読書月録2001年

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西暦2001年に読んだ本をすべて公開するコーナー。5段階評価と短評付き。

   評価は、★★★★★=名著です。 ★★★★=標準以上。 ★★★=平均的。 ★★=余り感心しない。 ★=駄本。  なお、☆は★の2分の1。

1月

・筒井清忠『時代劇映画の思想』(PHP新書) 評価★★★ 日本の時代劇映画を、その歴史的変遷をたどって概説したもの。 著者の主張によると、映画史のきちんとした文献は意外に少ないそうで、この本も正直言って概説はあまり面白いとは言いかねるが、フィルムの保存を含め映画関係の学問的基盤の整備を訴えているところは、なるほどと納得する思いで読んだ。

・松本清張『鴎外の婢』(光文社) 評価★★★ 表題作と『書道教授』の2篇を収録。 表題作は『或る「小倉日記」伝』でも示されている清張の鴎外への造詣の深さが示された作品だが、推理小説としてはイマイチだ。 『書道教授』はやや文章が俗っぽいが、意外な展開を楽しめる。 この本、船橋の老母宅に滞在した際に近所のお寺に初詣に行き、寺の前にある古本屋で税込み105円にて買ったもの。 105円で320ページだから安い! お正月から開店している古本屋もエライ!

・松浦寛『ユダヤ陰謀説の正体』(ちくま新書) 評価★★★☆ 日本でも宇野正美などのユダヤ人陰謀説の本が結構売れているらしいが、その背後にある欧米の反ユダヤ的言説を紹介して宇野などとの関係を明らかにすると共に、日本における反ユダヤ言説の歴史をたどった本。 充実した文献一覧もあってなかなか興味深い内容だが、実のところ本は売れているといっても反ユダヤ主義が日本人にそれほど信じられているものなのか、私としては疑問。 面白半分に読まれているだけではないかね。 それと、文中、日本で大衆より知識人が反ユダヤ主義に染まった歴史を、ウォルフレンの「日本の知識人は大衆と変わりない」という言説と結びつけているが、的はずれだと思う。 日本では欧米と違って一般大衆はユダヤ人と触れる機会はまずないから、体験から感情を作る大衆は反ユダヤ主義に行きにくいのであり、欧米の文物を崇拝している観念的な知識人の方が反ユダヤ主義に行きやすい、そう考えるべきであろう。

・芥正彦+木村修+小阪修平+橋爪大三郎+浅利誠+小松美彦『三島由紀夫vs東大全共闘1969―2000』(藤原書店) 評価★★ 大学紛争たけなわの頃、三島由紀夫を招いて東大全共闘が討論会を開いたことがあった。 その時の学生側主催者だった3人と、会場で聞いていた橋爪、そしてその他の二人が30年前のこの「伝説の」討論会を振り返りつつ、現代の諸問題をも論じた座談会形式の本。 ふつう座談会というのは書き下ろしより読みやすいものだが、これは逆で非常に読みにくい。 参加者それぞれの語りが独自と言うより独白に近く、話がうまく噛み合っていない。 全共闘体験への自己評価も甘い。

・橋本治『これも男の生きる道』(ちくま文庫) 評価★★ 橋本治が「男の自立」について語った3年前の本が文庫化されたので読んでみた。 が、芳しくない。 「自立」なる、イデオロギー丸出しの言葉の虚妄性を突いているのはいいが、要はこういう時代にいかにウマク生きていくかという情勢論にしかなっていない。 橋本もそろそろ終わりか。 或いは私が彼の本に飽きたのか。

・浅羽通明『教養論ノート』(幻冬舎) 評価★★☆ 最近の浅羽がおかしくなっていることは昨年の読書月録でも書いた。 この本はやや快復傾向がうかがえるが、完全に立ち直ってはいない。 そもそも阿部謹也の世間論を信じ切っているところが甘いと思う。 阿部の言うように欧米には本当に「社会」があるのか、少し考え直した方がよくはないかね。 かつて三島由紀夫は、「教師は一番手強くない大人だ。実社会の大人は最悪の教師の百倍も手強い。だから教師にやたら反抗するポーズをとる生徒は、所詮甘えたお坊ちゃんなのだ」と断じた。 この「教師」を浅羽の批判する「文系学者」に置き換えれば、浅羽の陥っている小さなタコツボが見えてきそうだ。

・石原千秋『教養としての大学受験国語』(ちくま新書) 評価★★★★ ユニークな本だ。タイトルだけでは何の本かよく分からないが、大学入試の現代国語の問題を検討しつつ、その解法を教授すると同時に、入試問題に採用されている文章には現代思想の最先端が登場するから、それで現代社会の諸問題がひととおり分かってしまうとして、その解説を兼ねた書物なのだ。 現代思想の見取り図を説明する著者の筆は非常に明快で分かりやすい。 現代思想がこんなにカンタンでいいのかと悩む人も出てきそう。 カルチュラル・スタディーズなどはその名を冠した下手な本を読むのはやめて、この本の第8章を読めばいい。 その意味で非常にお買い得である。 受験生にも大学生にも、はたまた向学心を持った社会人にもお勧め。 

・中山治『日本人はなぜナメられるのか』(洋泉社新書) 評価★★ 刺激的なタイトルの本だが、景気が低迷して何となく元気のない日本人向けの「日本人は万事にダメだった。 ちゃんとやれ!」という日本人論。 文章が「である」でばかり終わっていて単調なのである。 まあ、私もジャパン・アズ・ナンバーワンなどとおだてるより叱責した方がタメになるんじゃないかとは思うけど、欧米植民地主義への著者の評価が恐ろしく甘いのが気になった。 著者自身が欧米人にナメられる日本人なんじゃない?

・浅羽通明(編)『この新書がすごい!』(洋泉社) 評価★★★ 最近、この本の版元である洋泉社を初め、新書への新規参入が目立つ。 つまりそれだけ需要があるということでもあろう。 現代は新書の時代なのだ。 テーマ別に新書を紹介したムックとして本書は結構役に立つ。 値段も新書並みの安さ。 一つだけ文句を言っておくと、クセジュを除いて東ローマ=ビザンティン帝国に関する新書はまだないようだ、なんて103ページに書いてあるが、ちゃんと調べたのかね、浅羽君? 渡辺金一『中世ローマ帝国』(岩波新書黄版124)と井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』(講談社現代新書1032)があるぞ! 

・小田嶋隆『人はなぜ学歴にこだわるのか』(メディアワークス) 評価★☆ 来年度、2年生向けの基礎演習で学歴論をやろうと思っているので読んでみたのだが、自分の体験した狭い領域の話ばっかりで、アンタその程度なのと言いたくなる。 おかしいと思ったところを二つ挙げておく。 まず、今はどうか知らないが、昔は東大出だって文学部は高校教師になる奴は珍しくなかったと思うぜ。 (そうじゃないというなら、ちゃんと東大文学部出の就職先を統計的に調べて呈示せよ。) 次に、山口百恵報道が彼女の中卒という学歴故だというのは考えすぎだってば。 つまりこのライター、並み以上に学歴意識にとりつかれているくせに、ちゃんと調べてないんだね。 こういうゴミ・ライターは消えて欲しいですね。

・青木やよひ『ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の謎を解く』(講談社現代新書) 評価★★★★☆ 楽聖の死後、秘密の引き出しの中から「不滅の恋人よ・・・・」と書かれたラブレターが発見された、というのはわりに有名な話なのでクラシック音楽に興味のない人でもどこかで聞いたことがあると思う。 実はその「不滅の恋人」が誰であるのか、今に至るまで確定されていないのである。 著者は女性解放の研究家として有名だが、ベートーヴェンの研究家でもあって、積年にわたってこの問題に取り組んできた。 この本ではその成果が存分に展開されていて、説得力十分である。 外国文献に多数当たるばかりでなく現地に赴いて楽聖の足どりを追うなど、その熱意には頭が下がる。 上の小田嶋のゴミ本とは正反対の力作。 

・ノーマン・レブレヒト『だれがクラシックをだめにしたか』(音楽之友社) 評価★★★ クラシック音楽がおかれている危機的な状況を多方面から論じた本。 クラシック音楽をビジネスとしか考えない大企業やマネージャーや一部売れっ子の音楽家、その一方で若手が育ちにくかったり多くのオーケストラが経営難に陥ったりして、「貧富の差」が拡大しつつある。 論じかたがやや露悪的だし散漫な感じもするが、クラシックを取り巻く諸要因を知るには格好の本だ。 クラシック音楽というと高級とか金持ちのものという印象があるかも知れないけど、この本の一節にこうある。 「60年代の初期に、J・F・ケネディは、野球場よりはコンサートに行く人数の方が多いと知って、少なからず驚いたものである。しかしそれから30年たつと両者はもはや比較にならなくなった。」 つまりこの本には、クラシック音楽を我々の手に取り戻そうという熱いメッセージが籠められているのだ。

2月

・小谷野敦『バカのための読書術』(ちくま新書) 評価★★★ 『もてない男』で一躍名を知られるようになった著者の、「難しいことは分からないけど、テレビやゲームばっかりに明け暮れるのはイヤ。 本を読んで知的になりたい」と思っている人向けの読書案内。 著者が呉智英の影響をこうむっているせいか(タイトルも呉の『読書家の新技術』『バカにつける薬』を意識したのでは)呉の名がやたら出てくるが、この辺は一考した方がいいんじゃないかな。 どちらかというと小谷野の他の著作を読んで波長が合うと思った人向けの本であろう。 しかしあとがきが面白い。 まず、物語というものの価値に言及しつつ小林よしのりの『戦争論』に対する宮台真司らの批判を取り上げ、小林はあえて物語を復活させようとしたのであり「物語の解体」ばっかりを叫んできた学者にはその点が見えていない、と指摘しているところ。 次に、最近の若者の学力低下に触れて、「大衆文化を解析してみせたりして若者に媚びる知識人たちがバカを増やしているのではないか? (…) なんでそんなにガキに好かれたがるのかねえ」と言い切っているところ。 言い換えればガキに好かれたがる大学教師が小谷野の周囲にも多いのであろう。 「周囲にも」? そう、私の周囲にも・・・・・

・許光俊(編)『クラシック、マジでヤバイ話』(青弓社) 評価★★★ 「クラシック恐怖の審判シリーズの第3弾。 冒頭の文章がド迫力。 クラシックCDの録音がこれほど改悪されていたとは・・・・・。 これじゃ怖くてCD買えなくなっちゃうよぉ。

・山形浩生『新教養主義宣言』(晶文社) 評価★★★★ 1年ほど前に出た本なのだが、その時は本屋の店頭で見てタイトルに惹かれながらも、ぱらぱらとめくって「雑文集かあ」とつぶやいただけで買わなかった。 ペーパーバック的装幀なのに1800円なのも気に入らなかった。 1400円だったら買ったかも・・・・。 それはともかく、最近他の本を読んでいたらこの本に言及されていたので気が変わって(もう店頭にはないので)取り寄せて読んでみた。 うん、これは買うべき本だったね。 プロローグで、日本のエリートの教養のなさと、日本という国の教養を構築しようという意志の弱さを撃っているところがいい。 オビの「教養でもくらえ!」って文句も効いてるね。 サブカルを解説して大衆的学生に媚びてる文系学者ども、読んでるか? 次に、「平和の危険性と戦争の効用」という一文がスゴい。 いわゆる軍事リアリストの本と猪口邦子の平和学の本とを一刀両断で斬り捨てているんだが、 その文の最後に付けられたコメントによると、或る翻訳書の訳者あとがきにその文章を載せたところ、猪口邦子がダメなのはその通りだが亭主もダメじゃないか(著者は亭主は評価してる)と知人たちに言われたそうな。 私は実はどちらも単行本では読んでいないのだが、雑誌や新聞に載ったものを読む限りは邦子さんの方はどうしようもないレベルだと思うので、ま、その辺の評価は東京では常識化しているのかなと感じました。 なぜこんなことを書くかというと、1,2年前、わが大学の非常勤講師が集まる部屋に所用で寄ったところ、「いやあ、猪口邦子はすごいですね。亭主を越えてますね。やっぱり女性の時代ですね」とキミの悪い声で女性非常勤講師に話しかけてる男性非常勤講師を目にして吐き気を催したのを思い出したからなのである。 新潟と東京はやはり知的レベルに差があるのか? ってっても、邦子さんは東京のJ大学教授だしね・・・・・。 

・加地伸行・佐伯啓思ほか『この思想家のどこを読むのか』(洋泉社新書) 評価★★★ 福沢諭吉・内村鑑三から三島由紀夫・丸山真男まで、8人の日本人思想家を学者や評論家が論じたもの。 一般には世評が高い丸山真男『日本政治思想史研究』は漢文などへの無知に基づく書物だと断じる加地の論考や、福沢諭吉・内村鑑三のナショナリズムを論じる佐伯・山折哲雄の文章が面白い。

・川本三郎『忘れられた女神たち』(ちくま文庫) 評価★★★ 91年の文庫本を古本屋で買ったもの。単行本は86年に出ている。 一般に日本では馴染みが薄いアメリカ1920年代から50年代にかけての女優・歌姫・女流作家・キャリアウーマンなどなど20人の女性を描き出した本。 適度に通俗的かつ週刊誌的であり楽しみながら読める。 それにしても親がケタはずれの金満家だったために人生が狂った女がよく出てくるので、アメリカってやっぱりスゴい金持ちが多いんだなあ、というのが私の正直な感想です。

・和泉雅人『迷宮学入門』(講談社現代新書) 評価★★★ タイトルが非常に面白そうだったので期待に胸をふくらませて手に取ったのだが、期待が大きすぎたせいかイマイチの印象。 たしかに古今東西の迷宮についての知識が満載されており、おまけに迷宮の描き方まで紹介されているので値段分の価値はあるのだが、なんとなく散漫で、ぐいぐい惹きつけられていくようなレベルには達していない。

