『ウンラート教授』 を発表した頃のハインリヒ・マン

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 2001年10月から11月にかけて、「劇団すばる」 が東京の三百人劇場で 『嘆きの天使』 の公演を行った。 この文章は、そのパンフレットのために執筆されたものである。

 『嘆きの天使』 は、一般には女優マレーネ・ディートリヒのデビューした映画として知られている。 映画製作は1930年代だが、原作はドイツの作家ハインリヒ・マン (トーマス・マンの兄) によって書かれた小説 『ウンラート教授』(1905年発表) だった。

 劇団からは、専門的なドイツ文学者の文章が欲しいと請われていたので、そのような文章になっている (はずである)。 なお、原文より改行を多くした。

(サイト転載: 2002年7月19日)

     

 トーマス・マンの兄、或いは映画 『嘆きの天使』 の原作者、という言い方でしか日本では知られていないハインリヒ・マン。 しかし彼の長年に及ぶ作家活動を見るならば、弟トーマスとの関係がかなりの重みを持っていたことは疑えない。

 ハインリヒは1871年に北ドイツの港町リューベックに生まれた。 トーマスより4歳年長である。 1900年頃から本格的に文学活動を開始し、1905年に 『嘆きの天使』 の原作である 『ウンラート教授』 を発表する。 しかしこの頃のハインリヒは大きな転換点に立っていたのである。 そこには弟トーマスとの確執が影を落としていた。

 トーマスは1903年頃から兄の文学的傾向に懐疑的な姿勢を見せるようになっていた。 ハインリヒは1902年末に長篇小説 『女神たち』 を発表したが、トーマスはこれが気に入らず、書評や自作で暗に兄を批判したのである。

 『女神たち』 は当時ヨーロッパを席捲したニーチェ主義の影響下にある作品だった。窮屈な市民道徳やキリスト教倫理に縛られず野獣のように本能のおもむくままに生きよ、範とすべきはイタリア・ルネッサンスの冷酷な政治家チェーザレ・ボルジアだ ―― これがニーチェ哲学だと当時の人々は理解したのであり、実際 『女神たち』 はイタリアを舞台に、放恣に生きる貴族たちの姿を描いている。

 トーマスの有名な短篇 『トニオ・クレーガー』 は 『女神たち』 出版直後に発表されているが、そこで主人公が女友だち相手に語る言葉 「ボルジアを担いでいる酔っぱらい哲学」 「イタリアなんかどうでもいい」 は、ニーチェ主義に染まった兄への当てこすりに他ならなかった。 さらに1903年末にハインリヒが 『愛の狩猟』 という長篇を発表するや、トーマスは兄に書簡を送り真っ向からこれを批判した。

 ことは文学上の趣味だけにはとどまらなかった。

 トーマスの長篇 『ブッデンブローク家の人々』 が1903年末に1万部を突破した。これは当時のドイツにあって大部の文学作品としては破格の売れ行きであり、どの作品もせいぜい2千部どまりのハインリヒにとっては作家として弟に先を越された形となった。

 さらにトーマスは、裕福な大学教授の娘カチアを見そめ、1905年初めに結婚するに至る。 作家として名を上げ、良家の令嬢を妻に迎えた弟。 ハインリヒは弟から自作を批判されたばかりか、様々な面で弟に遅れをとってしまったのである。 そのため、この頃の彼はひどい心理的落ち込みを経験している。

 こうして、1903年末から1905年頃のハインリヒは、作家としても人間としても新規まき直しを迫られる状態に陥っていた。

 だが新しい芽は彼の中にすでに胚胎していたのである。 それが 『嘆きの天使』 の原作 『ウンラート教授』 であった。 ベルリンで実際に起こった事件を新聞で読んで、それを下敷きに1904年に執筆し、翌年初めに発表した長篇小説である。

 この作品に映画や劇作だけで接していると、謹厳実直なギムナジウム教授が可憐な歌姫に魅せられ、職を捨ててまで愛を貫こうとするが、結局は裏切られて破滅するという筋書き、つまり中年男の転落というモチーフが浮かび上がってくる。

 だが原作を読むと、ウンラート (ゴミ) と生徒からあだ名されるラート教授の生きざまはかなり強靱なものに思われてくるのである。世間体に構わず心のおもむくままに生きようと決心した初老の男の開き直り的な強さ――これが原作の与える読後感なのだ。

 このことが重要なのは、それまでハインリヒの小説にあっては自由奔放に生きるのは女であって、男はむしろ世紀末の虚弱な生き物という性格づけがなされていたからである。 『ウンラート教授』 で初めて彼は男の強さを表現し得たのだ。 それは彼自身が30代半ばにさしかかっていたことと無縁ではないし、周囲のドイツ市民に批判的な視点を向けながら生きていく自分の運命を予見したものだったとも言えるだろう。

 『ウンラート教授』 を出版した頃、そして弟トーマスが結婚した頃、私生活面でも変化があった。 イーネスという魅力的な女性と知り合い婚約したのである。結局結婚には至らなかったものの、彼女との交際からは新しい長篇 『種族の狭間で』 が生み出される。 それは、民族の特性にこだわるのではなく、普遍的な人間性を目指そうというマニフェストの小説であった。

 やがて第一次大戦が勃発すると、自国ドイツを擁護したトーマスに対してハインリヒは敵国フランスを敢然と支持したが、そうした近代的知識人としてのハインリヒ・マンはまさに 『ウンラート教授』 執筆直後に誕生したのであった。

        

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