音楽雑記2010年の5月1日まではこちらを、9月以降はこちらをごらん下さい。
作家の三浦哲郎 (みうら・てつお) 氏が昨日亡くなられた。 (同じ三浦姓だけど、私と親戚関係にはない。 念のため。)
三浦氏というと一般には 『忍ぶ川』 が有名で、映画化もされているが、私は原作も読んでいないし映画も見ていない。 映画未見は、栗原小巻が私の好みの外にあることも影響しているかな。
私が三浦氏を高く評価しているのは、短篇小説の名手としてである。 『拳銃と十五の短篇』 や 『木馬の騎手』 といった短篇集は、短篇小説というものはこう書くのだというお手本のような作品集だと思っていた。
例えば 『木馬の騎手』 の中の 「ロボット」 という短篇は、なぜか自分が電気で動くロボットだと思い込んだ少年のお話だが、ちょっとSFめいた作りながら、少年期の思い込みとそれが意外な結末に至るまでの筋書きは、人間が危うく微妙な存在であり、いわば綱の上を歩くように生きているのだという認識に支えられている。
また、推敲ということも私は三浦氏の短篇から学んだ。 『拳銃と十五の短篇』 の中に入っている 「小指」 という作品だが、たまたま私は雑誌掲載時と、その後の単行本に収録された形の双方で読む機会があった。 うろ覚えで書くので細部は違っているかも知れないが、雑誌掲載時は冒頭は、「初めはちょっと、小指の先に小さな傷を負っただけであった」 という文章であったのが、単行本では、「初めはちょっとした傷であった」 というふうにすっきりした文章に直されていて、なるほど、作家はこういうふうに文章を推敲するものなのだと教えられたのである。
謹んで三浦氏のご冥福をお祈り申し上げる。
昨日の毎日新聞に以下のような記事が載ったのだけど。
http://mainichi.jp/life/edu/news/20100828ddm013100138000c.html新教育の森: 高校で浪人生指導、県費使用不公平? 鳥取県議会で批判、存続の危機
鳥取県には全国で唯一、浪人生に大学受験指導をする県立高校普通科の専攻科がある。米子東高校と倉吉東高校の2校にあり高校生や保護者の支持は高いが、「民業圧迫」「県費の無駄」といった批判の声が県議会で上がり、存続が危ぶまれている。【遠藤浩二】◆休みは盆と正月だけ
鳥取県米子市勝田町にある県立米子東高校。中国地方の最高峰、大山(1729メートル)を望む3階の教室で専攻科の授業は行われている。生徒が熱心にメモをとるなか、専攻科主任で数学担当の福田理寿教諭(52)の声が響く。
「参考書に公式、公式と書いてあるけど、すべての公式を覚えるのは無理。基本をしっかり押さえて、試験中どんなにあがってしまっても使えるようにしてください」「現役生は少し失敗しても受かる。浪人生は大失敗しても受かる力をつけないといけない」
専攻科生の一日は、午前8時半のホームルームに始まる。昼休みをはさみ、45分授業は午後3時25分に終わる7限まで続く。その後、夕方の掃除があり、午後6時20分まで自習時間だ。この生活は夏休み中も変わらない。夏は「基礎固め」の季節とされ、2学期からの過去問題訓練に向けて必死に復習する。「英語のリスニングはスポーツと一緒」と毎日30分、耳を鍛える。
福田教諭は「一日の自宅学習が5時間以上の人が志望校に入れる」とはっぱをかける。土日も教員がボランティアで指導に当たり、登校する生徒が多い。休みは盆と正月だけ。専攻科生は受験勉強漬けの1年を過ごしている。
◆授業料負担軽く減免も
授業料は年26万1600円。県立高校の年11万8800円よりは高いが、県内予備校の33万〜36万円に比べると保護者の負担は軽い。経済的に厳しい家庭には、授業料を半額にする減免制度がある。2校の専攻科生のうち昨年度は21・5%が減免措置を受けた。県内には大手予備校はなく、東京などの予備校に行くと、下宿代を含め年250万円かかるという試算もある。
◇民間予備校に代わって半世紀 「役割終わった」縮小・廃止計画 生徒・保護者は存続を陳情
専攻科は、1959年に県立鳥取東高校▽60年に米子東高校▽61年に倉吉東高校に設置された。浪人生の増加と、県内に民間予備校が整っていなかったことが背景にある。
ところが、県私立学校協会は97年、「専攻科の目的は十分に達成されており、意義は終わった」と廃止を求める陳情を県議会に提出。県議会は陳情内容を「是」として趣旨採択した。県議会の意向を受け県教委は02年、専攻科の縮小・廃止計画を決定した。
廃止に向けて定員が削減され、米子東では99年度の100人が06年度には現行の50人に。授業料は民間予備校水準に近づけるため段階的に引き上げられ、98年度に年16万2000円だったのが、07年度に26万1600円になった。
県議会は08年、「鳥取東は09年度に募集停止し、倉吉東と米子東は09年度以降2年間存続させて、県内の経済情勢、私立予備校の実績、生徒のニーズなどを総合的に勘案して存廃の検討をする」と議決。鳥取東の専攻科は廃止され、現行2校体制になった。
今年度、県中西部のPTA連絡協議会は、県議会に専攻科存続を求める陳情書を2万人を超える署名を添えて提出、6月議会で審議された。
議会では、県議の一人が「民間予備校は十分に生徒を指導できる力を持っており、専攻科の役割が終わったのは明らか。専攻科の生徒のみに県費を使うことは不公平」と廃止論を展開。県議会は「今しばらく調査する必要がある」と、陳情を「研究留保」とし、結論は先送りされた。
◆夢を実現する場所
米子東の専攻科に通う生徒からは「予備校は、全科目を教えられるだけの先生がそろっていない。専攻科をなくそうとするのは商業的なエゴ」「専攻科があるから3年間、部活に打ち込んでインターハイにも行けた。県内の予備校に行きたいという人は聞いたことがない。といって県外予備校にはなかなか行けない」という声が上がる。県教委が4月に実施したアンケートでも、存続を求める回答は米子東専攻科生では96%▽倉吉東専攻科生では94%▽県中部の高校生は83%▽県西部の高校生72%−−と高率だった。
今春まで西部地区高校PTA連絡協議会の会長だった砂口浩二さん(52)は「何としても残ってほしい。廃止としても2、3年の猶予がほしい。いきなり廃止と言われても生徒は準備できない」と話す。
半世紀の歴史を持つ鳥取県独自の専攻科。福田教諭は「専攻科は鳥取県が全国に誇る教育システム。専攻科がなくなってしまったら生徒たちの夢を実現する場所がなくなってしまう」と表情を曇らせる。
* *
以下、当サイト製作者の見解。 地方にあって、鳥取県がやっているような税金を使った受験バックアップ体制は当然である。 廃止などは論外、むしろ拡大すべきだ。
理由はこの記事に言われているとおりで、地方には首都圏だとか関西圏みたいな予備校や塾などの民間インフラが整っていないからである。 整っていないから、昨今、東大などの一流大学に進む地方出身の生徒は減少している。 地方都市の条件の悪さを挽回するには税金を使うしかないのである。
私の出身は福島県の磐城高校であるが、今どうなっているかは知らないけど、昔私が通っていた当時 (1968−71年) は正規のクラス以外に、卒業して希望大学に受からなかった浪人生のための講習会が設けられていた。 卒業生講習会、略して卒講と言っており、在校生がすでに使わなくなった古い校舎を教室にして、磐城高校の教諭がついでに教えていた。 また、当時の磐城高校は男子校であったが、卒講だけは他の近隣高校卒業の浪人生も受け入れていたので、そこだけは女子の姿があり、浪人はいやだけど女子と一緒に勉強できるのは羨ましいという気持ちも、私たち在校生にはないではなかったのである。 こうした制度は、当時の地方都市では珍しくなかったのではないか。
私は幸いにして浪人しなかったので卒講に通うことなく終わってしまったが、大学に入学するならともかく、浪人段階の息子や娘を東京やその他の大都市に送り出してアパートの家賃と予備校の授業料の双方を出してやれる親というのはそんなに沢山はいない。 そうした厳しい条件を税金でクリアできるなら、つまり優秀な若者を一流大学に送りだすという、若者育成のために税金を使うのであれば、下手なハコモノなどに税金を使うよりよほど有用なのである。
鳥取県の専攻科の存続を私は支持する。
午後2時から標記の演奏会に出かける。
一昨日TOKI弦楽四重奏団の演奏会を聴きに行ったついでにりゅーとぴあに寄ってチラシ類を見ていたら、この演奏会が目に付いた。 バッハ以前のチェンバロ音楽をたくさん聴けて、しかも無料、というのにクラッときて、土曜日だし、バカ暑くて仕事をする気にもならないし、というわけで出かけることにした。
新潟県でチェンバロ音楽の演奏会を開くとともにその普及にあたっておられる八百板正己氏の、チェンバロ教室の発表会である。 いうならばピアノ教室やヴァイオリン教室の発表会と同じことなのだが、大きく異なっているのは生徒さんの年齢層。 ピアノやヴァイオリンなら小学生から高校生まで、場合によっては幼稚園児も含めて、とにかく子供や若者が中心になるのが普通。 ところが本日のチェンバロ発表会は逆。 中高年の方が主体で、中にははっきり老年と言える方も含まれている。 児童生徒はいない。
つまり、ピアノやヴァイオリンなら本人がやりたいと言い出して習う場合より、親がやらせたいと思って子供を教室に通わせる場合が多いわけだが、チェンバロでは事情は正反対で、本人がチェンバロを習いたいという意志があって教室に通っているということであろう。 もっともそうではあっても、もともとピアノの素養がある方などは別にして、今日に残る作曲家が作った曲をちゃんと弾くのは大変なので、技術的には人によりかなり差がある。 でも、ピアノの発表会では大作曲家が作った曲ばかりでなく、いかにもピアノを習っている人のために作られたという感じのする曲も含まれているものだけど、本日のチェンバロの音楽はどれも音楽として楽しめるものばかり。 その意味で、聴く価値のある演奏会だと思う。
中には山形県から教室に通っているという方もおられ、その方はさすが遠距離をものともせずに八百板氏のところに習いに来ているだけあって演奏水準も高く、曲の素晴らしさがよく出ていた。 会場には演奏者も含めて40名ほどの聴衆が集まり、熱心に聴き入っていた。
取り上げられた作曲家は、バッハ、ヘンデル、D・スカルラッティ、パーセル、フレスコバルディ、レイエ、ケルル、ベーム、ブクステフーデ、L・クープランで、チェンバロ曲ばかりではなくリコーダの曲、クラヴィコードの曲、そして1曲だけだがシュッツの歌も披露された。 最後に、講師演奏として八百板氏がシャンボニエールの曲を弾いた。 氏は楽譜を沢山集めていて、これからも新潟で初演となるような曲をどんどん演奏していきたいと抱負を語っておられた。 氏と生徒さんたちの今後の活動に期待したいものである。
昨年末から始めていた翻訳の仕事が一段落。 シュトルムの後期の小説で、順調なら来年刊行される 『シュトルム名作集』 第4巻に収録されるはず。 しかし最後に来て、作品の最後は作者も凝った言い回しを使うということもあって、難所に出くわし、辞書を引きまくったり、しばらく腕組みをして考え込んだりした。
一段落したといっても、いちおう最後まで訳したというだけで、もう一度原稿に目を通して訳文の修正などを行う必要はある。 実のところ春休みに仕上げておくはずだったのが、遅れて今ごろになってしまった次第。 改めて仕事の遅さを痛感する。 済みません。
もっとも、翻訳の仕事はまだ一つ残っている。 同じく 『シュトルム名作集』 の、これは第5巻に収録予定の小説だが、こちらのほうが本日いちおう訳し終えた小説よりかなり長いので、それだけ大変である。 この夏休みの間に或る程度仕事を進めておく予定ではあるのだが、この猛暑もあって、果たして予定通りいくかどうか、はなはだ心許ないのである。
うーん、今からこんなことを書いているようじゃ、いけませんね。 どなたか励ましのメールを(笑)!
新潟市に新潟観光コンベンション協会ってのがある。 よくEメールだとかダイレクトメールをよこして、学会の予定があったら知らせて欲しいと言ってくる。 だけど、こちらとしては知らせたところで何の利益もないし、はっきり言ってウルサイんだよね。 今回来たのは以下のようなEメールだけど。
いつもお世話になっております。
(財)新潟観光コンベンション協会(新潟市)と申します。メールにて大変失
礼いたします。
さて、ご承知のとおり、当協会では学会主催者の皆様に新潟市での学会開催をお願いするとともに、開催に際しご支援をさせていただいておりますが、その中でも「新潟市コンベンション開催補助金制度」
をご用意し、学会開催に当たり財政面においてもご支援をさせていただいております。
つきましては、皆様方の今後の学会開催予定をお聞きすることで、新潟市内での開催状況を把握させていただくとともに、当協会の支援事業(補助金)を効果的にご利用いただくために、今後、学会開催の予定
(検討中でも構いません) がございましたら、
添付いたしました「回答調査票」にご記入の上、9月10日(金)までにこのアドレス〔略〕へ
ご返信ください。
(中略)
※コンベンション補助金制度の概要は下記URLをご参照下さい↓
http://www.nvcb.or.jp/ncn/01hojokin/index.html
上で言われているように、いちおうこの協会には学会補助金制度というのがある。 だけど文系の規模の小さい学会では到底利用不可能な内容なのだ。 何しろ、県外からの参加者が50名以上で、会期が連続2日間以上あること、というのが条件だから。
それで私は以下のように返信しておいた。
新潟大学人文学部の三浦淳と申します。
この種のメールを時々いただいてますが、人文系研究者として一言申し上げます。
貴会のコンベンション開催補助金制度ですが、特にブロック単位については条件が厳しすぎてとても利用できません。
例えば昨年、私が所属している日本独文学会の北陸支部学会(新潟、富山、石川、福井)を新潟市でやりましたが、県外からの参加者は15名程度。会期も1日のみです。
日本全国の学会ですと県外からの参加者も100人以上になり会期も2日間ありますが、これは新潟には20〜30年に1回しか回ってきません。
独文学会だけではありません。文系の学会はどこも同じようなものでしょう。つまり、文系研究者にとって貴会の制度は事実上役に立たないと言うしかありません。
役に立つようにしたいなら、条件をゆるめることでしょう。ブロックの学会なら、会期は1日、県外参加者は10名以上、といったところなら利用しやすくなると思います。無論、その場合は援助額は少額で結構です。5000〜10000円くらいでも、アルバイト学生を雇う費用程度は捻出できますから。
とにかく文系の学会を新潟に誘致したいなら、もっと小規模な単位で物事を考えてもらわないと、事実上無益な制度ということになってしまうと思います。
ちなみに、昨年の独文学会北陸支部学会では、学会終了後古町で懇親会を二十数人規模でやり、二次会は同じく古町の寿司屋で十人ほどでした。県外からの参加者でホテル等に宿泊したのは7〜8名程度だったでしょうか。こんなもの、と思われるかも知れませんが、文系のブロック学会とはこういうものです。
ご一考いただければ幸いです。
これに対しては協会の某氏からお返事をいただいた。 掲載許可はいただいていないので省略するけど、内容的にはこちらの意向を汲む様子は見られない。 要するに何十人かの人間が県外から来て宿泊してくれないと補助金は出せません、ということらしいから。 まあ、それはそれでいいが、だったらウルサイメールはよこさないで欲しい。
別にこの協会を非難する意図はないので、念のため。 要するに日本の民間人の発想ってのはこういうもので、学問を支援しましょうというのではなく、儲かる場合はついでにやらせてください、ってなものなのである。 カネは出さないくせに、学会の予定は知らせろ、つまりこちらの時間を奪うことにはまったく無頓着なのである。 そんなものなのだ、ということがこれでよく分かるでしょ、と私は言いたいのである。 だから、結論としては、学問には国が責任を持たないと日本では成り立ちません、ということになるわけ。 新自由主義者よ、分かったか?
