外国人教師を酷使する新潟大学の非常識

 →トップページ

 

目次: 〔1〕2003年11月19日掲載  〔2〕2003年12月15日掲載

 

〔2〕

 その後、12月になって部局長会議で正式の決定がなされた。

 その前に、先の〔1〕の記事に言葉足らずのところがあったので、補足しておく。 ここで問題になっているのは、従来 「外国人教師」 という名称で新潟大学に雇用されていた4つのポストのことであり、これまでは人文学部や教育学部などの学部単位で雇用されていたのが、独立行政法人化後はこれらのポストは、旧教養部のあと教養科目の企画立案を担当している大学教育開発研究センターに貼りつけられ、そこでここで批判されているような条件下で再雇用されるという話になっているのである。

 約10年前に国立大の教員資格が改訂され、外国人でも教授・助教授として採用できることになっており、実際新潟大学でも人文学部や法学部には外国人教員が助教授などの名称で採用されているが、そうした人たちはしたがってこの規定の対象外である。

 話を戻す。 今回の決定で多少の修正が加えられた。 「外国人教員は週12コマ担当」 は 「12コマ程度」 と若干曖昧な表現となった。 実際には10コマでやってもらうことで合意したという情報がある。 

 また、当初の案では 「3年任期で再任なし」 だったのが、「3年任期で1回限り再任を認める」 となった。

 しかし、これでも差別的な採用条件であることに変わりはない。 週10コマというのは非常識な授業負担であるからだ。 他大学の場合、8コマ程度となっているという話である。

 また、伝え聞くところでは、これを決定するに当たっての新潟大学部局長会議ではトンデモない意見が出てきたらしい。 曰く、非常勤講師ならもっと安い給与で同じコマ数を担当させられるというようなことなのだが、それを言い出したら、日本人教員だって同じことじゃないですか?

 外国人教員を、日本人教員と同じ資格を持つ人間として見る、という、小学生にでも分かりそうな平等感覚が、新潟大学の部局長たちには欠如しているのである。 これを恥さらしと言わずして何と言おう!?

(2003年12月15日掲載)

〔1〕

 独立行政法人化を控えて、大学でのいわゆるトップダウン方式なるものが進んでいる。

 一見すると物事が早く決まるので 「大学改革」 が進捗しているように見えるが、実は現場を知らない人間が無茶苦茶な決定を下している場合が珍しくない。

 私はこのサイトで、文部官僚がいかに現場を知らずどうしようもなく馬鹿げた施策を行っているかを告発してきた (こちらをごらん下さい) が、現場を知らないのは官僚だけとは限らない。 

 大学教員にしても、自分の研究や教育に直接関わること以外は、じつは何も知らないのである。 その物事を知らない人間が、知らない分野について、現場の人間の意見を聞かずに物事を決めているのだから、当然ながら驚愕せざるを得ないような決定がなされてしまうのである。

 その一つに、独立行政法人化後の外国人教師の扱いがある。

 以前は、国立大学は外国人を正規の教員としては雇用できなかった。 英文科など外国人教員が必要な分野ですら、外国人教員は 「外国人教師」 という、教授や助教授とは別枠のポストで採用されていた。 給与面では好待遇だが、教授会に参加する資格はなく、要するに学内政治に対する発言権は持たないのである。 外国人を日本人とは異なった場所に置いて大学の運営に直接タッチさせないシステムであった。

 10年ほど前にそれが改められ、外国人も日本人と同じく教授や助教授として採用されることが可能となり、教授会にも参加できるシステムに改められたが、その際に外国人だけが3年任期制を強制されることになったのは、どう見ても差別と言うしかなかった。

 しかし、外国人教師という、いわば植民地的・後進国的制度が改められ、外国人も日本人と同じ条件で採用されるシステムに近づいたことは、日本が精神的に先進国化してきた証拠であると評価されていいだろう。 といっても、「外国人教師」 というポストが消滅したわけではなかった。 ここに、同じ外国人でも、教授や助教授として採用される人と、「外国人教師」 というポストで採用される人とに分かれてしまうという、いわば二重構造の問題が新たに生じることになったわけである。

 独立行政法人化に際して、この「外国人教師」 というポストをどうするかは、文科省の態度が決まらなかったこともあり、曖昧なままにされてきた。 が、さすがに法人化まで半年とない時期に来て、そうも言っていられなくなり、このほど法人化後の新潟大学外国人教師をどうするか、部局長会議で決定がなされた。 

 ・・・・・が、これがトンデモナイ決定なのである。 これによると、現行の外国人教師枠4人は助教授として振り替えるというもので、そこまではまあいいのだが、それに付随して、3年任期で再任なし、おまけに、なんと、外国人教師は週に授業を12コマ持つという規定が付けられたのである!

