音楽雑記2009年(2)                           

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  1月〜4月はこちらを、9月以降はこちらをごらんください。  

 

8月30日(日)      *中山良夫 無伴奏ヴィオラ・リサイタル 「ヴィオラ独り」

 8月は演奏会ゼロか、と思っていたら、数日前にコンチェルト2号さんのブログでこの演奏会を知り、ヴィオラの無伴奏リサイタルとは珍しい――私は初めて――ということで出かけた。

 会場は 「清嘉記念奏楽堂Hill top」、と言っても分からない人も多いだろうが――私も分からなくてコンチェルトで予約したときに1号さんに教えていただき、前もって見に行った――浜浦町の裏通り (循環線バスの通る通り) にある小さな本屋さんから脇道を入っていくと豪邸があって、そこなのである。 とはいえ、演奏会場としては小ぶりで、 30〜40名くらいしか入らないようだが。

 中山良夫さんは元・都響のヴィオラ奏者。 午後4時開演のはずが、楽器の故障で40分近く遅れて始まった。

 プログラムは、下記の通り。

 バッハ: 無伴奏ヴィオラ組曲第1番(原曲=無伴奏チェロ組曲第1番)
 ヒンデミット: 無伴奏ヴィオラソナタop.25-1
 (休憩)
 バッハ: 無伴奏ヴィオラ組曲第2番(原曲=無伴奏チェロ組曲第2番)
 ドルジーニン: 無伴奏ヴィオラソナタ
 (アンコール)
 「鳥の歌」

 会場がこぢんまりしているので、ヴィオラの音がとても響き豊かに聞こえてくる。 ヴィオラは独奏楽器としてはあまりオリジナル曲がなく、今回のようにチェロ用の曲を編曲して演奏したりするわけだけれど、間近で聴いてみて、結構いけるじゃないかと思った。 喩えて言えば、チェロが渋い中年男性の魅力、ヴァイオリンがハイティーンの美少女の魅力だとすると、ヴィオラは20代の美青年の魅力と言おうか、ちょっと中性的でユニセックス的な雰囲気を感じさせるところがいいのでは、と。

 バッハの曲はチェロでの演奏をディスクで聞き慣れているが、ヴィオラで聴くとまた違った趣きがあり、これはこれで一興。 ヒンデミットの曲は、現代的な硬質な抒情が籠められているよう。 もっともヒンデミットは私はよく知らないので、これを機に勉強しようかと思っている。 最後のドルジーニンに至っては名前も知らなかったが、ソ連のヴィオラ奏者でショスタコーヴィチの遺作となったヴィオラソナタを初演した人だそうだ。 中川氏は芸大の卒業演奏にショスタコーヴィチのその曲を選び、それでドルジーニンにも興味を持たれたとか。 中山氏が解説で言われたように、「ヴィオラはこういうこともできるんですよ」 と言っているような曲だが、技巧はともかく内実がどの程度あるのか、よく分からなかった。

 いずれにせよ、貴重な無伴奏ヴィオラ・リサイタルで、できればもう少し大きな会場で沢山の人に聴いてほしかった。

8月25日(火)      *法治国家

 本日は不愉快な出来事があった。 いずれここにも書くかも知れないが、根底的な問題だけ記しておく。

 近代国家は言うまでもなく法治国家である。 したがって近代的な組織も、とりわけ大学は法治を大前提としなければならないはずである。 ところがその点がまことにいい加減なのである。 言うまでもなく新潟大学のことを私は言っているのだ。

 国立大学は文科省官僚のその場の思いつきで左右されているので、教員の方も思いつきで何事かをしたいという気分になるのかもしれないが、こんなことでは永遠にモダン以前のままであり続けるだろう。

8月24日(月)      *高校野球

 本日は甲子園の夏の全国高校野球大会で新潟県代表の日本文理高校が準優勝を飾った。 私は高校野球のファンでも何でもないのだが、とりあえずおめでとうございます。 新潟県の高校が準優勝というのは史上初。 従来はベスト4すらなかったという。

 実は日本文理高校と新潟大学は距離的にわりに近い。 直線距離にすると1キロちょっとだろう。 私の研究室のある建物の端に水道場があるのだが、そこへいくと日本文理高校の校舎が見晴らせる。 私の研究室が6階にあることもあるし、また新潟大学は海岸に近い砂丘のてっぺんあたりに位置しており、日本文理高校は砂丘を内陸部に下っていったあたりにあって高度が低いから、ということもある。

8月22日(土)      *最後まで体を持たせるということ――教養部解体の15年後に

 新潟大学の教養部が解体して15年になる。 教養部時代、英語担当のSSという年輩の先生がおられた。 温厚で皆に慕われていたが、毎日夕刻になると行きつけの居酒屋に足を運びタバコをひっきりなしに吸いながら酒を飲むのが習慣で、周囲には 「SSさん、定年まで体が持つかな」 などと危ぶむ声もあった。 幸いにしてSS先生は65歳の定年まで勤めたが (ちょうど教養部解体の年)、それから数年後に世を去った。

 この春、教養部時代はドイツ語教師をしていたM氏が定年を待たずに辞めた。 教養部解体後は法学部所属となっていたが、最近体の調子が悪かったらしい。 それ以外にも色々あったようだが、私は詳しくは知らない。 私より少し年長の団塊の世代である。

 数カ月前、やはり教養部に所属していて教養部解体後はやはり法学部に勤めていた情報処理理論のI女史が病没した。 M氏と同じくらいの年齢だったかと思う。 定年前である。

 4年前、教養部ドイツ語教師で、教養部解体後は経済学部に所属していたO氏が病没した。 昭和19年生まれで、定年前である。

 その少し前、教養部時代は英語教師で教養部解体後は人文学部の私と同じ講座に所属していたSKさんが定年を待たずに辞職された。 体が持たないという理由からだった。

 その頃だったか、教養部所属で、教養部解体後は法学部に移ったSA先生(法学が専門)から、「思うところあり辞職いたすことに」 という通知をいただいた。 やはり定年前であった。

 こうしてみると、教養部に所属していた教員たちのその後は、なかなか厳しい。 個々の資質もあるし、偶然もあるかもしれないが、教養部解体後の人生は波瀾含みということだろう。 国立大学の教員だから安定した地位だと思われそうだけれど、細かいところでは色々あって、その細かいところが案外ダメージだったりする。 少なくとも教養部時代には、こんなに沢山の教養部教員が定年前に亡くなったり辞職したりといったことはなかった。 上に挙げた人たちも、もしも教養部があのまま存続していたら、定年まで勤められたかも知れないのだ。 (と言って、教養部はパラダイスだったなどと主張したいわけではない。)

 かく言う私も来月で満57歳になる。 体を持たせなければ、と数年前から思うようになった。 そのくせ毎晩酒ばっかり飲んでいるのだから実行が伴っていないのだけれど、この年齢だから逆に、変に禁欲的になるよりやりたいことをやって死のうという気持ちも強くなる。 要するに矛盾しているのだ。

 こういう公開日記だと何もかも書くわけにはいかないので、ここだけ見ている方には気楽な人生みたいに思われるかも知れないが、やはり細かいところでは色々あるので、教養部解体後を振り返ってみると、クビにはなっていないがかなり波瀾含みだったと言える。 この後も、まだ一つ二つあるだろう。 残り8年半をまっとうできるかどうかは分からない。

 (追記: お一人記すのを忘れていた。 フランス語のSS先生――最初に書いた英語の先生とは別人――が、教養部解体後は経済学部に移り、やはり定年前に亡くなっている。)

8月21日(金)      *人は色々なところで偶然に会う

 本日は運転免許センターに免許の更新をしに出かける。 5年に一度の更新である。 更新は誕生日前後にやるもので、私の誕生日は1カ月後だが、早く済ませてしまおうというので本日出かけることにしたもの。

 任意加入の交通安全センター協力金を含めて5千円あまりかかる。 講習が30分間。 さいわいにして私が講習室に入るとすぐ始まったので、時間の無駄がなくて済んだ。 ビデオを見せられる前にセンター職員から話があったが、何だか早口で聞き取りにくい。 年齢は私と同じくらいかと思えたが、新潟土着の人は早口の気があるからかもしれない。 私が新潟に住み着いた頃、住んでいた借家の近くのJR駅前で農家のおばあさんがむしろを広げて野菜を売っていた。 私も時々買っていたのだが、おばあさんの言葉は早口のうえに方言丸出しだから、さっぱり分からなかったものだ。

 閑話休題。 ビデオでは、右折しようとして、対向車のすぐあとを走っていたバイクに気づかず、対向車が通り抜けた直後に右折してしまいそのバイクに衝突する事例が目を惹いた。 うーん、私でも同じ立場だったら事故ってたかもしれない。 用心しないと。

 講習を済ませて新しい免許証を受け取り、センターの出口に向かっていたら、途中のソファーに人文学部の同僚O先生がすわっているのに出くわした。 先生は奥さんに付き合ってここを訪れ、奥さんの更新が済むまで待っておられるとのこと。 愛妻家のO先生らしいなと思った。

8月19日(水)     *最近聴いたCD

 *ディーリアス: チェロソナタ + ヴァイオリンソナタ第1〜3番 (Unicorn Records、UKCD2074、1973・1983年録音、1995年発売、英国盤)

 英国の作曲家フレデリック・ディーリアス (1862-1934) の作品を集めた"The Delius Collection"の第4巻として出ているCD。 チェロはJulian Lloyd Webber、ヴァイオリンはRalph Holms、ピアノはEric Fenbyが弾いている。 チェロソナタとヴァイオリンソナタ第1・2番はいずれも1楽章構成で、ディーリアスらしい、激せず、とりとめもなく、構成もしかとは分からない音楽の流れが楽しめる。 でも何度か聴いていると、ディーリアスの語法とでも言うべきものが何となく分かってくる。 一方、ヴァイオリンソナタ第3番は3つの部分に分かれているので、多少構成らしくものも感じられる。 バックグラウンドミュージックとしても悪くないかも。 演奏は、チェロはいいが、ヴァイオリンはやや音の出方が窮屈で、もう少し名手がいなかったのかなという気もする。 最近Yahooのオークション (と言っても新品を輸入販売している個人業者がyahooを通して売り出しているもの) にて購入。 なおこちら (→) から画像をごらんいただけます (ただしここで買うよりyahooオークションで買った方が安い)。  http://buzz.goo.ne.jp/item/cid/11/pcid/109188947/scid/7514/ 

  *イッサーリスが弾いたヤナーチェク、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフの作品 (BMGビクター、BVCC748、1995年録音、1996年発売)

 これは最近買った品ではなく、だいぶ前に東京の中古CD屋で買ったもので、「見本品(非売品)」というレッテルが貼ってあるのがご愛敬という代物だが、気に入っているので紹介したい。 スティーヴン・イッサーリスのチェロ、オリ・ムストネンのピアノで、ヤナーチェクの 「おとぎ話」、ショスタコーヴィチのチェロソナタ ニ短調op.40、プロコフィエフのチェロソナタ ハ長調op.119を収録しているが、最初にヤナーチェクの 「おとぎ話」 3曲を入れ、次にショスタコーヴィチとプロコフィエフを入れ、最後にヤナーチェクの「おとぎ話」追補部分を入れていて、つまりヤナーチェクでサンドウィッチにしているところが面白い。 私はショスタコもプロコも好きな作曲家ではないが、チェロが中低音を中心とする旋律楽器であるせいか、チェロソナタはわりに気に入っている。 特にショスタコ。 ヤナーチェクの 「おとぎ話」 もヤナーチェク独特の感性が楽しめる佳品。 これらを配したアルバム作りをしたイッサーリスに敬意を表したい。 なおこちら (→) から画像をごらんいただけます。  http://www.aaaa.co.jp/item/00000019320.html 

8月18日(火)     *今さらですが、『ランダムハウス英和大辞典』 はよくできている

 必要があって、久しぶりに英語文献を読む。 私の研究室には英和辞典は2冊しかなく、『ランダムハウス英和大辞典第2版』(小学館、1994年) と 『コンプレヘンシヴ英和中辞典』(旺文社、1975年) なんだけど、今回、改めて 『ランダムハウス』 はいい辞書だなと痛感した。 というか、『コンプレヘンシヴ』 があまりに役に立たないのに愕然。 載ってない単語、載ってない熟語が多く、載っていても説明が不十分。 それが 『ランダムハウス』 を引くとたちまちにして腑に落ちる。 まあ、『コンプレヘンシヴ』 は出て30年以上たっているから、今はもう少しマシになっているのかもしれないが、こんなに差があるとは思わなかった。

 ちなみにドイツ語を読むときは、『独和大辞典』(小学館)に最もお世話になっています。 小学館はいい辞書を出している。 評価しないと。

8月15日(土)     *ル・クレジオもおいてない新潟大学図書館

 ちょっと必要があってフランスの作家ル・クレジオについて調べていたが、新潟大学の図書館ははなはだアテにならない。 だいたい、ほとんど訳書をおいていないのである。

 ル・クレジオといえば、1960年代から70年代にかけて日本でも文学愛好家にはかなり注目され、その後ノーベル賞もとった作家だというのに、そして邦訳もかなり出ているはずなのに、何をやってるんだろうねえ。 新潟大にもフランス文学科は――そういう名称ではないが――あるんだけど、新潟大生はル・クレジオなんかやらないのだろうか。 原書で済ませるからいい、と思いたいところだが、原書だってさっぱりないのである。

 幸い、市立図書館にはかなりおいてあると分かったので、調べものはそちらで続行ということにする。 関係者には善処を求めます。

8月12日(水)     *宮崎哲弥の注目すべきコラム

 産経新聞のコラム 「断層」 に、宮崎哲弥の 《米士官学校の教科書の 「原爆批判」》 が載った。 

 昨年末に日本でも翻訳出版されている 『正しい戦争と不正な戦争』 という本を紹介している。 戦争倫理学の最高権威であるマイケル・ウォルツァーの著作で、風行社から刊行されている。 決して異端の書ではなく、アメリカの士官学校で教科書として使われているそうである。

 注目すべき内容だが、残念ながら産経新聞のサイトには載っていない。 全部写すのも何なので一部分だけここで紹介すると――

 《ウォルツァーは、そもそもポツダム宣言を批判している。 「日本のケースはドイツとは十分に異なり、無条件降伏など要求すべきではなかったのだ」。 当時の日本の指導部が行ったのは一般的な軍事拡張であって、無条件降伏などという完膚なきまでの体制打倒は不必要だったとウォルツァーは判定する。 その必須ではない目的達成のために、非戦闘員の無差別殺戮を遂行することは、まったく不当であった。 つまり原爆投下は不正な戦争行為だったのだ。》

 宮崎はこの本を各方面に紹介しているのだが、特にいわゆる反核勢力からの反応が鈍いという。 それはおそらく、

 《「彼ら (日本) の戦争遂行能力に対するある程度の制限は正当化されるかもしれないが、彼らの国内統治体制は日本国民のみに限られた関心事である」 と指摘している点が気に入らないのだろう。 これはいうまでもなく戦争放棄を定めた現行憲法の 「押し付け」 を批判した一節だからだ。》

 興味のある方は、短いコラムだが、図書館で産経新聞をご覧いただきたい。

 九条の会なんてものが世の中にはあって、新潟大学でも活動しているみたいだけど、私はかねてから学生などには公言しているが、平和が一国だけの問題ではない以上、平和憲法がすばらしいというなら、外国に出かけていって 「平和憲法を作れ」 と言うのでなければ無意味である。 アメリカに、中国に、北朝鮮に、ロシアに出かけていって、大々的に平和憲法の必要性を宣伝してください。 平和な日本で九条を守れと言ったって、何のインパクトもないのだから。

8月10日(月)     *ひどい湿気、夏でも上着をきちんと着ている人、梅雨明けの実態

 雨でひどい湿気。 いつものようにクルマで大学に出勤、クルマは冷房が効いているので車内は湿度も低いが、いったん外に出るとたちまちメガネが曇って前が見えなくなる。 今夏は気温が低いのはいいが――農家の人にはよくないだろうけど――湿気が高くてて閉口する。 しかし気温が低いおかげて、私の研究室ではまだ冷房は使っていない。 扇風機で間に合う暑さなので。

 とはいえ、夏である。 気温は25度を越えている。 言うまでもなく私は半袖Yシャツで過ごしている。 ところが、こういう時候でもきちんと上着を着ている同僚もいるのである。 私など、上着を着ることを想像しただけで汗が出そうなのだが、汗が出ない体質の人なのだろうか? いずれにせよ、私からすると雲上人のような存在である。

 ところで私の住む新潟県は8月4日に梅雨明けしたらしいのだが、どうも実感が湧かない。 本日、東北六県については梅雨明け宣言を今年はしないと気象庁が決めたそうだが、新潟県も東北地方と実は同じなんじゃないの?

