音楽雑記2005年(2)

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12月31日(土) 今年は新潟で年を越す。 この欄の愛読者の方々には、良いお年を、と申し上げたい。
 さて、年末なので少しは真面目なことを書いておこう、という殊勝な心境になった。 そこで、先日起こった羽越線の特急脱線転覆事故について思うところを述べることにする。

 犠牲者の方々には心からご冥福をお祈り申し上げるが、どうもこの事故、運が悪かったと言うしかないような気がするのである。 今のところ、運転とか設備の保守管理に手落ちが見つかっていない。

 事故が起こった当時のデータでは、付近の風速は20m程度で、このくらいの風だと運休にしないのは言うまでもなく、スピードも落とす必要がないということになっていたらしい。

 しかし、その後、付近の道路にあった防風板が壊れているのが見つかり、この防風板は風速40mまでは耐えられるはずなので、瞬間的に45m程度の風が吹いたのではないか、と推測されているようだ。 つまり、風の強さはなかなか予想が難しいし、局地的に、そして瞬間的に猛烈な強風が吹くこともあるわけで、今回はそういう予想外の強風にたまたま当たってしまったということなのではないか。

 無論、そういう場合があることを想定して運転を慎重にしたり、或いは風速計を多く設置して局地的な強風を予想しやすくすることは必要だが、また、防風林のようなものを設けて風の威力をまともに受けないようにする工夫も必要だと思うが、自然の猛威を完全に防ぐのは容易ではなかろう。

 私のような太平洋岸に育った人間が新潟に来て一番驚くのは、風の強さと天気の変わりやすさである。 というよりこの2つのものはセットになっているわけだが、日本海から吹き付ける風のものすごさは、日本海沿岸に住んでみないと分からない。

 私も、現在は自家用車で動くことが多いからさほどでもないが、新潟に来た当初はしばしば傘を壊していた。 雨や雪だけならまだしも、それに強風が伴っているので、傘が長持ちしないのである。 冗談で、新潟勤務者には傘購入手当を支給すべきではないか、などと言っていたものだ。

 そしてこういう自然の猛威は、しばしば人間の計算を超える。 風ばかりではない。 新潟では、有名な例だが、新潟地震による橋崩壊がある。

 新潟市は信濃川河口にできた街で、川幅の広い信濃川には橋が何本かかかっている。 昭和39年の新潟地震の際には、当時できたばかりだった昭和大橋がものの見事に壊れ、橋桁が川に転落した。 これこれの規模の地震でかかる圧力には耐えられる――という計算のもとに作ったはずなのに、地震の威力はその計算をあっさり上回ったわけだ。

 一方、同じく信濃川にかかっている萬代橋は、昭和4年に作られたものだが、この地震にびくともしなかった。 圧力計算などができなかった時代に、あたう限り頑丈に作ったからこそ、数十年に一度の大地震にも立派に耐えたわけだ。

 自然の猛威に対する心構えとして、新潟人は (そして今回の事故を思うなら、日本人は) 萬代橋の例を忘れるべきではないと思うのである。 自然の猛威は人間の下手な計算を上回る場合があることを肝に銘じ、万全の備えをするということだ。 運の悪さを乗り超える方法は、それしかあるまい。

12月30日(金) 新潟の天気は変わりやすい。 本日、午前中は晴れていた。 気温もあまり下がらない。 午後から映画の本年見納めをすべく、街に出かける。

 某所にクルマをとめて、本来はそこからバスに乗るのだが、本日は途中のコンチェルトというCD屋さんに寄る予定だったので歩く。 といってもCD屋までだと徒歩20分ほどである。

 残念ながら探していたCD――ショスタコーヴィチのピアノ三重奏曲第1番と第2番が一緒に入ったディスク――がなかったので、代わりにショスタコーヴィチのヴィオラソナタのCDを買う。 

 外に出たら、雪になっていた。 傘はもってこなかったが、コート着用に帽子もかぶっているから気にならない。 映画館までまた15分ほど歩く。 シネ・ウインドとTジョイで1本ずつ見て、今年の映画はおしまい。 本日はシネ・ウインドも一昨日とは違い、結構客が入っていた。 

 映画を見てから、また別のCD屋(駅前の石丸電気)に行ってみる。 しかしやはり探しているCDはない。 代わりに、インバルによるマーラーの交響曲第3番のCDを買う。

 駅前からバスに乗って某所に戻る。 そこの近くのBOOKOFFで、ホロヴィッツによるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番のCDを買う。 一昨日、ここに寄ったとき目について、買うかどうか迷っていた。 2日間考えて買うことにしたもの。 迷ったのは、ここのCDは値付けが高いから。 BOOKOFFのくせに――というと差別的 (笑) かな――1250円もするのだ。

 まあ、何はともあれ、本日は映画を2本見てCDを4枚 (マーラーは2枚組だからです) 買って、大納会のごとくに (笑) 景気良く終わろうというわけなのでした。

12月29日(木) 年末でもあるので、「国境なき医師団」 とユニセフに、それぞれわずかながら寄付をしました。 寄付行為をどうしてわざわざサイトに記載するかについては、7月29日の記述を参照のこと。

 さて、今年も残りわずか。 コンサートも全部終わったので、今年のベスト10を上げておこう。 順位なし、行われた順である。 しかし、今年は昨年に比して感銘を受けたコンサートが少なかったような気がする。

★1月4日 ハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場ガラ・コンサート/新潟テルサ
★1月10日 「バッハを弾く」 根津要(チェロ)+笠原恒則(チェンバロ)/りゅーとぴあ・スタジオA
★2月25日 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団演奏会(ヘルベルト・ブロムシュテット指揮)/りゅーとぴあ・コンサートホール
★4月10日 国立パリ管弦楽団演奏会/りゅーとぴあ・コンサートホール
★5月30日 東京交響楽団第31回新潟定期演奏会(秋山和慶指揮、シュロモ・ミンツのヴァイオリンとヴィオラでオール・バルトーク・プログラム)/りゅーとぴあ・コンサートホール
★6月24日 モスクワ室内歌劇場の『魔笛』公演/新潟県民会館
★6月30日 新イタリア合奏団&高木綾子 演奏会/りゅーとぴあ・コンサートホール
★7月10日 東京交響楽団第32回新潟定期演奏会(飯森範親指揮、小山実稚恵ピアノ、バッハのピアノ(チェンバロ)協奏曲第3番とマーラーの交響曲第9番)/りゅーとぴあ・コンサートホール
★10月26日 ユーリ・バシュメット&モスクワ・ソロイスツ合奏団演奏会/りゅーとぴあ・コンサートホール
★11月12日 東京交響楽団第530回定期演奏会(ユベール・スダーン指揮、ブルックナー交響曲第8番)/サントリーホール
(次点)
☆10月20日 ストラディヴァリウス・サミットコンサート/りゅーとぴあ・コンサートホール
☆10月23日 東京交響楽団第33回新潟定期演奏会(ミッコ・フランク指揮、バイバ・スクリデのヴァイオリン、ラウタヴァーラの「アポテオシス」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲、ストラヴィンスキーの 「火の鳥」(1945年版))
☆11月12日 新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会・トリフォニーシリーズ第393回(指揮クリスティアン・アルミンク、ピアノ独奏ブルーノ・レオナルド・ゲルバー、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番、アレクサンダー・ロクシンの交響曲第1番「レクイエム」〔日本初演〕)/トリフォニーホール

12月28日(水) ここ1週間ほど映画館に行っていなかった。 理由はいくつかある。 体調が悪かったことがひとつ。 かなり寒かったこと (月曜日に行くつもりだったが、あまりに寒いのでやめました)。 それから一番行きやすい映画館であるユナイテッド・シネマで見たい映画をやっていないこと。

 行きやすいというのはどういう意味かというと、@駐車場が無料 A割引制度がある Bポイントカード・システムがあるので何回か見ると1回無料になる――ということである。

 しかしお正月前後だとか夏休みだとかは、お子さま向けや一般大衆受けする映画が多くなり、もう一つ食指が動かないのだ。
他方、万代シティにあるTジョイとシネ・ウインドは、駐車場無料ではないので、ユナイテッドより行きにくい。 Tジョイは映画1本見ると駐車料金に別途300円かかる。 ただし300円というのはここで映画を見た場合の特別割引料金であり、ふつうなら2時間半駐車すると1050円もかかるのである。

 シネ・ウインドとなるとそういうシステムすらないから、もしクルマで行くとすると映画料金以外に (2時間半なら) 1050円かかることになり、とてもじゃないけれどやってられない。それで郊外の某所にクルマをとめてバスで行くことになるが、今年の冬は厳寒なので、バスを待っている間に風邪が悪化しそうでためらってしまう。

 万代シティから先月にダイエーが撤退したことも痛い。 というのは、ダイエーのカード(OMC)を持っていると、ちょっとでもダイエーで買物をすると駐車1時間無料、2000円以上買うと2時間無料だったので、私はウインドで映画を見るときはよくダイエーでビールをまとめ買いして2時間無料としていたのだ。 ダイエーがなくなったので、そういう真似はできなくなった。 この厳寒のなか、バスで行くのか――うううぅぅ。 バスも待たされなきゃいいんですが、何しろ時間が不正確で、下手すると20分も吹きすさぶ寒風の中に立っていなくてはならない。 嫌ですよね。

 で、残るもうひとつの映画館ワーナーマイカルなのだが、ここはサービスがすごく悪い。 駐車料金は無料だが、それ以外はまるでダメ。 メンズデーもないし (ユナイテッドとTジョイにはある)、割引制度もないし(ユナイテッドはカード会員で300円割引、シネ・ウインドは会員になれば1本1000円で回数券なら1本800円)、ポイントカード・システムもないし (ユナイテッドとTジョイにはある)――要するに、深夜に見に行けない成人男性は、毎月1日のサービスデー以外は1800円で見るしかない、というヒドイところなのである。

 しかし、である。 時によっては見たい映画が新潟ではここでしかやっていない場合がある。 今なら 「ロード・オブ・ウォー」 という映画がそう。 12月17日から上映しているのだが、もし正月1日にやっていたら見に行こう、2週間打ち切りで12月30日までだったら――清水寺から飛び降りるつもりで1800円払って見るか、それとも見ないことにするか・・・・・決めかねている。

 で、ワーナーマイカルのさらに良くないところは、上映予定の発表が遅いこと。 ふだんからそうなのだが、年末年始でそのヒドサは際だっている。 ユナイテッドは数日前から1月10日くらいまでの上映予定をサイトに発表しているし、Tジョイだって1月6日までの予定を載せているのに、ワーナーマイカルは本日現在、まだ12月30日まで分しか載せていないのである。 つくづくダメ映画館だと思うよね。

 閑話休題。 というわけではあったが、本日は寒さが一段落したということもあり、夕方、思い切ってシネ・ウインドに出かけて映画を見ました。 しかし私を含めて3人しか客がいなかった。 ダイエー撤退の影響か?

12月27日(火) 発売されたばかりの 『諸君! 1月号』 に仲正昌樹が面白い文章を載せている。 氏は先の同誌に小谷野敦・八木秀次と鼎談を載せたのだが、それを左翼から批判されたことに反論しているのだ。 私は知らなかったが、仲正氏は以前統一教会の信者だった経歴があるのだそうで、そういうことを絡めてネット上で批判されたことと、北田暁大との某所でのトークショウが『諸君』での鼎談のために中途で打ち切りになったことから、今回の批判文となったようだ。

 私が驚いたのは、仲正氏がネット上の言論をずいぶん気にしていることだ。 私の見る限りでは、教条左翼というも愚かなほど低レベルなもので、ネット上にはこういう低レベルの左翼や右翼が群をなしているから、いちいち気にしていたら身が持たないだろうと思うのだが、当節はこの辺にも目配りしておくのが知識人の作法 (?) なのだろうか。

 もっとも、私自身もこないだちょっとだけ小谷野敦氏とやりあった際には、ネット上に 「無名ドイツ語教師」 なんて書かれてしまったけれども、そう書いた輩が 「有名ドイツ語教師」 の名を挙げられるのかどうか、はなはだあやしいわけではある。 まあ、私のことは措いておこう。

 もう一つ驚いたのは、仲正氏が女性との性交体験を持たないと堂々と書いていること。 この辺は個々人の趣味の領域だから他人がとやかく言うべきことではなかろうか、私なんぞは昔を振り返ってみると 「いくつになって女を知らないなんてのは恥ずかしい」 的な男の常識 (?) に捕らわれていて、しかも捕らわれているということを表に出すのも恥ずかしいというような微妙さがあるから、いっそう鬱屈していく、みたいなところがあった。 時代が変わったということなのかも知れないが、その辺をあっけらかんとして言えるあたりが、仲正氏の大物たる所以なのかも知れない。

 氏はこのところ立て続けに本を出しており、その精力的な仕事ぶりには感心するばかりである。 もっとも、私の関心領域とはわずかにずれていて、光文社新書から出した戦後ドイツ思想に関する本は面白かったけれど、それ以外の著書にはなかなか手が伸びない。 今回の 『諸君!』 の文章にも表れている氏のスタンスの割り切れなさというか、分かりにくさが、今後どういう風に展開していくか、注目したいところだ。 

12月26日(日) ここ数日、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番K.595を集中的に聴いている。 むかし、一時この曲にイカれたことがあったが、その後しばらく遠ざかっていた。 モーツァルト最晩年の寂寥感漂う曲ということになっているが、それでいくとクラリネット協奏曲のほうがそれらしく、その辺はピアノという楽器の限界かなあ、なんて勝手なことを考えていた。 いや、今でもそう思っているけれど。 まあ、その限界を含めて、どう表現するか、ということなんだけれども。

 といってもディスクをさほど持っているわけではない。 ギレリス+ベーム指揮ウィーンフィル、グルダ+スワロフスキー指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団、ハスキル+フリッチャイ指揮バイエルン国立管弦楽団、そしてラローチャ+ショルティ指揮ロンドンフィルの4種類だが、今回まとめて聴いてみて、ラローチャがいいなと思った。

  テンポの取り方が絶妙。 早すぎず遅すぎず、実に適正。 そして音の粒がしっかりとしていて、表現力豊かである。 むろん、これは録音のせいもあろう。 音のニュアンスを良く捉えた好録音である。

 ハスキルも悪くないが、規範的に過ぎるというのか、情感がもう少し欲しい気がする。 ギレリスは考えすぎているようなところがある。 グルダは逆に早すぎて考える間もなし、というところか。 もっとも、グルダには別の録音もあるはずで、以前テープにとって聴いていたものはゆったりしたテンポで悪くなかったはず。 あれはCD化されているのかしらん。 彼はその時々によってかなりその辺が変わる演奏家だったのだろう。

12月25日(日) 午後6時30分から新潟大学管弦楽団の第42回定期演奏会。 会場はりゅーとぴあ、指揮はいつもの河地良智氏。

 ワーグナーの 「ローエングリン」 より第1幕への前奏曲・第3幕への前奏曲、ヒンデミットの 「画家マティス」、ブラームスの交響曲第1番。 アンコールはエルガーのエニグマ変奏曲第9変奏。

 年の瀬も押しつまってからで、他にメサイア演奏会だとか第九演奏会も隣接して行われたこともあってか、客の入りはイマイチ。 最近の東響新潟定期よりちょっと劣っていたかな。

 学生オケでは構成員は年々歳々入れ替わるから、演奏レベルもその都度変わる。 今回は管楽器にやや難ありでしたね。 ブラームスでも第1楽章ではどうなることかと危ぶまれたが、第4楽章に至ってまあまあ無事に盛り上がってまとまりがついたかなと思う。

 私の隣席は学生らしい二人連れ (といっても男男ペア) だったが、ろくに拍手もしない。 仲間の演奏を盛り上げてやろうという気迫 (?) に欠けているのは、最近の若者の風潮なのか、新潟大気質なのか。 

12月24日(土) 一昨日から体調が良くない。 胃がむかつき、○○○は水のごとくである。 多分、風邪であろう。 最近の風邪は胃腸に来ますからね。 お陰で酒もろくに飲めない。 本日も、何となく元気が出ない状態だったので、映画を観に行く予定を中止、卓球の練習も休む。

 さて、本日の産経新聞 「正論」 欄にクライン孝子の 「今こそ歪み教育を正常化する改革を」 が載った。 産経の 「正論」 欄は投稿欄に設けられているが、執筆者が固定されており、朝日などと違って長文の投稿を自由に受け付けるようにはなっていない。 ただし、一般投稿より長めの投稿を受け付ける 「アピール」 欄は別にあるが。

 で、何でもそうだが 「正論」 にも当たりはずれがある。 本日のは、そのハズレのほうである。先日の塾教師による小六教え子殺害事件を取り上げて、日本の教育の歪みが表れたものだというのだが、その論理はどうにもトホホなのである。

 クライン孝子さんは、まずこの事件は塾の乱立によって起こったことで、それは文科省がゆとり教育を実施し、その 「指導」 が不十分だったために学力低下を憂慮した父母が子供を塾に押し込んだことが背景になっている、とのたまう。

 どうも最初からズレていると思うのだが、塾に子供を行かせる風潮は今に始まったことではない。 ゆとり教育のずっと以前から行われているのである。 私の中学生だった四十年前、ゆとり教育なんぞは影も形もなかったが、塾はちゃんと存在した(後述)。

 それと、文科省のゆとり教育について 「文科省の指導が不十分だったために」 という書き方をしているが、これは意味不明である。 ゆとり教育が学力低下につながるものなら、親の行動は当然のことであるし (私はこちらの見解)、またそうでなく、ゆとり教育は学力低下につながらないのに親がその点を誤解したためだというなら、批判の矛先はむしろ親に向けるべきであろう。 なんでも役人のせいにするのは不健全である。

 次に孝子さんは 「塾」 の定義に向かう。 国語辞典の記述をもとに、江戸時代の読み書きソロバン塾をその原型として、ご自身が五十数年前に日本で目撃なさった 「専門科目担当教師が数人の生徒に自宅を開放して教える」 のを塾だとおっしゃるのである。 うーん、古いなあ。 読み書きソロバンなら今どきは塾じゃなくて学校で教わるのだし、そもそも 「専門科目担当教師」 が自宅に生徒を呼んで塾を開講することが今どき許されると思うのだろうか?

 実は私自身が中学時代、四十年前、通った 「塾」 はそういうものだった。 中学の先生が私的に、そして安月給をカバーする目的も兼ねて塾を開いていたのである。 でも、今じゃそういうことは許されない。 現在は教師のアルバイトは禁止なのだから。 カネをとらなきゃいいだろうって? 仮に先生にそういう無私の情熱があったとしても、特定の生徒だけに無料塾で教えるなんて真似をしたら批判を浴びるに決まってるじゃん。 え、特定の生徒だけじゃなく全員にやれ? それじゃあ、「数人の生徒」 じゃすまないわけだから、「塾」 になりませんよ。 クライン孝子さんは、かくもズレていらっしゃる。

 それと、日本の塾を批判なさるために、孝子さんはご子息がドイツで通われた塾を引き合いに出されるのだが、ドイツが子供の学力不足で悩んでいるのは周知の事実なのである。 世界的な学力調査でドイツの子供は下位に甘んじ、それが 『シュピーゲル』 誌で大きく取り上げられたことは私もこのサイトで数年前に書いた記憶がある。 だから日本で教育問題を論じるのにドイツを持ち出しても、今どき規範にはならないんですよ。

 次に、塾を通して教育が商品化されることを孝子さんは批判なさっているのだが、予備校が産業として定着したのはずいぶん以前からだし、それは大衆教育社会の必然的な成り行きだと私は思う。 確かに大昔なら教師が優秀な生徒に善意で個人的指導を施すことはあり得ただろう。 しかし、一方で平等意識の高まりにより 「個人の善意」 「えこひいき」 とされかねず、他方で上を目指す生徒が多数いるときに教師の個人の善意をアテにするわけには行かなくなるのは当たり前であろう。 そこに産業として塾や予備校が進出してくる余地が生まれるわけだ。

 そういう風潮は、孝子さんが最後に持ち出す親の見識や精神論をもってしてはどうにもなるまい。 むしろ学校を通してヴォランティアなどの活動を地道に行わせることで、子供の多様な社会的見識を育成していくしかないだろうと考える。

 結局、ドイツ在住で日本の現状をろくにご存じないのに分かった風に書くから、こういう惨憺たる駄文になるのであろう。 この程度の文章を載せてしまっては、「正論」 欄もそのレベルが問われるところだ。 ドイツ在住なら川口マーン恵美さんが最近いい本を出しているし、そろそろ世代交代の時期なのではないか。

 また、保守系の議論のあり方もかなり多面的になっているのだから、執筆者を増やすことも考えてほしいものである。

12月22日(木) 朝8時頃起きる。 女房は用事があって朝早く出かけたので自分で朝食の用意をしていたら停電。 一度はついたが、また10分ほどで停電である。

 クルマで学校に出かけたが、途中の信号機はついていない。 昨夜からの強風のせいでバス停の標識が何カ所かで倒れている。

 大学も停電だった。 私はふだんは研究室のブラインドは降ろしているのだが、仕方なくいっぱいに上げて、窓からの光で本を読む。 とはいえ、空は厚い雲におおわれているから、かろうじて本が読める程度である。 停電で暖房も入らないから、コートは着たまま。

 1限の時間帯が終わったところで、事務から校内放送があり、新潟市全域と下越地方 (新潟市を中心とする新潟県北部) が停電なので、2限以降の授業は休講にするとのこと。

 うーん、困りましたね。 本日は4限に1年生向けの演習があり、その時レポートの課題を出すつもりだったのだ。 ふだんの授業なら1回くらい遅れてもいいけれど、今日は冬休み直前の授業だから、ここで渡せないと冬休み明け後、つまり3週間も遅れてしまう。

 それとは別の授業をとっている学生が研究室に来る。 レポートが来週初め〆切なのだが、ワープロで作成して本日大学のプリンターで打ち出して提出しようと思っていたら、停電でできなくなったとのこと。 それなら〆切は今日ではないのだから、あとにしたら、と言ったら、実家が秋田にあり、週末に帰省してしまう予定なので、今日大学のプリンターを使えないとまずいのだという。 仕方がないので、秋田から郵送するよう指示する。 やれやれである。

 私も新潟大学に赴任して25年になるけれど、停電で休講、というのは初めてである。 東北電力は何をやっているのだ!

