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以下の論考は、『新潟大学人文科学研究 第114輯』(2004年2月) に収録されたものである。

第二外国語教育を壊滅から救い、新たな制度とイデオロギーを生み出すために

三浦 淳

はじめに

 大学設置基準の大綱化がなされて、約10年が過ぎました。この間、日本の大学では「改革」の名のもとに様々な制度面での変更が加えられています。

 その中で、最も大きな変更は、第二外国語の扱いであろうと思われます。ここでは、この10年間日本の大学において第二外国語がどれほど困難な立場におかれてきたかを指摘し、それをはねかえしてこの国に第二外国語学習を維持するためにはどうすべきなのかを提言したいと思います。なお、ここでは「第二外国語」という言葉は、英語以外の外国語の総称として用いることにします。

I.日本独文学会とドイツ語教師たちの無為無策

(1)ドイツ語が日本の外国語教育に占めていた位置

 まず、大綱化によって大学の教養課程が陸続と廃止され、第二外国語を支えていた制度的基盤が崩壊しつつあった時、日本独文学会が何をしていたか、或いは何をしなかったかを述べることにします。

 なぜここで日本独文学会を取り上げるのでしょうか。まず、私自身が学生時代にドイツ文学を専攻し、1980年から14年間、大学の教養部ドイツ語教師として勤務した人間であり、ドイツ語業界の事情にある程度通じているということがあります。

 第二に、ドイツ語は戦後長らく第二外国語の最大勢力であったという事実があります。戦後間もない頃まで維持された旧制の教育制度において、ドイツ語は英語に次ぐ特権的な言語でしたし、またそれには相応の理由がありました。明治維新以降の日本が英米と並んでドイツから様々な文物や制度を輸入したこと、そして19世紀後半から20世紀初頭にかけてのドイツが学術水準において世界に冠たる位置を占めていたことがあります。一方、第一次世界大戦までは世界の政治的覇権国は英国でした。また、フランスの重要性も無視できませんでした。加えて第二次大戦まではヨーロッパが世界全体のパワーポリティクスの中心をなしていたわけです。日本は覇権国の言語である英語を中心としつつ、ヨーロッパの大国であるドイツとフランスの言語を中等教育にとりいれることによって世界の先進国から制度や技術や文化を輸入しようとしたのでした。

 戦後、学制改革により新制の教育制度が発足しても、こうした状況はすぐには変わりませんでした。英語を中心とし、サブの外国語として独仏を学ぶという体制です。

 もっとも、学制改革によって実は第二外国語教育はかなり大きな制約に直面します。それは、旧制度においては高校および専門学校という、中等後期の教育機関が確固として存在し、その枠内でそれなりに教育を行えたのに対し、新制度では旧制高校と専門学校が大学と合併、もしくは大学に格上げされたために、第二外国語の教育が大学の教養課程にほぼ限定されてしまった、ということです。旧制度においては、中学で英語を学び、高校もしくは専門学校に入ってから第二外国語を学ぶ、そして大学に進んだら英語と第二外国語を用いて専門的な勉強をする、という段階をふんだ制度が形成されていました。(1)ところが新制度においては、中等教育である中学と高校では外国語として英語しか学ばない学校が大多数であり、大学に入ってから最初の2年間で急いで第二外国語を学ぶ、という歪んだ体制になってしまったのです。都会の高校では第二外国語が設けられていたところもあったようですが、私のように地方都市の高校に学んだ人間にとっては英語以外の外国語は大学に入らなければ学べない言語でした。(2)

 教養課程に第二外国語教育が押し込められたために生じた様々な困難は、大学設置基準の改訂以前から色々な機会に指摘されてきましたし、詳しく論じるとそれだけで終わってしまうので、ここではこれ以上触れないことにします。

(2)ドイツ語教師のヘマな振る舞い 

 さて、大学設置基準の大綱化が行われる少し前、いうならばその前夜、日本独文学会では一つの論争が行われました。1986年秋、学会のドイツ語教育部会が会報の別冊として『日本におけるドイツ語教育の状況をめぐって』という冊子を出したのです。執筆者は3人の独文学者ですが、この冊子で彼らは「ドイツ語の健全な規模縮小」なるものを提言し、ドイツ語を必修制から選択制へ移行させるべきであること、それによって少人数を相手にしたインテンシブな教育と、受講生の要求に添った多様な教育が可能になると述べたのでした。(3)

 これに対して、別の独文学者が異論を唱えました。まず、なぜ特にこの論考だけを別冊として出さねばならないのかということです。ドイツ語を必修からはずせという見解はこの執筆者3人のものであり、教育部会全体の意見ではない以上、普通の会報に収録すれば済むものを、あたかも特別な重みを持つかのような体裁で出すのはいかがなものか、というのでした。また、ドイツ語を必修からはずした場合、どの程度の学生が残るかはなはだ疑問である、という意見も併せて述べられていました。(4)この、別冊で出すという体裁については、あとで学会の際に別の会員からもクレームが付き、当事者が非を認めていますが、(5)ここで考えなければならないのは、大学の大衆化に伴って日本における第二外国語の必要性に周囲から疑問の声が上がるようになり、なおかつ大学設置基準の改訂が行われる少し前という重要な時期に、それに迎合するかのような内容の提言を変則的な形で出してしまうドイツ文学者たちのきわめてヘマな振る舞い方です。

 私は先に、ドイツ語は長らく第二外国語の最大勢力だったと述べました。それは、それだけ責任が重いということを意味します。第二外国語の動向が問題になる時、ドイツ語教師や独文学会が何を言い、どう振る舞うかは、第二外国語全体に影響を及ぼすのです。そうした自覚が、この3人にあったか否か、疑問と言わねばなりません。

 この3人の論考については、先に述べた独文学者を初めとして複数のドイツ語教員から異論が出されておりますし、詳しい検討は省きますが、一つだけ、明らかに論者の不見識を示す箇所を挙げておきましょう。それはドイツ語を必修からはずせば、「学生数は減少し教員数はそのままで」、少人数教育が可能になる、と述べられている箇所です。(6)

 これにはすでに当時、私大に勤めるドイツ語教員から異論が出されました。私大では学生数が減ればそれはただちに教員数削減につながるのだ、というのです。(7)

