読書月録2002年

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西暦2002年に読んだ本をすべて公開するコーナー。 5段階評価と短評付き。

   評価は、★★★★★=名著です。 ★★★★=標準以上。 ★★★=平均的。 ★★=余り感心しない。 ★=駄本。  なお、☆は★の2分の1。

 

・糸圭(すが)秀実『「帝国」の文学――戦争と「大逆」の間』(以文社) 評価★★☆ 1年半前に出た本だが、下の 『小ブル急進主義批評宣言』 を読了したついでにと読んでみた。 大逆事件に象徴的に現れる近代日本の帝国主義化と天皇の問題を、その時代の文学に読みとろうという試み。 しかしポストコロニアリズムやフェミニズムといった最近の批評理論を意識しつつも、それを単純に読解に利用しない著者の曲がりくねった論法は分かりにくく、時として韜晦趣味をすら感じてしまい、説得力がイマイチという印象を受けた。

・俣野敏子『そば学大全――日本と世界のソバ食文化』(平凡社新書) 評価★★☆ 著者は大学の農学部で長らく教鞭をとった人。 食通の本というより、農作物としてのソバを研究してきた人が、植物としてのソバの特性と並んで、世界のソバ食文化についても書いてみた、という趣きの書物。 日本で江戸時代に現在のようなソバの食べ方が確立する過程についても触れられている。 ただタイトルに反して、記述はあまり体系的ではなく、穴も多い。 例えば96ページで、中国奥地のソバ研究者から来るようにと誘われていたが距離的に遠くバスが不得手なのでためらっていた、と述べた後、もっと簡単な行き方があると気づいて飛び出した、とあるのだが、その 「簡単な行き方」 って何なのか、書かれていないのだ。 困っちゃう。 穴の多いエッセイ集として読んだ方がよろしい。

・糸圭(すが)秀実『小ブル急進主義批評宣言――90年代・文学・解読』(四谷ラウンド) 評価★★★ 4年近く前に出た書物だが、ツンドクになっていた。 それをここ数ヶ月かけて少しずつ読んでみた。 「小ブル急進主義」 とは昔懐かしい言葉だが、知識人とは小ブル急進主義者たること以外にありえないという著者の信念(?)に基づいて、文芸誌などに書かれた時評を集成した本である。 私は最近の小説はほとんど読まないが、著者の論じ方はタイトルを裏切らず多分に思想的・論壇時評的であって、思想系に興味のある人なら退屈せずに読む進むことができる。 内容的には、この著者の本はいつもそうだけれど、教えられる箇所と、諧謔であるべきところをそうと分からないように難解な言辞に包んでいる箇所とがあって、一筋縄ではいかない、と言うしかない。 とはいえ、こういうタイトルはポストモダンをへた現在だから可能になったことは押さえておかないと。 著者のあとがきは必要以上に生真面目な印象を残すのだけれども。

・八木秀次(編)『教育黒書――学校はわが子に何を教えているか』(PHP) 評価★★★ 最近の教育の実態を批判した文章を集めた本である。 学力低下、ジェンダーフリー教育、日の丸君が代をめぐる日教組の子供たちへのイデオロギー的けしかけ、などなどがまな板に載せられている。 私としては、学力低下は他にも色々本が出ているので、ジェンダーフリーなどを中心にした方が新味が出てよかったのではないかと思った。 中では民主党の代議士・山谷えり子氏の発言が光っている。 国会議員として、無責任なジェンダーフリー教育が文科省や厚生省をも巻き込む形で知らない間に浸透しつつあることに警鐘を鳴らしている。 三児の母でもある氏の認識はよい意味での常識に裏打ちされており、皮相な理論にかぶれたマルフェミ学者よりよほど人間や世の中の実態に即している。 編者の八木氏には、外国のデータ収集など、理論面での精緻にして強力なバックボーン形成を望みたい。

・岸俊光『ペリーの白旗』(毎日新聞社) 評価★★★★ ペリーが浦賀に来航したとき、幕府に白旗を渡して、「戦意がなく和睦を申し出るときはこの白旗を立てよ、白旗は降伏の印だ」 と教えた、という説がある。 数年前、評論家の松本健一が自著で展開したものだ。 それが 「新しい歴史教科書をつくる会」 の教科書に採用された際、東大史料編纂所教授 (当時) の宮地正人が、偽文書に基づく説を教科書に載せるのはけしからんと異議を唱えた。 これが保守系の雑誌から批判され、また歴史研究会のサイトが反批判を載せるなど、知る人ぞ知る激しい論争となった。 この本は、毎日新聞記者が、若手歴史研究家の助力を得て、あくまで予断を排した中立の立場から、真相はどうなのかを追ったものである。 様々な学者にインタビューしていくなかで、意外な視点や新しい史料が浮上してくるなど、たいへんスリリングで面白い書物となっている。 結論は本書を読んでのお楽しみということにして、この論争に関して私なりの率直な感想を述べると、宮地氏に惜しまれるのは、松本氏の本が出た段階で批判をせず、それが 「つくる会」 の教科書に採用された時点で声を上げたために、かえって歴史学界のイデオロギー性を印象づける結果になったことだろう。 歴史学界はとくに専門家とシロウトとを峻別する傾向が強いような気がするのだが、ちゃちな時代小説ならともかく、松本氏のような大学教授でもある評論家の説に、それが歴史学者の手になるものでないからという理由で異議を唱えず、教科書に採用された段階で声を上げたのは、むしろ教科書に対して歴史学者が一定の思想傾向を持っていると見なされかねない結果となる――歴史家には恐らくそうした認識が欠けているのではないか。 一般人の歴史への関心をバカにせず、相互の交流を図ることも歴史家の仕事のうちではなかろうか。 

・上利博規『デリダ』(清水書院) 評価★★★ 現代フランスの思想家ジャック・デリダについての入門書。 難解な彼の思想について、分かりやすく簡潔に説明してくれている。 特に近年の教育問題への関わり方や、民主主義とナチズムは敵対するのではなく、民主主義自体にナチズム的要素が含まれているという指摘が呉智英的で面白い。 巻末の文献案内も役に立つ。

・中野雄『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』(文春新書) 評価★★★ タイトル通り、ウィーン・フィルの独特な音がどのようにして作られているのかを考察した本だが、それだけでなく、歴代の大指揮者との関係や、ウィーンフィル内部の名演奏家の横顔、クラシック音楽やオーケストラというものの歴史的経緯など、クラシック音楽にまつわる様々な事情を描いた本。 クラシックファンには楽しめる一冊である。

・G・プランシェル・ピッヒラー『皇妃エリザベートの真実』(集英社文庫) 評価★★☆ 4年前に出た文庫本を古本屋にて購入。 シシーこと、オーストリー=ハンガリー帝国最後の皇妃エリーザベト (エリザベートという日本流の表記は誤り) の生涯を綴った本。 髪に対する彼女の執着やお忍び癖などにはよく光が当てられているが、人間関係について、例えば映画にもなった従弟ルートヴィヒとの心理的関係がどうだったのかなどについては、物足りない。 本人の写真ももう少し欲しい。

・石原千秋『大学受験のための小説講義』(ちくま新書) 評価★★★ 同じ著者が以前出した『教養としての大学受験国語』の姉妹編。 前回は大学受験の国語に出題される評論文を通して現代文化論の最前線を知ろうという趣旨だったが、今回は小説と設問を検討することで、小説の読みかたと文学理論についての知識を涵養しましょう、という内容。 そこそこ面白いが、ワタシからするとややフェミに犯され過ぎ、という印象が残りました。 なお、著者があとがきで、年間の本代が300万円を越えないように気を付けていると書いているので、びっくり。 成城大学はそんなに給料が高いのだろうか? 或いは、金持ちのお坊ちゃんでないと成城大学の教師にはなれないのだろうか?

・山田勝『ドゥミモンデーヌ――パリ裏社交界の女たち』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫) 評価★★★ 8年前に出た本を東京の古本屋で購入したもの。 19世紀フランスのドゥミモンド、つまり花柳界に生きた高級娼婦の実像を描いた本である。 ときとして王侯貴族をもひざまずかせた魅惑的な女たちの生き方とその背景を分かりやすく綴った興味深い本。 杓子定規な男女平等論にうんざりしている人にはお勧めできる。  

・クリストファー・ラッシュ『エリートの反逆――現代民主主義の病い』(新曜社) 評価★★★☆ 授業で取り上げた本。 出たのは5年前。 グローバル化・IT化が言われる現代社会にあって、エリートが自分の義務を果たすことなく、無責任で空虚な理論で扇動を行うだけで、真に民衆のためになる理論構築や行動を行っていないと批判した書物。 産業構造や地方文化のあり方、教育、宗教など、多方面から現代アメリカの病いに迫っており、また知識人批判として面白く読める。

12月  ↑

・石田勇治『過去の克服――ヒトラー後のドイツ』(白水社) 評価★★★☆ 著者は歴史学者。 第二次大戦後のドイツがナチの犯罪をどのように見、どのように処理してきたかを追った本である。 様々な事件や論争などを網羅的に取り上げているので、基礎的な事実関係を知るのに有用である。 ただ、著者の視点は、恐らく意図的にだろうが浅く保たれており、したがって個々の出来事に関してつっこんだ検討はなされていない。 例えばヴァイツゼッカー演説の内容に関しては日本でかなり批判が出ていることは周知の通りだが、その辺は素通り (そのくせ、前書きとあとがきでは暗示的に触れているのだけれど、こういう触れ方ははっきり言ってアンフェアだろう) している。 フィッシャー論争も個々の論点にまで立ち至って言及していないし、米国のユダヤ人のあり方についてはあまりに見方がナイーヴすぎる。 第二次大戦を、ファシズム国家と反ファシズム国家の戦いだなどとするところなど、この歴史家の認識のレベルが問われるところだろう。 したがって、あくまで全体の流れを追うのに使用すべき書物であり、個々の出来事を様々な視点から詳細に知りたい場合は他の文献も併用する必要がある。

・中井浩一(編著)『高校卒海外一直線――エリート高校生の「頭脳流失」』(中公新書ラクレ) 評価★★★ 最近、高校を終えてからすぐ海外の大学に進学する若者が少しずつだが増えているという。 本書は編者の中井がそうした若者たちにEメールでインタヴューして作られた本である。 帯には 「さらば東大・京大!」 といささかセンセーショナルな文字が踊っているが、中井はずっと冷静で、海外に進学した若者たちが皆日本の大学を否定的に見ているわけではないし、人によってはむしろナショナリストたらんとする意志をもっていることを指摘するなど、決して単純な 「日本の大学=ダメ」 論を展開してはいない。 だいたい、日本の高校を出たから日本の大学に絶対進まなければならないという法はないわけで、海外の大学に進学する人間も或る程度いるというのは、言ってみれば当たり前のことなのだ。 そしてここで取り上げられた若者たちは、人にもよるが、両親に海外勤務体験があったりその方面に詳しい高校教師の薫陶を受けたり、そもそも両親が日本に帰化した外国人であるなど、恵まれた環境に育った場合が多い。 そういう意味では若者の本格的な海外大学進出はこれからだろうし、内外の大学比較論がきちんと展開されるのもまだ先のことだろう。 内容的には、取り上げられた若者たちが通う大学の授業実態の分析がもう少し欲しい。 彼らは日本の大学を知らずに外国の大学に通っているわけだから、比較の作業は不可能なわけで、それは編者や大人の仕事ではないのか。

・アイザイア・バーリン『北方の博士 J・G・ハーマン』(みすず書房) 評価★★★★ 6年前に出た本であるが、授業の必要性から読んだものである。 ドイツの非合理主義 ・ 反啓蒙主義の代表的思想家であるハーマンについて、オクスフォード大学に長らく勤めた碩学が分かりやすく解説した書物。 ハーマンはその重要性が言われながら文章の難解さもあって邦訳が全然出ておらず、日本人で彼を研究している人の数もきわめて少ないから、たいへん貴重な本である。 訳も悪くないし、訳者 (奥波一秀) による解説も、アメリカで出た書評に触れるなど懇切である。

・菅谷明子『メディア・リテラシー ―世界の現場から―』(岩波新書) 評価★★★★ 2年前に出た新書を古本屋で購入。 実は必要があって読んだのだが、テレビやコンピュータの浸透で情報過多と言われる時代に、いかに批判的にメディアに接していくべきかを、英国やカナダのメディア教育を紹介しつつ考察した書物。 外国の実例が非常に興味深いし、著者の視点もおおむね公正で微妙な点にも目配がきいており、お薦めできる本である。 以下、一つだけ疑問を。 英国の例を紹介する中で、従来の教育が活字中心に過ぎると述べつつ、言語以外の、例えば映像等による批評も可能ではないかとの意見を無批判的に引用しているが、具体的にそれがどのようになされるのかについて述べていないのは無責任ではないか。 英国では (フランスなどでもそうだと思うが) 古典文学がエリート教育に用いられてきたという伝統があり、それにたいして映像が労働者階級に受け入れられやすいというところから、階級論的に映像の価値を強調する戦略は分からないでもないが、そもそも人間の思考の根底を成すものが言語であり、映像や音楽の分析も言語によってなされる以上、言語教育は単にエリート教育と言って片づけられるものではなく、およそ何かを分析し思考しようとするなら言語能力を鍛えるしかない、という根源的な認識は教育者には欠かせないはずだ。 その辺への洞察を欠くと、単に感性に身をゆだねる大衆への迎合で終わってしまう。 ヒトラー・ナチスのメディア戦略 (なお、英国だって大戦中はメディア戦略を行っていたので――その点にはこの本はちゃんと触れているが――ヒトラーだけをメディア悪用の例として挙げる平板さからはそろそろ手を引くべきであろう) で批判されるべきは、ヒトラーではなく、ヒトラーにイカれた大衆なのである。

・宮本みち子『若者が《社会的弱者》に転落する』(洋泉社新書y) 評価★★ 著者は社会学者で、以前山田昌弘などと一緒に若者を研究した書物を出版した人。 山田がその後 「パラサイト・シングル」 で名を売ったのは周知の通りだが、ここで著者は 「パラサイトして独身貴族を謳歌している」 というイメージとは裏腹に、若者たちは不況が長引く日本ではフリーターとして生きていくしかなく、また確固たる 「大人像」 も抱けずにいるためむしろ弱者に転落しつつあり、それは欧米先進国と共通の現象だから、対策をきちんと立てるべきだと主張している。 一読して、あまり説得されなかった。 たしかにいい年した若者をいつまでも自宅にとどめてパラサイトさせている日本の親も批判されるべきだとは思うが、長引く不況の影響を受けているのは中高年でも同じことで、自殺率などを考えるとむしろ中高年のほうが悲惨な状況にあるのでは、と考えるのだが、著者は日本の社会が中高年の男性向けにできていると述べるだけでその辺をきちんと分析していない。 また、北欧諸国の若者向け対策の例にしても、この本を読む限りあまり明確なイメージが伝わってこないし、だいたい、途中で社会のあり方の相違により北欧と日本では男女平等主義の影響が違って出てくると言っておきながら、最後の提言でその辺を全然考えに入れていないのは、ご都合主義というものであろう。 そもそも、その辺の相違を考慮せずに硬直した男女平等観を提言したのは社会学者じゃなかったのか? だとすれば現状 (の悲惨さ) に対して社会学者は責任をとるべきだと私は思うのだが、そういう考え方はこの人の本を読むと全然うかがえない。 社会学 (者) というもののいかがわしさを痛感させてくれる本ではある。 