8月7日(金)      *大原麗子さんを悼む

 女優の大原麗子さんが亡くなったのを、今朝の新聞で初めて知った。 亡くなって数日間、誰にも気づかれなかったという。 あれほど人気を誇った女優なのに、寂しすぎる最期ではないか。

 私はずっと大原さんのファンだった。 といっても私はマニアックにならない人間だから、彼女の主演する映画は一つ残らず見ているというわけではないし――有名なところでは 『おはん』 も見ていない――、テレビも余り見ないので、他人からするとファンの名に値しないかもしれないのだが、とにかく主観的にはファンのつもりであった。

 『網走番外地』 だとか 『男はつらいよ』 で大原さんの姿を見るたびに、世の中にこれほど美しい人はいないと思うのが常だった。 女は美人でなければ、というのが反動的な(?)私の女性観で、その私の女性観に彼女ほど叶う人はいなかったのである。

 実は私の女性の好みは、どちらかというと丸顔系である。 南果歩とか観月ありさとか風吹ジュンとか、私の好む女優は大抵丸顔なのだ。 しかし何事にも例外はある。 そして大原麗子さんは私にとってとてつもない例外であった。 完璧な造型というものは、好みを超えてしまうのである。

 私生活では2度結婚して2度とも離婚するなど、恵まれない人だった。 2度目の離婚の時はたしか、私は男なんですという意味のことを記者会見で語っていたと記憶する。 映画では、夫に甘える可愛い妻だとか、和服が似合う慎ましやかな日本女性を演じると似合っていた大原さんだけれど、外見のイメージと実際の性格とはかなり違った人だったのだろうと思う。 しかしそれはそれでいいのであり、女優はイメージがすべてである以上、映像作品でそのイメージを十全に活かせる美貌の主であれば、あとは何もいらないのである。

 享年62歳。 最近の日本女性の平均寿命からすると早すぎる死だけれど、しわくちゃになった大原さんは見たくないから、これで良かったのではないかと思ってしまう。 そう、佳人薄命、美しすぎる人は早く死ぬのである。 しかし後に残された映像作品によって大原さんは永遠に生きるであろう。 合掌。

8月5日(水)      *騙されないための勉強

 産経新聞のコラム 「断層」 に、呉智英の 《追悼 「三バカ大将」》 が載った。 私は太田龍の死んだのは知らなかったのだが、朝日新聞には追悼記事まで載ったのか。 朝日を止めて久しいので知らなかった。 呉智英じゃないけど、アレですよね (笑)。

 http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090805/acd0908050739002-n1.htm 

 新左翼三バカ大将」 と称された三人のうちの二人が相次いで亡くなった。 五月に太田竜、七月に平岡正明である。 もう一人の竹中労は十数年前に亡くなっている。 三人ともその醜名 (しこな) 通りの人物だった。 多少まともだったのは竹中。 太田はバカというより、新聞では書けないアレだった。 平岡はこの路線じゃ駄目だと思ったのか、昔のことは口を拭った。 どっちにしろ太田も平岡もゲテモノである。 ところが、七月十六日と二十三日に朝日新聞は大きく追悼記事を載せた。 正気とは思えない。

 平岡は一九六二年頃、犯罪者同盟を結成。 私有財産否定の犯罪者革命を決行すべく古本屋で 『悪徳の栄え』 を万引きしたはいいが、警察に逮捕され、梅本克己丸山真男に嘲笑された。 私はその十数年後、犯罪者同盟について平岡に聞こうとしたが、それは秘密ですとかわされた。 犯罪者こそ革命家だと言うのなら、支那で略奪や強姦をして戦争犯罪者となった連中も革命家なんですね、とも聞こうと思ったが、可哀想で聞けなかった。 根は善良な人なのである。

 太田は完全にアレだった。 初めは抑圧された無産階級に連帯し、次にはその無産階級にも抑圧されているアイヌとの連帯を叫び、その次にはそもそも人間に抑圧されている動物の解放を訴え、最後にはその動物にも抑圧されている大地の解放を唱えた。 もうこれでないだろうと思っていたら、最後の最後は 「ユダヤ陰謀論」 だった。

 共産主義のロシヤ革命も人権主義のフランス革命も、実体を調べてみればこれと同じ喜劇的悲劇の妄動なんだよと、三人は身をもって演じたのである。

 ところで、私が呉智英のこのコラムに苦笑したのは、つい数日前、某授業の期末レポートを読んでいたところ、太田龍の訳した本を読み、その内容を真に受けて書いている学生がいたからである。 ユダヤ陰謀論じゃなく、オバマ大統領が誕生した裏には・・・・・てな内容なんだけど、訳者名・太田龍を見てこりゃヤバイと思い、その学生に 「この人は何でも陰謀論の人だから、注意して読みましょう」 とメールを送っておいた。

 むろん、今どきの二十歳前後の学生が太田龍の経歴など知るわけもなく、たまたま見つけた本を読んで書いたに過ぎないようだが、知らないと 「なるほど」 と思っちゃうものなのだ。

 私のいる場所は、現代的なことばっかりやるのを売りにしているので、学生が否定的にであれ太田龍なんて名前に出くわす機会もないわけだが、街を歩いていれば何かの拍子に彼の本に出会うこともある。 出会っても自分に判断力があれば問題はないけど、大学3年生にもなって――くだんの授業は3年生以上が対象――まだ判断力がついていないのは、ちょっと残念。 まあ、思想系統に弱いのは昨今の学生の特質だし、というか昔からそうだったのかも知れないのだが、いくらメディア論ばっかり身につけても太田龍にコロリと騙されるんじゃ、本当の学力が身に付いたとは言えないのだよ、学生諸君。

8月4日(火)      *若者言葉と年寄り

 某シネコンに映画を見に行ったら、入場口のところでじいさんがチケットもぎりの若い女性とモメていた。 いや、モメていたというとちょっと大げさだが、じいさんが入ろうとして、もぎりの女性は 「その映画はまだ入場受付になっていないからもう少しお待ち下さい」 という意味のことを言っているのだが、それがじいさんに分からないのである。 私の見るところ、もぎりの女性はかなり早口であり、じいさんの方はといえば明らかにこういうシネコンに来つけていない人物で、そこで相互理解がうまくいっていないのだと思われた。 もぎりの女性がもう少しゆっくりした口調で、噛んで含めるように説明すればいいものを、何度も同じような早口で、こういう場所に来つけている人間向けのしゃべりかたでしか説明しないので、じいさんは何度聞いても理解できないのである。 要は店員教育の問題ではあろうが。

 私も時々飲食店などで類似の経験をする。 注文取りの若い店員が早口で、その店のルール (トッピングがどうだとか、ドリンクバーがどうだとか) を熟知している人間向けのしゃべり方でものを訊いてくると、何を言われているのか分からない。 日本人が昔より早口になっていることもあろう。 私はドイツ文学者ながらドイツ語の聞き取りは不得手だが、だんだん日本語の聞き取りも不得手になってきているような気がする。 

 ・・・・・というようなことを考えながら、映画を見終えてから市立図書館に本を借りに行ったら、図書借用カードの使用期限が切れており、新しいのを作らされたが、改めて用紙に氏名や住所を記入しなければならず、その用紙を係員――やはり若い女性――に出したら、「住所を確認します」 と言われた。 確認しますと言われたってどうするんだと思って戸惑っていたら、「住所等を証明できるものをお持ちではないですか」 と言う。 それなら最初からそういう言い方をすればいいじゃないかと思いながら運転免許証を出した。 日本語も変わりつつあるのだろうか。 私もじいさんになりつつあるのかも知れない。

7月31日(金)     *映画館の地域格差

 この欄でも時々映画館についての話題を取り上げているが、本日の産経新聞でこの問題が取り上げられた。 なお、下記の引用は記事の前半だけなので、全部を読みたい方は下のリンクから産経新聞のサイトへアクセスして下さい。 産経新聞のサイトでは、各都道府県別のスクリーン数が表になって載っています。

 映画館でも広がる地域格差 徳島県では一時、1館だけに

 http://sankei.jp.msn.com/entertainments/entertainers/090731/tnr0907310739003-n1.htm 

 映画館の地域格差が年々顕著になっている。今年6月に配布された「映画上映活動年鑑2008」で明らかになった実態では、全国の映画館数が減少する一方、スクリーン数は、一つの施設に複数のスクリーンを持つシネコン(複合映画館)の躍進で増加。ただ増えた地域は関東などの人口密集地がほとんどで、地方ではスクリーン数も減っている。従来の街なかにある映画館の閉館が加速している現状も浮き彫りになった。(堀晃和)

 年鑑は、地域密着型の上映活動を支援している「コミュニティシネマセンター(旧コミュニティシネマ支援センター)」が平成14年から不定期で刊行。最新刊は18年に続く5回目の発行で、19年の上映状況や17年との映画館数の比較などを掲載している。

 それによると、全国の事業所数(映画館数、成人映画館を除く)は2年間で789から668と121館も減少したが、スクリーン数は2826から3177と351増えた。スクリーン数の増加が顕著だったのが、関東や京阪神地域で、関東1都6県の増加は計267スクリーン、大阪、京都、兵庫の2府1県も計50スクリーンの増加だった。この2つのエリアだけで全国の増加数の約9割を占める計算になる。

 一方、四国は4県で計19スクリーンも減少。特に徳島県は、17年に6館(14スクリーン)あった映画館が、19年には徳島市内からも消えて、同市近郊のシネコン1館(8スクリーン)だけになった。昨年暮れにはミニシアター1館が徳島市にオープンし、県庁所在地に映画館がない“異常事態”は改善されたが、全県で2館(9スクリーン)は47都道府県の中でも最も低い水準にある。

      *

 以下、当サイト製作者のコメント。

 映画館の数は、大都市があるところほど等比級数にも似た増え方をする。 例えば東北地方6県ならスクリーン数92の宮城県がダントツであり、2位の青森県の44を大きく引き離している。 意外に振るわないのが福島県で、人口では東北2位なのにスクリーン数では33しかなく、青森県より下位に甘んじている。 青森県は青森、八戸、弘前と三つの都市が鼎立しているから多いのかとも思うが、福島県も福島、郡山、いわき、会津若松と4大都市が揃っているのだから、やっぱり福島県は民度が低いんだろうか――福島県出身の私としては慨嘆せざるをえないのだが。

 九州を見ても同じことが言えるので、福岡県がスクリーン数143でダントツであり、2位の熊本県の50を大きく引き離している。

 全国ではどうかというと、東京都の362スクリーンが圧倒的なのは言うまでもないが、2位がどこかお分かりだろうか? 大阪府? 神奈川県? いや、愛知県なのである。愛知県はスクリーン数222、大阪府は207、神奈川県が198、千葉県が189、埼玉県が163となっており、この後が前出の福岡県となる。 愛知県が多いのは、やはりトヨタの本拠地だからだろうか。 

 関西は大阪府以外は、京都府が55、兵庫県が101と意外に少ない。 特に京都は大学生がたくさんいるところというイメージがあって、映画館も多そうに思えるのだが、京都の大学生は映画なんか見ないで哲学書ばかり読んでいるからだろうか?

 さて、わが新潟県はスクリーン数63で、京都府より多い。 新潟市にシネコンが4館あるほか、燕三条、長岡、上越に各1館あるからだ。 しかしシネコンが多いことがいいことだとは限らない。 前から私は何度も書いているが、シネコンに来る映画は最大公約数的な作品が多く、大人が楽しめる映画が少ないのである。 特に夏休みだとか春休みの頃はお子様向けと一般大衆向けが多くて、映画館に行きたくても見たい作品がないという場合が珍しくない。

 シネコン経営者にも、映画館をやるということは単なる経済活動なのではなく、地方都市における文化活動の一翼を担っているのだという自覚を求めたいのだが、無理だろうか。

7月27日(月)     *最近聴いたCD

 *モーツァルト: ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲ほか (Deutsche Grammophon, 415 486-2, 1985年発売, 西ドイツ盤)

 モーツァルトの有名な協奏交響曲K.364 (320b) と、2つのヴァイオリンとオーケストラのためのコンチェルトーネK.190 (186E) を収めたCD。 独奏はイツァーク・パールマンとピンカス・ズーカーマン。 バックはズービン・メータ指揮のイスラエル・フィル。 協奏交響曲は1982年12月にイスラエルで行われた演奏会のライヴ録音で、むろんこちらではズーカーマンはヴィオラを弾いている。 ライヴといっても拍手や雑音は入っていないから、ゲネプロなんかも入れて録音してあるのだろう。 演奏はそういう意味では、ライヴ的スリリングさでも、純粋な録音のための演奏が持つ美しさでも、やや中途半端な感じがする。 少し前にyahooのオークションにて購入。 こちらから (→) ジャケット画像がごらんいただけます。 http://listen.jp/store/album_00028941548627.htm 

 *レイフ・オヴェ・アンスネス: シューベルト・ピアノソナタ集 (EMI, 50999 5 16448 2 6, 2001-06年録音, 2008年発売, EU盤)

 ノルウェーの若手ピアニストであるアンスネスがシューベルト晩年のピアノソナタ4曲を入れた2枚組CD。 1枚目にはハ短調D958とイ長調D959が、2枚目には変ロ長調D960とニ長調D850が収められている。 シューベルトのピアノソナタというと、私はアンドラーシュ・シフの全集を持っているほか、リヒテル、ルプー、ブレンデル、イモジェン・クーパーのディスクを1〜2枚ずつ所有しているが、先日岡田暁生氏の本を読んでいて、シューベルトのピアノソナタについて言及した村上春樹の文章が引用されており、 それが面白かったので、村上春樹の当該本を買って、クラシック音楽について書いてあるところだけ全部読んでみた。 村上はシューベルトのピアノソナタではアンスネスの演奏がいいと言っているので、聴いてみる気になったもの。 基本的にはシフとそれほど隔たりがないが、起伏とか激情といったものが極めて少なく (シフも少ないが、それよりさらに)、ビールで言えばコクや味わいを重視する作りではなく、喉をするする通り抜けるすっきり系の感じかな、といったところ。 これには音の出し方も寄与しており、シフだと鍵を強打するところで音の芯がはっきり感じ取れるのだが、アンスネスは強打しても音の芯が出てこない。 もっともこれは録音のせいかもしれないのだが。 私はシフは10年余り前、富山県の入善コスモホールに来たときに聴いたが、アンスネスはまだ生で聴く機会がない。 最近yahooのオークションにて購入。 こちらから (→) ジャケット画像がごらんいただけます。 http://www.amazon.co.jp/Schubert-Late-Piano-Sonatas-Franz/dp/B0011UY6HG 

7月22日(水)      *新潟市では日食が観測できました

 本日は日本全国で日食が観測できるというので、だいぶ前から大騒ぎになっている。

 私はあまり物見高い人間ではないので特に興味があったわけではないが、それでも1限の講義が終わった後、2限は授業も入っていないので、11時10分頃に研究室を出て建物の端にある水道場に行ってみた。 南向きに大きく窓がある場所なのだが、空を見上げても曇っているし、ダメかなと思ったら、水道場のすぐ向かいに研究室のある斉藤陽一先生が日食が見られると教えてくださった。 

 なるほど、窓から身を乗り出して真上を見上げると、雲の切れ目があり、ちょうどそこに太陽が出ているのだ。 雲間のせいか、裸眼でも上の方が欠けて食になっているのがわかる。 斉藤先生は親切に色の入ったプラスチック板を貸して下さったので、ちゃんと観察できました。 

 次に皆既日食が日本で観測できるのは2035年9月だそうで、北陸地方で皆既日食が見られるそうだが、うーん、その頃私が生きている可能性は非常に少ないだろうな。

7月19日(日)      *最近聴いたCD

 *チマローザ: ピアノソナタ集第1集 (NAXOS, 8.570718, 2007年録音, 2009年発売)

 東京交響楽団新潟定期の日に新潟市のCDショップ 「コンチェルト」 で購入したもの。 チマローザのピアノソナタというのは初めてだが、なかなかいける。 ドメニコ・スカルラッティのソナタみたいで1曲1曲は短いのだが、メロディの宝庫である。 ハイドン以降のソナタみたいに主題を変奏などにより展開していくことがないので短いわけだ。 しかしチマローザの生まれた年はハイドンより17年も後で、モーツァルトの7年前。 そう言えばチマローザもファーストネームはドメニコ。 ファーストネームが共通だから鍵盤ソナタの短い作りも似通っている? 弾いているのはイタリアのピアニストであるヴィクトル・サンジョルジョ。

 *Livre d'orgue Anonyme du XVIIIe siecle (18世紀の作者不詳のオルガン作品集) (Ravane Records, ADW7439, 2000年録音・発売、ベルギー盤)

 やはり東京交響楽団新潟定期の日に 「コンチェルト」 で購入した1枚。 1700年から1750年頃に作曲されたと考えられる曲を集めてある。 収録曲は、1.「ミ・ラの組曲」、2.「第8旋法のミサ―キリエ、グロリア」、3.「クリスマス讃美歌”マリアよ、われらに告げよ”」、4.「ラッパの低音」、5.「テ・デウム」、6.「ニ短調の組曲」。 第2・4・6曲には合唱も入っている。 声楽が入らない純粋なオルガン音楽は結構奔放な動きを見せて面白く聴けるが、声楽部分はグレゴリオ聖歌の枠を出ていないようだ。 ベルギーのAlden Biesen城のオルガンによる録音で、奏者はリュク・ポネ (Luc Ponet)。 解説によるとこの城は13世紀以来の長い歴史を持つそうで、現在はベルギーのフラマン地方における音楽の拠点になっているようである。

7月18日(土)       *いじめ、そして社会人大学院生

 本日は産経新聞に興味を惹かれる記事が2つ載っていた。 1つはいじめで、或る国立大学法学部4年生である女子学生の体験談。

 http://sankei.jp.msn.com/life/education/090718/edc0907180801001-n1.htm 

 彼女は愛知県の田園風景が広がる町に育ったが、小学校3年生の或る朝、登校するとクラスメートが誰も口をきいてくれなくなっていたという。 1学年2クラスだけの小さな学校で、いじめはあっという間に学年全体に広がった。 後で同学年の女の子に問いただしたところ、クラスのリーダー格の女子生徒がそう命じたからだということだった。 無視以外にもさまざまな嫌がらせをされた。 そもまま持ち上がりで進学した中学でもいじめは続き、都合7年間彼女はいじめに耐え続けたという。

 ほかにいじめられて不登校になった生徒もいたが、厳しい両親に育てられた彼女は休みたいと言うことができなかった。 いじめには教師も大人も気づかなかった。 彼女は読書に楽しみを見いだすことでいじめに耐えた。 そして必死に勉強して、地元から離れたところにある県下でも有数の進学校に進んだ。 そして高校では多くの友人や恋人との出会いに恵まれたという。

 いじめが社会問題となって久しいが、私はこの記事を読んで今さらながらにショックを受けた。 7年間いじめに耐えとおすというのは、並大抵のことではないからだ。 ここには色々考える材料がある。

 例えば、子供は残酷なものだから (子供が純真、なんてのは大ウソである)、こういういじめが発生するのは分かるのだが、それが7年間続くということは、成長の過程で7年間人間関係に基本的な変化がなかったことを意味する。 それには、クラスが学年で2クラスしかないという小規模な学校だったことや、田舎で転校などによって人間の入れ替わりがなかったなどの事情があるかも知れない。

 しかしそれだけでは、いじめが集団によってこれだけ長続きしてしまう事情は説明できないだろう。 私の小中学校時代、力の強い粗暴な男の子が特定の男子生徒にガンをつけていじめ続けるといった現象はあったが、集団で7年間一人の生徒をいじめ続けるなんて現象はまず考えられなかったからだ。 いじめについては教育学者などによって研究が進んでいると思うが――私はその方面の本には目を通していないので詳しくは知らないのだが――、それがいじめの防止につながらなければ意味がない。

 むろん、子供であっても、他人に頼るのではなく、自分一人で耐えることによって抜け出さねばならない悩み事というのは必ずある。 しかし7年間いじめつづけられるというのは、教育学が解決しなければならない現象だろう。 いじめについては、昨年、『青い鳥』 という映画が作られ、私も見たが、必ずしも説得はされなかった。 これから少し本を読んでいじめについて勉強しよう、この記事を読んでそう思った。

       *

 もう一つの注目記事は、増える社会人大学院生、という記事。 本サイトを読んでいる方々は予想がつくだろうが、私は、「社会人大学院生の増加は、必ずしも好ましくないんだよ」 と思いながら読んだ。

 この点について具体的に書くと差し障りがあるので、20年余り前の体験談を書くことにしよう。 ただし、社会人大学院生ではなく、社会人大学生についてである。

 今から20年あまり前、新潟大学は一般入試とは別に社会人入試を行うようになり、社会人の学生が入ってきた。 当時はまだ教養部が健在だった時代で、私は教養部ドイツ語教師であり、1・2年生にドイツ語を教えることだけが教員としての仕事だった。

 そして1年生の或るクラスで社会人学生に遭遇した。 子供に手がかからなくなった主婦と思しき中年女性で、当時30代半ばだった私より明らかに年上であったが、この人が恐ろしく優秀なのであった。 ふつうの学生よりよほど熱心で、真剣にこちらの説明に聞き入り、飲み込みも早く、宿題もいつもきちんとやってくる。 当時は今と違って通年制で、1年間通して1つのクラスを教えていたのだが、年間5回の試験ではいつも満点かそれに近い点数だった。

