書評: 池内紀(著)『カフカの生涯』(新書館、2004年)

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私の仕事

 

 以下の書評は、2004年8月8日付け、北海道新聞の書評欄に掲載されたものです。

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 カフカが変わりつつある。

 戦後、日本に紹介された外国作家の中でもひときわ目立つ存在であり、実存主義やユダヤ神秘主義との関連で読まれてきたカフカ。 その受容が長らく作品中心主義的であったのは、彼がドイツ語圏でよりはフランスなどで早くに評価され、日本でも伝統的な独文学の文脈でよりは、先端的な現代思想の中で読解がなされてきたからだろう。

 しかしM・ブロート編の全集に対する見直しが進み、カフカの手稿をもとにした新全集が刊行された現在、カフカ像も見直しを迫られている。 池内氏によるカフカ伝も、そうした趨勢にそった仕事である。 言うまでもなく氏は手稿版に基づく 『カフカ小説全集』 の訳者であり、またカフカ関連の著作も多い。

 池内氏は、独文学者として実証主義的・文献学的な研究をふまえつつも、些末主義や事大主義に陥ることなく、平易な文章でカフカの核心に迫ろうとする。 特に家族や恋人との関わりのなかで作家の本質を追求する手法に、氏の本領が遺憾なく発揮されている。 カフカの祖父から始まる記述は、ユダヤ人の一家族がオーストリア帝政下で成り上っていく過程を、そしてそこから一人の作家が生まれてくる事情を浮き彫りにする。 カフカと父との関係では、息子の作品や書簡に依拠して一方的に父の横暴を結論づけるのではなく、身を粉にして働き経済的成功を収めた父がひ弱な長男に注ぐ当惑げな視線にバランスのとれた目配りがなされており、我々はカフカという特異な人間の生涯とその小説との間にある微妙な並行・背理関係を改めて考えさせられるのである。 本書が新しい時代のカフカ像を築く出発点になることは間違いない。

 最後に望蜀の嘆を。   カフカの読書傾向や文化的環境への目配りがもう少しあれば。 文中言及した写真はすべて収録してほしい。 トーマス・マンがサナトリウムに見舞ったのは自分の従兄ではなく妻であろう(二七九頁)。

 

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