・姫野カオルコ『みんな、どうして結婚してゆくのだろう』(集英社文庫) 評価★★ 単行本として5年前に出、2年前に文庫化されたものをBOOKOFFにて半額で購入。 結婚をテーマとした軽いエッセイ集 (この著者では重いエッセイ集は無理か)。 内容的には 「そうだよな」 と 「違うんじゃないか」 が半ばしました。 男は女にモノをプレゼントするよりセックスをしてあげるように、という忠告も盛り込まれているが、ホントにそうなら楽でいいんですけど・・・・・・(以下、略)。

・吉成順(監修)『ベートーヴェンの「正しい」聴き方』(青春出版社・青春文庫) 評価★★★☆ 2年前に出た本を東京の古本屋で購入。 ベートーヴェンの入門書であるが、叙述が分かりやすいばかりでなく、交友や時代背景、当時の音楽界の状況など様々な視点からこの作曲家に光を当てており、最新の学問成果も取り入れられていて、私も教えられるところがあった。 初心者だけでなく、ある程度クラシックに通じている人にも薦められる本である。 シリーズとしてバッハとモーツァルトも出ているようだが、マイナーな出版社なので人に余り知られていないのが惜しい (私も古本屋で見なければ知らないままだったろう。 日本書籍出版協会の検索サイトにも載っていない)。 なお、「監修」 とあるのは執筆者がほかに (複数) いるということなのだろうけれど、名前が全然出てこない。 その辺は明朗にした方がいいと思うが。 ―― 【後記】 ほかの執筆者の名が出てこない、と書いたことについて、監修者の吉成順氏からメールで 「事実に反する」 と指摘をいただきました。 執筆者の上原章江さんの名は8ページに、デザイン担当者や写真提供者の名と共に記されている、というのです。 たしかにその通りです。 こういう目立たない場所に執筆者の名を記載するやり方自体には疑問がありますが、名が記されていることは確かですので、訂正いたします。 

・桂文珍『日本の大学――この国の若者はこんなんでっせ!』(PHP文庫) 評価★☆ 原本は1990年秋に出ており、その1年半後に文庫化されている。 落語家である著者が、関西大学の非常勤講師を務めた体験を語ったもの。 実は原本が出た当時書店でぱらぱらとめくって読む気にもならなかったのであるが、たまたま先日クルマのオーディオ装置を取り替えた際、付け替え作業で若干待たされて暇ができ、近所の古本屋の店頭に50円で出ていたので暇つぶしに買って読んでみたものである。 内容的にはバブル期の (つまり就職は完全に売り手市場) 学生気質を描いているので現状には合わなくなっているが、大学そのものは少子化で学生を甘やかすようになってきているから、その点では今なお有効なところもあるかも。 ただし著者の大学自体への認識は、はっきり言って偏差値が低い。 受験勉強で 「個性」 をなくした日本人からはノーベル賞がろくに出ないと書いている一方で、関大は個性的な若者が比較的多いとのたもうているのだが、ならば 「受験勉強で個性をすり減らした」 難関国立大からは (数は少なくとも) ノーベル賞受賞者が出ているのに、「個性的な若者が多い」 関大から未だかつて一人もノーベル賞受賞者が出ていないのはなぜなんでしょうね? また、古くさい学問が若者に受け入れられないのは当然と書いていながら、別の箇所でエンタツ・アチャコを若者が知らないのは受験勉強のせい、としているのは、笑えました。 文珍さん、自分のお足元が見えていないのとちがいまっか???

・陳凱歌『私の紅衛兵時代』(講談社現代新書) 評価★★★ 12年前に出た新書を古本屋で購入。 著者は1952年生まれ (奇しくも?私と同年齢) の中国人で、毛沢東時代の文化大革命を経験し、その後映画監督として活動している。 この本はその文化大革命期の体験を綴ったもの。 危機の時代の証言として貴重な文献である。 最後の訳者解説で、著者や最近日本でも人気のチャン・イーモウ (張芸謀) などのことが多少紹介されているのも興味深い。

・蓮実重彦ほか『「知」的放蕩論序説』(河出書房) 評価★★★☆ 仏文や映画の評論で知られ、こないだまで東大学長を務めていた蓮実に、糸圭(すが)秀実や渡部直己がインタヴューして作られた本。 映画、思想、大学問題などなど多方面にわたる知的にして刺激的な会話を楽しめるが、大学問題については、やっぱり東大の人間のワクを出ていない、と私は思う。 狭い専門に固執することによってしか基礎学力を維持するシステムが守れない、という場合があることは、蓮実みたいな立場のヒトには分からないんだろうなあ・・・・。 地方大学の実態が中央マスコミにさっぱり理解されていないという事態がそれだけ深刻だということだろう。 ううむ、どうすればいいのか・・・・・・?

・氏家幹人『大江戸残酷物語』(洋泉社新書y) 評価★★★ 江戸時代の犯罪や刑罰の残酷さを綴った本。 最近、むかしの 「江戸時代=鎖国で遅れた日本の象徴」 的な江戸時代観を見直す機運が高まっているが、逆に行きすぎて 「江戸時代=ユートピア」 的な見方もなくはないので、それを是正するという意味では悪くないと思う。 ただ、現代と違う部分をやたら残酷視したり驚いたりする著者の姿勢は、若干わざとらしい。

11月  ↑

・坂本多加雄『歴史教育を考える――日本人は歴史を取り戻せるか』(PHP新書) 評価★★★★ 先日急逝した論客が4年前に出した新書である。 ツンドクになっていたが、この機会にと読んでみた。 「新しい教科書をつくる会」 の一員として、歴史をどう見るべきか、歴史教科書はどうあるべきかを分かりやすく説いている。 巷には、「つくる会」 と聞いただけで顔をしかめる向きもあるかもしれない。 しかし、予断を捨ててこの本を読んでみて欲しい。 決して 「右翼」 でも 「民族派」 でもない、常識に富みバランスのとれた思考力を持つ知識人の論述に、説得される人も多いと思う。 こういう優秀な人が52歳で逝ってしまったのは残念きわまりないことと言わねばならない。 合掌。 

・篠沢秀夫『フランス三昧』(中公新書) 評価★★★☆ 今年の1月に出た新書を古本屋で200円にて購入。 長年フランス文化を研究してきた著者が、フランスとは何かを分かりやすく多方面から解き明かした本。 フランスについて何も知らない人はもとより、私のようにヨーロッパ文学を研究してきた人間が読んでも教えられるところがある。 著者の洒脱で平易な文章もいい。

・井上章一『つくられた桂離宮神話』(講談社学術文庫) 評価★★★★ 著者の出世作で、1986年に単行本として出され、文庫化されたのは98年だが、私は初めて読んでみた。 ブルーノ・タウトによって桂離宮が評価されて初めて日本でこの建物が一般に認められるようになった――という神話に挑戦して真相を明らかにしている。 また、外国人の評価に弱い日本人、という定評ある(?)説も、実は知識人層に限られたことだという興味深い指摘もなされている。 タウトの言説は実は知識人にこそ受け入れられたのだという。

・岩月謙司『女は男のどこを見ているか』(ちくま新書) 評価★☆ 女にどう見られているか、ということはワタシのように50歳になった男にも気になるもので、こういうタイトルの新書が出たので買って読んでみた――が、かなりいかがわしい本である。 何というか、「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの」 みたいな感じなのだ。 著者は国立大教育学部教授で、この手の通俗心理学書をたくさん出しているようだが、そういう本が売れるということは、一般大衆の知的レベルがこの程度であり、ついでに大学教師もこの程度だということなのであろう。

・藤田敬一『同和はこわい考――地対協を批判する』(阿吽社) 評価★★★ 15年前に出た本だが、購入したのは去年で、今回授業の必要性から読んでみた。 被差別部落民への差別をなくす問題に関わってきた大学教授が、しかし運動家の糾弾行為により 「同和はこわい」 という意識が一般に広まってしまったというマイナス面を考察したもの。 被差別部落出身の運動家との往復書簡も収録されている。 今から見ればかなり常識的な内容とも言えるが、15年前はこのくらいの意見を公にするのにもそれ相応の勇気が必要だったことを思えば、一読の価値があると言えよう。 なお副題の 「地対協」 とは、政府の地域改善対策協議会の略で、部落解放運動のありかたを根本的に見直すべきだという答申を当時出しており、著者はそれを批判しつつも解放運動側にも問題はあったとする中間的立場をとっているわけで、その二面性がタイトルにも出ているということになる。

・小谷野敦『聖母のいない国』(青土社) 評価★★★★ アメリカ文学を読み解いた本、というよりアメリカ文学を材料に言いたいことを言っている評論集と見た方がいいかもしれない。 私自身はアメリカ文学は好きではなく余り読んでいないので、扱われている作品についてこの本が主張しているところが正しいかどうかよく分からないが、フェミニズム、ポストコロニアリズム、大衆論など、著者がこれまで関わってきた領域に絡む論じ方をしているので、作品を読んでいない人にも比較的分かりやすいと思う。

・小谷野敦『中庸、ときどきラディカル――新近代主義者宣言』(筑摩書房) 評価★★★★ 著者の最新評論集。 雑誌掲載文を集めたもので、全体として一貫したテーマを追った書き下ろし本ではない。 中で面白いのは、やはりフェミニズム批判であろう。 いわゆる 「三歳児神話」 をめぐるフェミニズム系学者たちのごまかしが容赦ない筆致であばかれている。 江戸幻想をめぐる田中優子への批判もかなり辛辣。 ほかに自虐的歴史観への批判や、内部告発は日本文化に合わないとのたまう山折哲雄への批判など、面白い文章が多いが、大学教育に関する文章だけはちょっと遅れている感じがした。  

・吉川徹『学歴社会のローカルトラック――地方からの大学進学』(世界思想社) 評価★★★ 著者は社会学者。 島根県の山間部の公立高校をサンプルとして、地方の高校生の大学進学、及びその後の進路を調査した結果をまとめた本である。 県庁所在地である松江に出るのにも数時間かかるという田舎町に住む若者たちの進路決定の仕組みや、島根県が人材を自県に環流させるシステムなどが平易な筆致で綴られており、とかく都会の私立進学校などを中心に語られがちな日本の大学進学の一側面をうかがわせる興味深い書物となっている。

・日垣隆『エースを出せ!――脱「言論の不自由」宣言』(文芸春秋) 評価★★★ 活発な活動が目立つジャーナリストの最新刊。 特に朝日新聞の 「天声人語」 批判と、朝日新聞の 「紙面批評」 批判が面白い。 著者は朝日に頼まれて 「紙面批評」 を掲載していたが、それがきっかけとなって朝日新聞は 「紙面批評」 欄を廃止したそうな。 朝日に 「紙面批評」 を掲載していた間、朝日からしょっちゅう内容を前もって修正してくれという電話がかかってきたが、著者が同時期にやはり 「紙面批評」 を載せていた毎日新聞の場合はそういうことはまったくなかったという。 朝日と毎日の体質の違いが分かる話ではないか。  

・レッシング『エミーリア・ガロッティ』『賢者ナータン』(白水社『レッシング名作集』より) 評価★★★ 教養の講義に必要だという理由で目を通したもの。 前者は大学院生時代に原書講読で読んで以来だから27年ぶり、後者は初めて読んだ。 劇として前者の方が面白い。 後者は宗教の違いにこだわることのない寛容を訴えた作品として有名だが、筋書きはある意味ありきたり。

・川村邦光『オトメの身体』(紀伊國屋書店) 評価★★☆ 先月読んだ 『オトメの祈り』 の続編。 ついでなので読んでみたが、印象は変わらない。 材料は面白いが、切り方が凡庸なのだ。 ここでは大正期のオトメたちの月経不順や胸が大きくて困る(!)といった悩みを取り上げている。

・岡崎久彦『百年の遺産――日本近代外交史73話』(産経新聞社) 評価★★★★ 著者はサウジアラビアやタイの大使を務めた外交官。 この本は、明治以降の日本の歴史を外交を中心としてたどったものである。 平明な記述のうちに日本の近代史が多方面から照射され、説得力あふれる内容となっている。 小村寿太郎など日本の政治家に対する複眼的な評価も興味深い。 明治以降の日本の歴史を本1冊で知りたい人にはお勧めである。 

10月 ↑

・三浦朱門+西尾幹二『犯したアメリカ愛した日本 : いまなお敗戦後遺症』(ベストセラーズ) 評価★★★ 戦後日本のアメリカとの関係を中心に論じた対談本。 西尾の発言は 『わたしの昭和史』 などと重複するところが多いが、三浦はいくぶん年齢が上なので、そこから来る多少の観点の違いを含めて、アメリカという国が日本にとってどういう意味を持ったかを考えようとする人には一読の価値がある本。

・米沢嘉博『戦後野球マンガ史』(平凡社新書) 評価★★★★ タイトル通り、戦後の少年マンガの一大ジャンルを形成した野球マンガの歴史をたどり、各作品を考察した本である。 『巨人の星』などの有名作だけでなく、マイナーな作品にも目配りがきいているし、また作品ごとの評価も丁寧でバランスがとれており、なおかつ卓見がちりばめられている。 そして私が強く感じたのは、これは何より戦後日本における少年と男の精神史であるということだ。 当時を生きてきた男たちは、これによって自分の生き方に見事な表現を与えられたと言っていいだろう。 その意味で私も少なからぬ共感を持って読んだ。

・二階堂黎人『名探偵の肖像』(講談社文庫) 評価★★★ ミステリー短篇が5つと、著者と芦辺拓の対談 「地上最大のカー問答」、そして 「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」 を収録。 短篇はそれぞれ著名なミステリー作家のパロディという趣向。 私としては最初の 「ルパンの慈善」 がなつかしかった。 というのはかの 『八点鐘』 のヒロインであるオルタンスとルパンとの出会いが描かれているから。 オルタンスはルパンものの中でも特にチャーミングなヒロインですからね。

・川村邦光『オトメの祈り』(紀伊國屋書店) 評価★★☆ 9年前に出たときにすぐ購入しはしたがツンドクになっていた書物。 本を整理していたら目に付いたので読んでみた。 大正時代の女性雑誌を材料に、当時の若き乙女たちの言説空間を再現しようとする試み。 現実から遠く飛翔した乙女たちのオトメチックな自己表現は、つまり材料の方はそれなりに面白いが、著者の視点はフェミニズムや植民地主義への反省といった、かなり現代風で凡庸なものなので、つまり切り方がマズイなので、イマイチの感。

・ノヴァーリス『青い花』(岩波文庫) 評価★★★☆ ドイツロマン派を代表する未完の小説を、後期の授業の準備に、ほぼ35年ぶりで読み返してみた。 といっても以前は同じ岩波文庫ながら小牧健夫の旧訳、今回は青山隆夫の新訳 (出たのは10年以上前だけど) である。 良い意味での童話性を保持した、今に十分通用する作品だと改めて感じ入った。 ドイツ文学の、フランス文学とは違って市民社会の実写に重きを置かない特性が、鮮烈に結晶した小説と言える。 うーむ。 

・江藤淳『昭和の文人』(新潮文庫) 評価★★★★ 平野謙、中野重治、堀辰雄の3人の作家・批評家を、「一身で二生を生きた」 という共通項でくくりつつ論じた本。 平野は戦後になって戦中の経歴を偽ったがために、堀は義父が義父であることを知らなかったと偽証した (堀の義父に対する態度は、若様の下男に対する態度と同じだった、という江藤の指摘は衝撃的) が故に批判され、中野は共産党との関係や天皇への視点を偽らずに書き記したが故に共感を持って論じられている。 表面的な政治性ではなく、作家が個人としてどれだけ誠実に時代や自己を検証したかが重視されているところが、著者の力量を示していて、一読、唸ることしきりであった。

