音楽雑記2003年(その2)

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12月31日(水) 午後1時、自家用車に次男と長女を乗せて、老母のいる船橋へ出発。 長男 (および女房) は大学受験につき置いていく。 高速には雪もなく (湯沢付近では路面の隅の方にほんの少々)、渋滞もなく、順調。 また外環道から常磐道に抜けて柏インターで降りた後、いつもなら16号線が混んでいるのだが、これも車が少なく、スイスイと走れた。 おかげで5時間かっきりで到着。 いつもこうだといいんですがね。

12月28日(日) 午後2時から、りゅーとぴあ・スタジオAで、鈴木花恵 (ヴァイオリン) と尾崎望 (ヴィオラ) の姉妹による演奏会 「BLUMENSTRAUSS――ヴァイオリンとヴィオラの音の世界」 を聴く。 今年最後の演奏会である。

  曲目は、クライスラー: レチタティーヴォとスケルツォ・カプリス作品6、イザイ: 無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番、 モーツァルト: ヴァイオリンとヴィオラのためのデュオK.423、 ヘンデル-ハルヴォルセン: ヴァイオリンとヴィオラのためのデュオ”パッサカリア”、 バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番。

 尾崎さんは中ほどの2曲に出るだけで、あとは鈴木さんの独奏ヴァイオリンの演奏会だから、まあ鈴木花恵のリサイタルみたいなものである。

 鈴木さんは、私は今年の3月に開かれたドルチェコンサート以来。 あの時の鈴木さんはベートーヴェンのクロイツァー・ソナタを弾いた。 力感あふれる演奏だったが、緩徐楽章の叙情性や軽妙な表現はもう一つの感があった。

 本日の最後を飾るバッハでも、同じような印象を持った。 熱演であり、悪くないのだが、もう少し演奏に 「間(ま)」 といったものが欲しい。 そうすることでかえって力強い表現が活きるはず。 今のままだとやや単調な感じになってしまう。

 力量はある人だと思うので、次回はだいしホールか音文あたりでリサイタルをやってみてはいかがか。 お姉さんと一緒なら、ブラームス・プロなどどうかな。 ヴァイオリン・ソナタとヴィオラ・ソナタが一つの演奏会で聴ける、なんてのもオツなものだと思うんですがね。

 しかし何はともあれ、この演奏会は入場料千円であるのがありがたい。 プログラムと演奏の質から言って、超安い、と思いますけど。 もっと沢山の人たちが聴きにきてほしいものです。

12月27日(土) 午前9時からコスポ (新潟西総合スポーツセンター) に行く。 N卓球クラブの練習をするためである。

  いつもは小学校の体育館で夜7時から練習をしているのだが、このところの不況で新潟市も予算不足となり、学校の宿直が冬休み前後の4週間は不雇用と決まって、その間は練習できなくなってしまった。 例年は2週間程度だったのに。

 それで仕方なくコスポで練習しようということになったわけである。 女性陣は夜より朝がいいということだったので、それに合わせて午前9時からとなった。

 行ってみると、他クラブの面々も結構来ており、十数台ある卓球台は満杯となった。 コスポは2時間ごとの入れ替え制で、奇数時間に入場し、その2時間後に出ることになっている。 9時に入ると11時までできる。 ただし最後の5分間はモップで清掃をする時間となっているが、それでも正味1時間55分あり、たっぷり練習できる。 これで料金は200円だから安い。 もっともふだん練習している小学校体育館ならタダだけれど。

 ふだんの小学校での練習だと、宿直から鍵を借りて体育館の電灯をつけ、それから台を出すので実際に始めるまでには時間がかかるし、最後は台をしまって清掃だから、見かけは2時間でも正味は1時間半程度である。

 さて、コスポも今年は本日が最後の開館日ということで、練習も後半は各クラブ員が入れ乱れて試合をしたりして、打ち納めとなった。

12月25日(木) クリスマスでもあるし、たまには柔らかい話題ということで、女優の話でもしよう。 (え? クリスマスと柔らかい話題とどういう関係があるのかって? まあ、細かいことは抜きにしましょうよ〔笑〕 )

 最近の芸能界の話題は広末の結婚らしいのだが、この広末という女優、私はどこがいいのか全然分からないのである。

 私はテレビはほとんど見ない人間なのであるが、彼女のデビューしたてのころに、「20世紀ノスタルジア」 という映画のヒロインをやっているのを見て、なんでこんなありきたりの子がヒロインやってるのかな、と思った。

 何かの間違いで 「いい」 ということになり、その後その間違いが受け継がれる、ということがあるとするなら、彼女はその典型じゃなかろうか。

 今は他人志向社会である。 つまり、「自分がいいと思う」 ではなく、「他人がいいと評価するモノ (ヒト) をいちはやく見つける」 のが大事な社会である。 (学生のために。 リースマン 『孤独な群衆』 を読むべし。)

 そうした社会では、何かの間違いで 「いい」 ということになってしまい、実は本当は誰もいいとは思っていないのだが、他人はみなそう思っているのであろう、ということで通用してしまうモノ (ヒト) が存外あったりするのではなかろうか。

 私がハイティーンから二十歳にかけての時代、つまり1970年前後で言うと、天地真理というアイドル歌手がいた。 なぜか彼女は可愛いという人が結構いて人気があったが、その後彼女が芳しからざる道をたどったのは、本当は可愛くもなくましてや美人でもなかったのが、間違って可愛いということにされてしまったからであろう。 まあ、これは間違いが (やや残酷な経過をたどってであるが) 是正された例と見るべきなのだろう。

 そして、私が新潟に移り住んで間もないころだから、80年代の前半か半ばだったと思うが、伊藤麻衣子というアイドルに人気が出たことがあった。 私はこれまた映画でヒロインやっているのを見たのだが、やはり 「何でこんな女の子がヒロインやってるのかな」 と思った。 全然美形じゃないのである。 たしか少年誌でアイドル募集の企画があり、読者の投票で選ばれたのだったと記憶するが、こんな子を一位に選ぶんじゃヤングの美意識もアテにならないな、と痛感した。 今現在、生き残っていない (と思うが) ところを見ると、やはり誤った選択が時間に淘汰されたのであろう。

 もっとも、スゴイ美人ではなく、自分にも手が届きそうな女の子を選ぶのだ、という説明もあるかもしれない。 しかし、である。 自分にも手が届きそうな女の子なら、近隣にいくらでもいるじゃないですか。 テレビや映画のヒロインになるようなアイドルとなったら、自分が手の届きそうもないくらいスゴイ美人を選ばなきゃどうしようもない、と私は思うんですが。

