術館と違って人間が少ないので疲れないはずだが、それでも一通り見終えると疲労感が残る。 運転疲れもあろうが。

8月27日(日) 読売新聞の本日付け社説。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060826ig90.htm

[研究不正対策] 「魔女狩りにはならないように」

 科学者、技術者への風当たりが、ぐんと強まりそうだ。

 研究者の不正が相次いでいることを受け、文部科学省が、対策の指針をまとめた。

 指針は二つある。 一つは、政府が支給した研究費の不正利用に対処するもの。 もう一つは、研究論文のデータねつ造や改ざん、盗用など、研究内容の不正に対処する方針を示している。

 研究費の不正防止では、第一に、大学などの研究機関に、研究費の管理・監査を厳しくするよう求めている。 研究費は国から関係機関を経て、研究者に支給される。 研究者の所属機関がしっかりしないと不正はなくせないからだ。

 今春、早稲田大学で明るみに出た研究費の不正流用では、研究者がアルバイト雇用と偽って大学から研究費を引き出した。これについては、不正利用との内部告発が寄せられたのに、大学の調査は中途半端だった。

 不正利用は、早大に限らず各地の大学などで表面化している。 ここ数年は、年に10件前後に達する。研究機関や政府の研究費管理・監査が不十分だったことは間違いない。

 制度上は不正でも、個人的な流用ではなく、アルバイト代名目で研究のための出張費を捻出したという例も多い。

 文科省も、これを踏まえて、来年度1年間をかけて、隠れた“不正”を研究者に自ら申告するよう呼びかける。

 政府の研究費は使途が細かく決まっていて使いにくい、という声は以前からある。 使いやすく不正の起きにくい制度にすることが必要だ。 ただ、私腹を肥やす個人的な流用なら、政府は刑事告発も辞さず、厳しく対応すべきだ。

 研究内容の不正に対する指針は、研究機関に告発を受け止める窓口と、調査組織を整備することなどを求めている。 これまで、データのねつ造といった科学技術への重大な背信行為に対処する体制がなかったことを踏まえている。

 東京大学で表面化した不正問題も、大学に調査体制がなかったことから解明に手間取り、1年近くたつのに処分さえ決まっていない。

 研究費の確保・増額やポストにつながるため、競争が激化し、不正への誘惑は強い。 不正は起こり得るという前提で、最低限のチェック体制が要る。

 無論、研究内容の妥当性は専門の研究者でないと判定できない例も多い。 データの解釈も、分野により異なる。本来は研究学会などが対処すべき問題だ。

 魔女狩りになって研究の芽が摘まれないよう、政府や研究機関は、実態を踏まえて指針を運用しなくてはならない。   (2006年8月27日1時36分 読売新聞)

 まあまあバランスの取れた社説だとは思うが、昨今の 「大学改革」 で恒常的な研究費が激減していることに触れていないのが物足りない。

 私に言わせると、流行に乗った、或いは実用に直結する研究はどんどん外部資金にたよって進めればいいので、問題は流行にも乗らないし実用に直結するわけでもない基礎研究のほうなのである。

 ところが新潟大学がそうであるように、独法化以降、恒常的な研究費は半分以下に激減し、何でもかんでも申請してカネを降ろしてもらう方式になりつつある。 これはきわめてばかばかしい、研究の何たるかを分かっていない方式である。

 つまり、申請方式だと、原則、年に一回しかカネをもらえないし、何を買うかもいちいち書類に書かねばならない。 申請直後に注目すべき文献が出たら、次の機会まで、つまり1年後まで待たねばならないのである。 こんなバカげた制度があろうか、と思うのだが、バカはどうしようもないわけで、新潟大学ではそういう方式がまかり通るようになっている。 大学上層部が研究について全然ワカッテナイのである。

 無論、読売社説にあるように、私腹を肥やす流用は厳罰に処すべきだが、研究費の使用があまりに四角四面に規制されているとまともな研究ができない、というのも実際のところなのだ。その意味で読売社説が、「政府の研究費は使途が細かく決まっていて使いにくい、という声は以前からある。 使いやすく不正の起きにくい制度にすることが必要だ。 ただ、私腹を肥やす個人的な流用なら、政府は刑事告発も辞さず、厳しく対応すべきだ。」  と書いているのは、適切と言える。 ただし、最初の「政府の研究費」 を 「国立大学の研究費全般」 と直すべきだが。

 ではどうすればいいのか。 以前のように、個人研究費主体にして、使用は (もちろん私的流用はできない範囲で) 自由にすることだ。 上にも書いたように、個人研究費でできない規模の実用的な、或いは流行に乗った研究は、科研費を含む外部資金でやればよい。

 というと、それは悪平等でマジメに研究している教員にもそうでない教員にも差をつけないことに直結する、という声が上がるだろう。 しかし私は差を付けることに反対はしていない。 それをやるなら業績審査でやればよいのだ。

 つまり、例えば5年間1本の論文も書かない教員は個人研究費を半額に削減、8年間書かなかったらゼロにする、というふうにすればよろしい。

 私が申請制に疑問を覚えるのには、もう一つ理由がある。 仲間の多い方がトク、という傾向が強くなるからだ。 新潟大学でも、仲間が多くて何にでも顔を出す人間が複数のプロジェクトで資金を獲得し、一匹狼的な人間はそもそもプロジェクトに魅力を感じないので資金に無縁になる、という傾向が生じている。

 また科研費なら、有力大学 (某T大のことです) 出身者を仲間に入れておいた方が有利、という傾向がある。 これは私自身の体験から言っているのである。 したがって、本当の意味での平等が申請制で保たれるとは思われないのである。

8月26日(土) 今更だが、新聞の社説はアテにならない、というお話である。

 冥王星が惑星から降格になる、という話題がここ数日マスコミをにぎわしていたが、いよいよ正式決定され、各紙は社説を掲げた。 朝日新聞はこう書いている。

 http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu2 

 1930年に発見された冥王星は、あまりに遠くてよくわからなかったが、この30年ほどで観測が進み、変わり者ぶりが明らかになってきた。

 月より小さいし、軌道もほかの惑星に比べてぐんと傾いている。地球のような岩石でできた惑星や、木星のようなガスの惑星とも違い、氷でできている。これで本当に惑星といえるのか、そんな疑問が出されていた。

 産経新聞の主張 (他紙の社説にあたる) はこう書いている。

 http://www.sankei.co.jp/news/editoria.htm 

 冥王星が新惑星として、太陽系の果てで発見されたのは1930年のことだった。米国の天文台による、公転軌道の高度な計算と大型望遠鏡を駆使した科学技術の勝利だった。

 しかし、その後、技術のさらなる進歩で観測精度が向上すると、冥王星が非常に小さいことが判明した。公転面も傾いていて、他の惑星とは異質であることが明らかになってきた。

 どちらも似たような論調である。 特に朝日は 「この30年ほどで観測が進み」 と具体的な数字を入れているだけに、いっそう誤りが明白になっている。

 どういうことか? 冥王星が公転面で大きく傾いていること、軌道が大きな楕円形で海王星より内側に入る場合があることは、私の小学生時代にすでに分かっていた、ということだ。 私の小学生時代だから1960年代前半で、今から40年以上前である。 

 当時私が愛読していた子供向けの科学全集のなかに、『神秘の宇宙』 という天文学の巻があったから、この点は自信を持って断言できる。

 では当時は何が分かっていなかったのか? 冥王星の大きさである。 私の愛読していたその本でも、冥王星は地球より少し大きい程度、とされていた。 現在では地球の月より小さいことが判明しているから、その点では時代の変遷は明瞭だとは言える。 (産経の主張も、冥王星が異質である理由の発見が 「小さい」 → 「公転が傾いている」 の順と読めるから、やはり問題がある。)

 大きさといえば、現在では天王星は海王星より少しだけ大きいことが分かっているが、私の愛読した本では逆で、海王星は天王星より少し大きいとされていた。

 (大きさの問題は、かなり重要だと思う。 今回も、冥王星が他の条件は同じでもせめて水星程度の大きさだったら降格はなかったのではないか。 ちなみに水星は、木星や土星の衛星中最大のものより小さい。)

 いずれにせよ、そういう 「天文学発展史」 を正確にふまえないで、かなりいい加減に社説を書いていることが、朝日でも産経でもバレバレなのである。 ちゃんとやれ、コラ!

8月25日(金) ここのところ夏枯れで音楽会に行く機会がなかったが、本日は夜7時から久しぶりの演奏会。 笠原恒則氏のチェンバロ独奏で、「死を想え――チェンバロによる瞑想」 と題されている。  会場はりゅーとぴあのスタジオAだが、ふつうの演奏会よりかなり灯りが少なくて暗く、死をテーマにした音楽会らしい。

 プログラムは、前半が、ダウランド 「ダウランド氏の真夜中」、ゲルナー 「パッサカリア・ロ短調」、フローベルガー 「来るべき我が死に寄せる瞑想」、L・クープラン 「無拍子のプレリュード・ニ短調(抜粋)」 「ブランロシェ氏を悼むトンボー」、フローベルガー 「ブランロシェ氏を悼むトンボー」、J・C・ケルル 「パッサカリア・ニ短調」。
 後半が、スウェーリンク 「涙のパヴァーヌ」、L・クープラン 「無拍子のプレリュード・ト長調」 「パッサカーユ・ト短調」、フォルクレ 「シルヴァ」、L・クープラン 「パヴァーヌ・嬰ヘ短調」、マレ 「夢見る女」、ダウランド 「この顫える影」、フローベルガー 「フェルディナント4世を悼むラメント」。

 笠原氏が適宜解説を加えながら演奏を進めてくれたので、なかなか勉強になった。 トンボーという曲種があることは知っていたが、それがフランス宮廷音楽の中で一大ジャンルをなしていたことは初めて知った。 また、クープランというと普通はフランソワ・クープランを指すが、トンボーに関して言うとその叔父であるルイ・クープランのほうがすぐれているのだそうだ。

 演奏は細部にやや詰めの甘さを感じるところもあったが、おおむね堅実。 これで千円は安い!

 しかし客は40人弱くらい。 もう少し入るかと思っていたが。新潟市の音楽愛好家の奮起 (?) を促したい。

8月23日(水) 私のサイトを読んで下さっている方から、今回のギュンター・グラス問題についての意見を聞きたい、とのメールをいただいた。 すでにこのコーナーでも2度ほど書いているが、改めてその方に以下のメールを送った。 参考のためにここに掲げておく。

  *     *

 グラスというのは、日本で言えば大江健三郎みたいなもので、戦後ドイツ最大の作家であり、一方で政治的にも左翼として社民党を支持する発言をしばしば行ってきました。
 しかしその政治的な発言が有効と思われたのはせいぜい780年頃までで、90年のドイツ統一時には統一反対発言をしていましたが、ほとんど相手にされていなかったように思います。

 今回の 「告白」 は、左翼として保守陣営を批判し続けてきたグラスが若い頃ナチスに所属していたという衝撃性が問題になっているようですが、私のサイトで引用した毎日新聞の記事にあるように必ずしも新奇な事実というわけではなさそうです。

 私としては、ナチスに所属していたから悪、そうでなければ無垢、という区分けがそもそもおかしい、という立場です。 これは要するに、戦争が終わった後で戦争犯罪が問題にされたときに、ドイツ人が責任をナチスにおっかぶせ、それ以外のドイツ人は 「正々堂々と」 戦争をやったのだ、という無理な言い逃れをし、またその他の国にしてもすねに傷をもっているので (フランスやポーランドだってユダヤ人狩りに協力したわけですからね)、ドイツの言い逃れを認めてきた、というところに根本的な欺瞞があるわけです。 そういうところを根本から考え直すには、グラスの悪口を言うだけではダメで、グラスのような人間が言論界で活躍できたという構造そのものを問題にしなくてはなりません。

 ナチスに所属していた、ということでは、以前にもオーストリアのワルトハイムが国連事務総長を勤めたあと、オーストリア大統領になる際に発覚して問題になりました。 オーストリアはナチスの 「犠牲者」 だという論理などで押し通してしまいましたが、そもそも、戦後にナチズムの影を持つ人間を全部公職追放にしていたらドイツ語圏の国家運営はできなかっただろうという話もありますし、逆に言えば今のマスコミや政治家はだいたい戦後か戦中生まれで自分がナチスに所属する可能性がそもそもなかったからこそ、安全な立場から簡単に批判できるという側面があります。

 世の中はもう少し複雑なはずですから、この機会にもう少し複雑に物事を考えてみたらどうか、と私は思っているのですが。

8月21日(月) 本日、「国境なき医師団」 にわずかながら寄付をしました。 (なぜわざわざ自分の寄付行為について書くかは、2005年7月29日の記述をごらんください。)

 さて、先週金曜日が成績提出の〆切で、これが紀要論文提出の〆切と重なって四苦八苦したが、何とか双方とも仕上げることができた。

 教養科目・西洋文学LTについて、学部ごとの成績をここに示しておこう。 「文学」 の得手不得手は、学部の違いに必ずしも関係しないことが分かりますよね。

 

  S=90点以上、A=80点台、B=70点台、C=60点台、D=59点以下 (不合格)  記号のあとの数字は人数を示す

 人文学部 S1、B2、C2

 教育人間科学部 S1、A1、B8、C6

 法学部 A2、B4、C1

 経済学部 B8、C5、D1

 理学部 A1、B4、C2、D1

 工学部 A3、B22、C11、D4

 農学部 A1、B4、C1

 医学部 A4、B8、C2、D2

 歯学部 A1、B2

 

 この科目、2回のレポートで成績を決定する。 演習ではなく講義科目であり、出席もとらないので、 「平常点」 はない。

 第1回目のレポートについては以前このコーナーに書いた。 今回は第2回レポートを採点したわけだが、前回に比べると珍レポートは少なかった。 それでも、シュトルム 『みずうみ』 について、こんなことを書いた学生がいた。

 ――『みずうみ』 の主人公ラインハルトは、なぜ大学に入ってから故郷の幼なじみエリーザベトに手紙を書かなかったのか。 恐らく彼は大学で女子学生と恋仲になったのだろう。 だから故郷に残してきたエリーザベトのことを忘れてしまったのだ・・・・・

 エライッ、君は世界中のドイツ文学者が思いつかなかった新解釈を提示した・・・・・・と褒めてやりたいところだが、残念でした。 この解釈には致命的な誤りがある。 『みずうみ』 の舞台である19世紀半ばのドイツでは、女性は大学に進学することがなかったのだ。 だから、ラインハルトが同級の女子学生と遊んでいたという解釈は成り立たないのです。 惜しかったなあ(笑)。

 でもまあ、こういうレポートは自分なりに考えた形跡があるから、70点は付ける。

 一番困るのは、小説の筋書きだけ、というレポートである。 レポートの課題は 「作品について論じなさい」 なのだが、論じたくても筋書きをまとめることしかできない者も少なからずいるのだ。 まあ、仕方がないから、60点を付けておく。

 同様に困るのが、専門家の論文か何かを見つけてそれを敷き写しにする奴である。 今回も、リルケを取り上げたはいいが、モーリス・ブランショのリルケ論をちりばめたレポートを提出した者がいた。 使われている言葉が日常から完全に乖離していて、「お前、日頃こんなことを考えているのかっ!」 と怒鳴りたくなる。

 ブランショを引くのが悪いというのではない。 しかし彼の論攷は文学を専攻しているわけでもない日本人の思考からは遠いところにあるわけだから、一知半解でもいいからそれを自分の言葉に直す努力をしてほしいのである。 そうすりゃ (誤解だらけでも) 75点くらいは付けるが、それをしないで丸写しだから、60点かせいぜい65点止まりである。