 といってもやることもないから、研究室の窓際でだらだら本を読んで、昼頃帰宅する。 帰宅間際、校舎のロビーを通りかかったら、生協が弁当を販売していた。 助かった、と思い、即購入。 あとで聞いたら、ガスは止まらなかったのと、生協の仕込みは前日のうちにやっておくのだそうで、それで弁当が作れたらしい。 米飯は、生協で炊く分はダメだったが、業者から購入している分があり、これは早朝に炊いておくので、大丈夫だったということだ。

 帰宅途中、自宅で行きつけのスーパーに寄ってみたら、営業していなかった。 ということは、停電が長引いたら食料がまず必要だな、というサバイバル的な心理におちいり、近くにある個人営業の米屋さんに行ってみた。 米屋だが、乾麺なども扱っているのである。 暗い店内にろうそくをつけて夫婦がすわっており、訊いてみたら乾麺とインスタントカップ麺を売ってくれた。 まあ、これで今日の食料は大丈夫だろう、と思う。 

 帰宅したら、女房と高校生の次男と小学生の長女も帰宅していた。 女房は非常勤で行っている街なかの高校からクルマで帰宅するのが大変だったとぶうぶう言う。 信号機が作動しないから、クルマの多いところは渋滞しているようだ。 さいわい、新潟大学のあるのは郊外だから、朝夕ラッシュ時以外はクルマが少ないのである。

 自宅に帰って、ガスと水は出るのでどうにか昼食は済ませたが、灯りがつかないので窓際で本を読むしかない。 暖房も、拙宅はFF式の石油ファンヒーター (松下のじゃありません――念の為 〔笑〕 で、これは電気がないと動かないので、仕方なく昔使っていたアラジンの石油ストーブを納戸から取り出して火をつける。 使える暖房器具がこれしかないので、4人とも居間でごろごろしている。

 そして、午後3時40分頃、ようやく灯りがついた。 約7時間の停電であったが、それでこれだけ不便と混乱を来すのだから、電気の重要性と、電気だけに頼りすぎることの危険性が分かりますよね。 拙宅は停電でも水とガスは使えたから良かったが、ビルなどでは停電だと水道も使えないところもあるらしく、そうなるとそれこそ命に関わりかねないのである。

 午後4時過ぎ、H卓球クラブのHさんから、本日の練習は休みになるという電話。 律儀な人である。 しかもHさん宅ではまだ電気が来ていないという。 新潟市内でも地域差があるのだ。

というわけで、停電で混乱した一日でありました。

12月19日(月) 暖冬という気象庁の予想が大外れの今冬であるが、新潟市も厳寒である。 ただし市内に雪は少ない。 が、少ない雪が寒さで凍って、今朝は路面がつるつるだった。

 大学へクルマで行くのに、ふだんとは違う道を選ぶ。 いつもは海岸に近い道を通るのだが、海岸に近いほど風が強く路面が凍結しやすいということがあるので、本日は弥彦街道 (新潟市から、有名な弥彦神社へ通じている古来の街道) を選んでみた。ちなみに拙宅は海岸通と弥彦街道の中間あたりにある。

 が、選択の誤りをすぐに悟る。 クルマで数珠つなぎになっているのだ。 ここも路面が凍結しており、しかも通勤にこの街道を利用するクルマがふだんから多いのだから、考えてみれば当たり前であった。

 そこで今度は途中で脇道に入り、裏道を行ってみた。 これは海岸通と弥彦街道の間にある狭い道である。 狭いのでふだんは利用しないが、本日はすいている分、走りやすい。

 ところが、である。 途中の坂道のところで渋滞している。 先の方が見えないので判然としないが、もともと普通車のすれ違いがやっとという狭い道なので、凍結した坂道でうまくすれ違えなくなっているらしい。

 というわけで、またまた方向転換して別の裏道に入る。 いや、裏道はたくさんあるのです(笑)。 こうして、ようやっと大学にたどり着きました。 とはいえ所要時間は25分 (日頃は10分) だから、慣れない雪で1時間以上も遅刻した太平洋岸のみなさまには叱られそうである(笑)。

 夜になって寒気がやわらぎ、道路も融雪状態になったのは幸い。 

 しかし、夜、ガソリンをクルマに入れたついでに自宅暖房用の灯油を買ったら、1L65円もする。 今月初めは63円、先月は61円だったのに、寒波のせいかじりじりと値が上がっているようだ。 ガソリンは先月がピークで今月は値下がり気味なのになあ。 もっとも根本的な理由は寒気よりも原油高で、1年前の灯油は1L48円だったのだから、寒気を恨んでも仕方がないのである。 

12月17日(土) 夜6時30分から、トリオ・ベルガルモの演奏会を聴く。 新潟ではもうおなじみかな、庄司愛 Vn)、渋谷陽子 Vc)、石井朋子 Pf の美人トリオ。 だいしホール。

 曲目は、ベートーヴェンの 「町の歌」、ショスタコーヴィチのピアノトリオ第1番、クラリネットの広瀬寿美さんを迎えてメシアンの 「世の終わりのための四重奏曲」。

 今まで狭苦しい (40人しか入らない) スタジオ・スガマタで聴いていると余り感じなかったが、250人収容のだいしホールで聴くと、やはり表現力のあるなしが多少出てくるような。 渋谷さんのチェロは申し分ないが、庄司さんと石井さんには一層の自己主張が望まれる。 ピアノトリオは、弦楽四重奏曲と違ってアンサンブルよりも三人の個性のぶつかり合いで聴かせる種目だ。 他の奏者に合わせようとするより、自分を強く出し、その競い合いの中で曲全体が栄えてくる――その辺がちょっと弱いみたい。

 しかし私の希望としては、これからはこのだいしホールを根城に、様々な曲目に挑戦していって欲しい。 スタジオ・スガマタは狭すぎる。今回は客の入りもよかったし、今後も十分やっていけるのではと思わせた。

12月16日(金) 夜7時から、H卓球クラブの忘年会。 関屋のO寿司にて。

 この店はバス通りから入った狭い路地にあるので、場所がわかりにくく、遅刻した人もいた。 とはいえ、昔はこの狭い通りが商店街だったらしい。 今は店も少なく閑散とした裏通りに見えるけれど。 本日の幹事はこの近くで八百屋をしているMS氏なので、その辺の事情はよく心得ている。

 大型スーパーが郊外にどんどん進出する中で商店街もすたれていったらしい。 関屋は、昔なら新潟市の郊外住宅地であったわけだが (東京なら世田谷区あたりのイメージか)、私が新潟にやってきた1980年にはすでに家が建て込んで、無論地価も上がり、私などの手の及ばない区域になっていた。 そうした区域にもそれなりに栄枯盛衰があったわけだ。

12月13日(火) 夜7時から、りゅーとぴあで上原彩子ピアノリサイタル。 上原さんはいまさら言うまでもなくチャイコフスキー・コンクール優勝者である。 私は生で聴くのは初めて。

 プログラムは、モーツァルトのソナタ変ホ長調K.282、シューマンのクライスレリアーナ、スクリャービンの 「3つの小品」 op.45より第1第2、同じく 「2つの詩曲」 op.69、ラフマニノフのソナタ第2番。 アンコールは、ラフマニノフのプレリュードop.32-5とチャイコフスキーの五拍子のワルツ。

 全般的に淡泊な印象がつきまとう演奏会だった。 もう終わり?というような気持ちで帰宅の途につきました。 曲目のせいか、弾き方のせいか。

 ラフマニノフはもう少し苦労しいしい弾いてもらわないとインパクトがない(笑)。 音はきれいだし整っているけれど、迫力面ではやや不足。 まとまりすぎかな? もちっと濃厚な味付けの料理を食べたいな、というような食後感でした。 

12月12日(月)  新潟大学の学長選挙が紛糾している。 職員による投票結果では、長谷川彰・現学長は二位であり、山本正治・医学部長が一位であったのに、「学長選考会議」 はこの結果を無視して現学長の再任を 「決定」 したからだ。

 職員組合は以下のようなアピールを発表した。 (アピールだけではなく、この事件のあらましも以下のサイトで分かる。)

 http://www.ne.jp/asahi/niigata-u/union/index.html 

学長選考会議の長谷川現学長再任決定を糾弾する.

選考会議は他価値に説明会を開催せよ.

 2005127 新潟大学職員組合

 昨6日,学長選考会議は1130日に行われた学長候補第2次意向投票の結果を覆し,長谷川現学長の再任を決定した.新潟大学職員組合は大学構成員の意向に反する専攻会議の決定に強く抗議する.職員組合は選考会議が大学構成員に対してただちに説明会を開催するよう要求するものである.

 長谷川彰現学長はこの決定を受諾し,記者会見で「法人化で進めた大学改革の実績を強調.総合大学として副専攻制度など特色ある試みや,教育改革を進める」と語ったと報道されている.全教員による第2次意向投票においてなぜ大差で敗れたのか,を省みようとしない長谷川現学長の姿勢が改めて浮き彫りになった.意向投票の結果は,教育と研究・医療を現場で進める教員の間に,この2年間の予算や人事面での不安・不満が高まるとともに,その現場の違憲や声を無視した管理運営方針を引き続きトップダウンで押しつけようとする姿勢に対して危惧の念が広がっている現われである.

 選考会議には第2次意向投票の結果を覆すこととなった選考会議の決定内容をすべての構成員に対して説明する責任がある.選考会議主催による説明会を年内に開催するよう強く要求する.

 私は職組に入っていないし、そもそも4年前に現学長を推したのが職組であったことを考えるなら 「人を見る目がなかったね」 と言いたくなるのであるが、ともあれ、今回の職組の態度表明はまっとうであり、支持したいと思う。

 しかし、こうした現学長や執行部の体質は、彼らだけのものではない。 教養部解体以降、私の身近なところにある例で言えば、第2外国語教育 「改革」 だって類似したやり口でめちゃくちゃにされてきたのである。

 今回のこの事件は、その意味で、新潟大学全体の体質が問われたものだと言えよう。

 それと、この事件を全国紙がニュースにしていない (違っていたらご指摘いただきたい) のを私は怪しむ。 かなり重大な事件だと思うのだが、いったいどういうわけで紙面に取り上げないのか。 新聞の見識が問われる場面ではなかろうか。 そして新聞の必要性の是非もである!

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 夜6時から、大学院現社研プロジェクト 「現代の社会と文化の変容に関する学際的研究」 の例会が先週月曜に続いて開かれる。 経済学部の中国人大学院生が、日本の労働人口移動について発表。 そのあと、飲み会となるが、発表者と私を入れて4名と淋しい会となった。

12月11日(日) 忙しい一日だった。

 昼過ぎから娘のヴァイオリン教室の発表会を聴き、娘の演奏 (昨日と違って曲の進行を忘れることなく、まずまずの演奏だった) が終わってすぐ退出してだいしホールへ。 田中幸治playsシューマン第1回を聴く。 会場はほぼ満員。 開演ぎりぎりに入ったので、前から2列目の右寄りという席に。 田中氏は東京芸大大学院終了で、新潟大学教育人間科学部音楽科助教授。 

 ソプラノの天羽明恵さんをゲストに、「ミルテの花」 から9曲と、作品89の 「6つの歌」。 ピアノ曲は、アベッグ変奏曲、花の曲、「色とりどりの小品」 作品99から最初の3曲、子供のための3つのピアノソナタ作品118から第1、そしてトッカータ作品7。 アンコールはトロイメライ。

 解説をしてから演奏がなされるので、たいへん分かりやすいコンサートであった。 天羽さんも、写真の印象とは違ってしゃきしゃきした話し方が面白い。 シューマンの曲をこの調子で全部やると二十数回のコンサートが必要だとのこと。 がんばって欲しい。 ただ、シューマンという作曲家は、それだけでプログラムを組むと、私からするとどうも飽きるというか、最初から最後まで同じ感じで続くような印象がある。 その辺をどう工夫して乗り越えるかが課題であろう。

 次に急いでりゅーとぴあへ。 第34回東響新潟定期で 「メサイア」 を聴く。 指揮は大友直人、東響にいがたコーラス。 独唱陣は、高音から順に、森麻季、竹本節子、マルクス・ブルチャー、黒木純。

 編成は通常よりやや小さいが、弦の音がとても美しいし、トランペットのマルティ氏がいつもながら見事。 独唱陣は、「すげえ」 と感心するほどの人はいなかったが、中でバスが一段劣っていた印象は否めない。 合唱の出来不出来は私には分からない。 

 「ハレルヤ」では起立はなかった。 この点については、パンフの16ページにはそういう習慣があると記しながら、29ページでは伝説は捏造だとするなど、一貫していない。 私が5年前に新潟に来たシックスティーン合唱団&オーケストラで 「メサイア」 を聴いたときは、パンフに 「ハレルヤで起立する場合もあるが、本公演ではご遠慮ください」 と断り書きがしてあったと記憶する。 あの演奏は感動的だった。 最近の古楽器ブームの中で、東響定期のような19〜20世紀の演奏会形式で 「メサイア」 をやってどのあたりに焦点をおくかは、難しいのではないかという気がした。 感銘という点で今回イマイチの感があったのも、その辺が原因かも。

12月10日(土) 女房が自分のピアノ教室と他の教室の合同発表会を午後から県民会館小ホールで開くので、途中から聴きに行く。 というのは娘がピアノの生徒たちに混じってヴァイオリンの演奏を披露するから。 曲はバッハのヴァイオリン協奏曲第1番第3楽章だが、しかし途中で曲の進行を2度も失念するなど、ぱっとしなかった。 実は明日、ヴァイオリン教室の発表会があり、その予行練習のつもりだったのだが、こりゃ、「めざせ! 諏訪内晶子」 は無理か??

 それにしても、聴いている生徒たちのなかでおしゃべりしっぱなしの姉妹がいたりするのは、感心しない。 ふつうのコンサートではないから完全に静粛にならないのは仕方がないが、それにしてもコンサートではおしゃべりは厳禁という原則を知らないのでは、何のためにピアノを習っているのか分かるまい。 母親が近くにいるのにさっぱり注意しないのもよろしくない。 馬鹿っ母というやつか。

 途中で切り上げて、新潟県立万代島美術館に 「ユートピアを探しに ―想像力の彼方へ―」 展を見に行く。 明日までなので。

 テーマを決めての展覧会なので、色々な画家の作品が展示されている。 西洋、アジア、日本。 掛け軸の仏教画もある。 逆ユートピアということで、ピラネージの 「牢獄」 シリーズまである。 デューラーの連作 「黙示録」 もある (これはこの美術館蔵)。

 実はどういうわけかピアノ発表会を聴くために県民会館に着いた頃から体がだるくなり、美術展もだるさを押しての鑑賞となったが、まあまあ面白かった。

 特に、ドニの 「アムール」 シリーズが気に入った。 これはこの美術館蔵の作品で、薄っぺらながらパンフが出ているので買いました。

12月9日(金) 夜6時45分から、人文学部内の <ヨーロッパの基層文化と近代> プロジェクトと <公共圏> プロジェクトの合同研究会があり、西洋文化史のM先生から、「<市民社会と公共性>について −最近の研究動向について−」 のタイトルで興味深いお話があった。

 内容は、西洋音楽におけるクラヴィコードの位置から、「市民」や「公共性」の概念にいたるまで幅広く、出席したヨーロッパ文化と社会学の教員から活発な発言があり、知的刺激に満ちた2時間であった。

12月8日(木) 南果歩さま再婚のニュースを新聞で知り、ショック。 以下、「サンケイスポーツ」 のネット記事から引用。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051208-00000030-sanspo-ent

日本が誇るハリウッドスター、渡辺謙(46) が女優、南果歩(41) と今月3日に極秘入籍していたことが7日、分かった。 6日 (日本時間7日) に米ニューヨークで行われた渡辺の出演映画 「SAYURI」 のワールドプレミアにツーショットで登場。仲むつまじく寄り添う姿が世界に打電され、この日、双方の所属事務所から連名で発表された。 ともに再婚で、帰国する今月中旬にそろって会見する予定。 世界のひのき舞台で電撃発表とは、スケールがでかすぎる!!

 すべては、1枚の写真から始まった−。 日本時間7日午前11時半 (米NY時間6日夜)、AP通信が世界に配信したワールドプレミアのひとコマに、笑顔の渡辺が南の腰にさりげなく右手を回したツーショット写真があった。 一見しただけで、その親密ぶりがヒシヒシと伝わってくる1枚だ。

 世界中のマスコミが取材するレッドカーペットに南を堂々とエスコートしたことから、渡辺にはこのタイミングで結婚を発表する覚悟があったようだ。 その証拠に、この世界配信から2時間半後の午後2時すぎ、「私たち、渡辺謙と南果歩は12月3日に入籍いたしました」 とのファクスがマスコミ各社に送られた。

 関係者によると、渡辺は 「SAYURI」 のワールドプレミアに出席するため、2日に日本を立ち、ロサンゼルスへ。翌3日に代理人が都内の区役所へ婚姻届を提出した。 一方の南は、今月4日に主演舞台 「メアリー・ステュアート」 が長野・松本で千秋楽を迎えるやいなや、その足で千葉・成田空港へ向かった。 そして6日。2人は世界の中心・ニューヨークでおちあい、初の夫婦ショットを披露した。

 同地には、渡辺の長女でモデルの杏 (19) が滞在中で、渡辺は娘に南を紹介した可能性も。 また、映画撮影のためロスに滞在していた長男の俳優、渡辺大 (21) に結婚を報告したようだ。

 2人の出会いは平成15年1月放送のテレビ東京系2時間ドラマ 「異端の夏」。 同年11月に都内で行われた渡辺出演の 「ラスト サムライ」 のワールドプレミア、今年5月の 「バットマン ビギンズ」 のプレミアでも、ドレスアップして会場に駆けつける南の姿が目撃されていた。

 一方、渡辺も11月の南の主演舞台 「メアリー−」 に人目もはばからず2度、3度と駆けつけており、2人の中では結婚の意志は固まっていた。 事務所によると、南の妊娠は 「聞いていない」。 今月中旬にNYから2人で帰国し、成田空港で結婚会見を開いて経緯を語る。

 渡辺は14年に前妻との離婚を求める訴訟を起こし、3年の歳月を経た今年4月にやっと離婚が成立。 南も12年に作家で歌手、辻仁成 (46) と離婚し、女手ひとつで男児 (10) を育ててきた。 最初の結婚で辛酸をなめた2人。 共感する点も多かったにちがいない。 寄せられたコメントで 「互いに荒波を越えてまいりました」 と率直に現在までを振り返り、「今、穏やかで豊かな時を迎えることが出来ました」 と心安らぐ伴侶との出会いを喜んだ。

 「これからも二人で支えあい、一日一日を大切に、様々な時間を分かち合いたいと思っております」。 “最後の恋”にかける大人の決意がにじんでいた。

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 うーん・・・・渡辺謙かあ・・・・ワタシよりちょっとだけ (笑) いい男ですな。 しかし先日のシム・ウナといい、最近ワタシ好みの女優が次々と結婚していくのは、地球滅亡の予兆だろうか (冗談です)。 

 いずれにせよ、お幸せに、と申し上げます。 うううぅぅぅ・・・・。

12月5日(月) 夜6時から、大学院現社研プロジェクト 「現代の社会と文化の変容に関する学際的研究」 の例会が開かれる。 経済学部の中国人大学院生が、中国の旅行業の変遷について発表。

12月1日(木) 1年生向けの教養演習。 本日からヘッセの 『郷愁(ペーター・カーメンツィント)』 に入る。 私もこの小説を読むのは久しぶり。 いや、筋書きもほとんど覚えていないから、初めて読むみたいなものか。

 文中出てくる 「ヘラクレス」 についてきちんと調べてきた学生がいて、感心する。 いや、調べるのは当たり前なんですが、その当たり前のことをなかなかできない学生が多いので。

 しかし、同じく文中に出てくる 「ブッシュ」 については、さすがに誰も調べた学生がいなかった。 というより、ブッシュだけでは分からなくて当然である。 かつてドイツ語圏で一世を風靡した風刺漫画家ヴィルヘルム・ブッシュのことですからね。 ここぞとばかり、私はブッシュの作品を収録した大型本を回覧した。 こういうところでこそ、こちらも教師らしさを発揮できるのである(笑)。

11月30日(水) 夜、帰宅途中、BOOKOFFに寄ったら、ベートーヴェンのピアノソナタ第30・31・32番とヴァイオリンソナタ第5・7・9番が入った2枚組CDが千円で出ていたので買う。 もっとも演奏が古く、ピアノソナタはシュナーベル、ヴァイオリンソナタは、5・7番がアドルフ・ブッシュ、7番がフーベルマンである。

 なんだか組み合わせが無茶苦茶なCDだけれど、「不滅の名盤コレクション」 というシリーズものらしい。 他にも同じシリーズのCDがおいてあったが、こういう古い録音のCDは或る程度年季の入ったクラシックファンでないと買わない。 もしかして初心者が新品を買って、録音の悪いのに驚いて売り飛ばしたんじゃないか、という気がしないでもない。

 で、早速シュナーベルを聴いてみた。 私はシュナーベルのCDを買ったのは初めてである。 鈴木淳史なんかによると新即物主義に入るらしいけれど、私はモノラル時代のバックハウスのぶっきらぼうなベートーヴェンに慣れているから、それに比べるとシュナーベルも十分叙情的に感じる。

11月29日(火) 新潟大学の学長選挙について職組が批判の文書を出している。 私は職組に加入していないのだが、親切にもボックスに入れていってくれる。 

 まあ、このご時世だから組合による上層批判は大いに結構だと思うのだが、以前出た学長候補者に対する職組の質問状を見ると、どうもピントがずれている気がする。

 恒常的な研究費が半分以下になってまともに本も買えない状態に今の新潟大学はなっているわけで、組合であるならそこをまず問いただすべきだと思うのだが、問いただしていない。

 今の学長は実は4年間に職組が推した人で、それでこのテイタラクだからどうしようもないというのが私の意見である。 職組は研究費半減をやらかした現学長の責任をちゃんと問うべきではないか。 そうでなきゃ、組合の存在意義がありませんよ。

11月27日(日) 日曜日だが朝から仕事である。 そして朝から雷雨という最悪の天気。

 晩秋や冬でも雷が落ちる新潟の気候は、私のように太平洋岸で育って人間にはどうにもなじめないところだ。 いや、なじめなくても人畜無害の現象なら構わないのだが、この日は自分の研究室のある建物から別の建物に歩いて行く途中で沛然たる雨となり、加えて雷がすぐ近くに落ち続けており、下手をすると殉職 (?) しかねない有様であった。 悲惨。

11月24日(木) 4限、1年生向けの教養演習。 夏目漱石の 『それから』 を先々週から読んでいて、本日が3回目で読了。 

 この小説、私も久しぶりで読んだのだが、改めて気づかされる点が多かった。 電車 (市電) がよく出てくることや、主人公の代助が自分の身体にやたら気を使っているところなど、以前はあまり気にとめなかったところである。

 学生も、私の気づかない点について指摘したり、登場人物の心理状態についてかなり突っ込んだ読み方を披露してくれたりして、なかなかに優秀である。 ただ、文学作品を題材にした演習は、学生の得手不得手がかなり露骨に出てしまう難点がある。 活発に手を挙げて面白い読み方を披露してくれる学生がいる反面、だんまりを決め込む学生もいる。

 私も、問題点の発見の仕方については例を挙げたり様々な文学作品解釈法を紹介した本を教えたりしているのだが、そうは言ってもこの種の能力は一朝一夕につくものではない。 そういう学生は時間をかけて予習してもらうしかないのである。

11月23日(水) 午前11時から、同僚の息子さんの葬儀に出る。

 中学時代まで新潟で過ごし、その後英国のパブリックスクールに進学。 卒業後はロンドン大学に学び、この夏に卒業。 引き続き同大学院に進学した矢先の死であったという。 会場は、大変優秀な若者の死を悼む人たちで埋め尽くされた。

 本年3月10日の項にも書いたのだが、人間は若いから生命力にあふれているということはなく、若い人は若いなりに死に近い場所にいるのである。 端から見てどれほど成績優秀で順風満帆に見えようとも、どれほど将来を嘱望されているように見えようとも、いや、優秀であるからこそかえって敏感に悩みを抱え込み、それで身動きできなくなってしまう場合は多いのである。 世の中、鈍感な奴ほど悩まないものなのだ。

 ここのところ、友人知人のお子さんが20歳前後で死ぬ例に何度か出会っている。 死因はひとつではないが、どうもこの時代、若い人が育ちにくくなっているらしい。

 私らしくもないが、声を大にして言いたい。 若者よ、死ぬな、と。 流動化する社会の中で、将来は見えにくくなっているが、どんな形であろうと生き抜いていくこと自体に意味があるのだと思ってほしい。

 かつて北杜夫はエッセイでこんなことを書いていた。 或る初老の人が、「私は凡庸な人間で何もしないで一生の終わり近くまで来てしまった」 と言った。 それに対して、別の人がこう言ったという。 「あなたは何もしなかったのではない、生きてきたのだ」 と。

 北杜夫は、若い頃この話を読んで、そのときは物足りない気がしたが、中年になってみるとそのとおりだと実感されるようになったそうである。

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 午後2時からりゅーとぴあでオルガン・レクチャーコンサートを聴く。 「バッハ最前線」 の2回目。 午前中、葬式に出ていたので、やや厳粛な気分で臨んだ。 今回は 「バッハ18コラール集の謎」。 一般にまとまったオルガン曲集とされるBWV651から668までについて、小林義武・成城大学教授が自説を展開。

 この曲、ベルリン国立図書館蔵の或る資料にバッハの自筆で15曲分書かれてあり、その直後にバッハの弟子であり女婿でもあったアルトコーニの筆になる2曲が、さらにBWV769aのカノン変奏曲をはさんで、BWV668の断片が誰か判明していない人によって書かれているという。 従来はこの668までを取って18コラールとしていたが、最近の説ではこれを省いて17コラールとする見解が有力だという。

 小林教授はこの説に異論を唱える。 その立証過程については非常に専門的な議論がなされ、私も100%は分からなかったが、要するにBWV668の断片はもとより、弟子があとで付け加えた2曲もそもそもバッハの意図したものではなく、弟子筆の2曲が書かれているページをバッハが空けておいたのは、長大な1曲を書き加えて、BWV651から数えて全16曲の曲集にする意図であったからだ、そしてその16曲は前半の8曲と後半の8曲がシンメトリカルな構造になるはずだった、という。

 論証過程にある説なので、絶対にそうだと言い切れるわけではないと断った上でなされた説明は、難しいけれどもそれなりに面白かった。 ただし客の中には全然ついていっていない人もいた。 私の斜め前にすわっていた若い女性二人は、後半はおしゃべりしながらチラシを眺めており、レクチャーの配付資料には目もくれなかった。