 それだけではない。 通年制だった当時、私はいつも学生に夏休みの宿題を課していた。 小説でも学問の書でもいいから、ドイツ人の著書を(むろん邦訳で) 読んで、それについて自分の見解をまとめてきなさい、というものであった。 (今のように半年単位の授業だけになると、こういう真似ができない。 実に良くない。) くだんの女性は、なんとマックス・ウェーバーの 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 を読破して、論じたものを提出してきた。 まさに脱帽である。 私は、めったにないことだが、学年末、彼女に100点の評価を与えた。

 さて、翌年、やはり1年生の或るクラスで、同じく子育てを終わった主婦と思しき中年女性に遭遇した。 前年のことがあるので私も大いに期待したのであるが、彼女は前年の女性とはまったく違っていた。 いちおう熱心に授業を聞いているのではあるが、飲み込みがきわめて悪く、試験の成績も常時芳しからずである。 学年末の評価は、お情けの60点であった。  

 つまり、前年の社会人学生である中年女性の時には、「なるほど、昔は進学率も低かったし、特に女性の場合は大学進学は難しかったろうから、高卒でもこんなに頭脳優秀な女性がいたんだなあ」 と実感したのであったが、この年には、「社会人入試って、そうとう甘いよな。 この女性は、仮に若い頃大学に行けるだけの環境に恵まれていたとしても、とても新潟大学には受からなかったろうな」 と思ったのであった。

  社会人への入試をどう行うか、それは大学入試でも大学院入試でも、非常に難しい問題である。 しかし、能力を何らかの方法で計ることは、やらなければいけないと思うのだが。

7月17日(金)      *中絶は人殺しに決まっているのである

 毎日新聞はこのところオバマ新大統領の政策についての特集記事を連載しているが、本日は中絶問題が取り上げられた。 なお以下の記事には続きがあるが、全部をここに引用すると長くなるし、問題もあるかも知れないので、興味のある方はご自分で毎日新聞社のサイトをご覧いただきたい。

 私の意見を言っておくと、私は中絶は人殺しと同じだという見解である。 不思議なのは、世の中には死刑廃止派は結構いるようなのに、なぜか中絶廃止派は目立たないことだ。 少なくとも日本ではそうであろう。 死刑は、誤審の場合は別だが、基本的に重い罪を犯した人間を殺している。 しかし中絶は100%罪のかけらもない胎児を殺すのだし、こちらのほうがはるかに数は多いはずだから、進歩派だとかヒューマニストを自称する人間なら、死刑廃止なんかを訴える前に中絶廃止を訴えるべきだと思うのだが、なぜかそうなっていない。 私にすれば、摩訶不思議と言いたくなる現象だし、だから進歩派だとかヒューマニストは信用できないんだよ、と言いたくなってしまうのである。

 もっとも、オバマ大統領は中絶を容認しつつも、なるべく中絶しないで済む環境を整えようとしているのではあり、また政治家というのは色々な方面に配慮して妥協に妥協を重ねなくてはならない商売だから、まあ仕方がないのかとも思うが、進歩派の大統領がこれでいいのか、という気持ちも消えないのである。

 http://mainichi.jp/select/world/news/20090717ddm007030178000c.html 

 変革の芽:オバマのアメリカ/2 中絶巡り大学「分裂」

 ◇「共存の道」見えず

 米屈指のカトリック系名門ノートルダム大学で5月17日に行われた卒業式は、異様なムードに包まれていた。

 正門前では約100人の中絶反対派団体が「恥を知れ、ノートルダム」とシュプレヒコールし、中絶で死亡した胎児の写真を張った大型車が往来。キャンパス内では進入禁止区域に入る抗議者を警察が次々と連行した。

 発端は、中絶を容認するオバマ大統領が同大卒業式で演説し、大学側が名誉学位(法学)を授与する決定をしたこと。「中絶を禁じるカトリックの教義に反する」と約6万5000人からオバマ氏の出席に反対する署名が集まり、一部の学生は正式な卒業式をボイコットして独自の式典を主催。卒業式が分裂する異例の事態となった。

 「オバマ氏の政策を非難するつもりはないが、名誉学位を授与するのには反対だ」。オバマ大統領がキャンパス内の巨大な屋内球技場で祝辞を述べていたころ、約20人のほかの有志とともに独自の卒業式に出席したビクターさん(21)は大学への不満を漏らした。妊娠9カ月の身重の体で出席した女子学生の姿もあった。

 「分裂卒業式」が全米の注目を浴びたのは大学の由来と深く関係している。ノートルダムはフランス語でキリストを受胎した聖母マリアを意味し、中絶肯定はキリストの存在を否定することにもつながるからだ。

 08年大統領選で投票の約3割を占めたカトリック信徒は、過半数がオバマ氏を支持した。だが、毎週教会に通う熱心な信者に限れば共和党のマケイン上院議員への支持が上回った。こうした層はオバマ氏の卒業式出席にも否定的で、「反オバマ」の傾向が強く、カトリック内での「分裂」もじわりと広がっている。

 宗教信仰心があつい保守派は人の生命誕生を「受精の瞬間」ととらえるが、進歩的なリベラル派は胎児を「人間」とすることを拒む。受精卵を使う胚(はい)性幹細胞(ES細胞)研究に保守派が反対するのも同じ理屈だ。米社会問題に詳しい政治評論家のボブ・ガーフィールド氏は「どちらが正しいかは永遠に答えが出ない」と話す。

 オバマ大統領は卒業式の演説で「意見のミゾ」を認めつつ、「共存の道」を訴えた。「望まない妊娠を減らし、養子縁組の制度を拡充する」ことで中絶件数を減らすための協力を双方に呼びかけたのだ。

 しかし、壁は厚い。米疾病対策センターによると合法的中絶は減少傾向で05年は「82万件」とするが、有志卒業式の進行役のパボン神父は実際には「毎年120万人の子供が中絶されている」と矮小(わいしょう)化が問題と指摘する。

 「人間の尊厳」を巡る論争から一歩身を引くことで合意点を見いだそうとするオバマ氏だが、宗教観が絡まる「終わりなき論争」の着地点は見えてこない。 【米中西部インディアナ州サウスベンドで及川正也】

7月15日(水)      *マレーシア、小中学校での英語による理数系科目授業を廃止

 昨日――首都圏では一昨日だったかも――の産経新聞記事から。

 http://sankei.jp.msn.com/world/asia/090713/asi0907132317002-n1.htm 

 マレーシア、英語での理数科授業廃止へ 理解できず学力低下

 【シンガポール=宮野弘之】 多民族国家マレーシアの小中学校で行われてきた英語による理科と数学の授業が2012年以降、マレー語や中国語、タミル語の各言語での授業に戻されることになった。生徒が授業を理解できず、理数科ばかりか他の教科でも学力が低下。3月には首都クアラルンプールで制度の廃止を求めるデモが行われるなど不満が高まっていた。

 英語力向上で国際的に活躍できる人材を育成するため、マハティール元首相が2003年に導入した制度だが、十分な準備がないまま始めた結果、6年で廃止に追い込まれた。

 ムヒディン・ヤシン副首相兼教育相は8日、「制度が完全な失敗だったとは言いたくないが、期待した成果を上げることができなかった」と述べた。

 地元メディアによると、制度の導入はしたものの、常に理数科を英語で教えられる教師の数が不足し、特に地方では、理数科の教師が英語の辞書を引きながら教える状況だったという。この結果、理数科の成績が軒並み下落。さらに英語や他の教科でも導入前を下回る結果になったという。

 この制度について、マハティール元首相は「科学や数学はマレーシアが起源ではない。専門用語はマレー語になく、英語から移植するしかない。それなら最初から英語で学ぶほうがよい」と強調。これに対し、マレー系の学者や教師らは、政府方針は教育の質の低下だけでなく、専門用語のマレー語への移植を妨げ、マレー語を傍流に追いやると主張した。

 今回の政府の新方針をめぐっては、都市部の住民らを中心に反対論も出ている。与党の若手議員からは、小学校での英語による授業は止めても中学では従来通り行うか、選択制の導入を求める意見も出ている。これに対し、政府は英語教育そのものは充実させるとして、英語教師を1万4000人増やしたり、小学校で英文学の授業を取り入れたりする方針を説明、理解を求めている。

       *

 以下、当サイト製作者のコメント。 マレーシアやシンガポールでの英語教育は、どちらかというと日本と対比させて成功のニュアンスで語られることが多い。 しかしその実態はどうかというと、疑問も多いらしい。 シンガポールの実態については 『論争・英語が公用語になる日』(中公新書ラクレ) に茂木弘道氏が一文を寄せていて参考になるが、日本でもたしか、小学校段階から英語で教育をする学校が――インターナショナルスクールなどではなく――できたと報道されたことがあった。 その学校は現在どうなっているのか、マスコミはちゃんと記事にしてほしいものだ。 母国語でない言葉で教育をするということは、必ずしもプラス面だけではないし、育った子供のメンタリティがどうなるか、私などは気になって仕方がないのであるが。

7月14日(火)       *苅谷剛彦氏、オックスフォード大学へ

 先日、苅谷剛彦氏が中公新書から出したばかりの 『教育と平等』 を読んでいたら、あとがきに、「私は本書を東大教育学部への 『卒業論文』 のつもりで執筆した。 教育学部を離れるからといって、教育への関心を捨てるわけではないが、私としては研究上の一つの区切りとして書いた本でもある」 と書かれていた。

 私は、おや?と首をかしげた。 苅谷氏は昭和30年のお生まれだから私より3歳下で、まだ東大を定年になる年齢ではない。 どこか他大学に移られるのだろうかと思い奥付の著者略歴を見てみたら、昨年9月にオックスフォード大学の社会学部に移られたようだ。 ネット上にこんな記事もあった (↓)。 うかつにも気づくのが遅れてしまったが、自然科学研究者の海外流出は間々あるけど、文系では珍しい。

 https://www2.kyoto-wu.ac.jp/club/blog-kyoin/blog.cgi?mode=detail&teacher_id=tutui&entry_id=2824 

 苅谷氏はここで言うまでもなく教育学者として多大な仕事をされてきた。 著書も多い。 私も、全部を読んだわけではないが、新書として出たものは欠かさず目を通してきた。

 英国で研究を続けられるのであれば、あちらの教育事情に関する本を出して欲しいと願うのは私だけではあるまい。 今後のご活躍を祈りたいものである。

7月13日(月)       *寄付

 ボーナスも出たので――最近の景気のせいで去年より少しく減っているが――本日、ユニセフと国境なき医師団とにわずかながら寄付をしました。 (なぜわざわざ自分の寄付行為について書くかは、2005年7月29日の記述をごらんください。)

7月12日(日)       *医学部生の劣化

 教養科目である西洋文学の第1回レポートの採点をしているところ。 教養科目なので新潟大学の歯学部以外の8学部 (新潟大学には9学部ある) の学生が聴講しているのだが、気になるのは、医学部生のレポートがかなりヒドイこと。 

 医学部は、一応受験偏差値的には抜群に高く、そういう意味では最優秀だということになっている。 もちろん、それは必ずしもいい意味ばかりではなく、悪知恵も働くことにつながったりするし、医学部生だからと言って感心するようなレポートを書く奴は昔でも決して多くなく、作品のタイトルを 「 」 でくくることすら知らないような学生も以前から見られた。 ただ、中には 「さすが」 と言いたくなるようなレポートを書く学生もいたはずなのである。

 ところが今期に限って言えば、医学部生のレポートには他学部生よりはっきり劣るのが非常に多い。 具体的には、取り上げた作品の筋書きしか書いていない――書けない――ようなレポートが珍しくないのだ。 昔だと、偏差値的に新潟大学最下位の学部の学生が書くレポートにはそういうものが混じっていたが、医学部生はいくらなんでもそこまでひどくなく、中学生の感想文程度のものは出してきたものだ。 それが、今期は全然ダメなのである。

 これが何かの徴候でなければよいのだが。

 ちなみに、そういう学生を何とかするのが本来の教養教育なのだけれど、定員150名の講義ではいかんともしがたい。 つまりこれは、教養教育の質が向上していない――むしろ劣化している――新潟大学、とりわけその上層部の無能が反映している事態、という見方もできなくはない。 

 (追記: その後レポートを読み進めているが――こう言っては失礼だが――意外にも工学部生のレポートになかなかいいのがある。 この学部は人数が多いのでいつも玉石混淆で、石が目立つ場合が多いのであるが、今期に関して言えば珠玉が含まれているようだ。 他方、医学部生はもともと集団で行動する癖があるので、冴えないときは全員冴えなくなるのかも知れないが、こういうのも困ったことである。)

7月10日(金)       *廣江理枝オルガン・リサイタル

 本日は午後7時から標記の音楽会をりゅーとぴあで聴く。 今年になって3回目のオルガン・リサイタル。

 プログラムは以下の通り。

 (前半)
 バッハ: パッサカリア ハ短調BWV582
 ヘンデル: オルガン協奏曲ト短調作品4-1より第1楽章
 メンデルスゾーン: オルガンソナタ第4番変ロ長調
 (後半)
 ラフマニノフ/ヴィエルヌ編曲: 前奏曲嬰ハ短調作品3-2
 リスト: コラール”アド・ノス、アド・サルタレム・ウンダム”による幻想曲とフーガ
 (アンコール)
 シューマン: カノン形式による練習曲第4番変イ長調

 聴衆は200人くらいか。 りゅーとぴあの本格的なオルガン・リサイタルの入りは大体こんなもののよう。

 私は3階正面Iブロックの4列目右寄りの席で聴いた。 全席自由席で、私はマントゥーのオルガンリサイタル (後述) とのセット券・Nパックメイト価格1350円。 実に安い!  りゅーとぴあではおなじみの山本真希さんの解説つきのリサイタルである。

 廣江さんの演奏の印象は、指の動きより音色作りに重点を置いているな、というもの。 絵画で言えば、線よりも面、輪郭よりも色、シャープさよりも全体の雰囲気のほうを重視しているように思われた。 前半で言うと、ヘンデルの曲の前半分の、しこしこ音が続いている感じの部分や、メンデルスゾーンの緩徐楽章での不可思議な音などが、聞き所だった。

 後半は、やはりリストの大曲で、いかにも弾くのに体力と気力が要りそうであり、ご苦労さんですね、と言いたくなった。

 この大曲の後に、アンコールでシューマンの穏やかな曲が披露されたのは、言うならば脂ぎった分厚いステーキを食べた後にさわやかなシャーベットがデザートで出たようで、なかなか効果的である。

 途中休憩時間にも宣伝がなされていたが、この日のリサイタルに続き、9月10日にりゅーとぴあでフランスの名オルガン奏者クリストファー・マントゥーのオルガン・リサイタルがある。 マントゥーはりゅーとぴあのためだけに来日するとのこと。 皆さん、聴きに行きましょう!

7月5日(日)      *山形交響楽団演奏会

 今年度から東響新潟定期で始まった「+α 日本のオーケストラ・シリーズ」。 東京交響楽団による年6回の定期演奏会に加えて、東京交響楽団以外の日本のプロオケを1度呼んでくる、という企画。 そのトップバッターは、東響でも指揮者として活躍中の飯森範親氏が音楽監督を勤める山形交響楽団。 本日午後4時の開演。

 入りは、東響定期の平均的な入りと同じ程度か。プログラムは次の通り。

 モーツァルト: 「魔笛」序曲
 モーツァルト: 交響曲ヘ長調K.76
 ブルックナー: 交響曲第4番 「ロマンティック」

 いい演奏会でだった。 

 まず、舞台に登場する団員の女性陣が、みな違った色のドレスを着ているのにびっくり。ふつうは男性団員に合わせて黒か、最低ダーク系のドレスを着るものだが、まず目で楽しめるようにという、昔はやった言葉でいうと一種のパフォーマンスであろうか。

 指揮者の飯森さんのトークもいつになく丁寧で、金管楽器の古楽器と現代楽器の聴き比べも面白かった。 ただ、実際に曲の中で聴くと、特に他の楽器と一緒に音が出てくる場面では古楽器と言われても必ずしもぴんとは来ない。 また、古楽器は演奏が難いのだろう、モールァルトの交響曲ではミスも出た。

 ブルックナーでは、第1ヴァイオリン10名、第2が8名、ヴィオラとチェロが各6名、コントラバスが4名というこぢんまりとした編成にも関わらず、りゅーとぴあの音響特性のせいもあってか、十分な音量が出ていたし、ダイナミックレンジの幅も結構あり、気合いも入っていた。 私はブルックナーの交響曲の中ではこの曲はさほど好きではなく、生演奏で聴いたのもずいぶん久しぶりだと思うが、満足できました。

 ちょっと気になったのは、拍手のタイミングがいつもの東響定期よりちょっと早い人が多かったこと。 客層が少し違っていたのだろうか。 あと、1階か2階正面あたりに鈴か金属音を響かせている客がいたこと。

 それからこれは私の定席であるGブロックだけのことだが、私のすぐ近くのお客が鼻風邪をひいているらしく、鼻の呼吸音がうるさいのである。 どうにも気になるので、私の並びの5席は私しかいなかったこともあり、モーツァルトの交響曲の途中でその客から一番遠い席に移動した。 それでも聞こえてくるのだが、まあ少しはマシ。 意外なところに伏兵が、というところか。

 まあ、そうした瑕瑾はともかく、東響新潟定期の 「日本のオケ・シリーズ」 は、まずは順調なスタートを切ったと言えるのではないでしょうか。

 なお、演奏会に先立って3時半からロビーでロビーコンサートがあり、金管楽器奏者による 「スザート組曲」 の一部が演奏された。 東響新潟定期もこういうふうに開演30分前にロビーコンサートをやってくれるといいんだがなあ。

7月1日(水)      *新潟大学の教養教育の劣化が明らかに――いったい誰が責任を負うのか?