・「明智探偵事務所」を探偵する会(編)『少年探偵団の謎』(光栄) 評価★★ 古本屋で250円にて買った9年前の本。 『磯野家の謎』 『ドラえもんの秘密』 などのサブカル研究本が流行っていた時代の産物だと思う。 江戸川乱歩の 「怪人二十面相シリーズ」 をネタに、「小林少年は学校に行かなくていいのか?」 「二十面相はなぜさらってきた子供たちを着飾らせるのか?」 など、様々な側面からアプローチした本である。 わりにオーソドックスで、変にひねらないところがいいとは言えるが、この種の本は他にも出ているので、浅い印象は免れない。

・金原克範『”子”のつく名前の女の子は頭がいい』(洋泉社) 評価★★★ 約7年前に出て評判になった本である。 当時買ったままツンドクになっていたのだが、本の整理をしていたら出てきたので、遅ればせながら読んでみた。 娘に子のつく名前を与える家庭とそうでない家庭の差異から発する、情報化社会における女の子の振る舞い方を見つめる眼差しは、今も新鮮と言える。 テレビ普及後の第一世代ではなく、その子供である第二世代から不登校が増えたという指摘も面白いが、第一世代が第二世代に施した躾けについての箇所はあまり説得力がないような気がする。

・シラー『群盗』(岩波文庫) 評価★★★ 後期の講義のために、30年余り前、高校時代か大学に入ったばかりの頃に読んだ岩波文庫を引っぱり出して再読してみた。 うーむ、シラーのこの処女作はやはり劇的。 ゲーテに比べると女が描けてないけど、行為と激情は圧倒的だから、舞台にかけると狂熱を呼んだだろうことは疑い得ない。

・河合信和『ネアンデルタール人と現代人――ヒトの500万年史』(文春新書) 評価★★★☆ 考古学の発掘調査が進み、また理系技術の進歩により年代測定がかなり正確に行われるようになってきたので、猿人→原人→現人類の進化の様相が明らかになりつつある。 ヒトの進化については、私が中高生時代、つまり60年代後半に教わったものとは相当に違う認識が広まっているのだ。 この本はそうした最近の知見を明らかにしたもので、研究史の説明が幾分わずらわしいとはいうものの、現人類の直系の先祖であるクロマニヨン人と、それ以前に枝分かれして結局は現人類につながらずに絶滅したネアンデルタール人とが一時期は共存していたらしいというあたりの記述がたいへん面白い。 なぜネアンデルタール人は絶滅したのかについての考察、そして進化というものが合目的的というよりは偶然により多く支配されているらしいという指摘が新鮮であった。 もっとも本書は3年前に出ており、この分野は日進月歩だから、もしかするとすでに古くなっている部分があるかも。

・小池真理子『狂王の庭』(角川書店) 評価★★ 作者は直木賞作家で、私はこれまで読んだことがなかったが、 最新刊のこの長篇は各種書評でも好意的に取り上げられているので買って読んでみた。 昭和20年代後半の東京を舞台に、妹の婚約者と不倫する人妻、そしてその不倫相手が財産を傾けて創り上げる巨大な庭園の様相を描いている。 いかにも通俗小説的な設定で、その通俗性を楽しもうと思ったのであるが、期待はずれだった。 作者はヨーロッパの庭園だとか各種芸術についてどの程度調べたのだろうか? 「ヒトラーの生んだドイツロマン主義」 なんて表現は作者の勉強不足を露呈してしまっている。 また、庭園のお披露目の時にマーラーの第9交響曲第4楽章をかけることになっているが、誰の演奏だったのか? マーラーが一般によく聴かれるようになったのは、世界的に見ても1960年頃、つまり昭和で言うと35年頃からで、昭和20年代のこの曲のディスクというと限られているはず。 こういう小説では登場人物の服装などよりその種のディテイルにこそこだわるべきだと思うのだが、それがおろそかにされているからリアリティが感じられないのだ。 アナクロニズムを意識的に犯すには、昭和20年代後半はまだ十分過去になっていない。 三島由紀夫は昭和初期を舞台にした 『奔馬』 で、皇族がR・シュトラウス 「ティル・オイレンシュピーゲル」 のディスクを聴くシーンを描く際に、ちゃんと 「フルトヴェングラー指揮のベルリンフィル」 と記しているぞ。 三島と小池の力量の違いは明瞭だろう。 いや、そもそもそれ以前の小説としての出来からして、肝心要の庭園の描写が印象に残らないし、庭園造りに精魂傾ける男の狂気も、彼とヒロインの恋愛も、通りいっぺんで迫力がない。 男がユニコーンに言及する箇所があったりして (それも蘊蓄を傾けるというのではなく、あくまで通りいっぺんなのだ)、三流少女マンガみたい。 こんな小説をほめている書評の良心を疑いますね。    

・『諸君! 10月号』 雑誌は取り上げない原則だが、面白い記事が掲載されていたので紹介しておきたい。 古森義久 「N・チョムスキー、E・サイード、S・ソンタグ――米国じゃ”あっち向いてフン”――何故か」 である。 古森氏は産経新聞記者で、数々の受賞で名ジャーナリストと定評のある人であり、これは昨年9月の米国テロ事件以後、米国の軍事行動を批判しているチョムスキーやサイードの文章が日本でも邦訳で出回ったが、彼らの主張が本国でどう受け取られているかを解説した文章である。 チョムスキー (生成文法) やサイード (『オリエンタリズム』) はその学問的業績のために日本 (の知識階級のあいだ) では知名度が高いが、米国での知名度はきわめて低いこと (そういう人の文章がすぐに日本に紹介されてしまう政治性を考えよ)、チョムスキーは以前から政治的発言の偏向で知られていること、サイードが経歴詐称で批判されていること、ソンタグはテロ事件に関する態度を批判されて 「私はパシフィストではない」 と語ったこと――パシフィストとは、単なる平和主義者ではなく、無抵抗平和主義者のこと――などなど、興味深い指摘が数多くなされている。 

・田口善弘『砂時計の七不思議――粉粒体の動力学』(中公新書) 評価★★★ 7年前の新書をBOOKOFFにて半額で購入。 子供の頃、物質には固体 ・ 液体 ・ 気体の三様の存在形態がありますと教わった私は、一つ足りないんじゃないか、と思っていた。 つまり砂のような存在形態で、私はそれを勝手に 「砂体」 と呼んでいた。 つまり私にとっては物質の存在形態は、4種類あったわけである。 しかしその後、世の常識に馴染んでいった私は、いつしかそのことを忘れてしまった。 ・・・・・・ところが、である。 ここにきて子供の頃の私の考え方があながち無根拠でもないことを示してくれる本に邂逅したのである。 ただし名前は 「砂体」 ではなく 「粉粒体」 だが、この本は砂時計などを初めとして、細かい粒子となった固体が、いわゆる固体とは違った物理学的特性で動いていることを様々な側面から探ったものである。 へえ、と感心するような話が満載されているが、説明がやや難しく理解困難な箇所もあった。 また、粉粒体についてはまだ分かっていないことも多いらしい。 『ロウソクの科学』 など子供向けの科学啓蒙活動で知られるファラデーが粉粒体研究の祖で、しかし彼以降その方面の研究は放置されてきたのが、最近になってまた取り上げられ始めたという記述を読むと、子供の素朴な好奇心が案外自然科学の最先端につながることもあるのだと感慨を覚えた次第。 なおこの本は某社の出版賞を受賞しているそうである。

・野平俊水『日本人はビックリ! 韓国人の日本偽史』(小学館文庫) 評価★★★ 著者は韓国の大学院で韓国文学を学んだ学者にして、韓国のテレビに出演して人気者になった人でもある。 この本は、タイトル通り韓国に流布している日本の歴史や文物に関するトンデモないデタラメ説を紹介したもの。 日本語の 「下らない」 は朝鮮半島の百済から来たとか、そんな類の民間学説を斬っている。 最近話題の、日本海を東海に名称変更せよという韓国側の主張が歴史的に見て無根拠であることもきちんと論述されている。 と言っても、一方的な韓国バッシングの本ではない。 韓国が日本の植民地だった時代に日本側から 「内鮮一体」 というイデオロギー的理由ででっち上げられ、韓国に流布して、それが戦後日本に逆輸入されたというような偽史もあるのだ。 歴史教科書問題でも、やるのなら日韓がお互いの教科書を修正するよう要求すべきだというふうにあくまで相互主義的であり、バランス感覚の良さが感じられる。

・西尾幹二+路の会『日本人はなぜ戦後たちまち米国への敵意を失ったか』(徳間書店) 評価★★★ タイトル通りの本である。 日本人が第二次大戦後あまり時をおかずに米国への敵意を喪失したのはなぜかという問題が、西尾幹二を中心とする路の会メンバーにより討議されている。 史的国民性、精神分析学的立場、米国の占領政策、共産主義との関係、などなどさまざまな側面から参加者が意見を交換しているが、私としては日本人が戦前の大衆文化においては米国への親しみこそ持て、敵意はなかったこと、占領政策、および日本の知識人の精神形態によるところが大きいのではないかと思う。 いずれにせよここでの討議はやや総花的過ぎる感じがする。 個々の側面を掘り下げた本が待たれる (何冊か紹介されていもいるが)。

・島内景二『文豪の古典力――漱石・鴎外は源氏を読んだか』(文春新書) 評価★★★☆ 『源氏物語』 が漱石や鴎外、一葉や紅葉らの文豪にどのような影響を与えたかを詳細に跡づけた本である。 思わぬ箇所に源氏の影響が指摘されており、日本文学の伝統を改めて痛感させられること受け合いである。 また与謝野晶子による現代語訳の功罪についても示唆に富む言及がなされていて、単なる源氏の影響史だけではなく、現代日本文学の持つ方向性についても考えさせられる。

9月  ↑

・ゲーテ『ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(潮出版社版『ゲーテ全集』第4巻所収) 評価★★★ 後期の講義に必要なので読んでみた。 若きゲーテの出世作である戯曲。 しかし日本人が読む場合、タイトル名でもある主人公が歴史上の人物としては馴染みが薄いので、書かれていない背景と作品そのものとの関係をどう捉えるかが難しいところ。 まあそれはさておき、悪役の女性アーデルハイトが非常に面白いと思った。 女好きの文豪ゲーテならではですな。 なお中田美喜の訳は格調がやや低い感じ。

・呉智英『マンガ狂につける薬21』(メディアワークス) 評価★★★ 数年前に出た 『マンガ狂につける薬』 の続編。 雑誌連載中のコラムをまとめたもので、毎回マンガ本と活字の本を並行して取り上げて論じる形式は以前と同じ。 教養書としての意義は小さくない。 また、著者自身の揺れも見られる。 第24章では父性や母性は大部分後天的な学習によるものとフェミニスト的見解を披露しているが、第42章ではコラピント『ブレンダと呼ばれた少年』を紹介しつつ性差は先天的なものだと述べているからだ。 その辺も含めて面白さを味わおう。  

・小倉貞男『朱印船時代の日本人――消えた東南アジア日本町の謎』(中公新書) 評価★★★ 13年ほど前に出た新書を古本屋にて200円で購入したもの。 タイトル通り、いわゆる朱印船時代の日本人の行動と、東南アジアにあった日本人の町の内実、そしてそれがどうして短期間のうちに消えていったのかという謎に切り込んでいる。 この点での実証的な研究はまだまだということらしい。 著者は学者ではなく読売新聞に勤めるジャーナリストで、最後で中国人のいわゆる華僑と日本人との対比がなされているのが興味深い。

・香山リカ『〈じぶん〉を愛するということ』(講談社現代新書) 評価★★ 著名な精神科医が3年前に出した本。 マスコミの露出度が高い人だから私も名前は知っていたが、この種の本には興味がないので読んだことがなかった。 しかし先頃、1年向け演習の学生がこの本でレポートを書き、またBOOKOFFに100円で出ていたので、ならばと思い買って読んでみた。 「自分探し」 というもののヤバさを時代状況に即して論じた本で、なんとなく常識人の人生読本みたい。 まあ、そこは自分でも分かっているみたいで、「私のは 『なんちゃって精神医学』 だ」 とおっしゃっています。 でもそんなものでカネを稼いでいいんですか? ただ、最後の当たりで80年代バブル期のサブカルと学術がミックスされた状況 (それが最終的にオウム真理教事件で破綻した) との絡みで、そうした中で生きてきた自分を真摯に反省なさりつつ、しかしそこから逃げずにものを書いていこうとおっしゃっているのは、まあ良心的なんでしょう。 オウム真理教事件が起こったとたん、責任回避をはかる醜悪な対談をやらかした浅田彰・中沢新一との違いがうかがえますね。 私自身のことで言えば、私のいる学科ってのもそういう状況下で文部省のバカ役人に押しつけられて出来たようなものだから、そこで踊っている教師=団塊の世代らの醜悪さが二重写しになる、といった印象があったってことで。

・柄谷行人『日本精神分析』(文芸春秋) 評価★★★★ 柄谷の最新著作。 現代の日本や世界状況を、大正期の三つの短編、すなわち芥川龍之介『神神の微笑』、菊池寛『入れ札』、谷崎潤一郎『小さな王国』を皮切りとして縦横無尽に論じている。 文芸評論家としての彼と思想家としての彼の姿が同時にうかがえる。 内容的にも面白いんだけど、デリダやニーチェを含めていかなる人物にも容赦しない彼の筆が、マルクスに関してだけは擁護一辺倒になるのはなぜだろうか?? どうも引用箇所を読んでも、柄谷のようにマルクスを解釈するのは無理な感じがする場合が間々あるんだけど。 それと新しい貨幣Qについての論述はあまりに漠然としていて、これが新しい社会の創出に役立つとは信じがたい。

・フリードリヒ・シュレーゲル『ルツィンデ』(『ドイツ・ロマン派全集第12巻』〔国書刊行会〕所収) 評価★★ ドイツ・ロマン派の理論家として名高いF・シュレーゲルの、文学史上は著名だが、一般にはほとんど読まれない小説である。 後期に教養の講義でドイツ・ロマン派を取り上げる予定なのでその必要上読んでみたのだが、「文学史上は著名だが」 の限界が丸見えの小説ですなあ。 たしかに理屈を付ければ近代ヌーヴォ・ロマンの先駆とか何とか言えなくもないが、ギリシア神話を使った比喩だとか文章の内実そのものが古くなっているのが致命的で、今では一般の文学愛好家には読むに耐えない作品と言っていいでしょう。

・宮田光雄『ナチ・ドイツと言語 ――ヒトラー演説から民衆の悪夢まで――』(岩波新書) 評価★★☆ 言語といってもこの場合広い意味で用いられている。 すなわち、ナチ時代のヒトラー演説の言語的特質、レニ・リーフェンシュタールの映像の特質、当時の教科書、ジョーク、などなどを分析した本である。 ジョークについて書かれたところはちょっと面白いが、あとは食い足りない。 なぜかというと、ナチは悪である、という前提から一歩も出ていないからだ。 というとお前はナチを擁護するのかと詰問されそうだが、当時大衆がヒトラーを支持したという事実を抜きにして、単にナチを批判する視点からものを述べても、今どき説得力は希薄なんですよ。 著者は東ドイツをも悪として捉えているので、どうも結果論でものを言っているという感じしかしないんだなあ。 東ドイツが存在した頃は日本人の中にも支持者が結構いたんです。 ほんの十数年前のこと。 そうした評価のゆらぎや微妙さ、みたいなものが全然感じられない本なんですよねえ。  

・小山慶太『道楽科学者列伝――近代西欧科学の原風景』(中公新書) 評価★★★ 5年前に出た新書をBOOKOFFにて半額で購入。 今なら巨大な資金を必要とする科学研究は大部分が税金を使った国立大学や研究所、或いは大企業の研究所で行われるのが普通だが、かつては巨万の富を抱えた民間人が道楽で行うものだった。 18世紀から20世紀初頭にかけての、そうした 「お大尽の道楽」 的な科学者たちを取り上げた本である。 「質量保存の法則」 を発見した化学者として有名なラヴォアジェや、火星に運河があると主張したローエル、ユダヤ人財閥の跡継ぎながら本業はそっちのけで動物標本の収集に一生を費やしたウォルター・ロスチャイルドなど、古き良き時代のディレッタント科学者たちの肖像が興味深い。

・上杉隆『田中真紀子の正体』(草思社) 評価★★★★ 田中真紀子が外務大臣に就任してから辞任するまでの軌跡をたどり、いかに彼女が政治家として無能で非常識であり、人間的にも失格であるかを検証した本。 私も、田中真紀子に人気がある理由がさっぱり分からなかった口だから、この本を読んで改めて 「そうだよな」 と思ったのであるが、田中真紀子を信奉していた人にはつらい本かも。 というより、彼女を信奉するような大衆は本なんか読まないんだろうな。 ったく、民主主義ってのは!