* *
本日は午後7時から音楽文化会館で開催された標記の演奏会に行く。
久しぶりの演奏会。 今夏は猛暑で、8月下旬になってもさっぱり秋の気配は感じられないが、演奏会のほうはともあれ秋のシーズン開幕、ということでいいんだろうな。
開演3分前くらいに着いたら、会場はすでに相当な入り。 かろうじて前から10列目の右ブロックに空き席を見つけてすわったが、全体で9割は入っていただろう。 盛況おめでとうございます。
会場が暗くなり、いよいよ開演・・・・と思ったら、中年男性が一人出てきた。 この団体の演奏会開催に関わっておられる方だそうで、お客にあいさつをするのはまあいいとして、なぜかそのあと印象派についてのレクチャーを始めた。 美術の印象派、についてである。 うーん・・・・。 率直に申し上げて、「何、これ?」
であった。 この演奏会には女房も来ており、ぎりぎりまで仕事があったので私とは別行動で開演時刻ちょうどくらいに着いたらしいのだが、後で聞いたらやはり
「何、これ?」
だったそうである。 だいたい、美術の印象派を音楽の印象派に直結させる考え方には近年疑問が高まっているし、ドビュッシーなんかは印象派と言われるのにいい顔をしなかったというのは音楽ファンにとって常識であろう。 また、某批評家が印象派の展覧会を見て「印象を描いたようだ」と評したから印象派と言われるようになったというのは、私自身も少し前まではそう信じていたくらい流布している説だけど、最新の研究ではこの言葉の淵源はマネにあったとされている。 吉川節子『印象派の誕生』(中公新書、2010年)を参照のこと。 500人相手にレクチャーやるなら、ちゃんと勉強してからやらないと。
というわけで、最初からずっこけてしまったが、本日の演奏者とプログラムは以下の通り。
ヴァイオリン=ギド・デ・ネーヴ、平山真紀子、ヴィオラ=鈴木康浩、チェロ=上森祥平、ハープ=山宮るり子
ミヨー: 弦楽四重奏曲第1番
ルニエ:
ハープ三重奏曲(ハープ+ヴァイオリン+チェロ、日本初演)
(休憩)
ドビュッシー:
神聖な踊りと世俗的な踊り(ハープ+弦楽四重奏)
ラヴェル: 弦楽四重奏曲ヘ長調
(アンコール)
ミヨー:
ピアノ連弾のためのスカラムーシュ(ハープ+弦楽四重奏のための編曲版)
同じTOKI弦楽四重奏団といってもメンバーは固定ではなく、私も毎回聴いているわけではない。 が、私にとっては第1ヴァイオリンは新顔であった。 そして7回目の演奏会になるという今回のメンバーは、少なくとも私が今まで聴いたこの団体の演奏会の中では最強ではないかと思う。 この第1ヴァイオリンが実にしっかりしたテクニックと音を持っており、そのせいで演奏が格段に引き締まっている(従来のこの団体は、第1ヴァイオリンが弱いと感じられることが多かった)。
常設の団体ではないので音色は各人各様だから統一性がないようにも見えるが、むしろ各メンバーの個性の相互作用により表現の可能性が増しているのではないかと思われた。 特に最後のラヴェルでこの団体のよさが出ていたのではないか。 第1ヴァイオリンのピチカートの音がすごく良く出ていた。 まあ、今回のプログラムは私には馴染みのない曲がほとんどで、ラヴェルだけが例外だったからなおさらそう感じられたのかも知れないが。
2曲演奏されたハープの曲もそれぞれ面白かった。 日本初演だというルニエの曲は、軽妙な第2楽章と叙情的な第3楽章の対比が興味深く、ドビュッシーの曲ではハープの音が非常によく目立つように出来ていた。 ちなみに今回出演の山宮るり子さんは、新潟市の出身で、ミュンヘン国際コンクールのハープ部門で2位に入っている。
演奏会終了後はロビーで平山・前知事
(ヴァイオリンの平山真紀子さんの父君)
が客たちに挨拶をしていた。 何はともあれ、新潟の音楽会2010年秋のシーズンは順調なスタートを切ったと言えるだろう。
アニメーターの今敏 (こん・さとし) 氏が昨日亡くなられた。
私は今氏の作品は2つだけ、『千年女優』 と 『パプリカ』 しか知らない。 しかしこの2作品はアニメーターとしての氏の力量を十分に見せてくれる高水準のアニメであった。
1963年10月のお生まれで、まだ満で46歳という若さ。 これだけの才能がこの年齢で終わってしまうのは悲しい。 謹んでご冥福をお祈り申し上げる。
数日前、学長→学部長→人文学部教員というルートで、「国立大学法人化後の現状と課題(中間まとめ)」 を読んでおくようにというメールが来た。 これは文部科学省のサイトにも掲載されているものだから、ここで言及して差し支えないだろうと思い、ちょっと感想を書いておく。 なお、この 「中間まとめ」 は文科省の下記サイトで読むことができる。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/houjin/1295896.htm
私の感想を手短に書いておくなら――
(1)国立大学の独法化はさっさと止めたほうがよい。
(2)止められないなら、せめて次の3点は改善すべし。
1.国からの補助金の削減を即刻止め、むしろ増やすこと。 このサイトでも何度も書いてきたし、上記の 「まとめ」 にも書かれているように、日本は高等教育への公的資金の投入率において先進国中最下位である。
2.「傾斜配分は善だ」 という発想を止めること。 傾斜配分は研究者自身が外から取ってきた研究費のみで沢山。 それ以外は悪平等といわれようと平等に配分すべし。 でないと仲間の多い人間だけが得をする結果に終わる。 どうしても傾斜配分にしたいなら、何年も論文執筆や学会発表をしていないような研究者に対してだけ減額すればよろしい。
3.「学長のリーダーシップは善だ」 という発想を止めること。 学長は、大学の細部を知らない。 知らない人間にリーダーシップを持たせたってまともな結果は望めない。 神は細部に宿りたもう、大学の業務も細部によって成り立っている。 その細部をになっているのは目立たない一般教員や事務員だったりする。 神ならぬ身である学長はそういう細部を知らないのである。 そして独法化によってそのような細部はつぶされつつある。
本日午後はI歯科医院に行く。 ここ数年、毎年今ごろ、つまりお盆を過ぎた頃に行くのが習慣になっている。 歯石を取ってもらい、歯の状態についてアドバイスをしてもらう。 まあ、年1回の歯の健康診断といったところである。 今回は歯茎が少し痩せてきていると言われた。 まもなく58歳だから当然なのかも知れない。
私は生来歯は丈夫な方だが、50歳を過ぎてから衰えが見え始めた。 50を少し過ぎた頃、右上の奥歯が二つに割れてしまい、やむを得ず抜いた。 今のところはそれ以外の歯は残っているが、わずかながら欠けた歯もあって、予断を許さない。
本日はこの後、インターネット上の古本屋で 『風と共に去りぬ』 の注文を出した。 この有名な作品を読んでいなかったので、夏休みの間に読もうかと思っていたのだが、新潟大の図書館に入っている本はかなり古くて活字が小さく、ちょっと読む気にならない。 中高生の頃だったら、文庫本で活字がゆったり組んである――1ページに16〜17行だとゆったりという印象だった――と損をした気分になり、むしろ1ページ19行というふうに活字がぎっしり詰まっている本の方がお買い得だと思えたものだ。
しかし、今の私は老眼に加えて白内障の初期症状も出ているから、とてもじゃないが1ページに19行もあるような文庫本は読む気にならない。 調べてみて、新潮文庫版の 『風と共に去りぬ』 は平成16年に改版しており、それ以降は活字が大きく読みやすくなっていると判明したので、ネット上の古本屋で平成16年以降印刷の新潮文庫ということで検索し、念のためその古本屋にメールを出して全巻改版後の印刷であることを確認した上で注文を出したのである。
人間、年をとると色々なところで面倒事が増える。
*ソヴィエトとロシアのヴィオラ音楽集 (NAXOS、8.572247、2007年録音〔ロシアおよび米国〕、ドイツ盤)
コンチェルト2号さんがブログで取り上げていたので買ってみたCD。 (1) クリュコフ (1902−60) のヴィオラソナタop.15、(2) ワシレンコ (1872−1956) のヴィオラソナタop.46、(3) フリード (1915−) のヴィオラソナタ、(4) クレイン (1913−96) のヴィオラソナタ、(5) ボグダーノフ=ベレゾフスキー (1903−71) のヴィオラソナタop.44の、計5曲が収められている。 おおむね20世紀前半か、20世紀半ばから後半にかけて活躍した作曲家たちであるが、作風は特に前衛的・現代的ということもなくて、ロマン派風の感じの曲が多い。 2曲目のワシレンコの曲なんかは、そういう性格がプラスに作用していてわりに充実した曲になっていると感じられた。 演奏は、ヴィオラがイーゴリ・フェドトフ、ピアノが、1−3曲がレオニード・ヴェシュアイツェル、4−5曲がゲイリー・ハモンド。
ジャコモ・カリッシミ (1605−74) の宗教オラトリオ2曲と、セレナード 「黄泉の国の隠された深淵から」 を収めたCD。 演奏はコンソルティウム・カリッシミ、指揮とオルガンがヴィットリオ・ザノン。 オラトリオはいずれも聖書の有名なエピソードによるもので、ラテン語で歌われている。 このうち 「エフタの物語」 はカリッシミの代表作とされることも多い作品であるそう。 とはいえ、時代が時代だから、ヘンデルのような雄大なオラトリオに慣れた耳にはずいぶん優しく、変な言い方だが箱入り娘風で、あまり劇的とは思われないような音楽になっているけど、そこに一種の清澄さを見いだすこともできそう。 エフタ (イェフタ) は悲しい物語であるわけで、神の生贄になるエフタの娘は可憐な乙女だと捉えれば、こういう音楽もありなのかな、と思う。 こういうふうにゴタゴタと考えてしまって聴いているのがそもそもダメなのかもしれないけど、古典音楽やロマン主義の音楽をへた時代に生きている我々がカリッシミの時代の人々の音楽的感性をそうそう簡単に回復できるはずもないのである。 最近、戸田書店新潟南店にて購入。
本日は長岡市にある新潟県立近代美術館で行われているモーリス・ユトリロ展に出かけた。 出かけるかどうか迷っていたのであるが、これまで日本に来たことのない作品ばかり集めてあるというので、行ってみる気になったもの。 あと1週間で終わってしまうということもあるし。
連日の猛暑で、この日も太陽がかんかん照りである。 9時半頃に自宅を出て新潟から長岡に向かう国道116号線をクルマで走っていると、道ばたの気温表示計に33度と出ている。 昔は長岡の学校に非常勤で週1回通っていたので通り慣れた道のはずだが、10年ほど前に非常勤を辞めてしまい、それからはたまに長岡の音楽会や美術展に行くときにしか走らなくなっているので、途中2度ほど道を間違えかけた。 人間の記憶もアテにならないものだ。
美術館に着いてクルマから降りると、改めて暑いなと思う。 クルマの中と美術館の中は冷房が効いているから、その間徒歩2分ほどだけなのだが、それでも陽光のきつさと猛暑がこたえる。
新潟県立近代美術館は、東京の美術館に比べると混んでおらず、ゆったりと見ることができるのがいい。 人が少ないと疲れないし。
ただし、美術展の内容にはさほど感心しなかった。 ユトリロのこれまで見たことのない作品が多数あるというのはその通りなのだが、ユトリロという画家は発展性のまるでない人なので、いくら見てもどれも同じなのである。
画家としての生涯の後半、人気が出て絵が高く売れるようになったユトリロは、意識的に自分の初期作品をなぞるような絵を描いたという。 要するに大衆の時代の複製画家に近い存在だったということだろう。 自分で自分の作品の模倣をやるようになったら芸術家としてはおしまいなのだけれど、おしまいでも絵は売れるから、まあ食っていく分にはよかったのだろう。
彼は最初は印象派の影響下から出発したが、そのすぐあとに有名なコタン小路を描いた絵など、パリの路地や教会を描いた絵で独自性を確立した。 その頃の彼の絵は――今回はあまり来ていなかったけれど――私もいいと思う。 けれども、彼は描く対象がきわめて狭い範囲に限られており、手法的にも大きな変化は見られなかった。 今回、水彩画も来ていて、へえ、ユトリロには水彩画もあったのかとは思ったけれど、それも水彩画ならではの平穏さがあるだけで、それ以上のものではない。 たしかにオカネがあったら彼の絵は1枚持っていたい気はするが、1枚ありゃあ沢山なのである。 何十枚も見るものじゃない。
というわけで片道1時間以上かけて来たわけではあるが、満足度はイマイチでした。 ただし女房がどこかからもらってきたタダ券で見たので、ガソリン代だけで済んでいるわけであり、まあよしとしよう。
常設展も見たので、結構時間を食った。 腹が減ったけど、美術館のなかには食べる場所がないんだよねえ。
クルマに乗って長岡市内を走り、某大型スーパーに入っているラーメン屋さんで五目ラーメンを食う。 この店、チェーン店で新潟のデッキィ401にもあり、私もユナイテッドシネマに映画を見に行く際に時々利用しているのだが、この長岡の店はどういうわけか水が冷たくない。 ウォータークーラーでセルフサービスなのは新潟店と同じなのに、そのウォータークーラーから出てくる水が、ぬるいとは言わないが、冷たいというところまで行っていないのである。 うーん、こういうところに、長岡市の店の、何というのか、ぬるいところが出てませんかね。
かに道楽という、大阪に本店があるカニ料理の店が新潟市に進出してからかなりの年数がたつ。 場所は新潟市の東堀通りにあるWithというビルの中だけど、このビルはもともとはイチムラというデパートが入っていた。 イチムラは長岡にもデパートがあったはずだが、いずれも今はない。 ともかく、そのビルからイチムラ新潟店が1980年代初めに撤退して、少したってからかに道楽が入ったような記憶がある。
しかしわが家は今まで一度もかに道楽に行ったことがなかった。一度行ってみようかなどと話は何度かしていたのだけれど、なぜか実際に行くことはなかった。 だけど来月末でビルが取り壊しになり、そうなるとかに道楽も撤退してしまうらしいので、その前に食べに行こうということで、たまたま首都圏の大学に行っている次男が帰省していることもあり、本日夜、次男と末の娘と妻と私の4人で行ってみました。
ビルの最上階にあって、和服姿の女の人が給仕をしてくれるところが何となく本格風。 会席料理の一番安いやつ (といっても1人前5千円近い値段) を頼んだ。 何品かカニ料理が出てきて、いずれもおいしいけど、腹一杯にはならないですね。 生ビールの中ジョッキが680円だから、値段設定は高め。 ふだん私が行くような店だと500円程度である。
10年くらい前、中学のクラス会を故郷 (いわき市) の民宿でやったとき、食いきれないくらいカニが出たことを思い出した。 ゆでたのばっかりで、本日のような洗練された料理ではなかったけど、私はグルメに程遠い人間だから、どちらかというと量のほうを尊重します。
それはさておき、本日はサラダ記念日じゃなくて、かに道楽記念日でした。
毎日新聞に佐藤信という東大法学部4年生が毎週連載記事を載せている。 「60年代のリアル 東大生が再考する」 というタイトルだ。 (毎日新聞のサイトには載っていないようなので、図書館などで紙媒体の毎日新聞をごらんください。)
本日は 「暴力とは何だったのか」 という題で、鴻上尚史の 『僕たちの好きだった革命』 という本から話を始めている。 1969年の高校生が学園闘争中に機動隊の攻撃で意識不明に陥り、99年に意識を取り戻して(肉体的にはすでに白髪のオッサンだが) 母校に出かけていき、そこで改めて文化祭の自主企画をめぐる闘争を指導するというお話だそうである。 そこで主人公は、後輩の高校生にいたずらに暴力を使うのではなく、正しく闘って正しく負けるのでなくてはならないと説教をする、という筋書きらしい。
まあ、この話自体はフィクションだから、目くじらたてる必要もないだろう。 問題は、このフィクションから筆者――つまり東大法学部4年生である佐藤――が色々と考察を繰り広げていることなのである。 困っちゃうなあ。
60年代を考察するなら、60年代に実際に何があったのかをまず知ることが先決だろう。 なんで鴻上尚史が2008年に出したフィクションをもとに60年代を考察しなくてはならないのか。 私の教え子の新潟大生がこういうことをやったら、まずその材料選びの時点でダメを出しますけどね。 毎日新聞にはダメを出す人がいなかったのかなあ。
ともかくそのあと佐藤は、当時の紛争学生が角材や火炎瓶から始まって、銃とか爆弾まで使ったのだろうかと問うて、彼らは肉体的に手触りのある――角材など――暴力のみを正しいと考えたのではないか、と結論づける。 また、彼らは武力革命ではなくリアルを求めて活動した、とも。
これを読むと、60年代から70年代を知る人は首をかしげるだろう。 上記フィクションの高校生はもともとは69年に活動していたという設定だが、70年には内ゲバで東京教育大生が中核派に殺されているし (その後続発した学生同士の内ゲバで合計100名あまりが殺されたとされる)、71年には朝霞自衛官殺害事件が起こっている。 74年の三菱重工爆破事件では爆弾が使われているし、71年から72年にかけての連合赤軍事件では銃器類が使われている。 また、60年安保で死去した樺美智子はしばしば学生運動の象徴的存在とされるが、最近出た伝記によると彼女は共産党に入党していた。 60年代には共産主義信仰が現在よりはるかに強くインテリを捉えていたことを考えるなら、60年代の学生活動家たちが 「リアルを求めて活動した」 といった生やさしい言い方で当時の実態が捉えられるはずがない。
戦後、70年代くらいまでの日本は今よりはるかに政治性が強かった。 その後、日本が経済的に豊かになり、またソ連の崩壊によって社会主義神話が最終的にうち砕かれて、そうした政治性は消えていった。 今では学生自治会もない大学が珍しくないけど、1971年に大学に入学した私からすれば、信じられない話である。 あの頃の大学生に、「西暦2000年頃になったら日本の大学の多数からは自治会というものが姿を消しているだろう」 と言ったら、誰も信じなかっただろう。 せいぜい、「そこまで官憲の弾圧がひどくなっているのですか? ファシズムが再来しているのですね」 といった答が返ってくるだけだっただろう。
世の中の変化とはそういうものである。 そのことを、文系エリートである東大法学部生にはぜひ把握してもらいたいものだが。
私のやっているドイツ文学なんてのはもともと地味な分野だし、ことに最近の日本は外国文学に対する興味が低下しているからなおさらなのであるが、昨年末に 『鯨とイルカの文化政治学』 という本を出して、たまたま同じ頃に日本の南極海での調査捕鯨にシーシェパードがテロ行為をしかけたということが大きなニュースになったせいもあって、多少注目されたらしい (ただし、だから本が売れているということではない――今のところ増刷もされていないし、念のため)。
先々月だったか、一度産経新聞からこの問題について電話で取材があったが、あとで産経新聞を見たけど私の発言は採用されていなかった。 記事自体が短いもので、恐らく何人もの識者にインタビューして代表的な意見2人だけを取り上げたものらしかった。 こういうことは割りに良くあるらしいので、別に気にはならなかった。
ところが本日、東京のテレビ局から電話がかかってきた。 捕鯨問題についてビートたけしのテレビ番組で取り上げるので、私が意見を述べるところを撮影するために新潟までうかがいたいという。 それはご苦労様だと思ったが、話が進むとどうもおかしいのである。 あちらは、私が反捕鯨派だと思っているらしい。 私は資源的に健全である限り捕鯨には何の問題もないという意見であるから、正反対なのである。
そこで、どこから私のことを知ったのかと訊いたら、日本捕鯨協会のサイト 「鯨論・闘論」 からだという。 何なのかな、と私は首をかしげた。 あそこでは私は、朝日新聞に載った米本昌平氏の反捕鯨論に反駁しているのである。 どこをどう読めば私が反捕鯨派だという受け取り方ができるのかいな。
仕方がないから、私は相手に自分の見解を手短に説明した。 相手は 「よく分かりました」 ということだったが、反捕鯨の立場の大学教授を知らないか、と問うてきた。 ははあ、と私は思った。 どうやら捕鯨賛成派の論客はすでに確保しているので、反対の立場の人を探しているのであろう。 上記の米本氏の名前を出すと、他にいませんかという。 調べれば他にもいそうだったけど、面倒くさいので 「さあ」 と答えておいたら、そこで話はおしまいになった。
というわけで、たけしのテレビ番組に出て全国的に名前と顔を売る機会を逃してしまいました (笑)。
前期の授業は終了したけど、あいかわらずレポートの採点に追われている。 いちばん手間がかかるのは人数の多い教養科目の西洋文学である。 150人分のレポートを読むのはなかなか大変なのだ。 ほかに人文学部の専門講義でも1クラス95人というのがある。
西洋文学のレポートを読んでいると色々珍答案があって一息つけるので、例年このコーナーでやっているけど、今回もいくつか紹介したい。
これは期末レポートではなく中間レポートだったが、シュトルムの 『みずうみ』 で最後にブリギッテという女性が灯りを持ってくるシーンを取り上げて、「主人公のラインハルトはエリーザベトと結ばれなかったが、代わりにブリギッテという女性と一緒になったのだと分かりました」 なんて書いてあるのがあった。
この作品を知っている人は笑ってしまうだろう。 ブリギッテとは、この小説の冒頭に出てくる老家政婦だからである。 たしかに冒頭では名前は出てこないけど、老ラインハルトが家政婦に 「灯りはまだいいよ」 と言って書斎に入って行くところから小説は始まるわけで、途中で老ラインハルトが昔日のエリーザベトとの思い出に浸っているうちに夜になり暗くなったので、主人の命令を待たずに家政婦が灯りを書斎に運んでくるというのが最後のシーンになっている。 こんなことは私が授業で説明するまでもなく或る程度小説を読むのに慣れた人間ならすぐ分かることだが、分からない学生もおり、そういう奴に限って授業をサボっているという実態が浮かび上がってくるのである。
かと思うと、同じくシュトルムの 『水に沈む』 を取り上げて、この枠小説の冒頭に出てくる 「わたし」 と、枠の中の物語の語り手である 「わたし=主人公であるヨハネス」 を同一人物だと思い込んでレポートを書いている困った学生もいた。 これは医学部の学生で、以前にも書いたけど医学部学生の質は最近、偏差値とは無関係に低下しているのではないかと私は感じていたので、それをいわば証明するレポートとなった。
同じく医学部の学生で、「『やせぎす』 という訳語があったが、『やせすぎ』 の誤りだと思うけど、ここではそのまま引用する」 なんて堂々と書いている奴もいた。 国語辞典を引くという程度の初歩的な作業もしないで断定してしまうところがイタい。
以上は困ったちゃんの例であるが、逆に誤解もごもっともと思われる場合もないではない。
シュトルムの 『アンゲーリカ』 という作品を読んでレポートを書いた学生がいた。 この作品は授業では取り上げなかったのであるが、中間レポートか期末レポートかいずれか一回に限り、授業で取り上げなかったシュトルムの作品を自分で読んでレポートを書いて良いという条件を私は出しておいたからである。 そうすると学生はいわば完全に自力で作品を読むことになるから、迷いが生じても無理がないというケースだってある。
この 『アンゲーリカ』 は、青年がアンゲーリカという娘に恋をして、或る程度仲良くなるところまで行くのであるが、青年には財力がなく、そのせいもあって職のために彼女とは別の町で暮らすようになり、やがてアンゲーリカが医者と婚約したというニュースを聞く、という筋書きである。 しかし或る日、青年のもとに知人から手紙が届く。 「婚約者は亡くなったよ。 戻ってきて幸せをつかみたまえ」 と。
ここまでを読むなら、「婚約者」 とはアンゲーリカと婚約していた医者のことであり、この手紙は、恋の競争相手が死んだのだから今こそ君はアンゲーリカをものにできる、と知らせる内容だったということになる。 そしてそう解釈して正解なのである。
ところが、話はその後いささかひねくれた展開を見せる。 この手紙を読んだ青年は、今こそアンゲーリカを自分は失ったのだと痛感する、という筋書きになっているからだ。 つまり、競争相手がいなくなったから青年はアンゲーリカをものにできると世間の人は思うのだけれど、逆に競争相手がいなくなったからこそアンゲーリカを思う青年の気持ちは急速にしぼんでいったという、いささかイローニッシュ (アイロニカル) なお話なのである。
しかしこの小説では、今こそアンゲーリカを失ったのだと青年は思う、といった書き方になっているので、素直に読んでしまうと、亡くなったのはアンゲーリカのほうなのか、と迷うのも無理からぬところなのである。 そしてレポートを書いてきた学生は、どちらなのか分からないと正直に記していた。
こういう場合、やはり原文を読めたほうがよい。 或いは、訳者はその辺を汲んで、誤解のないような訳をつけておくべきだろう。
ドイツ語の原文を読むと、「婚約者」 は男性であることが分かる単語 Braeutigam (英語ならbridegroomに相当) が使われているから、死んだのはアンゲーリカではなく医者であることは明瞭なのである。
もっとも、「婚約者」 という訳語はまだいいほうだ。 これは岩波文庫の訳である。 最近出た 『シュトルム名作集』 でこの箇所がどうなっているか見てみたら、「許嫁」 となっていた。 うーん・・・・・ 「嫁」 という字が入っている。 これだと、女と受け取られる危険性が高いのではないか。 むろん 「許嫁」 は女性だけを指すとは限らないとも言えるのだけれど、字面からして誤解される恐れがあるし、その後の展開も含めて考えれば、誤解の余地のない訳語を付けておくべきだろう。
この辺は、先日も書いたように、最近のドイツ文学者の翻訳力の問題ということになりそうだ。
博士論文の承認のため大学院の教授会があったが、定足数 (過半数) に達せず、したがってそこでの決議は 「参考」 ということになった。 学部だと教授会が最終決定機関ということになっているが、大学院では大部分の議題で代議員会が最終決定機関なので、そういうこともアリなのだ。 しかし、だとすると最初から代議員会で決めてくれればイイジャン、と私のように代議員になっていないヒラは思ってしまうわけなのだが。
それにしても、教授・准教授たちが半分も出てこないというのは怠慢そのものである。 前期の授業は先週で終わりではあるけど、一応今週は試験期間だし、私はドイツ語を教えなくなってから全部の授業をレポート評価にしているけれど、学生には授業を終えてからレポートを書かせるのが正しいやり方だと思っているから、レポート〆切は今週末から来週はじめに設定しているのである。 もっとも最近はメールでの提出も増え――私は紙媒体でもメールでもどちらでも可にしている――、その場合は早めに提出する学生も多いので、すでに出た分については読み始めてはいるのだけれど。
これは要するに、この時期にはすでに新潟にいない教授・准教授が多い、ということですね。 いちおう新潟大学で教員を公募する場合は、採用後は新潟市内もしくはその近辺に居住することという条件が付くはずだが、法科大学院などうるさい条件を付けるといい人材が集まらない場合は事実上その条件を無視してやっているらしいから。 「らしい」 というのは、社会科学系はともかく人文系ではこの条件を遵守しているからで、法学部や経済学部のことは私はよくは知らないからである。 (――大学院では、文系3学部が一緒になっているのです、念のため。)
もっとも、法科大学院勤務でも真面目な人はちゃんと新潟にいる。 例えば、元裁判官で現在は新潟大学の法科大学院教授であり、裁判員制度が実施されるにあたっては反対の論陣を張ってそのテーマで新書も出されたN先生なんかは、この時期になってもいつもお昼時に生協食堂で長身痩躯の姿をお見かけする。
しかし、こういう会議に出るのも大学教師の仕事のうちじゃないのか。 と考えれば、サボっている奴は減点すべきだろう。 何で?って、そりゃ最近やかましい 「教員評価」 で、である。 だけど教員評価には、教授会に真面目に出てるかを答えさせる項目はないのである。 別に本人に答えさせなくてもいいから、事務部で出欠の実績データを付けておくようにすべきだろう。
ちなみに教員評価には、外部 (市町村など) の各種委員などになっているかどうかなんて項目もあるのだが、例えば人文系なら、社会学でジェンダー論をやっているとか、考古学が専門だから地元での発掘調査に協力しているとかの場合はともかく、外国の地味な基礎研究なんかをやっている人間に委員の仕事があるわけがないのである。 その辺の事情を無視してそういう項目を入れている新潟大学幹部の判断力のなさが露呈しているわけだ。 そういう項目は廃止して、教授会に真面目に出ているかという項目を入れなさいね。 分かりました?