 本日は教授会だった。 

 新潟大学の教養教育の劣化については、以前からこの欄で取り上げているが、本日の教授会で出た資料でそれが客観的事実だと裏付けられた。 あまり具体的なことは書けないが、教養科目の数や配置について問題があるとして、理系学部から要望が出ていることが明らかにされたからである。

 教養部が解体して15年になる。 要するにこの間、新潟大学の上層部は教養教育がこのように劣化するのを放置してきたということになる。 その責任はいったいどの理事が負うのだろうか? 少なくとも、この15年で教養教育の最高責任者を勤めた理事やそれに準ずる立場の人間は責任を免れまい。

 教養部が解体してあまりたたないころ、各学部の教養教育委員会も廃止になったことがある。 それまで、教養教育は教養部と、各学部の教養教育委員会との連携によって維持されていた。 ところが、教養部が廃止されて教養部教員は各学部に分属となった。 となれば、各学部の教養教育委員会が機能をしっかり果たさなければ、ということになるはずだが、その逆をやり、ではどうしたかというと、当時新設された大学教育開発研究センター長がすべてを統括する、ということにしたのである。

 冗談ではない。 どんなに優秀な人でも、新潟大学の教養教育の全体を理解し統括できるはずがない。 それは、いかに優秀な人でも一人で新潟大学の事務全部を請け負えるはずがないのと同じことである。

 つまり、教養部を廃止する一方で、各学部の教養教育委員会を廃止するというのは大変な暴挙であり、大バカ野郎のやったことと言わねばならないのである。 それでもそのボロがしばらく目立たなかったのは、教養部が廃止されたばかりで、教養部教員だった人が教養教育をそれなりにやっていたからである。

 しかし教養部解体から15年もたてば人はかなり入れ替わる。 その間、最初から学部に赴任した教員は、教養教育も受け持つのが当たり前なんて思っていない。 また教養部教員の経験のある人でも、一種の転向心理から、教養の授業をあまり持ちたがらなくなったりする。

 今は教養教育委員会にあたるものも復活している。 さすがに愚鈍な上層部も、中間組織がないとどうにもならないことに気づいてはいるらしい。  しかしそれが必ずしもうまく機能していないことは、以前にこの欄で指摘した。

 こういう状況を、アメとムチでなんとかするのが上層部の役目のはずだが、新潟大学の無能な上層部は事実上何もしないできた。 はっきり書くけど、減給処分ものの怠慢さだと、私は思う。

6月28日(日)      *プリメインアンプ交換

 自宅書斎で長らく使っていたプリメインアンプが少し前からおかしくなっていた。 音が途切れたりがさついたり、左右の一方が出にくかったりする。 以前にも同様の症状が出てオーバーホールに出したことがあった。 それで今回も、と思って山田電機を通してメーカー (DENON) にオーバーホールを依頼したら、すでに部品がないとのことでそのまま返却されてきた。 購入して25年あまりになる、当時定価が59800円の、ごく平凡なアンプだが。

 仕方がないので、色々調べて、新しいアンプを買うことにした。 選んだのはやはりDENONのPMA-1500AEという製品。 定価は税抜きで8万円だが、今どきなのでインターネットを通じて買うとかなり安くなる。 結局、アマゾンを通じて注文した。 価格は税込み52500円。

 注文したのは5月末だったが、品切れ中ということで、6月末までには納入しますという悠長な返事が返ってきて、しばらく自宅ではディスクを聴けない状態になっていた。 で、当方が東京に行っている間にようやく届いていた。

 昨日ラックに入れてスピーカーやCDプレイヤー、LPプレイヤー、デッキ、チューナーとつないで、さっそく聴いてみた。 音が少しなめらかになったような印象である。 といっても、色々聴いてみないと本当のところは分からない。 しばらくはディスクをとっかえひっかえの日々が続きそうだ。

6月24日(水)      *ロシア国立ボリショイ・オペラ公演 『エフゲニー・オネーギン』     

  『スペードの女王』 を見て3日後、今度は 『エフゲニー・オネーギン』 を観劇した。 これまた実演では初めて。 会場は変わって東京文化会館。 3日連続公演の初日だが、会場の玄関前には 「チケット求む」 の札を掲げた人が何人か立っていた。 満席だったのだろう。 ただし、2日目と3日目の公演についてはロビーでチケットを売っていた。 本日の座席は1階9列目の中央近く。

 主要配役とスタッフは以下の通り。

 ラーリナ(女地主): マグヴァラ・カスラシヴィリ
 タチアーナ(ラーリナの娘): タチアーナ・モノガローワ
 オリガ(タチアーナの妹):マルガリータ・マムシーロワ
 フィリーピエヴナ(タチアーナの乳母): エンマ・サルキシャン
 エフゲニー・オネーギン(レンスキーの友人): ウラジスラフ・スリムスキー
 レンスキー(オリガの婚約者):アンドレイ・ドゥナーエフ
 グレーミン公爵(後のタチアーナの夫):ミハイル・カザコフ
 ボリショイ劇場合唱団、管弦楽団
 指揮: アレクサンドル・ヴェデルニコフ
 演出: ドミトリー・チェルニャコフ

 ヒロインを演じるタチアーナ・モノガローワは、『スペードの女王』 の第2日目でもヒロインを演じ、私の見た第3日目では開演前のトークに出演していて素顔を拝見したが、『エフゲニー・オネーギン』 でも初日と3日目でヒロインを演じる活躍ぶり。 期待に違わぬ好演を見せてくれた。

 幕が開くと、そこは大広間で、奥に大きな丸テーブルが置かれ、集まった近所の人々が宴会に興じている。 『スペードの女王』 の舞台が写実性より象徴性を重視していたのに対し、こちらは部屋の内部も窓や扉やシャンデリアが普通に配置されていて、あまりとっぴさがない演出のようにも思えるのだが、実はこの大広間が第1幕・第2幕を通して舞台として使われるところが本演出のミソ。 本来であれば第1幕は庭で始まるはずで、大広間が舞台になるのは第2幕になってからであり、その第2幕でも決闘の場面は野外になるはずなのだが、この公演ではタチアーナとオネーギンの出会いからレンスキーとオネーギンの決闘まで、すべて大広間が舞台なのである。

 そしてタチアーナは、オネーギンに恋をして夜中に自分の恋情に悶々とする場面では最後にテーブルの上に上がってしまい (田舎とはいえ、地主のお嬢様がそんなことしていいのかと思うが、高鳴る心情の表現ということだろう)、恋情が最高潮に達すると、バンという大きな爆発音とともにシャンデリアが消え、閉じていた窓がぱっと開き、早朝の光が室内に差し込んでくる。 まさに爆発せんばかりのタチアーナの心と、眠れずに過ごすうちにいつのまにか朝が来ていたということが、一瞬のうちに表現されるのである。

 演出のミソはもう一つあり、第3幕の最終場面でオネーギンが公爵夫人となったタチアーナに愛を告白するところで、最初と最後に公爵が同席しているという設定になっており、それによって公爵とタチアーナの愛情がゆるぎないものであることが示されている。

 歌手はみなすばらしく、特に不満はなかった。 タチアーナとオリガ、レンスキーとオネーギンという、対照的な性格の姉妹・友人の描き方や、これは 『スペードの女王』 でもそうだが、個人と群衆の関わりなどが、音楽によって見事に表現されている。 このオペラの最大のヤマはやはりタチアーナが一人でオネーギンへの恋情に悶々とするところであるが、ディスクで聴くと長々としているのに、実演で見ると全然長く感じられない。 よく言われるように、このオペラはむしろ、タチアーナをタイトルにすべきなのだ。 というわけで、またまた大満足の一夜であった。

6月23日(火)      *フランス絵画の19世紀――美をめぐる100年のドラマ

 横浜みなとみらいにある横浜美術館に標記の美術展を見に行く。 フランスのアカデミズム絵画を中心に19世紀フランス絵画を紹介するというふれこみである。

 われわれはふつう、フランス絵画というと印象派あたりを思い浮かべる。 印象派が最初は一般から認められず、いわば保守本流であるアカデミズム絵画から異端視されていたことを忘れがちになるのだ。 日本ではフランスのアカデミズム絵画のほうが知名度が低いという逆転現象が見られる。 故・磯田光一の本のタイトルを借りて言うなら、「正統派なき異端」 ばかりが日本では大手を振るっているのだ。

 ・・・・・というようなことを考えながら見に行ったのだけれど、ちょっと予想とは違った美術展だった。 つまり、確固たる保守本流があるのだろうと期待したわけだが、アカデミズムも結構新しい潮流に揺さぶられているし、何度も制度などをいじっており、相互の間に交流もあり、影響関係もあって、「保守と革新」 「右翼と左翼」 みたいな鮮明な色分けができるというものでもなさそうなのだ。

 そういう意味で、19世紀フランス絵画の多面的な姿を知るにはいい展覧会だと思う。 この美術展は8月31日まで開催されているので、興味のある方はどうぞ。 ホームページは下記 (↓)。

 http://france19.com/ 

     *         *         *

      *イザベル・ファウスト バッハ無伴奏ヴァイオリン・リサイタル

 この日は午後7時から標記の音楽会に出かける。 会場は浜離宮朝日ホール。 イサベル・ファウストは昨年新日フィルとの共演でベルクのヴァイオリン協奏曲を聴いたが、リサイタルは初めてということで、期待していた。 10列目左寄りの席。 会場は8〜9割りくらいの入り。

 プログラムは、次の通り。

 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番
 (休憩)
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番
 (アンコール)
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番よりアンダンテ

 バッハの無伴奏曲ばかりのリサイタル。 伴奏のピアニストもおらず、演奏者はたった一人で聴衆と向かい合うことになる。 そういう孤独感と選曲が、始まる前から何となく厳しい雰囲気を予想させたのだが、結果としては、うーん、微妙なところだろうか。

 まず、赤のドレスに身を包んだファウストの音色の美しさ、響きの良さ、技巧の完璧については何も言うところがない。 浜離宮ホールでは以前にもセルゲイ・ハチャトリアンのヴァイオリン・リサイタルとアネル・ビルスマのチェロ・リサイタルを聴いたことがあるが、大きさがちょうどいいし、響きも美しく、弦のリサイタルには最適のホールと言えるだろう。 そういう条件の良さに弾き手の魅力ある音色と卓越した技巧がプラスに働いて、その方面での心配はまったく無用だった。

 で、問題は解釈なのだが。 全体として急がず、特にゆっくりした楽章はじっくりと引き込んでいくスタイル。 それで音楽の情感や精神性が身にしみてくれば文句なしなのだけれど、どうもそうならない。 彼女の解釈は、例えばオイストラフだとかズーカーマンのような分かりやすい解釈というのとは少し違っている。 楽譜もまともに読めない身でこういうことを言うのは何だが、一つ一つの音の長さが聴き手の感性に最適なようにはできておらず、そこから多少ズレようとする意志が働いているかのよう。 それはそれで、分かりやすすぎるというのは底の浅さにつながる場合もあるのでいいのだけれど、それでバッハの音楽の真髄が感じられたかというと、微妙なんだな、そこが。 これは特に前半の2曲について言えることだった。

 後半の有名なパルティータ第2番は、その点比較的穏当な解釈で納得して聴けたし、アンコールのアンダンテも良かった。

 ただ、終演後CDを買ってサインしてもらおうという気にならなかったのは、前半の印象が尾を曳いていたからだろう。 でも、彼女の感性のありどころを突きとめるために、また機会があったらリサイタルを聴いてみたいと思う。

6月22日(月)      *国立国会図書館のコピー料金

 国立国会図書館で調べものをする。 静かだし係員も親切で過ごしやすいところだけれど、コピー料金が高いのがどうも。

 普通のコピーで25円、拡大コピーだと50円も取られる。 拡大コピーなんかしなきゃいいじゃないかと言われるかもしれないけど、新聞の縮刷版だと文字がかなり小さいので、拡大コピーじゃないと読みづらくてどうしようもないのである。 最近老眼が進んでいることもあるし。

 だいたい、今どき拡大コピーなんて普通のコピー機で普通にできるのだから、なんでこんなに高額なのか分からない。 一考して欲しい。

6月21日(日)     *ロシア国立ボリショイ・オペラ公演 『スペードの女王』

 上京する。 午後2時からNHKホールで標記のオペラを鑑賞。 座席は1階12列目ほぼ中央。 ホールは満席に近い入り。 このオペラを生で鑑賞するのは初めて。

 主要キャストとスタッフは以下の通り。

 ゲルマン: ウラディミール・ガルージン
 エレツキー公爵(リーザの婚約者): ワシリー・ラデューク
 伯爵夫人(リーザの祖母): エレーナ・オブラスツォーワ
 リーザ: エレーナ・ポポフスカヤ
 マーシャ(リーザの召使)/プリレーバ(劇中劇のクロエ): アンナ・アグラトワ
 合唱: ボリショイ劇場合唱団
 児童合唱: 杉並児童合唱団
 指揮: ミハイル・プレトニョフ
 演出: ワレリー・フォートキン

 幕が開くと、舞台上には歩道橋のようなものが太い柱に支えられて舞台の上3〜4メートルくらいの高さにかかっている。 オペラはこの橋の上をメインに、時として下の部分でも繰り広げられる。 室内であることをはっきりさせる場合は背景に窓枠などが出てくるが、リアリズム基調ではなく、象徴性を重視した演出と思われた。 これによって、このオペラの特徴の一つである群衆と個々の登場人物との交錯が鮮明に表現されたり、また時には上と下の双方の空間を利用することでその区分けが明確に付けられたり、といった効果が上がっていたようである。

 歌手は総じてレベルが高く、強いて弱いところを挙げるならエレツキー公爵を演じたワシリー・ラデュークのアリアがやや物足りなかったことくらいだろうか。 ヒロインのリーザを演じるエレーナ・ポポフスカヤはすらりとした体型の美人でいかにも貴族令嬢といった感じだし、その祖母である伯爵夫人を演じるエレーナ・オブラスツォーワは逆に (といっては失礼だが) ものすごく貫禄と威厳があって、これまた役にぴったり。 しかし個人的に一番惹かれたのは、劇中劇でクロエを演じたアンナ・アグラトワだった。 とっても可愛らしくて、貴族的で高貴そうなヒロインと違ってオレでも手が届きそう、と思わせるところが魅力的 (笑)。 背もあまり高くないし、その点でもオレと釣り合いがとれそう、とも (笑)。 ちなみに、この劇中劇の音楽がすばらしくよくできている。

 今回生で 『スペードの女王』 を見て、あらためて大傑作オペラだと痛感させられた。 私はチャイコフスキーのバレエは生で見たことが全然ないが、劇に音楽を付けることに関してこの作曲家の右に出る人はそうそういないだろうと思う。 人物の置かれた立場や動き、群衆の役割、そして劇中劇など、さまざまな局面にわたってすばらしい音楽が繰り広げられ、チケットはかなり高価だったけれど、投資の甲斐あり、大満足といったところである。

6月20日(土)      *新国立劇場のもめごと

 以前から新聞でも取り上げられていたが、新国立劇場の運営や人事には問題が多いらしい。 と言っても私は詳しいことは知らないのだが、昨日もこんな報道がなされていた。

 http://mainichi.jp/enta/art/news/20090619dde041040054000c.html 

 新国立劇場:次期芸術監督問題で永井愛さんら理事辞任

 新国立劇場(東京・初台)の次期芸術監督問題で、同劇場運営財団の理事である劇作家、永井愛さんが19日、遠山敦子理事長に対し理事の辞任届を送付した。英文学者の小田島雄志さんも理事を辞任。永井さんと劇作家、井上ひさしさんら演劇人20人と三つの演劇団体が同日、新宿で「新国立劇場の自省と再生を願う演劇人の声明」を発表した。

 新国立劇場は08年、オペラ・舞踊・演劇の3部門の芸術監督を10年に一斉に交代すると発表。演劇部門の鵜山仁芸術監督は就任して1年足らずだったこともあり、演劇人から選考過程の詳細を求める声が上がっていた。

 調べてみたら、こんなブログがあった(↓)。 繰り返すが、私は新国について詳しいわけではないので、このブログの内容が正しいかどうか判断する立場にはない。 だけど、ありそうだなと思うのは、国立大学も文科省官僚のいい加減さのお陰でダメになる一方だからだ。

 http://goldoni.org/cat17/  

6月19日(金)      *新潟大学人文学部教員の悲惨な研究費

 独法化以降、新潟大学から支給される研究費が激減していることはこの欄でも何度か書いてきた。

 このところ、私の年間の研究費 (教育費と称されるものも含む) は20万円程度である。 これで、学会があれば東京その他に出張し、研究室のパソコン・プリンター用のインクを初めとする文房具類などを買い、もちろん研究に必要な本も買う。 おまけに私は教養部時代からドイツ語共通で継続購入していた図書も或る程度引き受けているので――教養部解体と同時に知らん顔を決め込んだドイツ語教師も何人かいた――実際に使える額はもっと少なくなる。

 他はどうなっているのかと思い、東京の某私大に勤務する方のブログで訊いてみたところ、次のような答えであった。 具体的な校名は分からないが、或る程度ステイタスのある大学のようで、少なくともいわゆる新設私大ではない。 

 「個人研究費30万円+α、競争研究費色々(標準コース50万円)、旅費は国内3回まで+α、その他、施設費あり、物品支給あり」

 うーん、うらやましい。 そもそも東京の大学で、学会などで他の土地に出かける必要性は比較的低いのに、国内旅費3回とは! 新潟みたいな田舎に住んでいるのに旅費もろくに出ない研究費しかもらっていない私には天国みたいに見える。

 ちなみにこの方は以前は地方の新設私大に勤務していて、そこから脱出したとのこと。 その新設私大ではどうかというと、定員割れして最近はかなり減っているということで、下記のとおりだそうです。

 「個人研究費(出張費)25万円→10万円 図書費半減、図書費と個人研究費を一緒にして、20万円位支給されているよう」

 うーん、こうしてみると、新潟大学人文学部教員の研究費は、定員割れしている地方私大と変わらないのだ。 

 もっとも、なんとかプロジェクトと称して申請する研究費はあるが、これは何度も書いているように仲間の多い人間だけに有利なシステムだから、一匹オオカミには使えない。

 実は本日、新潟大学人文学部のプロジェクト用経費が二十数万円余ったから二次募集する、という通知が来た。 余るくらいなら最初から個人研究費として配分しろと言いたい。 で、ここで言ってみました。

6月15日(月)      *雑誌 『大航海』 も終刊

 昨日、毎日新聞の読書欄を見ていたら、コラムで雑誌 『大航海』 の終刊が取り上げられていた。 うーん、『論座』 『月刊現代』 『諸君!』 などに続いての雑誌の終刊。 本当に雑誌は冬の時代なんだなあ。

 でも思うんだけど、最近の新書ブームは、雑誌のパイを奪っている側面がありはしないだろうか。 一方では無料のネット情報、他方では1冊800円程度で一つのテーマについて総合的な知識が得られる新書。 雑誌の特集がしばしば特定の人脈に頼っているために見かけ倒しだったりするのと比べれば、一つのテーマを知るためなら新書を買ったほうが手っ取り早いという考え方もあるんじゃないかな。

 むろん雑誌には特集という枠に縛られない部分もあるわけだが、それはネット情報で間に合うという人もいるだろう。 速報性では雑誌はネットにかなわないわけだし。

 まあ、私は流行に左右されないドイツ文学なんぞをやっている人間だから、周囲に構わずマイペースで行こうとは思っているのだが。 ただし、日本のドイツ文学者はもう少し基礎的な仕事――ちゃんとした翻訳を出すなど――をやってくれないと困ります、とだけ言っておこう。 

6月14日(日)     *第54回東京交響楽団新潟定期演奏会

 本日は標記の演奏会が午後5時からりゅーとぴあ・コンサートホールで行われた。

 少し早めにでかけ、CDショップのコンチェルトさんに寄る。 牧田由起さんが上越でやった演奏会がなかなか好評だったとのこと。 新潟市でもやってくれないですかねと言ったら、そういう方向で話を持って行っている方もいるということだった。 実現するといいのだが。 ちょうど東響団員の方も来ておられ、コンチェルト2号さんは 「マーラーの7番をやってもらえないですかね」 と持ちかけていたが、実は私も同感。 マーラーの交響曲で実演で聴いていないのは7番と 「大地の歌」 なもので。

