外国語、というのはなかなか身に付かないものです。 ドイツ語もその例外ではありません。 特にあの格変化、嫌ですよね。 一応ドイツ語教師を名乗っている私がそう言うのだから、間違いない。
勉強法もいろいろ考えられけれど、ここではややヨコシマな方法として、「間違い探し」 を提案しましょう。
つまり、こういうこと。 ドイツ語を学んでいるあなたは、日本人が使うドイツ語に接する機会があるはず。 そんな折り、その中に間違いを探し、見つけたら相手のドイツ語能力に対して優越感を覚え、「ワタシのドイツ語もまんざらじゃないな」 と確信しつつ、一層ドイツ語学習に励む――そんな方法なんですね。
日本でドイツ語に接する機会――これはなさそうで意外にあるものなのです。
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念のため、一言お断りを。
以下では、日本人の使ったドイツ語の間違いを指摘しておりますが、これはその方を批判するためではありません。 人間、だれしも間違いはするもの。 日本人がドイツ語を間違えるのは当たり前なのです。
間違いを見つけて優越感にひたるのも、実は一瞬のこと。 次には自分が間違いを指摘されるかもしれないからです。
ですから、以下の方々は、言うならば自ら範となってドイツ語の勉強を助けてくれているのだ、そう思って感謝いたしましょう。
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ずいぶん前のことだけれど、竹宮恵子さん (最近、某大学のマンガ学教授になられましたね) のマンガ 『変奏曲』 を読んでいたら、「アレ?」 と思うようなドイツ語にぶつかりました。
この話、ウィーンを舞台に若い音楽家の恋愛模様や交流を描いていますが、中にこんなドイツ語が出てきます。 「私は情熱的にあなたを愛します。Ich leidenschaftlich liebe dich.」
ドイツ語を習い初めて2ヶ月しかたっていないあなたでも、このドイツ語変だな、と気づくはずですね。 そうそう、「定動詞第二位の規則」 と言っているアレですよ。
これもだいぶ前ですが、理系の女子学生から授業終了後に質問を受けたことがあります。 「『Zに愛された女性』 というドイツ語、どう言うんですか?」
「青池保子のマンガか何かですか?」 と私が言ったら、よもや大学教師が青池さんの名を知っているはずがないと思っていたらしい女子学生は驚愕の表情を浮かべていました。 まあ、それはさておき、マンガの章題にドイツ語が併記してあるらしいのですが、そのドイツ語を読み解こうとした女子学生は挫折してしまって、自分のドイツ語能力が低いせいだと悩んでいたようなのです。
ところがそのマンガに印刷されていた章題とやらのドイツ語を黒板に書いてもらうと、デタラメとは言いませんが、相当に間違ったドイツ語なんですね。 おかしいのはその女子学生のドイツ語能力じゃなく、青池保子のドイツ語の方だったのです。
少女マンガ家三題噺じゃないけど、モー様こと萩尾望都さんにも登場してもらいましょう。 これは本サイト 「読書コーナー」 の 「読書月録」 にも書いた話ですが、彼女には 『思い出を切りぬくとき』(あんず堂) というエッセイ集があります。
その中にこんな話が出てくるのです。 「ドイツを旅行したときレストランでメニューが全然読めなくて困った。鶏料理をさがして、ドイツ語で鶏は
Henだからこの綴りの含まれる料理を探したのに見つからない・・・・・」そりゃ見つかりませんよ、萩尾先生。 鶏は
Hen、って、ドイツ語じゃなく英語ですよ。 ドイツ語では雄鶏がHahn、雌鶏がHuhnなんです。* * * * * * * * *
いきなり少女マンガ家ばっかり並べましたが、別段少女マンガ家は教養がないとか言いたいわけじゃありません。 ポピュラーそうな例を探したらそうなってしまった、というだけで、もっと教養のありそうな人たちだって間違えているわけなんですね。
例えば教養のありそうな早大卒の評論家、呉智英氏。 彼の著作に 『サルの正義』(双葉社) というのがあります。 その表紙には 「サルの正義」 がドイツ語で併記してあるのですが、初版ではこうなっていました。 「
Die Gerechtigkeit von der Affe」これもドイツ語を2ヶ月習えば分かる間違いなんだけど、ちょっと難しいかな? 前置詞