8月3日(火)
*映画『ザ・コーヴ』についての私の論考映画 『ザ・コーヴ』 について、本日の新潟日報紙に、当サイト製作者 (三浦淳) の論考が載りました。 こちらからご覧いただけます。
私の学生時代に1学年先輩であったドイツ文学者・原研二氏 (東北大文学部教授) が60歳にならずに一昨年亡くなられたことは、この欄でも何度か書いてきたし、その遺稿がこれまで2冊出版されたことも取り上げてきた。
原氏の最後の遺稿がこのたび出版された。 今までの2冊はいずれもドイツ語の著書なので一般の人には取っつきにくかったが、今回は日本語の本であり、大学に入ったばかりの学生向けの講義をそのまま書物にしているので、原氏の研究者・教育者としての側面を知りたい人だけでなく、19世紀末のヨーロッパ文化に興味のある方々全般に広くお薦めできるものである。
グリム童話の白雪姫の話に始まって、オフィーリアのイメージ、ファム・ファタル、皇妃エリーザベト(シシー)、ウィーンという場所、学者・思想家にとっての女性性、というふうに話は進む。 文学はもとより、美術、音楽、ファッション、建築など幅広い領域に言及がなされており、随所にコラムを配して息抜きや欄外の知識が得られるようになっているので、多様な人たちの関心に応えてくれる本と言えるだろう。
新潟県の上原酒造が倒産したというニュース。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100731-00000028-san-l15
7月31日7時57分配信 産経新聞
民間信用調査会社の帝国データバンク新潟支店は30日、老舗清酒メーカー
「上原酒造」 (新潟市西蒲区、上原誠一郎社長、従業員16人)
が29日、新潟地裁に民事再生法の適用を申請し、保全命令を受けたと発表した。
負債額は約8億9700万円、債権者37社。
申請代理人は若槻良宏弁護士。
同支店によると、上原酒造は明治23年創業。主力銘柄
「越後鶴亀」 を中心に、平成6年には日本初の地ビール
「エチゴビール」 の醸造を始めた。
だが、採算悪化で地ビール部門を手放し、清酒主体に切り替えたが、不況による受注減などが響き債務超過状態が続いていた。
なお、スポンサーとして名乗りをあげている企業もあるという。
以下、当サイト製作者の感想。 上原酒造というと、私にはお酒のメーカーと言うより、地ビールの雄としての印象が強い。 社長の上原誠一郎氏は、1997年にちくま新書から 『ビールを愉しむ』 という本 (↓) を出された方で、私も読んだことがあるが、ヨーロッパのビールにお詳しく、これからの時代はこういう人が作っていくのかなあなどと思っていたものだ。 地ビールのブームも長続きしなかったということなのだろうか。
しかし、全国一律の味ではなく、地元ならではの味わいをビールに求めた氏の姿勢は決して間違っていなかっただろう。 ただ、一般の飲み屋にあまり浸透しなかったということなのだろうか。 少なくとも私の近所の飲み屋で見かけたことはない。 新潟独自のビールの味を居酒屋が応援していくような態勢が整わなかったのか。 何しろ今はクルマ社会だし、遠くにあるメーカー併設の飲み屋に出かけていって飲むことは無理がある。
私のような平凡な月給取りには何もできないけど、上原氏の蒔いた種を枯れさせないように応援してくれるスポンサーの出現を期待する。
*マレ: 太陽王のためのヴィオール曲集 (NAXOS、8.553081、1994年録音)
太陽王と呼ばれたルイ14世(在位1643−1715)の宮廷に召し抱えられていたマラン・マレ(マレーという表記もあり、1656−1728)。 ヴィオール奏者として、そして作曲家としても名高かった彼のヴィオール曲集。 ゆったりとした高雅なヴィオールの音色と曲想は、優雅な宮廷の生活を彷彿とさせる。 演奏はスペクトレ・デ・ラ・ローゼ。 収録曲は、「マレ風のソナタ (”音階およびさまざまな合奏の小品”より)」、「組曲ニ長調 (ヴィオール曲集第3巻より)」、「人間の声 (ヴィオール曲集第2巻より)」、「組曲ハ短調 (三重奏の曲集より)」、「メリトン氏へのトンボー (ヴィオール曲集第1巻より)」、「フォリアのクプレ (ヴィオール曲集第2巻より)」。 最後の曲がいわゆる「ラ・フォリア」で、16分以上かかる大作。 先月上京した際に銀座の山野楽器で購入した1枚。
*ヴィドール: オルガン交響曲第3&7番 (Classico、CLASSCD 450、2002年録音、デンマーク盤)
ヴィドールのオルガン交響曲を集めている途上であるが、この3&7番を購入して、残りは2曲となった。 演奏はHans Ole Thers、コペンハーゲンのHelligaands教会にて録音 (奏者と録音場所は、以前にここで紹介した第9&10番に同じ)。 ここに収められている2曲のうち、第3番は作品13として1872年に発表された最初の4曲 (つまり第1〜4番) のうちの一曲。 それに続く第5番から8番までは作品番号42が付いているので、第7番は42-3となる――どういうわけかディスクの解説にはOpus42/4と書かれている (デンマーク語でも英語でも) んだけど、間違いだよねえ。 第7番は1887年に発表されているから、2曲の間に15年という月日が流れていることになる。 で、2曲を聴いてみての感想だが、第3番は5楽章からなり、楽章ごとに緩急や音量の差があって、つまり楽章ごとの性格がはっきりしており、比較的聴きやすいが、第5番や第6番のような心に沁みいる聴きやすさというのとはちょっと違い、特に最終楽章は複雑で、伽藍のような一筋縄ではいかない構築性があるようだ。 一方、第7番は6楽章あり、晩年のブラームスのような気まぐれと重厚さ、晦渋さが合わさったような曲想。 録音は、すっきり系で聴きやすい。 最近HMVからネットを通じて購入。
7月15日の毎日新聞に、ドイツ文学者の池内紀氏がギュンター・グラスの 『ブリキの太鼓』 を新訳している、という記事が載った。 ここで論評しようと思いながらうっかり忘れていて、今ごろになって思い出したので、10日あまりたっていて恐縮だけど、本日取り上げることにします。
なお、ギュンター・グラスは戦後ドイツでは随一の作家でノーベル文学賞も受賞しており、『ブリキの太鼓』 は代表作で高本研一氏の邦訳があり、映画化もされている。
* *
http://mainichi.jp/enta/art/news/20100715ddm014070002000c.html
ドイツ文学者の池内紀さんが新しく訳したギュンター・グラスの長編小説 『ブリキの太鼓』 が、河出書房新社 『世界文学全集』(池澤夏樹さん個人編集) の第2集第12巻 (3150円) として刊行された。 ナチズムへと染まっていく市民の生活が、奇想天外な発想とうねるような記述でつづられていく。 それが肌になじむような日本語で楽しめるのだ。 池内さんに語ってもらった。 【重里徹也】
(中略)
それにしても、奇妙な小説だ。オスカルの目は大人の虚偽を暴き、タテマエと本音を見分け、密通や不倫も見逃さない。 孤独で狡猾(こうかつ)な目は、人々の心の底を見通している。
「要領のいいヤツ、目端のきくヤツは、スーッとナチスにすり寄っていくんです。 組織が固まると、もう逃げられない。 そんな怖さも味わわせる作品ですね」
ドイツと日本は第二次世界大戦で敗れた後、驚異的な復興を遂げたという共通の体験を持っている。しかし、日本ではなかなか 『ブリキの太鼓』 のような小説は生まれにくい、と池内さんは指摘する。
「ドイツにおいては、罪を犯せば罰が待っています。二つは対応している。戦中にナチズムに協力したり迎合したりした罪に対して、必ず罰が待っている。そういう精神風土から生まれた小説です。罪と罰は対応し、互いに深まっていく」
ところが、日本人には罪の意識はあっても、罰の考えは希薄なのではないかという。 罰の代わりが 「バチが当たる」 との言い方だ。 「バチは運が悪いという感じです。 宝クジみたい。 バチが当たった、まずかったなあと思う。 変わり身の早さにつながります」
「罰への予感や畏怖(いふ)する心が、こういう陰影の濃い小説を生むのだと思います」
■人物略歴
1927年、ダンツィヒ生まれ。第二次世界大戦で負傷し、米軍の捕虜になった。 小説は 『ひらめ』 『蟹(かに)の横歩き』 など。 99年、ノーベル文学賞受賞。
* *
以下、当サイト製作者の見解。
これを読んで、私は首をひねることしきりだった。 なぜかというと、最後で池内氏のものと思われる、「罪と罰」 についての日独比較論 (?) があるのだけれど、こういうことを言うならば絶対にはずせない事実があるはずだからだ。 すなわち、作者のギュンター・グラスは、若い頃にナチの武装親衛隊に所属していたという事実である。 これは2006年にグラスが発表した自伝で明らかにされ、ドイツをはじめヨーロッパで大ニュースとして伝えられた。
戦中のグラスは未成年であり(彼は1927年生まれ)、これをどの程度思想的な問題として重視すべきかは判断が難しいところではあるが、この事実を戦後のグラスが半世紀以上に渡って隠し続けてきたことは確かなのである。 そうしたグラスの姿勢が、ある種の 「変わり身の早さ」 と言えないのかどうか、池内氏はドイツ文学者として少なくとも自分の見解を示す程度のことはすべきだと思うのだが、なぜかこの問題に全然触れていない。 グラスの略歴もこの問題を素通りである。
池内氏の、ドイツ文学者としての姿勢が問われる記事だと言わねばならない。 ドイツ文学者はこれだからダメなんだよ、と言われかねませんね、
なお、ギュンター・グラスのナチ武装親衛隊所属問題は、日本語版ウィキペディアの 「ギュンター・グラス」 の項で簡単に知ることができる。
少し前にもTジョイ新潟万代をここで批判したことがある。 別にTジョイを目の仇にしているわけではなく、それなりにいいところもあるシネコンだとは思っているのだが、どうも最近怠慢ぶりが目に付くので、愛の鞭(?)という言い方もあることだし、改めて批判しておく。
それは、Tジョイのサイトの更新が遅すぎるということだ。 本日の夜7時の時点で、スケジュールが明日 (月曜日) の分までしか載っていない。 他のシネコン3館――ユナイテッドシネマ新潟、ワーナーマイカル新潟、ワーナーマイカル新潟南――はどれも金曜日の分までスケジュールを載せている。 ユナイテッドは火曜日の深夜に、ワーナーは水曜日の深夜に更新して、である。 それを数日過ぎているのに、Tジョイはまだ新しい週のスケジュールを月曜の分しか載せていないのである。
いったいTジョイは客のことをどう考えているのだろうか? スケジュールは週末さえ載せりゃあいいってものではないのだよ。 サイトの重要性や、今どきの客が先のスケジュールを必要としているということが、分かっていないのではないか。 別の言い方をすれば、自分の都合しか考えていないということである。 姿勢を改めてもらいたい。 以前にも書いたように、料金面でTジョイは他館に比べてサービスが悪い。 その上でこの有様じゃあ、映画ファンから愛想を尽かされてしまいますよ。
追記: スケジュールは、結局次の日(月曜)になっても更新されず、驚くべきことにそのまた次の日(火曜)も、朝方に見たら更新されていなかった。 つまり、火曜日のスケジュールを見たいと思っても火曜日の朝には見られなかった、ということである。 火曜の昼過ぎに見たら、今度は更新されていた。 この遅さって、何なんだろう??
17日に伯母が亡くなり、本日、福島県の三春町で葬儀が行われたので、私も出席した。 (このため、本日の授業を一つ休講にしました。 すみません。)
クルマで磐越高速道を経由して行ったのであるが、新潟から三春までは160キロ程度であるから、2時間あれば着くだろう、2時間半前に出れば余裕しゃくしゃくだ、と思ったのが間違いの元。 磐越道は新潟−会津若松間は片側1車線しかない部分が多い――つまり、スピードがあまり出せない。 おまけに何だか知らないけど方々で道路工事をやっており、片側2車線の区間ならそれでも通行可能な車線が1車線残るからスピードを落とすだけで済むが、片側1車線しかない区間で道路工事をやると、片側交互通行になってしまう。 高速道路だってのに、これでいいのか! お陰で一箇所では15分も停車して待たされた。
また、三春町には (多分) ものごころがついてからは初めて行ったので、よく分からず、目的地のお寺にたどりつくまで道に迷ったりして時間を食った。 それでも葬儀が始まる予定の午前11時の少し前になんとかたどりつく。
というわけで、三春町の福聚寺で伯母の葬儀が行われた。 実は、ここの住職は芥川賞作家の玄侑宗久さんなのである。 私はそれを知らず、葬儀が始まる直前に、久しぶりに会った従姉から教えられた。 玄侑宗久さんの作品は、申し訳ないが読んだことがない。 しかし、玄侑さんの読経でお葬式はしめやかに行われ、焼香の後にお話をしてくださり、それもなかなか面白かった。 玄侑さんは、その後の納骨と会食にもお付き合い下さった。 罪滅ぼし(?)に今度作品を読んでみます。
この日は猛暑で、お寺の中は無論冷房などないから、礼服に身を包み正座して読経を聞いていると汗がじっとりと出てくる。 読経の後、寺の裏山の途中にもうけられたお墓で納骨をしたが、そこに行くときもぎらぎらした太陽に照らされて難儀であった。 お墓の墓石は比較的新しかったから、伯父が十数年前に亡くなったときに作ったものかもしれない。 或いは、先祖代々の墓で墓石だけ新調したのか。
それはさておき。 伯母は私の父(故人)の姉で、父の兄姉はこれですべて鬼籍に入ったことになる (父は、成人せずに亡くなった弟を除けば末っ子)。 伯母はこの8月で満90歳になるはずという年齢で、生涯に2人の夫を持った。 若い頃に結婚して子供をもうけたが、やがて夫に病没され、また同じ頃に実姉が病気で亡くなり、実姉には夫と子供がいた。 そこで伯母は実姉の夫と再婚したのである。 ――むかしはこういうことは割りによくあったらしい。
伯母は読書好きであった。 私が子供――小6か中1だったと思う――のころ、父に連れられて伯母の家に行ったことがある。 しかし父や伯父伯母のおとなの会話に入れず、退屈した私は居間に置いてあった書籍の中から 『もう一人のわからんちん』 という本を取り出して読み始めた。 サチ子と名づけられたチンパンジーを自宅で育てる話で、それに実子である男の子二人の育児記があわさった書物である。 しかしまもなく伯母の家を出る時刻になり、私がその本を途中までしか読み進んでいなかったのを見た伯母は、「その本、持っていっていいよ」 と言ってくれた。 というわけで私はその本をもらって伯母宅をあとにしたのである。
伯母はずっと郡山暮らしであった。 伯母と最後に会ったのは、今から13年前のことである。 その前年に伯父が亡くなっていたが、私は葬儀に行けなかった。 それで、夏休みに故郷のいわきで行われた中学のクラス会に出席する途中で郡山に立ち寄り、線香を上げに行ったのである。 そのとき、子供たちはすべて独立して一人暮らしであった伯母はすでに七十代後半で、医者にかかることも多かったのであろう、医学で生かされている気がすると言っていた。
伯母と最後に電話で話をしたのは今から数年前である。 たまたま小谷野敦氏の本を読んでいたら評論家の巻正平のことが書いてあり、その結婚について不明であるとされていた。 巻正平は伯母や父にとって従兄にあたるのであるが、その時点で父はすでに故人で、父のきょうだいで唯一生き残っているのが伯母であったから、私は電話して巻正平の結婚について尋ね、たいした情報は得られなかったが、小谷野氏にメールで知らせておいた。
その頃はまだ伯母は自宅で一人暮らしだったのが、その後郡山の養老院に入り、昨年から大阪の養老院に移っていた。 大阪には長男が住んでいるので、そのそばで暮らしたいということだったらしい。 しかしそこで転んで大腿骨を折り、入院してから他の病気を併発して・・・・・ということのようだ。
葬式と納骨のあと、某店で会食をした。 いとこの息子だという人と初めて会って話をした。 いとこの息子といっても、すでに50歳、中学の先生で三春町在住である。 この人がクラシックファンなこともあって、私と話が合った。 以前、朝比奈隆指揮の大阪フィルが新潟に来演したとき、わざわざ聴きに来たそうだ。 作家の玄侑さんといい、三春町は小さいけれど、城下町としての伝統はそれなりにあって、文化的な意識は結構高いのかもしれないと感じたことであった。
1限が教養の西洋文学の講義。 今年度前期は、テオドール・シュトルムの作品を4つ取り上げている。 最初に岩波文庫から出ている 『みずうみ』 をやったが、この訳に問題があることはこのコーナーでも以前触れた。
そのあと 『水に沈む』 を、私が高校生の頃に読んだ角川文庫の北通文の訳を用いてやった。 『水に沈む』には、最近三元社から出ている 『シュトルム名作集』 の訳もあるのだけれど、どうもあまり好きになれないので、昔自分が読んだ訳を使ったのである。 ただし、これはあくまで好みの問題で、『シュトルム名作集』 収録の訳も決して悪い訳ではない。
三番目に 『オーク屋敷』 を、『シュトルム名作集』 収録の私自身の訳を用いて取り上げた。
そして今、四番目の作品として 『告白』 をやっているところである。 これも 『シュトルム名作集』 の訳を用いた・・・・・・のだが、率直に言って、やめときゃよかったな、昔私自身が読んだ高橋健二訳のほうが良かったようだ、と思ってしまった。
『シュトルム名作集』 は上述のように私自身も関わっているので、あまり悪口は言いたくないのだが、逆に考えると、自分が関わっているから欠点を隠しておくというのも不誠実である。 だから言ってしまうが、訳者が何人にも及んでいるので、人によって訳の出来栄えに差があるというのが実態である。
で、『告白』 も、授業でやってみて分かったのだが、あまり芳しくない出来なのだ。 誤訳も多少あるようだが、その点にはここでは触れない。 (授業では、ここは訳が間違ってますからこう直しておいて下さい、とちゃんと言っている。) いくらなんでも困るなと思ったのは、この枠小説の枠内の語り手の用いる一人称が一貫していないことである。 いや、日本語では同一人物でも一人称が相手次第で変わるでしょう、目上の人には 「わたし」 と言っていても友人相手なら 「オレ」 で通すとか――といった高度な (?) レベルの話ではない。
この物語は、最初に語り手が登場し、その語り手が偶然温泉地で旧友と久しぶりに再会し、その旧友から打ち明け話を聞くという形で進んでいく。 旧友の話が小説の核心になっているわけだ。 そして旧友が打ち明け話の中で使う一人称が、この訳では基本的に 「僕」 となっているのだが、なぜか時々 「私」 が混在しているのだ。 相手次第で変わる、というのではない。 枠の語り手に対して自分を指して言う場合に限定してもそうなっているので、これは明らかに訳者のミスである。 ドイツ語ができない普通の読者でもおかしいと感じるような、こういうミスをしてはいけない。
話は 『シュトルム名作集』 に限らない。 具体的なことはここでは書かないが、既訳がある作品を現役のドイツ文学者が新訳で出す場合に、明らかに昔の訳のほうが良かったというケースが他にも見られるのである。 先行訳を参考にしていないのだろうか? 『告白』 も高橋健二訳はネット上の古本屋で容易に入手できるし、それを参考にすればもう少し精度の高い訳ができたはずだ。
付け足すけど、私だって 『オーク屋敷』 を 『シュトルム名作集』 のために訳したときには、先行訳2種類を参考にしてうっかりミスのないように努めたのである。 無論、人間の仕事だからそれでもミスはあるかも知れないし、オレの訳は完全無欠だなどと言うつもりは全然ない。 (どこかおかしいところがあったら指摘して下さい。)
この問題は、ドイツ文学だけでなく、フランス文学やロシア文学にも見られるかもしれない。 だいぶ以前にこの欄でもとりあげたけれど、その筋では論争も起こっているらしい。 昔だって誤訳や悪訳はそれなりにあったことも確かだ。 だが、外国文学が昔に比べて若人に受容されなくなっている時代に、現代の外国文学者が先人の仕事を無視して杜撰な訳を公刊することは許されないだろう。 自分で自分の首を絞めるに等しい行為だからだ。
*パッヘルベル: オルガン作品集第1集 (NAXOS、8.554380、1998年録音)
クラシック音楽の世界は広大で、私なんぞは寺の門前でお経を聞きかじっている小僧、いや、その小僧が時々立ち寄る駄菓子屋――どういう比喩なのだっ!――程度だと分かってはいるけれど、このCDを聴いた時ほどそれを思い知らされたことはなかった。 パッヘルベルといえば、一般にはカノンだけが有名で、私も実はそれしか知らなかったのであるが、たまたま6月末に上京した時に山野楽器に立ち寄ったら、このCDが目にとまったのである。 だけど、NAXOSで値段も安いしということで購入したに過ぎず、さほど期待はしていなかった。 しかし、一聴、びっくり仰天した。 こんなに深遠で素晴らしいオルガン曲の数々をパッヘルベルが作曲していたとは!! 知らない人に聴かせたら、「バッハ?」 と言うだろう。 単に曲想とか表現が似ているということではない。 音楽としての真摯な作り、そしてそれが音を通じて聴く者に否応なく伝わってくるという点で、パッヘルベルのオルガン音楽は大バッハのそれに決して劣らない。 ちょっと調べてみたら、パッヘルベルは実はオルガニストで、バッハ一族とも多少関係を持っていたようだ。 ちなみにパッヘルベルは1653年生まれだから、大バッハより32歳年長である。 さて、ここには、「前奏曲」「幻想曲」「フーガ」「シャコンヌ」「トッカータ」「リチェルカーレ」など、バロック音楽に親しんでいる人にはなじみ深い名前の曲が19曲収められているが、どれも――月並みな表現ですけど――珠玉の如くの佳曲ぞろいである。 演奏はヴォルフガング・リュプザム、ドイツはヴァイスナウの教会にて録音。 「第1集」 となっているので、第2集以降もさっそく買おうとしたら、何と、まだ出ていないのだ。 うーん・・・・・、皆さん、このCDを買いましょう! 売れ行きがよければ、NAXOSでも第2集以降を早く出そうという気になるかも知れないから。 そういう運動をするだけの価値があるディスクなのです。
*小野明子: チゴイネルワイゼン Favorite Violon Pieces (WWCC 7595、制作 ライヴノーツ、発売元 ナミ・レコード、2008年録音、日本盤)
6月に東京で、ヴァイオリニストの小野明子さんが東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団とラロのスペイン交響曲を共演するのを聴いた。 終演後、小野さんのサイン会があり、そこで買ったのがこれ、というか、小野さんのディスクは目下これしか出ていないようだ。 16曲のヴァイオリン小曲を集めているディスク。 ピアノ伴奏は野平一郎氏、録音場所は三鷹市芸術文化センター。 収録曲は、ポルディーニ 「踊る人形」、クロール 「バンジョーとフィドル」、ストラヴィンスキー 『ペトルーシカ』 から 「ロシアの踊り」、チャイコフスキー 「ハプサールの思い出」 から無言歌op.2-3、サラサーテ 「チゴイネルワイゼン」、ブロッホ 「ニーグン」、パラディス 「シシリアーノ」、ハチャトリアン 「剣の舞」、リース 「ラ・カプリチオーザ」、バッハ 「G線上のアリア」、R・シュトラウス 『バラの騎士』 より 「ワルツ」、グラズノフ 「バレエ音楽『レイモンダ』」 より 「グランド・アダージョ」、ザルジツキ 「マズルカop.26」、ドヴォルザーク 「スラブ舞曲op.72-2」、ビゼー (フーバイ編)「カルメン幻想曲」、ポンセ 「エストレリータ」。 ――東京シティフィルとの演奏会でも感じたことだが、小野さんの演奏は――こう言っては失礼だが――容姿に似合わず線が太く、日本人ヴァイオリニストには珍しく協奏曲向きの人ではないかと思う。 このディスクは小曲集なのだが、小曲を弾いても骨格の太さが伝わってきて、特にメロディーの美しさで勝負している曲では、牛刀で鶏をさばいているような感じがないでもない。 そんな中で、タイトルにもなっているチゴイネルワイゼンは、曲のスケールが実力に合っていて、快演と言うべきであろう。 次には協奏曲のディスクを出してほしい。 録音は、悪くはないが、高音の伸びがイマイチの感。 中音域に重きが置かれているみたい。 或いは、小野さんの音作りがそうなっているのか。