・野町啓『謎の古代都市アレクサンドリア』(講談社現代新書) 評価★★★ これまた面白そうなタイトルの新書なのだが、一般の読書愛好家にはお勧めできない。 内容が非常に専門的なのだ。 アレクサンドロス大王により作られたとされるエジプトの都市アレクサンドリアは、その後海中に没したこともあり内実がよく分かっていない。 この都市に関する資料もごく限られているのだ。 ここにあったとされる古代最大の図書館についても同様の理由で謎が多い。 そのため、古代思想史専攻である著者は、アレクサンドリアという都市の実態に迫ると言うよりは、この都市に関係した古代の文献学や学者のありようを中心に話を進めているが、叙述がきわめて専門性の高いものなので、ある程度予備知識のある人やこの方面で仕事をしたことがある人でないと読んでも興味が持てないと思う。 私自身もバッハオーフェン『母権論』の訳業に携わった経験があるので何とか話についていけた、というくらいで。 

・高山正之『情報鎖国日本――新聞の犯罪』(廣済堂出版) 評価★★★☆ 著者は産経新聞の記者で、朝日や読売などの大部数を占める新聞が国際問題できちんとした報道をせず、アメリカの国益に添った報道をしがちなアメリカ報道機関の追随をしているだけだとして批判をしている。 アメリカに進出した三菱がセクハラで訴えられて巨額のカネをとられた事件があったが、実際に三菱でセクハラがあったのかを日本の新聞は一向に検証していなかった。 著者は訴訟社会アメリカの歪みを見つめようとしない日本人新聞記者を厳しく告発している。 ほかに東ティモール問題での欧米の利権や植民地主義の残滓などの指摘が非常に鋭く勉強になる。

・坂本多加雄『新しい福沢諭吉』(講談社現代新書) 評価★★★★ 福沢諭吉の思想を分かりやすく、またハイエクなどの現代思想やベルグソンなどのヨーロッパ哲学、伊藤仁斉などの江戸思想といった幅広い観点に関連づけながら、その要点を説き明かした本。 多方面への目配りと時代背景の周到な考察、そして平易な文章がうれしい一冊である。

・海野弘『世紀末の音楽』(音楽之友社) 評価★★☆ 19世紀末の音楽をエッセイ風に論じたもの。 文学や美術との関連を示唆した部分に興味を惹かれたが、全体的に浅く広くといった記述で、漠然とした時代相は浮かび上がってくるけど、どこか物足りない印象が残る。

3月

・大野晋+上野健爾(編)『学力があぶない』(岩波新書) 評価★★★ 最近各方面から危惧の声が上がっている「学力低下」の問題を、編者二人と他の二人が論じ、語り合ったもの。 上野と川嶋優(学習院の小学校で教諭と校長を務め、のち学習院大の教授も歴任)はいいが、大野はどうもボケていて問題の所在を的確に捉えていないのではないかと思った。 そもそもなぜ大野が「学力低下」を論じる本の編者になっているのかよく分からない。 岩波書店も意外に人脈が限られていて適切な人材を選べないということか?

・柳沢賢一郎+東谷暁『IT革命? そんなものはない』(洋泉社新書) 評価★★★★ バブル崩壊以降元気がない日本では、構造改革だとかIT革命だとかをやれば景気が浮上するという言説がまかり通っている。 しかしIT革命なるものには実態があるのだろうか? 米国や日本のIT事情に詳しい二人が対談して作られたこの本では、米国の景気がいいのはIT革命のためだという説が真っ向から否定され、ノイマン型コンピュータ(現在使われているタイプのコンピュータ)の限界からしてIT技術が経済や社会に与える影響はごく僅かなものだという主張が説得的に展開されている。 情報技術では生産性は上がらない、電子商取引はうまくいかない、インターネットの情報はゴミばかり、など、巷に行き渡っている「情報化」信仰をうち砕く内容は一読に値する。

・武田龍夫『福祉国家の闘い――スウェーデンからの教訓』(中公新書) 評価★★★ 高福祉や男女平等の理想国家、と日本人に捉えられがちなスウェーデンの実態を冷徹に描いた本。 福祉の裏の冷たい人間関係や犯罪の増加など、この国の意外な側面に言及しつつ、どんな国にも長所と短所があるという、ごく当り前の真実を悟らせてくれる脱神話の書物。 30年ほど前、『スウェーデン神話現代版』という本があったが、その後継と言えよう。 惜しまれるのは著者(長らく北欧で外交官をしていた)の書き方がやや主観に流れがちなことと、他にもスウェーデン関係の本を出しているのですでに他で書いたことは省略しがちな点。

・和田司『変貌する演奏神話――33回転の精神史』(春秋社) 評価★★★★ クラシック音楽の指揮者とピアニスト合計9人を論じた本。 尖鋭かつ旗幟鮮明な筆者の批判精神が読んでいて心地よい。 特に、近年よく(ベンヤミンを引いて)言われる「複製芸術」という概念をグレン・グールドにからめつつ批判的に分析し、とかく神話化されがちなグールドの限界を、複製芸術は時代の動向だと盲信したという点から指摘した箇所、そしてトスカニーニの「楽譜に忠実な演奏」というイデオロギーを、文学のテクスト中心主義と関係づけて時代の病だと断罪した点が非常に面白い。 その意味で、反時代的考察、とも呼べそうな本だ。

・谷崎潤一郎『ハッサン・カンの妖術』『人面』(中央公論社・谷崎全集〔旧版〕第6巻所収) 評価★★★ 必要があって『ハッサン・カンの妖術』を読み、ついでにその後に収録されている『人面』も読んでみた。 前者はヨーロッパ帝国主義の影やインド的哲学大系(読んでいて三島由紀夫の『暁の寺』を想起した)が含まれる、ある種過剰なお話だ。 後者は、昔少年雑誌で読んで粗筋は知っているつもりでいたが、谷崎は映画(当時は活動写真)に現れた話とすることで物語を一ひねりしている。

・長木誠司『第三帝国と音楽家たち』(音楽之友社) 評価★★★ タイトル通りの本。 第三帝国時代のドイツの音楽政策や音楽家の運命はかなり複雑だが、要領よくまとめている。 ただし網羅的な内容を250ページの本に押し込めたので、個々の項目は概説的であり物足りない感じがする。 戦中の日本における音楽事情にも最終章で言及しているが、(ナチ時代のドイツ音楽と違い)資料が少なく研究はまだこれから、としているところが、さもありなんと思わせる。 日本人って、記録を残さない民族だからなあ。

・小谷野敦『軟弱者の言い分』(晶文社) 評価★★★★ 小谷野節が堪能できる最新エッセイ集。 非常に面白くて私は一気に読了してしまった。 「自分探し」なんて言葉が流行っているが、世の中、探したって実現するほどの自分がない人間が大半だと指摘したり、野口悠紀雄『超勉強法』のトンデモ本ぶりを批判したり (私は未読だが、「英語の教科書が面白くなかったら、自分で面白い〔英語の〕本を見つけて読もう」と書いてあるそうである。そんなに英語ができるんだったら、『超勉強法』なんて本読まないよね)、他のことを棚に上げて喫煙者ばかりを悪者にする風潮に怒ったり、実にいい。 ところで一箇所だけワープロの打ち間違いから来たのかと思われる誤記があり、手紙を出すほどのこともないがメールか何かで連絡できないかなと思いインターネットの検索で調べてみて、小谷野氏のメールアドレスは分からなかったのだが、ヘンな小谷野批判の文章に行き当たってしまった。 『もてない男』を批判しているんだが、「オレは東大出なのに何でモテないんだ」と書いた小谷野氏の諧謔を含んだ意図を完全に誤読している。 でも東大で小谷野氏の数年先輩にあたり(学科は違う)、某大学の教員をしているらしい。 東大出でも日本語読解力はさまざまなのだ・・・・。

・田中圭一『百姓の江戸時代』(ちくま新書) 評価★★★★ かつて、江戸時代の農民は「士農工商」という身分制度のもと、武士に年貢を搾り取られる哀れな存在として歴史書や教科書に記述されていた。 『カムイ伝』などのマンガもこの種の歴史観に支えられていた。 近年、そうした歴史観を見直す動きが著しい。 講談社現代新書から出ている「新書・江戸時代」シリーズに収められている『貧農史観を見直す』もその一つだが、この田中氏の著書も江戸時代の百姓(イコール農民、ではない。詳しくは読んでみて欲しい)を実態に即して描こうとする動向に添った本である。 何より、百姓の生活のありさまを史料を駆使して見直し、武士階級の定めた法制度からのみ当時を再現しようとした旧来の史的手法を真っ向から批判しているところが、目からウロコの新鮮さと言える。 著者は佐渡の出身で、新潟大の人文学部を卒業後、長らく高校教員をしながら研究を続けてその成果を次々と出版し、学問的業績が認められて筑波大教授になられた方である。 新大生諸君もこの素晴らしい先輩を見習って勉学に励んで欲しい。 

・石井宏『帝王から音楽マフィアまで』(学研M文庫) 評価★★★ 先々月読んだノーマン・レブレヒトの本と同工異曲で、音楽のマネジメントにより巨額の利益を得ている人間や一部音楽家の内情暴露めいた内容だが、日本人が書いているので、日本の虚飾に満ちたクラシックファンを揶揄した文章も併録されているのがミソ。 日本のオペラブームを皮肉って、日本で本当にオペラが愛されたのは大正時代の浅草オペラだけだったというところなど、なかなか痛烈なトーンを楽しめる。 オペラ以外でも日本のクラシックコンサートのチケットは高すぎることが、一読納得できる!!

・レーモン・アロン『回想録第2巻・知識人としての歳月』(みすず書房) 評価★★★☆ 授業で半分程度読んで、残りを自分で読了したもの。 第1巻同様興味深い省察が多い(サルトルを相当意識しているし)が、訳はやはりあまり良くないような気がする。 ひとつだけ挙げると、ドイツ語の箇所Frankreichs Uhren gehen nicht anders.を「フランス人の時計は他の時計とちがう」と訳しているけど(723ページ)、正反対でしょう。 ドイツ語は専門じゃないんだろうけど、フランス語の方も大丈夫なのかなと思えてくるぞ。

・渡辺誠『もしも宮中晩餐会に招かれたら――至高のマナー学』(角川oneテーマ21) 評価★★★ 角川書店から最近創刊された新書サイズ(より若干幅が広いけど)のシリーズに含まれる一冊。 国賓をお迎えして開かれる天皇陛下の宮中晩餐会に、もしもあなたが招かれたら何をどうすればいいのか、この本を読めば分かる、という趣向。 まあ、ワタシを含めて世の中の99、99%の人間にはその機会はないと思うので、雲の上の話として楽しんで読めばいいわけ。 まず着ていく服を新調することから始まるんだけど、夫婦で行くと(というより、宮中晩餐会は夫婦で行かなければいけないのだそうである)合計ウン百万円も服装にかかるというから、ホントに雲の上の話なのである。 でも話の種には面白い本ではあるね。

・藤田真一『蕪村』(岩波新書) 評価★★★☆ 蕪村についての新書本は今までなかった、とあとがきにある。 意外といえば意外だが、蕪村の名は著名でもその内実は案外知られていないのである。 その意味で本書の出版は貴重と言える。 絵画や彼の活動した文化的背景にまで踏み込んだ著者の筆はなかなか説得的で面白い。 欲を言えば、初心者向けに言葉遣いをもう少しかみ砕いた方がいい、説明を親切にした方がいいという箇所が散見された。

・浅井香織『音楽の〈現代〉が始まったとき――第二帝政下の音楽家たち』(中公新書) 評価★★☆ 10年ほど前に出た新書だが、内容は副題にあるとおりで、フランスの第二帝政時代に音楽の大衆化と純粋化が同時進行した、という事態を論述したもの。 大衆と芸術、という一見相反する要素が、第二帝政時代に奇妙に絡み合いながらクラシック音楽の近代化(現代化というよりこちらの方がよさそう)が進行する様は興味深いが、著者の書き方がやや違和感を感じさせるのが惜しい。 最初のあたりはフラヌールだとかベンヤミン的テルミノロギーが頻出して臭みがあるし、その先に行くと翻訳物みたいで、変に細かい記述がある一方でこちらが知りたい事柄がごくあっさり片づけられるなど、著者が材料を十分咀嚼していないのではないか、という疑念が残る。

・「中央公論」編集部(編)『論争・中流崩壊』(中公新書ラクレ) 評価★★★ このたび創刊された「中公新書ラクレ」の第一陣として出た本。 日本では中流が崩壊しているのではないか、階層化が進んでいるのではないか、という橘木俊詔や佐藤俊樹によって提唱された説を、様々な立場から検討するという内容である。 この説を批判する立場である盛山和夫の、中流はいつも崩壊という物語で語られるという主張を含め、刺激的な論考が多く収録されている。 私の印象としては、基礎となるデータをさらに蓄積していく必要があると思う。 例えば、大学教師の再生産率はどうであるか、など。 

・高橋亮子『ラブ・レター』(小学館) 評価★★★ マンガを読まなくなって久しい(『ガラスの仮面』を除く)。  しかし先日偶然某サイトに行き着いて、高橋亮子の単行本化されたマンガのリストを見、未読のが1冊あることに気づいた。 といっても出て10年余りたつので新本では入手できないものの、某古本サイトで売りに出ているのを発見、取り寄せて読んでみた。 高橋亮子をよく読んでいたのは20年以上も前だが、新潟出身で私と同年齢(!)だから他人とは思えない(というのは言い過ぎか)。 それにしても、彼女は筋書きを作るのがうまいとはお世辞にも言えないマンガ家なので、ここに収録されているのは短篇ばかりだから基本的にハッピーエンドでおしまいになっているんだけど(彼女の長編『水平線をめざせ!』だとか『迷子の領分』なんかはハッピーエンドじゃないんですよね)、『夢色オルゴール』なんかいくら何でももう少し結末の前に何か入れないとマズイと思うんだけどねえ。 ちなみにこの本、サブタイトルが「高橋亮子傑作集(1)」となってるんだけど、(2)は出てないみたい。 彼女、ちゃんと食えてるんだろうか、気になる。

4月

・高橋英夫『友情の文学誌』(岩波新書) 評価★★★ 日本近代文学を中心に、外国文学の例も交えながら、文学者の友情や作品内に出てくる友情について述べた本。 対象が広いので個々のケース・スタディとしてはやや物足りない感じもないではないが、いささか懐かしい言葉になりつつある「友情」が近代文学と本質的に関わりをもっていたのでは、と改めて考えさせられた。