 或る程度まとまった内容で、それなりにきちんと調べたり考えたりした形跡があれば、80点台とする。

 90点以上を取るには、私を感心させるようなレポートを書くことが条件となる。 教養科目でそんな無理を、と言う人もいるだろうが、そういう学生が少数ながら存在することは、上の採点結果を見れば分かるとおり。 教養科目をとる学生も千差万別なのである。

 なお、落第点は、レポート2回提出なのに1回しか出さなかった者、ほぼ同じ内容のレポートを提出した者たち (つまりカンニング)、レポート対象要件からはずれた作品を論じた者、である。

8月19日(土) 12日にこのコーナーで取り上げたギュンター・グラスのナチス所属問題は、その後波紋を広げているようだ。

 まず朝日新聞インターネットニュースより。

http://book.asahi.com/news/TKY200608170437.html 

「元ナチス」告白、グラス氏窮地 ノーベル賞返還要求も  2006年08月17日

 ドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラス氏(78)が第2次大戦末期にナチスの武装親衛隊に所属していた過去を明らかにしたことが、反響を呼んでいる。 ナチスの歴史的責任を問い続けた独文壇の代表格だっただけに失望や怒りの声が相次ぎ、ノーベル賞返還を求める声も出ている。 この問題を詳述した同氏の自伝が16日に前倒し販売され、購入者が相次いだ。

 グラス氏は独紙フランクフルター・アルゲマイネで武装親衛隊への所属を告白。 複数の独メディアによると、ナチス研究の第一人者の作家ヨアヒム・フェスト氏は 「一貫してナチスを批判しドイツのあるべき姿を唱えたグラス氏だが、もはや信じられない」 と批判。 独ユダヤ人中央評議会のクノーブロッホ会長も 「ナチスの罪を批判してきた評論や演説は一体なんだったのか」 とコメントした。

 与党キリスト教民主同盟の文化担当議員は 「モラルにかかわる。 ノーベル賞などあらゆる賞を返さなければならない」 と批判した。 スウェーデン・アカデミーの広報担当者はノーベル賞を取り消さない方針を示しているが、独ニュース専門テレビ 「n―tv」 の16日の世論調査では 「自主返還すべきだ」 との意見が3割を占めた。

 隣国ポーランドでもグラス氏の故郷、グダニスク市が93年に与えた 「名誉市民」 称号の返上をワレサ元大統領が要求。 チェコでも地元ペンクラブが94年に与えた賞の取り消しを求める声が上がる。 「自伝の格好のPRだ」 と皮肉の声もある。 グラス氏は独テレビで 「裁きたいように裁けばよい」 とコメントした。

 毎日新聞の報道からは、少し別の側面が見えてくる。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20060817k0000m030076000c.html

ノーベル賞:グラス氏のナチス所属告白…独紙が文書掲載     毎日新聞 2006年8月16日 21時19分

 【ベルリン斎藤義彦】 ノーベル文学賞作家のギュンター・グラス氏 (78) が、ナチス・ドイツのヒトラー親衛隊の軍事部門 (バッヘンSS) に所属していたことを告白した問題で、独紙は16日、同氏が終戦直後、米軍の捕虜となった際、親衛隊への所属を認めていた文書を掲載した。 文書はだれでも閲覧可能で、過去の経歴は 「公表」 されていたことになる。 同氏の告白に対しては 「ノーベル賞を返還すべきだ」 などと厳しい批判があり、文書は今後の議論にも影響を与えそうだ。

 ターゲス・シュピーゲル紙などが、第二次大戦の際の独軍兵士の資料を収集・公開している 「独軍情報提供庁」 に資料請求して16日付1面に掲載した。 文書は同氏が46年4月に釈放された際に作られたとみられ、44年11月に親衛隊軍事部門に入り、戦車部隊 「フルンズベルク」 に所属していたことが記され、同氏の両手の指紋の押なつと署名がある。 同庁は 「グラス氏は公的人物で家族以外も閲覧可能だが、これまで年金関係の団体以外にはだれからも請求がなかった」 としている。

 また、同氏は親衛隊所属の過去を小説家仲間には何度も語っていたことがわかっている。

 同氏の告白について、ユダヤ人評議会は、同氏が左派の論客として、ナチや右派を批判してきた点を取り上げ 「道徳の番人としての発言の根拠はなくなった」 と失望を表明。 批評家カラセック氏は 「告白があればノーベル賞受賞もなかったはずだ」 と厳しく非難した。 また他の小説家は、同氏が青少年時代の自伝の発売直前に告白したことから 「販売戦略の一環だ」 としている。

 グラス氏は16日、独メディアに 「一部は私を 『過去の人』 にしようとしている」 と過剰反応に反論したものの 「今後長い間批判を耳にするだろう。 裁きたい者は裁けばいい」 と覚悟を語った。

 読売新聞は、18日、自伝の前倒し発売を報道している。

 http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060818bk03.htm

 ナチス告白で話題沸騰!? グラス氏自伝発売前倒し

 【ベルリン=佐々木良寿】 ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス氏がナチス武装親衛隊入隊の事実を明かした自伝 「タマネギの皮をむきながら」(仮訳) が17日、ドイツ、オーストリア、スイスで発売開始となった。 同書は当初、9月1日の発売予定だったが、グラス氏が12日付の独紙上で告白して以来、議論が沸騰、発行元が発売開始を前倒しした。

 発行元の出版社シュタイドル社によれば、初版は15万部だが、グラス氏の告白で、注目度が一気に上がり、さらに10万部を追加印刷中という。

 同氏は、12日付のフランクフルター・アルゲマイネ(FAZ) 紙とのインタビューで、「1944年に17歳でナチス親衛隊に入隊した」 と告白。 ナチスの過去と真摯に向き合うことを訴え続けてきた 「戦後ドイツの良心」 の遅すぎた告白に、ドイツ社会は大きな衝撃を受けた。 (2006年8月18日 読売新聞)

 ネット上には出ていないようだが、産経新聞は15日付の記事でドイツ国内の反応を報道し、朝日や毎日の掲載したような批判がある一方で、ユダヤ系ドイツ作家のラルフ・ジョルダーノがグラスの正直な告白を評価して 「最悪だったのは、過ちを”墓場”にまで持っていくことだった」 と語ったというエピソードを紹介している。

    *     *

 この件については、また今後も情報が出てくるだろうが、私の基本的な考え方は12日にも書いたとおりで、戦後60年を経過した現在、ナチスの犯した悪はそれとして、もう少し冷静な議論や検討ができないものか、ということだ。 例えばグラスが戦後ドイツでどのような発言をし、それが17歳時点での彼の思想とどう関連するのか (或いはしないのか) といった見方ができないものかと思う。 まあ、彼の自伝も出たことだし、それを読んだ上でのことになるかも知れないが。

 たまたまだが、13日の毎日新聞書評欄には、ナチズムやユダヤ人問題に言及した二つの書評が載った。

 一つは 『共産主義黒書――コミンテルン・アジア編』(恵雅堂出版) で、以前邦訳が出た 『共産主義黒書――ソ連編』 の続編である。 評者の鹿島茂氏は内容の一部、つまり共産主義による大量虐殺を紹介しながら、こう書いている。

 「ナチズムのような 〈悪〉 の顔をした 〈悪〉 ではなく、共産主義のような 〈善〉 の顔をした 〈悪〉 にはなぜ限度というものがないのか (…) 共産主義には抹殺すべき 〈敵〉 を無限増殖させるシステムが内包されていた。 これが重要である。」

 「ナチズムがかくまで非難されているのに、共産主義はなにゆえに今日まで断罪されずにいるのだろうかという著者たちの疑問は、もう一度真剣に検討する必要がある。」

 もう一つは、F・ティフ (編) 『ポーランドのユダヤ人――歴史・文化・ホロコースト』(みすず書房) についての池内紀氏の書評だ。

 ナチスがユダヤ人を虐殺した強制収容所がなぜポーランドに多く作られたのか、という重要な問題を論じたこの本を紹介する池内氏は、最初にこう書いている。

 「イスラエル軍のヨルダン侵攻がつづている。 さらに拡大の雲行きだ。 死者の数がうなぎのぼりにふえていく。(…) イスラエル政府はいっさいの抗議に耳をかさないかのようだ。 イスラエル軍は敵地を破壊しつくすまで撤退しない。 みずからで言明している。」

 そして結びはこうだ。 「パレスチナに高々と壁を築き、いむをいわさぬ軍部の侵攻は、こころなしかナチス・ドイツの手法と重なってくる。 「軽蔑の視線」 を恐れなくてはならないのは、はたしてどこの誰なのか。」

 そのとおりなのだ。 過去の事実を安心して糾弾したり反省したりするのではなく、今現在も同じことが行われていないかどうかを考え、そちらに抗議の精力を向けるならば、少しはましな未来が開けてくるかもしれないのだ。

 また、共産主義について言えば、ドイツの歴史家には自国のナチズムを反省するあまりか、逆に共産主義の犯罪を追及する学者にヘンな批判を向ける例があるようだ。 ヴォルフガング・ヴィッパーマン 『ドイツ戦争責任論争』(未来社) の 「日本語版への序文」 を読むと、『共産主義黒書』 への妙な反発が書き込まれていて、私などはナチスを批判するドイツの歴史学者もあんまり信用できないのではないか、という気がしてくるのである。

8月17日(金) 同姓同名はやっかいだ、というお話。

 一昨日新潟大学の事務から、フランスの大学教授がよこした英文メールが転送されてきた。 プロフェッサー・アツシ・ミウラの郵便のアドレスを教えてほしい、というだけの短いものだ。 事務部としては関与しないので、あなたが自分で返事をしてほしい、というのである。

 そのフランスの教授名には思い当たる節がなかったが、まあハインリヒ・マンを研究している人間は少ないし、その方面で何かコンタクトを求めてきたのか、或いは私は捕鯨問題にも首をつっこんでいるので、以前にも外国人からその件でメールをもらったことがあり、そっちの可能性もあるかな、と思ってメールで返事を出しておいた。

 そうしたら、昨日またその教授からメールが来た。 が、読んでみると来秋フランスで開催される学会のことが書いてあり、一応人文系ではあるけれど、どうも私の守備範囲とは異なっていて、変なのである。 おかしいなあ・・・・・と思案していたら、ふと思い出した。 東大駒場に三浦篤という学者がおられるのだが、その方と私を取り違えているのではないか。 発音上は私と同姓同名ということになるわけだし。

 それで東大のHPにアクセスして三浦篤氏の専門を見てみると、どうやら合いそうなのだ。 それならば、と早速三浦篤氏にメールを転送しようと思ったが、東大のHPには氏のメールアドレスは掲載されていない。 またご自分のHPも持っておられないようで、アドレスが分からないのである。

 仕方がないので、以前新潟大学教養部ドイツ語科の同僚だった人で現在は東大駒場の教授をしているU先生に電話して事情をお話しし、いったん問題のメールをU先生に転送した上で、あらためてU先生から三浦篤氏に連絡をとってもらうことにした。 

 U先生から三浦篤氏には無事に連絡がついたようで、本日研究室に来てみたら、くだんのフランスの教授からまた英文メールが届いており、間違いをして申し訳なかった、あなたが東大の三浦氏にすみやかにメールを転送して下さったことに感謝する、また誤解を通してではあるがあなたの存在を知ることができたこともうれしく思う、と丁寧な言葉が並べられていた。 これで一件落着、というわけでした。

 同姓同名というのは間違いの元であるが、最近まであんまりそれを痛感することはなかった。 

 学生時代、私と同じ研究室の一年先輩にHという人がいた。 H氏は現在は東北大の教授になっているけれど、この人と同姓同名の学者が都立大にいて、しばしば混同されるという。 漢字で書いてもまったく同じ名前で、同じドイツ文学者で、年齢も2歳程度しか違わないので、間違えるのも無理はないのである。 お互い迷惑だと言っている、らしい。

 しかし、私の場合、ドイツ文学者にミウラ・アツシという人はほかにいないし、東大の三浦篤氏は私と字が違い専門も違っているから、日本人ならまず取り違えることはないはずだ。 しかし 「国際化」 が進展すると発音だけで判断される場合も出てくるわけで、そうなると今回のような取り違えもまた起こらないとも限らない。 やっかいな時代になったものだ。

  三浦という姓は、鈴木・佐藤・山本・高橋などほどバカ多くはないが、といって珍姓というにはほど遠く、例えば日本独文学会の名簿を見ると合計2350人ほどの会員中に三浦姓の人は私を入れて5人いる。

 佐藤や鈴木でなくとも、三浦程度のポピュラーな姓を持つ人間であれば、今回のような間違いを避けようとするなら、なるべく凝った珍しい名前を子供に付けた方がよろしい、ということになるのだろうか。 私自身は、子供の頃から名を 「じゅん」 と誤読されることが多く、それを避けようと自分の子供には平凡で発音がすっきりしていて誤読の余地のない名を付けたのだが。 ううむ、命名は難しいですね。

 ミウラ・アツシといえば、最近名を売っている人に三浦展氏がいる。 『下流社会』 でブレイクした人だ。 この人も字が違うし専門領域も異なるので、間違えるはずはなさそうだが、こないだ新潟でこの人の講演会が行われ、この講演会には新潟大学も噛んでいたので教授会でも話が出た。 しかし、「ミウラ・アツシ先生の講演会が新潟市の○○会館で行われましたが・・・・・」 なんて報告を聞くのは、あんまり気持ちのいいものではなかった。

 まあ、私ももう少し名を売って、三浦展氏や三浦篤氏としょっちゅう取り違えられ、日本全国に混乱が蔓延するようにする・・・・・・のが正しい対処法なのかも知れませんがね (笑)。

 ちなみに、今回三浦篤氏の件で東大のHPを調べてみて、東大には8人の三浦姓の学者が勤務していると知った。 そのうち5人は助手なので除くとして、残る3人の三浦姓の教授・助教授のうち私がお名前を存じ上げていたのは三浦篤氏だけであった。 薬学部の三浦教授は仕方がなかろうが、もうお一人は教育学部の三浦教授である。 東大の教育学部教授といっても、(もう退職したけれど) 藤岡信勝とか、佐藤学とか苅谷剛彦みたいに有名な人ばかりではないのである。 世の中って、そういうものですよね。

8月12日(土) 私は以前、『〈女〉で読むドイツ文学』(新潟日報事業社) を、「ブックレット新潟大学」 というシリーズの一環として出したことがある。 初めてドイツ文学を読む人にも分かりやすいようにと、4作品を取り上げて、主として女性の登場人物に光を当てて紹介したのである。

 しかしブックレットなのでページ数が少なく、いきおい取り上げられる作品数は限られたものになってしまった。 4作品のうち、18世紀と20世紀文学が2作品ずつで、19世紀が入らなかったのも心残りであった。 だから、なるべく早く続編を書こうと思っていた。

 しかし大学のカネを使って出ているブックレットであり、同じ人間が短期間で続けて書くのも申し訳ない、ということで、数年間待って、本年度に 『〈女〉で読むドイツ文学 2』 の執筆を申し込んでみたら、申込者数が募集定員を上回っており、あなた (三浦) は以前一度書いているので待っていただきたい、と言われてしまった。

 実はここまでは予想していた。 予想していなかったのは、2年待て、と言われたことである。 1年待つつもりはあったのだが、2年とは・・・。 しかも、2年待って確実に書かせてもらえるかどうかもわからない、という。 それは2年後の編集委員会の判断次第だ、という。 いやはや、である。

 うーん・・・・どこか新書で書かせてくれるところはないかなあ。 もともと新書1冊分くらいのアイデアはあったのだけれど、何しろ新書本を出版している書店へのコネもない私のことで、それで新潟大学が出しているブックレットに書いた、という経緯がある。 自分で言うのも何だが、結構面白いと思うんですがね。 ま、ドイツ文学なんて流行らない、と言われればそれまでなんですが。 新潟県庁に勤めている中年男性が読んで、面白いとほめてくれたそうです・・・・・なんてくらいじゃ、出版社は動かないでしょうねえ (笑)。