vonは何格支配だろう? え、分かったって? 「Die Gerechtigkeit von dem Affe」 うーん、50点ですね。 もう一カ所直さないと。 ヒントは、名詞自体の格変化にも注意、ということで。ところで、「初版ではこうなっていた」 ってことは、再版以降は正しく直っている、ということですね。 それもそのはず、不肖ワタシが出版社に間違っていると指摘する手紙を出しておいたからです。 それに対してすぐ電話をかけてきた出版社の誠実さも報告しておきましょう。
でも、この間違い指摘は、真面目に2ヶ月ドイツ語を勉強してきたあなたにも可能だったはずですよ。 頑張ろうね。
新しい例も挙げましょう。 京大大学院卒で大手会社勤務を経たのち地ビール製造に乗り出した青井博幸氏に 『ビールの力』(洋泉社新書y) という著書があります (2002年7月刊)。 読んでいると地ビールが飲みたくてたまらなくなってくる名著ではあるのですが、ビールの本場ドイツの地名表記がなんとも頼りない。
ミュンヘン、という表記は日本では定着しているから仕方ないけれど (ミュンヒェンが正確)、
Dortmund を 「ドルトムンド」 と表記するのはどうかと思いますよね。 Berliner Weisse (ssはエスツェットの代用) を 「ベルリーナ・ヴァイゼ」 ってのも。 これ、ドイツ語を習い初めて3週間のあなたにも分かる間違いでしょう?
上智大卒でドイツの複数の大学に留学したというジャーナリスト・福田直子さんの 『大真面目に休む国ドイツ』(平凡社新書) も、休暇の取り方を初めとしてドイツ人の日常生活を活写した面白い本ですが、ことドイツ語の発音となるとかなり怪しい。
Lebenskuenstler (ueはu-Umlautの代用) をレーベンズキュンストラー、Staatsexamenをスターッツエグザーメンと書いていらっしゃる。 これまたドイツ語を3週間学んだあなたなら間違いが即座に分かるはず。
中大卒の推理作家・二階堂黎人氏。 理工学部卒ながら本当はドイツ文学がやりたかったとおっしゃる氏の作品は、ヨーロッパやキリスト教が背景として使われていて、ファンには雰囲気が何とも言えないということになるわけですが、『人狼城の恐怖・第3部』 の講談社文庫版にはタイトルがドイツ語で併記されています。 「Dei Furcht in der Burg des Werwolfs. Dritte Teil」
最初はすぐに間違いだと分かるよね。 Deiなんて定冠詞はありませんから。
もう一つの間違いは分かるかな? これは形容詞の格変化をやっていないと指摘できないですね。 ほら、名詞の性・数・格のみならず、定冠詞付きか不定冠詞付きか無冠詞かで変化が異なるという、ドイツ語の格変化の中でもいっちばん面倒くさいアレですよ。 自信がなかったら教科書をもう一度見てみようね。
二階堂氏にメールを出しておいたら、すぐに再版で直しますという誠実なお返事をいただきました。 何でも、このドイツ語は出版社の人が付けたのだそうです。 講談社といえば日本一の大出版社。 教養あふれる一流大卒ばっかりが勤務していると思うんですが、意外にドイツ語力がないんですね。
東大大学院卒で、阪大助教授を経たのちに評論家として売りだした小谷野敦氏の最新刊 『退屈論』(弘文堂) にも、ドイツ語併記箇所で2カ所、誤りがありました。 メールを出しておいたら、再版では直します旨の誠実な返事をすぐにいただきました。 意外なことに小谷野氏は (というのも、比較文学を専攻されたはずなので) ドイツ語は不得手で、大学院受験の第二外国語はフランス語だったそうです。
こういう語学の得手不得手の話を聞くと、何となく勇気が湧いてきますよね。
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以上のように学歴まで併記して間違い指摘をやると、何となく嫌みな感じがしてしまうかも知れません。 再度繰り返しますが、ドイツ語を多少間違えたからといって、その著書の価値が下がるわけでも、ましてや著者の人格が否定されるわけでもありません。
要は、あなたも努力すればそうした間違いにすぐ気づくようになるし、さらに努力を続ければドイツに留学したジャーナリストに負けないドイツ語力がつくのだ、ということを知ってほしかったのですね。
(2002年8月14日掲載)