・安川定男『悲劇の知識人・有島武郎』(新典社) 評価★★☆ かなり前から、有島の評伝を読みたいと思っていた。 たまたま東京の古本屋で見つけたので買ってすぐ読んでみた。 しかしもう少し詳しいものが欲しい。 江藤淳『漱石とその時代』だとか曾根博義『伝記・伊藤整』みたいなやつ。 ただ、最後に美人記者と心中するところで、有島は面食いだったと書かれているのに思わずニヤリとした。

・「中央公論」編集部+中井浩一(編)『論争・学力崩壊』(中公新書ラクレ) 評価★★★☆ 文部省の「ゆとりの教育」と言う名前の学力低下誘導策をきっかけとして勃発した論争を、各論者の発言を集成して要領よく紹介した本。 阿呆な文部省課長・寺脇研に対する批判はこのサイトの「最新情報」にも載せたが、新しい(?)学力観はもとより、学力が低下しているかどうかという事実関係にも人によりかなり認識差があるのだと分かる。 ただこの本では、大学入試で科目数が減って学力低下が進んだのを大学の責任としているが、これは日本の私大が入試科目数の少なさにも関わらず社会からの評価が上昇しているという現実があるからなのに、その点に触れずに(国公立)大学を一方的に責めるのはおかしいと思いますがね。

・みつとみ俊郎『オーケストラとは何か』(新潮社) 評価★★★☆ 新大の書評誌『ほんのこべや』でブルンネンベルク先生が推薦しておられたので買って読んでみたが、オーケストラの歴史を要領よく紹介した本でなかなか役に立つ。 日欧米の有名どころのオーケストラについて簡単な解説があるのも便利だ。

・『新潟大学キャンパスメール』(毎日新聞新潟支局) 評価★★★ 新潟大の学生が毎日新聞の新潟県版に連載した大学情報を一冊の本にまとめたもの。 万事に東京中心主義が行き渡っている日本では、地方の大学の内実についててっとり早く知ることのできる本がなかなかないが、学生を中心にこうした本がまとめられたことは大変結構なことだと思う。 欲を言えば、肝心の新大生の声をもう少し多様な学部に渡って幅広く取り入れる工夫がほしかった。 逆に留学生の声は多種多様で、新大にもこんなに留学生がいたんだなあと改めて感じ入った。 日本の女の子はどうして一人でトイレに行かないのですか、という韓国人留学生の意見には、うなずきながら笑ってしまいました。

・百瀬明治『御家騒動』(講談社現代新書) 評価★★★ タイトル通りの本。 江戸時代を中心に、御家騒動の構造や原因をわかりやすく解説したもの。 時代と共に御家騒動も構造的変化が起こっているのが興味深い。 しかし肩の凝らない読み物として楽しめる。

・植木哲『新説 鴎外の恋人エリス』(新潮社) 評価★★☆ 鴎外が留学生時代に小説『舞姫』のモデルとなったドイツ人の恋人を持ち、彼女が帰国後の鴎外を追って日本にやってきたというのは有名な話であるが、この女性の本名や素性については鴎外が口を閉ざし、証拠も湮滅したために分かっていない。 本書は、従来国文学者や独文学者によって諸説唱えられてきたこの問題に、法律学者の立場から新たな一石を投じようとするものである。 ドイツでの戸籍の調査などはさすが法律学者らしく詳細で面白いが、ここで挙げられた新しい恋人候補を是とするには他面での補強がまだまだ必要なのでは、と思わせた。

・細谷博『太宰治』(岩波新書) 評価★★★ 「太宰治再入門」という触れ込みの太宰論。 人目を驚かすような新奇な読みだとか見方だとかはないが、堅実で足が地に着いた著者の筆致は、大人が今一度太宰を読もうというときに役立ちそう。 この本で思い立って、太宰の『如是我聞』を通読してみた。 太宰の自殺で絶筆となったこのエッセイ、実はちゃんと読んでみたのは初めてなんだが、志賀直哉への嫌悪感、よく分かるなあ。 こういう感情が理解できない人間って(ブンガク研究者にもわりに多いが)、所詮は文学に無縁の輩だよね。

・小浜逸郎『「男」という不安』(PHP新書) 評価★★★ すでに評論家として著名になっている小浜の最新の男性論。 私のように小浜の本を沢山読んでいる人間には新鮮味に欠ける感じ。 まあ男女問題への小浜のスタンスに私は基本的には同感なんだけど、一つだけ注文をつけておくと、若い男性から男女平等を逆手にとっての女性批判が出てきているのを小浜はいなしているが、この辺はもう少し男性側に同情的でもいいのではないかしら。 つまり、地方公共団体なども「男女共生社会」なんてスローガンでタテマエとしてのフェミニズム的男女平等を推進しているという現実があって、ところがフェミニストは基本的に何でも女性に有利に解釈する連中だから、女性側の古い特権をなくせとは(例えば国立大に女子大があっていいのか、県立で女子短大があっていいのかなど)言わないわけ。 結果として男性側がワリを食う形になっているので、若い人はその辺の抑圧感をかなり感じているのだと思う。 これが、八方破れの小谷野敦なんかがよく読まれる理由にもなっているんじゃないか。

・河上徹太郎『日本のエリート』(第三文明社) 評価★★★ 日本の近代知識人がエリートでありつつも同時にアウトサイダーであらねばならない宿命を簡潔に論じたもの。 ラジオ講演向け原稿を本にしているので、変に微をうがたずに分かりやすくなっている。 堀辰雄全集につけた解説が収録されているのもいい。 堀の翻訳の仕事の紹介など、私も蒙を開かれた。

・内田康夫『鯨の哭く海』(祥伝社) 評価★ 浅見光彦シリーズの推理小説。 捕鯨問題が出て来るというので読んでみたのだが、きわめて悪質な反捕鯨イデオロギーに満ちた本と言わねばならない。 それは別にしても、最後での説明というか辻褄合わせが長すぎて、ミステリーとしても出来がよくないね。 内田という作家の知性の質が分かってしまう。

・鄭大均『在日韓国人の終焉』(文春新書) 評価★★★☆ 在日韓国人も3世4世の時代に入った今、差別や独自性を言い立てたり、地方参政権を要求したりするより前に、まず日本の国籍を取り、コリア系日本人として生きて行くべきだという筋論を述べた本。 自身も在日韓国人である著者の主張は足が地に着いており、辛淑玉の無責任な発言をたしなめたり、姜尚中の偏狭な知識人としての見解を批判したりする筆には説得力がある。 日本側にも帰化手続きの簡素化を求めている。

・竹下義朗『検定不合格・教科書になれなかった史実』(雷韻出版) 評価★☆ BOOKOFFで買った本。 歴史教科書には採用されないような面白い「史実」が書いてあるのかと思いきや、トンデモ系の本だった。 津軽の十三湊の古代帝国だとか、明治天皇は暗殺されて別人にすり替わったとか、まあそういった話。 ただ、ところどころ正確な記述もあるので――例えばハワイの王朝が明治時代に日本の皇室との縁組みを図ったが実現せず、そのためもあって米国帝国主義の餌食になったことなど――油断がならない。 巻末の「参考文献」には佐治芳彦の本なんかが沢山挙げてあるから、SF小説のつもりで読んだ方が無難だとは思うけれども。 ちなみに著者は「歴史評論家」だそうだ。 研究家でもなく学者でもないところがミソか?  

・黒田恭一『はじめてのクラシック』(講談社現代新書) 評価★★★ 「クラシック音楽と評論」なんてテーマの授業をやっているので、クラシック音楽入門用にいい本はないかと探している。 古本屋で買ってみた本書もその一冊。 専門用語を使わずに、なおかつ啓蒙書的なわずらわしさを脱して、クラシック音楽に気軽にアプローチできるようアドバイスをする、という著者の姿勢はなかなかいい。 しかし出て10年余りたっているので、CDとLPレコードの特性が論じられるなど、やや古くなっている感も否めない。

5月

・井上健『翻訳街裏通り』(研究社出版) 評価★★★☆ 「わが青春のB級翻訳」という副題がついている。 昔の、よく考えると分からないところが頻出する翻訳物の推理小説や純文学などを、半分批判し、半分懐かしむ、という内容。 今は昔となってしまった戦後から昭和50年代頃の日本文化の一面が回顧されているわけだ。 また、当時井上氏が教わった、変人奇人の大学教授を回想する章もある。 最近のように学生をお客様扱いする遊園地みたいな大学では追放されかねない、しかし文化というものにつきまとうよい意味での偏屈さが備わった人物たちは、今となっては無形文化財に指定したい貴重な存在だと思えてくること請け合い。 

・柳瀬尚紀『翻訳はいかにすべきか』(岩波新書) 評価★★★☆ 明治期の翻訳を回顧することから始めて、ジョイスの邦訳について自分のものと先行訳とを比較して自分のほうがいかに優れているかを力説するなど、なかなか戦闘的で日本的奥ゆかしさと無縁なところが爽快だが、どうせなら悪口言うために引用している文章は全部遠慮せずに筆者を明らかにしてくれないと(上記の井上健への批判もあって、これは実名での批判なんだが、全部がそうではないんだね)、日和ったのかと勘ぐられてしまうぞ。

・岡田英弘『歴史とは何か』(文春新書) 評価★★★☆ 著者は東洋史学者だが、西洋史も視野に収めつつ、歴史というものの概念が古今東西さまざまであって、とても18世紀以来成立している国民国家の視点では捉えきれないと主張している。 個々の話はなかなか面白いんだけど、全体としてやや印象が拡散的になっているのが惜しいし、国民国家が18世紀以降の思考法だという主張に捕らわれすぎていてかえって論理が窮屈になっているのではないかな。 古事記は偽書だとか、中国という概念がいつ生まれたかとか、近代中国は日本をお手本にしたとか、東洋史で言う「中国大陸国家への周辺国の朝貢によって成り立つアジアの冊封体制」なるものはウソだとか、興味深い話がたくさん入っていることは確かなんだが。

・日垣隆『偽善系U 正義の味方に御用心!』(文芸春秋) 評価★★★★ 前の『偽善系』第一作では少年犯罪の罰がひどく軽い日本の異常さを撃っていた。 今回も著者は、心神喪失とされる犯罪者がびっくりするような軽い罰で済み、なおかつ再犯率が高いという、マスコミではタブーとされる事実を指摘するところから始めている。 次に佐高信を叩いていて、今回はこれがウリらしいが、私は佐高みたいなゴミ評論家は叩くだけの価値がないと思っているので、ここは軽く読み飛ばした。 むしろ、次の「田中康夫知事誕生前夜」で長野県政の硬直ぶりを批判したところが大変面白い。 長野オリンピックを誘致するのに湯水のごとくカネを使いながら、その帳簿が出てこないという、誰が考えても摩訶不思議な地方自治の仕組みを著者は正面切って批判しており、やがて著者の発案で(だそうである)田中康夫を知事選にという声が上がっていく様は、他の府県にとっても他山の石であろう。 私個人は田中康夫を政治家としては評価しかねるが(別段、ペログリがいけないとかいう道徳的理由じゃないですよ。 私は、政治家として有能なら女好きだろうが酒癖が悪かろうが構わないという開明的な意見の持ち主ですので)、ここに描かれたオリンピック時に限らない長野県政の腐敗堕落ぶり(知事夫人が改名を趣味としていたので、彼女の意を汲んで改名した県職員は出世が早かった、というマンガちっくな話もあり)を読むと、こりゃ田中康夫が当選するのも当たり前だなあ、って気がしてくるのである。 繰り返すが、これを他山の石とすべき地方自治体は多かろう。 地方自治体だけじゃなくって、案外大学なんかも・・・・・・? 少なくとも、地方ジャーナリズムが地方の硬直した政治をちゃんと批判していない、という指摘は大学人もよく読んでおくべきじゃないの。 それにしてもジャーナリストである著者は、本代に月40万円以上使うそうである。 スゴイね。 私だったら、そんなに使ったら給料が一銭も残らないよお(トホホ)。

・鹿島茂『文学は別解で行こう』(白水社) 評価★★☆ フランス文学者鹿島茂のフランス文学評論集。 期待して読んだのだが、鹿島氏の本にしては面白味に欠ける。 内容が専門的なためかといえば必ずしもそうではなく、『奇岩城』についての一文など全然新しい発見がなくて「なんじゃ、こりゃ」という感じ。 マルクスが一番嫌いだった階級は、などの興味深い箇所もところどころあるにはあるのだけれど。

・香西秀信『議論術速成法』(ちくま新書) 評価★★ 議論の仕方を、方法別に分類してまとめたレトリック論。 古代思想家のトピカ(思考術)にも言及しているのだが、あまり面白くない。 むしろ現代人向けと割り切って話を進めた方がよかったのではないだろうか。

・司馬遼太郎+山崎正和『日本人の内と外』(中公文庫) 評価★★★ 原本は1978年に出ている。 対談による日本人論だが、最初に「日本人論の系譜」というのをやっているところがミソ。 20年以上を経ているわりには内容はさほど古びていない。 この種の文化論はどうしても「ああも言えるしこうも言える」という感じになるが、まあそれは仕方のないことで、細かい知識には「へえ」と思うところも多々あり、悪くない出来だと思う。 

・井上章一『キリスト教と日本人』(講談社現代新書) 評価★★★ タイトルだけ見ると内容を誤解する恐れがある。 明治になってキリスト教が公認されてから日本人がこの宗教とどう付き合ってきたか、或いは織豊政権時代にどう付き合ったかを研究した本、ではない。 キリスト教は仏教から枝分かれした宗教だとか、或いはその逆だとかの観念が、江戸時代を中心に日本にあったということを、当時の文献を解読しながら跡づけた本なのである。 私としては、井上の手法は『南蛮幻想』などで馴染んでいるので、「またか」という読後感が先だったが、彼の本を余り読んでいない人には面白いかも。

・新井潤美『階級にとりつかれた人びと――英国ミドル・クラスの生活と意見』(中公新書) 評価★★★ 英国が階級社会だとはよく言われるところだ。 この本は、現代英国の中産階級で、ロウアー・ミドル・クラスがとかくアッパー・ミドルから嘲笑を受ける存在であることを、文学作品などをもとに細部にわたって描いたものである。 アッパー・ミドルがロウアー・ミドルを嗤うなど、目くそ鼻くそを何とやらの類と日本人には見えるのだが、英国人にはこういう微妙な差異が大事らしい。 別の本のタイトルに『イギリス人はおかしい』というのがあったけど、「差異の体系」は英国の階級においてこそ最も奇怪な姿で開花(?)し維持されているのかも。