・金完燮(キム・ワンソプ)『親日派のための弁明』(草思社) 評価★★★ 話題の本である。 かつての日本による韓国統治は正当だったという内容で、書いたのは韓国人であり、当の韓国では有害図書として発禁になったといういわくがあるからだ。 著者の主張は明快で、アジアで近代化をなしとげ欧米列強に対抗できたのは日本だけであった以上、朝鮮は日本と一体化して近代化を図る以外に道はなかったとするものである。 単に韓国についてだけそう述べているのではなく、フランスの旧植民地は独立してフランスから離れることで貧困化した、ハワイはアメリカに組み入れられることで豊かになった、と指摘するなど、ある意味で最近流行のポスト・コロニアリズム (これは単純な植民地主義批判にとどまるものではないが) と正反対の、近代化至上主義に徹しているから、著者は著者なりに首尾一貫した立場をとっていると言えよう。 やや日本を褒めすぎの感じもないではないが、日本の朝鮮半島支配を100パーセント悪とする観念的な歴史観へのカウンターバランスの意味は十二分にある。 

・西村健『霞ヶ関残酷物語――さまよえる官僚たち』(中公新書ラクレ) 評価★★★★☆ 著者は1965年生まれ、東大工学部卒業後、旧労働省にキャリア技官として数年勤め、その後ライターに転じた人。 中央官庁の内実を余すところなく描き出した好著である。 キャリアと非キャリアの微妙な関係 (キャリアが強者で非キャリアが弱者、と単純には言えないところが面白い)、 技官と事務官の差、与党の政治家センセイにこき使われる悲惨さ、事なかれ主義が横行する理由、などなど、一度労働省に勤務した人ならではの、内からと外からの視点を縦横無尽に使い分けた描写には納得させられるところが多い。 官僚を知ろうとする人には必読書と言えよう。  

・小林至『僕はアメリカに幻滅した』(太陽堂企画出版) 評価★★★★ 一昨年11月に出た本。 著者は1968年生まれ、東大を出て千葉ロッテマリナーズに入団し話題となったが、やがて解雇され、渡米してコロンビア大学のビジネススクールに入学。 MBAの資格を取って米国のゴルフ会社に勤務したものの、やがてクビになった。 この本は、会社をクビになったいきさつを含め、アメリカの実情、特に80年代以降のいわゆるグローバル化の中で何が起こっているかを容赦ない筆致であばいたものである。 金持ちばかりが優遇される社会、弁護士が多数存在するが故の不便さ、騙されないかといつも身構えていなければならない対人関係、人種差別が今なおまかり通る実態、レベルの低い大学院、医療制度が整っておらずうっかり病気にもなれない悲惨さ・・・・・・・などなど、アメリカの光と陰、ではなく、アメリカの陰と陰を徹底的にえぐり出している。 やや分かりやすすぎるという気もするけれど、いわゆるグローバル化=アメリカ化に対する痛烈な批判として (その意味で、東大経済学部の岩井克人などは正反対) 面白い。 私としては、アメリカの私大の学費がバカ高いのは知っていたが (著者の通ったコロンビア大で年間23,244ドル) 州立大の学費もさして安くないというのが意外だった。 カリフォルニア州立大は州内居住者で年間4050ドル、州外生9384ドル、だそうだ。 州内生で日本の国立大並み、州外生だとその倍以上で日本の私立文系並みということになる。

8月 ↑

・二階堂黎人『名探偵・水乃サトルの大冒険』(講談社文庫) 評価★★☆  『聖アウスラ修道院の惨劇』 が結構面白かったので、こちらもBOOKOFFで買って読んでみた。 が、イマイチであった。 犯人探しの醍醐味がなく、残るはトリックだが、なんでそういうトリックを弄さなければならないのかという必然性に欠けている。 解説でも触れられているとおり泡坂妻夫の亜愛一郎シリーズを何となく連想させる書き方だけれど、私は亜愛一郎シリーズの方をはるかに高く買いますね。

・青井博幸『ビールの力』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ 出張先のヨーロッパで地ビールのうまさに目覚め、サラリーマン生活から足を洗って地ビール製造を始めた著者が渾身の力をふりしぼって書き上げたビール讃歌にして、日本のビール税は高すぎると告発する書物。 一読、地ビールが飲みたくなり、ビール税を下げろと叫びたくなること受け合い。 著者のビールに賭ける熱い思いが伝わってくる本。 

・大平健『純愛時代』(岩波新書) 評価★★★ 2年近く前の新書をBOOKOFFにて半額で購入。 「いまどきの恋愛事情を通して、現代の若者たちの心の風景を描き出す」 というキャッチフレーズがついているが、著者は精神科医で、ここに登場する若者たちは精神病を (一時的に) 病んで著者の診療を受けた人ばかりである。 というわけで、面白いけれども、やや重さを引きずるような読後感が残る本である。

・ヘルムート・プレスナー『ドイツロマン主義とナチズム――後れてきた国民』(講談社学術文庫) 評価★★ 大学院の授業で読んだ本。 原著は1935年、つまりヒトラーがドイツで政権をとった2年後に書かれており、著者はユダヤ人で、ナチに追われてドイツの大学からオランダの大学に移った学者である。 原題は 『市民時代末期のドイツ精神の運命』 で、戦後になってドイツの出版社から再版されたときに 『遅れてきた国民』 と改題された。 ドイツ精神の中からなぜナチズムが生まれたのかを、ドイツにおける宗教性の脆弱さと世俗的な価値観のなかにさぐろうとしている。 しかし叙述はかなり抽象的・哲学的であり、特に後半はモロに哲学史となってしまっていて面白くない。 タイトルに 「ドイツロマン主義」 とあるけれど、芸術上の流派のことではなく、近代のドイツ思想史を漠然とそう呼んでいるだけだから、要注意 (これは訳者も悪い!)。 章ごとの内容的な重複も多い。 似たような内容の本としては野田宣雄 『ドイツ教養市民層の歴史』(本欄の5月の項を参照) の方が分かりやすく説得的だし、この本も併せ読むにしても前半だけ読んでおけば沢山である。

・佐藤幹人『精神科医を精神分析する』(洋泉社新書y) 評価★★★ 誰もが何となく感じていながら、いざとなるとなかなか体系だって言えないことというのがある。 精神科医のいかがわしさ、もその一つ。 長年養護学校の教員をしてきた著者は、ここでマスコミ露出度の高い著名な精神医をなで切りにしている。 同様に最後のあたりでジェンダーフリー論を斬っているのも痛快。 念のため付け足せば、著者は精神医全体を批判しているのではなく、評価すべき人にはそれ相応の言及をしている。 つまり、精神病や性にまつわる問題はきわめて複雑なのであって、それを単純化して扇動的言辞を労するマスコミ学者やフェミ中毒者こそがガン、ということなのだ。 物事の複雑さが分からないバカは、どこにでもいるものですからね。

・二階堂黎人『聖アウスラ修道院の惨劇』(講談社文庫) 評価★★★☆ いわゆる新本格派のミステリー。 9年前の作品。 BOOKOFFで何となく購入。 野尻湖畔のカトリック修道院を舞台とした連続殺人事件。 密室殺人あり、暗号解読あり、地下の迷路ありの、ゴシック調推理小説好きには満足のいく道具立ての揃った作品だ。 犯人やトリックもさることながら、最後に舞台に関してトンデモ本すれすれの大逆転劇が待っているところがすごい。 この蛮勇を賞賛すべきであろう。 なおヒロインの二階堂蘭子は 「国立市の一ツ橋大学理工学部2年生」 となっているけど、「一ツ橋大学」 だから 「一橋大学」 じゃないというつもりなのかもしれないが、紛らわしい。 一橋大学は周知の通り文系だけの大学であり、せめて 「二橋大学」 くらいにできなかったものか。 実際、この作品では長野県の医学部を備えた大学は 「信越大学」 となっているのだから。

・小谷野敦『退屈論』(弘文堂) 評価★★★☆ 『もてない男』 でブレイクした著者の最新刊。 人間の文化や行動は 「退屈」 をキーワードに解明できるのでは、という壮大な構想による本。 著者自身も断っているように試論なので、必ずしも精緻な論理展開によってできているとは言えないところもあるが、面白い視点が多々見られ一読に値する。 ニーチェが 『悲劇の誕生』 で人間の究極的な秘密はこの世に生まれない方が幸せだということだと喝破したこと、埴谷雄高が 『死霊』 で、人類の究極的な問題は 「自殺」 と 「子供を作ること」 だと作中人物に述べさせたことを私は思い起こした。 「退屈」 はそうした 「大問題」 の一つなのかもしれない。 

・秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮社) 評価★★★★☆ 3年前、いわゆる従軍慰安婦の強制連行があったかなかったかが論争になっていた頃に出て、この問題に決着を付けた観のある書物。 私は出た当時すぐに買いはしたもののツンドクになっていたのだが、今回、授業で必要があって読んでみた。 当時の社会状況から始まって、英米独露などと日本との兵士性欲処理法の比較、フェミニストの無茶苦茶な主張への批判など、多方面に目配りがきいており、通俗的な論客に鉄槌を下す博学にして明快な主張は一流学者ならではのものと言える。 また、最後にこの問題について 「Q&A」 の形でまとまりよく解説がなされているので、忙しい人や手っ取り早く結論を知りたい人はここを読めば間に合うようになっているのも便利。

・ナンシー関『信仰の現場』(角川書店) 評価★★ こないだ死んだ著者の、現場突撃体験レポート集。 94年に出たものをBOOKOFFにて半額で購入。 あまり興味をそそるものはなかったけど、某絵本専門書店が1・2Fは絵本ばかりなのに3Fになるとなぜかフェミニズム本のフロアになってしまっているという話が面白くもコワかった。 絵本好きの人とフェミ好きの人ってのは、どこかで通底しているんだろうな (以前新潟大に勤めていた某先生の顔が浮かんできました・・・・・)。 それとウィーン少年合唱団のおっかけオバサンは団員と文通を始めて、以後ずっと交流を持続するのだという話もやっぱりコワかった。 最近の日本の女はコワくていけませんね。

・エルンスト・ベーラー『Fr・シュレーゲル』(理想社) 評価★★★ ドイツ・ロマン派の代表的論客だったフリードリヒ・シュレーゲルを簡潔に紹介した本の邦訳。 25年以上前に出たもの。 私は後期の教養科目を講じるのに必要だからというので読んだのだが、やや専門的な記述が目立つものの、いまだに十分究められたとは言えないこの理論家を要領よく描出していて参考になった。

・坂口安吾『白痴』『風博士』『風と光と二十の私と』(新潮社版・世界文学全集第55巻より) 評価★★★ 授業で小論文指導となった学生が安吾の『白痴』 を取り上げるというので、未読だった私はあわてて読んでみた。 ついでに同じ本に収録されているデビューしたての頃の短編と、二十歳のころを回想した自伝的な文章も読んでみた。 最近、私は小説を余り読まなくなっているが、今回も三作の中で自伝的な文章に一番面白みを感じた。 例えば、『白痴』 に出てくる白痴の女の原型ともいうべきものが、この自伝的な文章に出てくる。 彼が小学校の代用教員をしていた頃受け持った女生徒である。 小学生でも上級学年になると女生徒というより女という感じの子がいるわけだが、そのなかに、肉感的でありながら意識して男に媚びるとかシナをつくるというのではなく白痴的でありながら無垢な感じの少女がいて、女房にしてもいいかなと漠然と思った (別段、その子に恋をしたわけではなく) ということが書かれている。 こういう記述が今の私には面白いんですよね。

・別冊宝島編集部(編)『「少年犯罪」の正体』(宝島社文庫) 評価★★★ 1年あまり前に出た本をBOOKOFFにて半額で購入。 タイトル通り、近年増えているとされる少年による犯罪の特徴と内実を探ったものである。 全体として、昔ながらの「不良」に取材した部分は安定感がある代わりに目新しさがなく (「昔はグレていましたが、最近はまともにやってます」 というストーリーに収まっているという意味で)、逆にひきこもりや家庭内暴力などはあまり説得的な説明や対策が提示できていないという印象がある。 しかし、西鉄バス事件の少年の、入院と一時帰宅をめぐるいきさつを扱った文章は、精神医学といういかにもいかがわしい分野の問題点と、精神病院をめぐる複雑な状況を明らかにしていて一読の価値あり。

・小浜逸郎『人はなぜ働かなくてはならないのか――新しい生の哲学のために』(洋泉社新書) 評価★★ 表題のテーマを初めとして、「なぜ学校に通わなくてはならないのか」 「戦争は悪か」 など10の疑問に答える形で書かれた哲学書。 率直に言って、面白さを感じなかった。 小浜は最近、議論の抽象度が増してきて、現実から乖離しつつあるようだ。 もともと彼の特質は、戦後の言説空間を支配してきた左翼や知識人の言い分が現実から遊離しているのを撃つというところにあったはずだが、左翼・知識人の駄目さ加減が明らかになってきた最近になって彼自身の言説が難解な哲学じみてきたのは、皮肉と言うべきだろうか。

7月  ↑

・ナンシー関+町山広美『堤防決壊』(文芸春秋) 評価★★ 下記と一緒に買ってきた対談本。 出たのは2年前で、某女性誌に1年半に渡り連載された対談を単行本化している。 こちらは女同士の対談なので、私には理解不可能な箇所 (思考や感性が、ということではなく、使っているタームが、ということです) や、面白みが感じられない箇所が多かった。 ただ、ナンシー関はあまりテレビを見ない人だったそうで、テレビをほとんど見ない私はとしては安心しました (安心したって仕方がないんだけど)。

・ナンシー関+大月隆寛『地獄で仏』(文芸春秋) 評価★★★ 先頃、消しゴム版画家のナンシー関が急死した。 私は彼女の本を読んだことがなく、また大月隆寛が某所で彼女をやたらほめているらしいので、BOOKOFFで探してみたが対談集が3冊おいてあるだけだった。 で、うち2冊を買ってきた。 こちらは6年前の出版で、某女性誌に3年間連載された対談を単行本化したもの。 話のテーマは時事的で、サリン事件や阪神大震災をはじめ様々だが、大月が知識人のサブカル化を批判しつつ事件の大枠をまとめ、そこにナンシーがボケとツッコミを使い分けながら感想を述べる、という趣向。 大月の女の趣味が意外に悪い (裕木奈江、藤田朋子、吉川十和子・・・) ってのがバレちゃってるところが面白いか。 なお、この対談、速記でできているらしい(途中、大月が速記者に話しかける箇所あり)。 業界では今でもテレコじゃなくて速記者を使って対談しているのか、と驚きました。これって、今も小学校でソロバン習うのと同じかなあ?