 閑話休題。 本日のプログラムは、シュテファン・アントン・レック指揮、ダニエル・ミュラー=ショットのチェロで、シューマンのチェロ協奏曲とマーラーの交響曲第6番。 指揮のレックは以前も東響定期に登場したことがある。

 客の入りはあまりよくない。 3階の脇席はかなり空いている。 私の定席であるGブロックも、私と同じ並びの5席は私だけ。 おかげで上着を隣りの席に掛けてゆったりした気分で聴けたが、ちょっと寂しい。 マーラーの第6って、いい曲だと思うだが。 私はマーラーの交響曲の中では9番、4番に次いで好きな曲である。 食わず嫌いの方はディスクでもいいからお試しください。

 さて、最初のシューマン。 この曲も名曲だと思うが、実演で聴くのは初めて。 チェロのミュラー=ショットは2年前にハンブルクに行ったとき、そこでの演奏会でベートーヴェンのトリプル・コンチェルトのチェリストとして初めて聴いて以来。 あの時は、3人のソリストが張り合うかのように自己主張をした演奏だったが、今回はそれとは違い、バックのオケと緊密につながりながら、曲の真髄を表現する演奏になっていた。 うん、よかった。 アンコールにラヴェルのハバネラが演奏されたが、独奏だと彼の伸びやかな音色がいっそうよく聞こえ、とても印象的。

 後半のマーラー。 奏者の数がとにかく多い。 演奏時間も長いし、この曲、やる側にとっては大変なんだろうなあ、と改めて思う。 演奏は第1楽章からかなりエネルギッシュ。 ふだんの東響だと、美しさが勝っていてエネルギーはやや足りなめな感じがすることが多いのだが、今回は、たくさんの楽団員がいるというだけでなく、指揮者のせいもあるのだろうか、かなり積極的に音を出している。 俗な表現で言うと、ガッツのある音作りであった。

 というわけで十分堪能できた演奏だったが、あえて注文を付けると、第4楽章で2回だけ登場するハンマーの音がやや物足りなかったような。 私がこの曲を生で聴いた体験は以前1度あるだけで、だいぶ前のN響定期だったが、それまではディスクでしか聴いたことがなかったので第4楽章で出てくるガツンという音が何であるのか分からず、N響の実演に接して初めて知ったのだった。 あの時はかなり強烈な音が出ていたと記憶するが、今回は楽団員の方が重そうに持ち上げて振り下ろす動作は 「ご苦労様」 と言いたくなるくらいしんどそうだったけれど、肝心の音は大したことなかった。 そこが惜しい。

ともあれ午後5時開演で終演は7時30分。 長時間音楽に浸って満足した一夜だった。

 なお、中休みにロビーで販売されていたスダーンと東響の演奏によるシューベルトの交響曲第2・3番のCDを買う。 これは昨秋、私もミューザ川崎で聴いた演奏の実況録音である。 スダーンと東響のコンビによる録音は、ブルックナーの第8が録音の拙さでイマイチだったので、どうかなと思ったが、今回は満足。 演奏の充実がよく捉えられた録音だ。 これで1000円は安い!

6月12日(金)      *外国文学の次は洋画かも――外国文化リテラリシーの衰退

 毎日新聞の映画欄は毎週金曜日であるが、このところ洋画の低迷についての記述が目立つ。 

 邦画人気はそれ自体は結構なことだが、はたしてどの程度内容のある人気なのか。 たしかに若い映画作家が育っている一面はあるが、他方で観客側に西洋文化に対するリテラリシー、つまり読解力がなくなってきているという一面もあるのではないか。 そんなことを最近の私は考えていたのだけれど、本日の毎日新聞は通常の映画欄に加えて、下記の 「洋画不況、配給会社は”買い控え”」 という一文を掲載した。 (東京では9日の夕刊に載ったようだが、地方では本日の朝刊――というか地方では夕刊はないので統合版――に掲載。)

 http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20090609dde012200007000c.html 

 今年のカンヌ映画祭で第1位と第2位を占めた作品が、今のところ日本での公開が決まっていないという報道だ。 単に邦画人気のせいだけでなく、買い付け価格の高騰という問題もあるようで、洋画配給会社が倒産したりしている。 しかし同時に、ミニシアター系の洋画を見る若い世代が育っていない、という指摘もなされている。

 私は学生時代にドイツ文学を専攻した人間だから、今の若い世代が昔に比べて西洋文学に対してきわめて低い関心しか持っておらず、知識の量も少なくなっていることを痛感している。 単に”純文学”だけではない。 『若草物語』 だとか 『赤毛のアン』 だとか、昔だったら大学に入る程度の女の子なら誰でも読んでいたジュブナイルですら、読んでいない女子学生が大半なのである。 こういうのを 「教養の衰退」 というのだろう。

 かといって、それなら映画のことは良く知っているかというと、そんなこともないのである。 念のため、単にミニシアター系の”芸術的な”映画を知らないというのではない。 それだけなら、地方都市だとミニシアターというものがそもそも存在しないところが多いから――政令指定都市・新潟市にだって 「シネ・ウインド」 1館あるのみだ――高校を出たばかりの若者がその手の映画を知らないのは当たり前なのである。 むしろ問題は、ハリウッド製の大衆的な娯楽映画もろくに知らない傾向が見られることなのだ。

 こういう状況下での邦画人気とは何か、それは単に分かりやすいものへの逃避に過ぎないのではないか、と疑問が湧いてくる。 自分と同じ時代の同じ日本人が繰り広げる物語は、たしかに親しみやすく分かりやすい。 もっとも、分かりやすさだけでは面白さにはつながらない。 だから、ちょっとした謎だとか、ちょっとした不思議な感覚だとか、そういったものが感じられる邦画が受けやすいのではないかと私は考えている。 具体的な作品名で言うと、『アヒルと鴨のコインロッカー』 だとか 『重力ピエロ』 だとかがそうである。

 私は個人的にはこの2作品を評価しない。 作品に根本的なリアリティ――糞リアリズムという意味ではない――が欠けているからだ。 もっとも、若い人はそういうリアリティの欠如感覚そのものを評価しているのかもしれない。 それはそれで一つの価値観ではある。 ただし、それは緻密に構築された洋画――例えば最近の作品なら 『消されたヘッドライン』 がそうで、私にはたいへん面白かったが――への不感症、或いは拒否感覚となって現れているように思える。

 ここに絡むのが、大衆文化の問題である。 大衆は、映画は感覚で見るものだと思っている。 映画に構築性だとか論理性だとかを見ることを邪道だと思い込んでいる。 邦画人気は、部分的にではあるがそうした大衆の負の側面に支えられている可能性がありはしないか。 

 外国の文化を理解するのはたしかに面倒くさい。 若い私がどの程度西洋文学を理解して読んでいたか、はなはだ心許ないし、ミニシアター系の芸術的な外国映画を好む若者だって同じようなものかも知れない。 しかし、分からないからこそ読む、分からないからこそ見るという、スノビズム混じりの好奇心こそが若者の特権であるはずだ。

 外国文学への好奇心が低迷している日本で、洋画についても同じような現象が進行するのだとすれば、それは若者の好奇心そのものの凋落、つまり若さが持つべきエネルギーの衰退を意味する由々しき事態だと私は思うのだ。 

6月11日(木)     *高校くらいは誰でも行ける社会であるべきだと、私も思うけど

 毎日新聞がこのところ、高校に通うのが困難な若者が少なくない日本の現状を、奨学金制度の問題と絡めて特集して連載記事にしている。

 http://mainichi.jp/life/edu/news/20090609ddm013100169000c.html 

 基本的なデータが呈示されていて、日本は高校で私立校に通う生徒が3割に及ぶが、英米独だと1割以下だという。 いかに日本が教育にカネをかけていないかが分かる。 まあ、その辺はうなずけるのだが・・・・・

 ただ、具体的な事例を記事で読むと、あんまり素直にうなずけなかったりするのである。 例えば東京のとある母子家庭。 父が病気で急死して、高校に通うのが困難になり、高校生が奨学金を重複で受け取ることが東京では禁じられているそうで、奨学金一つだけではやっていけないという話だった。 なぜ重複で受けてはいけないかというと、受け取る額が膨大になって返済不可能になる可能性があるからで、それというのも日本の奨学金はほとんどが貸与で、給与ではないからである。 だいたい、先進国では高校くらいはほとんどカネがかからずに行けるのがふつうなのに、日本はそうなっていないのがおかしい――記事の調子はこういうふうで、私もまったく同感なのである。 

 が、この例でちょっとひっかかるのは、高校に通うのが困難になっているというその高校生が、私立の中高一貫校に通っているという事実なのでる。 記事によると、父の存命中からあまり裕福ではなかったという。 なのに何でわざわざ学費の高い私立の中学に行かなければならないのか、私にはどうも分からない。 東京は中学受験がかなり多いから、ということはあるだろうけど、貧乏だったらそれにふさわしく公立中から公立高を目指すのが尋常な生き方じゃないのだろうか。 公立高校に通っても諸経費や通学の交通費などはそれなりにかかるから、母子家庭の少ない収入では高校通学も困難、というなら私も100%共感し応援しようという気になるんですけど。

 かと思うと、昨日はこんな事例が書かれていた。 

 http://mainichi.jp/life/today/news/20090610ddm013100139000c.html 

 札幌に住む男性が、妹の遺児6人を引き取って育てた話である。 そのため男性は体を悪くしてしまい、働けなくなっているという。 死んだ妹の亭主はどうしているかというと、行方不明なのだそうだ。 子供が6人、亭主は行方不明・・・・・・こう聞くと、どうもまともじゃないな、と誰でも思うのではないか。 無論、親がまともじゃなくても子供の責任ではない。 そういう家庭の子供でも本人に意欲があればちゃんと高校に行けるようにすべきだと私も思う。 この事例では、上の子供4人はいずれも高校中退という。 高校中退が経済的な理由のみによっているのかどうかは、記事には書かれていない。 ただ、どうも、三浦展言うところの 「下流社会」 を想起して、まあ日本の少子化を考えればこういう家庭をもっと支えていくべきだろうと考えはするのだけれど、何か引っかかるのである。

 他方で、収入がそれなりにありながら子供を作らなかったり、せいぜい1人でとどめている家庭 (もしくは独身者) もあるだろう。 そういう家庭・独身者からは税金という形でカネを集め、その分を貧しい高校生たちに配分する方向性をとるべきではあろう。 が、ことはカネだけでは済まない。 上記の事例に見られる 「なんかおかしい」 という感じ、これを同時に解消していかないと、世の中の方向性として良くないような気がする。

6月10日(水)     *最近聴いたCD

 *Historical Russian Archives: Daniel Shafran Edition (Brilliant Classics 93096, 2006年)

  ソ連のチェリストであるダニール・シャフラン (1923−1997) のレコーディングを集めた7枚組CD。 ソ連のチェリストというとロストロポーヴィチがダントツで有名で、シャフランはややその陰に隠れている印象があるが、彼もなかなかの名手である。 その演奏は、分かりやすすぎる解釈を避けて、時として尖鋭、時として洗練、時として斜に構えたような、そんな感じ。 したがって例えばラフマニノフのチェロソナタなどでは洗練された感覚になり、チャイコフスキーのロココ変奏曲では、ちょっとそっけない演奏に聞こえたりする。 また、日頃あまり聴けない曲が入っているのもこうしたコレクションならではで、カバレフスキーのチェロ協奏曲第1番だとかカール・ダヴィドフのチェロ協奏曲第2番などがそう。 また、シュニトケの 「古風なスタイルの組曲」 などは、私はシュニトケというと前衛的な作曲家という印象しかなかったのであるが、そうと知らずに聞くとヘンデルかハイドンの曲かなと思うくらい典雅で古風な作りで、作曲家への先入観をうち砕かれること請け合い。 録音の年代は1946年から1982年までと、かなり幅がある。 最近yahooオークションにて購入。 収録曲は下記のとおり。 なお、こちら(→)から画像をごらんいただけます。 http://www.arkivmusic.com/classical/album.jsp?album_id=147161 
 (1) バッハ: 無伴奏チェロ組曲第5、2、4番
 (2) バッハ: 無伴奏チェロ組曲第3番、 フランク: ヴァイオリンソナタ、 チャイコフスキー: 「懐かしい土地の思い出」から”メロディー”、「感傷的なワルツ」、 シューマン: 「トロイメライ」、 ショパン: ノクターン変ホ長調op.9-2 (以上、フランクからショパンまで、いずれもチェロ編曲版)
 (3) ハイドン: チェロ協奏曲第2番、バッハ: チェロ協奏曲ハ短調、 ジャン=バプティスト・ブレヴァル: チェロソナタ ト短調、 ヘンデル: アリア、 ダーヴィト・ポッパー: 「スペイン舞曲」op.54から第5曲、「チェロとピアノのための小品」op.55から第2曲
 (4) プロコフィエフ: チェロ協奏曲op.125、 ショスタコーヴィチ: チェロ協奏曲第2番
 (5) ショスタコーヴィチ: チェロソナタ ニ短調、 プロコフィエフ: 「3つのオレンジへの恋」から”マーチ”、 グラナドス: 「スペイン舞曲」から”アンダルーサ”、 アルベニス: 「マラゲーニャ」、 ファリャ: 「火祭りの踊り」、「スペイン組曲」、 ロディオン・シチェドリン: 「アルベニスのスタイルで」、 ニコライ・ラーコフ: 「ロマンス」、 ウラディーミル・ウラソフ: 「メロディ」
 (6) ラフマニノフ: チェロソナタ、 シュニトケ: 「古風なスタイルの組曲」、 ドビュッシー: 「ミンストレル」「月の光」、 ラヴェル: ハバネラの形式による小品、 サン=サーンス: 「白鳥」、 アルテミー・アユヴァジアン: 「アルメニア・ダンス」
 (7) カバレフスキー: チェロ協奏曲第1番ト短調、 カール・ダヴィドフ: チェロ協奏曲第2番イ短調、 チャイコフスキー: ロココの主題による変奏曲

6月8日(月)     *大学院の定員は大胆に減らすべし

 読売新聞ニュースより。

 http://job.yomiuri.co.jp/news/ne_09060804.htm 

 博士課程 定員削減へ 文科省 ポスドク対策、国立大に通知

 博士号取得後に定職に就けない「ポストドクター(ポスドク)」が増加している問題で、文部科学省は5日、全国86の国立大学法人に対し、大学院博士課程の入学定員の見直しを求める文科相名の通知を出した。

 各国立大は現在、2010年度から6年間の大学運営に関する中期目標を策定中。通知では、社会での博士課程修了者の需要などを考慮して削減を検討し、中期目標に盛り込むよう求めた。

 同省によると、博士課程の定員は09年度で約1万4000人。ポスドクは年々増えているとされ、昨年10月現在、定職に就けない博士号取得者は約1万6000人に上っていた。

2009年6月8日  読売新聞)

 文科省が博士課程の定員見直しを求める通達、っていうけど、ここまで大学院博士課程の定員が増えたのは、大学だけでなく、文科省にも責任があるはず。 自己批判しなさいっ!

 しかしまあ、遅ればせではあるが、減らさないよりは減らした方がいい。 特に文系は思い切って減らすべし! ついでに、修士課程の定員も減らしたほうがいい。 はっきり言って、基本的な知識も持たない――例えばフロイトの名も知らない――人文系大学院生なんて要らないんですってば。 (そんな奴を大学院に入れるほうが悪い、と言われそうだが、私はここ10年ほど大学院入試業務に関わっていないので、少なくとも私の責任ではない。)

 必要なのは、学部4年間の教育を充実させること。 そして教養教育も充実させること。 新潟大学で教養教育がおろそかにされているのは、この欄でも何度も言っているとおり。 学力のない少数の大学院生を教えるより、一学年二千人あまりいる学部学生に教養教育をしっかりやることのほうがずっと意義があることなのだから。

 ついでに、ちょっと古いニュースだが、

 http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20090423-OYT8T00332.htm 

 法科大学院定員18%減、10〜11年度計画 「予定なし」 も6校

 全国74校の法科大学院が2010〜11年度にかけて実施する定員削減計画の概要が22日、明らかになった。計画により、総定員は現在の5765人から約18%減の4700人台となる見通しだ。

 法科大学院を巡っては、過剰な定員が司法試験の合格率低迷を招いたと指摘されており、中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)特別委員会が、定員を絞って教育の質を向上させるため、抜本的な定員削減を求めている。日本弁護士連合会も定員を4000人程度に削減するよう提言しており、削減数の上積みを求める声があがりそうだ。

 調査は法科大学院協会が74校を対象に、今年1月と3月にアンケート方式で行った。

 このうち、具体的な削減計画を明らかにしたのは41校の622人。削減の方向だが具体的な人数を決めていない大学院が22校あり、同協会関係者は最終的な削減数は1000人程度になると見ている。

 削減幅が最も大きいのは、新潟と神戸学院の41・7%、次いで鹿児島、東北学院、広島修道、福岡(09年度に削減)の40%だった。削減予定が「ない」と回答したのは、すべて私立で、専修、日本、立教など6校。

 08年の新司法試験合格率別では、1位の一橋(合格率61%)と2位の慶応(57%)は「検討中」で、3位の中央(56%)は削減予定なしとしている。一方、過去3回の新司法試験で1人しか合格者を出していない姫路独協は、09年度に既に定員を40人から30人に減らしている。08年の合格者がゼロだった信州と愛知学院は、信州が「検討中」、愛知学院は「最小11・4%、最大20%減」とした。

(2009年4月23日 読売新聞)


 ここで、新潟大学の法科大学院の定員削減率が全国一であると報道されているところに注意してもらいたい。 要するに、実力がないのに背伸びしていたのがバレちゃった、ってことでしょう。

 新潟大学の法学部は、学生の質は決して悪くない――教養科目で私が実際に教えていてそう思う――のに、どうも教育体制に問題がある。 先々月も、学年途中で法学部から人文学部への転部を認められた学生が第二外国語を全然やっていないというのが人文学部教授会で話題になった。 法学部では第二外国語を全然やらなくていいことになっているからだ。

 法学部は以前にも、単位の必修・選択制を全廃したことがあり、教養科目でも専門科目でも他学部科目でも合計で単位数が足りていればいいという制度を導入したことがある。 結果は言うまでもないんだけれど、その程度のことが結果が出ないと分からないのか、予測ができないのか、法学部教員は何を考えているのか、と当時の私はあきれ果てたのであった。 そしてその後、背伸びして法科大学院を作って、代わりに学部の定員を大幅に削減したわけであるが、結果はこのテイタラクなのである。 法学部教員は何事にも予測ができず、結果が出ないと分からない、とは思いたくないのだが。

 念のため。 私は人文学部を持ち上げようとして法学部を批判しているのではない。 人文学部だって教養部解体以降、学部エゴ丸出しで第二外国語教育の制度変更をやってきたのである。 それで結果がちゃんと出ているならともかく、出ているとは到底言えない。