 *   *   *

 ドイツ文学と言えば、ちょうど毎日新聞の報道が。 

 http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060812k0000e040056000c.html 

ナチス・ドイツ:親衛隊だった過去を告白 ノーベル賞作家

 小説 「ブリキの太鼓」 などで知られ、戦後ドイツを代表するノーベル文学賞受賞作家のギュンター・グラス氏(78) は12日付のドイツ紙フランクフルター・アルゲマイネとのインタビューで、ナチス・ドイツの親衛隊(SS) に所属していた過去を自ら明らかにした。 ナチスの歴史的責任や小市民のナチス加担を一貫して取り上げ、反戦をうたう左派文壇の代表格だった同氏の戦後61年目の告白は、国内外で論議を呼びそうだ。

 グラス氏はダンチヒ (現ポーランド・グダニスク) 生まれ。 これまでは国防軍兵士だった際に敗戦を迎え、米軍の捕虜となったと説明していた。 同氏はインタビューで 「両親の束縛から逃れる」 ため、15歳で潜水艦部隊への配属を希望したものの採用されず、敗戦直前の17歳の時にドレスデンでSSの戦車部隊に加わったと述べた。

 グラス氏は作家同士の批評活動集団 「グループ47」 で活動後、子どもの目で大人社会の変化を描いた1959年の長編 「ブリキの太鼓」 で広く認められた。 99年にノーベル文学賞を受賞した。(ベルリン共同)
     毎日新聞 2006年8月12日 12時29分

 記事にもあるように、ギュンター・グラスは戦後ドイツを代表する作家だが、その政治的発言は1990年のドイツ統一の頃には明らかに時代遅れになっていたと思う。

 まあ、それはさておき、十代の頃にナチスに所属していたからどうこう言うのは、そろそろ止めるべき時期ではないか。 ナチスの罪は罪として、なぜ当時若者たちがナチスに惹きつけられたのかを真剣に考えるべき時だろう。 結果論だけでものを言っても仕方がないのである。 日本の独文学者でも池田浩士などはずいぶん以前からそういうことを言い続けているが、なかなか浸透しない。

 グラスの 「告白」 が、まともにナチスを議論できるような雰囲気作りのきっかけになればいいのだが。

8月11日(金) 教養部解体以来、新潟大学で年1回出し続けていた紀要 『新潟大学言語文化研究』 が存亡の危機に立たされている。 これは外国語や外国文化について研究している人のための紀要で、外国語担当教員の数が多いことなどの事情もあって、特に発行が認められてきたものだ。

 それが、昨年度から急に雲行きがあやしくなった。 それまで毎年、この論集のための予算が設けられていたのに、予算が付かなくなったのである。 この雑誌、出始めの頃は、旧教養部外国語担当教員が分属したのが人法経の文系三学部であったところから、この三学部の発行という形をとっていたが、途中から大学教育開発研究センター、つまり教養部の仕事を受け継いだセンターの発行となって、一昨年度まで続いてきたのである。

 昨年度、なぜ予算がつかないのかを某先生が大学上層部に問いただしたところ、それでは今年は付けるが来年度 (つまり今年2006年) からは付けないので学長裁量経費で申し込むように、との答が来たらしい。 要するに、大学上層部はそういう雑誌が出ていたことを把握していなかったのだろう。 また、本来なら大学教育開発研究センター長をやっていた人間がその点をフォローすべきなのに、していなかった。 杜撰の極である。

 何にしてもふざけた話である。 それまで続いてきたものをなぜなくすのかについて全然説明をしないままに、勝手にカネだけ削減する――これが今の新潟大学上層部のやり口なのである。

 で、今年は某先生が仕方なく雑誌の継続発行を求めて学長裁量経費に申し込んだのだが、あっけなく不採用となった。 要するに大学上層部はこの雑誌を出す意志がないのだ。

 これが問題なのは、外国語については非常勤講師に頼る割合が高く、この 『新潟大学言語文化研究』 は非常勤講師の方にも論文投稿を認めていたからなのである (内容を常勤がチェックした上で掲載)。 新潟大学の授業を受け持っている非常勤講師の方にも研究論文の発表の機会を与えるというのが、この雑誌の趣旨の一つだったわけだが、それを大学上層部は分かっていない。 ワカッテナイことだらけの大学上層部なのである。

 で、雑誌を出し続けるとすれば執筆者が研究費から数万円ずつ出せば何とかなりそうだというのだが、ここでも何度も書いているように研究費の額自体が独法化以降激減しているし、そもそも非常勤講師の方は研究費をもらっていないのである。

 新潟大学は弱者切り捨て大学である、と言われても仕方がない政策でしょうな。 ――私はこういう ( 「弱者切り捨て」 みたいな) 言い回しは好きじゃないんだけれど、昨今の新潟大学を表現する言葉は、これしか浮かばない。

8月10日(木) ドイツの週刊誌 "Der Spiegel"(本年7月24日号) に目を通していたら、文芸評論家マルセル・ライヒ=ラニツキへのインタビュー記事が載っていた。 彼はドイツの文芸評論界の大御所だが、86歳の今も旺盛な活動を続けているようだ。 写真で見るとさすがに老けて、以前のような脂ぎった感じは薄れているみたいだけれど。

 へえと思ったのは、彼の自伝が映画化されようとしている、という話題。 作家ならともかく、文芸評論家の生涯が映画になる、というのは日本なら考えられないのではないか。 小林秀雄の生涯を映画化する、なんて話があり得るだろうか?

 ちなみにライヒ=ラニツキの自伝は、私は未読だが、邦訳も出ている ( 『わがユダヤ・ドイツ・ポーランド』 西川賢一訳、柏書房)。 もっともこの映画が日本で上映される可能性は、ゼロに近いだろうな。 何しろ数年前、文豪ゲーテと内縁の妻の関係を扱った映画が作られたときも、日本には来なかったくらいだから。

8月6日(日) 数日遅れだけれど、備忘のため記しておく。 7月31日限りでなくなったものが2つ。

 まず、全国的なクラシック音楽サイトであった 「クラシック招き猫」 が消えた。 管理人さんが本職に忙しくなり、管理の仕事ができなくなった、という理由かららしい。

 このサイトは私のサイトのリンクにも載せていたが、日本全国のクラシック・ファンが集まることで知られており、レベルもかなり高かった。 最近はレベルが上がりすぎて、私などはついていけなくなっていたが、読むだけでも勉強になるサイトだった。

 また、このサイトを通じてykさんなどネット上の知己を得られたことも大きい。 私としては、どなたかが管理の仕事を受け継ぎ、再出発してほしいと思っているのだが。

 次に、ローカルな話題だが、新潟大学のキャンパス前の ”I” というスーパーが撤退した。 内野町――新潟大学のそばにある町。以前は独立した地方公共団体だったが昭和30年代に新潟市に吸収合併された――に本店があるスーパーで、新潟大学前に支店を出していたのだが、その支店がなくなったのである。

 この支店、私が新潟に赴任してきた頃はなかったから、1980年代の半ばくらいにできたのではなかったかと記憶する。 面積は狭いが、何しろ周囲は学生アパートだらけだし、すぐ近くに生鮮食料を扱う店がなかったから、結構繁盛していた。

 それが変わってきたのは、ここ数年、大学前にコンビニがいくつもできてからのことだ。 コンビニも最初の頃はスーパーとは必ずしも競合しなかったわけだが、おにぎりや弁当といった食料品の扱いを増やすにつれてスーパーの扱う領域に食い込んでいったようだ。

 野菜や魚といった生鮮食料品を扱う点ではまだスーパーに分があるように見えるが、最近の学生はちゃんとした調理なんかせずに、コンビニの弁当やおにぎり、サンドウィッチなんかで三食とも済ませてしまう場合が少なくないようで、ついにスーパーも営業が成り立たなくなってしまったのだろう。

 しかし、これが学生の食生活という点でどういう影響をもたらすかは予断を許さない。 新潟大学の生協では学生の栄養相談なんかをすることがあるけれど、かなり問題が多いらしい。

 すぐ近くに生鮮食料品を扱う店がない新潟大学。 大丈夫かなあ。

8月5日(土) ドイツの女性声楽家として知られ、日本にもファンが多かったElisabeth Schwarzkopfの訃報が昨日から今日にかけて報じられた。

 で、Elisabeth Schwarzkopfの発音だけれど、今朝、私が取っている毎日新聞と産経新聞で見たら 「エリザベート・シュワルツコップ」 となっており、学校に来てネットで朝日新聞を見たが、同じであった。 うーん、問題あり、なのだな。

 まず、ファミリーネームは正確にはシュヴァルツコプフだが、「ヴ」 表記をしないとか新聞には色々制約があるだろうから、まあいいとしよう。

 問題は、ファーストネームが 「エリザベート」 になっていること。 これは 「エリーザベト」が正しい。 英語で 「エリザベス」 と発音する女性名は、ドイツ語では 「エリーザベト」 と第二音節を延ばし、そこにアクセントをおいて発音する。 「エリザベート」 なんて発音はドイツ語には存在しない。

 実はこの誤り、以前から私は問題視しているのだが、一向に改まらないどころか、ついに日本を代表する新聞各紙がそろって間違いをやらかす、というところまで行ってしまった。

 原因はおそらく、オーストリア・ハンガリー帝国で事実上最後の皇帝となったフランツ・ヨーゼフの妃を扱ったミュージカルにある。 皇妃の名がエリーザベトなのだが、これを日本版にするときに誰が間違えたのか知らないが 「エリザベート」 となってしまった。 そのせいで誤りが一般に流布している、のだと思う。

 以前、ヨーロッパの王室・宮廷を扱ったサイトで、やはりくだんの皇妃が 「エリザベート」 と表記されていたので、正しくは 「エリーザベト」 ですよとメールを出したら、返事が来て、「当方も間違いは承知しているのだが、エリザベートという間違いのほうが一般に知られていて、検索しても出てこないと文句を言われるので、間違いを承知で載せている」 とのこと。

 間違いが正解を駆逐しているわけだ。 うーん、こういうのをポピュリズムというのだ・・・・・ろうか、どうだろうか。

8月2日(水) 毎日新聞のコラムに元村有希子記者が 「業界の常識」 という文章を書いている。 元村記者は科学や高等教育について優れた記事を書いている人だが、ここでは大学業界の 「常識」 に疑問を呈している。

 元村記者の同僚が、研究費の流用などで問題になっている松本和子・早大教授の論文を調べていたら、或る発見をした。 松本教授が98年に書いた文章と99年に書いた文章がほぼ同じで、前者は某学会の機関誌に掲載され、研究内容を紹介した 「総説」、99年のはほぼ同じ内容の文章を、「論文」 として同じ学会の学術誌に投稿していた、という。

 元村記者がその学会に確認したら、「それはよくあること」 と言われたそうな。 どちらも論文なら二重投稿だが、この場合はそうではないので問題ない、という。

 元村記者は 「私は賛同しかねる」 と書いているが、それはそうだろう。 その学会の人間がどうかは知らないが、普通だったらこんな場合は問題にするのが当たり前である。 元村記者もコラムで済ませないで、ちゃんと詳細に報道していただきたい。 応援してますから。

 それに、それはあくまでその学会の 「常識」 であって、一般の学者や学会の常識ではないと思う。 その辺をはっきりさせるためにも、是非実名で詳細な記事を書いて欲しいものである。

 *   *   *   

 とはいえ、学者だとか学会には割りにおかしな人がいたりおかしな習慣があったりするものである。 日本独文学会でもそういう側面が結構ある。 ここでは私が以前に経験した例を一つだけ紹介しておこう。

 今は独文学会の機関誌は、論文のみの雑誌と、それ以外の情報や意見などを掲載した雑誌とに分かれているが、以前は論文もそれ以外の情報なども1冊の雑誌にまとめて載せていた。 そこに、会員の意見を掲載するコーナーもあった。

 ところが、論文については毎回巻末に募集要項が載るのに、意見コーナーについてはそれがない。 どうやって投稿したらいいか分からない。 それで私は、編集担当の理事に手紙を書いて、意見コーナーについても募集要項を載せるべきではないか、と要求した。

 そうしたら、編集担当の理事M氏から返事が来たのだが、曰く――募集要項を載せずとも、ツテをたどれば編集に関わっている人間に意見掲載を申し入れることは可能ではないか、現に私 (M氏) は新潟大学のI先生を存じ上げている・・・・・・

 私はこれを読んであきれ果てた。 M氏は、自分は新潟大学のI先生を知っている、だからあんた (三浦) もツテで雑誌への意見掲載を申し込めたはずだ、と言っているのだ。

 これのどこがおかしいか、中学生でも分かりますよね。 はい、正解。 M氏とI先生が知り合いである、なんてことを私 (三浦) が知っているわけはないんですよね。

 独文学会の理事、っていっても、このくらいなのでした。 元村記者の取材した人も、もしかしたらこのくらいの人だったのかも知れません。

 なお、この件については、その後私の主張が通って、意見コーナーについても募集要項が載るようになったことを申し添えます。   

 *   *   *   

 ところで、松本和子教授事件については、その後色々な報道がなされているが、少し前の毎日新聞に、研究費が集まりすぎて使い切れなかったのではないか、という指摘が載っていた。 本当なら、実にうらやましい話ではある。

 国立大学の独立行政法人化で研究費が激減しているという事実は、このサイトでも何度も書いてきた。 そのため新潟大学では以前から継続して集めてきたドイツ文学の貴重な文献が買えなくなり、途中でやめざるを得なくなっていること、学長も情けないことにそうした側面に知らん顔を決め込んでいること、も何度も報告してきた。

 したがって、松本教授みたいな変なところに集中的にカネを回すくらいなら、基本的に必要なカネを各研究者に回してからにしろ、と言いたい。

 例えば私の現在の個人研究費は年額約21万円である。 その過半は、教養部以来継続してとっているドイツ文学関係の専門書 (必ずしも私の専門に直接関わるものだけではなく、辞書類なども含まれる) の購入にあてている。 そのほか、研究教育用のコピー代だとか、文房具やパソコンプリンターのインクだとかも、ここから出費しなくてはならない。

 だから研究に必要な書籍は、研究費ではなく、基本的に自分のカネ (つまり私費) で買っている。 またどうしても自分では買えない高額書籍や、図書館にぜひ入れておきたい本などは、各種経費の募集があるたびに色々な理由をつけて申請し、買ってもらうようにしている。

 で、一番困るのは何かというと、学会出張のカネがないことなのである。 日本では過半の学会や研究会は首都圏で行われる。 新潟から出かけて行くには往復で2万円かかるし、宿泊費もそれとは別にかかる。

 以前は研究費と交通費は別物だった。 研究費で学会に出かけることはできず、年額6万円支給される交通費から出していた。 だからまあ、東京なら年2回出かけられるかな、という額である。 もちろん、学会が北海道や九州で開かれると、赤字である。

 独立行政法人化がなされるとき、説明をした事務官は、「これから研究費と交通費は一緒になります、研究費で出張できるようになります、先生方には便利になります」   と言った。

 たしかに、研究費と交通費は一緒になった。 しかし事務官の説明はむなしかった。 なぜなら総額が半分以下に減ったからである。 だから、出張しようにもできないのである。

 困るのは、昨今は学問の多様化で学会の数も増え、所属する学会も増え気味なことだ。 つまり、出張すべき学会の開催自体が増えているのだ。 私も、日本独文学会やその下部組織みたいなシュトルム協会だけでなく、日本言語政策学会と日本セトロジー研究会に所属している。 日本言語政策学会は、年2回の学会とは別に研究発表会も年数回やっている。 場所は東京と決まっている。

 全部を合わせると、年に十数回の学会・研究発表会が新潟以外の場所で行われているのだ。 その全部にとは言わないが、せめて4、5回程度は出席したい。 しかし、それを許すだけの研究費は支給されていない。

 学会は新しい学問の動向や情報に触れる場である。 そうした基本的な機会そのものを、新潟大学は自学の研究者に提供していないわけだ。 こうした惨状を明らかにするマスコミは存在しないのか? 