 或いは、それは好みの問題だ、という人もいるかも知れない。 たしかに男の女に対する好みは色々である。 ただ、「何でこんなのが」 というのと、「オレは好まないが、美人かも知れないな」 というのとは、はっきり違うのである。 例えば、私は田中裕子や宮沢りえは好まないが、こういうタイプが好きな男はいるだろうな、という見当はつく。 しかし、広末となると、こういうのが美形だという男の気が知れないのである。 

 というわけで、日本人の美意識の衰退を憂う私なのでありました。 ・・・・・・ってのは大げさか(笑)。 

12月23日(火) 午前9時からコスポ (西新潟総合スポーツセンター) で開催される 「お楽しみ卓球大会」 に参加。

 この大会は第3回を数えるが、私が参加したのはこれが初めてである。 公的な大会ではなく、そこいらの社会人卓球愛好家が男女を問わず自主的に集まって、総当たりリーグ戦で試合をやろうというものである。

 試合は11本2セットだけ。 セットカウントが1―1だったら引き分けとなる。

 セット取得数で順位を決める。 参加者が1人一品ずつ賞品を持ち寄り、順位が上の人から好きなものを取っていくという趣向である。

 しかし参加者が26名と予定超過だったせいか、総当たりとはいかず、私は18戦3勝13敗2引き分けでした。 とほほほ。 これでも最下位ではなく、下に3人ほどいたのが救いか。 ただし私より下は皆ご婦人でしたけど。

 何はともあれ、色々な人と勝ち負けに関わらず試合ができるところがミソである。 市民大会だとそうはいかず、トーナメント形式だから、一度負ければそれでおしまい。 だから市民大会は――実は一昨日あったのだが(私は不参加)――人気薄なのである。

 さて、最後で1人一品ずつ持ち寄った賞品を順位にしたがって選ぶ場面となり、私は順位が下だから残り品数が少なくロクなものがない。どうやらタオルセットらしいと分かるものがあり、何となくそれにする。 いかにも貰い物の不要品を回しました、という感じで、これを出した人のケチ臭さが分かってしまう。 小学校のバザーじゃないんだぞー(笑)。

 1人一品、数百円の物を持ち寄れ、というのが指定なのだが、この条件で何を持ち寄るかによって、その人のセンスが表現されるものだ。 どのみち数百円ではたいした品は買えないわけだが、たいしたものではないけれど悪くないじゃないか、と人に思ってもらえる品を選んで持ち寄る精神がほしい。

 じゃあお前は何を持っていったのか、と問われそうだが、私はビールにした。 といってもキリンだとかアサヒといった大手メーカーのビールでは面白みがないから、地ビールで、それも 「有機栽培の麦で作りました」 と銘打ったビールの小瓶を2本用意した。 これで税込み500円程度である。

 それなら、特に男性陣にすぐ選ばれただろうと思うと、さにあらず。 不透明なポリエチレン袋に無造作に包んでいったせいか、なかなか貰い手がつかない。 何しろご婦人方はお店できれいな包装用紙に包んでもらった品をもってくるから、外見に惑わされて(?)そういうものから売れていくのである。 『ヴェニスの商人』 の小箱選びが思い出されるではないか。 或いは、ポーの 『盗まれた手紙』 かな? なんて、文学趣味を見せてしまうのが私の悪癖ですね、すみません。

 というわけで、いわば鉛の箱に入った私のビールを選んだのは、私より下位の御婦人でした。 でもあとで中を覗いてから、「いいものをいただいて」 と感謝されましたぞ。 そう、持ち寄った品には自分の名前を書いておくように指定されているのだ。

 だから、私の選んだケチくさいタオルセットの提出主も、分かってしまっているのだぞ。 むふふふふ・・・・・。 でもこういう人に限って卓球が強かったりするから、世の中ってそういうものかなあ、と思っちゃう。 (どういうものなのだ?)

 *    *    *    *    *

 さて、午後6時半から新潟大学管弦楽団第40回定期演奏会をりゅーとぴあコンサートホールにて聴く。 指揮はいつものごとく河地良智。

 前半にグリンカの 「ルスランとリュドミラ」 序曲とボロディンの 「だったん人の踊り」、後半はブルックナーの交響曲第4番。 特にブルックナーは大曲だけに注目されたが、まずは無難な出来であった。 トランペットなど金管の迫力がもう少しあればなお結構。

 聴衆は例のごとく(?)学生と年寄りが多い。 拍手のタイミングが早すぎるのが気になった。 ブルックナーの音の余韻をちゃんと味わってから拍手して欲しいものだ。

 今回は後半が大曲だったせいか、アンコールはなし。 それもいいが、最後で指揮者の指示と団員の退場のタイミングが合っていなかったみた
い。

12月21日(日) 今朝の毎日新聞を読んでいて、ううむと思う。 毎日新聞には 「家計簿診断」 という欄がある。 読者の投稿によってできており、月収いくらの家族がこういう風にカネを使って生活しています、みたいなことが語られているコーナーなのだ。 投稿主は、ほぼ100%女性である。

 この日掲載された家族は、夫 (40歳、月収が手取り52万)、専業主婦 (40歳)、中学生の娘 (12歳) の3人家族であった。

 私が驚いたのは、夫にこれだけ月収があって、子供が1人しかいない、ということなのである。 40歳で月収が手取り52万円というのはかなりの高給取りである。 (言うまでもないが、51歳のワタシより多い。) 多分、大企業のエリート社員なのであろう。 

 それでいて子供が1人 (ワタシは3人)。 日本の少子化を支えている (?) のは、こういう人たちでもあるのかな、と思う。

 ワタシは最近の専業主婦バッシングの傾向には与しない人間だが、しかしそれは専業主婦が妻として母としての勤めをちゃんと果たしている限りにおいてのことである。

 こういう高給取りの夫を持った妻は、きちんと (?) 子供の3人程度は生んでちゃんと育てるべし! 

