読書月録2009年

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西暦2009年に読んだ本をすべて公開するコーナー。 5段階評価と短評付き。

  評価は、★★★★★=名著です。 ★★★★=上出来。 ★★★=悪くない。 ★★=感心しない。 ★=駄本。  なお、☆は★の2分の1。

 

・青柳いづみこ 『無邪気と悪魔は紙一重』(白水社) 評価★★★★ 2002年に出た本だが、最近他の本でほめられていたので、AMAZONで安く買って読んでみた。 「宿命の女(ファム・ファタル)」について、小説やオペラのその種の人物を材料に、はたまた実在の身近な例をも引きながら論じている。 女性ならではの鋭い視点が活きており、学術的な目配りもきいていて、面白いと同時に勉強になる本である。 マリア・カラスの声質と音楽的表現について書かれた章などは、クラシック音楽の本質に迫る部分と言える。 青柳さんは文才に恵まれた人ですね。 天は二物を与えるのです。

・岡本薫 『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書) 評価★★★ 4年近く前に出た新書をしばらく前にBOOKOFFで半額購入しておいたのをやっと読んだ。 著者は1955年生まれでOECD研究員や文科省官僚をへて大学教授になっている人。 日本の教育論議にありがちなパターンを分析して、その論理的な欠陥を指摘している。 色々教えられるところもあるが、形式論理に陥っているところもある。 例えば、大学は入学者を選べるのだから入学者の学力低下を嘆くのはおかしい、小中学校のように生徒を選べないところが言うなら分かるが、というような箇所。 この論理のどこがおかしいかというと、大学は入学者を選べると言っているところ。 入学者の学力を維持するために定員より少ない学生しか取らなかったとすると、少なくとも国立大学ならたちまち文科省から文句を言われることになる。 著者は文科省にも勤務していたはずだが、その程度のことも分からないのだろうか? これは一例だが、気の利いた批判が並んでいるようではあるけれど、どこか怪しいところもあるので、参考程度に読んでおいたほうがよさそう。

・小谷野敦 (編著)『翻訳家列伝101』(新書館) 評価★★★☆ 明治維新以降、日本の文化は多く翻訳によって形成されてきた。 そこにあって重要な役割を果たしながら、世間的には評価されることの少ない翻訳家に光を当てた好著。 最初に明治大正期の翻訳家が挙げられ、そのあと、仏文、露文、英文、独文、中文と続く。 さらに、推理小説やSF小説、児童文学の翻訳家も取り上げられているのがうれしい。 実際、延原謙や宇野利泰、南洋一郎などの日本文化への影響力はバカにならないはずだからだ。 ・・・・・・で、独文についての記述に少し注文をつけておくと、高橋義孝が抜けているのは小谷野氏も気づいているようだからいいとして、関楠生や大久保和郎は取り上げるほどの存在ですかね。 むしろ手塚富雄を入れるべきだったのでは。 あと、独文学者のナチス協力問題だけれど、関楠生や高田理恵子や池田浩士など、その方面の本を書いたりきちんと著書の中で言及している独文学者は少数なのであって、独文学界全体として 「戦争責任の追及」 なんかは全然していない。 むしろ、独文学者というのは時代の趨勢に逆らわず、自分の頭で物を考えることはせず (できず)、お上にきわめて従順な人間が非常に多いのだ。 だから、最近のように第二外国語に逆風が吹いていると、率先して 「ドイツ語を教えることには意義がない」 と自分から言い出してしまうのである。 少なくとも新潟大ではそうであり、また学会の理事たちはそういう連中の味方をしてしまうのである。 独文学者の意識はナチス時代から全然進歩していないのですよ、小谷野さん。  

・河本敏浩 『名ばかり大学生 日本型教育制度の終焉』(光文社新書) 評価★★★☆ 著者は67年生まれで同志社大および同大学院卒、予備校講師などをしている。 タイトルからすると、またぞろ大学生の質の低下や学力問題を取り上げた本かと思えるのだが、読んでみたところ、その種の本とはひと味違うアプローチをしていて、悪くない本だと気づかされた。 まず、70年代の東大の入試英語問題と90年代のそれとを比較して、後者の問題量が大幅に増えていることを指摘し、少なくとも上位の大学に関しては入試問題の難易度は昔より格段に上がっており、学生の学力低下などは見られない、と主張している。 また、最近の国立和歌山大学の国語入試問題と、東京の某名門私立女子中学の国語入試問題が同じ文章(出典)によっており、しかも問題量から言うと後者のほうが多い、という事実も指摘されている。 つまり、子供の中でも学力上位層はかつてより早い時期から難しい問題に慣らされているのであり、子供内部での学力格差が広がっているというのである。 事実、逆に、学力中位以下の高校では中学の初期で学習する事柄すら理解していないが生徒が大半であるというデータも示されている。 かといって、では定員割れしているような学力下位の大学は廃止すべきと言っているかというと、そうではなく、かつて中学や高校で生徒が荒れた時期には必ず入試や学校編成面での制度変更が起こっていたことを指摘し、世界の先進国での趨勢から言っても大学進学率の上昇は必然であり、日本が他の先進国に比して高等教育にカネをかけておらず、そのせいで私立大学の数や私立大学生数がダントツで多くなっている現状を批判している。 一読に値する本である。 

・許光俊 『オペラに連れてって! 完全版』(青弓社) 評価★★★ 下(↓)の 『オペラ大爆発』 がオペラ・中級者用の本であるのに対し、こちらは初心者用のオペラ読本。 オペラの一から分かるようになっていてそれなりに有用。 ただし、やはり著者なりの癖というか好みというか片寄りは見られ、最初に鑑賞すべき5作品にベルクの 『ヴォツェック』 が入っているとか、逆にモーツァルトの 『魔笛』 に対する評価が恐ろしく低いとか――私は学生に対しては 「これからオペラを聴いていこうという人は 『カルメン』 と 『魔笛』 から入るのがいい」 と言っているので――、ちょっとどうかと思えるところはあるけど、まあ、他のオペラ読本と併読すれば、この種の偏向(?)は気にすることもないかな、と思う。 新国の座席にすわっていると1時間で尻が痛くなる、というところはまったく同感。 どう見てもあの椅子は欠陥品だぞ!

・バルザック (石井晴一訳)『谷間の百合』(新潮文庫) 評価★★★☆ 授業で学生と一緒に読んだもの。 私としては高校時代に読んでから実に40年ぶりであった。 昔も新潮文庫で読んだのであるが、当時は今と違って2分冊で、しかも訳も小西茂也で別人であった。 小説の世紀である19世紀の、フランスを代表する作家の、そのまた代表作であるが、改めて読むと、当時の貴族がコネクションを非常に大切にしていたこと――これは案外今にも通じるのかも知れないが――、この物語が革命と王政復古という価値観が激動する時代の産物であって、そうした時代の動向と人間の恋愛とが切り離せないということ、書簡体を用いることによって人間の主観を主観として強く打ち出すことが可能になっていること、などなど、色々と面白い発見があった。 それにしてもバルザックは能弁で、日本人なら同じ内容でも半分の分量で済ませるだろうな、とも思ったことであった。 なお、375ページの 「アベルよ、カインはいずこにおるや」 は、言うまでもなく 「カインよ、アベルはいずこにおるや」 の間違い。 それと、本の最初に人物表を付けておいた方が読者には親切。 特に、授業ではダドゥール夫人とアラベル夫人が同一人物だということが自分では分からない学生がいたけど、それも無理もないので、ワタシは西洋文学を読むのに慣れているからダドゥールが姓でアラベルはファーストネームだろうと見当がつくけど、慣れてない人からすると、いきなりダドゥール夫人という表記とアラベル夫人という表記が入り混じって出てきたら分かるわけがないのである。

・中川右京 『3時間でわかる「クラシック音楽」入門』(青春出版社) 評価★★★  クラシック音楽評論を扱う授業を毎年やっているが、クラシック音楽入門を懇切丁寧にやっているわけではないので、その代わりに学生には入門書を何冊か紹介している。 これもその1冊だが、実は読んだことがなかった。 まったくムセキニン教師であると反省いたしますが、先日BOOKOFFで見かけたので購入して反省しながら読んでみました。 まあ、悪くない本だと思う。 ただし、これはクラシックを網羅的に紹介しているのではなく、クラシック音楽というものがベートーヴェンやハイドン・モーツァルトのウィーン古典派を中心としてできあがっていることをまず説明し、それ以前とそれ以降は付随的に紹介する、という記述法をとっている。 それはそれで一つの見方であり、下手に網羅的な紹介をするよりも歴史的にクラシックという概念が形成されてきたことともリンクしているので、悪くないと思う。 英雄交響曲以前のベートーヴェンの交響曲はいずれも30分に満たない、などという記述の瑕瑾もあるけど、気にしないことだろう。 

・青柳いづみこ 『六本指のゴルトベルク』(岩波書店) 評価★★★☆ ピアニストにしてエッセイストの著者が、クラシック音楽やジャズが出てくる小説を紹介し、なおかつクラシック音楽の専門家から見るとどう読めるか、何が連想されるか、などその方面の知識もそれなりに盛り込んだ本。 話題が多方面に渡っていて、楽しく読むことができる。 また著者の読む小説も広い領域をカバーしているので、小説案内としても充実したものになっている。

・許光俊 (編著)『オペラ大爆発!』(青弓社) 評価★★★☆ 9年前に出た本で、許光俊の「クラシック恐怖の審判」シリーズのなかの1冊。 私はほかの2冊は出た当時すぐ買って読んだのであるが、本書は、オペラへの興味が小さいこともあって買わずにいた。 最近ようやく私もオペラを聴く(見る)ようになってきたことと、たまたまBOOKOFFで見かけたので、買って読んでみた。 内容的には、9年前の本だし、多少古びているところもあるが、オペラ映画の愉しみだとか、ドイツオペラ裏街道だとか、結構マニアックで、それなりに知識がつく。 ただし、オペラの基本的で正統派的な知識を仕入れるには向かない本。 そのためには普通のオペラ教本を読んだ方がいい。 

・西尾幹二 『GHQ焚書図書開封 3』(徳間書店) 評価★★★★ 戦後、日本に進駐してきたアメリカ軍が図書館などから回収させた図書を紹介するシリーズの第3巻。 今回も、かの大衆作家にして出版社・文芸春秋を立ち上げた出版人としても名高い菊池寛の 『大衆明治史』 をはじめ、興味深い本が多々並んでいる。 戦前の中国が国民国家としての体をなしていなかったこと、中国大陸に進駐してきたフランス兵の悪質な略奪ぶりなど、色々な事情が分かってくる内容。 また、今回は溝口郁夫氏の寄稿もあり、GHQによる焚書の内容が統計的に整理されているので、アメリカ側がどのような統制をもくろんでいたのかも分かりやすくなっている。 また「侵略」という言葉が戦前の日本にあっては欧米の政策にのみ使われていた、という指摘も貴重。 19世紀以降の歴史の大きな流れをつかむなら、侵略者とは欧米のことであるというのは当たり前のことなのであるが、その当たり前のことが分からなくなっていたのが戦後日本の歴史業界だった、ということがはっきりしつつあると言っていいだろう。

・酒井健 『バタイユ』(青土社) 評価★★★★ 法政大学教授でフランス文学者・哲学研究者の酒井健氏の最新刊(と言っても出たのは今年の春だけれど)。 もともと酒井氏はバタイユの専門家で、すでにバタイユについての新書も出しているが、この本はさらに今までにない視点や領域からバタイユの本質を追究しようという意欲的な試みである。 夜、グノーシス、非−知、死、中世という5つの章立てによって、概念中心では捉えがたい微細なバタイユの独自性、そしてバタイユが評価していた近代以前の人間の生命観などを、現代に甦らせようとしている。 速読はできない本だが、こうした章立てにぴんとくる方にはお薦めである。

12月  ↑

・潮木守一 『職業としての大学教授』(中央公論社) 評価★★★★ 教育学者・潮木氏の本はいつもハズレがないけど、今回も期待を裏切らなかった。 大学教授という市場がどうなっているのか、日本は他国と違ってなぜ講師や准教授のほとんどが教授になれるのかを、英米や独仏と比較しながら、最新事情や学者の市場、他の職業と比較した場合の有利さ不利さなどに目配りしつつ論じた本。 英米仏独の大学教授事情が分かるのがまず情報としてありがたい。 拡大を続ける高等教育への対処法は国ごとに異なっており、しかし教授の質を維持するための方策をこれら先進国は持っていたのに対して、日本はその辺がかなりあやしかった、と指摘している。 また、最後に、いわゆるオーバードクター問題を解決するため、日本の大学院博士課程は一時学生募集を中止しては、という思い切った提案をしている。 著者の主張に賛成か反対かはともかく、他の先進国の高等教育事情を知るためにだけでも読んでおくべき本である。

・西尾幹二 『権力の不在は国を滅ぼす 日本の分水嶺』(WAC) 評価★★★ 西尾幹二氏が8月に出した評論集。 総選挙前に出ているのでやや内容的に古くなっている部分もあるが、近年のアメリカの衰退と中国の台頭の中で、戦後支配的だった歴史観が変化せざるを得ないだろうと指摘し、また日本が抱えているさまざまな問題――皇室問題、外国人参政権問題、北朝鮮問題、二世三世ばかりでひ弱かつ不勉強な政治家たち――に言及しながら、今後日本が困難な時代を迎えるであろうこと、それを乗り切るためには政治家も国民も現状認識をあらためて危機意識を持たねばならないことを訴えている。

・瀬川松子 『中学受験の失敗学 志望校全滅には理由がある』(光文社新書) 評価★★★ 『亡国の中学受験』 が面白かったので、同じ著者のこの本をAmazonから古本で買って読んでみた。 首都圏で子供の中学受験に奔走する親たちの異常な行動ぶりや、カネ儲けのためにそういう親や子供を食い物にする受験塾の様子がよく分かる。 子供の理解能力を把握せずにとにかく塾に長時間行かせておけば成績が上がると思い込む親のダメさ加減もさることながら、先天的な能力差というものが人間にはあるのだという当たり前の事実が分かってない人間が結構多いという事実に改めて驚かされた。 また、出来のいい子供が塾内で分かりの悪い同級生に、「先週やったところなのにどうして分からないの?」 と言ったらイジメの対象にされてしまったという話を読むと、出る杭は打たれる式の日本的人生の智恵がこういう形で現れているのだなと、なんだかせつない気分になりました。 なお、最後の方では成績のイマイチな子供が中学受験する場合の実践的な対処法も書かれているので、中学受験を批判する立場でない人にも参考になります。

・許光俊 『オレのクラシック』(青弓社) 評価★★★ クラシック評論で知られる著者が、本音で語った評論集。 「オレの・・・」というタイトルは、本音をさらけ出しますよ、という意味らしい。 嫌いな指揮者を列挙したり、ウィーンという都市のタチの悪さを指摘したり、さらに大学やグルメやクルマについても語ったりしている。 それにしても、著者は外車を乗り継いだり、グルメに走ったり、また年に数回外国に行っているようで、どうやってカネを作っているのだろう、と私なんぞは不思議に思う。 著書で印税が入るからというわけではなく、クラシック音楽なんかを論じた本では、基本的に持ち出しだと――つまり印税よりそれ以前にコンサートなどに費やしたカネ (外国に行く費用も含む。 著者は国内のコンサートにはあまり行かないそうだ) のほうが多いからだ――著者自身言っているくらいだし、著者の勤務する慶応は (私はよく知らないけど) 私大としてはさほど給与も高くないはずだし、やっぱり裕福な家庭に育っている人なんだろうか。 ちなみに著者は自分が日本国籍を持っていないことにも言及していて、気楽でいいと言っているけど、その辺の政治論は、まあ、笑って読み飛ばしませう。 吉田秀和だって政治音痴だし、音楽評論家に政治の分かる人はいない。 それは悪いことじゃないしね。

・瀬川松子 『亡国の中学受験 公立不信ビジネスの実態』(光文社新書) 評価★★★ 出たばかりの新書だが、タイトルがいいのでつい買ってすぐに読んでしまった。 著者は以前にも中学受験に関する新書を出しているお茶大の院生だけれど、そちらは私は未読。 日本の首都圏では私立中学受験が盛んだが、これについてかなりシビアな視点から問題を指摘している。 まず、公立中学への不信感をあおるのは私立中学が少子化の中で生き残ろうとするための意図的な情報操作なのであり、実は私立中学高校にもかなり問題があるのに、それを隠蔽して、きれい事の宣伝ばかりしているという実態がある。 また、本来中堅校や準中堅校――つまり中の下ということ――なのに、無理に進学実績を上げて生き残ろうとする余り、むやみに授業のレベルを上げ進度を早くし、脱落者が続出している学校もあり、そうした学校の生徒は塾に通わないと授業についていけないので、何のために私立中学に進んだのか分からなくなってしまうのだという。 そもそも、私立中学に行けるのは親に一定以上の収入がある階層であり、義務教育段階でそういう選別がまかり通るのは民主主義の原則に反するわけだが、そういう基本的なことをおろそかにしている最近の日本は、明らかにおかしい。 まさに亡国と言わずばなるまい。 そこを衝いた著者の姿勢に私は大賛成である。