7月28日(金) 2年次向け基礎演習の最終日。 思いがけず学生からプレゼントをもらってしまった。 が、その中身は・・・・・うーん (笑)。 以前も、万年筆やボールペンをもらったことはあったが、今回は、ううむ、と苦笑せざるを得ない。 詳細は内緒にします (笑)。

 拙著 『若きマン兄弟の確執』 について、これまた思いがけず九州の某大学にお勤めの独文学者から感想が届いた。 ご自分で書かれた論文の抜き刷り――ハインリヒ・マンの小説 『ウンラート教授』 およびそれを原作とした映画 『嘆きの天使』 に関する――も添えられている。 未知の方からこのようにコンタクトをいただくのは、大変うれしいことだ。 この場でお礼を申し上げる。

 夜、3・4年次向け演習の学期末コンパを演習室を用いて行う。 従来は近所の店に出かけていたのだが、今年度はどういうわけか私の演習としては珍しく学生数が多いので、安上がりの手段を選びました、すみません。 とはいっても、欠席の学生3人を除いて9人 (私を含む) だけれど。

 夜6時半から始まって、せいぜい3時間程度と思っていたら、話が盛り上がって11時お開きとなった。 もっとも学問に関する話じゃなく、就職活動の話ですけどね。 今いる講座は、その性質上学年が異なる学生同士の交流があまりないので、こういう機会は貴重だったようだ。 飲むと授業中とはうって変わって能弁になる学生がいたこともあった。 できれば授業中もこのくらい活発にやってほしいものだが・・・・。

7月26日(水) 午後7時から音楽文化会館でユルンヤーコブ・ティムのチェロ・コンサートを聴く。 ティム氏はゲヴァントハウス管弦楽団の首席チェロ奏者であると同時にゲヴァントハウス四重奏団でチェロを受け持っている。

 ピアノは小川泰と遠藤吉比古。 プログラムは、前半がバッハの無伴奏チェロ組曲第4番、シューマンのアラベスク (独奏=小川)、同じくチェロとピアノのための幻想小曲集 (伴奏=小川)、後半は遠藤の伴奏で、坂内明の 「佐渡おけさ」 によるチェロとピアノのための幻想曲、ベートーヴェンのチェロソナタ第3番。 アンコールにフォーレのエレジー。

 うーん、満足感がイマイチな演奏会だった。 ティムのチェロは、音はそれなりに通るし技巧も悪くないが、なぜか感銘がさほどではないのである。

 例えば、最初のバッハで言うと、2年前に根津要氏のリサイタルを聴いたときは、バッハの無伴奏組曲で、いかにも 「バッハの精神」 を表現し得ているという印象を受けたのだが、今回のティムの演奏からはそういったものが感じられない。 精神的な充実感が湧いてこないのである。 ベートーヴェンについても似たような印象で、下手ではないが音楽の感興のようなものが伝わってこない。

 それとピアノを二人が受け持ったのがどういう事情か知らないが、何となく演奏会のまとまりを弱くしているような気がした。 小川氏の演奏はシューマンのアラベスクでも伴奏でもメリハリがなく、表現意欲のようなものが感じられない。

 客の入りも悪かった。 150人くらいかなあ (このホールの定員は530人)。 しかも少数精鋭とはいかず、演奏中に紙音をうるさくたてる人、演奏が始まっているのにおしゃべりしている人 (座席番号10−15のお客さん、あなたのことですよ) など、感心できなかった。

 それにしても、こないだの牧田由起さんや井上静香さんの室内楽は満員に近かったのに、どうしてこんなに差があるのだろうか。 演奏者のコネでしか演奏会に行かない人が多いのだとすると、新潟市の室内楽状況はあまり評価できない、という結論になるのかな。 外来演奏家によるチェロ・リサイタルは新潟市ではあまりないだけに、残念なことだと言わねばならない。

7月25日(火) 東大出版会発行の雑誌 『UP』 7月号に松浦寿輝が 「阿部良雄あるいは情熱と責任」 という一文を寄せている。

 朝日新聞で長らく文芸欄の重鎮であった百目鬼恭三郎が1973年に以下のような趣旨の文章を発表した、というところから話を始めている。 曰く――昔なら法科に入るような秀才が昨今は外国文学研究者となり、本国の学者の向こうを張って校訂本の研究などにうつつを抜かしているのは嘆かわしい、外国文学者は学問などにかまけずもっと地道な翻訳紹介に徹すべきだ、と。

 松浦は、百目鬼のこの杜撰な文章がフランス文学者・阿部良雄の反論 「外国文学者の情熱と責任」 を引き出した(『世界』73年10月号,、単行本未収録) と指摘し、阿部のなしたような、自身の 「情熱と責任」 の所在を逃げ隠れせずに真っ向から直球勝負で定義し、社会に発信し、それをみずから実践し得ている 「外国文学者」 が後継世代にどれほどいるか、と問うている。

 松浦の文章は、阿部の世代が切り開いた突破口の後、若い世代の日本人学者はフランス語や英語で博士論文を書き外国学会に出かけて発表するということを当たり前のように行っているが、そういう状況ははたして阿部の姿勢を受け継ぐものと本当に言えるのか、としたえうで、普遍性を持つとは特定の言語の固有性に根ざした特有の文体を獲得することのほかにはない、と結論付けている。

 博士論文は日本語で書き、外国学会で発表した経験もない私のようなボンクラ外国文学者としては、くちばしを差し挟む余地はまったくないが、或る感慨のようなものがきざしてくるのを禁じ得なかったことも事実である。

 つまり、昨今の状況としては、日本のドイツ文学会も学会誌をなるべくドイツ語論文で埋めようとしているのであるが、私はそれを素直に首肯できないのである。 なるほど、それで日本人ドイツ文学者は 「国際的な」 学界に近づいてはいるだろう。 だが、逆に一般の外国文学愛好家からは遠ざかっているのだ。

 すぐれた訳業が学者としてのすぐれた研究と別物と考える百目鬼のバカさ加減 (作品や作者に関する精緻な認識なくして、どうして優れた訳業が成し遂げられよう?) は論外としても、一方で外国文学を翻訳で読む普通の文学愛好家が激減し、他方で外国文学者の研究が 「高度化」 して普通の文学愛好家から遠く離れていく現象は、はたして別次元の事柄なのだろうか? 私には双方がパラレルな現象のように思える。

 それは、素朴にラジオを組み立てたり、クルマや航空機の設計図を自己流にいじりまわしたりした少年たちが理工系の学問を担うようになっていた時代が終わり、近年では大学理工系学部の倍率が著しく下がっている現象を私に想起させる。

 「学問」 が発達し、認識が精緻になるほどに、ポピュラリティが減じていく、という現象を、少なくとも 「文学研究者」 はもう少し深刻に考えるべきではないか。 自然科学とは違い、人文系の 「学問」 は客観的に見てそれが必要だと他人に思わせるだけの重みを持ち合わせていないのだから。

7月21日(金) ネット上の古本屋に 『ツヴァイク全集 第1巻 アモク』(みすず書房) を発注する。 調べたら、新潟大学の図書館に収められていなかったのである。 全集の他の巻は入っているので、おそらく昔の (図書館蔵書がパソコンに登録される以前の時代に) 不届きな学生が借りたまま返さなかったのであろう。

 シュテファン・ツヴァイクなど古いと肩をすくめる人もいようが、短編小説の面白さには無類と言えるものがあり、ドイツ語圏作家としては貴重な存在なのだ。 水曜日の教養科目・西洋文学Lで今週から彼の 『燃える秘密』 を扱っているので、ツヴァイクで第2回レポートを書く学生もいるだろうと考えて調べてみたら、上述のような具合だったというわけ。

 念のため言っておけば、今回の注文は私費である。 校費にすると時間がかかるし、どうせ大した値段ではないから、自分のカネで買って寄付する形にしたほうが簡単なのである。

 図書館に上記の件で行ったついでに独文学関係の棚をながめていたら、『エンデ全集』(岩波書店) も何巻か欠けている。 あとで検索してみたが、貸し出し中の巻は1冊だけのようだから、やはり不届きな学生のためであろう。 困ったものだ。

 『エンデ全集』 を図書館に入れたのも私である。 これは何年か前、新潟大学図書館に架蔵していないのに気づいたが、当時新本では品切れになって手に入らない状態だった。 そのことが心にかかったまま、ある日新潟市・営所通の古本屋に入ったら、何と 『エンデ全集』 の揃いがあるではないか。 早速それを自分の研究費で購入して図書館の開架に収めてもらった。

 『ツヴァイク全集』 の端本1冊なら私のポケットマネーで買って寄付もするが、さすがに 『エンデ全集』 の揃いだとそうもいかない。 上のようなことが可能だったのは、数年前はまだ個人研究費が理性的な水準にあったからである。

 しかし今はこういう真似はできない。 2年前の独法化で研究費は半分以下に激減しているから、今なら同じシチュエーションに立たされても買えないまま終わるだろう。 学内でも申請制の資金ばかりが増えているが、申請制の資金は1年に1回、限られた時期にしか募集しない。 だから、上のようなシチュエーションでうまく使えるわけがないのである。

 何度も同じことを書くようだが、新潟大学の上層部は、こういう微妙なところがまるで分かっていない。 ワカッテイナイという事実が、つまりは彼らが研究者としてどの程度の人たちなのかをあからさまにしているのではないか、と失礼ながら私は考えている。

7月19日(水) 夕刻、教養科目――正確にはすでにそういう名称も消失しているのであるが――の 「文学」 を受け持っている人文学部教員6名が、まとめ役のB先生の呼びかけて集まり、短時間ながら会議を開く。

 ここでは、教養の 「文学」 のコマ数がじり貧になり、受け持ち教員も減少している、という実態が問題とされた。 教養の 「文学」 を受け持つことのできる教員は人文学部だけにいるわけではないが、実際はほとんど人文学部の教員でやっている。 ほかには教育人間科学部の教員が2コマ、非常勤教員が1コマ出しているだけだ。 外国語系の教員は法学部や経済学部にもいて、その人たちは研究上は文学をやっていることになっているはずだが、そちらからの授業は一つも出ていない。

 こう聞くと驚く人も多いだろうが、実は新潟大では教養部解体 (1994年) 以後の教養科目は、基本的にはそれを出す教員の善意によってのみ維持されてきたのである。

 一応、教養部解体直後は、責任部局という考え方があったはずだが、「教養科目」 が 「全学共通科目」 と名称変更になり、それがさらに 「Gコード科目」 となって、教養科目の特殊性が見えにくくなってしまうにつれ、どこかに行ってしまった。 これは無論、新潟大学上層部が意図的にやっていることだ。 下 (↓) の7月10日にも書いたように、上層部は最終的には専門科目と教養科目の垣根を完全に取り払うつもりでいるらしい。

 しかし、そうなれば割りを食うのは教養科目に決まっているのである。 「責任部局」 という考え方があった時ですら、例えば 「文学」 なら教養科目の 「文学」 を出す人は限られていた。 研究上は 「文学」 をやっている教員が全員受け持っていたのではない。 きわめていい加減だったのである。

 そして 「責任部局」 が消えた以上、残るのは教員個人の善意しかないのである。 これがどれほどバカげた状況であるかは言うまでもない。

 教養科目を受け持つ教員にはメリットがあるか? 例えば大学院なら、受け持つと大学院担当手当が出る。 月額3万円以上が給与に加算される。 しかし教養科目を受け持っても給与は1銭も増えないのだ。 

 それでも以前ならわずかだが教養教育経費が配分された。 1コマやって2〜3万円程度だが、給与ではないものの研究教育費として教員個人で使えるカネが出ていた。 念のため、月額ではない。 1コマを半年やって総額が2〜3万円なのである。 大学院担当手当との差は明瞭であろう。

 (大学院生のほうが教えるのが大変だ、なんて思ったら大間違いである。 興味も知識水準も雑多な学生に教える教養科目のほうが、自分の専攻に近い院生に対する授業よりずっと大変なのだ。 また教養科目のほうがはるかに大人数であるから、成績処理にも手間と時間がかかる。)

 しかしそのわずかな教養教育経費すら事実上なくなってしまったのである。 経費自体は名称を変更して維持されているが、昨年度から申請制に変わって、事実上個人の裁量では使えなくなった。 (厳密には、今年度はそうしようと思えば個人使用が可能だったようだが、人文学部の判断でそうはならなかった。) 教養科目を受け持つメリットはまったくなくなった。

 これも念のため付け足すけれど、教養科目を受け持たない教員がそれでペナルティを課されるわけでもないのである。 教養科目を受け持つ教員は純粋な善意でやっている、という実態がお分かりいただけただろうか。

 無論、これで教養科目が維持できるはずがないのである。 7月10日の上層部の発言を聞くと、この点ですごく楽観的だったのだが、実態を全然把握していないというしかない。 ワカッテナイのである。

7月16日(日) 朝から大形卓球クラブ主催の大形卓球大会に出る。 会場の東総合スポーツセンターまで、N卓球クラブのM氏の車に乗せてもらって行く。

 毎年2回開催されているダブルスのみの大会である。 いつものように、くじ引きで男女がペアを組み、1グループ6ペアずつ集まってリーグ戦を行う。 午後は再度くじ引きを行い、組み合わせを変えてまたリーグ戦である。

 今回の私の成績は、午前中は3勝2敗でグループ3位、午後は5戦全勝でグループ優勝だった (やったぁ!)。

 いつもながら、200人以上の卓球マン&ウーマンが集まる大会を運営する大形卓球クラブの方々のご苦労には、感謝したい。

7月15日(土) 夕刻から、2年生向けの基礎演習のコンパを、大学近くの店Yで行う。 学生5名と私。

 土曜だから、つまり休日だからすいているのではないかと思ったが、案に相違して徐々に混みだし、かなりやかましくなった。 学生ではなく、大学の教師やせいぜい大学院生クラスのグループがいくつかやってくる。 どうやら土曜日に研究会やなにかを開いている人たちが結構いて、終わってからこちらに流れてくるらしい。

 たしかに、週休2日とは言っても、最近の大学は 「改革」 ばやりで平日はかなり忙しくなっており、自分の勉強は土日に、というケースが増えている。 仕方がないか。

 それにしても、ここの店は最近では珍しく分煙が徹底していない。 十畳ほどの部屋に3つくらいのグループがそれぞれ卓を囲んでいるが、喫煙しているところと、私たちのように全然喫煙しないところとが並んでいる。 (十畳ほどの部屋は複数ある。)

 昔なら何とも思わなかったけれど、最近は分煙に慣れているので、飲んでいるところにタバコの煙がくるとやはり気になる。

 私は狂信的な嫌煙権論者や禁煙論者は嫌いだが、やはり公けの場所での分煙は徹底して欲しいものだ。

7月14日(金) 西洋文学Lのレポート採点を続行するが、相変わらず間違いが目に付く。 ロッテをウェルテルの 「元同級生」 なんて書いてあるトンデモなレポートがあったが、調べてみると天下の (?) Wikipediaに堂々とこの珍説が掲載されているのを発見。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%A5%E3%81%8D%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%82%A9%E3%81%BF 

『若きウェルテルの悩み』(Die Leiden des jungen Werthers)は、ドイツの作家、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる書簡体小説。(ウェルテルはヴェルテルとも発音)

元同級生の女性に恋をした主人公。 しかし彼女は婚約していた。 それでもよき友人として学校時代と変わらず接してくれる彼女。 叶わぬ恋に主人公が絶望し、ピストル自殺するまでをえがく。 ゲーテの名を世間に知らしめた出世作であり、ドイツロマン主義の代表作のひとつでもある。 1774年刊。

 ・・・ったく、嫌になってしまう。 Wikipediaの 『若きウェルテルの悩み』 の前半部分を上に引いたが、この短い文章の中に明確な間違いが3つもあるのだ。

 (1)元同級生――学園小説じゃないんだってば! ウェルテルはロッテの住む町にやってきて初めて彼女を知るのである。

 (2)学校時代と変わらず接してくれる彼女――だからぁ、同じ学校に通ったなんて事実はないの!