・柳美里『家族シネマ』(講談社) 評価★☆ 最近小説を余り読まなくなっている。 特に現代の「純文学」はさっぱりだ。 しかし先日の卒論構想発表会で柳美里を取り上げたいという学生がいたので、ものはためしとばかり読んでみた、が、芳しくない。 文章がちゃんと書けていないし、下手くそな演劇を見ているみたいな気にさせられる筋書き進行はこの人の持ち味なのかも知れないが、私は買わないね。 BOOKOFFで100円だったけど、その程度の中身です、収録作三つとも。 芥川賞ってってもたいしたことない。

・小川洋子『妊娠カレンダー』(文芸春秋) 評価★★☆ 上記と同じ理由で、やはりBOOKOFFにて100円で買って読んでみた。 これもさほど感心しなかったけど、柳美里よりはマシか。 文章もきっちり書けている。 ただしそのせいでとばし読みがきくのは皮肉。 私としては芥川賞の表題作より、ミステリー風な運びで最後にハズしてしまう『ドミトリイ』が面白かった。 収録作三つとも、建物や部屋への登場人物の執着が特徴的に描き込まれているのも、まあ作者なりの風味なんでしょう。 こういう感覚は分かる。

6月

・福田直子『大真面目に休む国ドイツ』(平凡社新書) 評価★★★☆ 現代ドイツ人のバカンスを初めとして、多様な側面から現代ドイツの実態に迫った本。 ドイツ人は平均6週間もの夏休みをとり、労働時間がきわめて短いと言われている。 しかしその一方で労働時間内のストレスはたまり、人を雇用するのに高いコストがかかるため自宅の修理も自分でしなければならないなど、日本人から見ると豊かさと貧しさが入り混じっているように見える。 福祉社会もプラスだけではないのだ。 著者はドイツの長短を冷静に見据えている。

・『諸君! 7月号』(文芸春秋) 評価★★★☆ ふだんこの欄では雑誌は取り上げないのだが、注目すべき記事が載ったので例外的に触れておく。 ドイツの作家マルティン・ヴァルザーへのインタヴュー記事だ。 ヴァルザーは日本ではほとんど知られていないが、戦後ドイツを代表する作家の一人である。 その彼が、1998年にドイツ書籍商の平和賞を受賞した記念の演説で、ナチスドイツのユダヤ人虐殺がいまだにことあるごとに言及される現状に触れ、そろそろ別のことを考えるべきなのではないかと述べた。 これにユダヤ人中央協議会会長が激しく反発し、他の知識人や政治家をも含む激しい論争に発展した。 私はこの事件に関連して、私の雑誌『nemo』第7号でドイツの雑誌記事を訳出しておいたので、興味のある方はご覧いただきたい。 さて、『諸君!』に載ったインタヴューは、田中敏・明星大教授がこの件についてヴァルザーの見解を詳細に聞きただしたものである。 惜しむらくは日本の第二次大戦処理問題についての意見を幾度も付随して訊いていることで、ヴァルザーは日本の問題はほとんど知らないから (彼だけではない。 ドイツ人は、一部の専門家は別にして、日本のことなど全然知らないものなのだ) まともに答えられるわけがないのだ。 私としては、ドイツの問題に絞り、必要なら適宜注をつけて、現代ドイツ人が陥っている、タテマエ的な倫理観と現実的な生き方の狭間のようなものをより強く浮かび上がらせて欲しかった。 とはいえ、ドイツにおけるこういう問題を、テタマエ知識人的な綺麗事としてではなく、戦後生まれの人間が大多数を占めるようになっている現代社会に即した常識的な思考法で取り上げ展開する場が、日本にはおかしなくらい少ない。 これは日本のドイツ文学者 (ブンガクだけじゃなく思想系をやってる人も多いはずだが) の怠慢でもあろう。 とにもかくにもこれを機に、もう少し多様な外国人の意見が紹介されるようになってもらいたいと思う。

・立花隆『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・脅威の速読術』(文芸春秋) 評価★★★☆ 長たらしいタイトルの本だが、数年前に出た『ぼくはこんな本を読んできた』の続編。 週刊誌に連載している読書日記を単行本化したもの。 あいかわらず広範囲な本を大量に読んでいるのに驚かされる。 それも、現代社会問題などを扱った読みやすい本だけではなく、『ピエール・ベール著作集』などのアカデミックな本も少なからず含まれている。 私なりの受け取り方をすると、氏のような人がいるとアカデミックな仕事(最近、とかく表層的な流行に流されがち)をするにも勇気が湧いてくる。 無論、人それぞれに興味の持てそうな本を何冊か見つけられる本であることは、その人が多少なりとも知的な好奇心を持っていれば、請け合える。

・福田恆存(監修)『日本の将来・教育のすべて』(高木書房) 評価★★★ 27年前に出た本だが、古本屋で買って読んでみた。 福田はこの「日本の将来 〜のすべて」シリーズを何冊も出しているが、これは未読だったので。 福田が何人かの論者を集めて座談会形式で教育問題を論じている。 家永教科書裁判とか、扱われている材料は古くなっていても、扱われている問題そのものは昔からあまり変わっていないんだなあ、と痛感させられた。 教育問題ってやつは十年一日なのだ・・・・。

・長谷川宏『丸山真男をどう読むか』(講談社現代新書) 評価★★ 表題通り、丸山真男を今どう読むかを、へーゲルの新しい翻訳で知られる哲学者が考えた本だが、余り感心しなかった。 1940年生まれの著者はものの捉え方が古いようだ。 「民衆」は彼にとって絶対の善であり、主としてそれと離反する場合において丸山は批判される。 指導者層をたんなる虚栄心や上昇志向の人間と見て、彼らの「民衆」との共犯関係に思い至らないとすれば、ファシズムの本質を撃つことなど不可能だと私は思うのだが。

・森枝卓士『カレーライスと日本人』(講談社現代新書) 評価★★★★☆ 12年前に出た新書だが、名著の誉れ高い(?)との評判を聞いて読んでみたところ、噂にたがわぬ好著であった。 本来インドのものであるはずのカレーがどういう経路で日本に入り、なぜこれほど日本人に好まれるようになったのか、という問題を追求している。 直接インドから日本に来たのではなく、英国経由で入ってきたのだが、その英国ではさほど好まれていないという。 食文化というものの不思議さや、文化の伝播につきまとう奇妙さが一読納得できる本である。

・小川鼎三『医学の歴史』(中公新書) 評価★★★ 37年も前に出た本だけど(中公新書の番号37だからねえ)、医学の歴史を要領よくまとめた良書である。 索引が付いているのも便利。 それにしても大昔の、今から見るとデタラメな治療法は面白い。 でも近代医学が急速に発達したのはここ150年くらいのことで、人類の歴史からするとほんのわずかの期間に過ぎないのだと実感できる。

・高田里恵子『文学部をめぐる病い――教養主義・ナチス・旧制高校』(松籟社) 評価★★★★★ 著者は関西の大学に勤めるドイツ文学者。 日本人ゲルマニストが書いた本として出色の出来。 ヘッセ『車輪の下』などの翻訳で名の通った独文学者・高橋健二を初めとして、近代日本のドイツ文学者がどういう人間でどういうことをやってきたか、その「二流性」に焦点をあてて解明している書物だ。 人道主義のヘッセを紹介したかとおもうと大政翼賛会の要職についたり、東大独文科教授の椅子に固執したり、文学部には文学はないと考えて小説家に転身すると文学に近づいたと思い込んでしまったり・・・・・・などなど、ドイツ文学者・ドイツ語教師たちの喜劇的なふるまいと二流ぶりを詳細に暴きつつ、著者はしかし糾弾するのではなく、あくまで優しく抱擁的な眼差しで彼らを見つめている。 この眼差しにこそ著者の独自性があると言っていい。

・宮崎正弘『三島由紀夫はいかにして日本回帰したのか』(清流出版) 評価★★☆ 前作『三島由紀夫「以後」』は三島やその周辺にいた人物との付き合いなどを書いていて面白かったが、これはダシガラみたいで劣る。 まあ、それでも、戦後間もない頃はヨーロッパの芸術・思想によって自分を形成していた三島が、はっきり日本のナショナリズムに近づき始めた時代と契機とを論証しようとした前半は悪くないが、後半の『豊饒の海』の読解などそうとうに杜撰で、全然読めていない。 難解な文芸評論のレベルで言ってるんじゃないぜ。 例えば、第3巻で転生したヒロインとして登場するジン・ジャンが、女であるために脇腹のほくろが前2巻の(いずれも男である)ヒーローとは別の側にある、程度のことすら読みとれていない。 三島ファンと称する人がこれじゃね。

・森村泰昌『踏みはずす美術史』(講談社現代新書) 評価★★★ 美術って、どう見りゃいいのかよく分からない、という人は多い。 かくいう私もその一人だ。 と思っていたら、斯界で活躍している(といっても、アートにうとい私はこの本で初めて知ったのだが)森村氏も、自分もそうだと言って、自分なりの美術の見方を開陳してくれている。 かなり自由自在な著者の思考法は、なるほどアートはこういうふうにアプローチしてもいいのかと、目からうろこが落ちる部分がいくつもあって、読んで面白い本であることは間違いない。 値段分の価値は十分にある(といっても私は某新古書店にて100円で買ったのだが)。 それにしても、森村氏は自分がモデルになってモナリザなどのパロディを描いているが、この本の裏表紙で見る氏の顔は、かなり女性的だなあ。

・竹内洋『大衆モダニズムの夢の跡』(新曜社) 評価★★★★ 『立身出世主義』『学歴貴族の栄光と悲惨』などの著書で知られる京大教育学部教授のエッセイ集。 まとまったテーマを追求した本ではないが、随所に優れた考察やアイデアが光る。 子供の「才能を伸ばす」教育が推奨されているが、その「才能」とは運動や芸術などに限られており、なぜか「エリート」たる才能を伸ばす教育だけが否定的に見られるのはおかしいのでは、とか、マス社会の中でサブカルチャーに色目を使うことで延命をはかっている文化エリートの戦略は結局は墓穴を掘っているに過ぎないのではないか、など、著者は大衆社会の様相を見据えつつも、安易にそれに同じない姿勢を合わせて示している。 この二枚腰が著者の持ち味であろう。

・鄭大均『日本(イルボン)のイメージ――韓国人の日本観』(中公新書) 評価★★★★★  4月に続き鄭大均の著書を読んでみたが、たいへん面白かった。 戦後韓国で日本がどうとらえられていたかを論じた本だが、 きわめてナショナリスティックで自己中心的な韓国の日本観を、在日韓国人の著者はきわめて冷静かつ批判的にとらえている。 その一方で少数派ながら公正で十分な自己省察に満ちた韓国人による日本論もあるわけで、その紹介にも少なからぬページがあてられている。 「あとがき」で著者が、少数派の公正な日本論にかなりページをさいたのは、韓国内で日本を賞賛するのはPC(ポリティカル・コレクトネス)にもとるとされるため、非常に勇気のいる行為であり、切実さを欠いた日本悪者論と同列に扱うわけにはいかない、と述べているのは示唆的である。 ちなみに、最近歴史教科書問題がかまびすしいが、この本の47ページには次のような指摘がある。 朝日新聞しか読んでいない人は知っておいた方がいいだろう。 すなわち、日本と韓国、及び中国・ソ連・米国・英国・インド・フランス・西独・ブラジルの中学歴史教科書を比較した80年代の研究によると、最も自画自賛度の高いのは韓国で、しかも他国に大きく水をあけている。 コーディング分析によると、自画自賛度の高いのは、韓国82・36、ソ連53・94、インド35・16、中国31・91、ブラジル21・01の順であり、逆に低いのは日本B(日本の教科書は複数あるので種類をアルファベットで示している)マイナス4・48、フランスがマイナス0・14、西独2・44、日本A3・21、英国5・39、米国8・12となっている。

7月

・福田和也『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』(PHP) 評価★★ なるほど、ひと月300枚書いているだけあって、中身が薄い。 ま、こういうものは個人的な資質に寄るところが大きく、方法論やっても仕方がないんだろうけど。   

・櫻田淳+小浜逸郎『「弱者」という呪縛』(PHP) 評価★★★☆ 小浜の『「弱者」とはだれか』を受けて、身体障害者ながら硬派の論客として活躍している櫻田と小浜が対談して作った本。 ふだんは自分が身障者であることを論の根拠とするのを避けている櫻田が、一方で身障者が社会的責任を果たすための設備がまだまだ日本に不足していることを指摘しつつ、しかし「弱者」と自分を規定して安易な自己肯定を行うことを厳しく戒めている姿勢が非常に印象的だ。

・松尾弌之『不思議の国アメリカ』(講談社現代新書) 評価★★★ アメリカ合衆国の連邦政府と州政府との関係、および州ごとの気質の違いを論じた本。 アメリカと言っても広いので、こういう地域差や、日本のような中央集権国家とは違う連邦政府と地方政府との関係を知っておくことはわりに大切だと思う。 なお私は12年前に出た新書を古本屋で買って読んだのだが、最近この本は講談社学術文庫に収録されたようである。

・工藤庸子『フランス恋愛小説論』(岩波新書) 評価★★★ 3年前に出た新書。 フランス文学者が、ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』、ラクロ『危険な関係』、メリメ『カルメン』、フロベール『感情教育』、コレット『シェリ』の5作を論じており、 様々な手法を駆使して作品及び作者の位相を分析している。 古典的小説への関心が減退しがちな現代にあって、外国文学者の誠実な仕事として貴重ではある。 ただ、最後に来てフェミニズムの悪影響が出ているようで、あとがきで、「『女好きとは女性蔑視の謂いにほかなりません』とわたしが書くとき、ある種の告発となりますから、壮快感があります」と言っているのを読むと、次ですぐ「性差の戯れを解消するのは読書の快楽を半減する」と言い添えているのではあるけれど、所詮女かなあ、と差別的言辞を弄したくなってしまう私なのでした。 

