2004年4月、日本の国立大学はいっせいに独立行政法人化された。
ここでは、それによって新潟大学がどう変わったかを検証していく。
なお、他大学の方などで関連する情報をお持ちの方、提供をお待ちしております。
(1)激減する研究費
@出張旅費
A研究室のパソコンは研究費から買わねばならない
B研究費にはコピー代も含まれているということの意味
C研究費激減によって図書が買えなくなる――新潟大学は研究を放棄したのか?
D図書が買えなければ、教育だってできない
E予算単年度主義は変わらず
F再説・日本の人文系学問の危機
(2)かえって窮屈になった予算の使用法 (2005年3月20日記載)
まず書くべきは、研究費の激減である。
それまで研究費はどの程度出ていたのか? 新潟大学でも学部によって異なっていた。 理系と文系の違いにより、また文系でも学部の考えかたにより、教員一人一人への配分額は従来から異なっていたし、法人化後もその点は同じである。
したがって、ここではとりあえず私の所属する人文学部の場合を例に取ろう。
2002年度まで、新潟大学人文学部の教員個人研究費はどの程度あったのか? (2003年度は研究室の総引っ越しがあり、そのための費用などで研究費が減ったので、2002年度までを基準とする。)
だいたいのところで、年額40万円程度であった。 これ以外に出張旅費が6万円あった。 さらに、研究費とは別に教養科目のための教養教育経費が支給されていた (これは教養科目をどの程度受け持つかにより支給されるので、教員により支給額は異なる)。
しかし、行政法人化されて、研究費と出張旅費は区別しないことになった。 出張旅費も研究費から出せるわけだ。 これは一見すると融通が利いてよさそうに思える――全体の額が減らなければ、である。
しかし、現実には研究費の額は当初20万円と通告され、12月になってから追加配当で7万円が出たが、合わせても27万円である。 2002年度に研究費+出張旅費で46万円程度あったのに比べると、実に41%の減額である。
これは、人文学部だけのことでは無論ない。 法学部や経済学部や理学部の先生にうかがっても、同様なのである。
そこから生じる問題を以下、個別的に指摘する。
@出張旅費
国立大学時代は、研究費と出張旅費は別であった。 国立大学はどこでもそうで、旅費は普通の予算と別枠となるきまりだったのである。
2002年度までの新潟大学人文学部の出張旅費は年額6万円だったわけだが、これははっきり言って足りていなかった。
大学教員の出張というとまず学会参加だが、新潟大学のような地方大学だと、新幹線や飛行機などの交通機関を使わないと参加できないケースがほとんどである。
例えば東京で学会があったとしよう。 新幹線往復で約2万円かかる。 これ以外に宿泊費が必要だ。 だから一泊二日でも3万円程度は必要になる。
私の所属する日本独文学会の場合、年に2回学会があり、春は東京、秋は東京以外と決まっている。 だから、秋の学会が北海道や関西以西で行われると、これだけで出張費は不足となった。 足りない分は自腹を切るしかない。
加えて、最近は学会の数も増えており、また教員の研究守備範囲も広がっているので、一人でいくつもの学会に所属するのが普通である。 私にしても、独文学会の分会的な学会であるシュトルム協会を含めると、合計4学会に所属している。 これらの学会が研究発表を開くたびに参加するとすると、出張旅費は1年に15万円程度はないと間に合わない。 圧倒的に足りない。
ではどうしているのか? 自腹を切るか、或いは学会があっても出ないか、いずれかである。
出張旅費と研究費の区別がなくなるという話は、2003年度末に独立行政法人化移行の説明会が事務サイドからあった時にすでに明らかにされ、これで自由に出張できるというニュアンスの説明がなされたのだが、冗談ではない、全体の額が激減しては出張どころではないのである。
実際、同僚の某先生は、研究室のパソコンを買い換えるために、出張は自腹で行ったということである。 当初配分された研究費が合計20万円しかなく、パソコンは15万円ほどする上に、研究費にはコピー代、電話代なども含まれているから、そうするしかなかったわけである。
上の最後で書いたように、そういうことになっている。 これは、明らかにおかしい。
なぜなら、今どきのパソコンは研究にばかり使うのではないからだ。 事務連絡に使うし、学生の授業登録確認や、評価の入力も、今は全部パソコンからやることになっている。 つまり、業務上の必需品なのである。
事務員は、その必需品であるパソコンを大学から支給されている。 なのに、教員は自分の研究費から買わねばならないのである。 研究費が潤沢ならいざしらず、独法化でそうではなくなっているというのに、である。
