「異質」 の集合から生まれるものは? ――注目したい 「日本におけるドイツ年」

 

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 以下の文章は、2005年4月13日付け、新潟日報の文化欄に掲載されたものです。

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 二〇〇五年四月から 「日本におけるドイツ年」 が始まる。 新潟市のシネ・ウインドではこれを機に、カフカ原作の 『変身』 を発端として、積極的にドイツ映画を取り上げていく予定と聞く。 ここではドイツという言葉とカフカを中心に話を進めよう。

 カフカの作品は通常、ドイツ文学の中に入れられている。 けれどもその場合の 「ドイツ」 とはどういう意味だろうか。 カフカはドイツ人だったのか。 違う。 彼はプラハ生まれのユダヤ人であり、プラハは当時オーストリア・ハンガリー帝国領であった。 プラハ住民の生得的な言語はチェコ語である。 しかし帝国の公用語であるドイツ語を用いた方が就職などには有利であり、カフカの生家も父の代からドイツ語を用いていた。 そう、ドイツ文学の 「ドイツ」 とはドイツ語のことであって、国としてのドイツではないのである。

 ドイツという概念はもともと統一国家との結びつきが希薄だった。 神聖ローマ帝国が名のみの存在であったことはよく知られている。 けれどもフランスの文人スタール夫人が『ドイツ論』を書いた事実が示すように、中欧のドイツ語使用圏はしばしば一まとまりのものとして把握されていた。 つまりドイツ文学・文化とは、ドイツ語を唯一の共通項とした異質なものたちのゆるやかな集合体なのである。

 カフカも自分の異質性を意識していた。 ユダヤ人である彼、実利を重んじる商家に生まれながら文学を愛好した彼。 しかし同時に労働者問題が浮上する時代に生きて、社会の矛盾を目の当たりにしてもいた。 彼の小説にはそんな異質性と同時代性が混在している。

 「日本におけるドイツ年」 はドイツ連邦共和国の主催で行われる。 しかし私たちがそれに縛られる必要はない。 国の枠を越えた幅の広い多様なドイツ語圏文化をこの機会に知ろうではないか。

 シネ・ウインドではこの後にも 『ベルリンフィルと子どもたち』 の上映が予定されている。 これまた、世界最高の管弦楽団が移民の子どもたちと共演するという、異質なもの同士の組み合わせである。 そうした試みから何が誕生するか、ドイツ年を契機に確かめていっていただきたい。 

 

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