・清水多吉『ヴァーグナー家の人々』(中公新書) 評価★★★☆ 20年前に出た新書を古本屋で買ったまま読まずにきたのだが、バレンボイムがイスラエルの演奏会でタブーとされてきたヴァーグナーの曲をアンコールでやったというニュースに接し、この機会にと思って読んでみた。 ヴァーグナー家とナチス・ヒトラーの関係がよく分かる本である。 「芸術」がいかに政治とリンクしてきたか、考えさせられる内容。 ゲッベルスやフルトヴェングラーの発言への著者なりの読み込みも興味深い。 ただしヴァーグナー自身の反ユダヤ思想には言及していない。

・秋葉龍一『日本に「鈴木」はなぜ多い?』(角川oneテーマ21) 評価★★ タイトル通り、日本で一番多いとも、或いは佐藤姓に次いで2番目に多いとも言われている「鈴木」姓の由来と、この姓がなぜこれほど数多くなったのかを追求した本。 前半はまあまともだが、後半、なぜか日本神話と鈴木姓を関連づけた展開となり、トンデモ本すれすれとなってしまうのが惜しい。 

・小室直樹『これでも国家と呼べるのか』(クレスト社) 評価★★★ 小室直樹大先生が5年前に出した本を古本屋で買って読んでみたが、今でもアクチュアリティを失っていない。 教科書や過去の「侵略」について外国に延々と謝り続ける政治家の非常識を叩き切り、第二次大戦時の高級将校の無責任と無能を叱ってから、現代日本の経済運営が戦争での敗北を招いた無責任体制と酷似していることを指摘している。 なぜ日本の経済がこうもどん底にあるのかの説明も、分かりやすい。 ただし私は経済にはシロウトなので、この説明が的確かどうかはよく分からないが。

・ロベルト・ザッペリ『知られざるゲーテ――ローマでの謎の生活』(法政大学出版局) 評価★★★ 文豪ゲーテが、政治家として勤務していたヴァイマルから遁走して「ローマの休日」(?)を楽しんだというのは、ドイツ文学に興味を持つ人なら誰でも知っている事実だが、実際にローマで彼がどういう暮らしぶりをしたのか、そこで作られた文学作品に歌われた恋愛は事実かフィクションか、ということは案外分かっていなかった。 イタリアの学者が当地での資料を分析しゲーテの言動を細かく再吟味しつつ、この謎の究明を試みたのが本書。 しかしやたら細かい記述が多くて、ドイツ文学者の私でもやや閉口した。 ゲーテにかなり詳しい人でないとお薦めできない。 

・小松正之(編著)『くじら紛争の真実』(地球社) 評価★★★★☆ 捕鯨問題について、あらゆる方面から正確な知識を与えることを目標とした本。 鯨資源の評価を初め、捕鯨の歴史やIWC(国際捕鯨委員会)の実態など、至れり尽くせりの内容である。 敢えて無い物ねだりをすれば、マスコミの捕鯨問題報道の分析はもう少し詳しくあってもよかったと思うが。 万葉集にも鯨が歌われているなど、読む人なりに新しい発見があることは請け合います。 詳しくは「捕鯨問題」のページで。

・服部英二『文明の交差路で考える』(講談社現代新書) 評価★★★ 6年前に出た新書だが、昨年度の新大入試問題に使われた本ということで、読んでみた。 該博な知識をもとに西欧中心的な世界史観の修正を迫る内容で、それなりに面白いが、著者の論法は実証的というよりは幾分空想的な味付けがしてあり、時としてトンデモ本すれすれという感じがする。 最後の象牙問題についての言及なども、地域ごとの象資源の違いを無視して書いているので、一昔前の進歩的知識人の域を出ていない印象。

・木佐芳男『〈戦争責任〉とは何か――清算されなかったドイツの過去』(中公新書) 評価★★★★★ 第二次大戦の処理問題をめぐって、日本国内ではしばしば、ドイツは戦争責任を認め謝罪や補償など戦後処理をきちんとやってきたという言説が語られる。 本書は、厖大な資料と精緻な考察により、その種の神話を完膚無きまでにうち砕いた、刮目すべき本である。 ドイツの「謝罪」がホロコーストに限定されており、侵略行為や民間人虐殺などには向けられてこなかったこと、むしろ「ナチス」と「普通の良きドイツ人」を分けるというトリックによって自己正当化を図ってきたこと、有名なヴァイツゼッカー大統領の演説もこの自己正当化の論理に貫かれていること、ドイツのマスコミも暗黙裡にそれに加担していること、などが、次々と暴かれてゆく。 戦後処理問題を考えるには必読の文献である。 

・本村凌二『馬の世界史』(講談社現代新書) 評価★★★ 馬は世界史的に見てどのような意義を持ちどんな使われ方をしてきたのか、古代から現代に至るまで通史的に解説した本。 馬がいなければ歴史の進展は大幅に遅れていたという著者の主張は、なかなか説得的だ。 ただ、扱う範囲が広すぎるので、ところどころやや大ざっぱになるのが惜しい。

8月

・高橋英夫『幻聴の伽藍』(小沢書店) 評価★☆ 7月末に私用で東京に行った際、神田の古本屋街でゾッキ本として定価の3分の1で売られていた独文学者の本を買ってみた。 出たのは20年近くも前だが、クラシック音楽や、ニーチェやハイデガーといった哲学者・思想家、またヨーロッパ神話についての短文を集めたもの。 エッセイ集ということになるのだろうが、率直に言って全然面白くなかった。 短文には人を楽しませる芸が必要だと思うんだが、それがない。 かといってこちらを驚嘆させる圧倒的な学識があるわけでもない。 500円だったけど、BOOKOFFで100円でもよさそう。

・斉藤晴彦『クラシック音楽自由自在』(晶文社) 評価★☆ やはり神田で買った、10年前の本。 ただしゾッキ本ではなく定価の半額ほど。 俳優によるクロウトはだしの、もとい、シロウトはだしのクラシック音楽エッセイ。 この程度の思いつきを書いていて本が出せて印税が入るなら、世の中ちょろいもんだなあ、と思いました。 ただ、最後にモーツァルトのレクイエムは駄作だ、と言っているところだけは共感しましたけど。

・鈴木淳史『クラシック批評こてんぱん』(洋泉社新書y) 評価★★ 大正から現代に至るまでのクラシック音楽評論を俎上に載せて、愛情を込めて(?)分析した本だが、あんまり切れ味は鋭くないなあ。 また、自分と世代の近い許光俊などに対しては批評の切れ味がさらに鈍るのはいかがなものか。 ちなみに、表紙と中表紙と奥付では著者名が「敦史」となっており、この大ポカを弁解した編集者の一文が小片となってはさんである。 かくも珍本となったこの第一刷を買っておけば、将来価値が上がるかもね。

・虎井まさ衛『女から男になったワタシ』(青弓社) 評価★★★★ 5年前に出た本だが、著者の名前(ペンネームである)は性転換手術を受けた人として雑誌か何かに載ったのを記憶していた。 性転換手術の体験と、幼少期から女である自分に違和感を感じていた経緯、そして性転換手術をめぐる日本と世界の事情を書いている。 タイトルは売れ線を狙った出版社の付けたもので、著者はもっとキチンとしたのを付けたかったらしい。 しかし内容は大変刺激的で真面目である。 何らかの事情で、脳は男(または女)でありながら体は女(または男)に生まれてしまうということが実際にあるのであり、そういう人は性転換手術を受けた方が幸せに生きられるのだと納得できる。 と同時に、男或いは女に生まれつくということが生きていく上ではきわめて本質的なことであり、性別は社会の押しつけで云々という単細胞的な主張がいかに間違っているかも理解できよう。 セックス(生理的性)とジェンダー(社会的性)を別物として論じるのは馬鹿馬鹿しいというのが私の持論であるが、この本はそれを余すところなく論証してくれている。 先日私用で船橋の老母宅に行った際、近くのBOOKOFFで買ったものだが、こういう本を100円で売っているのだから、首都圏のBOOKOFFはバカにならない。

・浜本隆志『ねむり姫の謎――糸つむぎ部屋の性愛史』(講談社現代新書) 評価★★★ 童話の「ねむり姫」の物語を発端に、グリム兄弟の童話がドイツ市民社会を促進するイデオロギー的側面を持っていたことを明らかにしつつ、「糸つむぎ」という仕事がヨーロッパ中世社会でどういう意味を持っていたか、また糸つむぎの部屋が農村社会でいかなる位置を占めていたかを解明した本。 近年、グリム童話研究が盛んになっているが、その流れによくも悪くも棹さした書物。 一読の価値はある。 2年前に出ているが、上記と同じBOOKOFFにて100円で購入。

・呉智英+橋爪大三郎+大月隆寛+三島浩司『オウムと近代国家』(南風社) 評価★★★☆ 5年前に出た本。 オウム真理教事件に見られる現代日本の思想状況を、評論家と社会学者と弁護士が公開討論会の場で論じ、さらに後で補足を別に付け加えて本にしたもの。 高度成長期以降大きく変質しつつある日本の社会を追求する真摯な内容である。 橋爪は多分意識しつつ戦後民主主義者の役割を引き受けているが、それを考慮に入れてもなお、アカデミックな学者の思考法の根底には欧米崇拝、と言って悪ければ、欧米を現実としてではなく理念としてしか見ない欠陥がひそんでいるような気がする。 予防拘束がデモクラシーに反するって言ってるけど、フランスじゃこれは合法なんですぜ。 フランスは反民主主義国家なのだろうか? (そうかも知れないが、橋爪は正反対のことを言っているのだ。) どう見ても呉や大月に比べて説得力に欠けるなあ。 なお三島浩司のような弁護士がこうした討論会に参加して、かなり砕けた見解を披露しているのは、なかなか面白いし、意義のあることだと思う。 新潟のBOOKOFFにて定価の半額で購入。 新潟の古本屋だって健闘しているのだ。

・坂内正『鴎外最大の悲劇』(新潮社) 評価★★★★ 文豪・鴎外は医者でもあった。 というより、東大医学部卒で陸軍の軍医であった彼は本職が医者であり、作家は副業だった。 しかし、医者としての彼は大きな誤りを犯している。 当時重大な病気であった脚気が栄養の不足(ビタミンB不足)によるものだということを否定し、陸軍の食糧改善を怠ったため、日清・日露の両戦争で陸軍は脚気による厖大な病死者を出したのである。 海軍はすでに脚気を栄養不足によるものと見て白米食を廃して麦飯を採用し、脚気患者を大幅に減らしたという実績があったにもかかわらず、である。 この本は医者・鴎外が脚気の病因に関していかに非科学的な詭弁を弄したか、その彼が陸軍内で順調に出世したのに対し、敢えて脚気栄養不足説を唱えた医師が出世コースからいかに除外されていったか、東大医学部の学者がいかに誤った説に固執していたか、などを詳細に追求した本である。 歴史小説の最後を飾る『北条霞亭』においても、鴎外は主人公の死因に脚気がからんでいることを否定するなど、過去に自分の犯した大失敗を糊塗するような振る舞いに及んでいる。 鴎外が脚気に関して誤った説に執着したこと自体は以前から指摘されていたが、これは鴎外という人物の知性そのものに大きな疑問を投げかけた、注目に値する本と言えよう。

・古森義久『日中再考』(扶桑社) 評価★★★★ 定評あるジャーナリストによる日中関係論。 「日中友好」という言葉が日本側のかけ声だけであり、中国側は日本に対して冷酷な態度をとっているという事実が次々と明らかにされていく。 日本の政治家や一部の財界人やジャーナリストが、個人的な中国偏愛の気持ちをそのまま日中関係に敷衍しようとして無理を重ねている事態は驚くほどである。 「友好」はムードだけでなくお互いを冷静に観察するところから出発すべきだという当たり前の前提を、日本人は改めて噛みしめてみるべきであろう。 なお最近議論がやかましい歴史教科諸問題についても触れられており、中国の歴史教科書の偏向ぶりが白日の下にさらされていると同時に、こうした傾向は毛沢東や周恩来など日中戦争を知る指導者の時代にはさほどではなく、むしろ1990年頃から顕著になったもので、江沢民など現政権指導部の権力掌握と歩調を合わせていることも指摘されている。

・山本夏彦『誰か「戦前」を知らないか――夏彦迷惑問答』(文春新書) 評価★★★ 今は半世紀以上も前になってしまった「戦前」の風俗について、著者が若い編集者を相手に語りおろした本。 映画はすでに終わっているとか、恋文の書き方の教本がないのはなぜかなど、意外な方面からの搦め手的語り口はまあまあ楽しめる。 好評なら「花柳界」などを含め続編を出したいとあとがきに書いているので、むしろそちらが読みたいものだ。  2年弱前に出た本をBOOKOFFにて半額で購入。

・飯田史彦『大学で何をどう学ぶか』(PHP文庫) 評価★★☆ タイトル通りの本。 類似のタイトル本に浅羽通明『大学で何を学ぶか』があるが、あれは俗物ウケするどうしようもない駄本だった。 こちらは福島大学助教授が書いているので (この人、「生きがいシリーズ」などベストセラーの著者だそうだが、私はこの本で初めて名前を知った) まあ、多少マシではある。 ただし文庫本で僅か200ページ、それも文字が大きくてゆったり組んであるので、中身はやや不足気味。 大学教師のタイプ別の傾向と対策などはもう少し親切に教えておいたほうがいいんじゃないか。 また、私より10才若い著者は大学教師になりたての頃、授業や学会の時はネクタイを着用するよう年輩の教員に注意を受けたそうだが、私は全然そういう経験をしておらず、大学によって雰囲気はだいぶ違うのだと実感しました。 もっとも福島大でも最近はジーパン・Tシャツ姿の教官が珍しくないそうなので、だんだん世の中平均化されているのかとも思うのだが、一方、茶髪の教官は新潟大にはまだいない (と思う) から、福島大の風俗の変遷は新潟大より激しいのかもしれないね。

・福田和也『悪の恋愛術』(講談社現代新書) 評価★★☆ 前著『悪の対話術』が売れたので、その続編をということで出たらしい。 たしかに前著はまあまあの内容だったが、今回はいかにも即席ででっちあげたみたいで、中身が薄い。 ただ、面白かったのは、福田が自分の出自や学生時代について語っていることだ。 福田は東京の下町に育ち、高校から慶応に入ったが、そこで 「慶応ならどんな男でもいい、という女性が世の中にはいることを初めて知った」 のだそうだ。 ふうん、そんなものですか。 日本の女もパアが多いんだなあ、と地方育ちの私は今更ながらに感動(?)しました。 また、福田の奥さんは大学時代の同級生なのだが、彼女が祖父の代から山の手育ちで、福田と結婚するにあたっては医者である父から猛反対された、というような東京の階級差の話も、興味深かった。 