 このコンサートの問題点は、小林教授の自説説明と、和田純子さんによるこの曲の演奏があまり噛み合っていなかったこと。 最初に第1曲が演奏されて、そのあとレクチャーの前半がなされ、途中説明の補足に曲の一部が演奏されることはあったが、基本的に前半は1曲だけ。 休憩後、それに続く数曲が演奏されて、それからレクチャー後半となり、レクチャーが終わるとまた休憩。 そのあとまた数曲が演奏された。

 休憩2回はどうにも不経済な感じ。 前半は教授のレクチャーが終わってから何曲かやり、後半もレクチャー前後に数曲ずつやるようにすれば休憩は1回で済んだはず。

 また、レクチャーと演奏が切り離されているような印象である。 小林教授から各曲の説明を、CD解説にあるもの程度でいいからやってもらった上で演奏がなされると、レクチャーと演奏の有機的結合が実感できたのではないか、と思う。

11月20日(日) 昼前、仙台の私大に行っている長男と会って、墓参りの後、寿司をたらふく食わせてやる。

 食事後、友人と会うという長男を仙台駅で降ろして、新潟へ。 帰りは一般道を利用して山形経由。 仙台と山形の間の笹谷峠や、米沢から日本海沿岸に抜ける国道沿いには雪があって、さすがに平野部とは気候が違うなと実感。 気温も、平野部は10度前後だが、山間は0ないし1度くらいである。

11月19日(土) 午前中、宮城県立美術館でパウラ・モーダーゾーン=ベッカーの展覧会を見る。 「日本におけるドイツ年」 を記念しての展覧会だという。

 彼女は19世紀末から20世紀初頭にかけて活動し、わずか31歳の若さで夭折した画家である。 実は私は名前も知らなかったのだが、今回展覧会に接して、当時ドイツの芸術家村として名をはせたヴォルプスヴェーデで活動した時期があり、詩人のリルケとも交遊があったことを知った。 リルケの肖像画をも残しているのだが、この絵は私も知っており、いうならば作品の後から画家本人を知ったことになる。

 ヴォルプスヴェーデは画家や詩人が居を構えた芸術家コロニーとして有名で、本展覧会もパウラの画業だけではなく、その周縁部のさまざまな人物をも紹介しており、その意味でこの催し物は単なる美術展ではなく、一大芸術運動を再現するものとなっていて、興味深かった。

 この展覧会は12月25日まで行われている。 仙台近辺にお住まいの方、仙台に出かける予定のある方は、是非。

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 午後から、東北大学卓球同好会の45周年記念行事に出る。 まず午後1時から卓球大会。 私は参加者最年長ということで、戦績は・・・・・でした、はい(笑)。

 夜からは場所を市中心部に移して宴会となる。 しかしここでも私は最年長であった。 こりゃ、年ですなあ。 私の同学年の参加もなかったけれど、1・2年下の顔見知りの人間がかなり参加したので、それなりに楽しく過ごすことができました。

11月18日(金) 3限の授業を終えてから急ぎクルマで仙台へ。 磐越道・東北道をへて3時間40分ほど。 Gホテルにチェックインしてから、一番町でI先生と会って酒を飲む。 I先生は以前新潟大学におられ、現在は東北大で教鞭をとっておられる。 最近の国立大独法化や、出来のよいI先生のご子息や出来の悪い私の息子についてなどなど、いろいろな話が出て、楽しい晩を過ごすことができた。 

11月15日(火) 新宿、恵比寿、日比谷で映画を計3本見て、新潟に帰る。

11月14日(月) 浅草の名画座に行って日本映画3本立てを見る。 900円と激安。 ただし禁煙なのにタバコを平気で吸う輩がいたりする映画館で、館内は男の世界である。

 行きは地下鉄だったのだが、帰りは筑波エクスプレスを使ってみる。 言うまでもなく初めての利用。 浅草駅から乗ろうとしたが、すごく深いところを走っており、ホームにたどり着くまでに時間がかかる。 終点の秋葉原駅でも同様。 それと2駅で200円と料金も高い。 来たときの地下鉄は170円だったが。

 しかしJR秋葉原駅はずいぶん変わって広くなった。 昔の秋葉原駅の構内は狭苦しくて人の群とぶつかりながら改札口に向かったものだが、とても同じ駅とは思えないほどのイメージチェンジである。 ただし地上の電車ホームは変わらず。

 夕刻まで、高田馬場で古本屋めぐりをして過ごす。

11月13日(日) 午前中渋谷で映画を見、昼食をとってからタワーレコードに行ってみる。 Ivan Anguelov指揮スロヴァキア放送交響楽団によるドヴォルザークの交響曲全集5枚組が千円台のバカ安値だったので、つい買ってしまう。 あと、ディヴィッド・ジンマン指揮トーンハレ管弦楽団によるベートーヴェンのミサ・ソレムニスも、千円だったので買う。

 そのあと午後3時からNHKホールで第1553回NHK交響楽団定期演奏会を聴く。 指揮は本来はヴォルフガング・サヴァリッシュのはずが (だからチケットを買ったのに・・・・くくく)、体調不良で来日が中止となり、マティアス・バーメルトが代役。 この人は私は名前も知らなかったが、西オーストラリア交響楽団 (てのも初めて聞きましたが) の首席だそうな。 曲目は、ヴィヴィアン・ハーグナーをソリストに迎えてのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲と、ブラームスの交響曲第2番。

 ハーグナーはパンフレットによるとミュンヘン生まれのドイツ人だそうだが、黒髪で、顔立ちも東洋人っぽい感じ。

 それにしても、N響の生演奏には久しぶりに接したのだが、昔はちゃんと定演では入場者全員に 『フィルハーモニー』 をくれたのに、今は定期会員でないと単なる曲目と演奏家紹介のパンフしかくれない。300円出さないと 『フィルハーモニー』 をくれないのは、私のような田舎者に対する差別のような気がする。

 NHKは言うまでもなく日本全国をカバーする組織だが、N響の定期演奏会は東京でしかやらない。 定期会員になれるのは、地方在住者ではごく稀なカネとヒマに恵まれた人だけで、あとは首都圏在住者だけである。 だから、せめてたまに上京した機会にN響を聴く地方在住者のことを考慮して 『フィルハーモニー』 は入場者全員に配布してほしいのである。 

11月12日(土 午前中有楽町で映画を見、昼食をとってから神保町の古本屋街を少しひやかしていたら、ST先生にばったり会う。 ST先生は国文学専攻の新潟大教授で、私とは教養部→人文学部という所属歴でも一致している。 ううむ、こんなところで新潟の人間と会うとは、東京に来ても悪いこともできませんなあ。

 午後3時から、錦糸町のトリフォニーホールで新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会 (トリフォニーシリーズ第393回) を聴く。 指揮はクリスティアン・アルミンク、ピアノ独奏はブルーノ・レオナルド・ゲルバーで、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番と、日本初演だというアレクサンダー・ロクシンの交響曲第1番 「レクイエム」。 チケットは当日券で、4500円のC席だったので、ホール後方3階の真ん中より少し前あたり。

 ロクシン (192087) はソ連の作曲家で、かなり不遇だった人らしい。 上演前に指揮のアルミンクがレクチャーをしていたが、単にこの日の演奏曲が日本初演だというだけでなく、そもそもロクシンの曲を日本でやるのは初めてではないか、と言っていた。

 曲は三部構成で、中間のところにだけ声楽が入り、通常のレクイエムで用いられる歌詞のうち 「怒りの日」 が歌われる。 何しろ初めて聴いた曲であり作曲家でもあるので感想らしい感想も浮かばなかったが、案外この作曲家、これから日本でよく取り上げられるようになるかもしれない。

 協奏曲は、ゲルバーの明確なタッチと堅実な弾きっぷりが印象的だった。 私はゲルバーは、遠い昔、25年以上も前に仙台に住んでいた頃、リサイタルを聴いたことがあるが、それ以来である。 足が悪いこともあり以前にもまして太ったような感じだが、特徴のある、吉田秀和が 「一度見たら忘れられない」 と表現した顔は相変わらず。

 さて、新日フィルの演奏会が終わったのが午後5時10分頃。 急ぎ錦糸町駅に走って、総武線・横須賀線直通の快速に乗り、新橋で地下鉄銀座線に乗り換えてサントリーホールへ。 午後6時からの東京交響楽団第530回定期演奏会を聴くためである。 ユベール・スダーン指揮によるブルックナー交響曲第8番。

 私は東京交響楽団新潟定期の定期会員になっているのだが、新潟定期会員は東響の東京での演奏会チケットをタダでもらえる、という特典がある(一人年間5回まで)。 それでこの日はこの特典を利用したのだが、座席は1階左後方。 とはいえ、チケットの黒マジックで消された部分をすかしてみたら、7000円のS席だから、このオーケストラのサービスの良さが身にしみた。

 演奏はケレン味のない、真正面からブルックナーを捉えようとするかのようなものであった。 テンポはいくぶん早めで、やたら揺らすこともなく、指揮者と楽団員の真摯な演奏ぶりは特筆ものであろう。 作品の真髄を余すことなく描ききったといえる名演で、盛大な拍手が起こっていた。 東京交響楽団は脂が乗っている!

 映画1本にコンサート2つ、それに古本少々と、がんばった一日であった。 新橋で途中下車して一杯やりました。

11月11日(金) 3限の授業を終えてから急ぎ新幹線で上京。

 渋谷のパルコ劇場で南果歩さま主演の 『メアリー・スチュアート』 を観劇する。 果歩さま以外には原田美枝子が出演。 ダーチャ・マライーニ原作、宮本亜門演出。

 二人の女優が二人の女王とその召使いを交互に演じるという趣向が面白いとは言えるが、内容的にはさほどとは思われなかった。 要するに原作が凡庸なのであろう。 したがって私としてはもっぱら果歩さまを間近で見ることに専念していました。前から2列目だったもので。 果歩さまは40歳を過ぎているとは思えない若々しさと美しさで輝いていた。 私の奥さんでないのがかえすがえすも残念である(笑)。

 芝居がはねて、渋谷で一杯やってから船橋の老母宅に向かおうとしたが、金曜日の夜のせいか、最初入った2軒では満員だと断られ、3軒目でようやくカウンターの人と人との間に肩をすぼめて入れてもらいました。 さすがに人が多い! 新潟とは違いますね。

11月9日(水) 午後7時からりゅーとぴあでノルウェー・スタヴァンゲル交響楽団の演奏会を聴いた。 指揮は以前東響定期で新潟に登場したことのある女性指揮者スザンナ・マルッキ。 ヴァイオリン独奏がペッカ・クーシスト。 スタヴァンゲルは、日本では知名度がないが、ノルウェー第3 (資料によっては第4) の都市で、人口約30万人だそうな。

 プログラムは、ニールセンの序曲 「ヘリオス」 op.17、シベリウスのヴァイオリン協奏曲、トヴェイトの交響的絵画 「水の精」 0p.187、グリーグの 「ペール・ギュント」 組曲から6曲。 アンコールは、ペッカ・クーシストが 「フィンランド賛美歌・ガーディアン・エンジェル」(コントラバス奏者と二重奏) とバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタト短調からアダージョ。 オケが、グリーグの 「4つの交響的舞曲」 より第2番、同じく 「人々の生活の情景」 より 「通り行く婚礼の行列」、同じく 「ペール・ギュント」 より 「山の魔王の洞窟にて」。 盛り沢山のアンコールで、演奏会終了は9時20分すぎ。 途中休憩20分を引いても正味2時間という長い演奏会となった。

 まず書いておかなければならないのはクーシストの弾いた協奏曲である。 非常に癖の強い、緩急・強弱をやたらに付けた演奏。 「お前、ジャズやってんのか!?」 と言いたくなった。 まあこれも独自性の内かも知れないが、先月東響定期で聴いたバイバ・スクリデと比べると明らかにスクリデが上。

 クーシストは決して実力がないわけではないと思う。 音は、出るときにはかなり良く響いていた。 ただパッセージによってはあまり音が通らないところもあり、解釈のせいなのかもしれないが、いくら何でも逸脱しすぎでは、という気がする。 アクションもチョン・キョンファ並みにオーヴァー。 アンコールのバッハの無伴奏もシベリウスの協奏曲と似たような演奏だったから、持ち味というか、ああいうのが癖になっているのだろうが、このままだともう一度聴きたい気にはならないヴァイオリニストだと言うしかない。

 オーケストラのほうは、まあまあといったところか。 すごくうまいとは言えず、東京交響楽団よりは聴き劣りがする。 第一ヴァイオリンの人数は東響と同じくらいだと思うが、3階Gブロックからは――私は東響定期もこのブロックで聴いているが――前の方の奏者の音しか聞こえず、厚みが感じられない。 木管はまあまあだけれど金管は迫力不足。

 ただ、ふだん聴く機会があまりないニールセンやトヴェイトの曲を聴けたのは良かった。 アンコールを沢山やってサーヴィス精神が旺盛なのも、悪くない。 ただしB席でNパックメイト価格4500円はやや高い。 東響定期ならB席は1回当たり3000円である。 客の入りもイマイチだったことを考えると、チケットの値段は一考を要するだろう。

11月8日(火) 卓球の元世界チャンピオン長谷川信彦氏が昨日急死された、というニュースが入った。 自分で建てた卓球道場のそばで、ランニングコースの木を伐っていて下敷きになったというのだから、まさに不慮の死である。 まだ58歳、現役時代のイメージからして余りに早い死であった。

 長谷川氏は伊藤繁雄、河野満両氏と共に日本卓球の黄金期を支えた人である。 私は生身の氏を見る機会はなかったが、テレビでは何度も観戦したことがあり、その独特なシェークハンド・グリップ、打ちにくいロビングなどが印象に残っている。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

11月5日(土) 昨日の毎日新聞に、大学の成果主義についての記事が載っていた。 以前から断続的に連載されている 「成果主義って何ですか」 というシリーズ記事の一環であり、北見工業大学と北九州市立大学の例が紹介されている。

 驚いたのは北見工大の例である。 「教育」・「研究」・「大学活性化・社会貢献」 にそれぞれ40・40・20点ずつ配点して教員を評価し、研究費ばかりかボーナスにも差を付けているという。 ボーナスは40〜50万円の差がつくというから、これは相当なものだ。 はっきり言えば、イジメに近いというのが私の印象だ。

 もっとも、地味な基礎研究をおろそかにされる恐れがあるということで、学長裁量研究費が9000万円あるというのだが、学長裁量経費がまともな判断のもとに使われているという保証がどこにあるのだろう? 新潟大の学長裁量経費もその点では疑わしい部分がある。 大学上層部にどれだけ判断力と教養があるかが問われる場面なのだ。 

 それと、新潟大でもそうだが、こういった経費は適当な名目をつけて 「申請」 をしないと降りず、恒常的な研究には恒常的なカネがかかるという常識がまったく通用しないところも大問題だ。

 しかし、こういう或る意味極端な政策は、北見工大が単科大学だから可能だということもあろう。 総合大学だと、理系と文系の教官を同じ基準で測ることはまず不可能だから、ボーナスにこれほど差を付けたらそれこそ暴動が起こりかねない。

 この記事で例に挙げられた2大学が、いずれも日本の北と南の端の方に位置することにも注意したい。 少子化で学生を集めるのに困難を来しそうな立地条件におかれた大学に限って、「成果主義」 が導入されているわけだ。

 もちろん、毎日新聞の記事は成果主義バンザイ主義にはなっていない。 もともとこのシリーズは成果主義の光と影双方に触れる形で記事が書かれており、この 「大学の成果主義」 の記事でも、授業評価が研究費などに響けば教師が学生にこびる恐れがあるとも書かれている。

 しかし、辺地の大学が成果主義に走っているという状況そのものを問わない限り、昨今の大学問題の根本に触れたことにはならないだろう。

11月4日(金) この1週間、シネウインドでドイツ映画祭が行われていたが、本日夜7時20分から、映画祭しめくくりの作品 「ノスフェラトゥ」 を見る。 ムルナウ監督が1922年に発表したモノクロ・サイレント映画。 その英語版だそうで、サイレントながら重要なセリフは時々英語の字幕で (といっても映像の下にではなく、字幕だけで100%スクリーンを占める形で) 出る。 あらかじめその邦訳が紙で配布され、それを読んでおけば、字幕の英語もそんなに難解ではないからまあまあ分かる。

 10月29日には、ドイツ映画祭のオープニング作品として、「怪人マブセ博士」 が上映されたが、その上映が大変であった。 「映画評2005年」 にも書いたが、フリッツ・ラングが1932年に作ったこの映画は、22年に作られて世界的なヒットとなった 「ドクトル・マブセ」 の続編である。 そして32年となるとサイレントではなく音声はちゃんと入っている。 ・・・・・・しかし、ドイツ映画祭ということで借りてきたフィルムには字幕がなく、シネ・ウインドの専従がスライドで脇に字幕を映し出す方式で上映されたが、このスライドの字幕が完全訳ではなく、ほんのところどころを訳しているだけなので、専従も字幕を写すタイミングに苦労されたようである。 ご苦労様。

 実はオープニングの 「怪人マブセ博士」 とクロージングの 「ノスフェラトゥ」 は、いずれもドイツ映画祭を企画するにあたって、ウインドから 「何かリクエストはありませんか?」 と訊かれて、どうせなら思い切り古い映画が見たいと思い、希望を出してかなえていただいた作品なのである。 であるから、上映にあたってのご苦労には本当に頭が下がる思いがしたのであった。

 2作品とも、映画そのものは結構面白いと思うのだが、このお粗末な字幕、或いは英語字幕しかない有様では、如何ともしがたい。 ドイツ文化センターはドイツ語映画の普及のためにも一考してほしいものだ。 

11月2日(水) 午後7時から、梯剛之ピアノ・リサイタルをりゅーとぴあにて聴く。 席は1階右後ろ、15列38番。 オール・シューベルト・プログラムで、「楽興の時」 op.94、4つの即興曲op.90、ピアノソナタ第20番イ長調。 アンコールは、ショパンのノクターン第8番、リストの 「森のささやき」、同じくコンソレーション第3番。

 同じホールでのピアノの演奏会ということで、先月28日に聴いた石井朋子さんとどうしても比較してしまうが、音でいうとなかなかよかった。 粒が揃っているし、しっかり出ている。 デュナミークもまあまあある。 ただ石井さんの時は2階正面で聴いたので、場所の違いもあるかも。 

 演奏であるが、何度も新潟に来てシューベルトを弾いている田部京子の演奏と或る意味で正反対。 田部さんはリズムの取り方がゆったりしていて、なおかついかにも日本人らしい解釈。 違和感がなさすぎるのが難点だけれど、安心してシューベルトの情緒にひたっていられる。

 梯氏のシューベルトはあまり待てない演奏で、どこかせかせかしたような違和感を覚える。 特にソナタでそれが際だっていた。 シューベルトってこんな風だったけな、と何度も思った。 ミスタッチも3楽章で同じパッセージで数回あった。 盲目のハンディキャップがあるからやむを得ないかも知れないが、一層の精進を期待したい。 3曲中では、即興曲がまあ良かったかな。

 ただ、全体として期待していたほどの満足度があったかというと、うーむ、なのであった。

 客の入りは、1階と2階正面は良かったが、2階脇と後ろはぱらぱら (3階には客は入れていない)。 でもまあ、こんなものかも知れない。 昨年の川畠成道ヴァイオリンリサイタルの時は満席に近い入りだったけれど、楽章ごとに拍手が盛大にあり、明らかに普段はクラシックコンサートになど来ない人たちが多かった。

 それに比べれば本日の客は比較的まともか。 ただ、演奏中にものを落とす人が結構いた。 私の左となりの御婦人も前半終了間際に膝の上のチラシを前の通路 (前が通路になっている席だった) に落とした。 それと、最後に拍手の途中で帰りかけていて、梯氏がまたアンコールをやると分かると帰るのをやめる客がかなりいたが、これはみっともない。 帰ると決めたらあくまで帰る、そうでないならちゃんと最後まで自分の席にいて欲しいものだ。

10月31日(月) 本日、「新潟大学外国人留学生等後援会」 設置のため新潟大学に、それからパキスタン地震災害援助のためユニセフに、それぞれわずかながら寄付をしました。 寄付行為をどうしてわざわざサイトに記載するかについては、7月29日の記述を参照のこと。

 午後6時から、大学院現代社会文化研究科のプロジェクト 「現代の社会と文化に関する学際的研究」 の発表会に出る。 教育学部の中国人大学院生が 「中国の社会教育施設の 「文化館」 についての考察」 の題で発表。

 文化館とは、日本で言えば公民館みたいな施設らしいが、日本の公民館よりは一般人への教育施設としての側面が強いようで、文盲の人に字を教えたりもするらしい。 また職員数も比較的多い。 しかし中国は何しろ広い国であるから、地域間の相違もそれなりにあるらしく、本日の発表で必ずしもその機能が全面的に明らかになったとは言えないところがあった。 今後のさらなる調査・研究の進展に期待したい。

10月29日(土) 夜、N卓球クラブに練習に行ったら、Nさんが久しぶりに来る。

 彼女は私より1歳上であるが、たいへん練習熱心でなおかつ運動神経もよく、女性としては肩の力も強いので、今やNクラブでナンバーワンの腕前である。

 しかし、しばらく前に近所に住む娘さんに赤ちゃんができたために忙しくなっていたのだが、少し前には村上市に住むお兄さんのお嫁さんが亡くなってしまい、お兄さん宅には息子たちに加えてボケ症状の出ているお父さんも同居していて、男所帯では色々不便なので、Nさんがクルマで毎週通って家事手伝いなどをやっている。 そうなると、もう卓球の練習どころではなくなってしまうのである。

 地球はこういう女性に支えられているのかなあ、とも思うが、こういう人には何とか公けの手が差し伸べられないものだろうか。 今どきは何でも公務員削減と言っておけば人気取りになるようだが、働き者の中年女性に頼るだけではいけないように思うのだが。

10月28日(金) 新潟室内合奏団の第50回演奏会を午後7時からりゅーとぴあで聴く。

 モーツァルト 「イドメネオ」 序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、ブラームスのセレナーデ第1番というオール・ドイツ・プログラム。指揮は新井久雄氏、ピアノ独奏は石井朋子さん。

 私のお目当ては石井朋子さんをソリストに迎えての協奏曲である。 りゅーとぴあの音響的特性のせいもあるのか、或いは石井さんの細い体 (指も細いのでしょうか――間近で拝見したことがないから分からないけれど) のためか、音があまりくっきりと浮かばない感じ。 弾き方も、昔風のベートーヴェン的な規矩の正しさを前面に出すのではなく、割りに自由に音を並べている印象。

 私としては第2楽章がいちばん良かった。 第1楽章ではカデンツァを終えて管弦楽が入るあたりにちょっとタイミングのズレみたいなものがあったし、第3楽章では速い箇所でピアノの音がちゃんと出ていない (鍵をちゃんと叩いていないからか) ところが散見された。

 でもまあ、とりあえず満足できる演奏ではありました。

10月26日(水) 3日前の深夜、新潟大学教授・小川一治氏が逝去されたので、その告別式に午前10時から出席する (1限の教養・西洋文学の講義は早めに切り上げた)。 小川氏は長らく新潟大学のドイツ語教育に尽力してこられたが、数年前からガンをわずらい、闘病しながら教鞭をとっておられた。 享年60歳。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 葬儀は、氏が学生時代に入っていたグリークラブの仲間が駆けつけて歌を披露するなど、しめやかな中にもなごやかな雰囲気のうちに行われた。

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 午後7時から、ユーリ・バシュメット&モスクワ・ソロイスツ合奏団の演奏会をりゅーとぴあで聴く。 たいへん多様な楽しみ方ができる演奏会であった。

 まず最初はバッハのブランデンブルク協奏曲第6番。 舞台上にはバシュメットを含むヴィオラ奏者2人、チェロ奏者3人、コントラバス奏者とチェンバロ奏者各1人の、計7名のみ。これで結構充実した響きが出るのが驚異的。 もともとヴァイオリンがないために地味な響きになりがちな曲だが、その分内的な表現意欲みたいなものが感じられて、いい雰囲気の出だしとなった。