 (3)ドイツロマン主義の代表作――当時は、文学史的に言うと 「シュトルム・ウント・ドラング (疾風怒濤)」 時代と呼ばれる。 ロマン主義を準備した運動とされることはあるが、ロマン主義自体はこれより後である。

 まあ、そういうわけで、先ほど、私みずからWikipediaの上記項目を修正しました! やれやれ。

 それにしても、シロウトがこういうデタラメを記してしまうから、ネット上の百科事典は当てにならない。 もっとも、こういうのを放置している日本のドイツ文学者もだらしがないと思う。

 と書くと、お前だってドイツ文学者のはしくれだろ、と言われそうだが、私はゲーテの専門家ではない。 ゲーテ・フォルシャー (Goetheforscher) と言われるゲーテ専門家が、日本には何人もいるはずなのだ。 なにせ、『ゲーテ年鑑』 なんてものまで出ているくらいですからね (下記リンク↓)。 私は 『ゲーテ年鑑』 には一度も書いたことがないので (別段書きたいと思っているわけではない)。

 http://wwwsoc.nii.ac.jp/ggj/gjj-j.html 

7月12日(水) 1限の全学共通科目・西洋文学Lの講義を終えたら、学生から質問を受けた。 ゲーテの 『若きウェルテルの悩み』 に主人公がホメロスを読むシーンが出てきたので、自分も読もうとして岩波文庫の 『オデュッセイア』 を入手したのだが、歯が立たない。 何か注釈書のようなものはないですか、というのである。

 え、えらいっ!と私は内心で叫んだ。 実を言うと私も岩波文庫で 『イリアス』 と 『オデュッセイア』 を通読したのは、教師になってからなのである (当時は現行の松平千秋訳ではなく、呉茂一訳だった)。 まあ、『オデュッセイア』 は多少は面白いと思ったけれど、戦闘シーンが延々と続く 『イリアス』 は面白くなかったなあ。

 だから、学生が完訳版の 『オデュッセイア』 に躓くのは、当たり前なのである。 安心して下さい(笑)。

 だけど日本語の注釈が仮にあったとしても、それをいちいち参照しながら 『オデュッセイア』 を読むというのはどうにもまどろっこしい。 自分の専門に密接に関連する読書ならともかく、そうでないなら、いっそリライト本で読んだ方がいいのではないか、と思い当たった。

 それで、リライト本で読むのもいいと思うから、探しておきます、と答えておいた。

 後で調べてみたら、岩波書店からバーバラ・L・ピカード 『ホメーロスのオデュッセイア物語』 というのが出ていた。 新潟大学図書館にもあるので、見てみたら、小学校高学年以上となっていて、中学高校生向けという体裁だが、勘所を押さえながら分かりやすくオデュッセイアの物語が語られていて、文学研究者じゃない一般読者はこれを読んでおけば十分だと思われる内容である。 ついでながら、同じ著者による 『イリアス』 のリライト本も岩波から出ている。

 映画の 『トロイ』 じゃ物足りないけれど、完訳版の 『オデュッセイア』 や 『イリアス』 はちょっと、という人には、この本をお薦めしますね。

  *    *    *    *

 さて、リライト本でふと考えた。

 私が小学生だったころ、子供向けの世界名作全集がいくつもの出版社から出ていた。 その中の多くは、大人向けの書物をリライトしたもので、私もそれを読んでいた。

 日本神話、聖書、ギリシア神話、アーサー王物語といった神話伝説物から、『ロビンソン・クルーソー』、『ガリバー旅行記』、『モンテ・クリスト伯(厳窟王)』、『レ・ミゼラブル(ああ無情)』、『西遊記』、『八犬伝』、またホームズやルパン、はたまた漱石の 『坊ちゃん』 に至るまで、実に多種多様な書物が子供向けの世界文学全集に収録されていたのである。

 リライトと言っても物により様々で、私が読んだ 『坊ちゃん』 ではあの独特な文体を極力そのまま残し、子供にはどうしても理解できない語句だけ現代風に改める、という良心的なやり方がとられていた。 後生恐るべし、なんて文句も私はこれで覚えたのである。

 ところが、私が十代の頃はまた 「文学」 への信仰が強く生きていた時代でもあって、中学1年生の時に英語を教わったのは若い女の先生であったが、この方は 「子供向けの省略版で文学を読むのは、良くありません。 読むなら原作通りの形でなくては」 とおっしゃるのであった。 

 私はその時はなるほどと思ったわけだが、今考えてみるとこれはいささか無理な話だと思う。

 例えば聖書など、全訳を最初から最後まで通読した日本人がどのくらいいるだろう。 数少ない聖書学者や聖職者はともかくとして、一般人が教養として聖書の知識を得ようとするなら、リライト本を読んだ方がはるかに効率的なのである。

 実際、私の体験として、子供時代に読んだギリシア神話や聖書や日本神話の知識はなかなかバカにならないものがある。

 一例を挙げよう。 聖書で悪魔がイエス・キリストを誘惑する場面 (マタイ伝4章) があるが、これを悪魔がイエスを 「試みる」 という (文語訳聖書による)。 この言い方は私が読んだ子供向けの世界名作全集の 『聖書物語』 でもそのまま用いられていたし、また、同じくオルコット 『若草物語』 でも、四人姉妹を母親がわざと突き放して規律正しい生活ができるかどうか試すシーンで、やはり 「試み」 という日本語訳が使われていた。

 だから、私は 「試みる」 という日本語にそういう意味があることは子供時代から知っていた。 ところが、大学生になってから、原書講読の授業で読んでいた小説に悪魔がイエスを誘惑する場面を下敷きにしたシーンがあって、授業でそこを担当した私が 「試みる」 と訳したら、教授は変な顔をした。 明らかに、こういう場合に 「試みる」 という訳語が使われることをご存じなかったのである。 大学教授の教養は、小学生向け世界名作全集に及ばなかったのである。

 昨今の大学生がこの種の知識を全然持たない――聖書もギリシア神話も、ロビンソン・クルーソーもシェイクスピアも 『坊ちゃん』 も読んでいないのは、子供向けの読書としてリライト版を読む習慣を失っているからではないか。

 聖書やギリシア神話の知識が皆無だと、西洋の文学はもちろん、美術や音楽を教えるのにだって支障をきたすし、ロビンソンやシェイクスピアを読んでいないのでは、ポストコロニアリズムを教えるのにも不便なのである。

 今こそリライト本の復権を!と私は叫びたい。 

7月11日(火) 新潟県立万代島美術館に、「印象派と20世紀の巨匠たち」展を見に行く。 5月中旬からやっていたのだが、気が付くと今週いっぱいなので、行ってみたもの。

 印象派ではルノワールが多く、私の趣味とはちょっとずれていたが、数枚、おやと思う絵があって、絵はがきがあるものについては買っておきました。 その1枚がシニヤックの港の絵。 線描画的で、同じシニヤックの上野の西洋美術館にある点描技法による港の絵――これは私のお気に入りだが――とはだいぶ印象が違う。

 ちなみにこういう場合、私は同じ絵はがきを2枚買う。 1枚は自分で取っておき、1枚は誰かに出すのである。

7月10日(月) 新潟大学文系で、大学上層部による教員向け学系説明会があった。 (学系とは、学部とは別に作られている教員組織である。 そのため事務的な手間が煩瑣になっていて、特に 「長」 とつく職務に就いている方はすごく多忙になっているのだ。) 説明された事柄はいくつかあるが、その中に、学科目コードの一元化、があった。 といっても部外者には分からないだろう。

 大学内での開講科目には、番号が振られている。 従来、その中のいわゆる教養科目には、番号に先立ってG (general educationから来たのだろう) の記号が振られていた。 また各学部の科目には、学部ごとにやはり記号が振られており、例えば人文学部の科目ならHが付いていた。

 今回、大学上層部からの提示では、この記号を全廃しようというのである。 大丈夫かな、と思ったのは私だけではなさそうだった。

 1994年の教養部廃止以来、教養科目はかなり揺らいできている。 たしかに一方で講義科目の内容が多様化している面はあるのだが、基本的にはどの学部も自学部の学生を優先して授業を進めていると言っていい。 他方で、外国語科目は削減されている。

 英語以外の第二外国語では、学部エゴが露骨になり、自学部の学生には必修をはずさないまま少人数クラス化を進め、他学部生の必修をはずして事実上大部分を第二外国語から追い出す政策が取られている。

 「国際社会」 で必要度が高いとされている英語はどうかというと、これも必修単位が削減されるばかりなのである。 教養部解体以前は、どの学部でも週2回の英語授業を2年間受けるのが必修だったが、現在は週1回を1年間受ければよいことになっている。

 これだけなら、4分の1に削減された、ということになるが、話は無論そう単純ではない。 その代わり1クラス当たりの学生数はかなり減らされて少人数教育になっていることも確かだ。 が、それにしても1年間週1回の授業なのである。 効果のほどには?マークが付くことは、シロウト目にも明らかだろう。

 ちなみに、では教養科目の英語の総コマ数はどうなっているのか。 私の手元に平成元年度の教養科目の講義概要があるが、それによると、この年の新潟大学の教養英語の総コマ数は169だった (当時はまだ前後期制ではなく、通年制)。 それに対して、本年度、つまり平成18年度の英語総コマ数は、前期166、後期154である (夜間主コースを含む)。 前後期を平均すると160。 教養部があった時代よりわずかながら減っている。 

 ここからして、教養部廃止以降の新潟大学が教養英語に力を入れているとは言えないことは、明らかであろう。 実際、学生からも、英語の授業を増やして欲しいという要望が出ているのだ。

 「大学改革」では、大学当局から色々なスローガン、敢えて言えば美辞麗句が振りまかれている。 今回の説明会でも、その種の文句には事欠かなかった。 大切なのは、そうしたスローガンに惑わされることなく、データをもとに教育の充実度を考えていく姿勢なのである。

 *   *   *   *

 こういう 「改革」 が、新潟大学では現場の人間の意見を十分聞くことなく、きわめて乱暴に進められるケースが目立つ。 私がこのサイトで独立したページをもうけている校舎の杜撰な改築問題などはその最たるものだ。

 教養教育についてもそれは言える。 昨年度、新潟大学では全学教育機構なるものが作られ、各学部の教養教育委員会を廃止してしまったのだが、これによってかなり混乱が生じた。

 学部教育は、学部の教授会があるし、そもそも教員の大部分は自分は学部 (や大学院) の教育をやるために存在していると思っているから、「改革」 が進んでもそう簡単にはつぶれない、というか、改悪に走ることはあまりない。

 しかし教養教育は違う。 教養教育を担う教養部があったときですら、教養部自体が差別される存在であり、受け持っている学生数に比して教員数が少なすぎるという問題を常時抱えていたのである。 語学教育もそうだった。 それが、教養部解体によって改善されていない様子は、上で記述したとおりである。

 話を戻すと、ともかく教養教育委員会がいきなり廃止されたため、何をどこでどう進めていいかが分からなくなってしまった。

 例えば、私は今年度から新しい教養科目を出すつもりでいたが、その申請は無論昨年度のうちにやらなくてはならない。 従来なら人文学部の教養教育委員を通して申し込めばよかったわけだが、委員がいなくなってしまったので、どこに申請していいか分からない。 仕方がないので、人文学部の学務委員長を通して調べてもらったが、学務委員長というのはたいへん多忙な職務であり、その方にまた別の仕事を依頼するのは酷な話なのだ。

 また従来の教養教育経費も、名称が変わったが、それまでなら教養教育委員を介して色々な下位集団――社会科学系、人文科学系、外国語系など――に配分されていたものが、教養教育委員が廃止されたので、これまた学務委員長が使用法決定の事務的仕事を押しつけられてしまった。 特定の人にしわ寄せが行ったわけである。

 要するに、新潟大学の上層部は、そういった下々の事情がワカッテイナイのである。 官僚がワカッテイナイならまだしも、昔は教養部の教員をしていた人間も含まれているお歴々にそういうことがワカッテイナイというのは、驚くべきことである。 どうやら、上に立つと昔のことをすみやかに忘れてしまうものらしい。

 こうした事例は教育に関することだけではない。

 例えば新潟大学は、平成10年度を最後に、職員録を作るのをやめてしまっている。 紙媒体で出さずとも、ネットに載せておけばいいだろう、というのだ。

 それによって何が起こったか? 『全国大学職員録』 という、毎年出ている刊行物があるのだが、ここに新潟大学の教職員名が載らなくなってしまったのである。 平成12年度分以降、この刊行物では新潟大学のところは所在地の住所が書かれているだけで、どんな教員が勤めているかは一切記載されていない。

 日本のあらゆる大学に関して教員名が掲載されているのに、新潟大学だけが載っていない、というのは一種の異常事態である。 新潟大学上層部はそれに気づいているのかどうか。 ともかく、ここにも新潟大学上層部の体質が現れている、ということは言えるであろう。

7月9日(日) 午後5時から、りゅーとぴあで東京交響楽団第37回新潟定期演奏会を聴く。 指揮は秋山和慶、ピアノはジョン・ナカマツで、武満徹の 「グリーン」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番、バーンスタインの交響曲第2番 「不安の時代」。 アンコールとして、協奏曲のあとでナカマツによりショパンの幻想即興曲が、交響曲の後で、交響曲の演奏に参加した佐山雅弘M’sピアノトリオによりチックコリアの 「スペイン」 が演奏された。

 ラフマニノフでは、ナカマツの演奏が非常に達者だった。 達者すぎて、もう少し苦労しながら弾いているというそぶりを見せてくれた方が感銘が高まるのでは、と思えたほど。

 後半のバーンスタインの交響曲は、こないだ東京に行った際に山野楽器で本人の自作自演CDを買ってきて2度聴き、予習をしたうえで演奏会に臨んだ。 今までCDでも生でも聴いたことがなかったのは勿論、新潟ではこの先、まず聴く機会はないだろう曲だから。 客演のトリオは、ピアノが出ずっぱりなのにベースは暇そうで、気の毒。 間のジャズっぽいところとそれをはさむクラシックぽい曲想とが釣り合っているか、よく分からない。 まあ、でもアンコールをやって楽しい結末となり、それなりのものだったと言えるかな。

7月7日(金) 全学共通科目である西洋文学Lのレポートを採点している。 半年で2回のレポート提出を義務づけているが、その1回目のほうである。 150人相手の講義だから、採点も楽ではない。 今回は、ゲーテの 『若きウェルテルの悩み』 を取り上げた学生が多い。

 いつもながら、時々 「えっ?」 と思うような記述に出くわす。 それも、時代にふさわしくと言うべきか、参考文献をネット上のサイトに求めて、そのサイトの間違った記載をそのまま丸写しにしてしまったから、というのが目立つ。

 例えば、この小説の自然描写に注目して、主人公ウェルテルの心理状態との関連性を論じたレポートがあった。 目の付け所はいいのだが、「ウェルテルがロッテに恋している時は自然の輝かしさを讃えているが、ロッテに婚約者がいると判明してからは自然の残酷な側面を強調するようになる」 なんて意味のことを書いている。

 デタラメである。 この小説では、ロッテに婚約者がいることを最初からウェルテルは知っており、それでも彼女に恋してしまうのだ。

 下の (↓) サイトの間違った記述をそのまま写したもので、自分自身では本を読んでいないことがバレバレなのである。 無論、こういうレポートは点数が低くなる。 (私は優しいから落第点はつけない。 ただしレポート全体、もしくはほとんどがサイトの丸写しなら落とす。)

 http://www.geocities.jp/balalley/topframe.htm 

 次の例。 

 晩年になってからゲーテが 「『ウェルテル』 は私が、さながらペンギンのように自分の胸の血で養った作品だ」 と言った、と記したレポートがあった。

 ゲーテがペンギン・・・・・何か変だな、と思うでしょう。 正解は、「ペンギン」 ではなく 「ペリカン」 なのである。 これまたサイトの誤記をそのまま引き継いだもので、サイト制作者 (↓) は恐らくはエッカーマンの 『ゲーテとの対話』 の邦訳を写し間違えたのであろう。(ペリカンが胸の血で子を養う、というのは当時広まっていた俗説。)

 http://blog.mag2.com/m/log/0000130195/106827847 

 何にしても、ネット上のサイトにはこの種の誤記がつきものである。 使う際にはご用心!