・クラシック音楽向上委員会(編)『クラシックB級グルメ読本』(洋泉社) 評価★★★ 4年ほど前に出た本だが、許光俊や鈴木淳史が共同執筆していると言えば何となく中身は分かるか。 明治以降の日本で、ヨーロッパ起源のハイカルチャーとして受容されてきたクラシック音楽の脱構築を狙った、それなりに面白い書物。 なお、専門的な(?)評論家の渡辺和彦も書いていて、音楽コンクールによって優秀な音楽家が供給過剰になりつつある現状を憂いているのが印象的。 音楽だけじゃなくて、知的職業 (音楽家が知的かどうかは、この際措く) って、一般的に供給過剰になっているなあ、と嘆息する私なのでした。

・苅谷剛彦『階層化日本と教育危機――不平等再生産から意欲格差社会へ』(有信堂) 評価★★★ 日本はヨーロッパと違って階級がなく、本人の才能と努力により高い教育が受けられる (そしてそれによって立身出世ができる) 社会である――漠然と戦後の日本人が信じてきた観念が最近揺らいでいる。 佐藤俊樹『不平等社会日本』(中公新書)などにより、父の職業や学歴が子供にそのまま受け継がれる度合いが実は高いのではないか、つまりヨーロッパのような階級ではないにしろ職業や教育程度が世襲されるという意味での階層が日本にはあるのではないか、といった説が出てきているのである。 この本も基本的にその説を支持する内容で、教育学者である著者は様々な調査の積み重ねによって、戦後間もない頃に比べてここ20年ほどの日本では父母の学歴などが子供に影響する度合いが高まっていると主張している。 文部省の「ゆとり教育」への批判もある。 学術書なので、新書と違って記述がややまどろっこしく、読むのには辛抱が必要。 それと、低学歴層には勉強をバカにすることによって「自信」を保持するという心性が出てきていると著者は憂いているが、これは悪いことなんだろうか? 学校という同じ土俵で勝負して負け犬になるより、最初から戦いを放棄して自信を保つってのも、一つの処世術のような気もするんですが。 英国下層階級にそういう気風があることはP・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』でも明らかになっていることでもあるし。 こういう考え方って、いけないんでしょうか、苅谷先生?

・坪内祐三『靖国』(新潮社) 評価★★★ 小泉首相の靖国神社参拝をめぐる賛否がかまびすしかったこの夏、2年半前に出たときすぐに買ったものの積ん読になっていたこの本を思い出し、書架から取り出して読んでみた。 靖国神社の歴史が意外と新しいこと、当初は見せ物などの雑多な文化を抱擁する性格を持っていたこと、現代の「伝統」が実は比較的最近に作られた場合が多いこと (しかし、だから伝統主義はインチキだ、と著者は言ってはいない)、などなど、多方面から靖国神社にアプローチしている書物。 話がズレて坪内逍遙の知られざる小説を紹介している章があるんだが、これがまた面白かったりする。 文化の問題は政治レベルの単純な賛否では片づかないのだと納得できよう。 最近文庫化されたようである。

・姫野カオルコ『ブスのくせに!』(新潮文庫) 評価★★ 肩の凝らないエッセイ集。 女性の容姿の問題などが話題の中心。 一読して、感想は「そうだよな」「違うんじゃないか」「さあ?」が混じり合っている。 「さあ?」というのは、芸能人ネタだと、その芸能人を知らない場合は何とも言えないので、ということであります。 「違うんじゃないか」の一例を挙げると、吉沢京子、菊池桃子、古手川祐子を著者は同系統としているけど、疑問。 古手川は『細雪』の映画で四女役を演じたが、吉沢や菊池だったらまず不可能でしょう。 そしてワタシは吉沢京子は好きだったけど、菊池には何も感じないし、古手川はむしろ嫌いなほう。 女に対する好みというのは、かくも微妙で不可解なものなのであります。 なお文庫本なので最後に大塚ひかりとかいうバカ女があらずもがなの解説を書いているが、紙の無駄使いはやめて欲しい。

9月

・畑尚子『江戸奥女中物語』(講談社現代新書) 評価★★★ 江戸時代、将軍家や大名に召し抱えられた女中はどんな出自を持ちどんな暮らしをしていたのか。 側室やいわゆる大奥の実態はどんなものだったのか。 誰もが興味を抱きそうなこのテーマに挑んだのが本書だが、一口に奥女中や側室といってもその実態は千差万別だったらしく、この本は幕末近くの或る奥女中の一生を、資料をたどりながら慎重に追い、あわせて他の数例にも触れるなどしてできあがっている。 意外なことに、史家にも奥女中の暮らしの実態は案外不明の点が多いらしく、未解決の課題を著者は正直に提示している。 記述は史料を丹念に読みながら展開される学術的なもので、面白おかしさを求める向きには勧められない。 というわけで、一読、奥女中や大奥のことが明快に分かる、とは行かないが、それなりに当時の女たちの生き方が伝わってくる本ではある。

・仁賀克雄『ドラキュラ誕生』(講談社現代新書) 評価★★★ ドラキュラというのはブラム・ストーカーの小説に出てくる吸血鬼の名であるが、これはドラキュラに限らず吸血鬼に関して蘊蓄を傾けた書物である。 すなわち、歴史上の吸血鬼(とされた人物)、文学・演劇・映画・コミックに登場する吸血鬼を網羅的に紹介している。 ドラキュラのモデルとされた歴史上の人物とブラム・ストーカーに関する記述がやや詳しすぎてバランスを失してるのが欠点だが、吸血鬼に関して総合的な知識を得るにはたいへん便利な本であることは確かだ。 吸血鬼関連文献一覧も付いている。 私も、子供の頃読んだ石森章太郎の吸血鬼マンガ(これは残念ながらこの本では言及されていない)の種本が文学にあったのだと知ることができました。 6年前に出たものをBOOKOFFにて半額で購入。

・読売新聞論説委員会(編)『読売vs朝日 社説対決50年』(中公新書ラクレ) 評価★★★ 読売新聞の論説委員会が、戦後の様々な問題に関する読売新聞と朝日新聞の社説を選んで並べたもの。 井沢元彦が解説を書いている。 読売側が選んでいるので、自紙に都合の良い選択がなされている恐れが多分にあり、実際井沢によって朝日の社説はクサされ続けているのであるが、井沢も述べているように、必要なら朝日側も同じような試みをすればよいのであり、言いっぱなしの無責任ジャーナリストを根絶するためにも、この種の本はもっと出て然るべきだと思う。 なお、50年代から70年代の社説がきわめて少なく、80年代以降が多いのは残念。 確かに、遠い時代の社説は今の読み手の興味をそそらないかも知れないが、私としては他にも本が出ている歴史認識や教科書問題より、古色蒼然となった社説を読んで楽しみたいという気持ちを抑えきれなかった。

・今泉文子『ロマン主義の誕生――ノヴァーリスとイェーナの前衛たち』(平凡社) 評価★★★☆ 2年前に出た本だが、積ん読になっていたのを読んでみた。 ノヴァーリスを中心に、初期ドイツ・ロマン派の若き作家・学者・理論家たちの交際と行動を描いたもの。 難解な専門用語に頼らず、たいへん分かりやすく説得的に初期ロマン派の論客たちを紹介する著者の姿勢を評価すべきであろう。 これからドイツ・ロマン派を読んでみようと思っている人たちにお勧めできる本である。

・ベルンハルト・シュリンク『朗読者』(新潮社) 評価★★☆ 最近のドイツ文学としては珍しく各国語に訳されベストセラーになっているという小説である。 この頃のドイツ小説には興味がなくて、日本でも評判になっていると聞いても手に取る気がしなかったのだが、或る事情から読んでみた。 まあまあかな、という印象。 しかし最初の、語り手が少年時代に年上の女と関係するところにはどうもリアリティを感じない。 むしろその後の、戦後の学生運動とナチス追及に対する語り手の距離を置いた描写が面白い。 なお訳語、特にヒロインをいつも「女性」、語り手を「ぼく」とする訳し方には若干違和感を覚えた。

・宮崎哲弥『正義の見方』(洋泉社) 評価★★☆ 最近評論家として名前が売れている著者の、5年前に出た単行本第一作。 中沢新一批判だとか夫婦別姓批判などわりにワタシの趣味に合う部分と、戦争責任論だとか小泉今日子論だとか (ワタシは小泉に女としての魅力を感じたことが一度もないのです) 趣味に合わない部分とがありました。 半年ほど前に東京の古本屋で買ったもの。

・岩尾龍太郎『ロビンソン変形譚小史』(みすず書房) 評価★★★ かの有名なデフォーの『ロビンソン・クルーソー』はあまたの模倣作を生み出している。 本書はその模倣作を収集・読破して、時代や地域ごとに異なるロビンソン風物語の特色を解説するとともに、かくも変形を遂げつつ生き延びてきたロビンソン譚とは何なのかを究めようとしている。 こんなに沢山ロビンソン模倣作があったとは、と驚くこと必定。 ただ、著者の記述は、昔読んだ他の著述でも気になったのだが、ちょっと研究最先端のタームを濫用しすぎて臭みがある。 1年半前に出ているが、ワタシは最近、寺尾前通のBOOKOFFで半額にて購入。 新潟のBOOKOFFもレベルが上がってきたか?

・澤井繁男『イタリア・ルネサンス』(講談社現代新書) 評価★☆ ルネッサンスといえば誰でも名称は知っているが、その内実、特に美術以外となると案外知らないものだ。 そういう知識をキチンと与えてくれる本かと思って買ってみたのだが、失望した。 どうもこの著者の記述法、ルネッサンスについてまとまった像を結ばないのだ。 基礎的な知識を体系だって展開してくれるわけでもないし、かといってある人物やテーマを掘り下げているわけでもない。 基本的なところをまず押さえてから自分の所見を述べるという手順を踏んでいない。 話があちこち飛んで、結局何を言いたいのか分からない。 この人、少し前に自分の博士論文が京大に受理されなかったということで雑誌で京大文学部批判を展開していたが、仮に博士論文がこういう記述法で書かれていたのなら、私も受理しなかったと思うね。

・中谷彰宏『大学時代しなければならない50のこと』(PHP文庫) 評価★★★★ 先月読んだ飯田史彦の同類本と同じくPHPから出ている文庫だけど、これはかなりまともである。 あそこでクサした浅羽のゴミ本とは比べものにならないくらいインパクトがある。 無論、学生諸君は中谷氏と同じ学生生活を送る必要はないし、第一やりたくてもできないだろうが、せめてその精神は学んで欲しい。 それにしても、氏は大学の卒業アルバムに写っていないと言うけど、氏の頃は大学にも卒業アルバムってあったのかね? 今の大学は軟弱だからどこも中学並みに卒業アルバムを作っているようだが、私は氏より7歳年上なんだけど、大学には卒業アルバムなんてなかったぞ。 7年のうちに卒業アルバムが大学に入り込んだのか。 それとも氏の出た早大はサービスがよかったのか??  

・森毅『異説・数学者列伝』(ちくま学芸文庫) 評価★★☆ ワタシはこういう職業を選んでしまったけれど、生まれ変わる機会があったら理系の学問をやってみようと考えることがある。 そこで時々こういう本を手に取る。 といっても、本格的な数学史を論じた本ではなく (そうだったらワタシなんぞには歯が立たない)、といって 「数学者は変わり者が多い」 という世間の観念を肯うような内容でもなく、数学者も単なるヒト、ということを分からせようとした本、らしい。 例えば、ガロアが某学校の入試に2度失敗しているのは、一般には 「優れた知性の主が凡庸な試験官に落とされた」 とされるわけだが、著者は、「入試は知性とは無関係であり、要するにそういうものなのだ」 と断言している。 まあ、そうだろうなとは思うが、そういう当たり前のことを言われても読者の立場としては面白くない、というのも事実だ。 だから、アル中で死んだ某数学者の部屋は、食べかけの羊の肉片のこびりついた骨と、読みとれない数式を書いた紙で埋め尽くされていた、とか、美人数学者が恋の遍歴を重ねた挙げ句、美貌が衰える前に41歳で死んだとか、そういう話が書かれているとほっとするのです。 

・井上史雄『日本語は生き残れるか』(PHP新書) 評価★★★ 国際化がすすみ、英語が世界中に浸透し、日本でも英語第二公用語論が唱えられる現代、はたして日本語は将来に渡って生き残れるのか、数量言語学の立場から考察した本。 数量言語学とは、或る言語が習得しやすいか否かを、語彙数や文法や発音などの観点から数量化して判断する学問らしい。 無論、これはどの国の人間がどの外国語を習得するかにもよるわけで、欧米人が別の欧米語を習得するのは易しく日本語は難しいが、日本人は欧米語を習得するのは難しいのに朝鮮語は易しい、といった現象もあるわけだ。 各言語の細かなニュアンスといったものを切り捨てるのがその言語の「国際化」への道だというのは、まあそうなんだろうけど、そういうニュアンスが大事なブンガクをやっている当方としては、若干違和感も覚えました。

・荒木経惟『すべての女は美しい――天才アラーキーの「いいオンナ」論』(大和書房) 評価★★★★ 写真家である荒木が、写真の撮り方および被写体――特に女――について考えるところを縦横無尽に展開したエッセイ集。 タイトルにもあるように、すべての女にはそれなりの魅力があるとか、天女が男の才能を導いてくれる、など、オンナに関する卓越した洞察に満ちた本である。 ワイセツさはあるが嫌らしさや偽善性はない。 フェミ系の、「女性」なんて月世界の言葉を使って一見オンナを尊重しているようでありながら実は何も分かってないないようなアホ論考を百冊読むより、この本を一冊読めば男女間のことはよく分かるんじゃないかと思うぞ。 船橋のBOOKOFFにて半額で購入。