・マークス寿子 『英国貴族になった私』(草思社) 評価★★★ 授業で読んだ本。23年前に出た本だが、70年代に大学での勉強のために英国に渡りながら、色々あってその方面での仕事を完遂できず、そのうちなぜか英国貴族の嫁さんになってしまった――そしてやがて別れた――著者の半生記である。 そこそこ面白い。 ただ、著者は基本的に色々な男性と関係を持つタイプらしいが、その辺の掘り下げが、タイトルになっている英国貴族との結婚の経緯も含めて、あまりないのが残念。 70年代英国の様子を描いた本としては悪くないと思うけど。

・青砥恭 『高校中退――いま、貧困がうまれる場所』(ちくま新書) 評価★★★☆ タイトル通りの本である。 高校中退者の実態を追い、彼らにインタビューしたり、その育った家庭の状況を描写したりする一方で、中退者は低学力者であるだけでなく、貧困層であり、高校の学校別学力は、親の収入の度合いに見事に比例していることが各種のデータから説得的に証明されている。 また、日本が所得再配分をいかに怠ってきたか、困難な状況下で高校に通おうとする生徒への支援策がいかにお粗末かも明らかにされている。 東京と大阪という二大都市圏では、就学援助がなければ義務教育すら受けられない生徒がほぼ4人に1人という実態を知ると、驚く人も多いだろう。 日本の子供の貧困はそこまでひどくなっているのだ。 これではとても先進国などと名乗れない。 著者は時として生徒の競争そのものを否定する傾きもあって、そのあたりは賛成しかねるが、貧しさゆえに高校を辞めていく生徒たちを公的に支援すべしとする基本的な主張には大いに共感した。

・河合信和 『旧石器遺跡捏造』(文春新書) 評価★★★☆ 6年前に出た新書。 今さらながらに読んでみた。 言わずと知れた、アマチュア考古学者・藤村新一が埋め込んだ旧石器に専門的な考古学者たちがだまされていたという事件の全貌、およびその背景を追っている。 著者は朝日新聞記者で、自分でも藤村をヨイショする記事を書いた前歴があり、その反省も含めて事件について再考している。 旧石器発掘を必要以上に持ち上げたマスコミの体質、および外部から批判があっても受け付けない考古学界や学者の体質が問題なのではあるが、私が今さらながらに思うのは、これは考古学だけではなく、他の分野についても言えることじゃないか、ということである。 ドイツ文学で言えば、戦時中の思想的なナチ協力に戦後は口をつぐんだり、最近なら積極的に大学の第二外国語つぶしに奔走しているドイツ語教師たちの醜悪さを隠蔽しようとする連中の問題につながっているということである。

・夏目漱石 『草枕』(新潮文庫) 評価★★★ 授業で取り上げて学生と一緒に読んだ本。 私が以前にこの小説を読んだのはたしか中学時代だから、実に40年以上ぶりに読んだことになる。 無論、冒頭の有名な文章以外は忘れていた。 難しい漢語がやたら出てくる箇所と、割りに簡単に読める箇所とがある。 小説としては、那美という女性が奔放に振る舞い、裸体をさらすシーンもあったりするので、まあサービス精神が行き届いているとは言える。 芸術論の小説としてもそれなりに面白いが、いかにも小説という態はなしていない。 授業で取り上げないと、なかなかこういう作品は読めないな、というのが正直な感想である。 中学時代は何を読んでいたのかなあ。

・橘木俊詔 『東京大学 エリート養成機関の盛衰』(岩波書店) 評価★★☆ タイトル通りの本である。 色々な方向から東大に肉薄しようとしているのだが、何というか、もう一つ決定的な面白さに欠けている。 立花隆だとか竹内洋だとかの本からデータを借りてきているけれど、著者自身の判断はかなり凡庸というか、通俗的な匂いがするのである。 世間での東大イメージを肯定するようなことばっかりなのだ。 これは著者が以前に新書で出した 『早稲田と慶応』 でも同じで、世間的な早稲田イメージ、慶応イメージを漠然と肯定するようなことしか書いておらず、データにものを言わせた意外性、みたいなものが全然出ていなかった。 基本的な思考法が通俗的かつ凡庸な人なんじゃないだろうか。

・雨宮処凛 『プレカリアート デジタル日雇い世代の不安な生き方』(洋泉社新書y) 評価★★★ 今さら読んだ雨宮処凛の本の第2弾。 2年前に出た新書だが、前半は日本の若い世代がいかに不安定な日雇いになってしまうか、いったんそうなるとなぜ抜け出せないのか、そういう若者を搾取するあくどい業者がちゃんと(?)生まれている実態などについて書いていて、まあまあ面白い。 後半の座談会や、石原慎太郎との対談は、イマイチの感。 もう少し若者のおかれている状況を精査して書いてくれたほうがいい本になったんじゃないかな。 

 11月  ↑

・土佐昌樹 『アジア海賊版文化 「辺境」 から見るアメリカ化の現実』(光文社新書) 評価★★★☆ ハリウッドの映画が中国やミャンマーでどのように海賊版として出回っているのか、そしてそれはなぜか、なおかつ現地文化にどのような影響を与えているのか、といったことを書いた本。 また韓流の意味についても考察している。 ただし、そういったアジア文化だけにとどまることなく、そもそもコピーというものが――海賊版も一種のコピーである――文化に対してどのような役割を果たすのかについても言及しており、そこからコミュニケーション行為や公共圏ということでハーバーマスなどにも触れていて、それはそれで面白いのだが、やや手を広げすぎていて、まとまりを欠いたような印象もないではない。 しかし一読の価値は十分にあると思う。

・仲正昌樹 『Nの肖像』(双風舎) 評価★★★★ 思想関係でたくさん本を出している金沢大学教授・仲正昌樹氏が、自分の半生を綴った本。 特に、仲正氏は学生時代に統一協会 (原理研) に所属していた (現在は脱会) ことを公言してきたわけだけれども、本書を読むとどうしてそうなったのかが分かるし、統一協会の内部がどうなっているのかも分かって、なかなか興味深い。 要するに広島県の、東大への合格者があまり出ない高校から東大に入ってしまった仲正氏は、都会出身の同級生にコンプレックスを持ち、仲間ができないでいるうちに統一協会の人に受け入れられて、ずぶずぶと入っていってしまったということらしい。 ただし今は脱会しているものの、そもそも信教の自由が近代国家の大前提である以上、実定的な犯罪行為を冒したならいざしらず、そうでないのを統一協会だというだけの理由で差別するのはおかしいという意味のことをも氏ははっきり言っており、それはその通りかな、という気もする。 というのも、仲正氏は大学院に進もうとして、統一協会だからという理由で落とされた過去があり、左翼が強い東大の体質にはそういう意味で問題があったという認識を現在も崩していないからである。 したがって、大学院に進むのも大幅に遅れ、就職できるかどうかと焦ったということである。 19回くらい公募に出して金沢大に採用されたという。 これでもかなり運が良かったほうだと書いているが、1997年だから、相当に大学院生の(大学への)就職事情が厳しくなっていたということだろう。 ちなみに私は10回目の公募で新潟大に拾われました――1980年だと東大卒でなくともこのくらいだったのである。 閑話休題。 仲正氏は現在は金沢大で教授になり、家賃1万円の宿舎に住み、それなりの生活ができるようになっているとのことで、良かったですね、と言って上げたい。 しかし、こんなところに書くのもナンですが、仲正先生、日本独文学会北陸支部の会費、しばらく滞納なさっているのですが、払って下さい。

・雨宮処凛+萱野稔人 『「生きづらさ」 について 貧困、アイデンティティ、ナショナリズム』(光文社新書) 評価★★★☆ 1年前に出た新書。 実は雨宮処凛の本を読んだことがなかった。 萱野氏は以前、雑誌『思想地図』創刊号でその発言を読み、今でもアカデミズムには根強い左翼系の窮屈な思考とは無縁の人だと感心したので、彼と雨宮氏との対談集なら面白いかも知れないと思い、入手して読んでみた。 雨宮氏の思想的な経歴、そして一時期右翼団体に所属しながら、アイデンティティがないより所属する場所がどこであれあったほうがいいという主張には共感するところ大であった。 また萱野氏もそれを無下に否定せず、むしろ高学歴左翼がどこにも所属するべきでないというような、凡人には無理な主張を平気で言い散らしていることへの批判を述べていて、これまた共感するところ大であった。 萱野氏はフランスの状況をも詳しく述べているので、日本との比較で参考になるし、雨宮氏によると最近は左翼右翼の枠を越えて若者たちが最低限の収入を要求する運動を日本で起こしているそうで、今後の成り行きが注目される。 

・小谷野敦 『私小説のすすめ』(平凡社新書) 評価★★★ 私小説は日本独自な文学ではないし、また私小説だからダメというものでもなく、小説を書いてみたい人は私小説で行ったらどうか、というようなことを主張した本。 テーマはまことに面白い。 ただし、これをやるには新書という枠では小さすぎるという気がする。 私小説と社会性の関係についての小林秀雄の言い分から始まって――小林の主張に関する考察が弱いように思う――中村光夫の田山花袋批判も、単にその後分かった事実関係に基づいての論難だけでなく、中村という人――著者も指摘しているように実は中村の素性とか全体像はよく分からないところがある――をもう少し総合的に検討する必要がありはしないか。 あと、大塚英志批判はもっと徹底的にやってほしい。 実は最近、学生や、若い大学教師でも、大塚英志や東浩紀の文学理解の枠で済ませてしまう向きが多いので、私など古い世代は困っているのである。

・木田元 『なにもかも小林秀雄に教わった』(文春新書) 評価★★★☆ 1年前に出た新書。 タイトルだけ見ると小林秀雄賛美の本みたいに思えるけど――そういう部分もあるが――実際は現象学の研究者として知られる著者が、若い頃の読書体験や、本来は大学に行くコースとは違った道を歩んでいたものがどうしてもハイデガーをやりたくて一念発起して大学の哲学科に進もうと決意するに至った思想遍歴を回想した本である。 著者が哲学に興味を抱いたのは戦争直後であり、まだ教育制度は旧制で、著者は旧制中学卒業後は農林学校に入っていたために、旧制高校生に比べると大学受験にハンディがあったが、それをいかに乗り越えたか、また大学に入ってからいかにヨーロッパ語数種類を次々と会得したかを語る部分には、今どきの恵まれた環境で大学受験を目指す若人、或いは恵まれた環境で大学性生活を送る人たちにも新鮮な驚きを提供するであろう。  

・市川眞一 『政策論争のデタラメ』(新潮新書) 評価★★★ 環境、医療、教育、郵政改革、官僚を材料に、しばしばマスコミなどに登場する俗論をまな板に載せ、はたしてそれらが正しいかどうかを吟味し、今後日本が取るべき政策を提言した本。 教育について言えば、アジア各国が教育を重視し知的競争の将来性を見通した上で教育に投資しているのに、日本はそれを怠っているというのは全く同感である。 ただし個々の提言には必ずしも賛成できない部分もあるが、世の中に流通している俗論を批判した部分には一読の価値があると思う。

・宮内芳明 『シュトルム研究』(郁文堂) 評価★★★★ 15年ほど前に出た本。 ドイツ文学者が、19世紀ドイツを代表する小説家・詩人であるシュトルムについて、その生涯と主要作品をたどった本。 昔ひろい読みしたことはあったが、今回、必要があって改めて通読してみた。 必要な事柄がバランスよく記述されているし、時代背景やシュトルムが住んだ町についての描写も分かりやすいし、作品の紹介も的確で、私のようなドイツ文学者が読んでもそれなりに教えられるところがあり、いい本だな、と今さらながらに感心しました。 ブンガクの専門書的な臭みもないので、普通のシュトルム文学ファンにもお薦めです。

・三島由紀夫 『潮騒』(新潮文庫) 評価★★★ 三島の有名な小説だが、必要があって改めて精読してみた。 一般にこの小説は、三島には珍しく若者同士の率直な恋愛を、『ダフニスとクロエ』 などを意識しながら書いたものということになっているが、私の見るところ、都会育ちの著者の意識がそれなりに語りに現れているし、また最後の大作 『豊饒の海』 に至るまで変わらなかった三島の資質、もしくは固定観念のようなものががすでにうかがえる作品ではないだろうか。 特に、ヒロイン初江に対して、インテリ女性の千代子が出てくるあたりの設定の仕方にそれが見られるような気がする。

・高野潤 『アマゾン源流 「食」 の冒険』(平凡社新書) 評価★★★ 1年前に出た新書。 著者は写真家で、主として南米を根拠地に活動している。 本書はその南米、特にアマゾン川の周辺を中心に、現地ならではの食について語った本。 といっても上等なレストランなどではなく、写真を撮るために奥地に入っていって、現地人の日頃の食生活に触れたり、途中で食糧にするために生きたブタを運んでいったけど結局殺せなかったとか、悪名高いピアニアも食べられるとか、珍しい話が次々と出てくる。 私はグルメには興味がないけれど、こういう、遠い世界の日常的で気取らない食のお話はそれなりに面白いと思えた。 カラー写真入り。

・奥村禎秀 『水族館狂時代 おとなを夢中にさせる水の小宇宙』(講談社現代新書) 評価★★☆ 3年前に出た新書。 著者は最初テレビ局勤務で、のちに水族館や植物園・動物園の企画設計のコンサルタントとなった人。 ここでは日本の水族館を中心に、アメリカの大規模な水族館にも触れている。 うーん、著者は水族館が大好きだということはよく伝わってくるのだけれど、私のようにここ数十年水族館に行ったことがないという人間に、「うん、今度行ってみよう」 と思わせるだけの魅力が記述に備わっているかというと、疑問である。 どうも著者は、自分が好きだという事実を書くことで手一杯で、著者と違う資質を持った人間を説得する技術というか、能力に欠けているような感じである。 

10月  ↑

・ハーマン・メルヴィル(八木敏雄訳) 『白鯨 (中)』(岩波文庫) 評価★★★ 有名な小説の中ほど。 饒舌な語りは変わらず、話の進みかたもノロいけれど、まあこういう調子に慣れてくるとほどほど面白いかな、という気はする。 当時の捕鯨船の水夫にも鯨肉を好んで食べる者がいたとか――ただし全員ではない――なるほどと思えるエピソードもある。 あと、当時の捕鯨は英米が中心で、フランスやドイツはどちらかというと批判的な眼で見られているところも面白い。 英語国って、19世紀から非英語国を差別的に見ていたんだなあ。

・河合幹雄 『終身刑の死角』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ ヨーロッパ先進国は死刑廃止が主流だが、日本国内でも、死刑と無期懲役刑の間の間隙が広すぎるとして、絶対に刑務所から出られない終身刑を導入すべきだという人たちがいる。 この本は、法学者が専門的な立場から、この議論に対して批判的な意見を述べたものである。 その前段階として、現在の日本の刑務所の実態、犯罪者の中で刑務所に入れられる犯罪者の比率が日本は欧米よりかなり低い――つまり犯罪者を 「執行猶予」 などでなるべく刑務所に入れないようにしている――という事実、無期懲役でも模範的囚人なら十数年でシャバに出てこれるというのは昔の話で今はほとんど出て来れなくなっているという現実、刑務所内で30〜40年を過ごしてシャバに出てきても生きていけない――家族や知り合いはいないし生活の手段もない――という実情、それでも刑務所から出られるという希望があれば囚人も生けていけるけどその希望がなくなったら生きて行けなくなる可能性があること、などなどを紹介して、終身刑がはたして残酷さにおいて死刑に劣るのかどうか疑問だとしている。 あまり一般には公開されていない刑務所の実態にはなるほどど思わされるし、単に 「いつまでも刑務所に閉じこめておくのはかわいそう」 というシロウトの感傷では物事は解決しないのだと分かってくる。 敢えて不満を述べれば、外国の例が多少は引かれているけれど、もう少し沢山、体系的に出してほしかった。

・三島由紀夫 (山内由紀人編) 『三島由紀夫映画論集成』(ワイズ出版) 評価★★★★ 10年前に出た本。 三島由紀夫が映画について語った文章を、ほぼ網羅した、700ページ近くに及ぶ書物。 時代的にも、雑誌などで欧米の映画について評論的に語っている初期のものから、自分が俳優として映画に出演したり、さらには自作小説『憂国』を自分の手で映画化したりする時代まで及んでおり、その発言内容は多岐に渡り、三島なりの映画哲学のようなものが伝わってくる。 三島の全集から映画に関するところを集めたものだが、何しろ三島の全集は、新旧とも40巻以上に及ぶ浩瀚なもので、評論だけに限っても相当量になるだけに、こういう本を作り上げてくれた編者の山内氏には感謝したい。 私は今回、必要があって読んだのだけれど、必要がなくて何となく読んでも面白い――三島の評論文は何でもそうだが――本である。