7月6日(木) 本日、下 (↓) の6月23日に追加書き込みをいたしました。 お暇ならお読み下さい。

 さて、本日は午後7時から音楽文化会館でTOKI弦楽アンサンブルの演奏会を聴く。 

 ヴァイオリンがサイモン・ブレンディス、平山真紀子、牧田由起、井上静香、ヴィオラが鈴木康浩、小熊佐絵子、チェロが横坂源、福富祥子。

 プログラムはショスタコーヴィチの弦楽八重奏のための2つの小品op.11、モーツァルトの弦楽五重奏曲ト短調、メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲。

 個人的には久しぶりに牧田由起さんを舞台上で拝見し、感無量。髪は短めにまとめ、服装も軽快。 私が花束をプレゼントしておいたから安心して演奏できたに違いない、と勝手に決め込んでいたのだが(笑)。

 それはさておき、最後のメンデルスゾーンが、左右対称の配置 (Vn,Vn,Vla,Vc,Vc,Vla,Vn,Vn) が面白く、そのせいか曲も面白く聞こえた。 CDではこういう面白さは味わえない。 

 モーツァルトでは、第一ヴァイオリンのブレンディスにちょっと首をかしげた。 音はきれいだが、あまり強さというか厚みがない。 軽くて細い音質。 特に緩徐楽章ではそれが目立った。

 途中、平山さんのトークがあった。 平山さんに限らないが、音楽家はもう少ししゃべる勉強もしたほうがいいと思う。 貧しい語彙にギャルのようなイントネーションや内容では、聴衆にかえって幻滅感を与えてしまう。 大人として、職業人として、人前での話し方を身につけて欲しい。

 会場はほぼ満席。 室内楽でこんなに入りがいいとは、驚き。 牧田さんが出たせいかもしれないが(笑)、新潟の室内楽人口が増加しているのかな、という期待感も。

 いずれにせよまたこういう演奏会を開いて欲しいものだ。

7月2日(日) 少子化をめぐる議論が、最近ようやく盛り上がっている。 政府も、遅すぎるとは思うが、専門の大臣を任命したりして対策に乗り出している。 しかし効果があるかどうか、疑問だと言わざるを得ない。

 私はこの問題についてはかなり単純な見方をしている。 男女平等という言葉を、今のように男女とも定職を持って停年まで働くべし、という意味に使うなら、少子化は必然であり止めようがないだろう、と。 (少子化には、ほかに、消費社会の中で大人もなるべく自分の楽しみのために生きたいと思うようになってきたから、という大きな理由があると思うが、ここでは触れないでおく。)

 昔々、まだ男女均等法が成立していなかった頃、私は酒席で同僚に言ったことがある。 女が男と同じように働いたら、子供を生まなくなるにきまっている、と。 同僚は色々面倒くさい議論をして、そんなことはないと言い張っていたが、素直に考えれば分かることで、「女は結婚して家事・育児をこなすのが本来の使命」 という観念を廃し、なおかつ定職を持って働くとしたら忙しくて時間もなくなるのだから、生まなくなるに決まっているのである。 きわめて単純明瞭なことだ。

 そもそも、ヨーロッパではずいぶん昔から少子化に悩んできた。 まだ東ドイツがあった頃、社会主義国ならではの手厚い育児手当などがあったにもかかわらず、少子化を克服することはできなかった。 北欧だって同じである。 男女平等政策の先進国がこういう有様なのは、以前から分かっていたことなのである。

 もっとも、北欧では働いている女性の方が専業主婦より出産率が高い、と以前朝日新聞にフェミニストが書いていたが、これは私が思うに、議論のすりかえである。 北欧では基本的に男女とも定職をもつべし、というふうに社会を作ってしまったわけだから、能力のある女性は基本的に定職をもっている。 能力がある、という意味は、会社勤めをすればそれなりに仕事ができ、出産や育児もそれなりにこなす、という意味だ。 逆に、そういう社会であえて専業主婦をやっている女性というのは、最初から能力が低いのだろうと思う。 つまり、定職について仕事をすることも、出産・育児をすることもできない女性たちが専業主婦になっている、ということだ。 

 奇妙なのは、先進国では一様に少子化に悩んでおり、例外は米国だけなのに、社会学者たちは日本よりちょっとだけ出生率が高いヨーロッパの国を取り上げては、「見習え」 と言い募ってきたことだ。 最近ではフランスが出生率が高いと言ってみたり、少し前だとデンマークが賞賛されたりした。 だが高いと言ったって2、0に達していないのである。 人口を維持するのに必要な出生率は、誰もが知っているように2、1である。 そんな国を賞賛してどうするのだろう。 実際、デンマークの出生率を賞賛する本が出たときには、インターネット上の書評サイトwad’sが厳しく批判したけれど(下記)、どうも社会学者というのは常識を欠いていると言うしかない。

 http://www.ywad.com/books/1197.html 

 それ以前でも、鈴木りえこ『超少子化』(集英社新書)が、男女平等を推進すれば少子化は克服できる、なんてトンデモ説を唱えていた。 これまた、wad’sの書評で批判されている。

 http://www.ywad.com/books/741.html 

 出生率が2、1に達しているのは先進国では米国だけだ、と私は書いた。 しかし米国にしても、恵まれた白人層は少子化にさらされており、ヒスパニックなどの新しく入ってきて主として下積みの仕事を引き受けている層に多くの子供がいるから、全体としての出生率が維持できているのである。 実際、このままいくと遠からず米国では白人人口の占める割合は50%を割るだろうと言われている。

 こうした中、ようやく社会学者にも誠実な言論活動を行う人が出てきた。 赤川学 『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書) である。 この本の著者の最終的な主張は、少子化は悪くないということで、その点には私は異論があるのだが、画期的なのは、男女平等政策は必然的に少子化をもたらす、という事実を国内外のデータを元に論証してしまっているところなのである。 

 無論、こういう言論上の動きは日本だけのことではない。 こないだドイツの週刊誌”Spiegel”(本年5月29日号) に目を通していたら、フェミニストのアリス・シュヴァルツァーへのインタヴュー記事が載っていた。 彼女は63歳、フェミニストとしてドイツでは名を知られた存在で、『エンマEmma』 という雑誌を発行している。 

 この記事で彼女は、ドイツで女性首相メルケルが誕生したことについて 「父権制がパニックを起こしている」 なんてアホらしいことを言っているが、中にこんな箇所があった。

 Spiegel編集部: 「ターゲスシャウ」 〔TVのニュース番組〕 のアナウンサーであるエーヴァ・ヘルマンが、専業主婦という理想型を擁護し、少子化は女性解放のせいだと述べていますが、これについてはいかがですか?

 シュヴァルツァー: 旧石器時代のごとくに母の使命を持ち出すおしゃべりの水準はともかくとして、完全に的はずれというわけでもないでしょう。 ドイツの女性たちは密かに出産ストを行っているのです。 なぜなら彼女たちはもはや無条件で母になる必要がないからです。 多くの女性は子供が欲しいと思っていますが、しかし職業も欲しいのです。 そして何よりも、彼女たちは男たちや政府からの援助を望んでいるのです。

 Spiegel編集部: それではあなたはドイツでこんなに少子化が進んでいることを憂慮していないのですか?

 シュヴァルツァー: 率直に言って、全然していません。 2006年の現在、私たちは総統のために子供を生む必要はないのですから。

 Spiegel編集部: そういう言い方はいささかデマゴギーの匂いがしますね。

 このあと、シャヴァルツァーが少子化を心配していない理由として持ち出すのは、地球全体では人口過剰が心配されている、ということなのだ! トホホ、と言いたくなるではないか。 男女平等が間違っていないと彼女が本当に信じているなら、人口過剰に悩む低開発国にも同じ思想を輸出するべきだし、そこで同じように超少子化が進行したら、地球から人類は滅亡してしまうのである。 

 とどのつまり、こういうフェミニストは、実は帝国主義時代の感性を引きずっているのではないか、と私は思う。 帝国主義時代のヨーロッパはアフリカやアジアに原材料生産の役割をおしつけた。 同様に、現代においては労働力の調達は多産の低開発国に任せておけばいい、ヨーロッパは少子化で個人の自由を尊重する社会に、という考え方ではないか。 これって、差別そのものじゃないですかね。

 まあそれはともかく、ドイツではTVで少子化は男女平等政策のせいだ、と率直に発言する女性がいる、ということが分かる。 日本はどうかな。

6月27日(火) 夜、新潟市のミニシアター系専門の映画館 「シネ・ウインド」 の会合に出る。 8月に韓国映画 「うつせみ」 を1週間だけやるのだが、その宣伝をどうしたらいいか、相談に乗ってくれ、と言われたからである。 私も実はこの映画をやってくれと 「シネ・ウインド」 にリクエストした人間なので、その義理もあって出ることにしたもの。

 この映画はキム・ギドク監督作品で、ヴェネチア映画祭で監督賞を受賞している。 そういう、いわば勲章をもらった映画なら、文句なく客が集まるだろう、それに今は韓流ブームだし・・・・・と思うのは、素人のあさましさ、らしい。

 キム・ギドク監督作品は普通の韓国流映画とはだいぶ趣きを異にしているので、以前シネ・ウインドで 「悪い男」 や 「魚と寝た女」 をやったときも入りが悪かったという。 新潟だけではない。 首都圏でやっても、同様なのだそうだ。 ううむ。

 会合には、ふだんから上映作品を決める会議に出ているというS氏と、毎年2月に行われる新潟国際映画祭でボランティア・スタッフとして活躍し、この 「うつせみ」 も韓国ですでに原語上映を見たというU氏、そしてウインド専従のI氏が出席した。

 しかし、なかなかいい知恵は出なかった。 キム・ギドク監督はこのほか、「サマリア」 でベルリン映画祭の監督賞も受賞しており、残るカンヌ映画祭で賞をとれば世界三大映画祭制覇という偉業をなしとげることになる才人である。 ふつう、このくらいの人だと、分かろうが分かるまいがミーハー的なファンがついて、それなりに集客がよくなる――と思うのだが、案外そうでもないのだそうだ。 ううむ。

 ちなみに日本なら北野武がキム・ギドクに近い立場の人間だが、北野武の映画で一番客が入ったのが、「座頭市」 だったそうである。 ううむ、映画というものの、大衆性と芸術性のギャップを改めて考えさせられてしまう。 そしてこれは、映画だけの問題ではなく、すぐれて文化全般にあてはまる問題なのである。 ううむ。

 ――というわけで唸ってばかりいて、余りお役に立てませんでした、すみません。 しかし、なんとか、「うつせみ」 の上映にはたくさんの人に来て欲しいものである。

6月26日(月) 10日ほど前のネタになるが、書こうと思いながら機を逸してしまってきて、今頃書きます。 すみません。

 毎日新聞6月15日付けに、《 「誤訳」 で曲げられた昭和天皇――外国人の研究書を翻訳家が検証》 という記事が載った。

 2002年に出版されたドイツ在住の日本研究者ピーター・ウェッツラーの 『昭和天皇と戦争』(原書房) の訳者である森山尚美が、ウェッツラーとの共著 『ゆがめられた昭和天皇像』(原書房) を出した、とい記事である。

 『ゆがめられた――』 は、レナード・モズレーの 『天皇ヒロヒト』 やディヴィッド・ガーバミニの 『天皇の陰謀』 などの昭和天皇伝およびその邦訳を、資料の使い方や、邦訳に際してカットされた部分がないか、訳が原著を正しく伝えているか、などの見地から検討したもので、なかでも中心的に取り上げられているのが、ハーバート・ビックスの 『昭和天皇』 なのである。 この本はアメリカでピューリッツァー賞を受賞したが、日本では内容に問題ありとして批判も出たものだ。

 森山尚美によれば、ビックスの著書の邦訳は原文のニュアンスを正しく伝えておらず、訳の不正確さ故に日本人から批判されている箇所がかなりあるという。 その一方、原著においてもビックスの本は、文献の取捨選択、解釈等にかなり問題があり、歴史的事実よりも著者自身の価値判断が重視された本だ、とウェッツラーは述べている、という。

 ――以上が毎日新聞の記事である。

 ビックスの本は、私は読んでいないが、その中身に相当問題があることは秦郁彦 『歪められる日本現代史』(PHP) でもつとに指摘されており、上述のような認識は、知る人は知っていたものだと言える。

 ところで、毎日の記事が出たのとほぼ同じ頃、新潟大学の文系大学院 (現代社会文化研究科) の学生用図書募集があったので、私はドイツやドイツ文学関係文献と並んで、上記の記事にも出ていたウェッツラーの 『昭和天皇と戦争』(原書房、2002年) と、ベン=アミー・シロニーの 『母なる天皇』(講談社、2003年) とを要求しておいた。

 何でそんな専門外の本を、と思う方もいるだろう。 答えは簡単で、新潟大学に1冊も入っていないからだ。 ちなみにハーバード・ビックスの 『昭和天皇』(上下2冊) は4セット(中央図書館に2セット、その他2セット)入っている。 明らかにアンバランスである。

 本来なら、歴史系の教員が配慮してバランスの取れた文献が図書館に並ぶようにすべきなのだが、そうなっていない。 歴史系の教員がやらないから、ドイツ文学者の私がやらざるを得ないわけである。

 非専門の本で要求したのは、これだけではない。 岩波書店から出た『定本柄谷行人集 全5巻』 も新潟大学には1冊も入っていないので、上記経費で買うよう要求した。 しかし、まあ、柄谷の本はどういう専門の教員が入れる配慮をすべきか、難しいところではある。 だから、ドイツ文学者が入れてくれと要求するのも、仕方がないかも知れない。

 しかし、昭和天皇関係文献は明らかに歴史系の分野であり、その方面の専任教員は人文学部や教育学部、さらに法学部の政治思想系も含めれば、新潟大学には何人もいるのだ。 それでいてウェッツラーの本が1冊も入っていなかったのは、お粗末と言うしかない。

 こういうアンバランスが生じるのはなぜか――有り体に言って、人間のためか制度のためか、その辺の判断は難しい。 

 ちなみにドイツ文学で言うと、いわゆる旧帝大でも文献の充実度には差がある。 日本語で書かれたドイツ文学関係文献は、東大、九大、阪大はよく揃えているが、京大、東北大、北大はあまり揃えていない。 こうした差がなぜ生じたのか、人のせいか、制度のせいか、私には今のところ分からないのであるが。

6月25日(日) 朝9時から、上山卓球クラブの親善試合に参加する。 新潟市の県庁近くにある上山小学校をホームグラウンドとしている社会人卓球クラブのイベントである。

 実はこの行事に参加するのは初めてである。 3日前、H卓球クラブに練習に行ったとき、男子が足りないから出てくれとSさんから頼まれたのである。 SさんはHクラブの練習にも来ているが、どちらかというと上山クラブをメインにしているらしい。 上山クラブの方がレベルが高いからだろう。