・松本健一『民族と国家――グローバル時代を見据えて』(PHP新書) 評価★★☆ グローバル化が言われる現代においてナショナリズムはどうあるべきか、その歴史をたどりつつ考察した本。 一読、教えられるところもあるが、著者の姿勢に曖昧なものを感じた。 素朴な郷土愛としてのパトリオティズムと近代的な国家原理としてのナショナリズムを対比させながらも、ナショナリズムの居場所はなくなっていないと言いたいようなのだが、他方でベネディクト・アンダーソン流の「想像の共同体」としてのネーション、という論理にどっぷり浸かっているので、歯切れが悪くなっているのだ。 柄谷行人も言うように、フィクションだからというだけではナショナリズムは片づけられない。 人間はパンのみにて生きるにあらず。 近代はナショナリズムに代わる有効な観念を見出し得ていない、と私は思う。 コミュニズムも宗教も、そして根無し草のコスモポリタニズムもグローバリズムも、ナショナリズムほどの魅力を持っていない。 かといって 「郷土愛」 を言うには郷土は狭くなりすぎているし、すでに実体が融解しかけてしまっている。 (今どき郷土をことさらに強調する都会人は、実際は観光主義に踊らされているだけだ。) 日本の知識人のナショナリズム恐怖症は相当なもので、軍隊がなければ平和が来るという論理同様に思考することを放棄しているが、一度ナショナリズムについてはきっちり考えておかないとダメだろう。 少なくとも単純な全否定でやっていけると思うような人は、修道院にでも入るしか生きる道はあるまい。

・村山なおこ『ケーキの世界』(集英社新書) 評価★★★ 1年生向けの人文教養演習で、「飲食をテーマとする新書を読んでレポートを書きなさい」 という課題を出したら、この本を選んだ学生が2人いた。 それで、学生のまとめ方などを見る意味もあって読んでみた。 私は辛党で、甘いものには趣味がないので内容についてとやかく言う資格がないけれど、ケーキの味わい方や、おいしい店の紹介などがあって、甘党の人には悪くない本なんだろうな、と思います。

・大嶽秀夫『二つの戦後・ドイツと日本』(NHK出版) 評価★★★ 授業で取り上げて読んでみた10年前の本。 著者は政治学者で、当時東北大の、現在は京大の教授。 その筋ではわりに名の通った書物だけれど、日本とドイツをまともに比較するのは難しい、というのが読後感。 日本とドイツのそれぞれの戦後論としてはまあまあだが、「比較」 の部分はやや苦しいみたい。 まあ、図式的で安易な断定にあまり走っていないところが、10年前としては良心的と言えなくもないが。

・北原菜里子『少女マンガ家ぐらし』(岩波ジュニア新書) 評価★★★ 9年前に出た本を東京の古本屋で購入。 少女マンガ家である著者が、いかにしてプロになったか、またマンガ家の生活や仕事ぶりはどのようなものであるのかを分かりやすく、マンガも交えながら説明した本。 私はこの人は名前すら知らなかったが、面白いと思ったのは、高校時代に投稿が雑誌掲載されてプロになる目途がたったのに、一応大学も出ていること。 キャンパスライフを楽しむ、というムード的な進学だったらしいが、それを後悔してはいないと言う。 私は萩尾望都だとか竹宮恵子の少女マンガはそれなりに読んだ世代だが、彼女たちはおおかた高卒でデビューしているので (竹宮は徳島大中退だけど)、新しい世代 (著者は1967年生まれ) の感性になるほどと思ったのでした。

・井上章一『パンツが見える。羞恥心の現代史』(朝日新聞社) 評価★★★★ 女性の下半身をおおう下着についての研究書。 今となっては信じられないことだが、戦前の日本女性は下半身には下着をつけていなかった。 だから下からのぞくとナニが丸見えだったわけである。 その頃の日本女性にはまだ和服が一般的だったからだ。 下半身用の下着が普及したのは洋装が広まった戦後になってからで、また当初は今のようにパンティを見られて恥ずかしいという感覚がなかったという。 なぜって、性器は見えないんだから、恥ずかしがる必要はなかったわけ。 パンティを見られて恥ずかしい、という現代的感覚が浸透してきたのは高度成長期になってからだという。 ・・・・・・・・というような、男性にも女性にも興味深い内容の本です。 それにしても、論じにくい対象について、資料を徹底的に収集・博覧する著者の根性には頭が下がりますね。

・江村洋『ハプスブルク家の女たち』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 下の著作を読んで何となくハプスブルクづいてしまい、たまたま東京の古本屋で目に付いた本書を買って読んでみた。 ハプスブルク家の皇妃や皇女、はたまた下賤の身分ながらプリンスと結婚した平民の女性などを扱った書物。 記述はたいへん分かりやすく、楽しんで読むことができる。 最近ミュージカルで日本でもブームになったシシィことエリーザベト皇妃 (エリザベートという日本流の表記は誤り) に関する記述も結構くわしい。 15世紀頃にはハプスブルク家といってもビンボーで、スペインやフランドルといった海洋国家の豊かさに遠く及ばなかったという指摘も貴重。 9年前に出た本だけども。

・菊池良生『戦うハプスブルク家――近代の序章としての三十年戦争』(講談社現代新書) 評価★★★ 3月に同じ著者の 『傭兵の二千年史』 を読んでまあまあだったので、これにも目を通してみた。 6年前に出たものをBOOKOFFにて半額で購入。 三十年戦争は世界史では誰でも習うけど、内実はかなり錯綜していて分かりにくい。 この本も、最初はたくさんの人物名が次々と出てくるので読み続けるのに辛抱が要るが、中程に来てグスタフ・アドルフが登場するあたりから俄然面白くなる。 近代的な国民国家の出発点が三十年戦争だとする指摘も参考になる。

・西尾幹二『歴史と認識――ものの見方の一元化を排す』(扶桑社) 評価★★★★ 西尾幹二の最新評論集。 ここでは主として、アメリカのテロ事件をきっかけとして反アメリカニズムを鮮明にした小林よしのりや西部邁を批判している。 すなわち、テロに現れた反アメリカニズムを大東亜戦争時の日本と同列におくような思考をしりぞけ、かつての日本はアメリカに正面から戦争を挑んだのであってテロをしかけたのではないと主張している。 竹山道雄や福田恆存を引用しつつ、軍隊というものが近代化をなしとげようとする国家にあって持ってしまう意義を説くところなど、相変わらず鋭い。

・團伊玖磨『私の日本音楽史――異文化との出会い』(NHK出版) 評価★★★☆ 古代から現代にいたるまで、日本が海外から受容したり、国内で独自に発達させたりした音楽の諸相を時代を追って記述した書物。 明治以降でも、クラシックだけでなくポピュラーなどへの目配りもあり、これ一冊で日本の音楽史が分かってしまうという便利な本である。

6月  ↑

・陶智子(すえ・ともこ)『不美人論』(平凡社新書) 評価★★ 以前、井上章一が 『美人論』 という名著を出版した。 それに対抗するかのごとく、『不美人論』 なる書物が出たので、好事家たるワタシは即、購入して読んでみた。 が、どうにも凡庸である。 自分が不美人で、祖母もそうだったというところから出発して、色々な文献から美人・不美人に関する言説を抜き出してきているんだけど、話にまとまりがないし、「へえ、そうなのか」 と感心するような見方はあまりなく、常識的な線にとどまっている。 「性格美人」 という表現にかこつけて言うなら、「知性不美人」 と評されないように気をつけようね。

・中野晴行(編)『手塚治虫マンガ音楽館』(ちくま文庫) 評価★★★☆ 手塚治虫のマンガの中から、音楽に関連した作品を集めたアンソロジー。 膨大な作品群を残した手塚のことだから音楽に関連したものも結構あるには違いないが、多種多様な作品を目の当たりにすると、やはり彼の偉大さを実感せずにいられない。 特に、最初に収録されている 「虹のプレリュード」 では、ショパンと 「革命のエチュード」 をめぐる手塚ならではの巧みなストーリー・テリングを楽しめる。 ヒロインも魅力的 (手塚の描く女性は色っぽくないという定評があるみたいだけど、私は割りに好きなんですよ)。 ただしこれは短編のみを集めているので、ベートーヴェンを題材にした『ルードウィヒ・B』みたいな長編は収録されていない。 ちなみに手塚は音楽が好きで自分でも楽器を演奏し、妹は音大に進んで音楽家になったといった話を解説で読むことができる。 

・野田宣雄『ドイツ教養市民層の歴史』(講談社学術文庫) 評価★★★☆ ドイツに固有の階級とされ、主として19世紀に重きをなした教養市民層について書かれた本である。 斯界では有名な書物で、私もドイツ教養市民層を直接説明した第1章はとっくに読んでいたのだが、ドイツと英国の宗教事情と国民性の関連を比較しつつ論じた第2章以降は未読だった。 それで今回、大学院の授業で取り上げて通読してみたのだが、第2章以降は相当に細かい記述が多く、読むのに疲れる。 したがって、一般の読書人は第1章だけ読んでおけば間に合うと思う。 第2章以降は17〜19世紀の英国とドイツの宗教事情や精神史を知りたい専門家か、その方面によほど興味のある好事家にしか勧められない。 ただ、そこで主張されていること、つまり宗教と政治の分離という 「近代的特質」 からするとドイツより遅れていた英国の方がむしろファシズムに行きにくかった、という見方はかなり重要である。

・田中英道『まとめて反論』(扶桑社) 評価★★★ 著者は美術史家として名をなした人だが、「新しい歴史教科書をつくる会」 の会長に最近就任したばかり。 この会の作った歴史教科書への攻撃に逐一答えようとしたのが本書である。 ヨーロッパの各国が共同で作った歴史教科書が実際には使われていないこと、日本の歴史学界がマルクス主義のくびきから脱していないことなどを指摘している。 面白く読めるが、急いで書いたせいかやや文章が乱れているのが気になる。

・川上弘美『蛇を踏む』(文春文庫) 評価★★★ 美人の芥川賞作家による短編小説集を、文庫化されてなおかつそれがBOOKOFFで半額になるのを待ってから買って読んだのだから、ワタシもセコイですね(冷汗)。 芥川賞受賞の表題作をはじめ、3作が収録されている。 人間と動物の境界が曖昧な、著者独特の 「うそばなし」(著者の表現) が楽しめるが、ワタシはこういう世界を生き生きと感受するには若干年をとりすぎたような気がする。 高校生の頃なら、こういう小説を夢中になって読めただろうな。 もっとも川上さんとワタシは6歳しか違わないんですけど。

・田中優子『江戸の恋――「粋」と「艶気(うわき)」に生きる』(集英社新書) 評価★★★☆ 江戸を研究する国文学者による本。 江戸時代の恋や男女関係を分かりやすく解き明かしながら、自分の恋愛観などもおりまぜた、啓蒙書兼エッセイ集といったところ。 面白く読めて江戸時代の恋愛が簡単に理解でき、また現代の男女関係をより柔軟に見つめるためのヒントも与えてくれるので、お買い得である。

・中井浩一『「勝ち組」大学ランキング――どうなる東大一人勝ち』(中公新書ラクレ) 評価★★☆ 最近の大学改革と、いわゆる遠山プランの中で生き残る大学を予想した本である。 前半、東大駒場の改革をルポ風に再現した部分は結構面白い。 ただし文部省に甘すぎる姿勢は疑問だし、東大駒場の持つ特権性と限界には視線が届いていないみたい。 結局、文部官僚と東大駒場に取材して作った本の限界がかなりはっきり出ているということになろう。

・古森義久+井沢元彦+稲垣武『朝日新聞の大研究――国際報道から安全保障・歴史認識まで』(扶桑社) 評価★★★ 朝日新聞の論調に批判的な立場をとる3人の鼎談形式による朝日新聞研究である。 その報道の偏向や誤り、ミスリードなどが詳細に俎上に載せられ批判されている。 特に長らく新聞記者として活躍してきた古森氏の指摘が鋭い。 彼の次の言葉はなかなか重みがあろう。 「朝日新聞を批判する人は、朝日新聞をよく読んでいます。 その一方で、朝日の愛読者で産経新聞を批判する人は、『右翼』『タカ派』とレッテルを貼るだけで、実際には読まないで批判するのです。 彼らは、自分の思考や主張に自信がないのか、他の考え方を知ろうとしません。 別の価値観、別の世界、というより現実の世界にさらされていないのです。」

・増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』(集英社新書) 評価★★★ 2年前に出た新書。 将棋の歴史を綴った本である。 駒数が多かった大将棋から中将棋、そして現行の少将棋への変遷と、将棋が娯楽として確立していく経過を追っている。 今なお不明のこともあり、またかなり細かい記述も多いので、その方面に興味のある方でないと面白く感じられないだろう。 なお著者は将棋6世紀伝来説を批判して10世紀後半以降だとしているが、6世紀論者なるものの名前を挙げていないので、シロウトのこちらとしては読んでいてピンと来なかった。 ちゃんと相手の名前と本を明記して批判して欲しい。

・鄭大均『なぜ抑制が働かないのか――韓国ナショナリズムの不幸』(小学館文庫) 評価★★★★ 最近出たばかりの本。 韓国のナショナリズムと日本との不幸な関係について示唆に富む考察を行っている。 日本を非難し続けることによってしかアイデンティティを保てない韓国人のダラシナサと、またそれに迎合する日本の反日的知識人が批判されている。 同時に、植民地時代を知る韓国人の体験記が多数紹介されているが、日本人に差別された人もいれば、逆に親切にされて感激した人もいるという具合いで、植民地体験が複雑で多様だったことが分かる。 この多様性に目を向けない者は単純なイデオローグと化すしかないわけだ。 また、95年の韓国人向け世論調査によると、日本による韓国の植民地支配の責任が 「全面的に日本にある」 とした人が29%、「韓国にも責任がある」 が59%、「全面的に韓国にある」 が11%だという。 つまり、実際は韓国人もかなりバランスの取れた見方をしているのだ。 だから問題は、対日批判をしないと気が済まない韓国の政治家とマスコミ、そしてそれを真に受ける日本の知識人と一部政治家の精神構造ということになろう。 なお鄭大均の本は、以前のこのコーナーにも記したが、中公新書から出ている 『日本(イルボン)のイメージ』 『韓国のイメージ』、そして文春新書から出ている『在日韓国人の終焉』もお勧め。

・黄文雄『「龍」を気取る中国、「虎」の威を借る韓国』(徳間書店) 評価★★ 2年半前の出版。 戦後の中国・韓国の対日批判が、自力で近代化を果たせなかった自国の無力を日本の責任に転嫁するものだと批判した本。 どちらかというとプロパガンダ本であり、最後で中韓とは縁を切れと主張している。 まあ、現状認識や、中韓に迎合する反日の日本知識人への批判にはだいたい同感だが、もう少し事実関係を即物的に書いた方が説得的だと思う。 韓国と日本の関係については下の 『歪められた朝鮮総督府』 の記述の方がベター。 

・福岡安則『在日韓国・朝鮮人――若い世代のアイデンティティ』(中公新書) 評価★★ 8年半前に出た本。 この著者の本は以前 「ちびくろさんぼ」 に関するものを読んだことがあるが、感心しなかった。 本書もかなり杜撰である。 創氏改名は強制だとか (実際は任意届け出)、従軍慰安婦が強制連行されたとか (実際は証明されていない)、事実に相違することを平気で書いている。 この種の論者にありがちなダブルスタンダードもひどい。 「日本では”家柄”を自慢したがる人は『家系図』を持ち出す」 と揶揄しながら、韓国人の 「族譜」 は 「社会生活の根幹に関わる」 と評価してしまう。 そうした側面が韓国の近代化を妨げ、ひいては日本や列強からいいようにされる原因になったのでは、というような洞察はこの人には無縁らしい。 帰化志向の在日に対しても 「〔民族の特性から〕 逃避的」 と否定的な形容をするなど、相当にオカしい。 日本で生まれ育ち、日本語しか使えない二世や三世は、私に言わせれば日本人で、無論文化習慣などの相違はあるにせよ (そしてそこに起因する差別を批判するのは当然であるにせよ)、何が何でも 「民族としての」 アイデンティティを保持せよとする著者の姿勢は不自然だと思う。 それとも著者はふだんからそんなに自分が 「日本民族」 であることを強調しつつ生きてるんですかね?

