『ワーグナー さまよえるオランダ人』(音楽之友社「名作オペラブックス・シリーズ」、1993年第2刷)

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【付記: 2004年4月28日、或る方からの指摘に基づき、訳と原文の綴りを一部修正いたしました。 詳細は、『プッチーニ ボエーム』の欠陥翻訳についての箇所をごらん下さい。】

 

 以下は、当初『nemo』に掲載する予定で書いたのですが、原稿量の関係で収録することができず、ここに初掲載するものです。

 前回はオペラ本を取り上げて、音楽之友社から出ている 「名作オペラブックス」 シリーズ中の 『プッチーニ ボエーム』 の欠陥翻訳ぶりを指摘しました。 実はその掲載誌を音楽之友社に送付しておいたのです。善処を求むという手紙を添えて。 しかし、梨のつぶてでした。 日本の出版社って、やはりこの程度なんでしょうか。 欠陥商品を堂々流通させておいて、それを指摘されても全然恥じる気配もない。 全く、厚顔無恥とはこのことです。

  それなら、というわけでもないのですが、今回も引き続き 「名作オペラブックス」 シリーズの本を取り上げることにしました。 だいたい、シリーズ物ってのは企画がちゃんとしているかどうかで出来具合いが決まるわけで、一つ欠陥翻訳があるってことは二つ三つとあるのじゃないかという疑いが濃厚になる。 ゴキブリを一匹見たら二匹三匹いると疑ってかかるべきであるように……。

 今回のゴキブリ、いや欠陥翻訳本は、『ワーグナー さまよえるオランダ人』 です。訳本は1988年初版だけれど、当方の見たのは93年の第2刷。 原書は、Richard Wagner: Der fliegende Hollaender. Texte・Materialien・Kommentare. Mit einem Essay von Isolde Vetter. rororo 1982。

 ■で訳文 (誤訳)、□で原文、(試訳) で私の考える訳を示します。

 

 最初のイゾルデ・フェッターの解説から見て行きましょう。まず書き出し。

■リヒャルト・ワーグナーの 《さまよえるオランダ人》 では、愛の主題を問題にしていると一般に考えられている。 つまり、恋仇に邪魔されるけれど、最後に船はたぶん座礁してオランダ人は超人間的な大きさまで高められはするが、けっきょくは愛の主題、つまりゼンタとオランダ人の間の愛を問題としている。(9頁)

 2番目の文章、よく分かりませんね。 「恋仇に邪魔されるけれど」 の文、どこにかかるのかな? それに「船はたぶん座礁」? オペラの筋書きが 「たぶん」 でいいんですか?

□Man hat gemeinhin angenommen, dass es sich in Richard Wagners 〈Fliegendem Hollaender〉 um das Thema der Liebe handle, der durch einen Nebenbuhler gestoerten zwar, der letztendlich scheiternden vielleicht, der zu uebermenschlicher Groesse erhoehten gar, aber eben doch um das Thema der Liebe, der Liebe zwischen Senta und dem Hollaender.

 scheiternd(en)を文字どおりに「船の座礁」ととるからおかしいので、ここでは単に物事の失敗・挫折のことでしょう。

(試訳) リヒャルト・ワーグナーの 《さまよえるオランダ人》 のテーマは愛であると、これまで一般には信じられてきた。 恋仇に邪魔され、あやうく成就し損ね、最後には超人的なものにまで高められる愛、要するにゼンタとオランダ人との愛が、テーマなのだと思われてきた。

 続けて、

■しかし、そのことは、それが人間存在のもうひとつの、そしてより深い所まで達している基本テーマであり、その基本テーマはオペラの中に表されていて、たぶんそのことがこの作品の魅力を今日まで形作っていることを暗示しているといえよう。(9頁)

 最初の 「そのこと」 って何を指すの? オペラのテーマが愛だってことですか? とするとこの文、同語反復的で変じゃないですか?

□Es deutet jedoch vieles darauf hin, dass es ein anderes noch tiefer zurueckreichendes Grundthema menschlicher Existenz ist, das in der Oper seinen Ausdruck findet und das ― so ist anzunehmen ― die Anziehungskraft des Stueckes bis auf den heutigen Tag ausmacht.