 しかしこれは私大に限ったことではありません。教養部という制度があった当時の国立大でも同じことです。この論者たち(国立大勤務経験者も含まれていながら)に分かっていないのは、教養部の中での語学教師の数は決して一定数が保証されているものではなく、他分野の教師との激しい抗争の中で決められるものだ、ということです。教養部には理系や体育系を含む多様な専攻の教員がひしめいていました。かりに新たな定員がついた場合、それでどの分野の教員を採用するかは高度に政治的な問題であって、決して自動的に決まるものではなかったのです。そうである以上、仮に語学が必修からはずれて1クラスあたりの学生数が大幅に減った場合、ただちに語学教員の定数を見直せという声が他分野教員から上がるのは必至でした。その程度のことも3人には見えなかった。きわめて知的能力の低い人たちだったと言うしかありません。(8) 

(3)語学教師の二重構造

 話を進めましょう。1991年に大学設置基準が大綱化され、その直後から全国の大学では続々と教養部が廃止されていきました。また教養課程も廃止され、教養科目の単位も見直されていきました。こうした中、ドイツ語教師の立場が学会レベルで問題にされるのは当然のことだったはずです。

 周知のとおり、第二外国語を受け持ち、大学に勤務する人間には二種類ありました。ドイツ語なら、一方は文学部や外国語学部にあって主としてドイツ語学や文学を専攻する学生を受け持っている人間。他方は主として教養科目のドイツ語を受け持つ人間で、所属から言うと、教養部所属か、或いは文学や語学とは直接関係ない学部に籍をおくかのいずれかでした。都立大や東大駒場のようにドイツ語関係教員が専門科目と教養ドイツ語をほぼ平等に受け持つという組織も少数ありましたが、大部分の組織では専門担当教員と教養担当教員が截然と分かれていました。数から言うと、教養担当教員が圧倒的に多いというのが実状でした。例えば私の勤務している新潟大学では、教養部廃止当時、人文学部でドイツ文化専攻学生を受け持っている教員は、ドイツ人教師を含めて5名なのに対し、教養部のドイツ語教師は11名でした。この差は規模の大きな大学ほどひどくなり、私の出身校である東北大学の場合、1980年頃の数字ですが、文学部の独文の教員は助手とドイツ人教師を含めても4名だったのに対し、教養部のドイツ語教師は20名以上いたのです。また、教養ドイツ語教師は、そもそもドイツ関係の専攻を持たない総合大学や理系だけの大学にも必ず数名、最低でも1名は雇用されていました。

 こうした中、教養部や教養課程廃止によってドイツ語教師がどんな立場に置かれるのか、今後ドイツ語教育はどういう組織でどのように行っていくべきか、それをきちんと討議し、学会としての立場を打ち出すことこそが独文学会の仕事だったはずです。繰り返しますが、ドイツ語は第二外国語の最大勢力である以上、それは単に自分たちの職場をどう確保するかといった次元の問題ではなく、日本における第二外国語教育をどうするのかというきわめて重大な問題であったはずです。

(4)何もしなかった日本独文学会

 しかるに、独文学会はこの重大な時期に、ついにこの問題に関して主体的な姿勢を示すことができませんでした。未来の第二外国語教育の制度やそれを支えるイデオロギーを提言していくという発想が独文学会には欠けていました。いや、独文学会は逃げていた、と言っていい。

 この間の事情を少し詳しくお話ししましょう。1996年春に独文学会は「教養部解体とドイツ語教育担当者の諸問題」というシンポジウムを開きました。これはすでに国立大学で続々と進んでいた教養部解体を受けて、今後のドイツ語教育はどうなるのか、といった問題を取り上げたものでしたが、各大学の事情を報告しあうといった体のものに過ぎませんでした。

 例えばこのシンポには東大と京大のドイツ語教員が出ていましたが、特権的な立場にある大学からパネリストを2人も出させるという選択からして、すでに独文学会幹部が物事を正確に捉えるセンスを欠いていることを示していました。(9)東大はそもそも教養学部という独自の制度を持ち他大学とは最初から異なった組織基盤を有しておりましたし、京大はあまり教養部改革に熱心ではなかったと聞いていますが、それでも教養部を母胎とした新学部を認められたのです。いくら新学部や新学科の構想を立てても文科省からまったく認められない大多数の国立大学からすれば、東大と京大は住む世界が異なっていると言うしかないのです。しかしこのシンポはあくまで第1回のものであり、とりあえずの発端だと考えれば、そう悪い企画ではないとも思われました。実際、このシンポの報告が載った学会誌では、「あくまでこれは第一回目の試みであり、これからも何度か取り上げていくべきテーマだと考える」と書かれています。(10)

 ところが1年後、97年の学会で行われたシンポジウムはこれより後退したものになっていました。突きつけられた現実を前にして、主体性を投げ捨ててひたすらそこに順応しようとするだけで、新しい道を示したり、ドイツ語教員の団結により語学教育の環境を向上させようといった発想は皆無だったのです。このシンポでは私の勤務する大学のドイツ語教員もパネリストになっていましたが、その発言に事実に相違するところがあったので、私は発言を求めて誤りを指摘しました。(11)

 するとシンポジウム終了後、学会の理事長が私のところまでやってきて、あなたとしては何を求めているのかと問うてきました。責任の所在を明瞭にするために実名を挙げますが、筑波大教授の井上修一氏です。そこで私は、まず組織問題の内実を明らかにすべきだと述べました。教養部解体においていわゆる学部側と教養部側がどう争いどう決着したのという事実関係を、まず問題の出発点として明らかにすべきである。そのうえで、どんどん第二外国語が削減されている現状を文部省の失策として批判すべきだと述べました。しかし、井上氏は、文部省批判という私の言葉には、あっさり「それはできない」と答え、また教養部解体の組織問題も済んだことだからと述べるだけでした。要するに、独文学会理事長はまったく何もやる気がなかったと言ってよい。