12月20日(土) 昨日から強風で強い寒気が浸透。 ようやく冬らしくなってきた。 ガソリンスタンドで車のタイヤを冬用のに交換してもらおうと、拙宅の物置からスタッドレスタイヤを出す。 

 その際に庭を横切ったら、初夏に植えたピーマンがまだ実を付けているのにびっくり。 夏よりは小ぶりだけれど、2つ収穫できました。 ふた株植えたうちの一株は枯れてしまったが、もう一株は生命を保っていたようだ。 最近庭を見ていなくて、気づかなかったが、大地の恵み(こういう表現、あんまり好きじゃないけどね)に感謝する日となったことでした。

12月19日(金) 敬和学園大の非常勤を終えた後、久しぶりに新発田のBOOKOFFに立ち寄る。 クラシックのCDがたくさん入っていて、おやこれは、と思ったのだが、あんまりいいのがない。 それと、値付けが高い。 NAXOSが980円で売っているのは明らかな勉強不足だが、それ以外でも1枚1500円もするCDがあったりして、首を傾げてしまう。

 唯一、食指が動いたのが渡辺暁雄指揮・日フィルによるシベリウス交響曲全集だが、定価が6000円なのに値段は4000円。 おいおい、BOOKOFFって半額販売が原則じゃなかったのか? どうも新発田BOOKOFFの店主は、何か勘違いをしているんじゃないかいな。 

 というわけでCDは1枚も買いませんでした。 その代わり、本は掘り出し物があって、3000円ほど買う。

12月14日(日) 昼から、浜浦小学校体育館で、N卓球クラブとH卓球クラブの親善試合。 私は団体戦はシングルス1勝、ダブルス2敗でした。

 例年は11月にやっている大会なのだが、今年は日曜日に体育館使用の申請が多かったらしく、12月でないと使用許可が下りなかったのである。

 加えてこの日はアクシデントが。 NクラブのY氏がアキレス腱を切ってしまい、病院に運ばれた。 Y氏は64歳で、年齢と、寒さと、準備運動不足が重なったものと思われる。

 夜の懇親会が済んでから、同じクラブのT氏と私とで自宅に見舞いに行った。 T氏も私もY氏も自宅が近いところにあるのである。

 それにしても、卓球人口は全体に高齢化が進んでいる。 この日の参加者もほとんどが50代と60代の人であった。 理由はいくつかあり、30代40代の人だと仕事や子育てで忙しいからなかなか社会人のスポーツクラブに参加できないこともあるが、年齢による好みの問題もありそうだ。

 T氏はバス会社勤務だが、社内のクラブ活動でも、卓球部は50歳以上の人ばかりで、40代の人だとテニスになってしまうのだそうだ。 日本の卓球が強かった頃に少年少女時代を送った世代が50歳以上であること、またその後日本が豊かになってテニスが浸透していったことが背景にありそうである。

 というわけで、スポーツの好みにも世代が表れるというお話でした。

12月12日(金) 今年の2月4日にも 「北朝鮮の飢えた子供たちに食糧を」 という封書をよこしたNGOの神父さんから、また同趣旨の封書が来る。 しかし、今回の封書には、拉致問題で日本の世論がヒステリックになっているというような文言があり、あれれ、と思った。

 こりゃ、僧衣の下から鎧(よろい)、というやつですな。 北朝鮮が拉致をやったのが犯罪行為だということには全然ノータッチで、まるで日本側が一方的に悪いかのような印象を与える文章なのだ。 こういう認識は、旧サヨクそのものじゃないですかね。

 2月4日の項にも書いたけれど、私は北朝鮮が犯罪国家であっても飢えた子供たちに食糧を、というヒューマニズムは十分成り立ちうると思っている。 しかしそれは、何かにつけて日本がイケマセンと言い募るような自虐的な見解とは全然別物なのだ。

 北朝鮮が犯罪国家で、金正日がどうしようもなく愚かな独裁者であっても、そこに住む飢えた子供たちのために食糧を送ろう――というのが、ヒューマニズムの原点でしょう。 それは、北朝鮮の犯罪を隠したり、善と言いくるめたりする政治的な態度とは根本的に違うことであるはずだ。

 この神父さん、そういうことが全然分かってないんだなあ。 こりゃ、ダメだ。

12月9日(火) いわき市に住むSさんから、当地でとれた魚の干物が大量に送られてくる。

 Sさんは中学3年次の同級生であるが、卒業後ずっとご無沙汰だったものが、9年前の同窓会で久しぶりに再会した。 それからまもなく息子さんが新潟大に入ったので、時々新潟を訪れるついでにワタシの研究室に立ち寄るようになった。

 そしてそのついでにお土産をいただくようになってしまったのだが、こちらとしては恐縮なのである。 というのも、「息子をよろしく」 と言われても、息子さんは理学部で、私とは全然関係のない部局なので、「よろしく」 しようもないのである。 だから収賄は成立せず、もらってもいいですよね、とワタシは勝手に決め込んでいるのであるが。 なははは。

 息子さんは留年するなどしてかなりゆっくりと理学部を卒業した。 そして、今年の春、指導教授が東京理大に移ったので、そちらの大学院に進学するべく、東京に引っ越したのである。

 であるから、「息子をよろしく」 という理由もすでにまったく成立しなくなったわけであるが、にもかかわらず故郷の味を送って下さるSさんの律儀さには頭が下がる。 人柄というのはこういうところに表れるものなのであろう。 

12月8日(月) 本日研究室に訪ねてきた4年生が、まだ卒論を書き出していないというので、愕然とする。 〆切まで1カ月ちょっとしかないというのに、大丈夫なのかな。 これに限らず万事にスローな感じのある学生なのだけれども。

 実は、先週も別の学生が卒論の進捗具合を報告に来たのだが、夏休み前の構想発表会のときに与えた注意を無視し、やっておくように指示した基礎作業を全然やっていないのに呆れて、怒鳴りつけた。

 私のいる場所には、どうもこの手の学生が多いのだけれども・・・・・・・その根本的な原因については、詳しく書くと差し障りがありそうなので、ここまでにします。

12月7日(日) 午前中、西新潟総合スポーツセンターで坂井輪西地区の親善卓球大会。 男子Cクラスに出場したが、予選リーグ2勝1敗で決勝トーナメント進出を逃した。 2番目の試合で、セットカウント2―2となり、5セット目を5―1でリードしながら、逆転されて8―11でとられてしまった。 どうも最後は腕が硬くなり、試合に弱いという欠点をさらけだしてしまった。 残念無念。

 午後、りゅーとぴあのスタジオAで、娘が通っているヴァイオリン教室の発表会があるので、卓球試合の午後のダブルスの部は欠席して駆けつける。

 ところが行ってみたら、りゅーとぴあの駐車場は満車。 仕方なく西堀通の民間駐車場に留めたが、ここがまた狭いのに愕然。 最初は西堀通の1時間だけの路上駐車にしようかと思ったのだが、あいにく100円玉がなく、路上駐車は200円分のコインを機械に入れないとできないから、あきらめて初めて利用する民間駐車場に入れてみたのだが、5ナンバー車である私のクルマですら、バックで入れるとき2回切り返しをやらないと入れないくらい狭い。 軽自動車専用にしたらどうだと言いたい。