 次が森麻季さんを迎えてのアリア集。 最初はバッハ 「あなたがそばにいたら」 ( 「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帖」 より)、以下はすべてヘンデルで、「オンブラ・マイ・フ」 (オペラ 「セルセ」 より)、「シオンの娘たちよ、大いに喜べ」 (オラトリオ 「メサイア」 より)、「涙の流るるままに」 (オペラ 「リナルド」 より)、「つらい運命に涙はあふれ」 (オペラ 「エジプトのジュリアス・シーザー」 より)。 ヴァイオリン等が加わって20名弱の室内オケをバックに、森さんの清楚な声が魅力的だった。

 休憩をはさんだ最初は、武満徹の3つの映画音楽。 「ホゼ・トーレス」 より 「トレーニングと休憩の時間」、「黒い雨」 より 「葬送の音楽」、「他人の顔」 より 「ワルツ」。 武満の持っている様々な音楽的特性が、映画というバックを得てそれなりに花咲いたのが実感できた。

 プログラム最後がモーツァルトのバイオリンとヴィオラのための協奏交響曲。 ヴァイオリンの音も見事だったが、バシュメットのヴィオラの巧みさも光っていた。 特に第3楽章では、エグい音を聞かせたかと思うと次には柔らかな音を聞かせるなど、遊び心のうちに技巧を見せつけてくれるところが何とも言えない。

 そしてアンコール。まず先ほどやったモーツァルトの第2楽章のカデンツァ以降が再現された後、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番から3つの楽章をバシュメットがヴィオラ独奏で次々と弾きまくり、聴衆は大喜び。 そして最後は全員の合奏でシュニトケのポルカを演奏して締めくくった。

 先日の 「ストラディヴァリウス・サミット・コンサート」 と違って楽章間拍手もなく、会場には高校生の姿も目立ちましたが、マナーは悪くなかった。 これだけ多様な楽しみを提供してもらって2500円は安い! それにプログラムは (紙一枚だけれど) 無料配布。 主催のTeNYに感謝。 「ストラディヴァリウス……」 主催のキューピー・マヨネーズとは大違いである。 

 惜しむらくは、アンコールにバシュメットがやったヴィオラ独奏によるバッハの無伴奏チェロ組曲をロビーのCD売場で探したけれど置いてなかったことか。

10月23日(日) 午後5時からりゅーとぴあで東京交響楽団第33回新潟定期演奏会を聴く。

 最初に、ちょうど1年前に起こった中越地震の犠牲者を悼んで、バッハのG線上のアリアが弦楽で演奏された。新潟県民にいつも配慮を欠かさない東京交響楽団の姿勢に、敬意を表したい。

 さて、プログラムはラウタヴァーラの 「アポテオシス」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲、ストラヴィンスキーの 「火の鳥」(1945年版)。 指揮はミッコ・フランク、ヴァイオリン独奏はバイバ・スクリデ (エリーザベト王妃国際コンクール優勝者)。

 ラウタヴァーラはフィンランドの作曲家だそうだが、私は (多分) 初めて聴いた。 この曲はもともとは彼の交響曲第6番の第4楽章だったのを独立させたもので、タイトルは神格化の意味だとのこと。 そもそもがそういう作風なのか、或いは交響曲のなかの楽章だったからか、いわゆる現代音楽風ではなく、聴きやすい曲であった。

 次のシベリウスが本日のハイライト。 独奏のバイバ・スクリデがその実力を遺憾なく発揮してくれた。 といってもバリバリ弾きまくるタイプではなく、テンポはややゆっくりめだが、ノーブルな音で微妙なテンポの揺れやニュアンスを表現し、なるほど、この曲はこういう風にも弾けるのだな、と感じ入った。 テクニックを誇示するのではなく、自分というものをしっかり持った演奏家なんだなあ。 敢えて言えば第3楽章はもう少し迫力が欲しい気もしたけれど、また機会があったら是非聴いてみたいヴァイオリニストである。 演奏がよかったので、会場で売っていたCDを買う。

 スクリデがアンコールにバッハの無伴奏パルティータからサラバンドを弾いた後、休憩をはさんで、最後は 「火の鳥」。 実はシベリウスの協奏曲と 「火の鳥」 というプログラムは、昨年3月に新潟に来たロンドン交響楽団と同じ。 ただしあの時はたしか全曲版で、長くて飽きてしまう感じだった。 今回の組曲はまとまりはいいけれど、逆にちょっと量的に物足りない印象もあった。人間とは勝手なものです(笑)。 私はストラヴィンスキーは不得手なので、演奏についてはノーコメント。

 お客の入りはイマイチ。 ロンドン交響楽団のときも良くなかったし、シベリウスとストラヴィンスキーっていうプログラムは集客力に欠けるんだろうか? 演奏会終了後、わざわざ長岡から聴きに来られたアキラ君とぶりちょふさんを新潟駅まで送る。 この熱心さを、新潟市民も見習ってほしいものだ。

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 そのあと、クルマを大学構内に置いて、午後8時からゼミの学生と後期開始を祝してコンパをやる。 何でよりによって日曜日にやるかというと、他の曜日だと学生もアルバイトその他で忙しく、全員に都合のいい日がなかったためである。 といっても学生は4人だけなのであるが、昨今は学生も見かけに似合わず (?) 多忙らしい。

 大学前の飲み屋は日曜日だとやっていないところもあるが、Hという店が開いていたので入ったら、親父さんが暇そうにテレビを見ており、客は誰もいない。 お陰で、静かになごやかなひとときを過ごすことができた。 混んでいるときだと客の話声がうるさくて、落ち着かないことが間々あるが、これなら日曜日にコンパをやるのも悪くないか、と思ったことであった。

10月22日(土) 10月3日付けで、小谷野敦氏からいただいた批判に対するお答えを掲載したところ、昨日、再度の批判を行っておいたというメールを小谷野氏からいただいた。 それで、改めて私の見解を書いておくことにしたい。

(小谷野氏の批判)

 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20051003 

猫を償うに猫をもってせよ

2005-10-03 三浦淳教授に詫び、改めて呆れる

 以前、新潟大学の三浦淳教授が、佐伯順子さんの文章を批判しているのに反論した。どうでも良くなったのでその後消したが、三浦教授からこの日付で反論があった。

まず、三浦氏が博士号を取得していることに気づかなかったのは、お詫びする。

 さて、三浦氏は「最近の旧帝大の大学院大学化についても言える。文部省の方針に従って、一律に旧帝大の大学院大学化が行われたのである」と書き、今回の反論でも、中井浩一の本をあげて、いかに大学が文部(科学)省にいじめられているか、書いている。しかしそもそもの論点は、大学院拡充である。では大学院拡充に反対して文部省にいじめられた、という例があるのか。あったらそのレポートを教えてもらいたい。私の知る限り、あの当時、「やめてんか大学改革」と書いていたのは田中貴子くらいである。最近、電気通信大学に、人文系の大学院を作るというので、反対派と戦ったことを中島義道が書いていたが、なぜ電通大に人文系の院が必要なのか。自ら進んで院を作った教授連がたくさんいるはずだ、という私の疑問に、三浦氏は答えていない。

 さて、以下三浦氏の文章である。

http://miura.k-server.org/newpage176.htm

「博士号を持たない人間が博士号の審査をしているといった批判を書いておられますが、時代の変遷を視野に入れないご発言はやはり学者としていかがなものでしょうか。最近の若い学者が積極的に博士号を取るのは、博士号の意味が変わったからです。私の学生時代、理系はともかく文系では、博士号は停年の見えてきた老教授が長年に及ぶ学者生活の記念として取るものでした。文系で博士課程に進んでも博士論文は誰も書かない。書いても受理されない、と言われていました。それが変わってきたのは近年のことでしょう。博士号が学者としてスタートを切るための条件になったからです。私の博士論文も、最初から博士論文にするつもりで書いたわけではない。大きめのテーマを扱う論文を数年かけて紀要に連載しているうちに教養部解体などがあり、これからの時代には称号を持っていることも必要かも知れないな、と考えて博士論文としたわけです」

 しかし、博士号をとるように変わってきたのはかれこれ十五年くらい前である。いま55歳の教授がいるとして、40の時にはそういう気運になっていたのだ。しかるに、以来まるで博士論文を書かずに東大その他の教授をやっている人がわんさといるのが現状である。

「論文を書かないし学識もないという人も少なくないでしょう。けれども学識が豊かなのに論文を書くという作業が嫌いで、いわゆる万年助教授に甘んじる人もいるわけです。私はそういう人を知っていますし、そういう生き方をそれなりに尊敬しています」

 万年助教授に甘んじなくていいいから、そういう人はクビにするべきだろう。そうすればちゃんと論文を書いている人のためのポゥストが空くのだ。万年助教授どころか、博士号をとって「万年非常勤」に甘んじている人たちがいることを三浦氏はご存知ないのか。しかも、碌な業績もないのに教授になって、いざ定年になって名誉教授にしようとしたら業績が少なくて困った、などという話もごろごろしている。

「次に、ドイツ語教師が不良債権だということですが、私はドイツ語はともかく第二外国語教育自体は維持すべきだという見解です。必要ならドイツ語教師は減らして、イタリア語教師でも中国語教師でも増やせばよろしい」

 なぜイタリア語の必要があるのか。増やすべきなのは、アラビア語、シナ語、イスパニア語などだろう。私は第二外国語が不要だとは言っていない。ドイツ語教師が多すぎると言っているのだ。

「ところが学内政治の力関係などから、小谷野さんのおっしゃる「社会から必要とされて」いる実用的な領域の事柄を日本語で教える教師ばかりが増えているので、国際化時代と言われながら、学生の外国語力(英語を含む)や外国に対するセンスは低下する一方なんですよ」

 学生の学力が低下しているのは、大学のせいではなく、小学校からのゆとり教育の成果である。私は文学部では入試で世界史を必須科目にするべきだと思っている。

「ああ、でも小谷野さんは英語教師になられるおつもりだったから」

 そんなつもりはありませんでした。

「英語教師も今どきの大学ではたそがれていますよ。或る地方の公立短大で英語教師を公募したら、1人の枠に100人以上の応募があり」

 もちろんそんなことは知っている。私自身があちこち公募に出して落とされていたのだから。ポゥストがないのに二流、三流大学で大学院を増やすからそういうことになるのであって、大学院を減らすべきだという三浦氏の考えに異論はない。しかし佐伯さんに対して「このハズレぶりはただごとではない」と言うほどの見解の相違があるだろうか。三浦氏は、国立大学に関しては、文部省が悪い、私立大に関してはその上層部が悪い、と言う。つまり国立大学上層部、自分の頭の上だけには責任をかぶせない

で、佐伯さんに、なぜ同志社の上層部を批判しないのか、などといちゃもんをつけているのである。

「比較文学ならなおさらのことで、文科省や「社会」からすれば「抵抗勢力」に過ぎません。抵抗勢力と呼ばれる覚悟がおありでないなら、比較文学も英語もおやめになって、法律か経済の専門家に転向なさってはいかがでしょう」

 おやめになっても抵抗勢力も何も、私は大学で比較文学を教えているわけではない。何しろ「比較文学」での公募に出しても、私より遥かに業績のない若い人が採用されるのである。体制からパージされている者が抵抗勢力になどなりようがない。非常勤で教えているのも英語であって比較文学ではない。ドイツ文学であろうと英文学であろうと、優秀な学者が少数いればいいのであって、日本や米国の問題は、二流、三流の学者が多すぎるということだ。三浦氏は、大学院は旧帝大だけ、私立でも一流大だけにあればいい、と言っておられる。だから私は、大学もまた、一流大学だけを残して、あとは高等専門学校にでもすればいい、と言っているだけだ。そしてもう一つ、碌な業績もないのに教授をやっている人が大勢いることは問題だし、博士号も持っていない人が博士論文審査をしているのも、外国ならありえない話で、こんな茶番じみた状況で、佐伯さんにからむ何の必要があるのか、と言っているのだ。                (小谷野敦)

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(三浦からの回答)

0.

 再度のご反論、いたみいります。 それにしても、「どうでもよくなったから消した」 って、本当ですか? 私が以前の小谷野さんの発言に気づいて反論を用意しているときは、まだ消えてなかったんですよ。 でも私のサイトに反論を載せた途端、消えたわけです。 これ、偶然ですかね?

 まあ、それはさておくとして――

1.大学改革の進め方について

 私が産経新聞に投書して、国立大学の教養部解体は国立大の意思ではなく文科省の方針でそうなったのだ、という指摘をして、そのために東大医学部の先生から手紙をもらったという話 (下記URLから読めます) は、先の反論に書きましたよね。

 http://miura.k-server.org/newpage140.htm 

 「なぜか?」 とお考えになりましたか? 産経新聞のような、一応全国紙だけれども読売や朝日から見れば部数がはるかに少ない新聞に、私のような地方大学教師が投稿して、どうしてそれに東大医学部教授が感激して手紙をよこすような事態が生じたのでしょうか?

 小谷野さんは権威主義者だから――なにしろ博士号を持たない人間は博士号取得者を批判してはいけないと書いたのだから、まごうことなき権威主義者ですよ――東京大学医学部教授が新潟大学人文学部教授の投稿に感激する理由はとうていお分かりにならないでしょうね。 理由をお教えしましょう。 そういう投稿をする人間、文科省を全国紙で正面から批判する人間が、国立大学内にほとんどいないからです。 これ、はっきり書きますが、自慢なんですよ (笑)、分かります?

 大学院定員がやたら増えていることに関して、文科省も大学上層部も批判できず、罪を学生におっかぶせて済まそうとする佐伯さんの怯懦と 「保身」 (小谷野さんの用語をお借りしました) ぶりは、ですから私からすれば明々白々なんです。

 田中貴子さんや中島義道氏は、まあ偉いわけですが、「反対派」 が独自に大学院重点化を考えているなんて思ったら大間違い。 文科省の意向を汲むことにたけているにすぎないんですよ。

 いいですか、国立大の組織改革は、大体以下のように行われます。

 まず、文科省からそれとなく組織を変える時期ではないかというような暗示がある。 或いは、他大学の例を見て、文科省がそういう方針らしい、という雰囲気をキャッチする場合もある。 とにかくそうやって一応大学側は改革案を作ります。 そして文科省に持っていく。 すると三十代の係長クラスあたりの役人が、五十代か六十代の学部長相手に色々と文句を付けたり指示を出したりする。 学部長はそれをもとにまた新たな案を作って文科省に持っていき・・・・。 つまり、形からすれば大学側が案を作っているように見えるけれど、実際は文科省の意向通りの案を作っているにすぎないんです。 意向に添わない案を作って持っていっても、絶対に受け入れられません。 また、大学院拡充化という文科省の方針に従わないと、他の色々な側面から圧力がかかってくる、ということは前回書いたとおりです。 つまり、大学院拡充化の選択をするしかないのです。 国立大の 「改革」 はこういうふうになされているのですよ。

 中島氏の文章を私は読んでいませんが、推測するに、電通大は東京工大の例を見て、理系大学でも人文系の内容を持った大学院が文科省から認められると知り、それを真似ようとしたのではないでしょうか。 いずれにせよ、文科省の意向を汲んだ構想に過ぎないことは明瞭だと考えます。 また、仮に中島氏のような主張をする人がいても教授会では絶対多数派にはなりません。 なぜならそういう人間が多数派を占めると文科省からの圧力で大学 (或いは学部) がたちいかなくなることを知っている常識派が多いからです。

 事態を変えようとするなら、文科省と国立大の関係を根本的に変えるしか道はありません。 教授会の自治、なんて神話にだまされてはいけませんね。

2.論文を書くとか博士号をとるとかについて

 昔々、日本の教授は博士号をとるどころかろくに論文も書きませんでした。 論文を書かなくては、という圧力があまりなかったからです。 時代が変わって論文を書く習慣はできたけれど、博士号を取る習慣ができるまでにはなお時間が必要だった。 近年 (最近とは言っていません。 15年前でも近年のうちでしょう)、やっと博士号は学者としてスタートを切る条件、ということになったのです。

 私はその辺の時代の変化を感じ取ったから博士号をとった。 だけどあまり感じない人もいた。 感じても書けない人もいた。 しかし、時代の変化を感じなかったり、或る程度年を取って博士論文を書くエネルギーがなかったりしても、必ずしも学識がないということにはならないし、必ずしも学識と博士号は連動しないのだ、ということを私は前回書いたつもりなんですがね。 博士号を持っていても無知な人もいる。 持っていなくても博学な人もいる。 そういうことなんですよ。

 同じようなことは昔だってあったわけです。 旧制大学卒業者は称号で言えば単なる学士でしたが、それで大学教師になれた。 新制大学では大学院が制度化されたので、ある時期から修士号を持っていないと大学教師には事実上なれなくなった。 しかし、昔の学士卒の教授が、新制の修士号取得の教授より劣っている、と言えるでしょうか? 言えないでしょう。 どの教授の学識が優れているかは、個別的に見ていかないと判断のしようがない。 また、新制の大学になったから修士号を持たない旧制大学出身の教授はクビにしましょう、という話が出たでしょうか? 或いは、旧制大学の学士卒の教授が、新制大学発足後にあわてて修士号を取得する、ということがあったでしょうか? 寡聞にしてそういう話は聞きません。 時代の変化というものはそういうもので、博士号を持っているとか、論文を何本書いたとかいう形にこだわりすぎるのは、健全なことではないのです。

2’.定職を得たいなら

 しかし小谷野さんがそういうふうな発言をなさる動機は、まあ分かります。 何冊も単著を出しているオレが、なんで首都圏のどこかの大学に定職を得られないのだ、という私憤からでしょうね。 (それに、たしかに論文も書かないし実力もない、という教授だっているでしょうし。) いや、私憤だからダメだ、と言いたいのではない。 私憤は公憤に直結するものだし、実力のある小谷野さんが定職を得られないのは理不尽なことだと私も思います。

 しかし、です。 そういう私憤の表現法はもう少しお考えになったほうがよろしいのではないか、と。 率直に申し上げて前回の小谷野さんのあの書き込みは、あまりにもひどかった。 単に博士号取得の有無を勘違いしたにとどまらない。 人格を疑われてもしょうがない文章だったんじゃないですか。 私はそれこそ私憤でそう言っているだけじゃないのですよ。 小谷野さんのためにならないと思うから申し上げている。

 いいですか。 今どきですから大学だって実力のある人間を欲していますよ。 コネで、或いは自分の保身のために、実力のない人間を採用するという例は、勿論今だってあるでしょうが、昔に比べればずっと少なくなってきていると私は思います。 以前は自学出身者ばっかり取っていた早大ですら、今は積極的に外部人材を採用していますからね。 それこそ時代の変化です。

 だけどですね、採用は実力だけで決まるのではありません。 つまり著書や論文が多いとか、博士号を持っているとか、そういうことだけで決まるのではない。 大学教員は研究ばかりしていればいいのではなく、教育もしなくちゃならないし、色々な学内の雑用もこなさなくちゃならないんです。 そして雑用をこなすには同僚たちと或る程度協調していけるような人格、学生を教育するには教育者としての最低限の人格が要求されるのです。 仮にそういう人格が欠如していると判断されたら、ノーベル賞をとった人材だって採用を拒否されますよ。 大学は組織体であり、その組織の中で活動できる人材であることが要求されるからです。

 私がこういうことを書くのは、実は私らしくないのです。 小谷野さんは信じないかも知れませんが、私は新潟大学内では協調性のない人間だと見られておりまして、上の文章を同僚が読んだら 「お前が書くなよ!」 と言うこと間違いなしです。 まあ、中島義道氏ほどひどくはないつもりですがね (笑)。 ただし、中島氏も定職を持っているから安心して非常識なことができる、という側面はある。 小谷野さんはまだそういう状態になっておられないわけです。 ですから、ネット内も含めて、言動には慎重を期された方が、と衷心から申し上げたいのですね。

3.英語教師だとか比較文学について

 小谷野さんは阪大で英語教師をされていましたよね。 今も非常勤で英語を教えておられる。 それは予定外のことだったのでしょうか? むしろ予定コースだったのではないですか?

 小谷野さんは御高著の中で、由良君美や小田島雄志といった外国文学者が実は東大教養学部の語学教師に過ぎないというのに驚いた、と書かれていたと記憶します。 でもそういうものなんですよね。 専門課程で外国文学を教える人間なんてごくわずかいればいいんだから、そういうところに入り込めない人間は語学教師の道を選ぶしかない。 これは外国文学 (比較を含め) をやる人間にとっては常識だ (だった) と思います。 そしてそういう道を選ぼうとするとき、一番口の多いのが英語教師、ついでドイツ語教師、フランス語教師の順である、というのも、一昔前までは常識でした。

  柄谷行人も、経済学部を出ながら修士課程は英文科を選んで大学英語教師になった。 実業界に出るのが嫌で、文学だとか思想に関わる仕事をしたいが作家や批評家として食っていく自信がない場合、そういう選択が可能だったわけです。 で、そういう選択があり得ることは、別段悪いことではないと思うんですけれども。

 だから小谷野さんは英語教師になるつもりだった、と私は書いたわけですが、間違っているでしょうか? 間違っているなら、なぜ阪大の英語教師になられたのですか? なぜ今も非常勤で英語を教えておられるのでしょうか? この場合、英語教師を本職と思ってない、というような言い訳は通用しませんよ。 最初から評論家稼業だけで食っていける人なんか、まずいませんからね。

 比較文学だって、大学院でのご専門だったわけだから、できれば定職で教えたいことに変わりはないでしょう?

 で、さっきの話、つまり文科省が国立大のすべてを仕切っているという話に戻しますとね、新潟大学に教養部があった時代、教養部では長年 「比較文化・比較思想」 の教官ポストを文科省に要求していたんですよ。 でも、全然通らないんですよね。 しかし、或る年、突然新しいポストが頼みもしないのについた。 「日本語・日本事情」 です。 つまり政府の方針として日本への留学生を大幅に増やすという決定がなされ、そのためには大学で外国人に日本語を教える教官が必要である、ということでいきなりポストがついたわけです。 各大学の意向、なんて全然関係ないんですよ。

 もう一つお教えしましょうか。 新潟大で教養部が解体して、教養部の教員が或る程度まとめて人文学部に移籍したとき (私もその中に含まれていました)、新しい講座を作ろうとしたんですよ。 比較文化講座。 小谷野さんは首都圏から出るおつもりがないから興味は湧かないでしょうが、小谷野さんの後輩には 「おっ」 と言いたくなる話じゃないですか。 でも、文科省に持っていったらアウト、だったわけです。

 以上、文科省が国立大を支配していること、そして第二外国語だけじゃなく比較文学や比較文化にも敵対していることが、お分かりになったでしょうか?