 要するに、「学長のリーダーシップ」 を言うのであれば、こういうところでこそ発揮するべきなので、文科省の言いなりになって申請しないと降りない研究費をたくさん作ったって――これが仲間の多い人間にのみ有利に働くことは私はここで何度か指摘してきた――どうにもならないのである。

 文系学部はとにかく学部教育 (教養教育を含む) の充実を第一に、第二に、第三に考えること。 大学院なんてのは第七くらいでたくさんです。

 ・・・・・・・ああ、それなのに、新潟大学の動きは私の主張とまるで逆の方向に行っているのである。 法科大学院の定員削減はいいのであるが、今年度、制度変更によって、大部分の文系教員は――私を含めて――大学院主担当となったのである。 大学院主担当ってどういうことかというと、大学院が正規の勤め先で、そこから降りてきて学部の授業も受け持つ形になる、ということですね。

 もっとも、これは形だけのことで、事務にも確認したが、実質はこれまでと全然変わらないのである。 なんでこういう 「改革」 をするのかなあ。

6月6日(土)     *山本真希オルガン・リサイタルシリーズ第7回 「J.S.バッハ 若きバッハの情熱」   

 本日はコンサートをはしごした。 まず、午後5時からりゅーとぴあ・コンサートホールで聴いたのがこれ。 出演はりゅーとぴあの専属オルガニストである山本さん以外に、新潟市ジュニア合唱団から女子ばかり8名。 指揮は海野美栄。

 プログラムは下記の通り。
 (前半)
 小フーガト短調BWV578
 27のコラール集より、「最愛なるイエスよ、我らここに集いて」BWV730,731
 協奏曲ニ短調BWV596(原曲:ヴィヴァルディ「調和の霊感」op.3-11)
 コラール・パルティータ「恵み深きイエスよ、よくぞ来ませり」BWV768
 (後半)
 オルガン小曲集(BWV.599〜)より
  1.「いざ来たれ、異邦人の救い主よ」
  6.「イエス・キリストよ、汝はたたえられよ」
  8.「高き天より、われは来たり」
  13.「われらキリストをたたえまつる」
  18..「平和と喜びもてわれは行く」
  21.「キリスト、汝神の子羊」
  27.「キリストは死の絆につかせたまえり」
  28.「われらの救い主、イエス・キリスト」
  33.「来たれ、創り主にして聖霊なる神よ」
  37.「これぞ聖なる十戒」
  38.「天にいますわれらの父よ」
 トッカータとフーガニ短調BWV.565
 (アンコール)
 オルガン小曲集より
  22.「ひとよ、汝が罪の大いなるを嘆け」
 
 山本さんのオルガン・リサイタルは、前回までは指定席だったが、今回から自由席となり、前半と後半で座席を変えて音を楽しむことができるというふれこみ。 私もそれならというわけで、前半は1階席で、後半は3階Jブロックで聴いた。 そのせいか、或いはオール・バッハ・プロのせいか、いつものオルガン・リサイタルだと客の入りは200〜300人くらいだが、今回は300〜400人くらい入っていた。 前半と後半の音の違いであるが、1階だと頭上から音が降ってくる感覚が楽しめるということだったけれど、さほどとも思えず、低音は結構響いていたが、それ以外の音域ではやはり3階のほうがいいように感じた。 もっとも、曲目にもよるかもしれない。

 プログラムは、最初と最後に有名な曲を置いて、途中を充実した音楽で満たすというような構成だろうか。 私としては、前半のヴィヴァルディ原曲による協奏曲と、その次ぎのコラール・パルティータがすばらしいと思った。 協奏曲ではヴィヴァルディのイタリア的な明るさ・軽さが、バッハのオルガンの技法を経て、優美であると同時に中身も詰まった音楽に変化していると感じたし、コラール・パルティータではバッハの変奏技法が遺憾なく発揮された濃い音楽に感銘を受けた。

 合唱も、特に後半のオルガン小曲集でその美声がオルガンと交互にホールを満たして、なかなか充実していた。

 アンコールの後、山本さんのお話があったのだけれど、時刻が7時に迫っており、次のコンサートが7時開始なので、残念ながらお話の途中で退席せざるをえなかった。

   *        *

     *2009アンサンブル・オビリー室内楽演奏会     

  というわけで、りゅーとぴあのコンサートホールを出て、同じ建物内のスタジオAに急行。 山本さんのオルガンリサイタルは5分遅れで始まったが、こちらオビリーの演奏会は定刻開始。 かろうじてすべりこみセーフ。 一番後ろの席が空いていたのでそこにすわる。 とはいえ、120〜130ほど置かれた椅子は満席に近い状態。

 チェロの片野大輔氏を中心に、古典派・ロマン派の室内楽を演奏し続けているこの団体の今回のプログラムは下記の通り。

 ロッシーニ: 弦楽のためのソナタ第4番変ロ長調
 ドヴォルザーク: 弦楽四重奏曲「アメリカ」
 シューベルト: ピアノ五重奏曲「ます」

 演奏者は、下記の通り。

 第1曲: 第1ヴァイオリン=太田玲奈、後藤はる香、第2ヴァイオリン=佐々木将公、加野晶子、チェロ=片野大輔、コントラバス=星野勝彦
 第2曲: ヴァイオリン=佐々木将公、後藤はる香、ヴィオラ=太田玲奈、チェロ=片野大輔
 第3曲: ヴァイオリン=後藤はる香、ヴィオラ=加野晶子、チェロ=片野大輔、コントラバス=星野勝彦、ピアノ=品田真彦

 最初のロッシーニは初めて聴く曲。 ヴァイオリン4人にチェロとコントラバス各1人という、ちょっと珍しい編成。 結構面白い曲だなと思う。 ただ、4人いるヴァイオリンの音がもう少しきっちり揃っていればなお良かっただろう。

 次のドヴォルザークが、今回のプログラムでは一番楽しめた。 常設の弦楽四重奏団ではないので音の合い方などは必ずしもぴったりではなかったようだが、生きの良い表現で、曲の流れに活気があり、聴いていて実に楽しく、音楽の核心に迫る演奏になっていたと思う。

 3曲目の 「ます」 だが、こちらは2曲目とは逆に、もう少し躍動感が欲しいという気がした。 そう思ったのは、多分ピアノの音のせいだろう。 渓流を軽く飛び跳ねる魚のような感じがあまりなく、音が地面にちょっと貼り付いては離れるといった印象がある。 演奏者のせいか、或いは楽器のせいかもしれないのだが。 スタジオAはピアノには少し狭いからね。

 アンコールとして出演者7人全員により、日本の童謡 「七つの子」 と 「茶摘み」 が演奏された。

 「アメリカ」 や 「ます」 といった有名曲――といっても新潟では必ずしも生で聴く機会が多いわけではない――を真正面から取り上げていくこのアンサンブルの姿勢を高く評価したい。

 会場は、やはりスタジオAは少し狭いので、だいしホールか、黒埼市民会館あたりがいいのではないか。 チラシを最低1カ月前からりゅーとぴあなどに置いておいたり、せっかくあるウェブサイトでしっかり情報を提供するなど、広報面に注意すればもっと客は集まるはず。

 今回のパンフレットでの告知では、9月12日に黒埼市民会館でピアノトリオの演奏会を行い、ドヴォルザークのドゥムキー他をやるとのこと。 ほかに、11月と来年3月に朝日酒造室内楽シリーズを行うようであるが、できれば新潟市での公演も希望したいところだ。

6月5日(金)      *イ・ヨンスクのステレオタイプ

 ここのところ土曜日に大学院の授業が入っている (社会人の院生は平日来れないので、本来木曜日の授業を土曜日にやっている) 関係で、しばらく昼食に寿司を食っていなかったなあ、と思って、本日は午前中の授業を終えてからクルマで数分のところにある回転寿司に昼食を取りにいった。 例年だと、平日は生協食堂で昼食をとるが、生協が閉まっている土曜日には時々回転寿司に昼食を取りに行くというのが私の習慣になっていたからである。

 そのとき、読物にと思って、岩波書店の 『図書』 を持参した。 いささか古く、今年の1月号である。 そのなかのイ・ヨンスク 「踊る女――崔承喜のこと」 という文章を読んで、なにこれ?と思ってしまった。

 崔承喜とは、1930年代から40年代にかけて日本人を熱狂させた舞踏家だそうだ。 名前から分かるように朝鮮人で、朝鮮半島が日本領だった当時、日本で踊って日本人を熱狂させる彼女は、朝鮮半島出身者にとっては民族の誇りだったという。 戦後の46年に北に渡り、その後彼女の名を冠した舞踏研究所を運営するなど最高の地位を享受していたが、67年頃消息が途絶えたという。 失脚の噂もあったが、その後再評価が進んでいるという。

 この辺までは、なるほど、と思いながら読んだのだが、その後、この舞踏家の 「親日」 の問題が取り上げられる。 「親日」 とは、韓国内では戦前に日本の植民地主義的な態度に協力した行為だという意味合いが込められた言葉だ。 こうした意味合いで 「親日」 を批判することには、韓国人であっても批判的な人もいるわけだが――数年前、『親日派のための弁明』(草思社)で有名になった金完燮なんかはそういう人だろう――イ・ヨンスクは「親日」を追及するのには賛成だが、崔のような目立つ有名人だけを「親日」で断罪するのでは韓国支配層深部に巣くった親日の問題を見逃すことになりかねないし、芸術の評価はそうした政治的なレベルとは別に行うべきだと言う。

 この辺の見解には私は必ずしも同意しない。 政治と芸術がそんなに簡単に分けられると思うのはナイーヴだし、今現在 「親日」 を追及している韓国内部の姿勢にも相当問題があると思う。 が、まあそれは見解の相違ということで、とりあえずはよろしい。

 ところがそのあと、どういうわけか話がジョセイフィン・ベイカーとカルメン・ミランダのことになる。 ここでは詳細は略すが、要するに踊りのイメージと踊り子の国籍の問題がさまざまなズレやねじれを伴っているということの例として挙げられているのである。

 イ・ヨンスクは崔の踊りも類似の文脈に位置づけたいらしい。 (実際、そういう意味のことを書いている。) しかしそれなら、まずなすべきは、崔の踊りについてもっと詳細に調べて、その意味づけを明らかにすることだろう。 しかし、イ・ヨンスクはそういう作業をしていない。

 そして最後を、こういう文章で締めくくる。 「男たちは思想やイデオロギーで物事を分類し、レッテルは利するのをやめない。 そして最後には国家という怪物を取り出してくる。 しかし、踊る女はそんな拘束などものともせず、軽やかに舞い上がり、喜びに満ちて国境を越えていくのである」。

 私はこの文章を読んで唖然とした。 ものすごいステレオタイプの文章で、10年くらい前ならいざ知らず、今どきこんなことを書いてサマになっていると勘違いしているとすると、相当知性に欠ける人なんだろうなと思ったからである。

 そもそも、崔が北に渡ったのはなぜなのだろう。 それは 「国境を越え」 る行為だったのだろうか? 逆に、国境のなかに閉じこもる行為だったのではないか? むろん、彼女が北に渡るに際して本当に何を考えていたのかは、私には分からない。 しかし、イ・ヨンスクの文章には、崔が北に行ったことの意味をきちんと問う姿勢がまったくないのである。 それでどうして上で引いたような結論の文章が書けるのであろうか。

 私はイ・ヨンスクの本を読んだことはないが、『図書』 のこの文章から見て、読む価値はなさそうな気がする。

6月3日(水)      *映画 「おくりびと」 米国で好評っていうけど、たった9館でしょ?

 読売新聞のニュースより。

 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090602-OYT1T00800.htm 

 「おくりびと」 米で好評、9映画館平均で興行成績2位

 【ロサンゼルス=飯田達人】 アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画 「おくりびと」 が米国のロサンゼルス、ニューヨーク、シカゴなどの9映画館で5月29日に封切られ、31日までの週末興行成績は約7万5000ドル(約717万4500円)にのぼった。

 全米では33位だが、9映画館を平均した1館あたりの成績は、ディズニーの新作アニメ 「アップ」 に次いで2位だった。米配給元によると、今月中にさらに38館で拡大公開される予定。

 公開初日にロスの 「ランドマーク劇場」 で妻と共に鑑賞した写真家、ブライアン・オコーナーさん(53)は 「日本の奥深い文化がうかがえる興味深い作品。 アカデミー賞に十分値すると思う」 と称賛。

 日系人の学校教師、カーリーン・イクタさん(52)も 「笑えるシーンも泣きそうになるシーンもあり、物語の展開が素晴らしい」 と話していた。

2009年6月2日20時31分  読売新聞)

 うーん、こういう記事を読むと私は憂鬱になってくる。 アカデミー賞外国語映画部門賞をとった映画が、米国のたった9館でしか上映されていない、という現実。 今月中にさらに38館でとも書いてあるけど、たったそれだけ? 9と38を足しても47館に過ぎないではないか!

 比較の意味で、クリント・イーストウッドが監督・主演して日本でもヒットしている 『グラン・トリノ』 を取り上げよう。 『グラン・トリノ』 は日本ではいくつの映画館で上映されているだろうか? 公式サイトによれば、東京都26館、神奈川県20館、千葉県17館、埼玉県19館。 つまり、一都三県だけで82館で上映されているのだ。  面倒くさいので全部は数えなかったけど、日本全国なら200館程度にはなるだろう。 おまけに、米国は人口で日本の2倍以上あるのだし。

 思うんだけど、こういう現実こそ、アメリカという国の鎖国的体質を表しているんじゃないだろうか? 他の国にはアメリカ映画が流通しやすいような制度を押しつけるくせに、肝心の自国は外国映画にさっぱり開かれていないのだ。 

 読売新聞も、アカデミー賞外国語映画部門受賞作がアメリカ国内ではこんなに少ない映画館でしか上映されない現実にもっと光を当てるべきじゃないのか? 賞をとっただけで、或いはごく一部の映画館で上映されただけで喜んでいる時代じゃないと思うけどね。

 赤木昭夫 『ハリウッドはなぜ強いか』(ちくま新書)を読むと、そうしたアメリカのダブルスタンダードがよく分かる。 アメリカが外国映画のリメイクをよく作るのも、外国映画を締め出すための手段ということらしい。 

 自動車では、今話題になっているように、アメリカのビッグ3はガソリン高価格時代を無視して大型車を作り続け、日本車などに負けた。 アメリカ映画が同じように外国映画の質の軍門に下る日は来るのだろうか?

5月31日(日)       *親切なカバン修理屋さん

 3日前、日頃使っているカバンの金具が壊れてしまった。 肩に掛けるベルト部分とカバン本体がそれぞれに付いた金具でつながっているのだが、そのベルト側の金具。 ここは数年に一度壊れるようで、このカバンはもう15年くらい使っているけど、今までに左右両側とも1〜2度ずつ壊れて修理している。

 それで、同じ修理を前回も依頼したカバン修理屋さんに昨日持ち込んだ。 場所は新潟市の国道116号線が新潟大学に向かう道路と分かれる三叉路のあたり。 JR越後線の新潟大学前駅やバス停の新大入口があるところでもある。 「アゲイン」 という店名。

 持ち込んだら、壊れた金具以外に、肩掛けベルトとつながるカバン側の金具も左右両側ともかなりすり減っているから交換したらどうですか、と言われて、そうですねと答えた。 都合、金具を3箇所交換で、2200円。

 カバン本体 (革製) も、長年使っているので少しく傷んでおり、2箇所ほど穴が空いた箇所がある。 二重にできているから表面に穴が空いてもとりあえずは大丈夫なのだが、そこはどうしますかと訊かれて、面倒くさいので別に直さなくていい、と答えておいた。

 実を言うと、穴が2箇所に空いているし、金具が壊れた直後は買い換えてもいいかなと思っていたのだが、地球環境に配慮して(笑)、というのはウソで、実は先頃自宅の外壁の一部を塗装し直してかなりカネを食っているので、節約のためにカバンは新調せずにおこうと決めたのである。

 というわけで、昨日預けたカバンを本日昼過ぎに取りに行ったら、なんと、「どうも穴が気になるので、そこも直しておきました」 ということで、2箇所の穴の部分も直っていた。 まあ、ズボンで言えばツギが当たったような状態であるが。 頼んでいないのに無料でやってくれたのにはさすがの私も恐縮。  

 というような親切なカバン修理屋さんなので、これを読んでいるみなさんも、機会があったら是非どうぞ。  

   *      *      *

      *茂木大輔のオーケストラ・コンサート第5回 「ハイドン、その生涯と交響曲創作史」

 さて、本日は午後4時からりゅーとぴあで標記の演奏会を聴く。 茂木さんのオーケストラ・コンサートは、新潟市でもすっかりおなじみのシリーズであるが、今回は曲目がハイドン・オンリーのせいかどうか、茂木さんも言っておられたけれど、いつもより入りが悪かったよう。 1階が6割くらい、2階Cブロックも7割程度で、結構空きがあるのには驚いた。 その代わりと言うべきか、2階のB・Dブロックはほぼ満席。 やっぱり不景気で、S席よりA・B席で、ということなんだろうか。 かくいう私もAランク席で、BブロックのいちばんCブロックよりの場所がNパックメイト価格で2700円。

 茂木大輔の指揮と解説、人間的楽器学管弦楽団の演奏。 プログラムはいつものように非常に意欲的で、以下のとおり。

 (前半)
 オラトリオ 「天地創造」 より序奏部
 交響曲第72番 「4本ホルン」
 交響曲第26番 「ラメンタチオーネ」
 オラトリオ 「トビアの帰還」 より第10曲b 「ラファエルのアリア”私が天の言葉を語るとき”」(ソプラノ=半田美和子)
 (後半)
 交響曲第70番ニ長調
 交響曲第94番 「驚愕」
 弦楽四重奏曲op.76-3 「皇帝」 より第2楽章主題 「皇帝讃歌」(弦楽合奏版)
 オラトリオ 「天地創造」 より第9曲 「ガブリエルのアリア”そして新緑が目を悦ばせ”(草花の創造)」(ソプラノ=半田美和子)
 ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲第1番op.18-1より第1楽章呈示部
 ハイドン: 弦楽四重奏曲第83番 「白鳥の歌」 より第2楽章 (以上2曲は、Vn=伊藤文乃、遠藤香奈子、Vla=川中子紀子、Vc=西谷牧人)
 オラトリオ 「天地創造」 より第33曲 「アダムとエヴァの二重唱”優しき妻よ、お前の傍らにあれば”」(ソプラノ=半田美和子、バス=押見春喜)

 オラトリオ 「天地創造」 を正規プロの出だしと締めくくりに使い、初期からロンドンセットに至るまでの交響曲を4曲やり、なおかつ最後の弦楽四重奏曲の楽章もとりあげるという欲張ったプログラム。 これにアンコールとして、交響曲第45番 「告別」 の最終楽章と第44番 「悲しみ」 の第3楽章をやるという大サービス。 途中15分の休憩をへて、終演は7時20分頃。 実に実にハイドン漬けで、私は大満足!