 私は理事長という要職にある人間のあまりのだらしなさに唖然とし、新潟に帰ってから改めて理事長宛て手紙を書きました。私のWebサイトに全文収録されていますので詳しくはそこで読んでいただきたいのですが、(12)ナチズムは過去のことだから論じるに価しないとでもあなたは言うのか、また、文部省批判もできないなら学会など解散したらどうか、言論の自由を自ら放棄するのが独文学会なのか、などと批判したわけです。また、現在のような事態にあって、一番被害を被っているのは身分保障のない非常勤講師の方々であるから、その実態調査をすべきではないか、とも書きました。

 以上のような手紙を理事長宛てに出し、理事長もしくは理事会の返答をいただきたいと書き添えましたが、返事は来ませんでした。理事も理事会も教養部解体以降の事態に対してまともに対応する気がなかった、ということはここからも明らかです。

 翌98年5月、私は自分で出している雑誌『nemo』第5号に「全国のドイツ語教員の方々へ」というアピールを掲載し、2カ月後に同じものを独文学会のメーリングリストに投稿しました。そこで私が「臆病で無能な理事はこの際無視して、一般会員の力で組織問題を扱うシンポジウムを開こうではありませんか」と呼びかけたのですが、この私の言葉遣いに対して若干の意見が寄せられたものの、シンポを開こうという反応は皆無でした。ただしこの時点ではメーリングリストの加入者は100人台であり、2千数百名の会員を擁する独文学会のほんの一部に過ぎませんでしたから、これが独文学会全体の態度だと断じるのは差し控えたいと思います。また、この時、理事の一人から私の発言はショックだという返答があり、理事会に私の発言を送っておいたから返事があるかも知れない、とも述べていました。

 実際には私の投稿に対する理事会の返事はなかったのですが、この理事からの助言を得て、私は改めて理事会に対する質問状をメールで送付したのです。内容は、上述のサイトでごらん下さい。これに対して、ようやく理事長から返事がありました。この時は理事長は交代しており、明治大教授の恒川隆男氏でした。その内容も詳しくはサイトでご覧いただきたいのですが、これは理事会ではなくあくまで自分の個人的な答えであると断りを入れた上で、理事会にはあなたの手紙は紹介されたがあまり支持する意見はなかった、非常勤講師の実態調査には多少同調する意見もあったが、手間やお金のことを考えるとそう簡単にはいかないだろうということになった、というものでした。(13)

 その後で恒川氏は、これも私的な見解だがとした上で、文部省はドイツ語をやめろと言ったのではなく各大学ごとに好きなようにせよと言ったのであるから、文部省に掛け合うというのはおかしな話ではないか、ドイツ語に学生を引きつけるには授業を面白くするしかないのだからシンポジウムで授業のやり方が問題になるのは当然である、またドイツ文化の魅力を我々がもっと努力して伝えていく必要もあると思う、というような文章が続いていました。

 以上、独文学会のこの間の対応ぶりは明らかになったと思います。理事会を初めとする幹部は、この問題が日本の第二外国語をどうするかという政策論的な問題であることにまったく気づいておらず、また教養部解体が大学内のパワーポリティクスと絡む問題であることにもいっさい目を向けず、あくまで教員個人の努力や授業のやり方というレベルでしか捉えていませんでした。

 さて、独文学会とは別に、日本でのドイツ語ドイツ文化の興隆をはかるドイツ語学文学振興会という財団法人があります。若手ドイツ文学者の優秀な論文を表彰したり、ドイツ語検定試験を行ったりしている団体で、事実上は独文学会の別動隊とも言うべき性格を持っています。ここは『ひろの』という機関誌を毎年1度出しているのですが、2002年の号に「『独検』をお見捨てになりませんように」という文章が掲載されました。(14)普段から独検の運営に尽力されている方が書かれたものですが、95年度には1万2千5百名ほどあった年間受験者が、2001年度には1万9百名ほどに落ち込んでしまった、もし1万人を切ることになれば独検の存続にかかわる重大な事態になりかねない、というのでした。

 そしてそれに付随して「多くの大学でドイツ語が必修外国語科目から外され、ドイツ語学習者が激減したあおりを受けて」という情勢認識が示されていますが、しかしではどうすれば受験者が増えるかということについては「先生方が教室で学生にじかに『独検』を勧めてくださること」だとしています。相も変わらず個人の努力というレベルでしか物事を捉えることのできないドイツ語教師の思考パターンは、十年一日のごとくでまるで進歩がないと言うしかありません。また、ここでは「ドイツ語が必修外国語科目から外され」と受動態で物事が語られていますが、一体誰が外しているのかは語られていません。ドイツ語教師自身が進んで必修から外している場合があるということを認識しているのかどうか、あやしい文章と言わねばなりません。

 鈴木孝夫氏は、『日本人はなぜ英語ができないか』という本の中で、近代日本の外国語教育がなぜ英語主体で独仏がそれを補完する体制になったのかを説明しつつ、既得権を得たドイツ語教師は「ドイツ語の日本にとっての役割は一昔前に比べて減少したのだから、大学ではドイツ語の時間を少なくして、そのかわりロシア語の講座を増やすべきだ」などと主張することなどあり得ない、と書きました。(15)私は、ドイツ語教師が鈴木氏の言うとおりであってくれたらまだマシであったと思います。現実にはそうではない。私の勤める新潟大学では、ドイツ語教師はドイツ語を守ろうなどとはしていません。第二外国語を守ろうともしていません。率先して時流に媚び、第二外国語を必修から外し、自分は第二外国語のことなんか知らないよ、という顔をしているのです。(16)

 くわえて、この財団法人の理事長を現在やっているのは、先に言及した井上修一氏です。この冊子に挟み込まれていた別の文書で、井上氏は財団法人の財政事情の苦しさを訴えてながら、「例年、皆様からいただいております賛助金も、残念ながら年々減少の傾向にあります」「ドイツ語学文学の研究教育が置かれている現状には大変厳しいものがあります」と述べています。しかしそういう状況を呼び込んだのは誰なのでしょうか。独文学会の理事長を務めながら文部省批判ひとつできなかった氏にも幾分かの責任があったとは言えないでしょうか。

 

U.第二外国語教育を維持するための提言

(1)外国語教育を日本の教育体系全体の中で考えるということ

 さて、ドイツ語教師批判はこのくらいにして、具体的な提言に入ります。われわれは日本における第二外国語教育を守るために何をなすべきでしょうか?