4.ドイツ語教師の多寡、イタリア語などについて

 あのですね、私はこう書いたのです。 「必要ならドイツ語教師は減らして、イタリア語教師でも中国語教師でも増やせばよろしい」。 まず、中国語 (シナ語でも結構。 私も呉智英は愛読していますので) はちゃんと入っているでしょう。 それと、「イタリア語でも中国語でも」 という書き方は、「この二つ (だけ) を増やせ」 という言い方じゃないんですよ。 例えば、という言い方です。

 ついでに書けば、イタリアのイメージは最近急上昇しておりまして、新潟大でイタリア語が開設されたのは最近のことですが、学生にも結構人気があるようですよ。 韓流ブームで韓国語履修者が激増したことを含め、学生がある外国語を選択したいと思うのは、身近な親しみやすい文化があることが前提となりつつあるように見えますね。 その点、アラビア語はやや弱い感じがします。 おっと、勿論、東大のように将来国際的な場でその外国語を使う可能性が高い学生を教育する大学では、別の論理があることは分かります。

 また、ヨーロッパ文化の基盤にある古代ローマ文化の研究が日本では遅れていてその是正が必要なことは、高田康成 『キケロ』(岩波新書) の最終章が指摘しており、高田氏はそこでこう書いています。 「新たな西洋学は、従来の仏独英に加えて、近現代のイタリアを含めたラテン的伝統を広く視野に収めることが期待される」。

 それから、ドイツ語教師の数ですが。まあ第二外国語の中で比較して多すぎるとは私も思いますが、絶対数として足りていたとは到底言えません。 新潟大学の場合、教養部解体直前の教養部ドイツ語教師は11名でした。 1学年2200人定員の大学で、です。 東京大学と比較して、同じ国立大学といいながら ( 「同じ」 と言うな、と小谷野さんは言われるかも知れませんが) あまりに恵まれない数字でした。 ちなみにフランス語教師は2、5人、中国語教師とロシア語教師は2人ずつ、それ以外はなし、でした (フランス語の0、5人というのは、一人の教官を 「フランス語」 と 「文学」 で半分ずつ使う、という学内政治の妥協から生じたもの)。 教養部語学教師は、他のセクションの教師と比較すればたしかに多かったが、教育に必要な数にははるか及ばなかった、そしてそれは日本の国立大学の貧しさからだった、というのが私の見解です。

5,佐伯順子さんの文章について

 はっきり言いましょう。 前回の小谷野さんの文章をサイトに発見して読んだとき、ひどく嫌なものを感じました。 小谷野さんが私を批判しているからじゃないんですよ。 文章の調子が相当に変だったからです。 汚物を目の当たりにしたようで。

 一種の仲間意識みたいなもの、をその時私は感じましたね。 博士号云々もそうだし、著書の数を言い出すところもそうだし、小谷野さんは身内をかばっているようなつもりに、勝手になっているんじゃないか、そう思った。 私からすればかなり見当違いな、思い込みだけで成り立っているような身振り、ですけれどね。

 いいですか。 佐伯さんは有名大学に定職を持っている人間です。 その人間が新聞にエッセイを書いた。 内容がおかしいと私は思った。 だから自分のサイトで批判した。 それだけのことです。

 それに対する小谷野さんの逆上ぶりは、どう見ても尋常じゃないですね。 仮に佐伯さんが定職を持たない人で、新聞のエッセイだって重要な収入源だというなら、まあ分からないでもない。 かよわき女性をかばう騎士道精神ですか――小谷野さんには似合わないと思うけれど (笑)。 でも佐伯さんには定職がちゃんとある。 そういう人間の意見を、私は同じ大学人として批判したわけです。

 その内容に正面から切り込むならともかく、博士号を持ってない人間は博士号取得者を批判するのはいけないだとか愚にも付かないことばかり並べているわけですね。 おまけに国立大に勤めていた経験もあるのにその内実をさっぱりご存じないし。 偏見丸出し、無知丸出し、恥の上塗り、って奴ですよ。

 女学者幻想ということを小谷野さんは御高著の中で書いておられる。 佐伯さんの文章が全国紙に載るのは、その幻想のためではないか、と私は思います。 或いは、執筆メンバーの中に女性を一定数いれておかないと、という変な配慮のためかも知れない。 女性学者で新聞に書く実力のある人はまだまだ少ないというのが実態なんでしょう。 (私のサイトにもそういう意味のことを書いたことがありますが。)

  あの 「断」 というコラムには何人かの人間が交代で書いており、呉智英氏も時々顔を出します。 呉氏の文章にもおかしいところがあったので、やはり私は自分のサイトで批判しました (8月16日を参照)。 佐伯さんだけを目の敵にしているわけじゃない。 だけど、佐伯さんの書く文章が毎回おもしろくなくて、執筆メンバーの中で最悪であることは自信をもって断言できます。

 大学院問題を扱った後の彼女のコラムにしても、私は一度だって感心したことがないですね。 学識もうかがわれない、機知も感じられない、視点の面白さもない、文章の迫力もない――ないないずくしですよ。

 私が産経の編集長なら、佐伯さんは即刻コラムから永久追放にするでしょうね。 無論、コラムを書く才能は学者としての実力とは別のものだけれど、多少名のある学者だから無条件でコラムを書いてもいい、そのコラムは博士号を持つ人しか批判してはイケナイ――ってのが小谷野さんのご意見でしょうか。

 だとすれば私は小谷野さんを買いかぶっていたことになりますね。 もう少しましな思考力を持った方かと思ったから出版されたものはなるべく読むようにしてきたわけですし、微力ながらも側面から支援してきたつもりなんですが、それを考え直さなければならないとすれば、はなはだ残念なことです。

10月21日(金) シム・ウナが結婚したとのこと。 お相手は40歳の大学教授とか。

 http://www.asahi.com/culture/update/1018/026.html 

 シム・ウナは韓国を代表する女優で、私も大ファンであったが、惜しいことにさほど多くの映画に出ないうちにスクリーンから姿を消してしまった。 私は最初 「八月のクリスマス」 で見て一目惚れし、以後、「カル」 「美術館の隣の動物園」 「Interview」 と彼女の姿を追ったものの、やがて映画界引退のニュースに愕然。 そして本日、二度目の大ショック。

 山口百恵もそうだったが、いい女優には引退の美学がつきものなのであろうか。 それにしても、シム・ウナの場合は作品数が少ないだけに、幻の恋人が霧の中に去っていき二度と再会できなかった、というような印象が強く残る。  ううぅぅ・・・・。

10月20日(木) 午後6時30分からりゅーとぴあで行われたストラディヴァリウス・サミットコンサート2005を聴きに行く。 ベルリンフィルのメンバーが、ストラディヴァイウスで揃えた弦楽器を用いた小編成オーケストラのコンサート。

 県民会館でも催し物があったようで、開演30分前に着いたけれど駐車場BCDは満車。 陸上競技場の駐車場は空いていたようだが入ろうとする車の列がりゅーとぴあ付近から数珠繋ぎ。やむなく市役所の駐車場に入れた。

 最初のトマス・タリスの 「預言者エレミアの哀歌」 では、演奏者が舞台に姿を見せたかと思うと下におり、1階客席から二階客席に上がり、二階正面のCブロックの右端と左端に分かれて演奏。 ちょっとびっくりしたが、音の響きが不思議にゆったりと高雅に伝わり、はあ、こんなやり方もあったか、と感心。

 このあと楽員は舞台に戻り、2曲目はゲオルク・ベンダのチェンバロ協奏曲ト長調。 私は初めて聴く曲で、特に感興も湧かない。

 3曲目がバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。 これは先日のベルリン室内管弦楽団と比較して色々な意味で面白かった。 テンポが速く、最近のバロック音楽演奏の傾向そのまま。 そして2人のソリストはあまり突出せず、あくまでバックの仲間たちと一緒に演奏しているという雰囲気。 でもソリストの音は、こないだのシュンクと千住ほどではないけれど、やはりちょっと違っている。 観客席から見て左はたおやか、右はやや硬質な音。

 後半のチャイコフスキー 「弦楽セレナーデ」 にはとりたてて感想もなかったが、そのあと、アンコールを4曲もやってくれる大サービス。 客席は大いに湧いた。 曲目の紹介をする団員は日本語で通したが、日本公演用の即席学習ではなく、ちゃんと本格的に学んだ日本語みたい。 日本語もここまで国際化してきたのか、と感慨にふける。

 ちなみにアンコールは、マスネのタイスの瞑想曲、ヴィヴァルディの2つのチェロのための協奏曲より第1楽章、ショパン (ハンター編曲) の前奏曲第4番ニ短調 (コントラバス独奏)、サラサーテ (ハンター編曲) の2つのヴァイオリンのためのナバーラ。

 S席7000円と安くないチケット代にくわえ、プログラムをくれないので買わねばならず、それも500円程度ならともかく1500円もする。 あわせて8500円。 提供はキューピーマヨネーズっていうけれどいったいどの程度カネを出しているんだ、と言いたくなる。 チケットが高いのだからプログラムくらいタダでつけてくれい、ということで。

 今回、楽章間の拍手がかなりあり、最初はベンダの曲に馴染みがないからかなと思っていたが、バッハとチャイコフスキーになってもやまない。 客層が東響定期などとは明らかに異なっていたようだ。 主催者・新潟日報のチケットの売り方にもよっていたのかな。 新潟日報は 「クラシック演奏会のマナー」 という記事を載せて啓蒙活動をしてはいかがでしょう。

10月19日(水) 1限、教養の西洋文学講義。 現在はクライストの 『アンフィトリオン』 を扱っている。

 クライストは、私は学生時代は劇作で 『こわれがめ』 と 『ケートヒェン』、他に短篇小説をいくつか読んだ程度で、たいした作家とは思わず、その後関わりを持たないできたのだが、昨年この講義で 『ペンテジレーア』 を取り上げてみて初めてこれはなかなかの作家だなと気づいた。 今回、『アンフィトリオン』 を取り上げることにして自分で読んでみると、やはり悪くない作品なのである。 どうやら学生時代はたいしたことのない作品だけ読んで終えてしまったらしい。 反省。

 それはさておき、準備は拙蔵・白水社 『クライスト名作集』 収録の邦訳と、新潟大学所蔵 ”Deutsche Klassiker” 収録のクライスト全集の原文を比べながらやっているが、どうもN氏 (故人) の邦訳に問題が多いのである。 一例が、Diademを 「飾りひも」 なんて訳している。 それも、このDiadem、作中で重要な役割を果たす品なのに誤訳しちゃっているのである。 困りますね。 こしかするとこの単語の出始めのあたりで関係代名詞の係り方を間違えて訳してしまったからか、という気もするのだが、N氏がすでに故人である以上たしかめようもない。

 しかし授業ではいちいち直すのが面倒なので、そのまま 「飾りひも」 でやってしまった。 教養の講義だから余り細かい話をしても・・・・と思ったせいもある。 すみません。 勤勉な学生でこのサイトを覗いている者は、「髪飾り」 が正しい訳だから、直しておくように (笑)。

 それはさておき、N氏の訳は文体にも問題がある。 ヒロインであるアルクメーネの言葉遣いが少女っぽすぎるのである。 一時代前の少女マンガか小津安二郎の映画に出てくる原節子の言葉遣いみたい(笑)。

 それで、沖積舎から数年前に出た 『クライスト全集』 のS氏の訳を新潟大図書館で見てみた。 N氏のような誤訳がないのはいいのだが、ヒロインの言葉遣いにはやはり問題がある。 N氏訳とは逆で、品がなさすぎるのである。 そこいらのフツーのオバサンみたいな言葉遣いなのだ。 アルクメーネは仮にも将軍の奥方なのだから、それにふさわしい品位をもったしゃべりかたをしなければならないはずだが。

 このあたり、独文学者の日本語のセンスの問題ということになりそうかな。

10月16日(日) 昨日から新潟大学で日本フランス語フランス文学会が開催されている。 本日午前、「フランス語教育の危機的状況を考える」 というワークショップが行われたので、私も聴かせていただいた。 (それにしても、新潟大で学会が開催されるときは、学会員でない新潟大教員にもプログラムを配布して参加を促す、程度の試みはすべきではないだろうか。 無論、これはフランス文学会だけのことではない。)

 既視感があるな、というのが全体の印象。 独文学会がやっていることと似ているのだ。 新しい情報もたしかにありはした。 例えば東大の入試では、英語の問題が5問あるうち、最後の2題はフランス語やドイツ語や中国語の問題が並んでおり、そちらで代替してもいいことになっているのだそうだ。

 そういう出題形式がとられていたとは、私は無論知らなかったし、会場におられたフランス文学者の大多数もご存じなかったらしい。 学習院も同じことをやっているとか。 これは東大出身者が教授になっているからだろう。 そういうことがあるから、学習院高校でフランス語を教えるのは意味がある、というような発言もなされていた。

 確かにそうかも知れない。 しかし、私のような福島県の地方都市出身者にとっては、遠い世界の話なのである。 フランス語やドイツ語を高校で教わる機会は全然なかったし、独習書やテレビ・ラジオ講座があるとは言っても、独学で入試問題を解くほどの語学力をつけるのはまず不可能である。

 要するに今の日本では、英語以外の外国語を学ぶ機会は事実上大学にしかないわけであり、それをいかに守るかという視点が最重要なはずなのである。 

 第二外国語を守ることと、フランス語教育を守ることとは必ずしも一致しない、という趣旨の発言もあった。 たしかに、最近は中国語や朝鮮語、イタリア語やスペイン語などの台頭が著しい。

 しかし、である。 それは時代の必然ではないのか。 日本人の目がアメリカとヨーロッパ中央部にだけ向けられていた時代は終わりつつあるのだ。 そしてそれは必ずしも悪いことではあるまい。

 だが日本では第二外国語と言えば長らくドイツ語とフランス語であった。 したがって、第二外国語教育が危うくなっている昨今、第二外国語教育を守る責任はまずドイツ語教師とフランス語教師にあるはずなのだ。 ドイツ語やフランス語の地位が低下したから第二外国語教育はどうでもいい、ではムセキニンである。

 今の日本の大学は、下手をすると、英語以外の外国語はその言語使用地域について専門的に勉強する学生以外には必要ない、という悲惨な状態になりかねない瀬戸際にあるのだ。 また、語学教師にもそういう狭い視野しか持てない人間が少なからずいる。

 今、ドイツ語教師とフランス語教師が頑張って、第二外国語教育を守り、その結果として第二外国語内部での独仏語のシェアが低下したとしても、それは名誉ある低下であり、また長い目で見ればフランス語とドイツ語の学習者数を激減から守ることになるだろうと私は思う。

 そういう意味で、フランス語フランス文学会と独文学会の連携を進めていただきたい、と、僭越ながらその場で発言させていただいた。

10月15日(土) 午後6時40分から音楽文化会館で 「洋楽の夕べ」 を聴く。 実は予定していなかったのだが、チケットをもらったので (といっても千円だけれど)。 それにしても、開演時刻がなんでこんなに中途半端なのかなあ。

 チケットをもらっておいて文句ばかり言うのもなんだが、このコンサート、どう見ても発想が古いのである。 市内の音楽家が4人 (正確にはヴァイオリンの伴奏ピアニストを入れて5人) 集まって、何の統一テーマも設けずにジョイントコンサートをやるだけなのである。 

 クラシックコンサートがめったにない人口数万程度の町ならいざ知らず、政令指定都市昇格を目前にした人口80万の大・新潟市でこれはないでしょう!

 今の新潟市では、内外の音楽家によるクラシック・コンサートは数多く開かれている。 そういう中で、市内の音楽家の寄せ集めでバラバラな内容のコンサートでは魅力も糞もあるまい。 じじつ、客の入りは2割程度。 マナーの悪い人も含まれていた。

 この企画、毎年新潟市が秋にやっている 「芸能まつり」 の一環として、例年ルーチンワーク的に、市内の音楽家の協会がテキトーに演奏家を決めて実施しているらしいが、おざなりでやっているなら止めた方がいい。 税金の無駄遣いだ。 もし続けるなら、せめて統一テーマを設けて曲を決める程度のことはやってほしい。

 むろん、個々の演奏家はそれなりの演奏を披露してはいた。 前半は、中山葉月さん (県立三条高校、東京音大卒) のピアノで、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻第22番遍路単調、フォレの舟歌第1番と夜想曲第5番、そして山本桃子さん (メルボルン大音楽学部修士課程修了) のピアノで、ショパンのソナタ第2番。 後半は庄司愛さん (桐朋音大卒) のヴァイオリンと片桐寿代さん (新潟大教育学部大学院修了) のピアノでブラームスのヴァイオリンソナタ第1番、そして高橋雅代さん (新潟中央高校、東京芸大、ロシア・グネーシン音大卒) ピアノで、メトネルの「春」と「おとぎ話」、ショパンの幻想ポロネーズ。

 でも、音楽会というのは、単に曲を聴きに行くのではなく、演奏家が曲とどう対峙するのかを体験しにいくものでもあるのだから、1人20〜30分程度の演奏では肝腎の部分が見えてこず、物足りないんですよね。 

10月14日(金) 昼休み、水曜1限に出している教養・西洋文学の授業について、2回目の受付をする。 何で水曜日の授業の2回目の受付を金曜日にやるかというと、希望者が多く、しかし定員には先週1回目の聴講受付で達しているので、取消が或る程度出るのを待つためである。

 そのために、「取れなくて困っている人もいるので、取り消す者はなるべくはやく取消票を提出するように」 という掲示まで出した。

 本日までに6名取消があった。 しかし昼に集まった希望者はその倍。 抽選をせざるを得ない。

 仕方なく、どうしてもこの授業でないと、という人はまた来週金曜日に来るように、と言い渡した。 1週間待てばまた取消が出るかもしれないので。

 教養科目の置き方の不備、誰が責任をとるのだろう。 新潟大学上層部が大学現場の事情を碌に知らないという内実は、この1年間のやり口で分かってきているが、責任をとるという発想程度は持ち合わせているのだろうか・・・・? 

10月13日(木) 新潟市の映画館シネ・ウインドでドイツ映画祭(10月29日〜11月4日)が開かれることが決まり、プログラムもほぼ固まった (下記参照)。

 http://www.wingz.co.jp/cinewind/ 

 言うまでもなく今年度は 「日本におけるドイツ年」 なのであるが、新潟県では長岡市の新潟県立美術館でケーテ・コルヴィッツ展が開かれるだけで、新潟市では正規の行事が何もないのである。

 これでは淋しいというわけで、6月27日 (このコーナーの当日の記述参照) にシネ・ウインドに私を含む数名が集まって鳩首協議を重ね、なんとかドイツ映画祭の開催にこぎつけたわけである。

 といっても、私のやったことはわずかであり、映画祭が実現したのは何よりシネ・ウインドのスタッフの方々の努力、それから敬和学園大教授の桑原ヒサ子さん、新潟日独協会の上田茂さんを初めとする方々などのご尽力によっている。 これらの方々には改めて感謝申し上げたい。

 ハリウッドやフランス映画に比べると、ドイツ映画をまとめて観る機会は少ない。 新潟大の学生や新潟市民は、どうかこの機会に観に行っていただきたいと思う。

10月12日(水) 午後から休暇を取って長岡に出かける。 目的は2つ。 まず、新潟県立近代美術館のケーテ・コルヴィッツ展を見る。 ううぅぅぅ・・・・・暗ぁい人ですね、コルヴィッツって。 うーん、元気が出てこない……。 「日本におけるドイツ年」 でこういう展覧会を開くのがいいことなのかなあ。 ドイツを愛する人の数が減るのではないか(笑)。

 ついで、午後7時から、長岡・リリックホールのベルリン室内管弦楽団演奏会を聴く。 ペルゴレージのコンチェルティーノ・アルモニコ第2番、バッハのG線上のアリア、同じくヴァイオリン協奏曲第2番、同じく2つのヴァイオリンのための協奏曲、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番弦楽合奏版(バーンスタイン編曲)。 アンコールはバーバーの弦楽のためのアダージョ。

 一番面白かったのはハインツ・シュンクと千住真理子をソリストにしたバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲だった。 2人のソリストの音の出方がかなり違う。 シュンクはどちらかというとふだんオーケストラの中で弾いている人の音という気がする。 ソリスト的ではなく、或る意味奥ゆかしい。 一方、千住真理子はソリスト的な弾き方をしている。 音も大きく自己主張が強い。

 けれども、バロック協奏曲としてはどうなのだろう、シュンクの音の方がそれらしい気もする。 千住の音は、例えばシベリウスの協奏曲なんかに合っているような感じ。 とはいえ、あまり 「らしさ」 にこだわるのも考え物。 性格の異なったヴァイオリニスト二人の演奏を同時に楽しむのがこの協奏曲の醍醐味なのかも知れないな、と思った。 外見的にも、老いた白髪のヨーロッパ人男性と若い (ということに一応しておこう) 黒髪の日本人女性という対照の妙があるかな。

 ただ、千住真理子が汗拭きのハンカチを指揮台の隅に載せておくのは、何となく違和感があった。 男性ならポケットにつっこんでおけばいいわけだが、女性のドレスはハンカチ入れがないということか。 ピアノ伴奏付きの場合はピアノに載せておく人もいる。 でも、女性演奏家はドレスを注文して作るのだろうから、目立たないようにハンカチ入れを付けておくことはできないものなのか。 それが無理なら、椅子か小さな台を用意してもらって、そこに載せておけばいい。 地べたや指揮台に置くよりはマシであろう。

 さて、メインはベートーヴェンの弦楽四重奏曲作品131の弦楽合奏版 (バーンスタイン編)。 これが聴きたくてわざわざ長岡まで来たのである。 弦の美しさと柔らかさはすばらしかった。 ただ、聴いていて、この曲ってこんな曲だったかなあ、という気もしてきた。 原曲は柔らかく美しいだけではなく、ドイツ的な言い方で言うなら精神性、平たく言うなら緊迫感がこもっているのであるが、あんまりそういうものが感じられない。 ストリングスの美しさ、ばかりが前面に出ている。 それでも後半はさすがにもりあがったけれど、この曲を弦楽合奏に編曲するのがいいことなのか、それともバーンスタインの編曲の仕方に問題があるのか、そんなことを考えた。

 ちなみにバーンスタイン自身がウィーンフィルを指揮したこの編曲版のCDを持っているので帰宅してから改めて聴いてみたが、ベルリン室内管の演奏と根本的な印象の差はなかった (特に前半は)。 バーンスタイン指揮だから多少アクが強いかなという気はしましたけれども (特に後半)。 うーん……。

10月10日(月) ドイツ文学会の二日目。 ドイツ文学と絵画に関するシンポを聴く。 こういう、インターディスシプリナリなテーマは最近の流行だが、やはり新しい視点を開拓しようとすると脱領域的な方向性をとらざるをえないのであろう。 二日酔いぎみで遅刻したので、最初の発表は聴き損ねたが、トーマス・マンと絵画を扱った千田まやさんの発表は、きちんと順序立てた話し方の上手さもあって、なかなか興味深かった。 (あんまり聴き手のことを考えていない発表者もいたのは、残念である。)

 学内の食堂で昼食を取り、休憩を兼ねてそこで本をしばらく読んでから、大谷大学にファウスト展を見に行く。 「日本におけるドイツ年」 を記念しての展覧会だが、ゲーテゆかりの書籍や絵画、楽譜などを並べた内容だけれども、率直なところあまり面白いとは思われなかった。 文学展は美術展や音楽会に比べると難しい。 なにか工夫が必要だろう。

 その建物のロビーで少し休憩をとってから京都駅に戻り、伊勢丹で土産を買い、近くのコインロッカーに預けていた旅行カバンに詰め込んでから、再度地下鉄で四条に戻り、、阪急の烏丸駅で梅田行きの特急に乗ったら、混んでいて座れなかった。 仕方がないので、次の停車駅でおりて急行に乗り換え。 急行と言っても各駅停車に近い。 南茨木で大阪モノレールに乗りかえる。

 来るときも思ったことだが、伊丹空港直通のモノレールに接続する駅だというのに、阪急の南茨木駅に優等列車がほとんどとまらないのはいかがなものか。 急行の一部がとまるだけで、この時は私はその稀な急行に乗っていたわけだが、前述のように急行と言っても各駅停車に近いので、あまり利便性を感じない。 ほかに、快速急行、特急、快速特急、通勤特急といろいろ揃っていて何だかよく分からない――関東なら京浜急行並みか――のも難点だ。

 それに、大阪モノレールがノロい。 トコトコ、という感じで走る。 そのくせ料金は高い。 阪急電車と合わせて京都烏丸から伊丹空港まで730円というのは高過ぎる。 何とかして欲しいものだ。 

10月9日(日) ドイツ文学会。 同志社大学にて。 京都市今出川の、完成したばかりだという新しい建物。

 午前中、最初は某シンポジウムに行ってみたが、最初の発表があまりに面白くないので、場所を変えて一般研究発表を聞く。 こちらは若手ばかりでテーマの統一性もないが、まあまあ興味深い内容の発表が多かった。

 昼食は学内の食堂でとったが、ここの値段は激安である。 かけうどんが100円、かけそばが110円、薄味醤油ラーメンが260円 (税別)。 トッピングも豊富。 ううむ、これは新潟大学も見習ってほしいですな。

 午後はトーマス・マン 『魔の山』 についてのシンポを聴く。 ううむ、内容的に見て新しいというには今一歩だろうか。 私としては掉尾をかざった田村和彦氏の発表が、ポストコロニアリズムの視点を取り入れていて、また日頃の資料収集と勉強の跡が見えて面白いと感じたし、柏木貴久子さんの発表も、その女子アナかと思わせる素敵な外観とお声をふくめて――こういうことを書くとセクハラだとかなんとか言われるご時世だが、ワタシは遠慮なく書いてしまう――魅力的だったが、新しい時代のトーマス・マン像を描き出すには一歩届いていないのではないだろうか。

 昔学生時代に同じ研究室の先輩だったS氏と会ったので、夕方一緒に先斗町を歩いて安めの店で飲む。 やや飲み過ぎて、ふらつきながらかろうじて石山のホテルにたどり着きました。

10月8日(土) 久しぶりの京都だが、あいにくの雨模様。 しかしせっかく来たのだからと、殊勝にも寺社めぐりなどしてしまう。

 まず仁和寺に行ってみた。 ここは初めて。 予備知識は全然といっていいほどなく、高校時代に 『徒然草』 を習って、「仁和寺の法師・・・・」 なんて文章が記憶に残っているから、そそっかしいお坊さんを量産しているところなのかなあ、くらいにしか思っていなかったのだが、結構伝統のあるお寺らしい。 仁和4年 (西暦888年) にできたという。