 初等文法の講義みたいで嫌みだけど、最初のEsは形式主語で、実際の主語はvielesなのです。

(試訳) しかしそれとは別に、人間存在の深奥にまで達する根本的なテーマがあることを、作中の多くが物語っている。 このテーマがオペラの中で表現されているからこそ、今日まで変わらぬ魅力がこの作品に備わったのだと考えられる。

 さて、それから筋書きをたどりながら根本的なテーマが何かを筆者は説明しようとします。 ゼンタの父親は男性優位社会に生きる上昇志向の人間だが自分自身の出世は道半ばまでしか実現しなかった、それで本来は跡継ぎの息子が欲しかったのだが、娘しか生まれなかった、と述べた後、

■ゼンタは女性として生まれ、世間で通用している支配秩序や性の序列に従うのではなく、せいぜい男性の補助役として父親の大きな夢を実現できるだろうという両親の期待をになっていた。 それはいやなことだったし、とくにそんなことはぶちこわさなければならなかった。 従ってゼンタは自立的な自我を獲得することはできず、彼女を先頭に立てた、それでいて彼女には実行できない大きな夢の背後に、強い劣等感を持たざるを得なかった。(12〜13頁)

 原文を見なくても論理が滅茶苦茶なのは分かりますね。 ゼンタは自立的な女性なんでしょうか、違うんでしょうか。

□Traeger elternlicher Delegationen zu sein ist immer misslich, musste hier jedoch besonders zerstoererisch wirken, da Senta, als Frau geboren, die Groessenphantasien ihres Vaters nach der geltenden Herrschaft- und Geschlechtsordnung niemals selbst, sondern hoechstens als Hilfsfigur des eigentlich gemeinten Mannes wuerde verwirklichen koennen. Senta konnte daher kein eigenes, unabhaengiges Selbst erwerben, sondern musste als Kehrseite der ihr delegierten, fuer sie aber unerfuellbaren Groessenphantasien starke Minderwertigkeitsvorstellungen entwickeln.

(試訳)両親の期待を担うのは誰しも嫌なものだが、とりわけこの場合は残酷なまでにつらいものとならざるを得なかった。 というのもゼンタは女であり、支配的な社会秩序と性秩序に従うなら、自分自身の力でではなく、たかだか望ましい男を助けるという形でしか父親の大きな夢を叶えることはできないと思われたからである。 従ってゼンタは独立不覊の自我を獲得することはできず、託されはしても自力では実現できない大きな夢の陰のような存在である自分に、強い劣等感を覚えずにはいられなかった。

 その少し先でオランダ人の話になります。 彼の性格や経歴は作中から直接的には分からないと述べて、

■というのは、オランダ人はその本来の親しい、社会的な環境の中ではわれわれと対立するようなところはないからである。(15頁)

□da uns der Hollaender nicht in seinem angestammten familiaeren und sozialen Umfeld entgegentritt.

(試訳) というのは、オランダ人は、彼が祖先来受け継いだ家庭的社会的環境を描かれぬままに登場するからだ。

 それから、オランダ人が絶え間なく海を彷徨しているのは失われた母との一体感を求めているのだ、海は羊水、波は女陰につながるとフロイト的解釈を下して (これは翻訳とは関係ないけど、こういう解釈って安易な気がしますね) から、こういう男の相手となる女性はどういう人間でなければならないかと問うて、

■オランダ人が満足するような関係を持つ人間というのは、まさに超人的な特性を意のままに処理できなければならないばかりではなく、(…)他方では、この理想化を妨げかねないような特徴をまったく持っていないかもしれない。自分の願望や要求を持つ人とは彼女は考えられていないので、ただ彼女がナルシシズム的対象、すなわち自己のナルシシズム的欠陥を補う働きをすることができるならば、話は別である。(18頁)

□Eine dem Hollaender genuegende Beziehungsperson muss zum einen nicht nur ueber geradezu uebermenschliche Eigenschaften verfuegen(…),sondern darf zum anderen auch keine persoenlichen Eigenheiten besitzen, die diese Idealisierung vielleicht stoeren koennten. Als eigene Person mit eigenen Wuenschen und Anspruechen zaehlt sie ueberhaupt nicht, sondern nur insoweit, als sie die ihr zugedachte Funktion des narzisstischen Objekts, das heisst des Ersatzes fuer die narzisstische Luecke im eigenen Selbst, zu erfuellen vermag.