 まず、第二外国語を日本の教育体系全体の中に位置づけるということです。日本の中等教育が事実上外国語としてはほぼ英語しか教えていない以上、第二外国語を大学で必修とするのはきわめて理にかなったことであると主張すべきです。この場合、大学が大衆化しているから必修は無意味だとする議論がありますが、私の見解は逆です。大学は大衆化したために、すでに高等教育機関ではなくなっているのです。そうである以上、中等後期教育機関としての大学に教科目の必修制を設けるのは当然なのです。

 特に、日本が同調性の高い社会であることを考えておく必要があります。必要なものだけやればよいという考え方は高校においても受験科目だけを勉強すればよいという風潮を生んでいます。この結果、世界史をほとんどやらずに大学に入ってくる者が増えているのです。高校では世界史は2単位だけ必修となっているわけですが、2単位では古代で終わってしまい、受験で世界史を選択しない者は教科書の残りを自分で読むことすらしないのです。東大生でもナポレオンとは酒の名前でしかないと思っていた者がいたという話がありますが、これは「必要な科目だけ勉強する」という風潮がエリート大学にも及んでおり、日本全体の学力低下を招来していることを示しています。

(2)外国語は実用か教養か

 A)教養としての外国語

 次に、第二外国語の意味づけですが、戦後の第二外国語教育で長らく続いてきた実用か教養かという議論には、はっきり教養であると位置づけます。(無論、実用にしたい一部学生の教育は別問題です。)なぜかといえば、まず、自然科学系の分野ではすでに英語で論文を書くのが当たり前になっており、独仏語はかつてのような有用性を持ち得ません。また、文系では、外国の文化や政治経済を専門的に勉強する学生が絶えることはないでしょうが、かつてのように欧米の文物や制度が日本のそれに比して絶対的な権威を持っているという感覚がなくなっている以上、少なくとも学生にとっていわゆる地域研究が文系学問に占める割合は相対的に低下せざるを得ないでしょう。日本の景気が国内消費によって大きく左右されるように、文系学問も国内消費に多くを依存するようになっているのです。これを改善する方法については後で述べます。

 いずれにせよ、こうした状況下で第二外国語をやるのは実用のためだと主張するのには無理があります。そもそも、ここで言う「実用」とは何なのでしょうか? 私の大学の独文科にも語学は実用だと主張する方がおられます。しかしこの主張には矛盾がある。その方は自分が独文科教員だ、ということをもって語学は実用だと言っているに過ぎないからです。しかしその教え子たちは大学を出てドイツ語を活かしているのでしょうか。全然活かしていないのです。もし「語学は実用だ」を徹底するなら、卒業生がその語学を活かせない独文科は実用にならないから廃止すべきだ、ということになりましょう。結果、その教員がいかにドイツ語に堪能であろうと、失業するしかないのです。

 そうです。たとえ独文科を出ても、ドイツ語と無関係な職に就く大部分の学生にとって、語学は「教養」なのです。全国の独語独文科の教師は、実は大部分教養としてのドイツ語を教えているに過ぎません。

 さて、しかしここで教養としての第二外国語という時、その意味はかつて使われた教養という言葉とは違ってきていることを、われわれは自覚しなければなりません。かつては、ヨーロッパは日本にとって疑いもない先進地域でした。したがってドイツ語やフランス語をやることは先進地域の文化に触れることでもあった。フランスのシャンソンやドイツ・リートを好むことは、高等文化愛好という含意を有する教養であったので、そうした教養はいわば香水や宝石のようにその人を飾り立てたのです。

 われわれはそうした第二外国語意識から決別すべきです。第二外国語は世界の多様性を認識するための手段とならなくてはなりません。世界には様々な文化があり、様々な政治制度があり、様々な習慣や思考法があります。そして人間の志向や日常的なコミュニケーションを支えているのが言葉である以上、多様な世界を認識するためには多様な言語を学ばなくてはならないのです。新たな教養の意味とは、国際化時代における多様性の認識ということです。シャンソンやドイツ・リートは高等文化としてではなく、多様な文化の一つとして聴かなくてはならないのです。

 すでに音楽や料理といった分野では、エスニシティという概念によって、かつてのいわば帝国主義的な文化秩序は事実上崩壊しております。これは文字による知識や認識を介さずとも親しめる感覚的な分野において特に顕著な現象ですが、われわれ大学人はあくまで実感主義・実地主義一辺倒になることなく、存在する文化現象を言語による認識を通して体系的に整理し考察するという職務をまっとうしなくてはなりません。(17)

 ここで注意すべきは、英語が普遍・グローバル、それ以外の外国語が地域的・特殊といった二分法をとってはならないということです。人間の思考法や文化はすべてが地域的・特殊なのであって、最初から普遍があるわけではない。もし普遍があるとするなら、それは「特殊・地域の総体」の別名に他なりません。ですから、あらゆる外国語は普遍に通じているのであって、英語はその中の一つであり、たまたま歴史的条件から通用力が大きくなったに過ぎないと捉えるべきなのです。(18)

そもそも自然科学と違って「普遍性」という言葉が軽々しく用いられてはならない人文科学や社会科学の分野にあっては、英語(のみ)で論文を書くということはすでに英語という言語による認識の制約を背負うことなのであり、最終的には人文科学・社会科学の狭隘化を招来するものとだという前提を自覚しなくてはなりません。(19)

 B)後進国意識から脱却せよ

 次に、今の時代、外国語の実用性だけを主張するのは、後進国意識から抜け出せないせせこましい人間のやることだと認識しなくてはなりません。日本が貧しかった時代なら、「語学は実用だ」で済んだでしょう。しかし高度成長期以降の日本はすでに十分に豊かになりました。欧米からひたすら学び続けるだけの時代は終わったのです。国連拠出金世界第二位である日本は、国家レベルでの自閉症に陥らないために海外の情報に耳を傾ける姿勢を堅持し、欧米だけではなくアジアや中近東や中南米など多様な地域に目を向けなくてはなりません。単にODAにより後進国を経済援助するだけではなく、その地の言語や文化を学ぶことによって、多様な他者への理解を涵養しなくてはなりません。