 宸殿という建物は柱廊でつながれて中世を彷彿とさせ、中の茶室などが独特の雰囲気で魅力的。

 宝物殿には弘法大師の真筆だというお経も展示されている。 弘法大師と言えば達筆で有名だが、見ると、たしかに上手な字には違いないが、すらすら書いたというよりは、一字一字丁寧に書いた字という印象である。 

 この宝物殿にいる時に沛然たる雨となり、とても外に出る気がしないので、ゆっくりと見て回る。 風神像も展示されている。 風袋を背負った魔物だが、どこかユーモラスである。 金箔の残った仏像もある。 仏像というとさびを美学にしてるようなイメージもあるが、本来は彩色されて、派手な印象を与えるものだったのであろう。

 仁和寺には五重塔もある。 ただし江戸時代の建立だが、遠目に見るとなかなか風情がある。

 雨が小降りになったところで、歩いて金閣寺に向かう。 2キロほど。 金閣寺はこれまで2回見ているが、なんとなくまた見ておこうという気になった。

 さすがに仁和寺より観光客が多い。 外国人も目立つ。 金色の寺を背景に家族写真をとっている日本人、かと思ったら、近づいて会話を聞くと中国人だったりする。 しゃべり方が実にエネルギッシュだ。

 私が金閣寺を初めて見たのは高校の修学旅行で京都を訪れた時であるから、1969年である (修学旅行は2年次の秋)。 その時は銀閣寺も見た。 ふつう修学旅行だと、金閣と銀閣は京都の中でも正反対の方向にあるので両方は見ないことが多いのだそうだが、この時は両方を見ることができた。 

 修学旅行のあと、日本史の時間に教師が 「金額と銀閣、どっちが良かった?」 と訊いた。 当てられた3人の生徒の答は、金閣1名、銀閣2名であった。 教師は、「外人は金閣がいいと言うが、日本人は銀閣と答える」 ともっともらしく言った。 そうかな、と私は思った。 私は金閣の方がよかったからだ。 

 これは単に金箔を塗って派手な美しさがあるかどうかというような問題ではない、とその時私は思った。 建物は庭や景観との調和においてこそ存在するのだとすれば、金閣はその周囲の池や小山と立派に釣り合っているが、銀閣の庭はせせこましくて、建物を引き立てていない。 よって金閣の圧勝だ、というのが私の感想だったからである。

 そういうわけで、私はその後、本日を含めて2回金閣を見る一方で、銀閣は修学旅行の時以降、見ていないのである。

10月7日(金) 3限、講義系科目の受付。 講義系科目なのに20人の演習教室が割り当てられていて、学生は40人以上来ていたから当然ながら入りきらない。

 近くの60人教室が空いていたのでそこに移って聴講受付をしたが、あとで事務に訊いたらその教室は他に使用予定があるのだという。 それで、他の中規模教室にしてくれと言ったら、なんと、同じ建物の中では中規模教室の空きがないのだという。

 この惨状は、数年前に行われたいい加減な建物改修の結果である。 あらかじめ教室需要の調査をせずに(!)中規模教室が多数つぶされた。 いまだにその是正がなされないところがなおさら異常なのであるが、ここでもその影響が表れている。

 仕方がないので、別の建物の教室を使うことにする。 冬学期だから、雪の日も風の日も晴れの日もカサを持参して――新潟の天気は変わりやすいので――授業に赴かねばなるまい。 とほほほ。

 ・・・・・というようなわけで一悶着あってから、急ぎ新潟空港に向かいました。 明後日から京都で学会があるので。

10月6日(木) 4限、1年生向けの人文総合演習の受付。 人文学部学生はあらかじめ抽選で割り当てが決まっているが、それ以外に某学部学生が1人来たので歓迎する。 本来教養の授業だから色々な学部の学生が集まって演習をやるのが望ましいわけだけれど、実際には 「囲い込み」 がなされていて、自学部学生しかいないのに 「教養科目」 と称する場合が珍しくない。

 この演習も、昔から他学部生に開かれていて、じじつ数年前には結構来てもいたのだけれど、ここ3、4年他学部生が来ていなかった。 原因は色々あると思うが、一時期、教養科目のくせに教養科目のシラバスに載せないという摩訶不思議なやり方をしていたことが大きかろう。

 他流試合、という言葉がある。 新潟大学のように地方都市にあってレベル的に競い合う大学が身近にないという条件下では、他流試合が難しい。 いきおい、殻にこもってしまっているのにそのことに気づかない場合がでてくる。

 だから、このように色々な学部の学生が一緒に演習をやることは、一種の他流試合としておおいに有効だと思うのである。 もっとそういう授業が設けられるよな配慮が必要だろう。 だがしかし現実は・・・・・

10月5日(水) 今週から第2期の授業が始まっているが、本日1限、教養の西洋文学の講義の受付に行く。 定員150名に対して240名が押しかける。 人数が多くその場で抽選はできないので、紙に氏名を書いてもらい、あとで研究室で抽選をすることに。

 「ここを取れないと卒業 (進級) が・・・・・」 と訴えてきた学生が数名いた。 そう言われても困るのだが、たしかにこの時限の人文系教養科目は私の授業だけなのだ。

 私が教養の西洋文学の講義を受け持つようになったのは教養部解体からまもなくだから、ここ10年ほどであるが、こんなに大勢の学生が押し寄せたのは初めてである。 ううむ、教養科目はちゃんと数が出ているのだろうか?

 教養部がなくなったから、教養科目への出講は誰の義務でもなくなった。 教員が専門科目を受け持つかたわら、自主的に出す形である。 しかし義務ではないから、やめたり数を減らしたりしても誰からも文句を言われない。

 おまけに、教養科目を受け持つことの利益もなくなりつつある。 大学院科目は、受け持てば大学院担当手当が出る。 給与が増えるのである。 しかし教養科目にはそんなものはない。 ただし、昨年度までは教養教育経費があって、半年1コマ当たり2〜3万円程度だが一応研究費として使えるお金が出た。

 ところが、今年からそれがなくなった。 一応類似した経費は出ているのだが、昨年までのように個人に割り当てられず、それで本を買いたい場合は具体的に書名などを挙げて申請しなければならなくなった。

 おまけに、その経費の使用許可が出るのが遅い。 実は私は8月に書名を何冊も挙げて申請したのであるが、いまだに使用許可が下りていない。 もう第2期の授業が始まるというのに、である。  実に馬鹿げている。

 どうも新潟大学の幹部は、以上のような事情に通じていないとしか思えない。 教養科目をちゃんと維持するには、それによって教員に何らかの利益が出るようにしないといけない――じゃなきゃ、誰も余計な手間はとりたくない――のに、逆の政策をとっているのである。

 教授会の抵抗を排して上からの改革を進めれば大学はよくなる、式のきわめて単純な俗論が流通しているが、大学上層部は大学のことがほとんど分かっていないというのが実態である。 分かっていない人間が改革をやっても、うまくいくはずがない。 現場には荒廃がしのびよっている。

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 さて、1限終了後、急ぎ先週行った総合病院に向かう。 検査の結果が出るからだ。 実は糖尿病を恐れていたのだが、結論から言うと大丈夫だった。 やれやれである。 断酒をしなくて済むのはうれしい。

 街に近いところまで来たので、病院を出てから新潟市美術館でスコットランド国立美術館展を見る。 英国の風景画やラファエル前派、フランスの印象派などの絵画が、特に誰に集中するというのではなく一人の画家あたり2、3点ずつ来ている。 まあまあ面白い。 

 ところで常設展もついでに見たのだけれど、こちらは最近作品の一部入れ替えがあり、結構拾いものであった。 川口起美雄の 「交感(音の抑揚)」 はどことなく懐かしい不可思議さに満ちた作品で、私はしばらくその前に立ちつくした。 ほかに、三輪晃久の 「雌阿寒岳」 だとか、佐藤哲三の 「原野」 だとか、大判の作品にいいものがある。 私の美術鑑識眼も当てにならないが、騙されたと思って観に行ってごらんなさい。

 なお、スコットランド国立美術館展は10月23日までの開催である。

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 本日の産経新聞の投書欄 「アピール」 (投書欄の中でも比較的長い原稿が掲載されるところ) に、文科省初等中等教育局財務課教育財政室長・榎本剛氏の注目すべき一文が載った。

現在日本では、義務教育教員の国庫負担を半分にしてあとは地方の裁量で、という案をめぐり議論がなされているが、榎本氏の投書は英国の先例を紹介したものである。

 英国でもここのところ教育改革が進んでいるが、学校予算は用途を限定せずに一括で地方自治体が交付する方式が採用された。 ところが、2003年春、多くの学校で予算不足が生じた。 多数の教員が失業の可能性という報道もなされる始末だった。

 原因については諸説あったようだが、英国政府は翌年、学校予算に関して中央政府と地方政府が複雑に責任を負う形を終わらせる、と発表。 06年度から教育費を国の特定財源とする、いわば 「教育費の全額国庫負担」 に踏み切った。

 榎本氏は、これを教育の中央集権か地方分権かといった単純な図式で捉えるべきではなく、学校の裁量を最大限保障しつつ、教育制度とその水準に国が責任を負うという、役割分担に基づくものである、と評している。

10月4日(火) またしても 「大学改革」 に関してロクでもないことが行われた。 教養部解体以降、新潟大学の教養語学担当者のための紀要 『新潟大学言語文化研究』 が毎年出ていたのだが、それが危うくなりそうなのだ。

 語学担当者のための紀要があるというと、特別扱いされているようだが、第一に語学担当者は数が多いこと、第二に非常勤講師に頼る度合いが高いことがあり、非常勤講師の方々にも論文掲載の機会を与える、という意味合いもあって、10年前に創刊された。

 ところが、今年、その予算があらかじめ計上されていなかった。 意図的に削減したのではなく、そういう雑誌が出ていることを新潟大学の上層部は知らず、予算を計上しようがなかったわけなのだ。

 要するに、上層部は大学内のことがよく分かっていないにも関わらず、その自覚がなく、勝手に色々なことを決めては混乱を起こしている、というのが真相なのである。

 今回は英語のT先生が上層部に改めて申請を出して何とか雑誌が出ることになったが、来年度は予算を付けないから学長裁量経費に申請してくれ、と言われたそうな。 要するに予算を削減したいのであろう。

 万事がこの調子である。 何でも予算を削減すればいいと思っている。 大学の中でどういう経費が必要とされているかの実態も知らないまま、「改革=予算削減」 というきわめて単純な理解のもとに新潟大学はその内実の変質を余儀なくされているのである。

10月3日(月) 8月31日の記述で産経新聞に載った佐伯順子の一文を批判したが、9月22日に小谷野敦氏がネット上の日記でこの点について意見を述べている。

 http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/?of=5 

 気づくのが遅れた (小谷野氏から 「批判をしておいたぞ」 と連絡があったわけではない) ので、本日、ここで私の見解を書いておく。

 (小谷野氏の批判)

 三浦先生、なぜ「大学院」ばかり減らそうとするんでしょう。そもそも日本は大学進学率が高すぎるからこういうことになっているのであって、学部でさえ定員を増やしているから大変な学力低下が起きているわけで、大学はばっさりと減らすべきです。

 大学院を増やしたのは文科省だなんて、知らない人が聞いたら鵜呑みにするじゃありませんか。文科省は大学に命令できますか? 大学は「自治」じゃなかったんですか? 大学院担当になれば給料が上がるというので率先して作った教授連がたくさんいるはずですよ。定員割れをすると文句をつけてくるって、文句をつけられたからなんだというんでしょう。国立大だって、撥ね付けられない幹部に責任があるでしょう。もちろん文科省に逆らえば予算削減とかされるわけですが、それでも抵抗する勇気はなかったわけでしょ?

 私学だから他人がとやかくって、認可しているのは文科省でしょう。学力が一定以上に達さない大学は認可取り消ししたらいいんじゃないですか? もちろんそうすると、いま大学教員をしている人は失職しますが、50過ぎて、70ページのパンフレットくらいしか著書がない、というような三浦教授のような方はまだいいとして、旧帝大でも碌に業績もない教授がたくさんいるんですよ。彼らをクビにして、大学でなくなった三流大学に優秀な学者がいたら、これを残った大学に持ってくるというのが、正しい考え方でしょう。だいたい大学院がどうたら、って日本の人文系では、博士号を持っていない教授が博士号審査をやってるんですからね、それこそまずいでしょう。三浦先生の案では文科省の役人は修士号を持っているべきだとありますが、じゃあ博士号持っている人には指導する権利はないってことでしょうか? 博士号さえ持っていない人が大学院で教えたりしていいんでしょうか。そういう教授連にだまくらかされて博士号取ったはいいが就職がなくて困っている若者がたくさんいるんだから、博士号のない人からクビにしたらどうでしょう?

 だいたいドイツ語教師なんてものは、日本の大学の不良債権なんですよ。昔ドイツ語が重要だった時代にたくさんポゥストを作ったもんだから、今じゃ社会から必要とされていないのにたくさんあって、しかし権益を守りたいから削減には応じないで抵抗している。ドイツ語教師なんて人文学の「抵抗勢力」の最たるものでしょう。佐伯さんには、文科省や大学幹部に異を唱える勇気がないと言いつつ、ご自分では「大学教授」連の「保身」には見てみぬふりを決め込むんでしょうか。

 もしお望みなら、旧帝大教授で、博士号もなけりゃ碌な業績もない人々の名前を教えてあげますよ、三浦先生。佐伯さんは残念ながら博士号もあるし、クビにする教授の中には入りませんけれど。ところで三浦先生はどちらで博士号をおとりで? 業績一覧に見当たらないんですが、まさか博士号も持っていないのにそんな大言壮語をしているわけじゃあ、ありませんよね。      

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(以下、三浦の回答)

 大学院の定員の話をどうして大学の話に持っていくのでしょうか。 そもそも私の記述は佐伯順子さんが大学院学生の質低下と大学院定員の増加を嘆いた文章を書いたことに端を発しています。 大学院定員ばかりに言及して大学の定員に触れないことに文句を言うなら、佐伯さんになさってはいかがでしょう。

 次に、国立大学には自治権なんてありませんよ。 例外は人事権だけです。 他は、一切ありません。 小谷野さんは国立大学におられたことがあるはずですが、その割りには事情を全然ご存じないですね。 予算削減? そんなものじゃ済みませんよ。 新潟大では以前、某学部が或る懸案で文科省 (当時は文部省だがここでは文科省に統一) にさからったところ、それと関係ない事柄まで一切合切手続き等が凍結され、手も足も出なくなったそうです。

 これは新潟大のような地方大学だけじゃありませんよ。 東大ですらそうですからね。 お疑いなら、中井浩一 『徹底検証 大学法人化』(中公新書ラクレ) をお読み下さい。 そこに、東大医学部の教授をされていた方の話が出てきます。 実は私は大学の教養部解体は文科省の政策だという内容の投書を産経新聞にしたことがあって (★)、それを機縁にその方から手紙をもらいました。 天下の東大医学部がいかに文科省からいじめられていたかを知って、改めて日本の役人天国ぶりに驚いたわけです。

 ★ http://miura.k-server.org/newpage140.htm 

 次に博士号ですが、私は母校の東北大で取りました。 「業績一覧に見当たらない」 って、いったいどこをごらんになったのですかね? 私のサイトや新潟大のサイトを見れば博士号を取得していることは分かるはずですけれども (★★)、まともに調べず勝手な思い込みでものを言うのは学者として失格ではないかと思いますが。

 ★★ http://miura.k-server.org/toppage1.htm

   http://miura.k-server.org/newpage4.htm

   http://researchers.adm.niigata-u.ac.jp/public/16817607_a.html

 ちなみに博士号云々にからめて、博士号を持たない人間が博士号の審査をしているといった批判を書いておられますが、時代の変遷を視野に入れないご発言はやはり学者としていかがなものでしょうか。 最近の若い学者が積極的に博士号を取るのは、博士号の意味が変わったからです。 私の学生時代、理系はともかく文系では、博士号は停年の見えてきた老教授が長年に及ぶ学者生活の記念として取るものでした。 文系で博士課程に進んでも博士論文は誰も書かない。 書いても受理されない、と言われていました。 それが変わってきたのは近年のことでしょう。 博士号が学者としてスタートを切るための条件になったからです。 私の博士論文も、最初から博士論文にするつもりで書いたわけではない。 大きめのテーマを扱う論文を数年かけて紀要に連載しているうちに教養部解体などがあり、これからの時代には称号を持っていることも必要かも知れないな、と考えて博士論文としたわけです。

 つまり称号を持っているから学識があるわけではない。 称号のあるなしの意味が昔と今とで違っているに過ぎないのです。 無論、論文を書かないし学識もないという人も少なくないでしょう。 けれども学識が豊かなのに論文を書くという作業が嫌いで、いわゆる万年助教授に甘んじる人もいるわけです。 私はそういう人を知っていますし、そういう生き方をそれなりに尊敬しています。

 次に、ドイツ語教師が不良債権だということですが、私はドイツ語はともかく第二外国語教育自体は維持すべきだという見解です。 必要ならドイツ語教師は減らして、イタリア語教師でも中国語教師でも増やせばよろしい。 ところが学内政治の力関係などから、小谷野さんのおっしゃる 「社会から必要とされて」 いる実用的な領域の事柄を日本語で教える教師ばかりが増えているので、国際化時代と言われながら、学生の外国語力 (英語を含む) や外国に対するセンスは低下する一方なんですよ。 そういう状況を知ってか知らずか、「抵抗勢力」 なんて言葉を切り札みたいにお使いになるのは、小谷野さんらしくないと思いますが。

 ああ、でも小谷野さんは英語教師になられるおつもりだったから、昔から実用性を重んじられているわけですか? だとすれば、私は最初からドイツ語に実用性なんてないと承知の上でドイツ語教師になったので、出発点が全然ちがうわけですね。 それに残念なことですが、英語教師も今どきの大学ではたそがれていますよ。 或る地方の公立短大で英語教師を公募したら、1人の枠に100人以上の応募があり、業績の下読みにドイツ語教師まで駆り出されたそうです。 比較文学ならなおさらのことで、文科省や 「社会」 からすれば 「抵抗勢力」 に過ぎません。 抵抗勢力と呼ばれる覚悟がおありでないなら、比較文学も英語もおやめになって、法律か経済の専門家に転向なさってはいかがでしょう。

10月1日(土) 午後6時半からだいしホールで風岡優ヴァイオリンリサイタルを聴く。 風岡氏は長らく群馬交響楽団のコンサートマスターを務めた方で、現在は新潟大学管弦楽団と新潟メモリアル・オーケストラのトレーナーをしている。 ピアノ伴奏は風岡未耶 (お嬢さんでしょうか、外見もちょっと菅野美穂に似てチャーミング)。

 前半、モーツァルトのソナタハ長調K.296とベートーヴェンのソナタ7番はぱっとしなかった。 音がよく出ておらず、張りがなく線が細い感じ。 だいしホールのような300人入らないホールでそう感じるのだから、非力な印象は否めない。 伴奏のピアノに負けているようで。 解釈も、特に演奏家の表現意欲みたいなものをうかがわせるところはない。

 後半になって、バッハの無伴奏ソナタ第1番とショーソンの詩曲は悪くなかった。 ようやく音に張りが出てきて、曲も演奏者に合っていたのか、音楽を聴いているなあ、という実感が湧いてきた。

 イザイの無伴奏ソナタ第1番第1楽章などアンコールを2曲やってお開きとなった。

9月30日(金) 本日は某耳鼻科医院に行く。 通院ばっかりですなあ。 実は4週間前にひいた夏風邪でずっと咳と痰が止まらず、新学期=授業開始も間近なので、この際なおしておこうと決心したのである。

 昼頃行ったら、誰も患者がおらず看護婦兼事務員はヒマそうにしていた。

 私は40歳を過ぎてから喉が目立って弱くなった。 風邪を引くとまず喉をやられるし、治りが一番遅いのも喉である。 その代わり発熱はほとんどしなくなった。 体質は年齢によって変わるものなのである。

9月29日(木) 昨日に引き続き某総合病院に検査をしに行く。 朝飯抜き。 2つの科にまたがったためもあり、午後1時過ぎまでかかる。 お陰様で、待合室で昨日とは別の新書をほぼ読了できました。

 それにしても老人だらけである。 車椅子の老人が、耳が遠いので付き添いに耳元で大声で 「呼ばれたからね」 と言われて、ゆるゆるとあぶなっかしげに松葉杖をついて立ち上がり亀のような速さで診察室に入っていく様子を見ていると、これからの日本はどうなるのかなあ、などと余計なことを考えてしまう。

 それはさておき。 2つ目の科で受けた眼底検査の麻酔が残っていたせいか、精算を済ませて外に出たら陽光がまぶしくて耐え難かった。 麻酔で瞳孔がうまく閉まらなくなっているらしい。 本日の新潟は、昨日に引き続き快晴で空気が澄み切っているから、日の光が空気中に充満しているのだ。

 検査の結果は、詳しくは来週にならないと分からないが、あまり大きな異常はないらしかったので、何はともあれ朝食抜きの空腹を充たそうと、某ラーメン屋に入ってラーメン+ミニ・チャーシュー丼+餃子の定食を食べました。 

9月28日(水) 午前、某総合病院に検査をしに行く。 50歳を越えると、やはり体にガタが来るようだ。 中村光夫じゃないけれど、年はとりたくないものです。

 新書本を読みながら待合室で待っていると、圧倒的に老人が多い中、斜め前に妙齢 (死語に近いか?) の女性がいた。 本を読んでいるところはいいが、コミック本である。 ううむ、雑誌でもいいから活字の本を読んで欲しいものだ。 理想的にはドストエフスキーかバルザック、というのは冗談だが、せめてサガンか村上春樹あたりで決めてみて下さいな。

 でも年寄りも、本を読みながら待っている人なんてほとんど、いや、全然いない。 新聞を読んでいればいいほう。 どうしてかな。 年寄りだから目が弱っている、知的好奇心が弱っているという考え方もできそうだが、私に言わせれば待合室くらい本を読むのにもってこいの場所はないのだ。

 いや、これは本当の話なんで、その点では研究室より条件はいい。 学生が訪ねてくることもなく、賃貸用のワンルーム・マンションを買いませんかというようなヘンな電話がかかってくることもなく、ついついパソコンでネットサーフィンを楽しんでしまったりすることもなく、紅茶をいれて一服しようかなあと思うような設備もなく、美人秘書と昼下がりの情事にふける余地もなく (言うまでもなく、ここは冗談です) ―― というように、悪条件がことごとく排除されているからだ。 

 というわけで、この日は待合室で新書1冊の半分以上を読み、午後研究室で残りを読了しました。

9月27日(火) 雑誌 『WiLL』 11月号を買って読んでみる。 この雑誌は少し前から新聞広告で結構目立っていたが、買ったのは初めてである。 朝日新聞批判が特集されていたので、買う気になった次第。

 私も朝日新聞にはとっくに愛想が尽きて止めているが、渡部昇一や谷沢永一の朝日批判はルーチン的でさほど面白みを感じない。まあ、一部ではすでに常識化しているからだが、一方で常識が通用しない人がいまだに結構いるのも事実だけれど。

 面白いのは、朝日記者の匿名座談会である。 記事のパターンが取材前から決まっていることや、若い記者が育たない仕組み、年寄り支配の実態など、なかなか読ませる内容である。 毎日や読売との比較も出てくる。

 以下、 『WiLL』 に書いてあったことではなく私の見解だが、朝日新聞がいまだに業界第2位の部数を保っていられるのは、宅配制度のお陰だろう。 雑誌は店頭で買う人が多いから、内容が悪かったり時代に合わなければすぐに部数が激減する。 しかし新聞は宅配制度のせいで何となく習慣的にとり続ける場合が多く、敢えて他の新聞に変えるのはそれなりの契機が必要である。

 例えば岩波書店の 『世界』 など、今どき買う人はごくわずかだだろう。 私の学生時代にこの雑誌が持っていたステイタスはとうに失われている。 もしも朝日新聞が雑誌だったら、『世界』 並みに部数が減っているはずである。 じじつ、朝日新聞社の雑誌 『朝日ジャーナル』 はとうに廃刊になっているし、その後継雑誌もうまくいっていない。

9月24日(土) 午後6時30分からりゅーとぴあで新潟メモリアル・オーケストラ第15回定期演奏会を聴く。

 プログラムは、芥川也寸志の交響管弦楽のための音楽、R・シュトラウスの組曲 「バラの騎士」、シューマンの交響曲第3番 「ライン」。 アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第5番とシューマンのトロイメライ (管弦楽用編曲版)。

 前半プロは私の趣味ではないので、後半のシューマン目当てで行ったもの。 シューマンの交響曲って案外実演で聴く機会が少ないのだ。 というか、記憶が正しければ、私がこの曲を実演で聴くのは初めてかも知れない。

 このオーケストラは新潟大学管弦楽団のOBOGがメインになって作ったもので、私は初めて聴いたのだが、結構うまい。 管も破綻がないし、特にホルンが上手だった。 専門的なことは分からないが、新大オケとは明らかにレベルが違う。 卒業するとかえって上手になる? 山岡氏の作る音楽はちょっと芝居がかっているところがあったが、まあ良かったんじゃないかな。

 観客がもう少し多ければ、という気がしたけれど (1階後ろ半分と2階Cブロックがほぼ満席、1階前半分と2階B・Dブロックと3階Iブロックが3分の1から4分の1くらいの入り。他ブロックはほぼ無人)、客の質は悪くなかったと思う。

 このオケが新潟交響楽団と並ぶ新潟のアマオケに成長することを祈る。

9月23日(金) 午後4時からりゅーとぴあでアンドレーア・マルコン・オルガンリサイタルを聴く。

 プログラムはオール・イタリア物で、フレスコバルディの特価多々第5番、カンツォーナ第3番、舞曲風のアリア、ストラーチェの舞曲、リチュルカーレ、戦いの舞曲、パスクィーニの 「スコットランド風」 パッサカリア、3つのアリア、トッカータイ長調、A・スカルラッティのトッカータイ長調、D・スカルラティのソナタニ長調K281、ソナタニ長調K282、休憩後が、ペシェッティのソナタハ短調、ヴァリーリのソナタ第3番 「トロンボンチーニのために」、ソナタ第9番 「フルートのために」、モレッティのシンフォニアのためのソナタロ短調、ベルガモのダヴィデ神父のエレヴォチオーネニ短調、ソナチネヘ長調。 ・・・・・うーむ、書くだけでも大変なのだ!