・美内すずえ 『ガラスの仮面 第43・44巻』(白泉社) 評価★★★ 長らく単行本が出ていなかった長篇マンガの 『ガラスの仮面』 が、この春からまた単行本化されるようになり、最近第44巻が書店に並んだので、春に出た43巻と一緒に買ってまとめて読んでみた。 うーむ、昔の路線に戻っていますね。 直前まで、ちょっと逸脱気味だったような感じがあったのだけれど。 しかし、紫織さんが真澄とマヤの関係を知ってしまい、これからどんどん悪役化していきそうなのが、おいたわしい。 私は紫織さんファンなので、彼女が一日も早く真澄と結婚するよう祈っています。 なんてこと書くと普通のガラカメ・ファンからは叱られそうだが、私が真澄だったら、美人でしとやかで教養豊かで気配りの人でもある紫織さんのほうを選びますけどねえ・・・・・。

・星川淳 『魂の民主主義 北米先住民・アメリカ建国・日本国憲法』(築地書館) 評価★★ 4年前に出た本。 アメリカの先住民のイロコイ連邦の平和主義が、アメリカ合衆国の憲法草案に影響しているという、一時期流行した学説に乗って、ついでに日本国憲法にもそのアメリカ先住民の思想が流れ込んでいるというようなことを述べた本。 うーん、最初の文章が、「子どものような純真さで考えれば、答えは簡単だ」で始まっていることからも分かるように、著者は善意の人であっても物事をきちんと考える人ではないので、アメリカがその憲法にも関わらず、先住民や黒人やアジア人を差別してきた歴史がなぜ生まれたのか、という肝心要のところには余り踏み込んでいない。 大事なのはそこのところだと思うんだけどね。 この本を読むよりは、岩波新書の 『ネイティブ・アメリカン』 を読んだ方が、変なインディアン幻想を抱かないで済むでしょう。

・天野明弘 『排出取引 環境と発展を守る経済システムとは』(中公新書) 評価★★★ 地球温暖化を防止するための温室ガス排出規制に絡んで、しかし排出を規制するだけでは経済成長が見込めず、各国の経済がダメになってしまう恐れもあるわけで、一方で経済成長は保持しながら、他方で地球温暖化を阻止するための手段として、排出取引というものがある。 本書はそのシステムをかなり細部に至るまで説明したものである。 内容は結構専門的で、正直言ってよく分からないところもあった。 ただ、現実に温室ガス排出規制はこういう細かい条件や方法に従ってなされているわけで、その実態を知るにはいい本だと思う。 ただ、私の読みたかったのは、例えばアメリカが京都議定書から離脱して、その後のアメリカの制度がどうなっていったのかということもあるが――それは本書に書かれている――、温室ガス排出の各国ごとの実態とか、今現在の排出量が昔と比較してどの程度なのかといった、シロウトでも興味が持てる話なので、その点ではあまり教えられるところがなかった。

・石原千秋 『国語教科書の中の 「日本」』(ちくま新書) 評価★★★ 同じ著者が以前出した 『国語教科書の思想』 の続編。 小中高の国語教科書には一定のイデオロギーがある、というお話。 今回は多方面からこの問題にアプローチしている。 同感なところ――例えば池田晶子の文章をつまらないとクサしている――と、同感できないところ――例えばオリンピックで自国選手に声援を送るのは香山リカの言うプチナショナリズムだとして批判している――とがある。 ただ、国語の授業というのはどうしてもイデオロギー的にならざるを得ないが、子供の個性を考えるなら、教師がなるべく多様な意見に寛容であるべきで、したがってもともと複数の読みを許容する文学の授業は非常に難しく、数十人の生徒がいるクラスを受け持つのはものすごく大変だ、としているところは、その通りだと思う。 ただし、子供が傷つくことだけを恐れて、生徒1人に教師1人というような環境を作れるなら話は別だが、それが無理である以上、生徒を傷つけないことは無論大事だけれども、生徒も教師の言い分にいちいち傷つかないくらいの強さを育んでいくことも必要だろう。 教育は、基本的に人間と人間の対決であるわけだから、無傷で済むわけがないのである。

・水月昭道 『アカデミア・サバイバル 「高学歴ワーキングプア」 から抜け出す』(中公新書ラクレ) 評価★★ 『高学歴ワーキングプア』 で売った著者の第二弾だが、いかにすれば大学教師に採用され「高学歴ワーキングプア」から抜け出せるかの極意を説いた、というふれこみ。 だけど内容的にはたいしたことないんじゃないかな。 読んでいて、うなずけるところと、首をかしげるところが、同じくらいあった。 もっとも、大学も数が多いし、採用基準も大学によって色々だろうから、これで本当に就職が決まる人もいるかもしれないのだけれど。

・岡ノ谷一夫 『小鳥の歌からヒトの言葉へ』(岩波書店) 評価★★★ 6年前に出た本。 著者は小鳥の歌について研究している心理学者で千葉大の先生。 ここではジュウシマツの歌について研究結果を分かりやすく説明している。ジュウシマツは江戸期の日本で家禽化が進められた鳥で、他の鳥には見られないほど複雑でなおかつ文法構造を持つ歌を歌う。 これについて著者は、小鳥の歌は基本的にオスがメスの気を惹くためのものだが、ジュウシマツは早くから家禽となって外敵に襲われる心配がなく、そのせいで複雑な歌を歌うようになったのだろう(外敵がいると、複雑な歌などを歌っていたらやられてしまう)、そしてメスが複雑な歌を歌うオスを好んで選択する傾向を持つために、ジュウシマツの歌は複雑になっていったのだろうと、様々な実験結果をもとに推測している。 そしてヒトも自己家畜化によって、同じように複雑な言語を発達させたのではないか、と類推している。

・内井惣七 『ダーウィンの思想――人間と動物の間』(岩波新書) 評価★★☆ 著者は京大教授を2006年まで勤めた人で、科学哲学専攻。 ここでは、ダーウィンの生涯をたどりながら、ヒトと動物に本質的な差はないという彼の思想がどのように形成されていったのか、またどのように表現されたのかを明らかにしようとしている。 同時代の他の学者たちの言説にも目配りしながら、ダーウィンの独自性を説明しているのだが、著者が基本的に哲学者であるためか、細かい点にこだわっているわりには全体像が見えてこないというか、頁数を費やしたわりにはこの本を読んで分かったことはあんまりないような、そんな読後感がちょっと残った。

・高城剛 『サバイバル時代の海外旅行術』(光文社新書) 評価★★★ 著者は映像作家兼DJ。 ここでは日本で出ている海外旅行ガイドが本当には旅人向けの作りになっていないと批判し、海外の旅行ガイドブックや、CIA (!) のサイトで役立つ情報が見つかると述べている。 日本人は他の先進国民とくらべるとまだまだ海外旅行に出かけていないのだそうで、欧米の旅行事情、また旅行に出る際の色々なテクニックや注意事項が書かれており、それなりに参考になりそう。

・三宅俊彦 『時刻表のヒミツ』(洋泉社新書y) 評価★★☆ 著者は鉄道マニア。 いわゆる鉄ちゃんが書いた本で、日本の鉄道について、細かいところにこだわりながら蘊蓄を傾けている。 その方面に関心のある人には面白いかも知れない。 私はというと、率直なところあまり面白みを感じなかった。 話が細かすぎるからでしょうか。 北海道JRでは気動車と電車の協調運転がある、なんてのは面白いと思ったけれど。

9月  ↑

・フレッド・ピアス (平澤正夫訳) 『緑の戦士たち』(草思社) 評価★★★ 17年前に出た本。 著者は英国のジャーナリスト。 環境保護団体とその活動についてリサーチした本である。 基本的には環境保護団体の運動を肯定的に見ているが、環境NGOバンザイ主義ではなく、批判すべきところはきちんと批判し、団体内部の抗争や、団体同士の対立、経済発展と環境保護をどう両立させるのか、などなど難しい問題を環境保護団体が抱えていることにもしっかり言及している。 ただ、欧米主導の環境保護団体がアジアやアフリカでどう活動すべきか、また彼らが地球温暖化などの自分に直接関わる問題に取り組むのが遅れたのはなぜかなどについては、追及が甘い感じもする。 時代のせいもあるかな。

・村山司 『イルカ 生態、六感、人との関わり』(中公新書) 評価★★★ 日本人イルカ研究者による本。イルカの知能研究の最前線が分かる。 イルカに人を助ける習性があるという説に対して、むしろ人をつついて遊んでいるのではないかと、ヨットが転覆して1カ月近くも漂流した人の体験記をもとに推測している。 ただ、リリーだとかオカルト的な研究者についての言及、またそういう人たちの集まりである国際鯨イルカ会議についても紹介している。 著者はあくまで科学者としての冷静な立場を崩していないが、アイサーチ・ジャパンとも共同で行動していたりして、大丈夫かなと思わないでもないのだが。

・服部圭郎 『道路整備事業の大罪 道路は地方を救えない』(洋泉社新書y) 評価★★★☆ 著者は都市計画論を専攻する大学教授。 日本では長らく道路整備のために多額の税金が投じられてきた。 はたしてそれがいいことだったのか、今後の日本は道路建設に関して今までどおりの方針を続けていていいのかと問いただした本。 基本的に著者は道路整備に否定的な見方をしている。 地方都市で郊外型ショッピングセンターが林立して中心の繁華街がさびれているだけでなく、地方の観光地でも道路が整備されると日帰りの客が増えて宿泊客が減ってしまい、かえって収入減になるといった現象が目立っているという。 また僻地の農山村は道路が整備されると、離れた市街地から通う住民が増え、結果としてその地域がいわゆる限界集落になってしまう。 著者は、地球環境からいっても効率の悪いクルマ社会は是正して、都市部ではむしろ電車などの公共交通を整備した方がいいと主張している。 やや自分に都合のいい例だけを集めた感じもあるけれど、私も繁華街が衰退しているクルマ社会・新潟に住んでいるので、なるほどと思うところが多かった。

・ハーマン・メルヴィル(八木敏雄訳) 『白鯨 (上)』(岩波文庫) 評価★★★ 世界文学史上有名な長編小説だが、昔むかし新潮文庫に入っているのを途中まで読んで挫折した経験がある。 再挑戦と言うことで、5年前に岩波文庫から出た新訳を最近になって購入した。 挿し絵も入っていて読みやすい。 昔途中まで読んだときも思ったことだけど、実に饒舌で、無駄が多い語りなんだけど、その中に砂金が入っているというような書き方になっている。 この上巻はようやく捕鯨船が出港して航海が始まるあたりまでで、鯨学だけじゃなく、古典についての蘊蓄をかたむけたりしているからそうなってしまうのだけれど、やっぱりこれ、普通の人はダイジェストで読んだほうがいいんじゃないかと思うなあ。

・河合敦 『世界史は日本史をどう記してきたか』(青春出版社) 評価★★★ 古代の稲作到来や金印授与から第二次大戦の原爆投下まで、日本史上の重要な出来事を、世界史的観点から分かりやすく述べた本。 法隆寺の柱はギリシアのエンタシスが伝わったものだというような、疑問符が付けられている説も入っているが、宋が紙幣発行に踏み切ったのは自国産の銅銭が日本を初め海外に流出したためだとか、秀吉は朝鮮半島への出兵で最終目標である明を征服したら日本の天皇を北京に住まわせようと考えていたとか、信長に対してキリスト教宣教師が贈ったものの中には黒人奴隷も含まれていたとか、アジア初のノーベル(文学)賞受賞者タゴールはインドと日本の連帯を説いた(無論、インドがまだ英国植民地だった時のこと) とか、面白い話が少なくなく、それなりの内容だと思う。

・海野弘 『世紀末シンドローム ニューエイジの光と闇』(新曜社) 評価★★★★ 10年ほど前に出た本。 1970年代からアメリカ西海岸に発して世界的に影響を与えた新しい文化潮流ニューエイジ。 それを概観した本である。 その定義に始まって、身体へのこだわり、エコロジーに見られる自然観の変遷、ディープエコロジー、神秘主義、エコロジーの歴史(19世紀末に発する)とナチズムとの関連、いわゆる精神世界の実態、ミレニアム願望、ニューエイジやいやしの芸術、などなどが取り上げられ、それぞれが分かりやすく説明されている。 ニューエイジについて1冊で知りたい人にはお薦めできる。

・櫻田大造 『対米交渉のすごい国 カナダ・メキシコ・NZに学ぶ』(光文社新書) 評価★★★ 世界一の超大国アメリカ。 しかしこの覇権国と外交交渉をする中小国家がいつもアメリカの言いなりになっているわけではない。 本書は具体的な事例を挙げながら、アメリカの隣国カナダやメキシコ、そして人口が数百万の小国NZがいかにアメリカと外交交渉をして自分の言い分を通してきたかを探っている。 日本の事例も挙げられている。 そこそこ面白いが、個々の事例の羅列に終わっているような感じもないではない。

・小松正之 『これから食えなくなる魚』(幻冬舎新書) 評価★★★☆ 最近の漁業を、資源状況や国際取引の実態など、いろいろな側面から光を当てて論じた本。 日本の漁業が昔より大幅に縮小しており、その分外国からの輸入に頼っているのだが、最近は中国などのほうが同じ物件にたくさんのお金を出すので、「買い負け」 現象が起こっている。 つまり、いつまでも今のように好きな魚が安く食べられると思っていてはいけないのだ。 実際、著者も指摘しているように、寿司のタネになるようは魚は昔の日本人の一般庶民にはそうそう食えるものではなく、ハレの食べ物であった。 最近は回転寿司で大衆化しているけれど、これもいつまで続くか分からない。 身近な食材について考えさせられる本である。

・丹野大 『反捕鯨?: 日本人に鯨を捕るなという人々(アメリカ人)』(文真堂) 評価★★★ 5年ほど前に出た本。 著者は社会学者で、アメリカやロシアでのアンケート調査によって捕鯨に関する意識を統計的にまとめ、その結果をこの本で明らかにしている。 例えばアメリカ人では女性より男性が捕鯨に容認的であるとか、英国とドイツでは高学歴であるほど捕鯨に容認的であるとか、アメリカ人もロシア人も自国先住民捕鯨を最も容認し、ついでアイスランドやノルウェーの捕鯨を容認し、日本の捕鯨は最も容認度が低いとか――つまりアメリカ人もロシア人も日本人に対して差別的なのである――興味深い結果が読みとれる。

・岩崎・グッドマン・まさみ 『人間と環境と文化――クジラを軸にした一考察』(清水弘文堂書房) 評価★★★★ 4年前に出た本。 さまざまな資料をもとに、捕鯨問題についていくつかの視点から興味深い指摘を行っている。 日本の小型沿岸捕鯨の現在、最近のIWCにおける議論の実態、アイヌの伝統的な鯨利用、日本と並ぶ捕鯨国であるノルウェーの捕鯨、などの考察が含まれており、特に最近のIWCでの議論だとか、ノルウェーの捕鯨の現状などが面白い。 最後に、著者の夫君であるグッドマン・ジョンによる 「反捕鯨の果てに」 という、反捕鯨国の理不尽な態度を批判した文章が収録されている。

・星川淳 『屋久島水讃歌』(南日本新聞社) 評価★★☆ 2000年に出た本。 内容的には同じ著者による下(↓)の屋久島本と類似しているが、反原発だとかイロコイ民主制だとか、イデオロギー臭がかなり入り込んでいるのが難点。 著者は、はっきり言って学術の人ではないので、モルガン=エンゲルス説みたいな、今では否定的に扱われることが多い学説をもとに民主主義とインディアンの接点を力説されても、あんまり説得性がない。 そういう反体制運動が好きな人でもあるので、結局現在はグリーンピース・ジャパンの事務局長になってしまっているのだけれど、屋久島での暮らしぶりに限定してやったほうが、本来の資質に合っているというか、少なくとも似合っていると思うのですがね。

・星川淳 『屋久島の時間(とき) 水と緑の12か月』(工作舎) 評価★★★ 1995年に出た本。 エコロジカルな暮らしを目指し13年前に屋久島に妻と息子の三人で住み着いた著者が、1年間の暮らしを綴った本。 半農半著(著作)の暮らしぶりと、屋久島の四季、そして島が抱えている問題点などが記されている。 著者の記述は多少エコロジストとしての政治臭がないではないが、都市では体験できないさまざまな風物や自然の描写はそれなりに面白い。

8月  ↑

・内藤朝雄 『いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書) 評価★★★ タイトルどおり、いじめが起こる原因とその構造を説明した本である。 学校という閉じられた空間の中で、いじめによって加害者はどのような感覚を得るか、いじめられる側はなぜいじめる側に屈するのか、といった疑問がそれなりに解かれている。 また、教師がいじめの一翼を担っていたり、校長がいじめを隠すケースが多いのも目を惹く。 私からすると、教師の質の悪さもさることながら、学校という特殊な場所での職業人の身の処し方を考える機会となった。 ただし、この本には首をかしげるところもある。 まず、過去に現在のようないじめが起こらず最近起こっているのはなぜか、という問いに答えていないこと。 それから、説明を過去の日本の軍隊だとか過激な左翼運動だとかと結びつけるのは、分かりやすいけど、当を得ていないような気がする。 むしろ、市民社会の正義の論理が、昔は或る程度教室で通用していたものが、最近通用しなくなっていると考えた方がいいのではないか。 そしてその理由は何かを突きとめて欲しい。 また、学校制度への処方箋を提示した最後の辺りには、説得性を感じなかった。