 閑話休題。 このヴァイオリン教室、昨年までは次男を通わせていたのだが、自分でやりたいと言いだしたくせにロクに練習をせず、上達もしないので、やめさせ、代わりに末娘を通わせることにしたもの。 

 娘は3番目に登場。 通い始めて半年だが、その割りにはまともに弾いた。 最後に特別出演した山田優花さんは、ここの教室出身で現在は新潟大の教育学部特別音楽科に通っている。 さすがにバルトークなど立派に弾いて、貫禄を示した。 おまけに牧田由起さん (このコーナーの2月1日の記述を参照) に似た美人。 新潟は美人ヴァイオリニストの宝庫だなあ。

12月6日(土) 午後2時から、「佐々木和子室内楽シリーズIV 木管五重奏とピアノの響き――東京交響楽団木管セクショントップ奏者による」を新潟市のユニゾンプラザで聴く。   F・プーランク: 六重奏、 シャミナード: フルートとピアノのためのコンチェルティーノ、 ケルビーニ: ホルンとピアノのためのソナタ、 ほか

 木管五重奏は、フルート、オーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネットによる五重奏のこと。 奏者や楽器の紹介をはさんでの演奏会は、分かりやすく、また東京交響楽団木管トップ奏者の顔がよく分かって、次回の東響定期が楽しみになるところも利点と言える。 もっともオーボエの池田昭子さんはN響に移られたそうな。

 しかし、なぜか協賛が 「新潟県女性財団」 となっており、フェミ系の催しのチラシがいっしょに配られたのが玉に瑕だ。 こういう地味な室内楽とフェミとどういう関係にあるのか、さっぱり分からない。 だいたい、この財団は県費で、つまり税金で動いており、無関係な芸術方面にカネを出すのは筋違いではないか。 芸術系の財団としては新潟県文化振興財団がちゃんとあるのだから、そちらに任せるべきであろう。

 午後6時から、県民会館で、今度はレニングラード国立歌劇場によるビゼー「カルメン」公演を観る。 演出はスタニスラフ・ガウダシンスキーで、指揮はエフゲニー・ルペノフ。 配役は、カルメンがナタリア・ビリュコーワ、ドン・ホセがヴァシリー・スピチコ、闘牛士エスカミーリョがニコライ・コピロフ、ミカエラがエレーナ・ボリセヴィッチ。

 闘牛士がちょっと固い声で、南欧の野性的な男と言うよりはロシアの権高な官僚みたいだったが、あとは悪くない声だった。 またバレエ・シーンが華やかで見応えがあった。

12月4日(木) 5限の授業 「テクスト批評論」 が終わってから、この授業の忘年会をやる。 一応講義系科目なのだが、学生は3人だけで、半分演習形式でやっているので、特に酒席を設けたわけである。 場所は工学部近くの寿司屋。 3人とも女子学生だが、結構酒が強く、ビール・酎ハイ・日本酒と飲んで、顔に酔いが全然出ない。 頼もしい限りである。

11月30日(日) 昼すぎ、朱鷺メッセの新潟県立万代美術館に、「フランス・ハルスとハールレムの画家たち」 展を見に行く。 家内と末娘が同行。

 実は前売り券は買っておいたのだが、なかなか家族で行く機会がなく、しかし10月7日に始まったこの展覧会も本日が最終日だから、どうしても行かないわけにはいかなかったのである。

 この朱鷺メッセのビル、竣工して間もないが、来たのは今日が初めてである。 竣工早々、本館と駐車場ビル及び佐渡汽船ターミナルビルとを結ぶ通路が崩壊して話題になったが、車を駐車場ビルにとめて出てみると、なるほど、見事に通路が途中でなくなっている。 通路がこの有様では、本館ビルも大丈夫なのかな、という不安な気分になるのは避けられない。

 しかし本館に入ると、信濃川を望む広い通路が続くのは、眺望とからするとなかなか悪くないと思う。

 展覧会は、16世紀オランダの、市民階級が競って絵画を注文・購入していた時代の風景画・人物画などが並んでいる。 率直に言ってさほど面白いとは思わなかったが、東京の美術館に比べると空いていて、ゆったり鑑賞できるのがいい。

 鑑賞後、昼食をとろうと思ったが、ビルの中のレストランは数が少なく、値段も高めなのが気に入らず、結局ビルを後にして某こだわりのラーメン屋に入りました。 最近はこだわりのラーメン屋さんも値段は低めに設定している。 ビルの運営者は、この点、もう少し工夫して下さいな。

11月29日(土) 午前中、駅南の産業振興センターに行く。 卓球・バドミントン用品専門店であるSスポーツが、年に一度の大売り出しをやるのである。 ラケット、ラバー、ボール、ウェア、その他なんでも3割引。 見切り品としてもっと大幅な割引がなされているお買い得品もある。

 バーゲンは9時からだったが、私が10時過ぎにクルマで会場に着いたら、買物を済ませてやってくる卓球仲間のOさんとすれ違った。 Oさんは腕で何か描いて見せたが、どうやらものすごい混雑だよと言いたかったらしい。

 私はこの大売り出しはここのところ毎年来ているが、今日は例年になく人が多い。 特に中高生の姿が目立つ。 このセールは例年土日だが、週休二日制の浸透で土曜日でも中高生が来られるようになったからだろうか。 或いは、映画『ピンポン』のヒットや福原愛人気で卓球をやる若者が増えているのだろうか。

 まず所属のNクラブから依頼されたボール10ダース入りの箱を確保。 定価2万4千円あまりの品が1万7千円だから、この差はバカにならない。

 あとは自分用にショートパンツを買う。 昨年はセール2日目に来ていいのがなかったので、今回は初日の午前中に来たわけで、その甲斐があってか目標通り、2千円台の品をゲット。 これでショートパンツは計5枚になるが、1週間に4回練習をしても余裕ができる。

 それから、上半身用の半袖ウェアも見てみたのだが、気に入った品がないので買うのはやめた。 こちらは現在7枚持っているので、是非というほどではなく、安くていい品があればという気持ちだったが、値段とこちらの好みが折り合わない。

