三浦綾子を悼む

 

 去る10月12日に作家の三浦綾子が死去した。

 有名な作家だし、特にこの欄で取り上げる必要もないのであるが、私的な追悼文を書いておきたい。

 私は三浦綾子のよい読者とは言えない。読んだのは3作だけ。『氷点』『積木の箱』『続・氷点』で、いずれも朝日新聞に連載された時点で目を通している。

 それにもかかわらず彼女が私にとって忘れがたい作家であるのは、処女作『氷点』の圧倒的な印象があるからであろう。そしてその印象は、多分に私の育った時代性と絡んでいるような気がする。

 周知のとおり、『氷点』は朝日新聞の1千万円懸賞小説に応募して当選した作品である。昭和30年代の終わり頃の1千万円とは、今なら1億円に相当する金額であろう。すなわち、当時は小説というものが新聞にとってそれだけの重みを持った存在だったのであり、また実際、新聞小説に人々の注目が少なからず集まっていたのである。

 いわば鳴り物入りで朝日新聞への連載が始まった『氷点』を私が読んだのは、しかし、そうしたニュース性からだけではなかった。

 私の持っている単行本版の記述では、この小説が新聞に連載されたのは昭和39年12月6日から昭和40年11月14日にかけてである。私が小学6年から中学1年にかけての時期だ。

 『氷点』は私が初めて読んだ新聞小説である。それ以前にも新聞小説を読もうとしたことはあったのだが、はっきり言って歯が立たなかった。

 『氷点』で初めて歯が立つようになったわけだが、このことには2つ理由があると思う。 第一に、私の頭脳はそれ以前には新聞小説を読めるほど成熟していなかったということである。小学校6年生になって、ようやく私の脳ミソも理解力を増し、新聞小説を受容できるようになったのだった。

 第二に、『氷点』という作品の持つ特質である。まず文章がやさしい。難解な言い回しや漢語などは用いていないから、12歳の子供にも十分理解可能なのである。そしてそこで扱われている世界やテーマが、「文学」に馴染んでいない人間にもきわめて近づきやすいものだったということも見逃せない。

 『氷点』は閉塞した人間集団や、その中の特殊な仕事や感情などを扱ってはいない。平均よりは裕福ではあるものの、夫婦と子供二人という普通の家庭を舞台とし、そこで生じた事件を発端とする様々な軋轢や苦悩を真正面からとりあげた作品なのである。

 この「真正面から」というところこそが、『氷点』に他の凡百の新聞小説を越えて多数の読者を獲得させた要因であったと思う。日本の専門的な作家の手になる小説では、「いかに生きるべきか」「人間の罪とは何か」を真正面から問うなどというのはダサいということになっているからだ。

 『氷点』は、そうしたプロの手になる小説の放置していた領域を真っ向から取り上げて、そのことによりベストセラーになったと言っていい。 著者はクリスチャンだが、この処女作では「人間の罪とは何か」という問題が露骨な宗教性をもって扱われてはいない。平均的な日本人が誰でも抱くであろう葛藤や悩みを、それと同じ目の高さで取り上げ真摯に追求したところこそが、この作品の特筆すべき点なのである。

 実際、『氷点』も数年後に書かれた続編になると、宗教性がかなり濃厚になってきて、素直に作品に入っていけない部分が散見されるようになる。その意味で『氷点』の正編は、よい意味での宗教性が文学とうまく融合した稀有な例だったのかも知れない。

 そしてそれが昭和39年から40年にかけて新聞に載ったということの意味も小さくない。昭和39年とは東京オリンピックが開かれた年であり、日本が本格的な高度成長時代に突入した年であった。日本人は裕福になり物持ちになっていきながらも、どこか精神の空洞をかかえていた。或いは、かかえる予兆のようなものを感じていた。

 物質的には何不自由ない医者の家庭である辻口家で起こった事件は、普通の日本人でも近い将来の自画像と受け取れる部分を含んでいたのだと思う。

 『氷点』はベストセラーになり、テレビドラマになり映画化もされた。私は映画は見ていないし、テレビの方も熱心に見たとは言えない。あらかじめ小説を読んでイメージしていた人物像と、実際の俳優のイメージとが合わなかったからである。唯一の例外は辻口啓造を演じた芦田伸介で、これははまり役だったと思う。しかし夏枝役の新珠三千代も、陽子役の内藤洋子も、私の好みではなかった。(私の女の好みは当時からはっきりしていたのです。)映像と小説の違い、というものを実感したきっかけとしても、『氷点』は忘れがたい作品だったと言えるだろう。

 何年か前、学会で札幌に行く機会があったとき、私は足を伸ばして旭川を訪れ、『氷点』に登場する見本林を見に行った。小説の舞台、ということを別にしても、北海道に旅行する方々には行ってご覧になることをおすすめする。

                                                                                                                                                        (99年10月16日)

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