・呉善花『韓国併合への道』(文春新書) 評価★★★ 1年前に出た本。 タイトルは下の海野の本と似ているが、どちらかというと併合されるまでの韓国の内部事情に重きを置いてこの問題を論じている。 清の冊封体制が揺らぎ西欧列強によるアジア進出が歴然としていた当時の情勢の中で、近代化を自力で果たすことができず内部抗争を繰り返していた韓国の実態をえぐり出している。 日本に習っての近代化を目指して挫折した金玉均と福沢諭吉との関係や、一進会の日韓合邦論などへの評価が面白い。 ただ日本の行動への見方はやや甘いきらいもあるので、下の海野の本と併読した方がよい。

・海野福寿『韓国併合』(岩波新書) 評価★★★ 7年前に出た本だが、日本による韓国併合までの過程を詳細にたどっている。 基本的な事実関係を知るのに役立つ。 ただ、著者の視点はかなり日本に辛いが、それもある程度やむを得ないとしても、いささか首をひねりたくなるところもある。 例えば清を中心とするいわゆるアジア的冊封体制 (最近岡田英弘によって否定されているが、それは措く。 なお、冊封体制なるものの実態については下の黄文雄の本もかなり異論を出している) を理想化しすぎ、日本がそれを破ったかのごとき記述になっているが、日本が明治維新を断行した時点ですでに清の冊封体制は大きく揺らいでいたと見るべきではないか (アヘン戦争は維新の26年前ですぜ)。 また日本が韓国を属国化してから伊藤博文が韓国で行った近代化政策を 「かたちだけは近代化に似せた」 としているのはいささか一方的な評価だろう。 きわめつけは、「日露戦争は、日本の侵略主義を隠蔽するために、ロシアを侵略者に仕立て、日本は韓国の独立と領土保全のために戦う、と戦争目的を正当化したが」 というところ。 日本が侵略的だったことはいいとして、ロシアの南進は侵略的じゃなかったんですか? 岩波あたりの歴史書が最近信用されなくなっているのは、こういう二重基準に原因があるんじゃないかな。 その意味で、上の呉善花の本と併読した方がよい。

・黄文雄『歪められた朝鮮総督府――だれが「近代化」を教えたか』(光文社) 評価★★★ 連休中、朝鮮関係本をまとめて読んでみた。 これは3年半前に出たものだが、とかく 「植民地支配=悪」 という図式のみで語られがちな日本の韓国支配によって実は初めて朝鮮半島が近代社会になることができたのだと主張した本である。 李氏朝鮮において悲惨な生活を送っていた一般庶民が、日本のもたらした医療や教育の近代化、農業の改革によって生活の向上を果たすことができたとしている。 この本だけで植民地支配を語るのは危険だが、こういう視点は 「進歩的な」 歴史家の本ではなおざりにされがちで、物事には色々な側面があるわけだから、知っておいていいことであろう。 文献表も充実。

5月  ↑

・インゴ・ハッセルバッハ『ネオ・ナチ――若き極右リーダーの告白』(河出書房) 評価★★☆ 授業で読んだ本だが、タイトル通り、ネオナチで活動していた若いドイツ人(東独出身)の告白の書。 旧東独の若者の寄る辺なき心情と行動がうかがえてそれなりに面白いが、体系性はないので、ここからドイツのネオナチの実態を正確に知ることはできない。

・内藤克彦『シラー』(清水書院) 評価★★☆ 今年度の後期に教養の講義で疾風怒濤期のゲーテ・シラーと初期ドイツロマン派を取り上げる予定なので、そろそろ勉強を始めなくてはと思い、とりあえずということで読んでみた。 シラーという作家・思想家の入門書であるが、まとまりはいいものの、現在の日本人にとってシラーがどういう意味を持つか、という観点からするとやや物足りない感じがする。 それと全体的に浅いような印象。 最近は新書でも結構専門的な内容のものが多いから、一考を要する。

・西村弘治『落日の交響楽――フルトヴェングラーからカラヤンへ』(共同通信社) 評価★★☆ 20年近く前の本を東京の古本屋にて100円で購入。 交響楽団の歴史と楽団ごとの違い、また指揮者による解釈の違いを、事細かにたどった本。 日本のクラシック・マニアの一つのあり方がここにある。 あった、と過去形にすべきかな。

・柏揚+黄文雄『新・醜い中国人』(光文社) 評価★★ 5年前に出た本をBOOKOFFにて200円で購入。 柏揚は1920年中国本土生まれで、その後台湾に渡り大学で教鞭をとった人。 1985年に『醜い中国人』という本を書いて中国人の怒りを買った。 ここでは在日台湾人の黄文雄との対談形式で、自分が同胞である中国人への批判をあえて行った真意を語っている。 民族ごとの性格論というのは、この本でも言われているが、時代や個々人による違いがあるのでなかなか難しい。 この本もその意味でかなり限界があるような気がするが、何となくの雰囲気で外国人との友好を唱えていれば事足れりとする優しい日本人は一読しておいてもいいだろうか。 この本とは直接関係はないが、私の大学の (中国文化を専門としている) 同僚でも 「中国人は嫌いだ」 という人がいることを付け加えておこう。 無論、中国人にも色々な人がいることは大前提だが。

・江川達也『”全身漫画”家』(光文社新書) 評価★★☆ 漫画家が自分の職業について書いた本かと思って読んでみたのだが、いささかアテがはずれた。 これは著者が自作を解説したり、自分の信条 (必ずしも漫画に関係ない) を訴えた本である。 私のように江川の作品を全然読んだことのない人間にも分かるように書いたと言うが、そうかな? 思想的には凡庸な感じがするけれど。 作品の力は無論それとは別にあるんでしょうけど。

・中路正恒『古代東北と王権』(講談社現代新書) 評価★★☆ 半年ほど前に出た新書をBOOKOFFにて半額で購入。 古代のヤマト政権が東北地方を征服するまでの過程を、日本書紀や続日本紀などの史料をもとに丹念にたどったもの。 非常に細かく専門的な内容で、よほどこの分野に興味のある人でないとお勧めできない。 それと、序章を読むと京都の大学助教授である著者 (神奈川県生まれで京大卒だから、東北と直接つながりがない。一時期東北地方の大学にいたらしいが) の東北幻想といったものが露骨に出ていて、なんと申しましょうか、一時代前の日本の知識人がソ連や毛沢東中国や北朝鮮に抱いていたユートピア的夢想を古代東北に移し替えた感じで、東北地方に生まれ育ったワタシとしては気恥ずかしくなってしまう。 おまけにこの序文には 「東北の玄関口ともいうべき郡山に着くと」 なんて文章もあるけれど、これを読んだら白河の人は怒ると思うぜ。 古来、東北地方の玄関口は、浜街道沿いは勿来、内陸は白河と決まっているでしょうが。 新幹線に騙されちゃあいけません。

・長谷川三千子『民主主義とは何なのか』(文春新書) 評価★★★★ 「民主主義」「人権」といった概念を徹底的に問い直し、疑い、その克服を訴えたきわめて挑発的な、しかしたいへん興味深い書物である。 フランスの人権宣言やアメリカの独立宣言の矛盾を指摘し、ホッブスを評価しロックを 「ペテン師」 と批判するなど、教科書的な人権理解を根底からくつがえそうとしている。 「民主主義」に毒されていない柔軟な脳ミソを持つ人にはお勧めだが、そうでない人、例えばフェミニズム思想を真に受けている人などには豚に真珠であろう。 半年前に出たものをBOOKOFFにて半額で購入。

・小宮正安『ヨハン・シュトラウス――ワルツ王と落日のウィーン』(中公新書) 評価★★★★ バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといったクラシックの 「大作曲家」 に比べて、その作品であるワルツやポルカは親しまれていても実像は意外に知られていないヨハン・シュトラウスについての本。 単なる評伝ではなく、副題にあるように没落していくハプスブルク帝国の首都ウィーンとの関係を丹念にたどり、社会と音楽家の関わりを見事に描き出してみせた好著である。 1年半前に出た新書をBOOKOFFにて半額で購入。

・喜多村和之『大学は生まれ変われるか――国際化する大学評価のなかで』(中公新書) 評価★★★ 最近の大学改革を扱った本だが、下の石弘光のより数段マシである。 国際大学ランキングのからくりを指摘し、日本の大学の低評価が実は日本人によるものであり、しかもそこに噛んでいる日本の財界が日本の大学に口は出してもカネは出さないという態度をとっていることが指摘されている。 また、「学生=消費者」主義の功罪もきちんと述べられている。 何より、分からないことは分からないと書く著者の誠実さが、単純な図式化で事足れりとする石弘光の阿呆さ加減と比較して学者としてあるべき態度を示している。 といってものすごく優れた本というほどではなく、まあ、本を書くならこの程度が標準、と言ったところ。 逆に言えば石弘光のはそれほどヒドイわけですね。 学者なんて名乗るのをやめて欲しい。

・川上勉『ヴィシー政府と「国民革命」』(藤原書店) 評価★★★☆ 第二次大戦でドイツに敗れて登場したヴィシー政権と、そこで唱えられた 「国民革命」 という用語の実態を追求した本。 専門書で、内容はやや細かく高度だが、とかく 「革命→人権宣言発祥の国」 としてのみ見られがちなフランスが、ナチスドイツの制圧下にあった時代に何をしていたのかという、従来等閑にふされがちだった重大問題を扱った点で注目される書物である。

・石弘光『大学はどこへ行く』(講談社現代新書) 評価★☆ 一橋大学学長が、国立大の独立行政法人化により今後大学がどう変わっていくかを論述した本であるが、あまりの浅薄さに愕然とした。 一橋大というのはこんなにレベルが低かったのだ!! 所詮はあきんどの大学、顧客中心主義を唱えていれば事は済むと思いこんでいるのですね。 日本の大学は低レベルと言われていると著者は文中繰り返しているけど、アンタ自身がこの本で実証してしまっているよ。

・福地怜『天皇家の生活99の謎』(二見文庫) 評価★★★ タイトル通り、一般人にはわかりにくい皇族の日常生活や、明治以降の皇族にまつわるエピソードなどを綴った本である。 最近子供が産まれた皇太子は見事なマイホーム・パパぶりを見せているが、こうした傾向は大正天皇の頃からあったなど、興味深い話がたくさん入っている。 記述は客観的で、美智子皇后 (当時は皇太子妃) いじめは実在した、など、きれい事だけに終始していないところもいい。

・佐伯一麦『ア・ルース・ボーイ』(新潮社) 評価★★★ 2月にこの人のエッセイを読んで感心したので、小説にも目を通してみようかなと思っていたところ、たまたま東京の古本屋にこの本が100円で出ていたので、買って読んでみた。 三島由紀夫賞受賞作だそうである。 まあまあ、というところ。 著者自身の体験らしい、電気工としての仕事のところはリアリティがあるが、それ以外は平凡な青春小説という感じだ。

・岡田暁生『オペラの運命――十九世紀を魅了した「一夜の夢」』(中公新書) 評価★★★★☆ 一年前に出た新書で、新刊として出たときは 「最近オペラが流行ってるからな」 と思っただけで買わず、その後東京の古本屋に150円で出ていたので購入したのだが、ツンドクとなり、今回何となく読んでみたところ、もっと早く読むべきだったと後悔した。 これは相当に中身の濃い本である。 単なるオペラの概説書ではない。 独立した芸術作品としてのオペラという概念がそもそも歴史的なものであることや、バロックオペラが王侯貴族の儀式の一環として存在していたことから説き起こし、作曲家が単なる芸人であった時代から、みずからが国王の席に座ってしまったワーグナーの時代に至るまでのオペラと社会の関わり合いを鋭い視点で描き出した、きわめて刺激的な書物である。 オペラに興味がある方にもない方にもお勧めできる。

4月  ↑

・栗原成郎『ロシア異界幻想』(岩波新書) 評価★★★ ロシア民衆が中世から近代にかけて抱いていた民俗的な観念――生と死、聖と俗、正と悪など――を描き出した、ロシア文化専攻の元東大教授による本。 私は民俗学的なものにさほど興味があるわけではないが、ここに描き出されたロシアのフォークロアと、独仏等との比較の視点があればより説得的だったろうと思う。 19世紀末の知識人に終末幻想が色濃く見られるという最後のあたりの記述はおもしろい。 近代的知識人こそ観念に弱いという意味で。 

・『生き残る大学――大学ランキング18分野TOP30』(宝島社 〔別冊宝島Real〕 ) 評価★★ 国立大学の法人化や、少子化に伴う私大の淘汰が言われる現代、学問分野18における国内大学ランキングTOP30を掲載し、なおかつ日本の大学が抱える問題点についていくつかの記事を収録しているムック本。 18分野は理系中心で、文系は 「人文科学」 「社会科学」 の二つだけ。 改めて日本の国立大の理系中心主義が浮かび上がってくる。 一方、大学問題に関する記事は、かなりいい加減で、間違いが多い。 日本でこの手のムックを埋める記事を書くライターの質がいかに低いかが露呈しているが、それを慨嘆しているだけではダメで、大学関係者が一般人向けに分かりやすく正確な情報を発信していく必要があると痛感したことだった。 ライターだけじゃないんだよ。 こういう場所で阿部謹也みたいなモウロクした学者に 「世間論」 なんてシロモノをやらせておいちゃ、どうしようもないよ、オイ、大学人、頑張ろうぜ。

・ジョージ・アダムソン『追憶のエルザ――ライオンと妻とわが生涯』(光文社) 評価★★★ 13年前に出た本を東京の古本屋にて100円で購入したもの。 著者は、「野生のエルザ」 で一世を風靡したジョイ・アダムソンの夫で、長年彼女に連れ添いながらライオンなど野生動物とのつき合いを続けていた。 この本は自らの生涯を自伝的に回想しつつ、妻やアフリカにおける自然保護のあり方について述べたものである。 私は必要があって読んだのだが、詳しくはいずれ別の箇所で。

・森枝卓士『すし・寿司・SUSHI』(PHP新書) 評価★★ 先月ラーメンとパスタについての本を読んだので、ついでというわけでもないけど寿司についての本も読んでみた。 著者は名著『カレーライスと日本人』(講談社現代新書) (昨年のこのコーナーの6月を参照) を書いた人なので期待していたのだが、やや失望。 まあ基本的なことは分かるんだが、あのカレー本に比べるとどうも手間暇をかけてないな。 他人の著作からの引用で間に合わせているところが結構あるし、叙述もあちこち飛んでバランスが悪い。 どうでもいいようなことを繰り返し書いてページを稼いでいる。 手を抜くんじゃねえ、コラ! 