 われわれは語学を、単に先進国から文物や制度を輸入するための手段と見なす古くさい後進国意識を捨てなくてはならないのです。かつてドイツ語とフランス語が持っていた特権性は放棄し、アジアやイスラム圏や中南米の言語を積極的に導入し、世界の多様性を身をもって知るための第二外国語というイデオロギーを打ち出して行かなくてはなりません。

 これからの外国語は、先進国知識吸収用の道具なのではありません。他者を知るということは、最終的には他者への認識をもって自分なりの世界戦略をたてることを意味します。自前の世界認識と世界戦略を持つためにも、第二外国語を学ぶ体制(そしてそれは、外国語教師という形で外国事情の研究者を一定数確保する手段ともなるのです)を堅持し、或いは形成していかなくてはなりません。ちなみに、自前の世界戦略という時、私はこれを狭義のナショナリズムや、いわゆる政治上の独立路線をとれいう意味で言っているのではありません。自分の足で立つ世界認識や世界戦略を持つのは、もはや後進国ではない日本にとってはごく当たり前のことだという道理を申し上げているまでです。

 そしてそのためには、英語さえやればいいという風潮を批判する英語帝国主義論(20)や、ヨーロッパの多言語主義教育の例を掲げて喧伝して行かねばなりません。(21)

 C)人間にとっての教養の意義

 また、教養にはもう一つの側面があります。これは昔から変わらず綿々として受け継がれてきた考え方ですが、せせこましい実用主義者にはついに理解できない。

 つまりこういうことです。仮に高性能の自動翻訳機ができたとすると、外国語を学ぶ意味はなくなるのでしょうか?(22)

 実用主義者はそうだと答えるしかないでしょう。そして実際、実用としての語学を職業としている人の多くは失業するでしょう。しかし、教養としての外国語は違います。たとえ達成度が低くとも、或る外国語を学んだことはその人の知的能力になにがしかのプラスをもたらすのです。電卓が発達したから、小学生は加減乗除を学ぶことなく機械に任せればよいと言う人間がいるでしょうか。機械の方が早く正確なのは明らかなのに、なぜ教育課程の中では自分の手と頭脳を用いて計算をしなくてはならないのか。それは人間の知的能力というものが様々な領域の事柄を体験すること、つまり自分でやってみることによって形成されるからです。(23)

 かつて、代議士の平泉渉と英語学者の渡部昇一の間で英語教育の方法をめぐって論争が展開されました。平泉氏の主張は、英語を日本人全員が学ぶ必要はなく、その代わり実用になる英語力を1割程度のやる気のある者に徹底してたたき込めばよい、というものでしたが、その文庫版後書きで平泉氏は、「英語教育? あれは頭の訓練ではないですか」と先輩代議士から言われたと書いています。政治家だから実用主義者だとは限らないのです。下手な語学教師や学者より政治家の方がよほど語学教育の意味を正しく認識していると言わなくてはなりません。(24)

 或いは、われわれが中学や高校で数学を学ぶのはなぜでしょうか。日常生活では小学校で習う加減乗除で十分なはずなのに、文系に行くと決めた人間でも高校で数学をやるのはなぜなのか。高校の物理や化学にしても、文系人間なら、学校を出て数年もすれば忘れてしまうでしょう。忘れるような教科目を学ぶことは時間と労力の無駄遣いなのか。そうではない。数学者にならなくとも、或いは物理や化学を活かす仕事に就くのでなくとも、中学高校で理系科目を学ぶことにはそれなりの意味があるのです。数学や物理をやったという体験はその人の中に残るからです。こういう世界が世の中にはあるのだという経験をその人は積むからです。教養とはそうしたものに他なりません。こういった事情を知らない実用主義者はそれこそ教養がないのであり、そもそも人間というものについての洞察を完全に欠いた存在だと言うしかないのです。

 日本にはピアノを習う子供たちが数多くいます。しかしその中で、コンサートだけで食べていける職業ピアニストになれるのは、ごくごくわずかです。1万人に1人もいないでしょう。中学高校の音楽教員や、街なかでピアノ教室を開く人を入れても、ピアノを職業に活かせる人はピアノ学習者のうち100人に1人でしょう。では職業的にピアノを活かせない人にとってピアノを習ったことは無駄だったのか? そうではない。やはり教養としての意味があるのです。それだけではない。多くの人間が習うことによって、稀な才能の主が発見される可能性が高まることを忘れてはなりません。或る分野で脚光を浴びるのは頂点に立つ人ですが、その頂点を支えているのは広い裾野なのです。世界中で喝采を浴びるポリーニやアルゲリッチのようなピアニストは、ピアノを習いはしても職業的に活かすことなく終わる多数の子供たちがいればこそ生まれてくるのです。

 第二外国語についても事情は同じです。もし第二外国語はその言葉が使われている地域の研究をしたいごく一部の人間だけがやればいいのだという観念が広まったらどうなるでしょうか。その外国語は日本における裾野を失うのです。裾野は、たとえ質的に不十分であっても、その外国語およびそれが使われている地域に関する知識を日本にもたらします。裾野を失えば、その外国語は一部の好事家のやることと見なされ、その地域は一般の人々から興味を持たれなくなってしまうでしょう。第二外国語の広い裾野を確保することこそが、その外国語を実用として高度に使える人間を養成する道にも通じているのです。つまり、教養としての語学こそが実用としての語学を支えるという事情をわれわれは知っておかなくてはなりません。(25)

  

(3)外国語教育を保証する制度――大学院より学部教育を重視せよ

 さて、ではそうした教養を日本の大学生に保証するためには何が必要でしょうか。言うまでもなく、大学設置基準の再改訂です。誰が見ても分かるように、設置基準の大綱化以降、一方的に割を食ったのは教養科目でした。それも無理はなく、そもそも大学教員は専門領域で認められなくてはなれるものではないし、また大学の組織は学部・学科など専門を軸にできており、教養科目は大学設置基準と教養部という組織によってかろうじて守られていたに過ぎなかったからです。設置基準の大綱化以降何が起こったかを見るなら、10年前の改訂が誤りであったことは明白です。国際社会の多様性を知る教養は、教養科目を設置基準で必修と規定することによってしか保証されません。それが不可能でないことは、「ゆとり教育」を事実上撤回した文科省の変身ぶりが示しています。