一昨日、産経新聞にこんな記事が載ったんだけど。
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/media/100710/med1007100751001-n1.htm
【新聞に喝!】 ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授 永谷敬三 2010.7.10 07:48
■外国人名の表記を考える
喚(わめ)き立てるほどの大問題ではないが、日本人が用いる外国人名の表記には納得できない点がある。
一般に外国人名はカタカナで、というのが日本古来の表記法であるが、これにも問題がないわけではない。
日本の大学には短期あるいは長期滞在の外国人が多数いるが、文部科学省の命令なのか、彼らの登録名はすべてカタカナである。研究室の表札までカタカナで、本人には意味不明である。
大抵は苦笑して済ませているが、中にはカタカナ書きの表札に憤然として白紙を張り、その上にローマ字で名前を書き込む者もいる。国立系が特に厳密にカタカナ表記を使用する傾向にある。それにしても、なぜローマ字の登録表記がいけないのだろうか。
もっと悩ましいのが漢字文化圏の人名である。カタカナ書きは失礼だし、かといってローマ字もおかしい。
昔ある学長さんに、毛沢東が教えにやってきたらどう表記しますか、やはり「モー教授」ですかと訊(き)いたら返事に窮しておられた。私の知るかぎり、漢字圏住民の人名も日本ではカタカナ書きがルールなのである。
日本の新聞を見て奇異に感じるのは(各紙によって対応はバラバラだが)、中国人名にはふりがなを打たず日本式に読むが、韓国・朝鮮人の人名には、ふりがなを打ち原音式に発音するという、妙な仕分け方をする新聞があることだ
その結果、胡錦濤は「コキントウ」で、李明博は「イミョンバク」となる。
どうしてこういう差が出てきたかを私は知らないが、察するに、自意識の強い朝鮮半島の人々が、日本式発音に反発して原音式発音をマスコミに要求したからであろうか。
他方、周辺の小民族が自分の名前をどう発音しようと意に介しない中国人は注文をつけないから、そのまま日本式で読ませることになったのだろうか…。
外国はいうに及ばず、日本に住んでいても、世界の要人の名を外国人相手の会話に使用する必要が日々生じるはずで、その際「コキントウ」では困る。やはり「フジンタオ」でなければならない。それに、その方が礼儀に適(かな)う。
新聞が音頭をとって、せめて人名くらいは現地式の発音を習得・使用する運動を始めてはどうだろうか。ついでにほかの外国人名のローマ字表記も、少し手間がかかるが、まず新聞から始めてもらいたい。
【プロフィル】 永谷敬三 ながたに・けいぞう 昭和12年生まれ。ブリティッシュ・コロンビア大学名誉教授(経済学)。カナダ・バンクーバー在住。
* *
以下、当サイト製作者の見解。
日本人でカナダの大学の名誉教授っていうと、よほど優秀な人だろうと普通は思うわけだが、こんなトンデモの人もいるのですね。 私、安心してしまいました。
まず外国人(欧米人ということなんだろうけど) の表記がカタカナだ、というのは要するにどう読むか分かりやすくしているだけの話でしょ? アルファベット表記にしたら、どう発音するか日本人には分からない。 例えばJuliusという人名は、ジュリアスなのか、ユリウスなのか、アルファベットを見ただけでは分かるわけがないのだ。 だからカタカナ表記にはそれなりに有用性があるんだよ。
それとも、永谷敬三は、カナダに滞在していて、いつも漢字で自分の名を表記していたのだろうか? Keizo NAGATANI と書かれたら、「憤然として白紙をその上に貼」って、 「永谷敬三」 と書き直していたのかい? どうなんだ、永谷さんよ、答えてみろってば!
ついでに、私が東北大学のドイツ文学研究室で助手をしていた頃、隣りのフランス文学研究室にボワセという名のフランス人の先生がいた。 当時、国立大学では出勤簿に毎日はんこを押さないといけなかったのであるが、ボワセ先生は 「坊瀬」 というはんこを拵えて、いつもそれを出勤簿に押していた。 「憤然として」 はんこを拒否してサインしたりするのじゃなく、日本の習慣に美しく自分を合わせたわけですね。 すばらしいと思いますけど。
次に、同じ漢字文化圏――最近の韓国は漢字文化圏とは言えなくなっているけど――でも、中国の人名は日本式に読むのに、韓国のそれはあちらの発音で言っているというのは、要するにそういう取り決めを相互にしているから。 だから中国だって日本人の人名は漢字を中国式で読んでいる。 他方、日本は韓国とは逆に発音優先主義の取り決めをしているわけだ。 だから、最近は韓国の人名はカタカナで表記されることが多くなっている。 つまり、韓国の漢字の読み方を日本人は知っているはずがないので、欧米人と同じようにカタカナを通して発音だけで人名を判断するようになっているのだ。 こちら(↓)にも説明があるけどね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1415491514
何より永谷の言い分でおかしいのは、発音優先主義を主張したいなら、外国(欧米)人名をアルファべット表記にしろと言うのは矛盾しているのに、それに全然気づいていないこと。 上記のように、Juliusをどう発音するかは、アルファベットだけからは分からない。 いっそ、発音記号で欧米人名を表記しろと主張したほうがまだ理にかなっている。
産経も、こんなトンデモな主張は前もって制止してほしいものだが。
午後2時から、(日本キリスト教団東新潟教会で標記の演奏会を聴く。 ほんぽーと(新潟市立中央図書館)に車をとめて、徒歩6、7分くらいのところにある教会。 ここに来たのはたしか2回目。
ちょっと怪しい空模様のせいか、或いはほかの催し物があったからなのか、客の入りはこの研究会の最近の例会としてはイマイチか。 八百板正己氏は最初と最後のアナウンスをするだけで、演奏がないのは残念。 演奏者とプログラムは下記の通り。
井山靖子
フランク: 「大オルガンのための6つの小品」より前奏曲、フーガと変奏曲ロ短調op.18
海津淳
F・クープラン:
「教区のためのみさ」《グロリア》より5曲
大作綾
ラインベルガー: オルガンソナタ第3番より前奏曲とフーガ
(休憩)
市川純子
ヴィエルヌ: 「幻想的小品集」より”月の光”op.53-5
皆川要(リコーダ)+飯田万里子(オルガン)
フレスコバルディ: カンツォーナ第3番
オルティース: 「甘き思い出」によるルセルカーダ第2番
カステッロ: ソナタ第2番
渡辺まゆみ
バッハ: ファンタジーとフーガ ト短調BWV542
演奏時間的にはそんなに長いわけではないが、演奏前に演奏者がなぜその曲を選んで弾くのかを説明するので、印象的には結構盛り沢山のプログラムのように感じた。 どれも各演奏者の思い入れがあって悪くなかったけれど、私的には最初のフランクとクープラン、それから今回唯一オルガン以外の楽器が加わっての皆川氏と飯田さんの演奏が面白かった。
オルガン音楽の世界は、私なんぞがこんなことを書くと生意気言うなと叱られそうだが、豊饒で幅が広い。 この日の演奏会でもそれを痛感させられたけれど、一般の音楽愛好家がこの分野の豊饒ぶりをさらに理解できるように活動を続けていっていただきたいものである。 あと、りゅーとぴあのオルガンのお陰で世界的なオルガニストの演奏もよく聴けるようになっている時代だから、技巧的な研鑽も怠りなくお願いしたいと、ちょっと欲張りで手前勝手な独り言をつぶやきながら、満足感、或いは満腹感を覚えつつ、会場を後にした。
本日はまず、正午から行われた東響のロビーコンサートに出かけた。 場所はりゅーとぴあ・コンサートホールのホワイエ。 ロビーコンサートは時間帯が東響定期の開演時刻とちょっと離れているのでこのところご無沙汰であったが、シューベルトの弦楽五重奏曲をやるとあっては出かけないわけにはいかない。 名曲だし、実演ではなかなか聴けない曲でもあるので。 ただしロビーコンサートには長すぎるので全曲ではなく、第3楽章までの演奏。
ヴァイオリン: グレブ・ニキティン、福留史紘
ヴィオラ: 西村眞紀
チェロ: ベアンテ・ボーマン、西谷牧人
今回は二階で聴いてみた。 演奏者を見下ろす位置。 高音はよく響いて良かったけれど、低音はちょっと不足気味かも。 前半はカメラマンのシャッターを切る音が、後半は近くを徘徊していたご老人の服についている鈴の音がちょっと耳障り。 空調の音もかなり響いていた。
演奏はきっちりしていて、曲の良さが堪能できた。 あと、実演で聴いていると各奏者がどういう音を出しているかがよく分かって勉強になる。 主旋律が第1ヴァイオリンであることは言うまでもないが、第2ヴァイオリンとヴィオラがそれを支えているのに対して、2台のチェロはそれぞれに独自の動きをしている。 チェロが2台であるという特徴が活かされているわけだ。 CDで聴いているとよく分からなかったのだが、視覚込みで聴くとなるほどと思う。
有料でいいから東響のメンバーで室内楽の演奏会を開いて、この曲を最終楽章までやってほしいもの。 あと、取り上げて欲しいのはシューベルトなら弦楽四重奏曲第15番ト長調。 「死と乙女」
がしばしば演奏されるのに、あまりに演奏されなさすぎる名曲で、私はまだ一度も生で聴いたことがないのである。
ロビーコンサートの後、コンチェルトさんに寄ってNAXOSのCD2枚と明日のオルガン研究会のチケットを買う。 『クラシック100バカ』
で有名な盤鬼こと平林直哉さんのお顔を直に拝見できた。
このあと、ラーメン屋
(コンチェルトさんの近くの某店ではない。 混んでいて、ここに寄ると下記の研究会に遅刻しそうだったので)
に寄った後、新潟大学で行われた研究発表会に直行。 松本彰先生の、クラシック音楽と
「記念」
についての興味深いお話をうかがう。 できればその後の林豊彦先生のコメントもうかがいたかったのだが、これも聞いてしまうと東響新潟定期に間に合わなくなるので、残念ながら松本先生のお話が終わったところですぐに会場をあとにする。 というわけで、本日はりゅーとぴあと大学の間を2往復したのであった。
*東京交響楽団第60回新潟定期演奏会
さて、午後5時からの東響新潟定期は、ブルックナーの交響曲第9番
(ノヴァーク版)
とテ・デウムを連続して演奏した。 あらかじめ、ブルックナーの第9の第3楽章が終わっても拍手をしないようにというアナウンスがあった。
指揮=ユベール・スダーン、コンマス=グレブ・ニキティン
ソプラノ=澤畑恵美、アルト=小川明子、テノール=高橋
淳、バス=久保和範、合唱=東響にいがたコーラス
客の入りはあんまり良くない。 3階の両端のブロックと、2階背後のPブロックはがらがら。 合唱団が出るので、その家族や友人が来るのではと思っていたが、さほどでもなかったよう。 ただし、私の隣席には見慣れぬオバサン・ペアが。 たぶん、合唱団員の友人かなにかだったのだろう。
さて、演奏ですが、いつにも増して美しい弦の音に加え、金管も安定しており、言うことなしの演奏であった。 テンポもゆったりとして自然で、作為的なところがない。 ただ、第3楽章の最後は、この後がまだあるということだったのか、余り延ばさずに短めに終わらせていました。 テ・デウムも、テノールの高橋淳氏のよく通る高音が印象的で、東響にいがたコーラスも、技術的には完璧とは言えないだろうが、この曲の精神をよく表現していたように思った。
というわけで期待を裏切らない演奏だったのであるが、最後に音が消えていくところでケータイ
(?) みたいな音が。
私のいたGブロックかその隣りのFブロック方面から聞こえた。
うーん、困りますね。
死刑!とは言わないけど、流刑ものじゃないか (笑)。
それから、演奏会終了後、りゅーとぴあの駐車場から車を出そうとしたら、いつにも増して時間がかかった。 いつもは演奏会終了後は3箇所から車を出していたはずなのに、なぜか昨晩は入車も行う箇所は締めきりになっていて、2箇所しか出口がなく、お陰で車に乗り込んでから出口を通過するまでに20分以を要した。 アルバイトの人員を削ってでもいるのだろうか。 車で出口まで行くときにも、合流地点では交互に1台ずつというルールを守らない人が多くて、せっかくの演奏会の印象が悪くなってしまいそう。 りゅーとぴあの事務部は何を考えているのか。 善処を望む。
本日の産経新聞記事より。 いまさら何も言いませんが、バカは死ななきゃ治らない、と思いますね。 科学技術立国、どころじゃありません。
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100708/edc1007080105000-n1.htm
文科省SOS 運営費交付金など削減なら「阪大・九大消滅も」 2010.7.8 01:01
参院選後に始まる平成23年度予算の概算要求で、文部科学省が大学の日常的な教育研究を支える「国立大学法人運営費交付金」などについて削減対象から外すよう要求していく方針を固めたことが7日、分かった。菅内閣が6月に閣議決定した「財政運営戦略」に基づき、省内で試算した結果、同交付金の削減額は約927億円。これを実行した場合、大学破綻(はたん)によるわが国の知的基盤の喪失や研究機能の停止といった深刻な結果を招く危険性が高いことから、文科省は「削減は到底困難」としている。
6月22日に閣議決定された「財政運営戦略」の「中期財政フレーム」では23年度から3年間「基礎的財政収支対象経費」は前年度を上回らない方針が示された。文科省では年額1兆3千億円で伸びる社会保障関係経費を踏まえると、その他の一般歳出は年率8%の削減を余儀なくされると試算。これを機械的に国立大学法人運営費交付金にあてはめた場合、削減額は約927億円に上る。22年度までの7年間で達成した同交付金の削減額830億円を上回る法外な額だ。
文科省の試算によると、仮に削減のしわ寄せを授業料でまかなう場合、学生1人あたり年23万円の値上げとなる。研究経費を削って捻出(ねんしゆつ)する場合は、現状の32%減(約1954億円)となり「大学の研究機能が停止する」と指摘。さらに特定大学の交付停止で対応すれば、「大阪大学と九州大学の2大学を消滅させるか、地方大学や小規模大学27大学をなくさざるを得ない規模」で、わが国の知的基盤の喪失を招くと憂慮している。このため文科省では大学の“生命線”となる「国立大学法人運営費交付金」と「私立大学等経常費補助」を予算編成で削減対象から除外するよう求める。
民主党は昨年の衆院選前に策定した「民主党政策集INDEX2009」で「自公政権が削減し続けてきた国立大学法人に対する運営費交付金の削減方針を見直します」と明記したが、政権発足後、財源の見通しが不十分なまま、子ども手当や高校無償化に踏み切り、多くの既存予算がしわ寄せを受けている。
(当サイト製作者の追記: あと、下記↓のようなサイトを見ると、日本がいかに高等教育に投資していないかが分かりますね。)
http://www.ne.jp/asahi/tousyoku/hp/100707syutokennet/siryo3.pdf
最近の新聞で、せっかくの二千円札があまり使われていないというコラム記事を読んだ。 記事の掲載日と、毎日だったか産経だったかは忘れてしまったが。 しかし記事の内容には同感なので、ここにちょっと書いておこう。
日頃、ATMを使うと、1万円札と千円札しか出てこないのに不便を感じているのは私だけだろうか。 例えば1万8千円を引き出すとき、1万円札1枚と千円札8枚で必ず出てくるわけで、他の選択肢はない。 5千円札が欲しければ、両替機をそのあと使うしかない。 実に不便である。
私は、五千円札とか二千円札という中間の額面の紙幣をもっと使うべきだと思うのだが、現実にはあまり出回っていない。 新聞のコラムでは、たしか、映画を見るとき――正規料金が1800円だから――二千円札は便利だと書いていたが、まあ私なんぞのように映画は正規料金では見ない原則をたてている人間もいるし、また映画はペアで見に行くという人も少なくないだろうから、この記事の指摘が必ずしも的を射ているわけではない。
だが、買い物をするとき、支払金額が千円前後だと、たまたま紙幣が1万円札しかなくてそれで支払うとお釣りが多額になって面倒だなと、私は思ってしまう。 そういうとき、五千円札か二千円札があれば、お釣りもさほど多くならないし、また逆に、千円札を五枚も十枚も財布に入れておくと財布がふくらんで厄介だが、五千円札や二千円札なら千円札の何分の一かのボリュームで済むわけだから、スペースからしても経済的ではないだろうか。
ATMで五千円札や二千円札が出てくるようにできないものか? 技術大国ニッポンならわりに簡単にできるんじゃないかと思うのだが。 例えば、今のように 「何万何千円」 と入力するのではなく、「1万円札何枚、5千円札何枚、2千円札何枚、千円札何枚」 と入力するようになっている機械である。 私は使ったことはないが、ヨーロッパにはそういうATMがあるらしい。 日本でできないことはあるまい。
ボーナスも出たので、本日、ユニセフと国境なき医師団とにわずかながら寄付をしました。 (なぜわざわざ自分の寄付行為について書くかは、2005年7月29日の記述をごらんください。)
*シャルパンティエ: ノエルとクリスマス・モテット 第2集 (NAXOS、8.557036、2001年カナダ録音)
3月に上京したとき、新宿のディスクユニオンでレジに何枚か商品を運んだら、「もう1枚お買いになると割引率が大きくアップします」 と言われて、素直に忠告に従い、新たに追加購入したのがこれ。 だけど案外こういうディスクには拾い物があるわけで、これもそうだった。 クリスマスにちなむ小曲を集めたディスクだけど、とても親しみやすく、心が暖かくなり、聴いていると演奏者と聴き手がいつの間にか親しい友人になっているんじゃないかと思えるような、そんなCDなのだ。 私はシャルパンティエというと、有名な 『真夜中のミサ』 などほんの少ししかディスクを持っておらず、特に好きというわけでもないけど、このCDは気に入ってしまいました。 演奏はソプラノとアルトとテノールとバスが各1人、オリジナル楽器を使った小編成のアレイディア・アンサンブル、オルガン、そして指揮がケヴィン・マロン。 収録曲は、「ノエル: 松明を揚げよ、ジャネット・イザベル!(独唱とオルガン)」、「天使たちとユダヤの羊飼いたちとの対話(計3曲)」、「ノエル: 松明を揚げよ、ジャネット・イザベル!(合唱)」、「クリスマス・オラトリオ: われらの主イエス・キリストの降誕をたたえる歌(全3曲)」、「ノエル: 松明を揚げよ、ジャネット・イザベル!(器楽のみ)」。 第1集も購入しようっと。
*マーラー: 歌曲集 トマス・ハンプソン(バリトン) (Deutsche Grammophon、4682-2、1988・1990年録音、ドイツ盤)
アメリカのバリトン歌手トマス・ハンプソンによるマーラー歌曲集。 『さすらう若人の歌』 『亡き子をしのぶ歌』 『リュッケルトの詩による歌曲集』 の、全14曲が収録されている。 バックはレナード・バーンスタイン指揮のウィーン・フィルで、収録場所はウィーンのムジークフェライン大ホール。 ハンプソンは朗々たる歌声でマーラーの若々しくロマンティックで、しかしどこか屈折した歌曲の世界を表現している。 ある時は高音で繊細に歌い、ある時は中低音で劇的であり、声のダイナミックレンジもかなり広く、表現の幅を十分に持った人なのだと分かるディスクである。 上と同じく、3月に上京した際に新宿のディスク・ユニオンで購入。
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先々週末上京したとき、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスと読響の演奏会にちょっと心惹かれたものの、結局東京シティフィルのほうに行くことに。 しかし
『鹿鳴館』
を鑑賞するためにまたぞろ上京したら、やはり彼と読響のコンビで演奏会が。
誘惑に抗しきれず、行ってしまった。 なお、この演奏会は2日後にサントリーホールの定期として上演されたものと同じプログラム。 客の入りは8〜9割くらい。
座席は当日券のBランクで6000円
(Sランクは設定されていないので、上から2番目)。
3階正面の1列目、中央よりわずかに左寄り。
この位置はちょうどオケを一望のもとに見下ろせ、やや低音不足気味ながら音のまとまりとバランスも悪くない。 以前、このホールの右翼席で読響を聴いたときはちょっと中抜けの音に聞こえたのであるが、そういうこともなく、コストパフォーマンスのいい座席ではないかと思った。
指揮=ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス、コンマス=デヴィッド・ノーラン
ブラームス: 交響曲第3番
(休憩)
ブラームス: 交響曲第1番
最初のブラームス第3は、先日梅田氏と新日フィルのコンビで聴いたばかりなので、どうしても比較してしまうが、梅田氏と新日フィルが速いテンポで凝縮感のあるブラームスをやっていたのに対して、フリューベックと読響は特に最初の2楽章ではテンポをゆっくりめに設定し、なおかつ細かく音量やテンポを変えながらの演奏で、これで同じ曲なのかと思うほど印象が異なっていた。 この曲はブラームスの英雄交響曲と呼ばれることがあるが、新日フィルが老いた英雄を表現したとすると、読響はむしろ老いた英雄が散策する晩秋の荒野を表現しているように感じられた。 そして第3楽章はうって変わって速めのテンポ。 さながら、荒野に小春日和の天候が訪れたものの、冬を控える季節なのでほんの短い慰めで終わってしまう、そんな印象であった。 最終楽章は最初の2楽章のように陰影を細かくつけながらの演奏。 なぜか客の拍手があまり熱烈ではなかったが、私には非常に興味深い演奏と思われた。
後半のブラームス第1だが、第1楽章に異常と言えるほど熱と力がこもっていた。 そのせいか、そのあとちょっと力が抜けたような感じになり、もともとこの曲は最初と最後の楽章に力点が置かれていると思うけれど、最終楽章になって盛り上がりはしたけれど最初の楽章の迫力には追いつかずに終わったという印象だった。 ただし、客の拍手は前半の第3番より熱狂的だったが。
配布された 『読売日響 月刊オーケストラ』
を読んでいたら、奥田佳道氏の 「今どきのクラシック探訪」
で、博愛主義的に他のオケの予定に触れていた。 「11月は東京のオケはブルックナー第8三昧となり、高関健指揮日フィル、チョン・ミュンフン指揮東フィル、ユベール・スダーン指揮東響、が競うが如くにブルックナー第8をやるって、一体どういうこと。
しかも3団体とも定期演奏会ですよ。 偶然にしては面白過ぎる」
と書いていました。
何にしても、今月は2度も上京してしまい、かなりの散財。 どこかの国の国家財政みたいに大赤字である
(笑)。7月と8月は新潟にこもって清貧の日々を送り、秋に備えたい。
6月は本来は新潟から離れず仕事に打ち込んでいる (?)