 まず2千円台だと、色やデザインがひどい。 ドブネズミ色や雲古色だったりして、いくらなんでもこんなウェアはまっぴらというのばかり。 3千円台となると、色やデザインはいいものがあるのだが、サイズが私に合わない。 私は身長からいうとMだけれど、最近トシのせいで胴回りが太くなっているので、Lでないと窮屈なのだが、3千円台はなぜかMかSばっかりなのだ。

 といって4千円台となると安いという感じがしないから買う気がしない。 そもそも、卓球の上半身用半袖ウェアは定価6千円から7千円くらいするのだが、私に言わせればバカ高い。生地も余り使っていないのに、なんでこんなに高いのか。 メーカーがボロ儲けしているとしか思えない。 卓球ウェアのユニクロ出よ!と叫びたい気分だ。

 卓球のウェアは、むかしは暗色系のものばかりで、「卓球は暗い」などと陰口をたたかれたものだ。 当時は、白いボールが見えにくくなるといけないという理由で、白っぽい色のウェアは禁じられていたし、そもそもウェアに模様があってはいけない、ということになっていたのだ。

 しかし今はボールの色も黄色で、ユニフォームが白色系でも模様があっても一向に差し支えないということになっている。 だからカラフルなウェアが出回っていて、私は上半身用は7枚持っているけれど、御婦人方のなかには20枚以上も所有しているという人もいる。 卓球は若者だけのスポーツではなく、いまや中高年の愛好家のほうが多いのではないかと思われるほどなのだ。

 だから、本日のようなセールとなると、ウェア売場の前はオバサンがいっぱいである。 デパートのバーゲンに突撃するのと同じ感覚で、積まれたウェア類を次々と引っぱり出しては吟味している。 その選択のシビアさは私など遠く及ばないところである。 しかし卓球用品専門店がそもそも新潟市内に一つしかないのだから、競争原理も働かず、バーゲン自体の迫力がイマイチなのは否めない。

例えばソックスにしても、「卓球ソックス500円!」というので山積みになってはいる。 たしかに卓球ソックスは定価なら800円から1000円もするから、安いには違いないが、いまどき大型スーパーに入っているごく普通のスポーツ用品店に行けば、卓球用とは特定しないが何にでも使えそうな白いスポーツ・ソックスが3足1000円で売っているのである。 私は数ヶ月前そういうのを購入していて、まだ未使用のも残っているから、全然買う気がしない。

 同じ卓球用品でもラケットやラバーとなると専門的なノウハウが必要だから、他業者が簡単には参入できないだろうが、ウェアはそうではないはずだ。 その気になれば他業者が安価でデザインも優れた品で容易に参入できると思う。 これを読んでいるどこかのメーカーの方、やってみませんか? アイデア料は請求しませんから(笑)。

 さて、あとは新しいラバーも含めて、欲しいものをカゴに (実はここではカゴ代わりにビニール袋が使われていた) 入れたまでは良かった。 が、その後に地獄が待っていた。 レジまで長蛇の列が続いていたのだ。 行列は品物が積まれた会場に最後尾ができていたが、会場を出て隣接する広大なロビーへと続き、何列にも曲がりくねって延々と続いている。 レジの姿が見えるまでにずいぶん時間がかかり、結局並び初めてからレジを通るまでに1時間半以上も待たされる羽目になった。 レジの数は5台だったが、どう見てもこの倍は必要と思われた。

 おまけに、購入した新しいラバーをラケットに貼ってもらうのにさらに30分以上待たされ、結局、到着は10時過ぎであったが、建物を出て駐車場に向かったのは1時過ぎであった。 疲労してしまい、実は今日はバーゲンで卓球用品を買ったら映画を見に行こうと思っていたのだが、空腹でもあり、昼食を取ってからだと時間的にもきついということで、後日に延期となった。

11月24日(月) 午後2時から長岡リリックホールにて、長岡市民合唱団とフィルハーモニア・エテルナによる、スッペ 「レクイエム」演奏会があるので、聴きに行く。 何しろ日本初演というふれこみなのだ。 1901年に初演されて以来、無くなったとされた楽譜が最近ウィーンの図書館で発見されたといういわく付きの曲。 指揮は船橋洋介、独唱陣は東京から専門家を招いている。

 さて、車で11時半に自宅を出た。 長岡までは60キロ弱ほどの道のり。 1時間20分ほどで長岡市内に入ったので、たまたま目についたGUSTOで昼食をとり、ついでに近くにあったBOOKOFFに寄る。 NAXOSのボッケリーニ・チェロ協奏曲集2枚が目に付いたので買う。 もっとも1枚780円で、NAXOSは定価が1枚税込み千円だから、あまり安いとは言えない。 BOOKOFFももう少し勉強してくれないとなあ。 ほかに、音楽之友社から出ている 『ルートヴィヒ二世と音楽』 が500円だったので、買う。

 さて、会場に着いたら、「日本初演」 のはずが、実は阪神大震災の直後に関西で演奏されていたことが判明したと、ロビーに掲示されていた。 というわけで 「東日本」 初演とすべきでした、とはゲストの音楽評論家・奥田佳道氏の弁。 まあ、いずれにせよ珍しい曲であることに変わりはなく、騙されたというような気持ちにはならなかったけれど。

 曲の珍しさのためか、或いはいつも長岡市民合唱団の演奏会はそうなのか、700人収容のリリック・ホールは満席。 あくまでアマチュアの演奏だから、その質は問わないことにする。 ともかく珍しい大曲を演奏しおおせた努力に拍手を送ろう。

 スッペの曲は、定番の序曲しか私は知らなかったのだが、今回この大曲を聴いて、いわばヨーロッパの歌謡曲かな、という印象を受けた。

 4人の独唱陣では、品のある声のバリトン藪内俊弥氏と、ソフトで声量のある美声のソプラノ石上朋美さんが目を惹いた。

 ただ、最初に奥田氏のトークと 「軽騎兵序曲」 があり、それから15分の休憩をおいてレクイエムという組み方は、どうもじらされているようで、或いははぐらかされているようで、イマイチ。 奥田氏のトークか序曲かどちらか一つにして、休憩なしでレクイエムをやってほしかった。

 なお、観客の中に幼児が混じっていて、パウゼの時に静寂ではなく幼子の奇声が響くのは困りもの。 このあたり、長岡市民合唱団がアマチュアとしての側面に重きを置くのか、演奏の質に重きを置くのかが問われるところだろう。