 このコンサートではいつもそうだけど、今回も、演奏中に楽章の展開のしかただとか、演奏者の紹介だとかが正面の大スクリーンに出るので、たいへん分かりやすい。

 それと、交響曲4曲はそれぞれに規模をかなり変えて演奏しており、有名な 「驚愕」 では40人近い奏者でやったのにたいし、初期の72番 (番号はあとのほうだけど実際は初期の曲だそう) では指揮者を入れても13人という、ハイドンがエステルハージ侯に仕え始めた頃の楽団規模での演奏。 しかし、りゅーとぴあの音響特性もあって全然音量不足は感じず、むしろ弦の響きに透明感があって、結構いいじゃないか、と思った。

 このコンサートが2700円とは、申し訳ないくらい安い! また来年も茂木大輔さんのコンサートを楽しみにして待ちたいと思うし、せっかくの充実したコンサート、もっと沢山の新潟市民に聴いていただきたいものである。

5月27日(水)       *中島梓=栗本薫 死す

 評論家・中島梓、または作家・栗本薫が亡くなった。 彼女は早生まれだが、年度で言うと私と同じ年の生まれということになる。 したがって56歳。

 とにかく生産量の多い人で、よくまあこんなに色々な分野で本が出せるものだと私などはただただ感心して見守るばかりだった。

 一番冊数の多いのはグイン・サーガだろうが、私はこの分野は不得手でほとんど読んでいない。 読んだのは中島梓名義の評論何冊かと、栗本薫名義の小説のうちでは 『僕らの時代』 に始まるミステリー 「僕らシリーズ」 3冊。 伊集院大介ものも1冊読んだっけ。 何年か前にガンにかかって闘病生活を書いたものも読んだ。 ガンにかかると治療自体にかなり苦しむことが分かり、ガンにだけはなりたくないなと思ったものだ。 幸いにして今のところ私はガンになっていないし、入院の経験もない。 この先どうなるかは無論、神のみぞ知る、だが。

 彼女は基本的に、やりたいことをすべてやった人だろう。 評論や作家活動だけでなく、音楽なども含めて、純文学だとか通俗文学だとか、評論家だとか作家だとか、物書きだとかミュージシャンだとか、そういう枠を乗り越えて自分の好きなことに没頭した。 そして各分野で結果を出したのだ。 そういう意味で、才能に恵まれていたことは言うまでもないが、幸福な人だったのだと思う。 これだけやれば、56歳で逝っても悔いは残らないのではないか。 合掌。 

5月26日(火)       *渋谷哲也氏のベルリン映画祭報告

 ドイツ語教科書出版とドイツ語原書販売をしている東京・本郷の郁文堂は年に何回か『Brunnen』という小冊子を出しているが、送られてきたばかりの第457号に渋谷哲也氏 (東京国際大学准教授) がベルリン映画祭についての文章を書いていて、興味深かった。

 毎年2月に行われるベルリン国際映画祭にいつも出かけているという渋谷氏によると、映画祭向け映画というのがあるそうだ。 映画祭にやってくる観客や批評家には受けるが、ごくふつうの映画ファンであるような人にはなかなか受け入れられない映画だそうだ。 渋谷氏は日本なら北野武だろうと書いているが、私に言わせれば北野武はまだいいほうで、カンヌ映画祭で受けている河瀬直美なんかがその典型じゃないだろうか。

 それはさておき、今でも国際映画祭でドイツ映画が注目を浴びるのは、ナチスか東西ドイツ統一か、いずれかのテーマの作品だという。 この辺はある国のイメージが固定しているということであって、いくらドイツ人だってふだんからナチスやドイツ統一のことばかり考えて暮らしているわけではないはずだが、それこそ外国を見る人間の想像力の問題が含まれていると思う。 日本人だって人ごとではないのである。

 最近、『エフィ・ブリースト』の5回目の映画化がなされたことも渋谷氏は報告している。 これは一般には知られていないが、フォンターネという19世紀末に活躍した作家の小説が原作で、原作は岩波文庫にも 『罪なき罪』 の邦題で収録されていた。 今回の映画化について、渋谷氏は実際に作品を見て、古典的名作の映画化についてのあらたな指標になるのではないか、と述べている。 そうであるからには、何とか日本でも公開されるように、むろん渋谷氏ひとりではなく、ドイツ文学・文化研究者が力を合わせて持っていきたいものだ。 

 ごく一部の研究者だけが見ることができる映画だけ論じていては、先細りは見えている。 ドイツ映画は、フランス映画に比べると日本での注目度が低く、研究者の数も少ない。 一般に知られている人としては瀬川裕司氏くらいではないか。 そうした現状を打開するためにも、一般の客を呼べそうな作品をよりたくさん日本での一般公開に持っていく努力が求められるのである。

 なお、渋谷哲也氏には、『ファスビンダー』(現代思潮新社) という編著がある。

5月25日(月)     *うぐいすの鳴く庭で

 本日5限、大学院の演習をやっていたら、うぐいすの鳴き声が聞こえてきた。 演習室の外には駐車場になっているわずかな空き地があり、その向こうが小さな森になっているのだが、その森で鳴いているらしい。 うぐいすの鳴き声を聞きながら 『想像の共同体』 や 『創られた伝統』 を読むのも、なかなか乙なものである。 ただし、この演習室、「人社棟」 と呼ばれる建物の一番北側部分の1階北側で、私としてはここでの授業はこの時間だけである。

 うぐいすといえば、わが家の庭でも最近比較的よく鳴いている。 早朝うぐいすの鳴き声で目を覚ますのも、なかなか優雅な生活ではある。

 羨ましいと思う人は、新潟大学に入学するか、新潟市に住みましょう (笑)。

5月23日(土)      *最近聴いたCD

 *ヨーヨーマ+エマニュエル・アックス: R・シュトラウス+ブリテンのチェロソナタ (CBS MK44980、1986年録音、1989年発売、米国盤)

 チェロソナタを2曲収めたディスク。 いずれも私としては初めて聴いた。 R・シュトラウスのチェロソナタは作品番号が6で、ということはかなり若い頃の曲だが、彼のヴァイオリンソナタに似ていて、つまり出だしでかなりカッコをつけており、展開が古典的というかロマン的というか、要するにクラシックらしい運びになっていて、楽章も伝統的な3楽章構成だし、割りに聴きやすくできている。 一方ブリテンのチェロソナタは5楽章構成で、作品番号が65で1960年の作だから彼としては47歳の、いわば円熟期の曲ということになるが、かなり現代曲風で、いまひとつ把握できなかったが、5つもある楽章ごとの個性を味わうべき曲だろう。 ヨーヨーマのチェロは響きがやや不足気味で、ピアノにわずかながら押されている印象。 最近yahooのオークションにて購入。 なおこちら (→) からジャケットなどをごらんいただけます。  http://www.amazon.co.jp/R-Strauss-Sonata-Cello-Britten/dp/B0000026QG 

 *ユリウス・レントヘン(Julius Roentgen) チェロソナタ集 (Ars Produktion、FCD368 429、2003年発売、ドイツ盤)

  これは何年も前に東京の山野楽器で購入した1枚。 ユリウス・レントヘン(1855-1932)はドイツ系オランダ人の作曲家 (姓はドイツ語での発音だとレントゲン。 X線発見で有名なレントゲンと同じ)。 十曲以上のチェロソナタを残している。 私がこの作曲家を知ったのは、以前存在していた 「招き猫」 というクラシック音楽サイトの室内楽用のコーナーで、「もにりくちなし」 さんとおっしゃるHNの方から教えられたからである。 それで上京したときにCDを買ってみた。 その時は2度ほど聴いただけで終わりになったが、最近なぜかチェロの曲を聴きたい気持ちが強くなってきているので、久しぶりにCD棚から取り出して何度か聴いてみた。 このCDには、ハ短調(1906年作)、ト短調(1905年作)、ロ短調作品56(1907年作)の3曲が収められている。 いずれも適度にロマンティックで、聴きやすい。 演奏は、チェロがJean Decroos、ピアノがDaniele Dechenne。 なおこちら (→) からジャケットなどをごらんいただけます。  http://www.allmusic.com/cg/amg.dll?p=amg&sql=43:179910 

5月20日(水)      *例えばこんな一日・・・・および書類作りの阿呆らしさ  

 朝7時ちょい過ぎに起床。 朝食をとってクルマで大学へ。 8時30分より1限の授業。 10時に終了して研究室へ。 雑用を片づけているうちに昼時になる。 昼休み時間に生協教職員委員会の会議。 これは昼食の弁当がつく。 それが済んで午後1時すぎから研究用のコピーとりおよび授業のためのプリント作り。 午後3時から会議。 それが1時間余で終わってからまた別の会議。 済んだのは午後5時半過ぎ。 研究室に戻って少々ぼおっと過ごしてから、クルマに乗ってシネコンに映画を見にゆく。 終映は午後9時頃。 クルマで帰宅。 夕食=晩酌となる。

 本日は会議が3つもあったが、これは私としては例外。 ふだんはこんなに多くない。 ただし、学部長など要職に就いている人はふだんからこのくらいあるはず。 

 会議が増えていることも問題だけれど、雑用=書類作りの多いのにも閉口する。 例えば、ある用件のために、今年度受け持っている授業を全部書いて事務に提出しろと言われている。 しかし、私に言わせればこんなことは事務でやってもらいたいし、その気になればできるはずじゃないかと思う。 なぜって、現在はコンピュータの学務情報システムに各教員の受け持っている授業は全部データとして入っているわけで、そこから作れるはずだからである。 その程度のことができないなら、わざわざコンピュータなんて導入する意味はないのである。

 もっとも、今回の書類には自学の授業だけでなく、非常勤に出ている場合はそちらも書けということになっていて、これは新潟大の学務情報システムには入っていないが、しかし非常勤講師で出ている人は必ず具体的な受け持ちコマを含めて届け出ないといけないことになっているのだから、そちらも事務のパソコンに入れておけば簡単に書類にできるはずなのである。 いったい、何のために情報化を進めているのかと言いたい!

 これだけではない。 類似した書類を2度3度と作らされるのも業腹である。 例えば昨年度の「業績」を提出させられる。 これは、論文や著書だけじゃなく、一般紙に書いた書評だとか文章だとかも入れないといけない。 ところがそれを出したあと、別件で類似した書類を作らされたのだが、これは昨年度の授業担当実績に、論文や著書などの純粋な(?)「業績」を足し、それに委員会の負担などを加えたもの。 少し違うわけだが、重複しているところもあって、面倒くさいのである。

 たしかに、どこにどういう論文を書いたか、いつどの媒体に書評を載せたかなどは、授業負担と違って届け出ないと分からないだろうが、まとめてそういうものをプールしておく場所を設けておき、各教員がそこに書き込んで――書き忘れて不利益をこうむっても教員本人の責任とする――そのプールされたものから必要に応じて事務の方で書類を作る、ってなやり方はできないものだろうか。 とにかく、今のままでは時間の無駄が多すぎる。

5月19日(火)     *日本シュトルム協会(編訳)『シュトルム名作集』の第1巻が発売になりました

 19世紀のドイツ作家テーオドール・シュトルム。 『みずうみ』 や 『白馬の騎手』 で知られているが、現在日本ではわずかな文庫本とハードカヴァー、そして村松書館から刊行されて途中でストップしている全集のいずれかで読むしかない。 全集は1冊8000円とバカ高い。

 このたび、そうした不便な状態に終止符を打つべく 『シュトルム名作集』 が刊行された。 全2巻予定で、今回出たのはその第1巻、版元は三元社である。 お値段は5000円+税だから安くはないが、その代わりシュトルムの若い頃から中年後期に至るまでの代表作が14編も収録されており、有名な 『みずうみ』 や傑作として評価の高い 『水に沈む』、そして本邦初訳の 『荒野の村』 なども含まれていて、全部で440ページもあるから、中身の濃さと量とを考えれば決して高価すぎるということはないと思う。

 編集と訳は日本シュトルム協会。 シュトルムに興味を持つドイツ文学者などが中心になって活動している団体で、私も会員である。 第2巻は8月の刊行が予定されている。

 なお、出版元の三元社のサイトと、この作品集の内容を紹介した日本シュトルム協会のサイトは以下のとおり。

 http://www.sangensha.co.jp/  

 http://homepage3.nifty.com/storm-japan/information.htm 

5月16日(土)      *公立高校の男女別学は機会均等に反するのか?

 本日の毎日新聞教育欄に、「関東以北に残る男女別学公立校 少子化でようやく共学化の波」 という特集記事が載っていた。

 公立高校でかなり男女別学が残っていた宮城県も共学になりつつあること、99年に当時の浅野知事が宮城県議会で 「男女共同参画社会推進のため県立校はすべて共学化すべきだ」 と答弁したことなどから記事が始まっていることからも分かるように、全体的に 「共学化=いいこと」 という基調で記事が書かれている。 もっとも伝統を重視して共学化に反対する意見があることも紹介されてはいるが、それはアリバイ作り程度にすぎない。

 私がこういう記事の書き方に疑問を覚えるのは、私自身が福島県立の男子高を出ており、そこも現在は共学化されているからである。 もっとも、私は共学か別学かについては、あまり確固たる意見を持っていない。 どっちでもいいような気もしている。 逆に言うなら、共学化がすばらしいとも思っていない。 それは色々な論点を考慮して決めればいいことで、最初から共学化がいいことと決めてかかるのはおかしいだろうと考えている。

 私が共学化に疑問を覚えるのは、共学化後の私の母校が、大学進学実績において一向に向上していないようだからである。 男女別学校というのは、地方都市にあっては戦前の旧制中学や旧制高等女学校だった頃からそうなっていたから、という場合が多い。 言うまでもなく、戦前の地方都市の旧制中学 (男子校) と旧制高等女学校 (男子が行く中学に相当する女子の学校) は進学率の低かった当時にあってはエリート養成所であり、戦後の新制教育体制時代に入って高校にはほとんど誰でも行くようになっても、成績上位の生徒が集まる進学校でありつづけた。

 それはつまり、同じ地域に進学校が2つある状態を自然に作りだしていたことを意味する。 ところが共学化がなされると、男子校だったところに成績上位者が集中するため、女子校だった学校は進学校ではなくなってしまう。

 かてて加えて、男子校だったところはでは大学進学実績で従来の2倍になるかというと、ならない。 ならないどころか、私の母校を見る限り、男子校だった頃と大差ない状態のようなのだ。 これでは、事実上共学化は失敗だと言わざるを得ないだろう。

 と書くと、高校は大学進学のためだけにあるんじゃない、というような反論も出るかも知れない。 しかし、大学進学に実績のあるエリート校が存在することは非常に大切なことである。 それは地方都市に住む優秀な男女生徒に、自分の能力を発揮できるような学歴をつけさせるための場所が大都市圏に劣らずあるということなのであって、機会均等という民主主義の最大理念に沿った状態に他ならないからである。 無理な共学化は、そうした機会均等を破壊してしまう。 つまり、宮城県の浅野知事が言うのとは逆に、共学化は機会均等を奪っているのではないか。

 そのように私が考えるのも、大都市の私立進学校は大半が男女別学になっているからである。 なぜか? 別学のほうが異性関係でのトラブルがなくて管理がしやすいということもあるだろうが、別学の方が進路指導がしやすく進学実績が上げやすい、ということがあるのではないか。 実際、大学進路指導については男子生徒と女子生徒ではやり方を変えた方がいいといった意見はよく聞くところである。

 毎日新聞の記事には、こういう場合は良くあることだが、世の流れを是認するだけの軽薄な学者の意見が載っている。 聖学院大学の小川洋という教育学者の見解だが、「男子校には理系教育を強化することがあっても女子校にはそうしたことはあまり聞かない。 理系教育を受ける優秀な女子が少ないのは社会にとってデメリットだ。 だから共学にすべきだ」、というのである。 アホらしい。 それなら女子校の理系教育を充実させればいいだけの話ではないか。

 いずれにせよ、共学か別学かは性急に決めるべきことではなかろう。 既存の別学校があって、その状態に大きな問題がないのなら、そのまま続ければいいだけの話だと思う。 

 さらに付け足すなら、公立学校で別学をやめるべきだと考えるなら、まず国立女子大学を率先して廃止すべきだろう。 言うまでもなくお茶の水女子大学と奈良女子大学のことである。 公立高校は男女別学であっても、男子校と女子校があるのだから、とりあえず機会は平等である。 しかし国立大学の場合、男子校は存在しないのだから、女子だけしか入れない国立大の存在は機会不均等の最たるものであることは明らかだ。 浅野宮城県前知事や小川洋聖学院大学教授は、即刻国立女子大学の廃止を訴えるべし! 

5月15日(金)      *松山冴花+津田裕也リサイタル (りゅーとぴあ・プライム・クラシック1500 第5回)     

 夜、標記の演奏会に出かける。 りゅーとぴあ主催では久しぶりのヴァイオリン・リサイタル。 会場はりゅーとぴあコンサートホール。

入りは、1階が6〜7割程度、2階正面Cブロックも同じくらいだっただろうか。 あとB・Dブロックに少々。 先日の枝並千花さんのリサイタルと比べると6〜7割の入りということになる。 同伴した女房は昼の1コインコンサートのほうにも行ったが、その時はもっと沢山入っていたそうである。 500円という料金と主婦も行きやすい時間帯ということが大きいのだろう。 人により来やすい時間帯は異なるから、コンサートは夜やればいいというものではない、という結論になるか。 私はCブロック2列目で聴いた。

 プログラムは、前半がベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番 「春」 とドヴォルザークの 「4つのロマンティックな小品」。 後半がフランクのヴァイオリンソナタとサラサーテの 「カルメン幻想曲」。 アンコールに、サラサーテの 「サパテアード」 とバッジーニの 「妖精の踊り」。

 松山さんの演奏を聴くのはまったくの初めて。 大器という噂も高い人だが、今回聴いた限りでは色々問題があるように思えた。

 まず、音。 先日の枝並さんと比較すると太めの音なので中低音に力がありそうに思えるのだが、なぜかその音があまり聴衆のほうに飛んでこない。 言葉でうまく言うのが難しいのだけれど、音が平べったくて底が浅い感じがするし、また楽器の周辺に音がとどまってこちら (聴いている私) に迫ってこないのである。 また高音はさほど美しくない。

 からダイナミックになりそうでいてならないし、力はないけど美しいというのでもない。音量や高音は別にして曲をどう捉えるかという点でも、情緒や心情をうまく表現できていない感じ。 どこかがさつで、感性的にどういう人なのかなあ、と思ってしまう。 「異形」 という言葉を使いたくなるほどこちらの感性とかけはなれた演奏ならそれも一興だが、そこまでは行っていない。

 一番良かったのは最後の 「カルメン幻想曲」 とアンコール1曲目の 「サパテアード」 だろう。 ここでようやく音がこちらに飛んでくるようになったし、ダイナミックさも出てきて、本領が発揮できたのかな、と。

 あと、それまでの3曲ではいずれもゆっくりした楽章 (ベートーヴェンの第2楽章、ドヴォルザークの4曲目、フランクの第3楽章) がすぐれていた。 情緒や平静な感情の表現というのではなく、何かに耐えているような趣きがあって、そこがいいと感じられたのである。

 「がさつ」 という言葉を上で使ったが、松山さんはトークでもピアノ伴奏の津田裕也氏に多くを任せて、自分では余りしゃべらない。 人前で話すのが嫌いなのか。 女房の話では、昼の1コインコンサートではそういう意味のことを言っていたそう。 下手におしゃべりが長い演奏家は私も嫌いで、むしろ音楽で勝負してもらいたいと願うものであるが、この夜の演奏会では残念なことに、トーク嫌いという性格が音楽の表現にもそのまま出てきているような感じで、気配りの人である津田氏に対してわがままなお姉さんという印象が残ってしまった。

 津田氏の演奏は、気配りと同時に繊細なニュアンスにも満ちており、音も美しく、先日の枝並さんの伴奏ピアニストより上だと思った。

 なお、前半は楽章間拍手もなく、先日の枝並さんの演奏会と違って大丈夫かなと思っていたのだが、後半、フランクの第2楽章のあとと 「カルメン幻想曲」 の途中で拍手が起こってしまった。 フランクのソナタがヴァイオリン・リサイタルの定番的な曲であることを考えると、この種の演奏会はまだまだ新潟では定着していないな、と残念な気がした。

   *        *        *

     *「インド諸島」 って?