(試訳) オランダ人を満足させられる人間とは、一方では超人的な特性を意のままにできなければならないが、そればかりではない。 (…) 他方では個人としての特性を持っていてはならないのである。 特性を持ったりしたら理想化の妨げになるかもしれないからだ。 そういう人間は自分なりの願望や欲求を持った独立した人格とは見られない。ナルシシズムの対象としての機能、つまり自我の中のナルシシズム的欠落を補填する機能をはたし得る限りにおいて存在を許されるのである。

 そして、「私への真心の愛を誓いながらそれを破った女性は、地獄に落ちるという掟なのだ」 というオランダ人の言葉を引いて、

■同時にこの 〈掟〉 はオランダ人の偉大さを明らかにすることにもなった。多少とも彼の言うことを聞き、あるいは聞くべきだと思った人は、永久に地獄に落ちると思わなければいけない。(19頁)

 変でしょう? 言うことを聞いてるのに地獄に落ちるんじゃ、どんなにデキた女性でも駄目ってことになっちゃう。

□Gleichzeitig vermag dieser 《Spruch》 auch Grandiositaet des Hollaenders ins rechte Licht zu ruecken: Wer es gewagt hat oder wagen sollte, ihm nicht in allem zu Willen zu sein, hat schlechterdings mit der ewigen Verdammnis zu rechnen.

(試訳) 同時にこの「掟」は、オランダ人の偉大さなるものの正体を明らかにしている。 全ての点にわたって彼の言いなりになるわけではない女性は、過去においてであれ未来においてであれ、永久に地獄に落ちることになるのである。

 そして、オランダ人はこれまでかくも厳しい要求を課すことで女性を何人も地獄に落としてきたのではないかと言って、

■(…)ナルシシズムの対象として選び出されたものは、ごく稀な場合でも、完全に自発性を失ってしまっているので、彼らはそれで挫折してしまった。(19頁)

 これもよく分からない。「自発性」を失った女性なら万事にオランダ人の言うことを聞くからうまくいくんじゃないのかな?

□(…)und eben daran sind sie auch gescheitert, da die zum nartisstischen Objekt Ausersehenen nur in den seltensten Faellen auch von sich aus gewillt sind, sich vollig aufzugeben.

 主語のsieは前の文章(ここでは省略)の主語Beziehungsversucheを指していますね。

(試訳) それに何より、ナルシシズムの対象として選ばれた女性たちは、実際はきわめて稀にしか自分から完全な恭順の意を示したりはしないから、女性と関係を持とうとする試みも挫折してしまったのである。

 イゾルデ・フェッターの解釈はまだ続きますが(フロイト流心理学とフェミニズムのアマルガムで、感心しませんけど)、ここはこのくらいにして、次にオペラの素材となった「さまよえるオランダ人」伝承をヘルムート・キルヒマイヤーが解説した文章を検討しましょう。 まず最初のあたり。

■さまよえるオランダ人の姿は17世紀の伝説に包まれたカルヴィン派的な強情さを持ったオランダの水夫たちの話にさかのぼる。彼らの勇敢な行動はあちこちで名高かったが、ワーグナーはこの主題について文学史上で知っているほどの知識も持っていなかった。(103頁)

 「文学史上で知っているほどの知識も持っていなかった」ってどういうことでしょう? ワーグナーは文学史を読んでいたのにこの伝承を知らなかったということでしょうか(変ですよね)。 文学史家より知識が劣っていたということでしょうか(当然ですよね)。

□Dass die Gestalt des Fliegenden Hollaenders auf die legendenumwobenen kalvinistisch-starrkoepfigen hollaendischen Seeleute des 17. Jahrhunderts zurueckging, deren kuehne Taten die Weltmeere erfuellten, wusste Wagner ebensowenig wie ihm etwas ueber die Literaturgeschichte zu diesem Thema bekannt war,(…)

(試訳) オランダ人水夫たちはかつてその大胆な行動で世界の海を股にかけていたが、さまよえるオランダ人の伝承は、伝説に包まれたこの頑固でカルヴァン主義的なオランダ人水夫たちにまでさかのぼる。しかしワーグナーはそのことを知らなかったし、このテーマを扱った文学史の知識も持ち合わせてはいなかった。

 次に、この伝承には様々な伝説や迷信が合流しているとして、

■船についての乗組員の伝説的迷信がこの伝説と混じり合っている。その船では、誰にひどい災難がふりかかろうとしているかということを、ずっと昔に死んだ受取人にあてた手紙から知ることができる。他船の航路を横切った船の船長は、いろいろな口実を設けて手紙の受取人に気を使わなければならない。またその受取人が誰かということを推測してはならないというのではないが、きまった儀式を守って受取人のためにこれ以上に被害がひろがらないようにしなければならない。そうすれば、難破とか死とか、あるいはその他の損害を蒙らなくてすむだろう。(104頁)

 支離滅裂とはこのことです。「ずっと昔に死んだ受取人」にどうやって「気を使う」んですか?