はずだったのだが、1週間前の週末はやむを得ない私用ができ、上京したついでにコンサートを3つ聴いてしまった。 そして1週間後、今回の週末も上京してしまったのである。
三島由紀夫原作、池辺晋一郎作曲『鹿鳴館』のオペラ新作初演が、6月24日から4日連続で新国立劇場中劇場で行わることになっていた。 行ってみたいなとは思っていたたものの、予定がたつかどうか考えたりしてぐずぐずしているうちにチケットはあっという間に完売してしまい、完売じゃしょうがないよねと自分に言い聞かせていたら、公演の4週間前になってクラシックチケット転売サイトに
「売ります」 の掲示が。
メールを送ってみたら首尾良く入手できたので、入手したからには行くしかない、ということで2週間連続の週末上京となってしまう。
新国の中劇場には初めて入ったが、舞台を円形に囲むようにして客席が配置され
(今回のように前舞台が張り出している場合。
張り出さない場合もあるよう)、1階席にも大ホール
(オペラ劇場)
の1階とは異なり段差があって見やすくできている。 2階席までしかなく、定員が千人程度で、オペラって本来はこのくらいの大きさのホールで聴くものじゃないかなと思ったことであった。 大ホール
(オペラ劇場) は大きすぎる気が今までもしていたので。
入手したのは1階後方左寄りの席でSランク、15750円。 開演が午後2時、全4幕で、第2幕と第3幕の間に30分間の休憩があり、午後5時15分終演だから、ワーグナーなんかと違って理性的な長さと言えよう(笑)。
出演 (メインの人物のみ)・演奏は下記の通り。
なお4日連続の公演で、メインになる歌手は隔日出演のダブルキャスト制。
以下は無論私の聴いた3日目のキャストである。
影山伯爵 黒田博(バリトン)
影山伯爵夫人・朝子 大倉由紀枝(ソプラノ)
大徳寺侯爵夫人・季子 永田直美(メゾソプラノ)
大徳寺侯爵令嬢・顕子 幸田浩子(ソプラノ)
清原永之輔 大島幾雄(バリトン)
清原の息・久雄 経種廉彦(テノール)
女中頭・草乃 永井和子(メゾソプラノ)
新国立劇場合唱団
東京交響楽団
指揮 沼尻竜典
原作 三島由紀夫
台本・演出 鵜山仁
作曲 池辺晋一郎
日本語字幕が舞台の上端に横書きで出る。 日本語のオペラと言っても歌われると言葉として聞き取るのは必ずしも容易ではないので、字幕があるのは助かる。 ここから考えるに、ましてイタリア語だとかドイツ語だとかの外国語のオペラの場合は字幕付きで当然じゃないかという気がするのである。
さて、肝心のオペラであるが――。
序曲がついているところは古典的なオペラを思わせるが、古典オペラ的な意味でのアリアはなく、言うならば全部がレチタティーヴォみたいな作りになっている。
舞台は中央に1mほどの高さの大きな円形台 (直径7〜8mくらいか)
があり、登場人物は時としてそこに乗り、また円形台が時折回転して、人物の配置や光の当たり方を微妙に変えながら、物語が進行する。
序曲はどことなく堅い感じで、また物語の導入の第1幕も、説明的なセリフがどうしても多くなるからか、或いはこちらも日本語のオペラというのに必ずしも慣れていないせいか、或いは三島由紀夫特有の言葉遣いを曲に乗せるのは困難を伴うせいか、やや堅い印象で舞台が進んでいく。
第2幕に入ると、ようやく音楽も硬さが取れ、特にかつて恋仲だった朝子と清原の再会シーンは、恋情の語らいの音楽化だから、それなりに情緒があった。
ここに限らず、この物語は三島原作らしく、二項対立的なセリフに加え、登場人物二人の言葉のキャッチボール、或いは、カップル二組
(恋人同士ばかりではなく、時には政敵同士)
が陰と陽をめまぐるしく交代しながら言葉を投げ掛け合い、それを音楽で表現しなければならないわけだけれども、池辺氏の音楽はオーケストラの機能をフルに利用しつつ、管弦楽曲としてはかなり高度な表現を試みていたように思われた。
ただ、オペラだから各人物の歌も大事であるわけだが、上記のように三島由紀夫のかなり芝居がかったセリフがうまく曲に乗っていたかどうかは微妙なところ。
池辺氏の音楽は、特に邦楽を意識するわけでも、伝統的な西洋クラシック音楽を思わせるというわけでもなく、おそらく意図的に無国籍的なのだが、三島の作った絵空事のような物語にその音楽がマッチしたかどうかも微妙なところ。 三島の文学作品には、一見すると日本の伝統の踏襲とか、西洋文化への深い理解だとかが見られるが、実際にはかなり無国籍的で虚無的なところがあり、池辺氏の音楽もそれをなぞったものと思われなくもない。 しかし文字で読める文学と、抽象度の高い音楽はもともと別のもので、三島の世界を音で表現しようとすると既存の音楽をパロディ的に使うこともあってもよかったのではないかと感じた。
前半 (第1・2幕) ではヒロインの朝子は和服姿、後半
(第3・4幕)
では鹿鳴館そのものが舞台だから洋装となって出てくるが、その鹿鳴館の場面では踊る多数の人間には洋装と和装が入り乱れ、しかも彼らの顔にはひょっとこのようなお面が付けられており、欧米の猿真似をしたと揶揄された鹿鳴館の本質が暗示されているように思われた。
歌手は総じて悪くはないけれど、今まで大ホール(オペラ劇場)で聴いてきた世界の一流どころと比べると音量や表現力という点でどうかな、といったところ。 中劇場というホールの大きさにもかかわらず声量が足りずにオケに負けている方もいたようである。 その中では、清原役の大島幾雄氏の声の通りの良さが目立った。
なお、初演だということもあってか、字幕と歌手の日本語が合わない箇所がいくつかあった。 歌手か字幕屋のいずれかが間違ったのか、或いは練習を重ねるなかで直前になって歌詞の変更があったのか。
演奏が終わると拍手の中で歌手たちが順繰りに再登場して喝采を浴び、歌手たちの後で指揮者が現れるところまでは普通のオペラと同じだが、最後に作曲者の池辺氏自身が舞台上に登場するのが、やはり初演ならでは。 また、この三島作品をオペラ化しようという企画は故・若杉弘氏から出たものだということで、最後に舞台の背景に若杉氏のお顔が大きく映し出された。 企画がなされてからこうして初演がなされるまでかなりの時間と手間が費やされたことだろう。 関係者のご苦労をねぎらいたいと思う。
本日は今回の東京滞在――といっても二泊三日だが――の最終日。 午後3時以降の時間帯が私用でふさがっていたので、午前中に標記の美術展を見に六本木へ。
午前10時開館に間に合わせようとしたが、少し遅れて10時半頃に会場に着く。 チケットは前日にチケット屋で買っておいたので――当日大人1500円のところ1450円だった(笑)――すぐに館内に入ったが、その混み具合に驚く。 めざす美術展の入口前には長蛇の列ができている。
とはいえ、到着して30分もたたないうちに入場はできたのだけれど、展示場内の混雑がまたひどいのである。 人人人人人人人人人人人人人人人人・・・・・・。 なかなか絵画に近づけないし、1枚の絵画を見るのに時間がかかる。
この展覧会、ポスト印象派というタイトルで、印象派のシスレーなども来てはいるが、中心はスーラやシニャックなどの新印象派、そしてセザンヌ、ゴーギャン、ゴッホなど、印象派に影響を受けながら独自の表現に到達した様々な画家の作品が100点以上展示されている。
私の個人的な感想だけど、スーラやシニャックはいいが、その後となると表現の多様性が前面に強く出てきており、「ポスト印象派」 というタイトルで一くくりにするには無理があるように思われた。 鑑賞者からすると、見た印象が拡散し、一つのテーマの展覧会を体験したという気分にならないのである。
これは、上述したような会場の混みすぎも影響していよう。 見ていると疲れてしまうし、また会場には休憩所が少なすぎる。 美術館には途中、座れる場所を適宜設けるのが常識だが、この国立新美術館は会場の広さに比較して座れる場所があまりない。 休憩所と銘打った場所が一箇所あるけれど、スペースが小さすぎる。
ついでだから、国立新美術館について他のいくつかの問題点も書いておこう。 (私はこの美術館に来たのはこれでやっと2回目であるが。)
まず、建物に入ってから美術展の会場に行くまでの動線上にコインロッカーがない。 上野の西洋美術館でも都立美術館でも、建物に入ってから会場に向かうまでの間にコインロッカーがあるので、客はそこにカバンなどを入れてから会場に入るのが普通であるのに、ここ国立新美術館はそうなっておらず、コインロッカーの場所が目立たない。 これでは、特に混んでいる場合に客の疲労が増すし、カバンなどによって混雑がいっそうひどくなる。
次に、会場に入ってから音声ガイドの貸し出しがあるが、その配置がまずい。 観客の動線に合っておらず、どう並べばいいのか分かりにくい。
第三にその音声ガイドだが、普通ならイヤホンを耳にかけて音声を聴くように作ってあるはずだが、ここのは違っていて、機械を直接耳にあてて聴くようにできている。 これはよくない。 なぜなら、数枚ならいざ知らず、二十枚以上の絵画の前でいちいち機械を耳に当てるのは疲れるし、また機械を耳にあてていると必然的に腕を挙げ肘を曲げる姿勢にならざるを得ないが、そうすると混んでいる会場内では他の鑑賞者の身体にぶつかってしまうのである。 もう少し物事を考えて音声ガイドを作って欲しいものだ。
第四に、展覧会を見終えてから何枚か絵葉書を買ったら、1枚150円もした。 普通100円でしょう。 なんでこんなに高いのだっ!!