 幸いなことに、今はまだドイツ語やフランス語の教員が比較的大学に残っています。そうした教員定員を維持しつつ、多様性を導入することは可能なはずです。今ならまだ間に合うのです。これが、大学から英語以外の外国語教員が根こそぎいなくなってからでは遅すぎます。外国語教員の養成は短期間でできるものではないからです。

 この点について付言しておきたいのは、バブル期以降、日本が豊かになったことと反比例するかのように、学生の外国への関心や外国語能力が低下しているということです。私はここで英語一辺倒になるな、第二外国語を学習する体制を創出せよと訴えていますが、実は学生の英語能力にしても低下が目立っているのです。(26)公立中学校で英語の時間が削減されていることや、またいわゆるコミュニケーション能力重視と称して文法的な理解をおろそかにしているためもあるでしょうが、何より社会が豊かになったために若者が外国への憧れを持ちにくくなっているという状況が根本的な原因ではないでしょうか。若者の視点は内向きになっており、昨今通俗心理学や社会学がはやるのは、自分というものを手っ取り早く解説してくれる説明原理が欲しいからなのです。

 こうした中、文科省の大学院拡充政策がさらに第二外国語を肩身の狭い存在へと追いやっています。日本では、理系はともかく、文系では大学院を出ても社会がそれにふさわしい待遇で受け入れてくれるようにはできていません。にもかかわらずそうした現実を無視して文科省は文系大学院の定員を拡充し、定員が満たされないと文句を付けてくる。そのため、大学院に入りやすくしようと、入試を一外国語で済ませられるようにする動きが顕在化しているのです。理系ならそれで構わないのですが、文系の大学院入試で外国語を一つしか課さないことが何を意味するのか、お分かりでしょうか。英語国以外の文化や法律・政治・経済・社会に関する研究が事実上できなくなることを意味します。たしかに外国語科目が一つということは、英語のみということとは限らず、ドイツ語やフランス語などでもいいわけですが、学生の外国語能力の低下している昨今にあっては、大学に入ってから始める外国語で受験することはかなりの労力を要するのも事実なのです。実際、私の勤務する大学の人文系修士課程大学院では、進学者は増加の傾向にありますが、英語を含めきっちり外国語を習得していないと不可能な外国文化専攻を志望する学生は少数にとどまっています。

 かくして、大学院においてすら第二外国語を用いてのまともな授業が成り立たなくなりつつある。はたして文科省はこうした実態をどの程度把握しているのか。文系において大事なのは、大学院の定員を増やすことではない。むしろ基礎教育を充実させることです。そのためには大学院教授などというものを増やすのではなく、むしろ学部1・2年生の外国語能力や基礎知識を徹底的に鍛えるために、学部の教員定員を増やすべきなのです。文科省の方針は日本の文系大学における外国研究を破滅に追いやろうとしていると言うしかありません。

(4)副専攻制度について

 さて、内向きになっている日本の若者の目を外国へ向けさせるための方策を提言しましょう。それは、文系の大学において副専攻制度を導入することです。そして主専攻か副専攻のいずれかで必ず外国に関わる勉強をすることと定めるのです。現代の日本においては、英語国以外の外国について専門的に勉強することは必ずしも有利と見なされていません。第二外国語を熱心に勉強しても、それを活かして就職できるかどうか分からないからです。こうした状況下では、いくら非英語国の文化や社会を研究している学者が学生を呼び込もうと努力をしても成果は上がりにくく、またそうした学生の動向を視野が狭いと非難するのには無理があります。なぜなら学生からしてみれば、大学での専攻は自分の一生を左右する就職と結びついているのですから、就職に有利な専攻を、と考えるのは自然な感情だからです。

 ですから、むしろ主専攻は彼らの好きな、或いは就職に有利な学科を選ばせ、その代わり副専攻は多少の強制を持ってしても視野を広げるために諸外国に関わる勉強をさせる方が、彼らの目を無理なく外へと向けさせるシステムとして有効なのではないでしょうか。或いは逆に、実は英語国以外の外国文化や政治経済や社会を専門的に学びたいのだが、就職に不利になるのではないかとおびえている学生には、副専攻として多少実用的な学問をやることで不安を減じさせる、という効果もあるでしょう。

(5)外国語担当教員の組織について

 そしてもう一つ、外国語担当教員の組織についても、現在の講座や学科制を単位とした大学では、多様な外国語を教える教員数を確保することは困難ですから、これを変えなくてはなりません。

 色々な案が考えられますが、私はここで外国語センター制度を提唱したいと思います。というと、いわゆる旧帝大が持っている語学センターを想起する方が多いでしょう。私の言うセンターはそれとは違います。旧帝大の語学センターとは教養語学を教える教員の集まりであり、学部や大学院で外国の文化や政治経済を教える教員とは別であるがゆえに差別されがちな組織であるわけです。私の言うセンターは、学部や大学院で外国文化や外国の政治・経済を教える教員が全員所属するものです。すなわち外国の文化や政治・経済を教える教員は全員このセンターに属し、全員教養外国語を担当しなくてはならず、いわゆる専門の授業はそれと並行する形で担当することと規定するのです。

 これによって、教養部という制度のもとでありがちだった専門学部教員と教養部教員の差別意識や確執は解消します。全員平等な条件下で授業を担当することになる。また、センターに語学教員が所属することになれば、教養部解体以降ありがちな、語学教員が所属する学部にだけ有利な「改革」を進めるというような危険性もなくなりますし、何よりセンターという独自の組織にまとまることで、講座や学科単位で構成されている組織しか認めない学部教員から、外国語担当教員は多すぎるなどと言われ定員削減などの際に不利な扱いを受ける危険性からも守られるのです。

 さらなる利点は、このセンターに集う教員が人文系だけでなく、社会科学系をも含み、幅広い地域研究(先に述べたように、人文社会科学にあっては地域研究こそ普遍研究だというのが私の見解ですが、ここでは大学組織で通常使われる概念に従っています)が可能になるということです。従来、語学教師は人文系の学部、特に外国文学語学を専攻した人間がつく職業であるという通念が日本にはありました。しかしそれは大学に外国文学語学系教員が多すぎるという批判を生む土壌ともなっています。また同じ人文系でも哲学や美術や社会学などを専攻する学者は語学教師ではなく、したがって大学でのポストが限られ専任教員になるのが難しいという事情もありました。文学系のみに片寄らない、そして人文系にも片寄らない語学教師養成こそ、こうした批判を退ける方策となり、学内でのポストの遍在を解決する手段ともなるでしょう。