□Mit dieser Sage vermischte sich legendaerer seemaennischer Aberglaube vom Schiff, das nur zu sehen bekommt, wem schweres Unglueck bevorsteht, von den Briefen aus alter Zeit an laengst verstorbene Empfaenger, die der Kapitaen eines den Kurs kreuzenden Fahrzeugs unter mancherlei Vorwaenden zu besorgen bittet und die man doch nicht annehmen darf, sondern unter Beachtung bestimmter Zeremonien verweigern oder unschaedlich machen muss, will man nicht Schiffbruch, Tod oder andere Unbill erleiden.

(試訳) この伝承に水夫の伝説的な迷信が混じり合ったのである。ひどい災厄がふりかかる直前の人間だけに見える船があり、とっくに死んだ受取人あてに遠い昔に出された手紙を託されるという迷信である。すなわち、こちらの航路を横切った船の船長が様々の口実をつけてどうかこの手紙を届けて下さいと頼むのだが、難破や死、或いはその他の不幸を招きたくなければ、こちらはけっして手紙を受け取ってはならず、むしろ一定の儀式にのっとって受け取りを拒むなりその効力を封じるなりしなくてはならないというのである。

 この伝承はドイツではハウフの連作童話『隊商』に取り入れられたとして、その筋書きを述べるのですが、

■船長と乗組員は死んでいるが、乱れた酒宴をしたあと、自殺するために彼らが真夜中だけ目を覚ますという筋で、これが毎日毎晩繰り返される。彼らの死体がたとえばこの世とふれ合うのに成功するとはじめて、彼らは救済される。(105頁)

□Kapitaen und Mannschaft sind tot und erwachen nur zur Mitternacht, um sich nach einem wuesten Gelage gegenseitig umzubringen. Dieses Spiel wiederholt sich Tag fuer Tag, Nacht fuer Nacht. Erst als es gelingt, ihre Leichname mit etwas Erde in Beruehrung zu bringen, finden sie Erloesung.

(試訳) 船長と乗組員は死んでおり、真夜中だけ息を吹きかえすが、酒宴で大騒ぎしたあと互いに殺し合うのである。これが連日連夜繰り返されるが、彼らの死体が土と少しでも接触できさえすれば彼らは救済されるのだ。
 
 それから、ハイネもこのテーマを用いてものを書いた、と述べた後、

■ワーグナーはそれを知っていた。(105頁)

□Dort lernte es Wagner kennen.

 うーん、このくらいちゃんと訳してくれないと、単位不認定だなあ……(いけね、また語学教師の癖が出ちゃった)。

(試訳) ワーグナーはハイネを読んでこの伝説を知ったのである。

 紙数もないので、以下個々の論説をていねいに見るのはやめて、目についた誤訳をいくつか拾い上げていきましょう。
 ワーグナーがこの素材をどう料理したかを論じるエドゥアルト・レーザーの論考。或る書簡の中でワーグナーが、「この素材は以前ハイネを読んで知っていたが、私自身航海している際にことのほか面白く思えてきた」と述べているのを受けて、

■彼〔ワーグナー〕はまたのちに、ハイネによるこの伝説の翻案の出所が他にあるとは決して言わなかったから、この話がとくに重要であるということは否定できない。(106〜107頁)

 これだとワーグナーは、ハイネがどこからオランダ人伝説を知ったのかを問題にしていたとかいないとかいう、文献学みたいな話になりそうですが……

□Da er auch spaeter nie eine andere Quelle als Heines Bearbeitung der Sage genannt hat, kann der ausserordentliche Wichtigkeit dieser Vorlage nicht geleugnet werden.

 ander...alsは基本的な言い回しです。覚えておこう。

(試訳) 彼はまたのちになっても、ハイネによる伝説の翻案以外に自作オペラの種本があるとは言っていないから、ハイネの作品がとりわけ重要であることは否定できない。

 作曲家兼ピアニストとして著名なリストもワーグナーについて一文をものしていて、この本に収録されていますが、その最初。

■リヒャルト・ワーグナーの楽劇様式の新しい転回をはっきり特徴づけている3つの作品のうちで、《さまよえるオランダ人》は、年代順ではより新しいワーグナーの創作に入るけれども、一番最後にワイマールで上演された。ベルリンではこのオペラは10年も前に上演されていた(…)。しかし当時人びとはワーグナーをそこそこの才能を持ったごく平凡な作曲家としかみていなかった。革命家はまだ旗を上げていなかった。彼のモットーはまず《タンホイザー》と《ローエングリン》を完全に育てていくことであった。(183頁)