・許光俊『クラシックを聴け!――お気楽極楽入門』(青弓社) 評価★★★ クラシック音楽の入門書である。 啓蒙的なクラシック入門と言うより、現状にずばりと切りこんで、本質に触れさせようとしているところがミソか。 したがって副題にだまされて気楽な気持ちで読み始めると面食らうかも。 しかしなかなかに面白い本であることはたしか。 ただあくまで入門書なので、これでクラシック音楽のことは全部分かった、と思うと危険。(その危険性のある本なので。) 文中時々顔をのぞかせる著者のワイン趣味が多少鼻につく。 

・南川高志『ローマ五賢帝――「輝く世紀」の虚像と実像』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 4年前に出た新書をBOOKOFFにて半額で購入。 著者は京大西洋史学科教授。 ローマ帝国最盛期を作ったと言われる五賢帝とその時代の実像を詳細に記述した本。 高校の世界史や中公の 『世界の歴史』 程度の記述に飽き足らない人にお勧めできる。 古代史学の方法論についての言及もある。 一部やや専門的すぎ・細かすぎというところもないではないが、啓蒙書的読みやすさからやや離れた学者的歴史叙述に触れられるのも貴重であろう。

・いかりや長介『だめだこりゃ――いかりや長介自伝』(新潮社) 評価★★★☆ 1年近く前に出た本をBOOKOFFにて半額で購入。 副題どおり、ドリフターズのいかりや長介が書いた自伝である。 といってもデビューするまでを除くと私生活の描写はほとんどなく、ドリフターズとして活動してきた日々を振り返って、ドリフターズは音楽バンドとしてもコメディアンとしても三流であり、時代の流れと成り行きで人気を博してきたのだと自ら語っている。 碇矢という珍しい姓は新潟に由来すること、意外なことにいかりや氏自身は創設メンバーではないこと、現メンバーの選定はかなりいい加減だったこと、芸名はハナ肇につけてもらったこと、ギャグの作り方、俳優になって長年のリーダー役から解放されたのがうれしかったことなど、種々興味深い点があった。 自己評価の厳しさもこの人の知性のありかを示していて面白い。  ――以下、私的回想。 ドリフターズの全盛期には私はテレビをほとんど見なくなっていたが (今も見ないが)、彼らがデビューしてテレビにも出始め名前が売れだした頃に実演を見たことがある。 昭和40年頃だったと思う。 父の会社が社員とその家族のために慰安会を企画し、ドリフターズとナベプロ所属の人気歌手を呼んだのである。 市民会館大ホールで見たギャグネタをいまだに覚えているくらいだから、印象に残るショウだったことは間違いない。 その後テレビから遠ざかってドリフターズからも縁遠くなっていたが、3年ほど前に映画 『踊る大捜査線』 で老いた捜査員の役をやっているいかりや氏を見て、へえ、あの人がこんな役を、と感慨を覚えた。 実演を見てから35年余り、お互い年をとりましたね、いかりやさん。 

・鈴木真哉『天下人史観を疑う――英雄神話と日本人』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ 日本でいわゆる天下統一を成し遂げたとされる人物の行動とその史的必然性を徹底的に洗い直した本。 日本人の史観が結果主義で、あとから結果を見て 「必然だった」 としがちなのを批判して、例えば頼朝の政権は地方政権に過ぎなかったのではないか、家康は偶然によって勝利者となったのではないか、など、歴史における偶然性や運を再評価すべきだと主張している。 内容的にどの程度信頼がおけるかは分からないが、読んで面白い書物であることは確か。 また、すべてを疑ってかかるという学者的感性を身につけるにも悪くない本だ。

・藤原英司『動物の行動から何を学ぶか』(講談社現代新書) 評価★★★ 25年ほど前の新書。 動物の行動はともするとワンパターンでとらえられやすいが、環境や個体により大きな差があり、また未だに分かっていない部分が多いというようなことを述べた本。 最終的には不可知論と神秘主義すれすれのところまで行ってしまっているみたい。 私は必要があって読んだのだが、詳しくはまた別の機会に。

・黒木瞳『夫の浮わ気』(幻冬舎) 評価★★ 5年前に出た本をBOOKOFFにて半額で購入。 著者は女優で、今年の『仄暗い水の底から』や一昨年の『破線のマリス』など、映画での好演が私の記憶に残っていた。 それでこのエッセイ集を買ってみたのだが、うーん、もう一つ物足りない。 黒木さんが、ダンナさんの何気ない言葉や行動に浮気を疑ってしまうというような内容で、と言っても深刻じゃなくて半分冗談めかした筆致なんだけど、まあそれだけダンナさんにぞっこんだということなんでしょう。 ごちそうさま。 でも女優のこういうエッセイって、芸能人の私生活や家族を覗き見したいという俗な興味から買われるわけだから、一層のサービスに努めてくださいな。 (俳優本でもその思考力や感性で売れる、という場合もあるだろう。 黒木さんは映画では知的職業に就いている美人を演じるとぴったりだけど、この本を読む限りイメージと実態はややズレているみたい。) 撮影でキスシーンがあるときはダンナに断ってから出かける、なんて話をもっと載せてよね。

・菊池良生『傭兵の二千年史』(講談社現代新書) 評価★★★ タイトル通り、傭兵の歴史を分かりやすく語った本である。 19世紀以降の国民軍成立以前は、ヨーロッパの戦争とは傭兵によって行われるものであった。 古代ギリシア・ローマやカルタゴから始まって、フランス革命で消えかかりながらも実は20世紀まで存在した傭兵というものの実態を簡便に知ることができる。 文献表に加えて、主要な種本4冊をあとがきで明かしているのも良心的か。 ただしそのうち一冊を邦訳中の産物らしいが。

・橋本健二『階級社会日本』(青木書店) 評価★★★★  1年前に出た本。 出版社名とタイトルを見ると、食欲が湧かないという人もいそうだ。 しかしこれは古くさいマルクス主義的分析による階級論ではない。 むしろ教条主義的な階級論を批判し、しかしでは現代日本に階級がないかというとそんなことはないと、現代的な分析手法を用いて実態を示して見せたものである。 基本的には、以前評判になった佐藤俊樹 『不平等社会日本』(中公新書) と同様のデータを用い、しかし違ったアプローチにより、日本には 「資本家階級」 「新中間階級」 「労働者階級」 「旧中間階級」 の4つがあると主張している。 各階級間の収入や政治意識、趣味の違いなどが興味を惹く。 ただ、階級間の収入の違いが問題にされるほどなのか否か、こういう 「階級」 をなくす方向が正しいのかどうか、また著者の社会主義的信念そのもの――昔の教条主義的社会主義者とは違うが、生産手段の私有は廃止すべきだと著者ははっきり言っている――には異論も多く出そうだ。

・『諸君! 4月号』(文芸春秋) 雑誌は取り上げない原則だが、面白い記事があったので例外的に触れておく。 小谷野敦 「キャンパスに吹き荒れるセクハラの春嵐」 である。 最近、大学内でセクハラということがやかましく言われている。 むろん、教師−学生という上下関係を利用して学生に性行為を迫ったりする輩は罰されて当然だが、例えば 「女は結婚して子供を産むべきだ」 というようなことを言うのもイケマセンという話になっているのだから、大学は相当にオカシクなっているのである。 小谷野氏は、こうした規制は思想信条の自由に反するものではないかと明快に論じている。 考えてみれば当たり前のことなんだが、言い換えればいかに大学人が物事を自分のアタマで考えず、文科省だとか国大協だとか圧力団体だとかの言いなりになっているかが分かろうというもの。  ――ついでにこの雑誌のダメ記事にも触れておく。 宮崎哲弥が 「解体『新書』」 で苅谷剛彦『教育改革の幻想』(当サイトこのコーナーの1月を参照) を取り上げているのだが、文科省のゆとり教育は 「教育の自由化」 であり、学習内容の 「下限」 を示したものだ、なんて言っているんだから話にならんわ。 宮崎クン、それなら文科省が土曜日を休日にするのを公立学校に強制しているのはなぜなのかね? 「自由化」 なら強制する必要なんかないんじゃないの? それに文科省の指導要領が 「下限」 だというのは、ゆとり教育を方々で批判された文科省があとになって言い出したことなんだぜ。 文科省 (だけじゃないだろうが) 役人の責任逃れがキミには全然見えてないね。 半可通のくせに分かった風な口をきくなよ。 評論家なんて名乗るのはやめたまえよ。

・遠山一行(編)『名曲 〔日本の名随筆・別巻13〕』(作品社) 評価★★★☆ テーマごとにエッセイを集めたシリーズ本のうち、「名曲」 の巻である。 編者はクラシック音楽評論家として著名な人。 大正から昭和にかけての、知識人のヨーロッパ体験を濃厚にうかがわせる文章が多く、昨今の若い人は国際化が言われながら逆に内向きになっているような印象があるので、日本人の精神史としての価値が大きいと思う。 またクラシックだけではなく、ロンドンデリーの歌について考察した団伊玖磨の文章や、古賀政男について論じた田辺明雄の一文がたいへん面白かった。

・大橋由美『井島ちづるはなぜ死んだか』(河出書房新社) 評価★★★ 北海道出身で、高校卒業後上京してジャーナリストを目指しながら27歳で死んだ井島ちづるの生涯を、彼女を知る同業者・大橋由美が綴ったもの。 私としては若者のよるべなき心情と自殺願望がうかがえる書物として読んだ。 ちなみに私はこの本を読むまで井島も大橋も名前すら知らなかった。 この本を知ったのは某サイトの日記からだが (その後クレームが付いたらしく、該当の記述は削除)、そのサイト主はこの本の著者と井島との関係について多少意地の悪い見方をしているみたい。 私としては判断は保留しますけど。

・三枝康高『川端康成・隠された真実』(新有堂) 評価★★★ 1980年刊行の本。 新潟・営所通の古書店にて1500円で買ったのだが、家でよく見たら底に赤丸印があった。 ゾッキ本にしちゃ高いなと思ったが、ゾッキ本でも時間がたつと高価になるのかしらん。 著者は国文学者で、内容は、川端康成が生まれてから大学生時代に或る少女に恋をして結婚を申し込むが破談になるまでを細かく実証的にたどったもの。 内容的に現在の国文学界でどの程度の評価を受けるべきなのかは知らないが、私も最近年のせいか実証的な伝記研究に興味を引かれているので、それなりに面白く読んだ。 なおこの本は、作家の臼井吉見が川端康成自殺直後に 『事故のてんまつ』 なる本を出して、川端のミドルティーン少女愛好癖が自殺の誘因であり、なおかつ川端は非差別部落出身者だと書いたので (臼井は、川端の遺族に裁判に訴えられ、事実上自著の内容を撤回しているが)、それに対する反論の意味合いで書くという長い前書きが付いている。 ちなみに三島由紀夫についても某三文文筆家が非差別部落出身者だと書いたことがあって、日本の作家だとか文筆家の想像力の働き方のパターンが見えてきそうだ。

・佐藤賢一『ダルタニャンの生涯』(岩波新書) 評価★★★ かの大デュマの小説 『三銃士』 の主人公として名高いダルタニャン。 しかしデュマの小説には種本があり、その種本は実在の人物の生涯をなぞったものだった。 つまり、ダルタニャンは本当に存在したのである。 では、その人物はどういう生涯を送ったのか。 この謎に挑んだ、仏文出身の直木賞作家による本。 さすがにデュマの小説ほどには面白くないが、太陽王治下のフランスや、当時の人間の暮らしぶりを知るのには役立つから、歴史好きの人には勧められる。 文献表がないのが残念。

3月  ↑

・萩尾望都『思い出を切りぬくとき』(あんず堂) 評価★★★ BOOKOFFにて100円で購入した人気漫画家のエッセイ集。 出たのは4年弱前だが、内容は20年あまり前に雑誌等に掲載したもので、ご本人も今読むと恥ずかしい、と前書きで述べている。 バレエや演劇をよく見ているのに感心させられる。 外国旅行の思い出などもあり、この漫画家を知る人は楽しんで読める。 一つだけ内容にイチャモンをつけさせていただくと、「ドイツを旅行したときレストランでメニューが全然読めなくて困った。鶏料理をさがして、ドイツ語で鶏はHenだからこの綴りの含まれる料理を探したのに見つからない・・・・・」 と書かれてあるのだが、そりゃ見つかりませんよ、萩尾先生。 鶏はHen、って、ドイツ語じゃなく英語ですよ。 ドイツ語では雄鶏がHahn、雌鶏がHuhnなんです。

・佐伯一麦『読むクラシック――音楽と私の風景』(集英社新書) 評価★★★☆ 作家のエッセイ集。 題名から想像されるのとは違い、クラシック音楽を枕にしてはいるが、別段音楽を分析してみせたり音楽体験だけを延々と述べているわけではない。 ハイティーン時の思い出や、奥さんにつきあってノルウェーに長期滞在したときの経験など、著者が人生で経験した様々な事件や遭遇した人物を詩的な文章で綴った、滋味あふれる名随筆であり、クラシック音楽に興味のない人でも十分楽しんで読めること受け合いである。 私はこの人の小説を読んだことがなかったが、この本に出会って読んでみたくなった。

・大矢復『パスタの迷宮』(洋泉社新書y) 評価★★★ ラーメンについての本を読んだから、というわけでもないが、パスタの本も読んでみた。 パスタの歴史、それに簡単な調理法なども述べてあるので、これ一冊で一応パスタのことは分かるという趣向。 ただ、著者の姿勢はどうも矛盾したところがあるみたい。 大学院修士課程までイタリア文学を専攻し、その後フランスとイタリアに遊学して食文化を研究、現在は日本の雑誌にその方面の記事を書いたりしている人らしいが、いわゆるグルメ志向には批判的な人間だと自称しているのだ。 食べ歩き的な趣味のあり方に不満なんだろうけど、そのおかげでアンタも生活していけてるんじゃないのと言いたくなる。 あと、ドイツの地ビールに比べれば日本の大量生産ビールなど飲めないと一方で言いながら、別の箇所では手打ちそばなど生ものにこだわる日本人を批判して、生パスタから工場製品としての乾麺パスタへの移行は必然だなどと言っているのだから、なんかおかしいよね。

・伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ タイトルどおり、韓国の偏狭なナショナリズムを批判した本である。 ただし、著者は韓国に留学し長らくかの地に暮らした人であり、基本的に韓国びいきの人が友人として忠告するというスタンスを崩していない。 日本に対する視線も結構自虐的(?)だったりするので、一方的な韓国バッシングの本ではない。 一部首をかしげるところもないではないが――例えば、アメリカに暮らす韓国人は自民族文化にこだわりすぎるので他民族との宥和が容易ではないのだと著者は批判するが、なぜか「在日」についても同じことが言えるのではという発想は浮かばないようだ――日本人ばかりでなく、他のアジア人や白人からもあきれられる韓国人の視野の狭さを、体験的に描き出していて、面白く読めた。 