・山内志朗『ぎりぎり合格への論文マニュアル』(平凡社新書) 評価★★★★ 論文ってどう書いていいのか分からない、そんな大学生のために、新潟大学人文学部教授の山内先生が論文作成法を指南した本である。 前半は特にユーモラスで面白いので、冗談半分本気半分で読んでおいたほうがよい。 後半はやや細かい規則が列挙されていて、全部守ろうとするとノイローゼになる恐れがあるから、読んだあといったん忘れて必要に応じて参照するのがよいと思う。 論文の評価には日本語表現能力も含まれるというような真っ当な指摘もある (日本語表現なんてどうでもいい、という大学教師も昨今はいないではないので、貴重であろう)。 なおこの本、私は山内先生から献呈された、つまりタダでもらったので、そのせいで評価に★が一つくらい多めに付いたのではないか、なんて疑いはなるべく抱かないように。

・ナンシー・エトコフ『なぜ美人ばかりが得をするのか』(草思社) 評価★★★ 世のふつうの男と変わらず、ワタシも美人には弱い。 そこでこういうタイトルのベストセラーが本屋に山積みされているのを見て気になってはいたのだが、通俗心理学の本は好きではないのと、持ち前のヘソマガリ根性とのために、買うのはためらっていた。 しかし船橋のBOOKOFFに100円で出ていたので、ついに買ってしまった。 まあ、フェミニズムに冒されていないフツーの人間が何となく知っていることを多少学問的に裏付けしたに過ぎないようなところも多いが、美女や美男に関する話ってのは読んでいてそれなりに楽しいので、時間つぶしには悪くない、と言っておきやしょう。

10月

・ピエール・ブリュデュー『市場独裁主義批判』(藤原書店) 評価★★★☆ フランスの著名な社会学者が、市場に任せておけば何でもうまく機能するとか、政府の介入を極小にして民間活力を利用しようだとかいう言説を批判した本。 アメリカ起源のいわゆるグローバル化を、「ある種の普遍主義は、影響力を拡大するために普遍性を掲げるナショナリズムに他ならない」 と喝破して、新しい経済自由主義とはアメリカ資本による世界戦略のためのイデオロギーなのだと力説している。 そしてグローバル化の被害者である労働者のために今こそ知識人が役割を果たすべきであること、また国家も米国主導のグローバル化への防波堤としての意味を持つので反国家主義にも用心しなければならないことを説いている。 ヨーロッパではこういった主張が結構認められているようだが、日本では知識人があいかわらず反国家主義こそがユートピアにつながるといった幻想から解き放たれていないので、かえって米国主導の新経済自由主義に太刀打ちできていないのだなと考えさせられた。 なお、知識人の役割についてのブリュデューの主張は、本文だけ読んでいると一昔前のサルトルのそれを反省なく繰り返しているように見えなくもないので、訳者・加藤晴久氏の丁寧な解説をあらかじめ読んでおいた方がいいだろう。

・岡崎勝世『聖書vs.世界史――キリスト教的歴史観とは何か』(講談社現代新書) 評価★★★★☆ キリスト教聖書に依拠しつつ、アダムとエヴァが生まれたのは今から何年前かを真面目に推測しようとした歴史家たち。 そうした学者がヨーロッパに存在したのは、実はそれほど昔のことではない。 本書は、聖書に強く規制されつつ「普遍史」を記述しようとしてきたヨーロッパの歴史家たちの歩みを分かりやすく説明した本である。 現在使われている西暦が18世紀になってようやく一般に用いられるようになったものであること、エジプトや中国などヘブライより古い地域の歴史も聖書の枠内で解釈しようとする歴史家たちの苦肉の策、ニュートンもこの聖書に依拠した歴史記述家の一人であり、なおかつ異端の(三位一体説を認めない)アリウス派でもあったこと、こうした思考法がヴォルテールを代表とする啓蒙思想家により打ち破られるが、啓蒙思想家はその一方で 「ヨーロッパ=進歩、アジア=停滞」 という新たな偏見を持ち込んだこと、などなど、たいへん刺激的で面白い。 5年前に出ているが、私は船橋のBOOKOFFにて半額で購入。 

・坂本多加雄『国家学のすすめ』(ちくま新書) 評価★★★★ 「国家」という言葉は、とかく「市民」だとか「民衆」だとかいう言葉の反対概念とされ、「抑圧」と結びつけられやすい。 しかし考えてみれば「自由」や「人権」を保証してくれるのは国家以外の何物でもない。 国家のない空間とはアナーキーな場所であり、「人権」を守ろうとするなら自分の力を恃みにするしかないからだ。 日本ではなぜか学問の世界ですら真面目に国家について検討しようとする人が少ないという現状をふまえ、政治学者である著者はこうした日本戦後空間にひそむ歪みを指摘しつつ、国家概念を種々の側面から考えていこうとする。 まことに注目すべき試みであろう。 最後に日本の歴史が概観されているが、明治以降の日本が古代の律令制の精神を受け継いでいるという指摘が面白かった。

・佐伯彰一『回想――私の出会った作家たち』(文芸春秋) 評価★★★ 英文学者で文芸評論家でもある著者が、小林秀雄、中村光夫、三島由紀夫、円地文子など、交際のあった批評家や作家たちを回想した本。 戦後の文壇や文学に興味のある人には一読の価値があると思う。 私個人としては、伊藤整『若い詩人の肖像』に出てくる小樽高商の外国人教師マッキノンとその息子がたどった運命が記されているのが興味深かった。

・西尾幹二+池田俊二『自由と宿命――西尾幹二との対話』(洋泉社新書y) 評価★★★ 西尾幹二と、彼に私淑している池田との対談集。 といっても、池田は黒子に近い存在に徹して西尾の人間観・ニーチェ観を引き出すことに努めている。 西尾の本を多く読んでいる私には必ずしも目新しい内容ではなかったが、これから西尾の著作に入っていこうとする人には入門書としていいかも知れない。

・アルベール・メンミ『人種差別』(法政大学出版局) 評価★★ 後期の授業で「人種差別」を取り上げている関連から読んでみたのだが、あまり教えられるところはなかった。 歴史的・網羅的に人種差別を列挙・整理しているわけではなく、かといって自分の体験を鮮烈に描いているわけでも、解決策を具体的に提示しているわけでもない。 中途半端で、ありきたりのことしか書いていない。 わざわざ訳して出版するほどの価値があるかどうか疑問。 ただ、チュニスで貧しいユダヤ人を父として生まれながら、学業優秀でパリ大学まで進んだフランス語作家としての著者の、植民地問題との複雑な関わりを説明した訳者解説はちょっと面白い。 戦後のフランス左翼知識人が階級闘争至上主義で、植民地の差別に無関心どころか、反植民地主義に対して反動的なまでに敵対的だったという指摘もある。 

・竹内洋『大学という病――東大紛擾と教授群像』(中央公論社) 評価★★★★ 戦前の東京大学経済学部を舞台に、マルクス経済学教授と自由主義経済学教授の対立、文部省の人事介入、大学側の対応などなどを描いた、たいへん面白い読み物である。 よくこれだけ細かいところまで調べられたと思うほど。 戦前の帝大教授の意外な薄給や、ジャーナリズムとアカデミズムとの関係、人気教授と不人気教授など、今日の大学にも通じる諸事情は、色々な意味で参考になる。

・荒俣宏『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書) 評価★★☆ 現在ではほとんど読まれなくなっているプロレタリア文学を、頑張って面白く読もうとしているのだけれど、どうもタイトルや章見出しが仰々しい割には、紹介されている作品はそれほど面白くは感じられないのだ。 どちらかというと、葉山嘉樹のように、プロレタリア作家の波瀾万丈な生きざまを紹介してくれた方が、興味深い本になっていたのでは。

・小林章夫『漱石の「不愉快」』(PHP新書) 評価★★★ 漱石の『文学論』と『文学評論』の相違に注目しつつ、英文学への漱石の違和感を解明しようとした本。 漱石留学当時の英国の歴史的背景を考慮しながら、英文学のどの部分に漱石が興味を惹かれたかへの言及が読ませどころである。

・平田オリザ『芸術立国論』(集英社新書) 評価★☆ 演劇活動で著名な平田が、これからの日本は芸術を基盤として国を作って行くべきだと論じた本。 演劇をあまり見ない私は、演劇人としての平田の実力がどの程度のものなのかよく分からない。 しかし、この本を読む限り、思考力という点で平田の能力はかなり劣ると断ぜざるを得ない。 若干例を挙げる。 前書きで平田は、ナチは芸術をプロパガンダに利用したと書いているが、果たしてその程度の認識でいいのか。 ナチは芸術家の集団であり、彼らの行為は芸術を利用したのではなく、一種の芸術行為であったのではないか。 次に、「フランス産、ドイツ産などというワインの分類はあり得ない。まして、日本産の日本酒などという呼び方はナンセンスだ。 ボルドー、モーゼル、灘、伏見といった地域、或いはその個別の銘柄だけが価値を持つのだ」 などとのたもうているが(59ページ)、果たしてそうだろうか。 日本酒は日本独自の酒である以上、日本産と言って何が悪いのだろう。 或いは逆に、モーゼルと言っても個別的な銘柄は勿論、年によって出来が違うのだから、産地や銘柄を云々するのもナンセンスということになるのではないか。 以上はほんの二例だが、随所にこの程度の、思考力の欠如を示す言説が見られるのであり、一人の人間において運動神経と頭の回転が比例しないように、演劇的才能と思考力も相反するのかも知れないなと実感させられたことであった。 これからの時代は表現行為が大事だという平田の主張は、何よりこの本によって彼自身に関して反駁されてしまっている。

・永江朗『批評の事情――不良のための論壇案内』(原書房) 評価★★☆ 現在ジャーナリズムなどで活躍している批評家・評論家を網羅的に分かりやすく紹介した本。 基本的に1990年代にデビューまたはブレイクという人たちを対象とし、もう少し古い顔ぶれにも付随的に触れている。 私の読後感を言うと、ビジュアル系やオタク系については教えられるところが多かったが、思想系については物足りない、或いは違うんじゃないかと思うところが多かった。 その理由は簡単で、この人はサヨクだからである。 左翼ではない。 昔日の左翼が政治的思想的に有効性を失ったあと、気分的に反日・反体制的言説をサブカルにまぶして振りまいているのがサヨクである。 サヨクは一見すると昔の左翼の教条主義的なところは脱していて、それなりにバランスのとれた見方をも示すことがある。 この本でも、浅羽通明への批判や、小浜逸郎と芹沢俊介を比較して後者は影が薄いとするところなど、私も同感であった。 しかしサヨクは単なるバランス感覚で動いているので、肝心の所で思考力のなさを露呈してしまう。 昔日の左翼がなぜ有効でなくなったかをきちんと考えておらず、気分でサブカル乗りをやっているに過ぎないからだ。 その弱みは、小浜や浅田彰はもとより、吉本隆明や柄谷行人などの古株にも言及しながら、なぜか呉智英の名が一度も出てこないあたりに端的に現れている。 この人、1958年生まれだから私より6才下だが、出身地の北海道から東京の法政大に入って学生運動をやっていたというから、かなりアナクロ的な人間だったのだろう。 その割にものを考えていないのは、能力に限界があるからかなあ。 小林よしのり批判をやるにしても「歴史修正主義者」なんてタームを使うようじゃダメ。 これでは一昔前の左翼が誰かを「ブルジョワ」呼ばわりすれば有効な批判と思っていたのと同じレベルだぜ。 もう少し勉強せいよ。

・西尾幹二『歴史と科学――日本史を歩く』(PHP新書) 評価★★★ 『国民の歴史』で話題となった西尾が、個々の史実ではなく、歴史に対する見方を原論的に考察・展開した本。 砂漠の文明であるヨーロッパ的な見方で森林の国・日本を測ることに対する疑問、史料の裏を読もうとしない史学者への批判など、広い視野を持つ文明評論家の立場から史学界に注文をつけている。 私の見るところ、史学界というのは文系の中でも特に縄張り意識が強く、学外からの批判にちゃんと反応しない傾向があるようだが、史学者は西尾の疑問に正面から答えるべきであろう。 さもないと最近考古学が陥っているような惨状を呈しかねないと、私は本気で心配している。

・小池滋『「坊っちゃん」はなぜ市電の技術者になったか――日本文学の中の鉄道をめぐる8つの謎』(早川書房) 評価★★ 鉄道マニアとしても知られる英文学者が、明治から昭和初期にかけての日本文学を俎上に載せて、その鉄道描写と作品の内実との関わりを論じた本。 表題のように、漱石の『坊っちゃん』の主人公が最後に「街鉄の技手」になるとはどういうことだったのか、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる鉄道とは軽便鉄道だったのか、など、8つの疑問に答えようとしている。 私も、鉄道マニアではないが鉄道に乗ったり見たりするのは好きな方なので、面白そうに思えたのだが、案外つまらなかった。 鉄道に関する細かい記述が多く、肝心の文学作品との関わりは「謎を解く」というほどの斬新な発想がなされていないからだ。 文学マニアではなく鉄道マニア向けの本である。

・立花隆『東大生はバカになったか――知的亡国論+現代教養論』(文芸春秋) 評価★★★☆ ジャーナリストの立花隆が雑誌『文芸春秋』に掲載した文章に加筆して出来上がった本。 東大生は教養がない、また東大の教師も同然だという挑発的な発言は一読の価値あり。 ここで氏は日本の大学教育の知的レベル低下に警鐘を鳴らすと同時に、大学における教養教育の必要性を力説している。 氏が東大で実際に授業を受け持った際に学生に提出させたレポートのうち、出来の悪いのが収録されているが、これが抱腹絶倒。 いくらデキないといっても東大生のはずだが、誤字脱字だらけで論理のハチャメチャなレポートの数々を読むと、憂慮の念を通り越して憂国の情すら湧いてきてしまうのだ・・・・・・ううむ。

11月

・小谷野敦『片思いの発見』(新潮社) 評価★★★ 『もてない男』以来、タテマエ論的な恋愛論やフェミニズムを批判している著者の新著だが、タイトルから想像するのとはちょっと違って、近代文学における恋愛の扱われ方を総合的に論じており、その中に片思い論も出てくるのである。 面白い本ではあるが、焦点がやや広すぎて読後の印象にはいくぶん散漫な味が残る。

・小谷野敦『恋愛の超克』(角川書店) 評価★★★☆ 小谷野が一年前に出した本を上記の本に続けて読んでみた。 こちらの方がはっきり物を言っているし、また引用している学者・評論家への小谷野自身のつけたコメントもなかなかに面白くて、楽しんで読めた。 恋愛は誰にでもできるものではない(片思いは誰にでもできるが)、という自説を展開している。