・星川淳 『日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか』(幻冬舎新書) 評価★★ 2年前に出た本。 以前はニューエイジ系の本を訳していたエコロジストであり、現在はグリーンピース・ジャパン事務局長をしている著者による捕鯨論。 こういう人だけあって、内容にはかなり問題があり、反捕鯨国の政治性を否定したり、事実関係をねじまげたり、英米による帝国主義的な国際支配の流れが全然目に入っていなかったり、逆に日本の負の側面は拡大したり、と相当に困った本である。 この本を読む人は小松正之などの、ちゃんとした捕鯨本と併読するよう薦める。 なお詳しくはまた別の機会に。

・フィリップ・キュリー+イヴ・ミズレー(勝川俊雄監訳、林昌宏訳)『魚のいない海』(NTT出版) 評価★★★★ フランス人の科学者および科学ジャーナリストによる本。 過剰漁業により世界の水産資源が減少に向かっており、このまま放置すればいずれ漁業は衰退するしかないという現状を、フランスやヨーロッパを中心にしながら、アメリカや南極海の模様をも含めて報告し、早急な対策をたてるよう提言している。 具体的な例がたくさん挙げられており、過剰漁業の問題がヨーロッパの大航海時代から始まっていることが分かるなど、色々ためになる知識が得られる。 また監訳者の勝川氏による日本の漁業についての近況報告が巻末に収められているので、日本の抱えている問題点もそれなりに分かる。

・ル・クレジオ (菅野昭正訳) 『パワナ くじらの失楽園』(集英社) 評価★★☆ 著者はフランス作家で、日本でも1960年代後半から70年代にかけてはそれなりに読まれた。 私もその頃2冊だけだが邦訳で作品を読んだ経験がある。 2008年にはノーベル文学賞を受賞している。 本書は92年に発表され、95年に邦訳が出たもの。 パワナとはインディアンの言葉で鯨のこと。 この短編は、実在したアメリカの有名な捕鯨者を主人公に、老いた彼が1911年になってから、アメリカ捕鯨の最盛期だった19世紀半ばを振り返り、人間に発見されていなかった鯨の生殖地を彼が見つけて、その結果として捕鯨者が殺到し、鯨の楽園が失われてしまった過去を振り返るというお話である。 ル・クレジオらしい生き生きした自然描写はそれなりに魅力的だが、作品内の人物たちの感性は今現在のものとしか思われず、それが作品の悪い意味での感傷性につながっていると思う。 詳しくはまた別の機会に。  

・ユージン・ラポワント (三崎滋子訳)『地球の生物資源を抱きしめて 野生保全への展望』(新風舎) 評価★★★★☆ 著者はカナダ人で、ワシントン条約事務局長などを務め、野生動物の保護と利用について長年研究を重ねてきた人。 本書は2003年に出版され、2005年に邦訳が出た。 捕鯨問題にもかなりのページをさいているので、私も一部分には目を通していたのだが、今回あらためて全部を通読してみた。 きわめて教えられるとところの多い本である。 鯨やゾウやアザラシ、さらには鮫にいたるまで、「絶滅しそうだ、保護しろ」 という特定NGOの主張がいかに無根拠であり偏見に満ちているか、しかしそうしたNGOの呼びかけに一般市民がいかに簡単に騙されて寄付をしてしまうか、そのNGOのデタラメな主張に政府やマスコミがいかに左右されているか、さらにワシントン・ポストなどの大手マスコミがそうしたNGOのデタラメぶりを指摘されても全然反応を示さないというダメぶり、英国の言いなりになって資源としてのゾウ利用を否定するあまり他のアフリカ諸国から浮いているケニアの悲惨さ、自国の野生資源利用には甘いくせに外国のそれには厳しい注文を付けるアメリカの身勝手さ、などなど、反捕鯨運動や野生動物保護運動が科学を無視した一部NGOや、それを丸ごと信じ込む政治家やマスコミによって動かされている実態がよく分かる。 IWCの実態は他の本――小松正之『よくわかるクジラ論争』など――でも分かるが、NGOやワシントン条約については本書が圧倒的な情報量で新しい視野を開いてくれるであろう。 

・渡邊洋之 『捕鯨問題の歴史社会学 近現代日本におけるクジラと人間』(東信堂) 評価★★ 3年前に出た本。 著者は京大の大学院農学研究科卒で、この本は著者の博士論文である。 近現代における日本の捕鯨および鯨食の実態を細かく追究した本だが、学問の書としてかなり問題が多い。 具体的には、まず先行研究の趣旨を歪めて捉えていること、日本の捕鯨だけ見れば捕鯨問題も考察できると思い込んでいること――言うまでもないが捕鯨問題とは国際問題で、海外の動向をも合わせて見なければ結論など出せるはずもない――、日本に対しては 「国家」 たることを否定的に捉えているのに反捕鯨国については逆の見方をしていること、近代化を単に天皇制国家の樹立という視点でしか捉えていないこと、などなど、マイナス要素が満載で、著者が研究者としてきわめて狭い視野しか持ち合わせていないことは明瞭であり、ちょっとどうかと言いたくなる内容である。 なお、詳しくは別の場所であらためて。

・岡田暁生 『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』(中公新書) 評価★★★★ 岡田暁生氏の本にはハズレがない。 今回もまた十二分に楽しみながら、そして色々と教えられながら読み進むことができた。 音楽について語るとはどういうことなのか、音楽の語り方にも歴史があるのだということ、音楽を聴いて感動するのにも実は様々な条件が働いているのだということ、クラシック音楽に内在する約束事――それが分かっていたほうが音楽を理解できる――、ショパンを批評するシューマンとショパン自身の乖離、自分で弾くアマチュアリズムが本来の音楽のあり方だったのがただ聴くだけの聴衆へと変化してきたことの意味、などなど、音楽史の重要な面にたえず言及しつつ、音楽を聴くことと音楽について語ることの一筋縄ではいかないいろんな事情を語ってくれる、きわめて刺激的で、そして共感できる本である。

・三宅昭良 『アメリカン・ファシズム ロングとローズヴェルト』(講談社) 評価★★★ 12年前に出た本だが、大学の3・4年次向け演習で取り上げて読んでみた。 アメリカは民主主義国だということになっているが、実はF・D・ローズヴェルトが大統領だった時代に、ヒューイ・ロングという政治家がおり、その政治的手法がきわめてファシストのそれに近く、しかもかなりの人気を誇っており、下手をするとローズヴェルトに取って代わりかねないほどであった。 最終的にはロングは一般市民により銃で殺されてしまうのだが、これについても色々不明な点があって、裏があるのではないかと言われているらしい。 本書は著者によれば日本では初めてのヒューイ・ロングに関する研究書だそうで、その意味では貴重な本だということになる。 中身は、ちょっと記述が細かすぎるところもないではないが、アメリカの戦前政治の実態や、ローズヴェルトも結構いい加減なところのある政治家だったんだなということが分かり、悪くない本だと思う。 ・・・・なのに、なぜかこの本、新潟大の図書館に入っていないのだ。 新潟大のアメリカ研究者は何をやっているのか? (授業に用いた本は私の私物。)

・川口マーン恵美 『日本はもうドイツに学ばない? 20世紀の戦争をどう克服すべきか』(徳間書店) 評価★★★☆ 著者が近年雑誌に発表した文章を集め、それに書き下ろしの第1章を加えてできた本。 日本人から見た現代ドイツやヨーロッパの様々な問題点が分かりやすく語られている。 例えば戦後賠償の話。 長らく日本では 「ドイツは戦争犯罪を反省してきちんと賠償も済ませたのに、日本はそうしていない」 という神話が語られてきた。 そうした無根拠な思い込みは、西尾幹二や木佐芳男の本でだいぶ退潮したはずだが、まだ完全にはなくなっていない。 しかし本書を読めば、ドイツの戦後賠償なるものの実態がはっきりする。 それは戦争の損害に対する国家間の 「賠償」 なのではなく、あくまで個人を対象にした 「補償」 に過ぎないのであり、日本がサンフランシスコ講和条約で連合国との間のそうした問題を一括して片づけたのとは根本的に異なっているのである。 本書にはこのほか、日本と類似した旧・西ドイツの戦後過激派の様相、ドイツとポーランドとの複雑な関係、フランスとトルコとの微妙な関係、ノーベル賞作家ギュンター・グラスのナチ親衛隊所属経歴の波紋、最近のドイツのお粗末きわまりない教育事情など、ドイツやヨーロッパに興味を持つ人には欠かせない情報が盛り込まれている。

・苅谷剛彦 『教育と平等 大衆教育社会はいかに生成したか』(中公新書) 評価★★★ 戦後の日本における義務教育の変遷、具体的には府県ごとの学力格差がいかに解消されてきたかを明らかにしている。 戦前の日本では、「豊かな府県=教育にカネをかけられる府県=生徒の学力が高い府県」 という図式がかなりはっきりしていた。 戦後、民主主義下における国民の平等という観点からその是正がはかられるようになる。 戦後の教育というと、「文部省=国家 vs. 日教組=左翼」 という図式で語られることが多いのだが、著者によればそれは必ずしも当を得ておらず、文部省も日教組も格差是正という観点から、それぞれの言い分は対立するように見えながら協力してきたのだという。 戦前の義務教育では、教員の給与はその大半が地方自治体負担となっており、それが、豊かな地方自治体と貧しい地方自治体の教育格差を広げる原因になっていた。 戦後は、教員給与を国が半分負担することによってその格差を解消し、なおかつ県単位で広域教員人事を行うことで、僻地にも有能な教員が赴任するような政策がとられるようになったという。 具体例として岐阜県や福島県の教員人事の方法が挙げられており、私も福島県で18歳まで育った人間だから、なるほどと思うことしきりであった。 そうした政策の結果、1962年の全国学力調査では豊かな府県と貧しい府県の学力格差がはっきり見られたものが、2007年の学力調査にあっては、そうした格差は見られなくなったという。 著者は、日本はこの事実をもっと高く評価すべきだと述べている。

・矢部武 『アメリカのベジタリアンはなぜ太っているのか?』(あさ出版) 評価★★☆  2年前に出た本。 アメリカ滞在が長いジャーナリストである著者によるアメリカ論。 タイトルに惹かれて買ってみた。 タイトルにもなっている第1章のほか、クリスチャンの国なのになぜ離婚がおおいのか、とか、男女平等なのになぜ女性大統領がいないのか、能力主義なのになぜ美容整形に殺到するのか、民主主義の国なのになぜ戦争マニアなのか、世界一豊かな国なのになぜ超格差社会なのか、などの章がある。 そこそこ面白いけど、あまり深い記述ではない。 面白エッセイとしてならいいが、学問的ではない。 あと、いわゆる従軍慰安婦問題で 「ワシントン・ポスト」 紙の社説を鵜呑みにしてたりするのは、いけませんね。

・笠井潔 (編著) 『SFとは何か』(NHKブックス) 評価★★★☆ 20年以上前に出た本だが、SFの歴史をたどる2年生向け演習で取り上げて読んでみた。 『ドン・キホーテ』 や 『ロビンソン漂流記』 『ガリバー旅行記』 あたりから始まって、文学とSFとの境目を問題にしつつ、H・G・ウエルズ、1920年代にアメリカでSFというジャンルが確立された時期、戦後の黄金時代、70年代のニューウェーブ、そして1980年代のSFまでをたどっている。 主要作家や作品にももれなく触れているし、また最終的にはSFはそういう名のジャンルではなく、文学そのものだとする編者の主張はそれなりに面白い。 なかなかいい本だと思うが、現在は新本で手に入らなくなっているのが惜しい。

・M・ドナヒュー/A・ウィーラー (水口博也訳)『イルカを救ういくつかの方法』(講談社) 評価★★☆ 13年前に出た本。 必要があって読んでみた。 著者二人はいずれもニュージーランド人。 イルカの生態や種類から、流し網や刺し網漁法によってイルカが大量に死んでいる事態、それを改善させようとする運動に触れたりしているところはそれなりに面白く教えられる部分。 ただし一種のイルカ神秘主義も入り込んでおり、マッド・サイエンティストであるジョン・C・リリーの言葉なんかも引用されたりしているので、注意すべき部分もそれなりに多い。

7月  ↑ 

・千歳香奈子 『ハリウッド・セレブ』(学研新書) 評価★★★ 1年前に出た新書を東京のBOOKOFFにて半額購入。 ハリウッドのスターたちの色々の側面を、エピソード中心に描いた本。 お騒がせセレブ、パパラッチとの関係、結婚離婚事情、カネの使い方、子育て事情、慈善事業、サイドビジネス、食生活――日本食も健康食だというので人気があるとか――、整形事情、はては犯罪行為にいたるまで、ハリウッド・スターたちの様々な側面にふれていて、それなりに楽しんで読める本。

・秋道智彌 『クジラは誰のものか』(ちくま新書) 評価★★★☆ 著者は長年クジラと人間との付き合いを民族学的に研究してきた方で、現在は総合地球環境学研究所の副所長。 ここでは捕鯨問題や人とクジラとの関わりの多様性をまとめて論じている。 多方面への言及がなされているので、或る程度捕鯨問題について知っている人にも 「へえ」 と思われるような知識が盛り込まれているし、また捕鯨問題についてこれから知りたいが1冊で済ませられればという人にもいいだろう。 ただし、色々な方面の事柄に触れているので、各項目ごとの記述は短く、説明が急ぎ足になっているし、著者自身は日本の捕鯨は守るべきだという見解だが、反捕鯨陣営にもそれなりに配慮しているので、記述の明快さだとか歯切れの良さにはいくぶん物足りないところも残るかも。 

・ハンナ・アーレント (大島通義・大島かおり訳) 『全体主義の起原 2.帝国主義』(みすず書房) 評価★★★★☆ アーレントの有名な本だが、大学院の演習で精読してみた。 帝国主義時代の人種思想――ゴビノーなど――は後年ナチズムに悪用された局面と出始めのころの思想とはかなり違っていたとか、帝国主義は民間企業先行で政府はいやいやながら後追いしたとか――なぜなら国民国家という枠組みを壊しかねないのが帝国主義だったから――、海外に植民地を持ち損ねたロシアとオーストリア・ハンガリー二重帝国がそのためにこそ種族的な民族主義を発展させてしまったとか、今にも通じる東欧の複雑な民族問題だとか、帝国主義によって官僚支配が強まったとか、さまざまな局面から帝国主義時代の様相が追求されており、勉強になる本である。 また最後に、国家という枠に彌障されるのではない抽象的な 「人権」 というものが果たして成立しうるのかどうかに疑問を呈しているのも鋭い。 著者によれば、仮に地球規模でそうした人権を保障する制度ができてしまうと、ナチス政権下のドイツでユダヤ人が虐殺されたのと同じ現象が世界規模で起こる恐れがあるというのであるが、私も同感である。 

・大澤武男 『青年ヒトラー』(平凡社新書) 評価★★★★ ヒトラーの少年時代から、ナチ党の党首となるまでの青年期を描いた本。 彼が美術学校受験に2度失敗していることはわりに知られているが、受験失敗の原因にも言及しており、またそれでも絵を描いてそれなりに売れていた事実が明らかにされている。 また若い頃ただ一人の親友だった若者と一緒にウィーンでワーグナーのオペラを見に何度も通ったこと、その際に安い立ち見席を確保するために開演の3時間も前から並んだこと、さらにカネを節約するために冬でもコートは着ずに出かけたこと (クロークへの預け賃がかかるから)、終演後は下宿の門限に間に合うように走って帰宅したことなどが紹介されていて、好きなことのために必死に努力する様子は、後年のヒトラーを知らなければ芸術好きの青年の涙ぐましい努力と見えるだろう。 ウィーンが様々な民族のごった煮でいざこざも多く、それもあってウィーンを毛嫌いしたヒトラーはミュンヘンに移る。 またこれには、徴兵忌避という理由もあったようだ。 しかし、ミュンヘンでやはり画家として暮らしているうちに第一次大戦が勃発し、ヒトラーは一転して入隊を決意、伝令兵として危険極まりない任務を熱心に遂行して勲章をもらう。 これが彼の人生に一大転機をもたらし、戦争が終わった後も政治活動に従事する道を拓くのである。 なお、ヒトラーは青年時代のただ一人の親友とは若い頃に何も告げずに別れているが、後年、ドイツを支配する総統として名を上げてからかつての親友と再会し、ワーグナーのオペラを連続して特等席で見せるよう手配するなど、昔日の友情に手厚く報いたというし、またユダヤ人虐殺を開始してからも、かつて故郷で母を診察してくれたユダヤ人医師については身の危険がないよう配慮したという。 「独裁者」 というレッテルでは片付かないヒトラーの人間性を垣間見ることのできる好著である。