第五に、絵葉書を買ったあと、トイレに入ろうとしたら、トイレの位置が建物の両端でだいぶ歩かされたし (レストランのトイレが中央付近にあるけど、あまりに小さくて空いていなかった) しかもスペースが狭い。 便器の数も、男子用では、小用3、大用2しかない。 経済大国ニッポンの国立の施設として、こういうスペースはケチらずに広く作り、便器の数も十分においてほしいものだ。
さて、2つの演奏会をはしごした翌日は、午後3時から標記の演奏会に出かけた。 実はこの日は私的な事情で時間的な予定が当日まで決まらず、当日になって午後は自由時間と分かってからも行くかどうか迷い、当日券があるかどうかも分からないしと思っていたのでありが、正午頃に会場に電話してみたらまだあるというので、こちらに行くことに決めた。 これ以外に、この日の2時からは読響の演奏会もあり、ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスが指揮をするというので、この指揮者はまだ生で聴いたことがなかったためちょっと気になっていたのだが、短い曲を何曲もやるというプロにイマイチ魅力が感じられず、こちらの東京シティ・フィルを選んだもの。 また、ソリストの小野明子さんは先月末にりゅーとぴあでリサイタルをやっているが、私は東京出張と重なってしまい聴きそびれたので、リヴェンジ(?)の意味もあった。 それからチケットが安かったこともある。 Sランク席で3500円。 ただし当日予約したので、Sとはいっても2階の3列目。 この位置は、りゅーとぴあでいうと多分3階正面席の1列目くらいになるだろう。
会場のティアラこうとうは、私は初めて行ったが、地下鉄半蔵門線
(および都営新宿線) の住吉駅から徒歩5分。
緑の多い公園の一角にあり、私は江東区には今までほとんど行ったことがなかった人間だけれど、この一角だけ見る限りはなかなかイメージ的には悪くなさそうである。
ホールは約1230席、いちおうシューボックス型だが奥行きはあまりなく、2階席は正面が10列、脇席は1列のみ。 全客席の3分の2あまりは1階席だ。 舞台の壁は下半分がマホガニー色、上半分は白色のツートンカラー(?)。 客席は2階の部分がマホガニー色で、1階と天井部分が白。 天井から2列に4つずつぶら下がっている縦長立方体のシャンデリアが豪華。 入りは悪くなく、9割くらいは入っていただろうか。
さて、出演者とプログラムは下記の通り。
指揮=三ツ橋敬子、ヴァイオリン独奏=小野明子、コンマス=松野弘明
芥川也寸志: 交響管弦楽のための音楽
ラロ: スペイン交響曲
(アンコール)
バッハ: 無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番よりアンダンテ
(休憩)
プッチーニ: 歌劇『マノン・レスコー』より第3幕への間奏曲
メンデルスゾーン: 交響曲第4番「イタリア」
指揮者の三ツ橋さんは芸大と同大学院を出た後ウィーンに留学、2008年、アントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールで最年少優勝という経歴の主。 現在はイタリア在住で活動しておられる由。
いよいよ舞台に登場した三ツ橋さんを見ると日本人女性としても小柄で、長身のコンマス松野氏の肩のあたりまでしか背丈がない。 そのせいかどうか、かなり大きな身振りで指揮をしていた。 東京シティ・フィルは、東響や新日フィルと比べると少し編成が小さく、第1ヴァイオリンからコントラバスまで、12-10-8-8-6という人数。 しかし会場がやや小さめなせいか、或いは人数を気力や表現力で補っているせいか、音量の不足は感じなかった。 また、協奏曲でもその前後でも同じ人数でやっていたのが面白い。
三ツ橋さんと東京シティ・フィルの演奏は、一言でいうと率直な直球であろう。 変な小細工はせずに、正面切って聴衆の感性に訴えかける表現と言える。 冒頭の芥川の曲では、ああ、この曲って結構盛り上がる作りなんだなと実感させられたし、イタリア交響曲でも第1楽章から早めのテンポできびきびと曲が展開され、私はこの曲はこういう風に演奏しなければいけないと思っているので、納得してしまった。 或いは、ふだんイタリアで活動しておられる三ツ橋さんならではの演奏と言えるかも知れない。
さて、小野明子さんのコンチェルトだが、今回の上京で女性ヴァイオリニスト3人の協奏曲を聴いた中では最も舞台から遠い座席だったので音量的にどうかなと懸念していたのであるが、会場のせいもあるかもしれないが十分な音量であった。ま た、第3楽章で中低音が活躍するところでも音がよく出ており、案外この人はコンチェルト向きなのかも知れないと思った。 曲自体、ブルッフやプロコフェエフに比べて素直に楽しめるようにできているので、その意味でも良かった。 客からブラボーの声が出たのも当然。 全5楽章ある長めの曲にも関わらず、アンコールにバッハをやってくれたのも好印象。 ドレスは赤だが、暗色系で、青も混じった、ちょっと言葉で説明するのが難しい色だった。
この演奏会、結構プログラムの量があり、途中休憩15分で終演まで2時間強、内容を含めて、今回3つ聴いた演奏会のなかでは素直に音楽を楽しめたという点では一番だったと思う。 終演後、ロビーで小野明子さんのサイン会があったので、彼女の小曲集のCDを買ってサインをしてもらった。 演奏時には座席が舞台から遠かったのでお顔がよく見えなかったのだが、間近で拝見した限りでは、チラシの写真と実物はかなり一致度が高いようであった
(笑)。
ついでに、私の席の1列前に夫婦と小さな女の子
(小学校2、3年くらいか)
が。お父さんがヴァイオリンケースを持っていた。 自分が弾くのかお嬢さんが弾くのか。 また、その前の列には音大生かと思われる男女カップルがやはりヴァイオリンケースを携えて来ていた。 しかし、夫婦と女の子も、音大生らしいカップルも、前半が終わるといなくなってしまった。 小野さんだけが目当てだったのか、或いは時間的な都合があったのか。 いずれにせよ、ちょっと淋しいことである。
それから、ティアラこうとうはなかなか良いホールだと思うけど、2階ロビーにあるコンセッション
(飲み物を出すカウンター)
に係員が2人しかいないのが難点。 今回、前半の小野さんの力演が好印象で、6月末でそれなりに暑いし、また普段りゅーとぴあには車で行っているのでアルコールを飲むわけにはいかず、この日は車じゃないので大丈夫という気持ちもあり、ビールを飲んだのだが、長蛇の列でビールにありつけるまでに時間がかかった。 休憩が15分しかないこともあり、飲み終えるとすぐ後半開演のお知らせが。 ここ、何とかして欲しい。 なお、ビールは冷えた缶ビール(350ML)がそのまま
(グラスも付けずに) 出てくる方式で400円。
いや、こういう率直なのは私は嫌いじゃありません。
私用で上京する。 しかし用事は明日とあさってであり、本日は自由日なので、色々と調べて予定をたて、午前11時少し前に東京着の新幹線に乗り、到着後すぐに銀座で映画を一本見た後、午後2時からの新日フィルの演奏会を聴くべく、すみだトリフォニーホールへ。 出演者とプログラムは以下の通り。
指揮=梅田俊明、ヴァイオリン独奏=ペク・ジュヤン、コンマス=西江辰郎
ブルッフ: ヴァイオリン協奏曲第1番
(休憩)
ブラームス: 交響曲第3番
(アンコール)
ハイドン: セレナーデ
お目当ては言うまでもなく韓国の美人ヴァイオリニスト、ペク・ジュヤンさん。 座席は当日券で、1階11列目の右寄りブロック。 Sランクで4000円だから、安い。 客の入りは、2階以上は分からないが、1階席は8割くらいか。
さて、緑のドレスに身を包んで登場したペクさんをまじまじと見つめたのだけれど・・・・私は彼女の姿はチラシの写真でしか知らなかったのであるが、「うーん、あの写真、よく撮れてたんだな」 と思ったのであった (笑)。 まあ、女性演奏家にはありがちなことで、以前りゅーとぴあに来た日本人女性ピアノデュオ 「デュオ・グレイス」 だって写真の方がかなり良かったことだし。
それはさておき、肝心の演奏だが、安定した技巧と、数瞬間のみながら切れ味鋭いと評したくなる高音が魅力だろうか。 中低音はもう少し迫力が欲しいようにも思ったけれど、これは座席の位置やホールの音響特性のせいかもしれない。 ただ、この曲は私はあまり好きではなく、そのせいもあってか突出した何かを感じることはほとんどなかった。
それと、何かアンコールをやってほしかったのだが、なかったのが物足りない。 これは単なる聴衆へのサービスということではなく、コンチェルトでは出せなかった自分の一面をアンコールを通して聴衆に見せてくれるという意味があると思うのだが。 この後で聴いた2つのコンサートではいずれもソリストであるヴァイオリニストがアンコールをやってくれただけに、本当に残念。 いずれにせよ、次回はリサイタルで聴いてみたいものだ。 彼女のディスクは今回のブルッフとブラームスの協奏曲をカップリングしたものが出たばかりで、終演後CD購入者にはサイン会もあるということだったが、買う気にはならなかった。
後半のブラームス第3は、やや早めのテンポで凝縮した表現がなかなかの演奏。 ホルンなど管楽器も非常に安定していた。 指揮者の梅田さんについては時々演奏会で見かけるという程度の知識しか持っていなかったのだが、実力のある方なのだと再認識。
全体の印象としては悪くない演奏会だとは思ったものの、プログラムの量がちょっと少ない。 途中休憩20分で、アンコールを入れても1時間30分あまりで終演になってしまう。 もう少し何か、という気持ちの残る演奏会だった。
* *
さて、すみだトリフォニーホールを後にして、地下鉄半蔵門線に乗り、途中三越前と銀座で乗り換えて六本木へ。 森アーツセンターギャラリーで開催されているボストン美術館展を見るためである。 会期が6月20日まで、つまり明後日までだから、ぎりぎりでの鑑賞である。
この森アーツセンターギャラリー、私には初めての美術館だが、森タワーという高層ビルの52階にある。 ビルには何とかたどりついたが、どこから美術館に通じるエレベータが出ているか分かりにくくて、1階の案内係に尋ねた。 このギャラリーのことを知りたい方は下記サイトを(↓)。
http://www.roppongihills.com/art/macg/
アメリカのボストン市にある著名な美術館が改修工事中であるために可能になった引っ越し展覧会だそうだ。 この美術館は主としてボストン市民からの寄贈によって作品を揃えてきたという。 うーん、この辺がやはり寄付文化の希薄な日本と違うところだと思うなあ。 (だから寄付文化を土台にしたアメリカの大学を真似ての 「大学改革」 なんかはさっさとやめるべきなのである。)
閑話休題。 この美術展、西洋絵画の巨匠たちというタイトルがついていて、レンブラントなどオランダ派の絵画、スペインのエル・グレコやムリーリョ、そしてイタリア絵画も来ているものの、やはり中心は印象派である。 ボストン美術館の創設が1870年、つまり19世紀も後半になってからであるから、それまでヨーロッパで高い評価を受けていた伝統絵画はおいそれと手に入らないわけで、いきおい、19世紀末後半から活動を始めた印象派やその前後の画家が多く集められたという経緯がある。
特にモネの、必ずしも有名でない作品を含めた風景画を何枚も並べた一角は迫力があり、来た甲斐があったと思った。 ピサロやカナレットの風景画、コローの人物画にも魅力的なものがあった。
全体として満足できた美術展だったので、2500円のカタログを買う。 でも、カタログに印刷された絵画は本物に遠く及ばないのだ。 やはり本物を見なくちゃ。
なお、この美術展、東京では終わってしまったが、7月上旬から京都で行われる。 興味のある方は下記サイトをごらんください(↓)。
* *
ボストン美術館展を見た後は、午後7時からの標記の演奏会に。 会場はサントリーホールだから、六本木からなら歩いても行ける距離だが、映画と新日フィルとボストン美術館展という強行スケジュールのあとでは疲労がたまっており、軟弱にも地下鉄を使う。 ・・・ふう、あと3カ月で満58歳ともなると、体が若い頃とは全然違っていて、無理がきかないのです。
座席は前日に電話予約したLBブロック、つまりオケを第1ヴァイオリンの斜め前の上から見下ろす位置で、オケとの距離が近い。
Aランク席で、東響後援会員価格5400円。 客の入りは全体で8〜9割くらいか。
指揮=マーク・ウィグルスワース、ヴァイオリン独奏=庄司紗矢香、コンマス=大谷康子
ワーグナー: 楽劇『パルジファル』第1幕への前奏曲
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲第2番
(アンコール)
バッハ: 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番よりブーレ
(休憩)
ブラームス: 交響曲第2番
指揮者のウィグルスワースは1964年英国生まれでオランダ・コンドラシン国際指揮者コンクールに優勝後ヨーロッパやアメリカ、オーストラリアなどで活躍している方だそうだが、私は初めて聴いた。
で、後半のブラームスから書くと、急がずにゆったりした丁寧な演奏を心がけているようで、この曲の特性をよく表現していたと思う。 第4楽章だけは早めのテンポで十分に盛り上げて終わった。 5時間前に新日フィルでやはりブラームスを聴いているわけだが、或る意味、対照的な演奏であろう。 無論3番と2番という違いがあるし、オケの特性もあり、座席も1階席と2階のオケ斜め上という違いがあり、またトリフォニー・ホールがシューボックス型らしいと言うべきか、ちょっと低音の籠もった音であるのに対し、サントリー・ホールがクリアな音であるという、ホールの違いも大きいだろう。 しかし同時に、英国人らしいと言うべきか、ウィグルスワースのどこか余裕のある指揮ぶりも印象深かった。 ともかく、同じ日にかなり違ったブラームスを聴いたなという感慨が残った。
さて、庄司さんがソロを弾くプロコフィエフである。 真っ赤なドレスで登場。 あんまり音量がない(らしい)庄司さんだが、座席がすぐ斜め上という位置のせいか音はよく聞こえた。 特に第2楽章がよかった。 両端の楽章もそれなりに弾けていたと思うが、どうなんだろうか、この曲はテクニックがちゃんとしていて破綻なく弾いていればそれでいいのかというと、ちょっと違う気がする。 現代音楽に近い曲想だし、エグさみたいなものが相当に含まれている。 そうしたエグさを表現するためにはヴァイオリンの音自体に力というか、或る程度の太さがないといけないんじゃないか。 会場からはブラボーの声も聞こえたが、その点でどうかなという気持ちが残った。
むかし、五味康祐だったろうか、テクニック的に可能だからというのでローティーンの少年少女にベートーヴェン最晩年のピアノソナタを弾かせても実際には弾けていないのだ、という意味のことを言っていたと記憶するが、ちょっと位相は異なるけれどもそんなことを想起した演奏であった。 アンコールにバッハをやってくれたのはうれしかった。 しかし庄司さんを生で聴いたのはたしか3回目だが、いずれも協奏曲で、リサイタルで聴く機会が今のところないのが残念。
色々書いたけど、全体として満足度の高い演奏会だったと言えるだろう。 ・・・・ふう、これでやっと本日の予定が終了。 疲れました。
昨日、毎日新聞の新潟地方欄を読んでいたら、「大和新潟店25日閉店 古町どう再生?」 というインタビュー記事が載っていた。 金沢市に本店がある大和デパートの新潟支店が今月の25日限りで撤退するので、中心街である古町では大騒ぎしている。 この件に関してはこのコーナーでも何度か触れたことがあるけれど。
本日のインタビュー記事は、新潟中心商店街協議会会長の古舘邦彦氏が、古町を中心とする伝統的な新潟市の中心街をいかに再生するかを語ったものだ。 「皆さんは、大型店のせいで中心街が駄目になったと言うけれど、まったく違うんです。 努力が足りず、過去の栄光にあぐらをかいていたのが原因です」 となかなか手厳しい発言をしている。
実際、古町だとかに店を持っている人の意識と、私のようなフツーの新潟市民の意識はかなりズレているらしい。 フツーの市民は、古町なんかに行かなくとも別に困らないと思っているわけだから、その辺から出発してくれないとどうしようもないのである。
ところが、その種の幻想とは無縁であると思われた古舘氏にしてからが、最後に変な幻想に囚われていることが明らかになってしまう。 「将来、征谷小路にLRT (次世代型路面電車システム) ができたら、〔大和の〕1階部分をターミナルにしてもいい。 夢ですね」 なんて結んでいるからだ。
うーん・・・。 実は以前も新潟市の経済界の一翼を担う方が、LRTが新潟市にできればいいなんて発言をしていたので、変なLRT幻想が新潟市の経済人にはあるらしいとは思っていたが、商店街協議会の会長さんがこれじゃあ、どうしようもないんじゃないか。 経済界だけではない。 新潟大の某学者も地元紙に同じようなことを書いていたっけ。 アホか、と私は思いましたけどね。
たぶん、新潟市は過去に路面電車を走らせた経験がないから、それで幻想が大きくなるのだろう。 同じ北陸なら、なぜ金沢市の路面電車が廃止されたのか、或いは、東北地方なら仙台市や秋田市や福島市の路面電車も廃止されているが、それがなぜなのか、考えたことがないのではないか。
私は1971年から80年まで仙台市で暮らした。 その途中で仙台市電が廃止されている。 私は個人的には路面電車が好きで、廃止を惜しんだ人間だ。 しかし、モータリゼーションのなかで公共交通機関がどうあるべきかを考えることと、個人的な好みで物事を判断することとはまったく別次元の事柄である。
なぜ仙台の市電は廃止されたのだろうか。 主たる理由は2つある。 @住宅街が拡大して中心街から遠くなってきているのに、市電の路線は延長されなかった。 つまり通勤・通学・買物などにあまり役立たなくなっていった。 Aモータリゼーションによってクルマの数が増え、市電の線路上に入り込んできて、電車のスピードがのろくなった。
ここから、路面電車が、或いは公共交通機関が機能するための条件が浮かび上がってくるだろう。 (1)人が多く住んでいる住宅街と、会社や学校や商店などが多く集まっている中心街を結んでいること。 (2)一定以上のスピードを持つこと。
そして(2)の条件を満たすためには、軌道交通であるならクルマが入ってこない専用軌道を走るのでなければならない。 例えば東京の都電で残っている唯一の路線である荒川線が、大部分専用軌道上を走っていることを思い出してみればいい。 逆に、仙台の市電はすべて一般道路上を走り、専用軌道は皆無だった。 したがってクルマに線路上を走られて、機能性を失っていったのである。
さて、新潟市はどうだろうか。 道路上にLRTを設けてクルマの乗り入れを禁止して、はたして道路が道路として機能するだろうか? とてもそうは思えない。 強いて言うなら、新潟駅から征谷小路を直進して日銀支店のあるところまでなら、まあ何とかなるかも知れない。 その部分であれば、LRTの軌道にクルマを入れないようにしても、かろうじて片側2車線確保できるからだ (萬代橋は除く。 しかし川を渡るところは専用軌道にする手もある)。
しかし、その先、東中通になるともう駄目である。 東中通はLRTを走らせたら残りは片側1車線しかない。 東中通の先を西に国道116号線方面に向かうにせよ、南下して昭和大橋方面に向かうにせよ、同じことだ。 これらの道路を片側1車線にして、新潟市の交通が機能するとは考えられない。 そして、新潟駅と日銀支店のあいだだけにLRTを作ったって、その効果はたかが知れている。 というか、ほとんど意味をなさないだろう。
いや、あくまでLRTで街作りをしたいというなら、東中通などを片側1車線にしてもいいだろう。 その場合は、次の条件が必要だ。 (A) 新潟市の中心部分にLRT網が縦横無尽にはりめぐらされていて、どこに行くにもLRTで間に合うこと。 (B) 郊外からクルマで中心街に来る人たちのためには中心街と郊外の境にクルマを無料でとめておける駐車スペースがあり、そこにLRTの駅が接続していること。 (C) 以上 (A) (B) の条件を作った上で、一般乗用車の中心街乗り入れを禁止すること。
言うまでもないが、上記のような街を作るには相当な資金が必要である。 古町近辺に無料駐車場一つ作れない現状があるのに、可能かどうか、考えてみて欲しい。
以前、新潟の地域経済誌に新潟市がモノレール構想をたてているという記事が載った。 私も、作るならそちらだと思う。 上述のように、軌道交通は専用軌道を持たないと機能しない。 モノレールでも設備によって道幅は多少狭くなるかも知れないが、LRTのようにモロに車線を削ることはないだろう。 無論、地下鉄よりは安いとは言ってもモノレールでも相当の資金は必要だが。
しかし、新潟市の郊外住宅街でかなりの人口を有しているのに近くに鉄道 (白新線、越後線、信越線) の駅がないところと、市の中心街とをモノレールで結び、なおかつ中心街では環状線にして、万代シティ・古町などの商店街・オフィス街、高校が集まっている学校町、ホールが集まっているりゅーとぴあ付近、またサッカー場であるスワン、そして市役所と県庁などを結べば、利便性はかなり向上するだろう。 つまり、住宅街と中心地を結ぶ機能と、中心街のメインをなす場所同士を結ぶ機能の二つを持たせれば、それなりに客数は確保できるのではないか。 また、環状線でこれらすべてを結ぶのが無理なら、枝線を作っても良く、枝線は単線でも構わないだろう。
言うまでもなく、以上は交通問題のシロウトの考えである。 しかしシロウトが見ても怪しげなアイデアを新潟の経済をになう人たちが盲信しているのでは救いようがないのである。 物事はきっちり詰めて考えていただきたい。
*ヴァンハル: ヴァイオリンソナタ集第2巻 (HST 075、2010年録音)
ヨハン・バプティスト・ヴァンハル (1739−1813) のヴァイオリンソナタ集である。 ヴァンハルといっても知らない人も多いだろう、というより私もこのCDを買うまで知らなかったのだが、ボヘミア出身でウィーンで活動した作曲家であり、ベートーヴェンを教えたこともある。 生まれた年から言うとモーツァルトより17歳年長、ベートーヴェンより31歳年長ということになる。 ここには、ピアノとヴァイオリンのためのソナタ変ホ長調 (本人が付けた作品番号はなし、1810年頃の作品) と、ピアノとヴァイオリンのための3つのソナタ作品33 (1808年) の、計4曲が収められている。 曲の感じは、モーツァルトと初期ベートーヴェンを足して2で割ったような、と言えばいいかな。 弾いているのはヴァイオリンが福本牧さん、ピアノが船本貴美子さん。 ジャケット (↓) を見れば分かるようにいずれ劣らぬ美人である。 録音は三鷹市の 「風のホール」 で行われており、響きの豊かな美しい音になっている。 最近新潟市のCDショップ 「コンチェルト」 にて購入。
*リヒャルト・シュトラウス: 影のない女 (Brilliant 9095、1963年録音、EU盤)
先日、新国立劇場でR・シュトラウスのオペラ 『影のない女』 を観劇したのだが、その予習に使ったのがこのCD。 ヨーゼフ・カイルベルト指揮のバイエルン州立歌劇場の演奏で、歌手は、皇帝がJess Thomas、皇帝妃がIngrid Bjoner、乳母がMartha Moedl、バラクがDietrich Fischer-Dieskau、バラクの妻がInge Borkh。 今から半世紀近く前の録音だけれど、音は鮮明だし、歌手の発音も明瞭で、3枚組で2千円程度と値段も安いしお買い得だと思う。 ただしBrilliantなので歌詞カードは付いておらず、英語による簡単な幕ごとの粗筋説明しかないので、そのつもりで。 最近yahooのオークション経由でネット上のCD屋より購入した新品。
新潟市には現在シネコンが4館あって過当競争気味である。 各館ごとにサービスの違いがあるわけだが、市の繁華街にあるTジョイ新潟万代は料金システムの点で他の3館とかなり異なっている。
すなわち、他の3館は女性サービスデーだとかメンバーズカード・サービスデー、ふたりデーなどがそれぞれ各週1日 (または月2日) あり、その日は該当する観客は一人1000円で見られるのだが、Tジョイにはそうしたサービスデーがなく、その代わり、平日の午前11時から午後2時までの間に上映が始まる映画は一人1200円で見られるという、シネマチネ制度がある。
ところが、Tジョイにかかる映画が等しくシネマチネ制度が適用される時間帯に上映されるかというと、そうではない。 今週から来週にかけて、いかにTジョイが自己中心的にこのサービスを適用しているかの見本みたいな例が見られるのである。
つまり、先週の土曜日に封切りの 『セックス・アンド・ザ・シティ2』 は、今週は一日5回上映のうち1回はシネマチネ適用で、来週も一日4回上映のうち1回はシネマチネ適用である。 やはり先週の土曜日に封切りの 『孤高のメス』 は、今週は一日5回上映のうち2回がシネマチネ適用である。
ところが、同じく先週土曜に封切りされた 『マイレージ、マイライフ』 はというと、今週は一日4回上映、来週は3回上映なのに、シネマチネ適用の時間帯には一度も上映されないのである。
なぜこういう違いが出るのか? 答は明瞭だ。 つまり、『セックス・アンド・ザ・シティ2』 や 『孤高のメス』 はTジョイ以外の新潟市内のシネコンでも上映されているので、競争的な意味でシネマチネ制度を適用しているが、『マイレージ、マイライフ』 は市内ではTジョイの単独上映なので、競争相手がいない。 この映画をどうしても見たい新潟市民はTジョイで見るしかない。 だから正規料金以外では見せまいとしているわけだ。
実にセコイ。 そうでなくともTジョイは、他のシネコン3館がメンバーズカード制をとっていて、映画を有料で5ないし6回見ると1回無料になるのに、そういう制度がない。 また、シネマチネ制度にしても1本1200円で、他館のサービスデーが1本1000円なのに比べて高価になっている。
Tジョイはその分だけ、どんな作品もシネマチネが適用される時間帯に上映するように配慮するのがサービスというものであろうに、実際にはその逆をやっているわけだ。 ケチ臭い! こんなことをやっていると、客が逃げていくばかりだと思うけどなあ。
本日の毎日新聞に以下のようなコラムが載ったのだけど。
http://mainichi.jp/select/opinion/ka-ron/news/20100608ddm003070174000c.html
<ことし落第ときまった。それでも試験は受けるのである。甲斐ない努力の美しさ。われはその美に心をひかれた。今朝こそわれは早く起き、まったく一年ぶりで学生服に腕をとおし、菊花の御紋章かがやく高い大きい鉄の門をくぐった>
太宰治は1930年東京帝大仏文科に進み、学業は全く縁遠く落第の末、35年に除籍された。これは「逆行」の掌編「盗賊」の書き出しだ。
戯作調は彼一流のものだが、内心は焦慮もあったろう。新進作家として境地を開く一方、非合法の左翼活動にかかわり、心中未遂を起こし、とめまぐるしい私生活。だが支えは実家からの「帝大生、津島修治(太宰の本名)」への仕送りだった。
それは彼の勝手としても、当時の帝大にはこんな学生を入れる「余裕」があった。
今でも入学後に目標と意欲を失う難関大学生は多い。だが太宰は弘前高校在学中に花柳界に出入りし、学業成績は落ち、自殺を図るなどドロップアウトしており、今なら「御紋章輝く鉄の門」は固く閉ざされていたろう。
制度の違いがある。旧制の中学、高校入試は厳しいが、大学へは旧制高校卒業生らに広く門が開かれ、細かな試験なく入ることもできた。戦後大学入試が最終最高関門とされたのとは対照的だ。受験準備なしの不成績者を東大が受け入れることはまずない。
ここで太宰を持ち出すのは極端かもしれない。
だが、これまで共通一次、大学入試センター試験と入試改革が講じられる度に「暗記知識や難問奇問に傾かぬ共通基礎テストの上に各大学が多彩多様な力を引き出す独自の選抜を」といわれてきた。だが道なお遠いどころか、多くの大学で少子化の受験生確保のため、おざなりな試験に退行している観さえある。
無頼太宰には迷惑だろうが、異才(変わり者ではない)の受容は大学の財産であるはずだ。戦前は大学が見いだすまでもなく、入って来た。
戦前の大学進学率は数%に過ぎず、5割を超す今と比較するのが土台無理という人もいる。だが「大衆化」を言い訳にしては始まるまい。点数化が容易ならざる試験は面倒で、論文書きや研究に忙しい先生はしばしば「そんな暇ない」と言う。そこを踏み出さなければ何も変わらない。
今文部科学省で進学希望者の高校学力をみる「接続テスト」が新たに検討されている。入試改革論議は果てしない。だが一方で現場で効率よいふるい落とし、安易な受験生呼び込み志向が続くなら、それは「かいない努力」でしかあるまい。(専門編集委員)
以下、当サイト製作者のコメント。
あのねえ、フランス語がほとんどまったくできなかった太宰治がなぜ東京帝大フランス文学科に入れたのか、そこが肝心なところじゃないの? 当時の東大フランス文学科が今日で言えば手抜き入試をやってたからでしょ? 「余裕」 があったからじゃなく、当時は東京帝大でも文学部のフランス文学科なんてそんなものだったわけ。 現代なら、中学程度の英語も怪しい受験生を、定員割れしている大学の英文科が受け入れるのと同じこと。
別にフランス文学科だけじゃない。 東大の文学部は今なら難関だけど、戦前はそうでもなくて、旧制高校 (帝国大学に進む正規のルート) から入ってくる学生だけじゃなく、旧制高等専門学校 (本来なら卒業後すぐに就職すべきルート) の卒業生も受け入れる学科があった。 でないと定員に達しないから。
だから、玉木が現代の大学を批判して 「多くの大学で少子化の受験生確保のため、おざなりな試験に退行している観さえある」 って表現は、まさに太宰を受け入れた東京帝大フランス文学科にそのまま当てはまるわけ。
ついでに、「論文書きや研究に忙しい先生はしばしば 『そんな暇ない』 と言う」 と書いてるけど、論文書きや研究に忙しいなんて恵まれた立場にある大学教員は今どきそうそうはいない。 学生の (過保護なまでの) 教育と雑用に追われて研究どころではないという教員の方が多数。 少しは勉強してからものを書きなさいって!