 プロの演奏家を招いて、今回のような珍しい大曲に挑むからには、当然後者を目指しているのだろうが、その場合は未就学児の入場禁止などの措置をとる必要があろう。 なにしろ、今回は、幼児連れの家族が演奏開始数分後に堂々と入場され、音が鳴っている途中でまた退席されるなど、観客のアマチュアっぽさが目立った。

 リリックホールのある場所は県立美術館も建っているところで、公共施設が集まっているのだから、幼児預かりなどの対策を施設側も考慮すべきであろう。

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 さて、演奏会の後、長岡の街の中心部にある古本屋を久しぶりに訪れる。

 以前は、長岡工業高等専門学校に週一回非常勤でドイツ語を教えに来ていたので、時々立ち寄っていた。 しかし9年前に高専の非常勤のアルバイトはやめたので、以来、訪れていなかったのである。

 もっとも、にがい思い出もある。 一度、店の前に車をとめて古本屋の中で本をあさっていたら、その間に駐車違反で警察に車を持っていかれてしまったのである。

 長岡警察署までおもむき、罰金と車の移動料合計3万5千円也を支払い (と言っても、そんな大金は財布になかったので、2万円だけその場で払い、あとは後日振り込んだのである)、車を指定の駐車場まで受け取りに行った。 そこの駐車料金もとられた (いくらだったかは忘れた)。 こういうわけで、ワタシは長岡警察署にはウラミ骨髄なのである。 だいたいにおいてだ、古本を買っている人間の車を駐車違反で持って行くなんて、きわめて反文化的な行動ではないか・・・・・とワタシは思うのだが。 

 というわけで、その後は古本屋のある大通りに車をとめるのはやめた。 大通りから少し入ったところに長岡郵便局があり、車がとめられるようになっているので、そこを利用するようになった。 今回も、郵便局の駐車場を利用させていただきました。 郵便局には感謝します。

 久しぶりに訪れた古本屋では掘り出し物があった。 まず、英国作家スコットの 『ケニスワースの城』。 世界文学全集の端本で、函なしだが、100円。 そしてこの場合、函なしでいいのである。 なぜかというと、ワタシはこの本の函だけは持っていたからだ。

 なぜ函だけ持っていたかというと、以前全然別の古本屋で 『ケニスワースの城』 の函入りを見つけ、中を改めたら、何と、中身の本は同じ文学全集の別の巻だったのである。 しかしその本も持っていなかったので、函と中身の違いは承知の上で購入した。 たしか、大学院生時代だったと思う。 

 というわけで今回、実に約25年ぶりで函しかなかった全集本に中身を確保してやれたわけである。 人生万事塞翁が馬・・・・・・・というのとは少し違うか。

 掘り出し物の二番目は盛田昭夫 『学歴無用論』。 なんでそんなポピュラーな本が掘り出し物なのだ、とお思いでしょうが、実は今ゼミで 「学歴論」 をやっており、来年のゼミでも同じテーマで続行しようかと思っているので、有名ながら読んだことのなかったこの本を新本で買おうかなあ、と思っていた矢先だったのである。 というわけで、買いたい本を古本屋で首尾良く半額で入手できた、ということなのでした。

 ちなみに、長岡警察署にはウラミ骨髄だが、長岡の街はワタシは何となく好きである。 住むならこのくらいの規模の都市がちょうどいいかなあ、という気がする。

 無論、映画館の数だとか、演奏会の頻度だとか、色々な点で不満が出ることは承知だが、何というか、人間が街に振り舞わされるような大都会でもなく、かといってちょっと散歩するとすぐに田圃になってしまうようなド田舎でもなく、実に適切な規模だ、という気がする。 そう、散歩するのに適切な規模の街ではなかろうか。

 自分の足で散歩する、という点で見ると、新潟市ですら大きすぎる。 それと、長岡のような内陸の都市のほうが落ち着いた雰囲気がある。 港町は、どこかすさんだ、というのが言い過ぎなら、荒っぽいところがある。 私自身も港町出身だから、そのあたりの微妙な感覚の差には敏感なつもりである。

 以前、北海道に旅行したとき、帯広の落ち着いた雰囲気に触れて 「住んでもいいな」 と思ったが、釧路では港町らしい荒さを感じて、住もうという気にはならなかった。 内陸の都市と港町では、そういう違いがあると思う。

11月23日(日) 本日はドイツ語検定試験の日である。 試験の責任者になっているので、早めに会場である新潟大学に出かける。 フランス語検定試験もやはり本日であり、いわば独仏連合体制(?)の日でもある。

 玄関先でうろうろしているご老体から、会場が分かりにくいと文句をたまわった。 1時間以上も会場になっている建物を探したという。 確かにその通りで、どうも新潟大学というのは構内が分かりづらくできている。

 なぜかというと、理由は3つほどありそうだ。 第一に、バス通りから見て建物が斜めに配置されているので、初めての人には建物の位置関係がつかみにくい。 第二に、そのバス通りに面して門が3つあるのだが (正門、中門、西門)、どの門がどれなのか明確でなく (門に名称は書かれていない)、初めて来た人は戸惑ってしまうのである。 第三に、建物の正面玄関に至る通路がかならずしも分かりやすくない。 例えばドイツ語検定試験が行われる「総合教育研究棟」で言えば、学生はふだんはバス停などから近い裏口を利用することが多いが、正面玄関はバス停から遠いだけでなく、そこに至る道が曲がりくねっていて、容易にはたどりつけない。

 要するに、作るときにそういうことを考えに入れていなかったというわけですね。 困っちゃう。

 閑話休題。 無事に試験を済ませると時刻はすでに午後5時半を回っている。 車で音楽文化会館に急行。 6時半から、ネーベル室内合奏協会の第55回定期演奏会があるのである。プログラムは、 パーセル: 組曲「アーサー王」、ムファット: 合奏協奏曲第1番、バッハ: チェンバロ協奏曲BWV.1056、ヘンデル: 合奏協奏曲op.6−7。 アンコールにバッハのチェンバロ協奏曲第3番の第3楽章。

 ここのところ春秋の年2回演奏会体制で来たネーベルだが、今年は春の演奏会がなく、秋1回だけとなった。 団員の確保に苦労しているらしく、パンフには団員募集の表示がある。 新潟の弦楽器奏者はそれほど少ないのか? ヴァイオリンを習っている人は結構いると思うのだが。 仕事や子育てなどに忙しくてアマチュア楽団で活動する余裕がないのか。 或いは、アマチュアとして音楽をやっていこうとする気持ちが、楽器を習っても培われなかったからなのか。