 こうしたセンターは、文科省がやる気ならば国立大の大多数で設置可能なはずです。そうしたセンターができるように、第二外国語教員は協力しあってマスコミその他も利用しつつ、運動をしていかなくてはなりません。

 かつてマルクスとエンゲルスが「万国の労働者よ、団結せよ」と訴えたように、私は「日本全国の心ある第二外国語教員よ、団結せよ」と呼びかけたいと思います。世界の多様性を知る教育をめざして、第二外国語教育を守ろうではありませんか。 

 

本論考は、第2回日本言語政策学会(2003年6月7日、成城大学)での口頭発表に加筆修正を行ったものである。

(1)旧制高校においては、文系は勿論のこと、理系においてですら外国語科目の占める割合は高かった。大正8年の調査では、高校文系で外国語科目の占める割合は時間数で40%近くに達し、理系でも35%前後であった。専門学校でも長崎商業高等学校(のちの長崎大学経済学部)のような文系では、昭和6年のデータで35%に達している。一方、理系の専門学校である東京高等工業学校(のちの東京工業大学)では昭和4年の調査で外国語科目は英語のみで、それも全体の10%弱に過ぎなかった。このあたり、旧制の高等学校と専門学校の、特に理系における外国語科目の位置づけには明瞭な違いがうかがえる。竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論新社、1999年)251頁以下。

(2)実際には、旧制度にあっても学生の外国語力は時代と共に低下していったという指摘がある。明治維新からあまりたっていない時期は日本語の教科書がなく、学生は外国語の本で勉強せざるを得ないから否応なく語学力がつくが、やがて日本語の本で間に合うようになっていくから、語学力は低下するのである。昭和十年代初期、つまりまだアメリカとの戦争が始まっていない時期の大学生の語学力はかなり低かったという。旧制の高校生や大学生はみな外国語ができた、というのは神話に過ぎない。平泉渉+渡部昇一『英語教育大論争』(文春文庫、1995年)139頁以下。

(3)轡田収+三島憲一+上田浩二『日本におけるドイツ語教育の状況をめぐって(「ドイツ語教育部会会報」第30号別冊)』(日本独文学会ドイツ語教育部会、1986年)

(4)森光昭「ドイツ語教育部会『別冊』の問題点」、『Laterne』第57号(同学社、1987年)2932頁。

(5)日本独文学会(編)『ドイツ文学第79号』(1987年秋)218頁を参照。

(6)轡田収ほか、前掲書、9頁。

(7)中山純『ドイツ語教育を巡る議論に対する所感――轡田・三島・上田論文に対する反論――』、「ドイツ語教育部会会報」第31号(1987年)3233頁。

(8)しかも、こうした誤った言説が大学の外国語教育「改革」を担う人間によって今なお無批判的に取り上げられている惨状を見ると、外国語教師の知的資質そのものを疑わざるを得ないのである。新潟大学ドイツ語教員グループ(編)『量から質へ――「新潟大学方式」による外国語教育――』(日本独文学会、日本独文学会研究叢書022号、2003年)2頁における金子一郎氏の記述はその一例と言うべきであろう。

(9)日本独文学会(編)『ドイツ文学』第97号(1996年秋)203頁以下にこのシンポの報告が掲載されている。東大と京大以外の発表者は、大阪大、熊本大、立教大。

(10)同上書、203頁。またここには「今回のテーマ中の『教養部解体』は国立大学に限ったことではなく、『戦後、共通に行われてきた1,2年次対象の一般教育を担当した教員組織の改編』の意味で理解していただきたい」とある。

(11)日本独文学会(編)『ドイツ文学』第99号(1997年秋)201頁以下に収録。ちなみに、この「まとめ」では発表の誤りを指摘した私の発言にはまったく言及がなされておらず、政治性を感じさせる。まとめはシンポ司会者の執筆であり、責任の所在を明瞭にするために名を挙げておくと、池田信雄・東大教授と奥村淳・山形大教授である。

(12)http://miura.k-server.org/newpage158.htm また『nemo第6号』(新潟大学・三浦淳研究室発行、1999年)65頁以下にも収録。

(13)大綱化以降のドイツ語授業数減が、非常勤講師担当ドイツ語授業の削減につながっていることは、ドイツ語教育部会の調査でも明らかにされている。日本独文学会ドイツ語教育部会・ドイツ語教育に関する調査研究委員会(編)『ドイツ語教育の現状と課題――アンケート結果から改善の道を探る:平成9〜10年度科研費補助金基盤研究(C)(1)課題番号09610516』(1999年)20頁。

(14)財団法人ドイツ語学文学振興会(編)『ひろの』第42号(2002年)4〜5頁所収の荻野蔵平氏の文章。

(15)鈴木孝夫『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書、1999年)72頁。

(16)語学教師がサブカルチュア教師に転向するという現象については、近いうちに別途明らかにする予定でいる。ここでは最近出版された岩木秀夫『ゆとり教育から個性浪費社会へ』(ちくま新書、2004年)の注目すべき分析を紹介しておきたい。すなわち、いわゆる「ゆとり教育」が持ち出された背景とサブカルチュアの浸透との、国際政治的な見取り図である。レーガン、サッチャー、中曽根康弘らのいわゆる新自由主義を標榜する保守政治家が登場した1980年代、例外なく教育改革が課題として取り上げられたが、国境を越えたグローバルな産業展開が一方に、国内的に人間の欲望を満たす新たなサービスや財を開発するポスト産業主義が他方にあるとするなら、英米の教育改革は前者に焦点を合わせて、すなわち学力向上を目指して行われたのに対し、日本では後者に重点がおかれていた。当時は日本企業が国際競争力を持ちすぎていることが問題視されていたため、競争力を弱めて欧米との協調を保つ方針が日本の産業界や政治家に支配的であり、これが文部省の「新たな学力観」や「ゆとり教育」を生み出したというのである。そしてグローバル化は、国際的な産業構造を利用しうる一部エリートと、そうでない一般大衆との格差を拡大する。後者はサブカルによって微細な「個性」を浪費する国内消費的な存在にとどまらざるを得ず、学力低下誘導政策がそれを後押しする。本来、新保守主義政策とは結果の平等を批判して機会の平等を推進し、競争に敗れた者は経済的不利益をこうむってもやむを得ないとするものであったが、むしろ貧富の差の拡大と階層の固定化が進行する中で、日本にあってはポストモダニズムと結びついたサブカル浸透が「ゆとり教育」の後押しによって、機会の平等すらをも奪ってゆくであろう。

