卓球と文学

 

作家の高橋源一郎に、『これで日本は大丈夫』(徳間書店、95年、1400円。ただし私は古本屋で400円にて購入)という評論集がある。

 このサイトの他の箇所にも書いたが、最近の高橋は全然ダメである。もともと小説はダメで評論でもっていた人なのだが、ここにきて評論もダメになっている。理由は簡単で、全然勉強していないからだ。

 その不勉強ぶりを露呈するような文章が上記の本に載っている。「スポーツ振興策としての愛ちゃん」というタイトルである。

 ま、このタイトルだけで中身はおおよそ見当がつくと思うが、要は「天才卓球少女」としてテレビで売りだした福原愛ちゃんのおかげで、このところ低迷していた卓球の人気も盛り返すのではないか、てな内容なのだ。

 世間の常識的判断を一歩も出ないような本を書いていて印税が入るんだから(多分、入っているのだと思う)、作家って気楽な稼業ですよね。

 閑話休題。この文章の途中にこういう一節がある。

 《誰も知らないだろうが、武者小路実篤の『友情』という小説がたぶん世界で唯一の卓球小説のはずである。この本は読書感想文によくとりあげられるが、まさか卓球シーンがあったとは覚えている人もいないはずだ。というか、ぼんやり読んでいると卓球をやっているのかテニスをやっているのかよくわからないというヘンテコな小説なのである。》

 読書感想文を書かせる小中学校は今も多いだろうけど、武者小路実篤の『友情』が「よくとりあげられる」のかどうか、私は知らない。

 最近の大学生は、或いは少なくとも私の授業に出るような学生は、ロビンソン・クルーソーだのシャーロック・ホームズだの、昔なら読んでいて当り前な本も全然読んでいない(子供用リライト本も含む)のが大半だから、武者小路実篤の『友情』となると、読んだ経験どころか、題名も聞いたことがないというのが多いんじゃないかと推測するが、どうかな。

 それはともかく、「ぼんやり読んでいると卓球をやっているのか、テニスをやっているのかよくわからない」とは、いくら何でもヒドイ。そりゃ、読解力がなさ過ぎるのだよ。それでよく三島由紀夫賞が取れましたね。というか、だからかえって取れたのかも。

 私の見るところ、この小説の最大の山場は卓球シーンなのだ。このシーンなくして『友情』という作品は成り立たない。

 この小説は、野島という青年が友人・仲田の妹杉子に恋をするが、杉子は野島の親友・大宮に惹かれてゆく、という、まあ、よくある話なのであるが、問題のシーンはその「上篇」の第12章以降に出てくる。

 この章で、野島は仲田の家を訪ねる。無論、杉子に会えないかという期待を抱いてである。すると、仲田は言う。

 《「昨日妹がつくってくれと云うのでピンポンの台をつくったよ。君も一つやらないか」
  「僕は下手だからね」
  「下手な点では僕もまけないよ」
  「しかし僕はほとんどしたことがないのだ」
  「ともかくやってみないか」
  「やってみようかね」》

 どうです、驚くでしょう! 仲田という人は自分で卓球台を作ってしまっているのだ! 時代が感じられるなあ。ちなみにこの小説は大正8年(1919年)に発表されている。その頃の日本人は、今よりはるかに自分でものを作って生きていたのだ。

 それはさておき、仲田と野島は卓球をするが、二人とも下手で、ラリーは全然続かない。そこに杉子が現れる。彼女は卓球がやりたくて早く帰宅したのだと言う。(会社からではなく、女学校からです。彼女はまだ16歳なのだ。)
 
 杉子は二人よりはるかに卓球がうまい。その杉子と野島は卓球をするが(ここから第13章に入る)、

 《杉子は彼〔野島〕とは話にならないほど上手だった。しかし杉子は彼を翻弄しなかった。むしろ彼をいたわった。彼へは打ちいい球しか返って来なかった。仲田とやるよりはるかにはるかに音が〔ラリーが〕続いた。》

 印象的なシーンでしょう。野島は杉子にひそかに恋をしてるんだけど、彼女の方が彼よりはるかに卓球がうまい。しかし彼女はだからといって野島をやっつけるような卓球のやり方はしない。いたわるように卓球をやっている。

 そういうふうに自分と卓球をしてくれた杉子に、恋する者である野島はますます想いを募らせるのです。卓球のやり方に彼女の素直な性格が現れているんじゃないか、なんて悶々として考えたりするのです。恋をした経験のある人には、うなずける場面だよね。

 そこに早川という青年がやってくる。野島は、どういうわけかこの早川を自分の恋敵だと思っている。今度は早川が杉子と卓球をする。早川は野島よりずっとうまいので、杉子も本気になって試合をする。すると、