 弦楽器とチェンバロだけの演奏会、やはりもう一つ物足りない。 一曲でもいいから管楽器の協奏曲が入るとだいぶ違うと思うのだけれど。 とはいえ、バロック期の音楽を定期的に演奏してくれているネーベルの活動には大いに感謝の意を表したい。

 ちなみに私の斜め前に座っていたオジサン(私もオジサンなのだが)は、演奏中ずっとパンフにはさんであるチラシをがざがさ言わせながら読んでいた。 何のために演奏会に来ているのかねえ。

 11月15日(土) 夜6時半から、りゅーとぴあコンサートホールで、新潟室内合奏団の第46回演奏会。 指揮は本多優之、ピアノが谷口玲理で、ロッシーニ: 「セビリアの理髪師」 序曲、サン=サーンス: ピアノ協奏曲第2番、バーバー: 弦楽のためのアダージョ、ハイドン: 交響曲第101番 「時計」。 アンコールはハイドンの交響曲第99番第3楽章。

 充実したプログラムによる満足できる演奏会だった。 特に前半と後半のメインになるサン=サーンスとハイドンはよかった。 あえて難を言えば、会場のせいもあるが、谷口さんのピアノの響きがやや明晰さを欠くように思った。 また、バーバーは弦楽合奏能力がモロに出てしまう曲で、アマチュア・オケの限界が見える箇所もあった。

 しかしアンコールをハイドンで締めくくるなど、とても意欲的な演奏会で、いい気持ちになって帰宅できた。 座席は、Cブロック右寄り。

11月11日(火) 午後7時から、音楽文化会館ホールにて、アルテミス・カルテットの演奏会。 プログラムは、ヤナーチェク: 弦楽四重奏曲第2番 「内緒の手紙」、ピアソラ(ルンゲ編): 「天使の組曲」より (天使へのイントロダクション、天使のタンゴ、天使のミロンガ、天使の死)、シューベルト: 弦楽四重奏曲第14番 「死と乙女」。 アンコールは、シューベルト: 弦楽四重奏断章より第2楽章アンダンテ。

 前から4列目という座席で、やや前過ぎる感じがしたが、それだけに各奏者の音は明瞭に聴き取れた。 アンサンブルと、各奏者の個性が矛盾無く同居しているカルテットという印象を受けた。 ただ、前半はそうでもなかったのだが、後半のシューベルトでは第一ヴァイオリン (このカルテットでは第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが固定ではなく、平等の精神に基づいて交替で受け持つそうで、この日は女性が第一であった) が弱く、音量がイマイチで、精彩を欠いていた。 その分、中低音部の充実が目立った。

 客の入りは良くない。 定員約500人のホールに、半分も入っていなかったろう。 一昨日のウィーンフィルと差がありすぎる。 このあたり、新潟市のクラシック音楽文化も、まだまだ底が浅いということか。

11月9日(日) 午後3時より、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏会。 りゅーとぴあにて。  指揮はクリスティアン・ティーレマン、プログラムは、ベートーヴェンの田園交響曲、R・シュトラウスの 「英雄の生涯」。 アンコールは、R・シュトラウスの 「カプリッチョ」 作品85から 「月光の音楽」。

 なにしろ天下のウィーンフィルである。 駐車場が満杯だと困ると思って、開演より1時間半も前に (普通のコンサートだと30分前が私の原則) クルマで会場へ。 りゅーとぴあの駐車場はそれでも満杯だったが、隣の陸上競技場のが空いていて、助かった。

 最初の田園交響曲では、こないだ加茂で聴いた東京フィルハーモニー交響楽団のとどうしても比較してしまうが、・・・・・2楽章は、東フィルは小川のほとりを心うきうき足どりも軽くリズミカルに歩き回っている感じだけど、ウィーンフィルのは、思い惑い沈思黙考しながら時には足を止めて少しずつ歩を進めている感じ。 第5楽章は、東フィルは大気のもやも心のもやも取り払われすっきり晴れ渡って感謝の気持ちがストレートに出ているのに対し、ウィーンフィルのはこの後にもまだ何事かが控えていそうな雰囲気で締めくくっている、みたいな。

 「英雄の生涯」 は、あまり普段聴かない曲だということもあるが、何となく騒がしい感じで、ウィーンフィルならではの柔らかさみたいなものは特に目立っては感じられなかった。 この新潟公演は、今回の日本ツァーの最初の演奏会だから、団員も時差ボケなどがあって本調子ではなかったのかもしれないが。

 不思議なことに、チケットは売り切れのはずなのに、当日券があった。 どうなっておるのだ? また、着物姿の女性が目立ったり、テレビ局の人間がテレビカメラを抱えてロビーを右往左往するなど、ウィーンフィルというブランドならではの光景が随所に見られた演奏会であった。

11月8日(土) 午前11時30分より、りゅーとぴあでワンコイン・コンサート。 娘を連れていく。 今日のワンコイン・コンサートは、ヴァイオリンの磯絵里子さん。 ピアノ伴奏は、加藤洋之氏。 

 磯さんご本人もトークで言っていたが、結構入りがよかった。 私は開演15分前くらいに行ったが、すでによい座席はいっぱい。 やむを得ず、1階9列の右側へ。 この人気は、500円という入場料のためか、「美貌のヴァイオリニスト」 という宣伝文句のためか。

 プログラムは、クライスラー: ラ・ジターナ(ジプシーの女)、愛の悲しみ、美しきロスマリン、中国の太鼓。 ファリャ: 「7つのスペイン民謡」よりナナ、ポロ、ホタ。 同じく、ダンス・エスパニョール。 チャイコフスキー: 「懐かしい土地の思い出」、ワルツ・スケルツォ。 アンコールは、プロコフィエフ: マーチ、ファリャ: 「7つのスペイン民謡」 より 「アストリアス地方のうた」。

 小品だけだけど、それなりに満足できる演奏会。 この次はソナタなど本格的なプログラムでやってほしい。 ただし 「美貌」 のほうは、私の好みとしては新潟在住のヴァイオリニスト、牧田由起さんや奥村愛さんのほうが・・・・と思うけど。

11月3日(月) 午前中、上野の西洋美術館にレンブラント展を見に行く。 9時半開館のところ、9時40分頃着いたのだが、すでに人はかなりいた。 レンブラントには版画も多いのだが、版画は小さくて目を近づけないとよく分からない――近づけても分からない版画もあるが――ので、人がなかなか流れず、全部見るのに2時間かかった。