 Sさんは女性だが、卓球は凄腕で、私などは問題外の強さを誇っている。 かつて国体で県代表になったこともある人だから、当然と言えば当然か。 そればかりか、ヒマがあれば県内外の山に出かけて登山を楽しんでいて、山から降りてきた日の夕方に卓球の練習に来たりするのである。 体力的にももの凄い人なのだ。 年齢は私とほぼ同じだけれど、外見的には30代後半くらいの印象である。

 さて、そういう人から誘われたので一抹の不安を抱えながら出かけたのだが、幸いにしてレベル的には様々な参加者がいて、ほっとした(笑)。

 まず、くじ引きで参加者をA〜Fの6チームに分ける。 1チームは7ないし8人。 男子・女子がそれぞれ3ないし4人ずつである。 チーム力が均等になるよう、くじには工夫がこらされている。

 試合は団体戦総当たりを午前と午後それぞれ行う。 午前は男女の混合ダブルス3ペア同士の対戦、午後は男子ダブルスと女子ダブルスと任意のダブルス(男女の数がチームによって違うので)の3ペア同士の対戦で勝敗を決める。 

 私はSさんと同じFチームだったが、合計10回試合をやって3勝7敗でした。 ううむ、期待(?)に添えず申し訳ない。 セットカウント2−3で惜敗した試合が3つもあった。 粘りが足りなかったか。 私は納豆が嫌いだからなあ(笑)。

 というわけで、わがFチームは6チーム中第5位でブービー賞であった。 ちなみに、賞品は第1位から第3位までと、ブービー賞があるので、4チームに出る。 とすると賞品をもらい損ねる2チームが出てくるが、参加賞がちゃんと用意されているので、結局は全チームが賞品を獲得する。

 加えて、実は1位でもブービー賞でも参加賞でも、中身は変わらない、という日本的平等社会を象徴するかのような配慮がなされているのである。

 なるほど、色々なやり方があるものだ、と感心した一日でした。

6月23日(金) ネットのなかで、たまたま私に言及している掲示板を発見した。 鹿児島大学の教育学部教授をしている内沢達という方のサイトにつながっている掲示板である。 以下、引用。

 http://olive.zero.ad.jp/my_site/bbs/bbs.cgi?owner=zbb63581&name=tatsushi55 

No.601
2006年06月09日 16:53
送信者:みかん < >
表題:授業中のおしゃべりについて

新潟大学の三浦淳教授はホームページで
学生が私語をするととても怒っていらっしゃいます。
そして、私語をしないコツは、
「友人と並んで座らないこと」と
教えていらっしゃるそうです。
(音楽雑記2006年のページの4月分)

本当に驚いてしまいました。仲のいい人と座ったら
おしゃべりをしたくなるほど退屈な授業なんて、
一度も経験したことがありません。
幼稚園でも小学校でもその先もずっと、先生方のお話が
面白くてとても楽しみでした。
席が決まっていないときは仲のいい子と座りますが、
おしゃべりをする人なんか誰もいません。
そんな人がいたら、みんなが絶対に許さないでしょう。

先生に対する礼儀のためにしゃべるのを我慢している
わけではありません。授業が楽しいからです。
違う学校の人もみんなそう言っています。

新潟大学にだけ極端にレベルの低い学生が来ているとは
考えられないので、やはり、この先生のほうが
つまらない授業をしているのだと思います。

三浦淳教授は「私語をすれば履修を取り消す」と
宣言していらっしゃいますが、学生を脅迫して
無理やり黙らせているのはおかしいと思います。

新潟大学には、学生から先生を評価するシステムは
ないのでしょうか。教務課に訴えたりしても
だめで、学生のほうでひどい授業を選択しないように
気をつけるしかないのでしょうか。

学生にとって授業時間はとても貴重なので、
どこの大学のどんな学部に入学しても、
内沢先生のようなよい授業が受けられる
ような環境に早くなってほしいと思います。

 これに対して、内沢教授はこう答えていらっしゃる。

No.632
2006年06月13日 20:53
送信者:たっちゃん < >
表題:立派な教授

「みかん」さんによるとN大学には、たいそうご立派な教授がいらっしゃるようです。
教授のHPをちょっとだけのぞいて見ました。
「知的たらんとする意志なき者は、入るべからず!」とか、
「人畜無害なことを並べただけのガラクタ・サイトとは決別」するとか、
トップページからしてスゴイ!?
「学問」をしている人は、やっぱり違いますね。

「みかん」さん紹介のページでは、
「私は親切だから私語しないコツまで教えた」のに、「バカ」は聞いていないとか、忘れてしまうとか、「教育学部の学生の質に問題がありそうだ」などと、
学生をバカ呼ばわりしています。
やっぱり立派な教授は違います!?

学生諸君は、教授の教えをちゃんと守らないといけません(笑)。

 

 うーん・・・・・・・・・。 教育学部の学生や教授って、こういうレベルなのかなあ、と改めて思いますね (嘆息)。 

 まず、「みかん」 さんへ。 あなたは次のように書いています。

 幼稚園でも小学校でもその先もずっと、先生方のお話が
 面白くてとても楽しみでした。
 席が決まっていないときは仲のいい子と座りますが、
 おしゃべりをする人なんか誰もいません。

 この部分ですが、これを信じるなら、あなたは幼稚園から大学まで、一度も授業中の私語を経験していない、ということになりますね。 これは、私が思うに、以下のどれかではないでしょうか。

 (1) あなたは非常に希有な経歴の持ち主である。 (2) あなたはウソをついている。 (3) あなたは記憶力が悪いので、昔のことを忘れている。

 授業には面白いものもあるし、つまらないものもあります。 ただし、どれが面白いか、面白くないかは、生徒 (学生) によって様々です。 またその時面白いと思ってもあとで考えるとつまらないものもあるし (私の経験では、大学の教養課程の心理学なんかはこれに属します)、その逆もあります (私の経験では、やはり大学の教養課程で聴いた日米関係史なんかはこれに属します)。 

 肝心なことは、かりにつまらないと思っても、学生に私語する権利はない、ということでしょう。 面白いと思って聴いている学生もいるわけですから、私語=授業妨害は許されることではありません。

 その程度のことも分からないのでは、あなたは大学でいったい何を学んでいるのでしょうか? 幼稚園から面白い授業ばっかりで一度も私語したことはないというあなたは、実際にはその程度の知的能力と判断力しかないわけですね、残念ながら。

よくは知りませんが、あなたは鹿児島大学の教育学部の学生なのでしょうか。 この程度の認識しかない人が学校の先生になるというのは、恐ろしいことだと私は思います。

 次に内沢教授へ。

 ご立派な学生をお持ちのようで、まことに痛み入ります (微苦笑)。

 さて、先生のサイトをのぞいてみましたけれど、教師が立派な授業をすればおしゃべりをしたくなるはずがない、という 「みかん」 さんの主張と正反対のことが書かれているんですけれどね。 以下、引用。

 http://tachan.web.infoseek.co.jp/5.htm 

 1 授業妨害をやめさせる

 典型的な問題行動の一つに授業妨害がある。

 “荒れる中学”では、一番困っている問題の一つであろう。
 言うまでもないことであるが、学校は授業を中心にして勉強をするところである。

 その授業が一部の生徒によって妨害され、成り立たなくなり、中断することもしばしばだとすると、当然にも問題であり、介入しなければならない。

 他人の学習する権利を侵害しているからである。 
(中略)

 授業妨害は、注意してもやめなかったではすまされない。

 なんとしてもやめさせなければならない。
 
 内沢先生、サイトにご自分が書いてらっしゃることを、「みかん」 さんは十分に学習していないように思いますが、いかがでしょう。 なぜ 「私のサイトをちゃんと読んで勉強しなさい」 と諭されないのでしょうか?

 それとも、学生には、楽しい授業をすれば授業妨害をする生徒なんか絶対にいないんだから、教師になってからもし授業妨害があったら君の授業がつまらないと反省しなければいけないよ、と教えていらっしゃるんですか? だとすると、ご自分のサイトの上記の文章は早急に書き改めていただかないといけないと思いますが 。 教師が楽しい授業をすれば、荒れる中学なんて皆無になるのだから、授業妨害があったら全責任は教師の授業法にある、とね (笑)。

 *    *    *    *    *

 (以下、7月6日付けで追加書き込み)

 石原千秋 『学生と読む『三四郎』』(新潮社) を読んでいたら、面白い箇所があったので、以下、紹介したい。 言うまでもなく、上記書き込みとの関連からである。

 著者の石原氏は国文学者で、現在は早稲田大学教育学部教授だが、以前は成城大学文芸学部教授を務めており、この 『学生と読む『三四郎』』 は成城大学時代に学生と共に授業で漱石を読んだ体験を綴った本である。

 この中で石原氏は、自分は成城大学文芸学部で二番目に厳しい教師だった、と述べて、次のように続けている (23ページ)。

 ところで、「文芸学部で一番厳しい」 という評判の教員は、講義に出ていた学生の話によると、授業中に学生がよそ見をしていただけで激怒して、授業を止めて帰ってしまおうとしたそうだ。 ただ、その教員の授業は高度でかつ面白いので、学生の評価はすこぶる高い。 その時も、学生が説得して授業を続けさせたのだという。 また、授業中に寄り目をして枝毛の処理などをしている女子学生がいたときは (実際、たまにそういう学生がいるのだ)、彼女に退場を命じて、カバンその他一切合切を廊下に放り出したそうだ。 ここまで来るとちょっと 「狂気」 が入っている感じである。 僕は退場を命じるところまでだ。

 なるほど、上には上がいるものですね。 うれしくなっちゃうなあ。

 これに比べれば、私なんぞはすごく甘い教師だと痛感しちゃうのだ。 私が学生に退場を命じるのは、私語をしているときだけである。 よそ見をしようが、枝毛処理をしようが、おしゃべりをしない限りは注意もしなければ退場を命じることもないのだ。 ホトケ様のごとくじゃないですか(笑)。

 でもこういう厳しい先生に教わっている成城大学文芸学部の学生たちは、幸せだと思う。 教師が楽しい授業をすればわき見も枝毛処理も私語も学生はしない、なんて阿呆な理屈に染まることもないだろうしね。 学生を教育する、ってことには、そういうことも含まれるんですよ、内沢達先生。

 鹿児島大学教育学部の学生は、成城大学文芸学部の学生に比べると、そして勿論、新潟大学の学生に比べても、可哀想だなあ。 同情申し上げます。

6月22日(木) 夜、H卓球クラブに練習に行ったら、S氏が亡くなったという知らせ。 S氏はつい2カ月前まで元気で練習に参加していた。

 もっとも卓球歴はさほど長くなく、バドミントンのほうが得意なようで、同じ体育館でバドミントン・クラブの練習があるときにはそちらに参加していたようだったが、バドミントンの練習がないときは卓球クラブの練習にまめに参加していた。

 ただし、まめといっても、卓球自体は多分に自己流で、ダブルスの試合をやるときはとちらかというと、いや相当にはた迷惑な存在だったが、一向に意に介しない偏屈さがあった。 偏屈じいさん、という奴だ。

 何にしても、人は死ぬときはあっという間である、という印象を改めて強くした。 偏屈なじいさんでも死ぬのである。 当たり前か。 合掌。

6月16日(金) 本日、ジャワ地震のためにユニセフにわずかながら寄付をしました。 (なぜわざわざ自分の寄付行為について書くかは、2005年7月29日の記述をごらんください。)

6月12日(月) 本日は東京滞在最終日である。 下着と買った古本などを箱詰めにして宅配便にして送りだしてから、渋谷に急行して映画を見、古本屋を少し回る。 それから吉祥寺で映画を2本見、ついでに近くの古本屋を2軒のぞいて、日程終了となる。

 東京駅に着いたのが午後7時35分くらいだったが、新潟行き新幹線が出たばかりで30分あまりも待たねばならなかった。 乗ったのは午後8時12分発で、これは途中停車が3駅だけで速いけれど、新潟駅で越後線への接続が悪いのである。 20分以上待たされる。 せっかく速達の新幹線に乗った意味がない。 JR東日本さん、少し考えて下さい。

6月11日(日) 有楽町で映画を2本見、昼食をとって、山野楽器で探していたCDを購入し、八重洲書房で本を見てから、午後4時、サントリーホールでディヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団+ヨーヨーマの演奏会を聴く。 ドヴォルザークのチェロ協奏曲とシューマンの交響曲第2番。

 前日のバルトークSQの時もそうだったが、この日も実はチケットがないまま出かけたのである。 バルトークSQはともかく、この演奏会は 『ぶらあぼ』 でも完売となっていたし、どうかなと思ったのであるが、かつて某音楽サイトに 「チケット無しで演奏会に行っても、何とかなるものだ」 と書かれていたので、それを信じて行ってみたら、案の定、窓口発売はなかったけれど、「当日券いりませんかあ」 と触れ回っている男がいたので、定価で売ってもらう。 1万1千円。

 ただしP席で、つまり舞台の後ろのブロックである。 その最前列ほぼ中央で、指揮者と正面で顔を合わせる席。 これだとジンマンの指揮ぶりはよく見えるが、ヨーヨーマのチェロは体の陰にほぼ隠れるので、音は残念ながらボケ気味。 第3楽章のコンサートマスターの独奏との掛け合いでは、コンサートマスターのヴァイオリンはよく聞こえたので、やはり楽器の向きより、楽器が見える位置にあるかどうかが大きいようだ。 とはいえ、アンコールにブロッホの独奏曲 「ユダヤ人の生活」 より 「祈り」 を弾いてくれ、ふっくらとしたスケールの大きな音の片鱗を感じることはできた。

 シューマンの交響曲第2番は、4曲ある彼の交響曲の中では一番なじみが薄い曲で、ぴんとこなかった。 ただ、コンサートマスターが前半と交代したのが目に付いた。 前半は初老の男性だったのだが、後半は若いポニーテイルの女性だった。 アンコールにベートーヴェンの 「プロメテウスの創造物」 序曲が演奏された。

6月10日(土) 午前中船橋で父の墓参りをしてから、神保町に行き古本屋街を少し見て回る。 それから横浜の神奈川音楽堂に向かう。 午後2時からのバルトーク弦楽四重奏団の日本最終公演を聴くためである。

 ところが、途中で電車の乗り換えを間違えて開演5分前にかろうじて到着。 まず、東海道線で横浜まで行き、そこで京浜東北線に乗り換えて桜木町に向かうはずが、横浜駅で逆方向の電車に乗り間違えてしまい、東神奈川で下車。 そこで改めて桜木町に向かう京浜東北線に乗るつもりで、降りたホームの反対側で待っていたが、一向に来ない。 実は東神奈川駅は島型ホームが2本で4番線まであるのだが、八王子に向かう横浜線が内側の2・3番線、京浜東北線は外側の1・4番線になっている。 だから降りたホームで待っていても逆方向の京浜東北線電車が来るわけはないので、そのことに気づくまでに数分かかり、遅れが倍加してしまった。慣れない駅で降りるとこんなものです。

 閑話休題。 神奈川県立音楽堂は私は初めてだったのだが、古く、なかなか響きのいいホールだ。 室内楽に向いているのでは、と思う。 モーツアルトの 「狩り」、バルトークの2番、モーツァルトの 「不協和音」 というプロ。 アンコールはいずれもモーツアルトで、ハイドンセット第1番ト長調からフィナーレと、同第2番ニ短調からメヌエット。 席は14列35番。 当日券で4000円。

 演奏も、いかにも弦楽四重奏という印象で悪くなかった。 私はアルバン・ベルクSQのごとく独奏者の集合体みたいなカルテットは好きじゃなく、かといってハーゲンSQみたいに第一ヴァイオリンが弱いカルテットも嫌いなんだが、バルトークSQはその点で実にバランスがよく、私の理想とする四重奏団の演奏であった。 会場の響きの良さもかなりプラスに作用していたと思う。

  *   *   *   *

 それからちょっと用事があって有楽町に戻り、ついでに郵貯カードでカネを降ろそうとしたが、午後5時を少し過ぎており、有楽町駅前の現金自動支払いコーナーは午後5時までなので使えない。 郵便局が近くにないかと、付近の公共掲示板にあった街の地図を頼りに探してみたが、地図が古かったようで存在しなかった (困るぞ、直しておけ、コラ!)。

 しかし、その辺をテキトーに歩いていたら、地図とは別の場所に小さな郵便局を見つけたが、これまた閉まっており、支払い機も5時までだと書かれてある。 郵便局の癖にだらしがないな、と思ったが、閉まったシャッターに夜まで使える支払い機のおかれた近くの施設が記載されていた。

 で、次はそこに行ってみたのだが、大きな建物なので、そのどこに支払い機があるのか分からない。 チケット売場があったので、そこの女の子に訊いてみたのだが――

 私 「郵便局の現金自動支払い機はどこにありますか?」
 女の子 「郵便局? 郵便局はこの中にはありません」
 私 「郵便局じゃなく、現金自動支払い機です」
 女の子 「現金自動支払い機? ・・・さあ、ないんじゃないですか」
 私 「ここにあることになっているんですけど」
 もう一人の女の子 「ほら、ATMよ」
 女の子 「ああ、ATMならここをまっすぐ行ってエレベーターで右折して・・・」

 いったい、ここは日本なのだろうか? 日本語が通じず、ATMという横文字 (?) でないと理解されないとは!