 最初の文章の「一番最後にワイマールで上演された」がおかしいのは、次の「ベルリンではこのオペラは10年も前に上演されていた」を読めば分かりますね。 要するに訳者はドイツ語だけじゃなく日本語もできないというわけです。 それと最後の文ですが、どういう意味でしょうか。 周囲から余り評価されなかったワーグナーは、《タンホイザー》と《ローエングリン》を「育てて」いけばやがては評価も変わるだろうと思っていたってことでしょうか?

□Von den drei Werken Richard Wagners, die mit Entschiedenheit das Gepraege einer neuen Wendung des musikalisch-dramatischen Stils erkennen lassen, wurde der 〈Fliegende Hollaender〉, obwohl er der chronologischen Folge nach die Reihe der neueren Schoepfungen Wagners eroeffnet, in Weimar zuletzt aufgefuehrt. In Berlin hatte man diese Oper schon vor zehn Jahren gegeben,(…). Damals jedoch betrachtete man Wagner nur als einen Komponisten, der sich mit bald mehr bald weniger Talent anderen anschliesse. Der Reformator hatte das Banner noch nicht aufgepflanzt, dessen Devise erst 〈Tannhaeuser〉 und 〈Lohengrin〉 vollstaendig entfalten sollten.

(試訳) ワーグナーの音楽的・作劇的様式の新たな転回を告げた三つの作品のうち、《さまよえるオランダ人》は作曲順で言えば最初であったが、ヴァイマルでの上演は最後になった。ベルリンでは10年も前に上演されていたというのにである。(…)しかし当時ワーグナーはそこそこの才能を持った作曲家としか見られていなかった。この音楽の改革者は、のちに《タンホイザー》と《ローエングリン》で完全に開花することになる独自性を、この時分にはまだはっきりとは示していなかったからである。

 そして《タンホイザー》と《ローエングリン》は早くから人々の注目を集めたのに《さまよえるオランダ人》は違った、と述べて、

■(…)このオペラ〔《さまよえるオランダ人》〕の上演には少なくとも舞台にかける費用だけは必要なのにもかかわらず、たったひとつの劇場しか《さまよえるオランダ人》をそのレパートリーにしているにすぎなかった。(183頁)

□(…)so haben, trotzdem die Auffuehrung dieser Oper gerade am wenigsten des szenischen Aufwandes bedarf, doch nur einzelne Theater seinen 〈Fliegenden Hollaender〉 in ihr Repertoire aufgenommen.

 am wenigstenは最上級ですから「少なくとも」じゃなくて「最も少なく」でしょ? それとeinzelne Theater、複数形ですよ。

(試訳) 《さまよえるオランダ人》の上演に要する費用は中でも最低だったのに、このオペラをレパートリーに加えていた劇場は二、三に過ぎなかった。

 先に行きましょう。エルンスト・ブロッホがワーグナーを論じた文章で、《タンホイザー》を引用するのですが、

■「ねえ、あなたはどのくらいいるの?」という、ひな菊の花のようにかれんなエリーザベトの問いにタンホイザーの「今から、ずっと」という答えが返ってきて、「ほとんど忘れてしまう」ことになる。(223頁) 

□《Sag, wo weiltet ihr so lange?》, auf diese etwas gaenseblumige Frage Elisabeths kommt das 《Fern von hier》 Tannhaeusers und 《dichtes Vergessen》 tritt auf.