本日の朝日新聞インターネットニュースより。
http://www.asahi.com/national/update/0601/OSK201006010003.html
京大理学部SOS 「このままでは教員削減」 寄付募集中 2010年6月6日11時59分
. 事業仕分けなどによって科学技術分野の予算が削減されるなか、京都大学理学部がホームページ(HP)で寄付を募り始めた。2004年の法人化以降、国立大学は自ら収入を確保するよう迫られているが、物理や数学の基礎研究中心の理学部は産学連携による外部資金の獲得が難しい。 このままでは教員の削減も余儀なくされ、「ノーベル賞受賞者が輩出した研究環境が維持できない」 という。
同学部は5月中旬からHPに 「理学への支援のお願い」 との文章を掲載。 この 「お願い」 によると、法人化以降、国立大学への運営交付金が毎年1%ずつ減少。 今年度は、京大全体で2.8%の削減となった。 このため理学部では 「法人化前に比べて教員を10人以上減らさざるをえない」 という。
同学部によると、基礎的な学問である理学は産業や医療と直結しないため、他の学部と比べて、企業との共同研究によって外部資金を得にくい。 このため広く寄付を呼びかけることにした。 HPは 「寄付などをお考えの時は電話を」 「支援をお考えいただくために見学も可能です」 と結んでいる。
京大理学部卒のノーベル賞受賞者には利根川進氏がいる。 小林誠、益川敏英両氏は助手時代の研究成果が受賞対象になった。(阿久沢悦子)
*
以下、当サイト製作者のコメント。 外部資金の獲得が難しいのは理学部だけではない。 人文科学系の学部だって同じである。
要するに、もともと先進国の中では高等教育に振り向ける対GDPあたりの国費が少ないのに、それをますます少なくしようとしている日本の政策そのものがダメなのである。 アメリカと違って、日本には実利につながらない事柄に寄付をする習慣もないから、いくら外部資金云々といっても所詮は絵に描いた餅にすぎない。 京大理学部みたいに、日本で最高峰とされる高等教育機関でこの有様なのだから、他は推してしるべしであろう。 さっさとこういう阿呆な政策はやめろっていうのにね。
ちなみに新潟大学人文学部の場合、12年前と比べて、教員数は12人も減って、70人になっている (大学院主担当を含む、特任助教を除く)。 つまり、15パーセント近くも減っているわけだ。
夜、りゅーとぴあに標記の演奏会を聴きに行く。 開演15分前に会場に入ったら、入りがいいのにびっくり。 全席自由席なので、予定としては2階の中央Cブロックか、その隣のBかDのCに近いところにすわろうと思っていたのだが、そういう場所はすべて埋まっていてアウト。 仕方なく、3階正面のIブロックにした。 3列目の右端の席。
実はオール・ショパン・プログラムということであんまり食指が動かなかっのであるが、ゲキチを一度生で聴いてみたいと思っていたので来ることにしたもの。 でも、さすがというべきか、入りがすごい。 最終的には東響新潟定期の平均的な入りを上回ったようだ。 ゲキチの人気、オール・ショパンというプログラム、そしてチケットが前売で2500円という購入しやすい価格だったこともありそう。
プログラムは下記の通り。
バラード第1番
マズルカ ニ長調op.33-2、ヘ短調op.7-3、嬰ハ短調op.63-3
ポロネーズ「軍隊」
ノクターン 嬰ハ短調遺作
ワルツ 嬰ハ短調op.64-2、変ニ長調op.64-1「子犬」
スケルツォ第2番
(休憩)
子守歌 変ニ長調op.57
ソナタ第2番「葬送」
エチュード ホ短調op.10-3「別れの曲」、ハ短調op.10-12「革命」
ポロネーズ「英雄」
(アンコール)
シューベルト(リスト編曲)「セレナード」
ショパン: スケルツォ第1番
リスト: コンソレーション第3番
ゲキチは黒い前開きコートみたいなものを羽織って登場。 第1曲は非常にゆっくりしたテンポで独特の情感を打ち出していく演奏。 次のマズルカは逆にところどころ硬質な表現を織り込んでの演奏。・・・・というふうに、曲ごとにゲキチの個性が活かされており、オール・ショパンのわりには退屈しなかった。 「子犬のワルツ」
なんかは猛烈に速いので、いくら子犬でもこんなテンポではじゃれないな、バイクのエンジンの回転みたいだ、と思ってしまったが。
全体として、ゲキチはピアノという楽器をしっかり手中に収めている、という印象である。 音が美しく、また強打するところでは楽器がよく鳴っていて、3階席で聴いても十二分に楽しめたし、りゅーとぴあのコンサートホールはピアノには響きすぎるという意見もあることを考えれば、むしろ3階席で聴いて正解だったかもしれない。 いずれにせよ、世界的なピアニストを生で聴く醍醐味を存分に味わうことができた。
そしてアンコールもショパンかなと思っていたら意表をついてシューベルト。 正規プロの最後が英雄ポロネーズだったので逆に叙情的で静かな曲を選んだのかも。 その辺の選曲もうまい。
聴衆は数が多かったけど、東響新潟定期の客層とはちょっと違っていたよう。 最初のあたりはざわつきや紙音が気になったし、最後では拍手の途中で帰りかけて、ゲキチがまたアンコール曲をやると分かると帰るのをやめて聴く客が相当に多かった。 こういうのって、あんまりみっとも良くないと思うんだが。
会場ではCDを買った人向けにサイン会もあったが、見てみたらショパンとリストのCDしかないので、パス。 残念。
途中休憩が15分、開演が午後7時で終演が9時15分。 実質2時間ある演奏会で、量的にも満足。 ・・・そんなことを考えながら帰途についたが、りゅーとぴあを出たら雨が。 この日の予報では雨は降らないはずだったのだけれど、ゲキチの演奏が素晴らしいので天も感涙にむせんだのかもしれない
(笑)。
6月2日(水) *学長のお話、そしてまたまた気になる大学ランキング
本日は教授会があったが、学長が来て最初の25分ほどを使って話をした。 私は現学長のお顔をナマで拝見したのは初めてである。 現学長が学長に就任してから2年ちょっとたっている。 大学のことをよく知らない人は、大学教員は学長の顔を直接見る機会なんてのはよくあると思うかも知れないが、どっこい、現実にはヒラ教員にとっては雲の上の人で、直接話をする機会はまずないのである。
質問の時間が設けられたので、私もこのコーナーでよく取り上げている事柄――Gコード科目(教養科目)のコマ不足――について訊いてみたが、学長は現状を把握していないようだった。 まあ、学長はヒラが関わらない色々な問題に時間と頭と手間を使っているから仕方がないのかもしれない。 だいたい、教育担当の理事も問題の所在を把握していないんだろうから、学長が知るわけがないのである。
ところで、学長はお話をするときに資料を配付したのだが、その中に 「2011年度版 新潟大学の教育に関するランキング」 というのが入っていた。 これは、朝日新聞出版の出している 『2011 大学ランキング』 から新潟大学に都合の良さそうな数値をもってきたものらしいのだが、それによれば、「進学実績のある1200校の進学担当教諭絵のアンケートによる高校からの評価」 に基づくと、新潟大学は全国の大学のなかで堂々の第13位であり、その中でも中部地区ではこれまた堂々の第1位であり、また広報活動に熱心な大学の中では全国第6位であるという。
うーん、どうですかね。 高校の先生ははたして大学の教育内容についてどの程度ご存じなのだろうか。 怪しいんじゃないかと思うけど。 それに、3月28日の本欄に書いたように、別の評価本によると新潟大学の教養教育はかなり評価が低いのだ。
それに、大学にとって大事なのは、研究でもあるはずだが、その点ではどうか。
研究については、英国のタイムズ紙系の高等教育情報誌 『タイムズ・ハイアー・エデュケーション』 が今年の5月12日に2010年のアジア地区の大学ランキングを発表しているんだけど。
http://www.topuniversities.com/university-rankings/asian-university-rankings/overall
これによると、アジアでの日本の大学のランクは以下のとおりなのである。
5.東大
7.大阪大
8.京大
9.東北大
10.名古屋大
11.東京工大
17.九州大
20.筑波大
22.北大
23.慶大
26.神戸大
33.千葉大
38.広島大
39.早大
46.大阪市大
47.長崎大
51.金沢大
54.岡山大
55.熊本大
61.横浜国大
64.首都大
65.横浜市大
68.東京医歯大
73.岐阜大
74.群馬大
86.東海大
88.新潟大
93.お茶女大
94.三重大
97.大阪府大
うーん・・・と唸るのは、私だけではあるまい。 いわゆる 「旧六」、つまり戦前から医科大学として存在していたものに旧制高校などを足してできた国立大学6校 (新潟、千葉、金沢、岡山、長崎、熊本) はしばしば同類と見られるわけだが、このなかで新潟大は残念ながらダントツの最下位なのだ。
これ、何とかしないといけないよね。 無論、学長だけの責任ではないわけだが。
いずれにせよ、学長は、ヒラの教員の意見や現場の知識を仕入れる機会をもう少し増やしたほうがいいんじゃないでしょうか。
この日は、午前中は独文学会が慶応の日吉キャンパスで行われたので、出席。 以前にも書いたと思うが、昔と違ってドイツ文学の学会といっても発表内容は多様になっている。 この日、私が聴いた会場では、最初の二人がR・シュトラウスとホフマンスタールによるオペラについての研究発表。 そのうち一人は前日に私が新国立劇場で聴いた『影のない女』についての発表だったので、興味深く聴くことができた。
残り二人は18世紀の、ドイツ啓蒙主義時代のあまり知られていない作家や作品についてであったが、これまたなかなか面白かった。 問題は、こういう面白さを専門家だけの世界にとどめるのではなく、なるべく一般の文学愛好家にも知ってもらうような体制を整えていくことであろう。
つまり、前半の二人は、オペラという、以前なら文学研究家があまり近づかなかった分野に取り組んでいるわけだが、これはオペラがようやく最近日本人にとっても身近なものになってきているし、映像機器の発達で自宅でも映像付きでオペラを手軽に楽しめるようになってきていることに対応している。 つまり、大衆化された文化に研究者が歩み寄っているということだ。
それに対して、18世紀啓蒙主義作家の研究はちょっと違う。 一般の文学愛好家にはほとんど知られていないだけでなく、私のようなドイツ文学者でも20世紀前半の作家をやっている人間には未知の領域なのだ。 しかし、研究発表を聞いてみると結構面白く、一般の文学愛好家がアプローチする手段があれば――たとえばこの領域を扱った単行本が出るとか――十分に楽しめそうなのである。
そういう方面での研究者の努力は、今後いっそう必要になってくるのではないかと思うのだ。
さて。
慶応の日吉キャンパスを1時頃に出て、東横線と南武線を使えば短時間で川崎に出られるということで標記の演奏会を午後2時から聴いた。
席は3階ほぼ正面のAランク、東響後援会員1割引価格で4500円。 入りは、1・2階席は8〜9割くらい、3階席も半分以上は埋まっていたようだ。 4階は私の席からは見えないのでよく分からなかった。
指揮はユベール・スダーン、コンマスは高木和弘で、プログラムは下記の通り。
シューベルト:交響曲第4番「悲劇的」
(休憩)
シューベルト:交響曲第8番「グレイト」
前半はやや小さめな編成で、弦の数は第1ヴァイオリンからコントラバスまで順に12−10−8−6−4。 スダーンは指揮台を使わずに指揮していた。 後半は編成が大きくなり、14−12−10−10−8に。 スダーンも指揮台を用いていた。
いつもりゅーとぴあのGブロックで聴いている身からすると、今回ミューザの3階正面で聴く東響はやや音が違って聞こえた。 力があって、その代わりやや粗い感じなのである。 そういう音は、後半の
「グレイト」
では効果的に作用していたようだ。 早めのテンポで音を畳みかけるように連ねていく演奏で、これは聴衆を大きな音の船に乗せて運んでいくような印象をもたらしていたと思う。 何人かの客からブラボーの声が上がった。 オーボエの荒絵理子さんやホルンのハミル氏など、おなじみの管楽器奏者の健闘も光っていた。
前日、新国の 『影のない女』
で実質3時間の演奏を東響はしたわけで、奏者がどのくらい本日と重複しているかは分からないが、奏者が連ちゃんだとすると大変だなあ、と思ったことであった。
休憩時間にアイスコーヒーを飲んだら\400だった。 改めて、りゅーとぴあのノンアルコール飲物価格\200は安いと痛感した。
所用で上京しているところ。 本日午後は、標記のオペラを見る。 新国立劇場オペラパレスの1階10列右寄りの席がSランクで
23100円。 好きこのんでS席を買ったわけではなく、BかAにしたかったのであるが、公演の1カ月前にチケットを求めようとしたらSしか残っていなかったのだった
(とほほ)。 もっともオペラパレスの1階で鑑賞するのは初めてなので、何事も体験と思えばまあ高くは・・・・いや、高い(笑)!
会場はほぼ満席に近い入り。 出演は以下の通り。
皇帝: ミヒャエル・バーバ(テノール)
皇后: エミリー・マギー(ソプラノ)
乳母: ジェーン・ヘンシェル(メゾソプラノ)
バラク: ラルフ・ルーカス(バス・バリトン)
バラクの妻: ステファニー・フリーデ(ソプラノ)
それ以外の出演者: すべて日本人歌手
合唱: 新国立劇場合唱団
演奏: 東京交響楽団
演出: ドニ・クリエフ
指揮: エーリヒ・ヴェヒター
舞台にはやや観客席に向けて傾斜した台がおかれ、照明によって青くなったり白くなったり。その上で登場人物たちが動き回るのだが、台にはところどころ透明な板に成っている部分があり、時に照明として機能し、時には穴となって人やモノの出し入れにも用いられている。 背景には家をかたどった板4枚と、金網の中に石
(実際には紙製だろう)
を入れた縦長の立方体がいくつもおかれ、場面に応じてどちらかが前景に動かされ、また集合離散を繰り返して、場面の雰囲気を微妙に制御している。 そして家をかたどった板きれは、最後に4枚が合わさって本物の家となり、バラク夫妻が家庭を営む環境が完成したことを暗示する。
この物語は、一方では皇后が人間世界への愛情を通じて夫である皇帝との関係を血肉の通ったものにし、他方では悪妻であるバラクの妻が試練を経て良妻に生まれ変わるという筋書きなのであるが、生の舞台で初めて見て、バラクの妻の悪妻ぶりが一番の見どころなのかな、と思いいたった。 オペラに登場する女にも色々あるが、カルメンみたいに男を振り回すいかにもの悪女
(ファム・ファタール)
ならまだお芝居的な魅力を感じるけれど、この 『影のない女』
でのバラクの妻はいかにも現実にいそうな悪妻なだ。
パンフによると作曲者のR・シュトラウスは実生活でも半ば意図的に悪妻と結婚し、尻をたたかれることによって沢山の作品を残したそうなのだが、そういう作曲者の姿が何となく浮かんでくるという意味で、皇帝夫妻のカップルではメルヒェンチックだけど、バラク夫妻についてはきわめてリアリスティックで、まあ世の中の悪妻がみなこういう風にうまく良妻に変わるかどうかは別にして
(笑)、メルヒェンだけに終わらないところがいかにも20世紀に作られたオペラならではなのかな、などと考えたしだい。
演奏は、主演の5人はいずれも素晴らしく、逆に言うと脇役の日本人歌手たちとの力量の差が歴然としていた。 乳母役のヘンシェルは頭が大きく体が小太りで短く、5頭身くらいの感じで、外見的にはちょっと違和感がないでもなかったが、歌は文句なし。 一方、皇后役のマギーは金髪ですらりとした美人で、いかにも皇后らしいし、バラクの妻役のフリーデもいかにもの悪妻だったし、皇帝役もバラク役もそれぞれに味があって、主役5人に関してはよく揃えてくれたなと思ったことであった。
東京交響楽団の演奏もなかなかだったけれど、休憩を除いて3時間かかる曲のせいか、3幕目はちょっと疲れたのかなと思える箇所も。
前回のワーグナーに引き続き座布団を持参したが、3幕目の半ばくらいで尻が痛くなる。 新国の座席、何とかして下さい!