・竹中亨 『帰依する世紀末 ドイツ近代の原理主義者群像』(ミネルヴァ書房) 評価★★★★☆ 5年前に出た本。 著者は阪大教授。 ドイツの19世紀末から20世紀初頭にかけて登場したさまざまな思想家たちを、「原理主義者」 という言い方でくくって、その思想の多様性には十分目配りをしながらも共通項をさぐろうとした書物である。 反ユダヤ主義、田園都市・コロニー運動、自然療法、菜食主義、民族至上主義、エコロジー、新興宗教などなど、20世紀末とも共通する運動の様相は、1970年代から今日に至るまでの思想状況をあらためて考え直すためにもきわめて貴重であり、教えられるところが多かった。 特にエコロジーと宗教性と民族主義と右翼性のつながり具合は、今現在の環境保護運動を考えるときにも重要な視点を提供してくれるだろう。 

・花里孝幸 『自然はそんなにヤワじゃない』(新潮社) 評価★★☆ 著者は信州大学教授。 環境保護運動の興隆にともなって生態系ということが盛んに言われ、人間が生態系を壊しているとか人間の活動のせいで生物の多様性が損なわれているとかいう指摘がなされることが多いけれど、本当にそうなのか、世間で漠然と信じられている生態系についてあらためて考え直してみた本。 人間が環境を破壊するとかえって多様性が高まるという側面もある、といった指摘は面白いけれど、内容から言うと全体を通して一貫して生態系の様々な側面に光を当てているのではなく、話題があっちこっちに飛ぶので、断片的な知識は得られるけれど、全体を通して読んだ後の充実感はイマイチと言わざるを得ない。

・杉山隆男 『「兵士」 になれなかった三島由紀夫』(小学館) 評価★★★☆ 2年前に出た本。 三島由紀夫が自衛隊に体験入隊していた時の様子、そしてそこから生じた人脈を追い、三島が体験入隊を通じて何を目指していたのか、体験入学で三島と知り合った自衛隊員が三島および三島事件をどう見ているかなどをを明らかにしようとしている。 事件後30年以上をへた今でも三島に敬意を払い、事件や人物の核心に触れるような発言をためらう人が結構多いという指摘には重みがある。 最後に著者は三島事件について自分自身のことを語っているが、著者は私と同じ1952年生まれで、ということは事件当時高校3年生であり、通っていた日比谷高校を抜け出して事件現場におもむいたという。 その辺が地方都市にいた私とは違うところで、著者はまた、その2年前に自衛隊の式典に出席していた三島本人を間近で見る機会があったという。

・加藤尚武 『環境倫理学のすすめ』(丸善ライブラリー) 評価★★★ 1991年に出た本。 以前一部を読んだのだが、必要があって全体を通して読んでみた。 地球全体主義の問題、人間以外の生物に主権を認めるかどうか、現世代と未来世代の関係、など様々な視点から原理的に環境倫理を論じている。 「動物の権利」 を主張したシンガーなど、当時としては最新の話題も含まれており、またマルクス主義と自然保護思想の関係などにも触れていて、今でも古さを感じさせないし、それなりに勉強になるが、出て20年近くたっているので、その後の議論の展開なども入れた第2版が望まれる。

・能登路雅子 『ディズニーランドという聖地』(岩波新書) 評価★★★☆ 3・4年向けの演習で読んだ本。 1990年に出た新書。 タイトル通り、アメリカの2箇所のディズニーランドと東京ディズニーランドをとりあげて、それぞれの違いに触れながら、ディズニーランドというものの本質に迫ろうとしている。 またディズニーという人間についても考察している。 出た時期が出た時期なので、フランスのディズニーランドについては少ししか触れていないのが残念。 その意味で、第2版を出して欲しいものだ。 あと、著者は1949年生まれの東大教授だが、高校時代にアメリカに留学したり、その後アメリカ人と結婚したりという風に、ふつうの日本人とはかなり異なる育ち方をしたようで、特に最初のあたりの記述に、育ちの違いが感じられ、できたら自分の育ち方についても少し言及してほしいと思った。

・福元一義 『手塚先生、締め切り過ぎてます!』(集英社新書) 評価★★☆ 手塚治虫の編集者を勤めた人による回想録。 色々なエピソードが出てくるが、所詮はそういうものの集積で、それ以上ではないようである。 ただ、用具について触れたところだとか、講談社版手塚治虫全集の表紙について述べた部分は、悪くないと思った。 なお著者は漫画家でもあり、伊奈たかし名義で 『戦え! オスパー』 を描いた人だと言えば、私と同世代の人間は、ああ、あの人ね、と思うのではないだろうか。

・水口博也 『イルカと海の旅』(講談社青い鳥文庫) 評価★★☆ 1996年に出た本。 小学生向けの本で、イルカについて総合的な知識を与えようとしている。 古代ギリシャのイルカがらみの伝説から、あたかもヨーロッパでイルカが全時代・全地域的に崇拝されているかのごとく書いているのは感心しないが、現代のイルカにまつわる問題は、客観的な書き方をしており、それなりだと思う。

・中村美知夫 『チンパンジー ことばのない彼らが語ること』(中公新書) 評価★★★☆ 著者は1971年生まれの京大准教授で、長年アフリカでチンパンジーの観察に従事してきた。 本書は現時点で判明しているチンパンジーの生態をシロウトにも分かりやすく説明したものである。 チンパンジーにも子殺しはあり、カニバリズム (共食い) もあること。 食物は多岐にわたるが、アカコロブスというサルが好物であること (肉食だということですね)。 また群によって習慣・習性が異なるので、それが群れごとの 「文化」 と考えられること、など、さまざまな視点からチンパンジーの社会に光が当てられている。 また、チンパンジーのような、ヒトに近いとされる動物を学問的に観察する著者は、必然的に、動物を観察するということはどういうことなのかという哲学的な問いに導かれるようで、本書でも表層的な説明だけでなく、例えば生き物の動作とはすべて 「意味」 があってなされるのかどうか、など、動物に関するかなり本質的な疑問の所在が明らかにされており、その意味でも面白い書物である。

6月  ↑

・廣野由美子 『ミステリーの人間学――英国古典探偵小説を読む』(岩波新書) 評価★★☆ 英国探偵小説の系譜を、ディケンズから始めて、コリンズ、ドイル、チェスタトン、クリスティ、その他、とたどった本。 最初のディケンズについて、その探偵小説的な側面を指摘した部分と、最後の、一般にはさほど有名ではない作家や作品に触れた部分は面白かったが、途中の有名作家について書かれた章はとりたてて新鮮さもなく、或る程度推理小説を知っている人なら今さら読む必要もない内容。 どうも著者のコンセプトがイマイチよく分からないのだが、もし探偵小説の系譜をたどるなら英国だけでなくフランスなどもっと対象を広げてやらないと意味がないし、もし英国に限るなら時代や風俗との関わりにもっとページを割かないとこれまた無意味だと思う。

・後藤秀機 『イカの神経 ヒトの脳みそ』(新潮新書) 評価★★ 著者は神経生理学者。 ヒトや各種動物の神経や脳について書かれているが、話が拡散しがちで、系統だっておらず、あまり教えられるところは多くない。 タイトルだけからすると、ヒトとイカだけについて取り上げているのかと思われそうだが、そうではない。 ちょっとしたエピソードの羅列的な部分が目立つ本。

・H・G・ウエルズ (橋本槇矩訳) 『タイム・マシン』(岩波文庫) 評価★★★ 今年度前期の2年生向け演習ではSFを取り上げているので、有名な古典的SFを改めて精読してみた。 表題作は中編だが、それ以外に9つの短編が収められている。 今読んでみると、19世紀の帝国主義最盛期の英国の影が随所に感じられるし、色々な形で日本のマンガなどに利用されているアイデアもある。 また心霊学が盛んだった当時のヨーロッパを彷彿とさせるお話もあるし、火星人がいるというお話も複数あって、19世紀末から20世紀初めにかけての時代相が興味深かった。

・ベネディクト・アンダーソン (白石さや・白石隆訳) 『増補 想像の共同体 ナショナリズムの起源と流行』(NTT出版) 評価★★★☆ 有名な本だが、大学院の演習で精読してみた。第二次大戦以降に成功 (成立) した社会主義革命 (国家) が、すべて民族名を冠しているところから論を起こして――なぜって、本来社会主義革命はインターナショナルなもののはずだから――ナショナリズムの成立とその背景を、ヨーロッパと南米大陸を主たる対象として論じている。 俗語 (非ラテン語) の地位向上と国民文学の成立、俗語辞書の成立、印刷の普及などの要因によって、想像の共同体としての国民国家ができあがっていく過程を追っている。 なお、著者は、だからナショナリズムは存在理由がないといった、左翼が行ってしまいがちな方向への結論付けはやっていないので、そこは間違えないように。

・藤岡恵美子・越田清和・中野憲志(編)『国家・社会変革・NGO 政治への視線/NGO運動はどこへ向かうべきか』(新評論) 評価★★ 2006年に出た本。 必要があって一部分だけ読んだのだが、第6章のサラ・リスターによる、NGOの正統性がヨーロッパで問題にされているという現状を報告した文章が読んだ中では一番まともで、先進国のNGOがさまざまな批判にさらされている実態が分かって面白かった。 これに比べると日本人および在日の著者による部分は、私の読んだ部分に限ってかもしれないが、かなりひどい。 日本のNGOが外国で配布した品に日の丸が入っていてケシカランだの(越田清和――あんたは案外日の丸フェチなんじゃない〔笑〕?)、日本は全体主義の過去があっていまだに市民の主体性がないだとか (高橋清貴――変に主体性があってはた迷惑かつ差別的なのが西洋のNGOじゃないかと私は思うんだけどね)、主権在民だからNGOが政治的な権利を有するのは当たり前だとか (藤岡恵美子――それじゃ国会議員っていったい何なんだ? 日本は直接民主制の国じゃないんですけど)、自分は国籍が韓国だから日本のNGOに参加していてもそのNGOは日本を背負っているわけじゃないとか (李姫子――生まれてこのかた日本に住んでいる在日二世なのになぜ国籍だけ韓国にあるのか、という基本的な疑問を自分自身にぶつけていないところでバツ)、あまりにレベルが低くて、NGO論をやっている人が皆こうじゃないのだと思いたいが、敗北左翼のなれの果ては救いようがないな、と思いました。

・水口博也 『バハマ イルカと光の迷宮』(早川書房) 評価★★★ 1996年に出た本。 バハマ (西インド諸島に属する島国。 アメリカ・フロリダ半島のすぐ南東)でイルカと一緒に泳いだり観察した体験や、イルカの生態を叙述したり本。 イルカの写真集でもある。 イルカに興味のある人にはそれなりの本であろう。 なお、イルカを単に一緒に泳いで楽しい動物として捉えるのではなく、著者自身がイルカに襲われそうになった体験や、イルカに人が殺された事件にも言及しており、また、あとがきの中で超自然的な観点からイルカを捉えることをいましめ、あくまで科学的にイルカにアプローチすることを訴えているところが評価できる。 

・水口博也 『オルカ アゲイン』(風樹社) 評価★★☆ 1991年に出た本。 内容的には同じ著者による下の『オルカ 海の王シャチと風の物語』の続編で、途中1〜2年のブランクがあった後、再度ジョンストン海峡で過ごしてシャチを観察した記録、および写真集である。 ただし、シャチについての説明は前著でだいたいやってしまっているので、本書では活字の割合はきわめて少なく、代わりに写真の占める割合が高くなっている。 前著に比べると時代による鯨イルカ幻想的なところはほとんどなくなり、ホエール・ウオッチングについても冷静に評価していて、やはり基本的に頭のいい人なんだなあ、と思う。 ただ、記述量が少ないこともあって、シャチの写真を見るためにはいいが、生態について知りたい場合は前著を読んだほうがよい。 著者にとっては前著の締めくくり的な意味合いが大きい本だが、それが読者にとって必ずしも大きな意味を持つとは限らない。

・J・マッキンタイアー (編)(今泉吉晴・羽田節子、ほか訳)『クジラの心』(平凡社) 評価★★☆ 原書は1974年に、訳書は83年に出ている。 私は以前一度読んだのだが、必要があって再読してみた。 1972年、国連の人間環境会議(ストックホルム)で突如捕鯨のモラトリアムが議題として持ち出され、可決された直後にアメリカで出た本であり、アメリカの科学者たちがどういう共同幻想のなかにいたかがよく分かる。 後年マッドサイエンティストになり果てたジョン・C・リリーの文章も収録されており、またいわゆる科学者が科学の域を超えてクジラという動物に過大な思い入れをしている様子が、科学者や知識人の限界を示すものとして読めるであろう。

・松山利夫 『ユーカリの森に生きる アボリジニの生活と神話から』(NHKブックス) 評価★★★☆ 1994年に出た本。 オーストラリア先住民のアボリジニの生活と文化を、間近で観察して報告した本。 アボリジニといっても色々なので、すべての先住民を網羅しているわけではないが、彼らの狩猟に基づく生活ぶりや、また白人の移住やその近代的な生活に影響を受けてそれなりに変化もこうむっている様子がよく分かる。 アボリジニらしさとは不変なのではなく、そうした時代や周辺の影響のもとにあるわけで、固定的なものと捉える必要はなく、といって先進国近代主義で割り切ることもできないわけで、多様性と時代による変化を含めて見ていくことが必要だと改めて痛感させられた。

・岸上伸啓 『イヌイット 「極北の狩猟民」 のいま』(中公新書) 評価★★★☆ かつてはエスキモーと呼ばれ、現在はイヌイットと言われる極北の民族。 その現在の暮らしぶりや抱えている問題点を分かりやすく書いた本である。 まず、近年はエスキモーではなくイヌイットと呼ぶのが政治的に正しいとされているが、それは必ずしも当を得ておらず、エスキモーと呼ぶべきだという考え方もあることが紹介されている。 それから現在の彼らの生活が描写される。 狩猟を中心とした暮らしであるが、昔と違って必ずしもそれだけで生活できているわけではなく、絶対に狩猟をしないと暮らせないわけでもないが、狩猟を自己のアイデンティティとして継承しようとする彼らの姿が興味深い。 その一方で、近代化とアイデンティティの狭間でうまく生きていけない者、アル中になってしまう者、都市に出て貧民として、或いはしっかり学歴を得て普通のカナダ中流市民として暮らす者などなど、実に多様なのだ。 また、北極は工場などがないから汚染されていないと思われがちだが、実は彼らの狩猟対象となっているアザラシやシロイルカやカリブーはPCBなどにかなり汚染されており、どうやら海流や大気の流れで北極海にその手の有害物質が来て、しかも北極海は海流の関係でそうした物質がたまりやすいので、イヌイットまで汚染されてしまうというわけなのだ。 もっとも、そうした有害物質を。一般に言われている健康を害する濃度でイヌイットは摂取しているが、実際には健康には影響はあまりなく、むしろ現代的なコーラとかジャンクフードが入り込んできていることのほうが健康上の悪影響につながっているのだそうだ。 世の中、なかなか複雑である。

・水口博也 『ブルーホエール バハ・カリフォルニアの青い巨鯨』(早川書房) 評価★★★ 1994年に出た本。 カリフォルニア湾(メキシコ)で、コク鯨やイルカやシロナガス鯨を観察した記録、および写真集である。 著者は基本的に鯨は生きているものを観察すべきだという主義だからイデオロギー臭はないではないが、下(↓)の本に比べると、セーガンやワトソンの奇矯な鯨幻想や人類水生起源説に犯されていない分、健全な本になっている。 相変わらず文章力は抜群で、鯨の姿や海洋での生活が興味深く描かれている。 写真も、鯨類だけでなく、海鳥やあざらしのものも入っている。

・水口博也 『オルカ 海の王シャチと風の物語』(早川書房) 評価★★☆ 1988年に出た本。 著者はアメリカとカナダの西海岸国境付近のジョンストン海峡に生息するシャチを5年間に渡って観察し、その生態を当地で研究を続けている学者たちに教わった。 シャチの生態や海岸での観察生活を描写力豊かな文章で綴るとともに、シャチのカラー写真も掲載した本。 現在から振り返ってみると、カール・セーガンの鯨幻想や、ライアル・ワトソンの人類水生起源説をそのまま書き写しているところが、時代の流行そのままで、著者が欧米の一部の知識層を捉えていた幻影の継承者であり、日本での宣教者であった事態がはっきり見えてくる。 ただし、著者の文章力は相当なもので、詩的でもあり、必ずしもイデオロギー性が強く打ち出されるような書き方はしていない。