 うーん、この会話が訳せないんじゃ、やっぱり「単位不認定」ですね。
 それとこの訳者、こういう場合ちゃんと《タンホイザー》のテクストにあたって調べてみないんでしょうか。 訳者が《タンホイザー》の内容に通じていないらしいことはこの誤訳から明瞭ですが、(本コーナーで同様にやり玉に挙げた『プッチーニ ボエーム』とは違って)この訳書の巻末奥付には訳者紹介が載っています。 それによると某大学の教授で、「専門はオペラ史、とくにリヒャルト・ワーグナー」だそうです。 その方がこんな間違いをするのでは、ドイツ語能力は勿論のこと、「専門」のはずのワーグナーに関する知識まで疑われてしまうじゃありませんか。

(試訳) 「ねえ、こんなに長い間、どこにいらしてたの」というエリーザベトのひな菊のごとき問いに、タンホイザーの「ここから遠くです」という答えが続き、そして「すっかり忘れてしまった」となる。

 同じブロッホの文章で、こういう箇所があります。

■ワーグナーは《オランダ人》でもう自分の本質を見出してしまったので、もしそのころ彼が若くして死んだらこの音楽が彼の最後のものとなったであろうし、そうすれば人びとはワーグナーを荒っぽくて孤独な人だと思うだろうし、決して劇場向きとは考えないだろう。(224頁)

□Wagner hat sich im 〈Hollaender〉 entdeckt, und waere er damals jung gestorben, waere diese Musik seine letzte gewesen, dann wuerde man Wagner rauh und einsam sehen, gar nicht theatralisch.

 どこに誤訳があるかって? 実はないのです(時制がちょっとおかしいけど)。 フザケルナ、と怒るのは待って下さい。 このブロッホの論考の少し後に、ディートマル・ホラントという人の論考が掲載されているのですが、ホラントはこのブロッホの文章をそのまま引用しているのですね。 そこでの訳はどうなってるかというと、

■(…)ブロッホは書いている。「ワーグナーは《オランダ人》で自分を発見した。そしてもし彼が当時若くして死んでいれば、この音楽は彼の最後の作品となったことだろう。なぜならば、ワーグナーは荒けずりで孤独な人と見られ、決して劇場向きとは思われなかっただろうから」。(240頁) 

 こちらは言うまでもなく誤り。 同じ人が同じ文章を訳しているのに、どうして二度目だけ間違えるのでしょうか。
 さて、そのホラントの文章ですが、ワーグナーは楽劇内で音楽の組織化を独特の技法でやり遂げたと述べて、

■これは網状に作品にひろがり、音楽構造を表現上からも決定づけているいわゆる〈示導動機〉という〈魅力ある契機〉(トーマス・マン)によって可能となった。さらにこれはひとつの用語でもあって、ワーグナーはこの言葉をまったく好んでいなかったし、それはかような動機のたくさんある楽劇的要素を、いいかえればその豊富な文学的連想観念を、不充分ながら表している。(241頁)

 まず「示導動機」ですが、Leitmotivの訳語として定着しているのでしょうか。 確かに辞書にはこの訳語が載ってるのもありますが、当方はゲルマニストのせいか「ライトモティーフ」と原語で言う癖がついているので何かひっかかります。 もっとも日本の音楽専門家の間ではこういう訳語が一般化しているのかも知れませんが。 それはともかく、この訳文、何を言いたいのか分かります?

□Das geschah durch den 《Beziehungszauber》 (Th. Mann) der netzartig uber das Werk ausgebreiteten und den musikalischen Aufbau syntaktisch massgeblich bestimmenden sogenannten 《Leitmotive》―uebrigens ein Terminus, den Wagner gar nicht mochte und der auch die vielfaeltige musikdramaturgische Funktion solcher Motive, ihren literarischen Assoziationsreichtum, nur ungenuegend bezeichnet.

(試訳) それは、作品全体に網の目のように広がり、音楽的構造を統制し決定づけているいわゆる「ライトモティーフ」の「関連の魔力」(トーマス・マン)によって可能となったのである。もっともワーグナーは「ライトモティーフ」という用語を好まなかったし、実際この用語は、そうしたモティーフの多様な楽劇上の機能、すなわち文学的な連想性の豊かさを言い表すには不十分なものでしかない。
 
 それに続けて、《さまよえるオランダ人》では後年のワーグナーの円熟したライトモティーフ技法を思わせる部分もあると述べて、

■こういう場合、バラードの演奏前の場面でゼンタの動機の動機づけの深い意味を先取りして考える人もいるかも知れない。(241頁)

□man denke nur an die tiefsinnige Vorwegnahme der Senta-Motivik in der Szene vor dem Vortrage der Ballade,

 接続法の動詞はやはり鬼門なんでしょうね。このあたりがきちんと訳せる人でないと、ドイツ語文献を翻訳出版する資格はないと言えるでしょう。 分かりましたか、音楽之友社さん?

(試訳) バラードの演奏前の場面でゼンタのモティーフが意味深げに先取りされていることを想起されたい。

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