・鈴木真哉『謎解き日本合戦史――日本人はどう戦ってきたか』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 江戸時代までの日本で、戦いというものがどのように行われてきたかを分かりやすく解説し、一般の思い込みを是正しようとした本。 一般に武士は日本刀で渡り合うといったイメージがあるが、これは誤りで、実際は鉄砲導入以前は弓矢による、そして鉄砲が入ってきてからは鉄砲による遠方からの戦いが主流であったということ、近距離で戦う場合も日本刀より槍が有用であったこと、鉄砲を重用したのが織田信長の先見の明だったというのはウソだということ、日本刀は倒した敵の首を取る場合にしか使えなかったこと、などなどを論証している。 それが江戸時代の長い平和でかえって戦いのリアリズムが遠のき、日本刀こそが武士の精神に叶うかのようなことが言われ出し、明治以降では第一次大戦に本格的に参加しなかったことでその手の精神主義が台頭してアナクロニズムに陥ったということらしい。 そのような戦場リアリズムの欠如は、戦後の「外国が攻めてきたら抵抗せずに秩序を以て占領されよう」というような非武装論に(一見正反対のようでいて)つながっていると喝破しているところも鋭い。 

・呉智英『ホントの話』(小学館) 評価★★★ 評論家・呉智英の最新単行本。 といっても雑誌等に掲載した文章をまとめたものであり、またこの人の言っていることは基本的に昔から変わっていないので、私としてはさほど新鮮味はなかったが、彼の本を(あまり)読んでいない人には面白かろうと思う。 中国を「支那」(これ、ワープロ変換で出ないね)というのは差別語ではない、「第三国人」という言葉の本当の意味、など、とくにマスコミに流通している「常識」を批判しているところが、いつもながらの彼の本領。 

・管野聡美『消費される恋愛論』(青弓社) 評価★★★ 大正時代を中心として、日本の作家や思想家が恋愛と結婚をどう捉えていたかを論じた本。 一世を風靡した厨川白村の恋愛論を初めとして、大戦前の日本人の恋愛観・結婚観はなかなかに面白い。 当時流行していた心中にかんする考察も貴重。 著者の視線はおおむね公平だが、最後のあたりで女性の恋愛論と現代社会のつながりに言及するあたりで、ややナウい価値観に傾斜しすぎている(政府は未婚の母を支援せよ、などなど)のが、馬脚という感じを与えないでもない。

・竹内洋+中公新書ラクレ編集部(編)『論争・東大崩壊』(中公新書ラクレ) 評価★★☆ 中公新書ラクレの「論争」シリーズの最新刊。 東大に関する最近の各種議論を集めたものだが、私としては他の機会に読んだ文章や主張が多く、あまり新鮮味を感じなかった。 東大内部の(教師や学生の)声をもっと聞きたいと思う。 隔靴掻痒で、ことの本質がもう一つ見えてこない感じがする。 しかし、橋本治が『知の技法』をホメたりしているのは、意外! というかツマンネエ。

・谷沢永一+渡部昇一『広辞苑の嘘』(光文社) 評価★★★ 有名な国語辞典である広辞苑の誤りやイデオロギー的偏向を批判した本。 確かに呆れるような誤りや偏向も多いが、叙述に著者二人の臭みがやや強すぎる感じがある。 もう少しsachlichにやった方が、かえって敵(?)に与えるダメージは大きいんじゃないか。 何分冊もある百科事典でない以上スペースの関係でこんなには入れられないだろうというような無理難題的な注文も目立つ。 なお、「すべからく」の誤用(谷沢)や、「日本は平壌と台北に帝大を作った」(正しくは京城〔ソウル〕と台北)というような誤記(渡部)もある。 五十歩百歩と言われないように注意しようね。

・ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』(白水社) 評価★★ 現役英国作家が15年ほど前に発表した小説。 主人公の医師が著名なフランス作家フロベールについて調査するというのが一応の筋書きだが、フロベールについてのエッセイ風小説と言うべきだろう。 必要があって読んだのだが、必要から読む小説は面白く感じられないということを割り引いても、やっぱり面白さが僅少の作品と評さざるを得ない。

・クリストファー・ソ−ン『太平洋戦争における人種問題』(草思社) 評価★★★ 授業での必要性から読んだ本だが、タイトル通り、先の戦争における人種問題を手際よくまとめている。 日本の緒戦における勝利が有色人種に自信を与え、それが大戦後急激に植民地独立運動につながっていく様が説得的に描写されていて、一読の価値あり。

・鈴木雄雅『大学生の常識』(新潮社) 評価★★ 大学教授の生活と現代学生気質を書いた、上智大学教授の本。 新聞学科という、マスコミ関係で流行の(?)セクションにいるせいか、かなりご多忙な様子。 最近の学生気質はどの大学でも同じなんだなあとは思ったが、知っていることを再確認したというだけで、内容的にはさほど新鮮味がない。 それと、国立大に対する批判が散発的に出てくるが、私大教授のこの種のルサンチマンは失礼ながらみっともないだけである。 (私大でも大学によって色々な違いがあるはずだが、なぜか他私大を批判した箇所は皆無。) さすが私大教授は国立大と違って発想が自由で味があるなあ、と感心するような本を出して下さいな。

・岡崎玲子『レイコ@チョート校――アメリカ東部名門プレップスクールの16歳』(集英社新書) 評価★★★  著者は16歳で、副題にあるようにアメリカ東部の名門プレップスクールに学んでいる。 プレップスクールとは、preparatory schoolの略称で、一流大学に進学準備をするための名門中・高等学校のこと。 著者は小学校6年生で英検一級を取得し、日本の公立中学2年生の時に国連英検特A級をとったというから、大変な能力の主である。 しかし、小さい時分にアメリカや中国で暮らす機会があり、また日本に帰ってからもアメリカの通信教育によって英語の勉強を続けたというから、才能、恵まれた環境、そして絶えざる努力の三拍子が揃った人なのであろう。 その著者が、全米でも三指に入るという名門校に入学し、1年間を過ごした記録が本書である。 米国の私立エリート高校でどのような教育が行われているか、またそこで日本人の女生徒がどんな体験をしたか、非常に興味深く読み進むことができる。 特に歴史の授業で、第一次大戦後のパリ講和会議の各国代表に生徒を指名し、シミュレーションでベルサイユ条約を結ぶ会議をやらせるというのがスゴイ。 会議までの史実は変えないという条件付きで、である。 日本では大学でもこのレベルの授業はやっていないと思う。 日本の大学生よ、アメリカの高校生に負けないよう勉強しようね。

・加地伸行『〈教養〉は死んだか――日本人の古典・道徳・宗教』(PHP新書) 評価★★☆ まとまりのない本だ。 章ごとにテーマが違っており、北東アジアの古典観、漢文の意義、丸山真男批判、通俗道徳を復活せよとの主張、大学組織に関する提言、などなど。 私としては、通俗道徳に関する主張にちょっと面白みを感じたけど。 つまり欧米人のように「すべての人を愛せよ」というような抽象的で漠然としたモラルは日本人には合わないから、むしろ家族を大事にしろというような身近なところから道徳に入っていった方が社会性が身に付く、というのが著者の意見なんだね。

・東浩紀『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』(講談社現代新書) 評価★★★☆ 1990年以降のオタクとオタク文化について論じた本。 特に最近のパソコンゲームと、そこから派生している小説について、コジェーヴの「動物化」という概念を借りて、大きな物語が通用した1970年頃までとは勿論、80年代頃のオタク世代とも異質な現代を、理路整然と明快に解き明かしている。 ただ、最後に論じているテレビゲームと多重人格の並置は、やや「もっともらしすぎる」といった印象を受けたけれど。 著者は『存在論的、郵便的』(私は買ったけど未読)で一躍名を売った若手哲学者(現在30歳)だが、生硬な概念を使わずたいへん分かりやすい説明をするのに感心した。 でもあとがきによると、オタクを論じるには30歳でも「旧世代」で、「若い友人」の助力をかなり得たそうな。 とすると49歳の私などはさしずめ「生きた化石」か。

12月

・吉屋信子『毬子』(ポプラ社) 評価★★★ 吉屋信子の少女小説を一度読んでみたいと思いながら果たさないできた。 先日上京して古本屋街をぶらついていたら、店頭の百円均一本としてこれが出ていたので、買ってみた。 昭和11年頃発表の作品。 関東大震災で母親が死んでしまった毬子が、善意のフランス女性エルザに育てられながら、エルザが帰仏するにさいして養子を欲しいと称する男に引き渡される.。 しかしこの男が悪人で毬子を芸者屋に売り飛ばしてしまい・・・・・・といった波瀾万丈のお話。 最後はフランスから帰国した画家の実父に救われるんだが、このフランス趣味がたまりませんなあ。

・色麻力夫『国際連合という神話』(PHP新書) 評価★★★☆ 国際連合というのは、ある種に人たちにとってはかなり崇高に見える存在である。 が、その内実は多分に問題を含んでおり、国際連盟同様の失敗作だという評価もあるのだ。 この本は、国連の限界や矛盾などを余すところなくえぐり出し、幻想を捨てて国際社会を見つめるよう訴えかけている。 国連大学というのが、日本のみの拠出金によって作られた無用のシロモノだということも、私はこの本で初めて知りました。

・保阪正康『医学部残酷物語』(中公新書ラクレ) 評価★★☆ 現代の医学部が抱える問題点を扱った本だが、ジャーナリストである著者は昔医学部について本を出しており、そのせいか「昔私の本で書いたのだが・・・・」式の言い回しが多い。 これはよろしくない。 あくまでこの本で完結的に書いてくれないと。 また、著者も書いているが、医学部の実態は昔と変わっていないようで、山崎豊子『白い巨塔』を読んだ方が面白いし問題点がよく分かるのではないか、と思ってしまいました。

・ネイハム・N・グレイツァー『カフカの恋人たち』(朝日新聞社) 評価★★☆ タイトル通りの本。 チェコのドイツ語作家カフカの女性遍歴を扱っている。 昔読んだのだが、必要があって読み返してみた。 あまり奇をてらわない正統的なアプローチをしているのだけれど、それだけにもう少し物の見方に切れ味がほしいな、と無い物ねだりをしたくなってしまうのである。

・大澤武男『ユダヤ人とローマ帝国』(講談社現代新書) 評価★★★ ユダヤ人虐殺というとナチのそれがすぐに思い浮かぶが、ユダヤ人迫害は別段彼らの専売特許ではなく、古代から連綿と続いてきた。 キリスト教成立によって、イエスを十字架にかけた責任はユダヤ人全体にありというような倒錯した論理ができあがってくるのだが、実はそれ以前からユダヤ教徒は周囲から異質なものとされ迫害されやすかったということが、明快な筆致で説明されている。 ローマ帝国の意外に寛容なユダヤ人政策と、次第に反ユダヤ色を強めていくキリスト教徒側の対比が面白い。

・佐々木健一『タイトルの魔力――作品・人名・商品のなまえ学』(中公新書) 評価★★ 副題からは広くなまえ(またはタイトル)一般について考察したもののように見えるが、著者は美学専攻の学者なので、芸術作品のタイトルを主として論じている。 このようなテーマ設定は今までになかったのだそうで、科研費的に言うなら「萌芽的研究」ということになるのだろうけれど、そのせいか、読んでみてさほど面白いとは思わなかった。 本のタイトルから私が期待していたことと著者の問題意識がずれているためもあろうが、記述法がややくどく、もう少し簡潔に言えるのではないかと感じられる箇所がかなりある。 300ページあるから新書としては厚い方だけれど、この3分の2でも同じことが言えそう。 芸術作品は古来、必ずしもタイトルを伴うものではなかった、というあたりを押さえればこの本は読み終わったも同然。 なお、ヴァイオリンについて、ストラディヴァリなど作者の名が付いているだけで固有の名はないと書いているが(237ページ)、そうでしょうか?

・八木秀次『反「人権」宣言』(ちくま新書) 評価★★★ 少年による凶悪な犯罪の増加や、男女の性差を否定する「男女共同参画」法を批判しつつ、いわゆる「人権」なる概念が決して人間本意の恣意性をもとにして考えられたのではないという原理論的考察を進めた本である。 タイトルは人によっては過激と思われるかも知れないが、内容は非常にまっとうで整然と論を展開しており、「人権」という概念を問い直す契機として有用である。 ただ、スウェーデンの内実や男女の性差に関してはやや資料不足の感もあるので、今後その方面のリサーチを強化して、より説得的な本を出して欲しい。

・遠山美都男『白村江――古代東アジア大戦の謎』(講談社現代新書) 評価★★★ 4年前に出た新書をBOOKOFFにて半額購入。 西暦663年に朝鮮半島で、倭(日本)と百済の連合水軍が唐と新羅の連合水軍に大敗した有名な事件を、そこにいたるまでの歴史的経緯とともに、史料をベースにしつつ一部推測による小説的な描写も加えて活写した本である。 最後に、この「敗戦」で倭における国内改革が始まり、倭が日本に生まれ変わったという通説を批判しているのが注目される。

・エリアス・カネッティ『もう一つの審判――カフカの「フェリーツェへの手紙」』(法政大学出版局) 評価★★★ 必要から読んだのだが、カフカ論として、作家ならではの鋭さに裏打ちされたすぐれた洞察に満ちた優れた本である。 カフカが二度婚約して二度破棄したフェリーツェとの関係、彼女の女友達との三角関係、そして手紙を書くことと女性関係ならびに作品執筆との奇妙なつながりなど、凡百のカフカ論とは違った地平からこの作家の秘密に迫っている。 訳はもう少しうまくできないかなとも思うが。

・ポール・ゴードン・ローレン『国家と人種偏見』(TBSブリタニカ) 評価★★★★☆ 授業で読んだものであるが、奴隷貿易の頃から始まって、第二次大戦後にアジア・アフリカの植民地が独立して南アフリカの人種差別政策が是正されるまでの、人種差別の歴史をたどった、注を入れて500頁に及ぶ本である。 白人による帝国主義時代や両大戦期における偏見がメインだが、一般に被害者とされることが多いユダヤ人もアラブ人を差別しているという視点や、人種差別撤廃において日本が果たした役割など、さまざまな方面に目配りがきいた良書と言える。

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