 レンブラントばかりではなく、その先輩や弟子の絵画も並べられているが、こうしてみるとレンブラントというのは、同時代の中にあっても、独特の暗さと曖昧さにおいて独自性を持っていたことが分かる。

 このあと神保町の古本屋街を歩く。 ちょうど古本まつりの最中だが、この日は雨模様だったこともあり、盛り上がりは今ひとつだったようだ。 それでも10冊ほど買って、荷物がいっぱいになったので、途中で切り上げ、中野に藤純子主演の映画を見に行く。

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 閑話休題。 3日前に新潟から出した郵パックが、この日ようやく船橋の老母宅に届いた。 中身は新米と紅茶 (以上、土産)、それにワタシの着替えである。

 3日前に出したのだから、本来は一昨日に着くはずが、届いていなかったので、昨日朝に船橋郵便局に電話して文句を言ったら、「荷物が多くて届け切れませんでした。 本日中にお届けします」 とのことだった。 ところが昨日も結局届かず、本日やっと届けにきた。

 受け取った老母によると、持ってきたのはアルバイトらしい爺さんで、昨日は近くまで来たのだが本局から戻ってこいという指令が出たので届けられなかった、という。 真相は如何に? 予定より一日遅れならまだしもだが、今どき二日遅れちゃあ、クロネコヤマトの宅急便に負けるぞお。

11月2日(日) 今回の東京は暖かだ。 以前、この時期にやはり東京に来て、コートなしで出歩いて風邪を引いたことがあり、昨日もコートを持ってこようかどうしようかと迷ったのだが、持ってこなくて正解だった。 コートどころか、カバンに入れて持参したチョッキも無用。 下手をすると上着も脱ぎたくなるくらい暖かい。

 ところで、東京に出張するときは、一泊だけのときは別として、船橋の老母宅に泊まるのだが、今回、船橋駅からバスに乗って某停留所で降り、老母宅に向かって歩いていたら、こんな看板を見つけた。

 「より美しく、より大胆に。 ×山○子・連絡所」 (×山○子は、私の判断で匿名にしたものです。)

 「連絡所」 って看板は、市会議員や県会議員、もしくは将来立候補を予定している人が、自己宣伝目的でシンパの家に立ててもらうものである。 だからこの×山○子さんも、市会議員か県会議員、もしくは議員を目指している人なのであろう。

 その人が 「より美しく、より大胆に」 とはどういう意味で言っているのだろうか?? 当選のあかつきには議会に水着姿で登場します、というようなことなのかなあ・・・・・・なんて想像をしてしまうのは、ワタシが中年男だからだろうか。 でもこのキャッチフレーズじゃ、そんなイメージしか湧いてこないんだよねえ。 ご本人の写真が添えられていれば、別のイメージが湧くかも知れないんだけど・・・・・・逆に、水着姿どころか何のイメージも湧かなかったりするかも知れませんがね。 いずれにせよ、キャッチフレーズの凡庸さで、その人のオツムのほども知れてしまうから、ご用心。

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 閑話休題。 本日は午前中は銀座で映画を見、午後2時から、初台の東京オペラシティホールにて、東京フィルハーモニー交響楽団の特別演奏会を聴く。 プログラムは、R・シュトラウスのメタモルフォーゼン、同じくオーボエ協奏曲、ブラームスの交響曲第2番。 指揮はシェレンベルガー、オーボエ独奏はモーリス・ブルグ。

 東京フィルはこないだ加茂で聴いたばかりではあったのだけれど、プログラムが気に入った――R・シュトラウスのオーボエ協奏曲が好きなんだけどまだ生で聴いたことがなかった――のと、オペラシティホールには行ったことがなかったので、とにかく一度行ってみようという意図もあり、聴くことにしたもの。

 圧巻はやはり協奏曲。 最初は息継ぎの音が目立ったりしていたけれど、段々調子が出てきて、見事な演奏。 指揮のシェレンベルガーももともとオーボエ奏者であるためか、伴奏も悪くなかった。 ブルグは聴衆の盛大な拍手に応えて、アンコールにブリテンの何とか言う (聞き取れなかった) 短い曲をやってくれた。

 ブラームスはまあ普通の出来。 その後のアンコールが、こないだ加茂で聴いたのと同じロザムンデだったのには苦笑。 ただしあの時よりゆっくりしたテンポで、もやっとした感じでしたけれど。

11月1日(土) 連休を利用して上京する。 新宿と渋谷で映画を見てから、横浜のみなとみらいホールで、エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団の演奏会を聴く。 オール・モーツァルト・プロで、ディヴェルティメントK.136、ムローヴァを独奏者に迎えて、ヴァイオリン協奏曲第1番と3番、交響曲第40番。 アンコールは交響曲第29番の第4楽章。

 最初と最後は、まあ可もなく不可もなしといったところ。 問題はヴァイオリン協奏曲2曲。 私はもともとこのムローヴァは好きじゃない。 最近は放送でもご無沙汰だが、以前はFMやテレビで聴いて、テクニックは抜群だし音色もきれいだけど、機械が弾いているみたいで全然音楽的感動とか感興とは無縁の人だなあ、と思った。 そして、新潟市に来て音文で演奏会を開いたときにも聴きに行ったけど、同じ印象しか受けなかった。 だからその後聴くのをやめた。

 今回、しばらくぶりなので少しマシになったかなと期待していたけど、あんまり変化はない。 確かにエンライトメント管弦楽団との演奏だから楽器も (多分) ガット弦を使ったりしているのだろう、音色が柔らかくなったかなと思ったけれど、それが音楽の本質とどうも結びついていない。 細かいところで見事だなと感心するような箇所もあったけれど、テクニックが音楽の底に届いていないという気がする。

 席は4列3番で、いちおうS席なんだが、小規模オーケストラだから、ヴァイオリンの左翼のはるか外側である。 これでS席1万1千円ってのは、ちとひどいんじゃないかいな。

 さて、横須賀線から総武線直通の快速で船橋に戻ってから (本日の次の11月2日の記述を参照)、夜も10時になっていたが夕食にしようと思い、何となく船橋駅構内の奥の食堂街に行ってみたところ、中華料理屋が開いていたので、モヤシそばを頼んだら、これが悪くなかった。 モヤシを始め野菜がてんこ盛りでヴォリュームがあり、腹一杯になる。 味も、適度な辛みが利いていてうまい。 700円だけど、味と量からすると安いと思う。 JR船橋駅に行く機会のある方はお試しあれ。

 

 

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