どうしようもなく、不合理な話である、と思うのだが。
これがくせものなのである。 きょうび、コピー代はバカにならない。 というと、研究するためのコピーだから研究費から払うのは当たり前じゃないかという人もいようが、実はそれだけではないのだ。
学生用の教材を作るためのコピー、そして事務的な仕事のためのコピー代がバカにならないのである。
昔、コピーなんてものがなかった頃、またコピーが登場してもまだまだ高価だった頃、授業で学生にコピーしたプリントを配ることはなかった。 しかし、コピー機が普及し、1枚あたりのコピー代が安くなると、授業でコピーを配布するケースが増えた。
私も、教養部から人文学部に移った頃はやっていなかったのだが、どうもコピーを配布する先生の方がサービスが良く熱心だ、という印象があるらしく、また学生もコピー配布に慣れて自分で板書や教師の話をきちんと筆記する習慣が薄れているらしいので、仕方なくコピーを配布するようになった。
大人数の授業なら、コピー機ではなく、リソグラフを使うから構わないのだが (リソグラフは個人研究費の負担ではない)、学生が数人のゼミやそれに準ずる授業などではリソグラフを使うほどではないから、つい自分の研究費の負担となるコピーを利用してしまう。
次に、事務的な仕事のためのコピーも多い。 学内では会議が多く開かれる。 会議に出るとき、資料としてコピーをとることが非常に多いのである。 事務員に頼むこともあるが、少人数の会議や時間が差し迫っているときなどは、やはりつい自分の研究費負担となるコピーで間に合わせてしまう。
しかし言うまでもなく、研究費激減によって最も影響を受けるのは、研究そのものである。 図書が買えなくなってしまうからだ。
どうもこの辺は、新潟大学の幹部は研究というものが分かっていない、と言うしかない。
というのは、いわゆるインセンティブ経費は増やしているからだ。 単年度主義によって、研究テーマを申請して認められればカネが降りる、という方式である。
このやり方は、研究の実際を分かっていない人間が主導する時に出て来やすい。
なぜなら、研究というものは単年度主義では絶対にうまくいかないからだ。 テーマごとの文献の蓄積は、最低、10年単位で行われるもので、単年度主義でうまくいくはずがない。
実際、十数年、或いは何十年というスパンで継続的に出版されている文献というものがあるのだ。 それを購入するのに、いわゆるインセンティブ経費は役に立たない。
これは文系だけの話ではない。 理学部数学科の先生にうかがったところでは、研究費激減により数学研究の基礎とも言うべき雑誌購入ができなくなったのだそうである。 元国立大はどこも同じだから、一定の大学に資金を集めてそこで購入し、必要な他大学の教員はコピーを頼むシステムにしようという話もあるそうである。 無論、自学で見るのと、他大学に頼んでコピーをしてもらうのとでは、文献へのアクセスしやすさという点で全然違ってくる。 研究に影響が出るのは必至であろう。
D図書が買えなければ、教育だってできない
この当たり前のことが分かっていない人が多いのは、残念である。
大学では、授業の内容は教員一人一人が自分で決める。 毎年同じ内容を繰り返すなら別だが、年毎に多少なりとも内容を変えていくには教師も勉強しなくてはばらない。 中学高校のように指定された教科書さえ教えられれば間に合うというものではない (無論、中学高校の教員でも熱心な人は教科書以外に様々な文献を読んでいるであろうが)。
そのためには新しい文献を何冊も読んでおかねばならないし、また学生の参考用に図書館に関連図書を入れておくことも必要なのである。
そうしたことができなくなる、ということは、つまり新潟大学が大学としての機能を持たなくなる、ということなのだ。 大学幹部は分かっているのだろうか?
(以上、2004年12月12日掲載)
国立大学が独法化される際、その理由の一つとして、中央省庁から単年度主義で予算使用を縛られるのが不便きわまりないから、もっと融通がきく制度にしたほうがいい、という言い分が挙げられていた。
例えば非常に高額な図書や機械類を買いたいが単年度の予算内では無理だという場合、前年度の予算を或る程度留保できれば、2年分の予算を一緒にして購入ができる場合があるわけだ。 また、出張費にしても、今現在の個人研究費では海外出張はまず無理だが、これも前年度の分を留保しておいて2、3年分を一緒にすれば可能になることだってあるだろう。
しかし、その期待は完全に裏切られた。 法人化しても基本的な予算は国からもらうのだから、という理由で、単年度主義は変わらないのである。 何のための法人化だったのだろうか!?