 《杉子の顔は血色がよくなり、生き生きとして来、球に従って、身体や手がいろいろの形を見せた。その形が彼〔野島〕をよろこばした。彼は早川のことは忘れて、ただ杉子の生き生きとした姿と、頭のはたらき、手のうごき方、それにともなう身体全体の変化、それを賛嘆して見ていた。》

 杉子を見る野島の視線が、なかなかよく描かれている。武者小路実篤は、こういうところがうまいですよね。

 さて、その晩、野島は大宮を訪ねる。ちなみに野島は、杉子に恋していることを大宮には打ち明けてあるのだ。

 《「今日ピンポンをしたよ」
  「ピンポンを? どうして」大宮は不思議なこともあればあるものだという顔をした。
  「仲田のところでさ」
  「なあーんだ」大宮は笑った。
  野島は杉子のピンポンのうまいことをほめて話した。そして自分がピンポンを馬鹿にしてしなかったことを後悔したと笑った。
  「教えてやろうか」
  「まだ、あるかい」
  「どこか捜せばあるだろう」
  「教えてもらおうかな」冗談のように云った。
  大宮は一体に運動家だった。テニスもうまかったが、ピンポンは仲間では類がなかった。もう四五年はまるでよしていたが。
  「しかし女のためにピンポンまでならうようになっては少し堕落だね」
  野島は言いわけのように云った。》

 ここで、
 「まだ、あるかい」「どこか捜せばあるだろう」という会話に注目したい。つまり、この頃は街に卓球場がすでにあったらしいことが分かる。風俗や歴史の勉強にもなりますね。

 で、小説の筋書きに戻ると、野島がその後一大決心をして卓球のトレーニングに励んだかといえば、そういうこともなくて、彼は卓球下手のまま杉子に恋し続けるのです。私に言わせれば、これが彼の敗因(?)なのだ。

 第25章に入って、仲田の家から、卓球大会をやるので来て下さいという招待が舞い込む。野島と大宮は出かけていく。この章の末尾から次の第26章にかけてを引用すると、

 《まず五人ぬきの競技が始められた。
  皆そううまくはなかった。一人一高の生徒が図ぬけていた。(…)そのほかは勝ったり、負けたりしていた。一高の生徒は四人ぬいた。五人目に誰も出る人がなかった。
  「杉子さんは今日はやらないのですか」
  「妾〔わたし、と読む〕、今日拝見するの」
  「それはいけませんね」と誰かが云った。
  「だって妾、負けるといやですもの」
  「勝ったり負けたりするので面白いのでしょう」
  「負けてばかりでは面白くありませんわ」
  「あなたは負けませんよ。とても僕なんかかないません」一高の生徒は云った。》

 他の人たちにも勧められて、杉子は一高生と試合をし、何とか勝ってしまう。続けて三人が杉子の相手をするが、かなわない。これで四人ぬいたわけで、五人目として誰が出るかが問題になるのだが、

 《「今日の杉子さんにはとてもかなわない。五人ぬきをしたのも同じことだ」と誰かが云った。
  「本当にうまいのにおどろいた、いつも皆飴を喰わされていたのだね」
  「野島君、どうです」早川が云った。
  皆喝采した。野島は本当に閉口した。すると大宮が云った。
  「野島の代理を僕がしましょう」》

 というわけで、大宮が杉子と試合をすることになるのです。その試合の描写は次のようである。

 《皆、大宮のうまいのに驚いた。しかしその容赦のないのになお驚いた。皆のピンポンは女王のお相手をしているのなら、大宮のは獅子が兎を殺すにも全力をつかうというふうだった。(…)
  杉子がサーブをして処女のような人のいい球を打ち込むと、それがまた脱兎の勢いで帰って来た。杉子はすっかり勢いにのまれてしまった。しかし杉子は自暴〔やけ〕はおこさなかった。一生懸命になって暴君のお相手をするように見えた。
  野島は見ていて冷や冷やした。いたいたしい気さえした。》

 こうして大宮は卓球で情け容赦なく杉子を打ち負かしてしまう。

 私に言わせれば、この小説はここで事実上終わっているのである。分量でいうとここまでで全体の半分を少し越えた程度で、話はまだまだ続くのだが、しかし後はつけたしに過ぎない。

 大宮が杉子を卓球でやっつけたことにより、二人が将来結ばれることは確定したのであり、野島が失恋したのは卓球を馬鹿にしていたからである。

 純文学でそんなのあり?と思いますか? ありなのです。私が言うんだから間違いない。嘘だと思うなら読んでごらん。

 

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