・青山晴美 『アボリジニで読むオーストラリア もうひとつの歴史と文化』(明石書店) 評価★★★★ タイトルどおりの本である。 オーストラリアの原住民アボリジニについて、その社会や白人に圧迫された歴史、白人側の擬似科学と差別的なヨーロッパ中心主義 (科学者や宣教師が深くかかわった)、オーストラリアの近代におけるアジア人排斥、戦後のアボリジニ政策などを要領よく分かりやすく語っている。 一見アボリジニを認めるかに見えながら、実はアボリジニを固定的にとらえがちな最近の 「良心的な」 白人研究者に対する鋭い批判が非常に説得的である。 欲を言えば、アボリジニ文化の多様性をもっと紹介してほしかった気もするが、幻想や権威主義を排しつつアボリジニを見つめる著者の姿勢には感動を覚えた。  

・山内昶 『ヒトはなぜペットを食べないか』(文春新書) 評価★★★ 食とタブーについての本である。 冒頭は犬肉を食う話から始まる。 今現在だと、犬肉は韓国や中国 (周恩来は大好物だったとか) 以外では食べないが、昔は日本でも食べていたし、西洋でも古代ギリシア・ローマでは食べていたし、その後もあまり例は多くないものの20世紀に至るまで犬食いの例は見られるという。 犬を食うのは野蛮、なんて西洋人の言い分がデタラメだと分かる。 そのほか、猫食い(!)の話だとか、獣姦の話だとか、食のタブーはなぜあるかとか、それなりに面白い話が入っている。

5月  ↑

・鎌田遵 『ネイティブ・アメリカン――先住民社会の現在』(岩波新書) 評価★★★★☆ タイトルどおり、ネイティブ・アメリカン、つまりインディアンの現状について書いた本。 著者は1972年生まれでカリフォルニア大学および大学院で学んだ方である。 ネイティブ・アメリカンと認められるにはどの程度ネイティブの血が入っていればいいかに始まって、各部族ごとの伝統の違い、政府に認められる場合とそうでない場合の違い、過酷な歴史、逆に変なネイティブ・アメリカン幻想 (「自然と一体になったエコロジカルな暮らし」など) もある現在、ラスベガスのようなギャンブル特区を作って生計を立てているネイティブ・アメリカンもいるなど、実にさまざまな観点から彼らの姿を浮かび上がらせた好著である。 アメリカが国立公園を作るとき、その中に住んでいたネイティブ・アメリカンは追い出されたという指摘も、アメリカにおける自然保護を考える場合に貴重。 欲を言えば西部劇映画の中のインディアン像などはもう少し詳細なリサーチを望みたいところだが、いずれにせよアメリカ先住民を知ろうとする時には欠かせない文献と言えるだろう。

・浜野喬士 『エコ・テロリズム 過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ』(洋泉社新書y) 評価★★★★ 捕鯨船に体当たりするシーシェパードは日本でもすっかり有名になっているが、実はこうしたエコ・テロリズムは捕鯨だけでなく、動物実験などに対してもアメリカ国内で行われている。 本書はそのようなエコテロリズムを行う団体が生まれてきた経緯や、その思想的背景――いわゆる 「動物の権利」 やディープ・エコロジー――をたどったものである。 アメリカの伝統的な 「市民的不服従」 という思想は、そもそもは非暴力主義なのだが、しかし現実の市民革命は暴力を伴っていたという歴史的な事実を盾にとって、いずれは合法化される権利を主張するには暴力を伴う行為も正当化されるはずとしてしまう考え方を分かりやすく説明している。 グリーンピースから派生していかに暴力団体が現在に至るまで持続してきたか、そして合法的で穏健な環境団体が実はエコ・テロリストに資金を流しているという実態にも触れている。 私は今まで、ユニセフや国境なき医師団には寄付をしても、環境保護団体に寄付をしたことは一度もないが、本書を読んでますます寄付をする気がなくなりました。

・ライアル・ワトソン(木幡和枝ほか訳)『生命潮流 来たるべきものの予感』(工作舎) 評価★★☆ 27年ほど前、1981年に出た本。 ニューサイエンスやニューエイジが流行していたまっただ中に出て、それなりに売れた本。 著者のライアル・ワトソンは博士号を持つから一応科学者だが、擬似科学的なものにも興味があって、そうした部分を含めた一種のサイエンス・ライターとして有名だった。 該博な知識と、読む者を捉えて離さない文才とを兼ね備えていて、彼の本が日本で次々と訳されて売れたのもむべなるかな、と思う。 しかし本書でも、すでに知っている人は知っているが、いわゆる 「百匹目のサル」 というウソ八百が書かれていて、ワトソンの科学者めいた外見が相当にいかがわしいものであることが分かるし、他にも空飛ぶ円盤だとか、その筋の話がたくさん出てくる。 それと、ユング心理学が各章の扉に引用されていて、そこからも擬似科学的な匂いが濃厚なのだが、ただ、読んでいて面白いことは確か。 それと、まともな科学者らしい発言もあって、キワモノと真正科学がごっちゃになっているところがこの人の持ち味なのだろう。

・ジム・ノルマン(星川淳訳) 『地球の庭を耕すと 植物と話す12か月』(工作舎) 評価★★☆ 15年前に出た本。 下(↓)でも紹介したノルマンが、エコロジカルな生活を実地に行おうと、自ら農耕生活を送った体験を記した本。 当時の流行だった思想のガイア仮説にしがみついているところは前著と同じ。 まあ、こういう生活を送ろうとは私は全然思わないけど、自分で納得して自給自足の暮らしをするのは、鯨を救おうとして捕鯨を妨害するとか、やはり氷に閉じこめられた鯨を救おうと多額のカネをかけて北極海までかけつけるとか (それだけのカネがあればアフリカの飢えた子供たちをどれだけ救えることか) するよりは、人畜無害な分だけマシでしょう。 よかったですね、はい。

・内海善雄 『「国連」という錯覚 日本人の知らない国際力学』(日本経済新聞社) 評価★★★★ 著者は1942年生まれ、東大法学部を出て東芝に勤務した後、郵政省に入り局長の地位にまで上ったが、その後国連の専門機関であるITU(国際電気通信連合)の事務総局長に立候補するよう勧められて受諾。 本書は、立候補後の選挙運動から始まって、当選後はこの機関の最高責任者としていかに苦労しながらその職務を果たしたかを詳細に書きつづった本である。 国際機関というものがいかに各国の身勝手な要求や態度に揺さぶられるものか、アメリカやヨーロッパの横暴、存在感を強める中国などなど、一筋縄どころか、二筋縄でも三筋縄でも容易には動かない国際機関の実態と、その中で何とか任期を最後まで勤め上げた著者の努力とがよく見えてくる本である。 こういう優秀な人がいるのだから、日本は高級官僚への待遇をケチってはいけないな、と思いました。 なお、文庫本でもないのになぜか最後に別人 (日経の編集委員) による解説が付いているのが不思議。

・吉田秀和 『永遠の故郷 薄明』(集英社) 評価★★★ 吉田秀和氏の最新刊。 先に出した 『永遠の故郷 夜』 に続くもので、このあと同じタイトルで副題が 「昼」、「黄昏」 と続く予定だそうです。 無事に4冊が完成することを祈りたいものですね。 ここではブラームス、プーランク、ウォルフ、マーラーなどの歌曲が取り上げられている。 特にプーランクに力点がおかれているようだ。 私はプーランクの歌曲は全然知らないので、吉田氏のこの本を導きとして勉強していこうかと思っています。

・ジム・ノルマン(星川淳訳) 『地球は人間のものではない』(晶文社) 評価★★ 17年前に出た本。 原題は 『スピリチュアル・エコロジー』。 下 (↓) と同じ著者の本だが、鯨やイルカに関する話題は少なくなり、著者が営む田舎の自足自給的な生活の紹介だとか、原発はイケマセン、開発もイケマセン、新聞を読むと森林が減るからイケマセン、肉食は菜食に比べて効率が悪いから――肉になる動物にたくさん飼料を食べさせないといけないからですね――イケマセン・・・・・というようなことが書いてあって、率直に言ってうんざりします。 でもこういうのに感心する人は――訳者などその典型のようだが――感心するんだろうなあ。 北極近くで氷に閉じこめられた鯨を救出するのには協力し、アフリカで飢餓のために何万人もの人間が苦しんでいるのには無頓着な著者は、どこか変だと私は思うんですが、ディープ・エコロジストってこういう人なんですよね。

・ジム・ノルマン(吉村則子+西田美緒子訳) 『イルカの夢時間』(工作舎) 評価★★ 原著は1987年に、訳は91年に出ている。 イルカや鯨を賞揚した本の一冊だが、著者はミュージシャンであり、オルカや七面鳥と音楽を共演する試みを行っている。 それによって異種間のコミュニケーションが可能になるというのが著者の主張で、実際にその実演をディスクにしたりもしている。 その試み自体は面白いと私は思うのだが、困るのはそこから安易な哲学を導き出していること。 つまり、人間とあらゆる動物は平等である、従来の生物学は動物をモノとしてしか見ていないからケシカラン・・・・と主張して、ニューサイエンスを支持するわけだが、80年代に流行したニューサイエンスってサイエンスでも何でもなく、オカルトに近いんだよね。 もっとも、著者はかなり従来の科学に反発しているし神秘的な現象にも興味を示したりしているのだが、下 (↓) で取り上げたジョーン・オーシャンほど逝ってしまってはおらず、イルカからお告げがあった、的なことは書いていない。 逝ってしまっている人と、普通の常識人の中間派くらいかな。 あと、80年代に日本の壱岐でイルカが漁民によって大量に殺されたとき、この人はわざわざ日本にやってきて――カネを出す環境団体があるからです――壱岐の漁民と話し合いをしている。 その模様も本書には書かれているのだが、そこを読むと、日本の水産庁は今でも鯨を魚類と思っているとか、トンデモナイことが書かれてあって、この種のアメリカ人の知的レベルが分かってしまいます。 

・吉田春生 『エコツーリズムとマス・ツーリズム 現代観光の実像と課題』(原書房) 評価★★☆   5年前に出た本。 最近環境問題が注目されているせいか、いわゆるエコツーリズムというものも流行のきざしを見せている。 つまり環境に優しいと称する観光のことだが、実はそうした観光は実際にはマスツーリズム――つまり人間が大人数で動く――であって、環境に悪影響を及ぼす場合が少なくないということを指摘した本。 この場合の「環境」は、自然環境だけでなく、その地域の人間関係なども含まれる。 なるほどと思う箇所もあるが、250ページある割りには教えられるところが多くないというのが率直な読後感である。 もう少し突っ込んだ調査を個々の事例についてした上で本を書いてもらいたい。 漠然とした抽象論に流れているような箇所もあった。 文字が横組みで読みにくい。  

・松下和夫 『環境政治学入門』(平凡社新書) 評価★★★★ 2000年に出た本なのでデータ的にはやや古くなっているが、アメリカと日本の環境問題をめぐる政治の歴史をたどり、日米の比較もしているところが大変に面白いし、ためになる本である。 アメリカの環境保護が、西部開拓が太平洋にまで達してフロンティアがなくなった19世紀末に始まっていること、野生動物や自然の保護という点では熱心なアメリカだが、温暖化ガス排出で京都議定書から離脱するなど自国の産業に影響が及びそうな問題では消極的なことなど、日米の環境政治の違いが明快に語られている。 ただし、NGOについては、その活動は必ずしもプラス面だけではないわけだが、そうした側面には触れられておらず、書き方が甘くなっているところが残念ではある。 ただ、NGOは基本的に民主党とのつながりが強いため、クリントン政権時代にはかえって活動が下火になった――政権批判がしづらいから――という指摘は貴重。

・清水草一 『港区ではベンツがカローラの6倍売れている 〜データで語る格差社会〜』(扶桑社新書) 評価★★☆ 1年前に出た新書をBOOKOFFにて半額購入。 内容はタイトルの通りで、日本でも高額所得者が住むとされる都内の港区では、高級車ベンツのほうがカローラよりはるかに多い、というところから出発して、東京の女性は軽自動車を嫌うが、逆に高知県では軽自動車の実用性が高く評価され外車は白い目で見られるという事実が紹介されている。 クルマに関することだけではなく、例えばクルーザー所有には維持費を含めてものすごくカネがかかるが、その代わり女性を誘うときクルーザー所有は絶対的な強みを発揮し、乗せてしまうと間違いなく・・・・・・まで行けるとか、アメックス・カードにはプラチナカードの上にブラックカードというのがあって、その所有者がどういう暮らしをしているか――3000万円以下の買物だと考えるということはしないそうだ――、関西の高級住宅都市である芦屋の住人の暮らしであるとか、お金持ちの世界について色々知ることができるところが貴重。 ただ、最後のほうになると息切れしたようで、高級ソープ嬢と平均的なソープ嬢の収入格差だとか、各種調査でしばしば 「日本一豊か」 とされる富山県住民の意識の実態などの章になると、あんまりリサーチが行き届いておらず、おもしろおかしい話の域を出ないという印象になってしまっているのが惜しい。

・本田良一 『イワシはどこへ消えたのか 魚の危機とレジーム・シフト』(中公新書) 評価★★★★ 著者は北海道新聞記者。 本書は水産資源の危機的状況を分かりやすく説明し、それに対する対策を提言したものである。 日本の近海ではここ数年イワシが極端にとれなくなり、逆にサンマは豊漁になっている。 こういう現象は以前、魚種交代という用語で説明されていたが、現在は 「レジーム・シフト」 と英語で言われるそうで、この現象がなぜ起こるのか、ではイワシはまた何年かたてば豊漁になるのか、といったことが専門家の知見をていねいに紹介しながら説明されている。 レジーム・シフトは海水温度の変化や乱獲など色々な要素が微妙に作用しあって起こっており、イワシについてはこのまま放置しておくと日本の近海では豊漁は期待できないという。 その上で、かつての日本の乱獲、現在の中国や韓国の乱獲を視野に収めて、水産資源を国際的に管理する時代になっているし、また実際そういう動きがかなり出てきていることを紹介している。 最後には消費者としてこの問題にどう対応すべきかも書かれていて、説得力に富んだ本になっている。

・ジョーン・オーシャン(伊澤崇子、ほか訳) 『ドルフィン・コネクション――多次元的な生き方――』(和尚エンタープライズジャパン) 評価★ 15年ほど前に出た本。 著者はアメリカ人で、離婚後自活しながら大学で心理学を学び、カウンセラーなどをしていたが、あるきっかけでイルカに興味を持つようになり、ハワイでイルカと一緒に泳ぐのを支援する活動などをするようになる。 で、この本だけど、著者の経歴なども少し入っているが、基本的にオカルトと擬似科学の本である。 一見もっともらしい科学的用語を使っているのだが、言っていることは完全に逝っちゃっている、つまりオカルトそのものである。 人間の集団的意識と地球の自然の物理学的な営みとは連動しているとか、シリウス星からのエネルギーが地球を改善しているのだがその地球総代理人がイルカであるとか (笑)。 イルカにはまる人ってこういう考え方に傾く場合が多いようだけど、その見本みたいな人だと分かる、という意味では貴重な本かもしれないね。

・高橋敬一 『「自然との共生」 というウソ』(祥伝社新書) 評価★★★☆ 著者は東京農工大農学部卒業後、一時期農水省に勤務、その後退職してヴォランティアとして海外に滞在したりしている人。 本書はタイトルが示しているように、環境保護でよく叫ばれる 「自然との共生」 という言い方がいかに欺瞞的であるかを種々の観点から明らかにしたもの。 人が 「環境を守れ」 と主張するとき、地球が大昔から気候や自然環境や生息生物において大きな変遷をたどってきたことを無視して今現在生きている自分が知っている範囲内での環境だけを考えがちであること、「自然」 の植物は自己防御のために或る程度の毒性を備えているが、人間が食物にするためにそれを品種改良した穀物や果物や野菜は毒性がないから、それは必然的に 「害虫」(これも人間中心的な考え方だが) にとってもおいしいものであり、害虫にやられないようにするために或る程度の農薬を使うのはやむを得ないこと、野生動物保護運動においては目立つ・人間から見て可愛いorきれいだと思われるような生物だけが取り上げられがちであり、目立たない昆虫類などが次々と姿を消していっている事実はさっぱり騒がれないこと、また例えばマンモスなどは全滅したわけだが、それで地球環境が壊滅的に悪くなったとか人間が困り果てたということはない、などなど、きわめてまっとうで、しかし市民的な環境保護団体が一向に目を向けないような指摘が多くなされている。

・青柳いずみこ 『ボクたちクラシックつながり ピアニストが読む音楽マンガ』(文春新書) 評価★★★☆ 1年前に出た新書。 『のだめ』 や 『ピアノの森』 など、クラシック音楽を材料にしたマンガを取り上げながら、そこに描かれているクラシック音楽を解説したり、フィクションとマンガの相違を説明したりした本。 留学の実態や、音楽コンクールは昔はなかったこと (そして昔は有名奏者はどのようにデビューしていたか)、音楽家の厳しい生活、ピアニストがリサイタルを開くとどの程度の収入になるか、ヨーロッパ音楽界の日本人差別、などなど、興味深い話が次から次へと出てきて、楽しめる本になっている。 巻末に音楽用語解説もついているので、音楽を専門的に勉強したことのない人にも分かりやすい。