このコーナーでも以前に取り上げたが、北陸大学 (金沢市) は3年前の2007年3月に正当な理由なく田村光彰教授とルート・ライヒェルト教授を解雇した。 この不当な解雇は裁判に持ち込まれ、金沢地裁において無効という判決が本年2月に下された。 しかし北陸大学理事会は即時控訴し、裁判は続いている。
このたび、田村、ライヒェルト両教授の即時復職要求書を北陸大学に提出するために、署名が集められることになった。 この署名依頼は、「田村・ライヒェルトを支援する会」 の共同代表世話人である島崎利夫、林敬、半沢英一、森一敏の各氏、及び北陸大の職組委員長である荒川靖氏によってなされている。 また、賛同署名呼びかけ人として大瀧敏夫・金沢大名誉教授など二十名の方々が名を連ねている。
新潟大学、或いはその近辺に勤務・在住でこの署名にご協力いただける方は、私(三浦)までご一報いただきたい。
また、それ以外の地域にお住まいの方で署名に協力したいという場合は、「田村・ライヒェルトを支援する会」 事務局にメールで (下記アドレス) 用紙を請求していただきたい。
標記の書物を、訳者の一人である西山教行氏 (京都大学) からいただいた。
言語戦争、というタイトルはいささか穏やかならぬ印象を与えるが、実際に言語は人類に様々な紛争の種を提供してきた。 本書の序文には、言語の変化 (例えばラテン語が変化して現在のフランス語になった、というような) を内的な視点から捉える (例えばラテン語の或る単語がどのように変化して現在のフランス語の単語になっているか) のではなく、外的な、つまり社会的な視点から捉えること (例えばラテン語はどういう社会的状況のために現在のフランス語に変化したのか) が本書の目的だと述べられている。
内容は多方面にわたっている。 古代ギリシア人が他民族をバルバロイ(野蛮人)と呼び、それは他民族がギリシア語を話さない (わけの分からない言葉を話す) ところから来ており、この単語が現在の、例えば英語のbarbarianの語源になっていることは知る人も多いだろう。 しかしこの問題がプラトンにも見られた古代ギリシア人ならではの偏見に関わっていることは本書を読んで初めて気づく人も (私もそうだが) 少なくないのではないか。
或いは、ノルウェーがデンマークやスウェーデンから独立する過程のなかでノルウェー語を確立していったことは私も知っていたが、それ以前のノルウェーに見られた複雑な言語事情は本書を読んで初めて理解できたのである。
このように、言語と人類との社会的な関わりが多方面から追求されており、教えられるところの多い貴重な書物だと思う。
午後から、新潟県立万代島美術館で開催されている標記の展覧会に出かけた。 会期が明後日までなので、そろそろ行っておかないとということで。
19世紀後半、フランスなど西ヨーロッパに日本の浮世絵などの影響でジャポニズムが流行したことは、多少とも美術に関心のある人なら誰でも知っているが、その潮流の美術作品の中で版画のみを集めた展覧会である。
版画限定なのでやや地味な印象もあるが、特に連作ものの展示が充実していて、結構見応えがあった。
ブラックモンの 「6枚の腐食銅版画」 は、風景や鳥などを、版画でこんな表現ができるのかと思うほど――版画で霧を見事に描いていた――微細な美術作品になっていた。 ほかに、リヴィエールの 「エッフェル塔三十六景」 だとかヴュイヤールの 「風景と室内」 など、連作の魅力を堪能できる作品が展示されていた。 また、あまりに有名なビアズリーによる 『サロメ』 の挿し絵連作もあった。
この美術館所蔵のモーリス・ドニの連作 「愛(アムール)」 も展示されていた。 所蔵品なので以前にも別の展示の際に見たことがあるが、改めてその幻想的な魅力を味わうことができたのは良かった。
これで310円とは、バカみたいに安い! 惜しむらくは展覧会のカタログがないこと。 モーリス・ドニの 「愛(アムール)」 連作だけは、この美術館のメインとなる所蔵物なので絵葉書を冊子にしたものが安価で売られているけど、それ以外はジャポニズムなどの一般書籍で間に合わせていた。 この辺が地方美術館オリジナル展覧会の弱みだろうか。
なお、ネット(↓)でも或る程度内容が分かるので、興味のある方はどうぞ。
http://www.lalanet.gr.jp/banbi/new-1.html
この日は、美術展のあとウインドで映画を見、それからCDショップ・コンチェルトに寄って気になっていたCDを1枚買い、そのあと卓球用品専門店のサイトウスポーツに寄ってラケットのグリップに巻くバンドを買って、帰途についた。
かねてから、暇があったら標記のようなタイトルの本を書きたいと考えているのだけれど、本日の毎日新聞に、私が大きくうなずいてしまうような記事が掲載された。 「科学」 欄に載った 「大学大競争 国立大法人化の功罪」 である。
http://mainichi.jp/select/science/news/20100518ddm016100145000c.html
国立大法人化(04年度)に伴って、大学運営に欠かせない国からの運営費交付金が減額され、外部資金獲得を教員に推奨する大学が増えている。しかし、実際には推奨策が外部資金の増加につながっていないことが、国立大学財務・経営センターによる全国立大への調査で分かった。企業が社員の業績によって賃金を増減する「業績主義」の弊害が指摘される中、大学側も経営戦略の見直しを迫られそうだ。【永山悦子、西川拓】
■実績で配分を加減
外部資金は、運営費交付金の不足を補い、研究力の強化や大学の活性化に欠かせない。 代表的な資金は国が配分する科学研究費補助金(科研費)などの 「競争的資金」。 研究者から公募で集めた研究・教育課題の中から、高い評価を受けたものに配分される。 外部資金集めに奔走する国立大は、こうした資金を獲得した教員を表彰したり、外部資金への応募が多い学部への教育研究費配分を増やすなど、あの手この手で教員の尻をたたく。
調査は山本清・同センター客員教授が08年12月〜09年2月、全国立大86校を対象に実施し、全大学が回答した。 「競争的資金への申請や獲得実績が多い研究者・部門には、大学からの研究費配分を増やし、少ない場合は減らす」 など、経済的な推奨策を実施しているかを尋ねたところ、国立大の4割が既に実施、2割が導入を検討中だった。
さらにこのような推奨策が、法人化後の05〜08年度の競争的資金獲得増につながったかを統計学的に分析した。 学内で特定の研究分野を重点化するなど、大学の戦略的な取り組みと獲得増とは関連があったが、科研費への申請件数によって配分を増減する方法は有意な関連がみられず、大学側の狙いとは逆に獲得を減らす傾向が強かった。 資金の獲得実績によって配分を加減する方法でも同様の分析結果となった。
08年版労働白書(厚生労働省)は 「企業が仕事への意欲を高める目的で導入した業績主義に基づく賃金制度は、労働者の満足度の低下につながるなど、必ずしも成功していない」 と指摘している。 山本客員教授は 「業績主義が機能しないことは知られているが、代わる施策がないため、なかなかなくならないのが実態だ」 と話す。
■現場にも徒労感
現場の教員にも徒労感や無力感が広がる。
昨年夏、東日本の国立大に勤める40歳代の准教授は学部長から呼び出され、「優秀教員」 として表彰された。 「給料1カ月分くらいの勤勉手当」が支給されたという。
理由の説明はなかったが、思い当たることがあった。 准教授が中心になったプロジェクトは文部科学省の競争的資金の支給対象に選ばれ、昨年度から3年間、年1000万円単位の研究費を大学にもたらしていた。
この大学では、競争的資金への応募を推奨する電子メールを全教員に送付。 「合理的な理由なく応募しなければ、大学から教員に配分する研究費の額を見直す」 との方針も伝わった。 ある教授は 「競争的資金への応募は、申請書作成など準備に手間がかかる半面、法人化後は応募件数が増えて採択率が低くなり、労多くして功少なしだ」 とため息をつく。 文科省によると、科研費の申請件数は年々増えている。 支給総額も順調に増えていた94年度の新規採択率は27・0%だったが、09年度は22・5%と低下傾向にある。 優秀教員として表彰された准教授も 「(申請を)強制されても、いい研究は一朝一夕では生まれない」 と指摘する。
首都圏のある国立大では採択率アップのため、競争的資金を獲得した実績のある教員が、他教員の申請書類を提出前にチェックしている。
年に数件をチェックする工学系の教授(43)は 「たいして効果があるとは思えない。 最近、こういう雑用が増え、自分の研究時間が取れない」 と嘆く。
こうした現状について山本客員教授は 「競争的資金獲得につながる良い研究は、研究者個人の意欲や関心から生まれる。『獲得したらごほうびをあげる』と目の前にニンジンをぶら下げられても、かえって抵抗感を持つ研究者が多いようだ。国や大学は、現在の資金配分のあり方を再検討することが必要だ」と注文をつける。
* *
以下、私のコメント。 内容的には一から十まで賛成である。 ちなみに、上記の例はいずれも理系と思われるが、文系でも同じような傾向にあり、私の勤務先、つまり新潟大学人文学部でもなるべく科研費に応募するようにと言われているし、応募して採択されなかった場合にもわずかながら研究費を多く支給するという政策をとっている。 つまり応募した人間を優遇しているわけだ。 私は無視しているが、以前、科研費に応募してくれという呼びかけを無視していたら学部上層部の某教員から 「出してくれ」 とメールが来た。 それも無視しましたけどね。
私は、以前は科研費をとったこともあったが、ここ何年間は応募もしていない。 書類作りの手間を考えると、その分で自分の研究をやったほうが効率的だからだ。 科研費は仮に獲得したとしてもその後にも書類作りもあるし、年度内に1円も残さず使い切ることとか、使途も制限が多く、功より罪の方が大きい。 少なくとも文系ではそうである。 それだったら多少自腹を切っても自分の好きなようにしたほうが、時間の節約にもなるしメンタルの面でも面倒がなくてすっきりする。
「大学改革」 なんぞ、さっさとおやめなさい。 そう考えている教員は多いと思うけど、何でそれが表に出てこないのかなあ。 大学教員って臆病だからかなあ。 昔の左翼全盛時代の、インテリの威勢のいい――だけど型にはまった――物言いはどこに消えたのだろうか。
*フォーレ: 歌曲全集 (Brilliant、92792、1970-74年録音)
エリー・アメリング (ソプラノ) とジェラルド・スゼー (バリトン) の二人によるガブリエル・フォーレの歌曲全集。 ピアノ伴奏はダルトン・ボールドウィン。 CD4枚組。 作品1のヴィクトル・ユゴーの詩に作曲した 「蝶と花」 「五月」 から始まって、作品21の 「ある一日の詩」、作品58の 「5つのヴェネツィアの歌」、作品61の 「やさしい歌」、作品95の 「夕べの歌」、作品106の 「閉ざされた庭」、そして作品118の 「幻想の水平線」 に至るまでが収録されている。 フォーレの歌曲は、初期作品は有名な 「夢のあとに」 など、それなりに分かりやすいけれど、後に行けば行くほどとりとめもなく、メロディーのラインがつかめず、茫漠として、自然を描写したというよりは一種の色模様に近づいていったモネの絵画を想起させる。 それかあらぬか、箱ジャケット (↓) も印象派の絵画 (だよね?) だし、中の4枚のCDもそれぞれ別の絵画の厚紙に入っている。 3月に上京したときに新宿のディスク・ユニオンにて購入。
*ヴィドール: オルガン交響曲第8番 (DABRINGHAUS UND GRIMM、MDG 316 0405-2、1995年録音、1996年発売、ドイツ盤)
ヴィドールの10曲あるオルガン交響曲を集めている途上だが、今回新たに加わったのが第8番。 ベン・ファン・オーステンによる演奏。 オーステンが録音した 「ヴィドール オルガン作品全集」 の第5巻にあたる。 フランスのルアンにあるSait-Ouenのオルガンを使用している。 ヴィドールのオルガン交響曲も時期によってかなり作風が異なるようで、以前この欄で紹介した4〜6番あたりは馴染みやすく聴きやすいが、最後の9・10番あたりになると作風が変わって晦渋さを増している。 この第8番は、全7楽章で演奏時間は55分を要する大曲だが、内容的には4〜6番と9・10番の中間くらいかというところ。 多少晦渋ではあるが、それでも第2楽章のモデラート・カンタービレなどは、カンタービレと謳っているように静かな歌心に満ちている。 それ以外にも、第5楽章の変奏曲だとか、色々面白い部分があって、悪くない曲だと思う。 下(↓)のジャケットは作曲家のヴィドール。 演奏者のオーステンの写真もこの裏に入っているけど、髪がふさふさしていてなかなかの美男である。 最近HMVよりネット購入。
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5月12日(水) *岩波文庫は良心的か? ――『みずうみ』の訳について再び物申す
以前にも多少書いたことなんだけど、状況に変化があった (というのも大げさだが) ので、改めてここに記しておく。
本日は1限が教養科目の西洋文学Lである。 この講義では数年ごとにシュトルムの 『みずうみ』 を取り上げており、今年も取り上げている。
以前は新潮文庫の高橋義孝訳を使っていたのだが、絶版になってしまったので、仕方なく岩波文庫の関泰祐訳を使っている。 仕方なくというのは、高橋訳のほうが日本語として優れているし、またドイツ語の解釈が正確だからだ。 例えば最初のあたりで散歩から帰ってきた老人が家政婦に 「灯りはまだいい」 と告げるところが、関泰祐訳では逆に 「灯りはまだかね」 となってしまっている。 他にも日本語のおかしな箇所だとかがある。
しかし現在では文庫本で 『みずうみ』 が読めるのは岩波文庫だけなので、しょうがないのである。
さて、この講義、第1週は講義の概要を説明しておしまい。 第2週は第2回目の抽選を行って、そのあとシュトルムの生涯について説明しておしまい。 『みずうみ』 に実質的に入れたのは先週のことである。
ところが、先週、講義が終わってから学生がやってきて、「先生の説明とページ数や行数が合わないんですけど」 と言われた。 私は何年か前に出た岩波文庫をそのまま使っていたのだが、学生がこの春に買ったものを見てみると、今年初めに改版になっていることが分かった。 改版の際に文字を少し大きくし、1ページあたりの行数を減らしたので、以前の版とはページ数や行数が合わなくなってしまっていたのだ。 私は学生に謝って、先週のうちに改版された 『みずうみ』 を購入した。
しかし、と私は思った。 せっかく改版をするなら、どうして誤訳などを改めてくれないのか。 既存の訳を改版の際に変えるのは、版権の関係や、遺族との交渉など、色々手間があるから面倒くさいのかも知れないとは思う。
だが、岩波文庫の関泰祐訳の 『みずうみ』 に限ってはそうした面倒は少ないはずなのだ。 なぜなら、関泰祐はとうに亡くなっているけれど、その子息の関楠生もドイツ文学者であり、なおかつまだ存命であるから、話をつけるのは簡単ではないかと考えられるからだ。
英文学だと、伊藤整の訳した 『チャタレイ夫人の恋人』 を子息で英文学者の伊藤礼が補訳して出版したりしている。 ドイツ文学でそれをやって悪いという法はないだろう。
私は教養部解体以来、ドイツ文学者というものがいかに無能であるかを痛感しているのだが、こういうケースでもそれをさらに痛感してしまうのである。 困っちゃうなあ。
5月10日(月) *新潟市中心街から古書店が消えた――再活性化のためにフォーラム系映画館を誘致せよコンチェルト2号さんのブログで、新潟市営所通の古書店・学生書房が閉店したことを、数日前に知った。 さらに、古町通にあった佐久間書店も閉店しているのだそうである。 つまり、新潟市街の中心部から古書店が消えたということになるのだ (
BOOKOFFは除く)。 ちょっとびっくりした。新潟市中心街の古書店というと、営所通の学生書房と文求堂書店、そして古町通の佐久間書店というのが、新潟市の読書家の常識であった。 私も
1980年に新潟に住み着いて以来、古町近辺で映画を見た後などによく立ち寄っていた。しかし最近はほとんど行かなくなっていた。 古町近辺から映画館がなくなり、古町自体にあまり行かなくなっていたからだ。 古町の地盤沈下はよく言われるけれども、そして最近では大和デパートの撤退が大ニュースとして伝えられているけれど、私はデパートに買物に出かけるような人間じゃないから、映画館だとかコンサートホールがない場所には行かないのである。
そうしたなか、上記3軒の古書店のうち、まず文求堂書店が数年前に店舗をたたんだ。 ただし買いは今でもやっており、電話をかけると取りに来てくれる。 私も今年初めに (1月25日の項を参照) 若干の本を処分する際には文求堂さんにお願いした。
そして私の気づかないうちに佐久間書店がなくなり、今、学生書房も閉店となった。何かが消えるときというのは、こういうものなのだろうか。
こうなると古町の魅力はますます減退の一途である。 上で、映画館やコンサートホールのない場所には私は行かないと書いたが、それで言うと 「だいしホール」 はいちおう古町のそばにある。 しかし駐車料金がかかるから、コンサートが終わればそそくさと帰宅する場合が多い。 りゅーとぴあや音楽文化会館にしてもその点では同じだし、古町の中心部からは少し離れている。 郊外に住んでいる人間にとってはまず、駐車料金がネックである。
あとは、映画館が古町近辺にないのが致命的なのである。 昔は、古町通に松竹 (のちピカデリーを併設) や日活 (のちロッポニカと改称)、またカミーノ古町内にシネマ1・2・3があり、また東堀通には東映や東宝がミラノやパラスやスカラを併設して2〜3館で営業していた。 それがいつの間にか映画館ゼロの街になってしまったのである。
現在は邦画大手やハリウッドの大衆性のある映画はシネコンでというのが常識になってしまっている。 新潟市にはすでにシネコンが4館もあって過当競争気味だから、この点で打って出ても勝ち目は薄いだろう。 むしろ、大衆性では劣るけれど味のある、シネコンにかからない作品で勝負するような映画館を誘致すべきではないか。 具体的には、東北地方で営業しているフォーラムを新潟市の古町あたりに持って来れないかどうか。
新潟市の映画ファンには常識だが、新潟市は人口規模の割りには市内で上映される映画が邦画大手とハリウッドの大衆作品に片寄っており、ちょっと大衆性に劣るヨーロッパ映画だとか、アメリカ映画でも配給が大手じゃない作品だと上映されないか、されても東京より大幅に遅れることが多い。万代シティのシネ・ウインドが頑張ってはいるが、それでも状況は芳しくない。フォーラムが新潟市に来ればその点で大幅な改善が望めるだろう。
折りもおり、昨日は、かつてイチムラ百貨店だったビル、つまり現在はカニ道楽が入っているWithビルから、テナントが一挙に出ていくというニュースが報じられた。( → http://mainichi.jp/area/niigata/news/20100509ddlk15020014000c.html ) テナント料金の値上げが原因だという (貸し主に言わせると今までが安すぎたということらしいが)。 大和の撤退ばかりではない。 古町の衰退はさまざまなところで顕在化しているのだ。 古町を本当に活性化したいと思うなら、駐車料金問題の根本的な解決と並んで、映画館問題と真摯に取り組んで欲しいものである。
新潟は穏やかな天気に恵まれた。 絶好のコンサート日和である。 本日は東響新潟定期の今年度初公演。
指揮は小松長生、フルートは新村理々愛、和太鼓が林英哲、コンミスが大谷康子で、プログラムは下記の通り。
池辺晋一郎: 東京交響楽団のためのファンファーレ
武満徹: 弦楽のためのレクイエム
尾高尚忠: フルート協奏曲
(アンコール)
モンティ: チャールダッシュ
(休憩)
團伊玖磨: 管弦楽のための「飛天」
松下功: 和太鼓協奏曲「飛天遊」
(アンコール)
外山雄三: 管弦楽のためのラプソディ
林英哲(編): 宴(うたげ)
日本人作曲家だけの、ちょっと珍しいプログラム。 このうち尾高尚忠のフルート協奏曲のみディスクを持っていたので、久しぶりに予習の意味で聴いておいた。 指揮者の小松氏は私は初めてであるが、東大の美学科とイーストマン音楽院大学
(ニューヨーク)
の指揮科を出られ、コスタリカ国立交響楽団の芸術監督をされているそうだ。
会場の入りは、プログラムのせいかイマイチ。 ただし、どういうわけか私の定席のGブロックだけはふだんより客が入っていた。 プログラムに提示された演奏所要時間によると、正規のプログラム5曲合わせてかつかつ1時間なので早めに終わるかなと思っていたら、前半も後半もアンコールがあって、結局終演まで2時間あまりかかった。 演奏者側もそれなりに考えていて、楽しめるようになっていたということであろう。
会場のノリでいえば、最後の林英哲氏による和太鼓だろううが、私個人で言うと尾高尚忠のフルート協奏曲が一番音楽として楽しめた。 曲自体、よくできているんじゃないだろうか。 ソリストの新村さんはまだ16歳の高校一年生だそうだが、堂々たる演奏ぶり。 そしてアンコールにフルートとピッコロを両方使ってモンティのチャールダッシュを管弦楽をバックにやるというのにシビれた。 この曲、本日のコンミス大谷さんの十八番で、大谷さんも新潟での室内楽演奏会で披露したことがあるのだが、フルートとピッコロでの演奏もいいものだなあ。
和太鼓協奏曲は作曲者も来場していて、最後に林氏や指揮者と並んで舞台に上がり、大きな拍手を受けていた。 それに応えて林氏がアンコールを2曲披露してずいぶん盛り上がった。
出かけるときは、変わったプログラムだしどうなるかなという気持ちだったのだが、終わってみれば 「うん、来てよかった」 と納得の一夜。 オケの定期会員になっていればこその演奏会体験と言えるだろう。
*トスティ: 歌曲集 (OCD2035、ORFEO、1983年録音・発売、西ドイツ盤)
テノール歌手カルロ・ベルゴンツィによるトスティの歌曲集。 バックはエドアルド・ミュラー指揮のローマ室内管弦楽団。 「夢」「最後の口づけ」「僕は思っている」「君は朝日のなかに」「苦しみ」「夏の月よ」「さあ、夢だ!」「魅惑〔マリーア〕」「私に静けさを」「セレナータ」「漁夫は歌う」「君にまみえば」「朝の歌」「君なんかもう」「ひめごと」「そうなってほしい」「さようなら」 の計17曲が収録されている。 ここのところ、シューマンとかR・シュトラウスとかプフィッツナーとかのドイツ系歌曲を聴いてきたわけだけど、こうしてイタリア歌曲を聴くと、やっぱり歌はイタリアじゃないかと言いたくなる。 朗々・堂々と歌うのに適した、妙にひねくらない正攻法のメロディーがいかにもイタリアなのだ。 これを聴いていると脱クラシックして、カンツォーネでも聴こうかという気になってしまう。 つまり、そのくらい普通の歌に近いということだ。 歌に国境は、いや、ジャンルはない!? 最近新潟市内のBOOKOFFにて購入。
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*Mozart: Divertimento: Trio for Violin, Viola and Violincelle K.563 (CAP21795、Caprice Records、Stockholm、2007年録音、2010年発売、EU盤)
先月、モーツァルトの弦楽三重奏のためのディヴェルティメントを実演で初めて聴いたので、ディスクも買いたくなり、たまたま新潟市内のCDショップのコンチェルトさんにあったのがこれだったので、購入。 私が長年聴いてきたのはスターンとズーカーマンとローズによる演奏だが、それに比べるとこのディスクの演奏は、下のジャケットからも分かるように (↓) 女性3人によるということもあるのか、非常に軽い感じである。 よくも悪くもバックグラウンドミュージック的で、芸術的な傑作と切り結ぶというような迫力はない。 ヴァイオリンがCecilia Zilliacus、ヴィオラがJohanna Persson、チェロがKati Raitinenである。 なお、このほかFranz Beyer補筆によるK.562e(K付録66)の 「弦楽三重奏のためのムーヴメント」 も収められている。