 この日の午前中は授業である。 今年前期の2年生向け演習ではSFの研究をするということで、H・G・ウェルズの古典的SF 『タイムマシン』 を読んでいる。 用いているのは岩波文庫版で、ここには 『タイムマシン』 に加えてウェルズの短編が9編収められているのだが (『タイムマシン』 は中編である)、今朝、そのうちの1編を下調べで読んでいたら 「インド諸島」 という言葉が出てきた。 

 インド諸島? 西インド諸島なら分かるけど、インド諸島というのは聞いたことがないなあ――そう思ってインターネットで検索してみたけど出てこない。 それで原文でどうなっているのかを調べてみた。 さいわいにしてウェルズの作品は版権が切れているので、インターネット上に原文が公開されている。 原文だとIndiesである。

 この単語を英和辞典で引いてみると、「東インド諸島」 となっており、さらにその意味が書かれていた。 現在のインドネシア (ニューギニアは除く) やフィリピンのことを昔はこう呼んでいたという。 昔というのは、あのあたりが欧米の植民地だった時代ということだろう。 ウェルズの作品は19世紀の末に書かれていて、大英帝国最盛期の頃だから、作中にも植民地のことがよく出てくる。

 それにしても訳が不親切だ。  「インド諸島」 なんて言ったって分かるわけがないのだから注を付けておいてくれないと困るわけだが、その程度の配慮もない。 ちなみにこの岩波文庫は1991年が初版だが、訳者あとがきによると以前は旺文社文庫に収められていた訳を再録した作品が多いという。 「インド諸島」 という訳語が出てくる作品もそうである。 しかしいずれにせよ、普通の日本人が意味をとれない訳語をつけて平然としている訳者・橋本槙矩の神経が分からない。   

 ついでにもう一つ文句をつけておくと、別の作品に海王星という単語が出てくる。 太陽系で最も外側の軌道をもつ惑星と作中で言われているので、ここに注が付いていて、当時は冥王星が発見されていなかったからだとされている。 21世紀に生きるわれわれは、その後発見された冥王星が最近になって準惑星に格下げされたことも知っているわけだが、そこまで注に書かれていないのは1991年が初版だから仕方がない。 しかし、である。 注にはさらに、海王星は2つの衛星を持つとも書かれているのである。

 ここでまた私は首をひねった。 今のわれわれは海王星の衛星は13個だと知っている。 この作品も最初は旺文社文庫に収録されたようなので、多分その時点では海王星の衛星は2個とされていたのであろう。 だけど、1991年に岩波文庫の初版が出た段階では――ウィキペディアの記述によると――8個が発見されていたのである。 文学者だから天文学には無知なのかもしれないが、ちょっと困るなあ、と思った。 

 というわけで、訳者・橋本槙矩があんまり丁寧な仕事をする人ではない、ということがこの訳書から分かってしまうのである。 この人、調べてみたら、学習院の英文科教授でした。

5月9日(土)     *枝並千花ヴァイオリンリサイタル (りゅーとぴあ・コンサートホール)    

 本日は午後3時から標記の演奏会に出かけた。 娘同伴。

 東京交響楽団をやめて独自の演奏活動を始めた枝並千花さんの演奏会。 地元ということもあってか、りゅーとぴあ・コンサートホールの入りはなかなか。 1階席は8割かた埋まり、2階Cブロックも満席に近い。 あとBブロックとDブロックにも多少入っていたから、1階席と2階Cブロックが満席とした場合と同じ程度の客入りだっただろう。 つまり800人程度は入っていただろうということ。 まずは盛況おめでとうございます。 私は2階Cブロック5列目に席をとった (全席自由席)。

 プログラムは、東京で行われた3回のリサイタルからとったものだそうで、前半がオール・フォーレで、「ロマンスop.28」、「月の光op.46-2」、ソナタ第2番。 後半はドビュッシーの小組曲とフランクのソナタ。アンコールに、サン=サーンスのオラトリオ 「ノアの洪水」 より前奏曲、フォーレ (エルマン編) の 「夢のあとに」。 ピアノ伴奏は長尾洋史氏。

 フランスものを集めたプログラムだが、前半のフォーレはどちらかというと馴染みが薄い曲だった。 私も、フォーレのソナタ第1番は大好きなんだが、第2番となると、枝並さんも解説で触れておられたけれど、晦渋で把握しきれていない。 その晦渋な第2番を枝並さんはしなやかに弾いてくれた。 しかし晦渋さが薄れて把握できたかというと、うーん、という感じ。 無論これは枝並さんの演奏のせいではなく、晩年のフォーレの難解さ故ということ。 吉田秀和氏が、クラシックの名曲300曲を選ぶ本を書いて、だいぶたってから追記で 「フォーレのピアノ五重奏曲第2番を入れなかったのは勉強不足からだった」 と付け加えられていたが、そのピアノ五重奏曲第2番を含め、晩年のフォーレは私にはまだまだ近づきがたい作曲家なのだ。

 後半の演奏もそれなりだったが、私の体調のせいか、フランクの第2楽章の途中から急に音がよく出るようになったと感じられた。 客観性があるかどうか分からない。 半分眠っていた私の脳味噌が目覚めたか、私の鼓膜の調子が急に良くなったということにすぎないのかも知れないが、そのせいかどうか、私にはフランクの第3楽章がこの演奏会での白眉とも言うべき演奏に感じられた。 曲の素晴らしさを枝並さんなりに見事に料理して表現できていた、と感得してしまったのである。

 さて、以上のように水準の高い演奏会だったが、あえて注文を付けるなら、中低音の音の迫力がもう少し欲しいところ。 日本人演奏家は、高音の美しさやしなやかな表現は得意だが、西洋音楽の持つ強靱さ、エグさを表現するのにはイマイチという場合が多い。 その点が向上すれば、文句なしであろう。

 長尾氏の伴奏は堅実だったが、もう少し自己表現があってもよかったのではと思えた。 あと、音色の魅力がもう一つかな、とも。

 なお、東京での3回のリサイタルをそのまま新潟でやってもらえなかったことに、私は多少の物足りなさを覚えた。 もっともその頃は枝並さんはまだ東響に勤めておられたので多忙だったからだろうと思うが、もし新潟では東京と同じ内容のリサイタルをやるに値しないと考えられたのだとすれば残念と言うしかない。 今回の演奏会は上記のように入りがよかったのであるが、楽章間拍手が最後まで絶えず、ふだんクラシック演奏会になど来ない客がそれなりに含まれていたようだった。

 この辺はなかなか難しいところだが、私としては独立して演奏活動をするなら、一般性のある音楽会と本格的なプログラムでの演奏会を両立して行くしかないだろうと考える。 東京でやった3回のリサイタルは後者ですから、新潟でやるとすると無論りゅーとぴあではなく、だいしホールかせいぜい音楽文化会館で十分だろう。 一方、今回のような客層を相手にするならもう少しポピュラーな選曲が望ましい。 地元の新潟だからこそ、そういった客層を考えての両刀づかいを希望したいのである。

5月6日(水)      *ストラディヴァリア (ナント・バロック・アンサンブル) 演奏会     

 午後3時からりゅーとぴあコンサートホールで行われた標記の演奏会に出かける。 新潟市とフランスのナント市の姉妹都市提携を記念しての市民招待演奏会。 往復葉書で申し込んで、幸いにして当選したので、葉書1枚につき2名までということもあり、久しぶりに女房同伴で行く。 駐車場Aにクルマをとめたら、新潟のクラシック音楽ファンとして知られるTomoさんにお会いした。 私と同じ目的のようで、女性連れ。 新潟は狭い。

 無料招待のせいか、会場は客を入れていない舞台後ろのPブロックと、3階両端のF・Lブロックを除いてはほぼ満席。 これだけ入ると演奏家も力が入るだろうなと思う。 すでに正面のブロックは空いている席がほとんどなかったので、3階Hブロックに席をとる。

 この演奏団体は1987年に創設されたそうで、舞台上には7名〜11名の演奏家が登場。 本日のプログラムはオール・バッハ・プロで、前半がブランデンブルク協奏曲第3番と同第4番、後半が同第5番と管弦楽組曲第2番。

 古楽器を用いているためか、音の響きが渋い。 前半の第4番 (私が好きな曲) では、リコーダの音がヴァイオリンとの合奏の時は埋もれ勝ち。 やはり音量的に弦楽器に劣っているのだなと実感。

 後半のほうが演奏が良かった。 一人一人の奏者の音がしっかりしていて、アンサンブルも整っていた。 最後の管弦楽組曲もなかなか音楽的。 この曲も私は好きなのだが、有名なわりには実演で聴く機会がほとんどないように思う。 記憶をたどっても、過去に生演奏で聴いたかどうか、よく覚えていないのである。 それだけに曲の素晴らしさがいっそう身にしみた。

 なお、後半最初に最近ナント市の図書館で発見されたというモーツァルトの未知の曲の楽譜が演奏されたが、ヴァイオリニストによる解説 (通訳つき) が長たらしく、やや興ざめ。 もう少し簡潔にやってほしいところだ。

 それにしても、人口が新潟市より少ないナント市にこういうアンサンブルがあるのだから、新潟市も何らかの形で新潟を本拠地とするプロ演奏家集団を持つよう、考えるべき時期に来ているのではないだろうか。

5月5日(火)      *残念だった世界卓球選手権

 横浜で世界卓球選手権大会 (個人戦) が開催されていたが、日本の成績はイマイチであった。 私も、ひいきの平野早矢香さんが振るわなかったので意気消沈。 特にシングルスで2回戦敗退とは、意外も意外。 悪くてもベスト16くらいには行くと思っていたので、涙のインタビューも納得。 福原と組んだダブルスの試合はテレビで見たが、平野さんは調子が悪いなと思った。 大事な試合に向けて調子を上げていくのも一流選手に必要な条件である。 是非次回は頑張って欲しい。

 男女のシングルス決勝もテレビで観戦。 いずれも中国選手同士の対決だが、女子では27歳の女王・李怡寧が、20歳の郭躍の挑戦をしりぞけるところが見ものだった。 あまり表情を変えずに一見淡々と試合を続ける李を見ていて、誰かに似ていると思ったのだが、漫画家の竹宮惠子に似ているのではないか (発見!)。

 男子シングルスでは王皓の裏面打法の巧みさに驚愕。 かつて、1950年代から70年代にかけての卓球ではペンホルダー・グリップが優位であったが、近年はシェークハンドが主流になっている。 ペンホルダーはどうしてもバックが弱いからということなのだが、その点が克服できれば台上の細かいプレーはむしろペンホルダーのほうがやりやすいので、優位になる。 ペンホルダーの裏面打法が開発されたのは1990年代になってからだったと思う。 しかしそれが未だに主流にならないのは、技術的に難しいからだろう。 しかし王皓は、世界一の選手だから当たり前だが、実に楽そうに裏面で打球していた。 むろん、他の選手がやってもああはいかないので、そこが世界一たる所以なのである。 楽にやっているように見えて、相当練習を積んでいる。 一流の人は、そういうものだと思う。

5月4日(月)      *女に分からない男の食欲

 連休で、首都圏で会社員をしている長男と大学生をしている次男が帰省してきたので、中3の長女と合わせて久しぶりに一家5人が揃った。 それで本日は駅南のYという店に家族で食事をしにいく。

 私は知らない店である。 というか、街の中心部にある店は私は基本的に知らない。 ふだん来る機会がほとんどないからだ。 この店も、女房が以前来たことがあり、「腹一杯になる」 というので来てみたのだが、女の言う 「腹一杯」 はアテにならない。 一人前四千円強の値段で、しゃぶしゃぶを中心とした懐石料理だけれど、品数はそれなりだがどの皿も小ぶりで、肝心のしゃぶしゃぶもたいして量はなく、腹一杯どころか5分目くらいかなという感じだ。 私は別段大食漢ではないけれど、要するに女向けに考えられているからだろう。 また来ようとは思わなかった。

 一家5人が落ち着いて過ごせる個室で、窓から望める庭も洒落ており、いかにも高級な感じではあるが、腹が満たされないのでは料理屋の意味がない。 これならステーキ屋にでも入った方がいいというのは、男の共通した感想ではないか。 まあ、結婚してだいぶたつのに未だに男の食欲を学習する能力がない私の女房にも問題はありますが(笑)。

5月3日(日)      *毎日新聞の書評欄よ、大衆化を避けよ!

 本日は日曜日なので、毎日新聞の書評欄を読める日である。 毎日新聞の書評欄はなかなかマニアックなところがあって、一般人の目にとまりにくい本が取り上げられ、なおかつ書評の字数も多い。 本日も、ヨハネス・ケプラーの 『宇宙の調和』 が村上陽一郎によって紹介されていた。 ケプラーといえば大昔の天文学者、或いは天文学の先駆者程度に思われがちだが、実際には占星術や当時の哲学の影響下で宇宙を見ていたのだ。 ラテン語原著からの全訳だというこの本、工作舎から10500円という価格で出ており、私も自分のカネでは買おうとは思わないけれど、こういう地味な、しかし興味深い本が紹介されてしまうところが、毎日新聞の書評欄らしいのである。

 しかし、これがいつまで続くかは分からない。 数日前、毎日新聞で書評欄に対する読者の要望をまとめて紹介する記事があり、その圧倒的多数は 「もっと一般に親しみやすい本を」 「紹介の字数を減らしてほしい」 というものだった。 要するに大衆化、である。

 しかし私が思うに、毎日新聞の書評欄こそ、毎日新聞にあって最もすぐれている部分なのである。 最近は読売と朝日と日経の書評は共通したサイトで読めるようになっているが、それで分かっちゃうんだけど、この三紙とも書評欄に取り上げている本にはさほどの差はないのである。 まあ、朝日は、そちら系の本が一定数入ってはいますけどね。 この三紙に比べると毎日の書評欄は、基本的に高級紙ではない日本の全国紙の中にあって、珍しく高級紙と呼び得る部分なのだ。 (欧米の高級紙は、発行部数が少ない代わりに、知識人向けの作りになっており、書評でもかなりの字数を費やした文章が載る。)

 毎日には頑張ってほしいが、でも大衆化・短小化の時代、いつまで続くか、という気もする。

5月1日(金)      *最近聴いたCD

 *忘れられたロマンス (BMG, RCA Red Seal, BVCC-717, 1994年録音、1995年発売)

 チェリストのスティーヴン・イッサーリスがステファン・ハフのピアノ伴奏を得て作ったアルバム。 全体のタイトルとなっている 「忘れられたロマンス S132」 はリストの小品で、アルバムの最初を飾っている。 そのあとにグリーグのチェロ・ソナタが入り、次にリストの小品2つ 「エレジー第1番 S130」 「エレジー第2番 S131」 が続き、それからアントン・ルビンシテインのチェロソナタ第1番が置かれ、最後はまたリストの小品2つ 「尼僧院の僧房 S382」「悲しみのゴンドラ S134」 がしめくくっている。 この配列から分かるように、自分なりのアルバムを作ることをかなり意識して構成されたCDである。 そのコンセプトは19世紀のロマンティックな、しかし現在は必ずもしばしば演奏されないチェロ作品を甦らせようということだろう。 リストは、私としてもさほど好きな作曲家ではないが、これらのチェロの小品は結構聴けるのである。 そしてアントン・ルビンシテイン――彼はチャイコフスキーの有名なピアノ協奏曲第1番を酷評したことで音楽史に名を残すニコライ・ルビンシテインの兄である――のチェロ・ソナタは、私はこのCDで初めて聴いたが、第2楽章のロマンティックさが非常にいい。 第1・3楽章も悪くはないが、やや教科書的な感じだ。 グリーグのチェロ・ソナタは全体に佳品と言い得る曲で、なぜもっと演奏されないのか分からない。 この曲は私はNAXOSのエイスティン・ビルケランによる演奏で持っていたが、比較するとイッサーリスの演奏の方がテンポがやや早く、ひきしまった印象である。 最近yahooのオークションで購入。 なお、ピアノ伴奏のステファン・ハフ Stephen Hough がなぜかスティーヴン・ハフという表記になっており、ジャケットでも解説でも一貫して間違っているのである。 いくらスティーヴン・イッサーリスの伴奏だって、名前まで合わせなくたっていいじゃないか、と言いたくなる(笑)。 それはともかくとして、お薦めできるアルバムだと思う。 こちらからジャケットなどをご覧になれます(→)。 http://kakaku.fresheye.com/item_info/21114592961084.html 

 *トゥゲザー ―― パールマン&ズッカーマン (BMG, RCA Red Seal, BVCC-84, 1990年録音、1991年発売)

  イツァーク・パールマンがヴァイオリンを、ピンカス・ズーカーマン (ジャケットではズッカーマンという表記になっているが、ここではズーカーマンとしておく) がヴィオラとヴァイオリンを受け持って作られたCD。 収録曲は、モーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番ト長調K.423、同第2番変ロ長調K.424、ルクレールの2つのヴァイオリンのためのソナタ第4番ヘ長調op.3-4。 期待させる顔ぶれと曲目なのだが、聴いてみるとイマイチ面白みがない。 その理由は録音にある。 パールマンのヴァイオリンの音ばかりが目立ち、ズーカーマンのヴィオラ (モーツァルトの場合) がかなり小さな音で録音されているのだ。 別に私がズーカーマンびいきだから言うわけではないが、これではヴァイオリンとヴィオラが絡み合う曲の妙が表現できないのではないか。 録音技師にその辺が分かっていなかったのが致命的。 最近yahooオークションで購入。 こちらからジャケットなどをご覧になれます(→)。 http://www.7andy.jp/cd/detail/-/accd/C1059323 

 

 

 

 

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