 ちょっと疲れる演奏会ではあった。 特に前半は解説も小休止もなく1時間ぶっつづけに弾いて、聴いているほうも大変。 後半は正規プロは30分だが、アンコール2曲をやって、開演から終演まで途中休憩15分を入れて2時間ちょうどというのは結構ボリュームがある感じ。

 特にオルガンの単独演奏会だから、なおさらそう感じる。 これがオーケストラなら色々な楽器があるし何人もの奏者がいるわけだから、単調さから免れ、ボリューム感も減るのだが、オルガンだけだと、いくら多彩な音があるといっても、どうしても単調になる。

 と同時に、西洋人の体力、みたいなものを今さらながらに痛感した。

 今回は節約して安い方の席 (A席、Nパックメイト=1800円) にしたので、3階正面の後ろの方。 ところが結構迫力ある音響が楽しめた。 このあたり、パイプオルガンのパイプをちょうど真正面に見る位置なのだ。 そのせいか、大音量で迫ってくる感触がある。

 また、鈴をチリチリ鳴らすような音を出す曲があって、オルガンってこういう音も出るのかとびっくり。 並んでいるパイプの中央の一番上に風車みたいなものがついているが、あれが回って音が出るようである。 りゅーとぴあのオルガンは何度か聴いているけれど、この音は私としては初体験だった。

9月20日(火) 本日53歳の誕生日だが、それにふさわしく (?) 真面目な話を。

 昨日の毎日新聞・教育欄に、小中学校の自由選択制の問題点が特集されていた。 東京都品川区でこの制度が導入されて6年になる。そのため、実際に入学者ゼロになる学校が出ており、教職員が生徒集めに走ったり、周辺住民と学校とのつながりが希薄になるといった現象が生じているという。

 人気のある学校が本当に内容がいいかというと、その辺はよく分からないというのが率直なところだろう。 うわさに父母が踊らされている側面もあっるという指摘もなされている。 ここらあたりは、よりいっそうのリサーチが必要だろう。 この記事には英国の例も紹介されているが、分量的に不十分である。 国内の例も含め、続報を期待したい。 

 私が思うに、義務教育の自由選択制で問題なのは、平等感覚の減退だと思う。 同じ学校に住む子供はだいたい同じ地域に住んでいて、中には金持ちの子も貧乏人の子も、商売人の子もサラリーマンの子もいる、というのが平等感覚の基盤であるはず。

 というと、貧乏人の子でも義務教育から評判のいい学校に通えばいいじゃないかという異論が出そうだが、そういう情報 (ニセ情報も含めて) に敏感な層とそうでない層があって、それはあらかじめ親の裕福さや職業によって決まっているだろう、というのが私の言いたいことなのだ。

 義務教育段階の公立校でも良し悪しがある、みたいな話は、私の子供の頃から言われていたことだ。 例えば私自身、本来は通学地域から言えば隣接地区の公立中学を卒業している。 それは、私の住んでいた社宅の或る親が、その社宅の区域に割り当てられていた中学が新設中学であり、高校進学の実績に乏しかったので、教育委員会にねじこんで実績のある伝統校 (と言ってもたかだか公立中学なんですがね) の区域に変更してもらったから、だったらしい。

 私が住んでいた社宅の親は、首都圏や全国各地からの出身者が多く、教育熱心で、そういう差異に敏感な人が多かったのだろう、と今にしてみると思う。 私の小学校時代の同級生では、一人だけだが、地方都市の地元中学ではイケマセンということで、親戚宅から通うという条件で東京の私立中学に進学した女の子がいた。 あまり性格の良くない子だったように記憶するけれど。

 或いは、やはり社宅内に住んでいた一年年長の男の子は、中学までは地元にいたが、大学進学では地方都市の高校はいくら進学校と言ってもレベルが低いから、ということで、東京の、当時はまだ私立高に優位を保っていた都立伝統校に進学した。 やはり親戚宅に住所を移して、ということだったと聞いたような気がする。 ちなみにその人は期待にたがわず東京の高校から東大法学部に進学し、官僚になったらしい。 この人は、私は一緒に塾に通ったことがあったけれど、性格のいい、年少者に親切な少年だった。

 つまり、昔からそういうことはあったわけだ。 ただし、それはあくまでごく一部の人間のやることであり、おおかたはそういった差異に敏感になることなく、地元の公立中学に通い、成績が良ければ地元の進学校とされる高校に進んだのである。

 しかし、ここに来て日本人はおおかたが差異に敏感になり、というか差異に踊らされて、小中学校の段階から少しでもいい学校へ進もうと必死になっている。 逆に言えば、その波に乗れない少数派 ――昔はそれが多数派だったはずだが――がこうむるダメージは大きなものになりかねない。 つまり、学校に本当に差異があるかどうかではなく、そういう問題に敏感でなかった人間、言うならば負け犬が集まってしまったという意識が、逆に学校の差異を作ってしまいかねないのではないか、ということを、私は言いたいのだ。

 そういう状況を、私は何より恐れる。

9月19日(月) 来月7日から出張で京都に行くので (9月13日の記述参照)、ついでに何かコンサートがないか、と思い、有名なびわこホールのサイトを調べてみた。

 ・・・が、「催し物」 に10月分が載っていない。 8月分と9月分だけ。 9月19日だっていうのに、まだ8月分が載っているとは、いやはや。

 私は新潟市音楽文化会館のサイトなどに何度か更新が遅いと文句を言ってきたが、怠慢なのはびわこホールも同じらしい。 いや、知名度が抜群なだけに罪が重いかな。 困りますなあ。

 文句を言おうと思ったが、サイト内に投書コーナーがないので、アンケート・コーナーに苦情を書いておいた。

 (ちなみに、このサイトを更新した9月22日現在、いまだにびわこホール・サイトの 「催し物」 は更新されていない。 つまり8月分が載っていて10月分が載っていない。 すげえお役所仕事ぶりですなあ・・・・)

 (追記: 反応がないので滋賀県庁に苦情のメールを出したところ、すぐ返事が来た。 担当者不在で云々という、まあ、おきまりの言い訳ですね。 その後、9月28日になってようやくサイトは更新された。 ううぅぅ・・・・)

9月17日(土) 本日、クルマを車屋さんに半年点検に持っていった。 セール中とのことで、お土産付き、かつ旅行クーポンが当たるというアンケートをやっていた。

 で、そのアンケートの中に 「ドライブ中に聞く音楽は?」 という項目があり、6つの選択肢から選ぶのだが、ロック、ジャズ、Jポップ・・・・・ううむ、クラシックがないのである。

 「クラシック、ないですね」 とアンケートを持ってきた女の子に言ったら、「じゃ、空欄にしておいてください」 とのこと。

 クラシックって、こんなに認知されていないのか、と改めて思い知ったのでありました。

9月14日(水) 雑誌 『SAPIO』 の9月28日号が 「大学崩壊」 特集を組んでいる。 もっともこれは第2特集で、第1特集は 「中韓 『反日』 決戦の秋」 だけれど。 第2にしても、こういう特集をまともに組む雑誌があまりない現状では、貴重と言えるだろう。

 冒頭、広島大教授・有本章氏の文章が大学問題の本質を羅列していて、拍手したくなる。 日本の教育行政が高校までは学力低下誘導策をとってきたのに、大学に対しては昨今の 「改革」 ブームに乗って業績審査を厳しくしたり認証制度を設けたりして基準をアップしており、高校までの政策と大学政策が完全にばらばらになっているということ。 この辺はいかに文科省が何も考えていないかを示す事実なのだが、こういう指摘があまりなされないのはどういうわけだろうか。

 また有本氏は、昨今の少子化にともなう大学経営の 「合理化」 により大学教授の賃金カット・首切り・パートタイム化が進み、直接的な利益を出さない 「無駄な研究」 ができなくなりつつある現状に警鐘を鳴らしている。 無駄な研究がなければ大学は大学ではなくなる、と氏は明言する。 

 次に来るのが、多*正芳氏と釣秀一氏の法科大学院に関する文章である。 (*は木へん+朶) 

 法科大学院を出ても実際に新・司法試験に合格できる学生は限られており、最初の触れ込み、つまり修了者の7ないし8割が合格するというのは絵に描いた餅ではないか、という指摘に始まり、受験に失敗した場合のケアの無さ、教授陣自体が司法試験合格に直結する授業をする能力に欠けているという事実、学費の高さや司法試験合格後すぐに収入が得られるわけではないという事情から社会人参入も容易ではないこと、などなどの問題が列挙されている。

 また、法科大学院が乱立し、定員に満たない学校も少なからず出ており、それで合格率が芳しくなければ、法科大学院そのものの淘汰が始まるだろうという。

 以下私の見解だが、新潟大学の場合を見ても、もともと司法試験合格者は僅少であったし、そういう法学部の教授陣の大半が法科大学院教授に横滑りして大丈夫なのかなあ、という疑問は私のようなシロウトでも自然に抱くところである。

 また、法科大学院制度ができると、我も我もと法科大学院を作ってしまう日本人の 「バスに乗り遅れるな」 意識も当然ながら問題視されるべきだろう。 

 そもそも、日本の法学部で司法試験合格者を一定数だすところは限られていたわけで、大半の法学部生は、裁判官や弁護士ではなく、国家公務員・地方公務員・事務系サラリーマンを目指していたのだ。 そして法学部とはそういう場所だという了解もそれなりにあったのである。

 ところがなまじ法科大学院などを作ってしまったために、新潟大学の法学部は授業がかなり手薄になり、お陰で人文学部の私の授業を取りに来る法学部生が相当数に及んでいる。 法科大学院とはこのように、実にハタ迷惑なシロモノなのである。

 ――何はともあれ、この特集はこのほかに、日本の大学が抱える問題点を多方面から指摘しているので、関心のある方には一読をお薦めしたい。

 9月13日(火) 10月9、10日に同志社大学で日本ドイツ文学会がある。 秋の学会は欠席することが多い私だが、今回は久しぶりに京都に行ってみようかなあ、などと考えて、出席することにした。

 念のため言い添えておけば、交通費・宿泊費とも完全自腹である。 研究費は、このサイトでも繰り返し書いているように、昨年度の独法化で激減しているから、とても年2回も学会に出張するだけのカネは出ない。

 ところが、本日、インターネットで宿を取ろうとしたら、京都市内はどこもかしこも満員なのである。 どこもかしこも、と言っても、無論ワタシの財布の許容するビジネスホテルでの話だが、10月9・10日は前日の土曜と合わせて3連休だから、まだ4週間もあるというのに、さすが観光都市京都だけあって、ビジネスホテルは予約で一杯になっているらしい。 ……うーむ、考えが甘かったか。

 どうしようかなあ、大阪の方に宿を取ろうかとも思ったが、ふと思い立って、大津方面を調べてみた。 すると大津市内で、JRで言うと大津駅の2つ先の石山というところにあるビジネスホテルが空いていた。 石山駅からは歩いてすぐだし、石山駅から京都駅まではJRで15分だから、東京なら東大で学会がある時に渋谷あたりに宿泊するようなものだと思えばよかろう。 朝食付き3泊で2万円弱だから、値段的もワタシに向いている。

 まあ、何にしろ、宿が取れてよかった、よかった。 物事は柔軟に考えるとうまくいきますね、と言うのは大げさか。

 さて、夜は、りゅーとぴあスタジオAで、オルガン音楽講座 「イタリアのオルガン音楽」 を聞く。 講師は水野均氏。 受講者は20名ほどと、ちょっと寂しい。

 23日にアンドレア・マルコン氏のオルガン・リサイタルがあるので、それに合わせて、古代ローマに始まるイタリア・オルガンの歴史と、現存する最古のイタリア・オルガン曲だというカヴァッツォーニの曲を初めとする主要作曲家のオルガン音楽が紹介され、たいへん勉強になった。

 23日の本番が楽しみである。

9月11日(日) 自宅で、シューベルトの交響曲第8番ハ長調 (以前は第9番、もっと以前は第7番と言われていた) のCDを聴く。 カール・ベームがウィーンフィルを1960年代後半に振った実況録音盤。

 実はこのCDがあることを忘れていて、久しぶりに聴いてみたのであるが、やはりベームは実況録音のほうが勢いがあっていいなと思う。 彼が80年代にウィーンフィルと日本に来てNHKホールでこの曲をやった時のLPレコードも持っているが、そこでのベームはもうかなりの高齢ということもあり、テンポが非常に遅くなっていた。 それはそれでこの曲の一面を捉えていて悪くないのだが (特に第2楽章)、本日のCDは壮年期の勢いみたいなものが感じられて、シューベルトが大規模な交響曲として作った意気込みをうかがわせる演奏になっている。

9月8日(木) 午後7時から、音楽文化会館でダネル四重奏団の演奏会を聴く。 ハイドンの 「皇帝」、メンデルスゾーンの第4番ホ短調、ラヴェルという、起伏に富んだプログラム。

 最初、ハイドンの第1楽章では、音も硬くアンサンブルもイマイチだったが、第2楽章以降は硬さもとれて実力を遺憾なく発揮したというところか。 第一ヴァイオリンの音はなかなかストレートに伸びてくる感じで悪くないけれど、チェロが少し大人しすぎて、ややバランスに欠ける印象があった。 3曲の中ではラヴェルが一番よかったかな。

 アンコールは、ベートーヴェンの第13番の第2楽章。

 会場の左の方から、何度かピーピーという音がかすかに聞こえてきた。 あれ、何だったんでしょうか?

9月3日(土) ようやく症状が良くなってきたので、学校に行く。 病み上がりなので何か果物のジュースでも飲みたいなと思って大学前のスーパーに入ったら、イタリア産マスカット10%というジュースが1リットル入りのパックで138円だった。 見ると、飲用期限が本日を入れてあと3日しかない。 それで安売りをしているのだ。 

 1リットルというのは一人で3日以内に飲むにはどうだろう、明日は学校に来るかどうか分からないし・・・・と思ったが、並んでいる他のジュース類に比べて圧倒的にうまそうだったので、ええいとばかりに買う。

 で、研究室でさっそく飲んでみると、これがウマイ。 フルーティで、しかも甘すぎず、ちょうどいい感じなのだ。 というわけで、わずか2時間で1リットルを全部飲んでしまいました。

 昨夜は暑かったし、また多分風邪が治りかけているせいもあり、寝ている最中にかなり汗をかいた。 そのせいで体が水分が要求していたのであろう。

 もっとも、大学に来てからは数度トイレに駆け込んだ。 40代半ば以降、風邪を引くと大体こういう具合になる。 つまり、まず喉に来て、それから体の関節がだるくなる。 熱はほとんど出ない。 そして喉や関節の症状が良くなると、入れ代わりに腹具合が悪くなる。 逆に、腹具合が良くなると、喉や関節の調子がまた悪くなったりする。

9月2日(金) 症状が悪化したので、本日は学校にも行かず、一日中家でぼおっとして過ごしました。

9月1日(木) ここ数日、喉の調子が悪かったが、本日はそれに加えて体がだるい。 夏風邪らしい。

 しかし本日は映画サービスデーでもあるので、かねてから一部で評判の映画 『リンダ リンダ リンダ』 をワーナーマイカル・シネマズ新潟に観に行く。 この映画館は新潟市に3つあるシネコンの中で一番サービスが悪く、メンズデーもなければポイントカード制もない (他の2館にはいずれもある)。 私は映画は正規料金の1800円では原則として観ない主義だから、行くとすれば本日しかないわけで、病をおして出かけました。

 ・・・・が、私の趣味には合わない映画だった。 残念でした、ううむ。

 それにしても、ワーナーマイカルは、映画サービスデーだというのに閑散としており、この 『リンダ リンダ リンダ』 も新潟市では単独上映でありながら客数は10人いるかどうかといったところ。 ま、このサービスの悪さじゃあ、致し方なかろう。 以前はそれでもミニシアター系の作品選択にそれなりの見識がうかがえたのだが、最近はその点でもユナイテッド・シネマ新潟に負けているしね。

 新潟市は合併して80万都市になったけれど、シネコンが3館もあるのは明らかに過当競争。 何しろシネコンが進出する以前の新潟市はスクリーン数が10を少し越えるくらいだったのに、今では26にもなっているのだから。

 酷な言い方になるが、過当競争でつぶれる映画館があるとすれば、ワーナーマイカルであることを私は疑わない。 

8月31日(水) 産経新聞のコラム 「断」 に佐伯順子がまたも (8月14日の記述を参照) 見当はずれのことを書いている。 別に彼女に個人的なウラミがあるわけではないが、このハズレぶりは尋常ではない。

 大学院生のレベル低下を嘆いた文章である。 たしかに大学院生のレベル低下自体はその通りなのだ。 私もこの欄の6月30日に書いておいたけれど、外書の原書講読なんかとっくに成り立たなくなっているし、それどころか、日本語の本を読む授業なのに途中で挫折しトンズラを決め込む奴がいるのである。 困ってしまう。 日本語が読めない日本人大学院生ですか、洒落にもなりません!

 では、佐伯の文章のどこがおかしいのか。 なぜそうなったかの分析である。 この点で彼女の文章は二つのことが並立して書かれている。 一つは、大学院重点化で大学院在籍者数が増えていること、そしてもう一つは、フリーターやニート現象にも見られるように目的意識のない若者が増えてその受け皿に大学院が使われていること。

 これも要約すればその通りなのだけれど、問題はその書き方である。 第一の点について、佐伯はこう書いている。 「しかもこうした 〔大学院の質低下の〕 危険を助長するかのように、大学院は重点化で在籍者数がふくらんでいる。 研究職のポストは限られているのに、モラトリアム人間を増やしてどうしようというのか。」

 「在籍者数がふくらんでいる」 って、自動詞で書くなよ! 大学院の定員が勝手にふくらむわけがないだろう。 「ふくらましている」 人間がちゃんといるわけで、そこを書かないからワケがわからなくなるのだよ。 

 また、「どうしようというのか」 は、いったい誰に向かって言っているのか? これまたぼやかして書いているから、おかしくなるのだ。 事情を知らない人間は、これを読んでも危機の原因が分かるまい。 

 答は簡単である。 文科省こそ、その犯人なのだ。 国立大について言えば、大学院の定員を勝手に増やし、しかも定員割れすると文句を付けてくる。 結果、誰でも入れる大学院となってしまい、レベルは低下の一途をたどる。 新潟大では、上に書いたように、日本語の本もまともに読めない人文系大学院生が一人ならずいるのである。

 もっとも、佐伯は私学の同志社大に務めているから、この場合は同志社大学の私学としての見識が問われる側面も大きかろう。 であれば、きちんと 「同志社大学は見識がない」 と書くべきだと私は思うのだが、自分の勤務先の批判一つできない保身主義者にすぎないのかい、アンタは?

 佐伯はこうも書いている。 「大学側も、腰の据わっていない受験生を見抜き、きっぱりと拒絶する見識を持ちたいものである」。 それを言うなら、まず、「見当はずれの大学院拡充政策を勝手に作り、それを押しつけてくる文科省 (もしくは同志社大学幹部) をきっぱり拒絶し批判する勇気を、大学当局も持ちたいものである」 と書くべきだろう。 佐伯がこのコラムで文科省や同志社大学幹部の政策的欠陥に全然言及していないのは、彼女にそうした勇気が欠けているか、あるいは事態が全然見えていないかのいずれかに原因があろう。

 佐伯のこのコラムが変なのは、そうした政策論的な視点が欠如していることに加え、精神論で事態を捉えて、「研究意欲もないくせに (…) 修士号というレッテル 〔レッテルじゃなく学位でしょ――三浦〕 をほしいという一部若者の姿勢は、大学院に対する冒涜として許しがたい」 などと息巻いている点にある。 おいおい、文科省や同志社大学幹部は名指ししないくせに、大学院生にだけは 「許しがたい」 などときつい言葉を投げかけるのかい? 内弁慶なんじゃありませんか?

 そもそも、佐伯も書いているとおり、研究職のポストは減っているのだから、将来大学の研究者としてやっていこうという意欲が若者にあまり見られなくなるのは、当然であろう。 だから、それでも大学院に席をおくという人間が、是が非でも研究者になりたいという意欲に満ち満ちた少数の若者以外には、何をやっていいか分かりませんというモラトリアム人間により占められるのも必然だということになるのではないか?

 つまり、原因と結果が佐伯の頭の中で整理されておらず、何となくうっぷんを弱い立場の大学院生に向けてだけ晴らす文章になってしまっているところが、トホホなのである。

 じゃあ、どうするの?という問いには私が明快に答えよう。 道は、二つある。 なお、これは文系に限った答であり、理系ではまた別の答があるだろうことをお断りしておく。

 (1) 大学院の定員を削る。 具体的には、国立なら旧帝大以外の大学院は全廃。 旧帝大の大学院定員も現行より削減する。 ただし、旧帝大学生以外の意欲ある学生の大学院進学に道を開くため、旧帝大大学院の定員には旧帝大以外からの進学者を一定数とる、という縛りを入れる。 ついでに、今の国立大の学費は高すぎるから、せめて国立大学大学院の学費だけでもタダにしたい。 以上は、文科省の責任において遂行すべし。

 (1)’ 佐伯の勤務先は私学だから、これは他人がとやかく言うべきことではないが、佐伯のような批判が出ているのだから、私学もこの際思い切って大学院の定員を削減すべきであろう。 ついでに、国立大大学院は旧帝大だけで沢山と言ったバランス上、私学の大学院も早慶上智同志社くらいに絞ったらどうかな、と暴言を吐いておきます。 他大学出身者の受け入れは国立大のように縛りを設けて保障するという前提で。

 (2) 仮に今のまま大学院生の大量採用を続けたいというなら、大学院を出てからの就職先をきちんと用意しておく。 具体的には、まず、中学高校の教員は修士号を持たないとなれないようにする。 それから、大学院拡充政策をおしすすめた当事者である文科省も、修士号を持つ人間でないと採用しないようにすべし。 でないと、大学院を出ていない人間が大学院を出た人間にさまざまな政策を押しつけるという、学歴社会の原則 (=大学院拡充政策の基本理念) に反した現象が起きてしまい、文科省としては自己の政策に根本的な撞着を生じてしまってマズイはず、である。 マズイと分かるだけの頭が文科省役人にあれば、ですがね。 なお、この場合も、金持ちの子弟しか中高の教員と文科省役人になれない、というのでは困るから、国立大学大学院の授業料はタダにする。

8月29日(月) 夜、H卓球クラブに練習に行く。 その帰り、海岸沿いの道路を走っていて、ヘンな車のせいで急ブレーキを掛ける羽目になった。

 つまり、こうである。 私の前をトロトロと走っている車がいて、ブレーキをかけてほとんど止まりそうになったのである。 止まるんだな、私はそう思って追い越しにかかった。 夜9時頃で、道路は空いており、対向車は身近には見あたらない。

 ところが、である。 その車はほとんど止まりそうになったところで、不意に右ウィンカーを出したのである。 右折する、という意思表示だ。 私は追い越しにかかっていたが、相手が右に曲がるとぶつかる恐れがある。 というわけで、急ブレーキを踏む羽目となった。

 さいわい、その車もウィンカーを出しただけで動かなかったので衝突には至らなかったが、まったく紛らわしい運転をする奴がいるものである。 

 追突しなかったからいいじゃないか、という人もいようが、実はよくないのだ。 というのは、後方座席にこの日某スーパーで買ったワインを4本おいてあり、それが急ブレーキのせいで下に落ちてしまい、その際に瓶同士がぶつかった衝撃で、1本が割れてしまったのだ。

 私が買うワインだから1本千円もしないチリ・ワインであるが、しかし運転を続行するうちに割れた瓶から赤ワインが流れ落ち、室内には芳醇な香りが・・・・・。 酒に弱い人なら匂いだけで酔っぱらい運転になりそうなところだ。

 自宅に戻ってから急ぎ割れた瓶を運び出したが、車内にはワインの香りが濃厚に残った。 床の絨毯状の部分にしみ込んでいるから、どうにもならない。 しばらくはワインの香りを吸いながらの運転になりそうだ。 警官の検問を受けたらどうしよう・・・・・・??