(17)ここで、「国民国家は近代の産物だ」とするシニカルな視点から多言語主義を揶揄し、結果として現に進行している英語帝国主義の蔓延にいささかも対抗策を打ち出し得ない論者を批判しておく。三浦信孝(編)『多言語主義とは何か』(大修館書店、1997年)における酒井直樹氏や西川長夫氏らの論考のことである。特に酒井氏が米国の大学に勤務しているという条件を考えると、こうした視点は安全な場所に身をおいたエリートの空理空論と評するしかない。

(18)注(8)で言及した『量から質へ』に収録されている「新潟大学初修外国語改革案(2003年4月)」の認識はこの点で極めてお粗末である(同書巻末I頁)。そこでは英語が「リング・フランカ」とされ、独仏語など他の外国語は「それぞれ固有の文化の理解から切り離して学ぶことは考えられない」とされている。これを書いたのは人文系学者であろうが、認識の浅さには驚愕せざるを得ない。

(19)蓮実重彦『私が大学について知っている二、三の事柄』(東大出版会、2001年)151頁。

(20)文献としては津田幸男『英語支配の構造』(第三書館、1990年)、津田幸男(編)『英語支配への異論』(第三書館、1993年)がある。また日本人の英語崇拝病――別の言い方をすれば英語恐怖病――は船橋洋一『あえて英語公用語論』(文春新書、2000年)に見られるが、鈴木義里(編)『論争・英語が公用語になる日』(中公新書ラクレ、2002年)においてかなり批判されている。特に、英語帝国主義が単に外国語間の覇権の問題なのではなく、最終的には自国語の問題なのだということは、同書でシンガポールの英語事情を紹介している茂木弘道氏の文章を読めばよく分かるはずである。

(21)ヨーロッパの多言語主義については最近紹介も増えているが、基本的な文献としてはやはり注(17)で言及した『多言語主義とは何か』を挙げるべきであろう。様々な興味深い文章が収録されているが、例えばB・カッセン(福崎裕子訳)「フランス語にとっての多言語主義」を読むなら、英語国でないフランスのみならず、英語使用国の英国においてもサッチャー首相によって多言語主義が押し進められたことが分かる(同書100頁以下)。また唯一の超大国アメリカにあっても、ヒスパニックなど非英語話者の増加という状況下、法律による英語公用語化の動きがある一方で、移民の母語を尊重するイングリッシュ・プラスという多言語政策がとられていることが本名信行「アメリカの多言語問題」で指摘されている(同書48頁以下)。無論、多言語主義をポジティヴにばかり捉えるのは単純すぎる。フランスの多言語主義が所詮は米国の覇権による英語の浸透への反発という域を出ていないという批判もある。三浦信孝『現代フランスを読む――共和国・多文化主義・クレオール』(大修館書店、2002年)242頁以下。フランスの多言語教育の最新事情については、ジャン・クロード=シュヴァリエ(西山教行訳)「フランス・ヨーロッパ・多言語主義」(『新潟大学言語文化研究第8号』、2002年、195203頁)がある。また本論考が口頭発表された第2回日本言語政策学会においても、杉谷真佐子氏の「ドイツにおける外国語教育政策とバイリンガル教育――複数外国語教育の観点」と平尾節子氏の「EU(ヨーロッパ連合)における言語政策の研究――フランスの外国語教育の現状」によってヨーロッパの多言語主義政策が紹介された。

(22)高性能の自動翻訳機が実現するかどうかは、現時点ではよく分からない。肯定的に見る意見は、津田幸男(編著)『英語支配へ異論』(第三書館)1993年、31頁。一方、難しいとする見解もある。西垣通「インターネット時代のアジアの言語」、三浦信孝・糟谷啓介(編)『言語帝国主義とは何か』(藤原書店、2000年)所収、334頁。

(23)アメリカでは小学校の算数で計算に電卓を使うが、その結果として思考能力や文章能力にも弊害が出ているという指摘がある。 市川力『英語を子どもに教えるな』(中公新書ラクレ、2004年)23頁以下。

(24)ただし平泉氏の主張はそれなりの学識に裏打ちされており、下手な語学教師より知的であることは付言しておく必要があろう。平泉渉+渡部昇一、前掲書、243頁。

(25)日本の中等後期・高等教育において「教養」の位置づけが難しいのは、明治維新以降の学制が第一に欧米先進国に追いつくための方策として構想され、したがって実用主義に傾きがちだったからである。この点について本格的に論じる余裕はここではないが、階級社会のヨーロッパでは中産階級がまずあって、その教養教育のためにパブリックスクールやリセやギムナジウムといった中等教育機関が作られたのに対し、日本では旧制高校が中産階級的な層を作る役割を果たさざるを得なかった、という指摘は重要であろう。天野郁夫『学歴の社会史』(新潮社、1992年)を参照。また、大衆社会が早期に成立した米国にあっても、大学はもともと教養カレッジという形態であり、19世紀後半にドイツを模して研究に重点をおく大学が作られた後になっても教養重視は伝統として続いていた。P・ウッドリング(米盛裕二ほか訳)『アメリカの大学』(東大出版会、1971年)を参照。日本の大学教師が教養意識に欠けるのには、歴史的な背景があるわけである。

(26)私自身の教室(新潟大学)での体験から例を挙げると、英語のtooが形容詞にかかる場合の意味を把握していない学生が珍しくない。単なる強調で、veryと同じ意味だとしか理解していない。なお日本の大学受験生の英語力低下、および英語教師にすら学力低下が見られるという事態については、以下を参照。 澤井繁男『誰がこの国の英語をダメにしたか』(NHK生活人新書、2001年)

 

 

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