 ふとその時、思い出した。 昔、現金自動支払機の出始めの頃 (30年も前ですね) は、CDと略していたのではなかったか? あれは廃れたのかなあ。

 それで後でウィキペディアで調べたら、以下のように書かれていました。

 【現金自動預け払い機 (げんきん じどう あずけばらいき、 ATM, Automated Teller Machine) は、通常、紙幣 (及び硬貨)、通帳、磁気カード等の受け入れ口、支払い口を備え、金融機関や貸金業者、現金出納を行う業者の提供するサービスが、顧客自身の操作によって取引できる機械を指す。 (…) なお、現金の引出と残高照会のみを扱う機器は、現金自動支払い機 (CD。「キャッシュディスペンサー」 の略) と呼ばれ区別されている。】

  *   *   *   *

 閑話休題。 夜7時に新宿で友人3人と会い、酒を飲む。 いずれも中高時代の同級生である (うち1人は小学校も、もう1人は小学校と大学まで同じ 〔ただし学部は別〕 だったという腐れ縁)。

 1人は前回、一昨年の12月に会った際には、娘さんを亡くして(20歳にして突然死だったそうな)、なおかつ本人も失業中で、いわばダブルパンチを食らったような状態だったが、今回はめでたく某社の部長職に再就職が決まっていて、よかった、よかった。

 私を入れて4人とも同じ年齢で満53歳だが、子供が完全に独立した者はおらず、よくても1人、ひどいのになると――実は私のことだが――3人も扶養すべき子供を抱えているし、私は一番下が小6、ほかの2人も下の子は中学生だから、昔々なら55歳が社会人の停年だったわけでそろそろ悠々自適という年頃だけれど、まだまだ仕事が辞められないよな、という話になった。

6月9日(金) 午前中、上野の東京都美術館にプラド美術館展を見に行く。 あいにくの雨。

 スペインというと近代になってからは政治的にぱっとせず、そのため芸術面でもフランスはもとより、英独伊に比べても影が薄い印象があるけれど、無敵艦隊が破れる以前のスペインはヨーロッパでも文化的先進地だったのであり、今回プラド美術館の所蔵画の一部を見ると、例えば光と影の表現など、レンブラントに先行して見事な表現をしていて、各国や各宮廷ごとにそれぞれ有能な画家が多数いたのだなあ、という思いを強くした。

 有名なムリーリョの 「無原罪のお宿り」 は、何枚も描かれているうち今回はその一枚だけが来ていたけれど、以前別の展覧会で見たものとはまた少し違った素朴な良さがあった。 また、静物画で生を感じさせない硬直した表現がかえって冷たい神性を感じさせる絵があった。

 午後は渋谷で映画を2本見て本日の日程終了とする。

 ところで、今回の上京で 『ぴあ』 を買ってみたら、この4月に買ったときと比べて中身が変わっている。 はっきり言って、改悪されているのである。

 映画欄では以前は1ページに横線を何本も入れて、横線と横線の間に映画館1館の10日分のプログラムを掲載していた。 それが、今回は1ページをまず縦に2分した上で同様の体裁をとっている。 つまり、1映画館に充てられたスペースが従来の半分になっている。 見づらくなった。

 それだけではない。 以前は各映画館の位置を示す地図がページ下欄に付いていたが、今回はそれが削られてしまっていた。

 だから、本日で言えば、ユーロスペースに行くのに場所が分からず、電話して確認しなくてはならなかった。 ユーロスペースは以前何回も行ったことがあるが、最近引っ越したので、新しい場所を知らなかったからだ。

 他に、以前なら渋谷のミニシアター回数券が使える映画館には印が付いていたのに、それがなくなった。 映画のタイトル名で引ける索引もなくなった。 

 なんでこうなったのか、事情はよく知らないが、おそらく雑誌のスリム化――たしかに以前より薄くなった――と経費削減、のためだろうか。 今はケータイなどでサイトから調べられることが増えているから、敢えて雑誌にいちいち載せなくてもいい、という判断なのかもしれない。

 しかし私のようにケータイを持たない人間だって世の中にはいるのである。 困っちゃうなあ・・・・。

6月8日(木) 本日から東京に出かける。 実は例年は独文学会の春季大会 (5月末か6月初めがふつう) に合わせて出張していたのだが、今年の独文学会はあまりにつまらなそうなので行かないことに決め、しかしかねてから聴きたいと思っていたヴァイオリニストであるヒラリー・ハーンのリサイタルが本日東京であるので、それに合わせて休暇を取って完全自腹で出かけることにしたのである。

 東京に着いてから有楽町駅近辺のチケット屋をめぐり、今回見る予定の映画や展覧会のチケットを安く買いそろえ、新宿で映画を1本見てから、新宿・初台のオペラシティホールでのヒラリー・ハーン・リサイタルに臨んだ。 ピアノ伴奏はイム・ヒョスン。

 プログラムは、前半がイザイの無伴奏ソナタ第1番、エネスクのソナタ第3番「民謡風」、後半がミルシテインの「ヴァイオリンのためのパガニーニアーナ」、モーツァルトのソナタK.301、ベートーヴェンのソナタ第3番。 アンコールがアルベニスの「タンゴ」とプロコフィエフの「3つのオレンジへの恋」から「行進曲」。 席は1階23列目。 私としてはもう少し前で聴きたかったのだが、これでもS席7500円である (ううぅぅ・・・)。

 まず特筆すべきは彼女の音である。 音量的には中位で特に大きいと言うほどではないが、美しく鋭く、筋が通ったような音色である。 そしてテクニックは完璧。 途中で余分な雑音がいっさい入らない。

 演奏はどれも素晴らしいが、私としては最初のイザイが最もよいと思った。 イザイの厳しい精神性と彼女の演奏が完全に合致しているのである。

 モーツァルトとベートーヴェンもいいのだが、前者に関してはより大きな喜悦が、後者には骨の太さみたいなものがあれば申し分ない。

 演奏会終了後サイン会があったので、私もCDを買って並んだが、サインを求める客は幾重にもまがりくねってホールを埋め尽くした。 たいへんな人気である。 これだけの人たちにサインをするのは疲れると思うが、サービス精神にあふれた人なのだなあ、と感心してしまった。

6月7日(水) 教授会。 今年度の予算をめぐる話で、むかし教養教育経費と言っていた経費の激減が問題となった。 

 もともとこれは教養教育のための授業経費で、実際には研究費に流用されていた部分もあったけれど、図書館に学生用図書を入れるための貴重な資金でもあった。 本来は、図書館に学生用の図書を入れるためには学生用図書費があるのだが、なにしろ大学がよこす学生用図書費というのはごく少ないので、教養教育経費を使って入れていた部分が相当あったわけだ。

 それが、独法化とともに昨年度から名目が変わり、なおかつ教師の個人裁量での使用を認めなくなり、申請制度になった。

 そして今年度は大幅な減額である。 念のため、教員の個人研究費は3年前の独法化とともに半額以下に減っている。 だから、昔なら多少は個人研究費から流用して図書館に学生用図書を入れることも可能だったが、今は不可能なのだ。

 つまり、新潟大では、図書館に学生用図書を入れようとしても、それが少なからず困難になってきている、ということである。

 何でこうなるのか? 独法化以降、文科省から来るカネは毎年1%ずつ減ると言われているけれど、研究費は上述のとおり最初から半分以下になっているし、今回は以前に教養教育経費と言われていた経費もいきなり半分以下に減ってしまったのである。

 その代わりやたら 「学長裁量経費」 なるものを増やしているのだが、大学上層部はワカッテナイと言うしかない。 彼らに、図書館に入れるべき本をあらゆる学問の専門ごとに確定する作業など、できるわけがないからだ。

 自分にできないことは、きちんと各専門家に委ねる、というのが正しいやり方だが、今の新潟大は完全にその逆を行っている。 ワカッテイナイ人間がワカッテイナイ分野のことをやっているのである――というか、やっておらず、そのため各部門に荒廃がしのびよっている。

   *   *   *   *   *

 さて、本日は午後7時から大植英次指揮ハノーファー北ドイツ放送フィルの演奏会をりゅーとぴあで聴いた。 プログラムはベートーヴェンの 「田園」 と 「運命」。 アンコールに 「レオノーレ序曲第3番」。

  客の入りは7割程度か。 B以下の安い席はほぼ満席。 SとAの中の条件の悪い席がかなり売れ残っていたよう。 私はB席だったけれど。

 演奏は、まあオーソドックスだが、弦楽器群の切れの鋭い音が耳を惹いた。 アンコールをやるにあたっての大植氏のスピーチは、新潟市民への、よく言えば讃美、悪く言えばお世辞で、なかなか如才ない人だと思わされたことだった。

6月4日(日) 午後5時から、りゅーとぴあで 「イタリア初期バロックとJ.S.バッハ」 の演奏会を聴く。 スタジオAに集まった聴衆は70〜80人ほど。 盛会と言えるでしょう。

 福沢宏氏が3種類のヴィオラ・ダ・ガンバを、水澤詩子さんが2種類のチェンバロを用いて演奏。

 ヴィオラ・ダ・ガンバにもこんなに種類があるとは、初めて知った。 一番大きいのはチェロくらいの大きさだが、一番小さいのはヴァイオリンかヴィオラ程度 (厚みはあるが)。 音も高音がよく出る。 とはいえ、現代ヴァイオリンの張りつめたような音ではなく、どこかゆったりとした優雅な響きが 「いにしえ」 を感じさせる。

 福沢氏の解説を交えながら演奏会が進行した。 バッハの時代にはチェロも現代ヴァイオリンやヴィオラのように横向きにして弾いていた (場合もある) という説が最近唱えられたという話など、興味深い内容。

 プログラムは、前半が初期イタリアで、D・オルティスの 「3つのレセルカーダと『甘き思い出』」、R・カーの 「イタリアングラウンドによるディヴィジョン」、フレスコバルディの 「パッサカリアにおる100のパルティータ」(チェンバロ独奏) と 「高音楽器のためのカンツォン」、G・P・チーマの 「高音楽器のためのソナタ」。 後半がバッハで、「無伴奏チェロ組曲第5番」 よりプレリュード・サラバンド・ガヴォットT&U・ジーグ、「プレリュード、フーガとアレグロBWV998」(チェンバロ独奏)、「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第3番」。 アンコールにグノーの 「アヴェ・マリア」。

バッハの無伴奏チェロ組曲など、私は有名なカザルスのディスクしか持っていないが、やはりヴィオラ・ダ・ガンバのゆったりした音で聴くとまるで別の曲みたいに感じた。 いずれにせよ、たいへん充実した音楽会でした。コンチェルト (新潟市内のクラシックCD専門店) が出店していたので、プログラムにもあったバッハのヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタを3曲収めたCDを購入した (ただし演奏者は別人)。

 このコンビにソプラノを加えた演奏会が、10月29日(日)にだいしホールであるそうである。 また行ってみようかな、という気にさせられた。

 ちなみに演奏者はお二人とも美中年である。 福沢氏は面長にヒゲが似合っており、水澤詩子さん (女優みたいなお名前ですね) は丸顔で豊頬の美貌が素敵。 外見重視の方にもお薦めである (笑)。

6月1日(木) 最近思うのだが、新潟市はヨーロッパ系の映画があまり上映されないのではないだろうか。 先日、「戦場のアリア」 と 「美しき運命の傷痕」 をユナイテッドシネマ新潟とシネ・ウインドにリクエストしてみたのだが、いずれもつれない返事だった。

 比較の意味で、最近のヨーロッパ系映画で新潟市では上映されていない作品が東北6県および北陸3県 (富山、石川、福井) でどの程度上映されているか、見てみよう。 (いずれも作品のHPで上映の有無を確認したもの。 この先新潟市に来る可能性が絶対にない、というわけではありません。)

   「戦場のアリア」  青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島、福井で上映

   「美しき運命の傷痕」 青森、山形、石川、富山で上映

   「マンダレイ」 青森、岩手、山形、宮城、福島、石川、福井で上映

   「ぼくを葬る」 青森、岩手、山形、宮城、福島、富山、石川、福井で上映

   「親密すぎるうちあけ話」 一切なし (東京でも6/10封切りなので、この先東北や北陸に来る可能性はある) 

         (7月25日追記: 「親密すぎるうちあけ話」 はその後、青森、山形、宮城、福島での上映が決定。 新潟には来そうにもない。) 

 以上から分かるように、新潟市は明らかに東北6県および北陸3県と比較してヨーロッパ系映画が冷遇されている。

 ここで強調したいのは、新潟市は東北6県と新潟県と北陸3県の合計10県のなかでは、仙台市に次ぐ人口規模を誇る都市だということだ。 この10県では大都会のはず、なのである。 

 スクリーン数も、シネコン3館 (ユナイテッド、ワーナーマイカル、Tジョイ) とミニシアター系のシネ・ウインドで合計26スクリーンある。  郊外を含めると50スクリーン以上ある仙台には負けるが、10県のなかでは第3の都市になる金沢と同じ数であり、それ以外の県庁所在都市には負けていないはずだ。

 にもかかわらず、ヨーロッパ系映画の上映では他の9県に負けているのである。

 地方都市での映画の上映には色々と難しい面もあり、単にやる意志がないからでは済まない場合もある。 限られた数のフィルムを日本全国にどういう順番で回していくか、という問題もあるし、系列でやれたりやれなかったり、といったこともある。

 だけれども、これだけ東北や北陸の他県と差があるということは、それだけ新潟市民の意識がヨーロッパ系映画から遠い、と受け取らざるを得ない。 逆に言えば、お金を使ったハリウッド映画と分かりやすい日本映画とブームの韓国映画ばっかりやっている、ということだろう。

 これと符合する事実がある。 プロのクラシック・オーケストラの有無を比較しても類似の結果が出てくるのである。 山形と仙台と金沢にはプロオケがあるが、新潟市にはない。 くりかえすが、東北と北陸の計10県では新潟市は第2の都市なのに、である。

 別にヨーロッパ映画が高級だとか文化的だとか言いたいのではない。 新潟市民の意識構造が、良くも悪くも大衆流行迎合的であるという事実がここから見えてくるのではないか、ということなのだ。

 これは新潟大学の体質を考えるときにも当てはまることだろう、と私は思っている。 単に映画やオーケストラだけの話ではない。 問題の根は深いのである。

 

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