8月27日(土) 4週間ぶりに演奏会へ。 栄長敬子ピアノリサイタル。 ベートーヴェンのピアノソナタを4曲、第8番「悲愴」、第15番「田園」、第21番「ワルトシュタイン」、第30番という重量級のプログラム。 りゅーとぴあのスタジオAに集まった客は70人ほど。

 私は栄長さんの演奏は初めてだが、全体として奇をてらわないオーソドックスな解釈で、正面からベートーヴェンに挑むといった姿勢がうかがえ、好ましい印象を受けた。

 最後にアンコールとして 「エリーゼのために」 (最近、「テレーゼのために」 が正しいという説もあるようだけれど) を演奏したが、私としてはピアノソナタ4曲でお腹一杯なので、敢えてアンコールをやらずとも、という気分。 (でも後ろの方で、「アンコール!」 と言っている男性客がいたことも事実。)
 課題としては、やはりミスを減らすこと。 暗譜が一瞬崩れたり、右手と左手が合わなくなったりする箇所が散見されたので。

 正規のプログラムが終わったところでお話があったが、栄長さんはベートーヴェンのソナタ全曲に挑戦したいというお気持ちを持っておられるとのこと。 今後が楽しみだ。

 客の質は悪くはなかったと思うけれど、紙の音が気になる。 スタジオAは狭くてそういう音も響くので。 逆に言うと、その辺で客ごとの音への敏感さが分かってしまう。 私の左隣りのオバサンは、演奏中にプログラム (アンケート付き) を折り直したり握り直したり、あげくの果てに途中でアンケートに書き込んだり、盛大な紙音をまき散らしていて、ううむ、なのであった……。

8月25日(木) 本日の毎日新聞の報道によれば、2004年度の国立大の決算で、当期の総利益 (余剰金) が1103億円にのぼったことが文科省の調査で分かったという。 だが、旧国立大から引き継いだ未収授業料などが大半で、経費節減など経営努力によるものは、54億円だった、という。 大学別では、東大、京大、阪大の順で、要するに伝統のある規模の大きな大学ほど多い。

 うーん。 経営努力っていいますけれどね、教師が辞めても全然補充していない現実をどうするんでしょうか?

 例えば、新潟大学人文学部では、この春、ワタシのいる文化コミュニケーション論講座で2人が辞職し (1人は停年、1人は自己都合)、東洋文化講座では2人が他大学に移籍した。 その4人分の穴が、いまだに埋まっていない。

 もっとも独法化以前から定員削減の計画はあって、欠員が完全に埋まらないのは仕方がないところもあるのだが、それにしても4人が抜け、その4人とも穴が埋まらないのは、異常と言うしかない。 それも、特定の講座に2人ずつなのである。

 それから、以前から書いているように、研究費の額が半分以下になってもいるのだ。

 こんなやり方で 「余剰金」 を増やして、いったい学問の府はどうなるのだろうか? 文科省にも毎日新聞にも、そういう視点は思いもよらないのだろうか? 末世ですなあ。

8月24日(水) 本日の産経新聞のコラム 「断」 に、作家の吉川潮がいいことを書いている。 国会の選挙で、前議員の妻だとか子供が立候補しているのはケシカラン、というのである。 まったく同感である。

 国会議員はたいへんな職業である。 国民の運命と国の未来を預かっているのである。 そういう職業に、なんで世襲制のごとくに妻だとか子供が就けるのだろうか? 無論、そういう候補に票を投じる有権者も悪い!

 吉川は書いている。 《 前議員の妻や子供が当選すると、「これから色々勉強したい」 と抜かす。 「勉強してから立候補しろ!」 と言いたい。》 ―― まさにその通りなのだ。 国会議員って、勉強しないでなれる職業なんですか? いやはや、極楽ですなあ。

 世の中、世襲が目立つ職業と言えば、代議士と医師と芸能人であろう。 しかし医師は一応国家試験があるし、芸能人にしても人気というバロメーターがある。 代議士はそうではない。 親が代議士をしていたから――それだけの理由で票が集まる。 繰り返すが、そういう候補に票を入れる有権者も悪い! が、同時に、自分の後継者をちゃんと養成しておかない代議士も悪いのではないか。

 代議士たるもの、県会議員や市会議員という形で、自分の弟子を養成しておくべきだろう。 そして自分が引退するときには、自分の責任において後継者を指名すればよろしい。 無論、その後継者が選挙で通るかどうかはまた別の話で、指名されなかった人間が師の意向に背いて立候補するのもアリだろう。 いずれにせよ、妻だの息子だの娘だのが何となく後を継ぐよりはるかに健全である。

 新潟県も例外ではない。 田中真紀子がいるからだ。 父・田中角栄は、毀誉褒貶はあれど政治家としてそれなりの人物であったのは確かだろう。 しかし、田中真紀子は、外相をやって露見したように、まったく無能な人物なのだ。 人望だってない。 そういう政治家に票を投じる義理があるのか――新潟県民の方々には是非考えていただきたいものだ。

8月23日(火) ようやく前期授業のレポート採点を全部終え、成績入力も終える。 やれやれである。

 教養の西洋文学のレポートでは、西洋人名の書き間違いが目立つ。 まあそれも、脇役を間違える――例えばハンス・ハンゼンがハンス・ハウゼンになっていたり、リザヴェータがザヴェータになっていたり――のはまだしもだが、主人公で小説のタイトルにもなっているトニオ・クレーゲルをトニオ・グレーゲルと首尾一貫して (レポートの最初から最後まで) 間違えて記しているのは、どうにも困りものである。

 それと、ネット時代を反映して、芳しくない傾向も見えてきた。 つまり、ネット上に 『トニオ・クレーゲル』 について書いた (つたない) レポートを公開している某大学生がいて、それを全部丸ごとコピーして提出してくるバカが一人ならずいるのである。

 まあ、昔から解説書の類を丸写しするフラチな学生はいたものであるが、自分の手で丸写しするのはそれなりに労力を伴うけれど、ネット上のレポートを丸写しするのにはそうした手間はかからない。 いけませんね。

 無論そういう奴は全員不合格としたが、今後はレポートの出し方、或いはそもそも評価をレポートで行う方式も考え直さないといけないかもしれない。 困った世の中になったものだ。

 さて、この授業の学部別成績を一覧表にしておこう。 

 教養の講義なので、歯学部を除く全学部の学生が聴講していたのだが・・・・・・・これで分かるように、医学部にDが目立つ。 念のため、医学部には保健学科などもあるが、この授業を取っていたのは全員が医学科、つまり将来はお医者さんになる学生ばかりである。 医学部は今度から入試で面接を課すというけれど、それより以前に教養の授業でこういう芳しくない真似をした学生は退学にするとか、厳しい処分をしたらどうでしょうかね??

 S=90点台、A=80点台、B=70点台、C=60点台、D=59点以下(不合格)

 人文 S1、A1、B6

 教育    A1、B6、C3、D2

 法        B4、    D1

 経済     A1、B18、C4

 理        B4、   D1

 工      A3、B17、C6、D1

 農         B5、C1

 医     A2、B10、C1、D3

8月21日(日) 昼少し前、地震。 新潟市は震度2だからたいしたことはなかったが、中越では震度5のところもあったらしい。 

 何だか、このところ地震が多いような気がする。 私は就職が決まって新潟に来る前はずっと東日本の太平洋岸で暮らしていたわけだが、新潟に来てから、地震があんまりなくていいな、と思っていたのである。

 東日本の太平洋岸は地震が多くて、きちんと統計をとったわけではないが、月に1度くらいは有感地震があったように記憶する。 しかし新潟市では、だいたい年に1度くらいの感じであった。 大地震でなくても、地震てのは気持ちのいいものではない。 したがって新潟は住み易い、という結論になるわけである。

 しかし昨年の中越地震頃から、新潟市でもわりに有感地震が増えている印象がある。 日本にいるかぎり、所詮地震からは逃れられないのだろうか。

8月20日(土) かねてから探していた文庫本を、某古本サイトで発見。 即、注文を出す。

 ちくま学芸文庫の1冊で、新本では品切れになっていたもの。 amazonでは中古としては出ているのだが、定価1500円に対して7割り増しの値段が付いているので買う気がしないでいた。

 ここ数カ月、古本サイトを1週間に2,3度探索してもなかなか出物がなかったが、本日、ついに出てきた。 価格も700円だから、常識的。

 ネット時代になって何が一番便利になったかと言えば、古本探しというのが私の答である。 特に地方都市在住者にとっては便利なことこの上ない。

 このほか、最近出た某学術書を買おうかなあ、と思案しているところ。 ドイツ文学者にとってはなかなか興味深い本なのだけれど、定価が税込み8000円ちょっとする。 ので、新本なら購入をためらうところだが、出版されたばかりでも新古本としてネット上の古本屋に5000円程度で出ているのである。 それも複数の出物がある。 そうなるとかえって、急ぐことはないか、という気になるのが人間のサガか (笑)。

 まあ、研究費がちゃんとあればそちらで新本を買うのだが、このサイトでも何度も書いているように、昨年度から研究費は激減しており、とてもじゃないけれどこの種の学術書を買ってはいられないのである。 Ach!

8月17日(水) 先月来書いていた論文、何とか完成する。 ふう。 と言っても本職 (独文学) のほうじゃなく、趣味でやってるほうなんだけれど。 でも、最近の人文系は、本職と趣味の差が分からなくなってきているからなあ・・・・・・・。

 さて、明日からは学生の提出した期末レポートの採点に精を出さないといけません。 論文執筆にかまけてさっぱりやっていなかったもんで。

8月16日(火) 昼少し前、地震があった。 ゆっくりした横揺れではあるが長く続く。 いつものように、研究室から廊下に出た。 書棚が倒れると危険なので。 横揺れは縦揺れより安全だと理屈の上では分かっているのだが、それにしても地震は気持ちのよいものではない。

 仙台付近を震源とする地震だとあとで分かる。 しかし埼玉県でも家屋が倒壊していて、被害は広い範囲に及ぶよう。 被害に会われた方にはお見舞いもうしあげます。

 閑話休題。 本日、朝食をとりながら産経新聞に掲載されたコラム 「断」 を読んでいて、「あれ?」 と思った。

 執筆者は呉智英で、アメリカで以前 (10年近く前)、日本の原爆詩人がマスコミで話題になったことがあったが、それが実は捏造された詩人であって、 日本でそれを報道したのが朝日新聞の記事だった、という話。 念のため。 捏造したのが朝日なのではない。 捏造だった、という報道をしたのが朝日で、逆ではないというところが面白い、という趣旨のコラムである。

 それはともかく、このコラムで呉智英はこう書いている。 「彼 〔捏造された詩人〕 は昭和初年に広島大学に通っていた (広大は戦後にできた) ともいう」。

 私が引っかかったのは、「広大は戦後にできた」 という部分。 たしかに広島大学が総合大学になったのは戦後だが、戦前から広島文理科大学としては存在していたはず。 文理科大学というのは、戦前、(旧制) 中学や高校の教員養成を主目的とした大学のことで、東日本には東京文理科大学 (のち東京教育大学、さらにのちに筑波大学) が、西日本には広島文理科大学が設置されていたのである。

 したがって呉智英の文には?マークが付く。 それで、朝食をとった後、大学に来てから、図書館で朝日新聞の縮刷版を調べてみた。 案の定、朝日の該当記事はこうなっている。 「1925年から28年にかけてまだ創立されていないはずの広島大学に通ったことになっており」。

 広島文理科大学は戦前からあったが、その創設は1929年 (昭和4年) である。 朝日の記事にはそこまでは書いていない。 が、調べれば (私は大型の国語辞典 『大辞林』 で調べました、はい) 簡単に分かることである。 要するに朝日の記事は、広島大は1929年の創設だということを前提にして、戦前でも1925年から28年にかけて通えるはずはない、と言っているわけである。 呉智英の書くように広島大学は戦前にはなかったのだから、と言っているわけではないのだ。

 というわけで、些細なことだが常識が問われる場面は案外色々なところにある、というお話でした。

 まあ、それにしても、呉智英もこのところ衰えが目立つような気がする。 『封建主義』 なんか出したころはずいぶん新鮮だったけれど、ここ数年、言っていることがかなり揚げ足取り的になってきて、老いを感じさせる。 今回のミスも、案外トシのせいかもしれない。

8月14日(日) 明日が終戦の日ということで、本日の毎日新聞読書欄は 「戦争を考える本」 の特集を組んでいる。 3人の識者がそれぞれこのテーマにふさわしいと思われる本を何冊か挙げながら自説を展開していて、その3人とは丸谷才一と五百旗頭真と田中優子なのであるが、田中優子の見劣りがことのほか目立つ。 単に挙げてある冊数が少ないだけではない。 アンタ、この程度の本しか読んでないの、この程度のことしか考えてないの、と言いたくなる代物なのだ。

 昨日は、産経新聞のコラム 「断」 で、佐伯順子の文章に首をひねった。 全然面白くないのである。 単なる道徳的なお説教なのだ。 この種のコラムは、読者を面白がらせないといけないのだが、その辺がまったく分かってない。 仮に道徳的なお説教をするにしても書き方というものがあるはずで、ひねりをきかせた文章の芸を見せればお説教もそれなりに拝聴いたしておきますという気持ちになるだろうが、あまりに直線的な書き方をしているので、まるで印象に残らない。 というか、余りに稚拙な文章だからかえって印象に残るかな、という気がするくらい下手くそなのである (笑)。 ちなみに佐伯は少し前からこの欄に登場しているが、前回の文章も――内容は忘れたけれど――余りにも面白くないので、面白くないなという印象だけが強く残った。

 女性差別と言われようが、こういう惨状を見ると、まだまだ日本の女性知識人の層は薄いな、と考えざるを得ないのである。 田中も佐伯も、もし女でなかったならば、到底、毎日新聞の読書欄や産経新聞のコラムには執筆などできなかっただろう。 

 もっとも、産経新聞の往復エッセイに登場する生物学者の長谷川真理子は (ちなみにお相手の執筆者は仏文学者の奥本大三郎)、なかなか面白い。 田中や佐伯のような文系学者より、長谷川のような理系学者の方が読ませる文章を書くというのは、皮肉な現象かも知れない。 理系では現象や対象の観察や考察がまずあって、世間の常識みたいなものに左右される余地が少ないからだろうか。

 この場合の 「世間の常識」 は、フェミニズムだとか戦争犯罪の反省だとか、かなり俗っぽい 「常識」 である。 本来、学問はそれを疑うところからスタートすべきなのだけれど、田中や佐伯の文章は、常識からスタートしてしまった人間の限界みたいな匂いを強くただよわせている。 

 常識をやみくもに否定するのでなくともいい。 せめて常識につきまとう悲哀や退屈さみたいなものをアイロニカルに暗示する程度の文章を書いて欲しいものだ。 この点で、女性軍の知的奮起を期待したい。

8月9日(火) 前期授業が終わったばかりだが (採点はまだ終わっていないけど)、早くも後期授業のことで事務から依頼が来る。 私が受け持つ予定の1年生向け演習、希望者が定員を超えているので、抽選を頼むというのだ。 定員は18ないし19名だが、私の演習を希望した学生は40人いた。

 と書くと、いかにも人気を誇っているように見えるかも知れないが、この種の人気はだいたいがアテにならない。 一昨年度の前期に、今回と類似の内容 (内外の文学作品を文庫本で5冊読む) で同じ演習を出した時は全然人気がなくて、ブービー賞、つまりビリから2番目に第一志望の学生が少なかったのである。

 その翌年、つまり昨年度前期の一年生向け演習では、内容を変えて、新書本5冊を読むということにしたら、結構学生の希望が多かった。

 しかし思うところあって、今年度はまた 「文学作品を文庫本で5冊」 に戻したところ、一昨年度とは逆の結果になったわけである。 多分、シラバスの書き方を軽薄にしたせいであろう。 こういうことで一喜一憂するのは馬鹿馬鹿しいのだが、教員の中にはヘンに人気を気にする人もいたりするので、この種の現象はアテにならないということは何度でも力説しておく必要がある。

 ただし、である。 人気はアテにならないが、希望者数のバラツキはそれなりに意味がありそうだ。

 というのは、新潟大学人文学部は3課程 (行動科学・地域文化・情報文化) あって、それぞれ入学定員が決まっているのだけれど、私の1年生向け演習を希望する学生は某課程に多く、別の某課程に少ないのである (課程名を明らかにすると問題がありそうなので、匿名にします)。 無論、課程ごとの定員の差を考慮して比率計算でいくと、ということである。

 私はこの1年生向け演習をもう何度も受け持っているが、この現象、つまり私の演習を希望する学生は某課程に多く別の某課程に少ない、という現象はほぼ一貫しているのだ。

 演習の内容は、年によって文学作品であったり新書本であったりするが、変わらないのは、本を半年で5冊読む、というところである。 この演習は人文学部1年生は必修であり、1学年の定員は220名なのに対し1クラスの定員は18〜19名だから、同時に13ないし14コマほど出ているわけだが、半年に5冊読むというのはその中でハードな方だと思う。

 つまり、文学作品であれ新書本であれ、読書意欲を持つ学生がどの課程に多くいるか、ということがこの現象から分かってしまう、というふうに私は考えているのであるが。

8月8日(月) 郵政法案否決、衆議院解散、ですってさ。

 まあ、私は郵政法案はどちらでも、という日和見な態度なんですけれど、一つだけ言っておきたいのは、郵政法案のこの迷走ぶりに対して、国立大学独法化法案がいかにあっさりと通ってしまったか、ということである。

 日本人の体質がここから見えてきそうだ。 

 新潟大学は、お陰で (この 「お陰で」 には、大学幹部の無能さなども含む) 滅茶苦茶になりかけている。 人文学部では中国文学語学の教員がこの春2人そろって他大学に移ってしまったが、いまだに後釜が来ない。

 人事選考に手間取っているからではない。 そもそも後釜をとっていいかどうかが、決まらないのである。 それも2人いちどきに移ってしまったのに、そのうち1人分すらである!!

 明らかに異常なのだが、この異常さをマスコミは全然報道しない。 民主主義国家では国民は自分にふさわしいレベルのマスコミしか持てないんですよね。 え、それは 「マスコミ」 じゃなく 「政府」 じゃなかったかって? いや、今どきは断固 「マスコミ」 と言うべきだとワタシは思いますがね。

8月7日(日) 11月の東京でのN響定期演奏会の予約をする。 ヴォルフガング・サヴァリッシュ氏が指揮をするのだが、もしかすると最後の来日になるかも知れないという話を聞いたので。

 サヴァリッシュ氏はN響の指揮者としてはおなじみで、ワタシもテレビでは何度もお姿を拝見している。 しかし生の演奏を聴く機会はこれまでなかった。 地方都市在住者の限界、ですかね。 

 午前10時頃からNHKチケットセンターに電話をかけたのだが、案の定、なかなか通じない。 ようやく1時間ほどして通じました。

 ところで、本日の毎日新聞に作家・奥泉光氏の 「トーマス・マン没後50年 両大戦の光と影色濃く」 が掲載されていた。 そうだった、うっかりしていたが、今年はトーマス・マン没後50年、生誕130年なのである。 そしてトーマス・マンの命日は8月12日だったのでした。 

8月1日(月) ・・・・・・こういう季節には禁句だが・・・・・暑いですね!

 さて、2日遅れの話題で申し訳ないけれど、一昨日の毎日新聞に在日フランス大使ベルナール・ド・モンフェラン氏の寄稿が載っていた。

 「21世紀は、画一性ではなく、言語の多様性の世紀となるだろう」 で始まる一文で、「言語は国民のアイデンティティや文化を表現するもので、今世紀、成功したいと願う若者は母国語以外に最低二つの言語をマスターしなければならない。 時代は多言語併用の民主化へと向かっている」 と訴えている。 

 そして、「仏基礎数学は世界的に見ても上位に位置しているので、世界の名だたる数学者は仏語を使用している」 とも述べている。

 言うまでもなく、これは石原慎太郎・都知事の 「フランス語は数を数えられない言葉だ」 という暴言に対するやんわりとした批判である。

 私も昔々少しだけフランス語を囓ったけれど、その数詞を習うに及んで、フランス語って変な数え方をするんだなあ、と思ったことは覚えている。 しかし使っている当人にとってはそれで通じているのだから、外国人が文句を付ける筋合いの物ではなかろう。

 だいたい、私の学生時代はフランス語は数学を専攻するには欠かせない言語とされていて、理学部数学科の学生は大抵フランス語をとっていたのである。 数を数えられない言語が高等数学を学ぶのに必要とされる、って矛盾でしょ。 石原知事は、多分、理系のことは何も知らないんじゃないかなあ。

 ・・・・というようなことは、ワタシでなくとも思いつく人は多いだろうが、石原知事で困るのは、大学改革と絡めてデタラメをのたまうことなのである。

 今回の発言が波紋を呼んで、都立大にはフランス語専攻者が一人もいない、みたいなことを追加で言ったらしいが、実は石原知事は以前からこの種のことでデタラメを言っては 「大学改革」 を誘導してきたのだ。

 その辺のことは、ワタシがこの4月に他の独文学者などと一緒に出した 『ドイツ語・第二外国語教育の危機とドイツ語教師の姿勢』 収録の保阪靖人氏による 「東京都立大学の現況」 にも書かれているので、ご一読を。 (新大生へ。 この本は新潟大学図書館に寄贈してあります。)

 念のため付け足しておくと、ワタシは何かにつけて石原慎太郎をクサしていれば正義だと思っているサヨクは好まない。 日本人の不幸は、外国に対してきちんと批判的な言辞を吐けて、しかしそれが石原のような暴言に堕すことなく、また外国にぺこぺこ頭を下げて波風立てないことを友好的だと勘違いするのでもなく (石原に人気があるのは、こういう政治家や評論家が多いことの反動だとワタシは思っている)、今回のフランス大使の発言のように、ソフトな国際性の仮面をかぶりながらしっかり自国の利益を主張できる政治家や評論家が、日本にはほとんど見あたらない、というところなのである。

 そして、今の日本は、フランス大使の主張とは逆に、モノ言語の国になりつつある。 国際化どころではない。 例えば、この10年間の 「大学改革」 で新潟大学の外国語の必修単位は減る一方なのである。

 これは下↓に引いた木村剛みたいに、第二外国語の問題を 「既得権益」 の問題だと短絡するバカが結構多いことの証拠であろう。 石原発言はこういうバカの多さを背景にしてなされたと見るべきなのだ。 

 http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2005/06/post_2d6c.html

 無論、バカは大学の外にいるだけなのではない。 少なくとも新潟大学内を見る限り、国際化に逆行することを 「改革」 だと思っている輩は相当数いる。 幹部にも、外国語教師の中にもいるのである。 

 日本の将来は暗い。

 

 

  

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