・西尾幹二(編著)『迫りくる「全体主義」の跫音――歴史教科書「12の新提案」』(小学館文庫) 評価★★★☆ 扶桑社版の歴史教科書採択をめぐる騒動を、「つくる会」の立場から解明した本である。 日本の役人や知識階級が、物事の道理をつきつめることなく、何となく気分左翼で浮遊していて、またとにかく外国との摩擦がなければいいというナアナア主義であることを真っ向から批判している。 朝日新聞の常軌を逸した報道ぶりや、ヒトラーやスターリンのホロコーストはよいが毛沢東やポル・ポトのホロコーストは書いてはいけないとする文部省の教科書検閲姿勢(中国に気を遣っている)など、日本という国の奇妙きてれつさがよく分かる。

・岡田哲『ラーメンの誕生』(ちくま新書) 評価★★★ タイトル通り、日本のラーメンについて、その誕生と特質を述べた本である。 シナの麺類や日本のうどん・ソバとの対比もあって、ラーメンの独自性がそれなりに分かるようになっている。 ただ、用語はもう少し丁寧に解説してくれないと、グルメでない人間にはよく分からない。 「そば切り」 だの 「点心」 だのがいきなり出てきても 「???」 なんですよ、こちらは。

・橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮社) 評価★★☆ 橋本治の三島論である。 例のごとく饒舌でありながら何を言いたいのかよく分からない橋本調で、三島の本質に迫ろうとしている。 三島と母との関係についての記述は面白いと思ったが、『喜びの琴』事件までそれで割り切るのは無理じゃないかね。 当時の日本にあった濃厚な政治性がすっぽり (多分意図的に) 抜けているのが、どうも・・・・・。

・藤原英司『世界の自然を守る』(岩波新書) 評価★★★ 25年前に出た新書でやや古くなっているが、タイトル通り、世界の自然保護活動について分かりやすく述べたものである。 WWF(世界野生動物保護基金)の設立と活動について簡単ながらまとまった記述があるので参考になる。 私は必要があって読んだのだが、その点についてはいずれまた別の箇所で。

・井上トシユキ+神宮前.org『2ちゃんねる宣言――挑発するメディア』(文芸春秋) 評価★★☆ かの有名な(?)インターネット掲示板2ちゃんねるについての本。 その出発や途中経過などを、このサイトを立ち上げたひろゆき氏へのインタビューを交えて解説している。 最後に田原総一朗、糸井重里、山形浩生、宮台真司とひろゆきとの対談が収録されている。 全体としてあまり目新しい視点はなく (或いはITの専門用語が飛び交う箇所は私には理解できないということもあり) さほど面白くはなかったが、山形との対談はちょっと刺激的。 逆に宮台との対談では、宮台が古典的な左翼であることが露呈してしまっているところが何とも・・・・・・。

・中公新書ラクレ編集部+鈴木義里(編)『論争・英語が公用語になる日』(中公新書ラクレ) 評価★★★☆ しばらく前から議論が沸騰している「英語公用語論」 について、賛・否・その他の論者の見解をアンソロジー形式でまとめたもの。 当然ながら人により (賛否いずれかは別にして) 発言の知的レベルも違っているが、通読してみて反対派やや有利か、という印象を持った。 特に 「公用語」 という言葉の意味をスイスなどを例に分析して見せた田中克彦と、「英語が公用語となっている」 シンガポールの実態を明らかにして公用語論を撃つ茂木弘道とが鋭いと思う。 一方で、ロシア語が押しつけられていた東欧では英語が解放の言葉と見られているという例から英語帝国主義論を批判する立川健二だとか (だったら英米の植民地だったインドやフィリピンの場合はどうなの?)、英語の問題なのに日の丸君が代と日帝を持ち出さないと気が済まない安田敏朗みたいなどうしようもないのも収録されているが、まあ、アンソロジーだから玉石混淆は仕方がないでしょう。 なお、編者の鈴木義里が最後に解説を書いているが、ナショナリズムというタームを定義無しで使っているのが気になった。 管見では、ナショナリズムは帝国主義と無関係には出てこないものだ。 現代の状況が帝国主義の時代と似ている部分があることに触れないで 「ナショナリズム」 を連発するのはいただけない。

・林望『知性の磨き方』(PHP新書) 評価★★ 英国関係のエッセイで人気の書誌学者による5年前の本を、BOOKOFFにて購入。 この人の名前は知っていたけど、著書を読むのは初めてである。 前半は大学における学問のあり方論、後半は自分の体験による読書論。 後半はともかく、前半には疑問が残った。 大学の学問は方法を学ぶことがすべてで、カルチャーセンターのように知識を切り売りすることは学問ではないというのだが、そう簡単に言えるだろうか? この 「知識ではなく方法を教えよ」 という主張は最近比較的見かけるのだけれど――例えば下の 『教育改革という幻想』 でも 「ゆとり教育」 支持派からそういう議論がなされていることが紹介され、著者・苅谷によって批判されている。 上の 『論争・英語が公用語になる日』 でも加藤周一がそんなことを言っていて、老醜をさらしている――、 はっきりいって俗論でしょうな。 多分、林は書誌学という、「方法」 が主幹をなす学問をやったからそう思うので (ワタシも文学研究者の端くれだから、書誌学が重要であることは分かりますが)、どんな学問にも一律にそれがあてはまるわけがないよ。 ある知識がすぐに古くなってしまうにせよ、「知識が役立たなくなる」 という経験を積んでおくことが大事なので、それをしなきゃどの知識が役立つかの識別力だってつくはずがない。 或いは、数学なら、公理と定理さえ知っていればどんな問題もすぐ解けるだろうか? そうじゃないよね。 色々な問題を解いて問題の多様性を経験しておくことが大事なのだ。

2月 ↑

・樺山紘一『エロイカの世紀』(講談社現代新書) 評価★☆ ナポレオンやベートーヴェンの時代の英雄像について述べた本……だと思って買ってみたのだが、カネ返せと言いたくなるシロモノだった。 もともと講談社の『ベートーヴェン全集』のために連載された文章をまとめたものだそうだが、歴史学者の立場からベートーヴェンの時代との関わりについて新鮮な視点が提供されるわけではなく、かといって当時の歴史そのものについて目新しい解釈や見方が示されるわけでもない。 万事が退屈かつ常識的な概論で、いったい東大西洋史学科教授をこないだまでやっていた人がこんなお粗末な本を書いていいんですか、と怒鳴りたくなるのである。

・苅谷剛彦『教育改革の幻想』(ちくま新書) 評価★★★★ 最近の文科省の 「ゆとり教育」 政策を真っ向から批判した本である。 「受験戦争で子供たちのゆとりが奪われている」 という言説がまったく無根拠であり、昭和30年頃と比べて現代日本の大学は相当に入りやすくなっているし子供の勉強時間も減っていることをデータを元に説得的に論証している。 また、「子供の自主性を尊重した教育」 なるイデオロギーは、かつてアメリカのカリフォルニア州で実行されて惨憺たる失敗に終わったこと、その種の教育は、親が裕福で知的な職業に就いている生徒のみを集め、施設にカネをかけ、教師も精鋭を揃えた私立校でしかうまくいかず、恵まれない階層の子供たちにはむしろ不利に働くこともきちんと説明されている。 子供を持つ人、将来持つであろう人にお勧めできる本だ。

・藤原英司『アメリカの野生動物保護』(中公新書) 評価★★☆ 25年前に出た本でやや古くなっているが、タイトル通り、アメリカにおける野生動物保護の歴史と現状を簡潔に説明した本である。 私は必要があって読んだのだが、その点についてはいずれまた別の箇所で。

・深田祐介+古森義久『アジア再考』(扶桑社) 評価★★★ アジアは多様であり、日本に対する歴史観や付き合い方もそれぞれに違っている。 教科諸問題などを外交の切り札に使う中国や韓国はむしろ例外で、日本は東南アジア諸国から大きな期待を寄せられている、と説く対談本。 ただ、実際には対談して出来たのではなく、二人の論者のこの問題に関する見解を合わせて編集された本のようである。 とはいえ、とかく中国と朝鮮半島だけに偏りがちな我々のアジア観を是正してくれる点で一読に値する。

・林良博『検証アニマルセラピー――ペットで心とからだが癒せるか』(講談社ブルーバックス) 評価★★★ 東大農学部教授である林先生の本 (私は某研究会でご一緒したことがあるので、敬称を付けます。 ただし本は自分で買ったものです)。 アニマルセラピーの実態と歴史を要領よく説明している。 日本ではまだ歴史が浅いので、西洋の事例に多く言及しつつ、アニマルセラピーのもつ可能性と限界を分かりやすく説いているところがいい。 たかがアニマルセラピーとバカにするのも、また逆に過大な期待や幻想をもつのも誤りと分かる。

・西永良成『変貌するフランス――個人・社会・国家』(NHK出版) 評価★★★ 3年前に出た本だが、最近生協書籍部で発見して読んでみた。 フランスという国の、伝統的なイメージと乖離した、或いは一致した現代のありさまを、各方面から分かりやすく論じた、東京外大フランス語学科教授による書物である。 フランス的個人主義が現代において、秩序ある社会の責任ある市民という古典的なイメージから離反していることをプラスにとるかマイナスにとるかの論争が紹介されていて興味深い。 また最後で、外国語嫌いというフランス人の性向は過去のものだとして、日本語を初めとして外国語を積極的に学んでいる最近のフランス人と、第二外国語離れが著しい日本の現状とを対比して著者は嘆いているが、この慨嘆には深く共感してしまいました。

・勢古浩爾『まれに見るバカ』(洋泉社新書y) 評価★★ 呉智英の『バカにつける薬』だとか小谷野敦の『バカのための読書術』だとか、バカをつけた本のタイトルがこのところ目立つ。 大衆化社会にあってはバカと出会う機会が増えて、それだけストレスがたまりやすくなるが、テレビは何しろ言葉狩りがひどくて 「最近バカが多くて疲れません?」 てなCFのセリフもアウトになるくらいだから、いきおい本に頼らざるを得ないのだろう。 まあ、そういうわけでバカを罵倒した本なのだけれど、切れ味はいま一つの感。 もう少し「良識」から切れていないと、この種の本は威力が出ないと思うなあ。

・竹崎孜(つとむ)『スウェーデンの実験』(講談社現代新書) 評価★★☆ 20年前に出た本を古本屋で買ったもの。 男女平等や社会保障制度で先駆的と見なされているスウェーデンの実像を紹介した本。 出たのがかなり前なのでデータ的には古くなっているが、あくまで即物的に北欧の実験的な社会制度や市民生活の実態を紹介していて、変な思い入れがないところがよろしい。

・北村稔『「南京事件」の探究――その実像をもとめて』(文春新書) 評価★★★☆ あったのかなかったのか、あったとして犠牲者の数はどの程度なのか、侃々諤々の論議が絶えない南京事件について、新しい方面からアプローチした本。 すなわち、当時この事件を欧米に向けて報じたオーストラリア記者が、実は反日プロパガンダに関わりを持っていたという事実を種々の資料を駆使して明らかにしたものである。 ただし、だから事件全体がでっち上げだという立場を著者はとらない。 20万〜30万という大量虐殺はあり得ないとしながらも、犠牲者はすべて便衣兵と主張する「まぼろし」派にも加担していない中間派的立場のようである。

・土屋恵一郎『独身者の思想史』(岩波書店) 評価★☆ 9年前に出た本を1年ほど前にBOOKOFFにて購入。 最近仕上げた論文のために役立たないかなと思って読んでみたのだが、がっかり。 タイトルから想像されるのとは違い、英国17世紀以降の思想家を散発的に読み解いたものだが   (したがってタイトルのテーマを一貫して論じてはいない)、各章間のまとまりがなく、また読者に前提として要求される知識が高度すぎて (言い換えれば、書き方が不親切で独り善がり) 理解が難しい。 私が得た収穫は、ヒュームを読んでみようかなという気にさせられたことくらいか。

・柳広司『贋作『坊っちゃん』殺人事件』(朝日新聞社) 評価★★★ 漱石の『坊っちゃん』を下敷きにしたパロディー・ミステリー。 松山の中学を辞職して東京で街鉄の技手をしていた坊っちゃんは、ある日山嵐と再会する。 聞くと、赤シャツが自殺したという。 事件の真相を探るために二人は再び松山に向かうのだが・・・・・。 至るところに『坊っちゃん』の文章がちりばめられ、また原作の何気ない描写が事件を解く鍵になっているので、原作を読んでいない人には向かないけれど、『坊っちゃん』を知る人には楽しめるミステリーだ。

・フロベール『ブヴァールとペキュシェ』(岩波文庫) 評価★★★ 19世紀フランスを代表する作家の遺作となった小説である。 以前、ざっと拾い読みしたことがあったが、必要があって今回きちんと通して読んでみた。 フロベールはこの小説を書くのに一千冊以上の本を読破したというけど、たしかにそういう感じがする。 財産がころがりこんで仕事を辞め、田舎で好きなことをやって暮らそうと決心した独身の中年男二人が、色々なことに手を出しては失敗するというのがまあ粗筋だけど、知識や学問というものに対する風刺が相当に効いている。 逆教養小説、と私は名付けたい。 

・川村湊『日本の異端文学』(集英社新書) 評価★★ 漱石 ・ 鴎外といった正当派純文学ではなく、小栗虫太郎 ・ 橘外男 ・ 国枝史郎などの異端大衆文学を取り上げて紹介しつつ論評した本だが、中途半端な出来だ。 著者もあとがきに書いているように、最初は異端文学史として網羅的な記述にするつもりだったのが、途中で方針を変更して自分の主観的な好みや論評を加えた「私的・異端文学論」的な本となった。 ところが著者の論評なるものはきわめて底が浅く、論理的思考力も僅少であり、はっきり言ってこういう人がブンガク評論やってもらっちゃ困るという体のものなので、駄本すれすれとなってしまった。 著者は量的には異端文学をよく読んでいるようなので、下手に論評を加えるのはやめて、網羅的な異端文学史を目指した方がいいと思う。

・谷沢永一『「嘘ばっかり」で七十年』(講談社) 評価★★★ 7年前に出た本をBOOKOFFで購入。 社会主義・共産主義の歴史をたどった本。 前半、日本の社会主義運動に関する部分は物足りないが、後半、マルクス、レーニン、スターリンなどの共産主義思想家 ・ 政治家に関する部分はすっきり整理されていて分かりやすく役に立つ。 種本になっている猪木正道らの研究が優れているからかも知れないけどね。 この著者にありがちなアクの強さは余りなくて、平明で客観的な記述になっているのがいい。 タイトルだけは著者らしいけれど。

・読売新聞社編『20世紀・どんな時代だったのか――革命編』(読売新聞社) 評価★★★ 3年前に出た本をBOOKOFFにて購入。 革命の時代であった20世紀を振り返り、ロシア革命、中国革命、第三世界(アラブとキューバ)の革命などの項目を立てて、分かりやすく解説している。 ただ新聞の連載記事なので、どちらかというと「体験者は語る」ふうの側面が強く、学術的・啓蒙的で整理された記述というにはイマイチの感がある。 しかし「粛清」や「KGB」など重要なタームは枠で囲って別に説明してあり、索引も付いているので、それなりに役立つ本と言える。

1月 ↑

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