F再説・日本の人文系学問の危機
Cで書いたことを改めてここで述べておく。
少し前の記事だが、今年 (2004年) の産経新聞10月1日付けに、千野鏡子記者による 「古書店主たち秋に燃える」 という一文が掲載された。
大阪で古書会館が新築され、そこに集まった古書店店主たちの声を聞いてできた記事である。
「大学や図書館、博物館などの予算が軒並み削減され、しわ寄せは図書購入費に。 その結果、よい本や必要な資料が出ても買えない、司書の予算もない、さらに先生も古書を買わないと、ないないづくしとなった。」
「いま縮む国内需要とは対照的に、外国のバイヤーが日本の文献や資料をどんどん買っている。/ 星野さん〔古書店主〕の店にも中国や台湾、韓国から、満州や台湾、朝鮮などの日本統治時代の文献や資料の問い合わせが増えた。 『独立し復興もして、植民地時代の文献を戻そうという動きが強まったのでしょう。 私たちも売るだけでなく、埋もれた資料を探し、知らせる使命もあるかなと思っています』 という。」
「だが国内でこの時代を研究する学者、資料を収集する大学は少なく、基礎資料が散逸してしまっているのが現状だ。」
「そうかと思えば、いまでは日本人に忘れられたような明治期の絵はがきを、集中的に購入している米国の美術館もある。」
「かつて浮世絵が流出先の欧米により価値が再発見されたように、いつの日か絵はがきの価値が再発見される時代が来ないとは言えない。その時、絵はがきは国内から消えているかもしれない。」
「静かに確実に進行する古書業界のこんな姿に、日本文化の危機ではないかとさえ思えてくる。」
まったくその通りである。 そして、これは国立大の独法化だけでなく、そもそも日本の人文系学者は文献を収集するということの意味を分かっておらず、きわめて近視眼的であり、自分がすぐに使いそうな本しか買わないという、学者の質それ自体にも問題の鍵はひそんでいる。 詳しくは別の場所で論じたいが、少なくとも新潟大のドイツ文学関係の学者を見る限り、そのように言うしかない。
(2004年12月25日掲載)
(1)のEで、予算単年度主義が変わらないことを述べた。 つまり、独立行政法人化しても純然たる国立大時代と同じで、国から降りた予算はその年に使い切らないといけない、ということで、何のための独法化か分からないのである。
ところが、実はそれどころではない。 予算の使用法は、むしろ独法化して窮屈になっているのだ。
これは、教養部があった時代から継続して購入しているドイツの辞書事典類や文学全集に関して明らかになったことだ。
教養部がなくなって以来、これらの文献は心あるドイツ語教師が研究費などを出し合って (心ないドイツ語教師は出さず) 購入を支えてきた。
これらは長い時間的スパンで刊行されるもので、しかも必ずしも定期的に届くとは限らない。 例えばA全集は或る年にはまとめて5冊程度刊行されたのに、翌年には1冊も出ない、といったことがある。
そういった刊行物を何種類もとっているので、当然ながら年によってかかる経費は異なってくる。 例年になくまとめて刊行がなされた年だと、予算が足りなくなってしまうこともある。
そういう場合、これまでは洋書仲介業者に断りを入れて待ってもらい、その年度の予算ではなく、翌年度の予算から支払うという方法をとってきた。
ところが、今年度独立行政法人化して、そうした方法が取れなくなった。 いったん物件が届いたからには、絶対にその年度に支払わなければならない、業者が承知していても待ってもらってはイケナイ、というのである。 フザケタ話だが、事務がそう言い張っているので、そうなのであろう。 つまり、独法化して会計は窮屈・不便になっているのだ。
仕方なく、今年度は年度末に届いた全集類をいったん洋書仲介業者に返して、来年度また届けてもらうことにしたのである。 実に実にバカバカしい限りだが、独法化の正体とはこういうものなのである。 バッキャローと叫びたい心境である。 小泉さん、どうします??
(2005年3月20日掲載)