 おい、冗談じゃないぞ! 90分授業を週に12コマ持つなんて、そんな話があるものか。 部局長会議に参加していたお歴々は、常識のカケラもない人間ばかりだったに違いない。 大学の部局長といえば英知の集まりみたいなイメージがあるけど、このようにバカの集まりだったりするから、困っちゃうのである。

 普通の新潟大学教員はそんなに授業を持っていない。 例えば今年度の私は、前期7コマ、後期6コマである。 

 それを、なぜ外国人教員に限って12コマにするのか? 部局長会議での説明だと、外国人教員は教育だけやっていればよく研究はしなくていいから、この程度が妥当だということだったそうだが、本当に妥当なのかね?

 じゃあ、高校教員は、大学教員と違って研究義務はなく教育義務しかないから、同じくらいの授業を担当しているのだろうか? 

 私は教授会で、高校や中学教員の担当授業時間数を調べたうえで決めたのかと問うたが、調べていないという答だった。 要するに、その程度の基礎的な資料も調べずにいい加減に物事を決定しているのが、新潟大学の部局長会議なのである。 たいした学者の集まりですこと!!

 或る先生からその点について教授会でご発言があり、高校教員の授業担当は週18コマだということであった。 高校は50分授業で大学の90分の半分と見なすのが普通だから、新潟大学の外国人教員の担当コマは高校に換算すると24コマで、実に3割強も多いという計算になる。

 高校教師より3割強も多い授業負担を課す・・・・・・・・おいおい、新潟大学ってのはそんなに外国人を酷使する大学になろうとしているのか? 外国人はティーチングマシンと見なして3年ごとに使い捨てにする――まったく新潟大学部局長会議の決定は、品位と知性の欠如において際だっていますなあ。

 そもそもである。 外国人教員は研究義務がないなんて、誰が決めたのか? 日本にやってくる外国人は、日本や東洋のことを研究したいという気持ちを抱いてやってくるのが普通だろう。 小学校や中学の教師じゃない、大学の教員なのだから、当然のことだ。

 そうしてやってくる外国人に教員としての仕事はきちんとやってもらいつつも、同時に研究のための便宜を図ってやるのが、大学という場所が示すべき度量、いや、義務というものだろう。 長い目で見れば、それは新潟大学や日本のためにもなるはずだ。

 ところが新潟大学にやってくる外国人は、90分授業を週に12コマも持たねばならない。 こんなに授業をやったら、へとへとになり、研究するための気力も時間も残らないよ。 え、残るって? じゃあ、この決定を下した部局長会議の構成員たち自らがやってみて下さいな。

 今回の決定を下した部局長たちは、全員もれなく、週12コマの授業をもつべし!

(2003年11月19日掲載)

  *       *      *      *      *

後記: どうも、「新潟大学の非常識」 は、今回の件にとどまらず、シリーズ化するのではないか、という嫌な予感がするぞ・・・・・

最初、「論争のページ」 に入れようかと思ったけど、嫌な予感が当たった場合のために、とりあえず独立したページとして表紙に出しておくことにします。

運悪く (?) シリーズ化したら、「捕鯨問題」 や 「音楽のページ」 のようにまとまったページとして立ち上げますね。

 

 

本・漫画・DVD・アニメ・家電・ゲーム | さまざまな報酬パターン | 共有エディタOverleaf
業界NO1のライブチャット | ライブチャット「BBchatTV」  無料お試し期間中で今だけお得に!
35000人以上の女性とライブチャット[BBchatTV] | 最新ニュース | Web検索 | ドメイン | 無料HPスペース