・ロジャー・ペイン(宮本貞雄訳) 『オデッセイ号航海記 クジラからのメッセージ』(角川学芸出版) 評価★★☆ 2007年に出た本。 下(↓)でも取り上げたペインが、世界中の海を数年間におよび船でめぐりながら、マッコウ鯨が化学物質にどの程度汚染されているかを調査した。 その航海日誌的な文章。 相変わらずクジラ幻想に犯されている部分もあるが、化学物質による海水汚染問題や、地球温暖化問題、先進国住民の消費中心主義によるエネルギーの浪費など、本当の環境問題は何かということにようやく目覚めてきたようなところが見られるので、その点は評価できると思う。 ただ、著者は1935年生まれなので、気づくのが遅いとは思う。 あんまり頭の鋭い人じゃないのだ。 アメリカのトップクラスの大学――ハーヴァード大とコーネル大――を出てるんだけどね。

4月  ↑

・ジェフリー・M・マッソン (村田綾子訳)『豚は月夜に歌う 家畜の感情世界』(basilico) 評価★★☆ 4年前に出た本。 著者は1941年生まれのアメリカ人で、カナダの大学教授やアメリカの大学客員教授を勤め、いわゆる 「動物の権利」 を主張する論客である。 ここでは、豚、牛、羊、鶏、アヒルなどの家畜がいかに感情が豊かで、知性もそれなりに備わっているかを訴え、家畜として彼らを殺したり搾取したりするのは不当だから菜食で行くべきだと訴えている。 家畜の感情や知性に関する研究は近年進んできており、従来考えられていたよりかなり高度であることが分かってきていて、その主張にもまあ一理はあるという気はするが、著者が少年時代、鶏の卵を人間が食用に利用するのは泥棒だと思った、と書いていて、それなら麦や米という植物の種子であるものをパンや米食にして食べてしまうのも泥棒じゃないかと私は思うわけだが、著者はなぜか植物の権利についてはいっさい触れていない。 こういうご都合主義的なところが、減点材料でしょう。

・全国大学高専教職員組合 (編) 『大学破壊 国立大学に未来はあるか』(旬報社) 評価★★★ 独法化以降の国立大学が抱える問題点を数人の大学教員が分担執筆で明らかにしようとした本。 特に第3章で研究費が激減している仕組みを指摘しているところが貴重。 この点については国から降りてくるカネが減っているからという説明がよくなされるが、それだけでは、法人化した途端に教員一人あたりの研究費が半減した理由は分からない。 要するに、カネを教員にあまり配分せず、テーマを決めて教員が何人かまとまった形で申請しないと降りない 「コンテスト研究費」 が増えているというのが最大の理由で、これは申請書類や使ったあとの報告書などの書類作成に膨大な時間をとられるので愚かな仕組みであること、さらに学長裁量経費という形で学長のところに留保されるカネが増えていること、そこをきっちり指摘しているのがいい。 ほかに第5章で、国から高等教育機関に降りてくるカネが対GDP比でOECD加盟国中最低であることなど、どうしようもない日本の研究事情が明らかにされている。 もっとも、財務省は財務省で反論しているらしいが、そのあたりで財務省に有効な再批判をこの本が提示できているかどうかとなると、ちょっと心許ない。 大学教師はこういう場面でこそ知性を見せんといかんのじゃなかですか――と突然九州弁になる(笑)。

・ロジャー・ペイン (宮本貞雄・松平頼暁訳)『クジラたちの唄』(青土社) 評価★★☆ 11年ほど前に出た本。 著者は1935年生まれのアメリカ人でザトウ鯨研究者。 ザトウ鯨の生態についてかなり詳しく分かるところは良いが、他方で捕鯨への偏見や、大都市ニューヨークで育った中流階級白人にありがちな価値観――「自然」 という観念への楽観的な信頼、単純な平和主義、マッチョ的なものへの嫌悪などなど――は、かなり鼻につく。 自分の日常生活では大都会に住みエネルギーを大量に使いながら、自然を守れだとか地球温暖化反対とかいった心地よいセリフは大声で叫ぶ体質の人だと、こういう本を読んで感心するのかもしれませんけどね。

・フェリペ・フェルナンデス=アルメスト (長谷川真理子訳)『人間の境界はどこにあるのだろう?』(岩波書店) 評価★★★ 半年ほど前に出た本を渋谷の古本屋で定価の3分の2にて購入。 動物についての知見が深まっている現代、人間とそれ以外の動物とには大きな差があるという昔の見方は大きくゆらぎ、人間と動物の境界線は曖昧になってきているのだ。 本書はそれを明らかにするとともに、過去において人種差別などの形で人間を上下にランク付けしようとした歴史、そしてしかし 「高貴な野蛮人」 のようにそれが裏返って文明批判的に使われることもあったということをも振り返っている。

・黒木登志夫 『落下傘学長奮戦記 大学法人化の現場から』(中公新書ラクレ) 評価★★★ 著者は東大医学部教授などを歴任した医学者。 全然縁がなかった岐阜大学の学長に突然選ばれてしまい、それが独法化前後の一番大変な時期であったので、体調を崩したりするなどもしたようだが、「落下傘学長」 としていかに職務を果たしたかを詳細に書いている。 さまざまな数値を用いて日本の大学がカネのない割りにはそれなりの業績をあげていることを力説しており、また独法化後の大学付属医学部病院の危機を、国立大学協会 (国大協) にいくら訴えても埒があかなかったのに、日本経済新聞で訴えたら即効果があったというところをはじめ、国大協がいかにダメかを率直に書いているところが、なかなかいい。 国立大学長という職務がどういうものかがよく分かる本でもある。 ただし、授業の改善についてはあまり具体的な記述がないし、また研究費が激減していることについては国から降りてくるカネが減っていることだけを原因としているが、ここでは明らかに学長としての自分の姿勢を隠蔽していると思う――これについては上 (↑) の 『大学破壊』 についての記述をお読みいただきたい。 また学長選挙で教員による意向投票が行われていることを批判しているが、山形大みたいに官僚が学長になってしまったり (著者は官僚の国立大学支配を批判しているのだが)、富山大みたいに2割しか支持されていない学長が再選されたりといった弊害が出ている現状についてはノーコメントを通しており、これまたご都合主義的のそしりを免れまい。

・川端裕人 『緑のマンハッタン 「環境」 をめぐるニューヨーク生活』(文芸春秋) 評価★★★★☆ 2000年に出た本。 下の本(↓)の続編的な性格を持っており、ニューヨークにおいて環境保護を訴える団体にどのようなものがあり、どのような人がその構成員であり、そこでどんな主張がなされているのかをルポしたもの。 ただしWWFのような大規模な団体は除外し、比較的小さな団体に焦点を絞っているが、実に色々な団体があって、その主張も多様であり、場合によっては――環境保護という点では一致していても――お互いに対立する場面も出てくる。 また、こうした団体の構成員は白人中流階層が圧倒的に多いし、また都会育ちが多いという、或る意味ではうなずける指摘もある。 「環境保護」をめぐってどんな主張があり得るのかを知るために、そしてアメリカの大都会でどのような 「運動」 がなされているかを知るためにも、非常に貴重な本である。

・川端裕人 『動物園にできること 「種の方舟」 のゆくえ』(文芸春秋) 評価★★★★ 1999年に出た本。 アメリカの動物園の現状を報告したもの。 アメリカの動物園では単に珍しい動物を見せるだけではなく、野生で稀になった動物種を繁殖させたり、なるべく野生種と類似した環境で育てたり、といった傾向が強まっている。 それは一方ではエコロジーの流行により野生動物を保護せよ、或いは野生動物に限らず 「動物の権利」 を訴える声が強くなってきていることへの対応なのである。 また、動物園を介して観客に野生動物について勉強してもらう、という方向性もあるという。 もっとも、動物園にやってくる人たちの大多数はそういったマジメな問題には無頓着で、ただ単に珍しい動物を見物して楽しみたいと思っているのだ、という事情も書かれていて、バランスのとれた記述になっている。 なお、日本の動物園が、飼育環境だけでなく、繁殖技術だとか飼育動物を長生きさせる技術において、アメリカと比べてきわめてお寒い状況にあるということも最後に指摘されている。 良書である。

・蒲原聖可 『ベジタリアンの健康学 ダイエットからエコロジーまで』(丸善ライブラリー) 評価★★★ 1999年に出た本。 著者は徳島大医学部卒でアメリカ留学経験もある医学者。 アメリカのベジタリアン事情や、ベジタリアンにも、純然たる植物系食物しかとらないビーガン、卵や牛乳はとるラクトオボ・ベジタリアンなどいくつかの種類に分かれること、そしてそれぞれのベジタリアンごとの栄養事情などが書かれている。 著者が医学者なので、栄養的な側面については充分な記述がなされているが、思想的なアプローチという点で見るとやや弱いので、そこは別の本で補う必要がありそう。

・和田秀樹 『新学歴社会と日本』(中公新書ラクレ) 評価★★★ 日本は学歴社会なのか? しばしば言われることだが、高卒と大卒・大学院卒の生涯賃金の格差は、アメリカは大きいが日本は小さい。 和田秀樹は本書で、今までの日本は本当の意味での学歴社会ではなかったとし、しかし、国際的な知的産業の競争、国際的な人材の移動にともない、これから本当の学歴社会が来るから、日本も日本人もそれに対応すべきだと主張している。 主張はいくつかに分かれているが、地方都市からの東大進学者が減っていることに警鐘を鳴らしている箇所、そして東京の有力私大が小学校の段階から子供をとりこみ、ろくに勉強しない生徒を大学までエスカレータ式に進学させ、 「高学歴」 のレッテルを与えていることを批判している箇所には共感できる。 私大の経済学部が入試に数学を課さないことを批判しているところもうなずける。 いまどき、高等数学が分からなくて経済がやれるわけがないものね。

・ベッツィ・A・スミス (青木薫・佐渡真紀子訳)『イルカ・セラピー』(講談社ブルーバックス) 評価★★★ 1996年に出た本。 イルカによって自閉症児など精神・心理に問題がある児童 (や大人) を治療することができるという仮説をもとに、それを実行に移した結果を報告した本。 著者は州立フロリダ国際大学教授。 著者が大学教授なだけあって、記述にはオカルト的なところが全然なく、きわめて冷静かつ客観的である。 もっとも、著者は最後にイルカを飼育すること自体に罪悪感を覚えてしまい、その他の事情もあって、せっかく或る程度の効果が上がっているイルカ・セラピーを止めてしまうのである。 うーん・・・・。 

・野崎友璃香 『イルカが導いてくれた幸福 ベストパートナーとめぐり逢う方法』(講談社) 評価★☆ 2003年に出た本。 研究目的で読んだもの。 先月この欄で紹介した同じ著者による本の続編かと思いきや――「イルカ」 とタイトルにあるので――そうではなく、著者が40歳になって結婚したので、どうすれば幸せな結婚ができるかを未婚の人たちに指南した本なのである。 お相手は2度の離婚歴のあるアメリカ人だが、背が高くハンサムで歯並びがよく家族とのトラブルがなく良い友人がいて誠実でスポーツマンであり、要するに著者の希望する条件をすべて満たしている人だそうです。 おめでとうございます。 ちなみに、こういう条件を満たした人と結婚したければ、宇宙に願えばいいそうです。 なぜかイルカにじゃないんですよね。 タイトルと中身が一致していないのがちょっと困りますが、著者が幸福ならとやかく言うべきことではないのでしょうね。 

・ホラス・ドブス(藤原英司・辺見栄訳) 『イルカを追って 野生イルカとの交流記』(集英社文庫) 評価★★☆ 原書は1977年、邦訳の単行本は1992年、この文庫版は1994年に出ている。 やはり下(↓)と同じ著者による本。 会社勤務の身の上だったものが突然クビになってしまい、その少し前に野生のイルカと人間の交流に心惹かれていたことを契機として、イルカによる人間の治療、そしてイルカ・クジラ類の保護運動にのめりこんでいった自分の経歴を綴っている。 下(↓)の 『ドルフィン・ドリームタイム』 および 『ドルフィン・ヒーリング』 と比べると、この時点では著者はまだまともだったと分かる。 言い換えれば、イルカ主義者と付き合ううちに自分もだんだん心霊系になってしまった著者の変化が、この3冊からうかがえるのである。 

・ホーラス・ドッブス(島田眸訳) 『ドルフィン・ドリームタイム イルカと気の世界』(さわやか出版社) 評価★★ 1993年に出た本。 原書は多分その2年前に出ている。 著者名の表記はやや違うが、下の本(↓)と同一著者である。 やはりイルカが人間の精神的な病に効果的だと主張するほか、イルカやクジラを守れという主張も入っている。 周辺に出入りする人物にオカルト系が多いのも下(↓)の本と同じだが、この時点では著者自身はまだオカルトに染まっていない印象である。 といってオカルト的なイルカ主義者を批判しているわけでもないが、そうした人たちの主張はそのままノーコメントで伝えている、という姿勢か。

・ホレイス・ドブス(小澤博樹訳) 『ドルフィン・ヒーリング』(コスモ・テン) 評価★★ 2001年に出た本。 原書はその前年に出たようだ。 研究目的で読んだのだが、鬱などに悩む人間にはイルカと一緒に過ごすと治療効果がある、という主張が機軸で、そのこと自体はいいのだが、それに絡んで著者の周辺に出入りしているイルカ主義者の主張――イルカは 「愛と平和を」 という訴えをテレパシーで送ってきたといった類の――がたくさん紹介されていて、著者自身もオカルト的な人々とその言説に染まっているのが、何ともなのである。 ちなみに訳者は東邦大学卒の医者だが、やはりその方面の医療を行っているらしい。

3月  ↑

・水口博也 『クジラ 大海原をゆく』(岩波ジュニア新書) 評価★★★ 1992年に出た本。 必要があって読んだ。 クジラの生態系や、間近で観察した印象について書かれている。 著者は写真家・科学ジャーナリスト。 記述は、下(↓)の心霊系イルカ本の著者とはレベルが違い、客観的で、文章も的確かつ詩的である。 さすが京大理学部卒、と書くと学歴主義者と非難されそうだが、姫川や野崎の本のあとにこれを読むとそう言いたくなっちゃうんですよね。 ただし、欠点を求めるとすれば、この本には何が書かれていないかという観点から読んでみることであろう。

・松本仁 『アフリカ・レポート――壊れる国、生きる人々』(岩波新書) 評価★★★☆ 長年朝日新聞記者を勤めた著者が最近のアフリカ事情を綴った本。 1960年がアフリカの年と言われ、独立を果たしたアフリカ諸国には明るい未来が待っていると思われた時代からすでに半世紀をへて、アフリカの大半は暗黒の中に沈んでいる状態である。 ここでは、独立直後は豊かな農業を活かした優等国家だったジンバブエが腐敗した独裁政権によっていかに悲惨な国家に成り下がってしまったか、南アフリカがやはり白人支配から解放されたあと極度に治安が悪くなっているのはなぜか、中国人がいかにアフリカに入りこんでいて、しかも地元のためではなく中国人のためだけに活動しているかなど、悲惨な状況が活写されている。 日本に渡ってきているアフリカ人のレポートもあり、最後はしかし、国家や外国の援助に頼るのではなく自前で活動して道を切り開こうとしているアフリカ人の姿、そしてそれを支援している日本の民間人の紹介で締めくくっている。 著者もあとがきに書いているように、また何年かたったら新しいアフリカ像を描いた本を出してほしいものである。

・野崎友璃香 『イルカと逢って、聞いたこと』(講談社) 評価★☆ 1994年に出たイルカ本。 これまた研究目的で読んだのだが、マイヨールや藤原英司を真に受けてデタラメを書きつづっているほか、内容は希薄。 ただ、東京に生まれ育って短大卒後、大手広告代理店に11年間OLとして勤務した著者が、心身の不調に悩まされ、イルカに救いを求めていくあたりは、現代の都会人の病理を示す一例として興味深いとも言える。

・姫川裕里 『イルカと人間のマインド・シンフォニー』(たま出版) 評価★ 1995年に出たイルカ本。 研究目的で読んだもの。 著者は新潟県上越市在住。 第5子を身ごもり、胎児の健全な生育のためにイルカと泳いでみたりするのだが、結局流産してしまうという体験談が本書。 だけど、胎児を流産したことの原因がどこにあるかの追及が甘く、かえって変な宇宙哲学 (?) にはまったりしているところが、何ともなのだ。 ちなみに著者は序文で、「何十万光年も離れたところにある星が今の私の目に見えるのはなぜか?」 と問うて、「それは光より速い何かが星の存在を知らせてくれるからだ」 と答えている・・・・・(!)。 まあ、こういうレベルの人なんですよね。 そして本の内容もそういうレベルなんです。 でもこの人、幼児教育の分野では新潟県ではそれなりに有名人らしく、新潟大学医学部教授として著名な安保徹先生と一緒にその方面の本も出しているのだ。 安保先生、大丈夫ですか?

・小原田泰久 『植物と話ができる! 草木と人の素敵な感動物語』(廣済堂出版) 評価★★ 一昨年に出た本。 イルカ本が種切れになったらしい小原田氏は、その後は犬の本を出したり、植物の本を出したりしているようだ。 どんなものかと思ってAmazonから安価で入手して読んでみた。 基本的にイルカ本とあまり変わらない。 植物と人とのよい関係を訴えて、植物の声に耳をかたむけようと訴えている。 植物にも精神があるという、一部の学者が唱えている説も紹介されている。 無農薬で栽培したリンゴの話なども入っている。 要するにそういう方面の人なのですね。 

・原康 『新版 国際機関ってどんなところ』(岩波ジュニア新書) 評価★★★ 世にある国際機関を列挙し、その歴史や仕事の内容を紹介した本。 なにしろ網羅的な本なので、一つ一つの国際機関についての記述はやや浅くきれい事になっている嫌いはあるが、国際機関と言われるものがこんなに沢山あり、それぞれに異なる機能を果たしていることを知るには良いと思う。 ある国際機関について突っ込んで知りたければ、他の文献も読んだ方が良い。 ちなみに著者は元・朝日新聞記者で、本文には朝日新聞的な臭みはあまり感じられないけど、「あとがき」 を読むと、やっぱり朝日新聞の歴史観ってこの程度なんだな、と思ってしまいます。

・小原田泰久『イルカみたいに生きてみよう』(大和書房) 評価★☆ 1997年に出た本で、だいぶ前に古本屋で買ったことと今回研究目的で読んだことは下(↓)の 『イルカが人を癒す』 と同じ。 しかし、内容的にはスカスカである。 文章の改行がやたら多いし、組み方もスカスカ。 ページ数も少ない (150ページほど)。 要するに、著者は言いたいことは 『イルカが人を癒す』 で全部出してしまっているので、書くことがなく、通俗的哲学を吐露して埋め合わせをしているに過ぎないのである。 例えば、「嫌なことはやめよう」、というような哲学。 そのせいで著者に従ってイルカをウォッチングした若い女性たちは次々会社を辞めてしまった、というのだけれど、辞めるのはいいけどその後どうやって食っていっているんだろう、と私などは心配してしまう。 そして著者はその辺のことには全然触れていないのである。 でもこの本、出して約半年で10刷まで行っているのだ。 う、うらやましい・・・・・

・小原田泰久 『イルカが人を癒す』(KKベストセラーズ) 評価★★ 1994年に出た本。 だいぶ前に古本屋で買ったものだが、今回必要があって読んでみた。 同じ著者の『イルカが教えてくれたこと』(同じ出版社、1996年)を以前に読んだが、内容的に大同小異というか、同じネタの使い回しによってできているので、私は研究目的で読んでいるので仕方がないが、ふつうの人はどちらか一方だけ読んでおけば十分である。 といっても、内容的にはオカルトに近いのであるが、人生の蹉跌を経験して何とか心理的に立ち直りたいと思っている人の中には、この本で救われる人もいるかもしれない。 人は虚構や妄想によっても救われるのだ、という意味においてだけれど。

・西尾幹二 『GHQ焚書図書開封2』(徳間書店) 評価★★★★  終戦直後にアメリカ占領軍によって日本人の目に触れないように処分された本を紹介するシリーズの2冊目。 ここでのメインは、欧米のアジア侵略史である。 オランダのインドネシア侵略史をはじめ、アメリカ、英国、フランス、ロシアなどのアジア侵略を戦前戦中の日本人がどう捉えていたかが明らかにされる。 アメリカ軍がこうした書籍を日本人の目に触れないようにしたのは、明らかに 「連合軍=正義」 という虚構を維持・浸透させるためであって、長いスパンで歴史を見れば、侵略をしたのは日本よりむしろ欧米であったとする西尾氏の主張はまったくそのとおりと言うしかなかろう。 日本の歴史家にその辺の事情がどの程度見えているのだろうか。 オランダのインドネシア侵略史にしても、戦前戦中の日本人はあくまで (良心的な一部の) ヨーロッパ人による研究をもとにして事情を把握していたに過ぎないのであって、自前で学問を作り上げていく姿勢が、日本の歴史研究者には強く求められるであろう。

・飯山雅史 『アメリカの宗教右派』(中公新書ラクレ) 評価★★★☆ ブッシュ大統領時代に政権を支える一翼となったとされるアメリカの宗教右派。その歴史と実態を分かりやすく解き明かした本。 アメリカにおけるキリスト教史の概説から始まって、プロテスタント諸派の主張と勢力を一瞥してから、70年代以降の行きすぎたリベラルへの危機感に支えられて宗教右派が勢力を伸ばしていく様子が説得的に説明されている。 といって、共和党も宗教的原理主義者の言い分を必ずしもそのまま受けいれているわけではなく、しかし選挙には彼らの票も必要なので、或る程度受け入れているふりをしているのだ、という。 同性同士の結婚を認める条項を憲法に盛り込めといった類の左派の主張を批判する常識的な市民感覚と、尖鋭な原理主義者とはまた別、ということらしい。 また、アメリカがイスラエルを支持するのは、国内のユダヤ人のためだけではなく、むしろキリスト教福音派がイスラエルをキリスト再臨の地と見ているからだという説明も、今現在アメリカ国内のユダヤ教徒は2%に満たない数なので、なるほどと思ったことであった。

・飯田道子『ナチスと映画』(中公新書) 評価★★☆ タイトル通りの本だが、ナチス時代に作られた映画と、同時代及び後世の映画がナチスやヒトラーをどう描いたかの二つの部分に分かれる。 この種のテーマで調べものをしたいときとりあえず役に立つ本ではあるけれど、読んでみてどうも少し物足りない感じが残る。 ナチス時代の歴史的背景が説明されるのは或る程度はやむを得ないが、その種のことを知りたければ他にいくらでも本はあるわけで、もう少し映画についての記述を増やしたほうがいい。 同時代および戦後に映画でナチスやヒトラーがどう描かれたかについても、あんまり意外な情報は入っていないという印象。

・小田部雄次 『梨本宮伊都子妃の日記 皇族妃の見た明治・大正・昭和』(小学館) 評価★★★ 1991年に出た本をいつだったか古本屋で購入 (現在は文庫化されている)。 大学で3・4年次向け演習で取り上げて読んでみた本。 戦前の皇族である梨本宮に嫁いだ旧佐賀藩主の娘である伊都子の日記に、注や写真を付した本。 戦前の皇族の暮らしや考え方が分かって面白いところもあるのだが、日記というのは自分に分かり切ったことは書かないもので、その辺は編者が注によって補わなければならないわけだけど、必ずしも十分な注がついているわけではないのが残念。 例えば授業でも学生から指摘があったことだが、戦後になって皇族の身分を失ったとき、それまで使っていた使用人はすべていなくなったのか、或いは或る程度残ったのか。 そういったことには編者は触れていないし、また梨本宮のお屋敷は戦時中に米軍の空襲で消失しており、その屋敷の豪華さ・広さについては記述があるが、戦後に住んだ家については何も書かれておらず、零落ぶりが具体的にどの程度だったのか分からない。 この辺が物足りないのである。 なお、日記の合間合間に編者が時代の変化について説明を入れているが、割りにサヨク的なのも、ちょっと気になった。 (例えば、東京裁判で処刑された高級軍人の遺族に年金が出ることを問題視している。)

・プーシキン (神西清訳) 『大尉の娘』(岩波文庫) 評価★★★☆ 大学の教養演習で取り上げて読んでみた。 ロシア近代文学の祖プーシキンの有名な小説だが、実は私も読んだのは初めてだった。 史実であるプガチョフの乱に、貴族の若者の恋物語が絡み、小説らしい筋書きの面白さと同時に歴史的な背景も興味深く、学生にもわりに好評だった。 この演習では、ほかに外国文学としてはシェイクスピア 『マクベス』 とカフカ 『変身』 を読んだのだけれど、学生へのインパクトということで言うとどうやら 『大尉の娘』 の圧勝だったようである。 章ごとについているロシアの民謡や詩から採られたエピグラフも味わい深い。

2月  ↑

・高島俊男 『座右の名文 ぼくの好きな十人の文章家』(文春新書) 評価★★★★ 新井白石、本居宣長、森鴎外、内藤湖南、夏目漱石、幸田露伴、津田左右吉、柳田国男、寺田寅彦、斉藤茂吉の10人をとりあげて論じている。 副題に 「文章家」 とあるけれど、単なる文章読本ではない。 それぞれの文章家を高島氏ならではの視点から分析・紹介しているところが面白いのである。 例えば、新井白石は日本で初めて自伝を書いた人物だったとか、夏目漱石は「誰かに見張られている」という被害妄想につきまとわれていた、とか、意外な側面がとりあげられており、人物像の描写が優れているところが買いなのである。

・橘木俊詔 『早稲田と慶応 名門私大の栄光と影』(講談社現代新書) 評価★★★ タイトル通りの本である。 データを或る程度は挙げながら早慶を比較しているが、漠然としたイメージに頼って論を進めている箇所もあり、ほどほどといった出来である。 例えば、慶応の幼稚舎 (小学校) は年間150万円の学費がかかるそうで、小学校入学年齢の子供を持つ親と言ったら30代が主だから、30代でこれだけの学費を出せる親は限られており、したがって慶応には裕福な子供が多いというのは分かる。 だけど、他の私立小学校の学費はどの程度なのか書いていないので、慶応だけが特別なのか分からないのである。 イメージに頼っていると私が言うのはそういう意味である。

・大竹文雄 『格差と希望 誰が損をしているか?』(筑摩書房) 評価★★☆ 阪大教授である経済学者が、雑誌などに載せた文章を集めた本。 出たのは昨年半ば。 つまり、サブプライムローン問題で米国経済が失速し、世界全体が不況に見舞われるより前である。 本書は格差の問題を扱った文章を中心にしている。 もっとも著者は以前に、日本が格差拡大していると言われているのは高齢化のせいに過ぎないと主張した学者として知られているが、本書では最初に、それは自分の主張の一部に過ぎず、若者が非正規雇用などによって格差が拡大していることは確かだとしている。 そして本文でも、若者を救うにはどうすればいいかを様々な方向から検討している。 もっとも、その内容には 「既得権」 概念を濫用している気配が濃厚で、必ずしも賛成しかねるが――これについては昨年の読書月録の10月に掲載した鈴木謙介 『サブカル・ニッポンの新自由主義――既得権批判が若者を追い込む』(ちくま新書)を参照されたい――今どきの経済学者がどんなことを考えているかを知るにはそれなりの本であろう。 

・伊藤玲子 『中山成彬はなぜ日教組と戦うのか――「まっとうな教育」 を回復せよ!』(KKベストセラーズ) 評価★★★ 昨年9月、大臣就任直後に日教組を批判して辞任においこまれた中山代議士にインタビューするとともに、日教組がどれだけおかしな主張をして教育を歪めてきたかを明らかにしようとした本。 著者は鎌倉市議を4期務め、鎌倉の公立学校での日教組の活動を批判し続けてきた方である。 内容的にはなるほどと思うところが多く、日教組についてよく知らない人には一読を勧めたい。 ただし、「ダメ教師=日教組教師」 であるという論証が不十分な箇所も散見されるので、多少の用心は必要。 マンガ 『はだしのゲン』 が学校の図書館に入っているのは日教組のせいだということを、私は本書で初めて知りました。 じつは新潟大学の図書館にも入っており、以前、私は図書館の書棚でこのマンガを見つけ、なんでこんなマンガが新潟大の図書館に入っているのかなあと疑問を覚えたのだけれど、その原因がやっと判明しました。 手塚治虫のマンガは1冊も入っていないのにね。

・テオドール・シュトルム (菅原政行訳)『生けるまぼろし』(角川文庫) 評価★★★ 昭和33年初版で 「定価六拾円」 と奥付にある文庫本。 いつどこの古本屋で買ったのだったかはとうに忘れた。 19世紀ドイツの作家シュトルムの晩年の2作品"Eekenhof"と"Doppelgaenger"を収録している。 私は前者は新潟に赴任してあまりたっていない頃に原文で、後者はとおいとおい昔に別の翻訳で読んだ記憶があるが、今回、ちょっと訳があってこの文庫本を書棚から引っぱり出して、用があったのは"Eekenhof"のほうだけなのだが、ついでに"Doppelgaenger"も久しぶりに再読してみた。 本のタイトル 「生けるまぼろし」 はこちらのほうを訳したものだが、「ドッペルゲンガー」 って或る程度日本語にもなっている言葉だけれど、こんな風に訳してしまっていいのだろうか。 私の記憶違いでなければたしか 「影法師」 って訳題もあったような気がするのだが。 それはさておき、「愛されぬ父」 を描いた"Eekenhof"、やはり 「父」 を主題にしつつも社会問題を絡ませた"Doppelgaenger"は、こんにち読んでも案外に面白いのである。 また、作家の想像力と語りという問題も両作品から看取できる。

・苅谷剛彦、ほか 『杉並区立「和田中」の学校改革」――検証・地方分権時代の教育改革』(岩波書店) 評価★★★★ 杉並区の平凡な公立中学である和田中学校。 そこに有名人の藤原和博氏が民間人校長として乗り込んで、「改革」 を行ったということは、マスコミでも派手に報道されたからご存じの方も多かろう。 また、藤原氏自身が自分の行った改革について本を書いていて、これまた結構売れているようだ。 しかし、この種の 「改革」 は、それによって学校や生徒、とりわけ生徒の学力がどう変わったのかという冷静な検証をへなければ評価することができない。 「何だか知らないけど、有名民間人が校長になったんだから、きっと良くなったんだよ」 というようなムセキニンな思いこみをしていたのでは、いつまでたっても日本は知的国家になることはできないのである。 で、本書は教育学者が、藤原改革によって生徒の学力が向上したのかどうかなどをきちんと検証したものだ。 その結果、実は藤原改革は生徒の学力を低下させた、という結果が出たのである。 無責任に藤原氏をもちあげるマスコミの態度にだまされないためにも、そして公立中学だけでなく、最近の 「大学改革」 で大学が本当に良くなっているのか、学生の学力が上がっているのかを考えるためにも、一読をお薦めする。  

・林田直樹 『クラシック新定番100人100曲』(アスキー新書) 評価★★★☆ クラシックの名曲紹介本であるが、作曲家1人あたり1曲と限定したところが新趣向。 これによって、いわゆる大作曲家はすでにクラシックファンになっている人からするとちょっと物足りないが、その代わり、「へえ、こんな作曲家もいたの?」 というような斬新な情報提供の書にもなっている。 特に現代に近い作曲家の場合は作曲家自体を教えてもらう度合いが高いし、また高名な作曲家でも、例えばサン=サーンスからはクラリネットソナタ、ヘンデルからは 「主は言われた HWV232」 といった、私の知らない曲が出てくるし、有名曲の場合でも著者ならではのはっとさせられる視点からのコメントがついているなど、結構面白い本で、一読を勧めたい。

・茂木健一郎/江村哲二 『音楽を 「考える」』(ちくまプリマー新書) 評価★★★ 2007年5月に出た新書を少し前にBOOKOFFにて半額購入。 脳科学者と作曲家による対談集。 作曲をするという芸術的な営為が、はたして音大などで「教える」ことができるものなのか、といった、芸術の根幹に迫る問題意識によって話が進められている。 それなりに面白いけど、後半には、日本人は西洋人に見習ってもっと意見を率直に言えというような、わりに通俗的な国際文化論も出てきて、最初のあたりの高度な緊迫感が必ずしも持続していないのが残念。

・三島由紀夫 『宴のあと』(新潮文庫) 評価★★★★ 三島由紀夫が実在人物をモデルにして書いた小説で、その人物からプライヴァシー侵害で訴えられて敗訴したので有名な作品。 私はだいぶ前に一度読んでいたが、今回、大学の教養の演習で取り上げて久しぶりに再読してみた。 革新党から依頼を受けて都知事選に出馬する老知識人、そしてその妻となる高級料亭のおかみを描いている。 妻のほうは貧しい暮らしから身を立て、自分の体験をしか信じない、夫とは正反対の人物である。 その対比が面白く、また保守党の俗悪な政治家や、絶えず負け続けながらそれを生きる糧としている革新党の選挙参謀など、副人物の描写もたいへんに興味深い。 様々な人物への深い洞察、そして政治というものの本質への洞察が鋭い。 昭和三十年前後の世相や東京の様子、物価などなどにも色々と目を惹く箇所がある。 三島の傑作小説の一つだと思う。

・苅谷剛彦 『教育再生の迷走』(筑摩書房) 評価★★☆ 『大衆教育社会のゆくえ』 など多数の著作で知られる東大教育学部教授の最新刊。 前半と後半で印象が異なる。 前半は面白くない。 安倍政権の教育再生会議の模様に批判的にコメントしているのであるが、内容が微視的だし、物事の本質をあまり衝いていない印象がある。 後半に来ると、全国学力テストについての分析や批判になる。 この部分はそれなりに面白い。 様々なデータを挙げて、そこから読みとれる格差社会の様相を解説している。 後半のみ一読に値しよう。   

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